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東京ステーションギャラリーさん、和歌山県立近代美術館さんと巡回した展覧会が、最終会場、山口県で開かれます。

動き出す!絵画 ペール北山の夢  モネ、ゴッホ、ピカソらと大正の若き洋画家たち

期 日 : 2017年1月28日(土)~3月12日(日)
会 場 : 下関市立美術館 山口県下関市長府黒門東町1-1
時 間 : 午前9時30分~午後5時 (入館は午後4時30分まで)
料 金 : 一般1,200円(960円)/大学生900円(720円)
      ※( )内は、20名以上の団体料金。
休館日 : 月曜日

大正期の美術界に功績を残した北山清太郎(1888-1945)の仕事を追いながら、彼が紹介した印象派からポスト印象派、キュビスムまでのヨーロッパ絵画、それらに感化されて新しい表現を展開した近代日本の芸術家たちによる作品を同時に展示する。 絵画、彫刻、資料およそ200点で、今から約100年前の美術「熱」をお伝えする。 (会期中に一部展示替あり)

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関連催事

記念講演会「身振りとマティエール――日本における表現的絵画の台頭」
 講師:北澤 憲昭(美術史家・美術評論家・女子美術大学教授)
 日時:2 月18 日(土)午後2時~午後3時30分  会場:下関市立美術館 講堂

美術講座「魅力発見!近代洋画っておもしろい」
 学芸員が日本近代洋画についてわかりやすく語ります。
 日時:3月5日(日)午後2時~午後3時30分  会場:下関市立美術館 講堂

ギャラリートーク(学芸員による展示解説)
 日時:1月28日(土)、3月4日(土)それぞれ午後2時~午後3時
 ※ ご参加には当日の観覧受付が必要です。
 会場:下関市立美術館 展示室

ワークショップ「みんなでアニメ・リレー」
 絵を描き継いで、紙アニメーション(パラパラまんが)をつくりましょう!
 ※ 開館時間中、ご自由にご参加いただけます。
 会場:下関市立美術館 エントランスホール、展示ホール、講堂いずれか


明治末から大正にかけ、青年画家達の活動を裏方から支えて洋画界の発展に寄与し、ゴッホらを支援したペール・タンギーになぞらえ、ペール北山と呼ばれてた北山清太郎に着目した企画展です。光太郎の油絵2点、「上高地風景」「佐藤春夫像」が出ます。

その他、光太郎と交流のあったさまざまな邦人芸術家の作品(絵画を中心に、彫刻、工芸も)、光太郎を含め彼等に影響を与えたモネ、ゴッホ等の作品がずらりとならび、さながら明治大正の反アカデミズム洋画壇史といった趣です。

絵画以外に、北山が編集に当たり、光太郎も寄稿していたさまざまな美術雑誌が展示されます。『現代の洋画』、『ヒユウザン』(のち『フユウザン』)、『生活』、『多津美』など。ヒユウザン会展のポスターなども。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

わがこころはいま大風(おほかぜ)の如く君に向へり

詩「郊外の人に」より 大正元年(1912) 光太郎30歳

この詩句が、詩の中で二回リフレインされています。

思いがけず智恵子と過ごすことになった、この年晩夏の千葉犬吠埼での体験を経て、秋には上記のヒユウザン会展。そしてこの詩は晩秋になって書かれました。

ヒユウザン会展では、光太郎の油絵が寺田寅彦に買い上げられ、展覧会で絵が売れるということの少なかったこの時代、光太郎は仲間に胴上げされて祝福を受けたといいます。

そうした高揚感が、智恵子への思いをさらに加速させていったのではないのでしょうか。

それぞれ先週、『毎日新聞』さんの地方版に載った、美術館の企画展報道です。

まず和歌山版。

「ペール北山の夢」展 画家と両輪、時代動かす 大正期の美術界支援

 詩人で彫刻家の高村光太郎はかつて記した。「この人ぐらい熱心に当時の美術界に尽力した人はないであろう」と。「この人」の名は北山清太郎(1888~1945年)。大正初期に雑誌の出版や展覧会開催を通して、岸田劉生や木村荘八ら若い画家たちを支援した。19世紀のパリで無名だったゴッホらを支え「ペール・タンギー」と慕われた画材商の男性にちなみ、「ペール北山」と呼ばれた。

 彼の故郷、和歌山市の和歌山県立近代美術館で開かれている展覧会「動き出す!絵画 ペール北山の夢」はあまり知られていない北山の仕事を軸に、大正期の美術動向を探ろうとする意欲的な企画だ。

 明治末以降、国内では文芸雑誌「白樺(しらかば)」がセザンヌやロダンを紹介するなど西洋美術への熱が高まっていた。北山は1908年に水彩画同好者の団体を結成後、東京で画材商を営みながら12年4月に美術誌「現代の洋画」を創刊。当時としては珍しいカラー図版や海外論文の翻訳を掲載するなど情報発信に努めた。本展では同誌で紹介されたゴッホやセザンヌらの作品とあわせて、彼らにあこがれた国内の画家たちの油彩画など計約170点が並ぶ。
 例えば萬(よろず)鉄五郎の「女の顔(ボアの女)」(12年)。椅子に腰掛ける和装の女性が荒々しい筆致で描かれている。その構図はゴッホの「ペール・タンギーの肖像」を思わせ、毛皮の襟巻きに異国趣味が漂う。08年にフランスから帰国した斎藤与里(より)の「木蔭(こかげ)」(12年)はセザンヌの水浴図の影響がうかがえる。一方で「律義にたたんだタオルを持つ姿は銭湯帰りのよう。日本の風習が感じられて面白い」と同館の青木加苗(かなえ)学芸員は指摘する。
 両作品とも、斎藤と高村が中心となって12年秋に結成した若手絵画グループ「ヒユウザン(後にフュウザン)会」の展覧会に出品された。北山はその運営や機関誌の発行を手伝った。また同会解散後の15年、メンバーだった岸田や木村らが発足させた「草土社」の初期運営にも関わり、出品目録などを手がけた。劉生の「代々木附近(ふきん)」(15年)は目の前の赤土と切り通しの風景を写実的に描き、新時代の到来を感じさせる。
 雑誌「現代の洋画」は「現代の美術」と改題し、15年までの発刊が確認されている。北山はそのころ出会ったアニメーションの制作に没頭するようになり、美術界からは遠のいた。近年は国産アニメの先駆者として注目されつつある。
 2006年から調査を続けてきた同館の宮本久宣学芸員は「北山は事業家として時代の最先端に反応しながら、芸術文化を支えることにやりがいを感じていたのでは」と話す。北山と美術の直接的な関わりは10年にも満たないが、それは日本の洋画界の転換期でもあった。最新の西洋美術を受容しながら自らの表現を追い求めた画家たちと、それを支えた名プロデューサーは両輪となって熱い時代を動かしたのである。
 来年1月15日まで。12月29日~1月3日、月曜休館(9日は開館、翌日休館)。和歌山県立近代美術館(073・436・8690)。【清水有香】


先月から、和歌山県立近代美術館さんで開催されている企画展「動き出す!絵画 ペール北山の夢―モネ、ゴッホ、ピカソらと大正の若き洋画家たち」についてです。光太郎油彩画「上高地風景」「佐藤春夫像」が出品されています。

開幕した頃に、地元紙や全国紙の和歌山版などで結構報じられましたが、始まって1ヶ月ほど経ってからの報道。これはこれでありがたいそうです。

というのは、花巻高村光太郎記念館さんのスタッフ氏から聞いた話ですが、企画展に関しては、開幕後、しばらく経つと落ちた客足が、この手の報道が入ることでまた持ち直すからなのでそうです。「なるほど」と思いました。

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同様に、同じ『毎日新聞』さんの千葉版では、千葉県立美術館さんでの企画展「メタルアートの巨人 津田信夫」を報じて下さっています。こちらは光太郎の実弟にして鋳金の人間国宝だった、高村豊周の作品も展示されています。

企画展 千葉「メタルアートの巨人 津田信夫」

 (毎日新聞千葉支局など後援) 来年1月15日まで、千葉市中央区中央港1の10の1、県立美術館。
 佐倉市出身の工芸家、津田信夫(1875~1946年)の代表的な作品を中心に、津田と関わりのあった工芸家や教え子の作品も展示し、津田の生涯を振り返る。

 津田は溶かした金属を型に流し込んで作る鋳金(ちゅうきん)の分野で活躍。鳥や動物などをモチーフに、装飾的表現を抑え形態そのものが持つ美を追求した。津田の初期から晩年までの金工作品、陶器を加えた約90点を紹介している。
 また、母校の東京美術学校(現東京芸術大学)で約40年間教壇に立ち、工芸家の高村豊周ら逸材を輩出した。明治期から同校は各種各地の委嘱制作の注文を受けた。津田は近代工芸史上最大規模の作品ともいえる国会議事堂の正面扉群のほか、日比谷公園の鶴の噴水、日本橋橋上装飾の麒麟(きりん)など、経費や工期に至るまで総括した工房の親方として業績を残している。
 美術館普及課の担当者は「津田は工芸家、教育者、工房の親方として、多方面に優れた業績を残したメタルアートの巨人です。近代日本を代表する工芸作品をじっくり見てください」と来場を呼びかけている。
 美術館(電話043・242・8311)は9時~16時半(入館は16時まで)。月曜休館(祝日の場合は翌日)、年末年始(28日~来年1月4日)。入場料は一般500円、高・大生250円、中学生以下無料。【渡辺洋子】


それぞれ、来年1月15日(日)までの開催です。ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

一入に美術の海は波高しこゝ楫取りの腕をこそ見れ
明治32年(1899)頃 光太郎17歳頃

ペール北山、津田信夫、豊周、そして光太郎……。それぞれに波高き美術の海を渡っていったわけですね。

「一入」は「ひとしお」、「楫」は「かじ」と読みます。「こそ見れ」は係り結びですね。

和歌山県立近代美術館さんで、特別展「動き出す!絵画 ペール北山の夢―モネ、ゴッホ、ピカソらと大正の若き洋画家たち―」が開幕しました。

大正期、美術雑誌『現代の洋画』などを発行し、光太郎も加わったフユウザン会のパトロンでもあった、北山清太郎にスポットを当てた展覧会で、光太郎の油絵「上高地風景」「佐藤春夫像」も展示されています。

北山が和歌山出身ということもあり、地元紙や全国紙の和歌山版で、大きく取り上げられています。光太郎の名が記事にあるもののみ紹介します。


まず『わかやま新報』さん。

洋画支えたペール北山を軸に 近代美術館

009大正時代に西洋の美術を積極的に紹介し、日本の若手画家たちを支援した和歌山市出身の北山清太郎(1888~1945)に焦点を当てた展覧会『動き出す!絵画ペール北山の夢―モネ、ゴッホ、ピカソらと大正の若き洋画家たち―』が、同市吹上の県立近代美術館で始まった。来年1月15日まで。北山が創刊した美術雑誌で紹介した海外の巨匠たちと、その影響を受けた日本画家の作品、全国約70カ所から集まった約170点を一挙に展示している。
3年に1度開く大規模展覧会の第1弾。北山は明治45年(1912)に美術雑誌『現代の洋画』を創刊し、西洋美術を盛んに取り上げた。高村光太郎や岸田劉生ら、若い洋画家たちが興した美術団体「ヒユウザン会」(のちフュウザン会)の展覧会運営に携わり、目録や機関紙の発行を手掛け、活動を支えた。ゴッホを支援したペール・タンギーになぞらえ、「ペール北山」と呼ばれていたという。
大正5年には美術の世界を離れ、国産アニメーションの制作に没頭。ちょうど100年前の大正6年(1917)、〝動く絵〟である日本の最初のアニメーションを手掛けた開拓者の一人としても知られている。
会場には、ゴッホの「雪原で薪を集める人びと」や、水浴の裸婦を温かい色調で表現したルノワールの「泉による女」など、名だたる画家の名画の他、少女の視線や表情が印象的な岸田劉生の「童女図(麗子立像)」などが並ぶ。
また、北山が手掛け、大正初期に発表されたアニメーション作品「浦島太郎」も紹介されている。
同館の宮本久宣主査学芸員(43)は「日本の画家がどのように西洋美術に影響を受け、受容していったのか、日本と西洋の表現を見比べながら鑑賞してもらえれば。日本の美術を動かすきっかけとなった北山清太郎という人物が、この和歌山にいたことを知ってもらいたい」と話している。
関連事業として、26日午後2時から同館2階で、現代美術作家の森村泰昌さん
 と同館の熊田司館長による対談講演会「動く私、動く自画像」が開かれる(先着120人、午前9時半から整理券配布)。
展覧会は午前9時半から午後5時(入館は4時半)まで。問い合わせは同館(℡073・436・8690)。


それから、『ツー・ワン紀州』さん。

動き出す!絵画、ペール北山の夢 19日~来年1月15日 和歌山県立近代美術館

010「動き出す!絵画、ペール北山の夢、モネ、ゴッホ、ピカソらと大正の若き洋画家たち」(和歌山県立近代美術館ら主催)が19日(土)~来年1月15日(日)まで和歌山市の県立近代美術館で開かれる。
大正時代、西洋美術に学び、新たな表現によって時代を動かそうとした若き洋画家たちを支えた和歌山出身の北山清太郎(1888~1945)の視点を手がかりに、彼らが憧れた西洋美術と彼らの表現を紹介する。

1章=動き出す夢‐ペール北山と欧州洋画熱はカミーユ・ピサロ(ポントワーズのレザールの丘)、パブロ・ピカソ(帽子の男)など実際の作品を紹介。2章=動き出す時代‐新婦朝者たちの活躍と大正の萌芽は斉藤与里、山脇信徳、斎藤豊作。第3章=動き出す絵画‐ペール北山とフュウザン会、生活社は木村荘八、高村光太郎など。4章=動きした先に‐巽画会から草土社へは椿貞雄などに続く。

観覧料は一般1000円、大学生800円、高校生以下、65歳以上、障害者、県内在学中の外国人留学生は無料。

問い合わせは同美術館TEL073・436・8690。


続いて、主催に名を連ねている『読売新聞』さんの和歌山版。

新時代へ 描いた夢 ◇「動き出す!絵画」展内覧会へ 北山清太郎紹介

 大正時代の画家たちの創作活動を支援した和歌山市出身の北山清太郎(1888~1945)の活動を通して名画の数々を紹介する「動き出す!絵画 ペール北山の夢―モネ、ゴッホ、ピカソらと大正の若き洋画家たち」展(読売新聞社など主催)が19日、和歌山市吹上の県立近代美術館で開幕する。北山が創刊した雑誌で紹介した海外の巨匠たちと、その影響を受けた岸田劉生ら日本の画家の作品計約170点が一堂に会する。18日には、関係者向けの内覧会があった。(石黒彩子)
 北山は和歌山市生まれ。1912年、美術雑誌「現代の洋画」を創刊し、積極的に西洋美術を紹介。カラーで掲載される名画の数々に、多くの日本の画家たちが感化された。
 同年、西欧留学から帰国した高村光太郎は、岸田らを加えて、美術家集団「ヒユウザン会」(のちのフュウザン会)を結成。北山は同会の活動を支援し、展覧会目録や機関誌の発行を手がけた。パリでゴッホら若い画家を支えた画材商のペール・タンギーになぞらえ、「ペール北山」と呼ばれたという。
 北山はその後、アニメーションの世界に転身し、1917年には日本で最初のアニメーション作品を発表した1人になった。展覧会の名称は“動く絵”の制作を手がけ、大正時代の日本美術を動かした北山にちなんでいる。
 画集で紹介され、当時の日本の画家たちに影響を与えたゴッホの大作「雪原で 薪まき を集める人びと」や、岸田の代表作である「童女図(麗子立像)」など国内約70か所から集めた逸品ぞろい。宮本久宣・主査学芸員は「日本の画家が西洋絵画からどのように影響を受け、自分の表現に生かしていったかを対比しながら鑑賞できる貴重な機会。和歌山にそのきっかけを作った人がいたと知ってほしい」と話す。
 19日は午前9時30分から、開会式があり、同10時に開場。20日以降は午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)。来年1月15日まで。一般1000円、大学生800円、高校生以下や65歳以上などは無料。原則月曜日休館。
 問い合わせは同美術館(073・436・8690)へ。
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さらに『毎日新聞』さんの和歌山版。

西洋×日本、大正の若き洋画家たち 近代美術、目玉作品が集結 北山清太郎ゆかりの作品170点展示 和歌山 /和歌山

 西洋と近代日本の美術作品を集めた展覧会「動き出す!絵画 モネ、ゴッホ、ピカソらと大正の若き洋画家たち」が19日から、県立近代美術館(和歌山市吹上1)で開かれる。大正時代、美術雑誌の発行などを通して日本の洋画家たちを支えた和歌山市出身の北山清太郎(せいたろう)(1888~1945年)にスポットを当て、ゆかりの作品約170点を展示する。来年1月15日まで。
 
 北山は和歌山市で生まれ育ち、19歳の頃、横浜に移り住んだ。1912年、美術雑誌「現代の洋画」を創刊。積極的に西洋の美術を紹介した。
 この年、西欧留学から帰国した斎藤与里(より)と高村光太郎に岸田劉生(りゅうせい)らが加わり、美術団体「ヒユウザン会」(後のフュウザン会)を結成。展覧会を開いて注目を集めた。北山は会の運営や目録・機関誌の発行を担った。
 14年に別の美術団体の運営を任され、更に15年には岸田らと展覧会を開催。北山は当時の美術に新たな動きを起こした。画家たちは、パリでゴッホらを支援した画材商のペール・タンギー(タンギー親爺)になぞらえて「ペール北山」と呼んだ。16年以降、北山はアニメーション制作に取り組むようになった。
 同展では、北山が雑誌などで紹介したセザンヌ、モネ、ルノワール、ゴッホら印象派や後期印象派の作品を展示。北山と交流のあった岸田劉生、萬(よろず)鉄五郎、木村荘八(しょうはち)ら日本の洋画家の作品も一堂に集めた。
 展覧会のタイトルは、北山が美術の新しい動きを起こし、アニメを制作したことを示すという。企画した学芸員の宮本久宣さんと青木加苗さんは「当時のエネルギーが充満した展示空間になる。全国の美術館で目玉となる作品が集結するまたとない機会なので、ぜひ見に来てほしい」と話している。
 観覧料1000円、大学生800円。高校生以下無料。1月9日を除く月曜と12月29日~1月3日、10日は休館。11月26日に森村泰昌さんによる対談講演会▽12月23日に手回しアニメフィルム上映・解説会▽1月8日にレクチャーコンサートがある。いずれも午後2時から。問い合わせは同館(073・436・8690)。【坂口佳代】


当方、東京ステーションギャラリーさんでの東京展を拝見しましたが、さながら反アカデミズム日本近代洋画史、といった感の、非常にボリュームのある展覧会でした。また、豪華な図録が発行されており、貴重な資料です。

関西方面の皆さん、ぜひお出かけを。


【折々の歌と句・光太郎】

初雪や川越殿をふところに        
        明治39年(1906) 光太郎24歳

関東で初雪が降りました。11月としては54年ぶりだそうですし、「降雪」だけでなく「積雪」となると、東京都心では史上初の11月の積雪だとのことです。当方自宅兼事務所のある千葉県は関東でも温暖な地域ですが、それでも現在、みぞれです。

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「川越殿」はサツマイモ。埼玉川越がサツマイモの名産地だったことからそう呼ばれていました。おそらく、ほかほかの焼き芋でしょう。

会 場 : 和歌山県立近代美術館 和歌山市吹上1-4-14
時 間 : 9:30~17:00(入場は16:30まで)
料 金 : 一般1000(800)円、大学生800(600)円 *( )内は20名以上の団体料金
      高校生以下、65歳以上、障害者の方、県内に在学中の外国人留学生は無料
      11/26、12/24は「紀陽文化財団の日」として大学生無料
休館日 : 月曜日(月曜日が祝日又は祝日の振替休日となる場合は開館 次の平日休館)
      年末年始(12月29日から1月3日まで)

大正初期、大きな転換期を迎えた日本の美術を、影ながら動かした知られざる人物がいます。和歌山市に生まれた北山清太郎(きたやませいたろう)(1888–1945)がその人です。
北山は、美術雑誌『現代の洋画』や『現代の美術』等を出版して西洋の美術を盛んに紹介するとともに、岸田劉生や木村荘八ら、若い洋画家たちの活動を、展覧会の開催やカタログの出版などを通して献身的に支えました。その篤い支援に感謝した画家たちは、北山をパリでファン・ゴッホら多くの若い画家たちを支援した、画材商のペール・タンギー(タンギー親爺)になぞらえて、「ペール北山」と呼びました。
今回の展覧会では、この北山の活動を手がかりに、大正期の日本を熱狂させた西洋美術と、それに影響を受けながら展開した近代日本の美術を同時に紹介することを試みます。当時の画家たちが、次々と流入する情報から西洋美術の何を学び取り、影響を受けながらもそれをどのように乗りこえ、自らの表現を作り上げるにいたったのか。大正という熱い時代の美術を、改めて検証します。
なお北山は、その後美術の世界からアニメーションの分野へ転身し、ちょうど100年前の1917(大正6)年に、初めてアニメーション作品を発表した日本人3人のひとりとなります。北山は、まさに「絵を動かす」人となったのです。

 プロローグ 動き出す「洋画」 ——北山清太郎と『みづゑ』の時代
 第1章 動き出す夢 ―ペール北山と欧州洋画熱
 第2章 動き出す時代 ―新帰朝者たちの活躍と大正の萌芽
 第3章 動き出す絵画 ―ペール北山とフュウザン会、生活社
 第4章 動き出した先に ―巽画会から草土社へ
 エピローグ 動き出す絵 ―北山清太郎と日本アニメーションの誕生

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関連行事 

■対談講演会「動く私、動く自画像」
講師:森村泰昌(現代美術作家)×聞き手:熊田司(当館館長)
11月26日(土) 14:00から2階ホールにて(13:30開場、先着120名9:30より受付にて整理券配布)
巨匠と呼ばれる画家の絵に自らなりきる作品を制作してきた森村泰昌さんに、その制作を通して見えてきた作品の魅力や秘密を、当館館長が聞き手となってうかがいます。
巨匠と呼ばれる画家の絵に自らなりきる写真作品を制作してきた森村泰昌さんに、その制作を通して見えてきた作品の魅力や秘密、また本展を観て感じられたことなどを、当館館長が聞き手となってうかがいます。

■手回しアニメフィルム上映・解説会
講師:松本夏樹(映像文化史研究家)
12月23日(金・祝)14:00から2階ホールにて(13:30開場 先着120名 9:30より受付にて整理券配布)
北山清太郎が日本最初のアニメーション作家であることに関連して、当時のアニメーションの上映と解説を行います。

■レクチャーコンサート「出会う!音楽」
講師・ピアノ:松井淑恵(和歌山大学)×ヴァイオリン:日俣綾子
2017年1月8日(日)14:00から2階ホールにて(13:30開場 先着120名 9:30より受付にて整理券配布)
美術と同じように西洋からの影響を受けて展開した近代日本の音楽とアジアからの影響を受けた西洋音楽を、解説つきの演奏で紹介します。

■フロアレクチャー(学芸員による展示解説)
11月20日(日) 12月11日(日) 2017年1月9日(月・祝)14:00から会場にて(要観覧券)

■こども美術館部(小学生対象の鑑賞会)
12月3日(土) 14:00から会場にて(当日開始時間までに要受付)

同時開催:大正の異色画家たち
本展に関連し、大正時代の美術の諸相を、当館コレクションを中心に個人コレクションも交え、紹介します。


光太郎油絵作品、「上高地風景」(大正2年=1913)、「佐藤春夫像」(大正3年=1914)の2点が展示されます。

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特に「佐藤春夫像」は、こうした企画展等で出品されることがあまりなく、貴重な機会です。

009また、北山が編集し、光太郎もたびたび寄稿した雑誌『現代の洋画』、『ヒユウザン』(のち『フユウザン』)、『生活』なども。ただし、手にとって読むことは出来ないかとは思われますが。

図録が非常に豪華です。350ページ近くある分厚いもので、載せられている論考も充実しています。

ぜひ足をお運びください。

ちなみに同展は、来年1月28日(土)~3月12日(日)には、山口県の下関市立美術館さんに巡回される予定です。


【折々の歌と句・光太郎】

あたゝかき日かげみちたるおほ空を大き小きあきつむれとぶ

明治33年(1900) 光太郎18歳

「日かげ」は「日陰」ではなく「日の光」の意、「小き」は「ちいさき」と読むべきでしょう。

「あきつ」はトンボです。このところ、めっきり寒くなりつつあり、南関東でこの時期にもよく見られる赤トンボも、今年はあまり目立ちません。

ネットでいろいろ検索をしていて、気になる展示情報を見つけました。9月から始まっていました。   

常設展アーカイヴ平成28年度第3期 文学館の中の美術―宮崎丈二

期  日 : 平成28年9月13日(火)~11月7日(月)
会  場 : 北海道立文学館 札幌市中央区中島公園1番4号
時  間 : 9:30~17:00(展示室入場は16:30まで)
料  金 : 一般500円 高大生250円 中学生以下・65歳以上無料

常設展アーカイヴは、当館の所蔵資料を年に数回テーマを変えながらご紹介する小企画スペースです。
 平成28年度第3期は、「文学館の中の美術―宮崎丈二」として、北海道にゆかりの詩人・画家の宮崎丈二関連資料をご紹介します。
これらの資料は、旭川市生まれの詩集の収集家で宮崎丈二に私淑した高橋留治氏より寄贈されたものが中心となっています。
 宮崎の詩について高橋氏は、「日常生活のありふれた用語を自分のものに洗い尽して、平明な詩を書き続け、その詩は中にキラリと光る、幽かな余韻がこころに長く残る。」と書いています。
 平明で明るく、そして心に響く宮崎丈二の詩と絵の世界をお楽しみ下さい。

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宮崎丈二は明治30年(1897)、銚子生まれの詩人です。大正期からさまざまな詩誌の刊行に関わり、それらに光太郎作品を積極的に載せていました。また、やはり光太郎と縁の深い岸田劉生とも交流があり、岸田の興した草土社にも参加するなど、画業でも優れた作品を遺しています。

光太郎晩年は、詩人の西倉保太郎、材木商の浅野直也との3人組で、中野のアトリエを訪れたり、光太郎を飲みに連れ出したりもしました。光太郎歿後には、昭和32年(1957)の第1回連翹忌にも参加しています。

昨年、『高村光太郎全集』に漏れていた、宮崎宛(西倉保太郎と連名宛)の光太郎書簡を見つけました。昭和27年(1952)1月19日付けで、まだ光太郎が再上京する前、花巻郊外太田村から送られたものです。

007  新年のおたよりいろいろいただき、たのしい思をいたしました。蘭の莟がもう開く頃かと、うらやましく存じます。清香をおもひやります。
  寄書の酔筆にも、雅興想意、小生も新年には例のもの一盞、又醇醸の焼酎を得て珍しく三十五度の風味を味ひました。
  冬もあたたかく雪少なく、これは物足りません。

上記説明で、展示品の多くが高橋留治氏の寄贈による、とあります。高橋氏は宮崎の研究に功績のあった方で、当方、氏の書かれた『評伝 無冠の詩人 宮崎丈二――その芸術と生涯――』(昭和49年=1974 北書房)を持っています。540ページ余の労作で、光太郎と宮崎の交流にも触れ、非常に示唆に富むものです。

そういう経緯もあり、今回の展示も近くで開催されていれば是非拝見に伺うところですが……。


だいぶ以前にも書きましたが、やはり宮崎が刊行に関わっていた雑誌『太陽花』の第2巻第1号に、アメリカの詩人、ウォルト・ホイットマンの「栗色の顔をした野の若者よ」の光太郎訳が掲載されました。それに関する宮崎宛の光太郎書簡も現存します。

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『太陽花』は静岡で刊行されていた地方詩誌です。たびたび光太郎も寄稿していましたが、現存部数が非常に少ないようで、「栗色の顔をした野の若者よ」光太郎訳がどういう内容なのか、不明です。掲載誌は横浜・港の見える丘公園にある神奈川近代文学館さんに所蔵されています。しかし、「栗色の顔をした野の若者よ」の載ったページだけ破り取られており、読めませんでした。今回の展示がある北海道立文学館さんにも所蔵はないようです。

刊行は昭和2年(1926)1月。しかし、大正15年が前年の12月25日まで、翌12月26日から31日までが昭和元年ということで、先に印刷が終わっていたであろうこの号、奥付は大正16年となっています。

情報をお持ちの方はこちらまでご教示いただければ幸いです。


【折々の歌と句・光太郎】

夕ぐれをひとり離れし神の鹿かすかなる音に人を泣かしむ
明治35年(1902) 光太郎20歳


このところこのコーナーで紹介し続けている、奈良での作の一つです。鹿は奈良公園の鹿でしょう。

万葉の昔から、鹿の鳴き声は秋の風物詩。文字で表すと「ピュウーーーー」といったところでしょうか。高い音程の、一種もの悲しい特徴的な声です。

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画像は当方自宅兼事務所所在地の千葉県香取市に鎮座する香取神宮の神鹿。昨日撮影してきました。ちょうど食事タイムで、大半の鹿さんたち、ニンジンを食べるのに忙しく、鳴いていませんでした(笑)。

005先週、岩手花巻での賢治祭パート2 《追悼と感謝をこめて》からの帰り、東京駅丸の内口の東京ステーションギャラリーさんに寄り、企画展「動き出す!絵画 ペール北山の夢―モネ、ゴッホ、ピカソらと大正の若き洋画家たち―」を拝見して参りました。

同館には、一昨年、「東京駅開業百年記念 東京駅100年の記憶」を拝見しに行って以来でした。

明治末から大正にかけ、青年画家達の活動を裏方から支えて洋画界の発展に寄与し、ゴッホらを支援したペール・タンギーになぞらえ、ペール北山と呼ばれてた北山清太郎に着目した企画展です。光太郎の油絵2点、「上高地風景」「佐藤春夫像」が出ているというので拝見に行きました。

光太郎と交流のあったさまざまな邦人芸術家の作品(絵画を中心に、彫刻、工芸も)、光太郎を含め彼等に影響を与えたモネ、ゴッホ等の作品がずらりとならび、さながら明治大正の反アカデミズム洋画壇史といった趣でした。

作品の借用元として当会でお世話になっている全国の美術館さんが多く、拝見しながらそれぞれの館の館長さんや学芸員さんの顔が浮かび、あらためて感謝いたしました。


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「上高地風景」は、今年のはじめ、神奈川県立近代美術館・鎌倉館の閉館記念企画展「鎌倉からはじまった。1951-2016 PART 3:1951-1965 「鎌倉近代美術館」誕生」」や、それ以前にも何度か光太郎展的な企画展で拝見していますが、何度観てもいいものです。

「佐藤春夫像」は、あまり光太郎展的な企画展でも展示されず、ことによると20年ぶりくらいに観たかも知れません。図版等はよく観ているのですが、やはり実物は違いますね。

絵画以外に、北山が編集に当たり、光太郎も寄稿していたさまざまな美術雑誌が展示されており、興味深く拝見しました。『現代の洋画』、『ヒユウザン』(のち『フユウザン』)、『生活』、『多津美』など。ただし、ガラスケース越しですので手に取って見るわけにはいかないのが残念でしたが、しかたありません。

また、光太郎も出品した「ヒユウザン会展」や「生活社展」などのポスターや目録もありました。入手したいと思いつつ、高価なため入手できていないものです。

その他、先述の通り、光太郎と交流のあったさまざまな邦人芸術家の作品、光太郎を含め彼等に影響を与えたモネ、ゴッホ等の作品。同館のサイトでは、出品目録が出ていないため、「おお、この絵も出ていたか」という作品も多く、図版でしか知らなかった関連作家の作品など、実に興味深く拝見しました。

頂いてきた出品目録をスキャンしました。下に載せておきます。

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また、こちらが公式図録。同館企画展の図録はいつもそうのようですが、分厚く豪華です。今回のものは約350ページ。収められている論考、各ページの解説文等も充実、さらに、先述の北山が編集に当たった美術雑誌類の総目次が掲載されており、貴重な資料です。

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値段ははりますが、それに見合う内容です。


同展は11月6日(日)まで。その後、11月19日(土)~2017(平成29)年1月15日(日)には和歌山県立近代美術館さん、2017年1月28日(土)~3月12日(日)で下関市立美術館さんに巡回するそうです。

ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

なにとなく涙こぼれてある夕かの青き空高しと思ひぬ
明治33年(1900) 光太郎18歳

昨日は関東地方、久しぶりに晴れました。夕焼けがきれいでした。

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東京駅構内にある東京ステーションギャラリーさんで、今日から始まった企画展です。光太郎の油絵2点が展示されています。
会 場 : 東京ステーションギャラリー 東京都千代田区丸の内1-9-1
時 間 : 10:00 - 18:00 (金曜日 10:00 - 20:00)
料 金 : 一般1000(800)円 高校・大学生800(600)円 中学生以下無料
       ( )内は20名以上の団体料金
        障がい者手帳等持参の方は100円引き(介添者1名は無料)
休館日 : 月曜日(9月19日、10月10日は開館)、9月20日、10月11日

青年画家達の活動を裏方から支え、明治から大正にかけて洋画界の発展に寄与した、北山清太郎(和歌山県出身/1888-1945)。彼は、ゴッホらを支援したペール・タンギーになぞらえ、ペール北山と呼ばれていました。本展は、彼の活動を手掛かりとして、大正期の西洋美術に対する熱狂、そしてその影響を受けて展開した、前衛的な近代日本美術の動向を同時に紹介します。大正の洋画青年たちの心意気によって誕生した絵画と、あこがれの西洋の絵画等を中心に、約130点の作品と、貴重な資料をご紹介します。

プロローグ 動き出す「洋画」 ——北山清太郎と『みづゑ』の時代
第1章 動き出す夢 ―ペール北山と欧州洋画熱
 ロダン、ドガ、セザンヌ、ピサロ、モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソほか
第2章 動き出す時代 ―新帰朝者たちの活躍と大正の萌芽
 藤島武二、南薫造、湯浅一郎、津田青楓、山脇信徳、中村彝、坂本繁二郎、浜田葆光ほか
第3章 動き出す絵画 ―ペール北山とフュウザン会、生活社
 岸田劉生、木村荘八、斎藤与里、高村光太郎、萬鉄五郎、川上凉花、北山清太郎ほか
第4章 動き出した先に ―巽画会から草土社へ
 岸田劉生、木村荘八、高須光治、横堀角次郎、椿貞雄、中川一政、河野通勢ほか
エピローグ 動き出す絵 ―北山清太郎と日本アニメーションの誕生

関連行事 すべて無料(要別途入館料)

オープニング ギャラリートーク 
 講師 宮本久宣・青木加苗(和歌山県立近代美術館)、岡本正康(下関市立美術館)、
     田中晴子(当館)
 9月17日(土) 10:00~(約60分)/3階展示室集合 込不要

東京駅周辺美術館との連携 特別ギャラリートーク「印象派と大正期の日本」 
 10月22日(土) 9:30~(約60分) 込 事前申込制。9月17日以降 03-3212-2485
  員25名(先着順)

ギャラリートーク(学芸員による展覧会解説)
 10月7日(金)、10月27日(木) 13:00~(約30分) 込不要

レンガ・タッチ&トーク(煉瓦が特徴的な当館のたてもの解説)
 10月14日(金)、28日(金)   各日15:00~(約30分) 込不要

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光太郎油絵作品は、「上高地風景」(大正2年=1913)、「佐藤春夫像」(大正3年=1914)の2点。期間中、一部作品の展示替えがあるそうですが、この2点はその対象外だそうです。

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北山清太郎は、光太郎が関わった絵画団体・ヒユウザン会(のちフユウザン会)、生活社も支援し、同人たちから尊崇されていました。

光太郎曰く、

特筆すべきは「現代の美術」と言ふ美術雑誌を主宰してゐた北山清太郎氏で、われわれの仲間ではペエル タンギイで通つてゐた。あらゆる意味から、この人ぐらゐ熱心に当時の美術界に尽力した人はないであらう。
(「ヒウザン会とパンの会」 昭和11年=1936)

フユウザン会は二年でつぶれ、更に私達は生活社を結んで進んだ。当時日本のタンギイ北山清太郎君が居ていろいろ世話してくれたので一九一三年には神田のヴヰナス倶楽部で岸田、木村、私などの展覧会を開いた。(「岸田劉生の死」 昭和4年=1929)

ということでした。

神田のヴヰナス倶楽部で開いた展覧会というのが、生活社展。上記の「上高地風景」はこの際に出品されたもので、この年の夏、智恵子との婚前旅行で一ヶ月を過ごした信州上高地での作です。

「佐藤春夫像」は、直接、北山とは関わらないようですが、北山と佐藤が同郷という縁はあります。佐藤はこの絵を描いてもらったことから光太郎と親しくなり、光太郎最晩年の「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」建立に尽力します。


光太郎の油絵は、常時見られるものではありません(真っ赤な偽物を「光太郎筆」として展示しているらしい私設美術館があるようですが)。また、光太郎と縁の深かった人々の作品が目白押し。ぜひ足をお運び下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

新米のかをり鉋のよく研げて       昭和20年(1945) 光太郎63歳

当方自宅兼事務所のある千葉県北東部は早場米の産地です。既に8月末には刈り入れをするところが多く、妻の血縁の方から宅配便で30㌔の新米が届きました。ありがたや。

「鉋」(かんな)は、この年の秋、花巻郊外太田村の山小屋に移り住み、内部の造作などの大工仕事も自ら行ったことに関わります。「今朝村人につきたての新米を恵まる」の詞書きが添えられています。

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JR京都駅内のジェイアール京都伊勢丹さん7階にある美術館「えき」KYOTOさんで開催中の展覧会です。気付くのが遅れ、始まっています。 

世界の巨匠たちが子どもだったころ

期  日 : 2016年8月11日(木)~9月11日(日)
会  場 : 美術館「えき」KYOTO 京都駅ビル内ジェイアール京都伊勢丹7階
                           京都市下京区烏丸通塩小路
ル東塩小路町
時  間 : 午前10時~午後8時(入館締切:閉館30分前)
料  金 : 一般 800円  高・大学生 600円  小・中学生400円
主  催 : 美術館「えき」KYOTO、京都新聞
後  援 : 京都府教育委員会、京都市教育委員会
協  力 : おかざき世界子ども美術博物館

展覧会概要
モネ、ムンク、ロートレック、ピカソ、岸田劉生、伊東深水、山口華楊、山下清、平山郁夫など、誰もが一度は耳にしたことがある美術界の巨匠たち。優れた技術と多彩な感性で多くの名品を残した彼らは、いったい子どもの頃はどのような絵を描いていたのでしょうか?
 本展覧会では、1985年に子どものための本格的な美術博物館として開館した、おかざき世界子ども美術博物館(愛知県・岡崎市)が所蔵するコレクションより、世界の有名美術家73人が描いた貴重な作品118点を紹介します。
10代という時代は、豊かな感受性を持つ多感な時期であり、純粋であるがゆえに感情が大きく揺れ動く時期でもあります。
この時期に制作された作品は、画家の努力や情熱、絵に対する真っ直ぐな思いが画面にあふれ出ています。
 描くことに夢中だった小さな巨匠たちが残した、成長の足跡をお楽しみください。

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名だたる巨匠たちに交じって、光太郎の姉・004咲(さく)の作品が展示されているということだそうです。

右の画像で、右側に立っているのが咲。左は光太郎の母・わかと、光太郎の弟・豊周です。

咲は光太郎より6つ年上の明治10年(1877)生まれ。五男四女の長子です(光太郎は長男にして三番目)。

素川狩野寿信に師事して狩野派の日本画を学び、明治22年(1889)、数え13歳で「寿司」の名と「素月」の号を許され、翌年には上野公園桜ヶ丘の日本美術協会列品館で開催された絵画展覧会に絹本堅淡彩の「鍾馗図」を出品、天覧も受けたと言います。

非常に親孝行な娘だったそうで、父・光雲がその代表作である「老猿」の制作がなかなか思うように行かなかった時など、ひそかに水垢離(みずごり)を行っていたとのこと。

その他、高村家には淡彩素描の作品がいくつか遺されており、中には幼い光太郎を描いたものもあります。見事なできばえです。

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光太郎は絵の才能に秀でたこの姉を尊敬し、愛していましたが、佳人薄命、咲は明治25年(1892)、数え16歳の若さで肺炎を患って歿してしまいました。優しく気丈なこの姉の生涯から、光太郎は強い感化を受けました。のちに画家の智恵子と結ばれた光太郎、もしかすると智恵子の背後にやはり画家だった姉の姿を見ていたのかもしれません。

当方、先月、盛岡に齢100歳でご存命の、光太郎の従妹・加藤照さんのお宅で、咲が描いたという扇を拝見しました。照さんのお母様のふゆさんが、咲に直接貰ったそうです。

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小さめの扇面に、人物像が実に細密に描かれています。


さて、美術館「えき」KYOTOさんの 「世界の巨匠たちが子どもだったころ」。咲の絵が三点展示されています。「仙人」「栗」「鶴」。

どのような経緯か存じませんが、咲の作品が、愛知県岡崎市のおかざき世界子ども美術博物館さんに所蔵されています。今回の美術館「えき」KYOTOさんの 「世界の巨匠たちが子どもだったころ」は、おかざき世界子ども美術博物館さんの所蔵品が中心ということで、咲の作品も並んでいるといううことだそうです。

影響ということを考えれば、光雲から受け継いだ彫刻道とはまた異なる、光太郎芸術の一つの源流ともいえる咲の絵画。もっと注目されていいものですね。


【折々の歌と句・光太郎】

太田村山口山の山かげに稗をくらひて蝉彫るわれは
昭和21年(1946) 光太郎64歳

いったん中断していましたが、蝉を詠んだ短歌がまだありますので、ご紹介します。

昨日は『福島民友』さんの記事「「ロープウェイ」運行開始 安達太良山の自然を満喫」をご紹介しましたが、今日は『福島民報』さんの記事から。

何度かご紹介した、二本松市大山忠作美術館さんの「二本松さくら展」に関してです。 

二本松の魅力語る 「さくら展」トークショー

 二本松市の大山忠作美術館特6c2092aa別企画展「二本松さくら展」のスペシャルトークショーは23日、女優の吉沢京子さんを迎え、同美術館が入る市民交流センターで開かれた。
 さくら展実行委員長を務める女優の大山采子(一色采子)さんとさくら展の見どころや二本松の魅力などをテーマに話した。
 吉沢さんは「会場いっぱいに桜のパワーがあふれている。名画を間近で見て、奥行きや空気感を実感した」と感想を語った。「二本松の桜の多さにも驚いた。霞ケ城公園の天守台からの眺めは素晴らしい。まさしく『ほんとの空』が広がっている」とも絶賛した。
 会場には400人以上が詰め掛け、華やかなトークに聞き入った。
(2016/04/24)


一色さんと吉沢さん、昨年、同じ舞台で共演さ000れていることから、今回のコラボが実現したのだと思われます。松竹創業120周年特別公演の「舞踊 錦絵 夏すがた」でした。

吉沢さんのブログを拝見しましたところ、『福島民報』さんの記事になっているトークショーの様子や、前日に智恵子の生家などを訪れられたことが書かれていました。ありがとうございます。

「二本松さくら展」は来月8日まで。期間中の土日、祝日(今週後半からゴールデンウィークですね)には、智恵子の生家で通常非公開の2階部分(智恵子の部屋を含む)の公開も行われています。くわしくはこちら

また、追ってご紹介しますが、安達太良山ではイルミネーションが来月14日から、山開きが15日に行われます。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

桜ちり木蘭おちて春は往(い)ぬ往ね往ね夏よ魂よみがへせ
明治37年(1904) 光太郎22歳

東北では春真っ盛りでしょうが、ゴールデンウィーク、というと、こちら南関東ではいよいよ「初夏」という感覚です。

仙台に本社を置く『河北新報』さんの記事です。過日、『広報にほんまつ』に掲載されましたので、その折にこのブログに書きましたが、明日行われるイベントをご紹介下さいました。 

<高村光太郎>智恵子ゆかりの地巡って

 福島県二本松市民らでつくる「智恵子のまち夢くらぶ」は17日、詩人高村光太郎の妻で、ことし生誕130周年を迎える洋画家高村智恵子(1886~1938年)のゆかりの地をたどる「好きです智恵子青空ウオーク」を市内で開く。
 午前9時に智恵子純愛通り記念碑前を出発し、生家や満福寺、霞ケ城公園など智恵子が慣れ親しんだ地を歩く。記念館に立ち寄るほか、霞ケ城公園にある詩碑では光太郎の詩集「智恵子抄」の朗読会を開く。約4~5キロの行程で午後3時ごろ解散となる。
 定員50人。参加費は大人1000円、学生500円。智恵子の作品が描かれた絵はがきなどのプレゼントもある。
 同団体は6月に東京の高村夫妻ゆかりの地を巡るツアー、10~12月に智恵子の生涯を学ぶ講座なども予定する。連絡先は事務局0243(23)6743。


『福島民報』さん、『福島民友』さんなどでも紹介されているかと思い、調べてみましたが、ネット上では見つかりませんでした。紙面には載ったのかもしれませんが。

代わりに、今月2日、第60回連翹忌の日の『福島民友』さんのコラムで、連翹忌について触れて下さっていたのに気付きました。連翹忌前後はバタバタしており、今の今まで気がつきませんでした。 

【4月2日付編集日記】安達太良山

 家族や友人、恋人など大切な人と共に眺めた「思い出の風景」は、誰にでもあるのではないか。詩人高村光太郎と、「智恵子抄」のモデルとなった妻智恵子にとっては、安達太良山の景色がその一つだったろう
 ▼〈あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川 ここはあなたの生れたふるさと〉。光太郎は二本松市の智恵子の実家を訪ね、裏山から安達太良山を一緒に眺めた。詩「樹下の二人」は、そのとき夫婦で過ごしたかけがえのない記憶を描いたものだ
 ▼きょうは、光太郎の没後60年の命日に当たる。来月20日には智恵子の生誕130年を迎える。ことしは、二人にとって節目の年だ
 ▼光太郎が「樹下の二人」を収めた智恵子抄には「智恵子の半生」の一編もあり、そこには〈彼女の清純な態度と、無欲な素朴な気質と、限りなきその自然への愛とに強く打たれた〉と、光太郎が智恵子に抱いていた思いがつづられている
 ▼光太郎の「思い出の風景」は、智恵子にとっては愛する古里そのものの姿だ。過ぎゆく年月にかかわらず安達太良山の美しい稜線(りょうせん)は、いまも見る人を楽しませてくれる。目を転じると阿武隈川が悠久の流れをたたえている。そんな古里をいつまでも守っていきたい。


書かれているとおり、今年は智恵子生誕130年にもあたります。二本松駅前の大山忠作美術館さんでは「二本松さくら展」、智恵子の生家では2階の智恵子の部屋の限定公開なども行われています。

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ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

烟突の遠くに見えて春野かな      明治42年(1909) 光太郎27歳

遠景として彼方に見える煙突、近景として目の前に広がる野原。巧みな視点の配置です。

直接、光太郎智恵子には関わりませんが、過日の第60回連翹忌にてご案内いただきましたので、ご紹介します。 

生誕150年記念 中村屋サロンの芸術家 中村不折の魅力展

期 日 : 2016年4月30日(土)~7月24日(日)
会 場 : 中村屋サロン美術館 東京都新宿区新宿3丁目26番13号
時 間 : 10:30~19:00
休館日 : 毎週火曜(5月3日は開館)
料 金 : 300円 高校生以下無料

中村屋サロンゆかりの洋画家であり、「新宿中村屋」のロゴを書いた書家としても知られている中村不折。その生誕150年を記念し、台東区立書道博物館の所蔵作品を中心に、不折の初期から留学期そして晩年までの油彩画、素描、日本画、書、本の装丁など、合わせて約50点をご紹介します。激動の時代、常に誠実に芸術と向き合った多才な不折の世界をお楽しみください。

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中村不折は慶応2年(1866)、江戸に生まれた画家です。荻原守衛と交流が深く、いわゆる「中村屋サロン」の一員でした。書にも造詣が深く、中村屋さんのロゴは不折の作ですし、信州安曇野にある荻原守衛の墓石も揮毫しています。

光太郎とはすれ違いに欧米留学、帰国後に太平洋画会の講師となり、智恵子を指導しています。同会で、人体画を描く智恵子に「エメラルドグリーンの多用は避けるように」と言ったエピソードは比較的有名です。

学芸員さんによるギャラリートークが2回、予定されています。5/21(土)、6/25(土)、それぞれ午後2時からです。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

柳既に梨も漸くみどりかな     明治42年(1909) 光太郎27歳

画像は過日、当方自宅兼事務所がある千葉県香取市の旧市街、江戸の街並みが残る伝統的建造物群保存地域で撮影しました。街の真ん中を流れる小野川べりに植わっている柳の並木、青々とした新芽がきれいでした。

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紹介すべき事項が多く、うっかり事前に紹介するのを忘れていました。光太郎の絵画が出展されている企画展です。  
会 期 : 2016 年4月9 日(土) ~6月12 日(日)
時 間 : 10:00 ~ 18:00
会 場 : 足利市立美術館 栃木県足利市通2丁目14-7
休館日  月曜日(ただし5月 2日は開館)、 5月6 日(金)
料 金 : 一般700(560)円、高校・大学生500(400 )円、中学生以下無料
      *( )内は20名以上の団体料金
 6月12日(日)は栃木県民の日協賛で観覧無料 

詩人と画家、
それはふたつの人種ではない。
二人はある日、どこかで出会ったのだが、
あとから確かめるすべもなく
ふたつが、ひとつのものの
          なかで出会う

これは瀧口修造の詩です。瀧口は画家と詩人は本来ひとつだと言っています。彼らは 表現方法は異なりますが、自身の意や情にかたちを与えるべく、やみがたい思いに駆られている点ではひとつなのです。ときとして絵の果てに言葉が、言葉の果てに絵が顕れ、画家は詩を、詩人は絵を手がけました。それは、言葉でしか、あるいは絵でしか表現できないものと彼らが出会ったことによります。このとき画家は自身の内に詩人を、詩人は画家を見出します。本展はそのような画家と詩人の展覧会です。

 そもそも画家と詩人を分けること自体、便宜的なことなのかもしれません。古来、「絵 は黙せる詩、詩は語る絵」といわれてきました。ときに絵は詩のように語りかけ、詩は絵のような豊かな色彩とかたちをありありと提示します。もとより日本には文人画の伝統があり、絵画と詩の分かちがたい表現こそ、その独自性を表していると言えるでしょう。今後、詩と絵は越境し、ともども新たな境地を開いていくと思われます。 

本展は、明治から現代までの画家と詩人の 詩と絵を一堂にあつめ、彼らの絵と詩は、けっして一方が他方を補足するものではないという観点から見直す試みです。「ひとつのもののなかで出会う」画家と詩人 詩と絵をご覧ください。

出品作品
画家
小杉未醒 青木繁 竹久夢二 萬鐵五郎 藤森静雄 恩地孝四郎 田中恭吉 中川一政 長谷川利行 古賀春江 川上澄生 村山槐多 谷中安規 三岸好太郎 棟方志功 長谷川潾二郎 難波田龍起 山口薫 香月泰男 津高和一 南桂子 松本竣介 浅野弥衛 飯田善國 草間彌生 田島征三 芥川麟太郎 藤山ハン 難波田史男 イケムラレイコ  瓜南直子  O JUN  鴻池朋子 小林孝亘 村瀬恭子 伊庭靖子 篠原道生(特別出品)  
詩人
正岡子規 高村光太郎  北原白秋  木下杢太郎  萩原朔太郎 佐藤春夫 西脇順三郎 宮沢賢治 佐藤一英 尾形亀之助 稲垣足穂 岡崎清一郎 富永太郎 小熊秀雄 北園克衛 瀧口修造 草野心平 中原中也 長谷川四郎 まど・みちお 立原道造 三好豊一郎 新国誠一 木島始 春日井建 吉増剛造 田畑あきら子 山本陽子

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昨年、神奈川平塚市美術館さんを皮切りに始まり、愛知碧南市藤井達吉現代美術館さん、姫路市立美術館さんと巡回した企画展です。図録を兼ねた書籍『画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく』は広く販売中です。

光太郎作品はのべ3点。大正3年(1914)に描かれた「日光晩秋」が会期中ずっと。前期(4/9~5/8)で、同年に描かれた洋酒の瓶と果実を描いた「静物」。後期(5/9~6/12)に、新潟・佐渡島の歌人・渡邊湖畔の息女を描いた「渡辺湖畔の娘道子像」(大正7年=1918)です。

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関連行事として、以下の通り開催されます。

講演会 宮沢和樹氏(林風舎代表取締役) 「祖父  清六から  聞いた  兄  宮沢賢治 -絵画について-」
日時: 4月9 日(土)午後2 時より    終わってしまいました。すみません。
会場:足利市立美術館多目的ホール 定員 : 60名 参加費:無料 

講演会 吉増剛造氏(詩人) 「〝たったいま性〟について」
日時: 4月24 日(日)午後2 時より 会場:足利市立美術館多目的ホール
定員: 60 名 参加費:無料

 *参加ご希望の方は電話(0284-43-3131 )でお申込みください。定員になり次第締め切らせていただきます。
*展覧会観覧の場合は別途観覧料(高校生以上)が必要となります。

学芸員によるギャラリートーク
日時: 5月4 日(水・祝)、6月5 日(日)午後2 時より
*参加ご希望の方は当日午後2時に美術館入口受付までお集まりください。
*参加は無料ですが、観覧料(高校生以上)が必要です。

対話型鑑賞の会「作品の声を聴こう」
日時: 4月17日(日)、 5月8日(日)各日午後2 時より
 対話型鑑賞とは、一点の作品を、美術の知識にたよらず自由に観て、その感想をみんなで話し合いながら作品の理解を深める鑑賞方です。展示室で出品作品をもとに、ファシリテーター(司会役) が参加者に質問をしながら対話を進めます。
4月17 日(日)対象:小学生 定員:15名 参加費:無料
5月8日(日)対象:中学生~一般 定員:15名 参加費:無料
ただし、高校生以上は観覧券が必要。
それぞれ、参加ご希望の方は電話(0284-43-3131)でお申込みください。 定員になり次第締め切らせていただきます。


ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

春の日や御堂をさして畷道      明治42年(1909) 光太郎27歳

イタリア旅行中の作ですので、「御堂」はやはりキリスト教の教会や修道院の類、「畷道(なわてみち)」は麦畑的なところを通る小径でしょう。しかし、日本の田園風景としてイメージしてもいい句ですね。     

福島の地方紙二紙から一件ずつ。

まずは『福島民報』さん。 

美術館に満開の桜 二本松さくら展9日開幕

 大山忠作氏、東山魁夷氏ら日本画の巨匠が000桜を描いた名画33点が並ぶ特別企画展「二本松さくら展」は9日、二本松市の大山忠作美術館で開幕する。
 大山氏の長女で、さくら展実行委員長を務める大山采子(さいこ)さんが7日、福島民報社のインタビューに答え、見どころや寄せる思いを語った。
 
 -さくら展の見どころは。
 
 「“門外不出”といわれる東山魁夷の『花明り』をはじめ桜を描いた名画がそろいます。花明りは『福島復興の一助になれば』との東山家の厚意で特別に貸し出されました。京都の円山公園の桜を満月とともに描いた名作です」

 -県内の桜を題材にした作品もありますね。

 「大山忠作の『花霞』は二本松市の智恵子記念館開館の記念に描いた作品です。高村智恵子の生家の酒蔵で造っていた日本酒『花霞』をイメージし、安達太良山と青い空、桜が柔らかく表現されています。牧進の大作『黎明瀧桜』は三春町の滝桜を描いています」
 
 -企画のきっかけは。
 
 「霞ケ城公園や合戦場のしだれ桜など桜の名所が多い二本松を、屋外も美術館も花盛りというイメージで盛り上げを図ろうと考えました」
 
 -県民にメッセージを。
 
 「絵画に詳しくなくても理屈抜きで楽しめる展覧会です。二本松に来て、桜の名所と名画を両方満喫してください」
 
   ◇   ◇
 
 さくら展は「アフターデスティネーションキャンペーン(アフターDC)」に合わせて二本松市教委が企画した。会期は5月8日まで。
 入館料は一般410円、高校生以下200円。問い合わせは市文化課 電話0243(55)5154へ。
( 2016/04/08)


過日ご紹介した二本松の大山忠作美術館さんでの、「二本松さくら展」に関してです。大山画伯のご令嬢にして女優の一色采子さん(本名・大山采子さん)、さすがは連翹忌ご常連、しっかり智恵子がらみでアピールして下さいました。ありがとうございます。

先月、「花霞」が印刷された官制葉書が一色さんから届きました。非売品なのではないかと思われます。

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下記はやはり連翹忌、さくら展がらみで一色さんから先月届いた絵葉書です。

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これも大山画伯の絵で、「(残照)安達太良山」。大山忠作美術館さんで販売しているポストカードです。ぜひ「花霞」も広く商品化していただきたいものです。昔、解説が印刷された台紙付きのテレホンカードが販売されていましたが。

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もう1件、『福島民友』さんから。 

【二本松】見事な枝ぶり「万燈桜」 道の駅「安達」智恵子の里下り線

 二本松市の国道4号道の駅「安達」智100恵子の里下り線の入り口にあるエドヒガンザクラの巨木「万燈(まんとう)桜(ざくら)」のライトアップが5日、始まった。点灯は24日までで、毎日午後6時~同11時に点灯する。
 万燈桜は満開となっており、最も美しい時期にライトアップがスタートした。樹齢約270年の一本桜で、高さが約30メートル。枝ぶりが美しいと評判の桜で、今回は6基の投光器を使って桜や根元を美しく照らし出した。根元のライトアップは色が変化する。
 初日は同所で点灯式が行われ、道の駅を運営する二本松市振興公社の鈴木隆ゼネラルマネージャー(GM)と鈴木克裕市産業部長が点灯のスイッチを押した。
(2016/04/07)

この道の駅は、智恵子の生家から5㎞程。万燈桜は樹齢約270年だそうですので、かつて智恵子がその目で見たかもしれません。先月発行された「オリジナル フレーム切手「ほんとの空に 咲き誇る 桜をめぐり ぶらり旅 あだたら桜回廊」にも写真が採用されています。


他にも二本松周辺には、素晴らしい桜がたくさんです。しかも関東で盛りを過ぎてからもまだ見られます。ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

夢、うつつ、まぼろし、かくて終(つひ)の世のきよきまよひの靄に消えむまで
明治34年(1901) 光太郎19歳


霞ならぬ靄(もや)を謳った短歌です。

こちらは千葉の桜。当方自宅兼事務所から50㍍の公園で、ひそかな花見スポットとして人気です。

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一般に、美術館さんの展示というと、「企画展(特別展)」と「常設展(通常展)」に分かれます。

一人の作家などに焦点を当てて、期間限定で開催されるのが「企画展(特別展)」。この際には他館や個人から、展示品を借り入れることがほとんどです。

それに対し、自館の所蔵品を通年で展示するのが「常設展(通常展)」。小規模な個人経営の館などには、これだけでやっている所もあります。

乱暴な云い方をすれば、ある意味、その中間が「収蔵品展(所蔵品点)」。収蔵品の点数が多い館などでは、よく行われます。他館や個人から展示品を借り入れるわけではないけれど、ある程度テーマを決めて、自館の収蔵品からセレクトして展示するという、「企画展(特別展)」に近いものと、たくさん収蔵品があって、死蔵にならないためにローテーション的に展示替えをする「常設展(通常展)」に近いものとがあります。

このブログでは、そうした「収蔵品展(所蔵品展)」に関しては、あまり取り上げてきませんでした。特にローテーション的な展示はテーマもあいまいで、紹介しにくい部分がありますし、各館でもそれほど力を入れて宣伝しないため、こちらも気がつきにくいというのがその理由です。

今後もこのブログではあまり触れないつもりでおりますが、たまたま現在もしくは近々、光太郎作品がこうした「収蔵品展(所蔵品展)」に展示されている(これから展示される)館が複数あり、今日はまとめてご紹介します。 
会 場 : 東京国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1
会 期 : 2016年3月8日(火)~5月15日(日) 月曜休館
時 間 : 10:00-17:00、金曜日は20:00まで
料 金 : 一般430円(220円) 大学生130円(70円) ( )内は20名以上の団体料金

光太郎作品はブロンズの「手」が出品されています。
 

アート・コレクション【房総と近代美術】

会 場 : 千葉県立美術館 千葉市中央区中央港1丁目10番1号
会 期 : 2016年1月23日(土)~4月3日(日) 月曜休館
時 間 : 9:00-16:30
料 金 : 一般300円(240円) 大学生150円(120円) ( )内は20名以上の団体料金

こちらでもブロンズの「手」が出ています。

以前にも書きましたが、ブロンズの作品は同一の型などから鋳造した作品が複数存在します。「手」も、おそらく日本全国に20点くらいはあるのではないかと思われます。完全な「常設展(通常展)」で展示している館もいくつかあるようです。

浮世絵の版画が、初刷りのものは高価で、後刷りになるとガクンと値が下がるように、ブロンズも作者生前に鋳造されたものと、そうでないものとで差があります。東京国立近代美術館さんのものは、光太郎生前の鋳造、台座部分は光太郎の手になる木彫です。


さらに絵画 。 

中村屋サロン美術館通常展示000

会  場 : 中村屋サロン美術館 
       新宿区新宿3丁目26番13号 新宿中村屋ビル3階
会  期 : 2016年3月19日(土)~4月24日(日)火曜休館
時  間 : 10:30~19:00
料  金 : 300円 高校生以下無料

大正2年(1913)作の光太郎油絵「自画像」が展示されています。


ついでですので、少し先の話になりますが、愛知から。 

版画と彫刻コレクション 表現×個性

会  場 : メナード美術館 愛知県小牧市小牧五丁目250番地
会  期 : 2016年5月14日(土)~7月10日(日) 月曜休館
時  間 : 10:00~17:00
料  金 : 一般900円(700円) 高大生600円(500円) 小中生300円(250円)
        ( )内は20名以上の団体料金および前売料金


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光太郎木彫の代表作の一つ、「鯰」(昭和6年=1931)が並びます。こちらはなかなか展示されないものなので、貴重な機会となります。


23時30分追記 先ほどメナード美術館さんからご連絡を戴きました。もう一つ、同館所蔵の光太郎木彫「栄螺」も出品されるそうです。


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上記は平成15年(2003)の新聞報道です。

さらに先の話ですが、「特別展(企画展)」系の情報も載せておきます。


詳細は未定ですが、夏には信州安曇野の碌山美術館さんで光太郎展があります。 

夏季特別企画展 光太郎没後60周年記念 高村光太郎-彫刻と詩-展

会  場 : 碌山美術館 長野県安曇野市穂高5095-1
会  期 : 2016年7月23日(土)~8月28日(日) 月曜日・祝祭日の翌日休館
時  間 : 9:30~17:10
料  金 : 一般700円(600円) 高校生300円(250円) 小中生150円(100円)
                        ( )内は20名以上の団体料金


また、秋には福島県二本松市の二本松歴史資料館さんで、智恵子展も。10月2日(日)~11月23日(水・祝)という日程と、会場しか決まっていませんが。

上記二つは、当方もお手伝いさせていただくことになっております。詳細が決まりましたらまたお知らせします。


【折々の歌と句・光太郎】

あながちに悲劇喜劇のふたくさの此世とおもはず吾もなまづも
昭和6年(1931) 光太郎43歳

メナード美術館さんに収蔵されている木彫「鯰」を収める袱紗(ふくさ)にしたためられた短歌です。原型は大正14年(1925)、少し違うものとして作られています。

昨日は福島県に行っておりました。今年初の東北行でした。


状況をわかりやすくするため、昨日の『福島民報』さんの記事を引用いたします。 

富岡・夜の森の桜並木など100点 男鹿さん絵画展開幕

 画家男鹿和雄さんの作品展「第二楽章 男鹿和雄展-吉永小百合と語り継ぐ-」は27日、福島県郡山市のビッグパレットふくしまで開幕した。3月21日まで。男鹿さんは、女優吉永小百合さんが東京電力福島第一原発事故の被災者の詩を朗読したCD・詩画集「第二楽章 福島への思い」の挿絵を担当した。
 会場には約100点が並ぶ。富岡町の夜の森地区の桜並木や川沿いの風景などが温かみのある色彩で描かれている。初日は男鹿さんのサイン会を催し、来場者は詩画集を買い求めて列をつくった。折り紙の絵柄を描いて折り鶴を作るワークショップも開いた。男鹿さんは「多くの人に絵を見てもらい、復興へ向かうきっかけになればうれしい」と話している。
 開館時間は平日は午前11時から午後5時まで、土、日曜、祝日は午前9時から午後5時まで。観覧料は一般800円、高校生以下400円、未就学児は無料。問い合わせは郡山青年会議所(JC) 電話024(932)2289へ。
 作品展は郡山JCの主催で創立55周年の記念事業として開いた。スタジオジブリなどが協力した。


こちらが会場のビッグパレットふくしま。一見、サッカースタジアムのような、複合コンベンション施設でした。

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2階に上がると大きな看板が出ていました。

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やわらかな色遣いの男鹿氏の絵。

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小中学生の作品展の看板も。

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3階に上がり、まずは男鹿氏の展覧会を拝見しました。

最初は福島。
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吉永さんの朗読CDのジャケットに装画として使われた作品などの原画やスケッチが中心でした。

ところどころにCDに収められた和合亮一さんや若松丈太郎さん、佐藤紫華子さん、そして福島の一般の皆さんの詩が大きなパネルに掲載され、男鹿氏の絵が添えられていました。

立ち入り禁止のバリケードの向こうに咲く桜、町中を彷徨う牛、除染廃棄物を入れた黒い袋、防護服姿の人々、津波でひっくり返ったまま放置された乗用車……。

それらがおどろおどろしい筆致ではなく、ジブリ映画風の優しいタッチで描かれていることで、よりいっそう悲哀が伝わって来ます。

そして原発事故とはかかわりなく美しい福島の野山や草花、人々の営み。看板に描かれているのは、原発事故前の様子です。しかし、それらが一瞬にして奪われる危うい立ち位置にあることが痛感させられました。

「復興支援になれば」と思い、男鹿氏の画集を会場で買い求めました(CDは昨年、発売時に買い求めていましたので)。表紙は看板に描かれている画です。

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そして裏表紙がこちら。

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表紙と裏表紙で「befor」「after」になっているわけです。それが単なる怒りの表象ではなく、「after」の「after」で、また「befor」の状態に戻って欲しい、という切なる願いが感じられました。

その後、沖縄、広島、長崎を舞台にした作品の数々。ある意味、踏みにじられてきた(今も踏みにじられ続けている)場所です。それでもそれぞれの場所に、それぞれの美しさがあり、それが表現されていました。

隣の会場では、地元小中学生による「未来のわたしたちへ~ほんとの空~」絵画展覧会が開催されています。

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会場内には小中学生の作品以外にも、大小さまざまたくさんの折り鶴が並んでいました。テーブルがセットされ、折り紙が置いてあって、会場内で創られたもののようです。これらはあとで広島に送られるそうです。

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小中学生の描いた「ほんとの空」の青が目に染みました。

会場のビッグパレットふくしまから見た安達太良山です。春らしく霞んでいました。

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この展覧会、昨年は広島、長崎で開催されました。ぜひ東京など大都市圏でも開催していただきたいものです。また、鹿児島や福井の皆さんにもご覧頂きたいと思います。「あなた方の街が、こうなる覚悟はありますか?」という問いを込めて……。


その後、いわき市に向かいました。上小川地区の草野心平生家で開催された「草野天平の集い」に出席のためです。そちらについてはまた明日。


【折々の歌と句・光太郎】

山の鳥うその笛ふくむさし野のあかるき春となりにけらしな
大正14年(1925) 光太郎43歳

昨日ご紹介した短歌の異稿です。

木彫「うそ鳥」を収めた桐箱の蓋裏にしたためられました。

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昨日は埼玉県加須市に行って参りました。

サトヱ記念21世紀美術館さんで開催中の「生誕130年記念 斎藤与里展 ~巨匠が追い求めた永遠なる理想郷~」の関連行事、第2回ミュージアムトーク拝聴のためです。

同展には昨秋に行って参りまして、2度目の訪問となりました。


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講師は美術文献研究家の佐々木憲三氏。斎藤与里、そして光太郎らを中心に、明治末に結成されたヒユウザン会(のちフユウザン会)の機関誌『ヒユウザン』(のち『フユウザン』)の復刻などに関わられた方です。連翹忌の御常連でもあります。

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演題は「斎藤与里・画家としての軌跡」。約2時間、与里の人となり、業績、さらに光太郎を含む周辺人物との関わりなどのお話でした。

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同展は来月13日までの会期です。

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ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

今おもふ人のことこそをかしけれけものとなりて湯にひたる時
大正13年(1924) 光太郎42歳

温泉につかりながら思う人は、やはり智恵子なのでしょうか。

福島から展覧会情報です。 
会  期 : 2016年2月27日(土)~2016年3月21日(月・祝)
会  場 : ビッグパレットふくしま 福島県郡山市南2丁目52 
時  間 : 平日 11:00~17:00(入館は16:30まで)
          土日・祝 9:00~17:00(入館は16:30まで)
料  金 : 一般800円・高校生以下400円・未就学児無料
主  催 : 公益社団法人郡山青年会議所
協  力 : 福島県 スタジオジブリ 第二楽章を語り継ぐ会 ビクターエンタテインメント
       徳間書店 (公社)日本青年会議所東北地区福島ブロック協議会 
後  援 : 郡山市  富岡町  郡山市教育委員会 郡山市文化協会 郡山市PTA連合会、
       郡山商工会議所 福島県中小企業家同友会郡山地区 福島民報社 福島民友新聞社
       福島テレビ(株)(株)福島中央テレビ(株)福島放送(株)テレビユー福島
       (株)ラジオ福島 ふくしまFM 郡山コミュニティ放送ココラジ
       街こおりやま社 
週刊ザ・ウィークリー(株)ガイドポスト
       福島リビング新聞社 .ru.ku出版 
情報誌だいすき 月刊こおりやま情報

2016年、私たちは東日本大震災から5年目の節目を迎えます。
復興への歩みを進めるなかで多くの人々の記憶から震災の記憶は失われつつあります。女優.・吉永小百合は「平和の貴さ」を次世代に伝えるため、1986年から原爆詩の朗読を続けてきました。東日本大震災発生後は福島に思いを寄せ、震災の記憶を次世代に伝える活動を行っています。2015年3月11日には東日本大震災で被災された方の詩を朗読した詩画集「第二楽章・福島への思い」を発表しました。そして、その挿絵を担当したのが「となりのトトロ」などスタジオジブリの美術監督も努めた男鹿和雄です。男鹿の作品は、生命感にあふれ、どこかノスタルジックで暖かい雰囲気が漂います。多くの人々が男鹿の作品に心魅かれるのは、綿密な取材に裏付けられた巧みな構図や光、描写技術はもちろん、男鹿のおだやかな人柄が、その筆跡からにじみ出ているからとも言えるでしょう。そして、吉永もそんな男鹿の作品に魅了された一人です。
本展では、震災後5年を迎えるにあたり、吉永のライフワークと男鹿の絵筆によって生まれた『第二楽章』の挿絵原画やスケッチなど約100点を通じて、平和へのメッセージと男鹿の描く故郷の風景を通して3.11を風化させないためのメッセージを次世代へ伝えます。

男鹿和雄(おが かずお)
1952年、秋田県生まれ。1972年、アニメーション背景美術の会社・小林プロダクションに入社。「樫の木モック」で初めて背景を手がけ、その後、「はだしのゲン」などマッドハウスが制作する劇場映画の美術監督を手がける。1987年、宮崎駿監督作品「となりのトトロ」に参加。以後、スタジオジブリ作品「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」「かぐや姫の物語」で美術監督を務める。現在まで数多くのアニメーション作品の背景美術に携わる。


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このブログで以前にご紹介した吉永小百合さんの朗読によるCD「第二楽章 福島への思い」のジャケットを手がけられた男鹿和雄さんの展覧会です。

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昨年、広島で開催されましたが、その際は光太郎智恵子と関係がなかったのでご紹介しませんでした。

2016/2/29追記 長崎でも開催されていました。存じませんでした。

今回は、関連企画として光太郎智恵子に関わるものが計画されています。 

「未来のわたしたちへ~ほんとの空~」絵画展覧会

福島県内の小中学生を対象に“心に残った風景”“自分のすむまちの風景”をテーマとした絵画を募集し、展示するとともに、代表作品に顕彰します。応募作品が多数の場合は1週間ずつローテーションで展示します。
応募して頂いた方は、無料で「男鹿和雄展」をご覧になれます。

応募受付期間 2016年1月下旬~2016年3月12日(土)

作品
1.テーマは”心に残った野山の風景””自分のすむまちの風景”とします。
2.作品の素材は水彩画・クレヨン画とします。
3.応募作品のサイズは、団体応募でB全判画用紙(765mm×1085mm)・個人応募で四つ切判画用紙(382mm×542mm)とし、額装は不要です。
4.応募作品は、未発表の作品に限り、1人1点とします。また1団体50点以内でお願いいたします。
 
応募部門
1.小学生の部(作品搬入時を基準)
2.中学生の部(作品搬入時を基準)
 
応募方法
応募申込書に必要事項を記載の上、下記の公益社団法人郡山青年会議所事務局へ郵送いただくか、2月27日以降はビッグパレットふくしま3階へ直接お持ちください。

応募先
公益社団法人郡山青年会議所 青少年育成委員会 宛
 〒963-8877 福島県郡山市堂前町5-19 日専連郡山ビル3階 TEL 024-932-2289

展示期間
2016年2月27日(土)~2016年3月21日(月・祝)



小中学生の皆さん、及び小中学生のお子さんをお持ちの皆さん、小中学校の先生方、ご参考までに。


東日本大震災後、特に福島では、光太郎詩「あどけない話」に使われた「ほんとの空」の語が復興への合い言葉としてよく使われ、定着した感があります。

来月には震災から満5年。「ほんとの空」が本当の意味で広がる福島となることを願ってやみません。


【折々の歌と句・光太郎】

むら竹の夕のさやぎ胸にしめて空をながめてふと思ふこと

明治33年(1900) 光太郎18歳

この時、数え18歳の光太郎は「空をながめて」何を思っていたのでしょうか……。

当会の祖にして、光太郎と縁の深かった草野心平がらみの企画展です。 

冬の企画展 所蔵品展「草野心平のスケッチ」

会 期 : 2016 年1月9 日(土) ~3月27 日(日)
時 間 : 9:00 ~ 17:00
会 場 : いわき市立草野心平記念文学館 福島県いわき市小川町高萩字下夕道1番地の39
休館日 : 月曜日(祝日を除く)、祝日の翌日
料 金 : 一般 430円(340円)/高・高専・大生 320円(250円)
      小・中生 160円(120円)( )内は20名以上団体割引料金

 詩人・草野心平(1903〜1988)は、1,400篇余の詩や随筆などの文筆にとどまらず、書画をはじめ多彩な創作活動を展開しました。
 心平の創作との出会いは詩よりも絵画の方が早く、1916年、福島県立磐城中学校(現在の福島県立磐城高等学校)に入学すると、美術部「X会」に入部し、水彩画を描きました。生家のある石城郡上小川村(現在の小川町)内をスケッチしたこともあったといいます。彼の作品が校内の回覧雑誌「文林」の表紙を飾ったこともあり、同級生は「心平の絵は抜群で、私達は、心平は将来画家になるものと思って疑わなかった。四月の創刊号に描いた小川の山は現在でも私の眼底に残っている」と回想しています。
 その後、詩人として活躍の場を広げていた1956年、アマチュアのデッサングループ「竹林会」結成に参加したことがきっかけで油彩画を手がけ、頻繁にスケッチも描くようになりました。
 本展では、当館の所蔵品から心平のスケッチを取り上げ、詩人独特の感性によって描かれた線と色彩の魅力を紹介します。


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関連行事等
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ギャラリートーク  学芸員による展示内容の解説です。
日時 2016年2月6日(土)14時〜14時30分
会場 文学館企画展示室
聴講 観覧券が必要です。申し込みは不要ですので、会場にお越しください。

朗読サロン  朗読を楽しく学びます。お気軽にご参加ください(文学館ボランティアの会事業)。
日時 2016年2月6日(土)11時〜12時
      3月5日(土)11時〜12時
会場 文学館会議室
参加 無料です。申し込みも不要ですので、会場にお越しください。


身近に光太郎という大美術家がいた心平。他にも画家の村山槐多、版画家の棟方志功などとも交流がありました。

もともと絵画にも興味を抱いていましたし、周囲の美術家の影響もあるのでしょうか、心平自身も玄人はだしの絵画をものにしています。ちなみに昨日のこのブログでご紹介した姫路市立美術館さんで始まる企画展「画家の詩、詩人の絵 絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」にも、心平の作品が展示されます。

ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

ここの国ここなる里のここの戸に一たび湧きし想(おもひ)の子なり

明治35年(1902) 光太郎20歳

何だか、心平を詠んだ一首のようにも読めますね。

兵庫県姫路市立美術館さんでの企画展情報です。

画家の詩、詩人の絵 絵は詩のごとく、詩は絵のごとく

会 期 : 2016 年2月13 日(土) ~3月27 日(日)
時 間 : 10:00 ~ 17:00
会 場 : 姫路市立美術館 姫路市本町68-25 
休館日
 : 月曜日(祝日を除く)、祝日の翌日
料 金 : 一般900円、大高生600円、小中生200円

「絵は黙せる詩、詩は語る絵」といわれてきました。ときに絵は詩のように語りかけ、詩は絵のような豊かな色と形をありありと提示します。日本の近代洋画は、文学からの自立を目指した西洋近代美術の影響のもとで始まっています。特に印象派以後、新しい造形表現を積極的に取り入れた結果、実に多様な作品がうまれました。青木繁、村山槐多、長谷川利行など詩歌と画技において秀でた作家や、宮沢賢治、富永太郎、立原道造など絵を描いた詩人も少なくありません。本展は、明治から現代までの画家と詩人の詩と絵を一堂に集め紹介します。


昨年、神奈川平塚市美術館さん、愛知碧南市藤井達吉現代美術館さんと巡回した企画展が、今度は姫路で開かれます。図録を兼ねた書籍『画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく』は広く販売中です。

光太郎の油絵も3点展示されます。大正3年(1914)に描かれた「日光晩秋」、同年に描かれた洋酒の瓶と果実を描いた「静物」、そして新潟・佐渡島の歌人・渡邊湖畔の息女を描いた「渡辺湖畔の娘道子像」(大正7年=1918)です。当方、平塚展を観て参りました。こちらでは「日光晩秋」は展示されなかったのですが、今回は並ぶそうです。

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姫路市立美術館さん、調べてみましたところ、世界遺産姫路城のすぐ近くです。併せて足をお運び下さい。

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ただ、講演会、ギャラリートーク等の関連行事について、まだ不明です。判明次第ご紹介いたします。


【折々の歌と句・光太郎】

佐渡が島荒き波路にまもられて我が魂は常久に生く
大正7年(1918) 光太郎36歳

上記「渡辺湖畔の娘道子像」を描く関係もあり、この年10月に光太郎は佐渡島の渡辺湖畔邸を訪れています。この歌は帰京後、湖畔に送った書簡にしたためられました。

新刊情報です。 
2015/12/11 牧歌舎 坂本富江著 定価2,200円+税

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著者の坂本富江さん、このブログでもたびたびご紹介していますが、智恵子がかつて在籍していた太平洋画会の前身、太平洋美術会の会員であらせられます。

その坂本さんが、光太郎智恵子ゆかりの地を歩かれ、書きためられたスケッチとエッセイで構成されています。3年前に初版が刊行され、今回は増補改訂版ということで、約20頁増えています。当方、校正をさせていただいており、既に3回ほど目を通しましたが、色鮮やかなスケッチと、軽妙な文章のコラボレーションが見事です。

帯に印刷された推薦文は、初版に続き女優の渡辺えりさん。お父様が光太郎と知己でした。

目次
はしがき
① 故郷
 智恵子の故郷 福島県
  旅情さそうレトロな安達駅/誕生/生家/よみがえった長沼家は不滅/
  ローゼットと掘りごたつ/花園/美しいトイレ/米蔵/智恵子記念館/
  智恵子の杜(愛の小径)/鞍石山/『万葉集』から『智恵子抄』へ/樹下の二人/
  長沼家の菩提寺満福寺/コスモスゆれる安達ヶ原/智恵子物産の戸田屋商店/
  小高い丘の油井小学校/初挑戦の紙芝居/
智恵子マーチングパレードと紙絵/
  空を染める提灯祭り/智恵子の答辞文
② 学び舎の頃
 都会の生活① 東京
  夢いだき日本女子大学校/設立者 成瀬仁蔵/最初の運動会/音楽教育/
  倫理学からの抜粋/
成瀬講堂/成瀬校長の告辞/学友が語る智恵子のエピソード/
  青春輝く学び舎/智恵子のことば/
現存する成瀬仁蔵旧宅/
  芸術家サロンの街雑司ヶ谷/愛の告白/鬼子母神
③ 画家への道
 都会の生活② 東京
  太平洋画会研究所/智恵子の幻のデッサン見つかる/画学生智恵子/智恵子の美意識/
  最も新しい女流画家/中村不折と正岡子規/太平洋美術会と著者の出会い/
  光太郎の母校・荒川区立第一日暮里小学校/新宿「中村屋サロン」に花開いた芸術家/
  中村彝アトリエ再現
④ 光太郎との恋
 都会の生活③ 東京
  「青鞜」と智恵子/運命の花「グロキシニア」/青鞜を去る/日比谷公園松本楼と氷菓/
  首かけイチョウ/銀ブラの二人
 犬吠埼 千葉
  早春の犬吠埼/銚子電鉄/灯台
 上高地 長野
  山上の恋・上高地
 裏磐梯・五色沼 福島
  エメラルドグリーンの五色沼
 上野公園 東京
  精養軒で披露宴/料理メニューはハイカラ/木更津まで響いた「時の鐘」
⑤ 愛の暮らし
 都会の生活④ 東京
  夢抱きしアトリエ 千駄木林町二十五番地/アトリエでの苦悩/お化けやしき/
  巴そば店/順天堂病院
⑥ 病と転地療養
 九段坂病院 東京
  白亜の九段坂病院/智恵子の入院した頃の旧館
 不動湯温泉 福島
  山峡の宿・不動湯温泉/私道・専用道路の開削/不動湯温泉/旧館十六号室/
  夕食の献立/
心の御馳走/宿帳のこと/幽谷のホタル鑑賞/入籍のこと
 九十九里浜 千葉
  灼熱の九十九里浜と田村別荘/九十九里浜/田村別荘のこと/田村別荘内部/
  糸日谷さんのこと/
智恵子の印象/光太郎のこと
⑦ ゼームス坂病院と紙絵
 晩年の生活 東京
  芸術家智恵子蘇生/病室は智恵子にとってのアトリエ/智恵子抄文学碑/
  紙絵に残した「楠公像」/守られた紙絵/桜舞ふ東京都立染井霊園
⑧ 晩年の光太郎
 高村山荘 岩手
  みちのくの高村山荘へ/高村山荘/甥が語る光太郎の素顔/智恵子とともに/
  未見の詩人・野澤一との交流/三畝の畑/智恵子の丘/高村光太郎記念館
 十和田湖 青森
  十和田湖畔と奥入瀬渓谷/黄金に染まる乙女の像/秘められた『乙女の像』/
  東京中野の中西アトリエ/『智恵子抄』が世に出るまで~光太郎の苦悩
⑨ 智恵子の油絵が展示されている山梨の美術館
 清春白樺美術館 山梨
  清春芸術村・山梨県清春白樺美術館/梅原龍三郎と光太郎/小林秀雄氏の枝垂桜/
  ラ・リューシュ/運命の出会い/大村智氏ノーベル医学・生理学賞
⑩ 絵が誘う点と線
 「樟」の誕生 静岡県
  智恵子と沼津/絶景の千本浜と千本松原/沼津垣の垣根/蛇松線跡は花の散策路/
  日本最古の沼津市立第一小学校/「道喜塚」今昔/大久保忠佐と「道喜塚」/
  「樟」は残った/
「樟」との宿命的出会い
⑪ 新作能「智恵子抄」
 赤坂日枝神社 東京
  山王、日枝神社で薪能「智恵子抄」を鑑賞
 新作能 智恵子抄詞章
  僕等/樹下の二人/あどけない話/人生遠視/風に乗る智恵子/千鳥と遊ぶ智恵子/
  山麓の二人/
レモン哀歌/荒涼たる帰宅
⑫ 智恵子さんへの手紙
 拝啓高村智恵子さまへ
年譜 あとがき 参考文献


このうち、沼津の部分や中野アトリエの部分などは、初版にはなかった増補の部分です。その他の部分でも、使われているスケッチが替わったりといった改訂があります。

ぜひお買い求めを。

ところで、坂本さんといえば、明日、二本松市の福島県男女共生センターで行われる「智恵子講座’15」 講師を、当方と共になさいます。当初予定では当方が午前中、坂本さんが午後、というはずでしたが、なんと昨日、坂本さんのお母様がお亡くなりだそうで、その関係で午前と午後が入れ替わります。坂本さんが午前中で「松井昇と太平洋画会研究所」、当方が午後で「成瀬仁蔵と日本女子大学校」です。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月19日

昭和30年(1955)の今日、生涯最後の詩作品「お正月の不思議」「生命の大河」を書きました。

それぞれ翌昭和31年(1956)―この年4月2日に光太郎は歿します―の元日、「お正月の不思議」はNHKラジオで放送され、「生命の大河」は『読売新聞』に掲載されました。この時代には既に新聞は新仮名遣いに変わっています。

   生命の大河

生命の大河ながれてやまず、002
一切の矛盾と逆と無駄と悪とを容れて
ごうごうと遠い時間の果つるところへいそぐ。
時間の果つるところ即ちねはん。
ねはんは無窮の奥にあり、
またここに在り、
生命の大河この世に二なく美しく、
一切の「物」ことごとく光る。
 
人類の文化いまだ幼く
源始の事態をいくらも出ない。
人は人に勝とうとし、
すぐれようとし、
すぐれるために自己否定も辞せず、
自己保存の本能のつつましさは
この亡霊に魅入られてすさまじく
億千万の知能とたたかい、
原子にいどんで
人類破滅の寸前にまで到着した。
 
科学は後退をゆるさない。
科学は危険に突入する。
科学は危険をのりこえる。
放射能の故にうしろを向かない。
放射能の克服と
放射能の善用とに
科学は万全をかける。
原子力の解放は
やがて人類の一切を変え
想像しがたい生活図の世紀が来る。
 
そういう世紀のさきぶれが
この正月にちらりと見える。
それを見ながらとそをのむのは
落語のようにおもしろい。
芸術倫理の如きは
うずまく生命の大河に一度は没して
そういう世紀の要素となるのが
解脱ねはんの大本道だ。

テレビ放映を拝見しました。

まずは昨日、テレビ東京系で放映された「美の巨人たち 藤田嗣治 寝台の裸婦キキ」。先月、小栗康平監督の映画「FOUJITA」が封切られるなど、再び脚光を浴びている藤田嗣治が取り上げられました。

以前にも書きましたが、藤田は東京美術学校西洋画科で、光太郎と同級生でした。映画「FOUJITA」にも、光太郎の詩「雨にうたるるカテドラル」が使われています。

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映画で藤田を演じたオダギリジョーさんがビデオ出演。

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上の画像は、パリのカフェで青木崇高さん扮する日本からやってきた画学生が、光太郎の「雨にうたるるカテドラル」を朗読し、それを聴くシーン。

この詩にもそうした要素があるのですが、当時の美術家たちは、どのように日本(東洋)と西洋を融合して行くのかが問われていました。

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光太郎は塑像彫刻に木彫の技法を、木彫に塑像彫刻のエスキスを取り入れました。藤田の出した答えは、浮世絵の技法を油彩画に取り込むこと。番組では、藤田の最大の特徴、「乳白色」を例に、そのあたりを解説していました。

BSジャパンさんで2016年1月13日(水)、23時00分~23時30分に再放送があります。地上波テレビ東京系が受信できない地域の方々、こちらでご覧下さい。


もう一つ、3日の木曜日に放映された「にほんごであそぼ」。

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光太郎詩「冬が来た」」(大正2年=1913)が取り上げられました。

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子供たちによる朗読。

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うなりやベベン(浪曲師・国本武春)さんによる歌「冬が来た」は、以前に放映されたものの使い回しでした。

こちらも再放送があります。12月17日(木)  6時45分~6時55分  17時10分~17時20分、ともにNHKEテレさんです。

あわせてご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月6日

昭和27年(1952)の今日、銀座の新富寿しで夕食を摂りました。

十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)制作のため再上京して二ヶ月弱。花巻郊外太田村の山小屋で生活していた7年間では、寿司など思いもよらなかったことでしょう。ちなみに『週刊朝日』のおごりだったとのこと。

新富寿しさんは、大正期創業。池波正太郎も愛した店だそうです。

昨日に続き、今月14日に封切られ、光太郎にも触れられる小栗康平監督作品「FOUJITA」の新聞各紙に載ったレビューです。 

FOUJITA:オダギリジョーが抑えめ演技とオカッパ頭でなりきり 不世出の画家・藤田嗣治を描く

『毎日新聞』2015年11月13日004
 俳優のオダギリジョーさんが主演した映画「FOUJITA」(小栗康平監督)が14日に公開される。1990年の「死の棘」で第43回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリと国際批評家連盟賞をダブル受賞するなど海外でも評価の高い小栗監督が、芸術の都パリからも愛された不世出の日本人画家・藤田嗣治(つぐはる)の半生を描いた。オダギリさんは猛特訓したというフランス語も披露している。
 「FOUJITA」は日仏合作。1913年に27歳の若さで単身フランスに渡り、1920年代に発表した「ジュイ布のある裸婦」などで描いた裸婦が“乳白色の肌”と称され絶賛を浴び、一気に名声を高めた藤田の半生と藤田が生きた、“二つの時代“を描いている。“フーフー”というお調子者を意味する愛称で呼ばれ、毎夜カフェへと繰り出し、享楽的な生活を送りながら、3人の女性と結婚。さらに大作「五人の裸婦」完成により、その名声を確固たるものとした藤田の“パリ時代”と、第二次世界大戦が始まり、1940年代に入り帰国した藤田は陸軍美術協会のもとで国民の戦意高揚のため、戦争協力画を描く仕事をし、その後、疎開先の田畑が広がる山の麓の村で、日本の原風景を発見していくという時代を描いた。
 半生を描いたとはいえ、伝記映画としての色合い、005見る者を引き込むような物語性は希薄で、大戦を分岐点にした二つのパラレルワールドを遠くから眺めているような感覚にも陥る不思議な作品だ。ワンシーン、ワンシーンが絵画的で、劇中で主人公のせりふに「絵はしょせん絵空事、物語があったほうがいい」とあるが、今作もいい意味で“絵空事(フィクション)”になっている。主演を務めたオダギリさんは、映画「S?最後の警官?奪還 RECOVERY OF OUR FUTURE」での狂気をはらんだテロ
リストや放送中の深夜ドラマ「おかしの家」でのモラトリアム青年とも大きく異なり、抑え気味の演技から藤田の画家としての傲慢さや尊大さ、プライドを匂い立たせるという見事なカメレオン俳優ぶりを発揮。一部で“藤田の生き写し”といわれる前髪パッツンのオカッパ頭にメガネ、チョビヒゲ姿というオダギリさんのなりきりぶりにも注目したい。
 藤田の“5番目の妻”君代を女優の中谷美紀さんが演じ、岸部一徳さん、加瀬亮さん、青木崇高さんらも出演。14日から新宿武蔵野館(東京都新宿区)ほか全国で公開。(山岸睦郎)

FOUJITA 「一対の絵画」際立つ映像美

『日本経済新聞』2015/11/6006
「埋もれ木」に続く10年ぶりとなる小栗康平監督の新作である。1920年代のパリで活躍した日本人画家、藤田嗣治の生涯を、エコール・ド・パリの寵児(ちょうじ)としての時代と、帰国後に戦争画を描いた時代という2つの時期に分けて描きながら、時代に翻弄された天才画家の相反する姿を問いかけている。
 1920年代のパリ。乳白色の裸婦像で有名になったフジタ(オダギリジョー)は、お調子者という意味の「フーフー」の愛称で人気者となり、毎晩のようにカフェ・ロトンドに繰り出して画家仲間とバカ騒ぎをしている。そんな中、大作「五人の裸婦」も完成。新しい恋人と仮装舞踏会を開いてお祭り騒ぎに興じる。
 1940年代の日本。国民総力決戦美術展に展示された「アッツ島玉砕」の絵の前で人々に敬礼するフジタ。やがて戦局が悪化して5番目の妻の君代(中谷美紀)と田舎の村に疎開したフジタは、古くからの日本の自然や暮らしを発見していく。フジタがサイパン島のバンザイクリフの絵を描く中、母屋の小学校教師に赤紙が届くのを知る。007 (2)
 物語の前半と後半は等しい描写時間を占めるが、両者の転換に一切説明はなく唐突に歳月を超えてつながっている。前半はパリでのエピソードが重ねられていく印象だが、後半はCGによるキツネの登場など、小栗監督にしばしば見られる幻想的な世界が見られて心を揺さぶられる。
 映像は際立って美しい。パリのアトリエなど暗
い室内シーンが見られるが、当時の光を尊重しているようなリアル感があり、好感が持てる。映画は前半と後半で一対の絵画を見るような印象が強く、両者を貫くフジタの生きざまを見るものが想像するのをうながしているようで面白い。
 ラストに映し出されるフジタが手がけたランスの教会の映像も見逃せない。2時間6分。
★★★★ (映画評論家 村山 匡一郎)


関連するテレビ番組の放映もありますので、ご紹介しておきます。 

SWITCHインタビュー 達人達(たち)「オダギリジョー×舘鼻則孝」

NHKEテレ 2015年11月28日(土)  22時00分~23時00分

達人達が見ている景色、お見せします。
 異なる分野で活躍する2人の“達人”が出会い、語り合う。ただし、単なる対談番組ではありません。
 番組の前半と後半でゲストとインタビュアーを「スイッチ」しながら、それぞれの「仕事の極意」について語り合い、発見し合う、いわばクロス×インタビューです。

オダギリジョーが指名したのは、レディー・ガガの靴のデザインで知られる舘鼻則孝。アート通ファッション通でもある俳優と世界が注目するアーティストが、静かに響き合う!

おいらんの高げたからインスピレーションを得たヒールレスシューズなど、伝統工芸と日本の現代的美意識を融合させたアバンギャルドな作品で注目される舘鼻。30歳の若きアーティストの発想の秘密にオダギリが迫る。さらに2人は美術館でオダギリが演じた画家・藤田嗣治の作品を鑑賞。オダギリの独特の存在感の秘密、役への入り方を探るうち、技術と感性のバランスの取り方など、「表現」にともなうそれぞれの葛藤が浮き彫りになる。

出演 俳優…オダギリジョー,アーティスト…舘鼻則孝,演出家…テリー伊藤
語り 吉田羊,六角精児

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本放送 テレビ東京  2015年12月5日(土)  22時00分~22時30分
再放送 BSジャパン  2016年1月13日(水) 23時00分~23時30分

ナレーション 小林薫,蒼井優


映画と併せてご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月25日

昭和28年(1953)の今日、約1年ぶりに、花巻に戻りました。

昭和20年(1945)、東京のアトリエを空襲で焼け出された光太郎は、宮澤家の招きで花巻に疎開、その年の秋には郊外太田村の山小屋(高村山荘)に入り、独居自炊の生活を7年間送りました。

同27年(1952)、青森県から依頼された「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、再び上京。中野の故・中西利雄のアトリエを借りました。

翌28年(1953)10月には十和田湖で像が除幕。その約1ヶ月後の今日、特急「みちのく号」を使って花巻に。12月5日まで滞在しました。ただし、山小屋には行ったものの、そこで寝泊まりせず、大沢温泉、志戸平温泉、花巻温泉松雲閣などに宿泊しました。滞在中には、ブリヂストン美術館制作の美術映画「高村光太郎」のロケも行われました。

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その後も住民票は太田村に残したまま、東京と太田村を行ったり来たりしながらの生活を考えていましたが、健康状態がそれを許さず、結局、この時を最後に、二度と花巻、太田村に足を向けることはありませんでした。

今月14日に封切られ、光太郎にも触れられる小栗康平監督作品「FOUJITA」。新聞各紙のレビューをご紹介します。

映画「FOUJITA」 描き続けた「物語を超える絵」

005『産経新聞』2015年11月20日
 仏で活躍後、第二次大戦中に戦争協力画を描いたとして非難され、日本を捨てた画家、藤田嗣治(つぐはる)。公開中の「FOUJITA」は、「泥の河」(昭和56年)などで知られる小栗康平監督(70)が、その複雑な人物像に迫った作品だ。浮かび上がってきたのは、時代を超え、絵だけに生きようとした男の姿だった。(岡本耕治)
                   ◇
 「高村光太郎は戦後、戦争協力の詩を書いたことを反省して田舎に引っ込んだが、それが普通の日本人のメンタリティー。しかし、藤田は批判にびくともせず、反省もしなかった。その強さに興味を持った」と小栗監督は話す。
 「FOUJITA」の前半では、1920年代のパリを舞台に、乳白色の裸婦像で注目を浴び、時代の寵児(ちょうじ)となった藤田(オダギリジョー)が仲間とバカ騒ぎに興じる姿が描かれる。後半は、40年代の日本が舞台。藤田は戦意高揚のための展覧会で、展示された自作「アッツ島玉砕」の前に賽銭(さいせん)箱を置き、人々が金を投げ入れるたびに頭を下げることまでしてみせる。
 「人としてどうなのか、という批判はあるだろう。でも、仏で第一次大戦後の狂乱の時代を体験した藤田は軍部に協力しながら、実は何も信じていなかったのではないか。是非は別にして、彼は絵を描くこと、絵の世界で1番になることしか考えていなかったし、そうやって仏でも日本でも成功を収めたんでしょう」
 展覧会で、戦争未亡人らしき女性が作品の前で泣き崩れるのを見た藤田が、「絵が人の心を動かすものだ、ということを私は初めて目の当たりにしました。今日は忘れがたい日になりました」と語るシーンがある。オダギリは抑えた演技で、戦争画というジャンルに強い確信を抱いた藤田を表現。小栗監督は「(オダギリは)不思議な俳優。意見もあまり言わず、こっちの話を聞いているのか、いないのか分からない感じなのに、芝居をやらせるとすごく良い」と笑い、その演技力を絶賛する。
 「絵は絵空事なのだから、物語があった方が良い」「良い絵はいつしか物語を超えて生き延びます」という藤田のせりふに、その思いが浮かび上がる。しかし、絵のみを見続けた藤田に対し、戦後の日本006は激しい非難を浴びせ、藤田は日本を去ってしまう。
映画であれ、絵画であれ、純粋に作品だけを見ることはとても難しい。
 「『アッツ島玉砕』は、当時と今、さらに2030年に見るのでは意味合いが違ってみえる。作品は“その時々の物語”を持っていて、その物語に私たちはいつもだまされてしまう」と小栗監督。「私も、物語を超える映画を作っていきたいですね」と語った。

「FOUJITA」 小栗康平監督

007『読売新聞』2015年11月14日
 画家、藤田嗣治を主人公にした「FOUJITA」(フジタ)が14日から公開される。「泥の河」「死の棘とげ」などで知られる小栗康平監督による10年ぶりの新作だ。
 小栗監督の映画としては2005年の「埋もれ木」以来となる本作は、日仏合作。フランス側のプロデューサーを務めたのは、「アメリ」などで著名なクローディー・オサールだ。
 小栗監督は「資金的なことも当然あるが、フジタについては、内容的にも一緒に作らないと成り立たないものでした」と語る。
 1886年、明治の日本に生まれた藤田は1913年に渡仏し、20年代のパリを代表する画家の一人として活躍。40年に帰国してからは、数多くの戦争画を手がけ、そのことで戦後、批判を受けた。その後、日本を離れ、フランス国籍を取得。カトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタとなる。68年に死去し、自らフレスコ画などを手がけた、ランスの礼拝堂に眠る。
 映画「FOUJITA」が描くのは、二つの時代、二つの文化の中の藤田。映画の前半は20年代のパリ、後半は40年代の日本での姿を見せる。
 「伝記ではなく、20年代のパリと、40年代の戦時の日本を並置して、映画という同一の時空間にとどめることで、何をそこから感じ取るか。それをどう自分のものにするか、という作品だと思うんです」
 そして、それは、「近代とは何か」という問いかけにもつながっていく。
 「いろいろな問いかけが、フジタからひもとくことができるはずです」
009 国民国家の成り立ちも、個人のあり方も、まったく違う、二つの社会を生きた藤田。パリでは日本的な線描の裸婦像で成功し、日本ではヨーロッパの歴史画を思わせる戦争画を描いた。小栗監督は、そんな藤田を「文化の衝突」の中で生きた人間と見る。
 「時代の中で闘っていますよね。そして、その闘いは今の僕らとも無縁ではない。闘っている人間だからこそ持つ悲しみのようなものがあるはずです。深く一つのことをなして生きたフジタという男だからこそ、初めて表れる悲しみや感情の起伏が映ればいい、と思っていました」
 藤田はどんな場所に、どんなたたずまいで存在していたのか。この映画はロングショットでじっくりと映し出す。
 「映画は言葉を撮るわけじゃない。事物の存在の『相』というようなものを撮るわけで、ローカリティー(場所や土地)と結びつかない限り深まっていかない。それは、ものがどこにあるのかとか、場をとらえることとも関連してくると思います」
 「近代の華」として世界に広がった映画のあり方に対する問いかけも、この作品は内包している。(恩田泰子)

静けさから迫る実像 藤田嗣治描く「FOUJITA」14日公開

010『東京新聞』2015年11月12日 朝刊
 「泥の河」などで知られる小栗康平監督(70)の最新作「FOUJIT(フジタ)A」が14日公開される。第2次大戦前のフランスと戦中の日本と二つの国で生きた画家藤田嗣治(ふじたつぐはる)(1886~1968年)を、静かで穏やかな映像美で描いた。 (砂上麻子)
 FOUJITAはフランス語でフジタと読む。「埋もれ木」(二〇〇五年)以来、小栗監督が十年ぶりに選んだ映画の主人公は藤田。「特別に好きな画家ではなかった。裸婦像、戦争画、戦争協力という一般的なフジタ像しかなかった」と振り返る。
 「藤田はパリの人気者、戦争協力者などあふれるほどのエピソードがあるが、エピソードを積み上げても類型的な人物像を描くだけ」と語る小栗監督がひかれたのは藤田の絵画。「絵の中の静けさから藤田を描くことができると思った」
 映画は一九二〇年代のパリと四〇年代の戦時中の日本をそれぞれ一時間ずつ前半と後半の二部構成のようにつなげた。パリ時代の「乳白色の肌」で知られる裸婦像と、「アッツ島玉砕」(四三年)など暗く重厚な戦争画とその作風からも分かるように、藤田の暮らしぶりも、ばか騒ぎを繰り広げるパリと田舎へ疎開した日本とでは対照的。「変節の人だと言われるが、異文化の中で一人の人間がねじれながらも生き抜く姿を自分なりに描いた」
 過激な表現があふれる昨今の映画を「動」とするならFOUJITAは「静」。絵画のように観客は見て感じるしかない。「絵画も映画も画像の中で事物がどう置かれるかという点で出発は同じ。映画はトーキーになり言葉が形作る物語を追い掛けるようになり最初にあった感動を失ってきた。映画の原点に戻った。絵画へのオマージュだ」と話す。
011 主人公藤田にオダギリジョーを選んだのは小栗監督。「猫のようになよっとした身体感覚が藤田と似ている」。劇中のオダギリジョーはおかっぱ頭に丸めがね、耳にはピアスと外見は往年のフジタにそっくり。「外見だけでなく存在そのもので藤田を演じていた」と評価する。
 終戦の年に生まれ七十歳になった小栗監督。三十五歳の時に「泥の河」でデビューした。その後も戦争の影響を感じさせる作品を撮り続けてきた。「戦後七十年の今年、藤田に出会えたのは運命だった。藤田を通じて自分も原点に戻ったようだ」と振り返った。


長くなってしまいましたので、続きは明日。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月24日

昭和60年(1985)の今日、埼玉県東松山市中央公民館・同市立図書館で開催されていた「高村光太郎 「智恵子抄」詩句書展」が閉幕しました。

生前の光太郎と交友のあった当時の市教育長・田口弘氏所蔵の光太郎書、資料を中心にした展覧会でした。

昨日は、千葉市の京成ローザさんに行き、昨日封切りの映画「FOUJITA」を観て参りました。

ストーリー等の説明のために、一昨日の『朝日新聞』さんに載った小栗康平監督のインタビュー記事を引用させていただきます。

分裂とゆがみ、他人事でない 藤田嗣治描いた「FOUJITA」 小栗康平監督

 「泥の河」「死の棘」の小栗康平監督10年ぶりの新作「FOUJITA」が、14日から公開される。主人公は画家藤田嗣治(1886~1968)。1920年代の狂乱のパリと第2次大戦下の日本、二つの時代を生きたフジタの「分裂とゆがみ」を、透徹したまなざしでとらえる。
 乳白色の裸婦像でパリ画壇の寵児(ちょうじ)となったフジタ(オダギリジョー)は、カフェでのバカ騒ぎやけばけばしい仮面舞踏会に興じる。時代は飛び1940年代の日本、凄絶(せいぜつ)な「アッツ島玉砕」などの戦争画で美術界の重鎮となったフジタは、迫り来る敗戦の予感の中、疎開先の農村の暗い風景を見つめる。
 「パリでは日本画の手法を油絵のど真ん中に押し込み、日本ではドラクロワのような西洋画の伝統技法で戦争を描く。そのねじれに興味を抱いた」と小栗。
 戦争協力者との批判を浴び、日本を捨てフランスに戻った戦後は、映画では描かなかった。
 「伝記映画の構造は持っていないし、人物像を提示することに興味はなかった。高村光太郎のように戦争協力を反省し蟄居(ちっきょ)する、という方が日本人的でヒューマニスティックでしょう。でもフジタは明らかに近代主義者だった。パリでエトランゼ(異邦人)の中に飛び込み、闘ってつかみ取った自我があったんだと思う」
 仮面舞踏会の悪ふざけの後、ベッドで女に「バカをすればするほど自分に近づく。絵がきれいになる」。「アッツ島玉砕」に手を合わせる人々に敬礼し、「絵が人の心を動かすものだということを初めて目の当たりにした」。取り澄ました物言いは、真意なのか、とぼけているのか。フジタは、芸術至上主義者ともくくれず、自己顕示欲の塊とも言い切れない。
 「彼の分裂とゆがみは、100年経った今の私たちにとってもひとごとではない。深く引き裂かれた人物として、ある悲しみをもってフジタを見つめることで、日本がどう近代を受容したのか、そしていまフジタと比べ成熟したのか、それを問いたかった」
 銀色に輝く水田など幽玄的な風景をとらえた映像は、デジタル撮影の威力が発揮されている。
 「前作『埋もれ木』からデジタルにしたが、10年経って別物に進化していた。見たこともない絵をつくるだけでなく、最もとらえにくい自然に対しても、とても有効だ」(小原篤)


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監督自身が「伝記映画の構造は持っていない」というように、非常に感覚的な映画でした。いわゆる「説明調」のセリフはほとんどなく、藤田の行動を淡々と追うというスタイルです。それでいて、その一つ一つが人間・藤田を存分に描ききっていました。オダギリジョーさんの演技もはまっていました。

前半は1920年代のパリ。「五人の裸婦」に代表される独自のスタイルの絵を追求し、同時にセルフプロモーションにも入念な藤田が描かれます。

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カフェのテラスで、青木崇高さん演じる日本からやってきた画学生が、藤田を前に光太郎の「雨にうたるるカテドラル」を朗読するシーンがあります。

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一瞬映し出される藤田の心象風景。ここに佇む男は光太郎なのでしょうか、それとも藤田自身なのでしょうか。

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しかし藤田は、画学生の朗読も半ばを過ぎたあたりで、少し離れた席にいたパリジェンヌ2人にちょっかいを出します。

このシーンで小栗監督は、藤田が単なる西洋への憧れで滞仏しているのではないことを描こうとしたようです。対極的に、光太郎は西洋への憧れを強く表出した人物の象徴として捉えられています。光太郎の西洋観、それほど単純ではないのですが……。

ただ、確かに光太郎には、藤田のように「何故に我々の先輩がパリに渡り、本舞台で飽くまで西洋人と闘ってこなかったのであろうか」「すべてを棄てて自分だけは少なくとも本場所の土俵の上で大相撲をとろうという覚悟であった」という気持ちはありませんでした。

また、光太郎との比較は、戦後の行動にも表れていると、小栗監督は述べられています。

「高村光太郎のように戦争協力を反省し蟄居(ちっきょ)する、という方が日本人的でヒューマニスティックでしょう。でもフジタは明らかに近代主義者だった。パリでエトランゼ(異邦人)の中に飛び込み、闘ってつかみ取った自我があったんだと思う」

先日、NHK Eテレさんで放映された「ETV特集「FOUJITAと日本」」の中でも、同様の発言がありました。しかし、光太郎のように戦時協力を反省し、蟄居したのは少数派です。まあ、藤田のように日本を見限って再び海外に渡ったのは、さらに少数派ですが……。悲しいかな、大部分の芸術家は翼賛活動を「軍部の命令で仕方なくやったことだ」と開き直り、何くわぬ顔をして「民主主義」に転向していきました。

藤田と光太郎、一見、形は違いますが、その根底に流れているものは同一のような気がします。

映画の後半は、1940年代の日本。藤田の戦争協力の様子が、これも淡々と描かれています。そして戦後の藤田については語られていませんが、エンドロールの直前に、再び渡仏した藤田が、昭和41年(1966)に自身の設計でランス市に建てたノートル・ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂と、その内部のフレスコ画―磔刑に処されるイエスを見つめる群衆の中に描かれた藤田最後の自画像―を提示し、戦後の藤田を暗示していました。

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「彼の分裂とゆがみは、100年経った今の私たちにとってもひとごとではない。深く引き裂かれた人物として、ある悲しみをもってフジタを見つめることで、日本がどう近代を受容したのか、そしていまフジタと比べ成熟したのか、それを問いたかった」という、小栗監督の言葉が重くのしかかるエンディングでした。

余談になりますが、映画を観ていて驚いたことが一つ。何と、当方の住む千葉県香取市佐原地区ででロケが行われていました。それ自体は珍しいことではなく、重要伝統的建造物群保存地区に指定されているので、様々な映画やドラマなどの撮影がしょっちゅう行われているのですが(嵐の二宮和也さん主演、フジテレビさんの2016年新春スペシャルドラマ・夏目漱石原作「坊ちゃん」のロケも、つい数日前に行われていました)、この映画のロケが行われていたのはまったく知らなかったので、スクリーンに地元の町の風景が映った時には驚きました。

しかし、最近のデジタル技術の進歩は凄いものですね。香取市の風景の中でも、存在しない海が遠景に写っていたり、古い街並みのカットでは、逆にあるはずの新しい建物が写っていなかったりしていました。撮影後に修正しているのでしょうが、全く違和感がありませんでした。

デジタル技術の進歩という意味では、特に映画後半の幻想的な日本の風景を描いた部分が、非常に印象的でした。

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ぜひ、ご覧下さい。


ところで、パリといえば、昨朝から悲しいニュースが飛び込んできています。『日刊スポーツ』さんに載った、昨日の小栗監督らの舞台挨拶を報じる記事から。

「FOUJITA」初日にパリでテロ 小栗監督沈痛

 オダギリジョー(39)主演映画「FOUJITA-フジタ-」(小栗康平監督)初日舞台あいさつが14日、都内の角川シネマ有楽町で行われた。
 「FOUJITA-フジタ-」は1920年代のフランス・パリと1940年代の日本を生きたフジタを通し、時代と文化の差異を描いた。昨年9月15日に都内で撮影し、1カ月のフランスロケを経て、同12月15日にクランクアップした。初日を迎えたこの日、フランス・パリで同時多発テロが発生し、120人を超える人が亡くなった。小栗監督は舞台あいさつの冒頭に、沈痛な表情で事件について語った。
  「パリで、とても不幸なことが起きました。この映画のキャッチコピーは『パリが愛した日本人、あなたはフジタを知っていますか?』となっています。1920年代と40年代の日本とパリを、フジタを通して描いた作品です。20年代から数えますと、ほぼ100年近く時代がたっていますけれど、欧州はどういう社会なのか、あるいはアジアは欧州と違ってどうなのか…この封切りの初日に、パリのテロを受けて、あらためて私は考えました。もしかしたら、この『FOUJITA-フジタ-』で描いている世界も、14年から振り返って遠い昔のことではないんだと。今に結び付く問題が、この映画の中にもあるんだろうな、ということをあらためて今朝、しみじみと考えました」

犠牲になられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月15日

昭和12年(1937)の今日、銀座の服部時計店で、光太郎の実弟にして、後に鋳金の人間国宝となる豊周らが中心となった、実在工芸美術会同人作品展が開幕しました。

愛知県碧南市の藤井達吉現代美術館さんから、企画展の情報です。平塚市美術館さんから始まった同じ企画展の巡回です。 
会 期 : 2015 年11月17 日(火) ~12月20 日(日)
時 間 : 10:00 ~ 18:00(入場は17:30 まで)
会 場 : 碧南市藤井達吉現代美術館 愛知県碧南市音羽町一丁目1番地
休館日  月曜日( ただし11月23日(月・祝)は開館し、11月24日(火)は休館)
料 金 : 一般800(640) 円、高大生500(400) 円、小中学生300(240)円
       ※()は20名以上の団体

主 催 : 碧南市藤井達吉現代美術館、碧南市、碧南市教育委員会、読売新聞社、
      美術館連絡協議会

 古来、西洋では「絵は黙せる詩、詩は語る絵」といわれてきました。日本でも画賛(がさん)、詞書(ことばがき)が絵画の重要な役割を果たし、「詩書画」の一致を成してきました。一方、日本の近代洋画は、文学からの自立を目指した西洋近代美術の影響のもとで始まっています。特に印象派以後、新しい造形表現を積極的に取り入れた結果、実に多様な作品がうまれました。しかし、現実の生きた情感から浮き上がった作品が多く生まれたことも事実です。こうした中で、村山槐多、長谷川利行、古賀春江、三岸好太郎、山口薫などは、西洋近代美術に学びながらも、文学性、詩情を拠りどころとして優れた作品を残しています。さらにまた、詩の世界では宮沢賢治、立原道造、草野心平らが独自性のある絵を描いています。ある意味では、モダニズムが斥けてきた詩情、文学性を活かすことで、日本独自の絵画が成立したといえます。
  近年では、一部の画家たちが積極的に詩の世界に接近し、新しい表現を生み出そうとしています。本展は、明治から現代までの画家と詩人の絵画と詩を一堂にあつめ、絵画と詩の密接なつながりを検証するものです。
 
画家
 小杉未醒、青木繁、竹久夢二、萬鐡五郎、藤森静雄、恩地孝四郎、田中恭吉、中川一政、長谷川利行、古賀春江、川上澄生、村山槐多、谷中安規、三岸好太郎、棟方志功、長谷川リン二郎、難波田龍起、山口薫、香月泰男、南桂子、松本竣介、浅野弥衛、飯田善國、草間彌生、田島征三、芥川麟太郎、藤山ハン、難波田史男、イケムラレイコ、瓜南直子、O JUN、小林孝亘、鴻池朋子、村瀬恭子、伊庭靖子
 
詩人
 正岡子規、高村光太郎、北原白秋、木下杢太郎、萩原朔太郎、佐藤春夫、西脇順三郎、宮沢賢治、佐藤一英、尾形亀之助、稲垣足穂、岡崎清一郎、富永太郎、小熊秀雄、北園克衛、瀧口修造、草野心平、中原中也、長谷川四郎、まど・みちお、立原道造、三好豊一郎、新国誠一、木島始、春日井建、吉増剛造、田畑あきら子、山本陽子

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関連行事

■記念講演会 
<第1回>
 日 時 2015年11月21日(土) 午後2時~3時30分
 講 師 酒井忠康 氏 (世田谷美術館 館長)
 内 容  「画家の詩、詩人の絵」
 場 所 大浜まちかどサロン2階(美術館向かい)
 定 員 先着60名 (定員になり次第締切)
<第2回>
 日 時 2015年11月28日(土) 午後2時~3時30分
 講 師 馬場駿吉 氏 (名古屋ボストン美術館 館長)
 内 容 「詩と絵画」
 場 所 大浜まちかどサロン2階(美術館向かい)
 定 員 先着60名 (定員になり次第締切)
【申込方法】  聴講無料。2015年10月20日(火)より受付します。お電話にて、住所、氏名、電話番号、参加人数をお知らせください。

■ミュージアムコンサート ~セントラル愛知交響楽団メンバーによる室内楽コンサート~
 FM愛知”おはクラサタデー”などでもお馴染みの山本雅士ナビゲーターによるミュージアムコンサート。展示されている絵にちなんだ曲目を中心におもしろいエピソードを交えてお楽しみいただきます。
 日 時 2015年12月5日(土) 午後7時~午後8時
 出 演 セントラル愛知交響楽団 弦楽四重奏
 内 容 モーツァルト:ディベルティメントK.136より 宮澤賢治:星めぐりの歌ほか
 定 員 100名 
 参加費 無料(展覧会の観覧には観覧料が必要です)
 場 所 美術館1階 エントランスホール
【申込方法】  2015年10月20日(火)午前10時より受付を始めます。お電話にて、住所、氏名、年齢(学年)、電話番号、参加人数をお知らせください(先着順)。参加費は当日徴収いたします。

■ワークショップ
 日 時 2015年12月6日(日) 午後1時~午後4時
 内 容 「木版で造るオリジナル便箋」
       自分だけの文様を彫った木版で、便箋やハガキを作ろう!
 対 象 中学生以上
 定 員 15名 (定員になり次第締切) ※汚れてもいい服装でお越しください
 参加費 500円
 場 所 美術館地下1階 創作室
【申込方法】  2015年10月20日(火)午前10時より受付を始めます。お電話にて、住所、氏名、年齢(学年)、電話番号、参加人数をお知らせください(先着順)。参加費は当日徴収いたします。

★参加型プログラム
 日 時 2015年11月17日(火)~12月20日(日) 会期中随時
 内 容 「あなたも挑戦! ―語りかける絵、彩られた詩―」
      絵や詩から連想したことを自由に書いてみよう!
 参加費 無料
 場 所 展示室周辺
 対 象 ご観覧の方どなたでも 
※お申し込みは不要です。ご来館の際は是非お気軽にご参加ください。

■ギャラリー・トーク
当館学芸員が展示作品の解説を行います(約30分)。
 日 時 12月: 12日(土)、19日(土) 午後2時より
 備 考 予約不要・観覧券をお持ちの上、美術館2階ロビーにお集まりください。


光太郎の作品は3点展示されます。

大正3年(1914)に描かれた「日光晩秋」。それから同年に描かれた洋酒の瓶と果実を描いた「静物」、そして新潟・佐渡島の歌人・渡邊湖畔の息女を描いた「渡辺湖畔の娘道子像」(大正7年=1918)です。このうち「日光晩秋」は、図録に掲載があるものの、平塚市美術館さんでは展示されませんでした。今回は並ぶそうです。

同館は一昨年にやはり全国巡回の「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」展を開催して下さりました。館周辺の街並みも趣深く、いいところです。ぜひ足をお運びください。

この「画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」展、平塚市美術館さんを皮切りに、以下の日程で全国巡回が予定されています。

2015年11月17日(火)~12月20日(日)  愛知県碧南市藤井達吉現代美術館
2016年2月13日(土)~3月27日(日)  姫路市立美術館
2016年4月9日(土)~6月12日(日)   栃木足利市立美術館
2016年6月18日(土)~8月7日(日)   北海道立函館美術館


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月7日

昭和63年(1988)の今日、大和書房から精神科医・斎藤茂太の『ベスト・カップル ワースト・カップル―しあわせを呼ぶ相性判断』が刊行されました。

当時はまだ時代遅れとされていなかったクレッチマ000ーの性格類型論を元に、女性向けに書かれた恋愛論です。読み物としては面白いと思いました。

「あなたが百恵さんのような落ちついたタイプだったら」「あなたがおしんのようなしっかりタイプだったら」「キミが我の強いタイプ、たとえばスカーレットのような女性だったら」といった、時代を感じさせる項目(「スカーレット」はスカーレット・オハラ。『風と共に去りぬ』のヒロイン――昭和の頃は註も必要なかったのでしょう)に混ざって、「あなたが智恵子のような濃やかな人だったら」という章があります。ちなみにもう一つは「あなたがサザエさんタイプの明朗女性だったら」。

女性の皆さん、あなたは何タイプですか(笑)?

藤田嗣治(明治19年=1886~昭和43年=1928)。独自の乳白色を用いた裸婦画などで、エコール・ド・パリを代表する画家の一人となりました。東京美術学校彫刻科を卒業した光太郎は、同科研究生を経て、明治38年(1905)に同校西洋画科に再入学しましたが、その際の同級生に藤田が居ました。藤田は光太郎の3歳下(すなわち智恵子と同じ)になります。ちなみに岡本太郎の父・一平や、社会主義運動にも関わった望月桂も同級生でしたし、教授陣は黒田清輝、藤島武二らと、多士済々、きら星の如しですね。

光太郎と藤田の直接の交流はこの時期だけでした。藤田は同校卒業後、光太郎とほぼ入れ違いに渡仏、活動拠点をそのままパリに置きます。昭和に入ってから帰国、光太郎同様、泥沼の戦争に巻き込まれ(あるいは積極的に関わり)、戦後には戦争協力を批判され、また渡仏。結局、フランス国籍を取得、日本に帰ることなく昭和43年(1968)にスイスで歿しました。

そんな藤田を主人公にした日仏合作の映画が製作され、今月14日に封切られます。 

FOUJITA ―フジタ―

公  開 日 : 2015年11月14日(土) 全国ロードショー
場    所 : 角川シネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか
出    演 : オダギリジョー 中谷美紀 アナ・ジラルド、
         アンジェル・ユモー マリー・クレメール 加瀬亮 
りりィ 岸部一徳 他
製    作 : 井上和子、小栗康平、クローディー・オサール
監督・脚本  : 小栗康平
音    楽 : 佐藤聰明
配    給 : KADOKAWA

 2015年/日本・フランス/日本語・フランス語/カラー/126分
© 2015「FOUJITA」製作委員会/ユーロワイド

『死の棘』で第43回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ&国際批評家連盟賞をダブル受賞、『泥の河』『伽倻子のために』『眠る男』など海外でも高く評価される小栗康平監督の、十年ぶりとなる最新作だ。パリで絶賛を浴びた裸婦は日本画的でもあり、大東亜の理想のもとに描かれた“戦争協力画”は西洋の歴史画に近い。小栗監督は「これをねじれととるか、したたかさととるか。フジタは一筋縄で捉えられる画家ではない」と語る。戦後、「戦争責任」を問われたフジタはパリに戻り、フランス国籍を取得。以来、二度と日本の土を踏むことはなかった。フジタは二つの文化と時代を、どう超えようとしたのか。
フジタを演じるのは、韓国の鬼才キム・ギドク監督作品に出演するなど海外での活躍も目覚ましいオダギリジョー。フランスとの合作は本作が初めてである。映画の半分を占めるフランス語の猛特訓を受けて、見事にフジタを演じた。フジタの5番目の妻・君代役には、『電車男』『嫌われ松子の一生』『縫い裁つ人』などで名実ともに日本を代表する女優 中谷美紀。さらに、加瀬亮、りりィ、岸部一徳ら味わい深い個性派が集まった。フランス側のプロデューサーは、世界的大ヒットとなった『アメリ』のほか、アート系の作品も数多く手掛けるクローディー・オサール。静謐な映像美で描く、フジタの知られざる世界が現出した。


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単に光太郎の同級生を主人公としているだけでなく、劇中に光太郎詩「雨にうたるるカテドラル」が使われているというのです。この詩は大正10年(1921)に復刊成った第二次『明星』創刊号を飾った詩で、パリ留学中に訪れたノートルダム・ド・パリをモチーフに、圧倒的な西洋美術の重厚感を謳った100行を超える大作です。藤田にしても光太郎にしても、当時の美術家達が「西洋」をどう受容していったのか、という経緯を考える上で、この作品は格好の題材となるでしょう。

さて、一昨日になりますが、NHKEテレさんの「ETV特集 FOUJITAと日本」で、小栗康平監督がご出演、映画「FOUJITA」について語られていました。事前に把握していなかったので紹介できませんでした。申し訳ありません。ただ、再放送がありますので、ご紹介します。

ETV特集「FOUJITAと日本」

NHKEテレ 2015年11月6日(金)24:00~25:00=11月7日(土)午前00:00分~1:00

戦後70年の今年、画家・藤田嗣治を再発見しようとする試みが進む。フランスで初公開の作品、初めて一同に公開される戦争画。小栗康平監督による映画化などから実像に迫る。

藤田嗣治。パリで最も有名な日本人画家でありながら、戦争画を描いたことをきっかけに日本を離れ、フランスに帰化、日本ではその実像が厚いベールに覆われてきた。戦後70年の今年、再評価が進む。小栗康平監督による初の映画化、その生涯を日本の近代化の中で見つめるという。フランスでは遺族が寄贈した数々の遺品が初公開され、東京国立近代美術館では初めて戦争画が一同に公開される。戦争画の真実とは?画家の実像に迫る。

演 小栗康平  語り 中條誠子

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映画、テレビとも、ぜひご覧下さい。



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こちらもぜひご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月2日

平成12年(2000)の今日、新橋演舞場で、松竹製作、津村節子さん原作の舞台「智恵子飛ぶ」が開幕しました。

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智恵子役は片岡京子さん、光太郎役は平幹二朗さんでした。

昨日は愛車を駆って埼玉、栃木方面に行っておりました。000

まずは埼玉県加須市のサトヱ記念21世紀美術館さん。スポーツで有名な埼玉栄高校さんなどを含む佐藤栄(サトエ)グループさんによる私設美術館で、同じ傘下の平成国際大学さんが隣接していました。関東平野のど真ん中といった場所なので、広大な土地が利用可能だったようです。

こちらでは、先週から「生誕130年記念 斎藤与里展 ~巨匠が追い求めた永遠なる理想郷~」という、光太郎の盟友・斎藤与里(明18=1885~昭34=1859)にスポットを当てた企画展を開催中です。加須が与里の故郷であり、晩年の20年間を過ごした地でもあることによります。

「日本庭園と彫刻と絵画の美術館」というキャッチフレーズのとおり、門をくぐると、広大な庭園と、ブロンズ彫刻の数々。中にはロダン、佐藤忠良、舟越保武、橋本堅太郎など、光太郎ゆかりの作家の作品もありました。

庭園も立派で、もう少し経つと紅葉も見られるのかな、と思いました。池の鯉は非常に元気でした(笑)。

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館内に入り、まず常設展を拝観しましたが、こちらにもロダン作品が多数、さらに荻原守衛の「女」まであり、驚きました。

さて、企画展。80点ほどの与里の絵画作品が中心で、中村屋サロン美術館さんの特別展示でも感じましたが、どれも温かみのあるいい絵でした。下記はチラシですが、クリックで拡大します。

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解説パネルにも書いてありましたが、与里はその生涯に於いて、一定の画風というのは持たず、常に進化を続けようと模索を続けていました。もちろん、そ001の根底には一本の芯が通っているのですが、青年期と晩年では、大きく画風が異なっていました。また、一見似たように見える同時期の作品群でも、筆致が少しずつ変化していくさまも見えました。

絵画以外の資料も充実していました。光太郎との接点であるヒユウザン会(のちフユウザン会)がらみの展示を特に興味深く拝見しました。

一番驚いたのは、大正元年(1912)11月23日、与里が青森の安田秀二郎に宛てた巻紙墨書の書簡。第1回ヒユウザン会展の直後で、安田はこの時、光太郎の油絵「自画像」を購入しています。右の画像のものですが、作品自体はのちに焼失してしまいました。

書簡には、この自画像が売れた後の光太郎をおちょくる戯画が描かれています。題して「顔の売れた侠客」。

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この書簡の存在は知っておりましたが、現物は初めて見ました。

このあたりの資料は、連翹忌ご常連の佐々木憲三氏のご提供でした。佐々木氏はこの企画展の関連事業として、来年に講演をなさいます。受付でそのチラシを戴きましたので、貼り付けておきます。

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さて、サトヱ記念21世紀美術館さんをあとに、次なる目的地、栃木県佐野市の佐野東石美術館さんを目指しました。こちらでは、「木彫の美-高村光雲と近現代の彫刻-」が開催中です。もう少し早く行くつもりだったのですが、何やかやで昨日になってしまいました。

佐野市は近年、「佐野ラーメン」で有名になりましたが、旧街道沿いにレトロな建築が立ち並ぶ、郷愁溢れる町でした。

同館はコンクリートの原料や線路の敷石などに使われる砕石を扱う東京石灰工業株式会社の社長だった・故菊池登氏が、文化教養の高揚に寄与する目的で設立されたとのこと。本社ビルの一角が美術館となっていました。

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「高村光雲と近現代の彫刻」と銘打たれていましたが、光雲作品は2点のみでした。大正9年(1920)の「牧童」、昭和7年(1932)の「狛犬」です。

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 また、光雲の盟友で東京美術学校での同僚でもあった石川光明、光雲の弟子の山崎朝雲、平櫛田中、さらにそれらの弟子―つまりは光雲の孫弟子―に当たる作家の作品が多く、「光雲の系譜」的な感じでした。

ただ、そうした系譜の作家の中には、独自色を出そうとするあまり、かえってそれが「臭み」となって、「これはどうなのかなあ」と思わせるような作もありました。師の引き写し、守旧一辺倒ではむろん駄目なのでしょうが、独自色も出し過ぎでは自らの首を絞める結果になり、難しいところですね。

光雲の弟子、といえば、陶芸家の板谷波山も東京美術学校彫刻科の卒業生です。しかし、彫刻ではなく、陶芸の道に進み、そちらで名を為しました。波山の作品も展示されていました。

帰りがけ、受付で光雲の「牧童」のポストカードが目にとまり、購入してきました。これはここでしか手に入らないと思います。

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サトヱ記念21世紀美術館さんの「生誕130年記念 斎藤与里展 ~巨匠が追い求めた永遠なる理想郷~」は来年3月13日まで、佐野東石美術館さんの「木彫の美-高村光雲と近現代の彫刻-」は12月20日までです。ぜひ足をお運びください。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月31日

大正8年(1919)の今日、智恵子の母校・日本女子大学校の同窓会誌『家庭週報』第539号に、評論「展覧会の作品批評を求められて」が掲載されました。

NHKさんの朝ドラ「あさが来た」。日本女子大学校創立のために尽力する広岡浅子の生涯を追っているものですが、はまっています。

12月に智恵子の故郷二本松で市民講座「智恵子講座’15」の講師を仰せつかっておりまして、テーマが「成瀬仁蔵と日本女子大学校」。そこで改めていろいろ調べ始めましたが、広岡浅子と智恵子が一緒に写った写真や、同じ会合に出席していた記録なども見つかりました。くわしくはのちほど。

埼玉県から企画展情報です。今夏、新宿の中村屋サロン美術館さんの特別展示で扱われた、光太郎の盟友・斎藤与里の生誕130年記念展が与里の故郷で開催されます。 

生誕130年記念 斎藤与里展 ~巨匠が追い求めた永遠なる理想郷~

場 所 : サトヱ記念21世紀美術館  埼玉県加須市水深大立野2067 
期 日 : 2015年10月24日(土)~2016年3月13日(日)
時 間 : 10:00~17:00
休館日
 : 月曜日(11/23、1/11は開館し、11/24、1/12は休館)
      年末年始休館(12/24~1/12は休館)
料 金 : 一般 900円、大学生・高校生 700円、小中学生 600円、障害のある方 500円
主 催 : 加須市、加須市教育委員会、サトエ記念21世紀美術館

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加須市サイトより
~郷土の偉人・斎藤与里の作品や功績を紹介~
加須の偉人・斎藤与里の生誕130年を記念し、加須市、市民および「サトエ記念21世紀美術館」(加須市水深)等が収蔵する作品を中心に、約80点を一堂に集め展示します。
 皆さん、ぜひご観覧ください。
■斎藤与里とは…■
斎藤与里(さいとうより・1885~1959) … 岸田劉生、高村光太郎らとフュウザン会を結成、ゴッホやセザンヌを日本へ初めて紹介するなど日本近代美術史上において重要な役割を果たした芸術家。
日本人独自の油彩画を目指し辿り着いた絵画世界は、牧歌的な風景の画題の裏に、日本の伝統的な絵画が源氏物語絵巻や浮世絵など線と色面から構成される平面性を重視したものである。
加須市では、加須市名誉市民第1号(加須第1号)として顕彰しているほか、「加須の偉人」の一人として位置づけている。

美術館サイトより
 開館より15年目の秋を迎えるサトエ記念21世紀美術館では、加須市ならびに加須市教育委員会との共催により、生誕130年記 念斎藤与里展~巨匠が追い求めた永遠なる理想郷~』を開催いたします。
 斎藤与里(さいとう より・1885~1959)は埼玉県加須市に生まれ、青年期に20世紀初頭のフランスに留学して以降、技法の習得や鍛錬を学ぶことが主流であった当時の美術界においては先駆的に、オリジナリティを重視する日本人独自の油彩画の創出を志した日本近代美術史を代表する芸術家です。全国各地にて創作活動だけでなく著述や後進たちへの指導を行うなど精力的な活動を行いますが、晩年の約20年は、故郷・加須に『草香居』と名付けたアトリエを構え、毎年のように画風を変遷させながら独自の芸術
世界を確立します。自らの理想郷と呼ぶべき愛する郷里において、牧歌的で詩情豊かな風景や人物を描くことに到達した与里の作品は、現在も多くの人々の心を動かし続ける不思議な魅力に満ちています。
 本展では留学時代から晩年までの生涯を回顧し、フュウザン会、日展、東光展などに出品された代表作を中心に約80点余を一堂に集め展覧いたします。芸術家・斎藤与里の画業をご堪能いただける機会となれば幸いです。

関連行事
○第1回ミュージアムトーク
 「斎藤与里・日本最初の反アカデミスムの画家」
 講師:関根秀一氏(流通経済大学教授・美術史)
 日時:2015年11月29日(日) 14:00~

○第2回ミュージアムトーク
 「斎藤与里・画家としての軌跡」
 講師:佐々木憲三 氏(美術文献研究家)
 日時:2016年2月14日(日) 14:00~

 会  場: サトエ記念21世紀美術館エントランスホール
 時  間: 各回、約1時間30分程度
 定  員: 座席数(約100席)に限りがあり、着席は先着順とさせていただきます。
 その他: 聴講・鑑賞には展覧会入館券が必要となります。


第2回講師の佐々木憲三氏は、連翹忌ご常連のお一人。これは行かざあなるまい、というところです。皆様もぜひどうぞ。


ところで、同じ埼玉つながりで、昨日、さいたま市の大宮ソニックシティ大ホール行われた第68回全日本合唱コンクール全国大会高校の部について。

光太郎の詩に曲をつけたもの――を自由曲を選んだ学校が2校あり、そのうち、高校Bグループ(33人以上)で、三好真亜沙さん作曲の「女声合唱とピアノのための「冬が来た」」中の「冬の奴」を演奏した東京の豊島岡女子学園高等学校コーラス部さんが、みごと銀賞。高校Aグループ(8~32人)で、智恵子の後輩にあたる日本女子大学附属高等学校コーラスクラブの皆さんが、鈴木輝昭氏作曲の「女声合唱とピアノのための組曲 智恵子抄」」中の「裸形」を演奏し、こちらは残念ながら参加賞に当たる銅賞でしたが、出場できるだけでもすごいことですので、胸を張ってほしいものです。


主催に名を連ねる『朝日新聞』さんのサイトに載った東京版の記事から。

東京)豊島岡女子が銀、国学院久我山が銅 合唱コン高校

 さいたま市の大宮ソニックシティで24日に開かれた第68回全日本合唱コンクール(全日本合唱連盟、朝日新聞社主催)の高校部門で、都代表の豊島岡女子学園は銀賞、国学院久我山は銅賞を受けた。
 高校B(33人以上)の豊島岡女子学園は、最高賞の文部科学大臣賞を受けた2010年以来2度目の全国大会。厳しい冬に負けそうになる自分に打ち勝つ高村光太郎作詞の「冬の奴」を歌った。寺西美月部長(2年)は「今までの気持ちを全部ぶつける思いで歌いました。すごく楽しかった」と語った。銀賞を受け、「ほかの学校の演奏を聴いて、まだまだ課題が残っていると耳で実感しました。妥当な結果だったと思う」と話した。
 高校A(8~32人)の国学院久我山は幻想的な「ねぼすけぼうず」などを歌った。中高一貫の同校はこれまで中学生だけの女声の音楽部で全国大会に3度出場の実績があるが、「歌い続けたい」という生徒の希望で昨春に高校生を含めた部となった。今回は中学生も含め部員全員17人で高校部門に初出場を果たした。
 大矢早彩(さあき)部長(2年)は中1のときに全国で金賞を受け、「先輩たちに恩返ししたいと取り組んできた」という。人数は出場校で最少。「少人数ならではの強みをいかし、繊細に丁寧に歌えました。後輩には『やりたい音楽をやれば結果はついてくる』と伝えたい」と話した。(青木美希)

豊島岡女子さんの動画がこちら

神奈川版から。 

神奈川)清泉女学院が金賞 全日本合唱コンクール

 さいたま市の大宮ソニックシティで24日に開かれた第68回全日本合唱コンクール(全日本合唱連盟、朝日新聞社主催)高校部門で、関東支部代表としてAグループ(8~32人)に出場した清泉女学院が金賞に輝いた。日本女子大付属は銅賞を受けた。
 清泉女学院は、自由曲で新川和江作詩、鈴木輝昭作曲の「終(つい)の日のわたしを焼く…」を披露。後半部のユニゾンでは、「死」と向き合う中で自己犠牲の言葉をたたみかけるように発する場面を、万感の思いを込めて歌い上げた。
 部長の伊藤瑠那さん(2年)は「今までやってきたことと仲間を信じ、心を一つに最高の演奏ができた。訴えたいことはすべて客席に届けられました」。指揮をした佐藤美紀子顧問は「心を合わせて強さが出せた。私にも幸せなひとときだった」と部員をたたえた。
 7回目の出場を果たした日本女子大付属の自由曲は高村光太郎作詩、鈴木輝昭作曲の「裸形」。妻智恵子への深い愛をつづった詩を、力強く、また女声合唱ならではの伸びやかで透き通った歌声で表現した。
 部長の豊田彩織さん(3年)は「男性の愛を女性で高校生の私たちが表現する難しさはありましたが、自分たちのできる最高の演奏ができました」と語った。指揮をした丸山恵子講師も「みんな集中してがんばりました」とねぎらった。


こうした活動を通し、若い世代にも光太郎智恵子の世界が受け継がれていってほしいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月25日

昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村の山小屋で、近くの山口小学校の校訓として「正直親切」の書を揮毫しました。

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この文字を刻んだ碑は、山口小学校跡、光太郎も通った東京の第一日暮里小学校さん、埼玉東松山の新宿小学校さんにそれぞれ建てられています。

昨日、神奈川県平塚市で、企画展「画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」を見て参りましたのでレポートいたします。

会場の平塚市美術館さんは、JR東海道線平塚駅から徒歩20分ほど。なかなか立派な外観でした。入り口には大きなポスターも。

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受付でチケットを購入、企画展会場の2階に上がりました。

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展示会場は2室に分かれており、第1会場が「画家の詩」でした。「画家の詩」といっても、メインは絵画で、それぞれの画家が作った詩がパネルに活字で印刷され、絵画と並べられていたり、画家によっては詩稿などが展示されていたり、といった構成でした。

光太郎と交流の深かった画家も多く取り上げられていました。フユウザン会を一緒に立ち上げた萬鉄五郎、その特異な才能を認め、詩「村山槐多」に詠んだ村山槐多、駒込林町ですぐ近所に住んでいた難波田龍起、主宰した雑誌『雑記帳』に詩を寄稿した松本竣介、智恵子とも顔見知りだった竹久夢二、翻訳『回想のゴツホ』(大正10年=1921)出版に際し、写真を貸してくれた中川一政などなど。

展示室2は、「詩人の絵」でした。入ってすぐに光太郎の油彩画2点が展示されていました。

まず「静物(瓶と果物)」。大正3年(1914)の作です。この年、光太郎が始めた「高村光太郎画会」による作品と推定されています。油絵を購入してもらうための会で、雑誌『我等』(下記画像)、『現代の洋画』に広告を出しています。

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もう一点は、「渡辺湖畔の娘道子像」(大正7年=1918)。与謝野夫妻を通じて交流のあった新潟佐渡の歌人、渡辺湖畔の娘で、この年に3歳で夭折した道子の肖像です。この絵に関しては、渡辺湖畔あての書簡でその成立過程がわかります。

又御手帋にて御話の御愛嬢の事につきては 御悲嘆のほど察上候 御写真にて拝見してもいかにも無邪気に見うけられ候 元来写真によりて作る事はまことに苦しきものに候へ共 御言葉により ともかくも油画にて試み可申候 しかし此はとても小生自身満足し得るもの出来難からんと思はれ候 此事は前以てお含み置き被下樣願上候 (大正7年=1918 7月8日)

 あの愛らしいみち子さんの方は 初め木炭でいろいろ素描を試み今早朝の時間を以て八号のカムバスへ油画に致して居ります あの無邪気な晴朗とした面影を捉へたいと念じて居ります
 多分今月末にはとにかく一応お目にかけ得る程になるかと思ひます 其時は画を一旦御送附いたします故 み親としての御考をよく御きかせ下さるよう御願いたします 何しろ一度もお目にかかつた事が無いので甚だ心細く思つて居りますから 御考をきいた上で最後の筆を加へたいと思つて居ります (同 8月23日)

10月には光太郎は佐渡の渡辺家を訪れています。道子の肖像以外にも、渡辺の父・金六の肖像彫刻の依頼も受けていたためです。ただし、この彫刻は完成しませんでした。次は東京に帰ってからの書簡です。

製作上の参考となる事多く満足此上も無く候 此印象の薄れぬうち早速みちこ様の油画をかき上ぐる心筭に有之候 (同 10月12日)

そして12月には絵が完成しました。

 みち子嬢の油画はやつと出来ました 明日荷造りをしてお送りします 丈夫に荷造りいたしませう 此は元来私に到底出来ない仕事でありましたが 御心を汲むととてもお断り出来なかつたので兎に角かき上げましたが 作としては自信はとてもありません 私は写真から製作する事はどうしてもうまくゆかないのです しかし自分に出来るだけの事は尽しました 御覧になつた上お気付きの事がありましたら言つて下さい そしてお送り下されば又筆を入れませう それから此画には私の名を入れません 其は私の良心がゆるしませんから 此事は御承知下さるやう御ねがひします 名は入れませんが無責任にかいたのではありません 此事は御領会下さる事と信じます (同 12月25日)

 昨夜手がみで申上げた油画の荷造を終り今夕関根運送店に托して御送りいたしました故御受取り下さい。荷は「此処カラ開ケル事」と書いてある板をはづして下されば中から画を引き出せる事になつてゐますから箱を壊さずとも出ます。画面に若し木屑等の細末が附着してゐましたら奇麗な筆のやうなもので静かに払つて取つて下さい。まだ十分に乾いていませぬから事によると着いているかも知れません。御取扱に御注意下さるやう願ひます。荷が無事に着くやうにと祈つてゐます。御意見を聞いた上で写真は後にお返し致します。 (同 12月26日)

光太郎の細やかな心遣いが溢れていると思います。

光太郎の作品はこの2点でした。帰りがけに購入した青幻舎さん刊行の図録を兼ねた書籍『画家の詩、詩人の絵 絵は詩のごとく、詩は絵のごとく』では、もう一点、大正3年(1914)に描かれた「日光晩秋」も掲載されていましたし、今月初めに平塚市美術館さんに問い合わせた際にはそちらも並ぶ的なお話だったのですが、不出品でした。この企画展自体は来年8月まで全国を巡回しますので、いずれかの会場には並ぶと思います。

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光太郎の他に絵画が展示されていた詩人は以下の通りです。一番右の「展示」という項目で、展示替えや不出品の情報がありますので、ご注意下さい。

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光太郎と交流の深かった詩人では、北原白秋、木下杢太郎、萩原朔太郎、佐藤春夫、宮澤賢治草野心平、中原中也などが挙げられます。

ちなみに上記画像は展示室2の出品目録です。展示室1の目録も兼ねているのだろうと思っていたら、展示室2のみのもので、展示室1のものは入手しませんでした。失敗しました。

同展、平塚市美術館さんでは11月8日(日)まで、その後、下記の予定で全国巡回です。それぞれ近くなりましたらまたご紹介します。

2015年11月17日(火)~12月20日(日)  愛知県碧南市藤井達吉現代美術館
2016年2月13日(土)~3月27日(日)   姫路市立美術館
2016年4月9日(土)~6月12日(日)   栃木足利市立美術館
2016年6月18日(土)~8月7日(日)   北海道立函館美術館


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月24日

平成10年(1998)の今日、筑摩書房から「ちくま文庫」の一冊として、橋本千代吉著『火の車板前帖』が刊行されました。

橋本は、草野心平と同郷。戦後、心平が開いた居酒屋「火の車」で板前を務めていました。同書は心平を巡るとんでもない酔っぱらいたちの記録ですが、「夜の高村光太郎」ということで、光太郎にも言及しています。

元版は文化出版局から昭和51年(1976)にハードカバーで刊行されました。

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神奈川県平塚市から企画展情報です。

画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく

会 期 : 2015 年9月19 日(土) ~11月8 日(日)
時 間 : 9:30 ~ 17:00(入場は16:30 まで)
会 場 : 平塚市美術館 神奈川県平塚市西八幡1-3-3
休館日 :  月曜日( ただし9/21、10/12は開館)、10/13
料 金 : 一般800(640) 円、高大生500(400) 円、小中学生無料
主 催 : 平塚市美術館、読売新聞社、美術館連絡協議会

 古来、西洋では「絵は黙せる詩、詩は語る絵」といわれてきました。日本でも画賛(がさん)、詞書(ことばがき)が絵画の重要な役割を果たし、「詩書画」の一致を成してきました。一方、日本の近代洋画は、文学からの自立を目指した西洋近代美術の影響のもとで始まっています。特に印象派以後、新しい造形表現を積極的に取り入れた結果、実に多様な作品がうまれました。しかし、現実の生きた情感から浮き上がった作品が多く生まれたことも事実です。こうした中で、村山槐多、長谷川利行、古賀春江、三岸好太郎、山口薫などは、西洋近代美術に学びながらも、文学性、詩情を拠りどころとして優れた作品を残しています。さらにまた、詩の世界では宮沢賢治、立原道造、草野心平らが独自性のある絵を描いています。ある意味では、モダニズムが斥けてきた詩情、文学性を活かすことで、日本独自の絵画が成立したといえます。
  近年では、一部の画家たちが積極的に詩の世界に接近し、新しい表現を生み出そうとしています。本展は、明治から現代までの画家と詩人の絵画と詩を一堂にあつめ、絵画と詩の密接なつながりを検証するものです。
 
画家
 小杉未醒、青木繁、竹久夢二、萬鐡五郎、藤森静雄、恩地孝四郎、田中恭吉、中川一政、長谷川利行、古賀春江、川上澄生、村山槐多、谷中安規、三岸好太郎、棟方志功、長谷川リン二郎、難波田龍起、山口薫、香月泰男、南桂子、松本竣介、浅野弥衛、飯田善國、草間彌生、田島征三、芥川麟太郎、藤山ハン、難波田史男、イケムラレイコ、瓜南直子、O JUN、小林孝亘、鴻池朋子、村瀬恭子、伊庭靖子
 
詩人
 正岡子規、高村光太郎、北原白秋、木下杢太郎、萩原朔太郎、佐藤春夫、西脇順三郎、宮沢賢治、佐藤一英、尾形亀之助、稲垣足穂、岡崎清一郎、富永太郎、小熊秀雄、北園克衛、瀧口修造、草野心平、中原中也、長谷川四郎、まど・みちお、立原道造、三好豊一郎、新国誠一、木島始、春日井建、吉増剛造、田畑あきら子、山本陽子

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関連行事

■ O JUN × 小林孝亘 対談「読む形・見える言葉」
日時 2015年10月4日(日) 14:00-15:30  場所 ミュージアムホール  ※申込不要、先着150名

■ 講演会 窪島誠一郎「絵を語る、詩を語る」
日時 2015年10月12日(月、祝) 14:00‐15:30  場所 ミュージアムホール  ※申込不要、先着150名

■ 学芸員によるギャラリートーク
日時 2015年10月17日(土)、10月31日(土) 各回14:00-14:40  場所 展示室Ⅱ  ※申込不要、要観覧券


というわけで、光太郎の絵画も展示されます。

光太郎の画業は、詩人でありながら絵画も手がけていた、というニュアンスではありません。特に明治42年(1909)、欧米留学から帰ってからしばらくは、むしろ画家として活動していたといっていい時期です。

欧米でロダンをはじめとする西洋近代彫刻の何たるかを学んだ光太郎は、帰国後、父・光雲を頂点とする旧態依然の日本彫刻界に絶望し、極力関係を絶とうとしました。文展などの展覧会等に出品すれば、「洋行帰り」「光雲の息子」という肩書きが優先され、彫刻としての価値を理解されないまま入賞することは目に見えていました。同じく洋行帰りの荻原守衛の作品もそうでした。光太郎曰く、


この珍奇のちん入者を文展の方では持てあましたらしかつたが、ともかくも技術があるので無下に排斥もならず、時には三等賞ぐらゐつけて、度量のあるところを見せたものである。彫刻の質に於いて、彼等と彼とは全くちがつてゐるのだといふことにはまるで気がつかない時代であつた。
(「荻原守衛」 昭和29年=1954)

という状況でした。

ちなみにパリで守衛が作り、光太郎が000ぜひ石膏に取って持ち帰るようにと勧めた「坑夫」は、ロダン風の荒々しいタッチが「未完成」と判断され、明治42年(1909)の第2回文展では落選の憂き目に遭っています。審査には光雲も当たっていました。

そこで光太郎は、この時期、彫刻より絵画制作に力を注ぐようになります。大正元年(1912)には、岸田劉生、斎藤与里らとヒユウザン会(のちフユウザン会)を結成、その分裂後も岸田が立ち上げた「生活社」に合流し、智恵子と過ごした上高地での油絵などを出品しています。

また、光太郎はその前後もかなり多くの絵画を描いています。東京美術学校在学中は日本画の臨書の授業があり、ここで絵画の基礎をしっかり学んでいます。フユウザン会や生活社の後も、自身の油絵の頒布会を行ったり、旅先でスケッチをしたり、書籍の挿画などでも筆を振るったりしました。戦後の花巻郊外太田村での暮らしの中でも、時折絵筆を握っています。

さて、今回の企画展に出る光太郎絵画はいずれも油絵で、3点。

大正3年(1914)に描かれた「日光晩秋」。平成12年(2000)、永らく行方不明だったこの絵が発見され、大きく報道されました。

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※ 9/22 追記 平塚市美術館さんでは「日光晩秋」は展示されないそうです。


それから同年に描かれた洋酒の瓶と果実を描いた「静物」、そして新潟・佐渡島の歌人・渡邊湖畔の息女を描いた「渡辺湖畔の娘道子像」(大正7年=1918)です。


この「画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」展、平塚市美術館さんを皮切りに、以下の日程で全国巡回が予定されています。

2015年11月17日(火)~12月20日(日)  愛知県碧南市藤井達吉現代美術館
2016年2月13日(土)~3月27日(日)   姫路市立美術館
2016年4月9日(土)~6月12日(日)   栃木足利市立美術館
2016年6月18日(土)~8月7日(日)   北海道立函館美術館

ただ、平塚市美術館さんがそうですが、展示替えがあるそうで、常に上記3点の光太郎絵画が見られるかどうかは不明です。それぞれ近くなりましたらまたご紹介します。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月6日

昭和20年(1945)の今日、花巻町で9月分の配給を受け取りました。

当日の日記の一節です。

午前米配給所にゆきて九月分(一ヶ月)をもらふ。米5キロ大豆3キロ也。かついでかへる。

数え63歳の高齢者にとって、この量がどうなのか、何とも言えません。

先週土曜日、九段下の玉川堂さんで光太郎短歌の短冊、智恵子の実妹・セキ宛の書簡を拝見した後、九段下から都営新宿線に乗り、次なる目的地、新宿に向かいました。

中村屋サロン美術館さんで開催中の「生誕130年記念 中村屋サロンの画家 斎藤与里のまなざし」を拝観するのが次の目的でした。

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昨秋、開館の際の記念特別展「中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた―」、今春の「テーマ展示 柳敬助」に続き、3度目の来訪です。

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斎藤と光太郎の主な接点は以下の通り。明治43年(1910)、光太郎が神田淡路町に開いた日本初の画廊「琅玕洞」で個展開催、さらに、大正元年(1912)には、光太郎、斎藤、岸田劉生等が中心となって、アンデパンダンの美術団体「ヒユウザン会」(のちに「フユウザン会」)を結成、といったところです。

それ以前に、斎藤も光太郎もパリ留学経験がありますが、明治41年(1908)、光太郎がロンドンからパリに移るのと同時期に斎藤は帰国。パリでは2人のつながりはなかったようです。その後、光太郎も帰国した明治42年(1909)には、ヒユウザン会展の元になるような会の結成を図る仲間として知り合っています。共通の友人だった碌山荻原守衛が橋渡しをしたと考えられます。斎藤はこの頃、中村屋サロンに出入りしており、もしかするとそこで初めて光太郎と出会ったのかも知れません。

さて、出品目録によれば、40点の斎藤作品が展示されています。

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初期のフォービズムの影響を受けたものから、のちの童画風のものまで、なかなかバリエーション豊富。しかし、一本の筋が通っていると感じました。

大正元年の第一回ヒユウザン会展出品作の「木陰」も展示されており、つい1時間前に玉川堂さんで拝見した書簡がヒユウザン会展がらみのものだったので、不思議な縁を感じました。また、やはり1時間前に拝見した短冊が、斎藤の個展が開催された琅玕洞で販売されていたらしいというところにも。

「生誕130年記念 中村屋サロンの画家 斎藤与里のまなざし」、来月27日までの開催です。ぜひ足をお運びください。

同展拝観後、同じ中村屋ビルの8階にあるレストラン「Granna」さんで早めの昼食。春に「テーマ展示 柳敬助」を見に行った際には満席&順番待ち行列で断念しましたので、リベンジです。今回は早めに行ったので大丈夫でした。中村屋純印度式カリーのコース3,000円+税のちょっと豪華なランチに舌鼓。その後、次なる目的地、文京区千駄木へ。以下、明日。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 8月25日 

昭和25年(1950)の今日、雑誌『スバル』にアンケート回答「与謝野寛・晶子作中の愛誦歌」を発表しました。

「与謝野寛・与謝野晶子作の短歌中、特に愛誦さるるもの、若しくは御記憶に残れるもの。」という質問に対し、以下のように回答しています。

  大空のちりとはいかがおもふべきあつき涙のながるるものを

先生のこのうたが今頭に出て来ました。
晶子女史のにはむろんたくさんあるのですが今うたの言葉を思ひ出しません。

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