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昨日、たまたま街の郵便局とスーパーに行った際、最寄りのJR佐原駅近くの踏切を通りました。すると、ホームに蒸気機関車・D51が停車しているのが見えました。

JR東日本千葉支社さんのイベントで、成田線の佐原-銚子の間を、D51が来週末に運行されることは存じていましたが、そのための試運転だったようで、それが昨日とは知りませんでした。

そこで、車を置いて、入場券を買い、駅に入って見てみました。下記はガラケーのカメラで撮影しました。

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当方、鉄道マニアではありませんが、この機関車、光太郎を乗せた客車を牽引して走った可能性もあるので、興味深く拝見しました。

3年前にも同様のイベントがあって、その際には、蒸気機関車C62-20号機がやってきました。この時は東日本大震災からの復興イベント的な意味合いでした。当地もそれなりの被災地でしたので。こちらは昭和24年(1949)から、永らく青森機関区や仙台機関区に配属されていたもので、花巻郊外太田村に暮らしていた光太郎が、盛岡などに出かける際に利用した可能性がありました。

今回やってきたのはD51-498号機。こちらは昭和28年(1953)12月に、平機関区に転属されたそうです。既に十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)を作り終えた光太郎が、前月には一時的に東京中野のアトリエから花巻郊外太田村に帰り、この月に再び中野に戻っています。もしかすると、その際にこの機関車の牽引する客車に乗ったかも知れません。そう思うと感慨深いものがありました。

客車もレトロで、いい感じです。

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「オハ47」という型番で、ネットで調べてみたところ、「スハ43」という方の客車を改造したものだそうで、「スハ43」は昭和20年代の製造。もしかしたら光太郎が乗った車両も含まれているかも知れません。

最後尾にはディーゼル機関車。佐原→銚子間はD51、逆の銚子→佐原間はディーゼルが先頭になります。こちらは1970年代のものだそうで、若干新しいもののようです(当方、鉄道マニアではありませんので、詳しいことはよくわかりません。間違っていたらごめんなさい)。

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小さな男の子が、駅員さんの帽子を借りて記念撮影。微笑ましいですね。

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さて、本番の運行は来週末です。以下、JR東日本千葉支社さんのサイトから。 

房総観光キャンペーン ~ちょっとひと息、房総休日。~第3弾! あのSLデゴイチが、再びやって来る!

「房総観光キャンペーン~ちょっとひと息、房総休日。~」の開催を記念して、SL(D51)が房総を走ります。SLの運転に合わせ、各種イベントやびゅう旅行商品をご用意し、お客さまをおもてなしします。

⑴ 運転日・運転区間
運 転 日  2016 年1月29日(金)・30日(土)・31日(日)(往復運転)
運転区間
 DL佐原
        銚子   ⇒      笹川      ⇒   佐原
 (時 刻)  (10:27 発)  (11:07 着)(11:22 発)  (12:10 着)
 SL銚子
        佐原   ⇒      笹川      ⇒   銚子
      (14:16 発)  (14:46 着)(15:12 発)  (15:50 着)
 編成  DE10+旧型客車6両+D51
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←佐原方面(DL佐原)                (SL銚子)銚子方面→


⑵ 出発セレモニー
「SL銚子」「DL佐原」の運転を記念して、出発セレモニーを実施します。
開 催 日 2016 年1月29 日(金)
開催場所 銚子駅、笹川駅、佐原駅

⑶ 地元のおもてなし・イベント
銚子駅、笹川駅、佐原駅にて地元物産展等のおもてなしイベントを実施します。お子さま向けのお楽しみ企画もご用意しております。

⑷ 北総に笑顔の花を咲かせよう
「SL銚子」「DL佐原」を沿線にお住まいの方々が地元ならではのおもてなしでお出迎えします。SLに向かって手を振る、叫ぶ、地元の踊りを披露する、仮装する、横断幕を掲げる等、思い思いの表現でおもてなしします。
開 催 日 2016 年1月29 日(金)・30 日(土)・31 日(日)
場 所 佐原駅~銚子駅間の沿線


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ちなみにこちらは昨日の『毎日新聞』さんの千葉版。 

「デゴイチ」29〜31日運行 火入れ式で安全祈願 成田線佐原−銚子間 JR千葉支社 /千葉

 房総への観光客誘致キャンペーンの一環として、JR東日本千葉支社は29〜31日、成田線佐原−銚子間で蒸気機関車(SL)を走らせる。運行に先立ち、JR銚子駅で21日、安全を祈願する「火入れ式」があった。
 運行されるのは「デゴイチ」の愛称で知られるD51形498号。1940年に製造され、72年に引退したものの、88年から各地のイベントで再び活躍している。この日の火入れ式では、雷(らい)神社(旭市)の宮司による神事があり、運転席の釜にたいまつを入れて点火すると、黒光りするSLは低い音を立てて黒い煙を上げた。
 成田線でのSL運行は3年ぶり。住民による歓迎イベントや特産品販売も予定されている。藤森伸一支社長は「沿線を笑顔で明るくし、観光活性化の一助になるよう安全第一で運行したい」と述べた。
 運行ダイヤは3日間とも、銚子発午前10時27分と佐原発午後2時16分の1往復。銚子からの往路はディーゼル車がけん引する。22〜23日と25〜27日には、本番と同じダイヤの訓練運転もある。座席指定のみの乗車券は完売しているが、宿泊とのパック商品は発売中で、千葉支社ホームページに案内が掲載されている。【武田良敬】

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ぜひ、足をお運び下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

笛吹けば汽車が答へぬ春の旅     明治42年(1909) 光太郎27歳

汽車がらみの作品を探したところ、こんな俳句がありました。ただし、日本での作ではなく、欧米留学の終わり近く、パリからスイス経由でイタリアを旅行した際の作です。

前後の作からわかりますが、旅芸人の一座と同じ列車に乗ったようで、芸人の吹く笛と呼応するように汽車の汽笛が鳴った、というシチュエーションでしょう。

昨日に引き続き、開催中の展覧会情報です。光雲作品が出品されているとのことですが、気付くのが遅れました。

北陸新幹線開業記念 お召列車と鉄道名画 ~東日本鉄道文化財団所蔵作品を中心に~

会 期 : 2015年8月21日(金曜)~9月27日(日曜)
会 場 : 富山県水墨美術館 富山市五福777番地
休館日 : 月曜日(ただし9月21日は開館)
 間 : 午前 9時30分から午後5時まで(入室は午後4時30分まで)
観覧料 : [前売り]一般のみ800円 [当日]一般1,000円 大学生700円
主 催 : 「お召列車と鉄道名画」実行委員会(富山県水墨美術館、富山テレビ放送)
共 催 : 北日本新聞社
後 援 : 滑川市、滑川市教育委員会

関連行事
鉄道模型運行 場所 エントランスホール
運転日 会期中の日曜・祝日(8/23 30 9/6 13 20〜23 27)
運転時間 午後1時〜4時  見学無料

学芸員による作品解説
日時 8/22、9/5、19 いずれも土曜日 午後2時〜
※要展覧会観覧券


 この展覧会は、北陸新幹線の開業を記念し、美術と鉄道の関わりという視点から、JR東日本、東京ステーションギャラリーと鉄道博物館の運営母体である東日本鉄道文化財団の協力を得て開催します。
  「お召列車」は、天皇・皇后両陛下、皇太子殿下が乗車されるために運行される列車で、「御料車」は御乗用される車両の総称です。また、「御座所」は車両内でお座りになる場所を指し、その席を「玉座」と呼びます。
  本展は、この「御料車」に実際に用いられていた、工芸技術の粋が惜しみなく注ぎ込まれた装飾と玉座を紹介するとともに、蒸気機関車や機関庫など、鉄道の情景が描かれた作品や、鉄道をモチーフにイメージを膨らませて描かれた作品、昨年開業百年を迎えた東京駅が描かれた作品などの絵画を展示します。
  これら貴重な作品の数々が富山に一堂に会するのは、北陸新幹線の開業という二度とない機会だからこそと言えます。さらに、展覧会としてだけではなく、鉄道事業への理解を深める機会とします。

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同展について報じた『中日新聞』さんの記事です。

これがお召列車「玉座」 県内初 県水墨美術館で展示 新幹線開業記念 JR東から借り受け

北陸新幹線開業を記念し、美術品を通して鉄道が楽しめる企画展が、富山市五福の県水墨美術館で開かれている。九月二十七日まで。
 「お召(めし)列車と鉄道の名画」と題し、JR東日本(東京都渋谷区)や東日本鉄道文化財団(同)の所蔵品五十二点を借り受けた。今回、天皇、皇后両陛下がお座りになる「玉座」を県内で初公開している。
 玉座は、一九三三年に一脚、五九年にもう一脚が製作された。色調は控えめで、絹製のクッションに、金糸の装飾が施され、テーブルとともに展示している。
 ほかに、彫刻家高村光雲(一八五二~一九三四年)が制作、監督を務めた「お召列車」の食堂車の窓枠や、勢いのある筆遣いの洋画家長谷川利行(一八九一~一九四〇年)の油彩画「赤い汽罐(きかん)車庫」(一九二八年)などが並んでいる。
 学芸員の鈴木博喬(ひろたか)さん(48)は「特に、玉座はなかなか見られない。大人から子どもまで楽しめます」と来館を呼び掛けている。
 休館は月曜日。開館時間は、午前九時半~午後五時(入館は午後四時半)。一般千円、大学生七百円、高校生以下は無料。


というわけで、光雲作の窓枠が展示されているとのことです。

当方、鉄道マニアではないのでよくわからず、調べてみました。すると、「御召列車博物館」というサイトがあり、その歴史が年表になっていました。

そちらによると、光雲存命中に15回ほどお召列車の車両が作られています。光雲は明治20年(1887)に、皇居造営に伴う彫刻の仕事を命ぜられ、それがきっかけで飛躍していくのですが、その流れでお召列車の内装も手がけたのでしょう。

ただ、現在、最も詳細な光雲の年譜は、平成11年(1999)に中教出版から刊行された『木彫高村光雲』巻末のものですが、こちらにも記録がありません。まだまだ光雲の事績の全体像も不明のところが多いのが現状です。そこで、お召列車の仕事にも携わっていたと知り、「ほう」と思いました。

お近くの方、ぜひどうぞ。

他にも別件で光雲関連、ぽつぽつ報道が為されています。明日はそのあたりを。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 8月30日

平成15年(2003)の今日、新人物往来社から沼口勝之著『裸像 小説・若き日の高村光太郎』が刊行されました。

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サブタイトルの通り、明治39年(1906)の欧米留学から、大正元年(1912)、智恵子と愛を確かめ合った銚子犬吠埼までの光太郎を描いた小説です。なかなかの力作、「ここはおかしい」という突っ込みどころも皆無だった記憶があります。

残念ながら版元の新人物往来社は吸収合併され、絶版ですが、古書市場では入手可能です。

新刊です(といっても2ヶ月程経ってしまっていますが)。

江戸・東京のドラマを訪ねて 山手線沿線めぐり

2013/12/15 中島克幸著 文芸社発行  定価1400円+税
 
山手線全29駅を起点にぐるりとめぐる小旅エッセイ。歴史好きの著者ならではの視点で、44カ所の名所・旧跡を紹介する。高層ビルの狭間にこんな場所があったなんて……、ふだんよく通る場所なのに……と、知っているようで知らなかった奥深い東京の魅力を再発見。関連する人物や事柄を解説するMEMOやアクセスも掲載しているので、週末にでも訪れてみてはいかが。

 
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新橋から始まり、山手線をぐるっと内回りで有楽町、東京、神田、秋葉原……そして浜松町までの全29駅で、それぞれの近くにある名所旧跡、知られざる歴史スポットの紹介というコンセプトです。
 
「「僕の前に道はない」――触れた詩人の心 16・西日暮里① 高村光太郎記念碑」で、荒川区立第一日暮里小学校まえにある「正直親切」の碑が扱われています。
 
それから同じく西日暮里で「「女性は太陽であった」――女性解放運動の聖地 17・西日暮里② 青鞜社発祥の地」に、団子坂上の青鞜社跡(物集和子邸跡地)も。
 
ぜひお買い求めを。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月20日

昭和5年(1930)の今日、雑誌『カジノ・フオーリー』に詩「カジノ・フオリイはいいな」が掲載されました。
 
           カジノ・フオリイはいいな001
 
 カジノ・フオリイはいゝな
 わかくて、新らしくて、水々しくて
 みみつちくて、アンチイムで
 かうなると
 ヴイユ・コロムビエよりもいいな
 巴里にいるコレツトさん
 ちよいと此のアツカリアムをのぞきませんか。
 
「カジノ・フォーリー」は、昭和4年(1929)、浅草水族館2階の余興場を本拠として設立された軽演劇団です。エノケンこと榎本健一が所属し、同8年(1933)まで活動を続け、一世を風靡しました。川端康成も小説「浅草紅団」で取り上げています。『カジノ・フオーリー』は同劇団発行の雑誌です。
 
「アンチイム」(intime)は仏語で「くつろいでいるさま、親しいさま」。「ヴイユ・コロムビエ」はパリ6区のヴィユ・コロンビエ通りに立つフランス現代演劇の拠点となった劇場。「コレツトさん」はやはりフランスの女性作家シドニー・ガブリエル・コレット。「アツカリアム」(Un aquarium)も仏語で「水族館」。
 
浅草近辺は、その若い頃から光太郎のテリトリーで、カジノ・フォーリーにも足を運んでいたようです。昭和25年(1950)に書かれた散文「松木喜之七遺稿集「九官鳥」によせて―松木喜之七氏と私の鯉―」でも触れています。
 
何年のことだつたか忘れたが、まだ浅草公園水族館の階上に「カジノフオリ」などといふ汚い劇場があつて、今のエノケンがまだそこの小さな人気俳優であつた頃のことだから随分昔のことになる。
 
この詩は永らくその存在が忘れられていまして、筑摩書房の増補版『高村光太郎全集』に収録されていません。非常に特殊な雑誌に発表されたのと、光太郎が手元に残した手控えの詩稿の束にも入っていなかったのが理由です。書簡や散文、座談会記録などはまだまだたくさん出てきますが、詩が新たに見つかった例はほとんどなく、見つけた時は実に驚きました。
 
数年前、とある古書店の目録に『カジノ・フオーリー』が揃いで掲載され、執筆者として光太郎の名も載っていました。数十万円の値が付いており、とても手が出ないと思っていましたら、駒場の日本近代文学館に収蔵されていることがわかり、現物を見て参りました。見るまで詩だと知らず、ちょっとした散文か何かだろうと高をくくっていたのですが、全集未収録の詩だったので驚いた次第です。
 
短い即興的とも云える詩ですが、「わかくて、新らしくて、水々しくて/みみつちくて、アンチイムで」あたりには光太郎詩の特徴がよく表れています。たたみかけるように言葉を並列する技法ですね。
 
有名な「根付の国」(明治43年=1910)では、
 
頬骨が出て、唇が厚くて、眼が三角で、名人三五郎の彫つた根付(ねつけ)の様な顔をして
魂をぬかれた様にぽかんとして
(略)
猿の様な、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚(めだか)の様な、鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な日本人

というふうに同じ技法が使われています。
 
さらに、これも有名な「ぼろぼろな駝鳥」(昭和3年=1928)では、「~ぢやないか」という表現が繰り返されます。

当方の住む千葉県香取市には、JR成田線という路線が走っています。今日から3日間、その成田線佐原~銚子間をSLが運行します。運行されるのはC61-20号機です。
 

 
 
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既に試運転が行われており、日曜日に犬の散歩がてら、佐原駅まで見に行きました(途中で冬眠から醒めた蛇を踏みそうになりました。千葉はもう春です)。当方、鉄道マニアではありませんが、古いものは大好きなので、その雄姿を見て心が躍りました。その時は停車していましたが、水曜日に、たまたま帰省していた娘と旧市街の古民家レストランに昼食を食べに行って店を出たところ、汽笛が聞こえたので、踏切まで行ってみました。すると、どんぴしゃりのタイミングで黒煙を吐きながら走ってくる姿。ますます心が躍りました。
 
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さて、「もしや」と思い、調べてみたところ、ズバリその通りでした。何がその通りかというと、もしかしたら光太郎が乗ったかもしれないということです。正確に言うと、機関車には一般人は乗れませんから、光太郎が乗った客車を牽引したかもしれない、というべきですね。
 
C61-20号機、昭和24年(1949)に完成、同46年(1971)までの間、青森機関区や仙台機関区に配属されていました。その間、東北本線で運行されていたということです。
 
一方、光太郎は昭和20年(1945)から同27年(1952)まで花巻郊外の太田村山口の山小屋で暮らしていました。その間、たびたび盛岡や秋田、山形などに出向いており、そうした際にこのC61-20号機の牽引する列車に乗った可能性があります。不思議な縁を感じました。
 
さて、C61-20号機、13時53分に佐原駅を出発、15時47分に銚子に着きます(おいでよ銚子号)。翌朝、10時37分に銚子を出発、佐原着は12時30分です(おいでよ佐原号)。佐原から銚子はC61-20号機が牽引、銚子にも佐原にも転車台がないため、銚子から佐原は最後尾に連結されたDE10型のディーゼルカー(これもかなりレトロです)が先頭になって牽引します。
 
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とっくの昔に乗車券は完売しているようですが、沿線で見ることは可能でしょう。光太郎と縁があるかも知れない蒸気機関車を見に、ぜひお越し下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】2月9日

昭和23年(1948)の今日、太田村山口の山小屋の近くに住む駿河重次郎翁のために、「金剛心」の書を揮毫しました。

昨日のこのブログ、普段より閲覧数が明らかに多かったのですが、理由がよくわかりません。
 
もしかしたら鉄道ネタだったので、いわゆる「鉄ちゃん」の皆さんが検索ワード的な部分からご来訪下さったのかな、と思い、今日は二匹目のドジョウを狙ってみます。
 
先月くらいでしたか、こんなものを手に入れました。
 
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古い絵葉書です。写っているのは花巻電鉄。光太郎がよく利用した路線です。
 
七年間の厳しい山小屋生活での一番の妙薬は、ある意味山の出で湯でした。花巻は温泉の宝庫です。光太郎は昭和20年(1945)6月、肺炎が恢復した後に西鉛温泉で一週間湯治したのを皮切りに、鉛温泉、大沢温泉、志戸平温泉、花巻温泉、台温泉など、花巻温泉郷と呼ばれる数々の温泉によく足を運んでいました。
 
そうした際や、花巻市街に用事があって出かける際などに使われたのが花巻電鉄です。花巻電鉄は花巻市街から花巻温泉方面への鉄道線(花巻温泉線)と、西鉛温泉行きの軌道線(鉛線)の二系統がありました。
 
山小屋のあった山口地区から最も近かった駅(といっても4㌔㍍ほどありました)が、軌道線の二ツ堰駅。ここから光太郎曰く「夢の話みたいな可愛らしい電車」(「花巻温泉」昭和三十一年 『全集』第十巻)に乗りました。実際、軌道線の車両は、なんと幅1㍍60㌢しかなかったそうです。
 
当方、「鉄ちゃん」ではありませんので、詳しいことはよくわかりませんが、絵葉書に写っている車両は「デハ3」というタイプで、現在、JR花巻駅近くに静態保存されています。見るからに縦長で、変わった形ですね。そこで「馬面電車」「ハーモニカ電車」などと呼ばれて親しまれていたそうです。
 
場所は大沢温泉。当方が花巻に行く際に定宿にしているところで、光太郎もよく宿泊しました。鉛線の駅があったとのことです。
 
そうそう、花巻電鉄といえば、こんなものも手に入っています。
 
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交通公社などが作成した正式な物ではなく、盛岡の旅館が配っていたもののようですが、東北本線、大船渡線など岩手県内を走っていた路線のポケット版時刻表です。「昭和24年9月15日改訂」とあり、もろに光太郎が太田村山口に住んでいた時期のものです。
 
最後のあたりに花巻電鉄も載っています。
 
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意外と本数が多いのに驚きました。花巻電鉄は昭和44年(1969)には廃線となり、現在は路線バスとなっていますが、花巻高村記念会の高橋氏に聞いた話では、高村山荘行き路線が廃止になるとのこと。ある意味、淋しい話ですね。
 
当方生活圏の千葉県銚子市にはわりと有名なローカル線、銚子電鉄が走っています。経営危機をいろいろな奇抜なアイディアで乗り越え、頑張っています。当方、「鉄ちゃん」ではありませんが、鉄道の旅は大好きです。がんばってほしいものです。
 
さて、本日も鉄道ネタ。閲覧数がどうなるか楽しみです(笑)。

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