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演劇公演の情報です。 

Yプロジェクトプロデュース公演 ブーケdeコンセール 詩劇と音楽 「長編詩劇・高村光太郎の生涯 愛炎の荒野。雪が舞う、」

期  日 : 2019年4月10日(水)~12日(金)
会  場 : 渋谷伝承ホール 渋谷区桜丘町23-21 渋谷区文化総合センター大和田6・7F

時  間 : 14:00〜16:10  19:00~21:10 (6公演)
料  金 : 一般前売4,500円 当日4,800円 ペア特別券 8,000円
       学生優待(中・高・大) 3,500円
主  催 : Yプロジェクト
演  目 : 第1部 ラフマニノフの抒情(ロマン) ピアノソナタ2番の〈物語〉を聴く
        ピアノ/八谷晃生
       第2部 長編詩劇・高村光太郎の生涯 愛炎の荒野。雪が舞う、

パリで知った芸術と人間。古き日本とのあまりの落差にデカダンスに走るが、智恵子と出会う。理想の男と女であろうとした生活。敬意と対等と信頼。だが、智恵子は精神を病み、死す。その慟哭が、詩「智恵子抄」となる。そして豹変するように、戦争に突入すると愛国詩を書きはじめる。本来は彫刻家であると自認するが詩人であり、翻訳をし、装丁のデザインをし、書を揮す。この類い希な芸術家=知性の人は時代の分岐点にいつも立ち会っていた。だが、その光太郎はどこへ行こうとしていたのか。

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内容的にはオーソドックスに光太郎智恵子の生涯を追うパターンのようです(ネット上であまり宣伝されていないので、よくわからないのですが……)。あとはそれがどう料理されているかですね。

年に数回、光太郎智恵子をモチーフとした演劇が上演されています。今後もこの傾向が続いてほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

「道程」をはじめから読んでみると、さすがに自分の過去がいろいろに思ひ出されていつ知らず感慨に満たされた。初篇から「泥七宝」の終まではまだ死んだ智恵子に会はぬ頃のもので、外国から帰つて来てはじめて日本の情炎に触れ、当時新しい文芸家の間に巻き起つた所謂疾風怒濤時代に身をもまれ、あらゆるものに対する現状憎悪から来るデカダン性と、その又デカダン性に対する懐疑と、斯かる泥沼から脱却しようとする焦燥とでめちやくちやになつてゐた私自身を此処に見る。

散文「某月某日」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

この年、山雅房から刊行された『道程改訂版』に関する文章の一節です。

初版『道程』は大正3年(1914)、自費出版で刊行されましたが、時代の最先端を突き抜けたこの詩集、売れ行きはさんざんでした。その後、ようやく時代が光太郎に追いつき、復刊を希望する声が高まって、改訂版が出版されたわけです。

ただし、この改訂版、初版とはかなり収録詩篇に差異があります。太平洋戦争開戦前夜ということもあったのでしょう、日本人批判の「根付の国」や、英国人陶芸家バーナード・リーチに贈った「廃頽者より」「よろこびを告ぐ」などはカットされるという「忖度」が行われています。

富山県から演劇の公演情報です。

劇団「喜び」公演「智恵子抄」

期   日 : 2019年3月21日(木・祝)
会   場 : 高岡市生涯学習センター (ウィング・ウイング高岡) 
富山県高岡市末広町1-7
時   間 : 14:00〜
料   金 : 前売 一般2,000円 中・高生1,000円 当日 一般2,500円 中・高生1,500円
         お菓子・飲み物付

彫刻家であり詩人である高村光太郎その妻智恵子。珠玉の愛の物語を『智恵子抄』の詩と共にお届けします。
脚本・一人芝居 茶山千恵子

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茶山さんという方、直接は存じ上げませんが、以前にも高岡で光太郎智恵子関連の市民講座や朗読をなさって下さっていた方です。



ありがたいところです。


【折々のことば・光太郎】

あの世とは何も遠いところではない。あの世とはみんなの頭の中にいつでも存在してゐるし、現世といつでも交通してゐるところである。

散文「某月某日」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

前年に亡くなった智恵子の新盆を迎えての感懐です。

同じ文章では「智恵子が今更あの世からのこのこお精霊さまになつて此の家にやつて来るなどとはしらじらしくて考へられず、おまけに智恵子は年中此所にゐるのだから、そんなあらたまつた事をする気が起らない」「私はあの変な戒名といふもので智恵子をよぶ気にはまるでなれない。何々院何誉何々大姉とは随分人を茶にしてゐるもので、たとひ自分の戒名があるとしてもそんな名をよばれて、すぐに「はい」と返事が出来ようとはおもへない」と書いています。

昨日は盆ならぬ、彼岸の入りでした。


第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

山口県から演劇公演の情報です。 

touch the bonnet 10th演劇LIVE 「れもん」

期  日 : 2019年3月9日(土) 10日(日)
会  場 : 菜香亭  山口市天花1-2-7
時  間 : 19:00~
料  金 : 前売 一般¥1,500 大学生¥1,200 高校生以下¥700  当日一律¥500増

作:平田俊子  演出:岩本伸也  出演:細田昌宏/平田珠凛

「れもん」は詩人、彫刻家として有名な高村光太郎と、その妻智恵子の半生を描いた作品。
芸術に携わる方ならきっと共感できる迷いや不安、まっすぐに向き合い続ける情熱とそれを維持する難しさ、そんな思いを沢山混ぜ込んで二人だけで表現する濃厚な作品です。
飛び交う言葉も美しく、高村光太郎の詩も数多く登場します。興味がある方は道程や智恵子抄といった詩集に目を通してから来ていただいても楽しめると思います。そして、その殆どの詩を世に出る前に聞いていた妻の智恵子。智恵子がその詩をどんな気持ちで聞いていたのか?是非皆様も一緒に見守って下さい。
ちなみに!れもんと言えば最近なら米津玄師さんのlemonを思い浮かべた方も多いのでは?米津さん自身もインタビューで高村光太郎の智恵子抄について言及しているようです。皆様は「れもん」から何を連想しますか?
3月9日、10日。高村光太郎と智恵子の一生をどうか見届けにきてください。

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「れもん」は、平成16年(2004)、下北沢のザ・スズナリさんおよび京都芸術センターさんで、柄本明さん、石田えりさんにより初演された2人芝居です。

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ちなみにたまたま偶然でしょうが、来月から再来月にかけ、各地で光太郎智恵子を主人公とした演劇の公演が開催されます。それぞれ追ってまたご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

母は無学であつたから私をあやすにもただ祖先伝来の子守歌を繰返すほかに術はなかつた。だがあの「坊やはいい子だ、ねんねしな」の無限のリフレインの何と私の心身を快よくしてくれたことだらう。私は今でもその声の和らかさと軽く背中を叩かれる時の溶けるやうな安心さとを忘れない。

散文「揺籃の歌」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

シニカルな見方で、光太郎はかなりのマザコンだったのではないかと言われています。その根拠として使われる散文の一つから。

そして、その母の面影を智恵子にも求め、それがまた智恵子の重荷になったとも……。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

昨日は、今年初めて都内に出ておりました。

メインの目的は、観劇。北千住のBUoYさんという不思議なスペースが会場でした。

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岸井戯曲を上演するinTokyo#1「かり」」。岸井大輔氏という劇作家の方が書かれた同一の「戯曲」を、3組の方がそれぞれの表現で演じられる、といういわば実験的な試みでした。

ただ、それは「PLAYS and WORKS旗揚&新春企画 あそびとつくりごと1 出版記念の2日間」というイベントの一部、という扱いでした。

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先ほど、「戯曲」と書きました。なぜカギカッコつきで「戯曲」なのかというと、通常の戯曲という概念から離れたものだからです。

通常、戯曲というと、ほぼ台本や脚本、シナリオとイコール、すなわち、ト書きがや役者さん達のセリフが書いてあるものだと思いますが、岸井氏の「戯曲」の概念は、違います。

今回、取り上げられた「かり」という戯曲は、以下の通り。

かり
動物を狩り、植物を苅り、カリという語は、自然から借りるからきている。人生も仮住まいというように、生きているのは、何かから借りた、仮の姿であるので、拝借の借りという言葉が、一時的の仮に使われるようになった。
例えば、演技をするとき、私は私をかりている。では私に私をかしているのは誰か。

これで全文、これだけなのです。

ここから、3人の演者の皆さんが、それぞれにイマジネーションを働かせ、自分なりの「かり」を作り上げ、それを披露されたというわけです。

お一人目、キヨスヨネスクさんという方は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を延々と読まれました。お三方目、佐藤明子さんという方は、葛の葉伝説などを下敷きにした映像作品でした。

そしてお二人目の、辻村優子さんという方。光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」をモチーフにして下さいました。

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ほぼほぼずっとこのポーズです。基本、セリフは事前に録音されていたものをスピーカーから流す形。ただ、後半、肉声も入りました。

辻村さん、俳優としても各種の舞台などにご出演されているそうですが、本業的には、美術作品のモデルさんだそうで、明治末に智恵子が油絵を学んだ太平洋画会の後身・太平洋美術会さんでもモデルを務められているそうです。

そのモデルさんとしての実体験から、今回の内容を思いつかれたそうで、いわば「モデルあるある」的な(笑)。ある時、大きな彫刻のモデルをなさった折、作家の方が席をはずした際に作品を見てみると、作品の足もとにたくさんの紙切れが……。見ると、すべて某多人数アイドルグループの人気メンバーの写真。彫刻の顔を見上げると、まぎれもなくその方の顔……。というエピソードが挿入されましたが、実話だそうです。

「乙女の像」も、顔は亡き智恵子、ということで、まぁ、それにはそこに至るまでの光太郎智恵子の鮮烈な生の試みや、戦後の彫刻封印と自己流謫(るたく)=自分で自分を流刑に処すること、といった長いドラマがあるのですが、そのあたりは、拙稿も載っております『十和田湖乙女の像のものがたり』をお読み下さい。

終演後、お三方と、司会の方でトークショー。

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ここで、先ほどの岸井氏の「戯曲」の定義、的なお話も出ました。また、やはり辻村さんのモデルとしてのいろいろなお話など、興味深く拝聴しました。

更にその後、辻村さんとお話をさせていただきました。今回、「乙女の像」のポーズをずっとなさってみて、見た目には判らないものの、かなり身体に「ひねり」が入っているというお話を伺い、意外に感じました。「乙女の像」のモチーフの一つが観音像なので、同じ仏像でも、天部や明王などのそれとは違い、まっすぐに立っているというイメージでいたものですから。こういう点は、実際にやってみないとわからないことですね。

さて、今後も、光太郎智恵子の世界、様々な表現者の皆さんが、それぞれの解釈で挑んでいっていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】000

批評精神に満つるが故に却つて分せき的でなくて包摂的な、明徹であるが故に逆説と順応との入りまじる、抑へ難い闘志に燃えるが故にあらゆる人と物との価を発見せずにおかない、単純であるが故に内に複雑な結構の生れる、微妙のものを感ずるが故に感傷性に曾て墜ちない、この放縦にしてしゆく然たる彼の目にふれるのはよさう。

散文詩「ある首の幻想」より
 大正14年(1925) 光太郎43歳

粘土の塑像で、詩人、新聞記者だった中野秀人の首を作っている際の様子を記したものです。彫刻は、おそらく昭和20年(1945)の空襲で焼けてしまって、現存が確認できません。

ここでいう「彼」とは、確かにモデルの中野を指すとも考えられますが、どうも光太郎本人のことでもあるような気もします。

結局、あらゆる芸術作品は、モデルなりモチーフなりの姿を「借り」て、自分の内面を「仮」にこうだと表出するものなのでは、などと思いました。

ちなみに光太郎には、同じ年に書かれた「首狩」という詩も存在します。彫刻のモデルにふさわしい「首」をさがすという内容です。

演劇の公演情報です。 

岸井戯曲を上演するinTokyo#1「かり」

期   日 : 2019年1月5日(土)・6日(日)
会   場 : 北千住BUoY 東京都足立区千住仲町49−11
時   間 : 1/5 18:00~20:00     1/6 13:00~15:00
料   金 : 2,500円

同じ戯曲を、いろいろなアーティストがやってみて、そのあとに対話をする人気シリーズ「岸井戯曲を上演する」。
横浜blanClass、京都UrBANGUILDでの上演シリーズに続き、東京でも定期的に上演します。
東京開催の第一回目に扱う「かり」は、以下の大変短い戯曲です。

かり
動物を狩り、植物を苅り、カリという語は、自然から借りるからきている。人生も仮住まいというように、生きているのは、何かから借りた、仮の姿であるので、拝借の借りという言葉が、一時的の仮に使われるようになった。
例えば、演技をするとき、私は私をかりている。では私に私をかしているのは誰か。
かつて、大石将弘や山田宏平によって上演された、俳優には人気の戯曲に、3人の若手が挑みます。3種類の上演とそのあとのトーク、ぜひご参加ください。

バージョンA 辻村優子(俳優)  バージョンB 佐藤朋子(アーティスト)  バージョンC キヨスヨネスク(俳優)
司会 山田カイル(ドラマトゥルク)


明治末、智恵子が絵画を学んだ太平洋画会の後身・太平洋美術会さんで、モデルを務められている方もご出演なさるそうで、その方から同会の坂本富江さんに情報が伝わり、坂本さんから当方に連絡がありました。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」(昭和28年=1953)をモチーフとして取り上げられるそうで、坂本さん情報では、「乙女の像」の顔が、モデルと全く似ていないことに対する解釈、的な内容だそうです。

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「乙女の像」のモデルを務めたのは、現在も続くプールヴーモデル紹介所に所属していた、当時19歳だったという藤井照子。しかし、戦後すぐの頃から光太郎が構想を抱いていた「智恵子観音」の具現化という意味合いもあり、顔は明らかに智恵子の顔です。

智恵子の顔とからだを持った観音像を一ぺんこしらえてみたいと思っています。仏教的信仰がないからおがむものではないが、美と道徳の寓話としてあつかうつもりです。ほとんどはだかの原始的な観音像になるでしょう。できあがったら、あれの療養していた片貝の町(九十九里)におきたいと考えています。
(昭和25年=1950 神崎清との対談「自然と芸術」)

光太郎は、「乙女の像」の制作が始まると、それが智恵子像であるとは公式には発言しませんでしたが、周辺の人物の証言がいろいろ残っています。

 東京のアトリエのことなどを相談しているうちに、「智恵子を作ろう」と、ひとりごとのように高村さんはいわれた。それはこんどの彫刻に対する作者自身の作意を洩されたものであつたが、高村さんはその言葉のあとで、そんな個人的な作意を十和田湖のモニユマンに含ませることは、計画者の青森県にすまないような気がすると、そんな意味の言葉を申し添えられたのである。
                    (谷口吉郎「十和田記念像由来」 『文芸』臨時増刊号 昭和31年=1956)

 製作にかかる前、
 「智恵子さんの写真もなにも戦災でなくしたのに、どうやってその何十年も前に見た顔をつくるんですか」ときくと、高村さんは、
 「この手に智恵子のかたちがのこってるんですよ。」
と、あの子供の頃から彫刻できたえ上げた大きな両手で、空間に形を示しながら答えていました。
        (藤島宇内「逝ける詩人高村光太郎」 『新女苑』第二十巻第六号 昭和31年=1956)

このあたりがどう表現されるのか、非常に興味がありますので、1/6の部を観に行って参ります。のちほど観劇記をレポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

すべての技芸がさうであるやうに、詩の朗読も、その無装飾の基礎から最初は進むべきかと思ふ。今日の実際経験から考へても棒読みに近い朗読ほど詩の内面のニユアンスを抑揚頓挫の烈しい、表情の多い朗読よりも、却て微妙に出すやうである。
散文「詩の朗読」より 大正13年(1924) 光太郎42歳

いわゆる「クサい」朗読を、光太郎は一刀両断にしています。同じ文章に曰く「詩の感動を朗読者の個人癖による趣味から出放題な節をつけて、声をふるはせたりなどされると、背すぢがぞつとして恥かしくなる」。

なるほど、という気がしますね。

たまたまネット上で見つけました。九州鹿児島から演劇の公演情報です。 

演劇集団宇宙水槽 番外公演#1 『ちえこのかって』

期   日 : 2018年12月22日(土)~24日(月・振休)
会   場 : ギャラリー游 鹿児島市山之口町3-14
時   間 : 22日(土) 14:00~/18:00~  23日(日) 14:00~/18:00~
        24日(月・振休) 14:00~
料   金 : 一般1200円  学生(高校生以下)800円  (予約制/25席)
問 合 せ    : cosmorium@hotmail.co.jp  電話・SMS:090-3744-8736(宮田)

世間の世間の注目する「新しい女」、若き女流油絵画家・智恵子。日本の芸術界の矛盾を批判して世間を騒がせていた新進気鋭の芸術家、光太郎。2人が出会ったのは、明治44年12月のことだった。光太郎は妻である智恵子の死を「レモン哀歌」という詩に描いた。
智恵子という女の人生、苦悩、喜び、狂気、レモンの香りで隠しおおせた”秘密”――
2人の芸術家の姿を描く、宇宙水槽の二人芝居。
 
脚本:イワモトエリ   演出:宮田晃志   出演:うとよしみ/宮田晃志


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お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

自分の芸術を模倣である、と言はれれば、模倣でない、と心の底から言ひ張れる。自分の芸術を虚偽である、と言はれれば、虚偽でない、と心の底から言ひ張れる。自分の芸術を遊動である、と言はれれば、遊動でない、と心の底から言ひ張れる。自分の芸術を概念である、と言はれれば、概念でない、と心の底から言ひ張れる。自分の芸術を外殻である、と言はれれば、外殻でない、と心の底から言ひ張れる。

散文「所感」より 大正2年(1913) 光太郎31歳

岸田劉生、木村荘八らと共に開催した第二回フユウザン会展の目録に載せた文章の冒頭部分です。強烈な矜恃が見て取れますね。

昨日は新橋演舞場さんに行っておりました。

光太郎智恵子とは直接関連がないのですが、当会会友・渡辺えりさんが主演(キムラ緑子さんとのダブル主演)を務められている「喜劇 有頂天団地」を拝見。

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渡辺さんからは新たな公演やコンサートのたびにご案内を頂くのですが、ずっと欠礼続きで申し訳なく思っていたところ、共演されている一色采子さんからもお手紙が届き、さらに渡辺さんの事務所からお電話も。お二方からの圧力に抗しきれず(笑)……。

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上の方はコピーのようですが、最終四行は自筆。「大山」は一色さんの本名。二本松でレモン忌など智恵子関連のイベントにいらっしゃる際は私人として、ということで「大山采子」さん名義でご出席されています。亡くなったお父様が、智恵子と同じ二本松のご出身で、文化勲章を受章された日本画家・大山忠作画伯。同郷のよしみで、智恵子をモチーフにした絵も複数遺されています。

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左は「智恵子に扮する有馬稲子」。昭和51年(1976)、やはり新橋演舞場さんで公演があった「有馬稲子 秋の名作公演」で、北条秀司作「智恵子抄」も演目に入っており、その際に楽屋でスケッチが為されたとのこと。

北条秀司作「智恵子抄」といえば、昭和32年(1957)、明治座での初演は光太郎とも交流のあった故・初代水谷八重子さんが智恵子を演じられましたが、後に同じ水谷さん主演で昭和46年(1971)に新橋演舞場さんで再演されていいます。

他にも新橋演舞場さんでは、平成12年(2000)に、津村節子さん原作の「智恵子飛ぶ」の公演も行われています。その際の智恵子は片岡京子さん(最近、永谷園さんのCMでよく見かけます)でした。

ちなみに片岡さんの「智恵子飛ぶ」は、平成13年(2001)には京都南座さんでも公演されました。今回の「喜劇 有頂天団地」も来年、南座さんで京都公演があります。

ところで、何が「有頂天」なのかというと、やはり渡辺さんとキムラさんによる「喜劇 有頂天旅館」(平成27年=2015)、「喜劇 有頂天一座」(平成30年=2018)などが既にあり、いわばシリーズです。このうち、「喜劇 有頂天一座」は、初代水谷八重子さんの「智恵子抄」を書いた北条秀司の「女剣劇朝霧一座」(昭和34年=1959)を下敷きにしています。

キムラさんといえば、平成27年(2015)までBS朝日さんで放映されていた5分間番組「いにしへ日和」のナレーションを務められていました。同番組では「#107 福島県・二本松市・智恵子の空」(2014)、「#122 岩手県・花巻市・高村光太郎と大沢温泉」の2回、光太郎智恵子に触れてくださいました。

さて、「喜劇 有頂天団地」。「団地」といっても箱形4階建て等の団地ではなく、建て売り分譲住宅等の建ち並ぶ団地。渡辺さんは新しく建て売り分譲された区画に入居した主婦の役です。一色さんはその隣人・キムラ緑子さんの義妹という設定でした。

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公式サイトから、あらすじを。

 昭和50年代の初め。
 郊外の住宅街の一角に、昨今の、いわゆるミニ開発と呼ばれる小規模の建売住宅建設が進んでいた。そのせまい敷地に突然、赤や緑や茶色の屋根の賑やかな家がしんこ細工の様に6棟、軒を接して建て込んできたので、近所ではかなり目立つ存在になっていた。
 新入居者達にとっては、幾多の艱難辛苦に耐えローンを組み、やっと手に入れた住宅である。そうであれば傍目にはどう映ろうともわが城。マントルピースあり、シャンデリアあり、大型カラーテレビも鎮座している。
 その一軒が隅田家。秀子夫人と娘の杏子、それに舅の大造が住んでいる。主人は外国航路の船員としてサンフランシスコに行っている…事になっている。
 この隅田家の裏隣りが徳永家。同価格の同規格なのでまるで双子のように隅田家と似ている。徳永家はくに子夫人。主人の伸一郎と姑の富江と同居している。伸一郎は帝国ホテルに勤めている…事になっている。
 ある日、隅田家で6棟の新入居者と長年この土地で暮らしている高見沢勝子達との寄り合いが行われた。議題は「風紀粛正」、と言っても下着の干し方、ゴミの出し方、と言った話題であった。
 更に、この住宅の裏にもう2軒住宅が建つことになり、隣人たちは色々な思惑に苛まれて行く…。

途中、休憩をはさみ3時間あまり(上演のみで約2時間半)。長丁場の内容でしたが、芸達者な皆さんの熱演で、終わってみればけっこうあっという間の感がありました。

終演後、花を持って楽屋にお邪魔しまして、渡辺さん、一色さんとお話をさせていただきました。引き出物的にいただいてきたものがこちら。

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渡辺さんからは、渡辺さんの故郷・山形のお米。

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一色さんからはかわいらしい名入りの手ぬぐい。

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それぞれのキャラクターがよく表れています(笑)。

新橋演舞場さんでの公演は12月22日(土)まで、来年1/12(土)~27(日)には、先述の通り京都南座さんで京都公演です。ぜひ足をお運びください。

ところで、渡辺さんのブログの最新記事では、今月10日(月)に新国立劇場さんであった、「演劇のおしごと Vol.2 ~「劇作家」とは?」というトークイベントのレポートが。お父様の渡辺正治氏と光太郎の交流のお話もなさって下さったとのこと。一色さんは昨年、二本松の智恵子生家で「智恵子・レモン忌 あいのうた」と銘打ち、「智恵子抄」の朗読をなさってくださいました。

お二人には光太郎智恵子の伝導というお仕事も続けていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

「ああ、僕はやつぱり日本人だ。JAPONAISだ。MONGOLだ。LE JAUNEだ。」と頭の中で弾機(ばね)の外れた様な声がした。

散文「珈琲店より」より 明治43年(1908) 光太郎26歳

パリジェンヌの女性と一夜を過ごし、二日酔いの眼で見た洗面所の鏡に映る自らの姿を見た時の回想です。

3年以上の月日を過ごしても、結局、真に「西洋」を理解することは不可能と、この時に悟った光太郎、帰国を決意します。しかし、帰った日本の美術界は、守旧と情実と忖度の横行する旧態依然。孤独な闘いが始まります。

ちなみに渡辺えりさんのお父様は、昭和61年(1986)、パリの光太郎も通ったカフェ、クローズ・デ・リラで開催された第30回連翹忌にもご参加下さいました。

昨日は福島県の郡山市、それからいわき市に行っておりました。2回に分けてレポートいたします。

まずは郡山。市中心部の郡山市公会堂で開催された、「第2回朗読パフォーマンス声人(こえびと)LIVE ∞生きる∞」。を拝見して参りました。

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会場の郡山市公会堂は、建物自体が登録有形文化財に指定されています。こういう場所での公演というのもいいものだと思いました。

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この手の建造物は、通常、入口の扉を開けるとホワイエ的な空間があるのですが、ここはそうではなく、いきなりホールなので、びっくりしました。

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今回、客席としては使用しませんでしたが、2階席もあったりして、これまたレトロでいい感じでした。

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会場後方には、書家の方が書かれたという「あどけない話」(昭和3年=1928)。

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先月拝見に伺った「第38回日本教育書道藝術院同人書作展」でも感じましたが、書家の皆さん、光太郎詩からインスパイアを受けるというケースが多いようで、ありがたいかぎりです。

「ほんとの空」と安達太良山の水彩画も。

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ご出演は朗読パフォーマンス声人(こえびと)さん。郡山のコミュニティFM・ココラジでパーソナリティーを務められている宗方和子さんという方が代表で、宗方さんが講師を務められているカルチャースクールでの生徒さん達がメンバーだそうでした。

智恵子の故郷、二本松に近い郡山で、地元の方々がこうした公演をなさって下さるというのが非常にありがたいところです。

二部構成で、第1部は『朗読 アラカルト』、三つの作品から。ロバート・マンチ作「ラヴ・ユー・フォーエバー」――岩崎書店さんから刊行されている絵本です―――。斎藤隆介作「ベロ出しチョンマ」――今年の連翹忌で朗読をお願いした山田典子さんがご出演された朗読系の演劇公演「智恵子から光太郎へ 光太郎から智恵子へ ~民話の世界・光太郎と智恵子の世界~」でも取り上げられました。我が故郷・千葉県の義民・佐倉宗吾伝説を元にしています。そして、黒柳徹子さんの「窓ぎわのトットちゃん」からの抜粋。

以前にも書きましたが、公共交通機関に揺られている際に読むミステリーや時代小説などを除き、光太郎関係以外はあまり読まない当方にとって、こうした朗読系公演で、普段接しない作品に接するのは実に新鮮な感じです。また、出演者の方々の、一生懸命伝えようとする姿勢にも好感が持てます。

第2部が「ドラマリーディング  ロンド ~智恵子抄 雷火~」。「佐藤春夫原作」となっていまして、佐藤の『小説智恵子抄』を下敷きにはなさったのでしょうが、ほぼほぼオリジナルの脚本で、宗方さんの手になるものだそうでした。「雷火」は光太郎詩「おそれ」(大正元年=1912)中の「あなたの今言はうとしてゐる事は世の中の最大危険の一つだ/口から外へ出さなければいい/出せば即ち雷火である」から採られた一言です。ちなみにこのフレーズ、智恵子からの愛の告白を意味します。

明治末の光太郎智恵子の出会いから、昭和13年(1938)の智恵子の死(今年が歿後80周年です)までの、光太郎詩の朗読を中心に、二人の共棲生活の軌跡が描かれていました。説明に当たる部分は説明に終始せず、主に智恵子が母・センや親友・田村俊子に送った手紙を朗読するというかたちで説明し、うまい手法だな、と思いました。また、時間の経過と共に光太郎智恵子役の方が交代し(20代、結婚当初、智恵子晩年の頃と3組)、それで時間の経過を表すという手法も用いられ、面白い試みだなと思いました。

「ドラマリーディング」と銘打っていますので、出演者の皆さんは、基本的に台本片手に演じられていました。今年の1月に目黒で拝見した「MAIA STARSHIP朗読劇 いやなんです あなたのいってしまふのが −智恵子抄より」もそうでしたが、下手に暗記しようとしてかえって「こうだったっけ?」的に自信なさげになったり、間違いだらけの朗読やセリフ回しになったりするより、割り切って台本片手の方がずっといいと感じました。何より、出演者の方々の熱演あってのことですが。

ヤマ場では、ダンサー・橋本みなみさんがご登場。千々に乱れる智恵子の心を舞踊で妖しく表現。

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橋本さん、ベリーダンスがご専門だそうで、中東系の音楽に乗せての舞でしたが、壊れて行く智恵子がよく表現されていました。

最後は出演者全員で「あどけない話」の朗読。

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左から、柳敬助、智恵子晩年の頃の光太郎、青年期の光太郎、結婚当初の光太郎、智恵子の姪にしてその最期を看取った長沼(のち宮崎)春子、晩年の智恵子、智恵子の母・セン、結婚当初の智恵子、20代の智恵子、柳八重

後ろのスクリーンには、会場後方に展示されていた「あどけない話」の書と、安達太良山の水彩画が映り、心憎い演出でした。

終演後、出演者の皆さんによるお見送り。

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この公演、郡山市の「ファミリーホームいぶき」さんで生活している子供たちの通学支援チャリティーを兼ねているとのことで、募金箱に募金をし、さらに、宗方さんと少しお話をさせていただきました。今後、二本松でのレモン忌や当会主催の連翹忌等でご縁が持てればと思っております。

その後、いわき市の草野心平記念文学館さんで開催中の「開館20周年記念 夏の企画展 宮沢賢治展 ―賢治の宇宙 心平の天―」へ。そちらについては明日、レポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

基調としての季節感に裏うちされぬ日本文学といふものをあまり見なかつた。日本文学にとつて季節の感情ほど読者に直接にアッピイルし易い武器はなかつた事を意味する。日本特有のセンチメンタリズムには必ず背景として又基調として、月が冴えたり、花が散つたり、風鈴が鳴つたり、虫がすだくといふやうな「身にしみる」道具が具備する。

散文「日本の秋と文学」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

いわゆる「もののあはれ」。それはそれでいいとして、それだけにたよっている浅薄な文芸作品はいただけないというのです。同時に、自分は決してそんなものは書かないぞという表明でもありましょう。

演劇系の公演情報を二つ。

まずは先月から既に始まっていますが、かつて光太郎を主人公とした「暗愚小伝」を上演された劇団青年団さんの公演。 

青年団第79回公演 『日本文学盛衰史』

原作:高橋源一郎 作・演出:平田オリザ
2018年6月7日(木)- 7月9日(月) 32ステージ
会場:吉祥寺シアター
前売     一般:4,000円 ユース・シニア:3,000円 高校生以下:2,000円
予約・当日  一般:4,500円 ユース・シニア:3,500円 高校生以下:2,500円

文学とは何か、人はなぜ文学を欲するのか、人には内面というものがあるらしい。そして、それは言葉によって表現ができるものらしい。しかし、私たちは、まだ、その言葉を持っていない。この舞台は、そのことに気がついてしまった明治の若者たちの蒼い恍惚と苦悩を描く青春群像劇である。

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夏目漱石、島崎藤村、田山花袋、石川啄木、芥川龍之介、北原白秋ら、近代の文豪達の群像劇だそうで、光太郎も登場人物の一人に名を連ねています。


もう1件。愛知長久手から。 
会 場 : 長久手市文化の家 
       愛知県長久手市野田農201番地
時 間 : 12:00~/19:00~
料 金 : 無料

高村光太郎「智恵子抄」の一編「レモン哀歌」を躍り・音楽・朗読で考察してみる、実験的な公演です。
【出演】細川杏子(フルート)藤島えり子(演劇)、豊永洵子(舞踊)ほか


「レモン哀歌」にしてもそうですが、詩は小説ほどに具体的な描写が為されているわけではなく、受け取る側が想像をふくらませることが可能です。登場人物の服装だの表情だの、もっと遡れば、場所、時間、人物の配置、その他。そしてその時その場所で何が起こったのか、人物がなんと言ったのか。小説ではそれらが細々と書き表されますが、詩ではそれらは読者の想像にゆだねられます。

それだけに、二次創作の題材としやすい部分もあるのでしょう。さまざまな分野の表現者の方々が、音楽、演劇、舞踊、漫画、小説、映像作品……美術系でも絵画やイラスト、伝統工芸、現代アートなどでさまざまに表現して下さいます。小説や漫画を元ネタにしたそれらは、元ネタの方が情報量が多く、ダイジェストになってしまいますが、詩から出発すると、そうはなりません。

当会顧問・北川太一先生もおっしゃっています。

 はじめこの詩集は光太郎の一方的な思いこみにすぎず、光太郎の声だけしか聞こえない単なる幻想の産物だと批判した者もあった。しかし智恵子に関する資料が徐々に発掘され、智恵子が肉声で語りはじめるにつれて、その生の軌跡はますますリアリティを加え、文学としての評論、創作はもとより、ドラマ、オペラ、歌曲、舞踊、邦楽等々芸術のあらゆる分野の作者、演技者を動かし、それぞれがそれぞれの思いを込めて、その問いかけに答えようとする。 
  (『芸術夢紀行シリーズ 智恵子抄アルバム』 芳賀書店 平成7年=1995)

今後とも、様々な分野の方に「智恵子抄」を取り上げていただきたいものです。ただし、そこにリスペクトの精神を以て、ですが。


【折々のことば・光太郎】

甘いものは飛んでしまひ、苦いもの、渋いもの、ゑがらつぽいもの、すべてけちけちした空気にたまるわらぢ虫のやうな心の中の塵埃は皆焼かれてしまふ。あとには出来たてのやうな心が眼をあける。心が本来の道にかへる。心は少し赤面しながら再び勇気を奮起させる。単に心を感奮させ、いはゆる襟を正させるものは世の中に少くないが、心を必ず原始の生きいきした姿にしてくれるものは、ざらにない。だが芸術にこれを求めないで、その外の何を求めよう。
散文「楽聖をおもふ ベートオヴエン百年忌を迎へて」より
大正15年(1926) 光太郎44歳

そこに病的なもの、頽廃的なものの入る余地を認めなかった光太郎が捉えた、文学音楽美術その他、あらゆる分野の「芸術」の存在意義が語られています。

今年2月に都内で公演があった演劇が、西日本へ巡回します。 

ひとり芝居プロジェクト新作公演 立本夏山 智恵子抄

尼崎公演
 期 日  : 2018年6月26 (火)
 時 間 : 19:00~20:00
 会 場 : 兵庫県立尼崎青少年創造劇場 ピッコロシアター 兵庫県尼崎市南塚口町3-17-8
 料 金 : 前売り:2,000円 /  当日:2,500
 申 込 : 市川 080-4164-4150 mail@kazan-office.com

 期 日  : 2018年6月28 (木)
 時 間 : 19:00~20:00
 会 場 : シアターねこ 愛媛県松山市緑町1-2-1
 料 金 : 前売り:2,000円 /  当日:2,500
 申 込 : mail@kazan-office.com
 備 考 : 6月27日(水)19:30~ プレトーク&パフォーマンス開催

 期 日  : 2018年6月30 (土)/7月1日(日)
 時 間 : 6/30 19:00~20:00   7/1 14:00~15:00 19:00~20:00
 会 場 : ミニシアター蛸蔵 高知県高知市南金田28
 料 金 : 前売り:1,500円 /  当日:2,000
 申    込 : mail@kazan-office.com
 備    考 : KOCHI演劇祭参加

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話題作「智恵子抄」が早くも兵庫尼崎、愛媛松山、高知の3都市で続演される。

夏山は2014年にArt Chiyodaで行われた千代田芸術祭で太宰治の小説「駆込み訴え」を題材にした一人芝居で伊藤千枝賞を受賞するなど、文学を扱った一人芝居も多数手がけてきた。

高村光太郎の「智恵子抄」は光太郎が智恵子に出会って恋に落ちてから、同棲、結婚。闘病、死別、そしてその後、約30年にわたって書いた智恵子についての詩をまとめた詩篇である。

光太郎は彫刻家、智恵子は画家、芸術を志す者同士のお互いを求め合う、愛を越えた絆。俳優の動きを際だたせるシンプルな舞台装置、陰影に富んだ照明、洗練された舞台空間で、濃密かつ重層的に繰り広げられる言葉。

光太郎の情熱的な愛の言葉の濁流に立木夏山がどう挑んでいくのか、見どころです。


お近くの方々、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

 Shûkyôga to iwareru mono wa, mukashi kara dossari atta ga, kindai ni okeru hontô no imi no shûkyôga to iu beki mono wa Millet no “Angelus” de aru. Kore wa Shûkyôjô no gishiki ni tsukau Christ ya Maria nado no e no yô ni tada katachi dake no Shûkyôga to wa chigau. Honrai geijutsu wa mina Shûkyôteki de aru ga, kindai ni oite Millet no e hodo Shûkyôteki na mono wa sukunai.

散文「“Angelus”」より 大正5年(1916) 光太郎34歳

雑誌『ローマ字』に寄せた文000章ですので、全篇ローマ字表記です。ローマ字の普及運動を展開していたこの雑誌に共鳴した光太郎、たびたび寄稿しています。上記は書き下ろしですが、詩の旧作をローマ字にしたものなども掲載されています。印刷は福音印刷。村岡花子の義父・村岡平吉が社主でした。

上記を書き下すと、以下の通り。

宗教画といはれるものは、昔からどつさりあつたが、近代における本当の意味の宗教画といふべきものはミレーの「晩鐘」である。こらは宗教上の儀式に使ふキリストやマリアなどの絵のやうにただ形だけの宗教画とは違ふ。本来芸術は皆宗教的であるが、近代においてミレーの絵ほど宗教的なものは少ない。

この後、ミレーの簡略な、しかし的を得た評伝が続きます。

「晩鐘」は、1857年頃(日本では安政年間)の作です。

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昨日が新聞休刊日だった関係でしょうか、一昨日行われた「第69回全国植樹祭ふくしま2018 育てよう希望の森をいのちの森を」の報道が、今日になってネット上にいろいろアップされました。

「智恵子抄」をモチーフにしたメインアトラクションに関し、さすがに地元紙は詳しく取り上げて下さいました。

まず『福島民友』さん。 

創作ミュージカル...福島の『今』表現 高校生が未来への希望を

 全国植樹祭記念式典のメインアトラクションでは、県内高校の演劇部やダンス部の生徒らが創作ミュージカルを披露した。「智恵子抄」で知られる二本松市出身の洋画家・紙絵作家の高村智恵子と、夫で詩人・彫刻家の高村光太郎をモチーフに大会テーマや県民が希望を持って未来へ進む姿を表現した。
 光太郎役を福島東高3年の安藤優希さん(18)、智恵子役を福島東稜高3年の平舘果菜絵さん(18)が務め、天皇、皇后両陛下の前で本県の復興と「今」を体いっぱいに伝えた。安藤さんは「震災で経験したことを演劇で精いっぱい表現することができた」、平舘さんは「震災から再起し、笑顔であふれる県民の姿を伝えることができた」とやりきった様子で話した。
 両陛下は高校生の熱の入ったミュージカルを、寄り添うような姿で鑑賞され、笑顔で拍手を送った。

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続いて『福島民報』さん。 

息吹空に届け 高校生感動呼ぶ劇 全国植樹祭

 南相馬市原町区で10日に開かれた第69回全国植樹祭は、県内の民俗芸能、復興を象徴するアトラクションが繰り広げられ、全国各地から訪れた来場者を魅了した。若者を中心とした県民が演劇や演奏を繰り広げ、復興に向かって力強く進む県民の姿を表現した。

 メインアトラクションでは県内の高校10校の演劇やダンスなどの部員約130人が音楽劇「あどけない話のその向こう」を披露した。「ほんとの空が見えた」。上演後、出演者からは飛びっ切りの笑顔がはじけた。
 詩「智恵子抄(ちえこしょう)」で知られる高村光太郎・智恵子夫妻と東日本大震災、東京電力福島第一原発事故からの復興を描いた作品。8分間の劇中に震災直後の放射能への県民の不安や困惑も織り込んだ。困難な中でも原発事故から「ほんとの空」を取り戻そうとする姿を描いた。
 智恵子を演じた福島東稜高3年の平舘果菜絵さん(18)=伊達市=は「重圧はあったが笑顔を心掛けた。両陛下がご覧になる中、練習成果を全部出し切ることができた」と手応えを語った。光太郎役で福島東高3年の安藤優希さん(18)=福島市=は「気持ちを込めて表現できた」と充実した表情だった。演出や指導を担当した郡山北工高の佐藤茂紀教諭(54)は「生徒の思いが伝わってきた。感動した」とねぎらった。

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全国紙でも大きく取り上げて下さればよかったのですが……。

それにしても、皇后陛下はこの後、過労のため38℃のご発熱だったそうですが、翌日には相馬市の原釜地区(こちらも智恵子ゆかりの地です)を訪れられ、雨の中、同地区や隣接する尾浜地区などの犠牲者207人の名が刻まれた慰霊碑に供花されたそうで、ありがたいことです。

これを機に、さらに被災地の復興が加速することを祈念いたしております。また、光太郎智恵子に対する関心が高まることも。


【折々のことば・光太郎】

日本へ来ると多くの西洋人は成長を止めて反芻を始め徘徊を始め説法を始める。リーチはまるであべこべだ。リーチは五月の若い薔薇の芽の様にまつすぐに、気力満ちて伸びた。

散文「リーチを送る」より 大正9年(1920) 光太郎38歳

「リーチ」は、明治40年(1907)、英国留学中に知り合ったバーナード・リーチです。

福島の若者達も、「五月の若い薔薇の芽の様にまつすぐに、気力満ちて伸び」て行ってほしいものです。

昨日は、福島県南相馬市をメイン会場に、天皇皇后両陛下をお迎えし「第69回全国植樹祭ふくしま2018 育てよう希望の森をいのちの森を」が開催されました。

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式典内のメインアトラクションが、県内の高校生達による光太郎と智恵子をモチーフにしたパフォーマンスということで、何とか拝見しようと思い、メイン会場には入れませんので、智恵子の故郷・二本松に隣接する安達太良山麓の大玉村にあるサテライト会場・ふくしま県民の森 フォレストパークあだたらさんに行って参りました。

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LIVE中継が行われる式典は午後からですが、駐車スペースが限られているというので、早めに出て、受け付け開始の10時前に到着しました。

こちらがサテライト会場。大型液晶スクリーン搭載の特殊車両が入っており、これでメイン会場から式典の模様が中継されます。

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着いた頃は大丈夫でしたが、やがて雨。それでも多くの方が集まり、にぎわいました。

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係員の方が10時から受け付け、と言っていたのですが、9時30分過ぎには受付が始まりました。始まっているのに気づかずあやうく先着順にもらえる大玉村産コシヒカリ300㌘をもらいはぐれるところでした(笑)。

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さらに受付では、植樹祭を特集した前日の『福島民友』さんの別刷りを下さいました。

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出演者等の紹介も載っていました。メインアトラクションに出場の高校生諸君。学校ごとに集合写真が掲載されていました。

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光太郎役は福島東高校さんの生徒さん、智恵子役は福島東稜高校さんの生徒さんでした。

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ちなみに両陛下の介添えなどを行う「緑の少年団」の中には、川内村の子供達も。

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午後1時35分から、大型スクリーンで、事前に制作されていたビデオ「プロローグ 心から感謝を込めて」の上映。福島県の紹介などでした。歴史上の福島出身者の紹介の中で、智恵子も取り上げて下さいました。

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2時20分から式典の中継。

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内堀雅雄福島県知事の挨拶、両陛下の記念植樹。

そして、メインアトラクション。

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最初に、全体の梗概的なナレーション。曰く、「智恵子は福島にあるのは「ほんとの空」だと言った。私もそう思う。光太郎は「僕たちの前に道は出来る」と言った。私達もそう思う。何があっても、誰が何て言っても、この大地に立って、この風を感じて、私達は生きていくことを決めたのです。この空が「ほんとうの空」であることを信じて。

あれが阿多多良山/あの光るのが阿武隈川」という「樹下の二人」(大正12年=1923)や、「あどけない話」(昭和3年=1928)の「智恵子は東京に空が無いといふ、/ほんとの空が見たいといふ。」という一節が使われ、福島の空の美しさが語られます。

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しかし、不穏な効果音と共に、「2011年3月11日、14寺46分」、「大地は割れて、青空は裂けて」「人の温度の消えた街、彼等のいないふるさとの空」……。

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智恵子曰く「嫌だ、こんなの嫌だ、「ほんとの空」を取り戻したいの!

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すると、倒れ込んだりしていた大地や樹木の精たちが再び起き上がり、歌い出します。「小さな希望の緑、育て、育て、大きな大きな命の木へと。育て、育て、大きく育て、ほんとの空へ」「私達は希望の木の種を植える。命の木の種を植える」。

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原発問題には特別な関心を寄せられてきた両陛下のお心にも、しっかりとこのメッセージは届いたのではないでしょうか。

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原発政策を未だに推進している与党の閣僚や議員も多数出席していましたが、こうした内容の上演を許した関係者の英断に敬意を表します。

昨日は、米朝首脳会談関連や残虐な事件の報道、台風関連の災害情報等もあり、テレビのニュースでは植樹祭がらみは短い扱いで残念でした。しかたがないとは思いますが……。

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メインアトラクションはNNN系さんで遠景が写りましたが、全国ネットではそれ以外は無かったようです。

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しかし、関連報道として、両陛下が帰還困難区域に入られたとのニュースもあり、それはありがたく感じました。

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これからも福島の皆さんが、「この空が「ほんとうの空」であることを信じて」。「何があっても、誰が何て言っても、この大地に立って、この風を感じて」力強く生きていっていただきたいと思いました。


【折々のことば・光太郎】

東洋の芸術に惹きよせられた彼の若い悩みのある心持ちは、さながらの詩である。ほんとに芸術を生命とするかういふ青年もあるといふことを私は紹介したい。

散文「日本の芸術を慕ふ英国青年」より 明治44年(1911) 光太郎29歳

「彼」は、明治40年(1907)、英国留学中に知り合ったバーナード・リーチです。

真摯に生きる青年の悩みや夢は、まさに「さながらの詩」だと、昨日の植樹祭を通して感じました。

今日は、福島県南相馬市で、天皇皇后両陛下をお迎えし、「第69回全国植樹祭ふくしま2018 育てよう希望の森をいのちの森を」が開催されます。メインのアトラクション「あどけない話のその向こう」は、光太郎智恵子をモチーフにした音楽劇。両陛下に直に御覧いただけるとは、望外の喜びです。


先月10日のFNNさん系ニュースから。 

全国植樹祭のリハーサル 6月10日に南相馬市で開催

6月10日に開催される全国植樹祭に向けて、福島・南相馬市でリハーサルが行われた。
13日、南相馬市原町区の会場には、アトラクションの出演者や運営スタッフなど、本番に関わる人が集まった。
福島県で全国植樹祭が開催されるのは、昭和45年(1970年)以来、48年ぶりで、天皇皇后両陛下が式典に出席され、苗木のお手植えをされるほか、東日本大震災の津波の犠牲者を慰霊される。
13日のリハーサルは、本番と同じスケジュールで行われ、ハワイアンズのフラガールによるフラダンスや、高村光太郎と智恵子をモチーフにしたパフォーマンスの流れなどを確認した。
平商業高校フラダンス愛好会・伊藤颯伽さんは、「福島の元気を、ほかの県の人にも伝えられたらいいと思います」と話した。
全国植樹祭は6月10日に、南相馬市原町区で開かれる。

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先月のリハーサルは雨の中だったようで、ハンチングに着物姿の光太郎役の高校生、カッパを着ていますね。ご苦労様です。


一昨日の福島中央テレビさんから。 

本番に向け練習続く 全国植樹祭で披露 高校生がミュージカル

あさって行われる「全国植樹祭」では、県内の高校生が福島の復興と現状を伝えるミュージカルを披露する。
ミュージカルを披露するのは、県内の10の高校から選ばれた生徒、120人。
ミュージカルでは、詩人、高村光太郎の「智恵子抄」の内容を盛り込み、若者たちが復興に向けて進んでいく姿を表現する。
*参加する高校生は
「1人1人が福島のことを考えてもらうことをお客様に伝えられるような劇にしていきたいと思っています」
全国植樹祭では、このほか、郷土芸能をモチーフにしたダンスや和太鼓の演奏などが予定されている。

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両陛下は昨日、福島入りされたとのことで、JNNさん系のニュースから。 

両陛下、「全国植樹祭」出席のため福島県に

 天皇皇后両陛下は、「全国植樹祭」に出席するため福島県に入られました。
 両陛下は正午過ぎ、新幹線でJR郡山駅に到着されました。このあと、いわき市内の復興公営住宅で、原発事故で避難生活を余儀なくされた大熊町などの住民と懇談されます。
 10日は南相馬市で行われる「全国植樹祭」に出席し、津波で大きな被害を受けた沿岸部の海岸防災林となる木を植えられます。また、月曜日には相馬市で慰霊碑に花を供え、津波で亡くなった人たちを追悼されます。
 両陛下が天皇皇后として東日本大震災の東北3県の被災地を訪問されるのは、今回が最後になるとみられています。

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当方、安達太良山麓の大玉村にあるサテライト会場・ふくしま県民の森 フォレストパークあだたらさんで式典の模様のLIVE中継を拝見します。雨が心配ですが……。

帰りましたらレポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

自分の前に波うつてゐる恐ろしい戦ひの生活に足をふみ入れようとした時、まだ半分睡つてゐる故郷の、庭に草の生えてゐる様なのどかな天然人事が、どの位身にしみて恋しかつたか知れません。

散文「彫刻家・ガツトソン ボーグラム氏」より
 大正6年(1917) 光太郎35歳

明治39年(1906)、生まれて初めて日本を離れ、まずたどり着いたニューヨークでの感懐の回想です。まだ故郷をあとにしてそれほど経っていないにもかかわらず、すでにホームシックになっていたようです。人間にとって、故郷というものがどれほど大きな存在か、ということですね。

東日本大震災に伴う原発事故で故郷を追われ、いまだ避難生活の皆さんの胸中はいかばかりか、と思います。

このブログで2月にご紹介しましたが、来月10日、福島県南相馬市をメイン会場に、「第69回全国植樹祭ふくしま2018」が開催されます。

今月中旬にはリハーサルが行われたそうで、その報道から。

まずは『福島民友』さん。 

全国植樹祭、福島の復興『演技』で表現 記念式典で高校生披露

 6月10日に南相馬市原町区雫(しどけ003)地区で開かれる「第69回全国植樹祭」で、県内の高校生が記念式典のメインアトラクションとしてミュージカルを披露する。郡山女子大付高で12日、出演する高校生が練習を行い、本県の復興と今を伝える演技を体いっぱいに表現、本番に向け士気を高めた。
 演劇部やダンス部を中心に、県内10校から約120人が出演する。郡山市を拠点に活動する劇団ユニット・ラビッツ代表で郡山北工高教諭の佐藤茂紀さんが演出を手掛け、2月中旬から練習を重ねてきた。
 ミュージカルは8分で、タイトルは「あどけない話のその向こう」。二本松市出身の高村智恵子の故郷への思いを夫である詩人高村光太郎がつづった智恵子抄の詩「あどけない話」を盛り込んだ。東京電力福島第1原発事故で「ほんとの空」を失ってしまった本県に若者が「希望の種」をまき、復興に向け、前に向かって進んでいく姿を描いた物語を繰り広げる。
 生徒は舞台監督小林イワヲさんらの指導の下、練習に臨んだ。智恵子役の平舘果菜絵さん(18)は「これからも復興に向かって進む福島の力を伝えていきたい」と力を込めた。
 全国植樹祭のエピローグで行われる相馬流山踊りをモチーフにした創作ダンスの練習も行われた。ミュージカル出演者を含む県内12校の生徒が太鼓の演奏に合わせて踊りに磨きを掛けた。
 13日には南相馬市で総合リハーサルが行われる。
(2018年05月13日)


続いて『福島民報』さん。  

本番へ迫真の演技 全国植樹祭出演生徒、衣装初着用 郡山 

 6月10日に南相馬市で開催される全国植樹祭のメインアトラクションとエピローグアトラクションに出演する高校生は12日、郡山市の郡山女子大付属高で合同練習に臨んだ。植樹祭で着用する衣装を初めて着込み、本番さながらに迫真の演技を披露した。
 メインアトラクションは音楽劇で、県内高校の演劇部やダンス部に所属する生徒約120人が参加する。生徒は主人公の智恵子や光太郎、希望を植える少女、失望を掘る少年、大地、空などに扮(ふん)し、県民が未来に向かって歩み続ける姿を力強く発信する。
 12日は生徒約90人が振り付け担当や衣装デザイナーから指導を受けた。全身をいっぱいに使って、それぞれの役割を表現し、会場には若者たちの熱気が満ちた。

(2018年05月13日)

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天皇皇后両陛下をはじめ、多くの方々に観ていただくメインアトラクションで、光太郎智恵子をモチーフとしたミュージカルが上演されるということで、嬉しい限りです。

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『民友』さんの記事にある佐藤茂紀さん。もしかして今回のプロジェクトに絡んでいるかな、と思っていたらその通りでした。東日本大震災とそれに伴う福島第一原発の事故後、やはり高校生たちによる演劇「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?」、さらに続編の「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか? 第二章ばらあら、ばらあ」を上演なさいました。

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ぜひ拝見したいと思っておりましたが、すでに昨年のうちに福島県内在住者に限っての参加者募集が終わっており、会場内には入れませんで、途方に暮れておりました。すると、県内5ヶ所に「サテライト会場・PR会場」が設けられ、プラス南相馬市内でもメイン会場以外の2ヶ所で、それぞれ式典の模様が中継されるとのこと。

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サテライト会場  ふくしま県民の森 フォレストパークあだたら(大玉村)
PR会場     福島駅東口駅前広場 会津総合運動公園
         郡山駅西口駅前広場/白河駅前イベント広場
南相馬市中継会場 鹿島学習センター(さくらホール)、南相馬市民文化会館(ゆめはっと)

式典の中継は14:20から15:10までですが、その前後に「プロローグ」、「エピローグ」があるそうです。
 

当方、いずれかの会場に参上します。皆様もぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

わたしは終戦後七年ほど、岩手県の農村で生活をしていたが、その村の人たちのやさしい、正直な気持ちをいつも忘れることができない。その村では、とうとう一度も殺ばつななぐり合いや、人をあざむくことをみききしたことがなかつた。

談話筆記「おおらかで正直な心」より 昭和30年(1955) 光太郎73歳

光太郎第二の故郷・岩手花巻郊外太田村への讃辞です。光太郎の山小屋に、村人たちが別棟の便所を建ててくれたエピソードを紹介し、念のこもった丁寧な仕事で結局一年がかり、決して早い仕事ぶりではなかったものの、慌ただしい生活を送る都会の人々こそ、こうした東北人気質――イギリス人気質にも通じる――を学ぶべきだとしています。

自由人の当方はあまりいつもと変わらないのですが、世間的にはゴールデンウィークだそうで、記事の題名を「GWレポート」とさせていただきます。特に深い意図はないのですが、これまでこの手のレポートの際には「都内レポート」「東北レポート」などと行った先の地名を使用することが多かったところ、そうした地方の枠を超えて動き回っておりますので、そうします。

まずは一昨日の日曜日、生活圏の千葉銚子。市街の飯沼山圓福寺(飯沼観音)さんの本堂で開催された「仏と鬼と銚子の風景 土屋金司 版画と明かり展」、それから「銚子浪漫ぷろじぇくとpresents語り「犬吠の太郎」」を拝見して参りました。

土屋氏は、銚子や、当方自宅兼事務所のある香取市に隣接する旭市ご在住の版画家です。

たまたま今月、当方趣味の音楽活動の関係で、旭市の東総文化会館さんに行きましたところ、大ホールの巨大な緞帳のデザインも、土屋氏の版画でした。

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それから、当方自宅兼事務所のある香取市での個展もなさっています。会場は旧市街の与倉屋大土蔵。光太郎詩「雨に打たるるカテドラル」が使われた映画「FOUJITA]などのロケにも使われている、土蔵としてはおそらく日本一の大きさであろうという土蔵です。

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全国を飛び回っている当方ですが、逆に地元の情報に疎い部分があり、土屋氏の作品、ちゃんと拝見するのは今回が初めてでした。

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会場の飯沼観音さん。中央が本堂で、階段の下に入り口があり、そこから入ります。

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いきなり「犬吠の太郎」がお出迎え。

太郎は本名・阿部清助。光太郎詩「犬吠の太郎」のモデルとして有名になりました。大正元年(1912)、銚子の犬吠埼を訪れた光太郎智恵子が逗留していた暁鶏館(現・ぎょうけい館)で下働きをしていた人物です。旧会津藩士の子だというのですが、銚子の長崎地区出身という説と、銚子を訪れた曲馬団にくっついて来て銚子に定住するようになったという説と、二通りあります。ちなみに長崎地区には太郎の墓が現存しています。

お寺さんでの開催ということで、仏画的なモチーフが多かったのですが(ちなみに土屋氏、元は仏師志望だったそうです)、太郎系、それからやはり犬吠を訪れ、「宵待草」を詠んだた竹久夢二系で、犬吠などの風景を取り上げたものも多くありました。

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黒いのは、版木です。こちら、おそらく、ぎょうけい館さんにも飾られていたと記憶しています。

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最近、取り入れられたそうですが、刷った後に紙をくしゃくしゃにしてまた伸ばすという技法が使われているものも。すると不思議な陰影や立体感が生まれ、面白い試みだな、と思いました。

ちなみに版画展に関しては、先週、NHKさんのローカルニュースで取り上げられました。 

復興の願いを作品に込め 版画家が展示会 千葉 銚子

東日本大震災による津波で、大きな被害が出た千葉県旭市に住む版画家が、復興への願いを込めて制作した作品などを集めた展示会が、隣の銚子市で始まりました。

会場の銚子市にある飯沼観音の本堂には、旭市の版画家、土屋金司さん(63)の作品、およそ70点が展示されています。
旭市では、東日本大震災による津波で15人が犠牲になり、中には、復興への願いを込めて十一面観音や地蔵の姿を刷り上げた作品があります。
また、詩人の高村光太郎が銚子を訪れた際に作った詩、「犬吠の太郎」の一場面を表現し、びょうぶのように仕立てた作品も展示されています。
土屋さんは「震災で被災した人たちにも元気と癒やしを感じてもらえれば」と話していました。
展示会は29日まで開かれ、最終日には土屋さんの作品の前で、地元の人による「語り」の上演が行われることになっています。


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旭市の飯岡地区では、東日本大震災の本震から3時間近く経った午後5時26分に津波が押し寄せ、15名の尊い命が犠牲となりました。その追悼、復興祈念も兼ねているとのことです。


版画展会場の一角で、「銚子浪漫ぷろじぇくとpresents語り「犬吠の太郎」」が行われますが、その会場の正面には六曲一隻というか、二曲三隻というか、大きな屏風。こちらも太郎系です。

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力強い作品です。聞けば、最初に太郎をモチーフとされた35年ほど前の作品だそうです。女性は太郎が惚れていた曲馬団のヒロイン・お染さん。

さて、時間となりまして、「銚子浪漫ぷろじぇくとpresents語り「犬吠の太郎」」。

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銚子浪漫ぷろじぇくと」さんというのは、「銚子が保有する近代の文化的な遺産を掘り起こし、多くの人に銚子の魅力を知ってもらいたい」という思いで活動されている、地域おこしの団体さんのようです。

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今回は、そちらに所属されている関根真弓さんという女性による一人芝居的な感じでした。知的障害があった太郎が、曲馬団の花形・お染に優しくされ、淡い恋心を抱きます。しかしお染は興行師と駆け落ちし、太郎は淋しく残されるというストーリーです。光太郎が詩「犬吠の太郎」を書いたことで、銚子では有名な話として語り継がれています。一人芝居でしたが、バックの効果音、バナナのたたき売りやサーカスの呼び込み、南京玉すだれなどの声は、銚子浪漫ぷろじぇくとのみなさん総出だそうです。

終演後の関根さんと、土屋氏。

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公演の前後にそれぞれとお話をさせていただき、今後も光太郎を取り上げて下さいとお願いしておきましたが、実現してほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

自分等の生活の時々刻々こそ貴い意味の流れである。自分等を通じてあらはれる至上のものの意志である。姿である。それが積もりつもつて個人としての一生、社会としての世紀がずつしり重く築かれるのである。

散文「日常の瑣事にいのちあれ」より 大正11年(1922) 光太郎40歳

津波被害により、貴い生活の時々刻々、日常の瑣事を奪われた方々に、謹んで哀悼の意を表します。

光太郎第二の故郷ともいうべき岩手花巻で、毎年光太郎の忌日・4月2日に花巻としての連翹忌を開催して下さっています。

今年も花巻市さんの広報紙『広報はなまき』3月15日号に案内が出ました。

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当方、当会主催の連翹忌の集いを東京日比谷松本楼さんでで開催する都合上、そちらには参加できませんが、お近くの方、ぜひどうぞ。

例年、終了後に地元紙やテレビのローカルニュースなどで報道されています。



『広報はなまき』といえば、今号の表紙は、やはり戦後に花巻で暮らした僧侶にしてチベット仏教学者の多田等観を主人公とした「第42回花巻市民劇場公演 多田等観物語 日が昇る 観音山に帰りたい」の様子でした。

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等観は、同時期に隣村にいた光太郎と交流があり、お互いの草庵を行き来したりもしていました。

そんなわけで、光太郎も登場。

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おそらく中央の恰幅のいい方が光太郎でしょう。

となると、メインの写真で、等観の後ろにいる右の方も光太郎のようです。

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平成16年(2004)初演の再演のようで、さらなる再演、さらには等観ゆかりの千葉での公演などもしていただけるとありがたいのですが……。

それにしても、連翹忌にしてもそうですが、花巻の皆さんの地元愛には頭が下がります。地方都市はそうあるべきですね。


【折々のことば・光太郎】

今の日本では、空碧くして水白き自然の緻密な写生画を目して真面目な作と為すのである。してみると、其の真面目な作といふものは私等の魂の切に欲求する所と非常に違つたものになるわけである。

散文「文部省展覧会第二部私見」より 明治44年(1911) 光太郎29歳

光太郎が求めているものは、作品に表される個々の作家のやむにやまれぬ衝動――その絵をどうしてもそう描かざるを得なかった作家個人の内面の表出、自然に対する見方――とでもいったものでしょうか。

文展に並ぶ作品には、黒田清輝ら一部の例外を除いて、そうしたものが感じられない、というのです。

このところ、「智恵子抄」系の朗読、演劇等の公演が立て続けに行われます。
時 間 : 3/2(金)15:00/19:00  3/3(土)15:00 
会 場 : HITOMIホール 名古屋市中区葵三丁目21番19号メニコンアネックス5F
料 金 : 一般 前売り3,000円/当日3,500円  大学生迄 前売り・当日ともに1,500円
申 込 :  http://event.menicon-ba.co.jp/  またはメニコンアネックス窓口

朗読と音楽の融合を目指したオリジナルステージです。
智恵子が愛したベートーヴェンの交響楽第6番「田園」をモチーフに、ヴァイオリン・チェロ・ハープの演奏で、また朗読には、俳優の橋爪淳さんが光太郎役として至情の愛の世界へと誘います。

出演者 橋爪淳/朗読・光太郎  苅谷なつみ/ヴァイオリン  日野俊介/チェロ  
    田中敦子/ハープ

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同じ会場で、一昨年昨年も行われた公演の再演かと思われます。それだけ好評だったということでしょうか。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

生物相互助長の交感力を考へると生物界の微妙な構成に驚く。人倫夫婦道の如きはその極致であらう。人類はそれによつて常に新らしい力の源泉を得てゐるのだ。
             散文「人体について」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作中の言です。久しぶりにモデルを使い、その人体の美にうたれたことからはじまり、それに伴って自分の生命力も溌剌とさせられたとしています。

そして、像のその顔は今は亡き智恵子。かつて智恵子と共にお互いを高めあった日々を思い起こしているのでしょう。

昨日は男性の一人芝居をご紹介しましたが、今日は逆に女性の一人芝居です。

劇団TANTOO第9回公演「売り言葉」

期 日 : 2018年3月2日(金) ~4日(日)
時 間 : 3/2(金)19:30 3/3(土)14:00 18:00 3/4(日)15:00 各回定員15名
会 場 : アトリエTANTOO  東京都足立区扇2ー26ー41 扇ビルB1
料 金 : 2,000円
申 込 : theatre.tanto@gmail.com

世間一般に流布されている純愛詩集「智恵子抄」。智恵子本人が証言台に立ち、その「智恵子抄」を告発する。

作:野田秀樹  演出:佐藤学二  出演:壱岐照美

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平成14年(2002)、大竹しのぶさん出演で初演されました。脚本が公刊されていることも理由でしょう、その後も全国でいろいろな劇団、個人が取り上げ、昨年も確認できた限り、2回、上演されています。
今回の劇団TANTOOさんも、平成26年(2014)に一度上演されています。その当時は気づきませんで、ご紹介しませんでしたが。

光太郎智恵子の世界をいろいろな分野で取り上げられるで、最もアイロニカルな視点で描かれているものと言えます。単なるお涙頂戴で終わっていないあたり、演劇関係者の皆さんが好んで取り上げ続けられる理由の一つでしょう。

ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

自然に醜はない。人間をも含めた自然の中に醜なるものは存在しない。悉く美である。醜は人工の中にある。

散文「美ならざるなし」より 昭和26年(1951)頃 光太郎69歳頃

光太郎最晩年の言。しかし、若い頃から一貫したブレない考え方です。

「ひとり芝居」だそうです。 

ひとり芝居プロジェクト新作公演 立本夏山 智恵子抄

期 日 : 2018年2月26日(月)28日(水)
時 間 : 26日(月) 19:00   27日(火)/28日(水)  14:00/19:00
会 場 : 3331 Arts ChiyodaB104スタジオ  東京都千代田区外神田6丁目11-14
料 金 : 前売り3,000円/当日3,500円
申 込 : mail@kazan-office.com  TEL: 080-4164-4150 (市川)
          FAX: 03-6453-9333 (Kazan office.)

智恵子抄は光太郎の愛の言葉だ
 
この詩篇を読めば読むほどそれは間違いないと思える。智恵子に出会ってから、恋人時代、結婚、闘病、死別、その後と約30年にわたって書かれたこの詩篇は一時のラブレターや恋物語にはない圧倒的な説得力で僕の心に迫ってくる。しかしそうなればなるほど「愛ってなんだ?」という疑問も自然とわきあがってくる。
 
今の時代は愛というものがとても捉えずらい。多種多様な価値観があり、愛の形も様々。愛なんてよく分からない、結婚なんてしなくていい。そんな言葉がよく聞こえてくる。
そんな時代だからこそ、光太郎の純粋に相手を見つめる視線、相手に対する限りない情熱は意味があると思う。皆さんも光太郎の言葉に焚きつけられてみては如何でしょうか?
 
今回は皆さんに大真面目に愛を贈りたい。

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出演 立本夏山 Kazan Tachimoto

1982年6月7日 静岡県生まれ。
18歳にて文学座演劇研究所に入所。流山児☆事務所、俳優座演劇研究所を経て重力/Note、新宿梁山泊、燐光群などの作品に出演。2014年Arts Chiyoda 3331 千代田芸術祭にて伊藤 千枝賞受賞。2016年7月アヴィニヨン演劇祭・ブラジルMIRADA演劇祭にてアンジェリカ•リデル新作に出演。小池博史ブリッジプロジェクトの「風の又三郎2016 ODYSSEY OF WIND」「世界会議」に出演。


なかなか、というか、かなり、いや、とてつもなくインパクトのあるチラシです。

「智恵子抄」の世界、朗読的なものも含め、お一人で演じられる場合には、女性が多いのですが、こちらは男性。たしかに光太郎は男性ですし、その視点で書かれた詩群ですから、男性が演じることももちろん有りでしょう。まさか、チラシのような出で立ちで演じられることはないと存じますが。

チラシによると、6月から7月にかけては高知での公演があるそうです。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

私にとつて彫刻の道具はこの世で最も神聖なものであり、又最愛の伴侶である。他の一切のものから聖別された此のものは、どんなことがあつても身を以て護り通さねばならない。

散文「信親と鳴瀧」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳

既に智恵子逝きて12年。しかし、智恵子存命中も同じ考えだったとしたら、それは危険ですね。

題名にある「信親」は鍛冶職人・栗原信親(のぶちか)、そしてその手になる彫刻刀類。「鳴瀧」は京都鳴瀧産の砥石です。下記リンクをご覧下さい。

光太郎第二の故郷ともいうべき岩手花巻から、演劇の公演情報です。

第42回花巻市民劇場公演 「多田等観物語 日が昇る 観音山に帰りたい」

日時 : 2018年2月24日(土) 18:30  2月25日(日)14:00
会場 : 花巻市文化会館 岩手県花巻市若葉町三丁目16番22号
料金 : 一般1,000円/高校生500円/中学生以下無料
主催 : 花巻市・花巻市民劇場実行委員会

 「今、日本の仏教は壊滅的な状況にある。多種多様な思想が我々の生活をもてあそんでいる。インドの仏教は滅び、セイロン・ビルマ・シャムの仏教は半死の状態である。今こそ仏教の原点を残しているチベットの仏教を学び、日本に命ある新しい仏教の教義を作らねばならない。
 このままでは親が子を思い、子が親を慕うと言うあたりまえのことができぬ地獄のような世界になってしまう。だから多田君、チベットの仏教を学び、日本に持ち帰って欲しいのだ。」と島地大等(盛岡北山・願教寺住職)の想いを受け多田等観はチベットへ旅立った。明治45年1月のことである・・・。

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平成16年(2004)に初演されたもので、市民の皆さんによる手作りの演劇です。

主人公の多田等観は、明治23年(1890)、秋田県生まれの僧侶にしてチベット仏教学者です。京都の西本願寺に入山、その流れで明治45年(1912)から大正12年(1923)まで、チベットに滞在し、ダライ・ラマ13世からの信頼も篤かったそうです。その後は千葉の姉ヶ崎(現市原市)に居を構え、東京帝国大学、東北帝国大学などで教鞭も執っています。

昭和20年(1945)、戦火が烈しくなったため、チベットから持ち帰った経典等を、実弟・鎌倉義蔵が住職を務めていた花巻町の光徳寺の檀家に分散疎開させました。戦後は花巻郊外旧湯口村の円万寺観音堂の堂守を務め、その間に、隣村の旧太田村に疎開していた光太郎と知り合い、交流を深めています。


花巻市さんの広報紙『広報はなまき』によれば、「▼20代の若き僧がなぜチベットに行くことになったのか▼なぜ花巻にチベットの経典などがあるのか▼円万寺の人とのふれあい▼彫刻家で詩人の高村光太郎との出会い―などを、ユーモアを交えながら描く。」とのことで、光太郎も登場するそうです。

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お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

世界の美はもう一度健康をとりもどさねばならず、更にもう一度高度の美にまで引き上げられねばならない。

散文「美の中心」より 昭和19年(1944) 光太郎62歳

太平洋戦争末期の文章で、全体にはキナ臭さを含むものですが、こうした時期にも光太郎が「美」の行く末を真剣に案じていたことがうかがえます。

昨日は、両国で劇団劇団空感演人さんによる「チエコ」という演劇を観て参りました。

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平成25年(2013)にも同じ会場、同じ劇団(当時の劇団名は「空感エンジン」)の公演があり、その時以来の2度目の拝見。さすがに4年半ぶりでしたので、細かな部分は覚えて居らず、拝見しながら「ああ、ここはこういうシーンだったな」、「あれっ、こんな流れになるんだったっけ?」という感じでした。

主な舞台は、旧本郷区駒込林町の光太郎アトリエ。肺結核のため智恵子が歿し、光太郎が詩集『智恵子抄』を編もうとしている時期――昭和15年(1940)ごろというところでしょうか。最初に登場するのは、光太郎と、智恵子の最期を看取った智恵子の姪・長沼春子。春子は智恵子歿後も家政婦さんのようにアトリエに同居しているという設定です。そこに光太郎を敬愛する後輩詩人、中原綾子と草野心平(当会の祖です)、さらに途中から光太郎に代わって高村家の家督を継いだ実弟の豊周、そしてかつて智恵子の親友で、長いこと洋行していた田村俊子も加わります。この「現在」の場面と、智恵子存命中の「過去」の場面とを行ったり来たりしながら、物語が進みます。

光太郎智恵子にあまり詳しくない方でも、物語が進むにつれ、こういう経緯があったのか、と、非常にわかりやすく作られています。また、若い役者さんたちの、一生懸命な姿にも好感が持てました。先週からの公演で、合計6組の役者さんたちが入れ替わりながらということで、お互い競い合う的な部分もあるのでしょうか。

そして、結局、智恵子が心を病んだのは誰のせいでもない、という描き方です。心を病んだ智恵子も、最期には「紙絵」によって芸術家としての才を開花させることができたとし、初めは光太郎を糾弾していた田村俊子も納得します。そこで、終幕後は爽やかな余韻が残ります。一歩間違うと、何らの問題意識も提示しないまま、お涙頂戴の甘ったるいメロドラマで終わってしまう危険性もはらむ手法ですが、そこをそうさせないように、役者さんたち、そして脚本・演出の野口麻衣子さん(開演前と終演後、少しお話をさせていただきました)のご努力が見えました。何というか、皆さん、「優しい気持ち」でこの芝居に当たられているような……。

終演後の舞台挨拶。

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左から、長沼春子、豊周、光太郎、智恵子、田村俊子、心平、中原綾子です。

台本を販売していたので、購入して参りました。1,500円でした。

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来週月曜まで、まだ空席がありそうですので、お問い合わせの上、ぜひ足をお運びください。子供さんにも安心してみせられる芝居です。


【折々のことば・光太郎】

芸術作品を製作する者の側からいふと、独自性よりも普遍性を心がける方が正しいのではないかと思ふ。芸術の基準は人類共通の根本に据ゑて置くべきで、殊更に一民族乃至一個人の特性に意識的に凝り固まるべきではないと考へたい。
散文「普遍と独自」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

さりとて、独自性を軽視するというわけでもなく、しかし、独自性は自ずと表れるべきものであるとも光太郎は言います。たしかにどんな芸術でも、没個性も困りものですが、「自分が、自分が」という意識が強すぎるものに対しては、引いてしまうことが往々にしてあります。

空感演人さんの「チエコ」、そうした意味での普遍性も感じさせるものでした。

演劇の公演情報です。
会   場 : 両国エアースタジオ 東京都墨田区両国2-18-7 ハイツ両国駅前 B1F
料   金 : 3,500円 (要予約)
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平成25年(2013)にも公演があり、当方、その際に拝見しました。調べてみましたところ、平成22年(2010)にも上演されており、けっこう歴史があるのだなと思いました。

前回公演と同じで脚本であれば、かなりオーソドックスな作りです。光太郎智恵子にあまり詳しくない方でもわかりやすい内容となっていました。各回キャストが7人。前回公演もそうでしたので、同じ脚本なのではないかと思われます。7人は、光太郎、智恵子、光太郎の弟・豊周、智恵子の姪・春子、智恵子の親友・田村俊子、光太郎を敬愛する後輩詩人・草野心平と中原綾子でした。当会の祖・草野心平は容貌魁偉(怪異?)の、ある意味とんでもないオヤジでしたが(笑)、役者さんはイケメンで、「美化度200%だろ」と心の中でツッコミを入れたのを記憶しております(笑)。

2週に分けての公演で、1週目と2週目で演出の方が異なっています。キャストもほぼ日替わりのようで、若い方々の育成的な部分もあるのかな、と思いました。1週目に出演される安達慶幸さんという役者さん、智恵子の故郷・二本松のご出身だという情報が入ってきており、智恵子のためにも頑張ってほしいものです。

当方、2週目に予約を入れました。皆様もぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

詩画一如などといふ古人の言葉は、その陳腐にきこえる響きの蔭に、存外よく芸術の根本のことがらを表はしてゐるものかも知れない。本来詩人でなければ画はかけない筈で、画の技術の背後には詩精神がなければならない。

談話筆記「画に於ける詩精神」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

「詩精神」。光太郎は「詩魂」とも表しますが、いわば物事の本質を十分に見極め、それを端的に表現しようとする心の持ちよう、とでも言えましょうか。

ネットでたまたま見つけました。朗読劇の情報です。 

MAIA STARSHIP朗読劇「いやなんです あなたのいってしまふのが −智恵子抄より」

期 日 : 2018年1月15日(月)~1月21日(日)
会 場 : shibuya gallery「Arc」 東京都渋谷区神泉町8-10 メゾン神泉401
時 間 : 1/15(月)19:00 木村・浜田ペア
         1/16(火)19:00 東出・尾崎ペア
         1/17(水)15:00 羽場・仲本ペア 19:00 東出・尾崎ペア
      1/18(木)19:00 木村・浜田ペア
      1/19(金)17:00 羽場・仲本ペア 20:00 藍沢・中川ペア
      1/20(土)12:00 藍沢・中川ペア 15:00 羽場・仲本ペア 19:00 木村・浜田ペア
      1/21(日)13:00 木村・中川ペア 17:00 東出・尾崎ペア
料 金 : 3,000円   <全席自由>
申 込 : 公式サイトから
出 演 : 木村優良 浜田由梨 東出有貴 尾崎礼香 羽場涼介 仲本詩菜 藍沢真伍 中川美樹

高村光太郎が狂いゆく愛する妻を詠った「智恵子抄」 この作品を原作とした二人朗読劇を上演いたします。光太郎と智恵子、二人の出会いから死まで有名な古典作品を現代向きの作風で描きます。
最初から最後まで主演二人きりでの上演、才色兼ね備えた8人の役者の芝居にどうぞご期待下さい!

主催・企画・演出:麻衣阿(MAIA STARSHIP)脚本:SAKURA

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年に数種類、光太郎智恵子の世界を扱って下さる演劇の公演がありますが、若い方々の劇団などでも取り上げて下さいます。時を超えても普遍的な魅力が感じられるということでしょうか。

また近くなりましたらご紹介しますが、来年は、平成25年(2013)に劇団空間エンジンさんが上演された「チエコ」という舞台も再演されるそうです。

ご覧になる方々、それから演じられる皆さんに、さらに深く光太郎智恵子の世界を知っていただくきっかけとなって欲しいものです。


【折々のことば・光太郎】

およそ芸術の中で「塊り」の関係の重要な事、彫塑に如くものは無い。むしろ「塊り」そのものが彫塑なのだから。

散文「自刻木版の魅力」より 大正14年(1925) 光太郎43歳

この頃流行していた新版画(かつての浮世絵のように、絵師、彫師、刷師の分業ではない版画)に関する評論です。それは彫刻に近い立体感をも表現できると、好意的に評しています。

光太郎も駒込林町のアトリエ竣工の通知(明治45年=1912)や、自著詩集『典型』の題字(昭和25年=1950)などで自刻木版を手がけましたが、きちんとした作品として世に問うまではやりませんでした。やはり彫刻を第一と考えていたためでしょう。


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こちらは、「パラ」ということで、日中韓の障がい者の方々による書の作品展がメインでしたが、特別展示と言うことで、光太郎を含む各界著名人の書も展示されていました。

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展示されていた光太郎の書は、当方、初めて見るものでした。一見して昭和10年代のものだな、とわかりましたが、帰ってから調べたところ、昭和17年(1942)の詩「みなもとに帰るもの」の一節でした。

   みなもとに帰るもの002

 万古をつらぬいて大御神(おほみかみ)はおはす。
 いのちのみなもとを知るもの力あり、
 微少なほ且つ大業を果す。
 おのが身に思ひわずらふもの、
 ひとへに暗くして大義に通ぜず。
 ただみなもとにかへるを知るもの、
 日月皎然、
 生と死とを問ふことなく、
 一切をあげて大御心にこたへまつる。
 冬と春と夏と秋とすでに去り、
 十二月八日再びきたる。
 軍神は死せず、
 いのちかがやきてわれらを導く。
 義勇公に奉ずるの時今日(こんにち)にあり。
 われらあらゆる道に立つもの、
 悉くいのちのみなもとにかへらんかな。
 みなもとに帰するものは力あるかな。

初出は昭和17年(1942)11月の『東京日日新聞』。「軍神につづけ」の総題で13人の詩篇が連載されたその第一回です。同紙ではこの詩としての題名は付けられて居らず、後に大政翼賛会文化部発行のアンソロジー『軍神につづけ』(昭和18年=1943)に収められた際、「みなもとに帰するもの」の題が付され、さらに同年の光太郎詩集『をぢさんの詩』で「みなもとに帰るもの」と改題されました。

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出品されていた書は色紙で、この詩の2行目から引用された「みなもとをしるもの力あり」。詩では「知る」と漢字ですが、書では「しる」と仮名表記になっていました。「光」一字のサインも入っていました。

この時期、特に学徒動員で出征する学生が、入営前に光太郎の元を訪れ、色紙や光太郎詩集の見返し、さらに日章旗などに揮毫してもらうということが多くありました。新聞雑誌や各種アンソロジー、そして光太郎自身の詩集などに矢継ぎ早に発表されたこの手の翼賛詩を読み、またはラジオで朗読された放送(この詩も昭和17年=1942の12月5日に俳優・岩田直二の朗読がオンエアされています)を聴いた若者達が、自らを奮い立たせるため、光太郎の書を求めたのです。

当方、実際のそういう体験談を複数の方々からお伺いしました。今春亡くなった埼玉県東松山市の元教育長・田口弘氏、光太郎と深い交流のあった、ともに画家の深沢省三・紅子夫妻の子息・竜一氏、東洋大学の学生だった藤尾正人氏。また、軍隊ではなく中島飛行機(現・スバル)の武蔵野工場に勤労動員されていた、女優・渡辺えりさんの父君・正治氏にも。

おそらく、出品されていた書も同じような経緯で書かれたものではないかと推定されます。当方がお話を伺った皆さんは、それぞれ九死に一生を得て戦後まで生き延びられましたが、この書をもらった人は、どういう運命をたどったのか、興味深いところです。

結局、戦場や動員先の工場などで露と消えた命も多数あり、光太郎はある意味、自らがそれらの若者を死に追いやったことを深く反省、戦後は花巻郊外太田村の山小屋で、自虐ともいえる過酷な蟄居生活を7年間続け、天職と考えていた彫刻も自らへの罰として封印し、贖罪に徹しました。

今回の展覧会は、中韓の皆さんの作品も多く展示されていました。日本にこういう詩人がいたということが、広く知られて欲しいものだと思いました。


豊島区役所さんをあとに、続いて、荻窪駅近くの荻窪小劇場さんに向かいました。こちらでは、Dangerous Boxさんという演劇ユニットによる「門ノ月~Aida~/智恵子抄」という公演を拝見。

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この手の公演(特に複数回上演される場合)で、満席になって入れないということはありえなかったので、今回もなめてかかっていましたが、案に相違し、ようやくキャンセル待ちで入れていただきました。小劇場ですのでキャパが少なかったというのもありますが、どうも、根強いコアなファンの方々が存在するようです。

一言でいうと、若い皆さんのパワーに圧倒されました(笑)。

「智恵子抄」系は、年配の方が演じるケースが多く、また、若い皆さんの劇団でも、脚本はベテランの方だったりし、どちらかというと「穏健な」舞台になる印象があります。また、やはりどうしても、一般の方々向けに光太郎智恵子の生涯的な部分を「説明」せざるを得ないかな、という気がします。たとえば昨年、十和田市で上演された地元劇団エムズ・パーティーさんによる「十和田湖乙女の像のものがたり」朗読劇は、当方が書いたジュブナイルを元にして下さいましたが、大半は「説明」でした。それはそれで小学生にでも理解してもらえることを目指した親切心なわけで、場合によっては必要です。

しかし、「理解されないのが怖い」という理由で、過度に「説明」をする必要はないのだな、と感じました。今回の舞台では、極力「説明」を避け、とにかく取り上げる「智恵子抄」の詩篇と、演者のパフォーマンスで勝負、という感じでした。あれを観て光太郎智恵子の生の軌跡が詳しく分かるかというと、そうではありません。しかし、わからないなりに感じるものは多々あったと思います。「Don't think! Feel!」ですね(古っ)。

説明抜きで感じさせるには、パワーが必要です。バックの音楽には神井大治さんという方のエレキ三味線が入り、かなりの大音量。それに負けずにノーマイクでやらねばなりませんから、光太郎役の役者さん、「絶叫」に近い朗読でした。20分ほどの上演時間でしたが、あれをあれ以上続けたら死ぬな、と思いました(笑)。

それから袴姿の智恵子役の女性、白い装束のダンサーの女性。現身(うつしみ)の智恵子と、さまざまなものから解放されたがる智恵子の内面のように見え、影と形の如く向かい合う光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のようだと感じました。

シュールといえばかなりシュール。これは若い皆さんでないと演じきれない演出だな、と思いました。

しかし、ある意味突き放して「感じ」させるだけでなく、理解を助けるための工夫もちゃんとされていました。朗読された光太郎詩篇のうち、現代では意味が通じにくい詩句は、わかりやすいように改変していたのです。「レモン哀歌」では「山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸」の「山巓」を「山のてっぺん」的に、「梅酒」の「厨に見つけたこの梅酒」の「厨(くりや)」を「台所」というふうに。著作権の中の同一性保持権(著作物及び その題号につき著作者の意に反して変更、切除その他の改変を禁止することができる権利)という観点から見ればNGですが、この場合には有りでしょう。

もう一つの演目、「門ノ月」の方は、自らも命を絶った殺人犯のいまわの際の夢幻、的な内容で、部分的には「智恵子抄」にもリンクしていました。こちらも熱のこもった舞台で、根強いコアなファンの方々が存在する理由がよくわかりました。

いつも書いていますが、書にしても舞台にしても、こういう活動を通し、光太郎智恵子の世界に興味を持って下さる人の輪が広がっていくことを祈念してやみません。


【折々のことば・光太郎】

一切が商品、一切が金、 あぶくのやうにゼニをつかんで 米粒ひとつも生産しない。 頭ばかりのゴーストが すばやく、ずるく、小またをすくひ、 口腹ばかりの怪物が 巷をうめてかけずりまはる。 ト、ウ、キ、ヤ、ウはどこにもない。

詩「東京悲歌」より 昭和28年(1953) 光太郎71歳

花巻郊外太田村から7年ぶりに帰ってきた東京。戦後の混乱期の残滓はまだあちこちに残っていたと思われます。そろそろ高度経済成長が始まる時期ですが、その分、環境問題などに対する配慮も無かった時代ですし、おそらく今の東京より醜い都市だったのではないでしょうか。

土曜日、久しぶりに都内でかなり長い距離を歩きました。道々、現代の東京であれば、かえって光太郎の眼には好ましく写る部分もあるのでは、とも思いました。

たまたまネットで見つけた演劇の公演です。2本立てで、一方が「智恵子抄」。 
期 日 : 2017年11月8日(水) 19:30 11月9日(木) 19:30 11月10日(金) 14:30/19:30
      11月11日(土) 14:30/19:30  11月12日(日) 13:00/17:00
会 場 : 荻窪小劇場 東京都杉並区荻窪3-47-18第五野村ビル1F
料 金 : 前売 3,000円  当日 3,500円
問合せ : 団体直通電話 080-8046-3906


◇門ノ月~Aida~
作 木乃正  演出 大栗田正男
本公演での強いエンターテインメント性だけでなく無駄なものを削ぎ落とし、シンプルな空間と人をテーマにどこまで作品作りが出来るかを追求した実験的企画。

原案 高村光太郎  演出 大栗田正男
日替わりで演者を組み合わせ同じ作品の中で密かにそれでいて確実に起こる科学反応を組み合わせる新たな形のパフォーマンス。 乞うご期待!
出演 神井大治 三味線   木房明音 Dancer   小山千尋 Dancer   藤井弘平 朗読   篠原志奈 朗読
    Dangerous Box   

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ぽつりぽつりと、いろいろな方が、さまざまな切り口で光太郎智恵子の世界を取り上げて下さり、ありがたいかぎりです。

8公演ありますので、いずれかの回を観に行くつもりで居ります。皆様もぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】005

三陸沖から日本海まで ずつとつづいた秋空が いかにも緯度の高いやうに 少々硬質の透明な純コバルト性に晴れる。 東北の秋は晴れるとなると ほんとに晴れてまぎれがない。

詩「東北の秋」より 昭和25年(1950)
 光太郎68歳

当方自宅兼事務所は東北より低緯度の南関東ですが、その中でも田舎の区域なので、秋空の美しさは負けていません。

もっとも、光太郎の言いたかったのは、単なる空の美しさだけでなく、トポスとしての東北、ということなのでしょう。「ほんとの空」を求めてやまなかった亡き智恵子の、「東京に空が無い」というモノローグがイメージされていたはずです。

九州福岡から、演劇の公演情報です。

渡辺隆男さん 

期   日 : 2017年9月8日(金)
時   間 : 14:00~15:30
会   場 : レディスもじ 北九州市立東部勤労婦人センター 
         北九州市門司区下馬寄6番8号
料   金 : 500円(菓子・コーヒー付き)
定   員 : 50名(先着)
備   考 : 託児あり(1歳~未就学のお子さん)有料・要予約
         お申し込み時にご相談ください。
出   演 : 芝居屋企画主宰 玄海 椿

詩人高村光太郎を支えた、妻 智恵子。光太郎は智恵子自身を詩に表現するが、皮肉にもそれが智恵子の心を崩壊させることに・・・
毎年開演している玄海椿さんによる一人芝居。今年は「智恵子抄」です。お楽しみに!

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九州を拠点に、主にご自身で書かれた脚本で一人芝居をなさっている玄海椿さん。「智恵子抄」もラインナップに入っていて、当方、平成24年(2012)に福岡で公演があったのを拝見しました。

会場の「レディスもじ 北九州市立東部勤労婦人センター」が、「健康と情報」をテーマに、働く女性及び勤労者家庭の主婦の福祉増進のために設置された施設だそうで、玄海さん、毎年、こちらの利用者のための公演的な感じでやられているそうです。で、今年が「智恵子抄」というわけです。

光太郎との出会いから、さまざまな挫折と心の病、そしてその死まで、主に智恵子視点で描かれた脚本ですが、よくある「光太郎の芸術精進の生け贄となった哀れな智恵子」という描き方ではなく、ボタンの掛け違いの連続で、そうならざるを得なかった、という流れで、感心させられた記憶があります。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

木の実草の実おもしろや 木の実草の実おそろしや 自然の技術きはまりて あらすさまじのたくみかな 木の実草の実そらをゆき 地をゆき野辺に山にみつ
詩「小曲二篇」より 昭和20年(1945) 光太郎63歳

昨日、前半部分を紹介し、今日は後半部分です。

終戦直前の作と推定されますが、もはや敗色決定的な昭和20年(1945)の8月、「国破れて山河あり 城春にして草木深し」的な感懐があったのではないでしょうか。

大阪から演劇の公演情報です

売り言葉

期   日 : 2017年8月25日(金)~27日(日)
会   場 : 大阪市立芸術創造館 大阪府大阪市 旭区中宮1丁目11−14
時   間 : 25日(金)20:00[S]  26日(土)12:00[A]/15:30[B]/20:00[A]
         27日(日)12:00[B]/15:30[S]
料   金 : 前売/2,500円、当日/3,000円(全席自由席)
主   催 : evkk(エレベーター企画)
出   演 : 一人芝居バージョン[S] >25日(金)20:00、27日(日)15:30  澤井里依  
         複数バージョン[A] >26日(土)12:00、26日(土)20:00
          佐々木穂香、澤井里依、他
         複数バージョン[B] >26日(土)15:30、27日(日)12:00
          宮下牧恵、澤井里依、他

高村光太郎の妻・智恵子の物語。裕福な家庭に生まれた彼女は、東京で高村光太郎と出会い、結婚。才気煥発な智恵子だったが、ふたりの関係は少しづつ変わってゆく。光太郎が芸術家として前進する一方、自分の絵は認められることはなかった。『智恵子抄』に描かれた「あなた」であらんとするため、必死でもがく智恵子-本当に、私はこんなにも綺麗に死ぬことが出来るのかしら。

作・野田秀樹 演出・外輪能隆 上演時間・約1時間30分(休憩なし)

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「売り言葉」は、平成14年(2002)、野田秀樹氏の脚本、主役・大竹しのぶさんで初演されました。登場人物は智恵子のみの一人芝居です。

翌年に新潮社から出版された野田さんの脚本集『二十一世紀最初の戯曲集』に収められ、その後、プロアマ問わず、多くの公演で取り上げられています。

モラハラともいえる光太郎の芸術至上主義の犠牲となった智恵子、という観点で、徐々に壊れていくその描写が秀逸でした。

今回、「複数バージョン」という試みが為されるそうで、元来が一人芝居であるものを、どう複数で演じるのか、興味のあるところです。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

生きた言葉の美しさ。 利害を絶した天の声こそ まことに此世をせいせいさせる。  
 商量思念に我を持つ言葉は 結局あはれな陳列物。 自然と涌いてあやまたない、 さういふ言葉を語る人に 雲のやうな無限がある。

詩「或会議に列して」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

「或会議」は、光太郎も議員として出席した第一回中央協力会議。大政翼賛会中央本部で開催されました。終了後、同じく議員だった菊池寛、尾崎士郎と行った座談会の筆記が雑誌『モダン日本』に掲載されています。冒頭の光太郎の発言。

今日あたり聴いてゐて、人のしやべる欲望の物凄さを感ずるですね。自分でしやべつてゐて、頭がわるくなつてしまふのか、同じことを五人も六人も話したことを忘れて、やつぱりちつともやめないんですね。

それが「商量思念に我を持つ言葉」「結局あはれな陳列物」ということなのでしょう。何だか、どこぞの国の国会や閉会中審査なる会議のようですね(笑)。

しかし、三人とも、議長を務めた後の内務大臣、海軍大将の末次信正については賞賛しています。

尾崎 しかし僕はあの議長は非常に立派だと思つたですね。あの人が変つたら、何か感じが少し変りは
    しない
かと思ふ。(略)僕はちょっと眠つちやつたけれども、気がつくと、末次さんが眼をギ
    ラギラしてやつてゐ
るので、何か壮烈な感じがしたですね。
菊池 長くなつた人なんか遠慮しないで「簡単に願ひます」なんてやつてゐた。
尾崎 はつきり処理しながら、なかなか思ひやりもあつて、情義兼ね備はつてゐるね。
高村 ゆつたりやつてゐるから、面白いですね。

当方も人前で話す機会が結構あるのですが、「自然と涌いてあやまたない、 さういふ言葉」を心がけようと思います。

1/29(日)の、『しんぶん赤旗』さん日曜版に、以下の記事が出ました。

つい先日も『週刊朝日』さんのインタビューをご紹介した、当会会友渡辺えりさんがらみです。

この人に聞きたい 生き残った人たちの負い目 父の思い抱き戦争を描く 劇作家・演出家・俳優 渡辺えりさん

 〈父・正治さんの戦争体験を基に書いたのが、「光る時間(とき)」(1997年)です〉
 私が30歳くらいの時、実家で酔った父が、自分の戦争体験を語り始めました。自分は14歳から4年半、東京の中島飛行機武蔵野製作所で、旋盤工としてゼロ戦の部品を作っていたと。驚きました。
 5万人が働いていたという広大な工場は、44年冬から終戦までに空襲を9回受け、200人以上が亡くなったそうです。
 ある日、大空襲があるという情報がもたらされ、全員に避難命令が出ました。でも番をする者が何人か要る。「10人兄弟の末っ子が残るべきだ」「成績の悪い人間を残せ」。醜い争いに耐えかねて、18歳の父は「自分が残ります」と申し出ました。仲間2人が続きました。
 少年3人で空襲を待つ夜は、内蔵が口から飛び出そうなほど怖かったそうです。父は、特攻隊員が胸に縫い付けて飛んだという高村光太郎の「必死の時」を唱えて耐えました。空襲がそれて、父は助かりました。
 話を聞き、私が生まれたのは奇跡だったんだと考えました。そして、私の代わりに死んだ人のためにも、戦争を書く責任があると思いました。

(略)

 父は戦後、山形へ帰り、苦学して小学校の教師になりました。父はよくいっていました。「あの時、人を狂わせ、僕を軍国少年にした教育とは何か。その謎を解きたいんだ」と。
 父が心酔した高村光太郎も戦争が終わってから7年間、岩手の山にこもり、自分の戦争責任を問いました。そんな高村をモデルに「月にぬれた手」(11年)を書きました。
 私は「二度と戦争をしない」と宣言した憲法は、人びとが痛苦の歴史の上に勝ち取ったものだと思います。この憲法を守り、生かすのは私たちの務めです。戦争放棄はいいことだと、いつか世界が見習う日が来ると信じています。

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いろいろな場面で語られている、お父様と光太郎のエピソードの一部が紹介されています。

このあと命を拾ったお父様は、駒込林町の光太郎アトリエを訪れ、光太郎に会われています。やはり空襲で、アトリエが焼け落ちる直前でした。また、戦後、光太郎が山形に講演に行った際(昭和25年=1950)に再会されたそうです。

直接戦争を体験された世代の高齢化がどんどん進む中、第2世代の人々が、それを伝え聞き、次世代へと伝えていくことは大切なことです。二度と同じ過ちを繰り返さないためにも。

渡辺さんには、今後も語り部としてご活躍されることを祈念いたします。


【折々のことば・光太郎】

感激の枝葉を刈れ 感動の根をおさへろ

詩「現実」 大正2年(1913) 光太郎31歳

たった2行の短い詩です。おそらく智恵子との恋愛による高揚感の中、自制を働かせようとする意図を謳っているのでは、と思われます。

戦争も同じですね。集団的な狂躁に巻き込まれ、一人一人が自制心を失い、旗を振る悪辣な者の大言壮語や甘言に乗せられて、気がつけば後戻りできない地点……今の日本がそうなりつつある気がします。

現在発売中の『週刊朝日』さんの2月3日号。

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「平成夫婦善哉」という連載があり、今週号は当会会友(「怪優」ではありません)の渡辺えりさんと土屋良太さんご夫婦がご登場。

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渡辺さんは、お父様の渡辺正治氏が、戦時中から戦後にかけ、光太郎と交流がありました。そのため、あちこちで光太郎とお父様のエピソードをご披露、光太郎プロデュースに一役買って下さっています。


土屋さんは渡辺さん脚本、宮沢賢治を主人公とした舞台「天使猫」で賢治役を演じられました。昨年話題になった映画「シン・ゴジラ」にもご出演されていました。

お二人ともども連翹忌にご参加いただいたり、一昨年には光太郎詩「四人の学生」のモデルになった深沢竜一氏のお宅に同道させていただいたりしました。

今回の記事でも、光太郎の名を出して下さっています。

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ありがたや。

その他、ご夫婦の知られざるエピソードが満載で、面白く読ませていただきました。

ぜひお買い求めを。


【折々のことば・光太郎】

作れ、作れ、力を出して作りぬけ 作りながら喜べ、かなしめ 作りながら怒れ、淋しがれ 作る事は歩む事だ 作る事は生きる事だ

詩「粘土」より 大正二年(1913) 光太郎31歳

彫刻制作をモチーフにした詩「粘土」から。造形芸術にしても、文筆にしても、「作る」というクリエイティブな活動は大切なことですね。この世に生を受けた以上、なにがしかをクリエイトしていきたいものです。

ネットで検索中に演劇の公演情報を見つけました。

蒼井まつりひとり芝居『売り言葉』

日  時 : 2017年1月21日  18時半開場 19時開演
                 22日 11時半開場 12時開演 / 16時半開場 17時開演
会  場 : 絵空箱 新宿区山吹町361 誠志堂ビル
          (有楽町線「江戸川橋」駅 徒歩2分/東西線「神楽坂」駅 徒歩9分)
料  金 : 前売 3,000円 / 当日 3,500円 (1ドリンク込)
演  出 : 由利江美
出  演 : 蒼井まつり
ピ  ア  ノ : 福島剛
声の出演 : 芝田穂積, 和田安弘
予約/問合   : 090-3233-1249 (波美山) / reliure.ryodan@gmail.com

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「売り言葉」は、平成14年(2002)、野田秀樹氏の脚本、大竹しのぶさん出演で初めて上演されました。登場人物は智恵子のみの一人芝居です。

翌年に新潮社から出版された野田さんの脚本集『二十一世紀最初の戯曲集』に収められ、その後、プロアマ問わず、多くの公演で取り上げられています。

さまざまな要因がからみあい、徐々に心の均衡を失っていく智恵子、そしてその背後に要因の多くを作った光太郎の姿が描かれ、なかなか手厳しい内容ですが、この手のものの中では秀逸といえる作です。

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

きりきりと錐をもむ 用はなけれど錐をもむ 錐をもめば板の破るるうれしさに
詩「泥七宝(一)」より 明治44年(1911) 光太郎29歳

「錐」は「きり」、「板」はおそらく木彫に使うための材料と推定されます。

それが度を超して昂じると「強迫性障害」という診断が下りますが、誰にでもこのように無意味な行為に没頭してしまうという経験はあるのではないでしょうか。

運命的に智恵子と出会う直前の、焦燥感に満ちた光太郎の内面がさりげなく表されているようです。

智恵子がらみのイベント二つ、ネット検索で情報を得ました。

まず都内から朗読系。

光子/Unplugged 〜四谷で文学に浸る夜

期  日 : 2016年12月20日(火)
場  所 : 綜合藝術茶房 喫茶茶会記 新宿区大京町2-4 1F
時  間 : 19時半スタート
料  金 : 2000円(ワンドリンク付き)

音響・照明の力を極力かりず、シンプルな舞台の上で、光子という俳優ひとりの声と身体を用いて、みなさまを文学の世界へお連れします。

演目 宮沢賢治 「ひのきとひなげし」 「よだかの星」  高村光太郎 「智恵子抄」…他

光子プロフィール
東京乾電池、ニナガワスタジオ等で演技を学び、数々の舞台や映画に出演。現在は浅草リトルシアターにて、コメディ集団「浅草くじら座」の一員として毎月喜劇の舞台に立っている。


続いて大阪で、「紙絵」に関して。

高村智恵子's『紙絵』

期  日 : 2016年12月28日(水)
場  所 : コミュニティープラザ平野 2階 第3&第4会議室
       大阪市平野区長吉出戸5丁目3-58
時  間 : 13:30~16:00
料  金 : 500円
問い合わせ : 
メール momento.jp/at/gmail.com (「/at/」を半角の「@」に変えてご連絡ください。) 電話 090-8212-7499

『智恵子抄』の本などを執筆した詩人で彫刻家でもある高村光太郎さんの奥方である、洋画家で紙絵作家の高村智恵子さんが行なっておられた『紙絵』作りの会を催します。お正月に向けて、素敵な紙絵を作りましょう。小さなお子さまも、お気軽にご参加ください。

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また近くなりましたらご紹介しますが、年が明けて1月、2月にも「智恵子抄」朗読系のイベントを見つけています。

光太郎智恵子を取り上げて下さり、有り難い限りです。

【折々の歌と句・光太郎】

雪よけの縄こそ松に張られたれ形そびえて朝風に揺る
大正15年(1926) 光太郎44歳

当方自宅兼事務所のある、比較的温暖な房総も、今日は底冷え。さらに雪でも舞い出しそうな曇り空です。

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