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昨日は智恵子の故郷・福島二本松で開催された「【高村智恵子生誕130年記念事業】原節子主演「智恵子抄」フィルム上映会」に行っておりました。午後3時からと6時からの2回上映のうち、1回目の方で観覧して参りました。

会場は智恵子生家にほど近い、安達文化ホール。

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開演30分前には、長蛇の列。入場無料ということもあったと思いますが、多くの皆さんがお集まり下さいました。それぞれ400枚ずつ配布された2回上映の整理券はすべてはけたそうです。

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この映画は、光太郎が歿した翌年の昭和32年(1957)に東宝さんが制作したもので、熊谷久虎監督、智恵子役に昨年亡くなられた原節子さん、光太郎役は故・山村聰さんでした。

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二本松でのロケも敢行され、智恵子生家、霞ヶ城のシーンがあります。会場にいらしていた方の中には、エキストラで出演されたという方もいらっしゃいました。

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昨年、原さんが亡くなった後、追悼特集的に各地で上映されましたが、作品の舞台の一つとなった二本松でも上映が実現。よろこばしいことですね。

当方、VHSビデオを持っていますので、何度か観ていますが、大スクリーンで見るのは初めてで、また違った感じでした。35㍉フィルムでの上映ということで、映写機の廻る音や、2台の映写機の切り換え(切り換えの合図として右上に黒丸が表れます。昔の「刑事コロンボ」で、コロンボ警部がこの点に注目して殺人犯のトリックを見破る、という回がありました)など、漂うレトロ感が何ともいえませんでした。

ロビーには、智恵子記念館さんで発見された二本松ロケの資料、当方手持ちの資料などを印刷したパネルが展示されました。

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ポスターやパンフレットなどの実物は、10/2(日)から二本松市歴史資料館さんと智恵子記念館さんで開催される企画展「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界に展示されます。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

熊出るといふ峠路のあけびかな     昭和17年(1942) 光太郎60歳

昨日は愛車を駆って、いくつか峠を越えつつ二本松に向かいました。そろそろ紅葉が始まりつつありました。

今年、平成28年(2016)は、智恵子の生誕130年ということで、智恵子の故郷二本松でも市の主催で、様々な顕彰活動が計画されています。

メインは来月、二本松市歴史資料館と智恵子記念館で開催される企画展「智恵子と光太郎の世界」。こちらはまた近くなりましたらご紹介します。

それに先だって、一周忌を迎えた原節子さん主演による東宝映画「智恵子抄」(昭和32年=1957)の上映が行われます。 

【高村智恵子生誕130年記念事業】原節子主演「智恵子抄」フィルム上映会

期  日 : 2016年9月24日(土)
会  場 : 安達文化ホール 福島県二本松市油井字濡石1-2
時  間 : 1回目の部 15時00分~   2回目の部 18時00分~ (各98分)
料  金 : 無料
入場について
 入場整理券が必要。現在、下記の配布所において、配布中。
 市役所文化課 0243‐55‐5154 二本松中央公民館 0243‐23‐5121 安達公民館 0243‐23‐3721
 岩代公民館 0243‐55‐2260 東和公民館 0243‐46‐4111
 智恵子記念館 0243‐22‐6151(毎週水曜日休館)
  1回目の部 既に満席

二本松市内で昭和32年にロケをした東宝映画「智恵子抄」。智恵子役で出演した故・原節子さんを偲び、当時の資料等も展示・紹介します。ぜひお越しください。

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「資料展示」とありますが、当方、手持ちの資料をお貸しすることになりました。公開当時のポスター、パンフレット、チラシ、スチール写真、台本などです。

ただし、会場の安達文化ホールさんには、きちんとした展示スペースがないということで、それらを写真撮影し、複写で展示するとのこと。現物は、来月の企画展に展示されます。

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その他、企画展の方では書籍や古絵葉書などの類もお貸しすることになっており、明日、市の教育委員会の方々が、当方自宅兼事務所へ搬入にいらっしゃることになっています。また、当会顧問・北川太一先生のところからも、智恵子の肉筆書簡など、貴重な品々が貸し出される予定です。

当方手持ち資料の類は、死蔵の状態では意味がありませんので、どんどん活用していただきたいと思っております。イベント関係の皆様、当ブログコメント欄までご連絡下さい。非表示も可能です。


【折々の歌と句・光太郎】

手にとれば眼玉ばかりのやもりの子咽喉なみうたせ逃げんとすなり

大正13年(1924) 光太郎42歳

一昨日からご紹介しているヤモリシリーズ、これにて終了です。

昨年9月に亡くなった、元映画女優の原節子さん。近々一周忌ということで、追悼企画です。 
期  日 : 2016年8月27日(土)~9月30日(金)
会  場 : 神保町シアター 京都千代田区神田神保町1-23
料  金 : (当日券のみ) 一般 ¥1,200 / シニア ¥1,000 / 学生 ¥800

今秋、9月5日に一周忌を迎える女優・原節子。
その気品ある姿は日本女性の鑑ともいわれ、戦前・戦後を通じ、数多くの名作に主演しましたが、1962年『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』の出演を最後に映画界を去り、その後、五十年以上に渡り公の場に姿を現すことはありませんでした。
今回は、まだ幼い表情を見せる戦前の貴重な作品から、戦後の新しい時代の女性を体現した代表作の数々まで、伝説の女優・原節子をスクリーンでたっぷりご覧いただきます。


上映作品
 『河内山宗俊』 昭和11年 白黒 監督:山中貞雄 
 『母の曲[総集篇]』 昭和12年 白黒 監督:山本薩夫
 『安城家の舞踏会』 昭和22年 白黒 監督:吉村公三郎
 『お嬢さん乾杯[シネスコ版]』 昭和24年 白黒 監督:木下惠介
 『智恵子抄』 昭和32年 白黒 監督:熊谷久虎
  8月28日(日)11:00 8月29日(月)14:15 8月30日(火)16:30
  8月31日(水)12:00
 9月1日(木)19:15 9月2日(金)14:15
 『晩春』 昭和24年 白黒 監督:小津安二郎
 『麥秋[デジタル修復版]』(劇場初公開)  昭和26年 白黒 監督:小津安二郎
 『東京物語』 昭和28年 白黒 監督:小津安二郎 005

 『めし』 昭和26年 白黒 監督:成瀬巳喜男
 『青い山脈』 昭和24年 白黒 監督:今井正
 『続  青い山脈』 昭和24年 白黒 監督:今井正
 『美(うるわ)しき母』 昭和30年 白黒 監督:熊谷久虎
 『愛情の決算』 昭和31年 白黒 監督:佐分利信
 『白痴』 昭和26年 白黒 監督:黒澤明
 『東京の恋人』 昭和27年 白黒 監督:千葉泰樹
 『女であること』 昭和33年 白黒 監督:川島雄三
 『驟雨』 昭和31年 白黒 監督:成瀬巳喜男
 『山の音』 昭和29年 白黒 監督:成瀬巳喜男
 『女ごころ』 昭和34年 白黒 監督:丸山誠治
 『秋日和』 昭和35年 カラー 監督:小津安二郎
 『娘・妻・母』 昭和35年 カラー 監督:成瀬巳喜男


「智恵子抄」は光太郎役を山村聰さんが演じ、智恵子の故郷・二本松や九十九里浜、十和田湖などでロケが敢行されました。そういうわけで、来月中旬には二本松で「智恵子抄」の上映会も企画されており、当方もお手伝いさせていただきます。そちらはまた近くなりましたらご紹介します。


【折々の歌と句・光太郎】

たのめてしかぶと蟲をば高井戸の尾崎喜八は今宵かも採る
大正13年(1924) 光太郎42歳

尾崎喜八は、明治25年(1892)生まれの詩人。光太郎の親友・水野葉舟の娘と結婚し、お嬢様の榮子様はこの春までご存命でした。

おそらくカブトムシは、蝉同様、木彫のモチーフにしようと思っていたようです。たしかになかなか彫刻的なフォルムをしていますね。しかし、残念ながら作品は確認できていません。

当方自宅兼事務所は千葉県でも田舎の方ですので、カブトムシやクワガタムシなど、愛犬の散歩中によく見かけます。それから同じ甲虫類のこんな虫も。

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ゴキブリではありません(笑)。タマムシです。

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年に数回(夏の間ですが)、なぜか自宅兼事務所のベランダに飛来します。

光太郎とのゆかりのある宮城県女川町を舞台に、東日本大震災から5年のあゆみを追ったドキュメンタリー映画、「サンマとカタール 女川つながる人々」。今年の5月に封切られ、当方は先月、浦安のシネマイクスピアリさんにて拝見して参りました。

昨日、BSジャパンさんで放映され、録画、拝見しました。何度見てもいいですね。

「2011年3月11日 宮城県女川町」「住民の1割、建物の8割を失った」とのテロップ。背景には、あの日の光景。

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そしてタイトルバック。


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中東のカタールの支援で、水産業の中核施設・大型冷蔵庫「マスカー」が建設された件。カタールロケも敢行されています。

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メインは女川町で行われた昨年春の「復幸祭」。営業再開した女川駅、津波からの避難を想定してのロードレース「復幸男」、ももいろクローバーZさんのライヴ。

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さらに昨冬の駅前商店街オープン。

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定点カメラによるコマ送りなども含まれ、記録映画としても貴重なものです。

そして、毎年、女川光太郎祭でお世話になっている須田善明町長をはじめ、女川に生きる人々の姿。苦境に立ち向かう人々の姿に、勇気がもらえます。まさしくヒューマンドキュメンタリーと呼ぶにふさわしいものです。

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ぜひともDVD化して販売されることを希望します。


さて、今年も8月9日に、女川光太郎祭が開催されます。こぢんまりと行うイベントで、ネット上に詳細情報等有りませんが、問い合わせた結果と昨年までの要項を参考にまとめると、以下の通りです。 

第25回女川光太郎祭

期 日 : 2016年8月9日(火)
時 間 : 午後2:00~
場 所 : 女川フューチャーセンターCamass
           宮城県牡鹿郡女川町女川浜字大原75-7 女川駅から徒歩2分
内 容 : 
 献花
 光太郎紀行文、詩などの朗読
 講演 「高村光太郎、その生の軌跡 ―連作詩「暗愚小伝」をめぐって④―」
     高村光太郎連翹忌運営委員会代表 小山弘明 
 ギター・オペラ演奏 宮川菊佳(ギタリスト) 本宮寛子(オペラ歌手)


会場が昨年までの仮説商店街から女川駅前に変更、今年は地元和太鼓サークルの演奏は無いそうです。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

手に取れば飛ばうともせずのろのろと手のひら痒くあるきまはる蝉

大正13年(1924) 光太郎42歳

光太郎とのゆかりのある宮城県女川町を舞台に、東日本大震災から5年のあゆみを追ったドキュメンタリー映画、「サンマとカタール 女川つながる人々」。今年の5月に封切られ、当方は先月、浦安のシネマイクスピアリさんにて拝見して参りました。

ほぼ劇場公開は終了しましたが、驚いたことに、もうテレビで放映されます。 

映画「サンマとカタール 女川つながる人々」女川町の復興を追ったドキュメンタリー

BSジャパン 2016年7月30日(土)  16時00分~17時24分

壊滅的な被害を受けた宮城県女川町の復興5年目を追う!前向きに生きる力を映像に込めた感動のドキュメンタリー。今だからこそ伝える5年間の想いに心が熱くなる!

東日本大震災から5年。住民の1割近くが犠牲となり、8割近くが住まいを失った宮城県女川町は今、目覚ましく復興し、新しい町に生まれ変わるために力強く歩んでいる。人々はどうやって立ち上がったのか?そして中東カタールの関わりとは? 復興5年目の女川町で生きる人々を約2年撮影したドキュメンタリー。女川町の復興の軌跡、切なくて強い人間の底力に迫ります。

監督 乾弘明  ナレーション 中井貴一

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直接、光太郎に関わる部分はありませんが、ぜひご覧下さい。


女川と言えば、来月9日は第25回女川光太郎祭が開催されます(昨年の様子はこちら)。こぢんまりと行うイベントですので、今のところネット上に詳細な情報等は出ていないようです。詳細がわかりましたら、またお伝えいたします。


【折々の歌と句・光太郎】

子供等に蝉を分けてもらひたりうれしくてならず夕めしくふにも

大正13年(1924) 光太郎42歳

昭和6年(1931)、光太郎は新聞『時事新報』の依頼で、紀行文「三陸廻り」を書くため、8月9日から約1ヶ月、宮城から岩手の三陸海岸一帯を旅して廻りました。

その旅のはじめの頃に訪れたのが、、宮城県牡鹿郡女川町。

五 女川港(『時事新報』 1931/10/10掲載より抜粋)
 牡鹿半島のつけ根のぎゆつとくびれて取れ相な処、その外側の湾内に女川がある。船で廻ると一日がかりだが石巻からバスで行けば水産学校のある渡波(わたのは)を通りぬけ、塩田のある万石浦に沿つて二時間足らずの道程だ。朝七時に出ると九時には着く。女川で船を見つけるつもりで出かける。女川湾は水が深くて海が静かだ。多くの漁船が争つて此の足場のいい港へその獲物を水上げする。海岸には東北水産株式会社といふものが巨大な清潔な魚市場を築造して漁船を待つている。三陸沿岸では一番新らしい一番きれいな水上げ場だ。女川は極めて小さな、まだ寂しい港町だが、新興の気力が海岸には満ちている。活発な魚類の取引を見ていると今に釜石あたりをも凌ぐ様になるかも知れない気がする。ところで、海に面する此の新鮮きに対比して、町そのもののぼろの様な古さと小さきとには驚かされる。この古さは珍しい。魅力は此の新古均等の無いところにある。

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これを記念して、平成3年(1991)に、「高村光太郎文学碑」4基が、女川港に建てられました。中心になったのは「女川光太郎の会」さん。町内外からの募金で、当時おそらく日本一という規模の文学碑を建立。

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さらに、翌年からは毎年8月9日に、「女川光太郎祭」が、その碑の前で開催されました。毎年、当会顧問の北川太一先生のご講演が盛り込まれていました。

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やがて平成23年(2011)3月11日、東日本大震災が発生。女川は最大17メートル以上の津波に襲われ、中心街は壊滅、住民の1割近くが亡くなりました。その中には、文学碑の建立や光太郎祭の開催に尽力していた、女川光太郎の会事務局長・貝(佐々木)廣さんも含まれていました。震災直後、東北地方沿岸が激甚な被害に見舞われたということで、仲間うちで貝氏の消息について情報収集に努めましたが、なかなか消息がわかりませんでした。一度はネット上で避難所に入った方のリスト(手書きコピーのPDFファイル)にお名前を見つけ、安心したのですが、よく見るとお名前の上にうっすら横線。単なる汚れなのか、それとも抹消されたということなのか、前者であって欲しいという願いも虚しく、やがて津波に呑み込まれたという報が届きました。それでもまだどこかでひょっこり生き延びていられるのではと、一縷の望みを持っていましたが、さらに、ご遺体発見の報……。ショックでした……。

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さらに4基あった文学碑のうちの2基は津波で流失、残る2基も再建のめどはまだ立っていないようです。

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震災の年の8月、例年届いていた案内状も来ず、「もはや光太郎祭どころではないのだろう」と思っていました。しかし、あにはからんや、会場こそ女川第一小学校に移ったものの、しっかりと第20回女川・光太郎祭が開催されたとのこと。人間の持つ、逆境に屈しないパワーを改めて感じました。 

震災に負けず光太郎祭

『河北新報』 2011/8/10
 女川町を訪れた彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)をしのぶ第20回「光太郎祭」(女川・光太郎の会主催)が9日、女川一小で開かれた。「文学でまちを元気にしよう」と企画を発案し、事務作業を一手に引き受けてきた会事務局の貝広さん(64)=同町女川浜=が震災の犠牲となり、毎年、会場となった女川文学碑公園も津波で損壊した。祭りの中止も検討されたが、会員有志が「貝さんの遺志を引き継ごう」と決意。音響会社などの協力もあって継続することができた。
  冒頭のあいさつで、女川・光太郎の会の須田勘太郎会長(70)は「震災で、貝さんをはじめ多くの人が帰らぬ人となった。光太郎の残した紀行文は、水産業のまち女川の文化遺産。復興の励みにしたい」と強調した。
  貝さんは有志を募って、光太郎が三陸地方を巡り、同町に立ち寄った際に書いた紀行文などを題材にした文学碑を1991年に建立。
  行政や団体からの補助金に頼らず、寄付だけで資金を集めた草の根運動が注目を集めた。碑の周囲を公園化し、92年から光太郎が三陸巡りに出発した8月9日に光太郎祭を実施。町民や光太郎の詩の愛好者、研究者が全国から集まるイベントに成長した。
  今年は、光太郎が女川町を訪れて80年、光太郎祭は20回の節目。貝さんは年明け前から開催準備に入っていたが、津波により女川文学碑公園近くの自宅で生涯を閉じた。

その後も仮設住宅集会所、仮設商店街と場所を変えながら、女川光太郎祭は継続。今年で25回目となります。平成25年(2013)からは、当方が記念講演を務めさせていただいております。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、昨夜、千葉県浦安市のディズニーリゾート脇にある、シネマイクスピアリさんにて、その女川の復興を追ったドキュメンタリー映画「サンマとカタール~女川つながる人々」を拝見して参りました。

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当方の住む千葉県での上映はここだけで、なぜ浦安? と思っていたのですが、震災の被災地つながりで、平成25年(2013)に、復興支援を目的としたイベントが開催されていた縁などがあったためのようです。

そんなわけで、上映前には、プロデューサー・益田祐美子氏、浦安商工会議所会頭・柳内光子氏らの舞台挨拶がありました。

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映画本編は73分と短めでしたが、女川の復興にかける、人々の熱い思いが詰まった一篇でした。女川光太郎祭に毎年ご協力いただいている須田善明町長も主要キャストとしてご出演。同じく光太郎祭で演奏して下さっている女川潮騒太鼓轟会の方も写りました。昨年の光太郎祭の様子はこちら

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主に昨年3月のJR石巻線女川駅の復旧時、それに伴って行われた「復幸祭」、同じく昨年12月の「おながわ復興まちびらき2015冬」前後の様子が中心でした

さらに、中東の国・カタールからの支援。カタールは、女川同様に水産業もさかんで、かつて天然ガスのプラント建設で日本の援助を受けたことから、『カタールフレンド基金』(総額1億米ドル)を設立。震災の翌年、そのうちの20億円をかけて、女川港に多機能水産加工施設「MASKAR(マスカー)」が作られました。こちらもある意味、復興のシンボルです。

こうした熱い物語の数々に、当方の隣に座られていたご婦人は何度もハンカチで涙をぬぐわれていました。当方も、女川駅復旧で一番列車到着のシーンには、思わずうるっときました。鉄道マニアではないのですが、光太郎文学碑が出来て間もない頃、石巻線で壊滅前の女川を初めて訪れた時のことを思い出したのです。

その後調べたところ、以前にご紹介した時よりも、上映館が増えていました。今後上映されるのは以下の通りです。

宮城  石巻・みやぎ生協文化会館アイトピアホール
  7/15(金) 18:30
 テーマソング歌唱幹miki復幸ライブ
岩手   盛岡ルミエール            7/16(土)~7/22(金) 
青森   シネマディクト ルアール/ルージュ    6/25(土)~7/1(金)
神奈川 シネマ・ジャック&ベティ 
舞台挨拶あり  7/16(土)~7/22(金) 
岡山   岡山メルパ                6/24(金)迄 9:45/15:35
愛媛   松山市総合福祉センター 大会議室    7/17(日)18(月・祝)13:00/16:00
 

さらに上映館が広がってほしいものですし、自治体さん、学校さんなどでの上映にも対応していただきたいものです。

また、のちほどご紹介しますが、今年も8月9日に女川光太郎祭が開催されるはずです。こちらもよろしくお願いいたします。


【折々の歌と句・光太郎】

里とほく荒磯づたひさまよひて岩かげに泣く海人(あま)を見しかな

明治33年(1900) 光太郎18歳

三陸といえば、海女さん。ただし、この歌は伊勢の歌人・太田軽舟の作品と共に雑誌『明星』に掲載されており、伊勢の海女さんを詠んだものかもしれません。

3ヶ月前にちらっとご紹介しましたが、神奈川県鎌倉市の川喜多映画記念館さんで、故・原節子さん主演の東宝映画「智恵子抄」(昭和32年=1957)の上映があります 

智惠子抄(98分/1957年/東宝/白黒/35mm)

上 映 : 7月8日(金)10:30/14:00、7月9日(土)、7月10日(日)14:00
監 督 : 熊谷久虎
出 演 : 原節子、山村聰、青山京子、三津田健、柳永二郎、三好栄子 他
料 金 :  一般:1000円 小・中学生:500円   6月18日(土)より発売
原 作 : 高村光太郎

詩人、彫刻家として知られる高村光太郎が愛妻智惠子の名を冠して発表した詩集をもとに、二人の出会いから妻の死までを描く。原節子の義兄として公私を支えてきた熊谷久虎による映画化作品。


こちらは3月から同館で開催されている特別展「鎌倉の映画人 映画女優 原節子」の一環です。

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期間中に13本の原さん主演映画が上映され、「智恵子抄」はその大トリです。特別展の方も、「智恵子抄」千秋楽の7月10日(日)まで。「智恵子抄」ポスターなども展示されています。

併せてご覧下さい。

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【折々の歌と句・光太郎】

雨ふればしとしとふれば紙の戸の糊さへかびて我がこころ冷ゆ
明治42年(1909) 光太郎27歳

3年半に及ぶ欧米留学からの帰国後の作です。

じめっとした日本の空気感が、自然現象としてのそれだけでなく、旧弊な社会全般の閉塞感の象徴としても表されているように読み取れます。

智恵子関連で2件、ご紹介します。

まずは福島から。今週はじめの『福島民報』さんの記事。 

福島の県立図書館 企画展示多彩に 来月1日まで

 福島県福島市の県立図書館は7日、各種企画展示を始めた。いずれも6月1日まで。 
【受賞児童図書展】各賞に輝いた絵本や児童書、紙芝居など76点を展示している。昨年の日本絵本賞を受けた、あきびんごさん著「30000このすいか」(くもん出版)などを紹介している。一部は貸し出し可能。 
【高村智恵子生誕130年 「ほんとの空」の下で】二本松市出身の洋画家・高村智恵子が今月、生誕130年を迎えるのに合わせ催した。智恵子が表紙を描いた「青鞜 第一巻一号」(復刻版、明治44年)をはじめ、夫光太郎が著した詩集「智恵子抄」(白玉書房、昭和22年)など5点を展示している。他に、智恵子に関係する書籍約100冊を貸し出している。 
【時事展示・今改めて考えよう防災と復興支援】熊本地震を受けて展示した。防災の知恵をまとめたハンドブック、東日本大震災でボランティア活動をした人が体験をまとめた本、九州の文化や歴史についての書籍など約150点を特集し、貸し出している。 
 この他、暮しの手帖社関連の書籍などを集めた「本のひろば」、「特殊文庫・貴重資料コーナー」など、多彩な展示をしている。

というわけで、福島県立図書館さんの「ミニ展示」で智恵子関連が取り上げられています。報道が先行し、同館のサイトでは昨日になってアップされました。

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「智恵子に関係する書籍約100冊を貸し出している。」は、今に限ったことではないと思うのですが……。



もう1件。福岡小倉から。映画館・小倉昭和館さんで、昭和32年(1957)の東宝映画「智恵子抄」がかかります。 

名画をフィルムで  ~原節子特集~

期  日 : 2016年5月14日(土)~27日(金)
会  場 : 小倉昭和館 福岡県北九州市小倉北区魚町4-2-9
 第1週  「お嬢さん乾杯」  10:00/13:30/16:55 
       「小早川家の秋」 11:40/15:05/18:30
 第2週  「智恵子抄」 10:00/14:05/18:05
       「娘・妻・母」 11:50/15:55

「智恵子抄」
監督:熊谷久虎  脚本:八住利雄
出演:原節子、山村聰、青山京子、太刀川洋一、三津田健、三好栄子、柳永二郎
◆昭和31年に他界した詩人で彫刻家の高村光太郎が亡くなった妻・智恵子を悼んで発表した同名詩集の映画化。高村の一周忌に映画化され話題となった。高村は智恵子と出会い生きる喜びを見出していくが、二人の幸せな愛の暮らしは長くは続かず…。美しくも儚い智恵子を演じる原節子に心打たれる。(1957年/98分)

関連行事
 5月22日(日)シネマトーク
 「殉愛 原節子と小津安二郎」著者の映画評論家 西村雄一郎さんを お迎えしたシネマトークを行います。
  「智恵子抄」  10:00~11:40
  「娘・妻・母」  11:50~14:40
  シネマトーク  14:10~14:40
  「智恵子抄」  15:00~16:40 
  「娘・妻・母」  16:50~18:55
  「智恵子抄」  19:00~20:40
 ※当日鑑賞券でお聞きいただけます。


昨年の原節子さんご逝去を受け、もう半年以上経ちますが、やはり大女優、いまだに追悼イベントが行われています。

東宝映画「智恵子抄」にもふたたびスポットが当たるようになり、ある意味ありがたいところです。7月には鎌倉市川喜多映画記念館さんで、現在開催中の展示「鎌倉の映画人 映画女優 原節子」の一環として、秋には智恵子の故郷・二本松の歴史資料館さんで開催される企画展「智恵子と光太郎の世界展」に伴って、それぞれ上映されます。また近くなりましたら、ご紹介します。


【折々の歌と句・光太郎】

わが心ゆたかにさめて朝の陽のかがよふ時し牡丹花咲く
昭和20年(1945) 光太郎63歳

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画像は光太郎筆の水彩画。短歌ともども、空襲で駒込林町のアトリエを焼け出され、疎開した岩手花巻での作です。

花巻に向けて東京を発ったのが、5月15日。この日を記念して、花巻では「高村祭」が毎年行われています。明日、14日はそれに合わせ、郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)に移る直前に暮らしていた、花巻病院長・佐藤隆房邸の公開があります。当方、それに間に合うよう、今夜、池袋発の夜行高速バスで花巻入りします。


光太郎とのゆかりのある宮城県女川町が舞台。東日本大震災から5年のあゆみを追っています。

まずは封切りに関しての報道。 

「サンマとカタール」女川町長、舞台あいさつ

 東日本大震災で大きな被害を受000けた宮城県女川町の復興の軌跡を描いたドキュメンタリー映画「サンマとカタール~女川つながる人々」の全国公開を記念した舞台あいさつが9日夜、東京都千代田区のヒューマントラストシネマ有楽町であり、須田善明町長が各地からの復興支援に感謝の言葉を述べた。
 再起を図る水産関係者や、町中心部の再生の様子などを約2年間追った作品。中東のカタールの支援により、水産復興の中核施設となる大型冷蔵庫が建設された経緯なども描いた。須田町長は「カタールとありがたい縁があった。(映画に登場した)多くの仲間がいたからこそ、震災を乗り越えられた」と述べた。
 乾弘明監督は「女川町は行政と民間が連携し、素晴らしいまちづくりをしている。日本の水産業をリードする町になる」と話した。
 作品の全国公開は7日に始まり、東京のほか名古屋、大阪などで上映される予定。東北では仙台市青葉区の桜井薬局セントラルホールで上映中。
(『河北新報』 2016/05/11)


毎年8月の女川光太郎祭で当方もお世話になっている、須田町長、上京して舞台挨拶にご登壇。

公式サイトには、熊本の皆さんへのメッセージも寄せられています。

今も続いている熊本地震に心を痛めておりますが、この映画から、熊本地震で被災した皆様に何かメッセージをお送りしたいと思い、映画にもご出演されている女川町長にメッセージをお願いしました。下記全文をご紹介させていただきます。
 
この映画を通じて、希望の光を届けることを願って。
 
●女川町長からのメッセージ
 
熊本地震で被災された皆様へ
 
目の前の現実とその先を思い、不安な日々を過ごされていると思います。
五年前の私達もそうでした。
だからこそ願っています。
諦めないでほしいし、心折れないでほしい、と。
 
自らの「立ち上がろう」という思いには必ず誰かが手を差し伸べてくれる、
そのことを私達は5年の歩みの中で知りました。
今、皆さんが困難を乗り越える力になれるように、
数多くの方々が、有形無形に最善の努力をしています。
それを信じ、希望を捨てず、励まし合い支え合いながら、
今の苦境を乗り越えていただけるよう、切に願います。
 
日常を取り戻すには多くの地域で長期戦になるかもしれません。
未だ復興途上の微力な私達ですが、
これまで皆さんからいただいてきたご支援に少しでも報いるべく、
経験を活かし皆さんのお力になれるよう努力していきます。
共にがんばろう!
 
女川町長 須田善明

5年前に甚大な被害を受けた当事者ならではの内容ですね。


さらにニュースサイトで調べてみると、封切り直前の試写会のニュースがヒットしました。眞子内親王殿下がご覧になったとのこと。

偶然ですが、当ブログでこの映画をご紹介したのが先週5日。翌6日には宮内庁三の丸尚蔵館さんの「第72回展覧会 古典再生―作家たちの挑戦」をご紹介、その中で眞子さまに触れました。すると、さらにその翌日の7日に眞子さまが試写会をご覧になったというわけで、驚いています。 

眞子さま、震災復興のドキュメンタリー映画ご鑑賞

 秋篠宮ご夫妻の長女・眞子さまが、東日本大震災からの復興を描いたドキュメンタリー映画を鑑賞されました。
 眞子さまは7日午前10時ごろ、東京の有楽町で映画「サンマとカタール」を鑑賞されました。この映画は津波で大きな被害を受けた宮城県女川町が舞台で、中東のカタールから支援を受けながら復興に携わる人々を追ったドキュメンタリーです。眞子さまは真剣な表情でスクリーンに見入られていました。上映後は、映画に出演した被災者に「皆さんの前向きな姿に力をもらいました」「家族にも勧めたいです」と声を掛けられました。また、石巻市でご自身がされたボランティア活動についても被災者と話されていました。
(テレ朝 news 2016/05/07)

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もう1件。 

眞子さま、震災復興のドキュメンタリー映画鑑賞

 秋篠宮ご夫妻の長女・眞子さまが、東日本大震災で被災した宮城・女川町の復興への歩みを描いたドキュメンタリー映画をご覧になりました。
 眞子さまは7日午前、東京・千代田区の映画館を訪れ、7日から公開が始まった映画「サンマとカタール~女川つながる人々」をご覧になりました。
 この映画は、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城・女川町で、復興を目指して前向きに歩む人々と、生まれ変わっていく町の姿を追ったドキュメンタリー映画です。
 大学時代、ボランティアとして宮城県などの被災地を訪れていた眞子さまは、真剣な表情で映画を鑑賞し、上映終了後には観客らと共に拍手を送られていました。帰り際には「皆さんが前向きに生きている姿に力をもらいました」などと話されていたということです。
 女川町には今年3月、天皇・皇后両陛下が初めて訪れ、駅前に去年末に開業した商業施設などの様子を見て回られていました。
(TBSNEWS 2016/05/07)

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ご自身、震災が起こった平成23年(2011)には、女川に隣接する石巻で、身分を隠し、ひとりの大学生としてボランティアに参加されたというご経験をお持ちですので、ご興味があったのでしょうか。

そういえば、天皇皇后両陛下は、今年、女川をご訪問されました。

東北各地もまだ復興半ば。今はある意味、記憶の風化との戦いです。この映画の鑑賞も、一つの復興支援となります。よろしくお願いいたします。


【折々の歌と句・光太郎】

天地に白きは雲か紅(くれなゐ)はわれに倣へと躑躅の燃ゆる
明治36年(1903) 光太郎21歳

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当方自宅兼事務所の庭に咲くツツジです。

映画の公開情報です。

昭和6年(1931)、光太郎が訪れて紀行文「三陸廻り」を残したことを記念し、かつて巨大な「高村光太郎文学碑」が建てられ、以来、あの東日本大震災で碑は倒壊しながらも、「女川光太郎祭」が連綿と続けられている、宮城県女川町が舞台です。

まずは、仙台に本社を置く『河北新報』さんで、今年2月に掲載された記事から。 

女川復興の軌跡描く 苦悩追う映画先行試写会

 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城000県女川町の復興の軌跡を描いたドキュメンタリー映画「サンマとカタール~女川つながる人々」の先行試写会が21日、町まちなか交流館であった。実行委員会が主催。町民ら約150人が鑑賞した。
 タイトルは港町・女川を代表するサンマと、水産業の中核施設の大型冷蔵庫「マスカー」の建設を支援した中東のカタールから。再起に懸ける水産関係者や大切な人を失った住民の苦悩、まちづくりの様子や国境を越えた支援などを2年間にわたって追い、約1時間10分の作品に仕上げた。
 町民約30人が登場。映画の中で、マスカー建設に奔走した石森洋悦さん(59)は「町民に前を向いてほしかった」と明かし、復興イベント「復幸祭」実行委員長の阿部淳さん(41)は「『人が死んでいるのにお祭りか』などと非難も浴びたが、やり遂げた事実は残る」と思いを語った。
 阿部由理さん(55)は津波で自宅を失い、2012年に復興に尽力した町職員の夫を亡くした。上映後のあいさつで「主人のような人間がいたことを思い出してもらえたらいい」と語り掛けた。乾弘明監督(52)は「まちづくりの大変さや皆さんの苦労を肌で感じ、女川に力をもらった」と謝辞を述べた。
 映画は5月7日から東京都のヒューマントラストシネマ有楽町など全国で公開。県内では翌8日から仙台市青葉区の桜井薬局セントラルホールで上映される。


というわけで、明後日から、全国各地で順次公開が始まります。 

サンマとカタール~女川つながる人々


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あまりにも多くを失ったマイナスからのスター
カタールの援助が灯となった復興をゆだねられたのは若者達
泣いた、怒った、そして笑った!
荒れ野に芽吹いた小さな草が蕾をつけ
今、花開こうとしている
女川は流されたんじゃない
海の見える景色を残したまま新しい女川が誕生する!
女川復興の軌跡に迫る

宮城県女川町は牡鹿半島の付け根にある水産業の町。サンマの水揚げで有名だ。
石巻線の終着駅で、古くから天然の良港として栄えた美しい港町だった。

「あの日」までは…

この町の人々は、「あの日」2011年3月11日を何十年も何百年も語り継いでいくことになるだろう。住民の1割近くが犠牲となり、8割以上が住まいを失った。被災した全ての市町村の中でも、人口比では最も激烈な被害を蒙った町である。町の中心部は根こそぎ津波にのまれ、失うものは何もなくなった。

そんな絶望から、人はどうやって立ち上がるのだろう…。

最初の希望は、中東の国カタールによってもたらされた。古くは漁業で栄えたカタールは、震災直後に基金を設置し津波対応を施した冷凍冷蔵施設「マスカー」を建設。そして、小さな町だからできる独創的な発想と素早い行動、5年たった今でも寝る間を惜しんで復興にかける若きリーダーたち、その仲間が生み出す波及効果。人々の輪は町を飛び越え広がっていく。

女川は今、復興のトップランナーと呼ばれる。
震災前よりレベルアップした町づくり、そこに至る苦悩と喜びを見つめていく。

 青森 シネマディクト ルアール/ルージュ 6/25(土)~7/1(金)
 宮城 桜井薬局セントラルホール      5/8(日)~5/20(金)
 東京 ヒューマントラストシネマ有楽町   5/7(土)~5/20(金)
 千葉 シネマイクスピアリ            6/23(木)
 愛知 名演小劇場                5/14(土)~5/27(金)
 岐阜  大垣コロナシネマワールド        5/21(土)~6/3(金)
 大阪 シネ・リーブル梅田            5/21(土)~6/3(金)
 岡山 岡山メルパ                6/11(土)~6/24(金)
 広島 福山駅前シネマモード         6/11(土)
 岐阜 こくふ交流センター          10/30(日)
 兵庫 神戸アートビレッジセンター    6/12(日)
 広島 広島国際会議場 大会議室ダリア
    5/26(木)




予告編の動画を拝見、見知った顔もあり、これは是非観に行かなければ、と思いました。

限られた会場での公開ですが、皆様も是非どうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

摘むに花くむに泉のあまからむ男の子世にゆく道たかうあれ
明治34年(1901) 光太郎19歳

今日は5月5日。端午の節句です。

明治34年(1901)、数え19歳の光太郎は東京美術学校彫刻科在学中。さらに前年から与謝野鉄幹の新詩社に加わり、未来への夢をふくらませている時期でした。

注文しておいた新刊書籍が昨日届きました。昨日のうちに一気に読みました。 

映画「高村光太郎」を提案します 映像化のための謎解き評伝

2016/04/30 福井次郎著 言視舎 定価1,800円+税
 
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★今年は没後60年。人間・高村光太郎の数々のドラマを追うには、映画化が一番! 大正・昭和期の映画を徹底して研究してきた著者が、映像化のための企画書を内包した異色の評伝に挑む。
★なぜ智恵子は自殺しようとしたのか? なぜ「戦争協力詩」を書いたのか? 花巻への隠棲とは? 十和田湖「乙女の像」のモデルは? ……数多の謎を解き、光太郎研究に新視点をもたらす。
★『智恵子抄』の新しい読み方も提案。

★目次
 第一章 高村光太郎という迷宮
 第二章 ミステリー『智恵子抄」
 第三章 不可思議なる転向
 第四章 「乙女の像」の謎 ほか


著者の福井氏は、「映画評論家」という肩書きをお持ちの方です。そこで、光太郎の生涯を映画化できないか? という提言のために書かれた光太郎評伝です。このブログでも何度かご紹介した昨年公開の小栗康平監督映画「FOUJITA」にからめ、光太郎の生涯を追えば、もっと面白い作品が作れる、という提言。その通りだと思います。

著者のスタンスは、冒頭の「はじめに」に記されています。赤字の部分は、同書で太ゴシックで組まれている部分です。

本書は詩論や文芸評論の類いの本ではないことを断っておく。また光太郎の彫刻や油絵、書について論じた本でもない。本書の関心はあくまで人間「高村光太郎」にある。人間「高村光太郎」の映画化を提案することによって、彼の実像を明らかにすることを目的としている。

また、「光太郎が取った実際の行動から彼の人間像にアプローチするという方法を取っている」「光太郎が書いたものより周囲の証言に重点を置いている」とのことでした。

本文は4章に分かれ、光太郎の生涯を俯瞰。各章はいくつかの項から成り、それぞれの終末に「映画化のポイント」という稿が付されています。そちらは映画の企画書のような体裁。中々面白い手法だなと思いました。

全体に、光太郎に対する健全なリスペクトの念が感じられます。また、映画化という前提のもとにわかりやすく光太郎の生涯を俯瞰しようとする手法には、感心させられました。時に大きな矛盾を抱え、智恵子を犠牲にしたり、大政翼賛に与したりしながらも、「求道」の生涯を送った光太郎の姿が、鮮やかに描かれています。

エラいセンセイたちが研究機関の紀要等にノルマや〆切に追われて無理矢理書く「詩論」や「文芸評論」(とにかく対象を批判しなければ気が済まない)、在野の「自称研究者」が自己顕示のために書くわけのわからない独断のような「イタさ」は感じません。

資料も豊富に読み込まれています。驚いたのは、前半部分を当方が執筆した『十和田湖乙女の像のものがたり』をだいぶ参考になさって下さっていること。感謝です。

ただ、固有名詞の誤りが少なからずあったり、年号や事実関係にも勘違いが見受けられたりするのが残念ですが、それを差し引いても優れた書籍です。

ぜひお買い求めを。


【折々の歌と句・光太郎】

まよひゆく花野のおくぞきはみなきいづこを果と此身は捨てむ
明治35年(1902) 光太郎20歳

光太郎の生涯、ということに思いを馳せると、この短歌が思い浮かびます。

昨日は神奈川県鎌倉市に行っておりました。昨日始まった、鎌倉市川喜多映画記念館さんの「特別展:鎌倉の映画人 映画女優 原節子」を拝見して参りました 

特別展:鎌倉の映画人 映画女優 原節子

期  日 : 2016年3月18日(金)~7月10日(日)
会  場 : 鎌倉市川喜多映画記念館 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目2番地12号
時  間 : 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
料  金 : 一般300円(210)円 小・中学生150円(105)円 ( )内は団体20名以上

〜 美しき微笑と佇まい、スクリーンに輝いた大スターを偲んで 〜
戦前から戦後にかけて日本映画の黄金期に活躍し、こつ然と銀幕を去った後、鎌倉で終生を過ごした原節子。昨年、その訃報が届き、多くの人々が偉大な映画女優の逝去に深い追悼の意を表しました。小津安二郎監督による『晩春』『麦秋』『東京物語』で演じた「紀子」の品性に満ちた美しさや、成瀬巳喜男監督、黒澤明監督などの作品で演じた女性像は、映画を愛する人々の心に永遠に刻まれていることでしょう。
本企画展では、公私ともに親交の深かった写真家・秋山庄太郎による他では見る機会の少ない貴重なポートレートの数々を展示いたします。また、日独合作映画『新しき土』のドイツ公開にあわせて渡欧した際の写真アルバムや特別映像もご覧いただきます。関連作品の上映では、鎌倉文士の永井龍男、今日出海原作の映画化作品の上映もございます。鎌倉における本企画展にて、映画女優・原節子を偲び、皆様の思いを馳せていただく機会になれば幸いです。

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昨秋亡くなった伝説の映画女優・原節子さん。昭和32年(1957)には、熊谷久虎監督の東宝映画「智恵子抄」で、智恵子役を演じられました。この際には、福島二本松の、智恵子の生家や二本松霞ヶ城などでもロケが行われました。

「智恵子抄」関連の展示があるかどうか、実際に行って見てみないとわからないので、半分賭けでしたが、時間もあったので、鎌倉まで車を走らせました。

川喜多映画記念館さんは、鶴岡八幡宮にほど近いところにあります。鎌倉駅からですと、小町通りを北上し、八幡宮に出る直前を左折するとすぐ見えてきます。当方は八幡宮近くに車を駐め、八幡宮の前を通って行きました。

先日閉館した「カマキン」こと神奈川県立近代美術館・鎌倉館さん。当初は閉館に伴って建物も取り壊される予定でしたが、ル・コルビジェに師事した建築家・坂倉準三の設計で、モダニズム建築の逸品ということで、遺されることになりました。

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さて、川喜多映画記念館さん。

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当方、中に入るのは初めてです。

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受付で入館料300円也を払い、左手の展示室へ。

早速、「智恵子抄」の立看用のポスターが壁面に飾られているのに気付きました。「来た甲斐があった」と胸をなで下ろしました。

その後、順路に従って拝観。原さんの年譜や故・秋山庄太郎氏撮影のポートレート、当時の雑誌、出演作品に関する資料などなど。

原さんの出演作品は少なくなく、代表作の「東京物語」や「青い山脈」などは大きく取り上げられていました。反対に、初期の頃などのあまり有名でない作品は簡単な説明。「智恵子抄」はその中間といった扱いで、最初に見た立看用の縦長のポスター以外にも、通常サイズ(B2判)のポスターやスチール写真などが展示されていました。

当方、原さんの「智恵子抄」ポスターは10種類近く所蔵しています。最初に目に付いた立看用のものは同じものを持っていますが、通常サイズ(B2判)のものはまだ入手できていません。今回展示されているものとは異なるバージョンは持っています。今回のものも、いずれは入手したいものです。

こちらには上映室も完備されており、以前にも「智恵子抄」の上映がありました。来月から、「智恵子抄」を含む原さん主演の映画、計12本が順次上映されます。また近くなりましたら改めてご紹介しますが、「智恵子抄」は最後、7月の上映です。

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ぜひ足をお運びください。

ところで当方、原さんの「智恵子抄」がらみの資料をコツコツ集め続け、気付いたらかなりの量になっています。ポスター、チラシ、パンフレット、スチール写真、撮影風景のスナップ写真、カメラテスト用に撮られたと思われるポートレート、当時の雑誌などなど。「原節子と映画「智恵子抄」」という企画展が出来る程度の量です。この際に、どこかでやっていただきたいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

寺に入れば石の寒さや春の雨     明治42年(1909) 光太郎27歳

やはり欧米留学中のイタリア旅行での作ですので、「寺」は仏教寺院ではなくキリスト教の教会、修道院の類です。ただ、日本の風景としてイメージしても通用する句ですね。

昨日のこのブログでは、原節子さん主演の東宝映画「智恵子抄」(昭和32年=1957)の上映情報を書きました。

同様に追悼的な内容の雑誌、ムック等がいろいろ刊行されていますが、その中から一つ。 

週刊朝日増刊 昭和の美神 原節子去りぬ

2015/12/20 朝日新聞出版 定価780円

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目次

秋山庄太郎 写真館 永遠の恋人 銀幕スター原節子 千葉伸夫 (映画評論家)「永遠の処女 原節子の輝き」
「新人女優、原節子」 貴田庄 (ノンフィクション作家)
節子の休日 本誌オリジナル秘蔵写真 再録・あなたはどう答えますか?
原節子を観る 映画ベスト20 植草信和
評伝「沈黙のまま表舞台を去った」 朝日新聞・ 石飛徳樹 編集委員
横尾忠則(美術家)寄稿 「原節子 物質世界を超えた魂の美」
四方田犬彦 (映画史・比較文学研究家) 寄稿「不死の人、原節子」
さよなら節子さん 岡田茉莉子 宝田 明 有馬稲子 香川京子 松島トモ子 佐藤忠男 
         大林宣彦 司 葉子
 山田洋次 仲代達矢 川又 昂
原節子を知る book list
「買い出し女優とピカピカの民主主義」 宮本治雄 (編集者)
原節子をたどる 生涯&全出演作リスト
評伝 「会田昌江と原節子」 河谷史夫
彼女は何を語り、どう書かれたか 朝日新聞記事で振り返る原節子


元『キネマ旬報』編集長の植草信和氏による「原節子を観る 映画ベスト20」という項で、東宝映画「智恵子抄」が紹介されています。使われているスチールは、二本松霞ヶ城でのカットです。背後には「ほんとの空」と安達太良山。

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原さんの出演作品の中では、「智恵子抄」は高い評価を得ているとは言い難い作品ですが、原作の知名度的な部分と、3本しかない熊谷久虎作品のうちの一つ、といった観点からランクインしているように思われます。

ちなみに同じ年に制作された小津安二郎監督・松竹配給で「東京暮色」では有馬稲子さんが妹役でした。こちらは比較的高い評価を得ています。


ところで「智恵子抄」。かなり前にVHSテープで販売されました。「日本映画傑作全集」というラインナップでした。

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しかし、DVD、ブルーレイ等でのデジタル化はされていません。この際、「原節子コンプリート」的な企画でボックス化していただきたいものです。ただ、そうなると、「分売不可」というケースもあり、悩みどころですが……。


【折々の歌と句・光太郎】

雪の朝高楼に朱簾まくは誰    明治32年(1899)頃 光太郎17歳頃

「すだれ」を単に「簾」とせず、「朱簾」としているところが肝ですね。白妙の雪と朱色の簾とのコントラストが絶妙です。

同時に、それを巻く「誰」かも、否応なしに原節子さんのような美女を想像させられます。これがいかつい男では絵にも何にもなりません。「朱」一文字でそれをやってのける弱冠数え17歳の文才には脱帽です。

昨秋、ご逝去された原節子さん。追悼特集的な取り組みがいろいろと行われています。

そうした中で、昭和32年(1957)、原さんが智恵子役を演じた熊谷久虎監督による東宝映画「智恵子抄」の上映があります。2件、情報を得ています 

銀幕に輝きつづける、永遠のヒロイン 追悼 原節子

池袋新文芸坐 東京都豊島区東池袋1-43-5 マルハン池袋ビル3F

◆一般1300円 ◆学生1200円 ◆友の会1050円 ◆シニア・障がい者・小学生以下(3歳以上)1050円
◆ラスト1本850円

1/17(日) 東京暮色(1957/松竹/140分)/18:00東京物語(1953/松竹/136分)
18(月)   美しき母(1955/東宝/98分)/巨人傳(1938/東宝/127分)
19(火)   安城家の舞踏会(1947/松竹/89分)/誘惑(1948/松竹/85分)
20(水)   青い山脈(1949/東宝/91分)/続・青い山脈(1949/東宝/91分)
21(木)   白雪先生と子供たち(1952/KADOKAWA/89分)/白痴(1951/松竹/167分)
22(金)   河内山宗俊(1936/日活/82分)/新しき土〈日独版〉(1937/T&Kテレフィルム/106分)
23(土)   山の音(1954/東宝/95分)/めし(1951/東宝/97分)
24(日)   小早川家の秋(1961/東宝/103分)/秋日和(1960/松竹/129分)
25(月)   路傍の石(1960/東宝/104分)/智惠子抄(1957/東宝/98分)
       9:40/13:25/17:10/20:55終映22:35
26(火)   慕情の人(1961/東宝/96分)/愛情の決算(1956/東宝/112分)
27(水)   女ごころ(1959/東宝/95分)/(1958/東宝/101分)
28(木)   大番(1957/東宝/117分)/ふんどし医者(1960/東宝/115分)
29(金)   娘・妻・母(1960/東宝/123分)/驟雨(1956/東宝/90分)
30(土)   晩春(1949/松竹/108分)/麦秋(1951/松竹/126分)

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日本映画傑作選

川崎市市民ミュージアム 神奈川県川崎市中原区等々力1-2(等々力緑地内)

2016年01月26日 10:30-/14:00

「智恵子抄」 原作:高村光太郎 監督:熊谷久虎  昭和32年 モノクロ

入場無料



他にも上映の情報がありましたら、こちらまでご教示いただければ幸いです。


【折々の歌と句・光太郎】

はこべらを朝のさ粥に摘みいれてわが初春の乏しともなし  制作時期不詳

「はこべら」は「はこべ」。春の七草の一つですね。七草すべてとはいかなくとも、みずみずしいはこべを摘み入れれば、お粥もプチ贅沢になり、自分の生活も決して悲観するほどひどくはないよ、というところでしょうか。

いつ作られた歌か不明ですが、昭和23年(1948)に刊行された歌集『白斧』に収録されています。おそらくその頃の、花巻郊外太田村に移ってからの作品ではないでしょうか。

このブログで先月お伝えした、昭和32年(1957)の東宝映画「智恵子抄」で智恵子を演じた元女優の原節子さん。


先週、二本松から、映画「智恵子抄」がらみの続報が舞い込んできました。 

福島)昭和の大横綱と大俳優 二本松市に足跡あり

『朝日新聞』 福島版 2015/12/2

 はりのある肌、浮き出る筋肉。九州場所中に急死した大横綱・北の湖理事長を描いた肖像画の展示が大山忠作美術館(二本松市本町2丁目)で始まった。同市出身の画家大山さんが1982年、60歳の時に、当時横綱だった北の湖関にほれ込んで描いたという。
 北の湖関に父のように慕われ、酒を酌み交わした大山氏。ポーズをとる横綱をスケッチし、数カ月かけて絵に命を吹き込んだ。和紙に岩絵具を何度も重ねた絵は立体感にあふれる。
 お礼に、と渡されたのが土俵入りに使ったしめ縄だ。丸く結ばれた雲竜型は小さく見える。だが大人2人でやっと運べるという重さだという。肖像画と共に来年4月まで展示される。
 二本松は9月に亡くなった原節子さんが映画「智恵子抄」(1957年)のロケで訪れた場所でもある。市智恵子記念館(同市油井)に残されたアルバムには、二本松城跡の天守台でほほえむ写真が収められている。
 当時の新聞記事によれば、智恵子を演じた原さんと高村光太郎役の山村聡さんは2日間、城跡や智恵子の生家で熱演。2、3千人の見物人が詰めかけたそうだ。アルバムにはロケの合間にご飯を食べる原さんの写真や、「郷土二本松本格的ロケ敢行」とうたった新聞広告もある。
 新野洋市長は11月27日の定例会見で「二本松にいた原さんの姿をぜひ映像で見せられるような企画をたてたい」と話した。

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「二本松にいた原さんの姿をぜひ映像で見せられるような企画」という新野市長のご提案、ぜひとも実現して欲しいものです。

当方の手もとにもいろいろと関連資料がありますが、二本松市近辺でも個人のお宅などにこうした写真類などが探せばありそうな気もします。

記事の前半にある故・大山忠作画伯は、「智恵子に扮する有馬稲子像」など、智恵子をモチーフにした作品も何点か遺されています。そのご縁で、お嬢さんである女優の一色采子さんは、4/2の連翹忌にご参加下さっています。そのあたりもからめた企画もありなのではないでしょうか。

ところで、昨夜、BS-TBSさんで放映された「美しい日本に出会う旅」を拝見しました。サブタイトルが「 憧れの紅葉・絶景スペシャル~錦秋の北アルプス・京都・奈良」。「福島」の文字が入っていなかったのですが、磐梯山、会津若松、そして安達太良山が取り上げられました。どうも当初の予定では福島を取り上げる予定ではなかったのが、急遽、入れたように思われます。ネットのテレビ番組情報サイトでも、放映前日の一昨日になって「安達太良山」の検索ワードで網に引っかかりました。

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安達太良山は、10月中旬のロケだったそうです。

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歌舞伎俳優・中村七之助さんのナレーションで、光太郎詩「あどけない話」も紹介して下さいました。

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こういう場合、画面に詩句がテロップで流れるのが普通です。

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上は今年2月にNHK BSプレミアムさんで放映された「にっぽん百名山 安達太良山」。下は昨年11月、BS-TBSさんで放映された「日本の名峰・絶景探訪 #58 「紅葉色めく湯の山 安達太良山」」。

今回、それはありませんでした。こうしたところも、急遽、福島編を追加したからではないかと思われます。

まあ、それでも「ここにほんとの空がありました」的なナレーションが入ったので、よしとしましょう。来年の紅葉シーズン前にでも再放送していただき、観光客誘致につながってほしいものです。

ところで、先月、NHKBSプレミアムさんでは、「にっぽん百名山SP あなたが好きな山!深田久弥が愛した名峰へ」という番組があり、その中でも安達太良山と「あどけない話」が紹介されました。しかし、その時には番組情報サイトに「安達太良山」の文字が入っていなかったため、事前に把握できずにこのブログでご紹介できませんでした。

明日も「ほんとの空」系のネタをご紹介します。
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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月10日

昭和13年(1938)の今日、詩報発行所から『新日本詩鑑 第一輯 1938』が刊行されました。

有名無名併せて250余名の詩人の作品を集めたアンソロジーです。

光太郎は「天日の下に黄をさらさう」という詩を寄稿していますが、これが全作品の最初に掲載されており、当時の光太郎の「格」が象徴されています。

3年後の太平洋戦争開戦後は、翼賛詩一辺倒になって行く光太郎ですが、この時期にもすでにその萌芽が見られます。


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一昨日、訃報の出た元女優・原節子さんがらみの記事が、福島の地元紙『福島民友』さんに掲載されました。

原節子さんの二本松ロケの写真発見 智恵子記念館が保管

 昭和を代表する女優で、亡くなった原節子さんが、二本松市出身の洋画家・紙絵作家高村智恵子を演じた東宝映画「智恵子抄」のロケで同市を訪れ、その際に撮られた写真が智恵子の生家近くに立つ智恵子記念館の収蔵庫に保管されていたことが26日、分かった。同市文化課の職員が発見した。
 
 写真は人目に触れる機会があまりなかったとみられ、アルバムのような形で整理されていた。この中にはロケを報じる新聞記事の切り抜きなども収められていた。
 映画は東宝が制作、1957(昭和32)年に公開された。当時の新聞記事によると、二本松ロケは同年3月に行われたとみられ、かつて酒造業を営んでいた智恵子の生家や県立霞ケ城公園でロケをしたとあった。
 写真は本丸天守台に立つ原さんと夫の光太郎役を演じた山村聰さんの姿を撮影。そのほか智恵子の生家でのロケの様子を撮った写真もあった。
 智恵子と光太郎を顕彰する「智恵子のまち夢くらぶ」の熊谷健一代表(65)は「私は当時7歳で記憶はないが、また聞きですごい人だかりだったと聞いている。智恵子の生家の通りをはさんで向かいの家も、2階まで人がびっしりだったようだ」と話した。

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東宝映画「智恵子抄」では、2回にわたり二本松でのシーンが使われています。それぞれ、旧安達町の智恵子生家、二本松霞ヶ城でロケが行われています。合間には安達太良山や阿武隈川の風景も。

まず、智恵子生家。1回目は、史実でいうと大正9年(1920)。光太郎が初めて智恵子の実家、長沼家を訪れて歓待されたというシーンです。

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2回目は、やはり史実では昭和4年(1929)、破産直後の長沼家を智恵子が一人で訪れるシーンです。

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没落後という設定で、映画が制作された昭和32年(1957)当時の智恵子生家がそのまま使われました。上記の大正9年(1920)時点の生家は、看板や板などを貼り付け、往時の姿を復元して撮ったのでしょう。かなり手が込んでいます。

ただし、内部は別の家屋、もしくはセットで撮られたようで、よく見ると階段の位置等が実際とは違っていました。

続いて、霞ヶ城。

まずは大正9年(1920)。幸福だった光太郎智恵子。お約束の「樹下の二人」の「あれが阿多多良山/あの光るのが阿武隈川」が使われました。

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こちらは宣伝用のスチール写真。

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このカットは、ポスターにも使われています。そのポスターは当方の書斎に飾ってあります。

さらに昭和4年(1929)、傷心の智恵子が一人霞ヶ城を訪れるという設定です。

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ついでですのでご紹介しますが、こちらは九十九里浜での撮影の合間に撮られたスナップ。左端に写っているのは、智恵子の実妹・セツです。歴史的にも貴重です。

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九十九里では昭和8年(1933)、実際に智恵子が療養していた辺りでのロケが行われ、その頃はセツも存命でした。ちなみにセツは、10年後に撮られた松竹制作の岩下志麻・丹波哲郎版の「智恵子抄」のパンフレットにも写真が掲載されています。

どこかでまとめて展示していただけるとありがたいところです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月28日

昭和2年(1927)の今日、帝国大学仏教青年会で催された大調和美術講演会で講演を行いました。

昭和を代表する元女優の原節子さんの訃報が出ました。既に今年9月に亡くなられていたとのこと。謹んでご冥福をお祈りいたします。

伝説の映画女優、原節子さん死去 95歳

 戦前から戦後にかけて銀幕のトップスターとして活躍、42歳の若さで突然引退した後は「伝説の女優」といわれた原節子(はら・せつこ、本名会田昌江〈あいだ・まさえ〉)さんが9月5日、肺炎で死去していたことがわかった。95歳だった。
 横浜市生まれ。女学校2年の時に義兄の熊谷久虎監督に女優の道を勧められ、1935年、日活多摩川撮影所に入社、「ためらふ勿(なか)れ若人よ」でデビューした。芸名の「節子」はこの時の役名からとった。
  山中貞雄監督の「河内山宗俊」など清純な美しさとかれんな演技で注目を浴び、36年、アーノルド・ファンク監督から、日独合作映画「新しき土」の主役に抜擢(ばってき)された。
  東宝系の会社に移籍。戦争映画への出演を経て、戦後の46年、黒澤明監督の「わが青春に悔なし」で、生の輝きに満ちた新しいヒロイン像を演じて注目を集めた。第2次東宝争議の最中、組合の政治闘争主義に反発し、長谷川一夫、高峰秀子らとともに組合を脱退し、47年3月に創立した新東宝に参加。この年の6月にフリーとなった。
  以降、「安城家の舞踏会」「お嬢さん乾杯!」「青い山脈」などに主演。みずみずしい美貌(びぼう)と着実に成長した演技力を発揮した。49年の小津安二郎監督の「晩春」では、大学教授の父(笠智衆)と暮らす、婚期を逸した娘のこまやかな愛情を好演。この年の毎日映画コンクールの女優演技賞を受けた。
  「白痴」「麦秋」「めし」「東京物語」「山の音」など、戦後映画を代表する作品にたて続けに主演した。54年には、白内障の手術を受けたが、翌年、「ノンちゃん雲に乗る」で鰐淵晴子の母親役で再起した。
  その後も、「東京暮色」「秋日和」「小早川家の秋」など小津作品や、「智恵子抄」などで活躍したが、62年、「忠臣蔵」を最後に突然引退した。
  その後は神奈川県鎌倉市の自宅で静かに暮らし、パーティーなどの公の場には一切登場せず、マスコミなどの取材にも応じていなかった。それがかえって神秘的なイメージを生んだ。
(『朝日新聞』)

記事にもある通り、原さんは映画「智恵子抄」にご出演、(もちろん主演の智恵子役)。昭和32年(1957)、東宝制作、熊谷久虎監督作品、光太郎は故・山村聰さんが演じられました。

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この映画は原さんの主演作としては、あまり高い評価を受けませんでした。今後、テレビ放映で「原節子追悼特集」的な企画があるかも知れませんが、「智恵子抄」は取り上げられるかどうか微妙なところです。しかし、智恵子は原さんとしてはぜひとも演じたかった役だったそうです。

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最近もときおり上映されていました。


また、かつてVHSビデオが販売されていまして、当方はそれで観ました。この際ですので「原節子全集」的なDVDボックス等を発売し、ラインナップに入れていただきたいものです。

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その他、ポスター、パンフレット、チラシ、スチール写真、撮影風景を写したスナップ写真、当時の雑誌、シナリオなどなどが手元にけっこうあります。その一部を、平成23年(2011)、群馬県立土屋文明記念文学館で開催された企画展「『智恵子抄』という詩集」の際にお貸しし、展示されました。年配のお客様には「あらー、原節子よー」ということで、好評だったそうです。「原節子展」的な企画をなさる際には、お貸ししますのでご連絡下さい。

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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月26日

平成23年(2011)の今日、テレビ東京「美の巨人たち」で、「高村光太郎「乙女の像」」が放映されました。

十和田湖はもちろん、花巻郊外旧太田村の高村山荘でのロケも行われました。光太郎の令甥、故・高村規氏もご出演。ブリヂストン美術館制作の美術映画「高村光太郎」に収められた生前の光太郎の姿も使われ、内容の濃いものでした。

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十和田湖、というと、NHKさんの「小さな旅」で、十和田湖が扱われます。 
NHK総合 
本放送 2015年11月29日(日)  8時00分~8時25分
再放送 12月5日(土) 午前 5:15

青森と秋田の県境にある十和田湖。紅葉の絶景を求める大勢の観光客でにぎわいます。湖畔で観光客が舌鼓を打つのは、名産のヒメマスです。放流されたヒメマスは、秋になると、産卵のため、生まれ故郷の養殖場へ遡上してきます。紅葉とともにやってくるのは冬の足音。地元の人たちは野菜やヒメマス、きのこなど、秋の恵みを蓄え、冬に備えます。山奥の湖を切り開き、守り継いできた湖畔の人々の、晩秋の暮らしを訪ねる旅です。

出演者 山田敦子(語り)

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少しでも「乙女の像」を紹介していただきたいものですが……。

火曜日に放映された「趣味どきっ! 石川九楊の臨書入門 第8回▽最愛の妹への思い~宮沢賢治×トシ」では、結局光太郎は紹介されませんでした。残念です。

ナビゲーター役の羽田美智子さんのブログでは、「賢治と高村光太郎の意外な関係も。」の一文があって、光太郎が揮毫した賢治詩碑の写真も載っており、期待していたのですが……。25分の短い番組ですので仕方がないでしょう。

昨日に続き、今月14日に封切られ、光太郎にも触れられる小栗康平監督作品「FOUJITA」の新聞各紙に載ったレビューです。 

FOUJITA:オダギリジョーが抑えめ演技とオカッパ頭でなりきり 不世出の画家・藤田嗣治を描く

『毎日新聞』2015年11月13日004
 俳優のオダギリジョーさんが主演した映画「FOUJITA」(小栗康平監督)が14日に公開される。1990年の「死の棘」で第43回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリと国際批評家連盟賞をダブル受賞するなど海外でも評価の高い小栗監督が、芸術の都パリからも愛された不世出の日本人画家・藤田嗣治(つぐはる)の半生を描いた。オダギリさんは猛特訓したというフランス語も披露している。
 「FOUJITA」は日仏合作。1913年に27歳の若さで単身フランスに渡り、1920年代に発表した「ジュイ布のある裸婦」などで描いた裸婦が“乳白色の肌”と称され絶賛を浴び、一気に名声を高めた藤田の半生と藤田が生きた、“二つの時代“を描いている。“フーフー”というお調子者を意味する愛称で呼ばれ、毎夜カフェへと繰り出し、享楽的な生活を送りながら、3人の女性と結婚。さらに大作「五人の裸婦」完成により、その名声を確固たるものとした藤田の“パリ時代”と、第二次世界大戦が始まり、1940年代に入り帰国した藤田は陸軍美術協会のもとで国民の戦意高揚のため、戦争協力画を描く仕事をし、その後、疎開先の田畑が広がる山の麓の村で、日本の原風景を発見していくという時代を描いた。
 半生を描いたとはいえ、伝記映画としての色合い、005見る者を引き込むような物語性は希薄で、大戦を分岐点にした二つのパラレルワールドを遠くから眺めているような感覚にも陥る不思議な作品だ。ワンシーン、ワンシーンが絵画的で、劇中で主人公のせりふに「絵はしょせん絵空事、物語があったほうがいい」とあるが、今作もいい意味で“絵空事(フィクション)”になっている。主演を務めたオダギリさんは、映画「S?最後の警官?奪還 RECOVERY OF OUR FUTURE」での狂気をはらんだテロ
リストや放送中の深夜ドラマ「おかしの家」でのモラトリアム青年とも大きく異なり、抑え気味の演技から藤田の画家としての傲慢さや尊大さ、プライドを匂い立たせるという見事なカメレオン俳優ぶりを発揮。一部で“藤田の生き写し”といわれる前髪パッツンのオカッパ頭にメガネ、チョビヒゲ姿というオダギリさんのなりきりぶりにも注目したい。
 藤田の“5番目の妻”君代を女優の中谷美紀さんが演じ、岸部一徳さん、加瀬亮さん、青木崇高さんらも出演。14日から新宿武蔵野館(東京都新宿区)ほか全国で公開。(山岸睦郎)

FOUJITA 「一対の絵画」際立つ映像美

『日本経済新聞』2015/11/6006
「埋もれ木」に続く10年ぶりとなる小栗康平監督の新作である。1920年代のパリで活躍した日本人画家、藤田嗣治の生涯を、エコール・ド・パリの寵児(ちょうじ)としての時代と、帰国後に戦争画を描いた時代という2つの時期に分けて描きながら、時代に翻弄された天才画家の相反する姿を問いかけている。
 1920年代のパリ。乳白色の裸婦像で有名になったフジタ(オダギリジョー)は、お調子者という意味の「フーフー」の愛称で人気者となり、毎晩のようにカフェ・ロトンドに繰り出して画家仲間とバカ騒ぎをしている。そんな中、大作「五人の裸婦」も完成。新しい恋人と仮装舞踏会を開いてお祭り騒ぎに興じる。
 1940年代の日本。国民総力決戦美術展に展示された「アッツ島玉砕」の絵の前で人々に敬礼するフジタ。やがて戦局が悪化して5番目の妻の君代(中谷美紀)と田舎の村に疎開したフジタは、古くからの日本の自然や暮らしを発見していく。フジタがサイパン島のバンザイクリフの絵を描く中、母屋の小学校教師に赤紙が届くのを知る。007 (2)
 物語の前半と後半は等しい描写時間を占めるが、両者の転換に一切説明はなく唐突に歳月を超えてつながっている。前半はパリでのエピソードが重ねられていく印象だが、後半はCGによるキツネの登場など、小栗監督にしばしば見られる幻想的な世界が見られて心を揺さぶられる。
 映像は際立って美しい。パリのアトリエなど暗
い室内シーンが見られるが、当時の光を尊重しているようなリアル感があり、好感が持てる。映画は前半と後半で一対の絵画を見るような印象が強く、両者を貫くフジタの生きざまを見るものが想像するのをうながしているようで面白い。
 ラストに映し出されるフジタが手がけたランスの教会の映像も見逃せない。2時間6分。
★★★★ (映画評論家 村山 匡一郎)


関連するテレビ番組の放映もありますので、ご紹介しておきます。 

SWITCHインタビュー 達人達(たち)「オダギリジョー×舘鼻則孝」

NHKEテレ 2015年11月28日(土)  22時00分~23時00分

達人達が見ている景色、お見せします。
 異なる分野で活躍する2人の“達人”が出会い、語り合う。ただし、単なる対談番組ではありません。
 番組の前半と後半でゲストとインタビュアーを「スイッチ」しながら、それぞれの「仕事の極意」について語り合い、発見し合う、いわばクロス×インタビューです。

オダギリジョーが指名したのは、レディー・ガガの靴のデザインで知られる舘鼻則孝。アート通ファッション通でもある俳優と世界が注目するアーティストが、静かに響き合う!

おいらんの高げたからインスピレーションを得たヒールレスシューズなど、伝統工芸と日本の現代的美意識を融合させたアバンギャルドな作品で注目される舘鼻。30歳の若きアーティストの発想の秘密にオダギリが迫る。さらに2人は美術館でオダギリが演じた画家・藤田嗣治の作品を鑑賞。オダギリの独特の存在感の秘密、役への入り方を探るうち、技術と感性のバランスの取り方など、「表現」にともなうそれぞれの葛藤が浮き彫りになる。

出演 俳優…オダギリジョー,アーティスト…舘鼻則孝,演出家…テリー伊藤
語り 吉田羊,六角精児

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本放送 テレビ東京  2015年12月5日(土)  22時00分~22時30分
再放送 BSジャパン  2016年1月13日(水) 23時00分~23時30分

ナレーション 小林薫,蒼井優


映画と併せてご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月25日

昭和28年(1953)の今日、約1年ぶりに、花巻に戻りました。

昭和20年(1945)、東京のアトリエを空襲で焼け出された光太郎は、宮澤家の招きで花巻に疎開、その年の秋には郊外太田村の山小屋(高村山荘)に入り、独居自炊の生活を7年間送りました。

同27年(1952)、青森県から依頼された「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、再び上京。中野の故・中西利雄のアトリエを借りました。

翌28年(1953)10月には十和田湖で像が除幕。その約1ヶ月後の今日、特急「みちのく号」を使って花巻に。12月5日まで滞在しました。ただし、山小屋には行ったものの、そこで寝泊まりせず、大沢温泉、志戸平温泉、花巻温泉松雲閣などに宿泊しました。滞在中には、ブリヂストン美術館制作の美術映画「高村光太郎」のロケも行われました。

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その後も住民票は太田村に残したまま、東京と太田村を行ったり来たりしながらの生活を考えていましたが、健康状態がそれを許さず、結局、この時を最後に、二度と花巻、太田村に足を向けることはありませんでした。

今月14日に封切られ、光太郎にも触れられる小栗康平監督作品「FOUJITA」。新聞各紙のレビューをご紹介します。

映画「FOUJITA」 描き続けた「物語を超える絵」

005『産経新聞』2015年11月20日
 仏で活躍後、第二次大戦中に戦争協力画を描いたとして非難され、日本を捨てた画家、藤田嗣治(つぐはる)。公開中の「FOUJITA」は、「泥の河」(昭和56年)などで知られる小栗康平監督(70)が、その複雑な人物像に迫った作品だ。浮かび上がってきたのは、時代を超え、絵だけに生きようとした男の姿だった。(岡本耕治)
                   ◇
 「高村光太郎は戦後、戦争協力の詩を書いたことを反省して田舎に引っ込んだが、それが普通の日本人のメンタリティー。しかし、藤田は批判にびくともせず、反省もしなかった。その強さに興味を持った」と小栗監督は話す。
 「FOUJITA」の前半では、1920年代のパリを舞台に、乳白色の裸婦像で注目を浴び、時代の寵児(ちょうじ)となった藤田(オダギリジョー)が仲間とバカ騒ぎに興じる姿が描かれる。後半は、40年代の日本が舞台。藤田は戦意高揚のための展覧会で、展示された自作「アッツ島玉砕」の前に賽銭(さいせん)箱を置き、人々が金を投げ入れるたびに頭を下げることまでしてみせる。
 「人としてどうなのか、という批判はあるだろう。でも、仏で第一次大戦後の狂乱の時代を体験した藤田は軍部に協力しながら、実は何も信じていなかったのではないか。是非は別にして、彼は絵を描くこと、絵の世界で1番になることしか考えていなかったし、そうやって仏でも日本でも成功を収めたんでしょう」
 展覧会で、戦争未亡人らしき女性が作品の前で泣き崩れるのを見た藤田が、「絵が人の心を動かすものだ、ということを私は初めて目の当たりにしました。今日は忘れがたい日になりました」と語るシーンがある。オダギリは抑えた演技で、戦争画というジャンルに強い確信を抱いた藤田を表現。小栗監督は「(オダギリは)不思議な俳優。意見もあまり言わず、こっちの話を聞いているのか、いないのか分からない感じなのに、芝居をやらせるとすごく良い」と笑い、その演技力を絶賛する。
 「絵は絵空事なのだから、物語があった方が良い」「良い絵はいつしか物語を超えて生き延びます」という藤田のせりふに、その思いが浮かび上がる。しかし、絵のみを見続けた藤田に対し、戦後の日本006は激しい非難を浴びせ、藤田は日本を去ってしまう。
映画であれ、絵画であれ、純粋に作品だけを見ることはとても難しい。
 「『アッツ島玉砕』は、当時と今、さらに2030年に見るのでは意味合いが違ってみえる。作品は“その時々の物語”を持っていて、その物語に私たちはいつもだまされてしまう」と小栗監督。「私も、物語を超える映画を作っていきたいですね」と語った。

「FOUJITA」 小栗康平監督

007『読売新聞』2015年11月14日
 画家、藤田嗣治を主人公にした「FOUJITA」(フジタ)が14日から公開される。「泥の河」「死の棘とげ」などで知られる小栗康平監督による10年ぶりの新作だ。
 小栗監督の映画としては2005年の「埋もれ木」以来となる本作は、日仏合作。フランス側のプロデューサーを務めたのは、「アメリ」などで著名なクローディー・オサールだ。
 小栗監督は「資金的なことも当然あるが、フジタについては、内容的にも一緒に作らないと成り立たないものでした」と語る。
 1886年、明治の日本に生まれた藤田は1913年に渡仏し、20年代のパリを代表する画家の一人として活躍。40年に帰国してからは、数多くの戦争画を手がけ、そのことで戦後、批判を受けた。その後、日本を離れ、フランス国籍を取得。カトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタとなる。68年に死去し、自らフレスコ画などを手がけた、ランスの礼拝堂に眠る。
 映画「FOUJITA」が描くのは、二つの時代、二つの文化の中の藤田。映画の前半は20年代のパリ、後半は40年代の日本での姿を見せる。
 「伝記ではなく、20年代のパリと、40年代の戦時の日本を並置して、映画という同一の時空間にとどめることで、何をそこから感じ取るか。それをどう自分のものにするか、という作品だと思うんです」
 そして、それは、「近代とは何か」という問いかけにもつながっていく。
 「いろいろな問いかけが、フジタからひもとくことができるはずです」
009 国民国家の成り立ちも、個人のあり方も、まったく違う、二つの社会を生きた藤田。パリでは日本的な線描の裸婦像で成功し、日本ではヨーロッパの歴史画を思わせる戦争画を描いた。小栗監督は、そんな藤田を「文化の衝突」の中で生きた人間と見る。
 「時代の中で闘っていますよね。そして、その闘いは今の僕らとも無縁ではない。闘っている人間だからこそ持つ悲しみのようなものがあるはずです。深く一つのことをなして生きたフジタという男だからこそ、初めて表れる悲しみや感情の起伏が映ればいい、と思っていました」
 藤田はどんな場所に、どんなたたずまいで存在していたのか。この映画はロングショットでじっくりと映し出す。
 「映画は言葉を撮るわけじゃない。事物の存在の『相』というようなものを撮るわけで、ローカリティー(場所や土地)と結びつかない限り深まっていかない。それは、ものがどこにあるのかとか、場をとらえることとも関連してくると思います」
 「近代の華」として世界に広がった映画のあり方に対する問いかけも、この作品は内包している。(恩田泰子)

静けさから迫る実像 藤田嗣治描く「FOUJITA」14日公開

010『東京新聞』2015年11月12日 朝刊
 「泥の河」などで知られる小栗康平監督(70)の最新作「FOUJIT(フジタ)A」が14日公開される。第2次大戦前のフランスと戦中の日本と二つの国で生きた画家藤田嗣治(ふじたつぐはる)(1886~1968年)を、静かで穏やかな映像美で描いた。 (砂上麻子)
 FOUJITAはフランス語でフジタと読む。「埋もれ木」(二〇〇五年)以来、小栗監督が十年ぶりに選んだ映画の主人公は藤田。「特別に好きな画家ではなかった。裸婦像、戦争画、戦争協力という一般的なフジタ像しかなかった」と振り返る。
 「藤田はパリの人気者、戦争協力者などあふれるほどのエピソードがあるが、エピソードを積み上げても類型的な人物像を描くだけ」と語る小栗監督がひかれたのは藤田の絵画。「絵の中の静けさから藤田を描くことができると思った」
 映画は一九二〇年代のパリと四〇年代の戦時中の日本をそれぞれ一時間ずつ前半と後半の二部構成のようにつなげた。パリ時代の「乳白色の肌」で知られる裸婦像と、「アッツ島玉砕」(四三年)など暗く重厚な戦争画とその作風からも分かるように、藤田の暮らしぶりも、ばか騒ぎを繰り広げるパリと田舎へ疎開した日本とでは対照的。「変節の人だと言われるが、異文化の中で一人の人間がねじれながらも生き抜く姿を自分なりに描いた」
 過激な表現があふれる昨今の映画を「動」とするならFOUJITAは「静」。絵画のように観客は見て感じるしかない。「絵画も映画も画像の中で事物がどう置かれるかという点で出発は同じ。映画はトーキーになり言葉が形作る物語を追い掛けるようになり最初にあった感動を失ってきた。映画の原点に戻った。絵画へのオマージュだ」と話す。
011 主人公藤田にオダギリジョーを選んだのは小栗監督。「猫のようになよっとした身体感覚が藤田と似ている」。劇中のオダギリジョーはおかっぱ頭に丸めがね、耳にはピアスと外見は往年のフジタにそっくり。「外見だけでなく存在そのもので藤田を演じていた」と評価する。
 終戦の年に生まれ七十歳になった小栗監督。三十五歳の時に「泥の河」でデビューした。その後も戦争の影響を感じさせる作品を撮り続けてきた。「戦後七十年の今年、藤田に出会えたのは運命だった。藤田を通じて自分も原点に戻ったようだ」と振り返った。


長くなってしまいましたので、続きは明日。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月24日

昭和60年(1985)の今日、埼玉県東松山市中央公民館・同市立図書館で開催されていた「高村光太郎 「智恵子抄」詩句書展」が閉幕しました。

生前の光太郎と交友のあった当時の市教育長・田口弘氏所蔵の光太郎書、資料を中心にした展覧会でした。

11月も下旬となりました。そろそろ来月の話を書きたいと思います。

12月10日は「世界人権デー」。第二次世界大戦後、昭和23年(1948)に開催された第3回国連総会で、「世界人権宣言」が採択された日にちなんで制定されました。さらに日本では、それに先立つ12月4日から10日までを「人権週間」と位置づけています。そこで、この時期、各地の自治体さんなどが中心となって、「人権研修会」「人権フェスタ」などの催しが開かれる場合があります。

そういう際に上映されてきた、兵庫県人権啓発協会さん作成の「ほんとの空」というドラマがあります。光太郎の詩「あどけない話」にからめ、福島の原発事故による風評差別などを扱ったもので、平成13年度には人権啓発資料法務大臣表彰映像作品部門優秀賞を受賞した作品です。白石美帆さん他のご出演で、上映時間は36分です。

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メインは東日本大震災に伴う原発事故によるいわれなき風評被害ですが、その他にも高齢者に対する偏見、外国人や障害者、同和地区に対する差別、ネット上の無責任な書き込み、そしていじめまで、36分の中に人権問題がてんこ盛りです。それでいて、それぞれ「あるある」と感じさせるリアリティーがあります。

今年も各地の人権関連行事で上映されるという情報を得ています。愛媛県松山市北条公民館さんでの「人権学習会 ほんとの空」(11/1~29)、奈良県葛城市さんが「人権教育地区別懇談会」(11/7~21)、岡山県真庭市さんで「人権を考える市民の集い」(12/6)……探せばまだあると思います。

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今後、同様の企画を考えている自治体さん(あるいは学校さんなど)、ぜひこちらの上映をよろしくお願いします。制作元の兵庫県人権啓発協会さんで団体向けに貸し出しを行っていますし、個人では公益財団法人 人権教育啓発推進センターさんの人権ライブラリーから借用できます。

また、ぽつり ぽつりと全国の地方テレビ局さんで放映されているようですが、全国放映されたという話を聞きません。ぜひ放映もしていただきたいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月20日

平成23年(2011)の今日、いわき市立草野心平記念文学館で、朗読祭「ほんとの空~智恵子抄に故郷・福島への想いを込めて~」が開催されました。

東日本大震災のあった年です。二部構成で、第一部は一般参加者による朗読、第二部では、緑川明日香さんによる朗読が披露されました。

昨日は、千葉市の京成ローザさんに行き、昨日封切りの映画「FOUJITA」を観て参りました。

ストーリー等の説明のために、一昨日の『朝日新聞』さんに載った小栗康平監督のインタビュー記事を引用させていただきます。

分裂とゆがみ、他人事でない 藤田嗣治描いた「FOUJITA」 小栗康平監督

 「泥の河」「死の棘」の小栗康平監督10年ぶりの新作「FOUJITA」が、14日から公開される。主人公は画家藤田嗣治(1886~1968)。1920年代の狂乱のパリと第2次大戦下の日本、二つの時代を生きたフジタの「分裂とゆがみ」を、透徹したまなざしでとらえる。
 乳白色の裸婦像でパリ画壇の寵児(ちょうじ)となったフジタ(オダギリジョー)は、カフェでのバカ騒ぎやけばけばしい仮面舞踏会に興じる。時代は飛び1940年代の日本、凄絶(せいぜつ)な「アッツ島玉砕」などの戦争画で美術界の重鎮となったフジタは、迫り来る敗戦の予感の中、疎開先の農村の暗い風景を見つめる。
 「パリでは日本画の手法を油絵のど真ん中に押し込み、日本ではドラクロワのような西洋画の伝統技法で戦争を描く。そのねじれに興味を抱いた」と小栗。
 戦争協力者との批判を浴び、日本を捨てフランスに戻った戦後は、映画では描かなかった。
 「伝記映画の構造は持っていないし、人物像を提示することに興味はなかった。高村光太郎のように戦争協力を反省し蟄居(ちっきょ)する、という方が日本人的でヒューマニスティックでしょう。でもフジタは明らかに近代主義者だった。パリでエトランゼ(異邦人)の中に飛び込み、闘ってつかみ取った自我があったんだと思う」
 仮面舞踏会の悪ふざけの後、ベッドで女に「バカをすればするほど自分に近づく。絵がきれいになる」。「アッツ島玉砕」に手を合わせる人々に敬礼し、「絵が人の心を動かすものだということを初めて目の当たりにした」。取り澄ました物言いは、真意なのか、とぼけているのか。フジタは、芸術至上主義者ともくくれず、自己顕示欲の塊とも言い切れない。
 「彼の分裂とゆがみは、100年経った今の私たちにとってもひとごとではない。深く引き裂かれた人物として、ある悲しみをもってフジタを見つめることで、日本がどう近代を受容したのか、そしていまフジタと比べ成熟したのか、それを問いたかった」
 銀色に輝く水田など幽玄的な風景をとらえた映像は、デジタル撮影の威力が発揮されている。
 「前作『埋もれ木』からデジタルにしたが、10年経って別物に進化していた。見たこともない絵をつくるだけでなく、最もとらえにくい自然に対しても、とても有効だ」(小原篤)


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監督自身が「伝記映画の構造は持っていない」というように、非常に感覚的な映画でした。いわゆる「説明調」のセリフはほとんどなく、藤田の行動を淡々と追うというスタイルです。それでいて、その一つ一つが人間・藤田を存分に描ききっていました。オダギリジョーさんの演技もはまっていました。

前半は1920年代のパリ。「五人の裸婦」に代表される独自のスタイルの絵を追求し、同時にセルフプロモーションにも入念な藤田が描かれます。

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カフェのテラスで、青木崇高さん演じる日本からやってきた画学生が、藤田を前に光太郎の「雨にうたるるカテドラル」を朗読するシーンがあります。

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一瞬映し出される藤田の心象風景。ここに佇む男は光太郎なのでしょうか、それとも藤田自身なのでしょうか。

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しかし藤田は、画学生の朗読も半ばを過ぎたあたりで、少し離れた席にいたパリジェンヌ2人にちょっかいを出します。

このシーンで小栗監督は、藤田が単なる西洋への憧れで滞仏しているのではないことを描こうとしたようです。対極的に、光太郎は西洋への憧れを強く表出した人物の象徴として捉えられています。光太郎の西洋観、それほど単純ではないのですが……。

ただ、確かに光太郎には、藤田のように「何故に我々の先輩がパリに渡り、本舞台で飽くまで西洋人と闘ってこなかったのであろうか」「すべてを棄てて自分だけは少なくとも本場所の土俵の上で大相撲をとろうという覚悟であった」という気持ちはありませんでした。

また、光太郎との比較は、戦後の行動にも表れていると、小栗監督は述べられています。

「高村光太郎のように戦争協力を反省し蟄居(ちっきょ)する、という方が日本人的でヒューマニスティックでしょう。でもフジタは明らかに近代主義者だった。パリでエトランゼ(異邦人)の中に飛び込み、闘ってつかみ取った自我があったんだと思う」

先日、NHK Eテレさんで放映された「ETV特集「FOUJITAと日本」」の中でも、同様の発言がありました。しかし、光太郎のように戦時協力を反省し、蟄居したのは少数派です。まあ、藤田のように日本を見限って再び海外に渡ったのは、さらに少数派ですが……。悲しいかな、大部分の芸術家は翼賛活動を「軍部の命令で仕方なくやったことだ」と開き直り、何くわぬ顔をして「民主主義」に転向していきました。

藤田と光太郎、一見、形は違いますが、その根底に流れているものは同一のような気がします。

映画の後半は、1940年代の日本。藤田の戦争協力の様子が、これも淡々と描かれています。そして戦後の藤田については語られていませんが、エンドロールの直前に、再び渡仏した藤田が、昭和41年(1966)に自身の設計でランス市に建てたノートル・ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂と、その内部のフレスコ画―磔刑に処されるイエスを見つめる群衆の中に描かれた藤田最後の自画像―を提示し、戦後の藤田を暗示していました。

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「彼の分裂とゆがみは、100年経った今の私たちにとってもひとごとではない。深く引き裂かれた人物として、ある悲しみをもってフジタを見つめることで、日本がどう近代を受容したのか、そしていまフジタと比べ成熟したのか、それを問いたかった」という、小栗監督の言葉が重くのしかかるエンディングでした。

余談になりますが、映画を観ていて驚いたことが一つ。何と、当方の住む千葉県香取市佐原地区ででロケが行われていました。それ自体は珍しいことではなく、重要伝統的建造物群保存地区に指定されているので、様々な映画やドラマなどの撮影がしょっちゅう行われているのですが(嵐の二宮和也さん主演、フジテレビさんの2016年新春スペシャルドラマ・夏目漱石原作「坊ちゃん」のロケも、つい数日前に行われていました)、この映画のロケが行われていたのはまったく知らなかったので、スクリーンに地元の町の風景が映った時には驚きました。

しかし、最近のデジタル技術の進歩は凄いものですね。香取市の風景の中でも、存在しない海が遠景に写っていたり、古い街並みのカットでは、逆にあるはずの新しい建物が写っていなかったりしていました。撮影後に修正しているのでしょうが、全く違和感がありませんでした。

デジタル技術の進歩という意味では、特に映画後半の幻想的な日本の風景を描いた部分が、非常に印象的でした。

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ぜひ、ご覧下さい。


ところで、パリといえば、昨朝から悲しいニュースが飛び込んできています。『日刊スポーツ』さんに載った、昨日の小栗監督らの舞台挨拶を報じる記事から。

「FOUJITA」初日にパリでテロ 小栗監督沈痛

 オダギリジョー(39)主演映画「FOUJITA-フジタ-」(小栗康平監督)初日舞台あいさつが14日、都内の角川シネマ有楽町で行われた。
 「FOUJITA-フジタ-」は1920年代のフランス・パリと1940年代の日本を生きたフジタを通し、時代と文化の差異を描いた。昨年9月15日に都内で撮影し、1カ月のフランスロケを経て、同12月15日にクランクアップした。初日を迎えたこの日、フランス・パリで同時多発テロが発生し、120人を超える人が亡くなった。小栗監督は舞台あいさつの冒頭に、沈痛な表情で事件について語った。
  「パリで、とても不幸なことが起きました。この映画のキャッチコピーは『パリが愛した日本人、あなたはフジタを知っていますか?』となっています。1920年代と40年代の日本とパリを、フジタを通して描いた作品です。20年代から数えますと、ほぼ100年近く時代がたっていますけれど、欧州はどういう社会なのか、あるいはアジアは欧州と違ってどうなのか…この封切りの初日に、パリのテロを受けて、あらためて私は考えました。もしかしたら、この『FOUJITA-フジタ-』で描いている世界も、14年から振り返って遠い昔のことではないんだと。今に結び付く問題が、この映画の中にもあるんだろうな、ということをあらためて今朝、しみじみと考えました」

犠牲になられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月15日

昭和12年(1937)の今日、銀座の服部時計店で、光太郎の実弟にして、後に鋳金の人間国宝となる豊周らが中心となった、実在工芸美術会同人作品展が開幕しました。

藤田嗣治(明治19年=1886~昭和43年=1928)。独自の乳白色を用いた裸婦画などで、エコール・ド・パリを代表する画家の一人となりました。東京美術学校彫刻科を卒業した光太郎は、同科研究生を経て、明治38年(1905)に同校西洋画科に再入学しましたが、その際の同級生に藤田が居ました。藤田は光太郎の3歳下(すなわち智恵子と同じ)になります。ちなみに岡本太郎の父・一平や、社会主義運動にも関わった望月桂も同級生でしたし、教授陣は黒田清輝、藤島武二らと、多士済々、きら星の如しですね。

光太郎と藤田の直接の交流はこの時期だけでした。藤田は同校卒業後、光太郎とほぼ入れ違いに渡仏、活動拠点をそのままパリに置きます。昭和に入ってから帰国、光太郎同様、泥沼の戦争に巻き込まれ(あるいは積極的に関わり)、戦後には戦争協力を批判され、また渡仏。結局、フランス国籍を取得、日本に帰ることなく昭和43年(1968)にスイスで歿しました。

そんな藤田を主人公にした日仏合作の映画が製作され、今月14日に封切られます。 

FOUJITA ―フジタ―

公  開 日 : 2015年11月14日(土) 全国ロードショー
場    所 : 角川シネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか
出    演 : オダギリジョー 中谷美紀 アナ・ジラルド、
         アンジェル・ユモー マリー・クレメール 加瀬亮 
りりィ 岸部一徳 他
製    作 : 井上和子、小栗康平、クローディー・オサール
監督・脚本  : 小栗康平
音    楽 : 佐藤聰明
配    給 : KADOKAWA

 2015年/日本・フランス/日本語・フランス語/カラー/126分
© 2015「FOUJITA」製作委員会/ユーロワイド

『死の棘』で第43回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ&国際批評家連盟賞をダブル受賞、『泥の河』『伽倻子のために』『眠る男』など海外でも高く評価される小栗康平監督の、十年ぶりとなる最新作だ。パリで絶賛を浴びた裸婦は日本画的でもあり、大東亜の理想のもとに描かれた“戦争協力画”は西洋の歴史画に近い。小栗監督は「これをねじれととるか、したたかさととるか。フジタは一筋縄で捉えられる画家ではない」と語る。戦後、「戦争責任」を問われたフジタはパリに戻り、フランス国籍を取得。以来、二度と日本の土を踏むことはなかった。フジタは二つの文化と時代を、どう超えようとしたのか。
フジタを演じるのは、韓国の鬼才キム・ギドク監督作品に出演するなど海外での活躍も目覚ましいオダギリジョー。フランスとの合作は本作が初めてである。映画の半分を占めるフランス語の猛特訓を受けて、見事にフジタを演じた。フジタの5番目の妻・君代役には、『電車男』『嫌われ松子の一生』『縫い裁つ人』などで名実ともに日本を代表する女優 中谷美紀。さらに、加瀬亮、りりィ、岸部一徳ら味わい深い個性派が集まった。フランス側のプロデューサーは、世界的大ヒットとなった『アメリ』のほか、アート系の作品も数多く手掛けるクローディー・オサール。静謐な映像美で描く、フジタの知られざる世界が現出した。


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単に光太郎の同級生を主人公としているだけでなく、劇中に光太郎詩「雨にうたるるカテドラル」が使われているというのです。この詩は大正10年(1921)に復刊成った第二次『明星』創刊号を飾った詩で、パリ留学中に訪れたノートルダム・ド・パリをモチーフに、圧倒的な西洋美術の重厚感を謳った100行を超える大作です。藤田にしても光太郎にしても、当時の美術家達が「西洋」をどう受容していったのか、という経緯を考える上で、この作品は格好の題材となるでしょう。

さて、一昨日になりますが、NHKEテレさんの「ETV特集 FOUJITAと日本」で、小栗康平監督がご出演、映画「FOUJITA」について語られていました。事前に把握していなかったので紹介できませんでした。申し訳ありません。ただ、再放送がありますので、ご紹介します。

ETV特集「FOUJITAと日本」

NHKEテレ 2015年11月6日(金)24:00~25:00=11月7日(土)午前00:00分~1:00

戦後70年の今年、画家・藤田嗣治を再発見しようとする試みが進む。フランスで初公開の作品、初めて一同に公開される戦争画。小栗康平監督による映画化などから実像に迫る。

藤田嗣治。パリで最も有名な日本人画家でありながら、戦争画を描いたことをきっかけに日本を離れ、フランスに帰化、日本ではその実像が厚いベールに覆われてきた。戦後70年の今年、再評価が進む。小栗康平監督による初の映画化、その生涯を日本の近代化の中で見つめるという。フランスでは遺族が寄贈した数々の遺品が初公開され、東京国立近代美術館では初めて戦争画が一同に公開される。戦争画の真実とは?画家の実像に迫る。

演 小栗康平  語り 中條誠子

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映画、テレビとも、ぜひご覧下さい。



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こちらもぜひご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月2日

平成12年(2000)の今日、新橋演舞場で、松竹製作、津村節子さん原作の舞台「智恵子飛ぶ」が開幕しました。

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智恵子役は片岡京子さん、光太郎役は平幹二朗さんでした。

一昨日、いわき市での現代アート展「毒山凡太朗+キュンチョメ展覧会「今日もきこえる」」を拝見したあと、同じ福島県の本宮市へと愛車を走らせました。こちらでは「第3回カナリヤ映画祭」が開催されており、それが目的でした。

過日もご紹介しましたが、メインは本宮市で撮影された映画「こころの山脈」の上映です。昭和41年(1966)、東宝配給、吉村公三郎監督、山岡久乃さん主演で、光太郎詩「樹下の二人」の一節、「あれが阿多多羅山 あのひかるのが阿武隈川」が使われているため、以前から観たいと思っていた作品でした。

いわきから常磐道、磐越道、東北道と乗り継ぎ、本宮には早めに到着してしまいました。そこで会場のサンライズ本宮に車を駐め、周辺を散策。本宮は戦時中、現在も続く衣料品メーカーのグンゼさんの工場に空襲があって亡くなった方もいらしたそうですが(ちなみに東京の光太郎アトリエが全焼した前日の4月12日だそうです)、市街地は無事だったらしく、今にも光太郎智恵子がひょっこり出て来そうな建物がたくさんありました。昔ながらの造り酒屋(智恵子の生家を彷彿させられました)、銭湯、旧農協さんの倉庫など。

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安達太良山も雄大にそびえています。山頂部分に雲がかかっていて、「乳首」が見えなかったのが残念でしたが。その代わり、「ほんとの空」は青く美しく高く澄んでいました。

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そうこうしているうちに、午後3時近くになりましたので、JR東北本線の本宮駅へ。映画上映は5時からですが、その前に参加者は本宮駅前に集合、やはり市街を散策するとのことでした。

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本宮市は福島県のほぼ中央に位置するとのことで、ロータリーにはこんな碑がありました。

また、歌手の故・伊藤久男氏が本宮出身ということで、胸像と、代表作「イヨマンテの夜」の碑もありました。

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三々五々、参会者が集まってきました。地元の高校の放送部員の皆さんがインタビューを撮影したりもしていました。


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午後3時となり、出発。まずは上記画像にもある造り酒屋を見学、さらに、本宮映画劇場というところにいきました。大正時代に建てられた映画館で、通常の興業は行っていませんが、今もイベント等で上映を行う場合もあるとのことでした。

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館内外には、これでもかとレトロなアイテムが溢れていました。映画ファンにはたまらないのではないでしょうか。

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この日は往時のニュース映画や、一般公開作品の予告編などを上映して下さいました。

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その後、館をあとにし、阿武隈河畔を歩いてカナリヤ映画祭会場のサンライズ本宮に向かいました。

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この日は午後5時から「こころ000の山脈」のメーキングフィルム、そして「こころの山脈」の上映、次の日は朝から夕方まで、福島に関連のある映画作品などの上映というスケジュールでした。当方、初日だけの参加でしたが、2日目には木下恵介監督作品「陸軍」(昭和19年=1944、笠智衆・田中絹代)、本宮記録映画「わが町’78」(昭和53年=1978)、昨年公開された「物置のピアノ」(芳根京子さん主演)、一般公募作品、さらに初日と同じ「こころの山脈」のメーキングフィルム、そして「こころの山脈」の上映と、盛りだくさんでした。

ところで、なぜ「こころの山脈」がこれほど大きく扱われているかというと、「本宮方式」とまで命名された制作方法で作られ、本宮の皆さんには忘れられない映画だからだそうです。

元々、本宮では上記の本宮映画劇場の協力のもと、小学生が授業の一環として映画を鑑賞、感想文や感想画を書くといった取り組みがなされていました。これを「本宮映画教室」と称したそうです。戴いた資料によれば、昭和32年(1957)から同39年(1964)までに、実に173本もの映画が「本宮映画教室」で上映されていました。下記が上映作品の一覧です。

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ところが、子供たちに安心して見せられる良質な映画がどんどん少なくなっていき、それならば、と本宮の皆さんが自分たちで映画を作ろうと思い立って作られたのが「こころの山脈」というわけです。

資金はカンパで集め、ロケは本宮で、しかし、吉村公三郎監督はじめ撮影スタッフはきちんとプロに依頼、俳優陣も中心となる役の人達(山岡久乃、宇野重吉、吉行和子、奈良岡朋子、殿山泰司他)はプロ、ただし子役や大人でもちょい役の人々は地元の皆さんという制作方法でした。配給も東宝さんが引き受けてくれたそうです。

ストーリーは、山岡久乃さん演じる主人公の主婦が産休補助教員として3ヶ月だけ小学校に赴任、家庭の愛情に飢え非行少年になりかけていた4年生の児童をはじめとする周囲の人々との交流を描いたもので、エロもグロもバイオレンスもない非常に良心的な作りです。

特異な制作方式と云うことで、公開前にはかなり注目されたのですが、残念ながら興行的には成功をおさめることはできませんでした。当時の評論等を読むと、こういった良心的な映画が当たらないのは嘆かわしい的な発言も見られますが、テレビの普及により映画自体が斜陽化し、生き残りをかけてエロやグロやバイオレンスを前面に打ち出す映画が主流だった時代、それも仕方がなかったと思います。特に興行主である全国の映画館が扱いたがらなかったそうです。

さて、実際に初めて「こころの山脈」を観て、ほんとうに良心的でいい映画だと思いました。シナリオの載った書籍を持っているので、内容は知っていましたが、演出上のちょっとした動きなどはシナリオには書かれていませんし、やはり映像で実際の作品を観るのとでは大違いでした。ただ、やはり興行的に当たらなかったというのもうなずけました。「娯楽」を求める大衆には地味すぎて不向きでしょう。しかし、こういう良心的な作品を作るその意気は買いたいと思いますし、こういう灯を消してしまってはいけないと思いました。

ところで、他にも光太郎智恵子のからむ映画や演劇001などは、それなりにたくさん作られています。それらのパンフレット、チラシ、ポスターなどの類も古書店やネットなどでぽつぽつ売りに出されており、見つけるとついつい購入してしまいます。平成23年(2011)に群馬県立土屋文明記念文学館さんで開催された企画展「『智恵子抄』という詩集」の際には、その中の何点かをお貸しし、好評だったそうです。

「こころの山脈」関連もぽつぽつ入手しており、今回、会場にお持ちしました。というのも、「カナリヤ映画祭」のチラシに「こころの山脈」資料の展示もされている旨書いてあり、当方手持ちの資料が並んでいなければ併せてみていただこうと思ったためです。

するとズバリでした。当方のお持ちしたポスター3種類のうちの2種類は主催の「本宮の映画文化を継承する会」さんでも入手できておらず、喜ばれました。他にもチラシ、当時の『キネマ旬報』などをお持ちしました。

「本宮の映画文化を継承する会」さん所蔵の資料にもいろいろ珍しいものがあり、興味深く拝見しました。スチール写真、撮影風景のスナップ、当時の新聞等の切り抜き、実際に使われたシナリオ等々。


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ところで、主演の山岡久乃さんは、平成11年(1999)に惜しまれつつ亡くなりましたが、その晩年、「こころの山脈」に出演した町民の皆さんが再び立ち上がって制作された映画「秋桜」(平成9年=1997、小田茜さん主演)に、ほとんど手弁当でご出演され、当時の子役の皆さんと旧交を温めたそうです。泣かせるエピソードです。

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「カナリヤ映画祭」、主催の「本宮の映画文化を継承する会」さんがNPO法人化し、来年以降も続けていくとのことです。ぜひ足をお運びください。

最後に当日の『朝日新聞』さん福島版の記事をご紹介します。

福島)「映画教室」再び 銀幕の街・本宮復活へ始動

 「映画は教育そのもの」という信念を持つ人たちがいる。本宮町(現本宮市)の母親たちが子どもに映画を通して学ばせたいと制作費をカンパした「こころの山脈」(山岡久乃出演)が自主制作から50周年を迎えた。今、当時の小学生が映画で再び本宮市を元気にしたいと動き出している。彼らはある「教室」の卒業生でもあった。
 活動を本格始動させたのは「本宮の映画文化を継承する会」代表の本田裕之さん(59)ら。8月末に会をNPO法人化し、今年で3年目となる映画祭では、ロケ地や映画館などを歩くツアーを設定。今後は映画教育についてのシンポジウムも開催したいという。
 「もともと銀幕の街なんです」と本田さんは話す。
 現存する「本宮映画劇場」(旧本宮座)は1914(大正3)年開館。25年ごろには、「花の本宮」という当時の街並みを映した記録映画が制作され、映画を中心に街は活気づいていたという。
 56年、全国の映画関係者から注目を浴びる取り組みが始まる。当時、大流行していた「太陽の季節」(石原裕次郎出演)が描く無軌道な青年像を心配した母親たちが立ち上がったのだ。
 毎月、母親や教師が選んだ映画が近くの劇場で特別上映され、全校生徒が授業の一環として鑑賞する。57年からの7年間で168本が上映され、いつしか「本宮方式映画教室」と呼ばれるようになった。
 その中で、映画を作ろうという動きが活発化。町民のカンパで完成したのが「こころの山脈」だった。産休補助教員と生徒の心のつながりを描いた作品で、子役は本宮の小学生が演じた。
 本田さんも出演した一人。「冬なのに、夏の設定だから半ズボンはいてこいって言われました」と笑う。今でも近所の人や同級生が集まると、その話に花が咲く。「映画教室は本宮の共通の記憶なんです。銀幕の街本宮を復活させたいですね」
 今年の映画祭は、19日、20日にサンライズもとみやで開かれる。「こころの山脈」のほか、本宮町が制作した記録映画なども上映される。入場無料。問い合わせは継承する会(0243・34・2175)。(江戸川夏樹)


さらに「福島みんなのNEWS」というサイトも当日のレポートが載っています。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月21日

大正2年(1913)の今日、『東京日日新聞』で、光太郎がカフェ「メイゾン鴻乃巣」のメニューの挿画を担当したことが報じられました。

メイゾン鴻乃巣」は「パンの会」会場としても使われたカフェ。メニューは木版で作られ、彫りは伊上凡骨が担当したそうです。

画像を含め、現物を拝見したことがありません。どこかに残っていないものでしょうか……。

今朝の新聞各紙に、女優の宝生あやこさんの訃報が出ました。 

俳優の宝生あやこさん死去

 宝生あやこさん(ほうしょう・あやこ=俳優、本名八田絢子〈はった・あやこ〉)が8日、老衰で死去、97歳。葬儀は近親者で営まれた。喪主はめい三浦彩子(つやこ)さん。後日、お別れの会を開く予定。
 54年に夫で劇作家の八田尚之さんと劇団手織座を創立。舞台を中心に活躍した。主な出演作品に「愛しきは」「泥の子」など。84年に紫綬褒章を受章。
(『朝日新聞』)

宝生さんは、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(中村登監督)で、智恵子の母・長沼センの役でご出演なさっていました(劇中の役名は「長沼やす」)。

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画像はスチール写真で、左から智恵子役の岩下志麻さん、光太郎役で故・丹波哲郎さん、智恵子の母に扮する宝生さん、智恵子の弟・啓助(劇中での役名は「健次」、俳優さんのお名前がわかりません)。

そのシーンのシナリオがこちらです。

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結婚後初めて二本松の実家を二人で訪れたというシーンです。このシーン以外にも、宝生さんは、長沼家の破産・離散後、心を病んだ智恵子を九十九里浜に引き取るために千駄木林町のアトリエを訪れるシーン、そして九十九里浜でのシーンなどにご出演なさっていました。

この松竹版「智恵子抄」、時折、各地で上映されており、当方も一度観たことがありますが、DVDソフト等が販売されていません。ぜひ発売を希望します。

ところで宝生さんのご冥福をつつしんでお祈りいたします。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月16日

昭和27年(1952)の今日、『読売新聞』に「八年ぶり山を下る高村光太郎氏 畢生の大作『裸婦』 制作意欲に燃えて上京」という記事が載りました。

十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)制作のため、翌月に花巻郊外太田村の山小屋から上京することを報じた記事でした。

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「瀧の流れと同じ気持」と題する光太郎の談話も掲載されました。

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智恵子の故郷・二本松に隣接する福島県本宮市からイベント情報です。 

最初に、背景と概要をわかりやすくするために、先月、地方紙『福島民報』さんに出た記事を引用します。

”銀幕のマチ本宮”継承 NPOが定期的に映画上映

 旧本宮町(現本宮市)を舞台にした映画「こころの山脈(やまなみ)」の完成から今年で50年―。地域が映画製作に協力するフィルムコミッションの先駆けとなった本宮市で、若者に映画の魅力を伝え、地域おこしにつなげる活動が動きだす。市民有志でつくる団体がNPO法人化し、古里にちなんだ作品などを集めた上映会を定期的に開く。昭和期の市内のにぎわいを収録したフィルムのデジタル化にも取り組み、「銀幕のマチ」の歴史を伝える。
 団体は、市民ら約40人でつくる「本宮の映画文化を継承する会」。17日にNPO法人の登記が完了した。映画「こころの山脈」が50年の節目を迎えたのを機に、県、市などの行政機関と連携して映画文化の伝承活動に乗り出す。
 活動の第一弾として、9月19、20の両日、市内のサンライズもとみやで、「こころの山脈」のせりふから名付けた「カナリヤ映画祭」を開く。「こころの山脈」のほか、桑折町で撮影された「物置のピアノ」などを上映する。
 上映会は公共施設や病院など人の集まる場所で年数回開く予定だ。市の協力を得て小中学校での映画教室の開催も検討中で、青少年の健全育成につながる作品の上映を想定している。
 昭和期に市内で撮影された映像のデジタル化では、継承する会が保管している旧本宮町中心部などを撮影した「こころの山脈」メーキングフィルムや、市保管の記録映画などを半永久的に保存し、上映会を通して往時の古里のにぎわいを若者や子どもたちに知ってもらう。
 映画黄金期の昭和30年代、旧本宮町には本宮映画劇場と本宮中央館の2つの映画館があり、住民は銀幕のスターに熱狂した。時を同じくし、本宮小PTAの母親らが「子どもたちに国内外の良質な映画に触れてもらおう」と小学校で映画教室を開く取り組みを始めた。
 母親らの活動は映画製作にまで発展し、昭和40(1965)年には町を舞台とした「こころの山脈」を完成させた。
 しかし、小学校のカリキュラムの多様化や映画の衰退などで映画教室の活動は徐々に縮小し、昭和50年代に幕を閉じた。
 継承する会の会員のほとんどは小学生時代に映画教室を体験した世代だ。継承する会代表の本田裕之さん(59)は、映画製作に携わった母文子さん(92)らとともに、映画祭の準備に当たっている。新たな映画製作やロケの誘致なども思い描く。裕之さんは「若い人に、かつての本宮の活気を少しでも感じてほしい。気軽に映画や劇が観賞できる文化の発信地にしたい」と張り切っている。

■来月19、20日にカナリヤ映画祭
 9月19日午後3時にJR本宮駅前に集合し、約100年前に建てられ、今も当時の姿を残している本宮映画劇場を見学する。同5時からサンライズもとみやで「こころの山脈」を観賞する。
 20日は午前9時20分開演で、サンライズもとみやで「こころの山脈」、「物置のピアノ」のほか、旧本宮町が昭和53年に自主製作した「わが町78」などを上映する。入場無料。問い合わせは事務局 電話0243(34)2175へ。

※こころの山脈(やまなみ) 小学校に赴任した補助教員と子どもたちとの心の交流を描いた映画で、「本宮方式映画製作の会」が製作した。昭和40(1965)年に完成し、翌41年に公開された。本宮小や阿武隈川堤防など旧本宮町を舞台に、大勢の町民がエキストラや児童役で出演した。同年のブルーリボン特別賞を受賞した。資金集めやエキストラで地域が撮影に協力する「フィルムコミッション」の先駆けといわれ、「本宮方式」として全国に知れ渡った。
( 2015/08/18)

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本宮の映画文化を継承する会がNPO法人 実行委で報告 「こころの山脈」制作50周年記念活動も展開

 本宮の映画文化を継承する会(本田裕之代表)は8月3日、2015年第3回カナリヤ映画祭実行委委員会を本宮市中央公民館で開き、特定非営利活動(NPO)法人登録申請したことを報告した。
 今月11日にも登録を終える見通しで、NPO法人化により映画文化を継承する活動をより進め、広めていきたいとしている。
 今年は、本宮町(現本宮市)で1965(昭和40)年に自主制作された映画「こころの山脈」が制作50周年を迎えることから、記念活動も検討している。先ごろ、「こころの山脈」のDVDを老人ホームなどへ貸出したところ好評だったため、こうした活動を進めるいくことも申し合わせた。9月19〜20日に開く「カナリヤ映画祭」への来場も促す。
 「こころの山脈」は、優れた映画を育てようと始まったお母さんたちの運動「本宮方式映画教室」の象徴となった作品。町に赴任してきた教師と子どもたち心温まる交流を描いた映画で、山岡久乃さん、宇野重吉さん、吉行和子さんらの俳優陣とともに本宮小の児童も多数出演した。
 この映画のポスターは本宮市立歴史民俗資料館に保管されているが、このほど本宮小でもポスターが見つかっていることが報告された。現在、校長室に展示しているという。
 また、先月は有志による映画を語り合う夕べも開いた。貴重な記録映像「花の本宮」などを鑑賞し、DVDなどによる保存運動を進めることも話し合った。


映画「こころの山脈」。単に智恵子の故郷・二本松に隣接する福島県本宮市で撮影されたというだけでなく、劇中で「智恵子抄」が扱われます。

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その「こころの山脈」を中心に、福島と縁のある作品を上映する催しが「カナリヤ映画祭」。今年で3回目だそうです。

第3回カナリヤ映画祭 映画『こころの山脈』製作50周年記念

期 日 : 2015年9月19日(土)・20日(日)
会 場 : サンライズもとみや 福島県本宮市矢来39-1
日 程 :
 9月19日(土) 本宮映画文化をめぐる散歩と映画『こころの山脈』鑑賞
  15:00 本宮駅前出発(本宮映画文化をめぐる散歩)
  15:10 本宮映画劇場(大正時代建設、昭和の薫りが漂う本宮の映画名所)見学、上映有り
  16:10 サンライズもとみや見学 (本宮映画文化の歴史と『こころの山脈』資料など)
  17:00 映画『こころの山脈』 本宮映画文化をめぐる散歩参加者以外の方もご覧になれます
 9月20日(日) 『こころの山脈』50周年を祝う
  9:00  開場
  9:20  開演
  9:40  『陸軍』 昭和19年作品 木下恵介監督 上映時間87分
  11:22 『わが町'78』 昭和53年作品 本宮記録映画 上映時間40分
 《昼休憩30分》
  12:35 『一般公募作品』 シネリテラシー、子供たち製作の映画
  13:35 『物置のピアノ』 平成26年作品 邦画 上映時間115分
  15:50 『こころの山脈メーキングフィルム』 昭和40年作品 上映時間10分
  16:00 『こころの山脈』関係者舞台挨拶
  16:30 『こころの山脈』 昭和40年作品 吉村公三郎監督 上映時間104分
主催 : カナリヤ映画祭実行委員会 NPO法人本宮の映画文化を継承する会
  
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当方、初日の19日にお邪魔するつもりでおります。「智恵子抄」に関連する作品、ということで、ポスターやチラシ、当時の『キネマ旬報』、シナリオの載った書籍『日本シナリオ大系第5巻』(昭和49年=1974 映人社)などは持っているのですが、肝心の作品自体を観たことがありません。楽しみです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月4日

昭和25年(1950)の今日、花巻郊外太田村で、ハーモニカ奏者の新井克輔から葉書を受け取りました。

この時期の日記は失われているのですが、郵便物の授受等を記録したノートは残っており、そちらに以下の記述があります。

新井克輔氏よりハカキ(仙台にハーモニカ教室を設けし事)

翌日には早速、返信の葉書を出しました。

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新井氏はかつての連翹忌ご常連で、ハーモニカ演奏で会に花を添えて下さっていました。

延々と東北レポートを書いているうちに、他に紹介しなければならないイベント情報や報道、新刊情報、テレビ放映情報などが溜まってしまいました。

まずは映画関連。 
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期間 : 2015年4月25日(土)~6月12日(金)
会場 : シネ・ヌーヴォ 大阪市西区九条1-20-24 TEL 06-6582-1416

戦前から戦後にかけて昭和と共に生きた女優・原節子。小津安二郎、成瀬巳喜男はもとより今井正、黒澤明、木下惠介など日本映画の巨匠の作品に数多く出演し、日本映画の黄金時代を支えた屈指の大女優。日本人離れした類い稀な美貌と共に、生涯独身を通し、「永遠の処女」と呼ばれた。今年は、1935年の映画デビューから80年、そして1962年の最後の出演作から53年を迎える。「20世紀の映画スター・女優編」(2000年/キネマ旬報)で日本女優の第1位に輝くなど、日本・世界で今尚新たなファンを獲得し続けている原節子出演作品を一挙上映する過去最大の大特集。 日本映画屈指の伝説の美女が、いま再び、銀幕に降臨する!!


全42作品のうち、熊谷久虎監督作品「智恵子抄」(昭和32年=1957 97分)が、先週から上映されています。


智恵子抄
1957年/東宝/97分/35mm/白黒
  監督:熊谷久虎/原作:高村光太郎/脚本:八住利雄/撮影:小原譲治/美術:清水喜代志/音楽:団伊玖磨 出演:原節子(高村智恵子)、山村聡、柳永二郎、三好栄子、津山路子、太刀川洋一

◆詩人・彫刻家の高村光太郎の詩集『智恵子抄』を映画化。智恵子の童女の如き純真な愛に出会い、光太郎は生きる喜び、愛の幸せに包まれるが、仕事と家庭の板ばさみか
ら、やがて智恵子は心を病んでいき…。原が愛と狂気に揺れる智恵子を演じ切った感動作。

上映日程007

5/22(金) 12:25~
5/23(土) 21:05~
5/24(日) 12:35~
5/25(月) 14:55~
5/26(火) 10:40~
5/27(水) 17:55~

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この昭和32年(1957)原節子版、昭和42年(1967)の岩下志麻さん主演の「智恵子抄」ともども、時折上演されています。こういう機会がもっと増えてほしいものですが。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月25日008

昭和28年(1953)の今日、日比谷公会堂で米国の黒人歌手、マリアン・アンダーソンのコンサートを聴きました。

NHKが招聘し、東京、大阪、広島、名古屋と巡回し、再び東京に戻って5月22日、25日と公演がありました。

伴奏はクルト・ウェス指揮のNHK交響楽団。ブラームス、フォーレ、ヴェルディ、サン・サーンス、ドビュッシーなどの作品や黒人霊歌がプログラムに入っていたそうです。

このブログで何度かご紹介した、兵庫県人権啓発協会さん作成の「ほんとの空」というドラマ。各地の自治体さんや学校さんなどで上映が行われたり、テレビの地方局さんでオンエアされたりしています。光太郎の詩「あどけない話」にからめ、福島の原発事故による風評差別などを扱ったものもです。

何とか観たいものだと思っていましたが、制作元の兵庫県人権啓発協会さんでは個人向けの貸し出しを行って居らず、市販されているものの価格が80,000円+税と、ちょっと手が出ません。

そう思っていたところ、個人向けの貸し出しを行っている団体を見つけました。公益財団法人 人権教育啓発推進センターさんです。こちらの人権ライブラリーでは、人権に関する図書・ビデオ・DVD・展示パネルや地方公共団体さんが作成した啓発資料などを収集し、幅広く提供してくださっており、利用者登録を行い、借りたい資料の申請をすれば、無料で借りられます。往復の送料は自己負担ですが、自宅に郵送してもらうことも可能です。

そこで、郵送していただき、念願の「ほんとの空」DVDを借り、視聴しました。

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劇中に光太郎の名がしっかり使われていました。そして、非常に考えさせられる内容でした。これまでにも当ブログでご紹介する中で、あらすじは把握していましたが、やはり百聞は一見にしかず、ですね。

メインは東日本大震災に伴う原発事故によるいわれなき風評被害ですが、その他にも高齢者に対する偏見、外国人や障害者、同和地区に対する差別、ネット上の無責任な書き込み、そしていじめまで、36分の中にてんこ盛りです。それでいて、それぞれ「あるある」と感じさせるリアリティーがあります。

白石美帆さん演じる主人公の主婦が、無意識に、または意識しつつもいろいろと言い訳を考えながら、人権侵害に当たる行為をしてしまいます。そのツケが回り回って倍返し的なところもあり、その悲惨さが教訓となります。人を呪わば穴二つ、です。

さらに感心したのは、原発の風評被害やいじめは別として、偏見を受ける側にも原因がある的な描き方もなされている点です。たとえば主人公がパート勤務をしているスーパーのレジで、後に行列が出来ているにもかかわらず、ポイントカードを探すのに手間取り、周りに対する配慮のない老人、主人公の住むマンションの通路で大音量でしゃべるタイ人夫婦。だからといって、そうした人々に対する差別や偏見が許されるわけではないのですが、
主人公はそれぞれカチンときたり、言いしれぬ恐怖を感じたりしていました。この描き方には非常にリアリティーがありました。

A4判15ページからなる「活用ガイド」という冊子も付いており、コピーして使えるようになっています。やはり自治体さんの学習会や、学校の授業での活用を前提にしているのでしょう。学校での学習指導案や、視聴後に書き込みをするワークシートのフォーマットも収められていて、これは便利です。

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そういうわけで、さらに多くの自治体さんや学校さんで、どんどん活用していただきたいものです。もちろん個人の方も、です。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 3月7日007

大正2年(1913)の今日、雑誌『趣味』第7年第2号が発行されました。

扉に光太郎の描いたカット「カフエ ライオン」が使われ、さらに短詩「カフエにて」4篇、「カフエライオンにて」2篇が収められています。

カフェー・ライオンは、明治44年(1911)、銀座尾張町に開かれたビアホールです。美人女給が和服にエプロンという揃いの衣裳で給仕するのが売りでした。また、ビールが一定量売れると、店内のライオン像が吠える仕組みになっていたそうです。

昨年までビヤホールライオン銀座五丁目店として営業を続けていましたが、現在はビルの建て替え工事中。来年初夏にリニューアルオープン予定だそうです。

今日、12月10日は「世界人権デー」だそうです。悲惨な第二次世界大戦が終わった後、昭和23年(1948)に開催された第3回国連総会で、「世界人権宣言」が採択された日にちなむとのこと。さらに日本ではそれに先立つ12月4日から10日までを「人権週間」と位置づけています。
 
このブログで何度かご紹介した、兵庫県人権啓発協会さん作成の「ほんとの空」というドラマがあります。光太郎の詩「あどけない話」にからめ、福島の原発事故による風評差別などを扱ったもので、昨年度、人権啓発資料法務大臣表彰映像作品部門優秀賞を受賞した作品です。
 
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各地の自治体や学校さんで上映会が開かれたり、地方のテレビ局さんで放映されたりしています。最近、単発の場合はこのブログでもご紹介していませんでしたが、この前の日曜日、12月7日には制作もとの兵庫県の地方局、サンテレビさんが放映して下さいました。それを御覧になった兵庫の方のブログに、感想が綴られています。この方は、最初からこのドラマを御覧になるつもりではなく、勘違いしてチャンネルを合わせたのだそうですが、ひきこまれてしまったそうです。
 
「自分でも気がつかないうちに、なんとなく人の話に流されたり、先入観や偏見から本当のことを調べもしないで人を傷つけてしまったり…といった内容でした。(略)なんか、すごくいいドラマを 何が始まるのかわからないまま見てしまって、もう涙がポロポロ出てきて、涙が出たら当然 鼻水も出るので鼻もかみながらで、突然の号泣ドラマ鑑賞となってしまいました。」
 
また、同じ兵庫県では、12月1日に開催された「阪神淡路20年―1.17 は忘れない―平成26年度人権のつどい」の中でも上映して下さいました。
 
ちなみに、ドラマ「ほんとの空」の制作地がなぜ兵庫県?と思っていましたが、上記人権のつどいの「趣旨」を見て、何となく納得できました。阪神淡路大震災の経験から、同じく震災に見舞われた東北、特にいわれのない風評差別に苦しむ福島県へのエールという意味なのだと思います。
 
東日本大震災からの復旧復興の過程で、人と人のつながりの大切さが改めて認識されています。来年1月17 日で阪神・淡路大震災から20年を迎えるこの時期に、その大切さと共に「人権週間」の意義を顧み、一人ひとりが互いに尊重され、共に生きる「共生社会」の実現に向けた人権意識の普及高揚を図る「人権のつどい」を、阪神淡路20年事業として開催します。
 
以前も書きましたが、ドラマ「ほんとの空」、全国ネットでの放映を期待します(当方はまだ観たことがありません)。広く人権問題を考えるきっかけにしてほしいものです。
 
 
しかし、逆に人権無視のヘイトスピーカーが跳梁跋扈するのもこの時期だというのが、情けないところです。12月8日が太平洋戦争開戦の日(『開戦記念日』という表記を見かけますが、記念してどうするのでしょうか?)だということで、「大東亜戦争は聖戦だった」とするヘイトスピーカーたちが世迷い言を垂れ流します。
 
そして、この時期と、8月の終戦記念日前後には、ヘイトスピーカーの中ににわか光太郎ファンが続出し、光太郎の戦争詩「十二月八日」(昭和16年=1941)や「鮮明な冬」(同17年=1942)などを持ち出して、「これぞ大和魂」と持ち上げるのです。
 
光太郎は全詩作のおよそ4分の1、約200篇の戦争詩を書きました。散文でも時局に協力するものがたくさんあります。しかし、戦後になって、そうした作品を読んで散っていった前途有為な若者の多かったことに心を痛め、自らを断罪する意味で足かけ8年にわたる蟄居生活を、岩手花巻郊外の寒村に送りました。
 
そうした経緯も知らず、または知りながら無視し、戦争詩のみをもてはやすのはやめて欲しいと思います。
 
下記は今年1月に発表された、ジャーナリスト・江川紹子氏の文章「国内問題として首相の靖国参拝を考える」からの抜粋です。
 
靖国神社の価値観は、この遊就館で上映されている映画を見ると分かりやすい。次のようなことが語られている。
日本は満州に「五族協和の王道楽土」を築こうとし、軍事行動を慎んでいたのに、中国の「過激な排日運動」や「テロ」「不当な攻撃」のために、やむなく「支那事変」に至った。そして、「日本民族の息の根を止めようとするアメリカ」に対する「自存自衛の戦い」としての「大東亜戦争」があった。この日本の戦いは、白人たちの植民地支配を受けていた「アジアの国々に勇気と希望を与えた」…。
昭和の初めから戦時中にかけての政府・軍部の宣伝そのものだ。靖国神社では、先の大戦は今なお聖戦扱い。まるで時間が止まったように、戦前の価値観が支配している。
太平洋戦争においては、日本兵の多くが餓死・病死した。その数は死者の6割に上る、との指摘もある。だが、そうした武勇にそぐわない事実や戦争指導者の責任は、ここでは一切無視されている。「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓のために、捕虜になって生還することができず、民間人まで「自決」せざるを得なかった理不尽さも記されない。戦争指導者に対して批判的な考えを記した学徒兵の手記なども、示されない。
映画では、「黒船以来の総決算の時が来た」との書き出しで始まる、高村光太郎の詩「鮮明な冬」が紹介されている。そこには日米開戦の時の高揚した気持ちと当時の一国民としての使命感が高らかにうたわれている。高村は、その後も勇ましい戦争賛美、戦意高揚の詩をいくつも書いた。しかし、遊就館の映画は、その後の高村については一切触れない。
彼は終戦後、己の責任と真摯に向かい合いながら、岩手の山小屋で独居生活を送った。そして、戦前戦中の「おのれの暗愚」を見つめた「暗愚小伝」を書いた。それには全く目を向けずに、「暗愚」の時代の作品だけが高らかに取り上げられ、今なお戦争賛美に使われていることは、泉下の高村の本意ではあるまい。
 
こと光太郎に関しては、全くその通りです。
 
 
さて、折しも衆議院選挙が近づいています。どうも原発の問題、人権の問題など、今ひとつ争点になっていないような気がします。真にこの国を愛するのであれば、外せない問題だと思うのですが……。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月10日
 
昭和41年(1966)の今日、春秋社から『高村光太郎選集』全6巻・別巻1の刊行が開始されました。
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編年体によるもので、第一回配本は「一八九七 ― 一九一二年 明治三〇 ― 四五年」。筑摩書房の『高村光太郎全集』が編年体ではなく、第一巻から第三巻が「詩」、第四巻から第八巻が「評論」、第九・十巻が「随筆」といった形ですので、また違った読み取り方が出来るものです。「別巻」は「造型」の巻で、これがものすごく重宝しています。
 
編者は故・吉本隆明氏、北川太一先生。野球で言えば王・長嶋、プロレスで言えば馬場・猪木(笑)。最強黄金タッグです。
 
各巻に吉本氏の「解題」が掲載されています。一昨日昨日とご紹介した晶文社さんから現在刊行中の『吉本隆明全集』全38巻・別巻1にも、やがて収録されるのではないかと思われます。
 
右の画像は昭和56年(1981)の増訂版です。

このブログでたびたびご紹介している、兵庫県人権啓発協会さん企画、東映さん制作の40分程のドラマで「ほんとの空」。福島の原発事故による風評被害、いわれなき差別を扱っています。そこでタイトルに光太郎詩「あどけない話」から「ほんとの空」の語を採っています。白石美帆さん他のご出演です。
 
各地の自治体が中心となり、上映が繰り返されています。この20日には、滋賀県の守山市で開催された「じんけんフェスタしが2014」で上映されました。今後も全国で上映されますのでご紹介します。 

町別啓発学習会 テーマ ~あなたの思いをわたしのものに~

2014/9/27 午後7時~
内野公民館曲淵分館  福岡県福岡市早良区大字曲渕700-1
講師 早良区生涯学習推進課 人権教育推進 木村哲也氏
 

本庄市人権教育研修会

2014/10/01(水)13:30~15:20 河内生活改善センター 埼玉県本庄市児玉町河内670-10
10/08(水)  〃        児玉文化会館(セルディ)   〃     金屋728-2
10/15(水)  〃        共和公民館        〃     蛭川915-5

地区別人権学習会

2014/10/27(月) 午後2時~3時45分 豊受公民館   群馬県伊勢崎市馬見塚町1296
2014/10/28(火)     〃     茂呂公民館     〃    美茂呂町3032-7
2014/10/29(水)     〃     赤堀公民館     〃    西久保町2-81 
2014/11/06(木)     〃     南公民館      〃    上泉町619-1
2014/11/07(金)     〃     境剛志公民館    〃    境下武士862-3
2014/11/17(月)     〃     北公民館      〃    平和町27-32
 
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福島の現状、震災から3年半が経過しても、やはり厳しいものがあります。光太郎の「道程」が引用されているということで、先日、NHKEテレで放映されたETV特集「それでも道はできる~福島・南相馬 コメ農家の挑戦~」を拝見しました。
 
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震災当初の放射能汚染、さらには、昨年の夏に実施した福島第一原発での大規模ながれき撤去で飛散した放射性物質が、約20㎞離れた南相馬市の水田の米を汚染した可能性が高い、それを国や東電は地元に説明せず、今年に入ってようやく報道された、などという話も紹介されました。それでも自分たちの生まれ育ったふるさとで、米作りに取り組み続ける人々の姿が描かれていました。
 
プラス、風評被害まであったものではたまりません。そうした風潮を戒める人権啓発のための作品「ほんとの空」上映です。
 
こうした取り組みが全国的にもっともっと広まってほしいものですし、「ほんとの空」、テレビでの全国放映もしていただきたいものです。

 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月24日002
 
昭和9年(1931)の今日、JOBKから朗読番組「文化ラヂオ・プログラム」第五回「高村光太郎詩集より」が放送されました。
 
詩は「沙漠」「牛」他六篇。朗読は声楽家の照井栄三でした。この頃から、光太郎の詩がラジオでたびたび取り上げられるように成っていきます。照井の他に丸山定夫、映画「智恵子抄」で光太郎役だった山村聰などが朗読を担当しています。

照井は「瓔三」の名でも活動していました。

 
 

滋賀県からイベント情報です。 

じんけんフェスタしが2014

日時  平成26年(2014年)9月20日(土曜日) 10時00分~16時00分
     (全体開場9時00分、大ホール開場9時30分)
場所  守山市民ホール(滋賀県守山市三宅町125番地)   
主催  滋賀県  滋賀県人権啓発活動ネットワーク協議会
後援  守山市 守山市教育委員会
テーマ うたの力と人権   スローガン 支えあい、助けあい、認めあい
 
守山市民ホールの敷地、施設をフルに使って、さまざまなことが行われるようです。
 
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その中で、小ホールに「人権啓発ビデオコーナー」が設けられており、以前にご紹介しましたが兵庫県人権啓発協会さん企画、東映さん制作の40分程のドラマで「ほんとの空」という作品が上映されるようです。
 
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制作元のサイトから、あらすじを抜粋します。
 
 向井弓枝は、パート先のスーパーで、高齢の客のおぼつかない行動に不快感を持つ。自宅のマンションのエレベータでも、高齢の人や障害のある人に対してイライラを募らせる。弓枝は、面倒な人が多く住むこのマンションではなく、一戸建てや新築マンションに引つ越したいと、夫の勇に訴える。
 
 弓枝の一人息子の輝は、空オタクだ。いつも空や雲のことを考えていて友だちもいない。カメラを抱えた輝が自宅に帰つてくると、隣の部屋のドアが開き、見知らぬ外国人が引越をしている。外国人に対して偏見を持つている弓校と勇の話を聞き輝も「みんな不法滞在なんだから送り返せばいいJと言う。
 
 輝がマンションの屋上に行くと、同じ年頃の少年 龍太が空にカメラを向けていた。空好きの二人は意気投合し、輝は龍太を家に招く。夕食をいただいたお礼にと 龍太の母の美里が、故郷福島の草木染めの布を持つてくる。最初は喜ぶ弓枝だつたが、パート仲間の意見もあり 放射能への恐ろしさから布を捨ててしまう。そしてそれを、龍太がゴミ置き場で発見する。
 
 学校からの帰り道、輝は、龍太が同級生たちから放射能のことでいじめられているのを見つけ加勢するが、二人とも投げ飛ばされる。同級生を非難する輝に、「お前も同じだろ」と龍太は叫び、「草木染めをなぜ捨てたのか」と詰め寄る。それを同じマンションの高齢者、千代子とタイ人ロークが止める。帰宅した輝は母を責め、家を飛び出す。
 
 輝を探す弓枝と勇。輝は、隣のタイ人夫婦□―クとノイのところにいた。夫婦はタイ料理店で働いていて、店を持ちたいので試食してほしいと申し出る。皆で食卓を囲みながら、ノイの思いを知つた輝は、廊下の鉢植えを割つたことを謝り、勇も偏見を持つていたと告げる。握手をする勇と□―ク。その様子を笑顔で見つめる弓枝は ふと台所の隅に 自分が捨ててしまった草木染めがあることに気づく。
 
 ノイから 草木染めを譲つてもらった弓枝は 美里の家に。そして自分の気持ちを伝えようとするが……。
 
 
福島の原発事故による風評被害、いわれなき差別を扱っています。そこでタイトルが光太郎詩「あどけない話」から採った「ほんとの空」というわけです。白石美帆さん他のご出演です。
 
地方のテレビでオンエアされたり、やはり地方のイベントで上映されたりし続けています。じわりじわりと世の中に滲透していってほしいものです。そのためにも全国ネットでのテレビ放映が望まれます。当方も未見です。
 
さて、「じんけんフェスタしが2014」。滋賀県域のみなさん、ぜひ足をお運びの上、「ほんとの空」をごらん下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月9日
 
昭和51年(1976)の今日、JR東北本線二本松駅に、光太郎詩「あどけない話」の一節を刻んだ詩碑が建立されました。
 
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二本松霞ヶ城の石垣を模した駅の外壁に、黒御影のプレートが嵌め込まれ、「阿多多羅山の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空だといふ/高村光太郎」と刻まれています。光太郎自筆原稿からの採字です。
 
碑にはこころもち傾斜がついており、かつてはよく晴れた日には上記画像のように、「ほんとの空」が反射して青く見えました。現在はバス停の屋根が映ってしまい、こうは見えません。残念です。

気がつけば8月も最終週。9月のイベント情報を少しずつご紹介します。
 
渋谷の映画館、「シネマヴェーラ渋谷」さんでの特集上映です。 
昨年、東京フィルメックス、ヴェネチア、ベベルリンにおいて回顧上映され、再評価の声が高まる中村登監督の全貌に迫る!

8/16 ~ 9/12「甦る中村登」特集がシネマヴェーラ渋谷で上映されます。2013年ヴェネチア国際映画祭、東京フィルメックス、2014年ベルリン国際映画祭で上映された「夜の片鱗」「土砂降り」「我が家は楽し」の他、全24作品の特集上映です。
 
『智恵子抄(35mm)』 (125分)
公開:1967年
主演:岩下志麻、丹波哲郎、佐々木孝丸、田代信子、中山仁、加藤嘉、宝生あやこ、島かおり、岡田英次、南田洋子、平幹二朗、北見治一、小林博、岩本多代、金子信雄、石立鉄男、内藤武敏、小畠絹子
 
心を病んでゆく妻・智恵子への高村光太郎の愛を丁寧に描いた、同名詩集の二度目の映画化作品。智恵子役の岩下志麻は、鬼気迫る名演で数々の賞を受賞した。芥川比呂志による詩の朗読も心に沁みる感動作であり、米アカデミー賞にノミネートされた文藝映画。
 
上映日程 
 9月6日(土) 11:00 15:00 19:00
 9月9日(火) 11:00 15:00 19:00
 9月12日(金) 11:00 14:55 18:50
 
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昭和42年(1957)公開の松竹映画、「智恵子抄」が上映されます。まだご覧になったことのない方、この機会にぜひ。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月24日
 
昭和52年(1977)の今日、光太郎のきょうだいの最後の一人、植物学者・藤岡孟彦が歿しました。
 
明治25年(1892)、高村家四男として生まれた孟彦は養子に出て藤岡姓となりました。ご子息光彦氏はご健在で、連翹忌にもご参加下さっています。過日の高村規氏ご葬儀でもお元気そうでした。

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