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今のところ把握している9月のイベント情報、最後です。
 
まずは名古屋で活動されている名古屋・高村光太郎談話会さんの勉強会

名古屋・高村光太郎談話会 第5回勉強会

日時:2014年9月27日(土)15:30~18:00 ※先着順にて受付中
場所:サクラ カフェ、Uライブラリー 名古屋市千種区橋本町1-64  052-789-1110
  地下鉄東山線・名城線「本山」下車、②番出口から北へ「セブンイレブン」から右に入って徒歩2分
 ※近隣にコインパーキングがあります(有料)。
 ※年内は、同じ場所で第4土曜日の午後に開催の予定です。よろしくお願いいたします。
内容:①智恵子抄―ある愛のかたち⑤
     ―詩「或る夜のこころ」と「おそれ」について―
    大島龍彦(名古屋学芸大学教授・文学博士)
   ②「清浄なるスイスからイタリアを旅して」
     西浦  基(『雨男 高村光太郎』著者、高村光太郎研究会会員)    
   ③質疑応答・フリートーク
参加費:500円(お茶代込)
定員:15名 
 
 
同じく名古屋ご在住の作曲家・野村朗氏関連。

第16回TIAA全日本作曲家コンクール入賞者披露演奏会

2014/09/28(日) 13:30 開演
東京・日暮里サニーホール コンサートサロン
入場料 全席自由 前売2,000円 当日2,500円
お問い合わせ
 •メールアドレス:info@tiaa-jp.com
 •電話番号:03-3809-9712

  
プログラム:
末岡武彦 作曲/無伴奏チェロ ソナタ 演奏:杉田一芳(チェロ)
乙川利夫 作曲/ギターソナタ 第1番 ホ短調 Op.1 演奏:乙川利夫(ギター)
上江洲知恵 作曲/リードオルガンのための「つくり主を賛美します」による前奏曲 リードオルガンのための「聖なるかな」による前奏曲とその変奏曲 演奏:上江洲知恵(ピアノ)
小倉謙一 作曲/四季 演奏:小倉謙一(ピアノ)
下里博之 作曲/空想による舞曲 1.飛べない天使 2.機械仕掛けの街にて 二つの幻影 1.白い幻影 2.黒い幻影 演奏:下里 博之(ピアノ)
森円花 作曲/ソナタ 独奏チェロのための 演奏:森田啓佑(チェロ)
川田佳誠 作曲/Gothic... For Flute trio (ゴシック。。。フォー フルートトリオ) 演奏:石川楓(フルート) 中條里美(フルート) 橋口こず恵(フルート)
森川弘基 作曲/ヴィオラとピアノのためのソナタ「幻想と霧」 演奏:上野恵(ヴィオラ) 森千登世(ピアノ)
くどうゆうた 作曲/E・B・Aの動機による現代組曲 より「サングリアに恋して」 そらのあなたへ 思考力・判断力・表現力 演奏:北濱侑樹(フルート) くどうゆうた(ピアノ)
三浦良明 作曲/歌曲「向こう岸」 演奏:宮崎美翔(ピアノ) 片山沙也夏(ソプラノ) 田上絢子(アルト)
野村朗 作曲/連作歌曲「ひとを恋ふるうた」より 歌曲「すずしきうなじ」(三好達治 詩) 連作歌曲「ひとを恋ふるうた」より 歌曲「片恋」(北原白秋 詩) 歌曲「冬の言葉」(高村光太郎 詩) 演奏:森山孝光(バリトン) 森山康子(ピアノ)
大野雅夫 作曲/弔魂詩 演奏:新潟モンテヴェルディ室内合唱団 指揮:大野雅夫
 小野龍一 作曲/Speech(スピーチ) 演奏:小林修子(ヴァイオリンⅠ) 石井智大(ヴァイオリンⅡ) 松岡百合音(ヴィオラ) グレイ理沙(チェロ) 平塚拓未(コントラバス)
 
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月29日
 
大正8年(1919)の今日、数寄屋橋の有楽座で、倉田百三作の演劇「出家とその弟子」を観ました。
 
光太郎が観たのは、劇団・創作劇場による初演興業でした。

昨年、6月の千葉市美術館さんを皮切りに、岡山県井原市田中美術館さん、愛知県碧南市藤井達吉現代美術館さんと、3館を巡回した「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」。好評のうちに12月15日、閉幕しました。
 
さて、その最後の会場となった藤井達吉現代美術館を運営する愛知県碧南市のサイト内に、碧南市長・禰宜田政信氏が動画で語るページがあり、毎月更新されています。自治体の首長が毎月動画でメッセージを発信するというのは、全国的に見ても珍しいのではないでしょうか。
 
昨日、今月分がアップされました。題して「高村光太郎と碧南市」。「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」、そして光太郎と交流のあった藤井達吉にからめ、約7分間のメッセージが流れます。


 
市長さんのお話によれば、碧南展での入場者数はのべ16,600人、1日平均420人だったそうです。
 
ぜひご覧下さい。
 
ちなみにバックナンバーを見ると、初期の頃を除き「××と碧南市」で統一されています。「××」は、愛知県という土地柄上、織田信長や徳川家康、武田信玄などの戦国武将が多いのはうなずけますが、光太郎や三島由紀夫、高浜虚子、富岡鉄齋といった文化人、そうかと思うとミスタードーナツ、アンコール遺跡など、「どういう関係があるんだ?」というものまで広範囲にわたっています。
 
また、碧南市の広報誌「広報へきなん」の今月号もネット上にアップされています。24ページもある豪華な広報誌ですが、15ページ目、「まちかどフォト ホットニュース」欄に「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」に関する記事があります。こちらもぜひご覧下さい。

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【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月7日

平成6年(1994)の今日、TBS系テレビの「金曜ドラマ」枠で「いつも心に太陽を」の放映が始まりました。
 
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全11回の連ドラでした。スタッフ、キャストは同じ「金曜ドラマ」枠で、この1年前に放映されていた「高校教師」と共通する方が多用されていました。のちに全4巻のVHSテープが販売されました。
 
キャストは西田敏行さん、小林稔侍さん、観月ありささん、遠山景織子さんほか。『智恵子抄』を一つのモチーフとし、ヒロイン・観月さんの役名が「高井智恵子」、中盤には袴田吉彦さん演じる『智恵子抄』大好き文学青年が登場していました。ただ、後半にはまったく『智恵子抄』がらみの話はなくなってしまいました。
 
まだ無名だった大杉漣さんや温水洋一さんがほんのちょい役で出演なさっていて、笑えます。

もう1日、愛知ネタで書かせていただきます。
 
愛知碧南を訪れるのは先週末で3度目でした。以前の2回は日帰りで、目的地の藤井達吉現代美術館以外は立ち寄りませんでした。しかし先週末は、併せて小牧市のメナード美術館の「開館25周年記念 コレクション名作展Ⅴ」にも行くので、1泊2日の日程を組みました。日帰りでも不可能ではなかったのですが、途中で電車の遅延等が発生すると困りますし、時間を気にしながら慌ただしく鑑賞するのはよくないと思ったからです。
 
それがやはり正解でした。特に2日目の午前中に歩いた碧南の街並みが非常にいい感じでした。太平洋戦争中に空襲の被害を受けなかったということで、古い街並みがよく残っているのです。その点、当方の暮らす千葉県香取市佐原地区とよく似ており、親近感を抱きました。
 
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カメラ好きの方などには非常におすすめです。
 
ただ、惜しむらくはせっかくのこうした街並みが活用されていないと感じること。ほとんどが現役の住居なので、なかなか内部を公開するというのは難しいのかも知れませんが、中を見られるところが少ないのです。それでも藤井達吉現代美術館のすぐ近くにある清澤満之記念館内の清澤旧宅や九重みりん時代館などは中に入れます。
 
それから電線。こうした街並みを活かそうと考えるなら、地中に埋設すべきですね。
 
手前味噌になりますが、当方の暮らす千葉県香取市佐原地区は、元々が商都だったこともあり、古い街並みの商家がそのまま営業していたり(創業数百年前という店も珍しくありません)、しもた屋もリフォームされてカフェやレストランになったりしていますし、電線の埋設も進んでいます。
 
ただ、逆にそれをやり過ぎると生活臭が薄れ、かえって人工的なテーマパークのようになってしまうので(F県A郡のO宿やS県K市の蔵作りの街並み、G県T市の街並みとG造りの集落などはそういう感じがします。申し訳ありませんが)、そういう意味では碧南の街並みは自然体でいい感じです。特に表通りから入った路地裏の感じは、今にも光太郎智恵子が街角からひょっと現れそうな雰囲気です。
 
「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」と併せ、碧南の街並みもぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】 11月26日

昭和28年(1953)の今日、花巻郊外太田村山口でブリヂストン美術館制作の美術映画「高村光太郎」のロケに参加しました。
 
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十和田湖畔の裸婦像の除幕式に参加したのが前月。その後、また東京中野のアトリエに戻りましたが、11月に一時的に花巻郊外太田村山口の小屋に帰っています。そして60年前の今日、太田村でのロケが行われました。
左上は山小屋の囲炉裏端、右上は山小屋近くの道、左下は「馬面電車」と言われた花巻電鉄の内部、右下は山小屋近くの民家の軒先です。
 
光太郎本人には、裸婦像完成後はまた太田村で暮らすつもりもあり、住民票も残していたのですが、健康状態がそれを許さず、結局は中野のアトリエに戻り、そこで終焉を迎えることとなります。

一昨日になりますが、愛知県小牧市のメナード美術館さんに行って参りました。
 
現在、同館では「開館25周年記念 コレクション名作展Ⅴ 近代日本洋画」を開催中です。
 
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「近代日本洋画」といいつつ、彫刻や海外作家の作品も展示されています。チラシの表に印刷されていますが、光太郎の木彫「鯰」、そして「栄螺」も。下記画像は同館発行のポストカードです。
 
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同じく現在愛知県碧南市の藤井達吉現代美術館で開催中の「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」に、この2点も並べさせて欲しかったのですが、メナードさんの「開館25周年記念 コレクション名作展」の目玉の一つとしたい、という意向でかないませんでした。まあ、仕方がないでしょう。
 
で、一昨日はこちらを観て参りました。当方、これを目にするのは10年ぶりでした。他の光太郎木彫にしてもそうですが、面の取り方、刀痕の冴えなど、舌を巻くような技術です。その技法がいやらしく目に付くことがなく、出来上がったものは実物以上に実物に見えます。
 
光太郎以外の出品物。下記が出品目録ですが、錚々たるメンバーの作品が並び、光太郎と交流のあった作家も多く、興味深く拝見しました。
 
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同展は12/23(月・祝)まで。
 
さて、同館を後にし、少し小牧市内を散策しました。館への道々、あちこちにのぼりが立っており、「小牧山城築城450年」とのことでした。織田信長が築き、後に徳川家康が小牧・長久手の戦で布陣した城ですね。行ってみました。
 
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うっかり写真を取り忘れましたが、なかなかの眺望でした。
 
その後、刈谷市で一泊、昨日は碧南に参りました。そのあたりは、また明日。
 
【今日は何の日・光太郎】 11月24日

大正6年(1917)の今日、雑誌『週』に散文「巨匠ロダン翁」を発表しました。

18日に亡くなったロダンの追悼談話です。

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昨日から一泊で愛知でした。只今、帰りの新幹線車中です。

昨日は小牧市のメナード美術館さんに行って参りました。現在開催中の所蔵品展「近代日本洋画 時代を代表する巨匠たち」に、同館所蔵の光太郎木彫「栄螺」と「鯰」が展示されているためです。

そして今日は碧南の藤井達吉現代美術館さんへ。「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」の関連行事として、神奈川県立近代美術館長・水沢勉氏の講演がありました。

なかなか有意義な二日間でした。詳しくは帰ってからレポートします。

【今日は何の日・光太郎】 11月23日

昭和11年(1936年)の今日、花巻羅須地人協会跡地に、光太郎揮毫になる宮澤賢治「雨ニモマケズ」詩碑が除幕されました。

もう1日、愛知碧南でのネタを書かせていただきます。
 
先日、藤井達吉現代美術館での「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展開会式・内覧会での出来事です。当方、まず正面玄関でなく地下1階の裏口的な所から入り、地階で木本文平館長や来賓の方々とお話をさせていただいてから、1階の開会式会場へ参りました。
 
すると、横切った正面玄関前に、ほぼ等身大のブロンズ彫刻がありました。光太郎像です。「こんなところにこんなものが」と驚きました。
 
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012光太郎展会場ですから光太郎像があってもおかしくはないのですが、今までに見たことのない光太郎像で驚いたわけです。ただ、その時は人が多く、また開会式が間もなく始まるのとで、近くでじっくり見られませんでした。
 
さて、内覧会後、問題の像に近寄ってよく見てみました。すると、光太郎像と思ったのは当方の早とちりで、藤井達吉の像でした。
 
左は晩年の光太郎の写真ですが、よく似ていると思いませんか。
 
禿頭、丸眼鏡、和服にちゃんちゃんこ……。ただし藤井像、よく見ると見事な髭があり、そこは違っていました。
 
同時代の交流があった芸術家同士、やはり似てくるものなのだな、と思いました。
 
「やはり」というのは理由があります。
 
やはり光太郎と同時代の歌人・斎藤茂吉と光太郎もその晩年の風貌が似ている、と、これは比較的よく言われることです。
 
下の画像は昭和21年(1946)2月の『週刊朝日』の記事です。「雪にもめげず 疎開の両翁を東北に訪ふ」という題での、山形に疎開していた茂吉と、花巻郊外太田村の光太郎の訪問記です。
 
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右の方に双方を拡大してみましたが、いかがでしょう。似ていますよね。上が茂吉、下が光太郎です。
 
話は変わりますが、開会式での木本館長のご挨拶の中で、光太郎が稀代の雨男である旨のお話がありました。
 
そのとおりで、光太郎はその生前、人生の節目節目に必ずといっていいほど雨、もしくは雪に見舞われています。
 
欧米留学に旅立った明治39年(1906)2月3日・雪。智恵子との結婚披露宴の大正3年(1914)12月22日・真冬にも関わらず土砂降り。十和田湖畔の裸婦像除幕式の昭和28年(1953)10月21日・雨。その終焉の日の昭和31年(1956)4月2日・春の大雪……数え上げればきりがありません。高村家でもそれは有名で、光太郎が何かやるときには雨や雪が降るので、「お印が来た」と言っていたそうです。
 
光太郎歿後もそれが続き、4月2日の連翹忌は雨が多いことで有名です。実際、昨年も今年も雨でした。その他、当方が光太郎顕彰に本格的に取り組んだ昨年から、光太郎がらみで遠出すると、本当に必ずといっていいほど雨か雪です。
 
開会式での木本館長のお話。今年の連翹忌が雨、碧南の前の巡回先だった岡山井原の田中美術館での開会式が雨、館長が再び井原に出向いての「日曜美術館」ロケの日も雨、ところが碧南での今日の開会式は晴れ。館長は晴れ男だそうで、「私が勝ちました」とおっしゃっていました。実際その日は朝からいい天気でした。
 
ところが内覧会が終わって、先の藤井達吉像を見ていると、館長が笑いながら近づいてきて、「やられました」。何事かと思ったら、外は雨。これには驚きました。天気予報では降水確率10パーセントぐらいっだったはず。光太郎、意地を見せました(笑)。
 
さて、明日は二本松の大山忠作美術館で開催中の「五星山」展での記念イベント、有馬稲子さんと一色采子さんのトークショーに行って参ります。
 
天気はどうなることやら……。
 
【今日は何の日・光太郎】 11月3日

明治32年(1899)の今日、光太郎をかわいがってくれた祖父・兼吉が歿しました。
 
光太郎の彫刻作品に、祖父・兼吉のレリーフがあります。「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展にも並んでいます。

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