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一昨日、『徳島新聞』さんの一面コラムに光太郎智恵子が引用されました。

鳴潮 12月20日付

 智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ-。沖縄の人は言う。沖縄には空が無い、米軍機の落ちぬ空が見たいと言う
 重大事故から1週間足らず。大破した機体の回収も終わらないのに、在沖縄米軍は新型輸送機オスプレイの飛行を全面的に再開させた。日本政府も米軍の対応を「理解できる」と容認した
 事故があれば、運用再開より原因究明が優先される。これがこの国の常識だと思っていた。買いかぶりだったようである。沖縄県知事は不信感もあらわに言う。「政府などもう相手にできない」
  配備計画も事故の検証も「日米地位協定の下、政府が手も足も出せない国家」。米軍の言いなり、まるで植民地。その姿を全国民に見てもらいたい、と知事。在沖縄米軍トップは、住民に被害がなかったことを挙げ「操縦士に感謝せよ」と言ってはばからない。一体、誰の空か
 防衛相は言う。「米側の対応は合理性がある。配備が抑止力向上につながる」。沖縄の反発をよそに、政府はオスプレイ擁護に躍起だ。一体、どこを向いて仕事をしているのか
 高村光太郎著「智恵子抄 あどけない話」から-智恵子は遠くを見ながら言ふ。阿多多羅山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ-。沖縄にほんとの空が戻るのはいつか。情けない空の話である。

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今月13日、沖縄・名護市の海岸に米軍の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが「墜落」した事故、さらには日本政府が同機の運用再開を容認したことを受けての内容です。

手厳しい論調ですが、一貫して正論ですね。ステレオタイプの反応しかできない幼稚なネトウヨどもは、「これを書いたのは中韓の工作員か」などとのたまうのでしょうが(笑)。

東日本大震災に伴う原発メルトダウンで福島の「ほんとの空」が失われましたが、「ほんとの空」が失われているのは沖縄も同様ですね。

「ほんとの空」の語が、こういった警句として使用されるこの国の矛盾に満ちた現状、泉下の光太郎智恵子も嘆いているのではないでしょうか。「情けない空の話」はもうたくさんだ、と。


【折々の歌と句・光太郎】

わが胸に常によき矛とよき楯と対ひてあればい行きかねつも
明治39年(1906) 光太郎24歳

米国留学中の作。

若き日の光太郎も、己の内面に大いなる矛盾を抱え、「い行きかね」=進むに進めない、という状況でした。おそらくは幼い頃から叩き込まれた江戸の仏師の価値観と、広い世界の美術界の潮流とのギャップに、そろそろ眼を開かされつつあったことが背景にあるように思えます。それが決定的になるのは、もう少し後、米英で約1年ずつを過ごし、パリに移ってからのことです。

人として、大いなる矛盾に悩みつつも、進むべき道を探求し続けた求道者・光太郎。国としてもそうあるべきですね。

沖縄の地方紙『八重山毎日新聞』さんの社説です。 

新空港の悪夢再現避けよ

自衛隊配備で利益誘導の八重山建産連
 
■「琉球決戦」想起させる訓示
 航空自衛隊は1月31日、尖閣諸島などの防衛強化のため、那覇基地に51年ぶりと言われる航空団「第9師団」を新たに編成し、F15戦闘機部隊2隊(40機)を配備した。式典では若宮健嗣防衛副大臣が「国防の最前線という地域・任務に真摯(しんし)に向き合うことで、領土、領海、領空を確実に守り抜くことが可能となる」と訓示した。
 若宮防衛副大臣の訓示は、詩人高村光太郎が沖縄戦の最中に書いた「琉球決戦」を想起させる。高村は「琉球や、まことに日本の頸動脈、万事ここにかかり万端ここに経路す。琉球を守れ、琉球に於いて勝て。全日本の全日本人よ。琉球のために全力をあげよ。敵すでに犠牲惜しまず、これ吾が神機の到来成り。全日本の日本人よ、起って琉球に血液を送れ」と記している。
 高村の「日本の頸動脈」と若宮防衛副大臣の「訓示」は同一基盤に立つものであろう。「血液」は送られず、沖縄県民の普天間基地の県外移設も、どこも受け入れない。沖縄は犠牲を強いられるだけだ。
 石垣市の自衛隊配備計画の賛成反対の運動も活発化している。基地建設予定地の三公民館が反対を表明し、防衛局の説明会も拒否した。
■市議会議長は軽率な行動慎め
 これに対し建設関連10団体で構成する八重山建設産業団体連合会(黒嶋克史会長)が防衛省を訪ね、「外国船の領海侵犯対応、災害時における対応への期待」を表明。①水源地の増設②海水の淡水化施設③浄水場整備水産資源の開発④産業廃棄物処理場の建設⑤川平半島周回道路の建設⑥各地区災害時避難場所などの6項目を要望したという。
 防衛省に要望したのは自衛隊誘致を前提とした「特定防衛施設周辺整備交付金」を狙ってのことであろう。「防衛施設の設置または運用により生じている影響の軽減などを図るため、特定防衛施設関連市町村が行う公共施設の整備、またはその他の環境の改善、開発の円滑な実施に寄与する事業に対し、交付金を交付することにより、関係住民の生活の安定および福祉の向上に寄与することを目的とする」(防衛省平成25年行政事業レビューシート) 防衛省への要望が自衛隊の宣撫工作に沿った誘致活動であるのは一目瞭然であろう。要望には知念辰憲市議ら2人も同行した。「石垣市自治基本条例」第2項は「議員は市民全体の代表者としての品位と責務を忘れずに、常に市民全体の福利を念頭におき行動しなければならない」とある。知念議員は議長である。島を二分する重大な問題で軽率な行動は慎むべきだ。
■市の「情報が不足」は疑問
 1月27日「八重山大地会」が自衛隊配備計画の情報公開を求めたのに対し、漢那副市長は「市役所としても情報が足りず、判断の段階ではない」と述べている。中山市長は昨年6月、配備先選定で調査に協力すると述べ、沖縄防衛局の森部長は「詳細は市の担当者と調整して行いたい」と語った。市の協力なくして選定はできなかったはずだ。説明に疑問を感じる。
 防衛省は三公民館の反対を受け、配備先候補地周辺や市民の理解と協力が得られるよう適切な情報提供に努めたいと述べている。
 新石垣空港建設で白保公民館が二分し住民が激しい対立した悪夢の再現があってはならない。三公民館の意見を尊重し、静かな生活環境のためにも石垣市への自衛隊配備計画は断念すべきだ。
2016年02月06日


引用されている光太郎詩「琉球決戦」は、昭和20年(1945)4月1日作。翌日の『朝日新聞』に掲載されました。当時は『朝日新聞』ですら、国策協力の最先鋒という立ち位置でした。

  琉球決戦

神聖オモロ草子の国琉球、
つひに大東亜戦最大の決戦場となる。
敵は獅子の一撃を期して総力を集め、
この珠玉の島うるはしの山原谷茶(さんばるたんちや)、
万座毛(まんざまう)の緑野(りよくや)、梯伍(でいご)の花の紅(くれなゐ)に、
あらゆる暴力を傾け注がんずる。
琉球やまことに日本の頸動脈、002
万事ここにかかり万端ここに経絡す。
琉球を守れ、琉球に於て勝て。
全日本の全日本人よ、
琉球のために全力をあげよ。
敵すでに犠牲を惜しまず、
これ吾が新機の到来なり。
全日本の全日本人よ、
起つて琉球に血液を送れ。
ああ恩納(おんな)ナビの末孫熱血の同胞等よ、
蒲葵(くば)の葉かげに身を伏して
弾雨を凌ぎ兵火を抑へ、
猛然出でて賊敵を誅戮し尽せよ


数ある光太郎の翼賛詩―負の遺産―のうち、負のベクトルの最たるものの一つです。

この詩の書かれた4月1日、まさにその日に米軍は沖縄本島に上陸、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されます。「起つて琉球に血液を送れ。」とばかりに、無謀な海上特攻を仕掛けた戦艦大和は7日には沖縄にたどり着くことなく撃沈。その後、沖縄戦では約20万人の日本人犠牲者が出ました。そのうちの約3分の2は沖縄の人々でした。

終戦後も永らく占領が続き、現在に至っても在日米軍基地の7割以上は沖縄に集中。普天間基地の移設問題、オスプレイの配備問題など、問題は山積しています。

それに加えて自衛隊の基地も存在。ただし、石垣島を含む八重山諸島には、自衛隊基地はないとのことです。しかし、ここにきて誘致の計画が浮上。それが一概に悪いとは言いません。人工衛星の打ち上げと称する事実上の大陸間弾道ミサイルをぶっ放す国がすぐ近くにあるなど、防衛の必要上、不可欠なのかも知れません。でも、有事の際に真っ先に攻撃目標にされるのは米軍や自衛隊の基地ですね。また、誘致の裏に利権目当ての胡乱な輩の影もあるようです。

大戦中、ある意味、軍の尻馬に乗って翼賛詩を乱発し続けた光太郎は、沖縄戦真っ最中の4月13日の空襲で、亡き智恵子と共に過ごした思い出深い東京のアトリエを失います。手痛いしっぺ返しを喰らったようなものですね。

現在の我が国も、手痛いしっぺ返しを喰わないようにしていきたいものだと思います。


【折々の歌と句・光太郎】

高きものいやしきをうつあめつちの神いくさなり勝たざらめやも
昭和19年(1944) 光太郎62歳

負の遺産ついでに、戦時中の作品です。結局、うたれたのは「いやしき」日本の軍閥でした。

今日、6月23日は、「沖縄慰霊の日」です。

太平洋戦争末期であった昭和20年(1945)、3月から始まった住民を巻き込んでの沖縄戦で、組織的な戦闘が終結したのが6月23日。それが由来です。

この戦闘による犠牲者は日米英あわせて約20万人。他の局地戦と異なり、戦闘に巻き込まれたり、集団自決をしたりで、多数の民間人が犠牲になっています。

さて、昨日の沖縄の地方紙『沖縄タイムス』に掲載された一面コラムです。

大弦小弦

2015年6月22日

名護市の私設博物館「民俗資料博物館」が1945年の新聞、365日分を展示している。沖縄戦の記録として、館長の眞嘉比朝政さん(78)が8年かけて集めた
▼新聞は全て本土から。壕で発行された沖縄新報は5月25日で途絶え、戦火でほぼ失われたからだ。眞嘉比さんは「沖縄以外の新聞社の記事で沖縄戦が分かるのは皮肉」と言う
▼色あせた新聞を手に取ると、本土の視点が分かる。沖縄本島に米軍が上陸した直後の4月3日。朝日新聞は高村光太郎の詩「琉球決戦」を掲載した。「琉球やまことに日本の頸(けい)動脈」「琉球を守れ、琉球に於(おい)て勝て」と、抗戦を訴える
▼軍部は負け戦を重々承知だった。敗北が迫った6月15日、毎日新聞は鈴木貫太郎首相の会見を報じる。「私は沖縄を天王山としていない」「あまり沖縄のみを強調して国民の意志を弱めることは好まぬ」と手のひらを返した
▼組織的戦闘が終わった26日。北海道新聞の社説は「沖縄の戦いによって稼いだ『時』はわが本土の防衛態勢を強化せしめ」と、捨て石作戦の性格を露骨に書いた。結局、「本土決戦」はなかった
▼沖縄は昭和天皇の「メッセージ」で米国に差し出され、日本復帰後も基地を背負い続ける。原点である慰霊の日が巡ってくる。70年。かくも長く終わらない不正義を、誰が想像できただろうか。(阿部岳)

016引用されている「琉球決戦」、手許の資料によれば『朝日新聞』への発表は4月2日。『沖縄タイムス』さんでは3日となっていますが、東京版でない版で、1日遅れの掲載という可能性が考えられます。

全文はこうです。

   琉球決戦

 神聖オモロ草子の国琉球、
 つひに大東亜最大の決戦場となる。
 敵は獅子の一撃を期して総力を集め、
 この珠玉の島うるはしの山原谷茶(さんばるたんちや)、
 万座毛(まんざまう)の緑野(りよくや)、梯伍(でいご)の花の紅(くれなゐ)に、
 あらゆる暴力を傾け注がんずる。017
 琉球やまことに日本の頸動脈、
 万事ここにかかり万端ここに経絡す。
 琉球を守れ、琉球に於て勝て。
 全日本の全日本人よ、
 琉球のために全力をあげよ。
 敵すでに犠牲を惜しまず、
 これ吾が神機の到来なり。
 全日本の全日本人よ、
 起つて琉球に血液を送れ。
 ああ恩納(おんな)ナビの末裔熱血の同胞等よ、
 蒲葵(くば)の葉かげに身を伏して
 弾雨を凌ぎ兵火を抑へ、
 猛然出でて賊敵を誅戮し尽せよ。


戦後の今だから言えるのかも知れませんが、何をか言わんや、の感がぬぐえません。「全日本の全日本人よ、琉球のために全力をあげよ。」「全日本の全日本人よ、起つて琉球に血液を送れ。」。そんな余裕がどこにあったというのでしょうか。

戦艦「大和」による沖縄特攻が行われたのはこの詩が発表された5日後の4月7日。なるほど、「起つて琉球に血液を送れ」の実行かも知れません。しかし、米軍に制空権を奪われ、航空機部隊の援護もない中での鈍重な艦艇の出撃など、失敗に終わるのは目に見えています。それでも実行したのは「玉砕」の二文字の持つ魔力、とでもいいましょうか、「生きて虜囚の辱を受けず」の精神でしょうか。上層部はそれでいいのかも知れませんが、巻き添えにされる下々の兵卒はたまったものではありません。

そして沖縄でも多数の民間人犠牲者。どこが「吾が神機の到来なり」だったのでしょうか。


こうした愚にもつかない空虚な戦争協力詩を乱発し、多くの前途有為な若者に「命を捧げよ」と鼓舞し続けたことを恥じ、かつ反省し、戦後の光太郎は岩手の不自由な山中に「自己流謫(じこるたく)」の毎日を送る決断をしました。「流謫」は「流刑」に同じ。公的に戦犯として処されることのなかった光太郎は、自分で自分を罰することにしたわけです。

しかし、沖縄戦の実態などは、GHQによる報道管制などの影響もあり、戦後になっても一般国民には余り知らされませんでした。昭和25年(1950)には有名な石野径一郎の小説『ひめゆりの塔』が刊行されましたが、光太郎、これを読んだ形跡がありません。もし読んでいたら、自作の「琉球決戦」と併せ、どのような感想を持ったか、興味深いところです。


ところで、今日行われる沖縄全戦没者追悼式に、集団的自衛権とやらの濫用を目論み、普天間基地移設問題では知事を門前払いにしたあの人も出席するのですね。「弾雨を凌ぎ兵火を抑へ、/猛然出でて賊敵を誅戮し尽せよ。」という国にするのが目標としか思えないのですが。
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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 6月23日

昭和48年(1973)の今日、岩波書店から三田博雄著 『山の思想史』 が刊行されました。

当方も寄稿させていただいた山岳雑誌『岳人』さんに連載されたものに加筆修正し、「岩波新書」の一冊として刊行。北村透谷、志賀重昂、木暮理太郎ら、山を愛した近代知識人を取り上げています。

光太郎の項では、青年期に訪れた赤城山と上高地、智恵子の故郷・福島の安達太良山、そして戦後の花巻郊外の太田村での山居について紹介しています。

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