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先月発行の新刊コミックです。

歯のマンガ

2017/12/16 カトちゃんの花嫁著 小学館 定価690円+税

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「人生つらいけどサンバだし、つらく001なくてもサンバなのです。」

ツィッターにほぼ毎日更新され多くの人を癒しているかわいい二本?否、二人組の歯の日常を描いた『歯のマンガ』がついに書籍化!
グッズにもなった「つらくてもサンバ」「おまえ~」はもちろん「吊るツラ」「あけみちゃん」「幻の家族」「タニマチさん」など人気の高いエピソードを厳選し収録。
さらには、この本でしか読むことができない描き下ろしエピソード(3本合計40ページ超)を収録します。
歯はどこから来てどこへ行くのか…。本書を読めば、「歯」の謎が解ける!?


題名のまんま、「歯」が主人公のマンガです。女の子から抜け落ちた2本の「歯」(途中、3本目が登場しますが、また2本に戻ります(笑))が、なぜか人格を持ち、いろいろと行動します。

この設定だけでも十分に不条理、シュールだと思いますが、帯に印刷された推薦文には、そう評されるであろうことに釘を刺し、「不条理でもシュールでもない」とあります。ちなみにこの推薦文のご執筆は、J-POPユニット・ONIGAWARAの斎藤伸也さん。実在の人物でありながら、このマンガに登場されています。

元々、ツイッターで発信されていた四コマ漫画がメインですが、書籍化にあたり、3本の「長編」が加えられました。そのうちの1本が「智恵子抄」(全20ページ)。

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なぜか智恵子が登場し、主人公である2本の「歯」とともに、空を探しに行く、という流れです。いわずもがなですが、「あどけない話」(昭和3年=1928)をベースにしています。

このマンガは、四コマの場合でも、いわゆる「起承転結」のお約束を完全に無視する場合があり、この「智恵子抄」も、結局、オチがないまま終わっています。「起承転・転・転……」的な(笑)。

書きながら気づきましたが、かつてのつげ義春氏のマンガを彷彿とさせられました。ただし、つげ氏のそれに多く見られる尖った視点はあまりなく(少しあります)、つげ氏のそれに時折見られた温かみが目立ちます。そうした意味では、現在流行の「ユルい」「癒し系」といった評が当てはまるでしょう。そこで終わっていないところにこのマンガの凄さがありますが。


ぜひお買い求め下さい。



【折々のことば・光太郎】

如何なる時にも自然を観察せよ。自然に彫刻充満す。

散文「彫刻十個條」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

かつて帰国する荻原守衛に、同じようなことをロダンが言ったそうです。それを聞いたであろう光太郎も、自然を師として彫刻道に邁進する姿勢を明確にしました。いったいに、今日まで十日間にわたってご紹介し続けた「彫刻十個條」、光太郎編訳の「ロダンの言葉」(正編・大正5年=1916、続編・同9年=1920)の影響が色濃く見て取れます。

そして同じことは、有名な詩「道程」にも「僕の前に道はない」「ああ、自然よ/父よ」といった形で表されています。

今朝の新聞各紙に漫画家の谷口ジロー氏の訃報が出ました。

『朝日新聞』さんから。

漫画家の谷口ジローさん死去 「孤独のグルメ」

 「『坊っちゃん』の時代」や「孤001独のグルメ」などで知られる漫画家の谷口ジロー(たにぐち・じろー、本名谷口治郎〈たにぐち・じろう〉)さんが11日、多臓器不全で死去した。69歳だった。葬儀は家族だけで行う。
 鳥取市出身。19歳で上京し、漫画家のアシスタントを経てデビュー。92年に「犬を飼う」で小学館漫画賞、98年に作家の関川夏央さんと手がけた「『坊っちゃん』の時代」で手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。久住昌之さん原作の「孤独のグルメ」は、雑貨輸入商を営む男性が1人で食事を満喫する自由を描いて人気となり、テレビドラマ化された。
 海外でも評価され、11年に仏芸術文化勲章「シュバリエ」を受けた。
 「孤独のグルメ」の主人公を演じた俳優の松重豊さんはブログで、「原作のようにハンサムじゃなかったけれど、先生の作品に出られて光栄でした。心よりご冥福をお祈りいたします」とのコメントを出した。


代表作の一つ、「『坊ちゃん』の時代」は、全5部にわたる大作で、昭和62年(1987)から平成8年(1996)にかけ、双葉社さんの『漫画アクション』に連載されました。作家の関川夏央氏の原作、谷口氏の作画です。明治の文学者たち一人ずつを各部の主人公に据え、彼らを取り巻く人間群像を描いています。

ラインナップは以下の通り。 第1部が「「坊っちゃん」の時代」、主人公は夏目漱石。第2部に「秋の舞姫」で同じく森鷗外。第3部は「かの蒼空に」を石川啄木。第4部「明治流星雨」、これのみ文学者ではなく、幸徳秋水が主人公です。そして第5部の「不機嫌亭漱石」で再び夏目漱石。明治43年(1910)の「修善寺の大患」を以て、物語は完結。ほぼ明治後半を舞台としています。各部とも「凛冽たり近代 なお生彩あり明治人」をサブタイトルとしています。昨今の「文豪」ブームの火付け役とも言えるでしょう。これをNHKさんの大河ドラマの原作に、と推す声も根強くあり、当方も同感いたしております。

さて、以前にもご紹介しましたが、啄木を主人公とした第3部「かの蒼空に」には、智恵子が登場します。

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明治42年(1909)、市電の中で、啄木が平塚らいてうと智恵子に偶然出くわし、らいてうに向かって無遠慮に、前年、漱石門下の森田草平と起こした心中未遂について尋ねるというくだりです。失礼な啄木に智恵子の平手打ちが炸裂します。

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あくまでフィクションですが、あり得る話です。

さらに同じ第3部では、光太郎が海外留学から帰国する直前の「パンの会」が描かれ、出席者たちが光太郎の噂話をしています。

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光太郎智恵子のエピソードはこれだけですが、綺羅星の如き2人の周辺人物があまた登場、虚実織り交ぜて明治の人間ドラマが描かれます。関川氏の原作もさることながら、谷口氏の緻密かつ圧倒的な画力が光り、第1部刊行当時には、「漫画もここまできたか」と感心させられました。

第5部完結後、それで終わるのは非常に残念に感じ、「明治」を引きずり続けた「明治人」ということで、光太郎を主人公にした第6部を作ってくれないかな、などと思っていました。ある意味、関川氏は雑誌『婦人画報』さんに連載され、NHK出版さんから単行本化された「「一九〇五年」の彼ら」で、「『坊っちゃん』の時代」の補遺的に光太郎らを描いて下さいました。それを元に谷口氏の作画で新作を、と期待していましたが、それも叶わず谷口氏のご逝去……。

非常に残念ですが、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

歩いても、歩いても 惜しげもない大地 ふとつぱらの大地  歩いても、歩いても 天然は透明 しんそこわだかまるものもない

詩「歩いても」より 大正5年(1916) 光太郎34歳

大正5年(1916)といえば、漱石が歿した年です。同元年(1912)には、文展(文部省美術展覧会)への評を巡って、光太郎が漱石に喧嘩を売るような文章を発表しています。結局、「大人」だった漱石が黙殺する形で終わっていますが、その後、智恵子との結婚を経て、心の平安を得ていた光太郎も、もはや漱石には「しんそこわだかまるものもない」と感じていたのではないかと思われます。

本日も新刊紹介です。

月に吠えらんねえ(2)

清家雪子著 2014/10/23 講談社(アフタヌーンKC) 定価740円+税
 
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版元サイトから
□(シカク:詩歌句)街。そこは近代日本ぽくも幻想の、詩人たちが住まう架空の街。実在した詩人の自伝ではなく、萩原朔太郎や北原白秋らの作品から受けた印象をキャラクターとして創作された、詩人たちと近代日本の業と罪と狂気の物語。衝撃的な内容で話題の1巻に続き、近代日本の闇へ踏み込む第2巻登場!
 
帯文から
朔太郎、白秋、犀星らの作品から詩人キャラをクリエイト! 厖大な資料を下敷きに妄想全開、前から後から縦横無尽にやらかした、一線を越えた詩人漫画!
 
 
昨年10月に、講談社さんの『月刊アフタヌーン』で連載が始まり、今年4月に単行本の第1巻が刊行された話題作(先月発行された詩誌『詩と思想』10月号でも大きく紹介されました)の2巻目です。
 
主人公の「朔(萩原朔太郎)」を中心に、「白さん(北原白秋)」「ミヨシくん(三好達治)」「ミッチーくん(立原道造)」「チューヤくん(中原中也)」「犀(室生犀星)」などが紡ぎ出す幻想世界の物語です。
 
第六話「1945」では、第一巻にも出てきた白皙の「コタローくん」と「機動戦士ガンダム」のガンタンクのような「チエコさん」が再登場。突如起こった空襲のために「チエコさん」は大破してしまいます。しかし、この回で、「チエコさん」は「コタローくん」が作ったラジコンだと言うことが判明。実際の「智恵子さん」はもはや死んでいることも。
 
大破して回線がショートた「チエコさん」が、まるで戦時中のラジオのようにエンドレスでつぶやき続けるのは、「コタローくん」の詩。現実の光太郎としては昭和18年(1943)に書いた「戦に徹す」です。
 

いざといふ時気のそろふのは007
日のみ子を上(かみ)にいただくわれらがともの
幾千年来かはる事なき血のしるしだ。
いま米英の大軍を敵として東亜に戦ふ。
かの元寇の国難は物の数ならず、
まさに国つ初めの戦このかた
再び来りて三たびは敢えて来らざらん
八紘(あめのした)を清め祓ふの戦だ。
この戦を戦ふ時、
われらがとも一人(いちにん)と雖も悉く戦ひ、
悉く戦の場に立ち、
悉く戦の心にきはまり、
悉く日常坐臥の生活を戦に捧げざるはない。
国民の眼(まなこ)戦の一点に集まり、
国民の思ひ戦を焦点としてめぐる。
(略)
世界を奪はんとしてのぼせ上るは米英にして、
世界を清めんとするはわれらである。
この戦のいづれに神のみこころありや。
明々白々、われら断じて信ずる。
米英破る。008
世界健康の美かならず成る。
われらの手によつてかならず成る。
 
 
「コタローくん」はバグッた「チエコさん」を叩き壊します。すると、次の瞬間、なぜか海上に浮かんでいる「コタローくん」。やはりバックに彼の詩が。やはり現実の光太郎の作品としては、昭和22年(1947)に書かれた連作詩「暗愚小伝」の構想段階で書かれた「わが詩をよみて人死に就けり」です。
 
爆弾は私の内の前後左右に落ちた。
電線に女の大腿がぶらさがつた。
死はいつでもそこにあつた。
死の恐怖から私自身を救ふために
「必死の時」を必死になつて私は書いた。
その詩を戦地の同胞がよんだ。
人はそれをよんで死に立ち向かつた。
その詩を毎日読みかへすと家郷へ書き送つた
潜行艇の艇長はやがて艇と共に死んだ。
 
やがて「コタローくん」の前に現れる「チエコ」。こちらはラジコンの「チエコさん」ではなく、生身。ただし、もはやこの世の者ではない、幻です。
 
幻の「チエコ」のセリフが、以下の通りです。

ねえコタロー015
私と同じね
狂うしかなかったのね
片田舎でひっそり暮らしていたお姫様が…
突然目覚め
膨張した
身の丈に合わない自我を
小っちゃな無垢な体に抱えきれず
ぱあんと弾けてしまったのね
 
 
ともに「壊れ」てしまった智恵子と光太郎が、よく表現されています。
 
ところで、現実の光太郎はがっしりした体躯なのに、「コタローくん」は、なよっとした青びょうたんのような風貌です。第一巻の段階では、この理由が分かりませんでしたが、どうやら白皙の「コタローくん」は、「死の恐怖から私自身を救ふために/「必死の時」を必死になつて私は書いた。」という戦時中の光太郎の痛々しい自我を象徴しているのではないかと気がつきました。ものすごい伏線ですね。
 
ちなみに「必死の時」という詩は以下の通り。昭和16年(1941)の作品です。画像は詩集『大いなる日に』(昭和17年=1942)から採りました。
 
 必死にあり。
 その時人きよくしてつよく、012
 その時こころ洋洋としてゆたかなのは
 われら民族のならひである。
 
 人は死をいそがねど
 死は前方から迫る。
 死を滅すの道ただ必死あるのみ。
 必死は絶体絶命にして
 そこに生死を絶つ。
 必死は狡知の醜をふみにじつて
 素朴にして当然なる大道をひらく。
 天体は必死の理によって分秒をたがえず、
 窓前の茶の花は葉かげに白く、
 卓上の一枚の桐の葉は黄に枯れて、
 天然の必死のいさぎよさを私に囁く。
 安きを偸むものにまどひあり、
 死を免れんとするものに虚勢あり。013
 一切を必死に委(ゐ)するもの、
 一切を現有に於て見ざるもの、
 一歩は一歩をすてて
 つひに無窮にいたるもの、
 かくの如きもの大なり。
 生れて必死の世にあふはよきかな、
 人その鍛錬によつて死に勝ち、
 人その極限の日常によつてまことに生く。
 未練を捨てよ、
 おもはくを恥ぢよ、
 皮肉と駄々をやめよ。
 そはすべて閑日月なり。
 われら現実の歴史に呼吸するもの、
 今必死のときにあひて、
 生死の区区たる我慾に生きんや。
 心空しきもの満ち、
 思い専らなるもの精緻なり。
 必死の境に美はあまねく、
 烈々として芳しきもの、
 しずもりて光をたたふるもの
 その境にただよふ。
 
 ああ必死にあり。
 その時人きよくしてつよく、
 その時こころ洋々としてゆたかなのは
 われら民族のならひである。
 
この詩について、光太郎自身、「死の恐怖から私自身を救ふために/「必死の時」を必死になつて私は書いた。」と書いているのです。

ちなみに「書いた」は、時期的に考えて「制作した」という意味ではなく「人から頼まれて「書」として揮毫した」という意味だと思われます。実際、そういうことがありました。
 
そうした事情も知らないヘイトスピーチ大好きな幼稚な右翼が、「格調高い名詩」などと絶賛しています。もっと勉強しろよと言いたくなりますね。
 
 
さて、「月に吠えらんねえ」。一巻ともども、ぜひお買い求めを。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月18日
 
昭和27年(1952)の今日、光太郎の実弟で鋳金の人間国宝となった豊周の初めての個展が、日本橋三越で開幕しました。

講談社さんから刊行されているコミック誌に『月刊アフタヌーン』という雑誌があります。
 
現在、11月号が発売中。この号からの新連載ということで、清家雪子さん作「月に吠えらんねえ」が巻頭カラーで掲載されています。
 
サブタイトルが「近代詩歌俳句幻想譚」。最初に前書き的に以下の文言が。
 
このお話の登場人物は000
近代詩歌俳句の
各作品から受けた印象を
キャラクター化したものです
各作家自身のエピソードも
含まれますが
それも印象を掬(すく)い取った
ものであって
実在の人物 団体等とは一切
関係ありません
 
過激な表現も多々含まれますが
作品世界に真摯に向き合った
結果であることを
ご理解くださいますよう
お願いするとともに
各作家の方々に
深く敬意を表します
 
「月に吠えらんねえ」という題名でおわかりでしょうが、主人公は萩原朔太郎です。
 
第一回のその他の登場人物は北原白秋、中原中也、三好達治、正岡子規、室生犀星、西脇順三郎、大手拓次、尾崎放哉、若山牧水、石川啄木、草野心平……。
 
この錚々たるメンバーが架空の都市「近代□(シカク=詩歌句)街」で織りなす幻想的な世界が描かれています。
 
一昔前に、近代文士をリアルに描いたコミックがいろいろありましたが(関川夏央/谷口ジロー『坊っちゃんの時代』シリーズ、古山寛/ほんまりう『事件簿』シリーズなど)、それらとは一線を画しています。
 
何しろ主人公の朔太郎は真性の屍体愛好者、中原中也は盗んだバイクで走り出し、草野心平にいたっては人間ではなく蛙です。
 
そして登場人物の台詞に光太郎智恵子の名が出、最後に光太郎詩「あなたはだんだんきれいになる」(昭和2年=1927)をバックに夜空に現れる全裸の巨大美女……。
 
前衛演劇を思わせる、シュールな世界です。しかし単なる悪ふざけでなく、「詩歌」と「小説」の間で揺れ動く犀星とか、引きこもりになった大手拓次とか、それぞれの登場人物についてさもありなんという設定がされています。
 
同誌は毎月25日発売だそうですので、もう次の号が出てしまいます。お早めに書店まで。
 
【今日は何の日・光太郎】 10月20日

明治43年(1910)の今日、上野精養軒で開かれた、美術新報社主催の新帰朝洋画家の会合に出席しました。

新刊紹介です。といっても、1ヶ月ほど経ってしまっていますが。 

『梅酒』

幸田真希 マックガーデン 2012年12月30日 定価571円+税

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帯に書かれたコピーから。
 
元書店員激賞!! 「私はこんな漫画が売りたかった!!」

所在なく夜の町に佇む少女・ゆえに声をかけたのは、ごく平凡な公務員・古畑。
けれど古畑と過ごす穏やかな時間は、ゆえにとってかけがえのないものとなっていった。
「私、古畑さんと、どうなりたいんだろう…」――。
俊英の贈る珠玉の短編集。

『月刊コミックアヴァルス』という雑誌に掲載された短編集です。表題作「梅酒」が、『智恵子抄』に収められている「梅酒」をモチーフにしています。向田邦子さんの短編小説にでも出てきそうな話です。
 
「たった一つの詩が…別れの悲しみについて綴ったものが、ずっと後に新しい出会いを生むことがあるんだ。それってすごい。」というセリフがなかなかいいと思いました。
 
  梅酒001
 
 死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒は
 十年の重みにどんより澱んで光を葆み、
 いま琥珀の杯に凝つて玉のやうだ。
 ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
 これをあがつてくださいと、
 おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
 おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
 もうぢき駄目になると思ふ悲に
 智恵子は身のまはりの始末をした。
 七年の狂気は死んで終つた。
 厨に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを
 わたしはしづかにしづかに味はふ。
 狂瀾怒濤の世界の叫も
 この一瞬を犯しがたい。
 あはれな一個の生命を正視する時、
 世界はただこれを遠巻にする。
 夜風も絶えた。
 
【今日は何の日・光太郎】2月1日

明治21年(1888)の今日、智恵子のすぐ下の妹、セキが誕生しました。

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