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東京でもソメイヨシノの開花宣言がなされそうです。

当方自宅兼事務所の庭では、ソメイヨシノではありませんが、早咲きの何とか桜が既に満開です。震災の年に苗を買ってきて植えました。

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さて、智恵子の故郷・福島二本松の桜がらみの展覧会を二つご紹介します。 

第4回 福島の桜フォトコンテスト写真展 東京展

期 日 : 平成28年3月26日(土)~4月3日(日)
時 間 : 午前11時~午後9時
会 場 : 丸ビル 3階回廊(東京都千代田区丸の内)東京駅丸の内南口より徒歩1分
主 催 : NHK福島放送局 福島民報社 福島民友新聞社 福島県写真連盟
共 催 : 福島県
内 容 :6c2092aa

 【展示作品】入賞作品10点 入選作品40点
 【テーマ】「春を彩る福島の桜」
 【審査委員長】写真家 大石芳野
入場方法: 入場自由
問 合 せ:
 ●写真展について
 NHK福島放送局  電話 024-526-4660(平日 午前9時30分~午後6時)
 ●会場案内について
 丸の内コールセンター 電話 03-5218-5100(午前11:00~午後9:00)※日曜・祝日は午後8:00まで

福島には数多くの桜が咲き誇ります。東日本大震災と原発事故から4年、今年も福島を美しく彩る桜は、人々を和ませ、勇気づけてくれました。
4回目となるNHK「福島の桜フォトコンテスト」には県内外の557名の方から1346点の作品をご応募いただきました。これら作品を通じて、復興のシンボル「福島の桜」が美しくも力強く咲く様子をお楽しみいただければ幸いです。

たまたまテレビでNHKさんを見ている時に案内が流れ、知りました。第4回ということで、3年前から実施されていたようです。上記に「東日本大震災と原発事故から4年」とあるのは、募集の時点での話ですね。

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昨春募集があった応募作品のうち、入選作品50点が展示されます。どれも素晴らしい写真ばかりでした。

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調べてみましたところ、二本松の智恵子生家裏の鞍石山にある、光太郎詩「樹下の二人」碑で撮られた作品も含まれていました。

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こうした展覧会が東京で開催されるというのはいいことですね。

第5回の募集も始まっています。来春にはやはり東京展があるのでしょう。

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また、「東京展」とわざわざ銘打っているということは、他にも巡回があるのでは、と思い、調べてみましたところ、福島県内各地と大阪で既に行われていました。気付きませんでした。第5回に関しては早めの情報収集を心がけます。


もう1件ご紹介します。 

二本松さくら展

期 日 : 平成28年4月9日(土)~5月8日(日) ※期間中無休
時 間 : 午前9時30分~午後5時(入館は4時30分まで)
会 場 : 
二本松市大山忠作美術館  福島県二本松市本町二丁目3番地1
料 金 : 一般410(300)円、高校生以下200(150)円
                       ※( )内は20名以上の団体料金
主 催 : 二本松教育委員会
企画・協力 : 「二本松さくら展」実行委員会

門外不出の東山魁夷「花明り」をはじめ、日本画の巨匠達が描いた約30点の桜が館内に咲き誇ります。ぜひ二本松城(お城山)など市内を埋めつくす満開の桜と併せて、ご覧下さい。

出品作家一覧
 伊藤深水 上村松園 奥村土牛 奥田元宋 岡信孝 大山忠作 川合玉堂 川端龍子 後藤純男
 佐藤太清
 高山辰雄 田渕俊夫 中島千波 浜田泰介 東山魁夷 平松礼二 平山郁夫 稗田一穂 
    前本利彦 牧進
 森田曠平 森田りえ子 山本丘人 室井東志生 横山大観

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二本松出身の日本画家の故・大山忠作画伯を顕彰する美術館での企画展です。大山画伯には同郷の智恵子を描いた作品も複数有ります。チラシに使われている「花霞」は、背景に安達太良山。また、「花霞」というのは、智恵子の実家・長沼酒造で作っていた清酒の商標名でもあります。

そんなご縁で、画伯のご長女で女優の一色采子さんからご案内を戴きました。一色さん、今年の連翹忌にもご参加下さるそうです。

こちらもぜひ足をお運び下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

「ガルソン」が何やら言ひぬ春の宵    明治42年(1909) 光太郎27歳

「ガルソン」は「Garçon(ギャルソン)」。「ウェイター」と訳すと、ちょっと興が削がれます(笑)。

今週月曜日の「しんぶん赤旗」さんの記事です。 智恵子の故郷、福島二本松から。 

平和な故郷願って 福島に生きる 『風船爆弾になった和紙』冊子にまとめた 安斎克仁さん(79)

 「原発両稼働も、安保関連法(戦争法)にも反対です」。福島県二本松市の安斎克仁(あんざい・かつに)さん(79)は、今の政治を許さない決意をそう語ります。

■ほんとの空守れ
 「私たちは安達太良山を『お母さんの山』と言っています。原発は『母さんの山』にふさわしくないのです」と安斎さん。山頂に乳首のような突起があり、別名「乳首山」とも言われています。
 高村光太郎の『智恵子抄』で「安達太良山の上に毎日出ている青い空が智恵子のほんとの空だ」と詠われました。
 安斎さんは言います。「母なる山が原発事故で汚されました。『ほんとの空』を守るためには自然エネルギーに転換しないといけません」
 安斎さんの次男の妻と当時7ヵ月だった孫は2年間長野県に避難しました。
 「古里に戻るためには平和でないと」と考える安斎さん。このほど『風船爆弾になった和紙』を冊子にまとめました。
 安斎さんが住む二本松市上川崎地域は「千年以上の歴史を誇る手漉(す)き和紙の産地」でした。
 平安時代に「みちのく紙」と呼ばれました。紫式部や清少納言たちに愛された「まゆみ紙」は上川崎地域で漉かれたと伝えられています。
 戦中、上川崎村には和紙製造工場は239戸ありました。
 1944年から45年にかけて軍用紙の生産割り当てがなされました。福島県への割り当て枚数は50万枚。そのうち上川崎村は約40万枚を納めたと記録されています。
 須賀川市史には、「陸軍の依頼で、コンニャク糊(のり)塗り加工作業に須賀川町第二国民学校高等科生徒男女百五十名が動員された」と書かれています。「機密保持のためか、上川崎村で漉かれた和紙とは、知らされても、書かれてもいない」
 安斎さんがこうした郷土の歴史に関心を持つようになったのは「国民学校」3年生の時の戦争体験でした。
 45年7月12日深夜、何十機もの米軍機が飛来し、照明弾が投下され、その後に農家を狙って焼夷(しょうい)弾の爆撃が繰り返されたのです。
 全焼した農家は2戸、ボヤ2戸。幸い死傷者はありませんでした。「紙漉きの村がなぜ爆撃されたのか」。安斎さんの長年の疑問でした。当時は「誤爆」だったと言われてきました。

■自分が加害者に
 安斎さんは、関係郷土史と米国側の資料などを研究。それらを総合すると「和紙は風船爆弾の第一番の材料。その生産地となった和紙の里をねらってアメリカが報復爆撃した」のが真相ではないか?と推論しました。
 風船爆弾は44年11月から福島県勿来、茨城県大津、千葉県一宮から飛ばされました。計9300個飛ばされて偏西風にのってアメリカ大陸に到達した数は推定1000個とみられています。
 45年5月5日、オレゴン州の村で5人の子どもと、牧師の妻が風船爆弾で死亡しています。
 「オレゴンの悲劇」と言われ、上川崎村への爆撃はそれから2カ月後のことでした。
 「戦争の被害者とばかり思っていたのが知らぬ間に加害者の立場になっていたのかもしれません。戦争は二度と繰り返してはなりません」  (菅野尚夫)



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東日本大震災に伴う福島第一原発の事故に、「ほんとの空」の語をからめるのはよくあります。それがメインの記事かなと思って読んでいたら、さにあらず。特産の和紙が戦時中の兵器「風船爆弾」に使用されたかもしれず、その報復的な意味合いであろう空襲を受けた、とのこと。この件は当方、全く存じませんでした。当方、二本松に行った際、便箋などの上川崎和紙の製品をよく買っています。

ちなみに「風船爆弾」を飛ばした場所のうち、記事にある「千葉県一宮」は、昭和8年(1933)、智恵子が療養していた九十九里浜の南端です。この件は知っていましたが、その材料の和紙が二本松の上川崎和紙だった可能性が高いというのは驚きでした。

そう考えると、本当に戦争は憎しみの連鎖を生み出すものだ、と感じました。現代においても空爆とテロのいたちごっこが続いています。そこに我が国も荷担せざるを得なくなるような法整備は、断じて許してはいけないと思いますね……。

放射線も戦闘機も飛んでいない、「ほんとの空」が世界中に広がってほしいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

草青しロムバルヂアの大平        明治42年(1909) 光太郎27歳

「ロムバルヂア」はイタリア北部、スイスとの国境に接するロンバルディア州です。107年前の今頃、光太郎は留学先のパリを発って、スイス経由のイタリア旅行に出ました。

今日も「ほんとの空」ネタで。テレビ放映情報です。 

復興支援ドキュメント 未来への教科書 ~For Our Children~ #116 『特別編 ~子供たちのために~(前編)』

BS12(トゥエルビ) 2016年3月5日(土)6:30 ~ 7:00   3月5日(土)27:00 ~ 27:30(=3/6(日) 午前3:00~3:30)

地域のキーパーソンの言葉をそのまま届け、大震災を乗り越え、立ち上がろうとする東北の人々の力強い姿を広くお伝えします。言葉から浮かび上がる真実を発信していきます。

今回は特別編・前編。
復興支援メディア隊の代表である榎田竜路との対談形式で、精神科医でみんなのとなり組代表理事でもある堀有伸さんをゲストに迎えてお話を伺った。
前編のテーマは”福祉・医療”
東日本大震災から5年が経過しようとしている今、医療や福祉のあり方はどうあるべきなのか?
過去に番組で取り上げた、みんなのとなり組のコミュニティを繋ぐ活動や、堀さんたちが制作した震災後の心のケアをまとめたプログラムを紹介していきながら、一緒に考えていく。
<あのころの子供たちを訪ねて>
以前番組で取り上げた子供たちの、あの時の気持ちと今を追いかけるコーナー。
福島県立あさか開成高校演劇部の演目『この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?』は、福島第一原子力発電所事故によって引き起こされた生徒たち自身の不安や葛藤を、セリフやエピソードに入れ込むことによって反響を呼んだ。その演劇に出演していた香西佳菜子さんに当時の葛藤や現在の思いを伺った。

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「以前番組で取り上げた」は、震災翌年の平成24年(2012放映の、#22「あさか開成高校演劇部」#32「あさか開成高校演劇部~心を語り、心が繋がり、心を継ぐ」。それから昨年放映された#93特別編『東日本大震災から4年〜新しい物語のはじまり』でも取り上げられました。


原作はこちら

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もうすぐ震災から5年。節目の3.11となります。新聞各紙で特集が組まれていますし、テレビでも被災地の現状や課題に注目した特番がいろいろと組まれています。光太郎智恵子や草野心平など周辺人物に関わりの深い、女川、二本松、川内村などが続々取り上げられます。

ぜひご覧下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

たはむれや春の夜すがらその雛につけし齢をただあらそひぬ
明治34年(1901) 光太郎19歳

このお雛様は何歳だ? ということが原因で他愛もない争いになった、の意。

今日は3/3、桃の節句ですね。当方自宅兼事務所でも数年ぶりに雛人形を出しました。

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昨日は陽気が良かったので、歩いて30分程の旧市街まで犬の散歩に行きました。当方自宅兼事務所のある千葉県香取市佐原地区の旧市街は、江戸の街並みが残り、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。そちらでは「さわら雛めぐり」が開催中。老舗の商家などが店頭に雛人形を飾っています。中には江戸時代のものも。こういう伝統は大切にしたいものです。

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智恵子の故郷・二本松市で、昨日発行の「広報にほんまつ」3月号に以下の記事が載りました。 

〜新日本歩く道紀行百選「ふるさとの道部門」で認定〜ほんとの空が広がる道

新日本歩く道紀行百選選考委員会が選定している「新日本歩く道紀行百選ふるさとの道」に、二本松駅から霞ヶ城公園まで続く約12キロのコースが認定されました。
ふるさとの道百選には、東北からは7件、福島県からは2件が認定されました。
これから暖かい季節がやってきます。ぜひウォーキングコースとしてご利用ください。
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智恵子生家の裏手、智恵子はもちろん、ここを訪れた光太郎も智恵子とともに歩いたという「智恵子の杜公園」が含まれています。

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新日本歩く道紀行百選」は、道の活用により地域の活力創出を目指す自治体や団体、 企業、個人から広くエントリーを受け付け、同選考委員会の選で決定しています。昨秋には第1期493コースが決定、そこに二本松市の「ほんとの空が広がる道」も選ばれたというわけです。

エントリーはまだ受付中。最終的には10のテーマで100ずつ、計1,000コースの認定を目指しているようです。

また、ウオーキング愛好家の「歩きんぐくらぶ」さんという団体も結成され、この「新日本歩く道紀行100選シリーズ」を通年で歩く企画が用意されています。

さらにBS-TBSさんがこの企画に賛同、「新・日本歩く道紀行」という番組がスタートしました。先月は当方の自宅兼事務所のある千葉県香取市を含む千葉・茨城の水郷地帯を4回連続で取り上げて下さいました。いずれ「ほんとの空が広がる道」も取り上げていただきたいものです。

テレビ、といえば、過日のこのブログでご紹介した「15分でにっぽん百名山 安達太良山」、残念ながら「智恵子抄」がらみの部分はカットされていました。残念に思っておりましたところ、なんと「15分で……」ではなくオリジナルの「にっぽん百名山」の方の安達太良山の回が再放送されます。  

にっぽん百名山「安達太良山」

NHKBSプレミアム 2016年3月7日(月) 19時30分~20時00分 
                                再放送 3月13日(日) 6時30分~7時00分

福島の安達太良山(1700m)、荒々しい火山と、みちのくの穏やかな自然を体感する山旅。登山口の野地温泉からブナなど広葉樹の紅葉に彩られた登山道を抜け、森林限界の低い偽高山帯と呼ばれる見晴らしの良いりょう線へ。最高峰の箕輪山(1728m)を経て、温泉のある山小屋で一泊、翌朝、空に突き出た山頂の姿から乳首山とも呼ばれる安達太良山の山頂をめざす。智恵子抄のエピソードや登山家の田部井淳子氏の誕生秘話も紹介。

出演 林千明   語り 山崎岳彦,吉川未来

こちらではばっちり光太郎智恵子が取り上げられますので、ぜひご覧下さい。

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【折々の歌と句・光太郎】

底の岩底の砂利より走せのぼるあぶくは肌につきて離れず
大正13年(1924) 光太郎42歳

昨日に引き続き、温泉を謳った短歌です。炭酸系の温泉でしょうか。

2/28(日)、郡山市で開催中の「第二楽章 男鹿和雄展―吉永小百合と語り継ぐ―」/「未来のわたしたちへ~ほんとの空~」絵画展覧会」会場をあとに、いわき市上小川地区にある、当会の祖にして光太郎と最も縁の深かった詩人の一人、草野心平の生家へと愛車を走らせました。

この日は、心平の弟で、没後に第2回高村光太郎賞を受賞した、草野天平の誕生日というわけで、「草野天平の集い」の開催でした。仙台を拠点に「智恵子抄」の朗読などもなさっている、荒井真澄さんがご出演ということで、寄らせていただきました。

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まずは生家近くの常慶寺さんに。心平の墓参です。その代わりといっては何ですが、車を駐めさせていただきました。

その後、歩いて生家に。ここを訪れるのは三度目です。

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庭には天平の詩碑も立っています。

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入ってすぐの壁に、心平はじめ、家族一同の写真パネルが掲示されていて、以前は気付きませんでしたが、天平も写っています。

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正面にも天平の大きな肖像写真。

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時間となり、開会。

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まずは荒井さんによる天平作品の朗読でした。

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兄・心平の詩が、ある意味「ぶっ飛んでいる」のに対し、弟・天平の詩はかなり穏健です。しかしそこはやはり兄弟、相通じるものを感じました。詩だけでなく、散文の朗読もありましたが、そちらも骨太で芯のしっかりした文体、きまじめな天平の性格がよく表れていました。荒井さんの朗読も相変わらず心地よい響きで耳に入ってきました。

その後はギターソロで、天平が愛したというシューベルトの「鱒」やイギリス系のスタンダードナンバー、さらに再び荒井さんが合流して今度は歌を。荒井さんの歌は初めて拝聴しましたが、かわいらしい歌声でした。

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約1時間、肩の凝らないプログラムでした。

終演後、天平のご子息・草野杏平氏のご挨拶。

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杏平氏、かつて連翹忌にご参加いただいていました。

その後、杏平氏や荒井さんとお話をさせていただき、帰途に就きました。

時間的にまだ早かったので、いわき市街に出、いわき湯本温泉の日帰り入浴施設「さはこの湯」さんに寄り、温泉を堪能しました。何と230円で入れます。

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3年半前、川内村での心平を偲ぶ「かえる忌」の帰途にもここに寄りました。その際は「智恵子抄」などの光太郎詩にオリジナルの曲をつけて唄われているモンデンモモさん、ピアニストの砂原ドルチェ嘉博さんらと一緒でした。

その時はそうでもなかったのですが、一昨日はかなり混んでいました。震災からの復興もある程度進み、人が戻ってきているのだな、と実感しました。いいことですね。


【折々の歌と句・光太郎】

天然の湯に身をひたしわがきくは遠き地中の隠密の声
大正13年(1924) 光太郎42歳

というわけで、温泉を謳った作品です。生涯「自然」を愛した光太郎ですので、温泉にも地球のエネルギー的なものを強くイメージしているようです。

昨日は福島県に行っておりました。今年初の東北行でした。


状況をわかりやすくするため、昨日の『福島民報』さんの記事を引用いたします。 

富岡・夜の森の桜並木など100点 男鹿さん絵画展開幕

 画家男鹿和雄さんの作品展「第二楽章 男鹿和雄展-吉永小百合と語り継ぐ-」は27日、福島県郡山市のビッグパレットふくしまで開幕した。3月21日まで。男鹿さんは、女優吉永小百合さんが東京電力福島第一原発事故の被災者の詩を朗読したCD・詩画集「第二楽章 福島への思い」の挿絵を担当した。
 会場には約100点が並ぶ。富岡町の夜の森地区の桜並木や川沿いの風景などが温かみのある色彩で描かれている。初日は男鹿さんのサイン会を催し、来場者は詩画集を買い求めて列をつくった。折り紙の絵柄を描いて折り鶴を作るワークショップも開いた。男鹿さんは「多くの人に絵を見てもらい、復興へ向かうきっかけになればうれしい」と話している。
 開館時間は平日は午前11時から午後5時まで、土、日曜、祝日は午前9時から午後5時まで。観覧料は一般800円、高校生以下400円、未就学児は無料。問い合わせは郡山青年会議所(JC) 電話024(932)2289へ。
 作品展は郡山JCの主催で創立55周年の記念事業として開いた。スタジオジブリなどが協力した。


こちらが会場のビッグパレットふくしま。一見、サッカースタジアムのような、複合コンベンション施設でした。

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2階に上がると大きな看板が出ていました。

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やわらかな色遣いの男鹿氏の絵。

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小中学生の作品展の看板も。

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3階に上がり、まずは男鹿氏の展覧会を拝見しました。

最初は福島。
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吉永さんの朗読CDのジャケットに装画として使われた作品などの原画やスケッチが中心でした。

ところどころにCDに収められた和合亮一さんや若松丈太郎さん、佐藤紫華子さん、そして福島の一般の皆さんの詩が大きなパネルに掲載され、男鹿氏の絵が添えられていました。

立ち入り禁止のバリケードの向こうに咲く桜、町中を彷徨う牛、除染廃棄物を入れた黒い袋、防護服姿の人々、津波でひっくり返ったまま放置された乗用車……。

それらがおどろおどろしい筆致ではなく、ジブリ映画風の優しいタッチで描かれていることで、よりいっそう悲哀が伝わって来ます。

そして原発事故とはかかわりなく美しい福島の野山や草花、人々の営み。看板に描かれているのは、原発事故前の様子です。しかし、それらが一瞬にして奪われる危うい立ち位置にあることが痛感させられました。

「復興支援になれば」と思い、男鹿氏の画集を会場で買い求めました(CDは昨年、発売時に買い求めていましたので)。表紙は看板に描かれている画です。

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そして裏表紙がこちら。

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表紙と裏表紙で「befor」「after」になっているわけです。それが単なる怒りの表象ではなく、「after」の「after」で、また「befor」の状態に戻って欲しい、という切なる願いが感じられました。

その後、沖縄、広島、長崎を舞台にした作品の数々。ある意味、踏みにじられてきた(今も踏みにじられ続けている)場所です。それでもそれぞれの場所に、それぞれの美しさがあり、それが表現されていました。

隣の会場では、地元小中学生による「未来のわたしたちへ~ほんとの空~」絵画展覧会が開催されています。

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会場内には小中学生の作品以外にも、大小さまざまたくさんの折り鶴が並んでいました。テーブルがセットされ、折り紙が置いてあって、会場内で創られたもののようです。これらはあとで広島に送られるそうです。

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小中学生の描いた「ほんとの空」の青が目に染みました。

会場のビッグパレットふくしまから見た安達太良山です。春らしく霞んでいました。

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この展覧会、昨年は広島、長崎で開催されました。ぜひ東京など大都市圏でも開催していただきたいものです。また、鹿児島や福井の皆さんにもご覧頂きたいと思います。「あなた方の街が、こうなる覚悟はありますか?」という問いを込めて……。


その後、いわき市に向かいました。上小川地区の草野心平生家で開催された「草野天平の集い」に出席のためです。そちらについてはまた明日。


【折々の歌と句・光太郎】

山の鳥うその笛ふくむさし野のあかるき春となりにけらしな
大正14年(1925) 光太郎43歳

昨日ご紹介した短歌の異稿です。

木彫「うそ鳥」を収めた桐箱の蓋裏にしたためられました。

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テレビ放映情報です。 

15分でにっぽん百名山 安達太良山

NHKBS1 2016年2月29日(月)  18時30分~18時45分
 再放送 3月7日(月) 午前4時30分~ 午前4時48分

福島の安達太良山(1700m)、荒々しい火山と、みちのくの穏やかな自然を体感する山旅。登山口の野地温泉から、ブナなど広葉樹の紅葉に彩られた登山道を抜け、森林限界の低い偽高山帯と呼ばれる見晴らしの良いりょう線へ。最高峰の箕輪山(1728m)を経て、温泉のある山小屋で一泊、翌朝、空に突き出た山頂の姿から乳首山とも呼ばれる安達太良山の山頂をめざす。

出演 林千明   語り 三浦祥朗


NHK BSさんでは「にっぽん百名山」という30分番組を放映しています。そこで取り上げた山をさらに15分間のダイジェスト版にしたのが「15分でにっぽん百名山」。

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智恵子が愛した「ほんとの空」のある安達太良山は、昨年2月に30分の「にっぽん百名山」で取り上げられました

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その際には、光太郎智恵子についても紹介して下さいました。

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今回は15分のダイジェスト版ですが、この部分が含まれるかどうか……。期待はしていますが……。


もう1件。 

みつけよう、美 荻原守衛“女”(長野・碌山美術館)

NHKEテレ1 2016年3月2日(水)  23時50分~23時55分

「日曜美術館」40年目を機に掘り起こした映像記録を、全国の美術館の大切な所蔵作品を中心に再構成。全都道府県分47本を制作し、美術館情報とともに5分のミニ番組として放送します。あの美術館の知られざる美の宝物について、作者本人やゆかりのある人物から、とっておきのエピソードが語られます。今回は1997年の番組から彫刻家荻原守衛の「女」。守衛を励まし支えた、パトロン・相馬黒光との恋と制作を解き明かす。

語り 石澤典夫
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光太郎の盟友にしてロダンの愛弟子、碌山荻原守衛の絶作「女」が取り上げられます。元ネタは平成9年(1997)の「新日曜美術館 荻原守衛の女 〜彫刻に秘められた情念〜」。


公式サイトを見ると、他にも守衛の「坑夫」もラインナップに入っています。また、他にも光太郎と縁の深い作家の作品が。彫刻ではロダン、舟越保武、佐藤忠良、平櫛田中など。絵画では藤田嗣治、村山槐多、松本竣介など。すでに取り上げられたものもあるかも知れません。

ぜひご覧下さい。



【折々の歌と句・光太郎】


髯そつてスヰスの春の寒きかな     明治42年(1909) 光太郎27歳


3年余の欧米留学の最後近く、スイス経由でイタリア旅行をした際の作です。日本の春もまだまだ寒いですね。

愛知でのイベント情報です。開催はまだ先ですが、申し込み期限が近いのでご紹介します。 

福島大学うつくしまふくしま未来支援センター名古屋シンポジウム「ほんとの空が戻る日まで―震災・原発事故から5年を迎える福島を考える―」

東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故から5年を迎えようとしています。
福島では、コミュニティーの崩壊、震災関連死、中間貯蔵施設、廃炉、子ども達の孤立化、住民の帰町・帰村、食の安心安全、風評などの課題が未だ解決されていません。しかしながら、すでに、「福島」が風化しているとの声も聞かれます。地震・津波・原発事故という人類が初めて直面する複合震災からの復興に挑む福島が抱える課題は、これからの日本が21世紀を切り拓き持続可能な社会を創造する上でも重要な課題です。これを時間の経過の中に埋没させ「風化」させることは、人類の未来を拓こうとする一つの扉を見失うことにも等しく、こうした「風化」を看過することはできません。今回のシンポジウムにおいては、今の福島を中京圏の方々に正しく伝えることにより、福島の経験を「復興知・支援知」として活かし、これからの地方創生に繋げていくことを目的に開催いたします。

日 時 : 平成28年3月5日(土)13:00~17:30
会 場 : 愛知大学 車道キャンパスコンベンションホール  名古屋市東区筒井二丁目10-31
参加募集人数 : 200名
  参加費無料 事前申し込みが必要です。2月19日(金)までにお申し込みください。

【プログラム】

Ⅰ部 鼎談 「悲しみを乗り越え前に進む子ども達、進めずにいる子ども達」
 登壇者
  堀下さゆり氏 シンガーソングライター
  中田スウラ  福島大学うつくしまふくしま未来支援センター長
  本多環    福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任教授


Ⅱ部 福島の現状報告 「―震災・原発事故から5年を迎える福島を考える―」
  福島の現状と課題 中田スウラ センター長
    ~復興を拓く(学び合うコミュニティ)の形成に向けて~
  産業・街づくり支援担当報告       初澤敏生 地域復興支援部門長
     原子力災害被災地の復興の課題~避難者・まちづくり・産業~
  食・農復興支援担当報告         小松知未 特任准教授
     放射能汚染からの食と農の再生を~5年間の挑戦と到達点~
  放射能汚染対策担当報告                      河津賢澄 特任教授
     福島県における放射線(能)の現状


Ⅲ 部 パネルディスカッション
 モデレーター 山川充夫氏 帝京大学経済学部教授(福島大学名誉教授)
 パネリスト     松本幸英氏 楢葉町長
         林由美子氏 タカラ印刷株式会社 取締役会長
         土屋葉氏  愛知大学 文学部教授
         天野和彦  福島大学うつくしまふくしま未来支援センター客員准教授


○ 参加対象者  一般市民 大学関係者 学生 行政職員 福島県から避難している方 他
○ 主催     国立大学法人福島大学 福島大学うつくしまふくしま未来支援センター
   共催     愛知大学 愛知大学中部地方産業研究所
   後援(予定)   文部科学省 復興庁 福島県 双葉地方町村会 公益社団法人経済同友会 他



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福島大学うつくしまふくしま未来支援センターさんによるシンポジウム。昨年のこの時期には京都秋には東京で開催されました。中京圏では初の開催です。

福島の現状、そして「ほんとの空」を取り戻すための数々の活動について知る良い機会だと思います。お近くの方、ぜひどうぞ。



【折々の歌と句・光太郎】

わたくしの悲みなれど極まればこれ万人の悲みと泣く

大正8年(1919) 光太郎37歳

もうすぐ東日本大震災から5年。今年1月の警察庁による発表では、直接震災により亡くなった方は15,894人、行方不明の方は 2,563人。さらに、復興庁によれば、負傷の悪化等により亡くなられた「震災関連死」と認定された方が、昨年9月現在で3,407人ということでした。

それぞれのご遺族、関係者に、それぞれの悲しみがあり、それが万人のものとして共有されるような優しい社会であってほしいものです。

智恵子の故郷、福島県二本松市の広報紙『広報にほんまつ』の今月号から。 

拝啓 ほんとの空体操で元気に長生きしませんか?

「ほんとの空体操」は、市民の皆さんが住み慣れた地域でいつまでも元気に過ごすことができるよう「二本松市民の歌」に合わせた介護予防のための健康体操です。生活機能の維持・向上のための「運動」のきっかけづくりに活用ください。
今回は、二本松少年隊の皆さんにご協力いただき、「ほんとの空体操」をご紹介します。

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ほんとの空体操」は、「二本松市民の歌」に合わせて振り付けられた介護予防のための健康体操とのことで、市役所さんでは、職員の皆さんも朝礼で取り組まれているそうです。

動画も公開されています。


広まってほしいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

ともすれば冬の襲いのきびしきに春のみ軍弓をひかへぬ
明治34年(1901) 光太郎19歳

今日は立春です。したがってこれからは「余寒」ということになるのですが、まだまだ寒いですね。今朝の冷え込みはここ房総でもちょっとしたものでした。

「み軍」は「みいくさ」。「軍勢」といった意味です。

昨日は、福島県いわき市の草野心平記念文学館さんの企画展「所蔵品展「草野心平のスケッチ」」をご紹介しましたが、同館でもう一つ、別の展示も行っています。 

スポット展示 草野天平

会 期 : 2016 年1月2 日(土) ~3月27 日(日)
時 間 : 9:00 ~ 17:00
会 場 : いわき市立草野心平記念文学館常設展示室前
       福島県いわき市小川町高萩字下夕道1番地の39
休館日  月曜日(祝日を除く)、祝日の翌日
料 金 : 無料 (観覧券が必要)

草野天平(くさのてんぺい)は、1910(明治43)年2月28日、東京市小石川区(現在の文京区)に父馨、母トメヨの三男として生まれました。草野心平は7歳年上の次兄にあたります。1915(大正4)年、本籍地である福島県石城郡上小川村(現在のいわき市小川町)に移り、祖父母に育てられていた心平とともに約5年間暮らしました。
1920年に上京後、京都、群馬などを経て、1933(昭和8)年4月、東京の銀座8丁目に喫茶店「羅甸区(らてんく)」を開店。同店で働いていた三原ユキと結婚し、1935年には長男杏平が生まれますが、この間に「羅甸区」は閉店となり、生活に困窮します。天平はこの頃から文学に興味を抱き、心平が持参した岩波文庫などを耽読。1941年頃から詩作を始めたとされています。
1942年1月、妻ユキが亡くなると、幼い杏平を連れて故郷に帰り、雑誌などに作品を発表。1947年に詩集『ひとつの道』を刊行しました。
1950年6月、天平は滋賀県大津市坂本の比叡山に行き、8月には飯室谷の松禅院(しょうぜんいん)への入居を許されて、詩作に専念する生活を送ります。同年10月、鈴木梅乃と結婚。梅乃は天平とその詩作を支えましたが、天平は徐々に体調を崩し、1952年4月25日、詩業半ばにして生涯を終えました。享年42。天平は、松禅院にほど近い、琵琶湖が見える西教寺に眠っています。
天平が亡くなった後、梅乃は天平の作品の顕彰を続け、1958年に刊行した『定本 草野天平詩集』が第2回高村光太郎賞・詩部門を受賞。その後、1969年、『定本 草野天平全詩集』『《挨拶》草野天平の手紙』、2002(平成14)年、『《三重奏》草野天平への手紙』などを刊行しました。
一方、1986年、かつて天平が滞留した比叡山西塔に、詩碑〈弁慶の飛び六法〉を、そして2006年、草野心平生家敷地内の蔵跡に詩碑〈幼い日の思ひ出〉を建立しました。また、2002年、「うえいぶの会」による詩碑〈一人〉(文学館敷地内)の建立に協力しています。
2006年7月30日、梅乃は半世紀余りに及ぶ顕彰活動とともに85年の生涯を終え、天平に寄り添うように西教寺で眠っています。


というわけで、心平の弟にしてやはり詩人であった草野天平に関わる展示が為されています。

42歳での早世でしたので、その詩業は道半ばでしたが、上記紹介文にもあるとおり、没後の昭和34年(1959)に『定本草野天平詩集』で第2回高村光太郎賞(詩部門)を受賞しています。

光太郎は昭和27年(1952)の天平死去に際し、心平に以下の書簡を送っています。

御無沙汰していましたが、先日のおハガキで天平さん逝去の事を知り、いたましい事に思ひました、からださへよければまだうんとのびる人だつたと思ひます、 「火の車」のお店の事も心配してゐます、貴下も健康に気をつけて下さい。小生ともかくも平穏、来月の十和田湖行を今ではたのしみにしてゐます、現地に行つた上で又大いに考へます、

十和田湖云々は、心平も同行した「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のための下見です。

また、昭和28年(1953)10月の雑誌『心』には、こんな文章も寄せています。

 本号にその文章が掲載されるといふ草野天平さんは若いのに昨年叡山で病死された優秀な詩人である。草野心平さんの実弟だが、詩風も行蔵もまるで違つてゐて、その美は世阿弥あたりの理念から出てゐるやうで、極度の圧搾が目立つ。きちんと坐つたまま一日でもじつとしてゐるやうな人で、此人のものをよむとシテ柱の前に立つたシテの風姿が連想される。


さて、関連行事も企画されています。 

草野天平の集い

期  日 : 2016 年2月28 日(日)
時  間 : 13:30 ~ 14:30
会  場 : 草野心平生家(いわき市小川町上小川字植ノ内6番地の1)
料  金 : 無料

詩人草野天平(心平実弟)の誕生日にちなんだ催しです。天平の作品や彼が愛した音楽を朗読、演奏します。

出演 Happy Pockets(ハッピーポケッツ) 2006年から活動している二人組の音楽ユニット。
ギター奏者:小関佳宏(こせきよしひろ 仙台市在住)ギターソロをはじめ、多様なアンサンブルにおいて生の音色を生かしての演奏活動を展開。仙台市内を中心に楽曲提供、コンサートプロデュース等活動の場を広げている。東北福祉大学クラシックギター部講師。
ボイスパフォーマー:荒井真澄(あらいますみ 仙台市在住) 2004年より仙台、東京で朗読パフォーマンスも開始。これまでに読んだナレーションは2,000本以上。CMソングも歌っている。大人から子供まで、10種類以上の声を駆使し、物語をカラフルに描きだす。
 
内容 天平の作品(「私のふるさと」ほか)を、ゆかりの曲(シューベルト「鱒」、天平作詩「幼い日の思ひ出」ほか)の演奏とともに紹介する。

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たびたび「智恵子抄」がらみの朗読公演をなさっている荒井真澄さんがご出演。今年の荒井さんからの年賀状にご案内が書かれており、知った次第です。

荒井さんに関してはこちら。

会場となる心平生家についてはこちら。

当方も聴きに行って参ります。みなさまもぜひどうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

寺の塔を圧して雪の何山ぞ        明治42年(1909) 光太郎27歳

欧米留学の終わり近く、スイス経由のイタリア旅行に際しての作です。従って「寺」は仏教寺院ではなく、カトリックの教会を指します。明治期には光太郎に限らず一般的に、教会を「寺」と表記することがしばしばありました。

ただ、日本のどこかの雪国にある三重の塔、といったイメージで捉えてもいいように思われます。

当会の祖にして、光太郎と縁の深かった草野心平がらみの企画展です。 

冬の企画展 所蔵品展「草野心平のスケッチ」

会 期 : 2016 年1月9 日(土) ~3月27 日(日)
時 間 : 9:00 ~ 17:00
会 場 : いわき市立草野心平記念文学館 福島県いわき市小川町高萩字下夕道1番地の39
休館日 : 月曜日(祝日を除く)、祝日の翌日
料 金 : 一般 430円(340円)/高・高専・大生 320円(250円)
      小・中生 160円(120円)( )内は20名以上団体割引料金

 詩人・草野心平(1903〜1988)は、1,400篇余の詩や随筆などの文筆にとどまらず、書画をはじめ多彩な創作活動を展開しました。
 心平の創作との出会いは詩よりも絵画の方が早く、1916年、福島県立磐城中学校(現在の福島県立磐城高等学校)に入学すると、美術部「X会」に入部し、水彩画を描きました。生家のある石城郡上小川村(現在の小川町)内をスケッチしたこともあったといいます。彼の作品が校内の回覧雑誌「文林」の表紙を飾ったこともあり、同級生は「心平の絵は抜群で、私達は、心平は将来画家になるものと思って疑わなかった。四月の創刊号に描いた小川の山は現在でも私の眼底に残っている」と回想しています。
 その後、詩人として活躍の場を広げていた1956年、アマチュアのデッサングループ「竹林会」結成に参加したことがきっかけで油彩画を手がけ、頻繁にスケッチも描くようになりました。
 本展では、当館の所蔵品から心平のスケッチを取り上げ、詩人独特の感性によって描かれた線と色彩の魅力を紹介します。


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関連行事等
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ギャラリートーク  学芸員による展示内容の解説です。
日時 2016年2月6日(土)14時〜14時30分
会場 文学館企画展示室
聴講 観覧券が必要です。申し込みは不要ですので、会場にお越しください。

朗読サロン  朗読を楽しく学びます。お気軽にご参加ください(文学館ボランティアの会事業)。
日時 2016年2月6日(土)11時〜12時
      3月5日(土)11時〜12時
会場 文学館会議室
参加 無料です。申し込みも不要ですので、会場にお越しください。


身近に光太郎という大美術家がいた心平。他にも画家の村山槐多、版画家の棟方志功などとも交流がありました。

もともと絵画にも興味を抱いていましたし、周囲の美術家の影響もあるのでしょうか、心平自身も玄人はだしの絵画をものにしています。ちなみに昨日のこのブログでご紹介した姫路市立美術館さんで始まる企画展「画家の詩、詩人の絵 絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」にも、心平の作品が展示されます。

ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

ここの国ここなる里のここの戸に一たび湧きし想(おもひ)の子なり

明治35年(1902) 光太郎20歳

何だか、心平を詠んだ一首のようにも読めますね。

智恵子の故郷・二本松から。イベント自体はまだまだ先ですが、報道がありましたのでご紹介しておきます。 

「世界に誇れる日本人」 外国人誘客元年アピール 二本松

 今秋の第62回二本松の菊人形は「あっぱれ!ニッポン!~世界に誇れる日本人~」をテーマにする。二本松市が外国人観光客誘客に力を入れる「インバウンド(訪日)元年」と掲げているのに合わせ、偉人を菊人形で紹介して県内や日本の魅力を世界にアピールする。会期は10月10日から11月23日まで。菊人形を主催する二本松菊栄会理事会で決まった。
 菊人形で紹介する偉人は市内出身の世界的歴史学者・朝河貫一博士、猪苗代町出身の世界的細菌学者・野口英世博士らを想定し、偉人に合った有名な場面を設定する。
 市内出身の洋画家・高村智恵子生誕130年を記念した展示や平成32(2020)年東京五輪に向けた企画も検討している。
 開場時間は午前9時から午後4時まで。入場料金は27年同様に大人700円、中学生以下無料とする。
 理事会には代表理事会長の新野洋市長、専務理事の後藤宏迪副市長ら約10人が出席した。
( 2016/01/24 『福島民報』)

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秋、二本松市の霞ヶ城で開催されている「二本松の菊人形」。毎年この時期にはテーマを決め、それに向けての準備が始まります。今年は智恵子の生誕130年ということで、関連する展示も検討中とのこと。ありがたいことです。

一昨年は「二本松築城600年「にほんまつヒストリア」」というテーマの中で、光太郎智恵子の人形が展示された「あどけない話 ~詩人高村光太郎と妻智恵子~」という場面があり、昨年はテーマとは別に智恵子の菊人形も並び、テレビ東京系BSジャパンさんの「空から日本を見てみよう+ 福島県郡山~二本松 東北第二の都市から絶景安達太良山へ」で紹介されました。上記記事の画像に写っている人形も智恵子です。

今年はさらなるバージョンアップを期待します。


【折々の歌と句・光太郎】

我庭にききける音とはわかちありや神の宮居にうたふ鶯
明治32年(1899)頃 光太郎17歳頃

気がつけばもうすぐ1月も終わり。じきに立春ですね。当方の住む千葉県はここ数日、また日中は穏やかな陽気になっています。さすがにまだウグイスの声は聞こえませんが。

智恵子の故郷、福島県二本松の観光協会さんのサイトから。 

2015「二本松の四季」観光フォトコンテスト作品展開催中!

【場所】市民交流センター3階市民ギャラリー前通路 福島県二本松市本町二丁目3番地1
【期間】平成28年1月14日(木)~2月3日(水)9時30分~17時00分
市民交流センター3階市民ギャラリー前通路にて 、2015「二本松の四季」観光フォトコンテスト「夏」「秋」「菊人形」部門に応募いただきました全作品を展示しています。是非お立ち寄りください!
※月曜日は大山忠作美術館は休館ですが、市民ギャラリー前通路、展望ラウンジスペースは出入り可能となっており、月曜日も観覧できます。 また、現在「冬」部門の作品を募集中です。沢山のご応募、お待ちしております。

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コンテストは、「二本松市内の様々なスポット、名所、四季の風物等の観光資源を、写真を通じて紹介でき、ポスターやパンフレット等で使用できる作品を募集」というコンセプトで行っているものです。

智恵子ゆかりの地を撮影した作品も多く、今回、「秋」部門の最優秀作が、紅葉の安達太良山頂付近で撮影された「ほんとの空の下」という作品。また、「菊人形」部門では、「菊花にかこまれた智恵子さん」という作品が優秀賞に選ばれています。

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その他の入選作もすばらしいものばかり。で、現在、二本松駅前の市民交流センターで、展示が行われているそうです。

せっかくの素晴らしい作品群ですので、市内で展示するだけでなく、市外、県外、特に首都圏などに持って行っての展示などもなされるといいと思うのですが……。


【折々の歌と句・光太郎】

いたづらに富士を負ひ立つ国かこれ島か小島か人なき土か
明治35年(1902) 光太郎20歳

手厳しいですね。今月から通常国会(常会)が始まりましたが、早速話題になっているのは政治とカネの問題。現今のこの国を見たら、光太郎はどういう歌を残すのでしょうか……。

智恵子の故郷・福島県二本松市からの情報です。

二本松市さんのサイトから。 

「智恵子の生家」二階を期間限定で公開します

明治初期に建てられ、清酒「花霞」を醸造していた旧長沼家。智恵子を育んだ「生家」であり、通常は立ち入りが制限されているこの「生家」二階を期間限定で公開します。
座敷を通り、階段を上がると、智恵子が過ごした部屋が当時のまま保存されています。

この機会に是非ご覧ください。

冬季期間(平成28年2月)  2月の土曜日、日曜日、祝日

公開時間  午前の部 11時00分~12時30分  午後の部 13時30分~15時00分
入館料金  
一般410円 ※20名以上の団体は360円 子ども(小・中学生)200円
                    ※20名以上の団体は150円

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昨年のふくしまデスティネーションキャンペーンにともない、6月に公開を始め、その後、夏休み期間の7・8月、菊人形期間の10・11月にも公開が行われました。

当方は菊人形期間の10月に行って参りました。その際のレポートがこちら

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二階だけでなく、一階部分も歩けます(通常は一階部分、外から見るだけです)。

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智恵子やその血縁者の息吹が感じられます。ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

横町の狗まで地図にかいてなし     明治38年(1905) 光太郎23歳

五七五の形をとっていますが、季語はなく、俳句と言うより川柳です。「狗」は犬です。

小説家・山岸荷葉にあてて書かれた絵葉書にしたためられました。犬に驚いて倒れている自転車に乗った男の絵が描かれていますが、光太郎が描いたものではなく、既製品のようです。

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雑誌新刊情報です。 

『男の隠れ家』 2016年2月号

株式会社三栄書房 2015.12.26発売 特別定価730円

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特集「文豪の描いた世界へ 名作の舞台を往く」の中に、「高村光太郎『智恵子抄』を往く 智恵子生家(福島県・二本松市)」があります。


他のラインナップは以下の通り。

故郷への思いを捨てきれなかった「太宰治」 太宰治『津軽』を往く(青森県・津軽半島)
自身の体験を投影した「川端康成」の自伝的小説 川端康成『伊豆の踊子』を往く(静岡県・伊豆半島)
果てなき故郷への「島崎藤村」の眼差し 島崎藤村『夜明け前』を往く(岐阜県・馬籠宿)12人の子供たちへの「壺井栄」の想い 壺井栄『二十四の瞳』を往く(香川県・小豆島)
懸命に生きた若者の群像を描いた「司馬遼太郎」 司馬遼太郎『坂の上の雲』を往く(愛媛県・松山市)
作品を制作することへの「夏目漱石」の想い 夏目漱石『草枕』を往く(熊本県・熊本市~玉名市)

三島由紀夫『潮騒』を往く 神島(三重県・鳥羽市)
志賀直哉『城の崎にて』を往く 城崎温泉(兵庫県・豊岡市)
伊藤左千夫『野菊の墓』を往く 矢切(千葉県・松戸市)
三浦綾子『氷点』を往く 見本林(北海道・旭川市)
織田作之助『夫婦善哉』を往く 法善寺 夫婦善哉(大阪府・大阪市)

永井荷風が愛した浅草を食べ歩く 
雑司ヶ谷・染井霊園で文豪のお墓参り


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太宰から漱石までは扱いが大きく、各8頁。三島、志賀直哉が各1頁。光太郎を含め、伊藤左千夫から織田作之助までは各半頁。光太郎の扱いが小さいなとは思いますが、まあ、こういうこともあるでしょう。

智恵子の故郷・二本松の智恵子生家/智恵子記念館を取り上げて下さっています。

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それから、「雑司ヶ谷・染井霊園で文豪のお墓参り」の項で、染井霊園の高村家墓所が紹介されています。

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2月号の扱いですが、発売は昨年暮れ。現在も店頭に並んでいます。ぜひお買い求めを。


昨日のこのブログでご紹介した、NHKさんで放映された新春スペシャルドラマ「富士ファミリー」。劇中に「光太郎」が出て来ましたが、高村光太郎とは直接の関係はありませんでした……。すみません。

こちらは確実に高村光太郎・智恵子にからむドラマの放映です。 

浅見光彦シリーズ22首の女殺人事件~福島‐島根、高村光太郎が繋ぐ殺人ルート!智恵子抄に魅せられた男が想いを託した首の女の謎

BSフジ 2016年1月 6日(水)12:00~13:57

福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。
光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は?宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは?浅見光彦が事件の真相にせまる!!

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初回放送はもともとは平成18年(2006)。年に1~2回、再放送されています。岩手花巻の、現在は使用されていない、元の高村記念館(ただしドラマでは花巻という設定ではありませんが)、福島二本松の智恵子の生家・智恵子記念館などでロケが行われました。

ご覧になったことのない方、ぜひどうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

うつぶきてわれうなづかむえにしありそのかきぞめのこころを問ふな

明治34年(1901) 光太郎19歳

与謝野鉄幹・晶子夫妻の新詩社に出入りしていた頃の作品です。この頃の作には、鉄幹の添削がかなり入っているそうですし、内容的にも架空の恋を謳ったものなども多いのですが、とりあえず。

戦後、花巻郊外太田村の山小屋に移ってからの光太郎は、毎年1月2日に書き初めをする習慣があったことがはっきりしていますが、おそらく若い頃からそうだったのではないかとは思われます。

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福島県中通り、智恵子の故郷、二本松に隣接する大玉村という小さな村からのニュースです。 

福島)ペルーの空へ 長靴よ届け

『朝日新聞』 福島版 2015/12/7003

 「ほんとの空」からペルーの空へ飛んでけ~! 大玉村で6日、マチュピチュ村との友好都市締結を記念した長靴投げ大会と牛乳早飲み大会が開催された。農業と畜産業が盛んな村で、多くの人がお世話になっている「長靴」への感謝を込めたという。
 安達太良山のふもとに広がる大玉村ふれあい広場。風が強く吹く中、長靴投げ大会は始まった。上投げや下投げ、普段は履いているゴムの長靴をめいっぱい空へ向かって投げる。
 玉井小学校5年の官野祐太君(10)は「長靴を飛ばす機会が来るとはおもわなかった。なかなか飛ばなくて悔しい。来年こそは」と誓っていた。マチュピチュ村までの距離約1万5千キロ。今回の最高記録は35・3メートルだった。
 同時に開催された牛乳早飲み大会では、コップの牛乳をストローで飲む時間を競った。寒さで手を震わせながらも、親子ともども必死に飲み干していた。
 大玉村とマチュピチュ村は10月、村出身の野内与吉氏がペルー移住後にマチュピチュ村長を務めたことなどから、友好都市提携を結んだ。今後も様々なイベントを開催し、PRしていきたいという。
 

「長靴」マチュピチュに届け~! 友好都市締結の大玉で催し

『福島民友』 2015/12/9

 南米ペルーのマチュピチュ村と友好都市協定を結んだ大玉村の若手有志らでつくる「ブルースカイおおたま」(鈴木正広代表)は6日、国道4号沿いの同村ふれあい広場で「マチュピチュに届け~長靴投げ・牛乳のみ大会」を開き、参加者が寒空の中、元気いっぱいに動き回った。東邦ゴム工業、東北協同乳業の特別協賛。
 友好都市締結を地元から盛り上げようと9月に発足した同団体の初イベント。多くの村民が参加し、牛乳早飲みや長靴投げに挑戦した。
 同団体は今後、定期的に地域活性化に向けたイベントに取り組んでいく予定。

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友好都市提携については、9~10月に報じられていました。
 

マチュピチュ村、福島の恩忘れず 大玉村と友好都市に

『朝日新聞』 2015/9/4005

 「空中都市」と呼ばれる世界遺産のマチュピチュ遺跡があるペルーのマチュピチュ村と、福島県大玉村が友好都市提携する。3日、ペルーのエラルド・エスカラ大使らが発表した。マチュピチュ村が提携するのは初めて。村に移り住み、世界的な観光地になる礎を築いた村長が大玉村出身だったことから、マチュピチュ村が提携を申し入れた。
 安達太良山(あだたらやま)のすそ野に広がる大玉村(人口約8500人)で記者会見を開いたエスカラ大使によると、マチュピチュ村は遺跡のある山のふもとに約3千人が住む。世界中から多くある友好都市提携の申し入れを「縁や関わりがないから」と断り続けてきたという。「恩人、野内与吉さんの故郷と真っ先に提携を結びたかった」と村の意向を説明した。
 野内さんは1917年、21歳の時に移民としてペルーへ渡った。国鉄に勤め、マチュピチュ村までの線路敷設に携わった後、遺跡の美しさを世界に広めたいと移住。何もなかった村に水力発電設備を作り、ホテルを建てた。2年間村長を務め、69年に亡くなった。
 マチュピチュ村は以前から大玉村に提携を申し入れていたが、大玉村側の渡航資金不足などで実現していなかった。2012年、野内さんの孫で名古屋市に住むセサル良郎さん(39)の働きかけで、大玉村民らがマチュピチュを訪問。提携の機運が高まった。
 提携式は10月、マチュピチュ村で開かれる。今後、学生の交流や農業研修を進める予定。良郎さんは「マチュピチュに電気という希望の灯火をつけた祖父の功績が、今度は原発事故で苦しむ福島の明かりとなるのならうれしい」と話す。
 大玉村の押山利一村長は「世界で最も有名な村の友好都市になることで大玉村を知ってもらえる。先祖が残した大いなる遺産だ」と笑顔を見せた。(江戸川夏樹) 

友好都市協定を締結 世界初大玉村とマチュピチュ村 遺跡で式典

『福島民報』 2015/10/28

【ペルー・マチュピチュ村で田口敏啓本宮支局長】大玉村は26日(日本時間27日午前)、ペルーのマチュピチュ村と友好都市協定を結び、末永い交流を誓った。
 大玉村にとって初めての友好都市で、マチュピチュ村が海外の自治体と相互に連携する取り決めを結ぶ第一号となった。
 締結式は空中都市として知られる世界遺産「マチュピチュ遺跡」で行われた。羽織はかま姿の押山利一大玉村長と、ペルーの伝統衣装を着たダビ・ガヨソ・ガルシアマチュピチュ村長が協定書にサインした。遠藤義夫村議会議長、野内文孝村国内外交流推進会議会長、株丹達也駐ペルー大使らも出席した。
 ペルーの山間地帯は現在、雨期。インカの司祭による儀式の最中、晴れていた空に突然雷鳴が響き、神秘的な場面を演出した。
 協定書は7項目からなり、農業分野では両村の農業技術や成功事例について情報交換するとしている。文化面ではマチュピチュ村が織物などの伝統技法や考古学の知識を大玉村に伝える。防災面では大玉村が消防ポンプ車をマチュピチュ村に贈る計画を進める。地域づくり、教育分野の交流なども項目に盛り込まれた。
 協定締結は大玉村出身の移民・故野内与吉氏が初代マチュピチュ村長を務めた縁がきっかけとなった。

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縁は異なもの味なもの、という感じですね。世界遺産のマチュピチュ遺跡同様、「ほんとの空」のある安達太良山も世界的に注目されてほしいものです。

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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月11日

昭和52年(1977)の今日、千葉県成田市の成田山史料館で開催されていた「没後30年記念 水野葉舟―三里塚の文人たち―」展が閉幕しました。

水野葉舟は明治16年(1883)、光太郎と同じ年の生まれです。与謝野鉄幹・晶子の新詩社に依り、光太郎と知り合いました。その後、小説家に転じましたが、思うところあって大正13年(1924)千葉県印旛郡遠山村(現・成田市)に移り住み、昭和22年(1947)に歿するまで、晴耕雨読の生活を続けました。後の光太郎の花巻郊外太田村での隠遁生活に影響を与えた一人です。

光太郎は葉舟の著書の装幀などにかかわり、遠山村もたびたび訪れました。そうした関係で、光太郎に関する資料も多数並びました。

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このブログで先月お伝えした、昭和32年(1957)の東宝映画「智恵子抄」で智恵子を演じた元女優の原節子さん。


先週、二本松から、映画「智恵子抄」がらみの続報が舞い込んできました。 

福島)昭和の大横綱と大俳優 二本松市に足跡あり

『朝日新聞』 福島版 2015/12/2

 はりのある肌、浮き出る筋肉。九州場所中に急死した大横綱・北の湖理事長を描いた肖像画の展示が大山忠作美術館(二本松市本町2丁目)で始まった。同市出身の画家大山さんが1982年、60歳の時に、当時横綱だった北の湖関にほれ込んで描いたという。
 北の湖関に父のように慕われ、酒を酌み交わした大山氏。ポーズをとる横綱をスケッチし、数カ月かけて絵に命を吹き込んだ。和紙に岩絵具を何度も重ねた絵は立体感にあふれる。
 お礼に、と渡されたのが土俵入りに使ったしめ縄だ。丸く結ばれた雲竜型は小さく見える。だが大人2人でやっと運べるという重さだという。肖像画と共に来年4月まで展示される。
 二本松は9月に亡くなった原節子さんが映画「智恵子抄」(1957年)のロケで訪れた場所でもある。市智恵子記念館(同市油井)に残されたアルバムには、二本松城跡の天守台でほほえむ写真が収められている。
 当時の新聞記事によれば、智恵子を演じた原さんと高村光太郎役の山村聡さんは2日間、城跡や智恵子の生家で熱演。2、3千人の見物人が詰めかけたそうだ。アルバムにはロケの合間にご飯を食べる原さんの写真や、「郷土二本松本格的ロケ敢行」とうたった新聞広告もある。
 新野洋市長は11月27日の定例会見で「二本松にいた原さんの姿をぜひ映像で見せられるような企画をたてたい」と話した。

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「二本松にいた原さんの姿をぜひ映像で見せられるような企画」という新野市長のご提案、ぜひとも実現して欲しいものです。

当方の手もとにもいろいろと関連資料がありますが、二本松市近辺でも個人のお宅などにこうした写真類などが探せばありそうな気もします。

記事の前半にある故・大山忠作画伯は、「智恵子に扮する有馬稲子像」など、智恵子をモチーフにした作品も何点か遺されています。そのご縁で、お嬢さんである女優の一色采子さんは、4/2の連翹忌にご参加下さっています。そのあたりもからめた企画もありなのではないでしょうか。

ところで、昨夜、BS-TBSさんで放映された「美しい日本に出会う旅」を拝見しました。サブタイトルが「 憧れの紅葉・絶景スペシャル~錦秋の北アルプス・京都・奈良」。「福島」の文字が入っていなかったのですが、磐梯山、会津若松、そして安達太良山が取り上げられました。どうも当初の予定では福島を取り上げる予定ではなかったのが、急遽、入れたように思われます。ネットのテレビ番組情報サイトでも、放映前日の一昨日になって「安達太良山」の検索ワードで網に引っかかりました。

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安達太良山は、10月中旬のロケだったそうです。

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歌舞伎俳優・中村七之助さんのナレーションで、光太郎詩「あどけない話」も紹介して下さいました。

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こういう場合、画面に詩句がテロップで流れるのが普通です。

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上は今年2月にNHK BSプレミアムさんで放映された「にっぽん百名山 安達太良山」。下は昨年11月、BS-TBSさんで放映された「日本の名峰・絶景探訪 #58 「紅葉色めく湯の山 安達太良山」」。

今回、それはありませんでした。こうしたところも、急遽、福島編を追加したからではないかと思われます。

まあ、それでも「ここにほんとの空がありました」的なナレーションが入ったので、よしとしましょう。来年の紅葉シーズン前にでも再放送していただき、観光客誘致につながってほしいものです。

ところで、先月、NHKBSプレミアムさんでは、「にっぽん百名山SP あなたが好きな山!深田久弥が愛した名峰へ」という番組があり、その中でも安達太良山と「あどけない話」が紹介されました。しかし、その時には番組情報サイトに「安達太良山」の文字が入っていなかったため、事前に把握できずにこのブログでご紹介できませんでした。

明日も「ほんとの空」系のネタをご紹介します。
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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月10日

昭和13年(1938)の今日、詩報発行所から『新日本詩鑑 第一輯 1938』が刊行されました。

有名無名併せて250余名の詩人の作品を集めたアンソロジーです。

光太郎は「天日の下に黄をさらさう」という詩を寄稿していますが、これが全作品の最初に掲載されており、当時の光太郎の「格」が象徴されています。

3年後の太平洋戦争開戦後は、翼賛詩一辺倒になって行く光太郎ですが、この時期にもすでにその萌芽が見られます。


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一昨日、訃報の出た元女優・原節子さんがらみの記事が、福島の地元紙『福島民友』さんに掲載されました。

原節子さんの二本松ロケの写真発見 智恵子記念館が保管

 昭和を代表する女優で、亡くなった原節子さんが、二本松市出身の洋画家・紙絵作家高村智恵子を演じた東宝映画「智恵子抄」のロケで同市を訪れ、その際に撮られた写真が智恵子の生家近くに立つ智恵子記念館の収蔵庫に保管されていたことが26日、分かった。同市文化課の職員が発見した。
 
 写真は人目に触れる機会があまりなかったとみられ、アルバムのような形で整理されていた。この中にはロケを報じる新聞記事の切り抜きなども収められていた。
 映画は東宝が制作、1957(昭和32)年に公開された。当時の新聞記事によると、二本松ロケは同年3月に行われたとみられ、かつて酒造業を営んでいた智恵子の生家や県立霞ケ城公園でロケをしたとあった。
 写真は本丸天守台に立つ原さんと夫の光太郎役を演じた山村聰さんの姿を撮影。そのほか智恵子の生家でのロケの様子を撮った写真もあった。
 智恵子と光太郎を顕彰する「智恵子のまち夢くらぶ」の熊谷健一代表(65)は「私は当時7歳で記憶はないが、また聞きですごい人だかりだったと聞いている。智恵子の生家の通りをはさんで向かいの家も、2階まで人がびっしりだったようだ」と話した。

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東宝映画「智恵子抄」では、2回にわたり二本松でのシーンが使われています。それぞれ、旧安達町の智恵子生家、二本松霞ヶ城でロケが行われています。合間には安達太良山や阿武隈川の風景も。

まず、智恵子生家。1回目は、史実でいうと大正9年(1920)。光太郎が初めて智恵子の実家、長沼家を訪れて歓待されたというシーンです。

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2回目は、やはり史実では昭和4年(1929)、破産直後の長沼家を智恵子が一人で訪れるシーンです。

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没落後という設定で、映画が制作された昭和32年(1957)当時の智恵子生家がそのまま使われました。上記の大正9年(1920)時点の生家は、看板や板などを貼り付け、往時の姿を復元して撮ったのでしょう。かなり手が込んでいます。

ただし、内部は別の家屋、もしくはセットで撮られたようで、よく見ると階段の位置等が実際とは違っていました。

続いて、霞ヶ城。

まずは大正9年(1920)。幸福だった光太郎智恵子。お約束の「樹下の二人」の「あれが阿多多良山/あの光るのが阿武隈川」が使われました。

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こちらは宣伝用のスチール写真。

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このカットは、ポスターにも使われています。そのポスターは当方の書斎に飾ってあります。

さらに昭和4年(1929)、傷心の智恵子が一人霞ヶ城を訪れるという設定です。

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ついでですのでご紹介しますが、こちらは九十九里浜での撮影の合間に撮られたスナップ。左端に写っているのは、智恵子の実妹・セツです。歴史的にも貴重です。

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九十九里では昭和8年(1933)、実際に智恵子が療養していた辺りでのロケが行われ、その頃はセツも存命でした。ちなみにセツは、10年後に撮られた松竹制作の岩下志麻・丹波哲郎版の「智恵子抄」のパンフレットにも写真が掲載されています。

どこかでまとめて展示していただけるとありがたいところです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月28日

昭和2年(1927)の今日、帝国大学仏教青年会で催された大調和美術講演会で講演を行いました。

昨日は、東京上野に行っておりました。目的は、大正3年(1914)、光太郎智恵子が結婚披露宴を行った精養軒さんでの、「福の島プロジェクト 福島応援団四周年記念 第四回 ふくしまの食材を使ったフレンチの夕べ」でした。

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東日本大震災からの復興支援ということで、福島の食材の魅力をアピールする催しで、さまざまな団体さんの協賛のもと、政財界を始め100名あまりの参加者が集い、盛大な催しとなりました。

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会場内には即売コーナーも。

まずはオープニングライブということで、「智恵子抄」に自作の曲をつけて唄われているシャンソン歌手のモンデンモモさん。会場の一角をパーテーションで仕切った即設のライブスペースで行いました。

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ピアノ伴奏は船本美奈子さん。

特に「樹下の二人」(あれが阿多多良山/あの光るのが阿武隈川)、「あどけない話」(智恵子は東京に空が無いといふ、/ほんとの空が見たいといふ。)といった、福島を謳った作品には、お聴きの皆さんも心打たれたようでした。

その後、メイン会場に戻り、「フレンチの夕べ」でした。

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主催者であられる「福の島プロジェクト」さんの小林文紀会長、「ほんとの空」にからめてのご挨拶。

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乾杯の御発声は、川内村村長・遠藤雄幸氏。

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同村で毎年開催されている、当会の祖・草野心平を偲ぶ「かえる忌」や「天山祭」の関係で、遠藤村長とは親しくさせていただいており、昨夜もいろいろお話をさせていただきました。一昨年の第2回からご参加なさっているとのこと。

その後は美味しい料理を堪能いたしました。ひさしぶりに日本酒もいただきました。

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一品ずつ、生産者や販売者の方、関係者の方による説明があってから饗されるというスタイルで、それぞれの方の熱い思いが語られました。

上記は鯉の唐揚げの際のご説明。郡山市長・品川萬里氏です。食用の鯉は、福島が全国一の生産量だそうです。

後半には再びモンデンモモさんと船本美奈子さんがご登場、今度はシャンソンのスタンダードナンバーをご披露なさいました。

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モモさん、ご来賓のフランスの方をステージに上げ、デュエット。相変わらず強引です(笑)。

そして閉会。

帰りがけ、参加者全員に、福島産の薔薇一輪と、お米「天のつぶ」(500㌘)が配られました。ありがたや。薔薇はさっそく書斎に飾ってある光太郎遺影に供えさせていただきました。

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お米もいずれいただきます。



まだまだ福島の復興も道半ばです。いわれなき風評被害はだいぶ治まったようですが、これからは、「風化」との闘いでしょう。皆様も、ご支援のほどお願いいたします。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月27日

大正14年(1925)の今日、光太郎の父・高村光雲が、勲二等瑞宝章に叙せられました。

昨日に続き、まずは福島二本松レポートを。

「智恵子講座’15」第2回の終了後、今年も智恵子の人形が展示されているということで、「第61回 二本松の菊人形」を観に、歩いて霞ヶ城公園に向かいました。午前中は降っていた雨もあがり、「ほんとの空」も顔を出し始めていました。
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入場券を買って会場内へ。まずは人形ではなく、愛好家の方々が丹誠込めて育てた菊花の展示です。
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続いて、「菊人形ゾーン」。こちらは毎年テーマを決めて構成されています。昨年のテーマは「二本松築城600年 にほんまつヒストリア」。伊達政宗や安達ヶ原の鬼婆伝説、戊辰戦争にまじって、「あどけない話 詩人高村光太郎と智恵子結婚100周年」というわけで、光太郎智恵子の人形も展示されていました。

今年のテーマは「幕末維新伝」。池田屋事件やら和宮降嫁やら
で場面が構成され、ここには智恵子の人形はありません。

「菊人形ゾーン」の次が「ガーデンゾーン」。菊を使ったガーデニングを作品としてディスプレイするというコンセプトのコーナーです。智恵子人形はこちらにあるようです。

昨年はタイミングが悪く、当方が足を運んだ際には智恵子人形はお召し替え中でした。菊の花も生き物ですから、やがて枯れたりしてきますので、会期中に何度か付け替えなければならないのです。ただ、それほど頻繁に替えるわけでもないようなので、今年は大丈夫だろうと思っていました。

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しかし、あにはからんや、ガーデンゾーンに入る前の作業小屋に、智恵子がいました(笑)。今年もお召し替え中。つくづくタイミングの悪い男です。

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まあ、作業を間近に観ることができたのはよかったのですが……。菊も生き物ですから、しかたがありません。

本来であれば、ここに智恵子がいるはずでした。

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「二本松市合併10周年記念 特作花壇 ほんとの空と秋のにぎわい」というコーナーです。

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ところで、昨年は開幕してすぐの10月中旬に観に行きました。今年は約1ヶ月遅かったのですが、その分、紅葉が進んでいて、その意味ではいいタイミングでした。

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「第61回 二本松の菊人形」、11月23日(月・祝)までの開催です。ぜひ足をお運びください。


もう1件、智恵子がらみで。

平成14年(2002)、智恵子を主人公とした、野田秀樹さん作、大竹しのぶさん主演の一人芝居「売り言葉」が公演されました。その後、シナリオも公刊され、アマチュア劇団等で繰り返し上演されています。

世田谷は上野毛で公演があるとの情報を得ましたので、ご紹介します。 
【作】野田秀樹
【演出】小野晃太朗
【出演】畑中瀬音・平山犬

△ STAFF 装置・音響:小野晃太朗/照明:小泉萌/衣裳:須澤里佳子/演出助手:寺澤亜彩加
△ SCHEDULE 11/21(土)18:00 11/22(日)14:00 ※受付・開場は開演の30分前となります。
△ PLACE 多摩美術大学上野毛キャンパス内 演劇舞踊スタジオD
△ TICKET 無料・全席自由席 https://www.quartet-online.net/ticket/tit4tat 予約はチケットフォームより

野田秀樹の作・演出と、大竹しのぶの怪演によって『智恵子抄』で有名な高村智恵子の人生を下敷きに、高村光太郎を通して男性のエゴ、歴史的美談の欺瞞を暴きだした『売り言葉』を二人芝居として上演します。
女を書いた男を書いた男の本を演出するということについて、考えています。
もしかしたら、売り言葉に対する売り言葉になるかもしれません。

本来、一人芝居ですが、それを二人でやるということで、「売り言葉に対する売り言葉」ということのようです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月17日

昭和25年(1950)の今日、花巻郊外太田村の山小屋で、草野心平からの葉書を受け取りました。

詩集「典型」いただきました。ありがたう御座ゐます。
たいがいは一度拝見していたものですが、改めて通読して異常な感動をおぼえました。どうも考えてみますと僕などは実に甘ちよろいものです。反省と勇気を同時に持つやうな、そんな状態になりましたことを個人として感謝いたします。
書評を頼まれましたので感想を綴つてゐるところですがむずかしいです。
別封歴程お送りいたしました。今度は売れなくても続けてゆける体制をととのへました。二号はもう印刷に回つております。三号から、以前歴程にいただいた某月某日のやうなもの五枚ずつ書いていただけませんでしようか。御礼はとうてい出来ませんが。三号〆切は十一月十日なのですが。             十一月十四日

「典型」は、この年10月、光太郎が刊行した詩集。「歴程」は戦前に心平が主宰していた雑誌で、昭和23年(1948)に復刊しましたが、途切れがちの刊行だったようです。

昨日は智恵子の故郷・二本松に行っておりました。

まずは二本松霞ヶ城に近い、福島県男女共生センターで開催された「智恵子講座’15」の第2回にお邪魔しました。

講座全体は「高村智恵子に影響を与えた人達」というテーマで行っており、今回の講師は福島県中国交流史学会長、元福島女子高教頭の小島喜一氏。題は「油井小学校と福島高等女学校の先生達」。

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油井小学校時代の智恵子の恩師の中には、後の智恵子の一生に大きく影響を与えた人物がいます。

一人は服部マス。智恵子の担任ではありませんでしたが、唱歌の授業を担当していました。智恵子より8歳上の明治11年(1878)生まれです。智恵子在学中の明治33年(1900)、他校に転任、翌年には退職し、この年創立された日本女子大学校国文学部に第一回生として入学しました。当時の日本女子大学校には、服部のように既に職業を持っていた婦人が仕事を辞めて入学したケースも珍しくはなかったそうです。

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上記は後に同校同窓会である桜楓会から刊行された雑誌に載った卒業生名簿です。ちなみに服部の3人前にある「橋本八重」は画家の柳敬助と結婚し、さらに後に載せた小橋三四子ともども、光太郎智恵子を結びつける役割を果たします。

後を追うように、明治36年(1903)には、智恵子が同校に入学。それに際しては、はじめ智恵子の進学を渋った智恵子の両親に、服部から説得の手紙がもたらされたということですし、「服部先生がいる学校だから」ということで両親も進学を認めた経緯があるようです。

のちに服部は大陸に渡り、北京予教女学堂、奉天女子師範学堂に勤務。帰国後、大正11年(1922)頃から中華民国留学学生援護機関日華学会理事、中国留日女子学生寮寮監を務め、「中国人留学生の母」と称されました。

もう一人、智恵子の妹・ミツの担任だった小笠原トクヨ。明治13年(1880)の生まれ。小笠原も服部同様、油井小学校での勤務を経て、こちらは東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)に進み、後に二階堂体操塾(現・東京女子体育大学)を創設します。智恵子は小笠原に非常になついており、師範学校への進学に際しては、智恵子の実家の長沼家から援助があったらしいとのことです。

こうした先達の存在が、後の智恵子の日本女子大学校進学に影響を与えたことはまちがいありません。

その他、智恵子在学当時の油井小学校や福島高等女学校の教員の氏名など、当方も知らなかった資料がレジュメに記載されており、ありがたいかぎりでした。

さらに、こちらも当方は全く存じませんでしたが、二本松出身・在住だった俳人で自由民権運動家の加藤哲壽という人物が光太郎と親交があり、大正9年(1920)に光太郎が智恵子の実家に行く途上で加藤の家に立ち寄ったり、加藤が光太郎の木彫「蟬」を購入したりしたといったエピソードも紹介されました(小島氏は加藤と親交があり、実際に手に取ってみたとのこと)ただし、加藤家にあった資料類は昭和30年代、行政の無理解で散逸してしまったそうです。

小島氏は昭和3年(1928)のお生まれだそうですが、途中、短い休憩は入ったものの、2時間以上、立ちっぱなしでのご講義。そのバイタリティーには脱帽でした。

第3回の講義は当方が講師を仰せつかっていますが、パソコンとプロジェクタを使ってスライドショーを投影しながら進めますので(と言い訳しつつ)、座ってやらせていただきます(笑)。


講座修了後、「第61回 二本松の菊人形」に足を運びました。そちらは明日、レポートいたします。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月16日

大正15年(1926)の今日、詩人の宮崎丈二に訳詩の原稿を送附しました。

原詩はアメリカの詩人、ホイットマンの書いた「栗色の顔をした野の若者よ」。翌昭和2年(1927)1月の雑誌『太陽花』第2巻第1号に掲載されました。

『太陽花』は静岡で刊行されていた地方詩誌です。たびたび光太郎も寄稿していましたが、現存部数が非常に少ないようで、「栗色の顔をした野の若者よ」光太郎訳がどういう内容なのか、不明です。

だいぶ以前にも書きましたが、掲載誌は横浜・港の見える丘公園にある神奈川近代文学館さんに所蔵されています。しかし、「栗色の顔をした野の若者よ」の載ったページだけ破り取られており、読めませんでした。

情報をお持ちの方はこちらまでご教示いただければ幸いです。

8日の日曜日に福島大学さんなどの主催で開催されたシンポジウム「ほんとの空が戻る日まで-福島の復興と地方創生-」について、報道が為されていますのでご紹介します。

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復興担い手増やす 福島大・医大シンポ、小泉進次郎氏ら意見

 福島大と福島医大は8日、東京都内でシンポジウム「ほんとの空が戻る日まで―福島の復興と地方創生」を開いた。前復興政務官で「ふたばの教育復興応援団」を務める小泉進次郎氏、コピーライター糸井重里氏、福島大特任研究員の開沼博氏による鼎談(ていだん)では被災地支援について「関わりたくてもできなかった人が、復興に参加できる仕組みが重要」との考えで一致した。 
 
 震災と原発事故からの復興の課題などに理解を深めてもらおうと両大が合同で企画、約300人が来場した。小泉氏は「さまざまな立場の人をどう復興に巻き込んでいけるかを意識した。特に企業に協力を呼び掛けた」と述べ、政治家や行政などのほか、幅広い支援の必要性を指摘した。
 また糸井氏は本県復興について「全員が完全にやり遂げるのは無理。それぞれの立場の人が自分の守備範囲で、無理のない範囲で関われるような仕組みが必要」と述べた。
 中井勝己福島大学長、大戸斉福島医大副理事長が主催者を代表してあいさつ。中田スウラ福島大うつくしまふくしま未来支援センター長と谷川攻一福島医大副学長が両大の震災、原発事故後の取り組みを報告した。
(『福島民友』 2015年11月10日) 
 

都内で福大、福医大合同シンポ 糸井氏研究の中心地に 小泉氏人生懸け取り組む

 福島大と福島医大の東京シンポジウム「ほんとの空が戻る日まで-福島の復興と地方創生」は8日、東京都千代田区の一橋大で開かれた。衆院議員の小泉進次郎氏とコピーライターの糸井重里氏、福島大うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員の開沼博氏による鼎談(ていだん)では、小泉氏が「人生を懸けて(東京電力福島第一原発の)廃炉まで取り組む」と決意を語った。
 東日本大震災後、福島大が県外で復興シンポジウムを開くのは4回目で、福島医大との合同開催は初めて。約300人が来場した。
 鼎談で小泉氏は、広野町のふたば未来学園高の開校を振り返り、「(双葉郡の)教育に携わったというのは一過性のつながりだけでは済まない。廃炉まで50年かかるとしても自分の人生を懸けて取り組む」と述べた。
 さらに「福島大は東北の大学で唯一農学部がない。党農林部会長として力を尽くせるところだ」と述べ、福島大の農学部新設に意欲を示した。
 糸井氏は福島第一原発の廃炉は世界の最先端の取り組みだと強調し、「福島は廃炉研究の中心地になる。ぜひ若い学生に働いてほしい」と呼び掛けた。
 福島大うつくしまふくしま未来支援センターの中田スウラ・センター長による活動報告や、本県の復興をテーマにしたパネルディスカッションもあった。
 会場では、福島大の学生が福島市で収穫した新米も販売され、来場者の人気を集めた。
(『福島民報』 2015年11月10日)  

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福島の復興 東京で考える

◆小泉進次郎氏ら鼎談など
 福島の復興を考えるシンポジウム「ほんとの空が戻る日まで」(福島大、県立医大主催、読売新聞社など後援)が8日、東京都千代田区の一橋大「一橋講堂」で開かれ、大学関係者や被災者ら約300人が参加した。
 鼎談は、前復興政務官の小泉進次郎氏とコピーライターの糸井重里氏、福島大特任研究員の開沼博氏が福島の復興や福島との関わり方について議論した。
 糸井氏は、東京電力福島第一原発事故後、現地でロボットなど廃炉に関する最先端の新事業が始まったことを例に挙げ、「ピンチを経験しないとチャンスは捕まえられない。これは福島全体の問題に応用できるのでは」と指摘。小泉氏は被災地支援について、「被災地での取り組みを笑顔で前向きに発信してくれる人の参加が大切だ。始めやすいところから多くの人に始めてほしい」と語った。
 大学、企業関係者らのパネルディスカッションでは、多分野の連携や社会人教育、県外関係者の活用などの重要性が指摘された。
(『読売新聞』 福島版 2015年11月10日)  
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かけ声だけで終わることのないようにしていただき000たいものですね。


当方、明後日に「智恵子講座’15」及び「第61回 二本松の菊人形」のため、二本松に行って、「ほんとの空」を見て参ります。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月13日

昭和27年(1952)の今日、日比谷公会堂でフランスの詩人、ジョルジュ・デュアメルの講演を聴きました。

デュアメル(1884~1966)は、ユマニストとして知られる詩人。義兄にあたるシャルル・ヴィルドラックも詩人で、大正15年(1926)に来日した際、光太郎もその歓迎会に出席しています。

来日中のデュアメルは、尾崎喜八の案内で鎌倉を散策したり、翌月には広島を訪問したりしました。

この日の講演で、光太郎はかつて「ロマンロラン友の会」で共に活動していた片山敏彦、今井武夫らと再会しています。

今月中行われるもので3つほど、「智恵子抄」関連のイベントの情報を得ているうちの2つめです。 

大正3年(1914)12月22日、光太郎智恵子の結婚披露宴が開催された上野精養軒さんでのイベントです。 

福の島プロジェクト 福島応援団四周年記念 第四回 ふくしまの食材を使ったフレンチの夕べ

 皆さまお変わりなくお過ごしのことと、およろこび申し上げます。いつも、福島県を心にかけていただき、まことにありがとうございます。
東日本大震災、それに伴う原発事故から4年半が過ぎ、表面上は日常を取り戻した福島県ですが、まだ自宅に戻れない避難者が10万人を超え、さらには、農林水産物への風評被害もいまだ進行形です。
 私ども福の島プロジェクトが、震災直後から福島県の正しい姿を全国に発信する活動をしてはや4年。福島県産の農産物を使ったフレンチの夕べも、首都圏の皆様の友情に支えられて、今回で4回目を数えることとなりました。
今年も、全国新酒艦評会で金賞受賞数3年連続日本一の福島県より、自慢の日本酒を始め、おいしいおコメ、野菜など、ふくしま食材を使った、美味しいフレンチをお楽しみいただきます。
 首都圏にお住まいの皆様と、福島のおいしい時間をご一緒できますことを、楽しみにしております。
福の島プロジェクト 会長 小林文紀
日 時 : 平成27年11月26日(木) 開場 17:30
         オープニングライブ 智恵子抄をうたう 18:00~18:30
         ディナータイム フレンチの夕べ      19:00~20:45 
場 所 : 上野精養軒 桜の間 東京都台東区上野公園4-58 TEL:03-3821-2181
会 費 : 前売10,000円(当日10,800円)
 理 : フレンチの老舗上野精養軒のシェフが福島の食材をふんだんに生かした心込めたおもてなし .
飲み物 : 福島の蔵元から直送の日本酒/福島工場製造の朝日スーパードライ/
         こぶしの里のさるなしジュース/尾瀬の自然水/アクアイズ天然炭酸水
お楽しみ
 ◎福島の食材のフレンチディナーを着席ビュッフェスタイルで
 ◎全国酒艦評会金賞受賞酒とのマリアージュ
 ◎モンデンモモが唄うシャンソンの名曲に酔いしれてください
 ◎福島にこにこバラ園のバラ/会津木綿に江戸友禅師・加藤孝之氏デザインのナフキン
 ◎その他
主 催 : 福の島プロジェクト
主 管 : 有限会社HA2
協 力 : フランス料理文化センター/ラ・キャラバン・ボナペティ/
      NPO法人プロジェクト福島屋商店/GBP(がんばっぺ)福島/笹の川酒造/
      上野観光連盟/上野精養軒

オープニングライブ 智恵子抄をうたう

 高村光太郎が、亡き妻智恵子さんを偲んで詠んだ詩集「智恵子抄」にモンデンモモさんがメロディーをつけて歌い語ります。
 「智恵子抄」には、智恵子さんのふるさと福島県二本松市の大自然が詠われています。
 ご夫妻が結婚式を挙げた上野精養軒を舞台に、安達太良山や阿武隈川の光景を思い浮かべながらゆったりとした時をお過ごしください。

出 演 : 歌と語り モンデンモモ  ピアノ 船本美奈子

 この企画は、福島県に拠点をおく下村満子さん主宰の「生き方塾」の事務局長・三田様のご協力により実現しました。生き方塾応援団のお一人であるモンデンモモさんが福島を思う熱い気持ちのままに、智恵子抄を歌いあげます。

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というわけで、このブログで何度もご登場いただいているモンデンモモさんがご登場。オープニングライブと、ディナータイムの中でも歌われるようです。

こちらのイベントは今回で4回目。智恵子の故郷・二本松にほど近い郡山に拠点を置く「福の島プロジェクト」さんの企画で開催されます。公式サイトには以下の記述があります。

 「福の島プロジェクト」は、東日本大震災、そしてそれに伴う原発事故から立ち上がろうとする福島県を応援するために、福島県産品だけを取り扱う「ネットショップ福島屋商店」を中核に、福島県内の農業生産者、食品加工業者、道の駅、農産物直売所、酒蔵、宿泊業地域づくり団体が一つになって、これまで約3年間活動を続けてきました。

 活動3年目の今年は、県外・国外の皆様に、震災後の福島県の姿を正しく見ていただくために、活動の幅を広げています。

 福島県は案外大きな県です。県土の大きさはもちろんですが、少子化と震災で減らしたとはいえ、人口も195万人程あります。ほどよく首都圏から離れ、交通の便が良く、中都市が分散する県土は、それぞれの地域に異なった文化と伝統を持つ魅力ある地域です。私たちは、震災以前よりこの福島県を「うつくしま・ふくしま」と自慢していました。

 この「うつくしま・ふくしま」で育てられた農産物や加工食品を、安全には万全の注意を払ってお届けします。

 どうぞ、おいしいふくしまをお楽しみください。そして、「うつくしま・ふくしま」においでください。心からお待ちしております。

会長の小林文紀さんについてはこちら。



こういったイベントへの参加も、一つの復興支援です。よろしくお願いいたします。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月11日000

昭和26年(1951)の今日、詩人の宮靜枝が花巻郊外太田村の山小屋を訪れました。

宮靜枝は岩手江刺の出身で、戦前から東京で詩人として活動。光太郎同様、東京の家を戦災で焼かれ、郷里に近い盛岡に疎開していました。

宮はこの時の体験を元に、平成4年(1992)、『詩集 山荘 光太郎残影』を上梓、第33回晩翠賞に輝いています。

この中には、光太郎を謳った21篇の詩、詳細な訪問記、自身や同行した甥御さん、息子さんが撮った15葉の写真も収められています。


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昨日は福島県いわき市にて、光太郎の深い信頼を得、その歿後は顕彰活動の先鞭をつけた当会の祖・草野心平を偲ぶ集い「没後28回忌 第22回「心平忌」心平を語る会」に参加して参りました。

会場はいわき市小川町上小川にある草野心平生家。昨年に続き、2度目の訪問となりました。

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まずはすぐ近くの常慶寺さんで心平及びゆかりの方々の墓参。こうした場合にはいつもそうですが、光太郎の代参のつもりで手を合わさせていただきました。

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この辺り一帯は古い建物が残り、いい感じです。

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生家に戻って、「心平粥」「心平餅」をいただき、その後、元筑摩書房編集部長で、『草野心平全集』『草野心平日記』担当編集者、かわうち草野心平記念館(福島県双葉郡川内村)初代館長を務められた晒名昇氏の卓話「晩年の草野心平」。

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平成12年(2000)にいわき市立草野心平記念文学館さんで開催された企画展「草野心平年次詩集―凹凸の道―」の関連行事として行われた講演の内容を元に語られました。

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その後は「第7回 草野心平ふるさとの詩 けるるん くっく 発表会 表彰式」。こちらは地元小川地区の小学校4年生と中学校2年生を対象にした詩のコンクールです。

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最優秀のお子さんは、受賞作の朗読も行いました。後ろで写真の心平も微笑んでいます。

当方、同じ心平を偲ぶ川内村での「かえる忌」には3回お邪魔しましたが、こちらでの集いは初参加でした。こちらも手作り感溢れる温かみのあるイベントでした。やはりそれぞれの地元の人々が、地域の偉人として、その業績を伝えていくことは非常に大切なことだと思います。

いわき市、川内村ともども、末永く続けていって欲しいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】11月9日

平成3年(1991)の今日、NHK総合で単発の2時間ドラマ「智恵子と光太郎 極北の愛」がオンエアされました。

脚本は寺内小春さん。智恵子に扮したのは佐久間良子さん。光太郎役が小林薫さん、光雲役で故・佐藤慶さん。駒込林町のアトリエの隣人夫婦に小林稔侍さんと高橋ひとみさん、田村俊子を小野みゆきさん。

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光太郎が晩年を過ごした花巻郊外の高村山荘のセットが見事な出来でした。

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晩年の光太郎のメイクも。

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「智恵子抄」がらみでいくつか情報をお届けします。

まずは智恵子の故郷、二本松から、地元紙『福島民友』さんの記事。先月もご紹介した「ほんとの空体操」関連です。 

「ほんとの空体操」で介護予防 二本松で健康体操教室

 二本松市は、元気な高齢者を増や000し介護予防につなげようと、「市民の歌」に合わせた健康体操「ほんとの空体操」をつくった。2日、同市の岩代総合文化ホールで普及のための健康体操教室を開いた。
 同体操は、高齢者が運動するきっかけにしてもらおうと、県健康運動指導士会理事などを務める同市の吉井雅彦さん(快フィットネス研究所長)が考えた。
 普段動かさない筋肉をほぐすストレッチの動きが基本で、同市出身の紙絵作家高村智恵子が愛した「ほんとの空」を見上げる動きも取り入れられている。
 市高齢福祉課の高橋久美子さんは「若い人にも肩こり予防などで活用してほしい」と話している。
2015年11月02日


「ほんとの空」といえば、二本松では「ほんとの空」を守るPR隊「二本松少年隊」の皆さんがご活躍中です。『広報にほんまつ』の今月号では、第二期生募集の記事が載っていました。 

「二本松少年隊」二期生募集

~今年1月に結成し、市内外のイベントで活躍中の「二本松少年隊」。その二期生を募集します~

二本松少年隊とは
 二本松の素晴らしさを全国に発信するため、観光イベントなどで殺陣を中心としたパフォーマンスを披露しています。

少年隊の活動
・イベント活動は、土・日・祝日が中心となります。
・基本的にボランティアでの活動となります。※交通費などは支給します。
・練習は、市内の会場で週3回行います。時間は18:00~20:30です。
※ 毎週月・水・土曜日に勤労者福祉会館(向原)で練習していますので、興味のある方は練習風景を見学にお越しください。なお、練習日程が変更になる場合もありますので、事前にお問い合わせください。

募集人員 5人程度

応募資格 ・年齢は高校生~30歳代まで
・男性、女性は問いません。
・市外在住の方でも構いません(二本松市に通える方に限ります)。
・1年以上活動できることが条件です。

応募方法
・ 所定の応募用紙に記入の上、観光課(二本松おもてなし隊)まで持参、郵便またはメールで応募
・ 応募用紙は、市役所や各支所などで配布、市ウェブサイトからもダウンロードできます。

募集期限 12月1日(火) ※消印は11月30日まで有効です。

オーディション  12月6日(日)午前10時から、簡単な動きやセリフのオーディションを行います。詳しくは応募者へ直接連絡します。

◎問い合わせ…観光課観光立市係☎(55)5095

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市のサイトにも詳細情報が掲載されています。応募資格のある方、ぜひどうぞ。当方は年令制限に引っかかって応募できません(笑)。


「ほんとの空」といえば、元々は「智恵子抄」に収められた「あどけない話」からの引用です。「智恵子抄」ということになると、昭和37年(1962)、文化放送さんからオンエアされたラジオドラマ「智恵子抄」で、智恵子役を務められた加藤治子さんの訃報が出ました。 

加藤治子さん死去 「寺内貫太郎一家」母親役

 テレビドラマ「寺内貫太郎一家」な001どの母親役で知られた俳優の加藤治子(かとう・はるこ)さんが2日、心不全のため死去した。92歳だった。葬儀は近親者で営まれた。
 東京・赤坂生まれ。松竹少女歌劇学校卒業。39年東宝映画に入社し、御舟京子の芸名で映画「花つみ日記」でデビュー。41年に東宝を離れ、劇作家の加藤道夫や芥川比呂志らの「新演劇研究会」結成に参加。加藤作「十一月の夜」で新劇俳優として初舞台を踏んだ。
 46年に加藤と結婚したが53年に死別。49年「麦の会」として文学座に合流した。58年文学座の俳優高橋昌也と再婚し、63年福田恒存、高橋、芥川と劇団「雲」を結成するが、73年に高橋と離婚し、75年には退団した。
 以後、フリーとしてテレビを中心に活躍し、上品で色気のあるお母さん役でお茶の間の人気者になった。脚本家の故・向田邦子と親交が深く、「寺内貫太郎一家」(TBS系、74年)、「阿修羅のごとく」(NHK、79~80年)など多くの向田作品に出演した。
 舞台でも味わい深い存在感をみせ、99年「三婆」の武市タキ役で菊田一夫演劇賞、01年新国立劇場「こんにちは、母さん」の母親役で、紀伊国屋演劇賞などを受賞。02年に勲四等宝冠章を受章した。
 04年には宮崎駿監督「ハウルの動く城」に声優として出演。3年ほど前から体調を崩し、昨年から自宅療養をしていたという。
(『朝日新聞』)

元ご主人の故・高橋昌也さんも、舞台で光太郎役を演じられていました。高橋さんも昨年ご逝去されています。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月6日

昭和28年(1953)の今日、上野の東京国立博物館で開催されていた「書道名品展」を観覧しました。

先日、NHKさんで放映された「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門 第5回「智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子」」でも触れられていましたが、晩年の光太郎は書に強い関心を抱いていました。

当時、同館に勤務し、光太郎と深い交流のあった美術史家の奥平英雄は次のように回想しています。

 帰京の翌二十八年の秋、東京国立博物館で大がかりな書道名品展があったとき、光太郎もこれを見にきたが、この展観には大きな感銘をうけたと見え、その後もいろいろとこれが話題にのぼった。博物館で発行している『博物館ニュース』に、この展覧会にちなんで光太郎の原稿を載せたいというので私はそのお使いにいったが、そのとき書いてくれたのが「書の深淵」という文章で、これが戦後はじめて書いた書論であった。わずか原稿用紙三枚ばかりの短いものだけれども、簡潔ななかに彼ならではと思われるような、光彩を放った名文であった。

昨日に引き続き、福島ネタです。

シンポジウム「ほんとの空が戻る日まで-福島の復興と地方創生-」

日 時 : 2015年11月8日(日) 13:00~17:30
会 場 : 一橋大学一橋講堂(東京都千代田区一ツ橋2-1-2 学術総合センター内)
参加費 : 無料

 象 : 一般市民、大学関係者、学生、行政職員、福島県から避難している方 他
主   催 : 国立大学法人福島大学、公立大学法人福島県立医科大学
後   援
 : 文部科学省 復興庁 福島県 双葉地方町村会 公益社団法人経済同友会 福島民友新聞社
      日本放送協会福島支局 福島テレビ 福島中央テレビ 福島放送 テレビユー福島
      ラジオ福島 ふくしまFM 朝日新聞 讀賣新聞 毎日新聞 日本経済新聞 福島民報社
協 力 : 国立大学法人一橋大学、伊藤園

【プログラム】
Ⅰ部 特別鼎談 「未来を拓く開拓者たち~復興と人づくり・地域づくり~」
  登壇者
   小泉進次郎氏 衆議院議員・ふたばの教育復興応援団
   糸井重里氏  ほぼ日刊イトイ新聞主宰
   開沼 博   FURE特任研究員
Ⅱ部 福島の現状報告
   報告者
    うつくしまふくしま未来支援センター活動報告  中田スウラ FUREセンター長
    福島県立医科大学報告  谷川攻一 福島県立医科大学副学長
    FURE食・農復興支援担当報告  小山良太 FURE副センター長
    FURE放射能汚染対策担当報告  塚田祥文   FURE部門長
Ⅲ部 パネルディスカッション 「福島の復興と地方創生」
    モデレーター  
      山川充夫氏 帝京大学教授(福島大学名誉教授)
    パネリスト
      清水潔氏  明治大学特任教授・元文部科学事務次官
      齋藤喜章氏  特定非営利活動法人ふくしま飛行協会理事長
      髙島宏平氏  オイシックス株式会社代表取締役社長
      竹之下誠一   福島県立医科大学復興担当理事
      本多環    FUREこども・若者支援部門特任教授
    FURE=福島大学うつくしまふくしま未来支援センターの略
※シンポジウムの妨げになる行為がある場合は、ご退場いただくことがあります。

福島で起きている災害弱者の孤立化、震災関連死等の問題は、今後、少子高齢化社会が激化する中で日本各地に出現する諸問題と共通性を持っている。これまで地方が内包してきた第一次産業の衰退や少子高齢化等の問題は、今後、日本各地で激化する深刻な問題だが、そうした諸問題が、福島では東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故を契機に急速に表面化した。福島の地域復興の現状を把握し復興を進めるとともに、その復興過程で得られる経験(工夫・知恵)を、復興のみならず今後の地方復権・創生につなげ、「復興知・支援知」として活かし発信していくことは重要である。その為に、私たちは大震災・原発事故から何を学び何から始めなければならないのか、市民、学生など参加者にこの課題を提起し探究する。

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3月に京都で行われた同趣旨のシンポジウムは、なかなか参加者が集まらず、締め切りを過ぎても追加募集がかけられていましたが、今回は申し込みが多く、既に募集を停止しています。こういうイベントもあるよ、ということでのご紹介ということでよろしくお願いいたします。


もう1件、昨日、川内村での草野心平を偲ぶ集い「かえる忌」について書いた後、川内村関連で調べていたら、次のような情報を得ました。

「藤村記念歴程賞」に川内村 詩を尊ぶ村民の姿勢評価

 同人詩誌「歴程」は9日、第53回「藤村記念歴程賞」に川内村を選んだ。同賞は年に一度、優れた詩集や文芸評論などに贈られるが、自治体が受賞するのは初めて。同誌は1935(昭和10)年にいわき市出身の詩人草野心平らによって創刊され、現在も年5回発行されている伝統ある同人誌。
  同村では、村内の平伏(へぶす)沼に生息するモリアオガエルをきっかけに、「蛙の詩人」として知られる心平と交流を深めており、心平を顕彰する天山文庫を建設、毎年恒例として「天山祭り」を開催してきた。原発事故後も祭りを続け、今年7月には50回記念の祭りを開くなど、震災に向き合い詩を尊ぶ村民たちの精神が評価された。賞金50万円と「草野心平日記」(全7巻)が村に贈られる。
 選考委員も務めた「歴程」発行人の新藤凉子さんは「めげることなく、全国に勇気や元気、希望を発信した村のありようそのものが詩的で、受賞にふさわしい」と評価。受賞を受け、遠藤雄幸村長は「天山祭りは今年50回を迎え、草野心平さん本人がいなくても祭りを続けたことが評価されたのではないか。名誉ある賞を頂くことができ光栄。あらためて草野心平さんや歴程の皆さんに感謝したい」と喜びを語った。
(2015年10月10日 『福島民友』)

『歴程』の皆さん、なかなか粋な計らいですね。記事中にある第50回天山祭についてはこちら


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月30日

昭和24年(1949)の今日、連作詩「智恵子抄その後」を清書しました

六篇から成る連作詩で、翌年元日発行の雑誌『新女苑』第14巻第1号に発表されました。


  元素智恵子 
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智恵子はすでに元素にかへった。
わたくしは心霊独存の理を信じない。
智恵子はしかも実存する。
智恵子はわたくしの肉に居る。
智恵子はわたくしに密着し、
わたくしの細胞に燐火を燃やし、
わたくしと戯れ、
わたくしをたたき、
わたくしを老いぼれの餌食にさせない。
精神とは肉体の別の名だ、
わたくしの肉に居る智恵子は、
そのままわたくしの精神の極北。
智恵子はこよなき審判者であり、
うちに智恵子の睡る時わたくしは過ち、
耳に智恵子の声をきくときわたくしは正しい。
智恵子はただ嬉々としてとびはね、
わたくしの全存在をかけめぐる。
元素智恵子は今でもなほ
わたくしの肉に居てわたくしに笑ふ。


001  メトロポオル

智恵子が憧れてゐた深い自然の真只中に
運命の曲折はわたくしを叩きこんだ。
運命は生きた智恵子を都会に殺し、
都会の子であるわたくしをここに置く。
岩手の山は荒々しく美しくまじりけなく、
わたくしを囲んで仮借しない。
虚偽と遊惰とはここの土壌に生存できず、
わたくしは自然のやうに一刻を争ひ、
ただ全裸を投げて前進する。
智恵子は死んでよみがへり、
かくの如き山川草木にまみれてよろこぶ。
変幻きはまりない宇宙の現象、
転変かぎりない世代の起伏、
それをみんな智恵子がうけとめ、
それをわたくしが触知する。
わたくしの心は賑ひ、
山林孤棲と人のいふ
小さな山小屋の囲炉裏に居て
ここを地上のメトロポオルとひとり思ふ。


  裸形003

智恵子の裸形をわたくしは恋ふ。
つつましくて満ちてゐて
星宿のやうに森厳で
山脈のやうに波うつて
いつでもうすいミストがかかり、
その造型の瑪瑙質に
奥の知れないつやがあつた。
智恵子の裸形の背中の小さな黒子まで
わたくしは意味ふかくおぼえてゐて、
今も記憶の歳月にみがかれた
その全存在が明滅する。
わたくしの手でもう一度、
あの造型を生むことは
自然の定めた約束であり、
そのためにわたくしに肉類が与へられ、
そのためにわたくしに畑の野菜が与へられ、
米と小麦と牛酪とがゆるされる。
智恵子の裸形をこの世にのこして
わたくしはやがて天然の素中(そちゆう)に帰らう。


007  案内

三畳あれば寝られますね。
これが水屋。
これが井戸。
山の水は山の空気のやうに美味。
あの畑が三畝、
いまはキヤベツの全盛です。
ここの疎林がヤツカの並木で、
小屋のまはりは栗と松。
坂を登るとここが見晴し、
展望二十里南にひらけて
左が北上山系、
右が奥羽国境山脈、
まん中の平野を北上川が縦に流れて、
あの霞んでゐる突きあたりの辺が
金華山沖といふことでせう。
智恵さん気に入りましたか、好きですか。
うしろの山つづきが毒が森。
そこにはカモシカも来るし熊も出ます。
智恵さん斯ういふところ好きでせう。


  あの頃008

人を信ずることは人を救ふ。
かなり不良性のあつたわたくしを
智恵子は頭から信じてかかつた。
いきなり内懐に飛びこまれて
わたくしは自分の不良性を失つた。
わたくし自身も知らない何ものかが
こんな自分の中にあることを知らされて
わたくしはたじろいだ。
少しめんくらつて立ちなほり、
智恵子のまじめな純粋な
息をもつかない肉薄に
或日はつと気がついた。
わたくしの眼から珍しい涙がながれ、
わたくしはあらためて智恵子に向つた。
智恵子はにこやかにわたくしを迎へ、
その清浄な甘い香りでわたくしを包んだ。
わたくしはその甘美に酔つて一切を忘れた。
わたくしの猛獣性をさへ物ともしない
この天の族なる一女性の不可思議力に
無頼のわたくしは初めて自己の位置を知つた。

009
  吹雪の夜の独白

外では吹雪が荒れくるふ。
かういふ夜には鼠も来ず、
部落は遠くねしづまつて
人つ子ひとり山には居ない。
囲炉裏に大きな根つ子を投じて
みごとな大きな火を燃やす。
六十七年といふ生理の故に
今ではよほどらくだと思ふ。
あの欲情のあるかぎり、
ほんとの為事は苦しいな。
美術といふ為事の奥は
さういふ非情を要求するのだ。
まるでなければ話にならぬし、
よくよく知つて今は無いといふのがいい。
かりに智恵子が今出てきても
大いにはしやいで笑ふだけだろ。
きびしい非情の内側から
あるともなしに匂ふものが
あの神韻といふやつだろ。
老いぼれでは困るがね。

福島からイベント情報です。光太郎の深い信頼を得、その歿後は顕彰活動の先鞭をつけた当会の祖・草野心平を偲ぶ集いです。 

第5回天山・心平の会 かえる忌

日 時 : 2015年11月7日(土)
場 所 : 小松屋旅館蕎麦酒房天山 福島県双葉郡川内村大字上川内字町分211
会 費 : 2,500円
内 容 : 講話 伊武トーマ氏(『歴程』同人) 晒名昇氏(前かわうち草野心平記念館長)
備 考 : 翌11/8には草野心平墓参(いわき市上小川常慶寺)
      心平生家で開催される第22回「心平を語る会」(無想無限の会主催)に合流。
申 込 : 天山・心平の会代表 井出茂 0240-38-2033 〒979-1201 
        福島県双葉郡川内村大字上川内字町分211 

没後28回忌 第22回「心平忌」心平を語る会

日 時 : 平成27年11月8日(日)(受付は11時30分~12時 草野心平生家にて)
会 費 : 大人500円(当日受付にて)
会 場 : 草野心平生家・常慶寺(いわき市小川町上小川字植ノ内 周辺)
内 容 :
 受付後          常慶寺の心平墓前にて香華、心平ゆかりの故人への焼香
  11時30分~12時   心平粥、心平餅の会食(草野心平生家にて)  
  12時10分~12時50分 心平を語る会「晩年の草野心平」 卓話 晒名 昇 さん
   さらしなしょう 元筑摩書房編集部長 『草野心平全集』『草野心平日記』担当編集者
   かわうち草野心平記念館(福島県双葉郡川内村)初代館長(平成22~25年度)
  12時50分~13時    第7回 草野心平ふるさとの詩 けるるん くっく 発表会 表彰式
           〈小学生の部〉〈中学生の部〉・最優秀賞受賞者朗読発表
主 催 : 夢想無限の会
共 催 : いわき市立草野心平記念文学館
協 力 : いわき市立草野心平生家ボランティアの会
問 合 : いわき市立草野心平記念文学館 電話0246-83-0005

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「かえる忌」には3年前一昨年昨年と3回参加させていただきました。下記は昨年、BS朝日さんで放映された「にほん風景物語 福島 川内村・いわき小川郷 ~詩人・草野心平が詠んだ日本の原風景~」から。一昨年のかえる忌の様子です。当方も映っています。

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今年は光太郎関連以外の用事がはいってしまい、「かえる忌」はパスしますが、翌日の「心平忌」にはお邪魔しようと思っています。

東日本大震災から4年半が過ぎました。復興の様子も見004てきたいと思っています。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月29日

昭和62年(1987)の今日、小田急グランドギャラリーで開催されていた企画展「光太郎 智恵子の世界展」の関連行事として、当会顧問・北川太一先生の講演、俳優の井上晶宏氏による朗読が行われました。

この件を書くため、図録を引っ張り出してぱらぱらめくってみたところ、翌年に歿する最晩年の心平が書いた「光太郎智恵子に関する断章」という文章が巻頭に掲げられていました。蓋し、名文です。

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昨日、BSジャパンさんで放映された「空から日本を見てみよう+」を拝見しました。「福島県郡山~二本松 東北第二の都市から絶景安達太良山へ」ということで、光太郎智恵子にからむ話になるかな、と期待していました。残念ながら、くもじいとくもみ、旧安達町の智恵子生家上空にたどり着く前に西へ曲がって安達太良山頂に行ってしまい、そちらでも「ほんとの空」的な紹介はありませんでした。

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しかし、現在開催中の菊人形が取り上げられ、興味深く拝見しました。

何と、智恵子の人形を使って菊人形の制作過程が紹介されました。ただし、それが智恵子の人形だという説明がなかったのが残念でしたが。

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その他、本宮市の部分では、過日、「智恵子抄」もモチーフに使われた映画「こころの山脈」製作50周年記念「カナリヤ映画祭」の折にお邪魔した本宮映画劇場さんも取り上げられました。

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さて、二本松の菊人形に話を戻します。詳細は以下の通りです。 

第61回 二本松の菊人形

主 催 : 一般財団法人二本松菊栄会
期 間 : 平成27年10月10日(土)~11月23日(月・祝)  午前9時~午後4時
会 場 : 福島県立霞ヶ城公園(国指定史跡 二本松城跡 二本松I.C.から車で5分)
テーマ : 「幕末維新伝」
入場料 : 一般大人 500円  障害者大人 300円  高校生以下無料
同時開催
◦ 福島県菊花品評大会  ◦ 二本松菊花品評大会  ◦ 二本松観光物産展  ◦ 霞ヶ城公園紅葉まつり

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当方、昨年チラシにも光太郎智恵子の人形が紹介されていたので、見逃しませんでしたが、今年も智恵子の人形が出ているとは知らず、先週、二本松に行きながらパスしてしまいました。また来月、行く予定がありますので、その際には観てこようと思っております。

皆様もぜひどうぞ。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月21日001

平成6年(1994)の今日、YOUさんのCDアルバム「カシミヤ」がリリースされました。

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光太郎詩「あどけない話」からのインスパイアで「智恵子さんへ」という曲が収められています。

現在はバラエティータレント的な活動の多いYOUさんですが、かつてはバリバリ音楽活動もなさっていました。この前年までは「FAIRCHILD」というバンドに所属、ヴォーカルを担当されていました。

「FAIRCHILD」解散後、ソロでリリースしたのがこのアルバムです。作詞はすべてYOUさん自身です。

昨日、福島二本松に行き、「智恵子講座’15」及び智恵子記念館の紙絵実物展示と智恵子生家二階の限定公開に足を運んで参りましたので、レポートいたします。

一昨日は京都、名古屋と廻り、東京まで戻って1泊、朝6時台のやまびこに乗り、郡山から東北本線に乗り換えて、9時過ぎに二本松に到着しました。

快晴のほんとの空の下、智恵子像が出迎えてくれました。

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000まずは「智恵子講座’15」というわけで、智恵子像の背後に写る二本松市民交流センターへ。

来年までに8回の連続講座で、昨日は開講式と、第一回の講座 「長沼家の家族とふるさと二本松」、講師は智恵子の里レモン会会長の渡辺秀雄氏でした。

氏は、戦後の花巻郊外太田村の山小屋に光太郎を訪ねて行ったこともある初代会長、故・伊藤昭氏の跡を継いで、第2代レモン会会長を務められ、先週行われた智恵子忌日の集い「レモン忌」を主催されています。

そういうわけで、氏の元には智恵子やその血縁者に関する情報等がかなり集まっているということで、それを元に、昨年は地元紙『福島民報』さんに「ふくしま人 高村智恵子」という5回にわたる連載をされました。

当方もさんざんお世話になっておりますし、新たな情報が聞けるのではないかと期待しつつ、二本松まで足を運びましたが、期待以上の内容でした。

特に智恵子の血縁者に関し、当方も知らない内容が盛りだくさんで、驚きました。レモン忌の折に少しお話を伺ってはいたのですが、智恵子の祖父・長沼次助の血族がまだ新潟に続いていることなど。

他にもいろいろあるので、新潟にはいずれ調査に行かねば、と改めて思いました。

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ちなみに、過日、同講座についてお知らせした際、会場はすべて二本松市民交流センターとお伝えしましたが、その後変更となり、第2回~第4回は、同じ二本松市の福島県男女共生センターに変更だそうです。

さて、講座修了後、再び二本松駅へ。霞ヶ城では菊人形を開催中ということで、ホームにも菊が展示されていました。

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今年の菊人形は、「幕末維新伝」がテーマ。昨年と違って光太郎智恵子に関わる展示がないようなので、申し訳ありませんがパスし、東北本線で一駅、安達駅を目指しました。

10/14追記 今年も智恵子の人形がでているとのことでした。すみません。

普段、二本松には車で行ってしまうので、安達駅に降り立つのは10年ぶりぐらいでしょうか。ホームには光太郎詩「樹下の二人」から有名なリフレイン「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」を刻んだモニュメントが。ただし、「阿多多羅山は一般的な表記の「安達太良山」に換えられています。

安達駅は今後、改築の計画があるそうですが、これは残してもらいたいものです(あるいは新しく作り直すか)。

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駅前には折り鶴のモニュメントも。イルミネーションでしょうか。

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智恵子の名を刻んだ碑、智恵子の母校・油井小学校などを横目にしつつ、ここから1.5㎞ほど歩き、智恵子生家・智恵子記念館を目指しました。

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生家の2階公開は、午前11:00~12:30と午後1:30~3時の2回。当方が着いたのは1時頃で、先に記念館をじっくり拝観しました。生家の公開もある影響でしょうか、普段よりお客様が多いように感じました。

菊人形期間ということで、10月8日(木曜日)~11月24日(火曜日)の予定で、紙絵の実物10点が特別公開されています。昨年もこの期間に実物を拝観しましたが、昨年とは別の作品も並んでおり、興味深く拝見しました。やはり複製にはない智恵子の息づかいが胸に迫ってきます。

少し前に、智恵子の母校・油井小学校を撮った古絵葉書を入手しました。宛名面の様式から判断すると、明治30年(1897)から大正6年(1917)までのものです。智恵子は明治26年(1893)に入学、同34年(1901)に卒業していますから、まさしくその時期のものです。

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こんなものを見つけたよ、というわけで、先日のレモン忌に、絵葉書の実物と、スキャンしてA4判にプリントアウトしたものをお持ちし、複製の方は記念館に展示して下さいとお願いして置いていったところ、早速、入ってすぐの展示ケース、智恵子の学籍簿と一緒に並べて下さっていました。

そうこうしているうちに、1時半。いよいよ生家2階の公開です。

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普段、外から拝観している1階部分も、上がり込むのは初めてでした。

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急な階段を上って2階へ。上がってすぐの四畳半が智恵子の部屋でした。

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襖の奥の九畳間は、光太郎が訪れた際に寝泊まりした部屋とのこと。どちらも天井が低く、いかにも昔の家です。

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さらにもう一部屋、十二畳の横長の部屋。こちらは天井はなく、梁がむき出しでした。

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なぜか涙が出そうになりました。

その後、1階部分も拝観。

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こちらの仏壇や内部の仏像も、もともとここにあったもの。長沼家破産・一家離散後に債権者から持ち出されたものですが、元に戻っています。

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再び外に出ると、「ほんとの空」そして庭には赤とんぼ。
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智恵子やその血縁者の息吹が感じられ、大満足でした。これは本当に一見の価値があります。上記チラシで日程をご確認の上、ぜひぜひ足をお運び下さい。


ところで「ほんとの空」といえば、来週、テレビ番組で「ほんとの空」からの眺めが扱われます。テレビ東京系のBSジャパンさんで放映の「空から日本を見てみよう+」という番組です。以前には十和田湖の「乙女の像」をご紹介下さいました。

空から日本を見てみよう+ 福島県郡山~二本松 東北第二の都市から絶景安達太良山へ

BSジャパン 2015年10月20日(火)  20時00分~20時55分

安積疎水による開発で産業が大きく飛躍し東北第二の都市となった郡山市から、本宮市、城下町のユニークな歴史が残る二本松市の絶景安達太良山まで空から眺めていきます。

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阿武隈川沿いに郡山駅へ。駅前には緑色のどこでもドアのようなものが。さらに町なかには、楽器の形を模したベンチがたくさんあります。行列ができる和菓子店を見ながら駅前の通りをさらに進むと、造りかけの高速道路のようなものを発見。これは安積疎水(あさかそすい)の水橋を模したモニュメント。かつて郡山は水に恵まれず農業に不利な土地でした。猪苗代湖から引いた水路と電力の開発によって郡山は農業・工業が大きく発展、東北で第二の人口を誇る都市に成長しました。さらに進むと釣り堀のような池が。海に面していない郡山では、貴重なたんぱく源としてため池を利用したコイの養殖が盛んです。郡山駅から東北本線に沿って北上。本宮市の映画館では、昭和30年代に活躍し今なお現役で使われている貴重な映写機を見学。さらに北上し、二本松市では城跡に造られている五重塔を発見、さらに不思議なようかんや伝統の家具を見ながら絶景の安達太良山を目指します。 

出演者  伊武雅刀(くもじい)  柳原可奈子(くもみ)


くもじいとくもみ、郡山から本宮を経て、二本松へ。霞ヶ城、安達太良山は映るようですが、安達地区まで飛んでくるかどうか、ちょっと微妙です。過日ご紹介した本宮映画劇場さんも取り上げられるようですね。

少しでも光太郎智恵子の名を挙げてほしいものです。



【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月13日

平成14年(2002)の今日、NHK教育テレビ(現・NHK Eテレ)「芸術劇場」で、野田秀樹作「売り言葉」が放映されました。

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この年2月、東京スパイラルホールで上演された、大竹しのぶさんによる一人芝居です。


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福島二本松レポートの2回目です。

昨日は、旧安達町のラポートあだちさんで開催された智恵子を偲ぶ集い、第21回レモン忌に参加して参りました。智恵子の命日である「レモンの日」は今日なのですが、毎年、それに最も近い日曜日ということで期日が設定されています。

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まずは主催者の智恵子の里レモン会・根本副会長による開会の辞、黙祷。続いて智恵子肖像への献花、献果(レモン)と続きました。

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さらにモンデンモモトリオによる献歌。

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主催者挨拶、来賓祝辞、参加者全員による記念撮影と続いて、休憩を挟み、第二部は二本松在住の児童文学者・金田和枝さんによる記念講演。

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金田さんは昭和5年(1930)、東京のお生まれですが、同20年(1945)に二本松に疎開、女学校を終えられ、教職に就かれました。二本松に移られた頃の智恵子生家の印象、その後、歴史春秋社さんの依頼で『智恵子と光太郎』を執筆されることになり、光太郎智恵子についていろいろ調べられたお話などがありました。

また、最近は車椅子生活になられ、二本松の福祉施設におすまいですが、そこでの体験から、病気というものについてのお話は、参会者の胸を打つものでした。どんな病気にかかっていても、それが自分。同じホームにいらっしゃる認知症の方が、毎日のようにお話しする内容も、その人の歴史、心の病になった智恵子も、あの美しい紙絵制作に没頭できたのはかえって幸せ、などなど。

第三部は食事をいただきながらの懇親会。今年の第59回連翹忌で演奏を披露して下さったテルミン奏者の大西ようこさんがご出演。

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モンデンモモさんとのコラボも実現しました。

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遠く花巻や東京、大阪からも参加者が集まり、地元の方々を含めてスピーチ。当方もNHKさんの「趣味どきっ!」「あさが来た」などの宣伝をして参りました。

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「ほんとの空」の雲の上の智恵子も、きっと喜んでいたのではないでしょうか。ちなみに来年は智恵子の生誕130周年になります。さらに顕彰の気運が高まってほしいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月5日

平成16年(2004)の今日、当会顧問北川太一先生著『画学生智恵子』が蒼史社から刊行されました。

智恵子忌日「レモンの日」に合わせての刊行で、若き日の智恵子評伝です。

第一章 絵を描く女子大生
 『三つの泉』/日本女子大学校/選科生智恵子/画家志願
第二章 太平洋画会研究所
 研究生として/研究所経緯/亀高ふみ子回想/動き始めた時代
第三章 渦巻く美術運動の中で
 新しい潮流/動坂の下宿/第七回太平洋画会展/光太郎帰朝/智恵子日々/第三回文展
第四章 研究生群像
 明治四十三年という年/善太郎と与平/閉ざされた時代/競技会/二人の女子研究生
第五章 画家智恵子
 雑司ヶ谷界隈/『青鞜』の表紙絵/鮮烈なデビュー/光太郎訪問/画家として/第十回太平洋画会展/「新しい女」/「あねさま」と「団扇絵」/富本一枝の回想
第六章 恋-「大風のごとく」
 婚約者/明治終焉/犬吠岬/ゴシップ/自分自身の恋/佐藤澄子聞き書/光太郎の恋文
第七章 山上にて
 上高地へ/『日本アルプス』/ウェストンに遭う/山上の二人
第八章 上高地以後
 「僕等」/智恵子の詩

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智恵子の故郷・二本松市の広報紙『広報にほんまつ』。今月号には、光太郎智恵子がらみの記事が満載です。
 
まずは3ページめ、菊人形や提灯祭りの記事にまじって、見頃を迎えた安達太良山の紅葉の記事で、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)に使われたフレーズ「ほんとの空」。

二本松の秋 安達太良山の紅葉 ほんとの空がある

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何だか昭和感あふれる写真ですが(笑)。

同じ3ページめには、智恵子の部屋を含む、智恵子生家の2階部分の特別公開の記事も。 

二本松の秋 智恵子の生家2階限定公開

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続いて7ページめ。思わず笑ってしまいましたが、「ほんとの空体操」というのが生まれたそうです。 

~二本松市合併10周年記念事業~ 「ほんとの空体操」で介護予防

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二本松市民の歌」に合わせて振り付けられたとのことで、なかなかいいアイディアですね。「二本松市民の歌」、こんな歌です。




それから11ページめに飛び、新野洋市長の活動報告のコーナー。

8月29日 BSフジ「わがまま!気まま!旅気分」取材

さらに、27ページめに行きますと、後ほど稿を改めて詳しくご紹介しますが、「智恵子のまち夢くらぶ」さん主催の「智恵子講座’15」のお知らせも載っています。 

「智恵子講座2015」受講者募集

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当方も講師を仰せつかっています。


というわけで、『広報にほんまつ』さん、今月号はたくさんネタを提供して下さいました。ありがたいかぎりです。また、地元の皆さんの、郷土の先人としての智恵子をもっともっと顕彰する機運になってもらえれば、と思います。


当方、その二本松に、今日から1泊2日で行って参ります。今日は午後からモンデンモモさんのコンサート、明日は智恵子命日の集い、第21回レモン忌にお邪魔します。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月3日

昭和26年(1951)の今日、花巻町の大津屋呉服店で浴衣の仕立てを頼みました。

大津屋は、花巻上町の中心だったそうで、店主・橋本家は、宮澤家、さらに日本女子大学校で智恵子の二学年下にいて、テニス仲間だった野村胡堂の妻・ハナの家系とも遠い親戚だそうです。

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