まず、埼玉から彫刻関連。
講 師 : 東松山市文化芸術推進室長 熊澤篤司
高坂駅西口の「高坂彫刻プロムナード」を彩る様々な彫刻の作者である高田博厚氏と東松山市の関係についてご紹介します。なぜ、高田博厚の作品が東松山市に集まるのか?彫刻家・高村光太郎とも関係がある?

対象が同市在住・在勤・在学の人に限られていて、少し残念です。同様の講座が先月にもありましたが、その際もそうでしたが。
もう1件、都内で開催のものです。
それぞれ10名程の定員で、光太郎の回は既に満席だそうですが(当方も申し込みました)、これからキャンセル等もあるかも知れませんし、記録のためにもご紹介しておきます。
市民講座と言えば、実は明日、光太郎第二の故郷・岩手県花巻市での講師を仰せつかっています。クローズドのイベントなので告知しませんでした。同市のボランティアの方々対象です。

こうした光太郎関連の講座等、途切れることなく続いて欲しいものです。
【折々のことば・光太郎】
染井墓地にある墓に彫つてある智光童女といふのはお言葉通り姉梅子で、七月とある由ですが、それは間違で、一月が正しいのです。小生の生れる前に既に死んでゐました。
当会顧問であらせられた北川太一先生。この頃から光太郎の生涯をしっかり記録に残すことを考えられ、年譜の作成や光太郎への聞き書きに取り組まれていました。その一環で、染井霊園の髙村家墓所に眠る人々の調査等も行われたようです。
光太郎の直ぐ上の姉・うめ(梅子)は光太郎が生まれた明治16年(1883)、数え5歳で病没しました。非常に利発な子供だったとのこと。書簡の方が勘違いだったようで、やはり7月が命日です。