光太郎がその人生の大半を過ごした地・東京市本郷区(現・東京都文京区)。
そちらに本部を置く文京建築会さんで、平成23年(2011)から「文京・見どころ絵はがき大賞」を開催していらっしゃいます。当方、寡聞にして存じませんでした。
まず、過去11年間の優秀作品を展示している受賞作品展が、盛岡市の深沢紅子野の花美術館さんで、先月から開催中です。文京区さんと盛岡市さん、そういえば友好都市的な関係でした。
盛岡市と友好都市でつながる東京都文京区で、“あなたが見つけた文京の見どころ”をテーマに毎年開催の人気コンテストです。今回は、その「文京・見どころ絵はがき大賞」(主催:文京・見どころ絵はがき大賞実行委員会)のこれまでの歴代受賞作品を展示。はがきの中に、それぞれの方の思い出が詰まっています。力作多数。入場無料となっております。どうぞお気軽にお立ちよりください。
今年度の大賞展作品募集も行われています。
絵心のある方、文京区愛に溢れる方、ぜひご応募を。
【折々のことば・光太郎】
西山勇太郎氏風間氏と同道くる、写真撮影、 椛澤さんくる、 藤島さんくる、廿八日午后五時築地万安にて委員会解散式をやること、会費2000円のこと藤島さんより話、
「西山勇太郎氏」は詩人。辻潤や萩原朔太郎とも交流がありました。光太郎歿後には光太郎若き日のスケッチ帖『赤城画帖』を編集、『智恵子抄』版元の龍星閣から出版しています。
「風間氏」は風間光作。やはり詩人で、光太郎に自著の題字揮毫をしてもらったりした他、光太郎歿後には「高村光太郎詩の会」を立ち上げ、顕彰活動にあたりました。
「椛澤さん」は椛沢佳乃子(ふみ子)。茶道家で、戦時中からの光太郎ファン。駒込林町のアトリエ兼住居、戦後の花巻郊外太田村の山小屋などもたびたび訪れていました。
「藤島さん」は藤島宇内。当会の祖・草野心平の『歴程』に依った詩人でしたが、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作に際し、「在京建設委員」として青森県との交渉役等を精力的にこなしました。「委員会解散式」もこれに関わります。
この日の写真が、風間が発行していた『高村光太郎詩の会会報 第66号』(昭和44年3月)に掲載されています。
そちらに本部を置く文京建築会さんで、平成23年(2011)から「文京・見どころ絵はがき大賞」を開催していらっしゃいます。当方、寡聞にして存じませんでした。
まず、過去11年間の優秀作品を展示している受賞作品展が、盛岡市の深沢紅子野の花美術館さんで、先月から開催中です。文京区さんと盛岡市さん、そういえば友好都市的な関係でした。
文京・見どころ絵はがき大賞 2011-2021 受賞作品展
期 日 : 2022年8月6日(土)~9月25日(日)
会 場 : 深沢紅子 野の花 美術館 1階ロビー 盛岡市紺屋町4-8
時 間 : 10:00~17:00 (最終日は15時迄)
休 館 : 月曜日(祝祭日の場合はその翌日)
料 金 : 無料(他展示は有料)
盛岡市と友好都市でつながる東京都文京区で、“あなたが見つけた文京の見どころ”をテーマに毎年開催の人気コンテストです。今回は、その「文京・見どころ絵はがき大賞」(主催:文京・見どころ絵はがき大賞実行委員会)のこれまでの歴代受賞作品を展示。はがきの中に、それぞれの方の思い出が詰まっています。力作多数。入場無料となっております。どうぞお気軽にお立ちよりください。
今年度の大賞展作品募集も行われています。
第11回 文京・見どころ絵はがき大賞
大募集中です! ふるってご応募ください!
「文京・見どころ絵はがき」を作って送ってください。今回の締め切りは9月30日(金)当日消印有効です。文京区長賞、郵便局長賞、林丈二賞、(友好都市)盛岡市長賞、テーマ賞など様々な賞を予定しております!!
※今年のテーマ部門は「文京の樹」
【応募期間】 ~ 9月30日(金)消印有効
【応募方法】 官製はがき大サイズ(10cm×14.8cm)
スケッチ・イラスト・写真など表現は自由
スケッチ・イラスト・写真など表現は自由
100字以内の文章をはがきの表または裏にそえてください。
文京区に興味のある方ならどなたでも年齢を問わず応募できます。
【表彰対象】 文京区内の見どころを発見し、その価値が十分に表現された絵はがき作品
【応募先】 〒112-0003 東京都文京区関口1丁目43番5号B1F
文京春日郵便局留 文京建築会行
住所、氏名、年令を明記ください。
【表彰式】 2022年12月17日(土)13:00~16:00
文京シビックセンター26階 スカイホール
【展覧会】 2022年12月17日(土)~20日(火)10:00~18:00
文京シビックセンター1階 ギャラリーシビック
※最終日は17:00まで
【問合せ先】 文京・見どころ絵はがき大賞実行委員会
email:ehagaki@bunkyo-arch.org
残念ながら旧駒込林町光太郎(現・文京区千駄木)にあった光太郎アトリエ兼住居は戦災で焼失してしまいましたが、光太郎実家隣の旧安田楠雄邸など、光太郎がいた当時の俤はまだまだ残っています。絵心のある方、文京区愛に溢れる方、ぜひご応募を。
【折々のことば・光太郎】
西山勇太郎氏風間氏と同道くる、写真撮影、 椛澤さんくる、 藤島さんくる、廿八日午后五時築地万安にて委員会解散式をやること、会費2000円のこと藤島さんより話、
昭和28年(1953)12月23日の日記より 光太郎71歳
「西山勇太郎氏」は詩人。辻潤や萩原朔太郎とも交流がありました。光太郎歿後には光太郎若き日のスケッチ帖『赤城画帖』を編集、『智恵子抄』版元の龍星閣から出版しています。
「風間氏」は風間光作。やはり詩人で、光太郎に自著の題字揮毫をしてもらったりした他、光太郎歿後には「高村光太郎詩の会」を立ち上げ、顕彰活動にあたりました。
「椛澤さん」は椛沢佳乃子(ふみ子)。茶道家で、戦時中からの光太郎ファン。駒込林町のアトリエ兼住居、戦後の花巻郊外太田村の山小屋などもたびたび訪れていました。
「藤島さん」は藤島宇内。当会の祖・草野心平の『歴程』に依った詩人でしたが、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作に際し、「在京建設委員」として青森県との交渉役等を精力的にこなしました。「委員会解散式」もこれに関わります。
この日の写真が、風間が発行していた『高村光太郎詩の会会報 第66号』(昭和44年3月)に掲載されています。
左から椛沢、風間、光太郎、藤島です。