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明日から「怒濤の11月」です。「芸術の秋」ということで、イベント等が目白押し。申し訳ありませんが、1件ずつの細かい紹介は出来ません。本日は、現在把握している演劇公演情報を3件、まとめてご紹介します。

まずは岡山県から。

文士劇リーディング『日本文学盛衰史』(作:平田オリザ)

期 日 : 2025年11月2日(日)
会 場 : 岡山芸術創造劇場 ハレノワ中劇場 岡山市北区表町3丁目11-50
時 間 : 17:00~19:00
料 金 : 1日参加券2,000円or期間通し参加券4,000円 + 1,000円

劇作家たちが、続々と登場する明治から昭和の日本文学の文豪を演じる、スペシャルな文士劇リーディング。高橋源一郎の同名小説を大胆に戯曲化した、平田オリザの第22回鶴屋南北戯曲賞受賞作。平田オリザも出演!? 劇作家協会会長の瀬戸山美咲とげきじゃ!運営委員長の角ひろみの夢のタッグ企画。

作 平田オリザ 原作 高橋源一郎 企画 角ひろみ 演出 瀬戸山美咲
出演 総勢25名が出演!
 天野順一朗 綾門優季 長田育恵 鹿目由紀 工藤千夏 黒澤世莉 桑原裕子 鴻上尚史
 ごまのはえ (ジェシカ) 菅原直樹 鈴木聡 角ひろみ 関根信一 高羽彩 竹田モモコ
 佃典彦 豊嶋了子 はしぐちしん 平田オリザ 福原充則 古川健 マキノノゾミ 松村武
 米内山陽子
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今日開幕の「劇作家フェスティバル2025「げきじゃ!」」の一環としての上演です。平田オリザ氏による脚本で、平田氏ご自身も島崎藤村役でご出演とのこと。原作は高橋源一郎氏の同名の小説です。これまでも平田氏主宰の劇団・青年団さんによって各地で上演されてきました。

上の画像でおわかりになるとおり、近代の文豪がずらっと登場。光太郎役は黒澤世莉さんという方だそうです。ただ、「リーディング」と冠されており、あまり動きを伴わない朗読劇のような感じなのかな、と思っております。キャストの方々が皆、本職は劇作家・演出家という方々ですし。

ところで「劇作家フェスティバル」。以前は「日本劇作家大会」という名称でした。令和元年(2019)、光太郎と交流のあった画家・村山槐多の展覧会を見に信州上田に行った際、たまたま同じ会場で開催されていました。その際は、当時の劇作家協会の会長であらせられた、いろいろお世話になっている渡辺えりさんの等身大パネルが据えられていて、笑いました(笑)。

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閑話休題、続いて埼玉から。市民劇団のようです。

劇団ダウト第15回公演「れもん」

期 日 : 2025年11月15日(土)・16日(日)
会 場 : 熊谷市立中央公民館大ホール 埼玉県熊谷市仲町19
時 間 : 11/15 18:30 11/16 14:00
料 金 : 500円 小学生以下無料

智恵子がグロキシニアの花を抱えて光太郎のアトリエを訪ねた日から二人の愛は始まった 彫刻家・詩人の高村光太郎と画家の高村智恵子。芸術家同士の特異な愛の形を 詩集「智恵子抄」を背景に徐々に悲劇へと向かう愛を描く。


作 平田俊子  出演 松尾伊津恵 境野徹 長谷川功

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平田俊子氏作の「れもん」。平成16年(2004)、下北沢のザ・スズナリさんおよび京都芸術センターさんで、柄本明さん、石田えりさんにより初演された2人芝居です。
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そちらは拝見に行けなかったのですが、翌年、小学館さんの季刊雑誌『せりふの時代』第10巻第1号(通巻第34号)に平田氏の脚本が掲載され、そちらを数年前に入手して拝読いたしました。
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智恵子の描かれ方が、軽く「不思議ちゃん」的な。そういった部分でユーモラスな描写もありますが、やはり悲劇的(トラジディ)。しかし、最終幕では花巻郊外旧太田村に移住してからの光太郎によってカタルシスとして終わります。

平田氏、他に『戯れ言の自由』(平成27年=2015 思潮社)、『低反発枕草子』(平成29年=2017 幻戯書房)などで光太郎智恵子に触れて下さっています。

最後は静岡です。

劇団静火🔥第17回公演『売り言葉』

期 日 : 2025年11月29日(土)・30日(日)
会 場 : ギャラリー青い麦 静岡市葵区呉服町2-2-22 呉服町ビル1F
時 間 : 11/29 14:00/18:00 11/30 14:00
料 金 : 一般 2,000円 学生 1,500円 中学生以下 1,000円 当日は500円増

「本当に、私はこんなにも綺麗に死ぬことが出来るのかしら。」
 『智恵子抄』で知られる高村光太郎の妻・智恵子。裕福な家庭で育ち画家を志す智恵子は、理想と現実、そして光太郎が作り上げていく自身の虚像に押しつぶされていく…
 2020年にも上演したこの作品を、引き続き大石明世の演出で、今回は代表・鳥居初江のひとり芝居でお届けします。

作 野田秀樹 演出 大石明世 出演 鳥居初江
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先頃、文化功労者に選出された野田秀樹氏作の「売り言葉」。智恵子のみの一人芝居です。当方、平成14年(2002)の大竹しのぶさんによる初演をテレビで拝見、さらに平体まひろさんによる公演を、昨年、新宿で拝見して参りました。

光太郎のモラハラが前面に押し出され、浅い見方しかできない人々には「これを見て光太郎が嫌いになった」と言わしめる作品です。しかし、「見る」ではなく「観る」で、深いところまで味わっていただければ、智恵子は智恵子で「かくあらねば」という幻想に取り憑かれ、そこから抜け出せないまま毀れていくという感じで、光太郎=クソ野郎という内容ではないことがわかります。それが出来ない人には見てほしくない芝居です。野田氏、いわば功罪相半ばですね(笑)。

案内文にある通り、同劇団、令和2年(2020)にもやはり静岡で公演を打って下さっていました。制作サイドとしてもやりがいのある作品だということなのでしょう。

とりあえず現在把握している11月の光太郎智恵子系演劇公演はこの3本です。他に朗読公演、音楽演奏会などもいろいろありまして、追々紹介して参ります。

【折々のことば・光太郎】

むかしは、彫刻家、画家、装飾家、家具製造家、金銀細工師等、一切の芸術家の仕事場で、重要な法則が一時代から一時代へ、師匠から弟子へと伝へられたものです。其頃では仕事場が実際教えへる場所であり、且つ師匠は其処で弟子の見る処で仕事したのです。今日われわれは、此の驚く可き程生産力ある学校即ち此仕事場の代りに何を持つてゐますか。アカデミーでせう。其処で人は何も習へやしない。まるであべこべの見地から出発してゐるからです。

光太郎訳 ロダン「ロダンの手帳 クラデル編」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

いわゆる徒弟制につき、職人出身のロダンは肯定的でした。伝承されるべき技術は頭で理解して身につけるものではないということで。光太郎もこうした部分は否定しませんでした。

今年度の文化勲章/文化功労者の発表がありました。

時事通信さん。

王貞治さんら8人文化勲章 功労者に野沢雅子さんら、声優初

 政府は17日、2025年度の文化勲章を、元プロ野球選手・監督で現ソフトバンク球団会長の王貞治氏(85)、ノーベル化学賞受賞が決まった京都大特別教授の北川進氏(74)ら8人に贈ると決めた。
 文化功労者にはアニメ「ドラゴンボール」シリーズの孫悟空役などで知られる声優の野沢雅子=本名塚田雅子=氏(88)、漫画家の竹宮恵子氏(75)、建築家の坂茂氏(68)ら計21人を選んだ。声優の文化功労者は初で、女性の功労者は過去最多だった昨年度と同じ6人。文化勲章を受ける北川氏は同時に功労者にも選ばれた。
 文化勲章の親授式は11月3日に皇居で、文化功労者の顕彰式は同4日に東京都内のホテルで行われる。
 文化勲章を受けるのは他に、歌舞伎俳優の片岡仁左衛門=本名片岡孝夫(81)▽心臓血管外科学の川島康生(95)▽民俗学の小松和彦(78)▽ファッションデザイナーのコシノジュンコ=本名鈴木順子(86)▽美術評論の辻惟雄(93)▽有機合成化学の山本尚(82)の各氏。
 他の功労者は、美術家のイケムラレイコ=本名池村玲子(74)▽陶芸家の伊勢崎淳=本名伊勢崎惇(89)▽落語家の柳家さん喬=本名稲葉稔(77)▽小説家・評論家の水村美苗=本名岩井美苗(74)▽柔道の上村春樹(74)▽泌尿器科学の垣添忠生(84)▽文化人類学の小長谷有紀(67)▽高分子化学の沢本光男(73)▽日本料理家の高橋英一(86)▽舞踊家の田中泯=本名田中捷史(80)▽新内節三味線の新内仲三郎=本名角田富章(85)▽演劇の野田秀樹(69)▽レスリングの福田富昭(83)▽半導体デバイス工学の三浦道子(76)▽感染症学の満屋裕明(75)▽文化人類学の山下晋司(76)▽政治学の渡辺浩(79)の各氏。
 ノーベル賞受賞が決まった人は、文化勲章・功労者に選ばれるのが慣例。今年、生理学・医学賞に選ばれた大阪大特任教授の坂口志文氏(74)は2017年に功労者となり、19年に文化勲章を受章している。

このうち、文化勲章を受章される片岡仁左衛門氏は、本名の「片岡孝夫」で活動されていた昭和48年(1973)、NHKさんの「銀河テレビ小説 生きて愛して」(全30回)で、主役の光太郎役を演じられました。
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第1回放映冒頭部分は、花巻郊外旧太田村という設定でした。上画像は蟄居生活を送っていた山小屋(高村山荘)で、当会の祖・草野心平(前田吟さん)に、沈痛な面持ちで戦時中の翼賛活動を悔いる話をしているという場面。一転して朗らかな笑顔の下画像は、山小屋近くの分教場で、子供たちを相手にしているシーン。当然と言えば当然ですが、この二つの表情のギャップだけでも演技の幅がしのばれますね。

ちなみに「銀河テレビ小説 生きて愛して」、ヒロインの智恵子役は大空真弓さん、他に荻原守衛役は寺田農さん、まだ新人だった水沢アキさんが、智恵子の妹・セキの役でした。さらにいうなら、仁左衛門さんのお嬢さん・片岡京子さんは平成12年(2000)、津村節子氏原作の舞台「智恵子飛ぶ」で、智恵子役を演じられました。元々、某大物女優が智恵子役だったところ、その女優が身内の薬物事件逮捕で急遽降板し、セキ役だった京子さんが智恵子役に抜擢という事情がありましたが、それでも父子で時を経て光太郎智恵子役を演じたという稀有な例でした。

仁左衛門さんインタビュー等。やはり時事通信さんから(以下同じ)。

「子孫への置き土産に」 文化勲章の片岡仁左衛門さん

012 「自分が好きでしていることで、こんなに大きな評価を頂けて幸せ。子孫への置き土産になる」。
 文化勲章に選ばれた歌舞伎俳優の片岡仁左衛門さん(81)は、柔和な笑みを浮かべて喜びを語った。
 1998年、大病を克服し十五代目仁左衛門を襲名。「神さまが命を下さった責任感」を胸に、芸の伝承に尽くしてきた。「お客さまに受け入れられている空気が伝わってきたときはうれしい」と芝居の醍醐味(だいごみ)を口にする。
 「菅原伝授手習鑑」の菅丞相をはじめ多くの当たり役を持つが、「役を掘り下げるといまだに発見がある」と強調。「文化勲章の質を落とさないよう、なお一層精進する」と力強く語った。 
片岡 仁左衛門氏(かたおか・にざえもん、本名片岡孝夫=かたおか・たかお)歌舞伎俳優。人気と実力を兼ね備えた俳優として長年優れた成果を挙げ、関係団体でも要職を歴任するなど歌舞伎界の振興に貢献。06年紫綬褒章、15年人間国宝。大阪府出身。81歳。


文化勲章と同時に発表された文化功労者には、今年2月に発表された日本芸術院の新会員に続き、脚本家の野田秀樹氏と建築家の坂茂氏も選出されました。

野田氏は登場人物が智恵子のみの一人芝居で、最近も全国各地で様々な劇団や個人の方によって上演され続けている「売り言葉」を書かれました。初演は平成14年(2002)、大竹しのぶさんが智恵子でした。

「芝居が好き」の一心で 文化功労者の野田秀樹さん

014 「『芝居が好き』という一心で作品を作ってきた」。劇作家の野田秀樹さん(69)は、文化功労者の決定を受けてコメントを出し、演劇人としての半世紀を振り返った。
 東京大在学中の1976年に劇団「夢の遊眠社」を結成し、80年代の小劇場ブームをけん引。奇想天外な物語と躍動感あふれる舞台で観客を魅了した。解散後は、海外の演劇人との共作や歌舞伎など他ジャンルの創作にも精力的に取り組む。
 独特な言葉遊びが野田戯曲の妙味。「『文化功労者=ぶんかこうろうしや』が、頑迷な『文化殺し屋=ぶんかころしや』にならないよう」精進するとユーモラスにつづった。
 野田 秀樹氏(のだ・ひでき)劇作家・演出家・俳優。ジャンルを超えた多彩な創作を展開し、劇作、演出、演技全てで傑出した才能を発揮。演劇における国際交流の業績でも高い評価を得た。11年紫綬褒章。長崎県出身。69歳。

坂氏は、光太郎ゆかりの地にして、毎年「女川光太郎祭」を開催して下さっている宮城県女川町のJR石巻線女川駅駅舎を東日本大震災後の平成27年(2015)に設計されました。

「住環境の改善が責任」 文化功労者の坂茂さん

015 「住環境で困っている人がいたら、それを改善するのは当たり前の責任」。文化功労者に選ばれた建築家の坂茂さん(68)は、世界の著名建築を手掛ける一方、仮設住宅の建設など被災地支援をライフワークとしてきたことで知られる。
避難所の間仕切りを、安価で丈夫な「紙管」で開発するなどの活動を続けてきた。阪神大震災の避難所で「被災者が雑魚寝する悲惨な状況を見た」のがきっかけだった。
 来年度中の設置が見込まれる「防災庁」の行方が気がかりという。「僕ほど世界の被災地を見てきた建築家はいないと思う。絶対に必要な省庁で、お手伝いして何とか良いシステムをつくりたい」と強調した。
 坂 茂氏(ばん・しげる)建築家。リサイクルや焼却が可能な紙製パイプ「紙管」を活用するなど、特徴的な建築で国際的に注目を集めた。災害時には建築の知見を生かした支援活動も展開し、世界から称賛を受けている。14年プリツカー賞、17年紫綬褒章。東京都出身。68歳。


他の受賞者の皆さんを含め、関係の方々の今後のますますのご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

――自分が何かをやる事さへ確かなら、少し位待つたつて何でも無い。たつたひとつの彫像でも押し出せる。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

意外と下積み時代の長かったロダンならではの言です。光太郎もそうでしたし。

今回受賞が決まった方々の中にも、世に認められるまでけっこうかかったという方もいらっしゃるような気がします。

演劇公演の情報です。

チエコ

期 日 : 2025年9月11日(木)~9月15日(月・祝)
会 場 : 両国・エアースタジオ   墨田区両国2丁目18-7ハイツ両国駅前地下1階
時 間 : 9/11 19:00~ 9/12 15:30~ 19:00~ 9/13~15 12:00~ 15:30~ 19:00~ 9/14
料 金 : 来場チケット ¥4,000(全席自由/要予約) ★配信チケット¥3,000

詩人・高村光太郎とその妻智恵子の愛の物語。智恵子の死後、智恵子抄を作ろうと友人の草野心平と中原綾子を呼び智恵子の思い出を振り返る。

出 演 : A 小森毅典 武口菜々子 菖蒲万紀彦 千歳れな ルーシー大原くん  菜月あいり 愛美
      B 新城侑樹 山﨑皆 野田慧 野中梨緒那 風間悠介 中島彩果 阿部優華
      C 松山傑 米良美沙 福岡洸星 富山悠里 安藤良侑 富田凪 藤井円
脚本演出 : 野口麻衣子
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登場人物は7人。それを3組の役者さん達が演じられます。順に光太郎、智恵子、光太郎実弟の豊周、智恵子の姪・春子、当会の祖・草野心平、歌人・中原綾子、智恵子の親友・田村俊子。

「劇団空感エンジン」さんとしての公演を同じ会場で、平成25年(2013)平成30年(2018)と拝見しました。それ以前の平成22年(2010)頃、それからその後令和3年(2021)にも公演がありました。一部、役者さんがかぶっています。

この手の脚本の中では、わかりやすさの面ではピカイチのものの一つです。光太郎智恵子についての予備知識が少ない方がご覧になっても「?」という場面が少ないでしょう。それだけに再演が重ねられているのだと思われます。

また、登場人物それぞれがうまく生かされています。智恵子の心の病という重い現実に関し、それぞれに言い分があって、相互の行き違いや齟齬、時に痛烈な非難的な場面もありますが、結局、それは仕方のないことだった、誰が悪いわけでもない、というような。

それから、キャスト、スタッフの方の中には、公演に向けてと言うことで、光太郎智恵子聖地巡礼などをなさる方もいらしたようで、素晴らしいと思いました。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

何といふ誇張のない的確だ! 此は君の特質の一つです。真実である事、そして単にそれきりだ。

光太郎訳 ロダン「手紙」より 明治43年(1910)頃訳 光太郎28歳頃

人体彫刻に於ける筋肉の付け方など、まったくやっていなかったわけではありませんでしたが、ロダンはあらゆる面で、わざとらしい「誇張」を嫌っていました。

栃木県から演劇公演の情報です。

「智恵子抄」より

期 日 : 2025年8月30日(土)・8月31日(日)
会 場 : アトリエほんまる 栃木県宇都宮市本丸町1-39
時 間 : 両日とも 11:00- / 17:00
料 金 : 一般 1,500円 U22 1,000円 2回目以降のご観劇は500円引きになります。

劇団 言葉借り とは。できないことばっかりな主宰小鳥遊ばんりが言葉を借りて、力を借りて、演劇を作る集団。

第一回公演となる本公演は、高村光太郎の「智恵子抄」の言葉をお借りします。

ことば 高村光太郎  構成 小鳥遊ばんり  配役 女:井森春 男: 渡邊滉太
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二人芝居のようですが、配役は「光太郎」「智恵子」ではなく、「男」と「女」。先にクレジットされている「女」がメインなのでしょう。固有名詞が与えられていないことから、特定の人物の日常ではなく、「智恵子抄」をモチーフとした普遍的な女と男の物語とでもいったところでしょうか。

また、フライヤー裏面下部に、ちょっと気になる記述。「アイマスク着用のご提案」だそうで、「より言葉を純粋に楽しんでいただく鑑賞方法として、アイマスクを着用しての鑑賞をお勧めいたします」とのこと。「へぇー」という感じです。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

現在を過去に結び合せる事は必要である。此事は活きてゐる者に智慧と幸福とを持ち来す。


光太郎訳ロダン「断片」より 大正5(1916)頃訳 光太郎34歳頃

いわゆる「温故知新」ということにも繋がるでしょうか。芸術の制作にもあてはまるでしょうし、人の生きざまといった部分にも繋がるような気がします。光太郎智恵子のように、激動の時代に「生」の在り方を試行錯誤した人々のそれは、特に、です。結局智恵子は刀折れ矢尽き、光太郎は何度もつまづいては転び、そのたび立ち上がっては反省して方向転換し、しかし時には誤った道に踏み惑い……。そうした生きざまから我々も学ぶべきことが多々あるはずですね。

DMM.comさんから配信されているブラウザゲームを元にした演劇です。

文豪とアルケミスト 紡グ者ノ序曲(プレリュード)

東京公演
 期 日 : 2025年5月1日(木)~5月11日(日)
 会 場 : IMM THEATER 東京都文京区後楽1丁目3-53
 時 間 : 5月1日(木) 18:00~        5月3日(土・祝) 12:30~ 17:30~
          5月4日(日) 12:30~ 
17:30~  5月6日(火・振) 13:00~
       5月7日(水)  18:00~       5月8日(木)  13:00~
       5月10日(土)   12:30~ 17:30~   5月11日(日)  12:00~ 17:00~
 休 演 : 5月2日(金) 5月5日(月・祝) 5月9日(金)
 料 金 : 全席指定 10,000円(税込)学割5,000円(税込)

京都公演
 期 日 : 2025年5月17日(土)・5月18日(日)
 会 場 : 京都劇場 京都市下京区烏丸通塩小路下ル 京都駅ビル内
 時 間 : 5月17日(土) 12:30~ 17:30~  5月18日(日) 12:00~ 17:00~
 料 金 : 全席指定 10,000円(税込)学割5,000円(税込)

太宰治らと共に帝國図書館を救い絶筆した北原白秋。

転生を選ばず、再び復活を遂げようとする悪しきアルケミストを葬る術を見出すため、負の感情が充満する生と死の狭間に留まっている。一方、石川啄木、高村光太郎そして小泉八雲は、北原白秋を転生させるべく目論み、また久米正雄と直木三十五は、深い親交のある文豪を探し求めていた。

そんな折、アルケミスト・ファウストと出会った文豪たちは、「かつて文学で世界を救おうとした青年」について聞かされる。

終わらない侵蝕を食い止めるため己の文学を信じ、文豪たちは戦いへと赴く。

キャスト
 北原白秋:佐藤永典   石川啄木:櫻井圭登
 高村光太郎:松井勇歩  久米正雄:安里勇哉(TOKYO流星群)
 直木三十五:北村健人  小泉八雲:林光哲
 ファウスト:原貴和   青年:松村龍之介
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舞台化は第8弾だそうで、前作「旗手達ノ協奏(デュエット)」に続き、光太郎が登場します。演じられるのは前作と同じ松井勇歩さん。
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前作はDVDで拝見しましたが、「転生」した「文豪」たちがそれぞれの得意な武器を手に、「侵蝕者」たちとド派手な大立ち回り。そういう系の役者さんたちですので、殺陣はなかなかの迫力、美しいと思いました。

この系列をご紹介する際にはいつも書いていますが、こういうアプローチから文豪たちに触れていくのも有りでしょう。ただし、そこからさらに進んでそれぞれの作品や生きざまに深く触れていっていただきたいものです。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

昨夜は感激しました、とうとう見たとおもひました、どれもおもしろく見ましたが、いかにもあなたが踊りそのものになり切つてゐることを感じました。最後の場面などはあなたが踊りに踊りぬいたといふ感じをうけました、


昭和27年(1952)12月1日 藤間節子宛書簡より 光太郎70歳

藤間節子(後に黛節子と改名)は、大正10年(1921)生まれの舞踊家。戦時中から光太郎に親炙し、その許しを得て昭和24年(1949)、帝国劇場で『智恵子抄』をモチーフにした舞踊を発表しました。『智恵子抄』がこの手の舞台芸術で取り上げられた嚆矢です。翌年には再演も為されています。光太郎生前には藤間の舞踊が唯一の二次創作でした。

昭和24年(1949)の初演から、藤間は光太郎に観に来て欲しいと言い続けていましたが、花巻郊外旧太田村に蟄居中はそれが叶わず、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため上京したため、初めてリサイタルに足を運んだわけです。ただし、この年のリサイタルでは「智恵子抄」は上演されませんでした。

客席にいる光太郎の姿を写した写真が残っています。
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光太郎の右隣が小川未明、さらにその右隣が高松宮夫妻です。

「文豪とアルケミスト」の舞台も、若い頃から芝居好きだった光太郎、魂となって客席から見ているかも知れません(笑)。

茨城県から演劇公演の情報です。

百景社アトリエ公演2025『売り言葉』

期 日 : 2025年4月26日(土)~4月29日(火・祝)
会 場 : 百景社アトリエ 茨城県土浦市真鍋3-10-18
時 間 : 4月26日(土)14:00 4月27日(日)13:00 / 17:00
      4月28日(月)19:00 4月29日(火・祝)14:00 
料 金 : 一般:3,500円 高校生以下:1,000円

彫刻家であり詩人でもあった高村光太郎が、妻・智恵子のことを綴った『智恵子抄』――純愛詩集として知られたこの作品を題材として、劇作家・野田秀樹が"智恵子"側の目線から描いたのが「売り言葉」です。一人芝居として書かれたこの戯曲を、百景社の山本晃子、鬼頭愛に加え、久保庭尚子を客演に迎えて、女優3人で上演します。百景社の3年ぶりのアトリエ公演です。
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野田秀樹氏脚本による演劇「売り言葉」。初演は平成14年(2002)、南青山スパイラルホールさんで智恵子役・大竹しのぶさんによる一人芝居でした。翌年、野田氏の『二十一世紀最初の戯曲集』(新潮社)に収められ、その後プロアマ問わず多くの劇団さんや個人の方による公演が全国で行われています。確認出来ているかぎり昨年は新宿区の雑遊さんで「平体まひろ ひとり芝居『売り言葉』」公演があり、今年に入ってからも兵庫県姫路市で劇団プロデュース・Fさんの「第76回アトリエ公演 売り言葉」が上演されました。

大竹しのぶさんによる初演時に忠実に一人芝居で行われる場合と、複数の役者さんで分担される場合と両方がありますが、今回は後者です。どのように役分けをされるのか、そのあたりが演出家の方の工夫の見せどころという感じです。

「売り言葉」公演を紹介するたびに書いていますが、野田氏の脚本、この手のものの中では光太郎ディスり度が最も高く、上演を観られた方のSNS等拝見すると「光太郎が嫌いになった」という御意見も目立ちます。ただ、光太郎のモラハラ的な部分も確かに前面に押し出されていますが、智恵子自身が「かくあらねば」という自縄自縛に陥り、自業自得という描き方にもなっています。まぁ、そこに気づけなかった、或いは気づいていても的確に対応しなかった光太郎、というふうにも捉えられますが……。

とにかく光太郎智恵子の世界、単なる純愛の物語というわけではありませんし、単純に無理解だった夫の引き起こした悲劇とも言えません。そのあたりが充分に表現されることを祈念いたします。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

このほどはリンゴ二箱の御恵贈をうけ、まことにありがたく存じます、東京に来てみると、まるで比較にならぬほど二六園のリンゴは美味で、皆に喜ばれます。皆驚嘆してゐます。

昭和27年(1952)10月29日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため花巻郊外旧太田村から上京したのが10月12日。かつて光太郎の花巻疎開やその後の生活に援助を惜しまなかった佐藤隆房医師からリンゴが中野のアトリエに届きました。

「二六圓」は自宅のかたわらに佐藤が作ったリンゴ園。太平洋戦争開戦前、日中戦争は既に泥沼化していた時期、佐藤が院長を務めていた総合花巻病院で汲み取った入院患者などの糞尿をどうするか、世の中はもはやそういったこともきちんと対応出来なくなっており、苦肉の策として肥料にするために作りました。佐藤の随筆集『非常の時』(昭和57年=1982)に記述がありますが、ただの畑での野菜類だとあまり大量の肥料は逆に毒になるところ、リンゴならそれが防げるのだそうで。「二六」は昭和15年(1940)のいわゆる皇紀2600年にちなむ命名です。

実際、岩手のリンゴ、関東のスーパーなどで買うものとは全く別物です。当方も冬場に花巻に行く際はかならず道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで箱買いし宅配便で自宅に発送、さらに東北新幹線新花巻駅前の山猫軒さんで袋詰めのものを購入して帰ります。

3月13日、光太郎生誕142周年となりました。

それに合わせたわけでもないのでしょうが、兵庫県姫路市で明日から公演が始まる劇団プロデュース・Fさんの第76回アトリエ公演「売り言葉」。野田秀樹氏作の演劇で、智恵子を主人公とした一人芝居です。

『神戸新聞』さんに予告報道が出ています。

「智恵子抄」の背後描く 劇団プロデュース・Fの「売り言葉」 14~16日、姫路・本町で公演

 姫路市を拠点に活動する「劇団プロデュース・F」が14~16日、同市本町の劇団アトリエで公演を開く。高村光太郎の名作詩集「智恵子抄」の背後に潜むドラマを舞台化した「売り言葉」を上演する。
 「売り言葉」は人気劇作家・野田秀樹さんの作で、2002年に初演された。高村は詩の中で、純愛の対象として智恵子を描いているが、現実には高村から自由を束縛され、苦悩していた智恵子の姿を描く。舞台では、高村と智恵子の出会いと愛、心の溝の深まりなどをリズム良く、ユーモアも交えて演じる。同劇団が取り上げるのは、2回目。
 自分を見失い、本音を言えなくなった智恵子に代わり、高村の身勝手をとがめる「女中」が重要な役割を果たす。演出のひさたにとしかずさん(76)は「2人の愛の物語だけではなく、自然に振る舞えなくなった人間の葛藤、自由な発言を封じる圧力にも重点を置き、奥行きのある舞台にしたい」と抱負を語る。
 開演時間は、14日午後7時▽15日午前11時と午後3時▽16日午後2時。一般2千円、高校生以下千円。要予約。ひさたにさんTEL090・3656・7814
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先月、大阪で上演された、光太郎智恵子を登場人物とした2人芝居「吹田市民劇場 SHOW劇場 番外編vol.2 a次元のふたり」の際も『毎日新聞』さんが予告報道を出して下さり、おそらく観客動員に貢献されたことと思われます。今回もそうなることを期待します。

さて、「自分を見失い、本音を言えなくなった智恵子に代わり、高村の身勝手をとがめる「女中」が重要な役割を果たす。」だそうで、そのあたりが今回の演出の肝なのでしょう。平成14年(2002)の大竹しのぶさんによる初演では、大竹さんが主人公・智恵子、光太郎、そして狂言廻し的な「女中」と、三役を演じ分けられましたが、今回は「女中」は「女中」でお一人の方が演じられるようです。過去の他団体の公演でもそういうケースがありました。やはり「劇団」として演(や)られるとなると、一人芝居では……ということなのでしょうか。

この報道を読んで「面白そう、行ってみよう」という方が少しでも多くなることを祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

書を書く事は承諾します。あまり大げさな頒布会にしないやうに願ひますし、主催は貴下の名に願ひます。


昭和27年(1952)4月13日 宮崎稔宛書簡より 光太郎70歳

智恵子の姪にして、南品川ゼームス坂病院で智恵子の最期を看取った看護婦だった春子の夫・宮崎稔が光太郎の書の頒布会を企画しました。書に強い興味関心を持っていた光太郎も乗り気でしたが、結局、実現せずに終わったようです。

先頃、日本芸術院新会員となられた野田秀樹氏作の演劇「売り言葉」。初演は平成14年(2002)、南青山スパイラルホールさんで智恵子役・大竹しのぶさんによる一人芝居でした。

光太郎智恵子の世界を劇化したものとしては、最も多く公演が続けられているでしょう。コロナ禍前の令和元年(2019)には、確認出来ている限り6組もの劇団/個人の方が全国で上演して下さいましたし、令和2年(2020)には3公演、コロナ禍を経て令和4年(2022)で2公演、一昨年と昨年も1公演ずつ確認出来ています。

で、今月は兵庫県で。

劇団プロデュース・F 第76回アトリエ公演「売り言葉」

期 日 : 2025年3月14日(金)~3月16日(日)
会 場 : 劇団プロデュース・Fアトリエ 兵庫県姫路市本町233岸田ビル3階
時 間 : 3/14 19:00 3/15 11:00/15:00 3/16 14:00
料 金 : 一般2,000円 高校生以下1,000円

人間が今まで書いてきた男と女の愛の物語はすべて嘘かもしれない あなたとの愛を選ぶ………… 選ぶの中にラブを見つけた 選ぶというラブの残酷 世界は目と鼻の先にしかない その世界は幸福な世界だ そこに貴方は住んでいる

今回もゲストお二人をお迎えしております。高村光太郎の詩「智恵子抄」 妻、智恵子との純愛とは。

出 演 : 駒崎有美 前田宣博 高見めぐみ 小林みね子 中島あると
演 出 : ひさたにとしかず
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キャストとして5名の方がクレジットされています。初演では大竹しのぶさんお一人の一人芝居でした。大竹さんが主人公・智恵子、光太郎、狂言廻し的な「女中」と三役を演じ分けられるという感じで。しかし、いろいろ大人の事情などでそれを破る公演も今までに為されていました。そのあたりは演出の範囲内でしょう。

光太郎ディスり度の最も高い脚本ですが、単に光太郎を悪者にして、才能を潰されたかわいそうな智恵子、というだけでなく、智恵子は智恵子で自分で自分の首を絞めている姿が描かれ、実に考えさせられます。

ご興味お有りの方、ぜひどうぞ。

ちなみに来月になりますと、茨城の劇団さんによる公演が土浦市であるとのこと。また近くなりましたら詳細をお伝えいたします。

【折々のことば・光太郎】
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ソツギ ヨウシキヲシユクス」ユカレズ テザ ンネン


昭和27年(1952)3月7日 
森口多里宛電報より 光太郎70歳

そろそろ卒業式シーズンですね。

森口は昭和23年(1948)に開校した岩手県立美術工芸学校長でした。同校教員には画家の深沢省三・紅子夫妻、彫刻家の舟越保武、堀江赳らがいました。光太郎は名誉教授就任を打診されましたが断り、その代わりことあるごとに同校を訪れ、生徒に講話をしたり、祝辞や祝電を寄せたりしました。

同校は、その後、盛岡短期大学美術工芸科を経て、岩手大学特設美術科に移行、現在に至ります。

購入・視聴しました。DMM.comさんから配信されているブラウザ・アプリゲーム「文豪とアルケミスト」(文アル)を舞台化した劇場公演(文劇)の第七弾、光太郎も登場人物として名を連ねた昨夏の「旗手達ノ協奏(デュエット)」を収録したDVD
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七作目にして初めて光太郎が登場人物として名を連ねました。演じられたのは松井勇歩さん。
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主人公は、谷佳樹さん扮する志賀直哉で、他に武者小路実篤(杉江大志さん)、有島武郎(杉咲真広さん)、里見弴(澤邊寧央さん)の「白樺派」、そこに囚われの身となった小林多喜二(泰江和明さん)がからみ、石川啄木(櫻井圭登さん)、広津和郎(新正俊さん)、そして光太郎が協力して悪に立ち向かう、という相関図です。

そもそも原作のゲームは「転生」した文豪たちが文学作品を蹂躙する「侵蝕者」たちと闘う、というものなので、8人の文豪はそれぞれに得意な武器(光太郎はライフル(笑))を手に「アンサンブル」という敵の戦闘員と大乱闘。そこで大立ち回りのアクションシーンが中心です。
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キャストの皆さん、他に「刀剣乱舞」や「信長の野望」といったやはり激しい殺陣を伴うであろう舞台に出られている方々が中心のようで、そういう役者さんでないとこれは出来ないな、と納得しながら拝見しました。

ただ、そうしたど派手な活劇シーンのみではなく、文豪たちがしみじみと語り合うシーンも。ラスト近く、主人公の志賀直哉が「侵蝕者」について「それほど怖れているんだろうな、文学の力を。文学によって人々が共感したり、考えたり、心が動かされたりすることを」と語っていました。現実世界の小林多喜二は昭和8年(1933)、まさにそのような考えを持つ者たちによって虐殺されたわけで、文アル・文劇ファンの若い方々、そういう点をしっかり学んでいただきたいものです。

DVDは2枚組。「本編」として公演を撮影したものが1枚と、「特典映像」としてメイキングやキャストの方々の座談会(光太郎役の松井さんが司会進行の部分も)などを収めたものが1枚。
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18ページのブックレット、さらにおまけとしてステッカーも封入されています。
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ご興味おありの方、ぜひお買い求めを。

ちなみに、劇場版「文豪とアルケミスト」、第八作「紡グ者ノ序曲」の公演が5月にあり、松井さん演じる光太郎が再び登場します。また近くなりましたらご紹介いたします。

【折々のことば・光太郎】

たまに花巻に出る事があつても電車の時間の都合で中々お立寄が出来ず失礼いたして居ります。皆様によろしく。


昭和27年(1952)3月5日 宮沢清六宛書簡より 光太郎70歳

宮沢賢治実弟の清六に宛てた書簡の一節。「皆様」には賢治や清六の両親、政次郎・イチも含まれているのでしょう。

ゲームとしての「文アル」には賢治も登場し、令和4年(2022)には花巻の賢治記念館や光太郎老記念館などでゲームとのタイアップ企画のスタンプラリーが行われました。「文劇」では未だ賢治は登場していませんが、今後、どうなるのでしょうか。

日本芸術院さんの新会員15人が発表されました。

NHKさん報道。

日本芸術院 新しい会員に倍賞千恵子さんなど15人

 芸術の分野で顕著な功績のある人を集めた日本芸術院の新しい会員に、俳優の倍賞千恵子さんなど15人が選ばれることになりました。
 「日本芸術院」は功績が顕著な芸術家を優遇するための国の特別機関で、外部の有識者を交えた委員会や会員の投票を経て、新たに15人が会員に選ばれました。
 「絵画」の分野からは版画家の中林忠良さん(87)。「工芸」からは、工芸家の大樋年雄さん(66)、本名、奈良年夫さん。「建築・デザイン」からは、建築家の隈研吾さん(70)と建築家の坂茂さん(67)。「写真・映像」からは、写真家の十文字美信(77)さんと、写真家の畠山直哉さん(66)。
 「小説・戯曲」からは、小説家の多和田葉子さん(64)。「詩歌」からは、詩人の藤井貞和さん(82)。
 「歌舞伎」からは、俳優の中村魁春さん(77)、本名、平野豊栄さん。「文楽」からは、人形遣いの桐竹勘十郎さん(72)、本名、宮永豊実さん。「洋楽」からは、指揮者の尾高忠明さん(77)。「演劇」からは、演出家で劇作家の野田秀樹さん(69)と、俳優の橋爪功さん(83)。「映画」からは、アニメーション監督の富野由悠季さん(83)、本名、富野喜幸さんと俳優の倍賞千恵子さん(83)、本名、小六千惠子さんです。
 日本芸術院の新しい会員は、3月1日に発令されます。

なかなか錚々たるメンバーですね。

このうちのお三方が、軽く光太郎智恵子に関わります。

まず文楽の桐竹勘十郎氏。
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令和3年(2021)にいわゆる人間国宝に指定された際にもお伝えしましたが、NHK Eテレさんで放映中の「にほんごであそぼ」に準レギュラーとして時折出演され、文学作品の一節等を人形を遣いながら演じられています。光太郎詩も複数回、氏によって演じられました。
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続いて野田秀樹氏。
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智恵子を主人公とした演劇「売り言葉」。元々は大竹しのぶさんの一人芝居として野田氏が作られ、平成14年(2002)に南青山スパイラルホールさんを会場に初演されました。翌年、野田氏の『二十一世紀最初の戯曲集』(新潮社)に収められ、その後プロアマ問わずさまざまなところで上演されています。来月も兵庫県での公演があります。
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最後に建築家の坂茂氏。
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昭和6年(1931)、紀行文執筆のため光太郎が訪れ、それを記念して毎年「女川光太郎祭」を開催して下さっている宮城県女川町のJR石巻線女川駅は、平成23年(2011)3.11の津波で全壊、同27年(2015)、新しい駅舎が完成しましたが、こちらの設計が坂氏でした。
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屋根は海鳥が翼を拡げた形。全国的にも珍しい温泉入浴施設を伴う駅舎で、当方、毎年女川滞在の際にはここで入浴しています。

ところで芸術院というと、我らが光太郎も晩年の昭和22年(1947)と同28年(1953)に会員に推挙されましたが、断っています(最初の推挙の際は前身の帝国芸術院)。

2度目の辞退の際の光太郎談話を数年前に見つけました。12月22日『毎日新聞』東京版に出た「芸術院会員を拒否 “人選に不明朗” 高村光太郎氏が批判」という記事に附されたものです。

芸術院会員とは人格、識見、技量ともわが国で最高の人々がなるべきである。ところが現在の芸術院はその生い立ちが不明朗なため必ずしもそういった人ばかりとはいえない。第二部はともかく第一部(造形美術部門)での初期の人選は民間の美術団体の不平分子のボスたちを黙らせる手段として、芸術院会員というエサを与えてたな上げにしようとした感があり、なかにはそれにふさわしくない人もいる。従って私は現在の芸術院は御破算にして再出発すべきだと思う。また私は彫刻家である。だから第一部門で選ばれるならわかるが、第二部門では不本意だ

さらに従来知られていた雑誌『新潮』に載った「日本芸術院のことについて――アトリエにて1――」中に、次の一節があります。おそらく、ここで言う「新聞」が上記談話を指していると思われます。

世上、新聞などで、辞退の理由として、現今の芸術院会員の人選について不満があるからといふやうに伝へられたが、これは間違で、現在の人事はまづあんなものだらうと思つてゐる。補充会員の選出方法については又別に意見があるが、それには今触れない。又新聞で、私が彫刻家であるのに文学部門から推せんされたのがをかしいといふので辞退したやうにも言はれたが、これは談笑の間に私が早解りするやうに、「それでは親爺におこられるよ」などといつたからであらう。

当時は第一部(造型美術部門)、第二部(文学部門)の二部構成で、光太郎は詩人として第二部会員に推挙されました。それが彫刻を第一の仕事と考えていた光太郎のプライドを刺戟したようですし、戦時中、大量に書き殴った翼賛詩によって多くの前途有為の若者を死地に追いやったという悔恨から、詩での栄誉に服することを潔しとしなかったのではないでしょうか。

芸術院側としては、「辞退」という「事態」(笑)を想定して居らず(現代ではよくあるようですが)、すったもんだがありました。光太郎に「辞退の理由を書面にして提出せよ」。それに対し光太郎は「そっちが勝手に推薦したのに何で俺が釈明しなきゃいかんのだ」。もっともですね。

ちなみに横山大観は戦前の帝国芸術院時代に会員となりましたが、戦後の昭和25年(1950)になって会員資格を返上しました。これはまたちょっと違うケースですね。

閑話休題、今回の新会員の皆々様方の、今後のさらなるご活躍を祈念いたしております。

【折々のことば・光太郎】

東京は相変らず歳末でごたごたしてゐる事でせう。山はほんにと静かです。


昭和26年(1951)12月24日椛沢佳乃子宛書簡より 光太郎69歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋、厳冬期ともなると訪れる人も少なくなり、煩わしさからは解放されました。

明日、明後日と大阪府吹田市で公演が行われる「吹田市民劇場 SHOW劇場 番外編vol.2 a次元のふたり」について、『毎日新聞』さんが予告を出しました。

光太郎と智恵子 悩み、寄り添う夫婦の物語 「a次元のふたり」

 詩人・彫刻家として知られる高村光太郎(1883~1956年)と、洋画家として活動した長沼智恵子(1886~1938年)。2人の出会いから夫婦としての日々までを描く舞台「a次元のふたり」が、8、9日、大阪府吹田市のメイシアター小ホールで上演される。
 関西の演劇人と同シアターが作る「SHOW劇場」シリーズの新作。高橋恵さんの作、上田一軒さんの演出で、光太郎を竹内宏樹さん、智恵子を佐々木ヤス子さんが演じる。芸術家としての理想と、意のままにならない身体や生活。その間で悩み、寄り添う夫婦の物語を2人芝居に仕立てた。
 「表現者としての野心と、思うようにいかない挫折感。若き日の2人には共感する部分が多い」。高橋さんはそう述べた上で「理想と現実のギャップを身体をキーワードとして描いた」と作劇の狙いを語る。
 上田さんは「光太郎も智恵子も、過剰とも言えるほどの理想を抱いていた。そんな2人の精神性も丁寧に浮かび上がらせたい。2人の葛藤や精神的なつながりが、言葉だけでなく身体的にも伝わる舞台になれば」と意気込む。
 8日午後3時と、9日午前11時・午後3時の3回公演。2000円。問い合わせは、メイシアター(06・6386・6333)
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予告記事が出るということは、それだけ注目されているようで嬉しく存じますし、記事を見て「行ってみよう」と思う読者の方もいらっしゃるでしょうから、しめしめです(笑)。

この手の演劇で、光太郎智恵子の世界を取り上げて下さる方がぽつぽついらっしゃるのは非常に有り難いことです。ところが、何年も前から「智恵子抄やります!」と大騒ぎしておいて、しかし一向に具体化せず、SNS等読むと頓珍漢な記述ばかり、さらに「私が」「私が」の連発で気味の悪い自撮り写真をずらり(しかし結局「私は誰々の弟子で」と七光り。自分が空っぽな人間の「あるある」ですね)、結局スタッフとぶつかって公演中止、そういう事態を恥じるでもなく中止した後もスタッフや他のキャストにぐだぐだ文句の連発を公開、そんな輩も居ます。

中止の前に「協力して下さい」と言うので「いいですよ」と返答したところ、中止したという連絡も無し。また「智恵子抄をやります」とか騒いでいますが、はたして上演までたどり着けるのかどうか……。最近では自分の過去の醜態は棚に上げて「役者とは」などと実にえらそーにのたまっていまして、ちゃんちゃらおかしいったらありません。こういう手合いには光太郎智恵子の世界に手を付けないで欲しいところです。たとえ上演となっても、このサイトでは紹介しませんのでよろしく。

閑話休題、「a次元のふたり」、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

コタツは炭酸ガスの害が意外にひどいやうなので木炭でなく電気コンロを使ふことにきめました。

昭和26年(1951)9月5日 澤田伊四郎宛書簡より 光太郎69歳

澤田の龍星閣が費用を負担して出来た小屋の増築部分。床に掘り炬燵用の炉が切ってありましたが、炭では一酸化炭素中毒の危険性があるということで、電気コンロを使っていました。元の小屋は隙間だらけでその心配はありませんでしたが、新小屋は意外と密閉性が高かったようです。

翌月に小屋を訪ねた佐久間晟・すゑ子夫妻の証言によると、ニクロム線を使ったなつかしい(笑)下記のようなタイプのものだったそうです。
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まず岡山県から演劇公演の情報です。

地方紙『山陽新聞』さん記事。

没後30年 永瀬清子の生涯たどる 2月9日 岡山・ハレノワで朗読劇

 現代詩の母と称される赤磐市出身の詩人永瀬清子(1906~95年)の没後30年に合わせ、朗読劇「永瀬清子物語VIII ラビリンスの旅人」が2月9日、岡山芸術創造劇場ハレノワ(岡山市北区表町)で上演される。 朗読グループ「白萩(はくしゅう)の会」が、永瀬の詩を交えながらその生涯をたどる。
  同会は永瀬と同郷で長年交流のあった竹入光子さん(78)=赤磐市=が約20年前に発足させ、12人が所属する。古里で農業をしながら詩を書き続けた永瀬の生きざまと作品の魅力を伝えようと、2011年に「永瀬清子物語I」を上演し、今回で8作目。 タイトルは<人の一生はラビリンス(迷路)の旅人のようなものだ>という永瀬の文章の一節から着想。結婚出産、高村光太郎らとの交流や宮沢賢治の詩との出合い、帰郷して農業を始めたことなど、メンバーが永瀬の詩を朗読しながら人生の転機となったさまざまな場面を演じる。
  「母として女性として人として、地に足を着けた力強い詩を書き続けた。岡山に素晴らしい詩人がいたことを多くの人に知ってほしい」と永瀬役の伊島久美さん(64)=岡山市北区。脚本と演出を務める竹入さんは「永瀬の詩には老若男女、誰の心にも響くものがある。物語を通してその詩が生まれた背景を表現したい」と話す。
 午前11時、午後3時開演。入場料2千円。岡山芸術創造劇場ボックスオフィス(086―201―2200)。
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公演の詳細。

朗読劇・永瀬清子物語Ⅷ「ラビリンスの旅人」

期 日 : 2025年2月9日(日)
会 場 : 岡山芸術創造劇場ハレノワ 岡山市北区表町3丁目11-50
時 間 : 午前の部 11:00開演/午後の部 15:00開演
料 金 : 全席自由 2,000円

“現代詩の母”郷土岡山の詩人・永瀬清子没後30周年記念公演

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女流詩人の草分けの一人にして、光太郎や当会の祖・草野心平らと交流を持った永瀬清子。光太郎、心平らと共に、かの宮沢賢治作『雨ニモマケズ』が「発見」されたという昭和9年(1934)に新宿モナミで開かれた賢治追悼の会にも居合わせ、詳細な回想を残しています。

その永瀬の忌日・紅梅忌が2月17日(月)でして、それに合わせての公演でしょう。イベントとしての紅梅忌は前日・2月16日(日)に赤磐市の永瀬の生家で執り行われます。
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ところで、演劇でもう1件。

2月11日(火・祝)に岩手県花巻市の花巻市文化会館で開催される「第67回元祖花巻わんこそば全日本大会」で、賢治や光太郎も登場する寸劇が行われるそうです。

フェイスブックでそうした書き込みを見つけ、問い合わせたところ「同じ会場内でホールは違いますがm(_ _)m13:40〜からゲリラ的に始まります」とのこと。ゲリラライブなのでネット上には公式な予告が出ていませんが、ご紹介しておきます。
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花巻といえば、また明日・明後日と花巻に行って参ります。例によって大沢温泉さんで雪見風呂としゃれこんで参ります。

【折々のことば・光太郎】

お問合の浮彫三尊仏は小生の作ではないやうに推定いたされます。小生これまで落款は縦に一行に入れてゐました。お示しのやうに枠内に二行に入れた事は記憶にございません。


昭和26年(1951)7月5日 神部健之助宛書簡より 光太郎69歳

光太郎生前から既に贋作が出廻っていたのですね。

大阪府から演劇の公演情報です。

吹田市民劇場 SHOW劇場 番外編vol.2 a次元のふたり

期 日 : 2025年2月8日(土)・2月9日(日)
会 場 : 吹田市民劇場 大阪府吹田市泉町2-29-1
時 間 : 2/8 15:00~ 2/9 11:00~/15:00~
料 金 : 全席自由 2,000円

作 : 高橋恵 演出 : 上田一軒 出演 : 佐々木ヤス子/竹内宏樹

芸術家としての葛藤と夫婦の愛の物語
高村光太郎は意のままにならない肺に振り回されていた。長沼智恵子は意のままにならない自らの右手に苛立っていた。ある日智恵子は「太陽が緑色でもかまわない」という評論を目にし、作者に会おうとする。乱れた呼吸に喘ぎながら光太郎はその日アトリエで智恵子と出会う。
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タイトル中の「a次元」は、光太郎詩「智恵子と遊ぶ」(昭和26年=1951)由来。

  智恵子と遊ぶ

 智恵子の所在はa次元。
 a次元こそ絶対現実。

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 夢幻(ゆめまぼろし)の生の真実。

 フレンチ平原に茸は生えても
 智恵子の遊びに変りはない。

 二合の飯は今日のままごと。
 牛のしつぽに韮を刻む。

 強敵糠蚊(ぬかが)とたたかひながら
 三畝の畑にいのちを託す。

 あばら骨に錐は刺され
 肺気腫噴射のとめどない咳。

 造型は自然の中軸。
 この世存在のシネ クワ ノン。

 一切は智恵子a次元の逍遙遊。
 遊ぶ時人はわづかに卑しくなくなる。

a次元」は、我々の生きて存在する物理次元を超えた精神世界、抽象次元を表す用語です。カルト宗教の信徒のように、その存在を確信していたわけではないのでしょうが、光太郎にとって、感覚的には、亡き智恵子の存在するa次元と、自らの存在する花巻郊外旧太田村の山林の間の垣根は低かったようです。「シネ クワ ノン」はラテン語で「sine qua non」。「不可欠なもの」といった意味です。

肺気腫」云々は、戦前から煩っていた宿痾の肺結核に関わります。ただ、戦前からと言っても、初めて喀血が起こったのは、確認出来ている限り大正12年(1923)のことです。今回の舞台は、明治44年(1911)の光太郎智恵子の出会いから描かれ、その時点で既に「高村光太郎は意のままにならない肺に振り回されていた」ということになっています。このあたりは物語上の演出なのでしょう。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

見る人が多かつた由をきき、無意味でもなかつたかと思つてゐます。しかし東京の人にはあの本当の美が分かるとは思ひません。特殊芸術位に考へるだらうと推察します。都会生活をしてゐる者は結局遊びに終始する運命をもつてゐます。小生は彼等をあひてにしません。


昭和26年(1951)6月12日 真壁仁宛書簡より 光太郎69歳

銀座資生堂画廊において開催された、都内で初の智恵子紙絵展がらみです。

真壁は山形在住の詩人。東北人となって久しい光太郎、その意味でのシンパシーを感じていたようです。戦時中に光太郎が疎開させた智恵子紙絵千数百枚のうち、およそ3分の1を預かっていました。翌月発行された『美術手帖』通巻45号に、「切抜絵の美 高村智恵子夫人の遺作について」という一文を寄せています。
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DMM.comさんから配信されているブラウザ・アプリゲーム「文豪とアルケミスト」を舞台化した公演。何作かあったうち、光太郎も登場人物として名を連ねた昨夏の「旗手達ノ協奏(デュエット)」を収録したBlu-rayとDVDが発売されます。

文豪とアルケミスト 旗手達ノ協奏(デュエット)

発行日 : 2025年1月29日(水)
発行元 : TCエンタテインメント
定 価 : Blu-ray ¥10,890(税込み) DVD ¥9,790(税込み)

"文学作品を守る

今後の戦いの激しさを憂い小林の転生を目論む志賀だったが、その間にも有碍書は増え続け……。危機が迫る中も挫けず、現状を打開する策を練る志賀。それを武者小路実篤ただ一人がそっと遠くから見守っていた。

キャスト
 志賀直哉:谷佳樹 武者小路実篤:杉江大志 有島武郎:杉咲真広 里見弴:澤邊寧央
 石川啄木:櫻井圭登 高村光太郎:松井勇歩 広津和郎:新正俊 小林多喜二:泰江和明

封入特典(Blu-ray/DVD共通)
◆特典映像
・メイキング ・キャスト座談会 ・アンサンブル座談会 ・オープニング全景映像
・アフターイベント映像(全6回 ※映像は一部カットになる場合がございます)
・稽古場ミニ配信ダイジェスト
 (全3回 ※Youtubeで配信された映像とは別アングルの映像を含めたオリジナルカット版)
◆初回生産限定封入特典:オリジナルステッカー
◆永続封入特典:ブックレット
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この系列をご紹介する際にはいつも書いていますが、こういうアプローチから文豪たちに触れていくのも有りでしょう。ただし、そこで終わりにして欲しくはありませんが。

ご興味おありの方、ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

今日は上天気、棟上となりました。夕方小屋組が出来、大工さんのりとをあげ、小生餅をまき、部落の子供達が喜んでそれをひろひました。今夜は駿河さん宅で一同饗宴の様です。 小屋組はひどく丈夫です。高さも高く、四寸角の柱が三尺に一本づつ立つてゐます、思の外立派なので、小屋とは言へなくなりさうです。


昭和26年(1951)4月15日 澤田伊四郎宛書簡より 光太郎69歳

元々暮らしていた鉱山の飯場小屋に隣接し、新たな小屋の増築普請が始まりました。

左側の白い壁が新小屋。右が元々の小屋です。さらにその右は厠と風呂場。
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この年の秋に撮影されたショット。手前に新小屋が写っています。
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新小屋は50㍍ほど動かされ、現在は倉庫になっています。
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昨日は、今年初めての上京でした。

まずは初詣を兼ねて、足立区の西新井大師五智山遍照院總持寺さんへ。押すな押すなというほどではありませんでしたが、善男善女(当方を除く)でかなりの人出でした。
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まずは当然ですが本堂に参拝。
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大枚5円(笑)を賽銭箱に投入、合掌し、今年一年、平穏無事でありますように、的な祈願を。

なぜわざわざ足立区に、というと、本堂から見えるこちらの三匝堂(さんそうどう)拝見が主目的です。
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このところ、光太郎の父・光雲や、その師・東雲の彫刻を各地で拝見しておりまして、その流れです。こちらにも光雲によるとされる木彫の扁額が掲げられているという情報を以前から得ており、いい機会だと思って参上しました。
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一見、三重の塔のようにも見えますが、三層の楼閣で、いわゆる「栄螺(さざえ)堂」の一種です。天保5年(1834)に建てられ、明治17年(1884)に改修。光太郎が生まれた翌年ですね。

階段は外部にしつらえてあります。元は堂内にも階段があったそうですが、改修の際に取り払われたとのこと。
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栄螺堂でも、有名な会津飯盛山のそれは二重螺旋階段になっていますが、あれはかえって特殊なものです。

内部は拝観出来ません。しかし、当方が見たかったのは軒下に掲げられた扁額。
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中央に刻まれた数字の「3」のような文字は梵字ですね。

そして周囲を取り囲む龍。
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足立区さんのサイトによれば、これが光雲の手によるものだと伝わっている、とのこと。伝わっている、ということは確定ではないのでしょうが、この精緻な彫りは確かに光雲を彷彿とさせられます。ただ、明治17年(1884)の改修の際のものであるとすれば、光雲は独立はしていたものの、まだ一流の職人と認められていなかった時期ですので、疑義が生じます。光雲が斯界でブイブイ言わせるようになるのは、明治20年(1887)に皇居の造営に関わり、さらに同22年(1889)に東京美術学校に奉職してから。しかし、いきなり皇居の内部装飾に抜擢されたとも考えにくく、西新井大師さんのこうした仕事などでその技倆を認められたからなのかな、とも考えられます。

参拝後、世田谷の下北沢へ。当方、公共交通機関で上京する際には東京駅に降り立つのがほとんどで、東京駅を起点に考えると西新井と下北沢では真逆ですが、西新井に近い北千住から小田急線直通の地下鉄千代田線に乗れば意外と便はよく、そうしました。

目指すは本多劇場さん。お世話になっている渡辺えりさんの古稀記念公演が行われています。
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本多劇場さんは、令和元年(2019)にやはり渡辺さん作の「私の恋人」を拝見に伺って以来でした。

今回の古稀公演は「鯨よ!私の手に乗れ」と「りぼん」の2本立て。
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昨日は「鯨……」でした。「りぼん」の方で、光太郎詩「道程」に触れる箇所があるというお話でしたが、招待枠で「りぼん」を観に行ける日がなく、「鯨……」を拝見。「鯨……」でも光太郎に触れる部分があるかなと思っていたのですが、残念ながらそれはありませんでした。

「鯨……」は、昨秋亡くなったお母さまの介護体験等も反映されながら、笑いあり涙あり、なかなかに壮大な物語でした。えりさんは古稀ですが、共演されていた木野花さんは喜寿というのには驚きましたし、共演と言えば、黒島結菜さんは小顔だな、とつくづく思いました(えりさんが顔が大きいとは言いませんが(笑))。ベテランの三田和代さん、広岡由里子さん、宇梶剛士さん、ラサール石井さんらの芸達者ぶり、若い役者さんたちも、劇中で楽器の生演奏やらダンスやらで芝居を盛り上げています。

下記は公式パンフ中の「りぼん」の部分から。
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「道程」がプロパガンダに利用された一面、確かにあるでしょう。詩集『道程』の初版は大正3年(1914)ですが、日中戦争中の昭和15年(1940)には山雅房から「改訂版」が出、同17年(1942)にはそれを対象に光太郎が第一回帝国芸術院賞を受賞しています。「改訂版」は豪華本的な「150部限定版」、普通の装丁の「書店版」、そして簡易な造本の「普及版」の三種が発行され、「普及版」は昭和18年(1943)の9刷まで確認出来ています。
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左から「150部限定版」、「書店版」、「普及版」です。

ちなみに当方手持ちの「普及版」はサイン入りです。
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小池吉昌はマイナーな詩人でした。

プロパガンダ、というと、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」もそういう使われ方をしました。本当に不幸な時代だったと言わざるを得ませんね。

ところで光太郎、「道程」が戦意高揚に使われることに違和感を感じる部分もあったようで、大戦末期の昭和20年(1945)になって、さらに青磁社から『道程再訂版』を出しました。こちらは戦時に関する詩を全く含まず、生涯の詩作から作品を選び、改訂を加えています。消極的な抵抗のようにも思えます。

その年4月10日、下町方面の空襲がひどいと言うことで、えりさんのお父さま・渡辺正治氏が勤務していた中島飛行機(現・スバル)の武蔵野工場から自転車で本郷区駒込林町に光太郎の安否を確認に来ました。その際に「わざわざありがとう」と、光太郎が正治氏に贈ったのがこの「再訂版」です。しかし、3日後の空襲で光太郎アトリエ兼住居は灰燼に帰してしまいます。
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えりさん、そういう部分でも「道程」への思い入れがあるのでしょう。

古稀記念公演、夜の部はまだ空席があるようです。それから西新井大師さん。それぞれぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

小屋に手入をはじめる事になり、ごたごたとしてゐます、

昭和26年(1951)4月15日 出雲正明宛書簡より 光太郎69歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋に、増築工事が始まりました。明確な印税制を採らなかった『智恵子抄』版元の龍星閣の肝煎りです。

活動を継続中の中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会会長にして、劇作家・女優の渡辺えりさん。この5日にはめでたく古稀を迎えられるそうで、それを記念した公演です。

渡辺えり古稀記念2作連続公演『鯨よ!私の手に乗れ』『りぼん』

東京公演
 期 日 : 2025年1月8日(水)~1月19日(日)
 会 場 : 本多劇場 東京都世田谷区北沢2-10-15
 時 間 : 
  『鯨よ!私の手に乗れ』 
   1月8日(水) ・11日(土)~14日(火)・16日(木) 18:00~
   1月9日(木) ・13日(月)・15日(水)・17日(金) 13:00~
  『りぼん』
   1月11日(土)・12日(日)・14日(火)・16日(木)・19日(日) 13:00~
   1月15日(水)・17日(金) 18:00~
   1月18日(土) 13:00~/18:00~(連続公演)
 休 演 : 1月10日(金)
 料 金 : 平日 一般10,000円 学生 4,000円  土日祝 一般11,000円 学生 5,000円

山形公演(『りぼん』のみ)
 期 日 : 2025年1月22日(水)
 会 場 : 山形市民会館 山形市香澄町2-9-45
 時 間 : 18:00~
 料 金 : 平日 一般10,000円 学生 4,000円

『鯨よ!私の手に乗れ』
架空の地方都市の町、山崎県山崎市にある介護施設に神林絵夢がやってくる。ここは母・生子が入所しているのだ。久しぶりに見舞いにきた神林絵夢。母・生子は認知症で、絵夢の弟・公男やその妻・美代子が世話をしているものの、二人が誰かはわからない。絵夢が60歳になるまで演劇を続けてきたのは母のおかげ。晩年ぐらいは自分のために自由に生きてほしいという思いとは裏腹に、時間や規則に縛られて暮らす母の様子を見て絵夢はショックを受け介護士たちに不満をぶちまける。介護施設には元美術教師だった藍原佐和子、看護婦のように振る舞う涼子ら入所者、ヘルパーとして働く水島貴子と生子と同世代の人々がいる。彼女たちは次々に語り出す。彼女らは40年前に解散した劇団のメンバーで、主宰が行方不明になったため上演できなかった作品をいつかやりたいと約束をしていた。生子もその劇団のメンバーだった。ところが彼らの持っている台本は、認知症の患者が認知症の老人を演じるというもの。悲しい結末を知った介護士が途中から破り捨ててしまっていた。その状況に絵夢は台本を書くと言い出す――。2017年に上演された本作品。『演劇』を通して人生を見つめる。人生の中に「演劇」がある力強さを今一度、現代に問いかける。
キャスト
 木野花 三田和代 黒島結菜 広岡由里子 土屋良太 宇梶剛士 ラサール石井 渡辺えり 他

『りぼん』
現代の横浜。「すみれ」、「百合子」、「桜子」3人は関東大震災後に建てられ、最近取り壊された「同潤会アパート」の同じ住人であった。彼女らが住むアパートには、シベリアで抑留されていた夫を持つという「春子」、影を背負う謎の老女「馬場」ら、過去に心の傷を負った女性たちが支え合いながら暮らしていた。そしてそれぞれに「水色のりぼん」の記憶を持っていた。一方、欲情すると水色のりぼんを吐くという奇病を持つ青年「潤一」は、母の遺骨を探す旅の途中、横浜で“浜野リボン”と出会う。リボンは、赤子であった自分の胸に水色のりぼんを縫い付け、墓場に捨てた母の消息を求め、娼婦であった母を知る人物の目に留まるようにと、自らを娼婦の姿に変え、横浜を徘徊している青年と出会った。母から体に水色のりぼんを十字架のように背負わされる2人は、その謎を解くために鍵となる「同潤会アパート」へと向かう。まるで水色のりぼんが彼らを引き寄せるように……。同潤会アパートで潤ーたちと春子らアパートの住人達は初めて出会い、皆の生い立ちと記憶の謎が明らかになってゆく。住人の一人「春子」は愛娘を夫に殺されたという過去を持っていた。戦後娼婦として働かされたという春子の境遇に逆上した夫が春子と娘とを見間違え、首をりぼんで絞めてしまった。そして、実は愛娘の死体のお腹から産まれたのが潤ーであった。2003年に上演、2007年に再演された本作品。未だ混沌と尽きない悩みの最中にある現代日本で蘇る。バンドネオン・ピアノ・ギターの生演奏と共にお送りする音楽劇。
キャスト
 室井滋 シルビア・グラブ 大和田美帆 広岡由里子 土屋良太 宇梶剛士 ラサール石井 渡辺えり 他

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昨年12月25日の『山形新聞』さんに、こちらに関連する渡辺さんのご寄稿。

渡辺えりのちょっとブレーク(235)心のもやもやも込めて

006 古希特別記念連続公演の稽古中です。
 一作品に43人が出演する超大作の連続公演で、前代未聞、前人未到の企画に挑戦することになりました。
 「鯨よ!私の手に乗れ」は、母が介護施設にお世話になるようになってからの実話を基にした作品。11月に母が亡くなったので、母親役の三田和代さんの場面になると泣けてきます。幼い頃からの思い出がよみがえり、たまらなくなりますが、それだからこそ母のためにも成功させたいと頑張っています。
 「りぼん」は山形第六中学校の生徒が東京と横浜に修学旅行に来るストーリー。そこで日本の隠された歴史を発見して驚愕(きょうがく)します。私が実際に昭和40年代に六中の修学旅行で初めて横浜の氷川丸に宿泊した思い出を基に創作しました。2作とも、母親たちが女性として苦労してきた今日までの思いを青いりぼんの思い出とともに表現します。
 2作とも山形弁が多く使われていますが、殺陣指導をお願いした山形市出身の大道寺俊典先生が「みんなもっと山形弁を勉強してほしい」とため息つくほど山形弁は難しいらしいです。大枠の演出が済んだ後に、細かい方言指導もやるつもりで張り切っています。
 歌と踊りも素晴らしい方々が多く出演しているので、新年1月22日の山形公演を楽しみにお待ちください。
 ただ、昔と違って徹夜もできなくなり、朝から晩までの稽古は途中で頭がぼうっとしてしまうこともあります。人間年を取ってみないと、この状況は想像できませんね。両親にもっともっと優しく親切にするんだったと、近頃切に思います。年寄りに親切にしてきた人はきっと、自分が年を取った時に周りに優しくしてもらうでしょうね。介護施設にいた両親が介護士の方たちに「ありがとう。ありがとう」といつも声をかけて、頭を下げていたことを思い出します。山形人はみんな昔からテレパシーで会話する人間が多いため、心で思っていても、なかなか口に出してお礼を言うのが苦手な方が多いように思います。私もそうでしたが、両親を思い出して、口に出すように心がけています。
 今回の「りぼん」は関東大震災や第2次世界大戦、シベリア抑留、接収されていた横浜のことなど日本の過去の歴史がいろいろ出てきますが、オーディションで出演する若者たちとの世代のギャップを感じています。東京オリンピックの思い出を語る場面では「アベベってなんですか?」と聞かれ、高村光太郎の詩「道程」も誰も知らないと分かり、それらを説明するだけでも時間がかかります。今回の2本立てを1カ月半で稽古するのは、至難の業だと分かったのでした。そしてそんなことを愚痴る両親も今は亡く、この心のもやもやも含めて舞台の作品に込めていきたいと思います。
 山形公演を手伝ってくれる友人たち、親戚の皆さん、そしていつも応援して下る皆さま、本当にありがとうございます。山形六中からお借りした制服とショルダーバッグも本当にありがたいです。太った人用の制服が足りず、私の分は生地を足して直しています。終了後はクリーニングに出して速やかにお返しする予定です。私の分はまたほどいてからお返しするので時間がかかると思います。
 さまざまなことがあった一年でしたね。暗いニュースもたくさんありましたが、来年が皆さまにとって良い年になりますように心から願っています。みんなで支え合って諦めずに平和な世の中をつくっていきましょうね。昨年は本当にお世話になりました。喪中なので新年のごあいさつは控えさせていただきますが、皆さま良いお年をお迎えください。
(俳優・劇作家、山形市出身)

劇中で光太郎にも触れられるそうで、さらに特に『鯨よ……』の方は、生前の光太郎をご存じで、昨秋亡くなったお母さまの介護体験等も反映されているそうで。ちなみに亡くなられた11月10日には、えりさん、当方と中野でトークショーでした。

そんなこんなもありますし、御招待いただいているので、拝見に伺います。皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

小生ここへ来てからもう満五年二ヶ月になりますが世情ますます紛糾、いつ彫刻が思ふやうに出来るか、まだ見当がつきません。出来ることを出来る時にしてゐる自然の生活を営むばかりです。


昭和26年(1951)1月12日 西出大三宛書簡より 光太郎69歳


花巻郊外旧太田村での蟄居生活。新しい年が明けて一つの節目と感じてはいたようですが、まだ自らそれを切り上げる気にはなっていませんでした。

この年の秋に山小屋を訪れた詩人の宮静枝によれば、「いま私に彫刻をさせないことは日本の損失だと思います」とまで語ったとのこと。そう考えるなら帰京すれば、と思うのですが、公的に訴追されなかったとしても、自らの戦争犯罪を他が許さないうちは自らも許すことが出来ない、というわけでしょう。

宮曰く、

光太郎は余りにも明治でありすぎたと思うのである。国からの招請を心ひそかに待ち続け、自らの生命を無為に山野に燃焼し尽くした光太郎も、日本の大きい犠牲者であり、まさに悲しみの典型だったのである。(『詩集 山荘 光太郎残影』あとがき「悲しみの典型」平成4年=1992)

昨日のこのブログでは、一昨日、昨日と滞在しておりました光太郎第二の故郷・岩手花巻のレポートを途中まで致しておりましたが、一旦中断し、その後向かいました世田谷での観劇レポートを。そちらの公演が今日までですので、これを見て行ってみようという方が一人でもいらっしゃれば、と思いまして。

燦燦たる午餐さんの第二回公演「凌霄花の家」。ハコは小田急線千歳船橋駅近くのAPOCシアターさん。キャパ20名ちょいくらいの小劇場でした。しかし天井は高く狭苦しい感じではなく、奈落(?)に降りる階段なども劇中で効果的に活用されていました。
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こちらは終演後。左端に階段。
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登場人物は三人(劇中劇的に、他の人物の役どころを演じる役回りも設定されていましたが)。それぞれ熱の籠もった演技でした。

まず令和の現代を生きる若い女性・遙佳(中嶋真由佳さん)。彼女がさまざまな鬱屈を抱え、鬱蒼とした森の中を歩いている中で、凌霄花(ノウゼンカズラ)に包まれたあばら屋を見つけ、屋内に。そこで見つけた古い絵や日記、手紙などに見入っていると、一人の男(石倉来輝さん)が現れ、「この家のゆかりの者」的な自己紹介。そしてかつてこの家であったことを語り出す、という流れです。この手法、能の定石ですね。実はその語っている人物の正体は……という所まで含めて。

男の語る昔語りは、この家(実はアトリエ)で100年ほど前にあった画家夫婦、孝治(石倉さん)と夕子(畑中咲菜さん)の話。この画家夫婦というのが、光太郎智恵子をモチーフとしています。ただ、孝治は彫刻家ではなく画家。彫刻家とするより画家の方が描きやすそうですし、一般の理解も得られるかなとは思いました。評論や翻訳なども書いているという設定は、光太郎そのままです。しかし、詩を書いているという設定にはなっていませんでした。後述しますが、史実の光太郎が書いていた詩も含め、孝治の絵がその役割を担っている感じの描き方でした。

光太郎の「緑色の太陽」を彷彿とさせる評論を読んだ、自身も絵を描いている夕子が孝治のアトリエを訪れ、意気投合、双方の両親の反対を押し切って、結婚。この辺りも光太郎智恵子の史実に近い設定です。また、あまり強調されませんでしたが、孝治の父は、光太郎の父・光雲同様、斯界の権威ということになっていました。

当初は売れない画家だった孝治は、特に夕子をモデルに描いた絵が徐々に世の中に認められていき、夕子も細々と雑誌の挿絵や絵葉書を描いて……という二人の生活。史実だと光太郎は智恵子をモデルとした彫刻も複数作り、発表もしましたが、その数は多くありませんでした。
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しかし、のちに『智恵子抄』に収められる詩群に智恵子を謳い、それによって智恵子のイメージが世に広まった部分はありました。そう考えると、劇中での孝治の智恵子を描いて好評を博した絵は、『智恵子抄』の詩群と置き換えられるように思いました。

細々と夕子に舞い込む仕事の依頼は、「絵にも描かれた孝治の妻」という形容詞がついてのものだったり、孝治の絵と違う服装でいると世間から違和感を感じられたり、と、このあたりはさもありなん、でした。ただし史実では、智恵子は主に母校の日本女子大学校の関係で挿絵や絵葉書などの依頼を受けていましたが、結婚後はそれもほぼ無くなっています。結婚後、智恵子が対外的に行っていたのは雑誌への文章等の寄稿。これも「新進芸術家・光太郎の妻」ということで依頼されていたのかも知れない、と、これは当方、そこまでは深く考えていませんでしたので、目から鱗でした。

『智恵子抄』オマージュは劇中に色々ちりばめられていて、例えば詩「あなたはだんだんきれいになる」(昭和2年=1927)関連のエピソード。

   あなたはだんだんきれいになる

 をんなが附属品をだんだん棄てると
 どうしてこんなにきれいになるのか。318486bb-s
 年で洗はれたあなたのからだは
 無辺際を飛ぶ天の金属。
 見えも外聞もてんで歯のたたない
 中身ばかりの清冽な生きものが
 生きて動いてさつさつと意慾する。
 をんながをんなを取りもどすのは
 かうした世紀の修業によるのか。
 あなたが黙つて立つてゐると
 まことに神の造りしものだ。
 時時内心おどろくほど
 あなたはだんだんきれいになる。

この詩に関しては、光太郎の散文「智恵子の半生」(昭和15年=1940)に、次のように語られています。

彼女は裕福な豪家に育つたのであるが、或はその為か、金銭には実に淡泊で、貧乏の恐ろしさを知らなかつた。私が金に困つて古着屋を呼んで洋服を売つて居ても平気で見てゐたし、勝手元の引出に金が無ければ買物に出かけないだけであつた。いよいよ食べられなくなつたらといふやうな話も時々出たが、だがどんな事があつてもやるだけの仕事をやつてしまはなければねといふと、さう、あなたの彫刻が中途で無くなるやうな事があつてはならないと度々言つた。私達は定収入といふものが無いので、金のある時は割にあり、無くなると明日からばつたり無くなつた。金は無くなると何処を探しても無い。二十四年間に私が彼女に着物を作つてやつたのは二三度くらゐのものであつたらう。彼女は独身時代のぴらぴらした着物をだんだん着なくなり、つひに無装飾になり、家の内ではスエタアとヅボンで通すやうになつた。しかも其が甚だ美しい調和を持つてゐた。「あなたはだんだんきれいになる」といふ詩の中で、

をんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属。

と私が書いたのも其の頃である。

このあたり、劇中ではかなり効果的に使われていました。孝治は夕子をモデルにした絵を「彼女の内面の美を引き出すんだ」と意気込み、実際、ある程度成功したり、古着屋のエピソードは「質屋」と置き換えられていましたが、夕子が対応して自分の着物を「もう着ない柄だから」と言って換金したり、と。「スエタアとヅボン」も。

しかし、そうやって「描かれた自分」と「実際の自分」とのギャップ、孝治や世間による自らの「聖女化」(それとて悪意は無いわけですし)、自身の絵は「孝治の妻が描いた絵」としてしか見られないことなどに耐えられなくなった夕子は壊れ始め……というあたりで終わります。それ以降を語るにはしのびない、あとは想像に任せる、という感じでしょうか。

というわけで、光太郎智恵子をモチーフとしながらも、一般的な話に落とし込み、よりリアリティが増しているように感じました。

会場では製本された台本(月森葵氏著)の販売も行われていまして、一部購入してきました。100ページ近くで1,000円也。お買い得です。公演は今日の昼の部まで。台本は主宰の「燦燦たる午餐」さんに申し込めば入手可能かも知れません。
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スタッフ・キャストなど関係の方々の今後のさらなるご活躍、さらに出来れば再演を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

検印紙は捺印しかけてありますが明三十日は小生山形市へ行かねばならなくなり、三日に帰つてきますから、帰つたらすぐ全部捺印して速達で送ります、

昭和25年(1950)10月29日 澤田伊四郎宛書簡より 光太郎68歳

「検印紙」は澤田の龍星閣から翌月刊行された詩文集『智恵子抄その後』のためのもの。この年1月に発表した同題の連作詩を根幹とします。

その「あとがき」の最後にはこうあります。

「智恵子抄」は徹頭徹尾くるしく悲しい詩集であつた。「智恵子抄その後」の奥底に何があるか、書いてから一年ばかりにしかならないので、まだ自分にもよく分からない。おそらくこれを読む人々が卻てそれを鋭く見ぬいてくれることであらう。

智恵子が歿して既に12年、この年は13回忌でした。それだけ経っても智恵子の姿はありありと光太郎の中に残っていたわけで……。

都内から演劇公演の情報です。

凌霄花の家

期 日 : 2024年12月20日(金)~12月22日(日)
会 場 : APOCシアター 東京都世田谷区桜丘5-47-4
時 間 : 12/20(金) 19:00 12/21日(土) 13:00/18:00 12/22日(日) 13:00
料 金 : 一般/4500円 学割/2000円(要学生証)

鬱蒼とした森の中に佇む一棟の廃屋。床から壁から屋根まで季節外れの凌霄花(ノウゼンカズラ)に覆われ、古びた画材や生活の痕跡が置き去られている。偶然そこに足を踏み入れた少女が黴と埃にまみれた日記帳を開いたとき、どこからともなく一人の男が現れる。彼は少女に、この家にまつわる話を聞いてほしいと頼む。かつてこの家に確かに在った、或る愛についての物語を――

作:月森 葵(燦燦たる午餐)  演出:戸塚萌(燦燦たる午餐)
出演:石倉来輝、畑中咲菜、中嶋真由佳
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フライヤーには智恵子による『青鞜』創刊号の表紙絵(明治44年=1911)があしらわれています。内容的にも出演者の方のX(旧ツイッター)投稿などによれば「高村光太郎・智恵子夫妻をモチーフに書かれたオリジナル台本です。」「能「定家」と高村光太郎『智恵子抄』にインスピレーションを得た、愛と芸術についての物語。」だそうで、これは観に行かねば、と思い、12月21日(土)の昼の部を予約しました。

今年は光太郎智恵子がらみの演劇を3本観ました。

心を病んでからの智恵子を主人公とし、自分の中に「かつての光太郎」や光太郎自身の思う「あるべき自分」はもはやここには居ないという描き方だった「哄笑ー智恵子、ゼームス坂病院にてー」、「かくあらねば」という姿に囚われ、自縄自縛に自らを追い込み、光太郎のモラハラを剔抉し、智恵子が壊れていく様を追った「売り言葉」、病んでなお紙絵を通して光太郎への愛のメッセージを送り続けた智恵子、的な「智恵子抄」……。今回、どんな光太郎智恵子が表わされるのか、興味深いところです。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

其後閲読してゐましたが、此書は大変親切によく出来てゐます、本文はもとより、挿画その他も甚だ趣味が健康です。明るさがあり、又謎のやうなものもあり、おもしろいです。実地に演出した経験が見事に生かされて、細かいところまで注意が行届いてゐます、読者は大いに喜ぶでせう、


昭和25年(1950)9月19日 花巻賢治子供の会・照井登久子宛書簡より
 光太郎68歳

宮沢賢治の教え子だった照井謹二郎と、妻・登久子が起ち上げた児童劇団「花巻賢治子供の会」。昭和22年(1947)、郊外旧太田村に隠棲していた光太郎の慰問のために始められましたが、その後、活動の場を広げていきました。毎年春から初夏には太田村で、秋には花巻町中心街で公演を行い、光太郎も確認出来ている限り7回、それらを観ています。光太郎、若い頃から演劇鑑賞は大好きでした。

昭和25年(1950)には登久子がそれまで上演してきた脚本をまとめ、『どんぐりと山猫』を上梓、光太郎にも贈りました。それに対する礼状の一節です。
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11月23日(土)、都内荒川区荒川ふるさと文化館さんで企画展示「鋳造のまち日暮里—銅像の近代—」、上野の東京都美術館さんで「第46回東京書作展」をそれぞれ拝観後、東京ドーム近くの文京シビックセンターさんで「第67回高村光太郎研究会」に参加。いったん千葉の田舎にある自宅兼事務所に戻りました。

翌11月24日(日)は、杉並区の荻窪小劇場さんへ。都内で一泊しても良かったのですが、宿泊するより往復の公共交通機関運賃の方が安いという判断で、両日とも日帰りにしました。11月9日(土)~11月18日(月)までは中野区のなかのZEROさんで開催された「中野を描いた画家たちのアトリエ展Ⅱ」に毎日スタッフとして詰めておりまして、その間、鎌倉にも足を延ばしたりと、計算するのも恐ろしいほど交通費を使いましたが、世の中にお金を回すことに貢献しているかなと、変に自分に言い訳をしております(笑)。ちなみに片道2時間超です。

で、荻窪小劇場さん。
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こちらでは「劇団「喜び」40回記念公演 一人芝居 智恵子抄」を観覧。
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ちなみに平成29年(2017)には同じ会場にDangerous Boxさんという劇団の二本立て公演「門ノ月~Aida~/智恵子抄」を拝見に伺いました。もう7年も経つか、という感じでしたが。

今回の「智恵子抄」、基本、一人芝居です。演じられたのは茶山千恵子さん。富山県ご在住、地元で光太郎智恵子に関する市民講座講師を務められたり、ご自宅を開放なさって花巻のやつかの森LLCさん考案の「光太郎レシピ」を元に調理された「光太郎ランチ」を予約の方に振る舞われたりと、精力的に活動されています。連翹忌の集いにも昨年今年と、続けてご参加くださいました。
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本編の前に、智恵子の姪にあたり、智恵子が昭和10年(1935)に南品川ゼームス坂病院に入院後、当時の一等看護婦の資格を持っていたことから、病院で一緒に生活する付き添いをした宮崎春子による「紙絵のおもいで」(昭和34年=1959)の朗読。こちらは4日間の公演で3人の方が日替わりで務められ、この日は一柳みるさんでした。

そして茶山さんによる一人芝居。

「智恵子抄」系の一人芝居というと、野田秀樹氏脚本の「売り言葉」が平成14年(2002)以来、様々な劇団や個人の方々が繰り返し取り上げてらっしゃいまして、当方も先月、平体まひろさんによる公演を拝見して参りました。そちらは光太郎智恵子の関係性をかなりアイロニカルに捉え、「智恵子を潰した光太郎」「モラハラから逃げることをせず自縄自縛に陥った智恵子」的な描き方でした。そこで、いろいろ考えさせられるものの、あまり後味のいいものではありません。

今回のものはそうした視点ではなく、心を病んだ智恵子の悲劇性はクローズアップされるものの、あくまでそれは仕方がなかった的なまとめ方でした。紙絵に関しても、言葉を失った智恵子から光太郎へのラブレターといった捉え方。そして全編「美しく」という流れの中で。

どちらを好むかは、人それぞれでしょう。

終演後、茶山さんと一柳さん。
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茶山さん、ステンドグラスの制作などもなさっているそうで、大道具的に配置されていたこちらも茶山さんのご自作とのことです。
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言わずもがなですが、智恵子による『青鞜』創刊号の表紙絵(明治44年=1911)がモチーフです。

その後、客席で懇親会。
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要請により、光太郎智恵子、さらには宮沢賢治についても語らせていただきました。

茶山さん、智恵子没後の光太郎を描く続篇も構想なさっているとのこと。期待したいところです。

以上、長々書きましたが、2日間の都内レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

今年もまた子供さん達の劇を見せて下さつて、たのしい一日を過ごしました、今年は部落の少年少女ばかりでなく、開拓の方からも人が集まり、皆どんなによろこんであの日をたのしんだか知れないと思ひます、劇の選定もいいし、演出が巧みなのでどれも面白く、子供達の自由な動きですべて生き生きとしてゐました、賢治独特の味ひもよく生きてゐました、子供達の技倆もたしかに年々上達してゐるやうです、それに今年は音楽まではいつたので尚更愉快でした、

昭和25年(1950)7月2日 照井登久子宛書簡より 光太郎68歳

「子供さん達の劇」は、花巻賢治子供の会による児童劇。5月、6月頃には光太郎が隠棲していた花巻郊外旧太田村で、秋には花巻町中心街で、それぞれ賢治の童話などを演目として公演を行い、光太郎はそれを楽しみにしていました。

都内から演劇公演の情報です。

劇団「喜び」40回記念公演 一人芝居 智恵子抄

期 日 : 2024年11月21日(木)~11月24日(日)
会 場 : 荻窪小劇場 東京都杉並区荻窪3-47-18 第五野村ビル1F
時 間 : 開場 13:30 開演 14:00
料 金 : 前売 一般4,000円 中高生2,000円  当日 一般4,500円 中高生2,000円

彫刻家であり詩人でもある、高村光太郎その妻智恵子。珠玉の愛の物語『智恵子抄』を一人芝居でお届けします。

皆さまへ、高村光太郎「智恵子抄」との出逢いは、20代後半でした。 あの頃は人生が180度変わる出来事に襲われ、それ以来私は、人を信じる事が出来なくなりました。 トンネルの中を歩いているような数年を過ごしたある時、祖父の書斎で「智恵子抄」を見つけました。 何気なくパラパラと捲り、随筆「智恵子の半生」を読むうちに涙がとめどなく流れ嗚咽していました。 ようやく心の糧になるものに巡り会えた! そんな気持ちでした。それから毎日、智恵子抄を読むうちに、 光太郎 智恵子の生き様に涙し、また励まされ、胸をときめかせました。 稀有な愛の世界を一人でも多くの人に伝えたい。それが私の願いになっていきました。 地元富山では、10年前から一人芝居として「智恵子抄」を公演し好評を得て再演を重ねました。 もっと沢山の方に知って頂きたくて、東京公演を決定しました。

皆様のお越しを心よりお待ちしています♡

出 演 : 茶山千恵子
朗 読 : 一柳みる(劇団昴) 西山水木(下北澤姉妹社) 
      小飯塚貴世江(キヨエコーポレーション)

本編の前にゲストの朗読があります(15分) 宮崎春子 「紙絵のおもいで」
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富山県高岡市ご在住の茶山千恵子氏。地元で光太郎智恵子に関する市民講座講師を務められたり、ご自宅を開放なさって花巻のやつかの森LLCさん考案の「光太郎レシピ」を元に調理された「光太郎ランチ」を予約の方に振る舞われたりと、精力的に活動されています。

今回の「一人芝居智恵子抄」は、令和元年(2019)に富山で上演されたものの再演のようです。

本編の前に、日替わりでゲストの方が朗読をなさるそうです。題目は宮崎春子「紙絵のおもいで」(昭和34年=1959)。春子は智恵子の姪にあたり、智恵子が昭和10年(1935)に南品川ゼームス坂病院に入院後、当時の一等看護婦の資格を持っていたことから、病院で一緒に生活する付き添いをしていました。そしてほとんど唯一、智恵子の紙絵制作の現場を目撃した人物です。
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春子は戦争が終わった昭和20年(1945)12月、光太郎の仲立ちで、光太郎と親交のあった茨城の詩人・宮崎稔と結婚しました。光太郎はそれ以前の同年始めに智恵子紙絵の約3分の1を宮崎家に疎開させており、上記は戦後になってそれを見る春子を写したショットです。

招待券を頂いてしまいまして、お邪魔します。ただ、日程調整がうまくゆかず最終日になっていまいますが。

皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

智恵子の病状記を書いておいて下さる事は興味もあるし一般の参考にもなると思いひます、春子さんとお二人で協力されたら面白いとおもひます、 病状と一緒に切抜絵制作の実際をもみたまま書かれるやうにとおもひます、 今盛岡で切抜絵の展覧会をやつて居ます。末日頃小生も一寸見にゆくつもりでゐます。

昭和25年(1950)4月23日 宮崎稔宛書簡より 光太郎68歳

春子の夫・稔に宛てた書簡から。主に春子への聞き書きのような形で稔が智恵子の病状記録を残そうとしていたようですが、この時点ではそれは実現しませんでした。

盛岡での紙絵展は4月19日~30日、川徳画廊で開催されていました。宮崎家とは別に花巻の佐藤隆房宅に疎開させた紙絵の中からセレクトしてのものでした。

昭和23年(1948)に結成され、光太郎が名付け親となった「花巻賢治子供の会」という児童劇団がありました。主に宮沢賢治の童話を劇化、第一回の公演は光太郎が蟄居生活を送っていた旧太田村の山小屋前で行われ、その後しばらく、春には旧太田村、秋には花巻町中心街での公演というスパンで続きました。光太郎が花巻を離れた後も活動は続き、平成9年(1997)までに公演回数は160回を超えたそうです。

その「花巻賢治子供の会」で実際に光太郎の前で演技をなさった当時のお子さん、お母さまが「花巻賢治子供の会」のメンバーだった宮沢和樹氏(賢治実弟・清六令孫)、そして当方でのトークショーです。

令和6年度高村光太郎記念館企画事業 対談「光太郎と花巻賢治子供の会」

期 日 : 2024年10月27日(日)
会 場 : なはんプラザCOMZ ホール 岩手県花巻市大通一丁目2番21号 
時 間 : 14:00~15:30
料 金 : 無料

高村光太郎と交流した照井謹二郎・登久子夫妻が起ち上げた花巻賢治子供の会の会員より当時の活動の思い出をうかがい、光太郎の想いや賢治とのかかわりを学びます。

講 師 : 宮沢和樹  株式会社林風舎代表取締役
      熊谷 光  花巻賢治子供の会元会員
      高橋則子  花巻賢治子供の会元会員
      小山弘明  高村光太郎連翹忌運営委員会代表
司 会 : 田中しのぶ 花巻賢治子供の会元会員
チラシ表
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「花巻賢治子供の会」。主宰していたのは、花巻農学校での賢治の教え子の故・照井謹二郎氏と奥様の登久子氏。お二人とも小学校教諭、退職後は花巻で幼稚園経営をなさっていました。戦前から近所の子供達を集め、賢治の詩や童話の読み聞かせ、朗読の指導などを行っていました。戦後になり、戦争は終わったにも関わらず、戦争ごっこを続けている子供達の姿に愕然とし「これではいけない」と活動を再開したとのこと。

その頃、賢治実弟・清六の妻、愛子に「一緒に光太郎先生の山小屋に行こう」と誘われた登久子氏(戦時中から光太郎と面識はありました)、「何の手土産も用意できないから……」といったんは断ったものの、子供達の演劇を披露して娯楽の少ない山村暮らしの光太郎を慰問しようと思い立ったとのこと。そして昭和22年(1947)の6月に、旧太田村の光太郎の山小屋前で第一回公演を打ちました。

以後、記録に残る限り、太田村と花巻町中心街で光太郎は7回公演を観ています。光太郎が観た演目で把握できている賢治作品は「雪渡り」「カイロ団長」「どんぐりと山猫」「雁の童子」「風の又三郎」「狼森と笊森、盗森」「かしわ林の夜」。他にオリジナルの劇もあったようです。元々若い頃から芝居好きだった光太郎でしたし、特に戦後、青少年の健全育成には協力を惜しまなかったところもあり、公演の観覧を楽しみにしていました。

子供達の素朴で、しかし生き生きと演じる姿に好感を感じていたらしく、公演回数を重ねだんだん手応えを感じてきた登久子氏が「東京に出て本格的に演出などを学びたい」ともらすと、「そんなことをして変な児童劇臭さがついたらどうするのか。今のままが一番良い」とたしなめたそうです。

賢治童話の劇化ということで、賢治実弟の清六・愛子夫妻もサポート。お二人の令嬢で今年亡くなられた潤子さんも団員の一人として舞台に立たれていました。そこで潤子さん令息の和樹氏にもお話を伺います。

そして、実際に光太郎の前で演じられたお二人。貴重なお話が聴けることと存じます。
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画像の左下に写っている熊谷光さんと高橋則子さんのお二人です。ちなみに光太郎が二列めの右から3番目にいますが、その左後ろが清六、最後列には潤子さんもいらっしゃるようです。昭和27年(1952)、光太郎最後の観覧の際の集合写真です。
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登久子氏は昭和25年(1950)に脚本集『どんぐりと山猫』を十字屋書店から出版。光太郎にも触れられていますし、光太郎はこれを贈られて絶賛しました。

また、照井夫妻の近所に住んでいた菊池捍(まもる)の息女で、光太郎にピアノ演奏を聴かせてあげた聡子氏も音楽方面でサポートしていたこともわかりました。

そんなこんなでの1時間半。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

東京の連中はどうしてゐるかと時々おもひます、みな生活が中々困難だらうと思ひます、勢ひいろんなアルバイトをやらねばならないでせう。此間ラジオの娯楽番組の中へ草野心平が出てきて、唄をうたつたので面白かつたのですが、これもアルバイトの一つでせう。


昭和25年(1950)1月11日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎68歳

当会の祖・心平。「何やってんだ」という感じですが(笑)。

智恵子を主人公とする一人芝居です。

平体まひろ ひとり芝居『売り言葉』

期 日 : 2024年10月10日(木)~10月14日(月)
会 場 : 雑遊 新宿区新宿3-8-8 新宿O・Tビル
時 間 : 10月10日(木)・10月11日(金) 19:00~
      10月12日(土)・10月13日(日) 14:00~/18:00~
      10月14日(月) 12:00~
料 金 : 10月10日(木)のみ3000円 他は一般 4000円 U25 3000円

〈出演〉 平体まひろ
〈スタッフ〉
演出:下平慶祐  舞台監督:齋藤美由紀  音響:丸田裕也  音響オペレーター:池田優美
照明:阪口美和  舞台美術:竹邊奈津子  当日制作:岡田珠美、渋谷真樹子
宣伝美術:平体まひろ  企画・制作:プテラノドン

 「平体まひろ 一人芝居『売り言葉』」が10月10日から14日まで東京・雑遊にて上演される。
 「売り言葉」は、野田秀樹が執筆した戯曲で、2002年に大竹しのぶの一人芝居として上演されたもの。彫刻家で詩人の高村光太郎の妻・智恵子の半生をモデルに描かれた作品だ。
 約1年弱舞台活動を休止していた平体まひろは本作に向けて「一年弱舞台活動をお休みしていました。ということを知っている方はそんなおらんだろとも思いつつ、自分にとっては覚悟を決めてのことだったので、活動再開にあたっても覚悟を決めて、ひとり芝居に挑戦することにしました。沢山の方々のお力をお借りしながら、自分に売り言葉をふっかけながら、皆様に楽しんでいただくべく励みます。ぜひお運びください!」とコメント。
 また演出を手がける下平慶祐は「高村智恵子が狂気に溺れていく戯曲、と聞くとおどろおどろしいと思うかもしれませんが、読んでみると全く違う印象を抱きました。私自身かなり『おどろ』いたのですが、この戯曲に描かれていたのは、普遍的な、とりわけ女性が、必死に人生と向き合っていく様子です。つまり、死を必することが狂っているということ?それなら自分の人生は? なんてことを考えながら、この作品を皆様に送ります」と意気込みを述べた。

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「売り言葉」、元々は大竹しのぶさんの一人芝居として野田秀樹氏が作られ、平成14年(2002)に南青山スパイラルホールさんを会場に初演されました。翌年、野田氏の『二十一世紀最初の戯曲集』(新潮社)に収められ、その後プロアマ問わずさまざまなところで上演されています。
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たまたま偶然でしょうが、令和元年(2019)には、当方の把握している限り6組もの異なる劇団/個人の方が上演、一昨年で2本、昨年も1本の公演がありました。

この手の脚本(ほん)の中で、光太郎ディスり度が最も高い(これでアンチ光太郎になってしまったという方もいらっしゃるようで)ものですが、それだけに生々しい人間ドラマという意味では秀逸です。

ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

真亀の老母逝去の由、気の毒な老年だつたと思ひますが、やむを得ません。


昭和24年(1949)10月27日 宮崎稔宛書簡より 光太郎67歳

「真亀の老母」は智恵子の実母・セン。宮崎の妻・春子は、センの三女・ミツの子で、智恵子にとっては姪にあたり、当時の一等看護婦の資格を持っていて、南品川ゼームス坂病院に起居して智恵子の付き添いを務めました。春子が幼い頃にミツが夫のDVに耐えかねて実家に戻り、ほどなく早世したため、センは孫の春子を養女として戸籍に入れました。そこで戸籍上は光太郎のみならず宮崎の義母ということにもなり、「老母」としているわけです。
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智恵子もそうですが、センもかなり数奇な人生を送りました。家業の長沼酒造破産後は五女のセツの元に身を寄せ、千葉の九十九里浜真亀納屋で暮らし、ゼームス坂病院に入院する前、昭和9年(1934)には心を病んだ智恵子を半年余り受け入れていました。

昨日は都内に出ておりました。

メインの目的は、中野駅近くのテアトルBONBONさんにて上演中の「夢のれんプロデュースvol.7 【哄笑ー智恵子、ゼームス坂病院にてー】」拝見。

そちらが午後2時開演でしたので、午前中に国会図書館さんに立ち寄りました。このサイトで何度か触れているデジタルコレクションリニューアルに伴う調査が未了でして、同館まで出向かないと引っぱり出せないデータがかなり多く、それらの閲覧です。『高村光太郎全集』等に漏れている光太郎の文章(日夏耿之介著書の書評)、生前の光太郎を知る人々の回想文、弘田龍太郎が戦時中に作曲した「ぼろぼろな駝鳥」の楽譜(レコードは持っていましたが、楽譜は未見でした)などを見つけることが出来ました。

その調査は予想外に時間が掛かり、気がつくと正午を廻っていて、慌てて6階に駆け上がって(実際にはエレベータですが(笑))食堂で「国会図書館カレー」を掻き込み、中野へ。

テアトルBONBONさん、光太郎終焉の地にして第1回連翹忌会場ともなった中西利雄アトリエと指呼の距離です。中野駅から、おそらく光太郎が何度も歩いたであろう道を通って行きました。
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帰ってから気づいたのですが、中西利雄子息の故・利一郎氏からお借りしてコピーを取らせていただいた、かつて光太郎が氏のお母さま(利雄夫人・富江さん)に託した買い物を頼む膨大なメモの中に、この辺りの地図もあったはず。探してみたところ、ビンゴでした。
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この地図で左上の二股に分かれた道沿い、「時計屋」とある右上辺りが現在のテアトルBONBONさんでしょう。次に中野に行く時は、この地図など(駅北口の地図もありました)を片手に周辺を歩いてみたいと思いました。地図にある店舗、もしくはその名残くらいは現存しているかもしれません。

さて、ちょうど開場時間。
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PXL_20240621_044008043受付後、「夢のれん」さんを主宰なさり、今回の公演の演出も手がけられた大谷恭代氏とお話しさせていただきました。受付の脇にはアトリエ保存のための署名コーナーを設けて下さり、その御礼など。

アトリエ保存会のメンバーに、「夢のれん」さんのご所属ではないのですが、遠藤哲司氏という役者さんがいらっしゃり、「夢のれん」さんの方々とも親しくされているということで、同氏のお骨折りもあってこのような形でご協力を賜りました。まことに感謝に堪えません。5日間、全8回の公演で、多くのご署名が集まることを願って已みません。

客席へ。キャパ120だそうで、平日の昼間でしたがほぼ満席。「夢のれん」さんの固定ファンのような方々が多いのかな、という印象でした。あとはやはり清水邦夫という巨匠の作品である点も大きいのでしょう。


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物語の舞台は昭和11年(1936)の「ゼームス坂教会」。史実でその前年から智恵子が入院していたゼームス坂病院の隣、という設定です。教会の存在はおそらく清水氏の創作でしょう。登場人物は教会の牧師と4人の娘、それから境の塀を乗り越えてやってくる智恵子ら入院患者、そして光太郎や軍人たちなどの外部の人物。ちなみに2.26事件の約2ヶ月後というわけで、憲兵が当たり前に登場します。

智恵子は心を病んで入院しているのですが、これも清水氏の創作で、光太郎は既に死んでいると思い込んでいます。そこで見舞いに来る光太郎をニセモノだと認識。光太郎はそれに戸惑いつつも、話を合わせるという設定。しかし、観ているうちに、智恵子の方が正しいんじゃないか? と思えても来ました。史実では光太郎は存命だったわけですが、智恵子の中の「かつての光太郎」、光太郎自身の思う「あるべき自分」はもはやここには居ない、みたいな。

実際、この時期くらいから光太郎はどんどん変貌していきました。大正末から昭和初期には当会の祖・草野心平らの影響もあってアナキスト系に近い立ち位置だったのが、満州事変、そして今回の物語の舞台の翌年、日中戦争開戦ともなると、どんどん右傾化していきます。「芸術家あるある」の、俗世間とは極力交渉を絶ち、孤高の姿勢を貫くというライフスタイルが智恵子を追い詰め、心の病に至らしめたという反省、そしてそんな生活を続けていては自分もおかしくなるという危惧があったように感じます。そこで自ら積極的に俗世間と交わる方向に梶を切ったところ、世の中の方がおかしな方向に進んでいた、というわけで。

やがて智恵子が亡くなり、手向けの詩集『智恵子抄』刊行後は、光太郎は詩の中で智恵子を謳うことを止めてしまいます。それが復活するのは戦後。その間、詩と言えばほとんど愚にもつかない翼賛詩一辺倒、戦争とは直接関わらない身辺雑記的な詩もわずかに書かれましたが、そこに智恵子が謳われることはありませんでした。

「哄笑」、昭和11年(936)が舞台ですので、そこまで描かれることはありませんでしたが、そういう部分が暗示されているんじゃないかなと思って観ていました。

それから教会の一家、憲兵以外の軍人、入院患者たち、それぞれに苦悩や悔恨などを抱えています。複雑な人間ドラマです。それぞれの役者さんの熱量で、不思議な世界観が存分に表現されていました。特に智恵子役の槇由紀子さんという方、故・松本典子さんが乗り移ったかのような……。といっても当方、松本さんの智恵子を観たわけではないのですが……。
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ちなみに会場では脚本の冊子も販売されています。一部1,500円。河出書房新社さんから刊行された『清水邦夫全仕事 1981~1991』に載っているのですが、絶版となっており入手困難なので貴重です。

公演は明日まで。昨日の段階では残席状況、以下の通り。

 6/22(土)  ◆13:00🔺←あと数席💦
                 ◇18:00⭕️←オススメ🌸
           当日券あり☘️
 6/23(日)  ◇12:00🔺←残少々
                 ◆16:00⭕️←オススメ🌸

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

御書面中小生の現状を羨望し居らるる方々も有之由拝承候処、これは聊か他家の花紅しの類にて、その方々に小生と同じ生活が一ヶ月もつづけられ候や否やは疑問のやうに存ぜられ候へ共果して如何。


昭和23年(1948)1月13日 宮沢政次郎宛書簡より 光太郎66歳

賢治の父・政次郎宛の書簡から。候文を意訳すれば、「御手紙の中に、光太郎の生活っていいなぁ、憧れるよ、などという方々がいるというお話でしたが、「隣の芝生は青い」の例えの通りで、山の暮らしを甘く見ているのでしょう。この暮らしを1ヶ月も続けられるとは到底思えませんが、いかがお考えですか?」といった感じですね。

厳冬期はマイナス20℃、醤油や万年筆のインクが室内で凍り、寝ている頭に隙間から吹き込んだ雪が積もり、メートル単位で雪が積もる、そんな暮らしですから。下の画像はまだ初冬の雪が少ない時期のものです。
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たまたまですが、演劇の公演情報、3連発となりました。

夢のれんプロデュースvol.7 【哄笑ー智恵子、ゼームス坂病院にてー】

期 日 : 2024年6月19日(水)~6月23日(日)
会 場 : テアトルBONBON 東京都中野区中野3丁目22-8
時 間 : 6月19日(水) 19:00~      6月20日(木) 19:00~
      6月21日(金) 14:00~/19:00~   6月22日(土) 13:00~/18:00~
      6月23日(日) 12:00~/16:00~
料 金 : 4,500円 学割・リピーター割 3,500円

脚 本 : 清水邦夫
演 出 : 大谷恭代

昭和11年5月上旬。南品川ゼームス坂教会、集会室。この約二ヶ月前に二・二六事件が起こった…
教会の隣にはゼームス坂病院があり、詩人で彫刻家の高村光太郎の妻、智恵子をはじめ、多くの精神病患者が入院している。智恵子は夫の光太郎がすでに死んでいると思い込み、目の前に現れる光太郎を受け入れない。智恵子は自ら狂気の世界へ逃げたのか、光太郎の過剰とも言える愛が彼女を追い詰めたのか…
ドイツからやってきた飛行船ツェッペリンのように、しなやかで、気まぐれで、愛すべきキラキラした不良少年・少女たちが闊歩していた東京の街に、軍靴の音が響き始めてきた…


「智恵子抄」の高村智恵子とその夫 高村光太郎 愛の物語です。かなり昔に打診したのですが生前の作者の希望により、外部上演の許可が下りませんでした。今回、元木冬社の方々や各方面の皆様に確認・協力をいただき上演の運びとなりました🙇‍♀️ まだまだ未熟な主宰・演出ですが清水作品の世界観を舞台上に広げられるよう誠心誠意、丁寧に創り上げます❗️
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オリジナルは故・清水邦夫氏作・演出の、ある意味伝説の舞台です。初演は平成3年(1991)、再演が同5年(1993)。いずれも木冬社さんとしての公演で、光太郎役は小林勝也さん、智恵子役は清水氏の奥様だった故・松本典さんが演じられました。再演の際は地方巡回も行われました。当方、平成29年(2017)にたまたま泊まった十和田市のビジネスホテルで十和田公演の際に書かれた松本さん、小林さんらの色紙が飾られているのを見つけ、驚きました。
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004その後、木冬社さんは平成13年(2001)に解散、清水氏も松本さんも亡くなり、再演されることはないのだろうと半ば諦めていましたが、さにあらずでした。

オリジナルの舞台は拝見出来ず、パンフレットは古書店で入手、脚本は河出書房新社さんから刊行された『清水邦夫全仕事 1981~1991』(絶版)で拝読いたしました。光太郎智恵子以外のキャストはすべて架空の人物と思われ、今回のフライヤーにも使われている昭和4年(1929)に飛来した飛行船・ツェッペリン号が一つのモチーフとなった、不思議な世界観です。

当方、6月21日(金)の回を予約いたしました。皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

小生の歌集の広告を見られたさうですが、あれは小生の意に反して十字屋と編者とが強引に出版するもので、書名の「白斧」といふのも誰がつけたか、小生の認知せぬものです。小生は生前歌集は出さぬ主張を持つてゐたのでこの出版には閉口してゐます。内容も小生の校閲を経てゐません。


昭和22年(1947)12月5日 和田豊彦宛書簡より 光太郎65歳

005明治末からの光太郎短歌を集めた歌集『白斧』に関わります。光太郎姻族となった宮崎稔が、光太郎短歌を集めて出版することを提案、光太郎は拒否しましたが、宮崎は上梓を強行しました。そこで光太郎は、あくまで自分とは関わりのないところでの出版である旨を明記せよ、と書き送りました。

タイトルの『白斧』は、明治37年(1904)の第一期『明星』にに載った短歌35首の総題から採られました。総題を付けたのはおそらく鉄幹与謝野寛で、元としたのは「刻むべき利器か死ぬべき凶器(まがもの)か斧の白刃(しらは)に涙ながれぬ」。自分で総題を付けたわけではないので記憶になかったのでしょう。「「白斧」といふのも誰がつけたか」というのはそういうわけです。

ちなみに光太郎、詩とは異なり、短歌は手控えの原稿を残しませんでした。そこで現在でもこれまで知られていなかった短歌の発見が相次いでいます。平成10年(1998)の『高村光太郎全集』完結後に見つかった光太郎短歌は20首ほどにもなります。

日程を勘違いしていまして、昨日開幕でした。紹介が遅れ、申し訳ありません。

文豪とアルケミスト 旗手達ノ協奏(デュエット)

東京公演
 期 日 : 2024年6月6日(木)~6月16日(日)
 会 場 : シアターH 東京都品川区勝島1-6-29
 時 間 : 6月6日(木) 18:00~        6月7日(金) 14:00~
       6月8日(土) 12:30~ 17:30~  6月9日(日) 12:00~ 17:00~
       6月11日(火)  13:00~        6月12日(水)  18:00~
       6月13日(木)  13:00~        6月15日(土)  12:30~ 17:30~
       6月16日(日)  12:00~ 17:00~
 休 演 : 6月10日(月) 6月14日(金)
 料 金 : 全席指定 10,500円(税込)

京都公演
 期 日 : 2024年6月21日(金)~6月23日(日)
 会 場 : 京都劇場 京都市下京区烏丸通塩小路下ル 京都駅ビル内
 時 間 : 6月21日(金) 18:00~        6月22日(土) 12:30~ 17:30~
       6月23日(日) 12:00~ 17:00~
 料 金 : 全席指定 10,500円(税込)
 
生配信
 〈東京〉
①2024年6月8日(土) 12:30公演    ②2024年6月8日(土) 17:30公演
 〈京都〉③2024年6月23日(日) 12:00公演  ④2024年6月23日(日)17:00千秋楽公演
 販売価格
  ①~④単品各公演 :3,800円(税込)
  6月8日(土)2公演+特別コメント映像(白樺派)セット:7,500円(税込)
  6月23日(日)2公演+特別コメント映像(新文豪)セット:7,500円(税込)
  4公演+特別コメント映像(白樺派・新文豪)セット:14,000円(税込)

文学作品を守るためにこの世に再び転生した文豪たち。その中心には白樺派がいた。しかし、長く続く侵蝕者との戦いが、歴戦の栄光に小さな翳りを落とす。その根幹が見出せない彼らを嘲笑うかのように侵蝕は広がり、小さな綻びは大きな窮地に。そんな時、志賀直哉の脳裏に浮かんだのは、かつて巨大な敵に文学で立ち向かった小林多喜二だった。

今後の戦いの激しさを憂い小林の転生を目論む志賀だったが、その間にも有碍書は増え続け……。危機が迫る中も挫けず、現状を打開する策を練る志賀。それを武者小路実篤ただ一人がそっと遠くから見守っていた。

キャスト
 志賀直哉:谷佳樹  武者小路実篤:杉江大志  有島武郎:杉咲真広
 里見弴:澤邊寧央  石川啄木:櫻井圭登    高村光太郎:松井勇歩
 広津和郎:新正俊  小林多喜二:泰江和明
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文豪とアルケミスト」は、DMM.comさんから配信されている、ブラウザゲームです。「様々な文豪と共に人々の記憶から文学が奪われる前に、侵蝕者から文学書を守りぬくことを目指す、文豪転生シミュレーションゲームです。また、本作品では実際にあった文豪同士の関係性を重視した内容を基調としており、それらが豪華声優陣によって現代に甦ります。」「近代風情が漂う平和な時代に、突如 として文学書が全項黒く染まってしまう異常現象が起きる。 それに対処するべく、特殊能力者“アルケミスト”と呼ばれる者が立ち上がり、文学書を守るため文学の持つ力を知る文豪を転生させる。 再びこの世に転生せし文豪たちが綴る、もうひとつの文学譚―」だそうです。

登場する「文豪」は、40名以上。光太郎もその一人です。

そこで、これまでにも声優の森田成一さんによる朗読CDが発売されたり、花巻高村光太郎記念館さん、宮沢賢治記念館などでタイアップ企画のスタンプラリーが行われたりしてきました。

舞台化も為され、今回で7回目だそうです。で、今回初めて、キャストに光太郎。舞台「憂国のモリアーティ」で ジョン・H・ワトソン役や舞台「刀剣乱舞」の 亀甲貞宗役だった松井勇歩さんが演じられるそうです。
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こういうアプローチから文豪たちに触れていくのも有りでしょう。東京公演、京都公演、DMMさんによる配信と、いろいろあります。ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

もう雪が消えさうもなくなりました。室内に氷が張るやうになつたのでいよいよ冬籠です。

昭和22年(1947)12月1日 宮崎稔宛書簡より 光太郎65歳

12月はじめにもう根雪……。花巻郊外旧太田村、恐るべしですね。

都内から演劇公演の情報です。

葵の会第二十三回公演 青鞜の女たち

期 日 : 2024年6月15日(土)
会 場 : 府中市中央文化センター ひばりホール 東京都府中市府中町2丁目25
時 間 : 1回目13時〜  2回目16時半〜
料 金 : 無料

明治末期に雑誌「青鞜」を創刊した平塚雷鳥を中心に集う女性たちの物語

脚 本 : 高垣葵     脚 色 : 瀧田千聰
演 出 : 吉澤佳代子   出 演 : 葵の会

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令和3年(2021)に、同じ脚本で、町田市の市民劇団・ひなた村劇団さんが町田市で上演なさいました。また、同じひなた村劇団さんで「第29回たちかわ真夏の夜の演劇祭」の中でもプログラムに入りました。当方、町田での公演を拝見に伺いました

今回のフライヤー裏面を見るとわかりますが、登場人物がとにかく多く、史実として伝えられる『青鞜』周辺のさまざまなエピソード(それ以外も)がてんこ盛りです。

光太郎智恵子も登場し(フライヤーでは「千恵子」と誤植されていますが)、『青鞜』とは直接関わらない、犬吠埼やずっと後の九十九里での場面なども含まれています。

今回演じられるのは「葵の会」さん。脚本を書かれた故・高垣葵氏と関係があるのでしょうか。ちなみに高垣氏、黒柳徹子さんもご出演なさった伝説的ラジオドラマ「一丁目一番地」(昭和32年=1957)などを手がけられた脚本家で、父君はかの高垣眸です。

というわけで、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

おてがみ拝見、あなたの精進のありさまをよんで、大変うれしく感じました。宮澤賢治の魂にだんだん近くあなたが進んでゆくやうに見えます。


昭和22年(1947)11月30日 渡辺正治宛書簡より 光太郎65歳

故・渡辺正治氏は、劇作家・女優の渡辺えりさんのお父さまです。

光太郎との出会いは太平洋戦争末期の昭和20年(1945)4月、駒込林町の光太郎アトリエ兼住居が空襲により全焼する3日前でした。当時、中島飛行機(現・スバル)の武蔵野工場で働いていた渡辺氏、戦後は郷里・山形に帰られ山形大学に入学、教職の道に進まれます。

おそらく大学在学中、「昭和20年4月に東京でお会いした者ですが、大学に入り直して……」的な書簡を光太郎に送ったのでしょう。それに対する返答の一節です。

このハガキと、最初の出会いの時に光太郎に贈られた『道程 再訂版』は、えりさんを通じて花巻高村記念館さんに寄贈されました。

新聞記事から、またまた紹介すべき事項が溜まってまいりましたので、2件まとめて。

まずは『毎日新聞』さん。当会顧問であらせられた故・北川太一先生の盟友にして、この国で初めて光太郎を正面から捉えた評論集を刊行した、故・吉本隆明氏がらみです。

エッセー『隆明だもの』刊行 漫画家・ハルノ宵子さん 人間・吉本隆明、衝撃の実像

012 漫画家のハルノ宵子、といえば戦後を代表する思想家・吉本隆明(たかあき)の長女、多子(さわこ)さんのペンネームだが、その人が昨年末にエッセー『隆明(りゅうめい)だもの』(晶文社)を出した。驚くのは、これが知られざる吉本家の内情を明かした一種の暴露本なのである。
 「あとがき」で「吉本主義者の方々の、幻想粉砕してますね」と自ら評し、帯に「吉本家は、薄氷を踏むような“家族”だった」ともある。つづられる吉本と妻の和子(ともに2012年死去)の夫妻間の激しい葛藤、この両親と、著者および妹で作家の吉本ばななさんとの親子間の複雑な心理劇は、全共闘世代の「教祖」といわれ、絶大な影響力を持った吉本の実像として確かにショッキングだ。
  晩年に取材する機会を持った記者もそうだが、吉本と関わった多くの人々が、論争的な著作からすると意外な親しみやすい人柄にひかれた。今でいう「略奪愛」で結ばれた妻と、2人の娘に恵まれた家庭は、はた目には仲むつまじいものとしか見えなかった。
 ところが、本書によると吉本自身が「だいたい10年に1度」「不安定で、攻撃的なサイクル」に入る人であり、和子は「家族皆が振り回された」激しい性格だったという。「父(吉本)が10年に1度位荒れるのも、外的な要因に加えて、家がまた緊張と譲歩を強いられ、無条件に癒しをもたらす場ではなかった」からだとも書いてある。
013 この点について聞くと、ハルノさんは「家では母がすごい力を持っていましたからね。洗濯や料理も進んでやった父ですが、母の気持ちを真っ向から受け止めたり、包容したりする力はない人でした。母は心を支えてほしかったのだと思いますが」よと話す。
 本書は、刊行継続中の『吉本隆明全集』(全38巻・別巻1)の月報に掲載された文章を軸に、ばななさんとの姉妹対談、編集者によるインタビューで構成されている。対談でもハルノさんは「本当いうと、彼(吉本)は結婚すべき人格ではないような気がするんですよね。つまり、妻を支えてとか、そういう意味ではまったく期待できないですね」と手厳しく語っている。
 ハルノさんは1980年代に漫画家としてデビューするものの、妹が独立すると、母が体調を崩したこともあり、やがて家事や、多忙な父のマネジャー役を引き受けざるを得なくなった。しばしば両親の争いの板挟みにもなった。対談でも母の「怖さ」が繰り返し話題になるが、何かにつけてハルノさんを頼りにした母との関係は「共依存だった」とも表現する。
 あまりに個性的な 家族の中で一人、犠牲を強いられたともいえるが、本のトーンは決して暗くない。ユーモアを含んだ柔らかい文体や自作のイラストの効果もあるが、著者の冷静な批評的まなざしに負うところが大きい。そこに自然な愛情や敬意もにじみ出る。「結果的に、家に縛られているうちに面白いものを見せてもらったということになりますかね。状況を楽しむしかなかったですから」と笑顔で語る。
014 父母の葛藤は「一つの家の中に2人の表現者がいる難しさ」だったのではないかという。もともと小説を書いていて結婚後に筆を断った和子は、晩年に俳句を始めている。この見方は、詩人・彫刻家の高村光太郎が画家の智恵子と築いた家庭内の男女の緊張に注目した吉本の評論『高村光太郎』(57年)を思い起こさせ、興味深い。
 他にも、吉本が96年に伊豆の海で遊泳中に溺れた事件を境に「眼(め)も脚も急激に悪くなって」いく様子など、家族でなければ知り得ない生々しい証言は多い。亡くなる4、5カ月前、自宅で大きな音がしたので確かめると、既に視力や運動能力が衰えた身なのに外出の服装をして「玄関の石のたたきに父が転がっていた」という場面に、胸をつかれる読者もいるだろう。
 書名のいわれを尋ねると、「(書家・詩人の相田みつをの)『にんげんだもの』から」。なるほど「ヨシモトリュウメイも一人の人間だった」ということか。吉本の等身大の姿を語ってやまないこの本は、今後の「吉本伝」作家にとって必読の、また頼もしい文献となるに違いない。


『隆明だもの』、店頭で手にとって立ち読みしたのですが、直接光太郎智恵子に触れている部分は見あたりませんでした。まぁ立ち読みであって精読はしていませんから見落としがあるかも知れませんが。

しかし吉本氏夫妻の関係性が光太郎智恵子のそれを彷彿とさせられる、という記者氏の感想。なるほどと思いました。夫婦同業の苦労は、小説『智恵子飛ぶ』を書かれた津村節子氏などもたびたび言及されており(夫は故・吉村昭氏)、その仕事内容がクリエイティブであればあるほど、そうした傾向が強くなるんだろうなと思います。

続いて『山形新聞』さん。彼の地ご出身で、亡きお父さまが光太郎と交流がおありだった劇作家・女優の渡辺えりさんの連載エッセイです。

渡辺えりのちょっとブレーク (224)希望の年を願って

 新しい年が明けた。しかし、能登半島地震の被害はすさまじく、羽田の飛行機事故も痛ましく、波乱の年明けとなった。山形の皆さまは大丈夫だったでしょうか?
 高齢者の避難が困難な現実を目の当たりにし、日頃からご近所の様子などが分かるよう、交流を欠かさないことが大切だと感じた。私が子ども時代の山形市村木沢を思い出す。毎日、いろり端で青菜漬けをつまみながら緑茶をすすり、よもやま話に花を咲かせていた年配の方たちの笑顔が浮かぶ。避難の際の高齢者の保護を考えなくてはいけない。
 年末はロックライブで叫び、31日の大みそかは新宿・京王プラザホテルの宿泊客限定コンサートでシャンソンを歌った。そして今月は、私が演劇の舞台を創作して50年になる記念に劇中歌の中からえりすぐった20曲をレコーディングしている。年末年始は「歌」の仕事が続いた。
 また、うれしいニュースがある。今年5月に山形公演が決まったことだ。コロナ禍に書いた2人芝居を大幅に直し、高畑淳子さんと共演する。昨年の2本立て公演「ガラスの動物園」「消えなさいローラ」と同様に私が演出する。今回は作品も私が書く。コントラバスとバンドネオンの生演奏に加え、歌も披露する。1時間40分の短い作品だ。高畑さんと私は同じ年。ジャンルの違う演劇を続けてきた2人が、ユーモアたっぷりにさまざまな人生を演じる。山形市のやまぎん県民ホールで上演するので、ぜひいらしてください。
 そして今、人形劇「星の王子さま」の脚本を執筆している。結城座という江戸時代から続く人形劇の劇団の新作を依頼された。結城座さんとのコラボは今回で3作目。今年9月の公演だが、オリジナルの人形も制作するため、1月末が締め切りなのだ。
 私ならではの「星の王子さま」を作ろうと考えている。あまりに有名な作品だが、平和を願いながら星空の中で行方不明となったサンテグジュペリの精神を大切に脚色していくつもりだ。
 コロナ禍で中止になっていた学校公演も始まる。山形でも上演させていただきたい作品だ。高村光太郎もファンだった結城座。人形を使いながら、せりふをしゃべる技術の高さを見てほしい。世界にない手法の人形劇だ。
 2月4日は、天童市民文化会館でコンサート「世界は日の出を待っている~渡辺えり 平和への歌声」を開催する。地元で長年活躍しているビッグバンドからの依頼で歌う。「世界は日の出を待っている」は、関東大震災が起きた1923(大正12)年に作られた曲で、春の訪れとともに世界平和を祈っている。同市制施行65周年記念のコンサートとなる。「久しぶりに温泉に入れるのでは?」と期待している。
 そして、仕事で年末年始に会えなかった母ちゃんとも会えるはず。5月17日は父の命日。山形公演の準備で命日に故郷に帰れるのも、皆さまのおかげと父の愛情だと思っている。
 山形の皆さまにとって今年が光に満ちた希望の年でありますように。お互いに持ちつ持たれつ、支え合って生きていきましょう。今年もよろしくお願いします。(俳優・劇作家、山形市出身)
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あいかわらずバイタリティーにあふれていらっしゃいます(笑)。

今年は「江戸糸あやつり人形芝居 結城座」さんとのお仕事もなさるそうで、「高村光太郎もファンだった結城座」とのご紹介。

ファンだったかどうか当方は存じませんが、確かに光太郎、詩の中で座長の九代目結城孫三郎を登場させています。昭和5年(1930)、雑誌『詩・現実』に発表した「のつぽの奴は黙つてゐる」。特異な詩です。

    のつぽの奴は黙つてゐる

『舞台が遠くてきこえませんな。あの親爺、今日が一生のクライマツクスといふ奴ですな。正三位でしたかな、帝室技藝員で、名誉教授で、金は割かた持つてない相ですが、何しろ佛師屋の職人にしちやあ出世したもんですな。今夜にしたつて、これでお歴々が五六百は来てるでせうな。喜壽の祝なんて冥加な奴ですよ。運がいいんですな、あの頃のあいつの同僚はみんな死んぢまつたぢやありませんか。親爺のうしろに並んでゐるのは何ですかな。へえ、あれが息子達ですか、四十面を下げてるぢやありませんか。何をしてるんでせう。へえ、やつぱり彫刻。ちつとも聞きませんな。なる程、いろんな事をやるのがいけませんな。万能足りて一心足らずてえ奴ですな。いい気な世間見ずな奴でせう。さういへば親爺にちつとも似てませんな。いやにのつぽな貧相な奴ですな。名人二代無し、とはよく言つたもんですな。やれやれ、式は済みましたか。ははあ、今度の余興は、結城孫三郎の人形に、姐さん連の踊ですか。少し前へ出ませうよ。』

『皆さん、食堂をひらきます。』

滿堂の禿あたまと銀器とオールバツクとギヤマンと丸髷と香水と七三と薔薇の花と。
午後九時のニツポン ロココ格天井(がうてんじやう)の食慾。
ステユワードの一本の指、サーヴイスの爆音。
もうもうたるアルコホルの霧。
途方もなく長いスピーチ、スピーチ、スピーチ、スピーチ。
老いたる涙。
萬歳。
痲痺に瀕した儀禮の崩壊、隊伍の崩壊、好意の崩壊、世話人同士の我慢の崩壊。

何がをかしい、尻尾がをかしい。何が残る、怒が残る。
腹をきめて時代の曝し者になつたのつぽの奴は黙つてゐる。
往来に立つて夜更けの大熊星を見てゐる。
別の事を考へてゐる。

詩は昭和5年(1930)の作ですが、語られている場面はそれより2年前の昭和3年(1928)4月16日、東京会館で開催された、父・光雲の喜寿記念祝賀会です。

昨年、雑誌『美術新論』第3巻第5号(昭和3年=1928 5月)にその際の写真が掲載されているのを見つけ、智恵子も写っていたことに仰天しました。結婚後の智恵子が写った写真は10葉たらずしか確認できていませんでしたので。
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2週間ほど後に、渡辺さんとお会いする予定がありますので、結城座さんのお話を伺っておこうと思います。

明日以降、これも溜まってしまった新刊書籍等を紹介いたします。

【折々のことば・光太郎】

彫刻家にとつては何といつても彫刻材を入手した時ほど心からうれしい事はありません。実に愉快に存じます。


昭和21年(1946)7月29日 東正巳宛書簡より 光太郎64歳

東正巳は三重県在住だった詩人、編集者。光太郎は東を通じて西村之雄という人物から椿の木材を入手し、その礼状の一節です。しかし、結局、花巻郊外旧太田村での7年間で、作品として発表した彫刻は一点も作られませんでした。

新聞各紙で光太郎ゆかりの人物およびそのご子孫が取り上げられたりし、光太郎の名も出ることが相次いでいる三回目、亡くなられたお父さまが光太郎と交流がおありだった、劇作家・女優の渡辺えりさんです。

えりさん地元の『山形新聞』さん。

渡辺えりのちょっとブレーク (220)演劇を続け、訴える平和 舞台「ガラスの動物園」の稽古が始まった。

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005 ローラ役の吉岡里帆さんとは、この日が初対面。ローラ役にぴったりだと思い、私が手紙を出して実現したキャスティングだ。芯が強く純粋でまっすぐなイメージ。会ってみると私が想像していた通りの、まじめで細やかな方だった。ジム役の和田琢磨さん(山形市出身)は先日、私の母校の山形西高演劇部とのワークショップに参加していただいた。山形県民特有の純朴で礼儀正しい気質の方で、信頼できると思った。
 トム役の尾上松也さんはまだ10代の頃、私が歌舞伎を演出した際に出演していただいた。その後、ミュージカル「狸御殿」で親子役で共演した。その時の舞台美術は、山形市出身の絵本作家荒井良二さんだった。
 尾上さんとは、コロナ禍の2020年、本多劇場で2人芝居を上演した。「ガラスの動物園」の後日談「消えなさいローラ」で、探偵役を演じていただいた。尾上さんがテレビドラマ「半沢直樹」の撮影で忙しい最中、午前9時からの稽古を1週間という無謀なスケジュールで行った。緊急事態の公演が大好評で、「こうなったら本編もやろう!」と誓い合った企画が、今回の2本立て公演である。
 私が山形県民会館で文学座の「ガラスの動物園」を見たのは、1971(昭和46)年11月19日の夜、16歳の時だった。その日の昼間は、全共闘の火炎瓶で東京・日比谷公園の松本楼が全焼した。そして、71年は前年の11月に自決した三島由紀夫の葬式があった年だ。
 ベトナム戦争が終わったのは75年。反戦活動が続き、アメリカとの安保条約や地位協定に対する不安と不満が爆発し、日本人のアイデンティティーを問う活動が盛んになっていた時代であった。
 そんな中で見た「ガラスの動物園」のローラは私自身と重なり、世の中の常識と保身で縛ろうとする母親は自分の母と重なった。号泣したまま、席からしばらく立ち上がれなかった。
 公演後、西高演劇部の先輩に誘われ、アポなしで楽屋へ行った。トム役の江守徹さんは何事もなかったようにボテ(張りぼて)をトラックに運び、ジム役の高橋悦史さんは楽屋をほうきで掃いていた。「長岡輝子先生の楽屋はどちらですか?」と先輩が尋ねると、案内してくださった。
 アマンダ役で演出も手がけた長岡さんとローラ役の寺田路恵さんは、同じ楽屋にいらした。先輩は、役者を目指すための方法や覚悟などさまざまな質問をした。長岡さんは、宿泊していた八洋館までの移動を含めて1時間余りも付き合ってくださった。
 あの日の出会いがなければ、私はこうして演劇を志すことはなかった。
 あの日から52年。ともに楽屋を訪ねた先輩は突然の病で異界に旅立った。高村光太郎と智恵子がよく2人で食事していた松本楼の全焼に胸を痛めていた父も、昨年亡くなった。今回の舞台は、11月23日に山形市でも上演する。新しいやまぎん県民ホールで長年の夢がかなう。
 「ガラスの動物園」の時代設定は37年4月26日。ナチスと手を組んだフランコ将軍によるゲルニカの絨毯(じゅうたん)爆撃があった日だ。国際法を破った初めての攻撃とも言われる。その庶民を狙った無差別攻撃は、のちの広島、長崎の原爆投下へとつながっていった。時代は繰り返し、ウクライナ戦争は終わらない。戦争の残酷さは今もまだ止められない。私にできるのは、諦めずに演劇を続けて平和を訴えることしかない。
(俳優・劇作家、山形市出身)

舞台「ガラスの動物園」は、アメリカの劇作家、テネシー・ウィリアムズが昭和19年(1944)に書いた戯曲です。世界全体が閉塞的状況だったともいえる1930年代後半のセントルイスを舞台に、アメリカ下層階級一家の日常を描いています。

日本でも繰り返し舞台化されていて、昭和46年(1971)、文学座の長岡輝子さん、江守徹さん、高橋悦治さんによる公演をご覧になったえりさんの、演劇の道を志すきっかけになった作品だそうです。

その「ガラスの動物園」と、後日譚である「消えなさいローラ」の二本立てを、吉岡里帆さん、尾上松也さん、和田琢磨さんで上演とのこと。演出はえりさんです。
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えりさんが山形で「ガラスの動物園」をご覧になった日、東京日比谷公園ではいわゆる日比谷暴動事件が起こり、沖縄返還闘争の学生デモ隊によって、連翹忌会場として使わせていただいてる(当時は違いましたが)日比谷松本楼さんが焼け落ちました。

松本楼さんは、光太郎や木下杢太郎・北原白秋等による芸術至上主義運動「パンの会」会場としても使われたり、明治末には光太郎智恵子が訪れてアイスクリームを食べたりといった記録が残っています。

アイスクリームの件は新潮文庫版『智恵子抄』(昭和31年=1956)に掲載(オリジナル『智恵子抄』には無し)されている詩「涙」に書かれており、光太郎と交流のおありだったえりさんのお父さま、「あの松本楼が……」というわけだったのでしょう。

ちなみに地上波テレビ朝日さんで昨日放映されていた「午後もじゅん散歩」。平成30年(2018)放映の回を編集し直したものだそうでしたが、高田純次さんが信州善光寺さんに行かれるというので拝見しました。
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光太郎の父・光雲の名は出ませんでしたが、光雲とその高弟・米原雲海による仁王像が納められた仁王門。

で、この番組、後半はテレビ通販です。すると、松本楼さん。驚きました。
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しかも、ゆかりの文人ということで、漱石と光太郎。
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通販で扱った商品は、松本楼さんのデミグラスハンバーグとビーフシチューを冷凍食品にしたものでした。
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ところで、過日、えりさんから突然電話が掛かってきまして(いつものことですが(笑))「今、エッセイ書いてるんだけど、昭和46年に松本楼さんが焼けた経緯、わかる?」。当方も焼けたことは存じていましたが、詳しいいきさつまでは存じませんでした。それどころか焼けたのが二度目というのは存じていたものの、一度目は明治38年(1905)の日比谷焼き討ち事件と思い込んでいて、実は大正12年(1923)の関東大震災だったという有様。汗顔の至りです。

閑話休題、演劇を通して平和の尊さを訴え続けられているえりさん、今後ともご活躍なさるを祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

ちゑ子の三回忌が近づきました。五日は今年は防空訓練最終の日にあたるので十日にのばして法事をします、今年は父の七回忌にもあたりますから丁度一緒に父の命日に営むわけです、 満二年たつたのですが、まだ昨日のやうに思はれます。


昭和15年(1940)9月30日 長沼セン宛書簡より 光太郎58歳

太平洋戦争開戦までは未だ1年以上間があるのですが、「防空訓練」。光太郎の周辺もだいぶきな臭くなっていました。

7月7日(金)、座・高円寺さんでの「ろうどくdeおもてなし 七夕公演~会えば何かがはじまる~【夜公演】」拝聴後、高円寺駅前で牛丼を掻き込み(笑)、高田馬場経由で西武新宿線野方駅へ。概ね同じ方角でしたので助かりました。公演のハシゴで、「三枝ゆきの・末永全 二人芝居 『カラノアトリエ』『トパアズ』」会場のBook Trade Cafe どうひんさんに。
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こちらはカフェ兼古書店。古書店と云っても、ちょっと変わったシステムで「ハードカバーの書籍をお持ち下されば、書棚にあるお好きな書籍と交換させていただきます」だそうで。

その書棚がこちら。
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画像右の方に、室町時代の雪村周継筆「呂洞賓図(りょどうひんず)」。店名の由来でしょう。中国の仙人・呂洞賓が瓶から小さな竜を呼び出し成長させるさまが描かれており、お客さんが持ちよった書籍が次へと広がり……という、このお店のコンセプトを表しているようです。人の多い都内だと、こんなシステムも成り立つのですね。

その書棚をそのまま大道具として使い、今回の二本立ての演劇公演が行われました。
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第一部、『カラノアトリエ』、差異等たかひ子さんという方の作。こちらは短く、20分程でした。サブタイトル的にに「ポエトリーリーディング」と題され、中原中也の詩などが使われました。

光太郎智恵子とは直接関わらないものでしたが「アトリエには作家志望の男がひとり 理想の少女に「君が知りたい」と問い掛ける 少女は答える 「わからない」「だって、貴方が書いてくれないから」 アトリエにまだ産声は響かない ノートは未だに白いまま 煙草の煙で薄汚れて行く」ということで、ある意味、光太郎智恵子の関係性にも通じるなと思いました。

『智恵子抄』収録の多くの詩篇は、元々、一冊の詩集としてまとめられることを意図したものではなく、光太郎も特に智恵子の姿を書きとどめておこう、というつもりもそれほどありませんでした。智恵子が心を病んでからの「風にのる智恵子」(昭和10年=1935)、「千鳥と遊ぶ智恵子」(同13年=1938)あたりにはそういった意図も見え隠れしますが。

逆に智恵子の姿を残そう、と考えたのは、彫刻で。作品の現存が確認できませんが(おそらく空襲で焼失)、複数の「智恵子の首」が作られました。
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また、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」も、智恵子の俤をとどめるものです。
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こうした作を通し、光太郎が智恵子の姿を表現し尽くせたかどうか、などと考えさせられました。

休憩を挟んで、『トパアズ』。こちらは完全に光太郎智恵子の世界をモチーフにしたものでした。約60分の長丁場。
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西瓜すいかさんという方の脚本で、ありがたいことに、コピーを希望者に無料配付というので、いただいて帰りました。
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智恵子の心の病については、百家争鳴、実に様々な要因が指摘されていますが、今回の舞台では、ある意味、智恵子自身が自分に「かくあるべし」という枷を嵌めて自らを追い込んだ的な要素が濃い、という描き方だったように思われました。実家の長沼酒造の窮状などを光太郎にひた隠しにしようとする姿などが強調され、光太郎を世事に巻き込みたくない、そういった部分で光太郎に頼りたくない、という智恵子の意図が、過大な緊張や心労を呼んだというような……。

過去には「無言の圧」で光太郎がそうさせた一種のモラハラ、という解釈で書かれたものも存在しますし、芸術至上の脳天気な光太郎が智恵子の苦悩を見くびっていた、という描き方になっていたものもありました。しかし、今回の舞台は、光太郎がかなり心配して手を差しのべようとしながらも、智恵子の方でそれを拒絶し……的な設定と思われ(違っていたらすみません)、なるほど、そういう事態も充分考えられるな、と思いました。

そうした脚本のもと、末永全さん、三枝ゆきのさん、光太郎智恵子を熱演され、本当にこんなやりとりがあったんじゃないか、という気がしました。お二人はこの舞台に向け、智恵子の故郷・福島二本松や染井霊園の髙村家墓所なども訪問なさり、インスピレーションを受けられたそうで、それがかなり生かされているように感じました。

また、キャパ20ほどの狭い空間での公演ということで、大劇場にはない一体感といいますか、臨場感といいますか、そういったものも感じられました(第一部、第二部ともに)。これが大きなステージでのそれだと、絵空事感が感じられてしまうような……。

関係の皆様の、今後とものご活躍、ついでにいうなら再演なども祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

夏の暑さに閉口してゐます。訪問客と話するのも苦痛に思ひます。もすこし涼しくなつてからおめにかかりたいと思ひます。


昭和2年(1927)8月26日 山本稚彦宛書簡より 光太郎45歳

とにかく夏の暑さを苦手としていた光太郎。夏場には執筆された原稿の数もやはり少ないようです。

まだ梅雨明けとはなりませんが、連日蒸し暑く、自宅兼事務所のも、このブログを書いているたった今、背後の廊下でのびています(笑)。
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都内から演劇系の公演情報です。

三枝ゆきの・末永全 二人芝居 『カラノアトリエ』『トパアズ』

期 日 : 2023年7月7日(金)~7月9日(日)
会 場 : Book Trade Cafe どうひん 東京都中野区丸山2-20-4
時 間 : 7月7日(金) 19:30 8日(土)14:00/19:00 9日(日)14:00/18:00
料 金 : 前売り2500円/当日2700円

〈あらすじ〉
『カラノアトリエ』
アトリエには作家志望の男がひとり 理想の少女に「君が知りたい」と問い掛ける
少女は答える「わからない」「だって、貴方が書いてくれないから」
アトリエにまだ産声は響かない ノートは未だに白いまま煙草の煙で薄汚れて行く
音と詩的独白で紡ぐ物語

『トパアズ』
夫婦がいる およそ、大正十年頃のようだ 絵に作家業にと精を出す夫コウ それを支える妻チイ
美しい暮らし 父の死 実家の困窮 チイはしばらく絵を描く道具には触れていない
次第に言葉を失い 本棚の本を開いては読み 読んではセリフを繰り返す
智恵子抄を下敷きにした、高村光太郎・智恵子の〈魂の交歓〉の物語。
「空には意志がありまして?」
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「チイ」さん役の三枝ゆきのさんという方、役作りのためでしょう、智恵子の故郷・福島二本松を旅されていたレポートがSNS上にいろいろあがっていました。やはりその人物の息吹の感じられる場所に足を運び、インスピレーションを受けるというのは大事なことだと思われます。

昨日ご紹介した「ろうどくdeおもてなし 七夕公演~会えば何かがはじまる~【夜公演】」とハシゴでお邪魔しようかと考えております。皆様もぜひどうぞ。

ちなみに当方、今日明日と盛岡、花巻に行って参ります。

【折々のことば・光太郎】

厭でも応でも自身の全身を以て無心で事に当つてゆくのは本当の事と思ひます。

昭和元年(1926)12月30日 山本稚彦宛書簡より 光太郎44歳

山本の父・瑞雲は光太郎の父・光雲の高弟の一人。稚彦自身ものちに彫刻家となりました。この時期は志願兵として目黒の陸軍輜重第一大隊に所属。そこで光太郎は、軍隊生活のつらさを励ます意図で上記の文言を書き送ったと思われます。

兵庫県から演劇公演情報です。

武庫川KCスタジオ オープニングプログラム EVKK6月公演『売り言葉』

期 日 : 2023年6月16日(金)~6月18日(日)
会 場 : 武庫川KCスタジオ 兵庫県尼崎市大庄西町2丁目2−24
時 間 : 6月16日(金) 20:00~[A]
      6月17日(土) 12:00~[B](アフタートーク) 16:00~[A] 20:00~[B]
      6月18日(日) 12:00~[A](アフタートーク) 16:00~[B]
料 金 : 前売 3,000円 当日 3,500円
出 演 : 新まおり [A] 中谷桜 [B] 澤井里依(EVKK) [A][B]
      アフタートークゲスト 三名刺繡(劇団レトルト内閣の作・演出家)

2017年に大阪、2019年に東京、三度目の『売り言葉』を、兵庫・武庫川にオープンした「武庫川KCスタジオ」で上演します。よくいえば芸術的、はっきりいえばよく分からない、といわれるEVKKですが、過去2回の上演ではたくさんの方にご好評をいただきました。本作は、女優の実力が試されるとともに、魅力を最大限に発揮できる作品であり、これに新まおりと中谷桜が初挑戦します。新しい劇場・新しい女優、それに応じた新演出にもご期待ください。

【あらすじ】
高村光太郎の妻・智恵子の物語。裕福な家庭に生まれた彼女は、東京で高村光太郎と出会い、結婚。才気煥発な智恵子だったが、ふたりの関係は少しずつ変わってゆく。光太郎が芸術家として前進する一方、自分の絵は認められることはなかった。更に裕福だった実家も破産。『智恵子抄』に描かれた「あなた」であらんとするため、必死でもがく智恵子、ついに彼女は、精神に破綻をきたしてしまう……。――本当に、私はこんなにも綺麗に死ぬことが出来るのかしら。
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平成14年(2002)、野田秀樹氏の脚本、主演・大竹しのぶさんで、南青山スパイラルホールさんを会場に初演された一人芝居「売り言葉」。智恵子が主人公です。平成15年(2003)、野田氏の脚本集『二十一世紀最初の戯曲集』(新潮社)に収められ、その後、さまざまな団体/個人が上演なさっています。

今回のEVKKさんも、平成29年(2017)令和元年(2019)に続く3回目の公演です。過去2回は、野田氏の脚本通りの一人芝居バージョンと、二人芝居バージョンを混在させていましたが、今回はどういう演出なのか、という感じです。澤井里依さんという方は、過去2回の公演にもご出演、新まおり さん、中谷桜さんは公募で選ばれた方のようです。

お近くの方(遠くの方も)、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

口絵には自作の彫刻をペン画に写し候故 此を網目版にして入れたく存居候。 このペン画は後に貴下に献上いたす筈に御座候。表紙の題字は与謝野先生にお願ひいたし、箱の背の文字だけは小生が書き申候。


大正9年(1920)11月18日 渡辺湖畔宛書簡より 光太郎38歳

『明星』同人だった佐渡島在住の渡辺湖畔の歌集『若き日の祈祷』に関してです。光太郎が装幀・装画を担当し、それについて述べています。
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装画のモチーフはブロンズ彫刻「裸婦坐像」。「手」とともにある程度の自信作だったようです。
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