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昨日紹介した『大正の女性群像』、大判の本で、写真等も豊富に使われ、大正の女性文化を目で見て理解するには格好の資料です。
 
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智恵子はどんな服装、髪型をしていたのだろうかなどと思いを馳せると、楽しいものがあります。
 
それにしても、「大正」というと、昨日も書いた通り、「明治」の閉塞性に風穴があいた時代ということはいえると思います。そのためこうした庶民文化的な部分も一気に花開いたように感じます。
 
それはそれでその通りなのでしょうが、それだけではなかったのが「大正」です。『大正の女性群像』、こうした華やかな部分だけでなく、「負」の部分も忘れていません。すなわち、「女工哀史」に代表される低賃金労働や搾取、「からゆきさん」と言われた海外での売春婦、そして関東大震災……。
 
昨日も書きましたが、今は「平成」。百年後の人々は、「平成」という時代をどう位置付けるのでしょうか。原発事故やら政治的空白やら、「負」の部分が強調される時代であってはならないと思います。

昨日のブログで、吉本隆明氏の著書『超恋愛論』を紹介しました。
 
その中の「恋愛というのは、男と女がある距離の中に入ったときに起きる、細胞同士が呼び合うような本来的な出来事」という定義。やはり光太郎智恵子を想起せずにはいられません。
 
そこで思い出したのが、先月、生活圏の古書店で購入した以下の書籍です。
 
『大正の女性群像』昭和57年(1982)12月1日 坪田五雄編 暁教育図書
 
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内容的には主に二本立てです。「人物探訪」の項で、大正期に名を馳せた各界の女性を扱い、「女性史発掘」の項で女性一般についての説明。どちらも豊富な図版、写真が添えられ、ビジュアル的にも豪華な本です。
 
「人物探訪」の項で扱われているのは、もちろん智恵子、そして平塚らいてう、伊藤野枝、松井須磨子、柳原白蓮、田村俊子、相馬黒光、九条武子、岡本かの子などなど。
 
それぞれに名を成した女性たちですが、程度の差こそあれ、それぞれの人生が激しい恋愛に彩られています。
 
ここにはやはり「大正」という時代の雰囲気がからんでいるのでしょう。ある意味閉塞的だった「明治」が終わって迎えた「大正」。「昭和」に入って泥沼の戦争の時代になるまで、束の間、新しい風が吹いた時代だと思います。
 
その「大正」に、光彩を放った女性たち。強引な考えかも知れませんが、彼女たちも一人では埋もれてしまっていたのではないでしょうか。吉本氏曰くの「男と女がある距離の中に入ったときに起きる、細胞同士が呼び合うような本来的な出来事」である激しい恋愛を経て、それぞれの輝きにたどり着いているような気がします。
 
その結果が決して幸福とはいえない人生につながってしまった女性もいるかも知れませんが……。
 
さて、今は「平成」。百年後の人々は、「平成」という時代をどう位置付けるのでしょうか……。

新刊を紹介します。 

吉本隆明著 2012/10/15 大和書房(だいわ文庫) 定価600円+税
 
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今年亡くなった評論家・吉本隆明氏の著書。2004年に同社からハードカバーで刊行されたものの文庫化です。
 
「男女が共に自己実現しようとして女性の側が狂気に陥った光太郎・智恵子の結婚生活」という項があり、光太郎・智恵子にふれています。
 
他にも夏目漱石、森鷗外、島尾敏雄、中原中也、小林秀雄らに言及し、「恋愛論」が展開されます。
 
いつも思うのですが、氏の論は決して突飛な論旨ではなく、ごく当たり前といえば当たり前のことを述べています。しかし、誰しもがそういうことを感じていながらうまく言葉で言い表せないでいたことを明快に言ってのけるところに氏のすごみを感じます。
 
例えば、恋愛に関しても「恋愛というのは、男と女がある距離の中に入ったときに起きる、細胞同士が呼び合うような本来的な出来事」と定義しています。
 
そして一つ何かを論じると、その裏の裏まで掘り下げ、読む者を納得させずにおかないという特徴もあります。論とか文章といったもの、こうあるべきだといういいお手本になります。是非お買い求めを。

先日、地域の新刊書店によった際、偶然見かけてこんな本を買いました。ムック(雑誌と書籍の中間という位置づけ)です。 

2012/10/23  Town Mook        定価: 750円(税込)

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上の表紙画像にもある東京駅の赤煉瓦駅舎、先頃改修が終わり、ほぼ100周年(開業記念式典は大正3年=1914の12月18日。その4日後に上野精養軒で光太郎智恵子の結婚披露宴が行われています)ということで、テレビなどでよく紹介されています。さらに今年は元号に換算してみると、1912年が大正元年ですから、大正101年にあたります。そんなわけで、大正時代、ちょっとしたブームですね。
 
光太郎、智恵子も生きた大正時代。やはり時代の流れの中での位置づけというのも重要なことだと思います。そう思い、価格も手ごろだったので購入しました。実は通販サイトで似たような本を少し前に見つけていたのですが、価格が高めで二の足を踏みました。こちらは750円でお買い得だったな、という感じです。
 
光太郎に関しては、白樺派を扱った項に名前が出てきますし、集合写真に写っています。智恵子に関しては表紙のデザインをした『青鞜』が紹介されています。ただし智恵子の名が出てこないのが残念ですが。
 
その他、やはり同時代ということで、二人と関わった人々がたくさん紹介されています。また、当時の町並みの写真や絵図、現在も残る当時の建築物の写真など、興味深い内容でした。
 
「ほう」と思ったのは、大正12年(1923)の関東大震災の「東京市火災延焼状況」という古地図。隅田川両岸は壊滅的な状況で、西岸は下谷あたりまで燃えていますが、光太郎のアトリエのあった駒込林町は無事だったというのが視覚的によくわかりました。ちなみに震災当日、智恵子は二本松に帰省中。光太郎は被災者のためにアトリエを解放したという話も伝わっています。
 
さて、これから百年ほど経って、平成はどのように評価、紹介されるのでしょうか。

インターネット通販サイトの「amazon」さん。光太郎関連で新刊書籍がないかどうか、ときおりチェックしています。
 
昨日見て驚いたのは、電子書籍として光太郎作品がずらっと並んでいることです。
 
ラインナップは以下の通り。
 
ヒウザン会とパンの会/詩について語らず —編集子への手紙—/珈琲店より/自分と詩との関係/能の彫刻美/九代目団十郎の首/(私はさきごろ)/智恵子の半生/人の首/回想録/顔/ミケランジェロの彫刻写真に題す/智恵子の紙絵/緑色の太陽/啄木と賢治/小刀の味/木彫ウソを作った時/蝉の美と造型/山の雪/装幀について/美の日本的源泉 /山の秋/黄山谷について/自作肖像漫談 /山の春/開墾/書について/美術学校時代/智恵子抄/気仙沼/触覚の世界
 
これは来月からamazonさんで販売される電子書籍端末「Kindle Paperwhite」のためのものです。
 
ちなみに楽天さんで販売されている電子000書籍端末「コボタッチ」でも同じラインナップが出てきます。
 
また、どちらにも光雲の懐古談が入っています。どうも大本(おおもと)は以前からある電子図書館、青空文庫さんのようです。
 
結局、そういうラインナップしか用意できないのであれば、わざわざ端末を買う理由はあまりないように思われますが、今後、どうなっていくのか注目してみたいものです。
 
今朝の朝日新聞さんにも記事が載っていましたが、こうした電子書籍、いろいろと話題になっています。アメリカでは「kindle」が2007年に発売され、電子書籍普及の起爆剤となったといわれていて、それが日本にも上陸、大手通販サイトの「amazon」さんの顧客が取り込めそうだとか……。
 
日本ではまだまだ電子書籍は普及していないようです。朝日の記事にのった調査では「既に電子書籍を読んでいる」が5%、「近い将来読んでみたい」が30%、しかし、「読んでみたくない」が56%いるとのことです。
 
この「読んでみたくない」が、「電子」という言葉に拒絶反応を起こす人たちなのか、それとも電子媒体だろうが昔ながらの紙の印刷だろうが、読書ということをしない人たちなのか、よくわかりません。
 
まあ、どれだけ電子媒体が進んでも紙の本が無くなることはないでしょうし、その普及が読書離れに多少なりとも歯止めをかける結果になるのであれば、いいことだと思います。ただし、何でもかんでも電子でなければ時代遅れだ、という風潮にはなってほしくないものですね。逆に利便性を全く考慮せず、単に情趣の面から「本は紙でなきゃならん。電子ナントカなんて邪道じゃ!」という頭の固さでも困ると思います。

昨日と本日、生活圏内の公共図書館に行ってきました。
 
当方、国会図書館さんや日本近代文学館さんなどにもよく足を運びますが、手に入れたい資料・情報によって、生活圏内の公共図書館も利用します。
 
明治大正、昭和前半といった古い資料、新しいものでも一般には流通しないようなものであれば、国会図書館等に行き、比較的新しく、そう珍しいものでなければ生活圏内で済ますといったところです。
 
昨日今日は、部分的に光太郎智恵子にふれられている書籍を閲覧、コピーしてきました。事前にそういう書籍があるという情報を得ていたものとして、以下の通りです。
 
・『畸人巡礼怪人礼讃:忘れられた日本人2』ad9f933e-s
  佐野眞一著 毎日新聞社 平成22年……「甘粕夫人と高村智恵子」

・『漱石全集』第16巻 岩波書店 平成7年……「太平洋画会」

・『コミュニティ成田』第74号 成田市市長公室広報課 平成15年
  ……「ふるさと発掘 葉舟の残像」

・『美は脊椎にあり 画家・白石隆一の生涯』小池平和著 本の森
  平成9年……「戦後の模索と高村山荘訪問」

・『富士正晴作品集』第2巻 岩波書店
  昭和63年……「高村光太郎の思い出」

・『夢追い俳句紀行』 大高翔著 日本放送出版協会 平成16年
  ……「雲の峰智恵子の山河ありにけり 高村智恵子 福島・二本松」
 
これらは部分的に光太郎智恵子にふれられているということを知りつつ、購入していませんでした。ほんとは購入すればよいのでしょうが、無限に資産があるわけでもないもので……。そういった場合に、図書館の存在はありがたいわけです。必要部分だけコピーが可能ですので。しかし、それ以外の部分を無視してしまうというのも、著者の方々には申し訳ない気もしますが……。
 
また、一般の図書館の強みとしては、開架であること。国会図書館等はほとんどの蔵書が書庫にしまわれており、申請して出して貰う方式です。これだと目的の書籍がはっきりしている場合にはかまいませんが、そうでない場合に、なかなか掘り出し物に出会えません。
 
今回、開架の棚をながめながら、掘り出し物も見つけました。
 
・『森鷗外の手紙』 山崎国紀著 大修館書店 平成11年……「大正時代の手紙 27高村光太郎あて」
・『豪華客船の文化史』 野間恒著 NTT出版 平成5年……こちらは光太郎に関する記述はありませんが、光太郎が乗った船について詳しく記されています。
 
開架式だと、書籍を手に取ってぱらぱらめくり、中身が見られるというのが良い点です。
 
それにしても、昨日今日で別々の図書館に行きましたが、どちらも平日にもかかわらず結構にぎわっているのが嬉しいかぎりです。少し前、某出版社の新聞広告で「ヒトは、本を読まねばサルである。」というコピーを目にしました。障害を持つ方々に対する配慮が欠けているんじゃないかな、とも思いましたが、そうでない人々にとってはまったくその通りだと思います。「文化国家日本」であるべきですね。
 
さて、秋の夜長、取ってきたコピーで「読書」にいそしもうと思います。

連翹忌に御参加頂いている練馬在住の豊岡史朗氏から詩誌『虹』三冊頂きました。ありがたいことです。
 
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平成22年(2010)11月刊行の第1号、同23年(2011)8月刊行の第2号、そして今年8月刊行の第3号です。各号に〈高村光太郎論〉の総題のもとに氏の論考が掲載されています。「光太郎とヒューマニズム」(第1号)、「詩集『智恵子抄』」(第2号)、「戦争期-満州事変から敗戦まで」(第3号)。それぞれ25ページ前後の比較的長いもので、素晴らしいお仕事です。木戸多美子さんの時にも触れましたが、やはり詩を書かれる方の読み取りというのは、我々凡愚の見落としてしまうようなところまで感覚が行き届いています。お馴染みの光太郎作品でも、「このように読めるのか」と感心させられました。
 
「自分もこんなものを書いているぞ」という方、情報をお寄せ下さい。このサイト、光太郎智恵子を敬愛する全ての人々のネットワークターミナルとしたいと思っておりますので。
 

別件ですが、もう1件、テレビ放映の情報、やはり千駄木がらみです。 

日本ほのぼの散歩「東京・谷根千」

 BS11 2012年10月24日(水) 20時00分~20時54分
 
東京の中心地に近く“山の手"の一角でありながら、今なお下町としての風情を残す“谷根千"の愛称で親しまれている谷中・根津・千駄木。藤吉久美子がほのぼの散歩します。

『街並み』『風景』『食』を楽しみながら近所をちょっと散歩をしているような気分を味わいませんか? この番組では場所(四季)ごとに歴史に沿った史跡・名所巡や名宿や温泉などをご紹介します。

出演者  藤吉久美子

ぜひ御覧下さい。

昨日のブログで、かわじもとたか氏編「序文検001索―古書目録にみた序文家たち」(杉並けやき出版発行)を紹介しました。今日はその姉妹編、「装丁家で探す本―古書目録にみた装丁家たち 」を調べに行ってまいりました。残念ながらこちらは光太郎の件数が少なく、すべて既に把握しているものでした。
 
さて、並行して「序文検索―古書目録にみた序文家たち」に載っていた、こちらで把握していない光太郎序文の調査も始めました。そのうちの一冊が、国会図書館などの主要な図書館に蔵書がなく、そこで古書店のサイトで探してみたら、出品されていました。
 
以前でしたら喜び勇んですぐに購入しましたが、最近はそんな愚は犯しません。「この書籍に高村光太郎の序文が載っているという情報を得たのですが、そうであれば購入します」と条件をつけました。すると、返ってきた答が「序文は高村光太郎ではなく高浜虚子です」。「高」しか合っていませんが……(笑)。これも以前でしたらがっかりしていましたが、最近はもう慣れてきました。こういうケース、時々あるので、予想していました。予想していたので昨日のブログにも「(いろいろ落とし穴があるので空振りに終わることも少なくありません)」と書きました。
 
古書目録、いいかげんに作っているわけではないのでしょうが、ミスが目立ちます。といっても、それは、人間のやることなので仕方がありません。要は書かれている内容を頭から信用しないことです。
 
もう10年以上前でしょうか、こんなことがありました。自宅に送られてきた古書目録に、ある詩華集(多くの詩人の合同詩集)が掲載されており、「高村光太郎」の名も。把握していないもので、価格も手ごろだったのでさっそく注文しました。数日後、届いた詞華集、いくらページをめくっても高村光太郎の作品は載っていません。代わりに載っていたのが同じく詩人の神保光太郎の作品。「光太郎」ちがいです。目録に「光太郎」しか書いてなければ100%こちらの早とちりですが、「高村光太郎」と書いてあっては古書店のミスですね。買わずに返品しました。
 
こんなこともありました。やはり目録に「詩集智恵子抄 高村光太郎 昭和19年 第15刷」とあったのです。龍星閣から刊行されたオリジナルの『智恵子抄』は第13刷までのはず。15刷があったとすれば、それはそれで大きな発見です。このときは「ほんとに15刷ですか?」と問い合わせてみたら、「すみません、13刷でした」とのこと。
 
こういう例はインターネットサイトにもいろいろあります。ある方のブログで、「××という本の序文を高村光太郎が書いている」という記述を見つけ、これも把握していないものだったので、当該書籍を古書サイトで出品している古書店さんに「この書籍に高村光太郎の序文が載っているという情報を得たのですが、そうであれば購入します」と送ったところ(今回と全く同じケースです)、「高村光太郎ではなく推理作家の木々高太郎です」……。「高浜虚子」よりは近いとは思いますが(笑)。
 
くりかえしますが、古書目録等、いいかげんに作っているわけではないのでしょうが、ミスが目立ちます。といっても、それは、人間のやることなので仕方がありません。要は書かれている内容を頭から信用しないことです。
 
このブログではそういうことのないように、細心の注意を払っていきたいと思っております。
 
かわじもとたか氏編「序文検索―古書目録にみた序文家たち」(杉並けやき出版発行)。まだ有望と思われる未確認情報が数件有りますので、そちらに期待します。

先週、成田市立図書館さんに行き、昔の銅像写真集『偉人の俤』を調べたことを書きました。
 
その際、ついでに開架の棚を見たところ、書誌情報関連の書籍や古い雑誌の復刻版などがそれなりに充実しているのがわかりました。しかし、その時には光太郎書誌に関するリストを持って行かなかったので、昨日、また行ってきました。
 
書誌情報関連の書籍というのは、簡単にいえば「何々という書籍/雑誌に誰々の書いた文章が掲載されている」という類のものです。
 
以前にも書きましたが、当方、まだ世に知られていない光太郎文筆作品の集成をライフワークとしています。そうして見つけたものは、「光太郎遺珠」の題名のもと、年一回公表しています。現在は高村光太郎研究会刊行の雑誌『高村光太郎研究』の中の連載とさせていただいております。
 
さて、昨日の調査、やはりそう簡単には未知のものは見つ000かりません。「ああ、これはリストに載っている」「この復刻版は時期がずれてて光太郎作品は載ってないな」という連続です。しかし、あきらめかけた頃、書架の片隅である書籍を見つけました。かわじもとたか氏編「序文検索―古書目録にみた序文家たち杉並けやき出版発行。題名を見ただけで「これは使える!」、ピンときました。
 
古書目録というのは、古書店が発行している在庫目録です。デパートなどで行われる古書市の出品目録として、何軒かの古書店が合同で発行する場合もあります。この手のもの、当方の自宅には月に10冊位が送られてきます。詳しい記述があるものは、書籍の題名や著者、刊行年、価格などの基本情報以外に、「誰が序文を書いている」とか「誰が装幀した」といったことまで書かれており、貴重なデータベースです。
 
たとえば最近届いた府中の古書かつらぎさんの目録。有島生馬の小説集ですが、島崎藤村が序文を書いているという情報が載せられています。

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この手の情報は非常にありがたいものです。実際、こういう記述が決めてで購入し、新たに発見した光太郎の文章なども少なくありません。
 
余談になりますが、売り上げが伸びなくて困っている、という古書店様。基本的なことしか書いていない目録では限界がありますよ。面倒でもこういう工夫が必要だと思います。
 
さて、「序文検索―古書目録にみた序文家たち」。こうした古書目録に載った「誰が何という本に序文を書いている」という情報の集成です。500ページ近い大著で、約1,600人・約12,000冊の書籍がリストアップされています。素晴らしい! 編集には気の遠くなるような労力が必要だったことでしょう。
 
光太郎に関しても、70冊以上の書籍が紹介されていました。大半はすでに知られているものでしたが、数冊、未知のものが含まれていました。今後、各地の図書館や古書店のサイトにあたり、どんなものか突き止めたいと思っています。確実に未知のものであれば「光太郎遺珠」に登録していきます(いろいろ落とし穴があるので空振りに終わることも少なくありません)。
 
ちなみに帰宅してから調べたところ、同じシリーズで「装丁家で探す本―古書目録にみた装丁家たち 」という書籍もあり、やはり成田市立図書館さんに所蔵されているとのこと。こちらも期待できます。
 
光太郎ほどの人物が書き残したものは、断簡零墨に至るまで、できうる限り収集し、次の世代へと引き継いでいきたいとというのが当方の基本スタンスです。今後も草の根を分けてでも探し出すつもりでおります。

面白いサイトを見つけたのでご紹介します。 

本が好き!は、書評でつながる読書コミュニティです。書評を通じて、趣味嗜好の合う人 や思いもよらない素敵な本と出会えます。書評を書くとポイントが貯まり、出版社や著者 から今話題の本がもらえる「献本」に応募できます。(サイト紹介文より)
 
「amazon」などでも「ブックレビュー」のコーナーがありますが、あまり充実していません。その点、このサイトでは書評が満載。もちろん未読の書籍についての参考になるでしょうし、既読にものに関しては「他の人はこの本をこういう風に読んでいるんだ」ということがわかります。ご覧あれ。
 
このブログで紹介した近刊では、北川太一先生の「光太郎智恵子 うつくしきもの 「三陸廻り」から「みちのく便り」まで」などが取り上げられています。

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「読書離れ」が叫ばれて久しいのですが、それではいけないと思います。人間と他の動物との違いの一つに知的好奇心、知的向上心の有無があると思います。「読書」はそれを充たしてくれる一つの手段ですね。「学而時習之、不亦説乎。」です。
 
当方、光太郎関連以外に、歴史書小説や推理小説をよく読みます。あちこち出かけることが多いので、その移動の車中で読むことが多いのです(1泊2日の行程なら文庫本を3冊くらい持って行きます)。これから読書の秋。「灯火親しむの候」という美しい言葉があります。ぜひ皆さんも読書に親しみましょう! できればこのブログで紹介している書籍を読んでいただければ幸いです。

神田の古書店、八木書店様より少し前に送られてきた講演会の案内です。光太郎がメインではありませんが、ご紹介します。 

晶子没後70年記念出版『新版評伝与謝野寛晶子』完結記念公演 与謝野夫妻の評伝を書き終えて -収集した二五〇〇通の書簡と全集・全釈編纂から-

講師 逸見久美氏
日時 平成24年9月29日(土) 15:00~
会場 東京堂書店神田神保町店6階 東京堂ホール
入場無料

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光太郎と親交のあった与謝野寛(鉄幹)・晶子夫妻研究の第一人者であらせられる逸見氏のご講演です。氏の編まれた『与謝野寛晶子書簡集成』には光太郎の名が散見され、「光太郎遺珠」編集に際して大いに参考にさせていただきました。
 
今月末に八木書店様の出版部から『新版 与謝野寛晶子評伝昭和篇』という氏の新著が刊行されるので、その関連と思われます。
 
講演会自体はまだ先なのですが、「先着80名」だそうですので、早めにご紹介いたします。
 
ここ数年、与謝野夫妻と光太郎がらみでの新資料をいくつか見つけていますので、当方も聴きに行ってみようと思っております。

昨日8月6日は広島原爆の日でした。001
 
そこで、昨日のブログでは光太郎が原爆に言及した文章を一篇、紹介しました。
 
昭和24年3月20日ナカヤジェネラル貿易会社刊行の、広島文理科大学助教授小倉豊文が書いた広島での被爆体験記、『絶後の記録』海外輸出版の序文です。初版は昭和23年11月、中央社の刊行ですが、翌年に刊行された海外輸出版の序文を光太郎が書いています。
 
その後、調べてみましたところ、小倉宛の書簡で『絶後の記録』に触れたものがいくつか見つかりましたので、関連する部分のみ抜粋して紹介します。
 
書簡三〇九一 昭和23年(1948)10月2日(『高村光太郎全集』別巻)
 「原爆手記」は期待されます。
 
書簡一五〇八 昭和23年(1948)12月10日(『高村光太郎全集』第十五巻)
 御恵贈の「絶後の記録」を三四度くりかへしてよみました。その間つい御礼も書けずにゐました。まつたく息もつまる思でよみました。あの頃の世界を身に迫つて感じ、何とも言へず夢中で読みました。貴下が全身をあげて投擲するやうに書いて居られる気持ちがよく分かりました。最後の章にこもつてゐる貴下の感懐には十二分に共鳴を感じます。またきつと読み返すでせう。これは記録としても貴重な文献です。厚く御礼申上げます。
 
書簡一五一二 昭和23年(1948)12月15日(『高村光太郎全集』第十五巻)
 今夜何度目かの「絶後の記録」繙読を終つたところです。感無量です。村の人たちに御紹介してゐます。せめて英訳でもつくられて、世界の人々に読んでもらつたらいゝと思ひます。
 
ここまでが初版の『絶後の記録』に関する内容でしょう。光太郎、若い詩人達から詩集などを贈られると律儀に返礼を書いていますが、ここまで手放しで礼賛している例は非常に珍しいことです。
 
 
書簡三〇九三 昭和24年(1949)1月5日(『高村光太郎全集』別巻)
 おてがみをよんで感動しました。
 「ノオモア」の為にあの著書を役立てられやうとするお心はよく分かります。小生も一冊でも多く人が読むやうにと念じ、又機会ある毎に人にすすめようと思つてゐます。実際にあの本を読んだら戦争をはじめる気は無くなるでせう。人類は今後大規模の戦争を極限まで避けるやうになる事と考へます。
 
この時期におそらく海外輸出版の企図を伝えられたのでないかと推測されます。
 
書簡二八八六 昭和24年(1949)1月27日(『高村光太郎全集』第二十一巻)
 「絶後の記録」再版分をまたお送り下され忝なく存じました。貴下の誓願がだんだん成就してゆくやうに思はれます。この再版分は山口小学校に寄附しましたから此処のみんなにひろく読まれるでせう。御恵贈を感謝いたします。
 
書簡二八九六 昭和24年(1949)2月20日(『高村光太郎全集』第二十一巻)
 早速今晩書きましたので、明日発行所宛でお送りいたします。其後多くの人が読むやうで喜んでゐます。外国の人々も読めるやうになりさうなお話で尚更よろこびます。まつたくこの本はあらゆる人によんでもらひたいと思ひます。
 
これが海外輸出版の序文を書いたことに関わるのでしょう。
 
 
書簡三〇九四 昭和24年(1949)3月29日(『高村光太郎全集』別巻)
 中央社から再版が届きまして、感謝しました。これには海外輸出版とあるのでアメリカに居る邦人に読めるのはいいと思ひました。英語露語の版も出てアメリカやロシヤの人達にもよめるやうになれば尚いいのだと思はれます。ヒロシマが観光客立寄地になるやうですがただの遺跡見物に終らせたくありません。
 
そして光太郎の序が載った海外輸出版が届いた、というわけですね。
 
小倉本人に宛てたものではありませんが、宮澤賢治の父・政次郎に宛てた書簡では、このように語っています。もともと小倉は宮澤賢治の研究者で、その関連で光太郎や政次郎と面識があった人物です。
 
書簡一五五四 昭和24年(1949)3月18日(『高村光太郎全集』第十五巻)
 小倉豊文氏の「絶後の記録」が大変ひろく読まれるやうでよろこんで居ります。同氏の悲願がかなへられるやうにとおもひ居ります。
 
今年はオリンピックイヤーということで、昨日のニュースでは原爆の日の扱いが例年より少なかったように感じました。もちろん、ロンドンでの日本人選手の目をみはる活躍を報じることも大切でしょうが、やはり、日本人として、この日を風化させてはならないと思います。

今日は8月6日、広島原爆の日です。
 
光太郎が原爆に言及した文章を一篇思い出しましたので、紹介します。
 
昭和24年(1949)3月20日ナカヤジェネラル貿易会社刊行の、広島文理科大学助教授小倉豊文著『絶後の記録』海外輸出版の序文です。初版は昭和23年11月、中央社の刊行ですが、翌年に刊行された海外輸出版の序文を光太郎が書いています。また、その後中央公論社から覆刻された文庫版等にも掲載されています。画像は文庫版です。

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これもあまり長いものではありませんので全文を紹介しましょう。
 
豆ランプの光の下で小倉豊文氏の「絶後の記録」を読みをはつて私は何だか頭の中がきな臭いやうになり、自分がこんな静かな山の中の小屋に住んでゐるのをむしろ夢幻のやうにさへ感じた。翌日の夜また読みかへし、その後また読みなほして、しんから此の実感のあふれた記事の真相に心をゆすぶられた。甚だ素朴な書き方で氏自身の体験が端からつぎつぎと記録されてゆくうちに、此の火薬庫の爆発かと思つたものが、世界に於ける前代未聞の原子爆弾の爆裂である事がわかつて来る物凄さはまつたく私を戦慄させた。所謂原子爆弾症に仆れた夫人の事に筆が及ぶと殆と卒読に堪へない思がした。此の多くの無惨の死者が、若し平和への人類の進みに高く燈をかかげるものとならなかつたら、どう為よう。此の記録を読んだらどんな政治家でも軍人でも、もう実際の戦争をする気はなくなるであらう。今後せめて所謂冷たい戦争程度だけで戦争は終るやうになつてくれなければ此の沢山の日本人は犬死にになる。此本を読んで世界の人々に考へてもらひたい。
   一九四九年二月
 
戦時中には国民を鼓舞する戦争詩を書きまくっていた光太郎にとって、広島の惨状を記録したこの書は、ある意味峻烈な刃となって突きつけられたものです。
 
こうしたものを読むだにつけ、自らの戦争責任への反省の意は強くなったと思われます。
 
本当に地球上から戦争というものが無くなる日が来てほしいものです。

2日続けて既に他の雑誌等に発表された文章が「転載」されている例を紹介しました。「転載」がらみでは他にも色々なケースがあります。
 
具体例を挙げましょう。
 
『高村光太郎全集』第19巻には「ツルゲーネフの再吟味」という短い文章が載っています。これは昭和11年(1936)、六芸社から発行された『ツルゲーネフ全集』新修普及版の内容見本(広告的な冊子)から採録したものです。ところがその後、遡ること2年、昭和9年(1934)に発行された『ツルゲーネフ全集』のオリジナル版の内容見本を発見しました。こちらにも光太郎の「ツルゲーネフの再吟味」が掲載されています。
 
それだけなら、『高村光太郎全集』の解題を訂正すればいいだけの話です。前回紹介した「天川原の朝」などと同じパターンです。ところが、オリジナル版と新修普及版、それぞれを読み比べてみると、オリジナル版の方が長いのです。つまり新修普及版の内容見本に転載(というか再録)する際に、オリジナル版の内容から一部をカットしているわけです。こうなると、優先されるのはカットされる前のオリジナル版の方ということになります。そこで、平成18年(2006)発行の「光太郎遺珠」②に全文を掲載しました。
 
こういう例は他にもあります。
 
昭和28年(1953)6月1日発行の『女性教養』第173号という雑誌をネットで入手しました。光太郎の「炉辺雑感」という長い散文(講演の筆録)が載っており、当方作成のリストに載っていなかったからです。さて、手許に届いて早速読んでみましたところ、読み進めていくうちに、「あれ、これ、読んだことあるぞ」と気づきました。出てくるエピソード-その昔、キリスト教に興味を持ちながらどうしても入信に踏み切れなかった話、花巻の山小屋での農作業の話など-が記憶に残っていました。「ちっ、転載か」と思い、調べてみると、『全集』第10巻所収の『婦人公論』第37巻第6号に載った「美と真実の生活」という題名の講演会筆録と内容がかぶっています。ところがこれも、今回入手した『女性教養』の「炉辺雑感」の方が長いのです。『婦人公論』の「美と真実の生活」は、『女性教養』の「炉辺雑感」を換骨奪胎し、7割程の長さに圧縮してあることが分かりました。不思議なことに、両方とも昭和28年(1953)6月1日発行です。まあ、実際に店頭に並んだのは奥付記載の発行日通りではないかも知れませんが。これなどはちょっと変わったケースです。「炉辺雑感」、来年4月発行予定の『高村光太郎研究34』に所収予定の「光太郎遺珠」⑧に掲載予定です(「予定」ばかりですみません)。

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また、「転載」の結果、ほとんど別の作品に変わってしまっている、という例もあります。
 
よく知られている有名な詩「道程」。たった9行の短い詩ですが、大正3年3月、雑誌『美の廃墟』に発表された段階では102行もある長い詩でした。それが8ヶ月後に詩集『道程』に収められた段階ではばっさりと削られ、たった9行に。こうなるとほとんど別の作品といっていい程の改変です。詩の場合、あまりに変えられたものは『全集』第19巻に「初出・異稿」として改変前のものもまとめて載せられています。散文でもこういうケースがあり、転載された前後で、同じ題名で内容的にも同じ、しかし細かな言い回しを含め、100カ所以上の異同などというものもあります。こうなると、次に『全集』が編纂される際には双方を掲載しなければならないかもしれません。
 
このように基礎テキストの校訂すらまだまた途上の状態です。しかし、光太郎程の人物が書き残したもの、出来る限り完全に近い形で次の世代へと受けついでいく努力は続けていきたいと思っています。

今月末に続々出た光太郎関連新資料、第3弾が昨日また届きました。一日ごとに届いています。

爆笑問題の日曜サンデー 27人の証言

TBSラジオ編 TBSサービス刊 平成24年6月25日 定価1,365円

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現在、TBSラジオで日曜日の午後にオンエアされている番組、「爆笑問題の日曜サンデー」の中に、「27人の証言」というコーナーがあります。これは有吉佐和子の小説「悪女について」になぞらえて、著名人や場所、ものにまつわる証言を集めて、今まで語られなかったエピソードを紹介するというコンセプトです。
 
 「悪女について」はインターネットサイト「フリー百科事典ウィキペディア」によれば、「女性実業家・富小路公子が突然、謎の死を遂げる。公子は持ち前の美貌と才能を駆使して、一代で財を成した一方で数々のスキャンダルを起こしたことから、マスコミからは「虚飾の女王」「魔性の女」などと悪評を書きたてられていた。物語は、そんな公子と関わった人物27人へのインタビューを綴ったものである。」とのこと。
 
「27人」というのはここからとったもので、実際には毎回5人前後の「証言」で構成されています。第1回の放送は平成20年4月。今までに150回ほどの回を重ねています。
 
その約150回の中から、15回分をえりすぐって書籍化したのがこの本です。平成21年(2009)4月5日オンエアの「高村光太郎」も含まれています。他に紹介されているのは手塚治虫、甲子園、松田優作、石ノ森章太郎、藤田嗣治、東京オリンピック、阿佐ヶ谷、夏目雅子、岡本太郎、上野動物園、阿久悠、今村昌平、太宰治、有吉佐和子。
 
光太郎の部は5人の証言、合間合間の爆笑問題のお二人のトークから成っています。TBSアナウンサー 長峰由紀氏/父から母へ送られた『智恵子抄』、元日本詩人クラブ会長 寺田弘氏/『自分の家が燃えるってのはきれいなもんだね』、北川太一先生/目上の人でも下の人でも同じ態度の人、高村光太郎記念会理事長 高村規氏/生証言、そして当方の証言・「光太郎の足は三十センチあった!?」。「真面目な」証言は諸先輩方に任せ、当方は番組的な流れを考え、小ネタで攻めました(笑)。
 
オンエアの際には元埼玉県東松山市教育長で光太郎と親交のあった田口弘氏の証言もありましたが、書籍ではカットされています。
 
本書、当初は4月に刊行の予定で、3月はじめに制作会社から連絡があってゲラの確認等をしたのですが、刊行がずれこみました。4月に入ってからは「まだか、まだか?」とやきもきしていましたが、何はともあれ無事刊行されてひと安心です。15回分で100人超の証言が載っていますので、掲載許可等の手続きが大変だったのではないでしょうか。たくさんの人の証言を集めるというコンセプトについては、本書前書きにパーソナリティーを務める爆笑問題のお二人の談話として、「放送作家を何十人もタダで雇ってるみたいなものでありがたい。」というくだりがあります。我々証言者、なんだか上手くのせられているなと笑ってしまいました。実際、オンエアに関しても、出版に関してもノーギャラですし。
 
しかし、約150回分の放送の中から書籍に選ばれたのが15回分。そこに光太郎が入ったのは嬉しい限りです。
 
さて、メジャーどころの爆笑問題のお二人の書籍ですので、一般の書店でも平積みで並ぶのではないかと思います。是非お買い求め下さい!

今月末に続々刊行の光太郎関連新資料、第2弾が昨日また届きました。この世界の第一人者、北川太一先生の新刊です。
二玄社 高村光太郎/北川太一著 平成24年6月20日 定価1,600円+税

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昭和6年(1931)、光太郎は新聞社・時事新報社の依頼で、約1ヶ月かけて、石巻から金華山、女川、気仙沼、釜石、そして宮古までをほぼ航路で旅し、紀行文「三陸廻り」を執筆しています。また、戦後、花巻郊外の山小屋で、雑誌『すばる』に「みちのく便り」という文章を断続的に連載しています。
 
本書は東北を描いたその二つの作品を軸に、同時期や二つをつなぐ時期の光太郎詩文を紹介しつつ、光太郎、さらには智恵子の内面を考える試みです。著者が「高村光太郎/北川太一」となってるのは、そういうわけです。
 
昨年の秋でしたか、千駄木の北川先生のお宅にお邪魔した際、この書籍に話になり、「なかなか進まなくて……」とぼやかれていたのを思い出します。ここ数年、手術を受けられたり、おみ足の調子もよろしくないとのことで、出歩くこともほとんどないとのことですし、御手紙には「毎日リハビリで……」というようなことも書かれています。そんな中、ついにこの書籍が刊行されたということで、我が事のように喜んでおります。
 
後にまた書きますが、ここで取り上げられた「三陸廻り」が縁で、彼の地での光太郎顕彰活動も湧き起こりました。しかし、ご存知の通りの昨年の大震災での大きな被害。顕彰活動の中心になっていた方も、あの津波に呑み込まれ、亡くなりました。そうした経緯をふまえ、北川先生は「あとがき」でこのように書かれています。
 
 光太郎の目に映り、心に残った三陸は、ことに今度の3.11の災害の後では、もうこれを読む人々のこころの中にしかありません。しかしそれは無くしてもいいものでしょうか。過去の度重なる災害から不死鳥のように蘇ったかけがえのないこの風土と人情は、更に純化され再生されなければなりません。
 
まさしくその通りだと思います。

今週いただいた新刊資料2冊を紹介します。奇しくも双方とも、今年亡くなった吉本隆明氏に関連するものです。

ご存知の方も多いかとは思いますが、氏は昭和三十年代から光太郎を論じはじめ、その論評が未だに我々研究者のバックボーンの一つとなっています。 

資料集 永瀬清子の詩の世界

赤磐市教育委員会編 平成24年(2012)3月31日 赤磐市教育委員会熊山分室 非売品?

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岡山県から届きました。光太郎と親交のあった詩人、赤磐市ゆかりの永瀬清子に関する資料です。以前、「遺珠」①にて永瀬宛光太郎書簡を御遺族の方を通じてご提供いただいたりしたご縁です。ありがたいことです。

光太郎の名は出て来ませんが、光太郎が序文を執筆した詩集『諸国の天女』に触れる部分等があります。

目次を抄録します。
 
 永瀬清子講演録「のびゆくひと」
 永瀬清子の詩の世界-焔に薪を 石原武
 永瀬清子の詩の世界-私は地球 吉本隆明
 対談 感覚をもとめつつ労働する 井坂洋子 伊藤敏恵
 永瀬清子の詩の世界-光っている窓 谷川俊太郎 山根基世
 永瀬清子の詩の世界- 西本多喜江
 
吉本氏をはじめ、錚々たるメンバーです。吉本氏が永瀬清子にも目を向けていたというのは、当方、寡聞にして存じませんでした。
 
それにしても、地方の一教育委員会が、地元の詩人についてこのようにしっかりと顕彰事業を行っているというのが素晴らしいと思います。当方の持論で、あちこちで同じようなことを書いたり喋ったりしていますが、どんなにすぐれた芸術作品でも、後の時代の人間がその価値を正しく理解し、次の世代へと受けつぐ努力をしなければ、やがては歴史の波の中に埋もれてしまうものです(光太郎も例外ではありません)。そういった意味では、赤磐市の取り組みは、そうはさせまいという意気込みが伝わってきます。 

雑誌『春秋』539号

春秋社 平成24年(2012)5月25日 定価71円

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当会顧問・北川太一先生から頂きました。先生の玉稿「死なない吉本」が紙面を飾っています。
 
北川先生と吉本氏は戦争を挟んだ数年間、東京府立化学工業学校・東京工業大学で机を並べ、互いのお宅を行き来する仲だったとのこと。もちろんそこには「光太郎」という共通項があったわけです。
 
これまでに発表された追悼談話の数々は、氏を半ば神格化しつつあるかと思います。確かに当方などにとっては雲上人ですし、もう少し前の世代のある立場の人々にとっては、北川先生も引用なさっている通り「日本の英雄」的な扱いも無理からぬことです。しかし、それを「「よせやい!」という彼一流の苦笑いさえ見えるようだ。」と評するあたたかな北川先生の眼差しが感じられます。
 
さて、このブログを書いている今日、これから一寝入りして国会図書館経由で福島・二本松に向かいます。

昨日入手した新刊資料を紹介します。 

 関川夏央 NHK出版 平成24年(2012)5月10日

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新刊です。新書判で、これなら近所の書店で並んでいるだろうと思っていましたが、意外と新書判の品揃えはあまり多くなく、隣の成田市の大きな書店でようやく見つけました。少し前に「新書ブーム到来か?」などといわれ、新規に参入する出版社が相次ぎましたが、現実には地方の書店ではなかなか入荷されません。昨日やっとみつけたものも、ついているはずの帯がついていませんでしたし、これが地方の現状です。
 
カバーに書かれた紹介文です。「日露戦争に勝利した一九〇五年(明治三十八)、日本は国民国家としてのピークを迎えていた。そんな時代を生きた著名文学者十二人の「当時」とその「晩年」には、近代的自我の萌芽や拝金主義の発現、海外文化の流入と受容、「表現という生業」の誕生といった現代日本と日本人の「発端」が存在した――。いまを生きる私たちと同じ悩みを持ち、同じ欲望を抱えていた「彼ら」に、現代人の祖形を探る、意欲的な試み」。
 
ちなみに12人は森鷗外、津田梅子、幸田露伴、夏目漱石、島崎藤村、国木田独歩、高村光太郎、与謝野晶子、永井荷風、野上弥生子、平塚らいてう、石川啄木です。
 
著者の関川氏は文芸評論、ノンフィクションなどを幅広く手がけ、平成10年(1998)には氏の原作、谷口ジロー氏作画の連作漫画『「坊ちゃん」の時代』で第2回手塚治虫文化賞を受賞されています。
 
『「坊ちゃん」の時代』は「凛烈たり近代 なお生彩あり明治人」をテーマに、「明治」という時代と格闘したあまたの文学者を描く群像ドラマです。完結までに10年を要した大河作品で、第1部が出た昭和62年には「漫画もここまで来たか」と驚いたことを覚えています。その後、同じような系列の作品がいろいろな方によって作られるようになりました。その意味では嚆矢です。
ラインナップは以下の通り。

 第1部「「坊っちゃん」の時代」 夏目漱石
 第2部「秋の舞姫」 森鷗外
 第3部「かの蒼空に」石川啄木
 第4部「明治流星雨」幸徳秋水
 第5部「不機嫌亭漱石」夏目漱石
 
第5部で明治43年(1910)の漱石の「修善寺の大患」を描き、「明治」の終焉が描かれましたが、「明治」を引きずり続けた「明治人」ということで、光太郎を主人公にした第6部を作ってくれないかな、などと思っていました。
 
その願いは叶いませんでしたが、本書が「「明治」を引きずり続けた「明治人」」を描くというコンセプトにもなっているようです。先に名前を挙げた12人の多くが「「坊ちゃん」の時代」に登場しています。
 
実は昨日買ってきて、まだ読んでいません。明日から1泊で福島二本松に参りますので、道中、新幹線の車内で読もうと思っています。
 
さて、「新刊」ということになると、今月末には楽しみにしていた光太郎関連の新刊が続々刊行されます。それぞれ手元に届いたら紹介しましょう。

今日も少し前に出版されたもので、光太郎関連のものをご紹介します。 

長沼智恵子と高村光太郎 純愛の検証-『智恵子抄』の物語

 鈴木豊次著 東京文芸館 平成21年(2009)4月8日 定価2,000円+税

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『智恵子抄』および『智恵子抄その後』に収められた詩篇をたどりつつ、光太郎・智恵子の世界観に迫っています。目次を抄録させていただきましょう。

 序章 「『智恵子抄』の物語」理解のために
  1 『智恵子抄』についての疑問
  2 『智恵子抄』のテキスト
 第一章 「あなた」と呼ばれる智恵子-恋愛の時代-
  1 犬吠岬(正しくは「埼」)・上高地の「僕等」
  2 新しい女・智恵子の結婚
 第二章 「樹下の二人」あなたから智恵子へ-結婚の時代-
  1 「樹下の二人」までの空白
  2 病みがちだった智恵子と「樹下の二人」
  3 安達町智恵子記念館
     閑話休題 光太郎と真壁仁  「樹下の二人」の詩碑
  4 天上的な智恵子
  5 光太郎の「同棲同類」
  6 智恵子にとっての「同棲同類」
  7 あどけない話
     閑話休題 光太郎と中原綾子
 第三章 智恵子狂気-狂気の時代-
  1 「人生遠視」
  2 狂気する妻
  3 「千鳥と遊ぶ智恵子」と九十九里浜
     閑話休題 九十九里浜有情
 第四章 「レモン哀歌」-智恵子回想-
 第五章 智恵子に-智恵子への報告-
 終 章 『智恵子抄』の評価をめぐって
 補 遺 『智恵子抄』余聞
  カミーユ・クローデルについて 室生犀星の「光太郎の印象」について
  丸山薫が『智恵子抄』を「あれはお線香だよ」といい捨てたことについて
 
 220頁ほどの労作ですが、残念なことにネット販売では取り扱っていないようです。一般の書店で注文するしかないかもしれません。当方は古書店の在庫目録で見つけました。 

恋する女 一葉・晶子・らいてうの時代と文学

 高良留美子著 學藝書林 平成21年(2009)6月5日 定価3,000円+税

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女流詩人であり、ジェンダー的な方面にも造詣の深い著者による評論集です。「Ⅰ 一葉の恋」「Ⅱ 晶子の挑発」「Ⅲ らいてうの飛翔」ときて「Ⅳ ロマンティック・ラブの時代へ」の中に「第3章 三角形の恋 光太郎・智恵子・俊子-女性へのサディズムと火あぶり幻想」(書き下ろし)が含まれています。
 
この部分以外でも、光太郎・智恵子と交流のあった与謝野晶子や平塚らいてう等に関する部分も興味深く拝読しました。こちらはネットでも手に入りそうです。
 
もう少し、この項目を続けます。

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