3/8(土)、9(日)と、山形、宮城、岩手と東北3県を歩いてきました。
まずは山形市の最上義光歴史館に行きました。現在開催中の企画展「第6回 市民の宝モノ2014」を観るためです。『高村光太郎全集』等に未収録と思われる昭和30年の光太郎葉書が展示されているとのこと。
東京発9:48の山形新幹線つばさ177号に乗り、一路山形へ。福島で仙台行きのやまびこ177号と切り離され、県境を越える頃には一面の銀世界、さらに吹雪になりました。
山形駅には12:39到着なので、途中で車内販売の駅弁で昼食。山形県産米「どまん中」を使った「牛肉どまん中」という人気の駅弁です。
降り立った山形駅もやはり雪。目的地の最上義光歴史館まで15分程歩きました。
さて、戦国武将・最上義光の記念館であるのに申し訳ないのですが、常設の義光関連の展示は飛ばし、目的の光太郎葉書に一直線。ありました。
表の宛名面は現物、裏の通信文の面はカラーコピーで展示されていました。まごうかたなき光太郎の筆跡、消印その他にも不審な点は一切ありません。間違いなく本物、しかも『高村光太郎全集』等未収録のものです。
受付でいただいたチラシの裏面に画像が載っていましたので、そちらは公開させていただきます。
日付は昭和30年(1955)8月1日。宛先は花巻税務署。以前に書いた予想通り、花巻から東京中野に住民票を移したことについての内容でした。
納税署変更の事
小生かねて(六月一日)花巻市を転出、東京都中野区に転入いたしましたにつき、今年昭和卅年度の国税は中野税務署に納付いたすべく、八月一日既にその手続きをとりました。即ち今年度以後花巻税務署へは納付いたしませぬ故右御了承願上げます
この葉書により、住民票を移した日付が6月1日であることが明らかになりました。6月4日の日記に転出証明書が届いたという記述があり、その頃だろうとは推測できていましたが、はっきりした日付は不明でした。4月30日から7月8日まで、光太郎は赤坂山王病院に入院しており、その前後の日記は一日分の記述が非常に短いので、転出の届け出についても詳しく書かれていないのです。それが特定できたのは大きいと思います。
同館を通じて、所有者の方と交渉中です。文面など、当方編集の「光太郎遺珠」にて紹介できれば幸いです。
それにしても、「市民の宝モノ」という企画展。テレビ東京系の「開運!なんでも鑑定団」あたりにヒントを得ているのでしょうが、うまいことを考えるものだと感心しました。全国の自治体の皆さん、参考になさってはいかがでしょうか。
さて、再び山形駅まで歩き、高速バスを使って次の目的地、仙台を目ざしました。JR仙山線を使う手もあるのですが、高速バスの方が早い、安い、本数が多いと3拍子揃っています。
仙台には午後3時前に着きました。ここでの目的地は仙台市博物館。情報が不十分だったので、行く前のブログには書きませんでしたが、現在、「東日本大震災復興記念・新潟県中越地震復興10年 法隆寺-祈りとかたち」という企画展が開催されています。こちらには光雲の作品が2点。詳しくはまた後日書きます。
ところで今日は3.11。あの日から3年経ちました。震災関連の企画展ということで、今日は銀座の永井画廊さんでの「被災地への祈りのメッセージ展 高村智恵子紙絵展」に行って参ります。
明日は東北レポートをいったん中断、そちらをレポートすると思います。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月11日
大正12年(1923)の今日、詩「樹下の二人」を執筆しました。
樹下の二人
――みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ――
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭(あたま)の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。
あなたは不思議な仙丹を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに捉へがたい
妙に変幻するものですね。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫(さかぐら)。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国(きたぐに)の木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭(あたま)の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。
あなたは不思議な仙丹を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに捉へがたい
妙に変幻するものですね。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫(さかぐら)。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国(きたぐに)の木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
詩集『智恵子抄』の中で、最も有名な詩の一つですね。
この年、福島に帰省中の智恵子のもとを訪れ、二人で歩いた智恵子生家周辺の自然の美しさに触発されて作ったものです。