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先週から断続的に書いてきた、智恵子の故郷・福島二本松のレポートですが、とりあえず今回で終わります。今日はレポートというより、今後に向けての内容です。

昨日ご紹介した、「智恵子抄とともに~野村朗作品リサイタル~」の前に、二本松駅前の市民交流センターさんに立ち寄りました。そちらでは、智恵子顕彰活動をなさっている智恵子のまち夢くらぶさんの主催行事「智恵子講座2017」の1回目でした。

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今年のテーマは昨年亡くなられた二本松の児童文学者・故金田和枝さんの著書『智恵子と光太郎』を熟読するということだそうです。

「智恵子抄とともに~野村朗作品リサイタル~」のリハーサル写真を撮りたかったもので、こちらは開会前に顔を出したのみで欠礼させていただきましたが、レジュメを頂いてきました。

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夢くらぶさんのサイトに、レポートがアップされています。

智恵子顕彰ももちろん大切ですが、それに関わられた方の顕彰という意味で、意義のあることと思われます。泉下の金田さんも照れ笑いを浮かべながら喜ばれていることでしょう。

2回目以降の日程は、こちら。

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続いて、二本松城にも立ち寄りました。

こちらでは、今週末から恒例の「二本松の菊人形」が開催されるため、設営が始まっていました。

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毎年、テーマを掲げて行われています。3年前は「二本松築城600年 にほんまつヒストリア」。8つのシーンにわけて、二本松の歴史を表しており、最後に光太郎智恵子による「あどけない話」でした。

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一昨年は「幕末維新伝 菊の祭典・新時代の幕開け」、昨年が「あっぱれ! ニッポン! 世界に誇れる日本人」。それぞれ、テーマ展示とは別に、光太郎智恵子の菊人形が飾られました。

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今年もそうなるのではないかと思っているのですが、どうなりますことやら。とりあえずご案内を。

第63回 菊の祭典 二本松の菊人形 EDO TRIP~菊花繚乱! 徳川時代絵巻~

期   日 : 2017年10月14日(土)~11月23日(木・祝)
会   場 : 福島県立霞ヶ城公園 二本松市郭内3丁目地内
時   間 : 午前9時~午後4時
料   金 : 一般大人 700円   障がい者手帳をお持ちの方 500円  中学生以下無料

二本松には、藩政時代から菊の愛好者が多く、昭和の初期から町に菊人形が飾られていました。
昭和30年から「二本松の菊人形」として、霞ヶ城公園で開催されるようになり、現在の姿となっています。
第63回を迎える今年は「EDO TRIP 菊花繚乱!徳川時代絵巻」をテーマに、江戸時代の歴史や文化にスポットを当てて場面展開します。

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光太郎智恵子人形が出るとしたら、テーマ展示以外の「ガーデンゾーン」になると思います。昨年がそうでした。

それから、二本松観光大使にして女優の一色采子さんにお伺いしたのですが、菊人形の土台部分のマネキン、何と今年は采子さんのお顔から型を取った人形が登場するそうです。

さらに、現在二本松市内各所で展開中の「重陽の芸術祭2017」会場も兼ねており、現代アート作家のヤノベケンジさんによる巨大な猫のモニュメント、福島大学の学生さん達による菊人形関連などの展示もあります。

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ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

それではいつそ 旧盆すぎて穂立をそろへた萱の穂の あの美しい銀の波にうちわたる 今朝の山の朝風を この封筒一ぱいに入れよう。 香料よりもいい匂の初秋の山の朝風を。

詩「山からの贈物」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村から、東京の知人に何か贈ろうと思い立ち、しかし、農産物や栗、キノコなど、取れたてでなければ美味しくないし(戦後の物流事情では、到着に何日もかかったそうです)、「今では都会に何でもあつて」という状態だから、いっそ、山の朝風を封筒に入れよう、というのです。

一昨日、二本松市各所で展開中の「重陽の芸術祭2017」の一環として、智恵子の生家を会場に行われた、女優の一色采子さんらによる「智恵子抄」朗読とダンスのパフォーマンス「智恵子・レモン忌 あいのうた」を拝見してきました。そちらが夕方の開催だったため、その前に光太郎智恵子ゆかりの場所、不動湯温泉に行ってみました。正確には二本松ではなく福島市になりますが、安達太良山の山麓ということで。

昭和8年(1933)夏、心の病がのっぴきならぬところまで進んでしまった智恵子の恢復を願い、光太郎は智恵子を東北から北関東の湯治旅行に連れ出します。

出発の前日には本郷区役所に、大正3年(1914)の結婚披露以来無視し続けてきた婚姻届を提出。病む智恵子の今後の生活の安泰を保証するための決断でした。光太郎自身も既に結核を発症していました。

0028月25日は、智恵子の祖父母・父らが眠る長沼家の菩提寺、満福寺で墓参。その後、裏磐梯川上温泉、宮城蔵王山中の青根温泉、福島に戻って、奥土湯にある不動湯温泉、そして確認できている限り最後は栃木の塩原温泉に逗留し、帰京しています。光太郎の願いもむなしく、帰京した時には、智恵子の病状はいっそう進んでしまっていたそうです。

右の画像は、塩原温泉で撮影されたもの。現在確認されている智恵子最後の写真です。

さて、不動湯温泉。

永らく光太郎智恵子が泊まった建物(大正10年=1921建築)が残っていました。画像は平成14年(2002)、テレビ朝日さんで放映された「文豪が愛した北の宿 旬の料理に温泉の旅!▽名作をポケットに晩秋の東北を歩く▽いやしの湯」より。レポーターはシンガーソングライター・みなみらんぼうさんです。

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建物だけでなく、宿帳も残っていました。

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しかし、平成25年(2013)8月29日、この宿から出火、全焼してしまいました。半月後、現地に行ってみまして、その際のレポートがこちら。ショックでした。

その後、日帰り入浴施設として再開したというので、今回、行ってみようと思い立った次第です。ホームページもリニューアルされ、瀟洒な施設ができているのだろう、と勝手に思い込んでいました。

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東北自動車道で二本松ICを通り過ぎ、福島松川PAに併設されたスマートインターチェンジで下車、安達太良山腹へ分け入りました。土湯温泉郷から記憶を頼りに間違いながらも林道を進みます。何せ、カーナビには道の存在すら表示されないところです。久々に愛車の四駆機能をオンにしました。

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すると、途中で林道が封鎖されています。何と、不動湯温泉、営業は基本的に土日祝日のみとのこと。行った日は木曜日でした。帰ってから確認したところ、ホームページにもちゃんと書いてありましたが、そこまで読んでいませんでした。てっきり瀟洒な施設が出来ているものだと思い込んでいたもので、まさかそんなこととは思ってもいませんでした。

それでも外観だけでも観ておこうと思い、車を乗り捨てて、歩きました。歩くこと15分ほどで、入り口に到着。

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元の建物があった場所は、焼け跡のままで、瀟洒な建物などありません。

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ここに至って、ようやく自分の間抜けな勘違いに気づきました。

元々あった露天風呂が、焼けた建物よりずっと下に位置し、長い階段を下りていく構造だったため焼け残り、そちらを利用して、日帰り温泉施設としているのです。

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この階段を下りていった先に、露天風呂があるというわけです。

再びみなみらんぼうさんの番組から。

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少し離れた場所に、管理事務所的な建物がありました。営業日にはここで受付をしたり、入浴後の休憩をしたり、というわけです。

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いずれまた、今度は間違いなく営業している時に行ってみようと思いました。

せっかくタオルやら石鹸やらの入浴セットを持っていきましたし、一色采子さんの「智恵子・レモン忌 あいのうた」までにはまだ間もありましたので、同じ安達太良山麓の岳温泉に向かいました。

こちらの共同浴場は普通に営業中。

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小一時間、アップダウンの激しい林道を歩いた疲れを癒しました。

その後、智恵子生家へ。昨日のレポートに戻ります。併せてご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

岩手の人沈深牛の如し。 両角の間に天球をいただいて立つ かの古代エジプトの石牛に似たり。 地を往きて走らず、 企てて草卒ならず、 つひにその成すべきを成す。

詩「岩手の人」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

「草卒」は、ここでは「忙しくて落ち着かない」または「軽はずみ」といった意味。「牛の如し」は鈍重で融通が利かないというマイナスの意味ではなく、どっしり落ち着いているというほめ言葉です。

今月1日(ついたち)の日曜日に開催された「第23回レモン忌」に引き続き、昨日はまたまた智恵子の故郷・福島二本松に行っておりました。現在、二本松市各所で展開中の「重陽の芸術祭2017」の一環として、智恵子の生家を会場に、女優の一色采子さんらによる「智恵子抄」朗読とダンスのパフォーマンス「智恵子・レモン忌 あいのうた」が行われ、そちらを拝見。

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一色さんは本名・大山采子さん。お父様は二本松ご出身で、文化勲章を受章された故・大山忠作画伯。同郷の智恵子をモチーフにした作品も数多く、その関係で采子さんとも知遇を得まして、連翹忌にもご参加いただいております。

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1日(日)のレモン忌にご欠席でしたので、どうされたのかと思っておりましたところ、全国23ヶ所で公演された「松竹特別公演 妖麗 牡丹燈籠」の千秋楽だったそうでした。そちらの東京公演のご案内も頂いていたのですが欠礼したので、今回はその埋め合わせという部分もあって参上しました。

午後6時開演ですが、4時半頃に着きました。正式な開場の5時半より前にどさくさに紛れて潜り込み、リハーサルから観ようという魂胆です(笑)。

早速、采子さん発見。すてきなお召し物です。

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持参した花束とレモンをお渡ししました。

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さて、リハーサル。

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渕上千里氏の電子ピアノによる、サティやドビュッシー、ラヴェルなどに合わせ、采子さんの「智恵子抄」朗読。

千葉の当方自宅兼事務所に帰ってきてから気づいたのですが、淵上氏、故・平吉毅州氏作曲の混声合唱組曲「レモン哀歌」CD(平成11年=1999 フォンテック)に、ピアノで参加されていました。合唱は平松混声合唱団さん。当方、CDを持っております。

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演奏を聴いて、「あっ、このタッチは、平吉さんの『レモン哀歌』の……」と気づいたのなら、当方もすごい耳の持ち主ということになりましょうが、そうでないところが凡人の悲しさです(笑)。

本番が撮影禁止だったので(シャッター音やストロボの光が録音、録画に影響するためだそうで)、以下、リハの写真です。そこまで予想して、早のりしたわけではないのですが(これも凡人の悲しさです(笑))、リハ中にたくさん撮っておいて助かりました。

感想は本番を含めて書かせていただきます。采子さんの朗読は、非常に凜としたお声で、一言で言うと「かっこいい」読み方。例えるなら宝塚の男役のような。また、間の取り方が実に絶妙でした。詩は5篇。「人に」「あどけない話」「樹下の二人」「レモン哀歌」「千鳥と遊ぶ智恵子」。

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その後、福島ご出身のダンサー・二瓶野枝さんによるモダンダンス。

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幽妙というか、玄妙というか、深淵というか、幻想的というか、神秘的というか、ボキャブラリーが貧困で申し訳ありませんが、生演奏でなく、コンピュータを使っての音楽とダンスの動きがよくマッチし、智恵子の生涯におけるさまざまな挑戦、希望、しかしいろいろな面でうまくいかない苦悩、失意、それに負けまいとあらがう姿、結局は刀折れ矢尽きた絶望、そしてその生涯の終焉といったもろもろが、情念たっぷりに表現されていました。

観客の皆さんも、朗読、ダンス、それぞれの世界に引き込まれていました。

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通常のホールなどではなく、宵闇に包まれた、明治16年(1883)建造の智恵子の生家という舞台設定がまた良かったと思いました。これが昼間では、また感じが出なかったでしょう。

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カーテンコール的な。

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終演後の関係者の皆さん。

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昨年は地元の方による琴と尺八の演奏が行われ、今年は朗読とダンス。何でもありというわけではないでしょうが、生家の活用がなされるのは良いことだと思われます。ぜひここで演じてみたいというパフォーマーの皆さん、市教委あたりに問い合わせてみて下さい。

007終演後の舞台挨拶で初めて知りましたが、二瓶さん、三ヶ月前にお子さんを出産されたばかりだそうでした。そうとは思えない見事に鍛え上げられた体型(愚妻との相違が……(笑))には舌を巻きました。

ところで、リハの時から赤ちゃんがいるな、と不思議に思っていたら、それが二瓶さんのお子さんでした。何と、名付けて「コータロー」君だそうで。ちょうどこのイベントにかかっていた時だったため、「光太郎」ではなく「郎」のみ変えて「光太朗」と名付けたとのこと。光太郎の悪いところは真似をせず(笑)、頑健な身体などのよいところはあやかってもらい、すくすくと育ってほしいものです。

ちなみに昨日は、十六夜(いざよい)の月でした。

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昭和13年(1938)10月5日、智恵子が歿し、8日には駒込林町のアトリエで、葬儀が行われました。後にそれを回想して謳われたのが、「荒涼たる帰宅」(昭和16年=1941)。

  荒涼たる帰宅000
 
 あんなに帰りたがつてゐた自分の内へ
 智恵子は死んでかへつて来た。
 十月の深夜のがらんどうなアトリエの
 小さな隅の埃を払つてきれいに浄め、
 私は智恵子をそつと置く。
 この一個の動かない人体の前に
 私はいつまでも立ちつくす。
 人は屏風をさかさにする。
 人は燭をともし香をたく。
 人は智恵子に化粧する。
 さうして事がひとりでに運ぶ。
 夜が明けたり日がくれたりして
 そこら中がにぎやかになり、
 家の中は花にうづまり、
 何処かの葬式のやうになり、
 いつのまにか智恵子が居なくなる。
 私は誰も居ない暗いアトリエにただ立つてゐる。
 外は名月といふ月夜らしい。

この年は、この葬儀の日が十五夜だったのですね。

昨日はまさしく智恵子の命日「レモンの日」「レモン忌」というわけで、花を添えていただいたように思います。

おまけ。
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帰りがけに赤信号に引っかかったら、横から出てきました。

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かつて智恵子も観たであろう、300年以上続く、二本松の「提灯まつり」です。

【折々のことば・光太郎】

さうして祈らう。 世界に戦争の来ませんやうに、 天変地異の起きませんやうに、 われら一人一人が人間でありますやうに、 一人一人が天のかけらを持ち得ますやうにと。

詩「新年」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

翌年元旦の『朝日新聞』のために書かれた詩です。同じく新年を謳うにしても、戦時中は米英覆滅のプロパガンダ的なものでしたが、花巻郊外太田村の山小屋での蟄居生活も4年目となり、たどりついた境地がこれです。

一昨日、智恵子の故郷・福島二本松のラポートあだちさんで開催された、智恵子を偲ぶ「第23回レモン忌」に参加して参りましたが、その前後、先月から二本松市内各所で開催中の「重陽の芸術祭2017」関係で、他にも廻りました。

まず、レモン忌の開会前、国道4号線沿いの道の駅安達「智恵子の里」。こちらは全国的にも珍しく、道の両側に「上り線」「下り線」と、別々の施設を展開しています。

「上り線」では、和紙伝承館さんで、地元の方々を中心とする絵画作品の展示。

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「下り線」では、現代アート作家のワタリドリ計画さんによるインスタレーション「絵葉書フラッグ」。

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道の駅安達「智恵子の里」のシンボル的な「万燈桜」のかたわらに、畳一畳ほどの「フラッグ」が10枚弱。

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それぞれ両面印刷で、絵葉書のスタイルになっています。写真面は、智恵子生家など二本松の風景です。

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中には明治期の手彩色ふうのものも。

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それぞれの裏面は、ちゃんと絵葉書の書式。面白い試みだと思いました。

ちなみに「下り線」の建物内には、以前から光太郎智恵子コーナーもあります。

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後ろの窓からは、安達太良山と「ほんとの空」。

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こちらをあとに、昨日書きましたレモン忌の方に参加させていただきました。

そして、レモン忌終了後、智恵子の生家・智恵子記念館へ。レモン忌参加者は無料で入れたので、ありがたい限りでした。他の参加者の方々も、何人かご一緒させていただきました。

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FCT福島中央テレビさんが取材にいらしていました。

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003レモン忌流れの一行は、レモン忌主催の「智恵子の里レモン会」会員、郡山在住の八代勝也さんのご案内で、生家内部に。八代さん、平成のはじめに生家の補修工事が為された際の工事責任者でした。それだけに、これまで見落としていたさまざまを教えていただき、興味深く見ることが出来ました。

たとえば一階の部屋の天井にくっついている、謎の箱。真上の部屋が智恵子の居室で、そこに据えられた掘り炬燵(ごたつ)だそうです。

その他、「ここから先は増築部分で、そのために通常とは違ってこうなっている」とか、「この柱は元々の部材、このかまどの辺りは残念ながら残っていなかったので、新しく作った」とか。ありがたや。

「重陽の芸術祭2017」初日にも拝見しましたが、現代アート作家の清川あさみさんによるインスタレーション展示も継続中。下の画像は、新潮文庫版智恵子抄、「あどけない話」のページに施された刺繍です。「ほんとの空」のイメージなのでしょう。002

智恵子生家では、5日(木)の智恵子命日「レモンの日」に合わせ、女優の一色采子さんらによる「智恵子抄」朗読とダンスのパフォーマンス「智恵子・レモン忌 あいのうた」が行われます。また、来月12日からは、生家裏の智恵子記念館で、普段は複製が展示されている紙絵の実物展示が始まります。さらに9日(月・祝)には、二本松市コンサートホールにて「震災復興応援 智恵子抄とともに~野村朗作品リサイタル」。

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

智恵子はほのぼのと美しく清浄で しかもかぎりなき惑溺にみちてゐた。 あの山の水のやうに透明な女体を燃やして 私にもたれながら崩れる砂をふんで歩いた。
詩「噴霧的な夢」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

この智恵子は、光太郎の夢に現れた智恵子です。

アイロニカルな見方をすれば、光太郎のこうした「女神」的な讃仰が智恵子にとっては重荷となり、心の病につながったともいえますし、その歿後も偶像崇拝的に智恵子の姿を追い求める光太郎に、「いい年こいて……」という批判を投げかけるのは容易でしょう。

しかし、数え66歳の老人が、夢に亡き妻を見て心洗われているというその一事を、当方は笑い飛ばすことは出来ません。

昨日は日帰りで、智恵子の故郷・福島二本松に行っておりました。2回に分けてレポートいたします。

午前10時から、智恵子生家に近い旧安達町のラポートあだちださんで、智恵子を偲ぶ「第23回レモン忌」が開催されました。地元で智恵子の顕彰活動を進められている、智恵子の里レモン会さんの主催です。智恵子の忌日は10月5日(レモンの日)ですが、レモン忌の集いとしては、それに近い日曜日ということで期日が設定されています。昨日は地元の方を中心に、40名ほどの皆さんがご参加、智恵子を偲ぶひとときを過ごしました。

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開会の言葉に続き、智恵子肖像に献花/献果。献果はレモンです。

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主催者挨拶、来賓祝辞、来賓紹介、祝電披露、記念撮影で第一部が終了。

第二部は、記念講演でした。福島県立美術館さんの学芸員をなさっている堀宜雄氏で、題して「智恵子の横貌―『青鞜』表紙絵のナゾ―」。

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主に明治大正期、光太郎と共同生活を始めるまでの、画家としての智恵子の軌跡を丹念に追われていました。

メインは明治44年(1911)に、日本女子大学校で智恵子の先輩だった平塚らいてうが立ち上げた雑誌『青鞜』の表紙絵について。智恵子は創刊号を含め5回使われた有名なデザインのものと、従来スズランを描いたとされてきた翌45年(1912)の第2巻第1号~3号の表紙を飾ったものと、2種類の表紙絵を手がけています。

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上の画像は氏のレジュメから。もうこれでネタバレになっていますので、左の従来スズランだといわれてきたものからご説明しますと、これはスズランではなく、アマドコロという植物だろうとのこと。似ているものの、スズランはこのような形にならない、ということで、画像を使ってご説明下さいました。

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まったくその通りですね。当方にしても、これはスズランだと信じて疑いもしませんでした。

それから、創刊号の有名なデザイ000ン(右は昨年末に入手した、智恵子の文章が載った号で、創刊号ではありませんが、同じ意匠です)。つい先月、連翹忌ご常連の、神奈川県立近代美術館長・水沢勉氏が明らかにされた新事実が、早速紹介されました。

従来、この絵は何を描いたものか、ということで、いろいろな解釈が為されていました。アール・ヌーボー風だとか、ギリシャの女神とか、エジプトのそれだとか、背景の丸や三角についても、実に色々な説が唱えられていました(具体例は挙げませんが、中には噴飯ものの珍説も)。

それから、元になったアイディアなり、デザインソースなりについても、アルフォンス・ミュシャやクリムト、青木繁などとの関連があるのでは、等々、これも百家争鳴でした。

それらに終止符を打つ発見を水沢氏がなさり、氏のフェイスブック上に、先月、発表されました。当方、フェイスブックには登録しておらず、ここにリンクが貼れませんが、その記事を紹介する他の方のブログを見つけ、水沢氏に資料を送って下さいとお願いしたところでした。

まったく瓜二つと言っていい絵が、見つかったのです。

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絵画ではなく寄せ木細工で、制作したのは、クリムトに連なる系譜の、ヨーゼフ・エンゲルハルト。当方、寡聞にしてその名を存じませんでした。明治37年(1904)ごろ、セントルイス万博に出品されたとのことです。明治42年(1909)にカタログとして刊行され、何らかの方法で智恵子の目に止まったのでしょう。

といって、堀氏もおっしゃっていましたが、現代の感覚の「パクリ」ではなく、当時は『白樺』にしてもそうでしたし、外国の絵を模写して使うということは広く行われており、それによってその価値が激減というわけではありません。このあたり、今後、美術史家の皆さんに論じていただきたいものです。

この件については、また書きます。
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追記 「智恵子による『青鞜』創刊号表紙絵元ネタ。

さて、「レモン忌」。講演のあとは第三部ということで、会食をかねて懇親会。

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合間にさまざまな方のスピーチ。

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生前の光太郎をご存じの、花巻市太田地区振興会長・佐藤定氏、智恵子が所属した太平洋画会(現・太平洋美術会)の坂本富江さん、テルミン奏者・大西ようこさんなど、連翹忌ご常連の方々も多数。

それから、、昨年暮れに逝去され、二本松ご在住だった児童文学者・金田和枝さんの妹さん。話し方がそっくりなので、驚きました。

連翹忌同様、こちらの集いも、末永く続いてほしいものです。


その他、他にも廻りましたので、そのあたりはまた明日。


【折々のことば・光太郎】

部落の人は兎もとらず鳥もとらず、 馬コは家族と同等で おんなじ屋根の下にねる。 おれもぼんやりここに居るが まつたく只で住んでゐる。

詩「別天地」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

独居自炊の蟄居生活を送っていた、花巻郊外旧太田村山口地区を謳っています。真冬は過酷な環境でしたが、地区の人々の支えもありましたし、何より美しい自然に囲まれてのそれは、ある意味快適な生活でした。

一昨日、昨日と、智恵子の故郷・二本松ネタが続きましたが、もう1件。智恵子の顕彰に当たられている「智恵子のまち夢くらぶ」さん主催の市民講座です。

『広報にほんまつ』さんから。

智恵子講座2017

 『わたしの一生はわたしが決める。たった一度きりの人生ですもの』と高らかにうたった高村智恵子。今年の講座は、昨年亡くなられた二本松の児童文学者・故金田和枝さんの著書(智恵子と光太郎)を熟読します。

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募集定員 25人

参加費   3000円(本代と昼食代と文集代含む)
そ の他
 この講座では、『智恵子と光太郎』の朗読を聞いてみたいという小・中学生および高校生を募集しています。定員は20人で参加費は無料です。詳しくは下記へお問い合わせください。


◎問い合わせ・申し込み… 智恵子のまち夢くらぶ事務局☎0243・23・6743


例年、講師を招いて講義型の講座として行われている同講座(当方も何度か講師を務めさせていただきました)ですが、今年は新たな試みのようです。案内にあるとおり、昨年暮れに逝去され、二本松ご在住だった児童文学者・金田和枝さんの御著書『智恵子と光太郎 たぐいなき二つの魂の出会い』(歴史春秋社 昭和61年=1986)を読み込む、というものだそうです。

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上記は一昨年の、智恵子を偲ぶ001第21回レモン忌」。この時は、金田さんが記念講演の講師をなさっていました。当方、金田さんにお会いしたのは、これが最後となってしまいました。

『智恵子と光太郎 たぐいなき二つの魂の出会い』は、ジュブナイルとして書き下ろされたもので、智恵子の二本松での幼少期から、長じての福島高等女学校、日本女子大学校での生活、太平洋画会で油絵を学び、『青鞜』の表紙を描いたこと、光太郎との出会い、結婚、心の病の発症、そして死と、平易な言葉遣いで、しかし、年少読者に阿(おもね)ることなく、しっかりと智恵子像を描き出しています。

エピローグ的な部分では、智恵子歿後の光太郎……戦争で東京を焼け出されて移り住んだ花巻郊外太田村の山小屋裏手の「智恵子展望台」から夜空に向かって智恵子の名を叫ぶ姿、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」として、智恵子像を遺したことなども語られています。

「あとがき」から。

 人間ひとりの一生は、実にかけがえのないすばらしいものです。
 「たった一度の人生だから」と、ひたむきに生きぬいた智恵子でした。安達太良山の上にひろがる空を本当の空であると言い、澄みきった空気のように浄化された「美」の世界で智恵子ののこしていったものは、今もなお私たちに何かを語りかけてくれているのです。

そのとおりですね。


お近くの方、ぜひお申し込み下さい。


【折々のことば・光太郎】

雪女出ろ。 この彫刻家をとつて食へ。 とつて食ふ時この雪原で舞をまへ。 その時彫刻家は雪でつくる。 汝のしなやかな胴体を。 その弾力ある二つの隆起と、 その陰影ある陥没と、 その背面の平滑地帯と膨満部とを。
詩「人体飢餓」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

自らの戦争責任を処罰するため、花巻郊外旧太田村で自虐に等しい山小屋生活に入った光太郎ですが、それだけでなく、天職と考えていた彫刻を封印するという、およそ考え得る限りの厳罰を自らに科しました。

手すさびに、送られてきた彫刻材で蝉を彫ったり、粗悪な畑土で塑像――ともいえない程度のもの――を作ったりということはありましたが、「作品」と呼べるものは、太田村時代の7年間で一つも遺しませんでした。

転機となったのは、青森県から十和田湖畔に国立公園指定功労者顕彰のためのモニュメント制作を依頼された昭和27年(1952)。これが「乙女の像」として昇華してゆきますが、まだ先の話です。

「彫刻封印」というあまりに過酷な罰は、光太郎をして雪女の姿を雪で作るという夢想さえ見せしめたのです。

昭和13年(1938)10月5日、光太郎の妻・智恵子が、南品川ゼームス坂病院で歿しました。直接の死因は肺結核でした。


その臨終の様子に題を採ったのが、有名な「レモン哀歌」です。

   レモン哀歌                                    002
 
 そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
 かなしく白くあかるい死の床で
 わたしの手からとつた一つのレモンを
 あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
 トパアズいろの香気が立つ
 その数滴の天のものなるレモンの汁は
 ぱつとあなたの意識を正常にした
 あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
 わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
 あなたの咽喉に嵐はあるが
 かういふ命の瀬戸ぎはに
 智恵子はもとの智恵子となり
 生涯の愛を一瞬にかたむけた
 それからひと時
 昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
 あなたの機関はそれなり止まつた
 写真の前に挿した桜の花かげに
 すずしく光るレモンを今日も置かう
 

そこで、10月5日は「レモンの日」と名付けられています。また、智恵子の忌日、という意味で「レモン忌」とも呼ばれます。梶井基次郎の忌日(3月24日)は漢字で「檸檬忌」です。

智恵子の故郷・福島二本松では、智恵子生家に近いらぽーとあだちさんに於いて、智恵子を偲ぶ「レモン忌」という行事を行っています。当会の連翹忌同様、全国から智恵子ファンの参加を受け付け、記念講演、スピーチ、会食もあります。昨年の様子はこちら

そちらは10月5日の「レモンの日」に限らず、その日に近い日曜日ということで、10月の第一日曜か、第二日曜に開催されています。5日その日に重なる場合もありますが。

今年は10月1日の開催です。以下、開催要項的な。ネットには情報がアップされていないようです。 

第23回レモン忌

期 日 : 2016年10月1日(日)
会 場 : ラポートあだち 二本松市油井字濡石16
時 間 : 午前10時開会
参加費 : 3,000円
申 込 : 智恵子の里レモン会(戸田屋商店) TEL0243-23-4858
記念講演 : 『高村智恵子』~芸術家の横顔~ 講師 福島県立美術館 堀宜雄先生


また、それとは別に5日の「レモンの日」に、二本松市で現在開催中の「重陽の芸術祭2017」の一環として、智恵子生家を会場にダンスパフォーマンスの公演が行われます。智恵子を題材にした日本画を多く手がけた故・大山忠作画伯の息女にして女優の一色采子さんが朗読で参加されるとのこと。

智恵子・レモン忌 あいのうた

期   日 : 2016年10月5日(木)
会   場 : 智恵子生家 二本松市油井字漆原町36
時   間 : 18:00~
料   金 : 無料
出   演 : 二瓶野枝(モダンダンス)  大山采子(朗読)  渕上千里(ピアノ)

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通常の、智恵子生家・智恵子記念館の閉館後ということで、入場無料だそうです。ただ、観覧希望者多数の場合には入場制限がかかるとのこと。

智恵子生家では、やはり「重陽の芸術祭2017」の一環として、現代アート作家の・清川あさみさんによるインスタレーションの展示が行われています。

併せてご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

はじめて武器をすてて立つ一つの国が 最初の新年を迎へる年に 運命は何を持つてくるか、 むしろきはどい人類の試金石だ。

詩「試金石」より 昭和22年(1947) 光太郎65歳

翌昭和23年(1948)の『週刊朝日』新年号のために書かれた詩です。「はじめて武器をすてて立つ」「最初の新年」は、平和憲法が施行されて最初の新年という意味です。

その後、まがりなりにも70余年、戦争には直接参戦せずにこの国は歩んできました。その誇るべき歴史をなし崩しにし、戦前に回帰でもさせようかという勢力の台頭は、実に嘆かわしいことといわざるをえません。

来月の衆議院選挙、現代の我々にとっての「試金石」です。

光太郎詩「あどけない話」の一節「ほんとの空」の語を冠したイベントです。福島大学うつくしまふくしま未来支援センターさんの主催で、光太郎詩「あどけない話」中の「ほんとの空」を冠したシンポジウムは、これまでに京都東京愛知いわきそして新潟でそれぞれ開催されています。

今回は福島県南相馬市小高区。昨年、原発事故による避難指示がようやく解除されたところです。光太郎生前の昭和30年(1925)に、光太郎詩「開拓十周年」が刻まれた碑が建立されています。

「ほんとの空が戻る日まで-東日本大震災から7年目を迎えた浜通り地方の今後を考える-」シンポジウム

日 時 : 2017年9月27日(水) 13:00~16:00
会 場 : 小高生涯学習センター「浮舟文化会館」1階 ホール 
        福島県南相馬市小高区本町二丁目89-1 
参加費 : 無料
共 催 : 南相馬市
後 援 : 復興庁福島復興局、福島県、NHK福島放送局、福島民報社、福島民友新聞社

  事前申し込みが必要です。   申込みはこちら →https://ws.formzu.net/fgen/S6188406/

福島大学うつくしまふくしま未来支援センター(FURE)では、3.11東日本大震災以降、毎年、県内・県外においてシンポジウムを開催して、福島の現状・課題並びに復興・再生支援活動の取り組みを報告してきております。
このたび、東日本大震災・福島第一原子力発電所事故から6年6か月が経過する9月下旬にFURE県内シンポジウムを下記により開催して、浜通り地方の今後の復興・再生について、参加者といっしょに考えます。

【シンポジウム構成】
 〈13:00~13:30〉挨 拶・センター活動紹介
  福島大学うつくしまふくしま未来支援センター長   初澤 敏生
  南相馬市長                       桜井 勝延 氏
  FURE 企画コーディネート部門特任教授・相双地域支援サテライト長 仲井 康通
 〈13:30~14:00〉 基調講演
  「イノベーションコースト構想と地域の活性化について」~新たな価値の創造を目指して~
  福島大学理事・副学長 (研究・地域連携)       小沢 喜仁
〈14:15~16:00〉 パネルディスカッション
  「ふくしま浜通り地方の今後の復興・再生について」
   ~今後の復興・再生について、参加者と共に考える~
  モデレータ:福島大学うつくしまふくしま未来支援センター長
  パネリスト
   山本 秀和 氏  南相馬市立小高小学校校長
   平田 廣昭 氏  小高商工会会長
   黒木 洋子 氏  南相馬市社会福祉協議会事務局長
   石井 秀樹      FURE 農・環境復興支援部門特任准教授

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上記チラシでは申し込みが9/13までとなっていますが、延長されています。


もう1件、やはり「ほんとの空」の語が使われるのではないでしょうか。「智恵子抄」を含む朗読系イベントです。 

ひだまりコンサートVol2 朗読と歌 ことばをつむいで伝える大切な思い

期 日 : 2017.9月24日(日)006
会 場 : サンプラザ市原一階 I(あい)スペース
       千葉県市原市五井中央西1丁目1番地25
時 間 : 13:30~
料 金 : 2,500円(全席自由)

文学作品の魅力や著者の思いを伝える 朗読と歌
「魔術」「トロッコ」「智恵子抄」
朗読 加賀佑冶/山川建夫
歌・ピアノ 藤本千波 童謡・唱歌メドレー

加賀・山川 二人の朗読者が、「芥川龍之介」と「高村光太郎」の世界に挑戦します。二人によって同じ作家の作品がどのように語り分けられていくのか・・・そして、藤本の美しく柔らかい歌声。

【問い合わせ先】
090-7269-9500 ひだまり舎


それぞれお近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

つひに死は生活に飽和した。 死の脅威が人をやけくそに追ひ込み、 いつ来るか分らぬ運命の不安に 人は皆今日の刹那に一生をかけた。

連作詩「暗愚小伝」断片の「(死はいつでも)」より
 昭和22年(1947) 光太郎65歳

連作詩「暗愚小伝」全20篇を構想する中で、結局は没になった一篇から。戦時中の世相を表しています。光太郎が大量の翼賛詩を書いた背景に、このように荒廃した同胞の人心を勇気づけよう、という意図がありました。しかし、「勇気づける」ことと「鼓舞して駆り立てる」ことは別のこと。光太郎自身も「やけくそ」になり、そのあたりを混乱していたようです。

昨日は、智恵子の故郷・福島二本松に行っておりました。

昨年のこの時期に開催された、「福島現代美術ビエンナーレ 2016 -氣 indication -」から誕生した二本松市を拠点に開催される現代アートの祭典「重陽の芸術祭2017」が、昨日からスタートしました。

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昨年同様、智恵子生家の旧長沼酒造も会場となっており、現代アート作家の・清川あさみさんによるインスタレーションの展示が行われていました。

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さらに、やはり昨日から、通常は非公開となっている生家二階――智恵子の居室を含む――の公開も始まっていました。11月26日までの、土・日・祝日の実施だそうです。

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清川さんの作品、こちらがメインの「女である故に」。畳三畳分くらいはありましょうか、不織布にプリントされたものです。

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「写真を縦糸横糸で形成して編んだ」とのことですが、どういう仕組みで出来ているのか、よくわかりませんでした。それにしても大迫力です。

こんなかわいらしい作品も。造花や刺繍糸、ビーズによる「Drem Time」。

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アクリルケースに「ほんとの空」が映っています。

それから、新潮文庫版『智恵子抄』を使った作品が多数。

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公開されていた2階にも。

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こういうのもありなんだ、と思いました。

ところで、生家の庭に据えられたこの燈籠。

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もともとここにあったものですが、昭和4年(1929)に長沼酒造が破産し、智恵子の一家が離散した後、債権者に持ち出されていたのが、つい最近、二本松市に寄贈という形で戻ってきたそうです。

以前から、同型の燈籠が一つありまして、約90年ぶりに二つがご対面。

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付喪神(つくもがみ)といって、長い年月を経た道具などには神や精霊が宿る、という 民間信仰があります。二つの燈籠に付喪神が宿っていたら、再会をさぞや喜んでいることでしょう。


智恵子生家を後に、他に「重陽の芸術祭2017」としての展示が行われている、安達ヶ原ふるさと村さんなどを廻って帰りました。そちらでは、昨年、智恵子生家で展示された小松美羽さんの襖絵など、今年の重点項目である安達ヶ原の鬼婆伝説がらみの展示が多く為されていました(それ以外もありましたが)。

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こちらは切り絵作家の福井利佐さんの作品。福井さんは、来年、智恵子生家の展示をなさるそうです。画像はありませんが、恐ろしい鬼の切り絵もありました。

智恵子生家では、来月5日の智恵子命日「レモンの日」に合わせ、女優の一色采子さんらによる「智恵子抄」朗読とダンスのパフォーマンスが行われます。

また、来月12日からは、生家裏の智恵子記念館で、普段は複製が展示されている紙絵の実物展示が始まります。

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また、後ほど詳しくご紹介しますが、智恵子を偲ぶ「レモン忌」の集い、野村朗氏作曲の連作歌曲「智恵子抄」コンサート、さらには毎年恒例の菊人形もあります。

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

一人の女性の愛に清められて 私はやつと自己を得た。 言はうやうなき窮乏をつづけながら 私はもう一度美の世界にとびこんだ。

連作詩「暗愚小伝」中の「美に生きる」より
 昭和22年(1947) 光太郎65歳

俗世間や古くさい日本彫刻界を相手にせず、ある意味「孤高の芸術家」として、智恵子と二人、手を携えて歩み始めた大正期の回想です。

ところが、世の中との交わりを極力避けるその暮らしは、同じ「美に生きる」中で「都会のまんなかに蟄居した。」と表現されているような生活でもありました。

そうした毎日に息苦しさを感じると、智恵子は「東京に空が無い」とつぶやき、「ほんとの空」のある二本松に帰って、元気をチャージしていました。

しかし、二本松の実家は破産、家族は離散。帰るべき故郷と、頼みにしていた「ほんとの空」を失った智恵子は、さらに自らの絵画の才能にも絶望し、その他、実にさまざまな要因が絡み合った結果、光太郎曰く「精一ぱいに巻き切つたゼムマイがぷすんと弾けてしまつた」のです。

雑誌2冊、紹介いたします。

まずは「山ガール」を対象とした、女性向け登山雑誌『ランドネ』。月刊誌です。


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「山岳お遍路さん 神様百名山を旅する」という連載があり、智恵子の故郷・二本松に聳える安達太良山が、「智恵子抄」にからめて紹介されています。

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今月号の特集は、「ロープウェイで楽しい山時間」ということで、60ページほどは、全国のロープウェイで或る程度まで登れる山々の紹介です。安達太良山もロープウェイがありますが、この記事ではそれは使わず、くろがね小屋を使う1泊2日での登山ルートが扱われています。

4ページ目は「アダタラ山はアンドロメダ山 !?」と題されています。あやしげなスピリチュアル系の内容かと思いきや、さにあらず。まじめな山岳信仰にかかわる連載のようで、安達太良山頂に奥宮が鎮座する、安達太良神社さん(麓の本宮市)について述べられています。

六柱設定されている同社の御祭神のうち、筆頭は「高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)」。農耕や暦の作成に関わるアンドロメダ星雲を神格化したとする説もあり、智恵子が愛した「ほんとの空」がさらに「ほんとの空」だった古代には、安達太良山上に煌々ときらめくアンドロメダ星雲が、現代よりもくっきり見えたであろうとのこと。なるほど、と思いました。

そこで、奥宮である安達太良山頂には「八紘一宇」と刻まれた石碑が立っているそうです。以前から気になっていましたが、これは植民地支配を正当化するスローガンとしての「八紘一宇」ではなく、神道の理念――世界は一つ――的な意味合いでの「八紘一宇」だったわけですね。納得が行きました。

税込み定価980円、付録にまな板(山用のカッティングボード)も付いています(笑)。お買い求め下さい。


もう1冊、まず、日本絵手紙協会さん発行の『月刊絵手紙』9月号。今年の6月号から「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という新連載(全1ページ)が始まりました。今号は詩「あたり前」(大正2年=1913)から言葉が取り上げられています。

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写真は、光太郎が戦後の7年間を暮らした花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)内部。光太郎がいた当時のまま、保存されています。

同誌を購読されている皆さんに興味を持っていただき、高村山荘、そして隣接する花巻高村光太郎記念館に足を運んでくださること、さらに昨日ご紹介した「森のギャラリー」の活用なども為されてほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

欺きしは「兇敵」にあらずして 二なく頼みしわれらが「神軍」なりしなり。 一切は曝露せられて国民愕然たり。 国民目覚むればすでに飢餓に瀕す。 国力尽き民力消耗してただ焦土あり。

詩「永遠の大道」より 昭和20年(1945) 光太郎63歳

敗戦から約4ヶ月、いかに戦時中の軍部が無謀かつ国民不在の暴挙に出ていたのか、そして負けるべくして負けた戦争であったことなどが、ようやく白日の下にさらされてきた、というわけです。

しかし、光太郎も紛れもなくその片棒を担いでいたわけです。この詩が書かれたのが、12月6日。約4年前の真珠湾攻撃で熱狂した光太郎、翌々日に開かれた日本共産党主催の戦争犯罪人追求人民大会で、その名もリストに挙げられました。

過日ご紹介した「ふくしま ほんとの空プログラム」関連で、続報的な……。 

ふくしま ほんとのプログラム フォトコンテスト

【福島県産米「天のつぶ(5㎏)」が3名様に当たる!】

応募期間 2017年10月31日(火)まで

< 応募方法 >
①インスタグラムアカウントを公開してください。
②ふくしまほんとの空プログラムの公式インスタグラムアカウント「@f_hontonosora」をフォローしてください。...

③ハッシュタグ“#ふくしまほんとの空”を付けて、撮影場所を記載し、福島の空(昼夜問わず)の写真を投稿してください。

※お一人様何回でも投稿できますが、同一画像の投稿はご遠慮ください。
※本ハッシュタグをつけた投稿写真と文章は、当選の有無に関わらずふくしまほんとの空プログラムのインスタグラムやfacebook等で掲載させていただく場合があります。

< 当選発表 >
・応募期間終了日を持って応募締め切りとします。厳正なる審査のうえ、当選者を決定いたします。
・結果発表は当選者にインスタグラムダイレクトメールでご連絡いたしますので、公式アカウントを必ずフォローしてください。
・結果発表は2017年11月下旬を予定しています。
・当選者は、事務局からの当選通知ダイレクトメールの送信後7日以内にご連絡いただけない場合は、当選を無効とさせていただきます。
・当選商品の発送は日本国内に限らせていただきます。
・政治・宗教・営利活動に該当するもの及び公序良俗等に反する作品は受付できません。

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「ふくしま ほんとの空プログラム」は、9月と10月に鮫川村で開催される自然体験イベントですが、それと直接関係なく、福島の「ほんとの空」を撮った写真のコンテストだそうです。


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既にfacebook上に応募写真のいくつかが掲載されています。

どれもいい写真ですね。

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もう1件。昨日の『福島民報』さんから。

ミスセブンティーンに 郡山在住、箭内夢菜さん

003 郡山市在住の高校2年生箭内夢菜(やない・ゆめな)さん(17)が、10代向けのファッション誌「Seventeen」(集英社)のオーディションで、専属モデルとなる「ミスセブンティーン2017」に選ばれた。集英社によると県内在住者が選出されたのは初めて。

 箭内さんは「ずっとSeventeenモデルになるのが夢だったので本当にうれしい。初心を忘れずに、たくさんの人に愛されるモデルになりたい」と話している。
 「Seventeen夏の学園祭2017」が24日に横浜市で開かれ、発表された。鹿児島県出身の宮野陽名さん(13)とともに、応募者5981人の中から選考された。イベントで箭内さんは約3000人の歓声を浴びながらランウエーを歩いた。
 ミスセブンティーンは、広瀬すずさんら女優・人気モデルを多数輩出している。
 箭内さんは東京マラソンのオフィシャルドリンク「ポカリスエット」をPRする「ポカリガール2017」に選ばれて注目を浴びた。今夏は全国高校野球選手権福島大会を盛り上げる「KFB高校野球ガール」に起用された。
 10月28、29の両日、福島民報社が鮫川村で催す「ふくしま ほんとの空プログラム」宿泊体験にプログラムナビゲーターとして参加する。


記事にある広瀬すずさん以外にも、北川景子さん、木村カエラさん、水原希子さんらがこのオーディションの出身だそうで、福島をもりあげるための今後の活躍が期待されますね。


【折々のことば・光太郎】

限りなき信によつてわたくしのために 燃えてしまつたあなたの一生の序列を  この松庵寺の物置御堂の仏の前で 又も食ひ入るやうに思ひしらべました
詩「松庵寺」より 昭和20年(1945) 光太郎63歳

昭和16年(1941)8月、詩集『智恵子抄』のために書き下ろされたと推定される「荒涼たる帰宅」以来4年ぶりに、公表された詩に智恵子がメインで現れました。

詩の舞台は花巻町中心部の松庵寺さん。10月10日には、父母と智恵子の法要を営んでもらっていますが、制作の日付は10月5日。智恵子の命日です。8月23日の日記には、「雨、晴、朝一寸雨ふる。(略)松庵寺にて一枚起請文をもらふ。」とあり、この時の出来事を謳ったものかもしれません。

智恵子の故郷、福島二本松からイベント情報です。

重陽の芸術祭2017

期  日 : 2017年9月9日(土)~11月23日(木・祝)
会  場 : 二本松市智恵子記念館・智恵子の生家/二本松城(霞ヶ城)本丸跡/
        安達ヶ原ふるさと村/
大七酒造/国田屋醸造 千の花/
        道の駅「安達」智恵子の里(下り線)/岳温泉/福島大学/
        二本松市大山忠作美術館/安達文化ホール 他
参加作家 : 浅尾芳宣(福島ガイナックス)、岩根愛、大山忠作、一色采子、
       オノ・ヨーコ、川口京子、
木下史青、清川あさみ、京極夏彦、雲井雅人、
       小松美羽、佐藤雅子、三平典子、鈴木美樹、
高村光太郎、高村智恵子、
       月岡芳年、手塚治虫、二瓶野枝、東雅夫、福井利佐、藤井亜紀、
渕上千里、
       古田晃司、夢枕獏、ヤノベケンジ、渡辺かおり、渡邊晃一、
       ワタリドリ計画(麻生知子、武内明子)、
       福島大学学生(井戸川文美、尾形千尋、北村はるか、熊田あかり、齋藤友希、
       白岩勇磨、
高橋花帆、渡邉賀菜子)、
       Ahmed Galal、Alberto Giacometti、Dillon Rapp、J.Pouwels、ほか

開催趣旨 :「重陽の芸術祭」とは?

 「重陽の芸術祭」は,「福島現代美術ビエンナーレ2016」から誕生した二本松市を拠点に開催される現代アートの祭典です。
 開催初日となる9月9日の「重陽」は,日本酒に菊を浮かべて不老長寿を願う節句です。二本松城(霞ケ城)は全国一の規模をほこる菊人形祭が開催されており,菊は古来より薬草としても用いられ,延寿の力があるとされてきました。菊は他の花に比べて花期も長く,日本の国花としても親しまれています。菊を眺めながら宴を催し,菊を用いて厄祓いや長寿祈願をする「重陽の節句」は,五節供の中で最も重要な日でした。
 菊と日本酒による「重陽」を主軸に,能や歌舞伎で有名な「黒塚」の安達が原,永遠の愛を詠った「智恵子抄」の高村智恵子の生家などを会場に、最先端のアートを通して,地域文化に触れ,国際交流を活性化させる機会を設けています。
二本松は,奥の松酒造や大七酒造など,世界的に有名な日本酒の産地でもあります。明治初期に建てられた智恵子の生家も造り酒屋でした。新酒の醸成を伝える杉玉が今も下がっています。高村光太郎の『智恵子抄』に詠われているように,智恵子が愛してやまなかった「ほんとの空」。そのふるさとの自然,安達太良山と阿武隈川が見られる地でもあります。
 「重陽」を主軸に、二本松の地で、現代アート(絵画,彫刻,工芸,インスタレーション,ダンスや詩のパフォーマンス,ビデオアート,アニメーション,映画)とともに,ワークショップやシンポジウムが開催されます。

 二本松 重陽の芸術祭のキーワード
 
 ・日本一の菊人形祭 ・智恵子の生誕の地 ・国際的な日本酒の産地
 ・黒塚伝説,安達が原の鬼婆


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昨年、二本松で開催された「福島現代美術ビエンナーレ 2016 - 氣 indication -。」の流れをくむイベントのようで、昨年同様、市内各所で展示や各種公演などが行われます。

光太郎智恵子にからみそうなところでは、9月9日(土)から、智恵子生家で、現代アート作家・清川あさみさんによるインスタレーションの展示が為されます。智恵子という女性の価値観を見つめなおし、写真を縦糸横糸で形成して編んだ巨大な新作「女である故に」、さらに他にも光太郎詩からのインスパイア作品が展示されるようです。

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また、智恵子命日の10月5日(木)には、やはり智恵子生家で、「二瓶野枝ダンスパフォーマンス」。智恵子を題材にした日本画を多く手がけた故・大山忠作氏の息女にして女優の一色采子さんが朗読で参加されるとのこと。

さらに、昨年もそうでしたが、毎年行われている「二本松の菊人形」ともコラボがあるようです。


いろいろありすぎて詳細が不明な部分があり、今後も情報収集に努めます。


二本松ついでに、もう一件。地元紙『福島民友』さんの記事から。

詩の朗読者募集 9月17日に建立祭、二本松・智恵子純愛通り記念碑

 詩人で彫刻家の高村光太郎の詩集「智恵子抄」でも知られる高村智恵子(二本松市出身)の生誕の地にふさわしい地域づくりを目指し、顕彰活動に取り組む智恵子のまち夢くらぶ(熊谷健一代表)は9月17日午前10時から、同市油井の「智恵子の生家」近くにある智恵子純愛通り記念碑前で第9回建立祭を開く。詩の朗読者を募集している。
 朗読する詩は智恵子抄をはじめ、詩集「智恵子抄その後」、光太郎の詩作品の中から選ぶ。小学生から一般までが対象で、朗読者には図書券を贈る。
 申し込み締め切りは今月31日。問い合わせは熊谷代表(電話0243・23・6743)へ。
2017年08月23日    

というわけで、9/17(日)には、智恵子生家近くの智恵子純愛通り記念碑前で建立祭だそうです。併せて足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

人間時に清く、 弱きもの亦時に限りなく強きを思ひ、 内にかくれたるものの高きを 凝然としてただ仰ぎ見るなり。

詩「非常の時」より 昭和20年(1945) 光太郎63歳

終戦から約20日経った9月5日、花巻病院の職員表彰式で朗読した詩の一節です。終戦5日前の花巻空襲の際、自らの危険を顧みず、怪我人の救護に当たった医師や看護師への表彰式でした。花巻病院附属の高等看護学校では、光太郎に贈られたこの詩をいまだに学校の宝とし、毎年5月15日の花巻高村祭で、生徒さん達が群読なさっています。

戦争という「非常の時」、勝つとか負けるとか、敵とか味方とか、そういったことを超越し、さらには自らの恐怖心という弱さを克服して救護に当たった人々の清さ、高さをたたえています。

福島からイベント情報です。 

ふくしま ほんとの空プログラム

【参加者募集】
子どもたちの好奇心と探究心を育む原体験活動
自然の中での体験活動に取り組みながら、福島の魅力をたっぷり感じるプログラムを実施します。日帰りプログラムを3回、宿泊体験交流プログラムを1回展開します。全てに参加しても、どれか1回の参加でも大丈夫です。

~活動場所~007  あぶくまエヌエスネットフィールド 
 福島県鮫川村赤坂東野字葉貫57

~活動内容~

 日帰りプログラム
 実施日/日帰りAコース 9月16日(土)
     日帰りBコース 9月30日(土)
     日帰りCコース 10月22日(日)
 服装/長袖・長ズボン・帽子
 持ち物/おやつ200円まで、汗ふきタオル、着替え、作業用手袋
      持ち物への記名をお願いします。
  ■旅行代金/小学生 3,000円  大人(保護者)1,500円
  ■参加対象者/小学1年生~6年生とその保護者(児童のみの参加も可能)
  ■募集人員/20名(最少催行人員10名)
  ■食事条件/昼食1回

  日帰りプログラムAコース 9月16日(土)☆申し込み締切:9月1日(金)必着
   みんなで協力しよう+食育ピザ!
    10:00 集合 オリエンテーション フィールドワーク
    11:30 石窯ピザ作り+じゅうねんうどん
    13:00 自由遊び
    14:00 プロジェクトアドベンチャー!
    15:00 おやつタイム 振り返り
    15:30 解散

  日帰りプログラムBコース 9月30日(土)☆申し込み締切:9月8日(金)必着
   自然って楽しい+食育餅つき
    10:00 集合 オリエンテーション フィールドワーク
    11:30 餅つき+じゅうねんうどん
    13:00 自由遊び
    14:00 ネイチャーゲーム 自然遊び!!
    15:00 おやつタイム 振り返り
    15:30 解散
 
  日帰りプログラムCコース 10月22日(日)☆申し込み締切:9月29日(金)必着
   世界で1本の鉛筆+食育うどん
    10:00 集合 オリエンテーション フィールドワーク
    11:30 手打ちうどん
    13:00 自由遊び
    14:00 「木の鉛筆」クラフト
    15:00 おやつタイム 振り返り
    15:30 解散
 

  宿泊体験プログラム
   ■実施日/10月28日(土)~29日(日)1泊2日
           ☆申し込み締切:10月6日(金)必着
   ■服装/長袖・長ズボン・帽子
   ■持ち物/着替え、タオル、洗面用具歯ブラシ、マイコップ(プラスチック製)、
        マイ箸、おやつ200円まで、エプロン、マスク
   ■旅行代金/小学生 7,000円 大人(保護者) 5,000円
   ■参加対象者/小学1年生~6年生とその保護者(児童のみの参加も可能)
   ■募集人員/20名(最少催行人員10名)
   ■食事条件/昼食2回、夕食1回、朝食1回
   ■行程/
    1日目(10月28日・土)
     07:30 首都圏からの参加者 東京駅集合
     11:30 集合受付 オリエンテーション  スタッフ&参加者自己紹介
     12:00 昼食(炊き込みご飯)
     13:00 自由遊び
     14:00 プロジェクトアドベンチャー!みんなで協力するよ!!
     15:00 おやつタイム 夕方の係決め
     16:30 夕食カレー作り 動物の世話 ドラム缶風呂火起こし
     18:00 夕食(カレーライス&カレーうどん)
     19:00 ドラム缶風呂
     20:00 星空観賞
     20:30 明日の子ども係決め

    2日目(10月29日・日)
     06:30 釜戸ご飯炊き
     07:00 起床 着替え
     07:30 朝の体操 動物の世話(犬の散歩、山羊、ニワトリ)
     08:00 朝ご飯 身仕度 荷物整理整頓
     09:00 活動タイム
     10:00 「木の鉛筆」クラフト
     11:30 ピザトッピング
     12:00 石窯ピザ
     13:00 活動振り返り 色紙にサイン交換タイム!
     14:30 解散
 
首都圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)からご参加の方はJR往復プラン(追加代金お一人様\3000・大人小人同額)をご用意しております。詳しくは、JTB東北法人営業仙台支店までお問い合わせください。
 
(日帰り、宿泊共通事項)
  ■参加条件/
   ①プログラムの趣旨に賛同し、福島県についての理解を深めたいと考えている方
   ②当日配布するアンケートに記入いただける方
   ③当日写真ならびに映像撮影させていただき、新聞およびfacebook、
    イ
ンスタグラムに掲載させていただく場合があることをご了承いただける方。

  応募多数の場合は抽選となり、当選者にツアー参加申込書とご旅行条件などが記載された
  書面を実施約
10日前に郵送しますので、ご確認のうえお申し込みください。

  ■参加希望の方は/
  ハガキに、参加希望プログラム(例:日帰りA)、参加者氏名(漢字・ふりがな)、
  生年月日、学年または
年齢、性別、学校名、郵便番号、住所、電話番号(日中連絡が
  つきやすい電話)、運営団体への連絡事
項(体調、アレルギー、お薬など少しでも気
  になる点等)をご記入ください。

※申込みにあたりご提供いただいた個人情報はお客様との連絡のほか、本プログラムにて郵送・宿泊機関の提供するサービスの手配及びそれらのサービス受領のための手続きに必要な範囲内で利用させていただきます。なお、本プログラム推進のためにプログラムを主催する福島民報社及び協力いただくNPO法人あぶくまエヌエスネットへ提供いたします。お申込みいただいた方は、個人情報の共有を承諾したものとみなします。児童の参加に当たっては、親権者の同意書が必要になります。
 
  (お申し込み)
  ■ハガキ
   〒980-0804 仙台市青葉区大町1-4-1 明治安田生命仙台ビル4F
   ㈱JTB東北 法人営業仙
台支店「ふくしま ほんとの空プログラム」係
 
 【プログラムに関するお問合せ】
  ■プログラム主催/
  ふくしま ほんとの空プログラム(事務局)福島民報社東京支社
   TEL 03-6226-1001(平日10:00
~17:00)
 
 【ご旅行内容に関するお問合せ】
  ■旅行企画・実施/ 
  ㈱JTB東北 法人営業仙台支店 日本旅行業協会正会員 
  〒980
-0804 仙台市青葉区大町1-4-1
   明治安田生命仙台ビル4F 総合旅行業務取扱管理者 塚原大

   TEL022-263-6712(平日9:30~17:30)


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福島の地方紙『福島民報』さんと、旅行会社のJTB東北さんのタッグによる、自然体験教室的なプログラムのようです。

光太郎詩「あどけない話」から、福島の復興支援の合い言葉としてよく使われている「ほんとの空」の語を冠して下さいました。プロモーション動画などでも、「あどけない話」が使われています。

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基本、親子での参加申し込みを想定しているようですが、親子限定でもないようです。こういうイベントへの参加も一つの復興支援。県内だけでなく、幅ひろく参加者の輪が広がってほしいものですね。


【折々のことば・光太郎】

花はなにとてうつくしく 花はなにとてかをるらん 蝶々さそふか蜂よぶか ああ天然のやみがたき ただうるはしくかんばしく 花は野にみち山にみつ
詩「小曲二篇」より 昭和20年(1945) 光太郎63歳

昨日ご紹介した『石くれのうた』同様、未完に終わった詩集『花と実』の序詩として書かれたものです。駒込林町のアトリエを焼け出され、岩手花巻に疎開していた8月、おそらく終戦直前の作です。

それまで大量に書き殴っていた翼賛詩から離れ、若い頃から追い求めていた「自然」への讃仰が主題となっています。もはや敗色濃厚の時期。無理矢理の国民鼓舞はもうやめた、ということでしょうか。

当会の祖、草野心平が愛し、心平歿後は心平を偲ぶ催しとなったイベントです。

第52回天山祭

期 日 : 2017年7月8日(土)
会 場 : 天山文庫 福島県双葉郡川内村大字上川内字早渡513
      雨天時 川内村村民体育センター 福島県双葉郡川内村大字上川内字小山平15
時 間 : 11:30~14:00
参加費 : 500円

福島県 双葉郡川内村 大字上川内字小山平15                    天山文庫の前庭で毎年開催されている天山祭りは、心平先生が好きであった祭りです。みんなが酒や肴を持ち寄り、時を忘れるほどに楽しんだ祭り。
いまでも心平先生の遺徳をしのび、酒や肴、山菜が振舞われるほか、詩の朗読や伝統芸能の披露などのイベントもあり、非常に文化的価値の高い祭りです。
昭和37年、村は仮称「心平文庫」の議案を決め、草野心平の友人、建築家山本勝巳に設計を委託しました。昭和41年7月、「天山文庫」と正式名称も決まり落成式が行われました。文庫には、1968年にノーベル文学賞を受賞した川端康成揮亳の「天山」の扁額や、版画家 棟方志功の書が掲げられています。この祭りは、故草野心平先生の遺徳をしのび、出会いと交流を図るお祭りで、各自が持ち寄った酒や肴、山菜料理を食ながら親睦と融和を深めるものです。国内外からの参加者も含めて、川内村の夏のイベントとして広く全国に知られています。

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会場の天山文庫は、名誉村民だった心平が蔵書3,000冊を村に寄贈、それを収めるために、村人が一木一草を持ち寄り、ボランティアで建設したものです。建設委員には、光太郎の実弟で、鋳金の人間国宝、心平と親しかった高村豊周も名を連ねていました。

東日本大震災以降は、復興祈願的な意味合いも加わり、遠方からの参加も多く、盛り上がっています。非公式ながら、夕方からは心平ファンの皆様が「かえる忌」会場ともなっている小松屋旅館さんで「二次会」を開き、こちらも盛り上がっています。

昨年は欠礼いたしましたが、その前まで3年間、参加させていただきました。
福島川内村・天山祭り。(平成25年=2013)

実は今年も別件で都内に出かけるため、参加できません。申し訳なく思っております。盛会となることを祈念いたしております。


【折々のことば・光太郎】

詩に循ずる者能く詩を嗣ぎ、 詩を脱せる者能く詩を生む。 前者堕して滔々たる新様の月並みとなり、 後者陊(やぶ)れて磊々たる途上の瓦礫となる。
詩「詩の道」より 昭和10年(1935) 光太郎53

「循」は、訓読みでは「したがう」とする場合があり、「決まったルールに従う」といった意味です。いわゆる「大家」と目され、詩史の系譜に連なる人々を指すかと思われます。

「詩を脱せる者」は、そうした系譜からの鬼子のような、例えば宮沢賢治、そして草野心平、そして心平と近い位置にいて、光太郎とも親しく交わった更科源蔵、猪狩満直、尾形亀之助、黄瀛などなど。心平はともかく、賢治も早世し、他の詩人達もはっきり言えば無名のまま「途上の瓦礫」。ある意味、手厳しいですね。

しかし、光太郎自身は、この後、大政翼賛の方向に転身し、「堕して滔々たる新様の月並みとな」って行きます。

仙台に本社を置く地方紙『河北新報』さん。今週月曜日の夕刊に掲載のコラム「河北抄」で光太郎の名が。

河北抄 2017年06月05日月曜日

 満天の星に吸い込まれた。先日、福島県大玉村の実家に帰り、見上げた夜空に心がすっとした。安達太良山の麓。高村光太郎の詩集「智恵子抄」にある「ほんとの空」は、夜もまた格別だ。
 6年前、激震が襲った日の仙台の夜空も、きれいだった。停電で不安と闇に沈む中心部。華やかなネオンに隠れていた輝きが、こんなにあったとは。
 「何もない非日常がいい」。青森市出身の館美里さん(24)は、あまり活用されていない福島県三島町の美坂高原で星空に魅せられた。地域おこし協力隊として町に移住した若い仲間と24日夜、「みさかDEあそぼ 星空×ヨガ」を催す。
 星を仰ぎ心身を癒やす星空ヨガ。提唱する三島町出身で郡山、仙台で活動するヨガ講師大竹沙紀さん(26)は「五感で星の鼓動を感じ、自分らしさを見つめてほしい」と。人にも個々の輝きがある。人口減、高齢化が著しい奥会津の小さな町だが、見方を変えればきらりと光る。
 仙台のビル街も、たまには明かりを消し、屋上で夜空を眺めてヨガ-実現できたら、どんなにすてきだろうなあ。


単に福島の空が美しい、だけでなく、「ほんとの空」を引いて下さり、ありがたいところです。

今後、梅雨が明けると夏の星座のシーズンですね。都会では夜も明るすぎ、星の観察には不向きですが、コラムにある大玉村や三島町(奥会津です)あたりでは、さぞ美しい星空が見えるような気がします。

郡山市ふれあい科学館さんで開催されていた第4回ふくしま星・月の風景フォトコンテスト 作品展を、去年の今頃、拝見したことを思い出しました。「 “ほんとの空” のある、ふくしまの星・月の風景」というコピーが使われていました。コンテストはは昨年の第4回で終了してしまったようで、残念です。

追記:「ふくしま星・月の風景フォトコンテスト」、間があきましたが復活しました。

もう一つ思い出したのが、昨年、「“ほんとの空”から追い求めた夢の結実」と報道された、最高時速370キロのプロペラ飛行機によるレース「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ」。先週末に千葉県立幕張海浜公園で開催された第3戦で、昨年に続き、福島を本拠に活動されている室屋義秀選手が2連覇を達成されました。すばらしいですね。

そうかと思えば、「河北抄」でも触れられていた東日本大震災、そして原発の事故がらみも報道され、あきれています。ようやく福井県の「もんじゅ」廃炉が決まったと思ったら、使用済み燃料の行き場がないとか、茨城では重大な被曝事故が発生しているにもかかわらず、「もんじゅ」の福井では高浜原発3号機が運転差し止めの仮処分がくつがえされて再稼働とか……。「営業運転に入れば、電気料金を値下げする」だそうで、こういうのをまさに「朝三暮四」というのだと思います。いいかげん目を覚ませと言いたくなりますが、トンデモ大臣のお膝元ですのでしかたがないのかもしれません。

ところで、「原発」、「ほんとの空」といえば、2012(平成24年)、兵庫県人権啓発協会さん制作のビデオドラマ「ほんとの空」。劇中に光太郎の詩「あどけない話」が使われ、このブログでも何度かご紹介してきました。昨年のNHK大河ドラマ「真田丸」で、主人公・真田信繁(幸村)の長男・大助を演じた浦上晟周さんも出演しています。

明日、福岡市の高取公民館で上映されます。

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「原発いじめ」問題もあった昨今、その問題も扱っているこの「ほんとの空」、もっと上映が広がってほしいものです。


最後は星空関連の明るい話題で。

戦後の7年間、光太郎が暮らした岩手県花巻郊外旧太田村。光太郎が暮らしていた昭和20年代は、まさしく星降る夜だったようで、当時書かれた随筆や日記に、天体に関する記述がたくさん見受けられます。そんな縁もあり、先日もちらっとご紹介しましたが、花巻高村記念館さんの講座的に、記念館・山荘周辺で星座観察会を催すことになりました。7月29日の夜です。花巻市さんも共催に入って下さり、当方もゲストにお招きいただきました。詳細が決まりましたらまた改めてご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

さういふ道とはまるで違つた道があるのだ さういふ図形にまるで嵌らない図形があるのだ

詩「激動するもの」より 昭和4年(1929) 光太郎47歳

「原子力村」の論理を振りかざす輩に贈ります(笑)。

ところで、「激動するもの」という詩、扱いに困る詩です。この詩が収められた『高村光太郎全集』増補改訂版第2巻刊行の平成6年(1994)時点でも初出掲載誌が不詳でした。また、光太郎の生前に刊行されたどの詩集にも掲載されませんでした。そこで、『全集』では光太郎の手元に残された草稿に記された形を採録しています。

その後、山梨県で自費出版的に刊行されていた雑誌『線』の第4号(昭和5年=1930)に初出だったことがわかり、掲載誌も見ることが出来ました。しかし、草稿と異なる箇所が二カ所。引用した部分、草稿で「さういふ道とは」が、『線』では「さういふ道と」、終末近くで同じく「微塵の中」が「微塵のうち」となっています。

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雑誌『線』掲載の段階で、光太郎がゲラ等の確認をきちんとしていたのであれば、掲載誌のとおりですが、そうでなければ誤植です。どちらなのか、現段階では不明です。

この点に関わる随筆、書簡などが新たに見つかれば、この問題も一気に解決します。実際、一つの随筆、書簡の新たな発見で、それまで不明だったことが分かった例はたくさんあり、今後に期待したいところです。

福島の地方紙二紙から。

まずは昨日の『福島民友』さんの記事。

魅力発掘へ市街地調査 福島・二本松でJICA訓練生

 国際協力機構(JIC001A)二本松青年海外協力隊訓練所に入所する訓練生188人は27日までに、福島県二本松市の中心市街地を歩いて調査活動を行い、地元の魅力を掘り起こした。
 訓練生は24グループに分かれ、二本松の飲食店や菓子店の歴史や商品などについて調べた。
 このうち同市出身の洋画家・紙絵作家、高村智恵子の誕生日に合わせた「生誕祭」が開かれた智恵子記念館、智恵子の生家では切り絵を体験したほか、市民らと和やかに歓談した。
 訓練生は市民との交流を楽しみながら取材を重ねた。今後はマップを作るなど、市民への報告を予定している。


国際協力機構(JICA)二本松青年海外協力隊訓練所さんが安達太良山の中腹にあるため、これまでも智恵子がらみ、「ほんとの空」がらみで何度かご紹介させていただきました。


これからも「ほんとの空」の下、がんばっていただきたいものです。


「ほんとの空」といえば、『福島民報』さんにはこんな記事も。

名機 ほんとの空に舞う ブライトリングDC-3 復興支援で県内飛行 小塩江中(須賀川)生徒 体験搭乗

 復興支002援として福島空港に降り立った航空機の名機「ブライトリングDC-3」に26日、須賀川市の小塩江中の生徒18人が搭乗し、空からの古里の風景を楽しんだ。
 スイスの時計メーカー・ブライトリングが企画する世界一周飛行の一環で、国内では熊本、神戸などを経て福島空港に22日到着した。
 天候不良のため、1回目の大笹生小(福島市)の児童を乗せたフライトが中止になった。午後には天候が回復し、小塩江中のフライトはコースを変更して須賀川、郡山両市上空を周回飛行した。生徒は「空飛ぶ文化遺産」と称される名機のエンジン音や窓からの眺めを満喫した。着陸後は世界一周飛行に立ち会った記念に「搭乗証明書」が贈られた。
 27日は招待客を乗せた会津方面へのフライトを3回実施する予定。

記事にあるとおり、スイスの時計メーカーによるイベントで、「ブライトリング DC-3 ワールドツアー大空を見上げよう!2017 熊本~神戸~福島」の一環だそうです。熊本、神戸、福島と、それぞれ震災の被災地を回って下さり、それぞれの地で希望を与えて下さいました。


福島、飛行機、ほんとの空というと、一年前の「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ2016千葉」を思い出しました。最高時速370キロのプロペラ飛行機によるレースで、福島市在住の室屋義秀選手が初優勝しています。今年も同じ千葉幕張海浜公園で、次の土日(6/3・4)に開催され、室屋選手が参戦します。室屋選手、先月行われたツアー第2戦のサンディエゴ大会で優勝していますので、今回も大いに期待されます。昨年は“ほんとの空”から追い求めた夢の結実と報道されました。今年もそうなってほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

その詩は生理的の機構を持つ。 その詩は滃然と空間を押し流れる。 その詩は転落し天上し壊滅し又蘇る。

詩「その詩」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

光太郎、「天上」という語を好んでわりと多用しています。詩作のあり方にしてもそうですが、己の生き方として高見を目指し続けるポリシーが、「天上」の語を使わせるのでしょう。

ある意味、見習いたいものです。

まず福島の地方紙『福島民友』さんの記事から。昨日の掲載です。

過日、このブログでご紹介しました、いわき市の草野心平記念文学館さんで開催中の企画展「草野心平の詩 料理編」の関連行事、「心平さんの胃袋探訪 〜創作料理の試食と解説〜」を報じた記事です。 

詩人・草野心平の『美味』食す 再現料理、独特な食世界を堪能

 いわき市出身の詩人草野心平が営ん001いた居酒屋や作品で出てきた料理を再現して味わう「心平さんの胃袋探訪~創作料理の試食と解説」は21日、同市小川町の市立草野心平記念文学館で開かれ、参加者が花を載せて食べるサンドイッチや、コーヒー味のくず湯など、独特な心平の味覚の世界を堪能した。同館の主催。
 同館で6月18日まで開かれている企画展「草野心平の詩 料理編」の関連イベントとして開き、約30人が参加した。料理研究家の中野由貴さんが講師を務め、心平が出店した店や再現した弁当について解説した。
 中野さんは心平が営んだ焼き鳥屋台「いわき」に高村光太郎が最初の客として訪れたことなどを紹介した。試食では、ごま油を使ったおかゆ「心平がゆ」や大根をしょうゆ、酒、みりんで漬けた「大根の半日づけ」などが振る舞われた。


講師の中野由貴さんとは、先日、花巻で行われた第60回高村祭でお会いし、いろいろお話を伺わせていただきました。今回も参上したかったのですが、当日、居住地域のボランティア活動に参加せねばならず、欠礼しました。いずれ、何かの機会に「光太郎の食」的な催しがあればご出馬いただきたいところです。

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企画展は来月18日までの開催です。


続いて、23日付の『東京新聞』さんの記事。

【ふくしま便り】二本松・岳温泉の今 「歩く」催し 健康増進訴え 

 再生可能エネルギーの拠点として「エコツーリズ002ム」で復興を図る福島市の土湯温泉の挑戦を先週、本欄で取り上げた。同じく温泉地でユニークな取り組みを始めているのが岳(だけ)温泉(福島県二本松市)。こちらは「歩く」をテーマに据え、体を動かして温泉で癒やされる「ヘルスツーリズム」に活路を見いだそうとしている。さて、どんな取り組みか。

 岳温泉は、高村光太郎が詩集「智恵子抄」でたたえた安達太良(あだたら)山の中腹にある。標高六百メートルほどの高原に旅館やホテルが点在し、スキー場が隣接する保養型の温泉地だ。

 十八日、一軒のホテルで講演会が開催されていた。講師はドイツ人のハートヴィッヒ・ガウダー氏(62)。モスクワ五輪の競歩で金メダルを獲得するなど一流のスポーツマンであった同氏は、四十一歳で突然、細菌性の心臓疾患に倒れる。心臓移植で命を取り留め、後にニューヨーク・マラソンで完走を果たすなど健康を取り戻す。その過程で考案した運動法が「パワーウォーキング」。心拍数をコントロールしながら負荷をかけて歩き、体全体を鍛える歩行法だった。

 「健康は努力によって得られるのです」と話すガウダー氏の言葉に約四十人の老若男女が聞き入った。この日のために県外から来た夫婦の姿もあった。

 講演会を企画した岳温泉観光協会の鈴木安一会長によると、ガウダー氏が初めて岳温泉に来てパワーウォーキングを紹介したのは二〇〇五年春。これを契機に「歩いて健康になる温泉」をキャッチフレーズに掲げた。

 岳温泉がもっともにぎわったのは一九八三年からの十年ほどだった。東北新幹線が開通したが最寄りの二本松駅は通らない。これに反発し、日本国からの独立を宣言。「ニコニコ共和国」をぶち上げると、物珍しさに観光客が殺到した。鈴木会長も第三代大統領に就任したが、ブームは長く続かない。次に活路を求めたのが、ヘルスツーリズムだった。

 「そもそも温泉は健康づくりの場です。欧州の保養地のような落ち着いた滞在型の温泉地を特色としたいと考えました」

 その後、二〇一一年三月に東日本大震災と福島第一原発事故が起きる。岳温泉は被災者の避難宿舎となり、県外からの客は激減した。

 小中学校が主導する教育旅行も途絶えた。原発事故から六年のこの冬、埼玉県の中学が事故後初のスキースクールを実施すると、「やっと解禁」と地元紙に大きな見出しで報じられた。

 そんな逆風の中で粛々と続けてきたのが、健康へのこだわりだった。柱の一つが総合型地域スポーツクラブ「岳クラブ」。

 毎月定期的に行っている「月例ウォーク」などのイベントに、県内外を問わず、誰でも参加できるクラブだ。

 六月のスケジュールを見ると、「滝ウォーク十一キロ」「山奉行コース十一キロ」などがある(ショートコースもあり)。いずれも参加費は三百円(年会費千五百円)。ほかにも「あだたら縦走トレッキング」「ノルディックウォーキング教室」「体力測定会」などのイベントがある。併設して「安達太良マウンテンガイドネットワーク」があり、友人同士の登山でガイドを頼むこともできる。

 福島県の宝はいくつもあるが、雄大な山々と温泉の魅力は格別だ。まずは訪れることから復興への手助けが始まる。

 問い合わせは、岳クラブ=電0243(24)2310、ハートヴィッヒ・ガウダーパワーウォーキング協会=電03(3791)8375=へ。 (福島特別支局長・坂本充孝)


安達太良山の山開きは、やはり21日の日曜日でした。こちらの報道では、残念ながら光太郎智恵子に触れられていませんでしたので割愛いたします。

山頂方面、行こう行こうと思いながら、まだ果たせていません。今年こそは機会を見つけて登ってこようと思っております。記事の最後にあるとおり、「まずは訪れることから復興への手助けが始まる。」というわけで、皆様もぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

蹉跌は證(あかし)だ。 真なるものは必ず蹉跌す。 蹉跌の深みに転落せぬもの、 己はそいつの友ではない。

詩「街上比興」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

心平が創刊した雑誌『学校』の創刊号に寄せた詩です。原題は「興」一文字でしたが、後に改題されています。

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心平や、同人だった伊藤信吉、萩原恭次郎など、光太郎より一世代若い詩人たち――ある意味、「蹉跌」まみれだった人々――へのエールという意味合いもありましょう。

智恵子の故郷、福島は二本松からのイベント情報です。

第63回 安達太良山 山開き

2017年5月21日(日)

【お問い合わせ】  安達太良連盟事務局(二本松観光協会)TEL:0243-55-5122

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◆山頂イベント◆
 10:00~ 山開き参加記念ペナント配付(先着3,000人)
 11:00~ 安全祈願祭
 11:20~ Ms.あだたらコンテスト(ミズ1名、準ミズ1名、入賞6名)
  (未婚、既婚は問いません。入賞者には記念品を贈呈します。)

 ※山頂の天候次第で、途中で中止となったり、予定していた時間も変更となる場合があります。
 ※雨天の場合は、山頂イベントは中止し、奥岳登山口入口にて8時からペナント配布、奥岳登山口
  (レストラン「ランデブー」)で10時から安全祈願祭を行います。

◆バスでおいでの方へ◆  
 岳方面の路線バスは、岳温泉止まりです。 奥岳へは、シャトルバスをご利用ください。

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キャッチコピーは「ほんとの空が、ここにある。」。いいですね。

「ほんとの空」といえば、先月末の地元紙『福島民報』さんの一面コラム。

あぶくま抄 鉄馬好きよ集結せよ!(4月26日)

 残雪と新緑を眺めながら「ほんとの空」の下で風を切る。遠くにあったはずの吾妻小富士が目前に現れる。どこにもないような雄大な景色を走れる磐梯吾妻スカイラインをバイク愛好家は「聖地」と呼ぶ。今年も再開通後、多くのライダーが「鉄馬」にまたがり大空の中の道を走り抜けている。
 東日本大震災後、全国のライダーの間で東京電力福島第一原発事故の風評に苦しむ福島をツーリングして、復興を後押しする動きが広がった。スカイラインの魅力も全国区となり、昨年度は浄土平に駐車した二輪車が震災前の2倍以上の1万4950台になった。
 こんな心優しいライダーを歓迎する「RISE福島」の取り組みが県内で広がっている。飲食店や観光施設14カ所をお得な特典があるライダーズピットに指定した。ライダー限定サービスが受けられる宿泊施設も80に上る。ホームページには地元愛好家が厳選したツーリング場所や写真投稿も載る。
 全国でも珍しいライダーに焦点を当てた活動の合言葉は「鉄馬好きよ福島に集結せよ!」。県民と鉄馬好きの交流は福島ファンを増やす。大型連休にも「鉄馬」が県内を疾走するだろう。ありがとう-。


大型連休も半ばを過ぎましたが、多くの皆さんで福島がにぎわうことを願ってやみません。


【折々のことば・光太郎】

たちまち見え、たちまち隠れ、 天然の素中に 清涼無敵の秩序を 投げて 天上する彼、 龍。
詩「龍」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

作詩「猛獣篇」の一つです。孤高の姿勢を貫かんとする自らの姿が仮託されています。

「ほんとの空」の天上からも、「清涼無敵」の「」が下界を見守っているかもしれません。

智恵子の故郷、福島二本松からのイベント情報です。

好きです智恵子青空ウオーク

期   日 : 2017年5月5日(金・祝)
場   所 : 二本松市の智恵子純愛通り記念碑前(智恵子の生家近く)集合・出発。
時   間 : 10:00~
料   金 : 大人千円(記念館入館料、保険料、資料、ドリンク代込み)
         小・中学・高校生500円
問い合わせ : 智恵子のまち夢くらぶ(電)0243・23・6743

詩集「智恵子抄」で知られる高村智恵子ゆかりの地を歩く。各自昼食は持参。

智恵子の顕彰活動を行っている「智恵子のまち夢くらぶ」さん主催のイベントです。風薫る五月、「ほんとの空」の下、歩くのもいいものでしょう。

5/7(日)までは、智恵子の生家2階特別公開も行っています。そちらの見学も入っているようです。

高村智恵子 生誕祭 上川崎和紙で作ろう切り絵体験

期   日 : 2017年5月13日(土)~28日(日)の土曜日、日曜日
場   所 : 二本松市智恵子の生家「奥座敷」  福島県二本松市油井字漆原町36
時   間 : 9:00~16:00(生家・記念館の開館時間内) ※所要時間は10分程度
料   金 : 無料 (入館料に込み)
内   容 : 智恵子の紙絵をモチーフとした切り絵、上川崎和紙を使用したハガキ・
        しおりの制作
問い合わせ : 智恵子記念館 ☎0243(22)6151  文化課文化振興係0243(55)5154

智恵子が生まれ育ち、愛した生家。中庭の庭園を眺めながら、切り絵(紙絵)体験ができます。智恵子の世界を身近に感じてみませんか。1日分の材料には限りがありますので、無くなり次第終了。

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二本松市としての取り組みで、智恵子の生家2階特別公開、5月30日(火)までの智恵子記念館で智恵子の紙絵の実物公開、そのあたりをひっくるめて「高村智恵子生誕祭」と位置づけているようです。

昨年からこのような形で行われるようになり、昨年は生家の座敷を会場に地元の愛好家の皆さんによる箏曲の演奏などが行われました。今年は一般の来場者の方々に座敷を開放し、地元特産の上川崎和紙を使った紙絵の制作体験だそうです。

建物もただ見せるだけでなく、こうした活用方法がとられることで、より身近に感じられますし、生活臭、使用感が入ることも大事なのではないかと思われます。

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ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

平和的な平和を 夢のやうな平和を おれの芸術に求めてくれるな。

「偶作十五篇」草稿より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

理由は不明ですが、草稿に書かれながら抹消された一節です。「怒れる詩人」として、世の中に警句を発し続けていたこの時期の光太郎の心境がよく表されているようには感じますが。

福島県の地方紙『福島民友』さんから、智恵子の名が出た記事を3本。

【二本松】樹齢270年の「万燈桜」ライトアップ始まる 道の駅「安達」

 二本松市の道の駅「安達」智恵子001の里下り線の入り口にあるエドヒガンザクラの巨木「万燈(まんとう)桜」のライトアップが5日、始まった。23日まで毎日午後6時30分~同10時に点灯する。
 万燈桜は樹齢約270年の一本桜で、高さ約15メートル。初日は同所で点灯式が行われ、同道の駅を運営する市振興公社の鈴木隆ゼネラルマネージャー(GM)と鈴木克裕市産業部長が点灯のスイッチを押した。 (2017/04/07)


智恵子生家・智恵子記念館と同じ、旧安達町にある「道の駅「安達」智恵子の里下り線」の名物、「万燈桜」のライトアップ。今度の日曜までです。

下記は二本松市観光連盟さん制作の動画。万燈桜は1分37秒頃から。


 

臨時バス『春さがし号』運行 二本松の花見スポットや名所循環

 二本松市中心部の花見スポットや名所旧002跡を循環する臨時バス「二本松春さがし号」は8日、運行を開始した。JR二本松駅前発着で、5月7日まで毎日6便運行する。
 同バスの運行はにほんまつ観光協会(安斎文彦会長)の事業で、福島交通に業務を委託。智恵子の生家や霞ケ城公園、二本松少年隊の供養塔がある大隣寺などを巡る。
 同駅前を除き9カ所で停車する。約1時間置きにバスが巡回しており、霞ケ城本丸入口で下車した場合には同公園内を思う存分に散策した後でも次の便に乗車し移動できる。
 乗り降り自由の1日フリー乗車券は大人(中学生以上)500円、子ども250円で、乳幼児無料。運賃は大人が170~500円、子どもが90~250円。
 出発式では安斎会長、半沢典明福島交通二本松営業所長、鈴木克裕市産業部長が誘客への期待を込めてあいさつし、テープカットした。
 問い合わせは同営業所(電話0243・23・0123)、同協会(同0243・24・5085)へ。 (2017/04/11)


普段、公共交通の便はあまりよろしくない智恵子の生家ですが、「春さがし号」、これを使えば便利です。1時間おきに到着しますので、降りてゆっくり見て、次の便を利用すればいいわけですね。

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そして、智恵子の生家では、2階の智恵子の居室を限定公開中。記念館では智恵子紙絵の実物も展示されています。 

【二本松】「智恵子の部屋」など限定公開 週末と祝日、5月7日まで

 詩人・彫刻家高村光太郎の妻で光太郎の詩集「智恵子抄」でも知られる高村智恵子を育んだ二本松市油井の智恵子の生家で、「智恵子の居室(部屋)」を含む2階部分が限定公開されている。公開は週末と祝日で、5月7日まで。
 智恵子の実家は造り酒屋。智恵子の居室は4畳半で、大通りに面し、障子を開けると通りや近くの森が見える。光太郎が訪れた際に使ったとみられる居室にも隣接する。初日の8日には県外からの客も訪れ、智恵子を育んだ場所に興味深く見入っていた。
 公開時間は午前9時~正午、午後1時~同4時。入館料は大人(高校生以上)410円、小・中学生200円。問い合わせは智恵子記念館(電話0243・22・6151)へ。公開日次の通り。
 4月=15、16、22、23、29、30日▽5月=3、4、5、6、7日 (2017/04/15)

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その他、霞ヶ城、安達ヶ原公園などで桜まつりが開催されています。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

知盛が化けて出たなんて、 それはまつかな嘘です。 いやしい根性の忖度です。
詩「昔話」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

「知盛」は、平清盛の四男。壇ノ浦の戦いで、壮絶な最期を遂げました。謡曲や歌舞伎では、平家の亡霊たちが襲ってきたと思わせる計略をしかけたり、没後には亡霊となって義経を冥府にひきこもうとしたりしたと描かれています。

なぜか光太郎、平家びいきです。一方の源氏に対しては、同じ詩の中で「源氏のずるさ」「源氏は勝って負けました。」「徹頭徹尾卑劣」といった表現が見られます。敗者に肩入れしたがる「判官贔屓」でしょうか(「判官」は源氏の九郎判官義経ですが)。知盛には、壇ノ浦で碇を体に巻き付けて入水したという伝承もあり、そこまでの覚悟を固めていたのなら、死語に亡霊になどなるわけがない、ということでしょうか。

それにしても、今年の流行語大賞に選ばれそうな勢いの「忖度」の語が使われており、笑えました。まさしく「忖度」には「いやしい根性」が付きものですね。そういったものを光太郎はとことん嫌っていました。

テレビ放映情報です。ともにNHKさんのBS1で、智恵子の故郷・二本松にそびえる安達太良山が取り上げられます。

実践! にっぽん百名山 「安達太良山」

NHKBS1 2017年4月8日(土)  17時00分~17時30分

福島を代表する名峰・安達太良山(標高1700m)を行く1泊2日の山旅。山麓に広がる新緑の樹林帯、春の訪れを告げる花々、ダイナミックな噴火口など登るごとに景色が変わる登山を楽しむ。ヤマ塾は、長く歩き続けるテクニックを紹介する。脚の運び方から、ペース配分、脚の疲労を軽減するためのグッズなど、脚力に自信のない人でも安心して山を登るためのノウハウを解説する。

司会 工藤夕貴 萩原浩司   語り 鈴木麻里子   出演 佐藤哲朗 金子貴俊

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15分でにっぽん百名山「安達太良山」

NHKBS1 2017年4月10日(月)  16時30分~16時45分

安達太良山は、磐梯山と並んで福島を代表する名峰だ。ダイナミックな噴火口を持つ火山の荒々しさと山麓に広がるたおやかな樹林帯が対をなし、変化に富んだ景観が登山者を魅了する。今回は山の東側、塩沢登山口から1泊2日のコース。1日目は、初夏にふさわしい爽快感を味わえる新緑の森と渓谷沿いを進む。宿泊は「くろがね小屋」。2日目は、荒々しい岩石が連なる尾根を進み、大迫力の巨大噴火口跡から絶景の山頂に。

語り 鈴木麻里子   出演 佐藤哲朗 


一昨年に、やはりNHKさんのBS1で放映された、「実践!」がつかない「にっぽん百名山」という番組の安達太良山編では、智恵子が愛したほんとの空がある山、的なアプローチをしていただきました。

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昨年も、同じ「にっぽん百名山」で安達太良山編の新作が放映され、そちらでは残念ながら、光太郎智恵子には触れられませんでした。

「実践!」がついた今回の番組は、「「これから百名山に登りたい!」そんな方々に向けた、実践的な登山番組です。毎回「 にっぽん百名山」のひとつの山を取り上げ、ルートの見どころや注意点を詳しく解説。 すぐに役立つ、山登りのテクニックや装備、便利グッズもたっぷり紹介します。」とのことで、より「登山」に重きを置いた作りになっているようです。

「15分で……」の方は、そのダイジェスト版でしょうか。どちらにも地元の山岳ガイド・佐藤哲朗氏がご出演。

昨年放映され、光太郎智恵子に触れられなかった「にっぽん百名山」が、やはり佐藤氏のご出演によるもので、どうも今回の放映はそちらを編集したものかな、という気がします。ただ、編集された中で、新たに光太郎智恵子の名を出していただきたいものです。

安達太良山といえば、山開きが来月21日だそうです。そちらのキャッチコピーが「ほんとの空が、ここにある」。

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こちらの情報は、また近くなりましたら詳しくお伝えします。


【折々のことば・光太郎】

一人の詩人がいふ、 「あの頃の仲間はとにかくみんな、 功成り、名遂げてゐるな。」 私はびつくりして その可憐な詩人の顔を見る。 近頃剃り落した髭の迹が青黒く、 鼻の下が烏のやうに尖つてゐた。 「君、君、しつかりしろよ」といへないほど、 その詩人はみじめであつた。

詩「二つの世界」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

「詩人」であることと、「功成り名遂げる」ことは、光太郎にとって、両立すべからざる「二つの世界」。同じ考えだと信じていた旧知の詩人が、実はそうではなかったというわけですね。それが誰なのか、興味深いところですが、不明です。

福島二本松の智恵子の生家。通常は立ち入り禁止となっている智恵子の居室を含む二階部分の期間限定公開が始まります。一昨年から始まり、観光シーズンの土日、祝日などに行われてきましたが、今回は霞ヶ城桜まつり開催期間に合わせての実施です。

二本松市さんのサイトから。

「智恵子の生家」二階を期間限定で公開します

明治初期に建てられ、清酒「001花霞」を醸造していた旧長沼家。智恵子を育んだ「生家」であり、通常は立ち入りが制限されているこの「生家」2階を下記期間中、特別公開いたします。
ぜひ、足を運びいただき、当時智恵子が暮らした旧長沼家の雰囲気をご堪能ください。
また、奇跡と言われる高村智恵子の「紙絵」の実物も、期間限定で展示しますので、併せてご覧ください。

公開日
霞ヶ城桜まつり開催期間中(4月8日~5月7日)の土曜日、日曜日、祝日(13日間)
※期間中無休

公開時間
午前の部 9時00分~12時00分  午後の部 13時00分~16時00分

入館料 一般 410円(360円) 小中学生 200円(150円) 
    ※( )内は、20人以上の団体料金。

来館者の方へのお願い
 建物内では、必ず係員の指示に従ってください。
 混雑状況により、入場を制限させていただくことがあります。
 明治期の建物のため、窮屈であったり急な箇所がありますので、十分にご注意ください。

問い合せ先 二本松市智恵子の生家・記念館 電話:0243-22-6151

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ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

ああ、冬の奴がおれを打つ、おれを打つ。 おれの面皮をはぐ。 おれの身を棄てさせる。 おれを粉粉にして雪でうづめる。 冬の奴は、それから立てといふ。  おれは、ようしと思ふ。

詩「冬の奴」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

季節外れですみません。以前にも書きましたが、このコーナー、『高村光太郎全集』から掲載順に言葉を拾っていますので、こうなります。

しかし、季節外れといえば、このブログを書いている今、千葉の自宅兼事務所周辺、粉雪まじりの霙(みぞれ)が降っています。

明日は第61回連翹忌。61年前の今日は、やはり東京で季節外れの雪でした。終生冬を愛した光太郎への、終生光太郎が追い求めた「自然」からの贈り物だったのかもしれません。

まずは先週土曜日の『福島民報』さんの一面コラム「あぶくま抄」。

あぶくま抄 野球少年の夢(3月18日)

 世界一まであと二勝。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本代表の快進撃が続く。すっかりお茶の間の話題をさらい、野球の根強い人気を裏付けた。
 「幻のホームラン」も出た。一次リーグ初戦のキューバ戦。山田哲人選手は左翼に本塁打性の打球を放ったが、スタンドの最前列にいた少年がグラブを差し出し捕球してしまう。判定は二塁打。少年は批判にさらされる。それを知った山田選手が「僕は全然気にしていない。野球を嫌いにならずにまたグラブを持って応援に来てほしい」と語り、男前ぶりが評判になった。
 東京五輪の野球・ソフトボールの一部試合を福島市の県営あづま球場で開催することがIOC理事会で決まった。カメラフラッシュの中で電話連絡を受けた内堀雅雄知事の顔が上気していた。紆余[うよ]曲折があっただけに関係者の喜びもひとしおだ。開幕試合の日本戦という情報もあり、いやが上にも盛り上がりそうだ。
 3年後、グラブを持った被災地の子どもたちで、あづま球場の観客席があふれることを想像する。憧れのスラッガーが完璧な放物線を描き、福島の「ほんとの空」を皆々で見上げる特別な時間が今から待ち遠しい。


福島の空を表す代名詞として定着したかの感がある、光太郎詩「あどけない話」に使われている「ほんとの空」の語で締めくくられています。

「ほんとの空」といえば、先週末から今週月曜にかけ、福島市音楽堂では「第10回声楽アンサンブルコンテスト全国大会-感動の歌声 響け、ほんとうの空に-」が開催されました。

『福島民友』さんから。 

郡山五中・2位、郡山高・3位 全国声楽アンサンブル・最終日

 第10回声楽アンサンブルコンテスト全国大会最終日は20日、福島市音楽堂で中学校、高校、一般部門の金賞受賞団体による本選が行われ、郡山五中が2位・福島市長賞に輝き、郡山高が3位・県教育長賞を受賞した。郡山二中が4位、日大東北高が5位に入り、「郡山勢」が実力の高さを見せつけた。1位・知事賞は不来方高(岩手)。県、県教委、大会実行委員会の主催、県合唱連盟などの共催、福島民友新聞社などの後援。
 県合唱連盟の創立70周年を記念して結成された県合唱連盟青少年選抜合唱団が記念歌「楽譜を開けば野原に風が吹く」を披露、節目の大会に花を添えた。合唱団は欧州で演奏会を開くため21日出発する。
 39都府県とフィリピンから過去最多タイの127団体が出場、16人以下の少人数で競った。部門ごとに予選を行い、本県の5団体を含む15団体が本選に臨んだ。残る本県のコーラル・アウローラ(郡山)は入賞。

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「合唱王国」と称され、各種コンクールでの上位入賞が多い福島県勢、今回も上位に多くの団体が入ったようです。ただ、全体の最高賞に当たる福島県知事賞に輝いたのは、岩手の不来方高校さん。秋の全日本合唱コンクールでも金賞受賞の常連校です。一般の団体を抑えての最高賞受賞は、このコンクール初だそうで、快挙ですね。

IBC岩手放送さんから。 

不来方高校 声楽アンサンブル全国大会で最高賞/岩手

 福島県で開かれた声楽アンサンブルコンテストの全国大会で、不来方高校音楽部が最高賞に輝きました。部員たちは21日学校で、県勢初の快挙を報告しました。
  福島県で開かれていた声楽アンサンブルコンテスト全国大会は16人までの少人数で合唱の歌声を競うものです。不来方高校音楽部は最高賞の福島県知事賞を県勢として初めて受賞しました。大会に出場するのは中学生から社会人までで、高校の音楽部が最高賞に輝くのも初めてです。21日学校の体育館で報告会が行われ、部員たちは大会で歌ったイタリアの宗教歌を披露しました。
 (三浦真子 部長)「この賞に恥じないような活動をこれからもしていかなければと気が引き締まるような思いです」
  3年生が引退した音楽部は来月新入部員を迎え、10月の全日本合唱コンクールで3年連続の最優秀賞=文部科学大臣賞獲得を目指します。

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「不来方」といえば、新詩社や『スバル』で光太郎と交流のあった石川啄木の代表作「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」が思い浮かびます。

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こちらは昨年7月、盛岡少年刑務所さんで講演をさせていただいた際に撮ってきました。不来方城址に建つ歌碑です(余談ですが、それがご縁で来月にも盛岡で講演をさせていただきます)。

啄木ゆかりの地の若者たちが、光太郎智恵子ゆかりの福島で美しい歌声を響かせたことに、感慨を覚えます。


最初に野球ネタで始めましたが、ところでもう一つ不来方高校さんといえば、現在開催中の選抜高校野球にも「21世紀枠」ということで出場していますね。こちらは部員10人での健闘。


『日刊スポーツ』さんから。

10人不来方「楽しめた」センバツ入場行進で大拍手

<センバツ高校野球:開会式>◇19日
 選手10人で初出場の不来方(こずかた、岩手)が、参加32チーム中で一番大きな拍手を受けて入場行進した。
 旗を持って10人の先頭を切って行進した小比類巻圭汰主将(3年)は「緊張したけど楽しめた。秋と変わらず全力で楽しくプレーするのが第一。それで勝てれば自信になる。選んでもらえた感謝を忘れずにプレーしたい」と意気込んだ。
 開会式ではこの3月に不来方を卒業したばかりの竹内菜緒さん(18)が君が代を独唱した。小比類巻は「すごく歌が響いていた。一緒に選ばれたのは力になる」と話した。
 プラカードを持って、甲子園の土を踏んだ女子マネジャー越戸あかりさん(2年)は、滝沢・鵜飼小3、4年の担任が竹内さんの母親だったこともあり「世間は狭いと思った。甲子園で聞く君が代は違った」と素直な感想を口にした。
 不来方の初戦は23日の第3試合で、静岡と対戦する。

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部員10人(音楽部より少ないですね(笑))での出場、それから規定の変更により、初めて女子マネージャーが甲子園での練習の補助に参加ということでも話題になりました。

さらに開会式での国家独唱も、同校3年生の竹内菜緒さんが務めました。竹内さんは、センバツ大会スポンサーの毎日新聞社さん主催の全日本学生音楽コンクール全国大会声楽部門高校の部で1位だそうです。声楽アンサンブルコンテストといい、不来方高校さんっていったい何なんだ、と思って調べたところ、芸術学系音楽コースが設置されているとのことで、むべなるかなと納得しました。

野球の方は明日、1回戦だそうで、こちらもがんばってほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

工場の泥を凍らせてはいけない。 智恵子よ、 夕方の台所が如何に淋しからうとも、 石炭は焚かうね。
詩「金」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

「工場」は「こうじょう」ではなく「こうば」と読み、アトリエを指すのでしょう。冬場は水分を多く含む粘土が凍結し、制作中の彫刻作品にひびが入ってしまいます。それを防ぐには、24時間ストーブを焚く必要があり、困窮とまではいかなかったものの、決して豊かではなかった光太郎智恵子夫妻の生活を圧迫したと思われます。

それでも「夕方の台所が如何に淋しからうとも」、さらに詩の他の箇所では「寝部屋の毛布が薄ければ、/上に坐布団はのせようとも」「少しばかり正月が淋しからうとも」というわけで、智恵子にも忍従を強いています。一種のロジハラともいえ、非常に危険ですね……。

新潟からイベント情報です。

福島大学・うつくしまふくしま未来支援センター主催 新潟シンポジウム ほんとの空が戻る日まで -復興を進める福島の経験を共有し将来につなげる-

日  時 : 2017年3月5日(日) 13:00~17:00
会  場 : 
新潟市東区プラザ ホール 新潟市東区下木戸1丁目4番1号(東区役所2階)
参  加  費 : 無料
参加対象 : 一般市民、大学関係者、学生、行政職員、福島県から避難している方 他
主  催 : 国立大学法人福島大学、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター
共  催 : 国立大学法人新潟大学
後  援 : 文部科学省、復興庁、福島県、新潟県、新潟市、双葉地方町村会、
          日本赤十字社、公益社団法人経済同友会 他

  事前申し込みが必要です。   申込みはこちら →https://ws.formzu.net/fgen/S32789057/

東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故から6年が経過しようとしています。原発周辺地域においては、避難指示が順次解除されることにより、住宅・医療・買物環境など生活に必要な機能も整備され、住民の帰還も着実に進んでおります。一方で、震災以前から地域が内包していた第一次産業の衰退や少子高齢化が急速に加速し、復興が進む中での新たな課題として表面化しています。今回のシンポジウムにおいては、福島県の現状を皆様にお伝えするとともに、復興を通して得られた福島の経験や知見を「経験知・支援知」として生かすことにより、少子高齢化社会に直面するこれからの地域のあり方について共に考えたいと思います。

【プログラム】
Ⅰ 部 基調講演 「震災経験が導くこれからの日本」
   講演者 飯尾 潤 氏 政策研究大学院大学 教授
Ⅱ 部 福島の現状報告
   福島の現状と課題          初澤敏生 FUREセンター長
   原発被災地の復興と市民の力     天野和彦 FURE地域復興支援部門特任准教授
   原子力災害からの福島県農業の再生
  石井秀樹 FURE農・環境復興支援部門特任准教授
   -食と農の安全と安心-福島県における成長産業分野への取組
 安達和久氏 福島県商工労働部再生可能エネルギー産業推進監兼次長
Ⅲ 部 パネルディスカッション「震災・原発事故の経験を活かし将来を思考する」
   モデレーター  丹波史紀  福島大学行政政策学類准教授
   コメンテーター 飯尾潤 氏  政策研究大学院大学教授 
           初澤敏生  FUREセンター長
   パネリスト   遠藤雄幸 氏 福島県双葉郡川内村長
           稲垣文彦 氏 
            公益社団法人中越防災安全推進機構震災アーカイブス・メモリアルセンター長
           松井克浩 氏 新潟大学副学長
           高橋宏一郎 氏 共同通信社編集局科学部長兼原子力報道室長



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同じく福島大学うつくしまふくしま未来支援センターさんの主催で、光太郎詩「あどけない話」中の「ほんとの空」を冠したシンポジウムは、これまでに京都東京愛知いわきでそれぞれ開催されています。

東日本大震災から間もなく6年。しかし、ここにきてようやく福島第一原発のメルトダウン、メルトスルーの状況が明らかになってきたという状態で、本当の意味の復興にはまだまだというところです。ところが、この分野、人々の関心の風化との闘いという状態でもあります。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

此世で一番大切なものを一番むきに求めた人 人間の弱さを知りぬいてゐた人 人間の強くなり得る道を知つてゐた人 彼は自分のからだでその道を示した 天の火、彼

詩「クリスマスの夜」より 大正10年(1921) 光太郎39歳

「彼」はイエス・キリストです。光太郎はきちんと洗礼を受けたクリスチャンではありませんでしたが、聖書などは一通り読み、その教義を人生の指針の一つとしていました。この一節も、自分自身の求める道を表出したと読めると思います。

昨日、自宅兼事務所に訃報の葉書が届きました。智恵子の故郷・二本松にご在住で、智恵子に関するご著書もあった児童文学者の金田和枝さん。暮れも押し詰まった先月28日にお亡くなりになったそうです。

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左は昭和61年(1986)に歴史春秋社さんから刊行されたジュブナイル『智恵子と光太郎 たぐいなき二つの魂の出会い』、右は同社から平成9年(1997)に刊行された『ふくしま女の時代』(共著、金田さんは「純粋な愛と芸術に一生を貫いた高村智恵子」をご執筆)。

平成24年(2012)、6月には、二本松の智恵子のまち夢くらぶさん主催の「智恵子講座’12」で講師を務められ、同じ年の9月、やはり夢くらぶさん主催の「第4回智恵子純愛通り記念碑建立祭」では、参加者全員による「智恵子抄」(二代目コロムビア・ローズさん)斉唱の指揮をなさいました。

その後、お加減が宜しくないとのことで、ケアハウスに入所なさっていましたが、一昨年の智恵子を偲ぶ「第21回レモン忌」では、記念講演をされ、まだまだお元気で何より、と存じました。

その他、当方編集発行の「光太郎資料」を年2回お送りしていましたが、必ずお心の籠もったお礼状を下さり、それによって、元々東京のお生まれで、戦時中に二本松に疎開され、戦後になってそのままそちらでご就職、ご結婚なさったこと、戦時中には光太郎作詞とは知らず「歩くうた」(徳山璉)を歌いながら闊歩されていたことなどを知りました。

しかし、とうとう訃報に接することとなり、かえすがえす残念です。

葉書は埼玉にお住まいのご長男の方からでした。

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それによると、「私が死んでも悲しまないでください むしろどんなに幸せな人生を送ることができたかを喜んでください」と書き残されていたそうです。お見事ですね。

改めて、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

かぎりなくさびしけれども われは すぎこしみちをすてて まことにこよなきちからのみちをすてて いまだしらざるつちをふみ かなしくもすすむなり
詩「さびしきみち」より 大正元年(1912) 光太郎30歳

よく存じていた方の訃報に接し、「かぎりなくさびしけれども」、しかし「かなしくもすすむなり」、まさにそういう感じです。

智恵子の故郷・福島二本松での市民講座、「智恵子講座’16」の最終回が開かれます。

智恵子講座2016 第7回 「平塚らいてうと青鞜社」  第8回「高村智恵子を語るつどい」

期 日 : 2016年12月18日(日)
時 間 : 午前10時から
会 場 : 福島県男女共生センター 二本松市郭内一丁目196-1
講 師 : 澤正宏氏 (福島大学名誉教授)
参加費 : 1,000円
問い合わせ/申し込み : 智恵子のまち夢くらぶ ☎0243(23)6743

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午前中が福島大名誉教授・澤正宏氏による「平塚らいてうと青鞜社」、昼食休憩を挟み、午後1時半から閉講式を兼ねた「高村智恵子を語る集い」だそうです。

郷土の文化人の顕彰を地道に続けられている智恵子のまち夢くらぶさんには、頭が下がります。


二本松といえば、この秋、市の歴史資料館と智恵子記念館二ヶ所分散開催で、「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界」展がありました。

そちらが先月27日に閉幕し、一昨日、当方がお貸しした展示物の返却に、市教委の担当者の方がいらっしゃいました。その際にご報告を受けましたが、盛況だったとのことで、安心いたしました。

歴史資料館では、会期中の入場者数が1,602人。これまでの企画展だと、1,000人行くか行かないかというところだそうでした。

智恵子記念館の方は、同じく6,173人。こちらは智恵子の生家とセットの施設で、もともと観光名所的な部分もあり、普段から入館者数はそれなりですが、やはり普段のそれを大きく上回ったようです。

恒例の連中行事、菊人形や、福島現代美術ビエンナーレの一環としての小松美羽さんの襖絵アートなども集客への貢献があったと思われます。

報告書には「展示状況」ということで、画像も掲載されていました。

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このようにして記録を残すというのはいいですね。

返ってきた当方所蔵資料。まずはさまざまな『智恵子抄』。

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明治~昭和前半の智恵子資料。

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故・原節子さん主演の東宝映画「智恵子抄」関連。

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ご当地ソング「智恵子抄」関連。

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夏には信州安曇野碌山美術館さんの「夏季特別企画展 高村光太郎没後60年・高村智恵子生誕130年記念 高村光太郎 彫刻と詩 展 彫刻のいのちは詩魂にあり」に、光太郎詩集5冊ほどお貸ししましたし、花巻高村光太郎記念館さんには、無期限で『宮沢賢治全集』などをお貸ししています。当方コレクション、大活躍です(笑)。

各地のイベント等担当の方、光太郎智恵子に関する資料類、ものすごいものはありませんが、お貸しいたしますので、必要とあらばご連絡ください。当ブログコメント欄までご連絡下さい。非表示も可能です。


【折々の歌と句・光太郎】

風吹いて桶屋さかゆの句にもまし恋する人の考へや貧(ひん)
明治38年(1905) 光太郎23歳

今日の関東、冬晴れのいい天気ですが、凩が強く、布団を干すか干すまいか迷っています(笑)。

少し前にもこのブログでご紹介した、兵庫県人権啓発協会さん制作のビデオドラマ「ほんとの空」。東日本大震災の翌年に作られ、劇中に、智恵子の故郷・安達太良山の空を謳った光太郎詩「あどけない話」が使われています。

12月4日(日)から「人権週間」ということで、兵庫県のローカルテレビ局・サンテレビさんで放映があります。

親子テレビ ほんとの空

サンテレビ  2016年12月4日(日) 11:00~11:45 (45分) 

出演 白石美帆  鳥羽潤  湯浅美和子  浦上晟周  石川大樹  (他)

あらすじ

向井弓枝(白石美帆)は、パート先のスーパーで、高齢の客のおぼつかない行動に不快感を持つ。自宅のマンションのエレベータでも、高齢の人や障害のある人に対してイライラを募らせる。弓枝は、面倒な人が多く住むこのマンションではなく、一戸建てや新築マンションに引つ越したいと、夫の勇(鳥羽潤)に訴える。

弓枝の一人息子の輝(浦上晟周)は、空オタクだ。いつも空や雲のことを考えてしいて 友だちもいない。カメラを抱えた輝が自宅に帰つてくると、隣の部屋のドアが開き、見知らぬ外国人が引越をしている。外国人に対して偏見を持っている弓枝と勇の話を聞き 輝も「みんな不法滞在なんだから送り返せばいいJと言う。

輝がマンションの屋上に行くと、同じ年頃の少年 龍太(石川大樹)が空にカメラを向けていた。空好きの二人は意気投合し、輝は龍太を家に招く。夕食をいただいたお礼にと 龍太の母の美里(湯浅美和子)が、故郷福島の草木染めの布を持つてくる。最初は喜ぶ弓枝だったが、パート仲間の意見もあり 放射能への恐ろしさから布を捨ててしまう。そしてそれを、龍太がゴミ置き場で発見する。

学校からの帰り道、輝は、龍太が同級生たちから放射能のことでいじめられているのを見つけ加勢するが、二人とも投げ飛ばされる。同級生を非難する輝に、「お前も同じだろ」と龍太は叫び、「草木染めをなぜ捨てたのか」と詰め寄る。それを同じマンションの高齢者 千代子とタイ人 ロークが止める。帰宅した輝は母を責め、家を飛び出す。

輝を探す弓枝と勇。輝は、隣のタイ人夫婦□ークとノイのところにいた。夫婦はタイ料理店で働いていて、店を持ちたいので試食してほしいと申し出る。皆で食卓を囲みながら、ノイの思いを知った輝は、廊下の鉢植えを割ったことを謝り、勇も偏見を持っていたと告げる。握手をする勇と□ーク。その様子を笑顔で見つめる弓枝は ふと台所の隅に 自分が捨ててしまつた草木染めがあることに気づく。

ノイから 草木染めを譲ってもらった弓枝は 美里の家に。そして自分の気持ちを伝えようとするが… 。

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先日もご紹介しましたが、輝役の浦上晟周君は、現在、NHK大河ドラマ「真田丸」で、堺雅人さん演じる主人公・真田信繁(幸村)の嫡男・大助役で活躍中です。浦上君、今は立派な若武者役ですが、この「ほんとの空」は、4年前の制作ということで、まだあどけない子供の役です。

浦上君演じる輝は「空オタク」という設定で、同じマンションに引っ越してきた、やはり空が好きな転校生の龍太に、光太郎の「あどけない話」が福島の空を謳ったものだと教えようとします。しかし龍太は「知ってる、俺、住んでたから……」。輝は龍太が福島から避難してきたことを、その時点では知りませんでした。

その後、龍太は「原発いじめ」にあい、輝の母親・弓枝も深く考えずにとった心ない行動で、龍太の一家を傷つけるという展開になります。

非常に考えさせられる内容です。


兵庫県の方、ぜひ、ご覧下さい。もっとも、兵庫はドラマの制作地で、テレビ放映も初めてではないようですし、自治体主催の行事や学校などでも、かなり上映されているようですが。

このドラマの件について触れるときにはほぼ必ず書いていますが、全国ネットのテレビでも、ぜひ放映していただきたいものです。

追記 未明のうちに上記を書きましたが、午後になって、主演の白石美帆さんと、V6長野博さんのご結婚が報じられました。おめでとうございます。


テレビといえば、明日、明後日と、ATV青森テレビさんのロケに同行し、都内千駄木の光太郎アトリエ跡、当会顧問の北川太一先生宅、光太郎終焉の地・中野アトリエなどを廻ってきます。青森テレビさんで、来月、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を紹介する特別番組を放映するそうで、そのロケです。当方も出演予定です。また詳しくお知らせいたします。


【折々の歌と句・光太郎】

うかびてはまたも消えゆくゐのこ雲ながめはてよとさそふ心か
明治35年(1902) 光太郎20歳

若き日の光太郎も、秋の空を見上げていました。

先週の『朝日新聞』さんの記事から。

「菌」「賠償金あるだろ」原発避難先でいじめ 生徒手記

 福島第一原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒(13)が、いじめを受けて不登校になった問題で、男子生徒の代理人弁護士が15日、生徒の手記を公表した。「賠償金あるだろと言われ、抵抗できなかった」などと心情をつづっている。市教委は学校の対応の遅れを陳謝した。
 記者会見した黒沢知弘弁護士によると、手記は小学6年生だった昨年7月に書かれたもの。いじめで子どもが亡くなるという報道があることから、「いじめがなくなってほしい」「多くの子どもたちに少しでも励みになれば」と男子生徒自身が公開を決心したという。
 生徒と家族は東日本大震災後の2011年8月に福島県から横浜市に自主避難。直後から転校先の市立小学校で、名前に「菌」を付けて呼ばれるなど、複数の児童からいじめを受け始めた。
 「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられるとおもった。なにもていこうできなかった」。手記は当時をそう振り返った。
 市教委の第三者委員会の調査によれば、小学5年の5月、加害児童ら10人ほどと遊園地やゲームセンターなどに行くようになり、遊興費のほか、食事代や交通費も含めて1回5万~10万円の費用を10回近く負担した。児童2人に、一緒に遊ぶためのエアガンを買ったこともあった。男子生徒は親の現金を持ち出していた。黒沢弁護士によると、総額150万円に上るという。
 「お金もってこいと言われたときすごいいらいらとくやしさがあったけど、ていこうするとまたいじめがはじまるとおもってなにもできずにただこわくてしょうがなかった」「ばいしょう金あるだろと言われむかつくし、ていこうできなかったのもくやしい」
 事態に気づいた複数の保護者が同月中に、男子生徒と金品のやり取りがあるようだと学校に連絡した。同月末には男子生徒の保護者が「帽子がなくなった。隠されたのではないか」と学校に問い合わせた。
 学校も調査を始めたが、生徒はこう書いた。「いままでいろんなはなしをしてきたけどしんようしてくれなかった」「なんかいもせんせいに言(お)うとするとむしされてた」
 黒沢弁護士によると、生徒は小学校を卒業し、今はフリースクールに通う。「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」。心境をそう書いている。(永田大)
     ◇
■被害生徒の手記(抜粋)
「(加害側の)3人から…お金をもってこいと言われた」
「○○(加害側の名)からはメールでも言われた」
「人目がきにならないとこで もってこいと言われた」
「お金もってこいと言われたとき すごいいらいらとくやしさがあったけど ていこうするとまたいじめがはじまるとおもって なにもできずに ただこわくてしょうがなかった」
「ばいしょう金あるだろと言われ むかつくし、ていこうできなかったのもくやしい」
「○○○(加害側の名) ○○(加害側の名)には いつもけられたり、なぐられたり ランドセルふりま(わ)される、かいだんではおされたりして いつもどこでおわるか わかんなかったのでこわかった」
「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられるとおもった。なにもていこうできなかった」
「いままでいろんなはなしをしてきたけど (学校は)しんようしてくれなかった」
「なんかいもせんせいに言(お)うとするとむしされてた」
「いままでなんかいも死のうとおもった。でもしんさいでいっぱい死んだから つらいけどぼくはいきるときめた」
     ◇
 〈いじめ問題に詳しい教育評論家・武田さち子さんの話〉 いち早くいじめと認識し重大事態として調査すべき事案で、いじめ防止対策推進法への認識が不十分だ。「お金を渡せばいじめられない」と考えてしまう被害者の立場に立って対応する姿勢が不可欠だった。福島から来た子どもたちがいじめられやすいことは各地で話題となり、気をつけなければいけないこともわかっていたはずだ。「放射能がうつる」「自主避難者が多額の賠償金をもらっている」などと間違ったことを大人たちが口にしたことが、加害児童に伝わった可能性もあり、その責任も忘れてはいけない。


この事件についての報道を読んで思い出したのが、2012(平成24年)、兵庫県人権啓発協会さん制作のビデオドラマ「ほんとの空」。劇中に光太郎の詩「あどけない話」が使われ、このブログでも何度かご紹介してきました。

この事件とよく似た内容が扱われています。

【あらすじ】
■向井弓枝は、パート先のスーパーで、高齢の客のおぼつかない行動に不快感を持つ。自宅のマンションのエレベータでも、高齢の人や障がいのある人に対してイライラを募らせ、夫の勇に、引っ越したいと訴える。
■弓枝の一人息子の輝は、外国人に対して偏見を持っている弓枝と勇の話を聞き、「みんな不法滞在なんだから送り返せばいい」と言う。
■輝は同じ年頃の少年・龍太と意気投合し、輝は龍太を家に招く。夕食をいただいたお礼にと、龍太の母の美里が、故郷・福島の草木染めの布を持ってくる。最初は喜ぶ弓枝だったが…。
■学校からの帰り道、輝は、龍太が同級生たちから放射能のことでいじめられているのを見つけた。同級生を非難する輝に、「お前も同じだろ」と龍太は叫び、「草木染めをなぜ捨てたのか」と詰め寄る。帰宅した輝は弓枝を責め、家を飛び出す。
■輝を探す弓枝と勇。輝は、隣のタイ人夫婦・ロークとノイのところにいた。二人と話すうちに、自分が偏見を持っていたことに気づく輝と勇。その様子を笑顔で見つめる弓枝は、ふと台所の隅に、自分が捨ててしまった草木染めがあることに気づく。
■ノイから草木染めを譲ってもらった弓枝は、美里の家を訪ね、自分の気持ちを伝えようとするが…。


主人公、向井弓枝役は白石美帆さん。その息子の中学生・輝役が、浦上晟周君。現在、NHKさんで放映中の大河ドラマ「真田丸」で、真田信繁(幸村)の嫡男・大助役を熱演中です。

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ビデオ「ほんとの空」、昨年、公益財団法人 人権教育啓発推進センターさんからお借りして拝見しましたが、この年代の少年は成長が早く、真田大助と輝少年が同一人物だということに、最近まで気がつきませんでした。

今回の事件同様、輝少年の通う中学校に福島から避難してきた転校生が来て、「原発いじめ」にあいます。さすが真田大助、輝少年はいじめに加担せず、とめようとする方に廻ります。というか、輝少年自身も少し変わり者、ということで同級生から距離を置かれているという設定ですし、輝少年、マンションの隣室に引っ越してきた外国人夫婦に対する差別意識は隠しませんが……。すると、白石美帆さん演じる母親が、転校生の少年の母親から貰った草木染めの布を、パート先の同僚の「放射能がうつるかもよ」の一言で気味悪がり、棄ててしまいます。そしてゴミ捨て場で、棄てられた布を転校生の少年が発見し、話がややこしくなります……。

その他、高齢者や障害者、同和地区に対する差別なども描かれ、考えさせられる内容です。


これまでも、各地の自治体さんや学校さんなどで上映されましたし、地方テレビでの放映もありました。今年も人権週間(12月4日(日)~10日(土))が近いということもあり、岐阜市や岐阜県垂井町、徳島市などで上映されるようです。


先週の『高知新聞』さんには、このビデオを観た方からの投書が載りました。

声ひろば 2016年11月18日 壁と橋

 「壁」と「橋」。先日行われたアメリカ大統領選における二人の主張でした。結局、「壁」を前面に出したトランプ氏が次期大統領に選ばれました。
 私は子どもたちの学習支援、生活支援を中心とした仕事をしています。選挙結果が出る前日、高知県人権啓発センターから「ほんとの空」(兵庫県人権啓発協会企画)というDVDをお借りして子どもたちに見せました。
 小学校低学年から中学生までの子どもたちがそれぞれ、何かしらの気持ちを抱いたに違いありません。見終わった後、障害者に対する理解を深める学習の時間をとりました。
 私たちの誰もが他者の排除や差別がよくないことは理解していますが、自分に関わる出来事以外となると、ひとごとのように感じたりするものです。
 知らず知らずに偏見や差別意識、排除する気持ちをもち、自分の中に「壁」を作ってしまうのです。しかし、そこからは他者理解や友好、平和は生まれてきません。トランプ氏の主張する「壁」は、人権意識につながるのか疑問です。
 DVDを見ながら「Change,Change,Change(変えるんだ、変わるんだ、きっと変わる)」と、前回選挙で主張したオバマ大統領の能動的でパワフルなメッセージを思い出し、橋を架けることの大切さを感じました。



まさにその通りですね。

先週、福島第一原発のある福島相双地域に行って参りまして、さまざまな困難に立ち向かう人々の姿を拝見してきたところで、原発いじめの問題……。情けないやら、腹が立つやら、です。

タイムリーな内容ですので、「ほんとの空」上映、もっともっと広がってほしいものですし、テレビでも全国ネットで放映していただきたいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

女等(をみなら)は埃(あくた)にひとし手をひけばひかるるままにころぶおろかさ

明治42年(1909) 光太郎27歳

日本女性の主体性のなさを嘆く内容です。が、いじめに加担したり、風評に流されたり、政治屋の甘言に惑わされたりといった、全ての愚かな人々への警句と読み取りたいところです。

11/13(日)、前日泊まった川内村をあとに、いわき市へ向かいました。この日行われた、当会の祖・草野心平を偲ぶ「没後29回忌「心平忌」 第23回心平を語る会」で、卓話(講話)を仰せつかっていました。

国道399号で1時間弱、目指すいわき市小川地区の草野心平生家に到着。

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標高も高くなく、海も遠くないので、川内村と比べるとまだ紅葉もそれほど進んでいませんでした。

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卓話のためにパソコンやプロジェクタ、スクリーンなどをセッティングした後、すぐ近くの常慶寺さんへ。心平やその関係者の墓参です。

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心平生家に戻り、ふるまわれたお粥(心平粥)とお餅(心平餅)を戴きました。

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お腹もふくれたところで、開会。主催者あいさつに続き、当方の卓話でした。

題して「草野心平と高村光太郎 魂の交流」。大正14年(1925)に、詩人・黄瀛の仲介で出会った二人は、忽ち意気投合、以来、光太郎が歿するまでの30年あまり、深い交流が続きました。さらに、光太郎歿後も、心平は自身が亡くなるまでのやはり30年あまり、当会の祖として、さまざまな光太郎顕彰に取り組みました。

そこには2人の天才の、お互いの芸術世界、そしてその人間性に対する深いリスペクトがあったと言えます。そのあたり、今週末に行われる第61回高村光太郎研究会でも発表いたします。それが終わりましてから、詳細をここに書きましょう。

さて、当方の卓話の後、地元小中生の皆さんによる「第8回 草野心平ふるさとの詩けるるんくっく発表会表彰式」。小学4年生と中学2年生を対象に広く募った自作の詩のコンクールです。

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心平をはじめ、実弟の草野天平、猪狩満直、三野混沌など、独特な詩人を輩出したいわき。その魂を受け継いでいって欲しいものですね。

終了後、このイベントの共催に名を連ねているいわき市立草野心平記念文学館さんへ。館長さんや学芸の方々とお話しさせていただき、さらに、開催中の企画展「寂聴 愛のことば展」を拝見しました。

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心平と瀬戸内寂聴さんは、いろいろな部分で交流無題がありましたが、2人をつないだキーパーソンの一人が、田村俊子です。俊子は智恵子と同じく初期『青鞜』メンバー。そして智恵子と最も親しかった人物です。

心平は戦時中に俊子と中国で出会っていますし(ことによると共通の友人であった光太郎智恵子の話題も出たかも知れません)、寂聴さんは評伝的小説『田村俊子』で昭和36年(1961)、第一回田村俊子賞を受賞しています。その賞状は心平が扇子に揮毫し、鎌倉東慶寺の俊子碑の前で、心平から贈呈されました。

そのあたりに関する展示も為されており、また、心平から寂聴さんに贈られた『実説智恵子抄』(昭和50年=1975)、それに対する寂聴さんから心平への礼状なども並んでいました。

また、東日本大震災直後に被災者の皆さんにあてたメッセージなども展示されており、それぞれ興味深く拝見しました。

今週末までの開催です。

そんなこんなで福島相双地域を後に、帰って参りました。

まだまだ震災からの復興の道のりは険しいと感じました。しかし、心平の詩に表された生命賛歌の精神や、光太郎詩に謳われた開拓の精神を一つの糧に、歩み続けていっていただきたいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

くれなゐのさてはみどりの黄朽葉(きくちば)のつひに真白の我なり世なり

明治34年(1901) 光太郎19歳

東北から南関東に帰って参りましたら、こちらでも紅葉が進んでいました。じきに白い霜がおりるのでしょう。

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自宅兼事務所の裏山です。

先週土曜日、南相馬をあとに、一路、双葉郡川内村に向かいました。この日は夕方から、当会の祖・草野心平を顕彰する「第6回天山・心平の会 かえる忌」でした。

会場は村中心部の小松屋旅館さん。敷地の奥にある「酒房天山」がメイン会場です。

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この辺りまで来ると標高が高く、海沿いの地域よりも紅葉が進んでいます。南天の実も赤く色づいていました。

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地元や東京方面から、心平ファン、それから変な云い方ですが、川内村ファンの皆さんがご参集。心平の愛した濁り酒を愛でつつ、心平について、川内村について、色々と語らいました。

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主宰の天山心平の会・井出茂氏。小松屋旅館のご主人。右は川内村遠藤村長。

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当方、他用のため昨年のかえる忌、それから同じ川内村で夏に行われる心平が愛した天山祭りも今年は欠礼したので、御無沙汰していました。遠藤村長とは、昨年冬に上野精養軒でお会いしましたが。

この日は、かつて心平が光太郎歿後の昭和35年(1960)、新宿に開店したバー「学校」の、「第3次開校式」も兼ねました。第1次が昭和35年の心平存命時。その後、心平が歿し、最初の「学校」を手伝っていた方が新宿ゴールデン街に第2次「学校」を開き、しかしそれも3年前に「閉校」。そして今年、「酒房天山」の中にカウンターを設け、第3次「学校」が作られました。

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囲炉裏を囲んで談話。その後は鍋や蕎麦などが振る舞われました。

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夜も更けて、この日は小松屋旅館さんに泊めていただきました。

翌日は、川内村から1時間弱のいわき市にある心平生家で「没後29回忌「心平忌」 第23回心平を語る会」。当方が卓話(講話)を仰せつかっており、そちらが11時半からということで、朝はゆっくり散歩したりしました。

標高が高い分、冷え込みました。車のフロントガラスはバキバキに凍っていました。

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旅館にほど近い川内小学校の裏山の紅葉。

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そのまま歩いて、心平が蔵書を寄贈して作られ、ある意味心平の別荘としても使われた「天山文庫」まで歩きました。こちらの紅葉も実に見事でした。

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その他、いかにも「日本の原風景」といった景観がそちこちに。

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しかし、ここは理不尽な「人災」からの被災地です。それを憤る気持ちを忘れてはいけないと思いました。

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新しい店舗も増え、着々と復興が進んでいますが、失われたものもたくさんあったわけで……。

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何はともあれ、さらなる復興へと進んでいってほしいものです。

小松屋旅館さんの酒房天山の襖に書かれた、市民ランナー・川内3兄弟のサイン。長兄の優輝選手が特に有名ですね。

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それぞれいい言葉です。川内村へのエールとして受け止めたいものです。

明日はいわき市編です。


【折々の歌と句・光太郎】

ちさき神もみぢに泣きしあしたより冬の御駕(みくるま)鞭くははりぬ

明治33年(1900) 光太郎18歳

「ちさき」は「小さい」、「あした」は「朝」。

北日本は一足早く冬の支度が着々と進んでいます。

一昨日から昨日にかけ、福島浜通り相双地域に行っておりました。

当会の祖・草野心平を顕彰する川内村での「第6回天山・心平の会 かえる忌」、及びいわき市の草野心平生家での没後29回忌「心平忌」 第23回心平を語る会」出席のためでしたが、他にも足をのばして参りました。

まずは、圏央道、常磐道と乗り継ぎ、川内村へ行くには常磐富岡インターで下りますが、一つ先の浪江インターまで行って、南相馬市南部の小高地区を目指しました。

そのあたり、今年の7月になって、ようやく原発事故からの避難指示が解除された区域です。しかし、いまだにそれが解除されていない区域も近くにあります。

道々、目に映る光景はこんな感じでした。


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ナビの指示通りに行こうとすると、通行止めになっている箇所がまだありました。何でもない農村風景も広がっているのですが……。

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浪江町と南相馬市の境界あたりでは……

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一見、のどかな放牧風景に見えますが……

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何やらもめている気配ですね……。

さて、南相馬市小高区に入り、目的地に着きました。これです。

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昭和30年(1955)に建立された「開拓碑」。光太郎詩「開拓十周年」が刻まれています。筆跡は光太郎のものではありませんが。

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長い詩なので、三段にわたっています。

 開拓十周年
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 赤松のごぼう根がぐらぐらと
 まだ動きながらあちこち残つていても、
 見わたすかぎりはこの手がひらいた
 十年辛苦の耕地の海だ。
 
 今はもう天地根元造りの小屋はない。
 あそこにあるのはブロツク建築。
 サイロは高く絵のようだし、
 乳も出る、卵もとれる。
 ひようきんものの山羊も鳴き、
 馬こはもとよりわれらの仲間。
 
 こまかい事を思いだすと
 気の遠くなるような長い十年。
 だがまた、こんなに早く十年が
 とぶようにたつとも思わなかつた。
 はじめてここの立木へ斧を入れた時の
 あの悲壮な気持を昨日のように思いだす。

 歓迎されたり、疎外されたり、
 矛盾した取扱いになやみながら
 死ぬかと思い、自滅かと思い、
 また立ちあがり、かじりついて、
 借金を返したり、ふやしたり、006
 ともかくも、かくの通り今日も元気だ。
 
 開拓の精神にとりつかれると
 ただのもうけ仕事は出来なくなる。
 何があつても前進。
 一歩でも未墾の領地につきすすむ
 精神と物質との冒険。
 一生をかけ、二代、三代に望みをかけて
 開拓の鬼となるのがわれらの運命。
 食うものだけは自給したい。
 個人でも、国家でも、
 これなくして真の独立はない。
 そういう天地の理に立つのがわれらだ。
 開拓の危機はいくどでもくぐろう。
 開拓は決して死なん。
 
 開拓に花のさく時、
 開拓に富の蓄積される時、
 国の経済は奥ぶかくなる。
 国の最低線にあえて立つわれら、
 十周年という区切り目を痛感して
 ただ思うのは前方だ。
 足のふみしめるのは現在の地盤だ。
 静かに、つよく、おめずおくせず、
 この運命をおおらかに記念しよう。


碑が建てられた同じ昭和30年(1955)に岩手県盛岡市の県教育会館で行われた、岩手県開拓十周年記念大会に寄せたものです。詩を作ったのは、結核による死の半年前。かつて岩手の太田村で、自らも開拓にあたったり、開拓農民と親しく交わったりした経験を下敷きにしています。

雑誌等に掲載された記録が確認できていませんが、どうやら光太郎の詩稿を凸版印刷した一枚物が作成され、全国の開拓関係者に配布されたらしいことはわかっています。

それを読んで感動したのでしょうか、ここ小高区の金房開拓農業協同組合として、この碑を建立したというわけでしょう。中心人物が平田良衛という人物だったと判明しましたので、今後、光太郎との関わりなど、少し調べてみるつもりです。

それにしても、この地の現状と対比すると、胸が痛みます。


この碑、十数年前に見に行き、今回が2度目でした。海からは遠いので、津波の被害は心配ありませんでしたが、地震の揺れ自体で倒壊していたりしていないだろうかなどと思い、以前にも相馬方面に用があった際に、見に行こうと思ったのですが、前述の通り、今年の夏まで近づけませんでした。もしかすると、行けるだけは行けたのかも知れませんが、通行止めなどのオンパレードで断念しました。

正式に光太郎文学碑として建立されたものではありませんが、光太郎生前の数少ない(確認できている限りでは三基)詩碑の一つです。健在だったので安心しました。

ところが、周囲は前述のような状況です。避難指示が解除になったといっても、ほとんど人に会うこともなく、すれ違う車も除染作業などの関係ばかりでした。

しかし、この詩の精神を踏まえ、また再びこの地を新たに開拓していって欲しいものです。

昔のこの碑の写真と比べると、碑全体がきれいになっているように感じます。もしかすると、地元の皆さんがこの詩の精神を踏まえ……と考えて下さっているのかも知れません。


被災地がこういう状況でありながら、日本政府はインドへの原発輸出を可能にする原子力協定に調印しました。安全神話で作られたメルトダウンする原発、処理に何万年もかかる使用済み核燃料、いまだに故郷に帰れない多くの人々、事故が起きれば取り返しが付かない現実……あきれてものも言えません……。


明日は双葉郡川内村をレポートします。


【折々の歌と句・光太郎】

月黒く大河の上に人の血の流るる世なり魔神の世なり
明治33年(1900) 光太郎18歳

「魔神の世」と感じる福島南相馬でした。

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