光太郎の父・光雲とその高弟・米原雲海による信州善光寺さんの仁王像。今年が開眼百周年ということで、このところいろいろと動きがありました。
で、さらに先月。
まずはSBC信越放送さんのローカルニュースから。
善光寺の仁王像をPR・僧侶が事前研修
長野市の善光寺にある仁王像を参拝客にPRしようと、案内役を務める僧侶の事前研修が行われました。善光寺の仁王門で勇ましく構える仁王像。
高村光雲と米原雲海が手がけ、1919年に登場してから今年で100年を迎えます。
きょう長野市の善光寺事務局で開かれた研修会には善光寺の僧侶などおよそ40人が参加しました。
講師を務めたのは東京芸術大学大学院の非常勤講師・藤曲隆哉さんで東大寺の仁王像を参考につくられていることや台座に固定されずに背中にある支えのみで立っているなどと解説していました。
善光寺の僧侶たちによる案内は来月13日から9月まで土曜と日曜を中心に行われる予定です。
続いて地方紙『信濃毎日』さん。
開眼100年 保ち続ける絶妙バランス善光寺仁王像 実は自立構造
善光寺(長野市)の仁王門に納められた仁王像2体が、台座に突起などで固定されず、ほぼ像の重さだけで自立する珍しい構造であることが26日、東京芸大大学院の文化財保存学・保存修復彫刻研究室などの調査で分かった。全国の仁王像でも見当たらない構造だといい、1919(大正8)年の開眼から100年間、絶妙なバランスで倒れずに立ってきたことになる。 7~9月に同寺一山の僧侶たちが参拝者に仁王像や仁王門を案内する取り組みに向け、26日に同寺で研修会を開催。この場で講師を務めた同研究室非常勤講師の藤曲(ふじまがり)隆哉さん(36)が、1月に実施した現地調査の分析結果を明らかにした。
藤曲さんによると、一般的に仏像の足には「ほぞ」と呼ばれる突起状の部材があり、それを台座の穴に差し込んで固定している。しかし、善光寺の仁王像の足にはほぞがなく、金具で像の背中と壁をつなげているものの、壁の板に大きな負荷がかかっている跡はないという。
像は重さ300キロ以上とみられ、藤曲さんは「均整の取れたプロポーションで、バランスを取って自立している状態」と指摘。ただ、設置当初と比べると台座上で10センチほど動いたことも分かったとし、「100年間立っているものの、このままで倒れることはないか検討が必要」とした。
仁王門南側の左右に並ぶ仁王像は、向かって左側が口を開いた阿形(あぎょう)、右側が口を閉じた吽形(うんぎょう)で、ともに高さ5・3メートル前後と分かった。彫刻家高村光雲(1852~1934年)と弟子の米原雲海(1869~1925年)を中心に、松本市中町出身の彫刻家太田南海(1888~1959年)らが関わって制作。ほぞを使わない構造について藤曲さんは「西洋の先進的な制作技法を取り入れており、今までにない造形を目指した表れかもしれない」と推測した。
このほかエックス線調査では、複数の部材をかすがいやくぎを使って内部で接合していること、頭部や足、指先などに空洞があり、軽量化を図っていることも判明。像全体について「虫食いなどはなく、良い状態」としつつ、「もう修理を計画してもいい時期に来ている」と指摘した。
(6月27日)
像高5メートルを超える仁王像に「ほぞ」が採られて居らず、ほぼほぼ自立しているというのは驚きでした。光雲とその一派の高い技倆がこんなところにも表れているわけで。
仁王像開眼百周年の特別法要は9月だそうです。その件で、また別件でも情報が入りましたらお伝えいたします。
【折々のことば・光太郎】
別に感想もありませんが、新年号の満艦飾を見ると、如何にも田舎田舎した野暮くささを感じるだけです。
アンケート「雑誌新年号観」全文 大正15年(1926) 光太郎44歳
「雑誌の新年号なるものに対する感想」という問いに対しての答えです。ここでいう「雑誌」は、どちらかというと商業資本の総合誌を指しているのでしょう。現代でもそうですが、新年号というと、通常よりも派手な装幀を施してめでたさを強調し、売り上げ増を狙うもので、それに対するアイロニーですね。