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神奈川県鎌倉市での光太郎及び光太郎と交流の深かった尾崎喜八、それぞれの親族の方々による展示です。

回想 高村光太郎 尾崎喜八 詩と友情 その13

期 日 : 2026年10月2日(金)~11月24日(火)の火・金・土・日曜日
会 場 : 笛ギャラリー 神奈川県鎌倉市山ノ内215
時 間 : 11:00~16:00
休 業 : 月・水・木曜日
料 金 : 無料

関連行事 詩の朗読会 11月21日(土) 15:00~
 高村光太郎と尾崎喜八の詩を朗読します。詩を朗読して下さる方を募集しています。
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笛さんの店主、山端氏の奥様が光太郎の直ぐ下の妹・しづ(静子)の令孫にあたり、こちらには光太郎の直筆の書、彫刻などが遺されています。それから、すぐご近所に尾崎喜八令孫の石黒敦彦氏がお住まいで、そちらには尾崎関連のさまざまな品々。その中から展示品をセレクトして毎年開催されています。

特に目玉は、大正13年(1924)、尾崎と、光太郎の親友だった水野葉舟の息女・實子の結婚祝いに贈ったミケランジェロ模刻のブロンズ「聖母子像」。石膏原型は失われており、全国にこれ一点のみしか存在しません。下の画像で中央下です。
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追記 画像追加しました。
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すでに展示作業が終わったようで、山端氏のフェイスブック投稿に会場内の画像。
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11月21日(土)には例年行われている朗読会も予定されています。一般の方々によるもので、飛び入り参加も可。過去の様子は下記をご参照下さい。令和6年(2024)はブッキングで拝聴に伺えませんでした。
 
 令和4年(2022)  令和5年(2023)  令和7年(2025)

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

詩華集 75 『現代日本代表作詩集』

昭和23年(1948)10月30日 海口書店 池田克己編纂代表
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収録作家
 会田綱雄 浅井十三郎 飛鳥敬 鮎川信夫 安西冬衛 安藤一郎 池田克己 石井昌光
 伊東静雄 入江元彦 祝算之介 植村諦 右原尨 梅木三郎 江間章子 及川均 大江満雄
 大木実 岡崎清一郎 緒方昇 岡本潤 尾崎喜八 小野十三郎 金子光晴 川島豊敏
 上林猷夫 菊岡久利 北川冬彦 北園克衛 木原孝一 草野心平 蔵原伸二郎 黒木清次
 小池亮夫 小柳透 近藤東 坂井一郎 笹沢美明 更科源蔵 柴田元男 島崎曙海
 神保光太郎 菅原克已 杉浦伊作 杉山平一 杉山真澄 関根弘 高島高 高橋新吉
 高橋宗近 高見順 高村光太郎 瀧口武士 竹尾大吉 竹中郁 田中克己 田中冬二
 谷村博武 田村昌由 田村隆一 長光太 寺田弘 鳥見迅彦 中川信夫 永瀬清子
 西脇順三郎 野長瀬正夫 原田種夫 菱山修三 日高てる 平木二六 比良勢津子
 平林敏彦 深尾須磨子 福田律郎 藤原定 淵上毛銭 冬木康 堀口大学 真壁仁
 松畑優人 丸山薫 宮崎孝政 三好達治 三好豊一郎 村野四郎 向井孝 百田宗治
 八森虎太郎 山上順三 山中散生 山之口貘 山本信夫 吉田一穂 吉田欣一 吉塚勤治
 劉寒吉 和田徹三 伊藤信吉

編纂者代表の池田克己が主宰し、現在も続く詩誌『日本未来派』が母体のアンソロジーです。光太郎詩は「「ブランデンブルグ」」(タイトル自体に「」がついています)。

大正期には若き自らの肖像画を光太郎に依頼し、光太郎晩年には生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」建立のため青森県との橋渡し役を務め、光太郎が没してからは草野心平らとともに顕彰活動の先頭に立って「連翹忌」名付け親ともなった佐藤春夫。

その春夫関連の展示等が2件、相次いで行われます。まずは完全に光太郎もからむ、和歌山。

移転リニューアルオープン記念特別展示

期 日 : 2026年10月7日(水)~12月10日(木)
会 場 : 新宮市立佐藤春夫記念館 和歌山県新宮市伊佐田町1-2-50
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 月曜、祝日の翌日
料 金 : 一般 330円 小中学生 160円(10/7~10/12は無料)

佐藤春夫記念館は10月7日(水)の午後1時よりリニューアルオープンいたします。12月10日までオープン記念特別展示として、高村光太郎画「佐藤春夫像」を新宮市初公開します。オープンから6日間を無料開放日としますのでぜひご来館ください。

貴重映像 「現代日本文学巡礼」(郡山市立こおりやま文学の森資料館所蔵)より佐藤春夫のパートを公開(12月27日(日)まで)

東京大学准教授・河野龍也先生の協力を得て、新しい研究成果も交えた詳細な解説パネルを新設(常設)

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同館は文京区関口にあった春夫の邸宅を故郷・新宮市の熊野速玉大社に移築、平成元年(1989年)11月に記念館としてオープンしました。その後、老朽化や寄贈品の収蔵庫も手狭になっていたということで、ゆかりの伊佐田町地区へ移転ということになり、令和6年(2024)から休館中でしたが、このほどリニューアルオープンだそうです。延べ床面積は約300平方メートルと大きくなり、使える部材を活用するなど従来の外観や内観をできるだけ維持して移転だとのこと。

共同通信さん配信記事。

作品舞台の地区に移転、開館へ 和歌山・新宮市の佐藤春夫記念館

005 和歌山県新宮市出身の作家佐藤春夫(1892~1964年)の愛用品などを展示する市立佐藤春夫記念館が老朽化のため移転リニューアルオープンするのに先立ち17日、市は報道陣向けの内覧会を開いた。10月7日に開館する。
 記念館は佐藤が住んでいた東京都文京区の邸宅を新宮市の熊野速玉大社境内に移築し、1989年にオープン。老朽化が進み寄贈品の収蔵庫も手狭になっていたため、市は佐藤の小説「わんぱく時代」の舞台となった市内の地区への移転を決め、2024年から工事を進めていた。
 楠本秀一館長(77)は「門弟3千人とも言われ、多彩な才能を発揮した佐藤春夫の足跡をぜひ見てほしい」と話した。

光太郎油彩画「佐藤春夫像」(大正3年=1914)は、和歌山県立近代美術館さんに寄託されていて、同館でことあるごとに展示して下さっていましたが、他の1万点を超える遺品などとともに、新宮市へ寄贈されました。有名な芥川賞受賞を懇願する太宰治からの書簡なども含まれています。上記案内文にある「新しい研究成果も交えた詳細な解説パネルを新設」は、そのあたりを受けてのことと思われます。
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もう1件、神奈川県から。こちらの方が先に始まります。

特別展「佐藤春夫展 情(こころ)あらば伝へてよ」

期 日 : 2026年10月3日(土)~11月29日(日)
会 場 : 神奈川近代文学館 横浜市中区山手町110
時 間 : 9:30~17:00
休 館 : 月曜日(祝日は開館)
料 金 : 一般800円(600円)、65歳以上・20歳未満及び学生400円(300円)
      高校生100円(100円)、中学生以下は無料 ( )内は20名以上の団体料金

 明治から昭和にかけて、詩歌・小説・随筆など多岐にわたる分野で活躍した文豪・佐藤春夫(1892~1964)。〈門弟三千人〉といわれるほど多くの知友や弟子を持ち、日本の近代文学に与えた影響はきわめて大きなものでした。
 24歳のとき、神奈川県都筑郡中里村(現・横浜市青葉区)に暮らし、その体験をもとに書き上げた小説「田園の憂鬱」で作家としての地位を確立します。また、いわゆる「小田原事件」を背景に生まれた「秋刀魚(さんま)の歌」が日本近代詩を代表する抒情詩として知られるなど、神奈川ともゆかりの深い文学者です。
 本展では反骨精神に富んだ春夫の文業を辿るとともに、谷崎潤一郎、芥川龍之介、太宰治ら、多くの作家からの書簡を紹介、人々の心をとらえた〈人間・佐藤春夫〉の実像に迫ります。
《会期中、「文豪ストレイドッグス」との記念コラボを実施します》
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関連行事
2026年10月11日(日) 佐藤春夫展記念講演会「夢の魔術師―佐藤春夫を読む愉たのしさ」
 講師=河野龍也(東京大学准教授、佐藤春夫展編集委員)
 ゲスト=東哲一郎(歌手、「秋刀魚の会」メンバー)
 講師=安藤宏(東京大学名誉教授)
 講師=辻原登(作家)、辻󠄀本雄一(新宮市立佐藤春夫記念館前館長)

「主な出品物」に光太郎の名は無く、よくあるPDFの出品目録等も公式サイトに出ていませんで、どの程度光太郎に関わるか不明ですが、解説パネルの片隅にでも光太郎の名が記されていて欲しいものです(笑)。
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招待状を頂いてしまいましたし、閲覧室での調べものもありますので、適当な時に行ってこようと思っております。
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新宮と併せ、皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

詩華集 70 『現代名歌選』養徳叢書(11)

昭和20年(1945)12月20日 養徳社 吉井勇編
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収録作家
 明治天皇 昭憲皇太后 八田知紀 福田行誠 井上文雄 佐々木弘綱 与謝野尚絅
 天田愚庵 大和田健樹 小出粲 高崎正風 海上胤平 黒田清綱 大口鯛二 阪正臣
 山県有朋 森鷗外 福本日南 落合直文 正岡子規 佐佐木信綱 与謝野鉄幹 金子薫園
 尾上柴舟 伊藤左千夫 長塚節 島木赤彦 中村憲吉 古泉千樫 斎藤茂吉 釈迢空
 与謝野晶子 石川啄木 北原白秋 若山牧水 窪田空穂 岡麓 木下利玄 新井洸 川田順
 土岐善麿 前田夕暮 太田水穂 石榑千亦 相馬御風 尾山篤二郎 松村英一 半田良平
 土屋文明 吉植庄亮 久保猪之吉 服部躬治 蕨真 石原純 結城哀草果 土田耕平
 依田秋圃 橋田東声 岡橙里 田波御白 九條武子 大塚楠緒子 三ヶ島葭子 平野万里
 茅野蕭々 茅野雅子 若山喜志子 今井邦子 花田比露思 岡本大無 藤澤古実 高田浪吉
 竹尾忠吉 上松寿樹 橋本特寿 逗子八郎 村野次郎 河野慎吾 臼井大翼 岡野直七郎
 齋藤瀏 小泉苳三 前川佐美雄 明石海人 齋藤史 五島美代子 中原綾子 穂積忠
 木俣修 香取秀真 平福百穂 高村光太郎 小杉放庵 中川一政 石井柏亭 菊池幽芳
 谷崎潤一郎 会津八一 新村出 湯川秀樹 高田保馬 下村海南 吉井勇


確認できている限り、戦後初めて刊行された光太郎作品の載ったアンソロジーです。詩ではなく短歌のそれで、光太郎短歌は明治39年(1906)、欧米留学のため横浜港を出港したアセニアン号の船上で詠んだ「海にして……」が収録されています。

昨日は神奈川県川崎市に行っておりました。JR川崎駅前のミューザ川崎さんで開催された「歌曲アンサンブル研究会 第286回 6月例会」拝聴のためでした。
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プロまたはそれに準ずるクラシック系歌手の皆さんなどの団体で、毎月の「例会」では公開講座や「試演会」と銘打たれたコンサートなども行われています。公開講座はおそらく中堅からベテランと思われる歌手の方や、作曲家の皆さんなどが講師を務められ、会員の方から希望者が公開でレッスンを受けるという形式のようです。

昨日の講師は作曲家の朝岡真木子氏。三人の歌手の方とそれぞれのピアノ伴奏の方が、朝岡氏作曲の歌曲をテキストになさいました。
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会場はよくある音楽練習室的なちょっと広めの部屋。場合によっては小ホール的な使い方もできるのかな、と思われました。ただ、ステージはありません。そこでグランドピアノを囲んで並べられた椅子に聴講者が座って聴くという形です。もう足を洗いましたが(笑)、学生時代、それから社会人になってからもわりと本格的に合唱をやっていた当方としては「この配置、懐かしいなぁ」という感じでした。

講師の朝岡氏は聴講者と向かい合う形で座られ、だいたい40分くらいずつ、3組の皆さんに対する公開レッスン。レッスンを受ける歌手の方々は、通常時のそれとは異なり聴講者に向かって歌う形ですので、その意味での緊張感もあったと思います(当方は絶対やりたくありません(笑))。

取り上げられた朝岡氏作品は、与謝野晶子作詩「君死にたもうことなかれ」、川瀬巴水の新版画からインスパイアされた林望氏作詞の 歌曲集「夕暮れ巴水」から短い2曲、そして組曲「智惠子抄」から「レモン哀歌」。
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「3組の皆さん」と書きましたが、朝岡氏、ピアノ伴奏の方に対しても「ここはもっと、こう」的なアドヴァイスを頻繁に入れられ、ピアノは添え物ではないというところをがっつりと。最初から最後までご自身の曲だけを扱われる「朝岡真木子歌曲コンサート」では全曲おん自らピアノを弾かれる朝岡氏ならではだなと思いました。

もちろん歌手の方に対しても、要所要所でいろいろと助言やら提案やら。多く発せられたのが「楽譜にはそこまで書いていませんが……」という一言がついたそれ。確かに楽譜はあくまで最小限の記号としてしか書いてありませんので、細かなニュアンスやら作曲家の意図やらは演奏者が汲み取って表現しなければなりません。音符や休符や「p」「ff」「クレッシェンド」などは言ってしまえば機械的なプログラミング言語のようなものにすぎませんし、たとえ欄外に「sostenuto」とか「meno mosso」とか書かれていても、作曲者の意図が完璧に表現し切れているわけではないのでしょう。実際、途中で演奏を止めて入れられる朝岡氏の一言一言が、「なるほど」の連続でした。

そして作曲者の意図を汲み取るプラス、歌い手さんなりピアニストさんなりのそれぞれの表現者が自分で「ここはこうしたい」みたいなことを盛り込んで行くべきで(朝岡氏、そういうことをどんどんやってください、というスタンスでした)、それが全く無かったらそれこそボーカロイド的な無味乾燥の演奏になってしまうでしょう(一概にボーカロイド的なものを否定するわけではありませんが)。自分で合唱をやっていた頃の楽譜など真っ黒になるくらい書き込みしたっけな、などと思いながら拝聴していました。

組曲「智惠子抄」が収められた『朝岡真木子歌曲集2』(「君死にたもうことなかれ」も入っています)。全音さんから令和4年(2022)に刊行されました。そして今月、第3版が出ました。昨日はこれを片手に拝聴いたしました。ただ奥付は6月25日で、まだ正式には流通していないらしく、全音さんのサイトでは今日現在で「在庫切れ」となっていますが。
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巻末の「詩と付記」の項で、朝岡氏に請われ、詩集『智恵子抄』および作曲された「人に」「あどけない話」「千鳥と遊ぶ智恵子」「値(あ)ひがたき智恵子」「レモン哀歌」の解説を執筆いたしました。初版と第2版にはそれが無く、そういうページが欲しいというわけで。

「おやすい御用です」と、バーッと書いて送ったところ、過分な執筆料を頂いてしまいました。「過分」というより「法外な」ともいうべき金額でした(笑)。普段、通常の出版社相手ですと「掲載誌何冊か現物支給のみ」程度のことも珍しくありませんので(笑)、嬉しいやら申し訳ないやら……。まぁ、全音さんというより朝岡氏のポケットマネーだったようですが。

正式に発売になったらぜひお買い求め下さい。

ちなみに昨日は、一度、花巻にお連れした宮沢賢治作詞の曲なども歌われている黒川京子氏、3月の「朝岡真木子歌曲コンサート第9回」で組曲「智惠子抄」から「人に」と「あどけない話」を歌われた前澤悦子氏もいらしていました。前澤氏、組曲「智惠子抄」をまた歌いたいとおっしゃっていたそうですし、昨日の講座で「レモン哀歌」を取り上げて下さった広川法子氏、ピアノの末松茂敏氏も、今度は演奏会でもラインナップに入れていただきたいところです。さらに朝岡氏には他の光太郎詩をテキストとした新作も期待したいと思っております。

というわけで、以上、レポートを終わります。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 47 『高村光太郎詩集 道程』豊かなことば 現代日本の詩①

平成21年(2009)11月10日 岩崎書店 高村光太郎著 伊藤英治編
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目次
 一 詩人
  根付の国 刃物を研ぐ人 あたり前 道程 ぼろぼろな駝鳥 父の顔 母をおもふ
  その年私の十六が来た パリ 友よ 最低にして最高の道 さびしきみち 詩人
 二 風にのる智恵子
  風にのる智恵子 あどけない話 鯰 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 レモン哀歌
  荒涼たる帰宅 おそろしい空虚 報告(智恵子に) 美に生きる
 三 樹下の二人
  十和田湖畔の裸像に与ふ 冬が来た 冬の言葉 秋の祈 上州川古「さくさん」風景
  雪白く積めり 山 樹下の二人 犬吠の太郎
 四 山のともだち
  クロツグミ 山からの贈物 山口部落 冬の子供 少年に与ふ 山のともだち
  女医になつた少女 山の少女 別天地
 高村光太郎略年譜

児童書の出版を中心に手がける岩崎書店さんの「豊かなことば 現代日本の詩」シリーズの1冊。まだ新刊で取り寄せができるようです。

神奈川県からクラシック歌曲の公開講座情報です。

歌曲アンサンブル研究会 第286回 6月例会

期 日 : 2026年6月18日(木)
会 場 : ミューザ川崎 音楽工房 市民交流室 神奈川県川崎市幸区大宮町1310
時 間 : 18:30~20:30
料 金 : 会員は無料 非会員1500円(聴講のみ) 学生500円

この研究会は、1997年二期会ドイツ歌曲研究会のシステムの変更に伴い、そこに在籍していたピアニストを中心に「歌曲伴奏研究会」として結成されましたが、21世紀を迎えるにあたり、アンサンブルの重要性を再認識すべく「歌曲アンサンブル研究会」と改称し、現在に至ります。約100名のピアニスト、声楽家、作曲家と一般会員により、歌曲を中心に「例会・公開レッスン講座」、「試演会」「定期コンサート」の活動を行い、「研究会便り」を発行しています。

例会では、これまでに会の趣旨に賛同された各分野の第一線で活躍される多くの方々を、講師に招いています。海外からもウィーン国立歌劇場の専属歌手として活躍されたオリヴェラ・ミリャコヴィチ女史をはじめとして、元シュトゥットガルト国立音楽大学教授のブルース・アーベル氏他、経験豊かな講師陣をお迎えしています。

例会ではそれぞれの分野で活躍していらっしゃる方々を講師に招き、 和やかな中にも毎回充実した成果をあげております。
※原則として、受講(演奏)できるのは、会員のみとなっております。
※非会員の方も聴講可能です。

プログラム
 1. 君死にたもうことなかれ  与謝野晶子 詩 朝岡真木子 曲
   西澤しのぶ(Sop)  入佐弥生(Pf)
 2. 歌曲集「夕暮れ巴水」より 幸福の形/ゆきみち  林望 詩 朝岡真木子 曲
   本宮廉子(Sop)  南日美奈子(Pf)
 3. 組曲「智惠子抄」より レモン哀歌  高村光太郎 詩 朝岡真木子 曲
   広川法子(Sop)  末松茂敏(Pf)

講 師:朝岡真木子氏(作曲家・ピアニスト)

東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。2011年「音のポケット」により日本童謡賞を受賞。全音楽譜出版社より『朝岡真木子歌曲集』、『朝岡真木子歌曲集2』、組曲「あなたへ」(『二期会日本歌曲研究会作品集2』)、女声合唱曲集『花のなみだ』、女声合唱とピアノのための組曲『妖精模様』『まほろばの大和し美し』、カワイ出版より歌曲集『夕暮れ巴水』等が出版されている。CD(全作品の作曲及びピアノ演奏)として、『きっと 春は くる』〜木内弘子 朝岡真木子を歌う〜、『音のパレットⅤ』〜大澤一彰が歌う朝岡真木子の世界、組曲『智惠子抄』〜清水邦子が歌う、『子猫のミオとぼく』〜佐藤征一郎 バスバリトン 朝岡真木子の歌曲を歌う、等々がある。
楽譜・コンサート情報はangelongakuasaoka.blogspot.comに掲載しております。
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どういう形式なのか今ひとつわからないのですが、「受講(演奏)できるのは、会員のみ」とあるので、レッスンを公開するという感じなのではないかと思われます。過去の例を見てみますと、作曲家の方が講師を務められ自作の曲を課題として取り上げる場合もあれば、歌手の方(中堅からベテラン?)が講師となって他の歌手の方(おそらく若手なのでしょう)に指導なさるというパターン、それから「試演会」と銘打ち、コンサート形式に近い形でということもあるようです。

プロ、もしくはそれに近い歌曲アンサンブル研究会員の方々はもちろん、一般ピープルも聴講できるということです。

今回は連翹忌の集いにもいらして下さったことがおありの作曲家・朝岡真木子氏が講師。令和元年(2019)に初演され、令和4年(2022)には楽譜集『朝岡真木子歌曲集2』に収録、令和5年(2023)にメゾソプラノの清水邦子氏の歌唱でCD(ライナーノートを書かせていただきました)もリリースされた組曲『智恵子抄』から「レモン哀歌」が取り上げられます。

他に2曲、光太郎の姉貴分・与謝野晶子の詩「君死にたまふことなかれ」(明治37年=1904)に曲を付けたものと、光太郎と同年生まれの川瀬巴水の新版画からインスパイアされた林望氏作詞のものも。

以前にも書きましたが、楽譜集『朝岡真木子歌曲集2』、現在2刷が流通しているところ、近々3刷めとして重版の予定だとのことで、これまでの版に無かった詩集『智恵子抄』、歌曲集「智恵子抄」収録の詩篇についての解説を書けと頼まれ、書きました(昨日もその件でメールのやりとりでした(笑))。

こりゃ、行かざあなるめい、ということで行って参ります。ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 32 『高村光太郎選集 1 一八九七-一九一二年 明治三〇-四五年』増訂版

昭和56年(1981)9月20日 春秋社 吉本隆明・北川太一編
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目次
 日記 彫塑雑記
 書簡 高村光雲宛
 随筆 「滝縞格子」より
 俳句 明治三三年(梅、自転車・花、桜、運動会・酒・茶)
 戯曲 青年画家
 短歌 明治三三・三四・三五・三六・三七(赤城山の歌・桂の葉)・三八・三九・四〇年
 書簡 紐育より二
 詩 秒刻 マデル 博士 
   敗闕録
    (一)われ千たび君を抱かむ (二)君を見き
 随筆 画室日記の中より
 書簡 出さずにしまつた手紙の一束
 随筆 珈琲店より
 書簡 ルセルンの旅舎より
   ミラノの本寺とダ ヸンチの壁画
 随筆 伊太利亜遍歴
 翻訳 LE HASHICH(シヤルル ボオドレエル)
 訳詩 眠れる人(アルチユウル ラムボウ) 小娘の言へること(ジアン モレアス)
    あはれなる者(エミイル ヹルハアラン)
 短歌 明治四二(盆・ECOMI NELA MIA PATRIA!)・四三(DES OŬONNAS)年
 評論 フランスから帰つて 第三回文部省展覧会の最後の一瞥 AB HOC ET AB HAC
    緑色の太陽 死んだ荻原守衛君 MÉDITATIONS SUR LE MAÎTRE
 日記 三月七日(火曜日)
 評論 粘土と画布 日本の芸術を慕ふ英国青年 「熊野」と公衆 純一な芸術が欲しい
 随筆 芋と南瓜の触感
 評論 明治の時代を画せる作品
 アンケート どちらが好きか
 詩 にほひ
   LES IMPRESSIONS DES OũONNAS(À MA BIEN-AIMÉE AU CAOŬATCHI-LEAU)
   友よ PRÉSENTATION 失はれたるモナ・リザ 根付の国 甘栗 亡命者 食後の酒
   雪の午後 声 (別れぎは) 新緑の毒素 廃頽者より――バアナアド・リイチ君に呈す
   「河内屋与兵衛」 金秤 「心中宵庚申」 泥七宝(一) 地上のモナ・リザ けもの
   かるた 髪を洗ふ女 父の顔 泥七宝(二) 青い葉が出ても プリマドンナ あをい雨
   泥七宝(三)
 追補 
  書簡 加藤景雲への書簡
  詩 なやみ――若き彫刻家のうたへる
  評論 英国ニ於ケル応用彫刻ニ就テ
  書簡 巴里より 書簡一束
 解題1 端緒の問題 吉本隆明
 解題2 第一巻収録作品について 北川太一

 月報 智恵子遺珠1
  書簡Ⅰ 安田卯作宛 福島高等女学校卒業式答辞 マグダに就て
  書簡Ⅱ 柳敬助八重子宛 熊田てい子宛 長沼せん子宛
  無題録
  書簡Ⅲ 宮崎千代子宛 長沼両親宛 柳八重子宛 宮崎千代子宛 長沼両親宛
 後記

全6巻+別巻1で刊行された『高村光太郎選集』第1回配本です。ほぼ完全な編年体で編まれ、さまざまなジャンルの作品を一冊に収めています。

初版は昭和41年(1966)ですが、手持ちのものは昭和56年(1981)の増補版で、目次の「追補」の部分が新たに初版の内容に付け加えられました。「月報」は「智恵子遺珠」と題され、この時点で見つかっていた智恵子文筆作品のすべてをやはり編年体で掲載しています。それらはすべて後の筑摩書房版『高村光太郎全集』別巻(平成10年=1998)に収められました。

北鎌倉から句集が届きました。光太郎のすぐ下の妹・静子(しづ)が詠んだ句を集めたものです。静子令孫にして彼の地でカフェ兼ギャラリー「笛」を切り盛りなさっている山端加寿子様よりの贈り物です。ありがたし。

山端静子句抄 明月谷

発行日 : 2026年4月2日
著者等 : 山端静子 著 山端加寿子 撰 石黒敦彦 解説 薯版画/装幀 山室眞二
版 元 : シンジュサン工房
定 価 : 非売

目 次 :
 口絵 写真 山端家の庭にて 1951年(昭和26年)8月12日
    山端静子より高村光太郎宛書簡 昭和22年(1947)7月12日
 祖母・山端静子と過ごした日々 山端加寿子
 明月谷
 解説・谷の年代記 石黒敦彦
 薯版静子句抄

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静子(しづ)は光太郎の3歳下で、智恵子と同じ明治19年(1886)生まれ。髙村家次男たる道利と双子でした。
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左から道利、静子、光雲、光雲に抱かれている三男・豊周、そして光太郎。光太郎の上に姉が二人いましたが、いずれも早世しています。

静子は明治37年(1904)頃、印刷業などをしていた山端寅三と結婚、戦前は現在の幡ヶ谷あたりに居住、寅三は当時の豊多摩郡代々幡町議会議員なども務めました。ちなみに寅三は光太郎の義弟ということになりますが、明治11年(1878)の生まれで、同16年(1883)出生の光太郎より年長でした。

戦災の関係もあって、山端家は戦後の昭和22年(1947)、北鎌倉明月谷に移転、静子は昭和34年(1959)に亡くなるまで彼の地に暮らし続けました。その間に令孫・加寿子様がお生まれになっています。

静子は、北鎌倉移転後、鶴ヶ岡八幡宮に近い杉本寺の住職も勤めた僧侶にして俳人の尾崎迷堂に師事、本格的に句作に取り組むようになりました。迷堂は水原秋桜子の系譜に連なり、句誌『えから』『ぬなは』などを主宰していました。

その句会が山端邸で行われたこともあったようです。平野たまみ氏「俳人・尾崎迷堂の研究(二)――その生涯と事蹟を辿る――」(『愛媛国文と教育』第14・15合併号 昭和58年 愛媛大学教育学部国語国文学会)中の、昭和26年(1951)の項から。

 迷堂の還暦祝賀会は、八月十九日、鎌倉市明月院谷戸にある山端静子居で行われた。山端静子は、「えから」時代からの迷堂の門人である。高村光太郎の実妹である彼女は、迷堂庵にもよく出入りしているが、そこでの会話は、俳句の事以上に、兄や兄嫁智恵子の話が多かったらしい。
  帰り花智恵子のことも聞かせけり  迷堂(昭和三五・一二“悼山端静子さん”より)
からも伺う事ができる。


さて、『明月谷』。静子の句が100句近くまとめられています。昭和22年(1947)頃から亡くなった同34年(1959)までのもの。静子64歳から76歳となっています(若干、年齢の換算が合っていないような気がしますが)。「抄」と冠されていますので、選集的な。加寿子様の撰です。

彼の地の風物を思い起こさせ、しみじみとさせられる句、思わずくすりとさせられる句など、さまざまですが、全体にかなり自由闊達に詠まれています。寡聞にして存じませんが、師の尾崎迷堂がそうだったのでしょうか、季重なりなど気にしていない句も目立ちます。

昭和31年(1956)4月2日、実兄の光太郎が没しましたが、その折と思われる句も。

 雪を着て一輪椿落ちにけり
 あな悲し永久の別れの卯月とは
 悲しみを更に大裸像冴え返る
 玉の緒のたえて兄妹春永久に


「雪を着て」は光太郎の没した日が季節外れの春の大雪だったことにちなみます。「大裸像」はアトリエにその石膏原型が遺されていた光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。繰り返される「永久」の語はこの場合「とわ」と読むのでしょう。

他にも後年、光太郎忌日・連翹忌に題を採った句も。

 連翹や亡兄の好む黄の佳けれ

その他、夫の寅三が亡くなった際の句や、令孫・加寿子様を詠んだ句、上記の尾崎迷堂還暦句会の詠なども。

本文以外に、別刷り無綴じで、お近くにお住まいだという版画家の山室眞二氏の手になる薯版によるカード的な感じで8葉。上記「雪を着て……」の句も含まれていました。
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静子句の前後には、加寿子様による「祖母・山端静子と過ごした日々」、やはりお近くにお住まいで光太郎と交流の深かった詩人・尾崎喜八令孫の石黒敦彦氏による解説が附され、理解の手助けとなっています。

それらによれば、尾崎喜八がすぐ近所に引っ越してきたのは本当に偶然だったそうで、それも昭和41年(1966)。したがってこの地で喜八と静子が顔を合わせることはなかったそうです。また、「明月谷」のタイトルで分かる通り、山端家、尾崎家ともあじさい寺として有名な明月院さんと同じ谷戸ですが、そのアジサイは喜八の進言で植えられ始めたとのこと。それは存じませんでした。喜八の墓は明月院さんにあります(通常非公開)。また、やはりこの地で暮らし、光太郎と交流のあった詩人・伊藤海彦などとの縁についても。

同封されていたカフェ兼ギャラリー「笛」さんの案内フライヤー画像を載せておきます。毎年秋には光太郎・喜八展的な展示が為され、近年はその一環で朗読会も行われています。今年も予定に入っているようです。
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ご興味おありの方、ぜひ「笛」さんに足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)36 『光太郎智恵子』増補版

昭和43年(1968)1月5日 龍星閣 高村光太郎 高村智恵子著
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目次
 高村光太郎篇
  詩 散文
  書簡
   高村(長沼)智恵子 長沼今朝吉 長沼せん子 長沼せき子 長沼修二 齋藤せつ子
   柳八重子 水野葉舟 中原(曽我・小野)綾子 更級源蔵 秋廣あさ子 真壁仁
   宮崎稔 難波田龍起 富士正晴
 高村智恵子篇
  詩 散文
  書簡
   長沼御両親 長沼せん子 長沼修二 齋藤新吉 せつ子 柳八重子
 補遺


一昨日ご紹介した初版(昭和35年=1960)刊行後に発見された書簡9通が補われています。

この季節、この手の公演が少ないのでありがたいところです。神奈川県から朗読の公演情報です。

朗読スペース・春の公演

期 日 : 2026年2月27日(金)
会 場 : 文化創造拠点シリウスマルチスペース 神奈川県大和市大和南1丁目8番1号
時 間 : 14:00~
料 金 : 無料

時は春 日は朝(あした) / R・ブラウン作、上田敏訳「春の朝」。山村暮鳥は/おおい雲よ/と、みちのくの空に、おのが心の在り様をゆったりと広げる。「レモン哀歌」「落葉」など、「アンソロジー四季の詩歌」19篇。「枕草子」は清少納言が里住まいのつれづれと中宮とのやりとりなどを個性豊かに綴る。「春はあけぼの・・・むらさきだちたる雲の・・・」に始まり、エピローグを含めいくつかの段を抽き出し現代文と共に紹介します。
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ただ、ネット上にあまり詳しい情報が出ていませんで、出演者の方など不明ですが、ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)45 『詩集 天上の炎』

昭和30年(1955)6月15日 新潮社(新潮文庫) 高村光太郎訳
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目次
 未来(序詩) 新しい都 昔の信仰 私の眼よ 誇 機械 熱烈な生活 港の突堤で
 今日の人に 健康 死者 問題 機会 トンネル 波止場で 私の都 わが友風景 木蔦
 東西南北 森 花の方へ 並木の第一樹 散歩 或る夕暮の路ゆく人に 私の集(題跋詩)
 ヴェルハアラン
 解説(金子光晴)

金子光晴による解説も含め、昭和28年(1953)に出た創元文庫版とほぼ同一の内容です。ただし、創元文庫版にあった、F・ヴァロトンによるヴェルハーラン肖像画の口絵は割愛され、逆に光太郎による評伝「ヴェルハアラン」(昭和8年=1933 原題「ヹルハアラン」)が追補されています。

なぜ立て続けに複数社から文庫化されたのか、そこは不明です。

暮れから年始にかけ、新聞各紙や地方自治体の広報誌などで光太郎智恵子、その父・光雲の名が散見されていまして、明日から少しずつご紹介して参ります。

その前に、ちょっと先の開催ですが申し込み〆切が迫っているイベントを。

近代文学講座 作家たちの異文化体験

期 日 : 2026年1月16日(金)、1月23日(金)、1月30日(金)
会 場 : 久里浜コミュニティセンター 神奈川県横須賀市久里浜6丁目14番2号
時 間 : 13時00分~15時00分
料 金 : 無料

文学好きの皆さん、近代日本文学の巨匠たちが海外で体験した異文化との出会いに興味はありませんか?

横須賀市の久里浜コミュニティセンターでは、2026年1月16日・23日・30日の3回にわたり「近代文学講座 作家たちの異文化体験」を開催します。夏目漱石や高村光太郎、横光利一、島崎藤村といった文豪たちが異国の地で何を見つめ、どんな思いを抱いたのかを深く学べる貴重な機会です。

第1回 1月16日(金曜日)13時00分~15時00分 漱石、光太郎のロンドン
第2回 1月23日(金曜日)13時00分~15時00分 横光利一、金子光晴のパリ
第3回 1月30日(金曜日)13時00分~15時00分 島崎藤村、林芙美子のパリ

講師 奥出健氏(元大学教員)

申込方法 以下のいずれかの方法でお申し込みください:
 往復はがき 1月6日(火曜日)必着
 久里浜コミュニティセンター窓口にご来館(返信用郵便はがき持参)
 電子申請
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3回にわたっての文学講座で、取り上げられるのは夏目漱石、高村光太郎、横光利一、金子光晴、島崎藤村、林芙美子。その市ゆかりの芸術家について詳しくというのは時折見かけますが、市としての講座でいろいろな人物を幅広く扱うこの手のものは珍しいような気がします。

光太郎についてはロンドンだそうですが、光太郎のロンドン滞在は明治40年(1907)6月から翌年6月までのまる一年でした。ロンドンの前にはニューヨークに1年4ヶ月ほど、ロンドンの後はパリに渡って1年。その間にスイス経由のイタリア旅行も1ヶ月ほど行っています。

まず腰を落ちつけたニューヨークでは日本で培われた価値観を根底から覆され、人種差別の洗礼も受けました。最後のパリでは近代芸術家として、さらに一人の人間としての開眼。間に挟まれたロンドン滞在中には、大きな転機というものが無かったように感じられますが、そのあたりどう扱われるのだろうと思っております。

イギリスにはニューヨークからホワイトスター社の客船・オーシャニック号で渡り、サザンプトンで上陸、ロンドンに向かいました。ニューヨークでも世話になった東京美術学校の先輩・白瀧幾之助が先に渡英しており、当初はその下宿に厄介になるなどまたその力を借ります。その後、パトニー地区の下宿に落ちつき、ザ・ロンドン・スクール・オブ・アートや一般人向けの技芸学校ポリテクニックに通います。その間、バーナード・リーチと知り合ったり、先にパリに渡っていた荻原守衛が訪ねて一緒に大英博物館に行ったり、逆にパリの守衛の元を訪れたりもしました。やがてチェルシー地区に転居、フランス語の勉強を急ぎ、満を持して渡仏します。留学の最終目的地はあくまでパリでした。

光太郎晩年の回想「父との関係」(昭和29年=1954)から。

私はロンドンの一年間で真のアングロサクソンの魂に触れたやうに思つた。実に厚みのある、頼りになる、悠々とした、物に驚かず、あわてない人間のよさを眼のあたり見た。そしていかにも「西洋」であるものを感じとつた。これはアメリカに居た時にはまるで感じなかつた一つの深い文化の特質であつた。私はそれに馴れ、そしてよいと思つた。

イギリスの雰囲気や国民性には好感を持っていたようですが、ただ、美術の部分ではあまり学ぶところはないと感じていたようです。やはり晩年の回想「青春の日」(昭和26年=1951)から。

イギリスの彫刻には、中世期のものを除いてはあまり興味はなかつたし、絵もどうしても好きにはなれなかつた。バーン ジヨーンズなども嫌いではないが、心から惹きつけられない。ブレークなどは、ひかれるところと嫌いなところが半分半分ぐらいずつある。リーチは現代画家の中で、オーガスタス ジヨーンを賞めたが、僕にはそれほどに思えない。イギリスという国の伝統の中に、どこか芸術を私有物的、一地方的にリミツトしたがる傾向があつて、それが絶えず新しい芸術の気運を阻んでいるのではないかという気がした。

なかなか鋭い見方ですね。

ついつい筆が止まらなくなりましたが(笑)、そんなこんなのロンドン体験、今回の講師の奥出健氏という方がどのように語っていただけるのかな、という感じです。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)4 『続ロダンの言葉』

大正9年(1920)5月28日 叢文閣 オーギュスト・ロダン著 高村光太郎訳
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目次
 アウギユスト ロダン(オクターヴ ミルボー)
 若き芸術家達に(遺稿)
 ロダン手記
  花について
  女の肖像
  芸術家の一日
   庭園の朝 古代彫刻の断片 庭園の夕 
  ゴチツクの線と構造
   ゴチツク建築家は写真家である 面と相反と 釣合の知識 石のレース細工 外陣
   くりかた
  芸術と自然
   古代芸術―ギリシヤ 古代芸術の豊かさは肉づけにある 高肉とキヤロスキユロ
    ローマ及ローマ芸術 アメリカの為に
  ゴチツクの天才
   ノートルダム サン トウスターシユ 彫刻に於ける色調について 十八世紀 断片
    五部のスレスコ 手紙
  ギユスターヴ コキヨ筆録
  ジユヂト クラデル筆録
  フレデリク ロートン外二三氏筆録
  ポール グゼル筆録
   「岡の上にて」より 「ロダンの家にて」より フイデヤスとミケランジユ 女の美
  「本寺」より(手記)
   断片 ムラン マント ネエル アミヤン ル マン ソワツソン シヤルトル

前作『ロダンの言葉』の補遺的に刊行されました。大正6年(1917)に亡くなったロダンの追悼的な意識もあったでしょう。

昨日は神奈川県の北鎌倉に出向いておりました。明月院さん裏手のカフェ兼ギャラリー・笛さんで開催中の「回想「高村光太郎 尾崎喜八」詩と友情 その12」の拝観及び関連行事としての「詩の朗読会」でした。
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笛さんのオーナーご夫人が光太郎の直ぐ下の妹・しづ(静子)の令孫にあたり、またすぐ近くに光太郎と交流の深かった詩人・尾崎喜八の令孫もお住まいということで、両家に伝わる品々が展示され(12回目)、さらに令和4年からは関連行事としての朗読会も行われています。

14:30頃に着き、まずは展示を拝見。

光太郎の書。色紙類はほとんどが複製ですが、一点のみ真筆。「此珠無価数」、中国の寒山詩の一節を揮毫したものです。
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書簡系三通はオーナーご夫人の令祖父母に宛てたもので、こちらも真筆。昭和20年(1945)4月に本郷区駒込林町のアトリエ兼住居が空襲で全焼した直後、焼け跡から出てきた炭化した香木を「茶を点てるのにでも使って下さい」と贈った添え状、それから戦後、花巻郊外旧太田村の陋屋に蟄居してからの近況報告。
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尾崎の書も。こちらも一点を除いて複製だそうですが。
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大正13年(1924)、尾崎と、光太郎の親友だった水野葉舟の息女・實子の結婚祝いに贈ったミケランジェロ模刻の「聖母子像」。

書籍類。
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15:00となり、朗読会開始。
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まずはオーナーご夫人による「妹に」(大正6年=1917)、「御前彫刻」(昭和22年=1947)。ともに光太郎が家族を謳った詩です。
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「妹に」の「妹」はオーナーご夫人のおばあさまではなく、その下の妹・よし(喜子)ですが、オーナーご夫人、喜子にも会われたことがおありだそうで。ちなみに喜子は藤岡光田(こうでん)という木彫家に嫁ぎました。昭和20年(1945)4月の空襲の後、光太郎は約1ヶ月、近くにあって辛くも焼失を免れた藤岡家に世話になった後、花巻の宮沢賢治実家に疎開しました。

続いて、尾崎喜八・實子夫妻の息女、故・榮子さんの肉声による喜八詩の朗読を録音された音源で。榮子さんは当方が会ったことのある生前の智恵子を知る人物お二方のうちのお一人です。

次に、当方がお声がけしたお二人、フリーアナウンサーの早見英里子さんと朗読家の出口佳代さん。
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お二人には、今年の第69回連翹忌の集い、さらに7月に開催された「中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」でも光太郎詩の朗読をお願いしました。
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続いては、やはり録音された音源から音楽に造詣の深かった尾崎による「The wind from the west」。リコーダー演奏と歌唱でした。

光太郎実弟・豊周の令孫(オーナーご夫人とは「はとこ」)の櫻井美佐さんで、光太郎詩「鉄を愛す」(大正12年=1923)。尾崎夫人實子の父・水野葉舟に贈った詩です。
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ここで、当方にもしゃべれというので、光太郎や尾崎、實子や榮子さんなどについてお話しさせていただきました。プログラムにその項が入っていることを、当日の朝まで存じませんでしたが(笑)。

尾崎令孫(母方では葉舟令曾孫)の石黒敦彦氏が尾崎について。
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合間にはオーナーの山端夫妻による笛の合奏。ご夫婦でこういうことができるというのはいいですね。
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最後にオーナー・山端氏による光太郎詩「山からの贈り物」(昭和24年=1949)。
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プログラム的には以上でしたが、この後はNHKさんの「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」で取り上げられたレモンコーヒー、智恵子の故郷・福島二本松の地酒(智恵子実家の銘酒の銘柄「花霞」の名を継いだもの)などが振る舞われました。
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それから、これも恒例となりつつある、近くで採れた巨大な冬瓜(とうがん)の解体ショー(笑)。
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さらに山端氏は店内所狭しと置かれている笛を代わるがわる手に取られて即興演奏。
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17:00、終了。肩のこらないアットホームなひとときでした。

来年以降もこの時期に開催されるはずですので、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

真の芸術家は創造の原始的原理に透徹しなければならぬ。美しきものを会得することによつてのみ彼は霊感を得る。決して彼の感受性の出し抜けな目覚めからではなく、のろくさい洞察と理解とにより辛抱強い愛によつて得るのである。心は敏捷であるに及ばぬ。なぜといへばのろい進歩はあらゆる方面に念を押す事になるからである。


光太郎訳 ロダン「ロダン手記 ゴチツクの線と構造」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

特に造型芸術に於いては、気の長い「のろい」取り組みも必要だというわけですね。その実践ともいえるでしょう、ロダンも光太郎も一つの作品に何年もかけることがありました。

昨日は神奈川県逗子市にて開催中の「逗子アートフェスティバル」の一環としてのコンサート「余白露光2~テルミンと箏~」を拝聴して参りました。
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会場は逗子文化プラザホールさん。
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着いた時にはリハーサル中。
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地元逗子市のテルミン奏者・大西ようこさんと、都内ご在住の箏曲奏者・元井美智子さんによるコラボです。
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当会主催の光太郎を偲ぶ連翹忌の集いで知り合われたお二人、これまでもコラボでの公演を複数回なさっています。

さらに仙台にお住まいのヴォイスパフォーマー・荒井真澄さんの朗読が加わったトリオでも、福島二本松の智恵子生家で今年やられていますし、大西/荒井ペア、元井/荒井組でもそれぞれ複数回。

その荒井さんと元井さん。リハ後のショット。
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さらに荒井さんは昨日、ホワイエに設けられた大西さん所蔵の品々による「智恵子抄」コーナーの解説もご担当。
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連翹忌の集いで出会った皆さんがこうして活動の幅を拡げ、光太郎智恵子の世界を広めて下さっているのは主催者冥利に尽きるというものです。

お二人の後に吊り下げられているのは、切り絵作者・杵淵三朗氏の「境界剪画」。大西さんが運営されている同市のテルミンミュージアムでもかつて拝見しましたが、超絶技巧ですね。

杵淵氏。
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昨日のプログラムには、元井さん作曲の「智恵子抄」が組み入れられ、元井さんが箏を弾きつつ光太郎詩の朗読、そこに大西さんのテルミンがのっかる感じで。

杵淵氏の「境界剪画」をスクリーン代わりに、逗子の海などさまざまな映像が投影されました。下記画像は当日配布プログラムを兼ねたアンケートの一部。
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「智恵子抄」の際には、安達太良山や智恵子生家などの二本松の風景、それから智恵子が千鳥と化した九十九里浜、さらに智恵子紙絵。不覚にもうるっと来そうになりました(笑)。
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「智恵子愛」あふれるステージでした。

他の曲目は、箏曲定番の「春の海」、元井さんのオリジナル曲、テルミンとハープの合奏のために作曲されたものをハープの代わりに箏で、光太郎と同時代人で光太郎の好んだドビュッシー、それから今回が初演の藤枝守氏作曲《植物文様~夢みる茶(Tea Dreaming)》など。

 「葉や茎に電極をつけ、そこから得られる電位変化のデータをもとに音楽的に読み換えるという手法により生み出された音楽」「今回は、お茶の葉の電位変化を元に作られた曲」とのこと。

あっという間の2時間でした。終演後に帰られるお客様の表情も、実に満足げでした。

今後のご関係の皆様のさらなるご活躍を祈念いたします。

追記

昨日折り込まれていた、近々開催され、大西さん、元井さんの出演なさる演奏会のフライヤー等、載せ忘れていました。すみません。
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【折々のことば・光太郎】

――芸術家とは見る人の事です。眼の開た人の事です。其心に、物の内面の本質が、いづれにしても、存在事実として考へられる人の事です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

昨日お会いした皆さんもそうなんだろうな、と、つくづく思いました。音楽は「見る」わけではありませんが。

本日開幕の「逗子アートフェスティバル」の一環としてのコンサートです。

余白露光2 ~テルミンと箏~

期 日 : 2025年10月18日(土)
会 場 : 逗子文化プラザホールなぎさホール 神奈川県逗子市逗子4-2-10
時 間 : 13:30~15:30(13:00開場) 
料 金 : 3,000円(中学生以下1,500円)

触れずに演奏する不思議楽器テルミン(世界最古の電子楽器)と箏の演奏会に、切り絵装飾と映像を重ねた幻想的な舞台。春の海、月の光、といった名曲に加え、テルミンと十七絃箏の為の新曲(藤枝守)初演予定。

旧逗子高等学校武道場で開催された『余白露光』(ZAF2024)の続編です。今年は切り絵も更に増えて23本。昨年『余白露光』ワークショップで、逗子の学校の生徒さんに作って頂いた切り絵もホール舞台装飾に参加します。

連作『植物文様』とは、葉や茎に電極をつけ、そこから得られる電位変化のデータをもとに音楽的に読み換えるという手法により生み出された音楽です。今回は、お茶の葉の電位変化を元に作られた曲です。

また、本演奏会では、通常の十三絃箏に加え、十七絃箏も演奏されます。十七絃箏とは、宮城道雄氏が作曲および合奏するにあたり低音域の必要性を求め作られました。当初はあくまで伴奏楽器でしたが、沢井忠夫氏により独奏楽器として確立されました。従来の箏とは異なる深く沁み渡る音が特徴です。

アーティスト紹介
 大西ようこ Yoko Onishi [テルミン]  元井美智子 Michiko Motoi [箏] 
 杵淵三朗 Saburo Kinebuchi[境界剪画・民族楽器] 

演奏予定曲目
 春の海(宮城道雄) 月の光(ドビュッシー) いにしえの光(竹味奈美) 秋に(橘川琢)
 《植物文様~夢みる茶(Tea Dreaming)》 (藤枝守) 『智恵子抄』より さくら(日本古謡)
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テルミン奏者の大西ようこさんが逗子にお住まいということで、お仲間を率いて地元での演奏。昨年に引き続いてです。同市の『広報ずし』(「押しずし」とか「ちらしずし」のようですね(笑))今月号。
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大西さんは、今回も出演される箏曲の元井さん、それから出演はなさいませんが聴きに来られるという朗読の荒井真澄さんとお三方で、二本松の高村智恵子生家/智恵子記念館さんで開催された「高村智恵子生誕祭」の一環として、4月に当会主催で智恵子生家の座敷を会場にして行ったコンサート「音楽と朗読『智恵子抄』愛はここから生まれた」にもご出演なさいました。
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元井さんは荒井さんと組んで、昨年から仙台、花巻で演奏。今年は花巻高村光太郎記念館さんでも。
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さらにフライヤーにも写っている杵淵三朗氏の「境界剪画」がステージを飾るようです。また、同氏のご紹介に「民族楽器」とあり、演奏もされるのでしょうか。

プログラムにある『智恵子抄』よりは、おそらく元井さんのオリジナル曲。昨年、やはり大西さんとのコラボ「テルミンミュージアム4周年記念~人数限定のスペシャルなライブ~」でも演奏されました。

また、会場入口には大西さん所蔵のものを中心とした「智恵子抄」コーナーも設けられるとのこと。そのパネル制作、ちょっとだけお手伝いいたしました。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

芸術は静観です。自然を洞察し、又自然の中の心霊を推測する喜悦です。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

今回演奏される藤枝守氏作曲の連作『植物文様』は、「葉や茎に電極をつけ、そこから得られる電位変化のデータをもとに音楽的に読み換えるという手法により生み出された音楽」だそうで、こういうのも自然の洞察、推測なのかもしれません。

もう12回目か、という感じです。北鎌倉明月院さん裏手(徒歩365歩)にあるカフェ兼ギャラリー笛さんでの光太郎と尾崎喜八にかかわる展示です。

笛さんのオーナー・山端氏の奥様が光太郎のすぐ下の妹・しづ(静子)の令孫で、さらにすぐ近くにお住まいの、白樺派の一員で光太郎と交流の深かった詩人・尾崎喜八の令孫・石黒敦彦氏と共同で、両家に残る光太郎・尾崎の関連資料等が展示されます。一度に展示できる量ではないので、毎年少しずつ入れ替えながら開催されています。

さらに今年は、石黒氏の編集で当会顧問であらせられた北川太一先生の光太郎と尾崎の交流を追った玉稿の集成『高村光太郎と尾崎喜八』出版記念ということで、1月から3月にかけてもイレギュラーで展示が為され、6月には石黒氏、山端氏、そして『高村光太郎と尾崎喜八』の装幀を担当された版画家の
山室眞二氏によるトークイベントもありました。

そんなこんなで、毎年秋の展示はどうするのかな、と思っていたのですが、例年通り行うそうです。

回想「高村光太郎 尾崎喜八」詩と友情 その12

期 日 : 2025年10月10日(金)~11月18日(火)の火・金・土・日曜日
会 場 : 笛ギャラリー 神奈川県鎌倉市山ノ内215
時 間 : 11:00~16:00
休 業 : 月・水・木曜日
料 金 : 無料

関連行事 詩の朗読会 11月15日(土) 15:00~
 高村光太郎と尾崎喜八の詩を朗読します。詩を朗読して下さる方を募集しています。

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今回の展示内容の詳細は不明ですが、過去には光太郎が尾崎夫妻の結婚祝いに贈ったブロンズ「聖母子像」(大正13年=1924)も展示されました。ミケランジェロ作品の模刻で、他に鋳造されたことが確認出来ていない実に貴重な一点物です。尾崎の妻・實子は光太郎の親友・水野葉舟の息女で、光太郎は我が子のようにかわいがっていました。
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関連行事としての朗読会は、令和4年(2022)から始まりました。ほとんどが一般の方で、今年も朗読者募集中とのことです。当方も一度出演、といっても、自分で朗読はせず(笑)、昭和27年(1952)に録音された光太郎自身の朗読音源を聴いていただきました。

今年の第69回連翹忌の集い、さらに7月に開催された「中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」で光太郎詩の朗読をお願いしたフリーアナウンサーの早見英里子さんと、朗読家出口佳代さんのコンビにお声がけしたところ、ぜひ参加したいとのことでした。お二人は光太郎智恵子ゆかりの地で朗読をなさり、自撮りでの動画をSNSにアップされることをなさっていて、今後も続けたいということでしたので、渡りに船だったようです。

ぜひ、足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

人間の叡智と誠実との最高の証跡である美しい作品は、人間につき、又世界について言ひ得る限りの事を言ひ尽してゐます。そして又其外に知る事の出来ないもののある事を会得させます。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

ロダンも非常にポジティブな人だったようです。そうした面は光太郎、そして尾崎にも受け継がれていきました。

神奈川県伊勢原市の雨降山大山寺さん。こちらでは、光太郎の父・光雲の手になる秘仏・三面大黒天立像の特別御開帳が今年3月から6月にかけて行われましたが、それが好評だったということで、第二弾だそうです。

大山寺開山一二七〇年記念 秘仏ご開帳《第二弾》

期 日 : 2025年9月28日(日)~12月8日(月)
会 場 : 雨降山大山寺 神奈川県伊勢原市大山724
時 間 : 08:45~17:00
料 金 : 500円

大山寺にて去る6月1日まで開催されていた特別開帳ですが、ご好評につき再度実施することとなりました。
以下の三体の秘仏大黒天がご開帳となります。この機会にぜひご覧ください。

 ・三面大黒天像(古伝様)初公開
 ・大黒天像(作:後藤斎宮)
 ・三面大黒天像(作:高村光雲)
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5月に春のご開帳を拝観して参りました。その際は、愛染明王像と、光太郎の父・光雲作の三面大黒天像の特別公開でした。
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像そのものは撮影不可でしたが、おおむね右上画像の御朱印のようなお姿で、像高数十㌢ながらとてもお見事でした。

今回は更に他の三面大黒天像二尊も開帳され、三尊そろい踏みだそうです。後藤斎宮という彫り師は存じませんでしたが、現在も続く鎌倉彫の博古堂さん(鶴ヶ岡八幡さんの目の前)の初代だそうです。

11月頃になると紅葉が見頃で、それはそれでいいのでしょうが、かえって混雑も予想されます。早いうちに行ってしまうのも一つの手でしょう。

【折々のことば・光太郎】

……万物を凝視する事、及びそれに美を感じる事、其処に幸福がある。どうして其以上望めませう!


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

「ですよね!」という、翻訳者光太郎の声も聞こえてきそうです。

光太郎は職人気質の光雲とは違う方向に進み、光雲のやり方を否定する部分もありました。しかし、時には光雲の語る内容にロダンの言葉と共通する点を見つけて感心するなど、光雲に対する認識はかなり複雑でした。

神奈川県鎌倉市からのイベント情報です。

民学の会第223回例会「高村光太郎と尾崎喜八~100年を越える文化の縁」

期 日 : 2025年6月22日(日)
会 場 : 笛ギャラリー 神奈川県鎌倉市山ノ内215
時 間 : 14:00~ 2時間ほど
料 金 : 1,000円(珈琲付き)

講 師 : 石黒敦彦(詩人、芸術文化研究、尾崎喜八令孫) 山室眞二(版画家・装幀家)
コメンテーター : 山端通和(音楽家、「笛」マスター、高村光太郎縁戚)

今春に上梓された『高村光太郎と尾崎喜八』(蒼史社)を編集された石黒敦彦氏と山室眞二氏(第221回で講演。この本も芋版画で装丁担当)にお話をしていただきます。お二人は北川太一氏(『高村光太郎全集』編纂実務を手掛けるなど、高村光太郎についての編著書も多数)が残した高村光太郎と尾崎喜八についての文章を後世に残したいとこの本が出版されました。その想いを高村光太郎の御親戚がマスターの喫茶店をお借りして語っていただきたいと思います。どなたでも参加できますのでお誘い合わせてお出かけください。(スペースの関係でお席は25名までですのでお早めにメールなどでご予約ください)
mingakunokai@gmail.com

特別展示:高村・尾崎夫妻の交友を示す白樺派などの写真パネル多数。山室装幀・編集の高村光太郎についての本(北川太一著)、山室装幀の「高村光太郎と尾崎喜八」(北川太一著)の版画原画。

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案内文にあるように、今春刊行された『高村光太郎と尾崎喜八』(当会顧問であらせられた故・北川太一先生の玉稿を再編)の内容を元に、編集された石黒氏と装丁をなさった山室氏がご講演。

会場は明月院さん裏手のカフェ兼ギャラリー笛さん。マスターの奥さまが光太郎の直ぐ下の妹・しづ(静子)の令孫で、石黒氏もお近くにお住まいとのこともあり、毎年秋に、光太郎と尾崎に関わる展示をなさっています。昨年の様子がこちら。また、今年は春先に『高村光太郎と尾崎喜八』出版記念として臨時の展示も為されました。今回も貴重なものが並ぶようです。

当方、花巻で市民講座講師があり、お伺いするのが難しいところですが、皆様方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

あれから原稿を毎日書いてゐて、やつと書き終りました。今年は十二月までまだいろいろ仕事が残つてゐてらくでありませんが、時候が割にあたたかなのでいいです。

昭和28年(1953)12月20日 真壁仁宛書簡より 光太郎71歳

この月の初めまで10日間ほど花巻郊外旧太田村に帰村していたこともあり、書かなければならない原稿が溜まっていたようです。身体的にはかなりガタがきていましたが、そのあたりの意慾はまだまだ旺盛でした。

昨日は鎌倉に行っておりました。過日ご紹介した鎌倉覚園寺さんでの「後醍醐院法躰御木像 特別開帳」拝観のためです。ご朱印マニアの妻も連れて行きました。

webで予約をしましたが、受付が13:30~13:40の10分間。遅れてはいけませんし、妻は覚園寺さんをはじめ近くの二階堂地区、鶴ヶ岡八幡宮さんを除く雪ノ下地区などの寺社には参拝したことがないというので、そのあたりも廻ろうと早めに行きました。

こちらが覚園寺さん。当方も初めてでした。
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特別開帳拝観の前に御朱印を頂き、撮影全面禁止・有料部分の拝観。
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繁華街からは離れた場所で、静かな雰囲気の古刹。かつて本堂の役割だった的な茅葺きの大きな薬師堂が大迫力でした。こちらのご本尊で一丈(約1.8メートル)はあろうかという薬師如来様、左右の日光・月光菩薩さま、さらに宮毘羅大将以下の十二神将さま。実にエモいお姿でした。

さて、特別開帳拝観。こちらは現在の本堂にあたる愛染堂で。
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ご本尊の愛染明王様が修復のためお留守になり、光背と蓮華座はそのまま残っている形で、ぽっかりと空いた空間が寂しい、というわけで、そこに秘仏的な扱いで伝えられてきた光太郎の父・光雲作の後醍醐天皇像を御厨子ごと据え、ご本尊のお留守を護っていただこう、というコンセプトだそうです。

後醍醐天皇像を愛染明王様の代わりに、というのにはちゃんと理由がありました。愛染明王像は基本的に右手に金剛杵、左手に金剛鈴を持ったお姿で表されます(六臂なので右手・左手というと正確には語弊がありますが)。そして後醍醐天皇が愛染明王様を篤く信仰されていたということで、絶対ではないのですが、絵画にしても彫刻にしても、後醍醐天皇像も右手に金剛杵、左手に金剛鈴を持ったお姿で表されることが多く、こちらの像もそうなっているのです。
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まったく違う像を愛染明王様の光背と蓮華座に据えるのはお門違いですが、そういうことならそれもありだな、と判断されたとのこと。なるほど、と思いました。

で、光雲作の後醍醐天皇像。7寸ほどの小さなお像でしたが、実に精緻なものでした。他に光雲作の後醍醐天皇像は当方、寡聞にして存じません。しかし、やはり光雲作で多くの類例がある聖徳太子像、大聖(孔子)像などと似た感じでした。
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ただ、量産されたこれらとは異なり、衣の模様の部分には金箔による截金(きりかね)が施され、特注品だったと思われます。

意外だったのは、制作年。聖徳太子像、大聖(孔子)像などは大正から昭和にかけてのものが多いのですが、こちらの後醍醐天皇像は明治26年(1893)の作とのこと。ちなみにこの年は、シカゴ万博に出品された「老猿」(国指定重要文化財)が作られた年です。
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それから、覚園寺さんのオーダーメイドではなく、昭和に入ってから、同寺が後醍醐天皇ゆかりのお寺でもあるということで、寄進を受けたというお話でした。像自体には光雲の銘は入って居らず(天皇像ということで遠慮した?)、光雲自筆の保証書的な書状が添えられ、コピーを拝見しましたが、斎戒沐浴の上、精魂込めて作りました、的な内容でした。今回の特別開帳のフライヤーにその書状から文字が採られていました。これには気づきませんでした。
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像本体は撮影禁止でしたが、特別開帳を申し込んだ参拝者には、画像が印刷されたポストカード大のカードがいただけます。そのまま画像を出さないでくれ、ということなので、モザイクを掛けました。
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右上はご開帳期間だけの限定御朱印です。

というわけで、実に有意義な参拝でした。

ついでというと何ですが、他に巡った御朱印スポット。行程順に。

荏柄天神さん。
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境内の「絵筆塚」。河童の漫画家・清水昆氏オマージュで、「フクちゃん」の横山隆一氏らの手で建立されました。ブロンズのプレートには「ドラえもん」の藤子・F・不二雄氏、「ゴルゴ13」のさいとうたかを氏、そして現在朝ドラで注目を集めているやなせたかし氏らのイラスト。
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一旦、中心街に戻って鶴ヶ岡八幡宮さん。
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段葛の通りで昼食を摂り、鳩サブレを買って(笑)、ふたたび東の方へ。

鎌倉宮さん。
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覚園寺さんはこの奥です。

特別開帳は来年1月まで。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

青森へ行つた帰りに山へまゐるつもりでしたが、青森でいろいろな会に出るので疲れるでせうから、今度は帰途山へ寄らずに直ぐ東京にかへり、一旦休んでから又あらためて十一月に山へまゐることにいたしますので、その時お目にかかるのをたのしみに思ひます。


昭和28年(1953)10月11日 駿河重次郎宛書簡より 光太郎71歳

駿河重次郎は、前年まで光太郎が7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の山小屋の土地を提供してくれた、村の長老格の一人。「青森」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式で、10月21日でした。

最初はその帰途に太田村に寄るつもりでしたが、予定を変更、11月に太田村に帰ることにしました。
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光太郎の父・光雲作の木彫の特別ご開帳です。

後醍醐院法躰御木像 特別開帳

期 日 : 2025年6月~2026年1月までの日曜日・月曜日
会 場 : 鎌倉覚園寺 神奈川県鎌倉市二階堂421
時 間 : 13:30~
料 金 : 高校生以上2,000円 未就学児を含む子供1,500円
申 込 : 完全予約制 覚園寺HPより

後醍醐天皇御像髙村光雲作特別開帳をいたします。愛染明王さま修繕に伴う初の試みです。

このたび覚園寺 愛染明王像の赤色剥落が目立ちはじめた為、修繕することにいたしました。今回の工期はおよそ一年です。万全なおもどりを、どうぞご期待下さい。愛染堂の中央尊がお留守になる事態の対処を覚園寺役員で話し合い、愛染明王様の留守を護り、皆さまに安心と生きる喜びを感じていただきたいと願い、これまで大切に祈り護持してきた秘仏を開帳することにいたしました。今回開帳いたします尊像は、小さな像ですが、愛染明王さまと同様に金剛杵と金剛鈴をもち、中世の仏教文化にも深く寄与された 後醍醐天皇 御像 髙村光雲 作です。後醍醐天皇は、覚園寺文書巻頭に記されているとおり、覚園寺を勅願所「金剛宝殿」と名付け庇護なさいました。本堂 薬師堂を再建された足利尊氏公とも縁の深い天皇です。時代を拓き悩み戦った人物ゆかりの地 覚園寺で秘仏として大切に護持してきた意義にどうか思いを馳せてご参拝ください。
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観音像だけでも生涯に百数十体彫ったという光雲ですので、その他の像を含めるといったいどのくらいその作があるのか、見当もつきません。中には弟子がおおむね作り、仕上げを光雲が行って光雲の銘が入っているいわゆる工房作も多いのですが。

そこで、「ここにもあったのか」という例があとからあとから検索の網に引っかかります。過日、拝観してきた同じ神奈川県の大山寺さんの三面大黒天像などもそうでしたし、今回の覚園寺さんの後醍醐天皇像というのも、まったく存じませんでした。

さすがに秘仏(厳密には仏像ではありませんが)扱いで、フライヤーにはお厨子画像のみ。それがかえって「これはぜひ見てみたい」と思わせる効果絶大ですね。
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早速、拝観申し込みを致しました。皆さまも是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

わざわざ御上京来訪されたののにお構ひも出来ず、却て御散財をかけてすみませんでした、 先生におめにかかると山口部落の全貌が眼に見えて来てなつかしい限りでした、いただいた桃をたべながら思にふけりました、 あの日が暑い日の終らしく翌日から急に涼しくなり、しのぎよくなりました、岩手から涼風が来たやうです、

昭和28年(1953)8月26日 浅沼政規宛書簡より 光太郎71歳

浅沼政規は、前年まで光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校長。出張か、あるいは夏休みということで上京し、光太郎に会いに来たようです。桃は浅沼が自宅で栽培していたものとのこと。

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため上京しておよそ10ヶ月、そろそろ太田村が懐かしく感じられるようになったようです。

昨日は神奈川県と都内をうろうろしておりました。

まずは神奈川県伊勢原市の雨降山大山寺さん。こちらでは、光太郎の父・光雲の手になる秘仏・三面大黒天立像の特別御開帳が行われています。
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元々の予定では、4月22日(火)の信州安曇野碌山美術館さんでの「第115回碌山忌」に参列後、途中で仮眠し、翌日に中央道から圏央道、さらに東名、新東名と進んで大山寺さんに参拝するつもりでしたが、安曇野で愛車のナビが故障、その際には断念しまして、リベンジです。

昨日は公共交通機関を使って行って参りました。新宿から小田急線で伊勢原駅まで。そこから路線バスで大山ケーブル駅バス停。
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あちこちにポスターが。いやが上にも期待が高まります。しかし、バス停からケーブルカーの駅までがけっこうきつい上りで約15分。
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平日にもかかわらず、ほぼ満員でした。ほとんどの方は終点まで行き、さらに大山自体に登るトレッキングが目的という感じでしたが。当方は途中の大山寺駅で下車。新緑の参道を歩きました。
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駅からは5分ほどで到着。
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右上画像に「五月十八日」とあるのは、その日に開山1270年の記念法会が行われるためです。

さっそく拝観料400円也をお納めして、内陣へ。問題の三面大黒天像、撮影禁止とのことで画像が出せませんが、700円也でいただいた御朱印に描かれていました。
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持物(じぶつ)や衣の紋様など、細部はかなり実物と異なるのですが、まぁ、こんな感じです。

同じ光雲作の三面大黒天像は、信州善光寺さんの仁王門にも納められていまして、持物やポージング等は同じでした。ただ、いろいろ違いもあって興味深く拝見しました。

まず、サイズ。信州善光寺さんの方は七尺五寸とかなりの大きさですが、こちらはおそらくその3分の1と思われます。なぜに3分の1かというと、信州善光寺さんの方も雛形がそのサイズで、そこから星取り法で3倍に拡大、寄木造りで作られているためです。

それから信州善光寺さんの方は、本体、雛形とも彩色が施されていますが、こちらは白木造り。てっきりこちらも彩色仏と予想していましたが、これは外れました。

さらにお顔の感じもかなり異なっていました。信州善光寺さんの方は荒ぶる神である三面大黒天の属性が生かされ、強面(こわもて)の感じですが、こちらは全体にふっくらしたお顔立ちで、どちらかというと通常の大黒天像に近いと思いました。信州善光寺さんの方は、二尊の金剛力士と三宝荒神と共に門を守る役割ですから、邪悪な者を通さないようにということでいかついお顔をなさっているのでしょうし、こちらはそうした役割ではないので柔和なお顔なのかなと思いました。

ちなみに三面大黒天、両サイドのお顔は向かって左が毘沙門天、右が弁財天のお顔です。なぜそのようなお姿かというと、今回の特別御開帳に合わせてアップされた大山寺さんのフェイスブック記事に動画で紹介されていました。
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いろいろ笑えますが、おおむねそういうことで(笑)。

参拝を終えて、帰途に。往路では背後でしたし、気が急いていたので気づきませんでしたが、ケーブルカーの大山寺駅附近から相模湾が遠望できました。
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特別ご開帳は6月1日(日)まで。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

昨日九尺―四尺―六尺の台の模型を四分一に造つてもらつて雛形像をのせてみました。堂々たる台のブロツクに彫像の方が少々負けるやうな感じがします。最後の決定前に一度ごらんを願ひます。

昭和28年(1953)4月3日 谷口吉郎宛書簡より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作に関わります。谷口は像を含む現地の設置場所一帯の公園を設計した建築家です。「九尺―四尺―六尺の台」は像の台座で、これも谷口が担当しました。このあたりのバランスも光太郎と谷口、知恵を出し合って考えていたようです。

ちなみに台座に使われてたのは岩手産の折壁石です。翌年の除幕の頃は正しく「岩手産」と報道されていましたが、のちに谷口が「福島産」とあちこちに書いてしまい、それが元で「福島産」と誤って紹介されるのが定着してしまいました。
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詳細な情報が昨日になって出たのですが、すでに始まっています。

秘仏三面大黒天立像(高村光雲作)特別御開帳

期 日 : 2025年3月28日(金)~6月1日(日)
会 場 : 雨降山大山寺 神奈川県伊勢原市大山724
時 間 : 08:45~17:00
料 金 : 400円(中学生以下無料、団体割引あり)

大山寺は天平勝宝四年(755年)に東大寺別当 良弁僧正が開山して以来、1270年の節目を迎えました。つきましては、前回1260年記念に倣い、秘仏である高村光雲師作の三面大黒天立像の特別御開帳並びに、1270年記念法会として大般若転読会を執行します。ぜひこの機会にご参拝ください。

大般若転読会(1270年記念法会)
【期日】5月18日(日)【時間】11:55~ 【ご祈祷料】6,000円~
※法会時間中の本堂内のお参りは、ご祈祷のお申し込みをされた方に限ります。
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大山寺さんは天平勝宝7年(755)開山の古刹。裏手にある大山阿夫利神社さんと共に「大山詣」が有名で、特に江戸の庶民などの間で人気だったようです。

こちらの秘仏・三面大黒天像が光太郎の父・光雲作で、秘仏の扱い。それが10年ぶりにご開帳だそうです。

通常の大黒天はお顔が一つですが、三面大黒天像は阿修羅像などのように三つのお顔。正面のお顔は大黒天、両脇の二つのお顔がそれぞれ毘沙門天、弁財天のお顔という、いかにもありがたみが増しそうなスタイルです。

光雲作の三面大黒天像は、信州善光寺さんの仁王門にも納められています。こちらは秘仏などではなくいつでも拝観可。仁王像も光雲と高弟の米原雲海の手になるものですし、三面大黒天とセットなのが三宝荒神像。それぞれひな形は善光寺史料館さんで展示されています。
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善光寺さんの三面大黒天像は三面六臂。白木ではなく彩色も為されています。大山寺さんの像もおそらくそうだと思われます。

再来週にはご尊顔を拝しに参ります。皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

今丁度上京直前といふ次第で、何かとせはしく、落ちつかないので揮毫も駄目ですが、ともかくも書きましたので同封します、いけなかつたら止して下さい、

昭和27年(1927)10月4日 田村昌由宛書簡より 光太郎70歳

翌年刊行された田村の詩集『下界』題字揮毫に関わります。
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ここまでくると、何かこう、いろいろなものを突き抜けてしまっている感のある文字だと思います。

昨日は横浜に行っておりました。目的地は港の見える丘公園内の神奈川近代文学館さん。
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まずは閲覧室で、特別資料の閲覧。特別資料というのは書簡や書幅などの古書業界で云うところの「肉筆もの」、各種イベント等の案内状などの同じく「一枚物」などです。同館、通常の書籍類は行けば書庫から出して下さって閲覧出来ますが、特別資料はなんとか会員に登録の上で事前に申請し、閲覧室のさらに奥の特別室で拝見するシステムです。これまでも『高村光太郎全集』等未収録の光太郎の書簡などを2、3度拝見したことがありましたが、ここ数年でまたやはり未知の新たな資料が増え、そちらを閲覧させていただきました。

書簡が3通。詩人の中野重治に宛てたもの1通と、中央公論社社長だった嶋中雄作に宛てたものが2通。それから「一枚物」として、昭和20年(1945)に岩波書店の創業者・岩波茂雄が貴族院議員に当選(普通選挙ではなく議員による互選)しましたが、その際の推薦状。推薦者として名を連ねている24名の中に光太郎の名も記されています。また、意外なところでは新宿中村屋さんの創業者・相馬愛蔵の名も。岩波、相馬とも信州人ということもあったかもしれません。

そちらの閲覧を終え、一旦外へ出て別棟の展示室へ。
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こちらでは今月20日から特別展「大岡信展 言葉を生きる、言葉を生かす」が始まっており、拝見しました。
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平成29年(2019)に亡くなった大岡信氏、詩人としてもご活躍でしたが、評論活動なども活発に行われ、特に『朝日新聞』さんに昭和54年(1979)から約30年連載されていたコラム「折々のうた」は大きな業績の一つとして語り継がれています。

フライヤー裏面にはその第一回の原稿の画像も。
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記念すべき第一回は光太郎短歌「海にして太古の民のおどろきをわれふたたびす大空のもと」(明治39年=1906)を取り上げて下さいました。

驚いたことに、この肉筆原稿と共に、光太郎自身がこの歌を揮毫した色紙も展示されていました。大岡氏の遺品なのかもしれません。

その他、昨年亡くなった谷川俊太郎氏をはじめ、さまざまな分野の人々との交友の様子を物語る品々、それから光太郎と同様に自ら書家を名乗ったわけではないものの、見事な書をたくさん遺されたその作品群など、興味深く拝見いたしました。

同館を出て、目の前の霧笛橋から撮ったベイブリッジ。手前は木蓮の一種でしょう。
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振り返ると当会シンボルの連翹も満開でした。

特別展「大岡信展 言葉を生きる、言葉を生かす」、5月18日(日)までの会期です。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

七年間見て来たところでは、花巻の人達の文化意慾の低調さは驚くのみで、それは結局公共心の欠如によるものと考へられます。宮沢賢治の現象はその事に対する自然の反動のやうに思はれます。賢治をいぢめたのは花巻です。


昭和27年(1952)7月19日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎70歳

佐藤隆房は賢治の主治医でもああり、光太郎の花巻疎開にも尽力、その後も物心ともに光太郎を援助し続けた人物でした。その佐藤に宛てたある意味手厳しい花巻評。7年を超えた花巻及び郊外旧太田村での暮らし、人的交流の部分では完全なパラダイスだったわけでもないことが見て取れます。

この後、10月には生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため上京しますが、完成後には再び太田村に戻るつもりで居ました。後足で砂を掛けて出ていくというわけでは決してなく、光太郎の岩手に対する思いはなかなか複雑なものがありました。

昨日は横浜に足を伸ばしておりました。

メインの目的は、旧知のフルート奏者・吉川久子さんのコンサート。
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先月初め、光太郎終焉の地・中野の中西利雄アトリエ保存の件で、『東京新聞』さんの取材を受けたのですが、その仲介をして下さったのが、吉川さん。その取材の際には吉川さんも同席され、その折に招待券を頂いてしまいまして、花束を抱えて馳せ参じた次第です。

会場は港の見える丘公園内のイギリス館さん。

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一昨年、箏曲奏者の元井美智子さんのコンサートもここで開かれ、それ以来でした。

吉川さん、以前には「智恵子抄」からのインスパイア的な曲も作られ、コンサートで披露なさいましたが、今回は特に光太郎には関わらないだろうと思っていて、事前にはご紹介しませんでした。しかし、さにあらず。
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波多圭代さんという方のピアノ伴奏に乗せてのフルート演奏の合間に、浅井理恵子さんというによる古今の文学作品等の朗読が入り、「冬景色」の前に光太郎詩「冬が来た」の朗読もなさって下さいました。
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終演後に吉川さんとお話しさせていただき、その中で「今度「冬が来た」という曲を作ります」とのこと。ありがたいお話です。

ちなみに今回のコンサートでは、光太郎とも縁の深い宮沢賢治の「春と修羅」インスパイアの曲、賢治の作詞作曲と言われ、東北新幹線新花巻駅の発車メロディーにもなっている「星めぐりの歌」も演奏なさいました。発車メロディーと言えば、JR横須賀線鎌倉駅の発車メロディーが吉川さんの演奏による「鎌倉」でしたが、現在でも使われているのでしょうか。最近、鎌倉駅には降り立っていないので解りません。
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多方面でご活躍中の吉川さんですが、今後のさらなるご飛躍を祈念いたします。

さて、そちらが午後からでしたので、午前中には同じ港の見える丘公園内の神奈川近代文学観さんにお邪魔しておりました。
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例によって閲覧室での文献調査です。あまりめぼしい成果はなありませんでした。『××』という書籍や雑誌に光太郎の書簡が掲載されているという情報を得て調べたところ、既知のものだったり……。

しかし一点だけ。昭和14年(1939)の雑誌『新風土』第2巻第11号に、当会の祖・草野心平による光太郎論が載っていたのですが、それに添えられた光太郎の写真(左下)。土門拳の撮影で、最初、他の書籍等にも掲載されている既知のもの(右下)かと思ったのですが、別のショットでした。
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既知のものではぼやけてしか写っていない右手に持った彫刻刀(鑿?)がはっきり写っています。また、手前にも。「ほおー」という感じでした。

彫っている木彫は、新潟の素封家にして美術愛好家・松木喜之七の注文による「鯉」。しかし、結局、光太郎自身が納得のいくものが出来ず、断念してしまいました。そうこしているうちに松木は太平洋戦争末期、もういい年だったにもかかわらず「根こそぎ動員」で徴兵され、戦死。戦後、その報に接した光太郎は非常に心を痛めました。

昨日のめぼしい収穫はこれだけでした。しかし、最近、同館に未知の光太郎書簡が複数寄贈されていて、そちらは「特別資料」という扱いになっています。そちらは事前に閲覧申請をして見せていただく形になっており、そのための申請書を貰ってきました。今月20日以降、改めて行って参ります。

なぜ20日以降かというと、20日に同館で以下の特別展が始まるためです。

特別展「大岡信展 言葉を生きる、言葉を生かす」

期 日 : 2025年3月20日(木)~5月18日(日)
会 場 : 神奈川近代文学館 
時 間 : 午前9時30分~午後5時
休 館 : 月曜日(5月5日は開館)
料 金 : 一般700円(500円)、65歳以上/20歳未満及び学生350円(250円)、
      高校生100円(100円)、中学生以下は無料 ( )内は20名以上の団体料金

 卓越した知性を内包し、詩歌を読み、書き、その魅力を余すところなく発信した大岡信(おおおか・まこと 1931-2017)。批評『現代詩試論』でデビューしたのち、詩集『春 少女に』などで愛や生きる歓びをうたい、ライフワーク「折々のうた」では詩歌を人びとにとって身近なものとしてきました。その織り成す言葉は、人びとを魅了し続けています。
 当館では2020年以降、大岡家をはじめとする方々から大岡の遺した書、原稿、創作ノート、書簡などを受贈し、「大岡信文庫」として保存しています。本展ではこれらの資料を中心に〈おおらかな感性の詩人・大岡信〉の生涯を追いながら、広く人びとにひらかれた、豊かな言葉の世界を展開します。
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平成29年(2019)に亡くなった大岡信氏の回顧展的な。

光太郎がらみで、氏が『朝日新聞』さんに連載されていた「折々のうた」の原稿(光太郎短歌を取り上げて下さった第一回のもの)が展示されます。
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こちらを併せて拝見しようと思っておりますので。

皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

おハガキと小包と一昨日到着、感謝。十三日の誕生日をおぼえてゐて下さるのは何だか恐縮の気がします。


昭和27年(1952)3月13日 椛沢佳乃子宛書簡より 光太郎70歳

3月13日(来週ですね)は、光太郎の誕生日です。数え年の習慣では年明けと共に70の古稀となりましたが、満年齢では69歳ということになります。

ちなみに昭和24年(1949)には「年齢のとなえ方に関する法律」が制定され、公的な場面では数え年ではなく満年齢を使うようにとされました。

昨日、都内で『東京新聞』さんの取材を受けました。光太郎終焉の地にして第一回連翹忌の会場ともなった中野区の中西利雄アトリエ保存関係です。そちらが午後だったので、午前中は都内を通り越し、北鎌倉へ。光太郎実妹の令孫夫妻が経営されているカフェ兼ギャラリー笛さんで始まった「高村光太郎と尾崎喜八」展を拝見して参りました。

尾崎喜八は光太郎より9歳年少の詩人。光太郎と家族ぐるみの交流がありました。その喜八を偲ぶ「臘梅忌」が本日、喜八の墓のある明月院さん、それからその裏手の笛さんで関係者の方々がお集まりになってこぢんまりと執り行われるのですが、今日は他用のため参列できませんで、昨日のうちにご挨拶かたがた参上した次第です。

まずは明月院さんで墓参。
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中高生と思われるグループが多数。修学旅行か校外学習かというところでしょうが、春や秋でなくてもそうなんだ、という感じでした。

本堂裏手、尾崎家のそれを含む墓所は、通常、一般人の立ち入り不可ですが、喜八令孫の石黒敦彦氏の御名を出して参拝させていただきました。
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こういう場合の常ですが、光太郎の代参のつもりで手を合わせました。
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喜八、妻の實子(光太郎親友の水野葉舟の娘)、そして二人の息女にして、当方もお話を伺ったことのある榮子さん(駒込林町の光太郎アトリエで、智恵子にだっこしてもらったことがおありだそうでした)。

明月院さんを出て、さらに坂を上っていくと、笛さん。
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毎年秋にも光太郎と喜八に関わる展示をなさっているのですが、今回は近くにお住まいの石黒氏が、当会顧問であらせられた故・北川太一先生が光太郎と喜八の関わりについて書かれた玉稿をまとめた書籍『高村光太郎と尾崎喜八』を刊行なさるということで、その記念のイレギュラー開催です。
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ゲラが展示されていて、拝見。
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完成が楽しみです。

他の展示。

まずは喜八夫妻の結婚祝いに光太郎が贈ったブロンズの「聖母子像」(大正13年=1924)。ミケランジェロの同名作品の模刻ですが、一点物です。
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おそらく出版された書籍類には載っていない古写真。

光太郎実妹・しづ(静子)の子息にして、笛の奥さま・加寿子さんのお父さまの結婚式。昭和18年(1943)だそうです。
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光太郎や、光太郎に代わって髙村家を嗣いだ実弟の豊周も。
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左下は少年時代の光太郎、すぐ下の道利・しづの双子、豊周。
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右上は晩年のしづ、それから幼少期の笛の奥さま。

その他、光太郎と喜八らの写った写真など。
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戦前の一時、尾崎夫妻は杉並に居住していましたが、そのすぐ近くに住んでいて、光太郎や夫妻と交流のあった江戸狄嶺関連も。
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光太郎が江渡のために設計し、江渡が拓いた農場に建てられた霊堂「可愛御堂」。
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なかなかに充実した展示でした。

当方がお邪魔した際にはご主人しかいらっしゃらず、美味なる珈琲をいただいて、「それでは」と、店を後にして北鎌倉駅をめざして坂を下りていると、奥さまが坂を上って来られました。そこでしばし立ち話。さらに奥さまと別れて1分後には、やはり坂を上られる石黒氏と遭遇。笑ってしまいました。4月の連翹忌にはまたお三方とお会い出来そうです。

さて、笛さんでの展示、3月4日(火)までの火・金・土・日曜(今日と2月22日(土)を除く)、11時~16時です。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

おてがみなつかしくよみました。その後の御消息が分つてよろこびました。小生にもいろいろの事がありましたが結局大変自分の気持にあつた生活の出来るやうになりました。ここで仕事したいと思つてゐます。東京ではとても出来ないやうないい毎日の生活を送ることが出来て感謝してゐます。


昭和26年(1951)9月7日 吉野登美子宛書簡より 光太郎69歳

吉野登美子は元・八木重吉夫人。八木重吉は光太郎より15歳年下の詩人。昭和2年(1927)に結核のため、早世しました。その遺稿を未亡人・登美子が戦時中も守り続け、昭和17年(1942)は光太郎や八木と親しかった草野心平らの尽力で『八木重吉詩集』が刊行されました。光太郎はその序文や題字を揮毫したりしました。

登美子は戦後、やはり光太郎と交流があって、妻に先立たれていた鎌倉在住の歌人の吉野秀雄と再婚。この書簡も鎌倉に送られました。

「あじさい寺」として有名な北鎌倉明月院さん裏手(徒歩365歩)にあるカフェ兼ギャラリー笛さん。光太郎実妹・しづ(静子)令孫ご夫妻が営まれています。

毎年秋に、お近くにご在住の石黒敦彦氏(光太郎と交流の深かった詩人・尾崎喜八令孫)と共に、両家に伝わる光太郎・喜八関連の品々を展示する「回想 高村光太郎と尾崎喜八 詩と友情」を開催なさっています。昨年の様子はこちら。

同様の展示を今年はこの時期にも開催。先週土曜から始まっているそうです。

回想 高村光太郎と尾崎喜八 

期 日 : 2025年1月31日(金)~3月4日(火)の火・金・土・日曜日
会 場 : 笛ギャラリー 神奈川県鎌倉市山ノ内215
時 間 : 11:00~16:00
休 業 : 月・水・木曜日
料 金 : 無料

4月に発行される北川太一著「高村光太郎と尾崎喜八」を記念して100年のメモリアルを両家の孫の世代所有の資料で構成して展示
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石黒氏が編集なさり、当会顧問であらせられた北川太一先生が光太郎と喜八の関わりについて書かれた玉稿等を集めた『高村光太郎と尾崎喜八』という書籍が刊行されるとのことで、それを記念しての開催だそうです。「100年のメモリアル」というのは、北川先生がご存命であれば今年3月28日で満100歳になられるはずだったことに因みます。

展示風景、笛さんオーナー山端氏のフェイスブックからお借りしました。
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光太郎が尾崎夫妻の結婚祝いに贈ったブロンズ「聖母子像」(大正13年=1924)も展示されています。ミケランジェロの模刻で、他に鋳造されたことが確認出来ていない一点物です。ちなみに喜八の妻・實子は光太郎の親友・水野葉舟の息女で、光太郎は我が子のようにかわいがっていました。

時間を見つけて行って参ります。皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

赤城写生帖といふやうなもの、まるで忘れても居ましたし、思ひ出さうとしても思い出せません。しかし、小生のものらしく、それがどうして貴下のところにあるのか実に不思議に堪へません。卅七年といへば日露戦当時、小生が美術学校に居た頃と思ひますが、そんなものが出て来ると怖いやうな気がします。

昭和26年(1951)7月14日 西山勇太郎宛書簡より 光太郎69歳

「赤城写生帖」は、明治37年(1904)、数え22歳で美校研究科在学中の光太郎が葉舟と共に滞在していた上州赤城山で描いたスケッチ帖です。原本は葉舟が保管、詩人の西山の手に渡りましたが、その後の行方が不明です。

光太郎没後の昭和31年(1956)、『智恵子抄』版元の龍星閣から猪谷六合雄解説で『赤城画帖』として刊行されました。猪谷は日本スキー界の草分けですが、光太郎等が宿泊した赤城の猪谷旅館の子息でした。
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中野区で開催、そして今日閉幕の、光太郎終焉の地にして第一回連翹忌会場だった中野区の中西利雄アトリエをメインに据えた、中野たてもの応援団さん主催の展覧会「中野を描いた画家たちのアトリエ展Ⅱ」にスタッフとして毎日詰めておりまして、昨日は午前中の当番を終え、北鎌倉に向かいました。

光太郎のすぐ下の妹・しづ(静子)の令孫御夫妻が経営されているカフェ兼ギャラリー笛さんでの展示「回想 高村光太郎と尾崎喜八 詩と友情 その11」を拝観。

一昨年から関連行事として朗読会が催されるようになり、一昨年と昨年はその日に合わせて伺っていたのですが、今年はアトリエ展の搬入・会場設営の日とかぶってしまい、その後もいろいろあって昨日になって漸くお邪魔した次第です。
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こちらに伝わる光太郎がらみの品々、そしてすぐお近くにお住まいの尾崎喜八令孫・石黒敦彦氏がお持ちの品々で、光太郎と尾崎喜八の一家との交流の様子などを展示。
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基本、カフェですので、同じ空間でお客さんが普通に珈琲を召し上がっています。
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そのかたわらにとんでもなく貴重なものが並んでいて、毎年のことながら不思議な感じです。

特に貴重なのが、光太郎ブロンズ「聖母子像」(大正13年=1924)。光太郎オリジナルではなく、ミケランジェロ作品の模刻ですが、おそらくこの一点しか鋳造されていませんし、石膏原型の現存が確認できていません。一点物です。尾崎夫妻の結婚祝いにと贈られた物。尾崎の妻・實子は光太郎の親友・水野葉舟の息女でした。
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当初予定では11月26日(火)まででしたが、会場の都合により明日までに変更になってしまいました。その日程変更の件もご紹介が遅れまして、申し訳なく存じます。

ご都合の付く方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

いい音楽が流れるなかで心ゆくばかり踊る法悦を小生も想像出来るやうな気がします、


昭和25年(1950)6月2日(日) 藤間節子宛書簡より 光太郎68歳

舞踊家の藤間節子(のち黛節子と改名)が、前年、帝国劇場で「智恵子抄」を含むリサイタルを開催、この年、再演が為されるということで、その報せに対する返信です。

うまいこと考えるもんだな、と感心しました。

【米津玄師と文学】フェア『LOST CORNER』

期 日 : 2024年10月9日(水)~11月17日(日)
会 場 : 紀伊國屋書店横浜店 横浜市西区高島2-18-1そごう横浜店7F
時 間 : 10:00〜20:00
料 金 : 無料

『LOST CORNER』でまた素晴らしい音楽世界を披露してくれた米津さん。米津作品の大きな魅力の一つである豊かな言葉の世界をより深く理解するためのフェアを始めました!店長+横浜地区の米津ファンスタッフによる熱いPOPとともに展開しています!
入口入って右奥の棚にて。
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フェア書目
新編宮沢賢治詩集 新潮文庫 (改版) 宮沢賢治、天沢退二郎/新潮社
新編 銀河鉄道の夜 新潮文庫 宮沢賢治/新潮社
山椒魚 新潮文庫 井伏鱒二/新潮社
厄除け詩集 講談社文芸文庫 井伏鱒二/講談社
茨木のり子詩集 岩波文庫 茨木のり子、谷川俊太郎/岩波書店
詩のこころを読む 岩波ジュニア新書 茨木のり子/岩波書店
一握の砂/悲しき玩具 ― 石川啄木歌集 新潮文庫 (改版) 
 石川啄木、金田一京助/新潮社
中原中也詩集 新潮文庫 中原中也、吉田熈生/新潮社
二十億光年の孤独―Two Billion Light‐Years of Solitude 集英社文庫 
 谷川俊太郎、ウィリアム・I.エリオット/集英社
山頭火句集 ちくま文庫 種田山頭火、村上護/筑摩書房
三四郎 新潮文庫 夏目漱石/新潮社
パリの砂漠、東京の蜃気楼 集英社文庫 金原ひとみ/集英社
君のクイズ 小川哲/朝日新聞出版
みどりいせき 大田ステファニー歓人/集英社
アンソロジー 死神 角川ソフィア文庫 東雅夫/KADOKAWA
わたしを離さないで ハヤカワepi文庫 カズオ・イシグロ、土屋政雄/早川書房
日々の泡 新潮文庫 ボリス・ヴィアン、曽根元吉/新潮社
うたかたの日々 光文社古典新訳文庫 ボリス・ヴィアン、野崎歓/光文社
ブレーメンの音楽師―グリム童話〈3〉 新潮文庫
 ヤーコプ・グリム、ヴィルヘルム・グリム/新潮社
不思議の国のアリス 新潮文庫 ルイス・キャロル、矢川澄子/新潮社
マザー・グース 〈1〉 講談社文庫 谷川俊太郎、和田誠(イラストレーター)/講談社
デューン 砂の惑星〈上〉〈中〉〈下〉 ハヤカワ文庫SF
 フランク・ハーバート、酒井昭伸/早川書房
海からの贈物 新潮文庫 (改版)
 アン・モロー・リンドバーグ、吉田健一(英文学)/新潮社
風の谷のナウシカ(7巻セット)
 ― トルメキア戦役バージョン アニメージュコミックスワイド版
海獣の子供 〈1〉~〈5〉 IKKI COMIX 五十嵐大介/小学館
うろんな客 エドワード・ゴーリー、柴田元幸/河出書房新社
エドワード・ゴーリーの世界 濱中利信、柴田元幸/河出書房新社
外科室・天守物語 新潮文庫 泉鏡花/新潮社
永遠も半ばを過ぎて 文春文庫 中島らも/文藝春秋
我が愛する詩人の伝記 講談社文芸文庫 室生犀星/講談社
文学部唯野教授 岩波現代文庫 筒井康隆/岩波書店
死について考える 知恵の森文庫 遠藤周作/光文社
歌うクジラ〈上〉〈下〉 講談社文庫 村上龍/講談社
人間の土地 新潮文庫 (改版) サン・テグジュペリ、堀口大学/新潮社
人間の大地 光文社古典新訳文庫 サン・テグジュペリ、渋谷豊/光文社
智恵子抄 新潮文庫 (改版) 高村光太郎/新潮社
ヴァルター・ベンヤミン―闇を歩く批評 岩波新書 柿木伸之/岩波書店
クレーの天使 パウル・クレー、谷川俊太郎/講談社
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ご存じ米津玄師さんが、楽曲のモチーフになさったり、インスパイアの元となったりした作品を含むであろう書籍をまとめて販売するというコンセプト。単体でボンと置いておいてもそれほど売れ筋とは言えないものも、こうすることによって相乗効果と言いましょうか、付加価値と言いましょうか、そういうものが生まれて売れて行く、と。

平成30年(2018)のヒット曲「lemon」がらみで光太郎の『智恵子抄』新潮文庫版も入れていただいています。当初はラインナップに外れていたのですが、先月末に新たに組み込まれました。
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CDリリース前に、音楽チャート・Billboard(ビルボード)の日本公式サイト「Billboard JAPAN」さんに載ったインタビュー。

--米津さんは文学もお好きだと思うんですけど、私はタイトルを見たときに梶井基次郎の『檸檬』が頭をよぎりました。
米津玄師:確かに「レモン」って文学的なニュアンスがあるとは思ってて。他にも高村光太郎の『智恵子抄』(「レモン哀歌」)とか。そういうものからレモンが無意識的に自分の頭の中にはあって、そこから出てきたっていう面はあるかもしれないです。

行かれた方のSNS投稿等を見ると、各書籍につけられたポップが素晴らしいとの声多数。

「紙の書籍は売れない」「街の書店が危機」……さんざん聴かされていますが、努力次第でいくらでもこうした工夫が出来るはずですね。

ご紹介が遅れてしまいまして、会期あと僅かですが、ぜひ足をお運びの上、『智恵子抄』、お買い求めください。

【折々のことば・光太郎】

此の間澤田伊四郎さんが突然来訪、懇請されたので「智恵子抄その後」六篇と戦後の雑文とを一冊にまとめて出版することを承諾しました、


昭和25年(1950)5月29日 宮崎稔宛書簡より 光太郎68歳

52de0e93澤田伊四郎の龍星閣(オリジナル『智恵子抄』版元、前年に戦時の休業から復興)から『智恵子抄その後』が刊行されたのは11月。この年1月の雑誌『新女苑』に載った連作詩「智恵子抄その後」6篇を根幹に、それ以前の智恵子に関する詩「もしも智恵子が」「噴霧的な夢」(新潮文庫版『智恵子抄』にすべて収録)、智恵子に関わる散文をいくつか、あとは智恵子とは無関係な散文、詩で構成されています。函などには「詩集」と印刷されていますが、「詩文集」とすべきものです。

澤田にあてた、同書に関わる光太郎書簡等が澤田の故郷である秋田県小坂町に寄贈されています。

毎年恒例、北鎌倉での展示情報です。

回想 高村光太郎と尾崎喜八 詩と友情 その11

期 日 : 2024年10月8日(火)~11月26日(火)の火・金・土・日曜日
      追記:当初予定から変更で11月19日(火)までとなりました。
会 場 : 笛ギャラリー 神奈川県鎌倉市山ノ内215
時 間 : 11:00~16:00
休 業 : 月・水・木曜日
料 金 : 無料

関連行事 : 高村光太郎と尾崎喜八の詩朗読会 11月9日(土) 15:00~
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光太郎のすぐ下の妹・しづ(静子)の令孫御夫妻が経営されているカフェ兼ギャラリー笛さんでの展示。すぐ近くに住んでいて、光太郎と深い交流のあった詩人・尾崎喜八の令孫・石黒敦彦氏のご協力もあり、光太郎と尾崎の交流(尾崎の妻は光太郎の親友・水野葉舟の娘の實子でした)を辿る展示が為されます。光太郎と尾崎それぞれの肉筆や写真、年によっては光太郎が尾崎の結婚祝いに贈ったブロンズの「聖母子像」(ミケランジェロ模刻)も。

一昨年からは関連行事として光太郎と尾崎の詩をとりあげる朗読会も催されています。当方、今年は「中野を描いた画家たちのアトリエ展Ⅱ」に出品物をお貸しし、その搬入と会場設営の日に当たってしまいましたので欠礼いたしますが、展示の方は会期中に拝見に伺うつもりで居ります。

皆様も是非どうぞ。朗読者も募集中だそうです。奮ってご応募下さい。

【折々のことば・光太郎】

何を表現しても芸術そのものは健康であるべきです。

昭和24年(1949)10月21日 藤間節子宛書簡より 光太郎67歳

光太郎、造型にしても文筆にしても、病的な表現は嫌いました。若い頃には彫刻で「妖気」のようなものを表そうとしたこともありましたが、のちにそういうやり口は誤りだったと否定しました。

「山の詩人」といわれた尾崎にもそういう精神は通底していて、それだけに二人が結びついたのだと思われます。

ほぼほぼクローズドのイベントでしたので、このサイトでは事前にご紹介しませんでしたが、昨日、神奈川県逗子市のテルミンミュージアムさんにおいて開催された「テルミンミュージアム4周年記念~人数限定のスペシャルなライブ~」にお邪魔しておりました。レポートいたします。
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同ミュージアム、電子楽器のテルミン奏者・大西ようこさんが運営なさっています。ミュージアムと云っても、大西さんがお持ちのアパートの一室を改装して作られたスペースです。
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内部はライブということで昨日は客席が用意されていましたが、通常は集められた古今東西のテルミン27台だかがずらりと展示されているのでしょう。それらは壁際などに寄せられていました。
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一部、修理中だそうで。
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奥の壁にはこちらを訪れられた様々な方々のサイン。
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さまぁ~ずさんとテレビ東京の田中瞳アナ。今年7月6日(土)にオンエアのあった「モヤモヤさまぁ~ず2 【逗子・葉山】一心同体!季節外れの90分弱SP」の際のものです。
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NHKさんで不定期に放映されている「フェス・アローン レギュラー番組への道」のディレクター氏。昨年2月でしたが、こちらでのロケと、大西さんはスタジオでハライチのお二人(澤部佑さん、岩井勇気さん)とご共演。
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そして箏曲奏者の元井美智子さん。

元井さん、この日の「テルミンミュージアム4周年記念~人数限定のスペシャルなライブ~」で大西さんとご共演。
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元井さん、昨年、横浜のイギリス館さんで開催された「元井美智子自作自演コンサート2023」で、箏を弾かれながら「智恵子抄」中の詩を朗読なさいまして、それがご縁で今年の連翹忌の集いにご参加下さいました。そこで連翹忌ご常連の大西さんに捕まり(笑)、今回のコラボライブ。

7月には同様に連翹忌ご常連で朗読の荒井真澄さんとのコラボを花巻と仙台でなさっています。以前にも書きましたが、連翹忌は光太郎を偲ぶのが趣旨ですが、こうして人の輪を繋いで行くのも大きな目的の一つでして、その意味では主催者として喜ばしい限りです。
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元井さん、御著書「八橋の虹」のプロモも。江戸時代の八橋検校を主人公とした小説仕立てですが、史料が少ないため評伝には出来ない部分を想像で補われて書かれたものです。以前に頂き、芸道の徒弟制度的な部分では、高橋鳳雲、高村東雲、そして光太郎の父・光雲へと続く木彫界の一派とも通じる部分があるな、と思って拝読しました。Amazonさん等でも扱われています。ぜひお買い求めを。
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この日は横浜で元井さんが演(や)られた「智恵子抄」をダイジェストで、「千鳥と遊ぶ智恵子」「レモン哀歌」の語りに箏とテルミンの演奏を乗せて。

他に箏曲定番の「春の海」や、光太郎も好きだったドビュッシー、元井さんオリジナルの曲、大西さんが以前にチェロやハープとの合奏のために作曲家の方(お二人、昨日もいらしていました)に書いていただいたものをアレンジした曲など。和と洋、ある意味最先端の電子と古き良き伝統との融合、なかなか不思議な世界観でしたが、心地よいものでした。

大西さん、実に様々な方との二人三脚をこれまでもやられていて(実際に足を縛って走られているわけではありませんが(笑))、中には「ウルトラマン」のスーツアクター(中の人)や「ウルトラセブン」のアマギ隊員役だった古谷敏さんに「智恵子抄」系朗読をお願いして、という企画もありました。

切り絵作家の方の作品に描かれた古谷さんのサイン。
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ウルトラファンには垂涎の的でしょうね。といってもここで涎を垂らされても困るでしょうが(笑)。

来月、逗子で開催される大西さんが一枚噛んだイベントのフライヤー。上記の切り絵の方との連携だそうで。
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今後とも、お二人のご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

「道程」初版は「詩集」といふよりも「詩篇雑綴」といふやうなもので、その頃までの自分の詩をただ制作年代順に並列したものに過ぎません。その頃小生は詩集などといふものをれいれいしく出版する気はありませんでした。


昭和24年(1949)6月26日 檜村淑子/藤田澄枝/肥後道子宛書簡より 光太郎67歳

宛先の3人は、当時女学生の光太郎ファンでした。面識もなかった光太郎に手紙を送り、いろいろ質問をし返事を頂いたとのこと。お三方のうち、肥後さんはかつて連翹忌にもご参加下さり、この書簡の背景などについて語っていただきました。

7月26日(金)、『毎日新聞』さんの神奈川版から。

かながわの書 名碑探訪/17 茅ケ崎・平塚らいてう記念碑 書き出しに意志の強さ /神奈川

 「元始、女性は太陽であった」。女性文芸誌「青鞜」の創刊号、平塚らいてうの言葉である。表紙の装丁は長沼智恵子(のちの高村光太郎の妻)が担当し、与謝野晶子も「山の動く日来る」と賛辞の詩を贈った。
 らいてうは女性保護論争に加わり、市川房枝らとともに新婦人協会を結成。婦人参政権運動を起こした。現代では到底考えられないが、当時女性に参政権がなかったのである。「元始、女性は………」はセンセーショナルな言葉として社会現象となった。1911(明治44)年秋のことであった。
 JR茅ケ崎駅の南口に降り、海に向かって徒歩約8分で「高砂緑地」の看板に出合う。ここは実業家・原安三郎の別荘の土地だったが、今は「松籟(しょうらい)庵」として公開している。地元では憩いの場として夙(つと)に有名である。庭園に入ると高さ160センチの堂々とした碑がある。あまたの松に囲まれ、潮風に満ちた静かな庭だ。
 碑文に目を遣(や)ると、たっぷりと墨を含ませた筆で「元始」と書き進めている。 しっかりと筆を立て、紙に筆圧をかけていることが伺える。書は筆順を追うことができるため、時間推移と共に鑑賞できる数少ない芸術とも言われている。
 本文を3行に分け、行間を広くとり、漢字を大きく仮名を小さめに書き、文字の大小変化をつけている。時間をかけて鑑賞すると、らいてうの息づかいを感じとることができる。また「性・陽・正」の漢字を草書で表現し運筆リズムを作っている。当時の識者はよく草書を使う。筆で手紙を書く時に、早書きの草書が手に馴染んでいたのだろう。小学校の漢字レベルの草書は誰もが読め、常識の範囲だったのだ。
  おそらく当時の女性の筆触としては仮名文字の細線が主流だったはずだ。しかし、らいてうの運筆は全く異なり、書き出しは中国唐時代の顔真卿(がんしんけい)のような肉太のタッチである。明治の女性の意志の強さがそうさせたのだろうか。落款は「らいてう」と「明(はる)」の印を添えている。「明」は本名である。また、「らいてう」の名は雷鳥に由来する。
 「青鞜」はわずか5年間の活動で終焉(しゅうえん)を迎えた。爾来(じらい)113年の歳月が流れたが、その精神は脈々と今日まで受け継がれて来た。先の東京都知事選においても女性の知事が3期目に入るという。まさにらいてうの先見の明の証(あかし)と言えるだろう。 
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記事を書かれたのは県立高校の書道の先生だそうで、なるほど、書体や筆法などにつき的確な評が為されています。

この碑、一度拝見に伺いました。意外と新しく、平成10年(1998)の建立でした。刻まれた文字が書かれたのがいつかまでは分かりませんでしたが。すぐそばには光太郎と縁のあった八木重吉の詩碑も建てられていました。

なぜ茅ヶ崎にらいてうの碑が、というと、らいてうの夫・奥村博史が結核の治療のため、この地にあったサナトリウム・南湖院へ大正4年(1915)に入院、そのためらいてうも翌年には近くに借間を借り、奥村退院後も大正6年(1917)までこの地に住んでいたためでしょう。南湖院の建物の一部は国の登録有形文化財として、元の敷地(高砂緑地から数百㍍)の一角に残されています。八木も昭和の初めに南湖院に入院していましたし、遠く明治時代には国木田独歩も。

ぜひ足をお運びいただき、先人たちの息吹に触れてみて下さい。

【折々のことば・光太郎】

これから又出直して新らしい世代の為に新らしい熱情を以て尽すやうに望みます。いつでも青年を相手にしてゐるのは何よりです。その上農は国民生活の根本ですから、まことにやり甲斐のある仕事です。


昭和23年(1948)10月14日 藤岡孟彦宛書簡より 光太郎66歳

孟彦は光太郎実弟。藤岡家に養子に行き、植物学者となりました。戦前から兵庫県農業試験場に勤務していましたが、この年、茨城県の鯉淵学園に赴任。現在の鯉淵学園農業栄養専門学校です。

キーワード「高村智恵子」でヒットしました。神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙『タウンニュース』さん記事。

小田原在住天羽間さん 切り絵の原画展 東口図書館で10日まで

 小田原市曽比在住のイラストレーター天羽間(あまはま)ソラノさん(61)が12月10日(日)まで、小田原駅東口図書館で切り絵イラストの原画展を開催している。
 天羽間さんは洋画家の高村智恵子の切り絵作品に感銘を受けて、2005年から切り絵の創作を開始した。06年にギャラリーコンペで賞を初めて受賞した後、化粧品メーカー「資生堂」の宣伝広告物や本の装幀イラストなどの製作を行ってきた。
 原画展ではこれまで製作してきた作品約30点が展示されている。天羽間さんは「たくさんの人に見に来ていただきたいです」と話している。午前9時から午後6時(最終日は4時)。問い合わせは同館【電話】0465・20・5577。
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展覧会詳細は以下の通り。

天羽間ソラノ 切り絵イラスト原画展

期 日 : 2023年11月28日(火)~12月10日(日)
会 場 : 小田原駅東口図書館 多目的スペース 神奈川県小田原市栄町1-1-15
時 間 : 午前9時~午後6時 最終日は午後4時まで
料 金 : 無料

小田原市在住で、本の装丁イラストなどで活躍中の天羽間ソラノさんの切り絵イラスト原画展を開催します。細密で美しい切り絵をぜひ見に来てください。
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天羽間氏という方、当方寡聞にして存じ上げませんでしたが、各種デザインの多方面で活躍なさっている方だそうです。調べてみましたところ、プロフィール的なページに確かに「2005年 高村智恵子が精神分裂病を発症した後に、切り絵細工を始めた作品に感銘を受け、「折り紙」を使ったシンメトリーの切り絵の創作を開始する。」という記述がありました。

智恵子紙絵からのインスパイアというと、もろに智恵子の紙絵や油絵、『青鞜』の表紙絵などをモチーフとした切り絵等を発表されている谷澤紗和子氏が思い浮かびます。天羽間氏、谷澤氏とは異なり、智恵子作品そのものをモチーフとされているわけではないようですが。

上記画像の作品もおそらくシンメトリーで制作されているようです。その精緻さに舌を巻かされます。

もう会期が明日までとのことですが、ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

十月十七日に此村に移転してからまだ分教場(風の又三郎そつくりの学校です)に御厄介になりながら毎日小屋に通つて雑作を自分で作つてゐます。昨日は炉の自在カギをつくりました。今度は井桁にかかります。


昭和20年(1945)11月1日 水野葉舟宛書簡より 光太郎63歳

近くの(といっても1㌔弱離れていますが)分教場に寝泊まりしながら山小屋の造作にかかっていました。嬉々として大工仕事に精を出している様子がうかがえます。この頃詠んだ光太郎の句に「新米のかをり鉋のよく研げて」という吟があります。いい句ですね。
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昨日は北鎌倉に行っておりました。

光太郎の直ぐ下の妹・しづの令孫夫妻がやられているカフェ兼ギャラリー「笛」さんで、「回想 高村光太郎と尾崎喜八 詩と友情 その10」展示と、関連行事としての朗読会にお邪魔。
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まずは展示を拝見。光太郎、そして光太郎と交流が深く、晩年は笛さんの近くに居住していた尾崎喜八に関わるさまざまです。
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光太郎から尾崎の結婚祝い(新婦は光太郎の親友・水野葉舟息女)に贈られたブロンズの「聖母子像」(ミケランジェロ模刻)も。
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一度火災に遭って、現在は読めなくなってしまった台座裏面の但し書きの画像。
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店名の由来となった世界各国のさまざまな笛。店主の山端氏が集められ、ご自身で演奏もなさいます。
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午後3時、朗読会の開始です。

店主の山端氏は、尾崎のエッセイ「音楽への愛と感謝」から、光太郎との出会いを語る部分を。奥様は光太郎詩「こころに美をもつ」(昭和17年=1942)と「深夜の雪」(大正2年=1913)で。
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ご常連の方、尾崎令孫の石黒敦彦氏、奥様のはとこに当たられる、高村豊周令孫も。
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当方は光太郎が戦後になって「智恵子抄」収録詩を朗読した肉声の入ったCDを持参、皆さんに聴いていただきました。

最後に再び山端氏。光太郎詩「山からの贈物」(昭和24年=1949)。
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その後、歓談タイム。「山からの贈物」ということで、鎌倉の山の方で採れたという巨大なトウガンなどが振る舞われました。
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展示の方は、11月28日(火)までの火・金・土・日曜日に見られます。
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「あじさい寺」として有名な明月院さん(尾崎家の墓所もあるそうで)の裏手です。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】19258d8f-s

炭化沈香木 一寸珍に候へば少々進じまゐらせ候 茶にでもお使ひ下さらば幸甚


昭和20年(1945)4月 山端敏夫宛書簡より

「沈香(じんこう)」は香木の一種です。東南アジア原産で、おそらく日本では産出しないものでしょう。木彫の材としても使われます。

その沈香の炭を進呈するよ、茶を点てる時にでも使って下さい、と。宛先は「笛」店主山端氏の奥様の御尊父(光太郎の妹・しづの四男)です。この書簡、今年は出ていませんでしたが、昨年は展示されていました。

なぜ炭? というと、4月13日の空襲で焼けたということでしょう。光太郎、転んでもただでは起きません(笑)。

神奈川県鎌倉市から展示及びイベント情報です。

回想 高村光太郎と尾崎喜八 詩と友情 その10

期 日 : 2023年10月6日(金)~11月28日(火)の火・金・土・日曜日
会 場 : 笛ギャラリー 神奈川県鎌倉市山ノ内215
時 間 : 11:00~16:00
休 業 : 月・水・木曜日
料 金 : 無料

関連行事 : 高村光太郎と尾崎喜八の詩朗読会 11月11日(土) 15:00~
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「あじさい寺」として有名な北鎌倉は明月院さんの裏手にあるカフェ兼ギャラリー「笛」さん。
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ご主人の奥様が、光太郎のすぐ下の妹・しづの令孫にあたられ、お宅には光太郎直筆の書や古写真など、さまざまなものが伝わっています。昨年はNHKさんの「鶴瓶の家族に乾杯 市川猿之助が鎌倉でがんばる人を探す旅&坂道を走る人を叱る」で、笑福亭鶴瓶さんがお店をご訪問なさいました。
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また、すぐご近所に、光太郎と交流の深かった詩人・尾崎喜八の令孫・石黒敦彦氏(サイエンス・アート研究者)もお住まいで、そちらには喜八の関連資料、そして光太郎から喜八の結婚祝い(新婦は光太郎の親友・水野葉舟息女)に贈られたブロンズの「聖母子像」も。
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毎年この時期に、こうした品々の展示をなさっています。昨年の様子はこちら。昨年から関連行事として、光太郎・喜八の詩の朗読会も開かれています。

今年も11月11日(土)に朗読会だそうで、当方、その日にお邪魔するつもりです。

皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

校歌作曲は弘田龍太郎氏が適当かと思ひます、同君は本郷区向岡弥生町三番地に居ますが木下小学校から直接におたのみになるなら名刺でも送りませうか。作曲料を予め問合せるといいと思ひます。

昭和15年(1940)5月11日 水野葉舟宛書簡より 光太郎58歳

葉舟作詞の校歌に関わります。

「弘田龍太郎」は作曲家。大正年間、鈴木三重吉主宰の『赤い鳥』によって展開された童謡運動に共鳴、北原白秋らの作詞による童謡を同誌に相当数発表しました。今日でも歌い継がれている作品としては「靴が鳴る」(大正8年=1919 清水かつら作詞)、「叱られて」(同9年=1920 同)、「雀の学校」(同11年=1922 同)、「春よ来い」(同12年=1923 相馬御風作詞)などがあります。

また、正確な作曲年は不明で、楽譜が刊行された記録も見あたりませんが、昭和18年(1943)12月に日本コロムビア改め日蓄工業株式会社(戦時中の「敵性語追放」によります)から、光太郎の「ぼろぼろな駝鳥」に弘田が曲を付けた歌曲のレコードがリリースされています。

「木下(きおろし)小学校」は、千葉県印西市に現存し、校歌は葉舟の作詞、弘田の作曲です。一帯は当時木下(きおろし)町。葉舟が居住していた遠山村(現・成田市)と同じ印旛郡に属し、おそらく地域の名士・葉舟に校歌作詞、併せて作曲家を紹介してほしい旨の依頼があり、さらに葉舟から光太郎に適当な作曲家は誰かという問い合わせがあったものと思われます。

横浜から、現代アートの展覧会情報を。既に始まってしまっていますが……。

新・今日の作家展2023 ここにいる―Voice of Place

期 日 : 2023年9月16日(土)~10月9日(月・祝)
会 場 : 横浜市民ギャラリー 横浜市西区宮崎町26番地1
時 間 : 10:00~18:00
休 館 : 会期中無休
料 金 : 無料

 「新・今日の作家展」は、横浜市民ギャラリーが開館した1964年から40年にわたり開催した「今日の作家展」を継承した展覧会で、同時代の表現を紹介・考察しています。今年度は「ここにいる―Voice of Place」を副題に2名のアーティストを紹介します。
 来田広大は、土地や場所と人との関係を探るため、山等におけるフィールドワークをひとつの拠点としています。そこから臨む風景を地図と捉え、作品に対峙した際「今ここにいる」という自覚を導く、チョークを用いた制作を中心に行っています。古橋まどかは、自身に関わる地域や場所の中にある自然や人工物の変遷や軌跡に着目します。自らの経験との関係性を掘り下げ、リサーチをもとに立体や映像、収集物を用いたインスタレーションを発表してきました。
 私たちはみな、どこかの場所や土地に関係しながら今ここにいます。対人距離や移動に制限のあったコロナ禍を経た今、2名の作品に相対することは、場や土地が内包する時間、人びとや生物の身体や記憶等に思索を巡らせ、自己や他者に対する内的な気づきをもたらすことでしょう。

[出品作家]
来田広大、古橋まどか

※展覧会にあわせて事前収録した作家2名のインタビュー映像をWebおよび会場で公開の予定です。
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出品作家お二人のうち、来田広大氏。「智恵子抄」インスパイアで、令和2年(2020)には福島県いわき市で「来田広大個展「あどけない空」KITA Kodai Solo Exhibition “Candid Sky”」、同3年には都内で「あどけない空#2 The artless sky #2」を開催。後者は拝見して参りました。

その際に出品された映像作品《東京には空がない (Rooftop Drawing)》が、今回も出ているとのことです。
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YouTube上に予告動画。


来田氏へのインタビューも。12:50頃から「あどけない空」として、光太郎智恵子に触れて下さっています。


ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

お電話の趣により、執筆をつづけて居りましたがどうしてもまとまりさうもありません。今度はわざわざ御来訪の上のおたのみだつたのに甚だ不本意ですが右御諒承下さい、 今年十月は智恵子の三回忌になりますので出来ればその頃出させていただければ一番気持が済むやうに思はれます。智恵子に話しかけるやうに書けるかと思ひますから。


昭和15年(1940)4月28日 栗本和夫宛書簡より 光太郎58歳

栗本和夫は『婦人公論』編集者。同誌のこの年12月号に載った随筆「智恵子の半生」(原題「彼女の半生-亡き妻の思ひ出」)に関わります。のち、詩集『智恵子抄』に転載されましたが、いかにも苦しみつつ書き足し書き足ししながら書いたというのがわかる文章です。

コロナ禍前は毎年ご紹介していました。おそらく4年ぶりの本格開催と思われます。しかも記念大祭だそうで。

お三の宮日枝神社御鎮座350年記念大祭~お三の宮秋祭り~

期 日 : 2023年9月15日(金)~17日(日)
会 場 : お三の宮日枝神社 神奈川県横浜市南区山王町5-32
      イセザキ・モール 神奈川県横浜市中区伊勢佐木町1・2丁目
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 15日(金) 例祭(式典)   午後5時 斎行
 16日(土) 神社大神輿御巡行 午前9時 出御祭
 17日(日) 町内神輿連合渡御 午前9時 出発式
  〜神賑行事〜
 16日(土) 午後5時居合奉納演武(横浜無外会)
 17日(日) 午後5時和太鼓 奉納演奏(ヒビカス横浜)
 両日 日中 お囃子奉納演奏(横浜やっしゃ鯛)
     19時 奉納演芸会(お三の宮奉納演芸委員会)
 終日縁日・献灯

「お三の宮」「おさんさま」として親しまれている日枝神社の例祭で、《かながわのまつり50選》にも選ばれています。横浜随一の大神輿「千貫みこし」による氏子内御巡行は毎年行われ、本祭り(奇数年毎)には大小30〜40基にも及ぶ町内神輿連合渡御が神社からイセザキ町へと練り歩き、市内屈指の規模を誇ります。境内では神賑行事として、奉納演芸会やお囃子・和太鼓・居合演武の奉納などが催され、献灯や縁日で賑わいます。

今年(令和5年)は、御鎮座350年の佳節を迎えます。皆さまと共に奉祝の誠を捧げるべく、御鎮座350年記念大祭を盛大に斎行したいと存じます。
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イセザキモールさんのサイトによれば、光雲が装飾彫刻を担当した「火伏神輿」がモール内に展示されるそうです。

9月15日(金)朝10時~夕方4時ころ007
伊勢佐木町1・2丁目【火伏の神輿】展示(有隣堂ヨコ、神酒所)

1915(大正4)年の大正天皇の即位の礼を記念し、伊勢佐木町町内会として高村光雲(上野、西郷隆盛像ほか)に制作を依頼しました。ちょうど100年前の1923年9月、完成目前に東京・上野の工房で関東大震災に遭遇。火に包まれる直前に部材をすべて運び出し、震災10日後に無事納められたことから「火伏の神輿」と言われるようになりました。祭礼期間以外は、神奈川県立歴史博物館エントランスにて展示しています。

「火伏神輿」、以前に拝見に伺ったときはかつがれていましたが、今回は展示のみなのでしょうか? また、やはり光雲作の木彫獅子頭一対も併せて展示されていましたが、そのあたりも不明です。
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それにしても、またもや関東大震災がらみか、と、少し驚きました。

ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

チヱ子には春子さんを附添にたのみました。今日お給料を看護婦会へ払ひました。

昭和12年(1937)1月21日 長沼セン宛書簡より 光太郎55歳

「春子さん」は長沼春子。智恵子実妹にして大正11年(1922)に30歳で早世したミツの遺児です。したがって、智恵子にとっては姪ですが、ミツの死後、智恵子の母・センが養女として届けましたので、戸籍上は妹の扱いでした。戦後、光太郎が間を取り持って茨城取手の詩人・宮崎稔に嫁ぎました。

当時の一等看護婦の資格を持ち、光太郎の依頼で、ゼームス坂病院に入院していた智恵子の付き添い看護にあたることとなりました。

春子の回想「紙絵のおもいで」より。

「昨日血を吐いたのですが大した事もないのですよ。」
とおっしゃって寒々としたソファーに寝ておられた。伯母の病院の地図を書いてくれたり、いろいろと今までの病状を伺い、お暇をした。翌日南品川ゼームス坂病院に行った。病院ではやはり看護服の方が働きよいだろうというので、服をきて行った。
 そうっとドアを開けて、
「伯母さま、御機嫌よう、春子です。」と声をかけた。変り果てた伯母の姿! 私は思わず胸をしめつけられ涙があふれてきた。
 じっと立って見ていた伯母は、
「啓助は死んだの?」
「はい死にました。」
 重ねて「修二は?」と二人の弟たちのことをきかれた。そののち三年あまり看護中身内の者のことを聞いたのはこの時だけであった。
(略)
 私はそれから毎夜のように伯母のかたわらにやすみ、そのやつれはてた姿を見ては泣いた。ただ神に祈った。


「三年あまり」は記憶違いで、実際には2年弱でした。春子が付き添いに入った頃、まだ紙絵制作は為されていませんでしたが、千羽鶴や紙灯籠などは作り始めていたそうです。
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