先週号の『週刊ポスト』さんに光太郎の名が。
7代にわたって受け継がれる秘伝のタレ 駒形 前川 東京・台東区
浅草・駒形橋のたもと、隅田川沿いに位置する「駒形前川」では、風情ある景色を眺めながら、ゆったりと鰻を堪能できる。創業は江戸末期の文化文政期。200年以上引き継がれるタレは、空襲や地震を逃れてきたという。「関東大震災のときは、タレの入った壺を大八車に乗せて逃げたと聞いています」(7代目・大橋一仁さん) 鰻を幾度も返しつつ焼き上げる熟練の技によって、艶やかな飴色に仕上がる。重箱の蓋をあければ、香ばしさをまとった鰻が姿を現わす。タレは江戸前の辛口でさっぱり。身はふんわりと味わい深い。
醤油とみりんしか使わずに継ぎ足された秘伝のタレ。詩人の高村光太郎や作家の池波正太郎も駒川前川の味を愛した。
老舗の味を守りながら、新しい食の提案も行なう。スペインワインの輸入販売も手掛け、ここでしか味わえない鰻とワインのペアリングも楽しめる。
■駒形 前川 住所:東京都台東区駒形2-1-29 営業時間:11時半~21時(L.O.20時半) ※売り切れ次第終了
定休日:年中無休
醤油とみりんしか使わずに継ぎ足された秘伝のタレ。詩人の高村光太郎や作家の池波正太郎も駒川前川の味を愛した。
老舗の味を守りながら、新しい食の提案も行なう。スペインワインの輸入販売も手掛け、ここでしか味わえない鰻とワインのペアリングも楽しめる。
■駒形 前川 住所:東京都台東区駒形2-1-29 営業時間:11時半~21時(L.O.20時半) ※売り切れ次第終了
定休日:年中無休
巻頭グラビアの「鰻の季節がやってきた!」という記事の一部で、他に名古屋の「鰻(うな)う おか富士」さん、葛飾区の「うなぎ 魚政」さん、浜松の「うなぎ 大嶋」さん、久留米の「富松うなぎ屋」さんが紹介されています。
他店はそれぞれ1ページですが、前川さんのみ見開き2ページ。いわば横綱扱いですね。
戦前の光太郎日記はほとんど残っていないため、光太郎の書き残したものの中にそのエピソードは見あたりませんが、たしかにそういうことがあったのでしょう。
光太郎の父・光雲の談話筆記『光雲懐古談』(昭和4年=1929)には、前川さんの名が出て来ます。幕末の徒弟時代の回想で「名高かった店などの印象」という項です。
鰌屋横丁を真直に行けば森下(もりした)へ出る。右へ移ると薪炭(しんたん)問屋の丁字屋(ちやうじや)、その背面(うしろ)が材木町の出はずれになつてゐて、この通りに前川(まへかは)といふ鰻屋がある。これも今日繁昌してゐる。
前川さんの名は出ていませんが、光太郎の詩「夏の夜の食慾」(大正元年=1912)には、鰻屋の店頭風景が。
「ぬき一枚――やきお三人前――御酒(ごしゆ)のお代り……」
突如として聞える蒲焼屋の渋団扇
土用の丑の日――
「ねえさん、早くしてくんな、子供の分だけ先きにしてくれりや、あとは明日(あした)の朝までかかつても可いや、べらぼうめ」
「どうもお気の毒さま、へえお誂へ――入らつしやい――御新規九十六番さん……」
真つ赤な火の上に鰻がこげる、鰻がこげる
この直後の部分で、天ぷら屋の「中清(なかせい)」さんが登場します。前川さんと中清さん、直線距離で300メートルほどですので、ことによると前川さんなのかもしれません。もっとも、浅草近辺には他にも鰻屋さんがありますので、何ともいえませんが……。ちなみに光太郎、戦後には日記によるとやはり浅草の小柳さんという鰻屋さんに行ったことを記録しています。
今年の土曜丑の日は月末、7月27日(土)だそうです。夏バテ予防にぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
十年前の今頃は、亡妻智恵子の病気とたたかつてゐました。そして一方、團十郎の首を作り上げようとしてゐました。
アンケート「十年前のあなたは」全文 昭和23年(1948) 光太郎66歳
出典は雑誌『日本未来派』です。ある意味、酷な質問をするものですね。
「團十郎」は九代目市川團十郎。光太郎はその芸を愛し、彼の肖像彫刻で世上にろくな物がないのが残念だと、その制作にかかりました。しかし、戦争の激化とともにそれも頓挫し、結局、昭和20年(1945)の空襲で灰燼に帰しました。
ちなみにこのアンケート、「十年後のあなたは」という設問もありましたが、光太郎、そちらには回答していません。もはや自分に十年後はない(8年後に光太郎は没)ことがわかっていたのでしょうか。何とも不思議です。