サブタイトルが「己の後悔と向き合う -【千葉県にまつわるレジェンド篇】芸術家 高村光太郎-」。この番組、特定の地域とそこにゆかりの人々の関係、というコンセプトでやられていて、千葉県編の前はフランス編でした。フランスに続いて千葉、というのが千葉県民としては何とも面はゆいところですが(笑)。
ラジオ番組ですので、通常の電波には映像が乗りませんが、公式サイトでは大正元年(1945)に光太郎智恵子が愛を確かめた銚子犬吠埼、昭和9年(1934)に心を病んだ智恵子が半年余り療養生活を送った九十九里浜の画像が出ています。
番組内でもこの2ヶ所について触れられました。
放送作家の方の書いた「物語」を、俳優の長塚圭史さんが読まれていまして、公式サイトでは音声も聴けるようになっています。長塚さん、テレビ東京さん系の「新美の巨人たち」でも時折ナレーションを務められていますが、お父さま(長塚京三さん)ゆずりのいいお声ですね。
「物語」と書きました。全文がこれも公式サイトに出ています。何か所か、史実とは異なる(「一緒に千葉県の九十九里浜に移り住んだ」とか)、あるいはそこまでは特定できていない(「7歳か8歳の時、絶対的な存在の父から彫刻刀を3本もらった」など)一節があり、まぁ、史実を元にしたラジオドラマのようなもの、という意味で「物語」と書かせていただきました。
それでもなかなかよい出来です。ぜひお聴き下さい。
【折々のことば・光太郎】
小生の詩は根帯から諸家のものと相違し、藤村――白秋――朔太郎――達治――現代詩人諸家の系統とはあまり縁がないので、諸家の理解を得ることはあり得ないと考へてゐます。
同様の発言は詩歌に関する評論などでも書いています。詩集『道程』(大正3年=1914)で我が国口語自由詩の礎を築いた光太郎ですが、あくまで自分は傍流だと。そこには一種の矜恃も含まれているように思われます。