光太郎詩を取り上げて下さる朗読イベント、まず来週開催のものを。
画像は佐倉市さんの広報誌「こうほう佐倉」から。
「こおろぎの輪」さん、市のボランティアセンターさんに登録されている団体で、公民館等での朗読会等、積極的になさっているようです。
メンバーがかぶっているのでしょうか、「姉妹団体」として、広報誌の音訳録音などをなさっている「こおろぎの会」さんという団体も存在します。
頭が下がりますね。
で、今回、「智恵子抄」から朗読をなさって下さるそうで、1時間みっしり光太郎。時間が取れれば行って来ようと思っております。お近くの方、ぜひどうぞ。
ついでというと何ですが、当会がらみの朗読イベントも今後、開催されます。
まず7月6日(日)、光太郎終焉の地にして、第一回連翹忌会場となった東京都中野区のアトリエ保存の関係で、「中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会」主催の朗読イベント。会場は中野区産業文化振興センターです。司会を当方が担当します。
詳細が未定でして、また追ってご案内いたしますが、今のところ、女優の一色采子さん、今年の連翹忌の集いで朗読を披露していただいたフリーアナウンサーの早見英里子さんと朗読家の出口佳代さんのコンビには朗読を、フルート奏者の吉川久子さんにはお仲間の方の朗読に乗せて演奏をお願いしてあります。また、詩人で朗読にも取り組まれている方々もそれとは別に。
それからやはり7月、仙台と花巻で。仮のフライヤーを載せておきます。
ここに電子楽器・テルミンの大西ようこさんが加わって、先月、二本松の智恵子生家で「音楽と朗読『智恵子抄』愛はここから生まれた」公演を行いました。
こちらもまた近くなりましたら詳細を出しますので、よろしくお願いいたします。
【折々のことば・光太郎】
右の七尺像二体の鋳造を貴下にお願いたしました事を心強く存じ居ります。八月末か九月始めまでに御完成願ひたきことはかねて申上げました通りであります故何卒よろしくお取計ひ願上げます。
「七尺像二体」は、生涯最後の大作にして智恵子の顔を持つ「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。前年10月に7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の山小屋を出、中野の貸しアトリエに入り、11月から制作開始。小型試作、中型試作、原寸大の手の試作と次々完成させ、本体の七尺像は3月5日から作業にかかり、6月1日には終わりました。光太郎にしては驚異的なスピードで、その裏には自らの死がそう遠くないという覚悟があったと思われます。
期 日 : 2025年5月30日(金)
会 場 : 志津公民館 千葉県佐倉市上志津1672-7
時 間 : 14:00~15:00
料 金 : 無料
出 演 : 朗読サロンこおろぎの輪画像は佐倉市さんの広報誌「こうほう佐倉」から。
「こおろぎの輪」さん、市のボランティアセンターさんに登録されている団体で、公民館等での朗読会等、積極的になさっているようです。
メンバーがかぶっているのでしょうか、「姉妹団体」として、広報誌の音訳録音などをなさっている「こおろぎの会」さんという団体も存在します。
頭が下がりますね。
で、今回、「智恵子抄」から朗読をなさって下さるそうで、1時間みっしり光太郎。時間が取れれば行って来ようと思っております。お近くの方、ぜひどうぞ。
ついでというと何ですが、当会がらみの朗読イベントも今後、開催されます。
まず7月6日(日)、光太郎終焉の地にして、第一回連翹忌会場となった東京都中野区のアトリエ保存の関係で、「中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会」主催の朗読イベント。会場は中野区産業文化振興センターです。司会を当方が担当します。
詳細が未定でして、また追ってご案内いたしますが、今のところ、女優の一色采子さん、今年の連翹忌の集いで朗読を披露していただいたフリーアナウンサーの早見英里子さんと朗読家の出口佳代さんのコンビには朗読を、フルート奏者の吉川久子さんにはお仲間の方の朗読に乗せて演奏をお願いしてあります。また、詩人で朗読にも取り組まれている方々もそれとは別に。
それからやはり7月、仙台と花巻で。仮のフライヤーを載せておきます。
昨年もお二人で仙台/花巻公演をやられた、朗読家の荒井真澄さんと箏曲奏者の元井美智子さんのコラボ。計4公演で、花巻のみ会場借り受けの都合で当会主催ということになっています(仙台は「後援」)。花巻高村光太郎記念館さんでも1公演やります。
ここに電子楽器・テルミンの大西ようこさんが加わって、先月、二本松の智恵子生家で「音楽と朗読『智恵子抄』愛はここから生まれた」公演を行いました。
こちらもまた近くなりましたら詳細を出しますので、よろしくお願いいたします。
【折々のことば・光太郎】
右の七尺像二体の鋳造を貴下にお願いたしました事を心強く存じ居ります。八月末か九月始めまでに御完成願ひたきことはかねて申上げました通りであります故何卒よろしくお取計ひ願上げます。
昭和28年(1953)6月18日 伊藤忠雄宛書簡より 光太郎71歳
「七尺像二体」は、生涯最後の大作にして智恵子の顔を持つ「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。前年10月に7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の山小屋を出、中野の貸しアトリエに入り、11月から制作開始。小型試作、中型試作、原寸大の手の試作と次々完成させ、本体の七尺像は3月5日から作業にかかり、6月1日には終わりました。光太郎にしては驚異的なスピードで、その裏には自らの死がそう遠くないという覚悟があったと思われます。