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昨年もおおむね同じ内容で開催されたワークショップです。

永岡綾『製本家とつくる紙文具』ワークショップ 第10期⑤文庫本の改装〜ドイツ装~ at TEGAMISHA BOOKSTORE

期 日 : 2025年4月20日(日)
会 場 : TEGAMISHA BOOKSTORE 東京都立川市緑町3-1 グリーンスプリングス1階
時 間 : 13:30~17:00
料 金 : 5,300円(税込)

講 師 : 永岡綾
編集者。ときどき、製本家。イギリスでブックバインディング(製本)の基礎を、また製本家・伊藤篤氏に師事してルリユール(工芸製本)を学ぶ。著書に『週末でつくる紙文具』『製本家とつくる紙文具』(グラフィック社)、『ぼうけん図書館 エルマーとゆく100冊の冒険』(ブルーシープ)、編著書に『本をつくるー職人が手でつくる谷川俊太郎詩集』(河出書房新社)。編集の仕事に『エルマーのぼうけん展』『谷川俊太郎 絵本★百貨典』『クマのプーさん展公式図録 百町森のうた』『アーノルド・ローベルの全仕事』(すべてブルーシープ)などがある。noteにて、製本にまつわるあれこれを執筆中。
note)http://note.com/reliure

2017年12月に調布(柴崎)の書店でスタートし、その後オンライン、吉祥寺、文箱(松本店)、西調布のTEGAMISHA BOOKSTOREと場所を変えながら、毎月開催している「製本家とつくる紙文具」。ノートやファイルづくり、書籍の改装など、現在までに合計約80回、のべ800名以上の方に参加いただいている人気のワークショップです。

そして2026年5月からは、TEGAMISHA BOOKSTOREの移転に伴い、立川・グリーンスプリングスでの開催となります! 今まで通ってくださった方はもちろん、立川近辺の皆様もよろしくお願いいたします。

製本技術を使った紙文具作りを教えてくれるのは、2017年に『週末でつくる紙文具』(グラフィック社)を、また2025年には同書に16ページ・5アイデアを追加した増補版『製本家とつくる紙文具』(グラフィック社)を出版された永岡 綾さん。本業は編集者でありながらも、イギリスで製本技術を学ばれ製本家としても活動されています。

2026年1月からの第10期では、『製本家とつくる紙文具』に掲載の作品や、アレンジを加えた作品を教えていただいています。5月にトライするのは本ワークショップでも人気の「ドイツ装」 。「 ドイツ装」とは、表紙の「背」と「平(ヒラ)*表表紙と裏表紙の部分」に別の素材を使った「継ぎ表紙」のこと。今回のワークショップでは、背にはお好きな色のブッククロスを、平には手紙社のオリジナルペーパーからお好きな柄を選び、自分だけの組み合わせをお楽しみいただけます。

表紙に使う手紙社のオリジナルペーパーは、なんと約400種!! ブッククロスのほか花布、栞ひも、見返しは複数色の中からお選びいただけますので、組み合わせを楽しみながら、あなた好みの一冊を完成させてください。コントラストをきかせた色選びをして、キリっと端正な佇まいにするのもおすすめです。

仕上がりは、しっかりとしたハードカバーにより、上製本の安定感がありつつも、どこか軽やか。表紙にはお好きな文字で箔押しを。本のタイトルを入れるもよし、所有者のお名前を入れるもよし、模様を加えるもよし。自分だけの愛おしい一冊となりそうです。
*箔押しに関しては、もしも時間内に終えられなかった場合は、材料をお渡ししご自宅にて行なっていただきます。その場合も手順をお伝えしますのでご安心ください。

また今回は参加費に文庫本代が含まれますので、受付時に以下よりお好きなものをお選びください(在庫がある分に関しては、当日の変更も可能です)。
*5/14以降にお申し込みの場合は、発注時期の関係上、ご希望に添えない場合がございますので予めご了承ください。

– – – – –
<文庫本ラインナップ>

 『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)   『注文の多い料理店』(宮沢賢治)
 『檸檬』(梶井基次郎)      『グッド・バイ』(太宰治)
 『走れメロス』(太宰治)     『桜桃』(太宰治 )
 『蜘蛛の糸』(芥川龍之介)    『地獄変』(芥川 龍之介 )
 『風たちぬ』(堀辰雄)      『みだれ髪』(与謝野晶子)
 『悲しき玩具』(石川啄木)    『智恵子抄』(高村光太郎)
 『家霊』(岡本かの子)      『堕落論』(坂口安吾)
 『一房の葡萄』(有島武郎)    『李陵・山月記』(中島敦)
 *全てハルキ文庫からのご用意となります。

手紙社のオリジナルペーパーを使って、製本技術を学びながら紙文具作りを行う「製本家とつくる紙文具」ワークショップは、各回新たな製本の技を習得しながら、わかりやすく教えていただけるので、1回のみの参加も大歓迎です。

本の改装ができるようになると、本棚の蔵書をおそろいに仕立て直したり、自作の本を特装版に仕立てたり、大切な人へのギフト本を特別に装丁したりと、楽しみは膨らむばかり……! ぜひお気軽にご参加ください。

<当日のスケジュール>
開催日:2026年5月24日(日) 
◎13:30 集合(受付は13:00〜です)
集合5分前までに、レジにて受付を行ってください
◎13:30〜17:00ワークショップ(3時間半)
400種ほどある中から表紙に使う紙を10分ほどでお選びいただきます。
紙は11:00〜13:30の間も店内にてじっくりご覧いただけます。
◎17:00終了予定
当日の状況により、終了時刻は前後する場合もありますのでご了承ください。
*ご希望の方にはご自宅で復習できる材料も販売いたします(参加者限定)。
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書籍を自分好みの装幀に変えるという方法。海外ではけっこう一般的だったそうで、そこで「フランス装」「ドイツ装」などの分類があるようです。

書架に書籍を並べると、大きさ、背の色や文字のフォントなど、とにかくバラバラです。それが嫌で統一感を持たせたい、さらに分類ごとに色を変えたりなどといった意図もあるのだと思われます。洋画などで見かける富裕層の書斎、見事に整った書架を見かけることがありますね。

手持ちの古書の中にも、元の持ち主が装幀したのが明らかに分かるものが複数あります。ほぼ雑誌の合本ですが。背の文字など、金の箔押しになっていたりします。製本所などに頼んで作ってもらったんだろうな、という感じです。

光太郎著書でもそういうものを一冊ネットで入手したことがあります。元々、函なしカバー付きで出版されたものですが、函がついていてその函のデザインが元々のカバーと同じ。「「異装本」ってやつか?」と思って購入し、よく見てみると、カバーを裁断して別の函に貼り付けてあるものでした。手が込んでいましたが、オリジナルのカバー付きが既に手元にあったので、二冊あっても仕方ないと、自装本の方は古書店に売りました。

そういう自装本を作ろう、というワークショップです。

素材となる本はすべてハルキ文庫さんのラインナップで、昨年と同一。『智恵子抄』(平成23年=2011)も入っています。
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ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 12 『高村光太郎詩集』岩波文庫

昭和30年(1955)3月25日 岩波書店 高村光太郎著
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目次
 はしがき
 「道程」より
   失はれたるモナ・リザ 根付の国 画室の夜 寂寥 声 風 新緑の毒素 廃頽者より
   『心中宵庚申』 夏 けもの 父の顔 あをい雨 夏の夜の食慾 犬吠の太郎
  さびしきみち 狂者の詩 戦闘 カフエにて 山 冬が来た 冬の詩 牛 道程
  万物と共に踊る 秋の祈
 「道程」以後
  わが家 小娘 花のひらくやうに 丸善工場の女工達 米久の晩餐
  雨にうたるるカテドラル 落葉を浴びて立つ クリスマスの夜 鉄を愛す
  とげとげなエピグラム 清廉 月曜日のスケルツオ 白熊 傷をなめる獅子
  車中のロダン 葱 後庭のロダン 無口な船長 象の銀行 十大弟子 苛察
  ミシエル・オオクレエルを読む 火星がでてゐる 怒 偶作四篇 花下仙人に遇ふ
  母をおもふ 冬の言葉 旅にやんで ぼろぼろな駝鳥 当然事 首の座
  孤独が何で珍らしい 刃物を研ぐ人 のつぽの奴は黙つてゐる 偶作 七 村山槐多
  ばけもの屋敷 象 孤坐 手紙に添へて 団十郎像由来 つゆの夜ふけに 冬 へんな貧
  蝉を彫る 救世観音を刻む人
 「智恵子抄」より
  人に 郊外の人に 深夜の雪 人類の泉 僕等 晩餐 樹下の二人 鯰
  あなたはだんだんきれいになる あどけない話 美の監禁に手渡す者 人生遠視
  風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人 レモン哀歌
  荒涼たる帰宅 亡き人に 梅酒
 あとがき(奥平英雄)

この手のものとしては、光太郎生前最後となりました。また、この手のもので唯一、光太郎本人による「はしがき」が収められています。

編集は光太郎と親しかった美術史家の奥平英雄。収録詩の選択には光太郎の意図もかなり反映されているようです。

手持ちのものは昭和51年(1976)の第25刷です。カバーデザインは変わりましたが現在でも版を重ねています。

5月1日(金)の『東京新聞』さんから。コラムニスト・泉麻人氏の連載です。

あの町、このメシ 上野アメ横で西郷丼 『酒亭 じゅらく 上野店』 ぐるり東京

020“西郷像”をスタートして、目指すは“西郷丼”。晩春の上野さんぽ
 上野の西郷さんの前にやってきた。上野公園の一角にあるこの西郷隆盛像ほどポピュラーな銅像は他にないだろう。没後20年ほど経った明治30年代に高村光雲が手掛けた西郷像、脇に従えた薩摩犬のツン(ウサギ狩りにいくところらしい)も含めて、キャラが立っている。もっとも、西郷の顔だちは歴史書でもおなじみのキヨッソーネ作の肖像画をお手本にしたものらしく、そもそも弟の従道と親戚の大山巌のルックスをベースにしたもだという。
 あいにくの雨だったが、多くの観光客でにぎわう上野公園。取材時(4月中旬)には、若葉が出始めた桜の木が公園を彩っていた。
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 そこを始点に公園内を歩き始めた。桜の花の季節は過ぎ、動物園にパンダもいなくなったが、依然外国人の姿は多い。ここにくるといつも立ち寄る上野大仏(震災、戦災からしぶとく残った顔だけ飾られている)は、もう閉場の夕方4時を過ぎて拝めなかったけれど、五條天神や花園稲荷の参道を通りぬけて崖下の不忍池の方へ入った。弁天堂の周辺に建立された「めがね之碑」とか「スッポン感謝之碑」とか、昔からの上野の商業者たちが立てたユニークな石碑を瞥見(べっけん)して、池の南側を回って上野広小路東側のアメ横の一帯にやってきた。
 今回のターゲットは海産物や輸入雑貨の小店が並ぶブロックのさらに東方、JR高架線の狭間に続く飲み屋横丁の「酒亭 じゅらく」という店。西郷さんの銅像の前から出発したのは、ここの人気メニュー「西郷丼どん」というのをいただきたいからなのである。
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1日限定10食のランチメニュー「西郷丼」(2315円)。味噌汁とお新香付き。
 西郷丼というのを……、なんて書き方をしたけれど、僕はもう20年くらい前にこれを味わっている。場所は、西郷像の脇の崖際に存在した上野松竹デパートだったか、上野百貨店だったか……古びたショッピングビルのなかに入っていた「レストラン聚楽台」という同じ“じゅらく”系の店。確か、西郷丼がメニューに登場してまもない頃だったはずだが、その構造が当時のエッセー(『なぞ食探偵』)に記述されている。
 「アジサイの絵柄の大きな丼に、なんともゴージャスな具が盛り付けられている。真ん中にホウレンソウで縁どりされた温泉玉子が置かれ、豚の角煮(三個)、サツマ揚げ、明太子、鶏そぼろ、サツマイモ天、といった面々がそれを取り囲む。」
 要するに薩摩料理のラインナップを揃えた丼メシ、といったものだったが、大したボリュームだったことを覚えている。ちなみに西郷像脇のビルは「UENO3153」という新式のビルに改築されて「聚楽台」は入っていない。レストランとしては「じゅらく上野駅前店」というのがこの並びにあるけれど、西郷丼はここ酒亭(居酒屋)の看板メニューになっているようだ。
 夜はもちろん、昼飲みにも対応。玉子焼きなどの定番メニューや季節のアテとともに一杯いかが。
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 さて、久しぶりに注文した西郷丼、具の布陣は20年前と多少変わっていた。豚の角煮(鹿児島産黒豚使用)、明太子、温泉玉子といったあたりは不動だが、鶏そぼろは「さつま純然鶏もも岩塩焼き」という本格派に置き換わり、「きびなごの唐揚げ」が加わって、さつま揚げには西郷さんのキャラ絵が刻まれている。しかし、メシは悠々茶わん2杯分くらいはあって、相変わらずのボリュームでごわす。
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 お話を伺った店の責任者(レストラン営業1部業態リーダー)・川喜多淳一さんの名刺に〈笑顔をつないで100周年 1924〉と記したロゴマークが入っているが、1924年(大正13年)というのは関東大震災の翌年であり、「須田町食堂」という当初の店はその名のとおり、神田須田町交差点の名所・広瀬中佐像の西向かいあたりにあったという。
 15歳で新潟から上京した加藤清二郎という人物が創業者。リーズナブルな洋食(コロッケやハムライス)が震災後の新東京でウケて、とりわけ上野駅前の何軒かの店は、戦後の高度成長時代の上京者が初めて味わう洋食として知られるようになった。食堂にとどまらず、デパート、旅館業へと手を広げたが、ひと頃深夜のテレビでCMをよくやっていた「じゅらくよ〜」とマリリン・モンローのそっくりモデルがささやく伊東や水上の温泉ホテルももちろんココと同じ「じゅらく」だ。

今回訪れたお店
酒亭 じゅらく 上野店
住所 東京都台東区上野6-11-6
電話 03-3831-9640
営業時間 11:30~23:00(日曜、祝日11:30~22:00)
定休日 無休
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イラスト・なかむらるみ

上野で「じゅらく」というと、ファミリーレストランのさきがけのような「レストラン聚楽」が思い浮かびますが(幼い頃に行ったような記憶があります)、今回の「酒亭 じゅらく」さんも同じ聚楽グループのようです。聚楽グループといえば、一定以上の世代の方は『東京新聞』さんにもある「じゅらくよ~ん」というテレビCMが思い浮かぶと思われますが、そちらは同グループのホテルのCMでした。

「レストラン聚楽」は大正13年(1924)に神田須田町で開業した「須田町食堂」が最初で、翌14年(1925)には4店、昭和に入ってからは年間平均5店というハイペースでチェーンを広げたそうです。その中で上野が本拠となっていったようです。

大正15年(1926)12月、宮沢賢治が上京し、駒込林町の光太郎住居兼アトリエを訪問しました。その際、光太郎と賢治、それからもう一人の三人で、上野の聚楽に行って会食したという伝聞が、賢治研究の方面でまことしやかにまかり通っていた時期がありました。1970年代に出た『校本 宮沢賢治全集』の古い版の年譜の項に、そう書かれていたというのです。

しかし光太郎の回想には、賢治が訪ねてきたものの、アポ無しだったし、手が離せない状況だったため、玄関先で「明日もう一度来てくれ」と言って別れたと書かれています。おそらくその通りで、聚楽で三人で鍋をつついたというのはそう証言した人物の記憶違い、賢治や光太郎ではない誰かとの混同ということで落ち着いています。

ところが1970年代に出た『校本 宮沢賢治全集』の古い版の年譜だけ見て、未だに聚楽での会食があったと思い込んでいる人もいるようで、時折、ネットでそうした記述を見かけます。困ったものです。

閑話休題、 「酒亭 じゅらく」さんの「西郷丼」、ぜひご賞味あれ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 8 『高村光太郎選集 Ⅳ 芸術論 下』

昭和27年(1952)9月15日 中央公論社 高村光太郎著
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4函 4扉 4奥付
目次
 印象主義の思想と芸術
  一 概観 二 エドワール マネ 三 クロード モネ及び新印象派画家
  四 アルフレ シスレー
 五 カミーユ ピサロ 六 オーギユスト ルノワール
  七 エドガー ドガ其他
 八 ポール セザンヌ、附、後期印象派 九 附言 年表
 芸術雑感
  第三回文部省展覧会の最後の一瞥 緑色の太陽 ノラの型 詩歌と音楽
  ミラノの本寺とダ・ヰ゛ンチの壁画 芸術雑話 七つの芸術 芸術鑑賞その他
  彫刻に何を見る
 人と作品
  ホヰツトマンの事 ホヰツトマンのこと ヹルハアラン ドナテロ小感 アンドレ ドラン
 月報 詩人と彫刻家 豊島与志雄 高村さんの近況 草野心平 無機 松下英麿

全6巻で刊行の『高村光太郎選集』第5回配本です。

開催中の企画展示についての報道を2件。

まずは京都から、『京都新聞』さん記事。

裂、糸、色… 染織家・志村ふくみさんの創作を支える言葉たち 根底にある思いは

  細見美術館(京都市左京区)で開催中の特別展「志村ふくみ 百一寿 -夢の浮橋-」では、紬織(つむぎおり)の人間国宝・志村ふくみさん(101)にまつわる数々の「言葉」に触れられる一角がある。
 作品の制作過程で生まれた「裂(きれ)」や紬織の根底をなす「糸」、自然が生み出す「色」…。随筆家でもある志村さんはそれらが持つ意味を、言語化して人々に伝えてきた。そして、詩人や歌人、文学者らが残した言葉に刺激を受け、活動の糧としてきた。
   志村さんの世界観を紹介する展示室に足を踏み入れると、詩人・高村光太郎(1883~1956年)が1932(昭和7)年に詠んだ詩「五月のウナ電」を志村さんが筆で写し、大小さまざまな裂で彩った作品が目に入る。ウナ電とは、かつてあった緊急電報のこと。宇宙から地球上のさまざまな動植物に向け、それぞれの生を謳歌(おうか)するよう警告を発する内容だ。
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高村光太郎の詩「五月のウナ電」を志村さんが自らの筆と裂で表現した作品

 今回の展示にゲスト企画者として携わった芸術学校「アルスシムラ」講師で、志村さんの弟子でもある染織家の外山もえこさんは「(志村さんは)この詩を人間への警告と受け取ったようです」と言う。自身の作品は自然の持つ命をいただいてできている、との信念を持つ志村さんならではの着眼点が表れていると言えるだろう。
   展示室には、志村さん自身が紡いだ言葉の自筆作品やパネルも並ぶ。裂は「糸のあわいから、響いては消えてゆくかすかなさざめきが、聞こえるかも知れない」。蚕がもたらす糸は生きていて、「抱きしめたいほどにいとし」く、色は「木の精なのです」(いずれも随筆集「一色一生」より)。志村さんが箱に収めてきた小さな裂も展示されている。
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志村さんの詩「裂によせて」の自筆作品

 2014年の随筆「冬の湖」は、生まれ故郷である湖国の自然への賛歌だ。JR湖西線に揺られて見た、枯れた葦(あし)と琵琶湖、雪。3者が織りなす色の対比を、「藍と金と白に立ち昇るのだ」と表す。
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故郷である滋賀の風景が放つ「色」を表した随筆

 特別展は5月31日まで。午前10時~午後5時。有料。5月4日を除く月曜と5月7日は休館。同館と京都新聞の主催。

細見美術館さんで開催中の特別展「志村ふくみ 百一寿 ―夢の浮橋―」の紹介です。

光太郎詩「五月のウナ電」(昭和7年=1932)をモチーフとした裂(きれ)。令和5年(2023)、都内の銀座大黒屋ギャラリーさんで開催された「志村ふくみ氏・洋子氏母子の作品展示販売会 五月のウナ電」の際にも展示されたものです。

続いて都内、『朝日新聞』さん。こちらは文京区立森鷗外記念館さんで開催中の特別展「近代文学でよむ文(ふみ)の京(みやこ)の坂と名所」について。

森鷗外や樋口一葉が表現した坂 森鷗外記念館で春の特別展

 文京区内の坂や名所について描写された、明治から昭和初期の近代文学が展示されている。
 森鷗外記念館(文京区)で春の特別展「近代文学でよむ文の京の坂と名所」が11日から開かれている。区内に数多くある坂や名所がどう描かれてきたのかに着目し、実際の地図に落とし込んで紹介する展示もある。6月28日まで。
 「坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広いこの坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲して附いている」。森鷗外は「青年」で根津神社の周辺をこう表現した。他にも樋口一葉や永井荷風らが表現した、区内17カ所の名所や坂の当時の情景を、一節を通して紹介する。
 展示の後半では、森鷗外がかつて暮らした千駄木に焦点を当てる。鷗外のほかにも高村光太郎や夏目漱石、江戸川乱歩なども住んでいたとされ、それぞれの作品からかつての町の様子や人々の暮らしを読み解くことができる。
 同館司書の岩佐春奈さんは「すでに行ったことのある坂や、よく歩く坂について、当時と現在との違いを楽しめる。また、展示をきっかけに興味を持った場所にこれから出かけてみるのもいいのでは」と話す。
 観覧料は600円。問い合わせは同館(03・3824・5511)へ。
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この手の報道を見て「こんなんやってたんか? じゃぁ行ってみよう」という向きも少なからずいらっしゃるはずですので、ありがたいところです。

まだという方、こんなんやってるんで、じゃあ行ってみて下さい(笑)。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 1 『高村光太郎詩集』

昭和22年(1947)7月5日 鎌倉書房 草野心平編
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目次
 Ⅰ
  寂寥 新緑の毒素 はかなごと 父の顔 さびしきみち 戦闘 道程 万物と共に踊る
  秋の祈 小娘 序曲 米久の晩餐 かがやく朝 雨にうたるるカテドラル 沙漠
  冬の送別 五月のアトリエ 鉄を愛す 無口な船長 火星が出てゐる 氷上技戯 葱
  触知 晴天に酔ふ 冷熱 偶作十二 少年を見る 或る墓碑銘 冬の奴 怒 母をおもふ
  冬の言葉 刃物を研ぐ人 花下仙人に遇ふ 街上比興 その詩 首の座
 Ⅱ
  クリスマスの夜 ラコッチイ・マアチ 車中のロダン 後庭のロダン 聖ジャンヌ
  十大弟子 旅に病んで 存在 耳で時報をきく夜 村山槐多 レオン ドウベル 南極
  つゆの夜ふけに 芋銭先生景慕の詩 老耼、道を行く
 Ⅲ
  清廉 傷をなめる獅子 苛察 雷獣 龍
 Ⅳ
  人類の泉 僕等 愛の嘆美 晩餐 樹下の二人 鯰 夜の二人
  あなたはだんだんきれいになる 同棲同類 美の監禁に手渡す者 山麓の二人
  ばけもの屋敷 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 レモン哀歌
  荒涼たる帰宅 亡き人に 梅酒
 覚書 草野心平

比較的長期に亘る作品群から、主として光太郎以外の人物がセレクトして編んだものを『選集等』としてご紹介していきます。

まずは光太郎単独のものからですが、意外といえば意外、戦後になるまで、光太郎単独でのこの手のものは出されていませんでした。3人で一冊、とかはありましたが。

編集は当会の祖にして最も光太郎と親しかった詩人と言える草野心平でした。心平はこの後、何度もこの手の出版に携わっていきます。

本来はカバー付きですが、当方手持ちの者は裸本です。

昨日は都内に出ておりました。

メインは日本橋人形町で開催された講談の公演「一龍齋貞奈芸歴10周年記念講談会」でしたが、その前に文京区千駄木の区立森鷗外記念館さんでの特別展「近代文学でよむ文の京の坂と名所」を拝観しましたので、まずはそちらからレポートいたします。

6月6日(土)には本展監修に当たられている東海大学さんの大木志門教授による関連行事としてのご講演「文京から花開いた文学散歩―野田宇太郎と観潮楼を起点に」があり、申し込んでいるのですが、抽選に当たるかどうか分かりませんし、何より早く見ておきたいと考えまして、昨日お邪魔しました。

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明治24年(1891)から東京美術学校の教壇に立った鷗外。光太郎もその講義を聴き、卒業後も交流は続きました。光太郎はこの場所にあった鷗外自邸の観潮楼での歌会に参加したこともありますし、それから大正6年(1917)には酔ったはずみで鷗外の悪口を披瀝(光太郎は否定していますが)、それを聞きつけた鷗外にここに呼び出され、こっぴどく怒られました。呼び出される直前に光太郎が送った釈明の書簡が新たに出て来て、同館で令和4年(2022)に開催された特別展「鷗外遺産~直筆原稿が伝える心の軌跡」で展示されたこともありました。

そんなこともありつつも鷗外は光太郎の才を買い、明治42年(1909)の光太郎の徴兵検査では手心を加え(鷗外は軍医総監でしたので)、徴兵免除にしてやっています。光太郎の父・光雲が裏で手を回したようですが。

エントランスでは鷗外先生がお出迎え。地下展示室のホワイエでも。
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光太郎の魂を背負って歩いていると自負する当方としては、自身が怒られているようで思わず「すみません」と心の中で謝ってしまいます(笑)。

右上はオンラインゲーム「文豪とアルケミスト」中の鷗外。配信元のDMM GAMESさんとのタイアップ企画で、他にも光太郎、鷗外、室生犀星、江戸川乱歩の等身大パネルも門番のように佇んでいます。
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中央は武石弘三郎作の鷗外像。

さて、展示を拝見。

最近、ちょっとしたブーム(これも「文豪とアルケミスト」などの影響があるようですが)の文学散歩的な要素を前面に押し出し、文京区内の「坂」と「名所」を古写真や錦絵などを使って紹介し、そこを題材とした近代文学作品の一節をパネルに印刷、掲載誌なども並べるという構成です。

「坂」は、この場所である団子坂をはじめ、無縁坂、切通坂、富坂、庚申坂、切支丹坂。「名所」は根津神社、東京帝大、森川町、湯島天神、本郷三丁目、お茶の水、江戸川(神田川)、砲兵工廠、牛天神、蒟蒻閻魔、伝通院、護国寺、小石川植物園、吉祥寺、そしてこの場所・千駄木。

その作品の一節等が使われたのは、鷗外を筆頭に、石川啄木、泉鏡花、江戸川乱歩、尾崎紅葉、川端康成、北原白秋、幸田露伴、佐藤春夫、志賀直哉、島崎藤村、高浜虚子、谷崎潤一郎、田山花袋、寺田寅彦、徳田秋声、徳永直、永井荷風、中野重治、夏目漱石、野上弥生子、樋口一葉、二葉亭四迷、正宗白鳥、宮本百合子、武者小路実篤、室生犀星、森田草平、横光利一、吉井勇、吉屋信子、若山牧水、そして我らが光太郎。かなりの人数です。文京区おそるべし、と思いました。

しかしこれ以外にも、文京ゆかりの文人はまだまだいます。思いつくまま挙げてみれば、犀星との関係で萩原朔太郎もこのあたりを訪れていますし、大正10年(1921)には国柱会がらみで宮沢賢治が本郷菊坂に居住、平塚らいてう(森田草平の『煤煙』で少し紹介されましたが)は駒込曙町で育ち、観潮楼のすぐ近くで『青鞜』を創刊しました。さらに当会の祖・草野心平は光太郎アトリエ兼住居にいりびたって時にはゲロを吐いて酔いつぶれたり(笑)……。他にも坪内逍遥、中里介山、林芙美子あたりも足跡を残しているはず。まぁ、「坂」や「名所」に関する紹介すべき適当な文章が見つからないというようなこともあるのかもしれませんし、きりがないということにもなるかもとも思いました。

光太郎については、主に3ヶ所。

まずアトリエ兼住居のあった千駄木の項で、詩「平和時代」。初出の『文藝春秋』第6巻第1号(昭和3年=1928)で掲載ページを開いての展示でした。
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   平和時代

 冬の夕方そとを歩くと、
 あの妙につやのある銀盤性の空に、
 もう星がぱらぱらと見えかかり、
 下界では何処ともなくどんよりただよふ
 青やかな焚火のけむりの薄靄が、
 路の隙間といふ隙間を埋めてゐる。
 電燈の球がだいだい色に色めく頃には、
 駒込千駄木林町に、
 ちよつと人通りが途絶えるものだ。
 さういふ時こそ、002
 通りすがりの垣根ごしに、
 ふつと鋤焼のにほひがしたり、
 又少しゆくと、往来のまんなかに、
 一塩らしいさんまの匂が流れて来たり、
 そこらの下水から石鹸(シヤボン)くさい湯気が立つてゐたり、
 いろんな親密な生活にめぐり合ふ。
 つきあたると坂になるから、
 あの上から又下町の灯を見て来ようとつい思ふ。

 平和な間にこそ可憐な姿は見て置かうと。

最終行「平和な間にこそ……」は草稿では抹消されています。

当時の千駄木界隈の様子がよくあらわされています。この十数年後には米軍による空襲でこの一帯は火の海となり、光太郎アトリエ兼住居も、鷗外の観潮楼も烏有に帰すことになるのですが。

同じく千駄木の項で、随筆「美術学校時代」から。

僕の住居は矢張り今の林町だつたが、まだあの辺一帯は田畑や竹藪で道の両側は孟宗竹が密生してゐた。(略)学校にも近いので都合はよかつたが、あの団子坂などが昔は随分と急な坂で人力車などは上ることが出来なかつた。やうやく上つても今度は下りる時には止まらない。命がけで上つたり下りたりするような坂であつた。下の谷中道の両側はずつと田圃になつてをり、山岡鉄舟の全生庵等があつた。毎年秋になると団子坂は菊人形で賑はつた。森鷗外先生はその頃から団子坂上の藪下といふ所に居られて馬に跨つて通つて居られるのを見かけた。

ちなみに「美術学校時代」、『高村光太郎全集』完結時には初出掲載誌不明でしたが、昭和17年(1942)の雑誌『知性』第5巻第9号が初出と判明しています。展示はこの文章の載った光太郎随筆集『某月某日』(昭和18年=1943)でした。

それから明治37年(1904)の美校在学中の日記「彫塑雑記」の一節。

昨夕加藤景雲氏に誘はれて約束したる通り朝八時加藤氏と二人新小金井の名ある江戸川ぶちなる花をながめて観世の月並能を見にゆく。

加藤景雲は光雲高弟の一人、「江戸川」は現在の神田川です。

他にも解説パネルに光太郎の名が数ヶ所。それから、二つある展示室をつなぐ通路には、光太郎を含め、上記の今回取り上げられた30名ほどの肖像写真と略歴。同じものは図録にも載っていました。閉口したのは光太郎の項の最後に「同(明治)42年には駒込動坂町に住んだ」とあったこと。大間違いです。そのような事実はありません。

どうも智恵子と混同してしまったようです。智恵子はそれ以前に入居していた日本女子大学校の卒業生用の楓寮が閉鎖となり、同郷で同窓だった幡ナツが、自分も下宿していた日本画家の夏目利政宅に智恵子が住めるよう計らってくれました。その夏目家が動坂町でした。

来館者アンケートに上記の件を書いて専用ポストに入れておきましたが、図録はともかくパネルは訂正されるかどうか……というところです。無地の白いシールでも貼って抹消していただきたいのですが。

図録がこちら。
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60ページほどで、あまり厚くもなくコンパクトにまとまっていて、価格も880円と良心的です。

展示品の図版以外にも、監修に当たられた東海大学さんの大木志門教授の玉稿、見開きで綴じ込まれた紹介されている「坂」「名所」のマップなど、なかなかのものです。

拝観後、展示でも紹介されていた根津神社さんまで足を伸ばしました。
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「文京つつじまつり」が開催中(今日まで)で、たくさんの出店(でみせ)が。ただ、花の見頃はもう過ぎてしまっている感じでした。
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こちらには、観潮楼以前に鷗外が暮らした家屋が移築され、「舞姫の家」として公開されています。
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元はホテルが所有、泊まれるプランなどもありましたがホテルが廃業。移転に関してはいろいろすったもんだがあったようですが、とにもかくにも残されたのは良かったと思います。

当方も関わっている光太郎終焉の地・中野区の中西利雄アトリエは残念ながら現地保存は成らず、マンション建設のため解体されました。
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しかし消滅というわけではなく、部材は保管、「舞姫の家」同様、移築という方向で動いているところです。いずれよい報告ができることを願って已みません。

この後、日本橋人形町へ。続きは明日。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)34 『光太郎智恵子』

昭和35年(1960)8月31日 龍星閣 高村光太郎 高村智恵子著
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目次

 高村光太郎篇
  詩 散文
  書簡
   高村(長沼)智恵子 長沼今朝吉 長沼せん子 長沼せき子 長沼修二 齋藤せつ子
   柳八重子 水野葉舟 中原(曽我・小野)綾子 更級源蔵 秋廣あさ子 真壁仁
   宮崎稔 難波田龍起 富士正晴
 高村智恵子篇
  詩 散文
  書簡
   長沼御両親 長沼せん子 長沼修二 齋藤新吉 せつ子 柳八重子

「本人著作(部分)」の項、光太郎が没した昭和31年(1956)までのものとするつもりでおりましたが、この書籍のみは別格で例外とします。

『智恵子抄』『智恵子抄その後』の版元の龍星閣で、それらの補遺というか裏面史というか、そういう意図で編みました。主に光太郎智恵子から諸方に送られた書簡がメインです。上記目次の名前はその宛先です。光太郎智恵子への来翰ではありません。



昨日は都下多摩市の聖蹟桜ヶ丘に足を運んでおりました。今年の連翹忌の集いに際し、ご案内いただいた「多摩ファミリーシンガーズ演奏会 はじまりの場所から未来へ」拝聴のためでした。

まったく個人的なことになりますが、亡父がノンキャリアの国家公務員で本省勤務のない地方局回りだったため、半世紀以上前、近く(といっても数キロ離れていますが)に4年半ほど住んで居りました。しかし機会もなくそのあたりを再訪したことがこれまでありませんでした。そこで演奏会にお邪魔する前に、懐かしさに駆られてかつて住んでいたあたりを散策。

半世紀以上前にも流れていた小川。護岸工事が為されていましたが、暗渠にするわけでもなく健在。なんとカルガモの親子がすーいすい(笑)。
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現在はがっつり住宅地になっていますが、自分が暮らしていた頃は田んぼが広がっていた一角でした。この川から水を引いていた用水路でザリガニやドジョウ、タニシなどを掴まえていた記憶があります。森にはミヤマクワガタなどもいました。

多摩川べりの住んでいた家を含め十数棟あった官舎はすべて無くなり、高層マンションになっていました。

1年間通った幼稚園と、3年生の途中まで在籍した小学校。小学校の方は自分が通学していた頃あった木造校舎は無くなっていましたが、幼稚園の方は当時の建物だったのでびっくりしました。
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ちなみに小学校の校歌歌詞には「桜ヶ丘の聖蹟やー」という一節がありました。

というわけで聖蹟桜ヶ丘駅前の、関戸公民館さん。8階がコンサート会場でした。
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ホール入り口にはNHKさんの「おかあさんといっしょ」でうたのおにいさんを務められた坂田おさむ氏からの花。今回、坂田氏作曲の楽曲も演奏されるということで。
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主宰の髙山佳子氏。
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このところ毎年、当会主催の連翹忌の集いにご参加下さっています。以前から他の連翹忌ご常連の藤原歌劇団・本宮寛子氏などと音楽繋がりで交流がおありだったそうですし、宮沢賢治作品を取り上げたりで、そちらのご関係も。

プログラムは2部構成。第一部は合唱。
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東日本大震災後の平成24年(2012)に初演された「ほんとの空」が演奏され、それを聴きたいがために伺った次第です。

作詞は福島郡山ご在住の後藤基宗子氏、作曲は髙山氏が「たま・みゆき」のペンネームで。
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光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語をタイトルに、「阿多多羅山(安達太良山)」も謳い込まれています。髙山氏から頂いたCDで拝聴していたのですが、生の演奏は初めてでした。

合唱は、下は小学1年生から上はOG、賛助出演という方々の大人の皆さんまでで、曲によって人数が変わりましたが最大20数名(1曲だけ、客席からさらにOGの方々が10名ほどステージに上がって加わった曲もありましたが)。基本、女声合唱でした。「児童合唱」と謳われていますが、かなりのレベルでその意味では舌を巻かされました。

合間に髙山氏や大人の出演者の方によるMCで曲紹介など。飽きさせない工夫が為されていました。高野辰之作詞の「春の小川」が、元々の文語体から口語体に歌詞が改変されているというお話など「へー」という感じでした。

第二部はおなじみの昔話をミュージカル仕立てで。
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それぞれの昔話をモチーフとした既存の童謡も歌われましたが、それ以外の部分は髙山氏の作曲だったのでしょう。

第一部では緊張気味だった子供たちも、第二部では実にのびのびと。楽しみながら演じているのが伝わってきて、好感が持てました。小学校高学年以上は代わる代わるソロで歌う場面もありましたが、その技倆もなかなかのものでした。

なんやかやで様々なジャンルのプロフェッショナルの演奏を日頃から聴き、最近は自分でもプロデュース的なこともやらせていただいていますが、久々に聴いた児童合唱、違った意味で心が洗われました。

アンコールも終わった終演後と、さらにホワイエで帰る聴衆を見送りつつ歌う団員の皆さん。
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右画像の右端に髙山氏。少しお話をさせていただいて帰りました。

多摩ファミリーシンガーズさん、来年は50周年だそうで、一人の指導者が50年というのも実に稀なケースとのこと。ただ、少子化の影響は避けがたく、昔は120名とかの大所帯だったそうですが、現在は前述の通りOGや賛助という方を含めて20数名。それでもそれならそれでやりようはあるわけで、今後ともさらなるご活躍を祈念いたします。

幸い、キャパ250席ほどのホールはほぼ満席。出演者の関係者も少なくはないのでしょうが、それ以外の固定ファン的な感じの方々が多かったように思われました。

こうした小さな(というと失礼かも知れませんが)文化の灯り、消してはならないと思います。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)31 『日本の詩歌』毎日ライブラリー 

昭和29年(1954)4月5日 毎日新聞社 高村光太郎編
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目次
 日本詩歌の特質 高村光太郎   日本の詩歌の系譜 吉田精一
 現代詩概観 三好達治      近代短歌 木俣修
 近代俳句 加藤楸邨       あとがき 毎日新聞社図書編集部
 年表              索引

光太郎編となっていますが、実際に編集実務を担ったのは版元の毎日新聞社図書編集部であることが「あとがき」によってわかります。

光太郎の「日本詩歌の特質」は、この年の1月27日~30日にかけて『毎日新聞』に連載されたものです。

都内から朗読系の公演情報です。

きむらきょうやの温故知新〜葛藤〜

期 日 : 2026年5月4日(月・祝) 5月5日(火・祝)
会 場 : スタジオドラゴンカフェ 東京都杉並区久我山5-21-6 センタービル
時 間 : 5/4 18:00~ 5/5 13:00~ 18:00~
料 金 : 1公演 自由席 3,000円 2公演分 自由席 5,500円 3公演分 自由席 8,000円

日々、悩み迷い苦しみ「葛藤」を抱える貴方に「エネルギー」浴びせます! 芸能人格付けチェック、がっちりマンデー、ちびまる子ちゃんのナレーションでお馴染みの国民的ナレーター「きむらきょうや」と教え子たちが一所懸命にエネルギー放ちます!

そのタイトルは! 「きむらきょうやの温故知新〜葛藤〜」 今回は旧き文学作品から。いや〜昔の人も私と同じように「葛藤」抱えてるんだ…と新しい気づきになればと! 文豪達のお力を借りてお届けします!

出演者
 5月4日(月・祝) 及川司 重役室長 大福 平野こまり 風晴由圭 
 5月5日(火・祝) 亀井貢 日向寺ひろこ 大福 中村桃歌 平野こまり
 5月5日(火・祝) 亀井貢 重役室長 大福 中村桃歌 風晴由圭
※きむらきょうやは3公演共出演致します。

5月4日(月) 18時
 高村光太郎 「智恵子抄」抜粋 及川司
 小川未明 「野ばら」 平野こまり 大福
 芥川龍之介 「尾生の信」 重役室長
 樋口一葉 「裏紫」 風晴由佳
 中島敦 「山月記」 きむらきょうや
 この日のみシークレットゲスト

5月5日(火) 13時
 高村光太郎 「智恵子抄」抜粋 亀井貢
 太宰治 「待つ」 日向寺ひろこ
 小川未明 「野ばら」 中村桃歌 大福
 樋口一葉 「裏紫」 平野こまり
 中島敦 「山月記」 きむらきょうや

5月5日(火) 18時開演
 高村光太郎 「智恵子抄」抜粋 亀井貢
 小川未明 「野ばら」 中村桃歌 大福
 芥川龍之介 「尾生の信」 重役室長
 中島敦 「山月記」 きむらきょうや
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アニメ「ちびまる子ちゃん」、バラエティー「がっちりマンデー!!」「芸能人格付けチェック」などでご活躍中のきむらきょうや(木村匡也)氏と、氏主宰の「木村きょうや声優・ナレータープロ養成塾」の皆さんによる朗読公演だそうです。

2日にわたり3公演、それぞれ演目が異なるそうですが、「智恵子抄」(抜粋)は全てに入っています。ありがたし。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)30 『世界美術全集 第4巻 古代エジプト』 

昭和28年(1953)9月5日 平凡社 下中弥三郎編
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目次
 エジプトの文化
 エジプトの建築
 エジプトの彫刻
 エジプトの絵画
 エジプトの工芸
 図版 原色版 一三図 グラビア版 一七九図 本文挿図 二一八図
 参照地図
 図版解説
 年表
 参考書目録
 挿図目録
 図版目録

光太郎執筆箇所は「図版解説」中の「41 カ・フ・ラー王坐像」「43 ラー・ヘテプ、ネフェルト坐像」「48 シェイク・エル・バラド」「50 書記坐像(部分)」。すべて彫刻作品です。

3年半にわたる欧米留学中、明治40年(1907)から翌年にかけてロンドンに滞在していた光太郎。大英博物館にも足繁く通い、エジプト彫刻のプリミティブな美に惹かれました。パリから会いに来た荻原守衛とその魅力について語り合ったこともあったそうです。

講談師・一龍齋貞奈さんによる創作講談です。

一龍斎貞奈 芸歴10周年記念公演 オフィス10・10周年祭り

期 日 : 2026年4月29日(水・祝)
会 場 : 日本橋社会教育会館 東京都中央区日本橋人形町1丁目1番17号
時 間 : 開場17:40 開演:18:00
料 金 : 2,500円

演 目 : 長編創作講談「高村智恵子の恋~そして変へ」
出 演 : 一龍斎貞奈 ゲスト ラバーガール

講談師生活10周年記念ということで、真打昇進へのカウントダウンが聞こえてくる時期に入りました。立派な真打ちになれるよう、話芸でも集客力でも今の実力を明らかにすべく会を企画。昨年の入門10周年&昭和100年記念講演で創作した「高村智恵子の恋」を長編講談に仕上げました。ゲストは大尊敬する先輩のラバーガールさん! 私が楽しみ!
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講談師・一龍齋貞奈さん。昨年、新作講談「高村智恵子の恋」を高座にかけられ、今回と同じ会場での初演は他用のため聞き逃しましたが、神田での再演を拝聴させていただきました。

なかなか詳しく智恵子について調べられていて、細かなエピソードなどもしっかりちりばめられ、大正3年(1914)の光太郎との結婚披露までの若き日の智恵子の姿が生き生きと語られていました。その際からそういうおつもりだったとのことですが、その後の智恵子までを描いた「そして変へ」を追加とのこと。「変」は智恵子の精神の「変調」ということで「変」と思われますが、もしかするとさらに別の意味が込められるのかもしれません。

我ながら一ヶ所に留まっていられない回遊魚のようだなと思いつつ(ちなみに今日はこれから信州安曇野で、光太郎の親友・荻原守衛を偲ぶ碌山忌に出席して参ります)、こちらもチケット予約いたしました(笑)。

皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)26 『世界美術全集 第21巻 日本Ⅲ』 

昭和25年(1950)11月20日 平凡社 齋藤道太郎編
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目次
 総論  建築・庭園  工芸  絵画  彫刻  図版解説  年表  参考書目録
 図版目録  英文目録
 図版  原色版 一八図  グラビア版 一二六図  本文挿図 一七一図

光太郎執筆部分は「彫刻」中の「一 総説」。のち、中央公論社版『高村光太郎選集』に収められた際、「江戸の彫刻」と改題されました。

近々開催の公演で、合唱とミュージカルだそうです。

はじまりの場所から未来へ

期 日 : 2026年4月26日(日)
会 場 : 多摩市立関戸公民館ヴィータホール 東京都多摩市関戸四丁目72番地
時 間 : 13:30開場 14:00開演
料 金 : 大人 1,500円 高校生以下 1,000円

指揮・構成 : 髙山佳子
出 演 : 多摩ファミリーシンガーズ 穂積浩子 堀川法子(Pf)

第一部
 ぼくらはうたう ゆかいに歩けば 夜明けの馬 ほんとの空 おさんぽたんけんたい
 のびろ竹の子 他
第二部
 おとぎばなしファンタジー むかしむかし物語

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タウン紙『タウンニュース』さん多摩版に予告記事が出ていました。

多摩ファミリーシンガーズ 歌と芝居のステージ 26日、関戸公民館〈多摩市〉

 多摩市を拠点に活動する児童合唱団・多摩ファミリーシンガーズ(高山佳子代表)による演奏会「はじまりの場所から未来へ」が4月26日(日)、関戸公民館ヴィータホールで開催される。午後2時開演(1時30分開場)。
 1977年に発足、来年50周年を迎えることから、子どもたちが考えた未来に向かう舞台を披露する。
 第1部は3・11東日本大震災にちなんだ「ほんとの空」のほか、「ぼくらはうたう」「ゆかいに歩けば」「夜明けの馬」などを歌う。
 第2部では「おとぎばなしファンタジー むかしむかし物語」と題して、小さな子どもたちも知っているような桃太郎や浦島太郎、サルカニ合戦、花咲かじいさん、舌切りすずめといった昔話を演じる=写真。
 高山代表は「50年指導を続け子どもたちがそれぞれ社会への意識を持って歌い続けてくれた。これからの日本を作っていく新しい力になってくれることを願っています」と話している。
 入場料は大人1500円、高校生以下1000円(全席自由)。チケットの申込み・問合せは多摩ファミリーシンガーズ事務局【電話】042・375・8558。
団員募集
 現在、同合唱団では団員を募集している。5歳から15歳までの男女児童生徒。ジュニア・ミドルクラス(年少〜小3)、シンガーズクラス(小4〜高3)。練習日は毎週土曜日午後1時30分〜5時、第2水曜日午後3時〜5時(小学生以下)、練習会場は関・一つむぎ館ほか。見学・体験会日は毎週土曜日(午後2時〜3時30分)。事前申込み(メールinfo@tamasingers.org)。
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第一部で演奏される「ほんとの空」。『タウンニュース』さんにあるとおり、東日本大震災後にその復興支援のため作られた合唱曲です。震災から15年ということで、今回のプログラムに入れられてのではないかと思われます。

作詞は後藤基宗子氏、作曲は多摩ファミリーシンガーズさんを主宰され、ご指導や今回の演奏会でも指揮を務められる髙山佳子氏。「たま・みゆき」のペンネームで作曲されています。
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言わずもがなですが「ほんとの空」の語は光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来。歌詞には「あどけない話」にも謳われる「阿多多羅山(安達太良山)」が謳い込まれています。

震災翌年の平成24年(2012)に東京府中の森劇場さんで開催された社団法人日本童謡協会さんの「子どものコーラス展」で初演。翌平成25年(2013)には、智恵子の故郷・福島二本松、それも智恵子生家/智恵子記念館近くの安達文化ホールさんで行われた「東日本大震災復興支援コンサート ほほえみをあなたに」で演奏されました。その後、作曲者の髙山氏から楽譜とCDをいただき、そちらで拝聴しましたが、生の演奏は聴いたことがありません。

髙山氏、このところ毎年連翹忌の集いにご参加下さっていて、今回のフライヤーもその折にいただき、参会の皆様などにお配りいたしました。

こりゃ行かざぁなるめい、ということで、拝聴に伺います。個人的に、開場の関戸公民館さんのある聖蹟桜ヶ丘近くに半世紀以上前ですが3年半ほど住んでいたことがありまして、旧居附近、母校など歩いてこようかとも思っております。

閑話休題、ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)25 『世界美術全集 第24巻 西洋十九世紀Ⅲ』 

昭和25年(1950)5月30日 平凡社 齋藤道太郎編
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目次
 総論
 十九世紀後半の芸術思潮
 建築
  近代建築様式の黎明
 彫刻
  ロダン《フランス》  バルトロメ《フランス》 
  ドガ、ルノアル、ゴーガンの彫刻《フランス》  ベルギーの彫刻家たち《ベルギー》
  ヒルデブラントとその周囲《ドイツ》
 絵画
  新印象主義《フランス》  ポール・セザンヌ《フランス》
  オーギュスト・ルノアル《フランス》  ポール・ゴーガン《フランス》
  オディロン・ルドン《フランス》
  ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、モロー、カリエール、ラファエリ、コッテなど 《フランス》
  ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ《オランダ》  ドイツにおける理想主義の間奏曲《ドイツ》
  ジェームス・アンソール《ベルギー》  スイスの絵画《スイス》
  ジョヴァンニ・セガンティーニ《イタリア》
 工芸
  近代工芸運動とその発展
 図版
  原色版 一八図  グラビア版 一四二図
 本文挿画 二五三図
 参照地図
 図版解説
 年表
 参考書目録
 挿図目録
 図版目録

光太郎は「図版解説」中のいずれもロダン彫刻「10 考える人」「17 姉と弟」を担当しています。

このシリーズでは光太郎、五冊にわたって同じく「図版解説」に稿を寄せました。

昨日開幕の特別展です。

特別展「近代文学でよむ文の京の坂と名所」

期 日 : 2026年4月11日(土)~6月28日(日)
会 場 : 文京区立森鷗外記念館 東京都文京区千駄木1-23-4
時 間 : 10:00〜18:00
休 館 : 4月27日(月)・28日(火) 5月25日(月)・26日(火) 6月22日(月)・23日(火)
料 金 : 一般600円(20名以上の団体:480円)  中学生以下無料

 文の京(ふみのみやこ/文京区)には、根津神社や小石川植物園、団子坂など明治以前から現在に至るまで親しまれている名所や坂がたくさんあります。また、明治初期に本郷に移転した東京大学の周辺には、のちに作家となる若者たちが多く暮らしていました。
 明治から昭和初期の近代文学の中には、文の京を人々が行きかい、名所が登場する作品があります。鴎外『青年』では主人公が根津神社を通り過ぎ、夏目漱石『三四郎』は東京大学構内、石川啄木『天鵞絨(ビロウド)』は混雑した本郷三丁目、徳田秋声『みち芝』は牛天神(北野神社)、中野重治『むらぎも』は富坂、泉鏡花『外科室』は小石川植物園が書かれました。志賀直哉は『クマ』で飼い犬を追って護国寺へと走ります。樋口一葉は、日記に名所への外出を書き残しました。
 他方、鴎外の住んだ観潮楼は、秋に菊人形でにぎわった千駄木、団子坂上に建っていました(現・当館所在地)。周辺には高村光太郎、宮本百合子、室生犀星、江戸川乱歩なども住み、千駄木は彼らの生活圏であり、作品にも書かれました。
 本展では、明治から昭和初期の近代文学に書かれた文の京の坂と名所を紹介します。100年ほど前の風景や人々の営みを近代文学でよんでいきます。 
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イベント情報

「文豪とアルケミスト」 タイアップ企画
2026年4月11日(土)~2026年6月28日(日)
特別展会期中(2026年4月11日~6月28日)、文豪転生シミュレーションゲーム「文豪とアルケミスト」(DMM GAMES)とのタイアップ企画を行います。
地下展示室入口に描き起こしイラストのバナーと、森鴎外、高村光太郎、室生犀星、江戸川乱歩の等身大パネルを展示しています。
開催期間(4/11~6/28)のみ、《鴎外胸像》も共に撮影いただけます。SNSへのアップもOKです。文京区・千駄木にて、皆様のお越しをお待ちしております。
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特別展ギャラリートーク
2026年4月29日(水)
展示担当者による特別展「近代文学でよむ文の京の坂と名所」のギャラリートークです。
申込不要のイベントです。当日の展示観覧券をお持ちください。
日時:2026年4月29日(水・祝)14時~(30分程度)

デビュー前に団子坂で暮らした乱歩の生活と、この地を舞台にした小説「D坂の殺人事件」についてお話しします。
講師:杉本佳奈 氏(立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター助教)
日時:5月23日(土)14時~15時30分
会場:文京区立森鴎外記念館 2階講座室
定員:50名(事前申込制)
料金:無料(参加票と本展覧会観覧券(半券可)が必要)
申込締切:5月8日(金)必着

近年の旅行熱や「文豪」ブームなどで再脚光を浴びている文学散歩。その起源や魅力を鴎外や文京ゆかりの作家たちとともに語ります。
講師:大木志門 氏(東海大学教授)
日時:6月6日(土)14時~15時30分
会場:文京区立森鴎外記念館 2階講座室
定員:50名(事前申込制)
料金:無料(参加票と本展覧会観覧券(半券可)が必要)
申込締切:5月22日(金)必着

出品目録に依れば光太郎著書『某月某日』(昭和18年=1943)が出ています。その他、予告解説文には光太郎の名があるので、解説パネル等で鷗外同様団子坂近くに居を構えた光太郎についても少しは触れられているのではないでしょうか。それが無かったら見識を疑います(笑)。

関連イベントとして、ゲーム「文豪とアルケミスト」とのタイアップ企画。こちらではゲームキャラクターとしての光太郎の等身大パネル(上の画像で左端)も出ているそうです。

それから、6月6日(土)には東海大学さんの大木志門教授によるご講演。「文京から花開いた文学散歩―野田宇太郎と観潮楼を起点に」と題されています。

野田宇太郎は文学散歩的な視点をメインに明治大正の文学史を俯瞰した書物を多く著し、そのうち『パンの会』(昭和24年=1949)は、当時花巻郊外旧太田村に隠棲していた光太郎にも送られ、光太郎からの礼状が遺されていますし、光太郎が当会の祖・草野心平に宛てた書簡や高見順との対談で、同書に深く感心したことが述べられています。また、野田はずばり『文学散歩』という雑誌も主宰。十和田湖にからめた光太郎の小特集を組んだり(昭和36年=1961)もしてくれました。直接、野田と光太郎に面識があったのかどうかは光太郎側からの資料では不明ですが。

講師の大木教授は昨年、神田の八木書店さんで開催された「近代文学特別講座 活字をはみだすもの 第25回 高村光太郎「独居自炊」の思想―宮崎稔宛書簡から」の講師も務められ、その際に知遇を得ました。タイアップ企画の「文豪とアルケミスト」にも関心を寄せられ、『文豪とアルケミストを本気で考えてみた』を共著で出されるなど、柔軟な思考をお持ちの方です。

当方、こちらを申し込みました。抽選に当たることを祈念しております。その前に展示のみは来週あたり拝見に伺うつもりです。

皆様方も是非どうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)16 『日本美術の鑑賞 古代編』 

昭和17年(1942)6月20日 帝国教育会出版部 北川桃雄/奥平英雄編
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目次
 序
 伊勢神宮 伊東忠太 ブルーノ・タウト
 埴輪 濱田耕作         法隆寺の建築 伊東忠太
 法隆寺の五重塔 関野貞     法隆寺の釈迦三尊 フェノロサ
 百済観音 会津八一 植田壽蔵     夢殿観音 フェノロサ
 夢殿秘仏抄 中村憲吉 島木赤彦 香取秀真 会津八一
 中宮寺観音 和辻哲郎      大和の国法起寺 木下利玄
 広隆寺の弥勒 田澤坦      法隆寺金堂阿弥陀浄土 児島喜久雄
 法隆寺の壁画 安田靭彦     薬師寺三重塔 足立泰
 薬師寺聖観音 木村素衛     薬師寺金堂薬師堂 足立康
 新薬師寺香薬師像 松本栄一   東大寺三月堂 関野克
 法華堂不空羂索観音 植田壽蔵  三月堂月光像 源豊宗 岡倉天心
 三月堂執金剛 瀧井孝作     戒壇院の増長天 高村光太郎
 戒壇院四天王 岡倉天心     夢殿 岸田日出刀 会津八一 北原白秋
 興福寺八部衆像 大口理夫    興福寺十大弟子 高村光太郎
 聖林寺十一面観音 和辻哲郎   唐招提寺金堂 東伏見邦英
 鑑真和上像 北原白秋      唐招提寺千手観音 東伏見邦英
 薬師寺の吉祥天女 和辻哲郎   鳥毛立女屏風 中井宗太郎
 神護寺薬師如来 源豊宗     法華寺十一面観音 植田壽蔵
 観心寺の秘仏 瀧井孝作     唐招提寺木彫如来形像 高村光太郎
 道明寺十一面観音 濱田耕作   高野の赤不動 野口米次郎
 清涼殿 中村憲吉        京都御所 岸田日出刀
 鳳凰堂 関野貞         定朝の阿弥陀像 矢代幸雄
 厳島神社 関野貞        光堂 泉鏡花
 一字金輪像 源豊宗       浄瑠璃寺吉祥天女像 丸尾彰三郎
 舞楽面 野間清六        普賢菩薩像 秋山光夫
 孔雀明王図 濱田耕作      二十五菩薩来迎図 西田直二郎
 高野山聖衆来迎図 田中一松   西本願寺三十六人集 佐佐木信綱
 源氏物語絵巻 田中一松     信貴山縁起 上野直昭
 鳥羽僧正の蛙 室生犀星     鳥獣戯画 森田恒友
 伴大納言絵詞 福井利吉郎    無著・世親像 丸尾彰三郎
 快慶「八幡神像」 野間清六     快慶「地蔵菩薩」 三才笹吉
 空也上人の像 西田直二郎    鞍馬寺の聖観音 村上華岳
 頼朝像 熊谷宣夫        北野天神縁起 大塚保治
 一遍上人絵伝 上野直昭     明恵上人像 平福百穂
 高野山不動堂 足立康      古瀬戸 小山富士夫
 解説 北川桃雄 奥平英雄

執筆者順ではなく、取り上げられている作品の時代順での配置。したがって、光太郎の文章は3箇所でとびとびに掲載されています。

それにしても戦時中によくまぁこれだけの豪華な執筆陣のものを出せたな、と思われます。物故者の旧稿もかなり入っていますが。

今週末、都内で開催される朗読劇のご紹介です。

小見川千明のお気楽文学サロンpresents 朗読劇「双視双愛-智恵子抄より-」

期 日 : 2026年4月11日(土)  4月12日(日)
会 場 : ガルバホール新宿  東京都新宿区西新宿6-21-1アイタウンプラザB103
時 間 : 4/11 18:00~ 4/12 14:00~ 18:00~
料 金 : 一般チケット ¥9,000(税込)
      メッセージ付きポストカード特典付き※数量限定前方2列 ¥12,000(税込)

同じ愛を求めていたはずなのに、同じ景色を見ることが叶わない 男女の愛のジレンマを朗読として再構築

原作 高村光太郎  原案 小見川千明  脚本 今浪祐介

出演者
 小見川千明 飯田江未加 飛田剛志 林寛太郎 春内涼花(五十音順)
 ピアニスト coba48  チェリスト 宮景琢充

【4月11日】
 17時 開場  18時 開演
 1部 朗読 春内涼花 飛田剛志
 2部 小粋なトークと贅沢なカラオケ大会 春内涼花 飛田剛志 小見川千明

【4月12日】
 13時 開場  14時 開演
 1部 朗読 飯田 江未加 林 寛太郎
 2部 小粋なトークと贅沢なカラオケ大会 飯田 江未加 林 寛太郎 小見川千明

 17時 開場  18時 開演
 1部 朗読 小見川千明
 2部 小粋なトークと贅沢なカラオケ大会 小見川千明
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アニメ「文豪ストレイドッグス」など多くの作品で声優としてご活躍の小見川千明さん。直接は存じ上げませんが、だいぶ以前からYouTube等に光太郎詩の朗読動画等あげられていて、それで存じていました。最近も今回の公演のプロモーションを兼ねてでしょう、「智恵子抄」収録作品の朗読動画等があがっています。


ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)11 『芸術方法論』 芸術論2

昭和15年(1940)7月5日 河出書房 山際靖著作者代表
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目次
 詩学 工藤好美
 天才と才能 杉田直樹
 環境 小林秀雄
 技巧論 山際靖
 素材と造型 高村光太郎

光太郎の評論「素材と造型」は書き下ろしです。

日中戦争は泥沼化、翌年には太平洋戦争開戦の年の刊行で、既に物資不足の状態と思われ、函も本体も紙質がよくありません。

昨日は光太郎忌日・第70回の連翹忌でした。

夕方には光太郎智恵子ゆかりの老舗洋食店・日比谷松本楼さんにて関係の皆様にお集まりいただいての集いを開催いたしましたが、その前にルーティンとして2箇所の墓参。

まず文京区の浄心寺さん。永らく連翹忌の集いを主催されてきた北川太一先生ご夫妻の奥津城があります。「桜のお寺」としてもそこそこ有名です。
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続いて豊島区の染井霊園、光太郎らの眠る髙村家墓所。
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どちらも既に供花が成されていました(髙村家の方はレモンも)が、自宅兼事務所から剪って持参した連翹を追加で。それぞれに「いわずもがなですが、今宵は連翹忌の集いです。お見守り下さい」と祈願。

染井霊園周辺の旧染井村はソメイヨシノの発祥の地ということもあり、見事でした。年によってはもう散ってしまっている場合があるのですが、今年はまだ満開でした。
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正午前、千葉の自宅兼事務所を愛車で出発した際はまだ雨天でしたし、都内に入っても止んでいませんでしたが、午後2時過ぎのこの段階では青空となり、助かりました。

そして集いの会場、千代田区は日比谷松本楼さんへ。

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持参した光太郎遺影(写真家で光太郎令甥の故・髙村規氏撮影)と、連翹。
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配付資料の袋詰め、受付準備等、多くの方にお手伝いいただき、万全の備え完了。感謝に堪えません。

関東一円を中心に、大阪、長野、山梨、岩手、宮城、福島など各地からお集まりいただいたのは総勢65名。年度初めの平日にもかかわらず、この点も感謝感激でした。
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17:30分過ぎ、当方による開会宣言の後、光太郎、そしてこの1年に亡くなった関係の方々にという意味も込めて黙祷。

その後、5名ご参加下さった光太郎親族を代表し、光太郎令甥子息・髙村達氏に献杯の音頭を取っていただきました。
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そしてしばし喉を潤し、腹ごしらえ。着席ビュッフェ形式です。

恒例のスピーチ。

やはり光太郎親族(光太郎のすぐ下の妹・しづ(静子)令孫)の山端加寿子様、ご主人の通和様、そのご近所さんで、光太郎の親友だった水野葉舟令曾孫にして、やはり光太郎と親交の深かった尾崎喜八令孫でもある石黒敦彦氏。
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光太郎と同じ血を引くしづ(静子)が、やはり文才にも恵まれていたのでしょう、味のある俳句をたくさん遺し、その句集を刊行されるそうで、そのあたりを宣伝していただきました。
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光太郎第二の故郷・岩手花巻の高橋信一郎氏。一昨日付で市立高村光太郎記念館館長の役職に成られた方です。それから同じく花巻のやつかの森LLC・藤原正代表。
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続いて、デザイナーの杉本光志朗氏とフリーアナウンサーの早見英里子氏のご夫妻。お話に聞き入っていたらお二人の写真を取り忘れました。すみません。何と、連翹忌テーブルウェアを制作なさってくださいました。会場内でもご販売。
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ここで、実は大トリにと考えていたのですが、「みんな酔っ払う前にさっさとやらせてよ!」と、ある意味強引な(笑)渡辺えりさんと一色采子さんの女優コンビに光太郎智恵子の詩文朗読をしていただきました。渡辺さんの亡きお父さまは戦時中、戦後と光太郎と交流があり、一色さんのお父さまの故・大山忠作画伯は智恵子と同郷で、智恵子を描いた作品が複数おありでした。
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大輪の花を添えていただき、ありがとうございました。

智恵子の故郷・福島二本松で智恵子顕彰に当たられている「智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~」さん熊谷健一代表、東京青森県人会・山田安秀氏。
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光太郎智恵子がらみの公演を昨年もいろいろやられたテルミン奏者・大西ようこさん、朗読家・荒井真澄さん。お二人プラスご欠席でしたが箏曲奏者の元井美智子さんとのトリオで、昨春に続いて今秋、二本松の智恵子生家で朗読と音楽演奏のコンサートを予定しています。
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「高村光太郎研究会」主宰の野末明氏。それから今回初めてのご参加で、NHKさんの安藤佳祐アナウンサー。安藤アナはお父さまの仁隆氏が高村光太郎研究会会員でして、ご自身も平成25年(2013)に千葉市美術館さんで開催された企画展「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」の関連行事としての北川太一先生の講演「ひとすじの道―光太郎研究を回顧して―」(当方、「聞き手」でした)をお聴き下さったそうで。
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「きょうの料理」の司会、「あさイチ」のレポーターなどを務められている安藤アナ、女性陣に大人気でした(笑)。
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智恵子が学んだ太平洋画会の後身・太平洋美術研究所の坂本富江氏、光太郎と親交のあった高田博厚顕彰のさかんな埼玉県東松山市役所の矢部良明氏。
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矢部氏は昭和58年(1983)、同市の新宿小学校さんに建てられた光太郎碑の除幕の際、児童代表としてご挨拶なさった経験をお持ちです。
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また写真を取り忘れましたが、つい先日もステージを拝聴したソプラノ歌手の黒川京子氏、お仲間のメゾソプラノ清水邦子氏。お二人は昨秋、杉並公会堂さんで開催された「POEM*CONCERTⅣ ほんとうの幸い 宮沢賢治も夢みた世界」にご出演、同じシリーズで今秋には光太郎をメインで扱って下さるそうで、ありがたいところです。
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信州安曇野碌山美術館さんで、一昨日に新館長に就任された平沢重人氏。また4月22日(水)には碌山忌ですぐお会いするのですが(笑)。最後に中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会の曽我貢誠氏。
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他にももっとスピーチを賜りたかったのですが、そうもいかず、20:00閉会。実に盛会となりまして、喜びに堪えませんでした。

また、お体の具合が思わしくないとか年度初めの平日で日程が合わないとかで欠席の方々からも、「盛会を祈念いたします」的なメッセージがたくさん寄せられ、ありがたく存じました。

基本、どなたにも門戸を開いております。このような肩の凝らない催しですし、ご興味持たれた方、二の足を踏まれているという方など、来年以降よろしくお願いいたします。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)8 『現代詩三十講』

昭和9年(1934)1月20日再版(初版刊行年月日不明) 四明社 大井清吉編
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目次
 詩の本質・形式 川路柳虹   詩学叙説 外山卯三郎
 西洋詩歌論 西脇順三郎    日本詩歌の発達 土田杏村
 日本歌謡の新研究 藤澤衛彦 
 童謡及民謡論
  童謡論 民謡論 北原白秋   小唄流行時代 西條八十
  現代童謡の鑑賞 濱田廣介   現代民謡の鑑賞 佐藤惣之助
  児童自由詩の問題 百田宗治  童謡・童詩の指導に就て 富原義徳
 仏蘭西近代詩研究 山内義雄   英米新興詩派の研究 阿部知二
 ダダと超現実主義(シユル・レアリスム) 瀧口修造
 純粋詩とフオルマリスム 春山行夫
 詩話十講
  小曲について 生田春月   生きた言葉 高村光太郎
  詩と散文 西條八十     詩と社会性 白鳥省吾
  詩作について 千家元麿   作詩の信條 佐藤惣之助
  詩劇と叙事詩 福田正夫   僕の詩に就て 佐藤春夫
  詩作に就いて 室生犀星   予の詩論の一縦断面 日夏耿之介

光太郎の散文「生きた言葉」が掲載されています。書き下ろしではなく昭和4年(1929)の『時事新報』が初出です。他の執筆者の掲載文について、寡聞にして存じませんが、やはり他からの転載なのでしょうか。

ちなみに「生きた言葉」についてちょっとした発見がありまして、いずれこのブログでご紹介します。

昨日は久々に上京、銀座の王子ホールさんで開催された「朝岡真木子歌曲コンサート第9回@王子ホール」を拝聴して参りました。
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令和元年(2019)に初演され、令和4年(2022)には楽譜集『朝岡真木子歌曲集2』に収録、令和5年(2023)にメゾソプラノの清水邦子氏の歌唱でCD(ライナーノートを書かせていただきました)もリリースされた組曲『智恵子抄』から抜粋で2曲、「人に」「あどけない話」がプログラムに入っていまして、ご招待にあずかった次第です。
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アンコールまで含めて30曲余り、すべて朝岡氏の作曲です。これだけ精力的に歌曲を作曲、さらに発表なさっている例は稀有なのではないかと思います。「朝岡真木子歌曲コンサート」と銘打つ形はほぼこの時期の定期演奏会的な感じでもう9回を重ね、来年は第10回記念とすでに予告されています。それ以外の特別な演奏会もいろいろ手がけられていますし。

さらに特筆すべきは、全曲、ご自身でピアノ伴奏を弾かれていること。寡聞にして存じませんが、こういう例もあまりないのではないでしょうか。オーケストラ系で作曲者が指揮をするというケースは昔からよくありますが。ちなみに光太郎は、自身の「ラコッツィ行進曲」の初演でタクトを振ったベルリオーズを描いた長詩「ラコツチイ マアチ」(大正10年=1921)を書いています。

歌い手さんは総勢7名の方々。
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「智恵子抄」を歌われたのは、ソプラノの前澤悦子氏。朝岡氏作曲のコンサートご常連ですが、「智恵子抄」を歌われたのは初めてかと存じます(違ったらすみません)。伸びやかな歌声で、美しくも哀しい「智恵子抄」の世界を存分に表現されていました。

それから、昨年、清水邦子氏とのお二人を花巻にご案内した黒川京子氏もご出演。今回は歌われつつMCもなさり、さらに終演後にうかがったところによると、全体の構成もなさったそうで。清水氏はご出演されませんでしたが、客席にいらっしゃいました。ちなみに黒川氏、清水氏、4月2日(木)の連翹忌の集いにご参加予定です。朝岡氏ははずせない用事がおありだそうで……。

全30曲あまり、詩も曲もバリエーションに富み、飽きさせません。歌詞として古いものは、「智恵子抄」の二曲と、光太郎の姉貴分・与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」(明治37年=1904)。少し新しく、立原道造、茨木のり子。また、モチーフとして古いもので、光太郎と同年の明治16年(1883)に生まれた新版画の川瀬巴水作品からインスパイアを受けて、林望氏が書かれた連作詩「夕暮れ巴水」。朝岡氏、昨年には東京オペラシティさんで「秋に寄せる音楽のパレット 朝岡真木子の世界~新作「夕暮れ巴水」の郷愁~斉藤京子の歌とともに」という演奏会もなさっています。それが初演だったのでしょう。
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余談ですが、今、このブログを書いているPCのある自宅兼事務所の執務室には、巴水の複製が一枚、壁にかかっています(後はトイレにも(笑))。

朝岡氏、林氏以外の現代詩人の方々ともご昵懇で、その皆さんの詩に曲を付けられています。そのうち、何人かの詩人さんたちも客席にいらっしゃり、終演後に紹介されていました。星乃ミミナ氏、岡崎カズヱ氏、柏木隆雄氏など。これもこの演奏会での恒例ですが。

その終演後の、全出演者の皆さん。左からお二人目が朝岡氏、二人置いて「智恵子抄」を歌われた前澤氏、右からお二人目が黒川氏です。
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関係の方々の今後のさらなるご活躍を願って已みません。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)4 『アルス大美術講座』第3巻

大正14年(1925)7月31日 アルス 北原鉄雄編

目次
 油画科
  風景画法 鍋井克之 パステル画法 矢崎千代二
 東洋画科
  人物画法 土田麦僊
 彫塑科
  彫塑総論 高村光太郎 塑造 藤川勇造 鋳銅 藤井浩祐
 美術図案 恩地孝四郎
 工芸美術 畑正吉
 日本美術史(古代) 藤懸静也
 新興美術解説 一氏義良
 名作解説 木村荘八
 技法沿革史
  壁画及びフレスコ 寺崎武男 初学者のための手引 編輯部
  美術家のグループとその生活 編輯部

白秋の実弟・北原鉄雄のアルスから出された『アルス大美術講座』。初め、光太郎を含む当時の錚々たる美術家に執筆を依頼、大正14年(1925)5月から翌年2月まで全10巻で刊行されました。その後すぐに科目ごとに組替えされたり、合本になったりして何度も再刊されました。

光太郎の「彫塑総論」は20ページほど。なぜか8月29日刊行の第4巻にも重複して収められたようです。

手持ちのものは、組替え再刊による合本(大正15年=1926 5月31日)。
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それから昭和5年(1930)7月8日の組替え再刊。巻号が第5巻に変更されています。
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都内から演奏会情報です。

銀座ぶらっとコンサート #216 宮本益光の王子な午後38 ~別れの歌~

期 日 : 2026年3月11日(水)
会 場 : 王子ホール 東京都中央区銀座4-7-5
時 間 : 13:30開演
料 金 : 全席指定 4,000円

平日の昼下がり、銀座でのお買い物のついでに、お友達との銀ぶらの途中に立ち寄れる気軽なコンサート、『銀座ぶらっとコンサート』第216回は、王子ことオペラ歌手の宮本益光が魅惑のバリトンと楽しいトークで綴る大人気シリーズの第38回。別れの歌を切々と、あっさりと、うじうじと、様々なシーンをお聴かせしましょう、お見せしましょう。

プログラム
 モーツァルト:オペラ『フィガロの結婚』より もう飛ぶまいぞこの蝶々
 文部省唱歌:仰げば尊し
 三木たかし:友だちはいいもんだ
 ハイドン:別れの歌
 ヴォルフ:あばよ
 モーツァルト:オペラ『魔笛』より パパゲーナ、パパゲーナ、パパゲーナ!
 グノー:オペラ『ファウスト』より 故郷を離れる前に
 加藤昌則:レモン哀歌
     :桜の背丈を追い越して
     :「刻(とき)の里標石(マイルストーン)」より じゃあね

出演 宮本益光(バリトン) 加藤昌則(作曲/ピアノ)
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これまでもたびたび宮本益光氏の歌唱で各種演奏会に取り上げられてきた、加藤昌則氏作曲の「レモン哀歌」がプログラムに入っています。令和4年(2022)にはCDもリリースされています。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)65 『愛の時』

昭和57年(1982)4月2日 アムリタ書房 ヹルハアラン著 高村光太郎訳
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目次
 明るい時 LES HEURES CLAIRES
  Ⅰ おう さんらんたるわれらのよろこび
   O LA SPLENDEUR DE NORTRE JOIE
  Ⅱ 無言のままわれらの歩くこの明るい花園が
   QUOIQUE NOUS LE VOYIONS FLEURIR DEVANT NOS YEUX
  Ⅲ この野蛮な柱頭、そこには怪物等が身をもだえ
   CE CHAPITEAU BARBARE OU DES MONSTERES SE TORDENT
  Ⅳ 夜の空はひろがり
   LE CIEL EN NUIT S'EST DÉPLIÉ
  Ⅴ いつでも,かほど純真にふかい
   CHAQUE HEURE OÙ JE SONGE À TA BONTÉ
  Ⅵ あなたは時としてあのなよやかな美を示す,
   TU ARBORES PARFOIS CETTE GRÂCE BÉNIGNE
  Ⅶ おう! 戸を叩かせて置かう,
   OH! LAISSE FRAPPER CETTE GRÂCE BÉNIGNE
  Ⅷ あどけない頃のやうに,私は自分の心をあなたに上げた,
   COMME AUX ÂGES NAÏFS JE T'AI DONNÉ MON C CEUR
  Ⅸ わかい,気のやさしい春は
   LE PRINTEMPS JEUNE ET BÉNÉVOLE                           
  Ⅹ しづかに来て
   VIENS LENTEMENT T'ASSEOIR
  Ⅺ 火のやうな恍惚の眼をして
   COMBIEN ELLE EST FACILEMENT RAVIE
  Ⅻ 長い間私のくるしんでゐた時,
   AU TEMPS OÛ LONGUEMENT J'AVAIS SOUFFERT
  ⅩⅢ どういふわけか何故なのかいはれは何か
   ET QU'IMPORTENT ET LES POUQUOIS ET LES RAISONS
  ⅩⅣ 黄金と花との階段をしづしづ降りる
   A CES REINES QUI LENTEMENT DESCENDENT
  ⅩⅤ 私はあなたの涙に,あなたの微笑みに,
   JE DÉDIE À TES PLEURS, À TON SOURIRE
  ⅩⅥ 私はあなたの二つの眼の中に自分の魂全てを溺らす,
   JE NOIE EN TES DEUX YEUX MON ÂME TOUT ENTIÈRE
  ⅩⅦ われらの眼を愛するため
   POUR NOUS AIMER DES YEUX
  ⅩⅧ われらあの愛の園に,夏はつづく。
   AU CLOS DE NOTRE AMOUR, L'ÉTÉ SE CONTINUE
  ⅩⅨ あなたの明るい眼,あなたの夏の眼が,
   QUE TES YEUX CLAIRS, TES YEUX D'ÉTÉ
  ⅩⅩ 言つてごらん,私の質素な私の静かな友よ,
   DIS-MOI MA SIMPLE ET MA TRANQULLE AMIE
  ⅩⅪ われら自身以外の一切のものからこんなに遠く
   EN CES HEULES OÙ NOUS SOMMES PERDUS
  ⅩⅫ おお! この幸福!
   OH! CE BONHEUR!
  ⅩⅩⅢ 生きませう,われらの愛とわれらの熱情とに。
   VIVONS DANS NOTRE AMOUR ET NOYRE ARDEUR
  ⅩⅩⅣ われらの口の触れ合ふやいなや
   SITOT QUE NOS BOUCHES SE TOUCHENT
  ⅩⅩⅤ 底知れぬ深さ神のやうに聖い
   POUR QUE RIEN DE NOUS DEUX N'ÉCHAPPE ÀNOTRE ÉTREINTE
  ⅩⅩⅥ たとひもう,こよひ,
   BIEN QUE DÉJÁ, CE SOIR
  ⅩⅩⅦ からだを捧げるとは,魂のある以上,
   LE DON DU CORPUS, LORSQUE L'ÂME EST DONNÉE
  ⅩⅩⅧ われらのうちにたつた一つの心やさしさ,
   FUT-IL EN NOUS UNE SEULE TENDRESSE
  ⅩⅩⅨ 炎に花咲く美しい庭は
   LE BEAU JARDIN FLEURI DE FLAMMES
  ⅩⅩⅩ もし万一にも
   S'IL ARRIVE JAMAIS
 午後の時 LES HEURES D'APRÈS-MIDI
  Ⅰ 年は来ました、ひと足ひと足,ひと日ひと日,
   L'ÂGE EST VENU, PAS Á PAS, JOUR Á JOUR
  Ⅱ 六月の薔薇,おん身最も美しいもの,
   ROSES DE JUIN, VOUS LES PLUS BELLES
  Ⅲ 若しほかの花々が家をかざり
   SI D'AUTRES FLEURS DÉCORENT LA MAISON
  Ⅳ 陰は浄まりあけぼのは虹いろ。
   L'OMBRE EST LUSTRALE ET L'AUROPE IRISÉE
  Ⅴ 私は,こよひ,おみやげとして,あなたにあげる,
   JE T'APPORTE, CE SOIR, COMME OFFRANDE, MA JOIE
  Ⅵ ふたりして路ばたに腰かけよう,
   ASSEYONS-NOUS TOUS DEUX PRÈS DU CHEMIN
  Ⅶ しづかに,なほもしづかに,
   TRÈS DOUCEMENT, PLUS DOUCEMENT ENCORE
  Ⅷ われらの愛の生れるわけであつたこの家には,
   DANS KA MAISON OÚNOTR AMOUR A VOULU NATRE
  Ⅸ 窓をあけひろげて
   LE BON TRAVAIL, FENÊTRE OUVERTE
  Ⅹ まつたき信がわれらの愛の底に住む。
   TOUTE CROYANCE HABITE AU FOND DE NOTRE AMOUR
  Ⅺ  暁、陰、夕暮,空間,星。
   L'AUBE L'OMBRE, LE SOIR, L'ESPACE ET LES ÉTOIRES
  Ⅻ 今は善い時,ラムプのつく時。
   C'EST LA BONNE HEURE, OÛ LA LAMPE S'ALLUME
  ⅩⅢ 過ぎ去つた年の死んだ接吻が
   LES BAISERS MORTS DES DÉFUNTES ANNÉES
  ⅩⅣ われらが同じ思に生きてゐてもう十五年。
   VOICI QUINZE ANS DÉJÀ QUE NOUS PENZONS D'ACCORD
  ⅩⅤ 永遠にわれらの喜は麻痺したと思つた,
   J'AI CRU Á TOUT JAMAIS NOTRE JOIE ENGOURDIE
  ⅩⅥ われらのまはりに生きる一切のもの,
   TOUT CE QUI VIT AUTOUR DE NOUS
  ⅩⅦ 私の感覚,私の心,私の頭脳,
   AVEC MES SENS, AVEC MON C ŒUR ET MON CERVEAU
  ⅩⅧ 爽やかな静かな健康の日々,
   LES JOURS DE FRAICHE ET TRANQUILLE SANTÉ
  ⅩⅨ 私は眠の林から出て来た。
   JE SUIS SORTI DES BOSQUETS DU SOMMEIL
  ⅩⅩ ああ,病の鉛が,
   HÉLAS! LORSQUE LE PLOMB DES MALADIES
  ⅩⅪ 明るい庭こそ健康そのもの。
   LE CRAIR JARDIN, C'EST LA SANTÉ
  ⅩⅫ 六月であつた,庭での事,
   C'ÉTAIT EN JUIN, DANS LE JARDIN
  ⅩⅩⅢ 身を捧げるだけでは足らず,あなたは自身を濫費する。
   ET TE DONNNER NE SUFFIT PLUS, TU TE PRODIGUES
  ⅩⅩⅣ おう もの一つ動かぬ静かな夏の庭よ。
   O LE CALME JARDIN D'ÈTÈ OÚ RIEN NE BOUGE
  ⅩⅩⅤ 時間も気持ちも,まるで別,
   COMME Á D'AUTRES, L'HEURE ET L'HUMEUR
  ⅩⅩⅥ 美しい夏の金色の小舟等は,
   LES BARQUES D'OR DU BEL ÉTÉ
  ⅩⅩⅦ 感覚の熱,心情の熱,霊魂の熱,
   ARDEUR DES SENS, ARDEUR DES CŒURS, ARDEUR DES ÂMES
  ⅩⅩⅧ 不動の美は
   L'IMMOBILE BEAUTÉ
  ⅩⅩⅨ そなたは,あの夕,あんな美しい言葉をきかせてくれた。
   VOUS M'AVEZ DIT, TEL SOIR, DES PAROLES SI BELLES
  ⅩⅩⅩ 「明るい朝の時」「午後の時」
   《HEURES DU MATIN CLAIR》《HEURES D'APRÈS SI BELLES》
 夕の時 LES HEURES DE SOIR
  Ⅰ DES FLEURS FINES ET MOUSSEUSES COMME L'ÉCUME
  Ⅱ  S'IL ÉTAIT VRAI
  Ⅲ LA GLYCINE EST FANÉE ET MORTE EST L'AUBPINE
  Ⅳ METS TA CHAISE PRÉS DE LA MIENNE
  Ⅴ SOIS-NOUS PROPICE ET CONSOLANTE ENCOR
  Ⅵ HÉLAS! LES TEMPS SONT LOIN
  Ⅶ LE SOIS TOMBE, LA LUNE EST D'OR
  Ⅷ LORSQUE TA MAIN CONFIE
  Ⅸ ET MAINTENANT QUE SONT TOMBÉS
  Ⅹ QUAND LE CIEL ÉTOIREÉ COUVRE NOTRE DEMEUR
  ⅩⅠ  AVEC LE MÉME AMOUR QUE TU ME FUS JADIS
  ⅩⅡ  LES FLEURS DU CLAIR ACCUEIL
  ⅩⅢ  LORSQUE S'ÉPAND SUR NOTRE SEUIL
  ⅩⅣ SI LE SORT NOUS SAUVA DES BANALES ERREURS
  ⅩⅤ NON, MON ÂME JAMAIS DE TOI NE S'EST LASSÉE
  ⅩⅥ QUE NOUS SOMMES ENCORE HEUREUX
  ⅩⅦ SUBIRONS-NOUS, HÉLAS! LE POIDS MORT DES ANNÉES
  ⅩⅧ LES MENUS FAITS, LES MILLE RIENS
  ⅩⅨ VIENS JUSQU'Á NOTRE SEUIL RÉPANDRE
  ⅩⅩ QUAND NOTRE JARDIN CLAIR
  ⅩⅩⅠ AVEC MES VIEILLES MAINS
  ⅩⅩⅡ SI NOS CŒURS ONT BRÛLÉ EN DES JOURS EXALTANTS
  ⅩⅩⅢ EN CE RUGUEUX HIVER OU LE SOLEIL FLOTTANT
  ⅩⅩⅣ PEUT-ÊTRE
  ⅩⅩⅤ OH! TES SI DOUCES MAINS
  ⅩⅩⅥ LORSQUE TU FERMERAS MES YEUX Á LA LUMIÈRE
 ヹルハアラン 高村光太郎
 解説 北川太一

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンの詩集「時の三部作」。このうち「明るい時」は光太郎訳で大正10年(1921)に芸術社から刊行されました。「午後の時」光太郎訳は各種雑誌やアンソロジーに断片的に収められたものの、まとめられたことはありませんでした。さらに光太郎は「夕の時」翻訳は手をつけたものの発表はされなかったようです。そこで本書では「夕の時」はヴェルハーレンの原文で収録しています。

また、光太郎の評伝「ヹルハアラン」(昭和8年=1933)を追補、当会顧問であらせられた北川太一先生が解説をご執筆。「光太郎生誕100年記念出版」という位置づけでした。

都内からのコンサート情報です。もう明日なのですが、一昨日の夜になって演目に光太郎がらみが含まれるという情報が出たもので……。

イーガルの現代音楽の世界 ー作曲の秘密、演奏の魔法ー Vol.2 現代詩と現代音楽

期 日 : 2026年2月20日(金)
会 場 :  PetitMOA 東京都新宿区歌舞伎町2-19-10 B1
時 間 : 開場 18:00/開演 18:30
料 金 : 予約3,000円 当日3,500円(どちらも+1ドリンク 700円別途)

現代音楽作曲家・ピアニスト イーガルによる、
自作の演奏と創作をめぐる対話を中心にしたライブイベント。今回はゲストに、冬木理森(歌)と
トークゲストに山﨑修平(詩人)を迎え
作曲と詩の関係、表現の奥行きを多角的に探ります。

出演:イーガル(ピアノ・歌) 冬木理森(歌)  こみてつ(チェロ)
トークゲスト:山﨑修平(詩人) 
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トークゲストの山﨑修平氏、昨年開催された目黒学園カルチャースクールさん主催の詩の講座「詩の創作と鑑賞講座 7月期」で光太郎を取り上げて下さった方でした。

当方、明日から花巻出張ですので伺えませんが、ご都合の付く方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)50 『赤城画帖』

昭和31年(1956)9月5日 龍星閣 高村光太郎著 西山勇太郎編
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目次
 赤城画帖 第一図~第二十八図  赤城相聞歌  赤城山の歌

上州赤城山は、光太郎にとってのソウルマウンテン。留学前の明治37年(1904)には5~6月と、7~8月にかけての2回、赤城の猪谷旅館に滞在し、それぞれ、親友の水野葉舟、与謝野鉄幹ら新詩社の面々と過ごしています。留学から帰朝した明治42年(1909)にもすぐ赤城山に登っています。

昭和4年(1929)には、草野心平、高田博厚らを引き連れて登っていますし、確認出来ている最後の赤城行は昭和6年(1931)で、この際には父・光雲も一緒でした。
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画帖は明治37年(1904)の滞在時に光太郎が残したスケッチ帖で、水野葉舟が譲り受けていましたが、詩人の風間光作の手に渡り、さらに風間からやはり詩人の西山勇太郎に。その後行方不明です。

平成12年(2000)、風間が原本から1枚抜き出して額装していたものが売りに出て、驚きました。
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西山の編集で、前半が画帖、後半は明治の第一期『明星』に載った赤城山関連の短歌を収めています。

画帖の存在は光太郎晩年の昭和26年(1951)、西山が光太郎に知らせ、光太郎は西山に以下の内容の書簡を送りました。

赤城写生帖といふやうなもの、まるで忘れても居ましたし、思ひ出さうとしても思い出せません。しかし、小生のものらしく、それがどうして貴下のところにあるのか実に不思議に堪へません。卅七年といへば日露戦当時、小生が美術学校に居た頃と思ひますが、そんなものが出て来ると怖いやうな気がします。

画帖部分、短歌の部分双方に、猪谷旅館の子息・六合雄(くにお)が解説を執筆しています。猪谷六合雄といえば日本スキー界の草分けで、さらに子息の千春氏は光太郎が歿した昭和31年(1956)のコルティナ・ダンペッツォ五輪で、日本人初の冬季五輪メダリストとなりました。現在行われているミラノ・コルティナ2026冬季五輪と会場がかぶります。

ちなみに現在94歳の千春氏、今回の五輪に合わせてコルティナ・ダンペッツォを再訪されたそうで。

コルティナで70年ぶりの再会 猪谷さん、当時の宿泊先家族と

 1956年コルティナダンペッツォ冬季五輪のアルペンスキー男子回転で2位に入った猪谷千春さん(94)が17日、大会で縁のあったマヌエラ・アンジェリさん(86)とコルティナダンペッツォで70年ぶりの再会を果たした。約1時間にわたって談笑し「昔のことを話し合えて楽しいし、うれしい」と感慨に浸った。
 猪谷さんは当時、アンジェリさんの家族が経営していたホテル「ビクトリア」に宿泊し、日本勢初の冬季五輪メダリストに輝いた。フィギュアスケートのイタリア代表だったアンジェリさんは別の滞在先から大会に出場したが、会話を交わした記憶があるという。今大会がきっかけで再会が実現。2人は「ビクトリア」のソファに腰を下ろし、対面した。
 猪谷さんは現役引退後、IOC副会長も務め、名誉委員となった。五輪の意義について問われ「技を競い、友情の輪を広げる。まさにこの2人の再会」と話した。来日したことがないというアンジェリさんには草履をプレゼントし「次は東京で会いましょう」と声をかけた。(共同通信)
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何度か取引させていただいた小金井市の美術専門古書店・えびな書店さんから新しい在庫目録が届きました。
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「一、新蒐品」のページには直接光太郎に関わる品はありませんでしたが、交流のあった人々の絵画作品や書作品、書簡、草稿なども多く、興味深く拝見しました。親友だった水野葉舟、柏亭・鶴三の石井兄弟、留学仲間の津田青楓や有島生馬、光太郎を敬愛していた少し年下の宮崎丈二・岸田劉生、姉貴分・与謝野晶子、智恵子の方でも平塚らいてうなどなど。

それら、他店と比較すると価格設定が明らかに良心的なのですが、さらに驚いたのが「二、精選在庫品」のページ。「開店44周年記念」というよくわからない理由で(笑)、全品2割引とのこと。

こちらには光太郎の書作品が3点出ていました。
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左上が「源にかへるもの力あり」。元ネタは昭和17年(1942)作の翼賛詩「みなもとに帰るもの」の一節のアレンジです。右下で「太田村 やまぐちやまの 山かげに ひえをくらひて 蟬彫る吾は」。花巻郊外旧太田村の山小屋で隠棲中に詠んだ短歌が認(したた)められているマクリです。最後に左下はフランスのことわざ「盃と口とは遠し」を書いた戦前と思われる色紙。「源に……」と「盃と……」は令和3年(2021)9月、「太田村……」は同年12月の目録に初登場でした。

ちなみに一緒に画像が並んでいる小杉放庵(未醒)も光太郎とわずかながら交流がありました。

後の方のページには、色紙「詩とは不可避なり」、詩人の中野秀人に宛てた書簡(昭和2年=1927)、それから光太郎実弟にして鋳金分野の人間国宝だった豊周の作も。色紙は令和2年(2020)6月、中野宛書簡は同年(2020)10月に売りに出ていました。ちなみにそれぞれの際も2割引フェア中でした。
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「二、精選在庫品」のページでは光太郎作品は5点のみですが、表紙には「在庫品全点2割引」とあります。上記以外にも「高村光太郎」で検索すると、以下の通り。
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金に糸目をつけない生活ができていれば、すべて入手したいところですが(笑)。

「二、精選在庫品」にも光太郎智恵子と交流のあった人々の作品等がずらっと出ています。2割引フェアがいつまでかは明記されていませんが、余裕のある方、ぜひどうぞ。できればその後、各種展覧会等への貸与もやぶさかでないよ、という方に買われてほしいものですが。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)49 『詩集 典型以後』

昭和31年(1956)9月5日 中央公論社 高村光太郎著
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目次
 東北の秋        昭和二十五年十一月「婦人の友」
 開拓に寄す              昭和二十五年十一月“岩手県開拓五周年祭”
 大地うるはし      昭和二十六年一月「婦人公論」
 人間拒否の上に立つ   昭和二十六年一月「心」
 明瞭に見よ       昭和二十六年一月「出版ニュース」
 船沈まず        昭和二十六年元旦「中部日本新聞」「西日本新聞」「北海道新聞」
 智恵子と遊ぶ      昭和二十七年一月「新女苑」
 山のともだち      昭和二十七年九月「婦人之友」
 ばた屋         昭和二十七年十月「中央公論」
 餓鬼            〃
 報告          昭和二十八年一月「いづみ」
 お正月に        昭和二十八年元旦「朝日新聞」
 東京悲歌        昭和二十八年四月「心」
 十和田湖畔の裸像に与ふ 昭和二十九年一月「婦人公論」
 かんかんたる君子    昭和二十九年元旦「毎日新聞」
 記者図                      昭和二十九年一月十四日「新聞協会報」
 弦楽四重奏       昭和二十九年三月「婦人之友」
 新しい天の火      昭和三十年元旦「読売新聞」
 開拓十周年       昭和三十年十月“岩手県開拓十周年”
 追悼          昭和三十年十二月「婦人之友」
 開びやく以来の新年   昭和三十一年元旦「中部日本新聞」「西日本新聞」「北海道新聞」
 お正月の不思議     昭和三十一年元旦NHK第二放送「季節のしおり」
 生命の大河       昭和三十一年元旦「読売新聞」
 あとがき  高村豊周

題名の通り、昭和25年(1950)刊行の詩集『典型』の後に書かれた詩の集成です。この年4月に没した光太郎にはこれらをまとめて出版する意図は無かったと思われますが、「あとがき」を執筆した実弟・豊周、当会の祖・草野心平、そして版元の中央公論社の強い希望があったと思われます。

当会として最大のイベント、高村光太郎を偲ぶ連翹忌を、忌日である4月2日(木)、下記の通り実行いたします。今年は光太郎没後70周年ということで、節目の第70回連翹忌となります。お誘い合わせの上、ご参加下さい。

第70回連翹忌

日 時  令和8年4月2日(木) 午後5時30分~午後8時

会 場  日比谷松本楼 2階宴会場 千代田区日比谷公園1-2 tel 03-3503-1451㈹
     地下鉄日比谷線・千代田線・三田線 日比谷駅 A14 出口
     地下鉄日比谷線・丸ノ内線 霞ヶ関駅 B2 / B1A / B3A 出口 
     JR 山手線・京浜東北線 有楽町駅 日比谷口
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会 費  12,000円(含食事代金)

ご参加申し込みについて
  ご出席の方は、下記の方法にて3月22日(日)までにご送金下さい。
  会費ご送金を以て出席確認とさせていただきます。

  郵便振替 郵便局備え付けの払込取扱票にて郵便局よりお願いいたします。
  ATM、窓口にて取り扱い可能です。申し訳ございませんが手数料はご負担下さい。
   ゆうちょ口座 00100-8-782139  加入者名 小山 弘明
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  ご送金後、急なご都合等でご欠席の場合、3月30日(月)までにご連絡頂ければ、
  後日、返金いたします。

  参加料の当日お支払いも可能ですが、座席数確保、名簿作成のため、
  事前のお申し込み連絡をお願いいたします。

  複数名の方でご参加下さる場合、払込取扱票の通信欄等をご利用の上、
  参加なさる方全員分のご氏名をお知らせ下さい。

配布物について
  会場でパンフレット、チラシ等配付をご希望の方は、150部ほどご用意いただき、
  4月1日(水) 必着で下記までご送付下さい。
  当日、参加の皆様に配付いたし、残部は欠席の方等にお送りいたします。
  公序良俗に反するものでなければ特に光太郎智恵子に関わらないものでも結構です。
  当日ご持参いただく場合には午後4時頃までに会場受付にお持ち下さい。
  書籍、CD等の販売も可能です。

  〒100-0012 千代田区日比谷公園1-2 日比谷松本楼 連翹忌宛(必ず明記)

  当日、お時間に余裕がおありの方には配付資料の袋詰めのお手伝いをお願いたします。
  早めに会場にお越しいただき、ご協力下さい。
  当方、午後4時頃会場入りしております。会場都合により昨年より1時間遅らせました。

当日備考
     着座ビュッフェ形式にて執り行います。ドレスコードは特に設けておりません。
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当会名簿に名のある方には上記要項及び払込取扱票を今日明日には発送いたします。

基本的にはどなたにも門戸を開放しております。政治活動その他全く関係ない目的での申し込みはご遠慮いただきますが。

このところ毎年ほぼ70名余のご参加をいただいておりますが、概ね下記のような方々です。
 ・高村家御血筋に連なる皆さん
 ・生前の光太郎をご存じの方々(年々減っていますが)
 ・光太郎智恵子と交流のあった人々の御血筋に連なる皆さん
 ・光太郎智恵子と交流のあった人々の顕彰活動等をなさっている方々
 ・全国の文学館さん、美術館さん等にお勤めの方々
 ・出版/教育関係の方々
 ・美術・文学・音楽・芸能系等で光太郎智恵子を扱って下さっている方々
 ・単なる光太郎智恵子ファン(当方もそうです)

コロナ禍中の令和2年(2020)から令和4年(2022)までは、松本楼さんでの集いは中止、当方が代表して染井霊園の光太郎墓所に墓参することで1回とカウントいたしましたが、令和5年(2023)より旧に復し、松本楼さんに戻りました。ちなみに松本楼さんは、明治末に光太郎智恵子が「氷菓」を食し、また光太郎も中心メンバーの一人だった芸術至上主義運動「パンの会」会場としても使われたゆかりのお店です。
参加資格はただ一つ「健全な心で光太郎・智恵子を敬愛している」ことのみです。よろしくお願いいたします。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)47 『智恵子抄』

昭和31年(1956)7月15日 新潮社(新潮文庫) 高村光太郎著
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目次
 ――に 
或る夜のこころ おそれ 或る宵 郊外の人に 冬の朝のめざめ 深夜の雪
 人類の泉 人に 僕等 愛の嘆美 晩餐 樹下の二人 狂奔する牛 鯰 金 夜の二人
 あなたはだんだんきれいになる あどけない話 同棲同類 美の監禁に手渡す者 人生遠視
 風に乗る智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人 レモン哀歌
 亡き人に 梅酒 荒涼たる帰宅 松庵寺 報告(智恵子に) 若しも智恵子が 元素智恵子
 メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白 噴霧的な夢 智恵子と遊ぶ 報告
 うた六首 智恵子の半生 九十九里浜の初夏 智恵子の切抜絵
 「悲しみは光と化す」 草野心平 覚え書 仝

昭和16年(1941)、龍星閣から出されたオリジナルの内容に、同時期の詩でありながら省いていたもの、さらに戦後の白玉書房版『智恵子抄』、『智恵子抄その後』所収のものなどを加えるなどの再編が為されています。

光太郎が没する直前の2月23日、新潮社の佐野英夫が光太郎の元を訪れ、文庫化の話を持ちかけました。光太郎としてはもはや自分で編むことは不可能と判断し、当会の祖・草野心平に託しました。

2度の改版を経て、現在でも版を重ねています。既に120版ぐらいは行っているようです。

正確にどの版からというのを解明していないのですが、昭和35年(1960)頃の版からカラー印刷のカバーがかけられるようになりました。
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カバーのデザインは昭和42年(1967)12月15日の第43刷での改版に伴い、智恵子紙絵画像が使われるようになります。

1月17日(土)にも上京したのですが、昨日も2件の展覧会を観て回りました。レポートいたします。

まず、渋谷区原宿で写真展「UNBOUND#2」を拝見して参りました。おそらく若手中心と思われる56名の写真家さんたちによる合同展です。
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現地に行ってから気づいたのですが、会場のMIL galleryさん、MIL 2ndさん、いわゆるキャットストリートに面していました。
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昨年11月、福岡で開催されたポートレート展「Fixtyle Portrait Fukoka 8th」に、「智恵子抄」オマージュの作品で参加されたYasuyuki Ibaraki氏という方が、同一の作品を出品なさるということで参上した次第です。
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昨年の福岡での展示と同一の作品もあれば、そうでないものも含まれ、いずれにしても確かに「智恵子抄」の世界観と感じました。「レモン哀歌」(昭和14年=1939)全文が掲げられていましたが、それ以外に智恵子の心の病が顕在化してからの「人生遠視」(同10年=1935)、「山麓の二人」(同13年=1938)あたりからのインスパイアかな、と。勝手な感想ですが。
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他の出品作家の方々の作品も一通り拝見。バリエーションに富んでいて、見飽きることがありませんでした。
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予想より多くの方で賑わっていて最初は意外に感じましたが、56名もの方々の作品が展示されているということで、出品作家の皆さんのお知り合いという風体の方が目につき(高級そうなカメラを首からぶら下げた方など)そういうことか、と納得。書道や絵画の公募展もこんな感じだっけというわけで。

会期が短かったのが残念でしたが、いたしかたありますまい。

出品作家の皆さんの今後のさらなるご活躍を祈念いたします。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)26 『詩集 記録』

昭和19年(1944)3月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 序篇
  白熊 象の銀行 北東の風、雨 のんきな会話 非欧米的なる 秋風をおもふ
  未曾有の時 新しき御慶 紀元二千六百年 重大なる新年 新年に与ふ 危急の日に
 主篇
  大詔渙発 彼等を撃つ 夜を寝ざりし暁に書く 特別攻撃隊の方々に
  或る講演会で読んだ言葉 独居自炊 帝都初空襲 戦歿報道戦士にささぐ
  民国の民と兵とに与ふ 真珠港特別攻撃隊 感激をかくさず 神とともにあり 新天地
  覆滅彼にあり われらの道 戦に清めらる 決戦の年に志を述ぶ 殄滅せんのみ
  紀元節を迎ふ 「撃ちてし止まむ」 あそこで斃れた友に 海軍魂を詠ず 軍人精神
  突端に立つ 厳然たる海軍記念日 五月二十九日のこと 山本元帥国葬
  報道の士をたたふ
 われらの死生 ビルマ独立 友来る おん魂来りうけよ 勤労報国
  粛然たる天兵 
救世観音を刻む人 フイリッピン共和国独立 四人の学生 全学徒起つ
  戦に徹す
 断じてかへさず 激戦未だ終らず 大決戦の日に入る
  第五次ブーゲンビル島沖航空戦
 十二月八日三度来る

『大いなる日に』(昭和17年=1942)、『をぢさんの詩』(同18年=1943)に続く三冊目の翼賛詩集です。

「序篇」は太平洋戦争開戦前の作品群。かつて帝国主義や人種差別を告発するものとして発表した連作詩「猛獣篇」に含まれる大正14年(1925)の「白熊」と同15年(1926)の「象の銀行」(ともに米国留学中の体験に基づく内容です)が、単にアメリカを批判しているということからここに収められるという光太郎自身による韜晦が行われています。

ちなみに「象の銀行」は永らく初出発表誌が不明でしたが、ソウルで発行されていた『朝鮮芸術雑誌 朝』の創刊号(大正15年5月 朝鮮芸術社)と判明しました。

「主篇」は太平洋戦争開戦後のもの。

全ての詩篇に新たに書き起こした前書きが附され、その時々の光太郎の心境がよくわかります。
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奥付では3月20日発行となっていますが、「天皇陛下」を「天皇下陛」とする切腹ものの誤植が見つかり、シールを貼っての訂正のため、実際に店頭に並んだのは5月頃だったようです。

都内での演奏会情報です。さまざまなコンテンツの用意された「都民音楽フェスティバル」の一環として開催されます。
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日本の歌・シリーズNo.4 日本のうた~歌曲集への誘い

期 日 : 2026年1月30日(金)
会 場 : 東京文化会館小ホール 台東区上野公園5-45
時 間 : 18:15開場/19:00開演
料 金 : 指定席 3,000円 学生割引(U-25):指定席 2,000円
      ハート割引(障害者手帳をお持ちの方):指定席 1,500円

曲 目 : 團伊玖磨:五つの断章 木下牧子:花のかず
      畑中良輔:八木重吉による五つの歌 山田耕筰:幽韻 別宮貞雄:智恵子抄
出 演 :
盛田麻央 Mao Morita/ソプラノ
国立音楽大学院修了。パリ・エコール・ノルマル音楽院、パリ国立高等音楽院修士課程を修了。第12回東京音楽コンクール第2位など。オペラやコンサートに多数出演。二期会会員、国立音楽大学非常勤講師。

紀野洋孝 Hirotaka Kino/テノール
東京藝術大学卒業。宗次エンジェル基金/(公社)日本演奏連盟奨学生として同大学院修士課程を修了。日本歌曲の研究で同大学院博士課程を修了。博士号(音楽)取得。日本トスティ歌曲コンクール2015第2位。令和元年度奏楽堂日本歌曲コンクール第2位。

松浦宗梧 Shugo Matsuura/バリトン
福島県伊達市出身。東京音楽大学声楽専攻卒業。新国立劇場オペラ研修所第25期修了。第36回奏楽堂日本歌曲コンクール歌唱部門 第2位、畑中良輔賞を受賞。オペラ・歌曲の分野で幅広いレパートリーを活かして活動中。声楽を菅野宏昭、阿部絵美子に師事。

森裕子 Yuko Mori/ピアノ
東京藝術大学附属高校、同大学、同大学院修了。シュトゥットガルト音大でソロと歌曲伴奏法を学ぶ。奏楽堂日本歌曲コンクール優秀共演者賞、日本音楽コンクール木下賞(共演賞)。東京藝術大学非常勤講師。日本演奏連盟正会員。
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故・別宮貞雄氏作曲の歌曲集「智恵子抄」がプログラムに入っています。おそらく全9曲「Ⅰ 人に」「Ⅱ  深夜の雪」「Ⅲ 僕等」「Ⅳ 晩餐」「Ⅴ あどけない話」「Ⅵ 人生遠視」「Ⅶ 千鳥と遊ぶ智恵子」「Ⅷ 山麓の二人」「Ⅸ レモン哀歌」が演奏されるのではないかと思われます。

歌われるのは紀野洋孝氏。実演以外にも日本歌曲の研究で東京藝術大学さんの大学院博士課程を修了なさった方ですが、その際に取り上げたのが別宮氏の「智恵子抄」だったそうです。これまでも同曲集をさまざまな機会で歌われたり、CDに組み入れたりされています。

令和元年度奏楽堂日本歌曲コンクール入賞記念コンサート。
第二回 掬月会。

CDも含め、そのほとんどの機会で伴奏を務められた森裕子氏が今回もピアノを弾かれます。同曲集、言葉を大切にしつつ抒情的なメロディーで紡がれ、また全9曲を通してのドラマティックな展開が印象的な作品です。

紀野氏からご案内を頂いたのですが、その日は先約が入っており、伺えません。代わりに、というと何ですが、皆様、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)23 『智恵子抄』第9刷

昭和18年(1943)4月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月

内容的にはそれまでの版と同一ですが、昭和16年(1941)の初版以来、そのままとなっていた誤植を訂正し、全面的に改版がなされました。

かつて光太郎自筆の正誤表を挟んだ初版が市場に出たことがありましたが、これらがすべて反映されています。
智恵子抄正誤表

「智恵子抄」オマージュの作品も展示される写真展です。

UNBOUND#2

期 日 : 2026年1月24日(土)・25日(日)
会 場 : MIL gallery 渋谷区神宮前4-25-28 2F
      MIL 2nd      渋谷区神宮前4-25-29 2F  
時 間 : 1/24 12:00~21:00 1/25 9:00~11:00
料 金 : 無料

いわゆる裏原宿(ウラハラ)。圧巻の56名の作品が展示されます。MIL GallaryとMIL 2ndは隣り合わせです。どなたでもお気軽にお立ち寄りください。

主催者X投稿より

写真が好きな人も、展示は久しぶりな人も、たまたま通りかかった人も。

56人の写真家が、それぞれの「今」を持ち寄る展示UNBOUND #2 を開催します。ジャンルも、撮り方も、距離感もばらばら。だからこそ、きっと一枚くらい、自分の感覚に引っかかる写真があると思います。この展示は、僕自身が「今の写真の面白さ」をちゃんと見たくて、そして、ちゃんと誰かに届けたくてスタートしました。ありがたいことに前回は多くの人が足を運んでくれて、「来てよかった」「思ってたよりずっと良かった」そんな声をたくさんもらいました。

気負わずで大丈夫です。ふらっと入って、数枚見て、出ていくだけでもいい。でももし時間があれば、 
少しだけゆっくり見ていってください。56通りの「今」の中に、あなたの感覚と重なる一枚がきっとあります。
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昨年11月、福岡で開催されたポートレート展「Fixtyle Portrait Fukoka 8th」に、やはり「智恵子抄」インスパイアの作品で参加されたYasuyuki Ibaraki氏という方が、同一の作品を出品なさるようです。
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さすがに福岡は遠いな、と、昨年は欠礼しましたが、ありがたいことに都内での開催ということで、これは行かざぁなるめい、です。ついでというと何ですが、他にも展覧会のハシゴをして参ります。

皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)22 『詩集 大いなる日に』

昭和17年(1942)4月20日 道統社 高村光太郎著
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目次
 序 秋風辞 夢に神農となる 老耼、道を行く 天日の下に黄をさらさう 若葉 地理の書
 その時朝は来る 群長訓練 正直一途なお正月 初夏到来 事変二周年 君等に与ふ
 銅像ミキイヰツツに寄す 紀元二千六百年にあたりて へんな貧 源始にあり ほくち文化
 最低にして最高の道 無血開城 式典の日に 太子筆を執りたまふ われら持てり
 強力の磊塊たれ 事変はもう四年を越す 百合がにほふ 新穀感謝の歌 必死の時
 危急の日に 十二月八日 鮮明な冬 彼等を撃つ 新しき日に 沈思せよ蒋先生
 ことほぎの詞 シンガポール陥落 夜を寝ざりし暁に書く 昭南島に題す

『道程』(大正3年=1914)、『智恵子抄』(昭和16年=1941)に続く第3詩集です。ほぼ全編これ翼賛詩で、前年の『智恵子抄』とのあまりのギャップは、知らない人が読んだらとても同一人物の詩集とは思えないほどといえるでしょう。

しかし、元々ここに収められた詩篇は『智恵子抄』収録の珠玉のそれと並行して書かれていたものです。戦後の詩「元素智恵子」の中では、「うちに智恵子の睡る時わたくしは過ち/耳に智恵子の声をきく時わたくしは正しい」と書きました。これらの詩篇を書いていた時が「うちに智恵子の睡る時」だったのでしょう。

『智恵子抄』には実に色々な側面がありますが、そのうちの一つとして、次のような面もあったのではないかと考えます。すなわち、智恵子との日々を一冊の詩集にまとめることで、それを総括し、またそうした日々への訣別を宣言するという意味合い。

そして俗世間との関わりを極力避けて、芸術精進に生きようとした智恵子との生活が智恵子の心を病ましめたという反省、悔恨から、180度方向を転換し、自ら積極的に世の中と交わる方面に舵を切りました。もしかすると、そうでもしないと智恵子を失った空虚な自分も心を病むという危機感があったかもしれません。

そうした内面がよく表されているのが、収録されている「最低にして最高の道」(昭和15年=1940)です。戦時アトリエ前ピン

   最低にして最高の道
 
 もう止さう。
 ちひさな利慾とちひさな不平と、
 ちひさなぐちとちひさな怒りと、
 さういふうるさいけちなものは、
 ああ、きれいにもう止さう。
 わたくし事のいざこざに
 見にくい皺を縦によせて
 この世を地獄に住むのは止さう。
 こそこそと裏から裏へ
 うす汚い企みをやるのは止さう。
 この世の抜駆けはもう止さう。
 さういふ事はともかく忘れて
 みんなと一緒に大きく生きよう。
 見えもかけ値もない裸のこころで
 らくらくと、のびのびと、
 あの空を仰いでわれらは生きよう。
 泣くも笑ふもみんなと一緒に
 最低にして最高の道をゆかう。

昨日朝、NHK Eテレさんで放映の「アートシーン」で紹介され、知った次第です。
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KeMCo新春展2026「馬の跳ねる空き地」

期 日 : 2026年1月8日(木)~2月7日(土)
会 場 : 慶應義塾ミュージアム・コモンズ 東京都港区三田2-15-45
時 間 : 11:00~18:00
休 館 : 土日祝 特別開館 1月24日(土)、2月7日(土)臨時休館 1月26日(月)
料 金 : 無料

 2026年の干支は「午(うま)」。古来より、馬はその力強さ、美しさによって、移動・輸送から狩猟・農耕、娯楽まで、さまざまな場面で文明の発展を支えてきました。新年の幕開けを飾る本展覧会では、慶應義塾の多様なコレクションから、馬にまつわる稀覯本(きこうぼん)、絵巻物、浮世絵、埴輪など多様な作品を一堂に集め、馬と人との永い関係をたどり、改めてその魅力に迫ります。
 また、特別企画として、慶應義塾ゆかりのさまざまな芸術家が手掛けた、慶應義塾幼稚舎内雑誌『仔馬』の表紙原画もあわせてご紹介いたします。

主な出品作品
 『ポリグラフィア』、ヨハネス・トリテミウス著、1561年、慶應義塾図書館
 『ラテン語時禱書』、1480年頃、西洋中世写本コレクション、慶應義塾図書館
 二重橋楠公銅像、楊斎延一画、1899年、ボン浮世絵コレクション、慶應義塾図書館
 馬形埴輪、古墳時代後期、文学部民族学考古学専攻
 「ギバサン(四季のための二十七晩)」舞台写真、小野塚誠撮影、個人蔵
 『仔馬』、慶應義塾幼稚舎(撮影:村松桂(株式会社カロワークス))
 仔馬、岡本太郎、1965年、慶應義塾幼稚舎
 「『じゃじゃ馬馴らし』マーティン・ハーヴェイとN・デ・シルヴァ主演 プリンス・オブ・ウェールズ劇場」、小山内演劇絵葉書コレクション、慶應義塾図書館
 熊野新宮神宝図、宇治田忠郷撰、寛政6年(1794)、慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)
 群馬図、雲渓永怡筆、室町時代、常盤山文庫(慶應義塾寄託)
 アキレウスとヘクトール、ハンス・ゼーバルト・ベーハム作、 1518-30年頃、慶應義塾
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「主な出品作品」、そしてフライヤーに皇居前広場の「楠正成像」を描いた錦絵(明治32年=1899)。東京美術学校として請け負い、光太郎の父・光雲が主任となって制作されたものです。
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描いたのは楊斎延一。明治期の浮世絵師です。

同じ三枚組の「西郷隆盛像」も手がけ、そちらは江戸東京博物館さんに収蔵されており、同館が改修中だった一昨年には上野の東京都美術館さんで開催された「館外展示 出張!江戸東京博物館」で展示されました。
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当方、そちらをあしらったクリアファイルを所持しております。
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昨日の「アートシーン」で気づき、知っていれば1月17日(土)の上京時に行ったのに、と思ったのですが、土日祝は休館ということで、結局だめでした。

他に馬にまつわる内外の考古資料や古典籍、江戸期の絵巻、岡本太郎の書、さらには手塚治虫の『リボンの騎士』まで出ています。

ぜひ足をお運びください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)19 『詩集 智恵子抄』

昭和16年(1941)8月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月

意外といえば意外ですが、『道程』(大正3年=1914)に次ぐ第二詩集です(『道程』改訂版を除く)。

龍星閣主・沢田伊四郎の発案で編まれ、それまでの全作品の中から、智恵子に関わるものの抄出ということで、「抄」の一字が附されました。ただ、ここに収められなかった智恵子関連の文筆作品はけっこうあります。作品の選択はほぼ光太郎の意志に依ったものと思われますが、連続性などを意識してのことのようです。

例えば智恵子に語りかける口調で書かれた詩の間に、そうでない客観描写の作品を挟むというようなことは光太郎が避けました。そのため、日比谷松本楼での一コマを謳った「涙」(大正元年=1912)などは割愛されています。

短歌も「うた六首」、それから「樹下の二人」に附された「みちのくの安達ヶ原の……」以外にも智恵子モチーフの作が複数あるのですが、採用されませんでした。短歌の方は詩と異なり、手控えの原稿を残していなかったからかもしれません。

太平洋戦争開戦直前に出版されたこの『智恵子抄』、冒頭の「いやなんです/あなたのいつてしまふのが――」に戦時の女性らは出征する男性たちに対する自らの思いを重ね合わせ、男性陣は残された恋人がそう思ってくれているであろうとの思いを胸に戦地に赴きました。

一人の女性に対する愛を一冊にまとめた我が国では前例のなかったこの詩集は、そうした世相も背景に広く世に受け入れられ、戦時にも関わらず、版元の龍星閣が休業を余儀なくされる昭和19年(1944)までの間に13刷まで版を重ねました。

昨日は今年初めて上京し、新宿のSOMPO美術館さんで「開館50周年記念 モダンアートの街・新宿」を拝見して参りました。
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ちなみに同館を訪れるのは平成16年(2004)の「高村光太郎展 彫刻、絵画、書――「いのち」の造型」展以来、21年半ぶりでした。
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今回は、近代美術の発信地の一つとして大きな役割を担うこととなった新宿界隈に焦点を当てるもので、そこに文学とのからみも語られ、総合的にとらえようという試みでした。

まずエレベータで5階へ。そこから4階、3階と下る順路となっている、よくあるパターンでした。まずは「ⅰ章 中村彝と中村屋 ルーツとしての新宿」。光太郎の親友だった碌山荻原守衛の小品2点「灰皿」と「香炉」(撮影禁止)が、いきなり最初にお出迎え。
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その後は守衛同様、中村屋サロンの主要メンバーで新宿にアトリエを構えた中村彝が中心でした。

その流れで「コラム1 文学と美術」。
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白樺派が大きく取り上げられ、ロダンや武者小路実篤、岸田劉生などが語られます。光太郎は中村屋サロンとともに白樺派の一員でもありました。右上は光太郎も寄稿した『白樺』第1巻第8号ロダン号(明治43年=1910)。

ここにフォービズムの影響を色濃く受けた光太郎の自画像(大正2年=1913)。
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同じ新宿の中村屋サロン美術館さんの所蔵で、同館の常設展示(コレクション展)にしょっちゅう出ているのですが、考えてみるとそちらに最近足を運んで居らず、久々に拝見しました。

光太郎とも交流のあった美校の後輩にして歌人の宮柊二の叔父・宮芳平の「歌」(大正4年=1915)。宮は中村彝に師事した画家でした。
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大正3年(1914)、美校在学中の宮は文展に出品するも落選。すると、宮は審査員だった森鷗外の観潮楼(光太郎アトリエ兼住居の近くです)に乗り込んで、なぜ落選だったのかと問い詰めるという暴挙に出ました。結局、鷗外にうまいこと言いくるめられて(笑)矛先を収め、以来、鷗外と個人的に交流するようになるのですが。そのあたり、鷗外の短編小説「天寵」に語られています。ちなみに今回の出品作「歌」も文京区立森鷗外記念館さんからの借り受けです。
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その「天寵」が載った『ARS』の創刊号(大正4年=1915)。光太郎も『ロダンの言葉』の一部を寄稿しています。
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『ARS』といえば、版元の阿蘭陀書房は北原白秋の実弟・鉄雄が社主。まさに「文学と美術」が現出されている一角でした。同様に、光太郎と親しかった岸田劉生による、これまた光太郎の盟友の一人・武者小路実篤の肖像(大正3年=1914)。
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ネットや各種書籍によく画像が載っているのですが、東京都現代美術館さんの所蔵だそうで、そうだったのか、という感じでした。

ⅱ章は「佐伯祐三とパリ/新宿 往還する芸術家」、ⅲ章が「松本竣介と綜合工房 手作りのネットワーク」。松本も光太郎と交流があり、解説パネルにその旨記述がありました。ありがたし。
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そして今回のフライヤーやポスターに使われている目玉作品「立てる像」(昭和17年=1942)。過日ご紹介したパナソニック汐留美術館さんでの「美しいユートピア 理想の地を夢みた近代日本の群像」展では、こちらの下絵がフライヤーに使われています。松本も最近またあちこちで取り上げられる機会が増えてきたように感じています。

最後は現代につながる展示となり、終了。

昨日は開幕して間もない休日ということで、けっこう賑わっていました。皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)18 『道程』改訂普及版

昭和15年(1940)11月20日 山雅房 高村光太郎著
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目次
 道程
  失はれたるモナ・リザ  明治四十三年十二月十四日
  画室の夜        明治四十四年一月十二日
  寂寥                       明治四十四年三月十三日
  声           明治四十四年五月二十日
  新緑の毒素       明治四十四年六月十一日
  はかなごと
  地上のモナ・リザ    明治四十四年七月六日
  父の顔         明治四十四年七月十二日 
  泥七宝         明治四十四年七月――翌年六月
  ――に         明治四十五年七月二十一日
  或る夜のこころ     大正元年八月十八日
  おそれ
  犬吠の太郎       大正元年九月二十六日
  さびしきみち      大正元年十月八日
  梟の族         大正元年十月二十日
  或る宵         大正元年十月二十三日
  郊外の人に       大正元年十一月二十五日
  冬の朝のめざめ     大正元年11月三十日
  戦闘          大正元年十二月十四日
  人に          大正二年二月十八日
  人類の泉        大正二年三月十五日
  山           大正二年十一月四日
  冬の詩         大正二年十二月六日
  牛           大正二年十二月七日
  僕等          大正二年十二月九日
  道程          大正三年二月九日
  愛の嘆美        大正三年二月十二日
  婚姻の栄誦       大正三年三月六日
  万物と共に踊る     大正三年三月九日
  瀕死の人に与ふ     大正三年三月十四日
  晩餐          大正三年四月二十五日
  五月の土壌       大正三年五月十六日
  秋の祈         大正三年十月八日
 道程 以後
  わが家         大正五年
  小娘          大正六年
  無為の白日
  海はまろく
  雨にうたるるカテドラル 大正十年十月
  沙漠
  クリスマスの夜     大正十一年一月
  冬の送別        大正十一年四月
  五月のアトリエ     大正十一年五月
  ラコツチイ・マアチ   大正十一年十一月
  落葉を浴びて立つ    大正十一年十一月
  樹下の二人       大正十二年三月
  鉄を愛す        大正十二年五月
  氷上戯技
  珍客
  葱
  車中のロダン      大正十四年
  後庭のロダン      大正十四年二月
  十大弟子        大正十五年
  聖ジヤンヌ       大正十五年
 猛獣篇 時代
  清廉          大正十三年十二月
  傷をなめる獅子     大正十四年
  狂奔する牛
  鯰           大正十五年
  苛察          大正十五年
  雷獣          大正十五年六月
  龍           大正十六年
 【編纂者の言葉】 三ツ村繁蔵

奥付では「百五十部限定版」「書店版」と同じく昭和15年(1940)11月20日となっていますが、実際には昭和16年(1941)4月25日に「普及版」が出されました。「書店版」にあった函は廃され、カバー装になりました。以後、版型やカバーデザインを変えつつ昭和18年(1943)までに9刷を重ねました。

手持ちのものは昭和17年(1942)10月20日の8版。カバー無しの裸本ですが、見返しに編集者兼詩人だった小池吉昌宛の献呈署名が書かれています。コレクションの中で唯一の光太郎署名本です。あまり署名や識語の有無にこだわらないのですが、一冊くらいあっても良いかな、と購入しました。

重版の裸本で、蔵書印や書き込みもあり、そうなると市場価値は500円~1,000円というところですが、サイン入りということで、たしか18,000円くらいで入手しました。ほとんどサイン代です(笑)。

光太郎筆の油彩画「自画像」(大正2年=1913)が出ています。

開館50周年記念「モダンアートの街・新宿」

期 日 : 2026年1月10日(土)~2月15日(日)
会 場 : SOMPO美術館 新宿区西新宿1-26-1
時 間 : 10:00~18:00(金曜日は20:00まで)
休 館 : 月曜日、1月13日(火)
料 金 : 一般(26歳以上)1,500円 25歳以下 1,100円 小中高生 無料

 1976年7月、SOMPO美術館は新宿に開館しました。このたび、SOMPO美術館の開館50周年を記念し、新宿をテーマとした展覧会を開催いたします。
 日本の近代美術(モダンアート)の歴史は、新宿という地の存在なくしては語れません。明治時代末期の新宿には新進的な芸術家が集まりました。そして、新宿に生きる芸術家がさらに芸術家を呼び込み、近代美術の大きな拠点の一つとなりました。本展は、中村彝、佐伯祐三から松本竣介、宮脇愛子まで、新宿ゆかりの芸術家たちの約半世紀にわたる軌跡をたどる、新宿の美術館として初めての試みです。

ⅰ章 「中村彝と中村屋 ルーツとしての新宿」
 新宿に創業した中村屋のもとに新進芸術家たちが集い、サロンが生まれました。中村彝(つね)をはじめ、中村屋にゆかりの作家を取り上げます。
コラム1 文学と美術
 1910年に創刊された雑誌『白樺(しらかば)』を中心に、新宿に生きた文学者や画家たちにゆかりの作品を紹介します。

ⅱ章 「佐伯祐三とパリ/新宿 往還する芸術家」
 佐伯祐三は、パリと新宿を行き来しながら活動しました。アトリエの建つ下落合の風景を描いた作品を中心に展示します。
コラム2 描かれた新宿
 1923年に発生した関東大震災からの復興で変貌を遂げた街を描いた版画集『画集新宿』『新東京百景』を中心に、大正から昭和初期の新宿の風景を描いた作品を紹介します。

ⅲ章 「松本竣介と綜合工房 手作りのネットワーク」
 松本竣介(しゅんすけ)は綜合(そうごう)工房を構え、雑誌『雑記帳』を刊行しました。竣介を中心に、二科会や『雑記帳』で活動をともにした作家たちを取り上げます。

ⅳ章 「阿部展也と瀧口修造 美術のジャンルを超えて」
 阿部展也(のぶや)(芳文)のアトリエには、瀧口修造を始めとする芸術家たちが集まりました。彼ら/彼女らの交流は、既存の美術の枠を超えた豊かな作品群を生み出していきました。
エピローグ 新宿と美術の旅はつづく
 新宿に生まれた版画家・清宮質文(せいみやただふみ)。静かな叙情あふれる静謐(せいひつ)な清宮の版画によって、本展の幕をとじます。


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光太郎の「自画像」は、「コラム1 文学と美術」の中で展示されています。
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やはり新宿区の中村屋サロン美術館さんの所蔵で、同館の常設展示(コレクション展)ではほぼ常時出ているものです。

「新宿」といえば、その中村屋サロン、さらに落合文士村。ⅰ章では中村屋サロンがメインで、荻原守衛や斎藤与里ら、光太郎とも縁の深かった面々の作品が並んでいます。その流れで「コラム1 文学と美術」。やはり光太郎と親しかった岸田劉生、有島生馬など。「おっ」と思ったのは宮芳平。シブいところが出ているな、という感じでした。それから、光太郎も寄稿した『白樺』の第1巻第8号(明治43年=1910)と『ARS』の創刊号(大正4年=1915)もこの並びでしょうか。

光太郎、落合系ではメインの佐伯祐三とは直接の関わりはなかったようですが、松本竣介主宰の『雑記帳』には寄稿をしています。また、林芙美子は自著『放浪記』で光太郎のブロンズ代表作「手」(大正7年=1918)に触れるなど、かすかな繋がりが。

週末、ぽこっと時間が空きましたので、拝見に伺おうかなと考えております。みなさまもぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)13 『ロダンの言葉』普及版

昭和4年2月28日 叢文閣 オーギュスト・ロダン著 高村光太郎訳
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目次
 ロダンの芸術(ユージエヌ カリエール)
 ロダン手記
  ヹヌス 原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺 本寺別記
  断片(「本寺」、「真のロダン」其他より) 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(一)  同(二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)

正続2冊セットで刊行され、内容的には大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た初版、同10年(1921)の目黒分店版と同一です。それらがハードカバーでしたが、こちらは並製の廉価版で、繰り返し版を重ねました。当方手持ちのものは最終刷となった昭和12年(1937)9月20日の版です。

カバー背の題字は光太郎自身の揮毫、描かれている裸婦像はロダンの素描です。同一の図案は明治43年(1910)、親友の水野葉舟の小説集『おみよ』のカバーにも使いましたが、同書はこのデッサンのために「風俗壊乱」とされて発禁になってしまいました。

佐藤忠良ら光太郎のDNAを受け継ぐ次世代の彫刻家たちはこの並製本を刷りきれるほど読んだようです。

もう少し早くご紹介するべきところでしたが、日付を勘違いしておりました。明日の公演です。

大人のための朗読会『あの空、あの声』-ふるさとの記憶-

期 日 : 2026年1月12日(月・祝)
会 場 : 成増アートギャラリー 東京都板橋区成増3丁目13-1
時 間 : 14:00~15:00 
料 金 : 無料

出 演 : 朗読ワークショップ声流
演 目 : 鹿児島感傷旅行/向田邦子 海酒/田丸雅智 あどけない話/高村光太郎 ほか

遠く離れても、深く心に刻まれた場所…ふるさと  いろいろな想い出、風の匂い、日差し、親しかった人びと…その場所を振り返るとき人は皆、胸を締め付けられる ふるさとを思い起こす朗読会です。
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主催は板橋区成増図書館さん。朗読ワークショップ声流さんによる「大人のための朗読会」は定期的に開催されているようです。平成31年(2019)には『道一その先』のサブタイトルで行われ、やはり光太郎詩「道程」がプログラムに入っていました。

今回は「『あの空、あの声』-ふるさとの記憶-」だそうで、「空」といえば「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。」の「あどけない話」(昭和3年=1928)ですね。

それからフライヤーを見て一瞬、「あどけない話」と同じく『智恵子抄』所収の「梅酒」(昭和15年=1940)かと思ったのですが、田丸雅智氏の「海酒」。やはり主人公が不思議なバーでメニューに書かれた「海酒」の文字を「梅酒」と勘違いするストーリーです(笑)。

ご都合つく方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)11 『ロダン』アルス美術叢書 24

昭和2年(1927)4月17日 アルス 高村光太郎著
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目次
 一、一個の全球
 二、親ゆづり
 三、善い姉さんと腹の出た家と
 四、始まり
 五、実地修行
 六、修道院
 七、下働きと仕立女工
 八、総決算と新時代
 九、苦境と愉楽と
 十、振出しへ返る事
 十一、自己の道
 十二、「歩む人」と「地獄の門」と
 十三、胸像群
 十四、記念像群及「バルザツク」の彫刻的意義
 十五、一九〇〇年以後
 十六、晩年、死、死
 十七、「小さい花子」

光太郎が終生敬愛したロダンの書き下ろし評伝です。

最終章「小さい花子」は、ロダン彫刻のモデルを務めた確認出来ている限り唯一の日本人・花子こと太田ひさを岐阜に訪ねたレポートです。ひさは森鷗外の短編小説「花子」にも描かれました。

明日からは昨年暮れの報道等を紹介しますが、それに先だって松の内の間に正月っぽいネタを。

元日の『日本経済新聞』さん文化面から。

騎馬像は馬も上手い? 名将支える相棒、国内150体巡る  山口洋史(元JRA職員)

 伊達政宗、山内一豊、前田利家、井伊直政――。武将たちをたたえる騎馬像を見上げた時、注目されるのは主役の偉人だ。となると、下の馬は見過ごされがち。
 馬好きの多くは、生きた馬の美しさに魅了されて、彫像は見向きもしない。かくいう私も同類。仕事の前に馬に乗れると聞いて日本中央競馬会(JRA)に就職したくらいだ。
 騎馬像の馬を意識したきっかけは、2011年のイタリア旅行だ。ずっと見たかったダヴィデ像への道すがら、騎馬像に出会った。コジモ1世だ。馬は丸々と肥え、頭が小さく、軽快に動いているように見えた。でも、私が好きなのはサラブレッド。ちらっと見て、通り過ぎた。
 その後も騎馬像に出会う。フェルディナンド1世、エマニュエル2世、マルクス・アウレリウス帝。妙に印象に残った。
 帰国後しばらくして馬事講座のネタ探しをしていた時、ふと騎馬像を思い出した。案外面白いのでは。とはいえイタリアには簡単には行けない。日本の騎馬像でも巡るか。なんとなく始まったが、結局150ほどある各地の像を制覇した。
 日本の騎馬像でまず外せないのが皇居外苑(がいえん)にある楠木正成像だ。騎馬像巡りで最初に見た像だが、馬をずっと見てきた私でも驚くほど、とにかく馬が上手(うま)い。正成がイケメンなのもいい。
 1900年に完成したこの像は、別子銅山200年記念事業として当時の東京美術学校(現東京芸大)を代表する芸術家が集まって作った。高村光雲が正成の顔を作り、歴史画家の川崎千虎が史実を踏まえて甲冑(かっちゅう)の図案を作り、彫刻家の後藤貞行が実際の馬の解剖もしながら馬を担当した。原型作りに3年、完成まで10年かけた。
 馬はグーッと力を入れて進もうとするが、正成が手綱を引く。顎がぐっと後ろに引っ張られた馬は興奮しているのか、前膝を高く上げて目を見開いている。胸前、前肢の付け根、おしりの筋肉も盛り上がって、全身に力を蓄えている。
 「この体勢はありえない」。写実性を重視した後藤は、光雲に抗議したという。だが誇張やデフォルメで、前進する力とそれを引き留める力が拮抗する緊張感が伝わる。
 完成当初は馬が大きいという批判もあったらしいが、現代の目で見ると逆に馬が小さく、首も少し短く感じるかもしれない。ただ、とにかくエネルギーはすごい。
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 正成像は、日本でほぼ最初に作られた近代的な騎馬像だ。これだけ人と時間と費用をかけて最初からこんなものを作ったら、後続はどうしても似てしまう。
そんな中、独自路線を行く像もある。
 例えばJR鹿児島本線伊集院駅前にある島津義弘像。馬は後肢をぐっと曲げて踏ん張り、頭を左に少しひねりながら前半身を高く上げている。馬の首の部分の筋肉の力強く張り詰めた膨らみ、全身の流れるような美しいライン。前歯や後歯、歯が生えていない歯槽間縁も正確に作られている。同じ騎馬像でも馬の力強さを別の形で描写した彫刻家の中村晋也の想像力に圧倒される。

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 ところが、そもそも馬を理解せずに作られたものもある。馬の肢(あし)は人間の脚とは違う。私が見た限りでは、馬の肢が本来とは逆向きに、まるで人の腕や脚のように曲がった像が2体ほどあった。
 こんなの許せない――。当初はそう思った。でも、騎馬像を見ていくうちに考えは変わった。馬のひづめや蹄鉄(ていてつ)の正確さまで、ちゃんと捉えているのは彫刻家の北村西望ぐらい。それでも多くの像は、地域で大切にされている。精いっぱいの思いが込められている。
 愛知県吉良町(現西尾市)といえば、忠臣蔵の吉良上野介の地元だ。ここには、6体もの上野介の騎馬像があった。日本中に悪役と思われても、地元はこの殿を支えるという意気込みだろうか。
 北海道江別市の榎本公園にある榎本武揚像の馬は、いかにも騎馬像らしいダイナミックさはない。でも華奢(きゃしゃ)な体にもかかわらず目はキリッとしていて、武揚の指示をじっと待っている。旧幕府、新政府の両方で重用された偉人も、相棒の馬といつも一緒にあちこち回ったのかもしれない。
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 船に乗りレンタカーを借りて佐渡島の山奥の公園にたどり着くと合戦開始目前、2人の騎馬兵が向き合う像があった。馬の像はやや詰めが甘いところがあるものの、全体としてダイナミックだ。
 ところがはるばる来た公園の近くにあるのは公衆トイレぐらい。30分ほど見ていたが、そばを通るのはトイレを目指す地元の人ばかり。せっかくの騎馬像、もう少しかっこつけてあげてほしいが、史実に忠実に場所を選んだ結果なのだろう。
 作り手や設置者の思い、あるいは何かしらの事情が垣間見える騎馬像は、今の時代にも新たに作られている。どうせなら愛される像を作ってほしい。願わくば、馬にもどうか気を使ってあげてほしい。

当会としての今年の年賀状図案に使った皇居外苑の「楠木正成像」を真っ先に挙げて下さいました。ありがたし。

執筆された山口氏、元JRA職員とのことで、見方が違いますね。楠公像に関しては「前進する力とそれを引き留める力が拮抗する緊張感」という評がまさに我が意を得たり、という感じでした。

楠公像の馬を担当した後藤貞行は、このために東京美術学校に雇われました。光雲が当時の校長だった岡倉天心に頼み込んでの実現でした。後藤が「この体勢はありえない」と言ったエピソードは、光雲の談話筆記『光雲懐古談』を昭和42年(1967)に中央公論美術出版さんが『木彫七十年』の題で復刊した際に附された、光雲三男にして家督相続を放棄した光太郎に代わって髙村家を継いだ豊周による「あとがき」に語られています。

 楠公の馬は左足を勢いよくあげ、踵を上へまげている。ここが問題になった。馬の専門家である後藤さんは馬の足というものはあんなにあがるものではない、それは嘘だといって反対した。けれども父が話すには、嘘でも馬が勢い込んで走ってくるところを手綱をぐっとひきしぼる、勢いが余って足があがる、その動きの激しいところをみせるためにも、また銅像全体としてみて、颯爽とした形のいいところをみせるためにも、例え嘘でもよいから片足をあげないと格好がつかない、そういうことを父はいったけれども、後藤さんは何しろ正確なことを尊ぶ本当の研究家だから、嘘になるから私は出来ないという。それで非常に困ってしまった。父は、いや芸術というものはそういうものではない、時には嘘でもよいのだ。その嘘を承知の上で作った方がかえって本当に見えるんだ。本当の馬のように作ると、かえって、少しも馬の勢いが出てこない、動勢というものがあらわれてこない、それではなんにもならない。嘘が本当にみえればそれでよいのだから、その気持ちをのみこんでもらわなくてはいけないということを、銅像制作の主任としての立場から、父はめんめんとして後藤さんを口説き、やっとのことで嫌がる後藤さんに承知してもらったという。

この件は『光雲懐古談』本文には記述がありません。それを書き残して置いてくれた豊周、グッジョブですね。もちろん、こうした措置を執った光雲、その提案をのんだ後藤もですが。まぁ、こうしたデフォルメは彫刻としては初歩的な技法ですが。しかし、こうした点、山口氏曰く「作り手や設置者の思い」を知った上で見るのと、そうでないのとではまるで見方が変わってくると思われます。

午年の今年、全国に150体以上あるという騎馬像、少し注意して観てみてください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)6 『ロダンの言葉』目黒分店版

大正10年(1921)11月28日 目黒分店 オーギュスト・ロダン著 高村光太郎訳
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目次
 ロダンの芸術(ユージエヌ カリエール)
 ロダン手記
  ヹヌス 原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺 本寺別記
  断片(「本寺」、「真のロダン」其他より) 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(一)  同(二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)

大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た初版と装幀は異なりますが、中身の紙型は同一のようです。阿蘭陀書房は大正6年(1917)に社名をアルスと改称、そのあたりのバタバタもあってか『ロダンの言葉』の重版が十分に出来なかったようで、目黒分店版が刊行されました。

のちほどご紹介しますが、叢文閣からの正続2冊組の普及版も出されます。

上野のトーハクさんで元日から始まっている企画展示です。

博物館に初もうで

期 日 : 2026年1月1日(木)~1月25日(日)
会 場 : 東京国立博物館 台東区上野公園13-9
時 間 : 9時30分~17時00分 毎週金・土曜日および1月11日(日)は20時00分まで
休 館 : 月曜日 1月12日(月・祝)は開館
料 金 : 東博コレクション展観覧料でご覧いただけます。一般1,000円、 大学生500円

新年恒例の「博物館に初もうで」は、2026年は1月1日(木・祝)13時より開催します
 東京国立博物館(館長:藤原誠)は、2026年は1月1日(木・祝)13時より開館し、恒例の正月企画「博物館に初もうで」を開催します。
 干支をテーマにした特集展示や、長谷川等伯筆 国宝「松林図屛風」(1月1日(木・祝)~1月12日(月・祝) 本館2室にて展示)をはじめ、本館、東洋館の各展示室で、新年の訪れを祝して吉祥作品や名品の数々をご覧いただけます。
 また、当館アンバサダーであり、世界的に活躍する日本画家・千住 博氏より、新作《ウォーターフォール》をご寄贈いただくことになり、1月1日〜1月12日まで本館大階段上にて特別に展示します。1月1・2・3日には本館前ステージでは和太鼓、獅子舞、吟剣詩舞など、新春限定の企画も開催します。
 新たな年のスタートは、ぜひ当館でお迎えください。

常設展示を新春らしくおめでたいものや干支にちなんだ作品で揃え、「博物館に初もうで」としゃれこみましょう、というコンセプトで毎年行われている企画です。
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サムネイル的に使われているのが、後藤貞行作の木彫「馬」(明治26年=1893)です。

光太郎の父・光雲の4歳年下だった後藤は変わった経歴を持つ彫刻家です。旧幕府の騎兵所や、維新後は陸軍省の軍馬局などに勤務した後、馬の彫刻を作りたい一心で光雲の門を叩いて木彫を学び、さらに東京美術学校に奉職、皇居前広場の楠木正成像の馬や、上野の西郷隆盛像の犬などを任されました。

というだけならこのブログでこの展示をわざわざ紹介しませんが、旧臘に発行された『東京国立博物館ニュース』の第783号(2025-2026年12・1・2月号)でこの「馬」が紹介され、「師の高村が1893年に開催されたシカゴ万国博覧会に出品するために制作した老猿(ろうえん 重要文化財、当館蔵)と同じ木から、本作を彫り出したと述べています」との記述。実物を何度か拝見していましたが、これは存じませんでした。
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光雲が「老猿」に使った木材は、栃木県鹿沼市の山林に自生していた栃の巨木でした。昨年は鹿沼でそのあたりに関するイベント等も行われています。そのあたり『東京国立博物館ニュース』では「高村は老猿の材木を求めて栃木県鹿沼市で直径2メートルほどの巨大なトチの木を購入し、東京都台東区の自宅まで運びました。後藤がこのトチの木の調達に尽力したこともあって、材木の一部を譲りうけたのでしょう」と記されています。

いわば「老猿」とこの「馬」、兄弟だったのですね。
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そう思って観ると、また見え方が違ってくるような気がします。

他に群馬県大泉町出土の馬型埴輪や、長谷川等伯筆の「松林図屛風」なども出ているとのこと。それから関連行事として1月10日(土)には本物の馬がトーハクさんにやってきての「在来馬とのふれあい」イベントなども企画されています。
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ぜひ足をお運びください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)3 『ロダンの言葉』(近代思潮叢書 第五編)

大正5年(1916)11月27日 阿蘭陀書房 オーギュスト・ロダン著 高村光太郎訳
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目次
 ロダンの芸術(ユージエヌ カリエール)
 ロダン手記
  ヹヌス 原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺 本寺別記
  断片(「本寺」、「真のロダン」其他より) 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(一)  同(二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)

光太郎初の訳書です。元々、フランスにも『ロダンの言葉』という書物は存在せず、さまざまなところで発表されたロダンの談話を光太郎が集めて一冊にまとめました。

装幀は光太郎自身。函題字は光太郎が得意とした白黒反転の「籠書き」文字で書かれています。

当方手持ちのものは大正7年(1918)10月20日改訂増補五版です。

11月22日(土)と23日(日)、全日本合唱連盟さん主催の第78回全日本合唱コンクール全国大会の大学職場一般部門が開催されました。

そのうち大学ユースの部の結果を報じる『朝日新聞』さん記事。

都留文化大とソレイユ大臣賞 全日本合唱コン

 第78回全日本合唱コンクール全国大会の大学職場一般部門が22日、佐賀市文化会館で始まった。大学ユースの部と室内合唱の部で計10団体が金賞に輝き、それぞれ都留文化大合唱団(山梨)と女声合唱団ソレイユ(佐賀)が最優秀にあたる文部科学大臣賞を受けた。
 審査結果は次の通り。(特別賞以外の並びは出演順)
 ◇大学ユース(6人以上、28歳以下)
【金賞】都留文科大合唱団(山梨)=文部科学大臣賞=、
    Ensemble SAKAE(埼玉)=佐賀市教育委員会教育長賞=、
    
早稲田大コール・フリューゲル(東京)=日本放送協会賞=、
    関西学院グリークラブ(兵庫)、東京科学大混声合唱団コール・クライネス(東京)
【銀賞】早稲田大女声合唱団(東京)、九大混声合唱団(福岡)、金沢大合唱団(石川)、
    同志社グリークラブ(京都)、新潟大合唱団(新潟)
【銅賞】愛媛大合唱団(愛媛)、福島大混声合唱団(福島)、Chor Karmin(鳥取)、
    北海道大合唱団(北海道)

 ◇室内(6~24人)
【金賞】女声合唱団ソレイユ(佐賀)=文部科学大臣賞=、
    Chor Alyssum(東京)=佐賀市長賞=、
    AF合唱団(千葉)=日本放送協会賞=、
    Choeur Premier(千葉)、Ensemble Nisi(京都)
【銀賞】アンサンブルVine(京都)、札幌チェンバークワイア(北海道)、
    こそり(福島)、倉敷少年少女合唱団(岡山)
【銅賞】エシュコル(愛知)、Serenitatis Ensemble(徳島)、Ensemble Nix(福岡)

東京都代表の早稲田大コール・フリューゲルさんが、金賞および日本放送協会賞に輝きました。自由曲に新実徳英氏作曲の「愛のうた -光太郎・智恵子-男声合唱とフルート、クラリネット、弦楽オーケストラのために」から「レモン哀歌」を演奏されての受賞でした。おめでとうございます。
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昨年も金賞ということで、9月に開催された都大会はシードで特別扱い。課題曲・自由曲1曲ずつのみの他団体とは異なり、自由曲としては「レモン哀歌」を含む4曲が演奏されました。全国大会出場は約束されていましたが、全国での自由曲が4曲の内のどれとその時点では発表されていませんでした。

以前ですと事前に各出場団体の演奏曲目がテキストデータでネット上に上がっていたのですが、今回はPDFや画像データでの予告で、見落としていました。来年以降、気をつけます。
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コンクール後に行われる各団体の定期演奏会等で、コンクールの自由曲として演奏した作品をプログラムに入れるケースが結構あります。フリューゲルさんもそうで、来月開催予定のコンサートに「レモン哀歌」も入っていました。

早稲田大学コール・フリューゲル 第70回定期演奏会

期 日 : 2025年12月12日(金)
会 場 : 小金井宮地楽器ホール 大ホール 東京都小金井市本町6-14-45
時 間 : 18:30~ 
料 金 : 全席自由 1,000円

曲 目
 ・ 『レモン哀歌』 《愛のうた -光太郎・智恵子-》
   男声合唱とフルート、クラリネット、弦楽オーケストラのためにより
   [ピアノ-リダクション(四手連弾)版] 作曲:新実徳英  作詩:高村光太郎
 ・ 『彼岸花』 男声合唱組曲《雪と花火》より 作曲:多田武彦  作詩:北原白秋
 ・ 《Missa Papae Marcelli》より 作曲:Pierluigi da Palestrina
 ・ 男声合唱とピアノのための《あらゆる日も夜も》 作曲:根岸宏輔  作詩:川崎麻希
 ・ ポップス アラカルト 編曲:清水昭
 ・ 男声合唱と三つの打楽器のための《紋》 作曲:松本望  作詩:金子光晴

出 演
 指 揮:清水敬一(常任指揮者)/清水昭/真下洋介/小野由寛(学生指揮者)
 演 奏:早稲田大学コール・フリューゲル
 ピアノ:小田裕之/井川弘毅  パーカッション:篠崎智 

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「レモン哀歌」、本来はオーケストラ伴奏として作曲され、令和4年(2022)の慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団さんの第146回定期演奏会で同団依嘱作品としてオケ伴で初演され、その際のライブ演奏を録画したDVDで拝聴しました。全音さんから刊行された楽譜はピアノ連弾の伴奏となっており、フリューゲルさん、コンクールでも定演でもその形での演奏です。

ピアノ連弾バージョンは聴いたことがないので、行ってみようかなと思っております。みなさまもぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

ロダンにとつては、生きてゐるといふ理由のみであらゆる生きて居るものは美しい。そしてあらゆるものは同等に美しい。

光太郎訳 アサア サイマンス「ロダン論」より
大正3年(1914)訳 光太郎32歳

名もない草花にも「美」を見出す、言うのは簡単ですが、それを常に意識するのは難しいような気がします。

朗読のワークショップだそうで。

壤晴彦・演技/朗読短期ワークショップ 11月『「ニュアンス」ってどうやって付けるの? 智恵子抄』

期 日 : 2025年11月21日(金)~11月23日(日)
会 場 : 演劇倶楽部『座』サロン 新宿区新宿5-9-11 アルメリア新宿1F
時 間 : 金・土/18時〜21時、日/13時〜17時 計10時間
料 金 : 20,000円
講 師 : 壤晴彦

あなたは自分の『本当の声』を知っていますか?
「良い声」だと思い込んだ、あるいは教えられた「声」に必死に近づこうとしていませんか?
「自分には遠くまで届く張りのある声は出ないんだ」とあきらめていませんか?

「声真似」ではない、自分の『本当の声』に出会い、「聞く耳に心地良く」「健康効果も抜群」の『省エネ発声法』の他、朗読や台詞・演技のスキルアップに役立つ技術を、テーマ別に指導します。

11月『「ニュアンス」ってどうやって付けるの?』
動詞・形容詞・形容動詞、時には名詞‥‥声の強弱・高低・圧・スピード・温度・湿度‥‥単語ごとの立体化・有機化が「文章の味わい」となります。一つ一つのフレーズを丁寧に扱い、瑞々(みずみず)しい言葉世界を目指します。
教材:智恵子抄(高村光太郎)
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講師の壤晴彦氏は、ご自分でも朗読の公演をなさるかたわら、朗読教育にもご関心が高く、教材としてのCDも出されています。

こちらで把握している限りでは、昨年さいたま市で、今年は都内秋田県で、それぞれ「智恵子抄」朗読を含む公演にご出演。当方は都内での公演を拝聴に伺いました。教材的なCDは平成24年(2012)にリリースされています。

今回の講座は、4月から12月まで3日間ずつ、計27日間。そのうち今月開催分で「智恵子抄」がテキストとして使われます。他の月で取り上げられた/取り上げられる作品は、宮沢賢治「どんぐりと山猫」、アンデルセン「絵のない絵本」、小川未明「野ばら」、夏目漱石「夢十夜」、芥川龍之介「藪の中」など。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

肝腎な点は感動する事、愛する事、望む事、身ぶるひする事、生きる事です。芸術家である前に人である事!


光太郎訳 ロダン「若き芸術家達に(遺稿)」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

当会顧問であらせられた故・北川太一先生は、光太郎が訳したこの一節を好まれ、頼まれて書く揮毫などによくこの一節、それから昨日ご紹介した一節を選ばれていました。
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昨日に引き続き、光太郎終焉の地、中野区の中西利雄アトリエ解体に伴う新聞報道を。

『東京新聞』さん。

高村光太郎やイサム・ノグチも活動した「中西アトリエ」、存続目指し解体 「後世に伝えたい」思い新たに

 「水彩画の巨匠」と呼ばれた洋画家、中西利雄(1900〜48年)が東京都中野区に建てたアトリエが老朽化などで解体されることとなり、1日から工事が始まった。保存の動きもあり移築先などは未定だが、建築部材を残し再建に希望をつなぐ。
◆洋画家・中西利雄のアトリエとして山口文象が設計
 工事は柱や梁(はり)、窓枠などの建具を再利用できるように残す「部材保存解体」で実施。1日は建具や照明、水道の設備などを取り外す作業が行われた。
 アトリエは1948年、建築家の山口文象(1902〜78年)の設計で建てられ、戦後間もない時期のモダニズム建築の先駆けとされる。中西は完成した年に死去し、貸しアトリエとなった。詩人で彫刻家の高村光太郎(1883〜1956年)が『乙女の像』を制作し、彫刻家のイサム・ノグチ(1904〜88年)も滞在した。
 管理は長年、中西の長男・利一郎さんが担ってきた。2023年に亡くなった後、妻の文江さん(74)が相続。壁がはがれ落ちるなど危険になったため、解体が決まった。
◆移築先は未定だけれど、調査・記録し建築部材を保存
 1日に始まった解体工事には、文江さんや、保存に動いた団体職員らが立ち会った。作業は重要建築の解体実績がある風基建設(新宿区)が、10月末までの予定で行う。
 解体が迫った9月下旬には、有志の建築士5人がアトリエで壁や天井の構造、建築部材の長さなどを細かく調査、記録し、解体と再建への準備を整えた。
 参加した建築士の伊郷吉信さん(72)は「後世の人に、このアトリエを設計した建築家や、ここで制作した芸術家のことを知ってもらいたい。そういう思いで総力を結集した」と語った。
 アトリエは老朽化が進むとともに存続が危ぶまれた。2024年には、保存を望む建築家や文化人らが「中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会」(俳優・劇作家の渡辺えり代表)を発足し、現地保存の道を模索したが、今年8月に断念した。
◆設計に関わった98歳建築家も参加、感慨深げに
 その後、価値ある住宅建築の継承に取り組む一般社団法人「住宅遺産トラスト」(世田谷区)が建物の所有者の仲介などを引き受け、移築保存への希望がつながった。
 文江さんは「これだけの人が協力してくれるとは思わなかった。アトリエに対して熱い思いを持っていた利一郎もうれしいと思う」と喜ぶ。
 アトリエを設計した山口文象の弟子だった建築家、小町和義さん(98)=東京都八王子市=は10代から山口の事務所で働き、実際に設計図を引いた人物だ。
 取材に「モノが少なくて建てるのも大変な時代で、苦労しながら節(ふし)のある板とか柱を集めた。簡素だけど、丈夫な材料でできた、しっかりしたアトリエ」と胸を張り、保存の動きに「よかった」とうれしそうにつぶやいた。
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保存のために建築部材を整理しながら解体が始まったアトリエ=1日、東京都中野区で
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解体に備えた調査で建物の構造や部材を記録する建築士ら=9月24日、東京都中野区で
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中西利雄が建て、高村光太郎らが滞在したアトリエ=1日、東京都中野区で

続いて『秋田魁新報』さん。

高村光太郎ゆかりの都内アトリエ、解体へ 十和田湖畔の「乙女の像」制作

 詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)が晩年を過ごし、十和田湖畔にある「乙女の像」塑像も制作した東京・中野のアトリエが解体されることになった。保存活動に取り組んできた秋田市河辺出身の曽我貢誠さん(72)=日本詩人クラブ理事、都内住=は「現地からアトリエは姿を消すが、移築も視野に検討を進めている」とし、部材を保管しながら建物の再建を目指すという。
 アトリエは1948年建設で、斜めの屋根と北側に向いた大きな窓が特徴。施主は洋画家中西利雄(1900~48年)、設計を建築家山口文象(1902~78年)が手がけた。中西は完成を見ずに亡くなったため、彫刻家イサム・ノグチ(1904~88年)や高村らに貸し出された。高村は亡くなるまでの3年半を過ごした。
 中西の長男利一郎さんが長年、アトリエを管理してきたが2023年に他界。老朽化もあり解体の話が浮上する中、利一郎さんと交流のあった曽我さんが昨春、有志と会を立ち上げて署名集めや行政への要望など保存活動を行ってきた。
 曽我さんは「多くの支援を受けながら現地保存の道を模索したが、さまざまな条件もあり断念せざるを得なかった」と話す。現地では今月1日から、柱や梁(はり)、窓枠などの建具を再利用できるように残す「部材保存解体」の作業が始まっている。
 9月26、27日には解体前のアトリエ見学会が行われ、集まった人たちがその姿を目に焼き付け、思い出などを語り合っていた。
 保存活動に携わった神奈川大建築学部の内田青藏特任教授(72)=大館市出身=はアトリエについて、戦後間もない時期のモダニズム建築の特徴がみられる貴重な建物と評価。「再建の可能性が残されたのは意義深い。部材の傷みもみられるが、よりよい形で再現されてほしい」と期待した。
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今後の移築先の確保、さらに場合によっては活用法を考えるなど、まだまだ課題は山積しています。

よいお知恵や提案をお持ちの方、「中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会」曽我氏までご連絡下さい。save.atelier.n@gmail.com

【折々のことば・光太郎】

――芸術とは自然が人間に映つたものです。肝腎な事は鏡をみがく事です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

なるほど、曇った鏡では正しい姿を映せませんね。

保存運動を継続しております東京中野区の中西利雄アトリエ。昭和27年(1952)から光太郎が居住し、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」などを制作し、昭和31年(1956)4月2日、その終焉の地となった建物です。設計はモダニズム建築家の山口文象があたりました。

解体が決定し、先月末には関係者対象の内覧が行われました。すでに解体工事が始まっていますが、消滅は回避、解体した部材は保管され、移築先を探すという状況になりました。

その件や今後の見通しについて新聞各紙で報じて下さっています。掲載順に2日に分けてご紹介いたします。まず、「乙女の像」地元の青森県の地方紙2紙。

『東奥日報』さん。

「乙女の像」高村光太郎晩年の拠点 東京・中野 保存目指す有志 見学会

 詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)が晩年、「乙女の像」の塑像を制作した東京・中野のアトリエを巡り、移築を視野に入れた検討が進んでいる。10月にも移築に向けた解体作業が始まり、建物の部材は一時保管されるという。26日、保存を目指してきた有志による見学会が行われ、集まった人たちがその姿を目に焼き付けた。
 アトリエは洋画家中西利雄(1900~48年)が建築、48年に完成した。高村は52年秋から亡くなるまでの3年半を過ごし、十和田湖畔(十和田市)にある「乙女の像」の塑像制作に情熱を注いだ。
 移築に向けた動きには、歴史的、文化的に貴重な住宅建築の継承に取り組む「住宅遺産トラスト」が(東京)が関わり、まずは解体に着手する方向となった。完成から80年近くが経過したアトリエは老朽化が進み、現地での保存が困難な状況になっていたという。
 アトリエは中西の長男・利一郎さん(故人)が大切に管理してきた。高村とも親交があったといい、利一郎さんの妻・文江さん(74)は「中西利雄や高村を好きな方たちがここでたくさんの思い出をつくった。夫の思いが生かされる方向になれば一区切りがつきます」と述べた。
 保存に向けては、都内の有志らが会を立ち上げ、署名集めや行政への要望などを行ってきた経緯がある。
 同日、現地を訪れた建築士の十川百合子さん(71)は「アトリエは戦後の建材が不足する中で建てられたが、工夫が凝らされている。さまざまな文化人が集った歴史があり、後世に伝えるためにも、より良い形で再現されてほしい」と期待した。

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同じく『デーリー東北』さん。

高村光太郎アトリエ解体へ 「乙女の像」制作 都内 老朽化、部材や資料は保管 文化的価値継承へ移築模索も

 彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)が十和田湖畔にある「乙女の像」を制作した東京・中野のアトリエが、部材などを保管した上で10月に解体されることになった。有志が建物の保存に向けて尽力してきたが、老朽化が進行して困難に。一方、解体後の移築を模索する動きもあり、関係者は文化的価値の継承を願っている。
 アトリエは、洋画家の中西利雄(1900~48年)が使用する予定で建てられたが、亡くなった直後に完成。貸し出されていたところ、岩手県花巻市で過ごしていた高村が青森県から乙女の像の制作を依頼されたのをきっかけに52年に移り、亡くなるまでの間、制作の拠点とした。高村の前には世界的な彫刻家のイサム・ノグチも使用している。
 高村の死後は、中西の長男の利一郎さんが守り継いできた。ただ、2年前に死去してからは管理が難しくなり、利一郎さんの妻・文江さん(74)は「耐震性などを考えると危険な建物でもあった」と語る。
 有志でつくる「アトリエを保存する会」が行政に協力を要請したり、建物内で文化的な交流活動を行ったりしてきたが、現在地に残すことはかなわなかった。
 だが急転直下、歴史的価値のある住宅建築の継承に取り組む「住宅遺産トラスト」(東京都)が所有者と相談し、都内の建設会社が解体された柱などの部材や建物内にあった資料を一時保管することになった。場所や時期は未定だが、移築に向けた動きもあり、保存する会の曽我貢誠さん(同)は「完全になくなるわけではないということで、ほっとしている」と胸をなで下ろす。
 同会には保存を望む5千通以上の署名が寄せられている。曽我さんは移築の実現に期待を寄せ、「若者が想像力を育むような場所になれば」と願う。
 文江さんも「必要な物は保管してもらえる。主人の思いに応えられる道が見えて良かった」と話した。
 解体工事が行われるのを前に、26日は関係者がアトリエを訪れ、往時に思いをはせた。高村の研究を続けてきた小山弘明さん(千葉県)は「移築などで活用される方向でお願いしたい。(貴重な建築物を)継承していく一つのモデルケースになれば」と語った。

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いろいろセンシティブな問題があり、詳細は書けませんが、現状、こういうことになっています、ということで。

以前も書きましたが、移築後の活用方法については追々考えていくとして、まずは場所。大学さん、美術館/文学館さんなど、或いは篤志の個人の方でも結構です。できれば近くであるに越したことはないのですが、離れた場所でも仕方がないでしょう。保存会世話役の曽我貢誠氏メアドが以下の通り。save.atelier.n@gmail.com
よろしくお願い申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

――彩色と彫刻と何の関係もありません。光と陰とがあれば彫刻家は沢山です。若し其の構造的表現が正しければ。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

一般にブロンズの塑像や、大理石彫刻などには彩色を施しません。木彫の場合には大理石とは異なり彩色されることがあって、光太郎も行っていますが、それとて最小限です。彩色されていなくても、色彩を感じさせる彫刻でなければ……ということでしょう。

光太郎終焉の地にして記念すべき第一回連翹忌会場ともなった、中野区の中西利雄アトリエ。モダニズム建築家・山口文象の設計です。一昨年からその保存運動に取り組んでいます。

文治堂書店『とんぼ』第17号/「中西利雄アトリエを後世に残すために」企画書。
「高村光太郎ゆかりのアトリエ@中野」。
『中野・中西家と光太郎』。
中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会 意見交換会。
中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会 署名用紙。
「中野を描いた画家たちのアトリエ展Ⅱ」。
閉幕まであと4日「中野を描いた画家たちのアトリエ展Ⅱ」。
『東京新聞』TOKYO発2024年NEWSその後 1月12日掲載 高村光太郎ゆかりのアトリエ危機。
中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会レポート。

現地保存にむけ、多くの皆さんが署名して下さったり、展示やイベントなどの関連行事にもご協力いただいたりしましたが、様々な理由で移設の方向で舵を切ることとなりました。

その後、住宅遺産トラストさんのご協力をいただけることになり、いったん解体して部材を保管し、移する方向で動いております。

そこで、関係者のみが参加しての内覧会を解体前に行うこととなり、9月26日(金)、27日(土)の2日間、ともに午後、開催いたしました。54平米の小さな建物でキャパに制約があり、申しわけありませんがクローズドでの実施とし、このブログでは告知できませんでした。

撮影してきた画像を載せます。

まず正面方向からの外観。
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採光のため北側に大きく作られた窓。
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東側、そして南側の外観。
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窓枠は北側以外はサッシに換えられています。
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そして内部。
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二階、というか、ロフトのような空間があり、そこから俯瞰しました。右手が北側になります。右上のあたりで光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が制作されました。
キャプション「中西アトリエにて 「乙女の像」制作風景」① キャプション「中西アトリエにて 「乙女の像」制作風景」②
ちなみに像を据えた回転台は、助手を務めた青森県出身の彫刻家・小坂圭二、さらに小坂の弟子にあたる北村洋文氏へと受け継がれ、北村氏から十和田湖観光交流センター・ぷらっとに寄贈されました。
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ロフト部分。ここに上がったのは初めてでした。
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下から見上げるとこんな感じ。
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施工主の中西利雄の意向で作られた空間で、ここに弦楽アンサンブルの演奏者に入ってもらい、階下のアトリエ部分でダンスパーティーなどとという構想があったそうです。実現はしませんでしたが。

玄関脇、奥の小部屋など。
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中西利雄蔵書類。
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中西利雄はこのアトリエの完成直前の昭和23年(1948)に亡くなり、戦後の混乱期ゆえ、光太郎のようにアトリエを戦災失ったりした芸術家の需要があるだろうと、中西夫人が貸しアトリエとして運用することにしました。光太郎の前には、イサム・ノグチがここを使い、昭和27年(1952)から昭和31年(1956)まで光太郎。その後、画家の陶山侃に貸し出されたとのこと。

光太郎が居た間、実弟で鋳金の人間国宝・髙村豊周、その子息で写真家となった髙村規氏、当会の祖・草野心平、当会顧問であらせられた北川太一先生などをはじめ交流のあった人々が連日、ここを訪れました。「乙女の像」依頼主の津島文治青森県知事、県と光太郎を仲介した佐藤春夫、「乙女の像」を含む一帯の公園を設計した建築家・谷口吉郎、光太郎の花巻疎開に尽力した宮沢清六や佐藤隆房医師、画家の難波田龍起、写真家・田沼武能、光太郎の古い親友で陶芸家のバーナード・リーチ、伝説の道具鍛冶・千代鶴是秀、文学方面では亀井勝一郎や高見順、尾崎喜八、親友だった水野葉舟子息でのちに総務庁長官や建設大臣を歴任した水野清、芸能関係でも長岡輝子、初代水谷八重子、ラジオパーソナリティーの秋山ちえ子などなど。

そうした人々の息づかいも感じられる空間でした。

移築後の活用方法については追々考えていくとして、まずは場所。大学さん、美術館/文学館さんなど、或いは篤志の個人の方でも結構です。できれば近くであるに越したことはないのですが、離れた場所でも仕方がないでしょう。

保存会世話役の曽我貢誠氏メアドが以下の通り。save.atelier.n@gmail.com

よろしくお願い申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

人間が自分を育てるのです。神性あるものは自然です。神とはわれわれの事です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

わけのわからない新興宗教の教祖様のように「我こそは神」なり、というわけではなく、全ての人間は心の中に「神」のような部分、いわば「良心」を持っていて、その声に従うことが大切だ、ということでしょうか。ある種の性善説ですね。

先月のNHKEテレさんの「アートシーン」でも紹介された、新宿の東京オペラシティアートギャラリーさんで開催中の「難波田龍起」展につき、『朝日新聞』さんが9月16日(火)付夕刊で、光太郎に触れつつ大きく取り上げました。

(美の履歴書:913)「生の記録3」 難波田龍起 燃える青、たちのぼるのは

 難波田(なんばた)作品に特徴的な垂直の線ももはや消え、青のモノクロームの濃淡だけがモヤモヤ漂う。細い筆で点を置いていくように丹念に描かれた筆跡は、密集し拡散する無数の粒子のようだ。「気の遠くなるような行為の集積に、人間の息づかいや念がこもっている」と、東京オペラシティアートギャラリーの福士理シニア・キュレーターは言う。
 この「粒子」感は、若き日の難波田龍起(たつおき)が薫陶を受けた高村光太郎に由来する。詩人で彫刻家の高村は、絵画は視覚だけでなく触覚との結びつきが肝要だと語った。それは画面を触って感じられる画材の質感とは異なり、あくまでイメージとしてたちののってくるマチエール(絵肌)だ。
 高村はもう一つ、芸術には「生命の戦慄」が必須だとも教えた。
命や人間性を重んじる思想と、キュビスム由来の幾何学的抽象の冷たさとの矛盾に悩んだ難波田。やがて、1950年代後半に日本に入ってきたアンフォルメルの「熱い抽象」とも呼ばれるエネルギーに活路を見いだす。
 難波田は、モネの晩年の傑作「睡蓮(すいれん)」をアンフォルメルの先例とみなしていた。88歳で訪れたパリ・オランジュリー美術館の「睡蓮の間」に触発され、帰国後すぐに描き始めたのが、画業最大にして全4点の「生の記録」だ。
 絵画の物質性に頼り切ることなく、自らの精神によって生命を表現する。その実践の集大成は、まさに難波田自身の「生の記録」でもあった。
 同時に、「龍起個人や人間の存在を越えて、宇宙や生命現象の始まり、劫初(ごうしょ)の光を感じる」と福士さん。
 「難波田ブルー」とも呼ばれる青が、銀河の奥で燃える炎のように見えてくる。

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美の履歴書 913
・名前 生の記録3
・生年 1994年
・体格 舘162.1㌢×横390.9㌢
・生みの親 難波田龍起(1905~97)
・親の経歴 
 北海道・旭川に生まれ、翌年東京へ転居。19歳の頃、隣家に住む高村光太郎を自作の詩を携えて訪ね、以後親交を持つ。高村の勧めで太平洋画会研究所に学ぶがなじめず退所する。初期はギリシャ彫刻や仏像などのモチーフを描いていたが、戦後に抽象へ移行。欧米のアンフォルメルや抽象表現主義の影響を受けつつ、独自の抽象表現を探求した。
・日本にいる兄弟姉妹 東京・世田谷美術館、東京国立近代美術館などに。
・見どころ004
 ❶3枚のパネルを連ねた巨大な画面を埋める緻密(ちみつ)な筆致が、88歳の覇気を物語る。
 ❷青の濃淡や明暗が白っぽい筋をつくる。隣に展示されている、黄色が基調の「生の記録4」と比べても、より繊細な表現だ。

▽「難波田龍起」展は、東京オペラシティアートギャラリーさで10月2日まで。祝日をのぞく月曜と9月16日休館。日本の抽象絵画のパイオニアとして知られるの生誕120年にあわせた、約四半世紀ぶりの回顧展。写真は「昇天」(1976年)。問い合わせはハローダイヤル(050・5541・8600)


ついでですので、光太郎が難波田について描いた文章もご紹介しておきます。

まず昭和17年(1942)、銀座の青樹社で開催された難波田の第一回個展の目録に載った文章。

   難波田龍起の作品について

 難波田龍起君の芸術の中核はその内面性にあるやうに思はれる。初期の頃一時ルドンに熱中してゐた事があつたが、あの魂の共感はいろいろの形で其後にもあらはれてゐる。種々の段階を通つて進んで来たが、ギリシヤの発見以来同君の芸術は急速に或る結成の方向を取つたやうに見える。それはやはり同君の内面的映像への求心性が然らしめたものと推察する。それ故同君の構想には人に知られぬ内面の必然性があつて、互に連絡し交叉しあつてゐる。此の点を見のがしては、今後に於ても同君の芸術の魅力は領解不十分となるであらう。画面上の技術にも珍しく緻密な用意がある。かういふ特質ある画家を十分に育て上げるやうな文化的環境が是非欲しい。同君の未来に私はわれわれ民族の内面形象を大に期待する。


続いて、昭和28年(1953)、やはり難波田の個展の際、会場に置かれた「感想帖」に鉛筆で書き込まれた言葉。

 昔ながらに色がいいと思つた。ギリシヤ時代のあの色がここにも生きてゐて愉快に思つた。Peintureではイロが第一の門だと今でもおもふ。

双方に出てくる「ギリシヤ」云々は、難波田が光太郎のアトリエでギリシャ彫刻の写真などを見せられてその精神性に惹かれ、モチーフとしていたことを指します。まだ抽象画に移行する前の話です。

それにしても、短文であっても本質をずばりと捉える光太郎の評には相変わらず舌を巻かされます。

東京オペラシティアートギャラリーさんでの「難波田龍起」展、10月2日(木)までの開催です。まだ足を運ばれていない方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

世界は美しいもので満ちて居ます。それの見える人、眼でばかりで無く、叡智でそれの見える人が実に少ない!


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

難波田は叡智で美を見られる少数派の一人だったのでしょう。

光太郎、のちに頼まれて色紙などに揮毫する際、「美しきもの満つ」とか「世界はうつくし」と書くことが多くありました。その元ネタがこの一節だったようです。
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