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道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんが毎月15日に限定10食で出品している弁当「光太郎ランチ」。今年最初の販売が行われました。
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メニューはぶり大根、揚げじゃがいもの甘辛煮、菜花のおひたし、切干大根の酢の物、卵焼き、そば粉クレープ、赤飯、芋羊羹とのこと。

そば粉をパン状にするのは光太郎がよく行っていた調理法です。他も基本的に光太郎日記等から作った料理や使った食材を参考にし、現代風にアレンジしています。メニュー考案やリーフレットの作成はやつかの森LLCさんです。

令和2年(2020)10月から販売が始まり、もう5年以上です。できうるかぎり続けていただきたいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)21 『造型美論』

昭和17年(1942)1月26日 筑摩書房 高村光太郎著
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目次
 素材と造型
 造型小論
  彫刻に何を見る ミケランジエロの彫刻写真に題す 蝉の美と造型 ロダンの素描
  鷗外先生の「花子」 木彫地紋の意義 仏画賛 彫刻性について 展覧会偏重の弊 手
  能面の彫刻美 九代目団十郎の首 本面について アンドレ ドラン 彫刻十箇條
 現代の彫刻
 印象主義の思想と芸術

大正4年(1915)刊行の『印象主義の思想と芸術』、昭和8年(1933)刊行の『現代の彫刻』全文、それから共著で刊行された書籍の光太郎担当部分、さらに前年刊行の『美について』に洩れていた雑誌等に発表した評論などを集めて一冊にしたものです。

昭和18年(1943)の第四刷まで確認出来ています。物資不足が深刻化しつつあり、第四刷ではそれまでの函が無くなり、代わりにカバー装となりました。

松の内の間に正月っぽいネタを片付けてしまおうと思います。

『京都新聞』さん、元日の「社説」。

社説:新しい年に 京都、滋賀に希望の物語紡ごう

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 京都の書店で、画集の上に「檸檬(れもん)」を置いて出てきたと小説に書いたのは、梶井基次郎である。
 病床にあった詩人高村光大郎の妻は、レモンを<きれいな歯ががりりと嚙んだ(略) 天のものなるレモンの汁はぱつとあなたの意識を正常にした>(智恵子抄(ちえこしょう))
 私たちの舌と多くの芸術家を刺激してきた酸っぱいレモンが、京都で作られている。5年ほど前から始まった挑戦の結実だ。
 仕掛けたのは農産物加工品の製造・販売会社「日本果汁」(京都市下京区)。健康志向で拡大する国産レモンの需要に、生産が追いつかない。取引のある農家や専門家に、京都での栽培を打診する。

未来を刺激する実り 
 舞鶴、亀岡、木津川、京田辺など府内20超の農家が手を上げた。行政や企業の支援も得て、耕作放棄地を活用。防寒対策など2年ほどの試行錯誤で木が根付く。
 実の凍結を防ぐため、黄色になる前に早摘みする工夫で、先月に終えた年間収穫は7トン前後。「京檸檬」として加工品用に出荷し、地元の宝酒造(伏見区)が酎ハイ、ロマンライフ(山科区)が洋菓子に用いるなど商品化している。
 日本果汁の河野聡社長は「新たな特産品で持続可能な地域づくりに貢献できれば。目標は10年以内に100トン。生食や京料理などでの使用にも広げたい」と話す。
 府南部では鮮烈なグリーンのレモンが、茶園やネギ畑のそばで実っていた。緑の競演だ。<がりりと嚙んだ>ら通常より酸味が柔らかい。京の名前が良く似合う。多くの人の口に届いてほしい。

つなぎ、つながる多様性
 本紙は昨年から一つの地域で、複数の地方版を読めるように紙面を改めた。京都、滋賀で多くの人やグループ、団体が「わがまち」の資源を生かしたり、新たに作り出したりして地域社会を動かすニュースを連日、報じている。
 そこから読み解けるのは「つながり」「つなぐ」ことの大切さだ。糸をたぐり京滋に希望の物語を紡ぐ-。次の主役は、あなたやあなたの周囲の人かもしれない。
 政治には、そうした営みを後押しする方策を求めたい。
 30年来続けてきた国の少子化対策は、めぼしい効果をもたらしていない。結婚や出産、子育てについて行政が環境を整えることは重要だが、いずれも個人の自由であり、それでただちに出生率が持ち直すわけではない。
 結婚をためらう非正規労働者など雇用環境の改革、「伝統的な家族観」を女性に押しつける考え方など、複合的な社会の障壁を除くことが必要である。「多様性」と「寛容」が鍵になろう。
 ここ10年、政府が旗を振った「地方創生」も残念ながら、地域社会を疲弊させた面が大きい。官邸と霞が関が中央統制を強め、自治体間で住民や税金、補助金を奪い合わせたからだ。
 国は人口や経済成長をコントロールできるという幻想の物語を振りまき、真に必要な改革から逃げてきたのではないか。政府推計で、15年後には生産年齢人口(15〜64歳)が今より1100万人も減る。不都合でも直視したい。
 その点で、地方創生について政府自身が検証報告で行き詰まりを認め、昨年6月に閣議決定した今後10年の基本構想に「人口減少を正面から受け止め、誰もが安心して生活できる適応策を講じる」と明記したのは意義深い。
 地域社会の持続的な発展には、性別や世代、国籍を問わず支え合い、参加し、ゆるやかに連帯する暮らしと働く場が欠かせない。

政治が亀裂深めるな 
 それを支えるのは、医療・介護や教育施設、交通網、農林漁業といった広義のインフラだろう。東京大や同志社大で教えた経済学の泰斗、故宇沢弘文氏は「社会的共通資本」と呼んだ。
 人口減への適応策として、国と自治体は、その維持を優先すべきだ。「縮むまち」に合わせて、身の丈を整える青写真を各自治体は描く時ではないか。
 それを国は支えつつ、自らも人口減・低成長に即した「日本のかたち」を示し、「成熟型」の社会保障や財政、経済戦略を再構築すべきである。負担のわかちあいなど厳しい面もあろうが、次世代へのツケ送りは慎まねばならない。
 心配なのは、つながり、共に生きるより、交流サイト(SNS)を介して対立や不確かな情報をあおり、自分と考えの違う人や少数者、外国人を排撃する動きだ。
 昨秋、高支持率で出発した高市早苗政権は、その波頭に乗っているかに見える。持論や右派の支持層向けの言葉が、日本を分かつ壁を築いていないか。
 分断の溝を埋めるのは、誰もを包み込む地域社会に違いない。

よくある話のマクラに光太郎智恵子が使われるパターンですが(笑)、それも大歓迎です。マクラにさえ使われなくなったらゆゆしきことです。

「京檸檬」のブランド名で、レモンの栽培が拡がっているとのこと。調べてみたところ、社説で紹介されている日本果汁さんとロマンライフさんが会員企業、宝酒造さんが協賛企業として名を連ねている「京檸檬プロジェクト協議会」という団体さんがいろいろと頑張ってらっしゃるようです。
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耕作放棄地の活用など、意義のある取り組みですね。「京檸檬」と漢字にしているのもシャレオツなイメージです。まぁ何であっても「京××」としただけで垢抜けした感じになるような気がしますが(笑)。

意外と寒い京都ですが、「実の凍結を防ぐため、黄色になる前に早摘みする工夫」だそうで、そうすると智恵子の故郷・福島や光太郎ゆかりの岩手でも不可能ではないかもしれません。関係の方、ご一考をお願いしたいところです。

さらに社説では少子化や地方の問題、分断主義や排外主義の台頭への憂慮等も語られています。この国が「美しい国」であるために為すべきことは何なのか、年頭に当たって考えたいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)5 『自選日記』

大正10年(1921)9月17日 叢文閣 ウォルト・ホイットマン著 高村光太郎訳
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目次
 序。大英帝国島に於ける諸君へ
 幸福な時間の命令 懇望する友への返事 系統――ヷンヹルサルとホヰツトマン
 古いホヰツトマン及びヷンヹルソルの墓地 母方の屋敷地……二つの昔の家族の内部
 ポマノクと、私の子供として又若者としての其処での生活 
 私の最初の読書――ラフアイエツト 印刷所――昔のブルツクリン 成長――健康――為事
 渡しに対する熱情 ブロードヱーの光景 乗合馬車旅行と馭者 芝居も歌劇も
 八年間――性格の源泉――結果――一八六〇年 南北戦争の開始
 国民の蹶起と義勇兵の志願 驕慢の気……ブルランの戦、一八六一年七月
 昏迷は去る――別の事が始まる 戦線にて 最初のフレデリツクスパーグ戦の後
 ワシントンに帰る 負傷のまま戦場に置かれた五十時間 病院の光景と人物
 専売特許局病院 月光下のホワイト ハウス 一軍隊病舎 コンネチカツトの一患者
 二人のブルツクリンの子供 分離派軍の一勇者 チヤンセラースヸルからの負傷兵
 夜戦、一週間余以前の事 最も勇敢な兵卒は名も知られずに居る 或る代表的患者
 私の訪問準備 傷病兵運搬車の行列 重傷――青年 戦時の壮観中最も元気あるもの
 ゲツチスバーグの戦 騎兵の野営 ニユーヨークの一兵卒 手製の音楽 
 アブラハム リンカーン 炎熱期 兵卒と談話と ヰスコンシンの一士官の死 病院の概観
 静かな夜の散策 兵卒中の霊的性格者 ワシントン附近の牛の群 病院の混雑 戦線にて
 奨励金支払 流言、異動、其他 ヷージニヤ 一八六四年の夏
 アメリカに適する新らしい軍隊組織 一英雄の死 病院の光景――偶発事
 ヤンキーの一兵卒 南方に於ける合衆軍の捕虜 脱走兵 戦争地獄図の一瞥
 贈物――金銭――分つた事 ノートブツクからの数項 第二ブルランからの一患者
 軍医――援助の欠乏 到る処青 模範病院 軍隊中の子供達 一看護婦の葬式
 兵卒にとつての女性看護へ 南軍の逃避兵 瓦斯燈下の政庁 就任式
 戦時に於ける外国政府の態度 天候―天候も此の時勢と照応するか 就任式舞踏会
 政庁に於ける一光景 古典的一ヤンキー 傷病兵 大統領リンカーンの死
 シヤーマン軍の歓呼――その突然の停止 リンカーンの善き肖像無し
 南軍から放免された合衆軍の捕虜 ペンシルヷニアの一兵卒の死 凱旋軍隊 大観兵式
 西部の兵卒達 一兵卒のリンカーン観 二人の兄弟、一人は南、一人は北
 痛ましい患者がまだゐる カルフーンの真の記念像 病院閉鎖 模範的兵卒 「痙攣的」
 三個年の総〆 百万の死の同じく総〆 真の戦争は書物の中に決して無い 中間の一節
 新らしい主題に入る 長い農家の小径に入る事 泉と流とに 初夏の起床喇叭
 真夜中に渡る鳥 くまん蜂 シダー(杉)の実 夏の風物と安逸
 日没のかをり――鶉の声――ハーミツト鶫 池の畔の七月の午後 ローカストとケチヂツド
 木の教訓 秋日小景 天空――昼と夜――幸福 色彩――対照 七六年十一月八日
 烏、烏……海岸の冬の一日 海浜の空想 トマス ペーンの追憶 二時間の氷上の渡船
 春の前奏曲――嬉戯 一つの人間の奇癖 或る午後の光景 門は開かる 大地、土
 鳥、鳥、鳥 星に満ちた夜 マリン、マリン……遠方の物音 日光浴――裸体 樫の木と私
 五行詩 初霜――おぼえ……三人の若者の死 二月の日 メドーラーク……日没の光
 樫の木の下での思ひ――夢 クロヷーと刈草の匂 知らぬもの
 鳥の啼声……馬薄荷……われら三人 ヰリヤム カレン ブライヤントの死
 ハドソン河を遡る 幸福とラズベリーと 放浪家族の一標本 湾から見たマンハツタン
 人間的な英雄的なニユーヨーク 魂にとつての時間 麦わら色其他の蝶
 夜の記憶……野生の花 遅蒔の礼儀……デラヱヤ河――昼と夜と
 渡船及河の光景――昨冬の夜 チエストナツト街の最初の春の日
 ハドソン河をアルスター郡に遡る JBの家に於ける日々――芝火――春の歌
 隠者に会ふ……アルスター郡の滝 ヲルター デユモントと彼のメダル ハドソン河の光景
 市の二つの地域、或る時間 セントラル、パーク散歩と談話 美しい午後、四時から六時
 大汽船の出発……ミネソタ艦上の二時間 盛夏の日夜 博覧会の建物――新市庁――河遊び
 河の上の燕 長い西遊旅行を始める 寝台車にて ミズーリ州
 ローレンスとトピーカ、カンサス州 平原、(及び口演しなかつた演説)
 デンヷーへ――国境の出来事 キノーシヤ山嶺の一時間 手前勝手な「発見」
 新らしい感覚、新らしい歓喜 蒸気動力、電信、其他 アメリカの脊骨
 パーク……芸術的容姿 デンヷーの印象 南に向ひ――やがて又再び東に
 果たされなかつた望――アーカンサス河 静かな小さなお伴――コレオプシス
 詩に於ける平原(プレーリー)と大野原 スパニツシユ高峯――野原の夕暮
 アメリカ独特の風景 地上最も重要な流 平原の対比者――樹木の問題 ミシシピ流域文学
 訪問記者の一記事 西の女……無言の将軍 大統領ヘイズの演説 セントルイス備忘
 ミシシピー河の幾夜 われら自身の国土の上 エドガー ポーの真意義
 ベトーヴエンの七部合奏曲 荒い自然の一暗示 森の中の遊びぐらし コントラルトの声
 ナイヤガラを有利に見る カナダへの旅 狂人と一緒に居た日曜日
 エリヤス ヒツクスの追憶 偉大な土着人の増加 合衆国カナダ間の関税同盟
 セント ローレンス水路 荒凉たるサグネー河 エターニテー及びトリニテー岬
 シクチミとハハ入江 住民――美食 杉の実のやうな――名称 トマス カライルの死
 アメリカ的見地から見たカライル 旧友の一二――コルリツジの一小片
 一週間のボストン訪問 今日のボストン 四詩人に対する私の讃辞
 ミレーの絵画……最後の数項 島――そして一つの注意 私の備忘録の見本
 今一度私の生れ故郷の砂と嵐と 炎暑のニユーヨーク 「カスター将軍の最後の集軍」
 或る古馴染――追憶 老年の発見 R、W、エマーソンへの最後の訪問
 他のコンコルド所見 ボストン コンモン――更にエマーソン
 オシヤン的の夜――最も親しい友達 ほんの一艘の新らしい渡船 ロングフエローの死
 新聞を起す事 吾等も其一部である大不安息 エマーソンの墓にて 当今の事――私事
 或書を読みかけた後 最後の告白――文学の試験標準 自然と平民主義と――道徳性
 附録(英国版の為一八八七年に書かれたもの)

原典はアメリカの詩人、ウォルト・ホイットマン(1819~1892)の日記で、雑誌『白樺』などに断続的に訳出掲載されたものの単行本化です。

その自然崇拝的態度などに、光太郎は共感を寄せていたようです。ただ、ホイットマン、南北戦争時には北軍を鼓舞する詩篇を書いてもいます(負傷兵の看護に当たるなどの慈善活動も行いましたが)。のちの15年戦争時に光太郎が大量の翼賛詩文を書き殴った一つの源流が、ここにも見えるような気がします。

花巻レポートの承前です。

12月15日(月)、旧太田村の高村光太郎記念館さんにて「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」拝観の前、同じく旧太田村の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんに立ち寄りました。
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まず農産物等の直売や土産物等の販売を行っている「すぎの樹」さんで、林檎を箱買いして自宅兼事務所に発送(左下)。この季節のルーティンです。後述のやつかの森LLCさんから既に大量に送られてきている(右下)のですが、いくらあっても困りませんので(笑)。
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「すぎの樹」さんの正面の壁には光太郎を描いた大きな壁画。
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その右下に、弁当やお総菜を販売なさっているミレットキッチン花(フラワー)さんがあります。
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こちらでは毎月15日、豪華弁当「光太郎ランチ」を限定10食で販売中。ちょうど15日でしたので、「どれどれ」と見に行きました。

この時点で13:00近かったのですが、残り2食。
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売り切れていたら画像が出せないなと思っていたのでラッキーでしたし、逆に全然売れていなくても悲しいところで、いい塩梅でした。

現物を見るのは3度目でした。最初は販売が始まった令和2年(2020)のお披露目会の折、2度目はやはりたまたま15日に訪れ、ゲットして帰って妻と二人でいただいた一昨年の冬。今回は1泊2日の初日で、既に新幹線車内で駅弁を食した後だったので購入はしませんでした。

メニューの考案には、地元で主に食を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが担当されています。そのやつかの森さんから送られてきた画像。
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品目は「チキンの照り焼き」「牛すき煮」「大根とさつま揚げの煮物」「卵焼き」「さつま芋入り蒸しパン」「青豆入り麦ご飯」「大学芋」「みかん」。今月は当方の好物が並んでおり、こりゃ食べたかったな、というメニューでした。

それにしても、この諸物価高騰の折、変わらず800円というのがすごいと思います。令和2年(2020)の段階では800円だと安くはないな、という感じでしたが、現在ではお手頃価格感です。なし崩し的に諸物価高騰に馴らされてしまっているようで、逆に怖いなと思いました。壺が大好きな無策な政府の思う壺にはまっているようで(笑)。

今年はこれで終了ですが、来年以降も愛され続けることを祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

この繁雑な世の中に出て奮闘するには随分よく心身をきたへて置かねばなりませんよ くれぐれも祈ります


明治42年(1909)2月7日 鈴木謙二郎宛書簡より 智恵子24歳

鈴木謙二郎は、明治40年(1907)に智恵子が父・今朝吉やきょうだいと共に宿泊した福島相馬の原釜海岸にあった金波館という宿で知り合った、その当時の旧制米沢中学生です。智恵子は7歳年下の鈴木と姉弟のように親しくなり、確認できている限り明治44年(1911)まで文通を続けていました。

のち、鈴木は山形県伊佐沢村村長や長井市教育委員などを歴任します。
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光太郎第二の故郷、花巻市内のワンデイシェフの大食堂さんで、月に一度出店されている「こうたろうカフェ」。主に食を通じて光太郎顕彰を進められているやつかの森LLCさんによるものです。12月3日(水)が今年最後の出店だったとのことでした。1764766631726

今月は以下のメニュー。

・鶏肉のハニーマスタード焼き
・ひじきの煮物
・糸コンの胡桃和え
・大学いも
・季節のサラダ
・漬け物
・舞茸ご飯
・彩り野菜のコンソメスープ
・栗ぜんざい
・抹茶入り玄米茶

現地では初雪も降り、しかもかなり積もったそうで、冬本番。メニュー的にも冬らしい感じが出ています。
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やつかの森さんからのメールの一節。

季節のサラダはクリスマスツリーをイメージしました。光太郎の手作りのお汁粉を栗ぜんざいとして搗き立てのお餅を入れました。さつまいも、カボチヤ、蕪、大根など野菜たっぷりです。舞茸たっぷりのご飯も好評でした。

栗ぜんざいに西瓜の皮の味噌漬けを添えました。シャキシャキして軽めの塩加減で激ウマです。


基本、光太郎が自炊した献立や使った食材などを参考にメニューを組み立てられています。なかなか考えるのも大変だと存じますが、アレンジの仕方は現代風なので、そうそうネタ切れになることもないのでしょう。間を置けば同じ品目があってもいいわけですし。

来年も御馳走が饗され続けることを祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

巣籠つた二つの魂の祭壇。こゝろの道場。並んだ水晶の壺の如く、よきにせよ不可なるにせよ、掩ふものなく赤裸で見透しのそこに塵埃(ちりほこり)をとゞむるをゆるさない。それ故、清らかなるものに膏(あぶら)を沃(そゝ)ぎ、深められ掘り下げらるべき、内の世界――自らの性情と仕事に対し――血をもつてむかふ。それ故こゝに根ざす歓喜と苦難とは、更に新しく恒(つね)に無尽に、私達の愛と生命(せいめい)とを培ふ。


散文「病間雑記」より 大正12年(1923) 智恵子38歳

理想とすべき生活の在り方への言及です。文体はともかく、内容的には光太郎の追い求めていたそれとの驚く程の一致が見られます。そんなに肩肘張らず気楽に行こうよ、みたいな。

智恵子もこうした考えに至る過程を、光太郎によって強制されたある種のマインドコントロールとする見方もあれば、智恵子自身、そうした生きたかを求めていたとも考えられますし、何とも言えません。












光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通じての光太郎顕彰を続けられているやつかの森LLCさんの取り組み。

毎月15日は、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナントのミレットキッチン花(フラワー)さんで、やつかの森さんがメニュー考案に当たられている弁当「光太郎ランチ」が販売されていまして、その今月分。
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品目は「鱈フライ」「大根と牛肉のきんぴら」「ポテトサラダ」「卵焼き」「漬物」「ハムカツサンド」「麦ご飯」「南瓜の茶巾と秋の果物」だそうです。基本的には、光太郎が実際に自作したメニューや使った食材を参考に組み立てられています。

同様の方法で、ランチを提供する「こうたろうカフェ」としての活動。市内のワンデイシェフの大食堂さんで、こちらも月に一度行われています。今月は一昨日でした。
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画像2枚、追加いたします。
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こちらのメニューは「こうたろう春巻き」「手羽元とコンニャクの甘辛煮」「柿ドレッシングサラダ」「のり巻き卵焼き」「ほうれん草のピーナッツ和え」「漬け物」「手作り味噌の具だくさん豚汁」「新米ごはん」「林檎のケーキ」「コーヒー」。

いずれも秋の実りがふんだんですね。秋、といっても、もうあちらでは既に初雪も降ったそうで、冬本番も間近のようですが。

双方の取り組み、末永く続く事を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

天賦の才といふものも其を価値あらしめるだけの意志がなければ何にもなりません。芸術家は一滴一滴岩に喰ひ込む水の辛抱強さを持たねばなりません。

光太郎訳 ロダン「続ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

才能を生かすことができる才能というものも、確かにあるような気がします。逆にそれが欠けているばかりに、あたら天賦の才を無駄にしてしまった例も。

光太郎第二の故郷・花巻市のワンデイシェフの大食堂さん。日替わりで個人やグループの方々がランチタイムにシェフを務めるというスタイルのレストランです。同地で主に食を通じての光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが、おおむね月に一度「こうたろうカフェ」として出店なさっています。

10月29日(水)分の画像。42食完売だそうです。
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品目は、「白身魚のフライ&タルタルソース」「コールスローサラダ」「鶏つくねの串焼き」「菊の胡麻和え」「バターナッツのポタージュスープ」「蕪の漬物」「新米ご飯」「マロンブラウニー」「コーヒー」。基本、光太郎が自炊した料理や使った食材などを参考にというコンセプトです。諸物価高騰の折、これまで1,000円だった定価が1,200円に値上げ(全出店者共通です)だそうですが、それでも割安感がありますね。

やつかの森さんからのメールの一節。

菊の花の胡桃和えやバターナッツのポタージュは、初めてという方も結構いらしてとても喜ばれました。根生姜が効いたつくねは絶品‼️ 白身魚フライはサクサクで軽く何枚でもいけちゃう美味しさ。サラダも沢山の食材で好評。かぶと白菜ときゅうりの漬物も赤かぶを添えて彩り良く柔らかくて美味。北上市の二子の里芋と昆布の煮物も蓮根、人参、枝豆を入れてほっとする味。ブラウニーは大きな栗たっぷりと胡桃を散らして。誰一人残さずにペロリと完食でした‼️ 八幡平市から友人がきてくれたり、赤ちゃん連れのご家族もゆっくりランチを楽しんでました。ありがたきかな。

次回ご出店は11月18日(火)だそうです。

ところで最近、こんな雑誌を入手しました。
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タイトルが『鶏の研究』。そのまんま「鶏の研究社」という社からの刊行物ですが、養鶏業者や食肉加工業者向けの月刊誌です。巻号は第26巻第10号、光太郎が花巻郊外旧太田村の山小屋に蟄居していた昭和26年(1951)10月号です。

なぜこんなマニアックな古雑誌を購入したかというと、以下のアンケートが載っており、光太郎の回答もありましたので。『高村光太郎全集』に洩れていたものです。
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こうあってほしい鶏卵肉」というテーマで、質問項目は8つ。

一、鶏卵はお好きですか。
二、生ですか、それとも料理(例えば?)したものを好まれますか。
三、卵殻は赤いのと白いのとどちらを好まれますか。
四、卵を召上がつてこうだつたら良い、こういうのは嫌だと思われること。例えば栄養、価格、内容、外観、何でも結構です。
五、鶏肉はお好きですか。
六、どんな料理をして召上りますか、お得意の料理法がありましたら公開して下さい。
七、鶏を飼つて居られますか、どんな鶏がお好きですか。
八、その他養鶏についての御所感を。


これらに対しての光太郎の回答は、

一、好きです。殊に夏は肉が腐り易いので鶏卵は恰好な動物質蛋白質源と思います。
二、非常に急な場合は生で食べ、時間のある時は料理します。生みたてに近い卵がいつでもあります。
三、殻の赤白に好き嫌いはありません。
四、殻に必ず日附をつけたいと思います。飼養の條件がすぐ卵にあらわれます。
五、鶏肉は好きです。殊に所謂モツを賞味します。
六、特別変つた料理法も知りません。多く中華料理風にして食べます。卵は五分間半熟が甚だ便利です。
七、独居自炊の山中生活なので自家では飼えません。飼うと外出が出来なくなります。
八、人がもつと多く鶏を飼つて利用するといいと思います。

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編集部で描いたのでしょうが、似ているような似ていないような光太郎横顔のカットも(笑)。それはさておき、しっかり自炊していた光太郎の言だけに説得力があるように感じました。

他の回答者は山川菊栄、越路吹雪、藤山一郎、横綱千代の山、元首相片山哲、箏曲の宮城道雄、歌舞伎の市川海老蔵、将棋の木村義雄名人など割と豪華なメンバーでした。

こんなふうに昔の雑誌には各界著名人に回答を求めるアンケート欄が普通にあり、光太郎のアンケート回答はこれまでに100篇超が見つかっています。最近も見つけ続けていますし、これからも見つかるでしょう。ただ、アンケートの場合、掲載誌の目次に回答者名が全て載って居らず「諸名家」などとなっている場合も少なくありませんで、なかなか大変です。

さて、やつかの森さんには、いずれ光太郎回答にあるような「中華料理風」や「所謂モツ」を使ったメニューも考案していただきたいものです(笑)。今回の「こうたろうカフェ」でも「鶏つくねの串焼き」が入っていましたが。

【折々のことば・光太郎】

われらの不安、われらの失望、われらの感激、われらの壮烈、われらの情熱、われらの肉感、彼は一切を訳出し、一切を表現した。詩人よりも善く、言葉によるよりも善く、形によつてだ。

光太郎訳 オクーヴ・ミルボー「アウギユスト ロダン」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

訳書『続ロダンの言葉』巻頭に置かれた評論の一節です。光太郎の目指した彫刻のありようも、こういうことだったのかもしれません。

10月12日(日)、13日(月)と、花巻市の土澤地区で開催された「土澤アートクラフトフェア」に、花巻で主に食を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが参加なさったそうです。
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この催しは基本、「アート」と「クラフト」の「フェア」で、それ系が約300店、それから来場の皆様や出店者の方々に販売するということでしょう、飲食系の出店が100店近く。なかなか大規模なイベントですね。

やつかの森さんは出店者名簿に名がありませんでしたが、おおむね月に一度「こうたろうカフェ」として出店されている「ワンデイシェフの大食堂」さん名義でワンデイさんのスタッフの方々共々ご参加、「こうたろう弁当」を販売されたとのこと。
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やつかの森さんの作られる料理はいつもそうですが、光太郎の日記などを元に、実際に光太郎が自分用に調理したメニューや、使った食材などを参考に現代風にアレンジされたものです。

昨秋の「土澤アートクラフトフェア」で、智恵子にちなむレモンケーキを配付なさった花巻南高校家庭クラブさん。今年もやつかの森さん、ワンデイシェフの大食堂さんのヘルプに入られたそうです。
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特筆すべきは、生徒さんたちがまとっているエプロン。大正時代の『婦人之友』に紹介され、彼女たちが復刻して下さった智恵子のエプロンをアレンジしたものです。

オリジナルは智恵子の実家である福島の長沼酒造で使われていた酒袋(酒を搾るのに使うもの)の再利用でしたが、それだとまず素材を入手するのが大変ですし、布地も硬く縫製が難しい(復刻の際にはミシンの針が折れたそうです)とのことで、現代の普通の生地を使っての制作。これなら量産がききますね。これはこれで売りに出せば売れるような気もします。

そんなこんなで、今後のますますの活動の発展に期待したいところです。

【折々のことば・光太郎】

――感情に種類のあるやうに美にも多くの種類があります。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

「美」のありようは、美術方面、造型芸術に限らないということでしょうか。当然、文学や音楽などにもそれぞれの「美」がありますし、人間が介在しない自然界にも「美」は溢れています。

昨夜、初回放映がありました。NHKさんの「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」。かなりのクオリティーに仕上がっていて、胸をなで下ろしました。
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番組では「15代ヘンゼル」役の瀬戸康史さんと、「魔法のかまど」キムラ緑子さん(声のみのご出演)による調理や試食と、取り上げる人物紹介Vとが半々。

Vの方は、パリ、二本松、九十九里浜、十和田湖など、光太郎智恵子ゆかりの地の映像がふんだんに使われていたのが良かったと思いました。さすがNHKさん、この手のストックはかなりあるようです。
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それらをバックに光太郎詩文もたくさん取り上げて下さいました。

花巻に関しては、ブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館さん)制作の美術映画2種類から、光太郎自身の姿。
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当方を出演させて下さり、語らせていただきました。
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その他、語ったエピソードや、このブログから採られた内容などもキムラさんのナレーションでという部分も。
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これは智恵子の親友だった作家・田村俊子の弟子にあたる上田静栄の回想に書かれている大正4年(1915)頃のエピソードです。

高村先生がアトリエの北のすみの水屋にたたれて、レモンの浮いた冷たい飲み物をつくつてみなにすすめられた。たけの高いハイカラなガラスのコツプで、散歩のあとなのでとても美味しく頂いた。(未定稿「美しき思ひ出の人びと」昭和34年=1959頃 『歌文集 こころの押花』昭和56年=1981所収)

また、光太郎最晩年の日記にも「午后山口村の田頭さん奥さんと難波田さん夫人とくる、レモンスカツシ風にソーダ水をつくりて進ずる」(昭和29年=1954 8月22日)という記述があります。

手許にある『智恵子抄』初版(昭和16年=1941)も、やはりNHKさんの「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」(平成27年=2015)などに続いて「出演」。
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スタジオでは、「魔法のかまど」キムラさんのレクチャーで、「15代ヘンゼル」瀬戸さんが調理。レモンコーヒーがメインでしたが、レモンクレープも。
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最後にヘンゼルが試飲・試食。
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普段のこの番組ですと、お二人の会話が掛け合い漫才のようで時に爆笑させられるのですが、今回は基本的に切ない話でしたので、お二人もしんみりという場面が多い印象でした。
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それでも随所に仏語を盛り込むなど、あくまで軽妙に。

オープニングとエンディングには、バックに米津玄師さんの「lemon」が流れました。
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放映終了後、X(旧ツィッター)でエゴサーチしたところ、そこに特化した書き込みも目立ちました(笑)。

さて、来週、再放送がありますし、NHKさんのサイト「NHK ONE」でも配信中です。

グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー(再)

NHK Eテレ 10月15日(水) 15:10~15:35

仕事や子育てに追われながらも、ほっと一息つく大切な時間。お菓子にまつわる数々の物語、そして思いがけない誕生のドラマを、15代ヘンゼル(瀬戸康史)と魔法のかまど(キムラ緑子)がお届けします。

「智恵子抄」で知られる、詩人で彫刻家の高村光太郎。レモンには留学したパリで味わったコーヒーと、妻智恵子の思い出がしみ込んでいた。ロダンにあこがれ留学したパリで出会ったレモンコーヒーには、目の覚めるような思い出があった。一方、最愛の智恵子との悲しい別れにまつわるのも、レモンの記憶だ。智恵子の命日10月5日には、レモンを供え続けたという、光太郎の生涯とレモンの記憶をレモンスイーツとともにひもとく。

出演者 【声】キムラ緑子【出演】瀬戸康史

当初予定ではNHK総合さんでも10月13日(月)に再放送のはずでしたが、そちらは無くなったようで、残念ですが。

ご覧になっていない方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

――芸術に於ける描形(デツサン)は文学に於ける文体のやうなものです。目に立つやうに、出しやばつたり、様子ぶつたりする文体は悪い。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

気をつけます(笑)。

昭和13年(1938)の今日、南品川ゼームス坂病院で、智恵子が光太郎の持参したレモンをがりりと噛んだことにちなみ、今日、10月5日は「レモンの日」です。

そういう日にこんな話題をお届けするのも心苦しいのですが……昨日の午後、X(旧ツィッター)上で「日本終了」がトレンド入りしていました。面白いことに、ある人々は「「日本終了」にならなくて良かった」と大喜びし、逆に「「日本終了」の始まりだ」と嘆く人々も居ます。同じワードがプラスマイナス両面で使われています。日本もアメリカのような分断社会に突入するのか、すでにそうなっているのか、というところですね。

こうした事態になることを憂慮してでしょうか、先週10月1日(水)の広島に本社を置く『中国新聞』さん一面コラム。光太郎の名がマクラに使われています。

天風録 値上げと上振れ

その飲み物は大正初めに米国からやってきた。早速、高村光太郎の詩に〈コカコオラ〉、芥川龍之介が門下の作家に宛てた手紙にも〈コカコラ〉で登場する。当時のインテリ層の間ではおしゃれな飲み物だったと察する▲「コカ・コーラ」を含む飲料や食品3千品目超がきょう値上げされる。500ミリリットル入りの他の清涼飲料水も相次ぎ価格が上昇する。自動販売機の表示には200円台がずらり並びそうだ▲今年1年間に見込まれる値上げ品目は2万以上に及ぶ。原材料費の高騰に加え、政府が旗振る賃上げ分の上乗せで物価上昇は長引く可能性がある▲物価高対策が大きな争点の自民党総裁選は終盤戦へ。各候補が減税や交付金などを打ち出せど、元手をどう工面するかの議論は乏しい。物価高による負担増が積み上がった税収の「上振れ」頼みでは何とも心もとない▲参院選大敗は税の使い道に恩恵を感じない国民が離れた結果でもある。なのに総裁選で目立つのは配信動画でヨイショ投稿を促す「ステマ問題」や、外国人を巡る「奈良のシカを蹴り上げる人がいる」発言。これらで支持の上振れを期待した面々に、自販機のボタンをすんなり押せぬ気持ちは分かるまい。

なるほどね、という感じですね。

コカコーラと光太郎に関してはこちら。
「昭和32年 コーラ本格上陸 みんな作って、みんないい」/「「乙女の像」制作 朗読劇で 劇団「エムズ・パーティ」16、17日十和田で上演」。
都内レポートその2 「ココだけ!コカ・コーラ社 60年の歴史展」。
『イチからつくる コーラ』。

神聖なレモンの日にこの件で終わるのも癪なので(笑)、もう一件。同じくドリンク系の話題で智恵子の故郷、福島二本松から。

智恵子生家/智恵子記念館に近い、安達ヶ原ふるさと村さんのX(旧ツィッター)投稿から。

【新商品のお知らせ】

大人気オリジナルプリント柄のドリップコーヒーに新柄が登場!

秋らしい『錦秋の安達太良山』や『菊人形』など二本松を満喫できるパッケージです❤

安達ヶ原ふるさと村 と道の駅安達上下線で販売中☺※「バッピーちゃん」はふるさと村限定

お土産や日々の癒し時間にぜひ!
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「大人気オリジナルプリント柄のドリップコーヒー」は、先月ご紹介した智恵子イラストを含む5種類のパッケージです。
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ちなみに他の画像も発見しまして、それぞれの柄の紙袋も別売りで出ていることが判明しました。
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これはますますゲットせねば、と思っております。

今回の追加分は、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山の写真を使ったものが含まれる他、菊人形イラストも智恵子のイメージに近い感じです。

高村智恵子レモン祭」期間中に一度行ってこようかなと思っております。皆様もぜひどうぞ。しかし、鬼婆の顔は誰かさんの顔に見えて仕方ありません(笑)。

最後にレモンの日ついでですが、明日、10月6日(月)、NHK テレさんで「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」の初回放映があります。ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

芸術こそ人間の最も崇高な使命です。世界を会得しようと力め又其を会得させようと力める思想のはたらきだからです。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

物価高による負担増で、芸術どころじゃないという人々も多いのが、この国の現状でもありますが……。

NHKさんで平成23年(2011)から放映されている「グレーテルのかまど」。そろそろ長寿番組ですね。
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10月6日(月)の放映では光太郎がメインで扱われます。

グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー

NHK Eテレ 2025年10月6日(月) 22:00~22:25
再放送 NHK総合 10月13日(月) 11:05~11:30  NHK Eテレ 10月15日(水) 15:10~15:35

仕事や子育てに追われながらも、ほっと一息つく大切な時間。お菓子にまつわる数々の物語、そして思いがけない誕生のドラマを、15代ヘンゼル(瀬戸康史)と魔法のかまど(キムラ緑子)がお届けします。

高村光太郎とレモンにまつわる芸術と愛の物語を、パリでの出来事を書いた「珈琲店より」や智恵子抄の詩などとともに紹介します。スタジオでは「珈琲店より」に出てくるレモンコーヒーのほか、番組オリジナルのレモンコーヒーに合うレモンスイーツなどを作ります。

出演者 【声】キムラ緑子【出演】瀬戸康史
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スタジオでの調理や試食などと、取り上げる人物等のVでの紹介が半々、Vの方で出演させていただきます。製作会社さんからお話があり、先月、撮影クルー総勢4名の皆さんが千葉の事務所兼自宅へロケにいらして下さいました。都心からそこそこ遠いところ、申し訳なく存じました。

「珈琲店(カフヱ)より」は、明治43年(1910)4月、雑誌『趣味』に発表されたエッセイで、前年まで留学で滞在していたパリでの出来事が振り返られています。「レモンコーヒー」という語は書かれていませんが、「好きなCAFÉ AMRICANのCITRONの香ひを賞しながら室を見廻した」の一節があり、「CITRON」は「カフェ・ド・シトロン」を指すと考えられます。アメリカンコーヒーにグレナデンシロップを入れ、レモンスライスを浮かべたものだそうで。

スタジオ部分で出演、調理を担当される瀬戸康史さんは、グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」のヘンゼル15代目という設定。キムラ緑子さんがグレーテルかと思いきやそうではなく、「魔法のかまど」。お声のみのご出演で、ヘンゼルにレシピを伝授する役どころです。お二人の軽妙な掛け合いには毎回笑わせていただいております。
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瀬戸さんは平成27年(2015)秋から翌春にかけての連続テレビ小説「あさが来た」で、智恵子の母校・日本女子大学校の創設者、成瀬仁蔵を演じられました。光太郎は同校の依頼で成瀬の胸像を制作しています。
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キムラさんは、平成27年(2015)までBS朝日さんで放映されていた5分間番組「いにしへ日和」のナレーションを務められていました。同番組では「#107 福島県・二本松市・智恵子の空」(平成26年=2014)、「#122 岩手県・花巻市・高村光太郎と大沢温泉」(同)の2回、光太郎智恵子に触れてくださいました。

レモンと言えば智恵子。今回の放映も10月5日の智恵子忌日「レモンの日」にちなんでのもの。そこで智恵子についても語らせていただき、手許にある詩集『智恵子抄』初版も撮影されました。ちなみにこの初版本、やはりNHKさんの歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」(平成27年=2015)などにも「出演」。持ち主よりも活躍しています(笑)。
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また、昨夜放映された予告編では、バックに米津玄師さんの「lemon」が流れていました。切ないメロディーが「レモン哀歌」の世界観にぴったりだと改めて感じました。

ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

又伝へるものは優美の事もあらうし、烈しい強さの事もあらうし、愛情的魅力の事もあらうし、制し難い激越の事もあらう。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

ロダンが彫刻について語った一節ですが、詩の世界にも言えることのような気がします。訳した光太郎もそう感じていたのではないでしょうか。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で、10月5日(日)の智恵子の忌日「レモンの日」に行われるイベントです。

第2回 レモンの日イベント

期 日 : 2025年10月5日(日)
会 場 : 田舎labo 岩手県花巻市湯口字蟹沢13−1
時 間 : 11:00~16:00
料 金 : 無料

10月5日〈レモンの日〉にちなんで開催 レモンいっぱい、お楽しみに!
花巻ゆかりの彫刻家で詩人・高村光太郎氏の“レモン哀歌”にちなんで制定された、特別なレモンの記念日です。いろんなジャンルの飲食店が、いちおしのレモンメニューを持って集まります。レモン尽くしの爽やかな1日をぜひお楽しみください🍋

出店者一覧
 焼き菓子工房シャノアール (レモンビスケット・レモンケーキ他)
 バックシュトゥーべ (檸檬トルテ)
 うずら森のこよみ (レモンカード)
 志たあめや (レモンたぬきさん)
 んだばシトラス (レモネード・レモンジンジャートニック)
 スイーツ工房ヘンゼル2 (蜂蜜レモンタルト・レモンヨーグルトシフォンケーキ他)
 Cocoon BAKE (レモンパイ)
 ぱん☆d'argileさんの『デリバリーひよこ隊レモンバージョン』を数量限定販売します!
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花巻と、附近の自治体さんにある複数のお店によるレモン系スイーツの饗宴です。

昨年
から開催が始まり、2回目の実施です。昨年は告知に気づくのが遅れ、当日になってあわててご紹介しましたが、今年は早めに(笑)。個人的には「レモンたぬきさん」が気にかかります(笑)。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

散歩する度び散歩は私にとつていつでも新らしい驚嘆です。都会で疲れた後などは、広大な恢復期の中に浸つてゐる様です。一切のものが悦楽です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

光太郎もそうでしたが、ロダンにも田舎志向があったようで……。

紹介すべき事項が山積しておりまして、4件まとめて。キーワードは「グルメ」です。

まず毎月ご紹介しています、光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの活動。花巻市のワンデイシェフの大食堂さんで、ランチタイムにやつかの森さんが調理されて饗される「こうたろうカフェ」。先月29日の分をまだご紹介していませんでした。
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「ハーブのパリパリグリルチキン」「焼き茄子の香味たれ」「オクラと卵の寒天寄せ」「じゃが芋とトマトのバター煮」「サーモンサラダ」「季節の漬物」「ご飯」「モロヘイヤのスープ」「スフレフロマージュ」「コーヒー」。

ワンデイシェフの大食堂さんは、キッチンを貸し出し、日替わりで個人や団体が調理を担当し、ランチを出すというシステム。やつかの森さんは光太郎の日記等を元に、光太郎が調理したメニュー、使った食材などを参考にされています。今月はやつかの森さんとしてはお休みだそうです。

やつかの森さんによる同様のメニューの組み方で、毎月15日に道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」9月15日(月)分。
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こちらは「南瓜コロッケ」「鮭の塩焼き」「豚肉と茸のソテー」「卵焼き」「栗ご飯」「おはぎ」「漬物」「ぶどう」。秋の味覚がたっぷりですね。

同じくグルメ系ということで、智恵子の故郷・福島二本松でも。

二本松市内の旧安達町区域の給食のメニューが同一で、年に数回、各学校さんからのメニューの考案を元に組まれ、そのうちの一つが智恵子の母校・油井小学校さんによる「ほんとの空給食」で、以前にも何度かご紹介しました。で、9月16日(火)がそれだったそうです。
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油井小さんのサイトによれば「給食委員会が選んだメニューを、給食センターで栄養バランスを考えて献立にしてくださいました。わかめご飯、ワンタンスープ、鶏肉のからあげ、春雨サラダ、サワーゼリー、牛乳。どれも子どもたちの大好きなメニューです。もりもり食べる1年生教室と6年生教室にお邪魔しました。みんな笑顔で食べていました。」とのこと。

各校・各学級でなぜ「ほんとの空」のネーミングなのか、子供達に語っていただきたいところですね。

最後にやはり二本松から。地元紙『福島民友』さん、9月16日(火)の記事です。

高村智恵子や鬼婆イメージ!ドリップコーヒー 福島・二本松、パッケージ5種類

 道の駅安達を運営する福島県の二本松市振興公社は、同市出身の美術家高村智恵子や安達ケ原の鬼婆(おにばば)伝説をイメージしたドリップコーヒーを販売している。
 智恵子と折り鶴、花をあしらったものや「ROUTE4 ADACHI」の文字、オニババと出刃包丁のイラストなどパッケージは計5種類。飲みやすいブレンドコーヒーでお土産に人気という。
 1個230円、3個は650円、5個は1000円で販売中。5個がピッタリ入る6種類の特製紙袋(各100円)も用意している。道の駅安達上下線のほか、オニババ3種は安達ケ原ふるさと村で購入できる。
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「鬼婆」は智恵子生家と同じ旧安達町内の観世寺さんに伝わる鬼婆伝説に基づきます。なぜコーヒーなんだ?と突っ込みたくなりますが(笑)。

鬼婆はともかく、智恵子コーヒーは次に二本松に行った際にゲットしようと思っております。

「食」は生命を支える基本。それを通して光太郎智恵子に触れることも大切ですね(無理くりのまとめですが(笑))。

【折々のことば・光太郎】

――恋愛こそ生命の花です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

「恋多き」人だったロダンにとっては「食」よりも「恋」だったようです。

花巻ネタが続きまして、本日もです。

毎月15日に
道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんが販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。メニュー考案をなさっているのは主に食を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんです。

今月分の画像がこちら。
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「牛かつ」、「鰹の南蛮漬け」、「かぼちゃの甘煮」、「茄子の揚げ浸し」、「きゅうりの佃煮」、「卵焼き」、「豆おこわ」、「白六穀ご飯」、「干し柿入り甘酒ゼリー」。

基本的には光太郎が自分で調理したメニューや、使った食材を参考に現代風にアレンジしたものです。

同様のメニュー考案の方法で、調理までやつかの森さんが担当し、市内東和町のワンデイシェフの大食堂さんでランチタイムに饗される「こうたろうカフェ」が、今月29日(金)です。「ハーブのパリパリグリルチキン」「焼き茄子の香味たれ」「オクラと卵の寒天寄せ」「じゃが芋とトマトのバター煮」「サーモンサラダ」「お漬物」「ご飯」「モロヘイヤスープ」「スフレフロマージュ」「コーヒー」だそうで。

ぜひ足をお運び、ご賞味下さい。

【折々のことば・光太郎】

何といふ良い友だらう、野菜の如きは! サラダにしろ、セロリにしろ、此等のものが何で「装飾用」植物よりも美しくないか。

光太郎訳ロダン「断片」より 大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

自然の造型美についての言ですが、実際に野菜類を自給するようになった戦後の光太郎、もしかするとかつて自分で翻訳したこのロダンの言葉を思い浮かべていたかもしれません。
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光太郎第二の故郷、岩手花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが、市内東和地区のワンデイシェフの大食堂さんで、光太郎の実際に作った献立、使った食材などを参考にされてメニューを考案、さらに調理も担当なさっているこうたろうカフェ。遅ればせながら7月31日(木)の分をご紹介します。
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メニュー的にはリーフレット掲載順に「紫蘇のスカッシュ」「アトランティックサーモンステーキ」「豚肉のキクラゲ卵炒め」「夏野菜のラタトゥイユ」「茄子とピーマンの素揚げ」「春雨の彩り酢の物」「しそ巻きご飯」「季節の漬物」「梅と柘榴の二色ゼリー」「コーヒー」。何だか以前より品目が多いような気がしました。夏バテ予防という観点からボリューミーにされたようです。ラタトゥイユあたりは光太郎、明治期にパリで食していたのではないかと思われます。

リーフレットには光太郎が作ったドジョウ汁の紹介が書かれていますが、さすがにそれは再現されていませんでした。

やつかの森さん、今年は毎月末に「こうたろうカフェ」を展開され、毎月15日には道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんが販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」のメニュー考案をなさっています。「光太郎ランチ」はもうすぐですね。

次回の「こうたろうカフェ」は8月29日(金)。メニューも既に予告されています。「ハーブのパリパリグリルチキン」「焼き茄子の香味たれ」「オクラと卵の寒天寄せ」「じゃが芋とトマトのバター煮」「サーモンサラダ」「お漬物」「ご飯」「モロヘイヤスープ」「スフレフロマージュ」「コーヒー」だそうで。

ぜひご堪能下さい。

【折々のことば・光太郎】

このごろいたみが少しつよいので閉口しています、


昭和31年(1956)3月1日 宮崎春子宛書簡より 光太郎74歳

確認出来ている限り、最後の自筆書簡から。宿痾の肺結核のため、もはや肺には健康な部分が残っていなかったとのことです。

昨日からまたまた花巻に来ております。ヴォイスパフォーマー・荒井真澄さんと箏曲奏者の元井美智子さんとのお二人がコラボなさる公演「花巻で響き合う 光太郎、賢治、声と箏」の名目上の主催者でして、そのためです。同時に現在、花巻高村光太郎記念館さんでは「高村光太郎花巻疎開80年企画展示事業 昔なつかし花巻駅」と「智恵子のエプロン復刻展示」が始まりましたし、特別展「中原綾子への手紙」も開催中、さらに花巻市博物館さんでは「令和7年度テーマ展 戦後80年 戦争と花巻」(こちらは昨日拝観しました)。
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それぞれ帰りましてから詳しくレポートいたしますが、山積している紹介すべき事項を少しでも片付けないといけませんので、花巻関連のネタを(先月も同じようなことがありましたが(笑))。

毎月15日、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんが販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。地元で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんで、光太郎の実際に作った献立、使った食材などを参考にされてメニューを考案なさっています。

1週間程経ってしまいましたが、今月分。
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献立は「豚肉と揚げじゃがいもの甘辛炒め」「揚げ鯖の甘酢だれ掛け」「なすの田楽」「茹でとうもろこし」「卵焼き」「胡麻ふかし」「しば漬けとおかかの俵握り」「きゅうりの漬物」「二色羊羹」。

個人的には「豚肉と揚げじゃがいもの甘辛炒め」をぜひいただきたいところです。「胡麻ふかし」は二枚目画像で言うと上の段の中央に鎮座する焦げ茶色のもの。餅米を使った岩手の郷土料理っぽいのですが、見た目の違うものが全国にあるようです。香ばしそうです。

やつかの森さんのもう一つの大きな活動として、花巻市東和町のワンデイシェフの大食堂さんでの「こうたろうカフェ」。やはり光太郎が自分で作った献立、使った食材などを参考にされて、実際に調理もやつかの森さんが担当されています。今年はおおむね月末に設定されているようで、次回が7月30日(水)。

予告されているメニューが「・アトランティックサーモンのステーキ」「豚肉とキクラゲの卵炒め」「茄子とピーマンの素揚げ」「春雨の彩り酢の物」「夏野菜のラタトゥイユ」「季節の漬け物」「ご飯」「麦わら色の冷たいスープ」「梅と柘榴の二色ゼリー」「コーヒー」だそうです。

梅雨も明け、猛暑の日々、夏バテ対策にはやはりきちんと食事を摂ることも大事ですね。

お近くの方(遠くの方も(笑))、ぜひどうぞ。

東北からグルメ系の話題を2件。

まず、智恵子の故郷・副島二本松から。智恵子のソウルマウンテン・安達太良山麓の岳温泉さん近くにある「チーズケーキ工房・カフェ風花」さん。2025夏限定メニューのテーマが「ほんとの空」だそうで。言わずもがなですが、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来ですね。
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”星降るレアチーズケーキ”は、青いゼリーをのせたレアチーズケーキに、ブルーベリーチーズケーキ味のアイスを添えた、キラキラしたあだたらの星空をイメージしたワンプレートだそうです。気になるお値段は¥900とのこと。8月下旬まで。

ちなみに同店、令和2年(2020)から「ほんとの空のクリームソーダ」(¥650)もメニューに入れられ、郡山市での物産展などでも販売されました。
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続いて毎月ご紹介している、光太郎第二の故郷・岩手花巻のワンデイシェフの大食堂さんでの「こうたろうカフェ」。記録を基に光太郎が実際に自作して食したメニューや、使った食材などを現代風にアレンジしたメニューが饗されるもので、主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの活動です。
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メニュー (2)
豚ももロース、新玉ねぎ、トマト、ピーマンの串カツがメインディッシュのようで。
串カツ、オムレツ、サラダ
調理風景の画像も送られてきました。
串さし作業
光太郎も殊の外愛した山菜ミズ。メンバーで岩手県の「食の匠(たくみ)」に認定された新渕和子さんのご自宅で採集されたとのこと。
ミズのお浸し
コチュジャンの甘辛いタレで和える、韓国の和え麺・ビビンククス。
ビビンククス
他にジャガイモ、トマト、チーズなど具だくさんのオムレツ、お新香なども。
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デザートはミルク寒天ブルーベリーソース。
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毎度のことながら、よくこれで1,000円と低価格に設定出来るものだと感心させられます。

二本松のカフェ風花さんの「ほんとの空」系、花巻の「こうたろうカフェ」、それぞれ末永く続いて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

新鮮なソバ粉、キナ粉を送つて下され、ありがたく存じます、お正月のいい御馳走になります、東京のソバにはソバの香がありません、


昭和29年(1954)12月30日 駿河哲夫宛書簡より 光太郎72歳

駿河哲夫は、光太郎が7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の山小屋の土地を提供してくれた駿河重次郎の子息です。

こうして昭和29年(1954)も暮れて行きました。

昨日から1泊2日の行程で、光太郎第二の故郷・岩手県花巻市に来ております。
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いつものように宿泊は大沢温泉さん。光太郎や宮沢賢治ゆかりの宿です。
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クローズドのイベントなので告知しませんでしたが、今日はこれから市のボランティアの方々に講演です。
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昨日は夕方に来花、旧太田村の花巻高村光太郎記念館さんと、光太郎が昭和20年(1945)から7年間の蟄居生活を送った山小屋(高村山荘)に足を運びました。
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そちらのレポートは帰りましてから。

しかし、取り上げるべき事項が山積しておりまして、花巻ネタを今日のこのタイミングで扱わせていただきます。

毎月15日、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんが販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。地元で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんで、光太郎の実際に作った献立、使った食材などを参考にされてメニューを考案なさっています。

今月分がこちら。
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「鮭の塩焼き」、「イカとアスパラのバター醤油炒め」、「ワラビの煮物」、「きゃら蕗」、「ミズときゅうりの漬物」、「ニラチャーハン」、「白六穀ご飯」、「紫芋の羊羹」だそうで。

やつかの森さんからのメールによれば、「ミズとキュウリの漬物・・・塩味の浅漬け、ミズの歯触りが心地よいです。きゃら蕗 ・・・ 蕗の香りがする甘辛でご飯が進みます。わらびの煮物・・・わらびは、ふんわり仕上がり、他の具材との相性もよく程よい味でした。」とのこと。ミズは光太郎が殊の外好んだ山菜です。

また、今月は販売日の15日が日曜だったため、普段(10個)より多めに出したそうですが、完売だったのではないでしょうか。

個人的には「ニラチャーハン」にそそられます(笑)。

さて、そういうわけで、これからべしゃくって参ります。

智恵子の故郷・二本松系の投稿が続いておりますので、今日も。正確には二本松ではなく福島市ですが、老舗菓子店さんが智恵子の名を冠した新商品を出されました。

ちえこのレモン

レモン果汁、レモンピール、ラムレーズン、蜂蜜を加え、香り爽やかに焼き上げたやさしい風味のスイーツです。

単 価 : 151円
販売元 : お菓子のそよか 本店 福島市西中央4丁目15-4
              パセオ店 
福島市万世町5-1 万世町ビル1F
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レモン風味プラス、外側のクッキー部分のシルエットがレモンの形なのですね。

10個入りの箱詰めもあるようです。そもそもそちらをパッケージデザインされた仙台のデザイン会社「enround」さんのサイトで発売を知りました。
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光太郎智恵子のシルエット、安達太良山?と阿武隈川などが配され、なかなか秀逸なデザインですね。

元々、智恵子生家/智恵子記念館さんに近い道の駅安達智恵子の里さんでは、「智恵子の里だよりレモンサブレ」、「れもんドーナッツ」などが販売されていますが、新たなラインナップは大歓迎です。
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ただ、「レモンサブレ」などは基本的に道の駅安達さんでの限定販売でして(オンラインもありますが)、高速道路のSAなどでは見かけません。

また、4月から先月にかけて智恵子生家/智恵子記念館さんで開催されていた「高村智恵子生誕祭」の中で、紙絵制作のワークショップをやられた道の駅安達智恵子の里さんのテナント・二本松和紙伝承館さんが限定企画でいろいろ販売なさいました。
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「限定」でなく、常に入手出来る状態であってほしいのですが……。

今回のお菓子のそよかさんも、ぜひ手広く販売をお願いしたいところです。

【折々のことば・光太郎】

鉄道便にてリンゴお送り下され、ありがたく落手いたしました、 数年前にお植ゑになつた苗が御丹精の甲斐あつてかくも立派なリンゴを実らせました事を考へ、小生までうれしく存じ上げました、


昭和28年(1953)12月14日 浅沼菊蔵宛書簡より 光太郎71歳

「レモン」ならぬリンゴがらみ。

浅沼は前年まで光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村山口地区の住民。おそらく、光太郎と交流のあった阿部博の指導でリンゴ栽培を始めたのでしょう。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で、主に「食」を通して光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが、記録を基に光太郎が実際に自作して食したメニューや、使った食材などを現代風にアレンジしたメニューを饗する「こうたろうカフェ」。花巻市東和町のワンデイシェフの大食堂さんで月に一回、開催されています。こちらは日替わりで様々な個人や団体にキッチンを貸し出し、ランチを販売というスタイルのレストランです。

5月分が一昨日でした。
5月ワンデイ
5月ワンデイシェフ
鶏ももスティック天、人参シリシリ、イブりガッコクリームチーズオリーブオイルかけ。
鶏ももスティック天・人参シリシリ・イブりガッコクリームチーズオリーブオイルかけ
葉わさび奴、蕨のお浸し、サクの煮物、新玉ねぎシーフードサラダ。
葉わさび奴・蕨のお浸し・サクの煮物・新玉ねぎシーフードサラダ
筍ご飯、トマトと卵のジンジャースープ。
筍ご飯・トマトと卵のジンジャースープ
食べられる花ナスタチウムとレタス。
食べられる花ナスタチウム・レタス
別腹で(笑)ヨモギ餅粒あんのせ、コーヒー。
ヨモギ餅粒あんのせ
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いつも書いていますが、首都圏ではあり得ない1,000円というお手頃価格です。季節的に山菜系を素材としたメニューが多く、実にヘルシーな感じですね。山菜の採取もやつかの森さんがご自分たちで行ったそうです。

次回は6月27日(金)だそうで、今年度はほぼ毎月末に取り組まれるようです。光太郎も自分で採取し、好んで食材に使った山菜「ミズ」をつかわれるとのこと。

末永く続いてほしい取り組みです。

【折々のことば・光太郎】

鋳金像はやつと工場で出来上り、あと十日間位で十和田休屋といふ所の湖畔にたち、廿一日に除幕式、小生も十九日には出かけて列席、


昭和28年(1953)10月8日 西山勇太郎宛書簡より 光太郎71歳

「鋳金像」は生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。鋳金家・伊藤忠雄の都内の工房でブロンズに鋳造され、十和田湖に運ばれました。
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光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの取り組みを2件。ともに記録を基に光太郎が実際に自作して食したメニューや、使った食材などを現代風にアレンジしたりしています。

まず先月末の4月30日(水)、花巻市東和地区の「ワンデイシェフの大食堂」さんでの「こうたろうカフェ」。日替わりで様々な個人や団体にキッチンを貸し出し、ランチを販売というスタイルのレストランです。やつかの森さんも月に一度出店されています。
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メインディッシュが「ミートローフ&ポテトサラダ」。
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サイドメニューで「ほうれん草のわさび醤油和え」「卵焼き」「ひろっこのチヂミ」。
ほうれん草わさび醤油和え、卵焼き、ヒロッコのチヂミ
「ひろっこ」は葱の仲間の「アサツキ」という野菜の新芽だそうで。香ばしそうですね。

同じく「すき昆布煮」、「キャベツ塩漬、二十日大根、ヤーコン、キュウリ古漬」。
キャベツ塩漬、二十日大根、ヤーコン、キュウリ古漬
さらにご飯と「アスパラスープ」が付いて、デザート的に「黒豆ゼリーの胡桃かけ」とコーヒー。
黒豆ゼリー胡桃かけ
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これで1,000円ですから、もうけはほとんど無いのでは、と思われます。都心などでは考えられませんね。

今月も月末で、5月30日(金)に出店なさるそうです。その際のメニューは……
 ・鶏ももスティック天  ・山菜盛り合わせ
 ・葉わさびやっこ    ・新玉ねぎのシーフードサラダ
 ・キャロットラペ    ・お漬物
 ・筍ご飯        ・トマトスープ
 ・ヨモギ餅       ・珈琲
と、予告されています。

同じくやつかの森さんがメニュー考案に当たられている、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、毎月15日に限定販売されているテイクアウトの豪華弁当・光太郎ランチ

今月分がこちら。
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こちらのメニューは「サバの塩焼き」、「豚肉の春キャベツ炒め」、「わらびのおひたし」、「山菜の酢味噌かけ」、「卵焼き」、「筍ご飯」、「古代米入りご飯」、「うぐいす餅」。季節的に山菜系が旬を迎え、非常にヘルシーな感じですね。「うぐいす餅」は別腹でしょうか(笑)。

「食」を通して偉人の実像に迫るのも、一つのアプローチ。両取り組み、今後とも人気を博すことを祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

山口は今頃さぞよいだらうと想像してゐます、東京では八百屋の青物がふるくてまづいです。とり立てのニラをくふ事も出来ません。


昭和28年(1953)5月17日 浅沼政規宛書簡より 光太郎71歳

浅沼政規は、光太郎が前年まで7年間の蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校長。

終戦直後の混乱は解消されたものの、まだまだ流通の事情はよくなかったはずで、都内では新鮮な野菜など、なかなか手に入らなかったようです。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの取り組みです。

まずは道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、毎月15日に限定販売されている豪華弁当・光太郎ランチ。実際に光太郎が調理した献立や使った食材を参考に、メニュー考案にあたられているのがやつかの森LLCさんです。
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今月分のメニューは「ホッケの塩焼き」「豚肉のすき焼き風煮」「切り干し大根の煮物」「じゃがいもとコーンのバター炒め」「蕗味噌」「卵焼き」「おにぎり」「筍ご飯」「よもぎ入り白玉団子」。

白玉にヨモギを入れたのは「なるほど」という感じでした。また、「ホッケの塩焼き」。光太郎は肉が大好物でしたが、昭和27年(1952)に生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再上京して入った中野のアトリエで、大家の中西夫人に頼んだ買い物メモなどにもホッケやブリなどの切り身を依頼する内容が残っています。

同じくやつかの森さんが、こちらは調理まで担当されている花巻市東和地区の
ワンデイシェフの大食堂」さんでの月に一度の「こうたろうカフェ」。連翹忌の集いを開催する間際でバタバタしており紹介出来ませんでしたが、今年初の出店だったという先月分は3月25日(火)だったそうです。

右下画像、智恵子の故郷・二本松市の智恵子の生家/智恵子記念館さんで開催される高村智恵子生誕祭 の一環としての、共に当会プロデュースによる、コンサート「音楽と朗読『智恵子抄』~愛はここから生まれた」(4月27日(日))、花卷南高校家庭クラブさんのお手を煩わせた「智恵子のエプロン」復刻展示のフライヤーを貼って下さっていて恐縮いたしました。
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こちらのメニューは「鶏むねローストのなぞソース」「たまご巾着」「バッケ風味のピザ」「春ワカメの3色和え」「イカ風味大根」「生麩のすまし汁」「きざみのせご飯」「お新香」「干柿のミルフィーユ」「コーヒー」。これで1,000円は首都圏だと考えられない価格ですね。ちなみに道の駅の「光太郎ランチ」も800円だか900円だかのお手頃価格です。

「なぞソース」はタマネギ、ニンジンがベースとなっているとのこと。「バッケ」はふきのとう。すまし汁に使われているお椀はメンバーの方のお宅に代々伝えられている塗り物だそうで、なるほど、こういうところにも工夫がされているのかと感心いたしました。

今月分は30日(水)に出店だそうです。既に30人ほどの予約が入っているとのこと。しかし、このブログが若干ネタ切れ気味でして(笑)、また日を改めましてご紹介いたします。
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【折々のことば・光太郎】

東京の空気は悪いですが、健康はまづ大丈夫らしく、このアトリエで自炊を始めました、

昭和27年(1952)10月29日 
宮沢清六宛書簡より 光太郎70歳

再上京後、外食や寿司の出前を取ることも増えましたが、基本的には自炊でした。

7年間暮らした花巻郊外旧太田村とは異なり、少し歩けば桃園町の商店街で、一通りの買い物は出来ました。そこで
七輪なども入手していました。

足腰が弱り、外出がほぼ不可能になっても先述の通り、大家の中西夫人や家政婦さんに頼んで食材を買ってきてもらい、調理は自分でという生活が最晩年まで続きます。

グルメ系を3件、ご紹介します。

まず、智恵子の故郷・福島県二本松市から学校給食の話題。

3月4日(火)の給食が「油井小の「ほんとの空給食」」だったそうでした。おそらく、ですが二本松市内旧安達町区域の給食のメニューが同一で、時折、各学校さんからメニューの考案なりリクエストなりが上がってきて、そのうちの一つが「ほんとの空給食」なのだと思われます。以前にも油井小学校さん、同じく旧安達町の川崎小学校さんによる「ほんとの空給食」をご紹介しました。
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献立は「黒パン」、「コーンポタージュ」、「りっちゃんサラダ」、「ハンバーグ」、「牛乳」。「りっちゃんサラダ」って何だ? と思い、調べたところ、「小学1年生の国語で学習する「サラダでげんき」という教材文に出てくるサラダ」だとのこと。

「サラダでげんき」は、角野栄子さんのご執筆。病気のお母さんに元気を出してもらおうと、主人公の「りっちゃん」が動物たちの力を借りてサラダを作る、というお話だそうです。
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犬猫雀はともかく、シロクマやアフリカ象(笑)。夢のあるお話ですね。

ちなみに油井小学校さんのこの日の給食時、「お昼の放送ではいつものように、給食委員会が献立の紹介をして、放送委員会が楽しいクイズを出して終わりました。が、その後6年生が電波ジャック。「1年生から5年生のみなさん、6年生を送る会ありがとう。とっても楽しかった。5年生の鼓笛もすばらしかった。」と6年生を送る会への感謝と、新鼓笛隊へエールを送ってくれました。先生には断っていなかったそうですが、言わずにはいられない「思い」があったようでした。心を動かされた6年生の、心温まる放送に、全校生がほっこりしました。」だそうで。不覚にもうるっと来てしまいました(笑)。
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続いて、光太郎第二の故郷、岩手花巻から。

毎月ご紹介していますが、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、毎月15日に限定販売されている豪華弁当・光太郎ランチ。メニュー考案にあたられているやつかの森LLCさんから今月分の画像をいただきました。
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こちらは光太郎が実際に作った料理や使った食材などを参考にしています。

今月分は「鮭の塩焼き」、「豚肉の味噌焼き」、「いかと大根の煮物」、「ほうれん草のおひたし」、「塩麹入り卵焼き」、「炒飯」、「黒千石ご飯」、「紫芋の甘煮」、「みかん」、「漬物」。彩り的にも素晴らしいと思いました。

やつかの森さん、花巻市東和地区の「ワンデイシェフの大食堂」さんでは、月に一度「こうたろうカフェ」として出店なさっています。厳冬期にはお休みされていますが、今月から復活。次回が3月25日(火)だそうで、メニューは「鶏むねのロースト~なぞソース~」、「たまご巾着」、「バッケ味噌のピザ」「イカ風味大根」、「春わかめの三色和え」、「お新香」、「きざみのせご飯」、「生麩のすまし汁」、「干柿のミルフィーユ」、「コーヒー」。「なぞソース」って何だ? ですが(笑)。

「バッケ」はふきのとう。ピザに使うか? という感じですが、意外と合うかもしれません。干柿を使ったミルフィーユというのも面白そうですね。

「ほんとの空給食」、「光太郎ランチ」、「こうたろうカフェ」、それぞれ末永く続いてほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

小包二個到着、季節のさきがけ筍をいただき、又毛皮も拝受しました。筍は早速調理しましたが此辺にない孟宗竹なので珍らしく美味にいただきました。

昭和27年(1952)4月14日 野末亀治宛書簡より 光太郎70歳

花巻郊外旧太田村の山小屋、全国の支援者が土地のものを送ってくれるので、変化に富んだ食卓でした。野末は静岡浜松在住でした。

本日、3月9日号が発売ですので先週号の扱いになってしまいますが、雑誌『サンデー毎日』さんの3月2日号。光太郎の父・光雲の名が。

『サンデー毎日』が見た昭和100年」という連載の第3回で、サブタイトルが「1928(昭和3)年 97年前、本誌が取材した「私の健康長寿法」 渋沢栄一、東郷平八郎、高村光雲、高橋是清、下田歌子…」。同誌の昭和3年(1928)2月5日号に載った「私の健康長寿法」という記事が元ネタです。

「シリーズには経済人や政治家、軍人など各界の約20人が登場する」というわけで、当時の各界著名人の体験談等から、光雲や渋沢栄一、東郷平八郎などの「健康法」を抜粋紹介しています。
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光雲に関しては「45~46歳で禁酒。パン食(1食にパン2切れと牛乳1合、有り合わせの惣菜少量)の実行。一度も人といさかいをしたことがない」。
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「あれっ? これ、読んだぞ、っていうか、「あれ」じゃん」。「あれ」というのは、当会で機関誌的に年二回発行している冊子『光太郎資料』の第58集(令和4年=2022)に載せた光雲談話「たゞ仕事に没頭」。

当該部分は以下の通り。

 暴飲暴食から反省
 若い頃は、盛んに暴飲、暴食をした。殊に蕎麦が最も好物ではあつたが、一体に好き嫌いのない方で何でも人に負けぬくらゐ食べた。ちよつとしても鰻丼(うなぎどんぶり)の二杯位、天麩羅蕎麦で三四杯、もりならば五六杯はケロリとやつてのけた。
 酒も随分飲んだ。いくら飲んでも平気なのだから始末が悪い。
 斯様に無茶な暴飲暴食をやつてきた私が、しかし何等の障害も受けず、極めて健康にやつてこられたことは、全く親が無病に私を生んで呉れたからだ……と、有難く思はずにはゐられなかつた。が若い頃は兎も角として、だんだん年をとつてくるのに、さうべらぼうな大食や深酒などしてゐたんでは……と、だんだんそんな考へもおきてきた。と、ちようど友人に医者があつて、彼も特に酒は節(せつ)しろといつて呉れた。こゝで遂に、私は決心をした。しかし私の性分として、節酒なんてことは出来さうもない。否(いな)、盃を手にしたらもう駄目にきまつてゐる
――これはどうしても絶対の禁酒でなければならない。そこで私は完全に禁酒を断行した。四十五六の時である。以来、ずつとこの禁を破らずにゐる。

 肥満退治にパン食を
 また、六十の峠を越してから、私は無闇と肥満してきた。勿論、労働をする訳ではない私のことだから全くの脂肪(あぶら)太りといふべきで、只もうブヨブヨと重たくなるばかり、身体(からだ)を屈することはもとより、歩くにもだんだん困難を感じるやうになつて、ほとほとわが身の肥満が荷厄介になつてきた。こりや何とかせずばなるまい! と思はれてきた。
 で、いろいろと薬も飲んでみた、が何の效果もない。さて胃を損じたのか? 或は癌でも出来たのぢやあるまいか? と思はれるやうになつた。時々はシクシクと痛みさへするのである。考へざるを得ない。
 何か一ツ自分で適当な方法を講じねばならない、と決心した。
 ふと気になり出したのは米食である――年をとつてから三度々々の米の飯はむしろ過ぎやしないか? といふことだつた。思ひ立つと矢も楯もたまらぬ性分の私は、かうして米飯をぷツつり止(や)めて、パン食とした。それも一日に僅(わずか)半斤――半斤のパンのあたまをはねて六ツに截(き)りその恰度切餅大のものを一食にたつた二きれと牛乳を一合、それに何でも有合せの惣菜少量――といふのを、常食とすることにきめた。
 この食事は最初頗る物足らなく、また変梃(へんてこ)であるに違ひなかつたが、私は忍び忍んで一年余りを続けてやめなかつた で、その結果は? といへば、果して良好だつた。――体量は一躍二貫三四百も減つて了ひ、身体(からだ)の調子は極めて楽になつてきた。どうも脂肪のため圧迫され勝ちに思はれて不快だつた心臓の調子も、めつきりよくなつてきた。
 私は大いに喜んだ。全く少量なパン食の結果に外ならなかつたのだ。それから以来、私はずつとパン食を続けて今日におよんでゐる。
 最初十八貫もあつた私の体重は(身長は小粒の方だから)その後ずつと減つて、今では先づ十五貫位である。かうして気分はいつも晴々(はればれ)とするやうになつた。物事をおつくうに思ふやうになこともすつかりなくなつてしまつた。今では却つて人手などをわづらわすことは面倒になつてきた。外をあるくにしてもつツつツと平気で歩いてのける。元気は正に百倍するといつた良結果を来(きた)したのである。

 精神に無理をせぬこと
 が、長命の秘訣は決して食物のみにあるものぢやない、と私は思ふ。勿論、人の性質は百人百様であるからさう一概にもいへまいが、つまらぬことに屈託しないといふのが何としても一ばん肝要な点だらうと思ふ。全て物事は自然に、無理をせずに、うちわうちわにと心がけ、いつも心を安く持ちつゞけることが、必要だらうと考へる。 いつてみれば、経済のことにしても、矢鱈もがき廻つて沢山もうけ、そしてまた矢鱈とつかふ――そんなことも結局はつまらぬ事ではあるまいか? それよりも、足るだけあれば……それでもういゝではないか! 何も無理に、もがきあせる要はあるまい。何事にも足ることを知る生活、無理をせぬ生活、それが一ばん健康には好もしいと思つてゐる。
 私は至つて呑気な性分である。物にかまはぬ性質である。だから、人に対する義理などは当然忘れないやうにするが、よくあるやうに人の言動などに一々気を懸けるやうなことは一切したことがない。要するにつまらないことだ。で、勢ひ、私は生れてこの方、いまだ一ぺんとして人といさかひをしたやうなことはない、たゞ、こつちがこらへてさへゐれば、何事もなだらかに流れ去つて了ふのだ。つまり激情を発せぬやうにすることが又大きな長寿法の一つであると考へる。

引用元は『サンデー毎日』ではなく、昭和3年(1928)11月8日、文海書院発行、田中正雄著『回春長寿 生の喜び』です。同書は長寿を実現するための健康法等の紹介が中心ですが、巻末附録「不老長寿実験談」に、この時点で古稀を過ぎていた各界著名人の体験談等が掲載されています。光雲(数え77歳)以外には、東郷平八郎(同81歳)、渋沢栄一(同89歳)、高橋是清(同75歳)、下田歌子(同75歳)ら13名でした。
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この部分は同年の『サンデー毎日』に載ったものの再録だったのでしょう。

それにしても、光雲といえばコッテコテの江戸っ子ですので、「パン食」というのには意表を突かれました。また、江戸っ子ときたら喧嘩っ早いものですが「いまだ一ぺんとして人といさかひをしたやうなことはない」。これも実に意外でした。当方、江戸っ子ではありませんが喧嘩っ早いので(笑)。

で、光雲、亡くなったのは昭和9年(1934)、数え83歳の時でした。結局は胃ガンでしたが、現代の平均寿命を上回っていますし、当時としては確かに「長寿」の部類に入りました。数え74で歿した息子の光太郎、この点でも父を超えられなかったことになりますね。

長生きすればいいというものでもありません(政界などには「老害」をまき散らすばかりの迷惑な輩の何と多いことか)が、渋沢翁曰く「責任のある職務に従事して、そのために否応なしに肉体を動かさねばならぬ様に、自ら仕向けねばならぬ」「この体の続く限りは活動を継続する覚悟である」。なるほど、ですね。

【折々のことば・光太郎】

おハガキにある小生の古稀といふやうな事は一切おやめ下さい。還暦の古稀の喜の字のといふうるさい風習は小生好みません。 七十歳を古稀とは今日滑稽です。

昭和27年(1952)1月24日 宮崎稔宛書簡より 光太郎70歳

「古稀」の語の由来は唐代の杜甫の詩にある「人生七十、古来稀なり」。たしかに戦後のこの時期ともなるとあてはまりませんね。

毎月15日、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん内のミレットキッチンフラワーさんから販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」の今月分、メニュー考案等に当たられているやつかの森LLCさんから画像が届きました。
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今月のメニューは「ぶりの照り焼き」「肉じゃが」「ハムサンド」「ちらし寿司」「キャベツとベーコンのサラダ」「煮豆」「りんごゼリーと干し柿」。まだまだ寒い日が続きますが、彩り的に春を感じさせるようなビジュアルですね。

毎回、戦後7年間の花巻郊外旧太田村での蟄居生活中、実際に光太郎が作ったり、人から貰ったりした料理、それらに使われていた食材などを参考に組み立てられています。

メニュー考案に当たられているやつかの森LLCさん、今日は花巻市内で光太郎がらみの出前講座講師だそうです。また、おそらく来月から、市内東和地区のワンデイシェフの大食堂さんでランチをふるまうこうたろうカフェも再開されるようです。

今後ともますますのご活躍を祈念いたしております。

【折々のことば・光太郎】

珍らしいクルミを久しぶりに見てうれしくなりました、ロンドンに居た人は皆知つてゐるでせうが、クリスマス前夜に、ミツスルツウ(やどり木)の枝の下で、此のクルミをクラツカアで割つてたべる家族的たのしさは格別のものです、むろんデコレーシヨン ケーキにも此のクルミを入れます、今年の廿四日夜は山でもたのしいです、


昭和26年(1951)12月11日 照井登久子宛書簡より 光太郎69歳

光太郎、実際にもらったクルミを使ったケーキを自作しました。生地やクリームなどもなんとかしたのでしょう。しかし、食べかけのケーキを山小屋内に置いていたところ、寝ている間にキツネかタヌキか野犬かに食べられてしまったそうです(笑)。

昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が半年余り療養生活を送った千葉県旧豊海村(現・九十九里町)でのイベント情報です。

先着2025名様限定「ごはんにかける黒アヒージョ」「九十九里のだし」をプレゼント!「九十九里パスポート」スタンプラリー開催のお知らせ

開催期間 : 2025年1月17日(金)~2月28日(金)
商品交換 : 九十九里のだし(1月~2月) 黒アヒージョ 九十九里オリジナル(2月限定)
       数量限定のため、期間中であっても商品がなくなり次第終了となります。

 九十九里限定バージョンの町内特産のいわしを使った「ごはんにかける黒アヒージョ」と「九十九里のだし」を先着2025名様限定でプレゼントするスタンプラリー「九十九里パスポート」が開催されます。
 九十九里町を訪れてポイントを貯めるだけで、九十九里の魅力を詰め込んだ商品が手に入ります。
 ごはんにかける黒アヒージョは、千葉県産の鰹だしに、千葉県産のこだわり素材(鰹、白子玉ねぎ、落花生、マッシュルーム、山武の海の塩、燻製醤油)とニンニク、オリーブオイル、九十九里のいわしをプラスした、まさに千葉県素材オールスターで作った逸品です。ご飯だけではなく、パスタやバケットにもひったりです。
 だしは、九十九里特産のいわしと千葉県産かつおを使用し、塩には山武の海の塩を使い、卵かけご飯、鍋の締めの雑炊、そばつゆ、おでん、お雑煮などにも最高の美味しさを楽しめる逸品となっております。
 この機会にぜひ九十九里町へ足を運んでください!
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ポイントの貯め方
 まず、九十九里パスポート登録ページにアクセスして登録します。(登録無料)

 登録したら、九十九里パスポートマイページにログインした状態で、スタンプラリーの各スポットを訪れるか、町内の飲食店や施設に設置してある、QRコードを読み込みます。
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【ポイント獲得できる店舗・施設の一覧】 https://app.valmeets.com/store-list

スタンプラリーの参加方法
 各スポットのおおよそ300m以内に近づいたら、スタンプラリーアプリを起動し、「入手する」ボタンを押してください。注意:クリア済みのスポットは再度クリアすることはできません。

スタンプラリーのスポット一覧
 https://app.valmeets.com/stamp-rally/stamp-rally001
 ■伊能忠敬記念公園 千葉県山武郡九十九里町小関2689
 ■宮島池親水公園   千葉県山武郡九十九里町田中荒生414-1
 ■九十九里ふるさと自然公園センター(片貝海水浴場内)
 ■いわし資料館(海の駅九十九里内)
 ■智恵子抄詩碑(高村光太郎) サンライズ九十九里近く
 ■九十九里ビーチタワー(不動堂海水浴場内)
 ■九十九里町観光オブジェ(片貝海水浴場内)

九十九里パスポートの運営について
 九十九里パスポート運営委員会は、「九十九里パスポート」を通じて、地域の魅力を広く発信し、観光振興と地域活性化を目指すために結成された団体です。
 本委員会は、バルスタック株式会社(代表企業)、ちばぎん商店株式会社、近畿日本ツーリスト、および九十九里町による連携体で構成されています。

九十九里パスポート事業の詳細およびクラウドファンディングについて
 期間中に九十九里町に来られない方も、クラウドファンディングでご支援いただくことでご自宅で、「黒アヒージョ」「九十九里のだし」が楽しむことができます。ぜひご支援よろしくお願いします。
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※携帯で見る場合、「+もっと見る」ボタンを押してください

光太郎詩「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)詩碑もスポットとして登録されています。
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ぜひ足をお運びの上、賞品をゲットして下さい。抽選でなく先着順だそうですので。

【折々のことば・光太郎】

012智恵子遺作紙絵展会場の写真四葉、記事掲載の東京夕刊新聞二葉送り下され、忝く存じました。おかげで会場の模様等分かりました。今度の展覧会では小生まるで役に立たず、在京の諸賢の厄介になりました事まことにありがたく感謝して居ります。

昭和26年(1951)6月9日 河鍋東策宛書簡より
 光太郎69歳

東北では複数回行われていた智恵子の紙絵展、銀座の資生堂画廊にて都内で初の開催となりました。それまで「切抜絵」などと称されていた智恵子の作品を、光太郎の意志で「紙絵」と呼ぶことになった初めての機会でした。

道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん内のミレットキッチンフラワーさんで、毎月15日に販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」、メニュー考案等に当たられているやつかの森LLCさんから今年初めての分の画像が届きました。
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献立は「ポークビーンズ」「鱒の塩焼き」「根菜のきんぴら」「切干大根と干柿の酢の物」「塩麹入り卵焼き」「蕎麦粉クレープ」「古代米ご飯」「煮りんごの甘酒ゼリー」「漬物」。

光太郎の日記などから、光太郎が作ったメニューや使った食材を参考に、現代風のアレンジが施されています。

「古代米」は古代から栽培されてきた稲の品種の特徴を継承しているといわれるもので、光太郎が暮らした旧太田村の隠れた特産品のようです。妻がこの手のものが好きで、当方、道の駅はなまき西南さんなどでよく買って帰ります。白米に混ぜて炊きますが、もち米だけあってボリューミー、腹持ちもいいようです。
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販売元は旧太田村のプロ農夢花巻さん。調べたところ、オンラインショップもありました。ぜひお試し下さい。

【折々のことば・光太郎】

先日来訪の土門拳氏に委托された滋養食品落手、ありがたく存じました、めづらしいブーダンなどをこの山の中で賞味出来るのを不思議なくらゐに思ひます、幾年ぶりのことか分りません。

昭和26年(1951)5月29日 高見順宛書簡より 光太郎69歳

ブーダン」は豚の血と脂によるフランスのソーセージの一種。この年5月21日の日記には次の記述があります。「ひる頃 土門拳来訪、助手二人同道、(略)写真撮影。三時頃辞去。元気なり。高見順に托された肉類を持参。茶ももらふ。 夕食炒飯みかん。高見氏よりのブーダンでつくる。

高見順は詩人。前年には光太郎題字揮毫による詩集『樹木派』を上梓したり、昭和30年(1955)に光太郎と行った対談「わが生涯」が雑誌『文芸』に掲載されたりしました。タレントの高見恭子さんはご息女です。

過日ご紹介した平野レミさんといい、渡辺えりさんといい、お父さまが光太郎と交流があったという芸能人の方、少なからずいらっしゃいますね。







毎月15日、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。地元で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが、光太郎の実際に作ったメニュー、使った食材などを参考にされてメニューを考案なさっています。

昨日販売された今月分がこちら。
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献立は「鶏の唐揚げ」「イカと大根の煮物」「野菜炒め」「塩麹入り卵焼き」「大学芋」「チーズ入り蒸しパン」「白六穀ごはん」「みかん」。

唐揚げはクリスマス感を醸し出していますし、みかんも旬ですね。光太郎の大好物の一つでした。

さて、メニュー考案に当たられているやつかの森LLCさんのお一人、新渕和子さんがこのたび快挙を成し遂げられました。

地方紙『岩手日日』さん。

新たに5人 「食の匠」認定

 県は、郷土食の優れた技術を持ち、伝承する人を認定する2024年度「食の匠(たくみ)」として、新たに花巻市の新渕和子さん(73)ら5人を認定した。
 盛岡市内で11日、認定書の交付式が行われ、佐藤法之県農林水産部長から一人一人に認定書が手渡された。
 代表して新渕さんは「先人から受け継がれてきた食文化や豊かな農林水産物を生かしたふるさとの味を大事に思っている。岩手の素晴らしい食を若い世代へ伝承するとともに、地域内外に向けて発信し、地域活性化に尽力したい」と意欲を示した。
 認定制度は1996年度に始まり、今回を含めこれまでの認定数は306人・団体となった。
 新規認定者と認定料理は次の通り。(敬称略)
 ▽簗場五月(雫石町)=かまやき▽佐々木チヨ子(葛巻町)=凍みじゃがいももち▽新渕和子(花巻市)=ばくろう(香茸)おこわ▽加藤敏子(一関市)=凍み餅▽竹野牧子(宮古市)=ごぼう巻

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IAT岩手朝日テレビさん。

岩手の食文化を受け継ぐ 食の匠 新たに5人が認定

 岩手の食文化を長年受け継いできた「食の匠」に新たに5人が認定され、認定証が贈られました。
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 県は地域の食文化を受け継ぎ、発信を続ける人たちを毎年、食の匠として認定しています。
 今年は5人が選ばれ、認定証が贈られました。
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 宮古市の竹野牧子さんが作る「ごぼう巻き」は、甘辛く味付けされたゴボウとニンジンをシソの葉で巻いた漬物です。
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 花巻市の新渕和子さんが作る貴重な「ばくろう茸」を使用して作った「ばくろうおこわ」は正月などに振舞われるごちそうです。
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 県が認定する食の匠は283の個人と23の団体になりました。
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 今後イベントなどで料理の実演や指導を行う予定です。
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新渕さんは昨年、今年と連翹忌の集いにもご参加下さいまして、当方もお世話になっている方です。生前の光太郎をご存じで永らく語り部を務められた故・高橋愛子さんのご親戚の由。「ばくろうおこわ」の原材料の一つ、香茸もご自分で採集なさり、以前、ごっそりいただいたこともありました。当方はおこわではなく白米に混ぜた炊き込みご飯にしてみましたが、その名の通り香ばしく、その上なかなかに美味で、妻にも好評でした。

今後ともご活躍を祈念いたします。また、「食の匠」制度は団体での認定もあるようなので、やつかの森LLCさんとしてもオーソライズされてほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

昨日は花巻で豚肉を仕入れて来て、今日はスズメマヒコといふ茸と一緒に煮てくひました、この茸は楢の木に出る珍らしいもので中々美味です。丁度今は栗がさかんに屋根に落ち、たくさん拾ひます、栗飯も山の景物です、


昭和25年(1950)9月30日 澤田伊四郎宛書簡より 光太郎68歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村に自生する茸も、貴重な食材でした。ただ「スズメマヒコ」という茸はネットで調べても情報が出て来ません。方言でしょうか?

12月7日(土)の『東京新聞』さんから、中川越氏の連載。

文人たちの日々好日 コーヒー讃歌

 竹久夢二は最晩年の昭和9(1934)年49歳のとき、療養地の信州から人形作家岡山さだみ宛に次の手紙を書きました。
 「旅先(たびさ)きで食べたあれやこれや思出(おもいだ)してはその地方からよりよせています。ホノルルから次の船でコーヒーがつくでしょう。そしたら西洋菓子をほしい、コロンバンよりも私は尾張町の裏通りのドイツベイカリイ(或(あるい)はジヤアマンベイカリイ)の菓子がほしい」
 夢二はこの手紙の3年前、46歳のときにホノルルを経て渡米、1年余滞在した後に渡欧。思い出深い異国の香味コーヒーをわざわざ取り寄せ、病に塞(ふさ)ぐ心を癒(いや)したようです。
 また、支援者から贈られたコーヒーにより自身の孤独を温めたのは高村光太郎です。戦後岩手県の花巻で独居自炊の生活を始めた高村は、後輩詩人宮崎稔への手紙の中でこう述べました。東京を離れて2年が過ぎた同22(1947)年63歳のときのことでした。
 「昨日高崎の方の人からコーヒーの缶入(かんいり)とサッカリン錠といふものをもらいました。早速いれて久しぶりのカフェ ノワールを賞味しました。クラッカアの無いのだけが残念でした」
 サッカリン(合成甘味料)は入れず、カフェノワール(ブラックコーヒー)を味わいながら、亡き智恵子との生活を思い出していたのでしょう。

 そして、ドイツ留学中にその味に魅了された寺田寅彦にとってコーヒーは、科学者としてのインスピレーションを得るための不思議な装置となりました。「コーヒー哲学序説」という随筆で、こう述べています。
 「研究している仕事が行き詰まってしまってどうにもならないような時に、前記の意味でのコーヒーを飲む。コーヒー茶わんの縁がまさにくちびると相触れようとする瞬間にぱっと頭の中に一道の光が流れ込むような気がすると同時に、やすやすと解決の手掛かりを思いつくことがしばしばあるようである」
 そんな口唇とコーヒーとの意外な関係を別な趣向でイメージしたのは日本現代詩人会会長の郷原宏です。半世紀前青年郷原は「珈琲讃歌(コーヒーさんか)」と題する詩の中で、若い娘に告白しました。
 「暗い夜を逃れて/ふたたび、おまえにめぐり合う/このひとときの安息/おまえはいつも/容器のかたちに身を添わせながら/ひかえめに/しかし、きっぱりと/自己を主張する/白い花と赤い実から生まれた/黒い少女よ/お前に熱いくちづけをおくろう」
 初めてのキス、そしてほろ苦い失恋を彷彿(ほうふつ)とさせられます。以上は全て男たちのコーヒー讃歌。女性にとってコーヒーとは? どなたかいつか教えてください。
(手紙文化研究家・イラストも)
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当方も珈琲党で(別に豆は何々で焙煎の具合はどうこうでというようなこだわりは全くなく、インスタントだろうが缶コーヒーだろうがかまわないのですが(笑))、1日に5,6杯は軽く飲みますので、それぞれのコーヒー談義、あるあると思って読みました。

夢二の文章に出て来るコロンバンさん、当時からあったのですね。学生時代には毎年この時期、三越さんで配送のアルバイトをしていましたが、かなりの頻度でコロンバンさんやヨックモックさんの商品を扱いました(笑)。

筆者の中川氏、「手紙文化研究家」ということで、文豪たちの手紙に冠する御著書等多数おありです。

『すごい言い訳!―二股疑惑をかけられた龍之介、税を誤魔化そうとした漱石―』。
『愛の手紙の決めゼリフ 文豪はこうして心をつかんだ』。
新潮文庫『すごい言い訳!―漱石の冷や汗、太宰の大ウソ―』。

氏とはフェイスブックでつながらせていただいておりまして、過日は当方もスタッフとして詰めていた中野区のなかのZEROさんでの「中野を描いた画家たちのアトリエ展Ⅱ」にもいらして下さり、初めてお会いすることができました。

今後ともご健筆を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

おてがみがこんな山の中へまで来ました、小生の作つたものが若い人達の心に触れたといふお話をきくと不思議のやうにも思はれ、又大変はげまされます、おてがみに感謝します、この山にゐて小生死ぬまで詩や彫刻を作るつもりで居ります、
昭和25年(1950)9月9日 高橋光枝宛書簡より 光太郎68歳

令和元年(2019)、この書簡は受け取ったご本人から花巻市に寄贈されました。現代はSNS全盛の時代ですが、やはり直筆の手紙というものは貴重ですね。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で、主に「食」を通して光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさん。様々な団体さん、個人の方が日替わりで厨房に立ち、料理を饗する市内東和地区のワンデイシェフの大食堂さんで不定期に「こうたろうカフェ」として参加なさっています。日記などから読み取れる、光太郎が実際に作ったメニュー、使用した食材などを参考になさっています。

今年最後の出店が11月27日(水)だったそうで、画像等お送りいただきましたのでご紹介します。
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メニューは以下の通り。
 ウェルカムドリンク ブルーベリースカッシュ ローストポーク ブルーベリーソース
 大根の海老あん 春菊と水菜の胡麻和え 里芋の胡桃かけ キクラゲの佃煮
 お新香 ミズの実ごはん ふわふわ天使のスープ 林檎パイカスタード コーヒー


メインのローストポークには付け合わせとして粉吹きいも、バターナッツかぼちゃ、人参、紅心大根、パプリカが添えられ、ご飯には光太郎が好んだ山菜ミズの実をトッピング。実が成るとか、ましてや食べられるというのは存じませんでした。

しかし、いつも思うのですが、これで1,000円というのは、都会ではあり得ない価格ですね。

お店としては営業が続きますが、最初に書いた通り、やつかの森LLCさんの今年最後のご出店だったそうです。次回は来年3月の予定だとのこと。活動拠点からお店までが意外と遠く、積雪のため食材の搬入等が困難になるためだそうです。

再開以後も変わらず繁昌することを祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

御委托の抹茶と中村屋の「石ごろも」とありがたくおうけとりしました。石ごろもといふ日本菓子は小生子供の頃からの好物でした。これは江戸の名残です。

昭和25年(1950)8月3日 奥平英雄宛書簡より 光太郎68歳

「石ごろも」。固有名詞かと思ったらそうではなく、「大福」や「どら焼き」同様、普通名詞なのですね。小豆の漉し餡を固い砂糖の「衣」で包んだ和菓子。現在では無くなっているようですが、当時は中村屋さんでもラインナップに入っていたようです。

書簡からも光太郎の食生活が垣間見え、興味深いところです。

主に「食」を通じ、光太郎第二の故郷・岩手花巻で光太郎顕彰にあたられているやつかの森LLCさんの最近のご活動を。

まずは
毎月15日、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで販売されている豪華弁当光太郎ランチの今月分。やつかの森LLCさんがメニュー考案に当たられ、光太郎が実際に作ったメニュー、使った食材などを参考にされています。
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今月の献立は「タラフライ」「牛すき煮」「里芋の胡麻味噌和え」「ほうれんそうと菊花のおひたし」「青海苔入り卵焼き」「小豆ご飯」「漬物」「さつまいも甘煮りんごキャラメルリゼ添え」だそうで。

いつもながらにボリューミーですし、サツマイモやら林檎やら、当方の好物も多く、これはぜひ食べたい感じでした。

続いて、
市内東和地区のワンデイシェフの大食堂さんでのこうたろうカフェこちらのお店は様々な団体さん、個人の方が日替わりで厨房に立ち、料理を饗するというシステムです。

やつかの森さん、来週11月27日(水)に出店なさり、メニューは以下の通りです。

・ウエルカムドリンク ~ブルーベリースカッシュ~
・ローストポーク ~ブルーベリーソース~
・大根の海老あん024023
・春菊と水菜の胡麻和え
・里芋の胡桃かけ
・キクラゲの佃煮
・お新香
・みずの実ごはん
・ふわふわ天使のスープ
・林檎パイカスタード
・コーヒー

ところで、上記情報と共に、光太郎が戦後七年間の蟄居生活を送った山小屋(高村山荘)周辺の最近の様子を画像でお送り下さいましたので、転載します。ようやく紅葉が見頃だそうで。
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最後の大きい画像は光太郎詩「雪白く積めり」(昭和20年=1945)をブロンズパネルに鋳造して嵌め込んだ詩碑です。

しかし、ようやく紅葉が見頃といいつつ、既に初雪も観測されているそうで、これも温暖化の影響でしょうか、秋が短い感じですね。

この季節も乙なものです。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

わざわざ写真を送つて下さつて感謝します。一九五〇年のいい記念になります、 並んでゐる女性のうつくしい笑ひを愉快に存じます、


昭和25年(1950)6月5日 斎藤充司宛書簡より 光太郎68歳

齋藤充司は大正11年(1923)、岩手生まれ。花巻の隣の黒沢尻在住で、兵役を経て昭和21年(1947)から同57年(1982)まで小学校教員を務め、教員仲間(写真の女性達も?)らとたびたび旧太田村の光太郎の山小屋を訪問しました。この年3月に黒沢尻で行われた光太郎の講演の筆記なども残しました。また、日本美術家連盟会員、岩手県芸術祭洋画部門理事長、新象作家協会会員、北上詩の会会員でもありました。

おそらくこの書簡にある「写真」と同一の写真が、智恵子の故郷・二本松岳温泉の「あだたらの宿扇や」さんに現存します。
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アンソロジーものの新刊です。2ヶ月程経ってしまいましたが。

ビールは泡ごとググッと飲め——爽快苦味の63編

発行日 : 2024年8月28日(水)
著者等 : 早川茉莉編
版 元 : 筑摩書房
定 価 : 税込み2,090円

喉を通りぬける冷たい爽快感! 内田百閒、田中小実昌、東海林さだお、草野心平、森茉莉、茨木のり子……飲める人も飲めない人も素敵な活字のビールをどうぞ!

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目次
 序
 プロローグ 気分爽快 森高千里
 1杯目 つぎたてのビール――まずはビール。とりあえずビール
  いつかきっと 田村セツコ
  缶と瓶 細馬宏通
  ビールのある風景 山本精一
  西陽の水面とビール 高山なおみ
  イギリス湖水地方のラガー 高柳佐知子
  ビールの遍在性とさりげないやさしさについて 小野邦彦
  脳内反芻ビール 小山田 徹
  サバティカルはミュンヘンで 喜多尾道冬
 2杯目 泡は大事――ビールは泡ごとググッと飲め
  ビールの泡 田中小実昌
  泡だらけ伝授 阿川佐和子
  ビールは泡あってこそ 東海林さだお
  原則の人 伊丹十三
  ビールは小瓶で 長田 弘
  モクモクモク 嵐山光三郎
  ビールは泡ごとググッと飲め 草野心平
 3杯目 ビール、もう一杯!――こんな日はとりわけビールがうまいんだ
  虚無の歌 萩原朔太郎
  モーツァルトmozart  村上春樹
  軽い酔 牧野信一  
  飢えは良い修業だった アーネスト・ヘミングウェイ 福田陸太郎 訳
  とりあえずビールでいいのか 赤瀬川原平
  ビールと女 獅子文六
  白に白に白 大道珠貴
  鍋貼 小川 糸
  ふきのとう 姫野カオルコ
  ビールに操を捧げた夏だった 夢枕 獏
  七月 ビール炊き御飯 金子信雄
  富士日記(抄) 武田百合子
  モンスターと夜景 雪舟えま
  人生がバラ色に見えるとき 石井好子
  飲み、食べ、颯爽と嫌う 城 夏子
  ビール 大橋 歩
  炎天のビール 山口 瞳
  コップに三分の一くらい注いで、飲んじゃ入れ、飲んじゃ入れして飲むのが、
ビールの本当にうまい飲み方なんですよ。 池波正太郎
 4杯目 旅先のビール――頭のテッペンから足の先までが、キューッとしびれる
  あほらしい唄 茨木のり子
  灰色の菫 田村隆一
  2019年5月3日 小沢健二
  この世で一番おいしいビール 氷室冴子
  道草 吉田健一
  鹿児島カンビール旅 椎名 誠
  温泉津旅行記 川本三郎
  京洛日記 二十一、食堂車 室生犀星
  鴎外先生とビール 平松洋子
  ビールの話 岩城宏之
  パブ 加藤秀俊
  ベルギーぼんやり旅行 七色ビール篇 向田邦子
  ネパールのビール 吉田直哉
  デンマークのビール 北大路魯山人
  欧洲旅行(抄) 横光利一
  ニュー・イングランドの浜焼 中谷宇吉郎
  父の麦酒のジョッキーと葉巻切り 森 茉莉
 5杯目 ビール飲み――飲みたければ、たんとお飲みなさい
  渓流 中原中也
  未練 内田百閒
  植木鉢 土岐雄三
  明るいうちに飲むなら蕎麦屋 与那原恵
  第55夜 まつや【神楽坂】 秘密基地の伝声管 鈴木琢磨
  初めての飲み会 瀧波ユカリ
  ビールの歌 火野葦平
  父の七回忌に 幸田 文
  われこそはビール飲み 野坂昭如
  はじめてのビール 沢野ひとし
  ワインとビールがいっぱい  渡辺祥子
  ビールの味 高村光太郎
 編者あとがき ビールは飲む「窓辺」であり「風景」である。 早川茉莉
 底本一覧

ビールをテーマにしたりモチーフに使ったりした、古今のエッセイ等63篇が集められています。

表題作「ビールは泡ごとググッと飲め」は、当会の祖・草野心平が昭和42年(1967)に雑誌『しんばし』に発表したエッセイです。心平、酒好きで知られていますが、だからといって強いわけでもありませんでした。そのくせ意識不明になるまで呑み、光太郎に介抱されたこともたびたび(笑)。そんな心平を光太郎は愛していましたが。

心平は詩を書くかたわら、屋台の焼鳥屋「いわき」、居酒屋「火の車」、バー「学校」と、飲み屋を経営しました。光太郎は「学校」のみその没後の開店なので足跡を残していませんが、戦後の「火の車」には足繁く通いましたし、戦前の「いわき」には智恵子を伴ったこともありました。

そして心平作詞の「バア「学校」校歌」。013

 バア学校のシンボルは。
 時代おくれの大時計。
 二十一世紀を告げる鐘。
 さらばで御座る。
 酒はぐいのみ。
 ビールは泡ごと。

 バア学校の常連は。
 世にも稀なる美男美女。
 落第つづけの優等生。
 しからばそうれ。
 酒はぐいのみ。
 ビールは泡ごと。

半分意味不明、酔っ払って作ったんじゃないかとも思われます(笑)。ちなみに心平を名誉村民に認定して下さった福島県川内村の阿武隈民芸館・かわうち草野心平記念館内には、バー「学校」が再現されています。設計は辻まことだそうで。

ところで「バア「学校」校歌」以前にも、「ビールは泡ごとググッと飲め」というリフレインを使った詩があったそうですが、すみません、把握できていません。「ビールは泡ごと」は、お気に入りのフレーズだったようです。

さて、『ビールは泡ごとググッと飲め——爽快苦味の63編』。63篇のトリを飾るのは、光太郎のエッセイ「ビールの味」(昭和11年=1936)。

特にビール好きの方、ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

このたびは思ひもかけず黒沢尻で誕生日を迎へることとなり、貴下はじめ御家族御一同のまことにお心こもつた饗宴にあづかり、忘れがたい記念の一日となりました事を深く感謝いたします、


昭和25年(1950)3月15日 森口多里宛書簡より 光太郎68歳

光太郎誕生日は3月13日。10日から秋田横手に講演に行き、さらに花巻の南の黒沢尻町(現・北上市)の映画館・文化ホールでも講演を行いました。

平成16年(2004),北上市教育委員会発行『きたかみ文学散歩』に、この折の様子を回想した「●美の世界の巨人」と題する地元の画廊経営者・郡司直衛氏の一文があります。

 黒沢尻の駅に降り立った高村光太郎は、大きな防空頭巾にどんぶくはんど(綿入レ半纏)を着てリュックサックに防寒靴。全くの村夫子然。日本で初めてベレー帽をかぶって銀座を歩いたモダンボーイと誰が思うものか。
 横手の雪をみての帰途、「もう私には残された時間がないから」と云うのをお願いして講演会を開く。その講演に先立ち、お昼を茅葺の民家の二階で差し上げた。そこには空襲で家を焼かれた森口多里が疎開していた。
 その日は昭和二十五年の「三月十三日」。光太郎の誕生日であった。昼食のメニューは鶏の丸焼きにコリフラワとオニオン添え、これは森口夫人の力作で、それに母が手造りの五目ずしという簡素なものであった。具が美味しいとほめられる。母は「高村さんに褒められた」と一生の自慢であった。卓上には発酵し始めた山ぶどうの赤い液が、切子の徳利に入れて添えられていた。当時これが精一杯のもてなしであった。
 食卓は淋しかったが、美の奉仕者である二人の会話は途切れることなく続いた。ロダンの誕生日の話、ハムレットを見ながら気が付くと眼鏡を握りつぶしていた話などなど。森口はパリの街のどこの通りの、何番目のマロニエのどの枝が、一番早く花を咲かせるか知っていると自慢気に話した。二人のパリの思い出は盡きなかった。
 木マンサクもキブシも花にはまだ早く、ネコ柳を一本根元から切って、有田焼の染付の大花瓶に投げ入れ、講演会の壇上を飾った。会場は身動きできぬ程の聴衆で溢れていた。
 講演を終えて、「誕生日には智恵子と食事をするのです」というのを無理に引き止めてお泊まり頂く。翌朝、長ぐつを履こうとする足の大きなこと、靴に添えられた手の大きなこと。私は高村光太郎が“美の世界の巨人”であることを、そのときこころではなく、目で理解したのであった。

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