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 新型コロナ禍の影響が続く中、外出自粛の要請のため、運動不足に陥っている方も多いのでは、と思われます。当方は、元々在宅ワークが多く、さらに自宅兼事務所周辺は田舎ですので人混みもなく、愛犬の散歩をこれまで通りに朝夕1時間弱くらいずつ行っており、それほどライフスタイルに変化もありませんが。

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そんな中、智恵子の故郷・二本松市さんのサイトに、先週、以下の案内が出ました。 

手軽にできる体操をご紹介します 筋力低下予防やこころのリフレッシュを行いましょう

新型コロナウイルス感染防止による不要不急の外出を避けることで、運動不足やストレスの蓄積が心配されます。そこで、動画を見ながら行える体操をご紹介します。からだを動かすことで、上手に気分転換を行いましょう。

ほんとの空体操
「二本松市民の歌」に合わせた健康体操です。主にストレッチ要素のほか肩甲骨まわりを動かし、肩こりの予防や姿勢全体を整えるのに効果があります。





いきいき百歳体操
介護予防を目的とした筋力アップ体操です。主に高齢者向けに開発されましたが、重りをつけることで若い方の筋力アップの効果も期待できます。




「いきいき百歳体操」は、高知発祥だそうですが、厚労省の後押しで、全国に広まっているようです。

光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を冠した「ほんとの空体操」の方は、二本松市オリジナル。作られたのは平成27年(2015)。翌年には『広報にほんまつ』に図解入りで紹介され、市役所職員の皆さんは朝礼で実施、などと報道されました(今でもこの風習は続いているのでしょうか?)

それがここに来て、予期せぬ新型コロナによる外出自粛要請にともない、市のサイトであらためて紹介されたというわけですね。

実際に動画を見ながらやってみましたが、「体操」というよりはストレッチに近いのかな、という感じです。元々が「健康な高齢者を対象に」ということでしたので、過酷な動きは取り入れられていないようです。デスクワーク等で長時間同じ姿勢をとり続けた後などにいいかな、という気はしました。最後の決めのポーズで「ほんとの空」を仰ぐのが肝のようです(笑)。

「いきいき百歳体操」の方が、「百歳」といいながら、きつい動きが入っています(笑)。まぁ、「百歳をめざすために」ということなのでしょうが。

というわけで、運動不足を感じられている皆様、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

願はくは、故国の山水、とこしなへに清からむことを。

雑纂「高村豊周『赤城山旅行記』あとがき」より
 明治39年(1906) 光太郎24歳

『赤城山旅行記』は、光太郎実弟にして、のちに家督相続を放棄した光太郎に代わって高村家を嗣いだ豊周が、十日余りの日程で赤城山を訪れた際の紀行文です。のちに鋳金分野の人間国宝となる豊周は当時数え17歳。原稿用紙40枚に旅行記をしたため、ニューヨーク在の光太郎に送り、光太郎が朱を入れ、このあとがきを添えて日本に返送しました。

「とこしなへ」は「永遠」。赤城山は留学前に光太郎もたびたび遊んだ山で、遠い異国にあって、なつかしい故国の山水を偲ぶ心境が垣間見えます。

智恵子にとってのソウルマウンテンは、「ほんとの空」の広がる安達太良山。光太郎にとっては赤城山だったのでしょう。

一昨日の『しんぶん赤旗』さんの日曜版。「たび」という連載で、福島二本松の智恵子生家とその周辺が大きく紹介されました。

たび ほんとの空がある 智001恵子の生家 福島・ 二本松

 福島二本松(にほんまつ)市を訪れました。市内油井(ゆい)の旧奥州街道沿いに、彫刻家・詩人の高村光太郎(1883~1956)の妻であり、詩集『智恵子抄』で知られる高村智恵子の生家と記念館があります。
 智恵子は福島県安達(あだち)郡油井村の大きな造り酒屋の長女として生まれ、油井小、福島高女を経て東京の日本女子大学に進学。生家の表玄関には屋号の「米屋」と酒の銘柄「花霞(はながすみ)」の看板が掲げられ、軒には新酒の醸成を伝える杉玉が下がっています。「昭和4(1929)年に長沼家が破産し人手に渡った家屋や土地を、平成初めに旧安達町が買収し、明治初期の建物を修復・保存しました」と市教育委員会文化課・池田高広さん。
 智恵子が愛聴したベートーベンの「田園」が流れる屋内は、1・2階合わせて18間もある重厚な町屋造りです。智恵子の居室は2階の2間でした。智恵子が実際に使っていた琴や蓄音機、はた織り機もあります。
 日本女子大在学中に油絵を描き始めた智恵子は卒業後、太平洋画会研究所に通い、洋画家を目指しました。光太郎と出会ったのもこのころです。
 記念館展示で特に目をひくのは、智恵子が描いた油絵「花(ヒヤシンス)」「静物」、デッサン画「男性裸像」「ミロのビーナス像」です。智恵子が統合失調症を発症し、東京のゼームス坂病院に入院したのは1935年。38年に  同病院で肺結核で死去するまで、千数百点の紙絵を制作しました。記念館は実物24点を所蔵。「通常は複製の展示ですが、春と秋期間限定で実物を10点ずつ展示します」と池田さん。
 記念館の脇道から石段を上り稲荷八幡神社へ。境内に「熊野大神」と刻まれた石碑があります。毛筆の才もあった智恵子が書いた文字です。さらに智恵子と光太郎お気に入りの散策路だった鞍石山(くらいしやま)山頂への道を登りました。一帯は「智恵子の杜公園」です。
 西に標高1700㍍の安達太良山(あだたらやま)、南に阿武隈(あぶくま)川を望む高台があります。「あれが阿多多羅山(あたたらやま)/あの光るのが阿武隈川」。光太郎の詩「樹下の二人」の舞台になった場所です。帰郷するたびに智恵子を癒やしたのが、安達太良山の上に広がる空でした。
 二本松駅前の老舗うなぎ屋で「ランチうな丼」を食べ、安達太良山麓の岳(だけ)温泉に1泊しました。
 ツルシカズヒオ
おことわり 新型コロナウイルス感染拡大防止のために、各地で外出自粛が呼びかけられています。本欄は「緊急事態宣言」発令前に取材したものです。


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同紙では、よく智恵子の生家周辺を紹介して下さっています。平成30年(2018)6月17日には「山の季 ほんとの空」という題名で、安達太良山。同年9月30日には同じ「たび」の連載で「智恵子の生家と「ほんとの空」」。それぞれ大きな記事でした。

少し前にも書きましたが、新型コロナの影響で、なかなか「ぜひ足をお運び下さい」とは書けないのですが、いずれ騒ぎが終息した後、「ぜひ足をお運び下さい」。


【折々のことば・光太郎】

凡そ何事に限らず随所随時之を筆録し置かざれば年と共に忘却する事あるを免れず。よし忘却する事なしとするも其楽ミや己れ一個人に局して他人に感ぜしむる事あたはず。されば心ある人にして日常の所見所感を筆にのこし置かざる者ある事無し。

雑纂「『大原海岸』あとがき」より 明治38年(1905) 光太郎23歳

『大原海岸』は、母・わかと弟・豊周、同じく孟彦、妹・よしの4人が房州大原(いすみ市)を旅行した際、光太郎が弟妹に命じて紀行文を書かせ、製本したものです。

要するに「日々の記録をとっておくと、備忘のために良いし、たとえ自分が忘れなくても、他人がそれを読めばその時々の感懐が共有できる」ということですね。

もうすぐこのブログも9年目に突入します。そこで、当方も時折上記のようなことを考えます。

テレビ放映情報です。

にっぽん百名山選「安達太良山」

NHK BSプレミアム 2020年4月20日(月)19時30分~20時00分
         再放送 4月27(月)
12時30分~13時00分

3月、雪の残る福島・安達太良山(1700m)で、ウサギやリスなど春を待つ生き物の息吹に触れ、山のいで湯を堪能。さらに「霧氷」など雪山ならではの風景に出会う。

雪山の初級コースとして人気の福島・安達太良山(1700m)。早春3月、出発はあだたら高原スキー場の登山口から。雪の残る森を進み、鳥の巣作り、ウサギの足跡、リスの食べかすなどを次々と発見。山小屋で一泊し、源泉かけ流しの温泉と満天の星空を楽しむ。山頂までの斜面では雪山ならではの風景である霧氷を堪能。山頂からは磐梯山、吾妻連峰など東北の名峰を望む。また雪山で温泉の通り道を守る人々の営みを紹介する。


出演 五十嵐潤   語り 鈴木麻里子 高塚正也

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「選」とあるとおり、再放送です。初回放映は一昨年。昨年も再放送がありました。

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番組冒頭近くで、光太郎智恵子について触れて下さいます。

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ただ、光太郎智恵子がらみはここだけで、後は山岳ガイド・五十嵐潤さんのナビゲートによる1泊2日の行程が紹介されていきます。そのあたりの映像も非常に美しく感じました。

新型コロナの影響で、テレビ番組も新たな収録が大幅に減、だそうです。それでもこうした財産が各局に残っているわけですから、いいものはどんどん再放送していただきたいところです。わがままを言わせていただければ、特に光太郎智恵子に関するものを(笑)。

ところで、安達太良山といえば、山開き。昨年は一念発起、標高1,700㍍の山頂まで行って参りました。といっても、途中までロープウェイでしたが。新型コロナの影響で、今年はどうなるのだろうと思っていましたが、とりあえず今のところ予告されています。今年は5月17日(日)だそうで。

ただ、ことによるとやはり中止になるかも知れません。また詳しい情報が入りましたらお知らせします。


【折々のことば・光太郎】

体操の美には殊に感心した。人体の力の比例均衡を存分に満喫して満足した。無理のない運動の流暢さが如何に鍛錬された力の賜であるかを見た。

アンケート「「美の祭典」を観る」より 昭和15年(1940)  光太郎58歳

美の祭典」はベルリンオリンピックの記録映画です。日本での公開は4年後の昭和15年(1940)でした。光太郎、スポーツを観るにも彫刻家の眼ですね。

ご存じの通り、今年予定されていた東京オリンピックも延期。アスリートの皆さんには、くさらずに頑張ってほしいものです。

今月初めの『福島民友』さんの記事です。光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語が。

免許返納者に「反射缶」県内初 二本松交対協、夜間事故防止へ

 春の全国交通安全運動(6~15日)を000前に、二本松地区交通対策連絡協議会は1日、運転免許証を自主返納した二本松市の高齢者に対し、「運転者卒業記念」として夜光反射材のグッズを詰めた缶詰「反射缶」の配布を始めた。反射材の着用を促し、夜間の高齢歩行者の事故防止につなげる。二本松署によると、反射缶の配布は県内で初めて。

 同署によると、各種啓発活動で夜光反射材を配布したが、着用が進んでいない。自分の物と意識する「保有効果」により着用率を高めようと、同署は反射材を詰めた「ガチャガチャ」を交通課窓口に設置している。

 反射缶も同様の考えに基づき配布する。缶には、伸縮するたすきや靴用のシール、キーホルダーと、同市の「ほんとの空」をイメージした青いリストバンド型の反射材を詰めた。300個を用意。同署で免許証を返納した市民に贈る。

 「出るなら昼間!夜なら光れ☆」がキャッチフレーズで、配布時には、夜間の不要不急な外出を控えるよう助言し、外出時には反射材を着用するよう促す。

 配布第1号となったのは同市下長折の男性(74)。脳梗塞で右半身が少し不自由になり、中学1年になる孫から「じいちゃんの運転は怖いから乗らない」と言われ、50年以上取得した免許を返納した。佐藤祐一交通課長から反射缶を贈られ「反射材を着けて事故に遭わないようにしたい」と話した。

 同市の免許返納は年々増え、昨年は前年より70件多い225人が返納した。

こんなところでも「ほんとの空」、と、微笑ましく思いました。

当方自宅兼事務所の近辺もかなりの田舎ですので、自家用車は必需品です。また、東北や中部地方などの光太郎智恵子ゆかりの地に行く際も、公共交通機関を使うより安かったり便利だったりもします。

しかし、やはり、永久に運転もできないでしょう。いずれ返納することとなる時、車が無くても困らない世の中になっていて欲しいものです。


【折々のことば・光太郎】

多くの場合、本郷通松屋製青色 二十字詰

アンケート「文房用品――ペン・インク・原稿用紙――」より
 昭和9年(1934) 光太郎52歳

文藝春秋社発行の雑誌『文芸通信』に載ったアンケート回答、愛用の原稿用紙についてです。

「松屋」は、光太郎が生まれた翌年、明治17年(1884)創業の紙製品店。光太郎以外にも、夏目漱石や芥川龍之介らがその原稿用紙を愛用していました。昭和30年(1955)まで存続していたそうです。

光太郎は、詩稿に限れば大正11年(1922)~昭和15年(1940)頃、確かに松屋製のものがほとんどでした。それ以前は銀座伊東屋製、それ以後、戦時中までは出版社・道統社のロゴが入ったもの(中央部分には「高村光太郎」と印刷されています)を主に使っていました。戦後はさすがに物資が不足、原稿用紙もあまり統一されることなく、いろいろな用紙を使っています。

こちらは「ほんとの空」の語の初出、「あどけない話」。

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こちらも松屋製です。

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当会の祖・草野心平を顕彰するいわき市立草野心平記念文学館さんからご案内を頂きました。

企画展「草野心平の詩 天へのまなざし」

期 日 : 2020年4月11日(土)~6月28日(日)
会 場 : 
いわき市立草野心平記念文学館 
       福島県いわき市小川町高萩字下タ道1番地の39
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 月曜日(5月4日は開館)
料 金 : 一般 440円(350円) 高・高専・大生 330円(260円) 小・中生 160円(130円)
       ( )内は20名以上団体割引料金

草野心平の創作における代表的な主題の一つが「天」でした。
「神はおれから遠ざかり。/近づいたのは石と天。」という詩の一節も、巨視から微視まで自在に対象を射抜いたまなざしによるものです。
本展では、心平の天の詩をあらためて取り上げ、自筆原稿、随筆、書籍などの関連資料を展観しながら、作品の奥深い魅力をあらためて紹介します。

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関連行事等

 ギャラリートーク 5月9日(土) 6月6日(土) いずれも14:00~14:30
 
 同時開催 スポット展示 猪狩満直


フライヤー裏面に、心平詩集『天』の画像。昭和26年(1951)、題字揮毫は光太郎です。

心平と「天」といえば、最晩年、昭和60年(1985)発行の書道雑誌『墨』(芸術新聞社)53号「特集 高村光太郎 書とその造型」に、「光太郎書に就いての漫語」という散文を寄せ、「天」について書いています。

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「天」を愛した心平が勝手に「五001天」と命名した、敬愛する芸術家達の「天」に関する作品のコレクション五点の話が枕です。川端康成、棟方志功、村山槐多、福沢一郎、そして光太郎。光太郎のものは、詩集『天』の題字ではなく(カラー写真が掲載されているのですが)、「天人満堂」と書かれた揮毫とのこと。

心平の「天」へのこだわり、「ほんとの空」を求めてやまなかった、同じ福島出身の智恵子にも通じるような気がします。

同時開催のスポット展示で取り上げられる猪狩満直は、やはり光太郎と交流のあった詩人です。昨年もスポット展示で取り上げられていましたが、展示内容は変わるのではないでしょうか。

フライヤー、ポスター、招待券と共に、平成29年度分の『いわき市草野心平記念文学館年報』もお送り下さいました。このブログでご紹介した同年度の企画展「草野心平の詩 料理編」、その関連行事として行われた、料理研究家の中野由貴さんによる「心平さんの胃袋探訪~創作料理の試食と解説」などについて詳細な報告が為されており、興味深く拝読しました。

さて、「天へのまなざし」、会期も長いので、都合を付けて、新型コロナ感染拡大には十分気をつけた上で行ってこようと思っております。皆様もぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

此の方は限定された質問ではないので、答へ易く、知人のせゐか黄瀛君にひどく嘱望してゐます。此の外にも名は挙げられますが、まだよく知らないので遠慮します。

アンケート「十四年度作品批評」より 大正14年(1925) 光太郎43歳

質問は掲載紙『日本詩人』に記録されていないのですが、おそらく新進詩人に関するものだったと推定されます。ここで心平の名を挙げず、黄瀛を推しているのが意外と言えば意外ですが、黄瀛に連れられて心平が初めて光太郎に会ったのがこの年で、どうも「此の外にも名は挙げられますが、まだよく知らない」というのが心平を指しているように思われます。

例年、この時期と、秋の菊人形の時期に行われている、福島二本松の智恵子の生家、2階部分の特別公開が始まります当方、何度か智恵子の居室を含む2階に上がらせていただきましたが、まさしく智恵子の息吹が感じられる貴重な体験でした。

追記 やはり新型コロナのため、4月13日から約1ヶ月、休館だそうです。

智恵子の生家2階特別公開

期 日 : 2020年4月4日(土)~5月6日(水)の土・日・祝日
会 場 : 智恵子の生家 福島県二本松市油井字漆原町36
時 間 : 9:00~16:00
休 館 : 公開期間中無休
料 金 : 大人(高校生以上) 個人:410円 団体:360円 
      子供(小・中学生) 個人:210円 団体:150円

      智恵子記念館との共通観覧券 

智恵子を育んだ「生家」の2階を、特別公開します。智恵子が暮ら した旧長沼家の雰囲気をご堪能ください。5月には生誕祭を予定 しています。

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昨年までは、この時期に「高村智恵子生誕祭」として予告され、生家2階の公開もその一環という位置づけでしたが、今年は新型コロナの影響でしょうか、「生誕祭」については詳細未定のようで、生家2階の公開のみ先行して実施されるようです。ついでにいうなら、昨年まで運行されていた福島交通さんの臨時バス「二本松春さがし号」、今年はやはり新型コロナの影響で中止だそうです。

ちなみに生家2階公開の記事が載った『広報にほんまつ』の今月号、表紙を含め巻頭4ページが「ほんとの空にさくら舞う」と題し、市内の桜の名所の紹介になっています。

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智恵子生家裏の「智恵子の杜公園」006も取り上げられています。光太郎の名も。ありがたや。

「ほんとの空にさくら舞う」は、昨年4月に開催された「2019全国さくらシンポジウムin二本松」のキャッチコピーでしたが、それを転用しているようです。

桜も種類によってはまだまだ楽しめるようですし、生家2階の公開と併せ、「ぜひ足をお運び下さい」といいたいところですが、昨今、なかなか気軽にこの言葉を使えなくなってしまい、実に残念なところです……。


【折々のことば・光太郎】

大した失策をした事もないのですが、宿屋で室を間違へるのが昔からの私の癖で、十数年前、直江津の「いか権」で隣室の人のご馳走を自分の晩食と思つて喰べてしまつたり、東山温泉で芸者とお客とねてゐる室へ飛び込んだ位のところです。

アンケート「旅の失策話」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

いやいや、こういうのを「大した失策」というのですよ、光太郎さん(笑)。

同じアンケートの続きの部分では「一体宿屋の部屋位、人を馬鹿にしたものはないでせう。十六番と十七番を間違へるのに何の不思議がありますか。」と、逆ギレもしています(笑)。

新型コロナウイルスの影響で、各種イベント等の中止、延期が相次ぐ中、日本高野連さんでは、今月19日からの予定の第九十二回選抜高校野球大会を、無観客で実施する方向で準備に入ったそうです。

3/12 追記 しかしながら、今年の大会は中止という決定になりました。

さらに追記 夏の甲子園大会中止に伴い、センバツ大会代替の甲子園交流試合開催が決定しました。磐城高校さんは8月15日(土)、対国士舘高校さん戦が組まれています。


今年のセンバツには、21世紀枠で、福島県立磐城高校さんが選ばれています。当会の祖・草野心平の母校である旧制磐城中学校の後身です。そこで、先月、同校の出場決定が報じられた際には、心平がらみの記事等がいろいろ出ました。 

1月25日(土)、『福島民報』さん。 

【磐城センバツ決定】さらば行けそして勝て

 磐城高の第九十二回選抜高校野球大会出場が二十四日、決まった。二十一世紀枠で選ばれた。一九七四(昭和四十九)年の第四十六回大会以来四十六年ぶりで、春夏合わせれば十度目、一九九五(平成七)年夏以来二十五年ぶりに甲子園の土を踏む。

 東日本大震災の被災地いわきは、昨年十月の台風19号と二週間後の大雨でも被害を受けた。復興に向けて立ち上がる市民の希望の光となるように、甲子園での磐城ナインの活躍を願う。

 二十一世紀枠で福島県の高校が選ばれたのは、二〇〇一年の安積、二〇一三年のいわき海星に次いで三校目だ。学業と部活動の両立、自然災害による困難な環境の克服、活動の地域に与える好影響などの多くの面で高く評価された。

 選出の参考となる秋季東北地区高校野球大会は、台風19号の北上と重なった。十月十一日の初戦に勝った磐城は、日程変更で会場の岩手県から一度いわきに戻り、惨状を目の当たりにした。出場継続を決めた選手は結束する。「いわきに元気を届けよう」。十四日の二回戦に勝利し、ベスト8の成績を残した。
 古里は台風の爪痕が深く残っていた。大会を控えたサッカー部とラグビー部は浸水でグラウンドが使えない。野球場を整備して提供し、ナインは被災した家屋で後片付けなどのボランティアに励んだ。懸命の活動は住民に元気をもたらした。逆に、住民から激励の言葉を掛けられるときもあった。選手は人のつながりや支え合いの大切さを実感しただろう。

 野球部は昨春から月二回程度、学校近くの平一小を訪問し、学童保育の児童と交流している。地域貢献や野球の普及促進を目指して始めた。野球に加え、鬼ごっこなどの遊びを取り入れ、スポーツの楽しさを伝えた。時には勉強も教える。コミュニケーション能力が向上し、選手の精神面の成長にもつながった。

 四半世紀ぶりの甲子園に地元の期待は高まっている。選手は「チーム全員の技術を高め、大舞台で戦いたい」と力を込める。気負うことなく、培ってきた全てを、自信を持って発揮してほしい。

 磐城は、一九七一年夏の全国大会で準優勝という輝かしい実績を持つ。当時、卒業生で詩人の草野心平はスタンドで応援し、全国の強豪に立ち向かう後輩に激励の詩を贈った。小柄な選手が冷静、果敢に、臆せずプレーする姿をたたえ、最後に結んだ。「さらば行け そして勝てよ」。センバツに挑むナインに、同じ言葉を贈る。(鈴木 俊哉)

引用されている詩、全文は以下の通りです。
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    さらば行け、そして勝て

 四十四、五年前に    私も歌った校歌は
 古い明治調
 進学率は高いけれど   背たけはおそらく一番低い
 ちっぽけな連中が     しかし豪胆で微密で冷静で
 果敢で驕らず悪びれず  あわてず、臆せず
 その青春のバネは強く激しい
 類のない不思議なチームよ
 さらば行け  そして勝てよ


ちなみに心平、ゆかりの川内村で現在も続く「盆野球」(東日本大震災直後には、村民の多くが避難していた郡山で開催されました)では、始球式を務めるのが恒例でした。


同じ『福島民報』さん、同日の一面コラムでも。

あぶくま抄 磐城高センバツ出場

 磐城高野球部の父と慕われた阿部政(まさ)右衛門(えもん)の顕彰碑が、いわき市の上荒川公園の丘に立つ。肖像は平野球場を優しく見守る。詩人草野心平揮毫(きごう)の「暖かく強く正しく その生涯を一途(いちず)に生きぬいた人」の文字も刻まれる。

 一九〇六(明治三十九)年の創部時の部員で、卒業後は石炭販売業を営み、物心両面で母校を支えた。甲子園を目前に、勝てない時期を重ねた。球児が実戦練習できるように、平野球場の建設を当時の平市に訴え、一九六〇(昭和三十五)年に実現させた。三十八年前、九十三歳で亡くなる。

 一九七一年四月、常磐で最大の炭鉱が閉山し、暗い空気が漂った。その年の八月、磐城高は春夏通算五度目の甲子園出場を果たす。初戦で優勝候補の日大一高(東京)を下すと快進撃し、準優勝した。県民に勇気を与えた試合は語り継がれる。後輩がセンバツ出場を決めた。

 震災と原発事故、昨年の台風19号と大雨被害…。幾多の苦難を乗り越えて二十一世紀枠で選ばれ、チームは四半世紀ぶりに夢舞台に立つ。「IWAKI」を海の青色であしらったユニホームには、白球を追い続けた多くの先輩の思いが詰まる。憧れの地で、選手を後押しする。



心平の名はありませんが、同日の『福島民友』さん。

編集日記

 野球漫画の金字塔「ドカベン」には、1971年の磐城高をモデルにしているであろう「いわき東高」が登場する。夏の甲子園の決勝で主人公山田太郎を擁する明訓高と対戦する
 ▼神奈川県と福島県の代表が決勝で戦うのは71年と同じ組み合わせ。小柄な主戦が準決勝まで無失点で勝ち上がるのは田村隆寿投手がモデルとみられる。地元の炭鉱が閉山となり、いわき東ナインは大会が終われば離れ離れになる設定だった
 ▼磐城ナインが当時の高校野球ファンにどれほど鮮烈な印象を与えたのかが分かる。試合は1点差を追ういわき東が最終回、同点を狙ってタッチアップを試みるも本塁上でアウトとなり、試合終了。磐城同様、あと一歩のところで優勝を逃す
 ▼磐城が春の選抜高校野球大会(センバツ)に21世紀枠で出場することが決まった。昨秋の東北大会の8強入りに加えて、台風19号などで被害を受けた地元でのボランティア活動も評価された。苦境にある古里を元気づけようと奮闘する姿はいわき東とだぶって見える
 ▼71年の快進撃からほぼ半世紀。甲子園も95年の夏以来、25年ぶりだ。令和初となるセンバツで、新たな磐城のイメージを打ち立てるような胸のすくプレーが見たい。

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「ドカベン」。当方、リアルタイムで読んでいましたが、主人公・山田太郎らが1年生だった夏の甲子園での決勝戦が、当時としては珍しかったフォークを武器とする緒方投手率いる「いわき東高校」戦でした。

準決勝で高知代表・土佐丸高校との死闘を制し、決勝に駒を進めた明訓高校。エース里中は満身創痍。明訓のムードメーカー・岩鬼が初回に先頭打者ホームランを打つも、ベース踏み忘れというボーンヘッドで無効。八回には「ドカベン」史上最速の足を持つ、いわき東・足利の好走塁によって、先制を許します。実にハラハラさせる展開でした。

しかしその岩鬼が九回表に逆転の場外2ランホームラン。そして迎えた九回裏一死三塁。いわき東の五番・平山の、スタンドに入ろうかという三塁後方ファールフライを、「タッチアップされるから捕るな」という声を無視して岩鬼が無理な体勢でキャッチ。三塁ランナー緒方は当然のようにタッチアップ。岩鬼の本塁への送球は剛速球ながら、捕球の難しいハーフバウンド。キャッチャー山田は「下がって捕れば確実だがタイミング的にセーフ」「前に出れば落球の可能性」という二者択一に、強気に前へ出て、結果、見事にタッチアウト!  併殺となり、ゲームセット!! 何とも劇的な幕切れでした。野球のルール等をよく知らない方には、「何のことやら?」でしょうが(笑)。

この試合のモデルになったのが、昭和46年(1971)夏の甲子園決勝。磐城高校さんは、神奈川代表の桐蔭学園さんに0-1で敗れたそうで、そしてその試合を心平はスタンドで観戦していたというわけです。

ちなみに光太郎も野球は意外と好きだったようで、最晩年には終焉の地となった中野の貸しアトリエで、長嶋茂雄さんらが出場していた東京六大学野球のラジオ中継を聴いたりしていました。

さて、センバツ高校野球。まだ中止となる可能性はありますが、開催できることとなたっら、東日本大震災被災地の皆さんを勇気づけるという意味でも、磐城高校さんの活躍に期待したいものです。


【折々のことば・光太郎】

智恵子の葬式の日は十五夜だった。一二年たったその日の夜、アトリエでビールをのんでいた。コップを二つおいて、一つは智恵子の分という気持で、フト気がつくとコップが空になっている。あれがのんだんだなとおもったのだ。

談話筆記「炉辺にて」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳


「いやいや、光太郎先生、それはあなたが飲んだんですよ」と突っ込みたくなりますが(笑)。

福島出身の智恵子も、雲の上から磐城高校さんの活躍を見守っているような気もします。


第64回連翹忌――2020年4月2日(木)――にご参加下さる方を募っております。詳細はこちら。新型コロナウイルス対策でイベントの中止等が相次いでおりますが、今後、パンデミック的な事態になってしまった場合は別として、十分に感染防止に留意した上で、今のところ予定通り実施の方向です。

来る4月2日(木)に日比谷松本楼様に於いて予定しておりました第64回連翹忌の集い、昨今の新型コロナウイルス感染防止のため、誠に残念ながら中止とさせていただくことに致しました。

福島県の地方紙、『福島民友』さんの連載「福島湯けむり探訪」に、「智恵子抄」の語が。 2月16日(日)の掲載でした。

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ふくしま湯けむり探訪【二本松市・岳温泉】 山を遊び尽くす拠点 新風を吹き込む温泉宿

 花びらが舞い降りる000露天あり、寒気と湯気がなじむ雪見風呂あり―。気候風土が大きく異なる福島県は豊かな自然に恵まれ、湧き出る湯にさまざまな趣を与えてきた。泉質数は国内有数を誇り、愛され続ける名湯、秘湯もまた多い。「湯けむり」の向こうに隠れたドラマを探して、記者たちが湯の里を訪ねる。その魅力にどっぷりつかってみたい。

 智恵子抄や万葉集にも詠まれ、登山客など多くの人たちから親しまれる安達太良山。その山懐に抱かれるように、古き良きたたずまいの旅館や物産店が立ち並ぶ岳温泉(二本松市)が広がる。旅館のほとんどが温泉街を貫くメインストリート「ヒマラヤ大通り」に沿うように立っている。その通りのほぼ中央に昨年夏、新風を吹き込む温泉宿「mt.inn(マウントイン)」が本格オープンした。
 経営するのは鈴木安太郎さん(40)。温泉街の経営者の中で最も若く、目指すところも既成の枠にとらわれない。「コンセプトは『集え、遊び人』。世界の遊びを愛する人たちの集いの場にしたい。安達太良山を遊び尽くしたいと思う人は本当に大歓迎だ」と気負いなく話す。
 鈴木さんは「安達太良山麓はアクティビティー(遊び)でいっぱいだ」と強調する。確かに登山にスキー、沢登り、そして山野を走るトレイルランなど自然を生かしたアウトドアスポーツ、目の前に広がる美しい景観を心ゆくまで楽しめる仲間たちとのツーリングなど数えだしたら切りがない。

 掛け流し...手頃に003
 遊びで疲れた体を癒やすにはもちろん温泉だ。泉質は酸
性泉。湯元から約8キロの距離を引き湯する。温泉街まで流れてくる40分の間に湯がもまれて、肌に優しくなるという。
 温泉を気軽に利用してもらおうと、日帰り入浴の開始時間を今年から早めた。料金も良心的な金額を維持している。「源泉掛け流しは大きな強み。温泉は疲れた体を癒やす。何をやろうにも温泉の恩恵を忘れてはいけない」と鈴木さんは話す。
 マウントインでは、フロントを通して登山やネイチャーガイドを手配できる。「集いの場は多くの人が行き交うハブであり、楽しい空間が広がる安達太良山へのゲート、スタートラインにしたい」と鈴木さん。アクティビティー前の入念な準備に気兼ねなく時間を費やせるようにと、スタッフも朝早くから気遣う。施設内には500車種、200コースが楽しめるドライブシミュレーターを備えたり、自炊キッチンが完備されていたりと、多様な楽しみ方ができる。
 歴史をひもとけば、岳温泉は幾多の苦難に見舞われ、その度に立ち直ってきた。鈴木さんは強さの源にフロンティア精神を感じるという。「山崩れ、大火といった災難にめげず、復興、そして新しい道を開拓してきた」と先人たちの踏ん張りをたたえた。
 車社会の現代、日帰りの登山客、スキー客が目立つ。「温泉の宿泊客とほぼ同数の登山客が温泉街を通り過ぎる。そういった人たちをどう取り込むか。宿泊を含め温泉街の滞在時間を増やせれば、にぎわいにつながる。岳温泉の魅力を築き、発信していけるような役割を担いたい」。鈴木さんにもフロンティア精神はしっかりと受け継がれている。
 【メモ】mt.inn(マウントイン)=二本松市岳温泉1の7。日帰り入浴は中学生以上600円、小学生300円、未就学児無料。


 ≫≫≫ ほっとひと息・湯のまちの愉しみ方 ≪≪≪005
 【「五輪新種目」体験できる】岳温泉街から車で5分ほどの所にあるスカイピアあだたらアクティブパークはスケートボード、スポーツクライミング、スラックラインと、若者に大人気のアクティビティーがそろう屋内複合施設だ。2020東京オリンピックから正式種目となったスポーツクライミングのボルダリング、リード、スピードの3種目が体験できる屋内施設は全国でも珍しい。時間は平日午後1時~同9時、土、日曜日、祝日は午前11時~午後7時。水曜日定休。


マウントインさん、当方、昨年5月、安達太良山の山開きに際し、泊めていただきました。前身のせせらぎ荘時代にも一度。リーズナブルな料金の割には、館内施設等整っていました。あまりにリーズナブルだと、廊下を歩く他の宿泊客の足音や、隣室のテレビの音などが筒抜けで、早く眠りたい場合にはスマホの音楽プレーヤーをヘッドホンで聴きながらでないと無理、というケースがあるのですが、ここではそういうこともありませんでした。

また、素泊まりも可というのがありがたいと思います。宿で美味しい料理を供して下さるのもありがたいのですが、多少、好き嫌いのある当方としては、館外の食堂等で好きなものを食べたいと思うこともしばしばですし、地元の方々と夕食を共にするというようなケースも多いので。

それから、記事にもある館内の温泉も、確かにいい感じです。確か、宿泊客は24時間入湯可だったような。なぜか旅先ではさっさと床につくのが当方の流儀でして、すると、夜中に目が覚めます。そして24時間入湯可であれば、ほぼ誰もいない温泉を独占し、その後、また朝まで二度寝、というパターンです。

ぜひ、岳温泉さんをご利用の場合は、ごひいきに。


【折々のことば・光太郎】

玉鋼を本当に鍛へて作つた小刀を、鳴瀧の上もので心ゆくばかりに研いで、檜をざくざく彫つてゆく気持はたとへやうもない。さういふ時、心を潜めて彫つた彫刻の味などは、到底観る者にわかる筈はない。それは永久に分らないままでいいのである。作品は誰にでも分るところまでの姿で世に通用して、しかも奥の知れないままでよろしい。無理はいらない。

散文「通用」全文 昭和6年(1931) 光太郎49歳

「鳴瀧」は京都産の上質な砥石です。

作家に対しては、「無理に分からせようとすべからず」、鑑賞者に対しては「無理に分かろうとすべからず」というところでしょうか。

たしかに造型作品に対し、作者の心情や意図など、全体としてのアウトラインはある程度想像もつきますが、細かな部分まで、制作時に何を考えていたのか、そこである技法をつかった理由など、すべて解明するのは不可能です。

文筆作品に対しても同じことが言えると思います。しかし、それを無理くり「こうだった」と解釈するのが「文学」の「研究」で、そういうことを書くのが「論文」だと、そういう風潮がありますね。当方もそういう畑の出身ですが、そうした風潮にとまどいや限界や反発を感じます。「作品は誰にでも分るところまでの姿で世に通用して、しかも奥の知れないままでよろしい」のです。

昨日は福島県の浜通り、双葉郡富岡町に行っておりました。こちらで開催された「福島大学うつくしまふくしま未来支援センターシンポジウムin 富岡 ~ほんとの空が 戻る日まで~」拝聴のためです。

光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)中の「ほんとの空」の語を冠した、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター(FURE)さんの主催による同様のシンポジウムは、これまでも全国で9回開催されてきており、今回で10回目です。なかなか日程等が合わず、参加できないでおりましたが、今回初めて伺うことができました。

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会場は、富岡町の文化交流センター学びの森さん。

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富岡というと、桜の名所です。特に有名なのが、夜の森地区の桜。しかしその近辺は、福島第一原発事故による帰還困難に指定されたままです。

そこで、ロビーには桜の写真や絵。

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地元の皆さんが、ほんとうの桜を心ゆくまで楽しめる日が一刻も早く訪れる事を願ってやみません。

さて、会場へ。

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午後1時、開会。

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平日にもかかわらず、けっこう多くの方がご参加。地元の行政関係の方が出張扱いでいらしているケースが多かったようです。

基調講演は、(公社)中越中越防災安全推進機構統括本部長・稲垣文彦氏。

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平成16年(2004)の新潟県中越地震の事例、特に山間部の山古志村での取り組み、さらに東日本大震災時に郡山市のビッグパレットふくしまに開設された避難所の支援に当たられたご経験などを話されました。

その中で、東日本大震災時に、福島の浜通りから新潟に避難した女性のエピソードが、象徴的でした。氏が女性に「一番つらいことは」的なご質問をされ、しばらく考えた末に返ってきた答えが「青い空が見えなくなったことかな」。太平洋側の冬は抜けるよう青空となりますが、日本海側は曇天、もしくは雪空。まさに「ほんとの空」を失われたわけで……。

しかし、各地での復興に向けての力強い取り組みなどの様子を知り、救われる思いもしました。

休憩後、パネルディスカッション。まず4人のパネラーの皆さんが、それぞれの地域での現状や課題などを発表され、その後、討議というスタイルでした。

最初のパネラーが、旧知の川内村村長・遠藤雄幸氏。同村は当会の祖・草野心平を名誉村民として下さっています。今回、氏がパネラーということもあり、ぜひ参加せねばと思った次第です。下は受付で無料配付されていた川内村の観光案内的なパンフレットから。

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毎年7月の天山祭会場となっている(昨年は雨天のため村民体育センターでしたが)、川内村での心平別荘として村人の皆さんが建ててあげた「天山文庫」等の紹介。設立協力委員であった、光太郎実弟にして鋳金の人間国宝・髙村豊周の名も記されています。

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他のパネラーは、秋元正國氏(双葉地方町村会常務理事兼事務局長)、牧ノ原沙友里氏(一般社団法人ならはみらい主任)、仲井康通氏(FURE相双地域支援サテライト長)。モデレーターとして初沢敏生氏(FUREセンター長)、さらに基調講演をなさった稲垣氏も加わり、こちらもさまざまな事例等の報告がなされ、興味深いものでした。

終了後、遠藤氏と少しお話をし、会場を後にしました。家庭の事情もあり、ほぼとんぼ返り。余裕があれば町内各所の様子を詳しく見て回りたかったのですが。

それでもこんな風景も。何もなければほんとにのどかな町だったのでしょうが……。

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しかし、現実には、右画像の通り。020国道6号線ですが、ここから先はしばらくゴーストタウン状態です。

FUREさん、「福島大学は「福島の地にほんとの空が戻る日まで」、このセンターを拠点に「福島」の復旧、復興を支援いたします。」と謳って下さっています。

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一刻も早くその日が来ることを願ってやみません。

【折々のことば・光太郎】

荒れ狂ふ風と、霙と、波と、もとつ外の眼に見えない天然素のやうなものとが、実に思ふ存分な真似をしてゐた。力一ぱいな事をしてゐた。船なんか、人間なんか、まるで眼中になかつた。

散文「遙かにも遠い冬」より 昭和2年(1927)
光太郎45歳 明治39年(1906)


海外留学のため、横浜から乗船したカナダ太平洋汽船の貨客船・アセニアン号船上での体験――アリューシャン沖でとてつもない荒天に見舞われ、船が沈没の危機に陥ったこと――の回想です。

まったく天災には抗しようがない時があります。しかし、人災となると、話は別ですね。

福島からイベント情報です。 

ふくしまイレブンめぐり スタンプラリー2

期 日 : 2020年2月8日(土)~3月15日(日)
会 場 : 福島圏域11市町村の道の駅・直売所
      福島市 二本松市 伊達市 本宮市 白石市 桑折町 国見町 川俣町 大玉村
      飯舘村 米沢市

福島圏域11市町村の道の駅や直売所をめぐるスタンプラリーを開催いたします。

台紙には1市町村で1個のスタンプを押してください。
ただし、福島市(①~③)と二本松市(④~⑦)はいずれか1箇所で押してください。

各スタンプ設置施設や各市町村庁舎等に設置されているチラシ兼台紙を入手して参加ください。
11市町村のスタンプをすべて押された方はA賞に応募できますが、チラシに記載されている情報をもとに12個目のスタンプが置いてある施設を探し当てスタンプを押せれば、パーフェクト賞も受け取ることができます。(先着500名まで賞品が豪華です)
各賞に必要なスタンプが貯まったら、スタンプ設置地点の回収ボックスに投函するか、台紙に切手を貼り郵便で応募ください。

賞品
A賞 スタンプ11個(全市町村制覇)
    5、000円相当の各市町村特産品等(11種類、各1名)計11名
B賞 スタンプ7個以上 
    2、000円相当の各市町村特産品等(11種類、各1名)計11名
C賞 スタンプ5個以上 
    1、000円相当の各市町村特産品等(11種類、各3名)計33名
パーフェクト賞 スタンプ12個
    パーフェクト達成者全員に粗品をプレゼント。
    また、先着500名には福島圏域11市町村の特産品もプレゼント。

問い合わせ先 福島圏域連携推進協議会事務担当(福島市農業振興課内)
 電話 024-529-7663 (平日8時30分~17時15分)

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福島市とその周辺、16カ所の道の駅や直売所等に設置されたスタンプを集めるスタンプラリーです。隣県の宮城、山形も巻き込んでいます(笑)。大規模ですね。

智恵子の故郷、二本松市には4カ所にスタンプが置かれていますが、うち2カ所は智恵子生家/智恵子記念館さんに近い「道の駅安達智恵子の里」さん。国道4号線をはさんで、上り線側と下り線側で別個の施設となっており、スタンプも2つゲットできます。

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上り線側の紹介には、「高村光太郎の詩「智恵子抄」で有名な安達太良山が一望できます。」の語も。

上下線ともども、これまでもさまざまな光太郎智恵子がらみのイベントの会場となったり、智恵子関連の新商品の開発販売に取り組んで下さったりで、ありがたい限りです。

福島圏域の皆さん、ぜひチャレンジしてみて下さい。


【折々のことば・光太郎】

世の中で一番好きなのは温泉なんです。箱根や伊香保なんぞのやうなのでなく、湧き出してくる野天の湯に浸つてゐたらどんなにいゝかと思ふ。塚原卜伝みたいな家を建てゝ年を取つたらさういふ所へ行き度いと思つてゐる。年を取つたらさうした所へ行くやうな気がする。東京を追ひ出されて――。

談話筆記「〔生活を語る〕」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

およそ20年後にそのとおりになるとは、この時点で真剣にそう考えていたとも思えないのですが、不思議なものです。

神奈川県秦野市からイベント情報です

状況をわかりやすくするために、地域情報紙『タウンニュース』さんの記事から。 

第12回 県人会フェア 舞台と物産でお国自慢

 「ふるさとお国じまん第12回県人会フェア 郷001土芸能と物産展」(福永嘉弘実行委員長=人物風土記で紹介)が2月9日(日)、クアーズテック秦野カルチャーホール(秦野市文化会館)の大ホールとホワイエで開催される。時間は午前10時半から午後4時。入場無料。

 秦野市内の15の県人会が参加し郷土芸能の発表や物産展などを行う。ステージ発表は以下の通り。オープニング(秦野観光和太鼓)、福岡(祭り酒)、山形(山形大黒舞、花笠踊り)、北海道(イヨマンテの夜、北海盆唄)、宮城(宮城野盆唄踊り、大漁唄い込み)、新潟(十日町小唄、佐渡おけさ)、福島(安達ケ原の鬼ばば、智恵子抄)、高知(よさこい祭り紹介、南国土佐を後にして)、長野(信州と永六輔)、長崎(長崎の鐘、愛長崎大村線)、岩手(盛岡さんさ踊り、遠野のまぬけ節パート2)、鹿児島(鹿児島おはら節)、秋田(秋田節、ドンパン節)。さらに秦野ささら踊り保存会がゲスト出演する。

 またホワイエでは、熊本ラーメン(熊本)、八ツ橋(京都)、バラ焼きのタレ(青森)など15のブースで地域の特産品を販売する。また今年も特産品が当たる抽選会を実施する。

 問い合わせは【電話】0463・82・5118市市民活動支援課へ。


という記事を見つけたので、調べてみました。

ふるさとお国じまん 県人会フェア

期 日 : 2020年2月9日(日)
会 場 : クアーズテック秦野カルチャーホール(文化会館) 秦野市平沢82
時 間 : 午後0時15分から4時(物産販売は午前10時半から)
料 金 : 無料

県人会相互の連携強化や市民の文化交流を目的に開催する県人会フェア。12回目を迎える今年も、自慢の唄や踊りを披露します。

内容 郷土芸能の披露、15県人会による活動紹介や物産販売など

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秦野市くらいの規模(人口約165,000人)になると、「○○県人会」が15もあるのですね。ただ、参加団体が15というだけで、実際にはもっとあるのかも知れません。

で、ホールでの郷土芸能的なステージ発表と、ホワイエでの物産展の二本立てだそうで、福島県人会さんのステージ発表発表が、「安達ケ原の鬼ばば、智恵子抄」とのこと。寸劇仕立てでやるのか、あるいは二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」(丘灯至夫作詞・戸塚三博作曲)あたりを持ち出すのかな、などと思っております。

当方、寡聞にして、こうした「県人会」の競演といった催しがあることを存じませんでした。こういうことが可能である大きめの自治体さんでは、どんどんこういう企画をやってほしいものですし、そうなった場合、「福島県人会」の皆さん、「智恵子抄」をよろしくお願いします(笑)。


【折々のことば・光太郎】

その人の心が真実に働いてゐるなら必ず体も光つて見えます。決して体は体と思つてはならない。体は即ち其の人の心、心は即ち体であります。

談話筆記「薄衣の女」より 大正5年(1916) 光太郎34歳

「健全な精神は健全な肉体に宿る」的な軍隊式の考えからの発言ではなく、彫刻家の目から、街ゆく人々を見ての感想です。

雑誌系、2件ご紹介します。

まず、日本絵手紙協会さん発行の『月刊絵手紙』2020年2月号。平成29年(2017)から花巻高村光太郎記念館さんのご協力で、「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載が為されています。

今号は詩「平和時代」(昭和3年=1928)が紹介されています。

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画像はクリックで拡大します。お読み下さい。


もう1点。JR東日本さんで発行している『大人の休日倶楽部』2020年2月号。「詩とあるくふくしま」という特集が16ページ組まれています。

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当会の祖・草野心平が大きく取り上げられています。光太郎に関する記述もあるのでは、と思って入手しましたが(例によってネットオークションです)、残念ながら光太郎の名は出てきませんでした。

その代わり、詩人の和合亮一さん、いわき市立草野心平記念文学館さんの学芸員・渡邊芳一氏、川内村商工会長であらせられる井出茂氏など、旧知の方々のお名前が。

心平に関しては、記念文学館さん、心平生家、菩提寺の常慶寺さん、そして心平を名誉村民に選定して下さった川内村などが取り上げられています。

「詩と歩くふくしま」という題名でしたら、「智恵子抄」がらみで「ほんとの空」のある安達太良山、阿武隈川、磐梯山なども取り上げていただきたいところですが……。今後に期待します。

ちなみに『大人の休日倶楽部』さんでは、平成25年(2013)、当時為されていた「一枚の手紙から」という連載で、光太郎から津田青楓に送られた明治44年(1911)の葉書を取り上げてくださり、その際には当方もライターの方に協力させていただいております。こちら、ご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

東京は今、日の色の大変いい時です。樹の幹のかがやく時です。枝がみんな脈をうつて来てゐます。それが空の中で動いて空が網の目のやうに輝やいて居ます。
散文「千駄木より」より 大正4年(1915) 光太郎33歳

今日から2月ですが、この文章での「今」というのは3月、上記「平和時代」同様、住居兼アトリエのあった本郷区駒込林町が舞台です。したがって、若干早いのですが、しかし温暖な千葉県では「枝がみんな脈をうつて来てゐる」という感覚はありますね。

自宅兼事務所の裏山では梅が咲き始めました。

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空も、「光の春」と称される2月らしく、清澄な中にも暖かさがほの見えます。本格的な春の到来が待ち遠しいところです。

申し込み締め切りがとりあえず明日でした

福島大学うつくしまふくしま未来支援センター(FURE)さんの主催により、これまでも全国各地で開催されてきた東日本大震災からの復興支援シンポジウムで、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)中の「ほんとの空」の語を冠して下さっています。

福島大学うつくしまふくしま未来支援センターシンポジウムin 富岡 ~ほんとの空が 戻る日まで~

期 日 : 2020年2月13日(木)
会 場 : 
富岡町文化交流センター学びの森 福島県双葉郡富岡町大字本岡王塚622-1
時 間 : 13:00~16:00
料 金 : 無料

東日本大震災から9年が経過しようとする中、住民の期間が思うように進まないなど被災地域は今なお多くの課題を抱えています。被災地域の「これから」について「コミュニティの再生」という面から、首長をはじめとする関係者が一堂に会し議論します。

基調講演 住民自らが取組むコミュニティの再生 (公社)中越防災安全推進機構統括本部長 稲垣文彦氏

パネルディスカッション 被災地域におけるコミュニティの再生
 モデレーター  初沢敏生氏(FUREセンター長)
 コメンテーター 稲垣文彦氏(基調講演講師)
 パネリスト      遠藤雄幸氏(川内村長)
         秋元正國氏(双葉地方町村会常務理事兼事務局長)
         牧ノ原沙友里氏(一般社団法人ならはみらい主任)
         仲井康通(FURE相双地域支援サテライト長)


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これまでも全国各地で行われてきたこのシンポジウム、このブログでご紹介するたびに「いずれ参加せねば」と思っておりましたが、今回、ディスカッションのパネリストに、旧知の川内村長・遠藤雄幸氏の名があるもので、申し込ませていただきました。ちなみに遠藤氏、平成29年(2017)に新潟で開催された際もパネリストを務められていましたが、その際は欠礼いたしました。

申込期限は明日ですが、これまでの例ですと、定員に達せず、追加申込期間が設定されることがほとんどでした。3.11も近いことですし、ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

今朝汽車の中から暁の晴れた空と薄緑の草原と遠い地平線の雪を頂いた連山とを見た時には本当に蘇生した様な思ひをした。

散文「ルセルンの旅舎より」より 大正3年(1914) 光太郎32歳

雑誌『女子文壇』に発表されたのが大正3年(1914)ですが、内容的には欧米留学の最後の頃、明治42年(1909)3月から4月にかけ、スイス経由でイタリア旅行に出た際の、ルツェルンでの様子を書簡体で綴ったものです。宛先は親友だった水野葉舟。実際に葉舟に送った書簡そのままなのか、それを思い返して新たに書いたのか、または葉舟に手紙を書いたということ自体がフィクションなのか、そのあたりは判然としません。

生涯、大自然の美しさに惹かれ続けた光太郎でしたが、欧米留学中はほとんど都市部にばかりいたため、久々に接した雄大な自然に「蘇生した様な思ひ」を抱いたようです。

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安達太良マウンテンガイドネットワーク公募企画ツアー

公募企画は、安達太良マウンテンガイドネットワークが自信をもってお勧めする、お任せタイプの公募型登山ツアーです。
2020年冬のシーズンの始まりです。安達太良山は来春までは積雪期のアクテビティをお楽しみください。安心して冬山トレッキングをするには地元を知るプロの登山ガイドにお任せください。
「智恵子抄」で詠まれているほんとの空がある安達太良連峰。安達太良山は北から鬼面山、箕輪山、鉄山、安達太良山、和尚山がほぼ南北に並ぶ複合火山です。東からの眺めはなだらかな裾野が広がる一見女性的な穏やかさですが、西側は火口が開き、火山活動によって変質した頂上付近には植物すら生えない荒々しい男性的景観を示しています。その美しい山々をめざすスタート地点の登山口は7つ。この内、最も多くの登山者に利用されているのが、安達太良スキー場のリフトを利用できる奥岳コースです。ゆっくりと稜線の醍醐味をお楽しみになりたい方、温泉のある小屋「くろがね小屋」に泊まる方、野地温泉までの安達太良山縦走もございます。ご自分のレベルに合わせてご参加ください。


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自然のままの山を滑る楽しさを味わえる、バックカントリー実技編‼️ in安達太良山
リフトやスキー場の雑音が届かない手つかずの大自然を滑るバックカントリーは近年脚光を浴びています。地形を読み、雪を読み、リスクと向き合い、そして自然の恩恵を感じながら滑る究極のスポーツがバックカントリーです。経験豊かなガイドと一緒に安心してバックカントリーを楽しんでいただけるツアーです。

*初中級者(ゲレンデスキーでシュテムターンができる方SAJ2級程度)を対象としたツアーです。
*バックカントリーで使うギアの使い方や、疲れにくい歩き方、雪と地形を読み安全に考慮したルートセッティングをわかやすレクチャーします。
*準備物:冬装備、バックカントリーを滑走するのに必要な道具を持参する。
開催日 : 2月11日(祝)  3月8日(日)  
集合場所:あだたら高原スキー場レストハウスに9時集合(解散予定15時)
締め切り:開催日の5日前までにお申込みください。
参加費 7,000円(リフト代、保険料別途)

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厳冬の安達太良山縦走ツアー‼︎ 2日間(秘湯くろがね小屋泊)
1日目は奥田岳(あだたら高原スキー場)から標高1350m(標高差400m)にある温泉つきのくろがね小屋泊までの行動になります。(行動時間2h)
2日目はくろがね小屋を出発して山頂をめざします。峰の辻から火山源が見られる牛の背稜線に出て沼の平を経て安達太良山の峰に立ちます。お天気次第では飯豊連峰や蔵王連峰を望むことが出来るかと思います。
*スノーシューレンタルします。アイゼン10本爪以上必須です。
*お友だちが3人揃ったらツアー以外の日程でも催行しますのでご相談ください。
期日 :  2020年2月16日(日)〜17日(月)  3月 8日(日)〜 9日(月)
 郡山駅10時集合(現地集合🆗) 2日間  
*参加申込み〆切催行10日前迄
参加費 15,000円(ガイド料) 他、諸経費14,500円(登山口までの移動費、山小屋2食代、下山後温泉代、保険料) 総額29,500円になります。




魅力満載の稜線歩き〜厳冬・残雪の安達太良山ツアー! 日帰り(郡山駅集合です)

奥田岳登山口(あだたら高原スキー場)からリフトに乗って1350mの薬師岳へ。ここから眺める白銀の安達太良山には目を奪われそうです。積雪状況によりスノーシューやアイゼン装着して山頂まで約2時間半の稜線歩きを堪能してください。
*スノーシューレンタルします。アイゼンは10本爪以上必須です。
*お友だちが3人揃ったらツアー以外の日程でも催行しますのでご相談ください。
開催日 : 2月24日(月) 3月15日(日)
*参加申込み〆切催行5日前迄
参加費 10,000円(ガイド料) 他、諸経費5,000円(登山口までの移動費、リフト代、温泉代、保険料) 総額15,000円になります。

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この時期の安達太良山、なかなか厳しい自然環境でしょうが、生涯「冬」を愛した光太郎など、大喜びで参加しそうです(笑)。若い頃の智恵子も新潟の友人宅に滞在して、我が国に紹介されて間もないスキーに興じたことがありましたし。

ご都合のつく方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】
見て少しも不自然な人工的の表情がなく、夫れで居てヴアイオリンの最高調の音を聞く様な気持を起こさせる――玆まで行かなければ表情の極地とは云はれません。

談話筆記「女の顔と表情」より 大正2年(1913) 光太郎31歳

日本女性はとにかく表情に乏しい、という話から、しかし欧米人のように大袈裟な身振り手振りや目をひんむくような表情でも困る、といった流れの中での結論です。

昨日からのつながりで、まず、新聞各紙に載ったコラム等から。

最初は、11月10日(日)、『産経新聞』さんに載ったイラストレーターのみうらじ001ゅん氏の連載コラム「収集癖と発表癖」。サブタイトルが「菊人形 恐怖乗り越え仲間入り」。

みうら氏といえば、その仏像愛でも有名で、今年、開眼100周年を迎えた光太郎の父・光雲とその高弟・米原雲海による信州善光寺さんの仁王像等をめぐる「善光寺サミット」でも講師を務められました。

長いので全文は引用しませんが、幼児期から最近までの、菊人形を巡るみうら氏の体験等がユーモラスに語られています。

京都ご出身のみうら氏、幼稚園に通われていた頃、お母様たちに連れられて、初めて見た菊人形展で、リアルなその人形に恐怖を覚え、トラウマとなったそうです。なるほど、小さい子供にとっては恐ろしく見えるかもしれません。

しかし、長じて、「トラウマを再調査したくなって」、各地の菊人形展を積極的に見て歩いたそうです。


 角川映画『犬神家の一族』で菊人形が生首と変わるシーンを観(み)た時、原作者の横溝正史もたぶん幼い頃、僕と同じような体験をしたに違いないと思った。
 以来、トラウマを再調査したくなって、大阪の遊園地、ひらかたパークの『ひらかた大菊人形展』(現在は終了)や、福島県の『二本松の菊人形』の会場に足を運んだ。こんなカンジである(写真❷)。



 写真❸は、二本松の菊人形による『智恵子抄』の一幕。何とストーリー仕立てで、智恵子と夫である高村光太郎(当然、ご両人は体中に菊の花を差し、グラム・ロック・テイストで)舞台から迫(せ)り上がってくるという仕掛けだ。僕の驚きは恐怖からそのエンターテインメント性に移行し、釘付(くぎづ)けとなった。
 そして、“いつか僕も菊人形の仲間入りをしてみたい”とまで思ったのだが、NHK大河ドラマの出演経験もなく、まして高村光太郎のような偉人でもない僕にとってそんなチャンスは訪れるはずもない。

しかし、昨年、ご自身のイベント会場にご自身の菊人形を飾られたとのこと。素晴らしい「菊人形愛」です(笑)。

ちなみにみうら氏がご覧になった二本松の光太郎智恵子、平成6年(1994)のようです。二本松の菊人形、現在開催中ですが、最近は光太郎智恵子人形が出なくなってしまいましたので、このブログではご紹介していません。ぜひ復活させてほしいものです。

平成26年(2014)の光太郎智恵子。

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翌平成27年。この年は智恵子のみでした。



続いて、11月12日(火)の『読売新聞』さん。「時代の証言者」という連載で、001サブタイトルが「令和の心 万葉の旅 中西進19 比較文学 広がる視野」。新元号「令和」の考案者であらせられる国際日本文化研究センター名誉教授の中西進氏へのインタビューです。

これも長いので全文は引用しませんで、光太郎に関わる箇所のみ。

 そもそも日本文学とか中国文学とか生物学、天文学というのは、人間が勝手につくったジャンルで、古代の人は、漢籍どころか、中東の影響も受けながら、日々、自然を見つめ、天を眺め、生命の歌を歌っている。それをしっかり受け止めるには、広く世界のことを見つめなければならないと思います。
・春の苑(その)紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女(をとめ)
 これは万葉集を編纂(へんさん)した大伴家持(やかもち)の代表歌ですが、この歌は、聖書の「アダムとイブ」や中国の唐代に盛行した樹下美人図にも通じるところがあります。
《樹下に立つ女性を描く樹下美人図は、古代アジアでは広く行われ、唐代に流行した》
 現代では高村光太郎の詩「樹下の二人」にもつながります。このように古典の息吹を現代に伝えるには、幅広い目配りが大切です。


なるほど。

中西氏、ご専攻は比較文学ですので、まさにこういったお考えなのでしょう。言わずもがなですが、「樹下の二人」(大正12年=1923)は「あれが阿多多羅山/あの光るのが阿武隈川」のリフレインで有名な、智恵子の故郷・二本松を舞台とした詩です。


もう1件、同日の『毎日新聞』さん。

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デジタル版の記事は、もう少し長い内容でした。そして結びが「「時代の先端は福島のほんとの価値に気づいています」と左今さんが言った。 福島の名峰、安達太良(あだたら)山(1700メートル)の上に広がる美しい空を「 ほんとの空」と表現した詩人・高村光太郎の妻智恵子の言葉を想起させた。

これも「なるほど」と思わせられました。


続いて、安達太良山系のテレビ放送もご紹介しておきます。

にっぽんトレッキング100「満喫!紅葉ワンダーランド~安達太良山&磐梯山~」

NHK BSプレミアム 2019年11月20日(水)  21時00分~22時00分

今回の舞台は福島を代表する安達太良山と磐梯山。紅葉の名山としても知られる2つの山で秋を満喫!水と火山が生んだ絶景が錦秋の山々に彩られる様はまさにワンダーランド!
古くは万葉集にも歌われた安達太良山。いまが紅葉の真っ盛り。美しい渓谷沿いを歩けば、滝と紅葉との見事なコラボレーションが!歩いてしかいけない温泉の山小屋に泊り、絶景の稜線を堪能する。一方、300もの湖沼群が作り出す絶景が魅力の裏磐梯。神秘的な沼と紅葉がこの時期ならではの景観を生み出している。さらに磐梯山に登れば、火山が生み出す絶景の数々に遭遇!秋真っ盛り、火山と水と錦秋のトレッキングを満喫!

出演 大杉亜依里 一双麻希  語り渡部紗弓 大嶋貴志

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安達太良山。「令和」改元に伴って、『万葉集』という強力なライバルが出現してしまい(笑)、「『智恵子抄』に謳われた山」という枕詞が使われなくなってきましたが、「ほんとの空」的な紹介もしていただきたいものです。


それから、地上波テレビ朝日さんでは、安達太良山、智恵子の生家等でロケが行われた、伊東四朗さん、羽田美智子さん主演の「おかしな刑事~居眠り刑事とエリート警視の父娘捜査 東京タワーは見ていた!消えた少女の秘密・血痕が描く謎のルート!」の再放送があります。11/18(月)13:59~15:53です。

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ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

一般に仏像といへば、殆ど金ピカなるものであるが、清浄な白木の仏像の製作を亡父は思ひ立つたのである。

散文「父・光雲作の仏像」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

彩色を施さない白木の仏像。確かに寺院のご本尊などにはありませんね。古仏で彩色が剥げ、白木のように見えるものも、元々は極彩色だったわけで。

11月2日(土)、3日(日)と、1泊2日で福島と岩手を廻っておりました。

まずは智恵子の故郷・福島二本松。先月、二本松で開催された智恵子を偲ぶ「第25回レモン忌」にお邪魔した際、智恵子と同郷の日本画家の故・大山忠作画伯を顕彰する大山忠作美術館さんで開催中の「新五星山展」の招待状を、大山画伯のご息女で女優の一色采子さんから頂きまして、立ち寄ることに致しました。

ちなみに今回も公共交通機関で行きました。午前4時半に千葉の自宅兼事務所を出まして、二本松着が9時でした。この日は素晴らしい秋晴れ。二本松駅前の「あどけない話」(昭和3年=1928)の一節を刻んだ光太郎詩碑にも、まさしく「ほんとの空」が映っていました。
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光太郎の父・光雲の孫弟子に当たる彫刻家・橋本堅太郎氏の手になる智恵子像。「ほんとの空」の題名です。まさしく「ほんとの空」が背景に広がっていました。この像を写真に撮るには、朝の時間帯がいいようです。
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その背後にあるのが大山忠作美術館さん。
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この日の午後、一色さんと、福島県立美術館長の早川博明氏によるトークショーがあり、そちらも拝聴したかったのですが、次なる目的地・盛岡に行かねばならず、そちらは断念。また、当方が着いた時は開館時間前で、一色さんもまだお見えになっていませんでした。

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館のロビーから見た安達太良山。
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近くの小高い丘は紅葉に色づいていました。

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この奥が霞ヶ城。菊人形の会場です。

さて、開館時間となりました。
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「新五星山展」。名前に「山」のつく日本画の巨匠五人の作品を集めた展覧会です。五人すなわち横山大観、山口蓬春、杉山寧、横山操、そして大山画伯。「今回は」というのは、前回があったわけで、「新」がつかない「五星山展」が(東山魁夷、高山辰雄、平山郁夫、加山又造、大山忠作)平成25年(2013)に開催されています。

このうち、横山大観は東京美術学校で光雲や光太郎とも関わりがありました。『高村光太郎全集』にも、大観の名がたびたび表れます。

こちらが展示目録。
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大山画伯には智恵子をモチーフとした作品も複数有りますが、今回は展示されておらず(安達太良山を描いた「安達太良山(残照)」という作品はありました)、そちらは少し残念でしたが、日本画の大作をまとめてみるのは久々で新鮮でした。また、五人それぞれに近代の新しい日本画を創出しようという意気込みが感じられました。
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下記は、ミュージアムショップで購入した一筆箋とはがき箋。新商品のようで、初めて見ましたし、館のサイトにも掲載されていません。一筆箋の方は光太郎智恵子の後ろ姿、はがき箋は4種類のデザインのうち、智恵子生家をあしらったものもあります。早速使わせていただいています。

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「新五星山展」、今月17日までです。ぜひ足をお運び下さい。

この後、次なる目的地、岩手盛岡を目指し、再び電車に乗り込みました。以下、明日。

【折々のことば・光太郎】007 (2)

あれのアイデアというのは真正面から見ると二等辺三角形になつている。三角形の先端は空中に伸びていて向き合つた二人の乙女の像の真中辺に空間がある。この空間の面白さが群像の面白さで、何となしにわかる人は、そういうところを見ているからです。

講演筆録「視角で変る群像」より
昭和28年(1953) 光太郎71歳

智恵子の顔をもつ生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」に関し、その除幕式の二日後に青森市の野脇中学校で行われた講演で語った一節です。

同じ講演では、「三角形という形は何か無限性と関係があるようです」などとも述べています。



昨日から一泊二日で東北二県を回っております。

昨日は、智恵子の故郷・福島二本松。智恵子と同郷の日本画家の故・大山忠作画伯を顕彰する大山忠作美術館さんへ。
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その後、盛岡へ。旧岩手銀行赤レンガ館さんで展示中の光太郎遺品の毛布ーー世界的染色工芸作家・エセル・メレの作ーーを拝見、さらにそれに関わる講演を拝聴。

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さらに岩手県立美術館さんで、光太郎と交流のあった画家の深澤省三・紅子夫妻の展覧会「紅子と省三 絵かき夫婦の70年」を拝見。
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今日は花巻の大沢温泉さんに開設されたギャラリー茅(ちがや)、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎書の世界」を拝見するなどして帰ります。

詳しくは帰りましてからレポートいたします。

まず、現在発売中の『週刊新潮』さん2019年11月7日号。

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グラビアページで「「ほんとの空の下」の山小屋」という記事が3ページにわたって掲載されています。

智恵子の故郷、福島二本松に聳える安達太良山の山小屋「くろがね小屋」さんの紹介です。

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「ほんとの空」の語が使われる光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)も取り上げられています。ありがたし。


その二本松市の『広報にほんまつ』11月1日号。「第24回智恵子のふるさと小学生紙絵コンクール」の金賞受賞作品が紹介されています。

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5年生の部の作品は、智恵子の母校・油井小学校の児童さん。先輩・智恵子の生家をモチーフにして下さいました。

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背景の「ほんとの空」が実にいい色合いですね。


テレビ放映でも、「ほんとの空」系が。

秘湯ロマン #413 「福島県 岳温泉・土湯温泉」

テレ朝チャンネル2(CS) 2019年11月2日(土) 15時15分~15:40 

福島県の秘湯

岳温泉「ながめの館 光雲閣」
福島県・安達太良山麓に湧く秘湯・岳温泉。雪の山々をする一望する絶景のお湯には、不思議な魅力が。

あだたら山奥岳の湯
岳温泉の奥まったところ、周囲はスキー場という雪深い一画にある立ち寄り湯。お湯は少し熱めの42度。かつて高村光太郎が「ほんとの空」と詠った安達太良山の澄み切った空の下で絶景温泉を満喫します。岳温泉の源泉は標高1500メートルの山の中にあるため、温泉街まで8キロもの距離を「引き湯」されています。


土湯温泉「山水荘」
吾妻連峰に抱かれた土湯温泉では、かわいいこけしと、湯量豊富な広い風呂がお出迎え。


川上温泉
土湯温泉から、渓谷をさらに遡った山あいにあるのが、奥土湯の秘湯・川上温泉。創業400年を超える、趣のある純和風の老舗旅館です。「万人風呂」と名付けられた内湯は、縦10メートル、横4メートルという大きさ。露天風呂の脇に大きな洞窟があります。半分露天、半分洞窟ということで、その名も「半天岩窟風呂」と名付けられています。湯船は青森ヒバでできていて、宿のご主人によれば、木造りの露天風呂としては、県内有数の大きさだそうです。

出演 秦瑞穂


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昨年、地上波テレビ朝日さんで放映されたものの再放送だそうです。

基本、このブログではCS放送の番組はご紹介していませんが、今回はちょうど無料放映の日にあたっていますので、BSの受信設備が有れば視聴可能です。

テレビ放映といえば、安達太良山系ではありませんが、以下も。

まず、過日ご紹介したNHKさんの「ブラタモリ#146「草津温泉~最強の湯力とは?~」。先月オンエアの予定でしたが、台風関連の報道のため、明日に変更になっています。再放送は5日(火)23時50分~です。

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それから、同じく過日ご紹介したNHK Eテレさんで放映の「日曜美術館 わしがやらねばたれがやる~彫刻家・平櫛田中~」。再放送が3日(日)20時00分~です。


岡山県井原市の田中美術館さんで開催中の田中回顧展「没後40年 平櫛田中 美の軌跡」とのタイアップで、田中代表作の一つ、「鏡獅子」をメインに扱っています。


田中の師・光雲についても言及して下さいました。しかし、一昨年、テレビ東京さん系で放映された「美の巨人たち」でもそうでしたが、光雲の後ろに写っている学生服姿の光太郎についてはスルー(笑)。

ちなみに田中は明治39年(1906)に渡米する光太郎に、禅宗の教義書『無門関』を餞別に贈り、それは光太郎の座右の書ともなりました。

ロダンの影響や、「鏡獅子」以外の作品についても言及。


ビデオ出演を含め、ゲストも多彩でした。


メインコメンテーターは大分大学の田中修二教授。その他、当方もお世話になっております小平市平櫛田中彫刻美術館の藤井明学芸員、「鏡獅子」のモデルとなった六代目尾上菊五郎の曾孫・尾上右近さん、田中の弟子(つまり光雲の孫弟子)の橋本堅太郎氏。


橋本氏は、JR東北本線二本松駅前の智恵子像「ほんとの空」の004作者です。ここでほんとの空に話を戻すあたり、当方もなかなかやりますね(笑)。ちなみに明日から一泊でまた東北出張。この像も拝見して参ります。


さて、『週刊新潮』さん、それからご紹介したテレビ番組、それぞれぜひご覧下さい。



【折々のことば・光太郎】

私は彫刻こそ余り出品しませんが、詩歌の類を十数年来発表してゐて、今更批評をいやがる程初心でもないのです。作品を発表して批評を聞くのは褒貶共に面白いものであり、且つ素より自他双方の研究となります。

散文「小倉右一郎氏に」より 大正15年(1926) 光太郎44歳 

小倉右一郎は、光太郎と同じく東京美術学校卒の彫刻家。光太郎より2歳年長で、文展(文部省美術展覧会)審査員などを務めました。


その小倉が、光太郎の審査を伴う展覧会には出品しないという方針を皮肉った文章――自作を批評されるのを嫌がるケツの穴の小さい奴だ、的な――に対しての反論です。

新刊情報です

日本の名峰 DVD付きマガジン64紅葉色めく湯の山 安達太良山

2019年11月19日 DeAGOSTINI 定価917円+税


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山を愛するすべての人へ 臨場感あふれる映像で名峰に迫る 自然派ドキュメンタリー

秋、山がもっとも美しく着飾る季節。優美な稜線を引く、たおやかな山、安達太良山。錦秋を迎え、その女性的な美しさを際立たせる。

だが、その時は極めて短い。やがて訪れる厳冬期、深い雪と、吹きすさぶ風がこの山の姿を一変させる。

一面、白の世界となるこの山に、かつて冬山の厳しさと、幻想的な美しさを教えられた旅人。まだ知らぬ秋の風景を求めて、再び安達太良山を訪れた。


同じシリーズの44号、『雪煙舞う厳冬の安達太良山』が、今年初めに刊行されています。同じ山の号が刊行されるとは思っていなかったので、嬉しい誤算でした。


このシリーズ、平成25年(2013)から同27年(2015)にかけ、BS TBSさんで放映されていた「日本の名峰・絶景探訪」という登山番組とのタイアップで、同番組を収めたDVDが付録として毎号ついています。本誌の構成も、そのDVDに準じています。

確かにその番組では、平成26年(2014)に、#32雪煙舞う厳冬の安達太良山」、#58 「紅葉色めく湯の山 安達太良山」と、安達太良山が2回取り上げられました。44号は#32、そして今号は#58を元にしています。放映は2回とも、女優の春馬ゆかりさんがナビゲーター。そこで、上記解説に「かつて冬山の厳しさと、幻想的な美しさを教えられた旅人。まだ知らぬ秋の風景を求めて、再び安達太良山を訪れた」とあるわけです。


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あちこちに「高村光太郎」、「智恵子抄」、「ほんとの空」の文字。

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まさに季節としてもいい感じのネタですね。本誌と付録のDVDをご覧の上(上記発行日、奥付に従って11月19日としていますが、10月21日には発売になっています)、ぜひ足をお運び下さい。

ただ、安達太良山、決して易しい山ではありません。つい最近も高齢の方お二人が遭難、亡くなったそうで……。

【折々のことば・光太郎】

老成組は大方皆物欲しげに時代の皮相に照応するやうな主題を選んで小さく固まつて居り、中老組は従来の惰力で唯レイルをすべつて居り、青年組は何が何だかわからないかのやうにジヤズソングじみた無方位の浅さの中に精力を放散させてゐる。
 
散文「帝展彫刻の技術感――低調と混迷との現象――」より
昭和6年(1931) 光太郎49歳

官設展覧会の彫刻の部を評した一文ですが、彫刻に限らず、芸術界一般に対しての苦言にも読めます。

さらに深読みすれば、社会全体――国や地方公共団体、企業、学校、その他あらゆる組織が腐って行く構図のようにも読めます。

昨日のこのブログで、台風19号関連の話題を当会の祖・草野心平にからめてとりあげて下さった『神戸新聞』さんの一面コラムをご紹介しましたが、同様の趣旨で、光太郎智恵子の名を出して下さいました『北海道新聞』さんの一面コラムをご紹介します。

卓上四季 まずまずの災厄

000「あれが阿多多羅(あたたら)山 あの光るのが阿武隈川」。高村光太郎が詩集「智恵子抄」でうたった亡き妻の故郷は、福島県中部の町だった。その川は濁流と化し、堤を越えて家々をのみ込んだ▼台風19号で最も多くの犠牲者を出したのは、原発事故の傷なお癒えぬ福島県。海沿いのいわき市では、高齢で体の不自由な夫が寝室の浸水から脱出できず、握った妻の手を離れ冷たくなった。「長いこと、世話になったな」の言葉を残して▼そんな悲劇を招いた災害を「まずまずに収まった」と評価した安倍晋三政権の幹部がいる。発生当時はそういう状況だったと反論しているらしい。結果に責任を負うのが政治家というものだ。その鉄則を知らないとは言わせない▼自民党の二階俊博幹事長。衆院初当選時の田中派を離れて竹下派に合流。小沢一郎氏らと自民党を割って新生党を結成したが、新進、自由、保守の各党を経て自民党に戻った。政界を浮遊した末に今がある▼「まずまず」発言の後の言動も、フラフラと的外れだ。発言を撤回したかというと、「不適切であったと言っているのだから、それでいいんじゃないか」と、はっきりしない。被災地を訪問はしたが、被災者に謝罪したとの話は聞かれない▼「綸言(りんげん)汗の如(ごと)し」の例え通り、一度発せられた政治家の言葉は元に戻らない。そうした最低限の倫理も通じない今の政治の姿を、台風は暴き出した。2019・10・20


やはり阪神淡路大震災の神戸同様、平成28年(2016)の北海道豪雨や胆振東部地震などで被災した北海道。他人事ではないのでしょう。

逆に想像力の欠如した「まずまずの災厄」発言に対する当然の批判。御用新聞ではない地方紙の気概が感じられますね。わけのわからない輩に「つぶさなあかん」と云われてしまうかもしれませんが(笑)。

しかし、また台風接近の予報となっています。まぁ、当地もそうですが、被災地それぞれ、万全の準備をおこたりなく。


【折々のことば・光太郎】

其の芸術の自然淘汰は万能の「時」がしてくれる。国家は唯頗る親切な又慧眼な芸術的栽培者であればいい。

散文「帝展の彫刻について 二」より 大正14年(1925) 光太郎43歳


アカデミックな作品に埋め尽くされ、個性が感じられなかった帝展(帝国美術院展覧会)の評から。100年後の「表現不自由展」のことを予言しているようです。

頗る親切な又慧眼な」「国家」であってほしいものですが、いつの時代もそれは幻想なのでしょうか。

列島各地に大きな爪痕を残した台風19号。いまた被害の全容が見えないというのですから、恐ろしいと思います。被害の大きかった各地で、余波のようにイベントの中止なども起こっています。

光太郎と親交のあった、故・田口弘氏が教育長を務められていた埼玉県東松山市。田口氏はやはり光太郎顕彰に骨折ってくれた彫刻家の高田博厚とも親交を結び、光太郎胸像を含む高田の作品を野外に展示する彫刻プロムナードが整備されたり、鎌倉市にあった高田のアトリエにあった作品などが同市に寄贈されたりしました。過日ご紹介した現在開催中の「高田博厚展2019」では、寄贈を受けた作品などが展示されています。

その関連行事として、本日予定されていた、高田と親交があり、彫刻作品のモデルになった元NHKアナウンサーの室町澄子氏による特別講演会「一人のアナウンサーと彫刻家高田博厚」が中止になったそうです。

また、同市の名物イベント「日本スリーデーマーチ」。こちらも田口氏の奔走で、同市を会場に開催されるようになりましたが、やはり今年は中止とのこと。

とにかく今は被災された方々の生活再建が最優先ですので、仕方ありますまい。


ところで高田博厚といえば、台風関連とは別件ですが、高田の故郷・福井県の地方紙『福井新聞』さんで、高田がらみの記事を光太郎にからめて報じて下さっています。

「高田博厚」五感で鑑賞できるシート4種発表 福井大院生

 近代日本を代表する福井ゆかりの彫刻家、高田博厚(1900~87年)の世界観を楽しく学べる鑑賞シートを福井大の大学院生が創作し10月12日、福井市美術館で完成発表会が行われた。五感を使った鑑賞や彫刻の制作プロセスを探る学びなど興味関心に応じた4種類を用意した。

 高田は2~18歳の多感な時期を福井で過ごした。上京直後に出会った高村光太郎の影響で彫刻や翻訳に従事。渡仏後は文豪ロマン・ロランら知識人の輪に招き入れられ、才能を開花させた。

 福井市美術館は高田の作品群を常設展示している。鑑賞シートは、常設展を生涯学習の場として多くの世代に活用してもらおうと、美術館と福井大教育学部の濱口由美教授の研究室が連携し、美術教育を学ぶ大学院生が創作した。「学習のとびら」と銘打ち、▽物語▽レシピ▽哲学▽からだ―を各テーマとしている。

 発表会には学生や美術教員ら15人が集まり、シートを創作した福井大大学院2年の高橋葵彩さん、森下由唯さん、松宮史恵さんらが狙いや使い方を説明した。
 「物語のとびら」は、高田の作品を五感で観察して想像を膨らませ、一緒に美術館を訪れた仲間と考え合う。「哲学―」は、年表に示した福井での青少年時代や幅広い交友、名言を基に、高田の心情や大切にしたいものを考え書き込める。

 「レシピ―」は石膏(せっこう)で型を作り、ブロンズを流し込むなどの高田の制作工程をカード形式にした。「からだ―」は、手足のない胴体の像「トルソ」作品の「カテドラル」について、造形的特徴を捉えてポーズをまねる活動や、友だちを彫刻に見立ててポーズを指導する学びができる。

 学生3人は「楽しい仕掛けを通して作品の背景を読み解くことで高田に親近感を持ってほしい。親子やカップルで気軽に楽しく学んで美術の敷居をなくし、美術館そのものも身近に感じもらえれば」と話していた。

 鑑賞シートは常設展で配布し、美術館のホームページからもダウンロードできる。

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それから、台風関連に戻りますが、やはり地方紙『神戸新聞』さんが、当会の祖・草野心平を一面コラムで取り上げて下さいました。 心平の故郷・いわきを含め、福島県内各地も被害が尋常ではありませんでした。かつて阪神淡路大震災で甚大な被害を受けた神戸だけに「被災」には敏感なのでしょう。

正平調 2019・10・19

福島県いわき市生まれの詩人に草野心平さんがいる。日の光に輝く雪景色を見ては「きれいだねぇ」と言っていた母は、草野さんが小学生のときに亡くなった。母を詠んだ詩がある◆「生きたい・生きる」と題した詩の一節。〈私が憶えている母の最後の言葉。/(きれいだねぇ。)は。しかし不思議に。/自分に悲しみでなく勇気をくれる。〉。寂しさに凍える心を、温めてくれたのだろう◆台風19号の洪水にのまれたいわき市の86歳、関根治さんの最期を本紙が伝えていた。背の高さまで水かさが増した室内で同い年の妻の手を握り「長いこと世話になったな」、そう言いおいて沈んでいったという◆外に向かって助けを求めたし、119番もかけていた。2人して何としてでも生きたい。生きる。その一心だったに違いない。水をかきわけて妻のところにたどり着いたときにはもう、体力は残っていなかった◆宮城県の地元紙、河北新報に寄せられた歌を思い出す。〈手をつなぐことなく過ぎし六十二年その手をつなぎ外に逃れき〉(永澤よう子)。夫婦のことだろうか。詠まれたのは8年前、あの大震災の直後である◆東日本では大雨への警戒がつづく。心のなかで被災地とつないだ手。ぎゅっと力をこめ、きょう一日を過ごす。

「きれいだねぇ」と言える風景の再現のため、がんばりましょう。皆さん、がんばっているとは思いますが、でも、がんばりましょう、としか言えません。


【折々のことば・光太郎】

憎みの裏はすぐ愛で、まことの前に敵は無い。

散文「帝展の彫刻について 一」より 大正14年(1925) 光太郎43歳


何事にも本気で当たれ、ということです。同じ文章では「一番いけないのは、取りつくろつたいい加減、ぬけぬけしたづうづうしさ」とも書いています。

10月6日(日)、朝4:30に千葉の自宅兼事務所を出まして、1泊2日の東北周遊へ。

まずは前日が忌日だった智恵子を偲ぶ「第25回レモン忌」が開催される、智恵子の故郷・福島二本松。いつもは愛車を駆って馳せ参じていますが、今回はその日のうちに岩手花巻まで行く都合上、公共交通機関を利用しました。

会場は智恵子生家に近い、ラポートあだちさん。

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千葉を出た時はちょっとした雨でしたが、こちらは曇り空。かすかに雲間に青空がのぞいていました。

午前10時、開会。まずは第一部の開会行事。

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ステージ上の智恵子肖像に献花・献果。果実はもちろんレモンです。

参会者(40名ちょっと)全員で、光太郎詩「風にのる智恵子」を群読。

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主催されている智恵子の里レモン会、渡辺会長のご挨拶。

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渡辺会長、過日の千葉大停電の際には、お見舞いということで早々に二本松銘菓・玉嶋屋さんの羊羹をお送り下さり、当方、大感激でした。

レモン会さんが設立30周年ということで、その関係のお話も。

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全員で記念撮影をした後、第二部の記念講演。このブログにたびたびご登場いただいているテルミン奏者・大西ようこさんによる「もう一つの智恵子抄」。

音楽ユニット「ぷらイム」としてご一緒に活動されているギターの三谷郁夫氏とともに、演奏や掛け合い漫才のような楽しいトークを交え、しかし内容的には昭和16年(1941)のオリジナル『智恵子抄』をわかりやすく、しかも深く考察されたお話でした

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当方、お二人の背景のスクリーンに投影されるスライドショーの担当で、タブレットを操作しつつ拝聴しました。時折、次ぎに行くタイミングを間違え、怒られました(笑)。


第三部は昼食を頂きながらの懇親会。連翹忌スタイルで、スピーチが入ります。

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智恵子と同郷で、智恵子をモチーフにした作品も数多く遺した故・大山忠作画伯のご息女にして、女優の一色采子さん。二本松観光大使も務めていらっしゃいます。

お父様の作品を集めた二本松駅前の大山忠作美術館さんで、今週末から始まる「新五星山展」のPR。

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名前に「山」のつく五人の日本画家の作品を集めた展覧会です。今回は横山大観、山口蓬春、杉山寧、横山操、そして大山画伯。「今回は」というのは、前回があったわけで、「新」がつかない「五星山展」が(東山魁夷、高山辰雄、平山郁夫、加山又造、大山忠作)平成25年(2013)に開催されています。思えば一色さんとのお付き合いはここから始まりまして、もう五年経つか、という感じです。今回、一色さんがギャラリートークを務められるということで、来月初めにお伺いすることにしました。

スピーチの合間に一色さんといろいろお話させていただきました。渡辺えりさんと共演なさった昨年の舞台「喜劇 有頂天団地」の件、渡辺さん作の舞台「私の恋人」を拝見した際「一色さんによろしく」と伝言された件、それから今年5月の「第35回アイメイトチャリティーコンサート」の件、そして拝見・拝聴に伺うはずが愛車の故障で断念した先月の「にほんまつart fes」の件などなど。何と今回一色さんが二本松に来られる途中で愛車が故障ということで、難儀されたそうです(笑)。


書家の菊地雪渓氏。今年の連翹忌でもご披露いただきました、「智恵子抄」から六篇を書かれ、第38回日本教育書道藝術院同人書作展会長賞を受賞された書をご持参。

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仙台ご在住でたびたび「智恵子抄」を取り上げて下さっている朗読家・荒井真澄さん。

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このあと、荒井安達駅から仙台駅までご一緒させていただきました。普段は味気ない一人旅の当方が、すてきな女性と二人、夢のような時間でした(笑)。

最後に有志の方々が二本松のソウルソングである二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」(昭和39年=1964)を熱唱。

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来年の再開を約して閉会となりました。

参会後、レモン会の方が車を出して下さり、大西さんとそのご一行、荒井さんと共に智恵子の生家/智恵子記念館へ。

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この時期には、普段は非公開の智恵子の居室を含む2階部分、そして智恵子紙絵の複製でない実物が期間限定公開されています。

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2階にはなぜか顔ハメが(笑)。

さらに裏山の「愛の小径」へ。ここを訪れた光太郎を智恵子が案内して歩いたという証言が残されています。

稲荷八幡神社さんには、大正5年(1916)、帰省中だった智恵子の筆になる「熊野大神」碑。

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堂々とした書ですね。

光太郎詩「道程」(大正3年=1914)詩碑(「詩碑」というより光太郎詩をモチーフにしたオブジェ、という感じですが)、さらに「樹下の二人」(大正12年=1923)詩碑。

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さらに展望台まで足をのばし、「あれが阿多多羅山」、「あの光るのが阿武隈川」、智恵子生家、そして「ほんとの空」などを展望。
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その後、レモン会の方に安達駅まで送り届けていただき、鉄路を乗り継いで花巻へ。花巻篇は明日、レポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

常に物の中心を掴む事、むしろ常に物の中心を掴まうとする内心の生活、此が大切なのだ。此所からいろんな貴重なものが発足するのだ、此所を発足点にしないと、千差万別の途に迷ふ事となる。

散文「所謂好趣味の人たる勿れ」より 大正6年(1917) 光太郎35歳

ここで光太郎が否定しているのは、外面的な観察、半端な知識の摂取に終始することです。

3件ご紹介します。

まず、『福井新聞』さんの一面コラム。

【越山若水】

「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」。詩人の高村光太郎の代表作「道程」である。偉大な彫刻家の父・光雲から独立し、わが道を切り開く決意を高らかに宣言している▼ロダンの「考える人」に衝撃を受けた光太郎は、自然こそが美の根源という考えに傾倒。芸術家としての自立を誓う。ただ不安は消えず、自然を父親に見立て懇願する。「僕から目を離さないで守る事をせよ/常に父の気魄(きはく)を僕に充(み)たせよ/この遠い道程のために」▼敷かれたレールの上を歩くのでなく、前例のないことに挑戦するのは勇気がいる。彫刻「手」や詩集「智恵子抄」で名をなした光太郎でさえ、自身を鼓舞するほどの緊張心。学業にしろ、仕事にしろ、新たな一歩を踏み出すとき、ぜひ声に出して読みたい詩文である▼教育学者、齋藤孝さんの「日本人のすごい名言」(アスコム)を参考にしたが、では、安倍内閣の注目株・小泉進次郎環境相の思いはどうだろう。原子力防災担当相を兼務し、父親は「脱原発」を主張する純一郎元首相だ▼きのうは福島第1原発を初めて訪問。汚染土を搬入する中間貯蔵施設を視察した。ただ就任後には場違いな発言や答弁も見受けられた。関西電力の金品受領問題もあって、原発への注目度は高まっている。親の威光に頼ることなく、小泉氏が自らの「道程」をどう歩むのか、お手並み拝見したい。

話題作りのための入閣で終わるのか、原発問題に鋭くメスを入れてくれるのか、まさに「お手並み拝見」という気分です。


続いて、『福島民報』さん。

山肌覆う秋の装い 安達太良山・二本松

 日本百名山の安達太良山(標高一、七〇〇メートル)は上部で紅葉が進んだ。山肌の木々が赤や黄、茶色に染まり、鮮やかなコントラストを描いている。二本松市出身の洋画家・高村智恵子が愛した「ほんとの空」の下、秋のモザイクが映える。
 連日、大勢の登山者が訪れている。二本松市の奥岳登山口からロープウェイで八合目の薬師岳に登ることができる。降りてからは、一面に広がる錦絵のような景色を楽しみながら山頂を目指す。
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同じ件で、福島テレビさん。

10月3日は「登山の日」 錦秋の安達太良山を楽しむ <福島県> 

秋の訪れとともに鮮やかな彩りをまとうのは標高1700mの安達太良山。
10月3日は語呂合わせで「登山の日」。
「ほんとうの空」の下、美しい紅葉が登山客を出迎えた。

10月3日、午前9時。
ロープウェイ乗り場にはすでに多くの登山客が訪れていた。
ロープウェイに乗り込み山頂を目指す。

眼下に広がる緑は標高が高くなるにつれ、徐々に秋の装いに。
息を弾ませ勾配のある山道を進めば…赤や黄色に染まる木々が一面に広がる。

美しい紅葉を眺めながらしばしの休憩。

登山客:「まだ関東とか紅葉の時期には早いのでいいですね」

美しい紅葉を満喫し、登頂の喜びをかみしめた登山客。
安達太良山の紅葉は10月下旬まで見ごろでさらに多くの人でにぎわいそうだ。
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智恵子の愛した「ほんとの空」、ぜひ現地で御覧下さい。

当方、本日行われる智恵子を偲ぶ「レモン忌」出席のため、これから二本松に行って参ります。さらに今日の夜には花巻に移動し、明日は市民講座の講師です。天気が心配ですが……。究極の雨男・光太郎の魂を背負って歩いていますので、当方も行く先々で雨、雨、雨です(笑)。


【折々のことば・光太郎】

自然な人の頭に安定を感ぜしめるものは、理法に適つた所がある。そこを是等のものの美の根本としてかからなければ、凡てのことが枝葉に分れて終ふ。
散文「家具及住宅の美」より 大正6年(1917) 光太郎35歳

建築に関する評論の一節です。いわゆる「用の美」を説き、適度な趣味のいい装飾の必要性も語られています。

早々にご案内をいただいていたのですが、失念していました(汗)。

FUKUSHIMA DAISUKI MOMO CONCERT 2019

期  日 : 2019年10月6日(日) 10月10日(木)
会  場 : 10/6 
古関裕而記念館 福島県福島市入江町1-1
       10/10  二本松市民交流センター  福島県二本松市本町二丁目3番地1
時  間 : 両日とも18:00開場 18:30開演
料  金 : 10/6 前売り2,000円/当日2,300円   10/10 前売り1,500円/当日2,000円
出  演 : 10/6 モンデンモモ(歌) 砂原DOLCE嘉博(pf) 古関メロディーを歌う会
       10/10  モンデンモモ(歌) 増田真也(ダンス)

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光太郎の詩や自作の歌詞にオリジナルの曲をつけて歌われている、シャンソン系歌手のモンデンモモさんのコンサートです。今年の5月にも二本松の智恵子生家近くにある鐵扇屋さんというところでコンサートを開かれました。

2日間のツアーだそうで、両日とも歌われる歌はほぼ同一のようですが、構成的には異なるようですし、モモさん以外の出演の方も違いがあります。

ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

人が自分や又敬愛する人達の姿を、永遠に残して置きたいと思ふのも一種の欲望であつて、この欲望は人から永久に消えることのない欲望であらうと思ふ。
談話筆記「肖像に就いて」より 大正6年(1917) 光太郎35歳

そこで、肖像彫刻という分野が発達した、という話の展開になるわけです。

ただし「敬愛する人達の姿を、永遠に残して置きたい」と考えると、その方法は何も肖像彫刻に限らないわけで、絵画でも写真でもそれは可能だ、と光太郎は言っています。

もっと広く考えれば、あらゆる芸術でそうしたアプローチが可能でしょう。演劇で、小説で、詩歌で、舞踊で、そしてモモさんのように音楽で、と。

明日、10月5日は智恵子の命日・「レモンの日」です。偲ぶ集い「レモン忌」は明後日、智恵子の故郷、福島二本松のラポートあだちさんで開催されます。

さて、二本松で智恵子の顕彰活動を進めている智恵子のまち夢くらぶさん主催の講座です。

智恵子講座2019

期  日 : 2019年10月14日(月・祝) 11月17日(日) 12月15日(日)
会  場 : 福島県男女共生センター 福島県二本松市郭内一丁目196-1
参加費 : 全4回 4,000円 1回のみ1,000円
申  込 : 智恵子のまち夢くらぶ 熊谷 0243-23-6743
内容等 : テーマ「高村智恵子の言葉を読み解く」
10/14 10:00~12:00 第1回講座 講師 木戸多美子さん(詩人)
11/17 10:00~12:00 第2回講座 講師 坂本富江さん(太平洋美術研究所 高村光太郎研究会)
    午後「智恵子のまち夢くらぶ発会15周年記念祝賀会・
好きです智恵子純愛通り発表コンサート」
12/15 10:00~15:30 第3回講座 講師 澤正宏さん(福島大学名誉教授)
            午後は第4回講座「参加者による智恵子を語るつどい」

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昨年は智恵子没後80周年だったということで、講座ではなく記念事業として「智恵子検定 チャレンジ! 智恵子についての50問」、「全国『智恵子抄』朗読大会」、「智恵子カフェ」が開催されまして、講座としては一昨年以来の2年ぶりの開催。講師陣、以前の智恵子講座でもお馴染みの皆さんです。

智恵子ファン、光太郎ファンの皆さん、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

綺麗な絵や、うまいところを描いた絵が必ずしも悪いばかりだとは云はないが、綺麗であつたり、道具建てばかりうまくとも、内容が現はされてゐない絵には決して味がない。

談話筆記「絵を買ふ人に」より 大正5年(1916) 光太郎34歳

絵に限らずすべての芸術に当てはまることがらですね。

智恵子を偲ぶ「レモン忌」。第25回となり、今年も智恵子の故郷・二本松市(旧安達町)で開催されます。智恵子命日「レモンの日」は前日の5日ですが、そこに最も近い日曜日、という設定で開催されています。

第25回レモン忌

期   日 : 2019年10月6日(日)
会   場 : ラポートあだち 福島県二本松市油井字濡石16
時   間 : 10:00~14:00
料   金 : 3,000円
問い合わせ : 戸田屋商店 0243-23-4858


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過去の様子はこちら。

第24回(2018年)

例年通りですと、午前中に献花、献果(レモン)、参会者全員での詩の朗読などの式典、記念講演、正午頃から昼食を兼ねての懇親会というパターンです。

今年の記念講演は、テルミン奏者の大西ようこさん。

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筋金入りの智恵子ファンで、これまでに連翹忌レモン忌で演奏を披露して下さったり、各地で光太郎智恵子をモチーフとしたコンサート等を開催なさったりしています。

「朗読とテルミンで綴る 智恵子抄」。
「テルミンと語りで紡ぐ愛の物語り智恵子抄」。


ご興味のおありの方、ぜひどうぞ。

また、会場から徒歩10分ほどの智恵子生家では、普段非公開の2階部分の特別公開、隣接する智恵子記念館では智恵子紙絵の実物展示(通常時は複製)が行われています。レモン忌参加者は入場無料です。併せてどうぞ。

ちなみに当方、昨年に引き続き、パワーポイント担当です(笑)。

ついでにご紹介しますが、翌日、10月7日(月)は、光太郎第二の故郷・花巻と、隣接する北上市を巡る市民講座の講師です。タイトルが「詩と林檎のかおりを求めて 小山先生と訪ねる碑めぐり」(笑)。

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花巻・北上の光太郎がらみの石碑廻りのバスツアーです。対象が花巻市内ご在住かご勤務の方ということで、特にこのブログではご紹介しませんでした。

詳しくは終了後にレポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

紐育で厭な感じを受け、倫敦で余りに呆気なき広告を見た目で巴里の市街を見ると、恰も眠より醒めた様な感がある。広告の総て面白く綺麗に出来て居るので、広告を見て歩いても面白い。

談話筆記「巴里式屋外広告」より 明治43年(1910) 光太郎28歳

『読売新聞』に載った、3年半にわたる留学から帰国した翌年の、屋外広告に関するインタビュー記事です。ニューヨークは「コテコテ広告がしてあ」って、「滅茶苦茶で、恰も日本と同様」、「配合(とりあはせ)が俗悪な為に悪い感じを与へる」。ロンドンは「驚く可(べき)地味」、「余りにヂミな為に是で広告の効力があるかと疑はれる位」。そして上記のパリへとつながります。なるほど、パリではロートレックやミュシャの手になる美しいポスターが街を飾っていました。

日本を含め、100年経ってもそれぞれの国の様子はあまり変わっていないような気がします。

昨日の朝、停電が起こりまして、未だに復旧しておりません。そこで今日もスマホからの投稿です。

停電前に入手しました資料をご紹介します。

JR 東日本さんの車内誌、『トランヴェール』。新幹線等の座席に備え付けのフリーペーパーです。どなた様も一度は眼にされたことがおありでしょう。フリーペーパーと侮るなかれ、なかなか充実の内容が毎号目白押しですね。

今月号は「武田勝頼、埋もれた英雄の真実」という特集がメインですが、巻頭の作家・沢木耕太郎氏によるエッセイ「旅のつばくろ」で、二本松および岳温泉が取り上げられています。

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在来線の東北本線の二本松で降りると、駅前には智恵子の像が建っている。そう、あの高村光太郎が、安達太良山の上に毎日出ている青い空が智恵子のほんとの空だという、と詠った妻の智恵子の像だ。

この像は光太郎の父・光雲の孫弟子にあたる橋本堅太郎氏の作で、「ほんとの空」と題されているものです。紙面にはその画像も大きく掲載されています。

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ただ、像の紹介は話の枕で、この後は岳温泉の話となります。それにしても智恵子像「ほんとの空」の写真を大きく載せてくださったのは有難い限りです。

それから後ろの方の「地・温泉」というコーナーでは、戦後の花巻郊外旧太田村で暮らしていた光太郎がよく訪れた大沢温泉さんが取り上げられています。光太郎には触れられていませんが。

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さて、『トランヴェール』、JR 東日本管内で新幹線などに乗られる方はぜひお持ち帰りください。当方はネットオークションで入手しました。そういう手もありますので、ご参考までに。

台風15号の影響で、千葉県では停電が続いています。

自宅兼事務所は今朝の6時台から停電で、12時間以上たった現在も復旧していません。そこでパソコンが使えないためスマホから投稿します。ブログ移転後初です。パソコンと勝手が違い、悪戦苦闘しています(笑)。とりあえず投稿だけはしておいて、あとで直します。

地方紙『福島民報』さんの記事から。


「アートフェス」多彩に 二本松で9日まで

 芸術で二本松市を盛り上げる「にほんまつアートフェス」は七日、市内で始まった。九日まで多彩なイベントを繰り広げる。
 にほんまつDMOの主催。初日は市コンサートホールで舞踊や朗読が行われた。福島市出身の舞踊家・二瓶野枝さんが「智恵子抄」をテーマにコンテンポラリーダンスを披露し、二本松市ゆかりの女優・一色采子さんが詩を朗読した。続いて一色さんが朗読する「黒塚」に合わせて二瓶さんが舞った。安達ケ原の鬼婆(おにばば)伝説を独自の解釈で演じた。圧巻の舞台が観衆を魅了した。


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今日の停電もそうですが、この日もトラブルに見舞われ、拝見に伺うはずが、行けませんでした。愛車が高速道路走行中にエンジントラブルを起こし、走行不能に。JAF さんに電話して助けを求めたところ、提携している修理工場の方が駆けつけてくださり、現場は茨城県の高萩市だったのですが、潮来市の当方なじみの修理工場まで愛車ごと運んでくださいました。その点は非常にありがたかったのですが、一色さんには申し訳ない気持ちでいっぱいですし、当方自身楽しみにしていたので残念です。

それにしても、送り届けてくださったJAF さん提携工場の方には感謝感激でした。またまた感謝感激させていただきますので、電力会社の方、停電の復旧をよろしくお願いいたします。


まとまりませんが、慣れないスマホからの投稿、とりあえずこの辺で。

智恵子の故郷・福島二本松がらみで2件。

まずは『広報にほんまつ』さんの今月号から。

智恵子の生家・記念館からのお知らせ 智恵子の生家2階特別公開

 9月7日~11月17日の土日祝日の27日間実施します。ぜひ、足をお運びいただき、当時智恵子が暮らした旧長沼家の雰囲気を堪能して下さい。
 来場者が多い場合には、皆様に安全で安心して観覧していただくため、人数制限をさせていただく場合があります。
 また、9月5日から11月19日までの期間は奇跡といわれる「紙絵」の”実物”展示をいたしますので併せてご覧下さい。

開館時間 9:00~16:30(入館は16:00まで)
入館料金 大人(高校生以上)個人:410円 団体:360円
     子ども(小・中学生)個人:200円 団体:150円
休 館 日  水曜日
菊人形まつり期間中(10月5日~11月17日)は、無休で開館します。


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毎年、春と秋に同様の機会が設けられています。昨年までは「福島ビエンナーレ重陽の芸術祭」とのコラボで、現代アート作品の展示などがあったのですが、今年はそういう情報は入っていません。

どうもビエンナーレ自体が終了したようです。その代わりに、というわけでもないのでしょうが、「にほんまつArt Fes」が新たに始まり、当方、明日、早速行って参ります。


もう1件、都内でのイベント情報です。

福島圏域合同移住セミナー

期 日 : 2019年9月14日(土)
時 間 : 午後1時から午後4時30分
会 場 : 東京交通会館グリーンルーム 東京都千代田区有楽町2丁目10-1

就業して自然豊かな地域に住みたい!地方にはない業種で起業してみたい! 農業を主として半農半Xしてみたいなどなど・・・・

今回のセミナーでは、5人の先輩移住者がご自身の経験をトークセッションで赤裸々にお話しし、移住に関する成功談や失敗談などなど貴重な情報が満載です。「移住に興味はあるけれど・・・」と迷っているみなさん、先輩移住者の話を聞いて、理想の移住をイメージしてみましょう!

参加費は無料です!みなさんのご参加を心よりお待ちしております!!

参加は原則申込が必要ですが、当日の参加でもOK!詳しい内容については、下記及びチラシをご覧いただき、ご不明な点はお気軽に事務局(福島市定住交流課)へお問い合わせください!

ほんとの空の下で「第2のふるさと」つくりませんか

福島圏域:福島市、伊達市、桑折町、国見町、川俣町、飯舘村、宮城県白石市、二本松市、本宮市、大玉村)

プログラム(予定)
(1)セミナー開始 午後1時
(2)トークセッション【第1部】 午後1時40分
(3)トークセッション【第2部】 午後3時
(4)セミナー終了 午後4時30分
(5)各自治体個別相談  午後1時から午後4時30分

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「ほんとの空」の語を使われてしまっては紹介しないわけにはいきませんで(笑)。そういえば、今年6月に開催された「二本松市田舎暮らし体験ツアー」でも「ほんとの空」の語を使って宣伝していました。

原発事故による風評被害、二本松などの中通りではかなりおさまったやに聞きますが、原発のあった浜通りは帰還困難区域も残り、まだまだです。真に「ほんとの空」が取り戻されるまで、福島の皆さん、がんばって下さい!


【折々のことば・光太郎】

何もかもうつくしい このビイルの泡の奮檄も 又其を飲むおれのこころの悲しさも

詩「カフエ ライオンにて」より 大正2年(1913) 光太郎31歳

「何もかもうつくしい」福島を取り戻してほしいものです。

昨日に続き、福島ネタで。智恵子の故郷・二本松で開催されるイベント情報です。

にほんまつArt Fes

期 日 : 2019年9月7日(土)~9日(月)
会 場 : 二本松市コンサートホール 道の駅「安達」(下り線)
      霞ヶ城公園 本丸跡 二本松市市民交流センター

 二本松市では9月7日(土)~9日(月)の3日間、「にほんまつ Art Fes」が開催されます。
 アートを切り口にコンテンポラリーダンス、朗読、彫刻ライブなど二本松の素晴らしさを味わえるアートフェスが開催されます。
 芸術の秋にぴったりのイベントですので、ぜひご家族連れでお越しください。

プログラム

 「妖艶 Bewitching」
  9月7日(土) 二本松市コンサートホール 15:00~17:00 入場料¥2,000
   第一部 コンテンポラリーダンス「あどけない話」 ダンス 二瓶野枝
   第二部 朗読「智恵子抄」 朗読 一色采子  ピアノ 田中健
   第三部 共演「黒塚」
   第四部 トークショー 一色采子&二瓶野枝

 いっしょに作ろう! 参加型イベント
  9月8日(日) 
道の駅「安達」(下り線) 11:00~16:00
  ワンコインワークショップ/橋本仏具彫刻店・アーティスト橋本和成による彫刻ライブ

 菊松くんのお誕生日を、お祝いしよう! 日本酒で乾杯
  9月9日(月) 
霞ヶ城公園 本丸跡 13:00~

 ざくざく汁振る舞い&出発式!
  9月9日(月) 二本松市市民交流センター 18:00~

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9月7日(土)、コンサートホールさんで開催の「妖艶 Bewitching」では、お父様が同市ご出身の日本画家、故・大山忠作画伯であらせられ、ご自身も観光大使を務められている一色采子さん、そして福島ご出身のダンサー、二瓶野枝さんのご共演。お二人は一昨年、智恵子生家で開催された「智恵子・レモン忌 あいのうた」でもご共演なさいまして、当方、拝見いたしました。とても幻想的な雰囲気でした。

チラシの記載が誤っているそうで、ピアノの田中健氏、一色さんの朗読の際に演奏なさるとのこと。今年5月、サントリーホールで開催された「第35回アイメイトチャリティーコンサート」でも、一色さんとコラボなさっていますので、その際と同様の感じになるのかな、と思っております。

地元紙二紙で告知の記事が出ています。

まず『福島民友』さん。

【二本松】秋彩るアーティスト集う 9月7日から二本松でフェス

 「にほんまつ Art Fes」は9月7日から3日間、二本松市内で開かれる。ダンスから朗読、彫刻まで文化、芸術分野の実力者が顔をそろえて熱い舞台、ライブを繰り広げ、文化の秋を彩る。にほんまつDMOの主催。
 「妖艶」と銘打たれた初日は市コンサートホールで、コンテンポラリーダンス、朗読などが披露される。ダンスを踊るのは福島市出身の舞踊家二瓶野枝さんで、「あどけない話」と題して声楽、オペラ、歌曲、合唱の共演ピアニストとして著名な田中健さんのピアノをバックに情感あふれる舞台を繰り広げる。
 朗読では女優で、二本松市観光大使の一色采子さんが美しく響き渡る声で「智恵子抄」を読み上げる。「黒塚」の舞台、トークショーも予定されている。時間は午後3時からで、入場料2千円。
 8日は会場を道の駅「安達」下り線に会場を移し、明治時代から続き、木彫りと漆塗りの技術を守る同市の橋本仏具彫刻店木彫刻師5代目橋本和成さんがアーティストとしてライブでの彫刻制作に臨む。来場者誰もが参加できるワンコイン・ワークショップも行われる。
 最終日は霞ケ城公園などで市の観光マスコット「菊松くん」の誕生日を祝い、日本酒を絡めたイベントが行われる。問い合わせはにほんまつDMO(電話0243・22・0785)へ。


続いて『福島民報』さん。

感性豊かな初秋いかが にほんまつArtFes 9月7日から

 舞台や彫刻ライブなど芸術で二本松を盛り上げる「にほんまつArt Fes」は9月7日から9日まで、二本松市内で開かれる。にほんまつDMOの主催。
 七日は、市コンサートホールで「妖艶」をテーマに、コンテンポラリーダンスや智恵子抄の朗読などが披露される。ダンスは福島市出身の舞踊家・二瓶野枝さんが、朗読は女優で二本松市観光大使の一色采子さんが出演する。「黒塚」の舞台やトークショーなども催される。時間は午後三時から午後五時まで。入場料は二千円。
 八日は、道の駅安達下り線でワンコインワークショップなど参加型のイベントが繰り広げられる。明治時代から続く、木彫りと漆塗りの技術を守る橋本仏具彫刻店の木彫刻師五代目・橋本和成さんによる彫刻ライブが見どころ。
 九日は、午後一時から霞ケ城公園本丸跡で市観光マスコット「菊松くん」の誕生日を祝って日本酒で乾杯する。午後六時からは市民交流センターで郷土料理「ざくざく汁」の振る舞いを実施する。


ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

私は此を訳しながらフアン ゴツホの精神に打たれたて幾度か筆を措いた。味へば味ふほど深い彼の心は凡ての人に向かつて一の消ゆる事無き天の火となるであらう。

雑纂「訳書『回想のゴツホ』序文」より 大正10年(1921) 光太郎39歳

『回想のゴツホ』は、フィンセント・ファン・ゴッホの妹、エリザベットによるゴッホ評伝です。

味へば味ふほど深い彼の心は凡ての人に向かつて一の消ゆる事無き天の火となる」。光太郎さん、あなたの詩文が(一部を除いて)そうですよ、と言いたくなります(笑)。

光太郎の書が出ます。

種徳美術館名品展後期展示

期 日 : 2019年9月4日(水)~10月27日(日)
時 間 : 9:00~17:00
会 場 : 種徳美術館 福島県伊達郡桑折町字陣屋12番地
料 金 : 一般・大学生 200円 高校生 100円 小中学生 50円 (団体 20名以上で2割引)
休館日 : 月曜日(月曜日が祝祭日の場合は火曜日)

7月からは、企画展【名品展】と題し、前期と後期に分けて、当館所蔵作品の中から選りすぐりの名品の数々を展示いたします。

前期後期共通して展示されるおすすめ作品には、
●江戸時代にはどんな仕事があったのか??
当時の職人たちのはたらく姿が12職種、12枚の画帖に生き生きと描かれた(伝)狩野吉信(かのうよしのぶ)「職人尽絵」画帖(一帖十二図)や、
●宮城県出身で仙台藩御用絵師だった東 東洋(あずまとうよう)が、君主・伊達斉宗の命を受け、2年の歳月をかけて描かれた色彩鮮やかな金屏風の大作「羅人物舞楽図」屏風(六曲一双)など。楽隊一人一人の表情も個性豊かに描かれており、もしかすると自分や家族、友人に似ている人がいるかも?!ぜひ間近でこの迫力を体感してください。
ほかにも……●蠣崎波響-熊坂適山-菅原白龍 ●田崎早雲-小室翠雲 ●田能村竹田-田能村直入などの師弟作品も並ぶので、それらを見比べるのもまた一興です。

後期のみどころ
亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)【作品名】七里ヶ浜 (洋画額装 県指定文化財)
勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟、幕末三舟の書作品
他にも、明治期に半田銀山の経営に携わった五代友厚の書画、明治から昭和期に活躍した高村光太郎や高浜虚子の作品がならぶ。

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光太郎書作品は、短歌「吾山に 流れてやまぬ 山水の やみがたくして 道はゆくなり」が揮毫されたものとのこと。色紙なのか幅なのか短冊なのか、不明です。

短歌自体は昭和24年(1949)頃の作。花巻郊外太田村での山居生活に題を採っています。複数の揮毫が存在することが確認されているので、そのうちの一点なのでしょう。また、歌句の文言も、「道はゆくなり」が「この道はゆく」、「あしき詩を書く」などとなっている異稿も存在します。

会期中に智恵子の故郷・二本松に行く機会がありますので、こちらにも足を伸ばすつもりでおります。観て参りましたらレポートいたします。

【折々のことば・光太郎】

此を読んで詩的でないと言つてくれた人もあつたが、其の非難はむしろ私の喜とするところである。所謂詩的な詩や文章ほど私の嫌忌するものはないからである。ロダンの書いたものも、内に詩は溢れてゐるが詩的な外装は持つてゐないと思ふ。

雑纂「『続ロダンの言葉』序」より 大正9年(1920) 光太郎38歳

確かに空疎な美辞麗句の羅列は光太郎の忌避するところでした。翻訳に於いてもそれは同様で、一見、ぶっきらぼうな訳です。しかし、生硬というわけでもなく、原著者の意をよく汲んだ上で、口語体の持つ自然な感じを生かした訳となっています。

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