カテゴリ:音楽/演劇等 > 演劇

またまたテレビ放映情報です。

五木寛之「風のCafe」1周年記念スペシャル ゲスト:渡辺えり

BSフジ 2014年11月 1日(土)17:30~18:30  再放送 11月15日(土)17:30~18:30
 
番組ホスト 五木寛之(作家)
番組アシスタント 冴木彩乃(出版プロデューサー)
ゲスト 渡辺えり(劇作家・演出家・女優) 
-----
 今回のゲストは、渡辺えり。そして、“もう一度聞きたい、あの話”をまじえての60分スペシャル!これまでCafeを訪れた各界の著名人、13人のゲストの名言を再びお届けする。
 五木から演劇界きっての歌唱力の持ち主と称賛される渡辺えりは、五木が作詞した歌を2曲もつ。その一つ「昼の花火」の歌詞は還暦を前にした渡辺にとって、今あらためて読むと泣きそうになるという。その歌詞のもつ意味は?
 戦時中、高村光太郎に心酔した父により、家に飾ってあった光太郎の写真をずっと自分の祖父だと思って育った渡辺。いじめられっ子だった小学校時代。そこから自信を持てるようになったきっかけ、そして山形から上京することになった理由の一つ、ジュリーこと沢田研二への憧れについて語る。
 そして、五木と渡辺のいくつもの接点。その一つが池袋の「舞台芸術学院」でのすれ違い。さらに、「ゲゲゲのげ」岸田國士賞受賞のきっかけをつくった「唐十郎」とのこと。唐は当時無名の渡辺の初期作品を候補作と間違えて読み、その実力を看破したという。また、美輪明宏にこの授賞式の衣装を買ってもらった話や、同時受賞した野田秀樹などの不思議な縁を話す。
 劇団「3○○」や演劇活動のかたわら、テレビにも出演。庶民的で可笑しなキャラクターを演じ人気を博している“国民的女優渡辺えり”。しかし、映像で見るイメージとは違い、劇作家渡辺えりの描く芝居はシュールなものだ。そのギャップが違いすぎて、お客さんが戸惑い理解されない、という悩みも打ち明ける。今度の舞台「天使猫」は東日本大震災の後、はじめて書き下ろした作品だ。被災地に思いを馳せ、復興未だ叶わぬ現地でもテントで上演される。そのきっかけは、共演する宇梶剛士と地元の人たちの「ここでやりたい、やってくれ」という言葉だった。
 渡辺えりは様々な顔をみせる。プロデューサー、脚本家、作家、評論家、タレント、そして俳優・・・あらゆる役割をこなす渡辺えりを、五木は「百姓」という言葉で例える。「百姓」という言葉には、元々「様々な職業」という意味があるのだ。五木は彼女に100歳までの舞台を期待する!
 
 
生前の光太郎と面識のあったお父様の影響で、光太郎を主人公とした演劇「月にぬれた手」を作られた渡辺えりさんがゲストです。
 
お父様と光太郎にまつわるエピソードは、かつての連翹忌、一昨年5月9日の「徹子の部屋」、昨年5月15日の花巻光太郎祭での講演などでご披露されました。
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
今回もそのあたりのお話が聴けるのではないでしょうか。
 
また、現在、渡辺さんは宮沢賢治を主人公とした舞台「天使猫」の全国ツアー中。そのあたりも内容説明に入っています。
 
ぜひご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月31日
 
昭和43年(1968)の今日、中央公論美術出版から、光太郎の弟・高村豊周著『自画像』が刊行されました。
 
イメージ 4
 
基本、鋳金の人間国宝として活躍した豊周の自伝ですが、随所で光太郎智恵子、光雲についても語られており、貴重な記録です。

お父さまが光太郎と面識がおありだったこともあり、連翹忌にもよくご参加下さっている渡辺えりさん率いる劇団「おふぃす3○○(さんじゅうまる)」さんの公演です。
 
2012年、下北沢の座・高円寺での初演以来の再演、今回は全国11ヶ所を巡回します。 
【盛岡】10月19日(日)         盛岡劇場メインホール  14時
【東京】10月23日(木)~28日(火)シアター・トラム
【石巻】11月1日(土)         石巻特設会場  時間未定
【兵庫】11月3日(月・祝)       兵庫県立芸術文化センター・阪急中ホール  17時
【石川】11月5日(水)         北國新聞赤羽ホール   19時
【山口】11月8日(土)・9(日)      山口情報芸術センター 8日(土)14時 / 9日(日)14時
【宮崎】11月11日(火)          三股町立文化会館ホール  19時
【愛知】11月24日(月・休)        長久手市文化の家・森のホール  18時
【福島】11月27日(木)          南相馬市民文化会館  19時
【宮城】11月28日(金)          日立システムズホール仙台・シアターホール 19時
【山形】11月30日(日)          シベールアリーナ 13時/17時
 
作・演出 渡辺えり
 
キャスト 大沢 健 大和田美帆 土屋良太 谷川昭一朗 宇梶剛士 大塚加奈子 有賀太朗 藤本沙紀
      川口龍 十倉彩子 渡辺えり 他
 
イメージ 1
 
教師時代の宮澤賢治を主人公に、理想と現実のはざまで苦悩・葛藤する姿が描かれています。そんな賢治を温かく見守る弟の清六や妹のトシ、逆に非難・嘲笑する人々、そして賢治を取り巻く「イーハトーヴ」の大自然とのからみなどが、猫の大群を擁した幻想的な賢治童話に乗せて展開されます。渡辺さんは賢治童話「貝の火」に出てくる子ウサギ、宇梶剛士さんはなんと岩手山の役もなさいます(笑)。
 
こちらは一昨年の公演のパンフレットです。
 
イメージ 2
 
光太郎は登場しませんが、ストーリーの中で何度も「高村光太郎先生」として語られます。
 
山形出身の渡辺さんは、東北への強い思い入れをお持ちのようで、この「天使猫」、そして光太郎を主人公とした「月にぬれた手」を、東北で上演したいと、常々おっしゃっていました。そこで、今回、初日は盛岡ですし、千秋楽は山形。宮城や福島での公演もあります。
 
各会場、盛況となることを祈念いたします。
 
また、「月にぬれた手」の東北公演も実現してほしいものです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月3日
 
昭和10年(1935)の今日、中原綾子の詩集『悪魔の貞操』が刊行されました。
 
光太郎が題字と序詩「「悪魔の貞操」に題す」を書きました。002
 
   「悪魔の貞操」に題す
 
 心法の高圧を放電するもの、
 思ひもかけぬ交互無縁の片言隻語、
 言語道断の真空界にひらめくものは、
 千古測りがたい人間真理。
 すさまじいかな此書。
 
原題は「「悪魔の貞操」に寄す」でしたが、のち、雑誌に再録された際に改題されました。
 
はじめ、光太郎は序詩として、『智恵子抄』にも収められた「人生遠視」を中原に送りましたが、中原側からのクレームで変更になりました。
 
   人生遠視
 
 足もとから鳥がたつ
 自分の妻が狂気する
 自分の着物がぼろになる
 照尺距離三千メートル
 ああこの鉄砲は長すぎる
 
たしかにこんな詩を送られても困りますね。
 
この年二月の中原宛の書簡にはこのように記されています。
 
先日お送りした短詩について発表の御心配をうけ、小生まるで気がつかなかつた事なので成程と思ひました、
(略)
智恵子が全快でもしたあとでそれを見たら変なものだらうとも考へました、何となしに懸念のあるものを折角のあなたの詩集のあたまに印刷するのもいかがと思ひますから、此は撤回いたします、 そのうち何かお送りいたします、
 
この時期は、ちょうど智恵子を南品川のゼームス坂病院に入院させた時期で、光太郎は確かに大変な時期でした。智恵子の狂躁状態、それに伴う自分の苦労などを、中原に宛てた複数の書簡に書いています。それにしても、他人の詩集の序詩に「自分の妻が狂気する」はいくらなんでも……と思います。そうした当たり前のことに考えが至らないほど、光太郎も追い詰められていたのかも知れません。

劇作家・平田オリザさん率いる劇団「青年団」さんの公演です。

青年団第73回公演 『暗愚小傳』

東京公演 2014年10月17日(金)- 10月27日(月) 14ステージ
会場 吉祥寺シアター 武蔵野市吉祥寺本町1-33-22 

伊丹公演 2015年1月16日(金)- 1月19日(月) 5ステージ
AI・HALL(伊丹市立演劇ホール) 兵庫県伊丹市伊丹2-4-1 

善通寺公演 2015年1月22日(木)- 1日24日(土) 3ステージ
四国学院大学ノトススタジオ 香川県善通寺市文京町3-2-1
 
作・演出:平田オリザ
高村光太郎と智恵子の生活を素材に、変わりえぬ日常を縦軸に、文学者の戦争協力の問題を横軸に、詩人の守ろうとしたものを独特の作劇で淡々と描く・・・。平田オリザ90年代初期の名作、10年ぶり、三回目の再演。

出演
山内健司 松田弘子 永井秀樹 川隅奈保子 能島瑞穂 堀夏子 森内美由紀 木引優子
伊藤毅 井上みなみ 折原アキラ 佐藤滋
 
青年団さんのHPによれば、初演は昭和59年(1984)。その後、何度か再演され、今回は10年ぶりの上演だそうです。
 
当方、実際の上演は見たことがありませんが、DVDとシナリオが手元にあります。
 
10年前の公演から採ったDVDで、紀伊國屋書店さんから発行されたもの。紀伊國屋さんにはもう在庫がないようですが、amazonやネットオークションで時折見かけます。
 
イメージ 1  イメージ 2
  
シナリオは平成8年(1996)に晩聲社から刊行されました。題名は『平田オリザ戯曲集③ 火宅か修羅か 暗愚小傳』。
 
今回の公演では、今月の東京を皮切りに、兵庫、香川でも行われるそうです。各会場の詳細な時間、料金等は青年団さんサイトをご参照下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月2日
 
昭和63年(1988)の今日、豊島区民センターで高村光太郎研究会主催のシンポジウム「高村光太郎 欧米の影響について」が開催されました。
 
発表者は故・長谷川泉氏、渡邊澄子氏、そして当会顧問・北川太一先生でした。

元女優・参議院議員の山口淑子さんの訃報が出ました。 

山口淑子さん死去 女優「李香蘭」、参院議員として活躍

『朝日新聞』 2014/09/14
 
 戦時中は女優・李香蘭として日中両国の歴史に翻弄(ほんろう)され、戦後はワイドショーの司会や参議院議員としても活躍した山口淑子(やまぐち・よしこ、本名大鷹淑子〈おおたか・よしこ〉)さんが7日、心不全で死去した。94歳だった。葬儀は近親者で営んだ。
 
 1920年、旧満州生まれ。13歳の時、奉天放送局にスカウトされ、歌手デビューした。日本人だったが、中国語が堪能で、中国人に受け入れられやすいように「李香蘭」という芸名が付けられた。
 38年、国策会社の満州映画協会(満映)の専属になる。「親日的な中国人女優」として、日本の植民地経営のスローガンだった「日満親善」「五族協和」を体現するヒロインを次々演じた。とりわけ長谷川一夫と共演したラブロマンス「白蘭(びゃくらん)の歌」「支那の夜」「熱砂の誓ひ」は大陸3部作として大ヒットした。
 一方で歌手としても人気を集めた。41年に東京・有楽町の日劇で開かれたコンサートでは観客の行列が建物を何重にも取り巻き、警官隊が出る騒ぎに。「夜来香」「蘇州夜曲」などのヒット曲が生まれた。
 その間、一貫して日本人であることを明かさなかったため、終戦時には、日本に協力した中国人として処罰されそうになった。裁判で日本人であることを証明して謝罪。46年、日本への帰国が許された。
 戦後は山口淑子として日本映画に登場。50年、谷口千吉監督「暁の脱走」や黒澤明監督「醜聞〈スキャンダル〉」などに出た。ハリウッドにも進出し、「東は東」や「東京暗黒街・竹の家」などにシャーリー・ヤマグチ名で出演した。
 51年、彫刻家イサム・ノグチさんと結婚したが、4年あまりで離婚。ブロードウェーのミュージカル出演中に知り合った外交官の大鷹弘さんと58年に再婚、一度は芸能界から引退した。
 69年にテレビのワイドショー「3時のあなた」の司会者として本格的に復帰。中東やベトナムなどの紛争地域に出向き、パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長や日本赤軍の重信房子最高幹部らを精力的に取材した。
 その後、政治家に転身。74年の参院選全国区に自民党から立候補し当選した。環境政務次官、参議院外務委員長などを歴任した。
 

右は昭和26年(1951)の雑誌『毎000日グラフ』の表紙を飾った山口さんです。 
 
光太郎と山口さん、直接の面識はなかったようですが、筑摩書房刊行の『高村光太郎全集』に、山口さんの名が2回出てきます。
 
まずは昭和27年(1952)10月に美術雑誌記者の国安芳雄と行った対談「心境を語る」。当時の山口さんの夫で、彫刻家のイサム・ノグチの話が出た流れで、次のような部分があります。
 
高村  日本タイムスを今までとつていたのだけれど、あれに出ていた野口さんの展覧会の写真はとても面白いものをとつていたのです。「独り者」という焼物ですが、ペチヤンコのせんべいぶとんからフーッというような顔を出して、その書いてある評が面白い。世界中で一番あわれな顔をしていると書いてある。なるほどそういう顔だつた。大いに山口淑子と結婚しない前の自分を思い出して書いたのでしょう。
国安  山口淑子の顔を何かで先生がほめていましたね。
高村  あれはぼくはいいと思うのですよ。だから彫刻家の野口さんが結婚したのはもつともだと思う。あれは彫刻的な顔ですもの。あれは辰野隆博士のところに、女優の連中が五、六人集つて何だかの話をさせられたのでしよう。その時の写真が出て、辰野さんをまん中に女優の首が五つばかり並んでいる。それをずつと見て来たら、一人非常に違うのがいる。それはまるで彫刻にしたらいい顔だ。名前を見たら山口淑子となつている。それであれは草野(心平)くんが山へ来たときだが、その話をしたのです。そうすると草野くんが、本気なら連れて来るかとか何とかいつていた。連れて来られては大へんだから、今ここではできないから、ただそういつたのですが、それを芸術新潮の人が聞いて、ぼくに「彫刻家が見た山口淑子」という感想を書いてくれというのです。それでまた考えちやつたのですが、ニユーヨークだの方々でとつた写真を一たば送つて来た。それがあまりよく写つているので、初めの新聞で見たのと違う感じを受けた。新聞ではこまかいところが写つていない。ぼうつとしているのがとてもいい顔だつた。あまりこまかに写つているのを見ると何も書けなかつた。けれどもあれはプラスチツクな顔ですよ。
 
「芸術新潮」の人というのは、詩人の藤島宇内のようです。昭和23年(1948)11月に藤島に宛てたはがきに、「彫刻家が見た山口淑子」という感想」についての件が記されています。
 
おてがみと写真などいただきました、御申越の原稿は暇があれば書かうと思ひますが今月中はとてもダメなのでもつとあとになるでせう。「彫刻になる顔」とでもするか、「山口淑子の首」とでも題しませうか。
 
このはがきの前に、山口淑子の顔の感想を書くことについて、「涼しくなつたら或は試みるかもしれません」と書いた書簡も藤島に送られているのですが、そちらは残念ながら失われています。
 
で、結局は「あまりこまかに写つているのを見ると何も書けなかつた。」ということで、これは幻のエッセイになってしまったわけです。
 
しかし、先の対談で、国安が「山口淑子の顔を何かで先生がほめていましたね。」と発言しています。これが草野や藤島あたりからの伝聞なのか、それとも何かで読んだのか、そのあたりがはっきりしません。可能性があるのは、昭和25年(1950)7月の『新潮』に載った草野心平の「高村光太郎」という長い山小屋訪問記です。
 
 高村さんはたって、ラジオのスイッチをひねった。(略)女のひとたちの座談会だった。その女の声で想い出したのか、
「山口淑子ね。矢張りあんな顔してんのかしら。ほんものが写真のようだったら、あの顔、つくりたいな。」
 忘れていたが、いつか高村さんが手紙できいてきたことがあった。或る婦人雑誌での座談会で私が辰野隆さんや山口淑子といっしょだったことから、その記事を見た高村さんが、本ものが写真のようであるかどうかをきいてきたのだった。
 
先の対談の内容とも一致します。
 
さらに、藤島がその晩年に書いた回想にも山口さんに関する話が出て来ます。平成7年(1995)新潮社の「とんぼの本」の一冊として刊行された『光太郎と智恵子』所収の「十和田湖の裸像」です。
 
高村さんはしばしば私に「こさえてみたい彫刻」のプランを話していた。テーマは三つあって、マッカーサー、山口淑子、智恵子だった。占領軍司令官マッカーサーは顔が彫刻向きだし、高村さんの好きなミケランジェロがローマ法王の依頼によってつくったその像は似ていないと非難されたが、すぐれた彫刻の永遠性によって実物を克服したことがヒントになっていた。山口淑子さんの場合は顔が彫刻向きであるほかに、日本と中国の戦争のはざまを生きぬいてきたその半生の苦難に高村さんは心を惹かれていた。
 
昭和27年(1952)に十和田湖畔の裸婦像制作のため上京する前の話、先のはがきの頃なのでしょう。しかし、文筆での山口さんに関するエッセイ同様、彫刻の山口さんの像も実現しませんでした。
 
 
山口さんと光太郎の関わりはもう1点あります。
 
光太郎が十和田湖畔の裸婦群像制作のため上京し、借りたのが、中野に今も残る新制作派の水彩画家、故・中西利雄のアトリエでした。中西は昭和23年(1948)に歿していますが、そのアトリエを、光太郎が借りる以前にイサム・ノグチも借りていた時期がありました。それが山口さんと結婚した昭和26年(1951)頃だったとのことで、山口さんもこのアトリエに足を踏み入れています。先の藤島宇内の「十和田湖の裸像」には以下の記述が。
 
青森県側は、八甲田山中の蔦温泉にアトリエを建てたら、といったが、これは論外。東京にアトリエを見つけることで合意した。帰京すると早速、私は菊池(一雄)さんに相談してアトリエを探した。菊池さんは、東京中野区に、亡くなった水彩画家中西利雄さんのアトリエがあるという。しばらく前、イサム野口(アメリカの彫刻家)・山口淑子夫妻が借りていたが、いまは空いているとのことだ。私が菊池さんの紹介で訪ねると、中西未亡人はよろこんで承諾してくれた。
 
ノグチはその後、鎌倉の北大路魯山人のもとに移り、陶芸を学んでいます。光太郎と国安芳雄の対談にある「「独り者」という焼物」はこの時期のものでしょう。
 
 
さらにもう一点。
 
冒頭の訃報で「終戦時には、日本に協力した中国人として処罰されそうになった。裁判で日本人であることを証明して謝罪。46年、日本への帰国が許された。」とありますが、この時に便宜を図ったのが、中国国民党の将校だった黄瀛。中国人の父と日本人の母を持ち、光太郎や心平、宮澤賢治と親しかった詩人でもありました。
 
孫引きで申し訳ありませんが、平成6年(1994)、日本地域社会研究所刊行、佐藤竜一著『黄瀛―その詩と数奇な生涯―』に引用された、矢野賢太郎「黄瀛先輩との交流」から。
 
 或る日黄君のところに川喜多(長政)氏と李香蘭が訪ねてきて同席しましたが、李香蘭は中国人で漢奸だと云うことでどうしても日僑管理処から帰国許可が出ず困っていたのを日本人であることを黄君が証明したのでやっと帰れるようになったそのお礼を申述べに来たのです。
 それでは一曲所望したい、あなたの一番思い出の深いのをと云う黄君の求めに応じて、彼女は夜来香を歌ってくれました。
 
ほんとうに人と人との縁というものは、不思議なものです。
 
申し遅れましたが、山口さんのご冥福をお祈り申し上げます。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月17日
 
昭和8年(1933)の今日、上野松坂屋で、光雲作の、朝鮮の京畿道京城府に建立された博文寺本尊釈迦如来像の開眼供養が行われました。
 
博文寺はこの前年に建立された、初代韓国統監・伊藤博文を祀る寺院です。
 
当方、この開眼供養の時の写真と、それを報じるリーフレットを持っています。翌年には歿する光雲の最晩年の写真です。
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
◎博文寺本尊佛開眼式
日鮮融和の大道場として故伊藤博文公に縁故ある官民有志の発起で、昨年十月に京城に落成を見た曹洞宗春畝山博文寺に納められる本尊佛は、過般来斯界の権威高村光雲翁が製作中であつたが、此程漸く等身大に及ぶ釈迦如来像を完成、十七日午前十時より伊藤公記念会主催で上野松坂屋で開眼供養を行つた。
写真は、完成した如来像と参列の高村光雲、今井田朝鮮政務総監、児玉秀雄伯

福島からイベント情報です。
 
まず『福島民友』さんの記事から。 

「全日本演劇フェス」29、30日に福島テルサで本県初開催

 「第12回全日本演劇フェスティバルin福島」は29、30の両日、福島市の福島テルサで開かれる。本県では初めての開催。全日本リアリズム演劇会議(全リ演)の主催。
 東日本大震災前は3年に1度、全国各地で開いてきたが、震災後は開催を疑問視する声もあり、中止していた。自分たちが復興支援として応援したい人に演劇を見てもらいたいという声が全国で多く寄せられたため、震災後、初めて本県で開かれることになった。
 29日は全リ演関東ブロック合同公演として「貧乏物語」を上演。30日は光南高演劇部が「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか? 第二章 ばらあら、ばらあ」、全リ演西会議が合同で「天満のとらやん」、京浜協同劇団が朗読劇「空の村号」をそれぞれ上演する。
 このほか、29日は舞台芸術コーディネーター新田満さんが「演劇できれば満足か」と題して講演する。入場料は全公演を見ることができる観劇パスが一般1000円で、小学生以下無料。問い合わせは同フェスの実行委員会(電話090・8926・0641)へ。
(2014年8月19日 福島民友おでかけニュース)
 
 
というわけで、福島テルサというホールで、「第12回全日本演劇フェスティバルin福島」が開催されます。
 
その中で、8月30日の午前10寺45分から、福島県立光南高等学校演劇部さんの「この青空は、ほんとの空ってことでいいですってことでいいですか? 第二章ばらあら、ばらあ」がプログラムに入っています。光太郎や草野心平の詩に託し、原発事故への思いを語るものです。

001

 
こちらは以前にもご紹介しましたが、平成24年(2012)に渋谷、横浜で上演された福島県立県立あさか開成高校演劇部さんによる「第一章」を受けて作られたもので、今年1月、千葉の鴨川などで公演されました。
 
ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月22日
 
昭和28年(1953)の今日、中野のアトリエを、女優の水谷八重子さんが訪れました。
 
北条秀司作の演劇「智恵子抄」のための打ち合わせでしたが、この公演は、光太郎の生前には実現しませんでした。自分が登場することに対し、光太郎が難色を示したそうです。
 
結局、上演されたのは光太郎の亡くなった昭和31年(1956)でした。
 
イメージ 1  イメージ 2
  
イメージ 3

女優の松本典子さんの訃報が各種メディアに出ました。

松本典子さん死去

松本 典子さん(まつもと・のりこ=俳優、劇作家000清水邦夫さんの妻、本名清水和子〈しみず・かずこ〉)26日、間質性肺炎で死去、78歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は夫邦夫さん。連絡先は彩の国さいたま芸術劇場(048・858・5500)。
 東京生まれ。59年劇団民芸に入団。「にんじん」「三人姉妹」などに主演。76年、夫らと演劇企画グループ「木冬社」を結成。「楽屋」「夢去りて、オルフェ」など多くの清水戯曲で、硬質な強さの中に悲しみをたたえた女性像を切れ味鋭いせりふ術で演じ、演出も手掛けた。「タンゴ・冬の終わりに」などで87年芸術選奨文部大臣賞。79年、84年の2回、紀伊国屋演劇賞個人賞を受けた。
 
イメージ 3
 

松本さん、平成3年(1991)に、木冬社の舞台「哄笑―智恵子、ゼームス坂病院にて―」で智恵子役を演じられました。001
 
作・演出はご主人の清水邦夫氏。光太郎役は小林勝也さんでした。
 
同4年(1992)には清水氏の『清水邦夫全仕事 1981~1991』(河出書房新社・絶版)に脚本が載り、その翌年には再演もされています。
 
右の画像が初演パンフレット、下が再演パンフレットです。
 
時に昭和11年(1936)、智恵子が入院していた南品川のゼームス坂病院裏の教会(おそらく架空)を舞台に、虚と実がないまぜになった不思議なドラマです。
 
当方、この舞台は観ておりません。再々演を期待していたのですが、残念です。
 
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 
イメージ 4   イメージ 5
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月30日

大正2年(1913)の今日、福島・会津東山温泉から、光雲らに宛てて絵葉書を出しました。
 
この際、光太郎が逗留していたのは、現在も続く老舗の宿・新滝。明治初年には、かの新選組副長・土方歳三もここで傷を癒しました。
 
現在判明している送り先は光雲、編集者の前田晁、親友で作家の水野葉舟、歌人で編集者の内藤鋠策。まだ他にもあるかも知れません。

気がつけば1月も明日で終わりです。そこで、来月行われるイベントをご紹介します。 
 
岩手は盛岡での演劇公演です。

宮沢賢治没後80年記念事業・畑中美耶子『モリーオ童話館』100回記念事業 第12回おでってリージョナル劇場  「泣きビッチョ光太郎」~昭和21年の星めぐり~

作:上田次郎 演出:坂田裕一、中村一二三 作曲:田口友善  
      
~あらすじ~      
時代は、昭和20年戦争末期から戦後。宮沢家に疎開していた高村光太郎を中心に、賢治を慕う大勢の人々が、「雨ニモマケズ」の教科書改ざん騒動を足がかりに、歌あり踊りありのドタバタな楽しい舞台を繰り広げる。      
      
【会 期】 平成26年2月21日(金)~平成26年2月23日(日) ◆4回公演      
                ①2/21(金)開場18:30 開演19:00
                ②2/22(土)開場13:30 開演14:00
                ③2/22(土)開場18:00 開演18:30
                ④2/23(日)開場13:30 開演14:00      
【会 場】 プラザおでって 3階おでってホール (盛岡市中ノ橋通1-1-10)
【入場料】 (前売)大人1,500円 大学生以下1,000円
        (当日)大人1,800円 大学生以下1,300円 (期日指定・全席自由)
【主 催】 盛岡市・公益財団法人盛岡観光コンベンション協会      
【提 携】 いわてアートサポートセンター      
【後 援】 岩手日報社、NHK盛岡放送局、IBC岩手放送、テレビ岩手、めんこいテレビ、 
      岩手朝日テレビ、エフエム岩手、岩手ケーブルテレビジョン、
      朝日新聞盛岡総局、
毎日新聞盛岡支局、読売新聞盛岡支局、
      産経新聞盛岡支局、盛岡タイムス社、 河北
新報社盛岡総局、岩手日日新聞社、
      ラヂオもりおか、月刊アキュート、 マ・シェリ、
情報誌游悠      
【プレイガイド】 プラザおでって、盛岡市民文化ホール、 盛岡劇場、都南文化会館、
         カワトク      
【お問い合わせ】 (公財)盛岡観光コンベンション協会 企画管理部 019-604-3300
 
イメージ 1

イメージ 2
 
「泣きビッチョ」とは「泣き虫」といった意味でしょうか。
 
主演? の畑中美耶子さんという方は、盛岡で宮澤賢治作品の朗読等に取り組まれている方です。
 
明日詳しく紹介しますが、同じプラザおでって内の「盛岡てがみ館」さんでは、25日から「第43回企画展 高村光太郎と岩手の人」が開催されます。日程が重なっていればgoodだったのですが……。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月30日

昭和4年(1929)の今日、萬里閣書房から「光雲懐古談」が刊行されました。
 
光太郎の父・光雲が語った自己の半生、同時代の美術界の様相などをまとめたものです。
 
前半は「昔ばなし」。後書きによれば、大正11年(1922)に光太郎の朋友・田村松魚が、光太郎とともに光太郎アトリエや光雲邸で懐古談を聞き、それを筆録したとあります。
 
後半は「想華篇」。やはり光雲が、美術界の社交機関「国華倶楽部」で語った内容や、雑誌に発表された談話などの集成です。
 
前半の「昔ばなし」の部分のみ、その後何度も版を改めて刊行されています。
 
オリジナル萬里閣書房版の題字は光太郎、装幀は豊周。幕末から明治にかけての、当時の美術界の様子や、それにとどまらず、世相、江戸の街の様子などなど、多岐にわたる内容で、非常に貴重な回想です。また、光雲の軽妙洒脱な語り口も優れています。
 
イメージ 3
 
さて、前半の「昔ばなし」編。先述のとおり、後書きによれば、大正11年に光太郎の朋友・田村松魚が、光太郎とともに光雲の懐古談を聞き、それを筆録したとのこと。他に同席者は居なかったそうです。
 
その後再刊された各種の版についている解説等、すべてこれを鵜呑みにしていますが、どうも事実とは異なる部分があるようです。
 
『光雲懐古談』にさかのぼる昭和2年(1927)に春陽堂から刊行された『漫談明治初年』という書籍があります。「同好史談会」という団体の編纂ということになっていますが、中心は市島春城。春城による「はしがき」には以下のような記述があります。
 
 吾等は近年十数の同人と同好史談会と云ふを設け、折々会して維新当時の事につき互ひに知ることを語り合ひ、往々他から故老を招待してその談話を聴き、時には会員を諸方に派して故老の談話を筆記せしめたりして、其筆記が今は漸く積んで堆を為すに至つた。(略)春陽堂主人聞きつけてぜひ出版せよと勧めらるゝので、先づ明治十年頃までのものを選んで刊行することにした。
 
この『漫談明治初年』の中に、光雲の談話筆録も多数収録されているのですが、『光雲懐古談』の昔話と重複しています。部分によっては「国醇会講話」という説明も見えます。「国醇会」とは日蓮宗の運動家・田中智学を中心とする会でした。
 
光太郎アトリエや光雲邸で、田村と光太郎のみが聴いたはずの談話と、一字一句違わない談話が2年前に刊行された『漫談明治初年』に載っており、しかもそれが国醇会で語ったという説明がある。どう考えても矛盾していますね。
 
田村が光雲の懐古談を聞いて筆録したのはおそらく事実でしょう。しかし、刊行にあたって、田村が聴いた以外の談話も使用されていると考えるのが自然だと思います。あるいは『漫談明治初年』に収録されているのとほぼ同じ内容の話を聴いた田村が、それなら『漫談明治初年』に書かれている部分をそっくり引用してしまえ、と考えたのかも知れません。
 
または田村も「同好史談会」の構成員で、光雲に話を聴くのは会の事業だったのかもしれません。
 
いずれにせよ、「『光雲懐古談』の「昔ばなし」編は、田村松魚が、光太郎とともに光太郎アトリエや光雲邸で懐古談を聞き、それを筆録したものである」と断言するのは危険ですのでよろしくお願いします。

光太郎と交流の深かった草野心平関連の情報です。
 
まず、過日のこのブログでご紹介した福島県立光南高校演劇部さんによる演劇公演「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか? 第二章ばらあら、ばらあ」について、『東京新聞』さんが報道しました。

福島事故後の生活 演じきる 矢吹の高校生 長生で上演

 福島県矢吹町の県立光南高校演劇部が十三日、東京電力福島第一原発事故後の生活を描いた演劇「この青空は、ほんとの空ってことで、いいですか? 第2章 ばらあら、ばらあ」を長生村の文化会館で上演した。(内田淳二)
 
 事故から間もなく三年となる福島でいまも約十五万人が避難するなど被災地の苦しみや閉塞(へいそく)感について、大勢の観客が舞台を通じて思いをはせた。
 登場人物は旅に出た高校の演劇部員たち六人。目的地の海にたどりつけないまま、雑談や仲たがい、仲直りをする様子を等身大で生き生きと演じた。
 何げない会話の中にも「ガイガーカウンター」「リンゴの風評被害」といった言葉が登場。いまだに収束しない原発事故が生活に影を落とすが、高校生たちは福島県いわき市出身の詩人、草野心平の言葉に導かれるように元気を取り戻す。
 劇中で引用されたのは「カエル語」で書かれた詩。日本語訳は「幸福といふものはたわいなくつていいものだ」と始まる。
 公演は有志でつくる「ほんとの空」上演実行委員会(森山佳代委員長)が企画した。
 家族で観劇したいすみ市の会社員男性(39)は「福島の人たちがもやもやしたものを抱えていることがよく分かった。それでも生きることが大事だというメッセージを感じました」と話した。
 
イメージ 1
 
 

 
BS朝日1 2014年1月21日(火)  21時00分~21時54分
 
詩人・草野心平が愛した風景とは?故郷の福島県小川町や川内村に残る、美しい里山や、心平が名付けた紅葉の溪谷、カエルの生息地などを作家・島田雅彦が旅します。
福島県いわき市出身の詩人・草野心平は、自然をモチーフにして多くの詩を書きました。その根底には「すべてのものと共に生きる」という独特の共生感があったと言われ、故郷を詠んだ詩を数々残しています。また心平は福島県川内村にある天然記念物の平伏沼でモリアオガエルに出会い、毎年のように訪ねました。福島第一原発から30キロ圏内の川内村では、故郷を想う心平の詩や言葉が心の支えとなっています。
 
出演者 島田雅彦(作家・法政大学教授) 
ナレーター 村上祐子(テレビ朝日アナウアナウンサー)
朗読 森下桂吉(テレビ朝日アナウアナウンサー)

イメージ 2

 
番組公式サイトによれば再放送とのことで、どうも昨年に本放送があったようです。その時点では気づきませんでした。
 
中央の画像には、川内村で行われている草野心平を偲ぶ集い、かえる忌の会場となっている小松屋旅館さんの主、井出茂氏が写っています。囲炉裏も小松屋さんのそれです。

光太郎がらみの話も出るかと思われます。ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月16日

明治28年(1895)の今日、智恵子の妹、ヨシが誕生しました。
 
ヨシは昭和2年(1927)、数え33歳の若さで歿しています。ヨシの没年令に関しては、『高村光太郎全集』等に所載の年譜等、数え29歳と誤って表記されています。

今朝の『朝日新聞』千葉版に以下の記事が載りました。
 
イメージ 1
 
 
 
一昨年、福島県立県立あさか開成高校演劇部さんにより、「第一章」が渋谷、横浜で上演されました。「ほんとの空」ということで、光太郎の「あどけない話」がモチーフに使われていました。


 
それが反響を呼び、漫画化もされ、日本文教出版さんのサイト内で電子ブックとして配信されています。
 
イメージ 2
 
今回は「第二章」ということで、光太郎智恵子より草野心平をモチーフにしているようです。
 
以下、『朝日新聞』デジタル版から。

福島県立光南高等学校演劇部公演 福島の高校生の生の声を聴く

3・11-福島第一原発の事故。目に見えずとも、放射性物質は確実にそこにあるという現実の中、口に出せない生徒たちの声をつむいだ芝居「この空は、ほんとの空ってことでいいですか?」が誕生。この公演は、2012年に東京、神奈川で上演され話題を呼んだ第一作の「第二章」。草野心平の詩「ごびらっふの独白」を引用し、夕焼け空の向こうに明日を見出す物語。上演後のトークを通して、高校生たちの「今」の思いに寄り添う。

 
もうすぐ震災から3年。しかし、まだまだ東北は復興途上です。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月8日

昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村山口の山小屋を訪ねてきた小学校の教師4人の持参した詩集『典型』にサインをしました。
 
『高村光太郎全集』第13巻所収の日記です。
 
一月八日 月
朝晴 午后雪 稍温 ねてゐ(る)うち黒沢尻より斎藤充司氏他4人の小学教師遊びにくる、豚鍋をつくりて食事。ジン酒一本もらふ。皆「典型」持参。署名。
 
『典型』は前年秋に刊行された詩集です。

俳優のすまけいさんの訃報が出ました。 

「アングラの帝王」俳優すまけいさん死去 78歳

1960年代にベケット劇などを斬新な翻案・演出で演じて「アングラの帝王」と呼ばれ、映画「男はつらいよ」シリーズやドラマなどでも名脇役として活躍した俳優のすまけい(本名・須磨啓〈すま・けい〉)さんが7日、肝臓がんのため死去した。78歳だった。通夜は12日午後6時、葬儀は13日午前11時から東京都新宿区上落合3の4の12の最勝寺で。喪主は妻洋子さん。
 
 国後島生まれ。芸術劇場を経て66年、新宿のジャズ喫茶などを拠点に俳優の故・太田豊治さんと「すまけいとその仲間」を結成。東京の小劇場でベケット「ゴドーを待ちながら」、オールビー「動物園物語」などを翻案した舞台を上演し、話題を集めた。72年に解散後は一時舞台から遠ざかったが、85年にこまつ座「日本人のへそ」で復帰。映画やドラマにも多数出演した。
 
 99年に膀胱(ぼうこう)がん、01年脳梗塞(こうそく)を発症。闘病しつつ俳優活動を続け、今年3月に千葉市で演じた朗読「天切り松 闇がたり」が最後になった。紀伊国屋演劇賞個人賞、ブルーリボン賞助演男優賞などを受賞した。
イメージ 1
 
すまさんといえば、平成6年(1994)に、テレビ東京系で放映された単発ドラマ「日本名作ドラマ 智恵子抄」で、光雲役でご出演されました。
 
こうしたドラマ・映画などでの光雲の描き方は、木彫界の巨匠として、また、光太郎にとっては非常に厳格な父親として描かれるのがほとんどで、重厚な雰囲気の俳優さんが多くキャスティングされていました。
 
ところがすまさん演じる光雲は、少し違っていました。いい意味で「軽い」のです。酒に酔って、智恵子役の南果歩さんの唄う「会津磐梯山」に合わせて踊り、泥酔して眠ってしまうシーンが印象的でした。といって、しょうもない人物というわけではなく、世間的には巨匠であっても、息子夫婦を思う気持ちは人一倍という感じで描かれていました。
 
ご冥福をお祈りいたします。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月10日

昭和9年(1934)の今日、光太郎が題字を揮毫した中原中也の第一詩集『山羊の歌』が刊行されました。
 
イメージ 3
 

昨日は智恵子命日「レモンの日」ということで、染井霊園の高村家墓所に行って参りました。
 
生憎の雨でしたが(というか、わりと有名な話ですが、光太郎がらみの日は見事なくらいいつも雨です)、香華とレモンをお供えして参りました。
 
高村家墓所の周りになぜか黒猫が二匹。睦まじくじゃれあっていました。光太郎智恵子夫妻も駒込林町のアトリエで黒猫を飼っていたことを思い出し、猫たちが光太郎智恵子に見えました(笑)。
 
その後、両国に移動、劇団空感エンジンさんの舞台、「チエコ」を見て参りました。
 
イメージ 3
 
演劇等で、アイロニカルな視点で光太郎智恵子を描く場合も少なからずありますが、この舞台では最期に智恵子が救われるような、そしてそれによって光太郎も救われる的な終わり方で、なかなかいい感じでした。
 
さりとて全てを肯定するのでなく、よく言われる「光太郎が智恵子を追い詰めた」的な光太郎を糾弾する部分も、智恵子の親友・田村俊子の台詞で表されていました。俊子は、智恵子の絵画作品が放っていた輝きが結婚後に失われたことを残念がり、あまっさえ夢幻界の住人として逝ったことを抗議します。しかし、七年にわたる光太郎の看護の苦労を知り、さらに夢幻の縁で智恵子が作った紙絵を見て、矛先を収めるという流れでした。
 
キャストは7人(光太郎智恵子夫妻、田村俊子、智恵子の姪・宮崎春子、光太郎の弟・豊周、光太郎を敬愛する後輩詩人・草野心平と中原綾子)。若い役者さん達のフレッシュな体当たりの演技で、好感が持てました。
 
脚本的にも、それぞれの登場人物がその当時こんなことを言っていたとしてもおかしくない、またはこんなエピソードが実際にあったかも知れないと思わせるような無理のない、わかりやすいものでした。
 
時折、前衛的すぎて何を表現したいのかさっっっぱりわからない舞台もありますが、今日の「チエコ」は非常にわかりやすいものでした。そういう意味では「レモンの日」の今日、智恵子に対してのよい供養となったのではないでしょうか。
 
公演は明日10/7(月)までと、10/9(水)~14(月・祝)。1日2~3回の公演で、それぞれ3班にわかれて、6班のべ42人の役者さんが出演されます(一部、重なっているようです)。こうした若い方々に頑張っていただき、さらに光太郎智恵子の世界を広めていっていただきたいものです。
 
イメージ 4
 
さて、当方、今日は福島二本松での智恵子を偲ぶ集い「第19回レモン忌」に行って参ります。
 
例の「日曜美術館」は録画予約済み。帰ってからじっくり観ます。ご覧下さった方、ご感想等お寄せいただければ幸いです。ただし、当方あくまでアドバイザーですので苦情を持ち込まれても困りますが(笑)。
 
【今日は何の日・光太郎】 10月6日

平成元年(1989)の今日、赤坂草月ホールで仙道作三氏作曲のオペラ「智恵子抄」初演が行われました。
 
型破りのキャスト2人だけのオペラで、智恵子役は010連翹忌や女川光太郎祭ご常連の本宮寛子さん、光太郎役は高橋啓三さん。伴奏は田中信昭さん指揮の10人編成アンサンブルでした。
 
イメージ 1   

演劇公演の情報です。 

チエコ

期 日 : 2013/10/02(水) ~ 10/07(月)  10/09(水)~ 10/14(月)
会 場 : 両国・エアースタジオ   東京都墨田区両国2丁目18-7 ハイツ両国駅前 地下1階
時 間 : 10/02(水) ~   10/09(水)~
料 金 : 3,000円
 
出演
五十里直子、清水知世、西田啓佑、平岡美保、古川原香織、音崎結映、小森毅典、畑野菜々、入江悠、木村ゆめこ、SHUN、芹沢結海子、日高翔太、吉野家菊之介
脚本・演出 野口麻衣子
主催 劇団空感エンジン
 
高村光太郎のアトリエ。高村光太郎と姪の春子が暮らしている。草野心平・中原綾子がアトリエを訪ねてくる。光太郎の亡くなった妻・智恵子への詩集『智恵子抄』を作る相談に乗ってもらう為に二人を呼んだのだ。智恵子との思い出を話しながら過去へと回想する。
 
イメージ 4
 
出演者の方々のブログ等


「中原綾子」は第二期『明星』に依った歌人・詩人017。そうした関係で光太郎と知遇を得、のちに自ら主宰した雑誌『いづかし』や『スバル』、自身の詩集『悪魔の貞操』に、光太郎の寄稿を受けています。
 
それより有名なのは、昭和31年(1956)6月に発行された『婦人公論』の光太郎追悼特集の中で、昭和9年(1934)から翌年にかけての光太郎書簡を発表したことです。智恵子の統合失調症が昂じて九十九里から連れ帰り、ゼームス坂病院に入院させた頃のもので、当時の智恵子の様子が克明に記されています。
 
ここまで詳しい智恵子の病状の描写が他に見つかっていないため、この書簡群は現在でも研究者の間ではよく利用されています。
 
ところで、光太郎と綾子の間を怪しむ説もあります。智恵子の病状を記した書簡が他の誰にも送られていない(であろう)こと、他にもいろいろと光太郎が便宜を図ってあげていること、この時期に綾子が離婚していること、綾子が流行の言い方をすれば「美人過ぎる」歌人だったこと(右下の画像参照)などがその理由です。
 
さらに書簡にある「あなたの御親切を実にありかたく思ひます。あなたの同情は私に絶大の力を添へてくれます」「あなたの慰めがどんなに私の力になつてゐるか知れません」といった部分が深読みされてもいるようです。
 
019無題1018


やはり演劇で、野田秀樹作・大竹しのぶ主演の「売り言葉」(平成14年=2002)には、智恵子のこんな台詞があります。
 
その間、光太郎は、女流詩人と文通を始めたのであります。智恵子の全く見知らぬ女性に、智恵子の悲しい姿を書き送ったのであります。東京市民よ! しかも、光太郎に同情したその女流詩人から送られた見舞いの林檎を智恵子は食べさせられたのであります。
 
林檎うんぬんは、先の『婦人公論』に載った光太郎書簡に記述があります。
 
しかし、だからといって光太郎と綾子の間を怪しむのはどうでしょうか。あまりに材料が少なすぎますので。
 
まあ、創作作品やエッセイなら許されることだと思います。しかし、「論文」としてそう書いてしまっては駄目ですね。
 
もっとも、エラいセンセイ方の「論文」も、実に噴飯ものの内容だったりすることが多く、いかにも「研究実績」として「論文」を書かなければいけないから苦し紛れに書いているんだろうな、というものが多いのが現状ですが。
 
話がどんどんそれましたが、劇団空間エンジンさんの「チエコ」、公演期間が長いので都合がつきまして、観に行くことに致しました。また観終わったらレポートいたします。
 
【今日は何の日・光太郎】 9月21日

昭和8年(1933)の今日、宮澤賢治が歿しました。
 
光太郎は賢治の原稿等が散逸するのをおそれ、金を工面して草野心平を花巻に派遣しました。結局、賢治の弟の清六がきちんと管理をしてくれていて、取り越し苦労でしたが、宮澤家ではこの配慮に感激したそうです。
 
光太郎と賢治についてはいずれまた書くことがあるでしょう。

岩手県花巻市のHPから、『広報はなまき』がPDFで閲覧できます。
 
その4月15日号、光太郎関連情報が満載です。
 
まず「高村光太郎130周年」と題し、見開き2ページで光太郎と花巻、賢治のつながりなどの紹介。それから以前のブログでご紹介した太田地区にある光太郎記念館新装に関して詳しく書かれています。

003  002 
続いて、次のページに各種イベントの案内

004
 
日付順に、市内矢沢地区にある宮沢賢治記念館での特別企画展「高村光太郎と宮沢賢治」。4月27日(土)から8月7日(水)だそうです。
 
それから5月15日(水)は、光太郎が過ごした山小屋周辺での「高村祭」。昨年初めて参加させていただきましたが、地元の人々による朗読や、講師を招いての記念講演などがあります。今年の講師は渡辺えりさんです。昨年は雨だったため、近くの屋内運動場での開催となりましたが、本来、新緑の森の中、光太郎詩碑の前で行われるイベントです。
 
そして翌16日にも渡辺さんの講演会。こちらは午後6:30~7:30、花巻駅近くの文化会館大ホールでの開催です。
 
以前のブログにも書きましたが、渡辺さんのお父上が光太郎と交友があり、渡辺さんは子供の頃、家に飾ってあった光太郎の写真を見てご自分のおじいさんだと思いこんでいらしたとのこと。一昨年、昨年と、光太郎を主人公とした舞台「月にぬれた手」の公演をなさいましたので、そのあたりのお話が聞けることと期待しています。
 
是非、足をお運びください。
 
【今日は何の日・光太郎】4月16日

昭和3年(1928)の今日、東京会館で光雲喜寿の祝賀会が催され、智恵子ともども壇上に並びました。

この際の模様を、後に詩「のつぽの奴は黙つてゐる」(昭和5年=1930)で自嘲的に描いています。

昨日に引き続き、イベント情報です。
 
たまたまネットで情報を得ました。広島の劇団・天辺塔さんの公演です。 

アステールプラザ芸術劇場シリーズ [レジデンスコレクション]天辺塔本公演「売り言葉」「赤鬼」

作:野田秀樹  演出:中村房絵

2013年4月26日(金)19時~『赤鬼』
 〃 4月27日(土)14時~『売り言葉』    19時~『赤鬼』
 〃 4月28日(日)11時~『売り言葉』    15時~『赤鬼』

場所 アステールプラザ多目的スタジオ(広島市中区加古町4-17)

料金 2300円(当日:2800円) 2公演通し券:4000円
2公演通し券は天辺塔事務局(&天辺塔メンバー、出演者)のみの扱いです。ご希望の方はそれぞれの公演の日時をご指定ください。*日時指定・全席自由・消費税込み、未就学児の入場不可

出演 「売り言葉」 船木めぐみ  「赤鬼」 恋塚祐子、新名基浩、村田遼太郎、武田宜裕(INAGO-DX)

若手演出家コンクール2012優秀賞受賞の中村房絵が、野田秀樹作品に挑む本作。「売り言葉」「赤鬼」と2作品連続上演。「売り言葉」は、天辺塔看板女優【船木めぐみ】の久々の本格復帰となる一人芝居。“怪物女優”の異名を取る彼女の演技にご注目を!! 「赤鬼」は、再演のリクエストが高かった作品。客演に劇作家としてもめざましい活躍をみせる【武田宜裕】を迎え、演出・キャストも新たにお贈りします。中村房絵ワールドを是非ご堪能下さい!!

チケット取り扱い
 *天辺塔事務局 08030507565  teppentoe2000@softbank.ne.jp
 *エディオン広島本店プレイガイド
 *アステールプラザ TEL:082-244-8000 FAX:082-246-5808
 *CoRich(こりっち)舞台芸術!【オンライン予約】
主催:天辺塔/(財)広島市未来都市創造財団 アステールプラザ
 
 
演劇「売り言葉」。野田秀樹さん作の、智恵子を主人公とした一人芝居です。2002年に大竹しのぶさんの出演、野田さんの演出で公演が行われました。翌年に新潮社から出版された野田さんの脚本集『二十一世紀最初の戯曲集』に収められ、その後、全国のアマチュア劇団等でも取り上げられ続けています。
 
当方、大竹しのぶさんが演じたもののテレビ放映を見ましたが、徐々に壊れていく智恵子の内面がよく表されているなと感じました。
 
イメージ 1
 
お近くの方、ぜひ足をお運びください。
 
【今日は何の日・光太郎】4月9日

昭和51年(1976)の今日、白樺派の仲間だった武者小路実篤が亡くなりました。

光太郎と武者小路との交友は晩年まで続き、武者小路は昭和31年(1956)の光太郎の葬儀では葬儀委員長を務めました。

インターネットで調査中、たまたまこういう演劇の公演があることを知りました。
 
もうまもなくということで、予定が合わず行けませんが、とりあえず御紹介のみ。 

期 日 : 2013年3月27日(水)~31日(日)
会 場 : 武蔵野スイングホール (JR武蔵境駅から徒歩2分)
時 間 : 27日(水) 19時~ 28日(木) 19時~ 29日(金) 19時~ 30日(土) 14時~/19時~
              31日(日) 14時~  (開場は開演の30分前)
料 金 : 前売り:3500円 当日:3700円

作・演出 : 千葉あさひ
主 催 : 劇団蒼い電波塔の会
  
時は大正時代。メンバーは全員女! ある雑誌が産声をあげた。彼女たちは「新しい女」として自分たちを世の中に晒していく。 女の権利とは? 女の自由とは?

そして一歩前に歩くということはどういうことなのか。 ~立ち生まれる新しい女たち~大正浪漫喜劇!

キャスト
 平塚らいてう/高尾まみ 平塚孝子/佐々木侑子 保持研子/香織あみ 物集和子/宮越衣絵
 荒木郁子/丸山朋子 長沼智恵子/野中紗織 神近市子/友澤千紗 尾竹紅吉/大城希美
 伊藤野枝/黒野絢菜 生田長江/坂西悟 奥村博史/藤田ひさお 大杉栄/中山将志

005

006

『青鞜』を扱った演劇のようです。ただ、「時は大正時代」とありますが、『青鞜』創刊は明治44年(1911)。まぁ、演劇としての演出なのでしょうし、キャストに奥村博史や大杉栄とあり、彼らが『青鞜』と関わってくるのは大正に入ってからなので、やはり大正時代がメインなのでしょう。

御都合のつく方、ぜひどうぞ。
 
【今日は何の日・光太郎】3月22日

明治36年(1903)の今日、新詩社同人の面々と、歌舞伎座で市川團十郎らの「清正誠忠録」「曽我対面」を観ました。

小沢昭一さんの訃報が報じられました。また一人、昭和の名優が逝ってしまいました……。
 
小沢さんといえば、俳優としての活動以外にも、歌の方面でも活躍なさいました。
 
当方、小沢さんのCDを1枚持っています。
 
「昭一爺さんの唄う 童謡・唱歌」 平成20年 日本コロムビア 定価2,000円
 
イメージ 1
 
昔なつかしの童謡、唱歌23曲が収録されており、その中に、光太郎作詞、飯田信夫作曲の「歩くうた」が収められています(もちろん小沢さんの歌で)。この歌が作られたのは昭和15年(1940)、オリジナルのレコードとしては「侍ニツポン」「隣組」なども歌った徳山璉(たまき)によるものなどがビクターから発売され、ヒットしました。
 
また、曲と曲の合間には、小沢さんの語りによるそれぞれの曲の解説など。「歩くうた」に関しては「しつこい歌」とおっしゃっています。たしかに、全部で4番まであり、その中で「あるけ」という単語がなんと48回も出てきます。
 
しつこさに辟易したわけでもないのでしょうが、このCDでは1,2番のみが歌われています。
 
光太郎自身、しつこさに辟易したわけでもないのでしょうが、後に詩集『をぢさんの詩』に収録した際、歌としての3番をカットしています。
 
何はともあれ、小沢さんのご冥福をお祈り申し上げます。

アクセス数5,000件を突破しました。ありがとうございます。
 
福岡から帰ってきました。今回の福岡行きは、玄海椿さんの一人芝居「智恵子抄」が目的でした。
 
玄海さんは、劇団ひまわり福岡アクターズスクールの講師を務めるかたわら、ご自身で「椿演劇塾」を主宰、後進の育成にも力を入れられています。もちろんご自身の舞台も。九州を拠点に「舞台人生37年」だそうで、平成12年に独立、ご自分で脚本を書いた一人芝居が約20本。「智恵子抄」はそのうちの一つだそうです。
 
イメージ 1
 
今回の公演は「グラン・ジュテ」と銘打ったツアーの2日目。これは玄海さんのお嬢さんの平田愛咲(あずさ)さんとのジョイントです。
 
愛咲さんはミュージカル女優という分類になるのでしょうか。東京の東宝ミュージカルアカデミーのご出身で、本年、ハンガリーで行われた「第1回シルヴェスター・リーヴァイ国際ミュージカル歌唱コンクール」でグランプリを獲得された他、はいだしょうこさんとのWキャストで松平健さん主演のミュージカル「王様と私」などにご出演なさっています。

イメージ 2
 
愛咲さんのステージは、そういうわけでミュージカルの劇中歌が中心。それだけでなく、お仲間の堀江慎也さんをゲストに、デュエットやタップダンスなども織り交ぜたステージでした。
 
「グラン・ジュテ」としては、今月7日の福岡ふくふくホールを皮切りに、昨日の福岡ロックハリウッドビル・Eternity(ダイニングバーです)、今日は大分、さらに長崎、東京、また福岡、そして熊本と続くとのことです。
 
イメージ 3   イメージ 4

玄海さんの部は、20作品あるというレパートリーの中からいろいろやられるそうで、「智恵子抄」は7日と昨日だけだそうです。他には「坂本龍馬が愛した女」「唐人お吉」などなど。
 
玄海さん演じる智恵子。光太郎と知り合った頃から、結婚、その後の貧窮生活、絵画への絶望、実家の破産を経て、夢幻界を彷徨う姿、そしてその終焉までを情念たっぷりに表現されていました。ほんとに「情念」という言葉がぴったりで、「女はコワい」と思いました。細かなエピソードなどもよく調べられていて感心させられましたし、智恵子の魂の叫びは「さもありなん」という感じでした。それでも光太郎智恵子をおとしめるものではなく、そうならざるをえなかった二人、といった点はしっかりと踏まえられていたように思います。
 
終演後、お弟子さん達と一緒に、会場のEternityさんでの打ち上げに参加させていただきました。皆さん、心から演劇を愛されている方ばかりでした。連翹忌にもお誘いしましたし、機会があれば東京や東北でも「智恵子抄」を演じてみたいそうです。自分の所のイベントで呼んでみよう、という方がいらっしゃいましたらお声がけ下さい。仲介いたします。
 
いつも書いていますが、こういう分野でも光太郎智恵子をどんどん扱っていただくのはありがたいことです。また、劇団ひまわりさんで使っている子供達のテキストに「あどけない話」が昔からずっと載っているとのこと。これもありがたいことです。明治大正昭和の初めに、峻烈な「生」の試みに挑んだ光太郎智恵子の世界、いつまでも語り継がれてほしいものですから。

イメージ 1

今朝、成田を飛び立ち、九州は福岡、博多区中洲に来ています。

玄海椿さんという、こちらを拠点に演劇をなさっている方の一人芝居「智恵子抄」を見て参りました。

詳しくは帰ってからレポートいたします。

yahoo!ニュース検索で1件ヒットしましたのでご紹介します。 

原発事故への思いを演劇で、福島の高校生が横浜で公演へ/神奈川

7月25日(水)16時30分配信
 福島県の高校生が震災や原発事故に対する思いを演劇の形で描く「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?」が31日、横浜市神奈川区のかなっくホールで上演される。事故に翻弄(ほんろう)され葛藤を強いられながらも、わが町への愛情を失わない「今の気持ち」が、ひたむきに表明される。

 タイトルの「ほんとの空」とは、詩人の高村光太郎が「智恵子抄」で「阿多多羅山の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空だといふ」と記した福島の空。だが、2012年の福島の高校生は、自らの故郷に「ほんとの空」を見いだせないでいる。

 公演するのは、福島県郡山市の県立あさか開成高校演劇部の約20人。作品の舞台は高校、主人公は演劇部の部員たち―と、自分たちの姿を重ね合わせた。「智恵子抄」を題材に芝居をつくるうちに仲間内から「本当の空のリアリティーがない」と異議が上がる、といった筋書きには、高校生の真情がにじみ出ている。

 線量計の警告音が鳴り響き「そこ線量が高いからこっち来い」と声を掛け合う場面や「マスクをしないのは意地だ」との独白。土地に根差す者ゆえの切実な言葉は、震災後に重ねた即興劇の中で部員たちが紡ぎ出したという。部長の高校2年、円谷風香さん(17)は「反原発がどうとかではなく、悩みながら今も私たちが福島にいる、ということを伝えたい」と話す。

 横浜市中区の「横浜ふね劇場をつくる会」が彼らを横浜に呼んだ。今年3月11日、東京・新宿で上演された同作品を、事務局長の一宮均さん(61)が見たのがきっかけ。「私たち横浜の人間は、震災を『過去のこと』と考えてしまってはいないか」と警鐘を鳴らす。

 午後7時開演。料金は2千円、高校生以下は500円。8月1日には上演台本を用いた高校生向けワークショップもあり、参加者を募集している。問い合わせは、一宮さん電話090(1262)5520。
001
 
今回初めて知りましたが、今年3月にも同じ公演が渋谷の笹塚ファクトリーで行われたようです。
 
残念ながら当日は都合で行けません。
 
この手のイベントを考えてらっしゃる方々、お早めにお知らせいただければ幸いです。宣伝やら後援やらでお役に立てることもあるかと存じます。金銭的な援助は不可能ですが。

一昨日観て参りました渡辺えりさん率いる劇団おふぃす3○○(さんじゅうまる)の舞台、「月にぬれた手」と「天使猫」、会場の座・高円寺ロビーで売られていた資料を紹介します。 

「月にぬれた手」「天使猫」パンフレット

A4判36ページの厚いもので、内容も盛りだくさんです。各出演者のプロフィールや一言のページには直筆サイン入りです。
その他、以下の文章が載っており、大変興味深く拝読致しました。
 鵜山仁「再演にあたって」
 北川太一「高村光太郎のたどった道」
 「光太郎、ある日」北川太一さんの日記から
 渡辺正治「昭和20年4月10日光太郎先生との一期一会」(以前紹介した『月刊絵手紙』に載った文章とほぼ同一です)
 「月にぬれた手」出演者トーク「高村光太郎のアトリエを訪ねて…。」
 内河啓介「岩手旅行記」
 宮澤和樹「高村光太郎先生と宮澤賢治」
 安斉重夫「宮澤賢治の作品の魅力を鉄で表す」
 渡辺えり「東北の地の感情」


イメージ 1
 
 

雑誌『悲劇喜劇』第64巻第6号

2011,6 早川書房

演劇専門誌です。「月にぬれた手」のシナリオ全文が掲載されています。

当方、昨年、渡辺さんから直接いただきました。

イメージ 2

牛田守彦著 ぶんしん出版 

先日の「徹子の部屋」をレポートした時のブログにも載せましたが、光太郎と親交のあった渡辺さんのお父様・正治氏(中島飛行機-現・富士重工=自動車のスバルのメーカーです-に動員されていました)の体験が書かれています。帯にはえりさんの推薦文。

「月にぬれた手」にはえりさんのご両親をモデルにした登場人物もいて、ほぼ正確に光太郎とのエピソードが使われています。

それ以外にも悲惨な空襲の実態が豊富な写真や表などを使って語られており、こうした記憶を風化させまいとする筆者の熱意が伝わってきます。

イメージ 3

さて、昨日観て参りました渡辺えりさん率いる劇団おふぃす3○○(さんじゅうまる)さんの舞台、「月にぬれた手」と「天使猫」をレポートします。
 
会場は座・高円寺さん。休日で二本立てということもあって、二公演とも233席、満員でした。ちなみに花巻高村記念会の高橋氏もいらしていました。夜行バスで花巻との往復だそうで、お疲れ様です。

イメージ 1 イメージ 2
 
昨日は昼の部でまず13:00開演の「天使猫」。宮澤賢治が主人公です。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という賢治の名言を軸に、理想と現実のはざまで苦悩・葛藤する賢治の姿が描かれています。そんな賢治を温かく見守る弟の清六や妹のトシ、逆に非難・嘲笑する人々、そして賢治を取り巻く「イーハトーヴ」の大自然などとのからみが、幻想的な賢治童話に乗せて展開されます。

<配役>
 猫/保坂嘉内/きつね/生徒B/紳士……手塚とおる
 宮沢賢治……土屋良太
 トシ/ひばりの母/山猫/ヤス……馬渕英俚可
 清六/岩手山……宇梶剛士
 (山の役、というのもすごいものがありました。渡辺さんのブログに画像があります。)
 信夫/校長/うさぎの父/生徒A/別当/政次郎……谷川昭一朗
 絹江/ホモイ/イチ……渡辺えり
 キヌ/稲妻小僧……奥山隆   斎藤……醍醐直弘   川村……原田菜奈
 菊地/ひばりの子……佐藤友紀 小原……石山知佳   伊藤……加藤ちえり
 清六少年……川口龍      シゲ……加藤亜依   マツ……川崎侑芽子
 タケ……小出奈央       ウメ……金田彩乃

光太郎は配役として設定されていませんが、ストーリーの中で何度も「高村光太郎先生」として語られました。

夜の部は17:00開演で「月にぬれた手」。光太郎が最晩年を過ごした中野のアトリエ、それに先立つ花巻の山小屋が物語の舞台です。戦時中に自分が書いた詩を読んで散っていった若い命、夢幻界の住人となった智恵子に対する悔恨が浮き彫りにされています。最晩年の光太郎は「脱却」という語を好んで使いましたが、そこに到るまでにはどれほどの苦悩があったことか……。この舞台ではそれを表現しようとしているのだと思います。木野花さん演じる村の農婦が光太郎に投げつける「戦争中にこいづが書いた詩のせいでよ、その詩ば真に受げて、私の息子二人とも戦死だ。」「おめえがよ、そんなにえらい芸術家の先生なんだらよ。なしてあんだな戦争ば止めながった? なしてあおるだげあおってよ。自分は生ぎでで、私の息子だけ死ねばなんねんだ。」という台詞、重たいものがありました。
 
「天使猫」にしてもそうですが、重いテーマを扱いながら、ユーモラスな描写も多く(ウサギのかぶりもので走り回る渡辺さんには客席から爆笑が起こりました。)、それが救いとなっている部分も多かったと思います。特に「月にぬれた手」では、光太郎ファンにしかわからないような小ネタが散りばめられていたり、当方もよく存じ上げている実在の方々がモデルになっていたりと、そうした部分でも楽しめました。

<配役>
高村光太郎……金内喜久夫                智恵子……平岩紙
わか(光太郎の母)……神保共子      春子(智恵子の姪)……藤谷みき

【光太郎と交流を持つ近隣の住人たち】
はじめ/秀……神保共子                   良枝(はじめの母)/伸……木野花
節子(秀の娘)……平岩紙

【光太郎を訪ねてくる人々】
長沼千代子……渡辺えり                    田辺正夫/北山……小椋毅
八千代(正夫の婚約者)……藤谷みき

【山口小学校】
校長……木野花                               村長……藤谷みき
子供たち……加藤亜依、小出奈央、佐藤友紀、醍醐直弘、内川啓介
 
「天使猫」は6/3(日)まで。「月にぬれた手」は5/28(月)まで。まだ若干の空席のある日もあるそうですので、おふぃす3○○(さんじゅうまる)さんまでお問い合わせ下さい。

今日は渡辺えりさん率いる劇団おふぃす3○○(さんじゅうまる)さんの舞台、「月にぬれた手」と「天使猫」の二本立てを観に行きます。

001

開演は午後なので、午前中は国会図書館さんで調べもの。当方、千葉県在住ですが、千葉県といっても田舎の方で、都心に出るのも一苦労でして、上京(本当にそういう感覚です)する際には複数の用事を片付けることにしています。

詳しくは帰ってからご報告致します。

↑このページのトップヘ