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新刊、というより復刊書籍の情報です。 

人権からみた文学の世界【大正篇】

2015/2/6 ゴマブックス   川端俊英著   定価1,200円+税

森鴎外「雁」、夏目漱石「こゝろ」、宮本百合子「貧しき人々の群」……。
大正期につむぎだされた名作のなかから人権に関わる問題に着目し、その時代の断面を検証。
現代を生きる私たちの自己点検にもつながる問いを投げかける良書。著者の慧眼が光る解説も味わい深い。無題

目次
まえがき――大正期と高村光太郎
第一章 森鴎外「雁」の世界
第二章 夏目漱石「こゝろ」の世界
第三章 宮本百合子「貧しき人々の群」の世界
第四章 吉田絃二郎「清作の妻」の世界
第五章 岩野泡鳴「部落の娘」の世界
第六章 永井荷風「花火」の世界
第七章 芥川龍之介「侏儒の言葉」の世界
第八章 秋田雨雀「骸骨の舞跳」の世界
あとがき
大正期略年表

というわけで、光太郎を含め、9人の文学者の作品から、大正時代の人権意識にスポットを当てた論考です。光太郎は「まえがき」で扱われていますが、他の作家と違い、ある特定の作品を取り上げての論ではなく、「道程」や「牛」、「ぼろぼろな駝鳥」といった複数の詩からのアプローチなので、そうなっているという感じです。そして光太郎論を枕に、「大正」という時代の光芒を追う展開です。

白樺派の人道主義、プロレタリヤ文学対ファシズム、ドメスティックな問題、同和問題などからの観点で、非常に読みごたえがあります。

もともとは平成10年(1998)に、部落問題研究所から刊行されたもので、版元をゴマブックスさんに移し、さらにオンデマンド(注文を受けてから印刷、製本するシステム)での復刊です。といっても、注文して翌日には届きます。ただ、造本としてはどうしてもペーパーバックになるようです。変にかさばらない、価格が安いという点では、ハードカバーより良いと思います。

ゴマブックスさん、前身のごま書房時代には新書版の「ごまブックス」が売りだったと記憶していますが、最近は電子書籍系に力を入れているようで、その延長でオンデマンドも手がけているように感じます。

今後、こういう形がどんどん広がっていきそうな気がします。特にこういう埋もれた名著的なものは、大手の出版社がどんどん版権を手に入れ、復刊させていただきたいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 3月12日008

昭和27年(1952)の今日、花巻郊外太田村の山小屋で、編集者・野末亀治に宛てて葉書を書きました。

 小包を又々頂戴、オレンヂをたくさんありがたく存じました。その中にヅボンを発見、これ又大いに役立ちますので大喜びです。今冬は厳寒が続きましたので先年いただいた台湾のキヨウとかいふ獣の毛皮をチヤンチヤンコの下に着るやうにしましたら大変凌ぎ易く感じました。
 小生今冬は栄養状態去年よりもよろしく、雪を冒して温泉にも二三度まゐりました。
 御礼まで。

「台湾のキヨウとかいふ獣」は、おそらく鹿の一種の「キョン」です。光太郎は他にも村人に貰ったカモシカの毛皮などを愛用していました。

猟銃でも持たせれば、マタギのようですね(笑)。とても日本を代表する彫刻家・詩人には見えません(笑)。

一昨日、中野鷺ノ宮で、「語り同人《じゃがいも》001」主宰の麦人氏による「一人語り『智恵子とゐふ女』」に行く前、午前中から国立国会図書館に行っておりました。
 
調べ物が主目的でしたが、現在、企画展示「あの人の直筆」が開催されていますので、まずそちらを拝観しました。
 
会場が新館一階とのことで、いつものように本館2階の入り口から入り、新館へ。階段で一階に下りました。しかし、会場に繋がるはずの通路が「関係者以外他通行禁止」になっていました。職員の方に訊いたところ、一度、二階の新館出口を出ないと会場に入れないとのことでした。
 
考えて見れば、企画展示だけ見に来る方のためにそうしているのでしょう。通常の利用で館内に入るには、入館証が必要で、最初に入館証を発行してもらうには面倒な手続きが必要になりますので。
 
下記は簡易図録。A5判15頁で、ありがたいことに無料でした(入場も無料です)。ネットで公開されているよりも詳細な出品目録ももらえます。
 
さて、会場へ。
 
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最初に特別展示ということで、細川ガラシャの書簡。下記は図録から採りましたが、現在は別の書簡が並んでいます。
 
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その後、おおむね時代順にいろいろな「直筆」が展示されていました。事前の告知で目玉として紹介されていた坂本龍馬や中岡晋太郎、高杉晋作などの前には結構人だかりができていました。
 
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時間があればじっくり観たのですが、あくまで調べ物がメインですので、ほとんど横目で見ながら、事前の告知で、光太郎の名があった、ほぼ最後の「署名」コーナーへ。
 
光太郎の「署名」は、昭和17年(1942)刊行の詩集『大いなる日に』でした。見返しに「美は力なり 高村光太郎 昭和十七年七月」と毛筆で識語署名。落款も押してあります。
 
署名として同館が集めたものではなく、たまたま所蔵しているものに署名が入っている、という感じのようです。実際、展示品の多くが、他の通常の所蔵品同様の扱いで、館内のPCを使ってデジタルデータとして見られます。そうなると、真贋の鑑定はどうなっているのかと少し心配になりましたが、大きなお世話でしょうか。
 

その後、主目的の調べ物。000
 
光太郎作品の集成-『高村光太郎全集』に漏れている作品の発掘が、当方の研究のメインです。一昨日は、新聞記事の中で、短い談話を二つ見つけて参りました。いずれ公にします。
 
一つは戦時中のもので、ヘイトスピーチ大好きな右翼(一昨日も議事堂周辺でマイクを持って演説していました。足を止める人もいませんでしたが)が泣いて喜びそうな内容です。こうした「負の遺産」もなかったことにせず、正しく集成せねばなりません。
 
また、当方の刊行している冊子『光太郎資料』執筆のための情報収集も行って参りました。こちらも主に戦時中で、光太郎の詩の中には、数は少ないのですが、歌曲の歌詞として作られたものがあり、それらがどのような経緯で作曲され、公にされたかといった部分が十分に解明されていません。こちらも「負の遺産」的な側面が強いのですが、そのあたりに光を当てることも重要だと考えています。
 
今、調べているのは昭和16年(1941)に作られた「新穀感謝の歌」。信時潔の作曲で独唱歌曲や合唱曲になったり、能の二世観世喜之が謡曲として節附をしたりしています。そのあたりの事情もだいぶわかってきました。こちらもいずれ公にします。
 
さて、企画展示「あの人の直筆」。今月18日までです。ぜひ足をお運びください。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月7日
 
大正14年(1925)の今日、宮城県志田郡荒雄村(現・大崎市)で、光雲の代作「青沼彦治銅像」の落成式が行われました。
 
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像自体は戦時中の金属供出で現存しません。現在は台座と、除幕当時の石の銘板、戦後新たに作られたレリーフが残っています。
 
高さ八尺。これほどの大作は光太郎にしては稀有で、この後、これに近いサイズで作られたのは、四半世紀を経た戦後の「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」です。

新刊です。少し前に『朝日新聞』さんに載った書評を読んで購入しようと思い、取り寄せました。 
佐滝剛弘著 平成25年6月20日 勁草書房刊 定価2400円+税
 
明治41年。日本で最初に発刊された日本史の辞典には、実に1万を超える人々の予約が入っていた。文人、政治家、実業家、教育者、市井の人々……。彼らはなぜ初任給よりも高価な本を購入しようとしたのか? それらは今どこに、どのように眠っているのか? 老舗旅館の蔵で見つかった「予約者芳名録」が紡ぐ、知られざる本の熱い物語。(勁草書房さんサイトより)

 
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『国史大辞典』とは、明治41年(1909)に刊行された2冊組の辞書で、その名の通り歴史上の人物や項目が五十音順に配された、当時としては斬新かつ豪華なものでした。版元は現在も続く歴史関係出版社の吉川弘文館。戦後にはさらに全17巻で刊行されました。
 
発行前には各種新聞等に広告が大きく出、「予約購入」という手法がとられたとのこと。
 
著者の佐滝氏、群馬県のとある旅館に泊まった際に、この『国史大辞典』の「予約者芳名録」という冊子をみせてもらったそうです。後に分かるのですが、この「予約者芳名録」自体が非常に珍しいもので、ほとんど現存が確認できないとのことです。
 
「予約者芳名録」。刊行は本冊刊行の前年、明治40年(1908)です。そこには道府県別に10,000人ほどの名がずらりと並んでおり、さながら当時の文化人一覧のように、よく知られた名が綺羅星のごとく並んでいるそうです。
 
その中で、著者が最初に見つけた「有名人」は与謝野晶子。続いて2番目が光雲だったそうです。
 
この頃、光太郎は外遊中。光雲は東京美術学校に奉職していました。したがって、光太郎の需めではなく、光雲自身が購入したくて予約したのでしょう。しかし、光雲はもともと江戸の仏師出身で、活字には縁遠い生活を送っていたはずです。それがどうしてこんな大冊を購入したのか、ということになります。おそらく、全2冊のうちの別冊「挿絵及年表」の方が、有職故実的なものから地図、建築の図面など豊富に図版を収めているため、彫刻制作の参考にしようとしたのではないかと考えられます。
 
以下、『国史大辞典を予約した人々』は、「こんな人もいる」「こんな名前もあった」と、次々紹介していきます。個人だけでなく様々な団体、有名人ではなくその血縁者も含まれます。そして名前の羅列に終わらず、それぞれ簡単にですが紹介がなされ、当時の日本の文化的曼荼羅といった感があります。
 
ぜひお買い求めを。
 
【今日は何の日・光太郎】 8月4日

大正3年(1914)の今日、銀座のカフェ・ライオンで第一回我等談話会が開催され、出席しました。
 
『我等』はこの年刊行された雑誌で、光太郎は詩「冬が来た」や「牛」など代表作のいくつかをここに発表しています。

昨日紹介した『大正の女性群像』、大判の本で、写真等も豊富に使われ、大正の女性文化を目で見て理解するには格好の資料です。
 
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智恵子はどんな服装、髪型をしていたのだろうかなどと思いを馳せると、楽しいものがあります。
 
それにしても、「大正」というと、昨日も書いた通り、「明治」の閉塞性に風穴があいた時代ということはいえると思います。そのためこうした庶民文化的な部分も一気に花開いたように感じます。
 
それはそれでその通りなのでしょうが、それだけではなかったのが「大正」です。『大正の女性群像』、こうした華やかな部分だけでなく、「負」の部分も忘れていません。すなわち、「女工哀史」に代表される低賃金労働や搾取、「からゆきさん」と言われた海外での売春婦、そして関東大震災……。
 
昨日も書きましたが、今は「平成」。百年後の人々は、「平成」という時代をどう位置付けるのでしょうか。原発事故やら政治的空白やら、「負」の部分が強調される時代であってはならないと思います。

昨日のブログで、吉本隆明氏の著書『超恋愛論』を紹介しました。
 
その中の「恋愛というのは、男と女がある距離の中に入ったときに起きる、細胞同士が呼び合うような本来的な出来事」という定義。やはり光太郎智恵子を想起せずにはいられません。
 
そこで思い出したのが、先月、生活圏の古書店で購入した以下の書籍です。
 
『大正の女性群像』昭和57年(1982)12月1日 坪田五雄編 暁教育図書
 
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内容的には主に二本立てです。「人物探訪」の項で、大正期に名を馳せた各界の女性を扱い、「女性史発掘」の項で女性一般についての説明。どちらも豊富な図版、写真が添えられ、ビジュアル的にも豪華な本です。
 
「人物探訪」の項で扱われているのは、もちろん智恵子、そして平塚らいてう、伊藤野枝、松井須磨子、柳原白蓮、田村俊子、相馬黒光、九条武子、岡本かの子などなど。
 
それぞれに名を成した女性たちですが、程度の差こそあれ、それぞれの人生が激しい恋愛に彩られています。
 
ここにはやはり「大正」という時代の雰囲気がからんでいるのでしょう。ある意味閉塞的だった「明治」が終わって迎えた「大正」。「昭和」に入って泥沼の戦争の時代になるまで、束の間、新しい風が吹いた時代だと思います。
 
その「大正」に、光彩を放った女性たち。強引な考えかも知れませんが、彼女たちも一人では埋もれてしまっていたのではないでしょうか。吉本氏曰くの「男と女がある距離の中に入ったときに起きる、細胞同士が呼び合うような本来的な出来事」である激しい恋愛を経て、それぞれの輝きにたどり着いているような気がします。
 
その結果が決して幸福とはいえない人生につながってしまった女性もいるかも知れませんが……。
 
さて、今は「平成」。百年後の人々は、「平成」という時代をどう位置付けるのでしょうか……。

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