カテゴリ:音楽/演劇等 > 音楽

4月に入ってのイベント情報、音楽ライブと朗読会で同じ日に行われる2件をご紹介します。

まずは光太郎詩にオリジナルの曲を付けて歌われているシャンソン系歌手・モンデンモモさんのライブ。このところ島根の方を拠点にされてミュージカル等に携わられることが多かったようですが、久しぶりに「智恵子抄」メインです。

BOOK CAFÉ LIVE モモの智恵子抄

期 日 : 2025年4月4日(金)
会 場 : 狐弾亭 東京都立川市羽衣町1-21-2
時 間 : 18:15~20:00
料 金 : 3,500円

一部 智恵子の瞳  二部 次回予告編 宮沢賢治物語『アウシュビッツの壁』

出演 歌 モンデンモモ ギター たしまみちを


ご予約開始いたします。妖精の身元に!!素晴らしい空間です、席がほんの少しです。すでにご予約いただいていて急がれてください。満席になり次第締め切らせていただきますね。ごめんなさい。妖精さんのお席も用意します🧚
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もう1件、朗読会は宮崎県から。

劇団ぐるーぷ連 第134回朗読LIVE がんばれどうぶつ

期 日 : 2025年4月4日(金)
会 場 : ぐるーぷ連 劇工房 宮崎県東諸県郡綾町北俣4010-7
時 間 : 14:00~
料 金 : 1,000円

構成 実広健士
出演 劇団ぐるーぷ連 井上貴子・前本俊一 ことばの教室 原口奈々
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新美南吉/ごん狐       和田誠/おさる日記  筒井康隆/狸 高村光太郎/道程・牛
花岡大学/百羽のツル
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劇団ぐるーぷ連さん、毎月の月初めに朗読ライブをなさっているそうで、その都度テーマというかタイトルというかを決めて作品を選ばれているようです。今月は「弥生3月花の咲く」。そして来月が「どうぶつがんばれ」だそうで、光太郎詩「牛」(大正2年=1913)を取り上げて下さいます。ありがたし。100行越えの長大な詩ですのでなかなか大変とは存じますが、それだけに聴き応えはあるでしょう。

それぞれご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

今度の仕事の事では学校として心配して下さつて忝く存じます、うまくアトリエが借りられて万事好都合でした、


昭和27年(1952)7月19日 石井鶴三宛書簡より 光太郎70歳

石井は新制の東京藝術大学教授を務めていた彫刻家。光太郎が生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作を始めるにあたり、アトリエの心配をしてくれていたようです。もしかすると学校の施設を使ってもよい的な申し出もあったかも知れません。結局、中野の中西利雄アトリエを借りることがこの頃には決まっていました。

まず都内から演奏会情報です。

朝岡真木子歌曲コンサート 第8回

期 日 : 2025年3月30日(日)
会 場 : 王子ホール 東京都中央区銀座4-7-5
時 間 : 14:00開演(13:30開場)
料 金 : 一般 4,500円 学生券2,000円(全席自由)

曲 目 
 「春宵感懐」 詩:中原中也 
 「さくらの はなびら」 詩:まど・みちお
 組曲〈春にあこがれ〉 詩:星乃ミミナ
 「なぎさ」 詩:木下宣子
 「さんまのうた」 詩:大竹典子
 「秋の手紙」 詩:こわせ・たまみ
 「雪に」 詩:金子みすゞ
 「冬が来た」 詩:高村光太郎
 「ピカドンが落ちたとき」 詩:山中茉莉 新作
 「日本列島」 詩:岡崎カズヱ 新作
 組曲〈人間家族〉より「愛」「欲望」 詩:野上彰 新作
 「わたしは魔女」 詩:冨永佳与子
 「しゃなりとあるく」 詩:矢崎節夫
 他

出 演
 木内弘子(ソプラノ) 黒川京子(ソプラノ) 白須ヒロミ(ソプラノ)
 三縄みどり(ソプラノ) 清水邦子(メゾ・ソプラノ) 紀野洋孝(テノール)
 馬場眞二(バリトン) 朝岡真木子(作曲・ピアノ)
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光太郎詩をテキストに「組曲 智惠子抄」を作曲なさった作曲家・朝岡真木子氏の歌曲作品が演奏されるコンサートです。ピアノは朝岡氏ご自身です。

今回は、「冬が来た」がプログラムに入っています。歌唱はテノールの紀野洋孝氏だそうです。紀野氏、あちこちで別宮貞雄作曲歌曲集《智恵子抄》の全曲や抜粋を取り上げられて歌われていた方です。一昨年には初台の東京オペラシティさんでのリサイタルで拝聴いたしました。

「朝岡真木子歌曲コンサート」には、一昨年、昨年とお邪魔し、今年も伺うつもりでいて招待券も頂いていたのですが、他の雑用のため残念ながら欠礼させていただきます。実は既に「チケット完売」と布告されていますが、当方欠礼分一席空きましたし(笑)、キャンセル等あるかもしれません。

もう1件。こちらは今日です。それまで曲目はフライヤー画像のみで、一昨日になってX(旧ツイッター)上に「2ステで演奏する「レモン哀歌」(詩:高村光太郎  曲:西村朗)」という語が出て、昨日気づいた次第ですが、記録のためにも載せておきます。

千葉県立千葉中学校・千葉高等学校合唱部 第17回定期演奏会

期 日 : 2025年3月21日(金)
会 場 : J:COM浦安音楽ホール 千葉県浦安市入船1丁目6-1
時 間 : 19:00開演(18:30開場)
料 金 : 無料(全席自由)

曲 目
 混声合唱のための「うたⅡ」より さくら  日本古謡 作曲 武満徹
 Psaim 43 Richte mich,Gott 作曲 Felix Mendelssohn
 混声合唱とピアノのための組曲 レモン哀歌 作詩 高村光太郎 作曲 西村朗


出演
 千葉県立千葉中学校・千葉高等学校合唱部
 指揮 山宮篤子 ピアノ 松原賢司 賛助出演 Chœur Clarté

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一昨年亡くなった西村朗氏作曲の「混声合唱とピアノのための組曲「レモン哀歌」」(平成20年=2008)が演奏されます。3曲から成る構成で、「千鳥と遊ぶ智恵子」「山麓の二人」そして「レモン哀歌」。フライヤーにレモンがあしらわれ、これがメインステージという扱いでしょうか。

ところで、以前にも書きましたが、こうした演奏会系の告知は曲目まで活字にしていただきたいものです。「誰が」演奏するのかももちろん大切ですが、「何が」演奏されるのかもそれと同程度に(あるいはそれ以上に)重要な情報と思います。「この曲が演奏されるなら行ってみよう」というのがあると思いますので……。

【折々のことば・光太郎】

十日間ばかりの旅行で十和田湖から帰つてまゐりましたが、用事の始末をつけるのに暇どつて中々厄介です。モニユマンは製作することにきめましたが、製作が冬季になるのと助手、モデル使用の都合、用具調整、石膏型取り、鋳造等の便宜上仮アトリエは東京に造り、製作中小一年は東京に居らねばならなくなるかも知れません。


昭和27年(1952)6月28日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎70歳

十和田湖への下見を経て、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作を引き受けることを決意しました。同時にさまざまな都合も考え、上京することも。ただ、この時点では中西利雄アトリエを借りる算段はまだついていませんでした。
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昨日は横浜に足を伸ばしておりました。

メインの目的は、旧知のフルート奏者・吉川久子さんのコンサート。
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先月初め、光太郎終焉の地・中野の中西利雄アトリエ保存の件で、『東京新聞』さんの取材を受けたのですが、その仲介をして下さったのが、吉川さん。その取材の際には吉川さんも同席され、その折に招待券を頂いてしまいまして、花束を抱えて馳せ参じた次第です。

会場は港の見える丘公園内のイギリス館さん。

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一昨年、箏曲奏者の元井美智子さんのコンサートもここで開かれ、それ以来でした。

吉川さん、以前には「智恵子抄」からのインスパイア的な曲も作られ、コンサートで披露なさいましたが、今回は特に光太郎には関わらないだろうと思っていて、事前にはご紹介しませんでした。しかし、さにあらず。
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波多圭代さんという方のピアノ伴奏に乗せてのフルート演奏の合間に、浅井理恵子さんというによる古今の文学作品等の朗読が入り、「冬景色」の前に光太郎詩「冬が来た」の朗読もなさって下さいました。
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終演後に吉川さんとお話しさせていただき、その中で「今度「冬が来た」という曲を作ります」とのこと。ありがたいお話です。

ちなみに今回のコンサートでは、光太郎とも縁の深い宮沢賢治の「春と修羅」インスパイアの曲、賢治の作詞作曲と言われ、東北新幹線新花巻駅の発車メロディーにもなっている「星めぐりの歌」も演奏なさいました。発車メロディーと言えば、JR横須賀線鎌倉駅の発車メロディーが吉川さんの演奏による「鎌倉」でしたが、現在でも使われているのでしょうか。最近、鎌倉駅には降り立っていないので解りません。
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多方面でご活躍中の吉川さんですが、今後のさらなるご飛躍を祈念いたします。

さて、そちらが午後からでしたので、午前中には同じ港の見える丘公園内の神奈川近代文学観さんにお邪魔しておりました。
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例によって閲覧室での文献調査です。あまりめぼしい成果はなありませんでした。『××』という書籍や雑誌に光太郎の書簡が掲載されているという情報を得て調べたところ、既知のものだったり……。

しかし一点だけ。昭和14年(1939)の雑誌『新風土』第2巻第11号に、当会の祖・草野心平による光太郎論が載っていたのですが、それに添えられた光太郎の写真(左下)。土門拳の撮影で、最初、他の書籍等にも掲載されている既知のもの(右下)かと思ったのですが、別のショットでした。
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既知のものではぼやけてしか写っていない右手に持った彫刻刀(鑿?)がはっきり写っています。また、手前にも。「ほおー」という感じでした。

彫っている木彫は、新潟の素封家にして美術愛好家・松木喜之七の注文による「鯉」。しかし、結局、光太郎自身が納得のいくものが出来ず、断念してしまいました。そうこしているうちに松木は太平洋戦争末期、もういい年だったにもかかわらず「根こそぎ動員」で徴兵され、戦死。戦後、その報に接した光太郎は非常に心を痛めました。

昨日のめぼしい収穫はこれだけでした。しかし、最近、同館に未知の光太郎書簡が複数寄贈されていて、そちらは「特別資料」という扱いになっています。そちらは事前に閲覧申請をして見せていただく形になっており、そのための申請書を貰ってきました。今月20日以降、改めて行って参ります。

なぜ20日以降かというと、20日に同館で以下の特別展が始まるためです。

特別展「大岡信展 言葉を生きる、言葉を生かす」

期 日 : 2025年3月20日(木)~5月18日(日)
会 場 : 神奈川近代文学館 
時 間 : 午前9時30分~午後5時
休 館 : 月曜日(5月5日は開館)
料 金 : 一般700円(500円)、65歳以上/20歳未満及び学生350円(250円)、
      高校生100円(100円)、中学生以下は無料 ( )内は20名以上の団体料金

 卓越した知性を内包し、詩歌を読み、書き、その魅力を余すところなく発信した大岡信(おおおか・まこと 1931-2017)。批評『現代詩試論』でデビューしたのち、詩集『春 少女に』などで愛や生きる歓びをうたい、ライフワーク「折々のうた」では詩歌を人びとにとって身近なものとしてきました。その織り成す言葉は、人びとを魅了し続けています。
 当館では2020年以降、大岡家をはじめとする方々から大岡の遺した書、原稿、創作ノート、書簡などを受贈し、「大岡信文庫」として保存しています。本展ではこれらの資料を中心に〈おおらかな感性の詩人・大岡信〉の生涯を追いながら、広く人びとにひらかれた、豊かな言葉の世界を展開します。
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平成29年(2019)に亡くなった大岡信氏の回顧展的な。

光太郎がらみで、氏が『朝日新聞』さんに連載されていた「折々のうた」の原稿(光太郎短歌を取り上げて下さった第一回のもの)が展示されます。
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こちらを併せて拝見しようと思っておりますので。

皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

おハガキと小包と一昨日到着、感謝。十三日の誕生日をおぼえてゐて下さるのは何だか恐縮の気がします。


昭和27年(1952)3月13日 椛沢佳乃子宛書簡より 光太郎70歳

3月13日(来週ですね)は、光太郎の誕生日です。数え年の習慣では年明けと共に70の古稀となりましたが、満年齢では69歳ということになります。

ちなみに昭和24年(1949)には「年齢のとなえ方に関する法律」が制定され、公的な場面では数え年ではなく満年齢を使うようにとされました。

昨年7月に亡くなった作曲家・湯浅譲二氏の「お別れの会」が一昨日、サントリーホールさんで開催されました。

地方紙『福島民報』さん。

福島県郡山市出身の作曲家、湯浅譲二さんの功績しのぶ 「あれが阿多多羅山」など流れる 東京都内でお別れの会

 昨年7月、94歳で死去した福島県郡山市出身の作曲家で文化功労者の湯浅譲二さんのお別れの会は18日、東京都港区のサントリーホールで開かれた。
 音楽関係者ら約200人が参列した。お別れの言葉で、品川萬里郡山市長は「古里を思い、活動を続けていた。湯浅さんの功績と作品は多くの人に受け継がれる」と述べた。作曲家の池辺晋一郎さん、チェリストの堤剛さん、音楽学者の船山隆さん、作曲家の細川俊夫さん、作曲家の伊藤弘之さん、作曲家の藤枝守さん、作曲家のロジャー・レイノルズさんも湯浅さんとの思い出を振り返った。
 箏演奏家の吉村七重さん、ピアニストの高橋アキさんが追悼の演奏をささげた。遺族を代表して湯浅さんの長女玲奈さんが「作曲家冥利(みょうり)に尽きる人生だった」とあいさつした。湯浅さんが作曲した「あれが阿多多羅山」などが流れる中、参列者が献花した。
 湯浅さんは旧制安積中(現安積高)卒。慶応大医学部を中退し、詩人の滝口修造さんが主宰した前衛芸術家グループ「実験工房」で活動した。幅広い作品を手がけ、優れた邦人作曲家のオーケストラ作品を顕彰する尾高賞を5回受けるなど、数々の栄誉を手にした。国際現代音楽協会名誉会員、郡山市名誉市民。
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同じく『福島民友』さん。

郡山出身の作曲家・湯浅譲二さんの功績しのぶ 都内でお別れの会

 郡山市出身の作曲家で、昨年7月に94歳で死去した湯浅譲二さんのお別れの会が18日、東京都港区のサントリーホールで開かれた。音楽関係者ら約190人が参列し、日本の現代音楽の発展に貢献した功績をしのんだ。
 発起人で作曲家の池辺晋一郎さんや郡山市の品川萬里市長らがあいさつした。品川市長は「湯浅先生は常にふるさとを気にかけてくださった。市民を代表し、先生の作品や思いを末永く継承していくことをお誓いいたします」と湯浅さんの在りし日を振り返り、冥福を祈った。湯浅さんの作曲した「あれが阿多多羅(あだたら)山」が流れる中、参列者は遺影が飾られた祭壇に献花した。
 湯浅さんは国内外で活躍し、オーケストラや室内楽、合唱、電子音楽などを幅広く作曲。テープやコンピューターなど最新技術を駆使するとともに、グラフを用いた独自の作曲法を生んだ。1997年に紫綬褒章、99年に恩賜賞・日本芸術院賞、2007年に旭日小綬章、14年に文化功労者。17年に郡山市名誉市民に選ばれた。
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「お別れの会」で流された「あれが阿多多羅山」は、サブタイトルが「バリトンとオーケストラのための~高村光太郎『樹下の二人』による」。「智恵子抄」所収の「樹下の二人」(大正12年=1923)をテキストに使った独唱歌曲です。昨年11月に開催された湯浅氏の故郷・福島県郡山市の市制施行100周年記念式典音楽祭でもオーケストラ伴奏で演奏されました。

他にも湯浅氏には光太郎智恵子がらみの作品。作曲のみならず氏が作詞の補作も手がけられ、平成25年(2013)に制定された「二本松市民の歌」では3番までの各番歌詞の末尾が「ほんとの空が ここにある」。光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)からのインスパイアですね。この曲はご当地体操「ほんとの空体操」の伴奏曲でもあります。

また、智恵子にも触れられた映画「原始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯」(平成13年=2001)の音楽も、湯浅氏が担当されていました。
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当方、DVDを所持しております。
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ちなみに氏が亡くなったのは昨年7月ですが、直後に「お別れの会」が計画され始めたようで、発起人には、こちらも昨年亡くなった谷川俊太郎氏のお名前も。お二人のコラボによる楽曲も多く、岩手県や福島県の学校さんの校歌も多数。いろいろと人の縁の不思議さに感じ入っております。

氏の作品(特に「あれが阿多多羅山」、「二本松市民の歌」など)が今後とも愛され続けていってほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

小生この頃荒くなつてゐます、小生の内の猛獣性の活躍してゐる證拠です、人間拒否を超えて、

昭和26年(1951)12月11日 照井登久子宛書簡より 光太郎69歳

青年期の終わり頃から壮年期にかけ、自らの内部に巣喰う荒ぶる魂を「猛獣」に仮託した連作詩「猛獣篇」が書かれましたが、数え70歳を目前にしたこの時期、再び「猛獣」の胎動を体内に感じています。翌年には生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の制作の話が舞い込み、再び粘土を手にするわけですが、そうした予感があったのかも知れません。

「智恵子抄」系の楽曲がプログラムに入った演奏会、2件ご紹介いたします。

開催日順に、まずは都内から。

SAWAMURA BAR.VOL23

期 日 : 2025年2月15日(土)
会 場 : 個人宅(澤村様) 練馬区光が丘7-6-7-304
時 間 : 15:00~
料 金 : 3,000円

出 演 : モンデンモモ(歌) 田嶌道生(ギター)

久しぶりに『智恵子』します。「案内」「十和田湖畔の裸像に与ふ」。懐かしい方にはなつかしいあの歌も『やっとあなたに逢えた』。やっと多くの人と逢えてます。なんか新しい展開。この時をまっていました。
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「智恵子抄」収録詩篇をはじめ、光太郎詩にオリジナルの曲を付けて歌われているシャンソン系歌手・モンデンモモさんのミニライブです。

モモさん、最近は島根の方を活動拠点になさることが多く、「智恵子抄」系はあまり歌われていませんでしたが、久しぶりに、だそうです。

会場は集合住宅・光が丘パークタウンの一室。当方、平成27年(2015)にやはりこちらで開催された第13回の際にお邪魔しました。狭い会場だけに一体感が生まれていました。

もう1件。

第45回二宮演奏家協会コンサート 日本の名曲 世界の名曲

期 日 : 2025年2月16日(日)
会 場 : 二宮町生涯学習センターラディアン 神奈川県中郡二宮町二宮1240-10
時 間 : 13:30~
料 金 : 2,500円
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曲目に「レモン哀歌」が入っています。あまり大々的にには宣伝なさっていないようで、フライヤーに書かれている以上の情報がほとんど得られていません。そこで、どなたの作曲のものなのか不明ですが……。

それぞれご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

創元社本の誤植はすばらしいやうです。「荒涼たる帰宅」の最終行が「外は夕月といふ月夜らしい」とあるのは名誤植といへるでせう。


昭和26年(1951)9月26日 宮崎稔宛書簡より 光太郎69歳

「創元社本」は、この月に刊行されたハードカバーの『高村光太郎詩集』。編集は当会の祖・草野心平でした。とにかく豪快だった心平、こういう部分では神経が行き届かない面が確かにありました。
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言わずもがなですが、正しくは「夕月」ではなく「名月」です。

誤植にはとにかく気をつけたいものです。

一昨日、中途半端なところで終わってしまった花巻レポートの続きです。

豊沢町のカフェ羅須さん。お世話になっている泉沢義雄氏と賢治研究のお仲間が新たに開店なさったお店ですが、花巻市さんの広報誌『広報はなまき』12月15日号に紹介されています。
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展示されていました地元の方の賢治オマージュの作品、画像がアップロードし切れていませんでしたので、追加です。
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店内には他にも常設的に賢治関連の展示も。
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それ以外にも、写真を取り忘れましたが、ジャズを中心に、クラシックや懐かしのJ-POP、果ては演歌にいたるアナログレコードがずらり。

そこそこ面積もあり、キャパ数十のちょっとしたコンサートなど音楽や朗読イベント等も可能なようです。光太郎関連でもやらせてくれそうです。
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今後のますますのご繁昌を祈念いたします。

さて、市街地を後に、旧太田村方面へレンタカーを走らせました。目指すは光太郎が戦後の七年間を過ごした山小屋・高村山荘と、隣接する高村光太郎記念館さん。一見平坦な道に見えて徐々に標高が上がっていき、少しずつ積雪も。

まずは手前の高村光太郎記念館さん。驚くほどの積雪ではありません。というか、逆にこの時期としては雪が少なくて、驚くほどです。以前はスタッフの方が小型の除雪車でメートル単位の雪を排除していました。
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こちらでは、花巻新渡戸記念館、萬鉄五郎記念美術館、高村光太郎記念館、花巻市総合文化センターの4館が連携し、統一テーマ「イーハトーブの先人たち」による同一時期開催の企画展「ぐるっと花巻再発見」の一環として「光太郎が聴いたクラシックと蓄音機」が開催中。
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スペース中央に、どん!と蓄音機。
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パネルは、クラシック音楽に関わる光太郎詩や尾崎喜八、宮沢清六ら周辺人物の回想等。
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SPレコードが4枚。うち2枚は当方がお貸しした、太平洋戦争前の光太郎作詞のものです(楽譜も)。
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自宅兼事務所にはアナログレコードの音声データをPCに取り込めるレコードプレーヤー(SPの78回転にも対応しています)がありますので、こちらで作成したデータも一緒に提供しましたところ、QRコードで聴くことが出来るようにしてありました。
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この2枚以外にもSPレコードを数枚お貸ししたのですが、スペースや予算の関係でしょうか、そちらは展示されていませんでした。以前に使っていた展示ケースが不具合、その後新たに補充されていないそうで、それさえあればずらっと並べられるのに改善されていません。マストの備品なので何とかして下さいと前々から言っているのですが、何だかなぁ、という感じです。

他に、光太郎も聴いたであろう戦後くらいのクラシックの盤。こちらは地元の方のご提供。
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会場内ではこちらから採ったと思われる音楽をエンドレスで流しています。

隣接する(といっても数百㍍)高村山荘へ。市街地でも熊の出没情報が相次いでいますので、十分注意しつつ。この積雪の少なさで、まだ冬眠していないようです。
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ルーティンで、光太郎遺影にご挨拶。

その後、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんに立ち寄り、リンゴを一箱購入して自宅に発送。少し前にやつかの森LLCさんからいただいた一箱も食べきっていないのですが、あったらあったで困りませんので。

そして定宿の、光太郎や賢治も愛した大沢温泉さん。
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渓流側の部屋にしていただき、ラッキーでした。

当方、ここのところ毎年冬の初めには手指に内出血系のしもやけが出来て、痛くて堪らないのですが、大沢温泉さんに浸かると不思議と治ります。以前もそうでした。恐るべし、温泉パワー(笑)。

そして翌朝。この日は世田谷の千歳船橋で演劇公演「燦燦たる午餐 第二回公演 凌霄花(ノウゼンカズラ)の家」拝見のため、8時台のはやぶさ号で帰りました。

また来月も花巻行きの予定です。カフェ羅須さん、高村光太郎記念館さん、皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

三日に胆沢郡水沢町といふ町の水沢公民館で智恵子の切抜絵の展覧会をやつたやうです。そこには智恵子の旧知の人が居ます。山形市、盛岡市、花巻町でもやりました。


昭和25年(1950)11月8日 澤田伊四郎宛書簡より 光太郎68歳

水沢町は現在の奥州市。こちらの公民館で1日限定で智恵子の紙絵の展示が行われました。作品は花巻の佐藤隆房宅に疎開させておいたものからチョイスし、「智恵子の旧知の人」日本画家の夏目利政が骨折って実現しました。夏目は明治42年(1909)から大正元年(1912)にかけ(まさしく光太郎と知り合って恋に落ちた頃です)、日本女子大学校を卒業した智恵子が下宿していた家の息子でした。水沢方面に疎開して、戦後もしばらくいたようです。

パンフレットには夏目による在りし日の智恵子を思い出して描かれた絵も載せられました。
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毎年恒例ですが、今年度は本日開幕です。

花巻市共同企画展 ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~

期 日 : 2024年12月7日(土)~2025年1月26日(金)

市内の文化施設である、花巻新渡戸記念館、萬鉄五郎記念美術館、高村光太郎記念館、花巻市総合文化センターの4館が連携し、統一テーマにより同一時期に企画展を開催します。
 
■花巻新渡戸記念館 テーマ「島善鄰 没後60年」
 島善鄰は1889年、広島生まれ。善鄰8歳の時に父の故郷、花巻に帰ってきました。「リンゴの神様」「リンゴの恩人」と称されるリンゴ研究の第一人者、島善鄰について紹介します。

■萬鉄五郎記念美術館 テーマ「東和モンパルナスー岩手の小さな町に集った美術家たち―」
 萬鉄五郎の出身地である岩手県花巻市東和町には、1990年代から現在に至るまで多くの画家や彫刻家、陶芸家たちが移り住み活動の場とするなど、岩手の小さな町を拠点に多彩な表現活動を繰り広げてきました。
 本展では、パリのモンパルナスに集った画家たちにちなみ、「東和モンパルナス」と銘打って、この町に集った多様な美術家を紹介します。

■高村光太郎記念館 テーマ「光太郎が聴いたクラシックと蓄音機」
 昭和20年5月に花巻へ疎開し、同年秋に太田村へ移住した高村光太郎。留学中に欧米の音楽に触れた光太郎は帰国後もレコードやラジオを通じ、時にはオーケストラによる生演奏でクラシック音楽を楽しんでいました。太田村への移住後、ラジオを入手した光太郎は放送での演奏のほか、蓄音機でも音楽を楽しみました。
 この企画展では、音楽をテーマに光太郎が山の暮らしの中で執筆した詩など、光太郎にゆかりある楽曲や関連する資料を紹介します。

■花巻市総合文化財センター 「縄文ムラの人々」
 花巻市内から出土する埋蔵文化財の7割は縄文時代のものです。本企画展では、縄文の人々のムラ・信仰・生業など考古資料からひもといてみます。

《関連イベント》
★ぐるっとまわろう!スタンプラリーを実施します!
共同企画展の会期中、開催館4館のスタンプを集めた方に記念品を差し上げます。この機会にぜひ足を運んでみてください。
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年によって参加館数が異なったりするのですが、今年は4館。

そのうち花巻高村光太郎記念館さんでは、地元の音楽関係の方にご協力いただき、SPレコード等の展示を行うそうです。関連行事としてレコードコンサート的な催しも。
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当方も史料をお貸ししました。光太郎作詞の戦時歌謡のSPレコードを4枚、それから戦時歌謡ではなく歌曲「ぼろぼろな駝鳥」(弘田龍太郎作曲 昭和18年=1943)、戦後の光太郎詩朗読が吹き込まれたSPもそれぞれ1枚ずつ。さらにそれらの楽譜、歌詞カードなども。全て展示されるかどうか不明ですが。

戦時歌謡4枚のうち3枚は、飯田信夫作曲の「歩くうた」(昭和15年=1940)です。「隣組」も歌った徳山璉の歌唱でちょっとしたヒット曲となり、現在再放送中のNHKさんの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」でも戦時中のシーンで使われました。徳山歌唱の盤が2種類、それから日本ビクター管絃楽団によるインストゥルメンタルバージョンです。もう1枚は文部省の日本国民歌全5曲の一つとして箕作秋吉が作曲し、関種子が歌った「こどもの報告」(昭和14年=1939)。まぁ、それぞれ光太郎の黒歴史ですね。

戦後の朗読は光太郎最晩年の昭和30年(1955)、家の光協会でリリースした「家の光つどいの歌」。B面に詩朗読で光太郎の「私は青年が好きだ」(昭和15年=1940)、光太郎とも交流のあった竹内てるよの「わたくし」が吹き込まれています。朗読者は不明です。
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通常の盤も存在しましたが、当方手持ちのものは絵が印刷されたピクチャーレコードです。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

明六日放送の由、丁度いまラジオ受信機がこはれてゐて残念です、ますます御元気であられる様にいのります。

昭和25年(1950)9月5日 新井克輔宛書簡より 光太郎68歳

故・新井克輔氏はハーモニカ奏者。かつて連翹忌の集いに20回近くご参加下さり、アトラクションとして見事な演奏を披露していただきました。

光太郎、ラジオの音楽番組をよく聴いた他、花巻町中心街に出た際は宮沢家に立ち寄って、賢治実弟の清六にさまざまなレコードを聴かせてもらってもいました。中には賢治の遺品などもあったのでしょうか? そんな中で詩「ブランデンブルグ」(昭和23年=1948)なども生まれました。

うまいこと考えるもんだな、と感心しました。

【米津玄師と文学】フェア『LOST CORNER』

期 日 : 2024年10月9日(水)~11月17日(日)
会 場 : 紀伊國屋書店横浜店 横浜市西区高島2-18-1そごう横浜店7F
時 間 : 10:00〜20:00
料 金 : 無料

『LOST CORNER』でまた素晴らしい音楽世界を披露してくれた米津さん。米津作品の大きな魅力の一つである豊かな言葉の世界をより深く理解するためのフェアを始めました!店長+横浜地区の米津ファンスタッフによる熱いPOPとともに展開しています!
入口入って右奥の棚にて。
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フェア書目
新編宮沢賢治詩集 新潮文庫 (改版) 宮沢賢治、天沢退二郎/新潮社
新編 銀河鉄道の夜 新潮文庫 宮沢賢治/新潮社
山椒魚 新潮文庫 井伏鱒二/新潮社
厄除け詩集 講談社文芸文庫 井伏鱒二/講談社
茨木のり子詩集 岩波文庫 茨木のり子、谷川俊太郎/岩波書店
詩のこころを読む 岩波ジュニア新書 茨木のり子/岩波書店
一握の砂/悲しき玩具 ― 石川啄木歌集 新潮文庫 (改版) 
 石川啄木、金田一京助/新潮社
中原中也詩集 新潮文庫 中原中也、吉田熈生/新潮社
二十億光年の孤独―Two Billion Light‐Years of Solitude 集英社文庫 
 谷川俊太郎、ウィリアム・I.エリオット/集英社
山頭火句集 ちくま文庫 種田山頭火、村上護/筑摩書房
三四郎 新潮文庫 夏目漱石/新潮社
パリの砂漠、東京の蜃気楼 集英社文庫 金原ひとみ/集英社
君のクイズ 小川哲/朝日新聞出版
みどりいせき 大田ステファニー歓人/集英社
アンソロジー 死神 角川ソフィア文庫 東雅夫/KADOKAWA
わたしを離さないで ハヤカワepi文庫 カズオ・イシグロ、土屋政雄/早川書房
日々の泡 新潮文庫 ボリス・ヴィアン、曽根元吉/新潮社
うたかたの日々 光文社古典新訳文庫 ボリス・ヴィアン、野崎歓/光文社
ブレーメンの音楽師―グリム童話〈3〉 新潮文庫
 ヤーコプ・グリム、ヴィルヘルム・グリム/新潮社
不思議の国のアリス 新潮文庫 ルイス・キャロル、矢川澄子/新潮社
マザー・グース 〈1〉 講談社文庫 谷川俊太郎、和田誠(イラストレーター)/講談社
デューン 砂の惑星〈上〉〈中〉〈下〉 ハヤカワ文庫SF
 フランク・ハーバート、酒井昭伸/早川書房
海からの贈物 新潮文庫 (改版)
 アン・モロー・リンドバーグ、吉田健一(英文学)/新潮社
風の谷のナウシカ(7巻セット)
 ― トルメキア戦役バージョン アニメージュコミックスワイド版
海獣の子供 〈1〉~〈5〉 IKKI COMIX 五十嵐大介/小学館
うろんな客 エドワード・ゴーリー、柴田元幸/河出書房新社
エドワード・ゴーリーの世界 濱中利信、柴田元幸/河出書房新社
外科室・天守物語 新潮文庫 泉鏡花/新潮社
永遠も半ばを過ぎて 文春文庫 中島らも/文藝春秋
我が愛する詩人の伝記 講談社文芸文庫 室生犀星/講談社
文学部唯野教授 岩波現代文庫 筒井康隆/岩波書店
死について考える 知恵の森文庫 遠藤周作/光文社
歌うクジラ〈上〉〈下〉 講談社文庫 村上龍/講談社
人間の土地 新潮文庫 (改版) サン・テグジュペリ、堀口大学/新潮社
人間の大地 光文社古典新訳文庫 サン・テグジュペリ、渋谷豊/光文社
智恵子抄 新潮文庫 (改版) 高村光太郎/新潮社
ヴァルター・ベンヤミン―闇を歩く批評 岩波新書 柿木伸之/岩波書店
クレーの天使 パウル・クレー、谷川俊太郎/講談社
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ご存じ米津玄師さんが、楽曲のモチーフになさったり、インスパイアの元となったりした作品を含むであろう書籍をまとめて販売するというコンセプト。単体でボンと置いておいてもそれほど売れ筋とは言えないものも、こうすることによって相乗効果と言いましょうか、付加価値と言いましょうか、そういうものが生まれて売れて行く、と。

平成30年(2018)のヒット曲「lemon」がらみで光太郎の『智恵子抄』新潮文庫版も入れていただいています。当初はラインナップに外れていたのですが、先月末に新たに組み込まれました。
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CDリリース前に、音楽チャート・Billboard(ビルボード)の日本公式サイト「Billboard JAPAN」さんに載ったインタビュー

--米津さんは文学もお好きだと思うんですけど、私はタイトルを見たときに梶井基次郎の『檸檬』が頭をよぎりました。
米津玄師:確かに「レモン」って文学的なニュアンスがあるとは思ってて。他にも高村光太郎の『智恵子抄』(「レモン哀歌」)とか。そういうものからレモンが無意識的に自分の頭の中にはあって、そこから出てきたっていう面はあるかもしれないです。

行かれた方のSNS投稿等を見ると、各書籍につけられたポップが素晴らしいとの声多数。

「紙の書籍は売れない」「街の書店が危機」……さんざん聴かされていますが、努力次第でいくらでもこうした工夫が出来るはずですね。

ご紹介が遅れてしまいまして、会期あと僅かですが、ぜひ足をお運びの上、『智恵子抄』、お買い求めください。

【折々のことば・光太郎】

此の間澤田伊四郎さんが突然来訪、懇請されたので「智恵子抄その後」六篇と戦後の雑文とを一冊にまとめて出版することを承諾しました、


昭和25年(1950)5月29日 宮崎稔宛書簡より 光太郎68歳

52de0e93澤田伊四郎の龍星閣(オリジナル『智恵子抄』版元、前年に戦時の休業から復興)から『智恵子抄その後』が刊行されたのは11月。この年1月の雑誌『新女苑』に載った連作詩「智恵子抄その後」6篇を根幹に、それ以前の智恵子に関する詩「もしも智恵子が」「噴霧的な夢」(新潮文庫版『智恵子抄』にすべて収録)、智恵子に関わる散文をいくつか、あとは智恵子とは無関係な散文、詩で構成されています。函などには「詩集」と印刷されていますが、「詩文集」とすべきものです。

澤田にあてた、同書に関わる光太郎書簡等が澤田の故郷である秋田県小坂町に寄贈されています。

今日も演奏会情報。若干先の話になりますが、一昨日、昨日も同様の情報でしたので、流れを考え、早めにご紹介します。

まず、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山を望む福島県郡山市から。ただ、入場無料・整理券配付というシステムで、既に1ヶ月前に申し込みが終わっています。こういった場合、いつも書いていますが、それでもキャンセル等があるかもしれませんし、記録のためにもご紹介しておきます。

郡山市市制施行100周年記念式典音楽祭

期 日 : 2024年11月3日(日・祝)
会 場 : けんしん郡山文化センター 福島県郡山市堤下町1番2号
時 間 : 第一部(合唱)11:00~ 第二部(交響楽)15:30~
料 金 : 無料

市制施行100周年を記念した音楽祭を開催します。

(1)合唱コンサート(11時開演)
 ♪出演者♪
  指揮:佐藤守廣
  ソリスト:渡邊仁美(ソプラノ)、藤田彩歌(メゾソプラノ)、
       小原啓楼(テノール)、初鹿野 剛(バリトン)
  100周年メモリアルオーケストラ・合唱団
 ♪曲目♪
  「Believe」 作詞・作曲:杉本竜一
  「群青」 作曲:小田美樹 編曲:信長貴富
  カンタータ「土の歌」より「大地讃頌」 作詞:大木惇夫 作曲:佐藤眞 
  「キセキ」 作詞・作曲:GReeeeN
  市制施行100周年記念楽曲「ゼロ年目からのバインダー」 作詞・作曲:GRe4N BOYZ
  「安積野」 作詞:倉木文緒 作曲:須田くにお
  交響曲第9番「合唱付き」より第4楽章 作曲:ベートーヴェン 

(2)オーケストラコンサート(15時30分開演)
 ♪出演者♪
  指揮:本名徹次 ソリスト:初鹿野 剛(バリトン) 100周年メモリアルオーケストラ
 ♪曲目♪
  交響曲第6番「田園」より第1楽章 作曲:ベートーヴェン 
  あれが阿多多羅山 バリトンとオーケストラのための~高村光太郎『樹下の二人』による
   作詞:高村光太郎 作曲:湯浅譲二
  交響詩「ローマの松」より  作曲:レスピーギ
   「ボルゲーゼ荘の松」「カタコンバ付近の松」「ジャニコロの松」「アッピア街道の松」
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郡山ご出身で、今年8月に亡くなった作曲家・湯浅譲二氏の「あれが阿多多羅山 バリトンとオーケストラのための~高村光太郎『樹下の二人』による」がプログラムに入っています。平成28年(2016)、市政90周年を祈念しての委嘱作品でした。

続いては合唱で、広島から。

広島中央合唱団 Autmun Concert~Can't wait for Christmas~

期 日 : 2024年11月4日(月・振休)
会 場 : 日本キリスト教団 広島流川教会  広島市中区上幟町8-30
時 間 : 14:00~15:00 
料 金 : 無料

指揮:寺沢希  ピアノ:梶矢民子  ソプラノソロ:昆野智佳子/山口水蛍

広島流川教会(中区上幟町)礼拝堂をお借りし、”Christmasを待ちきれない⭐広島中央合唱団“ から、ミニコンサートをお送りします。大好きな教会で、いつもと違うJazzy なCarol などをお楽しみいただきたいと思います。14時開演、入場無料です。ぜひお立ち寄り下さい。

演奏曲目

 Ⅰ.Jazz Missa Brevis Will Todd作曲
 Ⅱ.混声合唱曲 レモン哀歌 高村光太郎作詞 鈴木憲夫作曲
 Ⅲ.3つのジャズ・キャロル
    Away in a manger Once in royal David's city Silent night
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鈴木憲夫氏作曲の混声合唱曲「レモン哀歌」。組曲の一つというわけではなく、単体の作品です。女声版が最初に作曲され、平成23年(2011)にカワイ楽譜さんから出版されています。続いて独唱版と混声版が翌年に刊行されました。
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8分弱の長めの曲で、最初から最後まで奇を衒わずゆったりと清澄な響きで展開し、メロディーラインの美しい曲です。

ラストは独唱歌曲。都内での開催です。

サウンド・ランドスケープ Vol.4~現代音楽の今~

期 日 : 2024年11月5日(火)
会 場 : 豊洲シビックセンターホール 東京都江東区豊洲2-2-18
時 間 : 19:00~
料 金 : 全席自由 2,800円

プログラム(演奏順ではありません)
 城代悠子 渡り鳥 〜フルート・ピアノ〜 <初演>
  フルート:陣内幸恵 ピアノ:赤司美苗
 黒田昭 チェロとピアノのための作品より〜Vol.2 <初演>
  チェロ:中村浩太郎 ピアノ:樋口真千子
 DAKOKU ソプラノとピアノの為のヴォカリーズ ・舞魚 ・再会
  ソプラノ:MAKI ピアノ:DAKOKU 
 佐倉圭史 アマデウスは生きている—ピアノ連弾(1台4手)のための— <初演>
  ピアノ:首藤那咲 ピアノ:中矢美里
 服部和彦 
  たまゆり 〜ソプラノとピアノのために~ ソプラノ:笠井真由美 ピアノ:澤田尚美
  水の色彩~ピアノのために~ ピアノ:澤田尚美
 岩井奈美<メゾ・ソプラノ> 
  別宮貞雄:「智恵子抄」より 僕等 あどけない話 千鳥と遊ぶ智恵子 レモン哀歌
  なかにしあかね:ケヤキ 小鳥たち 沈丁花によせて 歌が生まれる
   ピアノ:尾崎克典
 古荘達郎<テノール>
  P.チマーラ:郷愁 Nostalgia  R.ザンドナイ:みみずく~六つのメロディーエより~
  中田喜直:木兎(みみずく)  團伊玖磨:旅上 はる
   ピアノ:高橋ドレミ
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昨日ご紹介した「関西歌曲研究会 日本歌曲の流れ 第101回演奏会 シリーズ 詩人 ~うたびと~vol.1 詩(うた)はどこから来た?」でも取り上げられる故・別宮貞雄氏作曲の「歌曲集 智恵子抄」から4曲。「僕等」「あどけない話」「千鳥と遊ぶ智恵子」そして「レモン哀歌」。

一昨日は朗読を伴う演奏会情報をお届けしましたが、こちらで把握しているもの、これで計7件ご紹介しました。まだあるかもしれません。曲名だけ告知されていて「作詞:高村光太郎」という記述がなかったりすると、なかなか気づけません。

内容等によりけりですが、お知らせいただければ、出来る限りご紹介いたしますので、よろしくお願い申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

捺印の薄いのもありますが、それは〇下二十度の頃捺したもので、どうしても印肉がのらないでやむを得ませんでした。萬年筆は破裂しました。


昭和25年(1950)1月24日 鎌田敬止宛書簡より 光太郎68歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋の厳寒期。水分は凍結すると膨張しますので、万年筆が破裂、朱肉も凍結して息でも吹きかけながら捺印したのでしょうか。昔の書籍の奥付に貼られていた検印紙に関わります。つくづく凄まじい生活でした。

芸術の秋、ということなのでしょう。毎年のことですが、この時期は各種イベントが目白押しです。

今月末から来月頭にかけ全国で行われる演奏会等でも、光太郎智恵子にからむものを、昨日ご紹介した2件以外に5件ばかり把握しております。

さすがに5件一気にというわけには行きませんので、分割して。

まずは兵庫県西宮市から。

関西歌曲研究会 日本歌曲の流れ 第101回演奏会 シリーズ 詩人 ~うたびと~vol.1 詩(うた)はどこから来た?

期 日 : 2024年10月24日(木)
会 場 : 兵庫県立芸術文化センター神戸女学院小ホール 兵庫県西宮市高松町2-22
時 間 : 18:30~
料 金 : 全席自由 3,000円

出演・曲目(五十音順)
 声楽
  青木耕平  レモン哀歌  詩:高村光太郎 曲:別宮貞雄
  大岡美佐  はなのいろは    歌:小野小町 曲:山田耕筰
  尾崎比佐子 椰子の実   詩:島崎藤村 曲:大中寅二
  木寺聖子  日本の雨の歌 歌:詠み人知らず 曲:マルクス
  総毛創   秋の眸    詩:竹久夢二 曲:松下倫二
  松井るみ  「3つの日本の抒情詩」より 
歌:山部赤人/源当純 曲:ストラヴィンスキー
  矢野文香  もう一度の春 詩:ロセッティ 曲:木下牧子
  山本久代  花のゆくえ  詩:竹久夢二 曲:木下牧子
  吉岡仁美  ひさかたの  歌:紀友則 曲:伊能美智子
  吉永裕恵  わすれな草  詩:竹久夢二 曲:藤井清水   
 ピアノ
  丸山耕路

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昭和57年(1982)、故・別宮貞雄氏作曲の「歌曲集 智恵子抄」から「レモン哀歌」がプログラムに入っています。別宮氏の「歌曲集 智恵子抄」、息が長いというか、また最近になってけっこう取り上げられるようになった感があります。

もう1件、こちらは大阪から。

第15回サンセットファミリーコンサート 海辺の音楽会~あなたに贈る歌~

期 日 : 2024年10月27日(日)
会 場 : ATC海辺のステージ 大阪市住之江区南港北2丁目1-10
時 間 : 15:00~16:30
料 金 : 無料

◆プログラム◆
【第1部】相愛大学音楽学部 コーラスグループ「Lilla」によるステージ
 ・アラン・メンケン/映画「リトル・マーメイド」より"アンダー・ザ・シー"
 ・コブクロ/この地球の続きを
 ・ゴダイゴ/銀河鉄道999
 ・ミマス/COSMOS
 ・夏の歌・秋の歌メドレー
  「茶摘み~夏は来ぬ~我は海の子~旅愁~故郷の空~夕焼け小焼け」
 ・クロード=ミッシェル・シェーンベルク/ミュージカル「レ・ミゼラブル」より"民衆の歌"
  ほか
【第2部】相愛大学大学院音楽研究科生、音楽専攻科生による独唱
 ・A.ドヴォルザーク/歌劇《ルサルカ》より"月に寄せる歌"
 ・蒔田尚昊/高村光太郎 詩《智恵子抄》より「あどけない話」
 ・小林秀雄/日記帳
 ・G.F.ヘンデル/《イタリア語のデュエット集》より"夜明けに微笑むあの花を"HWV 192
 ・W.A.モーツァルト/アヴェ・ヴェルム・コルプス
  ほか
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蒔田尚昊氏作曲の歌曲集『智恵子抄』から「あどけない話」が取り上げられます。

ご出演の皆さんが相愛大学さんのご関係の方々。相愛大学さんといえば今年8月に大学近くの本願寺津村別院(北御堂)さんで開催された「北御堂コンサートvol.255〜ロマンの饗宴〜」でも、同曲が演奏されました。

その際に歌われた永山玲奈さんという方、今回のフライヤーにもお名前があり、その方の歌唱なのでしょう。

それぞれ、お近くの方(遠くの方も)ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

おてがみやポスターなどいただきました、智恵子の切り抜き絵につき大変皆様のお世話さまになります事恐縮至極です、智恵子もあの頃、盛岡でこれらの作品が人々の目に触れやうとは思ひもかけなかつた事でせう、不思議な因縁だと思ひます、
昭和25年(1950)1月10日 黒須忠宛書簡より 光太郎68歳

前年の山形での開催に続き、この年は4月に盛岡の川徳画廊、5月には花巻の寿デパートで智恵子の紙絵の展覧会が開催されました。

盛岡展に関しては、黒須が勤務していた新岩手日報社の肝煎りでした。

光太郎詩の朗読がプログラムに組み込まれている演奏会情報を2件。

まずは演奏会と言うよりインスタレーションの一部ですが。

余白露光 テルミンと民族楽器のライブ演奏

期 日 : 2024年10月26日(土)
会 場 : 旧逗子高等学校武道場 神奈川県逗子市池子4丁目1025
時 間 : 14:00〜15:00
料 金 : 無料

出 演 : テルミン(大西ようこ) 民族楽器(杵淵三朗)
      朗読(聖和学院中学校・髙等学校 美術部)

 切絵、映像、音楽のインスタレーション展示。
 旧逗子高等学校の武道場という広い空間に、逗子の学校の生徒さんとの共同製作の切り絵を含めて立体的に作品を配置、逗子市の風景をつなげた映像を投影します。切り絵を抜けた光は映像につれて時々刻々と変化し、来場者が光の中を歩いて中央に設置されたテルミンに近づくと、テルミンが発する音が変化します。
 昨年の逗子アートフェスティバルの参加型インスタレーション企画「余白の自然」において、別アーティストによって制作されたオブジェも一部、コラボレーション展示される予定です。
各日14時より日替わりで専門家によるテルミン演奏あり。
 最終日26日には、14時より、テルミンと民族楽器のライブを行います。
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以前にもちらっとご紹介した「余白露光~境界剪画(切絵)、映像、音楽のインスタレーション」の一環で、展示自体は10月12日(土)から始まっています。電子楽器・テルミンを展示に組み込んだり、テルミン奏者の方々の演奏が為されたりしています。

で、最終10月26日(土)に、切り絵も担当された地元の聖和学院中学校・高等学校美術部の生徒さんによる詩の朗読に乗せ、テルミン奏者・大西ようこさんの演奏。詩は「ウクライナの子守唄 夢は窓辺を過ぎて」、峠三吉「原爆詩集」より、そして「智恵子抄」から「風にのる智恵子」だそうです。

大西さん、10月19日(土)にも演奏をなさったそうですが、その際には箏曲奏者の元井美智子さんとのコラボで、先月、やはり逗子で開催された「テルミンミュージアム4周年記念~人数限定のスペシャルなライブ~」に組み込まれていた「智恵子抄」の演奏もされたとのこと。急遽決まったようで、こちらでは事前に告知できませんでしたが。


今度は中高生の朗読。聖和学院中学校・高等学校美術部の生徒さんたち、期間中にこれまでも他の演奏者の方々と朗読のコラボをなさったそうです。そして26日(土)が千秋楽。

ぜひ足をお運びください。

もう1件、京都から。

文星堂 定期演奏会 秋の音楽会

期 日 : 2024年10月27日(日)
会 場 : 文星堂 京都市伏見区醍醐下山口町1
時 間 : 13:30~
料 金 : 無料

10/27秋の音楽会(入場無料)今回の朗読担当は京ふさこさんです!

朗読  智恵子抄より「樹下の二人」
歌 「サンタルチア」     「荒城の月」     「私の愛の日々」など
演奏  バッハ 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043

朗読:京ふさこ  歌:吉岡誠 喜多村澄映  ヴァイオリン:細辻都美子 堀井明子
ピアノ:出野奈穂子 細辻都美子 池田彩乃 吉岡亮
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コンサート専用ブースではなく、あくまでも、本屋と古物のお店です。お客様には、お詰め合わせのうえ、お座りいただくことをご了承いただきご参加くださいませ。しかしながら、そのおかげか、お客様と演奏者との距離が近く、間近で迫力ある音をお楽しみいただけますよ^^」だそうです。

きちんとしたホールでの演奏会ももちろんですが、こうしたアットホームなそれもいいものです。

こちらもぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

亡妻智恵子の思出を書きましても、それは「妻」といふやうな一つの典型を成す事は出来ない気がいたします、相互の愛こそありましたが、智恵子は御承知の通りの病疾者でありましたし、又決して普通にいふ妻の資格を備へてゐる女性でもなかつたのでありました。


昭和25年(1950)1月11日 松下英麿宛書簡より 光太郎68歳

松下が務めていた中央公論社で、「母」「妻」といったテーマごとのアンソロジーのシリーズを企画、「妻」の巻に智恵子の思い出を書き下ろして欲しい、というような依頼があったようで、それへの返答です。

戦前には「智恵子の半生」という長い随筆を書き、『智恵子抄』にも収められましたが、その際は自分の中で智恵子との日々を総括するといった意味がありました。今、この時期に改めて、という気にはならなかったのでしょうし、「智恵子の半生」でも語ったように、自分たち夫婦のケースはあまりに特殊で、一般の人々の普遍的な参考にはしがたい、という考えもあったのでしょう。

愛知からコンサート情報ですが、8月の段階でチケット完売とのこと。ただ、キャンセル等があるかも知れませんし、記録のためにもご紹介しておきます。

HITOMIホールプリズムステージ 朗読と音楽が紡ぐ愛、「智恵子抄~田園交響楽より~」

期 日 : 2024年10月9日(水)/10月10日(木)
時 間 : 15:00~ 
会 場 : HITOMIホール 名古屋市中区葵三丁目21番19号メニコンアネックス5F
料 金 : 一般 前売り3,000円/当日3,500円  大学生迄 前売り・当日ともに1,500円

「智恵子抄」は、詩人・高村光太郎によって書かれた詩集。妻・智恵子との出会いから死後までの約30年間に書かれた、彼女にまつわる作品集です。プリズムステージでは、智恵子が愛したと言われているベートーヴェンの「交響曲第6番『田園』」をモチーフにしたオリジナル音楽とともに構成します。
●作曲 宗川諭理夫
●朗読 たかべしげこ、大田翔
●演奏 ヴァイオリン 寺田史人 チェロ 佐藤光 ハープ 天野世理
光太郎の描いた精神世界、届かない智恵子への憧れと渇望、そして絶望。理性的な美しい言葉たち。挑戦のステージです。
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同じ会場で、似たタイトル(今回の「愛」が「純愛」でした)の公演が平成28年(2016)同29年(2017)同30年(2018)と3年連続で開催されました。基本的には再演なのでしょうが、演者の方々は過去のそれとは異なっています。

昨日ご紹介した野田秀樹氏作の演劇「売り言葉」にしてもそうですが、「智恵子抄」、様々な切り口からの二次創作が可能な素材です。今後ともこういったものが作り続けられ、上演され続けられて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

小鳥も多くなり、木ツツキが小屋の屋根をたたきます、木ツツキが来ると冬が近づきます。今はススキの穂がいちめんに銀いろで海のやうです。木々は既に紅葉をはじめ、山口山は上の方から赤くなつて来ました。今に路傍の草までまつかになることでせう。


昭和24年(1949)10月26日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎67歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の秋。約2ヶ月後に発表した連作詩「智恵子抄その後」の中では、「智恵さん斯ういふところ好きでせう。」と謳いました。

音楽家の田中信昭氏が亡くなりました。

共同通信さん。

合唱指揮者の田中信昭さん死去 東京混声合唱団を創立[]

 東京混声合唱団(東混)の桂冠指揮者で、文化功労者の田中信昭(たなか・のぶあき)さんが12日午後9時40分、心臓死のため自宅で死去した。96歳。新潟県出身。葬儀は近親者で行う。
 1928年、新潟県生まれ。56年に東京芸術大を卒業し、東混を創立。常任指揮者に就任し、作曲家と協力して合唱音楽のレベルの向上に尽力した。
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団など数多くのオーケストラの来日公演で合唱指揮を務め、桐朋学園大客員教授や国立音楽大招聘教授などを歴任。97年、東混の桂冠指揮者となり、2016年に文化功労者に選ばれた。

NHKさん。

合唱指揮第一人者 田中信昭さん死去 96歳

 合唱指揮の第一人者として知られ「東京混声合唱団」の創立に関わるなど、長年にわたって日本の合唱界をけん引してきた指揮者で文化功労者の田中信昭さんが9月12日に亡くなりました。96歳でした。
 田中さんは新潟県の出身で中学校の音楽教師を経て東京藝術大学の声楽科に入りました。
 大学を卒業した1956年に声楽科の有志とともに「東京混声合唱団」を創立して常任指揮者に就任、日本で有数のプロの合唱団に育て上げました。
 田中さんは日本語による合唱曲の創作に力を尽くし、さまざまな作曲家に依頼して曲を作ってもらい、460曲に及ぶ合唱曲を初演しました。
 また、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演や、NHK交響楽団など数多くのオーケストラ公演で合唱の指揮を取りました。
 全国のアマチュア合唱団の指導にも積極的に取り組み、こうした功績が評価され2016年には文化功労者に選ばれています。
 関係者によりますと田中さんは9月5日、自宅で転倒して入院していましたが、退院後の12日、自宅で亡くなったということです。
 8月末、東京混声合唱団の演奏会に指揮者として出演したのが最後のステージになったということです。
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田中氏、平成元年(1989)10月6日、赤坂の草月ホールで開催された「オペラ智恵子抄」初演の際、伴奏の10人編成アンサンブルの指揮をなさって下さいました。
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脚本は山本鉱太郎氏、監修は当会顧問であらせられた、故・北川太一先生、そして作曲は仙道作三氏。登場人物は光太郎智恵子二人だけという破格のオペラで、智恵子役は連翹忌ご常連、さらに女川光太郎祭にも欠かさずご参加下さっている本宮寛子氏が演じられました。ちなみに演出は光太郎とも交流のあった萩原朔太郎令孫・朔美氏でした。

田中氏、平成3年(1991)、日暮里サニーホールさんでの再演時にも指揮を務められました。
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謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

温泉といへば此処の太田村の寒沢川の上流に温泉が出さうだといふので村長さんが試掘願を出したりしてゐます。若し出たら夕涼みの散歩に浴泉出来るわけで万歳ですが。

昭和24年(1949)7月21日 宮崎丈二宛書簡より 光太郎67歳

「寒沢川」は光太郎が蟄居していた山小屋の近くを流れる川です。数㌔先の豊沢川沿岸には大沢温泉さん(また来週お世話になります)をはじめとする花巻南温泉峡があり、確かに温泉が出てもおかしくありません。しかし、結局、事業化には至らなかったようです。コスパの問題等もあったでしょうし。

ほぼほぼクローズドのイベントでしたので、このサイトでは事前にご紹介しませんでしたが、昨日、神奈川県逗子市のテルミンミュージアムさんにおいて開催された「テルミンミュージアム4周年記念~人数限定のスペシャルなライブ~」にお邪魔しておりました。レポートいたします。
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同ミュージアム、電子楽器のテルミン奏者・大西ようこさんが運営なさっています。ミュージアムと云っても、大西さんがお持ちのアパートの一室を改装して作られたスペースです。
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内部はライブということで昨日は客席が用意されていましたが、通常は集められた古今東西のテルミン27台だかがずらりと展示されているのでしょう。それらは壁際などに寄せられていました。
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一部、修理中だそうで。
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奥の壁にはこちらを訪れられた様々な方々のサイン。
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さまぁ~ずさんとテレビ東京の田中瞳アナ。今年7月6日(土)にオンエアのあった「モヤモヤさまぁ~ず2 【逗子・葉山】一心同体!季節外れの90分弱SP」の際のものです。
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NHKさんで不定期に放映されている「フェス・アローン レギュラー番組への道」のディレクター氏。昨年2月でしたが、こちらでのロケと、大西さんはスタジオでハライチのお二人(澤部佑さん、岩井勇気さん)とご共演。
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そして箏曲奏者の元井美智子さん。

元井さん、この日の「テルミンミュージアム4周年記念~人数限定のスペシャルなライブ~」で大西さんとご共演。
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元井さん、昨年、横浜のイギリス館さんで開催された「元井美智子自作自演コンサート2023」で、箏を弾かれながら「智恵子抄」中の詩を朗読なさいまして、それがご縁で今年の連翹忌の集いにご参加下さいました。そこで連翹忌ご常連の大西さんに捕まり(笑)、今回のコラボライブ。

7月には同様に連翹忌ご常連で朗読の荒井真澄さんとのコラボを花巻仙台でなさっています。以前にも書きましたが、連翹忌は光太郎を偲ぶのが趣旨ですが、こうして人の輪を繋いで行くのも大きな目的の一つでして、その意味では主催者として喜ばしい限りです。
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元井さん、御著書「八橋の虹」のプロモも。江戸時代の八橋検校を主人公とした小説仕立てですが、史料が少ないため評伝には出来ない部分を想像で補われて書かれたものです。以前に頂き、芸道の徒弟制度的な部分では、高橋鳳雲、高村東雲、そして光太郎の父・光雲へと続く木彫界の一派とも通じる部分があるな、と思って拝読しました。Amazonさん等でも扱われています。ぜひお買い求めを。
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この日は横浜で元井さんが演(や)られた「智恵子抄」をダイジェストで、「千鳥と遊ぶ智恵子」「レモン哀歌」の語りに箏とテルミンの演奏を乗せて。

他に箏曲定番の「春の海」や、光太郎も好きだったドビュッシー、元井さんオリジナルの曲、大西さんが以前にチェロやハープとの合奏のために作曲家の方(お二人、昨日もいらしていました)に書いていただいたものをアレンジした曲など。和と洋、ある意味最先端の電子と古き良き伝統との融合、なかなか不思議な世界観でしたが、心地よいものでした。

大西さん、実に様々な方との二人三脚をこれまでもやられていて(実際に足を縛って走られているわけではありませんが(笑))、中には「ウルトラマン」のスーツアクター(中の人)や「ウルトラセブン」のアマギ隊員役だった古谷敏さんに「智恵子抄」系朗読をお願いして、という企画もありました。

切り絵作家の方の作品に描かれた古谷さんのサイン。
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ウルトラファンには垂涎の的でしょうね。といってもここで涎を垂らされても困るでしょうが(笑)。

来月、逗子で開催される大西さんが一枚噛んだイベントのフライヤー。上記の切り絵の方との連携だそうで。
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今後とも、お二人のご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

「道程」初版は「詩集」といふよりも「詩篇雑綴」といふやうなもので、その頃までの自分の詩をただ制作年代順に並列したものに過ぎません。その頃小生は詩集などといふものをれいれいしく出版する気はありませんでした。


昭和24年(1949)6月26日 檜村淑子/藤田澄枝/肥後道子宛書簡より 光太郎67歳

宛先の3人は、当時女学生の光太郎ファンでした。面識もなかった光太郎に手紙を送り、いろいろ質問をし返事を頂いたとのこと。お三方のうち、肥後さんはかつて連翹忌にもご参加下さり、この書簡の背景などについて語っていただきました。

コーラスグループ、ボニージャックスのメンバー・鹿嶌武臣さんが亡くなりました。

『日刊スポーツ』さん。

「ボニージャックス」鹿嶌武臣さん死去、90歳 家族と「じゃあまた明日ね」と会話も容体が急変

無題 日本のコーラスグループを代表する「ボニージャックス」のメンバー、歌手の鹿嶌武臣(かしま・たけおみ)さんが12日午後6時38分、脳幹出血のため、入院中だったさいたま市の病院で死去した。90歳だった。京都府舞鶴市出身。通夜および告別式は、家族の希望により家族葬として執り行う。
 男性4人のコーラスグループ「ボニージャックス」は1958年、早稲田大グリークラブ出身のメンバーで結成された。同時期に活動した慶応大学の4人グループ「ダーク・ダックス」とともに、男性コーラスグループのブームを作った。
 鹿嶌さんは初期の結成メンバーの1人で、バリトンを担当。「北帰行」(1961年)、「ちいさい秋みつけた」「琵琶湖周航の唄」(ともに1962年)、「もずが枯木で」(1963年)などのヒットを続け、1963年(昭38)年からNHK紅白歌合戦に連続出場。「一週間」(1963年)、「幸せなら手をたたこう」(1964年)「手のひらを太陽に」(1965年)などのヒット曲を披露した。
 小林旭(85)との競作となった「北帰行」では、61年の「日本レコード大賞」をフランク永井の「君恋し」と最後まで競い(8票差で次点)、「ちいさい秋みつけた」では「日本レコード大賞」童謡賞を受賞した。
 2021年にメンバーだった西脇久夫さんが亡くなった後も3人でステージをこなし、昨年の「第50回日本歌手協会歌謡祭」にも出演。鹿嶌さんは今年7月5日、「鹿嶌武臣の世界」(彩の国さいたま芸術劇場映像ホール)に出演したが、その後入院。所属する日本歌手協会によると、亡くなった当日も家族が病院に見舞った際、「じゃあまた明日ね」などと元気に会話していたが、その後に容体が急変し、帰らぬ人となったという。
 日本歌手協会では、13日午後5時56分から放送のレギュラー番組「プレイバック日本歌手協会歌謡祭」(BSテレ東)で、過去の「歌謡祭」に4人で歌唱している「ちいさい秋みつけた」を放送する予定。さらに、10月29日、30日開催(4回公演=各回出演者が異なる)の「第51回日本歌手協会歌謡祭」(江戸川区総合文化センター)の30日夕の部に、残されたメンバーの玉田元康(90)と吉田秀行(59)が鹿嶌さんをしのび、歌唱することが決定した。

2fb7f483-sコロムビアさんから平成9年(1997)にリリースされた2枚組CD「ボニージャックスの日本の唱歌」中で、光太郎作詞の戦時歌謡「歩くうた」を歌われていました。右画像、左からお二人目が鹿嶌さんです。

ボニージャックスさん、創設時のメンバーのうち大町正人さん(右端)は平成23年(2011)に、西脇久夫さん(右から2人目)は令和3年(2021)にそれぞれ亡くなっています。

大町さんが亡くなってから吉田秀行さんが加わられ、オリジナルメンバーの玉田元康さん(左端)とお二人となってしまいましたが、デュオとしてでも「ボニージャックス」のブランドを残していただきたいものです。

小ネタをもう1件。今夜のラジオ放送です。

yes!~明日への便り~ presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

2024年9月14日(土) TokyoFM/FM軽井沢 18:00~18:30 FM大阪/FM長野 18:30~19:00

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』今週あなたは、自分を褒めてあげましたか? 古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。あなたの「yes!」のために。

語り:長塚圭史 脚本:北阪 昌人 

■第472話『己(おのれ)の後悔と向き合う』 高村光太郎(彫刻家、詩人)千葉県にまつわるレジェンド②

■詩集「道程」「智恵子抄」で知られる高村光太郎。彫刻家の父・光雲との確執、智恵子との愛と死、戦争中の創作、さまざまな感情を詩集は伝えます。

■千葉県の犬吠埼や九十九里で愛する智恵子との時間をすごした彼が残した人生のyes!とは?
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通常のラジオ受信機での聴取は地域限定ですが、現代はスマホで聴取可能ですし、番組公式サイトではアーカイブとして過去の放送がアップされています。今夜の放送も来週には上がるでしょう。

ぜひお聴き下さい。

【折々のことば・光太郎】

人体が見たくなると近くの温泉にゆきます。生きたモデルがたくさんゐます。

昭和24年(1949)6月17日 野見山朱鳥宛書簡より 光太郎67歳

人体彫刻の構想が頭に渦巻きながら、それに着手できない苦悩が垣間見えます。何の予備知識もなくこれだけ読むとただの変態ですが(笑)。

仙台市から演奏会情報です。

サロンコンサート《 いざなう月の琴》 vol.32 ~古典調律で楽しむ, 小さなお部屋コンサート『 ひとり シューマンと智恵子抄 』クララ・シューマンの生誕日に寄せて~

期 日 : 2024年9月13日(金)
会 場 : アクテデュース 宮城県仙台市大町1-1-15
時 間 : 19:00~
料 金 : 3,000円

出 演 : 齋藤卓子

クラシックピアノの名曲はもちろん、初めて触れるかもしれない耳馴染みない楽曲も、親しみ易く、お話を交えて御案内していきます。街中の隠れ家のような気が置けない温かな空間で、ゆったりと音楽に浸ってみませんか?興味をお寄せ頂けましたら是非お出掛け下さい。

開催の9月13日は、ドイツ・ロマン派の作曲家ロベルト・シューマン最愛の妻にしてピアニストのクララ・ヴィーク=シューマンの生誕日に当たります。それに因み、今回は高村光太郎の『智恵子抄』に寄せて選んだロベルト・シューマンの作品を、詩の朗読と共にお楽しみ頂きたいと思います。

この演目は2019年にも取り上げていますが、「文学と音楽の融合」という試みとしてだけでなく、様々な要素が思い掛けない照応を見せ、お客様方にもその化学反応を楽しんで頂けました。この度また向き合うことで私自身にも新たな発見があると胸を躍らせています。「どうして智恵子抄とシューマン???」なのかは演奏会でのお楽しみに。9月13日の晩、会場にてお待ちしております。

尚、御用意できるお席に限りがあるため御予約をお願い致します。恐れ入りますが、前もってお問合せ下さいませ。アクテデュース 022-265-5350
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ピアニスト齋藤卓子 (さいとうつなこ) さん、案内文にある通り、令和元年(2019)にも同じ会場で「高村光太郎『智恵子抄』と共に」としてサロンコンサートをなさいました。

また、平成24年(2012)にはやはり仙台市のその頃長町にあったびすた~りさんで「ピアノ演奏と朗読で綴る愛の世界 シューマンと智恵子抄 Part2.高村智恵子誕生の日に」。この際は朗読の荒井真澄さん、墨絵の一関恵美さんとのコラボでした。
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さらに平成25年(2013)の第57回連翹忌では、齋藤さんのピアノに乗せて一関さんのライブペインティングを御披露いただきました。
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今回はお一人でピアノと朗読をなさるのだと思われます。

サブタイトルに「古典調律で楽しむ」とあり、現代で一般的な平均律ではないセッティングだそうで。聴く人が聴けば明らかに違うのでしょうね。当方、聴き分ける自信は全くありませんが(笑)。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

龍星閣の活動をはじめられたる趣、大慶に存じます

昭和24年(1949)5月10日 澤田伊四郎宛書簡より 光太郎67歳

龍星閣」は昭和16年(1941)に初版が刊行された『智恵子抄』の版元。戦時中には他の光太郎著書も複数刊行しました。『智恵子抄』は戦時にも関わらず昭和19年(1944)の13刷まで版を重ねましたが、戦争の激化に伴い、龍星閣は休業。

この年、社主の澤田が出版業を再び始め、翌年には『智恵子抄その後』、さらに2年後には『智恵子抄』の復元版(共に赤いクロス装のもの)を刊行します。

埼玉から公演情報です。

木村俊介Concert『鵲(かささぎ)の橋の上で』Vol.2〜日本と韓国の文学作品をモチーフに〜

期 日 : 2024年9月8日(日)
会 場 : 柏屋楽器フォーラム ホール 埼玉県さいたま市浦和区岸町7丁目1-9
時 間 : 開場 17:30 / 開演 18:00
料 金 : 【完全予約制】全席自由 5,500円 100名様限定

 豊かな表現力と卓抜なテクニックでオンリーワンの活動を展開するpakusuna氏。その氏との定例公演を日韓で重ねることで、コラボレーションの可能性をより深く追求したく、このプロジェクトを始めました。
 第2弾となる今回は、長年の念願叶って、特別ゲストに俳優の壤晴彦氏を迎えます。師と仰ぐ大先輩に真っ向勝負で挑みます。
 音楽界、演劇界の異才、鬼才が全身全霊でぶつかり合い、響き合う時、そこにどんな情景が広がるのか。美しいまでの切なさ、哀しいほどの愛おしさ。
 会場に足をはこんだ皆様だけが体感できる、心震える瞬間を、是非ご堪能ください。

出 演
 〈笛・三味線・打楽器〉木村俊介  〈伽耶琴(カヤグム)〉パク スナ  〈語り〉壤晴彦

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フライヤーに細かなプログラムの記載がありませんが、語りとしてご出演の壤晴彦氏が「智恵子抄」と他一篇を朗読なさるそうです。当然、ア・カペラではなく木村氏とパク氏の音楽とのコラボでしょう。

壤氏、かなり以前から「智恵子抄」朗読に取り組まれています。このブログでも平成24年(2012)リリースの朗読CDをご紹介しました。
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久しぶりに聴いてみましたが、やはりいい感じです。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

今朝は早速一三五番クワルテツトをきく事が出来て感謝しました。おかげで山にゐていい音楽がきけ、長い間の音楽飢餓から脱する事ができます。


昭和24年(1949)4月15日 宮沢清六宛書簡より 光太郎67歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋にも村人達が電線を引いてやり、さらに賢治実弟の清六を通してラジオを購入しました。

一三五番クワルテツト」はおそらくベートーヴェンの「弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 作品135」でしょう。

昨日、岐阜で今週末に開催され、蒔田尚昊氏作曲の歌曲集『智恵子抄』も演奏されるコンサート「リートデュオコンサート「二人の肖像」大梅慶子×内多瑞子」についてご紹介しましたが、同じく蒔田氏の歌曲集『智恵子抄』がプログラムに入ったコンサートが大阪でも。

北御堂コンサートvol.255〜ロマンの饗宴〜

期 日 : 2024年8月29日(木)
会 場 : 本願寺津村別院(北御堂) 大阪市北区本町4-1-3
時 間 : 12:25~12:45
料 金 : 無料

どなたでもご参加いただけます。お寺で少し休んでみませんか?皆様のお越しを心よりお待ち申しあげます。

出 演 : 永山玲奈(sop) 生田英奈(pf)
プログラム
 恩徳讃 親鸞聖人
 R.シュトラウス/作品10 《最後の葉》より 1.「献呈」 2.「何も」 8.「万霊節」
 蒔田尚昊/高村光太郎 詩《智恵子抄》より「あどけない話」
 小林秀雄/日記帳
 C.グノー/歌劇《ファウスト》より「まぁ!なんと美しい姿(宝石の歌)」
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蒔田氏の「智恵子抄」、昭和45年(1970)頃の作曲で、あまり演奏される機会が無かったと思われますが、このところ取り上げて下さる方が増えてきている感じです。当方の把握している限りでは市販されたCD等には収められたことがありませんが、YouTubeに複数の方の演奏が上がっていますし、楽譜は全音さんから昭和45年(1970)に刊行され、未だ入手可能な『日本歌曲集 3』に「あどけない話」が掲載されており、そのあたりの影響もあるのかも知れません。

今回のコンサートは会場となっている本願寺津村別院さんの主催で、月イチくらいのペースで開催されているようです。すぐお隣の相愛大学音楽学部さんとのコラボで、そちらで学ばれている方や、ご出身の方などがご出演されていると思われます。毎回、短時間の公演で、入場無料(例外があるかも知れませんが)。若手の演奏者の皆さんに発表の機会が与えられ、さらに無料で開催されるということで地域貢献にもなり、うまいこと考えるもんだと感心しました。

ところで会場の本願寺津村別院さんの別名が「北御堂」。北があれば南もあって「南御堂」はすぐ近くの真宗大谷派難波別院さん。この二つのお堂があるので「御堂筋」。

「御堂筋」といえば、「御堂筋彫刻ストリート」。最愛の妻・智恵子の顔を持つ光太郎の「十和田湖畔の裸婦群像のための中型試作」も「みちのく」の名で並んでいます。
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コンサートをお聴きの上、併せてご覧いただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

この部落をホームスパンの生産地にしたいとかねて考へてゐましたが、緬羊(メリノー種など)も相当に農家で飼つてゐるので、去年から講習をはじめ土沢町から先生に来てもらひ、農家の娘さんでもう平織のマフラー位は織れるやうになつた人もあります。


昭和24年(1949)2月28日 更科源蔵宛書簡より 光太郎67歳

ホームスパンは羊毛を使った毛織物。「先生」は及川全三とその弟子・福田ハレ。戦前、智恵子にせがまれて買ったイギリスの染織工芸家エセル・メレ作のホームスパンの毛布が、奇跡的に二度の戦火をくぐり抜けて光太郎の手許に残り、そうした関係もあってホームスパンには並々ならぬ関心を寄せていました。

残念ながら光太郎の暮らしていた旧太田村ではホームスパン制作は根付きませんでしたが、岩手県としては現在でも特産品の一つです。

岐阜から演奏会情報です。

リートデュオコンサート「二人の肖像」大梅慶子×内多瑞子

美濃加茂市公演
 期 日 : 2024年8月24日(土)
 会 場 : 美濃加茂市立東図書館2階視聴覚ホール 岐阜県美濃加茂市本郷町9-2-22
 時 間 : 13:30開場 14:00開演 16:00終演予定
 料 金 : 全席自由1,800円

岐阜市公演
 期 日 : 2024年8月25日(日)
 会 場 : クララザールじゅうろく音楽堂 岐阜市本郷町1丁目28番地
 時 間 : 13:30開場 14:00開演 16:00終演予定
 料 金 : 全席自由2,000円

 出 演 : 大梅慶子(sop) 内多瑞子(pf)

一人の歌手とピアニストがデュエットをするように詩の世界を音楽と言葉で紡ぎます。今回は「人生の伴侶」への想いが綴られた心温まる詩を中心に選びました。言葉が音楽によって息づき、私たちの人生と結びつく瞬間。詩の物語をご一緒に体験し、その世界を愉しむ時間を過ごしませんか。

【プログラム】
 R. シューマン: 歌曲集『ミルテの花』作品25より「献呈」「くるみの木」ほか
 R. シューマン:連作歌曲『女の愛と生涯』作品42
 蒔田尚昊:歌曲集『智恵子抄』(詩:高村光太郎)
 越谷達之助: 初恋
 小林秀雄:落葉松         ほか 
  (プログラムは変更になる場合があります)
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蒔田尚昊氏作曲の「歌曲集 智恵子抄」がプログラムに入っています。「より」の語が附けられていないので、全5曲を演奏されるのでしょう。ちなみにラインナップは「I 樹下の二人」「II あどけない話」「 III 同棲同類」「IV 千鳥と遊ぶ智恵子」「V レモン哀歌」です。

抜粋で取り上げられることは少なくないのですが、全曲完奏は最近ですと当方の記憶にありません。こちらの情報網にかかっていないだけで、どこかで演奏されているのかも知れませんが。

同氏、以前にも書きましたが、「冬木透」の名義でウルトラシリーズの音楽を担当もされていました。昨年には都内で「「男声合唱のためのウルトラセブン」 楽譜出版記念コンサート」と銘打ち、クラシック系とウルトラ系双方を取り上げる公演もありました。第一部が「蒔田尚昊」名義のクラシック系で、第二部は「冬木透」クレジットのウルトラ系。

YouTube上にその際の加耒徹氏による「あどけない話」「レモン哀歌」「千鳥と遊ぶ智恵子」がアップされています。


お近くの方(遠くの方も)ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

電燈が近く来さうで部落の人達が電柱用の材木を運んだり、穴を掘つたりしてくれました。部落の人の好意はありがたいと思ひます。電燈が来れば仕事が多いにはかどるでせう。

昭和24年(1949)2月22日 宮崎稔宛書簡より 光太郎67歳

花巻郊外旧太田村の山小屋での暮らし、ここまで3年余り電気無しのランプ生活でしたが、見るに見かねた村人たちが電線を引っ張って上げることになりました。

作曲家の湯浅譲二氏が亡くなりました。

共同通信さん配信記事。

作曲家、湯浅譲二さん死去 文化功労者

001 日本の現代音楽の発展に貢献した作曲家で文化功労者の湯浅譲二(ゆあさ・じょうじ)さんが7月21日午前8時43分、肺炎のため自宅で死去した。94歳。福島県出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長男龍平(りゅうへい)さん。
 戦後に多様な前衛芸術を展開した「実験工房」で武満徹さんらと活動。国内外で活躍し、オーケストラや室内楽、合唱、電子音楽などを幅広く作曲した。
 テレビや映画の音楽も数多く担当。NHK大河ドラマ「徳川慶喜」や九重佑三子さん主演のドラマ「コメットさん」の音楽のほか、童謡「はしれちょうとっきゅう」も広く知られている。
 1999年に恩賜賞・日本芸術院賞、2014年に文化功労者。

『朝日新聞』さん。

作曲家の湯浅譲二さん死去、94歳 戦後日本の音楽界リード

002 オーケストラ音楽から電子音楽まで幅広い作風で国際的に活躍し、戦後日本の音楽界を先導した作曲家の湯浅譲二(ゆあさ・じょうじ)さんが7月21日、肺炎で死去した。94歳だった。葬儀は近親者で営んだ。後日、お別れの会を開く予定。喪主は長男龍平さん。
 福島県郡山市出身。独学で作曲を始めた。慶応大医学部在学中に音楽評論家の秋山邦晴や作曲家の武満徹と出会い、同大中退後、51年に詩人の瀧口修造が命名した芸術家集団「実験工房」に参加。作曲に専念した。
 音楽を「音響エネルギーの運動」としてとらえ、スケールの大きい作品を多く手がけた。代表作に「クロノプラスティク」「内触覚的宇宙」シリーズなど。NHK大河ドラマ「元禄太平記」、NHKの「おかあさんといっしょ」、テレビドラマの「コメットさん」「木枯し紋次郎」、伊丹十三監督の映画「お葬式」の音楽も手がけた。
 後進の指導にも力を注ぎ、米カリフォルニア大サンディエゴ校で教授を務め、国内外の音楽祭の監修や作曲賞の審査も数多く担った。自作を編曲した「哀歌(エレジィ)」で今年、5回目の尾高賞を受賞。96年度サントリー音楽賞、2014年文化功労者。

湯浅氏、智恵子の故郷・二本松市に近い郡山市のお生まれで、そうした縁から平成28年(2016)には独唱歌曲「あれが阿多多羅山 バリトンとオーケストラのための~高村光太郎『樹下の二人』による」を作曲なさり、同市で初演が為されました。

つい4日前、同市のホームページに「あれが阿多多羅山……」もラインナップに入った「市制施行100周年を記念音楽祭」(11月3日(日))の告知が出たばかりで、驚いております。

また、平成25年(2013)には「二本松市民の歌」もご作曲。こちらも「智恵子抄」インスパイアの歌詞が盛り込まれています。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

【折々のことば・光太郎】

学校では小生寄附の幻灯機披露の幻灯会を先日催しました。

昭和23年(1948)11月6日 宮崎稔宛書簡より 光太郎66歳

学校」は、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの太田小学校山口分教場。「幻灯機」は今で云うプロジェクタですね。

B&G財団さんが助成を行い、全国で刊行され続けている「マンガふるさとの偉人」シリーズ。昨年、岡山県赤磐市教育委員会さんで、光太郎と交流のあった詩人・永瀬清子の『詩人永瀬清子物語 わがたてがみよ、なびけ』を刊行なさいました。

数ヶ所で光太郎が登場していました。
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今年、同じシリーズで、福島県小野町さんが、『今も愛される名作を生んだ作詩家 丘灯至夫』を刊行。丘灯至夫は作詞家。舟木一夫さんが歌った遠藤実作曲「高校三年生」、古関裕而作曲の「長崎の鐘」や「高原列車は行く」、さらにはアニソンで「ハクション大魔王」、「みなしごハッチ」などの作詞も手がけるなど、幅広く活躍しました。

そして昭和39年(1964)には、二代目コロムビア・ローズさんの歌唱になる「智恵子抄」がリリースされ、それなりにヒットしました。

智恵子の故郷・二本松にもほど近い小野町さんでの刊行なので、「智恵子抄」がらみのエピソードも紹介されているだろう、あわよくば現物をゲット出来ないものかと、今年5月、二本松に行った際に、小野町のふるさと文化の館内に併設された丘灯至夫記念館さんに立ち寄りました。予想通り「智恵子抄」が世に出る経緯が描かれていたものの、残念ながら販売はなされていませんで、コピーも不可ということでしたが、8月頃にはネット上で無料公開されるという情報を得ました。

しかし8月にではなく、前倒しで7月1日(月)から無料公開が開始されました。
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「智恵子抄」に関してはこんな感じ。最初からすんなりとはいかなかったそうです。
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当会の祖・草野心平が登場。当時、心平は高村光太郎記念会のメンバーでしたので、丘は心平を通して作品化の許可を取ろうとしたわけです。すると心平、「先ずこの酒を飲め」(笑)。無茶苦茶ですね。

過日も書きましたが、この頃、高村光太郎記念会としては、花巻の「一億の号泣」詩碑の問題「智恵子抄裁判」のゴタゴタなどで、神経を尖らせていましたので、むべなるかなですが。

それから、「高校三年生」や「智恵子抄」のヒットを受けての小野町凱旋公演。

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その他、丘の一生、興味深く拝読しました。当初、詩人を目指していた頃の西条八十や、のちに作詞家となってからの古関裕而や舟木一夫さんらとの出会い、数々のヒット曲制作の裏側など。

メインタイトルが「小さな巨人」となっていますが、大正6年(1917)、未熟児として生まれ、生涯病弱で、身体も小さかった(身長150㌢チほど、体重約33㌔、足のサイズは22㌢~23㌢)ことが由来です。そのため、日中戦争の始まった頃には一度は兵役免除になりましたが、太平洋戦争が激化した昭和18年(1943)には応召されました。そして虚弱な丘を何くれとなくかばってくれたりした戦友は戦死……。そうした経験が「長崎の鐘」などにも繋がっていくと思われます。

それからサブタイトルは「今も愛される名作を生んだ作詩家」。「作詞家」ではなく「作詩家」です。そこにはじめ西条八十に師事した丘のこだわりがあったのでしょう。

ちなみに来週、BSテレ東さんで「智恵子抄」が流れます。

プレイバック日本歌手協会歌謡祭

BSテレ東 2024年7月10日(水) 17:56〜19:00 放送時間 64分

「日本歌手協会歌謡祭」名曲&懐かしの名場面を一挙放送!

 「大江戸出世小唄」合田道人/「東京音頭」香西かおり/「東京ラプソディ」大川栄策
「九段の母」塩まさる/「東京ブルース」淡谷のり子/「夢淡き東京」ボニージャックス
「東京の屋根の下」貴津章/「東京ブギウギ」森サカエ/「君の名は」青山和子
「東京ティティナ」生田恵子/「東京だより」三船浩/
「東京のバスガール」初代コロムビアローズ/「智恵子抄」二代目コロムビア・ローズ
「東京ドドンパ娘」渡辺マリ/「東京五輪音頭」福田こうへい/「あゝ上野駅」松原健之
「新宿そだち」津山洋子、高樹一郎

<司会>合田道人
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過去映像によるものですね。「智恵子抄」、どういう歌だかよくご存じないという方、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

雪の下から葱が出てきて立ち上がりました。タンカルのおかげで農家であきらめてゐるハウレン草がもう食べられるほど育つてゐます。


昭和23年(1948)4月2日 宮沢清六宛書簡より 光太郎66歳

「タンカル」は、かつて宮沢賢治が推奨していた肥料・炭酸カルシウムですね。

6月29日(土)、杉並区阿佐谷の名曲喫茶ヴィオロンさんで開催された 「ノスタルジックな世界 ライブ 朗読&JAZZ演奏」を拝聴して参りました。
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阿佐ヶ谷駅近くの路地に佇むヴィオロンさん、「名曲喫茶」と冠されているだけあって、外装、内装ともにレトロな感じでした。まさに「昭和」。
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片隅で着流しにハンチングの光太郎とロイド眼鏡の草野心平がコーヒーカップを傾けていても、何の違和感もないような(笑)。

藤澤由二氏のピアノ演奏に乗せて、MIHOE氏が歌われたり朗読されたりという構成でした。以前からお二人で、またはゲストの方が入り、この会場で光太郎詩朗読を含む同様の公演が複数回あったのですが、なかなか都合がつかず、今回初めて拝聴することができました。

手書きコピーのプログラム。これもいい感じです。
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午後7時、開演。
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ピアノはYAMAHAさんのアップライトでしたが、おそらくバーチ(樺)の艶出し化粧板タイプ。もしかするとヴィンテージものかも知れません。残響、余韻が美しく、この会場にぴったりでした。
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朗読はMIHOE氏オリジナルの詩、寺山修二、中原中也と来て、我らが光太郎。「智恵子抄」から「千鳥と遊ぶ智恵子」と「値ひがたき智恵子」。ともに昭和12年(1937)の『改造』に発表されたもので、連作詩「猛獣篇」中の「よしきり鮫」「マント狒狒」「象」とともに「詩五篇」の総題が付けられていました。心を病んで夢幻界に行ってしまった智恵子もある意味「猛獣」に近い存在だと認識されていたのかも知れません。「千鳥……」では「人間商売さらりとやめて/もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子」、「値ひがたき……」だと「智恵子はもう人間界の切符を持たない」と謳われ、そういう感が見え隠れします。
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さらに朗読は太宰治、宮沢賢治、村上春樹、そして再びMIHOE氏オリジナル。合間に「Sentimental Me」「蘇州夜曲」などの歌唱。
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プログラムを見つつ、取り上げられている人々、ほとんどみんな光太郎と何らかの関わりがあるなぁなどと思って聴いておりました。

寺山は『さかさま文学史 黒髪篇』という著書の中で、「妻・智恵子」の章を設け「智恵子抄」をかなりアイロニカルに論じました。中也は第一詩集『山羊の歌』の題字揮毫・装幀を光太郎に依頼、太宰の実兄・津島文治は光太郎に「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作を依頼、そして光太郎らが世に広めた賢治。「蘇州夜曲」を歌った李香蘭は光太郎の前に中野の貸しアトリエを借りていたイサム・ノグチの妻……。

終演後、お二人とお話しさせていただき、さらに中野アトリエ保存のための署名もしていただきました。ありがたし。

今後とも、お二人のさらなるご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

霧ヶ浜に遊んだ遠い昔を思ふこと切。あの時怪物のやうに何処までも風にころげてとんでいつた智恵子の日傘は、今思ふと、後年の運命を暗示してゐたやうです。


昭和23年(1948)2月27日 関谷祐規宛書簡より 光太郎66歳

関谷は千葉銚子在住の詩人。光太郎と交流のあった黄瀛(李香蘭の帰国に尽力しました)とも親しい間柄でした。「霧ヶ浜」は現在では「君ヶ浜」と表記されるのが普通ですが、かつては確かに「霧ヶ浜」とも呼ばれていました。銚子犬吠埼の北側に広がる砂浜です。したがって「あの時」は遠く大正元年(1912)晩夏、画を描きに来ていた光太郎を追って智恵子が犬吠に現れ、愛を誓った「あの時」ですね。

愛知県から演奏会情報です。

藤木大地(カウンターテナー)&佐藤卓史(ピアノ)リサイタル 白鳥の歌/智恵子抄

期 日 : 2024年7月6日(土)
会 場 : 宗次ホール 愛知県名古屋市中区栄4丁目5番14号
時 間 : 14:00~ 
料 金 : 指定席:4,500円(税込)
      ※学生、ハーフ60(後半のみ鑑賞の当日券):2,700円

愛する人の不在をテーマにした『白鳥の歌』と、愛する妻との出会いと別れを綴った『智恵子抄』。「あどけない話」は今回が世界初演です。藤木大地さんの唯一無二の歌声と、美しいディクションをご堪能ください!

出 演 : 藤木大地(カウンターテナー) 佐藤卓史(ピアノ)
曲 目 :
 シューベルト:最晩年の歌曲集「白鳥の歌」とピアノ・ソナタから
 『愛の使い』 Liebesbotschaft D957-1(詩:レルシュタープ)
 『兵士の予感』 Kriegers Ahnung D957-2(詩:レルシュタープ)
 『セレナーデ』 Ständchen D957-4(詩:レルシュタープ)
 ピアノ・ソナタ 第19番 ハ短調 D958~第3楽章 [ピアノソロ]
 『漁師の娘』 Das Fischermädchen D957-10(詩:ハイネ)
 『海辺にて』 Am Meer D957-12(詩:ハイネ)
 『ドッペルゲンガー』 Der Doppelgänger D957-13(詩:ハイネ)
 ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D960~第2楽章 [ピアノソロ]
 『鳩の便り』 Die Taubenpost D965A(詩:ザイドル)
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 中田喜直:鳩笛の唄(詩:清水みのる)
 石渡日出夫:汚れっちまった悲しみに(詩:中原中也)
 橋本國彦:お六娘(詩:林柳波)
 橋本國彦:三枚繪 [ピアノソロ]
  1.雨の道
  2.踊子の稽古帰り
  3.夜曲
 佐藤卓史:あどけない話(詩:高村光太郎『智恵子抄』より)[世界初演]
 加藤昌則:レモン哀歌(詩:高村光太郎『智恵子抄』より)
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カウンターテナーの藤木大地氏。昨年あたりから加藤昌則氏作曲の「レモン哀歌」をレパートリーの一つになさっていて、今回を含めあちこちの演奏会で披露なさっています。

こちらで確認できてご紹介したのは以下の通り。
藤木大地&みなとみらいクインテット マチネ(昼公演)/藤木大地&みなとみらいクインテット 「藤木大地&みなとみらいクインテット」ネットワーク・プロジェクト
合唱コンクール課題曲コンサート2023~藤木大地を迎えて~
Hakuju Hall 20周年記念 カウンターテナーの饗宴/藤木大地カウンターテナー・リサイタル
りゅーとぴあ室内楽シリーズNo.49 藤木大地&みなとみらいクインテット/ムジークフェストなら 藤木大地&みなとみらいクインテット

実は今年5月にも「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2024 藤木大地(カウンターテナー)+みなとみらいクインテットによる歌の豊穣〈ORIGINES(オリジン)―すべてはここからはじまった〉」というコンサートがあり、そちらでも加藤氏の「レモン哀歌」が入っていたのですが、こちらは当方が見落としていました。すみません。他にも見落としがあったかも知れません。

そして今回はピアノ演奏を担当される佐藤卓史氏の作曲になる「あどけない話」もプログラムに入っています。初演だそうで。また一つ新たな光太郎がらみの作品が誕生したかと喜ばしく存じます。

いずれ加藤氏の「レモン哀歌」ともども、藤木氏がCDをリリースされて収録され、さらに新曲も……などと勝手な希望を述べておきます(笑)。

さて、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

分教場にラジオが備へられる事になりました。


昭和23年(1948)1月25日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎66歳

花巻郊外旧太田村、光太郎の山小屋にはまだ電線気が通じて居らず、当然、ラジオも聴けませんでしたし、灯りはランプでした。見かねた村人達が翌年、電線の延引工事をしてやりました。山小屋から1㌔㍍ほどの分教場にはさすがに電線が来ていたようですが、ラジオが入ったのがようやくこの頃。隔世の感がありますね。

ちなみに山小屋周辺、携帯の電波は未だに圏外だったりします(笑)。

都内から朗読&ジャズのライブの情報です。

ノスタルジックな世界[]

期 日 : 2024年6月29日(土)
会 場 : 名曲喫茶ヴィオロン 
      東京都杉並区阿佐谷北2-9-5
時 間 : 19:00~
料 金 : 1,000円(1ドリンク付)

出 演 : ピアノ弾き 藤澤由二
      朗読、歌うたい MIHOE

宮沢賢治、中原中也、高村光太郎その他オリジナルなど

藤澤氏のJAZZ演奏 古い蓄音機に囲まれたヴィオロン店内 ノスタルジックな詩とJAZZの世界

お客様一人ひとりがゆったりと思いを馳せる時間 「ノスタルジックな世界」ライブです お待ちしております

MIHOE氏、藤澤由二氏、確認できている限り、一昨年昨年(2回)も同じ会場で光太郎詩を取り上げて下さいました。このスタイルに思い入れがおありなのでしょうし、繰り返しやられるということは好評なのでしょう。

当方、足を運ぶつもりでおります。皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

「ブランデンブルグ」などおよみ下された由、小生の詩感は当然前時代的ですが、生きてゐる以上はそんな事を顧慮してゐる暇もなく、小生は小生なりに自己内面の世界を押し進める外ありません。小生まつたく一人は一人の世界となりましたので、山の中にゐて却つて遠い世界にまで心が解放されたやうな思です。

昭和23年(1948)1月14日 真壁仁宛書簡より 光太郎66歳

ブランデンブルグ」は前年に書いた詩。この年元日号の雑誌『展望』に発表されました。同じ日の『群像』には「脱卻のうた」(「卻」は「却」の正字)を寄稿しています。

前年、懸案だった自己の生涯や戦争責任を振り返る連作詩「暗愚小伝」20篇を発表し、一つステージが上がったかな、という感じです。003

  脱卻の歌

 廓然無聖と達磨はいつた。
 まことに爽やかな精神の脱卻だが、
 別の世界でこの脱卻をおれも遂げる。
 一切を脱卻すれば無価値にいたる。
 めぐりめぐつて現世がそのまま
 無価値の価値に立ちかへり、
 四次元世界がそこにある。
 絶対不可避の崖つぷちを
 おれは平気で前進する。
 人間の足が乗る以上、
 けつきよく谷川のいっぽん橋も
 ブウルバアルも同じことだ。
 よはひ耳順を越えてから、
 おれはやうやく風に御せる。
 六十五年の生涯に
 絶えずかぶさつてゐたあのものから
 たうとうおれは脱卻した。002
 どんな思念に食ひ入る時でも
 無意識中に潜在してゐた
 あの聖なるもののリビドが落ちた。
 はじめて一人は一人となり、
 天を仰げば天はひろく、
 地のあるところ唯ユマニテのカオスが深い。
 見なほすばかり事物は新鮮、
 なんでもかでも珍奇の泉。
 廓然無聖は達磨の事だが、
 ともかくおれは昨日生まれたもののやうだ。
 白髪の生えた赤んぼが
 岩手の奥の山の小屋で
 甚だ幼稚な単純な
 しかも洗ひざらひな身上で、
 胸のふくらむ不思議な思に
 脱卻の歌を書いてゐる。

国全体、そして光太郎自身も道を踏み誤らせた天皇制の呪縛からの解放、ということになるでしょうか。

右上画像はこの詩の一節を揮毫した書。智恵子の故郷・福島二本松、岳温泉の「あだたらの宿扇や」さんロビーに飾られています。

6月2日(日)、文京区立森鷗外記念館さんで特別展「教壇に立った鷗外先生」を拝見した後、同じ文京区内のトッパンホールさんへ。
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こちらでアマチュア男声合唱団のコール淡水・東京(CTT)さんの第11回定期演奏会を拝聴しました。
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3ステ構成。すべて次郎丸智希氏という方の作・編曲です。
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1stステージは、紀貫之の「土佐日記」に曲を付けた作品。続いて、ザ・ビートルズのヒットナンバーのアレンジ。ともに男声合唱ならではの曲作りになっていたように感じました。

そして最終ステージが「雨にうたるるカテドラル」。同名の光太郎詩(大正10年=1921)をテキストにしたもので、演奏時間30分近く。大作といっていい感じでした。
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原詩が110行もある長大なもので、どう料理するのかな、と思っておりました。110行を一字一句変えずそのまま使うのもありですが、次郎丸氏、そうはなさいませんでした。
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上記画像の太字の部分のみが歌詞として使われていました。かなり思い切って切り捨てた部分もありますね。その代わり、特徴的なフレーズはリフレイン。ですので全体の分量はやはり多く、演奏時間30分近くになっているわけです。なるほど、そういう手もありか、と思いました。

そして全体を4部構成とし、4分の4から4分の3のワルツ調、さらに8分の6も取り入れ、いろいろ変化をつけていました。楽譜を見ればさらに「ああ、ここでこういう工夫をしているのか」というのがある程度見えるのですが、残念ながら当方の音楽レベルでは一度聴いただけだと細かなことはわかりません。

歌われたコール淡水さん、ちょうど20人だったと思います。それで最低限の人数かな、という感じでした。それより少ないアンサンブル的な編成になるとちょっと迫力不足になりそうな……。逆に4、50人の大編成でグワーッと鳴らすともっと「吹きつのるあめかぜ」感が出たかな、と、無い物ねだり。まぁ、それでもいい感じでした。

終演後、次郎丸氏と少しお話をさせていただきました。他にも曲を付けたい光太郎詩がたくさんあるとのこと。ありがたし。その一つが「氷上戯技」(大正14年=1925)だそうです。光太郎、明治末のパリ留学時代になぜかアイススケートにはまり、リンクに通っていたそうで、そうした経験を元にアイススケートをモチーフとして書いた詩です。ぜひ実現していただきたいものです。

再び「雨にうたるるカテドラル」。言わずもがなですが、やはりパリのノートルダム大聖堂を謳った詩です。コール淡水さんの演奏会中、指揮者の永原恵三氏がMCでおっしゃっていましたが、たまたま今年、平成31年(2019)の火災で焼け落ちた部分の修復が完了するとのこと。

それを受けて、お台場の日本科学未来館さんでは、今秋、「特別展 パリ・ノートルダム大聖堂展 タブレットを手に巡る時空の旅」を開催予定です。これまで世界16都市を巡回した展覧会だそうで、さすがにそれだと「雨にうたるるカテドラル」は触れられないかな、という気がしますが、とりあえず。

さて、コール淡水さん、次郎丸氏、今後のさらなるご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

これはいそぎませんから、御面倒ながら東京へ出たついでにお願いたします。 村上忠敬著「全天星図」定価八〇円〒一二円 銀座西八の八、恒星社厚生閣出版 又以前神田三省堂で売出してゐた「星座早見表」が今日あるかどうか、調べていただき度、又あつたら送つていただき度存じます。


昭和22年(1947)11月17日 宮崎稔宛書簡より 光太郎65歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村、現代でも光害とはほぼ無縁の場所ですが、戦後すぐのこの時期には、恐ろしいほどの星空が拝めたことでしょう。戦前から天文にはある程度興味を持っていた光太郎、さらにそれがつのったようです。

都内から演奏会情報です。

コール淡水・東京(CTT)第11回定期演奏会

期 日 : 2024年6月2日(日)
会 場 : トッパンホール 東京都文京区水道1-3-3
時 間 : 13:30開場 14:00開演
料 金 : 無料

出 演 : 永原恵三(指揮) 鈴木ゆか(pf) コール淡水・東京(合唱)
曲 目 :
    第1ステージ 男声合唱とピアノのための『土佐日記による前奏曲集』
                          作:紀貫之 作曲:次郎丸智希 
    第2ステージ 『The Best of THE BEATLES』
                          編曲:次郎丸智希
    第3ステージ 『雨にうたるるカテドラル』(委嘱作品・初演)
                          詩:高村光太郎 作曲:次郎丸智希

第11回定期演奏会を永原恵三氏の全曲指揮で開催する運びとなりました。コロナ禍を何とか凌いで5年振りです。今回も次郎丸智希氏の委嘱作品の初演をいたしますが、3ステージ全て次郎丸作品としました。是非ご来場くださいませ。
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「淡水会」さんというのは、兵庫県立神戸高等商業学校さん・兵庫県立神戸経済専門学校さん・神戸商科大学さん・兵庫県立大学(神戸商科キャンパス)さんの同窓会だそうで、「コール淡水・東京」さんは神戸商科大学グリークラブさんの都内在住OBの方々が立ち上げられた男声合唱団だとのことです。30名ほどの編成のようです。

全ステージ、次郎丸智希氏という方の作品(編曲を含む)で、最終ステージが光太郎詩に曲を付けられた「雨にうたるるカテドラル」。ありがたし。

雨にうたるるカテドラル」(大正10年=1921)、110行にもなる長大な詩ですので、これまで日本でこの詩をテキストにした合唱曲、独唱歌曲とも、当方は寡聞にして存じません(寡聞なので存じ上げないだけで作曲が為されていることがあるやもしれませんが)。

ただ、アメリカの作曲家スティーブン・ハートキ(Stephe Hartke)氏が、「Cathedral in the Thrashing Rain」という男声合唱曲を発表なさっていて、手許にCD(平成15年=2003)があります。
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歌詞は基本、英語です。しかし、数ヶ所「O mata fukitsunoru ame kaze」「O nanto iu ame kaze no shuuchuu」などと、日本語を配していまして(ところどころ間違っているのですが(笑))、日本人・光太郎へのオマージュなのかな、という感じです。
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ヒリヤード・アンサンブルという合唱団のア・カペラで、そうと知らねばラテン語によるルネサンス期の教会音楽のようにも聞こえます。

閑話休題、おそらく日本語としては初の「雨にうたるるカテドラル」、ぜひお聴き下さい。

【折々のことば・光太郎】

上野の表慶館にあるといふ西洋画展は飛行機でもあれば一日いつてみたい気がいたします、日本の油画は、もう一度本当に苦しまねば本当にならないと存ぜられます。梅原安井にしてもあんまり早く、小さく日本化してしまひました。もつと「大きさ」が画格になくてはなりません。


昭和22年(1947)10月24日 多田政介宛書簡より 光太郎65歳

花巻空港が開港したのは17年後の昭和39年(1964)でした。

油絵に関してのひと言、辛辣ではありますが、ある意味その通りかも知れません。かつての留学仲間・梅原龍三郎や安井曾太郎に対しても斟酌なしですね。

5月18日(土)、翌日の二本松市での智恵子生誕祭が午前9時開会と早めだったこともあり、郡山市に宿泊しました。そこでこの日は少しゆっくりめに千葉の自宅兼事務所を出、寄り道しながらの行程でした。

立ち寄り先は田村郡小野町の「ふるさと文化の館」さん。
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こちらの一角に、同町出身の作詞家・丘灯至夫を顕彰する丘灯至夫記念館が含まれています。
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丘灯至夫の代表作は、舟木一夫さんが歌った遠藤実作曲「高校三年生」。それ以外にも、令和2年(2020)に放映された朝ドラ「エール」で効果的に使われた共に古関裕而作曲の「長崎の鐘」や「高原列車は行く」、さらにはアニソンで「ハクション大魔王」、「みなしごハッチ」などの作詞も手がけるなど、幅広く活躍しました。

そして昭和39年(1964)には、二代目コロムビア・ローズさん歌唱の「智恵子抄」。
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安達太良山が謳い込まれ、二本松市ではソウルソングとして防災無線の正午のチャイムにも採用されています。5月19日(日)にもちょうど光太郎詩碑のある鞍石山で聞きました。

記念館には「智恵子抄」に関わる展示も為されていて、平成25年(2013)に一度お邪魔いたしました。

今回は、今年、丘灯至夫の伝記漫画が出版されたということで、そちらにも「智恵子抄」に関わる部分があるだろうと思い、それをゲット出来ないかと考えての訪問でした。

小野町の広報誌『広報おのまち』今月号の記事。
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伝記漫画は、B&G財団さんの助成を受けて刊行。同じシリーズで昨年、岡山県赤磐市さんで、光太郎と交流のあった詩人・永瀬清子のそれが刊行されています。B&Gさん、広く全国で「ふるさとゆかりの偉人マンガ」シリーズの助成を行っています。

丘灯至夫の伝記漫画に関して、先月出た『福島民報』さんの記事。

丘灯至夫さんの伝記漫画完成 故郷の福島県小野町でお披露目 「高原列車は行く」「高校三年生」など作詞

 福島県小野町の名誉町民で作詞家の丘灯至夫さん(1917〈大正6〉年~2009〈平成21〉年)の伝記漫画が完成し、町が27日に町内でお披露目した。「高原列車は行く」「高校三年生」などの国民的ヒット曲を世に送り出した人生が描かれており、町民の郷土愛を育むために活用される。
 漫画は「小さな巨人」のタイトルでB6判100ページ。幼少期は病弱だった丘さんが新聞記者となり、詩人の西條八十さんや作曲家の古関裕而さん(福島市出身)らと出会いながら作詞家として活躍していく姿を伝える。小野町の豊かな自然も描かれている。
 町民らでつくる製作実行委員会が構成を考え、シナリオを高見沢功さん(猪苗代町)、作画を吉川むつみさん(郡山市)が担当した。3500冊を作り、全戸に配布するほか、町の図書館にも配置。小中学生の授業で教材として活用し、郷土の将来を担う人材育成に役立てる。秋には作詞コンクールを計画している。
 B&G財団(本部・東京都)の「ふるさとゆかりの偉人マンガ製作と活用事業」に採択され、費用の一部について補助を受けた。同財団のホームページで漫画を無料公開し、全国の人に見てもらう。
 27日は丘さんの記念館を併設する町ふるさと文化の館でお披露目式が行われ、村上昭正町長や丘さんの長男西山謹司さん(千葉県)らがテープカットした。西山さんは「私が知らない父の姿も描かれている。漫画になって里帰りでき、父も光栄だと思う」と謝意を述べた。漫画の完成を記念し、館内で8月25日まで丘さんの特別記念展が開かれている。
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「小野町ふるさと文化の館」内には町立図書館さんもあり、そちらに置いてありまして、拝読。予想通り「智恵子抄」に関する部分がありました。しかも、これは予想外でしたが、当会の祖・草野心平とのからみがそこにありました。それは後述します。

「よっしゃ」と思い、「これ、販売はしてますか?」ところが、答は「NO」。「では、コピー取れますか?」するとこちらも「NO」。残念ですが、いたしかたありますまい。8月頃にB&G財団さんのサイトで公開が為されるそうですので、その頃またご紹介します。

代わりに、というわけではありませんが、こんな書籍を無料で下さいました。『あの青春(ゆめ) この詩(うた) 丘灯至夫生誕100周年』。A4判100ページ程の豪華なものです。
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平成28年(2016)の刊行でしたので、以前に足を運んだ際にはこれはありませんでした。

こちらにも「智恵子抄」関連の記述。
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二本松出身の大山忠作画伯(女優・一色采子さんのお父さま)の描いた安達太良山の絵に、丘が歌詞を書き込んだ作品、こちらは記念館に展示されています。

下半分は、「智恵子抄」リリースの翌年、昭和40年(1965)に行われた「丘灯至夫・郷土訪問リサイタル」関係。二代目コロムビア・ローズさんもいらしたとのこと。写真に写っていますね。

丘灯至夫とローズさん、前年には二本松も訪れています。「智恵子抄」がそこそこヒットしたのを受けて日本コロムビアが発行したソノシートブック「智恵子のふるさとを訪ねて」。全26頁で、ソノシートが4枚付いています。
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この中に……
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ちなみにローズさんは智恵子生家、二本松霞ヶ城の光太郎詩碑、安達太良山などもご訪問。
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ところで上半分に戻りますが、「智恵子抄」リリースに際しては、すんなり行かなかったという記述があります。「高村光太郎を顕彰する会から作品化の許可がなかなかおりず、世に出るまでに大変な苦労がありました。しかし詩人・草野心平の助言などにより、『智恵子抄』(二代目コロムビア・ローズ:歌)は昭和39年に世に送り出されたのです」。

『あの青春(ゆめ) この詩(うた) 丘灯至夫生誕100周年』後半には丘自身の回想も。平成20年(2008)、福島ペンクラブの会合の中でで行われた座談会的な催しの一節、聞き手は元NHKアナの宇田川清江さんです。

酒飲まされて作った「智恵子抄」

宇田川 先生、「智恵子抄」は二代目コロムビア・ローズですね。この曲はレコード会社から言われたというより、先生がご自分で書きたいと思われた歌、と伺いましたが…。
丘 これは二本松の歌ですから高村光太郎の詩集「智恵子抄」から頂いてこしらえたものです。実は二本松には「高村会」というのがあって、高村先生の銅像とか作品の碑とかを守っていこうという会なんです。その会から「智恵子抄を歌にするのは罷りならん」と言われたんです。高名な詩集をモチーフにした歌謡曲をぜひ出したい、という思いが強かったんです。そしたら高村会の中に先輩詩人の草野心平さんがいたんです。そこで心平さんに頼みに行ったら「まず、酒を飲め」という。この酒がただものじゃないんです。口に入れると火の出るような、燃えるような酒。「これを一杯飲んだら許してやる」ってんで飲みました。酒を飲んで作詩したのはこれが初めてです。そして「この詩ならいいだろう」と許しを受けました。二代目コロムビア・ローズさんもよくて、これが紅白歌合戦にも出ました。


「酒」はたぶんウオッカだと思うのですが、むちゃくちゃですね、心平(笑)。「1日に摂取していた平均アルコール量は、一般の約3倍」だそうでしたから、これ以外にも、酔いつぶれた心平が目を覚ますと駒込林町の光太郎アトリエのベッドで、ベッドの下にはゲロを吐いた跡がきれいに拭き取られ、光太郎はアトリエのソファーで冬なのに毛布一枚で寝ていたとか、心平が一時期勤めていた『東亜解放』(光太郎が斡旋?)の取材で秋田に行った際、早くも1日目で取材費を呑み尽くし、光太郎に電報為替で金を送ってもらったとか、中原中也・心平がタッグを組んで、太宰治・壇一雄のコンビと居酒屋で大乱闘を演じたとか、酒にまつわるエピソードには事欠きませんが。

二本松の高村会というのは誤りで、おそらく東京の高村光太郎記念会のことでしょう。理事長は光太郎実弟の豊周、事務局長は当会顧問であらせられた北川太一先生、心平もメンバーでした。このころ記念会では、花巻の「一億の号泣」詩碑の問題「智恵子抄裁判」のゴタゴタなどで、神経を尖らせていました。

ところで丘作詞の「智恵子抄」。つい先週『サンケイスポーツ』さんに載った記事に記述がありました。

美貴じゅん子が新曲発売イベント 来年6月にデビュー30周年パーティー開催

000 演歌歌手、美貴じゅん子(50)が15日、東京・六本木クラップスで新曲「海峡流れ星」の発売イベントを開催した。
 タイトルにちなみ流れ星がデザインされた着物姿で登場し、同曲や「放浪(さすらい)かもめ」など全15曲を熱唱。初めてリクエストコーナーを行い、千葉紘子(79)の「折鶴」や二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」を披露して会場を沸かせた。
 2021年に17年ぶりのシングル「土下座」で復帰したことにふれ、「新曲が出せない時期が長くあったので、新曲を出せることには人一倍強い思いがあります」と力を込め、「新曲を出せない時期にお世話になり励ましてくれた方々に少しでも恩返しができるよう頑張ります」と誓った。
 デビュー30周年パーティーを来年6月22日に東京・紀尾井町のホテルニューオータニで開催予定であることも発表し、「女手一つで育ててくれた84歳の母に報告します」と喜んだ。

他紙でも同一イベントは紹介されていましたが、「智恵子抄」に触れられていたのはサンスポさんだけだったようです。

美貴じゅん子さん、先月NHK BSさんでオンエアがあった「新・BS日本のうた」でも「智恵子抄」を歌われました。持ち歌の一つとして下さっているという感じなのでしょうか。ありがたいところです。
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同じく持ち歌にして下さっていた森昌子さんは引退なさり、「智恵子抄」CDもリリースされた「三代目コロムビア・ローズ野村未奈」さんは「コロムビア・ローズ」を返上なさり、本名である「野村美菜」さんに改名され、「智恵子抄」は歌われていないようですし。

先述の通り、二本松市では防災無線の正午のチャイムは「智恵子抄」ですが、それ以外の部分でも、さまざまな人間ドラマの詰まった「智恵子抄」、歌い継がれていってほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

そしていはゆる「詩」からの脱走はますます意識的に烈しくなるでせう。いはゆる「詩」をますますふみにじるでせう。それが別個の詩を生むか生まないか、それはずつと後の人が知るでせう。


昭和22年(1947)9月29日 水沢澄夫宛書簡より 光太郎65歳

昨日も同じ書簡の中の別の部分を取りあげましたが、この年雑誌『展望』に発表した連作詩「暗愚小伝」20篇に対し、直接光太郎に書簡を送って「詩的情調に欠けている」的な批判をした美術評論家・水澤への返信の一節です。

元々、そういう意識が強かったのですが、翌年には詩「おれの詩」で「おれの詩は西欧ポエジイに属さない。/二つの円周は互に切線を描くが、/つひに完くは重らない。」と書き、やや後の昭和25年(1950)には「藤村――有明――白秋――朔太郎――現代詩人、といふ系列とは別個の道を私は歩いてゐます。」(「詩について語らず――編集子への手紙――」昭和25年=1950)とも書いています。

無論、15年戦争中、愚にもつかない翼賛詩を連発してしまったことへの悔恨、そこからどう立て直していけばいいのだろうという意識も込められた発言です。

昨日から信州安曇野に来ております。碌山美術館さんでのイベントで、昨日はNHK Eテレさんで放映中の「びじゅチューン!」で、アニメーション制作、歌の作詞作曲、歌唱、美術作品の解説まで担当されているマルチアーティスト・井上涼氏のトークセッション「表現とアイデンティティ☆」を拝聴、今日は光太郎の親友だった彫刻家・碌山荻原守衛を偲ぶ「第114回碌山忌」に列席させていただきます。
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普段ですとこういう場合には画像を2~3枚載せて「詳しくは帰りましてからレポートいたします」で終わるのですが、このブログサイトで紹介すべき事項が山積しており、全くの別件をご紹介しておきます。歌手・俳優の佐川満男さんの訃報です。

『デイリースポーツ』さん。

歌手・俳優の佐川満男さん死去 84歳 胆のう炎 3月から入院し容体急変 出演映画の公開初日待ち発表

001 NHK連続テレビ小説「おちょやん」「カムカムエヴリバディ」などに出演した、歌手で俳優の佐川満男さんが、12日に胆のう炎のため84歳で死去していたことが20日、分かった。所属事務所がデイリースポーツの取材に対して認めた。葬儀は近親者で営んだという。
 事務所によると、佐川さんは昨年、現在公開中の映画「あまろっく」の撮影中にも体調不良を訴えており、今年3月から入院。容体が急変し、12日に死去した。映画は19日に公開初日を迎えたが、影響を考えて共演者にも訃報は伝えられず、初日終了を待ってこの日の発表となったという。
 佐川さんは神戸市出身で、1960年に「佐川ミツオ」名義でシングル「二人の並木径」を発売し歌手デビュー。68年には本名の佐川満男名義で発売した「今は幸せかい」が大ヒットを記録し、同曲などでNHK紅白歌合戦に4回出場した。
 俳優としても渋い演技で存在感を示し、NHK連続テレビ小説には94年の「ぴあの」を皮切りに「おちょやん」「カムカムエヴリバディ」など10作品に出演した。私生活では71年に歌手・伊東ゆかりと結婚し、一女(歌手・宙美)をもうけたが。75年に離婚。2003年には胃がんの摘出手術を行い、18年にも脊柱管狭窄症の手術を行うなど、病に悩まされていた。

『スポニチ』さん。

歌手で俳優の佐川満男さん死去、84歳 公開中の出演映画も哀悼「これを最後の仕事に」先行上映初日に…

000 「今は幸せかい」で知られる歌手で俳優の佐川満男(さがわ・みつお)さんが12日、胆のう炎のため死去した。84歳。神戸市出身。
 1939年(昭14)11月9日、神戸市生まれ。1960年に「二人の並木径」で歌手デビュー。デビュー当初は「佐川ミツオ」という名義を使用していた。ヒット曲に「無情の夢」「ゴンドラの唄」「背広姿の渡り鳥」などがあり、NHK紅白歌合戦に4度出場した。俳優としても「水戸黄門」やNHK連続テレビ小説「わろてんか」「べっぴんさん」「マッサン」「おちょやん」「カムカムエヴリバディ」などに出演し、今月12日に先行上映、19日に全国公開された「あまろっく」にも出演していた。
 私生活では1971年に同歌手の伊東ゆかりと結婚。一人娘(歌手の宙美)を授かったが、1975年5月に離婚した。
 現在公開中の映画「あまろっく」の公式X(旧ツイッター)が更新され「映画『あまろっく』にご出演頂いた歌手で俳優の佐川満男さんが、ご逝去されました。近松竜太郎(笑福亭鶴瓶)が営む鉄工所のベテラン職人・高橋鉄蔵役を演じて頂きました。和気あいあいと撮影を楽しんで、現場を和ませて頂いた佐川さん、キャスト・スタッフ一同、謹んでご冥福をお祈りします」と追悼した。
 同映画の中村和宏監督は、同Xに「佐川満男さんが、4月12日にこの世を去られました。奇しくも先行上映初日でした。今回、佐川さんにこの映画のオファーをした際、初めはご自身の高齢を理由に謙虚にお断りされましたが、最終的には“これを最後の仕事にする”という決意を示してくださいました」と同作品に懸ける佐川さんの思いを明かした。
 続けて「佐川さんの献身と情熱は、撮影中も変わることがなく、彼のプロフェッショナリズムと温かな人柄は、キャスト、スタッフ全員にとって大きな支えとなりました。佐川さんが遺された作品(映像 音楽 絵画)を通じて、彼の芸術に対する愛と情熱をこれからも多くの人々に伝え続けていくことが、私たちの使命だと信じています。映画『あまろっく』の公開が、佐川さんへの最もふさわしい追悼となるよう、心より願っております。皆さまには、彼の遺作を心ゆくまでお楽しみいただければ幸いです」と旅立った佐川さんに思いをはせ、ファンにメッセージを記した。

佐川さん、「佐川ミツオ」の名でロカビリー系歌手として活動されていた昭和39年(1964)、下記のシングルEPをリリースされました。
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A面の「歩け歩け」が、タイトルが変更されているものの、光太郎作詞・飯田信夫作曲の戦時歌謡「歩くうた」です。
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おそらく売れ行きは良くなかったようで、ウィキペディアの佐川さんの項を見ても記述がありません。

訃報を受けて久しぶりに聴いてみました。故・寺岡真三氏による編曲が粋でした。全体的にジャズ調にアレンジされ、前奏や間奏に口笛が入ったりも。

ちなみに原曲の「歩くうた」は、佐川さんも出演なさったNHKさんの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」でも使われました。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

都内から演奏会情報です。

大阪コレギウム・ムジクム演奏会 大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団第21回東京定期公演

期 日 : 2024年4月29日(月・祝)
会 場 : 第一生命ホール 東京都中央区晴海1-8-9 晴海トリトンスクエア内
時 間 : 午後2:30開演(午後2:00開場)
料 金 : 全席指定 S席 ¥5,500 A席 ¥4,500 B席 ¥3,000
      学生 ¥1,800(当日¥2,000) 高校生以下 ¥800(当日¥1,000)
      ライブ配信チケット料金 2,000円 + システム利用料220円

こころ通う仲間がいる こころ動く音がある
大阪の地に育まれて49年。音楽と、人との出会いに導かれて演奏を続けています。今回は、木下氏、昨年惜しくも亡くなられた西村氏の人気の合唱作品に加え、ベートーヴェンの名曲の“本歌取り”が驚きと感動を呼ぶ千原氏の最近作をご紹介します。指揮者・當間修一とともに時を重ね、互いを信頼し合うメンバーが音楽の力を信じて奏でるアンサンブルが、どうか皆さまのこころに届きますように。

指 揮 : 當間 修一
ピアノ : 木下 亜子
室内楽 : シンフォニア・コレギウムOSAKA

曲 目

 木下牧子 珠玉のア・カペラ コーラス セレクション
  女声合唱曲「めばえ」〔詩:みずかみかずよ〕
  男声合唱曲「恋のない日」〔詩:堀口大学〕
  混声合唱曲「44わのべにすずめ」〔原詩:ダニエル・ハルムス 訳詩:羽仁協子〕
  混声合唱曲「祝福」〔詩:池澤夏樹〕  ほか
 千原英喜
  ピアノと7楽器のためのコンチェルティーノ
   ベートヴェニアーナ“明けない夜はない”【関東初演】
    ピアノ:木下亜子 ヴァイオリン:森田玲子・中前晴美 
    ヴィオラ:神谷将輝・澤井杏
 チェロ:大木愛一・柳瀬史佳 
    クラリネット:鈴木祐子 ホルン:椋橋基博
    ファゴット:渡邊悦朗 ティンパニ:高鍋歩
 西村朗
  混声合唱とピアノのための組曲「レモン哀歌」〔詩:高村光太郎〕
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昨年亡くなった西村朗氏作曲の「混声合唱とピアノのための組曲「レモン哀歌」」がプログラムに入っています。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

此間「道程復元版」の事で更科君と真壁君と同道で来られました。


昭和22年(1947)7月2日 宮崎稔宛書簡より 光太郎65歳

002詩集『道程』は、大正3年(1914)に初版が抒情詩社から刊行された後、売れ残りの残本を改装し奥付だけ変えた再版(国会図書館さんのデジタルデータで見られるのはこれです)が数回出されました。その後、昭和15年(1940)に山雅房から「改訂版」が三種(百五十部限定版/書店版/普及版)、戦時中の昭和20年(1945)1月には青磁社から「再訂版」が上梓されました。

それらも書店の店頭から消えていたこの時期、青磁社の札幌支社的な札幌青磁社から「復元版」が刊行。「改訂版」「再訂版」が初版と詩の選択が異なっていたのに対し、こちらは初版の内容の復元を図ったものでした。奥付では6月の発行となっていますが、東京本社と札幌青磁社との間でのゴタゴタもあったらしく、実際にはずれ込んだようです。そのため札幌青磁社に勤務していた更科源蔵が、友人の真壁仁を伴って弁明に訪れたと思われます。

テレビ放映情報です。

新・BS日本のうた▽小林&天童とのデュエットをかけてパク・真田・原田が火花

NHK BS 2024年4月21日(日) 19:30~21:00

小林幸子&天童よしみの2人ショー。二人が慕ったスターの名曲やオリジナルヒット曲を披露。パク、真田、原田のイケメン男子や角川&角松も参加してステージを盛り上げる!

今回の【古今東西名曲特選】は「夜が明けて」「あの丘越えて」「俺はお前に弱いんだ」「恋のハレルヤ」「おやじの海」「お祭りさわぎ」「智恵子抄」「愛人」「シングルベッド」「旅姿三人男」「池上線」【スペシャルステージ】は「傷だらけのローラ」「君だけを」「時の過ぎゆくままに」「大ちゃん数え唄」「もしかしてPARTⅡ」「アマン」「なめとんか」「りんどう峠」「もう一度逢いたい」「帰郷」「越後絶唱」ほか。

【出演】角川博 門松みゆき 小林幸子 真田ナオキ 天童よしみ 西島三重子 原田波人 パク・ジュニョン 美貴じゅん子 和田青児 栗田信生 BS日本のうた楽団
【司会】渡辺健太 
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小林幸子さんと天童よしみさん、お二人が慕ったスターの名曲やオリジナルヒット曲を披露、ということで、【古今東西名曲特選】というコーナーの中で「智恵子抄」。おそらく故・二代目コロムビア・ローズさんが昭和39年(1964)に歌われた、丘灯至夫作詞/戸塚三博作曲の「智恵子抄」でしょう。小林さん、天童さん、どちらが歌われるのか、あるいはデュエットなのか、はたまた他の出演者の方の歌唱なのか、すみません、詳細は不明です。さらにいうなら再放送のようで、初回放映が4月14日(日)だったようです。

どうも今月に入ってから、テレビ番組の検索が今一つうまくいっていません。

というのも、ヤフーさんで運営されていた「Yahoo!テレビ.Gガイド」というサービスが先月で終了してしまったためです。
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このサイト、なかなか便利でした。「高村光太郎」とか「智恵子抄」とかのキーワードを登録しておけば、そのワードを含む放送がバーッと表示されるシステムでして。

今月からは似たような「J:COM番組ガイド」というサイトを使っているのですが、こちらが今一つです。たとえば漢字二文字のキーワード「○×」で検索すると解説欄、出演者名等、何処を探しても「○×」の語が全く入っていない番組がヒットします。「×」の一字に反応してしまっているようですが、何なんでしょうね? また、検索対象に、無料放送のBS12(トゥエルビ)さん、BS松竹東急さん、BSよしもとさん、BSJapanextさんが一部のジャンルを除いて入っていません。番組一覧表は出るのですが、キーワード検索の対象外のようです。

そんなこんなで、BS松竹東急さんで平成29年(2017)に公開された佐々部清氏監督の映画「八重子のハミング」が4月8日(月)にオンエアされたのですが、その情報も見落としました。原作は「現代の智恵子抄」と称され、劇中でも『智恵子抄』が重要なモチーフの一つとして使われている作品でしたので、このサイトで紹介したかったのですが……。

便利なようで不便な世の中です。

何はともあれ、「新・BS日本のうた」、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

先日は点字詩集ほんとに忝くいただきました。珍らしくもあり、又これが不幸な人達の精神に訴へる機能を持つてゐるものかと思ふとむしろ不思議におもはれて時々撫でてみてゐます。
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昭和22年(1947)6月19日 
照井登久子宛書簡より 光太郎65歳

照井登久子は、昨日もご紹介した「花巻賢治子供の会」を主宰していた一人。点字の普及活動等にも取り組んでおり、光太郎詩を点訳してほうぼうに寄贈したり、光太郎自身に贈ったりもしていました。それらの表紙を光太郎が揮毫することもありました。

この頃まで光太郎は点字についての知識がほとんど無かったようで、人一倍指先の感覚が鋭敏だった光太郎(ガラスの鏡板を撫でて凹凸を感知したといいます)、非常に興味をひかれたようです。

都内から朗読と音楽をコラボしたコンサートの情報です。

My Favorite Music 春の風に寄せて

期 日 : 2024年4月9日(火)
会 場 : 日暮里サニーホール コンサートサロン 東京都荒川区東日暮里5-50-5
時 間 : 18:30開演(18:00開場)
料 金 : 2,500円(全席自由・税込)

出演/曲目
 古荘達郎<テノール> ピアノ:高橋ドレミ
  中田喜直:さくら横ちょう
  F.P.トスティ:4月
  小林秀雄:五つの華の歌 より「山茶花(さざんか)」
 亀川豊秀<ピアノ>
  F.ショパン:練習曲 ハ短調 Op.25-12 「大洋」
    〃  :マズルカ 第45番 ト短調 Op.67-2
    〃  :スケルツォ 第2番 変ロ短調 Op.31
 藤井駿<アルトサックス>
  P.ボノー:ワルツ形式によるカプリス
 岩井奈美<朗読>
  宮沢賢治:「注文の多い料理店」
  太宰治:「眉山」
  芥川龍之介:「蜘蛛の糸」
 桜さゆり<朗読>
  高村光雲:「佐竹の原へ大仏をこしらえたはなし」より抜粋
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光太郎の父・光雲の『光雲懐古談』(昭和4年=1929)から「佐竹の原へ大仏をこしらえたはなし」の抜粋朗読がプログラムに入っています。

演じられる桜さゆりさんという方、平成29年(2017)に「第4回 JILA朗読コンクール入賞・入選記念 朗読の祭典」という公演で光太郎詩「山のともだち」(昭和27年=1952)、「クロツグミ」(昭和23年=1948)を朗読なさいました。また、当方、詩人でもある宮尾壽里子氏が「智恵子抄」を朗読なさった「My Favorite Story ~美しき詩の世界~」公演の際に、室生犀星の詩の朗読で出られていましたのを拝聴しました。

「佐竹の原」は江戸時代、佐竹家の屋敷があった現在の台東区台東4丁目。ここに光雲が実兄で腕のいい大工だった中島巳之助、その仲間の職人衆、浅草の興行師らとともにハリボテの大仏を作った話です。明治22年(1889)、光雲が岡倉天心の要請で東京美術学校に奉職した年でした。

「青空文庫」さんで全文が公開されています。笑えます。


『光雲懐古談』といえば、つい先日は落語の鈴々舎馬桜師匠が新作落語で取り上げて下さいました。語られているさまざまなエピソードは素材として非常に面白いものですし、江戸から明治期の世相を知る上で、また、美術史的にも貴重な証言ですので、どんどん広めていったいただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

出版といふ公的事業には時代の要求、時代の制約といふことも考へねばなりますまい。

昭和22年(1947)3月18日 宮崎稔宛書簡より 光太郎65歳

姻戚・宮崎からの光太郎の短歌を歌集としてまとめて出版したいという要請に対しての返答の一部です。出版に限らず様々なコンテンツにあてはまる言のような気がします。といっても「時代」に阿(おもね)ってばかりでも仕方がありませんし……。

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