カテゴリ:音楽/演劇等 > 舞踊

昨日も上京しておりました。

目的地は2箇所、まずは上野桜木町の旧平櫛田中邸。山手線だと鶯谷駅か日暮里駅からの方が近いのですが、せっかくの桜のシーズンですので、上野駅から歩きました。

トーハクさん前。
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藝大さん前。
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寛永寺さん。
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谷中霊園入り口的な。
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と、桜を見つつ歩いて目的地、旧平櫛田中邸へ。木原萌花さんという方による舞踊の公演「旧平櫛田中邸 de タコダンス」を拝見。
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公演も勿論ですが、この建物がどう活用されているのか、という部分に非常に興味がありまして。昨年から、光太郎終焉の地にして、昭和32年(1957)の記念すべき第一回連翹忌会場でもあった中野区の中西利雄アトリエ保存運動に一枚かませていただいており、その関係です。
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邸宅は住居兼アトリエ。大正8年(1919)に竣工、昭和45年(1970)に平櫛が小平市に移るまで使われました。

平櫛田中は光太郎の父・光雲の高弟の一人ですし、ここは一度見ておきたいと前々から思っていたのですが、イベントがある場合のみ公開されるということで、何もない時に行っても見られません。するとちょうどいいタイミングで今回の公演があったというわけです。
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こちらは保存に関わられた「たいとう歴史都市研究会」さんのパンフレット。他にも古建築の保存に当たられています。同会の方がいらっしゃればお話を伺おうと思っていたのですが、昨日は不在でした。

外観。
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細々したパーツなども実にいい感じです。
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大正8年(1919)に竣工、昭和45年(1970)に平櫛が小平市に移るまで使われました。その間に部分的には少し手が入れられているかな、という感じでしたが、全般的には竣工時のままでしょう。
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住居部分内部。「おばあちゃんの家」みたいな懐かしさを感じます。
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あちこちに田中グッズ。
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アトリエ部分。
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ここが公演会場で、バイアスのないフラットな床面でどうお客さんに観(み)せるのかと思っていましたが、カーペットやクッションなどを活用していました。もちろん椅子も。
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キャパ的には詰め込んで30くらいでしょうか。昨日は20名程でした。

中野のアトリエも、保存活用が為されるようになったあかつきには、こういった公演等での活用も考えられ、その意味では非常に参考になりました。

さて、開幕。
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上演時間は約60分。あえて分類すればコンテンポラリーダンスに入るのでしょうが、通常のダンスというイメージはほとんど無く、能楽やバレエのような動作もあり、激しい動きとゆるやかなそれと予想のつかない緩急、そうかと思うといきなり不可思議な「語り」も入り、後半では一度引っ込んでから黒い大きなゴミ袋を纏って再登場したりと、異界に迷い込んでしまったような感覚を味わわされました。
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将来的に中野のアトリエが活用されるようになったら、ぜひそちらでも演じていただきたいものだと思いました。

終演後、原宿の「デザイン&ギャラリー装丁夜話」さんへ。こちらでは水彩画の個展「ASAKO展 春、在りし日、過ぎし日」が開催中です。
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先月開催された「星センセイと一郎くんと珈琲」の際にもお邪魔しまして、2回目です。偶然でしょうが、光太郎智恵子に関わる個展が短期間に開かれ、ありがたいかぎりでした。

今回は光太郎、中原中也、芥川龍之介の作品からインスパイアを受けたという水彩画の展示。作者のASAKO(井出朝子)氏もご在廊でした。
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「智恵子抄」系。
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智恵子肖像は売約済みになっていました。

中也/芥川系。
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それぞれの作品と、元ネタの詩文を併せて掲載した画集『琥珀糖』が販売されていて、ゲットしました。装丁夜話さんのオンラインショップでも購入出来ます。
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「星センセイと一郎くんと珈琲」の際の山口一郎氏の作品と画集もまだ置いてありました。
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こちらもオンラインショップで注文可。

今日は開廊、その後、来週4月12日(金)~14日(日)の開催です。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

四五日あたたかだつたので畑をはじめたら、昨夜猛烈な嵐が来て小屋が飛ぶかと思ふほどでしたが、今日はアラレ交りの雪がふつてゐます。


昭和22年(1947)4月22日 小森盛宛書簡より 光太郎65歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村。4月下旬でも降雪が普通にある、厳しい環境でした。

最近、光太郎終焉の地にして、第一回連翹忌会場でもあった中野区の中西利雄アトリエ保存運動に一枚かませていただいており、芸術家ゆかりの建造物の保存活用などについていろいろ調べています。なかなか一筋縄ではいかない問題です。ケースバイケースですし。

そんな中で保存活用がうまくいっている例として、台東区上野桜木に現存する「平櫛田中邸」があります。光太郎の父、光雲の高弟・平櫛田中が使っていたアトリエ兼住居で、大正8年(1919)に竣工、昭和45年(1970)に平櫛が小平市に移るまで使われました。

小平にも移転後の旧居が保存されていて、隣接する小平市平櫛田中彫刻美術館さんと併せて何度か足を運びましたが、上野の方は未踏です。令和元年(2019)にはジャズシンガー・潮見佳世乃さんの「歌物語コンサート 智恵子抄」公演がここであって、ご案内も頂いたのですが、智恵子故郷福島二本松に行く用があって欠礼しました。

さて、その平櫛田中邸でダンスパフォーマンスの公演があります。

旧平櫛田中邸 de タコダンス

期 日 : 2024年4月5日(金)~4月7日(日)
会 場 : 平櫛田中邸 東京都台東区上野桜木2-20-3
時 間 : 4月5日 19:30〜 4月6日 13:00〜 / 18:00〜 4月7日 18:00〜
料 金 : 一般 3000円 U-25 2000円 当日 3500円

作・出演/木原萌花

ダンサー・表現者であり、演出も行う木原萌花さんが、『他者から見た自己』をテーマにソロパフォーマンス〝タコダンス〟を披露するイベントが開催されます。

舞台は彫刻家・平櫛田中の元住居兼アトリエ「旧平櫛田中邸」。3日間で4公演での開催となります。

“タコダンス”とは、踊りを軸にパフォーマンスやプロデュースを展開する表現者、木原萌花(きはらももか)さんが、クラシックバレエを習い始めた幼少時代に独自に踊っていたタコのようなダンスのこと。

タコ=他己(たこ)という意味も掛け合わせており、他人から見た自分を主題に置いたダンス表現だそうです。

『他者や自然とのつながりに意識を向け、自分が外の世界と繋がっていると感じられる時、人は固く閉じていた「自己」の鎧から解放され、少し軽くなった自分を発見できるのではないか?』そんな仮定から「自分に集中しない」ダンスを魅せます。
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平櫛邸の様子も見てみたいところですし、また建築保存の関係の方もいらっしゃるようならそのあたりのお話も伺いたいと思っておりますので、行って参ります。

皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

何しろ花といふものは画や彫刻と違つて自然そのものを取つて来てそれに人間が手を加へるものなので恐ろしいやうでもあり、又よく自然の心にきく事が出来た時は人間の思量以上のものが現前するものと思へます。自然の美は中々人間並でない超常識のものですから、之を相手にする者は一通りでない智慧と情熱と力とがいるわけです。


昭和22年(1947)3月9日 浅見恵美子宛書簡より 光太郎65歳

華道について述べた一節です。

追記 関係者にコロナ感染が出たため、延期だそうです。

大阪府から公演情報です。

至高の華 ~舞と語り~

期 日 : 2022年11月27日(日)
会 場 : 大槻能楽堂 大阪府大阪市中央区上町A-7
時 間 : 14:00~
料 金 : S席 8000円 A席 6000円

演 目 : 語り「初代 梅若実」 桂南光(新作落語 本邦初演)
      舞踊詩劇「智恵子抄」 梅若実桜雪/藤間勘十郎/高橋惠子 ほか
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新作落語と舞踊詩劇の二本立て。梅若実桜雪氏は人間国宝の能楽師、藤間勘十郎氏は舞踊家。「高橋惠子」さんは、「あの高橋惠子さん?」と思ったら、あの高橋惠子さんでした。梅若氏と藤間氏が光太郎智恵子として舞われ、高橋さんが朗読なさるのでしょう。何とも豪華なトリオですね。
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『毎日新聞』さん大阪版に案内記事が出ていました。

語り、舞 至高の一時 27日・大槻能楽堂 新作口演と舞踊詩劇 /大阪

 能の人間国宝、梅若桜雪(ろうせつ)さんの舞と落語家、桂南光さんの語りを中心とした特別公演「至高の華~舞と語り」が27日午後2時、大阪市中央区上町の大槻能楽堂で開かれる。落語作家、小佐田定雄さんの新作「初世梅若実」を南光さんが口演し、能と日本舞踊のコラボレーションによる舞踊詩劇「智恵子抄」を桜雪さんらが上演する。
 「初世梅若実」は維新の激動で能が衰微した明治初年、東京に残って孤塁を守り、その後の能楽発展の礎を築いた桜雪さんの曽祖父・初世実(1828~1909年)の生涯を描いた物語。ユーモア主体の落語ではなくストーリー中心の「語り」として小佐田さんが書き下ろし、桜雪さんの謡の門弟でもある南光さんが初演する。
 「智恵子抄」は詩人の高村光太郎が、心を病み52歳で早世した妻・智恵子への思いをつづった詩集を舞台化。女優、高橋恵子さんの朗読や能の謡、邦楽の演奏などに合わせて光太郎を桜雪さん、智恵子を日本舞踊宗家藤間流八世宗家の藤間勘十郎さんが舞う。2006年の初演以来、上演を重ねており、今回が令和初演になる。

近くなら拝見に伺いたいところですが……。

お近くの方(遠くの方でも)、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

原稿少し、原稿を書くと神経痛いたむ、


昭和30年(1955)1月30日の日記より 光太郎73歳

神経痛」は結核性の肋間神経痛です。ペンを執るだけで痛むというのですから、かなりの重症です。ただ、それも波があり、翌月にはおよそ半年ぶりに外出もできるようにはなりました。

音楽系の公演情報を2件。

まずは名古屋から、独唱歌曲系です。

日本歌曲コンサート~朝岡真木子の歌曲を中心として~

期 日 : 2021年12月19日(日)
会 場 : 電気文化会館 ザ・コンサートホール 愛知県名古屋市中区栄2丁目2-5
時 間 : 13:15開場 14:00開演
料 金 : 全自由席 3,800円 ※当日券の販売はございません。
      チケットをお求めの上ご来場いただきますようお願いいたします。

監 修 : 関定子
出 演 : 石川能理子、加川文子、鎌田哲、久保田道子、鈴木寿恵、鈴木啓之、冨田美穂、
      夏目久子、野瀬洋子、藤田桂子、水谷友香、森口紀代美、若狭真美
ピアノ : 山下勝

曲 目 : 
 朝岡真木子 : 私に歌があればこそ/なぎさ/”智恵子抄”より レモン哀歌
         ”あなたへ”より 生命の彩り
 橋本國彦 : 斑猫


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作曲家・朝岡真木子さんによる「レモン哀歌」がプログラムに入っています。

一昨年、やはり名古屋の同じ会場で開催された「伊藤晶子ソプラノリサイタル ~演奏生活70周年を記念して~」では、この曲を含む「智恵子抄」五曲が演奏されました。

もう1件、東京都八王子市から。こちらはどちらかというと舞踊系のようです。

こうもりクラブプロデュース 星降る夜のクリスマスオイリュトミー

期 日 : 2021年12月23日(木)
会 場 : 八王子市芸術文化会館大ホール いちょうホール 東京都八王子市本町24-1      
時 間 : 18時半開演(開場は開演の30分前 / 受付は45分前開始)
料 金 : 全席自由  前売り 3,000円 当日 3,500円

”クリスマスとは、ちょっとした余分のことを誰かのためにしてあげること。”  
–  チャールズ・シュルツ

歩んできた道を、そっと振り返る季節。あなたには想いを伝えたい人がいますか。クリスマスの夜に響く美しい音楽とよろこびの言葉。さあ、長いトンネルをくぐり抜けて、クリスマスを祝おう!

【構成 演出】野口泉
【音楽群舞オイリュトミーフォルム・振付】定方まこと
【出演】
 三上周子(こうもりクラブ) 清水矢須江(こうもりクラブ) 野口泉(こうもりクラブ)
 角田萌果(劇団青年座) 清水隆陽路 尾崎梓(Lands and Skies) 
 尾崎行輝(Lands and Skies) 定方まこと 
【ピアノ演奏】  島岡多恵子 橋本祐子

【演目】
 J.S.バッハ『楽しき狩りこそ我が喜び』より第9曲「羊は憩いて草を食み」(bwv208)
 ルドルフ・シュタイナー『魂のこよみ』より第38週 「聖夜の情景」
 ショパン ピアノソナタ3番第3楽章
 ブラームス ピアノソナタ3番第3楽章
 ショパン ノクターン8番 Op.27-2 他
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オイリュトミー」は、オーストリアの教育家、ルドルフ・シュタイナーによって始められた、「運動を主体とする芸術」。

出演される角田萌果さんという方のTwitter投稿に、「高村光太郎・相田みつを・茨木のり子さんらの詩を組み合わせた、若手オイリュトミスト:清水隆陽路さんとのコンビ作品もあります。」との記述がありました。
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それぞれご興味のある方、足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

ひる頃高村晴雲夫妻来訪、北海道よりの帰途の由。夕方まで談話、ビール2本、のり、牛かん2もらふ、一緒にビール。短冊5枚かく、観音木彫をもらふ。

昭和26年(1951)8月12日の日記より 光太郎69歳

高村晴雲」は、光太郎の父・光雲の師匠・髙村東雲の孫で、のちに三代髙村東雲を名乗ります。しばらく北海道にいたようですが、この年帰京し、北区十条に居を構えました。令孫・三代晴雲氏は鎌倉ご在住で、今もご活躍中です。

この折に光太郎が貰ったという観音像、花卷高村光太郎記念館さんに残されています。
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都内からバレエの公演情報です。

新国立劇場バレエ研修所公演 バレエ・オータムコンサート2019

期 日 : 2019年11月2日(土) 3(日)
会 場 : 新国立劇場 中劇場 東京都渋谷区本町1-1-1
時 間 : 両日とも15:00~
料 金 : 全席指定 2,200円

プログラム
スパニッシュ・ダンス『檸檬(レモン)哀歌』(振付:小島章司)(ギター:フェルミン・ケロル、カンテ:石塚隆允)
『ラ・シルフィード』第2幕より パ・ド・ドゥ
『パリの炎』より パ・ド・ドゥ
『くるみ割り人形』第2幕より
 ほか

新国立劇場バレエ研修所は、日本初の国立劇場附属の研修機関として2001年に開所して以来14期88名の修了生を送り出し、修了生はバレエ界の第一線で活躍しています。技術から教養まで幅広く学ぶことで世界に通じるダンサーの育成を目指しています。2018年からは、『ANAスカラシップ』の開始により海外研修も充実し、本公演後、最上級生がANAスカラシップ生としてロシアの名門A.Y.ワガノワ記念ロシア・バレエ・アカデミーで研修を行います。
今回は、クラシカル・バレエの名作『くるみ割り人形』第2幕からグラン・パ・ド・ドゥを中心にスパニッシュやトレパックなどいくつかの踊りを抜粋して上演します。また、研修カリキュラムの一つとして取り入れているスパニッシュ・ダンスを研修所講師の小島章司氏の振付でご覧いただきます。日頃の研修の成果をお楽しみください。


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というわけで、プログラムに「檸檬(レモン)哀歌」が入っています。まぁ、智恵子の臨終を謳った光太郎詩「レモン哀歌」(昭和14年=1939)からのインスパイアなのでしょう。

同研修所さんのサイトに、「「バレエ・オータムコンサート2019」『檸檬(レモン)哀歌』のリハーサルの様子をご紹介します」という記事がアップされています。それによると、フラメンコに近い群舞のようです。

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フラメンコと「智恵子抄」、一見、異質な取り合わせのように感じられるかもしれませんが、これまでにも多くの方が、「智恵子抄」へのオマージュ作品を扱われています。

古くは故アキコ・カンダさん。昭和46年(1971)4月28日、芸術座さんで開催された第5回リサイタルで。写真は篠山紀信氏です。ただ、完全なフラメンコというより、モダンダンスにフラメンコの要素が入って、という感じだったようです。

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平成に入ると、鍵田真由美さん、佐藤浩希さんのお二004人による「レモン哀歌〜智恵子の生涯〜」が、平成10年(1998)10月、新宿のスペース・ゼロさんで上演されました。この際には、光太郎と交流のあったハーモニカ奏者の故・新井克輔氏が演奏で参加されていました。新井氏、かつての連翹忌でハーモニカ演奏をご披露いただきました。

それから、あまり大々的に宣伝されていないようなので、このブログでご紹介していませんが、最近でも、故・平幹二朗氏の子息でやはり俳優の平岳大さんも、「智恵子抄」をフラメンコで取り上げて下さっています。ただ、「フラメンコ」ではなく「ヒラメンコ」だそうですが(笑)。

光太郎詩の持つある種の「熱」が、フラメンコの情熱性とマッチする部分があるのかもしれません。

同じようなことをこのブログで何度も書いていますが、こうした二次創作的な部分で光太郎智恵子の世界を取り上げていただくのは、大歓迎です。そこから間口が広がり、関心を持つ方が増えて下さるといいと思いますので。

ただし、あくまで健全な精神で、リスペクトを持って取り上げていただきたいものです。


さて、新国立劇場バレエ研修所さんの公演、ご都合の付く方、ぜひどうぞ。当方、残念ながら両日ともまた東北に行っております。


【折々のことば・光太郎】

上から見おろすと、しつとり濡れた朝の石の肌に落葉が一面につもつてゐる。落葉に対する私の陶酔がふらふらと起りかける。実際落葉ほど暖かい、たのもしい魅力を私に持つものは少い。落葉に埋れるほど大丈夫な気のする感じは少い。
散文「「童顔社」を観た日の日記 上」より
大正14年(1925) 光太郎43歳

確かに光太郎、「落葉を浴びて立つ」(大正11年=1922)、「美しき落葉」(昭和19年=1944)といった詩も書きましたし、現存は確認できていませんが、プラタナスの落葉を木彫にする構想もありました。

愛知から舞台の情報です。 

智恵子抄~故郷 福島への想い

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内 容 : 智恵子抄~故郷 福島への想い~ Part1  あわい 愛~
      智恵子抄~故郷 福島への想い~ Part2 あわい 淡~
開催日
 : Part1 2015年9月2日(水)  Part2 2015年10月5日(月)
会 場 : メニコンANNEX 愛知県名古屋市中区葵三丁目21番19号
時 間 : <両日ともに> 19:00 開演 (18:30 開場)
入場料 : 各日 全自由席 ¥2,000  お支払いは当日受付にてお願いします。
 ※うち¥100円は一般社団法人aichikaraへ寄付させていただきます。一般社団法人aichikara →http://www.step-aichikara.com/
  福島の子どもたちへの支援を中心に、愛知県の学生が主体となって活動している名古屋の団体。毎年リフレッシュキャンプを開催し、福島の子供たちを愛知県へ招いています。
主 催 : カラダのアトリエ マナマナ
協 賛 :  (株)メニコン


お問い合わせ
◆沼田眞由み Tel 080-4426-0770 (カラダのアトリエ マナマナ)
◆ANNEX事務局 TEL 052-935-0918(受付時間平日9:30~18:30)FAX 052-935-3877 Email 
info@menicon-net.co.jp
 
出 演 者 :
 ☆Part1 ~あわい 愛~
  高村光太郎 高宮直秀
  高村智恵子 沼田眞由み(カダラのアトリエ マナマナ) 
  ピアノ 堀内悠馬      朗読 のざきのりこ
 ☆Part2 ~あわい 淡~
  高村光太郎 榊原忠美(劇団クセックACT

  高村智恵子 沼田眞由み(カダラのアトリエ マナマナ)
  ピアノ 堀内悠馬 朗読 のざきのりこ

定員 各日とも 80名

 智恵子抄の真実 〜夫 光太郎への愛〜 〜故郷 福島への想い〜 〜断ち難い 芸術の魂〜 智恵子抄の真実がコンテンポラリーダンスで今、蘇る・・・
 「智恵子抄」から、誰もがよく知る詩の朗読とともに、ダンスで光太郎と智恵子の故郷福島への想いを伝えます。
 衣裳や舞台で使われるいるものは、ダンサーが福島各地で手にして集めたものです。智恵子抄の朗読、ダンス、衣裳やホールを使った映像もお楽しみいただけます。

お申込み
以下リンクより、お申込みください。
http://form1.fc2.com/form/?id=2e247b5214d0ff5b
9月2日、10日5日の両日のお申込み可能です。それぞれ、日付を選びご入力ください。
※入場料は当日お支払いをお願いいたします。


舞踊系の舞台のようです。

9月2日(水)、10月5日(月)と2回に分けての公演。それぞれ「Part1  あわい 愛」、「Part2 あわい 淡」と異なるサブタイトルになっていますので、同一の内容ではないのでは、と思います。

調べてみましたところ、両日共に智恵子役の沼田眞由みさんという方は、福島郡山ご出身だそうです。


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お近くの方、ぜひどうぞ。

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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 8月19日

平成17年(2005)の今日、雑誌『アニメーションRE』創刊号が発行されました。

付録のDVDに、声優の能登麻美子さんによる、『智恵子抄』巻末近くの光太郎詩「亡き人に」の朗読が収められています。

能登さんは、声優のお仕事以外にも、朗読系にも力を入れていらっしゃいまして、ラジオ文化放送系で「能登麻美子のおはなしNOTE」(月曜深夜=火曜未明、再放送・火曜昼間)という朗読番組を担当されています。こちらの番組では光太郎の詩「道程」や散文「珈琲店より」も取り上げて下さいました。

それぞれ素晴らしい朗読です。

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国会図書館での調査で、面白い資料を発見しました。
 
昭和25年(1950)11月3日の『山形新聞』に載った記事です。
 
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『高村光太郎全集』別巻の年譜に依れば、この年10月30日から11月3日まで光太郎は山形を訪れています。講演会を2回行った他、山形県総合美術展覧会の評、この評は11/1~3の同じ『山形新聞』に掲載されている事が以前から判っており、『高村光太郎全集』第19巻に収録されています。
 
さて、今回発見した記事は、その山形を訪れていた光太郎の元に、東京から舞踊家の藤間節子が訪ねてきた、というものです。
 
藤間節子(後に黛節子と改名)は、大正10年(1921)生まれの舞踊家。昭和24年(1949)、帝国劇場にて『智恵子抄』をモチーフにした舞踊を制作、発表しました。『智恵子抄』がこの手の舞台芸術で取り上げられた嚆矢です。翌年には再演も為されています。
 
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『山形新聞』の記事によれば、構想したのは昭和18年。戦時中や戦後すぐの混乱期という時代背景もあったのでしょうか、すぐには実現しませんでした。そのあたりを受け、この記事には光太郎は次の談話を載せています。
 
藤間さんは一生懸命であるということは立派なことです、この人ならと私は自分の作品の舞踊化をゆるしたのですが、それから七年間もかかつて振付けを作り上げたというまじめさにはうたれます
 
さらに記事には藤間から光太郎にレコードが贈られ、早速、「試聴会」が開かれたとの記述もあります。「ヴィクター版レコード『千鳥と遊ぶ智恵子』ほか二曲」となっていますが、こうしたレコードの存在は把握して居らず、今後、調査してみます。
 
ただ、前年の帝国劇場でのリサイタルのプログラムによれば、小村三千三(みちぞう)作曲とした上で、

 A 浜辺…………千鳥とたわむれる智恵子
 B ひたむき……智恵子のひたむきな苦悶、憧れ、そして沈思
 C 切紙細工……童心にかえつた智恵子の住む世界は

との解説があり、三つの舞踊から為っていたことがわかります。おそらく、この伴奏音楽をレコード化したものと考えられます。
 
また、12月1日に藤間に宛てて書かれた書簡が『高村光太郎全集』第15巻に収められていますが、そちらにもこのレコードに関する話が載っています。以前にこれを読んだ時は、意味がよくわからなかったのですが、今回の記事で疑問が氷解しました。
 
こういう具合に、新しく発見した資料が、以前から判明していた資料の謎解きの鍵になるということが、時々あります。そういう時は非常に嬉しいものですね。

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