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九州・福岡から演劇の公演情報です。気がつくのが遅れ、ご紹介が遅くなってしまいました。申し訳ありません。 

サザンクス筑後ぱふぉーまんす集団センゲキ第16回公演「ELEGANCE FIGHT~元始、女性は太陽であった~」

期 日 :  2016年5月15日(日)
時 間
 : 14時開演(13時30分開場)
会 場 : サザンクス筑後 小ホール  福岡県筑後市大字若菜1104
料 金 : 一般1,000円 / 小・中・高校生500円  全席自由 未就学児入場不可
主 催 : (公財)筑後市文化振興公社
後 援 : 筑後市、筑後市教育委員会

原典 : 宮本研・作『ブルーストッキングな女たち』
脚本・脚色・演出 : 久保田りき
キャスト サザンクス筑後専属劇団“ぱふぉーまんす集団SENGEKI

 平塚らいてう/富安美沙子 荒木郁子/久間明日香 神近市子/古賀美紅
 保持研子/角有紗 伊藤野枝/松本渚 尾竹紅吉/後藤杏奈 掘保子/藤木菜穂
 松井須磨子/後藤奈津実 辻三津・市川房枝/澁江綾香
 高村智恵子・与謝野晶子/河口智美

西暦1911年(明治44年)「青鞜(せいとう)」という女性文芸雑誌が発刊されました。編集していたのは女性たち。その中心となった人物は「平塚らいてう(らいちょう)」。彼女のもとに個性豊かな女性たちが集い「青鞜」は生まれたのです。その翌年、明治天皇が崩御し元号は大正となります。時代が移り変わるように、女性たちも「人として生きる道」を探り、戦い、実践した時代。この「青鞜」に関わった女性たちの生き様には『優美』かつ『激闘』という言葉がふさわしいと思い、このタイトルとしました。100年も昔…、いいえ、その時から100年しか経っていないのです。現代に通じる何かを探しながら、ぜひご覧下さい。
作品のベースとさせていただいたのは、宮本研・作「ブルーストッキングの女たち」。ぱふぉーまんす集団センゲキの10人の女性たちに合わせ脚色させていただきました。女性の恋愛を描くには、当然の如く男性キャストが必要です。しかし、現在センゲキは女性ばかり。あえず男性を登場させず女性たちだけで描く内容に挑みました。解釈の違い等もあり、フィクション・ノンフィクション入り混じった構成でありますが、センゲキの描く「青鞜」を…。「女性たち」をお楽しみいただければ幸いです。ご来場心よりお待ちしています。

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youtubeに、プロモーションビデオも公開されていました。かつて『青鞜』メンバーは、光太郎曰く「女水滸伝」と言われていたとのこと。しかし、キャストの皆さん、かわいらしい女性ばかりです(笑)。


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というわけで、日本女子大学校で智恵子と同じ家政科の一級上だった平塚らいてうを主人公とし、『青鞜』の旗の下に集まった女性たちを描く舞台、ということです。智恵子も登場します。ありがたいです。

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その他、日本女子大学校出身の『青鞜』メンバーについてはこちら

ところで、PVの冒頭にあったのですが、九州では今、熊本を中心とする震災により大変な状況です。しかし、彼女たち、今、自分たちでできることを精一杯やることで、復興支援に繋げたいとの思いから、一時は自粛も検討したものの、予定通り公演を実施するとのこと。さらに収入の一部は、被災地に寄付なさるそうです。それでいいと思います。

是非、観に行きたいのですが、残念ながら花巻高村祭と同一の日程のため、行けません。残念です。遠くみちのくから九州に思いを馳せることと致します。お近くの方は是非どうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

口紅の女も買ふや夏蜜柑         明治42年(1907) 光太郎27歳

欧米留学末期、スイス経由イタリア旅行中の作です。「夏蜜柑」というよりオレンジ的なものなのでしょう。石畳のイタリアマルシェ、小太りの陽気なヒゲの店主が「お嬢さん、一つどうだ?」……勝手な想像ですが(笑)。

先週、各界で功績のあった人をたたえる2016年春の叙勲受章者が発表されました。

主に政治家や民間人対象の「旭日章」、主として元公務員に贈られる「瑞宝章」、それぞれ「大綬章」「重光章」「中綬章」「小綬章」に分かれ、4,000人あまりが受章対象ということで発表されました。

報道では、いわゆる著名人ということで、それぞれ旭日小綬章に選ばれた、女優の富司純子さんと歌手の北島三郎さんが大きく取り上げられました。

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お二人とも、「智恵子抄」との縁がおありです。

まず富司さん。

昭和43年(1968)、大阪梅田コマ・スタジアムで開催された「名作劇場第三作 智恵子抄」で、智恵子役を演じられました。光太郎役は高島忠夫さんでした。

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脚本は北条秀司。同じ北條作の「智恵子抄」で、初代水谷八重子さんや、有馬稲子さんも智恵子役を演じられています。


続いて北島さん。

昭和39年(1964)、五月みどりさんとのデュエットで、シングル「新民謡 九十九里音頭」をリリース。

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三番の歌詞に、九000十九里浜片貝海岸の「千鳥と遊ぶ智恵子」詩碑がうたわれています。

昭和8年(1933)、心を病んだ智恵子がこの地で療養したことにちなみ、同36年(1961)に建立された碑です。

ただし、「千恵子抄」というよくある誤植をやらかしていますが(笑)。

「東洋のマイアミ」というのも、わかるようなわからないような(笑)。突っ込みどころ満載です。


お二人とも、今後もお元気で、さらなるご活躍を期待します。


【折々の歌と句・光太郎】

新緑のみどりのいろの流れ入る画室の中に君と語りき
大正9年(1920) 光太郎38歳

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今日は「みどりの日」。自宅兼事務所裏山の緑も、だいぶ濃くなってきました。

昨夜は、2日に執り行った第60回連翹忌の後始末もほぼ終わり、時間が取れたので、東京・新橋に行っておりました。

内幸町ホールさんにて開催の、「第29回ゆーりんプロデュース公演 ~詩と語りと芝居で紡ぐ~「智恵子抄」」拝見のためです。

主催は声優としてもご活躍中のよこざわけい子さんが代表を務められる「ゆーりんプロ」さん。かなりの大所帯のようで、1回の公演で20名以上のキャスト、それが10公演(複数回ご出演される方もいらっしゃいますが)。したがって、同プロあげての大規模な公演だったようです。

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一昨日から公演が始まり、昨夜は2回目の公演で、「☽チーム」さんという方々のご出演でした。一昨日は「☆チーム」さんだったので、「☽チーム」さんとしては初の舞台でした。

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こちらは会場のホワイエ。パネルで関連写真等の展示が為されていました。

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こちらで今回の公演のテーマ曲「春の吹雪」という曲のCDが販売されており、早速ゲットしました。よこざわけい子さんの作詞だそうです。ジャケットには光太郎の愛した連翹の花。

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ホワイエのテーブルには桜とレモン。こういう細か001なこだわりは好ましいですね。

さて、いよいよ公演を拝見しました。

途中休憩なしで、2時間10分ほどの長い舞台でした。光太郎の実弟・豊周の子息で写真家の故・規氏が、ストーリーテラー。

社会思想社さんから規氏や当会顧問の北川太一先生、故・伊藤信吉氏の編による『紙絵と詩 智恵子抄』が刊行された昭和40年(1965)に、その出版にからめて、若き日の規氏が光太郎智恵子を回想する、という設定でした。そこで、公演のパンフレットは同書の表紙を模したデザインになっていました。

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生前の規氏に、千駄木のご自宅碌山美術館さんなどでお話を伺ったことを懐かしく思い出しました。

物語は、明治末のパンの会の狂躁あたりから、光太郎智恵子の出会い、恋愛時代、結婚生活、そして実家の没落や進まない絵画修行から、徐々に心を病む智恵子、そしてその死、智恵子没後の光太郎と、ほぼオーソドックスに進みました。親しくさせていただいている渡辺えりさん作の「月にぬれた手」などは、かなり前衛的で、観る人を選ぶ芝居、という感じでしたが、こちらはかなりわかりやすい作りでした。

また、プロジェクタで古い写真を投影するなどの演出も見事でしたし、脚本も、当時の関係者の回想などからの引用が効果的に使われ(智恵子の主治医だった斎藤玉男など)、好感が持てました。

2時間10分の長い舞台でしたし、役者さん達の熱演もあり(生身の人間が目の前で演じているのを観る、というインパクトは大きいと思います。)、一般の方々にも二人の辿った道程が理解しやすかったのではないかと思います。当方も制作のお手伝いさせていただいたNHKさんの「日曜美術館」や「歴史秘話ヒストリア」などは、よくまとまってはいましたが、いかんせんそれぞれ45分間と尺が短く、ある意味、消化不良の感がぬぐえませんでした。

個人的には岩手太田村時代の話がもう少しあっても良かったのかな、という気もしましたが、欲張りすぎでしょうか。

終演後の出演者の方々。

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本公演は明日まで、さらに会場で戴いたチラシによると、「よこざわけい子 声優・ナレータースクール 第二十三期生 卒業公演」ということで、11日(月)~14日(木)、同じ内幸町ホールさんで公演があるそうです。

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ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

「ゴンドラ」にゆらりと乗りぬ春の宵  明治42年(1909) 光太郎27歳

一昨日からの連作で、イタリア・ベネチアでの作。すべて留学仲間の画家・津田青楓(パリ在住)に送った絵葉書にしたためられたものです。

東京・内幸町から舞台公演の情報です。

第29回ゆーりんプロデュース公演・新人公演 ~詩と語りと芝居で紡ぐ~「智恵子抄」

期   日 : 2016年4月7日(木)~10日(日)
会   場 : 千代田区立内幸町ホール 千代田区内幸町1-5-1
時   間 :
 4月 7日(木) 18:15開場 19:00開演 プロデュース公演☆    
 4月 8日(金) 18:15開場 19:00開演 プロデュース公演◎
 4月 9日(土) 12:15開場 13:00開演 プロデュース公演◎
                    17:15開場 18:00開演 プロデュース公演☆
 4月10日(日) 12:15開場 13:00開演 新人公演
                     17:15開場 18:00開演 新人公演
劇作・脚本 : よこざわけい子
演   出 : こじま智之
音   楽 : 石山理
出   演 : 
 プロデュース公演☆ ・・・ 北斗誓一 池田祐子 山端零     他
 プロデュース公演◎ ・・・ 長野伸二 近藤波美 池田拓馬   他
 新人公演        ・・・ 眞對友樹也 石原佳奈 高塚智人 村上奈津実 他
料   金 : 前売り4000円  当日4300円 (全席指定)

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声優としてもご活躍中のよこざわけい子さんが代表を務められる「ゆーりんプロ」さんの公演です。複数回公演がありますので、行きやすいのではないでしょうか。

このところ、この手の公演が立て続けにあって、ありがたいかぎりです。


奥深く示唆に富む光太郎智恵子の世界、様々な解釈はあるかと思いますが、それぞれの視点で料理していただいて結構ですので、どんどん取り上げていただきたいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

しろ菫落しゝながらその水のその平和(やすらぎ)にたゞまかせつる

明治34年(1901) 光太郎19歳

春本番、あちこちで菫の花も目に付くようになりました。

東京は北区王子からの舞台公演情報です。 

劇団東京イボンヌ第3回企画公演「コンサートと無伴奏 ~永遠の愛~」

期  日 : 2016年3月29日(火)・30日(水)・31日(木)
会  場 : 北とぴあ カナリアホール 東京都北区王子1丁目11−1
時  間 : 3/29 19:30開演   3/30 14:00開演 19:30開演   3/31 12:00開演 16:00開演
料  金 : 前売り・当日 3700円
出  演 :
 【演奏家】のコンサート
  小松真理(ピアノ) 土田卓(コントラバス) 松谷明日香(特別ゲスト・チェロ)
  柴田真理(クラリネット) 吉澤正一郎(クラリネット) 大平治世(フルート)
  数馬尚子(チューバ) 安岡亜佳音(トランペット)
 【声楽家】のコンサート
 河野鉄平(バス) 中村祐哉(テノール) 浅川荘子(ソプラノ) 岡﨑麻奈未(ソプラノ)
 齋藤麻衣子(ソプラノ)
 【朗読】~「智恵子抄」より~  俳優 伊達裕子 ソプラノ 浅川荘子
 【演劇】~「無伴奏」ダイジェスト~
 河野鉄平 渡辺多恵子 濱仲太 (特別ゲスト) 鹿目真紀 大澤慶祐 中村祐哉 藤田幹彦
主  催 : 劇団東京イボンヌ

桜が咲く頃、劇団東京イボンヌは~永遠の愛~をテーマに盛り沢山の演奏、歌、言霊をお届けいたします。春爛漫の饗宴を是非お楽しみくださいませ。桜吹雪のように乱れ散りませう。

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「東京イボンヌ」さんは、「クラシックの楽曲をテーマに、 曲に込められた魂を物語に紡ぎだす演劇集団」だそうです。「智恵子抄」を取り上げていただけるそうで、ありがたく存じます。

伊達裕子さんという方の朗読と、浅川荘子さんという方のソプラノでの構成だということです。

光太郎智恵子の世界を広めていっていただきたいもので、こういう企画を通じてのそれも大歓迎です。数十年後くらいに「えっ? 「智恵子抄」? 何、それ?」という世の中になっていないことを祈ります。


【折々の歌と句・光太郎】

あな薫り夢か春の野むらさきのやわきちひさき征矢(そや)ふりそそぐ

明治34年(1901) 光太郎19歳

「やわきちひさき征矢」は、柔らかな春の日の光を矢に例えています。関東地方、今朝は久々に晴れました。ただ、若干冷たい風が強めに吹いており、布団を干すかどうか、今、悩んでいます(笑)。

今日も「ほんとの空」ネタで。テレビ放映情報です。 

復興支援ドキュメント 未来への教科書 ~For Our Children~ #116 『特別編 ~子供たちのために~(前編)』

BS12(トゥエルビ) 2016年3月5日(土)6:30 ~ 7:00   3月5日(土)27:00 ~ 27:30(=3/6(日) 午前3:00~3:30)

地域のキーパーソンの言葉をそのまま届け、大震災を乗り越え、立ち上がろうとする東北の人々の力強い姿を広くお伝えします。言葉から浮かび上がる真実を発信していきます。

今回は特別編・前編。
復興支援メディア隊の代表である榎田竜路との対談形式で、精神科医でみんなのとなり組代表理事でもある堀有伸さんをゲストに迎えてお話を伺った。
前編のテーマは”福祉・医療”
東日本大震災から5年が経過しようとしている今、医療や福祉のあり方はどうあるべきなのか?
過去に番組で取り上げた、みんなのとなり組のコミュニティを繋ぐ活動や、堀さんたちが制作した震災後の心のケアをまとめたプログラムを紹介していきながら、一緒に考えていく。
<あのころの子供たちを訪ねて>
以前番組で取り上げた子供たちの、あの時の気持ちと今を追いかけるコーナー。
福島県立あさか開成高校演劇部の演目『この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?』は、福島第一原子力発電所事故によって引き起こされた生徒たち自身の不安や葛藤を、セリフやエピソードに入れ込むことによって反響を呼んだ。その演劇に出演していた香西佳菜子さんに当時の葛藤や現在の思いを伺った。

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「以前番組で取り上げた」は、震災翌年の平成24年(2012放映の、#22「あさか開成高校演劇部」#32「あさか開成高校演劇部~心を語り、心が繋がり、心を継ぐ」。それから昨年放映された#93特別編『東日本大震災から4年〜新しい物語のはじまり』でも取り上げられました。


原作はこちら

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もうすぐ震災から5年。節目の3.11となります。新聞各紙で特集が組まれていますし、テレビでも被災地の現状や課題に注目した特番がいろいろと組まれています。光太郎智恵子や草野心平など周辺人物に関わりの深い、女川、二本松、川内村などが続々取り上げられます。

ぜひご覧下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

たはむれや春の夜すがらその雛につけし齢をただあらそひぬ
明治34年(1901) 光太郎19歳

このお雛様は何歳だ? ということが原因で他愛もない争いになった、の意。

今日は3/3、桃の節句ですね。当方自宅兼事務所でも数年ぶりに雛人形を出しました。

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昨日は陽気が良かったので、歩いて30分程の旧市街まで犬の散歩に行きました。当方自宅兼事務所のある千葉県香取市佐原地区の旧市街は、江戸の街並みが残り、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。そちらでは「さわら雛めぐり」が開催中。老舗の商家などが店頭に雛人形を飾っています。中には江戸時代のものも。こういう伝統は大切にしたいものです。

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大阪から演劇公演の情報です。
期  日 : 2015/12/11(金) ~ 2015/12/13(日) 
会  場 : 
ABCホール 大阪市福島区福島1丁目1番30号
主  催 : 劇団レトルト内閣

出  演 :
よしもとともしよ、福田恵、川内信弥、Q本かよ、たはらもえ、山浦徹(化石オートバイ)、森田祐利栄(エイチエムピー・シアターカンパニー)、平本茜子(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)、Maa(teamおしとやか。/pat'Z)、鎌谷潤吉(僕らの陰謀)、山田麻結、小佐田貢、福良千尋、田中尚樹(劇団そとばこまち)、北代祐太(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)、野村亮太、古川寛、藤原奈津子、田辺学(カンセイの法則)、佐々木ヤス子、もえこぴーなっつ、sax/武井努、piano/西島芳、bass/井上歩、drums/原口裕司

脚  本 : 三名刺繍
演  出 : 三名刺繍
料  金 : 3,500円 ~ 3,800円  (前売り3,500円 当日3,800円) 5歳未満は入場不可
サ イ ト : 
http://www.retoruto.com/ ※正式な公演情報は公式サイトでご確認ください。

タイムテーブル:
12月11日(金) 19:30
12月12日(土) 15:00/19:00★
12月13日(日) 13:00/17:00☆
★の回はアフターイベント『リーマン俳優こみたおのリーマン講座「まことに神の造りしサラリーマン」』開催
☆の回はアフターイベント『安定志向のネタ披露「安定志向 M-1への道程」』開催

“あなたが黙つて立つてゐると まことに神の造りしものだ”
稀代の詩人として名を馳せた芸術家、高村光太郎。
女流洋画家を志した光太郎の妻、智恵子。
ふたりの愛は詩集『智恵子抄』に綴られ、今なお読み継がれている。
「チエコショウ?名前くらいは知ってるわ」
21世紀のある日、夫は妻に詩集を贈り、妻はその詩にメロディーをつけた。
綴られた言葉は歌になり、時をこえて問いかける―
“あなたが今いるその場所から、ほんとの空は見えていますか?”
劇団レトルト内閣、原点回帰のエレガンスロック音楽劇。
日本史上最も有名なラブストーリー・智恵子抄。

スタッフ :
照明/奥野淳也 舞台監督/奥田宏人 舞台監督補佐/土井隆(劇団そとばこまち)
舞台美術/サカイヒロト 音響/八木進(baghdad cafe') 効果映像/ハシモトシンゴ(paravora)
制作協力/宮崎由美(スタッフステーション) 意匠指導/東學(一八八) デザイン/川内信弥
衣装/Q本かよ・山田麻結・野元楓 写真撮影/一宮辰徳 映像撮影/武信貴行


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だいぶ宣伝にも力を入れているようで、劇団としての「やる気」が感じられます。

せっかくいい取り組みをしていても、事前にこれといった宣伝もないケースが多く見られます。ブログなどで、「光太郎智恵子をとりあげました」とレポート的な記述があり、「ああ、こんな公演があったんだ」と気がつき、しかし、同じブログを遡って調べても、「光太郎智恵子をとりあげます」という事前の告知が書いていない、ということが何度かありました。だからといって、「やる気」のなさの表れというわけでもないのでしょうが、できるかぎりのことはしてほしいものです。

閑話休題。題名の「まことに神の造りしをんな」というのは、「智恵子抄」中の「あなたはだんだんきれいになる」(昭和2年=1927)という詩から採ったものでしょう。
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   あなたはだんだんきれいになる

をんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属。
見えも外聞もてんで歯のたたない
中身ばかりの清冽な生きものが
生きて動いてさつさつと意慾する。
をんながをんなを取りもどすのは
かうした世紀の修行によるのか。
あなたが黙つて立つてゐると
まことに神の造りしものだ。
時時内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる。

この詩はまだ智恵子の心の病が顕著になる前の作。福島の長沼家も健在でした。

智恵子歿後の昭和15年(1940)に書かれた随筆「智恵子の半生」(原題「彼女の半生」)で、光太郎自身が引用、解説しています。

 彼女は裕福な豪家に育つたのであるが、或はその為か、金銭には実に淡泊で、貧乏の恐ろしさを知らなかつた。私が金に困つて古着屋を呼んで洋服を売つて居ても平気で見てゐたし、勝手元の引出に金が無ければ買物に出かけないだけであつた。いよいよ食べられなくなつたらといふやうな話も時々出たが、だがどんな事があつてもやるだけの仕事をやつ003てしまはなければねといふと、さう、あなたの彫刻が中途で無くなるやうな事があつてはならないと度々言つた。私達は定収入といふものが無いので、金のある時は割にあり、無くなると明日からばつたり無くなつた。金は無くなると何処を探しても無い。二十四年間に私が彼女に着物を作つてやつたのは二三度くらゐのものであつたらう。彼女は独身時代のぴらぴらした着物をだんだん着なくなり、つひに無装飾になり、家の内ではスエタアとズボンで通すやうになつた。しかも其が甚だ美しい調和を持つてゐた。「あなたはだんだんきれいになる」といふ詩の中で、

をんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属

と私が書いたのも其の頃である。


二人の生活は、赤貧洗うが如しというほどではなかったにしろ、少なくとも智恵子は着飾ることは無くなりました。

そんな智恵子をして、「あなたはだんだんきれいになる」と謳う光太郎。たしかに智恵子は世間一般の女性よりも、服装その他に頓着することはなかったのかもしれませんが、ここに後の大きな悲劇につながる危険性が見て取れるような気がします。

それを題名に持ってくるあたり、単なる二人の純愛物語、という作りではないのでしょう。といって、PVや公式サイトで見る限り、リスペクトの要素も見て取れますので、期待したいと思います。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月21日

平成12年(2000)の今日、鳥取県立図書館で「高村光太郎の書――用と美の間(あわい)」展が開幕しました。

日本教育大学協会全国書道教育部門、全国大学書道学会、全国大学書写書道教育学会の三学会合同大会を記念する催しでした。関連行事として当会顧問・北川太一先生の記念公演「光太郎の人と書論」が、24日、鳥取県民文化会館で開催されました。

演劇の公演情報です。 
期  日 : 2015/10/29(木) ~ 2015/10/31(土) 
会  場 : 「劇」小劇場 東京都世田谷区北沢2-6-6
出  演 : 田辺誠二 新宮あかり 山田零 篠崎旗江 松本力 河村啓史 金崎敬江 日野加奈愛 他
脚  本 : 平田オリザ(劇団青年団)
演  出 : 川口典成
料  金 : 前売3,000円  当日3,300円

 タイムテーブル :
 10月29日(木)19:00 10月30日(金)15:00/19:00
 10月31日(日)13:00

 説  明 :
J-Theater日本人作家シリーズ 2015年秋
 第一弾は、劇団青年団主催で劇作家・演出家の平田オリザさんの『暗愚小傳』を送ります!
 高村光太郎と智恵子の生活を素材に、変わりえぬ日常を縦軸に、文学者の戦争協力の問題を横軸に、詩人の守ろうとしたものを独特の作劇で淡々と描く・・・。
 (青年団HPより)
 
チケットのご予約はJ-Theater事務局まで info.jheater@gmail.com
公演日時/お名前(漢字+カナ)/ 枚数をご明記のうえ、お申し込みください。

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演目は平田オリザ氏作「暗愚小伝」。光太郎を主人公とした演劇で、初演は昭和59年(1984)。その後、平田氏率いる劇団・青年団さんによって何度か再演され、昨年から今年にかけても公演がありました。

今回演じるのはは青年団さんではないようです。「ドナルカ・パッカーン」というのが劇団名なのだと思いますが、よくわかりません。

詳細な情報をご存じの方は、こちらまでお知らせいただければ幸いです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月16日

昭和4年(1929)の今日、友人達と赤城山に登りました。

同行者は高田博厚、岩瀬正雄、岡本潤、草野心平、逸見猶吉、横地正次郎でした。

静岡から朗読系のイベントです。

SPAC秋のシーズン開幕直前☆『舞台は夢』の前夜祭

日   時 : 2015年9月21日(月祝) start 19:00 (open 18:30)
会   場 : スノドカフェ七間町 (静岡市葵区七間町7-8)
参 加 費 : 1,000円(ワンドリンク付き)
申し込み  : 
 SPACチケットセンター(TEL.054-202-3399 受付時間:10:00~18:00)
 スノドカフェ七間町 (TEL.054-260-6173 受付時間:11:00 - 21:00/水曜定休)
 
◆ 『智恵子抄』リーディング
前夜祭に来ていただいたお客様に感謝を込めた、エキストラおもてなし企画! 「この『舞台は夢』が5年ぶりのセリフ劇なんです(笑)」と話す寺内が牧山とともにお贈りする、高村光太郎『智恵子抄』の朗読パフォーマンス!・・・これは必聴です。

プロフィール
◆牧山祐大
『わが町』、『マハーバーラタ』、『ハムレット』など多くのSPAC作品で幅広い役をこなす、遊撃手タイプのSPAC俳優。
☆ひとこと☆
「朝のコーヒーは譲れない!豆から挽いて、ドリップします。おすすめのコーヒー豆があったら教えてください!」
◆寺内亜矢子
フランスから参加のパリジェンヌ。SPACでは『マハーバーラタ』『天守物語』の演奏チーフ、『盲点たち』の無言ムーブメントなど、喋らないことを得意とする特殊女優。
☆ひとこと☆
「葉野菜主食の草食動物ですが、静岡の美味しいおそばも大好物!美味しい地酒があれば言うことなし。ただいまお店を開拓中!」

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SPAC」というのは、静岡県舞台芸術センター(Shizuoka Performing Arts Center)の略だそうです。舞台芸術を創造・上演するための専門家集団を擁し、静岡芸術劇場などを拠点にした演劇等の公演の他、海外を含め、各地に出張公演も行っているとのこと。

そのSPACさんの次回公演が、フランスの俳優・演出家、フレデリック・フィスバック演出による「舞台は夢」。その前夜祭、というのが上記イベントです。

「舞台は夢」に関わるトーク、レクチャーの他に、出演俳優さんによる「智恵子抄」の朗読があるというわけです。「舞台は夢」と「智恵子抄」には直接の関係はなさそうなのですが……。

こういう機会を通し、若い皆さんが光太郎智恵子の世界に興味を持つきっかけとなってくれればいいと思います。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月8日001

昭和17年(1942)の今日、冨山房から佐藤隆房著『宮澤賢治』が刊行されました。

無題背の文字は光太郎の揮毫です。

佐藤隆房は宮澤賢治の主治医。賢治の詩「S博士に」(昭和7年=1932)のモデルだそうです。

賢治つながりで、昭和20年(1945)に空襲で東京のアトリエを失った光太郎を花巻に招くのに一役買いました。
 
花巻到着後にすぐ高熱を発して倒れた光太郎を看護したり、終戦直後の短期間、光太郎を自宅に住まわせたりもしています。その後も足かけ8年岩手で暮らした光太郎と深い交流を続けました。光太郎歿後も花巻に財団法人高村記念会を立ち上げ、初代理事長を務めています。

同書はロングセラーとしていまだ版を重ねています。ただ、光太郎の揮毫が依然として使われているかどうかは存じません。

山形からイベント情報です。

第8回山形大学高校生朗読コンクール/群読劇「ビルマの竪琴」

 第8回山形大学高校生朗読コンクール/群読劇「ビルマの竪琴」に一般市民を無料招待します。
  ※ただし、事前にお申込みをお願いいたします。(当日のご入場も受付けます。)

  山形大学特別プロジェクト「いま、言葉を東北の灯(ともしび)に」の事業として、9月13日(日)に、山形市中央公民館多目的ホール(アズ七日町6階)において、第8回山形大学高校生朗読コンクール/群読劇「ビルマの竪琴」を開催します。
 
 朗読コンクールには、予選を通過した東北6県の高校生10名前後(選考結果によって変動します)が出場し、福島県にゆかりのある詩人で彫刻家でもある高村光太郎の作品を朗読します。

  群読劇「ビルマの竪琴」では、酒田市出身の演出家佐藤正文氏が演出を担当、出演者として磯部勉さん、大西多摩恵さんをお招きし、山形の子どもたち、一般市民のみなさん、山形大学学生とともに舞台を作り上げます。

日 時:平成27年9月13日(日) 13:00開場 13:30開演(終演予定17:00)
 第一部:高校生朗読コンクール 高村光太郎「智恵子抄」より
 第二部:群読劇「ビルマの竪琴」
 第三部:表彰式

会 場:山形市中央公民館多目的ホール (山形市七日町一丁目2番39号 アズ七日町6階)

お申込み方法
  チラシ裏面の入場申込書に、代表者氏名、代表者住所、電話番号、同行者氏名、合計人数(5名まで)をご記入の上、郵送・FAX・メール・電話のいずれかからお申込みください。
※電話によるお申込み・お問合わせは、平日9:00~17:00にお願いします。
申込み締切り:平成27年9月9日(水)まで
お申込み・お問合わせ先:山形大学エンロールメント・マネジメント部社会連携課
〒990-8560 山形市小白川町1-4-12
TEL: 023-628-4016 FAX: 023-628-4491 E-mail:
embml@jm.kj.yamagata-u.ac.jp

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6月にこのブログで出場者募集の案内をご紹介した山形大学さん主催の朗読コンクール、本選が行われます。同時に群読劇「ビルマの竪琴」の上演も。

「いま、言葉を東北の灯に」をサブタイトルに、宮澤賢治や井上ひさし、藤沢周平など東北出身の作家の作品を取り上げてきたイベントです。平成23年(2011)からは、東日本大震災を受け、参加資格を東北6県の高校生に広げ、復興支援の意味も付与してて実施しています。

こういう活動を通し、若い世代に光太郎智恵子の世界を深く知ってほしいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月1日

昭和44年(1969)の今日、光太郎がよく利用した花巻電鉄の花巻 - 西花巻 - 西鉛温泉間が廃線となりました。

昭和20年(1945)から光太郎が7年間住んだ太田村の山小屋からは、徒歩1時間ほどの二ツ堰駅で乗車、花巻町に出る時や、逆方向の大沢温泉、鉛温泉などに行く際に利用していました。

下の画像は少し前に入手した古絵葉書です。

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先週、オンエアされたテレビ東京系BSジャパンさんの、「空から日本を見てみよう+ 岩手県花巻温泉~遠野」では、花巻駅近くに静態保存されているデハ3型が取り上げられました。

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内部にもカメラが入りました。座っている乗客にもつり革が必要だったというのですから笑えます。

2系統あった花巻電鉄、昭和47年(1972)には花巻 - 花巻温泉間が廃線となり、その歴史に幕を閉じました。

雑誌としては当方が唯一定期購読しているものに、月刊の『日本古書通信』があります。

今年の5月号から、廣畑研二氏による連載記事「幻の詩誌『南方詩人』目次細目」が始まりました。そして昨日、連載の3回目が載った7月号が手元に届きました。

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『南方詩人』は昭和2年(1927)、鹿児島で創刊された雑誌で、同5年(1930)9月まで、全10輯が発行されていますが、今までその全貌が不明でした。国立国会図書館さんには収蔵されておらず、日本近代文学館さんでは昭和5年(1930)1月号のみ所蔵しています(それも欠ページがあるそうです)。この手の地方誌はおおむねそういうものです。

また、時折こういう例もあるのですが、地方誌でありながら、全国区のメジャーどころに寄稿を仰いでいます。廣畑氏の稿によれば、佐藤惣之助、萩原恭次郎、尾形亀之助、草野心平、尾崎喜八、竹内てるよ、木山捷平、黄瀛、小野十三郎、赤松月船、白鳥省吾らの名が執筆者として連なっています。その中に光太郎も。

以前から『南方詩人』に光太郎が寄稿していたことは判明していました。『高村光太郎全集』には、以下の作品が同誌を初出として掲載されています。

昭和4年10月1日号 散文「てるよさんの詩を読んで-詩集『叛く』について-」
昭和5年1月1日号 詩「孤独で何が珍しい」 散文「猪狩満直詩集「移住民」に就て」  散文「平正夫詩集『白壁』に就いて」  書簡二〇三
昭和5年9月10日号 散文「黃秀才の首」

ところが、いかんせん全貌が不明だった地方誌のため、他にも掲載されていたものが漏れていました。

廣畑氏は、沖縄県立図書館さん、いわき市立草野心平記念文学館さん、吉備路文学館さんの3ヶ所に『南方詩人』が収蔵されていることをつきとめ、それぞれの欠損を補って、全10輯の全貌を明らかにされたそうです。

昨日届いた『日本古書通信』7月号掲載の「幻の詩誌『南方詩人』目次細目」第3回に記述がありますが、昭和4年(1929)3月10日発行の第6輯に、ロマン・ロランの戯曲「モンテスパン夫人」の序文が、光太郎の訳で掲載されています。この光太郎訳は今までに全く知られていなかったものでした。原典は大正12年(1923)にアメリカで出版された同書の米国版です。

廣畑氏から当会顧問の北川太一先生に、この件についてご連絡があり、さらに当方にもそれが廻ってきたのが4月。ただ、添えられていたコピーが不鮮明で読めない、何とかならないか、とのことでした。そこで、連翹忌でお世話になっているいわき市立草野心平記念文学館さんにお願いし、当該箇所のデータを画像ファイルで送っていただきました。北川先生は、翻訳原典である米国版を神保町の田村書店さんを通じて入手なさいました。

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比較的長文の翻訳で、こうしたものが今まで埋もれていたというのが、ある意味、意外でした。全文は来春刊行予定の『高村光太郎研究』に当方が持っている連載「光太郎遺珠」にて紹介します。

他にも廣畑氏の稿によって、『南方詩人』に光太郎作品の掲載状況がいろいろと明らかになっています。例えば大正11年(1922)の第二期『明星』に掲載されたヴェルハーレンの詩「未来」が転載されていたり、生前に活字になった記録が無かった木山捷平あての書簡2487が「詩集「野」読後感」として掲載されていたり、といったところです。

さらに草野心平の作品でも、心平の全集に未掲載のものが大量に含まれているとのこと。地方誌恐るべし、です。

廣畑氏の「幻の詩誌『南方詩人』目次細目」。『日本古書通信』での連載はまだ続きます。もしかしたら書簡、雑纂等で『高村光太郎全集』未掲載のものがまだあるかも知れません。

光太郎の書き残したものの全貌を明らかにする道のりは、まだまだその途上です。ライフワークとして取り組み続けていきたいと思っております。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 7月15日

昭和31年(1956)の今日、新潮文庫版『智恵子抄』が刊行されました。

光太郎が亡くなる直前に、草野心平に000編集を託したものです。今日、『智恵子抄』というと、この新潮文庫版を思い浮かべる方がほとんどでしょう。現在も版を重ねています。

オリジナルの龍星閣版『智恵子抄』は昭和16年(1941)の刊行で、時間の流れとしては智恵子の死後間もない頃の作品「梅酒」あたりまでが掲載されています。戦後の昭和25年(1950)には同じ龍星閣から詩文集『智恵子抄その後』が刊行され、新潮文庫版にはそのあたりの作品も収められました。

昭和42年(1967)に改訂版が出るまでの新潮文庫版には、オリジナルに収録されていた詩「或る日の記」が心平の意図で省かれていました。心平曰く、

従来の『智恵子抄』に載っていた「或る日の記」はそれは智恵子さんとの関連が詩の中心をなしていないので故意にはぶいた。

とのことでした。

この点は原著者の意向の無視ということで、のちにかなり批判されています。しかし、こういういわば「力業」が、ある意味「規格外」の詩人だった心平の本領であるとも言えます。他にも光太郎生前から、くり返しその作品集の編集に携わっていた心平ですが、誤植等をあまり気にしていません。光太郎はそういう心平を苦笑しながら見守っていた節があります。

4月も下旬となりました。今日、明日のこのブログは来月早々に行われるイベントの紹介です。

まず、音楽・演劇系で2件。

歌物語コンサート「智恵子抄」

日  時 : 2015/5/6(水・振替休日) 17:30~
会  場 : 風に吹かれて 東京都大田区大森北1丁目34-16 第二みずほビル2F
出  演 : 潮見佳世乃 (歌と語り)  たつのすけ (ギターとピアノ)
料  金 : 予約 2800円   当日 3000円 (飲食代別)
予約・問い合わせ : 風に吹かれて Atsushi Kanaya <blowind0804@gmail.com>

GW最後の日。 歌物語!都内で初披露いたします。
新緑美しい季節 光太郎と智恵子の愛を語ります。
会場にて多くの皆様とあたたかい一時をご一緒できますように
素敵な春を!


潮見佳世乃さん、今月2日の第59回連翹忌にご参加下さいました。以前から「智恵子抄」を扱っていらっしゃるそうですが、都内では初の「智恵子抄」だそうです。当方、彼女の演奏を聴いたことがありませんが、今回、初めて拝聴します。楽しみです。 
日  時 : 2015年5月8日(金)20:00~  9日(土)14:00~/18:00~
会  場 : シアタームーン 愛知県名古屋市千種区池下1-11-11 スタチオン池下201
  作  : 加藤 由衣
演  出 : 吉川 和典
料  金 : 予約/当日とも 1000円 
キャスト : 上田勇介 加藤聡美 河口サトー 榊原耕平(よこしまブロッコリー) 藤由依雛 田亜夜子
       吉川和典 丹羽一美(フリー) 横尾友美 他
プログラム :  『文豪座談会』   『蜘蛛たちの意図』 芥川龍之介「蜘蛛の糸」より
         『智恵子、少々』 高村光太郎「智恵子抄」より
予約・問い合わせ : 電光石火一発座 Tel :090-4257-7800  Mail:mail_denkou@yahoo.co.jp

「もう、読んだって」
と、彼女。一方で、
 「読んでないな」
と彼は言います。そんな中、とあるお方はおっしゃいました。
 「捉え方は人それぞれ」
そういえば、こうお答えになった人もいるそうです。
 「No problem、だ」
ある瞬間、読み古された一冊が‘色‘を変えることがある。
 今宵はどうぞ、電光色の名作たちを。


こちらの情報は、たまたまネットで見つけました。「名古屋市を拠点に演劇活動をする、社会人劇団」だそうです。


こうしたイベントを企画されている皆さん、こちらまでご連絡いただければ、このブログにてご紹介します。もちろん、内容等を検討させていただいてからですが。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 4月25日

昭和43年(1968)の今日、岩手県花巻市石神町の雪印乳業花巻工場敷地内に、光太郎詩「牛」の一節を刻んだ碑が除幕されました。

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同工場と光太郎には直接の関係はありませんでしたが、岩手県酪農青年研究連盟創立十周年記念ということで、この碑が建てられています。もしかすると、関係者の中に、花巻・太田村時代の光太郎を知る人がいたのかも知れません。

同工場は10年ほど前に閉鎖されてしまっているとのこと。碑はどうなっているのでしょうか。調べてみます。

追記 工場跡地は雪印さんの系列の運送会社となり、碑も健在でした。

テレビ放映に関してです。

復興支援ドキュメント 未来への教科書 ~For Our Children~ 第93回 東日本大震災から4年〜新しい物語のはじまり

BS12(トゥエルビ)
 3月24日(火) 18:00 ~ 19:00  3月28日(土) 27:00 ~ 28:00  3月30日(月) 18:30 ~ 19:30

地域のキーパーソンの言葉をそのまま届け、大震災を乗り越え、立ち上がろうとする東北の人々の力強い姿を広くお伝えします。言葉から浮かび上がる真実を発信していきます。

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東日本大震災から4年の月日が経とうとしている。現在被災地では、復旧・復興と共にある変化が起ころうとしているという。今回の特別編では劇団ユニット・ラビッツ 代表の佐藤茂紀さんとNPO法人東北開墾 代表理事の高橋博之さんをゲストとしお迎えし、過去の映像を振り返りながら、今被災地で紡ぎだされようとしている「新しい物語」について、それぞれの観点から語って頂いた。

劇団ユニット・ラビッツ 代表 佐藤 茂紀さん
第22回、第60回、第75回に登場して頂いた佐藤茂紀さん。
福島県立光南高校の佐藤教諭は演劇活動を通じて「被災後の福島」を伝えてきた。震災当時、高校生たちと作った「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?」は日本各地で上演され、福島の高校生たちの現状と葛藤を広く伝えることになった。現在も演劇部の顧問を務めながら、自分たちで立ち上げた劇団から福島の今を伝え続けている。


NPO法人東北開墾 代表理事 高橋 博之さん
第74回に登場して頂いた高橋博之さん。
東北の生産者と消費者を物語でつなぐ食べ物つき月刊誌「東北食べる通信」編集長の高橋さんは、日本の地方の活気を取り戻すためには現代版の「参覲交代」を行う必要があるという。「東北食べる通信」が成し遂げようとしていること、地方再生についてのお話を伺う。



この番組は、同一の内容が4~5回放映されます。第93回は、最初の放映が3月17日でした。そして、おおむね最初の放映の後、公式サイトに内容がアップされるので、こういう内容だったと知り、3月21日の2回目の放映を視聴しました。

このブログで以前にご紹介した、光太郎詩「あどけない話」をモチーフにした、福島郡山にある、あさか開成高校さんの演劇「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?」に触れられています。続編の「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか? 第二章 ばらあら、ばらあ」は、やはり福島の矢吹町にある光南高校演劇部さんにより上演されています。

過去にもこの番組で取り上げられた(当方、以前のオンエアは見逃していました)、両校で演劇部顧問を務め、ご自身も劇団を主宰されている佐藤茂紀さんがご出演。メインはご自身の劇団の新作に関してでしたが、あさか開成高校さんの演劇「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?」も大きく取り上げられました。

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その他、もうお一方のゲスト、NPO法人東北開墾 代表理事 高橋 博之さんのお話も含め、震災から4年という今の段階での被災地、そして日本全体への提言など、興味深い内容でした。

上記の通り、あと3回、放映されます。ぜひご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 3月23日

大正12年(1923)の今日、『読売新聞』に智恵子の評論「現代日本の文学に対するアマチユアの注文と感想」が掲載されました。

現在、智恵子執筆の評論は5篇程度しか確認できていません。そのうちの一篇で、光太郎の影響も見て取れるものです。

こんな一節もあります。

 健全な土台に立ち、芸術の正しい伝統を根とした、玲瓏とした魂から迸る、叡智と偉大な自由性と官能の天然な豊饒さに充ちた、がつしりとした文学を求めてゐる。われわれの魂に光りと愛と希望を与へ、みづからめざめしめるものを。ドストエフスキー、ホイツトマン、ヹルハアランその他、第一線に立つ飽く事を知らない真への探求者達が、この世へ贈つたやうな真と愛とを我が国の文学にも望む事を迂遠な事とは考へない。

演劇の公演情報です。

テレビドラマ「北の国から」などを手がけた倉本聰氏の「ノクターン―夜想曲(2015)  -Nocturne 2015-」という舞台ですが、すでに全国各地で公演が行われています。東日本大震災による福島の原発被害を扱ったものですが、光太郎詩「あどけない話」が劇中で使われているそうです。

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倉本氏が原発事故に題を採った脚本を書かれていることは存じていましたが、光太郎詩が使われていることは存じませんで、紹介が遅れました。申し訳ありません。

ノクターン―夜想曲(2015)  -Nocturne 2015-

スタッフ  作・演出/倉本聰  音楽/倉田信雄  美術/横島憲夫
出  演     富良野GROUP
あらすじ
東日本大震災から数年後。原発事故避難区域となった海に程近い一軒家に、津波で二人の娘を亡くした中年の男 と同僚を亡くした新聞記者が入り込む。原発事故以来、時が止まったままのその家にあるのはほこりをかぶったピアノ、そして、地震で倒れた3体のピエロの彫刻。
二人はその家で、同じように津波で父親を亡くした彫刻家の女と出会う。


福島の地元紙『福島民友』さんから。 

県内5会場で演劇「ノクターン―夜想曲」

 福島民友新聞社は、創刊120周年記念事業として脚本家・劇作家倉本聰氏の作・演出による演劇「ノクターン―夜想曲」の公演を2015年、県内5会場で主催する。
劇は震災、原発事故で甚大な被害を受けた相双地域が舞台。家族の死など心に深い傷を負った被災者の苦悩や葛藤、放射線の影響に直面する姿を、被災地・福島で取材を重ねた倉本氏が書き下ろした。

 演劇「ノクターン―夜想曲」は福島民友新聞創刊120周年記念事業として、3月に県内4会場で上演される。各会場ともに前売り券の残券はわずかとなっている。問い合わせは福島民友新聞社「ノクターン」係(電話024・523・1248、平日午前10時~午後5時)へ。公演日程次の通り。
3月1日・會津風雅堂(午後2時)▽3月3日・郡山市民文化センター(同6時30分)▽3月5日・いわき芸術文化交流館「アリオス」(同6時30分)▽3月7日・県文化センター(同2時)
 

■問い合わせ 福島民友新聞社創刊120周年記念事業推進委員会  (電話024・523・1248)
■南相馬会場
 【主催】公益財団法人南相馬市文化振興事業団、福島民友新聞社
■会津若松、郡山、いわき、福島会場
  【主催】福島民友新聞社
  【共催】公益財団法人会津若松文化振興財団、郡山市教育委員会、いわき芸術文化交流館アリオス、公益財団法人福島県文化振興財団
■企画・制作 フラノ・クリエイティブ・シンジケート(F.C.S.)

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福島以外もふくめた全公演は以下の通りです。だいぶ終わってしまっています。申し訳ありません。

1月
10日(土)~18日(日) 北海道 富良野市富良野演劇工場
21日(水)                     士別市 あさひサンライズホール
23日(金)                     札幌市 教育文化会館大ホール
25日(日)                     美唄市 市民会館
27日(火)                     北見市 芸術文化ホール
30日(金)                     岩手県 西和賀町文化創造館
2月
1日 (日)       福島県 南相馬市市民文化会館
4日 (水)~8日(日)
   東京都 新国立劇場小劇場
10日(火)         岡山県 津山市文化センター
12日(木)       倉敷市 芸文館
14日(土)       大阪府 富田林市すばるホール
16日(月)       山口県 周南市文化会館
18日(水)        広島県 廿日市市はつかいち文化ホール
20日(金)・21日(土) 愛知県 名古屋市愛知県産業労働センター
23日(月)       三重県 鈴鹿市市民会館
25日(水)       静岡県 磐田市市民文化会館
27日(金)        裾野市市民文化センター
3月
1日 (日)        福島県 会津若松市會津風雅堂
3日 (火)        郡山市市民文化センター
5日 (木)        いわき市芸術文化交流館アリオス
7日 (土)        福島市福島県文化センター
10日(火)       北海道 七飯町文化センター
12日(木)        鷹栖町たかすメロディホール
14日(土)                        幕別町百年記念ホール

光太郎詩以外に、福島県南相馬在住の詩人・若松丈太郎氏の作品がモチーフとして使われているとのことです。

とりいそぎ、ご紹介いたしました。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月23日

昭和24年(1949)の今日、出版社・養徳社から森於菟著『森鷗外』の寄贈を受けました。

於菟は鷗外の長男です。

劇作家・平田オリザさん率いる劇団青年団さんの舞台「暗愚小伝」、東京公演が昨秋行われましたが、西日本に巡回です。兵庫県伊丹市と、香川県善通寺市で、ほぼ連続して行われます。 

青年団第73回公演 『暗愚小傳』伊丹・善通寺公演

伊丹公演 2015年1月16日(金)- 1月19日(月) 5ステージ
AI・HALL(伊丹市立演劇ホール) 兵庫県伊丹市伊丹2-4-1 

善通寺公演 2015年1月22日(木)- 1日24日(土) 3ステージ
四国学院大学ノトススタジオ 香川県善通寺市文京町3-2-1
 
作・演出:平田オリザ
高村光太郎と智恵子の生活を素材に、変わりえぬ日常を縦軸に、文学者の戦争協力の問題を横軸に、詩人の守ろうとしたものを独特の作劇で淡々と描く・・・。平田オリザ90年代初期の名作、10年ぶり、三回目の再演。

出演
山内健司 松田弘子 永井秀樹 川隅奈保子 能島瑞穂 堀 夏子 森内美由紀 木引優子 伊藤 毅 井上みなみ 折原アキラ 佐藤 滋
 
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一昨日の『毎日新聞』さんの大阪夕刊に伊丹公演の紹介記事が載りました。  

暗愚小傳:高村光太郎描く、平田オリザ初期作

毎日新聞 2015年01月08日 大阪夕刊
 劇作家の平田オリザが率いる劇団「青年団」が、平田の初期の代表作「暗愚小傳(あんぐしょうでん)」(平田演出)を16〜19日、兵庫県伊丹市のアイホールで上演する。
 10年ぶり3度目の再演。舞台は、詩人の高村光太郎(1883〜1956)と妻が暮らす自宅アトリエ。新婚時代、智恵子の発病、智恵子の死と戦争、戦後の隠遁(いんとん)−−の4場面を通して高村の等身大の生活を描く。平田は「高い知性を持つ詩人が、なぜ戦争詩を書いてしまったのか。20代の時からそれを考えていて書いた戯曲」と言う。5回公演。3000円、学生・65歳以上2000円、高校生以下1500円。同ホール(072・782・2000)。【畑律江】
 
 
西日本のみなさん、ぜひどうぞ。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月10日
 
平成10年(1998)の今日、二玄社から『高村光太郎 美に生きる』が刊行されました。
 
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版元サイトから
 
光太郎の生涯を、形成、反逆、美に生きる、生命の大河の4章に分け、その彫刻、デッサン、書など主要な美術作品の写真と、詩文、評論などから選りすぐった文章で浮き彫りにする、画期的画文集。明治、大正、昭和の三代を生き抜いた、巨人の足跡。
 
現在でも新刊で入手できます。定価は2,800円+税です。
 
故・高村規氏撮影の写真をふんだんに使い、主に造形作家としての光太郎の生涯を俯瞰するものです。いつもながらに北川太一先生の解説「美を追う人」が見事です。
 
ちなみに当方、今日は東京本郷にて、北川太一先生を囲む新年会に行って参ります。

昨日は、練馬区江古田にて、微笑企画第4弾「一人芝居 人に~智恵子抄より~」を観て参りました。
 
素晴らしい舞台でした。
 
場所は江古田駅近くの兎亭さんという、カフェ+レンタルイベントスペース。地階に会場がありました。
 
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縦長のさして広くないスペースで、舞台とギャラリーの仕切り、段差等が一切無く、それだけに一体感が感じられました。
 
一人芝居ということで、智恵子を演じ000られたのは微笑企画主宰・井餘田笑子さん。熱演でした。

まず驚いたのは、ダンスパフォーマンス的な要素がふんだんに採り入れられていたこと。それもかなり激しい動きで、昂ぶる光太郎への愛情や、結婚生活の中での煩悶といった部分が表現されていました。光太郎智恵子をあつかうものとしては、ある意味「静かな」舞台を見慣れていましたので、新鮮でした。
 
脚本的にも、いろいろと感心しました。智恵子の内面がよく剔りだされており、単なる「お涙ちょうだい」の純愛ものでなく、さりとて「智恵子を犠牲に自己の芸術を作りあげた非道な光太郎」という観点でもありませんでした。
 
『青鞜』のメンバーの一部が、結局はただの女子会的になってしまっているとか、光太郎智恵子の結婚生活において、徐々に智恵子の家事分担が増えていったことを、智恵子自身が「光太郎のために」と自分に言い聞かせ、しかし、その裏には、自分の才能不足からの逃避があった、などという点には、「なるほど」と思わされました。
 
演出的にも、スペースの狭さ、舞台とギャラリーの仕切り、段差等が一切無いことを逆手に取り、観客の眼の前まで歩み寄って語りかけたり、凝った和風のBGMが効果的に使われていたりという点が良かったと思います。
 
何より井餘田さんの、一種、きりっとした感じに非常に好感が持てました。画像は終演後、あいさつをされる井餘田さんです。
 
残念なのは、あまり宣伝もされていなかったようで、もともと狭いスペースということもあり、観客は20名程だったこと(最初から限定20名と告知されていました)と、一回限りの公演であること。もっと多くの方に観ていただきたいという意味で残念です。
 
昨日のこのブログでは音楽での光太郎作品インスパイアを取り上げましたが、演劇系でも、もっともっと光太郎智恵子の世界をいろいろな方に、井餘田さんのように、それぞれの解釈で取り上げていただきたいものです。演劇関係の皆さん、よろしくお願い申し上げます。「『智恵子抄』? 「お涙ちょうだい」の古くさい話じゃん」という考えは、違います!!
 

【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月25日
 
昭和4年(1929)の今日、東京会館で行われた、与謝野晶子50歳の祝いの発起人を務めました。
 
当時の『朝日新聞』です。見出しは25日になっていますが、記事本文では22日となっています。見出しを優先しました。
 
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東京は練馬から演劇公演の情報です。 

微笑企画第4弾「一人芝居 人に~智恵子抄より~」

 時 : 2014年12月24日(水) 18:30開場 19:00開演
 場 : 江古田 兎亭 東京都練馬区旭丘1-46-15金健ビルB1
 員 : 20名(先着)
 金 : チケット 1500円 プラス、飲み物とお食事のオーダーをお願いします。
      (飲み物300円~、お食事200円~ご用意してます。)

一人芝居ということだそうで、演じるのは、微笑企画主宰・井餘田笑子さん。
 
早速、申し込みました。クリスマスイヴですが当方には関係ありません(笑)。
 
その前々日の12月22日は、光太郎智恵子の結婚記念日です。このブログで何度か記述しましたが、ちょうど100年前、大正3年(1914)のこの日、上野精養軒にて二人の結婚披露宴が催されました。親族の他に光太郎恩師の東京美術学校長・正木直彦、同教授・藤島武二、さらに与謝野鉄幹・晶子夫妻、田村松魚・俊子夫妻、そして実質的に二人を結びつけた柳敬助・八重夫妻らが参列しました。
 
二人の結婚披露100周年に花を添える舞台であって欲しいな、と思います。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月14日
 
昭和27年(1952)の今日、『週刊朝日』に「おろかなる都 光太郎東京を叱る」が掲載されました。
 
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この年、十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)制作のため、足かけ8年にわたる岩手での生活を切り上げて上京した光太郎が、久しぶりに見た東京を嘆いています。
 
曰く、「東京の街は、実に汚ないと思う。乱雑で秩序がない。」「建築では、屋根の美が貴重なものなのに、形、色、それに屋根と屋根の組合わせが何とも言えずブザマな気がする。」「空地であれば、どこでもかまわず、勝手な大きさのものを、どんどん建てるというのでは、仕方がない。野蛮だと思う。」「“東京”といつても何もないではないか。ただ、もの珍しい文化のカケラが、尖つたガラスの破片が散らばつているように、そこらにあるだけで、私は、そうしたモノにはぶつかるが、“空気”を感ずることができない。
 
耳が痛くなりますね。
 
ただし、光太郎、「東京で感心するのは、生ビールと食い物のうまいことだ。」と、「食」に関しては東京をほめ、帰京後はずいぶん食べ歩きをしていました。
 
ちなみに掲載誌『週刊朝日』のこの号の表紙がこちら。
 
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石川滋彦の描いた東京駅丸の内口風景です。赤煉瓦の駅舎や、丸ビル、東京中央郵便局などが見えますね。先程、大正3年(1914)12月22日が光太郎智恵子結婚披露100周年、と書きましたが、その2日前の12月20日に、東京駅が開業しました。

またまたテレビ放映情報です。

五木寛之「風のCafe」1周年記念スペシャル ゲスト:渡辺えり

BSフジ 2014年11月 1日(土)17:30~18:30  再放送 11月15日(土)17:30~18:30
 
番組ホスト 五木寛之(作家)
番組アシスタント 冴木彩乃(出版プロデューサー)
ゲスト 渡辺えり(劇作家・演出家・女優) 
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 今回のゲストは、渡辺えり。そして、“もう一度聞きたい、あの話”をまじえての60分スペシャル!これまでCafeを訪れた各界の著名人、13人のゲストの名言を再びお届けする。
 五木から演劇界きっての歌唱力の持ち主と称賛される渡辺えりは、五木が作詞した歌を2曲もつ。その一つ「昼の花火」の歌詞は還暦を前にした渡辺にとって、今あらためて読むと泣きそうになるという。その歌詞のもつ意味は?
 戦時中、高村光太郎に心酔した父により、家に飾ってあった光太郎の写真をずっと自分の祖父だと思って育った渡辺。いじめられっ子だった小学校時代。そこから自信を持てるようになったきっかけ、そして山形から上京することになった理由の一つ、ジュリーこと沢田研二への憧れについて語る。
 そして、五木と渡辺のいくつもの接点。その一つが池袋の「舞台芸術学院」でのすれ違い。さらに、「ゲゲゲのげ」岸田國士賞受賞のきっかけをつくった「唐十郎」とのこと。唐は当時無名の渡辺の初期作品を候補作と間違えて読み、その実力を看破したという。また、美輪明宏にこの授賞式の衣装を買ってもらった話や、同時受賞した野田秀樹などの不思議な縁を話す。
 劇団「3○○」や演劇活動のかたわら、テレビにも出演。庶民的で可笑しなキャラクターを演じ人気を博している“国民的女優渡辺えり”。しかし、映像で見るイメージとは違い、劇作家渡辺えりの描く芝居はシュールなものだ。そのギャップが違いすぎて、お客さんが戸惑い理解されない、という悩みも打ち明ける。今度の舞台「天使猫」は東日本大震災の後、はじめて書き下ろした作品だ。被災地に思いを馳せ、復興未だ叶わぬ現地でもテントで上演される。そのきっかけは、共演する宇梶剛士と地元の人たちの「ここでやりたい、やってくれ」という言葉だった。
 渡辺えりは様々な顔をみせる。プロデューサー、脚本家、作家、評論家、タレント、そして俳優・・・あらゆる役割をこなす渡辺えりを、五木は「百姓」という言葉で例える。「百姓」という言葉には、元々「様々な職業」という意味があるのだ。五木は彼女に100歳までの舞台を期待する!
 
 
生前の光太郎と面識のあったお父様の影響で、光太郎を主人公とした演劇「月にぬれた手」を作られた渡辺えりさんがゲストです。
 
お父様と光太郎にまつわるエピソードは、かつての連翹忌、一昨年5月9日の「徹子の部屋」、昨年5月15日の花巻光太郎祭での講演などでご披露されました。
 
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今回もそのあたりのお話が聴けるのではないでしょうか。
 
また、現在、渡辺さんは宮沢賢治を主人公とした舞台「天使猫」の全国ツアー中。そのあたりも内容説明に入っています。
 
ぜひご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月31日
 
昭和43年(1968)の今日、中央公論美術出版から、光太郎の弟・高村豊周著『自画像』が刊行されました。
 
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基本、鋳金の人間国宝として活躍した豊周の自伝ですが、随所で光太郎智恵子、光雲についても語られており、貴重な記録です。

お父さまが光太郎と面識がおありだったこともあり、連翹忌にもよくご参加下さっている渡辺えりさん率いる劇団「おふぃす3○○(さんじゅうまる)」さんの公演です。
 
2012年、下北沢の座・高円寺での初演以来の再演、今回は全国11ヶ所を巡回します。 
【盛岡】10月19日(日)         盛岡劇場メインホール  14時
【東京】10月23日(木)~28日(火)シアター・トラム
【石巻】11月1日(土)         石巻特設会場  時間未定
【兵庫】11月3日(月・祝)       兵庫県立芸術文化センター・阪急中ホール  17時
【石川】11月5日(水)         北國新聞赤羽ホール   19時
【山口】11月8日(土)・9(日)      山口情報芸術センター 8日(土)14時 / 9日(日)14時
【宮崎】11月11日(火)          三股町立文化会館ホール  19時
【愛知】11月24日(月・休)        長久手市文化の家・森のホール  18時
【福島】11月27日(木)          南相馬市民文化会館  19時
【宮城】11月28日(金)          日立システムズホール仙台・シアターホール 19時
【山形】11月30日(日)          シベールアリーナ 13時/17時
 
作・演出 渡辺えり
 
キャスト 大沢 健 大和田美帆 土屋良太 谷川昭一朗 宇梶剛士 大塚加奈子 有賀太朗 藤本沙紀
      川口龍 十倉彩子 渡辺えり 他
 
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教師時代の宮澤賢治を主人公に、理想と現実のはざまで苦悩・葛藤する姿が描かれています。そんな賢治を温かく見守る弟の清六や妹のトシ、逆に非難・嘲笑する人々、そして賢治を取り巻く「イーハトーヴ」の大自然とのからみなどが、猫の大群を擁した幻想的な賢治童話に乗せて展開されます。渡辺さんは賢治童話「貝の火」に出てくる子ウサギ、宇梶剛士さんはなんと岩手山の役もなさいます(笑)。
 
こちらは一昨年の公演のパンフレットです。
 
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光太郎は登場しませんが、ストーリーの中で何度も「高村光太郎先生」として語られます。
 
山形出身の渡辺さんは、東北への強い思い入れをお持ちのようで、この「天使猫」、そして光太郎を主人公とした「月にぬれた手」を、東北で上演したいと、常々おっしゃっていました。そこで、今回、初日は盛岡ですし、千秋楽は山形。宮城や福島での公演もあります。
 
各会場、盛況となることを祈念いたします。
 
また、「月にぬれた手」の東北公演も実現してほしいものです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月3日
 
昭和10年(1935)の今日、中原綾子の詩集『悪魔の貞操』が刊行されました。
 
光太郎が題字と序詩「「悪魔の貞操」に題す」を書きました。002
 
   「悪魔の貞操」に題す
 
 心法の高圧を放電するもの、
 思ひもかけぬ交互無縁の片言隻語、
 言語道断の真空界にひらめくものは、
 千古測りがたい人間真理。
 すさまじいかな此書。
 
原題は「「悪魔の貞操」に寄す」でしたが、のち、雑誌に再録された際に改題されました。
 
はじめ、光太郎は序詩として、『智恵子抄』にも収められた「人生遠視」を中原に送りましたが、中原側からのクレームで変更になりました。
 
   人生遠視
 
 足もとから鳥がたつ
 自分の妻が狂気する
 自分の着物がぼろになる
 照尺距離三千メートル
 ああこの鉄砲は長すぎる
 
たしかにこんな詩を送られても困りますね。
 
この年二月の中原宛の書簡にはこのように記されています。
 
先日お送りした短詩について発表の御心配をうけ、小生まるで気がつかなかつた事なので成程と思ひました、
(略)
智恵子が全快でもしたあとでそれを見たら変なものだらうとも考へました、何となしに懸念のあるものを折角のあなたの詩集のあたまに印刷するのもいかがと思ひますから、此は撤回いたします、 そのうち何かお送りいたします、
 
この時期は、ちょうど智恵子を南品川のゼームス坂病院に入院させた時期で、光太郎は確かに大変な時期でした。智恵子の狂躁状態、それに伴う自分の苦労などを、中原に宛てた複数の書簡に書いています。それにしても、他人の詩集の序詩に「自分の妻が狂気する」はいくらなんでも……と思います。そうした当たり前のことに考えが至らないほど、光太郎も追い詰められていたのかも知れません。

劇作家・平田オリザさん率いる劇団「青年団」さんの公演です。

青年団第73回公演 『暗愚小傳』

東京公演 2014年10月17日(金)- 10月27日(月) 14ステージ
会場 吉祥寺シアター 武蔵野市吉祥寺本町1-33-22 

伊丹公演 2015年1月16日(金)- 1月19日(月) 5ステージ
AI・HALL(伊丹市立演劇ホール) 兵庫県伊丹市伊丹2-4-1 

善通寺公演 2015年1月22日(木)- 1日24日(土) 3ステージ
四国学院大学ノトススタジオ 香川県善通寺市文京町3-2-1
 
作・演出:平田オリザ
高村光太郎と智恵子の生活を素材に、変わりえぬ日常を縦軸に、文学者の戦争協力の問題を横軸に、詩人の守ろうとしたものを独特の作劇で淡々と描く・・・。平田オリザ90年代初期の名作、10年ぶり、三回目の再演。

出演
山内健司 松田弘子 永井秀樹 川隅奈保子 能島瑞穂 堀夏子 森内美由紀 木引優子
伊藤毅 井上みなみ 折原アキラ 佐藤滋
 
青年団さんのHPによれば、初演は昭和59年(1984)。その後、何度か再演され、今回は10年ぶりの上演だそうです。
 
当方、実際の上演は見たことがありませんが、DVDとシナリオが手元にあります。
 
10年前の公演から採ったDVDで、紀伊國屋書店さんから発行されたもの。紀伊國屋さんにはもう在庫がないようですが、amazonやネットオークションで時折見かけます。
 
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シナリオは平成8年(1996)に晩聲社から刊行されました。題名は『平田オリザ戯曲集③ 火宅か修羅か 暗愚小傳』。
 
今回の公演では、今月の東京を皮切りに、兵庫、香川でも行われるそうです。各会場の詳細な時間、料金等は青年団さんサイトをご参照下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月2日
 
昭和63年(1988)の今日、豊島区民センターで高村光太郎研究会主催のシンポジウム「高村光太郎 欧米の影響について」が開催されました。
 
発表者は故・長谷川泉氏、渡邊澄子氏、そして当会顧問・北川太一先生でした。

元女優・参議院議員の山口淑子さんの訃報が出ました。 

山口淑子さん死去 女優「李香蘭」、参院議員として活躍

『朝日新聞』 2014/09/14
 
 戦時中は女優・李香蘭として日中両国の歴史に翻弄(ほんろう)され、戦後はワイドショーの司会や参議院議員としても活躍した山口淑子(やまぐち・よしこ、本名大鷹淑子〈おおたか・よしこ〉)さんが7日、心不全で死去した。94歳だった。葬儀は近親者で営んだ。
 
 1920年、旧満州生まれ。13歳の時、奉天放送局にスカウトされ、歌手デビューした。日本人だったが、中国語が堪能で、中国人に受け入れられやすいように「李香蘭」という芸名が付けられた。
 38年、国策会社の満州映画協会(満映)の専属になる。「親日的な中国人女優」として、日本の植民地経営のスローガンだった「日満親善」「五族協和」を体現するヒロインを次々演じた。とりわけ長谷川一夫と共演したラブロマンス「白蘭(びゃくらん)の歌」「支那の夜」「熱砂の誓ひ」は大陸3部作として大ヒットした。
 一方で歌手としても人気を集めた。41年に東京・有楽町の日劇で開かれたコンサートでは観客の行列が建物を何重にも取り巻き、警官隊が出る騒ぎに。「夜来香」「蘇州夜曲」などのヒット曲が生まれた。
 その間、一貫して日本人であることを明かさなかったため、終戦時には、日本に協力した中国人として処罰されそうになった。裁判で日本人であることを証明して謝罪。46年、日本への帰国が許された。
 戦後は山口淑子として日本映画に登場。50年、谷口千吉監督「暁の脱走」や黒澤明監督「醜聞〈スキャンダル〉」などに出た。ハリウッドにも進出し、「東は東」や「東京暗黒街・竹の家」などにシャーリー・ヤマグチ名で出演した。
 51年、彫刻家イサム・ノグチさんと結婚したが、4年あまりで離婚。ブロードウェーのミュージカル出演中に知り合った外交官の大鷹弘さんと58年に再婚、一度は芸能界から引退した。
 69年にテレビのワイドショー「3時のあなた」の司会者として本格的に復帰。中東やベトナムなどの紛争地域に出向き、パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長や日本赤軍の重信房子最高幹部らを精力的に取材した。
 その後、政治家に転身。74年の参院選全国区に自民党から立候補し当選した。環境政務次官、参議院外務委員長などを歴任した。
 

右は昭和26年(1951)の雑誌『毎000日グラフ』の表紙を飾った山口さんです。 
 
光太郎と山口さん、直接の面識はなかったようですが、筑摩書房刊行の『高村光太郎全集』に、山口さんの名が2回出てきます。
 
まずは昭和27年(1952)10月に美術雑誌記者の国安芳雄と行った対談「心境を語る」。当時の山口さんの夫で、彫刻家のイサム・ノグチの話が出た流れで、次のような部分があります。
 
高村  日本タイムスを今までとつていたのだけれど、あれに出ていた野口さんの展覧会の写真はとても面白いものをとつていたのです。「独り者」という焼物ですが、ペチヤンコのせんべいぶとんからフーッというような顔を出して、その書いてある評が面白い。世界中で一番あわれな顔をしていると書いてある。なるほどそういう顔だつた。大いに山口淑子と結婚しない前の自分を思い出して書いたのでしょう。
国安  山口淑子の顔を何かで先生がほめていましたね。
高村  あれはぼくはいいと思うのですよ。だから彫刻家の野口さんが結婚したのはもつともだと思う。あれは彫刻的な顔ですもの。あれは辰野隆博士のところに、女優の連中が五、六人集つて何だかの話をさせられたのでしよう。その時の写真が出て、辰野さんをまん中に女優の首が五つばかり並んでいる。それをずつと見て来たら、一人非常に違うのがいる。それはまるで彫刻にしたらいい顔だ。名前を見たら山口淑子となつている。それであれは草野(心平)くんが山へ来たときだが、その話をしたのです。そうすると草野くんが、本気なら連れて来るかとか何とかいつていた。連れて来られては大へんだから、今ここではできないから、ただそういつたのですが、それを芸術新潮の人が聞いて、ぼくに「彫刻家が見た山口淑子」という感想を書いてくれというのです。それでまた考えちやつたのですが、ニユーヨークだの方々でとつた写真を一たば送つて来た。それがあまりよく写つているので、初めの新聞で見たのと違う感じを受けた。新聞ではこまかいところが写つていない。ぼうつとしているのがとてもいい顔だつた。あまりこまかに写つているのを見ると何も書けなかつた。けれどもあれはプラスチツクな顔ですよ。
 
「芸術新潮」の人というのは、詩人の藤島宇内のようです。昭和23年(1948)11月に藤島に宛てたはがきに、「彫刻家が見た山口淑子」という感想」についての件が記されています。
 
おてがみと写真などいただきました、御申越の原稿は暇があれば書かうと思ひますが今月中はとてもダメなのでもつとあとになるでせう。「彫刻になる顔」とでもするか、「山口淑子の首」とでも題しませうか。
 
このはがきの前に、山口淑子の顔の感想を書くことについて、「涼しくなつたら或は試みるかもしれません」と書いた書簡も藤島に送られているのですが、そちらは残念ながら失われています。
 
で、結局は「あまりこまかに写つているのを見ると何も書けなかつた。」ということで、これは幻のエッセイになってしまったわけです。
 
しかし、先の対談で、国安が「山口淑子の顔を何かで先生がほめていましたね。」と発言しています。これが草野や藤島あたりからの伝聞なのか、それとも何かで読んだのか、そのあたりがはっきりしません。可能性があるのは、昭和25年(1950)7月の『新潮』に載った草野心平の「高村光太郎」という長い山小屋訪問記です。
 
 高村さんはたって、ラジオのスイッチをひねった。(略)女のひとたちの座談会だった。その女の声で想い出したのか、
「山口淑子ね。矢張りあんな顔してんのかしら。ほんものが写真のようだったら、あの顔、つくりたいな。」
 忘れていたが、いつか高村さんが手紙できいてきたことがあった。或る婦人雑誌での座談会で私が辰野隆さんや山口淑子といっしょだったことから、その記事を見た高村さんが、本ものが写真のようであるかどうかをきいてきたのだった。
 
先の対談の内容とも一致します。
 
さらに、藤島がその晩年に書いた回想にも山口さんに関する話が出て来ます。平成7年(1995)新潮社の「とんぼの本」の一冊として刊行された『光太郎と智恵子』所収の「十和田湖の裸像」です。
 
高村さんはしばしば私に「こさえてみたい彫刻」のプランを話していた。テーマは三つあって、マッカーサー、山口淑子、智恵子だった。占領軍司令官マッカーサーは顔が彫刻向きだし、高村さんの好きなミケランジェロがローマ法王の依頼によってつくったその像は似ていないと非難されたが、すぐれた彫刻の永遠性によって実物を克服したことがヒントになっていた。山口淑子さんの場合は顔が彫刻向きであるほかに、日本と中国の戦争のはざまを生きぬいてきたその半生の苦難に高村さんは心を惹かれていた。
 
昭和27年(1952)に十和田湖畔の裸婦像制作のため上京する前の話、先のはがきの頃なのでしょう。しかし、文筆での山口さんに関するエッセイ同様、彫刻の山口さんの像も実現しませんでした。
 
 
山口さんと光太郎の関わりはもう1点あります。
 
光太郎が十和田湖畔の裸婦群像制作のため上京し、借りたのが、中野に今も残る新制作派の水彩画家、故・中西利雄のアトリエでした。中西は昭和23年(1948)に歿していますが、そのアトリエを、光太郎が借りる以前にイサム・ノグチも借りていた時期がありました。それが山口さんと結婚した昭和26年(1951)頃だったとのことで、山口さんもこのアトリエに足を踏み入れています。先の藤島宇内の「十和田湖の裸像」には以下の記述が。
 
青森県側は、八甲田山中の蔦温泉にアトリエを建てたら、といったが、これは論外。東京にアトリエを見つけることで合意した。帰京すると早速、私は菊池(一雄)さんに相談してアトリエを探した。菊池さんは、東京中野区に、亡くなった水彩画家中西利雄さんのアトリエがあるという。しばらく前、イサム野口(アメリカの彫刻家)・山口淑子夫妻が借りていたが、いまは空いているとのことだ。私が菊池さんの紹介で訪ねると、中西未亡人はよろこんで承諾してくれた。
 
ノグチはその後、鎌倉の北大路魯山人のもとに移り、陶芸を学んでいます。光太郎と国安芳雄の対談にある「「独り者」という焼物」はこの時期のものでしょう。
 
 
さらにもう一点。
 
冒頭の訃報で「終戦時には、日本に協力した中国人として処罰されそうになった。裁判で日本人であることを証明して謝罪。46年、日本への帰国が許された。」とありますが、この時に便宜を図ったのが、中国国民党の将校だった黄瀛。中国人の父と日本人の母を持ち、光太郎や心平、宮澤賢治と親しかった詩人でもありました。
 
孫引きで申し訳ありませんが、平成6年(1994)、日本地域社会研究所刊行、佐藤竜一著『黄瀛―その詩と数奇な生涯―』に引用された、矢野賢太郎「黄瀛先輩との交流」から。
 
 或る日黄君のところに川喜多(長政)氏と李香蘭が訪ねてきて同席しましたが、李香蘭は中国人で漢奸だと云うことでどうしても日僑管理処から帰国許可が出ず困っていたのを日本人であることを黄君が証明したのでやっと帰れるようになったそのお礼を申述べに来たのです。
 それでは一曲所望したい、あなたの一番思い出の深いのをと云う黄君の求めに応じて、彼女は夜来香を歌ってくれました。
 
ほんとうに人と人との縁というものは、不思議なものです。
 
申し遅れましたが、山口さんのご冥福をお祈り申し上げます。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月17日
 
昭和8年(1933)の今日、上野松坂屋で、光雲作の、朝鮮の京畿道京城府に建立された博文寺本尊釈迦如来像の開眼供養が行われました。
 
博文寺はこの前年に建立された、初代韓国統監・伊藤博文を祀る寺院です。
 
当方、この開眼供養の時の写真と、それを報じるリーフレットを持っています。翌年には歿する光雲の最晩年の写真です。
 
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◎博文寺本尊佛開眼式
日鮮融和の大道場として故伊藤博文公に縁故ある官民有志の発起で、昨年十月に京城に落成を見た曹洞宗春畝山博文寺に納められる本尊佛は、過般来斯界の権威高村光雲翁が製作中であつたが、此程漸く等身大に及ぶ釈迦如来像を完成、十七日午前十時より伊藤公記念会主催で上野松坂屋で開眼供養を行つた。
写真は、完成した如来像と参列の高村光雲、今井田朝鮮政務総監、児玉秀雄伯

福島からイベント情報です。
 
まず『福島民友』さんの記事から。 

「全日本演劇フェス」29、30日に福島テルサで本県初開催

 「第12回全日本演劇フェスティバルin福島」は29、30の両日、福島市の福島テルサで開かれる。本県では初めての開催。全日本リアリズム演劇会議(全リ演)の主催。
 東日本大震災前は3年に1度、全国各地で開いてきたが、震災後は開催を疑問視する声もあり、中止していた。自分たちが復興支援として応援したい人に演劇を見てもらいたいという声が全国で多く寄せられたため、震災後、初めて本県で開かれることになった。
 29日は全リ演関東ブロック合同公演として「貧乏物語」を上演。30日は光南高演劇部が「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか? 第二章 ばらあら、ばらあ」、全リ演西会議が合同で「天満のとらやん」、京浜協同劇団が朗読劇「空の村号」をそれぞれ上演する。
 このほか、29日は舞台芸術コーディネーター新田満さんが「演劇できれば満足か」と題して講演する。入場料は全公演を見ることができる観劇パスが一般1000円で、小学生以下無料。問い合わせは同フェスの実行委員会(電話090・8926・0641)へ。
(2014年8月19日 福島民友おでかけニュース)
 
 
というわけで、福島テルサというホールで、「第12回全日本演劇フェスティバルin福島」が開催されます。
 
その中で、8月30日の午前10寺45分から、福島県立光南高等学校演劇部さんの「この青空は、ほんとの空ってことでいいですってことでいいですか? 第二章ばらあら、ばらあ」がプログラムに入っています。光太郎や草野心平の詩に託し、原発事故への思いを語るものです。

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こちらは以前にもご紹介しましたが、平成24年(2012)に渋谷、横浜で上演された福島県立県立あさか開成高校演劇部さんによる「第一章」を受けて作られたもので、今年1月、千葉の鴨川などで公演されました。
 
ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月22日
 
昭和28年(1953)の今日、中野のアトリエを、女優の水谷八重子さんが訪れました。
 
北条秀司作の演劇「智恵子抄」のための打ち合わせでしたが、この公演は、光太郎の生前には実現しませんでした。自分が登場することに対し、光太郎が難色を示したそうです。
 
結局、上演されたのは光太郎の亡くなった昭和31年(1956)でした。
 
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女優の松本典子さんの訃報が各種メディアに出ました。

松本典子さん死去

松本 典子さん(まつもと・のりこ=俳優、劇作家000清水邦夫さんの妻、本名清水和子〈しみず・かずこ〉)26日、間質性肺炎で死去、78歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は夫邦夫さん。連絡先は彩の国さいたま芸術劇場(048・858・5500)。
 東京生まれ。59年劇団民芸に入団。「にんじん」「三人姉妹」などに主演。76年、夫らと演劇企画グループ「木冬社」を結成。「楽屋」「夢去りて、オルフェ」など多くの清水戯曲で、硬質な強さの中に悲しみをたたえた女性像を切れ味鋭いせりふ術で演じ、演出も手掛けた。「タンゴ・冬の終わりに」などで87年芸術選奨文部大臣賞。79年、84年の2回、紀伊国屋演劇賞個人賞を受けた。
 
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松本さん、平成3年(1991)に、木冬社の舞台「哄笑―智恵子、ゼームス坂病院にて―」で智恵子役を演じられました。001
 
作・演出はご主人の清水邦夫氏。光太郎役は小林勝也さんでした。
 
同4年(1992)には清水氏の『清水邦夫全仕事 1981~1991』(河出書房新社・絶版)に脚本が載り、その翌年には再演もされています。
 
右の画像が初演パンフレット、下が再演パンフレットです。
 
時に昭和11年(1936)、智恵子が入院していた南品川のゼームス坂病院裏の教会(おそらく架空)を舞台に、虚と実がないまぜになった不思議なドラマです。
 
当方、この舞台は観ておりません。再々演を期待していたのですが、残念です。
 
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月30日

大正2年(1913)の今日、福島・会津東山温泉から、光雲らに宛てて絵葉書を出しました。
 
この際、光太郎が逗留していたのは、現在も続く老舗の宿・新滝。明治初年には、かの新選組副長・土方歳三もここで傷を癒しました。
 
現在判明している送り先は光雲、編集者の前田晁、親友で作家の水野葉舟、歌人で編集者の内藤鋠策。まだ他にもあるかも知れません。

気がつけば1月も明日で終わりです。そこで、来月行われるイベントをご紹介します。 
 
岩手は盛岡での演劇公演です。

宮沢賢治没後80年記念事業・畑中美耶子『モリーオ童話館』100回記念事業 第12回おでってリージョナル劇場  「泣きビッチョ光太郎」~昭和21年の星めぐり~

作:上田次郎 演出:坂田裕一、中村一二三 作曲:田口友善  
      
~あらすじ~      
時代は、昭和20年戦争末期から戦後。宮沢家に疎開していた高村光太郎を中心に、賢治を慕う大勢の人々が、「雨ニモマケズ」の教科書改ざん騒動を足がかりに、歌あり踊りありのドタバタな楽しい舞台を繰り広げる。      
      
【会 期】 平成26年2月21日(金)~平成26年2月23日(日) ◆4回公演      
                ①2/21(金)開場18:30 開演19:00
                ②2/22(土)開場13:30 開演14:00
                ③2/22(土)開場18:00 開演18:30
                ④2/23(日)開場13:30 開演14:00      
【会 場】 プラザおでって 3階おでってホール (盛岡市中ノ橋通1-1-10)
【入場料】 (前売)大人1,500円 大学生以下1,000円
        (当日)大人1,800円 大学生以下1,300円 (期日指定・全席自由)
【主 催】 盛岡市・公益財団法人盛岡観光コンベンション協会      
【提 携】 いわてアートサポートセンター      
【後 援】 岩手日報社、NHK盛岡放送局、IBC岩手放送、テレビ岩手、めんこいテレビ、 
      岩手朝日テレビ、エフエム岩手、岩手ケーブルテレビジョン、
      朝日新聞盛岡総局、
毎日新聞盛岡支局、読売新聞盛岡支局、
      産経新聞盛岡支局、盛岡タイムス社、 河北
新報社盛岡総局、岩手日日新聞社、
      ラヂオもりおか、月刊アキュート、 マ・シェリ、
情報誌游悠      
【プレイガイド】 プラザおでって、盛岡市民文化ホール、 盛岡劇場、都南文化会館、
         カワトク      
【お問い合わせ】 (公財)盛岡観光コンベンション協会 企画管理部 019-604-3300
 
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「泣きビッチョ」とは「泣き虫」といった意味でしょうか。
 
主演? の畑中美耶子さんという方は、盛岡で宮澤賢治作品の朗読等に取り組まれている方です。
 
明日詳しく紹介しますが、同じプラザおでって内の「盛岡てがみ館」さんでは、25日から「第43回企画展 高村光太郎と岩手の人」が開催されます。日程が重なっていればgoodだったのですが……。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月30日

昭和4年(1929)の今日、萬里閣書房から「光雲懐古談」が刊行されました。
 
光太郎の父・光雲が語った自己の半生、同時代の美術界の様相などをまとめたものです。
 
前半は「昔ばなし」。後書きによれば、大正11年(1922)に光太郎の朋友・田村松魚が、光太郎とともに光太郎アトリエや光雲邸で懐古談を聞き、それを筆録したとあります。
 
後半は「想華篇」。やはり光雲が、美術界の社交機関「国華倶楽部」で語った内容や、雑誌に発表された談話などの集成です。
 
前半の「昔ばなし」の部分のみ、その後何度も版を改めて刊行されています。
 
オリジナル萬里閣書房版の題字は光太郎、装幀は豊周。幕末から明治にかけての、当時の美術界の様子や、それにとどまらず、世相、江戸の街の様子などなど、多岐にわたる内容で、非常に貴重な回想です。また、光雲の軽妙洒脱な語り口も優れています。
 
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さて、前半の「昔ばなし」編。先述のとおり、後書きによれば、大正11年に光太郎の朋友・田村松魚が、光太郎とともに光雲の懐古談を聞き、それを筆録したとのこと。他に同席者は居なかったそうです。
 
その後再刊された各種の版についている解説等、すべてこれを鵜呑みにしていますが、どうも事実とは異なる部分があるようです。
 
『光雲懐古談』にさかのぼる昭和2年(1927)に春陽堂から刊行された『漫談明治初年』という書籍があります。「同好史談会」という団体の編纂ということになっていますが、中心は市島春城。春城による「はしがき」には以下のような記述があります。
 
 吾等は近年十数の同人と同好史談会と云ふを設け、折々会して維新当時の事につき互ひに知ることを語り合ひ、往々他から故老を招待してその談話を聴き、時には会員を諸方に派して故老の談話を筆記せしめたりして、其筆記が今は漸く積んで堆を為すに至つた。(略)春陽堂主人聞きつけてぜひ出版せよと勧めらるゝので、先づ明治十年頃までのものを選んで刊行することにした。
 
この『漫談明治初年』の中に、光雲の談話筆録も多数収録されているのですが、『光雲懐古談』の昔話と重複しています。部分によっては「国醇会講話」という説明も見えます。「国醇会」とは日蓮宗の運動家・田中智学を中心とする会でした。
 
光太郎アトリエや光雲邸で、田村と光太郎のみが聴いたはずの談話と、一字一句違わない談話が2年前に刊行された『漫談明治初年』に載っており、しかもそれが国醇会で語ったという説明がある。どう考えても矛盾していますね。
 
田村が光雲の懐古談を聞いて筆録したのはおそらく事実でしょう。しかし、刊行にあたって、田村が聴いた以外の談話も使用されていると考えるのが自然だと思います。あるいは『漫談明治初年』に収録されているのとほぼ同じ内容の話を聴いた田村が、それなら『漫談明治初年』に書かれている部分をそっくり引用してしまえ、と考えたのかも知れません。
 
または田村も「同好史談会」の構成員で、光雲に話を聴くのは会の事業だったのかもしれません。
 
いずれにせよ、「『光雲懐古談』の「昔ばなし」編は、田村松魚が、光太郎とともに光太郎アトリエや光雲邸で懐古談を聞き、それを筆録したものである」と断言するのは危険ですのでよろしくお願いします。

光太郎と交流の深かった草野心平関連の情報です。
 
まず、過日のこのブログでご紹介した福島県立光南高校演劇部さんによる演劇公演「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか? 第二章ばらあら、ばらあ」について、『東京新聞』さんが報道しました。

福島事故後の生活 演じきる 矢吹の高校生 長生で上演

 福島県矢吹町の県立光南高校演劇部が十三日、東京電力福島第一原発事故後の生活を描いた演劇「この青空は、ほんとの空ってことで、いいですか? 第2章 ばらあら、ばらあ」を長生村の文化会館で上演した。(内田淳二)
 
 事故から間もなく三年となる福島でいまも約十五万人が避難するなど被災地の苦しみや閉塞(へいそく)感について、大勢の観客が舞台を通じて思いをはせた。
 登場人物は旅に出た高校の演劇部員たち六人。目的地の海にたどりつけないまま、雑談や仲たがい、仲直りをする様子を等身大で生き生きと演じた。
 何げない会話の中にも「ガイガーカウンター」「リンゴの風評被害」といった言葉が登場。いまだに収束しない原発事故が生活に影を落とすが、高校生たちは福島県いわき市出身の詩人、草野心平の言葉に導かれるように元気を取り戻す。
 劇中で引用されたのは「カエル語」で書かれた詩。日本語訳は「幸福といふものはたわいなくつていいものだ」と始まる。
 公演は有志でつくる「ほんとの空」上演実行委員会(森山佳代委員長)が企画した。
 家族で観劇したいすみ市の会社員男性(39)は「福島の人たちがもやもやしたものを抱えていることがよく分かった。それでも生きることが大事だというメッセージを感じました」と話した。
 
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BS朝日1 2014年1月21日(火)  21時00分~21時54分
 
詩人・草野心平が愛した風景とは?故郷の福島県小川町や川内村に残る、美しい里山や、心平が名付けた紅葉の溪谷、カエルの生息地などを作家・島田雅彦が旅します。
福島県いわき市出身の詩人・草野心平は、自然をモチーフにして多くの詩を書きました。その根底には「すべてのものと共に生きる」という独特の共生感があったと言われ、故郷を詠んだ詩を数々残しています。また心平は福島県川内村にある天然記念物の平伏沼でモリアオガエルに出会い、毎年のように訪ねました。福島第一原発から30キロ圏内の川内村では、故郷を想う心平の詩や言葉が心の支えとなっています。
 
出演者 島田雅彦(作家・法政大学教授) 
ナレーター 村上祐子(テレビ朝日アナウアナウンサー)
朗読 森下桂吉(テレビ朝日アナウアナウンサー)

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番組公式サイトによれば再放送とのことで、どうも昨年に本放送があったようです。その時点では気づきませんでした。
 
中央の画像には、川内村で行われている草野心平を偲ぶ集い、かえる忌の会場となっている小松屋旅館さんの主、井出茂氏が写っています。囲炉裏も小松屋さんのそれです。

光太郎がらみの話も出るかと思われます。ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月16日

明治28年(1895)の今日、智恵子の妹、ヨシが誕生しました。
 
ヨシは昭和2年(1927)、数え33歳の若さで歿しています。ヨシの没年令に関しては、『高村光太郎全集』等に所載の年譜等、数え29歳と誤って表記されています。

今朝の『朝日新聞』千葉版に以下の記事が載りました。
 
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一昨年、福島県立県立あさか開成高校演劇部さんにより、「第一章」が渋谷、横浜で上演されました。「ほんとの空」ということで、光太郎の「あどけない話」がモチーフに使われていました。


 
それが反響を呼び、漫画化もされ、日本文教出版さんのサイト内で電子ブックとして配信されています。
 
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今回は「第二章」ということで、光太郎智恵子より草野心平をモチーフにしているようです。
 
以下、『朝日新聞』デジタル版から。

福島県立光南高等学校演劇部公演 福島の高校生の生の声を聴く

3・11-福島第一原発の事故。目に見えずとも、放射性物質は確実にそこにあるという現実の中、口に出せない生徒たちの声をつむいだ芝居「この空は、ほんとの空ってことでいいですか?」が誕生。この公演は、2012年に東京、神奈川で上演され話題を呼んだ第一作の「第二章」。草野心平の詩「ごびらっふの独白」を引用し、夕焼け空の向こうに明日を見出す物語。上演後のトークを通して、高校生たちの「今」の思いに寄り添う。

 
もうすぐ震災から3年。しかし、まだまだ東北は復興途上です。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月8日

昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村山口の山小屋を訪ねてきた小学校の教師4人の持参した詩集『典型』にサインをしました。
 
『高村光太郎全集』第13巻所収の日記です。
 
一月八日 月
朝晴 午后雪 稍温 ねてゐ(る)うち黒沢尻より斎藤充司氏他4人の小学教師遊びにくる、豚鍋をつくりて食事。ジン酒一本もらふ。皆「典型」持参。署名。
 
『典型』は前年秋に刊行された詩集です。

俳優のすまけいさんの訃報が出ました。 

「アングラの帝王」俳優すまけいさん死去 78歳

1960年代にベケット劇などを斬新な翻案・演出で演じて「アングラの帝王」と呼ばれ、映画「男はつらいよ」シリーズやドラマなどでも名脇役として活躍した俳優のすまけい(本名・須磨啓〈すま・けい〉)さんが7日、肝臓がんのため死去した。78歳だった。通夜は12日午後6時、葬儀は13日午前11時から東京都新宿区上落合3の4の12の最勝寺で。喪主は妻洋子さん。
 
 国後島生まれ。芸術劇場を経て66年、新宿のジャズ喫茶などを拠点に俳優の故・太田豊治さんと「すまけいとその仲間」を結成。東京の小劇場でベケット「ゴドーを待ちながら」、オールビー「動物園物語」などを翻案した舞台を上演し、話題を集めた。72年に解散後は一時舞台から遠ざかったが、85年にこまつ座「日本人のへそ」で復帰。映画やドラマにも多数出演した。
 
 99年に膀胱(ぼうこう)がん、01年脳梗塞(こうそく)を発症。闘病しつつ俳優活動を続け、今年3月に千葉市で演じた朗読「天切り松 闇がたり」が最後になった。紀伊国屋演劇賞個人賞、ブルーリボン賞助演男優賞などを受賞した。
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すまさんといえば、平成6年(1994)に、テレビ東京系で放映された単発ドラマ「日本名作ドラマ 智恵子抄」で、光雲役でご出演されました。
 
こうしたドラマ・映画などでの光雲の描き方は、木彫界の巨匠として、また、光太郎にとっては非常に厳格な父親として描かれるのがほとんどで、重厚な雰囲気の俳優さんが多くキャスティングされていました。
 
ところがすまさん演じる光雲は、少し違っていました。いい意味で「軽い」のです。酒に酔って、智恵子役の南果歩さんの唄う「会津磐梯山」に合わせて踊り、泥酔して眠ってしまうシーンが印象的でした。といって、しょうもない人物というわけではなく、世間的には巨匠であっても、息子夫婦を思う気持ちは人一倍という感じで描かれていました。
 
ご冥福をお祈りいたします。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月10日

昭和9年(1934)の今日、光太郎が題字を揮毫した中原中也の第一詩集『山羊の歌』が刊行されました。
 
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昨日は智恵子命日「レモンの日」ということで、染井霊園の高村家墓所に行って参りました。
 
生憎の雨でしたが(というか、わりと有名な話ですが、光太郎がらみの日は見事なくらいいつも雨です)、香華とレモンをお供えして参りました。
 
高村家墓所の周りになぜか黒猫が二匹。睦まじくじゃれあっていました。光太郎智恵子夫妻も駒込林町のアトリエで黒猫を飼っていたことを思い出し、猫たちが光太郎智恵子に見えました(笑)。
 
その後、両国に移動、劇団空感エンジンさんの舞台、「チエコ」を見て参りました。
 
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演劇等で、アイロニカルな視点で光太郎智恵子を描く場合も少なからずありますが、この舞台では最期に智恵子が救われるような、そしてそれによって光太郎も救われる的な終わり方で、なかなかいい感じでした。
 
さりとて全てを肯定するのでなく、よく言われる「光太郎が智恵子を追い詰めた」的な光太郎を糾弾する部分も、智恵子の親友・田村俊子の台詞で表されていました。俊子は、智恵子の絵画作品が放っていた輝きが結婚後に失われたことを残念がり、あまっさえ夢幻界の住人として逝ったことを抗議します。しかし、七年にわたる光太郎の看護の苦労を知り、さらに夢幻の縁で智恵子が作った紙絵を見て、矛先を収めるという流れでした。
 
キャストは7人(光太郎智恵子夫妻、田村俊子、智恵子の姪・宮崎春子、光太郎の弟・豊周、光太郎を敬愛する後輩詩人・草野心平と中原綾子)。若い役者さん達のフレッシュな体当たりの演技で、好感が持てました。
 
脚本的にも、それぞれの登場人物がその当時こんなことを言っていたとしてもおかしくない、またはこんなエピソードが実際にあったかも知れないと思わせるような無理のない、わかりやすいものでした。
 
時折、前衛的すぎて何を表現したいのかさっっっぱりわからない舞台もありますが、今日の「チエコ」は非常にわかりやすいものでした。そういう意味では「レモンの日」の今日、智恵子に対してのよい供養となったのではないでしょうか。
 
公演は明日10/7(月)までと、10/9(水)~14(月・祝)。1日2~3回の公演で、それぞれ3班にわかれて、6班のべ42人の役者さんが出演されます(一部、重なっているようです)。こうした若い方々に頑張っていただき、さらに光太郎智恵子の世界を広めていっていただきたいものです。
 
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さて、当方、今日は福島二本松での智恵子を偲ぶ集い「第19回レモン忌」に行って参ります。
 
例の「日曜美術館」は録画予約済み。帰ってからじっくり観ます。ご覧下さった方、ご感想等お寄せいただければ幸いです。ただし、当方あくまでアドバイザーですので苦情を持ち込まれても困りますが(笑)。
 
【今日は何の日・光太郎】 10月6日

平成元年(1989)の今日、赤坂草月ホールで仙道作三氏作曲のオペラ「智恵子抄」初演が行われました。
 
型破りのキャスト2人だけのオペラで、智恵子役は010連翹忌や女川光太郎祭ご常連の本宮寛子さん、光太郎役は高橋啓三さん。伴奏は田中信昭さん指揮の10人編成アンサンブルでした。
 
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演劇公演の情報です。 

チエコ

期 日 : 2013/10/02(水) ~ 10/07(月)  10/09(水)~ 10/14(月)
会 場 : 両国・エアースタジオ   東京都墨田区両国2丁目18-7 ハイツ両国駅前 地下1階
時 間 : 10/02(水) ~   10/09(水)~
料 金 : 3,000円
 
出演
五十里直子、清水知世、西田啓佑、平岡美保、古川原香織、音崎結映、小森毅典、畑野菜々、入江悠、木村ゆめこ、SHUN、芹沢結海子、日高翔太、吉野家菊之介
脚本・演出 野口麻衣子
主催 劇団空感エンジン
 
高村光太郎のアトリエ。高村光太郎と姪の春子が暮らしている。草野心平・中原綾子がアトリエを訪ねてくる。光太郎の亡くなった妻・智恵子への詩集『智恵子抄』を作る相談に乗ってもらう為に二人を呼んだのだ。智恵子との思い出を話しながら過去へと回想する。
 
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出演者の方々のブログ等


「中原綾子」は第二期『明星』に依った歌人・詩人017。そうした関係で光太郎と知遇を得、のちに自ら主宰した雑誌『いづかし』や『スバル』、自身の詩集『悪魔の貞操』に、光太郎の寄稿を受けています。
 
それより有名なのは、昭和31年(1956)6月に発行された『婦人公論』の光太郎追悼特集の中で、昭和9年(1934)から翌年にかけての光太郎書簡を発表したことです。智恵子の統合失調症が昂じて九十九里から連れ帰り、ゼームス坂病院に入院させた頃のもので、当時の智恵子の様子が克明に記されています。
 
ここまで詳しい智恵子の病状の描写が他に見つかっていないため、この書簡群は現在でも研究者の間ではよく利用されています。
 
ところで、光太郎と綾子の間を怪しむ説もあります。智恵子の病状を記した書簡が他の誰にも送られていない(であろう)こと、他にもいろいろと光太郎が便宜を図ってあげていること、この時期に綾子が離婚していること、綾子が流行の言い方をすれば「美人過ぎる」歌人だったこと(右下の画像参照)などがその理由です。
 
さらに書簡にある「あなたの御親切を実にありかたく思ひます。あなたの同情は私に絶大の力を添へてくれます」「あなたの慰めがどんなに私の力になつてゐるか知れません」といった部分が深読みされてもいるようです。
 
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やはり演劇で、野田秀樹作・大竹しのぶ主演の「売り言葉」(平成14年=2002)には、智恵子のこんな台詞があります。
 
その間、光太郎は、女流詩人と文通を始めたのであります。智恵子の全く見知らぬ女性に、智恵子の悲しい姿を書き送ったのであります。東京市民よ! しかも、光太郎に同情したその女流詩人から送られた見舞いの林檎を智恵子は食べさせられたのであります。
 
林檎うんぬんは、先の『婦人公論』に載った光太郎書簡に記述があります。
 
しかし、だからといって光太郎と綾子の間を怪しむのはどうでしょうか。あまりに材料が少なすぎますので。
 
まあ、創作作品やエッセイなら許されることだと思います。しかし、「論文」としてそう書いてしまっては駄目ですね。
 
もっとも、エラいセンセイ方の「論文」も、実に噴飯ものの内容だったりすることが多く、いかにも「研究実績」として「論文」を書かなければいけないから苦し紛れに書いているんだろうな、というものが多いのが現状ですが。
 
話がどんどんそれましたが、劇団空間エンジンさんの「チエコ」、公演期間が長いので都合がつきまして、観に行くことに致しました。また観終わったらレポートいたします。
 
【今日は何の日・光太郎】 9月21日

昭和8年(1933)の今日、宮澤賢治が歿しました。
 
光太郎は賢治の原稿等が散逸するのをおそれ、金を工面して草野心平を花巻に派遣しました。結局、賢治の弟の清六がきちんと管理をしてくれていて、取り越し苦労でしたが、宮澤家ではこの配慮に感激したそうです。
 
光太郎と賢治についてはいずれまた書くことがあるでしょう。

岩手県花巻市のHPから、『広報はなまき』がPDFで閲覧できます。
 
その4月15日号、光太郎関連情報が満載です。
 
まず「高村光太郎130周年」と題し、見開き2ページで光太郎と花巻、賢治のつながりなどの紹介。それから以前のブログでご紹介した太田地区にある光太郎記念館新装に関して詳しく書かれています。

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続いて、次のページに各種イベントの案内

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日付順に、市内矢沢地区にある宮沢賢治記念館での特別企画展「高村光太郎と宮沢賢治」。4月27日(土)から8月7日(水)だそうです。
 
それから5月15日(水)は、光太郎が過ごした山小屋周辺での「高村祭」。昨年初めて参加させていただきましたが、地元の人々による朗読や、講師を招いての記念講演などがあります。今年の講師は渡辺えりさんです。昨年は雨だったため、近くの屋内運動場での開催となりましたが、本来、新緑の森の中、光太郎詩碑の前で行われるイベントです。
 
そして翌16日にも渡辺さんの講演会。こちらは午後6:30~7:30、花巻駅近くの文化会館大ホールでの開催です。
 
以前のブログにも書きましたが、渡辺さんのお父上が光太郎と交友があり、渡辺さんは子供の頃、家に飾ってあった光太郎の写真を見てご自分のおじいさんだと思いこんでいらしたとのこと。一昨年、昨年と、光太郎を主人公とした舞台「月にぬれた手」の公演をなさいましたので、そのあたりのお話が聞けることと期待しています。
 
是非、足をお運びください。
 
【今日は何の日・光太郎】4月16日

昭和3年(1928)の今日、東京会館で光雲喜寿の祝賀会が催され、智恵子ともども壇上に並びました。

この際の模様を、後に詩「のつぽの奴は黙つてゐる」(昭和5年=1930)で自嘲的に描いています。

昨日に引き続き、イベント情報です。
 
たまたまネットで情報を得ました。広島の劇団・天辺塔さんの公演です。 

アステールプラザ芸術劇場シリーズ [レジデンスコレクション]天辺塔本公演「売り言葉」「赤鬼」

作:野田秀樹  演出:中村房絵

2013年4月26日(金)19時~『赤鬼』
 〃 4月27日(土)14時~『売り言葉』    19時~『赤鬼』
 〃 4月28日(日)11時~『売り言葉』    15時~『赤鬼』

場所 アステールプラザ多目的スタジオ(広島市中区加古町4-17)

料金 2300円(当日:2800円) 2公演通し券:4000円
2公演通し券は天辺塔事務局(&天辺塔メンバー、出演者)のみの扱いです。ご希望の方はそれぞれの公演の日時をご指定ください。*日時指定・全席自由・消費税込み、未就学児の入場不可

出演 「売り言葉」 船木めぐみ  「赤鬼」 恋塚祐子、新名基浩、村田遼太郎、武田宜裕(INAGO-DX)

若手演出家コンクール2012優秀賞受賞の中村房絵が、野田秀樹作品に挑む本作。「売り言葉」「赤鬼」と2作品連続上演。「売り言葉」は、天辺塔看板女優【船木めぐみ】の久々の本格復帰となる一人芝居。“怪物女優”の異名を取る彼女の演技にご注目を!! 「赤鬼」は、再演のリクエストが高かった作品。客演に劇作家としてもめざましい活躍をみせる【武田宜裕】を迎え、演出・キャストも新たにお贈りします。中村房絵ワールドを是非ご堪能下さい!!

チケット取り扱い
 *天辺塔事務局 08030507565  teppentoe2000@softbank.ne.jp
 *エディオン広島本店プレイガイド
 *アステールプラザ TEL:082-244-8000 FAX:082-246-5808
 *CoRich(こりっち)舞台芸術!【オンライン予約】
主催:天辺塔/(財)広島市未来都市創造財団 アステールプラザ
 
 
演劇「売り言葉」。野田秀樹さん作の、智恵子を主人公とした一人芝居です。2002年に大竹しのぶさんの出演、野田さんの演出で公演が行われました。翌年に新潮社から出版された野田さんの脚本集『二十一世紀最初の戯曲集』に収められ、その後、全国のアマチュア劇団等でも取り上げられ続けています。
 
当方、大竹しのぶさんが演じたもののテレビ放映を見ましたが、徐々に壊れていく智恵子の内面がよく表されているなと感じました。
 
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お近くの方、ぜひ足をお運びください。
 
【今日は何の日・光太郎】4月9日

昭和51年(1976)の今日、白樺派の仲間だった武者小路実篤が亡くなりました。

光太郎と武者小路との交友は晩年まで続き、武者小路は昭和31年(1956)の光太郎の葬儀では葬儀委員長を務めました。

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