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一昨日、文京区立森鷗外記念館さんで特別展「一葉、晶子、らいてう―鷗外と女性文学者たち」を拝見した後、歩いて北東方向へ。

少しだけ回り道をして、明治44年(1911)、平塚らいてうが雑誌『青鞜』を世に送り出した「「青鞜社」発祥の地」(現在はマンション)へ。『青鞜』発起人の一人、物集和子の旧宅があった場所で、智恵子が表紙絵を描いたその創刊号の頃は、ここが発行所の住所となっていました。区の建てた案内板には光太郎智恵子の名も。

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それから裏通りに入って、光太郎実家跡(現在建て替え工事中)、保健所通り(銀行通り)に出て、光太郎アトリエ跡(現在は個人宅)前を過ぎ、道坂上まで出て、右折。田端方面へと歩を進めました。

めざすは田端駅近くの、田端文士村記念館さん。

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こちらでは、今年の2月から「恋からはじまる物語~作家たちの恋愛事情~」展が開催されています。

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同館は、(公財)北区文化振興財団さんの運営になるもので、田端で活躍した文士・芸術家の功績を通じて「田端文士芸術家村」という歴史を、後世に継承して行くことを目的として平成5年(1993)に設立。メインは芥川龍之介ですが、光太郎智恵子、そして光太郎の父・光雲、光太郎実弟・豊周らと関わりのあった人々も多く含みます。

日本女子大学校での智恵子の一級上の先輩で、テニス仲間だった平塚らいてうもその一人。大正7年(1918)から同12年(1923)まで、同館近くに一家で住んでいました。既に「若いツバメ」奥村博史と結婚(入籍は昭和16年=1941までせず)、長女・曙生(あけみ)、長男・敦史(あつふみ)を授かり、苦しいながらも充実した生活を送っていた時期です。『青鞜』はすでに休刊、この頃は市川房枝らと「新婦人協会」の活動に当たっていました。

さて、「恋からはじまる物語~作家たちの恋愛事情~」。やはりメインは芥川とその妻・文でしたが、らいてうと博もかなり大きく取り上げられていました。

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とても気丈な女性だったというイメージのらいてうが、こと博史との恋愛に関しては、純情乙女的になってしまっていた感があり、ほほえましく思われました。この夫婦は博史が亡くなる昭和39年(1964)まで仲睦まじかったというイメージなので、そう思えるのかも知れませんが。

ちなみに改めてらいてうの年譜を調べていたら、昭和35年(1960)、博史と二人で安達太良山麓の岳温泉を訪れ、さらに既に人手に渡っていた智恵子の生家も訪れていたことがわかり、驚きました。その際、二人でどういう話をしたのかなど、興味深いところです。ちなみにこの時らいてう満74歳、博史は68歳でした。

その他、東京美術学校で光太郎の父・光雲に木彫を学んでから陶芸に転身した板谷波山とその妻・まる。この夫妻もなかなかドラマチックです。平成16年(2004)には、映画「HAZAN」(榎木孝明さん、南果歩さん主演)にもなりました。ちなみに「HAZAN」、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市でもロケが行われたはずです。

さらに佐多稲子、窪川鶴次郎、竹久夢二など、回り回って光太郎智恵子と関わる人物も取り上げられていました。

同展は5月6日(月)まで。ありがたいことに入館無料です。ぜひ足をお運び下さい。

この後、田端駅から山手線で渋谷へ。渋谷区文化総合センター大和田内の渋谷伝承ホールさんで、「長編詩劇・高村光太郎の生涯 愛炎の荒野。雪が舞う、」。を拝見して参りました。明日はそちらをレポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

自著の書籍を送つて返事の無いのをひどく気にするのは他人の都合を無視して自己の人情にのみ執する事である。丁度その時急病人のあることもあらうし、仕事に夢中になつてゐることもあらう。ともかく自分の書籍を人に贈ることは人の生活の中へ割りこむことである。

散文「某月某日」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

と言いつつ、光太郎はかなりまめに送られてきた書物への礼状をしたためています。しかし、自分が書物を贈った場合には、その礼状等を期待しないというのです。読んでいただくのだから、というわけで、同じ文章には「丁寧な礼状などをもらふと、其はあべこべですと述べたくなる」と書いています。

直接的には光太郎智恵子と関わりませんが……。  

恋からはじまる物語~作家たちの恋愛事情~

期    日 : 2019年2月26日(火)~5月6日(月)
会    場 : 田端文士村記念館  東京都北区田端6丁目1-2
時    間 : 10:00~17:00
料    金 : 無料
休 館 日  : 月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日と水曜日が休館)
          祝日の翌日(祝日の翌日が土・日曜日の場合は、翌週火曜日が休館)

いつの時代も恋は人々の心を大きく揺さぶり、人生を左右する一大事です。幸、不幸を往来するのは恋の宿命ですが、それゆえに恋の数だけドラマも生まれます。 本展では芥川文・平塚らいてう・林芙美子・佐多稲子など、 田端ゆかりの女性たちに焦点を当て、それぞれの恋愛事情を様々な資料から紹介します。

佐多稲子×窪川鶴次郎  板谷まる×板谷波山  林きむ子×林柳波  池田蕉園×池田輝方  
山田順子×竹久夢二・徳田秋声  林芙美子×手塚綠敏  芥川文×芥川龍之介  平塚らいてう×奥村博史

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関連行事

講演会 「芥川龍之介さんとわたし」 
講師 : 伊藤比呂美   3/16(土)14:00開演   定員 : 100名(応募多数の場合は抽選)
現代詩から古典やお経の現代語訳まで、常に新しい分野を開拓する詩人・伊藤比呂美が、初めて「芥川龍之介」について語ります。

3月ひととき散歩 「田端の女性たち~文学への情熱と苦悩~」
ご案内 : 当館研究員  3/17(日)13:00開演  当日先着80名(直接当館にお越し下さい)
文壇が男性主流の時代に、様々な逆境を越えて活躍した林芙美子、佐多稲子など田端ゆかりの女性作家の活動を中心にご紹介します。1時間ほど館内で講義をした後、1時間ほど旧居跡などを散歩します。天候により講義のみになることがあります。


日本女子大学校家政学部でで智恵子の一級上でテニス仲間、卒業後に『青鞜』の表紙を智恵子に依頼するなどした平塚らいてうがラインナップに入っています。らいてうも恋多き女でしたが、相方として取り上げられるのは、終生の伴侶となった「若いツバメ」こと画家の奥村博史です。

芸術界全体があまり広くなかったこの時代、他に取り上げられる人々のうちの何人かも、回り回って光太郎智恵子・光雲と関わりがあったりします。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

概括してヒウザン会の傾向をのべると、フオウビズム、印象派、後期印象派の三つに分れ、われわれの崇拝の的はゴオガンとゴツホであつた。先輩の中で、われわれの兎も角承認したのは黒田清輝氏ただ一人である。

散文「ヒウザン会とパンの会」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

田端文士村に集った人々もそうですが、それより若干早く、日本橋周辺で気焔を上げていた光太郎ら「パンの会」のメンバー、そしてそこから生まれた「ヒユウザン会(のちフユウザン会)」の造形作家たち。日本の芸術界全体が若かった頃に花開いた動きでした。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

新刊です。

命みじかし恋せよ乙女 大正恋愛事件簿

2017年6月30日 河出書房新社 中村圭子編 定価1,800円+税

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世の中を賑わせた恋愛事件が頻発した大正時代。心中・自殺も流行。平塚雷鳥、与謝野晶子、島崎藤村、有島武郎など。大人気のイラストレーター、マツオヒロミの書き下ろし挿絵収録!

人気イラストレーター・マツオヒロミの描き下ろしイラスト「大正恋愛幻想」3点掲載!

「マツオヒロミは、大正浪漫、昭和モダンの世界に影響を受けてイラストを作成しています。恋愛事件のヒロインとなった女性たちもまた、マツオヒロミの作品によって、現代に生きる女性たちの心の中でリメイクされ、新たな命を得ることができるでしょう。」(本文より)

ゴシップに人々の関心が集まるのは現代も同じですが、大正という時代は結婚に対する日本人の考え方が変化していた時代であり、恋愛事件は単なるゴシップである以上に、女性の生き方や結婚制度に問題を投げかけるものでもありました。恋のために世間の非難や嘲笑と闘い、最終的には幸福になった人もいれば、一方では自殺するなどの不幸な結末を迎えた人もいます。
平塚らいてうの運命の出会い、松井須磨子の後追い自殺、佐藤春夫の「魔女事件」、藤原義江をミラノに追った藤原あき、岡田嘉子が決行した雪の国境越えと銃殺された恋人等––世の中を賑わせた恋愛事件を多数収録!
大正時代のさまざまな恋のいきさつは、現代人にとっても大変興味深いものであり、そこから学ぶことは多いと思われます。

目次
第1章
 姦通罪による投獄―北原白秋×松下俊子・江口章子003
 恋愛なき心中未遂―平塚らいてう×森田草平
 運命の出会い―平塚らいてう×奥村博史
 歌姫の情熱―与謝野晶子×与謝野鉄幹
 姪との禁じられた恋―島崎藤村×島崎こま子

 後追い自殺の衝撃―松井須磨子×島村抱月
 サッフォーのごとく
   ―田村俊子×長沼智恵子・田村松魚・鈴木悦

第2章
 私は誘惑していません―原阿佐緒×石原純
 人妻との山荘情死事件―有島武郎×波多野秋子
 筑紫の女王、恋の出奔―白蓮×宮崎龍介
 「魔女事件」「妻譲渡事件」―佐藤春夫×谷崎千代
 追うときも別れるときも潔く―藤原あき×藤原義江
 友情の絆は、色恋の関係より強いか―澤モリノ×石井獏
 恋愛放浪―山田順子×竹久夢二・徳田秋聲
 「椿姫事件」そして「雪の国境越え」―岡田嘉子×竹内良一・杉本良吉

コラム
 大正初年代の恋愛観/「ナヲミズム」が自由恋愛を広める/大正後期の恋愛観

副題の通り、主に大正時代のさまざまな恋愛模様を紹介するというコンセプトの書籍です。智恵子がその創刊号の表紙を描いた雑誌『青鞜』メンバーにして、智恵子ともっとも親しかった田村俊子の項で、智恵子にも触れて下さっています。

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女性同士の同性愛が、当時、一種の流行でした。ズブズブ、ドロドロというわけではなかったようですが、光太郎と出会う前の智恵子と俊子の間にも、それに近い感情があったようです。多少の誇張があると思いますが、そのあたりは俊子の小説「わからない手紙」「悪寒」(大正元年=1912)、「女作者」(同2年=1913)、随筆「二三日」(明治45年=1912)などに描かれています。

その他、北原白秋、与謝野夫妻、平塚らいてう、有島武郎、佐藤春夫ら、光太郎智恵子と親しく交わった面々の「事件簿」も。マツオヒロミさんのイラストの他、当時の写真などもふんだんに使われ、ビジュアリックな作りになっています。

光太郎智恵子としての項はありません。そこに事件性があまりないためでしょう。扱われているのは、不倫やら駆け落ちやら三角関係やら心中やら、どれも現代であればワイドショーや週刊誌を賑わせるケースです。といって、野次馬根性的に読むのではなく、「恋愛」に命をかけた人々の人間ドラマとして読みたいものです。

編者の中村圭子さんが勤務されている文京区の弥生美術館さんで「「命短し恋せよ乙女」 ~マツオヒロミ×大正恋愛事件簿~」展も開催中。書籍で紹介されているすべての「事件」が扱われているのか不明ですが、とりあえずご紹介しておきます。

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【折々のことば・光太郎】

或は鏃のやうにするどく 或は愚かのやうにのどかである。

詩「芋銭先生景慕の詩」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

茨城牛久沼のほとりの草庵に暮らした日本画家・小川芋銭(うせん)を顕彰する詩の一節です。芋銭は前年に亡くなっています。芋銭のパトロンだった茨城取手の素封家・宮崎仁十郎(子息がのちに光太郎姻戚となる詩人・宮崎稔)を通し、この詩が作られました。おそらく、生前の芋銭と光太郎には直接の交流は無かったように思われます。

鏃(やじり)のような鋭さ、それと対照的な愚か者のようなのどかさ、両極を併せ持った芋銭へのオマージュであると同時に、自らもそうありたいという願望かもしれません。

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