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テレビ関連の情報です。

まず、今朝はテレビ朝日系「グッド!モーニング」中の林修氏のコーナーで、光太郎が紹介されました。

ただ、肩すかしを喰らいました。ディレクター氏からの文書によれば、日比谷松本楼さんの「10円カレー」の日であるため、光太郎詩「涙」にからめた内容にする予定でした。しかし、予定は未定にして決定にあらず、10円カレーは紹介されましたが、詩「涙」は紹介されず、「日比谷松本楼は多くの文豪に愛された」というところで光太郎、漱石、太宰が紹介されたにとどまりました。

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このブログで過日ご紹介した際に、「ディレクター氏からの文書には「企画段階であり、放送では内容が変更となる場合がございます。」とありました。そうならないことを祈ります。」と書きましたが、その通りになってしまいました。

出演者の都合なのか(林氏は今日のオンエアでは録画でのご出演でした)、他にニュースが多かったためか、そのありはよくわかりませんが、まあ、しょうがないでしょう。


さて、テレビついでで今後の放映情報です。 

いっしょに歩こう!ふくしま・わがまま!気まま!旅気分 愛か、お笑いか!?初恋カップルIN福島~城下町・二本松の旅

FTV福島テレビ 2015年9月26日(土) 10時30分~11時25分
BSフジ      2015年10月3日(土) 7時~7時55分

たんぽぽ白鳥久美子さんが初めての彼氏・チェリー吉武さんと福島県二本松市を旅するデート企画!高村光太郎と智恵子の純愛物語をはぐくんだ場所でラブラブモード全開か!?

たんぽぽ白鳥久美子さんと初めての彼氏・チェリー吉武さん。多忙でなかなかデートができないという白鳥さんのために番組が公開デートを企画! 舞台の福島県二本松市は、県の中部に位置する城下町。 そして・・・高村光太郎と智恵子の純愛物語をはぐくんだ場所でもあります。 白鳥さん&チェリーさんの「ラブラブ旅行」を、福島テレビアナウンサーがエスコート。ロマンチックタイム(?)を各所で展開! しかし、お笑い芸人の2人。カメラが回れば、恋より面白さを優先か? そして・・・旅の感想&恋の結論を出す白鳥さん・チェリーさん。 はたして、永遠の愛を誓うのか? それとも、「ずっと居るのは、ちょっと無理!」なのか? チェリー吉武さんの魅力・ギネス記録芸にも迫ります。

出演者 白鳥久美子(たんぽぽ) チェリー吉武  藺草英己(福島テレビアナウンサー)  ナレーション 豊嶋啓亮(福島テレビアナウンサー)


福島テレビさん制作の番組で、福島では明日のオンエアです。ご出演なさる白鳥久美子さんのブログによれば、BSフジさんでも1週間遅れで放映されるとのこと。同じく白鳥さんのブログには、智恵子生家でのスナップ、「ほんとの空」を守るため結成された二本松少年隊とおぼしき写真も載っていました。ちなみに白鳥さんは郡山ご出身だそうです。

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当初、福島でしか放映されないのか……と残念に思っていましたが、BSフジさんでも放映があるようで、安心しました。BSフジさんでは、系列の地方局が制作したものを、土曜の朝に「わがまま!気まま!旅気分」という番組として取り上げているようです。先週はサガテレビさん、明日は東海テレビさん制作のものとなっていました。

また予定変更にならないことを祈っております。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月25日

昭和60年(1985)の今日、詩人の更科源蔵が歿しました。

更科は明治37年(1904)、北海道弟子屈の生まれ。アイヌ文化の研究でも有名です。

光太郎は昭和6年(1931)、雑誌『犀』に「更科源蔵詩集「種薯」感想」を寄稿した他(『釧路新聞』に転載)、同18年(1943)には更科の詩集『凍原の歌』の題字を揮毫しています。

また、元々北方志向、自然志向が強かった光太郎は、更科を頼って、何度か北海道移住を計画したりもしました。さらに、戦前にはプロレタリア文学運動や社会主義、無政府主義にも一定の理解を示していた光太郎、昭和3年(1928)には、更科から聴いた話をモチーフに、資本家への怒りを表す「彼は語る」という詩を、草野心平の雑誌『銅鑼』に寄稿しています。

   彼は語る

彼は語る無題
北見の熊は荒いのですなあ
釧路の熊は何もせんのですなあ
かまはんけれや何もせんのですなあ
放牧の馬などを殺すのは
大てい北見から来た熊ですなあ

彼は語る
地震で東京から逃げて来た人達に
何も出来ない高原をあてがつた者があるのですなあ
ジヤガイモを十貫目まいたら
十貫目だけ取れたさうですなあ
草を刈るとあとが生えないといふ
薪にする木の一本もない土地で
幾家族も凍え死んださうですなあ
いい加減に開墾させて置いて
文句をつけて取り上げるさうですなあ

彼は語る
実地にはたらくのは、拓殖移住手引の
地図で見るより骨なのですなあ
彼等にひつかかるとやられるのですなあ

福島二本松からのイベント情報です。来月5日が智恵子の命日・「レモンの日」ですので、 それに合わせて智恵子を偲ぶ集いが行われます。

第21回レモン忌

期  日 : 2015年10月4日(日)
時  間 : 9:30 受付開始  15:00 閉会
会  場 : ラポートあだち 二本松市油井字濡石16 0243-23-5250
主  催 : 智恵子の里レモン会
内  容 : 開会セレモニー (献花/献果/光太郎詩朗読 他)
        記念講演  『すぎたま』 金田和枝先生(児童文学者)
        懇親会   特別出演 テルミン奏者 大西ようこさん
会  費 : 3,000円
問い合わせ : 戸田屋商店 0243-23-4858 


記念講演の講師は、二本松在住の児童文学者・金田和枝さん。昭和5年(1930)、東京品川のお生まれで、戦時に疎開で二本松に移り住み、長らく小学校の先生をなさっていた方です。地元福島の出版社・歴史春秋社から『智恵子と光太郎 たぐいなき二つの魂の出会い』『ふくしま女の時代』(共著)などの御著書があります。

平成24年(2012)には、智恵子のまち夢くらぶさん主催の「智恵子講座’12」でも講師をなさいましたし、「智恵子純愛通り記念碑建立祭」などでもご活躍なさっています。このところ、お体のお加減がよろしくなさそうで、レモン忌はしばらくご欠席でしたが、今年は講師を務められるそうで、何よりです。

ちなみに昨年の第20回レモン忌では僭越ながら当方が記念講演をやらせていただきました。そうしましたところ、今回の第21回レモン忌の案内と共に送られてきた、先月発行の『レモン会報』第23号に、その模様を大きく取り上げて下さいました。

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また、今年4月に十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんで刊行された『十和田湖乙女の像のものがたり』や、同じく今年の5月15日、花巻高村山荘で行われた第58回高村祭などについてもご紹介下さっています。

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それから、中村屋サロンを形作った若き芸術家の一人で、彫刻家の鶴田吾郎が記録した同じく彫刻家の中原悌二郎の談話の中に、智恵子が登場するという記事が載っていました。それによれば、太平洋画会研究所のメンバーとして「水母(くらげ)と仇名(あだな)された長沼智恵子」という一節があるそうです。出典は碌山美術館さん刊行の『中原悌二郎集』(昭和63年=1988)だそうです。

智恵子の仇名が「クラゲ」だったというのは当方も存じませんでした。これを読んで思い出したのが、日本女子大学校の先輩で、『青鞜』つながりの平塚らいてうが書き残した智恵子評です。

 どちらが先にテニスをやりだしたか、それは忘れましたが、とにかくこのひとの打ち込む球は、まつたく見かけによらない、はげしい、強い球で、ネットすれすれにとんでくるので悩まされました。あんな内気なひと――まるで骨なしの人形のようなおとなしい、しずかなひとのどこからあれほどの力がでるものか、それがわたくしには不思議なのでした。
(『高村光太郎と智恵子』 筑摩書房 昭和34年=1959収録、「高村智恵子さんの印象」より)

「クラゲ」と「骨なしの人形」、似ていると思いませんか?

いずれご紹介しますが、他にも有名どころでは、竹久夢二や熊谷守一の文章にも、ちらっと智恵子が現れる箇所があります。

さて、レモン忌に話を戻しますが、講演の後の懇親会では、テルミン奏者の大西ようこさんが演奏を披露して下さいます。そこに昨日もご紹介したモンデンモモさんが加わってのスペシャルコラボ。楽しみです。大西さんは、昨年、ユニット「Prhymx(ぷらイム)」として「もうひとつの智恵子抄」、ユニット「otoyomi」として「otoyoMuseum 四ノ館『智恵子抄』」というコンサートをそれぞれ開催され、今年の第59回連翹忌でも演奏して下さいました。大西さんのブログによれば、昨年のコンサートで演奏された清道洋一氏作曲の「智恵子抄」を再演、とのことです。

こうして人の輪が広がって行く状況、実に喜ばしいことだと思います。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月23日

昭和29年(1954)の今日、日記で第五福竜丸事件について言及しました。

「第五福竜丸」は、遠洋マグロ漁船。この年3月1日に、ビキニ環礁での米軍による水爆実験に巻き込まれ、乗組員22名が被曝、約半年後のこの日に、無線長の久保山愛吉が再生不良性貧血のため亡くなりました。遺言は「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」、享年40歳の若さでした。

さて、光太郎日記。

晴、暑、風なし、 午后岡本先生くる、診察、血圧をはかる、二度はかりしが、115度くらゐとの事、かなり低し、今夕死んだ水爆患者、久保山氏は85度とのこと、 平熱、 コーンビーフののこりにて夕食、 <便

久保山氏の死去は、広島・長崎につぐ第三の被曝死者ということで、当時はショッキングに報道されました。まさしく「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」、その通りですね。

ちなみにコーンビーフは前日に当会顧問の北川太一先生が送り届けたものです。

智恵子の故郷、福島は二本松からのイベント情報です。

智恵子純愛通り記念碑第7回建立祭

期  日 : 2015年9月20日(日)
場  所 : 智恵子純愛通り石碑前 福島県二本松市油井漆原町 (雨天時は漆原集会所)
時  間 : 午前10:00~
内  容 :
 ① 合唱「智恵子抄」
 ② 主催者挨拶
 ③ 建立の記奉読
 ④ 献花
 ⑤ 詩の朗読 
     油井小児童 安達中生徒 福島橘高生徒 一般募集小中生徒 一般募集学生、成人
 ⑥ 献奏 二本松ハーモニカクラブ三曲 内一曲は智恵子抄
 ⑦ 合唱「ふるさと」 全員
 ⑧ 閉会挨拶
    記念撮影

「智恵子純愛通り」というのは、二本松市の智恵子生家・智恵子記念館前を南北に走る県道129号線、元の奥州街道です。平成17年(2005)に、公募で愛称が募集され、命名されました。同20年(2008)には光太郎の令甥、故・高村規氏の揮毫による碑が完成、それを記念して毎年行われているイベントです。主催は智恵子のまち夢くらぶさん。

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碑は智恵子生家・記念館と駐車場の間にあり、ちょっとしたスペースになっています。そこで地元小中高生などに協力してもらって、朗読などが行われます。今年は智恵子の母校、福島高等女学校の後身である福島市の県立橘高校さんからも参加があるようです。

二本松ではこの後も、もう一つの智恵子顕彰団体・智恵子の里レモン会さんによる智恵子忌日の集い「レモン忌」(10/4・日)、夢くらぶさん主催の「智恵子講座'15」(10/12・祝月~)などのイベントが企画されています。追ってご紹介します。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月14日

昭和5年(1930)の今日、『読売新聞』に「上野の彫刻諸相」の第1回が掲載されました。

第2回は16日。東京府美術館で開催されていた構造社第四回展、二科会第十七回展、日本美術院第十七回展、それぞれの展覧会評です。

智恵子の故郷、福島二本松からイベント情報です。 参加申し込みの締め切りが過ぎてしまっていますが、こういうイベントがあるよ、というお知らせとして読んで下さい。また、定員に達していなければ、まだ申し込み可能かもしれません。

二本松市合併10周年記念 第7回にほんまつファミリーサイクリング大会

主 催 : にほんまつサイクリング協会
共 催 : 二本松商工会議所
後 援 :
    市教育委員会 二本松観光協会 市体育協会 福島民報 福島民友新聞 福島県サイクリング協会

1.趣 旨
 「ほんとうの空、あの光るのが阿武隈川」と智恵子抄に詠われた雄大な安達太良山を背に、阿武隈川堤防を周遊。初秋の田園地帯のサイクリングを通して、スポーツを楽しみ、仲間を広げ健康な身体を維持向上することを目的とする。

2.期  日 平成27年9月20日(日) 雨天中止 (主催者の判断で決行もあり)
3.集合場所 安達ヶ原ふるさと村駐車場(出発・到着)
4.コ ー ス ふるさと村をスタートし、阿武隈川・杉田川の堤防並びに一般道を走行。
        4時間以内に完走。
  アスリートコース (一般) 約43km(途中休憩5ヶ所)
     (定員に達しました。沢山のお申込みありがとうございました。)
  ファミリーコース (小学生と保護者) 約20km(途中休憩3ヶ所)
5.参加資格 小学生以上で健康、自転車の経験があり完走できる能力のある人
  (小学生は保護者同伴)
6.定  員 100名 ファミリーコースは警備等の都合上、先着10組まで
7.参 加 費 1人 2,000円(消費税及びスポーツ傷害保険等を含んでいます) 昼食有
  ※今大会は、合併10周年を記念して小学生の参加費を無料とします。
8.日  程
  受  付 午前7:30~8:00
  開 会 式 午前8:15
  スタート 午前8:30
  ゴ ー ル 午後12:30
  閉 会 式 午後12:45
9.申込方法 所定の申込用紙に必要事項を記入し、二本松商工会議所窓口に参加料を添えて
  申込ください。(なお、当日不参加並びに雨天中止の場合、参加費は返却いたしません)
  アスリートコースは定員に達しました。沢山のお申込みありがとうございました。
10.申 込 先  「二本松商工会議所」窓口
  〒964-8577 二本松市本町一丁目60番地1 TEL 0243-23-3211  FAX 0243-23-6677
11.申込用紙 参加申込書、誓約書 二本松商工会議所でも配布します。
12.申込締切 平成27年8月31日(月)
13.参加賞他 参加賞ほか抽選で協賛品を贈ります。
14.貸自転車 ありません。
15.注意事項
(1)各自、前日までに自転車の点検整備をしてください。
(2)ヘルメット、手袋を必ず着用し走行してください。
(3)特殊自転車の参加は認めません。ただし、電動自転車は可。
(4)大会開催中は、大会役員の指示に従ってください。
(5)ゼッケンを付けてない方の参加は認めません。(ゼッケンは当日配布します)
(6)スタート時間後4時間以内にゴールしてください。先導車を絶対追い抜かないでください

(7)当日の参加の受付はしません。
(8)万一事故があった場合、応急手当は致しますが、その後の責任は負いません。
(9)車・バイク等の伴走は禁止します。
(10)一般車両が通行しますので、道路の左側一列走行をお願いします。
(11)コース及び運営細目にかかる若干の変更にご協力ください。



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秋晴れの空の下、サイクリングというのもいいものだと思います。単に「サイクリング大会」ではなく、「趣旨」にあるとおり「「ほんとうの空、あの光るのが阿武隈川」と智恵子抄に詠われた雄大な安達太良山を背に」としているところもいいですね。心の風景である安達太良山への誇りが感じられます。
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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月7日

平成7年(1995)の今日、歴史春秋社から伊藤昭著『愛に生きて―智恵子と光太郎―』が刊行されました。

著者の故・伊藤氏は旧油井村の智恵子生家近くに育ち、今も活動の続く「智恵子の里レモン会」会長をなさっていました。昭和23年(1948)には、花巻郊外太田村の山小屋の光太郎に会いに行かれました。

この書籍は平成3年(1991)から翌年にかけ、『毎日新聞』福島版に連載されたものを、近代文藝社から自費出版、さらに地元福島の出版社・歴史春秋社から再刊したものです。

入門編の智恵子評伝として、好著です。


智恵子の故郷・二本松に隣接する福島県本宮市からイベント情報です。 

最初に、背景と概要をわかりやすくするために、先月、地方紙『福島民報』さんに出た記事を引用します。

”銀幕のマチ本宮”継承 NPOが定期的に映画上映

 旧本宮町(現本宮市)を舞台にした映画「こころの山脈(やまなみ)」の完成から今年で50年―。地域が映画製作に協力するフィルムコミッションの先駆けとなった本宮市で、若者に映画の魅力を伝え、地域おこしにつなげる活動が動きだす。市民有志でつくる団体がNPO法人化し、古里にちなんだ作品などを集めた上映会を定期的に開く。昭和期の市内のにぎわいを収録したフィルムのデジタル化にも取り組み、「銀幕のマチ」の歴史を伝える。
 団体は、市民ら約40人でつくる「本宮の映画文化を継承する会」。17日にNPO法人の登記が完了した。映画「こころの山脈」が50年の節目を迎えたのを機に、県、市などの行政機関と連携して映画文化の伝承活動に乗り出す。
 活動の第一弾として、9月19、20の両日、市内のサンライズもとみやで、「こころの山脈」のせりふから名付けた「カナリヤ映画祭」を開く。「こころの山脈」のほか、桑折町で撮影された「物置のピアノ」などを上映する。
 上映会は公共施設や病院など人の集まる場所で年数回開く予定だ。市の協力を得て小中学校での映画教室の開催も検討中で、青少年の健全育成につながる作品の上映を想定している。
 昭和期に市内で撮影された映像のデジタル化では、継承する会が保管している旧本宮町中心部などを撮影した「こころの山脈」メーキングフィルムや、市保管の記録映画などを半永久的に保存し、上映会を通して往時の古里のにぎわいを若者や子どもたちに知ってもらう。
 映画黄金期の昭和30年代、旧本宮町には本宮映画劇場と本宮中央館の2つの映画館があり、住民は銀幕のスターに熱狂した。時を同じくし、本宮小PTAの母親らが「子どもたちに国内外の良質な映画に触れてもらおう」と小学校で映画教室を開く取り組みを始めた。
 母親らの活動は映画製作にまで発展し、昭和40(1965)年には町を舞台とした「こころの山脈」を完成させた。
 しかし、小学校のカリキュラムの多様化や映画の衰退などで映画教室の活動は徐々に縮小し、昭和50年代に幕を閉じた。
 継承する会の会員のほとんどは小学生時代に映画教室を体験した世代だ。継承する会代表の本田裕之さん(59)は、映画製作に携わった母文子さん(92)らとともに、映画祭の準備に当たっている。新たな映画製作やロケの誘致なども思い描く。裕之さんは「若い人に、かつての本宮の活気を少しでも感じてほしい。気軽に映画や劇が観賞できる文化の発信地にしたい」と張り切っている。

■来月19、20日にカナリヤ映画祭
 9月19日午後3時にJR本宮駅前に集合し、約100年前に建てられ、今も当時の姿を残している本宮映画劇場を見学する。同5時からサンライズもとみやで「こころの山脈」を観賞する。
 20日は午前9時20分開演で、サンライズもとみやで「こころの山脈」、「物置のピアノ」のほか、旧本宮町が昭和53年に自主製作した「わが町78」などを上映する。入場無料。問い合わせは事務局 電話0243(34)2175へ。

※こころの山脈(やまなみ) 小学校に赴任した補助教員と子どもたちとの心の交流を描いた映画で、「本宮方式映画製作の会」が製作した。昭和40(1965)年に完成し、翌41年に公開された。本宮小や阿武隈川堤防など旧本宮町を舞台に、大勢の町民がエキストラや児童役で出演した。同年のブルーリボン特別賞を受賞した。資金集めやエキストラで地域が撮影に協力する「フィルムコミッション」の先駆けといわれ、「本宮方式」として全国に知れ渡った。
( 2015/08/18)

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本宮の映画文化を継承する会がNPO法人 実行委で報告 「こころの山脈」制作50周年記念活動も展開

 本宮の映画文化を継承する会(本田裕之代表)は8月3日、2015年第3回カナリヤ映画祭実行委委員会を本宮市中央公民館で開き、特定非営利活動(NPO)法人登録申請したことを報告した。
 今月11日にも登録を終える見通しで、NPO法人化により映画文化を継承する活動をより進め、広めていきたいとしている。
 今年は、本宮町(現本宮市)で1965(昭和40)年に自主制作された映画「こころの山脈」が制作50周年を迎えることから、記念活動も検討している。先ごろ、「こころの山脈」のDVDを老人ホームなどへ貸出したところ好評だったため、こうした活動を進めるいくことも申し合わせた。9月19〜20日に開く「カナリヤ映画祭」への来場も促す。
 「こころの山脈」は、優れた映画を育てようと始まったお母さんたちの運動「本宮方式映画教室」の象徴となった作品。町に赴任してきた教師と子どもたち心温まる交流を描いた映画で、山岡久乃さん、宇野重吉さん、吉行和子さんらの俳優陣とともに本宮小の児童も多数出演した。
 この映画のポスターは本宮市立歴史民俗資料館に保管されているが、このほど本宮小でもポスターが見つかっていることが報告された。現在、校長室に展示しているという。
 また、先月は有志による映画を語り合う夕べも開いた。貴重な記録映像「花の本宮」などを鑑賞し、DVDなどによる保存運動を進めることも話し合った。


映画「こころの山脈」。単に智恵子の故郷・二本松に隣接する福島県本宮市で撮影されたというだけでなく、劇中で「智恵子抄」が扱われます。

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その「こころの山脈」を中心に、福島と縁のある作品を上映する催しが「カナリヤ映画祭」。今年で3回目だそうです。

第3回カナリヤ映画祭 映画『こころの山脈』製作50周年記念

期 日 : 2015年9月19日(土)・20日(日)
会 場 : サンライズもとみや 福島県本宮市矢来39-1
日 程 :
 9月19日(土) 本宮映画文化をめぐる散歩と映画『こころの山脈』鑑賞
  15:00 本宮駅前出発(本宮映画文化をめぐる散歩)
  15:10 本宮映画劇場(大正時代建設、昭和の薫りが漂う本宮の映画名所)見学、上映有り
  16:10 サンライズもとみや見学 (本宮映画文化の歴史と『こころの山脈』資料など)
  17:00 映画『こころの山脈』 本宮映画文化をめぐる散歩参加者以外の方もご覧になれます
 9月20日(日) 『こころの山脈』50周年を祝う
  9:00  開場
  9:20  開演
  9:40  『陸軍』 昭和19年作品 木下恵介監督 上映時間87分
  11:22 『わが町'78』 昭和53年作品 本宮記録映画 上映時間40分
 《昼休憩30分》
  12:35 『一般公募作品』 シネリテラシー、子供たち製作の映画
  13:35 『物置のピアノ』 平成26年作品 邦画 上映時間115分
  15:50 『こころの山脈メーキングフィルム』 昭和40年作品 上映時間10分
  16:00 『こころの山脈』関係者舞台挨拶
  16:30 『こころの山脈』 昭和40年作品 吉村公三郎監督 上映時間104分
主催 : カナリヤ映画祭実行委員会 NPO法人本宮の映画文化を継承する会
  
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当方、初日の19日にお邪魔するつもりでおります。「智恵子抄」に関連する作品、ということで、ポスターやチラシ、当時の『キネマ旬報』、シナリオの載った書籍『日本シナリオ大系第5巻』(昭和49年=1974 映人社)などは持っているのですが、肝心の作品自体を観たことがありません。楽しみです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月4日

昭和25年(1950)の今日、花巻郊外太田村で、ハーモニカ奏者の新井克輔から葉書を受け取りました。

この時期の日記は失われているのですが、郵便物の授受等を記録したノートは残っており、そちらに以下の記述があります。

新井克輔氏よりハカキ(仙台にハーモニカ教室を設けし事)

翌日には早速、返信の葉書を出しました。

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新井氏はかつての連翹忌ご常連で、ハーモニカ演奏で会に花を添えて下さっていました。

今週の月曜日に載った、福島の地方紙『福島民報』さんの一面コラム「あぶくま抄」です。限定公開されている二本松市の智恵子生家について言及して下さいました。 

智恵子が過ごした部屋(8月10日)

 〈如何[いか]なる場合に処するにも ただ一つの内なるこえ たましいに聞くことをお忘れにならないよう…〉。詩人の高村光太郎の妻智恵子が、40歳のころに書き残したとされる。
 二本松市にある智恵子の生家が特別公開されている。普段は入れない2階の智恵子の居室や光太郎の過ごした部屋、杜氏[とうじ]の寝室などが見られる。明治16(1883)年、酒造業の家屋として建てられた。この四畳半で時代の先端を行く気質が育まれたのかと、しばし感じ入る。裕福だった生家は後に経営が行き詰まり破産する。智恵子も精神を病む。
 光太郎が「智恵子抄」を出版したのは昭和16(1941)年の8月だ。12月に日本は太平洋戦争に突入するが、詩集は3年間で13刷を重ねる。戦時下で死が日常だった若者は、光太郎のように愛し、智恵子のように愛されることを願った(二本松市教委刊「高村智恵子-その愛と美の軌跡」)。
 戦意高揚で書き連ねた詩を恥じ、光太郎は疎開した岩手県花巻市郊外の粗末な小屋に戦後も住み続ける。戦争協力の行為を弁明するでもなく、「内なるこえ」に耳を澄ませた。心の中の智恵子と暮らすことは本望だったのだろう。

生家二階部分の限定公開、10月から11月の菊人形期間、来年2月にも予定されていますが、8月は23日までの土日、つまり8/15・16・22・23です。ぜひとも智恵子の息吹を感じて下さい。

戦意高揚で書き連ねた詩を恥じ、光太郎は疎開した岩手県花巻市郊外の粗末な小屋に戦後も住み続ける。」とあるように、光太郎の息吹を感じるなら、花巻郊外の高村山荘、高村光太郎記念館です。

花巻観光協会さんで作った新しいチラシがこちら。

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同じ花巻市にある宮沢賢治記念館さんもこの春にリニューアルオープンしています。

ぜひ足をお運び下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 8月14日

昭和22年(1947)の今日、東京女子高等師範学校に勤務していた椛沢ふみ子に長い書簡を書きました。

椛沢ふみ子(佳乃子)はたびたび花巻郊外太田村の山小屋を訪れ、地元の皆さんとも親しく交流しました。以前にご紹介した高橋愛子さんも椛沢に茶道を習ったそうで、花巻高村光太郎記念館の受付で配布されているリーフレット「おもいで 愛子おばあちゃんの玉手箱」に記述があります。

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書簡の最後には、「紀州の人からクマ蟬のモデルを送つてもらひました。秋には此を彫ります。」とあります。「紀州の人」は俳人の東正巳。この月6日付けの東宛てのはがきには、以下の記述があります。

待望のクマゼミ到着、感激に堪へません。よく捉へられたものです。小生は先年つひに失敗、今まで熟覧できなかつた蟬です。実に美しいので今夏中に彫刻したいと思つてゐます。

しかし、結局、この彫刻は完成せずに終わったようです。日記にも詳細な記述がなく、着手もしなかったかもしれません。それでいて書簡では蟬を彫ると明言しているのは、光太郎の蟄居生活を案じる周囲へのポーズなのでしょうか。

福島の地方紙2紙から。

まずはちょっと古い記事ですが、『福島民友』さん。

時代知る復刻雑誌展 「青鞜」や「明星」など貴重な資料

 福島市森合の県立図書館で3日、「復刻雑誌展」が始まり、展示スペースに紹介された同館所蔵の貴重な雑誌を通して明治、大正など当時の時代背景を知ることができる。8月5日まで。
 同展は、同館が雑誌に関する理解と認識を深め、図書館資料としての雑誌の利活用促進を図ることを目的に、初めて開いた。
 同館によると、展示されている雑誌は「青鞜(せいとう)」や「明星」など教科書でも知られた雑誌を中心に15タイトル約90点。このうちグラフ誌「風俗画報」では、1896(明治29)年に起きた三陸大津波の悲惨な災害の様子などが石版画で紹介されており、当時の様子を伝える貴重な資料の数々に利用者が足を止め見入っている。
(2015年7月4日 福島民友おでかけニュース)

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明治44年(1911)の創刊号をはじめ、智恵子が描いた表紙絵が繰り返し使われた『青鞜』、光太郎の文学活動の本格的な出発点となった『明星』。記事ではわかりにくいのですが、「復刻」と冠しているので、オリジナルではないのでしょうが、雰囲気をつかむのには良いかと思います。

福島県立図書館さんのサイトにある紹介はこちら


続いて『福島民報』さん。

智恵子の生家を特別公開 平成27年8月23日まで

 二本松市教委は夏休み初日の18日、市内の智恵子の生家で高村智恵子の居室などの特別公開を始めた。
 市合併10周年を記念した。特別公開したのは2階の智恵子の居室や夫・光太郎が過ごした部屋、家人や杜氏(とうじ)の寝室、1階の茶の間や奥座敷など。
 かつて智恵子が通った油井小の2年生の熊谷璃麻(りお)さんは「智恵子さんの部屋を初めて見ました。今のおうちと違うと思いました。楽しかったです」と目を輝かせていた。
 生家は木造2階建て。明治16年に造り酒屋として建てられたとされ、当時の建築様式を今に伝えている。
 夏休み期間の特別公開は平成27年8月23日までの土、日曜、祝日の午前11時からと午後1時30分からの1日2回。秋と冬にも特別公開する。問い合わせは二本松市智恵子記念館 電話0243(22)6151へ。
( 2015/07/19)

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大型観光企画「ふくしまデスティネーションキャンペーン(DC)」の関係で、先月から公開が始まっていましたが、DCが先月末で終了し、いったん中断していたものが再開しました。

それぞれ、ぜひ足をお運びください。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 7月20日

昭和50年(1975)の今日、集英社から山本鈴美香著 『エースをねらえ!』 第9巻「全世界招待試合開始の巻」が刊行されました。

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光太郎詩「人に」と「道程」が引用されています。

「人に」は、「N――女史に」の題で大正元年(1912)の雑誌『劇と詩』に発表され、のち、改稿を経て『智恵子抄』(昭和16年=1941)の巻頭を飾りました。

『エースをねらえ!』では、主人公の高校生テニスプレーヤー・岡ひろみが、先輩であり彼氏でもある藤堂貴之の通う大学の大学祭で見た、電子工学部・心理学部・芸術学部協作の映像アトラクション「イメージの箱」に使われていました。

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「道程」は、世界の強豪高校生との試合が行われることを知らされ、決意を新たにするひろみが思い浮かべています。

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当時の少女達の中には、これで光太郎の詩に興味を持った、という人が少なからずいたようです。

一昨日、昨日に続き、もう一日、福島川内村ネタで行きます。

先週土曜日に行われた「第50回天山祭」の会場となった、天山文庫でのイベント情報です。
川内村の人々と豊かな自然に心を打たれ、毎年のように村を訪れた詩人、草野心平。
川内村は、そんな草野心平を昭和35年に名誉村民に任命。
褒賞として毎年木炭100俵を贈りました。
そのお礼に、今後は草野心平から川内村に、蔵書3,000冊を寄贈。
これを機に村では、文庫設立の話が持ち上がります。
 一本の木、一束の芽、一人ひとりの労力。
 天山文庫は、村びと達の奉仕によって昭和41年7月16日に建てられました。
ちょうど50年前のことです。
50周年の記念として、天山文庫のライトアップを行います。
ライトアップは土日とお盆の期間ですが、約1ヶ月の間行います。

【ライトアップ】016
時 間:日没後~午後9時
期 間:7月-10・11・12・18・19・20・25・26
    8月-1・2・8・9・10・11・12・13・14・15・16
場 所:かわうち草野心平記念館 天山文庫
その他:日程によりステージパフォーマンスが行われる予定です。
    詳しくはお問い合わせください。
 ☆開場内の看板を目印にARカメラ画面をかざしてみよう!
  3Dモリタロウと一緒に記念撮影ができるよ!
 ☆そばビールやガレットの販売も行います。

問合せ先  川内村役場 産業振興課 商工観光係TEL 0240-368-2112

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点灯式は先週金曜日でした。地方紙『福島民報』さんで報道されています。  

50周年の天山文庫ライトアップ 草野心平ゆかり 川内で11日に祭り

 川内村名誉村民の詩人草野心平ゆかりの村内の天山文庫で10日、ライトアップが始まった。天山文庫と天山祭りの50周年を記念し、「光のフォレストナイト」として企画した。
 点灯式では、遠藤雄幸村長が「心平先生と川内村を愛する人に集まっていただき感謝する。ライトアップを楽しんでほしい」とあいさつ。石井芳信天山祭り実行委員長が「祭りの前夜祭として点灯式が行われ、心平先生も喜んでいると思う」と語った。小渕優子衆院議員、横田安男村議会副議長が祝辞を述べた。
 遠藤村長らがスイッチを押すと、130基の発光ダイオード(LED)が天山文庫などを照らした。口笛奏者の柴田晶子さんのライブや現代詩の同人誌「歴程」の会員による心平の詩の朗読も行われた。
 天山祭りは11日午前11時半から天山文庫で催される。隣接する阿武隈民芸館では企画展「心平が愛したかわうち」が8月23日まで開かれる。
 ライトアップは8月16日までの週末を中心に、日没後から午後9時まで行われる。

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昨年のこのブログでご紹介した、ふくしま再生プロジェクトの会さん主催のイベント「ふくしま、ひとしずくの物語 -再生へ祈りを込めて-」(郡山公演も含めて)にご出演された口笛奏者・柴田晶子さんが演奏を披露なさっています。

その点灯式は終わってしまいましたが、8月16日(日)までの下記期間にライトアップが行われます。ぜひ足をお運びください。

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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 7月14日

昭和24年(1949)の今日、花巻郊外太田村の山小屋で、キャビアを贈られた礼状をしたためました。

相手は舞踊家の藤間節子。この前月に東京帝国劇場で「智恵子抄」の舞踊を発表しています。

光太郎からの礼状、長文なので冒頭のみを紹介します。

昨日運送屋さんが町の駅からはるばる御恵送の小荷物を持つて来てくれました。早速開封いたしましたところ、まことに珍らしい貴重な食料がたくさん出てまゐりました驚きました。 今日の時代にこれだけのものを集められるのは大変なことと存ぜられ、ただ恐縮の外ありませんでした。おそらく東京でも珍しいであらうと思はれるカビヤのびん詰まで在中、そぞろに戦前の頃を思ひ出しました。カビヤの珍味は小生好物中の好物にて、戦前智恵子の健康であつた頃稀に入手して一緒に酒の肴として賞味した記憶があり、なつかしい限りでした。

昨日に引き続き、先週土曜日に行って参りました福島県川内村関連です。

まず、地方紙『福島民友』さんに、天山祭の記事が出ましたのでご紹介します。

「心平さん、川内は元気ですよ」 50回目の“天山祭り”

 いわき市出身の詩人草野心平が晩年、毎年のように訪れて滞在し、蔵書も保存されている川内村の「天山文庫」で11日、恒例の天山祭りが開かれた。50回の節目に当たり、村内外から集まった参加者が在りし日の心平をしのんだ。
 「蛙(かえる)の詩人」として知られる心平は、村内の平伏(へぶす)沼で繁殖するモリアオガエルを通じ村との交流が始まった。同文庫は、名誉村民となった心平のため村民が協力して1966(昭和41)年に建設し、3000冊を超える蔵書も保存している。
 祭りには村民のほか、心平らが創刊した詩の同人誌「歴程」のメンバーや県内外のファンらが出席。歴程メンバーによる心平の代表的な詩の朗読が行われたほか、村の伝統芸能「三匹獅子」や川内甚句などが披露された。祭りの冒頭にあいさつした遠藤雄幸村長は「出会いを後世につなぐことが、われわれの務め。復興に向かう姿を発信しながら、出会いを大切にしていきたい」と語った。

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その天山祭、そして会場になった天山文庫のすぐ近くにある阿武隈民芸館さんでの企画展「心平が愛したかわうち」を拝観したあと、夕方から打ち上げ的なことがあるので、それまで時間をつぶす必要がありました。

そこで向かったのが、村役場近くにある温泉入浴施設「かわうちの湯」さん。昨年オープンしたばかりのきれいな施設です。

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玄関前のロータリー的なところに、何やら石碑が。

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二代目コロムビア・ローズさんの歌った「智恵子抄」を作詞した故・丘灯至夫氏の歌碑でした。丘氏は川内村にほど近い小野町の出身で、川内村民歌や川内小学校の校歌なども作詞されているとのこと。

さて、館内に入り、ゆっくり温泉を堪能。露天風呂やサウナもあり、いい感じでした。入浴後は大広間の畳で座布団を枕にがっつり昼寝。疲れを癒させていただきました。

その後、打ち上げ会場の小松屋旅館さんへ。秋に行われる心平忌日「かえる忌」の集いでもお邪魔しているところです。築100年ほどの古民家が移築された離れには「蕎麦酒房天山」の看板が掲げられ、こちらが会場です。

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看板犬の黒柴くん。

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レトロな神棚。心平の肖像画も。

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以前にもご紹介しましたが、心平が揮毫した光太郎詩「晩餐」の一節の書。この文字を元に神戸文化ホールさんに光太郎詩碑が建っています。

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打ち上げにはいつものメンバーに加え、一橋大学さんで「自然資源経済論」というプロジェクトを立ち上げられた名誉教授の寺西俊一氏など、20名ほどが参加、盛り上がりました。

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東日本大震災から5年目に入り、まだまだ復興途上の川内村ですが、少しずつ元気を取り戻しつつあります。訪れるだけでも復興支援。ぜひ足をお運びください。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 7月13日

昭和25年(1950)の今日、花巻郊外太田村から墓標の揮毫を発送しました。

郵便物の授受等を記録した「通信事項」というノートが残されており、その中に以下の記述があります。

佐野悌一氏へ墓の文字封入テカミ(「佐野修三墓」二枚)

この年の日記は失われており、名前の出てくる二人の素性、どういった事情なのか、墓の所在地など、一切不明です。

ネットで調べてみると、厚生労働省のホームページの中に、旧ソ連抑留中に亡くなった方々の名簿が載っており、昭和21年(1946)、イルクーツク地方で亡くなった岩手県出身の「佐野修三」という名が記されていますが、この人物なのかどうか何とも言えません。

「佐野悌一」という人物はネット上ではヒットしません。

今もどこかにひっそりと、光太郎が文字を書いた佐野修三氏の墓標が残っているのでしょうか。情報をお持ちの方は、ご教示いただければ幸いです。

追記:花巻市内で発見しました。

昨日は、当会の祖・草野心平がこよなく愛した「天山祭」ということで、福島浜通りの川内村に行って参りました。昨秋行われた心平の忌日の集い・「かえる忌」以来、約半年ぶりに訪れました。

圏央道、常磐道と順調に抜け、常磐富岡ICで高速を下りました。やはり昨秋、同じ浜通りの相馬方面に行った際もそうでしたが、富岡以北の国道6号は二輪車通行止めの措置が取られており、状況はあまり変わっていないようです。富岡IC付近も「除染作業中」ののぼりが目立ちました。

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ただし、常磐道は今年の3月に全線開通し、仙台と直結しました。来月の女川光太郎祭には、愛車で参上しようと思っております。

富岡町から山道を抜け、会場の天山文庫へ。昨年もそうでしたが、天気が良くて助かりました。第50回の記念の天山祭ですので、やはり雨天の会場変更では残念です。

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受付が混雑しており、着いてみるとちょうど遠藤村長の挨拶でした。

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心なしか、昨年より人出が多いように感じました。よいことです。

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元復興担当大臣・小渕優子氏の姿も。

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戦前に心平が主宰となって創刊し、たびたび光太郎も寄稿していた雑誌『歴程』同人の皆さんによる心平作品の群読。

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川内小学校6年生による心平作品の朗読。

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郷土芸能も披露されました。

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「被災」を忘れてのなごやかなひとときだったと思います。


天山文庫のある小高い丘の麓には、阿武隈民芸館さんがあります。

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天山祭の50回を記念して、企画展「心平が愛したかわ001うち」が開催中です。室内撮影禁止ですので画像はご紹介できませんが、村民の皆さんなどが持ち寄った心平の書、書簡などが展示されています。郵便局の看板や、敬老会で配布された心平揮毫の文字を染めた手ぬぐいなど、ほほえましく拝見しました。温かみのある心平独特の文字ならではの魅力に溢れています。

展示の最後には、心平の著書の数々が並んでいますが、その中には「富士山」(昭和18年=1943)、「天」(同26年=1951)など、光太郎が題字を揮毫したものも含まれています。こうした場合にいつも感じるのですが、いろいろ並んでいる中にふっと光太郎の筆跡を見つけると、旧友に遭ったような感覚になります(笑)。

企画展「心平が愛したかわうち」は8月23日(日)まで。また、稿を改めてご紹介しますが、期間中の土日、さらに旧盆前後には、天山文庫のライトアップ「光のフォレストナイト」も開催されます。ぜひ足をお運びください。

明日も川内村レポートを続けます。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 7月12日

昭和7年(1937)の今日、智恵子が遺書とも取れる書簡を、母・センに宛てて書きました。

ながいあいだの病気が暑さにむかつて急にいけなくなつて来ましたので 毎晩睡眠薬をのんでゐます。あまりこれをつゞけますからきつといけなくなるとおもひます。もしもの事がありましたら、この部屋をかたつけみなさんでよいやうにきもの其他をしまつして下さい 大そう長い間のことですからいろいろたまつてしまひました、押入れや地袋、ぬりたんす、柳こり、ねだいのうへのものなどみなしまつをつけて下さい
  皆さんおからだを丈夫にして出来るだけ働き仲よくやつていつて たのしくこゝろをもつてお暮らし下さい 末ながくこの世の希望をすてずに 難儀ななかにも勇気をもつてお暮らしなさい。
  それではこれで
   母上様
   皆さん
   せきさん 修さん 皆さんへよろしく
    七月十二日


15日朝には、智恵子は目覚めませんでした。部屋には睡眠薬アダリンの空の瓶が残され、壁に真新しいキャンバスが立てかけてありました。現存は確認されていませんが、光太郎への愛と感謝、義父・光雲への謝罪の言葉が書かれた遺書もあったそうです。

一命は取り留めたものの、これを機に、智恵子は夢幻界の人となってしまいます。

毎年ご紹介していますが、「連翹忌」の名付け親にして、光太郎を敬愛してやまなかった草野心平が愛した福島県双葉郡川内村で、「第50回天山祭り」が開催されます。 

第50回天山祭り

日 時 : 2015年7月11日(土) 午前11時30分~14時
場 所 : 天山文庫前庭 川内村大字上川内字早渡513(雨天時 川内村体育センター)
主 催 : 天山祭り実行委員会
参加費 : 1人 500円
問合せ : 教育課生涯学習係(0240-38-3806)

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(福島県広報誌『ゆめだより』より)


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昨年の様子はこちら


併せて、会場の天山文庫さんの入り口にある阿武隈民芸館さんでは、心平に関する企画展も同日始まります。
期 間 : 7月11日~8月23日
時 間 : 午前9時~午後4時
場 所 : 阿武隈民芸館
定休日 : 毎週月曜日(祝日は営業、翌日振休)
入館料
 : 300円

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(『広報かわうち』より)


東日本大震災被災地の現状を見る、という意味合いもあります。ぜひ足をお運び下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 7月5日

明治42年(1909)の今日、料亭・上野常盤華壇で光雲門下の彫刻家一同による高門同窓会主催の帰朝歓迎会で欧米留学の報告をしました。

今朝の『読売新聞』さんの福島版に載った記事です。  

二本松景観 ダブル受賞

◆住民グループの取り組み
住民らによる長年の取り組みが評価され、二本松城跡に近い二本松市竹田根崎地区の景観が日本都市計画学会(東京)の計画設計賞を受賞した。都市づくりパブリックデザインセンターなどの実行委員会が主催する都市景観大賞の都市空間部門の優秀賞にも選ばれたといい、住民らは30日、同市にダブル受賞を報告する。
 いずれも都市計画の進歩に貢献し、良好な都市景観を作り出した人らを表彰する制度。対象となったのは、城跡の東側に延びる旧奥州街道の県道「竹根通り」の景観で、拡幅計画をきっかけに、住民らは2002年、地域の歴史や風土に調和した景観をつくるための協定を結んだ。
具体的には、城跡の石垣や、高村光太郎の「智恵子抄」に収められた「あどけない話」で有名な安達太良山の上の空と調和した街並みを目標にし、広々とした眺めを守るため、原則として建物は3階建てまでとすることを申し合わせた。板塀を設け、屋根は瓦ぶきとするなど、一体感のある外観を目指したという。電柱の地中化も決まり、昨年9月、道路の拡幅や地中化などが終了。十数年に及んだ取り組みが結実し、受賞につながった。参加した住民の1人の高橋淳記(あつのり)さん(60)は、二つの賞をほぼ同時期に受けたことについて喜び、「他の地域でも景観に配慮したまちづくりに取り組む機運が高まればうれしい」と笑顔で語った。


二本松市竹田根崎地区。県道129号線で、二本松霞ヶ城の東に、それぞれ「竹田」「根崎」という交差点があり、そのあたりでしょう。

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西の「竹田」方面から来て、「根崎」の交差点を鍵の手に曲がり、さらに行くと「智恵子の森」地区、そして智恵子の生家・智恵子記念館に至ります。

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このあたりが都市計画・景観の賞を二つ受賞したというニュースです。

調べてみると、先月の地方紙『福島民友』さんにも類似の記事が出ていました。 

二本松・竹根通りが優秀賞 都市景観大賞「都市空間部門」

 東北地方整備局は26日、良好な都市景観を生み出す優れた事例などを表彰する「都市景観大賞」の東北の本年度受賞団体を発表、本県関係は都市空間部門で優秀賞に「二本松市竹田根崎竹根通り沿道地区」が選ばれた。
 本県関係の受賞は、同部門で優秀賞を受賞した昨年度の「小峰城跡・白河駅周辺地区」(白河市)に続き2年連続。同部門に加え、景観教育・普及啓発、景観づくり活動の計3部門に全国から35件の応募があった。各部門で大賞と優秀賞を選考した。
 竹田根崎竹根通り沿道地区は、景観協定に基づく統一感のある街並みや、電線地中化による美しい景観、東日本大震災被災後の地域の復興と再生への希望の象徴となっていることなどが評価された。表彰式は6月、都内で行われる予定。
(2015年5月27日 福島民友ニュース)

ただ、こちらには光太郎智恵子の名などが出ていなかったので、当方の検索の網にはかかっていませんでした。


『読売新聞』さんに紹介された二つの賞のうち、日本都市計画学会さんの計画設計賞に関しては、こちらのサイトをご覧下さい。

計画設計賞
受賞者  竹田根崎まちづくり振興会議
作品名  福島県二本松市竹田根崎竹根通り沿道地区の景観まちづくり
授賞理由
本作品は、福島県道「竹根通り」の拡幅整備計画を契機として発足した「竹田根崎まちづくり振興会議」が中心となる、20 年近くにわたるボトムアップ型景観まちづくりの取組が結実したものである。
当地区では、景観シミュレーションによるワークショップなどを開催し、「ほんとの空とお城山が美しく見える景観づくり協定」を締結し、その後振興会議内に設置された「まち並み委員会」が、協定に基づくデザイン協議を110 回以上繰り返すことで、城下町に相応しい落ち着いた意匠など、ゆるやかなルールのもと、住民個々の意向や個性を尊重した調和のある町並みを生み出している。この成果は「NPO 法人たけねっと」、「NPO 法人桑原さん家」などの住民まちづくり活動との連携や、早稲田大学と芝浦工業大学の研究者と学生、二本松市と福島県関係者の長年の支援に負うところも大きい。
東日本大震災と原発事故による被害とその影響が続く福島県内、二本松市内にあって、「竹根通り景観づくり」は、美しい景観づくりの先に、まちの復興と暮らしの再生の希望を示していることに深い意義がある。よって本作品は、日本都市計画学会計画設計賞に値すると判断した。


もう一つの、都市づくりパブリックデザインセンターさんによる都市景観大賞についてはこちらのサイトに詳しく載っています。

「優秀賞」(公益財団法人 都市づくりパブリックデザインセンター理事長賞)
■地区名:二本松市竹田根崎竹根通り沿道地区
■面積:約9.0 ha
■所在地:福島県二本松市
■応募者:竹田根崎まちづくり振興会議、福島県、二本松市、早稲田大学都市計画研究室芝浦工業大学地域デザイン研究室
■地区の概要:
当地区は、二本松市の中心市街地内であるが、JR二本松駅からは徒歩20分ほどと離れていることもあり、商店街の衰退と人口減少が続いていた。かつての奥州街道である「竹根通り」が幅員18mへ拡幅されることを契機に、魅力的な景観づくりに取り組み始めた。まちづくり活動は住民からなる「竹田根崎まちづくり振興会議」が総括し、行政の支援のもと、住民主導で17年にわたり活動している。大学の支援もあり、模型を使用したワークショップを何度も開催し、まちづくりの計画づくりと街路デザイン、景観づくりを検討してきた。住民は景観協定を締結し、建て替えデザイン協議を110回以上開催してきた。それにより、街路事業と一体となった町並みが完成している。
平成23年3月の東日本大震災と原発事故による低線量放射線被害、風評被害により、当地区も大きな打撃を受けている。そのなかにあって竹根通り景観づくりの完成は、景観の劇的な向上と、それを実現した住民を中心とする関係者の努力で、復興と再生への希望の光と受け取られている。未だ原発事故被害で厳しい状況にあるが、今後は人々が戻り、また新たな産業が生まれることが期待されている。
■審査講評:
とにかく空が広い、道路の両端が山あて、しかも安達太良山と二本松城址、これこそが「ほんとの空とお城山が美しく見える景観づくり協定」という名前の元であることがよくわかる、気持ちの良い道路景観である。全国の多くの道路をみてきたが沿道の建築物の意匠より、何より大事にされてきた空が広いことが、居心地の良さに通じることが印象的であった。また、住民、市、県、そして学識経験者と建築士会、それらの非常に緊密なコラボレーションで、平成9年より長きにわたりまちづくりを作り上げてきた絆を強く感じる。また、110回にわたるデザイン協議にも敬服する。さらには、道路を拡幅したことにより、従来奥にあった蔵が沿道に露出し、展示スペースにしたり、居酒屋にしたり、新たな街のランドマークとして使い、地域の活力を生み出している。道路の拡幅は、ともすれば、街の活気を失いがちであるが、この地区では、見事に、拡幅による洗練された澄み切った空気を感じる街並みが息子世代への牽引に役に立ちそうな気配を感じさせられる、優秀賞に値する景観である。今後の継続にも期待したい。(池邉)

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智恵子の愛した「ほんとの空」まで含めた景観が授賞対象となったかと思うと、喜ばしいことです。東日本大震災からの復興という意味でスポットが当てられるのもよいことでしょう。

しかし、ちょうどこの辺りには、震災から4年経った今も、福島第一原発に近い浪江町の皆さんの住む仮設住宅や、プレハブ校舎の福島県立浪江高等学校津島校なども存在します。この状況が正常な状態であるわけがありません。

『福島民友』さんにあるとおり、二本松の景観が「東日本大震災被災後の地域の復興と再生への希望の象徴」でありながらも、福島が一刻も早く、正常な状態になるようにと願ってやみません。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 6月30日

昭和57年(1982)の今日、筑摩書房から『定本高村光太郎全詩集』が刊行されました。

光太郎生誕100年の記念出版で、限定700001部、全1,037ページ。『広辞苑』とまではいきませんが、それに近い厚さです。

刊行当時に確認されていた光太郎の詩作品736篇(断片を含む)を編年体で収録しています。

これに先立つ昭和41年(1966)には、新潮社から『高村光太郎全詩集』が刊行されていますが、こちらは光太郎生前に刊行された単行詩集を核として、それらに収められなかったものはその前後に配置するという、いわば紀伝体の編み方でした。

いずれも古書市場で出回っています。光太郎が作った詩のみを読みたい、という方にはお勧めです。

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競馬関連のネタを2つ。

先週の『日刊スポーツ』さんに以下の記事が載りました。 

祭りが生んだ名騎手田辺/福島県二本松市

 ちょうちんと芸術センスが、名ジョッキーを生んだ-。変幻自在な騎乗で知られる競馬騎手田辺裕信(31)は福島県の古き城下町、二本松市出身。家族、友人を訪ねていくと、同市独特の歴史と文化に秘密が隠されていた。

 田辺と記者は実は二本松一中の同級生だ。中3の秋「田辺が競馬学校に受かった!」と学校中が大騒ぎになったのを今でも覚えている。あれから約16年。現在、全国リーディング9位(5月17日現在)。騎乗依頼もひっきりなしに来ると聞く。トップジョッキーとなった田辺のルーツを探るため、まずは二本松駅近くにある実家のご両親を訪ねた。まず出てきたのは「祭り」の話だった。

 父敏勝さん(60) とにかくお祭りが大好きで。太鼓を買ってあげて、小さい頃からたたいていたから半端じゃなく上手なのよ。

 祭りとは、江戸時代から約350年続く郷土行事「二本松提灯祭り」のこと。市内7町の太鼓台に約300個のちょうちんが飾られ、秋の夜空を照らす幻想的な祭りだ。「タンタ、タンタ、タンタタン」のリズムを打つ「しゃぎり」というはやしが特徴。各町に代々伝わる無数の祭りばやしも聞き応えがある。毎年10月4、5、6日前後に行われ、外に出た人たちも故郷に帰ってくる一大イベントだ。男の子なら、幼い頃からちょうちんで彩られた太鼓台に乗るのを夢見る。通常、小3から祭りに参加し、太鼓をたたくことができるが、田辺は我慢しきれずその前に、自ら太鼓台を作ってしまったという。

 母夏江さん(59) 乳母車を改造して太鼓を乗せて「ミニ太鼓台」をつくるわけ。最初は段ボールにちょうちんの絵を描いて付けていたけど、次は木材でやぐらを作ったり。どんどんグレードアップしていって。

 この手作り太鼓台で一緒に遊んでいた小、中の同級生加藤大史さんに聞くと「確かにあいつは学年で(太鼓をたたくのが)一番うまかった。センスがあった」と教えてくれた。中3の秋、競馬学校の1次試験日は祭りの翌日の10月7日だった。誰もが認める「祭り大好き男」は、祭りへの参加をやめ、試験勉強に集中した。「提灯祭り」は二本松の男が、仕事、家庭を犠牲にしても命をかけて守るもの。祭りにかけていたエネルギーをそのまま競馬にぶつけたからこそ、今の成功につながったんじゃないだろうか。

 「こんなのも残してあるのよ」と夏江さんが見せてくれたのが小学校の図工の時間に作った「提灯祭り」をモチーフにした箱。箱を開けると、ちょうちんが付いた「スギナリ」が飛び出す仕組みで、太鼓台を細部まで紙と絵で表現してある。小学生が作ったとは思えない高いクオリティーに正直びっくりした。

 敏勝さん あいつは、絵も上手で、小学生の時に祭りの絵を描いて、賞を取ったこともあった。海外に出品されて戻ってこないんだけど。見ている人が細かく描いてある、すごい絵だったよ。

 田辺の祖父勝利さんは大工だったという。手先の器用さはそこから受け継いだのか。思えば、二本松は芸術の町でもある。明治時代から大正時代にかけ、当時女では珍しい画家を目指し上京した高村智恵子。昭和にかけ日展で活躍した木彫家橋本高昇。現在では日本画家の大山忠作。多くの芸術家を輩出してきた。音楽でも、伝説のパンクロッカー遠藤ミチロウがいる。城下町で坂が多く、絵になる風景がたくさんある。精緻な調度が魅力の二本松箪笥(たんす)を売る家具ストリートもある。

 私も芸術の学校に進んだし、二本松市の知り合いには音楽、文筆、写真、デザインと文化系の道を進んでいる人が確かに多い。前に田辺に競馬で心がけていることを聞いた時、「人と同じことしちゃダメ。やっぱり目立たないと」と話していた。後輩の競馬記者柏山自夢にいわせれば田辺は「型にとらわれない騎乗をする『美浦の魔術師』」だそうだ。祭りで培われたリズム感。風土の影響を受けた自由な精神。二本松の土地が知らずと、変幻自在のジョッキーを生んだと納得して故郷を後にした。【高場泉穂】

 ◆二本松市 福島県中通り地区にある元二本松藩の城下町。05年に安達、岩代、東和町と合併。総面積は344・60平方キロメートル。人口5万7376人。(15年5月1日現在)主な特産は日本酒、和菓子。主な出身有名人に歴史学者の朝河貫一、「智恵子抄」で知られる高村智恵子、ミュージシャンの遠藤ミチロウら。

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智恵子と同じ二本松出身で、こういう方がご活躍なさっているとは存じませんでした。

競馬界で活躍、と言えば以前にもご紹介した、「智恵子抄」から名を取った競走馬「トゥルースカイ」。今年3月には初勝利を収めました。初勝利の次のレースは7着と振るわなかったのですが、先月あった2回のレース、5月1日の「サンライズ賞」で1着、先週の「稲荷山特別」でも2着と、また好成績でした。

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田辺騎手、トゥルースカイ、ともに今後とも、さらに飛躍してほしいものです。

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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 6月3日

平成11年(1999)の今日、草の根出版会から小松健一著『母と子でみる A8 詩人を旅する』が刊行されました。

著者の小松氏はフォトジャーナリスト。

「自己を罰した奥羽の山小屋」の項で、二本松、そして花巻での光太郎智恵子を紹介しています。

その他、宮沢賢治、石川啄木、萩原朔太郎、与謝野晶子、佐藤春夫、中原中也、北原白秋など、光太郎と縁の深かった詩人達も取り上げられています。

福島は二本松、智恵子生家・智恵子記念館からの情報です。

まず概略を説明する代わりに地元紙『福島民友』さんの記事を。

「智恵子の生家」限定公開 二本松市合併10周年記念

 詩人・彫刻家高村光太郎の妻で詩集「智恵子抄」で知られる高村智恵子を育んだ二本松市油井の「智恵子の生家」で、智恵子の部屋を含む非公開の2階部分が6月6日から限定公開される。大型観光企画「ふくしまデスティネーションキャンペーン(DC)」や、同市の合併10周年を記念し、公開する。
  智恵子の部屋は収納と一体になった急な階段を上った所にある。大通りに面し、低い天井が当時をしのばせる。また、今回は別の急な階段を上った場所の杜氏(とうじ)などの部屋も新たに公開される。
  限定公開日はDCや夏休み、二本松の菊人形の期間中、冬期間の計47日間。土、日曜日と祝日で、時間は午前11時~午後0時30分、午後1時30分~同3時。入館料は一般410円、高校生以下200円。
  問い合わせは市智恵子記念館(電話0243・22・6151)へ。

  智恵子の生家限定公開日
 【6月】6、7、13、14、20、21、27、28日
 【7月】18、19、20、25、26日
 【8月】1、2、8、9、15、16、22、23日
 【10月】10、11、12、17、18、24、25、31日
 【11月】1、3、7、8、14、15、21、22、23日
 【2月】6、7、11、13、14、20、21、27、28日


通常、立ち入りの出来ない生家二階の智恵子の部屋に入ることができます。また、隣接する智恵子記念館では智恵子紙絵の実物の展示も。

二本松市さんのサイトから。 

「智恵子の生家」二階を期間限定で公開します

明治初期に建てられ、清酒「花霞」を醸造していた旧長沼家。智恵子を育んだ「生家」であり、通常は立ち入りが制限されているこの「生家」二階を期間限定で公開します。
座敷を通り、階段を上がると、智恵子が過ごした部屋が当時のまま保存されています。
また、奇跡と言われる高村智恵子の「紙絵」の実物も期間限定で展示します。この機会に是非ご覧ください。

ふくしまデスティネーションキャンペーン期間(平成27年6月)
 6月の土曜日、日曜日
夏休みシーズン(平成27年7月~8月)
 7月の土曜日、日曜日、祝日
  ※4日(土曜日)、5日(日曜日)、11日(土曜日)、12日(日曜日)は公開しません。
 8月の土曜日、日曜日、祝日
  ※29日(土曜日)、30日(日曜日)は公開しません。
秋の観光シーズン(平成27年10月~11月)
 10月の土曜日、日曜日、祝日
  ※3日(土曜日)、4日(日曜日)は公開しません。
 11月の土曜日、日曜日、祝日
  ※28日(土曜日)、29日(日曜日)は公開しません。
冬季期間(平成28年2月)
 2月の土曜日、日曜日、祝日

公開時間 午前の部 11時00分~12時30分  午後の部 13時30分~15時00分

入館料金  一般410円 ※20名以上の団体は360円  
      高校生以下200円 ※20名以上の団体は150円
休  館  日 水曜日(祝日の場合は、その翌日)

来館者の方へのお願い
 建物内では、必ず係員の指示に従ってください。
 混雑状況により、入場を制限させていただくことがあります。
 明治期の建物のため、窮屈であったり急な箇所がありますので、十分にご注意ください。
 

智恵子の「紙絵」公開期間(予定)

奇跡と言われる高村智恵子の「紙絵」の実物を展示します。
 平成27年6月4日(木曜日)~6月30日(火曜日)
 平成27年10月8日(木曜日)~11月24日(火曜日)

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「場所」のもつ空気感というものは、大事なものです。数十年の時を経ていても、かつて光太郎や智恵子が居たその「場所」に身を置くことで感じられること、新たに見えてくるものもあります。

のちほどレポートしますが、つい先日は、光太郎終焉の場所、中野の中西家アトリエにお邪魔して参りました。中に入れていただいたのは初めてで、感慨ひとしおでした。

今度は智恵子の部屋で、思いを馳せてこようと思っています。皆さんもぜひどうぞ。

それから、隣接する智恵子記念館では、智恵子紙絵の実物の公開。こちらは例年、5月のGWと秋の菊人形期間に合わせて行っていますが、今年は「ふくしまデスティネーションキャンペーン」のからみで、6月と10月だそうです。

複製や画像では感じられない、実物のもつ存在感、迫力といったものを味わってみて下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 6月2日

昭和48年(1973)の今日、文治堂書店から高村豊周遺稿歌集『清虚集』が刊行されました。

豊周は光太郎の実弟。鋳金の道に進み、いわゆる人間国宝に認無題定されました。

実兄・光太郎同様、文才にも恵まれ、特に短歌は独自の境地を開き、昭和39年(1964)には皇室の歌会始の召人を務めたり、生前には3冊の歌集を刊行したりもしました。

この『清虚集』は、1年前のこの日に亡くなった豊周の遺稿歌集です。解説は盟友とも言える間柄だった草野心平が書きました。

智恵子の故郷、福島は二本松からのイベント情報と報道です 

第61回 安達太良山 山開き

 2015年5月17日(日)
今年はふくしまDC本番の中迎える第61回安達太良山の山開き!
山頂での行事に加え、ふくしまDC記念としての企画もございますので、皆さんお誘い合わせのうえ、おいでください! 

◆山頂イベント◆
 10:00~ ふくしまDC記念山開き参加ペナント配布(先着3,000名)
 11:00~ 安全祈願祭
 11:20~ Ms.あだたらコンテスト(未婚、既婚は問いません。入賞者には記念品を贈呈します。)
※山頂の天候次第で、途中で催事が中止となったり、予定していた時間も変更となる場合がございます。
  また、雨天の場合は山頂イベントは中止し、奥岳登山口で午前10時~安全祈願祭を開催します。
【お問い合わせ】
安達太良連盟事務局(二本松観光協会)TEL:0243-55-5122


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キャッチコピーは「ほんとの空がここにある。」「智恵子の愛したほんとの空」。いいですね。


麓を走る国道4号線沿いの「道の駅「安達」智恵子の里」さんでも、イベント開催中です。地元紙『福島民友』さんから。 

高村智恵子の世界発信 DCに合わせ道の駅「安達」

『福島民友』 2015年5月5日(火)
 二本松市の道の駅「安達」智恵子の里を運営する同市振興公社は大型観光企画「ふくしまデスティネーションキャンペーン(DC)」に合わせ、同市出身の高村智恵子を広く発信する企画を開始した。智恵子が最後に食べた様子が「レモン哀歌」にも詠まれたレモンをテーマにイベントを企画した。
 このうち上り線の「和紙伝承館」では今月いっぱい、レモンの皮を伝統の上川崎和紙に漉(す)き込んでうちわを制作するうちわ漉き体験が行われている。体験料600円で、午前9時から午後5時まで。うちわは20~30分で完成する。
 

“レモン香るうちわ” 道の駅「安達」智恵子の里で制作体験

『福島民友』 2015年5月6日(水)008

二本松市の道の駅「安達」智恵子の里を運営する同市振興公社は大型観光企画「ふくしまデスティネーションキャンペーン(DC)」に合わせ、同市出身の高村智恵子を広く発信する企画を開始した。
 智恵子は詩人・彫刻家高村光太郎の妻で詩集「智恵子抄」にも描かれたように、光太郎との純愛でも知られる。同道の駅の名前の由来にもなった智恵子を多くの人に知ってもらおうと、「レモン哀歌」にも彼女が「死の床」で最後に食べた様子が詠まれたレモンをテーマにイベントを企画した。
 上り線の「和紙伝承館」では今月いっぱい、レモンの皮を伝統の上川崎和紙に漉(す)き込んでうちわを制作するうちわ漉き体験が行われている。あおぐとかすかにレモンの香りが漂う。折りたたんだ紙をはさみやカッターで切るとレモンの形が現れる「紋切り」の技法で作ったレモンの形も漉き込める。体験料600円で、午前9時~午後5時。うちわは20~30分で完成する。

 下り線にはハート型のメッセージボードを置き、レモンの形をしたメッセージカードに願い事が記入できるようにした。智恵子の129回目の誕生日に当たる20日は、記入した人129人にレモンが入ったミニカップケーキをプレゼント。物産コーナーでレモン販売などを予定し、担当者は「レモンにこだわり智恵子をPRしたい」と話している。


風薫る5月。「ほんとの空」が美しい季節です。ぜひ足をお運び下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月8日009

平成元年(1989)の今日、文治堂書店から『光太郎と葉舟』が刊行されました。

「葉舟」は光太郎の親友だった作家・水野葉舟(ようしゅう)。青年時代には同じ与謝野鉄幹の新詩社に籍を置き、互いに切磋琢磨していました。

後年は成田三里塚に移り住み、晴耕雨読の生活に入り、光太郎もたびたび彼の地を訪れています。

この書籍は、光太郎、葉舟それぞれの、それぞれに触れた文筆作品の集成です。編集は当会顧問の北川太一先生、成田の旧家のご出身で、葉舟や鈴木三重吉の研究をなさっていた故・山田清吉氏です。

あちこち出かけてのレポートを書いているうちに、光太郎智恵子の名がちらっと出た新聞記事が何件か、たまってしまいましたので、まとめてご紹介します。
 
まずは『岩手日報』さんの一面コラム。 

風土計 2015.4.22

 高村光太郎は「木彫ウソを作った時」と題した随筆に、「あの木彫りのウソは実物のウソよりも、もっとほんとにウソのようだ」と書いた
▼しゃれっ気たっぷりの文章にある「木彫りのウソ」とは、東京・亀戸天神社の鷽替(うそかえ)神事に登場する柳の木で作ったウソ。店先で「ヒューヒュー」と声がするので近づくと、ウソという鳥が「思いきった直立の姿勢」で止まり木にいた
▼その姿に重なったのが鷽替のウソだ。自分でも彫ってみようと1羽を求め、ためつすがめつ眺めては特徴を事細かに記したのが、くだんの随筆。仕上げた作品は毎日懐に入れ持ち歩いた。健康だった智恵子も欲しいとせがんだという
▼県内の今年の桜は記録的な早咲きとなったが、ウソの亜種の冬鳥アカウソに花芽を食われた木々が多いようだ。小社に近い盛岡市内丸の岩手公園もまだら加減だが、おかげで彼らは栄養を蓄え、無事に旅立ったと心を慰めるのも一興だろう
▼鷽替神事は「学問の神様」菅原道真に由来して、ウソは「幸運を招く鳥」。ウソを嘘(うそ)にかけ、木のウソを新しいものと「取り(鳥)替える」ことで旧年のうそを清算、吉を招くとされる
▼花見には少し寂しい風景も、被災からの復興に幸多い未来を約してくれたと思えば違って見えるというもの。食い逃げは、うそでもしないでね。


「あの木彫りのウソ」はこちら。大正14年(1925)の作です。

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続いて同じ日の『東京新聞』さんのコラム。

本音のコラム 渦中の人 斎藤美奈子

 何事も渦中にいるときは「いま何が起きているのか」がわからないことが多い。「戦時下の日本では異常なことが起きていたのだ」と人々が知ったのは敗戦後だった。
 「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」(「道程」一九一四年)や「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ」(「あどけない話」『智恵子抄』一九四一年所収)など、国語の教科書にも載っている詩で知られる高村光太郎は、日本文学報国会詩部会会長を務めるなど、戦時中は熱心な戦争協力詩人だった。
 「つひに太平洋で戦ふのだ。/詔勅をきいて身ぶるひした」「身をすてるほか今はない。/陛下をまもらう。/詩をすてて詩を書かう」とは「真珠湾の日」(『暗愚小伝』所収)という詩の一節。これは戦後(一九四七年)に書かれた詩なのでまだ自省的だが、戦意高揚をあおる戦中の詩はそりゃ強烈だった。
 光太郎に限らず戦争に協力した文学者は少なくない。彼らは当時「何が起きているのか」がわからなかったのだろう。
 ひるがえって現在はどうか。自民党の情報通信戦略調査会がNHKとテレビ朝日の幹部を呼びつけ、事情を聴くという異常な事態。これが報道の自由の侵害、言論統制の一環でなくてなんだろう。このままでは戦中に逆戻り? いやいやいや、私たちすでに渦中にいるのである。


題名の「渦中の人」は、すなわち私たちということですね。決してそうではないことを祈りますが、国会に法案提出されてさえいない事項をアメリカで確約してくる総理が支配している国ですから、何とも言えませんね……。


最後に『福島民友』さん。

安達太良山の自然満喫 ロープウエー運行再開

 二本松市奥岳温泉の富士急安達太良観光(稲葉通彦社長)が安達太良山麓で運行する高速ゴンドラ「あだたら山ロープウェイ」は25日、グリーンシーズンの運行を開始した。運行は11月8日まで。初日からツアー客も訪れ、雪が残る安達太良山の自然を満喫した。
 これまでの「あだたらエクスプレス」から名称を改めた。麓から山頂駅までを約10分間で結ぶ。地上とは違った雄大な眺望が満喫できるほか、高村光太郎の詩集「智恵子抄」で「ほんとの空」と歌われた青く澄みきった空や、絶景の大パノラマも楽しめる。
 東京から訪れた女性は「登山はしなかったが、雪の上で登山家になったつもりで記念撮影した。近くでは桜も見ることができ、二つの世界を楽しめた」と話した。
 (2015年4月26日 福島民友トピックス)

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山開きの記事も付いています。そちらに関しては、後ほど詳しくご紹介します。



【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月1日

昭和2年(1927)の今日、茨城県大洗で山村暮鳥詩碑の除幕式に参加しました。

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画像は当時の『読売新聞』。「水戸市」となっているのは、「磯浜町」の誤りで、現在の大洗町になります。

キャプションに光太郎の名。写真が不鮮明で、どれが光太郎かよくわかりませんが。

光太郎と暮鳥、それほど深い接点はなかったようですが、詩碑の除幕式には参加しています。

以下、暮鳥の歿した大正13年(1924)12月、地方紙「いはらき」に載ったという光太郎の文章。

 山村暮鳥さんとは数年前上野池の端の電車の中で初めに会ひ、又それが最後の事になつてしまひました。
 あんなに人なつこかつたこの詩人に其後会ふ機会をつくらなかつた事を残念に思つてゐます。常に遠くから親密の情は捧げてゐたくせに。
 晩年の彼の詩の深さにはうたれます。

この文章が載った「いはらき」が未見です。したがって、掲載年月日も不明。昭和10年(1935)刊行の『暮鳥研究』第一輯に転載されたということで、筑摩書房『高村光太郎全集』では、そちらを底本としています。

「いはらき」は水戸の茨城県立図書館にマイクロフィルムが所蔵されているのですが、そちらは欠号が多く、この文章は発見できませんでした。

情報をお持ちの方は、こちらまでご教示いただければ幸いです。

昨日に引き続き、来月初めのイベント紹介です。 

第10回「好きです智恵子青空ウオーク」~ ほんとの青い空のした智恵子生誕の地を歩く~

と き : 2015年5月4日( みどりの日)  午前9 時30 分受付 10 時開会  雨天決行
ところ : 智恵子純愛通り記念碑前( 智恵子の生家近く) 集合出発
 員 : 先着5 0 名( 各自昼食持参)
参加費 : 大人1000 円 学生500 円
 込 : 智恵子のまち夢くらぶ事務局 TEL 0 2 4 3 - 2 3 - 6 7 4 3
主 催 : 智恵子のまち夢くらぶ
後 援 : 二本松市二本松教育委員会 智恵子の里レモン会 あだち観光協会 他

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毎年この時期に、智恵子の故郷・二本松で開催されているイベントです。智恵子の生家周辺のゆかりの地を歩くというもので、5月20日が智恵子の誕生日であるため、その近くに設定されています。

5連休のど真ん中ですね。ぜひご参加下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 4月26日

昭和23年(1948)の今日、花巻南温泉峡の鉛温泉で、朝湯を楽しみました。

前日から藤三旅館に宿泊、深さ1.25㍍の「白猿の湯」に入りました。

当日の日記から。

昨夕温泉に久しぶりにて入る。深い共同風呂にも入る。泉質よきやうなり。温度余に適す。
(略)
朝五時頃入浴。二三人老人が入り居るのみ。きれい也。

当方も明日の晩、鉛温泉さんに宿泊します。

今月17日に、以下の切手が発行されました。

特殊切手「日本の山岳シリーズ 第6集」

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日本郵便株式会社(東京都千代田区、代表取締役社長 髙橋 亨)は、日本各地の様々な名山を題材としたシリーズの第6弾として、特殊切手「日本の山岳シリーズ 第6集」を発行します。
今回の切手デザインは、春・夏の山を題材としています。

発行する郵便切手の内容

名  称 日本の山岳シリーズ 第6集
発行日 2015(平成27)年4月17日(金)
種 類 82円郵便切手

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1シート10枚(縦2枚×横5枚) イメージ 4

(1) 利尻山(りしりざん)・北海道 009
(2) 安達太良山(あだたらやま)・福島県
(3) 至仏山(しぶつさん)・群馬県

(4) 白馬三山(しろうまさんざん)・長野県
(5) 立山・富山県
(6) 槍ヶ岳(やりがたけ)・長野県

(7) 八ヶ岳・山梨県
(8) 富士山・山梨県
(9) 北岳・山梨県
(10) 宮之浦岳(みやのうらだけ)・鹿児島県
 シート余白:シバザクラのイメージ
 ※県名は山を撮影した場所です。

売 価 1シート820円
版式刷色 オフセット6色
発行枚数 1,000万枚(100万シート)

切手デザイナー 丸山 智
助言・監修 日本山岳協会顧問(前会長) 田中 文男
写真撮影・提供
 (1) 後藤昌美 (2) 田中正秋 (3)、(7) 縄手英樹 (4) 宮本孝廣 (5) 溝口けんじ  (6) 鈴木克洋
 (8) 西垣良次 (9) 深澤武 (10) 日下田紀三 


販売場所 全国の郵便局等 日本郵便株式会社Webサイト内「切手SHOP」のほか郵便振替による通信販売も行います。


というわけで、智恵子の故郷・二本松にそびえる安達太良山がデザインされた切手も含まれています。

日本郵便株式会社さんのサイトでの説明は以下の通り。

(2)安達太良山(あだたらやま)・福島県
安達太良山は福島県中北部にある火山です。更新世(約200万年前~約1万年前)末期の火山活動で東斜面に僧悟台(そうごだい)、勢至平(せいしだいら)などの溶岩台地、西斜面に沼の平(ぬまのひら)火口がつくられました。磐梯(ばんだい)朝日国立公園に含まれ、緩やかな山容のため登山・トレッキングに人気があります。

「高村光太郎の詩集『智恵子抄』で有名」の一言が入っていれば、完璧ですね(笑)。

昨日、他の用事もあって郵便局に行った際、購入してきました。皆様もぜひどうぞ。

ちなみに今日は、光太郎の親友だった碌山荻原守衛の命日、碌山忌ということで、上記切手の(6) 槍ヶ岳(やりがたけ)の麓、信州安曇野の碌山美術館さんに行って参ります。今日は全国的に晴れ間が広がるそうなので、上記切手の(7) 八ヶ岳・山梨県 (8) 富士山・山梨県 (9) 北岳・山梨県もよく見えると思います。また、信州の桜もまだ見頃のはず。楽しみです。

碌山忌関連行事は同館において、以下の時間で行われます。

10:30 ミュージアム・トーク
11:00 墓参
13:00~15:00 碌山忌コンサート
15:00 ミュージアム・トーク
15:30~16:50 碌山忌記念講演会 「荻原守衛の書簡をめぐって」 
         講師・仁科惇 信州大学名誉教授 美術史家 当館顧問
17:00~17:35 碌山研究発表    「新井奥邃と荻原守衛」 講師:武井敏 当館学芸員
18:00~ 碌山を偲ぶ会 会場:グズベリーハウス(会費1,000円)


さらに春期企画展ということで、以下も始まりました。

光太郎荻原守衛の軌跡をみる-書簡・日記・蔵書-

会  期:4月21日(火)~5月24日(日) 会期中休館日 4月27日(月)
会  場:第二展示棟

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こちらも楽しみです。010

さらに、毎年、碌山忌に行った際には、この地域にある光太郎と交流のあった人物に関わる美術館、文学館等も訪ねることにしており、今年は下諏訪町の今井邦子文学館に寄ろうと考えています。

詳しくは帰ってからレポートいたします。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 4月22日

昭和33年(1958)の今日、信州穂高町(現・安曇野市)に碌山美術館が開館しました。

やはり碌山忌に合わせての開館だったのですね。

右はメインの建物の「碌山館」。入り口脇の壁には、「碌山の芸術を守り支えた先人の名を刻む」という石のプレートがはめ込まれており、光太郎の名も刻まれています。

一昨日、昨日と、智恵子の故郷の二本松、安達太良山関連の情報をお伝えしましたが、また見つけてしまいましたのでご紹介します。

まずは地方紙『福島民友』さんの記事。

“春さがし”バス運行 二本松・桜の名所、旧跡巡ろう

福島民友新聞 :4月11日(土)
 春の観光シーズンに合わせて二本松市の桜の名所や名所旧跡を循環する臨時バス「二本松春さがし号」が10日、運行を開始した。
 同バスはJR二本松駅前を発着点に、亀谷坂露伴亭、智恵子の生家、霞ケ城公園、二本松少年隊の墓がある大隣寺などを巡る。5月6日まで毎日運行し、1日8本のバスが市内を循環しながら9カ所の停留所で停車する。大人(中学生以上)500円、子ども250円(乳幼児無料)の1日フリー乗車券は乗り降り自由で、同乗車券を提示すると同市の大山忠作美術館と智恵子記念館の入館料が割り引きとなる。生活の足としての利用も可能で、料金は大人が170~500円、子どもは90~250円。
 同駅前で行われた出発式では、半沢典明福島交通二本松営業所長が「魅力再発見にもつなげたい。大型観光企画『ふくしまデスティネーションキャンペーン』も始まっており、おもてなしの心で安全運転に努めたい」とあいさつした。安斎文彦二本松観光協会長も「観光客の誘致を拡大し、二本松の良さを知ってほしい」と祝辞を述べた。半沢所長、安斎会長、横堀和博二本松駅助役がテープカットした。

「二本松春さがし号」は、福島交通さんの運行です。

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さらに安達太良山麓にある岳温泉でのイベントをご紹介します。
■開催日
 平成27年4月25日(土)、26日(日)
■時 間
 10時~16時
■会 場
 鏡ヶ池公園
■問い合わせ
 岳温泉観光協会 TEL 0243-24-2310

鏡ヶ池公園を舞台に音楽イベントや露店もでます。夜は桜の開花に合わせてライトアップあり。

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このブログで何度かご紹介した、「ほんとの空」を守り、二本松の素晴らしさを全国に伝えるのが役目という「二本松少年隊」の皆さん、「ほんとの空」を取り戻すため、安達ケ原の鬼婆伝説を基にした怪人と戦っている「光の戦士ツインウェイター」さん、トランペット奏者のNobyさんもご出演。

ぜひ足をお運び下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 4月12日

昭和50年(1975)の今日、雑誌『太陽』第144号で「特集 智恵子抄 高村光太郎の世界」が組まれました。

100ページほどのボリュームのある特集です。故・髙村規氏撮影の写真がふんだんに使われ、執筆陣も豪華。草野心平、松永伍一、津村節子、後藤明生、高田博厚、北川冬彦、真壁仁。

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巻末のオリンパスさんの広告まで、光太郎がらみになった特別仕様です。

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少し前に手に入れていたのですが、ばたばたしていて忘れていました。 

『放送研究と調査』3月号

2015/3/1 NHK出版 定価800円+税 

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「豊かな放送文化を創造する」という公共放送の役割の実現に向けて必要な調査研究を行う目的で活動を続けているNHK放送文化研究所さんの月報です。

メディア論、テレビ・ラジオ視聴調査結果、さらには国語学的な内容も含まれています。

3月号ですので、先月号となってしまいましたが、ネットで購入できます。

目次がこちら。

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「ことば・言葉・コトバ」という連載で、研究員の井上裕之氏による「智恵子が愛した安達太良山は?」という記事が掲載されています。国語学的なアプローチで、「××山」と云った場合にどこを指すのか、という内容です。

富士山のような独立峰であれば何ら問題はないのですが、連峰・山塊の場合、山全体を指す名と、個々のピーク名が一致していない場合がよくあります。たとえば「八ヶ岳」は山全体の名前で、個々のピークには「赤岳」「横岳」「阿弥陀岳」などの名称が付いており、それらの総称が「八ヶ岳」というわけです。

ややこしいのは、山全体の名称と同じピーク名が含まれる連峰・山塊。智恵子の故郷・二本松にそびえる安達太良山がこれに該当し、山全体を「安達太良山」という場合もあれば、「乳首山」とも称されるピークのみを指す場合もあります。近くには「鉄山」「箕輪山」というピークもあります。

さらにややこしいのは、標高。「乳首山」ピークは1700㍍ですが、「鉄山」は1709㍍、「箕輪山」は1728㍍。したがって、連峰・山塊として捉えると、「安達太良山は標高1700㍍の山である」と書いたら誤りだということになってしまいます。

すると、「あれが安達太良山」と云った智恵子がどこを指していたのか、ということになります。

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深田久弥は『日本百名山』の中で、遠景としての山全体を指してのことだろう、と述べています。確かにそう考えた方がしっくりきますね。すると、このシチュエーションの説明で「安達太良山は標高1700㍍の山である」は使えません。気をつけようと思いました。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 4月11日

明治37年(1904)の今日、歌舞伎座で芝居を見物しました。

演目は村井弦斎作「櫻の御所」(六代目尾上梅幸主演)、森鷗外作「日蓮辻説法」(七代目市川八百蔵主演)などでした。

4月も中旬となりました。

4月といえば、桜。千葉県北東部にある当方自宅兼事務所の近辺は、自然が豊かですので、みごとな山桜はまだ見られますし、遅咲きの八重桜はこれから開花です。ただ、桜の王様・ソメイヨシノはまだ花をつけてはいますが、もう盛りを過ぎました。

東北は、というと、これから桜の盛りですね。

今週初めの『福島民報』さんの記事です。

夜空に浮かぶ万燈桜 二本松 24日までライトアップ

 福島県二本松市の4号国道沿いにある道の駅「安達」智恵子の里下り線では、万燈(まんとう)桜のライトアップが始まった。24日まで幻想的な夜桜を楽しめる。 
 万燈桜は樹齢推定270年で高さ約15メートルの一本桜。現在、見頃を迎えている。 
 ライトアップは午後7時から同11時まで。問い合わせは同道の駅 電話0243(24)9200へ。
 

「万燈桜」は、智恵子生家にほど近い二本松の国道4号線沿いの「道の駅「安達」智恵子の里下り線」にあります。推定樹齢270年ということで、129年前に生まれた智恵子も、もしかしたらこの桜を眼にしているかも知れません。くわしくはこちら

その他の二本松の桜の名所のうち、「智恵子抄」詩碑のある霞ヶ城、光太郎が「みちのくの安達ヶ原の二本松松の根方に人立てる見ゆ」と詠った安達ヶ原などは観光協会さんのサイトに掲載されています。

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そちらには掲載されていませんが、智恵子の母校・油井小学校にはやはり智恵子が通っていた頃からある見事なしだれ桜がありますし、智恵子の実家・長沼家の墓所がある満福寺さんの桜も見事なものだそうです。くわしくはこちら
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また、二本松の北の福島市には、最近有名になった花見山もあります。

訪れることが復興支援にもなります。今週末、来週末あたりは福島へ足をお運び下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 4月10日

大正7年(1918)の今日、水野葉舟、落合太郎と三人で雑誌『智慧』を創刊しました。

光太郎作品は「花についてのロダンの言葉」、「書簡」が載っています。

寄稿者という立場ではなく、自らが中心になって出したほとんど唯一の雑誌ですが、残念ながら創刊号で廃刊になりました。

先週、福島の地方紙、『福島民友』さんに載った記事です。 

和合亮一さん、言葉の“力”伝える 詩集に込めた思い紹介

福島民友新聞 3月23日(月)

 いわき市の草野心平記念文学館は21、22の両日、同館内で詩人の和合亮一さん=福島市在住=を講師に招いた講演会、ワークショップを開き、市民らに詩や言葉の“力”を伝えた。同館は定期的に和合さんを招き、詩に関わるワークショップなどを開催している。
 「和合亮一とめぐる詩の世界」と題して開かれた今回の催しでは、21日は講演会、22日は参加者に詩の書き方や読み方を伝えるワークショップを開いた。講演会では、高村光太郎や宮沢賢治などの詩を紹介した上で、震災直後に被災地・福島からツイッターで発信した「詩の礫(つぶて)」などの詩集に込めた思いなどを話し、困難の中で心を支えた言葉、詩の力を紹介した。


このブログにたび たびご登場いただいている和合亮一さんに関してです。先週まで「平成26年度所蔵品展 草野心平と高村光太郎 往復書簡にみる交友」を開催していたいわき市立草野心平記念文学館さんでのイベントで、光太郎にふれてくださったとのこと。

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ありがとうございます。

ところで、先日のこのブログでやはり和合さんがらみでご紹介した、吉永小百合さんの朗読CDが発売になりました。題して「第二楽章 福島への思い」。

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和合さんをはじめ、佐藤紫華子さん、若松丈太郎さんといった福島の詩人、そして和合さんのご指導による「詩の寺子屋」の子供達の詩を、吉永小百合さんが朗読なさっています。BGMは藤原道山さん、遠藤千晶さん、村澤丈児さん。

ボーナストラック的に、お三方のインストゥルメンタル演奏「空遙か~新相馬節によせて」と、郡山第五中学校合唱部さんの演奏「絆」が収められています。

直接光太郎に関わるわけではありませんが、ご紹介しておきます。

ちなみに吉永小百合さんは、光太郎と同じ3月13日がお誕生日です。これも何かの縁ですね。
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月29日

平成15年(2003)の今日、愛媛県新居浜市の広瀬公園に、光雲作の原型を使った広瀬宰平銅像が除幕されました。

広瀬宰平は明治期の住友財閥の実業家。新居浜の別子銅山の経営に力を注ぎました。光雲が原型を作った皇居前広場の楠木正成像の銅は、別子銅山のものが献納され、そうした縁から、明治31年(1898)に建てられた広瀬の銅像の原型も、光雲が手がけました。

オリジナルは戦時中の金属供出により失われましたが、光雲作の原型が東京芸術大学に残っており、それを元に2代目の広瀬像が鋳造されたというわけです。

テレビ放映に関してです。

復興支援ドキュメント 未来への教科書 ~For Our Children~ 第93回 東日本大震災から4年〜新しい物語のはじまり

BS12(トゥエルビ)
 3月24日(火) 18:00 ~ 19:00  3月28日(土) 27:00 ~ 28:00  3月30日(月) 18:30 ~ 19:30

地域のキーパーソンの言葉をそのまま届け、大震災を乗り越え、立ち上がろうとする東北の人々の力強い姿を広くお伝えします。言葉から浮かび上がる真実を発信していきます。

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東日本大震災から4年の月日が経とうとしている。現在被災地では、復旧・復興と共にある変化が起ころうとしているという。今回の特別編では劇団ユニット・ラビッツ 代表の佐藤茂紀さんとNPO法人東北開墾 代表理事の高橋博之さんをゲストとしお迎えし、過去の映像を振り返りながら、今被災地で紡ぎだされようとしている「新しい物語」について、それぞれの観点から語って頂いた。

劇団ユニット・ラビッツ 代表 佐藤 茂紀さん
第22回、第60回、第75回に登場して頂いた佐藤茂紀さん。
福島県立光南高校の佐藤教諭は演劇活動を通じて「被災後の福島」を伝えてきた。震災当時、高校生たちと作った「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?」は日本各地で上演され、福島の高校生たちの現状と葛藤を広く伝えることになった。現在も演劇部の顧問を務めながら、自分たちで立ち上げた劇団から福島の今を伝え続けている。


NPO法人東北開墾 代表理事 高橋 博之さん
第74回に登場して頂いた高橋博之さん。
東北の生産者と消費者を物語でつなぐ食べ物つき月刊誌「東北食べる通信」編集長の高橋さんは、日本の地方の活気を取り戻すためには現代版の「参覲交代」を行う必要があるという。「東北食べる通信」が成し遂げようとしていること、地方再生についてのお話を伺う。



この番組は、同一の内容が4~5回放映されます。第93回は、最初の放映が3月17日でした。そして、おおむね最初の放映の後、公式サイトに内容がアップされるので、こういう内容だったと知り、3月21日の2回目の放映を視聴しました。

このブログで以前にご紹介した、光太郎詩「あどけない話」をモチーフにした、福島郡山にある、あさか開成高校さんの演劇「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?」に触れられています。続編の「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか? 第二章 ばらあら、ばらあ」は、やはり福島の矢吹町にある光南高校演劇部さんにより上演されています。

過去にもこの番組で取り上げられた(当方、以前のオンエアは見逃していました)、両校で演劇部顧問を務め、ご自身も劇団を主宰されている佐藤茂紀さんがご出演。メインはご自身の劇団の新作に関してでしたが、あさか開成高校さんの演劇「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?」も大きく取り上げられました。

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その他、もうお一方のゲスト、NPO法人東北開墾 代表理事 高橋 博之さんのお話も含め、震災から4年という今の段階での被災地、そして日本全体への提言など、興味深い内容でした。

上記の通り、あと3回、放映されます。ぜひご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 3月23日

大正12年(1923)の今日、『読売新聞』に智恵子の評論「現代日本の文学に対するアマチユアの注文と感想」が掲載されました。

現在、智恵子執筆の評論は5篇程度しか確認できていません。そのうちの一篇で、光太郎の影響も見て取れるものです。

こんな一節もあります。

 健全な土台に立ち、芸術の正しい伝統を根とした、玲瓏とした魂から迸る、叡智と偉大な自由性と官能の天然な豊饒さに充ちた、がつしりとした文学を求めてゐる。われわれの魂に光りと愛と希望を与へ、みづからめざめしめるものを。ドストエフスキー、ホイツトマン、ヹルハアランその他、第一線に立つ飽く事を知らない真への探求者達が、この世へ贈つたやうな真と愛とを我が国の文学にも望む事を迂遠な事とは考へない。

昨日の『福島民報』さんの一面コラム「あぶくま抄」で、智恵子に触れて下さいました。 

あぶくま抄(3月20日)

 二本松市の地酒の瓶に「純米酒」の文字が躍る。や009や細めだが凜[りん]とした文字に、作者の面影が、ほの見える。同市名誉市民で文化勲章受章者の日本画家、故大山忠作氏が描いた。
 30年以上前、還暦の安達太良登山に挑んだ際、幼なじみの酒蔵関係者の頼みを快く引き受けた。「父にとって安達太良山は故郷の象徴。いつも感慨深く眺めていた」。長女で女優の彼女は語る。父の古里に美術館を造る話が持ち上がったころ、彼女は初めて安達太良山に登った。高村智恵子と父が愛した「ほんとの空」に魅せられた。
 震災と原発事故が、愛する空を曇らせた。「復興に役立ちたい」。彼女は、大山氏ら名前に「山」が付く日本画の大家5人の作品展を父の美術館で開く。市内に泊まり込み毎日、解説を買って出た。市の観光大使として県内外で風評払拭[ふっしょく]に奔走する。胸に「福が満開、福のしま。」のバッジが輝く。父の古里を今、自分の古里と思う。
 今夏の松竹創業120周年特別公演で久々の舞台に立つ。艶[あで]やかな舞踊と家族の絆を描く名作だ。県内でも上演する。二本松の仲間は応援計画を立てる。「ほんとの友」の心は純米酒のように優しく、そして温かい。


なぜかお名前が出ていませんが、「彼女」は、女優の一色采子さんです。「名前に「山」が付く日本画の大家5人の作品展」は、一昨年、二本松駅前の大山忠作美術館さんで開催された「五星山」展。関連行事として、昭和51年(1976)に北條秀司作の舞台「智恵子抄」で智恵子を演じられた有馬稲子さんと一色さんのトークショーがありました。当方、その折に一色さんの知遇を得まして、昨年の第58回連翹忌にお招きしましたところ、こころよくご参加下さいました。今年の第59回連翹忌にもお申し込みを戴いております。右の画像は、一色さんにいただいた一筆箋。安達太良山を描いた父君の絵があしらわれています。

「松竹創業120周年特別公演」については、調べてみましたがよくわかりません。ご本人に訊いてみます。

「純米酒」は、二本松の酒蔵、檜物屋酒造店さんで製造販売されている「千功成 純米酒」という銘柄のものです。

3.11が過ぎ、その前後は新聞やテレビ等、特集をいろいろ組んでいましたが、それも一段落という感があります。ところが、3.11が過ぎても被災地の被災はまだ続いています。光太郎がらみの地では、宮城女川で、今日、石巻線の女川駅が再開されるなど、復興も徐々に進んではいます。しかし、まだまだ途上です。

日本中が「純米酒のように優しく、そして温かい」「「ほんとの友」の心」で、被災地支援を続けてほしいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 3月21日

明治36年(1903)の今日、日記「彫塑雑記」を書き始めました。

光太郎数え21歳、東京美術学校在学中のものです。7月7日までと、翌年3月31日~5月2日まで、断続的に書かれています。

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書き出しは以下の通り。

○疑問、疑問、是れ人世の声なるか。人生れて心あり。疑無きを得ざるなり。已に凝つて此を解かんとす。

青年の煩悶がよく表されています。写真でロダンの作品を初めて見た衝撃なども述べられています。

ロダン作「詩」なる裸体像を写真に依つて見るを得たりしが今に至りて忘るゝ能はず。巨匠なるかな。

光太郎はおそらくその生涯にわたって日記を書いていたはずですが、戦前、戦中のものは、実家の蔵にあったこの一冊を除いて現存が確認できていません。そのほとんどは昭和20年(1945)の空襲で、アトリエもろとも灰になったと推定されています。

JR東日本さんが中心となって、県、地元自治体などと連携して展開する観光キャンペーン「ふくしまデスティネーションキャンペーン」(ふくしまDC)が、来月から始まります。キャッチフレーズは、「福が満開、福のしま。」だそうです。

公式サイトを詳しく見てみると、智恵子の故郷・二本松の紹介に、「智恵子」や、お約束の「ほんとの空」の語がちりばめられています。

「観光情報」内でも「智恵子」や「高村光太郎」、「ほんとの空」の語で検索すると、「智恵子抄探訪コース」、「安達太良山」など、いろいろとヒットします。

3.11が近づき、このところ、テレビや新聞では、また震災関連の特集が組まれています。復興の遅れや、避難生活を強いられている人々の苦しみといった点がクローズアップされ、それはそれで問題提起としては必要だと思います。

しかし、そうした負の部分だけでなく、こうした前向きな復興支援ももっともっと取り上げていただきたいものですね。

二本松市の広報紙、『広報にほんまつ』の今月号でも、ふくしまDCが取り上げられています。「おもてなしの心で観光客の皆さまをお出迎えしましょう」という呼びかけがなされています。市のゆるキャラ・菊松くんが智恵子生家の前で清掃活動(笑)。「観光地を中心に、市内全域を清掃活動できれいに保ちましょう。」だそうです。

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3月29日に開催されるオープニングイベント「にほんまつ・魅力発信・フェスティバル2015」の告知もありました。

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以前にご紹介した、ほんとの空を守るPR隊・二本松少年隊がここでお披露目だそうです。


くどいようですが、もうすぐ3.11。震災から4年です。みんなの力で、福島を、そして東北全体を盛り上げていただきたいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 3月9日007

昭和37年(1962)の今日、NHKラジオ第2放送で「青年図書館 高村光太郎」が放送されました。

「青年図書館」は30分番組で、近代の文学者を一人ずつ取り上げるものでした。解説は国文学者の吉田精一、この回のゲストは佐藤春夫でした。

右の画像は放送台本です。B4版ザラ紙二つ折り35ページで、ガリ版刷りです。

このブログで何度かご紹介した、兵庫県人権啓発協会さん作成の「ほんとの空」というドラマ。各地の自治体さんや学校さんなどで上映が行われたり、テレビの地方局さんでオンエアされたりしています。光太郎の詩「あどけない話」にからめ、福島の原発事故による風評差別などを扱ったものもです。

何とか観たいものだと思っていましたが、制作元の兵庫県人権啓発協会さんでは個人向けの貸し出しを行って居らず、市販されているものの価格が80,000円+税と、ちょっと手が出ません。

そう思っていたところ、個人向けの貸し出しを行っている団体を見つけました。公益財団法人 人権教育啓発推進センターさんです。こちらの人権ライブラリーでは、人権に関する図書・ビデオ・DVD・展示パネルや地方公共団体さんが作成した啓発資料などを収集し、幅広く提供してくださっており、利用者登録を行い、借りたい資料の申請をすれば、無料で借りられます。往復の送料は自己負担ですが、自宅に郵送してもらうことも可能です。

そこで、郵送していただき、念願の「ほんとの空」DVDを借り、視聴しました。

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劇中に光太郎の名がしっかり使われていました。そして、非常に考えさせられる内容でした。これまでにも当ブログでご紹介する中で、あらすじは把握していましたが、やはり百聞は一見にしかず、ですね。

メインは東日本大震災に伴う原発事故によるいわれなき風評被害ですが、その他にも高齢者に対する偏見、外国人や障害者、同和地区に対する差別、ネット上の無責任な書き込み、そしていじめまで、36分の中にてんこ盛りです。それでいて、それぞれ「あるある」と感じさせるリアリティーがあります。

白石美帆さん演じる主人公の主婦が、無意識に、または意識しつつもいろいろと言い訳を考えながら、人権侵害に当たる行為をしてしまいます。そのツケが回り回って倍返し的なところもあり、その悲惨さが教訓となります。人を呪わば穴二つ、です。

さらに感心したのは、原発の風評被害やいじめは別として、偏見を受ける側にも原因がある的な描き方もなされている点です。たとえば主人公がパート勤務をしているスーパーのレジで、後に行列が出来ているにもかかわらず、ポイントカードを探すのに手間取り、周りに対する配慮のない老人、主人公の住むマンションの通路で大音量でしゃべるタイ人夫婦。だからといって、そうした人々に対する差別や偏見が許されるわけではないのですが、
主人公はそれぞれカチンときたり、言いしれぬ恐怖を感じたりしていました。この描き方には非常にリアリティーがありました。

A4判15ページからなる「活用ガイド」という冊子も付いており、コピーして使えるようになっています。やはり自治体さんの学習会や、学校の授業での活用を前提にしているのでしょう。学校での学習指導案や、視聴後に書き込みをするワークシートのフォーマットも収められていて、これは便利です。

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そういうわけで、さらに多くの自治体さんや学校さんで、どんどん活用していただきたいものです。もちろん個人の方も、です。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 3月7日007

大正2年(1913)の今日、雑誌『趣味』第7年第2号が発行されました。

扉に光太郎の描いたカット「カフエ ライオン」が使われ、さらに短詩「カフエにて」4篇、「カフエライオンにて」2篇が収められています。

カフェー・ライオンは、明治44年(1911)、銀座尾張町に開かれたビアホールです。美人女給が和服にエプロンという揃いの衣裳で給仕するのが売りでした。また、ビールが一定量売れると、店内のライオン像が吠える仕組みになっていたそうです。

昨年までビヤホールライオン銀座五丁目店として営業を続けていましたが、現在はビルの建て替え工事中。来年初夏にリニューアルオープン予定だそうです。

2月も下旬となりましたので、そろそろ3月に行われるイベント等の情報を順次お伝えします。

京都からシンポジウムの情報です。

福島大学うつくしまふくしま未来支援センター京都シンポジウム 『ほんとの空が戻る日まで』―東日本大震災及び原発事故からの福島の闘い―

東日本大震災発生から4年。
震災からの復旧・復興への取組みを通して東北・福島の想いを関西につなぐとともに、住民レベルでの減災意識の啓発を図ることを目的として、「うつくしまふくしま未来支援センター京都シンポジウム『ほんとの空が戻る日まで』-東日本大震災及び原発事故からの福島の闘い-」(主催:福島大学、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター、共催:立命館大学、大阪大学 ほか)を開催します。

あの日から4年が経過しようとしています。
長い月日が経過した今でも福島県では約12万4千人の避難者(うち県外避難者約4万7千人)が原発事故の収束と地元帰還の見通しが立たない中、放射線被ばく、雇用喪失、生活再建、食の安全、子育てへの不安が重くのしかかり、借り上げ住宅、仮設住宅といった厳しい環境の下で生活しています。
そして、県民193万7千人が言われなき風評と闘いながら日々生活しています。
震災・原発事故で傷ついた東北は震災直後、関西から心強いメッセージ、そして支援をいただきました。それに感謝し我々の経験そして想いを関西に返す事により、減災意識を高めることができればと考えます。
そして歴史の繋がりの強い京都で開催し、皆様に今一度福島のことを考え、福島に寄り添っていただくことを目的に開催するものです。

日 時  平成27年3月8日(日) 12時00分~17時20分 ※同日10時00分~11時15分 開会前DVD上映(鑑賞自由)
場 所  立命館大学朱雀キャンパスホール (京都市中京区西ノ京朱雀町1)
参加募集人数  事前申込制 350名
※参加費無料
※2月28日(土)までに、チラシ裏面の参加申込書によりFAXまたはE-mailでお申し込みください。
申込み先 福島大学うつくしまふくしま未来支援センター
FAX:024-504-2865 E-mail:fure@adb.fukushima-u.ac.jp
参加対象者 一般市民、大学関係者、学生、行政職員、福島県から避難している方 他
問い合わせ先 福島大学うつくしまふくしま未来支援センター  TEL 024-504-2865
主催: 国立大学法人福島大学、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター
共催: 立命館大学、国立大学法人大阪大学
後援(予定): 文部科学省、復興庁、福島県、京都府、京都市、双葉地方町村会、公益社団法人経済同友会 他

プログラム
※10:00~11:15 開会前DVD上映(鑑賞自由)
OECD東北スクールの集大成 東北復幸祭〈環WA〉in PARIS
11:20~12:00 受付 
  12:00~ うつくしまふくしま未来支援センターの活動紹介
  12:10~ 開会
挨 拶 福島大学学長 中井勝己 立命館大学学長吉田美喜夫 大阪大学総長平野俊夫
12:25~13:25 Ⅰ部
基調講演「誰もが発信できる時代 福島の今を丁寧に世界に伝えるために」
堀潤氏 ジャーナリスト(元NHKアナウンサー)
 13:35~15:05  Ⅱ部
福島の現状報告
①「福島大学の活動状況」 中田スウラ  FURE*センター長
②「福島県における放射能の現状」大瀬健嗣 FURE*農・環境復興支援部門特任准教授
③「食の安全と農業の再生に向けた闘い」小山良太 FURE*副センター長、食・農復興支援担当マネージャー
④「こども支援を通して見えてきたこと」本多環 FURE*こども・若者支援部門特任教授
 15:20~17:10  Ⅲ部
パネルディスカッション『震災・原発事故からの福島の闘い』
[コーディネーター] 開沼 博 FURE* 地域復興支援部門特任研究員
[パネリスト]
・サトウタツヤ 立命館大学文学部教授
・久保 壽彦 立命館大学経済学部教授
・遠藤 勝裕 氏 経済同友会震災復興委員、日本学生支援機構理事長
・高橋 美奈子 氏 福島市飯坂温泉松島屋旅館女将
・佐藤 彰彦 FURE*地域復興支援部門特任准教授
 17:15 閉会
挨拶 FURE*センター長 中田スウラ
 
*FURE:うつくしまふくしま未来支援センターの略

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あの日からもうすぐ4年。当方、昨年は10回以上福島に足を運びました。行くたびに少しずつ復興が進んでいる様子が見えるものの、まだまだ道半ば、いや、半ばまでも行っていないかも知れません。安達太良山の山の上に毎日出ている青い空は、美しい「ほんとの空」ですが、ほんとの意味での「ほんとの空」とはまだ言えません。

現在、国会会期中ですが、安倍政権は脱原発というつもりはさらさらないようです。4年経っても12万人以上が避難生活を送っているのに、です。

先月は、阪神淡路大震災から20年ということで、いろいろな取り組みが報じられていました。ぜひ関西の皆さんにも、福島の現状と課題を知っていただき、今後の日本全体を考えるよすがとしていただきたいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月20日

昭和26年(1951)の今日、龍星閣から詩集『智恵子抄』が復刊されました。

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詩集『智恵子抄』。オリジナルは昭和16年(1941)8月に刊行され、同19年'1944)、版元の龍星閣が休業するまでの間に13刷まで版を重ねました。。

戦後、昭和22年(1947)の11月、白玉書房という書肆が、休業中の龍星閣に代わって『智恵子抄』を出版。オリジナルの龍星閣版に戦後の詩「松庵寺」「報告」を加えました。

光太郎は白玉書房社主の、「龍星閣の同意を得ているという言を信用して出版を許可したのですが、実は同意をきちんと得ていなかったことが判明、白玉書房版は絶版となりました。そして同26年(1951)になって、龍星閣からオリジナルの形に戻して復刊されました。

その後、昭和31年(1956)に、草野心平の編集で新潮文庫版が出され、そちらが広く流通したため、今日、『智恵子抄』というと、新潮文庫版を想起する人がほとんどです。新潮文庫版は、戦後の詩篇を数多く含みますが、オリジナルは昭和16年(1941)作の、智恵子の葬儀を謳った「荒涼たる帰宅」まで。内容的には智恵子歿後の駒込林町のアトリエを舞台にした「梅酒」(昭和15年=1940)までです。

一昨日の夜、NHK BSプレミアムで放映された「にっぽん百名山 安達太良山」を拝見しました。

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基本、登山系の番組ですので、福島県で山岳ガイドを務める林千明さんによる案内で進行。一泊二日の本格的な登山行をたどります。

途中、安達太良山ゆかりの人物ということで、麓の二本松出身の智恵子、そして光太郎が約2分間取り上げられました。

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智恵子生家とその周辺の映像も流れました。

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お約束の「あどけない話」が紹介されて、光太郎智恵子の紹介が終わります。

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撮影時期は秋。紅葉や秋晴れの「ほんとの空」が美しく広がる映像です。

同じNHK BSプレミアムで再放送があります。

2月15日(日)  6時30分~7時/2月19日(木) 11 時~11 時30分

見逃した方、ぜひご覧下さい。

ぜひご覧下さい、といえば、今夜10時からは、NHK総合で、「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」が放映されます。

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ぜひぜひ、ご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月11日

大正9年(1920)の今日、有楽座で上演されていた演劇「青い鳥」を観ました。

翌日、親しかった作家の田村松魚(智恵子の親友だった同じく作家の田村俊子の夫)に宛てた葉書から。

昨夜は畑中氏のプロダクションを見に行きました。初日の為め時間が遅れたので中途で帰つて残念でした。畑中氏の苦心がおもひやられました。
チルチルになつた子は大変声の美しい子でした。ちよいと抱いてやりたい気のする子でした。

「畑中氏」は演出家の畑中蓼坡。その妻、静栄は、田村俊子の弟子で、駒込林町の光太郎智恵子アトリエにも出入りし、レモネードを御馳走になったなどの回想を残しています。昭和15年(1940)に刊行した詩集『海に投げた花』の序文は光太郎が執筆しました。

「チルチルになつた子」は、初代水谷八重子。昭和28年(1953)には生前の光太郎と会い、北條秀司作の演劇「智恵子抄」上演の約束を取り付けましたが、実現したのは光太郎没後の昭和31年(1956)でした。

テレビ放映情報です。 

にっぽん百名山「安達太良山」

NHKBSプレミアム 2015年2月9日(月)  19時30分~20時00分 
再放送 2月15日(日)  6時30分~7時/2月19日(木) 11 時~11 時30分

番組内容
福島の安達太良山(1700m)、荒々しい火山と、みちのくの穏やかな自然を体感する山旅。登山口の野地温泉からブナなど広葉樹の紅葉に彩られた登山道を抜け、森林限界の低い偽高山帯と呼ばれる見晴らしの良いりょう線へ。最高峰の箕輪山(1728m)を経て、温泉のある山小屋で一泊、翌朝、空に突き出た山頂の姿から乳首山とも呼ばれる安達太良山の山頂をめざす。智恵子抄のエピソードや登山家の田部井淳子氏の誕生秘話も紹介。

出演 林千明
語り 山崎岳彦 吉川未来

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単に安達太良山の紹介だけでなく、「智恵子抄」がらみの内容になるというのがいいですね。


ちなみに同じ2/9の夕方には、再放送ですが、磐梯山の放映もあります。 

にっぽん百名山「磐梯山」

NHKBSプレミアム 2015年2月9日(月)  16時00分~16時30分

山旅へようこそ! 今回は福島県の磐梯山。ひとつの山で、ふたつの顔を持つ山。南側は、紅葉と溶岩が織り成す穏やかな光景。黒い岩肌を真っ赤な紅葉が彩る姿は、まるで日本庭園のよう。北側は、明治の噴火がもたらした荒々しい姿。切り立つ絶壁。噴火口の淵(ふち)、幅10mほどの山道を歩けば、両脇に山々を望む絶景が続く。磐梯山ならではの、ふたつの顔を存分に楽しむ山旅。

語り 鈴木麻里子

こちらは内容説明で「智恵子抄」の文字がありませんが、磐梯山といえば、昭和8年(1933)、統合失調症の昂進した智恵子を連れた光太郎が敢行した福島栃木などの温泉巡りの中で、その山麓を逍遥しています。


のちに昭和13年(1938)になって、その時の思い出を詩「山麓の二人」に記しました。

     山麓の二人004

二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は
険しく八月の頭上の空に目をみはり
裾野とほく靡いて波うち
芒(すすき)ぼうぼうと人をうづめる
半ば狂へる妻は草を藉(し)いて坐し
わたくしの手に重くもたれて
泣きやまぬ童女のやうに慟哭する
――わたしもうぢき駄目になる
意識を襲ふ宿命の鬼にさらはれて
のがれる途無き魂との別離
その不可抗の予感
――わたしもうぢき駄目になる
涙にぬれた手に山風が冷たく触れる
わたくしは黙つて妻の姿に見入る
意識の境から最後にふり返つて
わたくしに縋る
この妻をとりもどすすべが今は世に無い
わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し
闃(げき)として二人をつつむ此の天地と一つになつた


画像は磐梯山の後で訪れた栃木の塩原でのもの。現在確認されている智恵子最後の写真です。


さて、「にっぽん百名山」。安達太良山と磐梯山、ぜひ併せてご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月3日

昭和20年(1945)の今日、雑誌『美術』に談話筆記「回想録 二」が掲載されました。

前月の同じ『美術』に「一」が載り、二回で完結しています。聞き手は美術評論家の今泉篤男。筑摩書房『高村光太郎全集』の第十巻に掲載されていますが、「一」「二」併せて約50ページにもなる長大な談話筆記です。

主に幼少期から青年期の回想が主ですが、この時期にこれだけ長い回想が語られていることは、非常に興味深く感じます。もしかすると、長期化する太平洋戦争、次第に激しくなる空襲などにより、死の覚悟があったのかも知れません。

1/28、今週水曜日の『朝日新聞』さんの千葉版に、以下の記事が載りました。 

千葉)福島の詩を希望の歌に 松戸の市民合唱団

 松戸市を拠点に活動する「東葛合唱団はるかぜ」が、6月の25周年記念コンサートで、東日本大震災と原発事故で大きな被害を受けた福島県の子どもらの詩に曲を付けた音楽構成作品「僕らの出番がきっとくる!」を歌う。1月から記念コンサートに向けた練習を始めた団員たちは、「子どもや大人の心が響き合うやさしい曲で、南相馬との架け橋になるコンサートにしたい」と意気込んでいる。

 「はるかぜ」は1989年に発足。2年に1回コンサートを開いており、12回目となる今回を25周年記念と位置づける。

 東日本大震災後、合唱団は2012年3月から南相馬市の仮設住宅を訪れ、歌による交流を続けている。訪問は10回を超え、交流が深まるにつれ心の中を打ち明けてくれる人も増えてきた。母を一人仮設住宅に残し南相馬を離れて申し訳ないとわびる、娘からの手紙を見せてくれたお年寄りもいる。「はるかぜ」団長の太田幸子さん(68)は「まだまだたいへんなのに、私たちが逆に、福島の人たちに生きる力強さを教えられることも多い」と話す。

 そんな団員たちが、14年4月に紹介されたのが、福島県の子どもたちが17字の詩に家族や地域で経験したさまざまなこと、その時の思いなどを表現した文集。同県教育委員会が02年度から取り組んでいる「十七字のふれあい事業」で、子どもが五・七・五で作った詩に、家族や地域の大人らが返歌したものが一つの作品になる。手にした南相馬など相双(そうそう)地域の10~13年度の文集には、亡くなった家族や友人、離れて暮らす古里への思い、悲しみの中で希望を見つけてなんとか前を向こうとする気持ちなどを表現した作品が詰まっていた。

 家の跡涙をふいて手をつなぐ(中学3年) 大津波心の痛みも連れていけ(祖父)
 ほうしゃのうひなん先から祖母思う(小学5年) 大震災離れてわかる家族愛(祖母)
 十年後僕らの出番がきっとくる(小学4年) その笑顔明るい未来の道開く(母)

 記念コンサートでは団員たちが選んだ18作品を取り上げる。詩には合唱団の指揮者で作曲家の安藤由布樹さん(53)=東京都=が曲を付けた。

 1月18日、明市民センターでの第1回練習には団員や、作品を歌うために集まった市民ら約80人が参加。練習中、安藤さんは、高村光太郎の詩集「智恵子抄」を例に挙げ、団員たちに「古里の福島を自慢した智恵子がもしかしたら立ち、美しいと感じていたかも知れない場所に、今は放射線量を知らせるメーターがある。その思いを込めて歌おう」と呼びかけた。

 記念コンサートは6月7日、森のホール21(松戸市千駄堀)。合唱の参加者も募集中。問い合わせは太田さん(047・384・4759)。(小渕明洋)

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もうあと1ヶ月ほどで、「あの日」から4年になります。しかし、進まぬ復興、反比例して風化する記憶、被災地とそれ以外の温度差、逆行する政策……。そうした中で、こういう取り組みには頭が下がります。

同じ1/28の『朝日新聞』さんの、全国版社会面には、やはり福島の被災者の方々が作った詩について、以下の記事が載りました。

吉永小百合さんが朗読 原発被災者らの詩をCDに

 原爆投下と終戦の年に生まれ、広島・長崎004の原爆詩の朗読を続けてきた俳優の吉永小百合さん(69)が福島第一原発事故の被災者らの詩を朗読し、CDに収録した。「第二楽章 福島への思い」と題し、東日本大震災から4年になる3月11日に発売される。吉永さんは「今も故郷に戻れない福島の方たちの思いを私たちみんなで受け止め、寄り添えれば」と願っている。

 吉永さんは1986年、戦争や原爆の過ちを二度と起こさないために原爆詩の朗読活動を始め、97年に「第二楽章」(広島編)、99年に「第二楽章 長崎から」のCDを出した。2006年には「第二楽章 沖縄から」も作製。「第二楽章」の名には「戦後50年を経た今は第一楽章ではなく第二楽章。声高ではなく、柔らかい口調で語り継いでいきたい」との思いがこもる。

 3・11以降は、福島での被災後にツイッターで発信し続けた和合亮一さんや福島県富岡町を追われた佐藤紫華子(しげこ)さんらの詩も朗読。広島と長崎、沖縄、そして福島で起きたことを「忘れない、風化させない、なかったことにしない」とする吉永さんは、福島の人々の詩を「CDに」との思いを募らせていた。

 吉永さんはCD収録前の昨年末、帰還困難区域がある福島県葛尾(かつらお)村を訪れた。今月、東京都内で取材に応じた吉永さんは「一回行ってみないと本当の悲しみが分からないんじゃないかと思って。想像以上のショックでした。もうすぐ4年なのに何も変わってない」と語り、心を痛めていた。

 さらに「今3・11の事故後に思うのは、これだけ小さな国で、地震がいっぱいある風土で、原発というのはやめてほしい、と私は思いますね。人間が安全に暮らしていくためには、もっともっと私たちが工夫しなければいけないと思うんです」と強調した。
     ◇
 「第二楽章 福島への思い」の詩は23編。和合さんの詩や和合さんが指導する「詩の寺子屋」の子どもたちの作品など約300の最終候補から吉永さんが選んだ。音楽は尺八演奏家の藤原道山(どうざん)さん(42)に依頼した。CDはJVCケンウッド・ビクターエンタテインメントから発売。挿絵はスタジオジブリ作品の美術監督を務めた男鹿和雄さん。

 3月10日には東京・千駄ケ谷の津田ホールで「吉永小百合朗読会」を開く。CDつき5千円。公演の問い合わせは日本伝統文化振興財団(03・3222・4155)、チケット予約は0570・08・0089へ。


もしかしたら光太郎がらみ、「智恵子抄」がらみの詩も含まれているかと期待しています。というのも、和合亮一氏が関係されているためです。氏はやはり光太郎ファン的なところがありますので、このブログにもたびたびご登場いただいています。


まあ、そうでなくとも素晴らしい取り組みです。吉永さん、ありがとうございます。

ちなみに3月10日の朗読会のチケットは既に完売しています。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月31日

明治43年(1910)の今日、光雲が東京美術学校校長代理を命ぜられました。

正木直彦校長が英国出張ということで、その間の措置でした


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こちらに伺うのは、平成15年(2003)年に「高村光太郎・智恵子展」が開催されて以来ですので、12年ぶりでした。

一昨日は、当方の住む南関東でも朝方に少し雪が積もり、今日は雨です(都心では雪のようですが)。しかし昨日はよく晴れていたので、助かりました。

館内に入って、突きあたりの大きな窓にプリントされた心平の詩「猛烈な天」そのままの青空でした。

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     猛烈な天

 血染めの天の。
 はげしい放射にやられながら。
 飛び上がるやうに自分はここまで歩いてきました。
 帰るまへにもう一度この猛烈な天を見ておきます。

 仮令無頼であるにしても眼玉につながる三千年。
 その突端にこそ自分はたちます。
 半分なきながら立つてゐます。
 

 ぎらつき注ぐ。
 血染めの天。
 三千年の突端の。
 なんたるはげしいしづけさでせう。

さて、「平成26年度所蔵品展 草野心平と高村光太郎 往復書簡にみる交友」。

タイトルに「往復書簡」とあるように、メインは光太郎と心平の間に交わされた約40通の書簡でした。期間は昭和23年(1948)から同27年(1952)、光太郎が花巻郊外太田村の山小屋に隠棲していた時期のものです。

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展示された光太郎から心平宛の書簡は、全て筑摩書房『高村光太郎全集』第15巻に収録されているもの。心平から光太郎宛の書簡は二玄社から刊行され、のち講談社文芸文庫で再刊された心平の『わが光太郎』に収録されています。

したがって、初めて読むものではないのですが、やはり一通ごとの細かな内容までは暗記していませんでしたし、何よりバラバラに読むのではなく、往復書簡として交互に読むことで、一連のドラマのように感じました。また、やはり活字で読むよりも、自筆の筆跡として読む方がはるかに両者の体温、息づかいといったものが伝わってきます。もっとも、見慣れた光太郎の筆跡はともかく、心平の字は達筆すぎて中々読めませんでした。しかし、パネルに活字で翻刻してあり、助かりました。

ちょっと驚いたのは、心平から光太郎宛の書簡の多くに、光太郎の筆跡で年月日がメモしてあること。ある意味几帳面な光太郎の性格が見て取れます。

自らの戦争責任を恥じて岩手の山中に隠棲する光太郎に、心平は繰り返し帰京を促しています。しかし光太郎は、何やかやと理屈をつけ(時には屁理屈も)、かわしています。最終的には十和田湖畔の裸婦群像(通称「乙女の像」)制作のため、帰京することになるのですが、そこにいたるまでの光太郎の内面がよく読み取れます。読んでいて、涙が出そうになりました(笑)。

その他、両者がお互いのために手がけたりした書籍、雑誌の類、心平の自筆の日記、光太郎の彫刻も並んでいました。

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改めて二人のつながりの深さが実感できました。

その後、常設展を拝見。以前に訪れた時よりも凝った展示になっており、感心しました。

3月22日(日)までの会期です。ぜひ足をお運びください。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月30日

昭和24年(1949)の今日、眞善美社から新日本文学会詩研究会編『近代詩人研究』が刊行されました。

岡本潤が概論を書き、光太郎、藤村、鉄幹、白秋、朔太郎、賢治、啄木ら10人の詩人について、秋山清、小野十三郎らが論じています。光太郎の項は、遠地輝武が執筆しました。

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