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昨日は衆議院選挙でした。結果は自公の圧勝。野党のだらしなさが目立ちました。
 
それを受けての『神奈川新聞』さんの一面コラムです。 

【照明灯】この道

 詩人・彫刻家の高村光太郎は〈僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る〉とうたった。漂泊の俳人・種田山頭火は〈この道しかない春の雪ふる〉と詠んだ。ともに人生や芸術を考え極めた末に、ほとばしり出た「道」という言葉だろう▼「景気回復、この道しかない」のキャッチフレーズを掲げ、衆院選を戦った安倍自民党が圧勝した。審判の結果を厳粛に受け入れざるを得ないとしても、経済政策に「アベノミクス」という道しかなかったのかという疑問は残る▼有権者に「この道」以外の明確な選択肢を提示できなかった野党には重い責任がある。争点を絞り込むことで選挙戦を有利に運ぼうとした安倍首相の思惑に対抗し、幅広いテーマで論戦を挑む力も乏しかった▼首相は長期安定政権を視野に入れた。この国を導こうとする道の先には「戦後レジームからの脱却」の実現による大きな変容が待つのだろうか▼〈此の道を行けば/どうなるのかと/危ぶむなかれ/危ぶめば/道はなし〉。アントニオ猪木氏が引用し、広く知られるようになった宗教家・清沢哲夫氏の詩「道」である。〈わからなくても/歩いて行け/行けば/わかるよ〉。しかし、気付いたら後戻りのできない道に踏み込んでいたという状況は困るのだ。
 
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気付いたら後戻りのできない道に踏み込んでいたという状況は困る」というのが、本当にその通りですね。集団的自衛権の問題や、右傾化の問題もそうですが、特に原発の問題でそれを特に感じます。
 
福島の小選挙区は全部で5つ。白河市をはじめとする第3区は民主党の玄葉光一郎氏、会津地方の第4区は維新の党の小熊慎司氏が当選しましたが、残る3選挙区は自民党の候補が当選、さらに比例代表でも2枠のうち1つは自民党候補でした。つまり7分の4を自民党が取ったわけですね。原発を「重要なベースロード電源」と規定する自民党が福島で過半数を取っているのです。それが福島県民の皆さんの選択なら、ここでああだこうだ言っても仕方がないのでしょうが……。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月15日
 
昭和29年(1954)の今日、参加予定だった「碌山を偲ぶ会」を欠席しました。
 
この月、信濃教育会から「彫刻家荻原碌山」(東京芸術大学石井教授研究室編)が刊行され、それを受けて新宿中村屋で「碌山を偲ぶ会」が開催されました。石井鶴三、相馬黒光とともに発起人に名を連ねていた光太郎ですが、体調不良のため、欠席しました。
 
光太郎はこの年6月には、雑誌『新潮』の連載「アトリエにて」の第5回として「荻原守衛」というエッセイを発表しました。44年前に逝ってしまった親友を想い、次のように結んでいます。
 
 芸術上の新気運は無限に発展してとどまるところもなく進むであらうし、造型上の革命も幾度か起るべきであるが、しかしその根元をなす人間の問題は千古不磨である。誠実ならざるもの、第二思念あるもの、手先だけにたよるもの、気概だけに終始するもの、一切のかういふものは、いつか存在の権利を失ふであらう。荻原守衛の芸術の如きは、時代的にふるくなればなるほど、人に郷愁のやうなものを感じさせ、人の心をとらへ、人を喜ばせ、美の一典型のやうなものを感じさせてやまないであらう。私はこの世で荻原守衛に遭つた深い因縁に感謝してゐる。
 
1年4ヶ月後にはこの世を去る光太郎。暮れにはやや回復しましたが、この年は病臥の時期が長く、「守衛よ、そろそろ俺もそっちに行くよ」という気持ちだったのかも知れません。
 
ところで、「誠実ならざるもの、第二思念あるもの、手先だけにたよるもの、気概だけに終始するもの、一切のかういふものは、いつか存在の権利を失ふであらう。」と言う光太郎の言葉。政治の世界にも当てはまるような気がします。何ら手を打てなかった今回の野党各党がそうですし、勝った自民党も「誠実ならざるもの」と評されればたちまち下野に追い込まれるのは、平成17年(2009)総選挙で歴史的な大敗北を喫した時の歴史が証明しています。

野田首相が衆議院の解散を表明しました。ここはそういうサイトではないので、詳しい論評は避けますが、「何だかなぁ……」という感はぬぐえません。


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明日からまた東日本大震災被災地の福島に出かけます。復興の進捗状況はどうなのか、この眼で見てきます。むろん、地元の皆さんは頑張っているのでしょうが、おおもとの国が政治空白では、せっかくの地元の努力の足を引っ張ることになるのではないかと思います。
 
たとえば自治体職員。友人の地方公務員から聞いたのですが、ひとたび選挙になると全然関係ない部署の職員までかり出されるとのこと。その間、本来の業務はどうしても遅滞するそうで、はっきり言って、被災地ではそれどころではないはず。もちろん、政府、日本という国としても同じ事ではないのでしょうか。
 
だからと言って、現状の永田町のままではどうにもなりません。また、政府と政治家の無能が暗殺とクーデター計画を連発させた戦前の日本のようになっても困ります。どこが政権をにぎるにしても、新体制が発足したら与野党一丸となって被災地の復興を最優先に進めてほしいものです。
 
そこで思い出したのが、大正13年(1924)5月に雑誌『女性』に載った智恵子の文章。「総選挙に誰れを選ぶか?」の問いに対するアンケートの回答です。『高村光太郎全集』別巻に収録されています。
 
  棄権 -総選挙に誰れを選ぶか?-
 
もしあったら……リンカーンのやうな政治家を選びませう。日本にだつて一人ぐらゐ、正しい事のために利害なんかを度外に置いて、大地にしつかりと誠実な根を持ち、まつすぐに光りに向つて、その力いつぱいの生活をする喬木のやうな政治家があつてもいゝだらうとおもひます。さういふ政治家なら有頂天になつて投票することでせうとおもひます。しかしうまくその時までに、私達がほんとに尊敬し信ずることの出来る政治家が出てくれなければ、棄権するよりほかないかとおもはれます。情実や術数の巣のやうな政党なんかてんでだめですね。
 
90年前の文章とは思えませんね。現在、街頭インタビューをしても同じような回答があるのではないかと思います。
 
今年は東日本大震災の翌年ですが、大正13年(1924)は奇しくも関東大震災の翌年です。ちなみにまだ普通選挙法も制定されていませんし、ましてや女性の選挙権は戦後にならないと与えられません。そうした時代に既にこういう事を言っていた智恵子の先進性をほめるべきなのか、90年前と変わらない日本の後進性を憂うべきなのか……。

さて、明日からモンデンモモさんのコンサートツアーにサポートスタッフとして帯同、被災地福島を回ってきます。

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