昨日は都内に出ておりました。

まずは文京区の弥生美術館さん。

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こちらで開催中の企画展「命短し恋せよ乙女 ~マツオヒロミ×大正恋愛事件簿~」を拝見して参りました。

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いかにもこういうのが好きそうな「乙女」のみなさんでにぎわっていました。

過日ご紹介した書籍『命みじかし恋せよ乙女 大正恋愛事件簿』(中村圭子編著・河出書房新社)と連動しての企画で、ほぼ同書の章立て通りの展示でした。

すなわち、

 姦通罪による投獄―北原白秋×松下俊子・江口章子
 恋愛なき心中未遂―平塚らいてう×森田草平
 運命の出会い―平塚らいてう×奥村博史
 歌姫の情熱―与謝野晶子×与謝野鉄幹
 姪との禁じられた恋―島崎藤村×島崎こま子
 後追い自殺の衝撃―松井須磨子×島村抱月
 サッフォーのごとく―田村俊子×長沼智恵子・田村松魚・鈴木悦
 私は誘惑していません―原阿佐緒×石原純
 人妻との山荘情死事件―有島武郎×波多野秋子
 筑紫の女王、恋の出奔―白蓮×宮崎龍介
 「魔女事件」「妻譲渡事件」―佐藤春夫×谷崎千代
 追うときも別れるときも潔く―藤原あき×藤原義江
 友情の絆は、色恋の関係より強いか―澤モリノ×石井獏
 恋愛放浪―山田順子×竹久夢二・徳田秋聲
 「椿姫事件」そして「雪の国境越え」―岡田嘉子×竹内良一・杉本良吉

ただし、展示の順番は異なりました。003

扱われている女性達などの肉筆書簡や揮毫などが展示されているというので、もしや智恵子のものも、と思っていましたが、それはありませんでした。しかし、光太郎智恵子と関わった平塚らいてう、与謝野晶子らのそれが数多く展示されており、眼福でした。

智恵子が扱われた田村俊子のコーナー、そしてその他、北原白秋、有島武郎、佐藤春夫ら、やはり光太郎智恵子と関わった面々が取り上げられており、興味深く拝見しました。

書籍『命みじかし恋せよ乙女 大正恋愛事件簿』の表紙や挿絵、そしてこの企画展のポスターやチラシ(田村俊子です)に使われている、イラストレーター・マツオヒロミさんの原画も並んでおり、見事なものでした。

智恵子のそれを含め、写真や説明パネルなどは、ほぼ書籍『命みじかし恋せよ乙女 大正恋愛事件簿』と同一のようでした。その中で、同書では見落としていましたが、展示を見て「おやっ」と思ったのが、佐藤春夫夫妻の写真。右は書籍『命みじかし恋せよ乙女 大正恋愛事件簿』から採りました。

集合写真の一部で、撮影されたのは昭和28年(1953)10月21日(書籍『命みじかし恋せよ乙女 大正恋愛事件簿』では27年となっていますが、誤りです)。撮影場所は、青森県十和田湖畔宇樽部地区で、かつて旅館だった東湖館の前。この日は、光太郎の最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式の日です。そちらが午後の開催で、午前中には奥入瀬渓流で、春夫の「奥入瀬渓流の賦」詩碑除幕式と、連チャンで行われました。

集合写真全体はこちら。

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春夫は前列右から二人目。その左隣は光太郎です。こんなところに光太郎がらみ、と、笑いました。

さらに、光太郎智恵子と直接の関わりがあったものの薄かったり(竹久夢二、石井漠ら)、無かったりした人々の「恋愛事件簿」。中にはドロドロのそれもありましたが、やはりそれぞれ、必死の「生」(矛盾していますが)を送る中でのドラマということで、人間の持つエネルギーの凄さに感動させられました。

展示は9月24日(日)まで。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

われらに今欠けたるもの和なり。 億兆の和なくして社稷なし。 和は念慮にして又具顕なるを。 大いなるかな和をおもふことの力。 これ人倫のもとゐ社稷の血脈。

詩「和について」より 昭和21年(1946) 光太郎64歳

戦時中、大量に書き殴った翼賛詩は、多くの前途有為な若者たちを戦場へと駆り立てた罪深いものでしたが、一面、荒廃した人心を救わんとする意図もあったことも否定できません。

「社稷」=「国家」。戦後になって書かれたこれらの詩にも、そうした部分が残っています。