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期 日 : 2016年11月20日(日)
時 間 : 午後1時30分から
会 場 : 福島県男女共生センター 二本松市郭内一丁目196-1
講 師 : 宮川菊佳氏 (ギタリスト)
参加費 : 1,000円
問い合わせ/申し込み : 智恵子のまち夢くらぶ ☎0243(23)6743

主催は「智恵子のまち夢くらぶ」さん。当方も何度か講師を仰せつかりました。昨年からの通しで「高村智恵子に影響を与えた人々」がテーマ。昨年、第4回までが行われ、今年は第5回からのカウントで、そちらは先月10日、喜多方市美術館館長の後藤學氏による「セザンヌと後期印象派」として行われました。

第6回の講師はギタリスト・宮川菊佳氏。毎年、宮城女川で開催されている「女川光太郎祭」で演奏されています。一昨年には、やはり二本松で開催された「第10回智恵子生誕祭 朗読とギターで綴る智恵子と光太郎の道程」で、朗読とのコラボをされました。そうしたご縁での講師起用のようです。


二本松がらみでもう1件。市の広報誌『広報にほんまつ』今月号に、現在開催中の「福島現代美術ビエンナーレ 2016 - 氣 indication -」、「第62回菊の祭典 二本松の菊人形」の記事が掲載されました。

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ビエンナーレは11/6(日)、菊人形は11/23007(水・祝)までの開催です。

ビエンナーレでは智恵子生家にて、小松美羽さんの墨絵作品が展示中、菊人形では光太郎智恵子の人形が並んでいます。


ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

腹へるはきよらかにして好ましと我がかたりつつ友の飯くふ

大正13年(1924) 光太郎42歳

光太郎、決してストイックというわけではなく、むしろ「食」へのこだわりは晩年まで持ちつづけていました。

といっても、美食三昧というわけではありませんでしたが。

10/10(月・祝)、智恵子の故郷・二本松にて菊人形を拝見、智恵子講座に参加し、さらに歴史資料館さんでの企画展を拝観したあと、旧安達地区の智恵子記念館および隣接する智恵子生家に向かいました。

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まずは智恵子記念館。歴史資料館さんと2館同時開催、という形で、「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界」を開催中。普段展示しているもののうち、智恵子筆の油絵「ヒヤシンス」、デッサン2点、光太郎作の「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)中型試作」などは歴史資料館さんに移動、代わりに複製が展示されていたり、「貸出中」のプレートが置かれたりしていました。

目玉は智恵子紙絵の実物展示。二本松市としては24点の実物紙絵を所蔵しているそうですが、うち3点は歴史資料館さんで展示、智恵子記念館には10点が展示されていました。今年は智恵子生誕130年という節目の年で、岩手花巻の高村光太郎記念館さん(現在も企画展「智恵子の紙絵」開催中)、信州安曇野碌山美術館さん、そして東京千駄木の高村家で、実物紙絵を観る機会に恵まれていますが、やはり何度目にしてもいいものです。いつも書いていますが、厚さ1ミリ以下の作品の中に、微妙な紙の重なりや反りによる立体感が見て取れます。

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こちらは昔、記念館でゲットしたテレホンカード。この魚の紙絵も展示されています。

その後、同じ敷地内の生家へ。こちらでは、福島ビエンナーレの一環で、10/5(智恵子命日「レモンの日」)に、画家の小松美羽さんと、詩人の和合亮一氏のコラボによるアクションペインティング的なイベントが開催され、小松さんの作品がそのまま展示されています。

墨で襖や障子に描かれたモンスター。安達ヶ原の鬼婆伝説からのインスパイアです。

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小さいお子さんが見るとトラウマになってしまうのではないか、と心配してしまうほどの迫力です。ある意味、心を病んだ折の智恵子の内面を表しているようにも感じられました。光太郎曰くの「意識を襲う宿命の鬼」(詩「山麓の二人」 昭和13年=1938)です。

灯籠を使った作品もありました。

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2階の智恵子居室の公開も正式に始まっていました。

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先月行われた【高村智恵子生誕130年記念事業】原節子主演「智恵子抄」フィルム上映会の際に作成されたパネル、1回こっきりの使用ではもったいないということで、こちらに運び込まれていました。

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ビエンナーレによるこの状態が11/6(日)までだそうです。

ビエンナーレ関連の報道を紹介しておきます。

絵画、オブジェ…共演 二本松で現代美術ビエンナーレ開幕

 「福島現代美術ビエンナーレ」は8日、二本松市の大山忠作美術館などで開幕した。市内の各施設を舞台に国内外の芸術家の絵画やオブジェが一堂に展示されている。
 実行委員会の主催。大山忠作美術館には大山忠作氏の「菊」、松井冬子さんの「たちどころに破れた異物」など菊をテーマにした作家18人の絵画と陶芸合わせて24点が並ぶ。多彩な作品が来場者を魅了している。
 智恵子の生家には現代美術家小松美羽さんのふすま絵が展示されている。鬼婆(おにばば)伝説をモチーフにした絵が訪れた人の注目を集めている。
 主な会場は次の通り。問い合わせは道の駅安達 電話0243(61)3100へ。
 大山忠作美術館、市民ギャラリー、歴史資料館、県立霞ケ城公園(二本松の菊人形)、二本松工藝舘、県男女共生センター、大七酒造、千の花、智恵子の生家、観世寺、安達ケ原ふるさと村、道の駅安達
( 『福島民報』   2016/10/09)


【折々の歌と句・光太郎】

ほろほろと蓼のはなちる里川の水に輪をかく水すましかな

明治33年(1900) 光太郎18歳

画像は近所で愛犬との散歩中に撮ったイヌタデです。

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当方、「タデ」というとこればかりを思い浮かべていましたが、調べてみるといろいろ種類があるようでした。自宅兼事務所の庭に勝手に群生しているこれもタデの一種だそうです。

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昨日は福島県二本松市に行っておりました。2日の日曜日に歴史資料館さんでの、「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界」の開会行事および記念講演会、さらに午後からは智恵子を偲ぶ「第22回レモン忌」に参加して参りましたが、その際に見られなかったものやら、新たなイベントやらがあり、2週続けての来訪となりました。

朝6時に千葉の自宅兼事務所を出発。愛車を駆って一路二本松へ。こうした場合のお約束で、出がけは雨でした。途中であがりましたが。

9時少し前に二本松に到着。まずは霞ヶ城公園の「二本松の菊人形」に。昨日9時開場ということで、ほぼ一番乗りでした。

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一般料金700円。券売機に並ぼうとした直前、当方の名を呼ぶ声が。誰かと思ったら、智恵子生家の近所でお店を営む戸田屋商店さんの女将さんでした。菊人形会場の入り口前に、出張店舗を出されているとのこと。そして何と、菊人形の無料券を頂いてしまいました。ありがたや。当方、普段の行いは決して良くありませんが、時折こういう強運に恵まれます(笑)。

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昨年一昨年と、智恵子の菊人形が出ていました。今年も出るかと思っていましたが、今回は菊人形としてのパンフレットは発行されていませんので、不明でした。もっとも、昨年もメインテーマの「幕末維新伝」以外の部分で智恵子人形が展示されていました。

さて、会場内へ。今年のメインテーマは「あっぱれニッポン! 世界に誇れる日本人」ということで、さまざまな偉人をかたどった菊人形が並んでいます。二本松出身の歴史学者・朝河貫一や、会津の新島八重など。

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毎年出ている五重塔。そして、今回、福島現代美術ビエンナーレとのコラボで、巨大なオブジェ「花の女神 フローラ」が。

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先日、ビエンナーレの特別顧問を務められている一色(大山)采子さんに、「6㍍の巨像」と聞いていたのですが、どう見ても6㍍はありません。説明板を読んで納得いきました。普段は眠っているそうですが、日に2回、目覚めて立ち上がるそうで、その際の高さが6メートルなのですね。

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会場最上部には動物とのふれあいコーナー。ラマ君がいました。しかし、ここまでのコーナーに智恵子がいませんでした。ここから先は例年、人形は並べられないゾーンです。「何だ、今年は智恵子人形はなしか……」と思っていたところ、何と最後の最後にいました。

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一昨年、昨年とも、ちょうど当方が来た際に、智恵子人形は作業小屋で菊花の補修中だったため、ちゃんと並んでいる智恵子人形は初めて見ました。

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菊むすめの皆さん。華やかですね。


霞ヶ城を後に、駅前の市民交流センターへ。10時から「智恵子講座2016」、喜多方市美術館館長の後藤學氏による「セザンヌと後期印象派」。同地で智恵子の顕彰活動をなさっている智恵子のまち夢くらぶさんの主催で、昨年から引き続き「高村智恵子に影響を与えた人々」のメインテーマの元に行われています。

セザンヌは画家志望だった智恵子が非常にいいと言っていたという経緯もありますし、光太郎も自著『印象主義の思想と芸術』(大正4年=1915)などで好意的に紹介しています。

お話はセザンヌ、そして同時代の作家たちに関してで、非常に示唆に富むものでした。ただ、時間の都合などもあり、後期印象派に関する内容があまりなかったのが残念でした。海外留学からの帰国後、一時は彫刻家と言うより画家だった光太郎は、フォービズムの影響を色濃く受けています。


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終了後、後藤氏、それから夢くらぶの皆さんと昼食。午後からは歴史資料館で、「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界」を拝見。当方、二度目でしたが、前回はオープン直後でゴタゴタしていたのに対し、今回はゆっくり見られました。

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会場内で十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会の山本氏ご一家と遭遇。いらっしゃるということは伺っていましたが、当方同様、市内のあちこちを廻られるということでしたので、会えないだろうと思っておりました。ご家族の方々とは、一昨年の十和田湖湖水まつりでご一緒させていただきましたが、二人のお子さんが大きくなっていて、驚きました。

その後、さらに智恵子生家及び智恵子記念館へ。長くなりましたので、明日に回します。


【折々の歌と句・光太郎】

観自在こそ たふとけれ まなこひらきて けふみれば 此世のつねの すがたして わが身はなれず そひたまふ           
昭和21年(1946) 光太郎64歳

昨日のこのコーナーで、短歌ではない「五・七・五・七・七・七」の仏足石歌をご紹介しました。ついでといっては何ですが、やはり短歌ではない歌体の和歌をご紹介します。

『高村光太郎全集』では、そうするしかないので詩の項に分類していますが、「七・五」を四回繰り返す「今様」という形式です。「いろは歌」などもこのスタイルですね。

「観自在」は観世音菩薩、いわゆる観音様です。仏師の家系に育った光太郎、幼い頃から光雲作の観音像などを目にし、自然に観音信仰に染まっていました。ただ、盲進的・狂信的な崇拝ではなく、「ふと気がつくと、常に観音様に守られているような気がする」的な感じだったと思われます。

ブロンズの代表作「手」は観音菩薩の「施無畏」の印相。それは「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」にも受け継がれます。

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また、戦後にはこの歌を揮毫して人に贈るということもたびたびありました。岩手県北上市後藤の平和観音堂境内には、光太郎が贈ったこの歌の揮毫を刻んだ碑が建っています。

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今年に入ってからも、花巻温泉にあった松庵閣という高級旅館の仲居さんに贈った揮毫が市場に出たりもしています。

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一昨日の午前中、智恵子の故郷・福島二本松市の歴史資料館と智恵子記念館で「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界」が始まり、その開会行事および、二本松市コンサートホールでの記念講演会に参加して参りました。

午後からは、智恵子生家に近いらぽーとあだちさんに於いて、智恵子を偲ぶ第22回レモン忌が開催されました。

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左上は智恵子肖像に献花、そして智恵子が好きだったというレモンの献果の様子。

その後、出席者全員で光太郎詩「値ひがたき智恵子」朗読。

右上は主催の智恵子の里レモン会・渡辺会長のご挨拶。さらに祝辞があり、記念撮影。第一部はこれで終了でした。

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第二部は、会食しつつの懇親会。合間にスピーチやアトラクション演奏等が入ります。まずは午前中の記念講演会でも演奏されたぷらイムのお二人。テルミン・大西ようこさん、ギター・三谷郁夫さんです。

途中から、ヴォイスパフォーマー・荒井真澄さんが加わり、朗読をご披露されました。7月には花巻高村光太郎記念館でコラボを実施されています。

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座席は指定席で、お隣は女優の一色采子さんでした(ただ、「ギャラが発生しない場合は本名の「大山采子」で参加」とのことで、以下、大山さんと表記します)。二本松出身の日本画家、故・大山忠作氏のご息女ということで、父上の作品を市に寄贈、大山忠作美術館が誕生しました。そのご縁で二本松観光大使を務められています。当方、同館で3年前に開催された有馬稲子さんと大山さんのトークショー以来、親しくさせていただいており、連翹忌にもご参加下さっています。

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そこでお召し物は二本松の菊人形オリジナルTシャツ。さすがです。缶バッヂは菊人形のゆるキャラ・菊松くん。

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その大山さんもスピーチ。その後、テルミンの体験演奏も。

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大山さん、今年は福島ビエンナーレ実行委員会特別顧問も務められているとのことで、そのご紹介がありました。下記は大山さんにいただいたA4見開きのマップ入りパンフレット。クリックで拡大します。

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ちなみに歴史資料館での「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界」では、お父様の大山忠作画伯が智恵子を描いた作品も展示されています。

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その後もスピーチが続きました。

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前日に東京町屋で「第20回TIAA全日本作曲家コンクール入賞者披露演奏会」に臨まれた、作曲家の野村朗氏。

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智恵子も通った太平洋美術会の坂本富江さん。

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大阪からいらした高村光太郎研究会の西浦基氏。

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最後は二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」を全員で歌ってお開きとなりました。


閉会後、この日のレモン忌参加者に限り、期間前ながら智恵子の生家二階を無料で解放するというので、ぷらイムのお二人、荒井真澄さんらと、そちらに向かいました。

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庭には秋らしくムラサキシキブ。

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昨年の公開時にも2階に上がらせていただきましたが、何度訪れてもいいものです。

教育委員会の方が待機されており、いろいろお話を聴けたのもラッキーでした。

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一階の座敷と縁側の間の欄間。二本松らしく、菊花があしらわれています。笑っているようにも見えますね。内側から見ると、下のような見え方になります。

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時間の都合もあり、隣接する智恵子記念館での紙絵実物展示は見ませんでした。また来週10日にうかがいますので、その時に拝見します。

その後、愛車を駆って帰路につきました。下記はお土産に頂いたグロキシニア。午前中の講演会、午後のレモン忌で会場に飾られていたものです。グロキシニアといえば、明治45年(1911)、駒込林町の光太郎アトリエ竣工の際、智恵子が光太郎に贈った花で、たびたび光太郎詩に謳われています。

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お土産といえば、今回、レモン忌にはご参加叶わなかった、青森十和田の十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会の方から、ミネラルウォーター「十和田湖美水」が参加者に配られ、ありがたくいただいて帰りました。

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最後に、ネットで『福島民報』さんの企画展の記事が見つかりましたので、載せておきます。

二本松で企画展始まる 智恵子と光太郎に焦点

 二本松市出身の洋画家高村智恵子と夫で詩人の光太郎を紹介する企画展「智恵子と光太郎の世界」は2日、市歴史資料館と市智恵子記念館で始まった。11月27日まで。
 市の主催。智恵子生誕130年、光太郎没後60年を記念して企画された。智恵子が制作した油彩「花(ヒヤシンス)」や病床で完成させた「紙絵」、光太郎が智恵子を詠んだ詩集「智恵子抄初版」など二人にちなむ作品や資料合わせて約170点が両会場に展示されている。
 初日は資料館で開場式を行い、新野洋市長らがテープカットした。
 時間は資料館が午前9時から午後5時(入館午後4時半)まで、記念館が午前9時から午後4時半(入館午後4時)まで。料金は資料館・記念館セットで一般500円、高校生以下250円。問い合わせは資料館 電話0243(23)3910へ。



【折々の歌と句・光太郎】

北国の女人はまれにうつくしき歌をきかせぬものゝ蔭より
昭和5年(1930)頃 光太郎48歳頃

数年前に色紙揮毫の形で新たに見つかった短歌です。

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「北国の女人」はやはり智恵子でしょう。

これも数年前に見つけた、昭和25年(1950)、岩手水沢での光太郎講演会の筆記録に、こんな一節がありました。

 私は、私の妻の智恵子を思い出しています。七年間の病気。その最中に歌をうたうんです。実に機知にとんだうたを。学校でも、家でも、人の間にいてもうたったことがないのに、しかも、あのひなびたうたをうたうんです。花がすみ(酒の名)をつくったりする時のうたや、はやりうたをうたうんです。いつか印象づけられたにちがいないうたを、上手にうたうんです。

智恵子の歌声、聞いてみたかったものです……。

昨日はまた智恵子の故郷・福島二本松に行っておりました。

二本松市歴史資料館および智恵子記念館で、「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界」が始まり、その開会行事および記念講演会、さらに午後からは智恵子を偲ぶ「第22回レモン忌」があり、それぞれ参加して参りました。2日に分けてレポートいたします。今日は企画展がらみで。

自宅兼事務所から愛車を駆って約3時間、午前8時30分頃、二本松市歴史資料館に到着。当方、雨男・光太郎の霊魂を背負っていますので(笑)、途中、茨城県内で驟雨に見舞われましたが、福島に入ると晴天となりました。東北道安達太良サービスエリアからの安達太良山が、「ほんとの空」をバックにきれいでした。

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9時から開会行事。

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その後、一般公開開始です。

会場は2階の2室を使い、光太郎智恵子の生涯を概観するコーナー、詩集『智恵子抄』やその二次創作等を紹介するコーナーなど。あまり広くないスペースですが、一般の方々は普段目にすることのないであろう貴重な資料がみっしり並んでいます。当方も実物は初めて見る、というものが少なからずありました。

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智恵子の実家、二本松(旧油井村)の長沼酒店の引き札。何とか入手したいものだと思っていますがなかなか見つからないものです。

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智恵子の文章が掲載されている雑誌。この辺りは蒐集の対象としていないので、実物は初めて見ました。

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智恵子が晩年、南品川のゼームス坂病院で制作した紙絵の実物が3点、展示されています。

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光太郎の肉筆揮毫。

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平塚らいてう、草野心平ら、周辺人物の肉筆。

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智恵子の顔を持つといわれる、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)中型試作」。普段は智恵子記念館に展示されていますが、今回、歴史資料館に移動しています。智恵子の油絵、素描なども同じです。その代わり、智恵子記念館では紙絵の実物をごっそり展示しています。

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さまざまな『智恵子抄』。

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このあたりは当方がお貸ししたものです。

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なかなか充実の展示でした。会期は11月27日まで。ぜひ足をお運びください。

その後、近くの二本松市コンサートホールに移動、記念講演会でした。

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オープニングアクト的に、テルミン大西ようこさん、ギタリスト三谷郁夫さんによるユニット「ぷらイム」による演奏。花を添えて下さいました。曲目は一昨年、お二人で行われた「もう一つの智恵子抄」。
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その後、高村光太郎研究会員の大島裕子氏によるご講演。題目は「『智恵子抄の世界』―智恵子生誕130年に伝えたいこと―」。

本年2月に亡くなられたご主人・名古屋学芸大学教授だった龍彦氏がご生前提唱なさっていた、文芸学的な詩の読み方、近年明らかになった智恵子と竹久夢二の関わり、明治末、大正初めの智恵子の「婚約」などについて、興味深い示唆がありました。

この後、旧安達町のらぽーとあだちに移動、智恵子を偲ぶ「第22回レモン忌」が開催されました。例年はそちらで記念講演が行われますが、今回は企画展とタイアップ、レモン忌参加者以外にも門戸を開くということで、レモン忌とは別会場だったわけです。

レモン忌につきましては、明日、レポートいたします。


【折々の歌と句・光太郎】

山坂の道し遠けど人目なくば抱き来ましを都の智恵子
大正13年(1924) 光太郎42歳

「~ば~まし」は反実仮想。「もし人目がなければ、東京に置いてきた智恵子を抱いてきたものを」とでも訳しましょうか。光太郎、この年、奥上州山間の温泉を巡っています。

このように、『智恵子抄』所収の短歌以外にも、智恵子を謳った光太郎短歌が数種確認できています。すでにいくつかはこのコーナーでご紹介していますが。

智恵子の故郷・福島二本松ネタが続きます。やはり生誕130年ということで、いろいろ企画されており、ありがたいことです。

こちらは毎年行われている市民講座です。主催は「智恵子のまち夢くらぶ」さん。当方も何度か講師を仰せつかりました。昨年からの通しで「高村智恵子に影響を与えた人々」がテーマ。昨年、第4回までが行われ、今年は第5回からのカウントです。 

智恵子講座2016

第5回 「セザンヌとポスト印象派」 
 期  日 : 2016年10月10日(月・祝)
 時  間 : 午前10時から
 会  場 : 二本松市市民交流センター 二本松市本町二丁目3番地1
 講  師 : 後藤學氏 (喜多方美術館館長)

第6回 「美の同志 高村光太郎~クラシックのギターと共に~」
 期  日 : 2016年11月20日(日)
 時  間 : 午後1時30分から
 会  場 : 福島県男女共生センター 二本松市郭内一丁目196-1
 講  師 : 宮川菊佳氏 (ギタリスト)

第7回 「平塚らいてうと青鞜社」/第8回 「参加者による高村智恵子を語るつどい」
 期  日 : 2016年12月20日(日)
 時  間 : 第7回 午前10時から  第8回 午後1時30分から
 会  場 : 福島県男女共生センター 二本松市郭内一丁目196-1
 講  師 : 澤正宏氏 (福島大学名誉教授)

    参  加  費 : 4,000円 
※ 最終日の昼食・文集代込みで、単回の受講も可。単回受講の場合、1回につき千円を添えて、各1週間前までに申し込みください。

問い合わせ/申し込み : 智恵子のまち夢くらぶ ☎0243(23)6743

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第一回の10/10が、「平成28年(2016年)第62回二本松の菊人形」初日にあたり、また、昨日ご紹介した智恵子の生家2階特別公開、智恵子記念館さんでは智恵子の紙絵実物展示も行っているので、この日にまとめて行って参ります。

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皆様も是非どうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

嘘つかぬ我身あやふし秋のくれ     明治43年(1910) 光太郎28歳

自分に正直に生きることにより、周囲との齟齬やら軋轢やらが起こり、それで危害を加えられる、という意味で「我身あやふし」ではないのでしょう。齟齬や軋轢を回避するために、節を曲げる己を自嘲していると捉えたいところです。

智恵子の故郷・福島二本松で恒例となりつつあるイベントです。 

智恵子の生家二階限定公開

期  日 : 2016年10月,9,10,15,16,22,23,29,30       
           11月3,5,6,12,
13,19,20,23010
時  間 : 午前9時~12時 午後1時~4時
場  所 : 智恵子の生家  二本松市油井字漆原町36
料  金 : 一般410円 団体360円 小・中学生 200円
                     (智恵子記念館観覧料金を含む)

明治初期に建てられ、清酒「花霞」を醸造していた旧長沼家。智恵子を育んだ「生家」であり、通常は立ち入りが制限されているこの「生家」二階を期間限定で公開します。
座敷を通り、階段を上がると、智恵子が過ごした部屋が当時のまま保存されています。


この試みは昨年から始まり、今年もすでに4月、5月に実施されました。秋期間としての開催が、来週からです。

実施日は土・日・祝日。時間は午前と午後の3時間ずつ。昨年、初めて実施された時は案内の方が付いて、もっと短い時間での実施でしたが、今回は長時間解放する、という感じのようです。かえってその方がありがたいと思います。

霞ヶ城公園での菊人形期間に合わせての実施ということになりますが、菊人形は10/10(月)~11/23(水・祝)。こちらも例年智恵子人形が出ていますが、今年はどうなのでしょうか。初日に見に行く予定なので、その後にレポートします。


合わせて智恵子生家に隣接する智恵子記念館では、智恵子紙絵の実物展示も行われます。

智恵子の紙絵実物限定公開

期  日 : 2016年10月2日(日)~11月27日(日)
時  間 : 午前9時~午後4時30分
場  所 : 二本松市智恵子記念館  二本松市油井字漆原町36
料  金 : 一般410円 団体360円 小・中学生 200円     (智恵子生家観覧料金を含む)

こちらも例年行われていますが、今年は企画展「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界」の一環としての実施です。下記は『広報にほんまつ』の来月号から。

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ぜひ足をお運び下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

落日のはやさおぼゆる峠かな       明治34年(1901) 光太郎19歳

秋分を過ぎ、どんどん日が短くなっています。しかし、「暑さ寒さも彼岸まで」といいながら、ここ数日、関東は蒸し暑い日々です。まとまった雨が多かった先週より暑く感じます。

愛犬(老犬)との散歩中、その暑さに誘われたか、季節外れのクワガタムシを見つけました。

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愛犬(老犬)は興味を示しませんでしたが、家に持って帰ると愛猫(幼猫)の方は興味津々(笑)。

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この後、庭の桜の木に逃がしてやりました。

福島からイベント情報です 

福島現代美術ビエンナーレ 2016 - 氣 indication -

日  程  : 2016年9月9日(金)〜11月23日(水)
開催時期  : 2016年10月8日(土)〜11 月6 日(日)
   
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会   場 :
 ■二本松市
  二本松市大山忠作美術館 二本松市市民ギャラリー
  二本松市歴史資料館(主催:二本松市)
 二本松城
  福島県男女共生センター 智恵子の生家 二本松工芸館 大七酒造
  道の駅「安達」智恵子の 安達が原ふるさと村
  ■福島市
  福島大学 福島市街地(主催:パセオミューズ実行委員会)
  桶屋台倉庫(主催:福島桶屋台伝承会)
  ■郡山市
  磐梯熱海温泉(磐梯熱海観光協会、福島ガイナックスと共催)
       郡山・富田幼稚園(主催:富田幼稚園)

企画・主催 :
  福島現代美術ビエンナーレ実行委員会
  国立大学法人福島大学芸術による地域創造研究所
  重陽の芸術祭実行委員会
共  催 :二本松市/二本松市教育委員会 他

事業趣旨  :
  福島発信の文化活動を推進していくために、三つの柱に基づいた企画を開催します。
   倭/藝術によるFUKUSHIMA (日本、福島、二本松)のイメージづくり
  ・福島を舞台に開催します。
  ・福島の元気なイメージを世界へ発信します。本年度のテーマは「重陽」
  ・震災後の福島を体感してもらいます。
  ・福島の魅力と文化の発信力を広くアピールします。
  ・眠っている様々な文化資源を掘り起こします。
  ・福島の文化的なイメージアップを計ります。
  ・地域文化を活性化させる一役を担います。
 
 環/福島の産官民学の連携による地域文化創造
  ・行政と地域住民、学校機関の連携
  ・福島に住む若手が企画運営しています。
  ・国際的なアートの展覧会、公演会、シンポジウム等も開催します。
  ・福島を拠点にした若手のアーティストの作品を展示します。
  ・多種多様な伝統文化と現代美術が結ばれます。
  ・幅広い藝術に触れ合い、集い、交流する機会を設けます。
  ・幅広い世代に向けたワークショップを開催します。
  ・創作活動、鑑賞活動、体験活動の場を作ります。
 
 和/福島を拠点にした「同時代の藝術」による国際交流
  ・福島、日本を周遊できる企画を開催します。
  ・人・物の新しい流れを作ります。
  ・海外作家との交流の場を作ります。
  ・外国人向けや国内のツアーを企画します。
  ・未来を展望した活動を行います。
  ・人材の発掘や育成をはかります。
  ・情操教育と将来の夢と目標のお手伝いをします。
  ・様々な職業があることを広く伝えます。
  ・身体を基盤にした表現活動を発信します。


過日ご紹介した故・原節子さん主演の東宝映画「智恵子抄」上映や、昨日ご紹介した「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界」も、タイアップ企画的に、この「福島現代美術ビエンナーレ 2016 - 氣 indication -」に含まれます。


その他、智恵子がらみの企画として、以下の通り。 

レモン忌
期  日 : 2016年10月5日(水)
会  場 : 智恵子の生家 二本松市油井字漆原町36
時  間 : 18:00~
講  師 : 小松美羽(美術家)、和合亮一(詩人)
       公開制作 小松美羽 上川崎の和紙による灯籠、墨絵の制作

<ほんとの空>を園庭に表現しよう
期  日 : 2016年11月4日(金)・5日(土)
会  場 : 富田幼稚園 郡山市富田町字行人田15-2

これ以外にも、例年行われている、智恵子のまち夢くらぶさん主催の「智恵子講座」、霞ヶ城公園での「二本松の菊人形」なども、タイアップ企画ですが、そちらは改めてご紹介します。

その他、さまざまな展示、舞台公演、講演、映像作品上映、シンポジウムなどが企画されており、それらの中でも光太郎智恵子にからむ場合もあるかと存じます。

ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

うづだかき反古にいのちの宮ありてこの秋筆に信の籠りぬ
明治35年(1902) 光太郎20歳

「反古」は「ほご」。書き損じの意ですね。現代、通常は「反故」と表記します。「約束を反故にする」の「反故」です。

表題の通り、今年、2016年は、智恵子生誕130年、光太郎没後60年ということで、さまざまな取り組みが行われています。特に智恵子の故郷・福島県二本松市では、故・原節子さん主演の東宝映画「智恵子抄」上映など、この秋イベントが目白押しです。

今回、まずは企画展。二本松市さんで持っている智恵子紙絵の実物など、当会顧問北川太一先生の元から智恵子肉筆資料他が並びます。さらに当方もこまごまとしたものをいろいろお貸ししました。

智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界

期  日 : 2016年10月2日(日)~11月27日(日) 会期中無休
会  場 : 二本松市歴史資料館 二本松市本町1-102
       二本松市智恵子記念館 二本松市油井字漆原町36
       本展では、2会場にてそれぞれ別の展示内容で開催します。
時  間 : 資料館 9時~17時   智恵子記念館 9時から16時30分
料  金 : 2館セット券 一般 500円   高校生以下 250円
       単館券 資料館 一般 200円   高校生以下 100円
       智恵子記念館  一般 410円   高校生以下 200円

「新しい女」として注目されていた智恵子。高名な芸術家を父にもち、多くの期待を背負った新進気鋭の芸術家である光太郎。二人が育んだ芸術の世界は、智恵子の死を乗り越え、やがて『智恵子抄』へと昇華していきます。
本展では、『智恵子抄』に代表される二人の芸術の世界を智恵子と光太郎の作品を通して紹介いたします。この機会に、是非ご観覧ください。

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関連行事 

記念講演会  『智恵子抄の世界』―智恵子生誕130年に伝えたいこと―

 期 日 : 2016年10月2日(日)
 会 場 : 二本松市コンサートホール 二本松市亀谷1-5-1
 時 間 : 午前10時30分~12時
 料 金 : 無料 先着206人限定のためご入場いただけない場合あり
 講 師 : 大島裕子 氏
       1959年、福岡県生まれ。エッセイストで高村光太郎研究会会員。
       著書に『智恵子抄の世界』、『智恵子抄を歩く』などがある。
       ほかに『素顔の智恵子』や『紙絵にたくす命のかがやき』などの
       連載コラムやエッセイを新聞雑誌に発表している。
 その他 : テルミン奏者大西ようこ 氏による演奏も予定

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この日は、地元で智恵子顕彰活動をなさっている「智恵子の里レモン会」さんの主催で、智恵子を偲ぶ「第22回レモン忌」も開催されます。智恵子命日は10/5ですが、こちらはそれに最も近い日曜日開催ということで毎年行われています。

第22回レモン忌

期 日 : 2016年10月2日(日)
会 場 : ラポートあだち 二本松市油井字濡石16
時 間 : 午後12時30分~14:30
参加費 : 3,000円
申 込 : 智恵子の里レモン会(戸田屋商店) TEL0243-23-4858

さらに今年は現代美術の福島ビエンナーレが二本松市を中心として開催され、そちらでも「レモン忌」と銘打ってのイベントがあります。期日は智恵子の命日である10/5(水)。他にもビエンナーレ関連で智恵子顕彰イベントがあり、詳細はまた明日、ご紹介します。


【折々の歌と句・光太郎】

栗くへばジユリアンを思ふ君を思ふ   明治43年(1910) 光太郎28歳

昨夜、今年初めて栗御飯を食べました。

「君」は画家の津田青楓。共に留学中だった光太郎と明治41年(1908)頃、パリで知り合いました。「ジユリアン」はパリの美術学校アカデミー・ジュリアン。光太郎、青楓共に通っています。焼き栗は今も変わらぬパリ名物。いずれ彼の地で食べてみたいものです。

智恵子の故郷・福島二本松からイベント情報です。うっかりご紹介が遅れました。 
期 日 : 2016年9月18日(日)
時 間 : 午前10時開会
会 場 : 智恵子純愛通り記念碑前 (福島県二本松市油井漆原町 智恵子の生家近く)
参加費 : 無料
プログラム :
 全員合唱「智恵子抄」「ふるさと」 献花 建立の記奉読 詩の朗読 ハーモニカ献奏


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「智恵子純愛通り」というのは、二本松市の智恵子生家・智恵子記念館前を南北に走る県道129号線、元の奥州街道です。平成17年(2005)に公募で愛称が募集され、命名されました。同20年(2008)には光太郎の令甥、故・高村規氏の揮毫による碑が完成、それを記念して毎年行われているイベントです。

平成24年(2012)の第4回のレポートがこちら


同じ日に、やはり二本松でもう1件、智恵子関連のイベントがあります。 
期 日 : 2016年9月18日(日)
時 間 : 午後1時開場  1時30分開会
会 場 : 二本松市民交流センター (福島県二本松市本町二丁目3番地1)
参加費 : 一般500円 高校生以下無料
プログラム :
 パート1 講話「高村智恵子と私」パート2 絵画劇「虹を描いた人~高村智恵子の生涯」

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それぞれ、高村智恵子生誕130年高村光太郎没後60年記念事業の一環として行われます。その他にも9/24の「原節子主演「智恵子抄」フィルム上映会」もそうですし、またご紹介しますが、二本松市歴史資料館と智恵子記念館で開催される企画展「智恵子と光太郎の世界」なども行われます。

ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

秋は今さぞムウドンのおやぢかな    明治44年(1911) 光太郎29歳

「ムウドン」はパリ郊外の地名。そこに住む「おやぢ」は、この頃まだ存命だった、かのオーギュスト・ロダンです。

光太郎、欧米留学を終えての帰朝から2年。自らがかつて在りしパリ、展覧会場で見かけたロダンを思い起こしての句です。

福島からイベント情報です。

シンポジウム in いわき ほんとの空が戻る日まで~ふくしま浜通り地方の復興・再生~

期  日 : 2016年9月24日(土)
会  場 : いわき芸術文化交流館「アリオス」4階小劇場 いわき市平三崎1-6
後  援 : 復興庁福島復興局 福島県 いわき市 双葉地方町村会 NHK福島放送局 福島民報社
      福島民友新聞社
プログラム :
開  会  13:30~14:00
第Ⅰ部   14:00~15:00 
 講演「大震災被災地復興・再生への広域支援~阪神淡路大震災を経験して~」
 公立大学法人兵庫県立大学 総合教育機構防災教育研究センター准教授 紅谷昇平氏
第Ⅱ部   15:15~17:00 パネルディスカッション
「ふくしま浜通り地方復興・再生への広域支援 ~これからの支援のあり方を考える~」
天野和彦氏(FURE特任准教授) 紅谷昇平氏 小松知未氏(FURE特任准教授) 國井政範氏(いわきし総合政策部政策企画課復興支援担当課長) 平岩邦弘氏(双葉町復興推進課長) 下枝浩徳氏(双葉郡未来会議事務局副代表)
参加費 : 無料
問い合わせ : 国立大学法人福島大学うつくしまふくしま未来支援センター 024-504-2865

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光太郎詩「あどけない話」出典の「ほんとの空」の語を冠したFUREさん主催による同様のシンポジウムは、これまでにも京都東京名古屋で開催されてきました。今回は地元福島での開催です。

今日で東日本大震災から5年半となりました。しかし、岩手、宮城、福島3県の仮設住宅の入居者は8月末現在、8万9172人だそうで、まだまだ復興完了にはほど遠いのが現状です。

今回のシンポジウムでは、原発事故による被害を経験している自治体の復興担当者によるパネルディスカッションもあり、ぜひとも他地域の方々に聴いていただきたい内容です。もっとも、利権に目がくらんで無謀な原発再稼動推進に走っている輩は、あえてこういう声を聴かないようにしているのでしょうが……。


【折々の歌と句・光太郎】

芝居町丸にいの字の番傘と蛇の目といそぎ秋の雨ふる
明治38年(1905) 光太郎23歳

「丸にいの字」は歌舞伎の紀伊國屋一門の定紋です。関係者の持ち物か、芝居小屋で貸し出したものか、小粋な眺めですね。

しばらく秋雨前線が日本付近に停滞するようです。豪雨被害のあった地域を思うと、心が痛みます。特に震災の爪痕まだいえぬ地域の皆さん、お大事に。

昨日は、二本松市教育委員会のお三方が、当方事務所兼自宅にいらっしゃいました。来月、二本松市歴史資料館と智恵子記念館で開催される企画展「智恵子と光太郎の世界」、及び今月24日に行われる「【高村智恵子生誕130年記念事業】原節子主演「智恵子抄」フィルム上映会」に、手持ちの資料をお貸しするためでした。

このうち、「【高村智恵子生誕130年記念事業】原節子主演「智恵子抄」フィルム上映会」の方は、会場の安達文化ホールロビーに当時のポスター、チラシ、パンフの画像を展示していただきます。管理体制等の問題があるということで、現物ではなく、写真を撮影して行っていただきました。

そこで、久しぶりに立て看用の大きなポスターを広げました。2種類、手に入れています。

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通常サイズ(B2判)のものも2種類あり、片方(下の画像左)は安達文化ホールで画像展示、もう片方(同右)は企画展「智恵子と光太郎の世界」で現物を展示していただきます。

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お役に立てて幸いです。

こちらは手土産に頂いた、二本松銘菓の包装紙。市内霞ヶ城近くに本店のある「御菓子処日夏」さんのものです。二本松市の名所旧跡がイラスト入りで紹介されています。智恵子の生家も。

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いい感じですね。

さて、前振りが長くなりましたが、二本松でのイベントをもう一つ。すでに募集定員に達しているそうですが、こういうイベントもある、ということで。 

第8回にほんまつファミリーサイクリング大会

主 催 : にほんまつサイクリング協会
共 催 : 二本松商工会議所
後 援 : 市教育委員会 二本松観光協会 市体育協会 福島民報社 福島民友新聞社
                 福島県サイクリング協会

1.趣 旨
「ほんとうの空、あの光るのが阿武隈川」と智恵子抄に詠われた雄大な安達太良山を背に、阿武隈川堤防を周遊。初秋の田園地帯のサイクリングを通して、スポーツを楽しみ、仲間を広げ健康な身体を維持向上することを目的とする。
2.期  日 平成27年9月20日(日) 雨天中止 (主催者の判断で決行もあり)
3.集合場所 安達ヶ原ふるさと村駐車場(出発・到着)
4.コ ー ス
 ふるさと村をスタートし、阿武隈川・杉田川の堤防並びに一般道を走行、
4時間以内に                           完走する。
 ・アスリートコース (一般)        約40km   (途中休憩4ヶ所)
 ・ファミリーコース (小学生と保護者) 約20km   (途中休憩3ヶ所)
5.参加資格 小学生以上で健康、自転車の経験があり完走できる能力のある人
  (小学生は保護者同伴)
6.定  員 100名 ファミリーコースは警備等の都合上、先着10組まで
  ※定員に達しました。
7.参 加 費 1人2000円(消費税及びスポーツ傷害保険等を含んでいます) 昼食有

 
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昨年も同じイベントの紹介で書きましたが、単に「サイクリング大会」ではなく、「趣旨」にあるとおり「「ほんとうの空、あの光るのが阿武隈川」と智恵子抄に詠われた雄大な安達太良山を背に」としているところもいいですね。心の風景である安達太良山への誇りが感じられます。

「地方創生」といわれて久しいのですが、それぞれの地方の皆さんが、こういったイベントを通して「おらが街」の良さを再発見していくことも重要だと思います。


【折々の歌と句・光太郎】

この色ぞこの空の色さやさやと晴れたる空のいろぞ汝が眼は
明治42年(1909) 光太郎27歳

昨日は台風一過の秋晴れでした。雲も明らかに夏と異なる秋の雲。夕方にはまた彩雲が見えました。

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一昨日の『日本経済新聞』さんの夕刊で、当会の祖・草野心平が大きく取り上げられました。 

文学周遊 「草野心平詩集」 福島・いわき市・川内村

 「ぎやわろっぎやわろっぎやわろろろろりっ……」
 7月9日。福島県川内村の体育館に、詩誌「歴程」関係者と村民らの朗読の声が響いた。第51回の「天山(てんざん)祭り」だ。「蛙(かえる)の詩人」と呼ばれた同県いわき市小川町出身の草野心平は1960年、北隣の名誉村民となる。新聞で「モリアオガエルの生息地」を問うた心平の文を読んだ長福寺の住職が平伏(へぶす)沼へ来るよう手紙を書き、53年に初訪問。以来、毎年のように村民と交流を重ねて始まった。
 祭りは例年、心平のために造った茅葺(かやぶ)き屋根の「天山文庫」で開かれるが、この日は雨で体育館が会場に。イワナの塩焼きや山菜を肴(さかな)に、心平の詩や村の伝統芸能を、村人・同人らと楽しんだ。
 一時は原発事故で全村避難となった村では、震災の年も祭りを敢行。震災後、愛唱された宮沢賢治の詩・作品を世に広めたのも心平だ。心平らが創刊した歴程の存在は大きいが、「藤村(とうそん)記念歴程賞」の昨年の受賞者は「川内村村民」だった。生徒数が激減した川内小6年生5人の朗読が胸を打つ。「虫がないてるね/ああ虫がないてるね/もうすぐ土の中だね/土の中はいやだね……」(詩集「第百階級」の「秋の夜の会話」)
 なぜ蛙なのか。幼時から癇(かん)の強かった心平は鉛筆や人に噛みついた。磐城中では放校寸前となって中退。東京にもなじめず「どっか海の外へでも行ってみたいという願望が私のなかにめざめてきた」(「わが青春の記」)という。
 中国の嶺南大学へ入学。寄宿舎で亡兄・民平が詩・短歌を書いたノートを読み、詩作に没入する。「私は広州での学生時代から蛙に関する詩を書きだしたが、その蛙は校庭の沼地にいた牛蛙たちではなく、上小川の稲田で鳴いていた蛙たちだった」(「望郷」)
 孫文やタゴール、高村光太郎ら、国内外で広い人脈を持つ。詩境も「富士山」「天」など宇宙的な「天の詩人」でもあった。一方、生活は困窮を極め、貸本屋、焼鳥屋など波乱の人生を送る。いわき市名誉市民になったのは84年。小川町山腹に98年、市立草野心平記念文学館(粟津則雄館長)が誕生した。
 磐越東線・小川郷駅近くに心平の生家、墓がある。田では稲穂がそよぎ、蛙が跳ね回り、シマヘビも泳ぐ。蛙はじっとこちらを観察していた。
(編集委員 嶋沢裕志)

 くさの・しんぺい(1903~88) 福島県いわき市生まれ。19年磐城中学(現磐城高校)を4年で中退し上京。慶応義塾普通部に編入学するが、半年で中退。英語・中国語を学び、21年中国・広州へ渡り、嶺南大学(現中山大学)に入学。
 25年排日運動の激化で卒業前に帰国。27年「第百階級」を同人誌に発表。郷里で農業、前橋で新聞社校正係、東京で焼鳥屋、新聞記者など職業を転々とし、35年に高橋新吉、中原中也ら8人で詩誌「歴程」(宮沢賢治も物故同人に)発刊。中国で現地召集され、戦後は故郷で貸本屋「天山」、東京で居酒屋「火の車」などを営業。50年一連の「蛙の詩」で第1回読売文学賞受賞。87年文化勲章を受章。
(作品の引用は岩波文庫)

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先月、川内村で行われた第51回天山祭の様子から始まり、川内村として藤村記念歴程賞を受賞した件、心平の人となり、光太郎との関わり、いわき市の草野心平記念文学館、生家などの紹介となっています。

先の話になりますが、11月13日(日)、いわき市の心平生家で没後29回忌「心平忌」・第23回「心平を語る会」が計画されており、当方が記念講演をすることになっています。題して「草野心平と高村光太郎 魂の交流」。また近くなりましたら詳細をご紹介いたします。


【折々の歌と句・光太郎】

繭は蛾に卵は鳥に芽は花に人は生まれて罪の館(やかた)に
明治43年(1910) 光太郎28歳

昨日の『福島民友』さんから。 

福島県の作品が「JR東日本賞」 交通広告グランプリ2016

005 県は25日、ジェイアール東日本企画主催の「交通広告グランプリ2016」で、県の作品が特別賞に当たる「JR東日本賞」を受賞したと発表した。同日、都内で表彰が行われ、県広報課の早川真也主任主査が賞状を受けた。
 作品は高村光太郎の詩集「智恵子抄」にある「ほんとの空」を背景にイメージ。「あなたの思う福島はどんな福島ですか?」や「福島にも様々な人が暮らしています」「光の部分、影の部分。避難区域以外のほとんどの地域は日常を歩んでいます」「お時間があれば今度ぜひいらしてくださいね」「みなさんからの応援に感謝します」などの文言を配置し、メッセージ性を強調した。電通とクリエイティブディレクターの箭内道彦さん(郡山市出身)が協力。JR東日本管内などの32駅に掲示された。
 早川主任主査は「改めて福島に関心を持つきっかけになってくれたらうれしい。大勢の人が足を運び、ありのままの福島を感じてもらいたい」と喜びを語った。


「交通広告グランプリ」とは、公式サイトによれば、光太郎が亡くなった昭和31年(1956)から開催された「秀作車内ポスター展」まで遡ります。 同展は東京近郊の国鉄・私鉄・都電に掲出された車内ポスターの中から選ばれた優秀作品が一堂に会する、当時としては大規模な広告展示会でした。さらに、「国鉄広告展」、新幹線の車内や駅を対象とした「新幹線広告展」が相次いでスタート。

それらを段階的に統合する形で、平成元年(1989)、㈱ジェイアール東日本企画主催による「JR東日本ポスターグランプリ」が誕生。平成18年(2006)より名称を「交通広告グランプリ」と変更し、JR東日本の他、つくばエクスプレス、りんかい線、ゆりかもめ、JR貨物に掲出された作品も審査の対象としているそうです。

福島県の作品は「あなたの思う福島はどんな福島ですか?」という題で、「JR東日本賞」を獲得。「ほんとの空」をイメージしたという、ミントブルーからだんだん淡い水色へ遷るグラデーションをバックに、会津の赤べこ、そしてコピー文「福島の未来は、日本の未来。あたたかなみなさんからの応援に感謝します。原発の廃炉は、長い作業が続きます。これからもどうぞよろしくお願いします。ほんとにありがどない。 福島県」。シンプルな中に、さまざまなメッセージ、そして郷土福島を愛する心が伝わってくる作品です。

また、記事にはありませんが、駅ポスター部門の優秀作品賞に、ふくしまデスティネーションキャンペーンの「会いに行こう。福島」が選ばれています。


受賞作品の展示会が、来月末、JR東京駅近くで開催されます。事前申し込みが必要らしいので、早めにご紹介します。 

交通広告グランプリ2016 受賞作品展示会

期  日 : 2016年8月23日(火)、24日(水)
時  間 : 10:00~18:00
会  場 : サピアタワー ステーションコンファレンス東京 4F 401、402A~D
        東京都千代田区丸の内1-7-12
申込方法 : 申込用紙をダウンロードしてご記入の上、ファクシミリにて
       (株)ジェイアール東日本企画交通広告グランプリ事務局宛にお申込み下さい。
        FAX03-5447-0967

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他にもauの三太郎や、ムササビ(モモンガ?)に扮したスキージャンプの高梨沙羅選手(ANA)など、楽しい作品がいっぱいです。また、『福島民友』さんの記事と照らし合わせると、公式サイトでは受賞作も作品の一部のみの公開になっているようで、全体像はこちらでないと確認できないようです。

ぜひどうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

天上にひびきどよもす夏の日の歌のうたひ手さびしき小蝉

大正13年(1924) 光太郎42歳

明日あたり、いよいよ関東も梅雨明けだそうです。蝉の天下の到来ですね。

昨日の『朝日新聞』さんの「天声人語」で、当会の祖・草野心平が愛した福島川内村の天山祭が紹介されました。 

天声人語 詩の響きわたる村

「歴程」は創刊80年を超す詩誌である。年ごとの「藤村(とうそん)記念歴程賞」の受賞者には金子光晴や辻井喬といった名が並ぶ。昨年は詩人ではなく、阿武隈山地にある福島県川内村の村民一同に贈られた▼毎年7月、草野心平の詩を村人が朗読する「天山(てんざん)祭り」を半世紀にわたり開いた功績が評価された。出身地ではないが、心平は毎夏をこの村で過ごした。祭りは村人との酒宴から始まり、1988年に心平が亡くなった後も続いた▼「私ら詩を作るわけでもないが、栄えある賞をもらっていいんだろうか。でも村民一同にというのはうれしかったですね」。天山祭り実行委員長の石井芳信(よしのぶ)さん(71)は話す。昨年11月、東京での授賞式に村長ら6人と出席し、「ノーベル賞以上の喜びです」とあいさつした▼村は原発事故にほんろうされた。全村民が一時は避難を余儀なくされた。いまも除染作業の車が頻繁に通過する。震災の年は祭りの開催が危ぶまれたが、「大変な時こそ」と村外の人からも励まされ、簡略ながら開催にこぎつけた▼〈けつとばされろ冬/まぶしいな/青いな/ゲコゲコグルルル――/春君/ぼくだよ〉。詩が村に響く。獅子が舞い、酒や山菜を楽しむ▼被災前、村には小中学生が175人いた。戻ったのは50人に満たない。村の将来を思うと石井さんも不安は尽きない。それでも祭りは続けたい。今月9日で51回目となる。人々が集い、大人も子どももそれぞれ好きな詩を読み上げる。震災前と変わらない時が流れる。

昨年の藤村記念歴程賞についても記述があります。


たまたま先月中~下旬、全国各地の地方紙一面コラムに心平、そして川内村の名が立て続けに出ました。この際ですのでご紹介しておきます。

6月18日の『琉球新報』さん。福島第一原発の事故からの全村避難解除を受けての内容です。 

<金口木舌>さむいね、ああさむいね

さむいね/ああさむいね(中略)どこがこんなに切ないんだらうね/腹だらうかね/腹とったら死ぬだらうね/死にたかあないね(秋の夜の会話)。カエルの詩人と呼ばれる草野心平氏の詩集「第百階級」はこの詩で始まる
▼福島県いわき市出身、戦後間もなく双葉郡川内村平伏(へぶす)沼のモリアオガエル見学に招かれた縁で名誉村民となる。政府は14日、東京電力福島第1原発事故で川内村の「避難指示解除準備区域」指示を解き、同村の避難区域を解消した
▼12日には近隣の葛尾村全域避難指示が「帰還困難区域」を除き解除された。生活不安から多くが戻れない故郷で今週、政府の解除ラッシュが続く
▼1400人余が避難する葛尾村は放射線量が比較的高い「居住制限区域」(21世帯62人)の避難指示が解除された初事例だ。対象は418世帯1347人だが、昨夏に始まった準備宿泊登録は約1割。「自分の姿を見て1泊でもして」と期待する地区唯一の帰還者の声は重い
▼昨秋に全域避難指示が解かれた楢葉町の帰還世帯も最新で1割、帰還536人のうち40歳以下は29人だ。同町で原発対応拠点を担うJヴィレッジは東京五輪サッカー日本代表合宿地となる
▼平伏沼は今、モリアオガエル産卵の最盛期を迎える。悲しい歴史をたどる今の沖縄だからこそ、福島の山に海に、戻れない人と戻る人の痛みに思いを寄せ続けよう。



続いて『福島民友』さんで6月20日 

【編集日記】「かえる かわうち」

広葉樹の林の中を歩いて行くと、神秘的な沼が突然、姿を現す。川内村の平伏(へぶす)山(842メートル)山頂に位置する平伏沼だ。モリアオガエルが繁殖する国指定天然記念物で、「カエルの詩人」といわれた草野心平が愛した地としても知られる
 ▼モリアオガエルは産卵の仕方が特徴的だ。沼にせり出すように生えている木の枝や葉に白い泡状の卵を産み付ける。卵が孵化(ふか)すると沼に落ち、オタマジャクシが水中で暮らし始める
 ▼これから7月上旬にかけてが産卵のピークだが、沼の巡視員をする猪狩四朗さんによると、今年は卵の数が例年の半分ほどしかないという。「水不足でもあるが、原因は分からない」。村のシンボルであるカエルのことを思い、心配そうだ
 ▼壁をよじ登るカエルのイラストに、「かえる かわうち」とのキャッチコピーを添えた垂れ幕が2012年の春、村役場に掲げられた。原発事故で一時は全村避難を強いられた同村に役場機能が戻った時期のことだ。村は先週、全ての避難区域が解除された
 ▼現在までに帰ってきた住民は65%ほどという。復興への壁はまだ高いが、「これからカエルが戻り大合唱を聞かせてくれるはず」との猪狩さんの言葉に村の未来を重ねたい。

「かえる かわうち」のキャッチコピー。「かえる」には「蛙」、「帰る」、「変える」など、様々な意味を込めているそうです。下記は以前にいただいた缶バッヂ。

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せっかく「天声人語」にまで紹介された天山祭ですが、今年は明治古典会七夕古書大入札会の一般下見展観、さらにもう一つ別件で柔道の講道館に行かなければならず、欠礼いたします。関係者の皆さん、申し訳ありません。


【折々の歌と句・光太郎】

色みては盲目(めくら)音にはみみしひのふるさとびとの顔のさびしさ

明治42年(1909) 光太郎27歳

一昨日からご紹介しています、海外留学から帰国直後の作です。

一般庶民にまで芸術を愛する心がしみついていたパリと比較し、そうした部分での日本人の無理解を嘆いています。

北海道帯広に本社を置く『十勝毎日新聞』さんに、1週間前に載った記事です。 

原発事故への思いCDに 福島出身の村越さん 芽室

 福島県出身で町内在住の元高校教諭、村越英男さん006(85)が2011年の福島第1原子力発電所事故を契機に制作してきた詩を基に、知人の協力でCD「朗読集 望郷」を製作した。古里の言葉で朗読した村越さんは、原発事故で一変した福島の人々の日常に寄り添いながら、少年時代を過ごした古里への思いを込めた。

 村越さんは、県中央部に位置する川東村(現須賀川市)出身。職業軍人に憧れ、1945年に陸軍の技能者養成所へ入り、終戦を迎えた。戦後は教員の道へ進み来道。士別高校(士別市)や芽室高校の教諭を務めながら、原水爆禁止などの平和運動やそば打ち、合唱に汗を流した。書道には幼少期から親しみ、芽室高では書道部の顧問も務めた。

 今回、朗読した「望郷」は、11年に知人から「芽室そば研究会の会長退任の花道に」と展示会の開催を持ちかけられた時に書いたもの。

 製作期間中に東日本大震災と原発事故が発生し、避難した親族もいた。

 「事故が起こるまで福島にあんなに原発があったとは知らなかった。幼い頃を過ごした豊かな福島はどうなってしまうのか」。村越さんは高村光太郎の詩をモチーフに、避難せざるを得なかった住民への同情や、原発を推進した国やマスメディアへの怒りを込め、「望郷」を書き上げた。

 CD化は、昨年末に町内で平和を考えるイベントを企画した有志が「望郷」の展示を依頼したのがきっかけ。「書だけでなく、声でも参加してもらおう」と村越さんの朗読を録音し、会場で流した。

 有志に加わっていた元小学校教諭の岡田幸造さん(62)は「福島弁で語りかけられ、涙が出るほど感動した」といい、有志で編集委員会をつくり、録音から表紙までCDを自作。望郷の他にも村越さんが書にしたためた詩なども収められた。村越さんは「伝えたかった思いを形にしてくれてありがたい」と話す。

 CDは「材料費程度の負担で頒布したい」と岡田さん。


問題の詩は、ネットで調べたところ、震災の年にアップされていた「やまざきあきら」さんという方のブログに引用されていました。

望郷ーあれが安達太良山、あの光るのが阿武隈川

 なして? どうして?!
  私の生まれ育ったフクシマ

  いつでも人様に尽くすことを喜ぶ
  やさしさにあふれた人たち。
 なして、いつの間にの怖ろしい原発を
  あんなにもたくさん作らされていたの。
 そんなに東京の人たちが大事だったんだべか。
  マデに(真面目に質素に)生きていくべって
  カネ目当ての町村合併まで拒んだ飯舘村の人たち、
 なして、あんたたちまで田んぼやベコまで捨てて
  いったい、どこさ逃げさせられるだっぺ!
  原発は金になっからと素直な県民をおだてだましてきた、
  時の政治家や財界の偉い人たち、
  そして安全だから大丈夫だからと煽り続けた
  学者マスコミの人たち。
 3月11日の後、大熊町に来て切腹した人でもいたったべか!
  家族ぐるみで移り住んで後片付けしているんだべか。
 フクシマの「善人」たちよ、もうあん人たちの
  口車には乗せられないでよ!

 あれが安達太良山 あの光るのが阿武隈川

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元ネタは、『智恵子抄』にも収録された「樹下の二人」ですね。作者の村越さんは、須賀川のご出身だそうで、そういう立ち位置にいらっしゃる方でなければ書けない内容だと思います。

今年の九州の震災では、改めて原発問題を考えさせられました。

あまり報じられていませんが(あまり報じられないところに何らかの圧力を感じます)、九州電力の黒川第一発電所(水力)の施設が崩落しました。これが原発だったらと思うと、ぞっとします。

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震源域に近い川内原発は、「停止すべき」という声が上がっていたにもかかわらず、運転続行。「停止すべき」という声に対しては、「被災者の皆さんが電気を使えなくなったら困る」と、問題のすり替え。昨年、再稼働するまで川内原発以外の発電所で作られた電力で十分にまかなえていたわけですから。そして余震の群発がほぼ納まると、「結局、何もなかったじゃないか」。何かあってからでは遅いのですが……。

さて、参議院選挙が公示されました。先の「大義なき解散」といわれた一昨年の衆議院選挙でもそうでしたが、原発問題は全くといっていいほど争点に上げられていません。震災後の東北を50回以上訪れた当方としては、それでいいのだろうか、と思ってしまいます。

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【折々の歌と句・光太郎】

ていねいにかさなり合ひてまんまろく玉菜のあつ葉たたまるやさしさ

大正13年(1924) 光太郎42歳

「玉菜」はキャベツです。この時代には農作物の放射能汚染など、考えられなかったでしょうね。

昨日、自宅兼事務所に案内が届きました。当会の祖にして光太郎と深い縁で結ばれた、草野心平が愛したイベントです。心平没後は心平を偲ぶイベントとなりました。 

第51回天山祭

期  日 : 2016/07/09(土)
時  間 : 午前11時30分から14時まで001
場  所 : 天山文庫前庭 
       福島県双葉郡川内村大字上川内字早渡513 
        雨天時は川内村村民体育センター
  
     福島県双葉郡川内村大字上川内字小山平15

当日の送迎バス(要予約 6/30〆切)
 川内村行き 郡山駅西口発 午前9時15分
    東北新幹線やまびこ125号に接続 東京発7:32 郡山着8:55
 郡山駅行き 川内発 午後2時45分
 東北新幹線やまびこ216号に接続 郡山発16:39 東京着18:16

翌日の送りバス(要予約 6/30〆切)
 郡山駅行き 川内発 午前8時30分
 東北新幹線やまびこ132号に接続 郡山発10:27 東京着11:48

村内宿泊施設
 小松屋旅館       川内村上川内字町分211  0240-38-2033
 ビジネスホテルかわうち 川内村大字上川内字町分394       0240-38-3181                                            
 ビジネスホテルアゴラ  川内村大字上川内字瀬耳上265番地3 0240-23-6300
 いわなの郷コテージ   川内村大字上川内字炭焼場516 0240-38-3181 グループのみ

申し込み (送迎バスの利用がなければ不要)
 天山祭り実行委員会事務局 : 川内村教育委員会教育課生涯学習係 0240-38-3806


ネット上には今年の第51回の案内等はまだ出ていません。当方、昨年まで3年連続で行っておりました。平成25年(2013)、平成26年(2014)、平成27年(2015)、それぞれのレポートにリンクを貼っておきます。

川内村ではつい先週、東日本大震災に伴う福島第1原発事故により、村内で継続されていた避難指示が全て解除されました。  

川内村全域で避難解除=指示継続の2地区―福島

 東京電力福島第1原発事故により、福島県川内村の一部で継続されていた避難指示が14日に解除され、全域が避難対象から外れた。
  同村では2014年10月に避難指示解除準備区域の避難が解除されたが、居住制限区域だった2地区は解除準備区域に変更された上で、避難指示が続けられていた。
  今回解除対象の同村荻、貝ノ坂地区の人口は19世帯51人(今月1日時点)。村では、両地区内の除染終了を受け昨年11月から帰村に向けた準備宿泊を実施していたが、登録者は1世帯2人のみで、解除後すぐに村へ戻るのはごく一部にとどまるとみられる。
  政府や村は、住民から不安の声が上がっていた放射線への対策として、希望者に線量計を配布。線量の高い地点が見つかり次第、追加の除染を行う。
(時事通信 6月14日(火)0時25分配信)

しかし、避難指示解除即住民帰還とはならないようです。それも致し方ないとは思いますが、天山祭などを通じて村が盛り上がり、やがてはかつての活気を取り戻すことを祈念しております。


【折々の歌と句・光太郎】

赤蛙にげるな汝を取るといへど喰ふにはあらず皮むくにあらず

大正13年(1924) 光太郎42歳

草野心平といえば、蛙。梅雨時で蛙も活気づいています。川内村の平伏沼では、心平が愛し、村と心平の架け橋になったモリアオガエルの産卵が始まったそうです。

さて、大正13年(1924)の光太郎。木彫のモデルにでもするために、蛙を捕まえようとしていたのではないかと思われます。だから「喰ふにはあらず皮むくにあらず」。

しかし、戦後の花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)での暮らしでは、蛙を捕って食べていたそうです。

昭和27年(1952)に行われた、詩人の竹内てるよ、食料産業研究所長・川島四郎との座談会「簡素生活と健康」(『主婦之友』に掲載)の一節。

竹内 主食の量は違いましたか。
高村 主食はもともと少かつたんですが、食糧には困らなかつた。みんな持つて来てくれるんです。お米でも稗でも、漬物や南瓜なども……。蛋白質だけはなかつたな。
川島 田舎ではね……
高村 それで蛙をとつて食べたんです。赤蛙をね、まだ動いているのを皮をはいで……。近所にはいゝ奴がどつさりいたんです。蛇もいたが、これは歯が悪いので駄目でした。

ワイルドですね(笑)。

昨日の『福島民報』さんに載った記事に「ほんとの空」の語が。

ただ、状況をわかりやすくするために、同じイベントを報じた『朝日新聞』さんの記事を先に紹介します。 

エアレース、日本人優勝

 プロペラ飛行機の世界レース「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ」の決勝が5日、千葉市美浜区の幕張海浜公園であった。日本人パイロットの室屋義秀選手(43)が初優勝、約5万人の観衆が華麗な舞に歓声を上げた。レースには14人のパイロットが参戦。海上に設置した高さ25メートルの複数のエアゲログイン前の続きートを通過するなどしてタイムを競った。室屋選手は2009年から参戦し、過去最高は3位。会見で「難しい世界だったが、やっと(1番が)取れた」と喜びをかみしめた。 

千葉)幕張の空、最速飛行機が舞う 室屋選手Vにわく

 最高時速370キロのプロペラ飛行機が今年も幕張の空を舞った。5日、千葉市美浜区の幕張海浜公園で開幕した「レッドブル・エアレース千葉2016」(朝日新聞社など後援)。4日の予選が悪天候で中止となり、5日開幕となったこの日は決勝に国内外から5万人が来訪。日本人パイロット室屋義秀選手(43)の初優勝にわき上がった。地元住民による「おもてなし」もバラエティーに富み、大会実行委員会は昨年、今年に続き来年も「千葉開催」の方針を示した。
 決勝レース開始前、会場の幕張海浜公園のメディアセンターで大会実行委員会のエリック・ウルフ氏、同公園が立地する地元の熊谷俊人市長、飛行機格納庫が置かれた浦安市の松崎秀樹市長が記者会見した。
 会見では両市長とも昨年の大会に比べ市民の関心、協力度がアップしたと述べた。その上で来年以降の日本開催の方針を報道陣に尋ねられたウルフ氏は「来年も千葉で開催したい」と語った。
 ウルフ氏は以前から①千葉市が日本の民間航空発祥地であり歴史がある②長い人工海浜に面した会場はスピードレースになる③東京に近い――などを千葉開催の利点に挙げていた。
 今年は、さらに「市民など関係者の理解や支援」が今後の開催の後押しになった。ウルフ氏は「世界規模大会では民間の支援が不可欠。(前回、今回の千葉開催で)積み上げた自信、経験、ノウハウに手応えを感じる」と強調した。
 レース終了後には、初優勝を飾った室屋選手が会見に臨んだ。「母国レースでプレッシャーがあった。努力を100%したなら結果は神様に預けましょうという気持ちだった」とし、「千葉が特別な思い出の場所になりました」と語った。(大和田武士、滝口信之)

 
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というわけで、「空のF1」とも呼ばれる「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ」。F1レース同様、世界各地を転戦しますが、今シーズンの第3戦が千葉市で開催され、見事、唯一の日本人出場者・室屋義秀選手が優勝しました。


室屋選手、福島市ご在住だそうで、『福島民報』さんの記事が以下の通りです。 

「サムライ」夢かなえる レッドブル・エアレース優勝の室屋選手(福島在住)

 夢は追い続ければきっとかなう-。5日に千葉市で繰り広げられた「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ2016第3戦」で初優勝した福島市在住の室屋義秀選手(43)は、レース後の記者会見で“ほんとの空”から追い求めた夢の結実を喜んだ。「航空文化の魅力を福島に広めたい」。唯一の日本人として世界に斬り込むサムライパイロットの夢舞台は続く。
 上位4選手で競う決勝戦「ファイナル4」。優勝が決まった瞬間、室屋選手は関係者と抱き合った。涙が頬を伝った。
 頂への道のりは平たんではなかった。「世界一のパイロットになる」と決め、20歳の頃に渡米。苦学して軽飛行機の操縦免許を得た。平成11年に拠点を福島市の農道空港「ふくしまスカイパーク」に移した。エアレースに初参戦したのは21年。世界の強豪を相手に苦杯をなめ続けた。テクニックを磨き上げ、機体改良を重ねた結果、昨季の中盤からようやく結果が伴うようになった。さらなる飛躍が期待された今季だったが、第1戦、第2戦ともに重力加速度(G)超過で失格を喫した。機器トラブルや気負いもあった。
 満を持して臨んだ第3戦。千葉会場はG超過が出やすいコースとされる。周囲が失格を恐れて慎重な操縦を心掛ける中、攻めの姿勢を崩さなかった。機体と気力が一体化し、栄冠を手繰り寄せた。昨年の千葉大会を飛んだのが人生最高の日だった。「人生最高の日を更新できた」。笑顔がはじけた。
 「多くの協力や支援があってここに立てた。良い知らせを福島に届けられて本当にうれしい」。次の人生最高の日の更新に向けて新たな航跡を描く。

■関係者祝福「第2章始まる」
 関係者は歓喜に沸いた。ふくしまスカイパークの指定管理者・NPO法人ふくしま飛行協会の斎藤喜章理事長は、共に歩んだ歳月を思い出しながら、「福島の復興のために飛ぶと宣言し、努力を積み重ねた。重圧をはねのけて地元開催で見事に羽ばたいた。第二章が始まる」とさらなる飛躍を願った。
 ふくしまスカイパークに軽飛行機の研究開発施設を整備している自動車部品会社サード(本社・愛知県豊田市)の佐藤勝之社長は技術面で支援。「福島に元気を届けられてうれしい。今後も協力して飛行機の機体開発をしていきたい」と連携を誓った。
 同窓生も快挙に沸いた。同じ中央大出身の小林香福島市長は現地で声援を送った。「市民、県民の大きな喜びであり、励みだ」と拍手を送った。中央大学員会福島白門会の杉原長次事務局長は「福島の子どもたちに夢を与えてくれた。室屋さんに憧れてパイロットを目指す子どもが増えてほしい」と期待した。
 スポンサー契約を結んだレクサスは「(レクサスは)日本発のブランドとして卓越した操縦技術で世界と戦う室屋選手を応援している。残り5試合もサポートし、世界の舞台で驚きと感動を提供し続けてほしい」とコメントした。

■「来年も千葉で」
 レッドブル・エアレース社のエリック・ウルフゼネラルマネジャーは5日、本選前の記者会見で「次も千葉で開催したい」と述べ、来年も国内開催を継続する考えを初めて明らかにした。
 千葉県を開催地候補に挙げた理由について、「行政や関係機関の理解や支援が大きい」と説明した。国内では昨年から千葉県でレースが行われている。
( 2016/06/06)

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ここで「ほんとの空」の語には多少の無理矢理感がありますが(笑)、震災以来、幅広く使われるようになって、もはや一人歩きしているような感もある「ほんとの空」の語、さらに広めていただきたいものです。

当方、レースの行われている時間帯、全くの別件で千葉市に居りました。レースが行われていることは知っていましたが、光太郎ブログのネタになるとはまったく思っていませんでした(笑)。


なにはともあれ、室屋選手の今後のさらなるご活躍も祈念いたします。


【折々の歌と句・光太郎】

爆音のうなりに耳をすましゐてあやふきも又うつくしとおもふ
昭和20年(1945) 光太郎63歳

飛行機を題材にした短歌ですが、ただし、ここで爆音をたてているのは米軍機です。

光太郎、飛行機には「用の美」を見いだしていました。

 用途に徹(てつ)するものの美といふことを、飛行機ほどあからさまに示してゐるものは少い。所謂装飾(さうしよく)といふものの入りこむ余地のまるでない、純粋に機能そのものの追求(つひきう)からのみ、成つてゐる飛行機が、またなく美しいといふ一事は、「必要なるものは美なり」といふ、古人の言を裏書してゐる。美が物体から遊離(いうり)してゐるものでなくて、物体そのものの機構(きこう)が即ち美しいのだといふ原理をよく示してゐる点で、飛行機の美は茶室の美とにてゐる。一方は動の極、一方は静の極でありながら、どちらも無駄といふ無駄をあくまで除きさつて、其上、その性能を最大限に発揮(はつき)するやうに工夫されてゐる。かういふ角度(かくど)から追求された造型物(ざうけいぶつ)は、欲せずしても美に到達せずにはゐない。これこそ、われわれ美術家の最も心にとゞめねばならない重点であり、美の健康性のうまれる契機(けいき)でもある。自然の成立がすでにさうであり、殊に人体に見る必須の美は、その好個箇の手本であるといへる。

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上記は昭和18年(1943)1月1日発行の雑誌『飛行日本』第18巻第1号に載った「飛行機の美」という散文の冒頭部分です。『高村光太郎全集』に漏れていたものですが、5年ほど前に見つけました。

いわんとするところは分かります。しかし、この文章で光太郎が美しいとたたえているのは、殺戮兵器である戦闘機や爆撃機でした。そうした視点が欠けていたしっぺ返しのように、東京と花巻、光太郎は2度も空襲で焼け出されます。上記短歌は、2度目に焼け出される直前の作です。

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飛行機も、「レッドブル・エアレース」のように、平和的な利用のみが為される時代になってほしいものです。

NHKラジオ第一放送の深夜番組「ラジオ深夜便」。明日の晩から明後日未明にかけてのオンエアです。 
5月30日(月)午前0時台と1時台(29日(日)深夜)
出演:桂幸丸さん(落語家)、石澤典夫アンカー、村上里和アンカー

東日本大震災の被災地復興支援のひとつとしてNHKが行っている「公開復興サポート 明日へ」の公開収録が、5月22日に福島県郡山市で行われました。 その中から、第一部として福島県出身の桂幸丸さんの落語とインタビュー、第二部としてアンカーのトークと「智恵子抄(高村光太郎作)」「蜘蛛の糸(芥川龍之介作)」「矢村のヤ助(かこさとし作)」の朗読をお聞きいただきます。

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午前1時台の「朗読とトーク」で、「智恵子抄」が取り上げられます。石澤アナか、それとも村上アナか、はたまたお二人ともか、そのあたりは不明ですが、とりあえず聴いてみます。

それに先立つ午前0時台、落語家の桂幸丸師匠がご出演。オリジナルの新作落語「円谷幸吉伝」が流れるそうです。須賀川市ご出身の幸丸師匠、福島に題を採った新作落語を多数発表されています。「新島八重伝」、「瓜生岩子伝」、「野口英世伝」、「福島方言」、「常磐ハワイアンセンター物語」、そして「智恵子抄」。

■『智恵子抄』でお馴染みの高村智恵子。その人生は、恵まれた環境で好きな事に一生懸命打ち込む幸せな少女時代、学生時代の智恵子であったが、その後不幸が彼女を次々と襲い苦悩し葛藤する。そして最後に見つけた彼女の人生の一筋の光は紙絵制作。52才で亡くなるまでの3年8か月の入院生活の間に千数百点の作品を作り上げました。穏やかなテンポの噺の流れでありながら、聴いている内に自然に微笑んでしまうような、そんなステキな作品です。

当方、CDを持っております。

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今回の演目は「円谷幸吉伝」ですが、「智恵子抄」に関するお話も出ることを期待します。


ぜひお聴き下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

病またたのしき如し五月尽   昭和20年(1945) 光太郎63歳

東京のアトリエを焼け出され、花巻の宮沢賢治の実家に疎開、到着した翌日から結核性の肺炎で高熱を発し、病臥していた折の句です。

「月尽」は「月の終わり」という意味で季語として使われる俳諧用語。「五月尽」は「五月末」です。

当方も夏風邪にやられ、ここ数日、寝込んだり起きたりの毎日です。

一昨日の土曜日、二本松市の智恵子の生家を後に、安達太良山を目指して愛車を走らせました。

ロープウェイを使えば長時間歩かずとも山頂まで行けるとのことなので、そのつもりでした。さらにイルミネーションも見てみよう、昨年オープンした日帰り温泉施設「あだたら山 奥岳の湯」の湯にも入ろう、という計画でした。

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麓から見た山頂。期待が高まります。

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途中の岳温泉。

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沿道に咲くのは山ツツジでしょうか。

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ところが、岳温泉を過ぎた辺りから、まさかの雨。し002かも大粒。

ウィンドブレーカーは持って行きましたが、ちゃんとした防水のものではありません。車には傘が積んであるものの、さすがに傘を片手に山歩きというわけにも行きません。靴も登山靴ではなく、街中も歩けるようなトレッキングシューズです。

結局、標高950㍍の登山口まで車で行ったところで、断念しました。この雨は「山をなめるな」ということでしょうか。

「あだたら山 奥岳の湯」は登山口にありますので、そちらにだけは傘をさして行って参りました。



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けっこうな賑わいでした。登山シーズンの休日ということもありましたし、「雨宿り」と言っていたお客さんもいました。

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内湯が一つと、展望露天風呂が一つ。雨に打たれながら露天風呂に浸かりました。当方の好きな熱めの湯です。先週泊まった岩手の大沢温泉さんも熱めの湯でした。大沢さんはアルカリ性でしたが、こちらは酸性泉。殺菌効果が期待できます。

雨はやみそうにないので、これで帰路につきました。結局、千葉の自宅兼事務所に着くまでずっと雨でした。前日までの天気予報では一言も「雨」とは言っていなかったような気がしたのですが……。

イルミネーションと、山頂から見る「ほんとの空」はまたの機会に取っておきます。


帰りがけ、地元紙2紙を買ってきました。

まずは『福島民友』さん。

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智恵子生家・記念館で前日から始まっていた「高村智恵子生誕130年記念事業 智恵子生誕祭 琴の調べ」について報じて下さっていました。 

風流の時間楽しむ 智恵子生誕130年記念「琴の調べ」

 二本松市出身の洋画家・紙絵作家で、夫で彫刻家・詩人の高村光太郎の詩集「智恵子抄」でも知られる高村智恵子の生誕130年記念イベント「琴の調べ」が20日、同市油井の智恵子の生家で始まった。同日の智恵子の誕生日に合わせた「生誕祭」として、22日まで開かれている。
  智恵子の実家は造り酒屋で、一般公開されている智恵子の生家には、裏に「長沼ちゑ用」と書かれた琴も展示されている。少女時代には琴に親しんだという。
 琴の調べは今回が初めて。同市の福箏会(高橋和子代表)の会員らが出演し、琴と尺八で「智恵子抄」や「荒城の月」などの曲を演奏している。
 また、二本松婦人会(石川美知会長)が野だて傘などで風情を演出した中で抹茶や菓子を提供し、入館者は静かに風流の時間を楽しんでいる。
 琴の調べは午前の部が午前10時~正午、午後の部が午後1時~同3時。智恵子の生家と併設する智恵子記念館の入館料は高校生以上410円、小・中学生200円。お茶の振る舞いは実費となる。智恵子記念館には、智恵子の紙絵の実物も約10点展示されている。
 問い合わせは智恵子記念館(電話0243・22・6151)へ。


続いて『福島民報』さん。

こちらは琴関係の記事は見あたりませんでしたが、過日ご紹介した末盛千枝子さん著『「私」を受け容れて生きる―父と母の娘―』の書評が出ていました。

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長いので引用はしませんが、光太郎智恵子の名を挙げて下さっていますので、そこだけ。

 彫刻だけで子ども六人を育てようとした厳格な父と、それを支えた母。「千枝子」は、父が彫刻家の高村光太郎にお願いして、彼の妻智恵子にちなんで付けてもらった名だ。

同一の書評は、他県の地方紙さんにも載ったようです。

『日経』さんと『朝日』さんに載った書評はこちら

以上、2日に分けての福島レポートでした。


【折々の歌と句・光太郎】

かわきたる赤岩の角(かど)湯にぬらしざぶりと立ちて腰かけにけり
大正13年(1924) 光太郎42歳

温泉好きだった光太郎、温泉にまつわる短歌も複数残しています。

昨日は福島県郡山から二本松をぶらり散歩。

まずは郡山市のふれあい科学館さんに。こちらでは、第4回ふくしま星・月の風景フォトコンテスト 作品展(観覧無料)を開催中です。

「”ほんとの空”のあるふくしまの星・月の風景」ということで寄せられた作品のうち、入賞作30点あまりが展示されています。どれもこれもハイレベルな作品でした。


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入賞作品集の冊子も販売中。一冊購入しました。

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表紙は大賞受賞作「雲は去り、月は彼方に」。桧原湖と、光太郎が詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)で、「二つに裂けて傾く」と謳った磐梯山が写っています。

来月30日までの会期です。今後も、福島の「ほんとの空」を広めるために、続けていってほしいものです。

会場から見えた安達太良山。天気が今一つで、「ほんとの空」とは行きませんでした。

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その後、二本松へ。午後1時から、旧安達町にある智恵子の生家で、「高村智恵子生誕130年記念事業 智恵子生誕祭 琴の調べ」ということで、琴の演奏があります。

その前に、国道4号を北上し、智恵子の生家付近を通り過ぎ、道の駅「安達」智恵子の里で昼食を摂りました。

こちらでは今月いっぱい、下り線で『高村智恵子』紹介コーナーが設置されています。「智恵子生誕祭」の一環です。

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こちらの道の駅は全国的にも珍しい、上下線に分かれている作りになっています。上り線でも光太郎智恵子のパネル。さらに「和紙伝承館」というお店では、智恵子の紙絵の複製が特別展示されていました。
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さて、智恵子の生家へ。

まずは裏手の記念館を拝観。この期間、複製ではない実物の紙絵が10点、展示されています。以前にも書きましたが、やはり実物は違います。厚さ1ミリに満たない中で、紙の重なりが立体感を生み出しています。正面に立つとわかりにくいのですが、斜め方向から見れば、一目瞭然です。

撮影禁止なので画像は出せません。ぜひ行って、実物をご覧下さい。

受付で、4枚組の絵葉書をゲット。新製品のようです。以前はありませんでした。袋は上川崎和紙でしょう。

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さて、1時となり、「琴の調べ」。

生家の一室を使い、琴の方が4人、そこに尺八の方が入った合奏でした。

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曲はお約束で、二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」、その他は「さくら」「荒城の月」などなど。こういう場所で聴くと、より風情が増します。心が洗われるようでした。

こちらは生家に展示されている、智恵子が実際に使っていた琴。

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裏側には名前が入っています。

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智恵子の琴に関するエピソードは伝わっていませんが、素封家の子女のたしなみとして、取り組んでいたのでしょう。

「琴の調べ」、今日まで開催されています。智恵子も「ほんとの空」の上から喜んでいるのではないでしょうか。

当方、この後、安達太良山に行きました。長くなりましたので、明日に回します。


【折々の歌と句・光太郎】

この人を見よヴエルハアランはわがごとく妻を恋ふゆゑ間なくし作れり

大正13年(1924) 光太郎42歳

「ヴエルハアラン」は、エミール・ヴェルハーレン。ベルギーの詩人です。

画家だった妻・マルトに贈った「時の三部作」(『明るい時』、『午後の時』、『夕べの時』)のうち、『明るい時』、『午後の時』を、光太郎が翻訳しました。

『明るい時』(大正10年=1921)の序文で、光太郎は以下のように記しています。

詩の翻訳は結局不可能である。意味を伝へ、感動を伝へ、明暗を伝へる事位は出来るかも知れないが、原(もと)の「詩」はやはり向うに残る。其を知りつつ訳したのは、フランス語を知らない一人の近親者にせめて詩の心だけでも伝へたかつたからである。

フランス語を知らない一人の近親者」は、もちろん、智恵子です。内容的にも『智恵子抄』所収の詩との類似点が指摘され、いわば『智恵子抄』の序章とも言えます。

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このところ、智恵子の故郷・二本松ネタばかりですが、もう1日、おつきあい下さい。 

高村智恵子生誕130年記念事業 智恵子生誕祭 琴の調べ

智恵子が少女時代に親しんだ琴の音色が奏でる生誕祭。
お茶を飲みながら庭園を眺めると、まるで智恵子がそこにいるようです。

期  日 : 2016年5月20日(金)~22日(日)
場  所 : 高村智恵子生家 智恵子記念館 福島県二本松市油井字漆原町36
時  間 : 午前の部 10時00分~12時00分  午後の部 13時00分~15時00分
内  容 : 琴の生演奏と呈茶のふるまい
※入館料が必要です。お茶は別料金となります。また、期間中は奇跡といわれる「紙絵」の“実物”展示をしますので、併せてご覧ください。

問い合わせ 智恵子記念館 電話:0243-22-6151 文化課文化振興係 電話:0243-55-5154

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昨年までは、市としては智恵子生誕記念のイベントは行われていなかったようですが、今年は生誕130年の節目ということもあるのでしょう、市が主催でイベントが行われます。先月の「広報にほんまつ」では、「生誕祭」という名称にもなっていませんでしたが、こうした方がすっきりしますね。

合わせて智恵子記念館さんでは、智恵子作の紙絵の実物展示が行われています(通常は複製)。5月24日(火)までだそうです。


さらに国道4号線沿いの「道の駅「安達」智恵子の里下り線」では、「情報コーナー 『高村智恵子』紹介コーナー」が設置されているとのことです。 

情報コーナー 『高村智恵子』紹介コーナー設置

今月5月は道の駅「安達」智恵子の里 のサブネームでもある、
『高村智恵子』さんの生誕月です。
そこで、今月は智恵子さんを多くの方々に知っていただきたい!!との思いから紹介コーナーを設置いたしました(#^.^#) 智恵子記念館とも連携しております。。。
是非、この機会に『高村智恵子』を深く知ってください❤



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下記は、今月号の「広報にほんまつ」に載った広告。

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同じく今月号の「広報にほんまつ」には、二本松駅前の大山忠作美術館さんでの「二本松さくら展」についてもまた記事が載りました。

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こちらの会期は、5月8日(日)までです。

いろいろご紹介しましたが、よろしくお願いします。


【折々の歌と句・光太郎】

聖院の屋根に日のさす暮の春     明治42年(1909) 光太郎27歳

「春の暮」でなく、「暮の春」。いかにも晩春の風景画のようですね。

昨日に引き続き、智恵子の故郷、福島は二本松からのイベント情報です。 

あだたらイルミネーション

平成28年5月14日(土)~6月5日(日)の期間、イルミネーションが煌めく「あだたらイルミネーション」を開催します。 天の川をモチーフにしたゲレンデいっぱいに広がるイルミネーションがロマンチックな光景を生み出します。

期 間 : 2016年5月14日(土)~6月5日(日)
場 所 : あだたら高原スキー場 アンドロメダコース内
入場料
 : 無料
内 容 :  高速6人乗り「あだたら山ロープウェイ」から眺めるイルミネーションです。
         LEDが奏でる幻想的な夏の風景をお楽しみください。
その他
 :  無料駐車場があります。
 
期間中ロープウェイ運行
運行時間  19:00~21:00(上り最終 20:30/下り最終 20:50)
 ロープウェイ特別料金(往復)  大人(中学生以上)1,200円   小人(4歳~小学生迄)700円
天候状況により、安全のため運休する場合があります。

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通常、イルミネーションというと冬場のものですが、ここ、安達太良山ではこの時期に開催されます。

昼間は「ほんとの空」、夜はイルミネーション。さらに昨年暮れ、日帰り温泉入浴施設「あだたら山 奥岳の湯」もオープンしました。

これはぜひ期間中に一度行かなければ、と思っております。皆様もどうぞ。


もう1件、急に情報が入りましたのでご紹介します。

明日(4/30)、テレビ朝日系で、安達太良山、さらに光太郎智恵子が暮らした東京・千駄木が一つの番組で紹介されます。  

朝だ!生です旅サラダ

2016年4月30日(土)  8時00分~9時30分 テレビ朝日 

番組内容
海外の旅
 セレブが集う憧れのドバイを、最年少ガールズ・吉倉あおいが巡ります!トム・クルーズ主演映画「ミッション:インポッシブル」に登場した世界一高いタワーに始まり、近未来を思わせる都市に圧倒されます!さらに、世界最大級の砂漠を四駆で走るロマンチックなツアーにも参加!

ゲストの旅
 金子貴俊さんが、春の長崎を食べ歩き!中華街で老舗の長崎皿うどんを堪能し、念願の小籠包作りに挑戦!?さらに、長崎和牛ステーキをいただき、海を見晴らす展望風呂でかっちゃんのお株を奪う温泉リポート!?さらに、幻のトマトを求め、軍艦島近くにある島へ行くと…。

俺のひとっ風呂
  「開放感抜群の露天風呂」を目指して福島県へ。安達太良山の中腹にある温泉街から鎌ヶ池公園へと続く坂道は、桜のトンネルができる“桜坂"が。美しい桜の道を歩いた後は、温泉街で愛され続ける「ソースかつ丼」に舌鼓!そして、いよいよ目的の温泉へ…。


ヒロドが行く!日本縦断コレうまの旅
  ヒロド歩美アナウンサーが、美味しいプレゼントを求めて直撃取材! 今回は注目のエリア「谷根千」へ。谷中・根津・千駄木を巡り、辿り着いた絶品グルメ!さらに、プレゼントソムリエ・ヒロドの意外なアイデアで、究極の逸品に!?

生中継のコーナー
 ラッシャー板前が、新潟県胎内市の素敵なお花畑から!!日本一を誇る花と地元発祥のグルメを紹介し、最後は絶景を見るため空へ!?

出演者
神田正輝、向井亜紀、勝俣州和、三船美佳、ラッシャー板前、吉倉あおい(旅サラダガールズ)、ヒロド歩美(ABCアナウンサー)、金子貴俊

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それぞれ光太郎智恵子に触れられるかどうか……というところですが、とりあえずご紹介しておきます。


【折々の歌と句・光太郎】

牛五百山崕(やまそば)かげに我とありわがごと痩せず眼うるまず
明治37年(1904) 光太郎22歳

こちらも昨日に引き続き、安達太良山ならぬ上州赤城山での作です。

「わがごと」は「わがごとく」=「私のように」。「眼」は「まなこ」と読むべきでしょう。

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こちらも昨日同様、昭和初期の絵葉書です。

智恵子の故郷、福島は二本松からのイベント情報です。 

第62回 安達太良山 山開き

2016年5月15日(日)

今年はふくしまアフターDCの中で迎える第62回安達太良山の山開き!
山頂での行事に加え、ふくしまアフターDC記念としての企画もございますので、皆さんお誘い合わせの上、お越しください! 

【お問い合わせ】  安達太良連盟事務局(二本松観光協会)TEL:0243-55-5122

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◆山頂イベント◆
 10:00~ ふくしまアフターDC記念山開き参加ペナント配布(先着3,000名)
 11:00~ 安全祈願祭
 11:20~ Ms.あだたらコンテスト(ミズ1名、準ミズ1名、入賞6名)
  (未婚、既婚は問いません。入賞者には記念品を贈呈します。)

 ※山頂の天候次第で、途中で中止となったり、予定していた時間も変更となる場合があります。
 ※雨天の場合は、山頂イベントは中止し、奥岳登山口入口にて8時からペナント配布、
  奥岳登山口(レストラン「ランデブー」)で10時から安全祈願祭を行います。

◆あだたら山ロープウェイ運行時間・料金◆  
 《運行時間》   始発 7:00(山開き当日のみ。通常は8:30)
          下り最終 16:30    
 《料金》      大人片道:950円(小人700円)/大人往復1,650円(小人1,250円)


◆バスでおいでの方へ◆  
 ▼当日のシャトルバス等についてはこちらをご覧ください。
   
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毎年第3日曜日、だそうで、今年は花巻での高村祭と重なってしまいました。智恵子の生誕祭と重なった年もあり、行こう行こうと思いつつ、中々行けないでいますが、いずれ、と考えています。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

水清き赤城の山に秣(まぐさ)刈る少女(をとめ)うつくし絵をねだりける
明治37年(1904) 光太郎22歳

光太郎は安達太良山には登ったことはないようです。よく登ったのが群馬の赤城山。そちらでの作です。

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画像は昭和初期、光太郎もよく泊まった赤城山の猪谷旅館(スキーの猪谷六合雄・千春選手親子の実家)が発行したものです。

昨日は『福島民友』さんの記事「「ロープウェイ」運行開始 安達太良山の自然を満喫」をご紹介しましたが、今日は『福島民報』さんの記事から。

何度かご紹介した、二本松市大山忠作美術館さんの「二本松さくら展」に関してです。 

二本松の魅力語る 「さくら展」トークショー

 二本松市の大山忠作美術館特6c2092aa別企画展「二本松さくら展」のスペシャルトークショーは23日、女優の吉沢京子さんを迎え、同美術館が入る市民交流センターで開かれた。
 さくら展実行委員長を務める女優の大山采子(一色采子)さんとさくら展の見どころや二本松の魅力などをテーマに話した。
 吉沢さんは「会場いっぱいに桜のパワーがあふれている。名画を間近で見て、奥行きや空気感を実感した」と感想を語った。「二本松の桜の多さにも驚いた。霞ケ城公園の天守台からの眺めは素晴らしい。まさしく『ほんとの空』が広がっている」とも絶賛した。
 会場には400人以上が詰め掛け、華やかなトークに聞き入った。
(2016/04/24)


一色さんと吉沢さん、昨年、同じ舞台で共演さ000れていることから、今回のコラボが実現したのだと思われます。松竹創業120周年特別公演の「舞踊 錦絵 夏すがた」でした。

吉沢さんのブログを拝見しましたところ、『福島民報』さんの記事になっているトークショーの様子や、前日に智恵子の生家などを訪れられたことが書かれていました。ありがとうございます。

「二本松さくら展」は来月8日まで。期間中の土日、祝日(今週後半からゴールデンウィークですね)には、智恵子の生家で通常非公開の2階部分(智恵子の部屋を含む)の公開も行われています。くわしくはこちら

また、追ってご紹介しますが、安達太良山ではイルミネーションが来月14日から、山開きが15日に行われます。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

桜ちり木蘭おちて春は往(い)ぬ往ね往ね夏よ魂よみがへせ
明治37年(1904) 光太郎22歳

東北では春真っ盛りでしょうが、ゴールデンウィーク、というと、こちら南関東ではいよいよ「初夏」という感覚です。

今日の『福島民友』さんの記事です。 

「ロープウェイ」運行開始 安達太良山の自然を満喫

 二本松市奥岳温泉の富士急安達太良観光000(稲葉通彦社長)が安達太良山麓で運行する「あだたら山ロープウェイ」は23日、グリーンシーズンの運行を開始した。運行は11月6日まで。初日は同市が今春から展開するインバウンド(訪日旅行)事業で訪れた台湾からのツアー客も利用し、残雪の安達太良山の自然を満喫した。
 ロープウエーは麓から山頂駅までを約10分間で結び、雄大な眺望が満喫できる。高村光太郎の詩集「智恵子抄」で「ほんとの空」とされた青く澄みきった空や絶景の大パノラマも楽しめる。
 運行は午前8時30分~午後4時30分。料金は往復で中学生以上1700円(税込み)、4歳~小学生1300円(同)。ロープウエーの乗り場近くには昨年12月、日帰り温泉施設「あだたら山奥岳の湯」もオープンした。料金は中学生以上600円(税込み)、4歳~小学生400円(同)。営業時間は午前10時~午後5時。
 安達太良山は5月15日が山開きで、ロープウエーを利用すれば標高1700メートルの山頂までは約1時間30分。山開き前日の5月14日~6月5日は、スキー場のゲレンデにイルミネーションを施す「あだたらイルミネーション」が行われる。


単純に「ロープウェイが運行再開」でなく、光太郎・智恵子の名を出して下さり、ありがたいかぎりです。

「あだたら山ロープウェイ」さんのサイトはこちら。「光太郎と智恵子について」というリンクも作って下さっています。感謝。

記事にあるとおり、安達太良山ではイルミネーションが来月14日から、山開きが15日に行われますが、また近くなりましたら詳細をご紹介します。


【折々の歌と句・光太郎】

われおろか春ゆくさきの野にまどふ路かへたまへ水はあふれぬ
明治34年(1901) 光太郎19歳

四月も末となり、春は往く、という感じになって参りました。

福島の地方紙二紙から一件ずつ。

まずは『福島民報』さん。 

美術館に満開の桜 二本松さくら展9日開幕

 大山忠作氏、東山魁夷氏ら日本画の巨匠が000桜を描いた名画33点が並ぶ特別企画展「二本松さくら展」は9日、二本松市の大山忠作美術館で開幕する。
 大山氏の長女で、さくら展実行委員長を務める大山采子(さいこ)さんが7日、福島民報社のインタビューに答え、見どころや寄せる思いを語った。
 
 -さくら展の見どころは。
 
 「“門外不出”といわれる東山魁夷の『花明り』をはじめ桜を描いた名画がそろいます。花明りは『福島復興の一助になれば』との東山家の厚意で特別に貸し出されました。京都の円山公園の桜を満月とともに描いた名作です」

 -県内の桜を題材にした作品もありますね。

 「大山忠作の『花霞』は二本松市の智恵子記念館開館の記念に描いた作品です。高村智恵子の生家の酒蔵で造っていた日本酒『花霞』をイメージし、安達太良山と青い空、桜が柔らかく表現されています。牧進の大作『黎明瀧桜』は三春町の滝桜を描いています」
 
 -企画のきっかけは。
 
 「霞ケ城公園や合戦場のしだれ桜など桜の名所が多い二本松を、屋外も美術館も花盛りというイメージで盛り上げを図ろうと考えました」
 
 -県民にメッセージを。
 
 「絵画に詳しくなくても理屈抜きで楽しめる展覧会です。二本松に来て、桜の名所と名画を両方満喫してください」
 
   ◇   ◇
 
 さくら展は「アフターデスティネーションキャンペーン(アフターDC)」に合わせて二本松市教委が企画した。会期は5月8日まで。
 入館料は一般410円、高校生以下200円。問い合わせは市文化課 電話0243(55)5154へ。
( 2016/04/08)


過日ご紹介した二本松の大山忠作美術館さんでの、「二本松さくら展」に関してです。大山画伯のご令嬢にして女優の一色采子さん(本名・大山采子さん)、さすがは連翹忌ご常連、しっかり智恵子がらみでアピールして下さいました。ありがとうございます。

先月、「花霞」が印刷された官制葉書が一色さんから届きました。非売品なのではないかと思われます。

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下記はやはり連翹忌、さくら展がらみで一色さんから先月届いた絵葉書です。

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これも大山画伯の絵で、「(残照)安達太良山」。大山忠作美術館さんで販売しているポストカードです。ぜひ「花霞」も広く商品化していただきたいものです。昔、解説が印刷された台紙付きのテレホンカードが販売されていましたが。

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もう1件、『福島民友』さんから。 

【二本松】見事な枝ぶり「万燈桜」 道の駅「安達」智恵子の里下り線

 二本松市の国道4号道の駅「安達」智100恵子の里下り線の入り口にあるエドヒガンザクラの巨木「万燈(まんとう)桜(ざくら)」のライトアップが5日、始まった。点灯は24日までで、毎日午後6時~同11時に点灯する。
 万燈桜は満開となっており、最も美しい時期にライトアップがスタートした。樹齢約270年の一本桜で、高さが約30メートル。枝ぶりが美しいと評判の桜で、今回は6基の投光器を使って桜や根元を美しく照らし出した。根元のライトアップは色が変化する。
 初日は同所で点灯式が行われ、道の駅を運営する二本松市振興公社の鈴木隆ゼネラルマネージャー(GM)と鈴木克裕市産業部長が点灯のスイッチを押した。
(2016/04/07)

この道の駅は、智恵子の生家から5㎞程。万燈桜は樹齢約270年だそうですので、かつて智恵子がその目で見たかもしれません。先月発行された「オリジナル フレーム切手「ほんとの空に 咲き誇る 桜をめぐり ぶらり旅 あだたら桜回廊」にも写真が採用されています。


他にも二本松周辺には、素晴らしい桜がたくさんです。しかも関東で盛りを過ぎてからもまだ見られます。ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

夢、うつつ、まぼろし、かくて終(つひ)の世のきよきまよひの靄に消えむまで
明治34年(1901) 光太郎19歳


霞ならぬ靄(もや)を謳った短歌です。

こちらは千葉の桜。当方自宅兼事務所から50㍍の公園で、ひそかな花見スポットとして人気です。

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智恵子の故郷・福島二本松市の広報誌『広報にほんまつ』の今月号。智恵子関連のイベント情報などが満載です。

まず表紙。

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道の駅「安達」智恵子の里下り線にそびえる万燈桜。樹齢約270年だそうです。


今年度の市の事業についてのページには、以下の記述。

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先頃、協力要請がありましたが、二本松歴史資料館さんで、智恵子展が10月2日(日)~11月23日(水・祝)の予定で開催されます。平行して故・原節子さん主演の東宝映画「智恵子抄」(昭和32年=1957)の上映も。


過日のこのブログでご紹介した大山忠作美術館さんでの「二本松さくら展」についても記述がありました。

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さらに、耳寄りな情報。

昨年も行われた、智恵子生家の2階部分――智恵子の部屋を含む――の限定公開が、また行われます。智恵子紙絵の実物展示も行われます。

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高村智恵子生誕130年記念事業 智恵子の生家2階特別公開

智恵子を育んだ「生家」の2階を特別公開します。また、期間中は奇跡といわれる「紙絵」の実物を記念館にて展示公開します。
 
明治の初期に建てられ、清酒「花霞」を醸造した旧長沼家。智恵子が過ごした部屋が当時のまま保存されていますので、この機会にぜひご覧ください。

公開日 : 4月9日(土)〜5月8日(日)で、さくら展期間中の土・日・祝日
時 間 : 午前9時〜正午 午後1時〜4時
入館料 : 一般四一〇円 小・中学生二〇〇円
◎問い合わせ 文化課文化振興係 ☎0243(55)5154
       智恵子記念館 ☎0243(22)6151


先の話になりますが、智恵子生家では関連行事としてこんなイベントも。こちらは来月です。

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そして、智恵子ゆかりの場所の探訪イベントもいろいろと。

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二本松をもっと知ろう 現地研修会

日 時 5月29日(日)7:50集合 17:00解散予定(市役所)
コース・見学場所(変更になる場合あり)
二本松・安達コース
霞ヶ城公園、大隣寺、智恵子の生家、和紙伝承館(体験)、奥岳(あだたらエクスプレス→薬師岳散策)など
岩代・東和コース
 隠津島神社、羽山の里クマガイソウ、道の駅ふくしま東和、杉沢の大杉、日山パークゴルフ場(体験)、宮森城跡、西念寺など
参加費 5,000円(当日徴収)  ※バス代・昼食代・体験代を含む
定 員 各コースとも40人    ※申し込みが定員を超えた場合は抽選
申込方法 4月18日(月)~25日(月)までに観光課または各支所地域振興課に備え付けの申込用紙に必要事項を記入の上、申し込みください。
◎問い合わせ…観光課観光立市係☎0243(55)5095
 

春さがし号(市街地循環バス)-二本松の名所旧跡を巡る-

期間 4月9日(土)~5月8日(日)
運 行ルート 市民交流センター→二本松駅前→本町→安達ヶ原ふるさと村→智恵子の生家→智恵子の杜公園→霞ヶ城公園→霞ヶ城見晴らし台→大隣寺→市民交流センター
※昨年とルートが違います(10:00-15:00の間、1時間おきに運行)
運賃(1日フリー乗車券) 大人(中学生以上)500円 小学生250円 乳幼児無料
※区間ごとの運賃でも乗車可

乗車券取り扱い 臨時バス車内 二本松駅観光案内所
◎問い合わせ  福島交通㈱二本松営業所☎0243(23)0123
        二本松観光協会☎0243(55)5095

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第11回好きです智恵子青空ウォーク~桜章~

高村智恵子生誕130周年、高村光太郎没後60周年記念事業として、智恵子の生家や智恵子の杜公園、霞ヶ城などの智恵子ゆかりの地を巡る

4月17日(日) ※雨天決行
智恵子記念館駐車場脇9:00集合(受付8:30)
※昼食は各自持参
参加費 大人1,000円 学生 500円
定 員 50人
智恵子のまち夢くらぶ(熊谷) ☎0243(23)6743


智恵子生誕130年ということで、大いに盛り上がっています。ありがたいかぎりです。二本松、これから桜満開でしょう。ぜひ足をお運び下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

ぱきぱきと表紙を鳴らし子供らは新教科書をひとりひとり持てり
大正15年(1926) 光太郎44歳

「桜」、といえば新学期ですね。自らは子供のいなかった光太郎ですが、アトリエのすぐ近くに千駄木小学校がありました。アトリエの前を通って行く子供たちを謳ったものでしょう。

日本郵便東北支社さんから、智恵子の故郷、二本松のオリジナル切手に関するプレスリリースが出ました。 

オリジナル フレーム切手「ほんとの空に 咲き誇る 桜をめぐり ぶらり旅 あだたら桜回廊」の販売開始

日本郵便株式会社東北支社(宮城県仙台市青葉区、支社長 本間 幸仁)は、下記のオリジナルフレーム切手の販売を開始します。
このオリジナル フレーム切手は、約4,500 本もの桜が咲き競う「霞ヶ城公園」や福島県緑の文化財に登録されている「合戦場のしだれ桜」など福島県二本松市の桜を題材としたもので、下記の郵便局(一部の簡易郵便局は除く)で限定販売します。

1  切手の概要
 名   称
 : ほんとの空に 咲き誇る 桜をめぐり ぶらり旅 あだたら桜回廊
 販売開始日 : 2016 年4 月1 日(金)
 販 売 数 : 1,200 シート
 販売郵便局 : 福島県福島市 二本松市 本宮市 伊達市 川俣町 桑折町 国見町
         大玉村の全郵便局
 計90 局
         一部の簡易郵便局、震災の影響で営業を休止している郵便局を除きます
 シート構成  :  1 シート 82 円切手×10 枚
 販   価  :  1 シート 1,300 円 シート単位で販売します。

2  切手デザイン 
別紙のとおり 二本松市を代表する桜の名所や、二本松観光協会が主催している「二本松の四季」観光フォトコンテストの入選作品などを切手の題材として選定しました。

3 その他
4月5日(火)から日本郵便株式会社Webサイト郵便局のネットショップでもお取扱いします。
http://www.shop.post.japanpost.jp/)販売価格のほかに郵送料等が加算されます。

【お客さまのお問い合わせ先】
〔商品内容に関すること〕 
 日本郵便株式会社 東北支社 郵便・物流営業部(物販・広告担当) 022-267-7666
 月~金9:00~17:00(土日祝日を除く)
〔販売に関すること〕上記に記載の「販売郵便局」窓口

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調べてみましたところ、「あだたら桜回廊」シリーズのフレーム切手は、平成22年(2010)からほぼ年1回のペースで発行されていました。

平成24年(2012)に発行された「あだたら桜回廊Ⅲ」では、智恵子の母校・油井小学校の桜が用いられていました。今日の今日まで知りませんでした。

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一昨年に発行されたものから、バックシート(台紙)部分に「ほんとの空に 咲き誇る 桜をめぐり ぶらり旅」のコピー文が入りました。こちらは当方、以前に「二本松の菊人形」を観に行った際に購入しました。

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昨年のものにも同じコピー文。こちらも存じませんでした。

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「ほんとの空」の語が入っているとなると、手に入れなければ気が済みません(笑)。通販等で探してみようと思っております。

皆様もぜひお買い求め下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

一枝のさくら手折りて肩になどかざすをとめを見ればたふとし

大正10年(1921) 光太郎39歳

駒込林町の光太郎智恵子が暮らしたアトリエに面した本郷保健所通りにも、桜が植わっていたそうです。「ほんとの空」の語が出て来る詩「あどけない話」にも、「桜若葉の間に在るのは、/切つても切れない/むかしなじみのきれいな空だ。」というフレーズがあります。

アトリエ近くの丸善インキ工場で働く女工達を謳った「小娘」、「丸善工場の女工達」という詩が、少し前に書かれています。短歌の「をとめ」は、その辺りなのかな、とも思われます。

昨日、郡山市ふれあい科学館で開催中の「第4回 ふくしま 星・月の風景 フォトコンテスト作品展」について書きましたが、やはり昨日、福島の地方紙『福島民報』さんの一面コラム「あぶくま抄」でも同じ話題について触れられていました。 

変わらぬ輝き(3月24日)

 無限に広がる宇宙のきらめきと福島の風土が織り成す圧倒的情景―。郡山市ふれあい科学館スペースパークの宇宙劇場に続く通路に37点の写真が並ぶ。「第4回ふくしま星・月の風景フォトコンテスト」入賞作品だ。
 コンテストは8年前、星や月の輝く夜と県内の豊かな自然・人の暮らす風景を全国に紹介しようと始まった。2年に1度の開催としたが、2回目の表彰式直後、震災と原発事故が襲う。立ち入ることができない場所や一変した光景…。県内の姿は大きく変貌したかのように思えた。しかし、頭上の星や月は変わらぬ光を注いでいた。
 予定より1年遅れて実施した第3回は、県内外で大きな反響を呼ぶ。現在、開催中の東京・三鷹市を含め全国各地で復興応援の巡回展が企画された。今回も全国から351作品の応募があった。輝く夜空と地上の景色の融合、月明かりに照らされた幻想的な景観などが本県の魅力を再発見させてくれる。
 第4回の作品展は6月30日まで。その後は全国を巡る予定だ。入賞作品を収録した写真集も今月中に刊行する。「ほんとの空」がある福島の夜空には、今も昔も変わらない「ほんとの輝き」がある。


現在、開催中の東京・三鷹市」とありますが、前回(第3回)の入賞作品が、三鷹市の三鷹中央ビル1階「天文・科学情報スペース」に巡回しているそうです。調べてみると、他の都市にも巡回されていましたし、今回の第4回に関しても、要項に「巡回展」の文字があります。今後、お近くに巡回があった場合には、ぜひ足をお運びください。



また、同じ「あぶくま抄」で、今月19日にも「ほんとの空」の語が使われていました。 

全盲乗り越え国際貢献(3月19日)

 「ほんとの空」が広がる安達太良山麓に国際協力機構(JICA)二本松青年海外協力隊訓練所はある。今年度第4次隊の訓練生が70日間の課程を修了し、間もなくそれぞれの任地へ出発する。
 訓練生の中に全盲の女性がいる。発足から半世紀、4万人を超す青年海外協力隊の歴史の中で全盲の隊員は初めてだ。大阪府出身、病気で2歳の時に視力を失った。大学で国際貢献を学びJICA職員となった。「開発途上国で活動したい」との思いが強まり、休職して協力隊に応募した。タイに2年間派遣され、視覚障害者らを支援する。
 女性に気負いはない。不安よりも新たな世界で経験を積める期待の方が大きいという。訓練期間中、二本松市内の仮設住宅に数回足を運び、浪江町民と交流した。「目が見えないからと特別扱いせず、自然に接してもらえたことがうれしかった」。心が通い合うのを感じた。長引く仮設住宅暮らしの苦労や故郷を離れたままのつらさも実感した。
 タイでは災害時の障害者支援にも関わりたいと意気込む。「避難者と直接話し、現状に触れたのは貴重な体験だった。福島の本当の姿を伝えたい」。被災地への思いも胸に女性は旅立つ。


これもいい話ですね。

JICAさんの二本松訓練所は、岳温泉の奥にあります。以前に岳温泉に泊まった際、看板を目にし、「こんなところにそんなものが……」と思った記憶があります。


阿多多良(安達太良)山の山の上に毎日出てゐる青い空が「ほんとの空」だと、智恵子はつぶやき、光太郎がそれを詩に謳いました。しかし、智恵子はそれを意識できなかった為に心を病んでしまったのでしょうが、その空は、全国に、そして全世界に、全ての人の頭上につながっているものです。タイで目の不自由な方の支援にあたるというJICA職員の方の話から、特にそう感じました。

さらに、脊髄損傷のため、口に筆をくわえて作品を作り続けている星野富弘さんの詩を連想しました。

  たいさんぼく011

ひとは 空に向かって寝る
寂しくて 空を見上げ
疲れきって 空を見上げ
勝利して 空を見上げる
 
病気の時も
一日を終えて床につく時も
あなたがひとを無限の空に向けるのは
永遠を見つめよと
いっているのでしょうか
 
ひとは 空に向かって寝る


画像は当方自宅兼事務所の連翹です。光太郎終焉の地、中野の中西家アトリエに咲いていた連翹の子孫です。この季節、空の青と花の黄色のコントラストが大好きです。


【折々の歌と句・光太郎】

この色ぞこの空の色さやさやと晴れたる空のいろぞ汝が眼は

明治42年(1909) 光太郎27歳

というわけで、空の歌です。

先日、「第4回 福島の桜フォトコンテスト写真展 東京展」について書きましたが、同様のフォトコンテストの入賞作品展が、福島郡山で開催されていました。テーマは「桜」ではなく「 “ほんとの空” のある、ふくしまの星・月の風景」とのことです。 
期 間 : 2016年3月19日(土)~6月30日(木)
時 間 : 平日:10:00~16:15 金曜:10:00~19:45 土日祝:10:00~17:45
場 所 : 郡山市ふれあい科学館 23階宇宙劇場ホワイエ
                    福島県郡山市駅前二丁目11番1号 ビッグアイ
展示物 : 第4回ふくしま星・月の風景フォトコンテスト大賞・特別賞・入賞作品
休館日 : 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)

郡山市ふれあい科学館の23階 宇宙劇場ホワイエでは、さまざまな天体写真などを中心に、美しく神秘的な宇宙の姿を紹介する「ホワイエ企画展」を開催しております。入場無料となっておりますので、ぜひお気軽にご覧ください。
コンテスト選出作品を展示いたします。 “ほんとの空”のある、福島の素晴らしい星・月の風景をお楽しみください。

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このコンテストでもそうですが、光太郎が詩「あどけない話」で使った「ほんとの空」の語、いろいろな場で、ある意味、福島県のキャッチフレーズ的に使われています。

東日本大震災から間もなく、福島県立あさか開成高校演劇部さんが上演した演劇のタイトルが「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?」。さらに「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか? 第二章ばらあら、ばらあ」ということで、福島県立光南高校演劇部さんに受け継がれました。このブログでも何度か取り上げさせていただきました。

BS12(トゥエルビ)さんで放映されている「復興支援ドキュメント 未来への教科書 ~For Our Children~」という番組で、これらの取り組みがやはり何度か取り上げられました。つい最近、今月5日の放映で、<あのころの子供たちを訪ねて>ということで、あさか開成高校演劇部で最初の公演に出演された香西佳菜子さんの「今」が紹介されました。

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被災の当事者として、演劇でその思いを発信していたあの頃を回想し……。

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しかし、それはつらい体験でもあったそうです。

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なるほど。

香西さん、卒業後は上京して一度は演劇を続ける道を選んだそうですが、いろいろ考えて、地元に帰ったそうです。

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そして現在、演劇の経験を生かし、郡山市ふれあい科学館さんで勤務中。

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「復興」のあり方を考えさせられる話でした。

「第4回ふくしま星・月の風景フォトコンテスト 作品展」、6月まで開催されていますし、智恵子がらみでまた二本松に行く機会があるので、拝見し、香西さんにもお会いできればと思っております。


【折々の歌と句・光太郎】

春雨やダンテが曾て住みし家      明治42年(1909) 光太郎27歳

ダンテは「神曲」で有名なイタリア・フィレンツェ出身の詩人です。

光太郎が敬愛してやまなかったロダンの代表作「考える人」は、当初、「地獄の門」のてっぺんに配されたものでしたが、地獄の様相を見るダンテをイメージしているといわれています。

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当然、光太郎もそのことを知っていた上で、フィレンツェのダンテ生家を訪れたものと思われます。ただし、これは観光用に再建されたもので、実際にはダンテ存命中に破壊されてしまったそうですが。

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