新刊です。
発行日 : 2024年11月20日
著者等 : 中野敏男
版 元 : 青土社
定 価 : 3,600円+税
過去の歴史を引き受け、未来の歴史をつくりだすために
「戦後八〇年」を迎える現在、いまもなお植民地主義は継続している――。近代から戦前―戦後を結ぶ独自の思想史を描き、暴力の歴史を掘り起こす。日本と東アジアの現在地を問う著者の集大成。
目次
目次
序章 継続する植民地主義を問題とする視角
はじめに――植民地主義の継続という問題
一 暴力の世紀――「冷戦」という語りが隠したもの
二 「戦後」に継続する植民地主義――日本の暴力の世紀
三 植民地主義の様態変化とそれを通した継続――思想史への問い
第一部 植民地主義の総力戦体制と合理性/主体性―合理主義と主体形成の隘路
第一章 植民地主義の変容と合理主義の行方―合理主義に拠る参与と抵抗の罠
はじめに――システム合理性への志向と植民地主義の変容
一 産業の合理化と植民地経済の計画――「満州国」という経験
二 総力戦体制の合理的編成と革新官僚
三 参与する合理的な社会科学
第二章 植民地帝国の総力戦体制と主体性希求の隘路―三木清の弁証法と主体
はじめに――植民地主義の総力戦体制と「転向」という思想問題
一 方向転換と知識人の主体性
二 有機体説批判と主体の弁証法
三 ヒューマニズムから時務の論理へ
四 帝国の主体というファンタジー
第二部 詩人たちの戦時翼賛と戦後詩への継続
第三章 近代的主体への欲望と『暗愚な戦争』という記憶―高村光太郎の道程
はじめに――近代詩人=高村光太郎の「暗愚」
一 「自然」による救済の原構成――第一の危機と「智恵子」の聖化
二 神話を要求するモダニティ――第二の危機と「日本」の聖化
三 「暗愚」という悔恨とモダニズムの救済――第三の危機と「生命」の聖化
小括
第四章 戦後文化運動・サークル詩運動に継続する戦時経験―近藤東のモダニズム
はじめに――継続する詩運動のリーダー近藤東の記憶
一 戦後詩の場を開示する戦中詩
二 「勤労詩」という愛国の形
三 「戦後」への詩歌曲翼賛
四 排除/隠蔽されていくもの
小括
第三部 「戦後言論」の生成と植民地主義の継続―岐路を精査する
第五章 戦後言説空間の生成と封印される植民地支配の記憶
はじめに――「国全体の価値の一八〇度転換」?
一 敗戦国への「反省」、総力戦体制の遺産
二 ポツダム宣言の条件と天皇制民主主義という思想
三 「八月革命」という神話――構成された断絶
四 加害の記憶の封印、民族の被害意識の再覚醒
五 「自由なる主体」と「ドレイ」――主体と反主体
第六章 戦後経済政策思想の合理主義と複合化する植民地主義
はじめに――有沢広巳の戦後の始動
一 「植民地帝国の敗戦後」という経済問題
二 戦後経済政策の始動と自立経済への課題
三 「もはや戦後ではない」という危機感とその解決――賠償特需
四 「開発独裁」と連携する植民地主義
五 技術革新の生産力と国際分業の植民地主義
六 原子力という袋小路――植民地主義に依存する経済成長主義の帰結
第四部 戦後革命の挫折/「アジア」への視座の罠
第七章 自閉していく戦後革命路線と植民地主義の忘却
はじめに――日本共産党の「戦後」を総括すること
一 金斗鎔の国際主義と日本共産党の責務
二 戦後革命路線の生成と帝国主義・植民地主義との対決回避
三 五五年の分かれ
四 正当化された「被害」の立場/忘却される植民地主義
第八章 「方法としてのアジア」の陥穽/主体を割るという対抗
はじめに――「アジア」への関心へ
一 「戦後」をいかに引きうけるか
二 アジア主義という陥穽
三 主体を割るという対抗
第五部 植民地主義を超克する道への模索
第九章 植民地主義を超克する民衆の出逢いを求めて
はじめに――「反復帰」という思想経験に学ぶ
一 「反復帰」という対決の形
二 共生の可能性を求めて――「集団自決」の経験から
三 植民地主義の記憶の分断に抗して――「重層する戦場と占領と復興」への視野
四 民衆における異集団との接触の経験
五 沖縄の移動と出会いの経験に別の可能性を見る
一 暴力の世紀――「冷戦」という語りが隠したもの
二 「戦後」に継続する植民地主義――日本の暴力の世紀
三 植民地主義の様態変化とそれを通した継続――思想史への問い
第一部 植民地主義の総力戦体制と合理性/主体性―合理主義と主体形成の隘路
第一章 植民地主義の変容と合理主義の行方―合理主義に拠る参与と抵抗の罠
はじめに――システム合理性への志向と植民地主義の変容
一 産業の合理化と植民地経済の計画――「満州国」という経験
二 総力戦体制の合理的編成と革新官僚
三 参与する合理的な社会科学
第二章 植民地帝国の総力戦体制と主体性希求の隘路―三木清の弁証法と主体
はじめに――植民地主義の総力戦体制と「転向」という思想問題
一 方向転換と知識人の主体性
二 有機体説批判と主体の弁証法
三 ヒューマニズムから時務の論理へ
四 帝国の主体というファンタジー
第二部 詩人たちの戦時翼賛と戦後詩への継続
第三章 近代的主体への欲望と『暗愚な戦争』という記憶―高村光太郎の道程
はじめに――近代詩人=高村光太郎の「暗愚」
一 「自然」による救済の原構成――第一の危機と「智恵子」の聖化
二 神話を要求するモダニティ――第二の危機と「日本」の聖化
三 「暗愚」という悔恨とモダニズムの救済――第三の危機と「生命」の聖化
小括
第四章 戦後文化運動・サークル詩運動に継続する戦時経験―近藤東のモダニズム
はじめに――継続する詩運動のリーダー近藤東の記憶
一 戦後詩の場を開示する戦中詩
二 「勤労詩」という愛国の形
三 「戦後」への詩歌曲翼賛
四 排除/隠蔽されていくもの
小括
第三部 「戦後言論」の生成と植民地主義の継続―岐路を精査する
第五章 戦後言説空間の生成と封印される植民地支配の記憶
はじめに――「国全体の価値の一八〇度転換」?
一 敗戦国への「反省」、総力戦体制の遺産
二 ポツダム宣言の条件と天皇制民主主義という思想
三 「八月革命」という神話――構成された断絶
四 加害の記憶の封印、民族の被害意識の再覚醒
五 「自由なる主体」と「ドレイ」――主体と反主体
第六章 戦後経済政策思想の合理主義と複合化する植民地主義
はじめに――有沢広巳の戦後の始動
一 「植民地帝国の敗戦後」という経済問題
二 戦後経済政策の始動と自立経済への課題
三 「もはや戦後ではない」という危機感とその解決――賠償特需
四 「開発独裁」と連携する植民地主義
五 技術革新の生産力と国際分業の植民地主義
六 原子力という袋小路――植民地主義に依存する経済成長主義の帰結
第四部 戦後革命の挫折/「アジア」への視座の罠
第七章 自閉していく戦後革命路線と植民地主義の忘却
はじめに――日本共産党の「戦後」を総括すること
一 金斗鎔の国際主義と日本共産党の責務
二 戦後革命路線の生成と帝国主義・植民地主義との対決回避
三 五五年の分かれ
四 正当化された「被害」の立場/忘却される植民地主義
第八章 「方法としてのアジア」の陥穽/主体を割るという対抗
はじめに――「アジア」への関心へ
一 「戦後」をいかに引きうけるか
二 アジア主義という陥穽
三 主体を割るという対抗
第五部 植民地主義を超克する道への模索
第九章 植民地主義を超克する民衆の出逢いを求めて
はじめに――「反復帰」という思想経験に学ぶ
一 「反復帰」という対決の形
二 共生の可能性を求めて――「集団自決」の経験から
三 植民地主義の記憶の分断に抗して――「重層する戦場と占領と復興」への視野
四 民衆における異集団との接触の経験
五 沖縄の移動と出会いの経験に別の可能性を見る
結章
一 合理性と主体性という罠
二 植民地主義の様態変化と資本主義・社会主義の行方
三 植民地主義の「継続」を問う意味。「小さな民」の視点
あとがき
文献目録
索引
「文献目録」「索引」まで含めると500ページほどの労作です。
過日ご紹介した辻田真佐憲氏著『ルポ 国威発揚 「再プロパガンダ化」する世界を歩く』(中央公論新社)にしてもそうですが、来年で第二次大戦終結80年、ついでにいうなら昭和100年ということもあり、あの時代への考察が今後とも流行りとなるような気がします。
ただし、「あの時代」と区切ってしまうのではなく、戦後、そして現在へと継続して通底する何かが存在するわけで、本書ではそのうちタイトルにもある「植民地主義」にスポットをあてています。
一部の書き下ろし部分を除き、大半は90年代末から一昨年までのものの集成。したがって、現在も泥沼化しているウクライナ問題への言及はほぼありませんが、逆に忘れ去られかけている(しかし解決したとは言い難い)諸問題への言及も多く、いろいろ考えさせられます。
下は除幕式の集合写真です。一 合理性と主体性という罠
二 植民地主義の様態変化と資本主義・社会主義の行方
三 植民地主義の「継続」を問う意味。「小さな民」の視点
あとがき
文献目録
索引
「文献目録」「索引」まで含めると500ページほどの労作です。
過日ご紹介した辻田真佐憲氏著『ルポ 国威発揚 「再プロパガンダ化」する世界を歩く』(中央公論新社)にしてもそうですが、来年で第二次大戦終結80年、ついでにいうなら昭和100年ということもあり、あの時代への考察が今後とも流行りとなるような気がします。
ただし、「あの時代」と区切ってしまうのではなく、戦後、そして現在へと継続して通底する何かが存在するわけで、本書ではそのうちタイトルにもある「植民地主義」にスポットをあてています。
一部の書き下ろし部分を除き、大半は90年代末から一昨年までのものの集成。したがって、現在も泥沼化しているウクライナ問題への言及はほぼありませんが、逆に忘れ去られかけている(しかし解決したとは言い難い)諸問題への言及も多く、いろいろ考えさせられます。
「第二部 詩人たちの戦時翼賛と戦後詩への継続」中の「第三章 近代的主体への欲望と『暗愚な戦争』という記憶―高村光太郎の道程」30ページ超がまるっと光太郎がらみ。元は平成8年(1996)に柏書房さんから刊行された『ナショナリティの脱構築』という書籍に収められたものだそうですが、存じませんでした。
青年期に「根付の国」(明治44年=1911)などでさんざんに日本をこきおろしていた光太郎が、十五年戦争時には一転して翼賛に走ったことに対し、そこに到るまでをつぶさに辿りつつ、ある種の必然性を見出しています。ちち・光雲や妻・智恵子との生活史、そして精神史の変遷を抜きに語れない、そしてそれは「豹変」ではなかった、的な。この読み方には好感を覚えました。ある人間の、「それまで」をあまり考えず、「その時」だけに着目したところで、正しく考察出来るわけがありませんから。
そして戦後の花巻郊外旧太田村での蟄居生活を、連作詩「暗愚小伝」を元に読み解き、さらに最晩年、開拓や原子力へ期待を寄せる詩文を書いていたことに触れ、それとて形を変えた「翼賛」だったと、かなり手厳しい評。曰く「「悔恨」の陥穽に落ちて総括されずに残った、戦中と戦後との連続の一例」。なるほど、そういわれても仕方がありません。しかし、「悔恨」すらしなかった多くの文学者、美術家たちと比較し、光太郎はとにもかくにも「悔恨」を形にした数少ない例であることは声を大にして言いたいところですが。
というわけで、ぜひお買い求めの上、お読み下さい。
【折々のことば・光太郎】
このやうな記念碑が温泉に出来て、今日はその除幕式でした。秋晴れのいい天気で一ぱいやつてきました。
「記念碑」はグループ企業としての花巻温泉社長だった故・金田一国士の業績を称える碑で、碑文の詩「金田一国士頌」を光太郎がこのために作りました。光太郎生前唯一の、オフィシャルな光太郎詩碑です。ただし、書は光太郎の筆跡ではなく金田一の腹心でもあった太田孝太郎の手になるもの。太田は盛岡銀行の常務などを務めるかたわら、書家としても活動していました。
青年期に「根付の国」(明治44年=1911)などでさんざんに日本をこきおろしていた光太郎が、十五年戦争時には一転して翼賛に走ったことに対し、そこに到るまでをつぶさに辿りつつ、ある種の必然性を見出しています。ちち・光雲や妻・智恵子との生活史、そして精神史の変遷を抜きに語れない、そしてそれは「豹変」ではなかった、的な。この読み方には好感を覚えました。ある人間の、「それまで」をあまり考えず、「その時」だけに着目したところで、正しく考察出来るわけがありませんから。
そして戦後の花巻郊外旧太田村での蟄居生活を、連作詩「暗愚小伝」を元に読み解き、さらに最晩年、開拓や原子力へ期待を寄せる詩文を書いていたことに触れ、それとて形を変えた「翼賛」だったと、かなり手厳しい評。曰く「「悔恨」の陥穽に落ちて総括されずに残った、戦中と戦後との連続の一例」。なるほど、そういわれても仕方がありません。しかし、「悔恨」すらしなかった多くの文学者、美術家たちと比較し、光太郎はとにもかくにも「悔恨」を形にした数少ない例であることは声を大にして言いたいところですが。
というわけで、ぜひお買い求めの上、お読み下さい。
【折々のことば・光太郎】
このやうな記念碑が温泉に出来て、今日はその除幕式でした。秋晴れのいい天気で一ぱいやつてきました。
昭和25年(1950)10月8日 澤田伊四郎宛書簡より 光太郎68歳
