『毎日新聞』さん社会面に連載されている俳人・坪内稔典氏による連載「季語刻々」。古今の名句を毎日一句ずつ紹介するコラムです。これまでもたびたび光太郎の句を取り上げて下さっていましたが、昨日もご紹介下さいました。
季語刻々 ゴンドラにゆらりと乗りぬ春の宵 高村光太郎
1946年4月17日朝、光太郎が住む今の岩手県花巻市郊外の山小屋はもやに包まれ、いかにも春暁らしい風景だった。お茶、チーズ、大根や煮干しが具のみそ汁、かゆ、たくあんがこの朝のメニュー。昼間は雨がけむって降った。以上、光太郎の日記を紹介した。取り上げた句は1909年にイタリアを旅行した際のベネチアの風景である。<坪内稔典>句自体は明治42年(1909)春、留学先のパリから、約1ヶ月、スイス経由でイタリア各地を旅行した際の吟です。この旅中には60句ほどの句を詠みました。大半は留学仲間だった画家の津田青楓に宛てた絵葉書等にしたためたものです。
解説で用いられているのは、約40年後の昭和21年(1946)、花巻郊外旧太田村の山小屋での日記。前年秋からの山小屋生活の初期は、日々の献立を日記に詳述していました。「食」に対する光太郎のこだわりが見て取れます。
光太郎の短歌は、『明星』関連で松平盟子氏などが近年だいぶ取り上げて下さっていますが、俳句の方はまだまだ脚光が当たっていません。もっと注目されていいものだと思われます。
【折々のことば・光太郎】
南君の芸術には如何にもなつかしみがある。大手を振つた芸術ではない。血眼になつた芸術でもない。尚更ら武装した芸術ではない。どこまでもつつましい、上品な、ゆかしい芸術である。
散文「南薫造君の絵画」より 明治43年(1910) 光太郎28歳
南薫造は、津田青楓同様、光太郎の留学仲間だった画家です。
他の作家への評ではありますが、光太郎が目指す芸術の一つのありようが示されています。