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テレビ番組の再放送情報です。

まず「日曜美術館」本編45分の後におまけで放映される15分の「アートシーン」。全国の展覧会情報を紹介するコーナーです。信州安曇野の碌山美術館さんで開催中の特別企画展「高村光太郎没後70年 高村智恵子生誕140年 高村光太郎・智恵子展」が取り上げられます。本放送は10月4日(日)でした。

日曜美術館 アートシーン「ニューヨークの藤田嗣治」展 [再] 

NHK Eテレ 10月11日(日)  20:45~21:00

「ニューヨークの藤田嗣治」〜1月11日 軽井沢安東美術館▼「高村光太郎・智恵子展」〜11月23日 碌山美術館▼「川端龍子プラスワン 川内理香子 LOVE,Wild Grape,Tiger,heart」〜11月8日 大田区立龍子記念館▼「梅野隆 美との対話」〜11月23日 東御市梅野記念絵画館・ふれあい館▼「松本陽子 宵の明星を見た日」〜11月1日 いわき市美術館


15分の番組中の2分ほどでした。メインが軽井沢安東美術館さんの「ニューヨークの藤田嗣治」展。それから東御市の梅野記念絵画館さんでの「梅野隆 美との対話」も紹介されるとあって、視聴する前は信州で一気にロケをやったのかなと思っておりましたが、碌山美術館さんの部分はロケではなく同館から提供されたであろう髙村達氏撮影の画像などを使っての紹介でした。
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ちなみに碌山美術館さんの特別企画展「高村光太郎没後70年 高村智恵子生誕140年 高村光太郎・智恵子展」、10月18日(日)には学芸員・武井敏氏による関連行事としての講座があります。
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もう1件。

歴史探偵 暗殺事件と日本人 [再] 

NHK総合 10月12日(月)   23:50〜00:35

坂本龍馬・井伊直弼・大久保利通・犬養毅。共通点は“暗殺”されたこと。かつて日本に暗殺はびこる時代あり…。今回は幕末から昭和初期までの暗殺事件を徹底調査!幕末に暗殺が多発した理由は?明治時代、暗殺犯を主人公にした小説はなぜ流行したのか?五・一五事件で全国から暗殺犯の減刑を強く求める声が湧き上がったのは一体なぜ?時代が大きく変わりゆく中、日本人は暗殺事件をどのように受け止めてきたのか、その背景に迫る。

【司会】佐藤二朗 片山千恵子
【出演】多摩大学客員教授・歴史研究家 河合敦
【リポーター】秋鹿真人
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本放送が10月7日(水)でした。すると、その日のうちにX(旧ツイッター)に「不意に歴史探偵で出てくる高村光太郎」とか「高村光太郎、何やってんねんwww #歴史探偵」といった投稿。翌朝それに気づいて録画してあったものを見てみたところ、確かに光太郎に言及されていました。

番組全体が「暗殺事件と日本人」ということで、主に幕末から昭和戦前にかけての暗殺事件を追うものでしたが、時に暗殺実行者が世間でヒーロー扱いされたこともあったという文脈の中で……
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伊勢神宮に対する不敬行為があったという理由で、当時の文部大臣・森有礼を暗殺した西野文太郎がらみ。
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明治22年(1889)の事件後、谷中にあった西野の墓を詣でるとくじ運がよくなるという都市伝説が広まったそうです。

すると、谷中に住んでいた幼い光太郎もその恩恵を受けた(笑)という流れ。
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昭和20年(1945)の1月に出た雑誌『美術』第2巻第1号に載った談話筆記「回想録」(今泉篤男筆録)にそのくだりがあります。

 子供の時、私は籤を引くと必ず当るのでよく雇はれたものだ。当るのには訳があつて私は谷中の墓地は隅々まで精通してゐたから、文部大臣の森有礼を暗殺した西野文太郎の墓石を砕いてその一片(ひとかけ)を懐にして行くのである。私には確信があつて、此を持つてゆけば当ると信じて行けば必ず当るのである。よく無尽講の籤引に頼まれて行つて三四度当てた。父と時々往来してゐた牙彫の旭玉山さんのところの無尽講にも、誰かに頼まれて行つて当てたことを覚えてゐる。

「無尽講」というのは昔の庶民の知恵で、メンバーがあらかじめ積み立てをし、ある程度たまったところでとか、定期的にとかでくじ引きを行って、当たった者がそれを使えるというシステムで、頼母子講とも云います。そのくじ引き役を幼い光太郎がよく頼まれて実際に連戦連勝だったと、まぁかなり盛ってるのではないかと思われますが(笑)。あるいは「エスパーか?」と突っ込みたくなります(笑)。

その際の必勝アイテムが西野の墓石の破片だったとのことですが、「回想録」当該箇所をよく読むと「西野文太郎の墓石を砕いてその一片(ひとかけ)を懐にして行く」とあるので、そのたびごとに墓石を砕いて行ったようです。何とも罰当たりな(笑)。まさに「高村光太郎、何やってんねんwww 」ですね(笑)。

こうした墓石の破片をお守り代わりにするというのは他にも例があって、両国回向院さんにある長年捕まらなかった鼠小僧次郎吉のそれはギャンブルに霊験あらたかとか、「難関にもするりと入れる」からと受験のお守りになるとか云われていました。現在では削り取る専用のお前立ちの石材が墓の前に据えられているそうです。

さて、再放送というと、もうすでに最近2回ご紹介しましたが(笑)、昨秋に初回放映があり、当方がVで出演しました「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」の再放送も10月13日(火) 01:00~01:25にあります。
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それぞれ配信もありますし、ぜひご覧下さい。

【高村光太郎書誌】

詩華集 83 『日本現代詩大系 第五巻 近代詩 二』普及版

昭和28年(1953)1月15日 河出書房 矢野峰人編
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収録作家
 人見東明 加藤介春 三富朽葉 前田夕咲 佐藤楚白 今井白楊 齋藤青羽 永井荷風
 森川葵村 高村光太郎 上田敏 佐藤清 茅野蕭々 平野万里 長田秀雄 栗山茂
 佐々木好母 千葉莫哀 長島豊太郎 出野青煙 竹友藻風 日夏耿之介 柳沢健 熊田精華
 北村初雄 菊池香一郎 富田砕花 生田春月 矢野峰人 石川道雄 平井功 齋藤潔
 向井夷希微


光太郎詩は詩集『道程』しゅうろくの全篇、その後の作の「無為の白日」「海はまろく」「雨にうたるるカテドラル」「クリスマスの夜」「落葉を浴びて立つ」「清廉」「夜の二人」「あどけない話」「山麓の二人」「レモン哀歌」と、かなりの数が収録されています。

光太郎の父・光雲関連のイベント等、まとめてご紹介します。

まずは島根から美術館の企画展示、既に始まっています。

リニューアルオープン記念特別展「寧波と益田 もう一つの海のシルクロード」寧波市と益田市の交流 ー友好交流議定書締結35周年ー

期 日 : 2026年10月3日(土)~11月30日(月)
会 場 : 益田市立雪舟の郷記念館 島根県益田市乙吉町イ1149
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 毎週火曜日 ただし11月3日(火)は開館、11月4日(水)が休館
料 金 : 一般500(400)円 小中高150(120)円 ( )内20名以上団体料金及び各種割引料金

 益田市が友好都市提携を結ぶ中国・寧波市は、古くから国際貿易都市として栄え、明代には日本船の入港地に指定されていました。勘合を有する遣明船はこの港を目指して渡航し、多くの舶来品を日本にもたらしました。
 日本海に面し天然の良港を有する益田も、豊富な材木や鉱物資源を背景に日本海交易の拠点として発展し、寧波を経て多くの物資がもたらされたと考えられています。
 こうした交流の中で、文化を求めて海を渡った人物が画僧・雪舟等楊です。雪舟は応仁元年(1467)に遣明船で寧波へ渡り、中国各地で名品に学びました。帰国後、益田もその創作活動の重要な拠点の一つとなり、益田氏が所持した『益田兼堯像』(益田市立雪舟の郷記念館蔵)や『四季花鳥図屏風』(京都国立博物館蔵)、萬福寺・医光寺に伝わる庭園などにその足跡が残されています。
 本展では、交易 と文化を通じて海を越えて結ばれていた寧波と益田の関係を、出土品や美術作品から紹介します。それは東へと延びるもう一つの「海のシルクロード」を探る試みでもあります。

前期:10月3日(土)~10月31日(土)
後期:11月1日(日)~11月30日(月)
※一部展示替えがあります。

【前期展示】
重要文化財 雲谷等與『雪舟等楊像』山口県立美術館蔵
重要文化財 雪舟等楊『益田兼堯像』益田市立雪舟の郷記念館蔵

【後期展示】
重要文化財 雲谷等益『雪舟等楊像』山口市・常栄寺蔵 (山口県立美術館寄託)

【主な展示品 指定文化財】
萬福寺蔵「華南三彩貼花文五耳壺」  染羽天石勝神社蔵「華南三彩牡丹文壺」
高村光雲「雪舟禅師像」       伝雪舟「花鳥図」
粟島原遺跡出土品

【主な展示品】
東仙道土居遺跡出土品、中須東原・西原遺跡出土品
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雪舟の郷記念館さんがリニューアルオープンだそうで、それを記念しての企画展のようです。さらに中国・寧波市との交流事業35周年も兼ねてだそうで。

光雲の木彫「雪舟禅師像」(大正15年=1926)が出ています。これまでも同館でたびたび展示されてきたものですが、リニューアルオープンというおとで久々のお披露目なのでしょう。
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平成12年(2000)、千葉市立美術館さん他を巡回した「高村光雲とその時代展」の際に拝見しましたが、像高一尺程の実に緻密な作りの像です。

もう1件、都内での展示情報ですが、こちらは販売会を兼ねた催しです。

東美アートフェア2026

期 日 : 2026年10月16日(金)~10月18日(日)
会 場 : 東京美術倶楽部 港区新橋6-19-15
時 間 : 16日 10:00~19:00 17日 10:00~18:00 18日 10:00~17:00
料 金 : 前売 1,500円 当日 2,000円 学生以下無料

「東美アートフェア」は1999年より始まりました。東京美術商協同組合に所属する118の美術商が、それぞれが時間をかけて探し求めた、古美術・近代美術・現代美術・茶道具・工芸など美術品の優品珍品を、趣向を凝らした展示でご覧いただけます。観て楽しめるのはもちろんのこと、直接触れることや購入することもできる絶好の機会です。
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木彫の「弁財天像」が出ます。
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いい感じですね。

ところで、以前はオークション形式の情報もよく紹介していましたが、ある時、サムネイルの小さな画像で見ただけでも「これはいけない」と思われるものが平気で出品されており、それ以来、オークション情報は取り上げないことにしました。ご参考までに。

続いて岩手から講座情報。

第24回 もりおか悠久塾講演会

期 日 : 2026年10月12日(月・祝)
会 場 : 大國神社社務所 盛岡市津志田中央1-1-17
時 間 : 14:00~16:00
料 金 : 1,000円(学生無料)

第1部「新渡戸仙岳と啄木」
 講師:国際啄木学会会員 小林芳弘
第2部「高村光太郎の父・高村光雲の懐古談を読む」
 講師:悠久塾塾長・大國神社宮司 田村勝則

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石川啄木がらみと、光雲関連と2本立てだそうです。

最後に、テレビ番組。

究極ガイド 2時間でまわる☆☆☆ 2時間でまわる善光寺

NHK BS 2026年10月10日(土) 19:00〜21:00 放送時間 120分

今回は長野・善光寺。無宗派の寺として身分や性別など関係なく長く民衆の心のよりどころとなってきた。そんな善光寺の究極ルートを提案する。(初回放送日 2026年1月10日)

【語り】羽田美智子・田口浩正

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不定期で放映されている「究極ガイド 2時間でまわる」。東大寺編、江ノ島編などを以前に拝見しました。善光寺編が今年1月に初回放映があったそうですが、気づきませんでした。幸いに再放送があるとのことで。

善光寺さんでは光雲とその高弟・米原雲海による仁王像(大正8年=1919)が睨みを利かせています。
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その背後では、やはり光雲・雲海による三面大黒天像、三宝荒神像も。
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旅番組等で善光寺さん自体はよく取り上げられますが、これらの像はスルーされるか、紹介されてもほんの少し。今回は「2時間でまわる」ですので、少しは長めに映るのではと思われます。

ちなみに善光寺さんといえば、7年に一度のご開帳が来年です。前回は猖獗を極めていた新型コロナの影響で1年遅れの開催でしたが、つい最近だったような気がしていました。その際には近くの長野県立美術館さんで「善光寺御開帳記念 善光寺さんと高村光雲 未来へつなぐ東京藝術大学の調査研究から」展が開催されました。次回も何らかの形で仁王像などに関する企画等があるといいのですが。

さて、ご紹介しました展示/講座/テレビ番組、よろしくお願い申し上げます。

【高村光太郎書誌】

詩華集 81 『現代詩集 歴程篇』角川文庫343

昭和27年(1952)5月30日 角川書店 歴程同人編

収録作家
 会田綱雄 安西均 長光太 藤島宇内 藤原定 淵上毛銭 逸見猶吉 黄瀛 堀田善衛
 本郷隆 土方定一 原民喜 畑山浩 石川善助 伊藤信吉 井上靖 串田孫一 菊岡久利
 草野天平 金子光晴 今官一 北畠八穂 草野心平 馬淵美意子 松永延造 森田たま
 宮澤賢治 三野混沌 野上彰 中原中也 長江道太郎 尾形亀之助 岡本喬 岡崎清一郎
 大江満雄 緒方昇 小野十三郎 尾崎喜八 岡田刀水士 坂本遼 新藤千恵 嵯峨信之
 高橋新吉 高橋宗近 高橋元吉 鳥見迅彦 谷川俊太郎 高村光太郎 内山義郎
 宇留田敬一 山之口貘 八木重吉 山本太郎 山本和夫 吉田一穂

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光太郎詩は「東洋的新次元」「ブランデンブルグ」「元素智恵子」が収められています。

脚本家の倉本聰氏が亡くなりました。

時事通信さん配信記事。

倉本聰さん死去、91歳 脚本家、「北の国から」001

 「北の国から」シリーズや「前略おふくろ様」など、数多くの名作ドラマを手掛けた脚本家の倉本聰(くらもと・そう、本名山谷馨=やまや・かおる)さんが18日、多臓器不全のため北海道富良野市の自宅で死去した。91歳だった。東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。11月3日にお別れの会を富良野演劇工場で開く。
 1959年、東京大文学部を卒業し、ニッポン放送に入社。63年に退社後、フリーの脚本家に。東京の下町の料亭を舞台にした青春ドラマ「前略おふくろ様」が、76年度の芸術選奨文部大臣賞を受賞するなど好評を博した。
 77年、富良野市に移住。同市を舞台に、大自然の中で生きる家族の姿を描いた連続テレビドラマ「北の国から」(81~82年)が大きな反響を呼んだ。スペシャルドラマ8編も制作され、2002年まで続く人気シリーズとなった。
 他の代表作に「昨日、悲別で」「優しい時間」「風のガーデン」「うちのホンカン」などがある。84年からは私費を投じ、脚本家や俳優養成の場「富良野塾」を主宰。10年の閉塾後は、塾の卒業生が中心の劇団「富良野GROUP」を指導するなど、後進育成にも力を注いだ。
 近年は、高齢者が直面するさまざまな問題をコミカルに描く「やすらぎの郷(さと)」、続編の「やすらぎの刻(とき)~道」が話題を集めた。
 降旗康男監督の映画「冬の華」「駅 STATION」などの脚本も手掛けた。
 00年に紫綬褒章、10年に旭日小綬章を受章した。

倉本氏、実に多くのテレビドラマや映画、舞台の脚本を書かれましたので、古いものの中でも光太郎詩を使って下さったりということがあったかもしれませんが、こぬブログを始めてからの例ですと、記事にある「富良野GROUP」としての舞台「ノクターン―夜想曲(2015) -Nocturne 2015-」で「あどけない話」(昭和3年=1928)を使って下さいました。有名な「明日、悲別で」同様、東日本大震災後、反原発を訴えるものでした。
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そんな関係で、福島では平成30年(2018)に倉本聰展「森のささやきが聞こえますか-倉本聰の仕事と点描画展」が開催され、関連行事として「北の国から」の蛍役・中島朋子さんの朗読公演があって、「智恵子抄」からもプログラムに組み込まれました。

テレビドラマでも、令和元年(2019)放映の「やすらぎの刻(とき)~道」で、同じく「あどけない話」が使われました。
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「やすらぎの刻(とき)~道」は、平成29年(2017)に放映された「やすらぎの郷」の続編で、テレビ関係者のみが入居できるという高級老人ホーム「やすらぎの郷」が舞台。さらに「やすらぎの郷」に暮らす脚本家・菊村栄(石坂浩二さん)の戦前・戦時中・戦後を描いたシナリオ「道」が風間俊介さん主演の劇中劇で展開。「あどけない話」が使われた第47話、48話は「道」パートの中でした。

風間さん演じる公平の兄で、召集されて海軍航空隊に入営していた兄の公次(Kis-My-Ft2の宮田俊哉さん)が、久し振りの休暇で山梨の村・小野ヶ沢に帰省し、弟たちに「智恵子抄」を読むことを勧める、というエピソードでした。

富良野の自然に親しんだ倉本氏、「あどけない話」中の「東京に空が無い」が心に沁みたのでしょう。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 【高村光太郎書誌】

詩華集 73 『近代抒情詩選 花さうび』

昭和22年(1947)11月30日 天明堂 佐藤春夫著作者代表
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収録作家
 北村透谷 島崎藤村 土井晩翠 幸田露伴 与謝野鉄幹 河井酔茗 伊良子清白 横瀬夜雨
 児玉花外 与謝野晶子 石上露子 上田敏 薄田泣菫 蒲原有明 野口米次郎 森鷗外
 永井荷風 石川啄木 木下杢太郎 北原白秋 三木露風 高村光太郎 福士幸次郎
 山村暮鳥 日夏耿之介 西條八十 室生犀星 萩原朔太郎 大手拓次 生田春月 佐藤春夫
 芥川龍之介 堀口大学 千家元麿 佐藤惣之助 百田宗治 宮澤賢治 大木惇夫 中野重治
 立原道造 三好達治 中勘助 釈迢空

光太郎詩は「秋の祈」「冬が来た」「ぼろぼろな駝鳥」「夜の二人」。

タイトルの「さうび」は歴史的仮名遣いで、現代仮名遣いに直すと「そうび」。薔薇のことです。

明日から始まるNHKさんの新しい朝ドラ「ブラッサム」。
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小説家の宇野千代をモデルとした葉野珠が主人公で、石橋静河さんが演じます(晩年の珠役は加賀まりこさん)。

たまたま予告編を見ていたら、智恵子が表紙絵を描いた『青鞜』が使われていました。
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明治30年(1897)生まれの千代、実際に少女時代に『青鞜』に触れ、眼を開かされたという経験があったのでしょうか。『青鞜』創刊は明治44年(1911)です。

NHKさんのドラマでは、こういう展開が時折あります。

同じく朝ドラ、平成28(2016)年度上半期の「とと姉ちゃん」。
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主人公・小橋常子は、現在も続く雑誌『暮しの手帖』を創刊した大橋鎭子がモデルで、高畑充希さんが演じました。どの程度史実なのかわかりませんが、常子は女学校の東堂先生(片桐はいりさん)の影響で『青鞜』に魅せられ、同級生・中田綾(阿部純子さん)や妹の鞠子(相良樹さん)も。終盤には戦後の設定でしたが、真野響子さん扮するらいてうも登場しました。

朝ドラではありませんが、令和4年(2022)放映の「風よ あらしよ」。令和6年(2024)には全3回のテレビ版をつなげた劇場版映画として公開されました。
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吉高由里子さん演ずる伊藤野枝が主人公。野枝は『青鞜』を読んで社に加わり、やがてらいてう(松下奈緒さん)から発行権を譲り受けます。こちらは完全に史実です。

で、「ブラッサム」でも。
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「ブラッサム」、最初のうちは千代の故郷・山口県の岩国編ですが、のちに東京編となり、多くの文士らが登場します。光太郎はとりあえず登場しませんが。

光太郎と千代は直接の関わりがあったかどうか、寡聞にして存じません。ただ、千代は戦時には光太郎が詩部会長を務めていた日本文学報国会の女流文学者委員会の委員でしたし、報国会が全面協力した大東亜文学者大会に光太郎と共に列席していますので、面識程度はあったのではないかと思われます。

登場する文士らのうち、光太郎と直接の関わりがあったのは……
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「秋山格之介」こと芥川龍之介(高良健吾さん)。史実では、大正期に与謝野家で催された歌会で光太郎と同席し、その際に光太郎が書いた短冊を「ぜひに」と言ってもらっています。
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中央公論社社長・嶋中雄作。役名は「山中勇三」で、井浦新さんが演じられます。『中央公論』には光太郎も寄稿し、神奈川近代文学館さんには光太郎から嶋中宛の書簡が2通所蔵されています。『高村光太郎全集』にもれていたもので、いずれも嶋中の故郷・奈良の三輪そうめんを贈られた礼状。来春刊行の『高村光太郎研究』(高村光太郎研究会)所収の当方の連載「光太郎遺珠」で紹介する予定です。
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染谷将太さん演じる「西尾一路」。後に珠(千代)と結婚します。尾崎士郎がモデルで、尾崎は戦時中、光太郎と共に大政翼賛会中央協力会議の議員を務め、光太郎、菊池寛、山本有三と共に「翼賛四銃士」などと称されました。
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他に、光太郎とは直接の関わりはなかったと思われる梶井基次郎が「梶矢基一郎」の名で、佐藤緋美さん。吉屋信子は「土橋風子」で尾野真千子さん。
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さらに滝田樗陰と思われる「黒崎大三郎」(遠藤憲一さん)、今東光であろう「左良太」に北野秀気さん、イッセー尾形さんの「小山牛丸」は徳富蘇峰か徳富蘆花か、と言われています。

現段階で公表されているキャスト等はこんな感じですが、物語が進めば、光太郎と縁があった人物では史実に鑑みると藤田嗣治、谷崎潤一郎らは当然出てくるはずですし、ことによると菊池寛や佐藤春夫なども有り得ます。

それにつけても、ある意味奔放とも言える千代をよく主人公にしたな、という感じですが。
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ぜひご覧下さい。

【高村光太郎書誌】

詩華集 71 『少年少女詩集 草の上』

昭和22年(1947)1月25日 寶雲舎 阪本越郎編
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収録作家
 田中冬二 三好達治 菱山修三 神保光太郎 大木惇夫 室生犀星 津村信夫 西條八十
 高村光太郎 丸山薫 北原白秋 堀口大学 阪本越郎

光太郎詩は「約束」「冬の子供」の二篇でした。

光太郎の父・光雲に関わるテレビ番組再放送情報です。本放送の際に情報を見落としていました。

歴史探偵 東京“幻の世界遺産” 徳川家霊廟

地上波NHK総合 2026年9月21日(月)  23:50〜00:35

「今あれば世界遺産間違いなし」ともされる壮大な建築群・徳川将軍家の霊廟が、かつて東京のど真ん中に建ち並んでいたのをご存じだろうか?その壮麗さは「パルテノン神殿の建築家やアルハンブラ宮殿の絵師が手掛けてもこれ以上のものはできない」とされるほど。今回徳川の末えいそしてなぜか英国王室協力のもと、この霊廟をCGで精細に復元!蘇った極彩色の世界から将軍たちの秘められた思い、そして失われた「国の宝」の謎に迫る

出演者
【司会】佐藤二朗 片山千恵子 【出演】多摩大学客員教授・歴史研究家…河合敦
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港区芝の増上寺さんにかつて存在し、太平洋戦争の空襲で焼失した徳川家の霊廟にスポットをあてたものです。
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特に規模も大きく絢爛豪華だったのが、2代将軍・秀忠(台徳院)のそれ。寛永9年(1632)の竣工だそうです。現在も現地に門が残る他、埼玉の寺院にも焼け残った門が移築されているとのこと。
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昭和20年(1945)の空襲で、他の霊廟も含め、ほとんどの部分は焼失。
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戦後すぐあたりは、家を失った人々が焼け残った門で雨露をしのぐ姿も。
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というわけで、霊廟本体は烏有に帰してしまいましたが、絵図や写真は残されてますし、明治43年(1910)、ロンドンで開催された日英博覧会出品のために作られた10分の1スケールの細密模型が現存しています。東京美術学校として依頼を受け、彫刻科の主任教授だった光雲が監修に当たりました。
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光太郎は既に学校を離れていましたので、関わっていません。

そのまま英王室に寄贈されましたが、第二次大戦等の関係で解体されていたのを、英国人研究者が数十年掛けて復元。
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平成27年(2015)、増上寺さんに里帰りを果たし、当方も拝見に伺いました。

さらに番組内では、精密なCGを披露。
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戦前・戦中に焼失前の姿をご覧になっていた方の証言や、戦後の様子ということで、焼け跡はテレビドラマのロケにも使われたという件も紹介されました。
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ドラマはかの「月光仮面」でした。実写版の放映は、すぐ隣に東京タワーが竣工した昭和33年(1958)から翌34年(1959)にかけて。「へー」という感じでした。

NHKさんのサイトで配信されていますし、深夜ですが再放送も。ぜひご覧下さい。

【高村光太郎書誌】

詩華集 62 『詞華集 初花』たしなみ叢書

昭和18年(1943)10月1日 増進堂 百田宗治編
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収録作家
 菱山修三 佐藤春夫 森鷗外 河井酔茗 蔵原伸二郎 三好達治 丸山薫 村野四郎
 笹沢美明 城左門 津村信夫 与田準一 巽聖歌 佐藤一英 西村皎三 山本和夫
 伊東静雄 竹内てるよ 永瀬清子 深尾須磨子 尾崎喜八 大木惇夫 宮澤賢治
 千家元麿 中勘助 武者小路実篤 萩原朔太郎 西條八十 室生犀星 高村光太郎
 百田宗治


光太郎詩は「あなたはだんだんきれいになる」「必死の時」。この時期、物資不足もかなりのもので、造本も簡易化。判型は小さく、扉がありません。

智恵子や安達太良山がらみのテレビ番組系情報、2件ご紹介します。

まず、再放送の紀行番組。

絶景百名山 2時間SP 安達太良山・西吾妻山 秋

BSフジ 2026年9月13日(日) 02:00〜04:00

秋、様々な色に染まった木々の葉が山肌を美しく彩る紅葉の季節。今回は東北地方の二つの百名山「安達太良山」と「西吾妻山」を2時間SPでご紹介。

安達太良山は、詩人・高村光太郎の「智恵子抄」に登場する福島を代表する山の一つ。標高1,700mの裾野に広がる紅葉は美しく、秋は特に人気の高い山。山の案内人は、麓の岳温泉で和菓子屋を営みつつ、山のガイドをしている渡辺茂雄さん(44歳)。幼い頃から安達太良山を見て育ち、その魅力に引き込まれた渡辺さんがガイドをするのは安達太良山のみ。「多くの人に安達太良山と、自分の生まれ育った岳温泉のすばらしさを知ってもらいたい」そんな渡辺さんのガイドは、地元の人だからこそ知っている情報が満載だ。さらに渡辺さんは、温泉の源泉を管理する「湯守」という仕事を冬季限定で行なっている。安達太良山の麓にある岳温泉の湯は、安達太良山の中腹にある湯元から8キロもの距離を下ろす日本一長い引湯。冬の間は雪が深い為、登山技術のあるガイドが湯元の管理をするのだそうだ。安達太良山を知り尽くす地元ガイド一押しの絶景とは…

西吾妻山は、福島県と山形県の境界に位置する吾妻連峰の最高峰、標高2,035mの山。連峰の山の中で唯一2,000mを超える山であるが、周りの山々がそれに近い高さの為、飛び抜けて主峰という感じはしない山。日本百名山の著者・深田久弥も「つかみどころがない」と称するほど。そんな山を愛してやまないというのが、今回の山の案内人。西吾妻山の麓、天元台スキー場でペンションを営む山岳ガイドの近藤明さん(62歳)。ガイド歴は40年。8,000mを超えるシシャパンマに登頂した経験があり、年間200日以上をガイドとしてこなす山のスペシャリスト。そんな近藤さんにとって、一番好きな山が西吾妻山。展望がまるでない山頂だが大好きだという理由を尋ねると、なるほど納得の答えが返ってきた。その理由がまた、西吾妻山の魅力を良く表現できていることに驚かされる。ベテランガイドが愛する西吾妻山の魅力を、絶景とともにお伝え致します。

※初回放送:2017年12月

出演者 ナレーター:小野寺昭
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初回放映が平成29年(2017)12月でした。

前半が安達太良山、後半が同じ福島県の西吾妻山です。光太郎智恵子に関しては、安達太良山編の冒頭導入部分で触れられます。
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取材はその年の10月、これから紅葉シーズン本番という時期で、この秋、紅葉狩りに出かけたいという方々には予習の意味でお勧めです。ただし、安達太良山編では撮影日の天候があまり良くなく、山頂付近は雲の中、しかも烈風吹きすさぶ状態でしたが。
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深夜というか未明のオンエアですが、ぜひご覧下さい。

もう1件、福島のローカル番組(の一部)で智恵子をメインに扱ったものが、YouTubeにアップされました。

KFB福島放送さんの「超県民参加型テレビ シェア!」という番組の中の「福島ひらい~ね」というコーナー。同局の平井愛弓アナが福島県内各地を突撃取材するというものです。

8月18日(火)の放映分が「“ほんとの空”の意味とは?二本松市出身の高村智恵子を学ぶ!」で、情報は掴んでいたものの関東ではリアルタイムの視聴は不可能。しかし過去このコーナー、だいたい半月遅れくらいで動画配信されていたので、期待していたところ9月7日(月)にアップされました。「待ってましたぁ!」という感じでした(笑)。
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安達太良山のロープウェー山頂駅近くの薬師岳パノラマパーク。
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智恵子記念館さん。
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智恵子生家。
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「智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会」代表の熊谷健一氏もご出演。
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公式サイト以外にYouTubeにもアップされています。


ちなみに若干先の話なので、詳細はまた後ほど詳細にご紹介しますが、10月3日(土)から11月23日(月・祝)まで、二本松歴史館(にほんまつ城報館)さん及び智恵子記念館さんで企画展「智恵子の芸術」が開催され、10月17日(土)には関連行事として当方の講演も予定されております。
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というわけで、秋の二本松、ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

詩華集 53 『愛国詩集』

昭和17年(1942)9月20日 日本放送出版協会 日本放送協会編
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収録作家
 第一部
  高村光太郎 野口米次郎 西條八十 尾崎喜八 白鳥省吾 福田正夫 佐藤一英
  宮崎丈二 角田竹夫 尾崎喜八 佐藤惣之助 三好達治 百田宗治 深尾須磨子
  千家元麿 佐伯郁郎 堀口大学 勝承夫 井上康文 河井酔茗 竹内てるよ
  前田鉄之助 神保光太郎 阪本越郎 川路柳虹 佐藤春夫 長田恒雄 西村皎三
  吉田絃二郎
 第二部
  高村光太郎 佐藤惣之助 蔵原伸二郎 土井晩翠 長田恒雄 村野四郎 前田鉄之助
  西村皎三 三好達治 西條八十 中西悟堂 相馬御風 室生犀星 尾崎喜八 佐藤一英
  山本和夫 塩野筍三 安積得也 丸山薫 阪本越郎 笹沢美明 近藤東 大江満雄
  草野心平 井上康文 岩佐東一郎 島田声也 山辺道夫 平野寛

二部構成で、序文によれば、第一部は委嘱作品、第二部は新聞雑誌等に載ったものの転載となっています。第一部に載った光太郎詩「彼等を撃つ」「シンガポール陥落」は活字になる前にラジオ放送で朗読されました。おそらく他の詩人の作もそうなのでしょう。第二部の光太郎詩は「必死の時」「最低にして最高の道」でした。

日本放送協会(NHK)、テレビ放送はまだ始まっておらず、ラジオのみでしたが、戦時下では完全にプロパガンダ化していました。おぞましいという感じです。

もっとも、新たな戦前に回帰したかのような現代でもそういう感じが否めません。つい最近ですが、わざわざ渦中の見るからに下品きわまりないな人物をゲスト出演させたり……。過去に制作のお手伝いをさせていただいた好きな番組だけに非常~~~に残念でした。

まさにマルチな方でした。

時事通信さん配信記事。

山田五郎さん死去、67歳 評論家、「アド街ック天国」003

 テレビのバラエティー番組などで幅広い知識と軽妙な語り口で親しまれた評論家で編集者の山田五郎(やまだ・ごろう、本名武田正彦=たけだ・まさひこ)さんが14日、原発不明がんのため死去した。
  67歳だった。東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。所属事務所が公式ユーチューブで公表した。
 上智大卒業後、講談社に入社して男性誌「ホットドッグ・プレス」の編集長などを務めた。2004年の独立後は、西洋美術などの幅広い知識を生かして評論家やフリー編集者として活動し、テレビ東京系「出没! アド街ック天国」などの出演で人気を集めた。
 21年開設のユーチューブチャンネル「山田五郎 オトナの教養講座」での解説が評価され、25年に伊丹十三賞を受賞した。
 24年に原発不明がんと診断されたことを公表していた。

『朝日新聞』さん。

山田五郎さん死去、67歳 西洋美術の魅力を紹介 「アド街」出演

 西洋美術の魅力をわかりやすい言葉で伝えた、評論家・編集者の山田五郎(やまだ・ごろう、本名武田正彦〈たけだ・まさひこ〉)さんが14日、原発不明がんで死去した。67歳だった。葬儀は18日、親族と関係者で行った。
 1958年、東京都生まれ。少年期は関西で過ごし、高校では文芸部と美術部に所属。上智大学在学中、オーストリア・ザルツブルク大学に留学し、西洋美術史を学んだ。
 卒業後は講談社に入社。若者向け雑誌「ホットドッグ・プレス」の編集長などを務めた。90年代に「タモリ倶楽部」「出没!アド街ック天国」などのテレビ出演をきっかけに知名度を広げ、アートやファッションへの独自の視点や考察で注目を集めた。
 2004年に独立し、評論家として本格的に始動。西洋美術、時計、都市文化など様々なテーマで精力的に講演、執筆した。特に08年に出版した著書「知識ゼロからの西洋絵画入門」(幻冬舎)は、美術の入門書として高く評価され、ロングセラーとなった。
 21年からは、美術を対話的に掘り下げるインターネット番組「山田五郎 オトナの教養講座」をユーチューブで開始。美術の知識の有無にかかわらず楽しめる内容で、幅広い層から支持を集めた。25年に002は同番組の斬新さ、面白さが評価され、伊丹十三賞を受賞した。
 自身のユーチューブチャンネルで24年にがんの治療を受けていることを明らかにし、訃報(ふほう)も22日、このチャンネルで公表された。

親交があった作家・イラストレーターのみうらじゅんさんのコメント
 さよなら親友。
 最後の最後までよう頑張ったね。
 優しくて、カッコ良かった山田さん!
 ありがとう親友!


山田さんというと真っ先に出てくるテレ東さんの「出没! アド街ック天国」では光太郎・光雲ゆかりの地を取り上げられたり、BS日テレさんではかつて「ぶらぶら美術・博物館」という番組をお持ちで、光太郎の父・光雲や光太郎の心の師・ロダンに関わる内容の回もありました。
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また、古い話ですが、平成22年(2010)から同25年(2013)にBSジャパン(現・BSテレ東)さんで放映されていた「小林麻耶の本に会いたい」という番組で、不定期にゲスト出演。「本に会える散歩道」のサブタイトルで、主に都内の文学散歩的な内容のナビゲーターを務められました。平成24年(2012)11月30日放映の「日比谷編」の回では、当会主催の連翹忌の集い会場である日比谷松本楼さんを訪れ、新潮文庫版『智恵子抄』所収の「涙」(大正元年=1912)に触れ、詩にでてくる「氷菓」をご堪能。
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博覧強記のお方でしたが「教えてやるよ」という上から目線ではなく、常に平易な語り口。もっともっとご活躍いただきたいところでした。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【高村光太郎書誌】

詩華集 6 『自選日本現代名詩集 附録泰西名詩選』

大正9年(1920)5月28日 春陽堂 井上康文編
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収録作家等
 福士幸次郎 福田正夫 日夏耿之介 萩原朔太郎 堀口大学 生田春月 井上康文
 北原白秋 川路柳虹 加藤介春 北村初雄 三木露風 
室生犀星 百田宗治 正富汪洋
 前田春声 白鳥省吾 西條八十 
佐藤惣之助 千家元麿 富田砕花 高村光太郎 多田不二
 竹村俊郎 山村暮鳥 柳沢健
 附録 泰西名詩選
  英吉利
   ウヰリアム・ブレーク バイロン ブラウニング ワイルド カアペンタア イエーツ
   アアサア・シモンズ
  亜米利加
   エドガア・アラン・ポオ ホイツトマン トラウベル
  独逸
   ゲエテ シルレル ハイネ デエメル
  仏蘭西
   ユウゴオ ボオドレエル ヹルレーヌ アルヴエル・サマン ポール・フォー
  露西亜
   プーシキン レルモントフ ツルゲエネフ
  白耳義
   ヹルハアラン
  伊太利
   ダヌンチイオ
  印度
   タアゴル
 跋 編纂を終りて 井上康文

内外の詩人の作品を集めたアンソロジー。光太郎詩は「秋の祈」「花のひらくやうに」「晴れゆく空」「序曲の前詞」。それからベルギーのヴェルハーレン詩「風」「一九一五年の春」「病院」の訳も光太郎のものです。確認できている限り、この訳はこのアンソロジーが初出です。その後、昭和3年(1928)の雑誌『至上律』第5輯に転載されています。

まずテレビ番組の放映情報を2件。

プレイバック日本歌手協会歌謡祭

BSテレ東 2026年7月1日(水)  17:56〜19:00

楽曲
「大江戸出世小唄」合田道人         「東京音頭」香西かおり
「東京ラプソディ」大川栄策         「九段の母」塩まさる
「東京ブギウギ」森サカエ          「君の名は」青山和子
「東京のバスガール」初代コロムビア ローズ  「智恵子抄」二代目コロムビア・ローズ
「東京ドドンパ娘」渡辺マリ         「東京五輪音頭」福田こうへい
「あゝ上野駅」松原健之           「東京でだめなら」水前寺清子
「それぞれの原宿」ロス・インディオス&NINA 「東京砂漠」内山田洋とクール・ファイブ
「東京迷路」藤圭子             「池袋の夜」青江三奈
「東京セレナーデ」都はるみ

<司会>合田道人
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「東京」をテーマにした楽曲の特集のようですね。

昭和39年(1964)、故・二代目コロムビアローズさんが唄ってヒットした「智恵子抄」(丘灯至夫作詞/戸塚三博作曲)のアーカイブ映像が流れます。唄い出しが「東京の空、灰色の空……」です。

もう1件、こちらはおそらく光太郎の名は出て来ないとは思われますが。

秘湯ロマン

地上波テレビ朝日 2026年7月4日(土)  03:00〜03:30

日本全国の秘湯と呼ばれる温泉の魅力を紹介します。今回の秘湯は岩手県、鉛温泉「藤三旅館」、夏油温泉「元湯夏油」、「夏油温泉観光ホテル」。

 ◇出演者 【旅人】映枝 【ナレーション】丸山未沙希
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光太郎が花巻郊外旧太田村で昭和20年(1945)から7年間の蟄居生活を送っていた際に何度か足を運び、日記や随筆に語られている鉛温泉藤三旅館さんが取り上げられます。

同館名物の深さ約1.3㍍の「白猿の湯」が紹介されるのでしょう。旅館の本館と白猿の湯は、最近、国登録有形文化財(建造物)に指定されました。

それぞれぜひご覧下さい。

テレビと言えば、光太郎詩が時折取り上げられますので、このブログで何度もご紹介してきたNHK Eテレさんの「にほんごであそぼ」にご出演されていた美輪明宏さんがお亡くなりになりました。

時事通信さんの配信記事。

歌手で俳優の美輪明宏さん死去、91歳 「ヨイトマケの唄」「黒蜥蜴」

018 「ヨイトマケの唄」で知られ、性別を超えて強烈な存在感を放った歌手で俳優の美輪明宏(みわ・あきひろ、本名丸山明宏=まるやま・あきひろ)さんが20日午前9時30分、老衰のため死去した。91歳だった。所属事務所が28日、公式サイトで発表した。葬儀は近親者のみで済ませた。
 長崎市で生まれ、10歳で被爆した。歌手を目指して上京し、国立音大付属高校を中退後、16歳でプロ活動を始めた。銀座のシャンソン喫茶「銀巴里(ぎんぱり)」で美貌の歌手として話題を呼び、1957年に「メケ・メケ」、65年には自ら作詞作曲した「ヨイトマケの唄」がヒットした。
 作家の三島由紀夫と親しく、三島の戯曲「黒蜥蜴(くろとかげ)」の舞台で主役の盗賊を演じ、代表作となった。劇作家の寺山修司が書き下ろした「毛皮のマリー」も67年の初演から主役を務めた。
 声優としても、宮崎駿監督の長編アニメ「もののけ姫」「ハウルの動く城」で存在感を発揮。テレビでは「オーラの泉」(テレビ朝日系)などのバラエティー番組で活躍し、若者にも支持された。
 2012年には、NHK紅白歌合戦に77歳で初出場。工事現場で働く母と成長した子の思いを描いたヨイトマケの唄を熱唱し、話題になった。19年に軽い脳梗塞で入院したが、復帰後も幅広く活動を続けていた。

美輪さんの故郷・長崎の『長崎新聞』さん。

美輪明宏さんが死去…10歳で被爆、平和と不戦訴え 「長崎のスター」に感謝と悼む声

 長崎市出身の歌手で俳優の美輪明宏さんが91歳で死去した。10歳の時に長崎で被爆した美輪さんは戦争や被爆の体験をしばしば語り、平和と不戦のメッセージを積極的に発信し続けた。28日、訃報に接した県内には悲しみが広がり、悼む声が次々に上がった。
 美輪さんは2015年7月、同市の県美術館で長崎新聞社などが主催した「瀬戸内寂聴展」の関連イベントで来崎し、作家・僧侶の故瀬戸内寂聴さんと対談。出征して戦死した知人を長崎駅で見送った際、「死ぬなよ」と息子の足にすがった母が憲兵に突き飛ばされ、出血したエピソードを涙ながらに語った。
 折しも自衛隊の任務を拡大した安全保障関連法が安倍政権下で成立する直前。「最後に見た母親の姿が血だらけなんて。それをまた政治の連中はやろうとしている。責任が重いのは賛成している選挙民。真剣に考えて」と語気を強めて訴えた。
 長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(85)は、かつて舞台運営に関わっていた際、まだ20代だった美輪さんに出演してもらったことがあるという。「芸能界ではっきり物を言う人は嫌われるが、社会に影響の大きい人が平和が大事だと言ったのは価値あること。貴重な人だった」と惜しんだ。
 南島原市西有家町のいその産婦人科院長、磯野潔さん(72)は幼少時の美輪さんを知る母元子さん(故人)の話を書き留めており、今年3月に有家史談会が発行した郷土研究誌「嶽南風土記第33号」に寄稿した。
 寄稿によると、元子さんの実家は長崎市丸山町にあった産婦人科医院。美輪さんの実家が経営していたカフェ「世界」が近所にあり、元子さんは美輪さんの母に頼まれ、小学生の美輪さんを合唱団の練習に連れて行っていた。美輪さんは「特別可愛(かわい)らしくもの静かな雰囲気の少年」。練習前にレストラン「銀嶺」に寄ると、元子さんたちと一緒にコーヒーを飲みながらクラシック音楽のレコードに聴き入っていた。
 磯野さんは「テレビで美輪さんの素晴らしい歌を聴くたびに母の話を思い出し、シンパシーを感じていた」としのんだ。
 美輪さんは昨年、有家史談会会長の生駒輝彦さん(79)の依頼を受け、嶽南風土記第32号に直筆の「ヨイトマケの唄」の歌詞を寄稿していた。生駒さんは「地方の小さな郷土誌の依頼を快諾してくれた。尊敬の念に堪えない」と感謝した。
 母方の遺骨が代々納骨されているという本行寺(長崎市西小島2丁目)の馬場泰宣住職(48)は長崎や福岡で舞台があるたび、お参りに来ていたと明かす。「長崎、日本のスターでありながら、年下の自分にも腰の低い口調で優しく接してくれた。被爆者を含め、いろいろな人の心の支えになっていた」と話した。
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美輪さん、「にほんごであそぼ」では「みわサン」というキャラクターで声のご出演。光太郎詩の一節もたびたび読んで下さいました。
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「にほんごであそぼ」に関するインタビュー。

 私、子どもが大好きなんですよ。あの無邪気なものって本当に何ものにも代えがたい宝物だと思っていますしね。『にほんごであそぼ』には、かわいい子どもがいっぱい出ますでしょう。子どもって勝手なことを言って、勝手なことをしますからね、それがまたかわいらしくて、この番組がとっても気に入っています。
 出演に関しては、有識者で番組の監修を務めていらっしゃる齋藤孝教授からお電話をいただきました。「短歌や俳句を一首詠んでもらえれば、それだけでいい」とおっしゃったので「それならお手伝いができますね」とお引き受けしたんです。ところが出番が多くて、いろいろなことをするようになり「約束が違うじゃないの!」って(笑)。でもよろしかったですよ。だってかわいい子どもたちに会えますから。
 自宅の前には保育園があり近くに小学校もあるのですが、よく道を歩いていると、出会い頭に子どもたちから「わあ、みわサンって本当にいるんだ」と驚かれるんです(笑)。いつだったかしら、確かナレーションを担当した連続テレビ小説『花子とアン』の打ち上げの席で、脚本家の中園ミホさんとお話していたら、いつのまにか子どもたちに囲まれていて、不思議そうにこっちを見ていたこともありました。「子どもに人気があるんですね」なんて言われましたけど、やっぱりこっちが好きだと向こうも好いてくれるんですね。

また、平成25年(2013)にNHK総合さんで放映された探検バクモン 「男と女 愛の戦略」にゲスト出演され、「智恵子も「平凡の凡」な男はつまらないと感じていたはず」といったコメントをなさいました。

美輪さんといえば、中曽根康弘元首相に大啖呵を切ったことでも有名ですね。
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昨今の提灯持ち御用タレントどもには爪の垢でも煎じて飲め(死語ですが)と言ってやりたいものです。

謹んでご冥福お祈り申し上げます。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 9 『北原白秋 高村光太郎 宮澤賢治集』現代文学大系15

昭和40年(1965)11月5日 筑摩書房 北原白秋/高村光太郎/宮澤賢治著
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目次
 北原白秋集
  邪宗門 思ひ出 抄 水墨集 抄 海豹と雲 抄 黒檜 抄
 高村光太郎集
  道程 「道程」以後 典型
 宮澤賢治集
  春と修羅第一集 手帳より 風の又三郎 銀河鉄道の夜 注文の多い料理店
  セロ弾きのゴーシュ 農民芸術概論綱要
 年譜
 人と文学 村野四郎

 月報
  黒い眼鏡――最晩年の白秋先生―― 木俣修
  そのおもかげ 尾崎喜八
  賢治三十三回忌 真壁仁
  小さなエピソード 倉持功
  現代文学事典㉗ゾライズム

手持ちのものは昭和44年(1969)の第7刷です。たくさんの種類が出ていた文学全集ものですが、短期間でこれだけ重版がかかっていたのかと驚きます。

昭和39年(1964)、故・二代目コロムビアローズさんが唄ってヒットした「智恵子抄」(丘灯至夫作詞/戸塚三博作曲)のアーカイブ映像が流れます。

プレイバック日本歌手協会歌謡祭

BSテレ東 2026年6月15日(月)  17:56〜19:00

「二人の星をさがそうよ」田辺靖雄     「ウェディング・ドレス」九重佑三子
「ごめんねチコちゃん」三田明       「智恵子抄」二代目コロムビアローズ
「東京の灯よいつまでも」新川二朗     「桑港のチャイナ街」渡辺はま子
「長崎の鐘」藤山一郎           「別れのブルース」淡谷のり子
「イヨマンテの夜」伊藤久男        「温泉芸者」五月みどり
「お座敷小唄」松平直樹          「浮世街道」畠山みどり
「幸せなら手をたたこう」ボニージャックス 「ラ・ノビア」ペギー葉山
「恋をするなら」橋幸夫          「愛と死をみつめて」青山和子

<司会>合田道人

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これまで何度も類似の番組でローズさんの「智恵子抄」がラインナップに入り、6月3日(水)に同じBSテレ東さんで放映された「日本歌手協会歌謡祭プレミアム」でも流されましたが、その際は見落としていました。

作詞の故・丘灯至夫氏は智恵子の故郷・福島二本松に近い田村郡小野新町(おのにいまち 現・小野町)の出身で、本名は西山安吉。郡山市立郡山商工学校(現・福島県立郡山商業高等学校)商業科を卒業後、西條八十に師事し、詩誌『蝋人形』郡山支部主宰となり、同誌に多くの詩を発表しました。生活のためもあって日本放送協会、のち毎日新聞社に勤務。太平洋戦争召集を経て、戦後は『毎日グラフ』記者として活躍しました。

昭和24年(1949)、たまたま手がけることとなった「母燈台」(三益愛子主演映画の主題歌 霧島昇歌唱)の作詞をきっかけに、毎日新聞社に籍を置いたまま日本コロムビアの専属作詞家となり、以後、故郷・福島を謳った「高原列車は行く」(昭和29年=1954 古関裕而作曲 岡本敦郎歌唱)、舟木一夫のデビュー曲「高校三年生」(昭和38年=1963 遠藤実作曲)などのヒット曲を世に送り出した他、テレビアニメ「ハクション大魔王」(昭和44年=1969 市川昭介作曲)、「昆虫物語みなしごハッチ(昭和45年=1970 越部信義作曲)の主題歌なども手がけました。
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その丘灯至夫氏の「「智恵子抄」と私」。

 私が歌謡として書いた「智恵子抄」が、戸塚三博氏の気品ある、曲を得、そしてコロムビア・ローズさんの心をこめた歌いぶりで、ひろくヒットしたことは本当にうれしい。もともとこういう地味な歌は、なかなか大衆にとけこまないレコード界のことだけに、私としても予想外のことであった。この歌は、ご存じのように、高村光太郎の詩集「智恵子抄」を、歌詞化したものだが、純粋な詩を、歌謡化することは、一歩あやまると原詩を汚すおそれがある。しかし私としては郷里が、亡き智恵子さんとおなじ、福島県であり、詩集「智恵子抄」がはじめて世に出た昭和初期から、私の心を魅了しつづけていただけに、私がレコード界に籍をおくようになってから、この歌謡化は、ひとつの大きな念願だった。難かしい仕事ではあったけれど、たまたま病後、静養のため、しばらく福島県、会津のひなびた温泉に滞在中、澄み切った青空の下、安達太良山を背景に、高原のからまつ林の道をゆく、浴衣姿の乙女のうしろ姿を見て、
   東京の空 灰色の空
   ほんとの空が見たいという
 というはじめの二行が、溢れ出たのである。
 この歌は、先にのべた詩集「智恵子抄」の中の「あどけない話」からヒントを得たもので一番の歌詩は、もちろん「あどけない話」がテーマになっているけれど、二番と三番の歌詩は、私のフィクションである。智恵子さんが精神に異常を起こしたのは中年になってからのことで、そのまま歌にしては、いかにも若さを失ってしまう。だから、私の「智恵子抄」は、智恵子さんを、乙女の姿として描いてみたものである。さきごろ、この歌のヒットが縁で、二本松市に招かれ、若いころの智恵子さんの写真や、手紙などを見せていただいたが、私が私なりに感じ、まとめあげたイメージが、そんなに違っていなかったことで安堵した。この歌をローズさんは、今後も折あるごとに歌いつづけるという。私にとっては思い出深い歌のひとつになるであろうし、地下の高村光太郎、智恵子夫妻も、あたたかなやさしい気持で、この歌を聞いて下さっていることと思う。
(ソノシートブック『智恵子のふるさとを訪ねて◆コロムビア・ローズ愛唱歌集◆』日本コロムビア 昭和39年=1964)
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今年4月、新宿で行われた朗読劇「ほんとの空・青い空」公演で、W主演のお一人だった演歌歌手の津吹みゆさんという方が、同公演のカーテンコールで「智恵子抄」を唄われていたそうですし、その後も各地のショッピングモール等での新曲キャンペーン中で「智恵子抄」も唄って下さっています。ありがたし。
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津吹さんも福島ご出身だそうで。

「智恵子抄」、今後とも歌い継がれていってほしいものです。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 40 『レモン哀歌 高村光太郎詩集』

平成3年(1991)1月25日 集英社(集英社文庫) 高村光太郎著
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目次
 ぼろぼろな駝鳥
  失はれたるモナ・リザ 根付の国 寂寥 声 新緑の毒素 父の顔 犬吠の太郎
  さびしきみち 冬が来る 山 冬が来た 牛 道程 秋の祈 わが家 小娘
  丸善工場の女工達 雨にうたるるカテドラル ラコツチイ マアチ 米久の晩餐
  落葉を浴びて立つ 鉄を愛す 月曜日のスケルツオ 白熊 車中のロダン 後庭のロダン
  苛察 火星が出てゐる 冬の言葉 ぼろぼろな駝鳥 当然事 その詩 首の座
  激動するもの 孤独が何で珍らしい 刃物を研ぐ人 もう一つの自転するもの 鯉を彫る
  へんな貧 蝉を彫る
 レモン哀歌
  人に(いやなんです) 郊外の人に 冬の朝のめざめ 人に(遊びぢやない) 深夜の雪
  人類の泉 僕等 樹下の二人 金 鯰 夜の二人 あなたはだんだんきれいになる
  あどけない話 同棲同類 美の監禁に手渡す者 人生遠視 風にのる智恵子
  千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人 レモン哀歌 亡き人に 梅酒
  荒涼たる帰宅 若しも智恵子が 元素智恵子 メトロポオル 裸形
 暗愚小伝
  家
   土下座 ちよんまげ 御前彫刻 楠公銅像
  転調
   彫刻一途 パリ
  反逆
   親不孝 デカダン
  蟄居
   美に生きる
  二律背反
   協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
  炉辺
   報告(智恵子に) 山林
  わが詩を読みて人死に就けり
 語注
 解説 粟津則雄
 鑑賞 残間里江子
 年譜 小田切進

手持ちのものは平成4年(1992)の第4刷です。1年で4刷、なかなか売れ行きが好調だったようで、林静一氏のカバーイラストも貢献度大だったのではないかと思われます。

ちょっと前まで新刊書店で見かけていたような気がするのですが、残念ながら現在は絶版のようです。

第2話と第3話を混同していました。6月8日(月)、6月12日(金)の第2話では湯畑の話にはならないようです。

テレビ番組の再放送情報です。

プロレス温泉 第3話 【草津温泉を満喫】武藤敬司が語ったアントニオ猪木の温泉秘話

BS TBS 2026年6月15日(月)  23:30〜00:00 6月19日(金)  23:30〜00:00

プロレス界のレジェンド、長州力&武藤敬司が後輩の清宮海斗を引き連れ温泉へ。無類の温泉好きのプロレスラーが極上の温泉宿で心と身体を癒す!  本能の赴くままに行動。せっかちなベテラン長州力&武藤敬司とせっかちな大先輩に振り回されるしっかり者な後輩・清宮海斗が織りなすデコボコ温泉旅。温泉旅を通して見られるレスラーの筋肉美、3人の食べっぷりは必見! 長州&武藤の現役時代の秘話などプロレス談義も繰り広げます。

長州力と裸の付き合いをして距離を縮めた清宮海斗に…翌朝、思いもよらぬ悲劇が! 長州の投稿したSNSが騒動を巻き起こす! 湯畑で先輩たちのために、おつかいに出かける清宮。その裏で長州&武藤はやりたい放題。大先輩の珍行動に清宮絶句! 驚愕の展開が…

【出演】長州力、武藤敬司、清宮海斗(プロレスリング・ノア)
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今年3月から始まった番組で、第3話の初回放映は3月31日(火)でした。

草津温泉にはシンボルの湯畑の周囲に巡らせた白御影の柵に、黒御影のプレートで「草津に歩みし百人」の名が刻まれています。草津町の町制100周年記念事業として平成12年(2000)に設置されました。
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古代から昭和の草津を訪れた著名人100人をセレクトし、氏名、肩書、いつ草津に来たかが刻まれています。複数回訪れている場合には主な来訪年。
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光太郎も含まれています。ありがたし。

というか、同時に刊行された冊子『草津に歩みし百人』では、光太郎詩「草津」(昭和2年=1927)が巻頭にドーンと。
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似顔絵はあまり似ていませんが(笑)。
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以前にも書きましたが、光太郎の草津行は、詩「草津」を書いた昭和2年(1927)以後も、記録に残る限り昭和4年(1929)にはおそらく交流の深かった詩人の尾崎喜八と共に、それから昭和8年(1933)にも心を病んだ智恵子の保養のために訪れています。残念ながら尾崎や智恵子の名は「百人」に入っていません。

さて、「プロレス温泉」。

ちらっと「草津に歩みし百人」が取り上げられます。湯畑で長州力さんと武藤敬司さんが座ったベンチの前にも刻名プレートがあり、「こりゃ何だ? ああ、そういうことか」という流れでした。
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しかも、たまたまお二人の目の前が光太郎のプレートで、「高村光太郎、知ってるぞ」的な(笑)。
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さらにお二人、「いくら金を出せば俺らの名前を入れてくれるかな?」(笑)。「そういう問題じゃないだろう」と思ったのですが、調べたところあながち無くもないようで、何と平成26年(2014)には101人目として「ルシウス・モデストゥス」が追加されていました。映画「テルマエ・ロマエ」で阿部寛さんが演じた古代ローマの浴場設計師で、現代の日本にタイムスリップし、草津も訪れたという設定でした。こういう遊び心も良いですね。
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ちなみに草津温泉、中心街から少し離れた囲山公園には、光太郎の「草津」詩碑があります。光太郎の実弟で人間国宝だった鋳金家・髙村豊周の弟子筋に当たる故・西大由氏によってパネルが制作されました。光太郎が遺した手控えの詩稿を拡大したもので、平成2年(1990)の建立です。
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草津を訪れられる方、ぜひこちらもご覧下さい。ご覧下さい、といえば、「プロレス温泉」も
ぜひ。
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【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 33 『高村光太郎選集 2 一九一二-一九二三年 大正一-一二年』増訂版

昭和56年(1981)10月20日 春秋社 吉本隆明・北川太一編
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目次
 詩  友の妻 
泥七宝(四) 人に ヹネチヤの旅人 怨言 夏の夜の食慾 或る夜のこころ
    涙 おそれ 泥七宝(五) 犬吠の太郎 カフエにて 冬が来る 或る宵 カフエにて
    夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日 戦闘 人に
    カフエにて 深夜の雪 人類の泉 よろこびを告ぐ 冬の詩 冬が来た 粘土 牛
    僕等 あたり前 現実 道程 晩餐
 評論 彫刻に関する二三の感想
 随筆 所感
 評論 言ひたい事を言ふ 大正博覧会の彫刻を見て所感を記す
    印象主義の思想と芸術
     一 概観 二 エドワール マネ 三 クロード モネ及び新印象派画家
     四 アルフレ シスレー 五 カミーユ ピサロ 六 オーギユスト ルノワール
     七 エドガー ドガ其他 八 ポール セザンヌ、附、後期印象派 九 附言
     年表
 詩  妹に 猫 小娘 (奇麗にお化粧した) メロン 丸善工場の女工達
 評論 文展分評 彫刻
 随筆 彫刻家ガツトソン ボーグラム氏 高村光太郎彫刻会趣意
 評論 ロダンに就いて二三の事
 翻訳 ロダンの言葉・続ロダンの言葉(抄)
 訳詩 明るい時(エミイル ヹルハアラン)
 詩  雨にうたるるカテドラル ラコツチイ マアチ 米久の晩餐 クリスマスの夜
    真夜中の洗濯 下駄 冬の送別 五月のアトリエ 沙漠 落葉を浴びて立つ
    冬の子供 樹下の二人 Abraham Lincoln 鉄を愛す とげとげなエピグラム
    (詩歌の城に)
 随筆 「一隅の卓」より
 追補
  詩  かなしきこころ 或問
  翻訳 反逆――ジヤン クリストフ(ロマン ロラン)
  随筆 私の事
 解題1 <自然>の位置 吉本隆明
 解題2 第二巻収録作品について 北川太一
 月報 智恵子遺珠2
  書簡Ⅳ 長沼両親宛 長沼両親宛 
  女流作家の美術観
 女なる事を感謝する点 私の最も幸福と感じた時 海か山かに
  書簡Ⅴ 長沼せん子宛 長沼今朝吉宛 長沼せん子宛 斎藤辰之介宛
  後記

初版は昭和42年(1967)。編年体でさまざまなジャンルの作品を一冊に収めた全6巻の第2回配本です。

光太郎第二の故郷、岩手花巻の旧太田村ではかつて毎年5月15日に「高村祭」という催しがもたれていました。光太郎三回忌の年にあたる昭和33年(1958)に第一回が挙行され、その際には光太郎が7年間暮らした山小屋(高村山荘)を覆う形で建設された套屋のお披露目、敷地内にたてられた正式な光太郎詩碑の第1号、「雪白くつめり」詩碑の除幕が行われました。
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5月15日は、昭和20年(1945)、前月の空襲で駒込林町のアトリエ兼住居を失った光太郎が、宮沢家の誘いで疎開のために東京を発った日です。夜行列車で花巻に到着したのは翌日でしたが、きりもいいということもあったのでしょう、15日が「高村祭」ということになりました。

その後、「高村祭」は連綿と続けられました。当初は光太郎と直接交流のあった人々による回顧談的な講演、地元の山口小学校の児童による光太郎から贈られた楽器を使用しての音楽演奏などが行われていました。

その高村祭、令和元年(2019)の第62回をもって終了となってしまいました。翌年からはコロナ禍もありましたし、沈静化後も以前の形での開催はもはや難しい、との判断だったようです。

それに代わるというわけでもありませんが、「花巻 光太郎を知る会」さんという有志の市民団体が、「雪白くつめり」詩碑前にお集まりになり、かつての「高村祭」のように詩碑に献花(詩碑の地下には光太郎の遺髯が分骨のように埋められています)、光太郎詩の朗読などをなさっています。

昨日の様子。画像を送っていただきました。
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「高村祭」だった頃には市の協賛もあり、地元の皆さんの演芸大会的な要素もあったりで賑わっていました。何とかそれに近い形での復活を心から祈念いたしております。

花巻ついでに、「花巻 光太郎を知る会」さんと構成員がかぶるやつかの森LLCさんの活動。

まず厳冬期を除いて概ね月イチで、市内のワンデイシェフの大食堂さんで出店されている「こうたろうカフェ」。ワンデイシェフの大食堂さんがキッチンを貸し出す形で、さまざまな団体・個人がランチを作り、販売するというシステムです。

先月は28日(火)に出店されたそうで、その際の画像。
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「食の匠のバクロウおこわ」「コロコロチーズ入りミートローフ」「マカロニサラダ」「エッグボート」「クルミとゴボウの甘辛煮」「タラボの胡麻和え」「赤魚のお吸い物」「クレープシュゼットのオレンジバター」「コーヒー」。基本、光太郎が自炊していたメニューや使った食材などを参考にしたものです。

「食の匠のバクロウおこわ」とあるのは、令和6年度の「岩手県 食の匠」に認定された、やつかの森さんのメンバー・新渕和子さんが得意とする「ばくろう茸」を使用して作ったもの。花巻では正月などに振舞われるごちそうだそうです。

mit岩手めんこいテレビさんで毎週土曜日の18:30~19:00に「山・海・漬」という番組が放映されているそうです。番組説明欄には「岩手の魅力を満載した番組です。岩手の様々なジャンルと素材(ヒト、モノ、コト)を遊び心いっぱいに、新鮮パッケージ。話題のグルメや観光スポット、岩手にまつわる歴史・文化・伝統などを『山・海・漬』ならではの視点でご紹介。」とあります。
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まだ詳細情報が出ていませんが、来週、5月23日(土)の放映・#1324で「こうたろうカフェ」が取り上げられるそうです。ワンデイシェフの大食堂さんのオーナーさんの推薦だとのこと。確かに光太郎が自炊していたメニューや使った食材などを参考という点で、申し訳ありませんが他の一般の出店者さんとは一線を画す特徴的なコンセプトですので、テレビ的には扱いやすいでしょう。

上記の4月28日(火)にロケ隊が入られたそうです。
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視聴可能な地域の方、ぜひどうぞ。また、今日の放映(#1323 春の山菜・野菜バンザイ)オンエア後YoutUbeに予告動画が出るようです。そちらもご覧下さい。

「こうたろうカフェ」としての今月分ももうすぐで、5月20日(水)だそうです。メニューも予告されていて、以下の通りです。

・こうたろう春巻き ・帆立のドレッシングサラダ ・ワラビの辛子和え ・ウドとタコの味噌かけ ・ほうれんそうの白和え ・餃子とチンゲン菜のスープ ・雑穀ごはん ・旬の漬け物 ・よもぎ餅 ・コーヒー

もう1件、同じくやつかの森LLCさんがメニュー考案に当たられ、旧太田村の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで調理・販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。毎月15日に限定10食の販売です。

昨日販売分。
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2605弁当
2605弁当メニュー
「ホッケの塩焼き」「アスパラ入りちくわ天ぷら」「わらびのおひたし」「ウドの金平」「卵焼き」「筍ご飯」「白米ばっけ味噌のせ」「よもぎ団子」。

「ばっけ」はフキノトウ。光太郎が最も好んで使った食材の一つです。「こうたろうカフェ」でもそうですが、季節がら山菜系が多用されていてヘルシーな感じですね。

本日取り上げたもろもろ、永続的に続いて欲しいものと思っております。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 13 『高村光太郎詩集』角川文庫

昭和31年(1956)9月30日 角川書店 高村光太郎著
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目次
 Ⅰ
  序曲(一九二〇) 丸善工場の女工達(一九二〇) 米久の晩餐(一九二一)
  雨にうたるるカテドラル(一九二一) かがやく朝(一九二一)
  ラコッチィ マアチ(一九二一) 真夜中の洗濯(一九二二) 沙漠(一九二二)
  五月のアトリエ(一九二二) 落葉を浴びて立つ(一九二二) 冬の言葉(一九二二)
  送別(一九二二) 鉄を愛す(一九二三) 春駒(一九二三)
  
月曜日のスケルツォ(一九二四) 氷上技戯(一九二四) 偶作七(一九二四)
  
少年を見る(一九二五) 葱(一九二五) 無口な船長(一九二六) 冬の奴(一九二六)
  
火星が出てゐる(一九二七) 或る墓碑銘(一九二七) 母をおもふ(一九二七)
  
怒(一九二七) 冬の言葉(一九二七) 美を見るもの(一九二七)
  
花下仙人に遇ふ(一九二八) 当然事(一九二八) さういふ友(一九二八)
  
街上比興(一九二八) その詩(一九二八) 或る日(一九二九) 人生(一九二九)
  
ひとり酸素を奪つて(一九二九) 上州湯桧曽風景(一九二九)
  上州川古「さくさん」風景(一九二九) 触知(一九二九) 冬(一九二九)
  刃物を研ぐ人(一九三〇) 冷熱(一九三〇) 孤坐(一九三〇) 似顔(一九三一)
  のつぽの奴は黙つてゐる(一九三一) 蝉を彫る(一九三一)
  
美の監禁に手渡す者(一九三二) 晴天に酔ふ(一九三三) 首の座(一九三三)
  ばけもの屋敷(一九三五) もう一つの自転するもの(一九三六)
  
手紙に添へて(一九三八) へんな貧(一九三九) 最低にして最高の道(一九四〇)
  雪白く積めり(一九四六) 山林(一九四七) 「ブランデンブルグ」(一九四八)
  脱卻の歌(一九四八) 人体飢餓(一九四八) 東洋的新次元(一九四八)
  おれの詩(一九四九) 悪婦(一九四九) 山荒れる(一九五〇)
  
月にぬれた手(一九五〇) 鈍牛の言葉(一九五〇) 典型(一九五〇)
  女医になつた少女(一九五〇) 東北の秋(一九五〇) 大地うるはし(一九五一)
  十和田湖畔の裸像に与ふ(一九五三)
 Ⅱ
  清廉(一九二四) 傷をなめる獅子(一九二五) 狂奔する牛(一九二五)
  白熊(一九二五) 象の銀行(一九二六) 鯰(一九二六) 苛察(一九二六)
  雷獣(一九二六) マント狒狒(一九二六) 象(一九二六) 森のゴリラ(一九二六)
  北冥の魚(一九二六) 潮を吹く鯨(一九二六) 龍(一九二八)
  
ぼろぼろな駝鳥(一九二八) よしきり鮫(一九三七)
 Ⅲ
  クリスマスの夜(一九二二) 車中のロダン(一九二二) 後庭のロダン(一九二二)
  十大弟子(一九二六) 聖ジヤンヌ(一九二六)
  
ミシェル・オオクレエルを読む(一九二七) 旅に病んで(一九二八) 存在(一九二八)
  北島雪山(一九二九) 古事一則(一九二九) 耳で時報をきく夜(一九三〇)
  南極(一九三一) レオン・ドウベル(一九三二) 村山槐多(一九三五)
  荻原守衛(一九三六) 老耼、道を行く(一九三七) 団十郎像由来(一九三八)
  芋銭先生景慕の詩(一九三九) つゆの夜ふけに(一九三九)
  
銅像ミキイヰッツに寄す(一九三九) 人間拒否の上に立つ(一九五一)
 Ⅳ
  樹下の二人(一九二三) 夜の二人(一九二六)
  
あなたはだんだんきれいになる(一九二七) 同棲同類(一九二八)
  風にのる智恵子(一九三五) 千鳥と遊ぶ智恵子(一九三七)
  
値ひがたき智恵子(一九三七) 山麓の二人(一九三八) レモン哀歌(一九三九)
  亡き人に(一九三九) 梅酒(一九四〇) 荒涼たる帰宅(一九四一)
  若しも智恵子が(一九四九) 元素智恵子(一九五〇) メトロポオル(一九五〇)
  裸形(一九五〇) 案内(一九五〇) あの頃(一九五〇) 吹雪の夜の独白(一九五〇)
  噴霧的な夢(一九五〇) 
  暗愚小伝(一九四七)
   家 転調 反逆 蟄居 二律背反 炉辺
 解説 草野心平
 年譜

光太郎が没した昭和31年(1956)の出版(手持ちのものは昭和42年=1967の第25版です)。

この頃、光太郎追悼出版的にいろいろな書籍が出されましたが、当会の祖にして本書の編集にもあたった草野心平が髙村家の番頭よろしく窓口となり、生前の光太郎と関わりの深かった出版社に「おたくはこれ」と、割り振りをしました。中央公論社では随筆集『山の四季』と詩集『典型以後』、新潮社だと随筆集『アトリエにて』及び新潮文庫版『智恵子抄』、筑摩書房に彫刻写真集『高村光太郎』と翌年から出る『高村光太郎全集』、そして角川書店に本書。

オリジナル『智恵子抄』版元の龍星閣のみ、それらと関わりなく単独で画集『赤城画帖』を出版しました。

3件ご紹介します。

まず、ラジオ。

保阪正康が語る昭和人物史 詩人 草野心平 第1回

NHKラジオ(AM) 2026年4月18日(土) 12:15-12:45

詩人の草野心平は、明治36年福島県の生まれ。大正8年に上京し慶應義塾に学びますが中退し、大正10年に中国広州の嶺南大学に入学しました。その後、兄の影響で詩を作り始め、同人誌「銅鑼」を創刊して高村光太郎とも知り合い、親交を深めます。昭和27年10月にラジオ第1で放送した「婦人の時間 智恵子抄について」では、命日を迎えた光太郎の妻・智恵子の思い出や、智恵子が残した「紙絵」の芸術性について語っています。

出演 保阪正康 梯久美子

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この番組では、4月4日(土)と18日(土)に「詩人・彫刻家 高村光太郎」として2回にわたり、光太郎の肉声が流されました。

まず自作詩の朗読。4月4日(土)の第1回では「風にのる智恵子」(昭和10年=1935)と「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)。いずれも昭和9年(1934)に智恵子が千葉九十九里浜で療養していた頃を回想して後に書かれた詩です。それから4月18日(土)の第2回で、智恵子没後の詩「梅酒」(昭和15年=1940)も流されました。すべて昭和27年(1952)、NHKのラジオ放送のため、花巻温泉松雲閣で詩人・真壁仁と行った対談後に収録されたものです。

他に対談。「彫刻と人生」と題した美術史家で晩年の光太郎に親炙した奥平英雄との対談で、昭和28年(1953)12月27日の録音、翌年1月7日に文化放送さんでオンエアされたものから、第1回、第2回ともに抜粋で取り上げられました。

第2回の方はNHKさんの聞き逃し配信サイトらじる★らじるで4月18日(土)午後0:45まで聴取可能です。

そして光太郎に続き、やはり2回にわたり当会の祖・草野心平。4月18日(土)の第1回では昭和27年(1952)10月6日にNHKラジオでオンエアされた「婦人の時間 智恵子抄について」から。光太郎とそれほど交流の深くなかった人物ではなく、最も側にいた心平の証言ですので、貴重だと思います。当方、聴いたことがありません。

肉声と言えば、昭和の終わりまで生きた心平の肉声はたくさん残っていると思われます。しかし、光太郎がらみとなるとそう多くはないでしょう。

市販されたものとしては、かつてNHKさんで販売していたCD『昭和の巨星肉声の記録 文学者編 室生犀星 高村光太郎』(平成8年=1996)に光太郎との対談「芸術よもやま話」が収められています。昭和30年(1955)のもので、確認出来ている限り光太郎肉声としては最後の録音です。光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」についても語られています。
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同じ対談は平成2年(1990)、同じくNHKさんで発行した『NHKカセットブック 肉声できく昭和の証言 作家編6』にも収録されています。
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それから、別テイクで『オーディオ詩集 高村光太郎』。株式会社アポロンで発行していた「アポロンカセットライブラリー」のラインナップの一つで、昭和52年(1977)のものです。
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27篇の詩朗読を含み、うち25篇は俳優の岡田英次(昭和42年=1967の松竹映画「智恵子抄」で柳敬助をモデルとした椿英介役でした)、そして2篇(「鉄を愛す」「樹下の二人」)が心平の朗読です。また、合間合間の10ヶ所ほどに心平による解説も入っています。「智恵子抄」収録詩篇や光太郎智恵子との思い出などが語られ、「保阪正康が語る……」で流されるのと同一音源なのかな、と思いましたが、こちらは明らかに光太郎没後の内容で、カセットの発行の頃に新たに録音されたもののようでした。

このカセット、デジタルでの復刻が望まれるところです。ちなみに同じシリーズでやはり心平が朗読、解説を担った「宮沢賢治詩集」もあります。

さて、紹介すべき事項が山積しており、テレビ番組についても。

やはり4月18日(土)のオンエア。

<土曜サスペンス>浅見光彦シリーズ22 首の女殺人事件

BSフジ 2026年4月18日(土) 13:00〜15:00

福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は? 宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは? 浅見光彦が事件の真相にせまる!!

出演者 中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作
    榎木孝明 野際陽子 ほか
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繰り返し再放送が為されているものですが、推理作家の故・内田康夫氏が昭和61年(1986)に発表された『「首の女(ひと)」殺人事件』を、ほぼ忠実に映像化した2時間ドラマです。初回放映は平成18年(2006)、光太郎彫刻の贋作を巡る殺人事件が描かれ、二本松の智恵子生家、花巻の旧高村記念館等でのロケが行われました。
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もう1件。こちらは来週。

歴史探偵 西郷隆盛 3つのミステリー

地上波NHK 総合 2026年4月22日(水) 22:00〜22:45

明治維新の英雄・西郷隆盛。日本史きっての有名人ながら、実はその生涯は謎だらけ。希代のカリスマとして新時代を築きながら、なぜ自らつくった政府に反旗を翻したのか?そして一度は逆賊とされながら、再び絶大な人気を得ることになったのはどうしてか?西郷をめぐる数々の謎を、各地に残る史料や証言、さらに上野の銅像などから徹底調査!今なお“西郷どん”が愛され続ける理由も解き明かす。あなたの知らない西郷がここにいる。

【司会】佐藤二朗 片山千恵子 【出演】多摩大学客員教授 河合敦 【リポーター】岡崎太希
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番組内容説明欄に「上野の銅像」とあり、光太郎の父・光雲が主任となって制作された西郷隆盛像も大きく取り上げられそうです。光雲の名が出るかどうか、というところですが……。

それぞれぜひご試聴ください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)21 『天平彫刻』 小山美術新書1

昭和19年(1944)11月10日 小山書店 児島喜久雄編者代表
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目次
 天平彫刻について 上野直昭
 天平時代の仏像に対する断片的考察 木下杢太郎
 天平彫刻の技法について 高村光太郎
 天平彫刻私観 平櫛田中
 天平彫刻雑感 安田靱彦
 素材より見たる奈良彫刻の特性 野間清六
 天平仏像の構造法 新納忠之介
 奈良時代の鋳もの 香取秀真
 東大寺建立と天平の仏像 筒井英俊
 戒壇院四天王像に見る「格」に就て 丸尾彰三郎
 天平時代の彫刻と万葉集との関係 久松潜一
 天平の肖像彫刻 小林剛
 天平彫刻と写真 大口理夫
 天平彫刻と様式問題 児島喜久雄
 須菩提 廣津和郎
 新薬師寺本尊に関する問題 田中倉琅子
 図版解説
 図版目次
  原色版 三月堂 梵天帝釈天(安田靱彦氏画)
  写真版 
   第一図 東大寺三月堂 不空羂索観音像(松山志郎氏撮影)
   第二図 東大寺三月堂 月光菩薩像(松山志郎氏撮影)
   第三図 東大寺三月堂 日光菩薩像(松山志郎氏撮影)
   第四図 東大寺三月堂 月光菩薩像(入江泰吉氏撮影)
   第五図 東大寺三月堂 日光菩薩像(入江泰吉氏撮影)
   第六図 東大寺三月堂 吉祥天像(入江泰吉氏撮影)
   第七図 東大寺三月堂 執金剛神像(入江泰吉氏撮影)
   第八図 東大寺戒壇院 持国天像(佐藤辰三氏撮影)
   第九図 東大寺戒壇院 増長天像(佐藤辰三氏撮影)
   第十図 東大寺戒壇院 廣目天像(佐藤辰三氏撮影)
   第十一図 東大寺戒壇院 多聞天像(佐藤辰三氏撮影)
   第十二図 東大寺戒壇院 持国天像部分(入江泰吉氏撮影)
   第十三図  東大寺戒壇院 増長天像部分(入江泰吉氏撮影)
   第十四図  東大寺戒壇院 廣目天像部分(入江泰吉氏撮影)
   第十五図 東大寺戒壇院 多聞天像部分(小川晴暘氏撮影)
   第十六図 増長天踏鬼(入江泰吉氏撮影)
   第十七図 廣目天踏鬼(入江泰吉氏撮影)
   第十八図 興福寺 阿修羅王像(佐藤辰三氏撮影)
   第十九図 興福寺 阿修羅王像部分(佐藤辰三氏撮影)
   第二十図 興福寺 五部浄像(佐藤辰三氏撮影)
   第二十一図 興福寺 須菩提像(佐藤辰三氏撮影)
   第二十二図 唐招提寺開山堂 鑑真和上像部分(小川晴暘氏撮影)
   第二十三図 唐招提寺開山堂 鑑真和上像(佐藤辰三氏撮影)
   第二十四図 法隆寺夢殿 行信僧都像(小川晴暘氏撮影)
   第二十五図 新薬師寺 伐折羅像(佐藤辰三氏撮影)
   第二十六図 聖林寺 十一面観音菩薩像(佐藤辰三氏撮影)
   第二十七図 東大寺大仏殿前 銅造燈籠扉(佐藤辰三氏撮影)
   第二十八図 東大寺大仏殿前 燈籠扉音声菩薩細部(松山志郎氏撮影)
   第二十九図 東大寺三月堂 不空羂索観音宝冠化仏(松山志郎氏撮影)
   第三十図 東大寺誕生釈迦仏像(松山志郎氏撮影)
   第三十一図 大安寺 聖観音像(佐藤辰三氏撮影)
   第三十二図 薬師寺金堂 三尊像(佐藤辰三氏撮影)
   第三十三図 法隆寺綱封蔵光背(小川晴暘氏撮影)

編輯にあたったのは、上記「保阪正康の……」の光太郎の回で対談者として音声が流れた美術史家の奥平英雄。その奥平の回想『忘れ得ぬ人々』(平成5年=1993、瑠璃書房)によれば、
 
製本所から小山書店に届けられたのはごく一部(部数は不詳)で、大半は十一月二十四日の空襲で製本所に在庫のまま灰燼に帰してしまった。マリアナ基地を飛び立ったB29約七十機が東京を初爆撃、神田錦町、鎌倉町一帯を爆撃した際、製本所も災害を被ったからである。こうして苦心の末出来上った『天平彫刻』も少数を残したまま烏有に帰したのである。したがって僅かに残った初版本は幻の書ともいうべき稀覯本となった。

とあります。

確かに昭和23年(1948)と同29年(1954)の復刻は時折市場に出ていますが、19年(1943)の初版は見かけません。しかし、実際のところ、「幻の書」と呼べるかどうか、と感じています。というのは、当方、三回、この本を手にしたからです。
 
まず、カバーなしの裸本を見つけて購入しました。その後、上記画像のカバーつきが売りに出ていたのでそれも入手。裸本は神奈川近代文学館さんに寄贈しました。さらにその後、たまたま訪れた名古屋の古書店でも初版を見かけ、手にとってみました。また、国会図書館さんにも19年版の所蔵があります。

それらは光太郎ら執筆者に届けられたものなのかもしれません。

光太郎と同じくロダンによって目を開かせられ、光太郎の親友だった彫刻家・碌山荻原守衛関連で2件。

まず、守衛を顕彰する信州安曇野の碌山美術館さんで、建屋2棟が新たに国の登録有形文化財指定を受けました。

『信濃毎日新聞』さん。

独特な意匠が特徴 安曇野市の碌山美術館の休憩室と旧収蔵庫、国登録有形文化財に

 文化審議会が登録有形文化財にするよう26日に答申した安曇野市にある碌山美術館の休憩室「グズベリーハウス」と旧収蔵庫「美術の倉」。いずれも開館10周年を記念して建てられ、独特な意匠が特徴。地域の教員や子どもが建築作業に携わり、手作りの温かみが感じられる。
 グズベリーハウスは1968(昭和43)年に作品展示や来館者の休憩が可能な「付属館」として建設。枕木を積み上げた校倉造りで屋根が小石で覆われている。同市出身の作家臼井吉見(1905~87年)の小説「安曇野」のラストシーンにも登場する。
 美術の倉は70年完成。床面積は7・3平方メートル。同館が作品収蔵する市出身の彫刻家荻原碌山(本名守衛(もりえ)、1879~1910年)がキリスト教の影響を受けたこともあり、扉などに十字架の装飾をあしらっている。
 碌山美術館では、荻原の作品を展示・収蔵する教会風の建物「碌山館」が2010年2月に国登録有形文化財となった。碌山館も地元住民や県内の子どもの寄付と協力で建てられた。学芸員の武井敏さんは敷地内の建物が「地域のボランティア精神によって完成したという経緯にも価値がある」と話している。
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『市民タイムス』さん。

碌山美術館の「グズベリーハウス」と「美術の倉」 国の登録有形文化財に

 安曇野市穂高の碌山美術館にある2棟の建造物が、国の登録有形文化財に登録されることになった。来館者の休憩室として使われている「グズベリーハウス」と、作品の収蔵庫として使われた「美術の倉」で、どちらも石置き板ぶき風の屋根や、払い下げの枕木を積み重ねて造った壁体が特徴だ。敷地の雰囲気に趣を添えている。
 国の文化審議会が26日、登録有形文化財(建造物)に登録するよう文部科学大臣に答申した。登録される県内建造物は9件で、中信では同館の2件。
 グズベリーハウスは山小屋風の平屋93.9平方メートルで、会議や休憩用の場所として昭和43(1968)年に建設された。美術館設立に尽力した彫刻家・笹村草家人のデザインで、臼井吉見の長編大河小説『安曇野』の結末にも物語の舞台として登場する。
 美術の倉は高床式の7.3平方メートル。作品収蔵庫の不足を受けて45年に建設され、約20年前まで現役で使われた。破風板の上部に多くの十字架を飾り、屋根はこけむして独特な外観を有している。
 両棟とも旧南安曇郡の教員や学生らがボランティアで建設工事に携わった。グズベリーハウスのはりには、高校生の手による「自由 平等 献身」の言葉が彫り込まれている。学芸員の武井敏さん(52)は「ボランティアから始まった碌山美術館の成り立ちの一部を象徴している。珍しくもあり温かさもある建物を楽しんでほしい」と話している。
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SBC信越放送さん。

島崎藤村も訪れた楼閣風の建物や碌山美術館の展示施設も 新たに9件が国の登録有形文化財に登録へ

004 文豪の島崎藤村も訪れたという小諸市の水明楼や、安曇野市の碌山(ろくざん)美術館の展示施設など9件が、国の登録有形文化財に登録されることになりました。
 県の文化審議会が26日に文部科学大臣に対して登録有形文化財に登録するよう答申したものです。
 登録されることになったのは、長野市にある駒形嶽駒弓神社本殿、小山家住宅の主屋と土蔵及び離れ、長屋門、湯福神社の本殿と拝殿及び祝詞殿、小諸市にある水明楼、安曇野市にある碌山美術館のグズベリーハウスと倉の9件です。
 このうち、小諸市の水明楼は、小諸城跡南側の斜面に位置する小諸義塾塾長の木村熊二の旧書斎で、1900年に建設され島崎藤村なども訪れたという楼閣風の建物です。
 また、碌山美術館のグズベリーハウスは、1968年に美術館の開館10周年を記念して建てられたもので、払い下げられた枕木を積んで壁にしているほか、石置板葺風モルタル塗りの切妻屋根が特徴の山小屋風の展示施設です。
 登録有形文化財は、原則として建設後50年が経過し、国土の歴史的景観に寄与したり造形の規範になるなどしている建築物などを登録するもので、今回の9件が官報に告示されると県内の建造物の登録は671件になります。

最初、信越放送さんの記事見出しだけをネット上で見て、「碌山美術館」「登録有形文化財」といったワードで、てっきり本館にあたり、光太郎の名も刻まれた「碌山館」のことだと思い「あれっ?  とっくに指定されてたよな」と思いました。「碌山館」は平成22年(2010)に指定を受けています。
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ところが記事本体を読むと「グズベリーハウス」と「美術の倉」だとのことで「そっちかい」でした。
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「グズベリーハウス」は、毎年4月22日に開催される、守衛を偲ぶ碌山忌の集い会場です。毎回、冒頭に光太郎詩「荻原守衛」(昭和11年=1936)が参加者全員で群読されます。

「美術の倉」は、元々収蔵庫だったもので、上記鳥瞰図にはその名が記されていませんが、受付兼ミュージアムショップの隣に立つ校倉造りの建屋です。

ともに昭和40年代の建造で、それほど古いものではないのに、と思ったのですが、昭和40年代というともう十分にそういう対象なのですね。昭和30年代生まれとしてはある意味複雑です(笑)。冗談はさておき、文化財指定、実に喜ばしいことですね。痛みの激しかったグズベリーハウスも令和4年(2022)に行われたクラウドファンディングで集まった資金の一部で補修が成されましたし。

昨年急逝された、同館の理事も務められていた太田寛前安曇野市長も泉下で喜ばれていることでしょう。

もう1件。3月29日(日)に放映された、NHK Eテレさんの「日曜美術館」。この日は銀座の王子ホールさんで開催された「朝岡真木子歌曲コンサート第9回@王子ホール」拝聴のため上京しておりまして、録画しておきました。帰ってから拝見したところ、碌山美術館さんにも触れられていまして、「おお!」でした。

この日の回は「日曜美術館」放映開始50周年記念の一環で、「放送開始50年特集 “わたし”の日曜美術館」と題された60分拡大版でした。スタジオには現司会者の守本奈実アナウンサーと坂本美雨さんに加え、歴代司会者のうち、檀ふみさん、井浦新さん、柴田祐規子アナウンサーが集われ、アーカイブ映像を振り返るというコンセプト。

その中で、初期の頃は各界の美術ファンが好きな絵画や芸術家について語る「私と○○」というコーナーがあったという流れで、碌山美術館さん。
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「私」が臼井吉見だったので、驚きました。臼井は昭和20年代、雑誌『展望』の編集長で、光太郎と交流の深かった人物です。光太郎は昭和22年(1947)、自身の半生と戦争責任を振り返る連作詩「暗愚小伝」20篇を『展望』に寄せ、一つのエポックメーキングとなりました。また、臼井は守衛や光太郎も登場する大河小説『安曇野』の作者でもあります。

当方、生きて動いている臼井の姿を動画で見るのは初めてでした。
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この言の裏側には、自身が親交のあった光太郎の姿も念頭に置かれていたのではないでしょうか。そして当方も自分自身光太郎顕彰に取り組む中で、いろいろ広がった人脈を思い、「そうなんだよなぁ」でした。

この頃の司会、太宰治息女の太田治子氏だったとは存じませんでした。司会と言えば、その後のアーカイブ映像で歴代司会者が続々映ったり、ビデオ出演されたりでしたが、こんな人も司会者だったんだと驚きの連続でしたし、臼井同様、存命だった美術作家や評論家などの生きて動いて喋っている姿もたくさんで、実に貴重だと感じました。

ちなみに同番組、光太郎メインの回(スタジオで収録を拝見しました)が「智恵子に捧げた彫刻~詩人・高村光太郎の実像~」として平成25年(2013)10月6日、光雲で「一刀に命を込める 彫刻家・高村光雲」が平成27年(2015)5月31日にそれぞれ放映されましたが、今回の中では紹介されませんでした。何せ2,500回にも及ぶ放映でしたので、いたしかたありますまい。

再放送が4月5日(日)にオンエアされます。

日曜美術館 放送50周年 放送開始50年特集「“わたし”の日曜美術館」

NHK Eテレ 2026年4月5日(日) 20:00~21:00

 日美50特集の総決算の今回は、長年番組を愛していただいた視聴者、そして出演者の皆さんへの感謝祭。歴代の番組司会者が大集合して、番組が伝えてきた“美”を振り返る。
  2026年4月に迫った放送開始50年へのカウントダウンとして、昨年10月から制作してきた「日美50」プロジェクト。その総決算となる今回は、長年番組を愛していただいた視聴者、そして出演者の皆さんへの感謝祭。案内役として歴代の番組司会者が大集合!スタジオだけでなく、VTRやナレーションでも懐かしいあの顔、あの声が。半世紀の歴史の中で番組が伝えてきた「美」の魅力を改めて振りかえる。

【出演】檀ふみ 井浦新 小野正嗣 はな 山根基世 柴田祐規子
【司会】坂本美雨 守本奈実
【語り】石澤典夫 加賀美幸子 森田美由紀
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ぜひご覧下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)6 『世界美術全集別巻第七巻 西洋版画篇』

昭和5年(1930)12月15日 平凡社 下中弥三郎編
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目次
 総説
  西洋版画略史 石井柏亭     創始期の西洋版画 森口多里
  十八世紀の豔情版画 太田三郎  民俗版画 足立源一郎
  現代西洋版画展望 仲田定之助
 図版及解説

「図版及解説」中の「90 ユーゴー、ベローヌ ロダン作」を光太郎が執筆しました。分量はわずかですが、函には光太郎の名も執筆者として大きく掲げられています。

光太郎ゆかりの地、宮城県女川町で、東日本大震災後に全21基が建てられた「いのちの石碑」。建設資金は同町の光太郎文学碑を手本に、すべて募金でまかなわれるなど、文学碑の建立に尽力され、15年前、津波に呑まれて亡くなった当時の女川光太郎の会事務局長・貝(佐々木)廣氏の精神が受け継がれた活動です。

3月14日(土)、STV札幌テレビ放送さんのローカルニュースで、防災セミナーのために旭川を訪れられた、「いのちの石碑」建設中心メンバーお二人について報じられました。

あの日、被災した12歳は“父親”に…「繰り返してほしくない」東日本大震災を知らない世代へ 津波の記憶つなぐ

 あの日から15年。東日本大震災で被災した12歳の小学生はいま、娘を持つ父親になりました。震災を知らない世代が増えるなか、津波の記憶をつなごうと活動する男性の姿を追いました。

「亡くなった方も道端にいた」被災の経験を語り継ぐ
 「僕の家があった場所というのが、ちょっと坂を上った所の位置でして、津波、まあ来ないだろうなという思いでいました。僕の家の方も基礎しか残っていませんでした」
 被災した経験を語るのは、渡邊滉大さん27歳。ふるさとの宮城県で東日本大震災にあいました。
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 「マチはこんな感じで流されてしまっているので、(流された自宅に)行く道中は倒れた家だとか、大きい魚がごろごろいるような。亡くなった方ももちろん、道端にはいました」
 現在、札幌市内の会社に勤めている渡邊さん。15年前のあの日は、まだ小学6年生でした。
 「3月11日。あの日は雪が降っていたので。こんな感じのうっすらの雪」
 渡邊さんのふるさと・宮城県女川町。押し寄せた津波で800人以上が犠牲となり、マチは壊滅的な被害を受けました。
 「パキパキパキというすごい音が鳴って、その瞬間、誰かが『津波だ』と叫んだ。その声と同時に焦って逃げるように小学校のちょっと上に総合体育館があったので、そっちの方にみんなで逃げていく」
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 自宅にも津波が達し、親戚や知人が犠牲になった渡邊さん。選んだ道は、橋や道路を補修する仕事でした。
 「補修業界で、補修したことによって、災害が起きたときに緊急車両とかがいち早く現場に着けるような、違う角度から人の命を守る」

 「災害からいのちを守りたい」。その思いの原点が、女川に建てられた「いのちの石碑」です。
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「いのちの石碑」は、渡邊さんが中学生の時に同級生と考えた防災の取り組みです。津波が到達した地点よりも高い場所に、避難の目印となる「いのちの石碑」を設置。費用は募金でまかない、21基の石碑が完成しました。
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 「千年後の命を守るために」。石碑には中学生たちの思いが刻まれています。

当時12歳の少年は“父親”に「家族を守りたい」気持ちに変化
 震災から15年。渡邊さんにも家族ができました。妻の琳茄さんと娘の莉陽ちゃんです。
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 宮城県石巻市出身の琳茄さんは自らも被災した経験があります。
 「私たちが子どもの時に震災に遭って、悲しい思いだったり辛い経験をしたことを、できるだけ同じ思いはしてほしくないなと思うので」
 「いのちの石碑」に取り組んだ渡邊さん。社会人になってからも避難の教訓を伝える活動を続けています。
 「家族が増えて、家族を守りたい、自分の身を守ってほしい、そういう気持ちは強くなってきているかなと思います。これから震災を知らない子たちが何か起きたときに対応できるように、それをモチベーションにやっています」
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 甚大な被害をもたらした東日本大震災。実は北海道太平洋沖の千島海構沿いでは、それと同じクラスの超巨大地震と津波が切迫している可能性があります。
(北海道大学 高橋浩晃教授)「大体400年に1回ぐらいのペースで(地震が)繰り返し起こってきているということが明らかになっています。そして、前回の地震が今から400年前に起こったと、これも確かめられておりますので、次の地震はもう満期に達している」
 千島海溝沿いでは、陸側のプレートの下に海側のプレートが沈み込んでいますが、北海道大学などの研究チームが海底観測をした結果、海側と陸側のプレートがそれぞれ年間8センチ動いていることを確認しました。
 プレートの境界付近に巨大地震を引き起こすひずみが蓄積している可能性が高くなっていると分析しています。
(北海道大学 高橋浩晃教授)「400年の間に30メートルたまったエネルギーが一気に放出して大きな地震が発生する。超巨大地震が起こりますと、東日本大震災と同じような超巨大な津波が発生して、それが太平洋沿岸を襲うということになりますので、現在の想定では高さで言うと20メートルを超えるようなところもある」

子どもたちに震災の教訓を…「いつか思いがつながれば」
 この日、渡邊さんは講演のため、家族と一緒に旭川市を訪れました。渡邊さんの同級生で、一緒に「いのちの石碑」に取り組んだ鈴木智博さんも宮城県から駆け付けました。
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(渡邊滉大さん)「こういうタイミングでしか会う機会ないからね」
(鈴木智博さん)「ていうかこういうのも久々、かなり久しぶりだもんね。やっぱり15年経ってくるとなかなかちょっと少なくなってくるっていうのもあるし、お互いに引っ越したり仕事もある、少なくなってくる。呼んでもらえるのはありがたい」
(渡邊滉大さん)「本当にありがたい」
 3年ぶりの再会を喜ぶ間もなく、すぐに入念な打ち合わせに入ります。
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 震災の教訓を語り継ぐ講演会には、地域の住民や子どもたちが集まりました。ステージの傍らに設置されたのは、「いのちの石碑」のレプリカです。
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(渡邊滉大さん)「いま私たちの故郷の女川に何ができるか考えてみようというのが一番最初の授業でした。まず1つめ・絆を深める。2つめ・高台に避難できる街をつくる。3つめ・記録に残し、未来へ伝える。まだ若い世代だと思うので、将来、例えば僕が札幌で仕事をするように、どこで仕事をするかわからないような状態で、その時にタイミングが悪くてってこともあるかもしれない。そんなときに何か僕たちのこの話が役に立っていただければ幸い」
(鈴木智博さん)「震災後に起きた大津波によってふるさとは飲み込まれ、かけがえのないたくさんの宝物が奪われました。悲しみで涙を流すひとが少しでも減り、笑顔溢れる町になるよう祈り、そして信じています」
 「悲劇は2度と繰り返してほしくない」。その思いを15年前の2人と同じくらいの子どもたちにも伝えます。
(小学生)「こんなにも大きな被害が出ているとは思っていなかった」
(小学生)「自分の身の回りのことを気にしながら、そういう(防災の)ことを考えていきたいと思います」
(小学生)「今回だけでこの話を終わらせてはいけないと思うし、友達とかにもしっかり伝えて、災害の恐ろしさをずっとずっと伝えていきたいと思いました」
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(渡邊滉大さん)「15年が経つんだなっていうこと、僕も被災した当時はそのくらいの子だった。こんな話をして響くのかなって今の僕からしたらも思うんですけど、少なからずこの思いがどこかに響いて、つながってくれればいいなって思います」
 「千年後の命を守るために」。震災を知らない子どもたちに記憶をつなぐリレーはこれからも続きます。


15年の節目ということもあり、このところの数年間よりも今年は東日本大震災がらみの報道が多かったように感じました。例年ですと、3.11が過ぎるとそれらがぱたっと無くなっていたのですが、今年は3.11を過ぎても新聞報道やテレビ番組などで被災地の「今」が取り上げ続けられ、良いことだと思いました。

女川町に関しても、3月19日(木)、NHKさんで全国放送された「TOHOKU HEART FES」という音楽番組で取り上げられました。ゆずのお二人、宮世琉弥さん、佐々木莉佳子さんなど東北出身やゆかりというアーティストの皆さんがご出演され、仙台放送局さんが製作されたものでした。
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その中で、震災直後から女川町を支援するために立ち上がったももいろクローバーZの皆さんと、女川町の方々との交流の様子が取り上げられました。

また、3月27日(金)の深夜には、NHK Eテレさんで「みるラジオ 中村雅俊、ロッコクを走る〜東日本大震災15年〜」という番組も放映されます。こちらは国道6号線(ロッコク)が縦断する福島県の浜通り地区が舞台ですが、番組予告ではわざわざ「宮城県女川町出身の中村雅俊さん」とことわられています。

みるラジオ 中村雅俊、ロッコクを走る〜東日本大震災15年〜

NHK Eテレ 2026年3月27日(金) 午後11:50〜午前0:40

福島県を南北に貫く国道6号線“ロッコク”。東日本大震災・原子力災害の影響で、ロッコク沿いの多くの町には全町民への避難指示が出された。震災から15年、避難指示は一部解除され、故郷に戻って来れた町民たちもいる。宮城県女川町出身の中村雅俊さんが、ロッコクを走り、メッセージ付きのラジオ体操を流すボランティア団体、土地を再生させる農家、震災の探究学習に取り組む高校生、夜の本屋を営む若者に会いに行く。

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ぜひご覧頂き、被災地の「今」、そして記憶の伝承、そういったことに思いを馳せいていただきたいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体) 80『高村光太郎秀作批評文集 美と生命 前篇』

平成22年(2010)3月30日 書肆心水 高村光太郎著
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目次
 生命の創造 彫刻の面白味 真に鑑賞する心 趣味という事 純一な芸術が欲しい
 芋と南瓜の触感 女みずから考えよ 女の生きて行く道 日本画に対する感想
 家具及住宅の美 所謂好趣味の人たるなかれ 芸術雑話 岩石のような性格
 令嬢の美しさと女優の美しさ 芸術鑑賞その他 家 日常の瑣事にいのちあれ 顔
 自刻木版の魅力 彫刻的なるもの ルイ十六世所刑の図 彫刻十個条 雑記帳より 人の首
 触覚の世界 生きた言葉 装幀について 夜の海 日本の秋と文学 七つの芸術
 詩人の知った事ではない 新茶の幻想 画に於ける詩精神 芸術する心 写生の二面
 小刀の味 能面の彫刻美 美意識について 蟻と遊ぶ 比例均衡 手
 某月某日(人間力の獰猛さ) 智恵子の切抜絵 某月某日(狂気と純粋性) ほくろ
 書について 

彫刻をはじめとする造型、それから文学についての光太郎評論を2分冊にまとめた前編です。一部、評論とはいえないエッセイ的なものも含みます。

この項、刊行順にご紹介しているのですが、昨日取り上げたハルキ文庫版『智恵子抄』と前後してしまいました。すみません。

今週土曜日のオンエアです。

土曜ゴールデン 温泉タオル集め旅21 この冬行きたい雪見の絶景露天SP 八幡平~花巻12湯 in岩手

地上波テレビ東京 2026年2月7日(土) 18:30〜20:55

これまで全国各地の温泉地を巡ってきた大久保・川村の温泉タオル集め旅。21回目の舞台となるのは、歴史と自然に包まれ、さまざまな泉質の名湯・秘湯がひしめく“岩手県”へ!旅をするのは、温泉好きな大久保佳代子と、温泉ソムリエアンバサダーの資格を持つ、たんぽぽの川村エミコ。道中には・・・
▽乳白色の野趣あふれる露天風呂
▽立ったまま入浴する深さ1.25mの足元湧出の混浴
▽あわい緑色の美肌の湯など

岩手山の美しい稜線を望み、八幡平の山並みに囲まれた秘湯・松川温泉をスタート。入浴ヘビーローテーション。各施設のロゴ入り温泉タオルを計9枚集めながら、花巻温泉郷の奥座敷、新鉛温泉にある愛隣館の露天風呂に翌日午後5時までのゴールを目指す、1泊2日のガチンコ旅です!地元の人に聞き込みをしながら、その土地ならではの“絶品グルメ”や、“絶景の観光スポット”を大満喫。

スタートとゴール以外、向かう温泉地は2人で自由に決めてOK。ただし、温泉に入浴してからでなければタオルを買うことができない!せっかく温泉に入っても、タオルがレンタルのみや無地だった場合はノーカウントという厳しいルールも健在。今回の助っ人には、特別に2名が参戦!さらに旅を盛り上げます! 1日目に迎えたのは、お笑いトリオ3時のヒロインのゆめっち。2日目に迎えたのは、タレントの岡田結実。

2019年『女芸人No.1決定戦 THE W』で優勝を飾り、人気の波に乗るゆめっちと、2025年4月に一般男性との結婚を発表し、幸せオーラ全開の岡田は、1日5回以上の度重なる入浴や、モデル顔負けの早着替えに耐え、旅の助っ人として活躍できるのか? これまで13勝7敗と高い確率で成功を収めている大久保・川村。果たして21弾の舞台となる岩手県で無事ロゴ入り温泉タオルをゲットし、ゴールできるのか?

出演者 大久保佳代子(オアシズ)、川村エミコ(たんぽぽ) 
ゲスト ゆめっち(3時のヒロイン)、岡田結実
ナレーション 杉本るみ
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温泉好きの当方としては外せない番組で(笑)、ほぼ毎回拝見しています。

大久保佳代子さん、川村エミコさんのコンビと、毎回異なるゲストの方が温泉地巡りをし、温泉宿や公共入浴施設で販売されているタオルをゲット、そこに宿や施設オリジナルのロゴが入っていればOK、おおむね1泊2日で設定された規程枚数のタオルを集められればご褒美の豪華料理にありつけるというルールです。

令和3年(2021)4月に放映が始まり、今回で21回目。これまで光太郎智恵子の足跡が残る温泉地が何度か取り上げられました。福島岳温泉さん、栃木那須塩原温泉さん、信州別所温泉さんなど。しかし岩手が舞台になったことはなかったように思います。ただ、その2ヶ月前に放映されたシーズンゼロ的な「土曜スペシャル 冬本番! 雪見の名湯&絶景露天風呂SP~いいお湯・夢気分~」では、光太郎や宮沢賢治が愛した大沢温泉さんが取り上げられました。

今回は「花巻12湯」がサブタイトルに入っています。12湯には大沢温泉さん、それからやはり光太郎が通った鉛温泉さん、花巻温泉さん、台温泉さん、そして志戸平温泉さんが含まれます。番組説明欄に「立ったまま入浴する深さ1.25mの足元湧出の混浴」とあるのは鉛温泉さんですね。それからゴールは
新鉛温泉の愛隣館さん。こちらは新しい宿ですが、12湯で初めて光太郎が浸かった西鉛温泉の系譜を継ぐ温泉地です。

2年程前だったか、番組のオリジナルグッズプレゼントにスマホから応募しまして、その際にコメント欄的な項目があったので「ぜひ花巻12湯を」と書きました。おそらく他にも同じような意見が寄せられていたのでしょう。

視聴可能な方、ぜひご覧下さい。テレ東系の放映が無い地域の方は、TVerさんなどの配信サービスでどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)35 『典型』 

昭和25年(1950)10月25日 中央公論社 高村光太郎著
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目次
 序
 雪白く積めり
 暗愚小伝
  家
   土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
  転調
   彫刻一途 パリ
  親不孝
   親不孝 デカダン
  蟄居
   美に生きる おそろしい空虚
  二律背反
   協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
  炉辺
   報告 山林
 「ブランデンブルグ」
 脱卻の歌
 人体飢餓
 東洋的新次元
 おれの詩 悪婦
 山荒れる
 月にぬれた手
 鈍牛の言葉
 典型 
 田園小詩
  山菜ミヅ 山のひろば 山口部落 かくしねんぶつ クロツグミ クチバミ 別天地
  岩手の人 山からの贈物 この年

旧著の再編や選詩集的なものを除くと、光太郎生涯最後のオリジナル詩集です。光太郎没後に『典型以後』が出されますが、そこに光太郎の意図は介在されていません。光太郎としてもおそらく生涯最後のオリジナル詩集となるだろうという予感はあったと思われます。

発行日が10月25日。第一詩集『道程』(大正3年=1914)も10月25日でした。意図してこの日にしたのか、偶然なのか、何ともいえないところですが。

テレビ放映情報です。

まずはアーカイブ映像の使い回しですが。

日本歌手協会歌謡祭プレミアム

BSテレ東 2025年12月17日(水)  19:00〜21:00

毎週水曜日は懐かしの名曲をたっぷりと聴くことが出来る2時間!赤、青、黄色・・・曲名や歌詞に「色」が入ったカラーソングをいろいろとお届けします!

「ルイジアナ・ママ」飯田久彦 「黒百合の歌」織井茂子 「イルカにのった少年」城みちる
「黒い花びら」湯原昌幸 「黒姫ものがたり」小沢あきこ 「桃色吐息」川中美幸
「赤と黒のブルース」鶴田浩二 「砂の十字架」中村晃子 「青い山脈」青山和子
「赤い花白い花」芹洋子 「真赤な太陽」秋元順子 「悲しき口笛」三山ひろし
「命くれない」瀬川瑛子 「白い花の咲く頃」岡本敦郎 「白い蝶のサンバ」森山加代子
「白いブランコ」ビリー・バンバン 「シクラメンのかほり」キム・ヨンジャ
「黄色いシャツ」浜村美智子
「黄色いさくらんぼ」牧山直江(スリー・キャッツ)、あべ静江、山田邦子
「みずいろの手紙」あべ静江 「月がとっても青いから」菅原都々子 「緑の地平線」青木光一
「新雪」高道(狩人) 「天使の誘惑」黛ジュン 「みかん色の恋」ずうとるび
「渡り鳥」三沢あけみ 「智恵子抄」二代目コロムビア・ローズ 「長崎の女」春日八郎
「亜麻色の髪の乙女」貴津章 「夏色のナンシー」早見優 「悲しい色やね」上田正樹

出演者 <司会>合田道人
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昭和39年(1964)にリリースされた、故・二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」の映像が使われます。これまでも同じ系統の番組で何パターンかが流されてきています。
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作詞は故・丘灯至夫氏。智恵子の故郷にして歌の舞台にもなっている二本松に近い小野町のご出身でした。
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二本松市では正午の防災無線のチャイムが「智恵子抄」です。


もう1件、番組ではなくCMですが、今月からオンエアされるようになったJR東日本さんの「大人の休日倶楽部」CMが「青森・奥入瀬」篇です。

冒頭にいきなり光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。
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ぼーっとテレビを見ていて突然「乙女の像」が写り、仰天しました(笑)。厳密にいうと「乙女の像」のある休屋地区は「奥入瀬」ではないのですが、よしとしましょう(笑)。

「大人の休日倶楽部」CMは、20年もの長きにわたり吉永小百合さんが出演されていましたが、今年から竹野内豊さんにバトンタッチされ、3月から放映されていた「福島・会津」篇に続いて2作目です。
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奥様役はJRさんでお名前を公表されていませんが、河井青葉さんという女優さんのようです。

お二人はJRバスに乗って、十和田湖から奥入瀬渓流へ。
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まさに今、現地はこんな感じなんでしょうね。

15秒バージョンとと30秒バージョンの2種が制作されています。



今後、ぜひ花巻篇や安達太良山篇、九十九里浜篇なども作っていただきたいものです(笑)。

【折々のことば・智恵子】

芸術の問題から、魂の事を除外しては――表現の技巧ばかりの事では――われわれを感動させる事は不可能です。


アンケート「好きな俳優=その理由=」より 大正13年(1924) 智恵子39歳

全ての芸術にあてはまることですね。

テレビ放映の情報です。

東北ココから 鈴木京香の東北オトナ旅 青森県十和田市編

地上波NHK Eテレ 2025年11月29日(土) 16:30〜16:59

宮城県出身の鈴木京香さんが新しい東北の魅力を発見する旅番組!今回の目的地は、アート好きの京香さんがずっと行きたかった青森県十和田市。草間彌生など世界的アーティストの作品が並び、有名建築家が設計した美術館には国内外からアート好きが訪れる知る人ぞ知る人気スポット。京香さんはアート作品に大興奮!さらに“ひとりスナック”や伝統工芸「南部裂織」の体験にも挑戦!今まで見たことがない“素の鈴木京香”がいっぱい!(8月29日東北地方で放送)

出演者 【出演】鈴木京香 【語り】久保史緒里
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番組説明欄に「8月29日東北地方で放送」とあるのを当方、当時の配信サービス「NHKプラス」で拝見しました。

今回の放映は30分の「パイロット版」だそうで、10月17日(金)には43分の「完全版」の放映もあった由、『朝日新聞』さんの青森版に記事が出ていました。そちらをご紹介した際「こうした地方限定の番組、系列のBS局などで放映してほしい」と書いたのですが、Eテレさんでオンエアされるとは意外でした。ただ、尺の関係もあるのでしょうか、「完全版」ではなく「パイロット版」です。それでも録画してDVDに残すことができますので大歓迎です。ネット上の動画等もDVD等に残す技があるのかも知れませんが、当方、そういうスキルはありません。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が取り上げられます。
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その他、市街地の十和田市現代美術館さん(先日の『朝日新聞』さんではそこのところを大きく取り上げていました)、南部裂織の工房、新刊書店、それから鈴木さん人生初スナック(笑)など。
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皆様もぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

ロダン夫人は、大きなサロンの中へ移されて、まるで睡つてゐるやうな様子であつた。ロダンはそれを見たがつた。彼は死者の顔の上へ身を屈めて、顔の上に接吻し、長い間つぶやきながら見てゐた。  ――美しい……古代彫刻の様に美しい……

光太郎訳 マルセル チレル「ロダン夫人の死」より
大正12年(1920)訳 光太郎41歳

ロダン夫人のローズ・ブーレは大正6年(1917)2月14日に亡くなりました。出会ったのは文久4年(1864)で、慶応2年(1866)には長男も誕生しますが、久しく内縁関係で(フランスでは事実婚は珍しくありませんでした)、正式な入籍は亡くなる2週間前の1月29日。ロダン自身も同じ年の11月17日に歿します。

このあたり、光太郎智恵子の関係にも通じますね。2人が出会ったのは明治44年(1911)、籍を入れずの結婚披露は大正3年(1914)、入籍は智恵子の心の病が昂進してからの昭和8年(1933)でした。そして妻に先立たれたという点も。

ローズが亡くなった際のロダンの様子からも、光太郎詩「レモン哀歌」や「荒涼たる帰宅」が想起されます。

ロダン貧窮時代にはさんざん苦労をかけられ、世に認められてからはカミーユ・クローデルとの愛人関係でまた一悶着。全てから解放されて亡くなって「古代彫刻の様に美しい」と言われて、嬉しかったかどうか……。

3件ご紹介します。

まずは完全に光太郎がらみで、ラジオ放送。

朗読のヒロバ 第59回 高村光太郎「智恵子抄」

TBSラジオ 11月23日(日) 05:05 ~05:15

日々研鑚したプロの技術で朗読すると、物語はより立体的に瑞々しく聞こえてくるものです。この番組では、TBSアナウンサーはじめ“声のプロ”である、アナウンサー、ナレーター、俳優、声優などが「ヒロバ」に集まる様な感覚で、毎月テーマを決めてお届けします。自らの技術を活かして、古今東西の名作を朗読!お楽しみに。

次回は、高村光太郎「智恵子抄」の作品を朗読!

【出演】佐藤文康 皆川玲奈 御手洗菜々
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続いてはテレビ番組。光太郎智恵子には触れられないような気もしますが……。

秘湯ロマン

地上波テレビ朝日 11月21日(金) 03:00~03:30

日本全国の秘湯と呼ばれる温泉の魅力を紹介します。今回の秘湯は福島県、飯坂温泉「鯖湖湯」「青葉旅館」「鯖湖湯」、穴原温泉「吉川屋」。

出演者 【旅人】佐藤あかり 【ナレーション】丸山未沙希
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福島市の穴原温泉・吉川屋さんが取り上げられます。光太郎智恵子が大正9年(1920)に泊まった宿です。画像は当方手持ちの古絵葉書。
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さらに、交流のあった作家・田村松魚に宛てた絵葉書。大正9年(1920)5月9日の消印です。
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穴原といふのは弦歌の巷 飯坂温泉の奥の幽邃の勝地です。君と一緒に一度遊びたいやうな気がします。
大阪時事の方はどうなつたか心懸りになつてゐます。
よろしく

松魚は智恵子の親友・田村俊子の夫で、夫婦ぐるみの交流がありましたが、この時点では既に離婚、俊子は新たな恋人・鈴木悦を追ってカナダに渡っていました。

建物は近代的な物に建て替わっているはずですが。

それから、番組では飯坂温泉も紹介されます。

「鯖湖湯」は共同浴場。
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平成14年(2002)に、飯坂温泉で故・北川太一先生を囲んで高村光太郎研究会が催されたことがあり、その際に入浴しました。50℃ほどもある熱い湯でしたが、ぬる湯は嫌いな当方としては大満足でした(笑)。

研究会会場で、宿泊もしたのは、なかむらやさんという蔵造りの宿でした。当時の写真を引っぱり出してみました。
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この研究会席上、北川先生から、行方不明になっていた光太郎木彫「栄螺」(現在は愛知小牧のメナード美術館さん所蔵)が見つかったと報告があり、仰天しました。昨日のように思い出します。

残念ながらなかむらやさんではく、近くの「旅館青葉」さん、それからやはり共同浴場の「十綱湯」さんが取り上げられます。

もう1件。こちらも光太郎智恵子の名は出て来ないとは思いますが……。

いいね!じゃぱん【行って楽しむ!日本のおすすめエリア特集!!】

BSテレ東 11月23日(日) 14:30〜16:00

毎回、日本全国にある「いいね!」と呼べるトピックを《いいね!探し隊》が、その土地ならではの良さを堀りさげてリポートします。まだまだ知られてない日本の魅力を徹底取材。観光スポットだけでなく、その地域ならではの産品や取り組み、人との繋がりなどたくさんのいいね!をお届けする地域情報番組です。

<山口県岩国市> 
 豪快!岩国寿司&清流が育む銘酒。着物で錦帯橋散策。老舗漬物店でぬか床作り体験。旅行のプロが注目する新たな岩国の魅力とは?

<岩手県花巻市> 
大谷翔平が育ったまちで未来のスターに遭遇? グルメもたっぷり堪能! 絶品ブランド豚&極上厚切り牛タン! &温泉地で見つけた売切必至の(秘)スイーツ

<福岡県八女市>
八女市を代表する“八女茶”は、この地域でしか出せない極上の味わい。100g10万円?高級玉露の味とは?さらに、八女に魅了された移住者たちに密着!

出演者 山川恵里佳(いいね!調査隊) 伊藤聡子(いいね!調査隊) <ナレーター> 根岸朗
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光太郎第二の故郷・岩手花巻が取り上げられます。

それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

私は五十歳頃まで、貧乏のあらゆる当惑を持つてゐました。しかし仕事する事の幸福が私をまつたく支へてゐました。それに、仕事しないと直ぐ、私は退屈します。物を作らないのは堪らない。

光太郎訳 ロダン「続ロダンの言葉 ギユスターヴ コキヨ筆録」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

ロダンが世に広く認められたのは、40歳近くなってから。さらにその後も経済的な困窮は暫く続きました。それでも彫刻制作ができるよろこびが自分を支えていた、と。

キーワードは「テレビ」です。

まず、10月29日(水)、IAT岩手朝日テレビさんのローカルニュース。花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「昔なつかし花巻駅」を紹介して下さいました。

高村光太郎の花巻市疎開から80年 企画展「昔なつかし花巻駅」【岩手・花巻市】

詩人で彫刻家の高村光太郎の花巻疎開80周年を記念した企画展が開かれています。
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岩手県花巻市にある高村光太郎記念館には、昭和初期の花巻駅周辺を当時の映像を参考に再現したジオラマが展示されています。
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花巻駅は、岩手軽便鉄道や花巻電鉄の開業とともに交通の要所として発展しました。
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会場では、秘蔵の映像を見ることができます。
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「昔なつかし花巻駅」と題したこの企画展は、11月30日まで開かれています。
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同じ件を既に地方紙『岩手日日』さん、NHKさん、IBC岩手放送さんでもご紹介下さっていますが、こうして時間差で取り上げていただいたほうがありがたいところです。報道を見て「行ってみようか」という方がいらっしゃるでしょうし、それが一気にではなく、その都度ということになったほうが、と思われますので。

もう1件、番組の再放送情報です。

わたしの芸術劇場 中村屋サロン美術館/中村彝アトリエ記念館

BS11(イレブン) 2025年11月3日(月) 01:05〜01:30

「美術館」をちょっと堅苦しい場所だと思っている方々へ送る番組。学芸員の方々が見せ方を工夫したり、今までにないテーマで企画展を開催したり、並々ならぬ苦労と最高のセンスで展示している。そんな美術館を「芸術を体験できる劇場」として捉え、舞台を鑑賞しているようなわくわくした気持ちにしてくれる番組。番組を見た後は、きっと美術館に足を運び、芸術に浸りたくなること間違いなし。

今回の舞台は東京都新宿区にある中村屋サロン美術館。お菓子やカレーパンで有名な新宿中村屋が運営している美術館。創業者の相馬愛蔵は同郷の彫刻家 荻原守衛(碌山)や荻原を慕う若き芸術家などを支援し、明治末から大正、昭和初期にかけて多くの芸術家・文化人たちが、ここ中村屋に集った。日本近代美術の発展に大きく貢献した「芸術家たちのトキワ荘」、中村屋サロンに大きな拍手を!

出演者 片桐仁
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新宿の中村屋サロン美術館さんが取り上げられた回です。初回放映はTOKYO MXテレビさんで令和3年(2021)。BS11さんでは今年の7月2日(水)に放映がありました。

メインは中村彝。それから光太郎の親友だった荻原守衛にも触れられました。
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そして同館所蔵の光太郎油彩画「自画像」(大正2年=1913)も。
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BS11さんでのこの番組、以前からなのか最近のことなのか、ちょっと把握できていませんが、いろいろな曜日のさまざまな時間帯に放映されています。メインは土曜の午前中という位置づけのようですが、再放送がてんでバラバラの曜日・時間帯。
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他にも光太郎作品が取り上げられる回があり、今後も放映情報に注意してみます。

それはさておき、中村屋サロン美術館さんの回、ご覧になっていない方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

彼等は講義を聴く。或は実際の現実とは何の関係もない、曖昧な、抽象的な名辞のある術語で書かれた審美学の書物を読む。――其書物にはよく同じ誤謬が繰返されて居ます。互に引用し合ふ事がよくあるからです。かやうな有害な状態の下で何んな生徒が発達し得るでせう。


光太郎訳 ロダン「ロダンの手帳 クラデル編」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

「彼等」は官立美術学校の生徒たち。ロダンのアカデミズム嫌いは徹底していました。

ところで「よく同じ誤謬が繰返されて居ます。互に引用し合ふ事がよくあるからです」。ネット上の情報でもそうですね。むしろ現代ではコピペが容易に出来るので、そうなりがちです。

閉口しているのは、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」についての次の記述がネット上に溢れていること。

高村光太郎の最後の作品としても知られ、完成まで1年余りかかったと言われています。高さ2.1mの2人の裸婦が左手を合わせ向かい合っており、モデルは光太郎の愛妻で詩集「智恵子抄」で知られる智恵子夫人です。台座には婦人の故郷、福島産の黒御影石を利用しています。

まんまコピペしているサイト、多少の換骨奪胎がみられるものを含め、数十件見られますし、十和田湖に行かれた個人の方のブログなどでもあとからあとからこのフレーズ。見つけるたびに「またか」と頭を抱えています。

以前にも書きましたが、「乙女の像」は最後の作品ではありませんし(最後の作品は「乙女の像」除幕式で関係者に配付された記念メダル)、台座の石は福島産ではなく岩手産です。完成までにかかった時間は約半年ですし、「完成まで1年余りかかった」という書き方は「すごく長い時間をかけた」というニュアンスですが、逆にこの像は自らの死期の遠くないことを自覚していた光太郎が、異例の早さで仕上げたものです。

また改めてご紹介しますが、今月末に都内で開かれる「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」という催しで、パネルディスカッションのパネラーを仰せつかっており、ふと思い出した次第です。

テレビ番組の放映情報を2件。

まず、明日です。

わたしの芸術劇場 「千葉県立美術館(千葉県千葉市)」

BS11(イレブン) 2025年10月18日(土) 10時35分~11時00分

「美術館」を堅苦しい場所だと思っている方々へ送る。舞台を鑑賞しているような気持ちにしてくれ、番組を見た後は、美術館に足を運び、芸術に浸りたくなること間違いなし。

今回の舞台は、千葉県立美術館。印象派から近代まで、女性像を描くことに情熱を注いださまざまな芸術家の作品を紹介。女性の肌の表現を探求したルノワールのさりげない高度なテクニックとこだわり。彼の影響を受けた多くのフランスの芸術家。そしてその風は日本にも。油絵の枠を超えて様々な作品に大きな影響を与えた。女性の表現を追求し続けた芸術家たちに、大きな拍手を。

出演:片桐仁

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元々はTOKYO MXテレビさんで放映されていたもので、今回のものは初回放映が令和4年(2022)2月12日でした。TOKYO MXテレビさん、自宅兼事務所のある千葉も田舎の方になると受信できず、当方も未見です。

メインで取り上げられるのはルノワールの絵画のようですが、光太郎のブロンズ「裸婦坐像」(大正6年=1917)も紹介されるようです。
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千葉と光太郎智恵子の縁は浅くないということもあるのでしょう、同館では光太郎ブロンズをいずれも新しい鋳造ながら8点収蔵してくださっています。

同番組、7月に放映のあった中村屋サロン美術館さんの回では、光太郎の油彩「自画像」(大正2年=1913)を取り上げて下さいました。
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もう1件、明後日です。

遠くへ行きたい【ますだおかだ増田が福島へ】名湯に絶品ソースかつ丼!

地上波日本テレビ  10月19日(日) 06:30〜07:00

ますだおかだ増田が福島の名湯と名物を巡る!
まずは安達太良山で高村光太郎の『智恵子抄』に登場する「ほんとの空」と、秘湯の源泉の場所を教えてもらう。麓にある共同浴場「岳温泉」にお邪魔して湯につかってホッと一息。福島名産「桃狩り体験」でジューシーな桃にかぶりつく。そしていよいよ標高1500メートルにある秘境の源泉と対面することに! 安達太良山の自然が育む湯と名物を巡る福島旅のはじまりです!

旅のはじまりは福島県二本松市にある安達太良山から。増田は今回の旅の目的を秘湯と「ほんとの空」だと話す。高村光太郎の『智恵子抄』に登場する「ほんとの空」が安達太良山にある、という。ロープウェイを降りると「安達太良・吾妻自然センター」の一瀬圭介さんが迎えてくれる。ほんとの空と秘湯の源泉もあると聞き、増田は一瀬さんといざ山道へ! 「この上の空がほんとの空です」との標識を見つけるが、残念ながら空には雲がかかっている。しかし、しばらくすると雲が晴れてきて――?!

安達太良山の麓にある「岳温泉」を散策する増田は、甘い匂いに誘われて「くろがね焼 玉川屋」へ。3代目・渡辺茂雄さんが目の前で焼いてくれる「くろがね焼」は玉子焼きのようないい香りがする! カステラ生地にこしあんが入ったシンプルな美味しさで岳温泉の名物だそう。

増田は渡辺さんがおすすめしてくれた共同浴場「岳の湯」へと向かう。湯の熱さが特徴だという。入浴料は大人400円、そのほかリーズナブルな値段で日帰り体験や素泊まりも可能だ。さっそく湯に入ろうとする増田、しかし本当に熱い! 先客の安齋善成さんが水道を少しひねって温度を調整してくれる。美肌の湯と有名なお湯の温度はなんと51度! さらに安齋さんが「湯守さんがいなくては湯を楽しめない」と教えてくれる。湯上がりに安齋さんの母・サチ子さんと対面した増田は、つやつやのお肌にびっくり!

次に増田は昼に行列のできていたソースカツ丼の店「成駒」を訪ねる。3代目・佐藤朋圭さんに「ソースカツ丼 ヒレ」をオーダーした増田は、出てきたカツ丼の分厚さとボリュームにびっくり! 成駒は昭和23年創業で、初代で祖父の伊助さんが終戦後の世でお腹いっぱい食べてほしい、との思いで始めたそう。その思いをつなげる朋圭さんの味と心意気に増田はうなる!

そしていよいよ標高1500メートルにある安達太良山の源泉を目指す! 増田は湯守の武田喜代治さんと遠藤憲雄さん、矢吹梓さんとともに山道を行く。途中までは車だが、かなりの悪路だ。それでも今日の安達太良山の空は青く、増田は「これがほんとの空?!」と感激する。源泉が通るパイプをさかのぼっていき、源泉のひとつに到着。透明なお湯が沸いている。ここから8キロ、約40分かけて麓の温泉へ流れていく。パイプの内側にはたくさんの湯花がついており、やわらかいうちに「湯花流し」という掃除を週に1度しなければならない。増田は湯守さんたちの労力を尊びながら、湯花流しをお手伝いする。

作業の終わりに増田は湯守さんおすすめの「ホテル光雲閣 山の湯 露天風呂」へ。湯花を流したあとの湯は乳白色になり「ミルキーデイ」と呼ばれている。増田は湯守さんたちに感謝しながらゆっくりと風呂につかる。

福島市には果樹園が多く、国道13号線は別名「ピーチライン」と呼ばれているそう。増田は「まるせい果樹園」を訪ね、全身ピーチ色の代表取締役・佐藤清一さんに迎えられる。桃には多くの品種があり、まるせい果樹園でも20~25種類ほどの品種を作っている。増田は佐藤さんと果樹園へ行き、佐藤さんが一番好きだという「川中島白桃」の収穫を体験! ジューシーな桃にかぶりついて大満足! 増田は佐藤さんに東日本大震災後の影響などについて聞きながら、温泉や桃、そして数々の名産を育む福島の自然と空を堪能した旅を振り返る。

出演者 ますだおかだ増田
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智恵子のソウルマウンテン・安達太良山とその周辺です。旧安達町の智恵子生家/智恵子記念館までは行程に入っていないようで残念ですが、ロープウェイ山頂駅近くの「この上の空がほんとの空です」木柱が取り上げられます。

それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

――歩行は景色の真相を見つけ出すのに一番いい方法です。自分の好きな程歩けて、自分の好きな時に立ち停れて、そして何もかも見てたのしめます。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

テレビで散歩番組などが隆盛なのも、こういうところからなのかも知れませんね。

昨夜、初回放映がありました。NHKさんの「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」。かなりのクオリティーに仕上がっていて、胸をなで下ろしました。
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番組では「15代ヘンゼル」役の瀬戸康史さんと、「魔法のかまど」キムラ緑子さん(声のみのご出演)による調理や試食と、取り上げる人物紹介Vとが半々。

Vの方は、パリ、二本松、九十九里浜、十和田湖など、光太郎智恵子ゆかりの地の映像がふんだんに使われていたのが良かったと思いました。さすがNHKさん、この手のストックはかなりあるようです。
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それらをバックに光太郎詩文もたくさん取り上げて下さいました。

花巻に関しては、ブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館さん)制作の美術映画2種類から、光太郎自身の姿。
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当方を出演させて下さり、語らせていただきました。
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その他、語ったエピソードや、このブログから採られた内容などもキムラさんのナレーションでという部分も。
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これは智恵子の親友だった作家・田村俊子の弟子にあたる上田静栄の回想に書かれている大正4年(1915)頃のエピソードです。

高村先生がアトリエの北のすみの水屋にたたれて、レモンの浮いた冷たい飲み物をつくつてみなにすすめられた。たけの高いハイカラなガラスのコツプで、散歩のあとなのでとても美味しく頂いた。(未定稿「美しき思ひ出の人びと」昭和34年=1959頃 『歌文集 こころの押花』昭和56年=1981所収)

また、光太郎最晩年の日記にも「午后山口村の田頭さん奥さんと難波田さん夫人とくる、レモンスカツシ風にソーダ水をつくりて進ずる」(昭和29年=1954 8月22日)という記述があります。

手許にある『智恵子抄』初版(昭和16年=1941)も、やはりNHKさんの「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」(平成27年=2015)などに続いて「出演」。
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スタジオでは、「魔法のかまど」キムラさんのレクチャーで、「15代ヘンゼル」瀬戸さんが調理。レモンコーヒーがメインでしたが、レモンクレープも。
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最後にヘンゼルが試飲・試食。
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普段のこの番組ですと、お二人の会話が掛け合い漫才のようで時に爆笑させられるのですが、今回は基本的に切ない話でしたので、お二人もしんみりという場面が多い印象でした。
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それでも随所に仏語を盛り込むなど、あくまで軽妙に。

オープニングとエンディングには、バックに米津玄師さんの「lemon」が流れました。
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放映終了後、X(旧ツィッター)でエゴサーチしたところ、そこに特化した書き込みも目立ちました(笑)。

さて、来週、再放送がありますし、NHKさんのサイト「NHK ONE」でも配信中です。

グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー(再)

NHK Eテレ 10月15日(水) 15:10~15:35

仕事や子育てに追われながらも、ほっと一息つく大切な時間。お菓子にまつわる数々の物語、そして思いがけない誕生のドラマを、15代ヘンゼル(瀬戸康史)と魔法のかまど(キムラ緑子)がお届けします。

「智恵子抄」で知られる、詩人で彫刻家の高村光太郎。レモンには留学したパリで味わったコーヒーと、妻智恵子の思い出がしみ込んでいた。ロダンにあこがれ留学したパリで出会ったレモンコーヒーには、目の覚めるような思い出があった。一方、最愛の智恵子との悲しい別れにまつわるのも、レモンの記憶だ。智恵子の命日10月5日には、レモンを供え続けたという、光太郎の生涯とレモンの記憶をレモンスイーツとともにひもとく。

出演者 【声】キムラ緑子【出演】瀬戸康史

当初予定ではNHK総合さんでも10月13日(月)に再放送のはずでしたが、そちらは無くなったようで、残念ですが。

ご覧になっていない方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

――芸術に於ける描形(デツサン)は文学に於ける文体のやうなものです。目に立つやうに、出しやばつたり、様子ぶつたりする文体は悪い。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

気をつけます(笑)。

NHKさんで平成23年(2011)から放映されている「グレーテルのかまど」。そろそろ長寿番組ですね。
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10月6日(月)の放映では光太郎がメインで扱われます。

グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー

NHK Eテレ 2025年10月6日(月) 22:00~22:25
再放送 NHK総合 10月13日(月) 11:05~11:30  NHK Eテレ 10月15日(水) 15:10~15:35

仕事や子育てに追われながらも、ほっと一息つく大切な時間。お菓子にまつわる数々の物語、そして思いがけない誕生のドラマを、15代ヘンゼル(瀬戸康史)と魔法のかまど(キムラ緑子)がお届けします。

高村光太郎とレモンにまつわる芸術と愛の物語を、パリでの出来事を書いた「珈琲店より」や智恵子抄の詩などとともに紹介します。スタジオでは「珈琲店より」に出てくるレモンコーヒーのほか、番組オリジナルのレモンコーヒーに合うレモンスイーツなどを作ります。

出演者 【声】キムラ緑子【出演】瀬戸康史
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スタジオでの調理や試食などと、取り上げる人物等のVでの紹介が半々、Vの方で出演させていただきます。製作会社さんからお話があり、先月、撮影クルー総勢4名の皆さんが千葉の事務所兼自宅へロケにいらして下さいました。都心からそこそこ遠いところ、申し訳なく存じました。

「珈琲店(カフヱ)より」は、明治43年(1910)4月、雑誌『趣味』に発表されたエッセイで、前年まで留学で滞在していたパリでの出来事が振り返られています。「レモンコーヒー」という語は書かれていませんが、「好きなCAFÉ AMRICANのCITRONの香ひを賞しながら室を見廻した」の一節があり、「CITRON」は「カフェ・ド・シトロン」を指すと考えられます。アメリカンコーヒーにグレナデンシロップを入れ、レモンスライスを浮かべたものだそうで。

スタジオ部分で出演、調理を担当される瀬戸康史さんは、グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」のヘンゼル15代目という設定。キムラ緑子さんがグレーテルかと思いきやそうではなく、「魔法のかまど」。お声のみのご出演で、ヘンゼルにレシピを伝授する役どころです。お二人の軽妙な掛け合いには毎回笑わせていただいております。
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瀬戸さんは平成27年(2015)秋から翌春にかけての連続テレビ小説「あさが来た」で、智恵子の母校・日本女子大学校の創設者、成瀬仁蔵を演じられました。光太郎は同校の依頼で成瀬の胸像を制作しています。
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キムラさんは、平成27年(2015)までBS朝日さんで放映されていた5分間番組「いにしへ日和」のナレーションを務められていました。同番組では「#107 福島県・二本松市・智恵子の空」(平成26年=2014)、「#122 岩手県・花巻市・高村光太郎と大沢温泉」(同)の2回、光太郎智恵子に触れてくださいました。

レモンと言えば智恵子。今回の放映も10月5日の智恵子忌日「レモンの日」にちなんでのもの。そこで智恵子についても語らせていただき、手許にある詩集『智恵子抄』初版も撮影されました。ちなみにこの初版本、やはりNHKさんの「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」(平成27年=2015)などにも「出演」。持ち主よりも活躍しています(笑)。
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また、昨夜放映された予告編では、バックに米津玄師さんの「lemon」が流れていました。切ないメロディーが「レモン哀歌」の世界観にぴったりだと改めて感じました。

ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

又伝へるものは優美の事もあらうし、烈しい強さの事もあらうし、愛情的魅力の事もあらうし、制し難い激越の事もあらう。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

ロダンが彫刻について語った一節ですが、詩の世界にも言えることのような気がします。訳した光太郎もそう感じていたのではないでしょうか。

竹橋の東京国立近代美術館さんで開催され,光太郎著書なども展示されている「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」について。

まずテレビ放映の情報です。

日曜美術館 戦後80年 戦争画と向きあう

NHK Eテレ 2025年9月21日(日) 9:00~9:45  再放送 9月28日(日)  20:00~20:45

戦時中、軍の依頼を受け、画家・藤田嗣治や宮本三郎らが描いた「戦争記録画」。当時、国民の戦意昂揚を図るため描かれたそれらの作品と、今どのように向きあえばいいのか?

戦後80年を機に、東京国立近代美術館では「戦争記録画」二十数点を中心とした展覧会「記録をひらく 記憶をつむぐ」が開催中だ。番組では、祖父・宮本三郎の戦争画について考え続けてきた孫の宮本陽一郎さんをゲストに迎え、展覧会企画者の同館・鈴木勝雄さんとともに、宮本や藤田嗣治らによる戦争記録画の代表作をたどり、今、私たちがそれらの作品を通じて、どのように戦争の記憶を受け継いでいくのか、対話を重ねていく。

【出演】坂本美雨 放送大学特任教授/筑波大学名誉教…宮本陽一郎 千葉工業大学教授…河田明久
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今年は戦後80年ということでテレビ番組でもそれ系のものが多く制作されましたし、これまで同番組とセットの「アートシーン」でも取り上げられていなかったので、まるまる1回費やすかなと思っていたら、ビンゴでした。

同展については、センシティブな内容のためもあり、フライヤーもポスターも図録も制作されていません。その点が却って話題を呼ぶという逆転現象が起きています。

新聞各紙でも取り上げています(どうもある御用新聞は無視しているようですが)。ただ、多くは通常の取り上げ方。そんな中で、『東京新聞』さんは、かなり突っ込んだ紹介をしています。

見開き2ページで少し長いのですが、全文を。

東近美 最大規模の展示でもPR及び腰 戦争画は「センセーショナル」? GHQ接収、なお「貸与」状態 揺れる歴史認識 反発避けた? 派手にあおると「文脈見失う恐れ」

 東京国立近代美術館(東京都千代田区)が、現在開催中の展覧会で宣伝をほぼしないという異例の対応を取っている。展示の中心となるのは、戦時中に旧日本軍の委嘱などにより描かれた「戦争画」。これまで公開の機会が限られ、まとまって展示される機会は貴重なはずだがなぜか。経緯を追った。

ちらしもポスターもなし 来館者「もったいない」
 8月末、「こちら特報部」は展示会場を訪れた。
 マレー半島の浜辺を這(は)って敵陣の鉄条網を突破しようとする日本兵らを描いた「コタ・バル」(中村研一、1942年)や、日本軍守備隊が全滅した戦いを死闘図として描いた「アッツ島玉砕」(藤田嗣治、1943年)。激しい戦闘や果敢な日本兵の姿を題材にした大型絵画の数々が目を引く。戦時中、戦意高揚や戦争の記録のためにつくられた戦争画だ。東近美が管理する153点の戦争画のうち、過去最大規模となる延べ24点が10月26日まで公開される。
   当時のポスターや出版物などをそろえ、メディア環境も再現する。戦後の美術作品や、市民が被爆体験を描いた絵画も並ぶ。東近美は戦後80年を節目に、「美術が戦争をどのように伝えてきたかを検証する」企画だと説明するが――。
 実は今回、東近美は展覧会のちらしやポスターを作っていない。開催を知る方法は、同美術館のウェブサイトやメディアの記事に限られる。図録も作成されていない。
 さらに不思議なのは展覧会のタイトル。「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」と、戦争との関連性がわからない。会場のあいさつ文では「戦争体験を持たない世代がどのように過去に向き合うことができるかが問われている」と掲げるが、なぜ目立たない形で開催するのか。
  東近美側に意図を尋ねると、繰り返したのは「センセーショナルな宣伝をしたくなかった」との言葉だった。広報担当者は「美術館は歴史認識を問う立場ではなく、展示で戦争を扱うときはより丁寧な説明が必要。展示の文脈の意図と異なる切り取られ方をし、言葉が独り歩きすることは避けないといけない」と話す。
 当初は企業などとの共催を検討したが、集客のため「キャッチーな宣伝文句」を使われる恐れがあるとし、館単独で開催する自主展を選択したと説明。予算が限られ、他館からの作品輸送費などを優先し、ちらしや図録制作を断念したという。
 だが、実際に会場に足を運ぶと、幅広い年齢層の美術ファンや外国人旅行客で混雑し、「通常の自主展より多い」(広報担当者)というほど盛況。来場者に感想を聞いた。
   新聞記事で展示を知った大田区のパート女性(64)は「タイトルを見て地味な内容かと思っていたら、貴重な作品ばかり。こんなに迫力と見応えがあるのに、宣伝されないのはもったいない」と残念がる。「当時の人が戦争画に引き込まれた気持ちは分かる気がする」
 三鷹市の西本企良(きよし)さん(74)は「戦前からベトナム戦争まで扱い、アジア諸国への加害にも踏み込み、解説を含めて期待以上に深い内容だった」と驚く。「当時の日本人が戦争賛美に熱狂したことを知り、反省することは大事。もっと多くの人に絵を見てもらえるようにした方がいい」と注文した。

未来の「表現」考える契機「試み今後も積み重ねて」
 日本の戦争画の歴史は複雑な経過をたどってきた。 日中戦争から太平洋戦争にかけて、軍の委嘱を受けるなどし、多くの画家が戦地へ渡った。作品を発表した各地の展覧会は盛況だったとされる。終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が戦利品として多くの戦争画を接収。1970年にようやく「無期限貸与」の形で返還され、東近美に管理が委ねられた。
 返還後は修復を経て、1977年に同美術館で企画展が計画されたが、直前に中止に。日本に侵略されたアジア諸国や、自作だと認めたがらなかった画家らへの配慮があったなどといわれる。その後、同美術館は数点程度の展示にとどめてきた。 今回まとめて展示されたことに、一括展示の必要性を訴えてきた美術批評家の椹木野衣(さわらぎ・のい)氏は「返還後、最大規模の展示という点で画期的で、大きな前進」と捉える。
 一方、戦争画は国威発揚のプロパガンダに利用された点だけではなく、美術史の観点で捉えることも重要と説く。「描いたのは当時の日本の画壇のホープたち。日本の油彩画の歴史は浅く、歴史画や戦争画が主流の西洋美術を乗り越える千載一遇のチャンスとし、自ら進んでいった側面がある」とし、展示では「そうした歴史的位置付けはなされていない」と付け加えた。
 ようやく大規模展示に踏み切りつつ、宣伝に及び腰な東近美の姿勢に対し、美術ジャーナリストの永田晶子氏は「鑑賞者の立場に立っていない。国民の美的感性の育成も国立美術館の使命の一つだが、見てもらう積極性に欠ける」と指摘する。慎重な姿勢の背景を「歴史認識の問題が考えられる」とみる。「侵略か自衛かなどと、歴史認識は揺れている。アジア諸国の受け止めへの不安もあり、ハレーションを避けたかったのでは」 もっとも、東近美がちらし作成などをしなかった事情に予算上の問題を挙げたように、国立美術館の財政状況が厳しいのは確かだ。収入の多くを占める国の運営費交付金は、年々減少傾向にある。永田氏は「そうとはいえ、展覧会の周知が必要と考えたならある程度の予算調整はできたのではないか」と疑問視する。
 先の椹木氏は「米国からの無期限貸与の状態のままになっていることに縛られているのでは。今後、日本の『所蔵』に戻せるよう、国や米国への働きかけが必要になる」と述べた。 
 一方、戦争画に詳しい愛知県美術館長の平瀬礼太氏は、「派手であおるような宣伝は避けた方がいい」と理解を示す。宣伝や告知自体は必要としつつ、「ストーリーを作りすぎると、見る側が作品の文脈を見失う恐れがある」と強調する。
 写真と違って戦争画は場面を「創造」し、画家の戦争への関わり方も一様ではない。そのため、宣伝も展示説明も工夫が不可欠だという。「戦争の時代の美術は一つの解釈で語れるものではない。展示するからには、丁寧に背景を説明し、冷静に見てもらう仕組みが求められる」
 展示を巡る課題は多いが、現代の人々にとって戦争画と向き合う意義は何か。 ◇「戦争画は表現の多面性を教えてくれる」
 平瀬氏は「戦時下に画家がどう活動し、見る側がどう受け止めたのかを知ることは重要。これからの社会を見据えて表現はどうあるべきか、見る側も作る側も考えるきっかけになる。今回の試みを一過性のものとせず、新たな要素を加えながら積み重ねていくことが大切だ」と話す。
 永田氏は「現代美術では過去の出来事を批評的に捉え、自らの表現を生み出す作家は珍しくない」とし、こう期待した。「美術は見る人が生きている時代や社会、個人の価値観、作品が制作された歴史的背景や状況を知っているかどうかで見方が変わる。戦争画はそうした表現の多面性を教えてくれる」

デスクメモ
 冒頭の「コタ・バル」を鑑賞した太田記者は、鉄条網の合間から鋭く視線を送る日本兵と目が合い引き込まれたという。文化の力がプロパガンダに利用される普遍的な危うさを戦争画から見つめてみたい。抑制的なPRのために貴重な展示に触れる機会を失ってしまうとすれば残念だ。
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識者の意見がメインですが、フライヤーや図録を作らず、宣伝も余りしていないことについての鋭い突っ込み。言いたいことはよくわかります。ただ、館側の「派手にあおると文脈見失う恐れ」という言い分も首肯できますし、キュレーター的な仕事も行っている身としては、「むべなるかな」とも「やんぬるかな」とも感じますが……。

それにしても、「自作だと認めたがらなかった画家」が居たというのは初耳でした。文学方面ではそれに近いケースは結構ありましたが、美術方面でも「ブルータス、お前もか」。それ、いったい誰だ? と、興味深いところです。

同展、10月26日(日)までの会期です。まだご覧になっていない方、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

立体的理法は物の主眼であつて外観ではありません。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

この一節のみ、全体に傍点が附されています。クラデルの原著がそうなのか、光太郎が訳した際にそうしたのか不明ですが。

NHKさんで初回放映が平成7年(1995)に為されたドキュメンタリー番組「老友へ~83歳 彫刻家ふたり~」が、先週、「時をかけるテレビ 今こそ見たい! この1本」の中で再放送されました。ともに光太郎と交流があり、そのDNAを色濃く受け継いだ、佐藤忠良と舟越保武が出演していました。事前のネット上の番組案内に光太郎の名が出ていなかったので、気づきませんでしたが、見逃し配信サービス「NHKプラス」で拝見しました。
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「時をかける……」としては、ナビゲーターが池上彰さん、ゲストコメンテーターが武田鉄矢さん。
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「老友へ~83歳 彫刻家ふたり~」。平成7年(1995)の制作ということで、佐藤・舟越ともに存命でした。
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二人とも1912年に出生。ただし、改元の関係で、佐藤は明治45年、舟越は大正元年の生まれです。結婚前の光太郎と智恵子が日比谷松本楼で氷菓を食し、千葉銚子犬吠埼に絵を描きに行った光太郎を追って智恵子も来銚、愛を確かめ合った年です。ついでに言うなら、佐藤は宮城県黒川郡大和町、舟越は岩手県二戸郡一戸町、同じみちのくの生まれです。

そして共に昭和9年(1934)に東京美術学校彫刻科に入学、卒業後には新制作派協会彫刻部創立に参加。光太郎は同会の活動には好意的で、機関誌『新制作派』に寄稿もしています。
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さらに戦後には、佐藤が「群馬の人」で昭和35年(1960)、舟越は「長崎26殉教者記念像」で昭和37年(1962)に高村光太郎賞を受賞しました。
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光太郎を巡る二人の共通点は、まだあります。それぞれのお嬢さん。佐藤の息女・オリエさんは昭和45年(1970)にTBS系テレビで放映された「花王愛の劇場 智恵子抄」で、智恵子役を演じられました(光太郎は故・木村功さん)。忠良はその際のオリエさんをモデルに「智恵子抄のオリエ」という作品も残しています。舟越の息女・千枝子さんは光太郎に名前を付けてもらい、光太郎に会ってもいます。

二人はお互い、良き友、そしてライバルとして切磋琢磨しながら、日本の具象彫刻を牽引していきます。
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番組制作は平成7年(1995)でしたが、それに先立つ昭和62年(1987)、舟越が脳梗塞で倒れ、右半身が不自由になります。それでも舟越は不屈の精神で彫刻制作を続けました。

硬い石や木を削るカーヴィング、粘土を積み上げるモデリングはもはや不可能。ではどうするかというと、粘土の塊から左手一本でヘラを使って搔き落とすカーヴィングでの制作でした。
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作られているのはキリスト像。体力的に、長時間の作業は不可能。休み休み、しかし他者の手はほとんど借りずの作業です。生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作時の光太郎もかくや、という気がしました。

一方の佐藤も、舟越に比べればまだ自由に歩き回ったりはできるものの、やはり83歳。若い時には考えられなかったような痛恨のミス。ちょうど取材中に制作していた作品が、夜のうちに回転台のサスペンダーから外れ、倒壊してしまうという不運に見舞われます。
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しかしその部分を番組でカットさせなかった佐藤、素晴らしいと思いました。

かくして平成7年(1995)に新制作派展に並んだ二人の作品(佐藤は立像の出品は断念)。
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改めて、その時点でのお互いへの思い。
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共通の同級生だった昆野恒の展覧会での一コマ。
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不覚にもうるっと来てしまいました。

佐藤にとっての舟越、舟越にとっての佐藤のような存在が、光太郎には居ませんでした。そうなるはずだった碌山荻原守衛は数え32歳で急逝。高田博厚とは14歳も差がありましたし、高田は昭和6年(1931)に渡仏、以後、光太郎が没するまで帰国しませんでした。その他の同世代の彫刻家は、光太郎の嫌ったアカデミズム系に行ってしまいました。妻・智恵子は厳しい言い方ですが、光太郎にとって「ライバル」となる技倆も、そして覚悟も足りなかったようです。

閑話休題、「時をかけるテレビ 今こそ見たい! この1本 老友へ~83歳 彫刻家ふたり~」、NHKプラスでは9月19日(金)まで視聴可能。その他、U-NEXTなどでも配信があるようです。ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

人間の体は歩く殿堂です。又、殿堂の様に、中心点を持つてゐます。其をめぐつていろいろの量が位置を占め又ひろがります。全く動く建築です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

佐藤も舟越も、この文章の収められた訳書『ロダンの言葉』で彫刻家としての眼を開かせられました。

毎週金曜日の19:30から、NHK総合さんは東北地方で「鈴木京香の東北オトナ旅」という番組を放映しています。女優の鈴木さん、宮城県のご出身だそうで。この枠は地方によって放映されている番組が違い、関東地方では「首都圏情報 ネタドリ!」が放映されています。

一昨日、7月29日(火)の「鈴木京香の東北オトナ旅」は「青森県十和田市編」でした。千葉の自宅兼事務所ではリアルタイム視聴が出来ませんでしたが、NHKさんの見逃し配信サイト「NHKプラス」さんで拝見しました。
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最初に鈴木さんが向かわれたのが十和田湖。
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しかも光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」でした。
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鈴木さん、幼い頃にも訪れられ、その思い出を辿るという側面も。
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像のポーズで写真撮影、「乙女の像あるあるですね」(笑)。

傍らに立つ光太郎詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」(昭和28年=1953)を刻んだ詩碑も取り上げられました。
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ナイスコメントです(笑)。

この後、鈴木さんは「乙女の像」の足をスマホで撮影。
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踵(かかと)が両足ともべたっと地面についていますね。この点に関し、光太郎曰く

あの像では後の足をスーツとひいているが、あの場合には踵が上るのが本当なんだけれども(立ち上がつて姿態を作り)こういうふうにわざと地につけている。彫刻ではそういう不自然をわざとやるんです。あれが踵が上つていたら、ごくつまらなくなる。そういうところに彫刻の造型の意味があります。(「高村氏制作の苦心語る ”見て貰えば判ります” 像の意味は言わぬが花」昭和28年=1953)

光太郎の心の師・ロダンも「説教する洗礼者ヨハネ」などで全く同じことをやっています。

さて、鈴木さん、何ゆえ足の写真なのかというと、一人旅の行った先々でご自分のお顔ならぬおみ足を自撮りなさることにはまられているそうで……。
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ぜひ1冊の本にして出版していただき、「乙女の像」の足も収めていただきたいものです(笑)。

十和田湖の後は、市街へ。十和田市現代美術館さんや、新しくオープンした新刊書店、そこで紹介されたスナックなどを巡られました。

先述のようにNHKプラスさんで9/12(金)午後7:56まで視聴可能です。

NHKプラスさんといえば、もう1件、光太郎がらみが配信中です。8月24日(日)放映の、「日曜美術館」とセットの「アートシーン」。茨城県の水戸芸術館さんで開催中の「日比野克彦 ひとり橋の上に立ってから、だれかと舟で繰り出すまで」がメインでしたが、愛知県小牧市のメナード美術館さんでの「なつやすみ所蔵企画 えともじ展 文字で読み解く美術の世界」も取り上げられ、同展出品中の光太郎木彫「鯰」(昭和6年=1931)が紹介されています。
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この回、本来は今夜再放送のはずでしたが、高校野球の関係で「日曜美術館」本体が1回休止となった影響でしょう、残念ながら再放送が為されません。NHKプラスさんでは今日の朝9:59まで。視聴可能な方、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

不幸な事が起つた。僕は昨日女の胸像を仕上げたと思つたのです。其をめちやめちやにしてしまひました。もう一度やり返さなければなるまい。三週間の損!

光太郎訳 ロダン「手紙」より 明治43年(1910)頃訳 光太郎28歳頃

「芸術家あるある」です。作品をほぼ作り終えたところで改めて見返すと気に入らず、自分で壊してしまう……。光太郎もよくやりました。

ただし「乙女の像」に関しては、もはや自分の命の残り火が少ないとわかっていましたので、それをする時間が残されていませんでした。そのため、光太郎自身でも納得の行く作ではなかったようです。像にサインが刻まれていないのがその一つの傍証です。

令和2年(2020)に集英社さんから刊行された村山由佳氏の小説『風よ あらしよ』。伊藤野枝を主人公とし、『青鞜』時代や辻潤、大杉栄との生活、そして関東大震災直後の一家鏖殺までが描かれ、光太郎智恵子も登場しています。

令和4年(2022)にはNHKさんで全3回でドラマ化。それが再編されて劇場版映画として令和6年(2024)に公開されました。残念ながらこちらには光太郎智恵子は登場しませんが、智恵子が表紙絵を描いた『青鞜』創刊号が重要なアイテムとして繰り返し使われています。
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さて、NHK BSさんで再放送があります。

ドラマ・選 風よあらしよ(1)

NHK BS 2025年8月31日(日) 22:00〜22:50 9月6日(土) 23:10〜00:00

今から100年前。女性の地位は低く、良妻賢母が求められた時代。福岡の片田舎で育った伊藤野枝(吉高由里子)は、東京の女学校へ入学し教師の辻(稲垣吾郎)から「青鞜」の存在を教わり心を掴まれる。貧しい家を支える為の結婚を蹴り、自由を求め再び上京した野枝に才能を感じ取った辻は、彼女に知識を与え、導く。溢れんばかりの情熱を持った野枝はらいてう(松下奈緒)の青鞜社の門をたたき時代の若きアイコンとなる。

【出演】吉高由里子 永山瑛太 松下奈緒 美波 山田真歩 朝加真由美 山下容莉枝
    渡辺哲 栗田桃子 石橋蓮司 稲垣吾郎
【原作】村山由佳  【脚本】矢島弘一  【音楽】梶浦由記

それから、野枝の故郷・福岡県では映画館で劇場版の「バリアフリー上映会」。

福岡に本社を置く『西日本新聞』さんの案内記事。

「風よ あらしよ劇場版」バリアフリー上映会

 女性解放運動家・伊藤野枝を描いた村山由佳さんの同名小説が原作のドラマ「風よ あらしよ」の劇場版を上映する。
 福岡の田舎で育った伊藤野枝は、貧しい家を支えるための結婚を断り上京する。平塚らいてうに感銘を受けた野枝は、らいてうらが中心となって結成された女流文学集団・青鞜社に参加。青鞜社は野枝が中心になり婦人解放を唱える戦う集団となってゆく。野枝を吉高由里子さん、らいてうを松下奈緒さん、野枝の最初の夫辻潤を稲垣吾郎さん、後に生涯のパートナーとなる大杉栄を永山瑛太さんが演じる。脚本は矢島弘一さん、演出は柳川強さん。

開催日 ふくふくホール8月30日(土)①午前11時②午後2時、さいとぴあ9月10日(水)①午後2時半②同6時半、アミカス11日(木)①午後2時半②午後6時半

開催場所 福岡市市民福祉プラザ(ふくふくプラザ) さいとぴあ(福岡市西部地域交流センター)、福岡市男女共同参画推進センター・アミカス4階ホール 〒8100062 福岡県福岡市中央区荒戸3丁目3-39

料金 一般1400円(前売り1200円)、障害者当日600円(視覚障害者の介助者は無料)
参加条件 要申し込み URL 
https://cinema-arci.net/events/
主催・問合せ 九州シネマ・アルチ 092(712)5297 arci1210@bcj.ne.jp
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「バリアフリー上映会」とは、音声ガイドや字幕などを使い、多くの方に楽しんでいただけるように配慮された公開方法です。テレビドラマ版で副音声や字幕が作成されているので、それを転用するのではないでしょうか。

こうした動きが一般的になっていけばいいと思います。

【折々のことば・光太郎】

大きな商人や金持ちの好事家の役に立つ才能を持たないのは惜しい事です。してみれば結局厭に思はないで、君みたいに、僕の選ぶ彫刻を取つてくれるのは、文学家と芸術家だけだといふ事になるのです。


光太郎訳ロダン「手紙」より 明治43年(1910)頃訳 光太郎28歳頃

美術評論家ロジェ・マルクスに宛てたロダンの手紙の一節です。注文主と作者との考えの相違、それにまつわるトラブルなどの「あるある」に関わります。光太郎にもそういうことがありましたが、ロダンの場合はそれがしょっちゅうでした。

ひさびさにテレビ番組の放映情報です。

まず再放送ですが、新宿の東京オペラシティアートギャラリーさんで開催中の「難波田龍起」展が取り上げられています。

日曜美術館 アートシーン「難波田龍起」展

NHK Eテレ 2025年8月24日(日) 20:45~21:00

「難波田龍起」(東京オペラシティアートギャラリー 7月11日〜10月2日)ほか展覧会情報


NHK Eテレさんの「日曜美術館」とセットの「アートシーン」。初回放映が8月17日(日)の朝でした。
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本郷区駒込林町の光太郎アトリエ兼住居のすぐ裏手に住み、光太郎の影響で芸術家となった難波田ですので、番組内でも光太郎の名が連呼されました。ありがたし。
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光太郎がロダンから学んだ「生命」の芸術は、難波田ら後進の芸術家にも受け継がれていった、と。

番組をご覧の上、展覧会そのものにもぜひ足をお運び下さい。

もう1件、やはり再放送系ですが。

わたしの芸術劇場 #21「小平市平櫛田中彫刻美術館(東京都小平市)」

BS11(イレブン) 2025年8月23日(土) 10時35分~11時00分

「美術館」をちょっと堅苦しい場所だと思っている方々へ送る番組。

学芸員の方々が見せ方を工夫したり、今までにないテーマで企画展を開催したり、並々ならぬ苦労と最高のセンスで展示している。そんな美術館を「芸術を体験できる劇場」として捉え、舞台を鑑賞しているようなわくわくした気持ちにしてくれる番組。番組を見た後は、きっと美術館に足を運び、芸術に浸りたくなること間違いなし。

今回の舞台は、「小平市平櫛田中彫刻美術館」。明治生まれの木工彫刻を得意とした平櫛田中は、岡山県の田中家に生まれ10歳で平櫛家の養子となり、実家の田中と養家の平櫛、両方の姓を用いて「平櫛田中(ひらくし でんちゅう)」と名乗る。22年の歳月をかけて制作した国立劇場の《鏡獅子》で、田中の集大成を見ることができるが、107年の生涯で亡くなる直前まで作品を作り続けた。100 歳を超えてもなお創作意欲がつきなかった平櫛田中に、大きな拍手を!

出演:片桐仁

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光太郎の父・光雲の弟子にあたる平櫛田中の旧居跡に建てられた小平市平櫛田中彫刻美術館さんが舞台です。当方もいろいろお世話になっている学芸員の藤井明氏もご出演。

この番組、元々はTOKYO MXテレビさんで放映されていたもので、当該回は令和4年(2022)5月20日が初回放映でした。

ちなみにTOKYO MXさんで令和3年(2021)3月、BS11さんで先月放映された中村屋サロン美術館さんの回では、同館所蔵の光太郎の油彩自画像(大正2年=1913)も取り上げて下さいました。
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今回もちらっとでいいので田中の師・光雲の話になればと思っております。

もう1件。5分間番組で、微妙なところですが紹介しておきます。

国立公園の絶景 5分ミニ(2)

NHK BS 2025年8月27日 00:55〜01:00

国立公園の絶景5分ミニ(2)雲仙天草・大山隠岐・十和田八幡平


5分間で3箇所の国立公園が紹介されます。ちらっとでも光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が映るといいのですが……。

それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

諸君は、今日の人々が意味する「独創(オリジナル)」とは何をか知つてゐるか。其は「類から離れる事(デパレイエ)」である。

光太郎訳ロダン「断片」より 大正5(1916)頃訳 光太郎34歳頃

「独創(オリジナル)」とそれまでの「類」との格闘、芸術家にとって永遠の課題の一つですね。

テレビ放映情報です。

わたしの芸術劇場 中村屋サロン美術館/中村彝アトリエ記念館

BS11(イレブン) 2025年7月5日(土) 10:35〜11:00

「美術館」をちょっと堅苦しい場所だと思っている方々へ送る番組。学芸員の方々が見せ方を工夫したり、今までにないテーマで企画展を開催したり、並々ならぬ苦労と最高のセンスで展示している。そんな美術館を「芸術を体験できる劇場」として捉え、舞台を鑑賞しているようなわくわくした気持ちにしてくれる番組。番組を見た後は、きっと美術館に足を運び、芸術に浸りたくなること間違いなし。

今回の舞台は東京都新宿区にある中村屋サロン美術館。お菓子やカレーパンで有名な新宿中村屋が運営している美術館。創業者の相馬愛蔵は同郷の彫刻家 荻原守衛(碌山)や荻原を慕う若き芸術家などを支援し、明治末から大正、昭和初期にかけて多くの芸術家・文化人たちが、ここ中村屋に集った。日本近代美術の発展に大きく貢献した「芸術家たちのトキワ荘」、中村屋サロンに大きな拍手を!

出演者 片桐仁
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新作かと思ったら、さにあらず。TOKYO MXさんで令和3年(2021)の11月27日に放映されたものでした。BS11さんは、この手の地上波ローカル局さんが制作された番組をあとから放映することがよくあり、これもその一つでした。

ナビゲーターは俳優の片桐仁さん。多摩美大さんのご出身で、おん自らもアート制作をいろいろなさり、こうしたアート系のテレビ番組ご出演も多い方です。

で、訪問先が、まず新宿の中村屋サロン美術館さん。光太郎の親友だった碌山荻原守衛をはじめ、光太郎を含めた中村屋サロンに集った芸術家たちの作品が数多く収蔵されています。光太郎作品は油彩の「自画像」(大正2年=1913)。番組では常設展示に当たる「コレクション展」開催中で、「自画像」も出ていたはずなのですが、画面に映って欲しいものです。

ちなみに現在の中村屋サロン美術館さん、やはり「コレクション展」開催中(他に「會津八一の歌を映す写真コンテスト」)で、7月13日(日)まで。その後、展示替えのための休館をはさみ、また7月23日(水)から「コレクション展」です。どちらにも「自画像」が出品。ぜひ足をお運び下さい。

それから同じく新宿区の中村彝アトリエ記念館さん。彝(つね)も中村屋サロンの一員で、おそらく光太郎と顔なじみだったと思われますし、光太郎に出会う以前の智恵子が彝に絵のアドバイスを受けたりということもありました。

というわけで、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

小生只今からだを悪くし、医者の言により安静療法をやつて居り、人にあひません、 右御了承下さい、


昭和29年(1954)7月7日 篠田定吉宛書簡より 光太郎72歳

結核の悪化により、ほぼ面会謝絶。それでも出版社の編集者や、当会の祖・草野心平などは例外でしたが。少し後には、心平の骨折りでまだ一般的ではなかった電気冷蔵庫を購入、さらにアトリエと母屋をつなぐ呼び鈴のベルなども設置しました。

NHKさんの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」。平成28年(2016)に放映されたものですが、現在再放送が平日の12時30分から為されています。

日本女子大学校での智恵子の先輩・平塚らいてうが主宰し、智恵子が創刊号の表紙絵を描いた雑誌『青鞜』が、劇中でたびたび重要なモチーフとして使われます。

まず、明後日から2日間連続で。

【連続テレビ小説】とと姉ちゃん 第7週 常子、ビジネスに挑戦する

第38回 NHK総合 2025年6月26日(木) 12:30~12:45

昭和11年春。常子(高畑充希)は女学校最高学年の五年生となる。クラスの同級生の大半が嫁いでいく中で、家族の食いぶちを稼ぐため、少しでも給料の高い仕事を探していた。そんな折、新たな担任としてやってきた東堂チヨ(片桐はいり)に出会う。「女性とはこうあるべき」という固定観念に捕われず、自分の気持ちに正直に挑戦する大切さを教わる。一方、鞠子(相楽樹)は進学したい思いを誰にも相談できず、深いため息をつく…。

第39回 NHK総合 2025年6月27日(金) 12:30~12:45

どこか元気のない鞠子(相楽樹)を心配し、常子(高畑充希)は、東堂(片桐はいり)から借りた「青鞜」を渡す。感銘を受けた二人は、女性だからという理由だけで尻込みせず、挑戦することが大切だと東堂から助言され、何かを始めたい気持ちが湧き上がる。一方、時代は次第にきな臭くなり、青柳や森田屋も不況の波が押し寄せ、自粛ムードが漂っていた。そんな折、鉄郎(向井理)が森田屋に現れ、どんちゃん騒ぎが始まってしまい…。

【出演】高畑充希 木村多江 相楽樹 伊礼姫奈 ピエール瀧 坂口健太郎 大野拓朗 浜野謙太
    谷田部俊 杉山裕之 片桐はいり 向井理 片岡鶴太郎 大地真央
【語り】檀ふみ

昭和11年(1936)という設定で、明治44年(1911)の『青鞜』創刊から四半世紀後ですが、高畑充希さん演じる主人公・小橋常子らが『青鞜』の影響を受ける、という流れです。らいてうには言及されますが、残念ながら智恵子の名は出されません。
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きっかけをつくったのは、常子の通う女学校に新たに赴任してきた東堂先生(片桐はいりさん)。早速、最初の授業だかホームルームだかで、一席ぶちます(笑)。
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衝撃を受けた常子は東堂先生から『青鞜』創刊号を借り、はまってしまいます。
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常子のモデルは、現在も続く雑誌『暮しの手帖』を戦後になって立ち上げた大橋鎭子ですが、実際に若い頃にこういうエピソードがあったのかは不明です。

ちなみに大橋は光太郎に『暮しの手帖』への寄稿を依頼するため花巻郊外旧太田村の山小屋を訪れたり、書簡を複数回送ったりしましたが、結局、光太郎はそれに応えなかったようです。

『青鞜』は、常子以外にも、相楽樹さん演じる常子の妹・鞠子(第39回)や、阿部純子さん扮する友人の中田綾(第14週)らにも影響を、といったエピソードも。
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また、第15週では『暮しの手帖』編集長の花森安治がモデルの花山伊左次(唐沢寿明さん)も、母親が『青鞜』愛読者だったと明かしたりもします。
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ちなみに花山は戦争協力を恥じ一度は筆を折る、ということで、光太郎にも通じる部分がある描き方でした。

そして第19週では、真野響子さんのらいてう自身も登場。
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そういうわけで、平成28年(2016)の初回放映をご覧になっていない方(ご覧になった方も)、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

先日お揃ひで御来訪の節は愉快でした、ところが最近五、六日間このかた急に息切がつよくなり、外出して歩行中呼吸困難を感ずることがあるので、只今外出せず、在宅静かに仕事してゐます、静かにしてゐれば何の異状もないのですが。

昭和29年(1954)5月4日 細田明子宛書簡より 光太郎72歳

細田は戦前から光太郎が常連だった三河島のトンカツ屋・東方亭の娘。光太郎に実の娘のようにかわいがられていました。戦後、医師となり、光太郎詩「女医になつた少女」(昭和24年=1949)のモデルにも。
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医者仲間の関川大司と婚約し、その挨拶と披露宴の招待状を届けるために中野の貸しアトリエを訪れました。

BS11(イレブン)さん及び一部地域の地上波で放映中の深夜アニメ「ざつ旅-That's Journey-」。KADOKAWAさんの月刊コミック誌『電撃マオウ』で連載の石坂ケンタ氏による漫画が原作です。新人賞に入賞し、プロの漫画家をめざす女子大生・鈴ヶ森ちかを主人公とし、ちかの一人旅や友人たちとの女子旅などが描かれます。

4月オンエアの第2旅「伊達じゃない! きときとふたり旅」では、宮城県の松島が舞台となり、瑞巌寺さんに納められている光太郎の父・光雲作の聖観音像も登場しました。
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そして来週月曜放映分は、後半が光太郎第二の故郷・花巻です。

ざつ旅-That's Journey- 第10旅「ココロのふるさと」 

BS11 イレブン 2025年6月9日(月) 23:00〜23:30

潮岬で初日の出を拝んだちかは、バスで熊野川沿いの道を行き、初詣のために熊野本宮大社へ。そこで彼女が願ったものとは? 1月末、ちかは暦と岩手県の新花巻駅に来ていた。しかし、どこか暦の元気がないようで……!?

出演 月城日花 鈴代紗弓 平塚紗依 佐藤聡美 日笠陽子 小林ゆう 窪田等
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東北新幹線/釜石線の新花巻駅ですね。
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光太郎に関する展示も為されている宮沢賢治記念館さん。
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市街地へ出て、マルカン大食堂さんで定番の10段巻きソフトクリーム。

そして、光太郎や賢治に愛された大沢温泉さん。当方も再来週、またお世話になります。
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おおむね廻る箇所は原作に忠実になっているようです。
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残念ながら花巻高村光太郎記念館さんには廻らないようですが、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

二十五六日頃でかけるつもりで居りますが、汽車からすぐ大沢温泉にまゐります。今度は山で映画撮影の事などあるので、お目にかかるのは月末か十二月初めと存ぜられますし、宿泊は大沢等の温泉地だけにするつもりで居ります。

昭和28年(1953)11月23日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎71歳

前年まで7年間の蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村へ、約1年ぶりの帰村。ただ、当会の祖・草野心平や、美術映画「高村光太郎」撮影スタッフが一緒で、元の山小屋で寝泊まりはしませんでした。
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それでも村人たちと旧交を温めました。
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今年1月から3月にかけて、地上波日本テレビさんなどで放映されていたアニメ「花は咲く、修羅の如く」のBlu-rayディスク上巻を入手しました。
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高校の放送部員たちの青春を描いたもので、原作・武田綾乃氏、むっしゅ氏作画のコミックが原作で、令和4年(2022)に単行本第1巻が集英社さんから発売されています。

ディスクには全12話中の第6話までが収録されており、第1話で光太郎詩「道程」(大正3年=1914)が扱われています。
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「修羅の如く」という題名の通り、宮沢賢治の「春と修羅」も。
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ディスク1枚と、ブックレットが付いています。ブックレットには原作の武田綾乃氏によるオリジナルのスピンオフ短編小説「高架橋橋脚下」が収められています。

製品詳細は以下の通り。

「花は咲く、修羅の如く」Blu-ray上巻

発行日 : 2025年4月30日
著者等 : 武田綾乃・むっしゅ・集英社・すももが丘高校放送部
版元等 : キングレコード
定 価 : ¥20,900(税抜価格:¥19,000)
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ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

この頃住所定まらず、予定もはつきりしません。今月中か十月には東北へまゐりますがどの位そこに居るか、其時にならないと分りません、冬に又東京に来たいと思つてゐますけれど。


昭和28年(1953)9月10日 川島たかし宛書簡より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」も完成し、翌月に行われるその除幕式で関係者に配付する記念メダルも仕上げ、エアポケットのような空白の時間が生じました。

当初予定では、前年まで蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村に帰るつもりでしたが、医師から止められたこともあり、寒い時期には東京、それ以外は太田村と、二重生活も考え始めましたが、具体的にはどうするかと思案中です。そこで「住所定まらず」としています。

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