今夏、「大学ジャーナル」さんというサイトに、今年度の第13回の応募案内が出ました。それによると久々に光太郎の「智恵子抄」が課題ということで、「おお、これはありがたい」と思ったものでした。
ところが、その後、いつまでたっても主催する山形大学さんのサイトには詳細な情報が出ませんで、「あ、こりゃ、コロナ禍で中止になったんだろうな」と思っておりました。
すると、今月に入って同大の学長定例記者会見が行われ、その中に「第13回⼭形⼤学⾼校⽣朗読コンクール審査結果発表」も含まれていました。「えっ、やったの?」という感じでした。
「どういうことだ」と思っていたら、昨日、『毎日新聞』さんの山形版に関連記事が出ました。
山大高校生朗読コン 山形東・吉田さん2位「気持ち伝わるように」/山形
山形大は、東北6県の高校生の文化交流を目的に同大が開催している「山形大学高校生朗読コンクール」で、県立山形東高2年の吉田遥さんが、予選を通過した14人のうち、上位3人に与えられる学長賞で2位に輝いたと発表した。そこで、YouTubeを拝見。
これを見てようやく腑に落ちました。例年のようにホールを使って大がかりにではなく、録音審査での実施だったそうで。上記のプレスリリースもよく読めば小さく書いてありました。
課題文は「智恵子抄」中の随筆「智恵子の半生」(昭和15年=1940)の一節。詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の制作背景的な部分で、「あどけない話」自体も引用されている箇所でした。
動画の最後は審査に当たられた山本陽史教授の講評的なご挨拶。
曰く「東北は10年前の震災を乗り越えて来て、今年は世界中がコロナ禍で大変な思いをしている。そんな時に「言葉」の力で分断をくい止めて、皆さんが繋がっていけるよう……」なるほど、その通りですね。
また、こうした活動を通し、多くの方々に光太郎智恵子の世界がもっと広まっていってほしいものだと、いつもながらに思います。
【折々のことば・光太郎】
朝六時、詩碑に詣づ。
「詩碑」は花巻桜町に立つ宮沢賢治の「雨ニモマケズ」碑です。昭和11年(1936)、花巻からの依頼で光太郎が筆をふるい、同詩の後半部分を揮毫しました。除幕式の際には智恵子が入院中ということもあったのでしょう、光太郎は不参加。代わって当会の祖・草野心平が赴きました。
かつて自分が文字を書いた碑を初めて眼にしたその心境は、いかばかりだったのでしょうか。











































ため亡くなったことが15日、分かった。34歳だった。滝口さんの公式ブログで所属事務所が発表した。通夜、告別式は近親者のみで執り行う。




















る。いわゆる「8月ジャーナリズム」だが、あの惨禍と過ちを記憶する記号として、やはり「8.15」の意味は大きい。令和の時代にも、決してゆるがせにはできぬ日付だ。































音楽に合わせて物語や詩の朗読をする金沢市の本田和(かず)さんの公演「『智恵子抄』詩人高村光太郎と智恵子」(北陸中日新聞後援)が十七日、金沢市民芸術村であり、七十人の来場者が光太郎の詩の世界とチェロの演奏を楽しんだ。











































