昨日は午前中、荒川区立第一日暮里小学校さんにお邪魔しておりました。
たびたびこのブログでもご紹介させていただいておりますが、同校は、明治23年(1890)から同25年(1892)にかけ、数え八歳から十歳の光太郎が、同校尋常小学校の課程に通っていた、母校です。その縁から、卒業生・光太郎について調べ学習をしたり、詩の暗唱をしたりと、顕彰に取り組んで下さっています。
昨日は、卒業間近い6年生の児童さんたちが、図工の特別授業で「手」の彫刻に取り組み、アシスタントとして、同校に隣接する太平洋美術会研究所の方々がお手伝いに入られました。その中に、連翹忌御常連で、『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅 高村智恵子52年間の足跡』を著された坂本富江さんもいらっしゃり、お誘い下さいました。同会は、智恵子が日本女子大学校卒業後に通っていた太平洋画会を母胎としています。
千葉の自宅兼事務所から、少し早めに都心に到着しましたので、同校最寄りの西日暮里駅ではなく、一つ手前の日暮里駅で下車。歩きました。そのルートで行くと、太平洋美術会さんが途中にあります。ウィンドウに、光太郎智恵子に関する記述。ありがたや。
少し行くと、第一日暮里小学校さんの「さくら門」。こちらに光太郎自筆の書から文字を採った「正直親切」の碑があります。
「正直親切」という文言は、昭和26年(1951)、蟄居生活を送っていた花巻郊外太田村の山小屋近くにあった太田小学校山口分教場が山口小学校に昇格した際、校訓として贈った言葉ですが、第一日暮里小さんでは、昭和60年(1985)、創立百周年記念に、この言葉を刻んだ碑を建立しました。
以来、同校では「正直親切」を校訓とし、学校だよりの題名にも使って下さっています。
ちょうど先週の今日、埼玉県東松山市立図書館さんの「田口弘文庫 高村光太郎資料コーナー」オープン記念の講演をさせていただきましたが、その中で、同市元教育長で戦時中から光太郎と交流のあった故・田口弘氏のお骨折りで、同市立新宿小学校さんにも「正直親切」碑が建てられていること、この第一日暮里小学校さんのこともお話しいたしました。
そうしたら思いがけず第一日暮里小さんにお邪魔することとなり、驚きました。これも田口氏のお引き合わせかも知れません。
「さくら門」と反対側の「ひぐらし門」が通用門的な入り口で、そちらに廻りました。こちらにも「正直親切」のタペストリー。
ちょうど坂本さんもいらしたところで、二人で校内へ。当方、こちらの校内には初めて入りました。昇降口を入ってすぐ、光太郎コーナーが設けられていました。
校長室に通され、お茶をいただきました。そのうちに他のアシスタントティーチャーの皆さんもいらっしゃいましたので、図工室に移動。皆さん、太平洋美術会さんの方でした。当方、詳しい話を聞かずに行っておりまして、こんなにたくさんアシスタントがいらっしゃるとは思っておりませんでした。
授業は3コマ連続でとってあるそうで、流れの確認。
やがて6年生の児童さんたちが入室し、授業開始。都心の学校でも少子化の影響はあるのでしょう、各学年単学級、6年生は20数名でした。
課題は卒業制作という一面もある、「手」の制作。光太郎について学んできた6年生は、光太郎代表作のブロンズ「手」(大正7年=1918)の実物も見ているそうで、これもまた光太郎がらみの内容というわけです。
8つほどの大きめの作業机に、児童さん3名くらいずつ座り、各テーブルに太平洋美術会さんの方がついてアドバイスするという流れでした。まず画用紙に自分の手の形をトレースし、目印となるポイントを線で結び、アルミの針金で芯の制作。そして粘土を貼り付けていくということで、かなり本格的です。
当方は合間に担任の先生、学校司書の先生から、同校の光太郎に関する取り組みについて教えていただきました。
A4判十数枚にわたるレポート。一人一冊、こういったものを作るそうです。
図書室も拝見。一角に「高村光太郎文庫」。なかなか充実しています。一昨年亡くなられた金田和枝さんの『智恵子と光太郎 たぐいなき二つの魂の出会い』など、学級の人数分そろっている書籍もあり、これだと一人一冊に行き渡ります。当会顧問・北川太一先生のご著書などもずらり。
当方が執筆した『図書館教育ニュース』第1300号付録の冊子が掲示されていました(笑)。
平成25年(2013)に千葉市美術館さん、岡山井原市立田中美術館さん、愛知碧南市藤井達吉現代美術館さんを全国巡回した「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展の図録も10冊ほどありました。こちらは会期中に売り切れてしまい、現在では状態のいいものにはプレミアが付いています。
そうこうしているうちに、児童さんの作業もどんどん進捗。予定の3コマで全員が今日の作業を終えました。乾燥させた後、後日、着色するそうです。
昨日の授業にしても、普段の取り組みにしても、なかなかすばらしいものです。今後も継続していただきたいと存じました。
また、光太郎智恵子とゆかりのある学校さんなどにも、こうした動きが広がっていってほしいものだと思いました。
【折々のことば・光太郎】
何が彫刻かといふ事は説明しにくい問題であるが、彫刻の概念がいかやうに変革されていつても残るところの彫刻的本質は、畢竟するに触覚を基本とするところの量の空間的関係にあり、小は根付彫刻から大はスフインクスに至るまで、最も写実的な作品から最も抽象的な作品に至るまで、此の触覚感からの出発、もしくは触覚感への重点無くしては彫刻はあり得ない。
散文「現代の彫刻」より 昭和8年(1933) 光太郎51歳
第一日暮里小学校6年生の児童さんたちも、少しはこういった感覚を実感できたのではないでしょうか。