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静岡から朗読系のイベントです。

SPAC秋のシーズン開幕直前☆『舞台は夢』の前夜祭

日   時 : 2015年9月21日(月祝) start 19:00 (open 18:30)
会   場 : スノドカフェ七間町 (静岡市葵区七間町7-8)
参 加 費 : 1,000円(ワンドリンク付き)
申し込み  : 
 SPACチケットセンター(TEL.054-202-3399 受付時間:10:00~18:00)
 スノドカフェ七間町 (TEL.054-260-6173 受付時間:11:00 - 21:00/水曜定休)
 
◆ 『智恵子抄』リーディング
前夜祭に来ていただいたお客様に感謝を込めた、エキストラおもてなし企画! 「この『舞台は夢』が5年ぶりのセリフ劇なんです(笑)」と話す寺内が牧山とともにお贈りする、高村光太郎『智恵子抄』の朗読パフォーマンス!・・・これは必聴です。

プロフィール
◆牧山祐大
『わが町』、『マハーバーラタ』、『ハムレット』など多くのSPAC作品で幅広い役をこなす、遊撃手タイプのSPAC俳優。
☆ひとこと☆
「朝のコーヒーは譲れない!豆から挽いて、ドリップします。おすすめのコーヒー豆があったら教えてください!」
◆寺内亜矢子
フランスから参加のパリジェンヌ。SPACでは『マハーバーラタ』『天守物語』の演奏チーフ、『盲点たち』の無言ムーブメントなど、喋らないことを得意とする特殊女優。
☆ひとこと☆
「葉野菜主食の草食動物ですが、静岡の美味しいおそばも大好物!美味しい地酒があれば言うことなし。ただいまお店を開拓中!」

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SPAC」というのは、静岡県舞台芸術センター(Shizuoka Performing Arts Center)の略だそうです。舞台芸術を創造・上演するための専門家集団を擁し、静岡芸術劇場などを拠点にした演劇等の公演の他、海外を含め、各地に出張公演も行っているとのこと。

そのSPACさんの次回公演が、フランスの俳優・演出家、フレデリック・フィスバック演出による「舞台は夢」。その前夜祭、というのが上記イベントです。

「舞台は夢」に関わるトーク、レクチャーの他に、出演俳優さんによる「智恵子抄」の朗読があるというわけです。「舞台は夢」と「智恵子抄」には直接の関係はなさそうなのですが……。

こういう機会を通し、若い皆さんが光太郎智恵子の世界に興味を持つきっかけとなってくれればいいと思います。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月8日001

昭和17年(1942)の今日、冨山房から佐藤隆房著『宮澤賢治』が刊行されました。

無題背の文字は光太郎の揮毫です。

佐藤隆房は宮澤賢治の主治医。賢治の詩「S博士に」(昭和7年=1932)のモデルだそうです。

賢治つながりで、昭和20年(1945)に空襲で東京のアトリエを失った光太郎を花巻に招くのに一役買いました。
 
花巻到着後にすぐ高熱を発して倒れた光太郎を看護したり、終戦直後の短期間、光太郎を自宅に住まわせたりもしています。その後も足かけ8年岩手で暮らした光太郎と深い交流を続けました。光太郎歿後も花巻に財団法人高村記念会を立ち上げ、初代理事長を務めています。

同書はロングセラーとしていまだ版を重ねています。ただ、光太郎の揮毫が依然として使われているかどうかは存じません。

演劇の公演情報です。

テレビドラマ「北の国から」などを手がけた倉本聰氏の「ノクターン―夜想曲(2015)  -Nocturne 2015-」という舞台ですが、すでに全国各地で公演が行われています。東日本大震災による福島の原発被害を扱ったものですが、光太郎詩「あどけない話」が劇中で使われているそうです。

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倉本氏が原発事故に題を採った脚本を書かれていることは存じていましたが、光太郎詩が使われていることは存じませんで、紹介が遅れました。申し訳ありません。

ノクターン―夜想曲(2015)  -Nocturne 2015-

スタッフ  作・演出/倉本聰  音楽/倉田信雄  美術/横島憲夫
出  演     富良野GROUP
あらすじ
東日本大震災から数年後。原発事故避難区域となった海に程近い一軒家に、津波で二人の娘を亡くした中年の男 と同僚を亡くした新聞記者が入り込む。原発事故以来、時が止まったままのその家にあるのはほこりをかぶったピアノ、そして、地震で倒れた3体のピエロの彫刻。
二人はその家で、同じように津波で父親を亡くした彫刻家の女と出会う。


福島の地元紙『福島民友』さんから。 

県内5会場で演劇「ノクターン―夜想曲」

 福島民友新聞社は、創刊120周年記念事業として脚本家・劇作家倉本聰氏の作・演出による演劇「ノクターン―夜想曲」の公演を2015年、県内5会場で主催する。
劇は震災、原発事故で甚大な被害を受けた相双地域が舞台。家族の死など心に深い傷を負った被災者の苦悩や葛藤、放射線の影響に直面する姿を、被災地・福島で取材を重ねた倉本氏が書き下ろした。

 演劇「ノクターン―夜想曲」は福島民友新聞創刊120周年記念事業として、3月に県内4会場で上演される。各会場ともに前売り券の残券はわずかとなっている。問い合わせは福島民友新聞社「ノクターン」係(電話024・523・1248、平日午前10時~午後5時)へ。公演日程次の通り。
3月1日・會津風雅堂(午後2時)▽3月3日・郡山市民文化センター(同6時30分)▽3月5日・いわき芸術文化交流館「アリオス」(同6時30分)▽3月7日・県文化センター(同2時)
 

■問い合わせ 福島民友新聞社創刊120周年記念事業推進委員会  (電話024・523・1248)
■南相馬会場
 【主催】公益財団法人南相馬市文化振興事業団、福島民友新聞社
■会津若松、郡山、いわき、福島会場
  【主催】福島民友新聞社
  【共催】公益財団法人会津若松文化振興財団、郡山市教育委員会、いわき芸術文化交流館アリオス、公益財団法人福島県文化振興財団
■企画・制作 フラノ・クリエイティブ・シンジケート(F.C.S.)

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福島以外もふくめた全公演は以下の通りです。だいぶ終わってしまっています。申し訳ありません。

1月
10日(土)~18日(日) 北海道 富良野市富良野演劇工場
21日(水)                     士別市 あさひサンライズホール
23日(金)                     札幌市 教育文化会館大ホール
25日(日)                     美唄市 市民会館
27日(火)                     北見市 芸術文化ホール
30日(金)                     岩手県 西和賀町文化創造館
2月
1日 (日)       福島県 南相馬市市民文化会館
4日 (水)~8日(日)
   東京都 新国立劇場小劇場
10日(火)         岡山県 津山市文化センター
12日(木)       倉敷市 芸文館
14日(土)       大阪府 富田林市すばるホール
16日(月)       山口県 周南市文化会館
18日(水)        広島県 廿日市市はつかいち文化ホール
20日(金)・21日(土) 愛知県 名古屋市愛知県産業労働センター
23日(月)       三重県 鈴鹿市市民会館
25日(水)       静岡県 磐田市市民文化会館
27日(金)        裾野市市民文化センター
3月
1日 (日)        福島県 会津若松市會津風雅堂
3日 (火)        郡山市市民文化センター
5日 (木)        いわき市芸術文化交流館アリオス
7日 (土)        福島市福島県文化センター
10日(火)       北海道 七飯町文化センター
12日(木)        鷹栖町たかすメロディホール
14日(土)                        幕別町百年記念ホール

光太郎詩以外に、福島県南相馬在住の詩人・若松丈太郎氏の作品がモチーフとして使われているとのことです。

とりいそぎ、ご紹介いたしました。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月23日

昭和24年(1949)の今日、出版社・養徳社から森於菟著『森鷗外』の寄贈を受けました。

於菟は鷗外の長男です。

劇作家・平田オリザさん率いる劇団青年団さんの舞台「暗愚小伝」、東京公演が昨秋行われましたが、西日本に巡回です。兵庫県伊丹市と、香川県善通寺市で、ほぼ連続して行われます。 

青年団第73回公演 『暗愚小傳』伊丹・善通寺公演

伊丹公演 2015年1月16日(金)- 1月19日(月) 5ステージ
AI・HALL(伊丹市立演劇ホール) 兵庫県伊丹市伊丹2-4-1 

善通寺公演 2015年1月22日(木)- 1日24日(土) 3ステージ
四国学院大学ノトススタジオ 香川県善通寺市文京町3-2-1
 
作・演出:平田オリザ
高村光太郎と智恵子の生活を素材に、変わりえぬ日常を縦軸に、文学者の戦争協力の問題を横軸に、詩人の守ろうとしたものを独特の作劇で淡々と描く・・・。平田オリザ90年代初期の名作、10年ぶり、三回目の再演。

出演
山内健司 松田弘子 永井秀樹 川隅奈保子 能島瑞穂 堀 夏子 森内美由紀 木引優子 伊藤 毅 井上みなみ 折原アキラ 佐藤 滋
 
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一昨日の『毎日新聞』さんの大阪夕刊に伊丹公演の紹介記事が載りました。  

暗愚小傳:高村光太郎描く、平田オリザ初期作

毎日新聞 2015年01月08日 大阪夕刊
 劇作家の平田オリザが率いる劇団「青年団」が、平田の初期の代表作「暗愚小傳(あんぐしょうでん)」(平田演出)を16〜19日、兵庫県伊丹市のアイホールで上演する。
 10年ぶり3度目の再演。舞台は、詩人の高村光太郎(1883〜1956)と妻が暮らす自宅アトリエ。新婚時代、智恵子の発病、智恵子の死と戦争、戦後の隠遁(いんとん)−−の4場面を通して高村の等身大の生活を描く。平田は「高い知性を持つ詩人が、なぜ戦争詩を書いてしまったのか。20代の時からそれを考えていて書いた戯曲」と言う。5回公演。3000円、学生・65歳以上2000円、高校生以下1500円。同ホール(072・782・2000)。【畑律江】
 
 
西日本のみなさん、ぜひどうぞ。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月10日
 
平成10年(1998)の今日、二玄社から『高村光太郎 美に生きる』が刊行されました。
 
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版元サイトから
 
光太郎の生涯を、形成、反逆、美に生きる、生命の大河の4章に分け、その彫刻、デッサン、書など主要な美術作品の写真と、詩文、評論などから選りすぐった文章で浮き彫りにする、画期的画文集。明治、大正、昭和の三代を生き抜いた、巨人の足跡。
 
現在でも新刊で入手できます。定価は2,800円+税です。
 
故・高村規氏撮影の写真をふんだんに使い、主に造形作家としての光太郎の生涯を俯瞰するものです。いつもながらに北川太一先生の解説「美を追う人」が見事です。
 
ちなみに当方、今日は東京本郷にて、北川太一先生を囲む新年会に行って参ります。

東京は練馬から演劇公演の情報です。 

微笑企画第4弾「一人芝居 人に~智恵子抄より~」

 時 : 2014年12月24日(水) 18:30開場 19:00開演
 場 : 江古田 兎亭 東京都練馬区旭丘1-46-15金健ビルB1
 員 : 20名(先着)
 金 : チケット 1500円 プラス、飲み物とお食事のオーダーをお願いします。
      (飲み物300円~、お食事200円~ご用意してます。)

一人芝居ということだそうで、演じるのは、微笑企画主宰・井餘田笑子さん。
 
早速、申し込みました。クリスマスイヴですが当方には関係ありません(笑)。
 
その前々日の12月22日は、光太郎智恵子の結婚記念日です。このブログで何度か記述しましたが、ちょうど100年前、大正3年(1914)のこの日、上野精養軒にて二人の結婚披露宴が催されました。親族の他に光太郎恩師の東京美術学校長・正木直彦、同教授・藤島武二、さらに与謝野鉄幹・晶子夫妻、田村松魚・俊子夫妻、そして実質的に二人を結びつけた柳敬助・八重夫妻らが参列しました。
 
二人の結婚披露100周年に花を添える舞台であって欲しいな、と思います。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月14日
 
昭和27年(1952)の今日、『週刊朝日』に「おろかなる都 光太郎東京を叱る」が掲載されました。
 
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この年、十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)制作のため、足かけ8年にわたる岩手での生活を切り上げて上京した光太郎が、久しぶりに見た東京を嘆いています。
 
曰く、「東京の街は、実に汚ないと思う。乱雑で秩序がない。」「建築では、屋根の美が貴重なものなのに、形、色、それに屋根と屋根の組合わせが何とも言えずブザマな気がする。」「空地であれば、どこでもかまわず、勝手な大きさのものを、どんどん建てるというのでは、仕方がない。野蛮だと思う。」「“東京”といつても何もないではないか。ただ、もの珍しい文化のカケラが、尖つたガラスの破片が散らばつているように、そこらにあるだけで、私は、そうしたモノにはぶつかるが、“空気”を感ずることができない。
 
耳が痛くなりますね。
 
ただし、光太郎、「東京で感心するのは、生ビールと食い物のうまいことだ。」と、「食」に関しては東京をほめ、帰京後はずいぶん食べ歩きをしていました。
 
ちなみに掲載誌『週刊朝日』のこの号の表紙がこちら。
 
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石川滋彦の描いた東京駅丸の内口風景です。赤煉瓦の駅舎や、丸ビル、東京中央郵便局などが見えますね。先程、大正3年(1914)12月22日が光太郎智恵子結婚披露100周年、と書きましたが、その2日前の12月20日に、東京駅が開業しました。

お父さまが光太郎と面識がおありだったこともあり、連翹忌にもよくご参加下さっている渡辺えりさん率いる劇団「おふぃす3○○(さんじゅうまる)」さんの公演です。
 
2012年、下北沢の座・高円寺での初演以来の再演、今回は全国11ヶ所を巡回します。 
【盛岡】10月19日(日)         盛岡劇場メインホール  14時
【東京】10月23日(木)~28日(火)シアター・トラム
【石巻】11月1日(土)         石巻特設会場  時間未定
【兵庫】11月3日(月・祝)       兵庫県立芸術文化センター・阪急中ホール  17時
【石川】11月5日(水)         北國新聞赤羽ホール   19時
【山口】11月8日(土)・9(日)      山口情報芸術センター 8日(土)14時 / 9日(日)14時
【宮崎】11月11日(火)          三股町立文化会館ホール  19時
【愛知】11月24日(月・休)        長久手市文化の家・森のホール  18時
【福島】11月27日(木)          南相馬市民文化会館  19時
【宮城】11月28日(金)          日立システムズホール仙台・シアターホール 19時
【山形】11月30日(日)          シベールアリーナ 13時/17時
 
作・演出 渡辺えり
 
キャスト 大沢 健 大和田美帆 土屋良太 谷川昭一朗 宇梶剛士 大塚加奈子 有賀太朗 藤本沙紀
      川口龍 十倉彩子 渡辺えり 他
 
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教師時代の宮澤賢治を主人公に、理想と現実のはざまで苦悩・葛藤する姿が描かれています。そんな賢治を温かく見守る弟の清六や妹のトシ、逆に非難・嘲笑する人々、そして賢治を取り巻く「イーハトーヴ」の大自然とのからみなどが、猫の大群を擁した幻想的な賢治童話に乗せて展開されます。渡辺さんは賢治童話「貝の火」に出てくる子ウサギ、宇梶剛士さんはなんと岩手山の役もなさいます(笑)。
 
こちらは一昨年の公演のパンフレットです。
 
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光太郎は登場しませんが、ストーリーの中で何度も「高村光太郎先生」として語られます。
 
山形出身の渡辺さんは、東北への強い思い入れをお持ちのようで、この「天使猫」、そして光太郎を主人公とした「月にぬれた手」を、東北で上演したいと、常々おっしゃっていました。そこで、今回、初日は盛岡ですし、千秋楽は山形。宮城や福島での公演もあります。
 
各会場、盛況となることを祈念いたします。
 
また、「月にぬれた手」の東北公演も実現してほしいものです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月3日
 
昭和10年(1935)の今日、中原綾子の詩集『悪魔の貞操』が刊行されました。
 
光太郎が題字と序詩「「悪魔の貞操」に題す」を書きました。002
 
   「悪魔の貞操」に題す
 
 心法の高圧を放電するもの、
 思ひもかけぬ交互無縁の片言隻語、
 言語道断の真空界にひらめくものは、
 千古測りがたい人間真理。
 すさまじいかな此書。
 
原題は「「悪魔の貞操」に寄す」でしたが、のち、雑誌に再録された際に改題されました。
 
はじめ、光太郎は序詩として、『智恵子抄』にも収められた「人生遠視」を中原に送りましたが、中原側からのクレームで変更になりました。
 
   人生遠視
 
 足もとから鳥がたつ
 自分の妻が狂気する
 自分の着物がぼろになる
 照尺距離三千メートル
 ああこの鉄砲は長すぎる
 
たしかにこんな詩を送られても困りますね。
 
この年二月の中原宛の書簡にはこのように記されています。
 
先日お送りした短詩について発表の御心配をうけ、小生まるで気がつかなかつた事なので成程と思ひました、
(略)
智恵子が全快でもしたあとでそれを見たら変なものだらうとも考へました、何となしに懸念のあるものを折角のあなたの詩集のあたまに印刷するのもいかがと思ひますから、此は撤回いたします、 そのうち何かお送りいたします、
 
この時期は、ちょうど智恵子を南品川のゼームス坂病院に入院させた時期で、光太郎は確かに大変な時期でした。智恵子の狂躁状態、それに伴う自分の苦労などを、中原に宛てた複数の書簡に書いています。それにしても、他人の詩集の序詩に「自分の妻が狂気する」はいくらなんでも……と思います。そうした当たり前のことに考えが至らないほど、光太郎も追い詰められていたのかも知れません。

女優の松本典子さんの訃報が各種メディアに出ました。

松本典子さん死去

松本 典子さん(まつもと・のりこ=俳優、劇作家000清水邦夫さんの妻、本名清水和子〈しみず・かずこ〉)26日、間質性肺炎で死去、78歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は夫邦夫さん。連絡先は彩の国さいたま芸術劇場(048・858・5500)。
 東京生まれ。59年劇団民芸に入団。「にんじん」「三人姉妹」などに主演。76年、夫らと演劇企画グループ「木冬社」を結成。「楽屋」「夢去りて、オルフェ」など多くの清水戯曲で、硬質な強さの中に悲しみをたたえた女性像を切れ味鋭いせりふ術で演じ、演出も手掛けた。「タンゴ・冬の終わりに」などで87年芸術選奨文部大臣賞。79年、84年の2回、紀伊国屋演劇賞個人賞を受けた。
 
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松本さん、平成3年(1991)に、木冬社の舞台「哄笑―智恵子、ゼームス坂病院にて―」で智恵子役を演じられました。001
 
作・演出はご主人の清水邦夫氏。光太郎役は小林勝也さんでした。
 
同4年(1992)には清水氏の『清水邦夫全仕事 1981~1991』(河出書房新社・絶版)に脚本が載り、その翌年には再演もされています。
 
右の画像が初演パンフレット、下が再演パンフレットです。
 
時に昭和11年(1936)、智恵子が入院していた南品川のゼームス坂病院裏の教会(おそらく架空)を舞台に、虚と実がないまぜになった不思議なドラマです。
 
当方、この舞台は観ておりません。再々演を期待していたのですが、残念です。
 
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月30日

大正2年(1913)の今日、福島・会津東山温泉から、光雲らに宛てて絵葉書を出しました。
 
この際、光太郎が逗留していたのは、現在も続く老舗の宿・新滝。明治初年には、かの新選組副長・土方歳三もここで傷を癒しました。
 
現在判明している送り先は光雲、編集者の前田晁、親友で作家の水野葉舟、歌人で編集者の内藤鋠策。まだ他にもあるかも知れません。

気がつけば1月も明日で終わりです。そこで、来月行われるイベントをご紹介します。 
 
岩手は盛岡での演劇公演です。

宮沢賢治没後80年記念事業・畑中美耶子『モリーオ童話館』100回記念事業 第12回おでってリージョナル劇場  「泣きビッチョ光太郎」~昭和21年の星めぐり~

作:上田次郎 演出:坂田裕一、中村一二三 作曲:田口友善  
      
~あらすじ~      
時代は、昭和20年戦争末期から戦後。宮沢家に疎開していた高村光太郎を中心に、賢治を慕う大勢の人々が、「雨ニモマケズ」の教科書改ざん騒動を足がかりに、歌あり踊りありのドタバタな楽しい舞台を繰り広げる。      
      
【会 期】 平成26年2月21日(金)~平成26年2月23日(日) ◆4回公演      
                ①2/21(金)開場18:30 開演19:00
                ②2/22(土)開場13:30 開演14:00
                ③2/22(土)開場18:00 開演18:30
                ④2/23(日)開場13:30 開演14:00      
【会 場】 プラザおでって 3階おでってホール (盛岡市中ノ橋通1-1-10)
【入場料】 (前売)大人1,500円 大学生以下1,000円
        (当日)大人1,800円 大学生以下1,300円 (期日指定・全席自由)
【主 催】 盛岡市・公益財団法人盛岡観光コンベンション協会      
【提 携】 いわてアートサポートセンター      
【後 援】 岩手日報社、NHK盛岡放送局、IBC岩手放送、テレビ岩手、めんこいテレビ、 
      岩手朝日テレビ、エフエム岩手、岩手ケーブルテレビジョン、
      朝日新聞盛岡総局、
毎日新聞盛岡支局、読売新聞盛岡支局、
      産経新聞盛岡支局、盛岡タイムス社、 河北
新報社盛岡総局、岩手日日新聞社、
      ラヂオもりおか、月刊アキュート、 マ・シェリ、
情報誌游悠      
【プレイガイド】 プラザおでって、盛岡市民文化ホール、 盛岡劇場、都南文化会館、
         カワトク      
【お問い合わせ】 (公財)盛岡観光コンベンション協会 企画管理部 019-604-3300
 
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「泣きビッチョ」とは「泣き虫」といった意味でしょうか。
 
主演? の畑中美耶子さんという方は、盛岡で宮澤賢治作品の朗読等に取り組まれている方です。
 
明日詳しく紹介しますが、同じプラザおでって内の「盛岡てがみ館」さんでは、25日から「第43回企画展 高村光太郎と岩手の人」が開催されます。日程が重なっていればgoodだったのですが……。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月30日

昭和4年(1929)の今日、萬里閣書房から「光雲懐古談」が刊行されました。
 
光太郎の父・光雲が語った自己の半生、同時代の美術界の様相などをまとめたものです。
 
前半は「昔ばなし」。後書きによれば、大正11年(1922)に光太郎の朋友・田村松魚が、光太郎とともに光太郎アトリエや光雲邸で懐古談を聞き、それを筆録したとあります。
 
後半は「想華篇」。やはり光雲が、美術界の社交機関「国華倶楽部」で語った内容や、雑誌に発表された談話などの集成です。
 
前半の「昔ばなし」の部分のみ、その後何度も版を改めて刊行されています。
 
オリジナル萬里閣書房版の題字は光太郎、装幀は豊周。幕末から明治にかけての、当時の美術界の様子や、それにとどまらず、世相、江戸の街の様子などなど、多岐にわたる内容で、非常に貴重な回想です。また、光雲の軽妙洒脱な語り口も優れています。
 
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さて、前半の「昔ばなし」編。先述のとおり、後書きによれば、大正11年に光太郎の朋友・田村松魚が、光太郎とともに光雲の懐古談を聞き、それを筆録したとのこと。他に同席者は居なかったそうです。
 
その後再刊された各種の版についている解説等、すべてこれを鵜呑みにしていますが、どうも事実とは異なる部分があるようです。
 
『光雲懐古談』にさかのぼる昭和2年(1927)に春陽堂から刊行された『漫談明治初年』という書籍があります。「同好史談会」という団体の編纂ということになっていますが、中心は市島春城。春城による「はしがき」には以下のような記述があります。
 
 吾等は近年十数の同人と同好史談会と云ふを設け、折々会して維新当時の事につき互ひに知ることを語り合ひ、往々他から故老を招待してその談話を聴き、時には会員を諸方に派して故老の談話を筆記せしめたりして、其筆記が今は漸く積んで堆を為すに至つた。(略)春陽堂主人聞きつけてぜひ出版せよと勧めらるゝので、先づ明治十年頃までのものを選んで刊行することにした。
 
この『漫談明治初年』の中に、光雲の談話筆録も多数収録されているのですが、『光雲懐古談』の昔話と重複しています。部分によっては「国醇会講話」という説明も見えます。「国醇会」とは日蓮宗の運動家・田中智学を中心とする会でした。
 
光太郎アトリエや光雲邸で、田村と光太郎のみが聴いたはずの談話と、一字一句違わない談話が2年前に刊行された『漫談明治初年』に載っており、しかもそれが国醇会で語ったという説明がある。どう考えても矛盾していますね。
 
田村が光雲の懐古談を聞いて筆録したのはおそらく事実でしょう。しかし、刊行にあたって、田村が聴いた以外の談話も使用されていると考えるのが自然だと思います。あるいは『漫談明治初年』に収録されているのとほぼ同じ内容の話を聴いた田村が、それなら『漫談明治初年』に書かれている部分をそっくり引用してしまえ、と考えたのかも知れません。
 
または田村も「同好史談会」の構成員で、光雲に話を聴くのは会の事業だったのかもしれません。
 
いずれにせよ、「『光雲懐古談』の「昔ばなし」編は、田村松魚が、光太郎とともに光太郎アトリエや光雲邸で懐古談を聞き、それを筆録したものである」と断言するのは危険ですのでよろしくお願いします。

今朝の『朝日新聞』千葉版に以下の記事が載りました。
 
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一昨年、福島県立県立あさか開成高校演劇部さんにより、「第一章」が渋谷、横浜で上演されました。「ほんとの空」ということで、光太郎の「あどけない話」がモチーフに使われていました。


 
それが反響を呼び、漫画化もされ、日本文教出版さんのサイト内で電子ブックとして配信されています。
 
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今回は「第二章」ということで、光太郎智恵子より草野心平をモチーフにしているようです。
 
以下、『朝日新聞』デジタル版から。

福島県立光南高等学校演劇部公演 福島の高校生の生の声を聴く

3・11-福島第一原発の事故。目に見えずとも、放射性物質は確実にそこにあるという現実の中、口に出せない生徒たちの声をつむいだ芝居「この空は、ほんとの空ってことでいいですか?」が誕生。この公演は、2012年に東京、神奈川で上演され話題を呼んだ第一作の「第二章」。草野心平の詩「ごびらっふの独白」を引用し、夕焼け空の向こうに明日を見出す物語。上演後のトークを通して、高校生たちの「今」の思いに寄り添う。

 
もうすぐ震災から3年。しかし、まだまだ東北は復興途上です。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月8日

昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村山口の山小屋を訪ねてきた小学校の教師4人の持参した詩集『典型』にサインをしました。
 
『高村光太郎全集』第13巻所収の日記です。
 
一月八日 月
朝晴 午后雪 稍温 ねてゐ(る)うち黒沢尻より斎藤充司氏他4人の小学教師遊びにくる、豚鍋をつくりて食事。ジン酒一本もらふ。皆「典型」持参。署名。
 
『典型』は前年秋に刊行された詩集です。

演劇公演の情報です。 

チエコ

期 日 : 2013/10/02(水) ~ 10/07(月)  10/09(水)~ 10/14(月)
会 場 : 両国・エアースタジオ   東京都墨田区両国2丁目18-7 ハイツ両国駅前 地下1階
時 間 : 10/02(水) ~   10/09(水)~
料 金 : 3,000円
 
出演
五十里直子、清水知世、西田啓佑、平岡美保、古川原香織、音崎結映、小森毅典、畑野菜々、入江悠、木村ゆめこ、SHUN、芹沢結海子、日高翔太、吉野家菊之介
脚本・演出 野口麻衣子
主催 劇団空感エンジン
 
高村光太郎のアトリエ。高村光太郎と姪の春子が暮らしている。草野心平・中原綾子がアトリエを訪ねてくる。光太郎の亡くなった妻・智恵子への詩集『智恵子抄』を作る相談に乗ってもらう為に二人を呼んだのだ。智恵子との思い出を話しながら過去へと回想する。
 
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出演者の方々のブログ等


「中原綾子」は第二期『明星』に依った歌人・詩人017。そうした関係で光太郎と知遇を得、のちに自ら主宰した雑誌『いづかし』や『スバル』、自身の詩集『悪魔の貞操』に、光太郎の寄稿を受けています。
 
それより有名なのは、昭和31年(1956)6月に発行された『婦人公論』の光太郎追悼特集の中で、昭和9年(1934)から翌年にかけての光太郎書簡を発表したことです。智恵子の統合失調症が昂じて九十九里から連れ帰り、ゼームス坂病院に入院させた頃のもので、当時の智恵子の様子が克明に記されています。
 
ここまで詳しい智恵子の病状の描写が他に見つかっていないため、この書簡群は現在でも研究者の間ではよく利用されています。
 
ところで、光太郎と綾子の間を怪しむ説もあります。智恵子の病状を記した書簡が他の誰にも送られていない(であろう)こと、他にもいろいろと光太郎が便宜を図ってあげていること、この時期に綾子が離婚していること、綾子が流行の言い方をすれば「美人過ぎる」歌人だったこと(右下の画像参照)などがその理由です。
 
さらに書簡にある「あなたの御親切を実にありかたく思ひます。あなたの同情は私に絶大の力を添へてくれます」「あなたの慰めがどんなに私の力になつてゐるか知れません」といった部分が深読みされてもいるようです。
 
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やはり演劇で、野田秀樹作・大竹しのぶ主演の「売り言葉」(平成14年=2002)には、智恵子のこんな台詞があります。
 
その間、光太郎は、女流詩人と文通を始めたのであります。智恵子の全く見知らぬ女性に、智恵子の悲しい姿を書き送ったのであります。東京市民よ! しかも、光太郎に同情したその女流詩人から送られた見舞いの林檎を智恵子は食べさせられたのであります。
 
林檎うんぬんは、先の『婦人公論』に載った光太郎書簡に記述があります。
 
しかし、だからといって光太郎と綾子の間を怪しむのはどうでしょうか。あまりに材料が少なすぎますので。
 
まあ、創作作品やエッセイなら許されることだと思います。しかし、「論文」としてそう書いてしまっては駄目ですね。
 
もっとも、エラいセンセイ方の「論文」も、実に噴飯ものの内容だったりすることが多く、いかにも「研究実績」として「論文」を書かなければいけないから苦し紛れに書いているんだろうな、というものが多いのが現状ですが。
 
話がどんどんそれましたが、劇団空間エンジンさんの「チエコ」、公演期間が長いので都合がつきまして、観に行くことに致しました。また観終わったらレポートいたします。
 
【今日は何の日・光太郎】 9月21日

昭和8年(1933)の今日、宮澤賢治が歿しました。
 
光太郎は賢治の原稿等が散逸するのをおそれ、金を工面して草野心平を花巻に派遣しました。結局、賢治の弟の清六がきちんと管理をしてくれていて、取り越し苦労でしたが、宮澤家ではこの配慮に感激したそうです。
 
光太郎と賢治についてはいずれまた書くことがあるでしょう。

イベント情報です。

朗読劇「レモン哀歌」

期 日 : 2013年4月14日(日)
会 場 : めぐろパーシモンホール(小ホール) 東京都目黒区八雲1-1-1
      TEL:03-5701-2924 東急東横線・都立大学駅より徒歩7分
時 間 : 開場/19:00 開演/19:15
料 金 : 
¥2,500(全席自由/前売り・当日共)
 
出演:雨宮裕樹、金久保茉由、戸村健太郎、中村マリ、舟津大空
 
高村光太郎とその妻智恵子の生涯と、明治から昭和にかけて残された文学作品、芸術作品を題材に、有名な『智恵子妙』など詩の朗読も取り入れた作品です。

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出演者の方のブログがこちら
 


ところで、この手のイベント情報などは気をつけないといけない、と思いました。
 
過日、薪能「智恵子抄」が開かれる旨、御紹介しましたが、地元の方からご指摘があり、見つけたインターネットサイトが数年前のものだとのこと。たしかにどこにも「2013年」と書いてありませんでした。こういうこともあるんですね。曜日が一緒だったので、すっかり今年と思ってしまいました。



【今日は何の日・光太郎】4月11日

明治36年(1903)の今日、智恵子が日本女子大学校普通予科に入学しました。

昨日に引き続き、イベント情報です。
 
たまたまネットで情報を得ました。広島の劇団・天辺塔さんの公演です。 

アステールプラザ芸術劇場シリーズ [レジデンスコレクション]天辺塔本公演「売り言葉」「赤鬼」

作:野田秀樹  演出:中村房絵

2013年4月26日(金)19時~『赤鬼』
 〃 4月27日(土)14時~『売り言葉』    19時~『赤鬼』
 〃 4月28日(日)11時~『売り言葉』    15時~『赤鬼』

場所 アステールプラザ多目的スタジオ(広島市中区加古町4-17)

料金 2300円(当日:2800円) 2公演通し券:4000円
2公演通し券は天辺塔事務局(&天辺塔メンバー、出演者)のみの扱いです。ご希望の方はそれぞれの公演の日時をご指定ください。*日時指定・全席自由・消費税込み、未就学児の入場不可

出演 「売り言葉」 船木めぐみ  「赤鬼」 恋塚祐子、新名基浩、村田遼太郎、武田宜裕(INAGO-DX)

若手演出家コンクール2012優秀賞受賞の中村房絵が、野田秀樹作品に挑む本作。「売り言葉」「赤鬼」と2作品連続上演。「売り言葉」は、天辺塔看板女優【船木めぐみ】の久々の本格復帰となる一人芝居。“怪物女優”の異名を取る彼女の演技にご注目を!! 「赤鬼」は、再演のリクエストが高かった作品。客演に劇作家としてもめざましい活躍をみせる【武田宜裕】を迎え、演出・キャストも新たにお贈りします。中村房絵ワールドを是非ご堪能下さい!!

チケット取り扱い
 *天辺塔事務局 08030507565  teppentoe2000@softbank.ne.jp
 *エディオン広島本店プレイガイド
 *アステールプラザ TEL:082-244-8000 FAX:082-246-5808
 *CoRich(こりっち)舞台芸術!【オンライン予約】
主催:天辺塔/(財)広島市未来都市創造財団 アステールプラザ
 
 
演劇「売り言葉」。野田秀樹さん作の、智恵子を主人公とした一人芝居です。2002年に大竹しのぶさんの出演、野田さんの演出で公演が行われました。翌年に新潮社から出版された野田さんの脚本集『二十一世紀最初の戯曲集』に収められ、その後、全国のアマチュア劇団等でも取り上げられ続けています。
 
当方、大竹しのぶさんが演じたもののテレビ放映を見ましたが、徐々に壊れていく智恵子の内面がよく表されているなと感じました。
 
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お近くの方、ぜひ足をお運びください。
 
【今日は何の日・光太郎】4月9日

昭和51年(1976)の今日、白樺派の仲間だった武者小路実篤が亡くなりました。

光太郎と武者小路との交友は晩年まで続き、武者小路は昭和31年(1956)の光太郎の葬儀では葬儀委員長を務めました。

国会図書館での調査で、面白い資料を発見しました。
 
昭和25年(1950)11月3日の『山形新聞』に載った記事です。
 
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『高村光太郎全集』別巻の年譜に依れば、この年10月30日から11月3日まで光太郎は山形を訪れています。講演会を2回行った他、山形県総合美術展覧会の評、この評は11/1~3の同じ『山形新聞』に掲載されている事が以前から判っており、『高村光太郎全集』第19巻に収録されています。
 
さて、今回発見した記事は、その山形を訪れていた光太郎の元に、東京から舞踊家の藤間節子が訪ねてきた、というものです。
 
藤間節子(後に黛節子と改名)は、大正10年(1921)生まれの舞踊家。昭和24年(1949)、帝国劇場にて『智恵子抄』をモチーフにした舞踊を制作、発表しました。『智恵子抄』がこの手の舞台芸術で取り上げられた嚆矢です。翌年には再演も為されています。
 
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『山形新聞』の記事によれば、構想したのは昭和18年。戦時中や戦後すぐの混乱期という時代背景もあったのでしょうか、すぐには実現しませんでした。そのあたりを受け、この記事には光太郎は次の談話を載せています。
 
藤間さんは一生懸命であるということは立派なことです、この人ならと私は自分の作品の舞踊化をゆるしたのですが、それから七年間もかかつて振付けを作り上げたというまじめさにはうたれます
 
さらに記事には藤間から光太郎にレコードが贈られ、早速、「試聴会」が開かれたとの記述もあります。「ヴィクター版レコード『千鳥と遊ぶ智恵子』ほか二曲」となっていますが、こうしたレコードの存在は把握して居らず、今後、調査してみます。
 
ただ、前年の帝国劇場でのリサイタルのプログラムによれば、小村三千三(みちぞう)作曲とした上で、

 A 浜辺…………千鳥とたわむれる智恵子
 B ひたむき……智恵子のひたむきな苦悶、憧れ、そして沈思
 C 切紙細工……童心にかえつた智恵子の住む世界は

との解説があり、三つの舞踊から為っていたことがわかります。おそらく、この伴奏音楽をレコード化したものと考えられます。
 
また、12月1日に藤間に宛てて書かれた書簡が『高村光太郎全集』第15巻に収められていますが、そちらにもこのレコードに関する話が載っています。以前にこれを読んだ時は、意味がよくわからなかったのですが、今回の記事で疑問が氷解しました。
 
こういう具合に、新しく発見した資料が、以前から判明していた資料の謎解きの鍵になるということが、時々あります。そういう時は非常に嬉しいものですね。

一昨日観て参りました渡辺えりさん率いる劇団おふぃす3○○(さんじゅうまる)の舞台、「月にぬれた手」と「天使猫」、会場の座・高円寺ロビーで売られていた資料を紹介します。 

「月にぬれた手」「天使猫」パンフレット

A4判36ページの厚いもので、内容も盛りだくさんです。各出演者のプロフィールや一言のページには直筆サイン入りです。
その他、以下の文章が載っており、大変興味深く拝読致しました。
 鵜山仁「再演にあたって」
 北川太一「高村光太郎のたどった道」
 「光太郎、ある日」北川太一さんの日記から
 渡辺正治「昭和20年4月10日光太郎先生との一期一会」(以前紹介した『月刊絵手紙』に載った文章とほぼ同一です)
 「月にぬれた手」出演者トーク「高村光太郎のアトリエを訪ねて…。」
 内河啓介「岩手旅行記」
 宮澤和樹「高村光太郎先生と宮澤賢治」
 安斉重夫「宮澤賢治の作品の魅力を鉄で表す」
 渡辺えり「東北の地の感情」


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雑誌『悲劇喜劇』第64巻第6号

2011,6 早川書房

演劇専門誌です。「月にぬれた手」のシナリオ全文が掲載されています。

当方、昨年、渡辺さんから直接いただきました。

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牛田守彦著 ぶんしん出版 

先日の「徹子の部屋」をレポートした時のブログにも載せましたが、光太郎と親交のあった渡辺さんのお父様・正治氏(中島飛行機-現・富士重工=自動車のスバルのメーカーです-に動員されていました)の体験が書かれています。帯にはえりさんの推薦文。

「月にぬれた手」にはえりさんのご両親をモデルにした登場人物もいて、ほぼ正確に光太郎とのエピソードが使われています。

それ以外にも悲惨な空襲の実態が豊富な写真や表などを使って語られており、こうした記憶を風化させまいとする筆者の熱意が伝わってきます。

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昨日のテレビ朝日系「徹子の部屋」、ゲストは渡辺えりさんでした。貴重なお話がたくさん聞けました。
 
今年87歳になられる渡辺さんのお父様は光太郎と面識があり、お父様が光太郎と出会った時のエピソードをご紹介、光太郎署名入りの『道程 再訂版』や、光太郎からの葉書をご持参、黒柳さんも興味深そうでした。
 
お父様と光太郎にまつわるエピソードは、以下の書籍・雑誌に記述があります。 

 中央公論社 平成15年(2003) 渡辺えり子(美輪明宏さんの勧めで改名する前の渡辺さんです)

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ちなみに当方の持っている『思い入れ歌謡劇場』に、渡辺さんにサインをしていただきました。 

月刊絵手紙2003年6月号通巻90号003

日本絵手紙協会 平成15年(2003)
 
渡辺正治氏(お父様です)の「昭和20年4月10日光太郎先生との一期一会」2ページ。先の『道程』や葉書の画像も掲載されています。

ただ、ちょっと古い雑誌でして、ざっとネットで探した範囲ではバックナンバーも完売してしまって販売されていないようです。入手には古書市場だのみとなりますね。

 
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こちらの書簡については、平成18年(2006)高村光太郎記念会発行の『光太郎遺珠』北川太一・小山弘明編にも掲載させていただいております。『光太郎遺珠』とは何か? また後ほどのブログで紹介いたします。 

牛田守彦著 ぶんしん出版 平成23年(2011)

昨日の「徹子の部屋」オンエアで紹介されたものですが、当方、こちらの書籍は存じませんでした。早速購入しようと思います。 
 
また、今月17日から公演が始まる舞台、光太郎・智恵子を描いた『月にぬれた手』、宮澤賢治が主人公の『天使猫』についてもお話がありました。当方、5/26(土)のチケットを購入、2本立てで見に行って参ります。
 
今日は夜7:30~8:00、NHKBSプレミアムの「きらり!えん旅」で、由紀さおりさんが二本松を訪れた模様が放映されます。再放送は5/16(水)午前11:00~11:30、5/17(木)午後3:30~4:00です。

いろいろなところで光太郎、智恵子が取り上げられ、嬉しい限りです。この流れを途切らせないようにしたいものです。
 
また、明日5/11(金)、地上波テレビ東京系11時35分~12時30分、大人の極上ゆるり旅「岩手・花巻温泉郷/中伊豆・名湯巡り」が放映されます。元「わらべ」の高橋真美さんと、温泉エッセイストの山崎まゆみさんが、光太郎も時折滞在した花巻・鉛温泉を訪れます。

この番組、一回の収録で何回かに分けてオンエアされるようで、4/27の放映は、同じお二人が、やはり光太郎が愛した花巻・大澤温泉と花巻温泉を訪れた模様でした。この回では、宮澤賢治に関しては詳しく取り上げていましたが、光太郎の話は出てきませんでした(背景に光太郎の揮毫した書が映りましたが)。今回の鉛温泉はどうでしょうか? 

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