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昨日、そして今日と、またぞろふらふら歩き回っております。生活圏の千葉銚子を皮切りに、夕方に千葉を発って岩手盛岡まで駒を進めて宿泊。今朝、盛岡からレンタカーを駆って秋田小坂町、青森十和田湖を回りました。現在、帰りの新幹線🚄車中です。
昨日、今日のレポートは明日以降書くこととし、今日は新刊書籍のご紹介を。

江戸のいちばん長い日 彰義隊始末記

2018年4月20日 安藤優一郎著 文藝春秋(文春新書) 定価860円+税

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わずか半日の戦争が、日本の近代史を変えた!

今年は明治維新から150年。ということは江戸城の無血開城から150年。
すなわち、1868年の旧暦5月15日、江戸で行われた最初で最後の戦争、彰義隊の戦い(上野戦争)から150年ということなのです。

「勝海舟と西郷隆盛の頂上会談により江戸城総攻撃が回避された」
明治維新といえば巷間、そう伝えられています。しかし実際は江戸城が炎上しても不思議ではありませんでした。
くすぶる幕臣の不満、深まる新政府と幕府側の対立、勝海舟と息づまる西郷の駆け引き……。

幕臣の不満分子が、それぞれの思惑を抱きつつ彰義隊を結成。
江戸っ子も彼らを支持しました。
そして東京・上野の寛永寺で、彰義隊と新政府が激突。戦場はじつに悲惨なものでした。

わずか半日で勝負はつきましたが、ここで新政府が武力を見せつけたことで、徳川家の静岡移封が実現するなど、その影響は多大なものでした。

慶喜が大阪から逃げ返ったときから始まり、敗れた隊士の後半生までを、資料や同時代を生きた渋沢栄一や高村光雲などの目を通して、生き生きと描きます。


というわけで、慶応四年(1868)の彰義隊と薩長軍との上野戦争について、そこに至る経緯からその終末までを語る労作です。

紹介文にある通り、光太郎の父・光雲の回想が引かれています。昭和4年(1929)刊行の『光雲懐古談』からの引用です。上野戦争当時、光雲はまだ独立する前で、師匠の高村東雲の下で徒弟修行中でした。

光雲の証言部分以外も、西郷隆盛や勝海舟らの思惑などの考察等、非常に読みごたえのあるものでした。

是非お買い求めを。

日本女子大学校での智恵子の一級上で、卒業後に雑誌『青鞜』を創刊、その表紙絵を智恵子に依頼した平塚らいてう。学年は一つ上ですが、早生まれということもあって、智恵子と同じく今年が生誕130年にあたり、記念イベント等がいろいろ組まれています。

特に生誕130年とは関係有りませんが、智恵子も登場する新刊を一冊ご紹介します。

週刊 マンガ日本史 改訂版 89号 平塚らいてう 飛び立て「新しい女たち」

2016年11月15日 朝日新聞出版 
シナリオ・004氷川まりね  画・土方悠  
定価 500円(税込み)

新しい時代の「自由」を楽しんでいるかのような明治の女学生たち
しかし彼女たちも卒業すれば親の決めた相手と結婚し夫の家に尽くす日々が待っていた
そんな女学生のひとりだった平塚らいてうは月のように青白い顔をした世の女性たちに高らかに呼びかけた
――元始女性は太陽であった
それは因習から自らを解き放ち女性が「自分らしく」生きるための独立宣言だった

人物クローズアップ 太陽のように光り輝いた「新しい女」
河合敦 歴史コボレ話 平塚らいてうと与謝野晶子
時代スコープ 明治から大正へ 変わりゆく女性の暮らし
インフォメーション 平塚らいてうと女性解放運動をもっと知ろう!


平成22年(2010)刊行のものの改訂復刊です。

お茶の水高等女学校在学中から、日本女子大学校、卒業後に『青鞜』を刊行するまでのらいてうが描かれています。小学校高学年から中学生を対象としているので、漱石門下の森田草平との心中未遂(いわゆる「煤煙事件」)などはスルーされていますが、入門編としては非常にわかりやすく、よくできています。

かつての「歴史マンガ」的なものは、とても大人の鑑賞にたえるものではありませんでしたが、やはり日本の漫画のクオリティの高さが、こういう部分でも好作用をもたらしているようです。

日本女子大学校での智恵子が登場します。完全に悪役顔ですが(笑)。

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もう1件、舞台演劇の公演情報です。

SPIRAL MOON the 35th session「荒野ではない」

期 日 : 2016年11月23日(水・祝)~27日(日)
会 場 : 下北沢「劇」小劇場  東京都世田谷区下北沢2-6-6
時 間 : 11/23(水・祝) 19:30~ 11/24(木) 14:00~/19:30~
      11/25(金) 19:30~
   11/26(土) 14:00~/18:00~ 
      11/27(日) 14:00~
料 金 : 前売3,500円  当日3,800円 未就学児入場不可
主 催 : SPIRAL MOON

むかし、海賊になりたい少女がいた。
少女は生きて、恋をして、書き、子を産み、育て、死んだ。

少女は、ことばをつむぐ場所を用意した。
「青鞜」と名づけられたその雑誌に、多くの女性が集まった。
嘲笑され、痛罵され、石を投げられながら、息をするように、ことばを書いた。

――虐げられ、搾取される者は、ことばを知らねばならぬのよ、
わたしはここにいる、わたしはここにいるって、言つてごらん、
弱くて情けなくて寂しいものは、そうしなきゃ、生きることを許されない。

やがて冒険の果て、それぞれの生の軌跡が離れていくまでの、これは群像劇。
むかし、海賊になりたい少女がいた。

作   波田野淳紘  演出  秋葉 舞滝子

キャスト 河嶋政規 大畑麻衣子 坂田周子 塩見陽子 渡辺幸司 丸本育寿 印田彩希子 野村貴浩 秋葉舞滝子

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らいてうの名がありませんでしたが、問い合わせてみましたところ、やはりらいてうでした。ちなみに残念ながら智恵子は登場しないそうです。


先の米国大統領選挙でヒラリー・クリントン氏が敗北したことにより、「ガラスの天井」という言葉がまたクローズアップされました。性別や人種などを 理由に低い地位に甘んじることを強いられている不当な状態を指す言葉です(まぁ、クリントン氏の敗因は他にも色々あるのでしょうが)。

100年以上前の日本で、「ガラスの天井」に挑んだ人々の物語、もっと取り上げられてもいいような気もします。


【折々の歌と句・光太郎】

女等よ我にをしへよ何物にかへてもこのむ宝てふもの
明治42年(1909) 光太郎27歳

「てふ」は「という」の意。

この年7月、3年半に及ぶ欧米留学を終えて帰国した光太郎の目に映る日本女性は、欧米のそれと異なり、人として生きることに無自覚な、らいてういわくの「蒼白い月」でした。

地方紙の一面コラムから。

まずは昨日の『岩手日報』さん。 

風土計 2016.1.1

「老猿」は明治大正期の木彫家高村光雲の代表作。力と威厳に満ちた姿が真に迫る。著書「幕末維新懐古談」にある制作秘話は含蓄がある
▼白猿を彫るため光雲は純白のトチノキを求め栃木の山村へ。山猿のような老人から良材を3円で買うが、問題は東京への運搬。結局、運賃など200円も掛かった。いよいよノミを入れたら純白どころか茶褐色。そこで、野育ちの猿を彫ることに
▼こうして傑作は生まれた。自然を生かし、生かされてこそ真実に到達する。長男光太郎は詩「道程」で「僕を一人立ちにさせた広大な父よ」とうたうが、父とは光雲であり、自然という大いなる父でもあることだろう
▼彫刻家、詩人として名をはせた光太郎。太平洋戦争末期、空襲で東京のアトリエを失い、花巻に疎開した。玉音放送、一億号泣、そして山小屋での独居自炊生活へ。そこには戦時中、戦意を鼓舞する詩をつくったことへの深い悔恨の念があった
▼深い雪に閉ざされた冬の山小屋で独り、自らの内面を見つめ、戦争責任に向き合い続ける日々。厳しくも豊かな岩手の自然に包まれた7年もの歳月を経て、芸術家として再出発した
▼2016年が始まった。後ろには戦後70年の道。だが、私たちの前に道はない。清らかな岩手の自然のただ中に立ち、確かな一歩を踏み出したい。


続いて青森の地方紙『デーリー東北』さん。こちらは昨年暮れに掲載されたものです。

天鐘(12月29日)

 高村光太郎は昭和28年、完成させた十和田湖畔の裸像に寄せて「銅とスズの合金が立っている。どんな造形が行はれようと(略)はらわたや粘液や脂や汗や生きもののきたならしさはここにない」という一編の詩を綴(つづ)った
▼亡き妻智恵子そっくりの「乙女の像」に自身の魂を吹き込んだのであろう。無機質の造形には穢(けが)れがなく、自然と堂々調和して永遠に残ってほしいとの願いを込めた
▼同じブロンズだがソウルの日本大使館前にある「少女像」は慰安婦を象徴したものだという。4年前、市民団体が設置し始め、今では韓国内に10数体、米国にも2体ある
▼碑文には慰安婦を「性的奴隷」と英訳。日本政府に「慰安婦問題の障害」とまで言わしめた象徴である。穢れなき無機質の造形のはずが両国を分かつ高い障壁となり、反日感情を扇動する動力源となってきた
▼28日の日韓外相会談で日本が反省し、新設する財団に資金拠出することで50年来の懸案が氷解することになった。日韓に刺さった棘(とげ)のため日米韓の連携も長く機能不全に陥っていたが、やっと足並みが揃(そろ)いそうだ
▼だが政府間は合意しても反日感情は沈静化するのか。鍵を握る少女像は拳を握り締め口を閉ざしたままだ。像に罪はないが韓国内に「日韓が背を向けたのは像のせい」との批判も出ているとか。脂や汗を洗い流し、早く少女らしい明るい笑顔を取り戻してほしいものだ。


昨年は戦後70年ということで、いろいろと検証が為されました。しかし、まだまだ充分とは云えません。逆に戦前のような世の中に戻そうという輩も横行。今こそ光太郎の精神に学びたいものですね。


【折々の歌と句・光太郎】

初夢の棄てどころ無し島のうち
大正末期 光太郎44歳頃

「歌と句」ということで、このコーナーでは俳句もご紹介します。

友人の作家・田村松魚に宛てた葉書の末尾に記された句です。消印が不鮮明で年月日は特定できませんが、葉書の様式や、多くの書簡を田村に送っていた時期から、大正末期と推定されます。

この時期の光太郎は、関東大震災(大正12年=1923)後に露わとなった社会の矛盾に対し憤りを感じ、プロレタリア文学者たちと近い立ち位置にいました。大正13年(1924)には、詩「清廉」を書き、外部社会への鋭い批判と生の決意を謳う「猛獣篇」の時代に入ります。

この句の書かれた葉書にも、以下の文言があります。

今のままで貧乏しながら行けるところまで行きませう。いよいよせつぱつまつたら ずつと遠い処へ旅立つばかり。僕のやうな性情のものが今日の世に生きてゐるのは時代錯誤と思ひます。

「島」は「日本」。この国に対する「棄てどころ」のない怒りが見て取れます。

ところで、初夢と言えば「一富士 二鷹 三なすび」。それにまつわるNHKさんのスペシャルドラマ「富士ファミリー」が今夜、オンエアされます。


富士山のふもとにある小さなコンビニ『富士ファミリー』には近所で評判の美人三姉妹がいた。長女の鷹子(薬師丸ひろ子)は、一家の大黒柱。自由奔放な次女・ナスミ(小泉今日子)は、東京から夫の日出男(吉岡秀隆)を連れて帰るとすぐに、病気で亡くなってしまう。三女の月美(ミムラ)は面倒な店の経営から逃げるため、さっさと嫁いでいた。
年の瀬もせまったある日、笑子バアさん(片桐はいり)の前に死んだはずのナスミが現れ、あるメモを見つけて欲しいと言う。ケーキ、懐中電灯、四葉のクローバー、光太郎……ナスミの文字でメモに残された脈絡もない7つの言葉。このメモをきっかけに騒動が巻き起こる…。

この「光太郎」が「高村光太郎」なのかどうか、わかりません。とりあえず今夜、視聴してみます。

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