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都内から映画の上映情報です。

没後10年 原節子をめぐる16人の映画監督

期 日 : 2025年3月8日(土)~4月4日(金)
会 場 : 神保町シアター 東京都千代田区神田神保町1-23
料 金 : 一般 ¥1,400 シニア ¥1,200 学生 ¥1,000 U29ペア割引 ¥2,200
      毎週水曜ファン感謝デー どなた様も1,100円均一
      毎月1日映画サービスデー どなた様も1,100円均一
      夕暮れ割 平日3回目の上映 1,100円均一
      誕生日割 誕生日当日 1,100円均一(ご本人のみ、要身分証提示)

今年は伝説の女優・原節子の没後10年にあたります。 これまで神保町シアターでは2度にわたり原節子特集を行ってきましたが、今回は、すべて監督の違う16本の出演作をプログラムしました。
小津安二郎監督作品のミューズとして今もなお世界中で愛され続ける不世出の女優が、監督の違う16本の映画で、それぞれどんな貌をみせているのか。絶世の美女でありながら、文芸ものの難役から洒脱なコメディまで幅広い役に挑んだ女優人生を、新たな趣向で振り返ります。
錚々たる監督陣による、めくるめく原節子の世界――ぜひスクリーンでご堪能ください。
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「没後10年 原節子をめぐる16人の映画監督」としては3月8日(土)から始まっており、4期に分けての上映で、3月22日(土)~3月28日(金)の第3タームに熊谷久虎監督の東宝映画「智恵子抄」(昭和32年=1957)が含まれています。もちろん智恵子役が原節子さんです。最上部メインのフライヤーで右下。
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二本松の実家に光太郎ともども訪れたというシーンから。全体像がこちら。
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原さん扮する智恵子の左に光太郎役の山村聰さん(山村さんは戦時中にラジオ放送で光太郎の翼賛詩の朗読をなさったこともあります)、さらに左は智恵子の両親で柳永二郎さんと三好栄子さん。柳さんは有楽座、三好さんは島村抱月・松井須磨子の芸術座ご出身。共に光太郎智恵子が観劇に訪れていた記録があります。もはや歴史上の人物、という感じでクラクラします(笑)。

ちなみにこのシーンで原さんが手にされているのは、光太郎木彫「蟬」。美術さんが作った小道具ではなく、実物かもしれません。「座談会 三人の智恵子」(昭和32年=1957 6月1日『婦人公論』第42巻第6号)から、原さんの発言。

映画ではクローズ・アップのときは本物を使うんですが、ふだんはやはり偽物でやってます。セミは富山県の人がもっていらっしゃってそれをわざわざご本人が夜行列車でもってきてくれました。そして、「智恵子さんが最後までもっていらしたセミですから、あんたもうまくやんなさい」と云われて困っちゃった。

このシーンが「クローズ・アップのとき」かどうか判断に迷うところですが。

「智恵子抄」、原さんの出演作品の中では、評価の高いものではありません。まぁ、そちらは原さんの他の出演作品と比較しての相対評価で、この映画だけの絶対評価として考えると、そう悪い出来ではないと思います。

ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

今日の佳き日を卜して御依頼の標榜二枚を書きましたのでいつでもお手渡し出来ます

昭和27年(1952)4月29日 帷子敏雄宛書簡より 光太郎70歳

御依頼の標榜二枚」は、岩手県北部の川口村(現・岩手町)の公民館と図書館の看板です。共に現存しますが、風雨にさらされて墨が流れ落ち、文字は殆ど判別出来ません。

今日の佳き日」は天皇誕生日ですね。

光太郎と交流のあった鬼才の画家・村山槐多をモチーフとし、昨年封切られたた映画「火だるま槐多よ」タイトルは光太郎詩「村山槐多」(昭和10年=1935)で使われている句です。公式パンフには詩の全文が掲載されていました。
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今月、Blu-rayディスクの販売が始まり、早速購入しました。

火だるま槐多よ

2024年7月3日 
発売・販売元 : 渋谷プロダクション/スタンス・カンパニー
販売代理 : オデッサ・エンタテインメント
定 価 : 4,800円+税
<Blu-ray仕様> カラー/本編102分+特典映像/アメリカンビスタ/音声:日本語/DTS-HDマスターオーディオ5.1ch/25GB


★監督・佐藤寿保&脚本・夢野史郎のゴールデンコンビ最新作!
天才“村山槐多”に取り憑かれた若者たちを描くエンタテインメント作品!
本作は、22歳で夭逝した天才画家であり詩人の村山槐多(1896~1919)の作品に魅せられ取り憑かれた現代の若者たちが、槐多の作品を彼ら独自の解釈で表現し再生させ、時代の突破を試みるアヴァンギャルド・エンタテインメント。タイトルの由来は、槐多の友人・高村光太郎の詩「強くて悲しい火だるま槐多」である。


CAST 遊屋慎太郎 佐藤里穂 工藤景 涼田麗乃 八田拳 佐月絵美 佐野史郎
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昨年暮れに劇場公開を観てから、約半年ぶりに拝見。
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随所に槐多の絵や詩が効果的に使われています。
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ラストには光太郎詩「村山槐多」も一部引用。
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背景は雑司ヶ谷霊園にある槐多の墓です。

ちなみに本編ではない特典映像中のメイキング部分には、クランクイン前に佐藤監督らが墓参をした様子なども。

というわけで、Blu-rayディスク、ぜひお買い求め下さい。また、U-NEXTさんでの配信も始まっていますので、どうぞ。

ただし「アヴァンギャルド・エンタテインメント」と謳われている通り、R指定はないものの、それに近い内容です。ご試聴には十分注意なさって下さい。

【折々のことば・光太郎】

学校の校規等今日拝受、興味ふかき事に存じ、学校のよき進展を心から望んで居ります。小生美の世界に於いても岩手の人々に期待する事大です。

昭和23年(1948)4月15日 佐々木一郎宛て書簡より 光太郎66歳

「学校」はこの年開校となった岩手県立美術工芸学校。光太郎は名誉教授に就任して欲しいという要請は断りましたが、何度も足を運んで講演をしたり、作品展を観たりといった援助は惜しみませんでした。

新刊です。

丹波哲郎 見事な生涯

2024年4月23日 野村進著 講談社 定価2,200円+税

 「人間、死ぬとなぁ、魂がぐぅーっと浮き上がっていくんだよ。それで、どんどんどんどん上昇していく。ところが、天井でぶつかって、一度反転するんだ。すると、ベッドの上には自分の骸(むくろ)がある」
 「やがて、かなたに小さな光が見えてくる。その光に向かって、どんどんどんどん走っていく。どんどんどんどん走っていく。でも、息切れしないんだ。なぜか? ……死んでるから」

 大俳優・丹波哲郎は「霊界の宣伝マン」を自称し、映画撮影の合間には、西田敏行ら共演者をつかまえて「あの世」について語りつづけた。中年期以降、霊界研究に入れ込み、ついに『大霊界』という映画を制作するほど「死後の世界」に没頭した。
 「死ぬってのはなぁ、隣町に引っ越していくようなことなんだ。死ぬことをいつも考えていないと、人間、ちゃんとした仕事はできないぞ。おまえも、いつでも死ぬ覚悟、死ぬ準備をしといたほうが、自分も楽だろう」――

 丹波は1922年(大正11年)、都内の資産家の家に生まれ、中央大学に進んだ。同世代の多くが戦地に送られ、生死の極限に立たされているとき、奇跡的に前線への出征を逃れ、内地で終戦を迎える。
その理由は、激しい吃音だった。
 終戦後、俳優を志した丹波は、舞台俳優を経て映画デビューし、さらに鬼才・深作欣二らと組んでテレビドラマに進出して大成功を収めた。
 高度成長期の東京をジェームス・ボンドが縦横に駆け抜ける1967年の映画『007は二度死ぬ』で日本の秘密組織トップ「タイガー・タナカ」を演じ、「日本を代表する国際俳優」と目されるようになる。
 テレビドラマ「キイハンター」、「Gメン’75」で土曜午後9時の「顔」となり、抜群の存在感で「太陽にほえろ!」の石原裕次郎のライバルと目された。
 『日本沈没』『砂の器』『八甲田山』『人間革命』など大作映画にも主役級として次々出演し、出演者リストの最後に名前が登場する「留めのスター」と言われた。
 その丹波が、なぜそれほど霊界と死後の世界に夢中になったのか。
 数々の名作ノンフィクションを発表してきた筆者が、5年以上に及ぶ取材をかけてその秘密に挑む。
丹波哲郎が抱えた、誰にも言えない「闇」とはなんだったのか。
 若かりし頃に書かれた熱烈な手紙の数々。
 そして、終生背負った「原罪」――。
 「死は待ち遠しい」と言いつづけ、「霊界」「あの世」の素晴らしさを説きつづけた大俳優の到達した境地を解き明かすことで、生きること、そして人生を閉じることについて洞察する、最上の評伝文学。
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目次
 プロローグ 
  魂は生きつづける 二人の名優  子どもの心」を持った人
 第一章 坊や猿
  ツツジ御殿の一族 盗み食いの代償
 第二章 第三の男
  天の配慮 貞と貞子 満たされぬ魂 オレも役者なんだよ
 第三章 救いの神
  テレビの時代 ルーズベルトの病 動かぬ足 徹マンの理由
 第四章 007
  捕虜と軍刀 タイガー・タナカ 国辱映画 三船敏郎の忠告 国際スター誕生
 第五章 智恵子抄
  病身の妻 志麻子にかけた催眠術 「智恵子抄」から「貞子抄」へ
 第六章 ボスとファミリー
  伝説のテレビドラマ 陽子にはナイショだぞ 声を鍛えろ “勝ち逃げ”の深作
  最高の褒め言葉 
「TBSの天皇」と呼ばれた男 天性のリーダー
 第七章 人間革命
  映画界の三大ホラ吹き 来るものは拒まず 日本で一番いい役者は
  人間、死んだらどうなるか 
オレは演技に開眼した 降霊会の超常現象
  「人間革命」から学んだこと
 第八章 留めのスター
  運命の出会い 森田健作の確信 「自分のセリフに感動しちゃって」
  芝居は顔じゃないんだよ 
『八甲田山』のふんどし男
 第九章 宿命の少女
  尻に刻まれた「怨」の字 密教の秘儀 一億二千万円をつぎ込み
  今生のカルマ たらちねの母
 第十章 死は「永遠の生」である
  母の死でわかったこと 守護霊様のお導き 芸能界のパパとママ スターの中のスター
 第十一章 大霊界
  明るく、素直に、あたたかく 素晴らしき永遠の世界 天国の入り口を見つけた
  左の胸にしこりが 二十九歳の新人プロデューサー 谷底から霊界へ
  さんまのまんまに登場
 第十二章 不倫と純愛
  E子さんと隠し子 十六歳の出会い クルマひとつで家を出るから 情熱の手紙
  狂気が全てを解決する もうひとりの息子
 第十三章 死んだら驚いた
  童女天使 ポーに捧げる舞台 大槻教授と宜保愛子 オレが来たから、もう大丈夫
  見えないものが見える オーラの泉
 第十四章 天国の駅
  正月のハワイ旅行 五十年目の別れ 散骨の海 死は待ち遠しい 冥土の土産に
  最後の芝居
 あの世を見てきた 穏やかな旅立ち
 エピローグ
  草刈正雄から堺雅人へ 食わず嫌いをしない人 「いずれわかるよ」 ジキルとハイド
 あとがき
 主要参考文献・資料

俳優の故・丹波哲郎さんの評伝です。元々は同じ講談社さんの『週刊現代』に連載されていた「巨弾ノンフィクション 丹波哲郎は二度死ぬ 大スターはなぜ晩年に「大霊界」へ傾斜したのか」ですが、それを全面改稿。最終的に450ページ超の大著となっています。

第五章がまるまる昭和42年(1967)封切り、丹波さんが光太郎を演じた松竹映画「智恵子抄」がらみ。他の章でも「智恵子抄」に言及されている箇所が散見されます。それだけ「智恵子抄」が丹波さんにとって大きな意味をもつ作品だったというわけで。

しかし、周囲はそうは考えなかったようです。本文より。

 ところが、『智恵子抄』以降、俳優・丹波哲郎のあらんかぎりの能力を引き出そうとする監督やプロデューサーは、ついにひとりも現れなかった。
 丹波は長年、『智恵子抄』のような人間の本質を追求していく作品への出演を待ち望んでいたのに、来る役も来る役も、同工異曲の代わりばえしないものばかり。次第に俳優としての将来に自分の力のみではどうにもならない限界を感じ、新しい道を切り開いていく決意を固めたのだろう。


「新しい道」が、のちの「霊界」への傾倒です。この部分、丹波さんと「Gメン’75」で共演された原田大二郎さんのおっしゃった内容ですが、野村氏も激しく同意なさっているようです。

それから『週刊現代』さんでの連載時にも触れられていましたが、奥様の貞子夫人の存在が『智恵子抄』を鬼気迫るものたらしめたという考察が、さらに突っ込んでなされています。貞子夫人、結婚後ほどなくして難病のポリオに罹患、自力での歩行もほぼ不可能な状態だったそうです。後年、丹波さんがその奥様に贈られた自費出版の冊子は『智恵子抄』ならぬ『貞子抄』だったそうで。

ところが丹波さん、奥様一筋だったかというとそうではなく、他に「愛人」が二人。そのうち一人との間には「隠し子」まで。しかし、世間一般に言う「愛人」「隠し子」というニュアンスではなく、貞子夫人にも世間にも包み隠していませんでした。現代では「芸能人の不倫」というと、それだけで芸能界から抹殺されかねない風潮ですが、いい悪いは別として、それが通っていた時代だったんだなぁと思いました。

「いい悪いは別として、それが通っていた時代」ということになりますと、丹波さんの破天荒ぶりすべてに当てはまるような気がします。撮影時の遅刻、セリフを覚えてこない、他の俳優さんへのあからさまな対抗意識などなど。しかし、それらも時と場合で、確信犯的に、言い換えれば「丹波哲郎はかくあるべき」という虚像を演じるために、わざと遅刻したりしていらしたそうです。セリフを覚えないというのも作品によってで、意に沿わない役を続けさせられる場合などに、制作陣への皮肉として「どうせいつも同じようなものなんだから」的な感じだったそうで、カメラに写らないように共演者の胸にカンペを貼ったりして凌がれていたとのこと。そういうのも時と場合による確信犯で、五社英雄監督などは「丹波がセリフを覚えてこないなど、ありえない」と断言なさったそうです。

現代ではこういう豪快な俳優さん、存在し得ないのでしょう。

野村氏の筆は、そんな丹波さんに対し、全体的にはリスペクトに貫かれつつも過剰に心酔するでもなく、さりとてゴシップ的に悪行の数々を暴くでもなく、冷静に進められています。そして丹波さんを取り巻いた芸能界や社会全体へのある種の提言に満ちています。

また、故人を含め、数多くの人々の丹波さん評や、それぞれとのエピソードも読み応えがありました。三船敏郎さん、仲代達也さん、西田敏行さん、森田健作さん、宮内洋さん、里見浩太朗さん、原田大二郎さん、若林豪さん、谷隼人さん、岡本富士太さん、浜美枝さん、鶴田浩二さん、若山富三郎さん、明石家さんまさん、ビートたけしさん、ショーン・コネリーさん、伊丹十三さん、丹波義隆さん……。

ちなみにカバーを外した状態がこちら。この装幀もすばらしいと思いました。
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ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

一週間に亘る大豪雨で諸川氾濫、小生の畑も水びたしとなり相応に影響があります。今日は雨やみましたが晴れません。


昭和22年(1947)8月3日 宮崎稔宛書簡より 光太郎65歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村。自然の脅威には逆らえませんでした。

俳優の寺田農さんが亡くなりました。

『朝日新聞』さんから。

俳優の寺田農さん死去 映画・ドラマで渋い脇役、「ムスカ大佐」も

 渋い脇役として映画やドラマで長く活躍した俳優の寺田農(てらだ・みのり)さんが14日、肺がんで死去した。81歳だった。所属事務所が23日、公式サイトで公表した。葬儀は近親者で営んだ。
 1942年、東京都出身。父は洋画家の寺田政明。文学座付属演劇研究所を経て、テレビドラマ「青春とはなんだ」で注目を集める。68年、岡本喜八監督の映画「肉弾」で毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。「セーラー服と機関銃」「ラブホテル」など相米(そうまい)慎二監督や実相寺昭雄監督らの作品、NHK連続テレビ小説「澪(みお)つくし」といったテレビドラマや特撮作品「ウルトラマン」シリーズに出演。主に渋い脇役として長く活躍し、2021年には映画「信虎」で36年ぶりの主役を務めた。
 ナレーターや声優としても活動し、アニメ映画「天空の城ラピュタ」の悪役ムスカ大佐の声で知られた。
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寺田さんが光太郎詩の朗読をなさったソフトが2種類、販売されています。

まず平成6年(1994)にクレオハウスさんという会社の出したVHSビデオ「日本文学紀行 名作の風景 智恵子抄」。ナレーションも寺田さんでした。
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最近も、令和元年(2019)、株式会社トゥーヴァージンズさんから出たCD13枚組「【近代文學の泉】朗読で味わう文豪の名作」で光太郎詩35篇を担当。
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令和3年(2021)には同一音源を使った普及版として「朗読で味わう文豪の名作4(CD3枚組)太宰治・島崎藤村・高村光太郎」も発売されました。
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また、遡って昭和42年(1967)、岩下志麻さん、丹波哲郎さん主演の松竹映画「智恵子抄」にもご出演。まだ若手の頃で、公式パンフ等にはクレジットがありませんでしたが、美に取り憑かれ、心を病んで自殺してしまう画学生の役でした。
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さらに昭和48年(1973)には、NHKさんの「生きて愛して」。平日午後10時から15分ずつ放映されていた「銀河テレビ小説」という帯ドラの一つで、光太郎智恵子を描いたものでした。光太郎は片岡仁左衛門さん、智恵子が大空真弓さん。寺田さんは光太郎の親友・荻原守衛の役で、全30話中の第2話から第5話にご出演なさいました。

そのご縁で、一昨年、守衛の個人美術館・碌山美術館さんでクラウドファンディングを行った際、寺田さんも応援メッセージを寄せられました。
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最初、「守衛(もりえ)」でなく「守衛(しゅえい)」の役だと勘違いなさったというエピソードには笑わせていただきました。

お父さまは智恵子も通っていた太平洋画会に所属されていた画家ということなので、美術とは浅からぬご縁がおありだったのですね。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

今は何を措いても国民が気を揃へて物を生み出す事に懸命になる外ありません。何しろあの無理を押し切つての戦争のあとですから今日のやうな状態はどちらにしても必ず来るにきまつてゐた事です。相互扶助の精神こそ今日最も要求せられるものと存ぜられます。


昭和22年(1947)2月10日 鏑慎二郎宛書簡より 光太郎65歳

終戦からおよそ1年半。空襲やなどによる命の危険は去ったものの、食料をはじめとする物資不足などの国民生活の混乱はまだまだ続いていました。

先月封切りの映画「風よ あらしよ 劇場版」に関し、新聞に載った評をご紹介します。

『北海道新聞』さん。

映画「風よ あらしよ」柳川監督 声上げる大切さ今も■女性の自由と自立 命懸けた伊藤野枝

005 大正期の女性解放運動家・伊藤野枝を描いた村山由佳の評伝小説が原作の「風よ あらしよ」が札幌・シアターキノで上映されている。2022年に放送されたNHKドラマの劇場版で、わずか28年の生涯を激しく生き抜いた野枝を演じるのは吉高由里子。吉高が主演した連続テレビ小説「花子とアン」でディレクターを務めた柳川強が演出を手がけた。
 家を支えるためだけの結婚を蹴り上京した野枝は、平塚らいてう(松下奈緒)の言葉に感銘を受け、青鞜社に入る。女学校時代の教員・辻潤(稲垣吾郎)と結婚するも、やがて関係は破綻。無政府主義者大杉栄(永山瑛太)と出会い、生涯のパートナーとして関係を深めていく。
 大杉の妻や愛人との四角関係など〝自由奔放〟な側面が強調されがちだが、原作では野枝が、困ったときに助け合う「共助」の思想を掲げていたことが描かれる。柳川は「彼女の思想は、新自由主義の台頭によって社会の分断が進み、人とのつながりが持ちづらくなっている現代社会にリンクする。映画でもこの点を大切にしたいと思った」と語る。
 大学時代に、宮本研による戯曲「ブルーストッキングの女たち」を見て以来、野枝にひかれ続けていたという。女性が声を上げることが今以上に難しかった時代に臆することなく貧困や男女不平等など社会矛盾に異を唱え、個としての自由や自立を訴えた野枝。彼女を演じるのは「吉高さんしか思い浮かばなかった」と明かす。かれんでキュートなイメージが強いが、「野枝を激情型の人物像にするのは簡単なんだけど、それは彼女の一面でしかない。人との距離感をすっと縮めることができる人という野枝のイメージが吉高さんに重なりました」。
 1923年(大正12年)の関東大震災直後の混乱に乗じて多くの朝鮮人や、社会主義者、アナキストらが虐殺された。大杉と野枝も、大杉のおいで当時6歳だった橘宗一とともに憲兵の甘粕大尉(音尾琢真)らに殺され、遺体は井戸に投げ込まれた。
 映画は井戸の底から空を見上げるシーンで始まり、終わる。柳川は「100年前の出来事だけれど、当時の空気感は今とそんなに違わない。個人の自由が権力や集団に阻害されるとき、個人として声を上げるのは確かに難しい。でも、そうありたいと思い続けることはできる。そのきっかけになればうれしい」と話す。
 2023年、2時間7分。脚本は矢島弘一。シネマアイリス(函館)、シネマ・トーラス(苫小牧)、大黒座(浦河)でも上映予定。
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『東京新聞』さん。

映画「風よ あらしよ 劇場版」 伊藤野枝の生涯描くNHKドラマを再編集 時代が野枝に追いついてきた

006 100年前の日本で女性解放運動の第一線に立ち、近年、再評価が進む伊藤野枝(のえ)(1895~1923年)。波乱の生涯を描くNHKドラマを再編集した映画「風よ あらしよ 劇場版」が公開中だ。
 手掛けたのは柳川強。沖縄返還やアイヌ民族といった骨太の題材をドラマにしてきた演出家は、野枝の魅力をこう語る。「今よりよっぽど男尊女卑の考え方が強かった時代に、世間の目をものともせず声を上げる。その奔放さに引かれた」
 野枝(吉高由里子)は福岡県の貧しい家に生まれた。「元始、女性は太陽であった」と男社会に疑問を突きつけた青鞜社の平塚らいてうに憧れ、親の決めた嫁ぎ先を飛び出す。無政府主義者・大杉栄(永山瑛太)のパートナーとなった末に、28歳の若さで憲兵に殺害されてしまう。
 映画はその歴史を追いつつ子育てや料理、掃除といった日常も丁寧にすくい上げる。「主義主張よりも、生活の中にこそ、にじむものがある」と柳川。「主義者」につきまとう先鋭的なイメージではなく、根底にある素朴な「助け合いの精神」に光を当てる。
 柳川と吉高は、NHK連続テレビ小説「花子とアン」で組んだ。原作は村山由佳の同名小説。柳川は言う。「#MeToo運動など、『声を上げる』という動きは今とリンクしている。時代が野枝に追いついてきたのかもしれない」 

映画では村山由佳氏の原作にある光太郎智恵子登場シーンは残念ながら割愛されていますが、智恵子が表紙を描いた『青鞜』創刊号がモチーフとして随所に使われ、光太郎智恵子と交流のあった人々が多数登場、なかなかの見応えです。

公開終了してしまった上映館も多いのですが、これからというところもあります。まだという方、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

小生は胎教を信ずる者です。もし赤さんが出来たのなら日常の精神と行ひとをつとめて清浄に、敬虔な日を送るべきです。


昭和21年(1946)10月24日 宮崎春子宛書簡より 光太郎64歳

春子は智恵子の姪にして、その最期を看取った元看護師です。前年に光太郎の仲介で、詩人の宮崎稔と結婚しました。翌年には男の子が無事誕生。宮崎夫妻は何と「光太郎」と命名してしまいました。

先週封切りの映画「風よ あらしよ 劇場版」に関し、新聞等で告知などが為されていましたのでご紹介します。

『神奈川新聞』さん。

映画批評 「風よ あらしよ 劇場版」

 2022年にNHKで放送されたドラマの劇場版。吉川英治文学賞を受賞した村山由佳の原作小説からほとばしる、100年前の女性解放運動家・伊藤野枝の熱量を、吉高由里子(写真)が見事に演じ切った。
 1923年、関東大震災後の混乱に乗じて何人もの社会活動家が殺された。野枝もその一人で、パートナーで無政府主義者の大杉栄(永山瑛太)と、わずか6歳だった大杉のおいと共に陸軍憲兵隊に連行され殺害された。遺体は無残にも古井戸に投げ込まれ、その暴挙が発覚したのは死後何日もたってのことだった。世にいう甘粕事件だ。
 その生涯は常に声を上げ続けたものだった。「元始、女性は実に太陽であった」と宣言した平塚らいてう(松下奈緒)に感銘を受け、青鞜社に入社。「新しい女」の自覚を胸に、女性の地位向上を訴えた。自分が見て、聞いたことを自分の言葉で書き、世間に見向きをされない時も諦めなかった。
 事件当時、野枝は28歳の若さ。男尊女卑の風潮が色濃い中で、「女だから」というだけで自由に生きられない世の中に、幼い頃から疑問を抱き続けた野枝。どんなに無念だったろうか。
 今の世に野枝が生きていたら、と思わずにいられない。女性の人生における選択は格段に増えた。だが、野枝が訴えた「誰もが自由に生きられる社会」は実現しているだろうか。大きな問いを突き付けられた。
演出/柳川強 製作/日本、2時間7分
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『毎日新聞』さん。

「風よ あらしよ 劇場版」 惨殺された女性解放運動家、伊藤野枝の生涯

 毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
 大正時代に因習や社会情勢に異議を申し立て、大杉栄とともに惨殺された女性解放運動家、伊藤野枝の生涯を描く。2022年にNHK BSで放送されたドラマを再編集した。
 貧しい農家で育った野枝(吉高由里子)は平塚らいてうが主宰する雑誌「青鞜」に参加、「婦人解放」を唱える。やがて元教師の夫、辻潤(稲垣吾郎)と別れ、無政府主義者の大杉(永山瑛太)と暮らし始める。
 波乱に満ちた生涯を物語に詰め込むのに、きゅうきゅうとした感は否めないが、平塚やダダイストの辻、大杉ら、野枝に影響を与えた人物、野枝の自由への渇望や思想形成の過程をきっちり押さえた。大杉の奔放な女性関係なども描き、距離を置いて人物にフォーカスした演出にも好感。当時の社会規範や権力の暴走を明確にすることで、今に通じるエッセンスも際立った。何度か取り上げられた題材だが、野枝の内面を分かりやすく描写するなど、より知ってもらいたいという意図も明白。芯の強い野枝を吉高が精緻に演じた。原作は村山由佳の同名小説。柳川強が演出。2時間7分。東京・新宿ピカデリー、大阪・シネ・リーブル梅田ほか。

ここに注目
 人間としての懊悩(おうのう)や葛藤のドラマを期待すると拍子抜けだが、歴史上の人物の生涯を分かりやすくまとめ、入門編としては好適。「女性であるというだけで我慢を強いられ搾取される」という野枝の主張は、現代にそのまま響く。当時としては過激な思想を貫いた強さに、改めて驚かされる。

『週刊実話』さん。

やくみつる☆シネマ小言主義~『風よ あらしよ 劇場版』/2月9日(金)より全国順次公開

原作/村山由佳『風よ あらしよ』(集英社文庫刊)
出演/吉高由里子、永山瑛太、松下奈緒、美波、玉置玲央、山田真歩、朝加真由美、山下容莉枝、渡辺哲、栗田桃子、高畑こと美、金井勇太、芹澤興人、前原滉、池津祥子、音尾琢真、石橋蓮司、稲垣吾郎
製作・配給/太秦

 男尊女卑の風潮が色濃い大正時代。福岡の田舎の貧しい家で育った伊藤野枝(吉高由里子)は親が決めた結婚を拒み、逃げるように上京する。
 その後、平塚らいてう(松下奈緒)の「元始、女性は太陽であった」という言葉に感銘を受けた野枝は、手紙を送り、女流文学集団「青鞜社」に参加。当初、詩歌が中心だったが、いつしか伊藤が中心となり、社会矛盾に異議を唱える婦人解放運動団体へと発展していく。
 2014年に放映されたNHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』のヒロインである翻訳者、今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の主役・紫式部、そして、女性解放運動家・伊藤野枝を描いた本作。すべて吉高由里子主演です。
 垢抜けないフツーの女の子が、さまざまな出会いを通して自身のアカデミックな才能を開花させていく物語がこれで3作揃った感があり、吉高由里子と言えば「反骨心あふれる女性の半生」が代名詞になる可能性がありますね。
 自分は不勉強で伊藤野枝という女性解放運動家を知りませんでした。彼女は、平塚らいてうの「元始、女性は太陽だった」という言葉に感銘を受け、「青鞜社」に入って「女はこうあるべきだ」という因習に真正面から立ち向かいます。
 日本を代表する無政府主義者、大杉栄のことは、教科書的な知識として知っていました。しかし、大杉栄のパートナーだった伊藤野枝まで大杉とともに、あらぬ疑いで憲兵に捕まり、28歳の若さで惨殺されていたことに衝撃を受けました。
 この事件が起きたのはちょうど100年前のことです。

吉高由里子の熱演は確かだが…
 パンフレットにあった原作者の村山由佳さんの言葉には『(声をあげれば)世界は、変わる。かつて野枝たちが身をもって証明したのに、100年の間に元に戻ってしまっただけだ』とありました。
 当時に比べたら女性の社会進出ははるかに進んだでしょう。けれども、いまだに性加害があったりと、100年経っても女性の地位はまだこんなレベルかと伊藤野枝は失望するだろうか。あるいは、ここまで進んだかと肯定的に捉えるのか。
 一周回った今、伊藤野枝が現代のこの社会をどう思うだろうかと自問自答したくなる映画です。
 さて、本作の評価を一身に背負っているのは主演の吉高由里子に間違いないと思うのですが、実は自分が星1つ減じてしまったのもその点。彼女を起用した意図は理解できます。
 この華奢な体のどこにそんな反骨パワーが潜んでいたのかと、観客に感じさせようという人選でしょう。
 本作の見どころの一つに、民衆を前に「女性の不平等」について演説するシーンがあります。懸命に声を張り上げているのですが、この声のトーンで、聴衆の1人だった革命家の大杉栄に衝撃を与えられるのかと、どうしても思ってしまうんですよ。
 「線の細さ」と「アナーキーな言動」とのギャップを強調すればするほど、映像としての無理感が否めないのではないか。吉高由里子が熱演なだけに、痛し痒しですね。

やくみつる
漫画家。新聞・雑誌に数多くの連載を持つ他、TV等のコメンテーターとしてもマルチに活躍。

辛口の部分もありますが、やくさん、概ね好意的な評ですね。

Youtube上に予告編もありました。


ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

しかし生命の信念は死とは別個の心事です。人悉く死す。しかも生命の感宇宙に充満せり。

昭和21年(1946)9月11日 小盛盛宛書簡より 光太郎64歳

共通の知人であった詩人の逸見猶吉が、関東軍報道隊員として派遣されていた満州から復員できずに客死したという報に対しての返信の一節です。逸見は亡くなったけれど、我々の心に生き続けるよ、というところでしょうか。

同様に、関東大震災直後のドサクサで抹殺された野枝の残したメッセージ、今も現代の我々に語りかけてくれているわけですね。

PXL_20240209_233655421昨日は車で10分程のところにある隣町の映画館で映画「風よ あらしよ 劇場版」を拝見して参りました。

元々、NHK BSプレミアムさんで一昨年に放映された全3回のドラマを再編したもので、オンエアを拝見しましたし、録画も保存してあるのですが、大スクリーンで見るのもいいだろうと思い、拝見した次第です。やはりテレビ画面で見るのとでは大違いでした。

智恵子と入れ替わりの時期に青鞜社に入り、智恵子の先輩にして主幹だった平塚らいてう(松下奈緒さん)から『青鞜』を引き継ぐ伊藤野枝(吉高由里子さん)を主人公とし、光太郎と交流のあった辻潤(稲垣吾郎さん)や大杉栄(永山瑛太さん)らとのからみで、その激動の半生を描く映画です。原作は令和2年(2020)に刊行された村山由佳氏の長編小説『風よ あらしよ』
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原作にある光太郎智恵子登場シーンは残念ながら割愛されています。

公式パンフをゲット。通常の映画ですと公式パンフはB5版くらいでカラフルな表紙のリーフレット、30ページ前後という感じですが、今回のものは一見して映画パンフに見えません。四六判の通常の書籍のようなスタイルです。頁数も66ページあります。そこで最初、売店ですぐに見つけられませんでした(笑)。ちなみに定価1,000円(税込)です。
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目次
 ディレクターズメッセージ 柳川強
 序説
 物語
 インタビュー 吉高由里子 伊藤野枝を演じて、1から10のこと
 登場人物
 無政府の事実 伊藤野枝
 伊藤野枝略年譜
 スタッフ
 わたしたちが人の「弱さ」にいまどうやって立ち向かうのか、問いかける作品 田中ひかる
 伊藤野枝のアジテーション ブレイディみかこ
 伊藤野枝のまなざしの先には 加藤陽子
 戦いと恋と 大杉豊
 原作者・村山由佳の言葉


執筆陣も豪華ですね。ブレイディみかこ氏は野枝と同郷、大杉豊氏は筑波大学教授にして大杉栄の令甥です。さらに野枝自身の文章「無政府の事実」(大正10年=1921)も掲載されています。

大河ドラマ「光る君へ」で紫式部役を熱演されている吉高由里子さんへのインタビューも読み応えがありました。「辻さんもらいてうさんも同じパターンなんですけど、憧れから野枝が押しかけて、付き合っているうちに、野枝のエネルギーと気持に火がついて、そのうちに野枝のすごい行動力で、2人を追い越しちゃって、という部分があって、それに対しては2人とも悔しかったんだろうなと思います」など、的確に捉えられています。

実際、追い越されてしまった二人、辻潤と平塚らいてう、稲垣吾郎さんと松下奈緒さんのそうした場面での演技は素晴らしいものでした。

そして公式パンフ大トリに掲載されている原作者・村山由佳氏の言葉が特に刺さりました。曰く「あれから百年が経った。私たちはすっかり牙を抜かれてしまった。選挙へ行こうと口にする人に対して、たかが一票では世界は変わらないと嗤う。戦争を止めようと声をあげる人に向かって、現地に行って叫ばなければ意味がないと嘲る。(略)意味なら、ある。世界は、変わる。かつて野枝たちが身をもって証明してくれたのに、百年の間に多くのことが元に戻ってしまっただけだ。」。

百年」は、関東大震災直後のドサクサで、野枝と大杉、そして大杉の甥の橘宗一少年が憲兵大尉・甘粕正彦らによって虐殺されてから100年です。

以前にもご紹介しましたが、この事件を受けて智恵子は2ヶ月後の雑誌『婦人之友』に次の一文を寄せました。
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この言葉も染みます。

100年後の我々が歴史に何を学ぶか、考えさせられる映画です。ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

今「宮沢賢治文庫」の装幀をやつてゐますがこれが又ひどくむつかしくて案をかへる事十三、四回、試作二十五、六枚に及びました。明日はきめてしまふつもりです。

昭和21年(1946)9月7日 水野葉舟宛書簡より 光太郎64歳

「宮沢賢治文庫」は、賢治実弟の清六と共に編んだ日本読書購買利用組合(のち、日本読書組合)版の『宮沢賢治文庫』。
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当方手持ちの全6巻は、現在、花巻の高村光太郎記念館にて展示中です。

映画の公開情報です。

風よ あらしよ 劇場版

公 開 : 2024年2月9日(金)~ 全国順次公開
上 映 : 新宿ピカデリーほか
出 演 : 吉高由里子(伊藤野枝) 永山瑛太(大杉栄) 松下奈緒(平塚らいてう)
      美波(神近市子) 玉置玲央(村木源次郎) 山田真歩(堀保子)
      朝加真由美(辻美津) 山下容莉枝(渡辺八代) 栗田桃子(保持研
      高畑こと美(尾竹紅吉) 福田ユミ(中野初) 成田瑛基(奥村博史)
      金井勇太(和田久太郎) 芹澤興人(久板卯之助) 永瀬ゆずな(大杉魔子)
      音尾琢真(甘粕正彦) 石橋蓮司(渡辺政太郎) 稲垣吾郎(辻潤)ほか
演 出 : 柳川強
脚 本 : 矢島弘一
音 楽 : 梶浦由記

 関東大震災後の混乱のさなか、ひとりの女性が憲兵に虐殺された。女性解放運動家の伊藤野枝。貧しい家で育った野枝は、平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」という言葉に感銘を受け、結婚をせず上京。自由を渇望し、バイタリティ溢れる情熱で「青鞜社」に参加すると、結婚制度や社会道徳に異議を申し立てていく。伊藤野枝を演じたのは吉高由里子。平塚らいてうに松下奈緒。また野枝の第一の夫、ダダイスト・辻潤を稲垣吾郎が、また後のパートナーとなる無政府主義者・大杉栄を永山瑛太が演じる。吉川英治文学賞を受賞した村山由佳の評伝小説『風よ あらしよ』を原作に、向田邦子賞受賞の矢島弘一が脚本を担当する。本作の演出を務めた柳川強は「赤毛のアン」の翻訳者・村岡花子の波乱万丈の人生を描いたNHK連続テレビ小説「花子とアン」のディレクターも務めており、本ドラマでも主演を演じきった吉高由里子とは9年ぶりのタッグを組んだ。ひとりの女性の短くも激しい生涯から100年経ったいま――なにがかわり、なにが残されているのか。

 「女は、家にあっては父に従い、嫁しては夫に従い、夫が死んだあとは子に従う」事が正しく美しいとされた大正時代。男尊女卑の風潮が色濃い世の中に反旗を翻し、喝采した女性たちは社会に異を唱え始めた。
 物語の主人公は、福岡の片田舎で育った伊藤野枝。貧しい家を支えるための結婚を蹴り上京する。平塚らいてうの言葉に感銘を受け手紙を送ったところ、青鞜社に入ることに。青鞜社は当初、詩歌が中心の女流文学集団であったが、やがて伊藤野枝が中心になり婦人解放運動に発展していく。野枝の文才を見出した第一の夫、辻潤との別れ、生涯のパートナーとなる無政府主義の大杉栄との出会い、波乱万丈の人生をさらに開花させようとした矢先に関東大震災が起こる。そして混乱のさなか、理不尽な暴力が彼女を襲うこととなる……。
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令和2年(2020)に刊行された村山由佳氏の長編小説『風よ あらしよ』を原作に、一昨年、NHK BSプレミアムさん(当時)で放映された全3回のドラマを再編、「劇場版」として公開するものです。

村山氏の原作には登場する光太郎と智恵子、残念ながら登場しませんが、智恵子が表紙絵を描いた『青鞜』創刊号(明治44年=1911)が重要なモチーフとして繰り返し使われています。
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松下奈緒さん扮する平塚らいてうや、永山瑛太さんの大杉栄はじめ、登場人物の中には光太郎智恵子と交流のあった人々も多数。
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主役の伊藤野枝を演じられたのは、今年の大河ドラマ「光る君へ」で「まひろ」こと紫式部を熱演されている吉高由里子さん。吉高さんといえば、当方、光太郎とも面識のあったと思われる村岡花子を演じられた「花子とアン」の印象が非常に強いのですが、紫式部、伊藤野枝、村岡花子と、時代背景は違えど、共通する情熱やしたたかさを持ったある種たくましくもたおやかな部分もあり、なおかつ悪く云えば生意気な女性のイメージですね。吉高さんはこうした女性を演じられたら一級品ということでしょう。

ちなみに「光る君へ」で、大河史上、一、二を争うゲス野郎ともいえる藤原道兼を演じられている玉置玲央さん、「風よ あらしよ」では逆に大杉率いるアナーキスト一派の「良心」ともいうべき村木源次郎役です。当初は「源兄(げんにい)」と呼ばれ、子供たちにも慕われていた村木ですが、大杉・野枝夫妻の没後には大杉の「ああいう奴がほんもののテロリストになる」という予言の通りになっていきます。時間軸としてそのあたりまでは描かれないのですが。

というわけで、「風よ あらしよ 劇場版」、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

本当に辻潤と四人で一度でものまなかつたのが心残りです。辻潤の江戸ツ子気質の性根から来てゐる行動の末々を本当に分つてゐる人は少ないでせう。


昭和21年(1946)8月1日 西山勇太郎宛書簡より 光太郎64歳

光太郎は野枝の最初の夫、辻潤とも交流がありました。

大正13年(1924)刊行の陶山篤太郎詩集『銅牌』の序文を光太郎が書き、英訳を辻が手がけています。また、昭和14年(1939)に刊行された西山勇太郎詩集『低人雜記』では、光太郎が題字を、辻が序文を担当しました。後の西山宛の光太郎書簡には辻の名が頻出します。また、昭和29年(1954)に刊行された『辻潤集』全二巻の編集委員には、光太郎も名を連ねました。

西山は辻と交流の深かった詩人です。光太郎はこの頃、西山の主宰していた雑誌に、戦時中に餓死した辻の追悼文を依頼され、乗り気だったのですが、結局実現しなかったようです。それが書かれていればもう少し詳しく辻と光太郎の関係性が分かったところですが。

「四人」は光太郎、辻、西山、もう一人はおそらく西山や光太郎と親しかった風間光作と思われます。

ちなみに辻潤、「風よ あらしよ」では稲垣吾郎さん。登場当初はりりしく颯爽としていましたが、次第にダメ男ぶりを遺憾なく発揮していきます。
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1月13日(土)、世田谷文学館さんにお邪魔しました。
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こちらで開催中の「コレクション展 衣裳は語る――映画衣裳デザイナー・柳生悦子の仕事」拝見のためです。
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会場内部は撮影禁止でした。

映画史上に残る数多くの映画で衣裳デザインを担当された故・柳生悦子氏の原画を中心とした展示で、約3,000点の寄贈を受けたうちの厳選されたものが並んでいました。
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お目当ては昭和42年(1967)封切りの松竹映画「智恵子抄」衣裳デザイン原画。光太郎役の丹波哲郎さんのものが1点、岩下志麻さん演じる智恵子のものが約30点。
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上記はX(旧・ツイッター)に上げられた同館のポスト(ツイート)です。それぞれにいろいろと書き込みがしてあり、こりゃ現物を見ないとしょうがないなと思って参じた次第です。

で、書き込みも細かく読んで参りました。映画の「原作」という位置づけになっている佐藤春夫の『小説智恵子抄』や、当会の祖・草野心平が書いた随筆の一節、それからそれぞれの衣裳に於ける注意事項等がびっしり。驚きました。

上記画像を事前に見て、そうだろうな、と思っていたのですが、左上から始まって右下まで、シーンの順に並んでいます。光太郎と出会う前の若き日の智恵子から、最晩年まで。当然と言えば当然ですが、結婚前の恋愛時代の衣裳は華やかなものが多く、結婚後、特に心を病んでからのそれはシックな感じに移っていきます。

驚いたのは、一番左下のエプロン。同一のものがあと2ヶ所でも描かれていますが。
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雑誌『婦人之友』第18巻第7号(大正13年=1924 7月)に掲載された「変つた形のエプロン二種」という記事に写真と型紙(尺貫法で書かれています)が載った、実際に智恵子が自作し着用していたエプロンほとんどそのままです。
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こういう形のエプロンが一般的だったわけではないようで、『婦人之友』には「高村光太郎氏の御宅に伺つたとき、手を拭きながら出ていらしつた夫人が、ほんとうに面白い前掛をかけてゐらつしやいました。」と書かれていますし、少し調べてみてもこういう形のエプロン画像は見かけません。

ということは、柳生氏、大正時代の『婦人之友』のこの記事を読まれたのだと思われます。舌を巻きました。

録画して置いた映画「智恵子抄」を見返してみましたところ、ちゃんとこのエプロンを着用しているシーンがありました。
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「いや、こういうエプロン、一般的に使われていたよ」というような情報、資料をお持ちの方、御教示いただければ幸いです。

他の映画等のデザイン原画も拝見。ジャンルが実に多岐に亘っているのに驚きました。「裸の大将」「若大将」「風林火山」「八つ墓村」「戦国自衛隊」「敦煌」などなど。

残念ながら図録は作成されておらず、このコレクションに特化した書籍がもしかしたらあるかな、と思ったのですがありませんでした。ぜひとも3,000点をカラーで収録し、出版していただきたいものです。

会期は3月31日(日)まで。同時開催で「江口寿史展 ノット・コンプリーテッド」も2月4日(日)まで開催されています。ぜひ足をお運びください。
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追記:最近流行りのAIで白黒写真をカラー化できるアプリで遊んでいたところ、問題のエプロンと同型のものを智恵子が着用している写真を見つけました。というか、あちこちで使われている有名な写真ですが、そこにエプロンが映っていたのを見つけたというべきですか。カラー化して初めて気づきました。この写真、白黒で二本松市の智恵子生家や道の駅で顔はめパネルとして使われています。
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【折々のことば・光太郎】

毎日荒地を掘り起して畑を作つてゐます。実にその仕事が爽快で朝起きるが待ち遠しいやうです。

昭和21年(1946)4月23日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村で、数え64歳にして生まれて初めて本格的に農作業に取り組み始めました。嬉々として取り組んでいる様子がうかがえますね。

昨日は約1ヶ月ぶり、おそらく今年最後の上京をしておりました。レポートいたします。

まずは虎ノ門の大倉集古館さん。
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こちらでは先月から「大倉組商会設立150周年記念 偉人たちの邂逅―近現代の書と言葉」が開催中です。
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基本、大倉財閥創業者の大倉喜八郎・喜七郎父子の本人たち、それから交流のあったさまざまな人々の書が中心の展示でした。

しかし、受付カウンター脇、展示ナンバー1が光太郎の父・光雲作の木彫「大倉鶴彦翁夫妻像」(昭和2年=1927)。「鶴彦」は喜八郎の号です。

残念ながら撮影禁止。さらに発行されていた図録にも画像が載っていませんでした。特別展示的な扱いなのでしょうか。下記は過去の他の展覧会の図録から。
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像高約50センチ。実に緻密な作りです。二人の着物に大倉家の家紋までうっすら彫り込んであるのには舌を巻きました。また、座布団など、まさに座布団としか思えません。

この像を拝見するのは20数年ぶり2度目。初回は他の光雲作品数十点と共に見たため、この像だけの印象というのがあまり残っておらず、その意味ではいい機会でした。

生きている人物の肖像をやや苦手としていた光雲が、喜八郎の顔の部分は光太郎に塑像で原型を作らせ、それを元に木彫に写すという、何度か行われた手法で作られているため、出品目録では光雲・光太郎の合作ということになっています。

光太郎の喜八郎原型はこちら。粘土を焼いてテラコッタにし、さらにそこからブロンズに写され、同型の物は全国に存在します。左上と下がテラコッタ、右上はブロンズです。テラコッタは左耳の部分が欠けてしまいました。
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ロダン風の荒々しい光太郎の原型も、光雲が木に写すと柔和な感じに。光太郎はそれが気に入らなくて八つ当たりみたいな詩「似顔」(昭和6年=1931)も書きましたが、記念像として注文主がいる作品ではしかたありますまい。

ところで、夫人の方は光太郎が原型を作ったという記録が見あたりません。どうなっていたのでしょうか。詳しい方、御教示いただければ幸いです。

その他、出品目録は以下の通り。残念ながら他に直接光雲、光太郎に関わる展示品はありませんでした。それでもなかなかの優品揃いでしたが。
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その後、新宿へ。

JR新宿駅東南口を出てすぐのK’s cinemaさんで一昨日封切られた映画「火だるま槐多よ」を拝見。
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「槐多」は光太郎と交流のあった画家、村山槐多。タイトルの「火だるま」は光太郎詩「村山槐多」(昭和10年=1935)からの引用です。赤い絵の具「ガランス」を愛した槐多を「火」として表した光太郎、それほど深い関わりではありませんでしたが、鋭く本質を見抜いていたことがうかがえます。

といっても、槐多の伝記映画ではなく、槐多の絵、それから槐多は詩も書いていましたので、その詩と、まぁいわば槐多ワールドを映画で表現するといった趣。ある意味、現代アートのインスタレーションに近い感じでした。槐多本人がこの映画を観たら、「美しい」と言ったような気はします。

したがって、ストーリーはあるものの、緻密な伏線が張られて山あり谷あり、ラストに向けて伏線が回収されてどんでん返しが複数回、最後に大団円、というタイプの作りではありません。困ってしまった映画評論家のセンセイは「映像美を楽しもう」的な評でごまかしています(笑)。

公式パンフ(1,000円)。佐藤寿保監督と、佐野史郎さんら主要キャストの皆さんのサイン入りでした。
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光太郎詩「村山槐多」の全文も収録されています。
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映画の中では抜粋で引用されていました。

また、槐多に惚れ込んだ窪島誠一郎氏の文章も掲載されています。当方、窪島氏が設立し槐多の作品を多数展示していた信濃デッサン館さんを訪れたことが複数回ありますが、その後、同館閉鎖後、令和2年(2020)に「KAITA EPITAPH 残照館」としてリニューアルされてからはまだ行っていません。すぐ近くに亡父の実家があるのですが、交流もほぼ無くなってしまいまして……。いずれ近いうちに、とは思っております。

映画「火だるま槐多よ」、K’s cinemaさんでは1月12日(金)までの上映、その他、年明け早々には大阪や槐多と縁の深い長野で封切られますし、順次全国で公開されます。ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

昨夜は猛烈な吹雪で小屋の中へも吹き込みました。今日は吹雪はやみ、細雪がちらちらしてゐます。


昭和21年(1946)2月4日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)。屋根は杉皮葺きで天井板は張らず、壁は粗壁、窓は障子。吹雪の際には寝ている布団にもうっすら雪が積もる程でした。

新作映画の情報です。

火だるま槐多よ

上 映 : 東京都  K’s cinema    12/23(土)~
      神奈川県 横浜シネマリン  2/10(土)~
      栃木県  宇都宮ヒカリ座  1/26(金)~2/1(木)
      長野県  千石劇場     1/5(金)~1/18(木)
           上田映劇     2/16(金)~
      愛知県  シネマスコーレ  時期調整中
      大阪府  第七藝術劇場   1/6(土)~
      京都府  アップリンク京都 1/19(金)~
出 演 : 遊屋慎太郎 佐藤里穂 工藤景 涼田麗乃 八田拳 佐月絵美 田中飄 佐野史郎
監 督 : 佐藤寿保

映画『火だるま槐多よ』は、22 歳で夭逝した天才画家であり詩人の村山槐多(1896~1919)の作品に魅せられ取り憑かれた現代の若者たちが、槐多の作品を彼ら独自の解釈で表現し再生させ、時代の突破を試みるアヴァンギャルド・エンタテインメント。タイトルの由来は、槐多の友人・高村光太郎の詩「強くて悲しい火だるま槐多」である。

あらすじ
 大正時代の画家・村山槐多の「尿する裸僧」という絵画に魅入られた法月薊(のりづき・あざみ)が、街頭で道行く人々に「村山槐多を知っていますか?」とインタビューしていると、「私がカイタだ」と答える謎の男に出会う。その男、槌宮朔(つちみや・さく)は、特殊な音域を聴き取る力があり、ある日、過去から村山槐多が語り掛ける声を聴き、度重なる槐多の声に神経を侵食された彼は、自らが槐多だと思いこむようになっていたのだった。
 朔が加工する音は、朔と同様に特殊な能力を持つ者にしか聴きとれないものだが、それぞれ予知能力、透視能力、念写能力、念動力を有する若者4人のパフォーマンス集団がそれに感応。彼らは、その能力ゆえに家族や世間から異分子扱いされ、ある研究施設で”普通”に近づくよう実験台にされていたが、施設を脱走して、街頭でパフォーマンスを繰り広げていた。研究所の職員である亜納芯(あのう・しん)は、彼らの一部始終を観察していた。
 朔がノイズを発信する改造車を作った廃車工場の男・式部鋭(しきぶ・さとし)は、自分を実験材料にした父親を殺そうとした朔の怒りを閉じ込めるために朔のデスマスクを作っていた。薊は、それは何故か村山槐多に似ていたと知り…

村山槐多(むらやま・かいた)
 1896~1919大正時代の日本の画家で、詩人、作家でもある。
 従兄の山本鼎(画家)に感化され画家を志し、中学生(旧制)の頃より美術、文学に異彩を発揮。ガランス(深紅色)を多用した独特の生命力に溢れた絵画は、二科展、日本美術院展などに入選し、異色作家として注目されたが、破滅的な放浪生活の末、流行性感冒で1919年2月20日死去。
 絵画の主要作に「カンナと少女」「湖水と女」「尿する裸僧」など。詩集に「槐多の歌へる」(遺稿集)など。小説に「悪魔の舌」など
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光太郎と交流のあった鬼才の画家・村山槐多をモチーフとした作品です。ただし、槐多自身を主人公としているわけではなく、槐多の精神に感応した現代の若者がさまざまな事件に巻き込まれ……というストーリーのようです。

したがって、光太郎も登場しないと思います。ただ、過去に槐多が見た風景、的なシーンがあればそこに光太郎の姿があるかもしれませんが。





タイトル「火だるま槐多よ」は、光太郎詩「村山槐多」(昭和10年=1935)から。

   村山槐多

 槐多(くわいた)は下駄でがたがた上つて来た。
 又がたがた下駄をぬぐと、
 今度はまつ赤な裸足(はだし)で上つて来た。
 風袋(かざぶくろ)のやうな大きな懐からくしやくしやの紙を出した。
 黒チョオクの「令嬢と乞食」。

 いつでも一ぱい汗をかいてゐる肉塊槐多。
 五臓六腑に脳細胞を遍在させた槐多。
 強くて悲しい火だるま槐多
 無限に渇したインポテンツ。

 「何処にも画かきが居ないぢやないですか、画かきが。」
 「居るよ。」
 「僕は眼がつぶれたら自殺します。」

 眼がつぶれなかつた画かきの槐多よ。
 自然と人間の饒多の中で野たれ死にした若者槐多よ、槐多よ。

昭和10年(1935)というと、大正8年(1919)の槐多死去から15年以上経っています。光太郎、翌年にはやはり数十年前に亡くなった碌山荻原守衛をテーマにした詩「荻原守衛」を書きました。なぜこの時期に相次いで古い友人たちを唐突とも思えるタイミングで詩に謳ったのか、不思議です。

ところで、X(旧ツイッター)上で、「火だるま」がトレンド入りしていました。
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てっきりこの映画のからみかと思い、「おお!」という感じでしたが、さにあらず。実はこういう件で、笑いました。
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笑っている場合ではないのかもしれませんが(笑)。

X(旧ツイッター)といえば、当会アカウント、「映画「火だるま槐多よ」公式」さんがフォローして下さいました。ありがとうございます。
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というか、さっさとブログで紹介しろよ、ということでしょうか(笑)。

閑話休題。多くないのが残念ですが、ぜひお近くの上映館にてご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

小生の戦時中の詩について摘発云々の事はいささかも驚きません。先方の解釈次第にて如何やうにでも取扱はれるがいいと思つてゐます。小生の詩は多く戦争によつて触発された人間美をうたつたものですが此際解明などしたくもありません。


昭和20年(1945)12月23日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎63歳

この年12月8日、日本共産党が開いた「戦争犯罪人追及人民大会」で、光太郎もリストアップされたことに関わると思われます。結局、光太郎は公的には戦犯として訴追されることはありませんでした。しかし、自分の詩を読んで戦場で散華していった多くの前途有為な若者たちがいたことを知るにつけ、私的に自らを罰する方向に梶を切っていきます。そうなるまでまだ少し時間を要しますが。

現在、京橋のアーティゾン美術館 さんで開催中の「創造の現場―映画と写真による芸術家の記録」。につき、『朝日新聞』さんが光太郎の名を出しつつ報じて下さいました。

創造の現場―映画と写真による芸術家の記録 作家から迫る、日本近代美術

 運慶に雪舟、若冲と、いま日本の古美術の人気は高い。草間彌生や奈良美智らの現代美術もしかり。しかし、その間にある日本の近代美術は、どうもいま一つ。では、かつてはそこにどんな視線が注がれていたのか。今展からは、その一端が伝わる。でも主役は、絵画や彫刻ではない。作者たる芸術家たちの姿を捉えた映画や写真なのだ。
 灰が落ちそうなたばこをくわえたまま、左手に持った絵筆をぐいぐい運んでいる。
 1953年から64年にブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館)が製作した「美術映画シリーズ」のうち「梅原龍三郎」(53年)に登場する、洋画壇の巨匠の姿だ。
 第1章では、梅原や高村光太郎ら6人の制作や日常の風景を捉えた約9~17分の映画6本と、5~7人の姿を約7~11分に収めた「美術家訪問」全10本を流している。前田正邨の1本を除きすべてモノクロだ。
 梅原の場合は天才性も漂うが、全体としては淡々とした演出で、ナレーションも「高村さん」とニュートラル。それでも熊谷守一は仙人然としているし、日本画家が意外にモダンな画室にいることも。
 「美術家訪問」第1集(54年、公益財団法人石橋財団蔵)の川島理一郎の制作風景では、モデルと描く画家の手による画面構成ながら、奥の鏡に川島の姿が見える、といったベラスケス風のアングルも登場する。
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 全体として感じる温かな視線は、確かな画壇の権威があればこそだろう。登場する作家の作品も並び、部屋の奥には光に満ちた戸外が見える石川寅治「農事忙」(47年、同財団蔵、)など、目にする機会の少ない作品との出あいもある。
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 第2章では、写真家・安齊重男による、田中敦子や草間ら現代作家の肖像写真群を紹介。彼らの作風や写真の画面は、ずっと洗練されている。
 作者と作品は分けるべき、という考えがある。一方で、ピカソや岡本太郎、草間らは作者像が作品と一体化する。近代美術にも当てはまるとすれば、新しいのにどこか古くさいイメージもある近代美術に、作家像から近づく手もあるだろう。今展は、その機会といえる。
▽11月19日まで、東京・京橋のアーティゾン美術館。月曜(休日の際は翌日)休館。


1ヶ月程前に拝観して参りましたが、各作家の息づかい、絵の具の香りまで感じられるような、濃密な空間でした。

11月19日(日)まで。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

隣組お仲間の記念として 謹呈


昭和16年(1941)8月(推定) 増倉清次郎宛名刺より 光太郎59歳

8月20日に刊行された『智恵子抄』を贈り、それに挟んであった名刺に書かれたひと言です。

戦時総動員体制の強化を目的に「隣組」制度が制定されたのは前年。同年、戦時歌謡「隣組」が、東京美術学校で光太郎の同級生だった岡本一平作詞、飯田信夫作曲、徳山璉(たまき)歌唱でレコード化されました。飯田と徳山のコンビは、この後、光太郎作詞の「歩くうた」も手がけ、ヒットさせました。

一方の手で『智恵子抄』、もう一方の手で翼賛詩歌、光太郎の大いなる矛盾でしたが、『智恵子抄』刊行後は翼賛一辺倒になっていきます。

一昨日、久々に上京し、美術館さん・博物館さん三館を巡りました。

まずは京橋のアーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)さん。こちらでは「創造の現場―映画と写真による芸術家の記録」展が開催中です。

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同館では旧ブリヂストン美術館さんだった時代、昭和28年(1953)から昭和39年(1964)にかけ、17本の「美術映画シリーズ」を制作し、それらを複数のモニターで一挙上映、取り上げられている作家の作品等を併せて展示するというもの。

第3作が「高村光太郎」。昭和28年(1953)に撮影され、公開は翌年でした。
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前半は昭和28年(1953)の11月26日と27日、一時帰村(前年に「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再上京していました)した花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)とその付近での撮影。
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光太郎彫刻の紹介が挟まり、後半はそれより前の同年5月25日、中野の貸しアトリエでの「乙女の像」制作風景。
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こちらは現代でも様々な美術館さん、文学館さん等で上映される機会が多く、また、回りまわって当方手元にはDVDも存在し、少なくとも数十回拝見しています。

そこで、はっきり言うとあまり期待せずに出かけました。

ところが行ってみてびっくり。もう1本、光太郎が登場する作品が存在したのです。題して「美術家訪問」第7集。「高村光太郎」よりだいぶ後、光太郎歿後の昭和33年(1958)制作でした。
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これは存じませんでしたが、「「高村光太郎」からの使い回しの動画を使っているんだろう」と思いました。ところが、実際に見てみて驚天動地でした。光太郎の部はぴったり2分間。撮影日は同一と思われるものの、使い回しのカットはほとんどなく、初見の映像のオンパレードだったのです。尺の関係などがあって「高村光太郎」で使えなかった映像をもったいないから使ったということでしょう。

「高村光太郎」同様、花巻郊外旧太田村のシーンから。
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作品紹介。これも「高村光太郎」にはなかった「鯰」。
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そして中野の貸しアトリエ。
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一緒に映っているご婦人は、貸しアトリエの大家さん・中西富江氏(水彩画家・中西利雄未亡人)と思われます。或いは像のモデルとして雇った藤井照子さんでしょうか。ちょっとわかりかねます。

帰って来てから気がついたのですが、ネット上でこの動画が公開されていました。


ぜひご覧下さい。

それから、同じく「美術家訪問」の第1集(昭和29年=1954)には、光太郎実弟にして鋳金分野の人間国宝・髙村豊周も。これも存じませんでした。
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一緒に映っているのは君江夫人でしょうか。こちらは残念ながらネット上には公開されていません。

全17本のラインナップは以下の通り。取り上げられている作家は全61名です。
伊東深水  川島理一郎 斎藤与里  高村豊周  熊谷守一  平櫛田中  川端龍子
児玉希望  石井柏亭  近藤浩一路 小絲源太郎 木村荘八  北村西望  辻永
中川一政  田辺至   松林桂月  山下新太郎 山口蓬春  梅原龍三郎 中村岳陵
朝倉文夫  中沢弘光  白瀧幾之助 前田青邨  金山平三  奥村土牛  西山翠嶂
堅山南風  飯塚琅玕斎 徳岡神泉  坂本繁二郎 安田靫彦  和田三造  福田平八郎
有島生馬  松田権六  横山大観  高村光太郎 正宗得三郎 結城素明  石川寅治
榊原紫峰  富本憲吉  吉田三郎  小野竹喬  寺内萬治郎 堂本印象  中村研一
鏑木清方  川合玉堂  小杉放庵  野田九浦  斎藤素巌  中川紀元  岩田藤七
清水多嘉示 森田元子  鳥海青児  山本豊市  林武
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あらためて貴重な映像の数々だな、という感じです。全ては拝見しませんでしたが、それぞれの作家の制作風景、鬼気迫るものさえ感じさせられました。しかし、戦前に亡くなった、光太郎の父・光雲や光太郎の親友・荻原守衛などの動画が残っていないのは返す返す残念だな、とも思いました。

それぞれの作家の作品等。
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光太郎の「手」(大正7年=1918)は、今日からの展示です。

「美術映画」シリーズのパンフレットなども展示されていました。
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「これは欲しい」と思いました(笑)。

ミュージアムショップで図録を購入。
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表紙は光太郎とも交流の深かった梅原龍三郎です。

フィルムを象った4枚組のしおりも購入しました。右上に光太郎も居ます。
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もったいなくて使えませんが(笑)。

拝観後、地下鉄を乗り継いで半蔵門ミュージアムさんでの「堅山南風《大震災実写図巻》と近代の画家 大観・玉堂・青邨・蓬春」展へ(ちなみにアーティゾンさんでは堅山の動画もありました)。明日、そちらをレポートいたします。

【折々のことば・光太郎】

中原君の夭折は残念でした、


昭和12年(1937)11月4日 更科源蔵宛書簡より 光太郎55歳

「中原君」は中原中也。その第一詩集『山羊の歌』(昭和9年=1934)の装幀・題字は光太郎でした。

都内から企画展情報です。

創造の現場―映画と写真による芸術家の記録

期 日 : 2023年9月9日(土)~11月19日(日)
会 場 : アーティゾン美術館 東京都中央区京橋1-7-2
時 間 : 10:00 〜 18:00 祝日を除く毎週金曜日は20:00まで
休 館 : 月曜日 祝日の場合は開館し翌平日は振替休日
料 金 : 一般1,200 円(ウェブ予約チケット)
      ※予約枠に空きがある場合、窓口販売チケット(1,500円)購入可

 1953 年、アーティゾン美術館の前身となるブリヂストン美術館は映画委員会を発足しました。「美術映画シリーズ」と冠し、1964年までに61人の芸術家を取材して17本の記録映画を製作しました。これらは梅原龍三郎(1888-1986)や高村光太郎(1883-1956)、前田青邨(1885-1977)と いった日本の芸術家たちの制作風景や日常の様子を記録した、大変貴重な映像資料です。プロジェクトの発案者は当館創設者石橋正二郎の長男、石橋幹一郎でした。映画委員会の委員長に就任した幹一郎は「本当に美術を愛し、理解に努力している人びとの助けとなり、また芸術の先達たちの動く肖像画を伝える」ことを念願し、事業を主導しました。その結果、1950年代に盛んになる美術映画において特に近代美術の分野で先駆的な役割を果たし、イタリアの国際映画祭で受賞するなど国内外で評価を得ました。

 また、近年当館は現代美術の現場を記録し続けた写真家、安齊重男(1939-2020)の作品を収集しています。安齊は自らを現代美術の伴走者と称し、1970年代からアーティストのポートレイトや、一過性のインスタレーション、パフォーマンスなどの撮影を手がけてきました。本展では「美術映画シリーズ」の全貌をご紹介するとともに、その取材対象となった芸術家たちによる作品、そして安齊による写真作品を展観します。当館のコレクションに国内の美術館からの借用作品を加えた約80点で構成します。「美術映画シリーズ」と安齊作品とを並列することで、日本の近現代美術の制作現場を概観することにもなるでしょう。「創造の現場」を捉えた映画と作品の魅力をお楽しみください。

見どころ
1 ブリヂストン美術館映画委員会製作「美術映画シリーズ」を一挙公開
 ブリヂストン美術館は開館翌年の1953年から1964年までに61人の芸術家 を取材し17本の映画を製作しました。日本映画近代化の立役者ヘンリー小谷の甥で記録映画プロデューサーの高場隆史や、抽象画家の小谷博貞、青木繁の一人息子で尺八奏者の福田蘭童らが製作に携わり、記録性だけでなく芸術性にも配慮された内容でした。これまであまり紹介されてこなかったこれらの映画について、その全貌をご紹介します。

2 安齊重男によるアーティストたちの
制作現場を捉えた写真約30点を展示
 安齊重男は自らを現代美術の伴走者と称し、国内外のアーティストたちのポートレイトや制作現場を写真によって記録してきました。当館には安齊が生前自ら選んだ206点の写真作品が収蔵されており、それらのなかから特に石橋財団コレクションと関連の深い作家の肖像写真や制作風景などをおさめた約30点をまとめて展示します。

3 日本近現代美術の「創造の現場」を一堂に
 「美術映画シリーズ」では1950~60年代、安齊重男の作品では1970年代以降の日本の芸術家たちのアトリエでの制作風景や日常の素顔などが記録されています。映画には梅原龍三郎が実際に左手に絵筆を持って描く姿や川合玉堂の肉声などがおさめされ、貴重な記録となっています。本展はこれらの映画と写真を一堂に集めて日本近現代美術の「創造の現場」を展観する試みです。

展覧会構成
第1章 映画のなかの芸術家たち─美術映画シリーズ
 梅原龍三郎、川合玉堂、高村光太郎、前田青邨など美術界の巨匠たちを取材し、アトリエでの制作風景や日常の様子を記録した、ブリヂストン美術館「美術映画シリーズ」。本章では、これらに登場する作家たちの映像とともに彼らの作品をご紹介します。

第2章 写真のなかの芸術家たち─安齊重男の眼
 安齊重男(1939-2020)は、自らを現代美術の伴走者と称し1970年代からアーティストのポートレイトや、一過性のインスタレーション、パフォーマンスなどの撮影を手がけてきました。本章では、現在200点以上所蔵する当館の安齊作品のなかから約30点ご紹介します。
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というわけで、美術家たちのまさしく「創造の現場」を追う展示です。

光太郎のそれ(昭和29年=1954)を含む、旧ブリヂストン美術館時代に制作された「美術映画」17本と、それらとその他のスチール写真、関連する作品等の展示。光太郎彫刻は、竹橋の国立近代美術館さん所蔵の「手」(大正7年=1918)が出ます。ただし、大人の事情があるようで、9月12日(火)からの展示だそうです。
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「美術映画 高村光太郎」は、光太郎が生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、7年ぶりに岩手から上京して入った中野の貸しアトリエでの制作風景が映ります。また、像の除幕後、一時的に帰村した花巻郊外旧太田村での映像も。

他に取り上げられる作家は、梅原龍三郎、川合玉堂、鏑木清方、坂本繁二郎、前田青邨ら。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

よく観察してゐますと智恵子の勝気の性情がよほどわざはひしてゐるやうに思ひます、自己の勝気と能力との不均衡といふ事はよほど人を苦しめるものと思はれます、智恵子に平常かかる点で徹底した悟入を与へる事の出来なかつたのは小生の無力の致すところと存じます、


昭和10年(1935)2月8日 中原綾子宛書簡より 光太郎53歳

療養先の九十九里浜から引き取られた心を病む智恵子を評しています。この頃は郊外に静かな貸家を探していましたがことごとく断られていました。

コロナ禍の最中にはそういうこともほとんどありませんでしたが、のんきにイベントに出かけ、さらにそのレポートを書いているうちに、書くべき事柄がたまってしまう、と、コロナ禍以前の状態が戻ってきています。

今週末のイベント等、2件、ご紹介します。

まずは邦楽系のコンサート。

元井美智子自作自演コンサート2023

期 日 : 2023年7月29日(土)
会 場 : 横浜市イギリス館 神奈川県横浜市中区山手町115-3
時 間 : 18:30~
料 金 : 2,500円

出 演 : 元井美智子(箏)
曲 目 : 智恵子抄より 青女 夏は来ぬ など

自作曲とアレンジ曲のプログラムでソロコンサートを開催します。あまりの暑さで外出をためらってしまう気候ですが、ぜひお越し下さい。よろしくお願いします。
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元井美智子さん。存じ上げない方ですが、通常の箏、十七絃、三味線などの演奏活動とレッスンをなさっている方だそうで。

プログラムに「智恵子抄より」とあります。SNSを拝見しましたところ、インスパイアを受けるため、今回のコンサートに先立ち花巻郊外旧太田村の高村光太郎記念館さんにも行かれたそうで、ありがたいことです。

会場が港の見える丘公園内のイギリス館さん。すぐ近くには神奈川近代文学館さんがあり、閲覧室はよく利用させていただいております。今回もそちらでの調べものを兼ねて、行ってこようと思っております。

もう1件。同日開始で映画の上演情報です。

生誕110年記念 映画監督・中村登――女性讃歌の映画たち

期 日 : 2023年7月29日(土)~9月1日(金)
会 場 : 神保町シアター 東京都千代田区神田神保町1-23
料 金 : 一般 ¥1,300 シニア ¥1,100 学生 ¥900 U29ペア割引 ¥2,200
      毎週水曜ファン感謝デー どなた様も1000円均一
      毎月1日映画サービスデー どなた様も1000円均一

■中村登(なかむら・のぼる)略歴■
 1913年東京・下谷に生まれ、36年東京帝国大学文学部英文科を卒業後、松竹大船撮影所に助監督として入社。41年に文化映画『生活とリズム』の後、同年『結婚の理想』で劇映画の監督デビューを果たす。51年のオールスター映画『我が家は楽し』が評判になると、スター女優が主演した文芸作品を数多く手掛けるようになり、63年の川端康成原作『古都』や66年の有吉佐和子原作『紀ノ川』などが高く評価され、松竹の屋台骨を支える巨匠として活躍した。79年、紫綬褒章受章。81年、日中合作映画『未完の対局』を準備中に闘病生活に入り、死去。
 生誕100年を記念して、2013年『夜の片鱗』がヴェネチア国際映画祭で上映、翌年のベルリン国際映画祭では『我が家は楽し』『土砂降り』『夜の片鱗』が上映され、今なお再評価の熱が高まる映画監督のひとりである。

上演作品 全作品ともに監督:中村登
 1.『智恵子抄』 昭和42年 カラー 
   出演:岩下志麻、丹波哲郎、平幹二朗、岡田英次、南田洋子、中山仁
 2.『春を待つ人々』 昭和34年 カラー 
   出演:佐田啓二、有馬稲子、岡田茉莉子、高橋貞二、桑野みゆき、佐分利信
 3.『鏡の中の裸像』 昭和38年 カラー
   出演:桑野みゆき、倍賞千恵子、池部良、神山繁、川津祐介、山本圭
 4.『爽春』 昭和43年 カラー
   出演:岩下志麻、竹脇無我、生田悦子、森光子、山形勲、市川好郎
 5.『明日への盛装』 昭和34年 白黒
   出演:高千穂ひづる、大木実、石浜朗、芳村真理、杉田弘子、杉浦直樹
 6.『恋人』 昭和35年 カラー
   出演:桑野みゆき、山本豊三、岡田茉莉子、南原宏治、桂小金治、大泉滉
 7.『紀ノ川』 昭和41年 カラー
   出演:岩下志麻、司葉子、田村高廣、丹波哲郎、有川由紀、沢村貞子
 8.『わが恋わが歌』 昭和44年 カラー
   出演:中村勘三郎、岩下志麻、竹脇無我、八千草薫、中村賀津雄(嘉葎雄)、緒形拳
 9.『我が家は楽し』 〈英語字幕付き〉 昭和26年 白黒
   出演:山田五十鈴、高峰秀子、笠智衆、岸恵子、桜むつ子、佐田啓二
 10.『河口』 昭和36年 カラー
   出演:岡田茉莉子、滝沢修、杉浦直樹、田村高廣、東野英治郎、山村聰
 11.『結婚式・結婚式』 昭和38年 カラー
   出演:岡田茉莉子、岩下志麻、田中絹代、伊志井寛、榊ひろみ、川津祐介、佐田啓二
 12.『二十一歳の父』 昭和39年 カラー
   出演:山本圭、倍賞千恵子、勝呂誉、山形勲、鰐淵晴子、高橋幸治
 13.『女の橋』 昭和36年 カラー
   出演:瑳峨三智子、田村高廣、藤山寛美、山本豊三、柳永二郎、佐藤慶
 14.『夜の片鱗』 昭和39年 カラー
   出演:桑野みゆき、平幹二朗、園井啓介、木村功、千石規子、菅原文太
 15.『暖春』 昭和40年 カラー
   出演:森光子、岩下志麻、山形勲、太田博之、乙羽信子、倍賞千恵子、桑野みゆき
 16.『日も月も』 昭和44年 カラー
   出演:岩下志麻、久我美子、大空真弓、中山仁、石坂浩二、笠智衆
 17.『土砂降り』 〈英語字幕付き〉 昭和32年
   白黒 出演:佐田啓二、岡田茉莉子、桑野みゆき、沢村貞子、山村聰、日守新一
 18.『斑女』 昭和36年 カラー
   出演:岡田茉莉子、芳村真理、倍賞千恵子、佐々木功、沢村貞子、山村聰
 19.『ぜったい多数』 昭和40年 カラー
   出演:桑野みゆき、田村正和、伊藤孝雄、吉村実子、石立鉄男、早川保、倍賞千恵子
 20.『辻が花』 昭和47年 カラー
   出演:岩下志麻、佐野守、中村玉緒、山口崇、岡田英次、松坂慶子、笠智衆

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昭和42年(1967)公開、岩下志麻さん、丹波哲郎さん主演の松竹映画「智恵子抄」がラインナップに入っています。7月29日(土)~8月4日(金)までの第1タームです。

5月にはラピュタ阿佐ヶ谷さんでの上映もありましたが、あまり取り上げられる機会の多くない作品です。重いテーマで、岩下さんの鬼気迫る演技が一つの見どころとなっています。

それぞれ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

雑誌“いづかし”拝受、大層頁数の多い立派な雑誌なので驚きました、これだけ編輯なさるのは一通りではなからうと思ひました、よき発展をいのります、 小生は九月まで海の旅に出かけます故しばらく失礼いたします、


昭和6年(1931)7月29日 中原綾子宛書簡より 光太郎49歳

『いづかし』は歌人・中原綾子主宰の雑誌。のちに昭和10年(1935)、心を病んだ智恵子を謳った初めての詩「人生遠視」も同誌に掲載されました。

海の旅」は『時事新報』に依頼されて紀行文「三陸廻り」を書くためのもの。8月9日に東京を発ち、石巻、女川、気仙沼、釜石、そして宮古までを1ヶ月かけてほぼ船で移動しました。おそらく東京-三陸間の行き帰りも、月に一度航行されていた直行便の船を使ったのではないかと思われます。この旅の間に、智恵子の心の病が誰の目にも明らかになるほど顕在化しました。

東京を発った8月9日を記念し、女川町ではこの日に「女川光太郎祭」が行われています。今年は令和元年(2019)以来、4年ぶりにコロナ禍前の規模で開催とのこと。詳細はまたのちほどご紹介します。

映画の上映情報です。

昭和の銀幕に輝くヒロイン 第105弾 岩下志麻 智恵子抄

期 日 : 2023年5月14日(日) 5月18日(木)~5月23日(火)
会 場 : ラピュタ阿佐ヶ谷 東京都杉並区阿佐谷北2-12-21 ラピュタビル
時 間 : 朝10時30分より1回のみ上映 
料 金 : 一般 1,300円 / シニア・学生 1,100円 / 会員 900円
      水曜サービスデー 1,100円均一
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智恵子抄 1967年(S42)/松竹/カラー/125分
 監督・脚本:中村登  原作:高村光太郎、佐藤春夫  脚本:広瀬襄
 撮影:竹村博     美術:浜田辰雄        音楽:佐藤勝
 出演:丹波哲郎、平幹二朗、中山仁、南田洋子、岡田英次、佐々木孝丸

原作は高村光太郎の詩集『智恵子抄』と佐藤春夫の『小説智恵子抄』。岩下志麻が光太郎の妻・智恵子に扮し、出逢いから結婚、発狂から死までを中村登監督の叙情的演出に包まれ好演、代表作の一つとした。
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昭和42年(1967)の松竹映画「智恵子抄」。光太郎役が故・丹波哲郎さん、智恵子は岩下志麻さんが演じられました。

やはり映画版は、東宝さんで昭和32年(1957)に故・原節子さんと故・山村聰さんで制作され、そちらはVHSビデオが販売、この手の上映会にかかる回数も松竹版より多くあります。
東宝映画智恵子抄
その点、この松竹版は市販の映像ソフト化がされておらず、上映される回数もそう多くありません。ご覧になったことのない方(ある方も)、この機会をお見逃しなく。

ちなみに「昭和の銀幕に輝くヒロイン 第105弾 岩下志麻」自体は先月から始まっており、既に上映が終了したものを含め、ラインナップは以下の通りとなっています。

わが恋の旅路 / 山の讃歌 燃ゆる若者たち / 100万人の娘たち / あねといもうと / 素敵な今晩わ / 暖流 / 智恵子抄 / あかね雲 / 女の一生 / 日も月も / 婉という女 / 心中天網島

【折々のことば・光太郎】

荻原君の胸像は僕が同君に対する敬愛のしるしとして是非とも(御依頼の有無に拘らず)作る意志を持つて居て先年来種々研究いたして居るのですが最近になつて どうもまだ今の僕の想像力の強さでは十分に頭の中にある荻原君を構成する事が出来兼ねるといふ事を確実に知りました


大正5年(1916)2月20日 山本安曇宛書簡より 光太郎34歳

「荻原君」は明治43年(1910)に亡くなった親友・荻原守衛、山本安曇は守衛と同郷の鋳金家で、光太郎実弟の豊周とともに、守衛絶作の「女」の鋳造を手がけました。

この年は守衛七回忌に当たり、浅草橋で帽子商を営んでいた守衛実兄の本十から、光太郎に守衛胸像の制作が依頼されていました。しかし光太郎、今の自分の実力では、モチーフがモチーフだけに不可能、というわけです。謙虚といえば謙虚ですが……。

結局この後も、光太郎による守衛胸像の制作は実現しませんでした。残念です。

昨日全国公開開始の映画「銀河鉄道の父」。早速拝見して参りました。宮沢賢治の父にして、光太郎と親交の深かった政次郎を主人公とするものです。
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原作は門井慶喜氏の直木賞受賞作。平成29年(2017)にハードカバーで講談社さんから刊行され、令和2年(2020)には文庫化も為されています。

原作では、光太郎は名前がちらっと挙げられている程度で、大正15年(1926)12月の賢治と光太郎の出会いは省略、賢治が没した直後で物語が終わるので、その後の政次郎ら一家と光太郎の交流も描かれていません。映画でも光太郎は登場しませんでした。「家族のドラマ」に焦点を当てていますので、賢治の交友関係などは元々あまり描かない方針だったようです。他の賢治もので必ずといっていいほど触れられる保阪嘉内藤原嘉藤治なども登場しません。

ただ、光太郎と親しく交わった宮沢家の面々の物語ということで、興味深く拝見しました。
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この中で、賢治の妹・トシと祖父・喜助は光太郎と面識はありませんでした。
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この写真では、左端が政次郎、一人置いて光太郎、その後の中腰が清六、右から二人目がイチです。トシよりさらに下の妹のクニとシゲ(どちらも映画にちらっと登場)も写っています。

光太郎の右のチョビ髭は、賢治主治医でのちに光太郎が花巻郊外旧太田村に移る直前に1ヶ月厄介になった佐藤隆房。映画では益岡徹さんが演じられていました。
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公式パンフレット(880円)も購入。賢治の『春と修羅』をモチーフにしたデザインです。
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この中に「宮沢家ゆかりの花巻マップ」というページがあり、「雨ニモマケズ」詩碑は光太郎の揮毫である旨の記述。
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光太郎揮毫といえば、賢治没後を描いた映画のラスト近く、光太郎が装丁した文圃堂版『宮沢賢治全集』が政次郎の元に届き、それを手にとって読むシーンがありましたが、背の文字、光太郎の筆跡に似せて作られていました。
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花巻といえば、花巻でも当然ロケが行われています。
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しかし、宮沢家の店舗や住居、花巻の街並みなど多くのシーンは、岐阜県恵那市の岩村地区で撮影されていました。
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こちらは旧中山道の宿場町で、当方の住む千葉県香取市佐原地区同様、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

当方、一度、こちらの街並みを歩きました。このブログを始める前の平成21年(2009)でしたので、ブログ内にレポートは存在しませんが。街並みが尽きて、岩村城に上がっていく山の麓の辺りに、「浅見与一右衛門銅像」が現存します。現在あるものは、戦時中の金属供出を経ての二代目で、この辺り出身の彫刻家の作。しかし、供出された初代の像は大正7年(1918)、光雲の代作として光太郎が作ったものでした。初代の台座は現在も残っています。二代目の像も初代の像を模して作られたようです。

岩村でのロケが行われたということは公式サイトで事前に知っておりましたので、なるほどねと思いつつ拝見しました。

それにしても、原作の小説もそうでしたが、役所広司さん演じる政次郎の親バカぶりが何ともすごいものでした。また、菅田将暉さんの賢治の駄目息子ぶりも。原作でも賢治最晩年の東北採石工場勤務の件はカットされていましたが、映画では花巻農学校の教壇に立っていたこともスルー(羅須地人協会で農民に講義をしているシーンはありましたが)。まぁ、2時間ほどの尺の中でまとめなければなりませんし、ニートとして描いた方が賢治の駄目っぷりが強調されるような気はしました。しかし、コアな賢治ファン、中に少なからず存在するであろう神格化に近い賢治信奉者の人々にからは批判が起こるような気もします。

何はともあれ、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

この間はお忙がしい中をおいで下さつて恐入りました それに又美しいブーケ迄頂戴して本当にうれしくおもひました まだあの蘭がにほつて居ます 長沼さんはあなたにはじめて紹介されたのが知り合ひの初めなので何だか特別にあなたにお礼を申さねばならない様な気がします


大正3年(1914)12月27日 柳八重宛書簡より 光太郎32歳

柳八重は光太郎の親友の画家・柳敬助の妻にして、日本女子大学校での智恵子の先輩。明治44年(1911)、智恵子に光太郎を紹介する労を執ってくれました。

この間」は12月22日、上野精養軒で開催された光太郎智恵子の結婚披露宴です。この日は真冬の関東にしては珍しく、豪雨でした。これから始まる二人の結婚生活(それ以前から同棲はしていたようですが)の行く末を暗示している、などと書くと恣意的な解釈をするな、と言われそうですが。

昭和40年(1965)封切りの日本映画「こころの山脈」(吉村公三郎監督、山岡久乃さん主演)。智恵子の故郷・福島県二本松市に隣接する本宮町(現・本宮市)を舞台にしています。東宝系で上映されましたが、製作は東宝さんではなく、「本宮方式映画製作の会」。当時としては画期的なシステムでした。現代のクラウドファンディングのように基金を募り、地域密着型の映画を作る、と、それが「本宮方式」。現代ではよくあるスタイルですが、その手のものの嚆矢として映画史に残る作品です。
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元々、本宮町では映画を教育に活用することが盛んで、町内の「本宮映画劇場」に小中学生が授業の一環として移動し、良質な映画を観るということをやっていたそうです。ところがそうした機会に子供たちに見せるに相応しいソフトが少ない→それなら自分たちで作ってしまおう、という流れでした。そこでキャストも地元の皆さんが大挙して動員されています。エキストラ的な出演だけでなく、準主役の少年も地元の素人でした。それだけに演技演技していなくて自然です。
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もちろん本職の俳優さんも。山岡さん以外には宇野重吉さん、吉行和子さん、殿山泰司さん、奈良岡朋子さん、大方斐紗子さんなどが脇を固めていました。
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さすがに皆さんお若いですね(笑)。

ただ、そういうコンセプトですから、ど派手なアクションシーンもなく、当時流行のエログロナンセンスなどももってのほか、もちろん怪獣も宇宙人も登場しません。したがって、その地味さのあまり、全国規模ではヒットしたとは言い難い結果でした。今で言う「親ガチャ」やネグレクトなども扱われ、内容的には心打たれるものですが……。

そうした「映画の街」としての歴史を語り継いでいこうと、本宮市ではNPO「本宮の映画文化を継承する会」が立ち上げられ、「こころの山脈」を含む内外の映画(意外と新しい話題作も)の上映を行う(しかも無料!)「カナリヤ映画祭」が行われています。当方、平成27年(2015)の第3回の際にお邪魔し、「こころの山脈」を拝見しました。

その後、「こころの山脈」が上映される年とそうでない年があり、また、ここ数年はコロナ禍。昨年は「こころの山脈」上映で9月に予定されていたのが中止となり、「やっぱりな」と思っていたところ、実は12月に延期で実施されていましたが、そちらには気づきませんでした。

さて、今年。

第10回カナリヤ映画祭

期 日 : 2022年10月2日(日)
会 場 : サンライズもとみや 本宮市矢来39-1
時 間 : 9:40~18:10
料 金 : 無料

上映作品
 10:10~ 「映画大好きポンポさん」(アニメーション) 日本/2021年 90分
 12:40~ 「Infection PiLia ~悩まされる現代~」
 本宮高等学校チームNEXUX/2022年 10分
 13:10~ 「夢」 本宮高等学校チーム叶える/2022年 10分
 14:20~ 「こころの山脈」 日本/1965年 104分
 16:20~ 「杜人」 日本/2022 101分

講演 『こころの山脈』を生んだ本宮の映画文化 新潟大学教授 柳沼宏寿氏 13:20~

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ところで書き忘れていましたが、「こころの山脈」、単に本宮町が舞台というだけでなく、光太郎の「智恵子抄」もモチーフとして使われています(そこでこのブログサイトでご紹介しているわけですが)。

阿武隈川にかかる昭代橋(下の橋)で、安達太良山を望みながら、産休補充教師の本間秀代(山岡久乃さん)が、教え子の清(当時の本宮小学校五年生)に「智恵子抄」の一節を語って聴かせるという場面。第10回カナリヤ映画祭のプロモーション動画に、ちょうどそのシーンが使われていました(2:07頃から)。

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上記はそのシーンのスチール写真です。

さらに、今年は第10回記念ということで、「こころの山脈」DVDの販売も為されるそうです。

というわけで、第10回カナリヤ映画祭、お近くの方(遠くの方も)、コロナ感染には十分お気を付けつつ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后三井銀行にゆき、納税等用をすませる、浅草にまはり映画を一館みる、大黒屋にて天丼、十一時かへる、


昭和29年(1954)3月11日の日記より 光太郎72歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、昭和27年(1952)に再上京する前、花巻郊外旧太田村蟄居時代も、折に触れて花巻町中心街で賢治実弟の清六らと一緒に、映画をよく観ていました。再上京後はさらにその頻度が増えています。この日観た作品は不明ですが、前月にはフランスのコメディー映画「Les Belles de Nuit」(夜ごとの美女)を鑑賞。ただし「あまりよしと思はず」と日記に書きましたが。

「こころの山脈」、光太郎にも観せたかったものです。

都内から映画の上映情報です。

丹波哲郎 生誕100年祭

期 日 : 2022年5月23日(月)~6月1日(水)
会 場 : 新文芸坐 東京都豊島区東池袋1丁目43−5 マルハン池袋ビル
料 金 : 〈2本立て〉一般 ¥1,700 22歳以下・シニア・障がい者 ¥1,300 友の会 ¥1,150
      〈1本のみ〉一般 ¥1,500 22歳以下・シニア・障がい者 ¥1,100 友の会 ¥950
       各回入替制 全席指定席

名優にして怪優、丹波哲郎の生誕100年を記念した特集。007映画にも出演した国際スターだが、どこか怪しげな役もぴったりはまる丹波さんらしい作品10本が選ばれている。上映されるのは、新東宝時代の『殺人容疑者』『女奴隷船』、深作欣二監督との『白昼の無頼漢』『ジャコ萬と鉄』『軍旗はためく下に』、ややエログロの『ポルノ時代劇 忘八武士道』『地獄』といった珍品、文芸作品『智恵子抄』、『丹下左膳』『暗殺』の本格時代劇。

上映スケジュール
 5月23日(月)
  殺人容疑者(1952/80分/BD) 12:00 15:30
  女奴隷船(1960/83分/BD)  10:15 13:45 17:15
 5月24日(火)
  白昼の無頼漢(1961/82分/35mm) 12:00 15:45
  ジャコ萬と鉄(1964/99分/35mm) 10:00 13:45 17:30
 5月25日(水)
  ポルノ時代劇 忘八武士道(1973/81分/35mm) 12:30 16:15
  地獄(1999/101分/35mm) 10:30 14:15 18:00
 5月26日(木)
  智恵子抄(1967/125分/35mm) 11:30 16:00
  軍旗はためく下(もと)に(1972/96分/35mm) 09:30 14:00 18:30
 5月27日(金)
  丹下左膳(1963/95分/35mm) 10:30 14:35
  暗殺(1964/104分/35mm) 12:30 16:35
 5月28日(土)
  地獄 11:45 15:35
  ポルノ時代劇 忘八武士道 10:00 13:50 17:40
 5月29日(日)
  ジャコ萬と鉄 18:45
  白昼の無頼漢 17:00 20:45
 5月30日(月)
  軍旗はためく下(もと)に 09:30 14:00 18:30
  智恵子抄 11:30 16:00 20:30
 5月31日(火)
  女奴隷船 12:00 15:30 19:00
  殺人容疑者 10:15 13:45 17:15 20:45
 6月1日(水)
  暗殺 10:30 14:35 18:40
  丹下左膳 12:35 16:40 20:45
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先日、BS松竹東急さんでテレビ放映された、昭和42年(1967)中村登監督作品の松竹映画「智恵子抄」がラインナップに入っています。大画面で観るのはまた違った感じでしょう。
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それにしても、光太郎を演じられた故・丹波さん、ご存命なら生誕100年だったというのがちょっとした驚きでした。100年前というと1922年、大正11年ということになります。翌年には関東大震災があった年です。

智恵子役の岩下志麻さんは昭和16年(1941)――奇しくも『智恵子抄』刊行の年ですね――のお生まれですので、約20歳の差があったお二人が夫婦役だったわけですが、それを感じさせませんでした。

お近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

午后一時過一緒に出かけて新宿地球座に「天井サジキの人々」を見る、萬寿荘にて余は夕食、

昭和27年(1952)12月19日の日記より 光太郎70歳

光太郎が意外と映画好きで、戦前から映画鑑賞をたびたびしていましたし、戦後の花巻郊外太田村蟄居中も、時折花巻町中心街に出て、賢治実弟の宮沢清六らと映画館に足を運んでいました。そして帰京後も。

一緒に」は、この頃、光太郎の身の回りの世話を何くれとなくみてくれていた、詩人の藤島宇内と、です。

映画「天井桟敷の人々」は、昭和20年(1945)製作のフランス映画。19世紀初頭のパリを舞台としています。光太郎のパリ留学は20世紀初頭で、約100年の隔たりがありましたが、それでも懐かしく思う部分も多かったでしょう。

新宿地球座」は、現・新宿ジョイシネマ、「萬寿荘」は「萬寿園」の誤りです。

昨夜、無料放送のBS松竹東急さんで放映された松竹映画「智恵子抄」昭和42年=1967)を、11年ぶりに拝見しました。2度目の拝見ということで、いろいろ冷静に分析しつつ見られました。

冒頭は、智恵子の顔を持つ、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。
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これまで気づいていませんでしたが、タイトル題字揮毫は、昨年亡くなった篠田桃紅さんでした。公式パンフレットにも記述があったのですが、見落としていました。

智恵子役の岩下志麻さん、光太郎役の丹波哲郎さん、共に実にいい感じでした。

岩下さんは、智恵子が心を病む前と後、そして病みつつある葛藤の時期と、それそれにしっかりと演じ分けられ、尺的には意外と早い段階で心を病む構成で、それだけに鬼気迫る演技の連続となり、さぞ大変だったろうと思いましたが、見事に演じきられていました。

磐梯山でのシーン。
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その後の九十九里浜。
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南品川ゼームス坂病院での臨終の場面。
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丹波さんも、苦悩の連続となった光太郎そのもの、という感じでした。

脇を固める皆さんも、それぞれに。

前回拝見した時には気づかなかったのですが、光太郎詩の朗読を複数回なさっている寺田農さんもご出演なさっていました。当時の寺田さんはまだ大部屋だったようで、公式パンフレットにはクレジットがありませんでした。役柄はちょい役でしたが、美に取り憑かれ、心を病んで自殺してしまう画学生という設定。ただ、のちの智恵子の悲劇を暗示するという意味では重要な役どころでした。
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ところで、だいぶ以前にも書きましたが、当方自宅兼事務所のある、千葉県香取市佐原地区でもロケが行われていました。ただ、公式パンフレットでは「佐原」が「佐倉」と誤植されています。
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冒頭の「パンの会」のシーン。
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それから後半になって、智恵子が心を病んだことに自責の念を感じる光太郎を、「パンの会」での友人だった石井柏亭(平幹二朗さん)が慰めるシーン。
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それぞれ夜間の撮影でわかりにくいのですが、この二つのシーンは、香取市佐原地区の中央を流れる小野川沿いで撮影されています。佐倉にはこういう場所はありません。

九十九里浜、そして前半部では犬吠埼でのロケもありましたので、そのあたりと同時期にロケツアーが行われたのでしょう。
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閑話休題。

ラストは智恵子が歿してから、年老いた光太郎が戦後に蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋という設定。ここで光太郎が智恵子の像を作っているところでジ・エンドです。
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これは史実と異なりますし、冒頭部分で「乙女の像」を使っているので、岩手の山小屋ではなく、終焉の地となった中野の貸しアトリエで「乙女の像」を作っているシーンにすればよかったのに、と思いました。

それでも非常に見応えのある作品です。明後日、5月1日(日)の12:00~14:30、やはりBS松竹東急さんで再放送がありますので、ご覧になっていない方、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

立太子の日、 モデル来る、ひるまでスケッチ 着衣1、


昭和27年(1952)11月10日の日記より 光太郎70歳

1ヶ月前に花巻郊外旧太田村の山小屋から帰京した光太郎、ついに「乙女の像」制作にかかりました。

「立太子」は、現・上皇陛下が正式に皇太子になられた「立太子の礼」が執り行われたことを表します。

明治44年(1911)、智恵子がその創刊号表紙絵を描いた雑誌『青鞜』。その生みの親であり、日本女子大学校で智恵子の一級上の先輩だったらいてう平塚明子関連で2件。

まずは平成13年(2001)制作の映画「元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯」が上映されます。

NFAJコレクション 2022 春

期 日 : 2022年5月6日(金)~5月22日(日)の金・土・日
会 場 : 国立映画アーカイブ 東京都中央区京橋 3-7-6
料 金 : 一般:520円/高校・大学生・65歳以上:310円/小・中学生:100円
      チケットは前売指定席券のみです。

週末、映画に会いに行く。――ようこそフィルムの世界へ。
 昨年度からスタートした上映企画「NFAJコレクション」は、所蔵コレクションから多彩な映画の面白さを詰め合わせてご紹介する企画です。宝探しのように未知の映画に出会う醍醐味も交えて、改めてスクリーンで見たい名作や個性的な作品などを堪能していただけます。
 今回は、80,000本の国立映画アーカイブ所蔵コレクションから厳選した9プログラム(計15本)を上映します。週末に、フィルム上映をお楽しみください。
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作品リスト
 1.野球プログラム (計89分)
 2.なつかしの顔 (34分・1941・東宝京都・監・原・脚:成瀨巳喜男)
  熱情の翼 (72分・1940・新興東京・監:小石榮一)
 3.日本産業地理大系 第一篇 國立公園 伊勢志摩いせしま
(19分・1949・東宝教育映画・監・脚:本多猪四郎)
  南国の肌 (93分・1952・木曜プロ・監・脚:本多猪四郎)
 4.妻と女記者 ―若い愛の危機― (91分・1950・藤本プロ=新東宝・監:千葉泰樹)
 5.江戸の花和尚 人斬り数え唄[『ちゃんばら手帖』改題]
(77分・1953・宝プロ=東映京都・監:河野壽一)
 6.非情都市 (89分・1960・東宝・監:鈴木英夫)
 7.水の中の八月(1997年作品) (90分・1997・NHK・監:高橋陽一郎)
 8.元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯 (140分・2002・自由工房・監:羽田澄子)
 9.こほろぎ嬢 (95分・2006・旦々舎・監:浜野佐知)
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「元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯」は、「平塚らいてうの記録映画をつくる会」制作のドキュメンタリー。監督は羽田澄子氏、プロデューサーはらいてう、智恵子らの母校・日本女子大学さんの学長であらせられた故・青木生子氏でした。

「らいてうの一人称の語りとスチル写真によって,彼女を突き動かした時代の姿を再構築」だそうで、智恵子の写ったそれも含まれているのでは、と思われます。
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上の画像で、左は青木氏、右に故・瀬戸内寂聴さんのお姿も。

続いて、テレビ番組。

にっぽん!歴史鑑定▼元始、女性は太陽だった!婦人運動家・平塚らいてう

BS-TBS 2022年5月2日(月) 22:00~22:54

東大出の青年との心中未遂!人生を変えた騒動の顛末は?▽初の女性による文芸雑誌を創刊、お金をどう工面!?▽母性保護をめぐる歌人・与謝野晶子との大論争、その真相は?

2021年のジェンダーギャップ指数で156か国中120位、先進国の中では最低レベルという日本。国を挙げて女性の活躍、ジェンダー平等の取り組みを進めているが、100年も前に同じ思いを持って女性解放運動の先駆けとなったのが平塚らいてうであった。東大出の青年との心中未遂、初の女性による女性のための文芸雑誌「青鞜」の創刊、歌人・与謝野晶子との母性保護論争。単に女性の幸福だけでなく社会全体の幸福を真摯に考えて活動し続けたらいてう、明治・大正・昭和にわたる85歳の波乱の生涯に迫る。


出演 【歴史鑑定人】田辺誠一【ナレーション】鈴木順
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光太郎の姉貴分、与謝野晶子にも触れられます。

こちらもぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

タキシで上野まで、 朝九時50分上野発で友部まで、取手より宮崎氏同乗、友部へ孟彦来てゐる、 ダツトサンで鯉渕学園まで、園長らにあふ、講演一時間半、

昭和27年(1952)11月8日の日記より 光太郎70歳

友部」は常磐線の友部駅。現在の茨城県笠間市です。「宮崎氏」は宮崎稔。取手在住の詩人で、智恵子の最期を看取った姪の春子と結婚し、光太郎姻戚となっていました。

孟彦」は光雲四男にして光太郎実弟、藤岡家に養子に入った藤岡孟彦です。植物学を修め、戦後には茨城県の鯉淵学園(現在も公益財団法人農民教育協会鯉淵学園農業栄養専門学校として続いています)に赴任。現在、花巻高村光太郎記念館さんで展示されている光雲作の「鈿女命」は、光雲没後に孟彦が形見分けに貰ったものです。

この日、孟彦の依頼により、光太郎の講演が実現しました。その筆録は翌年1月発行の『農業茨城』第5巻第1号に「芸術と農業」の題で掲載され、筑摩書房刊『高村光太郎全集』第19巻に収録されています。
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昭和42年(1967)、松竹さん制作の映画「智恵子抄」(岩下志麻さん/丹波哲郎さん主演)が、テレビ放映されます。

智恵子抄

BS松竹東急(BS260ch) 2022年4月29日(金)19:54~22:24 再放送 5月1日(日)12:00~14:30

アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品。高村光太郎の詩集「智恵子抄」と佐藤春夫の「小説 智恵子抄」を、近年国際的に再評価される監督・中村登が映画化。至純無限の愛をうたいあげる、華麗な文芸ロマン大作。

高村光太郎は画学生の長沼智恵子と見合いをし、ふたりは結婚。幸せな暮らしを営む芸術家夫婦だったが、やがて智恵子の文展落選、父の焼死、実家の倒産と心労が重なり、智恵子は服毒自殺をはかる……。

出演 岩下志麻 丹波哲郎 ほか
原作 高村光太郎 佐藤春夫
脚本・監督(演出) 中村登
公開・放送年 1967年公開
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同作、時折各地の上映会等にかけられますが、DVD等が市販されておらず、当方も1度しか見たことがありません。また、テレビ放映もほとんどされておらず、有料の特殊なCS放送でかかったことがありますが、当方の知っている限り、10数年前にWOWOWさんで放映があったくらいだと思います。

キャストは智恵子役に岩下志麻さん。以下、昭和63年(1988)刊行の雑誌『彷書月刊』第4巻第10号「特集 高村智恵子」に載った岩下さんの回想です。
 
 私が、高村光太郎さんの『智恵子抄』の智恵子を演じさせて戴いたのは昭和四二年ですから、もう随分昔になります。
 中村登監督のもとで、光太郎役は丹波哲郎さんでした。
 その時、はじめて智恵子の切り絵を見せて戴きましたが、優れた色彩感覚、繊細で巧妙な技術、その切り絵から智恵子の純粋な魂の叫びが聞こえてくるような感動で、長い間見とれていたのを今も鮮明に覚えています。又、精神に異常をきたしてしまった智恵子をうたった光太郎の詩の何篇かに心から涙しました。
 『智恵子抄』は、夫婦の愛のあり方、愛についてを改めて考えさせられた作品でもあります。今も、私は“智恵子”と聞くと、病弱で非社交的でやさしいが勝ち気で、単純で真摯で、愛と信頼に全身を投げだしているような智恵子が目の前にいる様で、なつかしさでいっぱいになります。
 それ程、『智恵子抄』は、私にとって心に残っている映画の一つです。

同様に、平成30年(2018)、文藝春秋さんから刊行された『美しく、狂おしく 岩下志麻の女優道』に載った、岩下さんへのインタビュー。

「これは、私が是非やらせていただきたいって松竹にお願いしたの。高村光太郎の詩集を読んで、ぜひこれは映画でやりたいなと思っていました。企画室長に直に『やりたい』とお願いしていたら、たまたま松竹でも私でやろうと思っていたようです。それで『智恵子抄』をやれることになりました。」
――丹波さんの光太郎も格好よかったです。
「実際の高村光太郎さんは丹波さんによく似ていらっしゃるみたいですね。丹波さんが亡くなられた時にご自宅に伺ったら、事務所の方が、『丹波は生前、自分の一番好きな作品は“智恵子抄”だって言っていた』って。嬉しかったです。」
――岩下さんは『智恵子抄』のどういうところに魅力を感じられたのですか。
「やっぱり精神に異常をきたす純粋性です。そこを凄く演じてみたいと思いました」


さらに平成23年(2011)、『朝日新聞』さんの福島版に連載された「「ほんとの空」を探して」の第一回に収められた岩下さんの談話。

「学生時代に本屋で買って感激したのが最初。光太郎への純真な愛情、光太郎からも心から愛された智恵子。その役をやってみたい、と思った。川端康成さんの『雪国』と二つの企画を松竹さんにお願いしたら、両方OKになった」
「智恵子の異常なほどの性格の美しさにほれた光太郎役に、丹波さんも入れ込んでいた。あの映画はDVDになっていない。ご仏前で見せてあげたいのに」
「今こそ2人の姿に見る夫婦、家族、友人、地域の愛の絆を確かめる時。私もまた、あの詩集が読みたくなっちゃったわ」


光太郎役の丹波哲郎さんは、映画の公式パンフレット中に「光太郎に扮して」と題し、

不世出の巨人と云われた高村さんに、私が似ているそうで光栄です。事実でなければとうてい信じられない愛情物語の中に身を置いて、二百本の映画歴のすべてをぶつけます。

と語られていました。

丹波さんご自身、こういう方向性で俳優としてやっていきたかったのでしょう。しかし、周囲からの需めは異なり、「キイハンター」とか「Gメン’75」とか、さらには「大霊界」とか、そっちの方面へ行ってしまわれたのですね……。

そのあたり、丹波さんと共演された原田大二郎さんは下記のようにご発言なさっています。
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実際、「智恵子抄」での丹波さんの演技、存在感等々、秀逸でした。

他のキャストは……
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丹波さんをはじめ、鬼籍に入られてしまった方が多いのですが、なかなか豪華ですね。

「智恵子抄」の映画は、この松竹版の10年前に、東宝さんが原節子さん、山村聰さんで制作しました。そちらはVHSビデオが市販され、当方も持っていますし、松竹版より多く上映会等が催されています。ところがこの松竹版は前記の通り、市販DVD化がされておらず、なかなか見られません。この機会をお見逃しなく。

ちなみにBS松竹東急さん、この春から全番組無料放映で放映を開始しました。他にもそういう局がいくつかあって、ありがたいかぎりです。

【折々のことば・光太郎】

大宮氏くる、小坂氏見える、大宮氏より鉄ベラ一本求める、


昭和27年(1952)10月24日の日記より 光太郎70歳

「鉄ベラ」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のための道具でしょう。「大宮氏」というのが不分明です。道具鍛冶か、それらの販売店か、そんなところだと思うのですが、下の名前も解りませんし……。情報をお持ちの方は御教示いただけると幸いです。

明治大学さん主催の市民講座です。

公開講座「映画で旅する昭和 よみがえる風景の記憶」

期 日 : 2022年1月13日(木)~2月10日(木) 毎週木曜日
会 場 : 明治大学駿河台キャンパス 東京都千代田区神田駿河台1-1
時 間 : 13:00~14:30
料 金 : 通常会員料金 13,200円 明大カード・福利厚生会員料金 11,880円
      学生・生徒・教職員会員料金 6,600円 法人会員料金 10,560円
講 師 : 中村実男 (ナカムラ ミツオ) 元明治大学商学部教授


映画は「風景の記憶装置」です。失われた昭和の風景が、画面のなかで登場人物と共に息づいています。本講座では、数多くの映画を通して、昭和の街と風景の変遷をたどります。第1回・第3回・第5回では、2019年度の春期講座の続編として、北海道・東北、鎌倉・京都、四国・九州・沖縄を取り上げます。第2回では浅草に加えて、木場、千住、四つ木など、隅田川・荒川以東の東京下町を初めて取り上げます。第4回では、戦前の「特急三百哩」から昭和50年の「新幹線大爆破」まで、昭和の「鉄道映画」の系譜をたどります。紹介する主な作品は下記の通りです。

01/13 映画のなかの北海道・東北
    夕陽の丘、幸福の黄色いハンカチ、駅 STATION、馬、警察日記、北上夜曲、
    乱れる、乱れ雲、智恵子抄、ほか
01/20 映画のなかの東京下町
    綴方教室、稲妻、洲崎パラダイス、下町、抱かれた花嫁、東京さのさ娘、
    見上げてごらん夜の星を、ほか
01/27 映画のなかの鎌倉・京都
    祇園の姉妹、山の音、夜の河、舞妓はん、古都、ツィゴイネルワイゼン、
    寅次郎あじさいの恋、早春物語、ほか
02/03 鉄道映画の世界
    特急三百哩、点と線、天国と地獄、大いなる旅路、特急にっぽん、喜劇急行列車、
    新幹線大爆破、洋画のなかの鉄道、ほか
02/10 映画のなかの四国・九州・沖縄
    陸軍、長崎の鐘、二十四の瞳、空の大怪獣ラドン、永遠の人、張込み、旅の重さ、
    男はつらいよ ハイビスカスの花、ほか
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講師の中村氏は、都市交通論、都市交通史、都市史などがご専門とのことで、「数多くの映画を通して、昭和の街と風景の変遷」をたどるというコンセプト。

第一回「映画のなかの北海道・東北」中に、「智恵子抄」。昭和32年(1957)、東宝さんが山村聰さん、原節子さん主演で製作した熊谷久虎監督作品の方か、昭和42年(1967)、松竹さんの丹波哲郎さん岩下志麻さん主演、中村登監督作品の方か、あるいはその両方か判然としませんが。

ご興味のある方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

夜六時半公民館の賢治子供の会の劇を見る、


昭和26年(1951)10月19日の日記より 光太郎69歳

「花巻賢治子供の会」は、宮沢賢治記念館の初代館長も務められた故・照井謹二郎氏が昭和22年(1947)に立ち上げ、第一回公演は光太郎の山小屋前の野外で行われました。以後、花巻町や太田村で光太郎の指導を仰ぎながら、賢治の童話を上演し続けました。会の命名も光太郎だそうです。賢治実弟・清六息女の潤子さんなどもメンバーでした。

最近刊行された雑誌を3件ご紹介します。ネタに困っている時には3回に分けるところですが……。

まず、マガジンハウス社さん刊行の『BRUTUS』、2022年1月1日・15日合併号。

巻頭特集が「百読本 何度でも読む。読むたびに知る」。各界著名人等の愛読書が紹介されています。
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デザイナーの皆川明氏が、『智恵子抄』をご紹介下さっています。
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皆川氏、5月に発売されたムック『& Premium特別編集 あの人の読書案内。』でも、『智恵子抄』をご紹介下さいました。

紹介の理由として、「開くだけで、外界から離れて自分の世界に。」と記されています。パリへのご出張の際にも、スーツケースに入れられるそうで、「カフェに座ってこれを読んでいると落ち着く、というと簡単な表現ですが、頭の中には好きな世界が広がって、外側には違うカルチャーがある。それが案外心地いい」、「字間が少し開いた旧仮名遣いのやや大きな字が並び、ページに広がる空いた空間も読みやすい」とのこと。

当方もいずれ、パリのカフェで『智恵子抄』を繙いてみたいものです(笑)。いつになることやら、ですが(笑)。

他の方々は、以下の通り。敬称略で、すみません。

フワちゃん(タレント)/『窓ぎわのトットちゃん』 黒柳徹子
平野紗季子(フードエッセイスト)/『たんぽるぽる』 雪舟えま
熊木幸丸(ミュージシャン)/『クリエイティブ・マインドセット』 トム・ケリー他
乗代雄介(小説家)/『「岩宿」の発見』 相沢忠洋
神田伯山(講談師)/『師匠、御乱心!』 三遊亭円丈
石沢麻依(小説家)/『七つのゴシック物語』 イサク・ディネセン
按田優子(料理家)/『生き物としての力を取り戻す50の自然体験』
 Surface&Architecyure
平野啓一郎(小説家)/『マイルス・デイビス自叙伝』 マイルス・デイビス他
紺野真(料理人)/『レネ・レゼピの日記』 レネ・レゼピ
小林エリカ(作家)/『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』 コナン・ドイル
斉藤壮馬(声優)/『煙か土か食い物か』 舞城王太郎
佐藤健寿(写真家)/『三国志』 横山光輝
白石正明(編集者)/『社交する人間』 山崎正和
小林快次(恐竜学者)/『荒野へ』 ジョン・クラカワー
佐藤亜沙美(ブックデザイナー)/『檸檬』 梶井基次郎
岸本佐知子(翻訳家)/『十二神将変』 塚本邦雄
磯野真穂(人類学者)/『見知らぬものと出会う』 木村大治
兼近大樹(お笑い芸人)/『黒いマヨネーズ』 吉田敬
前田司郎(劇作家)/『赤毛のアン』 モンゴメリ
渡邉康太郎(コンテクストデザイナー)/『人間の土地』 サン・テグジュペリ
藤岡弘、(俳優 武道家)/『武士道』 新渡戸稲造


特別定価800円です。

続いて、『週刊現代』さん、12月25日・1月1日合併号(特別定価550円)。
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短期集中連載と思われますが、「巨弾ノンフィクション 丹波哲郎は二度死ぬ 大スターはなぜ晩年に「大霊界」へ傾斜したのか」の第4回として、「岩下志麻と共演した『智恵子抄』に秘められた真実」が、4ページにわたって掲載されています。ご執筆はノンフィクションライター野村進氏。
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松竹映画「智恵子抄」で、光太郎役を務められた丹波さんと智恵子役で共演なさった岩下志麻さん、テレビドラマでの丹波さんの代表作「Gメン'75」で共演された原田大二郎さんへのインタビューなどで構成されています。

私生活でも丹波さんと親しくされていた岩下さん(今号ではハワイで偶然に丹波さんと出会ったエピソードなども紹介されています)、以前から、丹波さんが「智恵子抄」の光太郎役が自分の中で一番印象に残っているとおっしゃっていたと紹介されていましたが、原田さんも同じような発言をなさっています。原田さんご自身のご感想ですが。
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そして、丹波さんの「智恵子抄」への思い入れや、のちの霊界への傾倒は、難病で亡くなった貞子夫人の存在が大きい、と、野村氏。その告別式での丹波さんの言葉。

「しみじみと感じますのは、夫婦というものは、半世紀以上も一緒におりますと、ふたりがまさにひとりになってしまっているんです」

まるで、智恵子を亡くした光太郎ですね。もっとも、光太郎智恵子の結婚生活は20数年でしたが。

ところで、野村氏、岩下さんへの取材の際に、松竹映画「智恵子抄」のスチール写真を御持参なさったそうです。その写真の画像も載っていますが、こちらです。
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当方手持ちのスチール写真をスキャンしました。

岩下さん、これを御覧になって、「これは、智恵子が精神病院から逃げ出して、うちに帰ってきたところですね。『もう病院には戻りたくない。おうちにいたい』と光太郎の絵の具をめちゃくちゃにしたあと、ワァーワァー泣き出して、そんな智恵子を光太郎が抱きしめているシーンです」。

ところが、残念ながら岩下さん、勘違いなさっています。上記は磐梯山のシーン。詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)で謳われた、「わたしもうぢき駄目になる」と取り乱す場面です。

同じシーンの別のスチール写真がこちら。こちらでしたら磐梯山だとすぐわかります。
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ちなみに磐梯山ではこんなカットも。
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岩下さんがおっしゃった、病院から抜け出して、のシーンはこちら。
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丹波さんも岩下さんも、特にこのシーンでは鬼気迫る演技でした。

もっとも、野村氏が見せたのはこのスチールだったかも知れません。ただ、磐梯山のシーンのスチールのみが掲載されていますので、詳しくない読者はそれだと思ってしまうでしょう。

岩下さん、当方もお世話になっております信州安曇野の碌山美術館さんで、光太郎のブロンズ代表作「手」を御覧になって、丹波さんを思い起こされたそうです。碌山美術館とは書いてありませんが、まず間違いありません。
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ご一緒したかったな、と思いました。

最後にもう1冊。一般書店で販売されていない、文芸同人誌です。
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ご執筆なさっている、詩人の小山修一氏からいただきました。『風越(かざこし)―詩とエッセイの同人誌―』第5号。

小山氏の玉稿は「「道程」から考える詩の追求」。大正3年(1914)、まず雑誌『美の廃墟』に発表され、同じ年に刊行された第一詩集『道程』の表題作となった、「道程」に関してです。意外と有名な話ですが、「道程」、3月の雑誌初出時には102行もある長大なものでした。それが同じ年10月刊行の詩集『道程』に収録された際、現行の9行の形に改変されています。

この改作に関し、小山氏、「その長詩を表舞台からひっこめ、九行の詩に熟成完結させた事実は、詩をつくるものの一人としておおいに理解できるし、その潔さには驚愕するばかりです」「一度雑誌に発表した作品の圧倒的部分を切り捨てるなんて、そうそうたやすくできるものではありません」としています。

詩の実作者としての立場からのご発言ゆえ、重いものがありますね。ちなみに小山氏、今年度、「第37回三木露風賞」で最優秀に輝かれています。

『風越』、奥付画像を載せておきます。ご入用の方、下記まで。
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【折々のことば・光太郎】

午前花巻にゆかうとしてゐる時、中原綾子さん突然来訪。ダツトサンで来た由。花巻行を中止、中原さん今夜田頭さんに泊まる事になり、夕方まで談話。
昭和26年(1951)9月14日の日記より 光太郎69歳

中原綾子は歌人。智恵子存命中から光太郎と交流があり、美人すぎる歌人でもあったこと、智恵子の心の病の状況を唯一詳しく手紙に書き送った相手であることなどから、口さがない人々は光太郎の愛人だったのではないか、などとも噂しました。

田頭さん」は屋号で、旧太田村村長だった高橋家です。

都内から映画上映会の情報です。

第 43 期江東シネマプラザ「智恵子抄」

期 日 : 2021年9月25日(土)
会 場 : 古石場文化センター 東京都江東区古石場2丁目13−2
時 間 : 午前の部 11時開演  午後の部15時開演
料 金 : 500円

名監督・小津安二郎は深川で生まれ、深川の風景を愛しました。古石場文化センターでは小津監督作品の上映機会や紹介展示コーナーを設けています。「江東シネマプラザ」は名画を楽しむ会員制の上映会です。
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智恵子抄

詩人・彫刻家の高村光太郎が愛妻 智恵子を偲んでうたった詩集『智恵子抄』の映画化。夫を深く敬愛しながら、芸術の才能の限界や身内の度重なる不幸により傷つき、智恵子は精神を病み、衰弱していく。主演の原節子が小津監督作品とは異なった表情を魅せる。

監督 / 熊谷久虎 出演 / 山村聡、原節子 1957 年/ 97 分/モノクロ

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基本、年間会員を募り、月1回、名画系の上映会を行っている一貫での実施です。したがって、年間会員が優先で、1回のみの鑑賞も受け付けているとのこと。また、空席がある場合、当日受付も可だそうです。

光太郎が歿した翌年の昭和32年(1957)に封切られた、原節子さん主演の「智恵子抄」。コロナ禍前は、何だかんだで、年に1,2回、全国のどこかしらで上映があった感じですが、久しぶりだな、という気がします。

ところで、当会で年2回発行している冊子、『光太郎資料』。「光太郎回想・訪問記」という項を設け、生前の光太郎と交流のあった人々の回想などのうち、光太郎関連の書籍にまとめられていないものを載せています。10月発行予定の第56集では、「座談会 三人の智恵子」。光太郎が歿した昭和31年(1956)から翌年にかけ、「智恵子抄」二次創作が相次いで行われ、その関係者による座談会です。昭和32年(1957)6月1日『婦人公論』第42巻第6号に掲載されました。
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司会は武智鉄二。新作能「智恵子抄」の演出を手掛けました。「三人の智恵子」は、初代水谷八重子さん、原さん、そして新珠三千代さん。それぞれ、新派の舞台、映画、テレビドラマで智恵子役を演じた方々です。

その中の一節、原さんの発言から。

私は自分の力を知ってますから、自分でしたいとは思わなかったんです。ですから、五年ほど前会社で企画が出たとき、私は自信がないからとお断りしたんです。じゃ五年後の今は自信が出たのかというと、そういうわけじゃないのですが、ただ美しい映画が出来ればいいと思って、ですから私じゃなくてもいいと思うけれど、たまたまそういうお話になって……。今度は私が一番まずいんです、ハイ。ですけれども光太郎さんをやられる山村さんという方が、雰囲気をもっていらっしゃる方ですし、それに映画は、一人まずくても大分まわりでカバーしてくれますから。(笑)

「山村さん」は、光太郎役の山村聰さん。戦時中にはラジオで光太郎の翼賛詩朗読にあたったりもされました。

原さん、だいぶ謙遜されていますが、それなりに見応えのある作品です。コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

午前十時過学校行。山口小学校開校式落成式。盛大。余もお祝のことばをよむ。

昭和23年(1948)12月3日の日記より 光太郎66歳

昨日に引き続き、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校関係。分教場から小学校に昇格し、新校舎の落成式と開校式がセットで行われ、光太郎も招かれました。

「お祝のことば」。詩として『高村光太郎全集』第3巻に収録されています。全集刊行時点では、光太郎生前に活字になった記録がなかったのですが、地方紙『花巻新報』の、山口小学校落成式を報じた記事に掲載れていたのを確認しました。
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最近手に入れた古いものシリーズ、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(中村登監督 岩下志麻さん主演)関連です。

まず、カセットテープ。
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「女優 岩下志麻 美しさと妖しさと 2」という題名。「美しい映画音楽と共に語る名作の精粋」だそうで、岩下さんがご出演なさったドラマ・映画の原作等を、そのドラマ・映画の音楽に乗せて岩下さんが朗読するというコンセプトでした。

ジャケットの隅に「品質保証 1969」とあり、昭和44年(1969)のリリースかと思いましたが、取り上げられている「草燃える」は昭和54年(1979)のNHK大河ドラマでしたので、それ以後の制作です。ちなみに「草燃える」での岩下さんは北条政子役でした。

他の作品はすべて映画で、「雪国」(昭和40年=1965)、「古都」(昭和38年=1963)、そして「智恵子抄」(昭和42年=1967)。すべて中村登監督作品です。

「智恵子抄」では、詩「樹下の二人」(大正12年=1923)、「あどけない話」(昭和3年=1928)、「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)、「値ひがたき智恵子」(同)、「荒涼たる帰宅」(昭和16年=1941)。合間に映画「智恵子抄」の脚本をアレンジしたミニドラマ的なものも挿入されています。史実とは異なりますが、昭和13年(1938)、歿する直前の智恵子が病院を抜け出し、光太郎と共に暮らした駒込林町のアトリエ兼住居へ勝手に帰ってきて……
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この映画、一度拝見しましたが、このシーンの岩下さんの鬼気迫る演技は圧巻でした。光太郎役は丹波哲郎さんでしたが、テープでは岩下さんの一人芝居で構成されています。

これ以外にも、まったく同じ音源を使ったカセットテープがリリースされていました。題して「カセット文芸シリーズ 智恵子抄 婉という女」。こちらはかなり前に入手していました。
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こちらも正確な発行年は分かりませんが、JANバーコードが印刷されていることから、こちらの方が新しいのかな、という気がします。ちなみにカップリングの「婉という女」は昭和46年(1971)公開の今井正監督作品です。

もう1点、映画「智恵子抄」のスチール写真。これ以外に、岩下さんのサイン入りを含め、20数種類、この映画のスチール写真をコツコツ集めましたが、新たに一枚加わりました。
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史実ですと、昭和8年(1933)、光太郎智恵子が東北から北関東の温泉巡りをした途中の会津磐梯山でのエピソード。シナリオは以下。クリックで拡大します。
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詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)で謳われた、「わたしもうぢき駄目になる」と呟く場面です。

こういうものにどの程度の価値があるのだ? と問われると、何とも答えに窮するところですが、さりとて散逸するに任せるのも忍びなく……。

最近手に入れた古いものシリーズ、とりあえず明日まで続けます。

【折々のことば・光太郎】

夜久しぶりにみみずくの声をきく。しやがれ声なり。春以来きかざりき。


昭和21年(1946)9月20日の日記より 光太郎64歳

ミミズクの声も、田舎あるあるです(笑)。

こういう映画があったというのを存じませんでした。

一昨日の『デイリースポーツ』さんから

「利用したことのない新幹線駅」にもドラマがある…新花巻駅誕生の「逆転劇」描いた映画が公開へ

002 岩手・新花巻駅に東北新幹線が止まる運動に奔走した地元住民を描いた映画「ネクタイを締めた百姓一揆」が6日から東京・UPLINK渋谷で劇場公開される。「請願駅」が東北新幹線の駅となるまでの14年間の実話を元にした作品だ。東京初公開を前に、地元関係者に話を聞いた。
 新花巻駅は、1971年10月に当時の国鉄が発表した東北新幹線基本工事計画では予定されていなかった。本作は「花巻市に駅の設置を」という市民運動が起こり、決定事項を覆して85年3月に開業するまでの「逆転劇」を描いた群像劇となる。
 新花巻駅設置運動史「耐雪花清(たいせつかせい)」という冊子がある。当時、花巻市役所職員として、運動史の編纂に加わった藤戸忠美さんに話をうかがった。
 「昭和46年当時、花巻市民には『新幹線が止まって当然』という思いがありました。岩手県では、盛岡と最南端の一関の中間地点にある花巻は国鉄の乗降客で盛岡に次いで県内2位であり、温泉などの観光地であることや、宮沢賢治の生誕地であったり、高村光太郎が晩年7年間を過ごしたこともあったので、新幹線が止まるものだと疑ってもいなかった。ところが、決まったのは隣の北上だった。隣町に負けたという悔しい思いがあり、花巻市民として動き出したのです」
 そう振り返る藤戸さんは、運動の中心人物を挙げた。藤戸さんは「小原甚之助さんという市民会議の議長さんです。情熱家で、花巻に新幹線の駅ができないことについて『子孫に対して申し訳ない』という思いを持たれていた。運動のスタート当時は、行政より市民の方が燃えていました」と証言する。
 新花巻駅は東北新幹線と在来線の釜石線との交差地点に設けられた接続駅。JR東日本によると、2019年度の1日平均乗車人員は891人。新幹線駅の1日平均乗車人員は900人ということで、ほぼ全国平均的な数字となる。利用者はやはり観光客が多いのだろうか。花巻市観光課の駒木裕也さんに話をうかがうと、「花巻温泉郷」の存在を挙げた。
 「花巻温泉郷は12の温泉からなり、その泉質も雰囲気もさまざまです。また、宮沢賢治や萬鉄五郎を始めとした著名な先人を輩出し、高村光太郎や新渡戸稲造ゆかりの地として知られ、偉人たちの足跡をたどることができるスポットが数多くあります」
 とはいえ、今年はコロナ禍によって観光地は全国的に打撃を受けた。花巻の場合はどうだったのか。
 「花巻は東北最大の温泉宿泊地であるため、特に宿泊施設に与える影響は相当に大きなものがあります。このため、市では独自に利用助成制度を創設しました。Go Toトラベル事業の効果もあり、9月・10月については、昨年と同様あるいはそれ以上にお客様にお泊まりいただいた状況となっておりますが、今後の情勢を引き続き注視していかなければならないと思っております」
 今回の作品公開について、駒木さんは「花巻に所縁のある方はもちろん、花巻にお越しいただいたことのない方も、本作品を通じて、故郷を思い出したり、舞台となった場所を訪れてみたいと感じていただけましたら」と歓迎。「新花巻駅は文化や産業の結節点としても重要な役割を果たしています。来年にはJR東日本の東北デスティネーションキャンペーンも予定されており、地域にとってなくてはならない存在になっています」とアピールした。
 岩手県在住の河野ジベ太監督は「実在する新幹線の1つの駅にまつわる物語ですが、同時に昭和に整備されてきた様々なインフラに込められた普遍的な物語でもあります。今の私たちにとって当たり前の便利な日本は、かつての人々の熱い思いによって実現されてきたものです」と指摘。「激動の70年代、理想と現実、人と人の思いが真っ向からぶつかった時代。不器用に間違えて回り道してぶつかって、それでもくじけず前を向くエネルギーを大切にしようと思いながら脚本を書きました。おじさんたちの映画なのに青春映画のようになっているのはきっと新しいことに挑戦したときに人は誰でも若者のようなエネルギーを持つからだと思います」とコメントを寄せた。
 ツイッターには「#利用したこと無い新幹線駅」というハッシュタグがある。投稿者が乗降したことのない駅名を列挙していて、新花巻も名を連ねている。だが、そうした「通過駅」の1つ1つにもドラマがあるのだ。
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調べてみましたところ、公式サイトがありました。それによれば映画は2017年の制作。地元・花巻はじめ各地でぽつぽつと上映会が開かれてきた他、平成30年(2018)には「門真国際映画祭2018」に参加、最優秀脚本賞を受賞しているそうです。で、都内での劇場公開が今日からだそうで

ネクタイを締めた百姓一揆

期 日 : 2020年11月6日~11月12日(木)
会 場 : UPLINK渋谷 東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1階
時 間 : 11/6・7・9・10 13:15~ 11/8・12 13:10~ 11/11 17:40~
料 金 : 一般¥1,900/シニア(60歳以上)¥1,200/ユース(19歳~22歳)¥1,100
      アンダー18(16歳~18歳)¥1,000/ジュニア(15歳以下)¥800
      UPLINK会員¥1,100(土日祝¥1,300)ユース会員(22歳以下)¥1,000

岩手県に実在する東北新幹線・新花巻駅設置を巡る14年間の物語を、地元在住有志が一切の妥協なく撮り切った長編巨大群像劇。計画にない駅は、出来るのか。時代に翻弄される国鉄を背景に描かれるそれぞれの想い、圧巻の147分。

上映前・後舞台挨拶開催決定!!
11/6(金)【上映前舞台挨拶】登壇者:菅原修(国会議員ミツヅカ役)、菅原季咲良(録音)、河野ジベ太(監督)(約5分)

11/7(土)【上映後舞台挨拶】登壇者:小原良猛(タニカワ産業役兼プロデューサー)、堀切大地(エキストラ)、河野ジベ太(監督)(約5分)

11/8(日)【上映後舞台挨拶】登壇者:小原良猛(タニカワ産業役兼プロデューサー)、河野ジベ太(監督)(約5分)

11/11(水)【上映後トークショー】登壇者:久場寿幸、曽我真臣(共に「カメラを止めるな!」等俳優)、河野ジベ太監督(約15分)

※敬称略
※ゲストは予告なしで急遽変更になる場合や中止になる場合がございますので、ご了承ください。



上記予告編だけでもかなりのストーリーがつかめますね。まさに「長編巨大群像劇」というにふさわしそうです。かなり笑えますが(笑)。新花巻駅は、東京駅や上野駅を除いた東北新幹線の駅の中で、当方が最も多く利用している駅ですが、その背景にこういうことがあったというのも全く存じませんでした。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

東京よりもこつちの方がよい、ただ山荘は越冬設備ができていないので一週間ほど大沢温泉に泊り山荘を整理して再び東京に行きたいと思う

談話筆記「庭木に思い出新た」全文 昭和28年(1953) 光太郎71歳

昭和28年11月27日『河北新報』夕刊に載った「庭木に思い出新た 高村翁岩手の山荘に帰る」と題した記事に附された談話です。記事本文は以下の通りでした。

【花巻】昨秋岩手県稗貫郡太田村の山荘を下山して東京に戻った高村光太郎翁は二十年ぶりにノミをとった苦心の作“乙女の像”もでき上り目的の十和田湖畔に建て、一段落したというので二十五日詩人草野心平氏を伴って再び岩手県入りした。高村翁は相変らずカーキー色の詰えり服といった無造作な姿で部落内にあいさつ回りをし、さらに同村山口小学校児童たちの歓迎会にのぞんだりし、いつもながらの地元民の温情に目を細めて喜んだ。山荘に落着いた翁は庭にある植木をなつかし気になでながらつぎのように語った。

この年、10月21日に「乙女の像」除幕式のため青森十和田湖を訪れた光太郎は、25日にいったん帰京し、1か月後の11月25日から12月5日まで、旧太田村等に滞在しました。宿泊は山小屋ではせず、大沢温泉、志戸平温泉、花巻温泉松雲閣でした。滞在中の前半にはブリヂストン美術館制作の美術映画「高村光太郎」の撮影がありました。記事にある「同村山口小学校児童たちの歓迎会」の模様が映画にも写されています。
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当初の計画では、冬期は東京、それ以外は太田村と、二重生活を送る心づもりもあったのですが、健康状態がそれを許さず、結局、これが最後の太田村滞在となりました。

このころの光太郎、新幹線など想像すら出来なかったことでしょう。

10月4日(日)、北鎌倉の笛さんに伺う前、同じ鎌倉市内の川喜多映画記念館さんで「【特別展】生誕100年 激動の時代を生きた二人の女優- 原節子と山口淑子」を拝見しました。
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原節子さんは、昭和32年(1957)公開の東宝映画「智恵子抄」(熊谷久虎監督)で、智恵子役を演じられました。光太郎役は山村聰さんでした。

山口淑子さんは、光太郎終焉の地・中野の貸しアトリエを光太郎の前に借りていた彫刻家イサム・ノグチの妻。戦後、大陸で日本に協力した中国人・李香蘭として処罰されそうになった際、日本人であることを証明して助命に寄与したのが、当時、中国国民党の将校だった黄瀛。中国人の父と日本人の母を持ち、光太郎や草野心平、宮澤賢治と親しかった詩人でもありました。また、光太郎自身も、写真で見た山口さんの風貌に、彫刻を作りたいと感じていたそうです。

そのお二人の企画展ということで、興味深く拝見。

原さんの「智恵子抄」に関しては、縦に二枚つなげる立看用のポスターが展示されていました。展示の撮影は禁止だったので、下の画像、当方手持ちの同じものです。
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南品川ゼームス坂病院で紙絵を制作する智恵子です。そういえば昨日は智恵子忌日・レモンの日でした。

ちなみに自宅兼事務所には、これ以外にもポスター、プレスリリース、チラシ、シナリオ、パンフレット、スチール写真、当時の雑誌など、小規模な「原節子と「智恵子抄」展」が開催できるくらいの数があります。やるというならお貸ししますので、関係の方、ご検討下さい。

「智恵子抄」は、同館で今月末から来月はじめにかけ、上映されます。
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ところで、原さんといえば、現在NHKさんで放映中の連続テレビ小説「エール」。昨日の放映分に原さんの名前が出て来ました。

昭和18年(1943)、作曲家・古関裕而をモデルとする主人公・古山裕一(窪田正孝さん)の元へ、映画プロデューサーが訪ねてきまして、映画の主題歌を作曲してほしいと要請。
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この映画、実在のもので、原さんがご出演なさっています。監督は渡辺邦夫。配給は東宝でした。
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内容的にはざっくり言うと、上記プロデューサーのセリフ通りです。

で、主題歌が「若鷲の歌」。下記画像はおそらく明日か明後日の放映分の「エール」。先月の番宣番組から採りました。
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「エール」については、また改めて光太郎の翼賛詩文とのからみで記事を書きたいと思っております。

川喜多映画記念館さんでの展示では、残念ながらこの「決戦の大空へ」についてはほとんど触れられていませんでした。ただ、原さんにとっての「黒歴史」だから隠蔽、というわけではなく、同様の国策映画「新しき土」(昭和12年=1942)、「ハワイ・マレー沖海戦」(昭和17年=1942)については詳しく扱われていました。

山口淑子さんの「李香蘭」時代の活動を含め、国策映画、恐ろしいものだと感じました……。

ところで、先週の「エール」には、こんなシーンもありました。
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二階堂ふみさん演じるヒロインが、軍需工場などの慰問演奏を行う「音楽挺身隊」に参加し、しかし呑気に考えていたところ、投げつけられたセリフです。

音楽、それから映画、そして詩歌や小説、さらには絵画彫刻などの造形芸術も、「軍需品」だったわけで……。そういう時代に戻してはならないと、改めて感じました。

さて、川喜多映画記念館さんでの展示、12月13日(日)までです。ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

僕は個人に寄付するのは好みません。特定の人にだしたくないのです。

談話筆記「高村光太郎先生説話 二二」より
昭和26年(1951) 光太郎69歳

詩集『典型』が読売文学賞に選ばれ、その賞金10万円をまるまる寄付してしまった光太郎。ただし、個人に対しては行わず、山小屋近くの山口小学校、地元青年会などに寄付しました。

たまたまネットで検索中に見つけた情報です 

大正から昭和を生きた画家・高村智恵子と、夫で彫刻家の高村光太郎を主人公にすえた10分の短編映画の助演を探しております。

監督・脚本はカンヌ短編映画祭・ベネチア映画祭・ロシアのアムール秋映画祭・武蔵野市後援映画・埼玉県主催絵映画を担当してきた高村狐堂。今作も、国内外の映画祭に応募予定です。また、現在月に1本短編映画を作っており、継続的に座付き役者として活動できる方を特に望んでおります。

【あらすじ】
 明治から昭和を生きた、画家・高村智恵子と彫刻家・高村光太郎(二人とも実在の人物)。大恋愛のすえに結婚した二人は幸福な人生を送るかに見えた。将来を嘱望された智恵子と光太郎の未来は明るいはずで、お互いの個展も決まっていた。
 しかし……。結婚してすぐ、暗雲が垂れ込めていく。家に光太郎の友人たちが訪ねてくる。自分で酒や料理を用意しようという光太郎だったが、「そんなものは奥さんに任せておけ」「なんのために結婚したんだ」と言うばかり。光太郎は「僕は、彼女を幸せにしたくて、彼女の絵が好きだから結婚したんだから、僕の酒ごときで煩わせたくない」と反論するが、時代と世間はそれを許さなかった。光太郎は、智恵子のサポートもあり次々と個展を成功させる。一方で家事炊事全般をやらされた智恵子は創作に手がつかなくなり、創作欲をもてあまして心を病むようになっていった。
 智恵子には大河ドラマ『いだてん』でも有名になった二階堂トクヨという親友がいた。その親友からは「実家に帰りなさい」「ひとり身になって絵を描き続けなさい」と助言される。智恵子は帰郷しようとするが、実家は破産・一家離散してしまう。智恵子の精神は限界に達し、精神病院に入院することになる。
 光太郎は病院に通うが、ついに智恵子は死んでしまう。光太郎はその臨終の席で、智恵子に檸檬を渡すのだった。光太郎はその時の記憶を『レモン哀歌』にしたため、世間からも好評をうける。一番喜んでほしかった智恵子は、もうそばにいないけれども。
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【募集内容】
・光太郎の友人・師匠役
・募集年齢:18歳~50歳頃
・報酬:軽食支給
・撮影日程:9月15日(火)19時~21時
・撮影場所:馬込駅徒歩10分の古民家

【応募方法】
・件名:『高村光太郎映画(仮)』/友人役応募/(応募者のお名前)
①年齢、身長、特技、趣味、出演経歴
②バストアップと全身写真
③ご自宅最寄り駅
④FACEBOOK・ツイッター・インスタ・TIKTOK・17ライブ・ショールーム・CHECKなどのURL。
⑤(あれば)映画および映像作品の、WEB上の映像リンク 
⑥オーディション方法
 ライン通話かZOOMで15分ほど。あるいは山手線の駅・会議室にて審査。
 日程は別途連絡いたします。
⑦エキストラ(台詞あり・なし)(役名あり・なし)での出演可能か。
 脚本上の別役対応可能か。

応募先:kodo0918@yahoo.co.jp

まずはご応募いただければ幸いです。
みなさまからのご応募、心よりお待ちしております。

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 スタッフ経歴
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脚本 - 高村 狐堂 Kodo Takamura
監督、脚本家。
・2019年イルミナシオン映画祭最終選考(別名義)脚本
・NHK創作ドラマ賞佳作(別名義)脚本
・カンヌ短編映画祭『FALL』脚本
・(上記とは別監督)カンヌ短編映画祭『茶色い水』脚本
・沖縄県主催映画『光の跡地』特別賞受賞 脚本監督(NHKにて5回放映)
・ロシアのアムール秋映画祭『歪な体温』脚本
・実在のバンドと手を組んだ音楽長編映画『かさぶた』脚本・助監督
・東北映画祭『311の娘たち』脚本・監督
・クロアチア映画祭長編映画『311の子どもたち』脚本監督
・茨城県自治体との共催中編映画『真夏の通り雨』脚本(2020年撮影)
・埼玉県内の全自治体との共催映画『うたたね』脚本(2020年撮影)
・青森県自治体との共催長編映画『セブンズドア』脚本(2021年撮影)

こういう募集もあるのですね。高村狐堂さんという方、当方は存じませんでした。高村姓ですが、光太郎血縁ではなく、おそらくペンネームなのではないでしょうか。

光太郎には、彫刻の上では師匠という師匠は居ませんでした(少年期であれば父・光雲やその高弟たちがそれにあたるかもしれませんが)し、二階堂トクヨは智恵子の親友ではなく恩師、さらに光太郎が開いた個展は生前には一度きり、それも最晩年になのですが、まぁ、そのあたりは演出上の脚色ということなのでしょうか。

そうした点はともかく、「自分で酒や料理を用意しようという光太郎だったが、「そんなものは奥さんに任せておけ」「なんのために結婚したんだ」と言うばかり。光太郎は「僕は、彼女を幸せにしたくて、彼女の絵が好きだから結婚したんだから、僕の酒ごときで煩わせたくない」と反論するが、時代と世間はそれを許さなかった。」という切り口、これまでも為されてきてはいますが、やはりあまり状況は変わっていない現代においても、十分に訴えかける部分があると思います。

我こそは、という方、ぜひご応募を。


【折々のことば・光太郎】

本当は技巧がよければ良い程いゝんですがね。所がそれが本当の技巧にならない時もあるし……然し又技巧を全く止して考へてみることも出来ないから一寸解らない、僕は非常に技巧が練達したと言はれて居る人のを見て拙く感ずる。
座談会筆録「第二回研究部座談会」より
昭和15年(1940) 光太郎58歳

彫刻に関して、光太郎は小手先の技巧を駆使するやり方を認めていませんでした。といっても、技巧全般を無視するというわけではなく、最低限の技巧はベースとしてあるべきで、その後の処理ですね。技巧を見せることに終始しては本末転倒、内側から溢れ出る生命感みたいなものが、技巧を超えて表現されていなければならない、というわけでしょう。

神奈川県鎌倉市にある川喜多映画記念館での特別展情報です。 

期 日 : 2020年9月11日(金)~12月13日(日)
会 場 : 鎌倉市川喜多映画記念館 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目2番地12号
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 毎週月曜日(月曜日が休日の場合は開館、翌平日を休館日とします
料 金 : 一般400円(280円) 小・中学生200円(140円)( )内は20名以上の団体料金

 2020年は、伝説的な存在として人々の記憶に留まり続ける二人の女優─原節子(1920年6月17日~2015年9月5日)と山口淑子(1920年2月12日~2014年9月7日)─の生誕100年にあたります。
 デビューから間もない1936年に日独合作映画のヒロインに抜擢され、一躍スターとなった原節子は、戦時中は国策映画、戦後は一転して民主主義映画のシンボルとして、国民的な人気を誇りました。そして、小津安二郎をはじめ巨匠たちと組んで大女優としての地位を確立したのち、若くして表舞台を去り、スクリーンにその輝きを残したまま、鎌倉の地で静かに余生を送りました。
 一方の山口淑子は、満州事変から日中戦争へと続く植民地支配下の中国に生まれ育ち、1938年に日本の国策映画会社・満映から《李香蘭》の名でデビュー、歌手として女優として、東アジアの大スターの座に君臨しました。終戦後、日中両国の間に挟まれ命からがら日本に戻った彼女は、国際派女優として、その後は司会者や政治家として、常に世界を見据えた視点で幅広い活躍を続けました。
 その生き方も、女優としてのイメージも大きく異なる二人ですが、本展では、同じ年に生まれ、ともに激動の時代を生き抜いた二人の女優の姿を、貴重な資料を通して振り返ります。

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関連行事

植木金矢作品展 映画女優・原節子を描く

10月8日(木)~11日(日)003
10:00/11:00/13:00/14:00/15:00
昭和28年、チャンバラ時代活劇「風雲鞍馬秘帖」で子供たちの心を虜にして以降、生涯にわたって多くのファンを魅了し続けた鎌倉在住の劇画家・植木金矢さん(享年97)。一周忌にあたる10月11日にあわせて作品展を開催します。植木さんは晩年、女優の中では「原節子」を最も多く描きました。植木さんが作品に込めた思いをぜひご覧ください。


トークイベント「李香蘭と川喜多長政を繋いだ“中華電影”」
10月17日(土) 『萬世流芳』上映後  ゲスト:刈間文俊さん(東京大学名誉教授)
満州に設立された映画会社「満映」からデビューした李香蘭と、上海に誕生した「中華電影」の最高責任者だった川喜多長政。同じ時代に中国の異なる土地で映画作りに携わっていた2人を結び付けたのは、両映画会社が共同製作した『萬世流芳』(1942 年)でした。トークイベントでは、長年にわたり中国映画の研究に従事されている刈間文俊さんに、当時の歴史的背景と中国の映画事情、李香蘭と川喜多長政の関わりについてお話しいただきます。
料金:(『萬世流芳』鑑賞料金含む)一般1,600円、小・中学生800円


トークイベント「晩年の李香蘭、山口淑子」
10月18日(日)『私の鶯』上映後   ゲスト:高橋政陽さん(テレビ朝日前記者)
奉天での幼少期、中国人として過ごした北京時代、思いがけない女優デビューとスターへの階段、敗戦と引揚げの混乱、戦後日本映画界での活躍、結婚と別れ、女優引退と外交官の妻としての日々、やがて司会者としてのテレビ復帰と政治家としての活躍…。文字通り激動の時代を生きた山口淑子さんの実人生の歩みとその人柄を、親交のあったジャーナリストである高橋政陽さんにお話しいただきます。
料金:(『
私の鶯』鑑賞料金含む)一般1,600円、小・中学生800円

トークイベント「原節子と『新しき土』」
10月31日(土)14:00~  ゲスト:石井妙子さん(ノンフィクション作家)
経済的な理由から女優になり、まだ間もない原節子にとって、スター女優への 道を決定づけた作品『新しき土』。日独の政治的な思惑が絡み合った本作において、原節子はどのような役割を果たしたのでしょうか。また、映画の宣伝のため半年にわたった欧米旅行は、彼女にどのような影響をもたらしたでしょうか。トークイベントでは、評伝「原節子の真実」で新潮ドキュメント賞を受賞し、最近では「女帝 小池百合子」の著者としても大きな話題を呼んだ石井妙子さんに、若き原節子と『新しき土』の関わりを紐解いていただきます。
料金:一般1,200円、小・中学生600円 チケット発売日:9月19日(土)

映画上映
東京物語(1953年/135分/松竹/白黒/DCP) 
 9/15(火)・17(木)・19(土) 10:30  9/16(水)・18(金)・20(日) 14:00
麦秋(1951年/124分/松竹/白黒/DCP)
 9/16(水)・18(金)・20(日) 10:30  9/15(火)・17(木)・19(土) 14:00
新しき土(1937年/日本=ドイツ/白黒/106分/ブルーレイ)
 10/27(火)・31(土) 10:30       10/28(水)・30(金)・11/1(日) 14:00
智恵子抄(1957年/東宝/白黒/97分/35mm)
 10/28(水)・29(木)・30(金)・11/1(日) 10:30 10/27(火)・29(木) 14:00
醜聞〈スキャンダル〉(1950年/松竹/白黒/104分/35㎜)
 11/23(月・祝)26(木)・28(土) 10:30 10/25(水)・27(金)・29(日) 14:00
白痴(1951年/松竹/カラー/166分/35㎜)
 11/25(水)・27(金)・29(日) 10:00  
 10/23(月・祝)・26(木)・28(土) 14:00
私の鶯(1944年/99分/東宝+満映/白黒/35mm)
 10月15日(木)14:00、16日(金)10:30 18日(日) 14:00
萬世流芳(1942年/151分/中華聯合製片+中華電影+満映/白黒/ブルーレイ)
 10月16日(金)14:00、17日(土)13:00
青い山脈/続・青い山脈【特別上映】
 (1949年/93分・84分/東宝=藤本プロ/白黒/35mm)
 11月10日(火)10:00、11日(水)14:00、12日(木)10:00、13日(金)14:00、
 14日(土)10:00、15日(日) 14:00
暁の脱走(1950年/116分/新東宝/白黒/35mm)
 11月10日(火)14:00、11日(水)10:30、12日(木)14:00、13日(金)10:30、
 14日(土)14:00、15日(日)10:30

《展示解説》/《上映解説》
展示の見どころと上映作品の解説を、学芸員が映像資料室内で実施します。(要特別展観覧料)
《展示解説》9/12(土)・10/24(土)・11/21(土)各日14:00~(約40分)
《上映解説》9/20(日)・10/4(日)・11/27(金)・12/4(金)各日午後の上映終了後(約30分)


昭和32年(1957)の東宝映画「智恵子抄」で智恵子役を演じられ、平成27年(2015)に亡くなった原節子さん、そして光太郎が入居する前の終焉の地・中野の貸しアトリエを借りていた彫刻家、イサム・ノグチの妻であった山口淑子さん(平成26年=2014没)。お二人を顕彰する展示/イベントです。

同館では、原さんに関しては、亡くなった翌年の平成28年(2016)にも「特別展:鎌倉の映画人 映画女優 原節子」を開催し、当方、拝見して参りました。「智恵子抄」の立看ポスターなどが展示されていましたし、その際にも「智恵子抄」の上映がありました。

それにしてもお二人が同年(大正9年=1920)の生まれで、今年が生誕100年とは存じませんでした。上記の通り亡くなったのは比較的最近ですので、お二人ともご長寿だったわけですね。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

お互いに日本を彫刻国として立派に作り上げる事に努力せねばなりません 日本は其に値する資格が十分にあると存じます

雑纂「(私信より)」全文 昭和15年(1940) 光太郎58歳

光太郎、日本人の「美」に対する意識や、古代から作り上げられてきた彫刻作品のレベルの高さなどは世界的に見ても遜色がないと考えていました。実際、それは否定できないでしょう。

ただ、そうした優位性に対する意識が翼賛思想に結びついてしまったのは残念なことですが……。

今年四月に亡くなった、大林宣彦監督の遺作が公開されます。 

監督 : 大林宣彦
脚本 : 大林宣彦 内藤忠司 小中和哉
出演 : 厚木拓郎 細山田隆人 細田善彦 吉田玲 成海璃子 山崎紘菜 常盤貴子他
音楽 : 山下康介
製作 : 「海辺の映画館―キネマの玉手箱」製作委員会
配給 : アスミック・エース
封切 : 2020年7月31日(金)より全国順次公開

尾道の海辺にある唯一の映画館「瀬戸内キネマ」が、閉館を迎えた。嵐の夜となった最終日のプログラムは、「日本の戦争映画大特集」のオールナイト上映。上映がはじまると、映画を観ていた青年の毬男(厚木)、鳳介(細山田)、茂(細田)は、突然劇場を襲った稲妻の閃光に包まれ、スクリーンの世界にタイムリープする。

江戸時代から、乱世の幕末、戊辰戦争、日中戦争、太平洋戦争の沖縄……3人は、次第に自分たちが上映中の「戦争映画」の世界を旅していることに気づく。そして戦争の歴史の変遷に伴って、映画の技術もまた白黒サイレント、トーキーから総天然色へと進化し移り変わる。

3人は、映画の中で出会った、希子(吉田)、一美(成海)、和子(山崎)ら無垢なヒロインたちが、戦争の犠牲となっていく姿を目の当たりにしていく。3人にとって映画は「虚構(嘘)の世界」だが、彼女たちにとっては「現実(真)の世界」。彼らにも「戦争」が、リアルなものとして迫ってくる。

そして、舞台は原爆投下前夜の広島へ――。そこで出会ったのは看板女優の園井惠子(常盤)が率いる移動劇団「桜隊」だった。3人の青年は、「桜隊」を救うため運命を変えようと奔走するのだが……!?

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直接、光太郎には関わらないのではないかと思われますが、戦時中、ラジオで光太郎の翼賛詩を朗読していた丸山定夫率いる移動演劇団「桜隊」が、映画のクライマックスで描かれます。桜隊は広島の原爆で被災、大怪我を負った丸山は終戦の翌日に息を引き取りました。映画では窪塚俊介さんが丸山を演じられています。

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今月初めにNHKさんのBS1で放映された追悼番組「BS1スペシャル▽映画で未来を変えようよ~大林宣彦から4人の監督へのメッセージ」を拝見しました。それによれば、他の作品でも「戦争」にこだわってきた大林監督、広島尾道での幼少期のご経験が原体験となっていたようです。

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当時の例にもれず「軍国少年」だった監督。しかし、やがて戦局の悪化と共に……。

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こうした原体験、さらにプロデューサーであらせられる奥様から聞いた、東京大空襲の惨状。それらがこれまでの作品に投影されていたそうで。

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そして「海辺の映画館―キネマの玉手箱」。そうした部分の集大成ともいえる内容です。

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病をおして制作に執念を燃やした大林監督。

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006亡くなったのは、コロナ禍で延期されたこの映画の元々の公開予定日でした。監督からのメッセージ、正しく受け止めなければなりますまい。

ちなみに以前にも書きましたが、当会会友・渡辺えりさんもご出演。えりさんのお父様は、戦時中、中島飛行機(現・SUBARU)の武蔵野工場で働いていらして、丸山も朗読した光太郎の「必死の時」をそらんじることで、空襲の恐怖におびえる気持をまぎらわせたそうです。

新型コロナ感染には充分お気を付けた上で、ぜひ足をお運び下さい。



【折々のことば・光太郎】
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各人皆自己の内に神が宿つてゐることを信ずべきだ。精神ある者にとつては目に触るるもの皆詩である。

散文「『職場の光』詩選評 二」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

雑誌『職場の光』は、えりさんのお父様のような、戦時中「産業戦士」と呼ばれた工場労働者向けの雑誌。大日本産業報国会の発行でした。「産報文芸」という、読者の投稿ページがあり、詩の項の選者を光太郎が務めました。これまでに十二回分の選評を確認しまして、うち、五回分は草稿からの採録で『高村光太郎全集』に掲載、他の七回分は掲載誌を発見し「光太郎遺珠」に掲載しました。一般読者が書いた投稿作品の選評ですが、光太郎自身の詩論が色濃く反映されています。

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