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花巻グルメ系、2件ご紹介します。

まず、光太郎顕彰にあたられているやつかの森LLCさんが「こうたろうカフェ」として月イチで出店されている花巻市土沢地区の「ワンデイシェフの大食堂」さん。9月13日(水)がご出店日でした。

かつて光太郎が実際に作ったメニューを現代風にアレンジしたり、光太郎が使った食材を取り入れたりしたメニューは以下の通り。

栗ご飯、アンチョビサンド(軽くトーストしたバケットにレタス・チーズ・ドライトマトをのせアンチョビソースとオリーブオイル)、ピーマンの肉詰め(人参・コーン・エリンギを細かいサイノメに切り和風だしのあんかけに)、林檎とナッツのサラダ(リーフレタスに皮つきのリンゴを刺してオシャレに盛り付け)、夕顔のポトフ(大きめに切った夕顔に鶏の旨味が染み込ませ)、ゴーヤの佃煮、舞茸スープ、お新香、コーヒーゼリーサンデー(寒天とコーンフレークの食感も加えアイスとチョコソース・バナナ・ポッキーのトッピング)、お茶(煎茶にミントを加えて煎れたモロッコ風ミントアイスティー)。
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専門の料理人でない皆さんがここまで作るか、という感じですね。

9月15日(金)には、道の駅はなまき西南さんでの豪華弁当「光太郎ランチ」の販売もありました。
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こちらのメニューは以下の通り。

栗ご飯、そば粉クレープ鶏照りレタス、牛肉入りジャガバタ炒め、里芋と厚揚げの煮物、塩麹入り卵焼き、きゅうりとトマトの酢の物、蒸しかぼちゃのごまかけ、舞茸当座煮、糠漬け、フルーツ。

どちらにも光太郎が好んだ栗ご飯や舞茸が入っています。秋ですね。

それぞれ末永く愛されてほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

智恵子の死は小生にとつてかなりひどい打撃ですがしかし遠からず平常の常態に復して今度は猛烈に仕事に専念しようと考へてゐます、四十九日がもうぢきです、

昭和13年(1938)11月16日 更科源蔵宛書簡より 光太郎56歳

智恵子の死にも不屈の光太郎。しかし前年に始まった日中戦争は既に膠着化、挙国一致体制が求められ始め、彫刻も詩作も自由には出来なくなっていきます。

花巻グルメ系、2件ご紹介します。

まず、光太郎顕彰にあたられているやつかの森LLCさんが「こうたろうカフェ」として月イチで出店されているワンデイシェフの大食堂」さん。8月3日(木)が4回目のご出店でした。

メニュー的には、サーモンと彩り野菜のガレットロール、ローストビーフの温野菜添え、トマトと卵の炒め物、里芋のクルミかけ、オカワカメの酢の物、オクラのスープ、ごはん、お新香、ベイクドチーズケーキ、カフェドシトロン。これで1,000円だそうですから、安いものですね。
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用意なさった34食分、完売だったそうです。次回は9月13日(水)の予定とのこと。

同じくやつかの森LLCさんがメニュー考案にあたられ、
道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さん内の「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで毎月15日に販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。
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豆おこわ、揚げジャガイモと鶏肉の甘辛炒め、生節入り夕顔煮、かぼちゃ煮、塩麹入り卵焼き、わかめとミョウガの酢の物かぼちゃの花添え、白茄子とミニトマトのコンポート、お新香、それからメニューには印刷されていませんが、さつまいもの蒸しパンも。

「こうたろうカフェ」、「光太郎ランチ」ともども、かつて光太郎が作ったメニューを現代風にアレンジしたり、光太郎が使った食材を使用したりして作られています。

毎月のメニューを考えるのも大変だと存じますが、末永く続いて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

山であなた方がつまれた木の芽草の芽をめづらしくよみました。藤の芽、山吹の新葉が喰べられるといふ事ははじめて知りました。タラの芽は小生も大好きで今年も千葉の田舎でとつてもらつて喰べました。コゴメの葉も上州の山奥の「湯の小屋」といふ処で先年喰べて大変うまいものと思つた事があります。小生は山に住んだら不自由はしないと思つてゐますが、そんな想像は結局想像に過ぎないでせうか。


昭和9年(1934)5月18日 中込友美宛書簡より 光太郎52歳

中込友美は戦後、戦災孤児のために「久留米勤労補導学園」を創設した人物。この当時、信州松本在住だったようです。で、その地から送られた食べられる野草的な内容の書簡に対する返信です。

小生は山に住んだら不自由はしないと思つてゐますが、そんな想像は結局想像に過ぎないでせうか」。約10年後に、花巻郊外旧太田村の山小屋に住み、実際に山菜類を貴重な食料とすることになるとは思っていなかったことでしょう。

光太郎第二の故郷とも云うべき岩手花巻で光太郎顕彰にあたられているやつかの森LLCさんが「こうたろうカフェ」の名で出店されているワンデイシェフの大食堂」さん。「一般の主婦(男性)やOL、学生、プロなどが日替わりでシェフになって、ランチを提供するレストラン」というコンセプトのレストランです。

7月27日(木)が3回目の出店だったそうで、画像等送って下さいました。メニュー的には、かつて光太郎が実際に使った食材や作った料理などの記録から、現代風にアレンジを施してのメニューとなっています。
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令和元年(2019)、福島県いわき市立草野心平記念文学館さんで開催された 「居酒屋「火の車」一日開店」の際にご一緒させていただいた、兵庫県ご在住の料理研究家・中野由貴さんが、当ブログをご覧になって足をお運びになり、フェイスブックでご紹介下さっています。インフルエンサー的な方のレポートは実に有り難いところです。

明後日、8月3日(木)にも「こうたろうカフェ」出店があるとのこと。次回メニューは「
サーモンのガレットロール・ローストビーフ・トマトと卵の炒め物・里芋のクルミかけ・お新香・ご飯・おくらのスープ・ベイクドチーズケーキ・コーヒー」だそうです。

紹介すべき事項がたまっていますので、もう1件、花巻関係で。

花巻高村光太郎記念館さんで開催中のテーマ展『山のスケッチ』につき、NHKのさんローカルニュースで取り上げられました。先月の放映でしたので、「来月」というのは今月のことです。

高村光太郎が疎開していた花巻で描いた植物などのスケッチ展

詩人で彫刻家の高村光太郎が、戦時中に疎開していた花巻市で描いた身近な植物などのスケッチの展示会が開かれています。
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高村光太郎は、昭和20年、62歳の時に空襲で東京のアトリエが焼け、宮沢賢治の弟の清六を頼って花巻に疎開して7年間を過ごしました。
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「山のスケッチ」と題された今回のテーマ展には、疎開中に光太郎が描いた身近な草花のスケッチなど7点が展示されています。
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このうち光太郎が湯治先の西鉛温泉で描いたスケッチは山菜の「ミズ」を描いたものです。
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昭和20年6月20日という日付けとともに「丈1尺5寸」などと観察した内容がつづられています。
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また白い6枚の花弁が優しいタッチで描かれた「チゴユリ」というスケッチや、光太郎が過ごした花巻の山口地区のかやぶき屋根の集落を描いた作品もあります。
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鹿児島県の奄美大島から観光で訪れたという男性は「光太郎さんの『道程』や『智恵子抄』の詩はよく知っていますが、スケッチは初めて見ました。小さな命を愛しながら過ごしていたのがわかりました」と話していました。
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高村光太郎のスケッチの展示は花巻市の高村光太郎記念館で来月31日まで開かれています。
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それぞれ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

もう略 肉どりは出来ました故仕上げる前に一度見て下さい、今週中は午前午后宅に居ります、

昭和8年6月19日 岩波茂雄宛書簡より 光太郎51歳

岩波書店の社章として依頼を受けたメダル制作に関わります。
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モチーフはミレーの「種まく人」。

以前にも書きましたが、これはボツとなりました。新たにエッチングで描かれた社章は、作者が不明です。

毎月15日に、光太郎第二の故郷ともいうべき、岩手県花巻市の「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さん内の「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。今月分がこちら。メニュー考案に当たられているやつかの森LLCさんから画像を送りいただきました。
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メニューは「さやえんどう入り炒飯」「味噌焼おにぎり」「マグロ焼き魚」「じゃが玉ねぎ煮込み」「さやいんげんの油炒め」「トウモロコシ焼」「キュウリの酢の物」「こかぶ漬け」「塩麹入り卵焼き」「番茶寒天」だそうです。かつて光太郎が花巻郊外旧太田村の山小屋で作っていた野菜類がふんだんに盛り込まれています。

メニュー考案にあたられているやつかの森LLCさん、今月27日、花巻市東和町の「ワンデイシェフの大食堂」さんに「こうたろうカフェ」としてご出店の予定。
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そちらのメニュー、「白身魚のムニエル~バジルソース~」「ズッキーニのソテー」など。光太郎が好きだったバター、あんこなどをたっぷり使うそうで。茄子やキュウリなど夏野菜は、光太郎が暮らしていた花巻太田産を使われるとのことです。

花巻ついでにもう1件。今月15日発行の『広報はなまき』。
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市内の博物館・記念館等の文化施設などで所蔵している逸品を紹介する「花巻歴史探訪 郷土ゆかりの文化財編」というコーナーがあり、花巻高村光太郎記念館さんで開催中のテーマ展『山のスケッチ』で展示されている光太郎のスケッチが紹介されています。ただし、こちらは複製だったような気がするのですが……。

27日、「ワンデイシェフの大食堂」さんの「こうたろうカフェ」、それからテーマ展『山のスケッチ』、それぞれ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

東京の夏にはまつたく年々愛想がつきます。とてもやりきれません。此は私の個人的生理に基づく事です。それでますます北緯五十度の方へ牽かれます。 北海道で自分の生活と仕事とを大成したい念願が強まるばかりです。山へヒツコムのでは無くて前進するのです。人生への一つの道を開墾するのです。そこを根拠にして一つの生活と空気とを創りたい気がします。


昭和3年(1928)9月25日 更科源蔵宛書簡より 光太郎46歳

夏の暑さに弱かった光太郎、明治末にほとんど無計画で北海道移住を企てましたがすごすごと1ヶ月程で退散したにも拘わらず、またぞろこの時期に北への憧れを募らせていました。

結局、この時期にもそれは果たせず、意外な形で実現するのは、戦後の花巻郊外旧太田村移住においてでした。

グルメ系の取り組み3件です。

まず、光太郎第二の故郷・岩手花巻で光太郎顕彰にあたられているやつかの森LLCさんがメニュー考案に協力され、毎月15日、「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。かつて光太郎が自分で作ったりした料理を現代風にアレンジしたメニューが含まれるもの。今月分の画像等送っていただきましたのでご紹介します。
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今月のメニューは、「シュガートースト」、「グリーンピースのバターライス」、「鮭の塩焼き」、「豚肉と筍の煮物」、「イカとミズの酢味噌かけ」、「蕗の油炒め」、「卵焼き」、「蓬餅のきな粉かけ」だったそうです。

ミズや蕗、蓬など、山菜系がふんだんですね。かと思うと洋風のシュガートーストやバターライス。見事に東西の味覚が融合しているようです。

毎月15日、店頭販売は10食限定ということなのですが、予約が入ったのでしょうか、19食出たそうです。ありがたし。

2件目、同じくやつかの森LLCさんが「こうたろうカフェ」の名で、先月から参入されている、花巻市東和町の「ワンデイシェフの大食堂」さん。「一般の主婦(男性)やOL、学生、プロなどが日替わりでシェフになって、ランチを提供するレストラン」というコンセプトのお店です。

こちらも15日(木)だったそうで、やはり画像等送って下さいました。
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メニュー的には「ちりめん山椒ご飯」、「ローストビーフと彩り野菜のガレットロール」、「むね肉の香味焼き」、「山菜ミズのたたき」、「ゼンマイの煮物」、「菊芋とラディッシュのピクルス」、「サヤエンドウと南瓜のサラダ」、「赤魚とミズのお吸い物」、「黒豆ゼリー」、「カフェドシトロン」。こちらでも旬のミズが使われていまして、光太郎詩「山菜ミズ」(昭和22年=1947)のレクチャーもして下さったそうです。

社会教育系の「シニア大学」の団体さん、先月も入らしたリピーターの方、今月初めてという方など、こちらも36食完売だとのことで。

お客様の声。「ウワバミ草(ミズ)って初めて知った」「父が好んで酒の肴にしていた」「手が込んでいる」「工夫されててどれもおいしい」「菊芋のピクルスをもっと食べたかった」「メニュー表を見ながらこれは何と味わった」だそうです。

3件目、富山県高岡市から。以前にやつかの森LLCさんが考案したレシピを元に、「光太郎ランチ」として個人でご自宅を開放して振る舞われている、茶山千恵子さんの取り組み。6月6日(火)、7日(水)、18日(日)と、3回行われたそうです。
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読書会を兼ねての開催だそうで、岐阜の高山、石川の金沢や七尾からいらしたという方も。
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茶山さん、来月は「宮沢賢治セット」で「ざる蕎麦」「炭酸ソーダ」「人参フライ🥕私流」「サラダ」だとのこと。

今後とも末永く継続して行っていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

無題3木喰上人の遺跡絵葉書お送り下されて忝く存じます。柳さんの研究で図らず世に出た此等の彫刻を興味深く見て居ります。


大正14年(1925)1月30日 
硲真次郎宛書簡より 光太郎43歳

木喰は江戸時代後期の僧侶。100年程前の円空同様、諸国を行脚しながら独特な木彫の仏像(いわゆる木喰仏)を彫り続けました。近代に入ってのその再評価には、「柳さん」=柳宗悦の功績が大きかったようです。

光太郎のそのプリミティブな美を高く認め、「徹底した庶民的無差別的無我没入の境」(「技法について」昭和16年=1941)と評しています。







光太郎智恵子ゆかりのお店ということで、当会主催の連翹忌の集いで使わせていただいている日比谷松本楼さん。今年が創立120周年だそうです。

以前に紹介したつもりでいたのですが、忘れていた件がありました。

日比谷松本楼120周年記念特別プラン

期 間 : 令和5年4月1日から令和6年3月31日
会 場 : 日比谷松本楼本店2F/3F 個室・宴会場
料 金 : おひとりさま ¥12,000(4名様より)

お祝いのお席・同窓会・同期会・OB会・ご卒業記念・社内懇親会などさまざまなお楽しみのお席に、今年で120周年を迎える松本楼のあゆみをお料理でご堪能いただける特別なプランをご用意いたしました。

MENU
 ジャルダン・ドゥ・レギューム 季節野菜の菜園風 5代目シェフ六川スタイル
 八丈島うみかぜ椎茸のポタージュカプチーノ仕立て
 松本楼初代出身地より 
  信州サーモンの温かいキッシュ 東京ビーフの生ハムとセップ茸のコンフィ
 夏目漱石 小説「野分」の牛フィレ肉のステーキ 松本楼伝統のデミグラスソースとともに
 〆のハイカラ カレーライス または ハヤシライス
 詩集「智恵子抄」より 光太郎と智恵子のアイスクリームサンデー
 ⻑崎県そのぎ茶のパン・まつもとロール
 珈琲
※ 食材の仕入れ状況などによりメニューの内容が変更になる場合があります。

★ 特典 ★
 1: 乾杯用スパークリングワイン付
 2: フリードリンク(2時間)追加おひとりさま ¥3,000
 3: お祝いのホールケーキを特別価格でご提供
 4: 松本楼のレトルト食品を特別価格でご提供
 5: 花束・卓上装花をフローリストよりご提案いたします。(別途料金)

ご利用案内
料金にはお料理・乾杯酒・お部屋代・サービス料・消費税が含まれています。
ご利用時間は2時間を基本として、延⻑は30分ごとにおひとりさま ¥1,500のご負担となります。

お電話でのお問い合わせ
tel 03-3503-1453(日比谷松本楼本店 宴会営業部)
受付時間 10:00~20:00
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新潮文庫版『智恵子抄』所収の詩「涙」(大正元年=1912)に登場する「氷菓」=アイスクリームサンデーをメニューに入れていただきました。ありがたし。

ついでにと云うと何ですが、テレビ放映情報も

新美の巨人たち レトロ建築in日比谷公園×杏子(バービーボーイズ)

BSテレ東 2023年6月17日(土) 23:30~00:00

東京・千代田区「日比谷公園」は、今年で120周年。園内にはレトロな建物たちが感動的な美しさを今に伝えている。音楽の聖地「野音」も今年で100年、そんなレトロの美こそ「100年浪漫」。

日本初の近代西洋風公園には、各時代の建造物(「市政会館・日比谷公会堂」「日比谷松本楼」「日比谷図書文化館」「日比谷公園大音楽堂」など)が建ち並んでいます。威厳に満ちた「時計塔」、「日本のカーネギーホール」と呼ばれた音楽の殿堂…さらに「野音」のたくましき存在感。そんな「100年浪漫」の美の世界へ。

出演者 アートトラベラー:杏子(バービーボーイズ)  ナレーション:渡辺いっけい

音楽 【オープニング&エンディングテーマ】 作曲・編曲 亀田誠治
   オープニング曲「カミーユ」 エンディング曲「雨のカフェテラス」

系列の地上波テレビ東京さん系で、6月3日(土)に放映された回です。

日比谷公園さん自体も120周年だそうで、園内のさまざまな施設等が紹介されました。その中で、松本楼さんも。

当時の東京市のコンセプトが、「三つの洋」を取り入れることだったそうで……
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一つ目は、西洋の花卉。同園、現在も色とりどりのお花でいっぱいですね。
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二つ目で、野音や日比谷公会堂などによる、洋楽の普及。
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そして三つ目が……
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そこで、松本楼さん。
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日露戦争後の日比谷焼き討ち事件などがありましたので、現在の建物は昭和48年(1973)竣工の3代目だそうです。勝手にもう少し新しいと思い込んでいましたが、実はもうちょうど50周年なのですね。意外でした。
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そして……
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「来た来たぁ、光太郎、出るかぁ」と思ったのですが……
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残念、漱石にしてやられました(笑)。
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松本楼さんとしても、コスパを考えれば氷菓よりフィレステーキを推してほしいでしょうし(笑)。このステーキも上記「120周年記念特別プラン」に入っていますね。

さて、番組をご覧の上、「120周年記念特別プラン」、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

ロダンの彫刻もお返却しようと思ひながら一日一日と見てゐるのでのびて、此も大変長くなりました。近くお返しいたします。


大正13年(1924)6月8日 木村荘五宛書簡より 光太郎42歳

「ロダンの彫刻」は、明治44年(1911)、ロダンから白樺同人一同に贈られた三点のうちのどれか、または全部と思われます。またはその後、武者小路実篤や安達峰一郎(外交官)らがロダン作品を入手しており、そのあたりかもしれません。
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同人中の誰よりもロダンを敬愛していた光太郎ですので、なかなか手放せなかったようです。さすがに借りパクはしなかったようですが(笑)。
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この葉書も当方手元にあります。

グルメ系で2件。それぞれかつて光太郎が自分で調理したりしたメニューを元に、現代風の料理にアレンジしての取り組みです。

まずは富山県高岡市から。

地元を中心に演劇や朗読等で光太郎智恵子の世界を広めて下さっている茶山千恵子氏が、ご自宅を開放して、ランチやらスイーツやらを予約の方々に振る舞われる活動もなさっていますが、今月(5月)から花巻のやつかの森LLCさん考案の「光太郎レシピ」を元に、「光太郎ランチ」の日も設定なさっています。

今月(5月)は1回のみの実施でしたが、ご好評だったということでしょう、来月(6月)は3回に増えました。
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一昨年、やつかの森LLCさんで刊行された「光太郎の食卓カレンダー」のうちの1食分を参考に作られるそうです。

それから岩手。本家のやつかの森LLCさんの活動です。

花巻市東和地区にある「ワンデイシェフの大食堂」さん。「一般の主婦(男性)やOL、学生、プロなどが日替わりでシェフになって、ランチを提供するレストラン」というコンセプトのお店で、こちらも今月(5月)からやつかの森LLCさんが「こうたろうカフェ」という名で参入なさっています。
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6月は15日(木)に「こうたろうカフェ」。
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山菜の「ミズ」の語が2回。旬なのでしょう。正式には「ウワバミソウ」という名です。

以前にもご紹介しましたが、光太郎詩「山菜ミヅ」(昭和22年=1947)。
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    山菜ミヅ

 奥山の渓流に霧がこもつて
 岩の間にミヅが生える。山菜づくし
 ウハバミとまではゆかないが
 大きなシマヘビがぬらぬら居る。
 岩手の人はこの不思議な山菜を
 暗いうちから一日がかりで採つてくる。
 山の匂が岩手の町にただよつて
 ミヅは吸物となり煮びたしとなり001
 なんだかしらないどろどろな
 白緑いろのソースとなる。
 岩手の人は夏がくると
 何よりさきにミヅを思ひ出す。
 ぬめりがあつてしやきしやきして
 どこかひいやり涼しくて
 風雅なやうで精気絶倫。
 配給などとけちは言はず
 山の奥にはウハバミサウが
 ぬるぬるざわざわ生えてゐる。

カラー画像は昭和21年(1946)、光太郎が描いたスケッチ、モノクロ画像はそれを元に描かれ翌年の雑誌『婦人公論』第31巻第6号に詩「山菜ミヅ」と共に載ったものです。下の方は鶴首南瓜です。

さて、富山光太郎ランチ、花巻こうたろうカフェ、お近くの方(遠くの方も)、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

あなたの本を昨日うれしくおうけとりしました あれは雑誌に出たときも愛読したものです 世間でも認めてゐるやうですがあれは全く今の文学壇には珍らしいものです 事件でなしに生活が書かれて居ます あれをよむものは必ずあなたのこころのひゞきをうけとります そしてそのひゞきは人を脅かすものでなくて人をあたためるもの清めるものです 私は此をよみながらいくど微笑しいくど遠くを望み見たかしれません 私のやうに悪の分子の多いものにとつて斯ういふものは実に貴いものに思はれます 実際此をよんであなたを敬愛せずに居られる人が此世にあるだらうかと思はれます あなたに対する私の愛をどうか心からうけとつて下さい


大正9年(1920)3月30日 室生犀星宛書簡より 光太郎38歳

あなたの本」はこの月、新潮社から刊行された犀星の小説『結婚者の手記 あるひは「宇宙の一部」』。何だかほめ殺しに近いような手放しの賛辞ですね。

犀星と光太郎の関係は、なかなかに複雑です。犀星、昭和4年(1929)には光太郎をして「自分は斯様な人を尊敬せずに居られない性分だ。」(『天馬の脚』)と書いていたのに、光太郎歿後には「高村光太郎の伝記を書くことは、私にとって不倖な執筆の時間を続けることで、なかなかペンはすすまない、高村自身にとっても私のような男に身辺のことを書かれることは、相当不愉快なことであろう。」(『我が愛する詩人の伝記』)。

残された書簡によれば、互いの母親が亡くなった際にはそれぞれ衷心からのお悔やみ、励ましなど交わしていたようなのですが……。

一昨日のSBS静岡放送さんローカルニュースから。

梅酒づくりのシーズン到来。気をつけないと酒税法違反の可能性も

 もうすぐ梅の実の収穫シーズンです。肉厚で種が小さい品種「八房梅(やつふさうめ)」の栽培が盛んな静岡県島田市伊太地区の梅の畑では収穫を間近に控えた実がたわわに実っています。
 梅の生産から加工販売までを手掛ける「梅工房おおいし」の大石富佐子さんは「天候にも恵まれて、生育は順調。4トン程度の収穫を見込みたい」と話しています。
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 またスーパーやホームセンターには、梅酒づくりに使うビンや氷砂糖などが並び始めました。7月の季語でもある梅酒。アルコールの血行促進効果とクエン酸成分などが日々の疲れを取ってくれることから、日本では古くから多くの家庭で梅酒づくりが行われています。
古くは「薬」として利用されていた梅
あれも、これも法律違反に?
 「友人・知人に好評の自慢の梅酒。美味しさの秘密はホワイトリカー(甲類焼酎)でなく、日本酒とみりんで漬け込む特別なレシピ。あまりに評判がいいので、小分けにしてビン代程度のお金をもらっておすそわけするようになりました」。一見、なんの問題もなさそうな「梅酒の風景」ですが、実はその全てが酒税法に違反しています。手軽に作ることができる梅酒ですが、作り方から飲み方まで、法律で厳しく定められているのです。

あくまで「個人で飲むのであれば」
 本来どのような形であれアルコール度数1度以上の「お酒」を作るには酒税法に則って許可を取り、酒税を納めることが義務付けられています。しかし、梅酒づくりは1697(元禄10)年の『本朝食鑑』にも記されているほど日本人の生活に根を下ろした風習です。酒税法も「自分と家族が飲むのであれば」という条件付きで梅酒作りを例外としています。ですから友人・知人に評判になるほど広く振る舞うのはNGです。以前、関西のテレビ番組内で作った梅酒をゲストに振る舞う場面を放送してしまい、その局は後日謝罪放送をしました。

アルコール度数は20度以上が条件
 日本酒やみりんはホワイトリカーより旨味を多く含みます。しかし、法律では梅酒に使用する酒類はアルコール分20%であることと定めています。アルコール度数が低いと混入した野生酵母により発酵が進み、使ったお酒の本来のアルコール度数を上げてしまいますが、これも禁止行為。法律では酵母が働かなくなる20度以上のアルコールを使うように指示しています。毎日の料理を紹介する長寿テレビ番組ではみりんで作る梅酒を紹介し、後日内容を修正して放送したこともあるようです。
梅酒用の酒はどれも35度以上です
自家製梅酒の販売は厳禁
 もちろん無許可の販売は禁止されています。戦後の混乱期は各地で「カストリ」「どぶろく」など無許可の酒が横行し、当時の新聞にも税務署による大掛かりな取締の様子が記録されています。一方で家庭での梅酒づくりは続けられていたのでこの矛盾を解消するため1962年の酒税法改正で「家庭内での消費に限って梅酒づくりは合法」となりました。
 旅先の旅館の食前酒として手作りの梅酒が出されることがありますが、これは税務署への届け出をして①旅館内で作り、消費する、②量の上限を守る③土産として販売しない、といった条件の下、認められているそうです。

注文で作り、その場で飲めばOK
 それでは、バーなどで、複数の酒を混ぜて作るカクテルは「酒造り」に該当しないのでしょうか。法律では「酒類に水以外の物品を混和した場合において混和後のものが酒類であるときは、新たな酒類を製造したものとみなす(酒税法第43条)」としています。例えば「スクリュー・ドライバー」を作るためにウォッカにオレンジジュースを混ぜると酒類の製造とみなされ、取得に厳しい要件が義務付けられている酒類製造免許が必要になってしまいます。
しかしバーは免許を持たずカクテルを提供しています。これを可能にしているのが、「酒税法43条10項」です。この規定は「お客が飲む直前に混ぜるならいいです」としているため、店で客の注文を受けてから混ぜて、その場で飲ませることは酒類製造にあたりません。
 しかし、作り置きには問題があります。自家製の梅酒などアルコール20%以上の酒に酒以外のものを混ぜて漬け込み、客の注文に合わせて提供したい場合、事前に税務署への申告が必要です。また、アルコール度数20度以下のワインや日本酒に何かを漬け込んで作り置いた酒は、製造免許なしには提供できません。事前に果物をワインに漬けて用意しておくサングリアなどは「作り置き」「アルコール度数20度以下」なので、厳密に言えば法律に違反している、といえそうです。
注文を受けてから作り、その場で消費するのが条件です
梅酒は自分の楽しみのために
 「厨(くりや)に見つけたこの梅酒の芳りある甘さをわたしはしづかにしづかに味はふ」。詩集『智恵子抄』の中で、高村光太郎は先立ってしまった最愛の妻、智恵子が残していった梅酒を愛おしそうに口にします。自分と、ごく親しい人に見守られて熟成を重ねるのが梅酒です。飲み頃を迎える半年後を心待ちに、ルールを守ってお気に入りの一ビンを仕込んでみませんか。
漬けてから半年すると飲み頃になります
最後に光太郎詩「梅酒」を取り上げて下さいました。
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    梅酒
 
 死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒は
 十年の重みにどんより澱んで光を葆み、
 いま琥珀の杯に凝つて玉のやうだ。
 ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
 これをあがつてくださいと、
 おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
 おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
 もうぢき駄目になると思ふ悲に
 智恵子は身のまはりの始末をした。
 七年の狂気は死んで終つた。
 厨に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを
 わたしはしづかにしづかに味はふ。
 狂瀾怒濤の世界の叫も
 この一瞬を犯しがたい。
 あはれな一個の生命を正視する時、
 世界はただこれを遠巻にする。
 夜風も絶えた。

光太郎手控えの詩稿によれば、昭和15年(1940)3月31日の執筆。智恵子が亡くなっておよそ1年半、という時期です。

社会との関わりを極力避け、智恵子と二人で芸術精進の日々を送ろうとしていたかつての生活態度が智恵子を追い詰めたという反省、そうした生活を続けていては自分も精神の危機に見舞われるかも、というおそれもあったのでしょう。この時期の光太郎は180度方向性を変え、自ら積極的に世の中と関わろうとします。

しかし、光太郎にとっての悲劇は、その社会の方がおかしな方向に進んでいたこと。智恵子が亡くなる前年の昭和12年(1937)に始まった日中戦争は泥沼化、その膠着状態を打開しようと、翌昭和16年(1941)には太平洋戦争に突入することになります。

元々の『道程』時代からの一種の精神主義、かつて留学中のアメリカで受けた人種差別への苦い記憶、さらに遡れば幼い頃に祖父・兼松や父・光雲から叩き込まれた忠孝の精神などが頭をもたげ、大量の翼賛詩文を書き殴るようになってしまいました。世間もそうした光太郎を歓迎し、光太郎は一躍、時代の寵児となっていくわけです。

それでも亡き智恵子を偲ぶとき、そうした時代の寵児的な部分は影を潜めると、「梅酒」では謳われています。曰く「狂瀾怒濤の世界の叫も この一瞬を犯しがたい。 あはれな一個の生命を正視する時、 世界はただこれを遠巻にする。」。

ところが、「あはれな一個の生命を正視する」こと自体が減っていきます。智恵子に関する詩は、翌年、おそらく『智恵子抄』出版に際して書きおろされたと推定される「荒涼たる帰宅」を最後に、戦後まで作られることはありませんでした。

昭和20年(1945)4月13日、智恵子と過ごした思い出深い本郷区駒込林町の住居兼アトリエは空襲により灰燼に帰しました。智恵子の遺した梅酒は、それまでに飲みきっていたのかどうか。もしまだ残っていたとしても、戦火に失われたことでしょう。一ヶ月後、宮沢賢治の父・政次郎らの勧めで、光太郎は花巻町の宮沢家に疎開します。その宮沢家も終戦5日前の空襲で全焼。ある意味、地獄ですね。

そして戦後、花巻郊外旧太田村の山小屋に移った光太郎は、7年間を送ることになります。当初は山中に芸術村を作る、的な無邪気ともいえる夢想を抱いていましたが、雪に閉ざされた日々は深い自省を迫り、光太郎は自らの山小屋生活を「自己流謫」(自分で自分を島流しにする)と位置づけました。高祖保松木喜之七ら、かつて交流の深かった人々の戦死の報なども影響したでしょう。

その太田村生活末期の昭和27年(1952)3月、NHKのラジオ放送のため、花巻温泉松雲閣で詩人・真壁仁との対談が録音されました。さらに自作詩の朗読も。その中に「梅酒」のそれも含まれていました。作品の選択は局の意向だったのか、光太郎の自選なのか、そのあたりは不明ですが、この時点で「梅酒」を朗読した光太郎の胸中は、いかばかりだったでしょうか。

NHKさんにはその際の音源が残されており、平成8年(1996)以後、二度ほどCD化もされました。ただ、もう流通していないようで、覆刻が待たれます。

【折々のことば・光太郎】

今日では百円以下ではとてもおわかちできないものです。 原型をお見せしませう。こんな風なものですが 高さは一尺弱で奥行五寸ほどのものです。出来るだけ近い鋳金の機会を以て完成してお送りしますが 今年中にといふ事にはお約束出来ないのを残念に存じます。 新年のあなたの机上に飾れたら私もうれしかった思ひますが むつかしいやうに思ひます。

大正8年(1919)12月11日 野田守雄宛書簡より 光太郎37歳

野田は滋賀県の銀行家。大正6年(1917)に入会者を募った「高村光太郎彫刻会」を通じて光太郎に彫刻を注文しましたが、ようやくその完成のめどが立ったという内容です。

送られた彫刻はブロンズの「裸婦坐像」。この書簡には粗いスケッチが描かれていました。
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光太郎第二の故郷・岩手花巻で光太郎顕彰にあたられているやつかの森LLCさんがメニュー考案に協力され、毎月15日、「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。かつて光太郎が自分で作ったりした料理を現代風にアレンジしたメニューが含まれるものです。今月分の画像等送っていただきましたのでご紹介します。
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今月のメニューは、「筍御飯」「若布御飯のおにぎり」「ほっけ焼き」「独活(うど)の天ぷら」「ほうれん草のおひたし」「豚肉とうるいの炒め」「切り干し大根酢醤油」「煮小豆」「塩麹卵焼き」だそうです。筍やら山菜やら、季節柄、という感じですね。

同じくやつかの森LLCさん、地元季刊誌『花巻散歩マチココ』さんで、同様に「光太郎レシピ」という連載を創刊以来続けてこられましたが、3月発行の第34号で最終回となり、代わって新しい取り組みを。

花巻市東和地区にある「ワンデイシェフの大食堂」さんに「こうたろうカフェ」としてご参加を始められました。こちらは「一般の主婦(主夫)、学生、OL、プロ等が日替わりでシェフになってランチを提供するレストラン」だそうで、月イチで「こうたろうカフェ」を出店されるとのことです。
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この日(5月16日)のメニューは「ホロホロご飯」「生ハムと彩り野菜のガレットロール」「春キャベツの肉巻きソテー」「ボストンビーンズ」「長芋の夏みかん皮のせ」「ワラビの和え物」「ふわとろ玉子スープ」「スフレフロマージュ」「カフェドシトロン」。やはり光太郎ゆかりのメニューだそうです。
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こじゃれた感じですね。

平日の昼間だったにもかかわらず、開店してまもなく用意した28人分が完売だそうで、驚きました。

さらに店内に展示もなさったようです。
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光太郎が戦後の7年間を過ごした山小屋(高村山荘)附近の風景等でしょう。

それから、先述の『花巻散歩マチココ』さん。
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5年間、34回の連載が終わってしまったのは残念ですが、新たなる「こうたろうカフェ」の船出にエールを送りたいと存じます。

さて、こうした活動が遠く富山県にも飛び火しています。『花巻散歩マチココ』さんの「光太郎レシピ」を元にした「光太郎の食卓カレンダー」が、一昨年、やつかの森LLCさんから発売され、お買い求め下さった茶山千恵子氏(富山県ご在住、彼の地で演劇や朗読等で光太郎智恵子の世界を広めて下さっている方)が、ここに載っているレシピを元に「光太郎ランチ」。

茶山氏、大学の家政科で食物栄養を専攻されたそうで、料理の腕前もプロフェッショナル。ご自宅を開放して、ランチやらスイーツやらを予約の方々に振る舞われる活動もなさっています。その一巻として、本家のやつかの森LLCさんから許可を取られ、5月14日(日)に第一回を開催されたとのこと。
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下記が元ネタの「光太郎の食卓カレンダー」当該ページ。
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来月以降も月イチで継続して下さるそうですし、光太郎に関するレクチャーや、さらに今後、朗読もなさりつつ、といった御計画のようで、ありがたいかぎりです。

こうした輪がさらに広まって行くことを願って已(や)みません。

【折々のことば・光太郎】

無題例の彫刻会の趣意書漸く出来いたし候間 別封にて御覧に入れ申候 かやうな事の勝手わからぬ為め閉口いたし居候 何卒よろしく御声援被下候様お願申上候 自分の思ふまゝなる製作に没頭しながら 相当の生活の資を得る事如何に困難なる今日かと常に歎じ居候 今度の会に若し或る端緒を得ば むしろ異常の幸福とおもはねばなるまじく それすら甚だ覚束なき心地いたし居候


大正6年(1917)11月11日 与謝野寛宛書簡より 光太郎35歳

例の彫刻会」は「高村光太郎彫刻会」。スポンサーを募り、彫刻を頒布する会です。これで資金を得、アメリカで個展を開くという計画がありましたが、結局入会者が少なく頓挫してしまいます。

それでもこれを契機にブロンズの「手」、「裸婦坐像」、「腕」などの秀作が産み出されました。

先月2日、3回連続でコロナ禍により中止していた光太郎忌日・連翹忌の集いを4年ぶりに執り行いました。初めてご参加下さった方も多く、また少し輪を広げることができたかな、と感じました。

そうした中で、集まった方々の光太郎智恵子愛に啓発というか、触発というか、そんな感じで新たにいろいろなさった方の活動をご紹介します。

まず詩人の吹木文音氏(連翹忌にはご本名でご参加)。玉稿の載った同人誌をご送付下さいました。福島の「北方詩の会」さんで刊行されている『北方』。季刊のようで、今年1月の190号と4月の191号をお送り下さいました。
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002光太郎智恵子がらみですと、191号に「憧憬 智恵子の彩り」という散文。連翹忌の集いの様子にも触れて下さった上で、簡にして要を得た智恵子評伝。曰く「容姿、造作、衣服に止(とど)まらない、人間性から輝き出す真の彩り。憧れの智恵子に倣って、私も磨いてゆきたいと思う」。

また、190号に載った「白河の関に寄せて」という散文でも「高村光太郎の「智恵子抄」で「ほんとの空」と謳われた安達太良山の向こうの青空を求めて旅する人は、今も後を絶ちません」のひと言。ちなみに吹木氏ご自身は栃木県にお住まいですが。

奥付画像を貼っておきます。ご入用の方はご参考までに。

吹木氏、智恵子を主人公とした小説なども書いてみたい、的なこともおっしゃっています。期待大ですね。

もうお一方、茶山千恵子氏。富山県ご在住、彼の地で演劇や朗読等で光太郎智恵子の世界を広めて下さっている方です。大学が家政科食物栄養専攻だそうで、料理の腕前もプロフェッショナル。ご自宅を開放して、ランチやらスイーツやらを予約の方々に振る舞われる活動もなさっています。

で、今月14日から、月に一度、「光太郎ランチ」だそうで。
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元ネタが、岩手花巻で光太郎の顕彰活動をいろいろやられているやつかの森LLCさんで一昨年発行された「光太郎の食卓カレンダー」。かつて『花巻まち散歩マガジンMachicoco(マチココ)』さんに連載されていた「光太郎レシピ」をカレンダーにしたものです。

発行当時、これをごっそり戴いたので、SNSで「ご入用の方、送料のみでお頒けします」的な書き込みをしたところ、茶山氏も食いついてこられ(笑)お買い求め下さいました。で、今年の連翹忌でやつかの森LLCの方々とお会いになって許可を取り、再現なさるそうです。ただ、今月分は既に予約がいっぱいだとのことですが。

これを饗しながら、光太郎智恵子についてもレクチャーをして下さるようで、有り難いかぎりです。茶山氏のレポート等が届きましたらまたご紹介します。

以前も連翹忌の集いを通してお知り合いになった方々がタッグを組んで新たな活動を始められたりということが多々ありました。遠く昭和の世にもそういうことがあり、埼玉県東松山市に光太郎胸像を含む高田博厚の作品群を並べた「彫刻プロムナード」が出来たのも、同市教育長であらせられた故・田口弘氏が連翹忌の席上で高田と意気投合したのがそもそもの始まりと聞いています。そうした例はたくさんあったのでしょう。

そして今後もそうした例がふえることを願って已みません。やはり人々が直接顔を合わせ、その上で共鳴し合ったり、新たな出会いを通して新たな方向性が見えてきたりといったことがあるはずです。そういうきっかけを作れる場としての連翹忌の集いでありたいと思う今日この頃です。

【折々のことば・光太郎】

「道程」をみてくれた相で恐縮した 本来なら贈るのだがどうもあんまり不満足な作ばかりなのでつひ止して居た 「道程」はまだ駄目だ ただ此からやつと行ける道が見えただけだ まだ道程にも上つて居ない事が解つた あれを出した為めに自由になつた気がするだけはよかつた

大正3年(1914)12月27日 柳敬助宛書簡より 光太郎32歳

この月22日に行われた智恵子との結婚披露宴出席の礼状を兼ねた書簡から。10月に刊行した詩集『道程』に触れています。

智恵子との結婚も果たし、まさしく「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」という心境だったのでしょう。しかし、それはある意味、「茨の道」でもあったのですが……。

グルメ系カテゴリで3件ご紹介します。

まず、毎月恒例、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん内のミレットキッチンフラワーさんで、各月15日に販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」、今月分。
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毎月、光太郎の日記や書簡などを元に、光太郎が作ったメニュー、ふるまわれた料理、使った食材などを現代風にアレンジしたりして詰め合わせたもので、今月のメニューは、「ひえ・麦ごはんのおむすび」「にら玉炒飯」「ニシンとスルメの柔らか煮」「ソーセージ」「卵豆腐」「コーンと青豆のバター炒め」「ふきのとうの酢醤油」「桑茶ゼリー」「お新香」。盛りだくさんですが、桑茶は血糖値を抑える効能もあるそうで、ヘルシーですね。

ところで、メニュー考案に協力されているやつかの森LLCさん。季刊誌『花巻散歩マチココ』さんで、同様に「光太郎レシピ」という連載を創刊以来続けてこられましたが、3月発行の第34号で最終回だったそうです。最終回っぽい文言があるな、と思っていたら、その通りでした。5年もの長い間、お疲れさまでした。

代わりに、というわけでもないようですが、新しい取り組みとして、花巻市東和地区にある「ワンデイシェフの大食堂」に「光太郎レシピ」を使って参戦なさるそうです。こちらは「一般の主婦(主夫)、学生、OL、プロ等が日替わりでシェフになってランチを提供するレストラン」だそうで。詳細がわかりましたらまたご紹介します。

そのやつかの森LLCさん編集の冊子が発売されました。『KOTARO CAFE 高村光太郎の食卓―おやつ編―』。
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昨秋から先月にかけ、花巻高村光太郎記念館さんで開催された企画展示「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」の際、会場で無料配付していた冊子をきちんと製本したものです。A5判並製、20ページで頒価500円。

前半は光太郎智恵子が食した「おやつ」的なものについて、残された文献等からわかることを当方がまとめました。
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後半は「光太郎レシピ」で使われた写真を元に、会場内の展示パネルの解説文を転載。
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ご入用の方、やつかの森LLCさんまでご連絡ください。

紹介すべき事項が多く、やはり「食」でもう1件。全国学校給食会協会さん発行の月刊誌『学校給食』の2023年5月号
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当会の祖・草野心平の故郷、福島県いわき市の小学校教諭・田島裕司氏の寄稿で「高村光太郎の詩のように」という記事が掲載されています。

光太郎詩「道程」(大正3年=1914)を引きつつ、勤務校で取り組まれてきた「虹色スマイルプロジェクト」(コロナ禍で頑張る医療従事者を光で応援することから始まった取り組み)、いわき市にある古刹・白水阿弥陀堂の台風による浸水被害への支援などを紹介されていて、あまり「食」には関わらない感じでしたが。「道程」がらみの部分のみ、下に。
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「給食」ということで、「食事中の会話制限」というお話にもなっていました。ようやくコロナ禍も落ち着いてきた感があり、そうした制限も緩和されつつあるのではないかと思われますが、昨日あたりは「第九波の懸念」などといった報道も為されており、まだまだ予断を許しませんね。

そんな心配もなく、「食」を自由に満喫できる日が遠からずやってくることを祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

私はものを避けるのはイヤです 何にでも正面からぶツかつて行きたうございます 常にさう心懸けて居るのでございます


大正2年(1913)1月8日 長沼セキ宛書簡より 光太郎31歳

「道程」の書かれるほぼ1年前。既に「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」的な精神が感じられますね。

この書簡では、光太郎との交際に難色を示していた智恵子の郷里の人々の様子を教えてほしい、逃げずにぶつかるから、的なことを、智恵子の妹・セキに宛ててしたためています。

















最近情報を知り、購入しました。2ヶ月ほど経ってしまっていますが、絵本の新刊です。

イチからつくる コーラ

2023年2月5日 コーラ小林・編 中島陽子・絵 農文協 定価2,500円+税

甘くてさわやか、みんなが大好きなコーラ。じつはアメリカの薬局で販売された滋養強壮剤が始まり。でもコーラって自分でつくれるの? 「コカ・コーラ」のレシピは門外不出だけど、クラフトコーラなら大丈夫! 世界初のクラフトコーラ専門メーカー『伊良(いよし)コーラ』を創業したコーラ小林さんに教わって、スパイスやカンキツ類、砂糖でコーラシロップをつくってみよう。コーラをつくることで、炭酸水の誕生から、禁酒法や第二次世界大戦などに関わるアメリカの歴史、スパイスの原産地なども知ることに。日本各地で広がるクラフトコーラの動きも紹介します。

もくじ
 炭酸飲料を選ぶなら、きみは何派?
 そもそもコーラって、なんなんだ?
 コーラは、植物の名前だった!
 コカ・コーラの原点は漢方薬
 世界各地のスパイスでつくられるコーラ
 クラフトコーラの広がり
 スパイスとカンキツ類を手に入れる
 自分たちで育てられる作物は、どれだろう?
 踊る水「タンサン」
 炭酸水は自分でつくれる?
 クラフトコーラの「基本のレシピ」
 やっぱりコーラの実をいれたい コーラノキはどこにある?
 自分の好きなコーラシロップをつくるぞ!
 自分でつくったコーラを売ることができる?
 クラフトコーラづくりでみえてきたこと
 「イチからつくる」ということ
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絵本と言っても幼児向けではなく、小学校高学年から中学生向け、といったところでしょうか。主人公の少年少女たちは中学生のようです。学校の文化祭で、自分たちで作ったコーラを販売するという設定でして。

少年少女たちが好きな炭酸飲料の話で盛り上がり、一人が以前飲んだ「クラフトコーラ」を紹介したところ、みんな興味を持って……というストーリー。

執筆はコーラ小林氏。下落合でクラフトコーラのメーカー「伊良(いよし)コーラ」を立ち上げた方です。少年少女たちが小林氏のもとに弟子入りし、手作りコーラの製法を教わったり、コーラの歴史を学んだりしていきます。

そのコーラの歴史の中で、光太郎。ありがとうございます。
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詩『狂者の詩』(大正元年=1912)は、まず雑誌『白樺』に発表され、大正3年(1914)には詩集『道程』に収められました。このあたり、下記をご参照下さい。

「昭和32年 コーラ本格上陸 みんな作って、みんないい」/「「乙女の像」制作 朗読劇で 劇団「エムズ・パーティ」16、17日十和田で上演」。
テレビ放映情報-詩句の読み方。
都内レポートその2 「ココだけ!コカ・コーラ社 60年の歴史展」。
岩手日報「風土計」。

ちなみにコーラについては、ネット上などで「大正3年(1914)に高村光太郎が詩集『道程』で初めて日本に紹介した」的に『道程』が初出のように書かれていますが、先述の通り大正元年(1912)の『白樺』に「狂者の詩」が掲載されていますから、そちらを前面に出して頂きたいのですが……。

閑話休題、『イチからつくる コーラ』、レシピ的な記述もあり、ご興味のおありの方、これを参考にオリジナルのコーラ製作に取り組まれてはいかがでしょうか。

【折々のことば・光太郎】

何処へ行つてもやつぱり東京へ帰つて来る。それがつまらない。犬吠で不思議な夢幻的の日を送つてゐた。濤の音が恋しい。この舟の帆が下される。そして日がくれる。水がうたを歌ひ始める。久しぶりで水の傍に居てひとく動かされた。


大正元年(1912)9月(推定) 水野葉舟宛書簡より 光太郎30歳

親友の水野葉舟に宛てた葉書から。さすがに親友とはいえ、智恵子が犬吠まで追ってきて……という件は伏せていたようです。

画像は初めに智恵子が妹・セキ、友人・藤井ユウと共に泊まった御風館。
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その後、セキとユウを先に帰し、光太郎が泊まっていた暁鶏館に移りました。下の画像の中央奥です。
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光太郎にとっては犬吠の数日間は、「不思議な夢幻的の日」だったでしょうね。

この直後にコーラを取り上げた「狂者の詩」が書かれます。ただ、そちらにはかつて関係のあった吉原河内楼の娼妓・若太夫や、雷門前のカフェ「よか楼」のお梅の名も。まだ「本当に智恵子と付き合っていいんだろうか」的な迷いも見られます。

都内のホテル2軒の実にユニークな宿泊プランです。

浅草で東京発祥のお菓子「たい焼き」作りの体験はいかがですか。

 江戸時代、神田今川橋付近(現在の東京都千代田区鍛冶町)で売り出されていた「今川焼」をルーツに持つ「たい焼き」は、東京発祥のお菓子と言われています(諸説あります)。江戸時代から、その場で食べられる庶民のおやつは大変人気があり、明治時代に作られた「たい焼き」もその流れの一つとして好まれていました。泉鏡花や高村光太郎などの多くの文豪が作品の中に登場させています。また、当時の俳句や新聞記事にも「たい焼き」の記述があります。

 鯛の焼き型になったのは、大阪から東京にやってきて商売を始めた神戸清次郎が、お店の今川焼きが売れないことに悩み、試行錯誤ののち、お祝いごとの時に食べられる縁起物の「鯛」(めでたい)の形にすると飛ぶように売れ、そこから「たい焼き」として広まったと言われています。

 東京下町にある「ホテルグレイスリー浅草」と「ホテルタビノス浅草」では、「浅草たい焼き工房求楽(ぐらく)」とのコラボレーションプラン「浅草でたい焼きづくり体験プラン」をご用意しております。求楽では、業務用のたい焼き機材を使って、生地から手作りする本格的なたい焼き作りを体験していただけます。

 エプロンや必要な材料はお店で用意してくれるので手ぶらでOK。「たい焼き」に使用する具材を持ち込むこともできますので、自分だけのオリジナル「たい焼き」を作って楽しむこともできます。ぜひこの機会に、食べるだけでなく「たい焼き」作りを体験してみてはいかがですか。「ホテルグレイスリー浅草」と「ホテルタビノス浅草」は、東京下町の浅草など、東京観光に最適なホテルです。「たい焼き」体験の他にも、浅草ならではの体験プランもたくさん!東京旅行の拠点として、ぜひご利用ください。
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【浅草×体験】浅草でたい焼きづくり体験プラン(朝食ビュッフェ付き)
ホテルグレイスリー浅草 東京都台東区雷門2丁目10番2号
雷門から徒歩1~2分に位置し、都営浅草線浅草駅にも徒歩約3分と、国内外のお客様の観光・レジャーの拠点として最適な立地です。客室面積はダブルルーム約18㎡、ツインルーム約24㎡となり、「独立型バスルーム」を全室(※ユニバーサルツインルームを除く)に導入し、お客様にゆったりとお寛ぎいただける時間をご提供いたします。
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気分は和菓子職人!? たい焼き体験プラン >゜)))彡
ホテルタビノス浅草 東京都台東区浅草2丁目18番8号
“MANGA(マンガ)”の世界に 飛び込んだような気分になれるユニークなゲストルームがあなたの旅に彩りを添えます。ホテルタビノス浅草は、浅草のランドマークの「雷門」「浅草寺」「花やしき」へも徒歩圏内にあり、浅草観光にぴったりな立地です。
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たい焼き制作体験のついた宿泊プラン。それだけならこのブログでご紹介しませんが、光太郎の名を出されてしまっては、取り上げないわけには参りません(笑)。

光太郎作品でたい焼きが登場するのは、「智恵子抄」にも収められた詩「美の監禁に手渡す者」(昭和6年=1931)。

   美の監禁に手渡す者

納税告知書の赤い手触りが袂にある、
やつとラヂオから解放された寒夜の風が道路にある。

売る事の理不尽、購ひ得るものは所有し得る者、
所有は隔離、美の監禁に手渡すもの、我。

両立しない造形の秘技と貨幣の強引、
両立しない創造の喜と不耕貪食の苦(にが)さ。

がらんとした家に待つのは智恵子、粘土、及び木片(こつぱ)、
ふところの鯛焼はまだほのかに熱い、つぶれる。

ことは木彫作品の売買に関わります。大正末から取り組み始めた「蟬」や「鯰」などの木彫。父・光雲から受け継いだ伝統的な技法に、ロダンなどから学んだ西洋彫塑のエッセンスを盛り込んだまったく新しい作風で、世間からは好評を以て受け入れられました。ただし、光雲のように彫って彫って彫りまくるということはせず(「出来ず」というべきでしょうか)、同一のモチーフを彫るにしてもそれぞれに形を変え、あくまで自分で納得のいくものだけ作品として世に出す、というスタンスでした。

しかし、光太郎の木彫作品を購入できるのは、プロレタリア・アナーキズム詩人たちに近い位置にいた当時の光太郎が嫌っていた富裕層が多く、そしてそれらの人々は掌中の宝として仕舞い込みます。そのあたりが「所有は隔離」、「美の監禁」というわけです。中には光太郎作品の真の価値が解って買っているのかどうかあやしいと思われる人物も含まれていたのではないでしょうか。そうかと言って、作品を売らなければ生計が立たないわけで、「美の監禁に手渡」さざるを得ないのです。

智恵子も光太郎木彫をこよなく愛し、懐に入れて持ち歩いたこともあったそうです。散文「智恵子の半生」(昭和15年=1940)には、「又彼女はそれを全幅的に受け入れ、理解し、熱愛した。私の作つた木彫小品を彼女は懐に入れて街を歩いてまで愛撫した。」とあります。数ある木彫のうちのどの作品、というのは書かれていません。従って、エラいセンセイの「論文」などで具体的な作品名を出し、これを智恵子が懐に入れて愛した、的な記述をよく見かけますが、全て想像です。

そして光太郎、詩「美の監禁に手渡す者」の舞台設定は、智恵子が懐に入れて持ち歩いた木彫を売りに行った帰りなのでしょうか、代わりに自分の懐に入っているのは、その代金で買った「鯛焼」。そう考えると、甘い甘い鯛焼きも、光太郎にとってはほろ苦い味なわけです。と、まぁ、これも想像ですが(笑)。

何はともあれ、「たい焼き」作りの体験つき宿泊プラン、スイーツ好きの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

海が荒れて居る 銚子にて


大正元年(1912)9月(推定) 水野葉舟宛書簡より 光太郎30歳

銚子犬吠埼の暁鶏館に泊まり、絵を描きに来た光太郎。それを追って智恵子も現れます。
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この葉書が書かれたのは、智恵子が来る前なのか、来た後なのか、判然としませんが、後だとすると、もはや智恵子への思いは抑えきれぬ、荒れた太平洋の波濤のようだ、という意味にも取れますね。

定期購読しております『花巻散歩マチココ』さんの34号が届きました。

表紙はマルカン大食堂さんの名物・10段ソフトクリーム。「実物大」だそうで(笑)。
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創刊より6年を経て、次号から版元が変わり、内容も刷新されるそうです。それに伴い、今号はこれまでのクロニクル的なページも多く割かれていました。
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そういえば、光太郎をかなり大きく取り上げて下さった号(第6号)もあったなぁ、という感じでした。

連載の「光太郎レシピ」。
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「ゼンマイの白和えと三色あられ」です。
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レシピ下部にはレシピ考案にあたられているやつかの森LLCさんのひと言。何だか最終回っぽい文言で、次号からのリニューアルでこの連載も無くなるのかな、と思ったのですが特に「最終回」という文言は見あたりません。確認してみます。

もう1件、同じくやつかの森LLCさんメニュー考案の「光太郎ランチ」。毎月15日、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん内のミレットキッチンフラワーさんで販売されています。

今月分の画像を頂きました。多謝。
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メニュー的には「赤飯」、「そば粉焼パンスルメ入り」、「牛肉の味噌焼き」、「油揚げ焼き」、「大根と夏みかんのサラダ」、「金平ゴボウ」、「塩麹入り卵焼き」、「お新香」、「レモン紅茶寒とおさつ焼き」。個人的には「レモン紅茶寒」が非常に気になります(笑)。

先月はたまたま15日に現地におりましたので、2食分ゲットして千葉の自宅兼事務所に持ち帰り、妻と頂きました。また機会があればそうしようと思っております。

皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

よか楼が落成した。このごろに一緒にたべに行きませんか。僕はあそこを休憩のCozy Cornerにしたいと思つてる。

明治43年(1910)9月(推定) 水野葉舟宛書簡より 光太郎28歳

よか楼」は、浅草雷門前にあったカフェーです。現代のカフェとは異なり、酒を供し、美人の女給が居るというのが売りで、光太郎も中心メンバーだった芸術運動「パンの会」の会場にも使われました。
よか楼広告
吉原河内楼の娼妓・若太夫にふられた後、光太郎は「よか楼」の女給「お梅」に入れあげるようになり、一日に5回も足を運んだりもしたそうです。ほとんどストーカーですね(笑)。「お梅」が他の客のテーブルにかかりっきりになっていると、キレて暴れたりもしたとのこと。しょうもない奴でした(笑)。

「よか楼」は新聞に女給の写真入りの広告をたくさん出し、それが人気を呼んだそうです。すると、「お梅」の写真が載った広告も出たのかな、と思っており、調べてみようと思います。現在のところ、「お梅」と特定できる写真を確認できていませんので。光太郎がどんな顔立ちの女性に惚れたのか、興味があります。それを言えば、河内楼の若太夫も写真が確認できていませんが。

下記は新聞ではなく『東京大正博覧会』(大正3年=1914)のパンフレットに載った広告。もしかするとこれが「お梅」かもしれませんが、名前が出ていません。新聞に何度も出たという広告もこんな感じで名前は出さなかったのでしょうか。そうでないことを祈ります。
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それにしてもこの時代に「Cozy Corner」(憩いの空間、的な)という語をさらりと使うあたり、いかにも光太郎です。

花巻レポートの最終回となります。

2月15日(水)、花巻高村光太郎記念館さんを後に、萬鉄五郎記念美術館さんへと向かう道すがら、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんへ立ち寄りました。
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インフォメーションスペースに新しいパンフレットが置いてありましたので、ゲットして参りました。
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この日はたまたま15日。月に一度、テナントのミレットキッチン花(フラワー)さんで「光太郎ランチ」が販売される日です。
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夏場ですと千葉の自宅兼事務所まで持って帰るには傷みが心配ですが、この時期なら大丈夫だろうと、この日の夕食用に妻と2人前購入するつもりで参上したところ、メニュー立案等に協力なさっているやつかの森LLCの方がいらして、無料で頂いてしまいました。多謝。

というわけで、妻と二人でいただきました。妻には「わざわざ買ってきたんだぞ」(笑)。
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この日のメニューは、五目御飯に、
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小麦粉焼きパン、
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メインのおかずは鮫のしょうゆ麹竜田揚げ。
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毎月定番の塩麹入り卵焼きも。

さらに、ごぼうの煮付け、切り干し大根の酢の物、白菜の松前和え、たくあん漬け。
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デザート的には干し柿と、光太郎も絶賛した岩手銘菓の豆銀糖。
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妻曰く、「いろいろ入っていて楽しい」「五目御飯がGOOD」「鮫って珍しいね」「干し柿はすごく甘い」「また買ってきて」。

ところで、スマホで撮影しながら食べていると、隙を見て悪い奴が「鮫のしょうゆ麹竜田揚げ」をかっさらって逃亡。「くをらぁ!」と、すぐに奪い返しましたが、いわゆる「イカ耳」状態で「ニャゴニャゴ、ニャー(ずるいぞ、よこせ)」とうるさいので、しかたなく豆粒ほどのひとかけらだけ(笑)。
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結局、二人と一匹でおいしくいただきました(笑)。

その他、道の駅では、当方大好物の林檎を箱買いして自宅兼事務所に発送。こちらは翌日届き、やはりおいしくいただきました。

以上、花巻レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

先週巴里へ一寸参り、セザンの妙味をはじめて知り申し候。


明治40年(1907)11月13日 雑誌『方寸』宛書簡より 光太郎25歳

ロンドン在住中、碌山荻原守衛の誘いでパリへ小旅行。守衛とは前年にニューヨークで知り合っていましたし、先にパリに移っていた守衛がロンドンの光太郎を訪ねてきたこともありました。

この際、守衛の習作「坑夫」を見せられた光太郎、「これは凄い、ぜひ石膏に取って日本に持ち帰るように」と進言、守衛もそれに従い、そのおかげでこの作品が世に残ることとなりました。
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セザン」は「セザンヌ」。いずこかの美術館か画廊で初めてその作品を見たのでしょう。

光太郎第二の故郷・岩手花巻からの情報を2件。

まず花巻市役所さんから、新たに高村光太郎記念館さんのPR動画を作成したというお知らせを頂きました。

2分足らずの短いもので、早速拝見。
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「山口山の四季」と題されていました。「山口山」は光太郎が蟄居生活を送っていた山小屋(高村山荘)裏手の山です。そこから先が奥羽山脈、まさに「山口」です。

この地で光太郎が書いた詩「案内」(昭和25年=1950)、「山のともだち」(昭和27年=1952)に乗せて、四季折々の画像。
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いい感じですね。

リンクを貼っておきます。ぜひご覧下さい。



もう1件。

去る1月29日(日)に開催された「令和4年度高村光太郎記念館講座 光太郎のそば粉おやつ教室」の画像等も届きました。

人が集まるかな、と心配していたのですが、杞憂に終わったようで、5組の親子12名様がご参加下さったそうです。
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講師を務められたやつかの森LLCさんの方からのメールの一節。

子供達は、材料の計量に慎重な手つきで、お母さんたちが見守ります。粉袋フリフリ、卵、ヨーグルト、コメ油混ぜ混ぜ、それを合わせてモミモミ。カップに絞り、ブルーベリーのトッピング。そば粉の焼パンは、光太郎レシピでおなじみのそば粉にみそ、重曹を入れてフライパンで焼くところを見学し、バターと黒蜜をかけて試食しました。そば粉の香ばしい香り、もちもちした食感と想像を超えたおいしさに皆さん感動した様子でした。これをきっかけに光太郎に興味を持ったというお母さんの言葉に、私たちは嬉しい気持ちでいっぱいになり、まだまだ頑張れる元気をもらいました。

こういうアプローチもありですね。継続しておこなっていただきたいものです。

明日も花巻系の情報をお届けします。

【折々のことば・光太郎】

小生の駄作今更紙面を汚したるを悔みて慙汗とゞめがたく候。


明治37年(1904)10月30日 与謝野寛宛書簡より 光太郎22歳

光太郎の短歌も載った雑誌『明星』の受贈に対する礼状の一節です。4年前の明治33年(1900)から断続的に光太郎短歌が誌面を飾っており、そこで「今更」。

色鉛筆と思われる絵が描かれています。
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こちらも現在、25万円で売りに出ています

光太郎第二の故郷・岩手花巻で光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんより、画像を頂きました。同社でメニュー考案にご協力なさり、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」の今月分です。猫の七福神が宝船に乗って、正月らしさを演出していますね(笑)。
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お品書きは、赤飯、白米、焼き鮭、豚肉のトマトケチャップ煮、とろろ芋の酢醤油ブロッコリー添え、赤かぶの酢漬け、塩麹入り卵焼き、デザートはパイナップルの罐詰とリンゴのコンポートだそうです。

赤飯に白米で紅白の彩り。なるほど。豚肉のトマトケチャップ煮には人参と玉葱、もち麦が入っているそうです。

毎月のことですが、光太郎日記からの引用文等を印刷したリーフレットもついています。これで税込み800円とのこと。

毎月のメニューの考案も中々大変だと存じますが、末永く愛され続けて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】000

ひる頃草野心平氏くる、写真アルバムについての質問いろいろ、今宿屋にかんづめの由、

昭和31年(1956)2月19日の日記より
 光太郎74歳

写真アルバム」は筑摩書房発行の『日本文学アルバム 高村光太郎』。前年から当会の祖・草野心平が編集、解説文の執筆にあたり、光太郎が歿しておよそ2週間後の4月20日に刊行されました。心平、何としても光太郎存命中に仕上げたかったようで、「宿屋にかんづめ」。その甲斐あってか、光太郎が歿する2日前にゲラを見せることができたそうです。

福島県郡山市にある老舗デパート、うすい百貨店さんで本日から始まるイベントです。

いいもの・たくさん・集マルシェ 旅するふくしま物産展

期 日 : 2023年1月5日(木)~1月11日(水)
会 場 : うすい百貨店 10階催事場 福島県郡山市中町13-1
時 間 : 10:00~18:30(最終日は午後5時閉場)

浜・中・会津の魅力が大集合! 
主催:福島県 共催:(公財)福島県観光物産交流協会
いずれの商品も売切れの際はご容赦くださいませ。お電話でのご注文はご容赦願います。交通事情により商品が入荷しない場合があります。
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008福島の百貨店で、福島の物産展。まさに「地産地消」ですが、一口に「福島」と言ってもかなりの面積(47都道府県中、堂々の第3位)ですし、太平洋沿岸の「浜通り」、西部の山中「会津」、そして智恵子の故郷・二本松を含む中央部「中通り」と、それぞれに文化や習俗も異なります。そういう意味では同じ県内でも「こんなものがあったのか」という状況になるのではないかと思われます。

調べてみたところ、昨年から既に始まっていました。10月に会津の「道の駅あいづ」さんで、11月には浜通りで「道の駅なみえ」さんでの実施でした。で、今回が最終、中通りでの開催となるわけですが、百貨店さんが会場のため、折り込みチラシが発行され、ネットにもアップされたため、当方の検索網に引っかかりました。

検索網に引っかかったのは、「ほんとの空」の語。光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来です。

安達太良山中にあるチーズケーキ工房風花さんの商品も販売され、その中に「ほんとの空のクリームソーダ 1杯 650円」。令和2年(2020)に商品化されたもので、「ほんとの空と言われる、安達太良の空。そんな空をイメージしたソーダができました。どこまでも青い空を映したような「あおぞらソーダ」爽やかなアップルソーダです。バニラアイスはまるで空に浮かぶ雲のよう。溶かしながら色の変化も楽しめます。植物由来の着色料を使った青色です。」だそうで。
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お近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

テレビは機械持参したしとの事ゆゑ断る、延期して録画にしてもらふこと


昭和30年(1955)11月11日の日記より 光太郎73歳

テレビ」は、撮影です。親しかった美術史家の奥平英雄との対談を放映したいという申し出がありましたが、当時は生放送が主流で、そうなると大量の機材を貸しアトリエに運び込んで中継ということになり、それは困る、ということでした。で、一旦は、録画なら、ということになったものの、それも実現せず、結局、光太郎が生前にテレビ出演することはありませんでした。

期日的には少し先の話ですが、〆切りの日程が迫っておりまして……。

令和4年度高村光太郎記念館講座「光太郎のそば粉おやつ教室」

期 日 : 2022年1月29日(日)
会 場 : 花巻市生涯学園都市会館(まなび学園) 岩手県花巻市花城町1-47
時 間 : 午前10時30分から正午 まで
料 金 : 1,000円程度(材料代、保険料)
対 象 : 花巻市在住の小学生とその保護者5組(抽選)
       注)きょうだいなどの場合は1名まで同行できます
締 切 : 1月6日(金)
申 込 : 定員をこえる場合は抽選となります。
      定員に達しない場合は、定員に達するまで引き続き募集いたします。
      次のいずれかの方法でお申し込みください。
      花巻市生涯学習課(0198-41-3587)へお電話ください。
      専用申込フォームへアクセスし、必要事項をご入力のうえ、ご送信ください。

高村光太郎にちなんだおやつを親子で作る講座です。そば粉を使ったカップケーキを作り、光太郎と食について学びます。

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現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」の関連行事です。

光太郎が昭和20年(1945)秋から、花巻郊外旧太田村の山小屋で始めた蟄居生活。光太郎は、米よりも入手しやすいそば粉を使ってパンを作ることを思いつきます。味噌を加え、重曹をいれて焼いてふくらませ、もらい物のバターや黒蜜などをつけて食べてみると、なんとも美味しかったようで、繰り返しこれを作って食べていました。

講師はやつかの森LLCの皆さん。道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」や、花巻のタウン誌『花巻散歩Machicoco(マチココ)』さんに連載中の「光太郎レシピ」のメニュー考案をなさっている方々です。それらでもそば粉のパンは取り上げられていました。

対象は花巻市内ご在住の方に限るようですが、他の自治体等の皆さん、こういう取り組みもあるよ、ということで、ご参考までに。

明日もグルメ系の話題をご紹介します。

【折々のことば・光太郎】

宮崎丈二氏くる、「花霞」売出しの木版びらを持参、大正十二年のものらし、

昭和30年(1955)11月6日の日記より 光太郎73歳

宮崎丈二」は詩人。この頃、よく光太郎が起居していた貸しアトリエを訪れていました。「「花霞」売出しの木版びら」は、関東大震災直後、光太郎が智恵子の実家の福島長沼酒造から銘酒「花霞」を取り寄せ、にわか酒屋を始めた際に撒かれたものです。

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宮崎がどうやってこんな古いものを入手したのか、そのあたりは謎ですが。

昨日のこのブログ、光太郎第二の故郷・岩手県花巻市で販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」の件、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」の件につきましてご紹介しました。

すると、午後になって、『花巻散歩Machicoco(マチココ)』さんの最新号が届きました。
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平成29年(2017)の創刊以来、「光太郎レシピ」という連載が続いています。「光太郎ランチ」同様、やつかの森LLCさんのご協力で、光太郎の日記や書簡、周辺人物の証言などから、光太郎が食べたメニューを現代風にアレンジして紹介するものです。ちなみに表紙の焼きおにぎりは関係ありません(笑)。

今号はこちら。「カブとインゲンのブルイエとヴァンショー(ホットワイン)」だそうで。
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もう1件、グルメ系で。

今年2月に、通販会社・フェリシモさんから「日本近現代文学の世界に浸る 文学作品イメージティー」が発売されました。〈高村光太郎 著『智恵子抄』×天のものなるレモンの紅茶〉を含む4セット(他に〈中島敦著『山月記』× 虎に還るように色が変化するお茶〉〈室生犀星著『蜜のあわれ』× 燃えている金魚のように赤いお茶〉〈江戸川乱歩著『孤島の鬼』× 宝石より魅力的なチョコレートの紅茶〉)で、申し込むと毎月1セットずつ届く(バラ売りはなく、届く順番もフェリシモさん任せ)というシステムです。

004一般のお店で取り扱いが始まりました。もしかすると複数のお店で販売されているかも知れませんが、当方が情報を得たのは横浜桜木町のSTORY STORY YOKOHAMAさん。JR桜木町駅を出てすぐの「コレットマーレ」さん5階にある、老舗書店の有隣堂さん系列の書店兼雑貨店です。上記4セット以外にも、それ以前からフェリシモさんで出していた「日本近現代文学の世界へ 文学作品イメージティー」の4セット(〈芥川龍之介著「蜘蛛の糸」×蓮が香る紅茶〉〈夏目漱石著「虞美人草」×アイスクリームが香る紅茶〉〈坂口安吾著「桜の森の満開の下」×桜が香る緑茶〉〈宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」×苹果(りんご)が香る紅茶〉)も販売されています。

過日、都内に出た際に桜木町まで足を伸ばし、〈高村光太郎 著『智恵子抄』×天のものなるレモンの紅茶〉と、〈宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」×苹果(りんご)が香る紅茶〉を買い込んで参りました。バラで複数ずつ買えるというのがありがたいところです。
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〈高村光太郎 著『智恵子抄』×天のものなるレモンの紅茶〉は以前にもいただきましたが、〈宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」×苹果(りんご)が香る紅茶〉は初。「苹果(りんご)が香る」ということでしたが、フレーバーはきつくなく、爽やかな感じでした。
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複数点ずつ購入して参りまして、ギフトにも使っております。皆様も是非お買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

ラジオで日米水泳をきく、

昭和30年(1955)8月6日の日記より 光太郎73歳

「日米水泳」は「第4回日米対抗水上競技大会」。「フジヤマのトビウオ」と称された古橋廣之進らが出場し、神宮水泳場、さらに大阪でも開催されました。

光太郎が戦後7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)近くの道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」、今月販売分の画像が届きました。
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今月のメニューは青豆入り麦飯、白六穀ご飯、チキンステーキ、ロール白菜、いか大根、かぼちゃ煮、塩麹入り卵焼き、お新香、焼きりんごだそうです。意外とヘルシーな献立かな、という気がしました。

グルメ系でもう1件。

高村山荘と隣接する花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」、今月初めに現地に赴き、展示解説の動画撮影に臨みましたが、先週、公開されました。

令和4年度高村光太郎記念館企画展「光太郎、つくりくふ。-おやつ編-」展示解説①

令和4年度高村光太郎記念館企画展「光太郎、つくりくふ。-おやつ編-」展示解説②

令和4年度高村光太郎記念館企画展「光太郎、つくりくふ。-おやつ編-」展示解説③

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計40分ほどを3本に分割しています。何とまぁ、かなりの手間だったと思いますが、字幕をつけて下さったので、当方の顔より字幕の方をご覧になって下さい(笑)。

企画展「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」は来年3月21日(月)までの開催です。

ところで、同時開催されている花巻市内の他の文化施設4館との共同企画展「ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~」について、地元紙『岩手日日』さんが報じて下さいました。

先人の偉業知って スタンプラリーも 市内5施設共同企画展

 2022年度花巻市共同企画展「ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~」は、市内五つの文化施設で開かれている。各施設が花巻ゆかりの先人らを取り上げ、偉業への関心や古里への愛着を育む。期間中はスタンプラリーなどのイベントもある。2023年1月22日まで。

 花巻新渡戸記念館(高松)、萬鉄五郎記念美術館(東和町土沢)、市博物館(高松)、市総合文化財センター(大迫町大迫)、高村光太郎記念館(太田)の5館が連携した企画展。

 花巻新渡戸記念館では十和田市の開拓に貢献した新渡戸稲造の父十次郎、萬鉄五郎記念美術館では石川啄木らとともに活躍し、同級生だった萬とも生涯を通じて交遊があった東和町出身の歌人小田島孤舟、市博物館では杣(そま)やマタギなど山をなりわいの場とした人々、市総合文化財センターでは早池峰山の植物研究に関わってきた先人、高村光太郎記念館では光太郎の詩「開拓に寄す」などを紹介している。

 14日には、市民ら22人が参加して共同企画展開催の5館を巡るツアーが行われ、各館の企画展担当者による展示解説や調査研究の成果に耳を傾けた。市博物館の松橋香澄学芸調査員は「山をなりわいの場とした人の暮らしや道具を紹介する展示。名前は伝えられていないが、今につながる暮らしをつくった先人たちを知ってほしい」と話していた。

 スタンプラリーは、開催館5館中3館のスタンプを集めると記念品がもらえる。残る2館と協賛館1館のスタンプでさらに記念品が入手できる。協賛館は宮沢賢治記念館、宮沢賢治イーハトーブ館、宮沢賢治童話村、石鳥谷農業伝承館、石鳥谷歴史民俗資料館、早池峰と賢治の展示館。記念品の受け取りは開催館のみ。

 問い合わせは市文化会館=0198(24)6511=へ。

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こちらは来年1月22日(日)までの会期です。

もう現地は雪に包まれる日が多くなっていますが、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

夕食は桑原氏紹介の神田淡路町の支那料理「好々」の出張料理、女将来て料理す、北京料理、皿数多くして中西氏宅一同にてくふ、アトリエに桑原氏とくふ、中々美味、

昭和30年(1955)7月24日の日記より 光太郎73歳

4月末からこの月初めまで、宿痾の肺結核のため赤坂山王病院に入院していた光太郎。結局、治癒は難しいとのことで中野の貸しアトリエに戻って療養。食慾は衰えず、この日は中華料理に舌鼓。「中西氏宅」は貸しアトリエの大家、「桑原氏」はそちらと親しかった美術史家・桑原住雄です。

一昨日、昨日と、一泊二日で岩手に行っておりました。レポートいたします。

12月3日(土)、新花巻駅に正午頃到着。
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待合室兼観光案内スペース。
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花巻東高校出身の大谷翔平選手コーナー。
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午後2時から花巻高村光太郎記念館さんで、現在開催中の企画展「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」の展示解説をせよ、ということで、駅でレンタカーを借り、市内太田地区方面へ。

まだ時間が早いので、記念館にほど近い道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんへ。
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産直コーナーの中に、光太郎関連グッズ等のスペース。
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少し離れたところで、先頃発売され始めた新商品「こうたろう&ちえこ ブランデンブルグの森」が販売されていました。それから、「智恵子のレモンキャンディ」も。
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無料休憩スペース的な一角に、今夏、道の駅に隣接して作られたガソリンスタンド「リベルタはなまき西南SS」のオープン記念で、スタンドを経営する冨士見総業さんから寄贈された光太郎賢治関連書籍等のコーナー。
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その脇では、「宮沢賢治と俳句」というミニ展示。
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花巻俳句協会さんの肝煎りのようでした。
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さて、花巻高村光太郎記念館さんへ。

といっても、まずは記念館ではなく、敷地内の高村山荘。光太郎が戦後の7年間を過ごした山小屋です。套屋に覆われたこの山小屋内に光太郎の魂の分霊がいまも居るような気がしていまして、「光太郎先生、また来ました」とご挨拶。今年3回目ですが(笑)。
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既に雪が降ったのですが、まだ根雪になってはいません。
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そして記念館。
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早速、展示「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」を拝見。
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昨今のこの手の展示で流行ですが、大きなタペストリーが実に効果的です。等身大(より小さいのですが)光太郎パネルも。こちらは以前に作られたものの使い回しです。
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そうこうしているうちに市役所の皆さんがご到着。当方のべしゃくる解説を録画し、YouTubeで配信するそうで、光太郎の生涯を俯瞰しつつ、関連するパネル展示ごとにシナリオを考えて喋りました。

図録、とまではいきませんが無料で配付の冊子。
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前半部分は当方の執筆です。配信動画用に喋った内容もこちらとかぶっています。
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というわけで、「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」、期間が長く来年3月21日(火・祝)まで。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

夜新宿天兼といふにて天ぷら夕食、車で往復<天兼といふ家中々上等、>


昭和30年(1955)4月9日の日記より 光太郎73歳

天兼」さん、現在も新宿に健在です。おそらく再訪したいと思ったのでしょうが、残念ながら宿痾の肺結核のため、この日が生涯最後の外食(入院食は除きます)となったようです。

昨日に続いて、花巻グルメ系。

まずは道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」、昨日販売分の画像をいただきました。
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新米ご飯、麦飯、牛カツ、鮭ポテト、根菜の肉味噌かけ、大根とわかめのバター炒め、塩麹入り卵焼き、白菜の塩漬け、サツマイモとりんごの甘煮だそうで。肉食系男子の当方としては(笑)、牛カツや肉味噌かけがうれしいところですし、鮭ポテトというのもどんなものだろうと気になります。サツマイモとりんご、これも共に好物でして、それがコラボされているというのもいいですね。

もう1件。「光太郎ランチ」メニューの考案に当たられているやつかの森LLCさんが商品開発に関わられたお菓子。少し前に現物が送られてきました。ありがたし。
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クッキー3種の詰め合わせです。
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上から順に、まずチョコ味。
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控えめな甘さとカカオのほろ苦さ、練り込まれたアーモンドの風味がいい感じです。

続いてチーズ味。
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チーズ感はそれほど強くなく、チーズは苦手という方でも、チーズ味と云われなければ分からないかも知れません。非常に香ばしい風味でした。

色鮮やかなストロベリー味。
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昔のカルメ焼きのような食感です。製法的にも共通するのでしょう。イチゴの香りがふわっと広がります。

袋から出した画像。盛ったのはクリムトの絵皿ですが、心霊写真のようになってしまいました(笑)。
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すると、かたわらのマッサージチェアでぷーすか眠っていた怪獣が目を覚まし……
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「おやつニャ!」とチーズ味をくわえてさっとテーブルの下に。油断も隙もありゃしません(笑)。
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猫にチョコ味は禁物ですし、ストロベリーもフレーバーがきつい感じで、「まあこれならいいか」と、割って小指の先ほど与えました。

ところで商品名は「こうたろう&ちえこ ブランデンブルグの森」。箱に入っていた栞にその由来が。
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「ブランデンブルグ」はJ.S.バッハの有名な曲ですね。光太郎はこの曲が好きで、ずばり「「ブランデンブルグ」」という長い詩(昭和23年=1948)も書きました。

さらに、帰京後の昭和27年(1952)11月に行った講演「南沢座談」から。

ある時山を歩いていたら、見晴らしの方から、ブランデンブルグの曲のあのくり返しのところがきこえて来るのです。開拓のどこかで、すばらしい蓄音機を買つたな、と思つて暫らく耳を傾けていたのですが、そのあとで開拓の人に会つたとき、「開拓じや、だれかすばらしい蓄音機の盤を買つたな」というと、誰もそんなものは買わないという。つまりわたしの幻聴だつたのです。砂漠を歩いている人が水をほしがつていると、本当に水が湧いているようにみえるのと同じことなのでしよう。わたしは気味がわるくなつて、ぞつとしました。それからすぐに花巻の宮沢さんの親戚の清六さんという人の家に行つて、そこにすつかりそろつているブランデンブルグをかけてもらいました。それをきいていると、まるでのどがかわいているとき水をのむように、音楽が身体中にしみわたつてゆくのです。音楽がこんなにも心理的に人間を左右するものだということを発見しておどろきました。それは耳できいているのでなく、皮膚から空気の振動を通してきいているというような感じです。盲目の人が物にふれ、指の先から触覚を通して音をきくというのと同じことです。わたしは人間にこれほど音楽が必要だということをはじめて知つたのです。

正確な筆録はされていないようで、賢治実弟の清六を「親戚」とするなどしていますが、おおむね光太郎の語った通りでしょう。「音楽」というものの本質を、さらっと語る光太郎。さすがです。

ところで「ブランデンブルグ」は、ドイツの地名ですが、そこそのものより、ベルリンの「ブランデンブルグ門」からベルリン動物園の間に広がる広大な森が有名です。光太郎、ドイツには足を踏み入れていませんが、バッハの曲からの連想でしょう、蟄居生活を送っていた太田村の山小屋周辺の森を「ブランデンブルグの森」と呼ぶこともあったようです。

さて、「こうたろう&ちえこ ブランデンブルグの森」、おそらく道の駅はなまき西南さんなどで販売されているのだと思われます。花巻土産の定番の一つとなってほしいもので、ぜひ皆様、お買い上げを。

ついでというと何ですが、先月、智恵子の故郷・福島二本松に行った際に購入したレモンケーキ。
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こちらも道の駅(道の駅「安達」智恵子の里さん)で販売されています。

【折々のことば・光太郎】

のどかに晴、 九時頃中西夫人宅にて皆と一緒にお雑煮を祝ふ、桑原さんが記念撮影、 来訪者なし、 平熱、 風なくよき日和なり、


昭和30年(1955)1月1日の日記より 光太郎73歳

昭和30年(1955)の年明けです。光太郎の生命の炎、あと1年3ヶ月。まだ差し迫ってどうこうという状況ではありませんでした。

中西夫人宅」は、起居していた貸しアトリエの母屋、「桑原さん」は美術評論家の桑原住雄です。

光太郎が戦後の七年間、蟄居生活を送った山小屋(高村山荘)に隣接する花巻高村光太郎記念館さんでの企画展です。

企画展「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」

期 日 : 2022年11月23日(水・祝)~2023年3月21日(火・祝)
会 場 : 高村光太郎記念館 岩手県花巻市太田3-85-1
時 間 : 8:30~16:30
休 館 : 12月28日(水)~2023年1月3日(火)
料 金 : 一般 350円 高校生・学生250円 小中学生150円

彫刻家で詩人として知られる高村光太郎は、戦後、62歳の時に太田村山口(現花巻市)へ移住し、約7年間の独居自炊の生活を送りました。山小屋での光太郎の食事内容は日記等に残されており、野菜等は自給でしたが、村人や友人たちの援助、そして光太郎の工夫により豊かな食生活を送っていたことがわかります。

この企画展では、光太郎の「食」をテーマに、手作りのおやつや好きな飲み物に焦点をあて、光太郎風のハイカラな食の楽しみ方を紹介します。
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同館では、以前にも企画展示「光太郎の食卓」が行われました。その際は光太郎の「食」全般についてのものでしたが、今回は特に「おやつ」に着目しての展示となります。

花巻まち散歩マガジン machicoco(マチココ)』さんで連載中の「光太郎レシピ」や、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」などの考案、調理等に当たられているやつかの森LLCさんの協力で、岩手時代の光太郎日記等から、光太郎が食したであろう「おやつ」を再現した写真パネル、光太郎に食の援助を行った人物の紹介パネルなどの展示になるそうです。

図録、とまではいきませんが、関連する内容をまとめた冊子を無料配付するとのことで、その半分ほどでしょうか、当方が執筆しました。また、そのあたりを元に、オンライン講座の形で当方が講師として語る動画が来月には公開予定です。その収録等のため、来月初めに現地に行って参ります。

もう1件。今年7月、道の駅はなまき西南さんで開催された「器と楽しむ光太郎ランチ」展の巡回が行われています。

器と楽しむ光太郎ランチ

期 日 : 2022年10月20日(木)~11月21日(月)
会 場 : 土沢カフェくるみ 岩手県花巻市東和町土沢8区115
時 間 : 10:00~17:00
休 業 : 火・水曜日
料 金 : 無料
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花巻ご在住のMICHINOさんという方の色鉛筆画で、道の駅はなまき西南さんで販売されている「光太郎ランチ」を洒落た器に盛りつけて描いた作品。それから実際に「光太郎ランチ」に添えられたメニュー表(光太郎の日記等も引用されています)もセットになっています。

また、MICHINOさんの絵本『器と楽しむ光太郎ランチ』も販売されているようです。
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それぞれ、ぜひ足をお運びください。

明日も花巻グルメ系の話題で。

【折々のことば・光太郎】

神経痛は相かはらずいたむ、動くのがおつくう、(略)ラジオなどきいてゐる、 明朝は九時頃中西夫人の方にて雑煮を祝ふこと、


昭和29年(1954)12月31日の日記より 光太郎72歳

神経痛」は結核性の肋間神経痛です。「中西夫人の方」は、起居していた貸しアトリエの母屋。昭和29年(1954)が暮れて行きます。

一昨年から道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんに入っているテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで、光太郎の日記などを元に現代風にアレンジしたメニューを組み、毎月15日に限定販売されている豪華弁当・光太郎ランチ。今月分の画像を送っていただきました。
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今月のメニューは、新米御飯、石垣団子、チキンソテーきのこソース、鱈と牛蒡の煮込み、りんごと胡桃のサラダ、葡萄ジュース寒天、シュークルート、塩麹入り卵焼き。「収穫の秋」ですので、新米や、りんごなども採れたてのものを使われているのでしょう。

思えば「光太郎ランチ」、お披露目会が行われたのが一昨年の10月でしたので、まる二年となったわけですね。メニューの考案などにあたられている「やつかの森LLC」さん、これ以外にも『花巻まち散歩マガジン machicoco(マチココ)』さんで連載中の「光太郎レシピ」も担当されていて、なかなかに大変だと存じます。どちらも末永く続いてほしいものです。

ところで、まだ詳細が発表されていませんが、来月末から開催される花巻高村光太郎記念館さんでの企画展示で、次回は光太郎の食、特に「おやつ」系に絞ったものが計画されています。以前には「食」全体についての企画展示が為されましたが、次回は「おやつ」だそうで、実際にお菓子作りの講座等も企画されています。

当方も資料作成等、協力させていただいているところです。詳細が公表されましたらまたご紹介いたします。

【折々のことば・光太郎】000

新潮の佐野英夫氏くる、ブドウ、桃もらふ、「天上の炎」文庫本のこと


昭和29年(1954)7月9日の日記より 光太郎72歳

佐野英夫氏」は、新潮社の編集者。『天上の炎』は、光太郎が敬愛していたベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンの詩集。光太郎訳の元版は大正14年(1925)に新しき村出版部から刊行されました。その後、昭和26年(1951)には白玉書房から復刊。さらに昭和27年(1952)には、創元文庫のラインナップに入りました。そして新潮文庫。こちらは翌昭和30年(1955)に出ました。解説は創元文庫と同一の、金子光晴によるものでした。

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ、青森県十和田湖からの情報です。

状況をわかりやすくするために、まずABA青森朝日放送さんのローカルニュースから。ただし、先月のもので、「17日」は9月17日(土)です。

「十和田湖ひめます」を味わって! 17日からキャンペーン開催

地域団体商標に登録されている「十和田湖ひめます」の、認知度向上を図るキャンペーンが17日から始まります。
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12日は、「十和田湖ひめますブランド推進協議会」の佐々木千佳子会長たちがキャンペーンをPRしました。期間中、十和田市や秋田県小坂町にある27の認証店舗が提供するヒメマス料理を食べて応募すると、抽選で50人に2千円相当の特産品が当たります。
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こちらは、十和田食堂の「十和田湖ひめますづけ丼定食」です。
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【「十和田湖ひめますブランド推進協議会」 佐々木千佳子会長】
「(ヒメマスは)甘い、とにかく身が軟らかくて甘い、そして奇麗なピンク色というのはなかなか目にすることはないと思うのですよ」
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キャンペーンは、17日から11月6日まで行われます。
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というわけで、詳細は以下。

十和田湖ひめますを食べようキャンペーン

”十和田湖ひめます”の魅力を広く皆さんに伝えるため、十和田湖ひめます認証店によるキャンペーンを開催します。食べ比べをするなど、十和田湖ひめます料理の美味しさをご堪能ください。

また、期間中に十和田湖ひめます料理を食べて応募した方から、抽選で50名様に十和田市または小坂町の「特産品」をプレゼントいたします。

応募用紙は各店舗に備え付けてあります。

開催期間 9月17日(土)~11月6日(日)

参加店(全27店舗

参加方法
十和田湖ひめます認証店にて、十和田湖ひめますメニューを食べると、応募用紙がもらえます。アンケート、必要事項を記入の上、認証店に設置してある応募箱に投函し、応募してください。

主催 十和田湖ひめますブランド推進協議会(事務局:とわだ産品販売戦略課内) 0176-51-6743
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上記マップのPDFファイル中に「乙女の像」の語があって、当方の検索網に引っかかった次第です。ヒメマスに舌鼓を打たれたあとは、ぜひ「乙女の像」にも足をお運びください。十和田湖周辺は、今夏の大雨被害が大変でした。その復興支援にもなりますので、是非よろしくお願いいたします。また、これから紅葉シーズンですし。

ちなみに認証店のロゴは、「乙女の像」もモチーフとしているそうです。多少の無理くり感が否めませんが(笑)。
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「乙女の像」といえば、テレビ番組の再放送。

ニッポン美景めぐり 十和田・奥入瀬

BSフジ 2022年10月17日(月) 01:05〜01:33

日本の美しい景観を求めて、俳優・和合真一がカメラ片手に日本各地をめぐる旅番組。
今回の旅先は、青森県の十和田市。十和田ビジターセンターで十和田湖の歴史を学ぶ。名産のひめます料理やご当地グルメを味わう。美しい景勝地、奥入瀬渓流を散策。大自然が生んだニッポンの美景をご紹介。

旅人:和合真一  ナレーター:服部潤
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初回放映は昨年7月。さらにその後、繰り返し再放送されていますが、ご覧になったことのない方、ぜひどうぞ。こちらでもヒメマス料理が紹介されますし。

【折々のことば・光太郎】

午后奥平さんとお医者さん岡本氏とくる、診察してもらふ、尚毎月一度みてもらふつもり、

昭和29年(1954)5月16日の日記より 光太郎72歳

かなり前から結核の自覚症状があったにもかかわらず、「肺の毛細血管が弱いので……」などと、頑として認めなかった光太郎。しかし、もはや彫刻制作不可能となった体調に、とうとう白旗を揚げました。

奥平さん」は、美術評論家の奥平英雄。「お医者さん岡本氏」は、岡本圭三医師。この後で加わる他の医師ともども、その死まで光太郎の主治医として診察、治療に当たってくれました。

芸術の秋となりまして、このブログサイトにて紹介すべき事項がかなりたまって参りました。本日は光太郎第二の故郷・岩手花巻発の情報を5件ほどまとめて。

時系列順に、まず9月12日(月)、IBC岩手放送さんローカルニュース。花巻高村光太郎記念館さんで現在開催中の企画展示「光太郎、海を航る」についてです。

光太郎の海外留学時代の足跡たどる ゆかりの地で企画展/岩手・花巻市

 日本を代表する詩人で彫刻家の高村光太郎の海外留学時代の足跡をたどる企画展が、ゆかりのある岩手県花巻市で開かれています。
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 高村光太郎は東京美術学校=現在の東京藝術大学を卒業後、1906年からアメリカ、イギリス、フランスの3か国へ留学しています。
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光太郎が晩年を過ごした花巻市にある「高村光太郎記念館」では、企画展「光太郎、海を航る」が開かれていて、初公開となるイタリアから弟に宛てた絵はがきや解説付きのパネルなどが展示されています。
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およそ3年余りの海外生活は光太郎の価値観を大きく変え、旧態依然とした日本美術界に不満を持つようになります。会場にはこのほかにも留学時代を思う直筆の短歌や世界的な視野に立った芸術評論の原稿なども展示されています。
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企画展「光太郎、海を航る」は9月30日まで花巻市の高村光太郎記念館で開かれています。

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続いて9月15日(木)、市発行の『広報はなまき』さん。「花巻歴史探訪[郷土ゆかりの文化財編]」という連載で花巻高村光太郎記念館さんの収蔵品をご紹介下さいました。
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こちらの書幅は、企画展示「光太郎、海を航る」の方ではなく、常設展示室の方に出品されていたと思います。

同じく9月15日(木)、一昨年から道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、光太郎の日記などを元に現代風にアレンジしたメニューを組み、毎月15日に限定販売されている豪華弁当・光太郎ランチ。今月分の画像を送っていただきました。
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すりリンゴ入り蒸しパン、白六穀御飯、鶏肉カレー炒め、茄子の串焼き、大根菜の炒め、かぼちゃサラダ、塩麹卵焼き、きゅうりの糠漬け、フルーツ(ぶどう)だそうです。

メニューの考案などにあたられている「やつかの森LLC」さん、9月12日(月)には、花巻市の社会教育施設「まなび学園」さんで活動されている「わかくさ女性学級」での出前講座。「高村光太郎の山荘~ハイカラ料理を知ろう」と題し、光太郎が郊外旧太田村の山小屋で蟄居生活を送っていた頃の様子を寸劇にしたり、光太郎の「食」について紹介したりなさったそうです。こちらでも光太郎ゆかりのお弁当。
愛ちゃんの栗拾い
開会あいさつ
光太郎と菅原先生
山の少女朗読
かぼちゃのエピソード
ランチボックス
ランチボックス盛り付け
最後に『読売新聞』さん岩手版の記事。9月17日(土)の掲載でした。

賢治自筆「雨ニモマケズ」…記念館で手帳展示、県内6年ぶり

 花巻市の宮沢賢治記念館で、賢治が代表作の詩「雨ニモマケズ」を書き残した自筆手帳が16日、公開された。県内での展示は6年ぶりで、10日間限定の25日まで。貴重な手帳を一目見ようと多くの人が訪れている。
 手帳の大きさは縦13・1センチ、横7・5センチで、黒革で覆われている。165ページにわたり、文学作品の下書きやメモ、経典などが記され、「雨ニモマケズ」は51ページから60ページに書かれている。
 詩は、賢治が花巻の実家で闘病中だった1931年11月3日に書かれたものと推察されており、2年後の33年9月、賢治は37歳で生涯を閉じた。手帳は賢治の没後、東京都の喫茶店「モナミ」で高村光太郎や草野心平らを中心に開かれた追悼会で、弟・清六氏が持参した賢治愛用のトランクから見つかった。
 同館の牛崎敏哉学芸員は「本来人に見せるものとして書いたわけではない賢治の晩年の願いや祈りが込められている」と指摘する。
 初日の16日は、来館者が手帳に顔を近づけながら鉛筆の文字を観察する姿が見られた。手帳を見るために静岡県藤枝市から訪れた公務員名手小枝さん(55)は「当時この手帳を手にとって詩を書いたと思うと感慨深い。汗などもきっとにじんでいるのでしょう」と話していた。
 19日は、清六氏の孫・宮沢和樹氏による講演も行われる。開館は午前8時半~午後5時(入館は午後4時半まで)。入館料は一般350円、高校生・学生250円、小・中学生150円。問い合わせは同館(0198・31・2319)へ。
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岩手めんこいテレビさんのローカルニュースでも取り上げられていました。

賢治直筆『雨ニモマケズ』手帳公開 2016年以来2回目の限定公開<岩手・花巻市>

 普段は見ることができない宮沢賢治が手帳に書いた直筆の「雨ニモマケズ」。岩手県花巻市の宮沢賢治記念館では、開館40周年を記念して9月16日からこの手帳が公開されています。

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 2022年で開館40周年を迎えた花巻市の宮沢賢治記念館で、16日から始まった特別展示の目玉は、賢治直筆による『雨ニモマケズ』が書かれた手帳です。この手帳は、賢治生誕120周年にあたる2016年に一度だけ公開されたもので普段はお目にかかる事は出来ません。2021年、東北を中心とした大型観光キャンペーンの期間中に公開される予定でしたが延期となっていました。
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 この他にも貴重な作品が数々展示されていて訪れた人を楽しませていました。
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 大阪から来た人「(雨ニモマケズ)はイメージ残ってるので本物が見れて嬉しいです。直筆よね、貴重な経験だと思います」
 これらの貴重な作品は、9月25日まで展示されています。

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こちらには光太郎の名は出ませんでしたが、手帳の「発見」の現場となった、賢治歿後の昭和9年(1934)、新宿モナミで開かれた賢治追悼の会の写真がパネル展示されているのがわかりました。『読売』さん記事はこのあたりを参考になさったのでしょう。光太郎は前列左から4人目です。
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さて、花巻。秋のいい季節となります。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

盛岡大慈寺小学校長さん佐藤氏くる、


昭和29年(1954)1月15日の日記より 光太郎72歳

光太郎が花巻郊外旧太田村の山小屋に蟄居していた頃からの知り合いだった、盛岡の小学校長・佐藤憲政が、中野の貸しアトリエを訪問しました。このように、花巻や盛岡の人々が、上京したついでに光太郎の元を訪れるケースはあとを断ちませんでした。それだけ慕われていたということなのでしょう。

光太郎第二の故郷、岩手花巻からの情報を2件。

まず、毎月恒例の光太郎ランチ。一昨年から道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、光太郎の日記などを元に現代風にアレンジしたメニューを組み、毎月15日に限定販売されている豪華弁当です。

今月分がこちら。
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赤飯、小豆餅、牛すき煮、じゃがいも甘辛煮、鰹フライ、白菜と南瓜の花の酢の物、塩麹卵焼き、お新香、デザートだそうで。酢の物がさっぱりしていて美味しかったそうです。西瓜が夏らしく、また彩りも添えていますね。

3枚目の画像、背景は道の駅のインフォメーションコーナーで開催されている、地元ご在住のMICHINOさんという方の色鉛筆画「器と楽しむ光太郎ランチ」です。

花巻からもう1件、日帰りツアー的な案内です。

花巻電鉄の軌跡 廃線跡の今

期 日 : 2022年8月28日(日)
料 金 : 5,000円

【8/28(日)限定!】
JR花巻駅、花巻温泉郷から出発し、現在は廃線の「花巻電鉄」跡を巡るガイド付きツアーです。当時の様子を写真で振り返り、現在の様子を写真に収めていただくフォトツアーです。

【乗車場所】JR花巻駅東口、花巻温泉(佳松園・ホテル紅葉館・ホテル花巻・ホテル千秋閣)、廣美亭、台温泉バスロータリー、新鉛温泉愛隣館、鉛温泉バス停前、山の神温泉(優香苑・清流館)、大沢温泉山水閣、渡り温泉(ホテルさつき・別邸楓)、志戸平温泉(ホテル志戸平・游泉志だて)、松倉温泉風の季

【下車場所】JR花巻駅東口、JR新花巻駅西口、花巻温泉(佳松園・ホテル紅葉館・ホテル花巻・ホテル千秋閣)、廣美亭、台温泉バスロータリー、新鉛温泉愛隣館、鉛温泉バス停前、山の神温泉(優香苑・清流館)、大沢温泉山水閣、渡り温泉(ホテルさつき・別邸楓)、志戸平温泉(ホテル志戸平・游泉志だて)、松倉温泉風の季

09:20 花巻駅東口
09:40 新鉛温泉愛隣館、鉛温泉バス停前、山の神温泉(優香苑・清流館)、
     大沢温泉山水閣、渡り温泉(ホテルさつき・別邸楓)、
     志戸平温泉(ホテル志戸平・志だて)、松倉温泉風の季
10:10 花巻温泉(佳松園・ホテル紅葉館・ホテル花巻・ホテル千秋閣)、
     台温泉バスロータリー、廣美亭
花巻電鉄【花巻温泉駅跡】(15分)
花巻電鉄【花巻温泉線廃線跡スポット】(60分)
源氣屋にて白金豚ランチ(50分)
花巻電鉄【中央花巻駅跡、西花巻駅跡、西公園跡、稲荷前駅跡、馬面電車、花巻駅跡】(100分)
15:00 JR花巻駅東口
15:20 JR新花巻駅西口
15:40 花巻温泉(佳松園・ホテル紅葉館・ホテル花巻・ホテル千秋閣)、
     台温泉バスロータリー、廣美亭
16:10 新鉛温泉愛隣館、鉛温泉バス停前、山の神温泉(優香苑・清流館)、
     大沢温泉山水閣、渡り温泉(ホテルさつき・別邸楓)、
     志戸平温泉(ホテル志戸平・志だて)、松倉温泉風の季
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昭和20年(1945)から27年(1952)にかけ、当時の花巻町および郊外太田村で暮らした光太郎が生活の足として使った花巻電鉄。左上は光太郎も乗ったデハ3型、静態保存されているものです。その廃線跡を廻るツアーとのこと。「廃線」と聴くだけでロマンを感じますね。廃線にならずに済んでいればそれにこしたことはなかったのかもしれませんが……。

ご興味のおありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

午后新宿三越にゆき書棚をかふ、


昭和28年(1953)11月3日の日記より 光太郎71歳

およそ1週間前には丸井で本棚を購入しましたが、さらに三越でも(笑)。

どれがどうと特定出来ませんが、このあたりかな、というのが下の画像です。
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いわゆるライトノベルです。

小説家・芥木優之介には恋と飯が足りていない

2022年7月6日 硯昨真著 宝島社(宝島社文庫) 定価750円(税込み)

太宰治の“桜桃”、森鴎外の“饅頭茶漬け”――。謎の美女が繋ぐ“文豪グルメ”と“人の絆”。天才偏屈作家のほっこり恋物語!

芥木優之介は、大学時代に処女作で新人賞を総嘗めにし、文壇にデビューした小説家である。それから六年。全く文章を書けなくなった芥木は、古アパートで貧乏生活を送っていた。それは自身に課した「文筆業以外で稼いだ金で飯は食わない」ポリシーのため。そんな時、大家の姪という儚げな美女・こずえが現れる。栄養失調で意識が朦朧とする芥木に、“芋粥”を食べさせるこずえ。彼女にときめく芥木だが、「これからはお家賃の方をきちんとお願いします」と言われ、絶体絶命に! 偏屈で人間嫌いだった芥木だが、縁を切っていた人々と向き合うことになり……? 謎の美女が繋ぐ、“文豪グルメ”と“人との絆”。天才偏屈作家のほっこり恋物語!

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目次
 芥川龍之介の芋粥  谷崎潤一郎の小鰺の二杯酢漬け  太宰治の桜桃 前編 
 太宰治の桜桃 後編  宮沢賢治の天ぷらそばとサイダー  高村光太郎の牛鍋
 森鷗外の饅頭茶漬け  夏目漱石の落花糖


主人公・芥木優之介。その名の通り、芥川龍之介を彷彿とさせられる小説家です。しかし、芥川と違って(ある意味共通して)、いろいろ考えすぎるあまり、なかなか作品が書けない、という設定です。まぁ、一言で言うと「面倒くさい」(笑)。そうなってしまったのには、そうなってしまうだけの理由―この業界特有の―があるのですが、それは読み進めていくうちにおいおい明かされていきます。

他の登場人物は、芥木に負けず劣らず面倒くさく、彼を一方的にライバル視する作家・津島修也(いわずもがなですが、「津島」は太宰治の本名由来です)、芥木ファンが嵩じて作家デビューを果たした書店員・三鳥(「島」ではなく「鳥」です)、善人だけれどズレまくっている編集者・滝谷(しかし、欲得ずくでない仕事態度が芥木を動かし、再びペンを執らせます)、そして借家の大家にしてヒロイン的なこずえら、個性豊かな面々。

そこに目次にあるような、文豪たちが書き残したさまざまな料理や食材がからみます。そういった意味でも近代文学オマージュ的要素もふんだんに盛り込まれています。

われらが光太郎に関しては、詩「米久の晩餐」(大正10年=1921)がモチーフの「高村光太郎の牛鍋」。この章には『智恵子抄』巻頭を飾った詩「人に」(「いやなんです/あなたのいつてしまふのが」)も使われ、こずえに対して揺れ動く芥木の心情が象徴されます。特に「――それでも恋とはちがひます」というフレーズ。

作者の硯昨真氏、存じ上げない方でしたが、どうもご自身のご経験をかなり落とし込んで書かれているのでは、と思われます。作家としてデビューし、編集者との丁々発止のバトルなどの苦労等。妙にリアリティーがあります。違っていたらごめんなさい、ですが。

ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

中野の祭礼、みこし出てゐる、 夜在宅、 タウリンエキスをのむ、

昭和28年(1953)9月15日の日記より 光太郎71歳

中野の祭礼」は、9月半ばということで、おそらく中野氷川神社さんの祭礼と思われます。「タウリン」、この頃にはもう広まっていたのですね。1000㍉㌘かどうかはわかりませんが(笑)。

特に何もなければ、新刊書籍の紹介を今日から4連発で。この系統はつい後回しになってしまい、溜まってしまいました。

まずは岩手から届いたミニブック。

michino絵本 器と楽しむ光太郎ランチ

2022年7月 企画デザイン/文/写真/発行 やつかの森LLC 色鉛筆画/MICHINO
 料理制作/ミレットキッチン花 定価700円(税込み)


癒しの時間

色鉛筆で花の絵を描くMICHINOさん。光太郎の魅力を発信する「光太郎ランチ」の応援団になっていただきました。

毎月「光太郎ランチ」弁当を買って来て器に盛り付ける。MICHINO風楽しみ方。1年間描き続け、その絵が素敵な本になりました。心癒やされる時間をぜひどうぞ。

お申し込み先 やつかの森LLC FAX 0198-29-2672 kotarocafe30@gmail.com
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現在、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで開催中の同名の展示を、一冊の絵本にしたものです。道の駅のテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、毎月15日に販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」を洒落た器に盛りつけて描いた作品群。
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メニュー及び光太郎の日記等から抜粋された食に関する一節が左側のページ、右ページには地元ご在住のMICHINOさんという方の描いた色鉛筆画。12回分が掲載されています。合間には、「光太郎ランチ」実物の写真や、花を描いたMICHINOさんの色鉛筆画など。

道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん、花巻市街のマルカンさんで販売中ですし、FAX、メールでも注文可。ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后週間サンケイより吉岡達夫氏ら三人来たり写真をとつてゆく、

昭和28年(1953)9月1日の日記より 光太郎71歳

「週間」は「週刊」の誤り。光太郎、ときどきやらかします(笑)。「写真」はこちらの記事のためのもの。この年9月27日号に掲載されました。
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昨日の新聞二紙から。

まず、「土用丑の日」だったということで、『朝日新聞』さんの土曜版から、鰻の蒲焼きについての記事。かなり長いので全文は引用しませんで、後半のみを。前半では、土用丑の日に夏ばてを防ぐため、栄養価の高いうなぎを食べる慣習について、平賀源内がうなぎ屋のために考案し、広まったという『定説』について。「裏付けとなる文献が、今のところ見つかっていない」ということで、肯定する根拠も、さりとて否定する根拠もないそうです。さらに、隅田川下流域の「江戸前うなぎ」がブランド化していった歴史、調理方法の変遷など。

そして、後半。「江戸前うなぎ」の名店の一つで、光太郎も通った「駒形前川」さんに取材。こちらは令和元年(2019)の『週刊ポスト』さんでも、光太郎にからめて紹介されていました。光太郎の父・光雲が生まれた嘉永5年(1852)に出た「江戸前大蒲焼」番付にも載った店です。また、光雲といえば、光雲の談話筆記『光雲懐古談』(昭和4年=1929)に、前川さんが登場します。

(はじまりを歩く)江戸前うなぎ 東京都 白米とみりん、客層を広げる

 昼下がりの「駒形前川」。7代目主人の大橋一仁さん(43)が、かっぽう着姿で取材に応じてくれた。もとは川魚問屋だったが、220年ほど前、初代がうなぎ料理を始めた。「目の前が大川だから、前川。浅草へ遊びに行く人が舟で乗り付け、腹ごしらえする店だったみたいです」
 しょうゆとみりんを煮詰めた「生(き)だれ」。生だれをつぎ足し、つぼに入っているのが「母(ぼ)だれ」。これが代々続く秘伝のタレだ。「生だれと母だれ、なめると味が全く違う。母だれには、積み重なってきたうなぎのうまみがつまっている」という。
 うなぎをつぼにつけるのは、さばいて、串をうち、素焼きにして、蒸しに入れ、余分な脂を落とした後の工程だ。うなぎの身が、新しい良質な脂とうまみをつぼに落とし、同時に、母だれの熟成したうまみをたっぷり吸い込んで、再び焼かれる。
 老舗の蒲焼きが、甘くないのに、うまい理由は、ここにあった。

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 先代たちの歴史は「選択」の連続だった。関東大震災、東京大空襲では、つぼを大八車に載せて逃げた。店が焼失しても、ゼロから再出発した。2011年3月、東日本大震災の大きな揺れが店を襲ったその時も、一仁さんの父で6代目の一馬さんは、客や従業員の安否を確かめながら、つぼのことを鬼気迫る表情で案じていた。一馬さんは病気で他界し、7代目となった一仁さんが、長引くコロナ禍と向き合ってきた。
 店の伝統を裏付けるような資料を残す余裕は、先代たちになかったようだ。だからこそ、番付「江戸前大蒲焼」の存在は「色んな人にうちを知ってもらえて、ありがたい」。
 江戸前うなぎに「蒸す」という調理工程が加わった背景には、江戸時代後期のコレラの流行がある、と一仁さんは考えている。「より衛生的で安全な提供方法を考えた結果、先人は蒸すことを選択した。天然か、養殖かも、選択の一つ。守るべきこと。変えるべきこと。いつの時代も、両方を考えないといけない」
 江戸時代に花開いたうなぎ文化もいま、岐路に立たされている。稚魚や親ウナギの保全、人工孵化(ふか)や完全養殖。絶滅危惧種となってしまったニホンウナギと共存するための、新たな選択肢が模索されている。
 かつては筒を沈めるだけで、ウナギがとれたという隅田川。今でも釣りスポットとして人気だが、ネット上で「隅田川の魚は食べても美味だ」と薦める人は見かけない。
 目の前の水辺にいたヘンな魚を、焼いて食べたら、うまかった。しょうゆ、山椒、みりん、ご飯をつけたらもっとうまかった。そんなシンプルな話だったのだ。ある時までは。

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「駒形前川」は、池波正太郎、高村光太郎、山田耕筰といった文化人がひいきにしていた。現在は千葉県銚子市の問屋から天然に近い環境で育てた養殖うなぎ「板東太郎」などを仕入れている。雷門通りにある「やっこ」も、ジョン万次郎や勝海舟が訪れた名店だ。
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当方自宅兼事務所のある千葉県香取市。利根川の水運の要所として、江戸時代から続く古い街並みも残る観光地です。やはり利根川の関係で鰻も昔からの名物で、旧市街には江戸時代創業のうなぎ屋さんが数店。さらに住宅街である自宅兼事務所近くにはその支店も。

以前は、遠隔地の友人、仕事の打ち合わせに訪れた方などが訪ねてきた際には、そうした店にご案内することも少なくなかったのですが、最近はとんと足が遠のいています。とにかく美味ではありますが、やはり価格の問題がありまして……。以前は二千円ほどで食べられましたが、最近は四千円台と記憶しております。記事にもあった資源としての減少の問題が大きいのでしょう。

ちなみに今年の土用丑の日は、2回。昨日と、8月4日(木)も該当します。光太郎父子に愛された「駒形前川」さん、ぜひ足をお運び下さい。

もう1件、やはり昨日の『福島民報』さん。「福島県 今日は何の日」という連載です。

「福島県 今日は何の日」 1990(平成2)年7月23日 国体スローガン 友よ、ほんとうの空にとべ!

 1995年に開催した第50回国民体育大会のテーマ(愛称)が「ふくしま国体」、スローガン(合言葉)が「友よ ほんとうの空に とべ!」に決定した。
 テーマは美しい自然など本県の持つ特性を県名に込め、平仮名で柔らかく表現した。スローガンの「ほんとうの空」は「智恵子抄」などによって県内外に知られており、本県の全体的な印象として定着していると判断した。
 4月中旬からスローガンとテーマを公募し、テーマに1万7664点、スローガンに1万4250点が寄せられた。
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平成7年(1995)の「ふくしま国体」。このテーマに「ほんとうの空」の語が使われたことで、以後、福島の形容詞として、「智恵子抄」由来の「ほんとの空」、その変形種「ほんとうの空」の語が広く使われるようになっていきました。ただ、平成23年(2011)の東日本大震災による福島第一原子力発電所のメルトダウン以後、また違った意味が付加されるようになってしまったのは残念ですが……。

ちなみに「ふくしま国体」のテーマソング、佐藤信氏作詞、林光氏作曲の「ほんとうの空へ」は、現在でも時折コンサート等で演奏されています。
「林光ソングをうたい継ぐ(5)~ほんとうの空へ(1990年代)」。
合唱団じゃがいも第48回定期演奏会 林光さん没後10年を偲んで。
こちらも末永く愛されて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

山口小学校長浅沼氏今朝来訪の由、又午后くるとの事、 午后東方亭主人くる、トマトをもらふ、 山口小学校長くる、自園の桃をもらふ、


昭和28年(1953)8月24日の日記より 光太郎71歳

山口小学校」は、かつて光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くにあった小学校。そこの先生方や子供たちとは深い交流がありました。校長・浅沼政規は光太郎に関する貴重な回想を数多く残しました。子息の浅沼隆氏は、現在も光太郎の語り部として花巻で活動されています。

東方亭」は、戦前からの光太郎行きつけのトンカツ屋。荒川区の三河島に店がありました。

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