新刊です。勇ましい題名ですが、いわゆる「愛国者」が期待するような内容ではありません。しかし、本当はそういう人々にこそ読んで欲しいものですが、まあ、無理でしょう。

飛行機の戦争1914-1945 総力体制への道

2017年7月20日  一ノ瀬俊也著 講談社(講談社現代新書) 定価920円+税

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なぜ国民は飛行機に夢を託し、人、金、物を提供したのか――。

貧しい人びとの出世の手段としての航空兵。
国民一人一人がお金を出しあって飛行機をつくる軍用機献納運動。
博覧会や女性誌・少年誌で描かれる「空」への憧れ。
防空演習ですり込まれる空襲の恐怖と、空中国防の必要性。
松根油の採取、工場への学徒動員。
学校、親への「説得」を通して行われる未成年の航空兵「志願」……

巨大戦艦による戦争が古い〈軍の戦争〉であるとすれば、飛行機は新しい〈国民の戦争〉だった! 日本軍=大艦巨砲主義という通説をくつがえし、総力戦の象徴としての飛行機に焦点をあて、膨大な軍事啓蒙書などを手がかりに、戦前、戦中の現実を描き出す一冊。

 第一章 飛行機の衝撃――大正~昭和初期の陸海軍航空
   1 飛行機の優劣が勝敗を分ける――航空軍備の建設
   2 飛行機と戦艦
   3 墜落と殉職――人びとの飛行機観
 第二章 満洲事変後の航空軍備思想
   1 軍用機献納運動
   2 海軍と民間の対国民宣伝――「平和維持」と「経済」
   3 空襲への恐怖と立身出世
 第三章 日中戦争下の航空宣伝戦
   1 「南京大空襲」――高揚する国民
   2 飛行機に魅せられて――葬儀・教育・観覧飛行
 第四章 太平洋戦争下の航空戦と国民
   1 太平洋戦争の勃発――対米強硬論と大艦巨砲主義批判
   2 航空総力戦と銃後

日中戦争・太平洋戦争における旧日本軍の敗因の一つとして、いわゆる「大艦巨砲主義」に拘泥するあまり、機動性に優れた航空機による戦闘へのシフトがうまくいかなかったといわれています。当方も漠然とそう思っていましたし、本書では戦後の検証論文等でのそうした記述の実例が複数挙げられています。たしかに「大和」「武蔵」に代表される巨大戦艦を擁しながら、それらがほとんど戦果を挙げられなかったという一面は否定できません。

しかし、陸海軍ともに、かなり早い時期から航空戦の重要性を認識し、実際の戦闘ではそれが中心だったこと、そのために国民への啓蒙、そして協力の強制がなされていたことが、図版等も使いながら豊富な実例をもとに検証されています。

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そうした中で、民間から拠金を募っての「軍用機献納運動」が広く行われたことも、紹介されています。「戦艦献納運動」も同時に行われていましたが、艦艇は一隻あたりの建造費が巨額となり、その点、航空機であれば割り当てが少額で済みます。そこで、道府県や市町村単位で募金が集められ、献納された機体には「愛国○○号(○○は地名など)」が付けられて、各地で献納式などが行われました。また、人的な面でも、少年航空兵の募集などが必要でした。

こうした運動を推し進めるため、既に太平洋戦争開戦前から、これからの戦争は航空機が中心という考え方が広く国民に知らされており、決して「大艦巨砲主義」に拘っていたわけではないはずだ、というのです。

たしかに膨大な量が書かれた光太郎の翼賛詩の中にも、こうした動きを助けるためのものとおぼしき作品も散見されます。題名のみでそれと分かるものが「少年飛行兵」「ぼくも飛ぶ」「おほぞらのうた」「第五次ブーゲンビル島沖航空戦」「少年飛行兵の夢」など。散文でも「飛行機の美」「神風」など。

本書では、光太郎の「黒潮は何が好き」(昭和19年=1944)という詩を引用しています。初出は同年の『写真週報』です。

    黒潮は何が好き

 黒潮は何が好き。
 黒潮はメリケン製の船が好き。
 空母、戦艦、巡洋艦、003
 駆艦、潜艇、輸送船、
 「世界最大最強」を
 頂戴したいと待つてゐる。
 みよ、
 黒潮が待つてゐる。
 来い、空母、
 来れ、戦艦、
 「世界最大最強」の
 メリケン製の全艦隊。
 色は紺染め、
 白波たてて、
 みよ、
 黒潮が待つてゐる。
 黒潮は何が好き。
 黒潮はメリケン製の船が好き。


著者の一ノ瀬氏によれば、「異様な戦意高揚の詩」「戦時下対国民宣伝のもっとも陳腐な事例」「単に願望をつぶやいただけの空疎な詩」と、さんざんな評ですが、まったくもって、そう言われても仕方のない作品です。

ただ、実際に猛威を振るった「空母」が、無用の長物に近かった「戦艦」より前に位置づけられていることが、当時の戦闘の実態をちゃんと反映しているとも評されています。そこで一ノ瀬氏曰く「海軍は詩人に「空母を戦艦の前に置いて作詩してくれ」とわざわざ頼んだのであろうか」。そういうこともありえますね。それだけ航空機の重要性を国民に訴えたいということです。

しかし、彼我の生産力は如何ともしがたく、「皇軍」は壊滅するわけですが、戦後になって、先述の通り、その敗因は「大艦巨砲主義」にあったという論がまかり通ることになります。

一ノ瀬氏、明言は避けていますが、どうやら国民に多大な犠牲を強いた航空機献納運動、少年飛行兵の募集などを無かったことにするため、と考えられます。

現代においても、特にごく一部の「愛国者」と称する輩が、過去の我が国の過ちの数々を無かったことにしようとする動きが顕著ですね。そうしたことを論じるだけで、「反日」「偏向」「工作員」「パヨク」「左巻き」(笑)。

あったことは無かったことにできません。光太郎が戦後になって悔いた、プロパガンダ詩からもう一篇紹介しましょう。上記に題名を挙げた「少年飛行兵」(昭和18年=1943)。初出は同年の少年向け雑誌『週刊小国民』です。右の画像は、やはり光太郎詩「神州護持」(昭和19年=1944)が載った雑誌『主婦之友』に掲載された、航空機献納への募金呼び掛け広告です。

   少年飛行兵004

 「少年飛行兵は強い」と或人がいふ。
 わたくしもさう思ふ。
 少年の純真さは大人の比でない。
 少年はおのづからわき目もふらない。
 大人が修養で得るところを
 少年は天然に持つてゐる。
 それほど少年は未生前に近い。
 思ひつめたが最後
 きつとやりとげるといふ気迫を
 少年はみな持つてゐる。
 これを規律ある訓練で仕上げれば
 なるほどすぐれた飛行兵になるわけだ。
 その上神経反応の速度は
 十四歳でいちばん敏感になるのだ相(さう)だ。
 反応時のはやさは勝敗の鍵となる。
 航空戦に大人をしのぐ
 少年飛行兵のあることは当然だ。
 純なるものはここでも無敵だ。


航空戦に大人をしのぐ/少年飛行兵のあることは当然」という世の中に、再びしてはならないと、断じて思います。


【折々のことば・光太郎】

無謀の軍をおこして 清水の舞台より飛び下りしは誰ぞ。 国民軍を信じて軍に殺さる。 われらの不明われらに返るを奈何にせん。

詩「国民まさに餓ゑんとす」より 昭和21年(1946) 光太郎64歳

こういう反省も必要ない世の中であり続けてほしいものです。