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一昨日、文京区の弥生美術館さんで開催中の企画展「命短し恋せよ乙女 ~マツオヒロミ×大正恋愛事件簿~」を拝見した後、永田町の国立国会図書館さんに向かいました。

6月に拝見した杉並区立郷土博物館さん所収の光太郎書簡について掘り下げて調べるため、思想家の江渡狄嶺関連、それから来月、青森十和田市で講演を仰せつかっているため、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」について、いろいろと文献を渉猟いたしました。

その後、江東区住吉へ。過日ご紹介した朗読会「響きあう詩と朗読」を拝聴して参りました。会場は江東区公会堂ティアラこうとうさん。

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やはり光太郎がらみのイベントは雨に見舞われます。ちょうど着く頃に雨が降り出しました。

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光太郎を含む古今東西のさまざまな詩文を、6人の方が朗読されました。

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お一人目の清水けいこさん、「智恵子抄」から9篇の詩を朗読なさいました。伴奏的に、長谷川美鈴さんの篠笛が入り、幽妙な雰囲気が醸し出されました。

今回、ご案内を下さった、文芸同人誌『青い花』同人で、詩人の宮尾壽里子さんが3番目にご登場。光太郎詩「母をおもふ」他、「母」をモチーフとした詩6篇を朗読されました。こちらはYOSHI氏のピアノによる伝・カッチーニ「アヴェ・マリア」が伴奏でした。西條八十の「帽子」もラインナップに入っていました。森村誠一氏の「人間の証明」で引用され、同作が角川映画になった際は、故・ジョー山中さんが歌ったテーマソング(英訳)で、一躍有名になった詩です。

その他、さまざまな詩文の朗読。知っている作品と、そうでないものと、半々くらいでした。聴いている方としては、そのくらいのバランスがちょうどいい感じです。各朗読者の皆さん、それぞれに工夫を凝らし、終わってみれば2時間強の長いプログラムでしたが、それを感じさせませんでした。

何度も書いていますが、光太郎詩は意外と朗読向きです。完全な定型というわけでない作品でも、光太郎が「内在律」と呼ぶ独特のリズム感や、わざとらしくない程度の踏韻、そして何よりその内容とするところ(もちろんそうでない愚作、駄作の類も存在しますが)。

プロアマ問わず、多くの皆さんに取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

最も低いところに自ら救ふものがあり、 おのづから人類の光と美とに導くもののあることを知れ。 今はただ苦難の鍛へに堪へよ。 やがて清冽そのものを生み得るのは外ならぬわれわれだ。

詩「絶壁のもと」より 昭和21年(1946) 光太郎64歳

終戦記念日の『新岩手日報』に掲載されました。一年前の玉音放送、その後の混迷の一年間を振り返っています。やはり荒廃した人心を救おうとするその呼び掛けに、一部からは戦時中の翼賛活動を棚に上げて、という批判も起こりました。そうした声、そして自らの内なる声に導かれ、自己の戦争責任を省察する連作詩「暗愚小伝」が構想されていきます。

詩人でもあり、朗読もなさっている宮尾壽里子さんからご案内を頂きました。宮尾さん、これまでもお仲間の皆さんと、 「2016年 フルムーン朗読サロン IN 汐留」、「第5回 春うららの朗読会」等で、光太郎詩を取り上げて下さっています。

響きあう詩と朗読

期  日 : 2017年8月30日(水)
時  間 : 開場18:30  開演19:00
場  所 : 江東区公会堂ティアラこうとう 小ホール 東京都江東区住吉2-28-36
料  金 : 3,000円(全席自由・税込)

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演 目 :
宮尾壽里子 ピアノ:YOSHI
 <ポエジー母>より 三好達治「乳母車」  高村光太郎「母をおもふ」  西條八十「帽子」 
 草野心平「青ィ花」  宮尾壽里子「母になる日」  吉田一穂「母」

勝田のぞみ J.D.ベリズフォード(訳:西崎 憲)『喉切り農場』

岩井奈美 F.G.ロルカ(訳:小海永二)  『ガリーシアの六つの詩篇』 
 ヴァイオリン:松田 彩 ピアノ:室井悠李
 Ⅰ サンティアゴの町への恋歌  Ⅱ 小舟に乗った聖母マリアのロマンセ Ⅲ 少年店員の歌
 Ⅳ 死んだ若者の夜想曲  Ⅴ 死んだロサリア・カストロのための子守唄
 Ⅵ サンティアゴの月の踊り
 芥川龍之介『地獄変』

ひらやす かつこ J.R.ヒメネス(訳:長南 実)
 『プラテーロとわたし』より「プラテーロ」「春」「秋」

清水けいこ 篠笛:長谷川美鈴
  高村光太郎『智恵子抄』より「郊外の人に」「晩餐」「あどけない話」
 「あなたはだんだんきれいになる」「樹下の二人」「風にのる智恵子」 「荒涼たる帰宅」
 「梅酒」「レモン哀歌」


恐縮ながら招待券を頂きました。楽しみにしております。


それから、情報を得るのが遅れて、もう明日になってしまっていますが、もう1件。朗読と云うより詩吟系のイベントのようです。

京の文化絵巻2017 ~文学吟詠舞劇と邦楽の飛翔~

期  日 : 2017年8月12日(土)
時  間 : 開場14:30  開演15:00
場  所 : 京都芸術センター 講堂 京都市中京区室町通蛸薬師下る山伏山町546-2
料  金 : 1,000円

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演 目 :

 文学吟詠舞劇 「智恵子抄 断章―千鳥と遊ぶ智恵子―」
  原詩 高村光太郎   構成詩・付曲 廣 青隴   舞振付 藤蔭静樹
  文学吟詠:廣 青隴 古川瀞女 増田松洲 栗田瀞惠  村田青雪 黒田桜風 松浦哲山
       増田興洲
  舞:藤蔭静樹 藤蔭静亜樹
 
 -古典芸能十八番中の十八番 道成寺もの-より 「古道成寺」
  作曲 岸野治郎三、八重崎検校  出演 箏 早瀬久恵
  歌・三絃 大木冨志 粟田彰輝 梶田和栄

文学吟詠舞劇というジャンル、どんなものかと非常に興味があるのですが、いかんせん参上できません。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

生れてまだ二十年にもならないだらう青年は まるで天からもらつた水晶玉のやうにきれいだ。 その純潔をまもつてくれ、青年よ。

詩「純潔」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

その青年たちを戦場へと追いやるための詩を、この後、光太郎は大量に書き殴ることとなってゆきます。戦後はその贖罪のため、花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)での、自虐とも云える蟄居生活に入るわけです。

2泊3日の行程を終え、先ほど、宮城女川から帰って参りました。

昨日の第26回、女川光太郎祭をレポートいたします。

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会場は、JR女川駅前に新たに建設された商店街・シーパルピア女川のはずれに建つ、女川町まちなか交流館さん。台風余波の驟雨が時折強く降りしきる中での開催となりました。

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多目的ホールが備わっており、ゆったり広々した会場で開催できました。特に今年は、智恵子の故郷・福島二本松から、智恵子命日の集い・レモン忌を主催されているレモン会の皆さん20余名が、マイクロバス一台で駆けつけて下さり、多数の参会となりましたので、広い会場で幸いでした。

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はじめに黙祷。かつてこの会を取り仕切っていた、貝(佐々木)廣氏を偲んで、頭を垂れさせていただきました。

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その後で、当方の講演。昭和22年(1947)に発表された、光太郎のそれまでの65年間を振り返る連作詩「暗愚小伝」に基づき、光太郎の生の軌跡をご紹介する連続講演で、今年は5回目。主に智恵子との結婚生活、その始まりから終焉までを語らせていただきました。合間に光太郎の肉声の録音なども聞いていただき、おおむね好評でした。

主催の女川光太郎の会・須田会長のご挨拶。

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須田会長は女川沖に浮かぶ出島(いずしま)ご在住の漁師さんで、年に数回、当方の元に銀鮭やらホヤやらサンマやらを送って下さっています。

光太郎遺影、それからかつて会場すぐそばに建っていた光太郎文学碑の写真に献花。レモン会の方にもお願いしました。

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今年の会場からは、横倒しになった文学碑が見えました。ちょっとわかりにくいのですが、下の画像、真ん中の電柱の真下の黒いのがそうです。

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碑の関係については、いずれ日を改めてこのブログでご紹介します。

その後は、ギタリスト・宮川菊佳さんの演奏に乗せて、光太郎の詩文の朗読。

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小学生からご高齢の方、さらに地元の方から遠方の方まで、それぞれに個性あふれる朗読でした。

アトラクションとして、音楽演奏も行われ、花を添えて下さいました。

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故・貝(佐々木)廣氏夫人の英子さん。今回欠席された、当会顧問北川太一先生のメッセージを代読なさいました。

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高村家から、光太郎の実弟にして鋳金の人間国宝だった豊周令孫・達氏のご挨拶。

こうしてつつがなく終了し、すぐ近くの中華料理店さんを借り切って、レセプション。

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レモン会の皆さんは、二本松からの列車の都合がおありの方がいらっしゃるとのことで帰られましたが、北川先生の教え子の皆さんである北斗会の方々、詩人の曽我貢誠氏ご夫妻、音楽演奏をなさって下さった方々、女川の風土に魅せられて、毎年この日に遠方からいらっしゃる方々、そして地元の皆さんなどで、おおいに盛り上がりました。泉下の光太郎、さらに貝(佐々木)廣氏も喜んだことでしょう。

その途中、喫煙のため外に出たところ、見えた夕焼け。

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一年後の再会を約し、散会しました。


今朝、地元紙『石巻かほく』さんで、早速報じて下さいました。

女川で「光太郎祭」、講演と朗読 紀行文や詩に思いはせる

 女川町を訪れた詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)をしのぶ、第26回「光太郎祭」(女川・光太郎の会主催)が9日、町まちなか交流館で開かれた。光太郎は31年の8月9日に三陸地方を巡る旅に出発した。

 町民ら約60人が参加。高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営員会代表の小山弘明さんが「高村光太郎、その生の軌跡~連作詩『暗愚小伝』をめぐって」と題して講演。光太郎と妻智恵子が共に歩んだ人生を、光太郎の詩を紹介しながら解説した。

 小山さんは、光太郎が智恵子と結婚披露宴を開いた1914年の作品「道程」について「光太郎が文学や彫刻で新しい道をつくっていく決意を表している」と説明。「道程」の一文にある「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来(でき)る」に触れ、「現代のわれわれにも通じる素晴らしい作品だと思う」と述べた。

 参加者はじっくりと聞き入り、光太郎と智恵子の生涯に理解を深めた。

 光太郎の紀行文や詩の朗読もあり、女川を題材にした「よしきり鮫(ざめ)」などが紹介された。

 91年に女川を題材にした紀行文や詩の文学碑が女川港近くに建立され、92年から光太郎祭が開かれている。
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来年以降も、続けられる限り、永続的に行われて欲しいものです。


【折々のことば・光太郎】

見えもかけ値もない裸のこころで らくらくと、のびのびと、 あの空を仰いでわれらは生きよう。 泣くも笑ふもみんなと一緒に 最低にして最高の道をゆかう。

詩「最低にして最高の道」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

あの東日本大震災の大津波を経験され、愛する者を失い、故郷の街の壊滅、そして再生を見てこられた女川の皆さん。まさに「泣くも笑ふもみんなと一緒に」だったわけです。

ただし、光太郎は「泣くも笑ふもみんなと一緒に」、泥沼の戦争協力へと進んでしまったのが、本人にとっても大きく悔やまれることでした。

昭和6年(1931)、光太郎が三陸一体を旅したなかで立ち寄った宮城県牡鹿郡女川町。それを記念して毎年開催されている女川光太郎祭、今年もつつがなく終わりました。
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台風の余波で時折降りしきる雨の中、遠方からも含め、多くの皆様がお集まりくださいました。

詳しくは帰りましてからレポート致します。

昭和6年(1931)、光太郎が新聞『時事新報』の依頼で、紀行文「三陸廻り」を書くため、8月9日から約1ヶ月、宮城から岩手の三陸海岸一帯を旅した事を記念し、毎年、女川光太郎祭が開催されています。こぢんまりと行うイベントで、ネット上に詳細情報等有りませんが、問い合わせた結果と昨年までの要項を参考にまとめると、以下の通りです。

第26回女川光太郎祭

期 日 : 2017年8月9日(水)
時 間 : 午後2:00~
場 所 : 女川町まちなか交流館 宮城県牡鹿郡女川町女川浜字大原1-36
内 容 : 
 献花
 光太郎紀行文、詩などの朗読
 講演 「高村光太郎、その生の軌跡 ―連作詩「暗愚小伝」をめぐって⑤―」
     高村光太郎連翹忌運営委員会代表 小山弘明 
 ギター・オペラ演奏 宮川菊佳(ギタリスト) 本宮寛子(オペラ歌手)

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会場が昨年の女川フューチャーセンターCamassから、震災前、元々の会場だった海浜公園(上記地図でいうと「メモリアルゾーン」)に近い女川町まちなか交流館に変更になりました。やがてメモリアルゾーンの整備も終われば、ここにあった光太郎文学碑も再建され、そちらでの開催になると思います。その日も近いように思われます。

智恵子の故郷・福島二本松からは、智恵子の顕彰に携わるレモン会の皆さんが貸し切りバスでいらっしゃるそうです。しかし、残念ながら、今年は当会顧問・北川太一先生はご欠席だそうです。

今年で5回目となりますが、当方の講演が入ります。永続的に講演をし続けることになりそうなので、まず10年くらいは光太郎の一生を区切って俯瞰する方向でと考え、昭和22年(1947)に、それまでの人生を振り返って書かれた連作詩「暗愚小伝」の構成にしたがって進めており、今年は智恵子との出会いから結婚生活、そして死別のあたり――明治末から太平洋戦争直前くらい――を扱います。

ちょうどこの期間に、『時事新報』の依頼で三陸を廻っていますので、その辺も、と考えております。

そのために、その旅で光太郎が利用した三陸汽船の古文書を入手しました。大正15年(1926)ですから、光太郎が三陸を訪れた5年前に発行された、金子常光の手になる鳥瞰図をあしらった案内です。

ちなみにネットオークションに出品され、入札したのですが負けました。負けて「ちっ」と思っていたら、オークションではない、古書販売サイトに出品されているのを見つけ、オークションで負けた価格より安く手に入りました。捨てる神あれば拾う神あり、ですね(笑)。

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広げると全幅90㌢ほど。南は塩竃から、北は宮古までのリアス式海岸が描かれています。

女川近辺を拡大すると、こうです。

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裏面には汽船の利用案内や、各寄港地の説明などが書かれています。

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これは三陸汽船について調べている中で知ったのですが、月2便の東京芝浦港との往復便がありました。それについても記述があります。最近、光太郎は、これを利用したのではないかと考えるようになりました。

時事新報に連載された「三陸廻り」は、石巻から宮古までの行程が書かれていますが、東京から石巻までと、宮古を出て東京への足取りが書かれていません。これまで何となくそれぞれ陸路だったのでは考えていましたが、往復とも船で済んでしまえばその方が楽だったはずです。当時は陸路にしても新幹線などありませんでしたし。

光太郎が三陸を廻るという話を聞いた、花巻の宮沢賢治は、花巻に会いに来てくれることを熱望していたそうですが、それは果たされませんでした。それも、月2便しかなかった船の便の都合、と考えれば、納得が行きます。

確証はありませんが、今後、そのあたりについて書いた書簡などが見つかれば面白いな、と思っております。


さて、女川光太郎祭、ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

あなたはまだゐる其処にゐる あなたは万物となつて私に満ちる  私はあなたの愛に値しないと思ふけれど あなたの愛は一切を無視して私をつつむ

詩「亡き人に」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

翌年に書かれた散文「智恵子の半生」にも、同様の記述があります。

或る偶然の事から満月の夜に、智恵子はその個的存在を失ふ事によつて却て私にとつては普遍的存在となつたのである事を痛感し、それ以来智恵子の息吹を常に身近かに感ずる事が出来、言はば彼女は私と偕にある者となり、私にとつての永遠なるものであるといふ実感の方が強くなつた。私はさうして平静と心の健康とを取り戻し、仕事の張合がもう一度出て来た。一日の仕事を終つて製作を眺める時「どうだらう」といつて後ろをふりむけば智恵子はきつと其処に居る。彼女は何処にでも居るのである。

この境地に至るまでの苦しみや辛さは想像するに余りあります。そして、この境地に達さなければやっていけなかったであろうということも。

朗読系イベント情報です。
会 場 : ポルコポルコ 埼玉県越谷市千間台西3丁目1−17
時 間 : 11:00~14:30
料 金 : 第1部 3,800円(アイスティー、チーズケーキ付)  第2部 1,000円

プログラム

第1部 フルート×語りのおとばなライブ 「秘密のおとばな部屋」

 宇高杏那/フルート フルーティスト。作曲も手がける。 フルートオーケストラ「響き」コンサート・ミストレス。
 和久田み晴 /語り 語り手・声優。NHK Eテレ『すすめ!キッチン戦隊クックルン』バニラおばさん役、各種ナレーション・ボイスオーバー等出演。

秘密の隠れ家で、様々な本のページをめくれば人生の様々な機微に遭遇する…
その時きっと、その言葉と音は、あなたの人生にリンクしていく。声と音楽を通して本を味わう1時間!

「ミルクパン」和久田み晴 著
「すりごま」和久田み晴 著
「わが名はピーコ」(角川文庫刊『めろめろ』所収)  犬丸りん 著
「レモン哀歌」(『智恵子抄』所収)  高村光太郎  著
「100万回生きたねこ」(講談社刊)  佐野洋子 著
 物語作品には、すべて宇高杏那&靖人両氏によるオリジナル曲が作曲されています。


第2部 ブクブク交換会

テーマに合った本を持ち寄って、紹介しあって交換するイベント♪
自分では手にとらないであろう本との出会いは面白いもの。
小説に限らず、絵本、ハウツー本、漫画などなど、おススメのものであればなんでもOK!
自分の好きな本を紹介するとき、その人の人柄や本質的なものが現われるのだそう。
本を通して、人とのつながりができるのも、このイベントの面白いところ!
1部から引き続き、おとばなの和久田と宇高も参加♪

※お好きなテーマの本をお持ちください。
※1人2冊くらいお持ちいただくと楽しいです。
※本は新品でも中古でも大丈夫です。
※本は交換してしまうので、持ってきた本は原則手元には戻りません。
 
《今回のテーマ》
 ・知らなかったことを知れた本  ・勇気づけられた本  ・夏休みを思い出す本

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ユニット「おとばな」さん。クラシックギターの宇高靖人氏も加わったフルメンバーで、昨年には「フルートとギターと語りのコンサート『おとばなノスタルジア館』」という公演もなさり、やはり「レモン哀歌」を取り上げて下さいました。ありがたや。

その際は他に用事があって聴きに行けませんでしたが、今回もその前後、岩手に行っておりますので、聴きに行けません。残念です。

ご都合のつく方はぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

昔から此の島の住民は知つてゐる、 嵐のあとに天がもたらす あの玉のやうに美しい秋の日和を。
詩「日本の秋」より 昭和13年(1938) 光太郎56歳

この項、『高村光太郎全集』の掲載順に言葉を拾っておりますので、季節外れとなることもしばしばです。関東は梅雨明けとなり、本格的な夏となりました。当方、光太郎ほどに夏に弱くはありませんが、さすがに35度を超える猛暑日は体にこたえます。「玉のやうに美しい秋の日和」が来ることをイメージしつつ、乗り切ろうと思っております。

一昨日の朝、宿泊させていただいた青根温泉湯元不忘閣さんを後に、愛車を北へ向けました。メインの目的である仙台での朗読家・荒井真澄さんとテルミン奏者・大西ようこさんによるコンサート「朗読とテルミンで綴る智恵子抄」が午後3時開演。リハーサルや会場準備、チラシ折り込み等があるので昼頃には会場入りと思っていましたが、それにしても時間があったため、寄り道をしました(当初からそのつもりでしたが)。

行った先は、仙台からほど近い松島の瑞巌寺さん。こちらには、昭和2年(1927)、光太郎の父・高村光雲作の観音像が納められています。下の画像は古絵葉書です。瑞巌寺さんには30年ほど前に参拝いたしましたが、その際には存じませんで、見落としていました。

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納められているのは庫裡。こちら自体も国宝の建築です。


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光雲作としては類例があまり多くない、彩色彫刻です。おそらく丈六(約4.8㍍)の大きなもので、そうなると白木では見栄えがしないかもしれません。鮮やかな彩色が、神々しさをさらに倍加させています。

説明板によれば、元々は現JR仙石線が宮城電鉄だった頃、松島まで路線が延引された際に、無事故と事業の発展を祈願して同線の駅近くに奉納されたものだそうです。ということは、発願主は宮城電鉄さんだったのでしょうか。

この地の平安と、道中安全を祈願して参りました。

庫裡の向かいが宝物館となっており、まだ時間もありましたので、拝観。青根温泉不忘閣さん同様、やはり地元の英雄・伊達一族に関するお宝、それから円空仏なども展示されており、興味深く拝見しました。


さて、再び愛車を駆って仙台へ。途中で昼食を摂ったり、お二人への花束を買ったりしつつ、正午過ぎには青葉区のJazz Me Blues Nola(ジャズミーブルースノラ)さんに到着しました。こちらは一昨年、やはり荒井さんのご出演なさった「無伴奏ヴァイオリンと朗読 智恵子抄」以来、2年ぶり2回目です。

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ちょうど機材のセッティングが終わってリハーサルが始まるところでした。

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当方が持参した光太郎の遺影(連翹忌でも使わせていただいている、令甥の写真家、故・髙村規氏撮影のもので、ほとんど唯一、光太郎が笑顔の写真)、智恵子紙絵の複製などを並べさせていただきました。

その後、チラシの折り込みなどをお手伝いし、午後2時半、開場。当会と共に後援に入って下さった花巻高村光太郎記念会さんから、生前の光太郎をご存じの浅沼隆さん、さらに智恵子の故郷・福島二本松で顕彰活動を進められている智恵子のまち夢くらぶの野里氏もはるばる駆けつけて下さいました。

開演は午後3時。

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休憩を挟んで1時間半ほどだったでしょうか。大西さんの奏でる古今東西の名曲に乗せ、荒井さんによる光太郎詩文等の朗読。テルミンの一種幽玄な響きと、荒井さんのしっとり落ち着いた美しいお声が絶妙にもつれ合い、絡み合い、美しくも悲しい、しかし最後は再生へと向かう光太郎智恵子の愛の世界を醸し出していました。

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全体の構成や、合間にはMCも入り、飽きさせない工夫が為されていました。テルミンを見るのも聴くのも初めて、という方が多数いらっしゃいましたので、大西さんお得意のテルミン講座。さらにはお二人のなれ初め(笑)についてのお話などなど。お二人が初めて会われたのが、昨年の連翹忌。ビュッフェ形式で料理が並ぶうちの、ケーキのコーナーだったそうです(笑)。「天才は天才を知る」ということでしょうか(笑)、お互いに「ただ者ではない」と感じられたそうで、たちまち意気投合、これまでもちょこちょことコラボをなさり、今回が初めてのきちんとした公演でした。

午後の部がつつがなく終わり、楽屋でおにぎりなどを頂いて軽く腹ごしらえ。そして7時から夜の部でした。

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当方、リハーサルを含めて結局3回聴いたことになりますが、お二人のパフォーマンスがそれぞれにすばらしく、もちろん光太郎の詩文の魅力もあって、まったく飽きることもなく、どっぷりと光太郎智恵子の世界に浸らせていただきました。

午後の部と夜の部の合間、それから終演後に拝読したご来場の皆様が書いて下さったアンケートでも、絶賛の嵐でした。再演を希望する声も多く、是非実現して欲しいものです。

終演後、お二人と、大西さんのご主人(ラブラブご夫婦で、いつもご主人がご一緒です)、そして当方の4人で夜の仙台の街に繰り出し、打ち上げ。日付が変わる頃まで大いに盛り上がりました。

連翹忌が取り持つご縁でこうしたイベントとなり、望外の喜びです。これまでも、こうしたパフォーマーの方々のコラボ、美術館・文学館さんと関連行事の講演会講師、出版関係者の方々と執筆者の皆さん、顕彰団体さんと視察研修先の方々などを結びつける役割を果たして参りましたが、こういうネットワークを広げることも大事な役割と考えております。

この輪をもっともっと広げたいと存じます。さらに多くの方々に連翹忌へご参加いただき、こうしたネットワークに関わっていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

さわぐには及びません やる事をやりなさい  威張るには及びません 頭をはつきり持ちなさい

詩「ゆつくり急がう」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

詩全体には、昭和6年(1931)夏、新聞『時事新報』の依頼で紀行文「三陸廻り」を書くために、約1ヶ月、宮城から岩手の三陸沿岸を旅した経験が背景にあります。

この旅行に出ている間に、智恵子の心の病が顕在化したということになっています。光太郎の留守中に訪ねてきた智恵子の母や妹が、智恵子の異状に気づいたそうです。となると、第三者の目による異状顕在化であって、もしかするとそれ以前から症状は現れていたかも知れません。詩人の深尾須磨子あたりはかなり早い時期から智恵子の言動に違和感を覚えていました。

そしてどうもこの時期の光太郎は智恵子の状態を楽観視していたようで、そのあたりが「さわぐには及びません  やる事をやりなさい」にも反映されているような気もします。

さすがに翌年に智恵子が自殺未遂を図ると、そうも言っていられなくなりますが……。その結果、青根温泉などへの湯治の旅に結びつくのです。

一昨日、昨日に続き、今月行われる朗読系イベントのご紹介を。

今日は仙台からの情報です。 

朗読とテルミンで綴る 智恵子抄

期     日 : 2017年6月24日(土)
時     間 : 午後の会 14:30 開場 15:00 開演    夜の会 18:30開場 19:00 開演
会     場 : Jazz Me Blues Nola(ジャズミーブルースノラ)
          仙台市青葉区錦町1-5-14ノーバル・ビル1F 
料     金 : 前売り \3,500  当日 \4,000   ワンドリンク付き
問い合わせ : Happy Voice Project (アライ) 070-5474-3444
出   演 : 朗読 荒井真澄     テルミン 大西ようこ
後   援 : 一般財団法人 花巻高村光太郎記念会   高村光太郎連翹忌運営委員会

~ 詩人・彫刻家 高村光太郎が綴った夫人への愛の詩集『智惠子抄』
  テルミンの哀愁あふれる旋律と共に、二人の想いが現在に蘇る

朗読(予定):
 『智惠子抄』より
  「人に」「人類の泉」「樹下の二人」「あなたはだんだんきれいになる」
  「あどけない話」「風にのる智惠子」「千鳥と遊ぶ智惠子」「レモン哀歌」「亡き人に」
 『智惠子抄その後』より
  「メトロポオル」「あの頃」「案内」

演奏曲目(予定):
 星めぐりの歌(宮沢賢治) 『智惠子抄』より(清道洋一)
 『三つの情景』より(田中修一)『二つの風舞』より(橘川琢)
  浜辺の歌(成田為三)  白鳥(サン=サーンス)
  愛の哀しみ(クライスラー) モルゲン(R.シュトラウス)

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というわけで、朗読家の荒井真澄さんと、テルミン奏者の大西ようこさんとのコラボによるコンサート。それぞれ、数年前から「智恵子抄」系での活動などもいろいろなさってこられた方々です。

荒井さん。

大西さん。 

きちんとしたコンサートでのご共演は今回が初めてとなりますが、連翹忌の取り持つ縁で意気投合されたお二人、これまでもちょこちょことコラボが実現していました。


仙台方面で光太郎智恵子事績について調査することもありますので、当方も馳せ参じます。皆様もぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

これが出来上ると木で彫つた山雀が あの晴れた冬空に飛んでゆくのだ。 その不思議をこの世に生むのが 私の首をかけての地上の仕事だ。

詩「首の座」より 昭和4年(1929) 光太郎46歳

「首の座」は、人が首を切られるときに座る場所、またはそのような絶体絶命の状況。「土壇場」ともいいます。できれば座りたくない場所ですが……。

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光太郎、自分の彫刻制作は、首の座に据えられてやるような、命がけの仕事だと言っているわけですね。

「山雀」は「やまがら」。日本全域に広く分布している野鳥です。ただし、光太郎が彫ったという山雀の木彫は確認できていません。(「白文鳥」や「うそ」は現存していますが)。

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もしかすると、出来上がったところで本当に飛んで行ってしまったのかもしれません(笑)。「画竜点睛」の故事を下敷きにしているようですね。

昨日にひきつづき、光太郎詩を取り上げて下さる朗読系、というか、音楽がメインです。

松本律子 × 高木リィラコラボレーション・ライブ "Live Now"

期     日 : 2017年6月23日(金)
時     間 : 18:30 スタート (18:00 オープン )
会     場 : 221ホール 広島市佐伯区五日市中央2-2-1 ライフワンビル2階
料     金 : 前売り ¥2,500  当日 ¥3,000   高校生以下割引あり
問い合わせ : leela@megami-net.com(リィラ音楽教室)

マリンバ界の最先端を突き進む松本律子と、オンリーワンの音楽世界を構築する高木リィラによる、夢のコラボレーション・ライブがついに実現!

プログラム(予定)
マリンバ、ロータス・タンバリン、キム(タイの伝統楽器)、ガンクドラムmini2、電子音など、多彩な楽器をクロスオーバーした新感覚の演奏会です!
「智恵子抄」・・・高村光太郎の妻智恵子への愛を綴った詩からインスピレーションを受け、松本律子が創作中のマリンバ・オリジナル曲と詩の朗読。
武満徹の「小さな空」(松本アレンジ版)。「童神〜天の子守唄〜」。松本アレンジの季節のうたメドレーetc.・・・。

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松本律子さん。今月21日には、相模原で、朗読家の中村雅子さんとのコラボ「森のコンサート マリンバの響き ~智恵子抄の世界~」の公演をなさいました。松本さんのブログにその際のレポートが。

今回は、広島で活動されているミュージシャンの高木リィラさんとのコラボで、「電子音の「無機」と、アコースティック楽器の「有機」を融合させた、新たな地平の音楽を目指します。」だそうです(ただ、若干気になるのは、高木さんのブログで「全編、オリジナルのディープなプログラムに変更しました!」)とありますが……。


とりあえずご紹介しておきます。


【折々のことば・光太郎】



その詩は手きびしいが妙に親しい。 その詩は不思議に手に取れさうだ。 その詩は気がつくと歩道の石甃(いしだたみ)にも書いてある。

詩「その詩」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

詩「その詩」。18行からなる詩ですが、結局3行
ずつにわけて全文を紹介させていただきました。光太郎の考えていた詩の方法論が端的に、しかし、象徴や比喩を多用しつつ、あくまで詩として示されています。
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 その詩をよむと詩が書きたくなる。
 その詩をよむとダイナモが唸り出す。
 その詩は結局その詩の通りだ。
 その詩は高度の原(げん)の無限の変化だ。
 その詩は雑然と並んでもゐる。
 その詩は矛盾撞着支離滅裂でもある。
 その詩は奥の動きに貫かれてゐる。
 その詩は清算以前の展開である。
 その詩は気まぐれ無しの必至である。
 その詩は生理的の機構を持つ。
 その詩は滃然と空間を押し流れる。
 その詩は転落し天上し壊滅し又蘇る。
 その詩は姿を破り姿を孕む。
 その詩は電子の反撥親和だ。
 その詩は眼前咫尺に生きる。
 その詩は手きびしいが妙に親しい。
 その詩は不思議に手に取れさうだ。
 その詩は気がつくと歩道の石甃(いしだたみ)にも書いてある。

光太郎詩の中では、それほど有名な作品ではありませんが、もっと取り上げられていいものだと思います。

6月は各地で光太郎詩を取り上げて下さる朗読イベントなどがいろいろあります。

まず、山梨県韮崎市から。

大人の為の朗読会・朗読のつどい 

心に響く詩や文学作品を耳から味わいます。他者の選ぶ本の良さを体感し、読書の幅を広げてみませんか?

期     日 : 2017年6月17日(土)
時     間 : 午後2時から3時
会     場 : 韮崎市市民交流センターNICORI ニコリ2階会議室9
            山梨県韮崎市若宮一丁目2番50号
料     金 : 無料
問い合わせ   : 韮崎市立大村記念図書館 0551-22-4946
プログラム   :
 梅薫る         藤沢周平 作    朗読・深澤恵美子さん
 頭のふりかけ購入記   東海林さだお 作  朗読・飯久保博幸さん
 蜘蛛の糸        芥川龍之介 作   朗読・斎藤豊子さん
 智恵子抄        高村光太郎 作   朗読・金丸芳子さん
 注文の多い料理店    宮沢賢治 作     朗読・清水薫さん

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このブログで繰り返し述べていますが、光太郎詩――というか詩に限らず散文なども――意外と朗読向きです。そういうふうに意識して作っていたわけではないのでしょうが、日本語に対する鋭敏な感覚が行き届いているため、結果として、朗読してみると非常にしっくりし、日本語としての美しさが際だつように思います。

むろん、内容が伴ってのことです。朗読してみてリズム感にあふれ、語感もすばらしい、しかし、では、その作品を通して何を訴えたいの? 内容が無いよう、と、つっこみたくなる作品が取り上げられることが多々あります。その点、光太郎作品は、大自然への讃仰、人間賛歌、さまざまな人々へのエール(それが昂じて戦時中には道を踏み誤りましたが)など、いずれも単純そうに見えてそれぞれひとひねりがあり、いいもの揃いです。

プロアマ問わず、朗読愛好者のみなさん、ぜひ光太郎作品をどんどん取り上げて下さい。


【折々のことば・光太郎】

その詩は姿を破り姿を孕む。 その詩は電子の反撥親和だ。 その詩は眼前咫尺に生きる。

詩「その詩」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

「咫尺」は「しせき」と読み、その前の「眼前」と同じく「至近距離」の意。詩は人情の機微や人間生活に密着したものでなければならない、的な考えの表出と捉えたいところです。

神奈川相模原から、コンサート情報です。開催は明後日ですが、気づくのが遅れてしまいました。すみません。 

森のコンサート マリンバの響き ~智恵子抄の世界~

日  時 : 2017年5月21日(日) 13:00~15:00001
会  場 : 津久井湖城山公園 森のステージ
         (雨天時研修棟)
        神奈川県相模原市緑区 根小屋162
料  金 : 無料
申し込み : 不要
出  演 : 松本律子(マリンバ)
       中村雅子(朗読)

中村雅子さん(朗読)とのコラボーレート作品『智恵子抄の世界』を上演致します。

詩人・彫刻家、高村光太郎の詩集『智恵子抄』は、妻の智恵子との結婚する以前(1911年)から彼女の死後(1941年)の30年間にわたって書かれ詩集。結婚生活、智恵子の狂気、そして永遠の別れ……妻、智恵子との間にかわされた深い愛の詩をマリンバの音楽にのせてお届けいたします。

問い合わせ
  津久井湖城山公園パークセンター 【電話】042・780・2420


マリンバ奏者の松本律子さん。「今年のテーマに智恵子抄を取り上げている」そうで、3月にも福島喜多方で、「チャリティーコンサート マリンバの響き ~智恵子抄の世界~」を開催して下さっていました。この時は終わってから気づいて、ご紹介できませんでした。

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その際、そして今回も、朗読家の中村雅子さんとのコラボ。

当方、平成26年(2014)に、中村さんもご出演された「東日本大震災復興支援チャリティ朗読会 届けよう笑顔!~東北に初夏の風~レジェンド・太宰治」を拝聴しました。その際のレポートがこちら


松本さん、さらに、来月は広島で、やはり「智恵子抄」がらみの「松本律子 × 高木リィラコラボレーション・ライブ "Live Now" 」をされるとのこと。こちらはまた後ほどご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

一人づつが眼をあかないで、 何の全体。 おれは下からゆく。

詩「夏書十題 一人づつが」全文 昭和3年(1928) 光太郎46歳

こう言っていた光太郎でさえ、智恵子歿後はその精神の空白を埋めるように、そして、世の中と交わらない孤高の生活を送っていたことが智恵子の心の病を引き起こした、という反省から(そんな生活を続けていたら自分も心を病むと思ったのでしょうか)、積極的に大政翼賛に転じます。

「共謀罪」の趣旨を盛りこんだ組織的犯罪処罰法改正案が、今日、強行採決される見通しだそうです。「歴史は繰り返す」なのでしょうか……。

5/15(月)、岩手花巻郊外の旧太田村山口地区、光太郎が戦後の七年間を過ごした山小屋(高村山荘)敷地内で、第60回高村祭が開催されました。

そぼ降る雨の中、レンタカーを駆って、前日から泊まっていた大沢温泉菊水館さんを出発、高村山荘を目指しました。雨天時は、旧山口小学校跡地のスポーツキャンプ村屋内運動場(通称・高村ドーム)での開催のはずでしたが、そちらにはどなたもいらっしゃいません。開始時刻の10時くらいには雨も上がるだろう、という予測の元、通常通り、山荘敷地内の「雪白く積めり」詩碑前で強行する、とのこと。雨の中、テント設営や椅子並べ、光太郎遺影の設置などをお手伝いしました。

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結局、雨の中で開会。

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詩碑に献花、献茶。詩碑の下には光太郎の遺骨ならぬ遺髯が埋葬されています。

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地元西南中学校の生徒さんの先導で、全員による碑詩「雪白く積めり」朗読。

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主催者挨拶ということで、花巻高村光太郎記念会・佐藤進会長(故・佐藤隆房ご子息)、上田東一花巻市長のご挨拶。

その後、地元小中高、高等看護学校の児童生徒さんたちによる楽器演奏、合唱、朗読。

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特別講演は、藤原冨男氏。元花巻市文化団体協議会会長で、光太郎がこの地にいた時に、旧山口小学校に勤務されていた方です。演題は「思い出の光太郎先生」。

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学校の職員室の火鉢を囲み、光太郎から話を聞いたこと――山小屋の壁の隙間から、中を覗いていたキツネやタヌキと目があったとか(笑)――、よかれと思って、児童たちを引き連れ、山小屋周辺の草抜きをしたら、逆に光太郎に怒られたとか――その時光太郎は児童たちに、たとえ雑草でも親がある、命がある、的な話をしたそうです――藤原氏、このエピソードを引いて、「光太郎は彫刻家、詩人、書家、いろいろな側面のあった人だが、そこに「教育者」という面も色濃くあったことを付け加えたい」とおっしゃいました。なるほどな、と感じました。

結局、最後まで雨はやまず、テントに吹き込む雨でジャケットの裾がびしょ濡れになりましたが、昨日もご紹介した詩「松庵寺」の「雨がうしろの障子から吹きこみ 和尚さまの衣のすそさへ濡れました」を思い出し、これもある意味乙なものだと思いました。ただ、気温が低く、温暖な房総住まいで寒さに弱い当方、最後はガタガタふるえていましたが(笑)。

午前の部終了後、午後からは地元の皆さんの演芸会的な催しでしたが、そちらはパスしました。同じ敷地内の高村光太郎記念館さんでお弁当を頂いた後、館の展示や高村山荘、そしてリニューアルされた智恵子展望台などのガイド役をやっておりました。

まずご案内したのが上田市長のご同窓で、前消費者庁長官の板東久美子氏。光太郎ファンだそうで、こちらに一度来てみたかったとのこと。ありがたいかぎりです。

高村祭の後などには、こうした役得で、普段は入れない山小屋の内部にも入れていただけます。

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光太郎が使っていた井戸。

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今回はさらに、「月光殿」と名付けられた、便所棟にも入れていただきました。

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光太郎が壁に明かり取りのため彫った「光」一字。花巻高村光太郎記念会さんで、ロゴマーク的に使っています。

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こちらは高村祭参加者全員に配られたコースター。

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こちらはなんと言えばいいのでしょう、杉の板を使った木札のような。これも役得で、いただいてしまいました。定価4,000円ですが、欲しいという方がいらっしゃり、売れているそうです。

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その後、連翹忌ご常連であるいわき市立草野心平記念文学館の小野浩学芸員、小野氏のご友人で、料理研究家 中野由貴さん。中野さんは現在、同館で開催中の企画展「草野心平の詩 料理編」の関連行事として行われる「心平さんの胃袋探訪 〜創作料理の試食と解説〜」の講師を務められる方です。それだけでなく、先月、このブログで、新しく創刊された花巻のタウン誌『まち散歩マガジンMachicoco(マチココ)』をご紹介した折、「花巻ファンです。こんな花巻の本を待っていました! 早速年間購読に申し込みました。 光太郎レシピのページも大変楽しみです。」とコメントして下さった方で、お互いに驚きました。こうやってネットワークが広がっていくんだな、と実感しました。

さらに、敷地内で行き違いになってあまりお話もできませんでしたが、このブログをお読み下さって、今年の連翹忌に初めてご参加下さった方や、昨年、当方が講演させていただいた盛岡少年刑務所の方もいらしていて、ありがたく存じました。

そして、近くの公民館的なところで開かれた、地元の皆さんによる反省会、懇親会的な催しに顔を出し、宿に帰りました。

夕方のローカルニュースを拝見。

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翌朝、大沢温泉さんの売店で購入した地元紙。まずは『岩手日報』さん。

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高村光太郎に思いはせて 花巻、合唱や講演に400人

 詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)をしのぶ第60回高村祭(花巻高村光太郎記念会など主催)は15日、花巻市太田の高村山荘詩碑前広場で開かれた。参加者は光太郎が地元で暮らした当時を知る関係者の講演や児童生徒の合唱などを通じ、住民らを大切にした足跡に思いを寄せた。
 地元住民やファンら約400人が参加。同記念会の佐藤進会長は「光太郎先生が花巻で暮らした7年間は地域にとって貴重なものだった。昨年、記念館が新しくなったので立ち寄ってほしい」とあいさつした。
 旧山口小教諭で、光太郎と交流のあった同市中北万丁目の藤原冨男さん(84)が講演。光太郎が生き物を通じて子どもたちに命の大切さや思いやりを説いたこと、芸術家らしい風変わりな一面があったことなどを紹介した。「光太郎先生は芸術家だけでなく、偉大な教育者だった。夢でいいからもう一度お会いしたい」と締めくくった。 【写真=高村光太郎の遺志を受け継ぎ、精神歌を披露する西南中の生徒たち】


『岩手日日』さん。

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偉人の足跡へ思いはせ 高村祭 詩碑前で朗読・合唱

 花巻市にゆかりが深い彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)をしのぶ高村祭(花巻高村光太郎記念会など主催)は15日、同市太田の高村山荘詩碑前で行われ、参加者が詩の朗読や合唱などを通じて偉人の足跡に思いを巡らせた。
 同日は、市内外から約400人が参加。光太郎の遺影が飾られた詩碑に、太田小学校2年の中島絢星君と伊藤真桜さんが花を手向け、花巻東高校茶道部による献茶で開会。詩碑に刻まれた「雪白く積めり」の詩を参列者全員で朗読した。
 花巻高村光太郎記念会の佐藤進会長と上田東一市長のあいさつに続き、太田小学校2年生16人が鍵盤ハーモニカで「かっこう」を演奏、旧山口小学校校歌を合唱し、詩「案内」を朗読した。
 西南中学校1年生45人が「西南中学校精神歌」などを合唱したほか、花巻東高校3年の横手隼平君が「元素智恵子」、同じく佐藤凪子さんが「人類の泉」、花巻高等看護専門学校1年の主濱京香さんが「非常の歌」をそれぞれ朗読した。
 花巻高等看護専門学校1年生44人による「最低にして最高の道」「リンゴの詩」「花巻の四季」の合唱が披露されたほか、元市文化団体協議会長の藤原冨男氏による「思い出の光太郎先生」と題した講演が行われた。参加者は、かつて同山荘に暮らし地元に親しまれた光太郎の人柄をしのんだ。
 同祭は、戦火で東京のアトリエを失った光太郎が1945年に花巻に疎開した日に合わせて毎年開催され、今回で60回目を迎えた。


それから、購入はしませんでしたが、『朝日新聞』さんでも岩手版で報道して下さいました。 

新緑の中、光太郎しのび朗読

 戦火を逃れて花002巻に疎開した彫刻家で詩人の高村光太郎を記念する「高村祭」が15日、花巻市太田の高村山荘周辺であった。詩碑の前で、参加者約500人が声を合わせて光太郎の詩「雪白く積めり」を朗読したり、地元の小学生らが楽器を演奏したりして光太郎の芸術と人柄をしのんだ。

 一般財団法人「花巻高村光太郎記念会」の主催。光太郎が花巻に疎開した5月15日を記念し、詩碑が除幕された1958年から続いており、今年で60回目。疎開した光太郎と交流があった藤原冨男・元花巻市文化団体連絡協議会会長の「思い出の光太郎先生」と題した講演もあった。あいにくの雨だったが、参加者は「この新緑を見たら光太郎先生はどんな詩を詠んだだろう」などと話していた。(溝口太郎)


来年以降も5月15日、花巻高村祭が開催されます。ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

死ねば死にきり。 自然は水際立つてゐる。

詩「夏書十題 死ねば」全文 昭和3年(1928) 光太郎46歳

当会顧問北川太一先生の盟友で、戦後いち早く光太郎を論じた故・吉本隆明の言葉から。

僕は、身体とそれに伴う精神の死について、いちばん好きな言葉があります。高村光太郎の詩の中の「死ねば死にきり、自然は水際立っている」という言葉です。死ねば死にきりで、やっぱり自然というものは見事なものだと高村光太郎はいっているわけでしょう。僕は、人間の身心の死はこれでいいのではないかと思います。
(略)
人間は永遠だというのも、人間は輪廻転生するものだというのも、それはそれでとてもいい感じですが、何となく嘘くさい。僕は「死ねば死にきり」でいいという気がします。

まさしく光太郎も輪廻転生などといったことは信じていなかったわけで、うなずけます。

しかし、亡くなった人は、残された者の中に、かけがえのない思い出として残るわけで、光太郎もそこまでは否定していません。藤原氏のご講演にも、山小屋での独居生活が長くなり、淋しくはないかと問うたところ、「智恵子がいるから」と答えた光太郎のお話がありました。

旧太田村の皆さんも、光太郎とのかけがえのない思い出を大切に、60回もの高村祭を続けてこられたわけですね。

光太郎が戦後の7年間を過ごした、花巻郊外旧太田村の敷地で、光太郎を偲ぶ第60回高村祭が開催されます。

第60回高村祭

期   日 : 2017年5月15日(月)
場   所 : 高村山荘敷地 岩手県花巻市太田3-85-1
        雨天時はスポーツキャンプむら屋内運動場
時   間 : 10:00~14:30頃
問い合わせ : 花巻高村光太郎記念会 0198-29‐4681  
        花巻高村光太郎記念館 0198-28-3012
プログラム : 式典 地元児童生徒による詩の朗読、器楽演奏、コーラス他
        特別講演 藤原冨男氏(元花巻市文化団体協議会会長)
         演題『思い出の光太郎先生』

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昭和20年(1945)4月10日の空襲で、東京駒込林町のアトリエが全焼し、しばらくは近くにあった妹の婚家に身を寄せていた光太郎。宮澤賢治の父・政次郎、後に花巻高村光太郎記念会を立ち上げる賢治の主治医・佐藤隆房らのすすめで、花巻町の宮澤家に疎開しました。その宮澤家も8月10日の空襲で焼け出され、佐藤家の離れなどを転々とした後、10月には郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)に入りました。

花巻に向けて東京を発ったのが5月15日(到着は翌日)ということで、毎年、この日を記念して高村祭が催されています。

毎年行われる特別講演。今年は、この地での生前の光太郎をご存じの、藤原冨男氏。山小屋近くにあった旧山口小学校に勤務されていた方で、光太郎の日記にもその名が残されています。貴重なお話が聞けるものと期待されます。


当日は、在来東北本線の花巻駅西口(改札のある東口から地下道でつながっています)からシャトルバスが出ます。

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隣接する花巻高村光太郎記念館さんは、当日は入場無料。企画展「光太郎と花巻の湯」を開催中です。

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また、山小屋裏手の高台「智恵子展望台」がきれいに整備されました。


新緑の美しい季節です。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

ふつとさう思ふことがある。 おれはいつたい何をしてゐる。 宇宙塵とかいふもののやうに 前後左右が無限大に遠いと。

詩「偶作十五篇」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

常に自らの進むべき道を模索していた「求道」の人、光太郎。まだまだ目指す境地は無限大の彼方、というところでしょうか。

昨日は都内2カ所を回っておりました。田舎者の習性で(笑)、都内に出ると複数の用件をこなすことにしています。

まず、九段下駅近くの千代田区立千代田図書館さんへ。千代田区役所さんの9・10階です。桜の名所、千鳥ヶ淵にもほど近く、建物の前でも見事な桜が咲いていました。こちらでは、展示「検閲官 ―戦前の出版検閲を担った人々の仕事と横顔」を開催中です。

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戦前から戦時中、旧内務省警保局図書課が行っていた出版物の検閲をテーマとした展示です。検閲制度は出版文化としての「負」の部分も含むもので、あまり公に語られることは多くなく、ましてや個々の検閲官については資料が少なく、断片的にしかわかっていません。それらをつなぎ合わせることで、制度の実情、裏側に隠されたドラマに迫るというコンセプトです。

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取り上げられている検閲官4人のうち、佐伯郁郎(本名・慎一)は、自身も詩人・編集者であり、光太郎とは戦前から交流がありました。自身の詩誌に執筆を依頼したり、様々な会合で顔を合わせたりしています。

一昨年、岩手県奥州市にある佐伯の実家「人首文庫」さんにお邪魔し、光太郎がらみの様々な資料を拝見しました。それ以前から、光太郎書簡のコピーを頂いていましたが、さらに書や写真なども見つかり、大興奮でした。

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そういうわけで、パネルには光太郎の名も。

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佐伯に関しては、今回の展示も、多くは人首文庫さんのご提供でした。

そのうち「宮沢賢治一周年追悼会」なる会合の集合写真。

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光太郎は写っていませんが、交流のあった人物が目白押しでした。草野心平、土方定一、吉田孤羊、尾崎喜八、野村胡堂、宮静枝、永瀬清子、高橋新吉、逸見猶吉などなど。

検閲官の名簿。パネルに拡大されていたのと、原簿も展示されていました。
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さらに、詩人としても活動していた佐伯自身の詩集なども並んでいました。
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以前にもこのブログに書きましたが、詩人・光太郎の代表作の一つ『智恵子抄』(昭和16年=1941)。公然と性愛を謳ったり、大君=天皇と、自分の妻を同列に並べた表現があったりと、かなり「危ない」部分があります。それでも検閲を通り抜け、ベストセラーとなったその背景には、佐伯が手心を加えたのではないかと推測されます(証拠はありませんが)。検閲という、ある意味「負」の部分の仕事を担いながらも、芸術的良心にしたがって仕事をしていた(敬愛する光太郎の詩集だから、という依怙贔屓もないとはいえませんが)と考えたいところです。

展示は22日まで。ぜひ足をお運び下さい。


続いて、九段下駅から東京メトロ半蔵門線で住吉駅へ。同駅近くのティアラこうとう(江東区公会堂)さんで開催の、「第5回 春うららの朗読会」に向かいました。

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先日の第61回連翹忌にて、連翹忌ご常連で、出演なさる詩人の宮尾壽里子様からご案内をいただき、はせ参じた次第です。

宮尾様作の「智恵子さん」が演目に含まれていました。「智恵子さん」は昨年暮れに、汐留ベヒシュタイン・サロンさんで開催された「2016年 フルムーン朗読サロン IN汐留」が初演でした。その時は6名の方による朗読劇でしたが、今回は3名による上演。主にト書き部分を担当される方、主として光太郎詩を朗読される方、そして宮尾様ご自身は智恵子役的な配分でした。

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主に『智恵子抄』の構成に従い、光太郎智恵子の出会いから、智恵子の死までが語られました。汐留での初演では、ベヒシュタインのピアノで演奏されたBGM・カッチーニの「アヴェ・マリア」が、今回は音響機器で。テルミンの大西ようこさんなどもよく使われています。哀愁漂うメロディーは、確かに『智恵子抄』の世界によく合います。

出演者が少なくなった分、おのおのの役柄がはっきりし、すっきりした感がありましたし、何よりドラマチックな内容に引き込まれました。

その他の演目も、興味深く拝聴。

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芥川の「蜜柑」以外は読んだことのないものばかりで、光太郎関連以外はあまり読まない当方には、実に新鮮でした。

最後のカーテンコール。

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終演後、ロビーにて。宮尾様(右)と、やはり連翹忌ご常連の、太平洋美術会の坂本富江さん(左)。

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今後とも、光太郎智恵子の世界を取り上げていただきたいものです。

というわけで、充実の一日でした。


【折々のことば・光太郎】

魂にぶつからないとて不平をいふな、 君の魂の張り切つてゐる時、 もう一度この世の隅々を見てみたまへ。

詩「不平な人に」 昭和2年(1927) 光太郎45歳

「何も面白いことがない」的な「不平」を口にする人へのエピグラムでしょうか。たった3行の短い詩です。

「この世の隅々」には新しい発見のタネがみちみちています。しかし、たしかに「魂の張り切つて」いない時には、スルーしてしまうものですね。

一昨日の第61回連翹忌にて、ご参会いただいた詩人の宮尾壽里子様から、ご案内をいただきました。明後日の朗読系公演情報です。

第5回 春うららの朗読会

期 日 : 2017年4月6日(木)
会 場 : 江東区公会堂ティアラこうとう 小ホール 東京都江東区住吉2-28-36
時 間 : 開場13:00  開演13:30
料 金 : 1,500円(全席自由)
主 催 : NPO日本朗読文化協会蒔村三枝子朗読教室
演 目 :
 「口紅のとき」 作・角田光代   出演・鶴見恵子/藤田治子
 「デューク」   作・江國香織   出演・須藤芙美子
 「とんかつ」   作・三浦哲郎   出演・日比堯子
 「智恵子さん」  作・宮尾壽里子  出演・小川弘子/宮尾壽里子/藤田治子
 「佐賀のがばいばあちゃん」  作・島田洋七  出演・内堀芳江
 「蜜柑」     作・芥川龍之介  出演・沼尻輝篤
 「うた時計」   作・新美南吉   出演・赤政葉子
申し込み : 090-4004-1493(まきむら)

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昨年暮れに、汐留ベヒシュタイン・サロンさんで開催された「2016年 フルムーン朗読サロン IN汐留」で上演された、宮尾さん作の朗読劇「智恵子さん」の再演が含まれます。出演される方は変わるそうですが。光太郎智恵子の文筆作品を織り交ぜてのドラマチックな構成で、感動的な朗読劇でした。

他に予定も入っておりませんし、参上つかまつります。皆様もぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

をんなが附属品をだんだん棄てると どうしてこんなにきれいになるのか。 年で洗はれたあなたのからだは 無辺際を飛ぶ天の金属。 見えも外聞もてんで歯のたたない 中身ばかりの清冽な生きものが 生きて動いてさつさつと意慾する。

詩「あなたはだんだんきれいになる」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

智恵子は光太郎より3歳下ですので、この時数え42歳。

智恵子没後の昭和15年(1940)に書かれた随筆「智恵子の半生」には、この詩の背景が書かれています。

私達は定収入といふものが無いので、金のある時は割にあり、無くなると明日からばつたり無くなつた。金は無くなると何処を探しても無い。二十四年間に私が彼女に着物を作つてやつたのは二三度くらゐのものであつたらう。彼女は独身時代のぴらぴらした着物をだんだん着なくなり、つひに無装飾になり、家の内ではスエタアとズボンで通すやうになつた。しかも其が甚だ美しい調和を持つてゐた。

実際、智恵子は服装等にあまり頓着しなかったのかもしれませんが、もともとは素封家のお嬢様です。生活不如意による「スエタアとズボン」の状態を、「仕方ない」と思いこそすれ、積極的に喜んでいたとはどうしても思えません。しかし光太郎の方は、心理学的にいえばある種の適応規制というか、代償というか、その状態を良しと自らに言い聞かせ、智恵子にもモラハラ的に無意識に強制していたように思われます。

しかもたちの悪いことに、その状態の智恵子を女神的に賛美しています。いわば「あるべき姿の無言の強要」。これでは智恵子も息が抜けないように思えます。

智恵子の心の病が顕在化するまで、あと4年半です。


昨日は、第61回連翹忌を終えて帰宅し、体力的にはくたくたながら精神的にはハイな状態で、連翹忌レポートを書きました。しかしやはり体力的にはくたくたで、最後にこのコーナーを書く段になって、力尽きました(笑)。今日からまた復活します。

昨日は千葉県柏市に行き、朗読系の演劇公演「智恵子から光太郎へ 光太郎から智恵子へ ~民話の世界・光太郎と智恵子の世界~」を拝見・拝聴して参りました。

会場は柏駅近くのアミュゼ柏クリスタルホール。平日にも関わらず、300席ほどがほぼ満席でした。

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開演前に戴いたプログラムを拝読。主催でご出演もなさっていた山田典子さんのご挨拶が最初に印刷されていました。

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山田さんのプロフィールはこちら。

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2部構成で、第1部が「~民話の世界~」。さらにその中でも2本立てで、最初が「耳無し芳一」。源平の争乱最後の戦い・壇ノ浦の合戦があった山口県下関に伝わる民話で、小泉八雲が『怪談』で取り上げて有名になった話です。山田さんが朗読、伴奏的に久保田晶子さんが琵琶を演奏なさいました。

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当方、琵琶の生演奏は初めて聴きました。ちょっと爪弾いただけでも哀愁の漂う音色、不思議な楽器です。

続いて斉藤隆介原作の「ベロ出しチョンマ」。オペラ歌手・大久保光哉さんの「歌い語り」、伴奏は久東寿子さんの二十五弦箏でした。一般的な箏は十三絃、一度、十七絃箏を使った演奏を聴いたことがありますが、リードギターの箏に対し、ベースギターのようだと思って聴きました。今回は二十五絃一張で、高音から低音まで実に音域が広く、ピアノのようだと思って聴きました。

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休憩を挟んで第2部、いよいよ「~光太郎と智恵子の世界~」です。

構成の妙を感じました。

まずピアノ独奏「「智恵子抄三章」へのプロローグ 智恵子の世界への誘い」。演奏は青木俊子さん。美しいメロディーラインの中にも哀愁が漂い、プレリュードとして見事な導入だと思いました。

その後は、山田さんの朗読と、大久保さんの歌が交互に為され、光太郎智恵子出会いの頃から智恵子の死までが描かれました。

朗読の台本的なところは、佐藤直江さん作の「星になった智恵子」。智恵子一人称の独白スタイルです。

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千葉県での公演だから、ということもあったのでしょうか、大正元年(1912)の銚子犬吠埼でのエピソードが紹介され、お客さんの(おそらく光太郎智恵子にはお詳しくない)反応が、「えっ、犬吠埼?」という感じでした。

犬吠埼についてはこちら。当方生活圏です。

九十九里浜のエピソードもあれば、なお良かったと思いました。

大久保さんの歌は、青木省三さん作曲の「智恵子抄三章」。存じませんでしたが、岡山の合唱団の依嘱作品としてア・カペラで作られたものを編曲し直しての使用だそうです。

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ピアノは新居美穂さんにバトンタッチ。

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歌とピアノの関係が面白く、歌われたフレーズと同じメロディーをピアノが追いかけて繰り返すという手法が使われていて、こういう手もあるんだなと思いました。

第1部も含め、それぞれの方の熱演で、引き込まれるステージでしたし、語りと音楽を交互に配し、変化を付ける構成が非常に効果的だったと思いました。

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この手の公演で、光太郎智恵子の世界を取り上げていただけるのは、実に有り難く存じます。これを通して、光太郎智恵子の世界に興味を抱いて下さる方が増えていってほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

私はもう少しこの深い天然のふところに落ち込んで、 雀をまねるあの百舌のおしやべりを聞きながら、 心に豊饒(ほうねう)な麻酔を取らう、 有りあまるものの美に埋もれよう。

詩「落葉を浴びて立つ」より 大正11年(1922) 光太郎40歳

季節はずれですみません(笑)。以前にも書きましたが、このコーナー、『高村光太郎全集』第一巻から始め、ほぼ掲載順に「これは」と思うフレーズを引用していますので、季節外れになることもしばしばです。

光太郎が好んで色紙などに揮毫した言葉に「美ならざるなし」「うつくしきものみつ」といったものがあります。天然の作り上げたもの、全てに「美」を感じとっていたことがうかがえます。こういう感性は自分でそれを大事にしなければ、と思わないと、摩滅してしまうような気がします。そうならないように、心がけたいと思います。

千葉県柏市から、公演情報です。
場  所 : アミュゼ柏 クリスタルホール 千葉県柏市柏6-2-22
時  間 : 開場14:00 開演14:30
料  金 : 3,000円
主  催 : 民話の世界・光太郎と智恵子の世界実行委員会

プログラム  演出:成瀬芳一
  <第一部>民話の世界  ・耳無し芳一 ・ベロ出しチョンマ
  <第二部>光太郎と智恵子の世界
   ・智恵子抄三章    詩 高村光太郎  作曲  青木省三
   ・星になった智恵子  作 佐藤直江    監修  山田典子

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第二部が「智恵子抄」系で、「歌と朗読とピアノのコラボ」だそうです。

同じ千葉県内ということもあり、拝聴に行ってこようと思っております。皆様も是非どうぞ。


【折々のことば・光太郎】

天然の ふかい呼吸に こころは 沈みまたをどる

詩「海はまろく」より 大正5年(1916) 光太郎34歳

まだまだ寒い日が続きますが、日の光などからは確実に春を感じます。春というと、「春の息吹」という語をよく耳にします。冬の間、息をひそめていた山川草木禽獣虫魚が、ゆっくゆっくり、息を吹き返すようなイメージでしょうか。毎朝、だいたい夜明けとともに愛犬と散歩に出かけますが、地球が呼吸をしているな、と感じる今日この頃です。

東京世田谷から朗読講座の情報です。NHK放送研修センターさんと、世田谷文化生活情報センターさんの共催です。

豊かなことばの世界 「朗読講座」2月期 水曜教室

期 日 : 2017年2月1日(水)・8日(水)・15日(水)・22日(水)
時 間 : 各回午前10:30~12:30 各回午後13:30~15:30
会 場 : 公益財団法人 せたがや文化財団生活工房
           東京都世田谷区太子堂4-1-1キャロットタワー内
講 師 : 岩井正(NHK日本語センター)
受講料 : 料金4回分 一般20,500円

朗読作品:高村光太郎著「智恵子抄」
「智恵子は東京に空が無いといふ」…の詩を引用しつつ彼女の思いをたどる高村光太郎。詩集「智恵子抄」の中の随筆「智恵子の半生」を読みます。智恵子の死を受け止めかねていた光太郎は、やがて智恵子は彼にとって「普遍的存在」になったという心境にたどり着きます。今期のテーマは「愛」です。

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このブログの先月末に「回顧2016年」として書いた記事を元に、昨年一年間の光太郎歿後年譜をまとめました。4月に高村光太郎研究会さんから刊行予定の雑誌『高村光太郎研究』に掲載予定です。

その中で、光太郎の詩を取り上げて下さった朗読関連のイベント、講座などが結構目立ち、ありがたく存じました。

光太郎の詩は、白秋や中也などのそれと比べると、流暢に言葉が紡がれているというイメージには欠けます。しかし、他の詩人にはない、骨太の「述志」の感覚、彫刻で培った構成力の妙、そしてわかりやすさなどの点が魅力だと思われ、そういうところが好まれているのでしょう。そして「智恵子抄」で言えば、数十年にわたっての一人の女性に対する語りかけ、「愛」の表明という、日本の詩には稀有な内容も。

今後とも、こうした光太郎詩が愛され続けていくことを願ってやみません。


【折々のことば・光太郎】

私は私自身との戦闘にまづ尽さねばならぬ 私はまだ一つの雰霧星の形に過ぎない 多くの不純を含み、無駄を有し、稀薄を交へてゐる 私は突進せねばならぬ
詩「戦闘」より 大正元年(1912) 光太郎30歳

これなど、「述志」の詩句の代表格です。

名古屋から朗読劇の公演情報です。
会  場 : HITOMIホール 名古屋市中区葵三丁目21番19号メニコンアネックス5F
時  間 : 1/24 19:00開演(18:15開場)
       1/25 1回目 15:00開演(14:00開場) 2回目 19:00開演(18:15開場)
料  金 : 2,500円(全席自由)
出  演 : 朗読・光太郎/榊原忠美 ヴァイオリン/水野慎太郎
       チェロ/河井裕二 ハープ/田中敦子 宗川諭理夫(企画・作曲)
主  催 : メニコンビジネスアシスト(MBA)イベント事業部
問い合せ : メニコンビジネスアシスト(MBA)イベント事業部
電話予約 : 052-938-6232(平日10:00~17:00)
メール予約   : 
mba-event@menicon-net.co.jp
※お名前、チケット枚数、ご連絡先電話番号、チケット郵送先ご住所を明記のうえ、メールを送信ください。

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昨年3月、同じ会場で同名の公演がありました。キャストや音楽の楽器が変更になっていますが、基本、再演と捉えて良いのではないかと思われます。再演されるだけ、初演が好評だったということでしょうか。とすればありがたいことです。


【折々のことば・光太郎】

我等は為すべき事を為し 進むべき道を進み 自然の掟を尊んで 行住坐臥我等の思ふ所と自然の定律と相戻らない境地に到らなければならない 最善の力は自分等を信ずる所にのみある

詩「或る宵」より 大正元年(1912) 光太郎30歳

この時期の光太郎詩文には、「自然」の語が目立つように成ってきます。

一般に「自然」の語には二通りの意味が考えられます。「大自然」という意味で、英語でいうところの「nature(ネイチャー)」的な意味―「天性」の意も含みます―と、形容動詞「自然だ」の語幹用法として、同じく「natural(ナチュラル)」を表す意味。

後の「道程」の、「ああ、自然よ」などもそうですが、光太郎曰くの「自然」は、「nature(ネイチャー)」である大自然、自己内部の天性に対し、「natural(ナチュラル)」に従うこと、といった意味で使われているように思われます。

智恵子がらみのイベント二つ、ネット検索で情報を得ました。

まず都内から朗読系。

光子/Unplugged 〜四谷で文学に浸る夜

期  日 : 2016年12月20日(火)
場  所 : 綜合藝術茶房 喫茶茶会記 新宿区大京町2-4 1F
時  間 : 19時半スタート
料  金 : 2000円(ワンドリンク付き)

音響・照明の力を極力かりず、シンプルな舞台の上で、光子という俳優ひとりの声と身体を用いて、みなさまを文学の世界へお連れします。

演目 宮沢賢治 「ひのきとひなげし」 「よだかの星」  高村光太郎 「智恵子抄」…他

光子プロフィール
東京乾電池、ニナガワスタジオ等で演技を学び、数々の舞台や映画に出演。現在は浅草リトルシアターにて、コメディ集団「浅草くじら座」の一員として毎月喜劇の舞台に立っている。


続いて大阪で、「紙絵」に関して。

高村智恵子's『紙絵』

期  日 : 2016年12月28日(水)
場  所 : コミュニティープラザ平野 2階 第3&第4会議室
       大阪市平野区長吉出戸5丁目3-58
時  間 : 13:30~16:00
料  金 : 500円
問い合わせ : 
メール momento.jp/at/gmail.com (「/at/」を半角の「@」に変えてご連絡ください。) 電話 090-8212-7499

『智恵子抄』の本などを執筆した詩人で彫刻家でもある高村光太郎さんの奥方である、洋画家で紙絵作家の高村智恵子さんが行なっておられた『紙絵』作りの会を催します。お正月に向けて、素敵な紙絵を作りましょう。小さなお子さまも、お気軽にご参加ください。

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また近くなりましたらご紹介しますが、年が明けて1月、2月にも「智恵子抄」朗読系のイベントを見つけています。

光太郎智恵子を取り上げて下さり、有り難い限りです。

【折々の歌と句・光太郎】

雪よけの縄こそ松に張られたれ形そびえて朝風に揺る
大正15年(1926) 光太郎44歳

当方自宅兼事務所のある、比較的温暖な房総も、今日は底冷え。さらに雪でも舞い出しそうな曇り空です。

昨日は、都内汐留で、朗読系イベント「2016年 フルムーン朗読サロン IN 汐留」を拝聴して参りました。

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会場は汐留ベヒシュタイン・サロンさん。ドイツのピアノ製造会社のブランド「ベヒシュタイン」の輸入代理店が持っている施設で、販売の他、小ホールが併設されていて、各種コンサートなどに使われています。

汐留地域、久しぶりに歩きましたが、欧州のような街並みに変貌していて驚きました(イタリア街というそうです)。右は帰りがけです。

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こちらが会場です。

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右は展示されていたベヒシュタイン。450万だそうです。この他にもチェンバロまであって驚きました。

さて、「フルムーン朗読サロン IN 汐留」。

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第1部で、詩人にして文芸同人誌『青い花』同人の宮尾壽里子さん作の「智恵子さん」がありました。宮尾さんはじめ、6名の女性による朗読劇でした。

冒頭、フルコンサートのグランドピアノ(もちろんベヒシュタイン)による、カッチーニ「アヴェ・マリア」にのせ、光太郎詩「あどけない話」「レモン哀歌」の朗読に始まり、その後は光太郎評論「緑色の太陽」、確認されている智恵子唯一の詩「無題録」、智恵子書簡などの朗読を織り交ぜつつ、光太郎智恵子の生の軌跡が語られます。

終末近く、「智恵子抄」所収のさまざまな詩から、一部分ずつを取り上げてのコラージュ。光太郎ファンにはたまりません(笑)。最後は短歌「光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所に住みにき」(昭和13年=1938頃)で締めくくり。ドラマチックでした。

その後は、群読あり、自作詩の朗読あり、創作舞踊やハーモニカ、もちろんピアノ演奏、会場を巻き込んでの歌なども織り交ぜ、多彩なプログラムでした。

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今後も皆様のご活躍を祈念いたします。


【折々の歌と句・光太郎】

冬ごもりみぞれ吹き入るふる壁の眼なし達磨ををかしと見る日

明治35年(1902) 光太郎20歳

正月に片目だけ入れて購入しただるまが、まだそのままという景。「あるある」という感じです。

気がつけば今年もあと半月。都内は店々の飾り付け等、クリスマス一色でした。いよいよ冬本番でもあります。

朗読系のイベントです。文芸同人誌『青い花』同人で、詩人の宮尾壽里子様からご案内を頂きました。 

2016年 フルムーン朗読サロン IN 汐留

期  日 : 2016年12月14日(水)
時  間 : 開場14:15  開演14:30  終演17:15
場  所 : 汐留ベヒシュタイン・サロン 東京都港区東新橋2-18-2グラディート汐留1F
料  金 : 無料(お気持ち)

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第1部で、宮尾様によるオリジナル作品「智恵子さん」の朗読があります。宮尾様、『青い花』に智恵子に関するエッセイや、連翹忌のレポートなどを執筆なさっています。

また、12月14日といえば、赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日(旧暦ですが)、というわけで橋田壽賀子さんの「女たちの忠臣蔵」からの朗読もあるそうです。汐留ですから浅野公の墓所にして浪士たちが吉良上野介の首級を運んだ泉岳寺も近くといえば近くですね。

その他、朗読だけでなくピアノありハーモニカあり、創作舞踊も交えての、なかなか趣向を凝らしたイベントのようです。

ぜひ足をお運びください。当方も参ります。


【折々の歌と句・光太郎】

人間のことをば汝わすれよといふにあらねど山の風ふく
大正13年(1924) 光太郎44歳

師走となり、凩を肌で感じるようになって参りました。

期 日 : 2016年11月20日(日)
時 間 : 午後1時30分から
会 場 : 福島県男女共生センター 二本松市郭内一丁目196-1
講 師 : 宮川菊佳氏 (ギタリスト)
参加費 : 1,000円
問い合わせ/申し込み : 智恵子のまち夢くらぶ ☎0243(23)6743

主催は「智恵子のまち夢くらぶ」さん。当方も何度か講師を仰せつかりました。昨年からの通しで「高村智恵子に影響を与えた人々」がテーマ。昨年、第4回までが行われ、今年は第5回からのカウントで、そちらは先月10日、喜多方市美術館館長の後藤學氏による「セザンヌと後期印象派」として行われました。

第6回の講師はギタリスト・宮川菊佳氏。毎年、宮城女川で開催されている「女川光太郎祭」で演奏されています。一昨年には、やはり二本松で開催された「第10回智恵子生誕祭 朗読とギターで綴る智恵子と光太郎の道程」で、朗読とのコラボをされました。そうしたご縁での講師起用のようです。


二本松がらみでもう1件。市の広報誌『広報にほんまつ』今月号に、現在開催中の「福島現代美術ビエンナーレ 2016 - 氣 indication -」、「第62回菊の祭典 二本松の菊人形」の記事が掲載されました。

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ビエンナーレは11/6(日)、菊人形は11/23007(水・祝)までの開催です。

ビエンナーレでは智恵子生家にて、小松美羽さんの墨絵作品が展示中、菊人形では光太郎智恵子の人形が並んでいます。


ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

腹へるはきよらかにして好ましと我がかたりつつ友の飯くふ

大正13年(1924) 光太郎42歳

光太郎、決してストイックというわけではなく、むしろ「食」へのこだわりは晩年まで持ちつづけていました。

といっても、美食三昧というわけではありませんでしたが。

注文しておいたCDが届きました。  

<声を便りに>オーディオブック 「智恵子抄(抄) 高村光太郎 - 十七編抜粋-」

2016年10月20日 響林社 wis朗読 定価1,620円

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【解説】
『智恵子抄』は高村光太郎にとって、『道程』に続く2冊目の詩集にあたる。妻の智恵子と結婚する以前(1911年)から彼女の死後(1941年)までの30年間にわたって書かれた、彼女に関する詩29篇、短歌6首、3篇の散文が収録されている。本CDでは、以下の17篇を収録。

人に(いやなんです) 深夜の雪  人に(遊びぢやない)  人類の泉   僕等
樹下の二人  夜の二人 あなたはだんだんきれいになる   あどけない話
風にのる智恵子   千鳥と遊ぶ智恵子  
値ひがたき智恵子  山麓の二人  
レモン哀歌  亡き人に  荒涼たる帰宅  裸形

【収録時間】 計38分

 【朗読】
wis 女性朗読家。 i'Tunes storeのPodcast部門やオーディオブック部門の文学関係で幅広いリスナーの支持を得、すでに50を超える朗読作品を世に送り出している。また、個人ホームページ「  【朗読】声を便りに、声を頼りに――。」では、文学のジャンルを問わず、200を超える短編、長編作品を朗読。朗読に親しみを持ってもらえるようにと、いつでも無料で聴けるよう開放している。現在、「オーディオブックCD(朗読CD)」が響林社より好評発売中。


早速聴いてみました。透明感のある柔らかな、しかし、しっかりと芯のある声で、光太郎智恵子の世界が表現されていました。

光太郎詩は力強い男性的なイメージがありますが、女性でも朗読に取り組まれる方は多く、視点はあくまで光太郎という男性ですが、女性の声でも決して違和感はありません。

wisさんは、紹介文にもあるとおり、ネットで朗読を公開なさっています。このCDに収められている朗読も、既に平成20年(2008)にアップされていました。CD化されたことで、また異なる環境での聴取が可能となりました。

ぜひお買い求め下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

水ばかりのみてこの日は過ぎたりとうまき支那めしをくひつつわが思ふ

大正13年(1924) 光太郎42歳

3日前、草野心平関係の調べ物で行った千葉県立中央図書館さんの前にある中華料理店で昼食を摂りました。

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当方、幼い頃から炒飯が好物でして、一人で外食する際には時々頼みます。さらに餃子も。

食べながら上記短歌を思い起こしました。

詩の関係で2件。

まずは神奈川県鎌倉市から。 

回想 高村光太郎 尾崎喜八 詩と友情 その五 鎌倉における光太郎と喜八

期 日 : 2016年10月2日(日)~11月1日(火)
場 所 : 笛ギャラリー 神奈川県鎌倉市山ノ内215 0467-22-4484
時 間 : 10:00~16:00
休業日 : 毎週月・水・木 10/15(土) 10/30(日)

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北鎌倉の明月院さん近くにあるカフェ兼ギャラリー、店内でコンサートも行う笛ギャラリーさん。店主の山端夫妻は、光太郎の親族です(先々代の奥様が光太郎の妹)。また、近くに光太郎と縁の深かった詩人の尾崎喜八の自宅があり、そちらとも交流がありました。

そういうわけで、毎年この時期に、山端家、尾崎家などに遺された資料を使っての「回想 高村光太郎 尾崎喜八 詩と友情」という展示をなさっています。一昨年昨年とお邪魔しまして、興味深く拝見して参りました。今年で五回目。うっかりしており、既に始まってしまっていました。

観覧料金としては無料。ただ、カフェですので珈琲の一杯でも、というところです。

明日、上京する予定がありますので、ついでと言っては何ですが、鎌倉まで足を伸ばそうと考えております。レポートは明後日に掲載します。


もう1件、静岡から市民講座の情報です。

南部地区構造改善センター成人講座「詩のこころを読む」

期 日 : 2016年10月25日 11月1日 15日 12月6日 20日
      2017年1月17日 31日 2月7日 21日 3月7日
       (すべて火曜日)
場 所 : 湖西市南部地区構造改善センター 静岡県湖西市白須賀5128
時 間 : 13:30~15:30
料 金 : 受講料2,000円 教材費300円
問 合 : 社会教育課 053-576-4793 FAX/053-576-1237
        E-mail/
skyoiku@city.kosai.shizuoka.jp

講師は地元ご在住の矢田部駿一氏。元教員で、こうした講座等で朗読などのご指導に当たられているそうです。今回、光太郎の詩も取り上げて下さるということで、ありがたいかぎりです。

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さまざまな活動を通し、連綿と光太郎の名が伝えられていくことを願ってやみません。


【折々の歌と句・光太郎】

己が寂しき性をてらせよ後の月     大正9年(1920) 光太郎38歳

「後の月」は十三夜の月。ちょうど今日が旧暦9月13日、十三夜です。ただ、関東は曇り、ことによると雨。残念ながら月は見えそうにありません。

たびたびこのブログにご登場のテルミン奏者・大西ようこさんからの演奏会情報です。

大西さんに関してはこちら。

時  間 : 17時半~
会  場 : CHEEPA'S CAFE 中央区銀座7-12-15 MYS銀座2階
料  金 : 予約 4,000円 当日 4,500円
出  演 : 演奏 ぷらイム(大西ようこ[テルミン] 三谷郁夫[ギター&歌])
       朗読 清水マリ[声優]
プログラム :
  わたしが一番きれいだったとき(茨木のり子)
  死んだ男の残したものは(詩/谷川俊太郎、曲/武満徹)
  星の王子さま(サン=テグジュペリ)
  智惠子抄より(高村光太郎)
  戦火の中の子どもたち(岩崎ちひろ) 他


銀座のチーパズカフェで、再び、ぷらイムの演奏会が決定しました!!!
今回のゲストは、初代アトムの声、清水マリさんです☆
限定30席。お申し込みはお早めにお願いいたします。
懐かしいおもちゃやフィギュアに囲まれての演奏会、お楽しみに!

アトムは新座市に住んでいるので(手塚さんのスタジオがある)、新座市の市民は、市役所に行くとアトムの特別住民票をいただけます。当日は、アトムと(つまりマリさんと)ジャンケン大会があって、ジャンケンで最後まで勝てた人は、マリさんのサインつきアトムの特別住民票がもらえます^^


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大西さんは埼玉県新座市ご在住。手塚プロダクションのアニメーション制作スタジオが新座にあるということもあり、今回の企画が実現したそうです。

ぜひ足をお運びください。

10/2(日)に二本松で開催される智恵子を偲ぶ「レモン忌」でも、大西さんがご出演。そちらはまた後ほどご紹介します。


【折々の歌と句・光太郎】

四つ起きや駕籠してまゐる歌舞伎見の白粉ぬらし秋の雨ふる
明治38年(1905) 光太郎23歳

「四つ」は「朝四つ」。秋分の頃は午前9時過ぎにあたります。「白粉」は「おしろい」。いつの時代もスターの追っかけがいたということですね。

朗読系のイベントを二つご紹介します。いずれも「智恵子抄」を取り上げて下さいます。

まずは福島市から。 

アナウンサーたちが言葉で綴る物語の世界 第20回定期朗読ステージ 季節はめぐり…そして今~朗読集団「原 國雄とその仲間たち」~

期  日 : 2016年9月11日(日)
会  場 : 福島市子どもの夢を育む施設 こむこむ館  福島県福島市早稲町1番1号
時  間 : 午後1時30分から午後3時30分まで
料  金 : 無料
出  演 : 朗読集団「原 國雄とその仲間たち」 他

智恵子抄・藤沢周平作品などの朗読や、朗読ワンポイント講座を開催します。
元FTVアナウンサーによる美しい語りをお楽しみください!

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続いて茨城から。 

 

おとばな結成3rd記念コンサート フルートとギターと語りのコンサート『おとばなノスタルジア館』

期  日 : 2016年9月16日(金)
会  場 : 茶房かやの木  茨城県守谷市高野1440
時  間 : 午前の回10:30~※満席   午後の回14:00~
料  金 : ¥3000(お茶お菓子付き)
出  演 : 音とお話のユニット『おとばな』
                            フルート 宇高杏那  クラシックギター 宇高靖人  語り 和久田み晴

3年前のこの日、3人が初めてまるごと一つのコンサートを作りました。あれから3年。「おとばな」が生まれた茶房かやの木で、3周年の記念コンサート! 不思議な蔵から、懐かしい音と声が溢れ出す…ドキドキ、わくわく、はらはら、しっとり、色とりどりの音と声を、皆様の耳と目でお楽しみください!

「ボッコちゃん」星新一/「Don't dream」岸本佐知子/「わが名はピーコ」犬丸りん/「レモン哀歌」高村光太郎/「モチモチの木」斉藤隆介

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余談ですが、メンバーのうち、クラシックギターの宇高靖人さんは、「いちむじん」というやはりクラシックギターのデュオのメンバーでもあり、当方、たまたまCDを持っています。「あれま」という感じでした。


「智恵子抄」に限らず、光太郎の作品(散文なども含めて)、意外と朗読に向いています。光太郎本人は「内在律」という語を使いましたが、別に七五調などになっていなくとも、自然な言葉そのものの中にあるリズム感が、無意識のうちに均衡を保って表されています。だから黙読していても読みやすく、声に出して読めば一層その点に気付かされます。

朗読系の活動をされている皆さん、どんどん光太郎作品を取り上げていただきたいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

わが友はめでたき秋の季節をば持ちて来しかな佐渡の国より
大正9年(1920) 光太郎38歳

与謝野鉄幹の新詩社同人で、光太郎に木彫「蝉」や、油絵「渡辺湖畔の娘道子像」などの制作を依頼した、佐渡島在住だった渡辺湖畔に贈った短歌です。

この年、湖畔の歌集『若き日の祈祷』が、光太郎の装幀・装画で刊行されています。

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8月9日(火)に行われた、第25回女川光太郎祭について、レポートいたします。

当日の朝9時頃までは台風による暴風雨でしたが、その後は台風一過の晴天となりました。会場は女川フューチャーセンターCamassさん。女川駅前に新たに作られた施設です。一部は宿泊したエルファロさん同様、可動式のトレーラーハウスです。

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震災前の女川光太郎祭は、昭和6年(1931)に来訪した光太郎を顕彰するため、平成3年(1991)に建てられた巨大な文学碑の前で行われていました。

その碑は震災の津波で倒壊、碑の建設やその後の光太郎祭の運営に奔走されていた女川光太郎の会の貝(佐々木)廣氏も、命を落とされました。

女川光太郎祭は、震災の年には小学校、翌年には仮設住宅の集会所と会場を移し、3年前から3年間、仮説商店街である「きぼうのかね商店街」で行われました。それが今年は駅前の女川フューチャーセンターCamassさん。理由を聞くと、少しでも元の碑に近い場所で、ということでした。なるほど、駅前のプロムナードをまっすぐ海に向かって下っていけば、碑のあった海岸緑地公園です。
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現在は一帯が工事中で、昨年まで見に行くことの出来た倒れた碑も見られません。ただ、いずれ震災前と同様、公園になる予定だそうで、その際にはまた碑が建てられるようです。

海側からみるとこうです。船の蔭あたりに碑があるはず。

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近くにある横倒しになった元の交番の建物は、震災遺構として保存されるとのこと。

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朝から会場入りし、会場設営のお手伝いをしました。昨年と一昨年は、屋外にテントを張っての実施でしたので、それに比べれば今年は楽なものでした。

昼過ぎの列車で、東京から当会顧問・北川太一先生ご一行がご到着なさるというので、駅にお出迎え。待っている間に撮影した画像です。

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ドキュメンタリー映画「サンマとカタール」のポスターも貼ってありました。
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女川駅には温泉入浴施設「ゆぽっぽ」、さらに無料の足湯も設置されています。
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駅裏の方には、民家も建ち始めていました。

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そうこうしているうちに、北川太一先生ご一行がご到着。

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晩年の光太郎に親炙された北川先生は、碑文の一部を揮毫されるなど碑の建立にひとかたならずご協力され、かつての光太郎祭の記念講演も行われていました。現在は当方が引き継いでおります。

ご一行は、さらに光太郎の実弟にして鋳金の人間国宝だった故・高村豊周令孫である写真家の高村達氏、北川先生の奥様・節子先生と令息・光彦氏、北川先生が高校教諭だった頃の教え子の皆さん。いずれも東京からで、遠路、ありがたいことです。特に北川先生は御年91歳。しかしまだまだお元気です。

さて、時間となり、開会。

まずは黙祷に始まり当方の講演。4年前からの連続講演で、戦後、光太郎が自らの来し方を振り返って20篇の詩にまとめた連作詩「暗愚小伝」を繙きながら、光太郎の人となりを語る、その4回目。明治42年(1909)の海外留学からの帰国後、父・光雲を頂点とする旧態依然の日本彫刻界と訣別し、放蕩生活を続けながらも人間として苦しみ、やがて奇跡のように智恵子と出会うまでをお話しさせていただきました。

前々日の安曇野碌山美術館さんでの講演は時間配分を誤りましたが、今回はその反省を活かし、ぴったり時間に収めました。

女川町長・須田善明氏、女川光太郎の会会長・須田勘太郎氏のご挨拶。

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その後、光太郎遺影や健在だった頃の文学碑の写真に献花。

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計12名の方による、光太郎詩文の朗読。小学生の男の子や、遠方からの方も朗読して下さいました。

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連翹忌にご参加下さっている、詩人の曽我貢誠氏が初めてのご参加。朗読も。氏は光太郎祭にいたく感激なされ、来年以降のご来訪も約されていました。

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北川先生の談話。前日に放映された天皇陛下のお言葉にも触れ、感極まって嗚咽されながらのお話となりました。予科練の少年たちを率いてのおん自らの軍隊生活、ある意味、時代に翻弄されながらも最終的には己の道を貫き通した光太郎への思いなどが、その涙に結晶したのでしょう。

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高村達氏のご挨拶、アトラクションとして、ギタリスト宮川菊由氏のギター演奏(朗読のBGMから)、オペラ歌手・本宮寛子さんの歌。花を添えて下さいました。

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最後に、故・貝(佐々木)廣氏の奥様、佐々木英子さんのご挨拶。

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さらに閉会後、昨年暮れにオープンした駅前商店街の一角にある「金華楼」さんにて懇親会。

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途中、喫煙のため店外に出たところ、美しい夕焼けが見えました。

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再会を約して、お開きとなりました。


地元紙・『石巻かほく』さんで報道されています。 

高村光太郎の生涯に思い 女川で「祭」 詩の背景、考察

 女川町を訪れた彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)をしのぶ、第25回「光太郎祭」(女川・光太郎の会主催)が9日、女川町の女川フューチャーセンター・カマスで開かれた。
 町民ら約45人が参加し、光太郎が歩んだ生涯に思いをはせた。献花や、碑文などの朗読もあった。
 高村光太郎連翹忌(れんぎょうき)運営員会代表の小山弘明さんが「高村光太郎、その生の軌跡-連作詩『暗愚小伝』をめぐって」の題で講演。光太郎の生涯や詩について説明した。
 小山さんによると、光太郎が書いた詩「親不孝」は、パリなどへの留学を終え帰国した光太郎が将来を悩む心中を記した作品。「自分が目指すのはオーギュスト・ロダンのような芸術家だ」と考え、「自分の決めた道を歩むことは、親の期待を裏切ることになる」と、父親で彫刻家の光雲が用意した道を進まないことに対しての「親不孝」だと解説した。
 91年に女川のことを書いた紀行文や詩の文学碑が町内に建立され、翌92年から、光太郎が三陸地方を巡る旅に出発した1931年8月9日にちなみ、光太郎祭を開いている。
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あくまで前座である当方の講演を大きく取り上げて下さって、恐縮です。

というわけで、第25回女川光太郎祭、つつがなく終了。来年以降も、続けられる限り、永続的に行われて欲しいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

黒潮は親潮をうつ親しほは狭霧を立てて船にせまれり
昭和6年(1931) 光太郎49歳

月曜日にご紹介した三陸沖での作の異稿です。詩「霧の中の決意」に添えられました。

昨日は、日帰りで花巻に行っておりました。

光太郎が戦後の七年間を過ごした旧太田村に建つ花巻高村光太郎記念館で、現在、企画展「智恵子の紙絵」が開催されています。その関連行事、というわけではないのですが、話がとんとん拍子に進み、テルミン奏者の大西ようこさんと朗読家の荒井真澄さんのコラボによるコンサートが実現しました。

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テルミン奏者の大西さん。一昨年に「もう一つの智恵子抄」「otoyoMuseum 四ノ館『智恵子抄』」というコンサートを開かれ、それがご縁で昨年の連翹忌でも演奏をしていただきました。

朗読家の荒井さんも「無伴奏ヴァイオリンと朗読 智恵子抄」、「シューマンと智恵子抄」などで、光太郎作品を手がけられています。今年の連翹忌で、大西さんと意気投合されたとのこと。

同館にはそうした催しを行うためのホール的なスペースはなく、スタッフの皆さんも、アドバイザーを務める当方も、これまでこうした催しは考えても居ませんでしたが、大西さんが同館を訪れることになる → どうせなら演奏 → それなら荒井さんも巻き込む → 場所はないが、何とかする、という流れで、手前の展示室1(光太郎の彫刻作品が並んでいます)が比較的広いので、そこでやってしまえ、ということになりました。

というわけで、本番は光太郎彫刻に囲まれての演奏・朗読となりました。

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これまで様々な機会に光太郎智恵子がらみのコンサート等に足を運んで参りましたが、光太郎彫刻に囲まれてのそれは記憶にありません。

リハーサル風景。

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さて、本番。お客様の入りはどうだろうと心配でしたが、何やかやで50名くらいの皆さんが集まって下さいまして、一安心。

仕掛人の一人、花巻高村光太郎記念会理事にして、生前の光太郎をよくご存じの浅沼隆氏が司会。

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当方も、一言、ご挨拶申し上げました。

最初は大西さんのソロ。カッチーニの「アヴェ・マリア」など。

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テルミンを見るのも聴くのも初めて、という方がほとんどで、興味深く聴かれていたようです。

途中から荒井さんが合流、大西さんの演奏をバックに『智恵子抄その後』の中から、当地に関わる詩篇と散文を朗読されました。

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急に決まった企画でしたので、お二人での合わせは当日まで行われず、ある意味、ぶっつけ本番だったそうですが、どうしてどうして、ぴったり息のあったコラボレーションでした。

最後は荒井さんのリードで、会場の皆さんと共に2代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」を歌いました。智恵子の故郷・二本松の皆さんはどなたもご存じの歌ですが、花巻ではどうかと思っていました。しかし、意外とご存じの方が多かったようでした。

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盛会のうちに終わりました。

終演後は、皆さんと光太郎が実際に暮らした山小屋(高村山荘)付近を散策したり、記念館の展示を拝見したりしました。

役得で、普段非公開の山荘内部にも入れていただきました。

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というわけで、充実の1日でした。


光太郎記念館も、こうしたコンサートなどの新たな活用法の方向性が見え、大きな収穫でした。ただ、どなたにでも会場を開放し、場を提供するというわけにも行かないかとは存じます。今日のこのブログ、題名が「ロビーコンサート」ですが、結局はロビーではなく「展示室コンサート」ですので、そうそういつもいつもこうした場合に対応できません。また、ぜんぜんご存じない方に場を提供し、いざ公演となったらとんでもない内容だった、などということも無きにしもあらずですし……。

今後、こうした活用法も含めて、館のスタッフの方々と詰めて行きたいと思います。


【折々の歌と句・光太郎】

生きの身のきたなきところどこにもなく乾きてかろきこの油蝉
大正13年(1924) 光太郎42歳

昨日は東北でも梅雨明けが宣言されました。高村山荘周辺では、まだ今一つ蝉の声は聴けませんでしたが、地面には幼虫が羽化のため出て来たのであろう穴が目立ちました。

光太郎詩の朗読による公演、イベント等の情報です。

まずは公演の方、福井県鯖江市で。 
期  日 : 2016年7月17日(日)
時  間 : 開場 13:30  開演 14:00
会  場 : 鯖江市文化の館鯖江市図書館2F 多目的ホール) 鯖江市水落町2丁目25番28号
料  金 : 500円
出  演 : 朗読・森本宏子 オカリナ・山本幸聖 ピアノ・森本菜桜子
                       
作曲・沢崎蒼太郎 画・西條由紀夫
申  込 : 090-5178-2221(森本)

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続いて、智恵子の故郷・二本松から一般参加のイベント情報です。 

高村智恵子生誕130年 高村光太郎没後60年記念事業 「智恵子抄」朗読会

期 日 : 2016年7月17日(日)
時 間 : 午前10時〜 (9時20分に奥岳登山口ロープウェイ乗り場前集合)
会 場 : 安達太良山薬師岳
参加費 : 4,000円(ロープウェイ代、入浴料、昼食代込み)
定 員 : 30名
申 込 : 智恵子のまち夢くらぶ(熊谷) ☎0243(23)6743

ほんとの空がある安達太良山薬師岳で、詩集『智恵子抄』の中から一人一作品を朗読します。
智恵子と光太郎の記念の年にふさわしい素敵な朗読会へぜひ参加してください。
終了後は温泉にゆったりと入浴し、その後みんなで昼食会を行います。

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さらにもう1件、朗読つながりで、彫刻家光太郎最後の大作・「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の建つ青森県十和田市からの情報もご紹介しておきます。

今年4月、当方執筆のジュブナイル「乙女の像のものがたり」を原作にした朗読劇を公演された劇団M’S PARTY(エムズパーティ)さんが、「平成28年度 元気な十和田市づくり市民活動支援事業 対象事業」の認定を受けました。その結果、助成金19万円が交付されるとのことです。

具体的には「50分でわかる乙女の像に込められた想い DVD及びホームページ制作事業」だそうで、さらに具体的には「十和田湖国立公園指定80周年を記念して、「乙女の像」ができるまでの物語を朗読劇にしてDVDを作成する。多方面で活用していただくことで十和田湖の奥深い魅力を広く発信する。」だそうです。

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こういう予算の使い方というのは、素晴らしいことだと思います。


公演にしても、一般参加型のイベントにしても、もっともっと広まってほしいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

ふるさとのちまたに立ちて故郷の言の葉をきく聞けどあかぬかも

明治42年(1909)頃 光太郎27歳頃

昨日に引き続き、約3年半の海外留学を終えて帰国直後と思われる作です。

意外と留学先のニューヨーク、ロンドン、パリ、それぞれで留学生仲間などとの交流が多かった光太郎ですが、やはり巷間に立って聞こえてくる母語の響きは懐かしさを催すものだったのでしょう。

北海道帯広に本社を置く『十勝毎日新聞』さんに、1週間前に載った記事です。 

原発事故への思いCDに 福島出身の村越さん 芽室

 福島県出身で町内在住の元高校教諭、村越英男さん006(85)が2011年の福島第1原子力発電所事故を契機に制作してきた詩を基に、知人の協力でCD「朗読集 望郷」を製作した。古里の言葉で朗読した村越さんは、原発事故で一変した福島の人々の日常に寄り添いながら、少年時代を過ごした古里への思いを込めた。

 村越さんは、県中央部に位置する川東村(現須賀川市)出身。職業軍人に憧れ、1945年に陸軍の技能者養成所へ入り、終戦を迎えた。戦後は教員の道へ進み来道。士別高校(士別市)や芽室高校の教諭を務めながら、原水爆禁止などの平和運動やそば打ち、合唱に汗を流した。書道には幼少期から親しみ、芽室高では書道部の顧問も務めた。

 今回、朗読した「望郷」は、11年に知人から「芽室そば研究会の会長退任の花道に」と展示会の開催を持ちかけられた時に書いたもの。

 製作期間中に東日本大震災と原発事故が発生し、避難した親族もいた。

 「事故が起こるまで福島にあんなに原発があったとは知らなかった。幼い頃を過ごした豊かな福島はどうなってしまうのか」。村越さんは高村光太郎の詩をモチーフに、避難せざるを得なかった住民への同情や、原発を推進した国やマスメディアへの怒りを込め、「望郷」を書き上げた。

 CD化は、昨年末に町内で平和を考えるイベントを企画した有志が「望郷」の展示を依頼したのがきっかけ。「書だけでなく、声でも参加してもらおう」と村越さんの朗読を録音し、会場で流した。

 有志に加わっていた元小学校教諭の岡田幸造さん(62)は「福島弁で語りかけられ、涙が出るほど感動した」といい、有志で編集委員会をつくり、録音から表紙までCDを自作。望郷の他にも村越さんが書にしたためた詩なども収められた。村越さんは「伝えたかった思いを形にしてくれてありがたい」と話す。

 CDは「材料費程度の負担で頒布したい」と岡田さん。


問題の詩は、ネットで調べたところ、震災の年にアップされていた「やまざきあきら」さんという方のブログに引用されていました。

望郷ーあれが安達太良山、あの光るのが阿武隈川

 なして? どうして?!
  私の生まれ育ったフクシマ

  いつでも人様に尽くすことを喜ぶ
  やさしさにあふれた人たち。
 なして、いつの間にの怖ろしい原発を
  あんなにもたくさん作らされていたの。
 そんなに東京の人たちが大事だったんだべか。
  マデに(真面目に質素に)生きていくべって
  カネ目当ての町村合併まで拒んだ飯舘村の人たち、
 なして、あんたたちまで田んぼやベコまで捨てて
  いったい、どこさ逃げさせられるだっぺ!
  原発は金になっからと素直な県民をおだてだましてきた、
  時の政治家や財界の偉い人たち、
  そして安全だから大丈夫だからと煽り続けた
  学者マスコミの人たち。
 3月11日の後、大熊町に来て切腹した人でもいたったべか!
  家族ぐるみで移り住んで後片付けしているんだべか。
 フクシマの「善人」たちよ、もうあん人たちの
  口車には乗せられないでよ!

 あれが安達太良山 あの光るのが阿武隈川

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元ネタは、『智恵子抄』にも収録された「樹下の二人」ですね。作者の村越さんは、須賀川のご出身だそうで、そういう立ち位置にいらっしゃる方でなければ書けない内容だと思います。

今年の九州の震災では、改めて原発問題を考えさせられました。

あまり報じられていませんが(あまり報じられないところに何らかの圧力を感じます)、九州電力の黒川第一発電所(水力)の施設が崩落しました。これが原発だったらと思うと、ぞっとします。

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震源域に近い川内原発は、「停止すべき」という声が上がっていたにもかかわらず、運転続行。「停止すべき」という声に対しては、「被災者の皆さんが電気を使えなくなったら困る」と、問題のすり替え。昨年、再稼働するまで川内原発以外の発電所で作られた電力で十分にまかなえていたわけですから。そして余震の群発がほぼ納まると、「結局、何もなかったじゃないか」。何かあってからでは遅いのですが……。

さて、参議院選挙が公示されました。先の「大義なき解散」といわれた一昨年の衆議院選挙でもそうでしたが、原発問題は全くといっていいほど争点に上げられていません。震災後の東北を50回以上訪れた当方としては、それでいいのだろうか、と思ってしまいます。

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【折々の歌と句・光太郎】

ていねいにかさなり合ひてまんまろく玉菜のあつ葉たたまるやさしさ

大正13年(1924) 光太郎42歳

「玉菜」はキャベツです。この時代には農作物の放射能汚染など、考えられなかったでしょうね。

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