千葉から企画展情報です。光太郎の実弟にして、家督相続を放棄した光太郎に代わって高村家を嗣ぎ、鋳金分野の人間国宝に指定された、高村豊周の作品が出ています。
左から、光雲、豊周、光太郎。
北詰コレクション メタルアートの世界Ⅱ-メタルアートの匠と技-
期 日 : 2018年1月20日(土) ~ 4月15日(日)会 場 : 千葉県立美術館 千葉市中央区中央港1丁目10番1号
時 間 : 午前9時~午後4時30分
休館日 : 月曜日(ただし、月曜日が祝日・振り替え休日に当たるときは開館、翌日休館。
料 金 : 一般300円(240円) 高大生150円(120円)
( )内は20名以上の団体料金
( )内は20名以上の団体料金
千葉県印西市の「メタルアートミュージアム光の谷」閉館に伴い、館長の北詰栄男氏より寄贈された365点の近代金工史を代表するメタルアートのうち、昨年度の黎明期の作家を中心とする展覧会に続き、第二弾として大正から昭和にかけての作品を中心にご覧いただけます。
豊周の作品は、3点出ていました。「青銅環文壺」(昭和35年=1960)、「青銅花盛」(制作年不詳)。こちらの2点は画像がゲットできました。
いずれも見事な作品です。「メタル」というと、冷たい響きに感じられますが、さにあらず。特に「朱銅花入」などは、それが金属であることを忘れさせるような、温かみさえ感じさせられます。それは光太郎のブロンズ彫刻にしてもそうですが。
他に、関係する作家の作品もいろいろ。
豊周の師にあたる、津田信夫、大島如雲。豊周の父・光雲は、明治13年(1880)から翌年にかけ、大島とその父・高次郎の工房で、鋳金の仕事を手伝っていました。ちょうど、廃仏毀釈のあおりで木彫の仕事が激減していた時期です。
それから、やはり豊周の師・香取秀真(ほつま)の長男、香取正彦。光雲が主任となって制作された皇居前広場の「楠木正成像」の鋳造を担当した岡崎雪声。さらに、豊周の弟子にあたる丸山不忘。丸山は、豊周の助手として、光太郎作の日本女子大学校創設者・成瀬仁蔵胸像の鋳造にあたっています。
当方、昨日、拝見して参りました。昨年の「北詰コレクション メタルアートの世界―黎明期の作家を中心に―」以来でした。
館の正面玄関。後ろ姿は画家の浅井忠の銅像です。
「メタルアートの世界Ⅱ」以外にも、アート・コレクション「コレクション名品展」、「浅井 忠6-その師と弟子たち-」 という展示も為されており、光太郎と関わりの深かった梅原龍三郎、安井曾太郎らの絵画が出品されていました。
【折々のことば・光太郎】
工芸家は、作曲家が五線紙に曲を書き込んでゆく時既に演奏の結果を耳で聴く思をすると同様な感覚を持つてゐて、原型を作る時既にその壺なり花瓶なりのブロンズ作品に出来上がつた時の特有の美を感ずるのである。
散文「彫刻家の場合」より
昭和15年(1940) 光太郎58歳
右は、方眼紙に豊周の描いた、上記とはまた別の「朱銅花入」の下図です。
こうした感覚が無い彫刻家が作った銅像などが鋳造されると、まるでブロンズという素材を生かしていないものになり、太平洋戦争前夜、既に金属の不足が顕著になりつつあったこの時期、実に無駄、という論です。