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グルメ系を3件、ご紹介します。

まず、智恵子の故郷・福島県二本松市から学校給食の話題。

3月4日(火)の給食が「油井小の「ほんとの空給食」」だったそうでした。おそらく、ですが二本松市内旧安達町区域の給食のメニューが同一で、時折、各学校さんからメニューの考案なりリクエストなりが上がってきて、そのうちの一つが「ほんとの空給食」なのだと思われます。以前にも油井小学校さん、同じく旧安達町の川崎小学校さんによる「ほんとの空給食」をご紹介しました。
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献立は「黒パン」、「コーンポタージュ」、「りっちゃんサラダ」、「ハンバーグ」、「牛乳」。「りっちゃんサラダ」って何だ? と思い、調べたところ、「小学1年生の国語で学習する「サラダでげんき」という教材文に出てくるサラダ」だとのこと。

「サラダでげんき」は、角野栄子さんのご執筆。病気のお母さんに元気を出してもらおうと、主人公の「りっちゃん」が動物たちの力を借りてサラダを作る、というお話だそうです。
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犬猫雀はともかく、シロクマやアフリカ象(笑)。夢のあるお話ですね。

ちなみに油井小学校さんのこの日の給食時、「お昼の放送ではいつものように、給食委員会が献立の紹介をして、放送委員会が楽しいクイズを出して終わりました。が、その後6年生が電波ジャック。「1年生から5年生のみなさん、6年生を送る会ありがとう。とっても楽しかった。5年生の鼓笛もすばらしかった。」と6年生を送る会への感謝と、新鼓笛隊へエールを送ってくれました。先生には断っていなかったそうですが、言わずにはいられない「思い」があったようでした。心を動かされた6年生の、心温まる放送に、全校生がほっこりしました。」だそうで。不覚にもうるっと来てしまいました(笑)。
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続いて、光太郎第二の故郷、岩手花巻から。

毎月ご紹介していますが、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、毎月15日に限定販売されている豪華弁当・光太郎ランチ。メニュー考案にあたられているやつかの森LLCさんから今月分の画像をいただきました。
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こちらは光太郎が実際に作った料理や使った食材などを参考にしています。

今月分は「鮭の塩焼き」、「豚肉の味噌焼き」、「いかと大根の煮物」、「ほうれん草のおひたし」、「塩麹入り卵焼き」、「炒飯」、「黒千石ご飯」、「紫芋の甘煮」、「みかん」、「漬物」。彩り的にも素晴らしいと思いました。

やつかの森さん、花巻市東和地区の「ワンデイシェフの大食堂」さんでは、月に一度「こうたろうカフェ」として出店なさっています。厳冬期にはお休みされていますが、今月から復活。次回が3月25日(火)だそうで、メニューは「鶏むねのロースト~なぞソース~」、「たまご巾着」、「バッケ味噌のピザ」「イカ風味大根」、「春わかめの三色和え」、「お新香」、「きざみのせご飯」、「生麩のすまし汁」、「干柿のミルフィーユ」、「コーヒー」。「なぞソース」って何だ? ですが(笑)。

「バッケ」はふきのとう。ピザに使うか? という感じですが、意外と合うかもしれません。干柿を使ったミルフィーユというのも面白そうですね。

「ほんとの空給食」、「光太郎ランチ」、「こうたろうカフェ」、それぞれ末永く続いてほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

小包二個到着、季節のさきがけ筍をいただき、又毛皮も拝受しました。筍は早速調理しましたが此辺にない孟宗竹なので珍らしく美味にいただきました。

昭和27年(1952)4月14日 野末亀治宛書簡より 光太郎70歳

花巻郊外旧太田村の山小屋、全国の支援者が土地のものを送ってくれるので、変化に富んだ食卓でした。野末は静岡浜松在住でした。

本日、3月9日号が発売ですので先週号の扱いになってしまいますが、雑誌『サンデー毎日』さんの3月2日号。光太郎の父・光雲の名が。

『サンデー毎日』が見た昭和100年」という連載の第3回で、サブタイトルが「1928(昭和3)年 97年前、本誌が取材した「私の健康長寿法」 渋沢栄一、東郷平八郎、高村光雲、高橋是清、下田歌子…」。同誌の昭和3年(1928)2月5日号に載った「私の健康長寿法」という記事が元ネタです。

「シリーズには経済人や政治家、軍人など各界の約20人が登場する」というわけで、当時の各界著名人の体験談等から、光雲や渋沢栄一、東郷平八郎などの「健康法」を抜粋紹介しています。
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光雲に関しては「45~46歳で禁酒。パン食(1食にパン2切れと牛乳1合、有り合わせの惣菜少量)の実行。一度も人といさかいをしたことがない」。
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「あれっ? これ、読んだぞ、っていうか、「あれ」じゃん」。「あれ」というのは、当会で機関誌的に年二回発行している冊子『光太郎資料』の第58集(令和4年=2022)に載せた光雲談話「たゞ仕事に没頭」。

当該部分は以下の通り。

 暴飲暴食から反省
 若い頃は、盛んに暴飲、暴食をした。殊に蕎麦が最も好物ではあつたが、一体に好き嫌いのない方で何でも人に負けぬくらゐ食べた。ちよつとしても鰻丼(うなぎどんぶり)の二杯位、天麩羅蕎麦で三四杯、もりならば五六杯はケロリとやつてのけた。
 酒も随分飲んだ。いくら飲んでも平気なのだから始末が悪い。
 斯様に無茶な暴飲暴食をやつてきた私が、しかし何等の障害も受けず、極めて健康にやつてこられたことは、全く親が無病に私を生んで呉れたからだ……と、有難く思はずにはゐられなかつた。が若い頃は兎も角として、だんだん年をとつてくるのに、さうべらぼうな大食や深酒などしてゐたんでは……と、だんだんそんな考へもおきてきた。と、ちようど友人に医者があつて、彼も特に酒は節(せつ)しろといつて呉れた。こゝで遂に、私は決心をした。しかし私の性分として、節酒なんてことは出来さうもない。否(いな)、盃を手にしたらもう駄目にきまつてゐる
――これはどうしても絶対の禁酒でなければならない。そこで私は完全に禁酒を断行した。四十五六の時である。以来、ずつとこの禁を破らずにゐる。

 肥満退治にパン食を
 また、六十の峠を越してから、私は無闇と肥満してきた。勿論、労働をする訳ではない私のことだから全くの脂肪(あぶら)太りといふべきで、只もうブヨブヨと重たくなるばかり、身体(からだ)を屈することはもとより、歩くにもだんだん困難を感じるやうになつて、ほとほとわが身の肥満が荷厄介になつてきた。こりや何とかせずばなるまい! と思はれてきた。
 で、いろいろと薬も飲んでみた、が何の效果もない。さて胃を損じたのか? 或は癌でも出来たのぢやあるまいか? と思はれるやうになつた。時々はシクシクと痛みさへするのである。考へざるを得ない。
 何か一ツ自分で適当な方法を講じねばならない、と決心した。
 ふと気になり出したのは米食である――年をとつてから三度々々の米の飯はむしろ過ぎやしないか? といふことだつた。思ひ立つと矢も楯もたまらぬ性分の私は、かうして米飯をぷツつり止(や)めて、パン食とした。それも一日に僅(わずか)半斤――半斤のパンのあたまをはねて六ツに截(き)りその恰度切餅大のものを一食にたつた二きれと牛乳を一合、それに何でも有合せの惣菜少量――といふのを、常食とすることにきめた。
 この食事は最初頗る物足らなく、また変梃(へんてこ)であるに違ひなかつたが、私は忍び忍んで一年余りを続けてやめなかつた で、その結果は? といへば、果して良好だつた。――体量は一躍二貫三四百も減つて了ひ、身体(からだ)の調子は極めて楽になつてきた。どうも脂肪のため圧迫され勝ちに思はれて不快だつた心臓の調子も、めつきりよくなつてきた。
 私は大いに喜んだ。全く少量なパン食の結果に外ならなかつたのだ。それから以来、私はずつとパン食を続けて今日におよんでゐる。
 最初十八貫もあつた私の体重は(身長は小粒の方だから)その後ずつと減つて、今では先づ十五貫位である。かうして気分はいつも晴々(はればれ)とするやうになつた。物事をおつくうに思ふやうになこともすつかりなくなつてしまつた。今では却つて人手などをわづらわすことは面倒になつてきた。外をあるくにしてもつツつツと平気で歩いてのける。元気は正に百倍するといつた良結果を来(きた)したのである。

 精神に無理をせぬこと
 が、長命の秘訣は決して食物のみにあるものぢやない、と私は思ふ。勿論、人の性質は百人百様であるからさう一概にもいへまいが、つまらぬことに屈託しないといふのが何としても一ばん肝要な点だらうと思ふ。全て物事は自然に、無理をせずに、うちわうちわにと心がけ、いつも心を安く持ちつゞけることが、必要だらうと考へる。 いつてみれば、経済のことにしても、矢鱈もがき廻つて沢山もうけ、そしてまた矢鱈とつかふ――そんなことも結局はつまらぬ事ではあるまいか? それよりも、足るだけあれば……それでもういゝではないか! 何も無理に、もがきあせる要はあるまい。何事にも足ることを知る生活、無理をせぬ生活、それが一ばん健康には好もしいと思つてゐる。
 私は至つて呑気な性分である。物にかまはぬ性質である。だから、人に対する義理などは当然忘れないやうにするが、よくあるやうに人の言動などに一々気を懸けるやうなことは一切したことがない。要するにつまらないことだ。で、勢ひ、私は生れてこの方、いまだ一ぺんとして人といさかひをしたやうなことはない、たゞ、こつちがこらへてさへゐれば、何事もなだらかに流れ去つて了ふのだ。つまり激情を発せぬやうにすることが又大きな長寿法の一つであると考へる。

引用元は『サンデー毎日』ではなく、昭和3年(1928)11月8日、文海書院発行、田中正雄著『回春長寿 生の喜び』です。同書は長寿を実現するための健康法等の紹介が中心ですが、巻末附録「不老長寿実験談」に、この時点で古稀を過ぎていた各界著名人の体験談等が掲載されています。光雲(数え77歳)以外には、東郷平八郎(同81歳)、渋沢栄一(同89歳)、高橋是清(同75歳)、下田歌子(同75歳)ら13名でした。
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この部分は同年の『サンデー毎日』に載ったものの再録だったのでしょう。

それにしても、光雲といえばコッテコテの江戸っ子ですので、「パン食」というのには意表を突かれました。また、江戸っ子ときたら喧嘩っ早いものですが「いまだ一ぺんとして人といさかひをしたやうなことはない」。これも実に意外でした。当方、江戸っ子ではありませんが喧嘩っ早いので(笑)。

で、光雲、亡くなったのは昭和9年(1934)、数え83歳の時でした。結局は胃ガンでしたが、現代の平均寿命を上回っていますし、当時としては確かに「長寿」の部類に入りました。数え74で歿した息子の光太郎、この点でも父を超えられなかったことになりますね。

長生きすればいいというものでもありません(政界などには「老害」をまき散らすばかりの迷惑な輩の何と多いことか)が、渋沢翁曰く「責任のある職務に従事して、そのために否応なしに肉体を動かさねばならぬ様に、自ら仕向けねばならぬ」「この体の続く限りは活動を継続する覚悟である」。なるほど、ですね。

【折々のことば・光太郎】

おハガキにある小生の古稀といふやうな事は一切おやめ下さい。還暦の古稀の喜の字のといふうるさい風習は小生好みません。 七十歳を古稀とは今日滑稽です。

昭和27年(1952)1月24日 宮崎稔宛書簡より 光太郎70歳

「古稀」の語の由来は唐代の杜甫の詩にある「人生七十、古来稀なり」。たしかに戦後のこの時期ともなるとあてはまりませんね。

毎月15日、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん内のミレットキッチンフラワーさんから販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」の今月分、メニュー考案等に当たられているやつかの森LLCさんから画像が届きました。
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今月のメニューは「ぶりの照り焼き」「肉じゃが」「ハムサンド」「ちらし寿司」「キャベツとベーコンのサラダ」「煮豆」「りんごゼリーと干し柿」。まだまだ寒い日が続きますが、彩り的に春を感じさせるようなビジュアルですね。

毎回、戦後7年間の花巻郊外旧太田村での蟄居生活中、実際に光太郎が作ったり、人から貰ったりした料理、それらに使われていた食材などを参考に組み立てられています。

メニュー考案に当たられているやつかの森LLCさん、今日は花巻市内で光太郎がらみの出前講座講師だそうです。また、おそらく来月から、市内東和地区のワンデイシェフの大食堂さんでランチをふるまうこうたろうカフェも再開されるようです。

今後ともますますのご活躍を祈念いたしております。

【折々のことば・光太郎】

珍らしいクルミを久しぶりに見てうれしくなりました、ロンドンに居た人は皆知つてゐるでせうが、クリスマス前夜に、ミツスルツウ(やどり木)の枝の下で、此のクルミをクラツカアで割つてたべる家族的たのしさは格別のものです、むろんデコレーシヨン ケーキにも此のクルミを入れます、今年の廿四日夜は山でもたのしいです、


昭和26年(1951)12月11日 照井登久子宛書簡より 光太郎69歳

光太郎、実際にもらったクルミを使ったケーキを自作しました。生地やクリームなどもなんとかしたのでしょう。しかし、食べかけのケーキを山小屋内に置いていたところ、寝ている間にキツネかタヌキか野犬かに食べられてしまったそうです(笑)。

昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が半年余り療養生活を送った千葉県旧豊海村(現・九十九里町)でのイベント情報です。

先着2025名様限定「ごはんにかける黒アヒージョ」「九十九里のだし」をプレゼント!「九十九里パスポート」スタンプラリー開催のお知らせ

開催期間 : 2025年1月17日(金)~2月28日(金)
商品交換 : 九十九里のだし(1月~2月) 黒アヒージョ 九十九里オリジナル(2月限定)
       数量限定のため、期間中であっても商品がなくなり次第終了となります。

 九十九里限定バージョンの町内特産のいわしを使った「ごはんにかける黒アヒージョ」と「九十九里のだし」を先着2025名様限定でプレゼントするスタンプラリー「九十九里パスポート」が開催されます。
 九十九里町を訪れてポイントを貯めるだけで、九十九里の魅力を詰め込んだ商品が手に入ります。
 ごはんにかける黒アヒージョは、千葉県産の鰹だしに、千葉県産のこだわり素材(鰹、白子玉ねぎ、落花生、マッシュルーム、山武の海の塩、燻製醤油)とニンニク、オリーブオイル、九十九里のいわしをプラスした、まさに千葉県素材オールスターで作った逸品です。ご飯だけではなく、パスタやバケットにもひったりです。
 だしは、九十九里特産のいわしと千葉県産かつおを使用し、塩には山武の海の塩を使い、卵かけご飯、鍋の締めの雑炊、そばつゆ、おでん、お雑煮などにも最高の美味しさを楽しめる逸品となっております。
 この機会にぜひ九十九里町へ足を運んでください!
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ポイントの貯め方
 まず、九十九里パスポート登録ページにアクセスして登録します。(登録無料)

 登録したら、九十九里パスポートマイページにログインした状態で、スタンプラリーの各スポットを訪れるか、町内の飲食店や施設に設置してある、QRコードを読み込みます。
  ・九十九里町の各スポットを訪れる:10ポイント獲得
  ・町内の店舗や施設を利用する:20ポイント獲得
 合計30ポイントで1セットと交換できます。
【ポイント獲得できる店舗・施設の一覧】 https://app.valmeets.com/store-list

スタンプラリーの参加方法
 各スポットのおおよそ300m以内に近づいたら、スタンプラリーアプリを起動し、「入手する」ボタンを押してください。注意:クリア済みのスポットは再度クリアすることはできません。

スタンプラリーのスポット一覧
 https://app.valmeets.com/stamp-rally/stamp-rally001
 ■伊能忠敬記念公園 千葉県山武郡九十九里町小関2689
 ■宮島池親水公園   千葉県山武郡九十九里町田中荒生414-1
 ■九十九里ふるさと自然公園センター(片貝海水浴場内)
 ■いわし資料館(海の駅九十九里内)
 ■智恵子抄詩碑(高村光太郎) サンライズ九十九里近く
 ■九十九里ビーチタワー(不動堂海水浴場内)
 ■九十九里町観光オブジェ(片貝海水浴場内)

九十九里パスポートの運営について
 九十九里パスポート運営委員会は、「九十九里パスポート」を通じて、地域の魅力を広く発信し、観光振興と地域活性化を目指すために結成された団体です。
 本委員会は、バルスタック株式会社(代表企業)、ちばぎん商店株式会社、近畿日本ツーリスト、および九十九里町による連携体で構成されています。

九十九里パスポート事業の詳細およびクラウドファンディングについて
 期間中に九十九里町に来られない方も、クラウドファンディングでご支援いただくことでご自宅で、「黒アヒージョ」「九十九里のだし」が楽しむことができます。ぜひご支援よろしくお願いします。
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※携帯で見る場合、「+もっと見る」ボタンを押してください

光太郎詩「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)詩碑もスポットとして登録されています。
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ぜひ足をお運びの上、賞品をゲットして下さい。抽選でなく先着順だそうですので。

【折々のことば・光太郎】

012智恵子遺作紙絵展会場の写真四葉、記事掲載の東京夕刊新聞二葉送り下され、忝く存じました。おかげで会場の模様等分かりました。今度の展覧会では小生まるで役に立たず、在京の諸賢の厄介になりました事まことにありがたく感謝して居ります。

昭和26年(1951)6月9日 河鍋東策宛書簡より
 光太郎69歳

東北では複数回行われていた智恵子の紙絵展、銀座の資生堂画廊にて都内で初の開催となりました。それまで「切抜絵」などと称されていた智恵子の作品を、光太郎の意志で「紙絵」と呼ぶことになった初めての機会でした。

道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん内のミレットキッチンフラワーさんで、毎月15日に販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」、メニュー考案等に当たられているやつかの森LLCさんから今年初めての分の画像が届きました。
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献立は「ポークビーンズ」「鱒の塩焼き」「根菜のきんぴら」「切干大根と干柿の酢の物」「塩麹入り卵焼き」「蕎麦粉クレープ」「古代米ご飯」「煮りんごの甘酒ゼリー」「漬物」。

光太郎の日記などから、光太郎が作ったメニューや使った食材を参考に、現代風のアレンジが施されています。

「古代米」は古代から栽培されてきた稲の品種の特徴を継承しているといわれるもので、光太郎が暮らした旧太田村の隠れた特産品のようです。妻がこの手のものが好きで、当方、道の駅はなまき西南さんなどでよく買って帰ります。白米に混ぜて炊きますが、もち米だけあってボリューミー、腹持ちもいいようです。
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販売元は旧太田村のプロ農夢花巻さん。調べたところ、オンラインショップもありました。ぜひお試し下さい。

【折々のことば・光太郎】

先日来訪の土門拳氏に委托された滋養食品落手、ありがたく存じました、めづらしいブーダンなどをこの山の中で賞味出来るのを不思議なくらゐに思ひます、幾年ぶりのことか分りません。

昭和26年(1951)5月29日 高見順宛書簡より 光太郎69歳

ブーダン」は豚の血と脂によるフランスのソーセージの一種。この年5月21日の日記には次の記述があります。「ひる頃 土門拳来訪、助手二人同道、(略)写真撮影。三時頃辞去。元気なり。高見順に托された肉類を持参。茶ももらふ。 夕食炒飯みかん。高見氏よりのブーダンでつくる。

高見順は詩人。前年には光太郎題字揮毫による詩集『樹木派』を上梓したり、昭和30年(1955)に光太郎と行った対談「わが生涯」が雑誌『文芸』に掲載されたりしました。タレントの高見恭子さんはご息女です。

過日ご紹介した平野レミさんといい、渡辺えりさんといい、お父さまが光太郎と交流があったという芸能人の方、少なからずいらっしゃいますね。







毎月15日、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。地元で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが、光太郎の実際に作ったメニュー、使った食材などを参考にされてメニューを考案なさっています。

昨日販売された今月分がこちら。
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献立は「鶏の唐揚げ」「イカと大根の煮物」「野菜炒め」「塩麹入り卵焼き」「大学芋」「チーズ入り蒸しパン」「白六穀ごはん」「みかん」。

唐揚げはクリスマス感を醸し出していますし、みかんも旬ですね。光太郎の大好物の一つでした。

さて、メニュー考案に当たられているやつかの森LLCさんのお一人、新渕和子さんがこのたび快挙を成し遂げられました。

地方紙『岩手日日』さん。

新たに5人 「食の匠」認定

 県は、郷土食の優れた技術を持ち、伝承する人を認定する2024年度「食の匠(たくみ)」として、新たに花巻市の新渕和子さん(73)ら5人を認定した。
 盛岡市内で11日、認定書の交付式が行われ、佐藤法之県農林水産部長から一人一人に認定書が手渡された。
 代表して新渕さんは「先人から受け継がれてきた食文化や豊かな農林水産物を生かしたふるさとの味を大事に思っている。岩手の素晴らしい食を若い世代へ伝承するとともに、地域内外に向けて発信し、地域活性化に尽力したい」と意欲を示した。
 認定制度は1996年度に始まり、今回を含めこれまでの認定数は306人・団体となった。
 新規認定者と認定料理は次の通り。(敬称略)
 ▽簗場五月(雫石町)=かまやき▽佐々木チヨ子(葛巻町)=凍みじゃがいももち▽新渕和子(花巻市)=ばくろう(香茸)おこわ▽加藤敏子(一関市)=凍み餅▽竹野牧子(宮古市)=ごぼう巻

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IAT岩手朝日テレビさん。

岩手の食文化を受け継ぐ 食の匠 新たに5人が認定

 岩手の食文化を長年受け継いできた「食の匠」に新たに5人が認定され、認定証が贈られました。
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 県は地域の食文化を受け継ぎ、発信を続ける人たちを毎年、食の匠として認定しています。
 今年は5人が選ばれ、認定証が贈られました。
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 宮古市の竹野牧子さんが作る「ごぼう巻き」は、甘辛く味付けされたゴボウとニンジンをシソの葉で巻いた漬物です。
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 花巻市の新渕和子さんが作る貴重な「ばくろう茸」を使用して作った「ばくろうおこわ」は正月などに振舞われるごちそうです。
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 県が認定する食の匠は283の個人と23の団体になりました。
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 今後イベントなどで料理の実演や指導を行う予定です。
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新渕さんは昨年、今年と連翹忌の集いにもご参加下さいまして、当方もお世話になっている方です。生前の光太郎をご存じで永らく語り部を務められた故・高橋愛子さんのご親戚の由。「ばくろうおこわ」の原材料の一つ、香茸もご自分で採集なさり、以前、ごっそりいただいたこともありました。当方はおこわではなく白米に混ぜた炊き込みご飯にしてみましたが、その名の通り香ばしく、その上なかなかに美味で、妻にも好評でした。

今後ともご活躍を祈念いたします。また、「食の匠」制度は団体での認定もあるようなので、やつかの森LLCさんとしてもオーソライズされてほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

昨日は花巻で豚肉を仕入れて来て、今日はスズメマヒコといふ茸と一緒に煮てくひました、この茸は楢の木に出る珍らしいもので中々美味です。丁度今は栗がさかんに屋根に落ち、たくさん拾ひます、栗飯も山の景物です、


昭和25年(1950)9月30日 澤田伊四郎宛書簡より 光太郎68歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村に自生する茸も、貴重な食材でした。ただ「スズメマヒコ」という茸はネットで調べても情報が出て来ません。方言でしょうか?

12月7日(土)の『東京新聞』さんから、中川越氏の連載。

文人たちの日々好日 コーヒー讃歌

 竹久夢二は最晩年の昭和9(1934)年49歳のとき、療養地の信州から人形作家岡山さだみ宛に次の手紙を書きました。
 「旅先(たびさ)きで食べたあれやこれや思出(おもいだ)してはその地方からよりよせています。ホノルルから次の船でコーヒーがつくでしょう。そしたら西洋菓子をほしい、コロンバンよりも私は尾張町の裏通りのドイツベイカリイ(或(あるい)はジヤアマンベイカリイ)の菓子がほしい」
 夢二はこの手紙の3年前、46歳のときにホノルルを経て渡米、1年余滞在した後に渡欧。思い出深い異国の香味コーヒーをわざわざ取り寄せ、病に塞(ふさ)ぐ心を癒(いや)したようです。
 また、支援者から贈られたコーヒーにより自身の孤独を温めたのは高村光太郎です。戦後岩手県の花巻で独居自炊の生活を始めた高村は、後輩詩人宮崎稔への手紙の中でこう述べました。東京を離れて2年が過ぎた同22(1947)年63歳のときのことでした。
 「昨日高崎の方の人からコーヒーの缶入(かんいり)とサッカリン錠といふものをもらいました。早速いれて久しぶりのカフェ ノワールを賞味しました。クラッカアの無いのだけが残念でした」
 サッカリン(合成甘味料)は入れず、カフェノワール(ブラックコーヒー)を味わいながら、亡き智恵子との生活を思い出していたのでしょう。

 そして、ドイツ留学中にその味に魅了された寺田寅彦にとってコーヒーは、科学者としてのインスピレーションを得るための不思議な装置となりました。「コーヒー哲学序説」という随筆で、こう述べています。
 「研究している仕事が行き詰まってしまってどうにもならないような時に、前記の意味でのコーヒーを飲む。コーヒー茶わんの縁がまさにくちびると相触れようとする瞬間にぱっと頭の中に一道の光が流れ込むような気がすると同時に、やすやすと解決の手掛かりを思いつくことがしばしばあるようである」
 そんな口唇とコーヒーとの意外な関係を別な趣向でイメージしたのは日本現代詩人会会長の郷原宏です。半世紀前青年郷原は「珈琲讃歌(コーヒーさんか)」と題する詩の中で、若い娘に告白しました。
 「暗い夜を逃れて/ふたたび、おまえにめぐり合う/このひとときの安息/おまえはいつも/容器のかたちに身を添わせながら/ひかえめに/しかし、きっぱりと/自己を主張する/白い花と赤い実から生まれた/黒い少女よ/お前に熱いくちづけをおくろう」
 初めてのキス、そしてほろ苦い失恋を彷彿(ほうふつ)とさせられます。以上は全て男たちのコーヒー讃歌。女性にとってコーヒーとは? どなたかいつか教えてください。
(手紙文化研究家・イラストも)
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当方も珈琲党で(別に豆は何々で焙煎の具合はどうこうでというようなこだわりは全くなく、インスタントだろうが缶コーヒーだろうがかまわないのですが(笑))、1日に5,6杯は軽く飲みますので、それぞれのコーヒー談義、あるあると思って読みました。

夢二の文章に出て来るコロンバンさん、当時からあったのですね。学生時代には毎年この時期、三越さんで配送のアルバイトをしていましたが、かなりの頻度でコロンバンさんやヨックモックさんの商品を扱いました(笑)。

筆者の中川氏、「手紙文化研究家」ということで、文豪たちの手紙に冠する御著書等多数おありです。

『すごい言い訳!―二股疑惑をかけられた龍之介、税を誤魔化そうとした漱石―』。
『愛の手紙の決めゼリフ 文豪はこうして心をつかんだ』。
新潮文庫『すごい言い訳!―漱石の冷や汗、太宰の大ウソ―』。

氏とはフェイスブックでつながらせていただいておりまして、過日は当方もスタッフとして詰めていた中野区のなかのZEROさんでの「中野を描いた画家たちのアトリエ展Ⅱ」にもいらして下さり、初めてお会いすることができました。

今後ともご健筆を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

おてがみがこんな山の中へまで来ました、小生の作つたものが若い人達の心に触れたといふお話をきくと不思議のやうにも思はれ、又大変はげまされます、おてがみに感謝します、この山にゐて小生死ぬまで詩や彫刻を作るつもりで居ります、
昭和25年(1950)9月9日 高橋光枝宛書簡より 光太郎68歳

令和元年(2019)、この書簡は受け取ったご本人から花巻市に寄贈されました。現代はSNS全盛の時代ですが、やはり直筆の手紙というものは貴重ですね。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で、主に「食」を通して光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさん。様々な団体さん、個人の方が日替わりで厨房に立ち、料理を饗する市内東和地区のワンデイシェフの大食堂さんで不定期に「こうたろうカフェ」として参加なさっています。日記などから読み取れる、光太郎が実際に作ったメニュー、使用した食材などを参考になさっています。

今年最後の出店が11月27日(水)だったそうで、画像等お送りいただきましたのでご紹介します。
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メニューは以下の通り。
 ウェルカムドリンク ブルーベリースカッシュ ローストポーク ブルーベリーソース
 大根の海老あん 春菊と水菜の胡麻和え 里芋の胡桃かけ キクラゲの佃煮
 お新香 ミズの実ごはん ふわふわ天使のスープ 林檎パイカスタード コーヒー


メインのローストポークには付け合わせとして粉吹きいも、バターナッツかぼちゃ、人参、紅心大根、パプリカが添えられ、ご飯には光太郎が好んだ山菜ミズの実をトッピング。実が成るとか、ましてや食べられるというのは存じませんでした。

しかし、いつも思うのですが、これで1,000円というのは、都会ではあり得ない価格ですね。

お店としては営業が続きますが、最初に書いた通り、やつかの森LLCさんの今年最後のご出店だったそうです。次回は来年3月の予定だとのこと。活動拠点からお店までが意外と遠く、積雪のため食材の搬入等が困難になるためだそうです。

再開以後も変わらず繁昌することを祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

御委托の抹茶と中村屋の「石ごろも」とありがたくおうけとりしました。石ごろもといふ日本菓子は小生子供の頃からの好物でした。これは江戸の名残です。

昭和25年(1950)8月3日 奥平英雄宛書簡より 光太郎68歳

「石ごろも」。固有名詞かと思ったらそうではなく、「大福」や「どら焼き」同様、普通名詞なのですね。小豆の漉し餡を固い砂糖の「衣」で包んだ和菓子。現在では無くなっているようですが、当時は中村屋さんでもラインナップに入っていたようです。

書簡からも光太郎の食生活が垣間見え、興味深いところです。

主に「食」を通じ、光太郎第二の故郷・岩手花巻で光太郎顕彰にあたられているやつかの森LLCさんの最近のご活動を。

まずは
毎月15日、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで販売されている豪華弁当光太郎ランチの今月分。やつかの森LLCさんがメニュー考案に当たられ、光太郎が実際に作ったメニュー、使った食材などを参考にされています。
013
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今月の献立は「タラフライ」「牛すき煮」「里芋の胡麻味噌和え」「ほうれんそうと菊花のおひたし」「青海苔入り卵焼き」「小豆ご飯」「漬物」「さつまいも甘煮りんごキャラメルリゼ添え」だそうで。

いつもながらにボリューミーですし、サツマイモやら林檎やら、当方の好物も多く、これはぜひ食べたい感じでした。

続いて、
市内東和地区のワンデイシェフの大食堂さんでのこうたろうカフェこちらのお店は様々な団体さん、個人の方が日替わりで厨房に立ち、料理を饗するというシステムです。

やつかの森さん、来週11月27日(水)に出店なさり、メニューは以下の通りです。

・ウエルカムドリンク ~ブルーベリースカッシュ~
・ローストポーク ~ブルーベリーソース~
・大根の海老あん024023
・春菊と水菜の胡麻和え
・里芋の胡桃かけ
・キクラゲの佃煮
・お新香
・みずの実ごはん
・ふわふわ天使のスープ
・林檎パイカスタード
・コーヒー

ところで、上記情報と共に、光太郎が戦後七年間の蟄居生活を送った山小屋(高村山荘)周辺の最近の様子を画像でお送り下さいましたので、転載します。ようやく紅葉が見頃だそうで。
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最後の大きい画像は光太郎詩「雪白く積めり」(昭和20年=1945)をブロンズパネルに鋳造して嵌め込んだ詩碑です。

しかし、ようやく紅葉が見頃といいつつ、既に初雪も観測されているそうで、これも温暖化の影響でしょうか、秋が短い感じですね。

この季節も乙なものです。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

わざわざ写真を送つて下さつて感謝します。一九五〇年のいい記念になります、 並んでゐる女性のうつくしい笑ひを愉快に存じます、


昭和25年(1950)6月5日 斎藤充司宛書簡より 光太郎68歳

齋藤充司は大正11年(1923)、岩手生まれ。花巻の隣の黒沢尻在住で、兵役を経て昭和21年(1947)から同57年(1982)まで小学校教員を務め、教員仲間(写真の女性達も?)らとたびたび旧太田村の光太郎の山小屋を訪問しました。この年3月に黒沢尻で行われた光太郎の講演の筆記なども残しました。また、日本美術家連盟会員、岩手県芸術祭洋画部門理事長、新象作家協会会員、北上詩の会会員でもありました。

おそらくこの書簡にある「写真」と同一の写真が、智恵子の故郷・二本松岳温泉の「あだたらの宿扇や」さんに現存します。
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アンソロジーものの新刊です。2ヶ月程経ってしまいましたが。

ビールは泡ごとググッと飲め——爽快苦味の63編

発行日 : 2024年8月28日(水)
著者等 : 早川茉莉編
版 元 : 筑摩書房
定 価 : 税込み2,090円

喉を通りぬける冷たい爽快感! 内田百閒、田中小実昌、東海林さだお、草野心平、森茉莉、茨木のり子……飲める人も飲めない人も素敵な活字のビールをどうぞ!

011
目次
 序
 プロローグ 気分爽快 森高千里
 1杯目 つぎたてのビール――まずはビール。とりあえずビール
  いつかきっと 田村セツコ
  缶と瓶 細馬宏通
  ビールのある風景 山本精一
  西陽の水面とビール 高山なおみ
  イギリス湖水地方のラガー 高柳佐知子
  ビールの遍在性とさりげないやさしさについて 小野邦彦
  脳内反芻ビール 小山田 徹
  サバティカルはミュンヘンで 喜多尾道冬
 2杯目 泡は大事――ビールは泡ごとググッと飲め
  ビールの泡 田中小実昌
  泡だらけ伝授 阿川佐和子
  ビールは泡あってこそ 東海林さだお
  原則の人 伊丹十三
  ビールは小瓶で 長田 弘
  モクモクモク 嵐山光三郎
  ビールは泡ごとググッと飲め 草野心平
 3杯目 ビール、もう一杯!――こんな日はとりわけビールがうまいんだ
  虚無の歌 萩原朔太郎
  モーツァルトmozart  村上春樹
  軽い酔 牧野信一  
  飢えは良い修業だった アーネスト・ヘミングウェイ 福田陸太郎 訳
  とりあえずビールでいいのか 赤瀬川原平
  ビールと女 獅子文六
  白に白に白 大道珠貴
  鍋貼 小川 糸
  ふきのとう 姫野カオルコ
  ビールに操を捧げた夏だった 夢枕 獏
  七月 ビール炊き御飯 金子信雄
  富士日記(抄) 武田百合子
  モンスターと夜景 雪舟えま
  人生がバラ色に見えるとき 石井好子
  飲み、食べ、颯爽と嫌う 城 夏子
  ビール 大橋 歩
  炎天のビール 山口 瞳
  コップに三分の一くらい注いで、飲んじゃ入れ、飲んじゃ入れして飲むのが、
ビールの本当にうまい飲み方なんですよ。 池波正太郎
 4杯目 旅先のビール――頭のテッペンから足の先までが、キューッとしびれる
  あほらしい唄 茨木のり子
  灰色の菫 田村隆一
  2019年5月3日 小沢健二
  この世で一番おいしいビール 氷室冴子
  道草 吉田健一
  鹿児島カンビール旅 椎名 誠
  温泉津旅行記 川本三郎
  京洛日記 二十一、食堂車 室生犀星
  鴎外先生とビール 平松洋子
  ビールの話 岩城宏之
  パブ 加藤秀俊
  ベルギーぼんやり旅行 七色ビール篇 向田邦子
  ネパールのビール 吉田直哉
  デンマークのビール 北大路魯山人
  欧洲旅行(抄) 横光利一
  ニュー・イングランドの浜焼 中谷宇吉郎
  父の麦酒のジョッキーと葉巻切り 森 茉莉
 5杯目 ビール飲み――飲みたければ、たんとお飲みなさい
  渓流 中原中也
  未練 内田百閒
  植木鉢 土岐雄三
  明るいうちに飲むなら蕎麦屋 与那原恵
  第55夜 まつや【神楽坂】 秘密基地の伝声管 鈴木琢磨
  初めての飲み会 瀧波ユカリ
  ビールの歌 火野葦平
  父の七回忌に 幸田 文
  われこそはビール飲み 野坂昭如
  はじめてのビール 沢野ひとし
  ワインとビールがいっぱい  渡辺祥子
  ビールの味 高村光太郎
 編者あとがき ビールは飲む「窓辺」であり「風景」である。 早川茉莉
 底本一覧

ビールをテーマにしたりモチーフに使ったりした、古今のエッセイ等63篇が集められています。

表題作「ビールは泡ごとググッと飲め」は、当会の祖・草野心平が昭和42年(1967)に雑誌『しんばし』に発表したエッセイです。心平、酒好きで知られていますが、だからといって強いわけでもありませんでした。そのくせ意識不明になるまで呑み、光太郎に介抱されたこともたびたび(笑)。そんな心平を光太郎は愛していましたが。

心平は詩を書くかたわら、屋台の焼鳥屋「いわき」、居酒屋「火の車」、バー「学校」と、飲み屋を経営しました。光太郎は「学校」のみその没後の開店なので足跡を残していませんが、戦後の「火の車」には足繁く通いましたし、戦前の「いわき」には智恵子を伴ったこともありました。

そして心平作詞の「バア「学校」校歌」。013

 バア学校のシンボルは。
 時代おくれの大時計。
 二十一世紀を告げる鐘。
 さらばで御座る。
 酒はぐいのみ。
 ビールは泡ごと。

 バア学校の常連は。
 世にも稀なる美男美女。
 落第つづけの優等生。
 しからばそうれ。
 酒はぐいのみ。
 ビールは泡ごと。

半分意味不明、酔っ払って作ったんじゃないかとも思われます(笑)。ちなみに心平を名誉村民に認定して下さった福島県川内村の阿武隈民芸館・かわうち草野心平記念館内には、バー「学校」が再現されています。設計は辻まことだそうで。

ところで「バア「学校」校歌」以前にも、「ビールは泡ごとググッと飲め」というリフレインを使った詩があったそうですが、すみません、把握できていません。「ビールは泡ごと」は、お気に入りのフレーズだったようです。

さて、『ビールは泡ごとググッと飲め——爽快苦味の63編』。63篇のトリを飾るのは、光太郎のエッセイ「ビールの味」(昭和11年=1936)。

特にビール好きの方、ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

このたびは思ひもかけず黒沢尻で誕生日を迎へることとなり、貴下はじめ御家族御一同のまことにお心こもつた饗宴にあづかり、忘れがたい記念の一日となりました事を深く感謝いたします、


昭和25年(1950)3月15日 森口多里宛書簡より 光太郎68歳

光太郎誕生日は3月13日。10日から秋田横手に講演に行き、さらに花巻の南の黒沢尻町(現・北上市)の映画館・文化ホールでも講演を行いました。

平成16年(2004),北上市教育委員会発行『きたかみ文学散歩』に、この折の様子を回想した「●美の世界の巨人」と題する地元の画廊経営者・郡司直衛氏の一文があります。

 黒沢尻の駅に降り立った高村光太郎は、大きな防空頭巾にどんぶくはんど(綿入レ半纏)を着てリュックサックに防寒靴。全くの村夫子然。日本で初めてベレー帽をかぶって銀座を歩いたモダンボーイと誰が思うものか。
 横手の雪をみての帰途、「もう私には残された時間がないから」と云うのをお願いして講演会を開く。その講演に先立ち、お昼を茅葺の民家の二階で差し上げた。そこには空襲で家を焼かれた森口多里が疎開していた。
 その日は昭和二十五年の「三月十三日」。光太郎の誕生日であった。昼食のメニューは鶏の丸焼きにコリフラワとオニオン添え、これは森口夫人の力作で、それに母が手造りの五目ずしという簡素なものであった。具が美味しいとほめられる。母は「高村さんに褒められた」と一生の自慢であった。卓上には発酵し始めた山ぶどうの赤い液が、切子の徳利に入れて添えられていた。当時これが精一杯のもてなしであった。
 食卓は淋しかったが、美の奉仕者である二人の会話は途切れることなく続いた。ロダンの誕生日の話、ハムレットを見ながら気が付くと眼鏡を握りつぶしていた話などなど。森口はパリの街のどこの通りの、何番目のマロニエのどの枝が、一番早く花を咲かせるか知っていると自慢気に話した。二人のパリの思い出は盡きなかった。
 木マンサクもキブシも花にはまだ早く、ネコ柳を一本根元から切って、有田焼の染付の大花瓶に投げ入れ、講演会の壇上を飾った。会場は身動きできぬ程の聴衆で溢れていた。
 講演を終えて、「誕生日には智恵子と食事をするのです」というのを無理に引き止めてお泊まり頂く。翌朝、長ぐつを履こうとする足の大きなこと、靴に添えられた手の大きなこと。私は高村光太郎が“美の世界の巨人”であることを、そのときこころではなく、目で理解したのであった。

まずは状況をわかりやすくするために地方紙『岩手日日』さん報道から。

お気に入り求めどっと 東和・土澤アートクラフトフェア 商店街に活気 光太郎作品基にレモンケーキ 花巻南高家庭クラブ提供

 県内外のものづくり作家らが集う「土澤アートクラフトフェア2024秋」(実行委主催)は13日、花巻市東和町の土沢商店街、萬鉄五郎記念美術館前を会場に2日間の日程で始まった。好天の下にクラフトやグルメなど約380店が軒を連ね、大勢の来場者で初日から活況を呈した。
 歩行者天国となった会場には、木工品や革製品、似顔絵、手作り雑貨、楽器、衣類、陶芸、釣り具、ペット用品など多種多様のブースが並び、訪れた人が店主と会話を弾ませながらお気に入り商品を買い求めた。
 飲食の出店や食材・菓子などの販売ブースも並び、フードコートで昼食を取る家族連れの姿も。沿岸ならではの海の幸や地元特産品などが人気を集めていた。
 彫金の宝飾などを製造するアトリエKAZU(東京都)の高田和彦さん(77)は、オリジナルの指輪やネックレスのほか、さまざまな職業の商売道具をモチーフとする「IKIGAIシリーズ」のペンダントトップなどを販売。「何度も出店しているが、今年は天気が良く、特に人出が多いと感じる。みんなおしゃれをして集まっており、雰囲気が良いのものこイベントの魅力だ」と語った。
 10回以上訪れているという盛岡市の齊藤直美さん(55)は「県外の作家に出会えるチャンスは、岩手では貴重。例年通り、良いものがそろっている。帽子やアクセサリーが欲しくて見に来た。幅広い年齢の人たちが遊びに来ているのが素晴らしい」と話していた。
 県立花巻南高校家庭クラブは13日、花巻ゆかりの彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)の「レモン哀歌」を基に製造した「レモンのパウンドケーキ」を土澤アートクラフトフェアで提供した。
 同クラブは、光太郎について調査・研究する団体と交流したり、顕彰イベントに参加したりして先人への学びを深めている。
 ケーキは、表面を覆うアイシングや生地にレモン汁を加えており、中までレモンの風味を感じられる。光太郎の顕彰活動に取り組む「やつかの森合同会社」(藤原正代表)が、同フェアに合わせて土沢商店街のワンデイシェフの大食堂で販売する「こたろう弁当」(1200円)を購入した人に100個限定でプレゼントした。
 レモンの果肉、皮を使うと食感や苦味が残るため、レモン汁だけで酸味や爽やかさを表現したといい、同日は東和町出身の1年生2人が接客。菅原美優さんは「光太郎さんのことはよく知らなかったが、勉強する中ですごい人が花巻にいたんだと感じた」、小原優羽奈さんは「自分たちの世代や、さらに下の小中学生にも光太郎さん、智恵子さんのことを知ってほしい。レモンケーキがそのきっかけになれば」と話していた。
 光太郎が秋の花巻でおいしさを再認識したというキノコやクリ、リンゴなどを使った同弁当は14日も数量限定で販売するが、パウンドケーキは提供されない。

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こちらが問題の(特に問題はありませんが(笑)))パウンドケーキ。
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ラッピングなど、高校生の手作りのレベルを超えていますね。もちろんお味もよろしかったようで。
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家庭クラブのお二人、今年6月に花巻で行われたイベント「五感で楽しむ光太郎ライフ」の際に発表のあった智恵子のエプロンの再現にも関わられました。こういう若い世代が関心を持って下さるのは実に有り難いところです。

やつかの森LLCさんが手がけた「こうたろう弁当」はこちら。やつかの森さんのメニュー構成は光太郎が実際に作った料理の現代風アレンジや、光太郎が使った食材の使用など、常に光太郎がらみです。
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2日間でそれぞれ異なるメニューで販売されたそうです。
13日こうたろう弁当メニュー
13日こうたろう弁当
14日こうたろう弁当メニュー
14日こうたろう弁当
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これも素晴らしいと思いました。

さらにやつかの森さんがメニュー考案に協力され、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん内のテナント「ミレットキッチンフラワー」さんで毎月15日に販売されている弁当「光太郎ランチ」の今月分。
道の駅1
道の駅2
生野菜系が苦手な当方としては、今月のメニューはナイスだと感じました。これなら毎日食べてもいいかな、と(笑)。

何度も引用していますが、光太郎、昭和27年(1952)に行われた座談会「簡素生活と健康」で「食べ物はバカにしてはいけません。うんと大切だということです」と発言しています。この背後には、野菜類の自給自足、山林での食材採集に余念がなかった光太郎ならではの信念が込められています。

その信念を受け継ぎ、花巻南高校家庭クラブさん、やつかの森さんがさらなるご活躍をなさることを祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

ローマイヤアの店が又出来たと見えます、お贈りのハムはすばらしい事でせう。

昭和25年(1950)1月11日 中原綾子宛書簡より光太郎68歳

花巻郊外旧太田村の光太郎、東京の友人知己達から食材を贈られることも多く、それでかなり助かっていました。特に好物なのに自給できない肉類などはことのほか有り難く感じていたようです。

「ローマイヤア」は現代でも続く「ローマイヤ」さんですね。光太郎、おそらく戦前に銀座のレストラン部門、あるいは商品を卸していた上野の精養軒さんあたりで舌鼓を打っていたのでは、と思われます。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰にあたられているやつかの森LLCさん。最近のご活動を。

まず、市内のワンデイシェフの大食堂さんで、「こうたろうカフェ」として光太郎が実際に作ったメニューの再現や現代風アレンジによる昼食の提供。基本的に不定期ですが、直近で9月4日(水)に行われたとのこと。
9月ワンデイ
メニュー表 (3)
1725687629465 ふわとろ杏仁豆腐
枝豆。南蛮味噌のせご飯 白身魚のから揚げトロピカルソース
オカワカメと菊花、ゴーヤの佃煮、青トマトきゅうり
メニューは「白身魚のから揚げ トロピカルソース」「夕顔のトロトロ蟹あん」「ゴーヤの佃煮」「オカワカメと菊花の酢の物」「茄子と胡瓜の浅漬け」「バターナッツの満足スープ」「南蛮味噌ご飯」「ふわふわ杏仁豆腐」「コーヒー」だそうで。

レシピというか、食材を細かく教えていただきました。教えていただいても当方には作れませんが(笑)、以下を見て出来る方はご参考までに。

ゴーヤの佃煮 ゴーヤ、裂きイカ、醤油、三温糖、五倍酢、白ごま
バターナッツの満足スープ(カボチャのポタージュ) バターナッツカボチャ、玉ネギ、コンソメ、牛乳、生クリーム
南蛮味噌 ピーマンと麹、三温糖、青唐辛子
夕顔のトロトロ蟹あん 豪華カニ缶の餡をかける
トロピカルソース 夏野菜とパイン、桃
ふわふわ杏仁豆腐 マシュマロと牛乳で作る杏仁豆腐

続いて毎月15日、、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。こちらも光太郎がらみの献立で、やつかの森LLCさんがメニュー考案に当たられています。
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内容的には「栗ご飯」「サンドイッチ」「チキン南蛮」「かぼちゃの甘煮」「きのこ炒め」「きゅうりの酢の物」「卵焼き」「フルーツ」。

栗やらきのこやら、秋らしい食材ですね。当方、栗ご飯は大好物でして、画像を見てパブロフの犬状態でした(笑)。

やつかの森LLCさん、他にも花巻市内で光太郎に関する「出前講座」をなさっています。

9月6日(金)には「シニア大学講座」とのことで、花巻市生涯学園都市会館(まなび学園)さんで。寸劇を交え、休憩時間には得意の料理もふるまわれたとのこと。
シニア大学1 シニア大学3
シニア大学2 シニア大学5
シニア大学6 シニア大学7
9月11日(水)にも、同じ会場で今度はシニアの方々に招かれての講座をなさったそうです。

わかうさ7 わかくさ2
わかくさ1 わかくさ3
わかくさ5 わかくさ6
わかくさ8 わかくさ9
地元でこういう団体さんがいらしてくださると、ありがたいところです。お一人お二人で、となると無理なのでしょうが、グループでやられることでタイトな日程にもある程度対応できると思われますし。

花巻といえば宮沢賢治。当方、よく存じませんが賢治関連ではこういうグループなりがいろいろあるのでは、と思っております。しかし光太郎がらみではやつかの森LLCさんのみ。ありがたいかぎりです。

今後とも様々な場面でのご活躍を祈念いたしております。

【折々のことば・光太郎】

恐らく東京でも珍らしいであらうと思はれるカビヤのびん詰めまで在中、そぞろに戦前の頃を思ひ出しました。カビヤの珍味は小生好物中の好物にて、戦前智恵子の健康であつた頃稀に入手して一緒に酒の肴として賞味した記憶があり、なつかしい限りでした。


昭和24年(1949)7月14日 藤間節子宛書簡より 光太郎67歳

「カビヤ」はキャビアのことですね。当時はとてつもない寒村だった花巻郊外旧太田村にいても、方々の支援者からいろいろな食料が送られてきて、なかなかに光太郎の食卓は充実していました。これも人徳ですね(笑)。

まず、毎月恒例の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんテナントのミレットキッチンフラワーさんで、各月15日に販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」の今月分。メニュー考案には花巻で光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが協力なさっています。
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今月のメニューは「鰹の南蛮漬け」「牛肉のアヒージョ」「茄子の揚げ浸し」「青海苔入り卵焼き」「小豆ご飯」「ジャガイモ入りカレー炒飯」「ミニトマトゼリー」「瓜の漬物」だそうで。

けっこうこってり系だったようですが、夏バテ予防にはいい感じだったみたいです。卵焼きはいつも塩麹入りなのですが、今月は新しい試みで青海苔入り。それも美味しそうですね。

基本、光太郎が実際に作った料理や使った食材を参考に、現代風にアレンジされたものですが、同様のコンセプトでワンデイシェフの大食堂さんというお店でランチを提供する「こうたろうカフェ」、今月はお休みで次回が9月4日(水)だそうです。先月分はこんな感じ

今朝の段階ではHP上に来月のメニューが出ていませんが、また凝ったメニューになるのでしょう。

お近くの方(遠くの方も(笑))ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

小豆をよろこんでいただいて感謝しました。今年もかなりとりましたが今度はもつと多く作るつもりです。ウヅラ豆の大増産もやらうと思ひます。


昭和24年(1949)1月5日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎67歳

花巻郊外旧太田村での畑作も軌道に乗り、作った作物を他に送れるほどになっていたわけで、「光太郎ランチ」でも使われていた小豆をお裾分けしています。

「今年」とありますが、年が改まっていますので正確には「昨年」、まぁ、「今期」という意味なのでしょう。

光太郎第二の故郷・岩手県花巻市で、主に「食」を通じて光太郎顕彰をなさっているやつかの森LLCさんによる最近の取り組みを。

まず、同市土沢地区のワンデイシェフの大食堂さんで、7月13日(土)に「こうたろうカフェ」としてご出店。こちらのお店は様々な団体さん、個人の方が日替わりで厨房に立ち、料理を饗するというシステムです。
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やつかの森LLCさんでは、基本、日記等に書かれている実際に光太郎が自炊していた料理や使っていた食材などを参考に、現代風の料理に仕立てています。

メニュー的には以下の通り。

「自家製サラダチキン チリソース添え」
ボイル海老とスナップエンドウが添えられています。

「じゃがいもと牛肉のしぐれ煮」015
じゃがいもは新じゃがだそうで。

「夏野菜の揚げびたし」
朝採りの茄子とインゲンが使われています。

「小松菜のじゃこ炒め」
小松菜はゆずポン酢であえてじゃこと白ごまをかけて味を調えています。

「きゃらぶき」
蕗ですね。

「紫蘇巻き胡瓜と茗荷酢漬け」

「ズッキーニの冷製ポタージュ」
玉ネギ、ジャガイモの他にお粥が加えられているとのこと。

「黒米ご飯」
アントシアニンたっぷりでもっちりしているそうです。

「フルーツミルク寒天」
最近、彼の地で栽培が広まっているブルーベリーが使われています。

そして締めは「コーヒー」。

夏らしく、さっぱりとしたヘルシーな感じですね。

土曜ということもあり、事前に予約で完売だそうでしたが、初めての方もいらっしゃったとのことで、輪が広がっているんだなという感じです。

昨日は、毎月15日に道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで調理・販売を行っている弁当「光太郎ランチ」の販売日。メニュー考案はやつかの森LLCさんです。
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こちらのお品書きは「古代米入りご飯」「バターライス」「肉じゃが」「缶詰サンマの揚げ焼き」「いんげんのごま和え」「きゅうりの酢の物」「茄子田楽」「塩麹卵焼き」「水羊羹」。

「こうたろうカフェ」のメニューとかぶっていないところがすごいと思いました。なかなか2本立てでというのも大変かと存じますが、今後とも続けて行かれていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

小生もおかげで健康、毎日畑仕事にいそしんで居ますが、僅かばかり、力を入れると、比較にならぬほど豊かな酬いをかへしてくれる自然の恵みに感謝せずにゐられません。自然界の生命力は実に不思議です。


昭和23年(1948)7月11日 富谷武宛書簡より 光太郎66歳

青年時代から「自然」を讃美してきた光太郎にとって、農業はある意味天職に近いものがあったのかも知れません。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通して光太郎顕彰にあたられているやつかの森LLCさんが、「こうたろうカフェ」として不定期に出店なさっている同市東和町のワンデイシェフの大食堂さん。日替わりで様々な団体さん(個人も?)がキッチンを使って料理を饗するというシステムです。

うっかり事前の予告をこのブログで失念してしまっていましたが、先月は25日(火)に出店なさったそうで、その画像をお送り下さいました。
6月ワンデイ
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紫蘇巻トンカツ
人参の白和え・ミズの辛子和え
よもぎ餅・抹茶玄米茶
メニューは「特注タレでいただく紫蘇巻きトンカツ」「ふんわり卵のニラ炒め」「ミズの辛子和え」「新玉と紅鮭のマリネ」「人参の白和え」「きゅうりの浅漬け」「つみれのおすまし」「ゆかりご飯」「黒蜜ときな粉のつきたてヨモギ餅」「お茶」だそうで。これで1,000円ですからお得感も満載ですね。

基本、光太郎の日記などから光太郎が作っていたメニューや使っていた食材などを参考に、現代風にアレンジしてというコンセプトです。山菜のミズは光太郎が暮らした旧太田村の山小屋近く、故・高橋愛子さんのお宅附近で採集された由。

固定ファンがいらっしゃるのでしょう、平日にもかかわらず、ランチタイムに48食分が完売だとのこと。
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今月は13日(土)に出店なさるそうです。

その際のメニュー予定が「自家製サラダチキン」「じゃが芋と牛肉のしぐれ煮」「夏野菜の揚げびたし」「小松菜のじゃこ炒め」「きゃらぶき」「お新香」「ズッキーニの冷製ポタージュ」「黒米ご飯」「フルーツミルク寒天」「コーヒー」だそうです。

ぜひご予約下さい。

【折々のことば・光太郎】

今日は小生の誕生日だつたので、朝から赤飯を炊いたり、小豆を煮たり、いつかの上等の小麦粉でうまいバタ入り蒸しパンをつくつたりしました。其上折よく昨日新聞の日報社からもらつた一級酒があつたので、それをあたためて炉辺でやりました。山口市の人から揮毫の礼にもらつた下関の「うに」が何よりの肴となりました。


昭和23年(1948)3月13日 宮崎稔宛書簡より 光太郎66歳

光太郎、誕生日を迎えて満で65歳となりました(上記に「66歳」としていますが、この項、数え年で表記していますのでずれています)。この日の日記を見ると、夕方、村の娘さんが薬を届けに来たくらいで、他に来訪者はなく、寂しいと云えば寂しい誕生日でした。

それでも自分のためにいろいろ御馳走を作る光太郎、マメですね。もっとも現代のようにお総菜やら弁当やらがそこらで売っているという時代ではありませんでしたが。

光太郎第二の故郷・岩手花巻にある道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで毎月15日に限定販売される弁当「光太郎ランチ」。メニュー考案に当たられているやつかの森LLCさんから画像が届きました。
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今月のメニューは、鮭の塩焼き、豚肉とミズの煮物、スナップエンドウとニラのバター炒め、じゅんさいとイカの酢の物、伽羅蕗、グリーンピースご飯、白六穀ご飯、抹茶甘酒のゼリーだそうです。

「ミズ」はこの地でよく食べられている山菜、「伽羅蕗」はフキの佃煮ですね。意外と山菜好きの当方としては食欲をそそられます。

昨日もご紹介した6月1日(土)、NHK仙台放送局さん制作の東北6県向け情報番組「ウイークエンド東北」。建築家・山口文象の設計になる、光太郎終焉の地・中野区の中西利雄アトリエ保存運動に関して報じて下さいましたが、それにからめ、東北各地で光太郎や智恵子の顕彰に当たられている人々がご紹介され、やつかの森LLCさんの中心メンバーのお一人、井形幸江さんも。
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GW中の5月4日(土)、5日(日)に花巻で開催された「土澤アートクラフトフェア2024春」で取材が行われ、画像は上記の光太郎ランチと同様の、光太郎が実際に作ったメニューや使った食材などを参考にした「こうたろう弁当」制作の模様です。
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井形さんの「食」にかける思い。
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なるほど。

しかし、そこにとどまらず……。旧太田村の高村山荘(光太郎が戦後の7年間を過ごした山小屋)に移動してロケ。
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同感です。

最近見つけた、『高村光太郎全集』に漏れていた光太郎の長い談話筆記の一節。

 美はどこにでもある。といふことは結局美は発見だといふことです。美をみとめようとしない人には、美はわかりませんよ。そのかはり、美は発見しようとすればどこにでもあるといふのです。美は先刻もいつた通り、人間にとつて、もつとも根源的な力だから、美をみとめる力は誰しももつてゐるはずだけれど、それが心のなかで眼ざめずに眠つてゐるのだといへます。さういふ美にはぐれた人たちは実に気の毒です。それは美を発見する土台が与へられなかつたからだと思ひます。さういふ人は救はねばなりません。
 だから心をそこに留めれば美は至るところにあるわけで、私は本郷から上野までの間の道路を映画化して毎日何気なく通つてゐる道すぢに、無限の美があることを示さうとしたことがあるのです。それは道の上に落ちた木の葉とか、生垣、足跡、プラタナスのもとに立つたお巡りさん……といつたやうな日常平凡なものですが、それらの中に事実無限の美があるのです。

旧太田村の山小屋に移って約1年後の昭和21年(1946)9月1日『婦人朝日』第一巻第九号がソースです。題して「山里に美を語る」。

「映画化」云々は、一時16㍉カメラでの動画撮影に凝っていたことに由来すると思われます。昭和9年(1934)には、九十九里浜で千鳥と遊ぶ智恵子の姿もフィルムに収めました。しかし、カメラもフィルムも、昭和20年(1945)の空襲で焼けてしまいました。

閑話休題、「食」を足がかりとした光太郎顕彰、末永く継続して行かれることを願って已みません。

【折々のことば・光太郎】

東京では冬でも野菜が出来るのですが、ここの山の中では畠の上に雪が三尺近くかぶさつてゐて、雪のとける四月まではお休みです。村の人たちは雪の深い山へ炭焼に皆行つてゐます。その炭が東京の方へ行くのです。


昭和23年(1948)1月10日 高村美津枝宛書簡より 光太郎66歳

東京に住む令姪に宛てた葉書の一節です。何しろビニルハウスなども無かった時代ですから……。

新刊です。

おいしいアンソロジー 喫茶店  少しだけ、私だけの時間

2024年5月11日 阿川佐和子 他著 大和書房(だいわ文庫) 定価800円+税

「喫茶店」アンソロジー。お気に入りの喫茶店で時間をつぶす贅沢、喫茶店での私の決まり事、ふと思い出すあの店構え、メニューなど。
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目次
 コーヒーとの長いつきあい 阿刀田高
 贅沢な空気感の薬効 資生堂パーラー 村松友視
 淡い連帯 平松洋子
 国立 ロージナ茶房の日替りコーヒー 山口瞳
 喫茶店とカフェ 林望
 愛媛県松山 喫茶の町 ぬくもり紀行 小川糸
 喫茶店にて 萩原朔太郎
 変わり喫茶 中島らも
 初体験モーニング・サービス 片岡義男
 珈琲の美しき香り 森村誠一
 ニューヨーク・大雪とドーナツ 江國香織
 しぶさわ 常盤新平
 大みそかはブルーエイトへ シソンヌ じろう
 カフェ・プランタン 森茉莉
 気だるい朝の豪華モーニングセット 椎名誠
 富士に就いて 太宰治
 コーヒー色の回想 赤川次郎
 コーヒー 外山滋比古
 コーヒー屋で馬に出会った朝の話 長田弘
 しるこ 芥川龍之介
 コーヒー五千円 片山廣子
 一杯のコーヒーから 向田邦子
 喫茶店人生 小田島雄志
 喫茶店学 −キサテノロジー 井上ひさし
 可否茶館 内田百閒
 カフェー 勝本清一郎
 懐かしの喫茶店 東海林さだお
 芝公園から銀座へ 佐藤春夫
 東京らしい喫茶店 南千住『カフェ・バッハ』 木村衣有子
 〈コーヒー道〉のウラおもて 安岡章太郎
 喫茶店で本を読んでいるかい 植草甚一
 ミラーボールナポリタン 爪切男
 ウィンナーコーヒー 星野博美
 珈琲店より 高村光太郎
 ひとり旅の要領 阿川佐和子
 甘話休題(抄) 古川緑波
 あの日、喫茶店での出来事 麻布競馬場
 わが新宿青春譜 五木寛之
 カフェー 吉田健一
 コーヒーがゆっくりと近づいてくる 赤瀬川原平

古今のカフェ、喫茶店にまつわるエッセイ等を集めたアンソロジー。光太郎や内田百閒、萩原朔太郎あたりが最も古い部類でしょうか。ご存命の方々の作品も数多く。

光太郎作品は明治43年(1910)の雑誌『趣味』に発表された「珈琲店より」。前年まで留学のため滞在していたパリでの思い出が語られています。ただ、どこまでが事実なのかわかりません。午前0時近く、オペラを見終わった後、オペラ座近くのブールバールを歩いていて、たまたま見かけた3人組のパリジェンヌが入っていった珈琲店(「カフエ」とルビが振られていますが、)に自分も入って女達と陽気な時間を過ごし(珈琲店といいつつ酒がメインの店でした)、そのうちの一人を「お持ち帰り」……。翌朝、さんざんに人種的劣等感などに打ちのめされるという内容です。

この文章、令和3年(2021)に刊行された同じ趣旨のアンソロジー『近代文学叢書Ⅲ すぽっとらいと 珈琲』にも掲載されました。

それを言えば、昭和16年(1941)10月、光太郎の親友だった作家・水野葉舟は『青年・女子文章講義録 第6巻 名家の文章集』という書籍の「名家の書いた小品」というコーナーにこの文章を掲載しました。太平洋戦争開戦直前のこの時期、「これ、マズいでしょ」という感じなのですが(笑)。

閑話休題、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

なやみのあるのは人生の常でむしろその為に人間は進むのですから、なやむ時は正面からなやみ、そして勇気を以てそれをのり超える外はありません。いい加減にごまかしてなやみを回避してゐる人には進歩はありません。


昭和22年(1947)11月15日 浅見恵美子宛書簡より 光太郎65歳

さまざまなつまづきを経験し、悩みに悩んできた光太郎ならではの言です。それにしても、実にポジティブですね。

京都の和菓子店・一夢庵さん。主力はようかんマカロン。それぞれに『源氏物語』などの古典文学や「文豪」ということで近代文学、そして流行りの刀剣などをからめ、様々な商品を販売なさっています。

光太郎がらみもラインナップに入れて下さっていて、いつ頃商品化されたのかよくわからないのですが、最近気が付いて早速2点取り寄せしました。

まず「文豪ようかん 高村光太郎 智恵子抄 柚子味」。
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パッケージを剥くと、こんな感じ。一口サイズ的な。
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白あんベースにレモンならぬ同じ柑橘系ということで柚子ジャムが練り込まれています。

それから「文豪マカロン 高村光太郎 道程 塩キャラメル味」。
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こちらも一口サイズで、周りをキャラメルソースで固めています。どこに光太郎との関連が、という感じではありますが(笑)。まぁ。遊び心あふれる品々、ということで。

他に食品でない雑貨類もいろいろ販売されており、ようかんを切るナイフなども、絶大な人気を誇る「三日月宗近」や新選組鬼の副長・土方歳三の愛刀「和泉守兼定」だったりします(笑)。

ちなみに文豪は以下の通り。

芥川龍之介 有島武郎 泉鏡花 井伏鱒二  江戸川乱歩  尾崎紅葉 織田作之助 梶井基次郎  川端康成  河東碧梧桐 菊池寛 北原白秋 国木田独歩 久米正雄 小林多喜二  坂口安吾   佐藤春夫 志賀直哉 島崎藤村 高浜虚子 高村光太郎 太宰治  谷崎潤一郎 田山花袋 檀一雄 坪内逍遙 徳田秋聲 永井荷風 中島敦 中野重治 中原中也 夏目漱石 新美南吉 萩原朔太郎 樋口一葉 二葉亭四迷 正岡子規 宮沢賢治 武者小路実篤 室生犀星 森鷗外 山本有三   夢野久作 与謝野晶子

ようかんとマカロン、双方がある者と、片方だけの者とに分かれているようで、光太郎は双方あってありがたいところでした。

代金、送料等は以下の通り。
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クール宅急便での配送となり、その分、送料がちょっとかさみます。

ちなみに自宅兼事務所には悪い奴がいて、油断するとこうなります。過日、九州に行っていた妻の土産。
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犯猫(はんにゃん)。
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マカロンはまだ食べていないので、気をつけます(笑)。

皆様もぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

小屋につきますと文部省から手紙が来てゐまして、帝国芸術院会員に推せんするから承諾しろといふ事でした。あのよぼよぼな敬老院は閉口なので謝絶するつもりですが御意見如何でせう。


昭和22年(1947)10月16日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎65歳

結局、断りました。また、のちに昭和28年(1953)にも芸術院会員への推薦があったのですが、こちらも受けませんでした。

花巻で光太郎顕彰にあたられている民間の方々の活動をご紹介します。

まず「光太郎を知る会」さん。文字通りの会で、かつて花巻及び郊外旧太田村に足かけ8年を過ごした光太郎の生活ぶりなどを、当時の光太郎日記などの読み合わせをする読書会的な感じで繙いていく活動などをなさっています。今年2月に当方が花巻にお邪魔した際、わざわざお集まり下さいまして、懇談させていただきました。

かつて花巻では毎年5月15日、光太郎が昭和20年(1945)に花巻の宮沢賢治実家に疎開のため東京を発った日を記念して、「高村祭」が開催されていました。最初は「高村記念祭」という名称でしたが、いつの頃からか「高村祭」となりました。
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第一回は、光太郎が歿して2年後の昭和33年(1958)。宮沢家、そして賢治の主治医だった佐藤隆房、それから旧太田村民の皆さんたちなどの醵金で、光太郎が暮らした山小屋の套屋(カバーの建物)と初の本格的な光太郎詩碑が作られ、そのお披露目という意味合いもあったようです。光太郎実弟の豊周をはじめ、当会の祖・草野心平や伊藤信吉、会田綱雄ら、錚々たるメンバーも来花。おそらく当会顧問であらせられた北川太一先生も列席なさったのではないでしょうか。

その頃撮られたと推定される16㍉フィルムから。
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もう少し後、昭和40年頃の絵葉書から。
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高村祭はこの詩碑の前で連綿と続けられていたのですが、コロナ禍前の令和元年(2019)に行われた第62回以後、途絶しています。再開のめどは立っていません。

そこで、「光太郎を知る会」さん、その代わりにということで5月15日(水)に詩碑前にお集まり下さり、皆さんで詩碑に献花、さらに光太郎詩の朗読をなさったそうです。ちなみに詩碑の地下には、分骨的に光太郎の遺髯が埋められています。
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かつての高村祭では、こうした朗読は市内の学校の生徒さんが行って下さっていましたし、児童の皆さんは器楽合奏や歌唱など、さらに途絶する直前には花巻農高さんによる鹿踊りの披露もありました。器楽合奏は高村祭が始まった頃には、実際に光太郎から寄贈された楽器を使用してのものでした。

そうした若い世代の光太郎顕彰行事参加の機会が無くなってしまったことに危機感を抱き、地元の太田振興会さんで、昨日このブログでご紹介した 「五感で楽しむ光太郎ライフ」を企画なさったという流れです。

さて、もう一つの顕彰団体、やつかの森LLCさんの取り組み。

まず、GW中の5月4日(土)、5日(日)に開催された、「土澤アートクラフトフェア2024春」へのご参加。こちらは光太郎と交流のあった画家・萬鉄五郎の出生地である花巻市東和町を会場に「絵画、陶芸、木工、アクセサリー、イラスト、写真、革製品、ガラスなど色々な手作りの品物が並ぶアート市。展示会場は、空き家・空き地はもちろん、営業中の店舗や、実際に生活している家屋まで、さまざまな場所が利用され、商店街や美術館前が彩られます。」だそうで。

光太郎が自作したメニューの現代風再現や、光太郎が使った食材の活用など、「食」を中心とした光太郎顕彰活動がメインのやつかの森LLCさんですので、お弁当の販売で参戦なさったとのことです。
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初日は110食、45分で完売だったそうです。すごいですね。

それから、5月15日(水)、毎月恒例の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、毎月15日に限定販売されている豪華弁当・光太郎ランチ。メニュー考案にやつかの森LLCさんが入られています。
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何事も継続していくことは困難も伴うと存じますが、今後ともよろしくお願い申し上げます。

ちなみに「土沢アートクラフトフェア」の件、光太郎智恵子顕彰にあたる東北の人々というコンセプトで6月1日(土)、NHKさん東北6県向けの「ウイークエンド東北」という番組内で取りあげられるそうです。詳細が入りましたらまたご紹介いたします。

【折々のことば・光太郎】

もう秋でススキ、ハギ、ヲミナヘシがさかん。栗もキノコももう直です。

昭和22年(1947)9月25日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎65歳

山小屋周辺で採れる栗やキノコは貴重な食材でした。

昨日に引き続き、光太郎第二の故郷・花巻ネタで。

まずは花巻で光太郎顕彰活動に当たられているやつかの森LLCさんによる、「こうたろうカフェ」。同市郊外、旧東和町にある「ワンデイシェフの大食堂」さん。日替わりで一般の方々が調理を担当されるというレストランですが、やつかの森LLCさんが「こうたろうカフェ」として出店なさっています。

先月26日の「こうたろうカフェ」で饗されたのがこちら。
3月ワンデイ
3月ワンデイ (2)
甘酒・ガレット・シュークルート
鶏団子のスープ
バッケ味噌ご飯・茶碗蒸し・おひたし 白身魚の黒酢あんかけ (2)
ベリーベリーベリーアイス
3月メニュー表
お品書きは「林檎の甘酒」「ほっけ味噌ご飯」「ビアソーセージのガレットロール」「白身魚の黒酢あんかけ」「ふきのとうとチーズの茶碗蒸し」「紅菜苔のおひたし」「春野菜の鶏団子スープ」「お新香」「カフェドシトロン」「ベリーベリーベリーアイス」。

光太郎日記などを元に、光太郎が実際に作った料理を現代風にアレンジしたり、光太郎が使った食材を取り入れたりして考案されています。

この充実のメニューで驚きの1,000円。固定ファンがついているようで、今回はメニュー公開前から予約で満席だったそうです。

続いて、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、毎月15日に限定販売されている豪華弁当・光太郎ランチの今月分がこちら。
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やはりやつかの森LLCさん考案によるメニューが、「白六穀ごはん」「筍ごはん」「ホッケの塩焼き」「茹で豚肉の香味ダレがけ」「ほうれんそうとコーンのバター炒め」「カッコ菜の酢味噌和え」「塩麹卵焼」「漬物」「フルーツ白玉」。

これもいい感じですね。

あまり食材等には詳しくない当方、「こうたろうカフェ」の「紅菜苔」というのは存じませんでしたし、「光太郎ランチ」の「カッコ菜」というのも「?」。調べてみましたところ山菜の「野萱草(のかんぞう)」の東北方言のようでした。「野萱草(のかんぞう)」と言われても分からないのですが(笑)。

「こうたろうカフェ」「光太郎ランチ」、それぞれ末永く愛され続けてほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

此処ではジヤガイモもやつと芽が出たところです。茄子のいつかいただいた種子が苗になりかかつてゐます。今年は去年より二割増しのつもりでやつてゐます。ゴマもまきました。紅花をまきました。食料兼染料です。 酸性土壌のため出来ないとされてゐたハウレン草がタンカルで中和したら立派に出来ました。

昭和22年(1947)6月3日 小森盛宛書簡より 光太郎65歳

こんな感じで野菜類は概ね自給できていました。「タンカル」は炭酸カルシウム。かつて宮沢賢治が肥料として推奨していたものです。

道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、日記などを元に光太郎が作ったメニューを現代風にアレンジし、毎月15日に限定販売されている豪華弁当・光太郎ランチ。メニューの考案などにあたられている「やつかの森LLC」さんから今月分の画像を送っていただきました。
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今月のメニューは「白六穀米ご飯」「じゃがいもピラフ」「豚肉と大豆のトマト煮込み」「鮭の昆布巻き」「ほうれん草とベーコンの炒め」「大根煮」「塩麹卵焼き」「お新香」「みかん」だそうで。

もう1件、こちらは来週、3月26日(火)です。花巻市東和町の「ワンデイシェフの大食堂」さん。日替わりで一般の方々が調理を担当されるというレストランですが、「光太郎ランチ」のメニュー考案に当たられている「やつかの森LLC」さんが「こうたろうカフェ」として出店なさいます。昨年11月以来4ヶ月ぶりです。

メニューが既に公示されています。「生ハムのガレットロール」「白身魚の黒酢あんかけ」「ふきのとうとチーズの茶碗蒸し」「紅菜苔のおひたし」「お新香」「りんごの甘酒」「バッケ味噌ご飯」「春野菜の鶏団子スープ」「ベリーベリーベリーアイス」「カフェドシトロン」だそうで。「バッケ」は現地の言葉でふきのとう。蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋周辺にいくらでも生え、光太郎が愛した食材です。
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この充実のメニューで1,000円とのこと。都市部では考えられませんね。

いつも書いていますが、「食」からの偉人の生き様へのアプローチも大いに意義のあることと存じます。末永く続いて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

電報いくども読みかへしましたが水野君亡くなられたとどうしても読めます。まさかと思ひますが、結局やつぱりさうなんでせう。今何もいふこと出て来ません。

昭和22年(1947)2月5日 水野葉舟家中宛書簡より 光太郎65歳

明治後期の第一期『明星』以来、光太郎の一番の親友だった葉舟水野盈太郎が歿しました。大正12年(1923)の関東大震災以後は東京を離れ、千葉の遠山村(現・成田市)で半農生活に入り、その意味では光太郎の大先輩でした。

光太郎の落胆、いかばかりだったことでしょう。

昨日は現代アート系で『智恵子抄』オマージュ、レモンの描かれた作品をご紹介しましたが、本日は智恵子の故郷・福島二本松からグルメ系で。

地方紙『福島民友』さん、2月21日(水)の掲載記事です。

高村智恵子にちなんだ「れもん味噌」 甘くてさっぱりした新商品

 二本松市振興公社は詩人・彫刻家高村光太郎の妻で、光太郎の詩集「智恵子抄」の「レモン哀歌」でも知られる二本松市出身の洋画家高村智恵子にちなんだ新商品「れもん味噌(みそ)」(350円)を発売した。
 防腐剤などを使っていない広島県安芸津町産のレモンを使用し、少し甘くてさっぱりとした味が特徴。とんかつやカキフライ、なす焼きや魚の塩焼きなどのほか、おにぎりに塗ってもおいしいという。
 二本松市の道の駅安達では、れもん味噌を使った新メニュー「れもん味噌添え大葉とチーズのチキンかつ丼」(800円)を上り線で、「れもん味噌添えアジフライとカキフライ定食」(800円)を下り線で販売している。問い合わせは二本松市振興公社(電話0243・61・3100)へ。
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同じ件でさらに一般社団法人にほんまつDMOさんのサイトにも告知が。

智恵子をイメージした、レモン商品第5弾が登場!

 道の駅安達で、高村智恵子をイメージさせるレモンを使った商品の第5弾が14日、登場しました。広島県産レモンと地元の味噌を組み合わせた「れもん味噌」で、ちょっと甘くてさっぱりした爽やかな風味が特長。上下線の食堂では同日かられもん味噌を使った定食もメニュー化しています。
 智恵子抄の「レモン哀歌」に智恵子と光太郎の純愛がつづられていることから、智恵子の里にある同駅はレモンサブレやレモンケーキ、レモンライスの素など、レモンにこだわったオリジナル商品を販売しています。
 れもん味噌は75g入り、350円。トンカツや魚フライをはじめ、おでん、青菜和え、おにぎりなどと相性抜群で、幅広いメニューに活用できます。また、食堂でもサービスが始まり、上り線は大葉とチーズのチキンカツ、下り線はアジフライとカキフライの各定食にれもん味噌を添えて提供しています。問い合わせは道の駅安達(電話0243-61-3100)へ。
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確かに揚げ物に添えるとさっぱりしそうですね。

他のレモン系グルメ商品はこちらをご参照ください。

【折々のことば・光太郎】

山林では今茸の出さかりで路傍の草むらにいろいろの食茸が面白いほど出て居り、それをとつて朝のみそ汁などに入れます。智恵子が居たらと時々思ひます。

昭和21年(1946)10月11日 秋広あさ子宛書簡より 光太郎64歳

もう少し経つと「智恵子はしかも実存する。/智恵子はわたくしの肉に居る。」(詩「元素智恵子」昭和24年=1949)という境地に達するのですが……。

紹介すべき事項が山積しておりまして、せっかく情報をご提供いただいても取り上げるのが遅くなってしまい、申し訳なく存じます。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんがメニュー考案に携わられ、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナントのミレットキッチンフラワーさんで毎月15日に販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」の今月分です。
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メニューは「ちらし寿司」「白米ご飯」「豚肉とじゃがいもの炒め」「焼き鮭」「切り干し大根とふのりの酢の物」「長芋の塩昆布和え」「塩麹卵焼き」「豆銀糖とりんご」「お新香」だそうで。

基本的には日記等から光太郎が実際に作った料理や使った食材を参考にし、現代風にアレンジしています。

やつかの森LLCさん、この他にもいろいろと活動に当たられています。

先月22日には光太郎が山小屋(高村山荘)で7年間の蟄居生活を送った旧太田村の上太田山関振興会館さんで、出前講座 「光太郎のハイカラ料理を知ろう」。

花巻市では、各種市民団体や、学校さんや企業さんなどで特定の内容の講座を受けたいという場合に「この人の、あるいはこのグループのこういう講座を開いてほしい」と要望を出せば、それが実現する「出前講座」というシステムがあるそうです。やつかの森LLCさん、昨年10月にもやられていました。

先月の様子がこちら。
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やはり光太郎グルメ系で実際に調理。
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「食」からのアプローチは、偉人を身近に感じる一つの手だてですね。

さらに今月16日には、花巻南高校さんを会場に行われた岩手県高教研国語部会中部支部の研修に呼ばれ、お話をなさったそうです。対象は高校の国語の先生方が中心で、他に南高文芸部の生徒さん、家庭クラブ顧問の先生も参加されたとのこと。
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タイトルは「こうたろう散歩道 山小屋暮らしの高村光太郎」。光太郎のプロフィール、宮沢賢治とのかかわり、旧太田村での生活などをお話しされたとのこと。

意外といえば意外でしたが、岩手の高校の国語の先生方の中にも、光太郎詩「雪白く積めり」(昭和20年=1945 高村山荘敷地内に詩碑あり)をご存じなかった方がけっこういらしたとのこと。まぁ地元でも専門外であればそんなものなのかも知れませんが。

やけに長い尺を与えられたそうで、寸劇を入れたり、やつかの森LLCさんお得意の食事方面のお話をされたりもなさったとのことでした。
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今後とも多方面でご活躍いただきたく存じます。

【折々のことば・光太郎】

小生多分来月三日か四日頃又お邪魔に参上、今度は七日頃まで御厄介に相成度存じ居ります。その間に一度お風呂もいただきたくお願申上げます。

昭和21年(1946)9月29日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎64歳

旧太田村から花巻町中心街に出る際には、山小屋に移る直前の前年9月から10月にかけ、厄介になっていた総合花巻病院長・佐藤隆房宅の離れ(潺湲楼)に宿泊するのが通例でした。

この頃は山小屋に風呂が無く、佐藤邸で入浴するのを楽しみにしていた部分も。佐藤邸が花巻の桜町なので、光太郎は巫山戯て「桜温泉」と呼んだそうです。

光太郎第二の故郷、岩手花巻からの情報を2件。

まずは道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナントのミレットキッチン花(フラワー)さん販売の豪華弁当「光太郎ランチ」。毎月15日の限定販売で、メニューは光太郎の日記などを元に、光太郎が作った料理や使った食材などを研究、現代風にアレンジし、彼の地で光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの考案です。

今月15日分がこちら。
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小豆飯、ゆかりご飯、ブリの醤油麹焼き、豚肉のトマトケチャップ炒め、キャベツの煮浸し、かぼちゃ煮、塩麹入り卵焼き、干し柿入り甘酒ゼリー、大根の漬物だそうです。今月はご飯が2種類でボリューミーですね。しっかりデザートもついています。

もう1件、全く別件です。

昨年11月2日(木)、花巻高村光太郎記念館さんで開催されていた企画展示「光太郎と吉田幾世」の関連行事としまして、同題の市民講座を当方が致しました。その動画が今月いっぱいYouTube上に上げられるそうです。
無題
会期中にあがるのかな、と思っていたのですが、このタイミングでの公開。まぁ担当各所もいろいろお忙しいと存じますので、いたしかたありますまい。

当方としては自分がべしゃっくっている動画はあまり見たくないのですが、テロップを付けていただき、誤字脱字等ないか確認してくれということでしたので拝見しました。もうちょっとしっかりしゃべれよ、という感じです。

三本に分割されています。リンクを貼り付けておきますのでよろしくお願い申し上げます。
 令和5年度高村光太郎記念館講座「光太郎と吉田幾世」①
 令和5年度高村光太郎記念館講座「光太郎と吉田幾世」②
 令和5年度高村光太郎記念館講座「光太郎と吉田幾世」③

【折々のことば・光太郎】

里から此の小屋に来るまでの道路に熊の出るやうな所はありませんが、小屋のあるところよりも奥へゆくと出るやうです。去秋茸取りの人達が逃げて帰つてきた事があります。小生猟師から熊膽を求めました。


昭和21年(1946)5月6日 喜田聿衛宛書簡より 光太郎64歳

昨年の花巻は熊の出没がものすごく、市街地でもたびたび目撃情報がありました。当方もレンタカー運転中にちらっと見かけたような気がしています。先週は隣接する北上市のショッピングセンターに冬眠しそこねたと思われる子熊が侵入とのことで、ニュースになりました。

花巻郊外旧太田村の山小屋付近、現在も熊が生息していますが、かえって光太郎がいた頃はあまり里には降りてこなかったようです。この頃の方が共存が図れていたということなのでしょうか。

光太郎が戦後の7年間を過ごした山小屋(高村山荘)にほど近い道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」。道の駅テナントのミレットキッチン花(フラワー)さんの商品で、光太郎の日記などを元に、光太郎が作った料理や使った食材などを研究し、現代風にアレンジしています。

今年最後の販売が12月15日(金)。メニューの考案等に当たられているやつかの森LLCさんから画像が届きました。
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今月のメニューは「青豆入り麦飯」、「白六穀御飯」、「牛かつ」、「里芋とイカの煮付け」、「大根のバター炒め」、「キャベツの甘酢和え」、「チョコレートムースとりんご」、「塩麹入り卵焼き」、「お新香」。彩り的にも何となくクリスマスっぽい感じですね。

作りたてが味わえて、このボリュームで800円。さまざまな物品等の価格高騰の折、予算内におさめるのがなかなかに大変なようです。おそらく地産地消的な部分で食材の仕入れ価格も都会よりは安く抑えられるから可能なのでしょう。

概ねすぐに完売するそうですが、来年以降も愛され続けて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

何と申上げてよいか分からぬやうな新年がまゐりましたが、ともかくも無事に越年して新春を迎へた事はやはりうれしい気がいたします 謹んで御慶申納めます。今年こそ最悪の年だらうと言はれてゐますがどうか国民が間違を起さずにそれを乗り切つてくれるやうにと思つて居ります。


昭和21年(1946)1月3日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎64歳

前年の敗戦から4ヶ月。新しい年がやってきましたが、GHQの占領方針なども一般国民には不透明な中、この国は何処に向かうのだろうという不安を抱えての新年スタートでした。

もうすぐ令和6年となりますが、違った意味でこの国は何処に向かうのだろうという不安を感じざるを得ないこの年末です。

光太郎第二の故郷・岩手県花巻市で光太郎顕彰活動にあたられているやつかの森LLCさん。同市土沢にあるレストラン・ワンデイシェフの大食堂さんで、「こうたろうカフェ」としておおむね月に一度出店なさっています。一般の皆さんが店の調理場を借りてランチを作り、それを販売するというシステムなので「ワンデイシェフ」というわけです。

11月28日(火)に「こうたろうカフェ」出店があったということで、画像等送っていただきました。
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光太郎の日記などを元に現代風にアレンジしたメニューを組み、光太郎に親しんでもらおうという取り組みです。

今回のメニューは下記画像の通り。
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「新米ご飯」、「キャッシュトースト」、「鮭のムニエル」、「野菜畑のローストチキンテリーヌ」、「ごぼうチップス」、「ミネストローヌスープ」、「シュークルート風浅漬け」、デザートに「焼き林檎のアイスクリーム添え」(林檎は光太郎の暮らした山小屋近くの林檎園のもの)、「アメリカンコーヒー」だそうで、いつもながらバラエティーに富んでいますね。早めのクリスマスバージョンというコンセプトだそうです。

予約ががっつり入り、過去最高の42食、スタッフ分を併せて51食分を作られたとのこと。今年は鮭が不漁ということで、中々手に入るめどが立たず苦労なさったそうでした。

いつも書いていますが、「食」へのこだわりも一方ならぬものがあった光太郎、その方面からのアプローチも大切なことです。

現地ではこれから雪深い季節となるため、「こうたろうカフェ」としての出店はしばらくお休み、次回は3月だそうです。その間にこれまで(5月から計7回行われたそうで)の検証と今後のメニュー作りに当たられるとのことですが、もう予約が入っているそうで、盛況ぶりが何よりです。

再開後のさらなる飛躍を期待します。

【折々のことば・光太郎】

太田村には今小屋が建ちつつあります。うしろに山を負ひ、前に山清水がわき、畑と林とに囲まれたところ。開墾が楽しみです。明日又検分にゆきます。人情実に純朴。ほんとの日本の山村です。稗とおジヤガを主食として小生もやります。山羊を飼つて栄養と肥料をとります。山には兎が多く、これから茸で一ぱいのやうです。


昭和20年(1945)9月15日 小盛盛宛書簡より 光太郎63歳

約1ヶ月後の10月17日に太田村に移り、しばらく山口分教場の宿直室に寝泊まりしながら小屋の造作を整え、独居生活を始めます。

山羊を飼ったり兎を捕ったりということは実現しませんでしたが、野菜類の自給自足(ほぼ、ですが)、茸や山菜などの採集は実際に行われました。

道の駅はなまき西南愛称・賢治と光太郎の郷)さんに入っているテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんが、光太郎の日記などを元に現代風にアレンジしたメニューを組み、毎月15日に限定販売されている豪華弁当・光太郎ランチ。メニュー考案等に当たられているやつかの森LLCさんから今月分の画像を送っていただきました。
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今月のメニューは「アマランサスご飯」「大根餅」「牛すき煮」「魚のムニエル」「白菜と菊花のお浸し」「キャベツのオイスターソース炒め」「りんご入りさつまいも巾着」「塩麹入り卵焼き」「お新香」。ちゃんと栄養バランスも考えた上で、いい感じの品々が詰め合わさっています。

やつかの森LLCさん、これ以外の活動として、不定期に(おおむね月イチで)花巻市東和町の「ワンデイシェフの大食堂」さんに「こうたろうカフェ」としてご出店なさっていますが、今月は1週間後の11月28日(火)だそうです。

「食」からの光太郎へのアプローチ、これもまた一つの方法ですね。光太郎自身、昭和27年(1952)に行われた座談会「簡素生活と健康」では「食べ物はバカにしてはいけません。うんと大切だということです」と発言しています。

そちらもこんな料理を饗しましたというご報告を頂きましたらご紹介します。

【折々のことば・光太郎】

御申越の詩集について左の通り略定めました。 ○書名 詩集「花と実と」(或は「花と実」) ○頁数 十二行詰六〇頁程 ○篇数 三〇篇ほど ○内容 草木の花、果実、蔬菜、穀類などを短章の詩にうたひたり。日本の山野に取材せるもの多し。

昭和20年(1945)7月4日 鎌田敬止宛書簡より 光太郎63歳

終戦直前のこの時期、こんな詩集を出すことを構想していました。戦争の敗色濃厚ということもあり、もはや翼賛詩は阿呆らしくて書けないという感じだったかも知れません。「果実、蔬菜、穀類など」を謳うとのことでしたが、この後の花巻空襲、終戦の玉音放送、花巻郊外旧太田村への移住などのバタバタで、結局この詩集の計画は頓挫しました。入れる予定だった詩篇は断片的に残ってはいますが。

これが実現していたら、「光太郎ランチ」「こうたろうカフェ」などのよいネタになったことでしょう。

過日立ち寄った日本橋の丸善さんではズドンと平積みになっていました。

味つけはせんでええんです

2023年10月20日 土井善晴著 ミシマ社 定価1,600円+税

「なにもしない」料理が、地球と私とあなたを救う。

AIの発達、環境危機、経済至上主義…基準なき時代をどう生きるか? 人間とは、自由とは、幸せとは。「料理」を入り口に考察した壮大な著!

土井節炸裂、一生ものの雑文集。『ちゃぶ台』の名物連載、ついに書籍化。

レシピとは人の物語から生まれたお料理のメモ。他人のレシピは他人の人生から生まれたもの。でも本来、料理は自分の人生から生まれてくるものです。それがあなたの料理です。つたなくっても、自信がなくっても、私はいいと思います。「味つけせんでええ」というのは、それを大切にすることだと思っているのです。一生懸命お料理すればそこにあなたがいるのです。お料理するあなたが、あなたを守ってくれるのです。――「まえがき」より
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目次002
 まえがき
 1 料理という人間らしさ
 2 料理がひとを守ってくれる
 3 偶然を味方にする――「地球と料理」考
 4 味つけはせんでええんです
 5 料理する動物
 6 パンドラの箱を開けるな!

料理研究家の土井善晴氏によるエッセイ集。元々は『生活者のための総合雑誌 ちゃぶ台』(ミシマ社)に連載されたものの加筆・修正だそうです。

第1章「料理という人間らしさ」で、光太郎詩「火星が出てゐる」(大正15年=1926)が引用されています。長い詩なので第一連のみですが。

 要するにどうすればいいか、といふ問は、
 折角たどつた思索の道を初にかへす。
 要するにどうでもいいのか。
 否、否、無限大に否。002
 待つがいい、さうして第一の力を以て、
 そんな問に急ぐお前の弱さを滅ぼすがいい。
 予約された結果を思ふのは卑しい。
 正しい原因にのみ生きる事、
 それのみが浄い。
 お前の心を更にゆすぶり返す為には、
 もう一度頭を高く上げて、
 この寝静まつた暗い駒込台の真上に光る
 あの大きな、まつかな星をみるがいい。

土井氏、この中の「予約された結果を思ふのは卑しい。」に着目され、「結果ではなく今という人生の道中に目的があるのです」と書かれています。そしてそれが料理法にも及んでいくことになります。

テレビ番組の収録にからめ……

 料理するとき、材料を見て、なにをつくろうかと思うわけです。たとえ、自分のレシピであっても数字を参考にすると、私が台本に書かれていることを読むのと同じで、文言に囚(とら)われて感性がオドオドして、働かなくなるのです。
 それって、何も考えなくてよいから、楽ちんなんですね。おいしいレシピどおりにつくるという結果だけを目的にすると、機械的な作業になって、自分の作る料理でも、無関心、無責任でいられるんです。


それじゃつまらん、ということでしょう。

ところが予定通り、レシピ通りにいかないこともあるわけで……

 「あーしたらこうなる」という化学の論理は、自然に生かされる私たちの生活にも、人間関係にも、料理にも当てはまりません。自然も人生も複雑で、そんなに単純にうまくいくはずがないことは、よくわかっているはずです。

だから料理の現場にAIの導入などもってのほか、という方向に話が進みます。そして題名の通り「味付けはせんでええんです」。

事細かに「このメーカーのこの調味料をこう使って、隠し味に××を忍ばせ、火加減はこのくらいで何分何十秒……」という方法は否定されます。逆に大胆に味付けは最低限だけ、あとは食べる人が自分の好みに合わせて塩胡椒(「智恵子抄」ではありません(笑))をふったりしてくれればよい、的なことまでおっしゃっています。和食の理念でもありますね。素材の味を生かすこと。

ストンと落ちました。当方、ケチャップやらマヨネーズやらの調味料でギトギトになったものは大嫌いです。市販のハンバーガーなどは食べられません。コンビニやサービスエリアなどでフランクフルトやアメリカンドッグ等を買う際も、店員さんが辛子とケチャップを付けて下さろうとすると「いりません」。

さらに土井氏曰く、

日本人の清潔感とは、「なにもない」を好むことのあらわれです。なにもないところに、ごく小さな変化が表れるとき、私たちはそれに気づくことができるのです。ですから、味つけは飾りであり、ときに邪魔にさえなるのです。

器に盛られたお料理を見て、季節を喜び、箸でつまんで想像して口に入れるんですね。自分の想像を超えておいしければうれしくなるでしょう。自分で感じとるから、一層おいしくなって楽しめるのです。


だから料理店などでは、シェフ氏やら板前さんやらウェイター・ウェイトレスさんやらが「食材のいわく因縁、つくり方を丁寧に、ときに小さなガッツポーズを入れながら解説」などしなくてよろしい、というわけです。そういうのは「だからうちのシェフはすごいのだ、心して味わえ」と言っているようなものとのこと。これも客が水戸黄門の印籠よろしく「ほおお!」となることを期待しての行動とすれば、「火星が出てゐる」の「予約された結果を思ふのは卑しい。」にも通じ、その通りだと思いました。

同書に挟まっていた、版元のミシマ社さんのリーフレット『ミシマ社通信』。
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土井氏同様、なかなか気骨のある出版社さんのようです(笑)。

さて、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

わざわざお使でお見舞下され忝く存じます、今焼跡でお話しいたして居るところです、御丹精の青いもの筍など何よりありがたく、又雑誌も拝受、お礼までいただき恐縮しました。

昭和20年(1945)4月17日 羽仁もと子宛(推定)書簡より 光太郎63歳

本郷区駒込林町の光太郎アトリエ兼住居は4月13日の空襲で全焼しました。そのことを伝え聞いた婦人之友社で火事見舞いの使者として社員(?)を派遣、前月の『婦人之友』への光太郎寄稿の原稿料、さらに野菜や筍を貰った礼状です。

アトリエ兼住居が全焼ということで、手元に紙もなく、何とまあ焼け跡に落ちていたコンクリートブロックの破片に上記の文面を書いて(筆記用具は持っていたのか、借りたかしたのでしょう)、使者に託しました。同誌の4月号(奥付は4月1日ですが、実際の発行はかなり後)に載ったものからの引用ですが、コンクリートブロックに書かれた現物が現残していたら不謹慎かも知れませんが実に面白いと思います。

光太郎第二の故郷、岩手花巻で光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさん。活動報告をお送り下さいまして、そこからご紹介させていただきます。

グルメ系で、花巻市土沢地区にある「ワンデイシェフの大食堂」さんでの取り組み。同店は一般の皆さんが店の調理場を借りてランチを作り、それを販売するというシステムです。やつかの森LLCさんでも、不定期ながらおおむね月に一度、「こうたろうカフェ」としてランチをご提供。

一昨日が「こうたろうカフェ」で、その画像等が届きました。
メニュー看板
メニュー表 (2)
本日のランチ
香茸おこわ、鶏もも肉 リンゴのソテー
ハムのトッピング
洗い場基本的には、日記等から読み取れる、光太郎が自分で作ったメニューや使った食材などを現代風にアレンジして、ということですが、かなり本格的ですね。メニューは画像にもありますが、文字起こししますと、以下の通り。

 ・香茸おこわ
 ・ピザトースト
 ・鶏もも肉のマスタード焼き
 ・青菜のエチュベ
 ・しめじの菊花和え
 ・赤ささげ豆煮
 ・南瓜の野菜スープ
 ・お新香
 ・栗入り小豆寒天
 ・アメリカンコーヒー


季節感もたっぷりです。

以下、画像が添えられていたメール本文からコピペ。

・鶏もも肉のマスタード焼き 粒マスタードに蜂蜜を入れてます。
・付け合わせは、マカロニポテトサラダ、ハムのせ
・りんごは、バターで焼くと甘くなっておいしいです。
・青菜のエチュベは、ほうれん草、小松菜、豆苗、キャベツのバター味の蒸し煮です。
・バターナッツカボチャは、スープに合います。サツマイモ、玉ネギ、ササゲ、ベーコンなど具沢山です。
・香茸おこわは、香りが良くて、初めの方も沢山いらっしゃいました。
・煮豆は、程よい甘味に仕上げてます。
・シメジの和え物は、和風だしで菊花の食感と香りを楽しみます。
・ピザトーストは、アンチョビソースをベースにして、パプリカと紫玉葱のスライス、こんがりチーズの上に塩ゆでしたむきエビをのせて焼きました。
・仕上げにイタリアンパセリを添えます。
・デザートは、ほんのり甘く煮た栗をあずき寒天に閉じ込めました。コーヒーに合います。
・太田産の食材を使い、秋を満喫していただければ幸いです。お腹いっぱいのこうたろうカフェのランチでした!

「太田」は光太郎が7年間暮らした旧太田村(現・花巻市太田)です。

驚いたのは、平日昼間にもかかわらず、用意した32食分があっという間に完売とのこと。大都会、あるいは地方でも有名観光地とか利便性の良い商業施設内とかならいざ知らず、失礼ながら、そういう場所ではありません。「こういうことを始めます」とお知らせを頂いた今春、これまた失礼ながら「あんな立地のところで成り立つんだろうか?」と心配したのですが、杞憂に終わったようです。常連さんもついたそうですし。

それもこれも料理のおいしさ、さらに価格の点(ワンデイシェフの大食堂さんの共通取りきめで1,000円)もあるのでしょう。

もう1件、やつかの森LLCさんの活動。「出前講座」だそうです。

花巻市では、各種市民団体や、おそらく学校さんや企業さんなど、講座を受けたいという場合に「この人の、あるいはこのグループのこういう講座を開いてほしい」と要望を出せば、それが実現するというシステムがあるそうで、それが「出前講座」です。

依頼主はどういう団体か当方は存じませんが「わかくさ新緑の会」という方々だそうで、テーマは「高村光太郎のハイカラ料理を知ろう」とのこと。

調理法の講座というわけではなく、料理はあらかじめ、やつかの森LLCさんと以前にもコラボなさった盛岡郊外の紫波郡矢巾町にあるTOM CREPERIE&DELIさんがご用意。

メニュー
トム特製ランチ
やつかの森LLCさんは、寸劇の形で旧太田村時代の光太郎をご紹介なさったそうです。
勝治先生と吉田幾世
洗い場 洗い場
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郵便荷物届ける女先生
洗い場 洗い場
現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展示「光太郎と吉田幾世」にもからめて下さったそうです。

バイタリティー溢れる各方面でのご活動、頭が下がりますし、光太郎の世界をご紹介下さり、有り難く存じます。偉人の顕彰といっても、何も小難しい文章を書いたり何だりではなく、こういう切り口も大いにありだな、と存じます。全国の各種顕彰活動に携わる皆さん、御参考までに。

【折々のことば・光太郎】

八木重吉さんの詩集決定版のやうなものがあなたの手で編まれ、書物展望社から出る運びとなられた由、およろこび申上げます、題字も書きませう、お示しのどちらの題名がよいか小生も迷ひます、

昭和18年(1943)12月27日 八木登美子宛書簡より 光太郎61歳

八木重吉は光太郎より15歳年下の詩人。昭和2年(1927)に結核のため、早世しました。その遺稿を未亡人・登美子が戦時中も守り続け、昭和17年(1942)は光太郎や八木と親しかった草野心平らの尽力で『八木重吉詩集』が刊行されましたが、誤植等が多く、改めて登美子の編集による決定版詩集の刊行が企図されました。

登美子はその題字揮毫を光太郎に依頼し、それに対する返答です。この時登美子が題名の候補として挙げたのが「麗日」「花がふつてくるとおもふ」。それぞれ重吉の詩の題名ですが、どちらかを詩集の題名にも使おう、というわけでした。

光太郎は二種類とも揮毫し、登美子に送りましたが、やはり戦時中ということもあり、個人での出版は不可能で、光太郎の揮毫はお蔵入りとなりました。現物は神奈川近代文学館さんに収蔵されています。

月に一度はネタを提供していたけだるので、非常に助かっております(笑)。光太郎が戦後の七年間蟄居生活を送った山小屋(高村山荘)に近い、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん内のテナント・ミレットキッチンフラワーさんで毎月15日に限定販売される「光太郎ランチ」、今月分の画像等が届きました。
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003毎月、かつて光太郎が自分で作った料理や、使った食材などを現代風にアレンジして、構成されています。

今月のメニューは以下の通り。

 ・ サツマイモご飯
 ・ 新米ご飯
 ・ 焼き鮭松茸添え
 ・ 蛸と里芋煮
 ・ 風呂吹き大根
 ・ 大根葉の塩昆布和え
 ・ キノコソテー
 ・ 塩麹入り卵焼き
 ・ お新香
 ・ リンゴ

何と、松茸が使われています。今年は夏の暑さとその後の残暑で、キノコ類全般が不作だとのことですが……。

リンゴも今秋収穫されたものなのでしょう。リンゴ中毒の当方としては(笑)、早く岩手の新リンゴを食べたいものです。
 
令和2年(2020)の10月15日に「光太郎ランチ」販売が始まりましたので、丸3年が終わり、4年目に突入したわけですね。末永く続いて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

今度僕の家の隣に八百屋さんが開業しました、これで大いに助かります。ついでに肴屋さんと肉屋さんでも出来ればいいと思つてゐます、 外食券のお礼その他一筆

昭和17年(1942)4月11日 風間光作宛書簡より 光太郎60歳

東京の食糧事情、まだ新規に開店する店舗があるくらいには余裕があったのですね。

「外食券」は、単身の勤め人など自炊をあまりしない者に米の配給の代わりとして配付された券です。これを持って「外食券食堂」に行けば、外食が出来たというわけです。この書簡は風間から外食券を貰った礼状です。

この時期の光太郎に「光太郎ランチ」を饗したら、あまりの豪華さに目を回したでしょう(笑)。

花巻グルメ系、2件ご紹介します。

まず、光太郎顕彰にあたられているやつかの森LLCさんが「こうたろうカフェ」として月イチで出店されている花巻市土沢地区の「ワンデイシェフの大食堂」さん。9月13日(水)がご出店日でした。

かつて光太郎が実際に作ったメニューを現代風にアレンジしたり、光太郎が使った食材を取り入れたりしたメニューは以下の通り。

栗ご飯、アンチョビサンド(軽くトーストしたバケットにレタス・チーズ・ドライトマトをのせアンチョビソースとオリーブオイル)、ピーマンの肉詰め(人参・コーン・エリンギを細かいサイノメに切り和風だしのあんかけに)、林檎とナッツのサラダ(リーフレタスに皮つきのリンゴを刺してオシャレに盛り付け)、夕顔のポトフ(大きめに切った夕顔に鶏の旨味が染み込ませ)、ゴーヤの佃煮、舞茸スープ、お新香、コーヒーゼリーサンデー(寒天とコーンフレークの食感も加えアイスとチョコソース・バナナ・ポッキーのトッピング)、お茶(煎茶にミントを加えて煎れたモロッコ風ミントアイスティー)。
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専門の料理人でない皆さんがここまで作るか、という感じですね。

9月15日(金)には、道の駅はなまき西南さんでの豪華弁当「光太郎ランチ」の販売もありました。
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こちらのメニューは以下の通り。

栗ご飯、そば粉クレープ鶏照りレタス、牛肉入りジャガバタ炒め、里芋と厚揚げの煮物、塩麹入り卵焼き、きゅうりとトマトの酢の物、蒸しかぼちゃのごまかけ、舞茸当座煮、糠漬け、フルーツ。

どちらにも光太郎が好んだ栗ご飯や舞茸が入っています。秋ですね。

それぞれ末永く愛されてほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

智恵子の死は小生にとつてかなりひどい打撃ですがしかし遠からず平常の常態に復して今度は猛烈に仕事に専念しようと考へてゐます、四十九日がもうぢきです、

昭和13年(1938)11月16日 更科源蔵宛書簡より 光太郎56歳

智恵子の死にも不屈の光太郎。しかし前年に始まった日中戦争は既に膠着化、挙国一致体制が求められ始め、彫刻も詩作も自由には出来なくなっていきます。

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