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紹介すべき事項が山積しておりまして、今日明日明後日と、一気に色々片づけます。

今日は光太郎第二の故郷・岩手花巻と、生涯最後の大作「乙女の像」のたつ青森県十和田市がらみで。それだけでも長くなりますが、お付き合い下さい(笑)。

まずは花巻、毎月ご紹介しています道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで調理・販売されるテイクアウト弁当「光太郎ランチ」。メニュー考案に当たられているやつかの森LLCさんから画像を頂いています。
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10月光太郎ランチ
10月日記
季節感あふれるメニューは「南瓜コロッケ」「鮭の塩焼き」「豚肉ときのこのソテー」「卵焼き」「栗ご飯」「おはぎ」」「漬物」「秋のくだもの」、基本的に光太郎が自炊した料理や使った食材が参考にされています。

「栗ご飯」が主食ですが、そろそろ光太郎が暮らした郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)の周りも栗がたわわに実り始めているでしょうか。今日明日の台風の影響が心配ですが。

同じく花巻で、市の広報誌『広報はなまき』9月15日(火)号から3件。

まず、「花巻市活力あるまちづくり表彰」。まちづくりに貢献した個人、団体のべ21組が表彰されました。
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「教育文化部門」で「高村光太郎山口会」さんが表彰を受けています。元は「高村記念会太田支部」とい名称で、毎年5月15日(光太郎が花巻疎開のため東京を発った日)に、高村山荘敷地内で行われていた「高村祭」の運営などに尽力されていました。かつての中心メンバーで、生前の光太郎をご存じだった故・浅沼隆氏、故・高橋征一氏も泉下で喜ばれていることでしょう。

また、「地域振興部門」では、「太田地区振興会」さんの元会長・平賀仁氏。同会は、光太郎忌日の4月2日の連翹忌に合わせ、高村山荘敷地内の「雪白く積めり」詩碑での「詩碑前祭」を毎年行って下さっていますし、やつかの森さんと共に「高村光太郎生誕140周年記念事業 対談講演会 なぜ光太郎は花巻に来たのか」、「五感で楽しむ光太郎ライフ」などを主催して下さったりもしました。

同じく『広報はなまき』9月15日(火)号最終ページ。
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006『広報はなまき』では毎月15日号に「花巻歴史探訪[郷土ゆかりの文化財編]」という連載が為されており、市の施設などが所蔵している逸品の数々が紹介されています。光太郎に関しても時折取り上げられ、今号も。

「レモン哀歌」(昭和14年=1939)の詩稿、髙村家から寄贈ということで、一瞬「えっ、本物か」と思ったのですが、複製でした。

もう1件、『広報はなまき』で、その名は書かれていませんが光太郎がらみ。

花巻市と十和田市が「友好都市」協定を結んでいるとのことで、毎年のように行われていますが、市民対象のバスツアーです。「乙女の像」も行程に入っています。

盛岡藩士で花巻出身だった新渡戸傳(つとう)が、江戸後期の文政年間に現在の十和田市中心部・三本木地区の灌漑工事を始め、明治期には息子の十次郎、孫の七郎(新渡戸稲造の兄)がそれを引き継いだという縁です。

そういえば、上記の太田地区振興会さんで同じように十和田湖へのバスツアーをされたこともありました。当方も十和田に行っており、湖畔の観光交流センター「ぷらっと」さんを会場に、皆さんに光太郎と十和田について一席ぶたせていただきました。

逆に十和田から花巻へのバスツアーもあり、高村山荘/高村光太郎記念館さんなどが行程に入る場合もあります。双方向で永続的に続けていただきたいものです。

その十和田湖関連で、地方紙『デーリー東北』さん、一般の方の投稿のようです。

 【こだま】十和田湖遊覧船の思い出

 「十和田湖に放置の遊覧船撤去」との全国紙の記事が目に留まり、興味深く読んだ。十和田湖の桟橋に不法係留されたまま10年以上放置されている遊覧船4隻について、行政代執行法に基づいた強制撤去が始まったことを知った。
 「なぜ今まで放置されていたのだろう」と思いながら、帰省して十和田湖を散策した時のことを思い出した。横倒しになっている遊覧船や、崩壊寸前のホテルを見るたびに十和田湖の景観を損なっていると感じた。子どもの頃のにぎわいを知っているだけに、残念に思っていた。
 奥入瀬渓流と十和田湖の風光明媚(めいび)な美しさは、四季を通じて楽しめる。春は目にまぶしい新緑、夏でも木々の中は涼しく、秋は紅葉と渓流、冬は雪をかぶった乙女の像が美しい。
 遊覧船で思い出したことがある。2年前、京都と群馬の友達を十和田湖に案内した。奥入瀬渓流の散策を楽しんだ後、湖畔の乙女の像の前で写真を撮り、十和田神社に参拝。ヒメマス定食を味わい、遊覧船に乗ろうとしたところ、強風で「本日の運航は中止になりました」の立て看板が。友達に遊覧船からの景色を見てもらいたかった私は、とても悲しかった。スタッフの方は「せっかく遠くから来たのに」と申し訳なさそうに、十和田湖や奥入瀬渓流の絵はがきをたくさんくれた。「リベンジでまた絶対来るね」と十和田湖を後にした。 (埼玉県草加市 72)

「十和田湖に放置の遊覧船撤去」との全国紙の記事は、『朝日新聞』さんで先月末に。

十和田湖に長年放置の遊覧船、ついに撤去へ 行政代執行、費用7億円

 十和田湖(青森県十和田市)に10年超放置されている遊覧船が4隻ある。船体はさびや塗装のはがれが目立ち、うち1隻は横転している。所有者側が再三にわたる「行政指導」や「撤去命令」などに応じず、青森県は行政代執行による撤去を26日に始めた。2027年度末までに終える予定で、費用は7億円強かかる見込みという。
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 26日午後1時半ごろ、遊覧船が放置されている十和田湖の宇樽部(うたるべ)地区で、県上北県土整備事務所の沢里秀典所長が代執行の開始を宣言した。
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 県職員らは「事故に十分注意して」「所有者が来たら県庁に連絡を」といった指示を受けた後、桟橋への立ち入りを禁じるフェンスを撤去するなどの作業にあたった。今後は仮設の桟橋をつくり、周辺の水を抜いた上で船を解体する。
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 県港湾空港課によると、4隻は十和田湖遊覧船企業組合(16年解散、清算中)の所有。放置は、県が管理する桟橋の使用料滞納をきっかけに14年11月に始まり、15年11月から今と同じ4隻が放置されている。25年にはうち1隻が雪や風の影響で横転した。
 県はこれまで組合側に対し、計26回の「行政指導」のほか、「撤去勧告」「撤去命令」「戒告」を行ってきた。だが組合側から「撤去に向けた具体的な回答は得られなかった」といい、行政代執行による撤去に踏み切った。
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廃船の放置については昨年のこのブログでもご紹介しました。やっと強制代執行か、という感じですが、撤去費用が7億円……。逃げ得にならないようにしていただきたいものですね。何とかトークンだの、中傷動画だの、経歴詐称だの、とにかく「逃げた者勝ち」という嘆かわしい世の中ではありますが……。

明日は智恵子の故郷・福島系の報道等、やはりごっそりご紹介します。

【高村光太郎書誌】

詩華集 63 『青少年詩集 内原の朝 他十二篇』

昭和18年(1943)11月30日 翼賛図書刊行会 大政翼賛会文化厚生部編

収録作家
 高村光太郎 尾崎喜八 平田内蔵吉 百田宗治 室生犀星 近藤東 三ツ村繁蔵 岩本修蔵
 丸山薫 西村皎三 千家元麿 大木惇夫 北原白秋

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光太郎作品は散文で「謹解」、詩の「牛」。

扉の文句が実に痛々しいものです。

この本を、お読みになつたら隣組や、お友だちに回覧して下さい。これからは雑誌でも、本でも、一冊を十人も百人もの人で読めるやうに、お互ひに工夫してゆきませう。

敵国アメリカでは、前年にディズニー社がオールカラーのアニメーション映画「バンビ」を制作、公開していました。かたや粗悪な作りの冊子を回し読みしろ……どう考えても勝てる戦争であるわけがありません。

つい先日、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」附近でのクマ出没情報をご紹介しましたが、ちょっと離れた場所でとうとう人身被害が出てしまいました。テレビの全国ニュースでも報じられましたので、ご存じの方も多いかと存じます。

ABA青森朝日放送さん。

十和田湖周辺で外国人男性がクマ被害 「危険もあることの認識を」外国語の掲示も

 22日午前10時すぎ、十和田市奥瀬の十和田湖を望む瞰湖台(かんこだい)展望台付近で30代の外国人男性がクマに襲われました。
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【田中大地記者】
「クマに襲われた男性は、たまたま居合わせた別の観光客の車に乗せられ、こちらの宿泊施設に助けを求めてきたということです」
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【民宿十和田湖山荘 米田親一郎さん】
「血まみれの男性がいるみたいで寄ってきたということで、ベア、ベアとしゃべっていた(瞰湖台から)下りてくると、ここが一番近いのでここに入られて」
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車でこちらの宿泊施設まで運ばれた外国人の男性。その後は階段の辺りに座って救急車の到着を待っていたということです。

【民宿十和田湖山荘 米田親一郎さん】
「実際には顔はうつむいていたので、こういう感じでぐったりしたような感じだったので」
(Q.その方は腕をかまれた)「腕と顔を」
「爪で引っかかれたのとかまれたのもあるとしゃべていたので、腕の辺りが丸い斑点、白くなって赤黒い血が出ていたので」
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男性はドクターヘリで八戸市民病院に搬送されましたが、命に別状はないということです。

クマに襲われたのは二つの半島に挟まれた、“中湖”に面した展望台があるスポット。
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この場所はどんな場所なのか?

十和田湖観光交流センター ぷらっとで話を聞いてみると…。

【十和田湖観光交流センター ぷらっと 下村千恵子さん】
「乙女の像付近で出たり、去年とかはこの裏手のほうで出たり、という目撃情報はあります。瞰湖台周辺は今だけでなく、昔からクマの出没は聞いていました」
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「くまログあおもり」によりますと、今回クマによる被害があった周辺では19日に宇樽部トンネルの近くで親子とみられるクマ2頭が目撃されていたほか、23日昼すぎにクマ1頭の目撃情報が寄せられています。
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また、十和田湖を訪れる外国人観光客も年々増加しているといいます。

【十和田湖観光交流センター ぷらっと 下村千恵子さん】
「外国人の方は特に(クマを)あまり意識せず自然を楽しんでいる感覚があるので、そういう危険(人身被害)もあることは認識してほしい」
「(外国語での)注意喚起の掲示はやってますし、お問い合わせがあった方には必ず、クマがいるのでクマ鈴(の貸し出し)や、食べ歩きはしないように気を付けてくださいと話はしています」
「放送を流すとか、リアルタイムでお知らせできるような環境(整備)っていうのが良いのかなと思います」

【田中大地記者】
「外国人男性がクマに襲われた瞰湖台では、今このように一時閉鎖中となっています」

周辺をバイクで訪れていた男性は…。

【岩手から】
「山だからね。いることはいるんだろうけど、でもすごく多いですよね、数が増えてきてるんだろうなって思っていました」
「外国人の観光客も襲われたりって岩手でもあったんですよ、野田村というところで」
「もうちょっと国レベルのあれ(対策)が欲しいなっていうふうに思います」
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十和田市は今回の人身被害を受け、箱わなを2基増やし合計5基としたほか、クマ出没注意などと書かれた看板を設置するなどして注意を呼びかけています。 
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現場は「乙女の像」のある休屋地区から少し離れた場所。道路を行けば5㌔ほどです。しかし、道路はカルデラの山をぐるっと迂回する形でして、直線距離では半分程。もしかすると8月18日(火)に「乙女の像」附近で目撃されたのと同一の個体かも知れません。

驚いたのは、被害者の外国人男性が担ぎ込まれた十和田湖山荘さんが、当方も3回宿泊させていただいた宿だったこと。「ありゃま」でした。幸い、命に別状はなかったということですが、それにしても痛ましいと感じます。
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それから、「乙女の像」に関する展示も為されている十和田湖観光交流センター・ぷらっとさんの職員の方もご出演。「乙女の像」附近での出没に関してのお話も。
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これから行かれる方、十分お気をつけください。

【高村光太郎書誌】

詩華集 39 『現代詩人自選詩華集』日本詩壇第8巻第1号 新年特輯号

昭和15年(1940)1月1日 日本詩壇発行所 吉川則比古編
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収録作家
 河合酔茗 北原白秋 三木露風 高村光太郎 川路柳虹 堀口大学 佐藤惣之助
 萩原朔太郎 白鳥省吾 福田正夫 百田宗治 佐藤清 加藤介春 大木惇夫 前田鉄之助
 喜志邦三 吉田一穂 安斎冬衛 春山行夫 北川冬彦 北園克衛 岡崎清一郎 草野心平
 小野十三郎 笹沢美明 村野四郎 近藤東 丸山薫 岩佐東一郎 安部宙之介 高木秀吉
 岡本弥太 月原橙一郎 長田恒雄 佐伯郁郎 山本和夫 乾直恵 安藤一郎 岩本修蔵
 杉浦伊作 西村皎三 原一郎 前田いさむ 杉本駿彦 小松柳吉 池永治雄 藤本浩一
 山内隆 瀧口武士 藤村誠一 吉川則比古 奥保 加藤健 鈴樹昌 葛井和雄 大塚徹
 高島高 福富武人 小西秋雄 浅井十三郎 舟木由岐 木村信吉 蓬莱隆次 柴俊介
 田坂数夫 原比呂志 川島豊敏 島崎曙海 木下夕爾 木村茂雄 入谷伊利一 長谷敏男
 酒井梅次郎 杉山真澄 真鍋勝見 堀光夫 福島公肇 竹内はじめ 清水達 八十島元
 牧原猷紀 吉野多美子 高山泰子 桑門つた子 北木利之 西村和三郎 田中規久雄
 松田幸夫 橋本建三 梅田津 松澤鉄雄 志摩海夫 中田戻 瀬木次郎 砂見あきら
 奈良進 小島祿琅 藤永義高 塩谷安郎 佐賀連 黒田義文 綱島嘉之助 間瀬憲二
 小夜川葉平 清水省吾 酒井一實 増田秀 脚雄 利木田光緑 岡田武雄 大塚雪郎
 吉村ヨシチカ 黒木清次 立木冬雄 中島義信 挽地英夫 上野彰久 野坂蒼二 三川新吉
 永田正夫 飼沼正広 江崎静波 谷山敏光 瀧坂陽之助 柴田耕一郎 邦中聰 葉樹えふ子
 山田徳郎 中條高次 並河嘉一 鈴木久夫 足立蔦二 林かをる 早乙女港 上田吉夫
 花村寛 東達夫 西山敏春 小林暮美 衣笠夢二 岡富榮 坂場直 邱淳洸 清水健士
 丸山吉三郎 近藤博 押谷欣之介 豊田春江 戸塚研介 江尻北窓


雑誌『日本詩壇』の新年号です、まるまる一冊、自選のアンソロジーになっています。巻末に「全国主要詩誌一覧表」「全国詩人住所録」。『日本詩壇』では前年と翌年の新年号も同じ形です。

光太郎詩は「もう一つの自転するもの」「事変二周年」の二篇です。

東北地方で発行されている地方紙2紙から。

まずは仙台に本社を置く『河北新報』さん系列の三陸河北新報社さんから出ている『石巻かほく』、8月16日(日)掲載分。8月9日(日)に光太郎ゆかりの宮城県女川町で開催された第35回女川光太郎祭についてです。

高村光太郎の功績、語り継ぐ イベントにファン120人 女川

 1931年に女川町へ訪れ、紀行文や詩を残した詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)の功績を語り継ぐ第35回女川「光太郎祭」が9日、町まちなか交流館で開かれた。光太郎の作品に関心を寄せるファン約120人が参加し、作品の朗読を通して光太郎の軌跡に触れた。
 町内の小中学生ら16の個人・団体が登壇し、女川町を旅した際の体験を落とし込んだとされる「霧の中の決意」や「よしきり鮫」などの紀行文や詩を読み上げた。
 高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会の小山弘明代表が講演。日本人が最も美しいと感じる縦横の比率とされる「白銀比(A判サイズの比)」が、光太郎の彫刻作品にも多く使われていることを実際に例を出しながら紹介した。
 主催する「女川・光太郎の会」の須田勘太郎会長は「女川を題材にした作品などの朗読を通じて、光太郎さんをしのびたい」とあいさつした。
 光太郎祭は92年から開かれている。新型コロナウイルスの影響で一時中止となったが、2023年に再開した。
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おおむね毎年、記事にして下さるのでありがたいところです。

次はあまりありがたくない話題ですが、報じて下さるのは注意喚起・危険回避のためありがたい件。青森県八戸市に本社を置く『デーリー東北』さん。

クマ目撃情報 十和田市2件目(8月18日)

▽十和田市奥瀬十和田湖畔休屋、十和田神社から乙女の像へ向かう遊歩道付近(18日午後4時20分ごろ、1頭)

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」附近でクマが出没とのこと。見出しに「2件目」とあるのは、同日、同じ十和田市の中心街に近い伝法寺地区でも目撃情報があったためです。

同じ件で、サイト「危険動物NEWS」さん。

002(青森)十和田市奥瀬十和田湖畔休屋でクマ出没 8月18日

  青森県によると、8月18日午後4時20分頃、十和田市奥瀬十和田湖畔休屋で、クマが出没しました。
■発生時の状況 ・クマが目撃された。
■現場付近の施設 ・十和田神社、乙女の像 


「くまログあおもり」さん。

2026/08/18 16:20

目撃 〒018-5501 青森県十和田市奥瀬1 ツキノワグマ 性別不明
十和田神社から乙女の像へ向かう遊歩道から目撃。遊歩道から20〜30m離れた木に登っていた。体長1m程度でこちらの熊鈴の音などには関心がないようであった。

「乙女の像」附近でのクマ情報は、今年2度目です。最初は5月26日(火)でした。十和田湖全体では、像のある休屋地区から離れた宇樽部地区などでも目撃情報が報じられています。

これから訪れられるという方、十分にご注意を。「熊鈴の音などには関心がないようであった」そうですし。

【高村光太郎書誌】

詩華集 32 『コスモス 第一』

昭和10年(1935)11月15日 叢文閣 西村豊吉編
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収録作家
 高村光太郎 カサアニユ 淀野隆三訳 室生犀星 妹尾正彦 坂本徳松 植村諦 矢部友衛
 高橋新吉 松永延造 岡本潤 棟方志功 大川康之助 豊田勇 深沢紅子 古谷綱武
 山岸外史 逸見猶吉 八木重吉 横光利一 石井日出夫 北川冬彦 高橋成直 大野五郎
 萩原朔太郎 片岡敏 小野十三郎 倉田叕 萩原恭二郎 シュウォップ 渡邊一夫訳
 宍戸儀一 金子光晴 田中行一 森敦 福井謙三 ヴォルテエル 井原彦六訳 草野心平
 坂本遼 萩原恭次郎


光太郎詩は「ばけもの屋敷」。他に口絵ページに光太郎揮毫「本然」が掲載されています。余談ですが、この筆跡を真似たであろうニセモノが販売されていました。ご注意を。
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6月13日(土)、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも為された「第61回十和田湖湖水まつり」の模様を報じる報道です。

RAB青森放送さん。

バルーンと花火が夜空を彩る 十和田湖湖水まつり 青森・十和田市

 夏の十和田湖観光の幕開けを告げる十和田湖湖水まつりが開かれました。
 十和田湖湖水まつりは、十和田湖畔休屋地区を会場にきのう1日限定で開かれました。
 午後8時すぎには、来場者の願い事が書かれた350個のバルーンランタンが一斉に夜空へ放たれました。
 湖畔は幻想的な雰囲気に包まれました。
 最後は200発の花火も打ち上げられ、訪れた人たちを魅了していました。
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地方紙『東奥日報』さん。

願いの光、夜空へ 十和田湖湖水まつり、幻想的に 青森県十和田市

 十和田湖湖水まつり(実行委員会主催)が13日、青森県十和田市の十和田湖畔休屋で開かれた。夜には参加者が願いや誓いを記したランタンを放ち、湖畔が幻想的な光に包まれた。
 電飾を施した遊覧船が桟橋を離れ、岸辺に並んだ来場者が一斉にランタンを空中に放つと、「きれい」などと歓声が上がった。湖から打ち上げられる花火が湖面を彩り、会場から拍手が起こった。
 県外から三沢市に帰省中の向谷地祈さん(27)は、家族と一緒に願い事やイラストをランタンに書き込んだ。「十和田湖に来るのは小さい時以来。改めて、山に囲まれた落ち着ける場所だなと思いました」と話した。
 まつりは今年で61回目。近年は2日間の開催が定着していたが、今年は物価高騰、人手不足などの影響で1日のみの開催となった。
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鹿角コミュニティFMさん。

バルーンランタンでメルヘンな世界 十和田湖の湖水まつり

 秋田と青森にまたがる十和田湖で「湖水まつり」が開かれ、明かりがともる灯ろうが夜空にいくつも浮かぶメルヘンチックな光景が広がりました。
 湖水まつりは、観光客を呼び込もうと地元の関係者でつくる団体が開いていて、61回めのことしは、物価高騰などによる中止も選択肢にあったなか、2日から1日に減らして開催にこぎつけられました。
 催しの主役になった「バルーンランタン」は、縦横およそ30センチ、高さおよそ45センチのビニール製で、LEDでオレンジや青に光り、浮かび上がります。
 13日午後8時すぎ、会場の休屋地区の湖畔にカウントダウンがアナウンスされ、バルーンランタンを購入した人たちが一斉に浮かび上がらせました。
 優しい色に光るランタンおよそ330個がふわふわと浮かぶ光景はメルヘンチックで、訪れた人たちがうっとりと眺めたり、写真を撮ったりしていました。
 さらにフィナーレには打ち上げ花火との共演になり、大きな花火が夜空と湖面に広がるたびに、大きな歓声が上がりました。
 またランタンのリリースと花火の打ち上げにあわせ、電飾を施した遊覧船も運行され、来場者たちが湖の上から幻想的な光景を楽しみました。
 青森県平川市の20代の男性は、「初めて来ましたが、映画の中の世界みたいにきれいで、いい思い出になりました」と話していました。
 ことしのイベントでは、日中も楽しんでもらおうと、例年よりも多い飲食のブースでの販売やステージイベントが昼前から行われ、カップルや家族連れなどでにぎわいました。
 実行委員会では、「これまで見たことがない十和田湖を楽しんでもらうコンセプトにしました。新たな景色や思い出をもちかえってほしい」としています。
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ここまで、「乙女の像」には触れられませんでしたが、主催の十和田湖湖水まつり実行委員会さんのX(旧・ツイッター)投稿に、「乙女の像」画像が。
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ありがたし。

それにしても、近年は2日間の開催だったのが今年はなぜ1日だけ? と思っていたのですが、『東奥日報』さんによれば「今年は物価高騰、人手不足などの影響で1日のみの開催となった」、鹿角コミュニティFMさんによれば「中止も選択肢にあった」とのこと。こんなところにも政府の無策ぶりが表れているのかと思うと、憤懣やるかたない感じです。関係者の皆様には苦渋の決断だったのでしょうが。

まつりは終わりましたが、十和田湖、ぜひ足をお運びになり、地域活性化にご協力ください。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 44 『高村光太郎詩集』大活字本シリーズ

平成14年(2002)10月20日 埼玉福祉会 高村光太郎著
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目次
  はしがき
 「道程」より
   失はれたるモナ・リザ 根付の国 画室の夜 寂寥 声 風 新緑の毒素 廃頽者より
   『心中宵庚申』 夏 けもの 父の顔 あをい雨 夏の夜の食慾 犬吠の太郎
  さびしきみち 狂者の詩 戦闘 カフエにて 山 冬が来た 冬の詩 牛 道程
  万物と共に踊る 秋の祈
 「道程」以後
  わが家 小娘 花のひらくやうに 丸善工場の女工達 米久の晩餐
  雨にうたるるカテドラル 落葉を浴びて立つ クリスマスの夜 鉄を愛す
  とげとげなエピグラム 清廉 月曜日のスケルツオ 白熊 傷をなめる獅子
  車中のロダン 葱 後庭のロダン 無口な船長 象の銀行 十大弟子 苛察
  ミシエル・オオクレエルを読む 火星がでてゐる 怒 偶作四篇 花下仙人に遇ふ
  母をおもふ 冬の言葉 旅にやんで ぼろぼろな駝鳥 当然事 首の座
  孤独が何で珍らしい 刃物を研ぐ人 のつぽの奴は黙つてゐる 偶作 七 村山槐多
  ばけもの屋敷 象 孤坐 手紙に添へて 団十郎像由来 つゆの夜ふけに 冬 へんな貧
  蝉を彫る 救世観音を刻む人
 「智恵子抄」より
  人に 郊外の人に 深夜の雪 人類の泉 僕等 晩餐 樹下の二人 鯰
  あなたはだんだんきれいになる あどけない話 美の監禁に手渡す者 人生遠視
  風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人 レモン哀歌
  荒涼たる帰宅 亡き人に 梅酒
 あとがき(奥平英雄)

弱視の方々などのための、文字サイズを大きく組んだ「大活字本」です。
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底本は昭和30年(1955)発行で、現在も版を重ねている岩波文庫版の『高村光太郎詩集』です。岩波書店さんの厚意によるとのことで、さすが岩波さんですね。

毎年恒例ですが、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」ライトアップが為されます。

第61回十和田湖湖水まつり

期 日  : 2026年6月13日(土) 荒天の場合は6月14日(日)
会 場  : 十和田湖畔休屋桟橋憩いの広場 青森県十和田市奥瀬字十和田湖畔休屋486
問合せ  : 十和田湖観光交流センターぷらっと 0176-75-1531

タイムテーブル
 11:00 一の宮縁日(21:00まで)
 15:00 パフォーマーステージ(18:30まで)
 17:30 十和田湖メルティライト(バルーンランタン)引き換え開始 ・想い書込処オープン
 20:00 十和田湖ナイトクルーズ乗船開始
 20:15 十和田湖メルティライト(バルーンランタン)リリース
      十和田湖ナイトクルーズ出航
 20:30 メッセージ花火の打上げ
 20:45 湖水花火
 21:00 終了

北東北の夏の観光の幕開けを飾る「十和田湖湖水まつり」。静かな湖畔で、ランタンや花火でドラマチックに彩られる一日を体験してみませんか?
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一の宮縁日
 灯りとにぎわいが集まる「一の宮縁日」飲食店やキッチンカー、テント屋台が並ぶ一の宮エリア。ちょうちんの灯りとともに、レトロながら賑やかな縁日の雰囲気が広がります。

 豚専門店いろとん  さがり串 ホルモン串
 たご助  煮干したこ焼き トルネードポテト
 OIRASE TOWADAおまかせKitchen  バラ焼きうどん バラ焼きボール
 ほっとまん企画  生ハムカップ 生ハムサンド
 カレーハウスCoCo壱番屋  ポークカレー ロースカツカレー
 ナチュラルキャンディ&鶏笑  中津から揚げ フライドポテト
 トワダコボーイ  十和田バラ焼き風肉巻きおにぎり 油そば
 和のみせ  バラ焼きオムそば イカ焼き
 「こなもんや」田村商会  パイカ鍋 お好み焼き、オム焼きそば
 鉄板焼きかぐら  焼きそば 10円パン
 焼き芋専門店 芋姫  サツマスティック ロングチュロス
 宮本商店  たこ焼 バナナチョコ
 青空商店組合 華びし  シャカシャカポテト オム焼きそば
 湖白屋  ケバブサンド
 釡戸屋  はしまき てんぷら
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パフォーマーステージ
 まんなか広場では、パフォーマーによるステージを開催。会場を巡る途中に立ち寄って、のんびり過ごしながら音楽やパフォーマンスをお楽しみいただけます。

 15:00 声がヨーデル倶楽部 ソロ歌唱
 15:30 伊東恭子 民話の語りべ
 16:00 愛野由梨奈 弾き語り
 16:30 ギュゼル・ダンスチーム ベリーダンス
 17:00 Ast. HIPHOPダンス
 17:30 NAVILLERA K-POPダンス
 18:00 北里三源色 よさこい踊り
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飾らない十和田を飾る展/巡る展
 会場付近の「喫茶 憩い」「十和田神社」を含む「飾らない十和田」ポスターを展示します。また当日は、条件達成でプレゼントがもらえる「飾らない十和田を巡る展」も同時開催。詳細は、展示会場にてご確認ください。
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十和田神社 湖水まつり限定御朱印
 湖水まつり当日限定!十和田神社にて、数量限定で授与します。デザインは、湖水まつりをイメージした特別仕様。湖畔を巡る記念に、ぜひお受けください。
※初穂料500円 11:00〜17:00
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隠れ龍神をさがせ!
 十和田湖や十和田神社には、龍にまつわる言い伝えがあります。そんな龍をモチーフにした「隠れ龍神」が、会場内のちょうちん等に隠れています。一の宮縁日やまんなか広場など、会場を歩きながら探してみてください。
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十和田湖ナイトクルーズ 20:00~
 夜になると、十和田湖は静かにその表情を変える。湖の上で見るバルーンランタンと花火の共演。目の前いっぱいに広がるその景色は、ここでしか出会えない特別な時間です。限られた人だけが乗船できる「湖上の特等席」で、そのひとときをお過ごしください。
[早割] 6,800円 [通常] 7,200円
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十和田湖メルティライト 17:30~
 見上げる空と、見下ろす湖。その間に、私たちがいる。視界のすべてが光に彩られる時、あなたの知る十和田湖は、美しく塗り替えられる。世界で一つだけのバルーンランタンを打ち上げませんか。
[早割] 6,800円 [通常] 7,200円
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メッセージ花火 20:30~ 憩いの広場
 あなたの声をのせて、十和田湖の夜空へ花火を打ち上げる特別企画。 今年は、録音したあなた自身のボイスメッセージを会場内にお流しします。普段はなかなか伝えられない感謝の気持ち。記念日のお祝いや、新たな挑戦への宣言。そしてプロポーズの言葉まで。あなたの想い、お待ちしています。
 料金 10,000円(4号玉一発)~
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湖水花火 20:45~ 憩いの広場
 夜空を染める花火、湖上に浮かぶバルーンランタン。そのすべてを、十和田湖が映し出していく。 音楽にあわせて移り変わる光景は、 まるで空と湖がひとつにつながったよう。湖水まつりの最後を飾る幻想的なフィナーレです。

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公式サイトに記述がないのですが、問い合わせたところ、例年通りに「乙女の像」ライトアップも為されるとのことです。

厳冬期に開催される「十和田湖冬物語」の際には雪灯籠の灯りに照らされる「乙女の像」ですが、「湖水まつり」では夜空に浮かぶランタンや花火をバックにすることとなります。

ぜひ足をお運び下さい。ただし、クマ出没情報が出ていますので、十分にご注意を。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 31 『高村光太郎集』現代詩文庫1018

昭和55年(1980)6月15日 思潮社 芹沢俊介編・構成
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目次
 短歌
  明治三八年作 明治三九年作 明治四〇年作 明治四二年作
 詩篇
  明治四〇年(一九〇七)
   秒刻 マデル あらそひ 敗闕録㈣眠りてあれか目覚めよか
  明治四三年(一九一〇)
   失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
  明治四四年(一九一一)
   亡命者 侵蝕 寂寥 声 廃頽者より 父の顔 恐怖
  明治四五年・大正元年(一九一二)
   あをい雨 人に 或る夜のこころ さびしきみち 冬が来る 或る宵 狂者の詩
   郊外の人に
  大正二年(一九一三)
   よろこびを告ぐ 冬が来た
  大正三年(一九一四)
   道程 淫心
  大正五年(一九一六)
   妹に
  大正一〇年(一九二一)
   雨にうたるるカテドラル
  大正一二年(一九二三)
   樹下の二人
  大正一四年(一九二五)
   狂奔する牛
  大正一五年・昭和元年(一九二六)
   鯰 苛察 夜の二人
  昭和二年(一九二七)
   あなたはだんだんきれいになる 懐ふ 怒 母をおもふ その年私の十六が来た
   或る墓碑銘 冬の言葉
  昭和三年(一九二八)
   ぼろぼろな駝鳥 あどけない話 同棲同類 焼けない心臓
  昭和四年(一九二九)
   無題 激動するもの 孤独が何で珍らしい
  昭和五年(一九三〇)
   刃物を研ぐ人
  昭和六年(一九三一)
   美の監禁に手渡す者
  昭和七年(一九三二)
   非ヨオロツパ的なる もう一つの自転するもの
  昭和一〇年(一九三五)
   人生遠視 風にのる智恵子 ばけもの屋敷 詩の道
  昭和一一年(一九三六)
   堅冰いたる
  昭和一二年(一九三七)
   千鳥と遊ぶ智恵子 未曾有の時
  昭和一三年(一九三八)
   山麓の二人 或る日の記 正直一途なお正月
  昭和一四年(一九三九)
   レモン哀歌 つゆの夜ふけに 肉体 お化け屋敷の夜 へんな貧
  昭和一六年(一九四一)
   少女に 純潔のうた 必死の時 危急の日に 十二月八日 新しき日に
  昭和一七年(一九四二)
   寒夜読書
  昭和一八年(一九四三)
   戦に徹す
  昭和一九年(一九四四)
   必勝の品性
  昭和二〇年(一九四五)
   皇国骨髄の臣 戦火
  昭和二二年(一九四七)
   暗愚小伝
    家
     土下座 ちよんまげ 日清戦争 御前彫刻
    転調
     彫刻一途 パリ
    反逆
     親不孝 デカダン
    蟄居
     美に生きる おそろしい空虚
    二律背反
     協力会議 真珠湾の日 終戦
    炉辺
     報告
  昭和二三年(一九四八)
   人体飢餓
  昭和二五年(一九五〇)
   典型
 エッセイ
  詩壇の進歩 余はかく詩を観ず(アンケート) 生きた言葉 詩そのもの 詩について
  気について 詩の勉強 自分と詩との関係 詩精神 詩精神と日常生活 詩と表現
  詩の本質 戦争と詩 アンケート・貴方の愛読書は 詩について語らず 日本詩歌の特質
 年譜
 研究
  四月詩壇月評=福士幸次郎 福士さんへ=高村光太郎
 解説 光太郎の虚像と実像=芹沢俊介

この手のものとしては珍しく、ほぼ編年体による構成です。「詩集」と銘打ちつつ短歌や散文もそれなりの量が収められています。

今年もクマの季節になってきたようで……。

RAB青森放送さんローカルニュース。

【クマ出没情報】5月26日 十和田湖畔・乙女の像付近で1頭(十和田市)

 十和田市や青森県の「くまログあおもり」によりますと、5月26日午後0時5分ごろ、十和田市奥瀬で子グマ1頭が目撃されました。被害は確認されていません。現場は十和田湖畔休屋の乙女の像付近です。市は付近の住民や通行する人に注意を呼びかけています。
 青森県内では全域に「ツキノワグマ出没警報」が発表されていて、県は以下のことに注意するよう呼びかけています。
・クマの出没状況に注意し、出没が相次いでいる場所には近づかないようにしてください。
・山に入るときは、クマの活動が活発になる早朝と夕方は避け、なるべく複数人で音を出しながら歩きましょう。
・クマを引き寄せる食べ物や野菜くず等の生ごみを屋外に放置しないでください。
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光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」附近での目撃情報。
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像の南側はホテルや飲食店、十和田湖観光交流センターぷらっとさんなどがある繁華街、像より北側は湖に突き出た二重カルデラ外輪山の半島で、原生林が広がる場所。確かにクマの出やすい環境です。
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平成28年(2016)には十和田湖を泳ぐ熊の姿が撮影されたというニュースも報じられました。

ニュースにあったサイト「くまログあおもり」によれば、近隣地区、奥入瀬渓流などでも目撃情報や「養蜂場が荒らされた」などの記述がありました。

クマといえば、岩手花巻郊外旧太田村の光太郎が7年間を過ごした山小屋(高村山荘)附近はきゃつらの巣窟ですし、福島二本松の智恵子生家/智恵子記念館裏手の智恵子の杜公園でも今年3月に目撃情報がもたらされました。

それらの場所に行かれる方、十分にご注意を。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 26 『高村光太郎資料 第一集』全集補遺Ⅰ

昭和47年(1972)4月2日 文治堂書店 北川太一編
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目次
 詩
  N――女史に かなしきこころ 或問 
  カフエ ライオンにて
 (何もかも) (アメリカ帰りの)
  (人間劣性の)〔断片〕 酔中吟 (四つの仮面は)
 短歌
  「挿柊」より 「剣気」より 「新星録」より 高村豊周『赤城旅行記』に
  『晶子歌話』より 木彫「柘榴」に 木彫「蓮根」に 山どりの瀬戸 歌集に オベリスク
  此山に
 俳句
  雪の朝 雑感 ベネチアにて 中之条
 短句
  一六~二一
 評論――美術――
  英国ニ於ケル応用彫刻ニ就テ〔一〕 英国ニ於ケル応用彫刻ニ就テ〔二〕
  巴里式屋外広告 彫刻家のみた女の姿 美は真に等し 絵を買ふ人に 肖像に就いて
  家具及住宅の美〔断片〕 所謂好趣味の人たる勿れ 帝展彫刻の技術観 彫刻実習
  木彫ウソを作つた時 ロダンに就いて二三の事 巨匠ロダン翁 興福寺十大弟子
  美の日本的源泉 美の源泉 芸術と農業 石井柏亭君を送る 大森商二君の木炭画
  岸田君の芸術の事 宮坂君について 高田博厚渡仏後援彫刻頒布会趣意
  父・光雲作の仏像 彫刻家建畠大夢
 評論――文学――
  詩と表現 言葉の美しさ 詩の本質 戦争と詩 昭和二年詩壇概観〔断片〕
  「渝らぬ友」-尾崎喜八- 写真の顔――若山牧水追悼 追憶――山村慕鳥
  童心と叡智の詩人-北原白秋の業績- 天性の詩人白秋 あの頃――白秋の印象と思ひ出
  倉橋弥一さん 福士さんへ 『槐多の歌へる』 田中清一詩集『永遠への思慕』読後感
  『ホヰツトマン雑孝』 所感――推奨『東方古典叢刊』 『蛙』に寄す
  読みながら思へる――今井邦子歌集『明日香路』 『現代詩人集』について
  大野良子詩集『馬頭琴』読後感 矢野克子詩集『太洋ノ母』読後感
  仲村久慈著『湯地丈雄』 河合酔茗詩集『真賢木』を読む 藤井照子詩集『石花菜』序
  照井瓔三著『国民詩と朗読法』序 伊波南哲詩集『麗しき国土』序
  矢野克子詩集『いしずゑ』序
 随筆
  巴里より ルセルンの旅舎より 消息 恋愛――結婚の話 イギリスの女とフランスの女
  千駄木より 書簡 有望なのは天然的遊園地 恵まれたる優性遺伝の十八名家
  悪趣味を排す 遙にも遠い冬 ビールの味 某月某日 かういふわけ 往復書簡
  『道程』の思ひ出 美しく懐かしき国、日本
 アンケート
  松籟颯々 文芸に現はれたる好きな女と嫌ひな女 最近の感想
  私は斯んな見方で、斯んな新聞を読んでゐる 本月の詩歌壇
  この夏はどうしてお暮しになりますか 詩人の好める詩人及び詩風
  取締を帝国美術院に アメリカ趣味の流入を防げ 新時代の家庭におくる言葉
  十四年度作品批評 どんな芝居をやつて見たいか? 不滅の価値――山本鼎論
  断想――既成文壇の崩壊期に処す 名士と食物 後継詩壇を背負ふ人
  あなたの御健康は如何ですか 新年に当り歌壇に与ふる言葉 古美術と現代美術
  装幀について 貴方の愛読書は
 日記
  彫塑雑記 明治三十六、七年 日記 明治四十三年
 雑纂
  高等科二学年試験答案 『大原海岸』あとがき 高村豊周『赤城旅行記』あとがき
  第一回中央協力会議議案
 翻訳
  「パミイル」より(ジヨオジ シエエヌブエル)
  反逆――ジヤン・クリストフより(ロマン・ロラン)
  ロダンといふ人(ジユジト クラデル) シヷのをどり(アウギユスト ロダン)
 後記

当会顧問であらせられた北川太一先生が、昭和35年(1960)からガリ版刷りで発行されていた冊子『光太郎資料』の主要な記事を全六巻の上製本として刊行することになりました。第三巻までが、昭和33年(1958)に完結した第一次『高村光太郎全集』(筑摩書房)に漏れていた作品の集成、第四~六巻が光太郎智恵子周辺人物の書き残した光太郎智恵子論・回想です。一部、第六巻にも全集補遺作品が収められました。

第一次全集補遺作品群は、のちに平成6年(1994)から同じく筑摩書房で刊行が始まった増補版の『高村光太郎全集』の第19巻から21巻及び別巻に一部を除いて収められることになります。

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも行われているイベント「十和田湖冬物語2026」。一昨日開幕し、報道が為されています。残年ながら「乙女の像」にからめてのそれが見当たりませんが。

地方紙『東奥日報』さん。

きらめく"冬花火" 十和田湖畔で「冬物語」開幕/2月23日まで

 十和田湖畔の冬を満喫できるイベント「十和田湖冬物語」(実行委員会主催)が30日、青森県十和田市休屋地区の多目的広場で開幕した。会場では恒例の花火が打ち上げられ、冬の夜空を彩った。2月23日まで。
 雪が降りしきる中、午後8時に花火がスタート。次々に打ち上がる花火が辺り一面を照らし、訪れた観光客らが見入った。おいらせ町から家族5人で訪れた、百石小4年の山田胡桃さん(10)は「紫色の花火がきれいだった」と笑顔で話した。
 会場には屋台村「雪あかり横丁」が登場。ヒメマスの塩焼きや馬肉鍋、きりたんぽなど、十和田市や秋田県の温かいグルメが並び、多くの来場者が列を作った。このほか、雪の滑り台や、奥入瀬渓流の氷瀑(ひょうばく)をイメージしたフォトスポットが設けられ、会場はにぎわった。
 火曜から木曜は定休日(祝日の2月11日は営業)。花火は期間中、毎日午後8時から約150発を打ち上げる。土曜、日曜は「冬の国境祭」と題し、北東北3県の芸能パフォーマンスなどが披露される。イベントの詳細は公式ホームページで確認できる。
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『東奥日報』さんでは別の記事でも。

雪遊び、グルメ 多彩に/十和田湖冬物語

 青森県十和田市の十和田湖畔休屋地区で開かれている「十和田湖冬物語」。多くの観光客や親子連れらが訪れ、雪遊びやグルメ、花火など多彩なイベントを楽しんでいる。
 全長約15メートルの雪の滑り台は子どもたちに大人気。家族4人で初めて訪れた、大阪府豊中市の茨木咲良さん(7)は「雪は初めて見た。楽しくて、雪が好きになった」と笑顔を見せた。
 期間中は雪上で楽しむバナナボートや、青森県や秋田県のグルメが並ぶ屋台村「雪あかり横丁」、奥入瀬渓流の氷瀑(ひょうばく)をイメージしたフォトスポットなどを楽しむことができ、夜には花火が打ち上がる。土曜、日曜には北東北3県の芸能パフォーマンスなどを行う。
 会期は23日まで。火曜から木曜は定休日(祝日の11日は営業)。イベントの詳細は公式ホームページで確認できる。
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鹿角きりたんぽFMさん。

冬花火の美しさで魅了 十和田湖冬物語

 秋田と青森にまたがる十和田湖で冬の恒例のイベントが始まり、名物の花火の美しさが来場者たちを魅了しました。
 ことしで28回めとなる「十和田湖冬物語」が30日に始まり、夜には呼び物の花火のショーが休屋地区で行われました。
 音楽と一体化した演出になっており、曲の場面ごとにふさわしい色と形の花火がおよそ5分間、打ち上げられました。
 冬の澄んだ夜空に映る花火の美しさは格別で、赤やオレンジの光りが広がるたびに、訪れた人たちから歓声が上がっていました。
 東京都世田谷区から訪れていた30代の男性は、「東京から来たので雪自体が珍しいのに、花火と一緒の幻想的な世界を見られて感動しました。息子の2歳の誕生日なので、いい思い出になりました」と話していました。
 会場には、両県の名物などが提供される飲食のブースや、雪の大型滑り台なども設けられていて、訪れた人たちが思い思いのスタイルで楽しんでいました。
 また去年に続き、イベントと連動した冬の体験型アクティビティーも用意されていて、カヌー遊びやガイドウオーク、湖畔でのサウナなどで楽しませています。
 実行委員会では、「雪を楽しみたい外国人などが近年増えていて、手ごたえを感じている。ことしもイベントの期間中、十和田湖から青森、秋田の周遊を活発にしたい」と話しています。
 十和田湖冬物語は来月23日までの、祝日以外の火曜、水曜、木曜を除き、十和田湖休屋の多目的広場で開かれます。
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地方紙『北鹿新聞』さん。

十和田湖の魅力発信 花火や屋台村 23日まで「冬物語」 土、日は「冬の国境祭」も

 冬の北東北を代表するイベント「十和田湖冬物語」が先月30日、十和田湖畔の休屋で開幕した。今月23日まで土、日、祝日と月、金曜日に開かれる。夜に花火が打ち上げられるほか、会場の屋台村では温かい地元グルメが販売される。
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ぜひ足をお運びの上、幻想的な「乙女の像」ライトアップもご覧いただければと存じます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)32 詩集『智恵子抄』

昭和22年(1947)11月25日 白玉書房 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 松庵寺            昭和二十年十月五日
 報告             昭和二十一年十月五日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月
 記

昭和16年(1941)龍星閣発行のオリジナルの内容に、戦後の詩「松庵寺」と「報告」を追加して出版されました。

沢田伊四郎の龍星閣は太平洋戦争の激化に伴い昭和19年(1944)に休業。『智恵子抄』は店頭から姿を消していましたが、需要があると踏んだ白玉書房の鎌田敬止が復刊させました。

巻末に置かれた光太郎筆の「記」には以下の記述があります。

 今度あたらしく白玉書房をはじめられる鎌田敬止氏は沢田伊四郎氏の快諾を得て、「智恵子抄」の再出版を企てられ、その事を私に諮られた。

しかしこの件に関しては鎌田と沢田で認識の違いがあったようで、沢田は認めたつもりはないと激怒。沢田は昭和24年(1949)に龍星閣を再興し、翌年には『智恵子抄』を再刊します。それに伴い白玉書房版は昭和25年(1950)の第五版を以て絶版となりました。

手持ちのものはその第五版です。

本日開幕です。

十和田湖冬物語2026

期 日 : 2026年1月30日(金)~2月23日(月・祝)
会 場 : 十和田湖畔休屋 多目的広場 青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋
時 間 : 平日 午後4時~午後8時30分
 土日祝 午前11時〜午後9時
休 業 : 火曜日、水曜日、木曜日(2月11日(水)を除く)

あの光景に出会いたくて。
 1999年に始まった「十和田湖冬物語」は28回目を迎えます。親に連れられ、雪にまみれたあの日の子どもはいま、自分のこの手を引いている。温泉宿の夜、語り合った友人たちもあの頃から少しずつ、みんな、シワが増えた。⁡そんな長い月日が経っても十和田湖の冬は今年も美しく、あたたかく、灯ります。
⁡ 澄んだ夜空を彩る「冬花火」。匂いの先には「雪あかり横丁」。湯気の向こうで笑い合う人たち。時には、吹雪に鼻水を垂らすことも。それでも、ここが好きで、また来てしまう。
 ⁡冬の十和田湖へ。あの光景が、きっと待っている。

●冬花火
 真冬の澄み切った夜空を彩る冬花火。音楽との競演もお見逃しなく!
 大切なあの人へ メッセージ花火 一発8,800円~
 各開催日 20:00~
●屋台村「雪あかり横丁」
 ローカルの食材を使った美味しいグルメを楽しもう!
 平日 16:00~20:30 休日 11:00~21:00
●週末限定!冬の国境祭(くにざかいまつり)
 北東北の祭りや、地元有志によるパフォーマンスは必須!
 なまはげ太鼓/津軽三味線/ねぶた囃子/あけぼの祭典委員会/北里三原色他よさこい4団体
 花巻鹿踊
●かまくらの中で地酒やカクテルが楽しめる「かまくらバー」→中止
●スノーパーク
 会場には大きな雪の滑り台が誕生! あなたは何して遊ぶ?
●「乙女の像」ライトアップ
 イベント開催日のみ 17:00~20:30
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3回お邪魔しましたが、とにかく寒いイベントです(笑)。それを逆手にとって、寒さを楽しんでしまおうというわけで(笑)。

一時期、プロジェクションマッピングなどを主体にした時期もありましたが、数年前に旧に復し、屋台村をメインにした冬花火や雪のステージでのパフォーマンスが中心のスタイルに戻りました。昨年からだったと思いますが、光太郎第二の故郷・岩手花巻から鹿踊りの皆さんも参加なさっています。

そして、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも為されます。
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ただ、メイン会場からやや離れていまして、なかなかそちらまで足を運ぶ方は多くないようですが。吹雪の時などは遭難にくれぐれもご注意下さいのレベルです。
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八戸駅、十和田市街からのシャトルバスも完備。

ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)30 歌集『白斧』

昭和22年(1947)11月20日 十字屋書店 高村光太郎著 宮崎稔編
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目次
 無題 二首     明治三十三年十月
 無題 六首     明治三十三年十一月
 無題 十一首    明治三十四年一月
 無題 五首     明治三十四年六月
 ささ舟 十三首   明治三十四年七月
 無題 十一首    明治三十五年
 白斧 二十三首   明治三十七年一月
 無題 九首     明治三十七年八月
 赤城山の歌     明治三十七年十一月
 無題 九首     明治三十九年一月
 無題 十九首    明治四十二年十月
 無題 十六首    明治四十一年十一月
 無題 十一首    明治四十三年十一月
 工房より 五十首  大正十三年八月
 工房より 二十八首 大正十三年十一月
 工房より 八首   大正十四年一月
 那須にて 二首   大正十四年十月
 智恵子抄 六首      
 岩手移住後 五首    
 無題 十五首
 コロタイプ版 著者墨蹟
  赤城山 己の前に

第一期、第二期『明星』などに載った光太郎短歌を集めた歌集です。光太郎、最後までこの歌集の出版には同意せず、姻戚だった詩人の宮崎稔が強引に出版を押し切りました。そのため、光太郎自身は関与していない旨の宮崎による「覚え書」が奥付の前に貼り込まれています。

奥付は昭和22年(1947)11月20日ですが、「覚え書」は昭和23年(1948)2月25日付。この頃まで上梓がずれ込んだようです。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」関連で2件。

まず、先月30日(日)に港区で開催された「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」で登壇なさった山本隆一氏が、同フォーラムの様子を報じた地元紙2紙を送って下さいました。そのうち『東奥日報』さんで、同フォーラムの記事の下に以下の記事が載っていました。

東北新幹線・新青森-八戸開業15周年 3駅で記念カード配付

 東北新幹線・新青森-八戸間が4日に開業15周年を迎えるのを記念し、JR東日本は1日から、新青森、七戸十和田、八戸の3駅で「駅カード」を枚数限定で配布する。当日有効の乗車券類か入場券(定期券を除く)を、各駅の新幹線の有人改札で提示すると、1人1枚もらえる。駅カードで3駅を取り上げるのは今回が初めて。
 駅カードは鉄道車両と地域の特色を組み合わせたデザインとなっており、JR東など鉄道会社がキャンペーン企画の一環として制作することが多い。新青森駅のカードはE5系新幹線「はやぶさ」と青森ねぶた、七戸十和田駅はE2系新幹線「はやて」と十和田湖、八戸駅は観光列車「TOHOKU EMOTION」と八戸えんぶりをそれぞれ描いている。
 本県では弘前駅や五所川原駅、深浦駅などが題材となったことがある。
 4日は新青森駅と七戸十和田駅で開業15周年セレモニーなどの記念企画を行う予定。
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七戸十和田駅の駅カードに「乙女の像」があしらわれています。記事本文に「乙女の像」の語が入っていなかったので、掲載紙が送られてくるまで気づきませんでした。

新青森駅、八戸駅のものはこちら。
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「こりゃ欲しいな」と思いまして、ネットオークションのサイトを見てみると、早速売りに出ていました。しかし3枚で8,000円。まぁ、好きな人はその価格でも買うのでしょうが、何だかなぁ……です。

もう1件。やはり地元紙の『秋田魁新報』さんで12月20日(土)に掲載された記事です。

遠い風近い風[畑澤聖悟]神秘の十和田は田沢と共に

 今年で3年目となる「北のまほろば祭り」は、私が主宰する渡辺源四郎商店の定例イベントである。本拠地である青森市の渡辺源四郎商店しんまち本店で、秋から冬にかけて、月終わりの週末にリーディングや一人芝居など、語り芸を中心に短編2、3本を上演する。今回は11月~来年1月に実施。毎回、期間中に計8~12作品が集まることから、「北の小さな演劇祭」を名乗っている。
 先月の公演タイトルは「千古水澄む十和田湖いだき」。ズバリ、十和田湖がテーマである。ゲストに秋田の「けやはす演劇部」を招いた。おととし1月にあきた芸術劇場ミルハスで上演された県民参加型ミュージカル「欅(けやき)の記憶・蓮(はす)のトキメキ」の出演者有志を中心に結成した劇団で、昨年に引き続きの登板である。
 演目は「神秘の十和田は田沢と共に」。秋田を憂う謎の集団「秋田賢人会議」が秘密会議を行う。県境にまたがる十和田湖を青森県が独り占めしようとしている。そうはさせじ。「十和田湖が名実ともに秋田のものであることを強く意識させるためには、物語を利用せばいい!」とリーダーが号令する。
 十和田湖、田沢湖、八郎湖を巡る「三湖伝説」を、都合のいい「秋田史観」で改変しようと試みるのだ。台本を持った演者8人によるリーディング公演であるが、歴史うんちくあり、アクションあり、ギャグあり。盛りだくさんの28分。客席は沸きに沸いた。劇団代表である伊藤展洋氏の記念すべき初の作・演出作品。堂々のデビューである。
 迎え撃つ「小なべの会」は、渡辺源四郎商店の若手によるユニット。これまで劇団内ワークショップ、台本評論、作詞作曲、演出練習などの活動を経て、今回が初公演となった。演目は「智恵子と智恵子」(沼畑枝里作・演出)。十和田湖畔に立つ裸像、通称乙女の像が主人公。制作途中の像が、作者の高村光太郎が寝ている間に動き出し、歌ったり漫才をしたりする。コント風の展開だが、亡き妻、智恵子への高村の愛情が徐々に浮かび上がってくる。ゲストに負けぬ大受けであった。
 終演後はロビーで出演者、スタッフ、観客が入り乱れての座談会「まほろばトーク」。そして乾杯。そのまま打ち上げになだれ込んだ。大量に持ち込まれた秋田の美酒とお土産がありがたい。
 私が「欅の記憶・蓮のトキメキ」の演出を担当させてもらってから間もなく3年。あの日、演劇の世界に足を踏み入れた彼らは、自作を引っ提げて遠征するまでになり、アウェーの観客を大いに喜ばせた。そして、初めて私の手を離れて芝居を打ったウチの若手たち。みんな楽しそうに芝居談義をしている。これはすごいことである。報われた気がした。空きビルを大工仕事で劇場に改装したのも、身銭を切って劇団を19年続けてきたのも、何もかもこのためだったのではないか。
 けやはすの面々とは「またね」と言って別れた。また、いい芝居やりましょう。そして、楽しく飲みましょう。芝居は終われば何も残らないが、縁は続くのである。
 (劇作家・演出家、五城目町出身、青森市住)

このイベントについても事前に把握できていませんでした。公式サイトにやはり「乙女の像」の語が無く、さらに演目題名も「智恵子と智恵子」ということで、「高村」の語を書いていただければ見逃さなかったのですが、「智恵子」だけでは検索網でカバーしきれません。
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ちなみに「千古水すむ十和田湖いだき」という「青森市民の歌(愛市の歌)」の歌い出しの一節を総題にした3本仕立ての演劇公演で「神秘の十和田は田沢と共に」「十和田湖のこわい話」そして「智恵子と智恵子」だったそうです。智恵子の顔を持つ「乙女の像」の制作意図が、光太郎曰く「人間の心の中を、内部を見る。そういう一種の感じをうけたんで、その一つの人間が、同じものが、どこを見ているかわからないが、とにかく向かいあって見合っている――片方は片方の内部で、片方は片方の外形なのです」ということで、「智恵子と智恵子」だったのでしょう。

「乙女の像」が主人公というと、10年ちょっと前に十和田湖国立公園協会さんでから刊行された能町みね子氏の『十和田湖アイドル伝説! 乙女の像S 解散の危機 !?』が思い出されました。

これからも「乙女の像」、地元で、さらに全国区で愛されてほしいものです。

【折々のことば・智恵子】

この世に生れて来た甲斐に、どれだけの事が成功するか、各自に与へられた力の最善を尽して一生の使命を果すので、誰れにとつても生やさしい面白いおかしい事ではなく、いつも目的を最高の処に置いて立派な、悔いのない、あゝこれでよかつたと、生の終りに自分で感謝する事の出来る生涯を築く覚悟がなければなりません。


大正11年(1922)12月1日 長沼啓助・禎子宛書簡より 智恵子37歳

大正7年(1918)に歿した父・今朝吉の跡を継いで長沼酒造を任された弟・啓助と、その妻となった禎子との若い二人に宛てた書簡から。

智恵子自身、昭和13年(1938)に南品川ゼームス坂病院でその生涯を閉じる際、「あゝこれでよかつたと、生の終りに自分で感謝する事の出来る生涯」だったのでしょうか……。

11月30日(日)、港区で開催された「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」に出演させていただきました。
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いろいろといただきものがあってウハウハしていたところ、翌日になってやはり十和田湖関連で、しかし逆にいただきたくないものをいただいてしまいました。

青森の彫刻家・田村進氏の奥様からの喪中葉書。
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田村氏、4月30日(水)に亡くなられていたそうですが、存じませんで驚きました。過日お伝えした仙台の佐久間晟氏と同様でした。昭和8年(1933)のお生まれで、満92歳ということでした。

田村氏、中泊町にある太宰治(本名・津島修治)の銅像を作られたことで有名です。
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小説『津軽』(昭和19年=1944)中の、かつて津島家で働いていた女中さん・越野タケとの再会のシーンだそうで、太宰ファンの方なら「ああ、これか」でしょう。

やはり佐久間氏と同じく、田村氏も生前の光太郎をご存じでした。昭和28年(1953)10月23日、前々日に生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式に出席した光太郎は、青森市の野脇中学校で催された文芸講演会で登壇、「乙女の像」などについて講演を行いました。また、光太郎と共に、像の制作に関わった当会の祖・草野心平や建築家の谷口吉郎、青森県と光太郎を仲介した佐藤春夫らも。若き日の田村氏は除幕式にも参列されて、さらにこの講演会もお聴きになり、終演後には光太郎とお話もなさったそうで。

「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」の際には、十和田湖畔の「観光交流センターぷらっと」さんについても語らせていただきました。大町桂月や「乙女の像」にかかわる展示が為されているよ、ということで。その「ぷらっと」さんに、田村氏ご制作の光太郎胸像も展示されています。
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題して「冷暖自知光太郎山居」。光太郎が、昭和20年(1945)10月から同27年(1952)10月までの7年間、戦時中の戦争協力を恥じ、岩手県花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)で蟄居生活を送っていた当時の肖像彫刻で、直接のモチーフは、昭和24年(1949)10月、太田村の光太郎のもとを訪れた写真家の濱谷浩が撮影した写真です。
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「冷暖自知」とは「仏法の悟りは、人から教えてもらうものでなく、氷を飲んでおのずからその冷暖を知るように、体験して親しく知ることのできるものである。」(岩波書店『広辞苑』)の意。『智恵子抄』にも収められた大正元年(1912)作の光太郎詩「或る宵」中、「彼らは自分等のこころを世の中のどさくさまぎれになくしてしまつた/曾て裸体のままでゐた冷暖自知の心を―― 」という一節に使われています。

題字揮毫は、晩年の光太郎と親しく交わり、その没後は筑摩書房『高村光太郎全集』の編集に当たるなどした、光太郎顕彰第一人者にして当会顧問であらせられた故・北川太一先生です。
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レリーフでの習作を経て、平成25年(2015)に完成、平成29年(2017)には十和田市に寄贈、翌年に「ぷらっと」さんでの展示が始まり、その年の秋には寄贈のセレモニーが開催されました。かつて当会主催の連翹忌の集いにもご参加下さっていた田村氏でしたが、この時にお会いしたのが最後となってしまいました。

青森市内にある氏のアトリエ(「彫夢」と書いて「ほるむ」だそうで)が公開されているという情報を、青森山田高校さんのサイトで少し前に知りました。それを読んで「田村さん、まだお元気なんだな」と思っておりましたが、逆でした。同サイトには亡くなったことが書かれていませんでしたが、亡くなったがためにアトリエを公開ということだったようです。

アトリエには光太郎胸像「冷暖自知」の石膏原型も保管されています。
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最上部に掲げた喪中葉書によれば「冬期間閉鎖」だそうですが、いずれまた青森方面に行く際にはご焼香がてら足を運んでみようと思っております。

遅ればせながら、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【折々のことば・智恵子】

「女である故に」といふことは、私の魂には係りがありません。女なることを思ふよりは、生活の原動はもつと根源にあつて、女といふことを私は常に忘れてゐます。

アンケート「女なる事を感謝する点」より 大正5年(1916) 智恵子31歳

完璧とは言えませんが、光太郎には「男尊女卑」という考えはほぼ無かったようで、かなりの部分で光太郎も家事労働を分担していました。そうした意味では智恵子は同時代の女性たちと較べると恵まれていた部分がありました。

しかし、それだけに女性の置かれている立場に対する眼が開かれてしまったところもあったかもしれません。婚家や夫にこき使われている女性たちの中には、それを「理不尽」と感じることすら出来ていなかった女性も多かったように思われます。

一昨日、都内港区で開催された「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」関連です。
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青森県の地方紙二紙が報道して下さいました。

『東奥日報』さん。

十和田湖の価値、未来へ 国立公園化に尽力・大町桂月没後100年 東京でフォーラム

 十和田湖や奥入瀬渓流を愛し、その名を全国に広めた高知県出身の文人・大町桂月(1869〜1925年)が蔦温泉で没して100年。今や青森県を代表する観光地となった十和田湖の未来を語るフォーラムが30日、東京都港区の赤坂区民センターで開かれた。パネリストらは大町の功績を振り返りつつ、自然、歴史、文化、観光などの視点からその価値をいかに継承していくか意見を出し合った。
 大町は、請願文を起草するなど十和田湖周辺の国立公園化に尽力した。「大町桂月を語る会」の谷川妙子事務局長は「美文で固められた請願文は大きな反響があった。筆の力で候補地に押し上げた」と説明した。
 大町らの功績をたたえる顕彰碑は詩人・彫刻家の高村光太郎(1883〜1956年)が制作、今は「乙女の像」として知られる。「高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会」の小山弘明代表は碑の制作経緯などを解説した。
 フォーラムには大町のひ孫に当たる大町芳通さん(69)も出席し、「桂月の愛した十和田の素晴らしい自然が活用され、地元がもっと発展するよう祈っています」と謝辞を述べた。
 東京青森県人会が主催、約70人が参加した。運営に当たった七戸町出身の山田安秀さんは「大町ら偉人たちが築いた土台を再認識することで、新しい未来をつくるための自信につなげたい」と話した。
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『デーリー東北』さん。

十和田湖の価値、再発見 ゆかりの文化人、足跡たどる 東京都内で県人会フォーラム

 東京青森県人会は30日、十和田湖について考えるフォーラムを東京都内で開いた。参加者約70人が、十和田湖に縁が深い文人の大町桂月や彫刻家の高村光太郎の歩みなどに理解を深め、多角的な視点から青森を代表する景勝地の歴史的価値を再発見した。
 第1部は、十和田奥入瀬観光機構元事務局長の山本隆一さんらが講演。第2部では、有識者が十和田湖の魅力を全国に広めた桂月や「乙女の像」を制作した高村の足跡、日本と米国の国立公園の違いなどについて解説した。
 「大町桂月を語る会」事務局長の谷川妙子さんは、桂月が起草した十和田湖を中心とする国立公園設置に関する請願文が、名文として大きな反響を呼んだエピソードに触れ「十和田を愛した桂月は、筆の力で国立公園の候補地に押し上げた」と紹介した。
 高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会」代表の小山弘明さんは、乙女の像の制作秘話を披露。作家の佐藤春夫が、当時の津島文治知事に高村を紹介した逸話などを明かした。参加者は、各登壇者の話に興味深そうに耳を傾け、十和田湖の歴史について思いをはせていた。
 ゼネラルプロデューサーとしてイベントを統括した山田安秀さん(七戸町出身)は取材に「大町桂月や高村光太郎といった非常に大きな存在が十和田湖に関わっていたことを若い世代に知ってもらい、未来につないでもらえれば将来は明るくなるのではないか」と話した。

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続いて、いただいてきた品々をご紹介します。

まずは聴衆の皆さんにも配られた配付資料で、トークイベントの際に登壇された谷川妙子氏率いる「大町桂月を語る会」さん作製の2種。

A4判両面印刷二つ折りの桂月紹介リーフレット。
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随所で光太郎や「乙女の像」にも触れて下さっています。

A2判両面印刷の「「奥羽一周記」現代訳マップ」。
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桂月が最初に雑誌『太陽』で十和田湖を紹介した明治41年(1908)の旅の記録です。

広げると、こんな感じ。
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これらは今回のイベントのために作られたのではなく、さまざまなところで活用されているのでしょう。

「乙女の像」制作の際、光太郎の助手を務めてくれた野辺地町出身の彫刻家・小坂圭二子息の竜氏からは、図録を2冊戴いてしまいました。

まず、お父さまのカタログ・レゾンネ(作品集)。昭和59年(1984)、日動画廊さんでの個展開催にあわせての発行でした。
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他の作家の作品とともに画像が収められている図録は手元にありましたが、まとめて拝見したのは初めてで、実に興味深いものでした。やはり光太郎のDNAを感じますし、キリスト教の洗礼を受けての作品などには、同じく光太郎の世界観を受け継いだ舟越保武にも通じるような。

竜氏、お父さまは小坂圭二ですが、母方のお祖父様は、画家の夏目利政(明26=1893~昭43=1968)ということで、平成9年(1997)に青梅市立美術館さんで開催された「夏目利政展」の図録も。
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夏目の画業は日本画からのスタートでしたが、のちに油彩画に転じています。小坂圭二同様、作品群画像をまとめて見たのは初めてで、これも驚嘆すべきものでした。

そして夏目利政と言えば、光太郎を知る前の智恵子が、利政の父・音作(象牙彫刻師だったとのこと)の家に下宿をしていたことでも知られています。明治40年(1907)に日本女子大学校を卒業した智恵子は、卒業生用の楓寮に入寮していましたが、同42年(1909)、楓寮が閉鎖となりました。おそらくその直後は寮近くの女子大学校の先輩だった永野初枝宅に一時的に厄介になったようですが、同じく女子大学校の同級生だった幡ナツ(旧姓・小松)が夫の英二と共に住んでいた本郷区動坂町(現・文京区本駒込)の夏目宅を紹介してくれたとのこと。同44年(1911)春まで、智恵子はここに住んでいたようです。

下は夏目家で撮られたショット。
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残念ながら写っていませんが、この時、数え16歳で既に日本画を描いていた利政もその家に暮らしていました。利政は智恵子が描く油彩画に興味を示し、智恵子もいろいろアドバイスをしたそうです。

下って昭和20年(1945)、利政は岩手県胆沢郡真城村(現・水沢市)に疎開。その後、光太郎も花巻の宮沢賢治実家に疎開。その宮沢家も終戦5日前の花巻空襲で全焼し、旧制花巻中学校の元校長・佐藤昌宅に転がり込んでいた光太郎の元に、利政がやってきます。どういう伝手(つて)だか、利政を案内したのは賢治実弟の清六でした。

昭和20年(1945)9月1日の光太郎日記の一節。

訪問客、清六さんが夏目利政氏佐々木さんといふケイオウ生徒をつれてくる、夏目氏は智恵子が止宿し居れる頃の事を話しくれる。その為水沢より来訪し来れるなり。

その後も9月25日には宮沢家で利政と会っています。

さらに下って昭和25年(1950)11月、当時の水沢町公民館で「智恵子切抜絵展」が1日だけ開催されましたが、その際に尽力したのが、智恵子紙絵の3分の1ほどを預かっていた花巻病院長・佐藤隆房と利政でした。パンフレット(ガリ版)を利政が制作、さらに記憶にある智恵子と、おそらくこんな感じだったろうという南品川ゼームス坂病院での紙絵制作中の智恵子を描いたカットを載せ、12ページにわたり智恵子についての思い出等を執筆しています。
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このパンフレットについては小坂竜氏、ご存じなかったそうで、これからコピーのコピーを取ってお送りする予定です。

続いて、上記『デーリー東北』さん記事にもお名前が挙げられている山本隆一氏からいただいたのがこちら。

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十和田市の相馬菓子舗さんで販売されている「十和田アップルケーキ」。リンゴの果肉を練り込んだずしりと重いパウンドケーキです。スポンジのしっとり感と当方大好物のリンゴのシャキシャキした歯触りのバランスが絶妙でした。箱に「乙女の像」をあしらっていただき、ありがたい限りです。ロゴの昭和感もたまりません(笑)。

そんなこんなで、いろいろといただけてそれもありがたいうえに、また各方面に人脈を拡げることもでき、実に有意義でした。

関係の皆様の今後のますますのご活躍と、十和田湖の発展を切に祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

さまざまな時代に、まことの芸術家達が、それぞれ自身の生命を掘り下げて行つた。その作品は、いきていまも、私達の前に息づく、それ等のものは、魂をめざめさせる、恰も自然が私達をめぐむ恵のやうに、清らかに力強く、押迫つて透徹する、私はそれ等の彫刻を愛し、それ等の絵画を思慕してやまない。心の底からその作者を尊敬し、又は崇拝してゐる。


散文「女流作家の美術観」より 大正5年(1916) 智恵子31歳

素晴らしい作品を残した先人へのリスペクトは大切なことですね。

こう語っていた智恵子自身、「紙絵」で、後代の人々から「思慕」や「尊敬」、「いきていまも、私達の前に息づく」という感覚を得る事が出来ています。しかし、その「紙絵」が心を病んでからのものだったことは残念と言えば残念です。

昨日は港区で開催された東京青森県人会さん主催の「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」に出演しておりました。

明治期に十和田湖の景勝美を広く世に紹介し、国立公園指定の礎を築いた大町桂月没後100年を記念してのもので、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が、元々は国立公園指定15周年、桂月ら「十和田の三恩人」を顕彰するモニュメントであることから、当方にも「乙女の像」についてしゃべれという依頼があった次第です。
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会場は赤坂見附の赤坂区民センターさん。
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当方も出演させていただいたトークイベントは3階ホールで14:15からでしたが、その前に13:00から4階会議室で展示品の公開が行われました。

桂月の書幅。
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十和田湖を紹介した桂月の紀行文「奥羽一周記」が載った『太陽』(明治41年=1908)。

桂月没後に、光太郎の姉貴分・与謝野晶子が桂月をモチーフに詠んだ歌の幅。
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桂月は晶子の「君死に給ふこと勿れ」(明治37年=1904)を痛烈に批判しましたが、論争が終われば遺恨はさらりと流し、晶子は桂月を偲ぶ歌を詠んだりもしたわけです。

この幅は大阪堺の与謝野晶子記念館さんからお借りしたものだそうですが、こちらが展示されるという情報は事前に得ていませんでしたので驚きました。ちなみに会場に入って数㍍先に下がっているこれを見た瞬間にキャプションを見ずとも「あ、晶子だ!」とわかりまして、自分を褒めたくなりました(笑)。まぁそれほど独特な筆跡だからなのですが。

そして、光太郎作の「大町桂月メダル」。「乙女の像」除幕式(昭和28年=1953)に際し150個が鋳造され、関係者に配付されたもので、光太郎最後の完成作となったものです。
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14:15、3階ホールでトークイベント開幕。

2部構成で、第1部は4人の方々がお一人ずつ十和田湖や桂月、光太郎などについて語られました。
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トップバッターは環境省自然環境局国立公園課長の長田啓氏。そもそもの国立公園というシステムについてや、十和田湖畔の事務所で勤務されていた際のお話、十和田湖周辺の現状など。続いて十和田市議・中尾利香氏。ご実家が桂月と交流がおありだったそうで。
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お三方め、山本隆一氏。現在の肩書きは「十和田湖畔乙女の像研究会代表」とのことですが、定年退職される前は十和田市役所や十和田奥入瀬観光機構にお勤めで、『十和田湖乙女の像のものがたり』の刊行や「十和田湖観光交流センターぷらっと」での展示などなどで十数年来お世話になっている方です。最後にお会いしたのが令和4年(2022)の1月で、久闊を叙させていただきました。

ちなみに上記画像のQRコード、詳細な資料へのリンクとなっていますので、御覧下さい。スマホで読み取ってそちらで見るか、PCに転送するかですね。

第1部最後はインテリアデザイナーの小坂竜氏。「乙女の像」制作に際し光太郎の助手を務めた彫刻家・小坂圭二(野辺地町出身)の子息です。
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右上画像は「乙女の像」除幕式(昭和28年=1953)の際の記録動画の一コマ。光太郎の背後で光太郎と佐藤春夫(光太郎と青森県の仲介役でした)に傘を差し掛けているのが父君です。ここに父君が映っていたというのは当方も気がついていませんでした。

休憩後、第二部。
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第一部に引き続き長田氏、十和田市の「大町桂月を語る会」谷川妙子事務局長、桂月の故郷・高知で桂月の名を冠した日本酒を製造販売されている土佐酒造代表取締役・松本宗己氏、米国ご出身で比較文化研究家のシエナ・ラッチ・デイリー氏、そして当方が登壇。モデレータで主催団体の山田安秀氏の進行でした。
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当方は「乙女の像」について語らせていただいたのですが、何せ時間が短く、意を尽くし得ませんでした。平成29年(2017)には十和田市でたっぷり時間をいただいて講演をすることができましたが、またそうした機会がどこかであれば、と祈念いたしております。

当方、桂月や国立公園のシステムなどについてはそれほど詳しいわけではありませんでしたので、谷川氏、松本氏の桂月がらみのお話、シエナ氏によるアメリカのnational parkと日本の国立公園の相違など、こちらも興味深いかぎりでした。

最後に桂月令曾孫の大町芳通氏による謝辞。
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いずれYoutubeでイベントの模様がアップされるそうですので、またその際にはお伝えいたします。

閉幕後は、近くの中華料理店で懇親会。この際には小坂氏や、芳通氏とは別の桂月令曾孫と同じテープルに着かせていただき、またいろいろな話で盛り上がりました。

さらに小坂氏からは貴重な書籍をいただいてしまいました。山本氏にいただいたものやイベントの配付資料ともども、明日ご紹介いたします。

十和田湖、それから同一地域といえる奥入瀬渓流や蔦温泉、旅行ブームの最盛期と比較すると人出はかなり減ったとのこと。さらに近年はコロナ禍が追い打ちをかけました。しかしその後回復傾向にあり、また、長田氏のお話では、周辺の廃墟と化したエリアの整備も少しずつ進んでいるとのこと。皆様方にはぜひ現地に足をお運びになり、「乙女の像」を御覧いただきたいものです。

ちなみにイベント前日の一昨日、NHK Eテレさんで全国放映された「東北ココから 鈴木京香の東北オトナ旅 青森県十和田市編」、NHK ONEさんで配信されています。併せて御覧下さい。

【折々のことば・智恵子】

少なくも自己といふものに思ひ至りし程のものならば田子作のおかみさんも行き当り申すべき新旧思想の衝突に候。


散文「マグダに就て」 明治45年(1912) 智恵子27歳

智恵子が唯一『青鞜』に寄せた文章の一節です。幸い、この号を入手することができました。表紙は前年の創刊号と同じ、智恵子によるもの(ウイーン分離派の画家、ヨーゼフ・エンゲルハルト作品の模写)です。
無題
「マグダ」はズーダーマン作、島村抱月が翻訳した脚本で、松井須磨子主演、文芸協会の第3回公演として有楽座で上演されました。オペラ歌手・マグダがかつて自分と子供を捨てた男に復縁を迫られ、「家の名誉」的な発想でマグダの父親がマグダに復縁か死か、どちらかを選べと迫るというストーリー。結局、マグダはどちらも拒否します。この内容が「風紀紊乱」ということで、内務省から上演禁止の警告。抱月は終末部分を公演中に改変して上演継続の許可を取りつけました。

制作サイドは自立した新しい女性を描く意図でしたが、この程度の選択はごくあたりまえのこと(「田子作のおかみ」云々)に過ぎない、と、智恵子。さらにこの程度で上演禁止とは何事か、という意図も見え隠れします。

テレビ放映の情報です。

東北ココから 鈴木京香の東北オトナ旅 青森県十和田市編

地上波NHK Eテレ 2025年11月29日(土) 16:30〜16:59

宮城県出身の鈴木京香さんが新しい東北の魅力を発見する旅番組!今回の目的地は、アート好きの京香さんがずっと行きたかった青森県十和田市。草間彌生など世界的アーティストの作品が並び、有名建築家が設計した美術館には国内外からアート好きが訪れる知る人ぞ知る人気スポット。京香さんはアート作品に大興奮!さらに“ひとりスナック”や伝統工芸「南部裂織」の体験にも挑戦!今まで見たことがない“素の鈴木京香”がいっぱい!(8月29日東北地方で放送)

出演者 【出演】鈴木京香 【語り】久保史緒里
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番組説明欄に「8月29日東北地方で放送」とあるのを当方、当時の配信サービス「NHKプラス」で拝見しました。

今回の放映は30分の「パイロット版」だそうで、10月17日(金)には43分の「完全版」の放映もあった由、『朝日新聞』さんの青森版に記事が出ていました。そちらをご紹介した際「こうした地方限定の番組、系列のBS局などで放映してほしい」と書いたのですが、Eテレさんでオンエアされるとは意外でした。ただ、尺の関係もあるのでしょうか、「完全版」ではなく「パイロット版」です。それでも録画してDVDに残すことができますので大歓迎です。ネット上の動画等もDVD等に残す技があるのかも知れませんが、当方、そういうスキルはありません。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が取り上げられます。
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その他、市街地の十和田市現代美術館さん(先日の『朝日新聞』さんではそこのところを大きく取り上げていました)、南部裂織の工房、新刊書店、それから鈴木さん人生初スナック(笑)など。
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皆様もぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

ロダン夫人は、大きなサロンの中へ移されて、まるで睡つてゐるやうな様子であつた。ロダンはそれを見たがつた。彼は死者の顔の上へ身を屈めて、顔の上に接吻し、長い間つぶやきながら見てゐた。  ――美しい……古代彫刻の様に美しい……

光太郎訳 マルセル チレル「ロダン夫人の死」より
大正12年(1920)訳 光太郎41歳

ロダン夫人のローズ・ブーレは大正6年(1917)2月14日に亡くなりました。出会ったのは文久4年(1864)で、慶応2年(1866)には長男も誕生しますが、久しく内縁関係で(フランスでは事実婚は珍しくありませんでした)、正式な入籍は亡くなる2週間前の1月29日。ロダン自身も同じ年の11月17日に歿します。

このあたり、光太郎智恵子の関係にも通じますね。2人が出会ったのは明治44年(1911)、籍を入れずの結婚披露は大正3年(1914)、入籍は智恵子の心の病が昂進してからの昭和8年(1933)でした。そして妻に先立たれたという点も。

ローズが亡くなった際のロダンの様子からも、光太郎詩「レモン哀歌」や「荒涼たる帰宅」が想起されます。

ロダン貧窮時代にはさんざん苦労をかけられ、世に認められてからはカミーユ・クローデルとの愛人関係でまた一悶着。全てから解放されて亡くなって「古代彫刻の様に美しい」と言われて、嬉しかったかどうか……。

都内からイベント情報です。東京青森県人会さんの主催で、当方もパネリストの一人として登壇させていただきます。

十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~

期 日 : 2025年11月30日(日)
会 場 : 港区赤坂区民センター 港区赤坂4丁目18-13
時 間 : 展示/13:00〜16:30 トークイベント/14:15〜16:30
料 金 : 無料(事前申込制) 参加登録フォームはこちら

 明治・大正期に活躍した文人・大町桂月(1869〜1925)の没後100年を記念し、十和田湖・奥入瀬渓流の自然と文化の価値を再発見しながら、国立公園としての未来を展望するトークイベントです。
 桂月が全国を旅して自然の美を詠んだ足跡や、彼の影響で全国に広まった保勝運動、そして高村光太郎による**「乙女の像」**制作の背景などを紹介。
 また、日本とアメリカの国立公園制度を比較しながら、自然と文化の融合的価値を見つめ直します。会場では、桂月ゆかりの掛け軸や資料の展示も行われ、彼の文学と思想に触れられる貴重な機会です。

パネリスト(予定)
 谷川妙子(大町桂月を語る会)
 小坂竜(建築デザイナー)
 小山弘明(高村光太郎連翹忌運営委員会代表) ほか
 
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大町桂月は明治の文豪。十和田湖や周辺の景観を愛し、明治末にそれまで全国区では知られていなかったその美しさををさまざまな紀行文で広く世に紹介しました。明治44年(1911)、それらを読んだ皇太子時代の大正天皇が十和田湖に興味を持ち、当時の青森県知事・武田千代三郎に、北海道巡啓のついでに十和田湖に行ってみたいのだが現地の様子はどんな感じか? と問うたのですが、武田は十和田湖に足を運んだことがなく、ろくに答えられませんでした。それを恥じた武田は、地元の法奥沢村長兼県会議員の小笠原耕一と共に道路整備、国立公園指定の請願等に腐心、彼等の活動が実り、昭和11年(1936)には十和田湖周辺が国立公園に指定されました。
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下って戦後の昭和26年(1951)、当時の青森県知事・津島文治(太宰治実兄)が中心となり、国立公園指定15周年を期に、桂月等を「十和田の三恩人」として顕彰するモニュメントの建設を計画。しかしそういう前例のほとんど無かった時代で、どんな物を作るべきか、誰に頼めばいいのかなど、さっぱりわからずに頭を抱えていたところ、たまたま十和田の三本木高校の校歌を作詞した佐藤春夫が来県。津島知事から相談を受けた佐藤は「そういうことなら日本で一番の造型作家は高村光太郎先生だから」と、光太郎を推薦しました。
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光太郎は当時、花巻郊外旧太田村の山小屋に隠棲していましたが、佐藤からの「あなた以外の作品が十和田湖に建っては日本の恥だ」的な内容の懇切丁寧な書簡を読み、また、自身でも死期がそう遠くないことを自覚しており、そろそろ生涯最後の大作にかからねば、と考えていた時期だったこともあり、いろいろ逡巡したものの、結局、制作を引き受けました。その結果、「乙女の像」が誕生したわけです。ざっくりですが。
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太田村での山小屋では巨大彫刻の制作は不可能なので、光太郎は昭和27年(1952)、7年半ぶりに上京。貸しアトリエとして運用されていた中野区の中西利雄アトリエに入り、助手として野辺地町出身の彫刻家・小坂圭二を雇い、像の芯に針金を巻き付けたり、粘土をこねたりなどの力仕事を手伝ってもらいました。
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今回のイベントでは、小坂の子息・建築デザイナーとして活躍されている竜氏もご登壇なさるそうです。

メインは没後100年となった桂月。桂月といえば、光太郎の姉貴分・与謝野晶子が日露戦争に出征した弟・籌三郎の身を案じた「君死にたまふこと勿れ」(明治37年=1904)を痛烈に批判したことでも知られています。時を経て光太郎がその桂月顕彰に携わったというのも面白いところです。

当日はざっくりとそんな話をさせていただこうと思っております。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

いのちあるものに醜はない。人間の感情を暗示するもの、悲愁にしても苦痛にしても、温良にしても忿怒にしても、憎悪にしても、恋愛にしても、其は皆それぞれの美の刻印を持つてゐる。それ故、私は一切の存在は美であり、一切の美は真であるとする――人は真なるものの中から選択する権利を持つてゐる。

光太郎訳 ロダン「続ロダンの言葉 クラリ筆録」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

ロダンはつくづく「人間」が好きだったんだなぁと思わせられます。

新刊、というか、増補改訂を伴う復刊です。

増補改訂 名作・迷作エンジン図鑑 その誕生と発展をたどる

発行日 : 2025年8月27日
著者等 : 鈴木孝
版 元 : グランプリ出版
定 価 : 3,800円+税

自動車メーカーで数々のエンジン開発に携わり国内外の博物館に出向いて調査、著者自らが描いたイラストとともにわかりやすく解説する決定版!
工学博士でエンジンの権威である著者が、ヨーロッパ、アメリカ、日本で開発された新旧の自動車用、飛行機用、舶用、戦車用、機関車用、産業用、汎用まで、広く59点のエンジンを選び、博物館や所蔵先に足を運んで徹底調査。そのエンジンの誕生と技術的背景を、著者自らが描いたイラストを用いて詳しく平易に解説する。ページが180度近く開く「PUR製本」を採用して、読みやすさにも配慮。さまざまなエンジンの誕生の経緯をこの一冊で知ることができるので、開発者をめざす方はもちろん、エンジンに興味のある方には最適の書。
※本書は品切れていたロングセラーの『名作・迷作エンジン図鑑』(2013年8月31日発行)をベースに、2017年1月25日刊行の『古今東西エンジン図鑑』の内容を盛り込み、大幅に増補してカバーデザインを一新した増補改訂版です。
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目次
 序文 過去の技術に学ぶ大切さ/飯島晃良(日本大学理工学部教授)
 はじめに
 ■草創期
  第1章 人類が火を手に入れた エンジンの原点はプロメテウス?
  第2章 水くみを命じられて作った人類初のエンジン ホイヘンスのエンジン
  第3章 まるで近代芸術の奇妙なオブジェ セイヴァリエンジン
  第4章 初の実用内燃機関の燃料はシダ植物の胞子 ニエプスのエンジン
 ■産業用
  第5章 天秤棒を用いてポンプを作動 ニューコメンエンジン
  第6章 55トンの天秤棒を付けた ワットの蒸気エンジン
  第7章 初めて商品となった内燃機関 ルノワールのエンジン
  第8章 石油に替えて石炭で回した ディーゼルエンジンとジェットエンジン
 ■自動車用
  第9章 高速2輪馬車 チャリオット
  第10章 あっちこっちから悪口の的となった キュニョーの蒸気自動車
  第11章 ボイラーマン泣かせ 蒸気バスエンジン
  第12章 創業から終焉まで空冷で押し通した フランクリン
  第13章 R・ディーゼルが作れなかったディーゼル自動車 ザフィアエンジン
  第14章 フランス陸軍が発想した 木炭自動車
  第15章 ラバウルで捕えられてジープに見染められ? ガス電L型エンジン
  第16章 ディーゼル乗用車の日本初 アカデミックエンジン
  第17章 ニューヨークバス・ラプソディーを奏でた GMエンジン
  第18章 木曽谷の奥で待っていた 帝国陸軍の軍用車エンジン
  第19章 玉座に座り損ねた DB52 100式エンジン
  第20章 ガス電(日野重工)の有終の美を飾った V形12シリンダーディーゼルエンジン
  第21章 放浪の果て親に巡り会えたが、再び放浪の旅に消えた ヒノサムライのエンジン
  第22章 偉大な技術者の躓き ケタリングと本田宗一郎
  第23章 一気に30%の燃費向上を果たした 日野EP100エンジン
  第24章 お役人のひとことが生んだ世界初 高圧コモンレール燃料噴射システム
 ■航空用
  第25章 正道を駆け上がり、奇想天外ぶりを発揮した クレマン・アデァ
  第26章 設計者と一緒にポトマック川に投げ込まれた マンリーのエンジン
  第27章 ないない尽くしの世界初アルミエンジン ライト兄弟のエンジン
  第28章 うっかりミスでモーターを発明した
 シーメンスの互い違いに回るロータリーエンジン
  第29章 日本初の国産91式戦闘機の原点となった ブリストルジュピターエンジン
  第30章 プロペラと一緒に自分自身も懸命に回った ル・ローンエンジン
  第31章 お腹が大きいミス・ビードルを追っかけた男 P&Wエンジンとライトエンジン
  第32章 高村光太郎の乙女に見守られ、湖底に眠った 「天風」とその親「神風」
  第33章 優等生の席にちゃっかり座り込んで世界記録を立てた 川崎エンジン
  第34章 的矢六兵衛エンジン!? ガス電「初風」
  第35章 MIT(マサチューセッツ工科大学)に捕虜となった ガス電「ハ143」
  第36章 シリンダーにピストンを2つ入れた ユンカース ユモ成層圏エンジン
  第37章 サン・テグジュペリに愛され、山本五十六も
誘って星に向かった アリソンエンジン
  第38章 ソ連でも生まれていた 四角顔のユンカースエンジン
  第39章 お騒がせ、ひとり玉座のブリストル スリーブバルブエンジン
  第40章 ガス灯から生まれた最後の2500馬力 「ハ51」
  第41章 ドイツから持ち帰った戦闘機Me163の写真とスケッチを元に
緊急開発された ロケット戦闘機「秋水」
  第42章 仲間が分かれ分かれになって落っこちた H−Ⅱロケット
 ■舶用
  第43章 天と地を逆にしてみたらという機転から誕生 サイドレバーエンジン
  第44章 正真正銘の名エンジン 戦艦「三笠」のエンジン
  第45章 頭とお尻に燃焼室がある変なディーゼルエンジン 氷川丸のエンジン
  第46章 自動車用ディーゼルが里子に出されて日本初の舶用ディーゼルに?
 池貝4HSD10型ディーゼルエンジン
  第47章 休みなしで働き続ける“月月火水木金金”エンジン 艦本エンジン
  第48章 帝国陸軍の潜水艦に搭載 ダイハツ ヘッセルマンエンジン
  第49章 ヒノサムライの血を引き漁場レースを制した 日野舶用エンジン
 ■戦車用
  第50章 ブリキの玩具と揶揄された 日本の戦車
  第51章 ヨーロッパと同時期に開発した 池貝戦車用小型ディーゼルエンジン
  第52章 東京学芸大学の倉庫で見つけた 戦車エンジン
  第53章 ディーゼルの宋主国ドイツを征した V2エンジン
 ■機関車用
  第54章 ツェッペリン号で名を挙げ、トラブルでも名を成した マイバッハエンジン
  第55章 跳梁跋扈のSボート対策で生まれた 三角エンジン
 ■汎用
  第56章 崑崙の高嶺の彼方に大地を削る 日野建機用エンジン
  第57章 往年の名機と最新の名機との邂逅 その1 日野最古参DSエンジン
  第58章 往年の名機と最新の名機との邂逅 その2 最先端E13Cエンジン
  第59章 取り残されたディーゼルエンジンを救う 下町の黒煙フィルタ
 エピローグにかえて
 参考文献
 謝辞

古今東西(「今」はほとんど入っていませんが)の先人たちが開発した各種エンジンを図版入りで紹介するものです。構成は、ほぼ実用には至らなかった「草創期」、産業革命を引き起こしたワットの蒸気機関などの「産業用」、その後は搭載された乗り物ごとに「自動車用」「航空用」「舶用」「戦車用」「機関車用」、さらに「汎用」。

著者の鈴木孝氏は、日野自動車の研究開発部にいらした方で、最終的には副社長まで務められ、日本自動車殿堂(そういう機構が存在するのは存じませんでした)入りされました。本書はその鈴木氏が書かれた『名作・迷作エンジン図鑑』(平成25年=2013 グランプリ出版)、『古今東西エンジン図鑑』(平成29年=2017 同)を併せて一冊にまとめたもののようです。

「航空用」の中に「第32章 高村光太郎の乙女に見守られ、湖底に眠った 「天風」とその親「神風」」と、光太郎の名を出して下さいました。直接的には光太郎に関わる訳ではありませんが、平成22年(2010)に東京大学さん他による十和田湖の地形調査の際に水深60㍍の湖底で偶然発見され、同24年(2012)に引き上げられた旧日本陸軍の「一式双発高等練習機」に搭載されていたエンジン「天風」についてです。
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カバーにも「天風」イラストが。
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「一式双発高等練習機」は昭和16年(1941)に制式採用されたもので、開発・製造に当たったのは立川飛行機。エンジン「天風」は日立航空機製。
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昭和18年(1943)に、秋田県の能代飛行場から青森県の八戸飛行場へ向かう途中、十和田湖に着水し水没(原因は不明だそうです)した一機(搭乗員4人中、助かったのは1人だけだったとのこと)が、先述の通り平成24年(2012)に引き上げられ、大きく報道されました。

鈴木氏曰く、

 戦争が終わりそれから8年目の秋、1953年10月、あたかも水に没した少年航空兵を見守るかのごとく、高村光太郎の乙女の像が、その湖畔に紅葉を塗らす涙雨の中で除幕された。彼らの魂は癒され、長い眠りについたに違いない。(略)そして2012年9月5日、ついに陸揚げは成功したのである。水没してからちょうど69年目の同じ秋であった。1つの時代の結晶が、その魂が、せめて最後の残存機体を見てくれという叫びとなり、難渋を極めた作業者全員の執念を呼び起こし、乙女に見守られてふたたび地上に戻ったのである。叫んでくれた御霊に、ただ心からの黙祷を捧げるものである。

光太郎自身にそういう意図がどの程度あったか不明ですが、地元では「乙女の像」に平和祈念の意味合いもあると伝えられていますので、この記述もあながち牽強付会とはいえますまい。

引き上げられた機体は、一時、青森県立三沢航空科学館で展示されていたようですが、現在は製造元の立川飛行機の後身・立飛ホールディングスさんの手に戻り、同社で保管されています。
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ちなみに著者の鈴木氏、戦前のお生まれで、故郷の長野県の飛行場で、戦時中、実際に現役の一式双発高等練習機をご覧になったことがおありだそうで。

あたかも戦後80年。他の戦時中の各種エンジンについての項は特に興味深く読ませていただきました。バリバリ文系の当方には全く理解不可能の箇所もありましたが。それでも読めてしまうのは、鈴木氏の丁寧な語り口のおかげでしょう。

というわけで、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

小生あの小屋に居りました頃は忠善さまにいろいろお世話にあり、東京に来てからも、忠善さまのあの立派なお姿を思ひうかべていました、 御本家はじめ部落中の人がどんなにか力をおとされたことでしょう。あとのさびしさをお察しいたします。

昭和31年(1956)1月7日 駿河タニ宛書簡より 光太郎74歳

駿河忠善は、かつて光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋の土地を提供してくれた駿河重次郎の甥。前月には東京中野のアトリエにも顔を見せていました。まだ壮年でしたが、伐木中の事故で亡くなってしまったとのこと。

その光太郎自身も3ヶ月後には不帰の客となります。やはり太田村山口地区の人々は「どんなにか力をおとされたこと」と思われます。

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の紹介も為されている、十和田湖畔にの十和田湖観光交流センター「ぷらっと」が、「外国人観光案内所カテゴリー2」に認定されたとのことです。

プレスリリースが出ています。

十和田湖観光交流センター「ぷらっと」、外国人観光案内所カテゴリー2に認定されました! 一般社団法人十和田奥入瀬観光機構 2025年6月19日

 十和田湖観光交流センター「ぷらっと」は、十和田湖、奥入瀬渓流などの観光に関する情報、市民との交流の場などを提供し、十和田市の魅力発信、賑わい創出などの観光振興を目的に、2014年10月8日に設置されました。
 一般社団法人十和田奥入瀬観光機構(TOWADA TRAVEL)では、設立年の2019年4月より当施設の指定管理業務を担い、観光案内所として、地域情報の発信や観光案内、外国人対応などの役割を担ってまいりました。このたび「ぷらっと」は、多言語対応の体制整備に加え、案内の提供範囲が十和田湖・十和田市周辺にとどまらず、青森市や弘前市などの津軽方面、秋田県北地域も含む広域的なエリアにも拡大していることから、2025年5月29日付で、独立行政法人 国際観光振興機構(JNTO)より外国人観光案内所のカテゴリー2に認定されました。
 一般社団法人十和田奥入瀬観光機構(TOWADA TRAVEL)は地域づくり法人(DMO)及び当施設の指定管理者として、引き続きインバウンド受入体制の整備に資し、海内外の観光客に高い満足度を提供し得る観光施設運営を目指して参ります。
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十和田湖観光交流センター「ぷらっと」
【住所】〒018-5501 青森県十和田市奥瀬字十和田湖畔休屋486
【開館時間】9:00〜17:00
【定休日】年中無休
【入館料】無料
【観光案内対応言語】日本語、英語、中国語、フランス語
【常設展示】
 ・十和田湖ひめます(4月〜11月頃) ・十和田湖畔休屋周辺のジオラマ
 ・和井内貞行、高村光太郎、大町桂月の資料
【アクセシブルなサービス】
 ・交流室貸出 ・授乳室 ・休憩スペース ・フリーWi-Fi ・コンセント ・エレベーター
 ・オストメイト対応トイレ ・車椅子貸出
【ウェブページ】
・https://tic.jnto.go.jp/jpn/detail.php?id=3702(日本の認定外国人観光案内所)
【指定管理者】
 一般社団法人十和田奥入瀬観光機構(TOWADA TRAVEL) 理事長:岩間 惠美郎
【連絡先】
・電話番号:0176-75-1531
・ファクス:0176-75-1535
・メール:towadako@towada.travel
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「ぷらっと」さん、平成26年(2014)にオープンし、「乙女の像」作者の光太郎コーナーも設けて下さいました。説明パネル等は当方が執筆いたしました。その後も少しずつ展示が拡充、各種イベントの会場としても活用されています。また、オープン当初は冬期間閉鎖でしたが、現在は年中無休。頭が下がります。

周辺にはインバウンドの方々も多く、その対応ということで、今回は独立行政法人 国際観光振興機構(JNTO)さんより外国人観光案内所のカテゴリー2に認定ということだそうです。
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どうせなら、カテゴリー3認定を目指し、さらなる体制の整備等をお願いしたいところです。

皆様もぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

お届けしたいものもありながら、参上出来ずにゐる次第です。


昭和29年(1954)5月11日 細田明子宛書簡より 光太郎72歳

つい先日も書きましたが、明子は戦前から光太郎が常連だった三河島のトンカツ屋・東方亭の娘です。光太郎に実の娘のようにかわいがられていました。戦後、医師となり、光太郎詩「女医になつた少女」(昭和24年=1949)のモデルにもなりました。

「お届けしたいもの」は、この月に医者仲間の関川大司と結婚する明子への祝いの品、結婚記念帳でした。
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のちに明子は「過分なお祝いと結婚記念帳を頂戴し、そこに心暖まるお祝のお言葉まで書いていただいた。」と書きました(「高村光太郎さんと私」平成10年=1998『福島民友新聞』)。

光太郎の言葉は以下の通り。

明子様 昭和廿九年    光太郎 心臓をわるくしてゐて お祝に出られなかつた お二人は殊に心臓がおつよいといふ事だし それにあやかりたかつたが是非もなかつた たゞ新郎が心臓専門なのは心づよい 光太郎

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のたつ十和田湖。光と影の明暗が分かれる報道が為されています。「光」の部分は、一昨日お伝えした「第60回記念十和田湖湖水まつり報道」。多くの方で賑わって……というわけで。

「影」の方、ここ数日で、さまざまなメディアが一斉に報じました。一部、ご紹介します。

地元紙『東奥日報』さん。

国立公園・十和田湖の放置遊覧船 青森県が撤去勧告 所有者側への指導26回、対応なく

 十和田湖の宇樽部桟橋(青森県十和田市)に不法係留されている放置遊覧船が横倒しになっている問題で、船を所有する十和田湖遊覧船企業組合(同市、解散)の清算人に対し、県が撤去勧告を出していたことが16日、県への取材で分かった。県がこの清算人に対し、撤去勧告を出したのは初めて。県はこれまで、前段階の撤去指導を26回にわたり行ってきたが、具体的な対応がなかった。
 同桟橋には4隻の遊覧船が不法係留されており、うち1隻が横倒しになっている。勧告は5月30日付で、全4隻を対象に行った。
 県によると、清算人は同組合の関係者で、連絡は取れている。これまで何度も現地に赴き、放置遊覧船の状況は確認しているものの、撤去に向けた動きを見せていないという。
 撤去勧告は強制力がない行政指導。一段階上の撤去命令は強制力が生じる行政処分で、県港湾空港課の担当者は「まずは相手の対応を見極めたい」と話した。
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RAB青森放送さんのローカルニュース。

「使わなくなったものはきれいに…」十和田湖観光への悪影響を“懸念” 不法係留の放置遊覧船に「撤去勧告」も所有者側は対応とらず… 青森県十和田市

十和田湖で不法係留されている4隻の遊覧船です。県が所有者の清算人に5月30日付で撤去勧告を出しました。
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十和田湖宇樽部地区の桟橋に不法係留されている4隻の遊覧船について、県は所有者で2016年に事業を停止した「十和田湖遊覧船企業組合」の清算人に対して、5月30日付で「撤去勧告」を初めて出しました。
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4隻は2015年から不法係留され、県はこれまで26回にわたり「撤去指導」を行ってきました。県は勧告で速やかな撤去を求めていますが、撤去勧告に強制力はありません。
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ことし2月には雪の重みで、4隻のうちの1隻「第3十和田丸」が横転し、今もロープで固定されシートが被せられています。
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十和田湖では、きのうまで夏の観光シーズン幕開けとなる十和田湖湖水まつりが開かれ、多くの観光客が訪れていました。
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観光関係者は景観や環境面でも悪影響を与えかねないとして、早期撤去を求めています。
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★十和田奥入瀬観光機構 安藤巖乙事務局次長
「十和田湖の美しい景観を守るために、放置遊覧船だったりとか休屋地区の廃屋もそうですけど、使わなくなったものはしっかりきれいになっていくといいなと思っています」
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★県港湾空港課 橋本公学課長
「所有者側に対してはこれまで撤去指導を行ってきたところですが、現状対応が取られていないということを踏まえて、一歩踏み込んだ撤去勧告を発出した」
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県によりますと、いまのところ組合から勧告の求めに応じる連絡はないということです。

全国ニュースでも。FNNさん系のテレビニュース。

まるで“船の墓場”…横倒しになった船も放置に地元住民「もう何十年も…みっともない」県が撤去指導26回も解決めど立たず 青森・十和田湖

青森県と秋田県にまたがる十和田湖で“廃船群”が問題となっており、なかには横倒しになったままの船もある。青森県は何度も組合関係者に撤去を求めてきたというが、解決のめどは立っていない。
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横倒しになった船が放置も… 東北地方を代表する観光名所の一角に広がる、まるで船の墓場のような光景。
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船体はさびだらけで、クモの巣も張り放題。さらには横倒しになったままの船もあった。
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地元住民は「10年もこうほっぽり投げられるんじゃ、置かれた方はたまったもんじゃないですよ」と話す。
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廃船群が問題となっているのは、青森県と秋田県にまたがる十和田湖。十和田湖は世界でも珍しい「二重カルデラ湖」で、周辺の木々とともに織り成す自然の造形美は東北きっての観光ポイントとして知られている。
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約10年間、不法係留状態の船 そうした十和田湖の観光に欠かせないのが遊覧船なのだが、青森県側のある桟橋に行ってみると、放置された船があった。船体に書かれた文字が一部読み取れないほどはがれた塗装。船の至る所が汚れとサビにまみれ、長年人の手が入っていない様子がうかがえる。

付近の住民:
もう何十年もこのままですから、みっともないですよ。(観光の)お客さんにも申し訳ないなと思って。
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この桟橋に係留されている5隻のうち4隻が、約10年もの間、不法係留状態。この4隻はかつて地元の企業組合が遊覧船として使用していたが、その組合はすでに解散済みだという。
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地元住民は、「どうにもならない。完全に撤去するしかないでしょ」と話していた。
014
青森県はこれまで、組合の関係者に何度も撤去を求めてきた。
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青森県 港湾空港課・橋本公学課長:
これまで26回ほど指導をしております。先方からは前向きな回答をいただけなかったと。
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「朝起きたらひっくり返ってた」
すると2025年、ある異変が起こったという。

FNNのカメラが25年前に撮影していた「第3十和田丸」の塗装作業。この時、船体は光り輝いていた。そして、その「第3十和田丸」の現在はというと、横転してロープでつながれ、シートがかぶせられている。横転直後に撮影された「第3十和田丸」の写真。2025年2月ごろ、大雪の重みに耐えかね、船体が傾いていったのだという。
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付近の住民:
「この船危ないね」って言ってたらもう本当に斜めになってて、朝起きたら本当にひっくり返ってたんですよね。
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景観の悪化どころか、周辺の安全にまで大きな影響を及ぼし始めた十和田湖の廃船群。この事態を受け、県は5月末、これまでの指導よりも一段階踏み込んだ“撤去勧告”を関係者に行ったという。ただ、勧告には強制力はない。
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青森県 港湾空港課・橋本公学課長:
まだ今のところ、先方からの回答はございません。速やかに対応していただきたい、これに尽きるかと。
(「イット!」6月18日放送より)

問題の廃船が放置されているのは、「乙女の像」のたつ休屋地区と、奥入瀬渓流への入口に当たる子(ね)の口地区の中間に位置する宇樽部地区。解散したという組合が運行していた遊覧船は休屋-子の口間を航行する途中で宇樽部の桟橋にも立ち寄っていたと記憶しています。

宇樽部にはキャンプ場があり、また、民家も建ち並んでいます。かつては旅館等もあり、昭和27年(1952)、「乙女の像」設営の下見のため十和田を訪れた光太郎は宇樽部の東湖館という宿に泊まり、智恵子の顔を持つ像を作ろう、と決意しました。その東湖館の建物は平成29年(2017)まで残っていましたが、残念なことに解体。逆に撤去されるべき廃船が繋留されたままだそうで……。
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廃船の剥がれかけた塗装に「乙女の像」の文字が読み取れるのが悲しい感じです。

ずどんとテンションが下がりましたので、上げます。『朝日新聞』さん、6月14日(土)の東北版。

みちのく歌壇 梶原さい子選

湖(うみ)ひかりふたりの智恵子影為合(しあ)ふ「乙女の像」に姿を化(は)けて (仙台市)大橋勝

【評】 十和田湖の「乙女の像」を詠む。古語の使用が、歌にふさわしいたおやかな風情を増している。


読者短歌の投稿欄から。
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像の建立に一役買った佐藤春夫が詠ったごとく「あわれ いみじき 湖畔の乙女 ふたりむかいて 何をか語る」という感じですね。

【折々のことば・光太郎】

あの魴鮄が現存してゐる事を確認したのは愉快でした、製作年代の分つたのもありがたく、これで他の木彫の年代もおよそ類推することが出来ます、


昭和29年(1954)3月10日 宮崎丈二宛書簡より 光太郎72歳

木彫「魴鮄」は大正13年(1924)の作。永らく行方不明でしたが、詩人の宮崎と親しかった材木商・浅野直也がこの年、当時の価格13万円で入手しました。

浅野はやがて中野の貸しアトリエに居住していた光太郎に現物を見せに行き、宮崎は詩「蘭と魴鮄」を書きました。029

   蘭と魴鮄

 花を開き初めた春蘭が
 葉を垂れてゐる鉢の傍へ
 高村光太郎作魴鮄を置いて眺める
 これはいゝ
 思はず自分はさう云ひながらも
 この心に叶つた快さを
 どう説明していゝかは知らない

 魴鮄はその面魂(つらだましひ)を
 それに打ち込んだ作者をさながらに現して
 むき出しにしてゐる
 ぎりぎりの簡潔さ しかも余すところなく
 きつぱりとそのかたちに切られて
 そして今こゝに
 蘭の薫を身に染ませて

「他の木彫の年代もおよそ類推」とありますが、昭和20年(1945)の空襲で記録類が焼けてしまったためもあるでしょうが、光太郎、意外と自作の制作年代をちゃんと記憶していませんでした。

6月14日(土)・15日(日)に開催され、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも為された「第60回記念十和田湖湖水まつり」についての報道をご紹介します。ただし、「乙女の像」ライトアップには触れられていませんが……。

RAB青森放送さんのローカルニュース。

【幻想的】湖畔を彩る350個のランタンと打ち上げ花火…夏の観光幕開けを告げる「十和田湖湖水まつり」が開幕! 青森県十和田市

 夏の十和田湖観光の幕開けを告げる十和田湖湖水まつりが開幕し、訪れた人たちが幻想的な景色を楽しみました。
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 今回で60回目となる十和田湖湖水まつりは14日開幕しました。
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 十和田湖畔休屋地区の会場には屋台やキッチンカーが並び、よさこいなどのパフォーマンスで盛り上がりました。
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 午後8時すぎには、願い事を書き込んだバルーンランタンが夜空に放たれました。
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 小雨が降るあいにくの天気となりましたが、およそ350個のランタンが湖畔を彩り幻想的な景色が広がりました。
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★千葉から
「とてもきれいでした 幻想的な景色でした 参加してよかったです」
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最後は200発の花火が打ち上げられ訪れた人たちが楽しみました。まつりは15日まで開かれています。
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鹿角きりたんぽFMさん。

「湖水まつり」人気定着で人出 十和田湖

 秋田と青森にまたがる十和田湖で「湖水まつり」が14日、2日間の日程で始まり、大勢の来場者でにぎわっています。
 湖水まつりは、観光客を呼び込もうと地元の関係者でつくる団体が開いていて、60回めのことしは去年に続き、観光シーズンの平準化などを目的に以前の日程から1か月前倒しされました。
 今や見ものとして定着したバルーンランタンの打ち上げでは、会場にアナウンスされたカウントダウンとともに、バルーンランタンを購入した人たちが一斉に浮かび上がらせました。
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 雨の影響で長い間、楽しむことはできなかったものの、オレンジや青のLEDが光るバルーンランタンおよそ400個が夜空に浮かぶ光景はメルヘンチックで、訪れた人たちがうっとりと眺めたり、写真を撮ったりしていました。010
 フィナーレの打ち上げ花火は、あいにくの天候で、打ち上げ地点の近くではほとんど見えませんでしたが、離れた場所で見ている人たちが夏の雰囲気を味わいました。
 弘前市から訪れていた20代の男性は、「花火があまり見えなくて残念でしたが、ランタンが幻想的だった。いい思い出になったし、来年の楽しみもできた」と話していました。
 湖水まつりは5年前のバルーンランタンの導入以降、人気がさらに高まり、近年は大勢の人出でにぎわっています。
 この日もバルーンランタン400個が早々に完売し、名物の「乙女もち」などを販売する屋台やキッチンカーの前に行列ができるとともに、駐車場待ちの渋滞も長くつながりました。
 主催する祭りの連携会議では、「6月の開催でも大勢に来てもらえて、手ごたえをつかんでいる。十和田湖にいろいろな季節に人を呼び込んでいきたい」としています。

「乙女の像」には触れられていませんが、像にちなんでネーミングされたであろう「乙女もち」に言及されています。きりたんぽと同じ味噌ダレがまぶされていて、2人の女人が向かい合って立つ「乙女の像」をイメージ、2個の餅が串に刺さっています。ただ、お店によっては3個ですが(笑)。
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地方紙で『デーリー東北』さん。

花火やランタン夜空彩る/十和田湖水まつり、15日まで016

 第60回十和田湖湖水まつりが14日、十和田湖畔休屋地区で開幕した。夜は雨が降る中、願い事が書き込まれたバルーンランタンと大輪の花火が打ち上げられ、湖面を彩った。15日まで。
 同まつり連携会議と十和田奥入瀬観光機構が主催。今回も混雑回避や観光時期の平準化を目的に、昨年に引き続いて約1カ月早く開催した。
 日中は郷土芸能などのパフォーマンス披露や、キッチンカーを楽しむ人でにぎわった。午後8時過ぎには、オレンジ色や青色のバルーンランタン約350個が湖岸から一斉に放たれたほか、最後は音楽に合わせて花火200発を打ち上げ。あいにくの雨だったが、夜空を幻想的に染め上げた。 東北町から訪れた会社員中塚巴泰さん(27)は「バルーンランタンがディズニー映画のようで、とてもきれだった」と語った。
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同じく『東奥日報』さん。

湖水まつり開幕/十和田湖畔休屋

 青森県十和田市の十和田湖畔休屋で14日、「十和田湖湖水まつり」が2日間の日程で始まり、初夏の湖畔が市民や観光客らでにぎわいを見せている。
 初日は歌やダンス、よさこいなどストリートパフォーマンスが行われ、来場者らは肉料理やスイーツなどの屋台やキッチンカーに行列を作っていた。
 夜のイベントはあいにくの天気だったが、家族連れらはひもを使って、願い事を書いたバルーンランタンを飛ばした。
 この日は打ち上げ花火も行われたが、濃い霧と煙でほとんど見えなかった。青森市から家族で来ていた五十嵐敬子さん(68)は「悪天候で残念だったけど、ランタンを一度は飛ばすことができたので願いはかなうと思う」と話した。
 60回目を迎えた今年のまつりは、十和田湖の魅力を世に広めた文人・大町桂月の没後100年を記念して行っている。
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こちらのみ、「乙女の像」で顕彰されている大町桂月没後100年記念に触れられていました。その活動に同紙も関係しているのかもしれません。

というわけで、「十和田湖湖水まつり」、末永く続いてほしいものですし、当方、一度行っただけなので(「冬物語」等では何度もお邪魔しましたが)、再訪しようかという気になりました。来年以降、皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

鋳金代については、県の方へ、貴下のお話通りに二万円程度と話してあります、それも最後的におきめ下さい。又台座、荷造、運賃等は別ですから、その様に御請求を願ひます。出来上りましたら直接貴下から県庁にあててお送り下さい。 小生は青森に行つたら、その時見ます。


昭和29年(1954)2月18日 伊藤忠雄宛書簡より光太郎72歳

伊藤忠雄は「乙女の像」の鋳造を担当した鋳金家。

「乙女の像」本体は前年に除幕されましたが、それとは別に記念として像の小型試作を新たに二体鋳造し、県に贈ることになり、その相談です。この際の小型試作は現在も青森県で所有しています。

たまたまですが、一昨日、Yahooオークションでこれと同型の小型試作が出品されました。平成15年(2003)の新しい鋳造ですが。開始価格18万円。この価格で落とせれば実にお買い得ですが、おそらく競られて上がると思われます。
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昨日お伝えした、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のたつ、青森県十和田湖での「第60回記念十和田湖湖水まつり」とも関わる内容で、現地の地方紙『東奥日報』さんの一面コラム。5月30日(金)の掲載分です。

天地人

 十和田市の古木「法量のイチョウ」の枝が今冬の大雪で折れた。心配していたが、十和田古道フォーラム参加者ら約30人と訪れて見上げ、変わらぬ威容にほっとした。
 近くを通る国道102号はかつてなく、奥入瀬川が法量のイチョウ下の巨岩にぶつかって流れる石門状の地形だったという。参詣者は巨岩脇を登って越え、十和田湖に向かった。斉藤利男弘前学院大特任教授は「ここから先は神域」と説明、鈴木健郎専修大教授は「日本の宗教的に、巨岩は神が降りる場所。非常に重要だったことが分かる」と注目する。
 十和田開発の功労者として、1908年に本県に赴任した官選知事の武田千代三郎、文人・大町桂月、法奥沢村長で県議の小笠原耕一が挙げられる。十和田湖畔の「乙女の像」は3人の顕彰で建てられたという。
 武田は十和田湖と奥入瀬を一体ととらえており、自著で十和田湖を詳細に記述。貴重な財産だと説き、自身の着任前に行政が許した伐採等の影響で一部景観が「名勝變(へん)じて凡境と化した」と嘆き、自然破壊行為を厳に慎むよう苦言を呈した。
 斉藤特任教授はさらに、八甲田も含めた一帯が広大な霊場だったと推測する。一時どん底だった十和田湖観光は、歴史を生かした再起のエネルギーが起きている。悠久の歴史を知るにつれ、われわれにこの得難い財産を後世に残す責務があると身が引き締まる。

「乙女の像」の正式名称は「十和田国立公園功労者顕彰記念碑」。昭和25年(1950)に、時の青森県知事・津島文治(太宰治の実兄)の肝煎りで準備委員会が発足、同27年(1952)に正式に「十和田国立公園功労者顕彰会」となり、建設が具体化していきます。コンセプトは十和田湖周辺の国立公園指定15周年の記念と、その指定に功績のあった「十和田の三恩人」、大町桂月・武田千代三郎・小笠原耕一の顕彰でした。
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明治の文豪・大町桂月は、それまで一般に知られていなかった十和田湖の景観美をさまざまな紀行文で広く世に紹介しました。
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明治44年(1911)、それらを読んだ皇太子時代の大正天皇が十和田湖に興味を持ち、当時の青森県知事・武田千代三郎に、北海道巡啓のついでに十和田湖に行ってみたいのだが現地の様子はどんな感じか? と問うたのですが、武田は十和田湖に足を運んだことがなく、ろくに答えられませんでした。それを恥じた武田は、地元の法奥沢村長兼県会議員の小笠原耕一と共に道路整備、国立公園指定の請願等に腐心しました。

昨日お伝えした通り、「十和田湖湖水まつり」は今年が60回の節目の年で、さらに十和田湖の景観美を広く世に知らしめた大町桂月の没後100年記念も兼ねています。

桂月といえば、与謝野晶子が日露戦争に出征した弟・籌三郎の身を案じた「君死にたまふこと勿れ」(明治37年=1904)を痛烈に批判したことでも知られています。
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この当時、光太郎は既に与謝野夫妻の『明星』に依り、新詩社社中の新鋭の一人と目されていました。したがって、桂月にしてみれば憎き晶子の弟分(笑)。その光太郎が時を経て、桂月顕彰の意味合いも含めて「乙女の像」を制作したわけで、そのあたりも念頭に、光太郎自身は次のように語っています。

僕は若い頃大町さんに怒鳴られたりなんかして、よく知つてゐるんだから、貴様こんなものを立てたといつて怒られるだらうといふ事が、頭に出て来て、それでどうも弱つたんです。
(座談「自然の中の芸術」 昭和29年=1954)

ここにはなぜ裸婦像なのか、という問題も含まれています。それについても同じ対談で、

初めは三人の首をといふ事がすぐ頭に出たんですけれども、これは何だか獄門みたいになりますから考へて、止しました。(略)とにかく僕に自由なものをやつていゝと言ふと、大町さんとの関係がなくなつてしまふんですよ。たゞ裸の像では大町さんは寧ろ嫌ひですよ。(略)だからあの時は姑息な事を考へてね、像に木の枝を持たせて、その木を桂の木にしようと思つた。月の桂で桂月を意味するし、そんな馬鹿な事も考へたけれども、段々やつてゐる内に、一切さういふ事を離れちまつて、自分が湖から受ける感じ――桂月さんが湖から受けてあれだけ感動したんだから、自分が湖から受ける感動をそのまま正直に出せば、結局同じなんじゃないか。(略)桂月が草鞋ばきで尻を端折つてあそこを歩いてゐたやうな時の姿をあそこへ置いたら、どんな滑稽か分からない。これはもう恐らくどんなによく拵へてもをかしい。

などと発言しています。

さて、桂月没後100年ということで、十和田や都内でそのあたりの記念行事等も予定されています。その中で、「乙女の像」、さらには像の作られた中野のアトリエの保存などについても、スポットが当たることを祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

昨夜草野心平さんにあつた処山口での撮影には立合ひたいといふ事でしたが、ブリツヂストンでその費用を果してだすものでせうか、一応貴下から先方の意向をきいてくれませんか、

昭和28年(1953)11月15日 難波田龍起宛書簡より 光太郎71歳

「山口」は前年まで光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村山口地区。この月25日に帰村し12月5日まで滞在しました。
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「撮影」はブリヂストン美術館制作の美術映画「高村光太郎」のためのもの。前半は中野の貸しアトリエでの「乙女の像」制作風景などを、後半を旧太田村で撮影しました。

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光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のたつ、青森県十和田湖からイベント情報です。

第60回記念十和田湖湖水まつり

期 日  : 2025年6月14日(土) 15日(日)
      荒天の場合
       ①6月14日(土)が中止の場合
→6月15日(日)、6月21日(土)開催
       ②6月15日(日)中止→6月14日(土)、6月21日(土)開催
       ③6月14日(土)、6月15日(日)中止→6月21日(土)、6月22日(日)開催
       ④6月14日(土)、6月21日(土)中止→6月15日(日)、6月22日(日)開催
       ⑤6月14日(土)、6月15日(日)、6月21日(土)中止→6月22日(日)のみ開催
       ⑥6月14日(土)、6月15日(日)、6月21日(土)、6月22日(日)中止→湖水まつり中止
会 場  : 十和田湖畔休屋桟橋前 青森県十和田市奥瀬字十和田湖畔休屋486 
問合せ  : 十和田湖観光交流センターぷらっと 0176-75-1531

 遡ること1908(明治41)年夏、高知県出身の文人・大町桂月が、十和田湖をはじめて訪れました。その時に桂月が感じた雄大さや自然の美しさを、雑誌に寄稿したことが、十和田湖を景勝地として世に広めるきっかけとなりました。その後、何度も十和田湖を訪れた桂月。病を悟りながらも最期の地に選んだのも十和田でした。1925(大正14)年6月10日、緑萌ゆる蔦温泉で、56歳の若さで亡くなりました。今年は、その没後100年にあたります。
 大町桂月が世に広めた十和田湖の変わらない美しさ。その美しさを、北東北の夏の観光シーズンの幕開けを飾る花火大会として続いてきた湖水まつりをきっかけに、多くの人に知ってほしい。そうした思いで、記念すべき年の第60回湖水まつりを開催します。
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十和田の夏を盛り上げるコンテンツ満載!

バルーンランタン
十和田湖の夜空に、願いを込めたランタンを一斉に浮かべましょう。湖面に映る無数の光が、幻想的な景色をつくり出します。バルーンランタンには、お好きな文字やイラストを描いて、世界に一つだけの灯りを届けることができます。
 6/14(土) バルーンランタン 1個あたり 6,600円
 6/15(日) バルーンランタン 1個あたり 6,200円
 50個限定!早期購入で400円引き!
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メッセージ花火
大切な人へのメッセージを花火と共に贈りませんか?
ご指定のメッセージをアナウンスした後に、花火を打ち上げさせていただきます。
 1玉+メッセージ読み上げ 10,000円
 3玉+メッセージ読み上げ 28,000円
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ナイトクルーズ
十和田湖ナイトクルーズは年に一度、湖水まつり限定! バルーンランタンと打ち上げ花火を湖上鑑賞してみませんか? 十和田のカルデラに包まれながらの特別な時間を約束します。
 時間:20:15〜
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今年は屋台コーナーも登場!
時間 : 11:00〜22:00
 キッチンカーコーナー
  うれしいうれしい一品(みたらし団子、わらび餅)
  ほっとまん企画(おつまみセット、チーズセット、生ハム)
  たご助(煮干したご焼き、トルネードポテト)
  豚専門店 いろとん(豚つくね串、じろう串、ホルモン串)
  ナイトマーケット(大分中津からあげ、フライドポテト)
  OIRASETOWADA おまかせKitchen(バラ焼きうどん、わんぱくナポリタン、パフェ)
 露店コーナー
  湖白家(ポテト、チュロス、肉巻、シャーピン)
  和の店(からあげ、オム焼きそば、あげたこ)
  田村商会こなもんや(オムそば、豚まん、たこ焼)
  かばさわ商店(フライドポテト、かき氷)
  鎌田功誠(フルーツ飴、はしまき)
  Enjoyとわだこ(行者ニンニクぎょうざ、日本酒/新政10種・花邑)
  マルショウ(トルネードポテト、肉巻き棒、サツマイモチップス)
  宮本商店(たこ焼き、バナナチョコ)
  メディアサポートシステム(ジャンボ牛串、マシュマロスティック)
   ※()内は主なメニュー

パフォーマンス団体/個人を募集中!
十和田湖湖水まつりでは、音楽、ダンス、郷土芸能など、様々なジャンルからのパフォーマンスを募集しております。
 ◇会 場:桟橋前広場(十和田湖が背景になります)
 ◇特典:カメラマンによる出演写真をご提供
 ◇申込み〆切(第一次):5月16日(金)
  申込み〆切(第二次):5月30日(金)※応募枠に余裕がある場合のみ実施(先着順)
 ◇発表:主催者による簡易審査の結果次第随時

公式サイトに記述がありませんが、問い合わせたところ、夕方から「乙女の像」ライトアップも為されるそうです。下記は過去の画像ですが。
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今年は湖水まつり自体が60回の節目、さらに十和田湖の景観美を広く世に知らしめた明治の文豪・大町桂月の没後100年だそうで(「乙女の像」は桂月ら「十和田の三恩人」顕彰というコンセプトも含めて作られました)、今回の案内文には桂月についても触れられています。

というわけで、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

十和田湖旅行のかへりに山口にゆくつもりでしたが、青森でいろいろの事をするので相当疲れると思ひ、今度は一旦東京に帰り、少々休んでから、十一月に又あらためて山口に行き大沢あたりで休養したいと思つてゐます、

昭和28年(1953)10月15日 浅沼政規宛書簡より 光太郎71歳

浅沼政規は、前年まで光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校長。「十和田湖旅行」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式出席のためでした。除幕式に直接関わる書簡が、今のところ発見出来ておりません。
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遺言はオープンに

テレビの地方局で流されたローカルニュースを2件。

まずはNHK広島局さん。呉市立美術館さんで昨年12月から開催されている「コレクション展III いのちを彫る 時を刻む 呉美の彫刻コレクション」に関して。

呉市立美術館で彫刻作品展 高村光太郎の「手」も

 近代から現代にかけて日本や西洋で作られた彫刻作品を集めた展示会が、呉市の美術館で開かれています。
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 呉市立美術館で開かれている展示会には、大正時代から現代にかけて日本やフランスなどで作られたあわせて50点の彫刻作品が展示されています。
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 このうち、大正から昭和にかけて活躍した詩人で彫刻家の高村光太郎の代表作の一つ「手」は、自らの手をモデルにしていて骨の形や皮膚のたるみまで写実的に表されているのが特徴だということです。
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 また、呉市出身の彫刻家、上田直次の「愛に生きる」という作品は、やぎの親子をモチーフにしたもので、大きなくすのきをノミで大胆に削って作っています。
 呉市立美術館の学芸員、渡辺千尋さんは「今回の展示は彫刻作品なので、絵画とは違って360度、いろいろな角度から展示を楽しめます。ぜひ会場に来ていただき、さまざまな視点から作品を観察して、それぞれのおもしろさを見つけてもらいたいです」と話していました。
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 この展示会は、2月11日まで開かれています。
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もう1件、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」ライトアップも為されている「十和田湖冬物語2025」について、RAB青森放送さん、2月1日(土)の放映。残念ながら「乙女の像」には触れられませんでしたが。

「もう忘れられないです」十和田湖冬物語が開幕 冬空を彩る大輪の花火 雪の滑り台やスノーモービルで引く雪上バナナボート かまくらバーも人気

 冬の十和田湖を楽しむことができる「十和田湖冬物語」がきのう開幕しました。
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 十和田湖冬物語は十和田湖畔休屋地区できのう開幕しました。
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 会場にはスノーパークが設けられ、雪の滑り台やスノーモービルで引く雪上バナナボートを楽しむことができます。

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 また青森と秋田の食を楽しめる雪あかり横丁や、氷のグラスでカクテルなどが飲めるかまくらバーも人気です。
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 訪れた人たちのお目当ては午後8時からの冬花火。
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 音楽に合わせて200発の花火が打ち上がります。
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★訪れた人
「カラフルでドカンとなってクライマックスのときにしゅっていろいろなったのがおもしろかったです」
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「東京ではこんな風になかなか見られないのでしかも雪と一緒に見ることがないのでうれしかったです 
もう忘れられないです」
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 十和田湖冬物語は今月24日まで、火曜日と水曜日を除く毎日開かれます。
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それぞれぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

「トリモンA」三箱サントニン錠一箱、石鹸などいただき、感謝しました、早速服用いたしました。神経痛はどうしても退治してしまはねばなりません。今後の彫刻製作の邪魔になりますから。


昭和26年(1951)8月9日 椛沢佳乃子宛書簡より 光太郎69歳

翌年秋は再上京し、「乙女の像」制作を始めますが、この時点ではまったく具体的な計画は立っていません。それでも何らかの彫刻制作を再開する構想はずっと持ち続けていました。

「トリモンA」はホルモン剤、「サントニン」は虫下しの薬。「虫下し」と言っても、若い人達には通じないでしょうね(笑)。
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若干先の話ですが(このところネタ不足なもので(笑))、青森県からイベント情報です。

十和田湖冬物語2025 冬、十和田湖びより

期 日 : 2025年1月31日(金)~2月24日(月・振休)
会 場 : 十和田湖畔休屋 多目的広場 青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋
休 業 : 火曜・水曜 

八甲田山の麓、標高約400メートルに位置する十和田湖は平安の頃から信仰の対象として、脈々とその歴史を紡ぎながら観光地としてもたくさんの人々に親しまれるようになりました。その神秘的な情景は、訪れた人を感動へと導いてくれます。

深い深い雪に包まれる冬も同様。峠を越える、容易い道ではないからこそたどり着いた先の感動もひとしおです。

真っ白な衣を纏った十和田湖を舞台に冬を思い切り楽しんでもらおうと開催してきた十和田湖冬物語は今年で27回目を迎えます。

「冬、十和田湖びより」

皆さまと一緒に、そんな思いを共有するためさまざまなコンテンツを用意して会場でお待ちしております。冬の十和田湖で会いましょう!
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FIREWORKS -冬花火-
 真冬の澄み切った夜空を彩る冬花火。音楽との競演もお見逃しなく! 全日20:00〜
 メッセージ花火受付中! 大切なあの人へ。感謝の気持ちを花火に込めてみませんか?
 8800円/発〜
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FOOD MARKET-雪灯り横丁-
 ローカルの食材を使った美味しいグルメを楽しもう!
 平日16:00〜20:30 休日11:00〜21:00
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TRADITIONAL ARTS-冬の国境まつり-
 北東北の祭りや、地元有志によるパフォーマンスは必見! 週末限定!
  青森 ねぶた囃子「ラッセラー♪」みんなで歌おう! 踊ろう!
  ・2月8日(土)16:00〜、19:00〜 ・2月9日(日)16:00〜
  秋田 なまはげ太鼓 なまはげの太鼓パフォーマンスは圧巻!
  ・2月15日(土)16:00〜、19:00〜 ・2月16日(日)16:00〜
  岩手 花巻鹿踊り 平安と悪霊退散を願って、高く舞い上がる鹿たち!
  ・2月23日(日)16:00〜、19:00〜 ・2月24日(月・振休)16:00〜
  協力:新渡戸友好都市交流委員会
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SNOW PARK-雪遊び-
 会場には大きな雪の滑り台が誕生! あなたは何して遊ぶ?
 平日16:00〜19:30 休日11:00〜19:30
 ・すべり台(そり、チューブ) ・バナナボート
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昨年から、永らく行われてきた湖畔休屋地区での屋台村を中心としたスタイルで復活しました。そのスタイルだった時代に2度、イルミネーション系のイベントとなっていた時期に1度お邪魔しましたが、とにかく寒い!(笑)。その寒さを逆手にとって楽しんでしまおうというイベントです。

問い合わせたところ、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも為されるとのこと。辿りつくまでがなかなか大変ですが、実に幻想的です。画像は過去のものです。
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手前の雪灯籠にあかりが灯されます。

予約が必要なようですが、JRさんのバス「おいらせ号」が八戸駅から、十和田観光電鉄さんのバスが十和田市中心街から出ます。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】002

「天上の炎」の小生の印税は五分でいいです。この本は余り売れないでせう。今日ヹルハアランを読む人は少いでせうから。


昭和26年(1951)4月24日 鎌田敬止宛書簡より
 光太郎69歳

『天上の炎』は、ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンの詩集。光太郎訳で大正14年(1925)にハードカバーが刊行されましたが、鎌田の白玉書房からペーパーバックで復刊されました。

「今日ヹルハアランを読む人は少いでせう」の言葉通り、さらにましてや現代では忘れられかけた詩人となった感があります。

『読売新聞』さん青森版、先週末に出た記事です。

十和田湖 輝く新緑

 十和田湖畔に広がる木々に若葉が生え始め、訪れる人の目を楽しませている。遊覧船やボート、カヌーなどに乗ると、新緑と湖水の青とのコントラストが一望でき、湖畔とはひと味違った風景が楽しめる。
 十和田八幡平国立公園の中にある十和田湖は、周辺にブナなどの林が広がる。透明度が約12メートルの湖水は、光の反射で深い青色からエメラルドグリーンまで様々な表情を見せる。
 10日は白波が立つ荒れた天候だったが、高村光太郎の最後の作品として知られる「乙女の像」の近くにボートツアーがさしかかると、雲の切れ間から日光が差し込み、ブロンズ像と新緑、湖水のブルーが輝いていた。
 十和田奥入瀬観光機構は、「10、11月の晩秋まで多くの観光客に楽しんでほしい」としている。
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画像からも湖畔の新緑の美しさが伝わってきますね。

ただ、記事中の「最後の作品」というのは誤りで、「最後の大作」というべきです。何度も書いておりますが「最後の作品」は、完成したものとしては、昭和28年(1953)10月21日に行われた「乙女の像」の除幕式の際に関係者に配付された記念メダルです。小品ですが黙殺されていいものではありません。また、体調不良で未完のまま終わりましたが、その後取り組んだ「倉田雲平胸像」も含めれば、そちらも「最後の作品」ということになります。
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004ネット上や印刷物だと関係団体さんなどの紹介であっても「乙女の像」を「光太郎最後の作品」としている記述が目立ち、辟易しておりますが、一度こうとなってしまうとたとえ事実と異なっていてもそれが定着してしまうという例ですね。

閑話休題、「新緑」ということで、これも再三取りあげていますが、「新緑」を謳歌する光太郎詩を。

     新緑の頃
 
 青葉若葉に野山のかげろふ時、
 ああ植物は清いと思ふ。
 植物はもう一度少年となり少女となり
 五月六月の日本列島は隅から隅まで
 濡れて出たやうな緑のお祭。
 たとへば楓の梢をみても
 うぶな、こまかな仕掛に満ちる。
 小さな葉つぱは世にも叮寧に畳まれて005
 もつと小さな芽からぱらりと出る。
 それがほどけて手をひらく。
 晴れれば輝き、降ればにじみ、
 人なつこく風にそよいで、
 ああ植物は清いと思ふ。
 さういふところへ昔ながらの燕が飛び
 夜は地蟲の声さへひびく。
 天然は実にふるい行状で
 かうもあざやかな意匠をつくる。

昭和15年(1940)、雑誌『婦人之友』に掲載されました。既に日中戦争が泥沼化、国家総動員法がしかれていた時期で、「日本という国は何と素晴らしい国なのだ!」というプロパガンダ的な要素が見え隠れします。

そういう点を抜きにすれば、いい詩ですね。

さて、「新緑」の十和田湖、ぜひ足をお運び下さい。先月末からは遊覧船の運航も再開していますし。

【折々のことば・光太郎】

他の人の序をつけるのは東洋の風習でせうが、再考してもよくはないでせうか。序文とは結局何でせう。


昭和22年(1947)9月15日 菊池正宛書簡より 光太郎65歳

自著に序文を書いてくれ、という依頼に対しての断りの一節です。詳しくはこちら。

キーワード「乙女の像」でヒットしました。

4月26日(金)、RAB青森放送さんのローカルニュース。

十和田湖遊覧船運航開始

あすから最大で10日間の大型連休が始まります。十和田湖では遊覧船の運航が始まり、観光客は春の装いに変わり始めた景色を楽しんでいました。
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十和田湖遊覧船はきょうから運航が始まり、地元の人たちが観光客を見送りました。ことしも中山半島と御倉半島を巡る休屋発着便と、休屋と子ノ口を結ぶ便の2つのコースで1日12便が運航されます。
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恵比須大黒島や乙女の像を眺めながら進むと、雪が残る外輪山に囲まれた十和田湖が目の前に広がります。
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また緑色に色づき始めた木々の中にヤマザクラが咲いていて、訪れた観光客は春の装いに変わり始めた景色を眺めながらおよそ1時間の遊覧を楽しんでいました。
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★観光客
「ゆっくりと大自然の中でいい感じです」
「きれいですねほんとうに、自然が豊かに残っていてこんなにきれいなところだとは思っていませんでした。感激しました」
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遊覧船を運航している十和田観光電鉄によりますと去年の乗客7万8,000人のうち外国人観光客は約1万人で、インバウンドはコロナ禍前まで回復しているということです。
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★十和田観光電鉄 佐藤行洋社長
「十和田湖、いろんな意味で自然という部分で大変豊かなところですし休屋もだいぶ変わってきたというか、新しい魅力のある十和田湖・休屋になってきたのかなと思うのでそういう楽しみ方をしていただきたい」
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十和田湖遊覧船は11月18日まで運航されます。
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11月18日(月)の頃は、紅葉シーズンなのでしょう。それまでの間、多くの方が乗船なさることを祈念いたします。4月13日(土)から、青森・八戸~十和田湖休屋までのJRバスの運行も始まっているそうです。

【折々のことば・光太郎】

南海の名物鰹節をいただき、何よりのものとよろこびました。ウルヰ、シドケのやうな山菜も此のこの黒潮の味と香りとを得て一段と美味を加へる事でせう。

昭和22年(1947)7月9日 東正巳宛書簡より 光太郎65歳

東正巳は三重県在住、公立学校の事務職員を務めるかたわら詩歌句に親しみ、同人雑誌等を刊行、光太郎も寄稿していました。

「ウルヰ」はオオバギボウシ(大葉擬宝珠)、「シドケ」はモミジガサ(紅葉笠・紅葉傘)。現代でも食されている山菜です。光太郎、鰹節を添えたおひたしにでもしていたのでしょう。

「此のこの」は当方ではなく、光太郎の誤記です(笑)。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像」ライトアップも為されているはずの「第26回十和田湖冬物語2024 冬の十和田湖を遊びつくそう」が先週金曜に開幕し、その模様が報じられています。

ATV青森テレビさん。

冬空に200発の花火や名物「かまくらバー」も!「十和田湖冬物語」が開幕

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冬の十和田湖をイルミネーションや花火で彩る「十和田湖冬物語」が、2日に開幕し、訪れた人たちが、幻想的な世界を楽しみました。
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十和田湖冬物語は十和田湖休屋地区の特設会場で始まりました。イルミネーションで色鮮やかに飾り付けられた会場では大きな「かまくら」を使ったバーが登場。訪れた人たちはお酒を飲んだり、肉まんや串焼きといった温かい食べ物を食べたりして楽しんでいました。
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また午後7時半を迎えると、冬の澄んだ夜空に200発の花火が打ち上げられました。
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※訪れた人は「きれいでした。よかったです見に来て。」「花火、音楽と一緒に上がってきれいでした」「雪があっての花火ですごいきれいでした」
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十和田湖冬物語は2月25日まで毎週火曜日と水曜日を除いて開催され、イベント期間中の週末にはステージイベントも行われます。
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RAB青森放送さん。

十和田湖冬物語 開幕 毎日 冬空に花火

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冬の十和田湖が満喫できる「十和田湖冬物語」がきのう開幕しました。
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会場の十和田湖畔休屋地区では4年ぶりにコロナ禍前に戻して、地元の食を味わえる雪灯り横丁やスノーパークが設置されました。
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雪不足が心配されましたが名物のかまくらバーもお目見えしました。

また今月25日までの期間中、午後7時30分から毎日打ち上げられる花火が冬空に大輪の花を咲かせて訪れた人たちが冬の十和田湖を楽しんでいました。
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地方紙『デイリー東北』さん。

澄んだ夜空に光の大輪 「十和田湖冬物語」開幕

 十和田八幡平国立公園の十和田湖畔休屋地区で2日、厳寒期の自然の魅力に触れる「十和田湖冬物語」が開幕した。雪が舞う夜空に光の大輪が咲き、来場者が見入っていた。25日まで。
 冬期の誘客促進などを目的に、実行委員会(中村秀行委員長)が主催して26回目。期間中は火、水曜を除き、午後7時半から花火約200発を打ち上げる。1玉7千円のメッセージ花火もある。
 会場の多目的広場は入場無料。新型コロナウイルスの5類移行を経て、飲食を提供する屋台村が4年ぶりに復活した。酒類を扱うかまくらバーを含め、地元業者ら7店舗が出店し、家族連れや訪日客らでにぎわいを見せた。
 初日は十和田市無形文化財の「晴山獅子舞」も披露された。週末には青森、岩手、秋田3県の芸能パフォーマンスが行われる。
 東京都から夫婦で訪れた主婦服部博子さん(68)は「澄んだ空の冬花火は華やかできれい。思い出の一つになった」と喜んでいた。
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会場の十和田湖畔休屋地区、半端ない寒さですが、その寒さを吹き飛ばす熱気に溢れていることと存じます。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

あのいただいた和紙は実に珍重です。秋には障子をすつかり新しくします。ワラビ糊をつくつて張るつもりです。 貴下手植えの萩は今年花を持つかどうか分りませんが、勢は盛んです。

昭和21年(1946)8月17日 宮崎稔宛書簡より 光太郎64歳

前年5月の花巻疎開の折には光太郎を花巻まで送りとどけた宮崎が、久しぶりに茨城から光太郎に会いに来ました。障子紙や萩の苗は手土産。花巻町中心街の宮沢賢治実家や花巻病院長・佐藤隆房から託されたものかもしれませんが。

この書簡には萩の葉のイラストが描かれていました。
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光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称「乙女の像」)」の立つ、青森県十和田市からイベントの復活情報です。

第26回十和田湖冬物語2024 冬の十和田湖を遊びつくそう

期 日 : 2024年2月2日(金)~2月25日(日)
会 場 : 十和田湖畔休屋 多目的広場 青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋
休 業 : 火曜・水曜 

 1998年度に十和田湖畔で誕生したイベント「十和田湖冬物語」が、今年で26回の開催を迎えました。
 今年は屋台村「雪灯り横丁」が4年ぶりに復活します。また、毎年好評の「冬花火」や、県境を跨ぐエリアの特徴を活かした冬の国境まつりなど、冬の十和田湖をお楽しみいただけるコンテンツをご用意しております。
 その他にも、冬ならではのアクティビティや、期間限定の食魅力などが追加される予定です。詳細が決まり次第、公式HPにて公開いたします。
 当イベントを通して、閑散期の集客を促進し、観光施設やサービスの利用増加に繋げて、地域を盛り上げていきたいと考えております。
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冬花火 19:30打ち上げ(音楽と花火ショープログラム5分程度)
厳しい冬の澄み切った夜空だからこその「冬花火」。木曜〜月曜まで、音楽と花火がシンクロした花火ショーが行われます。
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雪灯り横丁 17:00~20:00
コロナの規制がなくなり屋台村「雪灯り横丁」が4年ぶりに復活します!わいわい楽しい屋台料理をお召し上がりください。
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冬の国境まつり
青森・秋田・岩手の北東北三県の芸能のパフォーマンスを毎週末開催。
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スノーアクティビティの充実
好評の滑り台やスノーランプなどのほか、雪でつくった特別観覧シート、連携事業者によるバナナボートなど。
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このイベント、平成10(1998)年度に始まり、永らく湖畔休屋地区での屋台村を中心としたイベントでした。当方、平成25(2013)年度と平成29(2017)年度と、2回、お邪魔いたしました。その後、スタイルが変わり、令和2(2020)年度と翌令和3(2021)年度はイルミネーションが中心に。当方、2度目の際に行って参りました。それぞれ「乙女の像」のライトアップが為されていました。

そのままイルミネーション系のイベントとして続くのかな、と思っておりましたところ、昨年度はウォーキングのイベントがあった程度で「あらら……」という感じでしたが、今年度、また屋台村を中心とした昔のスタイルに戻して実施とのこと。「乙女の像」のライトアップもまた為されるやの情報も得ております。

JRさんのバスが八戸から、そおれとは別に十和田市街から「十和田湖アクセスバス」というのも出ているそうです。

ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

一昨日は東京でよく食べに行つたトンカツヤの主人がだしぬけに訪ねてきたので驚きました。秋田の温泉に行つたかへりとの事。コーヒーとサツカリンをもらつて久しぶりにカフエノワールを賞味しました。


昭和21年(1946)7月12日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎64歳

終戦からおよそ1年、世の中もだんだん落ち着いてくると、花巻郊外旧太田村の光太郎の山小屋に昔の知り合いがぽつりぽつり訪れるようになりました。

「トンカツヤ」は三河島の「東方亭」。光太郎戦前からの行きつけの店でした。そこの長女・明子は医師となり、光太郎は彼女をモデルに詩「女医になつた少女」(昭和24年=1949)を書いたりしました。
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今からちょうど70年前の昨日、昭和28年(1953)10月21日、青森県十和田湖畔休屋御前ヶ浜において、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式が行われました。二人の「乙女」も古稀を迎えたわけで……(笑)。
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節目節目の日には、必ず雨、もしくは雪だったという光太郎。この日も雨でした。光太郎は「清めの雨だ」と言ったそうです。
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光太郎と一緒に写っている女性は、モデルを務めた藤井照子です。まだご存命なのかも知れませんが、消息が分かりません。情報をお持ちの方はコメント欄等から御教示いただけると幸いです。

さて、昨日、現地では、式典とまでは行きませんでしたが、地元の皆さんが「乙女の像」の清掃を行って下さいました。元・十和田奥入瀬観光機構の方が音頭を取って集まって下さり、やはり雨の中、本格的に。ありがたいことです。
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像の傍らにたつ「十和田湖畔の裸像に与ふ」詩碑も。
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泉下の光太郎も喜んでいることと思います。

バックの木々、少し色づいていますね。これから十和田湖、そして奥入瀬渓流と、紅葉シーズンです。ぜひ足をお運び下さい。

「乙女の像」といえば、今夜(日付が変わって明日未明ですが)、BS放送で下記の番組が放映されます。

ニッポン美景めぐり 十和田・奥入瀬

BSフジ 2023年10月23日(月) 00:00〜00:25 

日本の美しい景観を求めて、俳優・和合真一がカメラ片手に日本各地をめぐる旅番組。
今回の旅先は、青森県の十和田市。十和田ビジターセンターで十和田湖の歴史を学ぶ。名産のひめます料理やご当地グルメを味わう。美しい景勝地、奥入瀬渓流を散策。大自然が生んだニッポンの美景をご紹介。

旅人:和合真一 ナレーター:服部潤
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初回放映が一昨年。その後、繰り返し再放送があり、今回で7回目くらいかな、と思われます。

ぜひ御覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

“海洋詩集”への拙詩御選択、お示しの通にて結構に存じます、


昭和18年(1943)2月10日 宮崎稔宛書簡より 光太郎61歳

「海洋詩集」は宮崎と小森盛の共編で刊行予定だったアンソロジー。二部構成で、第一部には一般の船員らの書いた詩、第二部では光太郎を含む職業詩人の詩が集められる予定でしたが、結局、戦争による出版事情の悪化で日の目を見ずに終わりました。

お蔵入りになりましたが、光太郎は序文も書きました。その中には「今日此の大東亜戦争の決戦段階に戦局は進み入り、船の意義、船員諸士の重大任務の真剣さは平時の比倫をはるかに絶し……」といった文言も見られます。おそらく単に「海洋」を題材とするだけでなく、翼賛的な内容のものが大半を占めていたと思われます。

光太郎詩も載ったこの手のアンソロジーは数多く存在し(手許に40冊ばかりあります)、国民の戦意高揚に資することが期待されました。

ともに光太郎とゆかりの青森県十和田市と岩手県花巻市、30年程前から友好都市の協定を結んでいます。

そもそもは光太郎ではなく、新渡戸一族の縁だそうです。現在の十和田市中心街となっている三本木地区は元々は川が通っておらず、不毛の原野でした。そこで江戸時代の文政年間、花巻出身で盛岡藩士だった新渡戸傳(つとう)が、十和田湖を源流とする奥入瀬川から水を引いて人口の河川・稲生川を作る工事に着手しました。傳は旧5,000円札の肖像だった新渡戸稲造の祖父に当たります。灌漑工事は明治まで続き、稲造の父・十次郎、兄・七郎の三代が関わり、十和田市には三人の銅像も建てられています。作者は光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作時に光太郎の助手を務めた、青森野辺地町出身の小坂圭二でした。
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そういうわけで、両市の交流事業がこれまでもいろいろありました。

さらに来月、十和田市から花巻市への探訪ツアーが開催されます。『広報とわだ』の先月号から。
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花巻高村光太郎記念館、隣接する高村山荘さんも行程に入っています。ありがたし。若干先の話ですが、申し込みが10月13日(金)までとのことで……。

調べてみましたところ、昨年のこの時期にあった同じツアーでも記念館・山荘を訪れて下さっていました。記念館には「乙女の像」の中型試作なども展示されており、その意味ではインパクトがあったということでしょうか。今年もご訪問下さいます。
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また、遡って令和元年(平成31年)には、友好都市協定締結30周年の記念イベント等もあったとのこと。
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逆に花巻市から十和田市への訪問市民ツアーは、10月21日(土)。ただ、「乙女の像」やそれに関わる展示が為されている観光交流センター「ぷらっと」のある十和田湖には行かれないようですが。

今後はもう少し光太郎を前面に押し出しての友好都市交流が為されるとありがたいところです。そうしますと、他にも光太郎智恵子所縁の自治体さんはいろいろあるわけで、各地を結んで「光太郎智恵子サミット」なども開かれるといいのですが、なかなか難しいのかもしれませんね。

さて、十和田の皆さん、11月11日(土)の「花巻市探訪ツアー」、ぜひご参加下さい。

【折々のことば・光太郎】

昨日は山百合の花をたくさんお届け下され御厚志まことにありがたく存じました、早速亡父と智恵子との写真に供へましたが殆ど部屋一ぱいにひろがり、実に壮観をきはめ、家の中に芳香みなぎり、山野の気満ちて、近頃これほど爽快に思つた事はありません、智恵子は殊に百合花が好きなので大喜びでせう。厚く御礼申上げます。 尚近く詩集「智恵子抄」を龍星閣から出版しますがお送りします故御註文なさらぬやうに願ひます。


昭和16年(1941)7月20日 宮崎稔宛書簡より 光太郎59歳

「好きだったので」と過去形ではなく「好きなので」と現在形。光太郎の中ではまだ智恵子は生きているのでしょう。

『智恵子抄』の刊行は1ヶ月後でした。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」がらみで3件。

まずは『八戸経済新聞』さん。

十和田湖遊覧船が今期の運航開始 船からしか見られないスポットも

 春の行楽シーズンに合わせ、十和田八幡平国立公園に指定される十和田湖の見どころを船で巡る「十和田湖遊覧船」の今期の運航が4月28日、始まる。
 運航は十和田観光電鉄。奥入瀬渓流側の子ノ口(ねのくち)と乙女の像や飲食店などが並ぶ休屋(やすみや)を結ぶAコースと、休屋を発着点とするBコースを運航する。
 遊覧船は、青森ねぶた祭や八戸三社大祭の山車の題材にも使われる南祖坊(なんそぼう)と八ノ太郎(はちのたろう)の「十和田湖伝説」や、田沢湖(秋田県)・支笏湖(北海道)に次いで全国で3番目に水深が深いことなど、十和田湖にまつわる物語や豆知識の解説を交えながら名所を巡る。ゴールデンウイークの4月下旬~5月上旬ごろは新緑を目前に控えた淡い色合いの景色が広がり、5月中旬~6月上旬ごろは鮮やかな新緑が楽しめる。
 同社によると、中山半島の先端付近で傘のように枝を広げる「見返りの松」や、3キロにわたって断崖が広がる御倉半島の「千丈幕(せんじょうまく)」、火山噴火の影響で形成された赤い岩肌が見られる「五色(ごしき)岩」などは、「船で行かないと見られない名所」だという。
 同社では、マイカーで十和田湖を訪れる場合は有料駐車場のある休屋発着のBコース、観光バスなどで訪れる団体客にはAコースの利用を勧めている。
 料金は、大人=1,650円、小学生=880円。3階に用意するグリーン席の追加料金は、大人=550円、小学生=330円。今期の運航は11月6日まで。
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何度か載せていただきましたが、湖上から見る風景はまた違ったものですし、海とは違い波もほとんど無くおだやかなクルーズです。北国の春を楽しむにはもってこいでしょう。

同じく船の関係で、ローカルテレビ局RAB青森放送さんのニュースから。

八戸港 4年ぶりクルーズ船

 八戸港に4年ぶりに大型客船が寄港しました。
 ことしは初めて外国客船の寄港も予定されるなど、県内観光の盛り上がりが期待されます。
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 けさ八戸港に入港したのは大型客船「飛鳥Ⅱ」5万142トンです。
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 2019年5月以来およそ4年ぶりとなる大型客船の寄港。
 埠頭では地元の観光関係者が大漁旗を振って歓迎しました。
 「飛鳥Ⅱ」は横浜港を23日に出て常陸那珂や大船渡を巡る6日間の船旅です。
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 あいにくの雨模様とはなりましたが、およそ140人の乗客たちはさっそく貸し切りバスに乗り込み十和田湖・奥入瀬渓流や蕪島・種差海岸などに向かいました。
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★神奈川から
Q.どうですか船旅は?
「楽しいです」
「いろいろなところを見て歩きます 乙女の像にも行ってきます」
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★京都から
「きょうだけねちょっと雨が残念ですけれど 奥入瀬初めてなのでものすごく楽しみにしていたんです」
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★VISITはちのへ 阿部寿一 専務理事
「本格的な観光の始まりというのを実感しています おもてなしの心を大切にしてお出迎えに対応していきたいと思っています」

 八戸港にはことし大型客船4回の寄港が予定されています。
 このなかにははじめて外国客船も含まれていて、県内観光の盛り上がりが期待されます。

「コロナ禍」という単語が使われていませんでしたが、「4年ぶり」とくればそういうことなのでしょう。この手のクルーズ船、ただ海上を周遊するだけでなく、寄港地でバスに乗り込み、周辺の観光が為されます。そこで八戸港から十和田方面へも。ありがたいところです。

最後に、再び『八戸経済新聞』さんから。「乙女の像」の語は出てこないのですが……。

青森・黒石の作家が「青森だいすきシール南部版」制作 青森愛をシールで表現

 青森県黒石市でイラストを手がける「青森のあやちか」さんが八戸を中心とする青森県南部地方の名所や名物のイラストを集めた「青森だいすきシール南部版」を制作し、4月16日に販売を始めた。
 はがきサイズほどのシートに、「八戸三社大祭」の山車、「八戸えんぶり」の烏帽子(えぼし)、郷土玩具「八幡馬」、国宝「合掌土偶」、郷土菓子「南部せんべい」、横浜町の菜の花畑や十和田市の奥入瀬渓流の風景など、南部地方の名所や名物をちりばめた。イラストはタブレット端末とタッチペンで描き、手描き風に仕上げた。
 青森のあやちかさんは青森市出身。県外で創作活動をしながら社会人生活を送っていたが、コロナ禍を受け黒石市に移住。久しぶりに住んだ青森県で「何となく描いたのがリンゴだった」といい、これをきっかけに青森県を題材にしたイラストを描き始めた。SNSに投稿したイラストを見た人からは「かわいい」「とても良い」などの反応があり、「シールにすれば、いろいろな人に喜んでもらえる」と考えたと言う。
 昨年11月、「ねぶた」「ねぷた」の山車や、「青森りんご」「大間のマグロ」などの特産物・海産物、「岩木山」「弘前の桜」など津軽地方の名物・風景を描いたイラストを1枚のシートに集めた「青森だいすきシール」を制作し、「松の湯交流館」(黒石市中町)・青森県観光物産館アスパム(青森市安方)の「青森県地場産セレクト」などで販売。シールを見た人から「南部や下北のイラストも描いてほしい」などのメッセージが複数寄せられ、「南部版」の制作を始めた。
 SNSに寄せられたメッセージや図書館で読んだ資料などを参考にイラストを制作。これまで縁がなかった旧南部領の祭り、文化、観光スポットなどを描くことで「自分の中の『青森』は津軽地方が中心だったと感じた」と話し、南部版の完成によって「自分が知らない青森の物がまだあると気づいた」と振り返る。「青森の文化や歴史を調べると、とても面白い。古くからあるものを今でも取り入れて生活できている青森を、面白くいとおしく感じる」とも話し、現在は下北版の制作に向けて準備を進める。
 完成した南部版について「メモ帳や土産品など、いろいろなところにペタペタと貼って楽しんでほしい」と呼びかける。
 価格は500円。カネイリのミュージアムショップ(八戸市三日町)・番町店(番町)・イオンモール下田店(おいらせ町中野平)・さくら野弘前店(弘前市城東北3)、青森県地場産セレクト、松の湯交流館で扱う。
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「青森だいすきシール南部版」、右下に「乙女の像」がきっちり描き込まれています。

昨年末でしたか今年はじめくらいでしたか、イラストを描かれた「青森のあやちか」さんから当方のツイッターアカウントに「乙女の像」をイラスト化して使っていいものかどうかというご相談がありまして、「全く問題ありません」的な返答を致しました。公共空間に設置された彫刻ですし、実際、いろいろイラスト化なども為されています。

十和田市ご当地ナンバー。
ハローキティ十和田湖限定乙女の像バージョン。
十和田湖ひめます認証店ロゴ。
青森空港巨大ステンドグラス「青の森へ」完成披露除幕式。

漫画家の能町みね子さんにいたっては、「乙女の像」を主人公にした漫画まで描かれています。

というわけで、「乙女の像」、こういった形でも愛され続けてほしいものです。

ところで、昨日、現物が届きました。
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黒石市の有限会社小野商会さんがフェイスブックでシールを紹介されていて、「送付していただけますか」とメッセージを送ったところ、送料120円で送って下さいました。多謝。

ただ、現在のところ、大々的にオンラインでの販売を為さっているサイト等が見あたりません。今後に期待します。

【折々のことば・光太郎】

それつぱかりの金がないのかなあと君は思ふだらうと考へるが事実ないんですよ 文展なんかで子供だましの絵でも平気でふだん画いてる人にとつてははした金にも足りない位の金でせうがそれの出来ない僕には中々はした金ではないんです しかし金はかりたくない 自分でやつぱり作つてからにします

大正3年(1914)3月4日 内藤鋠策宛書簡より 光太郎32歳

「金」は詩集『道程』の出版費用です。内藤は版元の抒情詩社社主でした。

大正元年(1911)のヒユウザン会展では、油絵を寺田寅彦が購入してくれましたが、そうした例は他にほとんどなく、収入といえば僅かな原稿料と、父・光雲の下職としてのもののみ。これではいかん、と、この後、油絵の頒布会を始めますが、当の光太郎自身が遅筆でした。

結局、『道程』の出版は10月。費用は光雲に出して貰っています。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ、青森県十和田市で地域おこし的な活動されている「とわこみゅ」さんからご連絡を頂いていたのですが(1月に「We Love Towada 2023 卓上カレンダー」を購入させていただいた関係でしょう)、紹介すべき事項が多く、後回しになっていました。すみません。

十和田愛を表現した楽曲が完成しました。

 青森県十和田市の市民団体「インバウンド十和田」(会長:米内山和正)では「街なかに賑わいを!十和田市の魅力を音楽で発信!」と題し、音楽文化の<創造・交流・発信>に取組み、地域の愛を表現したオリジナル音楽の制作を通じ、地域を盛り上げる企画者や 参加者(プレイヤー)人口の創出を目的とした事業を行いました。
 楽曲アイデア応募のあった中から、青森県十和田市出身で県外在住の小山田佳苗さんと中野憂さん、2人の共作「色彩は永遠にせせらぐ」を基本とし、他に応募のあったアイデア案を盛り込み制作されました。編曲は、十和田市在住のシンガーソングライター桜田マコトさんが担当し、演奏には同企画の演奏者募集へ応募のあった方など15名が参加されました。
 PV(プロモーションビデオ)の映像制作には、市民団体「インバウンド十和田」米内山和正会長が行い、十和田市の観光名所など1年を通じ撮影された映像と楽器演奏者の映像を盛り込み制作されました。
 完成した楽曲「色彩は永遠にせせらぐ」(しきさいはとわにせせらぐ)は、離れて思い出す故郷(ふるさと)十和田の情景を歌った曲で、青森県十和田市の春夏秋冬を感じ取れる内容となっています。
 また、同企画で生まれた「十和田永久賦」(作詞作曲・向山重考さん)、「Towada Machi」(作詞作曲・チャーリー永井さん)、2つの曲と共に、計3曲の十和田愛溢れる楽曲が発表されました。

「色彩は永遠(とわ)にせせらぐ」、早速、Youtubeで拝見。
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歌詞では「乙女の像」には触れられていませんが、映像にはばっちりと。
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十和田湖や、十和田湖から流れ出る奥入瀬渓流も。
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その他、四季折々の十和田市の風景や、イベント、街の皆さんの営み等がふんだんに。
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タイトル、それから歌詞にも使われている「永遠(とわ)」、「十和田」の「とわ」と掛けているのでしょう。明るく軽快な曲調でありながら、聴いていて不覚にもうるっと来てしまいました(笑)。


「乙女の像」登場は2:02頃と3:22頃です。

全国の町おこし団体や自治体の皆様、ご参考までに。

【折々のことば・光太郎】

琅玕洞は一周年を期して、此の四月十四日を限りに一旦閉店する事に致しました。此は弟の就職と、小生の北海道移住問題と、巴里へ新しい店を出す計画との為めです。

明治44年(1911)4月4日 前田晁宛書簡より 光太郎29歳

このところこの項でずっと「琅玕洞」がらみですが、前年に光太郎が立ち上げた、ほぼ日本初の画廊です。名目上の店主に据えていた実弟・道利の不行跡(客に「あなたにこの絵は解りませんよ」と言ったり、閉店時間になれば客がいようがいまいが照明を落としたり)などもあって、経営的にはまるで成り立たず、わずか1年で譲渡。店は存続しますが、性格は変わっていきます。
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光太郎自身は北海道に移住して酪農で生計を立てつつの芸術制作を夢みていました。そしてゆくゆくはパリに店を出すという計画が語られています。この書簡を見つけるまで、そんな計画があったことはわかっていませんでした。

1月ももう終わりですが、今年のカレンダーを新たにゲットしました。

We Love Towada 2023 卓上カレンダー

青森県十和田市の春夏秋冬をイラスト化したWe Love Towada カレンダー2023卓上カレンダーです。

こちらのカレンダーは、ハガキサイズの月めくり卓上タイプで、青森県十和田市出身のデザイナー藤森加奈江さんがデザインしたものです。

お買い求めは、道の駅とわだや十和田市内各所、とわこみゅオンラインショップでご購入できます。

価格 ¥1,100円 (税込)
※オンラインで購入の場合は、別途送料300円加算されます。

販売場所
・とわこみゅオンラインショップ (販売中) → 購入ページはこちら
・道の駅とわだ (1月上旬から予定)
・十和田市観光物産センター(1月上旬から予定)
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光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」がデザインされています。

まず表紙的な1枚。下部中央やや右の位置に。
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1月も小さく右の方に。
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2月は像のシルエットが大きく。
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7月は像がメインです。
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4回も使っていただき、ありがたし。

他に、奥入瀬渓流、北里大学さん、官庁街通りなどの風景や、イベントとしての桜流鏑馬、夏の花火大会などがあしらわれています。

オンラインでも注文可。ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

何卒御養生十分被遊たく存上候 東山の翠微鴨川の清流朝夕の御薬と存じまゐらせ候

明治30年(1897)頃8月9日 高村光雲宛書簡より 光太郎15歳頃

この項、今日より書簡から抜粋します。

現在確認できている3,500通余りの光太郎書簡のうち、最も古いと推定されるものから。封筒が欠けているのですが、京都に出張中の父・光雲に宛てたものです。光雲、どうも出張先で体調を崩したらしく、それを気遣う文面となっています。光太郎、この頃はまだ孝行息子でした。

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