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光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」関連で2件。

まず、先月30日(日)に港区で開催された「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」で登壇なさった山本隆一氏が、同フォーラムの様子を報じた地元紙2紙を送って下さいました。そのうち『東奥日報』さんで、同フォーラムの記事の下に以下の記事が載っていました。

東北新幹線・新青森-八戸開業15周年 3駅で記念カード配付

 東北新幹線・新青森-八戸間が4日に開業15周年を迎えるのを記念し、JR東日本は1日から、新青森、七戸十和田、八戸の3駅で「駅カード」を枚数限定で配布する。当日有効の乗車券類か入場券(定期券を除く)を、各駅の新幹線の有人改札で提示すると、1人1枚もらえる。駅カードで3駅を取り上げるのは今回が初めて。
 駅カードは鉄道車両と地域の特色を組み合わせたデザインとなっており、JR東など鉄道会社がキャンペーン企画の一環として制作することが多い。新青森駅のカードはE5系新幹線「はやぶさ」と青森ねぶた、七戸十和田駅はE2系新幹線「はやて」と十和田湖、八戸駅は観光列車「TOHOKU EMOTION」と八戸えんぶりをそれぞれ描いている。
 本県では弘前駅や五所川原駅、深浦駅などが題材となったことがある。
 4日は新青森駅と七戸十和田駅で開業15周年セレモニーなどの記念企画を行う予定。
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七戸十和田駅の駅カードに「乙女の像」があしらわれています。記事本文に「乙女の像」の語が入っていなかったので、掲載紙が送られてくるまで気づきませんでした。

新青森駅、八戸駅のものはこちら。
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「こりゃ欲しいな」と思いまして、ネットオークションのサイトを見てみると、早速売りに出ていました。しかし3枚で8,000円。まぁ、好きな人はその価格でも買うのでしょうが、何だかなぁ……です。

もう1件。やはり地元紙の『秋田魁新報』さんで12月20日(土)に掲載された記事です。

遠い風近い風[畑澤聖悟]神秘の十和田は田沢と共に

 今年で3年目となる「北のまほろば祭り」は、私が主宰する渡辺源四郎商店の定例イベントである。本拠地である青森市の渡辺源四郎商店しんまち本店で、秋から冬にかけて、月終わりの週末にリーディングや一人芝居など、語り芸を中心に短編2、3本を上演する。今回は11月~来年1月に実施。毎回、期間中に計8~12作品が集まることから、「北の小さな演劇祭」を名乗っている。
 先月の公演タイトルは「千古水澄む十和田湖いだき」。ズバリ、十和田湖がテーマである。ゲストに秋田の「けやはす演劇部」を招いた。おととし1月にあきた芸術劇場ミルハスで上演された県民参加型ミュージカル「欅(けやき)の記憶・蓮(はす)のトキメキ」の出演者有志を中心に結成した劇団で、昨年に引き続きの登板である。
 演目は「神秘の十和田は田沢と共に」。秋田を憂う謎の集団「秋田賢人会議」が秘密会議を行う。県境にまたがる十和田湖を青森県が独り占めしようとしている。そうはさせじ。「十和田湖が名実ともに秋田のものであることを強く意識させるためには、物語を利用せばいい!」とリーダーが号令する。
 十和田湖、田沢湖、八郎湖を巡る「三湖伝説」を、都合のいい「秋田史観」で改変しようと試みるのだ。台本を持った演者8人によるリーディング公演であるが、歴史うんちくあり、アクションあり、ギャグあり。盛りだくさんの28分。客席は沸きに沸いた。劇団代表である伊藤展洋氏の記念すべき初の作・演出作品。堂々のデビューである。
 迎え撃つ「小なべの会」は、渡辺源四郎商店の若手によるユニット。これまで劇団内ワークショップ、台本評論、作詞作曲、演出練習などの活動を経て、今回が初公演となった。演目は「智恵子と智恵子」(沼畑枝里作・演出)。十和田湖畔に立つ裸像、通称乙女の像が主人公。制作途中の像が、作者の高村光太郎が寝ている間に動き出し、歌ったり漫才をしたりする。コント風の展開だが、亡き妻、智恵子への高村の愛情が徐々に浮かび上がってくる。ゲストに負けぬ大受けであった。
 終演後はロビーで出演者、スタッフ、観客が入り乱れての座談会「まほろばトーク」。そして乾杯。そのまま打ち上げになだれ込んだ。大量に持ち込まれた秋田の美酒とお土産がありがたい。
 私が「欅の記憶・蓮のトキメキ」の演出を担当させてもらってから間もなく3年。あの日、演劇の世界に足を踏み入れた彼らは、自作を引っ提げて遠征するまでになり、アウェーの観客を大いに喜ばせた。そして、初めて私の手を離れて芝居を打ったウチの若手たち。みんな楽しそうに芝居談義をしている。これはすごいことである。報われた気がした。空きビルを大工仕事で劇場に改装したのも、身銭を切って劇団を19年続けてきたのも、何もかもこのためだったのではないか。
 けやはすの面々とは「またね」と言って別れた。また、いい芝居やりましょう。そして、楽しく飲みましょう。芝居は終われば何も残らないが、縁は続くのである。
 (劇作家・演出家、五城目町出身、青森市住)

このイベントについても事前に把握できていませんでした。公式サイトにやはり「乙女の像」の語が無く、さらに演目題名も「智恵子と智恵子」ということで、「高村」の語を書いていただければ見逃さなかったのですが、「智恵子」だけでは検索網でカバーしきれません。
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ちなみに「千古水すむ十和田湖いだき」という「青森市民の歌(愛市の歌)」の歌い出しの一節を総題にした3本仕立ての演劇公演で「神秘の十和田は田沢と共に」「十和田湖のこわい話」そして「智恵子と智恵子」だったそうです。智恵子の顔を持つ「乙女の像」の制作意図が、光太郎曰く「人間の心の中を、内部を見る。そういう一種の感じをうけたんで、その一つの人間が、同じものが、どこを見ているかわからないが、とにかく向かいあって見合っている――片方は片方の内部で、片方は片方の外形なのです」ということで、「智恵子と智恵子」だったのでしょう。

「乙女の像」が主人公というと、10年ちょっと前に十和田湖国立公園協会さんでから刊行された能町みね子氏の『十和田湖アイドル伝説! 乙女の像S 解散の危機 !?』が思い出されました。

これからも「乙女の像」、地元で、さらに全国区で愛されてほしいものです。

【折々のことば・智恵子】

この世に生れて来た甲斐に、どれだけの事が成功するか、各自に与へられた力の最善を尽して一生の使命を果すので、誰れにとつても生やさしい面白いおかしい事ではなく、いつも目的を最高の処に置いて立派な、悔いのない、あゝこれでよかつたと、生の終りに自分で感謝する事の出来る生涯を築く覚悟がなければなりません。


大正11年(1922)12月1日 長沼啓助・禎子宛書簡より 智恵子37歳

大正7年(1918)に歿した父・今朝吉の跡を継いで長沼酒造を任された弟・啓助と、その妻となった禎子との若い二人に宛てた書簡から。

智恵子自身、昭和13年(1938)に南品川ゼームス坂病院でその生涯を閉じる際、「あゝこれでよかつたと、生の終りに自分で感謝する事の出来る生涯」だったのでしょうか……。

11月30日(日)、港区で開催された「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」に出演させていただきました。
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いろいろといただきものがあってウハウハしていたところ、翌日になってやはり十和田湖関連で、しかし逆にいただきたくないものをいただいてしまいました。

青森の彫刻家・田村進氏の奥様からの喪中葉書。
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田村氏、4月30日(水)に亡くなられていたそうですが、存じませんで驚きました。過日お伝えした仙台の佐久間晟氏と同様でした。昭和8年(1933)のお生まれで、満92歳ということでした。

田村氏、中泊町にある太宰治(本名・津島修治)の銅像を作られたことで有名です。
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小説『津軽』(昭和19年=1944)中の、かつて津島家で働いていた女中さん・越野タケとの再会のシーンだそうで、太宰ファンの方なら「ああ、これか」でしょう。

やはり佐久間氏と同じく、田村氏も生前の光太郎をご存じでした。昭和28年(1953)10月23日、前々日に生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式に出席した光太郎は、青森市の野脇中学校で催された文芸講演会で登壇、「乙女の像」などについて講演を行いました。また、光太郎と共に、像の制作に関わった当会の祖・草野心平や建築家の谷口吉郎、青森県と光太郎を仲介した佐藤春夫らも。若き日の田村氏は除幕式にも参列されて、さらにこの講演会もお聴きになり、終演後には光太郎とお話もなさったそうで。

「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」の際には、十和田湖畔の「観光交流センターぷらっと」さんについても語らせていただきました。大町桂月や「乙女の像」にかかわる展示が為されているよ、ということで。その「ぷらっと」さんに、田村氏ご制作の光太郎胸像も展示されています。
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題して「冷暖自知光太郎山居」。光太郎が、昭和20年(1945)10月から同27年(1952)10月までの7年間、戦時中の戦争協力を恥じ、岩手県花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)で蟄居生活を送っていた当時の肖像彫刻で、直接のモチーフは、昭和24年(1949)10月、太田村の光太郎のもとを訪れた写真家の濱谷浩が撮影した写真です。
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「冷暖自知」とは「仏法の悟りは、人から教えてもらうものでなく、氷を飲んでおのずからその冷暖を知るように、体験して親しく知ることのできるものである。」(岩波書店『広辞苑』)の意。『智恵子抄』にも収められた大正元年(1912)作の光太郎詩「或る宵」中、「彼らは自分等のこころを世の中のどさくさまぎれになくしてしまつた/曾て裸体のままでゐた冷暖自知の心を―― 」という一節に使われています。

題字揮毫は、晩年の光太郎と親しく交わり、その没後は筑摩書房『高村光太郎全集』の編集に当たるなどした、光太郎顕彰第一人者にして当会顧問であらせられた故・北川太一先生です。
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レリーフでの習作を経て、平成25年(2015)に完成、平成29年(2017)には十和田市に寄贈、翌年に「ぷらっと」さんでの展示が始まり、その年の秋には寄贈のセレモニーが開催されました。かつて当会主催の連翹忌の集いにもご参加下さっていた田村氏でしたが、この時にお会いしたのが最後となってしまいました。

青森市内にある氏のアトリエ(「彫夢」と書いて「ほるむ」だそうで)が公開されているという情報を、青森山田高校さんのサイトで少し前に知りました。それを読んで「田村さん、まだお元気なんだな」と思っておりましたが、逆でした。同サイトには亡くなったことが書かれていませんでしたが、亡くなったがためにアトリエを公開ということだったようです。

アトリエには光太郎胸像「冷暖自知」の石膏原型も保管されています。
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最上部に掲げた喪中葉書によれば「冬期間閉鎖」だそうですが、いずれまた青森方面に行く際にはご焼香がてら足を運んでみようと思っております。

遅ればせながら、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【折々のことば・智恵子】

「女である故に」といふことは、私の魂には係りがありません。女なることを思ふよりは、生活の原動はもつと根源にあつて、女といふことを私は常に忘れてゐます。

アンケート「女なる事を感謝する点」より 大正5年(1916) 智恵子31歳

完璧とは言えませんが、光太郎には「男尊女卑」という考えはほぼ無かったようで、かなりの部分で光太郎も家事労働を分担していました。そうした意味では智恵子は同時代の女性たちと較べると恵まれていた部分がありました。

しかし、それだけに女性の置かれている立場に対する眼が開かれてしまったところもあったかもしれません。婚家や夫にこき使われている女性たちの中には、それを「理不尽」と感じることすら出来ていなかった女性も多かったように思われます。

一昨日、都内港区で開催された「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」関連です。
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青森県の地方紙二紙が報道して下さいました。

『東奥日報』さん。

十和田湖の価値、未来へ 国立公園化に尽力・大町桂月没後100年 東京でフォーラム

 十和田湖や奥入瀬渓流を愛し、その名を全国に広めた高知県出身の文人・大町桂月(1869〜1925年)が蔦温泉で没して100年。今や青森県を代表する観光地となった十和田湖の未来を語るフォーラムが30日、東京都港区の赤坂区民センターで開かれた。パネリストらは大町の功績を振り返りつつ、自然、歴史、文化、観光などの視点からその価値をいかに継承していくか意見を出し合った。
 大町は、請願文を起草するなど十和田湖周辺の国立公園化に尽力した。「大町桂月を語る会」の谷川妙子事務局長は「美文で固められた請願文は大きな反響があった。筆の力で候補地に押し上げた」と説明した。
 大町らの功績をたたえる顕彰碑は詩人・彫刻家の高村光太郎(1883〜1956年)が制作、今は「乙女の像」として知られる。「高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会」の小山弘明代表は碑の制作経緯などを解説した。
 フォーラムには大町のひ孫に当たる大町芳通さん(69)も出席し、「桂月の愛した十和田の素晴らしい自然が活用され、地元がもっと発展するよう祈っています」と謝辞を述べた。
 東京青森県人会が主催、約70人が参加した。運営に当たった七戸町出身の山田安秀さんは「大町ら偉人たちが築いた土台を再認識することで、新しい未来をつくるための自信につなげたい」と話した。
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『デーリー東北』さん。

十和田湖の価値、再発見 ゆかりの文化人、足跡たどる 東京都内で県人会フォーラム

 東京青森県人会は30日、十和田湖について考えるフォーラムを東京都内で開いた。参加者約70人が、十和田湖に縁が深い文人の大町桂月や彫刻家の高村光太郎の歩みなどに理解を深め、多角的な視点から青森を代表する景勝地の歴史的価値を再発見した。
 第1部は、十和田奥入瀬観光機構元事務局長の山本隆一さんらが講演。第2部では、有識者が十和田湖の魅力を全国に広めた桂月や「乙女の像」を制作した高村の足跡、日本と米国の国立公園の違いなどについて解説した。
 「大町桂月を語る会」事務局長の谷川妙子さんは、桂月が起草した十和田湖を中心とする国立公園設置に関する請願文が、名文として大きな反響を呼んだエピソードに触れ「十和田を愛した桂月は、筆の力で国立公園の候補地に押し上げた」と紹介した。
 高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会」代表の小山弘明さんは、乙女の像の制作秘話を披露。作家の佐藤春夫が、当時の津島文治知事に高村を紹介した逸話などを明かした。参加者は、各登壇者の話に興味深そうに耳を傾け、十和田湖の歴史について思いをはせていた。
 ゼネラルプロデューサーとしてイベントを統括した山田安秀さん(七戸町出身)は取材に「大町桂月や高村光太郎といった非常に大きな存在が十和田湖に関わっていたことを若い世代に知ってもらい、未来につないでもらえれば将来は明るくなるのではないか」と話した。

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続いて、いただいてきた品々をご紹介します。

まずは聴衆の皆さんにも配られた配付資料で、トークイベントの際に登壇された谷川妙子氏率いる「大町桂月を語る会」さん作製の2種。

A4判両面印刷二つ折りの桂月紹介リーフレット。
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随所で光太郎や「乙女の像」にも触れて下さっています。

A2判両面印刷の「「奥羽一周記」現代訳マップ」。
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桂月が最初に雑誌『太陽』で十和田湖を紹介した明治41年(1908)の旅の記録です。

広げると、こんな感じ。
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これらは今回のイベントのために作られたのではなく、さまざまなところで活用されているのでしょう。

「乙女の像」制作の際、光太郎の助手を務めてくれた野辺地町出身の彫刻家・小坂圭二子息の竜氏からは、図録を2冊戴いてしまいました。

まず、お父さまのカタログ・レゾンネ(作品集)。昭和59年(1984)、日動画廊さんでの個展開催にあわせての発行でした。
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他の作家の作品とともに画像が収められている図録は手元にありましたが、まとめて拝見したのは初めてで、実に興味深いものでした。やはり光太郎のDNAを感じますし、キリスト教の洗礼を受けての作品などには、同じく光太郎の世界観を受け継いだ舟越保武にも通じるような。

竜氏、お父さまは小坂圭二ですが、母方のお祖父様は、画家の夏目利政(明26=1893~昭43=1968)ということで、平成9年(1997)に青梅市立美術館さんで開催された「夏目利政展」の図録も。
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夏目の画業は日本画からのスタートでしたが、のちに油彩画に転じています。小坂圭二同様、作品群画像をまとめて見たのは初めてで、これも驚嘆すべきものでした。

そして夏目利政と言えば、光太郎を知る前の智恵子が、利政の父・音作(象牙彫刻師だったとのこと)の家に下宿をしていたことでも知られています。明治40年(1907)に日本女子大学校を卒業した智恵子は、卒業生用の楓寮に入寮していましたが、同42年(1909)、楓寮が閉鎖となりました。おそらくその直後は寮近くの女子大学校の先輩だった永野初枝宅に一時的に厄介になったようですが、同じく女子大学校の同級生だった幡ナツ(旧姓・小松)が夫の英二と共に住んでいた本郷区動坂町(現・文京区本駒込)の夏目宅を紹介してくれたとのこと。同44年(1911)春まで、智恵子はここに住んでいたようです。

下は夏目家で撮られたショット。
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残念ながら写っていませんが、この時、数え16歳で既に日本画を描いていた利政もその家に暮らしていました。利政は智恵子が描く油彩画に興味を示し、智恵子もいろいろアドバイスをしたそうです。

下って昭和20年(1945)、利政は岩手県胆沢郡真城村(現・水沢市)に疎開。その後、光太郎も花巻の宮沢賢治実家に疎開。その宮沢家も終戦5日前の花巻空襲で全焼し、旧制花巻中学校の元校長・佐藤昌宅に転がり込んでいた光太郎の元に、利政がやってきます。どういう伝手(つて)だか、利政を案内したのは賢治実弟の清六でした。

昭和20年(1945)9月1日の光太郎日記の一節。

訪問客、清六さんが夏目利政氏佐々木さんといふケイオウ生徒をつれてくる、夏目氏は智恵子が止宿し居れる頃の事を話しくれる。その為水沢より来訪し来れるなり。

その後も9月25日には宮沢家で利政と会っています。

さらに下って昭和25年(1950)11月、当時の水沢町公民館で「智恵子切抜絵展」が1日だけ開催されましたが、その際に尽力したのが、智恵子紙絵の3分の1ほどを預かっていた花巻病院長・佐藤隆房と利政でした。パンフレット(ガリ版)を利政が制作、さらに記憶にある智恵子と、おそらくこんな感じだったろうという南品川ゼームス坂病院での紙絵制作中の智恵子を描いたカットを載せ、12ページにわたり智恵子についての思い出等を執筆しています。
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このパンフレットについては小坂竜氏、ご存じなかったそうで、これからコピーのコピーを取ってお送りする予定です。

続いて、上記『デーリー東北』さん記事にもお名前が挙げられている山本隆一氏からいただいたのがこちら。

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十和田市の相馬菓子舗さんで販売されている「十和田アップルケーキ」。リンゴの果肉を練り込んだずしりと重いパウンドケーキです。スポンジのしっとり感と当方大好物のリンゴのシャキシャキした歯触りのバランスが絶妙でした。箱に「乙女の像」をあしらっていただき、ありがたい限りです。ロゴの昭和感もたまりません(笑)。

そんなこんなで、いろいろといただけてそれもありがたいうえに、また各方面に人脈を拡げることもでき、実に有意義でした。

関係の皆様の今後のますますのご活躍と、十和田湖の発展を切に祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

さまざまな時代に、まことの芸術家達が、それぞれ自身の生命を掘り下げて行つた。その作品は、いきていまも、私達の前に息づく、それ等のものは、魂をめざめさせる、恰も自然が私達をめぐむ恵のやうに、清らかに力強く、押迫つて透徹する、私はそれ等の彫刻を愛し、それ等の絵画を思慕してやまない。心の底からその作者を尊敬し、又は崇拝してゐる。


散文「女流作家の美術観」より 大正5年(1916) 智恵子31歳

素晴らしい作品を残した先人へのリスペクトは大切なことですね。

こう語っていた智恵子自身、「紙絵」で、後代の人々から「思慕」や「尊敬」、「いきていまも、私達の前に息づく」という感覚を得る事が出来ています。しかし、その「紙絵」が心を病んでからのものだったことは残念と言えば残念です。

昨日は港区で開催された東京青森県人会さん主催の「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」に出演しておりました。

明治期に十和田湖の景勝美を広く世に紹介し、国立公園指定の礎を築いた大町桂月没後100年を記念してのもので、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が、元々は国立公園指定15周年、桂月ら「十和田の三恩人」を顕彰するモニュメントであることから、当方にも「乙女の像」についてしゃべれという依頼があった次第です。
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会場は赤坂見附の赤坂区民センターさん。
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当方も出演させていただいたトークイベントは3階ホールで14:15からでしたが、その前に13:00から4階会議室で展示品の公開が行われました。

桂月の書幅。
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十和田湖を紹介した桂月の紀行文「奥羽一周記」が載った『太陽』(明治41年=1908)。

桂月没後に、光太郎の姉貴分・与謝野晶子が桂月をモチーフに詠んだ歌の幅。
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桂月は晶子の「君死に給ふこと勿れ」(明治37年=1904)を痛烈に批判しましたが、論争が終われば遺恨はさらりと流し、晶子は桂月を偲ぶ歌を詠んだりもしたわけです。

この幅は大阪堺の与謝野晶子記念館さんからお借りしたものだそうですが、こちらが展示されるという情報は事前に得ていませんでしたので驚きました。ちなみに会場に入って数㍍先に下がっているこれを見た瞬間にキャプションを見ずとも「あ、晶子だ!」とわかりまして、自分を褒めたくなりました(笑)。まぁそれほど独特な筆跡だからなのですが。

そして、光太郎作の「大町桂月メダル」。「乙女の像」除幕式(昭和28年=1953)に際し150個が鋳造され、関係者に配付されたもので、光太郎最後の完成作となったものです。
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14:15、3階ホールでトークイベント開幕。

2部構成で、第1部は4人の方々がお一人ずつ十和田湖や桂月、光太郎などについて語られました。
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トップバッターは環境省自然環境局国立公園課長の長田啓氏。そもそもの国立公園というシステムについてや、十和田湖畔の事務所で勤務されていた際のお話、十和田湖周辺の現状など。続いて十和田市議・中尾利香氏。ご実家が桂月と交流がおありだったそうで。
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お三方め、山本隆一氏。現在の肩書きは「十和田湖畔乙女の像研究会代表」とのことですが、定年退職される前は十和田市役所や十和田奥入瀬観光機構にお勤めで、『十和田湖乙女の像のものがたり』の刊行や十和田湖観光交流センターぷらっと」での展示などなどで十数年来お世話になっている方です。最後にお会いしたのが令和4年(2022)の1月で、久闊を叙させていただきました。

ちなみに上記画像のQRコード、詳細な資料へのリンクとなっていますので、御覧下さい。スマホで読み取ってそちらで見るか、PCに転送するかですね。

第1部最後はインテリアデザイナーの小坂竜氏。「乙女の像」制作に際し光太郎の助手を務めた彫刻家・小坂圭二(野辺地町出身)の子息です。
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右上画像は「乙女の像」除幕式(昭和28年=1953)の際の記録動画の一コマ。光太郎の背後で光太郎と佐藤春夫(光太郎と青森県の仲介役でした)に傘を差し掛けているのが父君です。ここに父君が映っていたというのは当方も気がついていませんでした。

休憩後、第二部。
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第一部に引き続き長田氏、十和田市の「大町桂月を語る会」谷川妙子事務局長、桂月の故郷・高知で桂月の名を冠した日本酒を製造販売されている土佐酒造代表取締役・松本宗己氏、米国ご出身で比較文化研究家のシエナ・ラッチ・デイリー氏、そして当方が登壇。モデレータで主催団体の山田安秀氏の進行でした。
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当方は「乙女の像」について語らせていただいたのですが、何せ時間が短く、意を尽くし得ませんでした。平成29年(2017)には十和田市でたっぷり時間をいただいて講演をすることができましたが、またそうした機会がどこかであれば、と祈念いたしております。

当方、桂月や国立公園のシステムなどについてはそれほど詳しいわけではありませんでしたので、谷川氏、松本氏の桂月がらみのお話、シエナ氏によるアメリカのnational parkと日本の国立公園の相違など、こちらも興味深いかぎりでした。

最後に桂月令曾孫の大町芳通氏による謝辞。
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いずれYoutubeでイベントの模様がアップされるそうですので、またその際にはお伝えいたします。

閉幕後は、近くの中華料理店で懇親会。この際には小坂氏や、芳通氏とは別の桂月令曾孫と同じテープルに着かせていただき、またいろいろな話で盛り上がりました。

さらに小坂氏からは貴重な書籍をいただいてしまいました。山本氏にいただいたものやイベントの配付資料ともども、明日ご紹介いたします。

十和田湖、それから同一地域といえる奥入瀬渓流や蔦温泉、旅行ブームの最盛期と比較すると人出はかなり減ったとのこと。さらに近年はコロナ禍が追い打ちをかけました。しかしその後回復傾向にあり、また、長田氏のお話では、周辺の廃墟と化したエリアの整備も少しずつ進んでいるとのこと。皆様方にはぜひ現地に足をお運びになり、「乙女の像」を御覧いただきたいものです。

ちなみにイベント前日の一昨日、NHK Eテレさんで全国放映された「東北ココから 鈴木京香の東北オトナ旅 青森県十和田市編」、NHK ONEさんで配信されています。併せて御覧下さい。

【折々のことば・智恵子】

少なくも自己といふものに思ひ至りし程のものならば田子作のおかみさんも行き当り申すべき新旧思想の衝突に候。


散文「マグダに就て」 明治45年(1912) 智恵子27歳

智恵子が唯一『青鞜』に寄せた文章の一節です。幸い、この号を入手することができました。表紙は前年の創刊号と同じ、智恵子によるもの(ウイーン分離派の画家、ヨーゼフ・エンゲルハルト作品の模写)です。
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「マグダ」はズーダーマン作、島村抱月が翻訳した脚本で、松井須磨子主演、文芸協会の第3回公演として有楽座で上演されました。オペラ歌手・マグダがかつて自分と子供を捨てた男に復縁を迫られ、「家の名誉」的な発想でマグダの父親がマグダに復縁か死か、どちらかを選べと迫るというストーリー。結局、マグダはどちらも拒否します。この内容が「風紀紊乱」ということで、内務省から上演禁止の警告。抱月は終末部分を公演中に改変して上演継続の許可を取りつけました。

制作サイドは自立した新しい女性を描く意図でしたが、この程度の選択はごくあたりまえのこと(「田子作のおかみ」云々)に過ぎない、と、智恵子。さらにこの程度で上演禁止とは何事か、という意図も見え隠れします。

テレビ放映の情報です。

東北ココから 鈴木京香の東北オトナ旅 青森県十和田市編

地上波NHK Eテレ 2025年11月29日(土) 16:30〜16:59

宮城県出身の鈴木京香さんが新しい東北の魅力を発見する旅番組!今回の目的地は、アート好きの京香さんがずっと行きたかった青森県十和田市。草間彌生など世界的アーティストの作品が並び、有名建築家が設計した美術館には国内外からアート好きが訪れる知る人ぞ知る人気スポット。京香さんはアート作品に大興奮!さらに“ひとりスナック”や伝統工芸「南部裂織」の体験にも挑戦!今まで見たことがない“素の鈴木京香”がいっぱい!(8月29日東北地方で放送)

出演者 【出演】鈴木京香 【語り】久保史緒里
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番組説明欄に「8月29日東北地方で放送」とあるのを当方、当時の配信サービス「NHKプラス」で拝見しました。

今回の放映は30分の「パイロット版」だそうで、10月17日(金)には43分の「完全版」の放映もあった由、『朝日新聞』さんの青森版に記事が出ていました。そちらをご紹介した際「こうした地方限定の番組、系列のBS局などで放映してほしい」と書いたのですが、Eテレさんでオンエアされるとは意外でした。ただ、尺の関係もあるのでしょうか、「完全版」ではなく「パイロット版」です。それでも録画してDVDに残すことができますので大歓迎です。ネット上の動画等もDVD等に残す技があるのかも知れませんが、当方、そういうスキルはありません。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が取り上げられます。
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その他、市街地の十和田市現代美術館さん(先日の『朝日新聞』さんではそこのところを大きく取り上げていました)、南部裂織の工房、新刊書店、それから鈴木さん人生初スナック(笑)など。
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皆様もぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

ロダン夫人は、大きなサロンの中へ移されて、まるで睡つてゐるやうな様子であつた。ロダンはそれを見たがつた。彼は死者の顔の上へ身を屈めて、顔の上に接吻し、長い間つぶやきながら見てゐた。  ――美しい……古代彫刻の様に美しい……

光太郎訳 マルセル チレル「ロダン夫人の死」より
大正12年(1920)訳 光太郎41歳

ロダン夫人のローズ・ブーレは大正6年(1917)2月14日に亡くなりました。出会ったのは文久4年(1864)で、慶応2年(1866)には長男も誕生しますが、久しく内縁関係で(フランスでは事実婚は珍しくありませんでした)、正式な入籍は亡くなる2週間前の1月29日。ロダン自身も同じ年の11月17日に歿します。

このあたり、光太郎智恵子の関係にも通じますね。2人が出会ったのは明治44年(1911)、籍を入れずの結婚披露は大正3年(1914)、入籍は智恵子の心の病が昂進してからの昭和8年(1933)でした。そして妻に先立たれたという点も。

ローズが亡くなった際のロダンの様子からも、光太郎詩「レモン哀歌」や「荒涼たる帰宅」が想起されます。

ロダン貧窮時代にはさんざん苦労をかけられ、世に認められてからはカミーユ・クローデルとの愛人関係でまた一悶着。全てから解放されて亡くなって「古代彫刻の様に美しい」と言われて、嬉しかったかどうか……。

都内からイベント情報です。東京青森県人会さんの主催で、当方もパネリストの一人として登壇させていただきます。

十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~

期 日 : 2025年11月30日(日)
会 場 : 港区赤坂区民センター 港区赤坂4丁目18-13
時 間 : 展示/13:00〜16:30 トークイベント/14:15〜16:30
料 金 : 無料(事前申込制) 参加登録フォームはこちら

 明治・大正期に活躍した文人・大町桂月(1869〜1925)の没後100年を記念し、十和田湖・奥入瀬渓流の自然と文化の価値を再発見しながら、国立公園としての未来を展望するトークイベントです。
 桂月が全国を旅して自然の美を詠んだ足跡や、彼の影響で全国に広まった保勝運動、そして高村光太郎による**「乙女の像」**制作の背景などを紹介。
 また、日本とアメリカの国立公園制度を比較しながら、自然と文化の融合的価値を見つめ直します。会場では、桂月ゆかりの掛け軸や資料の展示も行われ、彼の文学と思想に触れられる貴重な機会です。

パネリスト(予定)
 谷川妙子(大町桂月を語る会)
 小坂竜(建築デザイナー)
 小山弘明(高村光太郎連翹忌運営委員会代表) ほか
 
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大町桂月は明治の文豪。十和田湖や周辺の景観を愛し、明治末にそれまで全国区では知られていなかったその美しさををさまざまな紀行文で広く世に紹介しました。明治44年(1911)、それらを読んだ皇太子時代の大正天皇が十和田湖に興味を持ち、当時の青森県知事・武田千代三郎に、北海道巡啓のついでに十和田湖に行ってみたいのだが現地の様子はどんな感じか? と問うたのですが、武田は十和田湖に足を運んだことがなく、ろくに答えられませんでした。それを恥じた武田は、地元の法奥沢村長兼県会議員の小笠原耕一と共に道路整備、国立公園指定の請願等に腐心、彼等の活動が実り、昭和11年(1936)には十和田湖周辺が国立公園に指定されました。
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下って戦後の昭和26年(1951)、当時の青森県知事・津島文治(太宰治実兄)が中心となり、国立公園指定15周年を期に、桂月等を「十和田の三恩人」として顕彰するモニュメントの建設を計画。しかしそういう前例のほとんど無かった時代で、どんな物を作るべきか、誰に頼めばいいのかなど、さっぱりわからずに頭を抱えていたところ、たまたま十和田の三本木高校の校歌を作詞した佐藤春夫が来県。津島知事から相談を受けた佐藤は「そういうことなら日本で一番の造型作家は高村光太郎先生だから」と、光太郎を推薦しました。
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光太郎は当時、花巻郊外旧太田村の山小屋に隠棲していましたが、佐藤からの「あなた以外の作品が十和田湖に建っては日本の恥だ」的な内容の懇切丁寧な書簡を読み、また、自身でも死期がそう遠くないことを自覚しており、そろそろ生涯最後の大作にかからねば、と考えていた時期だったこともあり、いろいろ逡巡したものの、結局、制作を引き受けました。その結果、「乙女の像」が誕生したわけです。ざっくりですが。
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太田村での山小屋では巨大彫刻の制作は不可能なので、光太郎は昭和27年(1952)、7年半ぶりに上京。貸しアトリエとして運用されていた中野区の中西利雄アトリエに入り、助手として野辺地町出身の彫刻家・小坂圭二を雇い、像の芯に針金を巻き付けたり、粘土をこねたりなどの力仕事を手伝ってもらいました。
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今回のイベントでは、小坂の子息・建築デザイナーとして活躍されている竜氏もご登壇なさるそうです。

メインは没後100年となった桂月。桂月といえば、光太郎の姉貴分・与謝野晶子が日露戦争に出征した弟・籌三郎の身を案じた「君死にたまふこと勿れ」(明治37年=1904)を痛烈に批判したことでも知られています。時を経て光太郎がその桂月顕彰に携わったというのも面白いところです。

当日はざっくりとそんな話をさせていただこうと思っております。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

いのちあるものに醜はない。人間の感情を暗示するもの、悲愁にしても苦痛にしても、温良にしても忿怒にしても、憎悪にしても、恋愛にしても、其は皆それぞれの美の刻印を持つてゐる。それ故、私は一切の存在は美であり、一切の美は真であるとする――人は真なるものの中から選択する権利を持つてゐる。

光太郎訳 ロダン「続ロダンの言葉 クラリ筆録」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

ロダンはつくづく「人間」が好きだったんだなぁと思わせられます。

新刊、というか、増補改訂を伴う復刊です。

増補改訂 名作・迷作エンジン図鑑 その誕生と発展をたどる

発行日 : 2025年8月27日
著者等 : 鈴木孝
版 元 : グランプリ出版
定 価 : 3,800円+税

自動車メーカーで数々のエンジン開発に携わり国内外の博物館に出向いて調査、著者自らが描いたイラストとともにわかりやすく解説する決定版!
工学博士でエンジンの権威である著者が、ヨーロッパ、アメリカ、日本で開発された新旧の自動車用、飛行機用、舶用、戦車用、機関車用、産業用、汎用まで、広く59点のエンジンを選び、博物館や所蔵先に足を運んで徹底調査。そのエンジンの誕生と技術的背景を、著者自らが描いたイラストを用いて詳しく平易に解説する。ページが180度近く開く「PUR製本」を採用して、読みやすさにも配慮。さまざまなエンジンの誕生の経緯をこの一冊で知ることができるので、開発者をめざす方はもちろん、エンジンに興味のある方には最適の書。
※本書は品切れていたロングセラーの『名作・迷作エンジン図鑑』(2013年8月31日発行)をベースに、2017年1月25日刊行の『古今東西エンジン図鑑』の内容を盛り込み、大幅に増補してカバーデザインを一新した増補改訂版です。
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目次
 序文 過去の技術に学ぶ大切さ/飯島晃良(日本大学理工学部教授)
 はじめに
 ■草創期
  第1章 人類が火を手に入れた エンジンの原点はプロメテウス?
  第2章 水くみを命じられて作った人類初のエンジン ホイヘンスのエンジン
  第3章 まるで近代芸術の奇妙なオブジェ セイヴァリエンジン
  第4章 初の実用内燃機関の燃料はシダ植物の胞子 ニエプスのエンジン
 ■産業用
  第5章 天秤棒を用いてポンプを作動 ニューコメンエンジン
  第6章 55トンの天秤棒を付けた ワットの蒸気エンジン
  第7章 初めて商品となった内燃機関 ルノワールのエンジン
  第8章 石油に替えて石炭で回した ディーゼルエンジンとジェットエンジン
 ■自動車用
  第9章 高速2輪馬車 チャリオット
  第10章 あっちこっちから悪口の的となった キュニョーの蒸気自動車
  第11章 ボイラーマン泣かせ 蒸気バスエンジン
  第12章 創業から終焉まで空冷で押し通した フランクリン
  第13章 R・ディーゼルが作れなかったディーゼル自動車 ザフィアエンジン
  第14章 フランス陸軍が発想した 木炭自動車
  第15章 ラバウルで捕えられてジープに見染められ? ガス電L型エンジン
  第16章 ディーゼル乗用車の日本初 アカデミックエンジン
  第17章 ニューヨークバス・ラプソディーを奏でた GMエンジン
  第18章 木曽谷の奥で待っていた 帝国陸軍の軍用車エンジン
  第19章 玉座に座り損ねた DB52 100式エンジン
  第20章 ガス電(日野重工)の有終の美を飾った V形12シリンダーディーゼルエンジン
  第21章 放浪の果て親に巡り会えたが、再び放浪の旅に消えた ヒノサムライのエンジン
  第22章 偉大な技術者の躓き ケタリングと本田宗一郎
  第23章 一気に30%の燃費向上を果たした 日野EP100エンジン
  第24章 お役人のひとことが生んだ世界初 高圧コモンレール燃料噴射システム
 ■航空用
  第25章 正道を駆け上がり、奇想天外ぶりを発揮した クレマン・アデァ
  第26章 設計者と一緒にポトマック川に投げ込まれた マンリーのエンジン
  第27章 ないない尽くしの世界初アルミエンジン ライト兄弟のエンジン
  第28章 うっかりミスでモーターを発明した
 シーメンスの互い違いに回るロータリーエンジン
  第29章 日本初の国産91式戦闘機の原点となった ブリストルジュピターエンジン
  第30章 プロペラと一緒に自分自身も懸命に回った ル・ローンエンジン
  第31章 お腹が大きいミス・ビードルを追っかけた男 P&Wエンジンとライトエンジン
  第32章 高村光太郎の乙女に見守られ、湖底に眠った 「天風」とその親「神風」
  第33章 優等生の席にちゃっかり座り込んで世界記録を立てた 川崎エンジン
  第34章 的矢六兵衛エンジン!? ガス電「初風」
  第35章 MIT(マサチューセッツ工科大学)に捕虜となった ガス電「ハ143」
  第36章 シリンダーにピストンを2つ入れた ユンカース ユモ成層圏エンジン
  第37章 サン・テグジュペリに愛され、山本五十六も
誘って星に向かった アリソンエンジン
  第38章 ソ連でも生まれていた 四角顔のユンカースエンジン
  第39章 お騒がせ、ひとり玉座のブリストル スリーブバルブエンジン
  第40章 ガス灯から生まれた最後の2500馬力 「ハ51」
  第41章 ドイツから持ち帰った戦闘機Me163の写真とスケッチを元に
緊急開発された ロケット戦闘機「秋水」
  第42章 仲間が分かれ分かれになって落っこちた H−Ⅱロケット
 ■舶用
  第43章 天と地を逆にしてみたらという機転から誕生 サイドレバーエンジン
  第44章 正真正銘の名エンジン 戦艦「三笠」のエンジン
  第45章 頭とお尻に燃焼室がある変なディーゼルエンジン 氷川丸のエンジン
  第46章 自動車用ディーゼルが里子に出されて日本初の舶用ディーゼルに?
 池貝4HSD10型ディーゼルエンジン
  第47章 休みなしで働き続ける“月月火水木金金”エンジン 艦本エンジン
  第48章 帝国陸軍の潜水艦に搭載 ダイハツ ヘッセルマンエンジン
  第49章 ヒノサムライの血を引き漁場レースを制した 日野舶用エンジン
 ■戦車用
  第50章 ブリキの玩具と揶揄された 日本の戦車
  第51章 ヨーロッパと同時期に開発した 池貝戦車用小型ディーゼルエンジン
  第52章 東京学芸大学の倉庫で見つけた 戦車エンジン
  第53章 ディーゼルの宋主国ドイツを征した V2エンジン
 ■機関車用
  第54章 ツェッペリン号で名を挙げ、トラブルでも名を成した マイバッハエンジン
  第55章 跳梁跋扈のSボート対策で生まれた 三角エンジン
 ■汎用
  第56章 崑崙の高嶺の彼方に大地を削る 日野建機用エンジン
  第57章 往年の名機と最新の名機との邂逅 その1 日野最古参DSエンジン
  第58章 往年の名機と最新の名機との邂逅 その2 最先端E13Cエンジン
  第59章 取り残されたディーゼルエンジンを救う 下町の黒煙フィルタ
 エピローグにかえて
 参考文献
 謝辞

古今東西(「今」はほとんど入っていませんが)の先人たちが開発した各種エンジンを図版入りで紹介するものです。構成は、ほぼ実用には至らなかった「草創期」、産業革命を引き起こしたワットの蒸気機関などの「産業用」、その後は搭載された乗り物ごとに「自動車用」「航空用」「舶用」「戦車用」「機関車用」、さらに「汎用」。

著者の鈴木孝氏は、日野自動車の研究開発部にいらした方で、最終的には副社長まで務められ、日本自動車殿堂(そういう機構が存在するのは存じませんでした)入りされました。本書はその鈴木氏が書かれた『名作・迷作エンジン図鑑』(平成25年=2013 グランプリ出版)、『古今東西エンジン図鑑』(平成29年=2017 同)を併せて一冊にまとめたもののようです。

「航空用」の中に「第32章 高村光太郎の乙女に見守られ、湖底に眠った 「天風」とその親「神風」」と、光太郎の名を出して下さいました。直接的には光太郎に関わる訳ではありませんが、平成22年(2010)に東京大学さん他による十和田湖の地形調査の際に水深60㍍の湖底で偶然発見され、同24年(2012)に引き上げられた旧日本陸軍の「一式双発高等練習機」に搭載されていたエンジン「天風」についてです。
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カバーにも「天風」イラストが。
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「一式双発高等練習機」は昭和16年(1941)に制式採用されたもので、開発・製造に当たったのは立川飛行機。エンジン「天風」は日立航空機製。
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昭和18年(1943)に、秋田県の能代飛行場から青森県の八戸飛行場へ向かう途中、十和田湖に着水し水没(原因は不明だそうです)した一機(搭乗員4人中、助かったのは1人だけだったとのこと)が、先述の通り平成24年(2012)に引き上げられ、大きく報道されました。

鈴木氏曰く、

 戦争が終わりそれから8年目の秋、1953年10月、あたかも水に没した少年航空兵を見守るかのごとく、高村光太郎の乙女の像が、その湖畔に紅葉を塗らす涙雨の中で除幕された。彼らの魂は癒され、長い眠りについたに違いない。(略)そして2012年9月5日、ついに陸揚げは成功したのである。水没してからちょうど69年目の同じ秋であった。1つの時代の結晶が、その魂が、せめて最後の残存機体を見てくれという叫びとなり、難渋を極めた作業者全員の執念を呼び起こし、乙女に見守られてふたたび地上に戻ったのである。叫んでくれた御霊に、ただ心からの黙祷を捧げるものである。

光太郎自身にそういう意図がどの程度あったか不明ですが、地元では「乙女の像」に平和祈念の意味合いもあると伝えられていますので、この記述もあながち牽強付会とはいえますまい。

引き上げられた機体は、一時、青森県立三沢航空科学館で展示されていたようですが、現在は製造元の立川飛行機の後身・立飛ホールディングスさんの手に戻り、同社で保管されています。
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ちなみに著者の鈴木氏、戦前のお生まれで、故郷の長野県の飛行場で、戦時中、実際に現役の一式双発高等練習機をご覧になったことがおありだそうで。

あたかも戦後80年。他の戦時中の各種エンジンについての項は特に興味深く読ませていただきました。バリバリ文系の当方には全く理解不可能の箇所もありましたが。それでも読めてしまうのは、鈴木氏の丁寧な語り口のおかげでしょう。

というわけで、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

小生あの小屋に居りました頃は忠善さまにいろいろお世話にあり、東京に来てからも、忠善さまのあの立派なお姿を思ひうかべていました、 御本家はじめ部落中の人がどんなにか力をおとされたことでしょう。あとのさびしさをお察しいたします。

昭和31年(1956)1月7日 駿河タニ宛書簡より 光太郎74歳

駿河忠善は、かつて光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋の土地を提供してくれた駿河重次郎の甥。前月には東京中野のアトリエにも顔を見せていました。まだ壮年でしたが、伐木中の事故で亡くなってしまったとのこと。

その光太郎自身も3ヶ月後には不帰の客となります。やはり太田村山口地区の人々は「どんなにか力をおとされたこと」と思われます。

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の紹介も為されている、十和田湖畔にの十和田湖観光交流センター「ぷらっと」が、「外国人観光案内所カテゴリー2」に認定されたとのことです。

プレスリリースが出ています。

十和田湖観光交流センター「ぷらっと」、外国人観光案内所カテゴリー2に認定されました! 一般社団法人十和田奥入瀬観光機構 2025年6月19日

 十和田湖観光交流センター「ぷらっと」は、十和田湖、奥入瀬渓流などの観光に関する情報、市民との交流の場などを提供し、十和田市の魅力発信、賑わい創出などの観光振興を目的に、2014年10月8日に設置されました。
 一般社団法人十和田奥入瀬観光機構(TOWADA TRAVEL)では、設立年の2019年4月より当施設の指定管理業務を担い、観光案内所として、地域情報の発信や観光案内、外国人対応などの役割を担ってまいりました。このたび「ぷらっと」は、多言語対応の体制整備に加え、案内の提供範囲が十和田湖・十和田市周辺にとどまらず、青森市や弘前市などの津軽方面、秋田県北地域も含む広域的なエリアにも拡大していることから、2025年5月29日付で、独立行政法人 国際観光振興機構(JNTO)より外国人観光案内所のカテゴリー2に認定されました。
 一般社団法人十和田奥入瀬観光機構(TOWADA TRAVEL)は地域づくり法人(DMO)及び当施設の指定管理者として、引き続きインバウンド受入体制の整備に資し、海内外の観光客に高い満足度を提供し得る観光施設運営を目指して参ります。
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十和田湖観光交流センター「ぷらっと」
【住所】〒018-5501 青森県十和田市奥瀬字十和田湖畔休屋486
【開館時間】9:00〜17:00
【定休日】年中無休
【入館料】無料
【観光案内対応言語】日本語、英語、中国語、フランス語
【常設展示】
 ・十和田湖ひめます(4月〜11月頃) ・十和田湖畔休屋周辺のジオラマ
 ・和井内貞行、高村光太郎、大町桂月の資料
【アクセシブルなサービス】
 ・交流室貸出 ・授乳室 ・休憩スペース ・フリーWi-Fi ・コンセント ・エレベーター
 ・オストメイト対応トイレ ・車椅子貸出
【ウェブページ】
https://tic.jnto.go.jp/jpn/detail.php?id=3702(日本の認定外国人観光案内所)
【指定管理者】
 一般社団法人十和田奥入瀬観光機構(TOWADA TRAVEL) 理事長:岩間 惠美郎
【連絡先】
・電話番号:0176-75-1531
・ファクス:0176-75-1535
・メール:towadako@towada.travel
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「ぷらっと」さん、平成26年(2014)にオープンし、「乙女の像」作者の光太郎コーナーも設けて下さいました。説明パネル等は当方が執筆いたしました。その後も少しずつ展示が拡充、各種イベントの会場としても活用されています。また、オープン当初は冬期間閉鎖でしたが、現在は年中無休。頭が下がります。

周辺にはインバウンドの方々も多く、その対応ということで、今回は独立行政法人 国際観光振興機構(JNTO)さんより外国人観光案内所のカテゴリー2に認定ということだそうです。
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どうせなら、カテゴリー3認定を目指し、さらなる体制の整備等をお願いしたいところです。

皆様もぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

お届けしたいものもありながら、参上出来ずにゐる次第です。


昭和29年(1954)5月11日 細田明子宛書簡より 光太郎72歳

つい先日も書きましたが、明子は戦前から光太郎が常連だった三河島のトンカツ屋・東方亭の娘です。光太郎に実の娘のようにかわいがられていました。戦後、医師となり、光太郎詩「女医になつた少女」(昭和24年=1949)のモデルにもなりました。

「お届けしたいもの」は、この月に医者仲間の関川大司と結婚する明子への祝いの品、結婚記念帳でした。
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のちに明子は「過分なお祝いと結婚記念帳を頂戴し、そこに心暖まるお祝のお言葉まで書いていただいた。」と書きました(「高村光太郎さんと私」平成10年=1998『福島民友新聞』)。

光太郎の言葉は以下の通り。

明子様 昭和廿九年    光太郎 心臓をわるくしてゐて お祝に出られなかつた お二人は殊に心臓がおつよいといふ事だし それにあやかりたかつたが是非もなかつた たゞ新郎が心臓専門なのは心づよい 光太郎

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のたつ十和田湖。光と影の明暗が分かれる報道が為されています。「光」の部分は、一昨日お伝えした「第60回記念十和田湖湖水まつり報道」。多くの方で賑わって……というわけで。

「影」の方、ここ数日で、さまざまなメディアが一斉に報じました。一部、ご紹介します。

地元紙『東奥日報』さん。

国立公園・十和田湖の放置遊覧船 青森県が撤去勧告 所有者側への指導26回、対応なく

 十和田湖の宇樽部桟橋(青森県十和田市)に不法係留されている放置遊覧船が横倒しになっている問題で、船を所有する十和田湖遊覧船企業組合(同市、解散)の清算人に対し、県が撤去勧告を出していたことが16日、県への取材で分かった。県がこの清算人に対し、撤去勧告を出したのは初めて。県はこれまで、前段階の撤去指導を26回にわたり行ってきたが、具体的な対応がなかった。
 同桟橋には4隻の遊覧船が不法係留されており、うち1隻が横倒しになっている。勧告は5月30日付で、全4隻を対象に行った。
 県によると、清算人は同組合の関係者で、連絡は取れている。これまで何度も現地に赴き、放置遊覧船の状況は確認しているものの、撤去に向けた動きを見せていないという。
 撤去勧告は強制力がない行政指導。一段階上の撤去命令は強制力が生じる行政処分で、県港湾空港課の担当者は「まずは相手の対応を見極めたい」と話した。
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RAB青森放送さんのローカルニュース。

「使わなくなったものはきれいに…」十和田湖観光への悪影響を“懸念” 不法係留の放置遊覧船に「撤去勧告」も所有者側は対応とらず… 青森県十和田市

十和田湖で不法係留されている4隻の遊覧船です。県が所有者の清算人に5月30日付で撤去勧告を出しました。
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十和田湖宇樽部地区の桟橋に不法係留されている4隻の遊覧船について、県は所有者で2016年に事業を停止した「十和田湖遊覧船企業組合」の清算人に対して、5月30日付で「撤去勧告」を初めて出しました。
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4隻は2015年から不法係留され、県はこれまで26回にわたり「撤去指導」を行ってきました。県は勧告で速やかな撤去を求めていますが、撤去勧告に強制力はありません。
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ことし2月には雪の重みで、4隻のうちの1隻「第3十和田丸」が横転し、今もロープで固定されシートが被せられています。
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十和田湖では、きのうまで夏の観光シーズン幕開けとなる十和田湖湖水まつりが開かれ、多くの観光客が訪れていました。
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観光関係者は景観や環境面でも悪影響を与えかねないとして、早期撤去を求めています。
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★十和田奥入瀬観光機構 安藤巖乙事務局次長
「十和田湖の美しい景観を守るために、放置遊覧船だったりとか休屋地区の廃屋もそうですけど、使わなくなったものはしっかりきれいになっていくといいなと思っています」
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★県港湾空港課 橋本公学課長
「所有者側に対してはこれまで撤去指導を行ってきたところですが、現状対応が取られていないということを踏まえて、一歩踏み込んだ撤去勧告を発出した」
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県によりますと、いまのところ組合から勧告の求めに応じる連絡はないということです。

全国ニュースでも。FNNさん系のテレビニュース。

まるで“船の墓場”…横倒しになった船も放置に地元住民「もう何十年も…みっともない」県が撤去指導26回も解決めど立たず 青森・十和田湖

青森県と秋田県にまたがる十和田湖で“廃船群”が問題となっており、なかには横倒しになったままの船もある。青森県は何度も組合関係者に撤去を求めてきたというが、解決のめどは立っていない。
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横倒しになった船が放置も… 東北地方を代表する観光名所の一角に広がる、まるで船の墓場のような光景。
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船体はさびだらけで、クモの巣も張り放題。さらには横倒しになったままの船もあった。
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地元住民は「10年もこうほっぽり投げられるんじゃ、置かれた方はたまったもんじゃないですよ」と話す。
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廃船群が問題となっているのは、青森県と秋田県にまたがる十和田湖。十和田湖は世界でも珍しい「二重カルデラ湖」で、周辺の木々とともに織り成す自然の造形美は東北きっての観光ポイントとして知られている。
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約10年間、不法係留状態の船 そうした十和田湖の観光に欠かせないのが遊覧船なのだが、青森県側のある桟橋に行ってみると、放置された船があった。船体に書かれた文字が一部読み取れないほどはがれた塗装。船の至る所が汚れとサビにまみれ、長年人の手が入っていない様子がうかがえる。

付近の住民:
もう何十年もこのままですから、みっともないですよ。(観光の)お客さんにも申し訳ないなと思って。
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この桟橋に係留されている5隻のうち4隻が、約10年もの間、不法係留状態。この4隻はかつて地元の企業組合が遊覧船として使用していたが、その組合はすでに解散済みだという。
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地元住民は、「どうにもならない。完全に撤去するしかないでしょ」と話していた。
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青森県はこれまで、組合の関係者に何度も撤去を求めてきた。
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青森県 港湾空港課・橋本公学課長:
これまで26回ほど指導をしております。先方からは前向きな回答をいただけなかったと。
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「朝起きたらひっくり返ってた」
すると2025年、ある異変が起こったという。

FNNのカメラが25年前に撮影していた「第3十和田丸」の塗装作業。この時、船体は光り輝いていた。そして、その「第3十和田丸」の現在はというと、横転してロープでつながれ、シートがかぶせられている。横転直後に撮影された「第3十和田丸」の写真。2025年2月ごろ、大雪の重みに耐えかね、船体が傾いていったのだという。
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付近の住民:
「この船危ないね」って言ってたらもう本当に斜めになってて、朝起きたら本当にひっくり返ってたんですよね。
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景観の悪化どころか、周辺の安全にまで大きな影響を及ぼし始めた十和田湖の廃船群。この事態を受け、県は5月末、これまでの指導よりも一段階踏み込んだ“撤去勧告”を関係者に行ったという。ただ、勧告には強制力はない。
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青森県 港湾空港課・橋本公学課長:
まだ今のところ、先方からの回答はございません。速やかに対応していただきたい、これに尽きるかと。
(「イット!」6月18日放送より)

問題の廃船が放置されているのは、「乙女の像」のたつ休屋地区と、奥入瀬渓流への入口に当たる子(ね)の口地区の中間に位置する宇樽部地区。解散したという組合が運行していた遊覧船は休屋-子の口間を航行する途中で宇樽部の桟橋にも立ち寄っていたと記憶しています。

宇樽部にはキャンプ場があり、また、民家も建ち並んでいます。かつては旅館等もあり、昭和27年(1952)、「乙女の像」設営の下見のため十和田を訪れた光太郎は宇樽部の東湖館という宿に泊まり、智恵子の顔を持つ像を作ろう、と決意しました。その東湖館の建物は平成29年(2017)まで残っていましたが、残念なことに解体。逆に撤去されるべき廃船が繋留されたままだそうで……。
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廃船の剥がれかけた塗装に「乙女の像」の文字が読み取れるのが悲しい感じです。

ずどんとテンションが下がりましたので、上げます。『朝日新聞』さん、6月14日(土)の東北版。

みちのく歌壇 梶原さい子選

湖(うみ)ひかりふたりの智恵子影為合(しあ)ふ「乙女の像」に姿を化(は)けて (仙台市)大橋勝

【評】 十和田湖の「乙女の像」を詠む。古語の使用が、歌にふさわしいたおやかな風情を増している。


読者短歌の投稿欄から。
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像の建立に一役買った佐藤春夫が詠ったごとく「あわれ いみじき 湖畔の乙女 ふたりむかいて 何をか語る」という感じですね。

【折々のことば・光太郎】

あの魴鮄が現存してゐる事を確認したのは愉快でした、製作年代の分つたのもありがたく、これで他の木彫の年代もおよそ類推することが出来ます、


昭和29年(1954)3月10日 宮崎丈二宛書簡より 光太郎72歳

木彫「魴鮄」は大正13年(1924)の作。永らく行方不明でしたが、詩人の宮崎と親しかった材木商・浅野直也がこの年、当時の価格13万円で入手しました。

浅野はやがて中野の貸しアトリエに居住していた光太郎に現物を見せに行き、宮崎は詩「蘭と魴鮄」を書きました。029

   蘭と魴鮄

 花を開き初めた春蘭が
 葉を垂れてゐる鉢の傍へ
 高村光太郎作魴鮄を置いて眺める
 これはいゝ
 思はず自分はさう云ひながらも
 この心に叶つた快さを
 どう説明していゝかは知らない

 魴鮄はその面魂(つらだましひ)を
 それに打ち込んだ作者をさながらに現して
 むき出しにしてゐる
 ぎりぎりの簡潔さ しかも余すところなく
 きつぱりとそのかたちに切られて
 そして今こゝに
 蘭の薫を身に染ませて

「他の木彫の年代もおよそ類推」とありますが、昭和20年(1945)の空襲で記録類が焼けてしまったためもあるでしょうが、光太郎、意外と自作の制作年代をちゃんと記憶していませんでした。

6月14日(土)・15日(日)に開催され、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも為された「第60回記念十和田湖湖水まつり」についての報道をご紹介します。ただし、「乙女の像」ライトアップには触れられていませんが……。

RAB青森放送さんのローカルニュース。

【幻想的】湖畔を彩る350個のランタンと打ち上げ花火…夏の観光幕開けを告げる「十和田湖湖水まつり」が開幕! 青森県十和田市

 夏の十和田湖観光の幕開けを告げる十和田湖湖水まつりが開幕し、訪れた人たちが幻想的な景色を楽しみました。
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 今回で60回目となる十和田湖湖水まつりは14日開幕しました。
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 十和田湖畔休屋地区の会場には屋台やキッチンカーが並び、よさこいなどのパフォーマンスで盛り上がりました。
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 午後8時すぎには、願い事を書き込んだバルーンランタンが夜空に放たれました。
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 小雨が降るあいにくの天気となりましたが、およそ350個のランタンが湖畔を彩り幻想的な景色が広がりました。
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★千葉から
「とてもきれいでした 幻想的な景色でした 参加してよかったです」
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最後は200発の花火が打ち上げられ訪れた人たちが楽しみました。まつりは15日まで開かれています。
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鹿角きりたんぽFMさん。

「湖水まつり」人気定着で人出 十和田湖

 秋田と青森にまたがる十和田湖で「湖水まつり」が14日、2日間の日程で始まり、大勢の来場者でにぎわっています。
 湖水まつりは、観光客を呼び込もうと地元の関係者でつくる団体が開いていて、60回めのことしは去年に続き、観光シーズンの平準化などを目的に以前の日程から1か月前倒しされました。
 今や見ものとして定着したバルーンランタンの打ち上げでは、会場にアナウンスされたカウントダウンとともに、バルーンランタンを購入した人たちが一斉に浮かび上がらせました。
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 雨の影響で長い間、楽しむことはできなかったものの、オレンジや青のLEDが光るバルーンランタンおよそ400個が夜空に浮かぶ光景はメルヘンチックで、訪れた人たちがうっとりと眺めたり、写真を撮ったりしていました。010
 フィナーレの打ち上げ花火は、あいにくの天候で、打ち上げ地点の近くではほとんど見えませんでしたが、離れた場所で見ている人たちが夏の雰囲気を味わいました。
 弘前市から訪れていた20代の男性は、「花火があまり見えなくて残念でしたが、ランタンが幻想的だった。いい思い出になったし、来年の楽しみもできた」と話していました。
 湖水まつりは5年前のバルーンランタンの導入以降、人気がさらに高まり、近年は大勢の人出でにぎわっています。
 この日もバルーンランタン400個が早々に完売し、名物の「乙女もち」などを販売する屋台やキッチンカーの前に行列ができるとともに、駐車場待ちの渋滞も長くつながりました。
 主催する祭りの連携会議では、「6月の開催でも大勢に来てもらえて、手ごたえをつかんでいる。十和田湖にいろいろな季節に人を呼び込んでいきたい」としています。

「乙女の像」には触れられていませんが、像にちなんでネーミングされたであろう「乙女もち」に言及されています。きりたんぽと同じ味噌ダレがまぶされていて、2人の女人が向かい合って立つ「乙女の像」をイメージ、2個の餅が串に刺さっています。ただ、お店によっては3個ですが(笑)。
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地方紙で『デーリー東北』さん。

花火やランタン夜空彩る/十和田湖水まつり、15日まで016

 第60回十和田湖湖水まつりが14日、十和田湖畔休屋地区で開幕した。夜は雨が降る中、願い事が書き込まれたバルーンランタンと大輪の花火が打ち上げられ、湖面を彩った。15日まで。
 同まつり連携会議と十和田奥入瀬観光機構が主催。今回も混雑回避や観光時期の平準化を目的に、昨年に引き続いて約1カ月早く開催した。
 日中は郷土芸能などのパフォーマンス披露や、キッチンカーを楽しむ人でにぎわった。午後8時過ぎには、オレンジ色や青色のバルーンランタン約350個が湖岸から一斉に放たれたほか、最後は音楽に合わせて花火200発を打ち上げ。あいにくの雨だったが、夜空を幻想的に染め上げた。 東北町から訪れた会社員中塚巴泰さん(27)は「バルーンランタンがディズニー映画のようで、とてもきれだった」と語った。
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同じく『東奥日報』さん。

湖水まつり開幕/十和田湖畔休屋

 青森県十和田市の十和田湖畔休屋で14日、「十和田湖湖水まつり」が2日間の日程で始まり、初夏の湖畔が市民や観光客らでにぎわいを見せている。
 初日は歌やダンス、よさこいなどストリートパフォーマンスが行われ、来場者らは肉料理やスイーツなどの屋台やキッチンカーに行列を作っていた。
 夜のイベントはあいにくの天気だったが、家族連れらはひもを使って、願い事を書いたバルーンランタンを飛ばした。
 この日は打ち上げ花火も行われたが、濃い霧と煙でほとんど見えなかった。青森市から家族で来ていた五十嵐敬子さん(68)は「悪天候で残念だったけど、ランタンを一度は飛ばすことができたので願いはかなうと思う」と話した。
 60回目を迎えた今年のまつりは、十和田湖の魅力を世に広めた文人・大町桂月の没後100年を記念して行っている。
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こちらのみ、「乙女の像」で顕彰されている大町桂月没後100年記念に触れられていました。その活動に同紙も関係しているのかもしれません。

というわけで、「十和田湖湖水まつり」、末永く続いてほしいものですし、当方、一度行っただけなので(「冬物語」等では何度もお邪魔しましたが)、再訪しようかという気になりました。来年以降、皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

鋳金代については、県の方へ、貴下のお話通りに二万円程度と話してあります、それも最後的におきめ下さい。又台座、荷造、運賃等は別ですから、その様に御請求を願ひます。出来上りましたら直接貴下から県庁にあててお送り下さい。 小生は青森に行つたら、その時見ます。


昭和29年(1954)2月18日 伊藤忠雄宛書簡より光太郎72歳

伊藤忠雄は「乙女の像」の鋳造を担当した鋳金家。

「乙女の像」本体は前年に除幕されましたが、それとは別に記念として像の小型試作を新たに二体鋳造し、県に贈ることになり、その相談です。この際の小型試作は現在も青森県で所有しています。

たまたまですが、一昨日、Yahooオークションでこれと同型の小型試作が出品されました。平成15年(2003)の新しい鋳造ですが。開始価格18万円。この価格で落とせれば実にお買い得ですが、おそらく競られて上がると思われます。
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昨日お伝えした、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のたつ、青森県十和田湖での「第60回記念十和田湖湖水まつり」とも関わる内容で、現地の地方紙『東奥日報』さんの一面コラム。5月30日(金)の掲載分です。

天地人

 十和田市の古木「法量のイチョウ」の枝が今冬の大雪で折れた。心配していたが、十和田古道フォーラム参加者ら約30人と訪れて見上げ、変わらぬ威容にほっとした。
 近くを通る国道102号はかつてなく、奥入瀬川が法量のイチョウ下の巨岩にぶつかって流れる石門状の地形だったという。参詣者は巨岩脇を登って越え、十和田湖に向かった。斉藤利男弘前学院大特任教授は「ここから先は神域」と説明、鈴木健郎専修大教授は「日本の宗教的に、巨岩は神が降りる場所。非常に重要だったことが分かる」と注目する。
 十和田開発の功労者として、1908年に本県に赴任した官選知事の武田千代三郎、文人・大町桂月、法奥沢村長で県議の小笠原耕一が挙げられる。十和田湖畔の「乙女の像」は3人の顕彰で建てられたという。
 武田は十和田湖と奥入瀬を一体ととらえており、自著で十和田湖を詳細に記述。貴重な財産だと説き、自身の着任前に行政が許した伐採等の影響で一部景観が「名勝變(へん)じて凡境と化した」と嘆き、自然破壊行為を厳に慎むよう苦言を呈した。
 斉藤特任教授はさらに、八甲田も含めた一帯が広大な霊場だったと推測する。一時どん底だった十和田湖観光は、歴史を生かした再起のエネルギーが起きている。悠久の歴史を知るにつれ、われわれにこの得難い財産を後世に残す責務があると身が引き締まる。

「乙女の像」の正式名称は「十和田国立公園功労者顕彰記念碑」。昭和25年(1950)に、時の青森県知事・津島文治(太宰治の実兄)の肝煎りで準備委員会が発足、同27年(1952)に正式に「十和田国立公園功労者顕彰会」となり、建設が具体化していきます。コンセプトは十和田湖周辺の国立公園指定15周年の記念と、その指定に功績のあった「十和田の三恩人」、大町桂月・武田千代三郎・小笠原耕一の顕彰でした。
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明治の文豪・大町桂月は、それまで一般に知られていなかった十和田湖の景観美をさまざまな紀行文で広く世に紹介しました。
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明治44年(1911)、それらを読んだ皇太子時代の大正天皇が十和田湖に興味を持ち、当時の青森県知事・武田千代三郎に、北海道巡啓のついでに十和田湖に行ってみたいのだが現地の様子はどんな感じか? と問うたのですが、武田は十和田湖に足を運んだことがなく、ろくに答えられませんでした。それを恥じた武田は、地元の法奥沢村長兼県会議員の小笠原耕一と共に道路整備、国立公園指定の請願等に腐心しました。

昨日お伝えした通り、「十和田湖湖水まつり」は今年が60回の節目の年で、さらに十和田湖の景観美を広く世に知らしめた大町桂月の没後100年記念も兼ねています。

桂月といえば、与謝野晶子が日露戦争に出征した弟・籌三郎の身を案じた「君死にたまふこと勿れ」(明治37年=1904)を痛烈に批判したことでも知られています。
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この当時、光太郎は既に与謝野夫妻の『明星』に依り、新詩社社中の新鋭の一人と目されていました。したがって、桂月にしてみれば憎き晶子の弟分(笑)。その光太郎が時を経て、桂月顕彰の意味合いも含めて「乙女の像」を制作したわけで、そのあたりも念頭に、光太郎自身は次のように語っています。

僕は若い頃大町さんに怒鳴られたりなんかして、よく知つてゐるんだから、貴様こんなものを立てたといつて怒られるだらうといふ事が、頭に出て来て、それでどうも弱つたんです。
(座談「自然の中の芸術」 昭和29年=1954)

ここにはなぜ裸婦像なのか、という問題も含まれています。それについても同じ対談で、

初めは三人の首をといふ事がすぐ頭に出たんですけれども、これは何だか獄門みたいになりますから考へて、止しました。(略)とにかく僕に自由なものをやつていゝと言ふと、大町さんとの関係がなくなつてしまふんですよ。たゞ裸の像では大町さんは寧ろ嫌ひですよ。(略)だからあの時は姑息な事を考へてね、像に木の枝を持たせて、その木を桂の木にしようと思つた。月の桂で桂月を意味するし、そんな馬鹿な事も考へたけれども、段々やつてゐる内に、一切さういふ事を離れちまつて、自分が湖から受ける感じ――桂月さんが湖から受けてあれだけ感動したんだから、自分が湖から受ける感動をそのまま正直に出せば、結局同じなんじゃないか。(略)桂月が草鞋ばきで尻を端折つてあそこを歩いてゐたやうな時の姿をあそこへ置いたら、どんな滑稽か分からない。これはもう恐らくどんなによく拵へてもをかしい。

などと発言しています。

さて、桂月没後100年ということで、十和田や都内でそのあたりの記念行事等も予定されています。その中で、「乙女の像」、さらには像の作られた中野のアトリエの保存などについても、スポットが当たることを祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

昨夜草野心平さんにあつた処山口での撮影には立合ひたいといふ事でしたが、ブリツヂストンでその費用を果してだすものでせうか、一応貴下から先方の意向をきいてくれませんか、

昭和28年(1953)11月15日 難波田龍起宛書簡より 光太郎71歳

「山口」は前年まで光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村山口地区。この月25日に帰村し12月5日まで滞在しました。
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「撮影」はブリヂストン美術館制作の美術映画「高村光太郎」のためのもの。前半は中野の貸しアトリエでの「乙女の像」制作風景などを、後半を旧太田村で撮影しました。

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光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のたつ、青森県十和田湖からイベント情報です。

第60回記念十和田湖湖水まつり

期 日  : 2025年6月14日(土) 15日(日)
      荒天の場合
       ①6月14日(土)が中止の場合
→6月15日(日)、6月21日(土)開催
       ②6月15日(日)中止→6月14日(土)、6月21日(土)開催
       ③6月14日(土)、6月15日(日)中止→6月21日(土)、6月22日(日)開催
       ④6月14日(土)、6月21日(土)中止→6月15日(日)、6月22日(日)開催
       ⑤6月14日(土)、6月15日(日)、6月21日(土)中止→6月22日(日)のみ開催
       ⑥6月14日(土)、6月15日(日)、6月21日(土)、6月22日(日)中止→湖水まつり中止
会 場  : 十和田湖畔休屋桟橋前 青森県十和田市奥瀬字十和田湖畔休屋486 
問合せ  : 十和田湖観光交流センターぷらっと 0176-75-1531

 遡ること1908(明治41)年夏、高知県出身の文人・大町桂月が、十和田湖をはじめて訪れました。その時に桂月が感じた雄大さや自然の美しさを、雑誌に寄稿したことが、十和田湖を景勝地として世に広めるきっかけとなりました。その後、何度も十和田湖を訪れた桂月。病を悟りながらも最期の地に選んだのも十和田でした。1925(大正14)年6月10日、緑萌ゆる蔦温泉で、56歳の若さで亡くなりました。今年は、その没後100年にあたります。
 大町桂月が世に広めた十和田湖の変わらない美しさ。その美しさを、北東北の夏の観光シーズンの幕開けを飾る花火大会として続いてきた湖水まつりをきっかけに、多くの人に知ってほしい。そうした思いで、記念すべき年の第60回湖水まつりを開催します。
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十和田の夏を盛り上げるコンテンツ満載!

バルーンランタン
十和田湖の夜空に、願いを込めたランタンを一斉に浮かべましょう。湖面に映る無数の光が、幻想的な景色をつくり出します。バルーンランタンには、お好きな文字やイラストを描いて、世界に一つだけの灯りを届けることができます。
 6/14(土) バルーンランタン 1個あたり 6,600円
 6/15(日) バルーンランタン 1個あたり 6,200円
 50個限定!早期購入で400円引き!
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メッセージ花火
大切な人へのメッセージを花火と共に贈りませんか?
ご指定のメッセージをアナウンスした後に、花火を打ち上げさせていただきます。
 1玉+メッセージ読み上げ 10,000円
 3玉+メッセージ読み上げ 28,000円
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ナイトクルーズ
十和田湖ナイトクルーズは年に一度、湖水まつり限定! バルーンランタンと打ち上げ花火を湖上鑑賞してみませんか? 十和田のカルデラに包まれながらの特別な時間を約束します。
 時間:20:15〜
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今年は屋台コーナーも登場!
時間 : 11:00〜22:00
 キッチンカーコーナー
  うれしいうれしい一品(みたらし団子、わらび餅)
  ほっとまん企画(おつまみセット、チーズセット、生ハム)
  たご助(煮干したご焼き、トルネードポテト)
  豚専門店 いろとん(豚つくね串、じろう串、ホルモン串)
  ナイトマーケット(大分中津からあげ、フライドポテト)
  OIRASETOWADA おまかせKitchen(バラ焼きうどん、わんぱくナポリタン、パフェ)
 露店コーナー
  湖白家(ポテト、チュロス、肉巻、シャーピン)
  和の店(からあげ、オム焼きそば、あげたこ)
  田村商会こなもんや(オムそば、豚まん、たこ焼)
  かばさわ商店(フライドポテト、かき氷)
  鎌田功誠(フルーツ飴、はしまき)
  Enjoyとわだこ(行者ニンニクぎょうざ、日本酒/新政10種・花邑)
  マルショウ(トルネードポテト、肉巻き棒、サツマイモチップス)
  宮本商店(たこ焼き、バナナチョコ)
  メディアサポートシステム(ジャンボ牛串、マシュマロスティック)
   ※()内は主なメニュー

パフォーマンス団体/個人を募集中!
十和田湖湖水まつりでは、音楽、ダンス、郷土芸能など、様々なジャンルからのパフォーマンスを募集しております。
 ◇会 場:桟橋前広場(十和田湖が背景になります)
 ◇特典:カメラマンによる出演写真をご提供
 ◇申込み〆切(第一次):5月16日(金)
  申込み〆切(第二次):5月30日(金)※応募枠に余裕がある場合のみ実施(先着順)
 ◇発表:主催者による簡易審査の結果次第随時

公式サイトに記述がありませんが、問い合わせたところ、夕方から「乙女の像」ライトアップも為されるそうです。下記は過去の画像ですが。
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今年は湖水まつり自体が60回の節目、さらに十和田湖の景観美を広く世に知らしめた明治の文豪・大町桂月の没後100年だそうで(「乙女の像」は桂月ら「十和田の三恩人」顕彰というコンセプトも含めて作られました)、今回の案内文には桂月についても触れられています。

というわけで、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

十和田湖旅行のかへりに山口にゆくつもりでしたが、青森でいろいろの事をするので相当疲れると思ひ、今度は一旦東京に帰り、少々休んでから、十一月に又あらためて山口に行き大沢あたりで休養したいと思つてゐます、

昭和28年(1953)10月15日 浅沼政規宛書簡より 光太郎71歳

浅沼政規は、前年まで光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校長。「十和田湖旅行」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式出席のためでした。除幕式に直接関わる書簡が、今のところ発見出来ておりません。
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遺言はオープンに

テレビの地方局で流されたローカルニュースを2件。

まずはNHK広島局さん。呉市立美術館さんで昨年12月から開催されている「コレクション展III いのちを彫る 時を刻む 呉美の彫刻コレクション」に関して。

呉市立美術館で彫刻作品展 高村光太郎の「手」も

 近代から現代にかけて日本や西洋で作られた彫刻作品を集めた展示会が、呉市の美術館で開かれています。
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 呉市立美術館で開かれている展示会には、大正時代から現代にかけて日本やフランスなどで作られたあわせて50点の彫刻作品が展示されています。
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 このうち、大正から昭和にかけて活躍した詩人で彫刻家の高村光太郎の代表作の一つ「手」は、自らの手をモデルにしていて骨の形や皮膚のたるみまで写実的に表されているのが特徴だということです。
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 また、呉市出身の彫刻家、上田直次の「愛に生きる」という作品は、やぎの親子をモチーフにしたもので、大きなくすのきをノミで大胆に削って作っています。
 呉市立美術館の学芸員、渡辺千尋さんは「今回の展示は彫刻作品なので、絵画とは違って360度、いろいろな角度から展示を楽しめます。ぜひ会場に来ていただき、さまざまな視点から作品を観察して、それぞれのおもしろさを見つけてもらいたいです」と話していました。
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 この展示会は、2月11日まで開かれています。
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もう1件、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」ライトアップも為されている「十和田湖冬物語2025」について、RAB青森放送さん、2月1日(土)の放映。残念ながら「乙女の像」には触れられませんでしたが。

「もう忘れられないです」十和田湖冬物語が開幕 冬空を彩る大輪の花火 雪の滑り台やスノーモービルで引く雪上バナナボート かまくらバーも人気

 冬の十和田湖を楽しむことができる「十和田湖冬物語」がきのう開幕しました。
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 十和田湖冬物語は十和田湖畔休屋地区できのう開幕しました。
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 会場にはスノーパークが設けられ、雪の滑り台やスノーモービルで引く雪上バナナボートを楽しむことができます。

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 また青森と秋田の食を楽しめる雪あかり横丁や、氷のグラスでカクテルなどが飲めるかまくらバーも人気です。
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 訪れた人たちのお目当ては午後8時からの冬花火。
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 音楽に合わせて200発の花火が打ち上がります。
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★訪れた人
「カラフルでドカンとなってクライマックスのときにしゅっていろいろなったのがおもしろかったです」
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「東京ではこんな風になかなか見られないのでしかも雪と一緒に見ることがないのでうれしかったです 
もう忘れられないです」
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 十和田湖冬物語は今月24日まで、火曜日と水曜日を除く毎日開かれます。
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それぞれぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

「トリモンA」三箱サントニン錠一箱、石鹸などいただき、感謝しました、早速服用いたしました。神経痛はどうしても退治してしまはねばなりません。今後の彫刻製作の邪魔になりますから。


昭和26年(1951)8月9日 椛沢佳乃子宛書簡より 光太郎69歳

翌年秋は再上京し、「乙女の像」制作を始めますが、この時点ではまったく具体的な計画は立っていません。それでも何らかの彫刻制作を再開する構想はずっと持ち続けていました。

「トリモンA」はホルモン剤、「サントニン」は虫下しの薬。「虫下し」と言っても、若い人達には通じないでしょうね(笑)。
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若干先の話ですが(このところネタ不足なもので(笑))、青森県からイベント情報です。

十和田湖冬物語2025 冬、十和田湖びより

期 日 : 2025年1月31日(金)~2月24日(月・振休)
会 場 : 十和田湖畔休屋 多目的広場 青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋
休 業 : 火曜・水曜 

八甲田山の麓、標高約400メートルに位置する十和田湖は平安の頃から信仰の対象として、脈々とその歴史を紡ぎながら観光地としてもたくさんの人々に親しまれるようになりました。その神秘的な情景は、訪れた人を感動へと導いてくれます。

深い深い雪に包まれる冬も同様。峠を越える、容易い道ではないからこそたどり着いた先の感動もひとしおです。

真っ白な衣を纏った十和田湖を舞台に冬を思い切り楽しんでもらおうと開催してきた十和田湖冬物語は今年で27回目を迎えます。

「冬、十和田湖びより」

皆さまと一緒に、そんな思いを共有するためさまざまなコンテンツを用意して会場でお待ちしております。冬の十和田湖で会いましょう!
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FIREWORKS -冬花火-
 真冬の澄み切った夜空を彩る冬花火。音楽との競演もお見逃しなく! 全日20:00〜
 メッセージ花火受付中! 大切なあの人へ。感謝の気持ちを花火に込めてみませんか?
 8800円/発〜
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FOOD MARKET-雪灯り横丁-
 ローカルの食材を使った美味しいグルメを楽しもう!
 平日16:00〜20:30 休日11:00〜21:00
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TRADITIONAL ARTS-冬の国境まつり-
 北東北の祭りや、地元有志によるパフォーマンスは必見! 週末限定!
  青森 ねぶた囃子「ラッセラー♪」みんなで歌おう! 踊ろう!
  ・2月8日(土)16:00〜、19:00〜 ・2月9日(日)16:00〜
  秋田 なまはげ太鼓 なまはげの太鼓パフォーマンスは圧巻!
  ・2月15日(土)16:00〜、19:00〜 ・2月16日(日)16:00〜
  岩手 花巻鹿踊り 平安と悪霊退散を願って、高く舞い上がる鹿たち!
  ・2月23日(日)16:00〜、19:00〜 ・2月24日(月・振休)16:00〜
  協力:新渡戸友好都市交流委員会
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SNOW PARK-雪遊び-
 会場には大きな雪の滑り台が誕生! あなたは何して遊ぶ?
 平日16:00〜19:30 休日11:00〜19:30
 ・すべり台(そり、チューブ) ・バナナボート
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昨年から、永らく行われてきた湖畔休屋地区での屋台村を中心としたスタイルで復活しました。そのスタイルだった時代に2度、イルミネーション系のイベントとなっていた時期に1度お邪魔しましたが、とにかく寒い!(笑)。その寒さを逆手にとって楽しんでしまおうというイベントです。

問い合わせたところ、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも為されるとのこと。辿りつくまでがなかなか大変ですが、実に幻想的です。画像は過去のものです。
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手前の雪灯籠にあかりが灯されます。

予約が必要なようですが、JRさんのバス「おいらせ号」が八戸駅から、十和田観光電鉄さんのバスが十和田市中心街から出ます。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】002

「天上の炎」の小生の印税は五分でいいです。この本は余り売れないでせう。今日ヹルハアランを読む人は少いでせうから。


昭和26年(1951)4月24日 鎌田敬止宛書簡より
 光太郎69歳

『天上の炎』は、ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンの詩集。光太郎訳で大正14年(1925)にハードカバーが刊行されましたが、鎌田の白玉書房からペーパーバックで復刊されました。

今日ヹルハアランを読む人は少いでせう」の言葉通り、さらにましてや現代では忘れられかけた詩人となった感があります。

『読売新聞』さん青森版、先週末に出た記事です。

十和田湖 輝く新緑

 十和田湖畔に広がる木々に若葉が生え始め、訪れる人の目を楽しませている。遊覧船やボート、カヌーなどに乗ると、新緑と湖水の青とのコントラストが一望でき、湖畔とはひと味違った風景が楽しめる。
 十和田八幡平国立公園の中にある十和田湖は、周辺にブナなどの林が広がる。透明度が約12メートルの湖水は、光の反射で深い青色からエメラルドグリーンまで様々な表情を見せる。
 10日は白波が立つ荒れた天候だったが、高村光太郎の最後の作品として知られる「乙女の像」の近くにボートツアーがさしかかると、雲の切れ間から日光が差し込み、ブロンズ像と新緑、湖水のブルーが輝いていた。
 十和田奥入瀬観光機構は、「10、11月の晩秋まで多くの観光客に楽しんでほしい」としている。
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画像からも湖畔の新緑の美しさが伝わってきますね。

ただ、記事中の「最後の作品」というのは誤りで、「最後の大作」というべきです。何度も書いておりますが「最後の作品」は、完成したものとしては、昭和28年(1953)10月21日に行われた「乙女の像」の除幕式の際に関係者に配付された記念メダルです。小品ですが黙殺されていいものではありません。また、体調不良で未完のまま終わりましたが、その後取り組んだ「倉田雲平胸像」も含めれば、そちらも「最後の作品」ということになります。
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004ネット上や印刷物だと関係団体さんなどの紹介であっても「乙女の像」を「光太郎最後の作品」としている記述が目立ち、辟易しておりますが、一度こうとなってしまうとたとえ事実と異なっていてもそれが定着してしまうという例ですね。

閑話休題、「新緑」ということで、これも再三取りあげていますが、「新緑」を謳歌する光太郎詩を。

     新緑の頃
 
 青葉若葉に野山のかげろふ時、
 ああ植物は清いと思ふ。
 植物はもう一度少年となり少女となり
 五月六月の日本列島は隅から隅まで
 濡れて出たやうな緑のお祭。
 たとへば楓の梢をみても
 うぶな、こまかな仕掛に満ちる。
 小さな葉つぱは世にも叮寧に畳まれて005
 もつと小さな芽からぱらりと出る。
 それがほどけて手をひらく。
 晴れれば輝き、降ればにじみ、
 人なつこく風にそよいで、
 ああ植物は清いと思ふ。
 さういふところへ昔ながらの燕が飛び
 夜は地蟲の声さへひびく。
 天然は実にふるい行状で
 かうもあざやかな意匠をつくる。

昭和15年(1940)、雑誌『婦人之友』に掲載されました。既に日中戦争が泥沼化、国家総動員法がしかれていた時期で、「日本という国は何と素晴らしい国なのだ!」というプロパガンダ的な要素が見え隠れします。

そういう点を抜きにすれば、いい詩ですね。

さて、「新緑」の十和田湖、ぜひ足をお運び下さい。先月末からは遊覧船の運航も再開していますし。

【折々のことば・光太郎】

他の人の序をつけるのは東洋の風習でせうが、再考してもよくはないでせうか。序文とは結局何でせう。


昭和22年(1947)9月15日 菊池正宛書簡より 光太郎65歳

自著に序文を書いてくれ、という依頼に対しての断りの一節です。詳しくはこちら

キーワード「乙女の像」でヒットしました。

4月26日(金)、RAB青森放送さんのローカルニュース。

十和田湖遊覧船運航開始

あすから最大で10日間の大型連休が始まります。十和田湖では遊覧船の運航が始まり、観光客は春の装いに変わり始めた景色を楽しんでいました。
000
十和田湖遊覧船はきょうから運航が始まり、地元の人たちが観光客を見送りました。ことしも中山半島と御倉半島を巡る休屋発着便と、休屋と子ノ口を結ぶ便の2つのコースで1日12便が運航されます。
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恵比須大黒島や乙女の像を眺めながら進むと、雪が残る外輪山に囲まれた十和田湖が目の前に広がります。
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また緑色に色づき始めた木々の中にヤマザクラが咲いていて、訪れた観光客は春の装いに変わり始めた景色を眺めながらおよそ1時間の遊覧を楽しんでいました。
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★観光客
「ゆっくりと大自然の中でいい感じです」
「きれいですねほんとうに、自然が豊かに残っていてこんなにきれいなところだとは思っていませんでした。感激しました」
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遊覧船を運航している十和田観光電鉄によりますと去年の乗客7万8,000人のうち外国人観光客は約1万人で、インバウンドはコロナ禍前まで回復しているということです。
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★十和田観光電鉄 佐藤行洋社長
「十和田湖、いろんな意味で自然という部分で大変豊かなところですし休屋もだいぶ変わってきたというか、新しい魅力のある十和田湖・休屋になってきたのかなと思うのでそういう楽しみ方をしていただきたい」
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十和田湖遊覧船は11月18日まで運航されます。
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11月18日(月)の頃は、紅葉シーズンなのでしょう。それまでの間、多くの方が乗船なさることを祈念いたします。4月13日(土)から、青森・八戸~十和田湖休屋までのJRバスの運行も始まっているそうです。

【折々のことば・光太郎】

南海の名物鰹節をいただき、何よりのものとよろこびました。ウルヰ、シドケのやうな山菜も此のこの黒潮の味と香りとを得て一段と美味を加へる事でせう。

昭和22年(1947)7月9日 東正巳宛書簡より 光太郎65歳

東正巳は三重県在住、公立学校の事務職員を務めるかたわら詩歌句に親しみ、同人雑誌等を刊行、光太郎も寄稿していました。

ウルヰ」はオオバギボウシ(大葉擬宝珠)、「シドケ」はモミジガサ(紅葉笠・紅葉傘)。現代でも食されている山菜です。光太郎、鰹節を添えたおひたしにでもしていたのでしょう。

此のこの」は当方ではなく、光太郎の誤記です(笑)。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像」ライトアップも為されているはずの「第26回十和田湖冬物語2024 冬の十和田湖を遊びつくそう」が先週金曜に開幕し、その模様が報じられています。

ATV青森テレビさん。

冬空に200発の花火や名物「かまくらバー」も!「十和田湖冬物語」が開幕

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冬の十和田湖をイルミネーションや花火で彩る「十和田湖冬物語」が、2日に開幕し、訪れた人たちが、幻想的な世界を楽しみました。
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十和田湖冬物語は十和田湖休屋地区の特設会場で始まりました。イルミネーションで色鮮やかに飾り付けられた会場では大きな「かまくら」を使ったバーが登場。訪れた人たちはお酒を飲んだり、肉まんや串焼きといった温かい食べ物を食べたりして楽しんでいました。
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また午後7時半を迎えると、冬の澄んだ夜空に200発の花火が打ち上げられました。
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※訪れた人は「きれいでした。よかったです見に来て。」「花火、音楽と一緒に上がってきれいでした」「雪があっての花火ですごいきれいでした」
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十和田湖冬物語は2月25日まで毎週火曜日と水曜日を除いて開催され、イベント期間中の週末にはステージイベントも行われます。
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RAB青森放送さん。

十和田湖冬物語 開幕 毎日 冬空に花火

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冬の十和田湖が満喫できる「十和田湖冬物語」がきのう開幕しました。
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会場の十和田湖畔休屋地区では4年ぶりにコロナ禍前に戻して、地元の食を味わえる雪灯り横丁やスノーパークが設置されました。
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雪不足が心配されましたが名物のかまくらバーもお目見えしました。

また今月25日までの期間中、午後7時30分から毎日打ち上げられる花火が冬空に大輪の花を咲かせて訪れた人たちが冬の十和田湖を楽しんでいました。
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地方紙『デイリー東北』さん。

澄んだ夜空に光の大輪 「十和田湖冬物語」開幕

 十和田八幡平国立公園の十和田湖畔休屋地区で2日、厳寒期の自然の魅力に触れる「十和田湖冬物語」が開幕した。雪が舞う夜空に光の大輪が咲き、来場者が見入っていた。25日まで。
 冬期の誘客促進などを目的に、実行委員会(中村秀行委員長)が主催して26回目。期間中は火、水曜を除き、午後7時半から花火約200発を打ち上げる。1玉7千円のメッセージ花火もある。
 会場の多目的広場は入場無料。新型コロナウイルスの5類移行を経て、飲食を提供する屋台村が4年ぶりに復活した。酒類を扱うかまくらバーを含め、地元業者ら7店舗が出店し、家族連れや訪日客らでにぎわいを見せた。
 初日は十和田市無形文化財の「晴山獅子舞」も披露された。週末には青森、岩手、秋田3県の芸能パフォーマンスが行われる。
 東京都から夫婦で訪れた主婦服部博子さん(68)は「澄んだ空の冬花火は華やかできれい。思い出の一つになった」と喜んでいた。
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会場の十和田湖畔休屋地区、半端ない寒さですが、その寒さを吹き飛ばす熱気に溢れていることと存じます。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

あのいただいた和紙は実に珍重です。秋には障子をすつかり新しくします。ワラビ糊をつくつて張るつもりです。 貴下手植えの萩は今年花を持つかどうか分りませんが、勢は盛んです。

昭和21年(1946)8月17日 宮崎稔宛書簡より 光太郎64歳

前年5月の花巻疎開の折には光太郎を花巻まで送りとどけた宮崎が、久しぶりに茨城から光太郎に会いに来ました。障子紙や萩の苗は手土産。花巻町中心街の宮沢賢治実家や花巻病院長・佐藤隆房から託されたものかもしれませんが。

この書簡には萩の葉のイラストが描かれていました。
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光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称「乙女の像」)」の立つ、青森県十和田市からイベントの復活情報です。

第26回十和田湖冬物語2024 冬の十和田湖を遊びつくそう

期 日 : 2024年2月2日(金)~2月25日(日)
会 場 : 十和田湖畔休屋 多目的広場 青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋
休 業 : 火曜・水曜 

 1998年度に十和田湖畔で誕生したイベント「十和田湖冬物語」が、今年で26回の開催を迎えました。
 今年は屋台村「雪灯り横丁」が4年ぶりに復活します。また、毎年好評の「冬花火」や、県境を跨ぐエリアの特徴を活かした冬の国境まつりなど、冬の十和田湖をお楽しみいただけるコンテンツをご用意しております。
 その他にも、冬ならではのアクティビティや、期間限定の食魅力などが追加される予定です。詳細が決まり次第、公式HPにて公開いたします。
 当イベントを通して、閑散期の集客を促進し、観光施設やサービスの利用増加に繋げて、地域を盛り上げていきたいと考えております。
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冬花火 19:30打ち上げ(音楽と花火ショープログラム5分程度)
厳しい冬の澄み切った夜空だからこその「冬花火」。木曜〜月曜まで、音楽と花火がシンクロした花火ショーが行われます。
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雪灯り横丁 17:00~20:00
コロナの規制がなくなり屋台村「雪灯り横丁」が4年ぶりに復活します!わいわい楽しい屋台料理をお召し上がりください。
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冬の国境まつり
青森・秋田・岩手の北東北三県の芸能のパフォーマンスを毎週末開催。
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スノーアクティビティの充実
好評の滑り台やスノーランプなどのほか、雪でつくった特別観覧シート、連携事業者によるバナナボートなど。
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このイベント、平成10(1998)年度に始まり、永らく湖畔休屋地区での屋台村を中心としたイベントでした。当方、平成25(2013)年度平成29(2017)年度と、2回、お邪魔いたしました。その後、スタイルが変わり、令和2(2020)年度と翌令和3(2021)年度はイルミネーションが中心に。当方、2度目の際に行って参りました。それぞれ「乙女の像」のライトアップが為されていました。

そのままイルミネーション系のイベントとして続くのかな、と思っておりましたところ、昨年度はウォーキングのイベントがあった程度で「あらら……」という感じでしたが、今年度、また屋台村を中心とした昔のスタイルに戻して実施とのこと。「乙女の像」のライトアップもまた為されるやの情報も得ております。

JRさんのバスが八戸から、そおれとは別に十和田市街から「十和田湖アクセスバス」というのも出ているそうです。

ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

一昨日は東京でよく食べに行つたトンカツヤの主人がだしぬけに訪ねてきたので驚きました。秋田の温泉に行つたかへりとの事。コーヒーとサツカリンをもらつて久しぶりにカフエノワールを賞味しました。


昭和21年(1946)7月12日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎64歳

終戦からおよそ1年、世の中もだんだん落ち着いてくると、花巻郊外旧太田村の光太郎の山小屋に昔の知り合いがぽつりぽつり訪れるようになりました。

「トンカツヤ」は三河島の「東方亭」。光太郎戦前からの行きつけの店でした。そこの長女・明子は医師となり、光太郎は彼女をモデルに詩「女医になつた少女」(昭和24年=1949)を書いたりしました。
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今からちょうど70年前の昨日、昭和28年(1953)10月21日、青森県十和田湖畔休屋御前ヶ浜において、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式が行われました。二人の「乙女」も古稀を迎えたわけで……(笑)。
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節目節目の日には、必ず雨、もしくは雪だったという光太郎。この日も雨でした。光太郎は「清めの雨だ」と言ったそうです。
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光太郎と一緒に写っている女性は、モデルを務めた藤井照子です。まだご存命なのかも知れませんが、消息が分かりません。情報をお持ちの方はコメント欄等から御教示いただけると幸いです。

さて、昨日、現地では、式典とまでは行きませんでしたが、地元の皆さんが「乙女の像」の清掃を行って下さいました。元・十和田奥入瀬観光機構の方が音頭を取って集まって下さり、やはり雨の中、本格的に。ありがたいことです。
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像の傍らにたつ「十和田湖畔の裸像に与ふ」詩碑も。
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泉下の光太郎も喜んでいることと思います。

バックの木々、少し色づいていますね。これから十和田湖、そして奥入瀬渓流と、紅葉シーズンです。ぜひ足をお運び下さい。

「乙女の像」といえば、今夜(日付が変わって明日未明ですが)、BS放送で下記の番組が放映されます。

ニッポン美景めぐり 十和田・奥入瀬

BSフジ 2023年10月23日(月) 00:0000:25 

日本の美しい景観を求めて、俳優・和合真一がカメラ片手に日本各地をめぐる旅番組。
今回の旅先は、青森県の十和田市。十和田ビジターセンターで十和田湖の歴史を学ぶ。名産のひめます料理やご当地グルメを味わう。美しい景勝地、奥入瀬渓流を散策。大自然が生んだニッポンの美景をご紹介。

旅人:和合真一 ナレーター:服部潤
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初回放映が一昨年。その後、繰り返し再放送があり、今回で7回目くらいかな、と思われます。

ぜひ御覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

“海洋詩集”への拙詩御選択、お示しの通にて結構に存じます、


昭和18年(1943)2月10日 宮崎稔宛書簡より 光太郎61歳

「海洋詩集」は宮崎と小森盛の共編で刊行予定だったアンソロジー。二部構成で、第一部には一般の船員らの書いた詩、第二部では光太郎を含む職業詩人の詩が集められる予定でしたが、結局、戦争による出版事情の悪化で日の目を見ずに終わりました。

お蔵入りになりましたが、光太郎は序文も書きました。その中には「今日此の大東亜戦争の決戦段階に戦局は進み入り、船の意義、船員諸士の重大任務の真剣さは平時の比倫をはるかに絶し……」といった文言も見られます。おそらく単に「海洋」を題材とするだけでなく、翼賛的な内容のものが大半を占めていたと思われます。

光太郎詩も載ったこの手のアンソロジーは数多く存在し(手許に40冊ばかりあります)、国民の戦意高揚に資することが期待されました。

ともに光太郎とゆかりの青森県十和田市と岩手県花巻市、30年程前から友好都市の協定を結んでいます。

そもそもは光太郎ではなく、新渡戸一族の縁だそうです。現在の十和田市中心街となっている三本木地区は元々は川が通っておらず、不毛の原野でした。そこで江戸時代の文政年間、花巻出身で盛岡藩士だった新渡戸傳(つとう)が、十和田湖を源流とする奥入瀬川から水を引いて人口の河川・稲生川を作る工事に着手しました。傳は旧5,000円札の肖像だった新渡戸稲造の祖父に当たります。灌漑工事は明治まで続き、稲造の父・十次郎、兄・七郎の三代が関わり、十和田市には三人の銅像も建てられています。作者は光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作時に光太郎の助手を務めた、青森野辺地町出身の小坂圭二でした。
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そういうわけで、両市の交流事業がこれまでもいろいろありました。

さらに来月、十和田市から花巻市への探訪ツアーが開催されます。『広報とわだ』の先月号から。
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花巻高村光太郎記念館、隣接する高村山荘さんも行程に入っています。ありがたし。若干先の話ですが、申し込みが10月13日(金)までとのことで……。

調べてみましたところ、昨年のこの時期にあった同じツアーでも記念館・山荘を訪れて下さっていました。記念館には「乙女の像」の中型試作なども展示されており、その意味ではインパクトがあったということでしょうか。今年もご訪問下さいます。
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また、遡って令和元年(平成31年)には、友好都市協定締結30周年の記念イベント等もあったとのこと。
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逆に花巻市から十和田市への訪問市民ツアーは、10月21日(土)。ただ、「乙女の像」やそれに関わる展示が為されている観光交流センター「ぷらっと」のある十和田湖には行かれないようですが。

今後はもう少し光太郎を前面に押し出しての友好都市交流が為されるとありがたいところです。そうしますと、他にも光太郎智恵子所縁の自治体さんはいろいろあるわけで、各地を結んで「光太郎智恵子サミット」なども開かれるといいのですが、なかなか難しいのかもしれませんね。

さて、十和田の皆さん、11月11日(土)の「花巻市探訪ツアー」、ぜひご参加下さい。

【折々のことば・光太郎】

昨日は山百合の花をたくさんお届け下され御厚志まことにありがたく存じました、早速亡父と智恵子との写真に供へましたが殆ど部屋一ぱいにひろがり、実に壮観をきはめ、家の中に芳香みなぎり、山野の気満ちて、近頃これほど爽快に思つた事はありません、智恵子は殊に百合花が好きなので大喜びでせう。厚く御礼申上げます。 尚近く詩集「智恵子抄」を龍星閣から出版しますがお送りします故御註文なさらぬやうに願ひます。


昭和16年(1941)7月20日 宮崎稔宛書簡より 光太郎59歳

「好きだったので」と過去形ではなく「好きなので」と現在形。光太郎の中ではまだ智恵子は生きているのでしょう。

『智恵子抄』の刊行は1ヶ月後でした。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」がらみで3件。

まずは『八戸経済新聞』さん。

十和田湖遊覧船が今期の運航開始 船からしか見られないスポットも

 春の行楽シーズンに合わせ、十和田八幡平国立公園に指定される十和田湖の見どころを船で巡る「十和田湖遊覧船」の今期の運航が4月28日、始まる。
 運航は十和田観光電鉄。奥入瀬渓流側の子ノ口(ねのくち)と乙女の像や飲食店などが並ぶ休屋(やすみや)を結ぶAコースと、休屋を発着点とするBコースを運航する。
 遊覧船は、青森ねぶた祭や八戸三社大祭の山車の題材にも使われる南祖坊(なんそぼう)と八ノ太郎(はちのたろう)の「十和田湖伝説」や、田沢湖(秋田県)・支笏湖(北海道)に次いで全国で3番目に水深が深いことなど、十和田湖にまつわる物語や豆知識の解説を交えながら名所を巡る。ゴールデンウイークの4月下旬~5月上旬ごろは新緑を目前に控えた淡い色合いの景色が広がり、5月中旬~6月上旬ごろは鮮やかな新緑が楽しめる。
 同社によると、中山半島の先端付近で傘のように枝を広げる「見返りの松」や、3キロにわたって断崖が広がる御倉半島の「千丈幕(せんじょうまく)」、火山噴火の影響で形成された赤い岩肌が見られる「五色(ごしき)岩」などは、「船で行かないと見られない名所」だという。
 同社では、マイカーで十和田湖を訪れる場合は有料駐車場のある休屋発着のBコース、観光バスなどで訪れる団体客にはAコースの利用を勧めている。
 料金は、大人=1,650円、小学生=880円。3階に用意するグリーン席の追加料金は、大人=550円、小学生=330円。今期の運航は11月6日まで。
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何度か載せていただきましたが、湖上から見る風景はまた違ったものですし、海とは違い波もほとんど無くおだやかなクルーズです。北国の春を楽しむにはもってこいでしょう。

同じく船の関係で、ローカルテレビ局RAB青森放送さんのニュースから。

八戸港 4年ぶりクルーズ船

 八戸港に4年ぶりに大型客船が寄港しました。
 ことしは初めて外国客船の寄港も予定されるなど、県内観光の盛り上がりが期待されます。
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 けさ八戸港に入港したのは大型客船「飛鳥Ⅱ」5万142トンです。
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 2019年5月以来およそ4年ぶりとなる大型客船の寄港。
 埠頭では地元の観光関係者が大漁旗を振って歓迎しました。
 「飛鳥Ⅱ」は横浜港を23日に出て常陸那珂や大船渡を巡る6日間の船旅です。
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 あいにくの雨模様とはなりましたが、およそ140人の乗客たちはさっそく貸し切りバスに乗り込み十和田湖・奥入瀬渓流や蕪島・種差海岸などに向かいました。
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★神奈川から
Q.どうですか船旅は?
「楽しいです」
「いろいろなところを見て歩きます 乙女の像にも行ってきます」
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★京都から
「きょうだけねちょっと雨が残念ですけれど 奥入瀬初めてなのでものすごく楽しみにしていたんです」
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★VISITはちのへ 阿部寿一 専務理事
「本格的な観光の始まりというのを実感しています おもてなしの心を大切にしてお出迎えに対応していきたいと思っています」

 八戸港にはことし大型客船4回の寄港が予定されています。
 このなかにははじめて外国客船も含まれていて、県内観光の盛り上がりが期待されます。

「コロナ禍」という単語が使われていませんでしたが、「4年ぶり」とくればそういうことなのでしょう。この手のクルーズ船、ただ海上を周遊するだけでなく、寄港地でバスに乗り込み、周辺の観光が為されます。そこで八戸港から十和田方面へも。ありがたいところです。

最後に、再び『八戸経済新聞』さんから。「乙女の像」の語は出てこないのですが……。

青森・黒石の作家が「青森だいすきシール南部版」制作 青森愛をシールで表現

 青森県黒石市でイラストを手がける「青森のあやちか」さんが八戸を中心とする青森県南部地方の名所や名物のイラストを集めた「青森だいすきシール南部版」を制作し、4月16日に販売を始めた。
 はがきサイズほどのシートに、「八戸三社大祭」の山車、「八戸えんぶり」の烏帽子(えぼし)、郷土玩具「八幡馬」、国宝「合掌土偶」、郷土菓子「南部せんべい」、横浜町の菜の花畑や十和田市の奥入瀬渓流の風景など、南部地方の名所や名物をちりばめた。イラストはタブレット端末とタッチペンで描き、手描き風に仕上げた。
 青森のあやちかさんは青森市出身。県外で創作活動をしながら社会人生活を送っていたが、コロナ禍を受け黒石市に移住。久しぶりに住んだ青森県で「何となく描いたのがリンゴだった」といい、これをきっかけに青森県を題材にしたイラストを描き始めた。SNSに投稿したイラストを見た人からは「かわいい」「とても良い」などの反応があり、「シールにすれば、いろいろな人に喜んでもらえる」と考えたと言う。
 昨年11月、「ねぶた」「ねぷた」の山車や、「青森りんご」「大間のマグロ」などの特産物・海産物、「岩木山」「弘前の桜」など津軽地方の名物・風景を描いたイラストを1枚のシートに集めた「青森だいすきシール」を制作し、「松の湯交流館」(黒石市中町)・青森県観光物産館アスパム(青森市安方)の「青森県地場産セレクト」などで販売。シールを見た人から「南部や下北のイラストも描いてほしい」などのメッセージが複数寄せられ、「南部版」の制作を始めた。
 SNSに寄せられたメッセージや図書館で読んだ資料などを参考にイラストを制作。これまで縁がなかった旧南部領の祭り、文化、観光スポットなどを描くことで「自分の中の『青森』は津軽地方が中心だったと感じた」と話し、南部版の完成によって「自分が知らない青森の物がまだあると気づいた」と振り返る。「青森の文化や歴史を調べると、とても面白い。古くからあるものを今でも取り入れて生活できている青森を、面白くいとおしく感じる」とも話し、現在は下北版の制作に向けて準備を進める。
 完成した南部版について「メモ帳や土産品など、いろいろなところにペタペタと貼って楽しんでほしい」と呼びかける。
 価格は500円。カネイリのミュージアムショップ(八戸市三日町)・番町店(番町)・イオンモール下田店(おいらせ町中野平)・さくら野弘前店(弘前市城東北3)、青森県地場産セレクト、松の湯交流館で扱う。
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「青森だいすきシール南部版」、右下に「乙女の像」がきっちり描き込まれています。

昨年末でしたか今年はじめくらいでしたか、イラストを描かれた「青森のあやちか」さんから当方のツイッターアカウントに「乙女の像」をイラスト化して使っていいものかどうかというご相談がありまして、「全く問題ありません」的な返答を致しました。公共空間に設置された彫刻ですし、実際、いろいろイラスト化なども為されています。

十和田市ご当地ナンバー。
ハローキティ十和田湖限定乙女の像バージョン。
十和田湖ひめます認証店ロゴ。
青森空港巨大ステンドグラス「青の森へ」完成披露除幕式。

漫画家の能町みね子さんにいたっては、「乙女の像」を主人公にした漫画まで描かれています。

というわけで、「乙女の像」、こういった形でも愛され続けてほしいものです。

ところで、昨日、現物が届きました。
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黒石市の有限会社小野商会さんがフェイスブックでシールを紹介されていて、「送付していただけますか」とメッセージを送ったところ、送料120円で送って下さいました。多謝。

ただ、現在のところ、大々的にオンラインでの販売を為さっているサイト等が見あたりません。今後に期待します。

【折々のことば・光太郎】

それつぱかりの金がないのかなあと君は思ふだらうと考へるが事実ないんですよ 文展なんかで子供だましの絵でも平気でふだん画いてる人にとつてははした金にも足りない位の金でせうがそれの出来ない僕には中々はした金ではないんです しかし金はかりたくない 自分でやつぱり作つてからにします

大正3年(1914)3月4日 内藤鋠策宛書簡より 光太郎32歳

」は詩集『道程』の出版費用です。内藤は版元の抒情詩社社主でした。

大正元年(1911)のヒユウザン会展では、油絵を寺田寅彦が購入してくれましたが、そうした例は他にほとんどなく、収入といえば僅かな原稿料と、父・光雲の下職としてのもののみ。これではいかん、と、この後、油絵の頒布会を始めますが、当の光太郎自身が遅筆でした。

結局、『道程』の出版は10月。費用は光雲に出して貰っています。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ、青森県十和田市で地域おこし的な活動されている「とわこみゅ」さんからご連絡を頂いていたのですが(1月に「We Love Towada 2023 卓上カレンダー」を購入させていただいた関係でしょう)、紹介すべき事項が多く、後回しになっていました。すみません。

十和田愛を表現した楽曲が完成しました。

 青森県十和田市の市民団体「インバウンド十和田」(会長:米内山和正)では「街なかに賑わいを!十和田市の魅力を音楽で発信!」と題し、音楽文化の<創造・交流・発信>に取組み、地域の愛を表現したオリジナル音楽の制作を通じ、地域を盛り上げる企画者や 参加者(プレイヤー)人口の創出を目的とした事業を行いました。
 楽曲アイデア応募のあった中から、青森県十和田市出身で県外在住の小山田佳苗さんと中野憂さん、2人の共作「色彩は永遠にせせらぐ」を基本とし、他に応募のあったアイデア案を盛り込み制作されました。編曲は、十和田市在住のシンガーソングライター桜田マコトさんが担当し、演奏には同企画の演奏者募集へ応募のあった方など15名が参加されました。
 PV(プロモーションビデオ)の映像制作には、市民団体「インバウンド十和田」米内山和正会長が行い、十和田市の観光名所など1年を通じ撮影された映像と楽器演奏者の映像を盛り込み制作されました。
 完成した楽曲「色彩は永遠にせせらぐ」(しきさいはとわにせせらぐ)は、離れて思い出す故郷(ふるさと)十和田の情景を歌った曲で、青森県十和田市の春夏秋冬を感じ取れる内容となっています。
 また、同企画で生まれた「十和田永久賦」(作詞作曲・向山重考さん)、「Towada Machi」(作詞作曲・チャーリー永井さん)、2つの曲と共に、計3曲の十和田愛溢れる楽曲が発表されました。

「色彩は永遠(とわ)にせせらぐ」、早速、Youtubeで拝見。
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歌詞では「乙女の像」には触れられていませんが、映像にはばっちりと。
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十和田湖や、十和田湖から流れ出る奥入瀬渓流も。
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その他、四季折々の十和田市の風景や、イベント、街の皆さんの営み等がふんだんに。
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タイトル、それから歌詞にも使われている「永遠(とわ)」、「十和田」の「とわ」と掛けているのでしょう。明るく軽快な曲調でありながら、聴いていて不覚にもうるっと来てしまいました(笑)。


「乙女の像」登場は2:02頃と3:22頃です。

全国の町おこし団体や自治体の皆様、ご参考までに。

【折々のことば・光太郎】

琅玕洞は一周年を期して、此の四月十四日を限りに一旦閉店する事に致しました。此は弟の就職と、小生の北海道移住問題と、巴里へ新しい店を出す計画との為めです。

明治44年(1911)4月4日 前田晁宛書簡より 光太郎29歳

このところこの項でずっと「琅玕洞」がらみですが、前年に光太郎が立ち上げた、ほぼ日本初の画廊です。名目上の店主に据えていた実弟・道利の不行跡(客に「あなたにこの絵は解りませんよ」と言ったり、閉店時間になれば客がいようがいまいが照明を落としたり)などもあって、経営的にはまるで成り立たず、わずか1年で譲渡。店は存続しますが、性格は変わっていきます。
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光太郎自身は北海道に移住して酪農で生計を立てつつの芸術制作を夢みていました。そしてゆくゆくはパリに店を出すという計画が語られています。この書簡を見つけるまで、そんな計画があったことはわかっていませんでした。

1月ももう終わりですが、今年のカレンダーを新たにゲットしました。

We Love Towada 2023 卓上カレンダー

青森県十和田市の春夏秋冬をイラスト化したWe Love Towada カレンダー2023卓上カレンダーです。

こちらのカレンダーは、ハガキサイズの月めくり卓上タイプで、青森県十和田市出身のデザイナー藤森加奈江さんがデザインしたものです。

お買い求めは、道の駅とわだや十和田市内各所、とわこみゅオンラインショップでご購入できます。

価格 ¥1,100円 (税込)
※オンラインで購入の場合は、別途送料300円加算されます。

販売場所
・とわこみゅオンラインショップ (販売中) → 購入ページはこちら
・道の駅とわだ (1月上旬から予定)
・十和田市観光物産センター(1月上旬から予定)
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光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」がデザインされています。

まず表紙的な1枚。下部中央やや右の位置に。
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1月も小さく右の方に。
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2月は像のシルエットが大きく。
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7月は像がメインです。
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4回も使っていただき、ありがたし。

他に、奥入瀬渓流、北里大学さん、官庁街通りなどの風景や、イベントとしての桜流鏑馬、夏の花火大会などがあしらわれています。

オンラインでも注文可。ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

何卒御養生十分被遊たく存上候 東山の翠微鴨川の清流朝夕の御薬と存じまゐらせ候

明治30年(1897)頃8月9日 高村光雲宛書簡より 光太郎15歳頃

この項、今日より書簡から抜粋します。

現在確認できている3,500通余りの光太郎書簡のうち、最も古いと推定されるものから。封筒が欠けているのですが、京都に出張中の父・光雲に宛てたものです。光雲、どうも出張先で体調を崩したらしく、それを気遣う文面となっています。光太郎、この頃はまだ孝行息子でした。

テレビ放映情報です。

まずは完全に光太郎がらみ。

にほんごであそぼ「道程」

地上波NHK Eテレ 2022年12月13日(火) 8:25~8:35 再放送 12月15日(木) 16:15~16:25

こどもスタジオ・ひこうき山陽/僕の前に道はない 僕の後ろに 道は出来る「道程」高村光太郎、四字熟語かるた/東奔西走、投稿ごもじもじ、名文を言ってみよう!/寿限無、童謡「スキー」

【出演】神田山陽(三代目),おおたか静流,小山春朋,中村彩玖,川原瑛都,川田秋妃
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同番組、これまでも「道程」などの光太郎作品を取り上げて下さっています。今回の放映で流れるのが使い回しの映像なのか、新作なのか、判然としませんが……。

続いて、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ十和田湖系で2件。いずれも明日のオンエアです。

ミステリー 十和田湖に消えた女 死体の胸に真紅の花

BS松竹東急 2022年12月11日(日) 15:00~17:00

警視庁の山城部補(藤岡琢也)は、連発する婦女暴行殺人事件に頭を悩ませていた。被害者は主婦、OL、ホステスとさまざまだが、異様な事に死体にはいずれも赤いスプレーが浴びせられていた。山城は推理マニアの画家波多野(片岡孝夫)に相談する。

【出演者】片岡孝夫(片岡仁左衛門)、佳那晃子、藤岡琢也、沢井孝子、小林昭二、
     清水紘治、にしきのあきら、夏樹レナ ほか
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初回放映は昭和57年(1982)、原作は笹沢佐保氏だそうです。

釣りびと万歳 錦秋の湖 紅のヒメマスを追う 〜山本千尋 十和田湖〜

NHK BSプレミアム 2022年12月11日(日) 17:30~18:00

黄葉で彩られた十和田湖で、俳優の山本千尋さんがヒメマス釣りに挑戦する。産卵期に入って赤い婚姻色をまとった秋ならではの美しいヒメマスを釣り上げることはできるのか?

舞台は東北の森の懐深く。黄金色に色づく木立を水面に映す十和田湖。俳優の山本千尋さんがヒメマス釣りに挑戦する。目指すのは産卵期に入って赤い婚姻色をまとった秋ならではの美しいヒメマスだ。産卵のため浅瀬にやってくる魚をねらうのか、回遊する魚をねらうのか。エサで釣るのか、ルアーで誘うのか。時事刻々と姿を変える秋景色の中、1匹を目指した山本さん。その奮闘の先に待ち受けていた結果は!?

【出演】山本千尋 【語り】生瀬勝久
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両番組とも、ちらっとでも「乙女の像」を写していただけるとありがたいのですが……。

それぞれ、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

十時半、中西夫人桑原氏、草野氏三人にてフトン荷物をつくり、車2台で山王病院に入院、佐野氏も来る、皆にて用事をしてくれる、うな丼を余はくひ、皆は銀座にゆき、テーブル等かつてくる、 午后院長さん長谷氏来診、


昭和30年(1955)4月30日の日記より 光太郎73歳

大正8年(1919)には腸チフスで駒込病院への入院経験がある光太郎、呑気にうな丼を食べたりと、今回の入院にもさほど動じていなかったようです。もっとも、宿痾の肺結核の快癒はもはや難しいと、諦念に似た心境だったのかもしれません。










光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ青森県十和田湖でのイベントです。実は申込期間を過ぎてしまっていますが、キャンセル等があるかもしれませんのでよろしく。また、こういう取り組みもあるんだよ、ということで。

ONSEN・ガストロノミーウォーキング in カミのすむ山 十和田湖

期 日 : 2022年11月12日(土)
会 場 : 十和田湖畔休屋(青森県十和田市) 十和田湖休平(秋田県小坂町)
定 員 : 100名 (4枠×25名) ※定員になり次第締め切り
​資 格 : 6km程度の距離を歩ける方
      交通規則及び当イベントのきまりやマナーを守れる方
      年齢、性別等は一切問いません
時 間 :  9:00 受付開始 (十和田湖観光交流センター「ぷらっと」前)
       9:30 晴山獅子舞演舞開始(30分間)
      10:00 枠①スタート   (  9:45受付締切)
      10:30 枠②スタート   (10:15受付締切)
        晴山獅子舞演舞開始(30分間)
      11:00 枠③スタート   (10:45受付締切)
      11:30 枠④スタート   (11:15受付締切)
      15:00 ゴール締切 (十和田湖観光交流センター「ぷらっと」前)
料 金 : 大人・小人(小学生以上)同額 4,000円
       (ガストロノミー(お食事・飲み物)、温泉入浴券、傷害保険)

日本の魅力溢れる温泉地を舞台に、ゆっくりと歩く目線で、その地域の「食」「自然」「文化・歴史」を体感する「ONSEN・ガストロノミーツーリズム」。昨年度よりその趣旨で観光プログラムを取り組み始めて、検証を行なった一般社団法人十和田奥入瀬観光機構はこの度、一般社団法人ONSEN・ガストロノミーツーリズム推進機構が特別協力を担う日帰りイベントシリーズの「ONSEN・ガストロノミーウォーキング」に参入し、十和田湖畔温泉に特有の地域資源をウォーキングによって、一度に満喫できる「ONSEN・ガストロノミーウォーキング in カミのすむ山 十和田湖」を開催いたします。

11月12日(土)に行われる当イベントは、十和田湖畔休屋(青森県十和田市)及び十和田湖休平(秋田県小坂町)エリアの観光スポットを繋ぐ約6kmのコースを、ご参加者各自のペースで15:00までに歩いていただきます。沿道には美味しい地酒と、地元に根ざした食材にこだわった品数豊かな料理が用意され、ゴールではお土産として、地域の誇りの食材及びお菓子の配布がございます。十和田市伝統芸能の晴山獅子舞のご鑑賞や十和田神社のお参りより、この土地ならではの文化もぜひご吟味いただきたく存じます。ウォーキング後は入浴券を利用して、十和田湖畔温泉または奥入瀬渓流温泉に浸かり、お癒しの時間を過ごせます。

当イベントは国立公園である十和田湖の温泉地としての魅力を引き出し、多くの方にご体験いただくことで、地域の活性化を図っております。ご多忙の中、誠に恐縮に存じますが、ぜひご取材、ご紹介賜りますようお願い申し上げます。

ウォーキング距離:6km
所要時間:2〜3時間(温泉入浴時間は含まれておりません)
スタート/ゴール地点:十和田湖観光交流センター「ぷらっと」前 桟橋前広場
見どころ: 晴山獅子舞、十和田神社、乙女の像、十和田ビジターセンター など
※当日の天候等により、コースは予告なく変更する場合がございます。
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「乙女の像」もコースに含まれています。
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その他、雄大な自然を「めぐる」、十和田バラ焼きやヒメマスなどを「たべる」、そして温泉に「つかる」(温泉はコース設定に入って居らず、各自でだそうですが)。「るるぶ」ならぬ「るるる」ですね(笑)。
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これまで、一般社団法人十和田奥入瀬観光機構さんの主宰する冬のイベントは、令和元年度(2019年度)まで「十和田湖冬物語」、そして一昨年度、昨年度と「カミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe」として、それぞれ長期間の開催でした。しかし今年度は11月12日(土)の一発勝負のようです。昨年度の「カミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe」開催中に、コロナ禍第7波がズドンと来て大変なことになったのも影響しているのでしょうか。いずれまた旧に復してほしいものなのですが……。

【折々のことば・光太郎】

ひる頃水野清氏玄関まで、紀念碑や の紙持参、


昭和29年(1954)10月31日の日記より 光太郎72歳

水野清氏」は、親友だった作家・水野葉舟の子息。のちに政界に打って出、建設大臣、総務庁長官などを歴任されましたが、この当時はNHKさんに勤務されていました。令和元年(2019)に亡くなっています。

紀念碑」は葉舟の暮らした千葉成田三里塚に建てられた葉舟歌碑、「 の紙」(空白部分は一字不明)もそれに関わるかと思われます。元々光太郎が揮毫するはずだったのですが、体調がすぐれず断念、代わりに窪田空穂が筆を揮いました。

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ、青森県十和田湖からの情報です。

状況をわかりやすくするために、まずABA青森朝日放送さんのローカルニュースから。ただし、先月のもので、「17日」は9月17日(土)です。

「十和田湖ひめます」を味わって! 17日からキャンペーン開催

地域団体商標に登録されている「十和田湖ひめます」の、認知度向上を図るキャンペーンが17日から始まります。
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12日は、「十和田湖ひめますブランド推進協議会」の佐々木千佳子会長たちがキャンペーンをPRしました。期間中、十和田市や秋田県小坂町にある27の認証店舗が提供するヒメマス料理を食べて応募すると、抽選で50人に2千円相当の特産品が当たります。
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こちらは、十和田食堂の「十和田湖ひめますづけ丼定食」です。
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【「十和田湖ひめますブランド推進協議会」 佐々木千佳子会長】
「(ヒメマスは)甘い、とにかく身が軟らかくて甘い、そして奇麗なピンク色というのはなかなか目にすることはないと思うのですよ」
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キャンペーンは、17日から11月6日まで行われます。
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というわけで、詳細は以下。

十和田湖ひめますを食べようキャンペーン

”十和田湖ひめます”の魅力を広く皆さんに伝えるため、十和田湖ひめます認証店によるキャンペーンを開催します。食べ比べをするなど、十和田湖ひめます料理の美味しさをご堪能ください。

また、期間中に十和田湖ひめます料理を食べて応募した方から、抽選で50名様に十和田市または小坂町の「特産品」をプレゼントいたします。

応募用紙は各店舗に備え付けてあります。

開催期間 9月17日(土)~11月6日(日)

参加店(全27店舗

参加方法
十和田湖ひめます認証店にて、十和田湖ひめますメニューを食べると、応募用紙がもらえます。アンケート、必要事項を記入の上、認証店に設置してある応募箱に投函し、応募してください。

主催 十和田湖ひめますブランド推進協議会(事務局:とわだ産品販売戦略課内) 0176-51-6743
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上記マップのPDFファイル中に「乙女の像」の語があって、当方の検索網に引っかかった次第です。ヒメマスに舌鼓を打たれたあとは、ぜひ「乙女の像」にも足をお運びください。十和田湖周辺は、今夏の大雨被害が大変でした。その復興支援にもなりますので、是非よろしくお願いいたします。また、これから紅葉シーズンですし。

ちなみに認証店のロゴは、「乙女の像」もモチーフとしているそうです。多少の無理くり感が否めませんが(笑)。
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「乙女の像」といえば、テレビ番組の再放送。

ニッポン美景めぐり 十和田・奥入瀬

BSフジ 2022年10月17日(月) 01:05〜01:33

日本の美しい景観を求めて、俳優・和合真一がカメラ片手に日本各地をめぐる旅番組。
今回の旅先は、青森県の十和田市。十和田ビジターセンターで十和田湖の歴史を学ぶ。名産のひめます料理やご当地グルメを味わう。美しい景勝地、奥入瀬渓流を散策。大自然が生んだニッポンの美景をご紹介。

旅人:和合真一  ナレーター:服部潤
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初回放映は昨年7月。さらにその後、繰り返し再放送されていますが、ご覧になったことのない方、ぜひどうぞ。こちらでもヒメマス料理が紹介されますし。

【折々のことば・光太郎】

午后奥平さんとお医者さん岡本氏とくる、診察してもらふ、尚毎月一度みてもらふつもり、

昭和29年(1954)5月16日の日記より 光太郎72歳

かなり前から結核の自覚症状があったにもかかわらず、「肺の毛細血管が弱いので……」などと、頑として認めなかった光太郎。しかし、もはや彫刻制作不可能となった体調に、とうとう白旗を揚げました。

奥平さん」は、美術評論家の奥平英雄。「お医者さん岡本氏」は、岡本圭三医師。この後で加わる他の医師ともども、その死まで光太郎の主治医として診察、治療に当たってくれました。

「踏んだり蹴ったり」とはこのことか、という感じです。

青森県十和田市の国道103号十和田湖畔子ノ口-宇樽部の3.5キロが、大雨による土砂崩れで全面通行止めとなっているそうです。

RAB青森放送さん、昨日のローカルニュース。

十和田湖観光に影響 子ノ口~宇樽部 通行止め

 先週の大雨の影響で土砂崩れが発生し十和田湖周辺の道路は通行止めが続いており観光に影響が出ています。
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 十和田市では12日の夕方から激しい雨が降り、十和田湖の子ノ口交差点から宇樽部までの国道103号が土砂崩れで通行止めになりました。
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 13日の午後には通れるようになりましたが同じ場所で土砂崩れが発生しその日の夕方から再び通行止めが続いています。
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 十和田湖には休屋地区の乙女の像などに行く予定だった観光客が訪れていましたが通行止めのため子ノ口で引き返していました。
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★観光客
乙女の像があるのでいけるかなと思ったんですけどもうそこで通行止めなのでしょうがないので子ノ口に来ました」
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「(通行止めは)途中で標識でわかりました 行きたいところに行けないのはちょっと残念かなと思いますね」
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 子ノ口にある「みずうみ亭」には売店や食堂を利用する人がいつもの年の半分ほどしかいないということです。
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★みずうみ亭 勝田和彦 社長
「この大雨の被害さえなければほんらいは押すな押すなの観光客でにぎわっている時期ですのでこの時期に通行止めなんてあるとがっかりです」
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 県はきょう午前から土砂の撤去作業を行っていますが通行再開のめどは立っていません。

ATV青森テレビさん。

大雨でルート寸断・十和田湖観光に影落とす

8月、津軽地方を中心に降った記録的な大雨は、青森県南地方にも被害をもたらしました。十和田湖周辺ではその前の週にも大雨被害が発生し観光に大きな影響が出ています。
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「夏の観光シーズンを迎えている十和田湖。ですがこちら、奥入瀬渓流とを結ぶ道路は今も通行止めが続いていて、多くの人の足に影響を及ぼしています」
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8月12日夜の雨で十和田湖畔では土砂が道路に流出し、現在も2か所で通行止めが続いています。このため青森市から休屋地区へ行くには、新郷村などを経由する必用があり、客足が遠のく原因になっていると言います。
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※十和田奥入瀬観光機構地域事業部 安藤巖乙(あんどう・いわお)部長
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「(この週末は)かなりお客さん多い時期だったので問い合わせは多かったですね。(十和田湖に)どうやって行ったらいいですかという問い合わせが多かったです」
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そして去年の倍の乗客を見込んでいた遊覧船は、8月3日と先週の2度の大雨でさらに大きな影響を受けています。
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※十和田観光電鉄 湯瀬功一(ゆぜ・こういち)さん
「お盆の帰省客にも期待していましたので少しずつ増えてきているという実感がありましたけれども、一番痛いのは土砂崩れと大雨の影響でしょうね」
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大雨被害でアクセスが不便になったことで、関係者は日程がタイトな団体客が敬遠すると見ていて、今後その影響は拡大しそうです。
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もう3年目となるコロナ禍の影響もあり、その上、今回の豪雨被害。衷心より御見舞い申し上げます。日本中、どこの観光地も程度の差こそあれ、似たような状況なのかな、という気もしますが……。

一日も早く平穏な毎日が来ることを願って已みません。

【折々のことば・光太郎】

汽車でめざめ、十時45分上野着、 伊藤氏藤島氏と地下で生ビール、モデルと別れる、伊藤氏と別れ、藤島氏とタキシで中野まで、十二時過ぎかへる、 小憩、 夫人にみやげもの進呈、

昭和28年(1953)10月25日の日記より 光太郎71歳

10月21日に行われた、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式に伴う青森行から、寝台車で帰京しました。「夫人」は貸しアトリエの大家・中西夫人です。

まず状況をわかりやすくするために、地方紙『陸奥新報』さん記事から。

教科書掲載の作家紹介/県近代文学館

 県近代文学館で特別展「教室で出会った文学」(9月19日まで)が開かれている。国語の教科書に掲載されるさまざまな文学作品は、子どもが文学の世界に触れる入り口でもあり、大人には懐かしい青春の思い出。同展は多くの教科書で取り上げられてきた森鷗外、夏目漱石、石川啄木、宮澤賢治、与謝野晶子、芥川龍之介、高村光太郎の7氏を第1部で、太宰治、三浦哲郎、寺山修司ら本県出身作家を第2部で紹介している。また黒石高校情報デザイン科の協力を得て作家たちのイメージイラストも展示されるなど、夏休みに子どもたちが楽しむことができる内容となっている。
 第1部では、森鷗外の「中村範宛書簡」や石川啄木の「金田一京助宛葉書」、宮澤賢治の「雨ニモマケズ手帳(複製)」、芥川龍之介の「自筆短冊」、高村光太郎の「桂月メダル」などが、貴重な初版本や当時掲載された雑誌などとともに展示。本県との意外な関わりを記した紹介文も目を引く。中でも与謝野晶子のコーナーでは、板柳町の歌人・安田秀次郎らの招きで、夫・鉄幹(寛)と夫婦で本県を訪れた際に書いた自作短歌の屏風(びょうぶ)も展示。見分けが付きにくいほどよく似た夫婦の直筆による多くの歌が詠み込まれており、貴重な展示物となっている。安田は、夏目漱石とも書簡のやり取りがあり、同書簡は本展が初公開。独自の町人文化が栄えた板柳町をはじめとする本県と、中央で活躍する文人との交流の深さが、第1部の展示から想像できる。
 第2部では、新課程の教科書に登場する本県出身作家に着目し、関連資料や最新の教科書などを展示。同館が調査した結果、圧倒的な数を誇ったのは、やはり太宰治で特に「走れメロス」は中学校の教科書すべてに掲載されているため、全国の中学生のいわば必読の書とも呼べる作品となっている。
 特別展では、来館者全員に黒石高校情報デザイン科作成のポストカードがプレゼントされるほか、夏休み期間中には小・中・高校生を対象にした「太宰治と文豪の秘密ガイドツアー」を実施。他にも「あおもり文学ゼミ『教室で出会った作家と青森』」、朗読劇「教室で出会った太宰作品メドレー」などのイベントが行われる。入館無料。問い合わせは同館(電話017-739-2575)へ。

というわけで、同展の詳細。

令和4年度特別展「教室で出会った文学」

期 日 : 2022年7月16日(土)~9月19日(月)
会 場 : 青森県近代文学館 青森県青森市荒川藤戸119-7
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 7月28日(木) 8月25日(木) 9月14日(水)
料 金 : 無料

 学校で使用する国語の教科書には様々な文学作品が掲載され、時代とともに掲載される作品も変化してきました。その中で、今も昔も多くの人に親しまれている作品や作家が存在します。
 今回の特別展では、青森県出身者という視点から離れ、教科書に作品が掲載され続けてきた7人の作家❶森鷗外(もり・おうがい)❷夏目漱石(なつめ・そうせき)❸石川啄木(いしかわ・たくぼく)❹宮澤賢治(みやざわ・けんじ)❺与謝野晶子(よさの・あきこ)❻芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ)❼高村光太郎(たかむら・こうたろう)を大きく取り上げ、青森県との意外な関わりについても紹介します。
 また、太宰治、三浦哲郎、寺山修司といった、教科書に作品が掲載されている青森県出身作家の関連資料や最新の教科書も展示します。

主な展示資料
 森鷗外   「中村範宛書簡」 「舞姫」初出雑誌 等
 夏目漱石  「安田秀次郎宛書簡」 前期3部作・後期3部作(初版含む初期の本)等
 石川啄木  「金田一京助宛葉書」3通(実物展示は7/16~8/24)等
 宮澤賢治  「雨ニモマケズ手帳(複製)」 『春と修羅』初版本 等
 与謝野晶子 「安田秀次郎宛書簡」 「自作短歌屏風」等
 芥川龍之介 『羅生門』再版本 『傀儡師』『芋粥』初版本 自筆短冊 等
 高村光太郎 『道程』初版本 「桂月メダル」(レリーフ) 自筆色紙 等
 教科書掲載の太宰治、三浦哲郎、寺山修司関連資料と、新課程の教科書 等
 その他、初版本や初出雑誌、自筆資料等、多数展示します。
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関連行事

来館者にポストカードプレゼント
 今回の特別展のポスター及びちらしのイメージは黒石高等学校情報デザイン科に制作していただきました。来館者の方々に、黒石高等学校情報デザイン科制作のイメージが印刷されたポストカードをプレゼントします。
※イメージを複数制作していただいたため、各作品を使用したポストカード(数種類)をご用意しています。
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第2回あおもり文学ゼミ「教室で出会った作家と青森」 令和4年7月31日(日曜日)
 今回の特別展で取り上げる7人の作家について紹介し、青森との意外な関わりを解説する講座です。
 時間:14時00分から15時00分
 会場:青森県立図書館4階研修室
 講師:青森県近代文学館室長
 参加無料 事前申込不要 当日は会場へ直接お越しください。

朗読劇「教室で出会った太宰作品メドレー」 令和4年8月21日(日曜日)
 津軽地方を中心にドラマリーディング(朗読劇)上演活動を続けている声優劇団「津軽カタリスト」が、教科書に掲載されてきた「走れメロス」や「葉桜と魔笛」等、太宰治の作品の朗読劇を行います。
 時間:14時00分から15時20分
 会場:青森県立図書館4階集会室
 当日はYouTube( 津軽カタリストのチャンネル )でLIVE配信も行います。
 観覧無料 事前申込不要 当日は会場へ直接お越しください。

夏休み企画「太宰治と文豪の秘密ガイドツアー」
 夏休み期間中(7月22日~8/23日)、毎日3回ずつ、対象年齢に合わせた展示の解説を行います。
 小学生 10時~  中学生 14時~  高校生 16時~
 ※この時間以外にも、ご希望に応じて解説いたします。
 ※保護者や教職員、一般の方もご参加いただけます。

というわけで、主に若い世代を対象とした感じですが、はるか昔に「教室」を巣立たれた皆様もぜひどうぞ(笑)。

光太郎に関しては、まず『道程』初版本。大正3年(1914)、200部ほど自費出版で作られ、光太郎によれば、嘘かまことか、書店を通じてきちんと売れたのは七冊だけだったそうで、現在残っているものは、光太郎が友人知己に献呈したものがほとんどと考えられます(当方も一冊持っていますが)。それでも残本が多く、中身はそのままに奥付と外装を換えて何度か刊行されました。国会図書館さんのデジタルデータで公開されているものは、大正4年(1915)の改装本です。オリジナルの形で残っているものは、刊行後に関東大震災や太平洋戦争があったことを考えると、数十冊あるかないかと思われます。
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「桂月メダル(レリーフ)」。昭和28年(1953)10月、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式の際に関係者に配付されたもの。小品ではありますが、完成作としては光太郎最後の彫刻作品です。
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それから、「自筆色紙」。こちらは詳細不明です。やはり「乙女の像」の関連で、現地の関係者に揮毫して贈呈したものかな、と思われます。

それから「等」。光太郎本人の書ではありませんが、詩「道程」を大書した作品が展示されている模様です。
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ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

十和田休屋によき敷地を見つけて台石建設の万般の手筈を終わりし由、

昭和28年(1953)8月19日の日記より 光太郎71歳

「乙女の像」についてです。原型は既に完成していましたが、設置場所は宙に浮いた格好になっていました。というのも、元々この事業に関わっていた地元の怪しげなボスと旧厚生省の外郭団体のドンが、プロジェクトから外される形となり、その腹いせに当初建設予定地の子の口(ねのくち)への設置はまかり成らん、と、横槍を入れてきたためです。いつの時代にもこういう輩がいるのですね(笑)。

それに対し、像を含む公園全体の設計を担当した建築家・谷口吉郎、光太郎の身の回りの世話等も行っていた詩人の藤島宇内が再度十和田湖に出向き、現在の設置場所である休屋御前ヶ浜にいい感じの場所を見つけ、交渉を済ませてきたというわけです。

直接は光太郎とは関わりませんが……。

まず『スポーツニッポン』さん。5月24日(火)掲載分です。

アントニオ猪木氏 自身と同じ1メートル90の墓を青森に建立 亡き妻納骨 中央には「道」の刻印

107 元プロレスラーのアントニオ猪木氏(79)が青森県十和田市に「アントニオ猪木家の墓」を建立した。建立式を22日に行い、19年に亡くなった妻・田鶴子さんの納骨などを済ませた。墓は夫妻がよく訪れた蔦温泉旅館の近くにある。墓の高さは猪木氏の現役時代と同じ1メートル90。中央には「道」、さらに猪(いのしし)と木の絵などが刻まれた。
 関係者によると、全身性アミロイドーシスで闘病中の猪木氏は、式典で出席者らに謝辞を述べ、最愛の人を見送ったという。

蔦温泉は明治の文豪・大町桂月が愛し、晩年には本籍地も移し、さらに桂月の墓も建てられた場所です。

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」は、元々、十和田湖の景勝美を世に広めた桂月と、道路整備等に腐心した元青森県知事・武田千代三郎および地元の村長・小笠原耕一の「十和田の三恩人」を顕彰するものでした。そこで、光太郎は十和田湖に「乙女の像」制作のための下見に行った昭和27年(1952)、蔦温泉にも立ち寄って、桂月の墓参をしています。当方も一度、お参りさせていただきました。また、桂月の墓の傍らには、昭和9年(1934)に建立された武田と小笠原を顕彰する碑「両先醒芳躅記念碑」も現存します。

猪木氏、この一角にお墓を建てられたそうです。画像は十和田の観光情報サイト「とわこみゅ」さんから。
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左から「アントニオ猪木家の墓」、「両先醒芳躅記念碑」、そして桂月の墓です。

猪木氏、亡き奥様ともども蔦温泉を何度も訪れていたということで、蔦温泉を管理してきた小笠原家からこの場所を提供してもらったようです。現在、旅館は小笠原家の手を離れてしまったようですが。

スポーツ誌『Number』さんのサイトにも記事が出ていました。

アントニオ猪木79歳はなぜ青森に「墓」を建立したのか? 病との闘いと亡き“ズッコさん”への思い「まだ、お迎えが来てくれないよ」

 2022年5月22日、アントニオ猪木は青森県十和田市の蔦温泉にいた。周囲には八甲田の山々がそびえている。
 猪木には、やっておかなければならない一つの人生の行事があった。長いこと自宅の仏壇に置かれていた妻・田鶴子さん(通称ズッコさん)の遺骨を墓に収めることだ。
 青森県の山中の静かな温泉地にその墓は作られた。場所を決めたのは猪木だった。猪木の無類な世界観によって、あえて青森の蔦温泉に行きついたのかと、筆者は驚愕を覚えた。それは生まれ育った横浜でも、東京でもなく、ブラジルでもパラオでもアラビアの砂漠でもなかった。

「アントニオ猪木家の墓」の全貌とは
 新しい「アントニオ猪木家」の墓は蔦温泉の近くに建立された。渓流沿いの小路から少し歩いて20メートルほど続く不規則な階段を上がると、正面には愛する蔦温泉で56歳の生涯を終えた明治~大正期の文豪・大町桂月の墓がある。隣にはこの健脚の「酒仙」大町と共に十和田開発に貢献した武田千代三郎(元青森県知事)、小笠原耕一(元十和田村村長)らの記念碑もある。
 その奥にできたのが「アントニオ猪木家」の墓だ。石碑を覆っていた白い布が取り払われた。
 正面には「道」という大きな文字が見える。その左には縦に「アントニオ猪木家」。手前の右内側には「道」の詩の全文が刻まれて、左内側の墓誌には「猪木田鶴子」という名前が一つだけある。その次に刻まれる名前が「アントニオ猪木」なのか「猪木寛至」なのか、筆者は知らない。本人に聞いてみようかな、とも思ったが、あえて聞かないことにした。
 雪解け水を含んだ新緑の渓流のせせらぎに、カエルたちの合唱が重なる。豊かな自然を感じることができ、心安らぐ場所だ。
 午前11時過ぎ、暗くなった空から少し雨が落ちてきた。「猪木さんもズッコさんも、晴れ男・晴れ女なのに、雨?」という声も聞こえた。

「もう少し元気になった姿を」と猪木は言った
 ズッコさんが亡くなったのは2019年8月だったから、もう3年近く前になる。2人はこの温泉が気に入って、都会の喧騒から遠ざかるように、何度も静かな時をここで過ごしていたという。
 今の猪木は多臓器不全を引き起こすアミロイドーシスという深刻な病を抱えている。「まだ、お迎えが来てくれないよ」とか「もういいじゃないか、猪木」という古舘伊知郎さん的な言葉を自分に投げかけてもいる。でも、それは額面通りの言葉ではなくて、逆に「もう少し、生きてやるよ」という意思表示のように筆者には聞こえる。猪木は寡黙に戦っている。
 目の前には、瞳を閉じて悲壮感すら漂わせてリハビリを続ける猪木がいる。体調を示すさまざまな数字とも戦いながら、積極的にうまいものを食べようとする猪木がいる。
 車イスに乗った猪木に「元気ですか」という言葉はもう似合わないのかもしれない。「どうせ、よくはならないから」と猪木は自虐的な言葉まで発して、ちょっと笑ってみたりもする。それでいて「もう少し元気になった姿を皆さんに見せないとね」と相変わらずのサービス精神も忘れていない。
 あれだけの強靭さを誇った猪木の肉体が老人のものになったことは否定できない。人は誰でも歳を重ねる。なにせ79歳だ。でも、「闘魂」が猪木から消えうせることはない。それを「静かな闘魂」と筆者は呼ぶ。もし、不老不死の妙薬があるというなら、人体実験でもいいから真っ先に猪木に飲んでもらいたいと思う。「飲みますか」と聞いたら、「ああ、いいですよ」と猪木は言うだろう。生きたいからだ。
 今の猪木にとって東京から青森まで移動するということはある意味大きな戦いであり、挑戦だ。仙台でブレイクを挟んだとはいえ、長距離の移動はかなりの疲労とリスクを伴う。自宅やお気に入りの都内のホテルで過ごす日々とは違う。
 かつて飛行機に乗って地球の裏側のブラジルと日本を日常のように往復していた時代の猪木を知る人ならば、「青森なんてほんの数時間の距離でしょう」と言いたくもなるだろう。
 だが、自由に動かなくなった体という事実は、そんな言葉さえ打ち消してしまう。

かつて猪木が語っていた死生観「砂漠に消えるのがいい」
 蔦温泉旅館に入ると、壁に額がかかっている。「つたえ歩きで」という名の詩だ。
 「風呂場からゆぶねに浸かれば あつい熱が心地よく体のしんへと入ってくる 汗ばんだ体を水風呂につかれば 小さなことはふきとんで 気分は天国 杖をわすれて廊下を歩く 千年の温 蔦温泉」(原文ママ)
 猪木が詠んで自ら書いたものだ。
 波乱万丈の人生を歩んできた猪木もまたここにたどり着いたのか、と思ってしまった。
 かつて猪木は死を語るとき、「足跡を消したい。砂漠の砂の中に消えるのがいいな」と言っていたが、こうして「アントニオ猪木家」の墓を作ってしまった。それも青森の山中だ。
 しかし、猪木家ではなく「アントニオ猪木家」というのが猪木らしいかな、とも思った。お墓が好きな人はそんなにいないだろうが、ある年齢を迎えると、そういうことを考えるようになるのだろう。
 前日、筆者は蔦温泉から車で30分ほど離れたところにある八甲田山中の温泉宿・ホテル城ヶ倉に泊まった。この宿の廊下にも猪木の書いた文があり、また前の敷地にはズッコさんの記念碑があった。
 そこには「鶴」という大きな文字とズッコさんが使っていた小さな手鏡がレイアウトされていて、猪木の言葉が続いていた。
「花に嵐のたとえがあるように さくらの花のように散っていた ズッコ いつまでもいつまでも 皆んな心の中で生きてるよ」
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お墓には猪木氏の座右の銘的な「道」も。
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元は僧侶にして宗教学者の清沢哲夫が昭和26年(1951)に発表したものです。

この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし   
踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ

光太郎の「道程」(大正3年=1914)と通じるものがあると夙に指摘されています。清沢が「道程」を意識したのかどうかは、当方寡聞にして存じませんが。

もしかすると猪木氏、ご自身の愛された蔦温泉、大町桂月等十和田の三恩人、光太郎、「道」、「道程」、そのあたりの関連も考えられて、この地を選んだのかも、などと想像してしまいます。

いずれはここも十和田の新たな観光名所の一つとなるのかも知れません。そうなることで、大町桂月等十和田の三恩人や「乙女の像」、そして光太郎にもまたスポットが当たってほしいものですが、ただ、猪木氏にはまだここには入っていただきたくないものですね。

ちなみに奥様の納骨式の様子、YouTubeに上がっています。再生回数既に170万回超だそうで。



猪木氏の歌う「木蘭の涙」、泣けますね。

【折々のことば・光太郎】

昨夜雪ふる、うすい初雪、 あたたか、


昭和28年(1953)1月8日の日記より 光太郎71歳

「乙女の像」制作のため、前年秋に帰京して初の雪。それまで7年を過ごした花巻郊外旧太田村の豪雪とは較べようもありませんが、それでも岩手時代を思い出したことでしょう。

新刊です。

近代を彫刻/超克するー雪国青森編

2022年3月28日 小田原のどか著 書肆九十九合同会社 定価2,200円+税

2021年冬、国際芸術センター青森[ACAC]主催にて開催された「小田原のどか個展 近代を彫刻/超克するー雪国青森編」の展覧会図録、刊行。

雪中行軍遭難事件、工部美術学校と東京美術学校、ロダンと高村光太郎、模型、義手、墓碑、彫像、慰霊碑──。彫刻と近代の分岐点としての、青森・八甲田。「創造的断層」が立ち現れる。
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目次:
 ◎はじめに
 ◎図版[撮影:小山田邦哉]
 ◎本展のためのキーワード集[執筆:小田原のどか]
 ◎論考「彫刻の来た道:「国民のはじまり」をたどる」[執筆:小田原のどか]
 ◎作品リスト
 ◎関連作家プロフィール
 ◎小田原のどかと巡る青森[執筆:慶野結香]
 ◎関連イベント
 ◎展覧会情報
 ◎謝辞

3月刊行ということで、すぐ注文しましたが、つい先日届きました。昨年12月から今年1月にかけて(本来2月まででしたが、コロナ禍のため会期短縮)、青森市の青森公立大学国際芸術センター青森 [ACAC]さんで開催された彫刻家・小田原のどか氏の個展「近代を彫刻/超克するー雪国青森編@ 国際芸術センター青森」図録という位置づけです。なざぜ会期終了後の発売なのかよくわからないのですが……。

同展、八甲田山系を挟んで南北に位置する二つの彫刻――大熊氏廣作「雪中行軍記念像(歩兵第5連隊遭難記念碑)」(明治39年=1906)と高村光太郎作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像 昭和28年=1928)」――それぞれへのオマージュでした。

光太郎より一世代前で、十分にその基本構想を果たせないまま閉校となった工部美術学校出身の大熊と、その創立が工部美術学校のアンチテーゼとしての側面も持つ東京美術学校出身の光太郎。この二人が「欧化と国粋のはざまで揺れ続けた、この国の近代彫刻史の裏と表」、そして先述の二像を「八甲田山の両側に立つこれらの彫刻の足元には、創造的断層が走っています。それは、ありえたはずの彫刻の分岐点です。」「八甲田の山並みは彫刻史の起伏と重なり、彫刻は歴史の定点観測装置に転じます。」としています。

ロダニズムの洗礼を受けていない大熊、もろにロダンと向き合わざるを得なかった光太郎、その点以外でも、二人の一世代の差は、当時の社会的状況の中、近代化や戦争の問題等、ジェネレーションギャップを生んでいます。そういう意味ではまさに「創造的断層」ですね。そして小田原氏が以前から取り組まれている、公共彫刻のあり方という問題でも、この二像にはそれぞれに一つの答えが包摂されていると思います。そんなことも感じつつ、当方、1月に同展を拝見して参りました。特に大熊の「雪中行軍記念像(歩兵第5連隊遭難記念碑)」については、当方、ほとんど知識がありませんでしたので、興味深く存じました。
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今回の書籍(図録)も、「雪中行軍記念像(歩兵第5連隊遭難記念碑)」の方にウェイトが多くかかっているように感じます。反面、「乙女の像」や光太郎についてはもう少し調べていただきたいな、という感があります。小田原氏が昨年刊行された『近代を彫刻/超克する』でも、戦時の金属供出に遭った光太郎の公共彫刻の存在をご存じないまま書かれていたようですし、今回のものでも「「乙女の像」が光太郎最後の彫刻作品」「台座の石は福島産」と、ネット上などにも散見される誤った記述が為されています。光太郎最後の彫刻作品は、小品ではありますが、「乙女の像」除幕の際に関係者に配付された「大町桂月記念メダル」です。
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台座の石は「折壁石」で、折壁石というブランド名は岩手県東磐井郡室根村(現・一関市)の折壁地区で採れたことに由来します。ところがネット上ではいまだに「福島産」となっているサイトが多く、閉口しています。「折壁石」、かつては日本橋三越さん等にも使われ、しかし現在ではほぼ枯渇してしまいました。「乙女の像」を含む一帯の設計に当たった建築家・谷口吉郎が「石材は福島県産の折壁石」(「十和田記念像由来」『高村光太郎と智恵子』昭和34年=1959所収)と書いてしまったことが原因で、勘違いが起こっているようです。まず「福島県産の折壁石」というのが矛盾しています。

谷口は「湖畔の像」(雑誌『文学散歩』第10号 昭和36年=1936)では、こんなことも書いています。

 私は、このモニュマンが年月のために、あまり、わびしい姿になるのを好まなかったので、台座の表面には、福島産の黒ミカゲを張ることにした。これなら、光沢のある肌にコケがすぐはえる心配もなく、変色もない。
 そのことを草野心平氏に話すと、「福島県の石なら、智恵子さんの故郷だから、それがいい」と、すぐ讃意を得た。心平さんも福島の産だった。


105ここでは「折壁石」が「黒ミカゲ」に変わっています。それでは、先に「折壁石」と書いたのが誤りだったのかというと、そうではありませんでした。「乙女の像」の設置工事の監督を務められた当時の青森県技師・小山義孝氏の証言によれば、これは間違いなく岩手県産の「折壁石」であるということでした。氏はサンプルとして渡された「折壁石」の石版を永らく保管されていましたが、終活の一環として寄贈され、現在、このサンプルは十和田湖畔の観光交流センター「ぷらっと」に展示されています。『十和田湖乙女の像のものがたり』(平成27年=2015 十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会編)所収、寄贈の際の小山氏の談話。

 こちらは、台座の石でございます。名前は折壁石と申しまして岩手県産のものでございます。(略)見た目は黒っぽくて御影石ということになるんでございましょうけれども、ちゃんとした名前になりますと折壁花崗閃緑岩。閃緑岩というのは地球の古い地質から出て来るものでございますが、北上山地・北上山脈の南の方で尽き果てる所で地表に現れたのではと推測しています。
 それで、折壁石が使われているところは東京の三越デパートの床や壁、それから国会議事堂にも使われておりますよと。ところが十年位前には採り尽くしてしまい現在はもうほとんどないそうです。要は、名品なんですね。


なぜ「岩手産」が「福島産」に間違われてしまったのか不明ですが、一度その誤りがある程度定着してしまうと、なかなか真相が表に出て来ない、そういう例ですね。こうした件は光太郎智恵子がらみでいくつもあり、このブログ等で必死に配信しているのですが、なかなか正しく伝わりません。

追記:ちゃんと「岩手産のミカゲ石」と書かれた制作当時の新聞記事を見付けました。
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除幕直前、昭和28年(1953)11月15日の『毎日新聞』です。

閑話休題、そういった点を差し引いても『近代を彫刻/超克するー雪国青森編』、好著です。ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后古田晁氏来る、詩人叢書のこと、承諾、中山義秀氏に解説をたのむこと、

昭和27年(1952)12月13日の日記より 光太郎70歳

古田晁」は筑摩書房社主。「詩人叢書」は、翌年三月刊行の『現代日本名詩選 道程・典型』。小説家の中山義秀が解説を書いています。中山には「智恵子抄」を一つのモチーフとした短編「生ける魂」(昭和18年=1943)があり、それをめぐって光太郎と書簡のやりとり等がありましたし、中山の回想文も残っています。

この時、解説文執筆者として中山を推したのが古田なのか光太郎なのか、日記の文脈だけでは不分明ですが……。
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昨日はNHKさんのアーカイブ的な活動についてご紹介しましたので、ついでというと何ですが、NHKさんがらみで。

手前味噌で申し訳ありませんが、先月中旬、NHK青森さんで放映されているロカールワイド「あっぷるワイド」に、当方がビデオ出演させていただきました。

青森と言えば、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。そこで、ウクライナ危機にもからめ、「戦争」、「平和」といったキーワードから、像に込めた光太郎の思いなどを掘りさげるというコンセプトでした。

放映後にDVDに焼いたものを送って下さいまして、拝見。、10分弱の尺で、そういう話を事前に聞いていた段階では、少し短いかな、と思っていたのですが、なかなかどうして濃密な内容でした。

放送をふまえ、NHK青森さんのサイトに、「"わが詩をよみて人死に就けり" 高村光太郎 ~「乙女の像」に込めた願い~」というページが設けられました。そちらをご覧いただければそれで終わりなのですが(笑)、一応、概略を。
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まずは十和田湖。当方もお世話になっています、現地のボランティアガイドの方がご出演。十和田湖を訪れた皆さんに、こういう説明をなさっているそうで。
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そして千葉の当方自宅兼事務所。八戸支局からディレクター氏とカメラさん、音声さんがわざわざ取材にいらっしゃいました。
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特に戦時中の光太郎について語って欲しいというので、手持ちの資料等お見せしながらべしゃくりました。
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光太郎の翼賛詩「十二月八日」詩稿。複製ですが。
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先日まで放映されていた朝ドラ「カムカムエブリバディ」でも使われた、光太郎作詞の国民歌謡「歩くうた」関係。

歌をバックに、こんな映像も。この手のアーカイブ映像はNHKさんの得意とするところですね。
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学徒出陣で海軍に招集された方が書いて貰った日章旗寄せ書き。光太郎も一筆したためています。
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そして戦後、ということで、光太郎が7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)。
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ここで光太郎は自らの戦争責任と向き合いました。
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そして、昭和27年(1952)、青森県から十和田湖周辺の国立公園指定15周年記念モニュメントの制作依頼。それが「乙女の像」です。
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サンフランシスコ講和条約により、GHQの占領は解除、日本の独立国家としての復権がなった時期でもあり、芸術家が再び自由に制作をできるようになったことも、像の制作を決意した一因でしょう。

「小山さんは「肺結核を患い、もう長くは生きられないことを自覚していた高村は、みずからの“道程”の集大成として、高村が生涯をささげた“美”と最愛の妻 智恵子への“愛”、そして戦争の経験から来る“平和”の象徴となる像を、『智恵子観音像』という形で制作した」と言います。」だそうで(笑)。

そして厳しい自己省察、反省を経ての、光太郎の到達点。
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引用されているのは詩「新年」(昭和23年=1948)の一節です。

こうした光太郎の願いが実ることなく、ロシアによるウクライナ侵攻……。また、その報道の陰でかすんでしまっていますが、シリアやミャンマーなどでも戦火が絶えたわけではありません。人類一人一人が、「平和」についてもっともっと考えなければならないと存じます。
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ところで、そうした意味も含め、NHK青森さんのこのレポート、BS放送などででも、ぜひ全国ネットの電波に乗せていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

午前モデル、 小坂さんくる、此のモデルを今年一ぱい契約する。

昭和27年(1952)11月12日の日記より 光太郎70歳

「モデル」は、「乙女の像」制作に際し雇ったプール・ヴー美術研究所所属のモデル、藤井照子。「小坂さん」は、光太郎の助手として粘土こねなどを行ってくれた小坂圭二です。

結局、契約は延長され、翌年も藤井がモデルを務めています。ただ、完成した像の顔は智恵子の顔。光太郎自身は公的には「智恵子の顔」とは言いませんでしたが。

おまけ

手前味噌ついでに……。このブログ、平成24年(2012)5月3日に開設しまして、今日で丸10年です。10年間、1日も休まず投稿し続けました。まぁ。時折、前日に書いておいて翌日に予約投稿、などというインチキもありましたが(笑)。

10年間、投稿出来ないほどに体調を崩すこともなく、また、世の中が投稿出来ないほどに乱れることもなく(投稿を始めた前年が東日本大震災でしたが)、「平和」であることのありがたさを噛みしめております。

今後、何年間、投稿が続けられるのか、というところですが、引き続きよろしくお願い申し上げます。

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