昨日に引き続き、新刊情報です。今回はアンソロジー的な……。
名作で楽しむ上高地
2019年6月7日 大森久雄編 山と渓谷社(ヤマケイ文庫) 定価1,000円+税上高地再発見!
登山家、文学者の紀行・エッセーと歴史エピソードの名作集。
文政9(1826)年の播隆、明治24(1891)年のウェストンに始まり、上高地は常に日本の登山の中心にあり、幾多の登山者、文学者たちが訪れてきた。
彼らの残した名作で、上高地の魅力を再発見し、さらに興味深い上高地の歴史やそこに生きた山人たちの姿をしのぶアンソロジー。
登山家、文学者の紀行・エッセーと歴史エピソードの名作集。
文政9(1826)年の播隆、明治24(1891)年のウェストンに始まり、上高地は常に日本の登山の中心にあり、幾多の登山者、文学者たちが訪れてきた。
彼らの残した名作で、上高地の魅力を再発見し、さらに興味深い上高地の歴史やそこに生きた山人たちの姿をしのぶアンソロジー。
登山家は小島烏水、辻村伊助、田部重治ほか、文学者は窪田空穂、高村光太郎、若山牧水、芥川龍之介ほか、読んでおきたい本当の名作が一冊に。
上高地の魅力、歴史、上高地に生きた人々など、上高地を深く知るためにも役立ちます。
第一部 エッセーで味わう上高地
穂高・徳沢・梓川 浦松佐美太郎
神河内 松方三郎
小梨の花咲く上高地 尾崎喜八
初夏の上河内 串田孫一
花の百名山より 田中澄江
第二部 早期登山者たちの見た上高地
日本アルプスの登山と探検(抄) W・ウェストン 青木枝朗訳
梓川の上流 小島烏水
上高地渓谷 田部重治
第三部 青春の上高地、槍・穂高
夏休みの日記/山と雪の日記(抄) 板倉勝宣
穂高星夜 書上喜太郎
涸沢の岩小舎を中心としての穂高連峰(抄) 三田幸夫
穂高の雪 今井喜美子
穂高の雪 今井喜美子
アルプス讃歌 北杜夫
第四部 上高地を訪れた文人たち
明神の池 窪田空穂
山路 若山牧水
槍ヶ岳紀行 芥川龍之介
芥川龍之介の槍ヶ岳登山 山崎安治
智恵子の半生(抄)/狂奔する牛 高村光太郎
日本高嶺の高嶺(抄) 大町桂月
第五部 上高地と槍・穂高連峰の歴史
槍・穂高連峰登山略史(抄) 山崎安治
かみこうち宛字の詮索 岡茂雄
播隆の槍ヶ岳登山(抄) 穂苅三寿雄・穂苅貞雄
槍ガ岳と共に四十年(抄) 穂苅三寿雄
焼岳の噴煙 三井嘉雄
同じ山と渓谷社さんのヤマケイ文庫で、一昨年には『紀行とエッセーで読む 作家の山旅』が刊行されており、こちらは全国の名山に関し、やはり光太郎を含む多くの文人たちのアンソロジーでした。今回は上高地に特化したものです。
光太郎の掲載作品のうち、「智恵子の半生」は、智恵子歿後の昭和15年(1940)、雑誌『婦人公論』に「彼女の半生-亡き妻の思ひ出」の題で発表され、翌年、詩集『智恵子抄』に収められた長い文章です。恋愛時代、結婚生活、そして心を病んで結局結核で亡くなるまでの智恵子の姿が描かれています。
光太郎と智恵子が婚約したというのが大正2年(1913)の上高地に於いてで、滞在中のできごとやその前後の経緯なども記されています。『名作で楽しむ上高地』では、そのあたりを抜き出して「(抄)」としているのでしょう。
詩「狂奔する牛」は大正14年(1925)の作。やはり『智恵子抄』収録作で、上高地での見聞をモチーフとしています。上高地ではかつて徳沢周辺を中心に牧場があり、牛も上高地を代表する風景の一つでした。
ちなみに当方、平成27年(2015)、『山と渓谷』さんのライバル誌『岳人』さんに、「高村光太郎と智恵子の上高地」という文章を書かせていただきました。そちらでも「智恵子の半生」、「狂奔する牛」ともに引用、紹介しています。2015年3月号で、「特集 言葉の山旅 山と詩人上高地編」。まだバックナンバーの在庫があるようです。
併せてお買い求め下さい。
【折々のことば・光太郎】
おまけに担任の先生というのが、どこかの国の訛の強い先生で、東京以外を知らない江戸つ子のわたしには、その先生の言葉が分からなかつた。「アルタの数が……」 もう分からなかつた。アルタの数、とはなんだろうか。分らない。後になつてわかつたことだが、これは「或る他の数が……」ということであつた。
談話筆記「わたしの青銅時代」より 昭和29年(1954) 光太郎72歳
高等小学校を卒業し、本郷森川町にあった共立美術学館予備科に編入し、旧制中学の課程を学ぶこととなった明治29年(1896)、数え14歳当時の回想です。この学校はもともと東京美術学校の予備校として同窓生たちが作ったもので、横山大観が館長でした。光太郎、編入ということで、特に数学ではかなり苦労したようです。
いわゆる右脳型だったらしい光太郎、数学でも幾何の分野はましでしたが、代数の領域はお手上げだったとのこと(ちなみに当方もそのようで、その気持ちはよく分かります(笑))。他の機会には「高村の家には理系の地は一滴も流れていない」と負け惜しみ的な発言もしています(笑)。実弟の藤岡孟彦は植物学者になったのですが(笑)。