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純邦楽のコンサートです。
会   場 : 紀尾井ホール 東京都千代田区紀尾井町6番5号
時   間 : 18時30分開場 19時開演
料   金 : 3,000円(全席自由)
主   催 : オフィス朝香
後   援 : 公益財団法人 日本伝統文化振興財団
出   演 : 朝香麻美子   賛助出演 鈴木璋子(歌・箏)
曲   目 : 奥組 初音曲(山田検校 作曲)  那須野(山田検校 作曲)
        樹下の二人(高村光太郎 作詩 小山清茂 作曲)
        遠野(柳田國男 作歌 唯是震一 作曲)

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箏曲奏者・友渕のりえさんの委嘱による昭和50年(1975)作曲の「樹下の二人」がプログラムに入っています。初演もこの年でした。

作曲者の故・小山清茂氏のことば。

 此の曲を作曲するに当って、私は、出来るだけ自然な節回わしであり度いと願った。そして、幸福な二人を表現するため、音域を中庸に保つ様に気をつけた。
 昭和五十年作曲以来、何十回うたってくれたことでしょう。今、友渕さんの歌うのを聴けば、総べては全く自然そのもの、音符はおおよその目安にすぎなくなって「彼女のもの」になって居ることを感ずる。

その後、いろいろな方が取り上げられ、CDに収められたり、コンサートの演目になったりしています。


当方、平成26年(2014)、この曲が演奏された箏曲奏者の故・浜根由香さんのコンサート「浜根由香 東北を謳う」を聴きに、福島県南相馬市に行って参りました。その後、その際のライヴ録音のCDも入手。例によって連翹忌の宣伝をし、いずれ連翹忌で演奏していただきたいものだと思っておりましたが、浜根さん、昨年6月に亡くなられたそうで、ショックでした。

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改めまして、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

あの欲情のあるかぎり、 ほんとの為事は苦しいな。 美術といふ為事の奥は さういふ非情を要求するのだ。 まるでなければ話にならぬし、 よくよく知つて今は無いといふのがいい、 かりに智恵子が今出てきても 大いにはしやいで笑ふだけだろ。

連作詩「智恵子抄その後」中の「吹雪の夜の独白」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

「あの欲情」は、性欲を指します。「枯淡の境地」といいますが、そこに至るまでに乗り越えてきたものの大きさが重要だと思います。元々枯れていた、ではやはり深みがありません。紆余曲折や多大な犠牲があっての「枯淡」。そういう意味での「非情」なのでしょう。

一昨日のスポーツ紙『デーリースポーツ』さんに、以下の記事が載りました。

コロムビア・ローズ三代そろい踏み

 日本コロムビアの所属歌手が一堂に会するコンサート「コロムビア大行進2015」が14日、東京・中野サンプラザで開かれ、初代(82)、二代目(70)、三代目(32)とコロムビア・ローズが三代そろい踏みした。3人が同じステージに立つのは12年10月の日本歌手協会主催の「秋の歌謡フェスティバル」以来約2年半ぶり。

 ステージでは、初代が「どうせひろった恋だもの」、二代目が「智恵子抄」とそれぞれの代表曲をソロで歌唱し、その後、三代そろって「東京のバスガール」を歌唱。三代目コロムビア・ローズ野村美奈は「名前を継がせていただいた先輩方とご一緒できて、緊張しながら歌わせていただきました」と振り返っていた。

 この日はコロムビア所属歌手の舟木一夫(70)、都はるみ(67)、八代亜紀(64)、大川栄策(66)、細川たかし(64)ら43組の歌手が出演。それぞれのヒット曲や故・美空ひばりさんら先輩歌手の名曲を歌唱し、最後は出演者全員で、故・島倉千代子さんの「人生いろいろ」を大合唱した。

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二代目コロムビア・ローズさん。記事にもある通り、代表曲が「智恵子抄」です。昭和39年(1964)のヒット曲で、智恵子の故郷・二本松市安達地区では今も子供達にも歌い継がれています。おそらく防災無線の時報でも流れていたと思います。

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「智恵子抄」のヒットで、その後リリースされた「二十四の瞳」のB面には、「智恵子のふるさと」という歌も収められました。観光客誘致に貢献したということで、作詞の丘灯至夫さん(二本松に近い小野町の出身で、同町に記念館があります)、作曲の戸塚三博さんともども、当時の二本松市長から感謝状を受けています。

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現在はアメリカ在住ということで、時折帰国なさってこうしたコンサートやテレビの歌謡番組などにご出演なさっています。下記は平成24年11月にテレビ東京系で放映された「木曜8時のコンサート~名曲!にっぽんの歌」。

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三代目ローズさん も、二代目のヒット曲ということで、この曲をカバー、平成17年(2005)にリリースの「異国の華」のカップリングになっています。

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ときおりコンサート等で歌われているようですが、この手のコンサートでは、事前に曲目が発表されることがまれなので、なかなかご紹介できずにいます。

追記・三代目ローズさんは平成27年(2015)、クラウンに移籍され、野村未奈に改名されたそうです。さらに平成29年(2017)、野村未菜と改名されたとのことです。

「智恵子抄」、これからも歌い継がれていってほしいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 3月16日

平成7年(1995)の今日、芳賀書店から『芸術夢紀行シリーズ① 高村光太郎 智恵子抄アルバム』が刊行されました。

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北川太一先生の的確な解説、カメラマンだった故・高村規氏の美しいイメージ写真、そして資料画像の豊富さでは他の追随を許しません。渡辺えりさん(4月2日、第59回連翹忌にご参加下さるそうです)の玉稿も掲載されています。ビジュアル的に光太郎・智恵子の生涯をたどりたい方にはお薦めです。

今年10月に、福島県南相馬市で行われた邦楽奏者・浜根由香さんのコンサート「東北を謳う」のライブ録音CDが届きました。コンサートのレポートはこちら
 
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1曲目が、「あれが阿多多羅山/あの光るのが阿武隈川」で始まる光太郎詩「樹下の二人」に故・小山清茂が作曲したものです。
 
協賛チケットという形で、一口1,000円を振り込むと、こちらが送られてきます。当方、当日のコンサートも拝聴しましたが、CDも欲しかったので申し込みました。復興支援を兼ね、コンサート当日の分と合わせて、収益は市社会福祉協議会に寄付されたそうです。
 
CDと一緒に入っていた文書から抜粋引用します。
 
浜根由香~東北を謳う~南相馬コンサートのCDが完成しましたのでお届けします。
 
皆様のご支援のおかげで10月19日(日)、暖かな日差しとお客様に恵まれて無事にコンサートを終える事が出来ました。
 
そして協賛チケットの総売り上げは323枚、全国の皆様からのあたたかいご支援の気持を南相馬に届ける事が出来ました。後日、社会福祉協議会から感謝状を戴きました。
 
御協力いただき本当にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。 
 
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それから、「南相馬公演を終えて~今、改めて思う事~」という文書も同封されていました。
 
コンサートの打ち上げで、改めて世話人の方々に震災の話を伺いました。
 
その方達は避難せずに現地に留まった、正しくは事情があって避難出来なかった方達でした。いち早く避難した友人に「早く逃げろ」と言われても逃げるわけにはいかなかった。
とはいえ、地震直後の混乱の中では避難した方々にも正しい情報が届かないため、避難場所が南相馬よりも放射能の高い場所だったとは知らず、そこで沢の水を飲んだ人も居た…という生々しい話も沢山聞きました。
 
以前、除染のボランティアで南相馬を訪れた際、「他の場所にはボランティアはたくさん来るけれども放射能が怖いから此所にはあまり来ない。なんでわざわざ南相馬に?」との質問がありました。
「何かせずにはいられなかった。」と率直に気持を伝えましたが、
「なぜ?」の答えになっていないなぁ…と東京に帰ってからも考え続けていました。
 
「なぜ他ではなく、南相馬だったのか?」
 
今改めて考えると、原発が危ないものだと薄々知っていたのに声を上げなかった自分が許せなかったのですね。だから「何かせずにはいられなかった。」見えない放射能が残したものを自分の目で確かめなければ。と除染作業に参加したのです。それがきっかけとなり10/19のコンサート、そしてこのCDをお届けする運びとなりました。
 
今も電力が足りない訳ではないのに各地の原発が次々と再稼働を始めようとしています。今回の事故で明らかになったように人間はまだ原子力を扱いきれません。大都市の電力を賄う為に地方に原発を作るのは自分だけ良ければいいという都会的・身勝手な発想であり、政治的発想です。政治家は政治が仕。音楽家は音楽が仕事ですから、専門外の人の仕事は任せておけと言う風潮もありますが、どんな職業についてもその前に人間です。
人としてやってはいけない事には声を上げなくてはなりません。
音楽家は炭坑のカナリアと似ています。危険に気が付いたら真っ先に声を上げなければいけない、音楽の修行だけやっていればよい訳ではないと思うのです。
 
そんな思いが大層なチラシを全国に配る原動力となり、本当に多くの方達の後押しで気持ちを形にすることが出来ました。改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。
 
 
東日本大震災から3年9ヶ月が経ちました。しかし、まだまだ「被災」は終わっていません。浜根さんのように、それぞれの皆さんが、それぞれの立ち位置で、できることをしていっていただきたいものです。
 
追記  浜根由香さんは、平成28年(2016)6月、胃ガンのため亡くなりました。謹んでお悔やみ申し上げます。

 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月12日
 
大正3年(1914)の今日、雑誌『美術新報』に、散文「バーナード リーチ君に就いて」が掲載されました。
 
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昨日は福島の相馬方面へ行って参りました。
 
第一の目的は、邦楽奏者、浜根由香さんのコンサートです。題して「浜根由香 東北を謳う」
 
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第二の目的については、また明日書きます。
 
目的地は福島県南相馬市。福島第一原発のある大熊町の北ですが、先月、国道6号線の通行止めが解除されたので、アクセスが容易になりました。そのあたりについても明日書きます。
 
 
会場は南相馬市民文化会館ゆめはっと。瀟洒な建物です。中に入って驚きました。渡辺えりさんの「天使猫-宮澤賢治の生き方-」のポスターが。そういえば、福島公演の会場がこちらでした。紹介しておきながらすっかり忘れていました。
 
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 いいコンサートでした。
 

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1曲目が、「あれが阿多多羅山/あの光るのが阿武隈川」で始まる、光太郎詩「樹下の二人」に故・小山清茂が作曲したもの。箏・唄ともに浜根さんの独奏です。当方、ホールで箏の独演を聴いたのは初めてでしたが、マイク等一切使わず、生の演奏だったので驚きました。もっとも、ホールが小ホール的な「多目的ホール」というところでしたが、それだけに臨場感がすごく感じられました。
 
2曲目が「遠野」。柳田国男の『遠野物語』の一節に唯是震一氏が作曲したもの。三弦(三味線)と唄で、やはり浜根さんの独奏でした。最近、京極夏彦さんリメイクの『遠野物語』を読んだので、興味深く聴きました。
 
3曲目に、宮城道雄作曲の「瀬音」。浜根さんと、お弟子さんの中島裕康さんのデュエットです。唄はなく、浜根さんが箏、中島さんが十七絃。箏はリードギター、十七絃はベースギターのようだと思って聴きました。
 
プログラム最後、4曲目で、浜根さん編曲のメドレー「赤とんぼ・もみじ・小さい秋みつけた」。樋口雅礼瑤さんが加わって、お三方での合奏でした。ちょうど秋。いい感じでした。
 
その後、浜根さんと、今回のコンサートを企画された地元南相馬の佐藤英明さんのトーク、そしてアンコール的にプログラム外に3曲演奏がありました。佐藤さんの唄でサザンの「希望の轍」、インストゥルメンタルで「大きな古時計」、「少年時代」。会場の皆さんも、存分に楽しまれたようでした。
 
先日もご紹介しましたが、ライブ録音が手に入ります。復興支援も兼ねているそうです。是非お買い求めを。
 
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南相馬という街、原発事故前の常磐線が全線健在だった頃に列車で通過したり、すぐ南の小高町に行ったりしたことがありましたが、南相馬自体には初めて行きました。コンサート開演より早く着いてしまったので、歩いてみましたが、なかなかいい感じの街でした。当方の大好きなレトロな建物が残っています。
 
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特に、コンサート会場・ゆめはっとのすぐ隣が「野馬追通り銘醸館」という施設で、ミニテーマパークのようになっており、みどころです。何棟かある建物自体も明治、大正、昭和戦前のものです。
 
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「昭和蔵」という建物は、内部に昭和30~40年代が再現されていました。
 
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先述の通り、国道6号の通行止めが解除となり、アクセスが便利になりました。ぜひ足をお運び下さい。
 
明日は隣接する相馬市などのレポートを書きます。
 
追記  浜根由香さんは、平成28年(2016)6月、胃ガンのため亡くなりました。謹んでお悔やみ申し上げます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月20日002
 
昭和31年(1956)の今日、龍星閣から光太郎著『赤城画帖』が刊行されました。
 
光太郎没年の追悼出版的なものですが、元は明治37年(1904)に、群馬の赤城山を訪れた光太郎が描いた画帖です。
 
鉛筆スケッチ28枚、さらに明治期に赤城を詠んだ短歌が多数収録されています。解説はスキーヤーの猪谷六合雄。光太郎が赤城で定宿としていた猪谷旅館の子息です。
 
右の画像が『赤城画帖』。白っぽいのは、例によってパラフィン紙をかけてあるせいです。
 

福島からコンサート情報です。 

浜根由香 東北を謳う

期 日 : 2014年10月19日(日)
会 場 : 南相馬市民文化会館 ゆめはっと多目的ホール
時 間 : 開場 13:30  開演 14:00
料 金 : 
前売2,500円 当日3,000円
出 演 : 
浜根由香 樋口雅礼 中島裕康
 
  : 遠野(柳田国男作 唯是震一作曲) 樹下の二人(高村光太郎詩 小山清茂作曲)他
 
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純邦楽です。曲目にある「樹下の二人」は箏曲と唄によるもので、以前にもご紹介しました箏曲奏者・下野戸亜弓さん友渕のりえさんなどもレパートリーにされています。というか、元々この曲は友渕さんによる委嘱作品です。
 
会場は福島の南相馬。東日本大震災による被害の最も大きかった自治体の一つです。そこでこのコンサート、復興支援も兼ねているそうで、収益金は市社会福祉協議会に寄付されるそうです。
 
チラシの裏面には、震災関連の記述も。
 
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一口1,000円で協賛される方には、当日のライヴ音源CDが送られるそうです。
 
こういう形での復興支援もあるのですね。

追記  浜根由香さんは、平成28年(2016)6月、胃ガンのため亡くなりました。謹んでお悔やみ申し上げます。
 
 
さて、別件で飛び込みのテレビ放映情報です。ただし、北海道限定のようです。 

旅の達人がいく!阿藤快のにっぽん漫遊記

HBC北海道放送(Ch.1) 2014/10/5(日) 午前6:00~6:30
 
“旅の達人"阿藤快さんが『歴史の里』を訪れ、様々な歴史や文化の名残に触れていきます。もちろん、当地の銘菓や郷土料理も鋭い嗅覚で見つけ出し味わっていきます。
 
【みちのく阿武隈の歴史と味を探訪】  今回、訪れるのは福島県二本松市。  夫の高村光太郎が出版した詩集「智恵子抄」で知られる妻、日本の洋画家、高村智恵子ゆかりの地で、造り酒屋であった生家の裏には彼女の油絵や紙絵が展示されている「智恵子記念館」を訪れます。室町時代に築城された、日本100名城の一つ、二本松城もご紹介します。
 
元々はBS日テレさんで制作していた番組のようで、一昨年あたりに本放送があったようです。
 
北海道のみなさん、ぜひご覧下さい。
 
ちなみに10月5日といえば、「レモンの日」。智恵子の命日です。HBC北海道放送さん、それに合わせてこの放送日程を組んだのでしょうか?
 
さらに言うなら、この日(ってもう明日ですが)は二本松で智恵子命日の集い「レモン忌」も開催され、当方、記念講演をします。
 
今日は武蔵小金井にテルミン奏者・大西ようこさんらのユニットotoyomiさんのコンサート「otoyoMuseum 四ノ館『智恵子抄』」を聴きに行って参ります。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月4日
 
明治30年(1897)の今日、智恵子の弟・啓助が誕生しました。
 
智恵子は明治19年(1886)の生まれですので、11歳下になりますが、長男だったため、後に長沼酒造を継ぎます。しかし、啓助の代で破産。その後は上京してダフ屋や廃品回収業のようなこともやり、それでも困ったときには光太郎に金の無心をしましたが、昭和10年(1935)、数え39歳で頓死しました。ある意味、かわいそうな人物です。

つい先だって、光太郎の令甥にあたられる高村規氏の訃報をのせましたが、お身内がまた亡くなられました。
 
規氏の妹さんの珊子さん(こちらはご存命です)のお嬢さんで、亜留さん。したがって、光雲の曾孫、豊周の孫、規氏の姪に当たられる方です。亜留さんからみれば、光太郎は大伯父です。8月14日、子宮頸がんで亡くなられたそうです。
 
昭和60年(1985)に高村亜留として歌手デビュー。アルバム2枚とシングル2枚を発表されました。そのお名前をご記憶の方もいらっしゃるでしょう。御結婚なさって、歌手を引退、茨城の方でお住まいだったとのことです。

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2014/09/01追記 「茨城の方でお住まい」というのは誤りでした。ご親族の方からご教示いただき、川崎にお住まいだったそうです。
 
当方、デビュー当時の『FOCUS』を持っております。「一途なとこがソックリね」――曾祖父は光雲、光太郎が大伯父という歌手、高村亜留」という記事が掲載されています。光太郎作の十和田湖畔の裸婦群像中型試作を前にしたお姿が載っています。ちなみに背景に写っている掛け軸も光太郎画、光雲の木彫も見えます。
  
ご本人のインタビューでは光雲や光太郎を「何にでも一途なところが似てるな!」、お母さんの珊子さんの談話は「やり始めたら人が何といおうと猪突猛進というのは高村の血筋ですね」だそうです。
 
2014/09/01追記 『FOCUS』の写真、「親族の間ではあまり好まれない画像」だそうで、削除しました。
 
昭和36年(1961)のお生まれだそうですので、誕生日が来ていれば53歳……若すぎるご逝去です。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月18日
 
昭和61年(1986)の今日、草野心平が郵便局発行の「高村智恵子生誕百年記念」はがきの解説文、「智恵子生誕百年に寄せて」を執筆しました。
 
第一部「智恵子のふるさと」(半沢良夫画)、第二部「高村智恵子紙絵」、おのおの額面40円の官製絵葉書5枚ずつ、計10枚のセットで発売されました。題字も心平の筆です。
 
「…これ、智恵子の形見…」といって夜の道で高村さんに渡された紙包みを、ホテルの部屋でひらくと、それはカーネーションの紙絵だった。私はそれを南京に持ち帰って、ウチの壁に飾ってゐた。そして敗戦につぐゴタゴタから、残念・無念いまは手元にはない。
けれども高村智恵子といふ全く特異としか言ひやうのない美しい存在の記憶は年を経る度に新鮮になる。無論紙絵の造形美は智恵子さん以外、他に類例を見ないものだが、二十代に描かれた樟の大木の油絵の一作を私は見たことがある。セザンヌを遠く聯想させるその作品は、この道一ト筋に進んでいったらどんな大物になっただらうか、内心ワクワクしたことを憶えてゐる。
智恵子さんのヂカの憶え出は沢山。大晦日にアトリヱに泊めてもらって元日のお雑煮。その他。その他。嗚呼。
 
短い文章ですが、智恵子を偲ぶ心情が切々と伝わってきます。
 
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昨日、箏曲奏者の下野戸亜弓さんの新しいアルバム「万葉の恋歌 箏歌〈Koto Uta〉をうたう」をご紹介しました。
 
他にも光太郎がらみの箏曲作品などを収めた音盤、楽譜類がいろいろあるのでご紹介します。

日本の唄 友渕のりえの世界

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平成3年(1991)リリースのCDです。廃盤となっており、入手は困難かと思います。
 
下野戸さんの「万葉の恋歌 箏歌〈Koto Uta〉をうたう」にも収録されている小山清茂作曲「樹下の二人」が収められています。唄と箏は友渕さん。
 
もともとこの曲は昭和50年(1975)、友渕さんにより委嘱されて作られたものです。
 
その楽譜がこちら。

赤土になる妹・樹下の二人

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昭和52年(1977)全音楽譜から刊行。こちらは現在でも入手可能です。
 
 
楽譜、といえば当方、こんなものも入手しました。

坂本勉作曲箏曲楽譜 地上のモナ・リザ

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光太郎の詩「地上のモナ・リザ」に曲を付けたもので、楽譜自体の刊行は昭和54年(1979)。初演は光太郎存命中の昭和30年(1955)に京都で行われたそうです。解説によると、「独唱・合奏からなり、さらに洋楽器を加えた、邦楽的なオーケストラと、合唱のための曲」とのこと。
 
カセットテープも販売されています。
 
この時のプログラム、パンフレット等を探していますが、なかなか見つかりません。情報をお持ちの方はご教示いただけると幸いです。
 
先述の「樹下の二人」の楽譜はまがりなりにも五線譜で書かれています(それでも一般的な器楽や声楽の楽譜とはいろいろ異なりますが)ので、判読できます。しかしこちらは箏用の楽譜で、さっぱりわかりません。暗号のようです(笑)。

 
もう一点、別の曲が収められたCDです。

人間国宝 米川敏子 箏の魅力~オリジナル作品編

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題名の通り、人間国宝に認定された箏曲奏者・米川敏子さんのCDです。こちらも廃盤ですが、通販サイトなどでぎりぎり在庫が残っているようです。平成9年(1997)の発行。元はアナログレコードだったものの覆刻のようです。
 
やはり光太郎存命中の昭和28年(1953)に作曲され、その年の芸術祭奨励賞を受けた「千鳥と遊ぶ智恵子」が収められています。演奏は箏高音・米川敏子、十七絃・米川裕枝、ソプラノ・長門美保となっています。

さらにもう一点。

現代箏曲 清水脩作品集

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LPレコードで、発行年は不明です。
 
昭和34年(1959)に作曲された「智恵子抄より」が収められています。箏・松尾恵子、伴奏・ルビーノ・アンサンブル、歌詞ではなく朗読で竹脇無我さんと栗原小巻さん。ラインナップは「人に」「晩餐」「樹下の二人」「狂奔する牛」「千鳥と遊ぶ智恵子」「梅酒」です。復刻版CDが出ているようです。

 
さまざまな方が光太郎智恵子の世界を表現して下さっていて、ありがたいかぎりです。

 
【今日は何の日・光太郎】 9月12日

昭和54年(1979)の今日、『読売新聞』で、千駄木の高村家から光太郎の姉・咲の膨大な画稿と光太郎の臨画5点が発見されたことが報じられました。
 
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光太郎の臨画は全て明治30年(1897)前後のもの。東京美術学校に入学したのが明治30年、数え15歳。その前年には美校の予備課程的な共立美術学館に通っています。その頃に学校の課題として描いたものと推測されますが、少年の作品とは思えない出来ですね。

先月リリースされたCDです。 

万葉の恋歌 箏歌<KotoUta>をうたう

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箏曲奏者・下野戸亜弓さんの新作です。昭和50年(1975)に、作曲家・小山清茂によって作られた光太郎詩「樹下の二人」が収録されています。
 
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下野戸さんは山田流箏・三味線・歌、古典からオリジナルを含めた現代曲までさまざまな曲を演奏されているそうです。特に宮澤賢治の詩に曲を付けたものを多く手がけられているようです。
 
「樹下の二人」は下野戸さんの平成17年(2005)のライヴ録音CD「下野戸亜弓箏曲リサイタル2005」にも収録されており、当方、そちらも持っていますが、今回のものとは別テイクです。
 
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先日のこのブログの「今日は何の日・光太郎」で、戦時中に箏曲奏者の今井慶松が光太郎の「真珠港特別攻撃隊」に曲を付け、演奏した旨書きましたが、光太郎作品が箏曲で取り上げられるケースが意外にたくさんあります。
 
CDや楽譜等も複数販売されており、明日はその辺りをご紹介します。
 
【今日は何の日・光太郎】 9月11日

大正3年(1914)の今日、日本女子大学校桜楓会の機関誌『家庭週報』に、智恵子の詩「無題録」が掲載されました。
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  無題録
 
 いとほしい髪の一すじより
 感情のはげしい瞬刻の閃光まで
 私にとつては宝玉だ
 抜きさしならない玉條だ
 よろこびは朗らかに魂身に燃え
 日輪は大なるひまはり草に祝福す
 いのちは一切の生にとゞまる
 抹殺と添削との卑穢な人間の想像こそは痛ましけれ
 そのアツピアランスの魂こそは痛ましけれ
 われを嘆けば
 あまくいたきアマリリスの赤さ
 直覚をすつるは
 罪悪に値す
 きりぎりす
 すいつちよう
 啼くはわれのみかは
 君ゆゑに
 あひたさゆゑに
 つくづくし
 うらの森にしぐれふる
 青いしぐれ――
 散る木の葉
 
現在確認できている智恵子の唯一の詩です。

女川光太郎祭でご一緒させていただいたギタリスト・宮川菊佳氏からCDを2枚いただきました。
 
どちらも「花巻夜曲/花巻ブルース」。1枚は大地穂(おおちすい)さんの歌、もう一枚は今福充さんの歌です。
 
作曲が宮川氏ということで、宮川氏が自主製作なさったようです。ともに定価1,500円とパッケージにありました。
 
作詞は高橋雅郎氏。光太郎が花巻郊外太田村の山小屋に暮らしていた頃の太田村長です。平成5年(1993)頃に作られたようです。
 

 花巻夜曲001
 
花巻くまちの 中原に  北上川の 流れあり
岸辺はるかに うずをまく  ぬれているよな あのひとみ
 
いで湯のまちに 湯げかおり  恋の花咲く 花の里
河鹿の声に 夢破れ  去りしあの人 今いずこ
 
賢治を生んだ 花巻に  詩人光太郎 山に入り
智恵子の愛を 詩にうたう  文化の里が よみがえる
 
  
 花巻ブルース000
 
詩(うた)のふるさと 花巻に  幼馴染のあの女(ひと)と
北上川辺の 道行けば  恋のさくらが 胸に咲く
 
詩(うた)のふるさと 花巻の  思い出おおい あの女(ひと)と
花城(かじょう)の跡を  訪ね見る  愛のたんぽぽ 足に咲く
 
詩(うた)のふるさと 花巻に  別れがつらい あの女(ひと)と
湯の街並木を 送りゆく  涙こぼれる 星の夜
 
お求めは宮川氏まで。

 
【今日は何の日・光太郎】 8月16日

大正3年(1914)の今日、光雲の東京大正博覧会の出品鑑査員・審査官としての任務に対し、金85円が支給されました。

昨日までのブログで福島・川内村天山祭りについて書きましたが、川内村に行く前に、同じ福島の小野町にある「丘灯至夫(としお)記念館」さんに行きました。
 
川内村と同じく、磐越自動車道の小野ICで下り(川内村は、本来、常磐自動車道の常磐富岡ICで下りるのが早いのですが、原発事故のため常磐自動車道は事故から2年以上たった今も広野IC~常磐富岡IC間が通行止めです)、車で5分ほどの場所です。
 
「記念館」という名称ですが、正確には「小野町ふるさと文化の館」の一角で、町立図書館さんの二階です。
 
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故・丘灯至夫氏は小野町出身の作詞家。代表作は舟木一夫さんの歌う「高校三年生」。「あーかーいーゆうーひがー校舎をそーめーてー」です。メロディーがぱっと浮かぶ人はある程度の年齢でしょうね。ちなみにこの曲のリリースの時点では当方は生まれていません。したがって、当方としては同じ丘氏の作品でも、「ハクション大魔王」や「昆虫物語 みなしごハッチ」のテーマソングの方が身近に感じられます。これらも十分古いのですが(笑)。
 
さて、それ以外の丘氏の代表作に、二代目コロムビア・ローズさんが歌った「智恵子抄」があります。昭和39年(1964)のリリースで、ローズさんはこの年の「紅白歌合戦」にこの曲で出場しています。そのあたりは昨年、このブログに書きましたのでご参照下さい。


 
で、作詞の丘氏の記念館が出身地の小野町にできたわけです。落成は平成5年(1993)。丘氏はまだご存命でした。その後、小野町名誉町民となられたのが同13年(2001)、亡くなったのは同21年(2009)。そして翌年に展示スペースを増設して、記念館がリニューアルされました。
 
展示パネル類。やはりご当地ソングということで、「智恵子抄」が大きく扱われています。
 
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二本松出身の日本画家・大山忠作氏の描かれた安達太良山の絵との合作です。ちなみに大山氏も「智恵子抄」がらみの絵をたくさん描いていて、二本松駅前にはそれらを展示する大山忠作美術館ができています。
 
館内には丘氏の代表作がBGMとして流れていましたが、「智恵子抄」もしっかり流れていました。「東京の空 灰色の空 ほんとの空が見たいという……」。丘氏も、大山氏も既に空の上に行ってしまいました。昨日までこのブログで扱っていた草野心平も。そして、もちろん智恵子も。みなさん、空の上から福島を見守って下さっていることでしょう。しかし、その空が原発事故のために「ほんとの空」ではなくなってしまいました……。
 
話は飛びますが、もうすぐ参議院議員選挙。憲法改正やらTPPやらが取りざたされていますが、被災地復興が今ひとつ選挙の争点になっていないような気がします。かたや未だに福島第一原発では汚染水の処理がうまくいかない現状。福島の空の上から、丘氏や智恵子たちは、どんな思いでそれを見ているのでしょうか……。
 
【今日は何の日・光太郎】 7月17日

昭和23年(1948)の今日、高知県香我美町(現・香南市)岸本で、光太郎が揮毫した岡本弥太詩碑「白牡丹図」が除幕されました。
 
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上記画像、20年近く前に高知まで行って撮ってきました。

昨日に引き続き、テレビ放映の情報です

木曜8時のコンサート~名曲!にっぽんの歌~

地上波テレビ東京  2012年11月15日(木) 19時58分~20時54分

番組概要
演歌・歌謡曲を中心に、1時間たっぷりとお送りします。 歌は時代を映す鏡……。歌を聴くと、自分の青春時代や、懐かしい結婚当初の頃、子どもとの思い出など、その時その時を思い出させてくれます。 視聴者の方が、懸命に生きてきた時代を思い出しながらじっくり聴けるよう、トークは控えめに、名曲の数々をお届けします。

出演者
ゲスト 大月みやこ、小柳ルミ子、三船和子、大川栄策、三笠優子、二代目コロムビア・ローズ、笹みどり、木村友衛、石川ひとみ、麻倉未稀、伊藤敏博、大泉逸郎
司会 宮本隆治、松丸友紀(テレビ東京アナウンサー)

曲目(1)
『お久しぶりね』小柳ルミ子 『孫』大泉逸郎 『女の駅』大月みやこ 『さざんかの宿』大川栄策
『夫婦舟』三笠優子 『浪花節だよ人生は』木村友衛
『ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO』麻倉未稀 『下町育ち』笹みどり

曲目(2)
『サヨナラ模様』伊藤敏博 『だんな様』三船和子 『まちぶせ』石川ひとみ
『智恵子抄』二代目コロムビア・ローズ 『わたしの城下町』小柳ルミ子 『白い海峡』大月みやこ

というわけで、二代目コロムビア・ローズさんがご出演。昭和39年(1964)のヒット曲、「智恵子抄」を歌います。
 
二代目コロムビア・ローズさん。昭和37年に「白ばら紅ばら」でデビュー、「智恵子抄」でブレイクし、紅白歌合戦出場を果たしました。当時は紅白に出る、というのは大変なことでした。現在は米国・ロサンゼルスにお住まいで、時折日本に帰ってきてテレビ出演等をされています。
 
「智恵子抄」。作詞は故・丘灯至夫氏(大正6年=1917~平成21年=2009)。舟木一夫さんの「高校三年生」やアニメ「ハクション大魔王」主題歌なども手がけています。智恵子の郷里、二本松に近い福島県・小野町の生まれです。郡山商工学校卒業後、戦前には二本松電気株式会社や毎日新聞福島支局に勤務していた経験もあるそうです。そうした縁もあるのでしょうか? 二本松・旧安達町地区ではこの歌が防災無線の時報チャイムに使われたり、小学生でも歌えたりします。
 
下の画像は昭和39年発売のオリジナル版EPレコードのジャケットです。 
 
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当方、ローズさんに関しては過去の映像として見たことはありますが、リアルタイムでは存じません。興味があるので「木曜8時のコンサート」、見てみようと思っています。皆様もぜひどうぞ。

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