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智恵子の故郷・福島二本松に、現在の二本松工業高校さんと安達東高校さんが統合して今春開校する二本松実業高校さん。

昨年十二月には新しい校歌の歌詞等が発表され、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空に」の語が4番まですべての結句に使われることになりました。現在の二本松工業高校さん、安達東高校さん両校の生徒さんから校歌に入れてほしい言葉を募り、両校の先生方で作る校歌制作委員会が作詞されたとのことです。作曲は、福島ともゆかりの大友良英氏。神奈川ご出身の同氏ですが、10代の頃、福島市で過ごされ、福島県立福島高等学校さんを卒業されているそうです。
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先月末、4月の開校式で披露するため、大友氏御指導のもと、校歌のレコーディングが為されたことが報道されました。

地元紙『福島民友』さん。なぜか2件の記事が出ていました。全県版と中通り版というところでしょうか。残念ながらどちらにも「ほんとの空」の語は入っていませんでしたが。

大友良英さんが指導、新校歌を録音 4月開校の二本松実高

 二本松工高、安達東高の両校生徒らは31日、二本松市で、2校が統合して4月に開校する二本松実業高の校歌を録音した。
 録音には生徒34人と、作曲した福島市ゆかりの音楽家大友良英さん、大友さんの楽曲の録音を担当しているエンジニア中村茂樹さんが参加。生徒は大友さんの指導を受けながら力強い歌声を響かせた。
 参加した安達東3年の結城南海さんは「歌詞に学校の近くの名所や通学路が入っているので、後輩たちに情景を思い浮かべながら歌ってほしい」と話した。録音した校歌は4月の開校式で披露される。
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心に残る歌詞と曲調 新設二本松実高の校歌、生徒34人録音に参加

 1月31日に二本松市民会館で行われた二本松実高の校歌の録音では、統合する二本松工と安達東の両校生徒が一緒に新校歌を歌い交流した。
 歌詞は生徒から取り入れてほしい言葉を募り、両校の教員でつくる校歌制作委員会が作った。「光」や「創ろう」など前向きな言葉が登場し、未来に向けた明るい内容に仕上げた。作曲は福島市ゆかりの音楽家大友良英さんが手がけ、歌詞に合わせた明るいポップスのような曲調で、親しみやすく、歌いやすいメロディーにした。大友さんは「卒業後も心に残るメロディーだと思う」と話した。
 録音では、生徒34人が大友さんの指導の下、何度も大きな声で歌い上げた。参加した安達東1年の渡辺拓実さんは「安達東の校歌を歌えなくなるのは寂しいが、それ以上に新しい校歌を歌えることにわくわくする」と話し、二本松工2年の藤井まなかさんは「ずっと残る校歌の録音に参加できてうれしい。統合して新しい友達ができるのが楽しみ」と笑顔を見せた。
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愛される校歌として歌い継がれてほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

出発の歳は御見送り被下難有存じ候。 太平洋の嵐と「ロツキー」山の雪を見て二月廿七日に無事紐育へ着きました。其日早速美術館へ参り聊か驚きました。

明治39年(1906)3月5日 川崎安宛書簡より 光太郎24歳

3年半にわたる海外留学、最初の目的地であるニューヨーク到着を知らせる手紙です。「美術館」はメトロポリタン美術館でしょうか。

一昨日の『福島民報』さんから。光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を使って下さいました。

心地よい光探る 光の在り方の研究拠点完成 福島県二本松市 照明デザイナー東海林さん建設

 福島県二本松市の安達太良高原に、人の心を優しく包む光の在り方を研究する拠点が完成した。福島市出身の照明デザイナー・東海林弘靖さん(64)=東京都=が自然の光を存分に取り入れられる景観にほれ込んで建てた。太陽や月、星が照らし出す自然の移り変わりを体感し、データ化して分析する。2025年の大阪・関西万博の照明デザインを手がける東海林さん。古里の「ほんとの空」から本当に心地よい光を見つけ出し、世界に伝える。
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安達太良高原に完成した光の観測拠点と東海林さん

 新型コロナウイルス感染拡大の影響でリモートワークを進めていた2020(令和2)年、母が暮らしている県内に仕事の拠点を作ろうと考えた。子どものころに福島市でホタルを追った記憶、ほの暗いかやぶき建築の風景などを胸に、「空」をキーワードに適地を探した。伸びやかな空が広がり、自然光にあふれる安達太良高原に決めた。魅力的な温泉にも引かれた。
 完成した施設は鉄筋コンクリート造りの高床式平屋で延べ床面積は37平方㍍。二本松市岳東町の標高585㍍の地点にある。縦2・4㍍、横3・2㍍の大きなガラス窓からは安達太良の山並みが一幅の絵画のように見える。室内の浴槽には月の光を映すことができ、まきストーブを置いて炎のゆらぎも人の心に響く光として捉える。
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安達太良高原の自然光の移り変わりを体感できる室内

 外壁の東西南北と空の計5方向に向けて照度の計測装置を取り付けた。明るさの推移を自動で記録する仕組みだ。さらに小型カメラのライブ映像をオンラインで確認できる。人の心や身体に癒やしや勇気を与える光について、感覚だけでなく、こうしたデータを積み上げながら科学的にも研究する。
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観測拠点付近から見た安達太良山。早朝、昇る太陽に赤く照らされる

 東海林さんは福島高、工学院大工学部卒、同大学院修了。2000(平成12)年に都内に照明デザイン会社LIGHTDESIGNを設立し、社長を務める。大阪・関西万博では会場デザインプロデューサー補佐・照明デザインディレクターを担う。
 新たな拠点には各分野の専門家や幅広い友人らを招き、社員らとともに創造的な討論の場としても活用する。「人にとって心地よい明かりを古里の空で考えていく。この素晴らしい景観の中に身を置くことで、さまざまな気付きを得たい」と語った。
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観測拠点付近から望む昼の安達太良山。雪の山並みの上に真っ青な冬空が広がる

照明デザインという概念、近年、注目度が増していますね。「人の心に響く光」「人の心や身体に癒やしや勇気を与える光」、いいですね。

【折々のことば・光太郎】

黒檜大沼の山水をおもへば身の都門にあるを忘れ果て候


明治38年(1905)7月13日 猪谷千代宛書簡より 光太郎23歳

猪谷千代は、光太郎がたびたび訪れた上州赤城山の猪谷旅館の女将。その弟がスキー選手・猪谷六合雄で、さらに六合雄の子息が日本人初の冬季五輪メダリスト・猪谷千春氏です。

「黒檜」は赤城山系の最高峰、「大沼」は「沼」というより「湖」、カルデラ湖です。このほとりに猪谷旅館がありました。
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光太郎は、『明星』の面々(与謝野鉄幹、水野葉舟、伊上凡骨ら)、後には当会の祖・草野心平や彫刻家の高田博厚などを案内して訪れています。

智恵子にとってのソウルマウンテンが安達太良山だったのに対し、赤城山が光太郎のソウルマウンテンだったのでしょう。

福島県郡山市にある老舗デパート、うすい百貨店さんで本日から始まるイベントです。

いいもの・たくさん・集マルシェ 旅するふくしま物産展

期 日 : 2023年1月5日(木)~1月11日(水)
会 場 : うすい百貨店 10階催事場 福島県郡山市中町13-1
時 間 : 10:00~18:30(最終日は午後5時閉場)

浜・中・会津の魅力が大集合! 
主催:福島県 共催:(公財)福島県観光物産交流協会
いずれの商品も売切れの際はご容赦くださいませ。お電話でのご注文はご容赦願います。交通事情により商品が入荷しない場合があります。
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008福島の百貨店で、福島の物産展。まさに「地産地消」ですが、一口に「福島」と言ってもかなりの面積(47都道府県中、堂々の第3位)ですし、太平洋沿岸の「浜通り」、西部の山中「会津」、そして智恵子の故郷・二本松を含む中央部「中通り」と、それぞれに文化や習俗も異なります。そういう意味では同じ県内でも「こんなものがあったのか」という状況になるのではないかと思われます。

調べてみたところ、昨年から既に始まっていました。10月に会津の「道の駅あいづ」さんで、11月には浜通りで「道の駅なみえ」さんでの実施でした。で、今回が最終、中通りでの開催となるわけですが、百貨店さんが会場のため、折り込みチラシが発行され、ネットにもアップされたため、当方の検索網に引っかかりました。

検索網に引っかかったのは、「ほんとの空」の語。光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来です。

安達太良山中にあるチーズケーキ工房風花さんの商品も販売され、その中に「ほんとの空のクリームソーダ 1杯 650円」。令和2年(2020)に商品化されたもので、「ほんとの空と言われる、安達太良の空。そんな空をイメージしたソーダができました。どこまでも青い空を映したような「あおぞらソーダ」爽やかなアップルソーダです。バニラアイスはまるで空に浮かぶ雲のよう。溶かしながら色の変化も楽しめます。植物由来の着色料を使った青色です。」だそうで。
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お近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

テレビは機械持参したしとの事ゆゑ断る、延期して録画にしてもらふこと


昭和30年(1955)11月11日の日記より 光太郎73歳

テレビ」は、撮影です。親しかった美術史家の奥平英雄との対談を放映したいという申し出がありましたが、当時は生放送が主流で、そうなると大量の機材を貸しアトリエに運び込んで中継ということになり、それは困る、ということでした。で、一旦は、録画なら、ということになったものの、それも実現せず、結局、光太郎が生前にテレビ出演することはありませんでした。

智恵子の故郷、福島県二本松市の観光地域づくり法人・にほんまつDMOさんのサイトから。

二本松の風景や歴史描いた「絵手紙かるた」が完成

 二本松市を代表する風景や名物、歴史を描いた「絵手紙ふるさとかるた」が出来上がりました。絵手紙かすみ会が15周年記念に制作に着手、読み札の文面づくりから絵を描き終えるまで丸3年を費やした労作で、岩本久仁子会長は「歴史や文化、自然、食、人物など題材が多く、選択するのは大変な作業だった。手作り感満載のかるたを通してふるさとの素晴らしさを再発見してほしい」と話しています。
 同会は平成17年の市民講座を機に有志が集い、波入ヨシさん(郡山市)の指導で月1回、季節の草花や身近なものを描いています。かるたは会員16人が制作にあたり、特に文面は2年掛かりで推こうを重ねたそうです。安達太良山、霞ヶ城、二合田用水、合戦場の桜などの絵はいずれも色鮮やかで会員のふるさとへの想いが伝わってきます。
 「二本松の宝が詰まった」かるたは80セット製作し、市内の小学校、公民館に寄贈されました。また、原画は二本松信用金庫金色支店、市民交流センターなどに順次、展示する予定。
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「あ」から「ん」までで、全部で46枚。いきなり「あ」が、「安達太良の本当の空へ深呼吸」。できればひらがなで「ほんとの空」としていただきたかったところですが、しかたありますまい。さらに「く」は「鞍石山光太郎と智恵子の愛の道」。「鞍石山」は智恵子生家/智恵子記念館さんの裏手の山で、ここを光太郎智恵子が歩き、「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」のリフレインが印象的な詩「樹下の二人」(大正12年=1923)の元となった場所です。

他にも智恵子モチーフの日本画が展示されている大山忠作美術館さん(「う」…「美しい日本画の宝庫大山忠作美術館」)、阿武隈川で、「も」…「紅葉も光り輝くあぶくま川」など。「た」…「玉ようかんぷつんと刺してさあ食べよう」が一番笑えましたが(笑)。

二本松市の「市民との協働による地域づくり支援事業」の補助金を受けてやられたとのことですが、それにしても、こうした手作り感と郷土愛溢れる取り組みには感心させられます。全国の自治体等関係者の方々、絵手紙等愛好家の皆さん、ご参考までに。

【折々のことば・光太郎】

午后外出、はじめて中野駅北口の方に行つてみる、セトモノを買ひ、うなぎかば焼をかふ、 夜食かば焼、大根汁、米飯、


昭和30年(1955)2月22日の日記より 光太郎73歳

起居していた貸しアトリエから中野駅北口は、直線距離で1㌔弱。結核の病状が小康状態だったこともあり、買い物がてら散歩したようです。「うなぎかば焼」は光太郎の大好物の一つでした。

テレビ放映情報です。

開運!なんでも鑑定団【お宝は世界を救う!美人画大作&最高峰焼き物に驚き値】

BSテレ東 2022年11月24日(木) 19:4920:49
地上波テレビ東京 2022年11月27日(日) 12:5414:00

■盲目の子どもたちに光を…お宝は世界を救う!?<美人画大作>に衝撃値■茶人が特別に注文!?…最高峰<中国焼き物>に驚き鑑定額■福島出張鑑定…仰天<ペコちゃん人形>■

依頼人は認定NPO法人「ヒカリカナタ基金」の理事長を務めており、途上国の目の不自由な子供たちを助けるべく、日本から治療費を送る活動をしている。ご自身も8歳の時に失明し、その後盲学校の教師となった。1964年の東京パラリンピックで盲人卓球に出場し、なんと金メダルを獲得したことも! お宝は支援者の方から「NPO法人で役立ててほしい」と頂いたもの。とても大事にしてきたが、途上国の子供たちの目を助けるため手放すことを決意した。果して売却額は!?

出演者
 【MC】今田耕司、福澤朗  【ゲスト】マルシア
 【アシスタント】片渕茜(テレビ東京アナウンサー)
 【出張鑑定】出張鑑定 in福島県・二本松市  【出張リポーター】原口あきまさ
 【ナレーター】銀河万丈、冨永みーな

鑑定士軍団
 中島誠之助(古美術鑑定家) 北原照久(「ブリキのおもちゃ博物館」館長)
 安河内眞美(「ギャラリーやすこうち」店主) 川上紳一(岐阜聖徳学園大学教授)
 山村浩一(「永善堂画廊」代表取締役) 森由美(陶磁研究家)
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平成6年(1994)から続く人気番組。番組中盤に「出張なんでも鑑定団」というコーナーがあり、日本各地でのロケが行われています。コロナ禍で、来てくれという依頼件数が減っているようですが。

その出張鑑定が、智恵子の故郷・二本松で収録された今回放送分の初回放映は、8月2日(火)でした。当初、令和元年(2019)秋に収録予定だったものが、コロナ禍で翌年に3月に延期と決定、それでもコロナ禍明けやらず再延期となり、結局、今年6月の収録でした。

このコーナーでは最初に町の紹介のVが流れるので、光太郎智恵子、智恵子抄がらみを期待し、拝見しました。
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タイトルバックが、「智恵子抄」詩碑もある二本松霞ヶ城。

続いて、こんな街だよ、ということで……
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安達太良山、阿武隈川、ときたら「樹下の二人」だろ? と思っていたら、今年の「菊むすめ」の方がナビゲーター役でご出演し……
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「ふむふむ、で、『智恵子抄』は?」と思っていたら……
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「えっ? 始まっちゃうの?」(笑)。

ところが、お二人目の鑑定依頼人が観光協会の方で……
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「改めて二本松の見どころを」という流れとなり……
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最初のVに無かった提灯祭り、そして……
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こういう映像を待っておりました(笑)。

それから、
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というのも、お一人目の鑑定依頼人が、玉羊羹で有名な玉嶋屋さんのご主人だったもので(笑)。
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玉嶋屋さん、いろいろな番組にご協力下さり、素晴らしいと思いました。最近で、光太郎智恵子がらみの内容も含まれた番組ですと、今年6月に放映された「徳永ゆうきの一期一会はなうた旅#12 二本松市」、昨年の「プレミアムドラマ山女日記3 #3 あどけない空・安達太良山」など。それから、光太郎智恵子には触れられませんでしたが、やはりテレ東さんの「世界!ニッポン行きたい人応援団」という番組では、羊羹に魅せられたハンガリー人女性を受け入れ、羊羹作りをさせてあげるなどしてらっしゃいました。まぁ、お店や商品の宣伝にもなるので、ウィンウィンの関係なのかも知れませんが。

さて、鑑定。さすが旧二本松藩の城下町、「へー」と思わせるお宝が多数登場します。ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

理髪して頭が寒く引きこもる、 夜食、スパゲッチ、焼豚等、


昭和30年(1955)2月14日の日記より 光太郎73歳

結核の症状が少し落ち着いたので、ボサボサの髪を切りにいったところ、また悪化。10日ほど外出を控えることになります。それでも食事は自炊していました。

智恵子の故郷・福島二本松から光太郎智恵子がらみの報道を2件。

まずは11月13日(日)に行われた、朗読劇「智恵子抄」二本松公演の模様を伝えた記事。『福島民報』さんから。

智恵子と光太郎の夫婦愛、朗読劇で熱演 俳優一色さんら 福島県二本松市で公演

  詩集「智恵子抄」で知られる詩人で彫刻家の高村光太郎と芸術家の智恵子の夫婦愛を描く朗読劇「智恵子抄」は13日、福島県二本松市安達文化ホールで上演された。葛藤に苦しみながらも光太郎への愛を貫く智恵子の魂を表現する一色采子さんらの熱演に、大きな拍手がわいた。
 昨年に続き、智恵子の古里で催す2度目の公演。二本松市出身の日本画家・大山忠作さんの長女で俳優の一色さんが再び智恵子を演じ、光太郎役の松村雄基さんら新たなキャストと共に臨んだ。
 芸術の探究や生活の困窮の中で苦悩を深め「二本松に行きたい」と願う智恵子の心、美のきらめきを切り絵に表す様子、妻を思い続ける光太郎の姿を「あどけない話」「樹下の二人」「千鳥と遊ぶ智恵子」「レモン哀歌」などの朗読と演技、音楽でつづった。多くのファンや文学愛好者らが詰め掛け、痛切な愛の世界に見入った。
 新派アトリエの会の主催・製作、松竹、二本松市教委の協力。アフタートークでは一色さんらが舞台のエピソードや二本松の印象などを披露した。
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続いて、『朝日新聞』さん。十日ほど前の夕刊に載った記事です。少し長いのですが、全文を。

「ほんとの空」の下の若者たち 農業と発電両立し福島産守る

 その取材に向かう前、私は11年前の取材ノートを読み返した。
 「2011年10月12日」のページを探す。東京電力福島第一原発の事故が起きて初めて、福島県庁が県産米の放射能検査の結果を発表した日だ。
 安全基準ぎりぎりのコメもあったが、基準はすべてクリアした。次のやり取りが残っていた。
 佐藤雄平知事(当時)「農水省が決めた倍の地点で調査した。安全性が確認され、安堵(あんど)している」
 私「安全宣言ですか?」
 知事「まあ、安全宣言といえば、安全宣言だなあ」
 その後、基準を超えたコメが、県内の複数の田んぼで見つかった。地区単位でコメの出荷が制限される。今のような風評被害ではなく、「実害」だ。将来を絶望し、自ら命を絶つ農家もいた。

 被害を受けた地域の一つが、福島県の北中部にある二本松市だった。原発から50㌔余り離れていても、放射線量は高かった。
 10月中旬、その二本松を久しぶりに訪れた。
 自然豊かな二本松を代表する「安達太良山」。「東京には空が無い」で有名な詩集「智恵子抄」で、作者の高村光太郎の妻智恵子の話として、この山の上を「ほんとの空」とつづった。
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 その空の下では今、若者たちが発電と農業を両立させる「ソーラーシェアリング」(営農型太陽光発電)を手がけている。農作物を育てながら同じ土地で発電して電気を売り、収入を増やす手法だ。
 長さ70㍍の「壁」が3列半。壁の材料は230枚の太陽光パネルだ。耕作放棄地だった農地は今年3月、日本初という「垂直型ソーラーの農場」に変わった。
 運営は「二本松ご当地エネルギーをみんなで考える株式会社」(略称ゴチカン)。社長兼社員の近藤恵(けい)さん(42)を、自然エネルギーで著名な飯田哲也さんや二本松市、地元農家らが支える。
 パネルの壁と壁は10㍍空いており、トラクターが余裕で通れる。50㌔㍗の電気をつくりながら地面では牧草を育てている。
 「実験ですか?」と私が尋ねると、近藤さんは「経済的になりたっているので、すでに実用です」と胸を張った。
 「垂直に立てても受ける光のロスはわずかです」。土地を効率的に利用するなら、斜めに置くよりも、垂直のほうがよさそうだ。
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 東京都出身の近藤さんは、筑波大で農林業を学び、一般社団法人「二本松有機農業研究会」で修行を積んだ。原発事故の前まで、農薬や化学肥料をほとんど使わない有機農法で、コメや野菜を得意客に直接販売していた。
 11年もコメは作った。「お客さんは『近藤さんのコメだから安心です』と言ってくれたが、心苦しかった。基準内の玄米からは放射能が多少検出されても、白米にするとゼロになることや、うちの子どもにも食べさせていると添え書きを入れて、コメを送りました」
 農業を諦め、二本松の農協に勤めた。与えられた仕事は、東電に損害賠償請求する農家の手伝いだった。知らない農家から「お前は国側か!」と怒鳴られた。
 さらに心が痛む仕事が待っていた。収穫されたものの、出荷停止になったコメの処分だ。
 「米袋には顔見知りの農家の名前も書いてあって……。捨てるのが、つらかったですよ」
 農業から話はそれるが、二本松市は原発周辺の避難者を大量に受け入れた。市民にはさらに遠くへ避難する人もいた。12年には市内で放射能に汚染されたマンションが見つかった。原発周辺の砕石が土台に使われていたためだった。
 私は当時の混乱ぶりを取材していた。なので、二本松の印象は極めて暗い。当時のノートを見返したのも、それを忘れちゃいけないと思ったからだ。

 近藤さんは農協を2年半で辞めた。有機農業研究会に「エネルギー部会」をつくり、再生可能エネルギーと農業の両立を学び始める。避難指示が出た福島県飯舘村で営農型太陽光発電が先行していると知るや、事業主体の飯舘電力に頼み働かせてもらった。
 垂直ソーラーがある牧草地から車で約10分、6㌶の畑の地上3㍍に、9500枚のパネルが並ぶ。
 頭上にはブドウ棚の鉄線が張り巡らされている。近藤さんと働く塚田晴(はる)さん(20)、菅野雄貴さん(38)が4ヶ月かけ作業した。4月にはシャインマスカットなど100本のブドウの苗を植えた。
 パネル下でも通常の75%の日照を確保できる。塚田さんは「再来年には味見ができるくらいに成長しているでしょう」と話す。
 塚田さんは原発事故のとき、小学3年だった。それまでは家族5人で、近藤さんのいた有機農業研究会の有機野菜を食べ、稲刈り体験にも参加していた。
 11年3月17日。母の実家の神戸に避難する。二本松からタクシーに乗り、新幹線が通っていた栃木県のJR那須塩原駅へ向かった。父は運転手に心付けも含め3万円を渡した。
 以来、塚田家ではこの日を「避難の日」とし、毎年3万円で外食する。事故の恐怖や故郷を去る悔しさを忘れないためだ。
 塚田さんが小学5年のとき、研究会の当時の代表、大内信一さん(81)が、福島の農家の現状を話すため、消費者団体の招きで大阪に講演にきた。
 母と聴きに行った。会場から大内さんに厳しい質問が飛んだ。「福島産は危険だ」「子どもに食べさせていいのか」――。
 聞いていて、ムッとした。「何だよ。消費者って、こんなに簡単に生産者から離れていくんだ」
 毎年お盆に福島へ帰省すると、二本松の大内さんの田んぼをのぞきにいくようになっていた。
 高校は三重県の農業学校に進み、果樹を専攻した。3年生のとき、二本松から近藤さんがスカウトにきた。太陽光発電の下で、専門をいかすチャンスだった。
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 塚田さんは自分のためにブドウ栽培を用意してくれたと思っている。が、近藤さんの本当の狙いは違ったようだ。
 「『シャインマスカットォ~』とか『ソーラーシェアリングゥ~』とか、ほかとあまりくらべるものがない果物や農法で攻めないと、放射能の問題は突き抜けられないと思ったのです」
 消費者庁の調査では、原発事故後、福島のコメや野菜を敬遠し続ける消費者は今も1割弱いる。
 生産する側も、作付けなどが一時制限された二本松や福島、伊達、相馬の4市では、計3割の田畑が営農を休止したままだ。
 ありきたりの品種や手法では新たな道はひらけない。本当の空の下、そんな切実さが、近藤さんたちの闘いから伝わった。

「再稼働ありき」で、こうした再生可能エネルギーの普及を妨害すらしているのではないかと思われる「原発村」の魑魅魍魎どもは、こうした記事を「くだらん」と一蹴するのではないでしょうか。「(笑)」とつけたいところですが、「(怒)」ですね。

【折々のことば・光太郎】

平熱、少〻息切れする、シヤベリ過ぎらし、


昭和30年(1955)1月2日の日記より 光太郎73歳

この日は、当会の祖・草野心平をはじめ、年始の挨拶的な訪問者が多く、会話が弾んだようです。それはそれで嬉しかったのでしょうが、肺結核にはあまりよろしくなかったようで……。

昨日は智恵子の故郷、福島二本松に行っておりました。二本松の秋の風物詩・菊人形と、智恵子生家で期間限定公開中の智恵子の花嫁衣装などを拝見して参りました。

花嫁衣装が既に出ているものだと勘違いしており、今月初めにも行きまして、着いてから誤りに気づいたという間抜けぶりでしたが(笑)、その際は、大山忠作美術館さん、JR東北本線安達駅に昨年除幕された智恵子像「今 ここから」などを拝見し、また、8月に亡くなった智恵子顕彰団体・智恵子の里レモン会長であらせられた故・渡辺秀雄氏の墓参なども行いましたので、それはそれで有意義でしたが。

途中の東北自動車道安達太良SAにて。
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前回訪問時はどんよりした天気だったため見られなかった「ほんとの空」、今回も「雲一つない快晴」とはいきませんでしたが、それなりに。
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続いて二本松市街の霞ヶ城へ。こちらが菊人形会場です。
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「ほんとの空」をバックにした紅葉もいい感じでした。

菊人形はコロナ禍のため一昨年は中止、昨年は規模を大幅に縮小しての開催、今年は3年ぶりに通常に戻った感じでした。今年のテーマは「竹取物語」。
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人形を拝見しつつ、何だか、智恵子は光太郎のもとにやってきたかぐや姫のような存在だったのでは……と思ってしまいました。無理くりですが(笑)。

人形以外に近郷近在の団体、個人が部門別に競う作品展的な展示等も例年行われています。
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その中で、当方にタダ券をくださった、元・智恵子の里レモン会の方の作品も、見事入賞されていました。素晴らしい。
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その他、大河ドラマ便乗(笑)。
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ドラマで野添義弘さんが演じていらした安達盛長は、奥州藤原氏攻めの後、陸奥国安達郡を所領としましたので、それもありかな、と。

会場すぐ裏手には、「智恵子の藤棚」。もと、智恵子生家の庭にあったものだそうです。
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さらに上っていけば光太郎詩碑もあるのですが割愛し、菊人形会場をあとに、旧安達町の智恵子生家/智恵子記念館さんへ。
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生家一階の座敷で、早速、お目当ての花嫁衣装を拝見。特別公開中で、二階のみならず一階も歩いて廻れます。
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何とも色鮮やかな打掛です。縁起物の鶴亀や松竹梅の模様は金糸銀糸などをふんだんに使った刺繍。
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雑誌に載った写真や、テレビで流れた映像では見たことがありますが、初めて実物を拝見し、眼福でした。智恵子実家の長沼酒造倒産後、金目の物は散逸し、廻り廻って現在は地元の呉服店さんが所有しているとのこと。以前は「これは何処に行っちゃったんだろう」と思っていましたが、こうして現存していたのは喜ばしい限りです。

ただし、キャプションは問題があります。以前にも書きましたが、智恵子と地元医師との縁談があったのはどうも明治45年(1912)ではないようで、その時点では問題の地元医師は既に妻帯、子まで為していました。この打掛が間違いなく明治45年(1912)に仕立てられたものだとすれば、縁談の相手は別の人物と云うことになると思われます。

「明治45年(1912)、地元医師との縁談」というのは、以前に書かれた光太郎や智恵子の評伝類で定説のようになってしまっており、一度そうなるとなかなか訂正されないという一つの類例ですね。

ところで、現在、生家の庭に据えられている灯籠のうちの一つも、一度人手に渡ったものが平成29年(2017)に二本松市に寄贈という形で戻ってきたりもしていますし、さらに遡れば、平成4年(1992)に生家が修復整備された際に戻ってきた品々(一階座敷の仏壇に納められた仏像など)もあり、まだ近隣には長沼家ゆかりの品が残っているのかも知れません。

それを言い出すと、以前から生家で展示されている智恵子愛用の機織り機や蓄音機、琴、鳥籠など、どういう経緯でここに納められているのか、それぞれにドラマがあったことと思われ、改めて関係の皆さんのご苦労が偲ばれました。
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さらに特別公開の二階へ。二階は智恵子や、おそらく妹たちの居室、さらに光太郎が訪れた際に泊まった部屋です。
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小さな畳は掘りごたつの炉の跡。

智恵子居室の電灯には、陶器製のローゼット。
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当時としては高級品、これが使われていたのはこの部屋だけだそうで。当方、何度もこの部屋を訪れていますが、いつもこれを撮影するのを忘れていて、初めて撮りました(笑)。

二階部分(というか一階も)への立ち入り、花嫁衣装の公開、ともに11月8日(火)までです。同じ敷地内の智恵子記念館での、智恵子紙絵実物展示は11月13日(日)まで。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

夕方小雨、雷雨あり、落雷と見えて二三強し それ以後停電、十時現在まだ電灯つかず、

昭和29年(1954)8月29日の日記より 光太郎72歳

最近はほとんど無くなったように思われますが、昔は落雷による停電が頻繁にありましたね。

ちなみに光太郎、世の中で最も恐ろしいと思っていたものの一つが雷でした。昭和15年(1940)には、ずばり「雷ぎらひ」というエッセイまで書いています。

そちらに曰く「私は生来の雷ぎらひである。どういふわけといふ理由も何もないが、あの比例外れな、途方もない、不合理極まる大音響が第一困る。これはまるで前世紀の遺物ではないか。イグアノドン、マストドンの夢ではないか」。そして落雷が近づくと、自分で電気のブレーカーを落とし、足袋のコハゼをはじめ、一切の金属を身体から遠ざけ、脚に滑り止めのゴムをはめた籐椅子に座り、難しい書物を読んで意識をそちらに向けて恐怖を紛らわしたそうです(笑)。

数え72歳だったこの頃はどうだったのでしょうか。

昨日は、智恵子の故郷である福島県二本松市に行っておりました。コロナ禍前には年に数回お邪魔していたのですが、イベント等もあまり行われなくなって足が遠のいておりました。そこで一昨年の11月以来、およそ2年ぶりでした。レポートいたします。

愛車を駆って午前10時過ぎには二本松市到着。まずJR東北線二本松駅前の市民交流センターさんへ。3階の大山忠作美術館さんで、コレクション展的な「心惹かれた人を描く」が開催中です。
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女優・一色采子さんのお父さまでもあらせられた文化勲章受章者の故・大山忠作画伯。二本松ご出身ということで、同郷の智恵子をモチーフに描かれた作品も複数有ります。そのうちの一枚「智恵子に扮する有馬稲子像」がフライヤーの表(おもて)面。それ以外に智恵子そのものを描いた「霧〈高村智恵子〉」、幼き日の一色采子さんがモデルの「童女」(フライヤー裏面右上)なども出ていました。

同じ交流センター3階の逆サイドでは、「第27回 智恵子のふるさと小学生紙絵コンクール」の入賞作品展も開催されていました。
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智恵子を題材にした作品も。ありがたし。
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続いて、すぐ目の前の二本松駅へ。

昭和51年(1976)設置の光太郎詩碑。「あどけない話」(昭和3年=1928)の一節が刻まれています。
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曰く「阿多多羅山の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ」。よく晴れた日には傾斜のついたこの碑面に青空が映るのですが、残念ながら昨日はどんよりと曇り(笑)。

すぐそばの智恵子像「ほんとの空」。昨年亡くなった彫刻家・橋本堅太郎氏の平成21年(2009)の作です。
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その後、車で一つ先の安達駅に。こちらには同じ橋本氏の遺作となった智恵子像「今 ここから」が昨年、除幕されました。先述の通り、しばらく二本松に足を運んでいなかったもので、当方、初見でした。
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二本松駅前では洋装だった智恵子、こちらでは単衣(ひとえ)の着物姿です。袷(あわせ)ではボテッとしてしまう、と、生前の橋本氏が語られたそうで。

駅構内には、智恵子生家の大きな写真。以前に来た時にはなかったような……。
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さらに「駅ピアノ」。時間もありませんでしたし、暗譜ですらすら弾ける腕前でもないので(笑)、写真を撮るにとどめました。
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来た道を少し戻って、智恵子生家/智恵子記念館さんへ。こちらで智恵子の里レモン会の方と待ち合わせ。
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当方、てっきり智恵子の花嫁衣装の展示と、二階部分の特別公開が始まっていると思いこんでいましたが、そちらは10月27日(木)からでした。自分でブログに紹介しておきながら勘違いしていました。アホですね(笑)。

それでも、生家裏手の記念館さんでの紙絵実物公開は始まっており、拝見しました。
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また、記念館開館30周年記念の缶バッヂ(先着順)もゲット。
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花嫁衣装を見るため、月末にもう一度訪れようと思いましたが、その時までこれが残っていないかもしれないので、ラッキーでした。

記念館の展示を見てから、生家内部へ。
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PXL_20221009_022331779意外と来館者が多くいらしていました。バスツアーの団体さんという感じでもなく、御家族連れ的な方々が数組。ありがたいことです。

その後、レモン会の方に案内していただき、8月に亡くなられたレモン会会長であらせられた故・渡辺秀雄氏のお墓参りに。智恵子生家/智恵子記念館と同じ旧安達町にある、安達太良山円東寺さんにお墓がありました(「安達太良山」が山号です)。

同行して下さったレモン会の方によると、氏はクリスチャンであらせられたそうですが、仏教寺院にお墓。ちゃんと戒名も刻まれていましたが、それでもやはりクリスチャン風にちょっと変わったものでした。香華を手向け、手を合わせ、在りし日の氏を偲ばせていただきました。

レモン会の方と別れ、二本松市街へ。二本松城で開催されている菊人形の無料券をいただきましたが、駐車場がかなりの混雑で、申し訳ありませんがパスしました。そのまま市外を通り過ぎ、安達太良山中腹の岳温泉さんへ。
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一昨年泊めていただいた「あだたらの宿扇や」さんへ。こちらのフロントには、オーナーの方が入手された光太郎の書、智恵子の紙絵(複製ではなく真作)などが展示されているのですが、女将さんから、「新たに光太郎先生の写真なんかも増やしましたので、ぜひご覧ください」と連絡を頂いていたので、伺った次第です。

ところが折悪しく、女将さんは不在。それでも展示は拝見出来ました。
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なるほど、光太郎の写真が増えていました。戦後の7年間、蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)でのショットです。このネガもこちらで入手されているので、そこからプリントなさったのでしょう。
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さらに、智恵子の紙絵真作も一点増えていました。
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下記は一昨年にも展示されていたのですが。
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これらが常設で見られるというのはいいですね。

扇やさんをあとに、素泊まりで滞在する際に必ず行く食堂で昼食。そこも3年半ぶりくらいでした。

食べ終わると、猛烈な眠気。歳をとるごとに長距離の運転も負担に成りつつあります(笑)。思い切って駐めた車中で1時間ほど仮眠しました。日帰り温泉にでもつかろうかとも考えていたのですが、ここで温泉に入ったら、バタンキュー(死語ですね(笑))帰れなくなってしまいますので断念し、帰途に就きました。

そんなこんなの二本松。上記の通り、花嫁衣装の拝見のため、月末にもう一度行ってこようと思っております。
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皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

中西夫人に此頃は買物を頼む、 夜在宅、 〈相当いたむ〉


昭和29年(1954)5月9日の日記より 光太郎72歳

相当いたむ」のは、結核性の肋間神経痛。そのため、日々の買い物も、起居していた貸しアトリエの大家(おおや)の「中西夫人」に頼むようになりました。

そのためのメモが中西家に大量に現存しています。

最新号ではないのですが……。

『財界ふくしま』2022年9月号

2022年8月4日 ㈱財界21発行 定価682円+税

■シリーズ第3弾 板倉病院の〝負の連鎖〟が止まらない
■2022首長選レポート 中島村長選情報
■特別インタビュー 近内幸雄いしかわ医研代表/長谷川祐一県薬剤師会長
           橋本克也須賀川市長/小野利廣県経営者協会連合会長
           志賀博之福島さくら農業協同組合代表理事組合長
           舟見敬成県理学療法士会長
           原喜代志会津よつば農業協同組合代表理事組合長
■2022インタビュー 本多洋八いわき信用組合理事長
          石川俊石川建設工業(株)代表取締役社長
■編集長インタビュー/管野啓二JA福島五連会長
■連載⑪/ふくしまから地球文明の未来を
 時代の最先端を走り抜いた福島県出身の偉大な女性たち、そして現在日本の看護を支える
 「令和の瓜生岩子」―新島八重、高村智恵子、田部井淳子、そして福井トシ子―
 森田実 政治評論家・ 東日本国際大学名誉学長
■連載/県内大学リレー寄稿「フクシマの未来像」瀬川洋(学)晴川学舎奥羽大学歯学部長
■連載/世界のフクシマ県人会 ワペンスキー英子北加福島日系人会長
■連載/森林(もり)とともに85年―福島・日本の未来へのメッセージ―
 國井常夫元全国森林組合連合会会長(現・西白河地方森林組合組合長)
■連載④/一千年の時を刻む薬師如来―仏都会津の慧日寺御本尊を復元―
 五十嵐源市元磐梯町長
■特別座談会/「再生可能エネルギーが築く未来社会」
 足立淳星のや竹富島ファシリティマネージャー
 柴幸秀ゼネラルヒートポンプ工業(株)専務取締役
 白石昇央(株)エナジア代表取締役
■首長メッセージ/大玉村、平田村、湯川村、会津坂下町、柳津町
■特集/2022参院選
■ざいかい短信 新地町長選
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東日本国際大学名誉学長・森田実氏による連載「ふくしまから地球文明の未来を」。近現代の「時代の最先端を走り抜いた福島県出身の偉大な女性たち」を紹介なさっています。その中で、智恵子も取り上げて下さいました。

最初の部分。
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特に目新しいことが書かれているわけではありませんが、こういう風に取り上げられるとついつい購入してしまうかなしい性(さが)の当方です(笑)。

他に「八重の桜」の新島八重、登山家の故・田部井淳子さん、そして日本看護協会会長・福井トシ子さん。たしかに「時代の最先端を走り抜いた福島県出身の偉大な女性たち」と言えましょう。そういう土壌が福島には何かあるのでしょうか。当方の存じ上げる福島の女性の皆さんも、皆、素敵な方々です(ヨイショ(笑))。

さて、今日はその福島に行って参ります。二本松の智恵子生家/智恵子記念館を中心に(智恵子の花嫁衣装も観て参ります)、8月22日に亡くなられた智恵子の里レモン会長であらせられた渡辺秀雄氏の墓参など。時間が許せば岳温泉や安達太良山も(登りはしませんが)と考えております。

追・花嫁衣裳の特別公開、と思っていましたが、公開はまだでした。自分でブログに紹介しておきながら日程を勘違いしていました(笑)。

【折々のことば・光太郎】

久しぶりにタバコ一服、メマヒす、


昭和29年(1954)5月6日の日記より 光太郎72歳

肺結核による肋間神経痛は数年前からでしたし、さらにこの時期は息切れ等で苦しんでいたのですが……。

一昨日のこのブログサイトで、智恵子の故郷・福島二本松の智恵子生家/智恵子記念館のイベント情報(紙絵の実物公開/生家二階部分の特別公開等)についてご紹介しましたが、追加情報です。

昨日になって、二本松市さんのサイトに以下の告知が出ました。『広報にほんまつ』さんにはその情報が出ていませんでした。

智恵子記念館開館30周年記念事業のご案内 「智恵子“幻”の花嫁衣裳」特別展示

今年度は智恵子記念館開館30周年を迎えるにあたり、高村智恵子ゆかりの品として、初公開となる「智恵子“幻”の花嫁衣裳」を展示いたします。

智恵子が纏うはずであった花嫁衣裳を、夫・高村光太郎が著した「智恵子抄」の詩などと共にご覧ください。

展示期間・時間
 10月27日(木曜日)~11月8日(火曜日)
 午前9時00分から午後4時00分
 ※10月30日(日曜日)は智恵子のふるさと小学生紙絵コンクール表彰式が実施されるため、午前12時30分から午後4時00分のみ公開となります。
 展示場所 智恵子の生家内
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市のサイトには、現物の画像は出されていません。「是非デザインをご想像の上お越し下さい」だそうで。

当方も現物は見たことがありません。しかし「初公開」とありますが、開館当初の一時期、公開されていたことがあったのではないかと思われます。平成6年(1994)、講談社さん発行の女性誌『SOPHIA』1994年3月号に載った「ソフィア・スペシャル 高村智恵子の結婚の條件〈シリーズ=時代を道づれにした女〉」という16ページある記事に、生家座敷で撮影されたカラーの大きな画像が出ていますし、同10年(1998)に日テレさん系で放映された「知ってるつもり!?」の智恵子の回で同様の映像が使われました。
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まぁ、二本松市さんが「是非デザインをご想像の上お越し下さい」とおっしゃってますので、画像は出しませんが(笑)、実に豪華な作りの目にもあでやかな着物です。他の智恵子愛用品(琴や機織り台、蓄音機など)は寄贈されて常設展示されていますが、この着物は所有権が市に移っていないのか、あるいは市の所蔵にはなっているものの、常設で出すと染色の劣化が進むので通常は展示していないのか、そんなところだろうと思います。画像があまり世に出ていないことを考えると、可能性が高いのは前者の方でしょうか。

ところで、智恵子の結婚話。

以前に書かれた光太郎や智恵子の評伝類では、明治45年(1912)頃、智恵子に二本松の医師・寺田三郎との縁談が持ち上がり、光太郎はそれを受けて詩「人に」(原題「N――女史に」)で「いやなんです あなたのいつてしまふのが――」「小鳥のやうに臆病で 大風のやうにわがままな あなたがお嫁にゆくなんて」と謳い、それを読んだ智恵子が、実家に帰ってすったもんだの末に縁談の破棄を認めさせ、光太郎の元に走った(光太郎が滞在していた犬吠埼まで追いかけていった)とされています。

ところが最近、この年には寺田は既に妻帯しており、子まで為していたということが明らかになりました。どうも関係者の記憶違いがあったようです。おそらく、寺田との縁談は確かにあったのでしょうが、もっと前。しかし光太郎が「小鳥のやうに臆病で 大風のやうにわがままな あなたがお嫁にゆくなんて」と謳ったのは、間違いなくこの年ですので、他の縁談があったのか、それとももしかすると、煮え切らない光太郎に対して智恵子が「嫁に行く」と嘘をついたのかも知れません。そうだとすると、光太郎、まんまと智恵子の手練手管にはまったわけですね(笑)。しかし、今となっては真相は闇の中です。

というわけで、智恵子生家/智恵子記念館、コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

NHKの録音班三人くる、30分第一回分を吹込、これは20日の事、

昭和29年(1954)4月10日の日記より 光太郎72歳

ラジオ連続講座「美の世界」の収録です。2回に分けての放送で、初回が「破壊と美」、第2回が「都市美について」の副題でした。残念ながらこの録音はNHKさんに残っていないようです。

智恵子の故郷・福島二本松市の広報誌『広報にほんまつ』10月号から。

まず、「二本松ふるさと人物史」という連載の第6回の扱いで、智恵子が大きく紹介されています。
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それから、智恵子生家/智恵子記念館さんで毎年恒例の、秋のイベントの案内。智恵子紙絵の実物公開(普段は複製が展示されています)、通常は立ち入りできない生家二階部分の特別公開の件です。
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紙絵の実物展示が10月8日(土)~11月13日(日)、二階部分の特別公開が10月27日(木)~11月8日(火)だそうです(水曜休館)。例年は期間中の土日・祝日の実施だったと記憶していますが、今年は平日も行うのですね。

記念館の開館30周年だそうで、記念バッヂの無料配付も。これは心が動きます(笑)。

さらに智恵子顕彰団体「智恵子のまち夢くらぶ」さん主催の「智恵子講座2022」。
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当方もたびたび講師を仰せつかってきましたが、今年は同会代表・熊谷健一氏が全3回の講師を務められるそうで。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

逆に残念なお知らせも。

10月5日の智恵子忌日(レモンの日)に合わせ、その前後の日曜日に開催されていた(ここ数年はコロナ禍のため中止)智恵子を偲ぶ「レモン忌」の集い。主催なさっていた「智恵子の里レモン会」さんの渡辺秀雄代表が亡くなり、それに伴って会が解散ということになったそうです。当方、会員ではありませんでしたが、その通知、画像で頂きました。
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そこで、「レモン忌」の集いは無くなることに……。残念です。どなたか代わって主催を引き受けて下って、復活することを希望します。

【折々のことば・光太郎】

北川太一氏くる、生きた鯉2尾持参、明日の誕生日の祝の由、


昭和29年(1954)3月12日の日記より 光太郎72歳

当会顧問であらせられた故・北川太一先生。光太郎の誕生日祝いは欠かしませんでした。この年は生きた鯉。どうやって入手されたのか、光太郎にどうしてほしかったのか(食べるとか飼うとか)、そして光太郎が実際にどうしたのか、謎です。生きた鯉を貰っても困ると思うのですが……。北川先生ご存命中に訊いておけばよかったと反省しきりです。

ちなみに光太郎から北川先生宛の葉書には、以下の記述があります。

先日は見事な生きた鯉を二尾もいただいてまことに感謝しました、遅ればせながら。

昭和40年(1965)封切りの日本映画「こころの山脈」(吉村公三郎監督、山岡久乃さん主演)。智恵子の故郷・福島県二本松市に隣接する本宮町(現・本宮市)を舞台にしています。東宝系で上映されましたが、製作は東宝さんではなく、「本宮方式映画製作の会」。当時としては画期的なシステムでした。現代のクラウドファンディングのように基金を募り、地域密着型の映画を作る、と、それが「本宮方式」。現代ではよくあるスタイルですが、その手のものの嚆矢として映画史に残る作品です。
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元々、本宮町では映画を教育に活用することが盛んで、町内の「本宮映画劇場」に小中学生が授業の一環として移動し、良質な映画を観るということをやっていたそうです。ところがそうした機会に子供たちに見せるに相応しいソフトが少ない→それなら自分たちで作ってしまおう、という流れでした。そこでキャストも地元の皆さんが大挙して動員されています。エキストラ的な出演だけでなく、準主役の少年も地元の素人でした。それだけに演技演技していなくて自然です。
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もちろん本職の俳優さんも。山岡さん以外には宇野重吉さん、吉行和子さん、殿山泰司さん、奈良岡朋子さん、大方斐紗子さんなどが脇を固めていました。
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さすがに皆さんお若いですね(笑)。

ただ、そういうコンセプトですから、ど派手なアクションシーンもなく、当時流行のエログロナンセンスなどももってのほか、もちろん怪獣も宇宙人も登場しません。したがって、その地味さのあまり、全国規模ではヒットしたとは言い難い結果でした。今で言う「親ガチャ」やネグレクトなども扱われ、内容的には心打たれるものですが……。

そうした「映画の街」としての歴史を語り継いでいこうと、本宮市ではNPO「本宮の映画文化を継承する会」が立ち上げられ、「こころの山脈」を含む内外の映画(意外と新しい話題作も)の上映を行う(しかも無料!)「カナリヤ映画祭」が行われています。当方、平成27年(2015)の第3回の際にお邪魔し、「こころの山脈」を拝見しました。

その後、「こころの山脈」が上映される年とそうでない年があり、また、ここ数年はコロナ禍。昨年は「こころの山脈」上映で9月に予定されていたのが中止となり、「やっぱりな」と思っていたところ、実は12月に延期で実施されていましたが、そちらには気づきませんでした。

さて、今年。

第10回カナリヤ映画祭

期 日 : 2022年10月2日(日)
会 場 : サンライズもとみや 本宮市矢来39-1
時 間 : 9:40~18:10
料 金 : 無料

上映作品
 10:10~ 「映画大好きポンポさん」(アニメーション) 日本/2021年 90分
 12:40~ 「Infection PiLia ~悩まされる現代~」
 本宮高等学校チームNEXUX/2022年 10分
 13:10~ 「夢」 本宮高等学校チーム叶える/2022年 10分
 14:20~ 「こころの山脈」 日本/1965年 104分
 16:20~ 「杜人」 日本/2022 101分

講演 『こころの山脈』を生んだ本宮の映画文化 新潟大学教授 柳沼宏寿氏 13:20~

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ところで書き忘れていましたが、「こころの山脈」、単に本宮町が舞台というだけでなく、光太郎の「智恵子抄」もモチーフとして使われています(そこでこのブログサイトでご紹介しているわけですが)。

阿武隈川にかかる昭代橋(下の橋)で、安達太良山を望みながら、産休補充教師の本間秀代(山岡久乃さん)が、教え子の清(当時の本宮小学校五年生)に「智恵子抄」の一節を語って聴かせるという場面。第10回カナリヤ映画祭のプロモーション動画に、ちょうどそのシーンが使われていました(2:07頃から)。

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上記はそのシーンのスチール写真です。

さらに、今年は第10回記念ということで、「こころの山脈」DVDの販売も為されるそうです。

というわけで、第10回カナリヤ映画祭、お近くの方(遠くの方も)、コロナ感染には十分お気を付けつつ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后三井銀行にゆき、納税等用をすませる、浅草にまはり映画を一館みる、大黒屋にて天丼、十一時かへる、


昭和29年(1954)3月11日の日記より 光太郎72歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、昭和27年(1952)に再上京する前、花巻郊外旧太田村蟄居時代も、折に触れて花巻町中心街で賢治実弟の清六らと一緒に、映画をよく観ていました。再上京後はさらにその頻度が増えています。この日観た作品は不明ですが、前月にはフランスのコメディー映画「Les Belles de Nuit」(夜ごとの美女)を鑑賞。ただし「あまりよしと思はず」と日記に書きましたが。

「こころの山脈」、光太郎にも観せたかったものです。

新聞2紙から。

まず智恵子の故郷・福島の『福島民報』さん、昨日の一面コラム。

あぶくま抄 路傍の花(9月6日)

二本松市岳温泉の医師で九十歳の鈴木孝雄さんはこの夏、自宅近くの野に咲く花を写真と短文で紹介する「路傍の花-安達太良山東麓 岳台地を歩く-」を出版した。三年かけて約二百種を撮った。ほんとの空の下にそっと息づく生命を慈しむ▼新年を祝うフクジュソウ、春夏のシャクナゲ、安達太良の象徴として歌に詠まれるマユミ…。朝夕の散歩中、足元にほころぶかれんな姿に引かれ、カメラを向ける。診療実務を退いた後、患者の楽しみにと、クリニックのホームページに載せた企画を一冊にまとめた▼「ミヤコザサ線」と呼ばれる植生の境界が岳台地を通る。最高積雪が五十センチとなる地点を南北に結ぶ。この線を境に、雪の少ない太平洋側にミヤコザサ、雪の多い日本海側にチマキザサが生える。岳では、両側の植生が見られることを知った。身近な自然の面白さに取りつかれ、観察を続ける▼岳温泉文化協会が二十年以上にわたり刊行している会報を、会長として本にするのが次の目標だ。ヒメボタルやモリアオガエルの研究など、地域の宝を掘り起こす多彩な成果に光を当てる。年齢を重ねて、ますます盛んな好奇心と探究心が古里の道端を照らす。

何とも地元愛溢れる活動に頭が下がります。安達太良山の山の上に毎日広がる「ほんとの空」とともに、東京にいても草花を愛し続けた智恵子も、泉下で眼を細めているような気がします。

続いて『夕刊フジ』さん。

夫婦で歩いた山から望む「ほんとの空」 高村光太郎『智恵子抄』福島県二本松市・智恵子の杜公園

000 ほんとの空、を見たくなった。
 〈智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ(中略)阿多多羅山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ〉
 彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)の有名な詩「あどけない話」。最初に知ったときは、郷愁をうまく表現したなぁ、とのんきな感想を抱いた。
 でも、先立たれた妻を追想しながら光太郎が編んだ『智恵子抄』を通読すると、少し印象が変わる。夫婦で愛を育む一方で、智恵子は画家として挫折し、生活苦や闘病などを経て、次第に精神を病んでいった。光太郎はこの詩を紹介しつつ、智恵子は年に3、4カ月は帰郷していたと記す。なぜなら〈田舎の空気を吸って来なければ身体がもたない〉から。「ほんとの空」は、それほど切実な欲求だったのだ。
 阿多多羅山は、福島・中通りにそびえる安達太良山のこと。酒造りを営んでいた智恵子の生家が二本松市に残っている。訪ねてみると、記念館が併設されていて、智恵子が病床で制作した切紙絵などを鑑賞できた。
 生家から安達太良山は見えない。案内図をもらって、近くにある鞍石山への遊歩道をたどってみる。夫婦二人でそこを散策するシーンを描いた「樹下の二人」という詩を参照しながらのんびり歩く。
  〈がらんと晴れ渡った北国の木の香に満ちた空気を吸はう。あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう〉
 東京生まれの光太郎も、智恵子を癒してくれる自然を愛しんでいた。都会へ戻ることをこんなふうに書くほどに。〈私は又あした遠く去る、あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ〉
 鞍石山は「智恵子の杜公園」として整備されていて、「樹下の二人」の詩碑も発見。頂上付近の展望台からは安達太良山が望めた。〈あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。ここはあなたの生れたふるさと…〉
 空を見上げて深呼吸。二人の別天地を少しだけ近く感じられたひととき。だがしかし、私も無頼の都へ帰らねば。

一昨年に始まったコロナ禍のため、各種イベント等の中止が相次ぎ、当方も2年近く二本松方面に行っておりません。何とかこの秋には、と思っているのですが……。

皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

文部省芸術課長宇野俊夫氏くる、芸術院会員のこと、再考受諾の話ありたれど理由を話して断る、領解してかへる、

昭和28年(1953)12月19日の日記より 光太郎71歳

芸術院会委員への推薦を光太郎が断ったことに関わります。この日訪れた役人はいったん了承して帰りましたが、結局これで万事終了とは成りませんでした。

山口県の周南市、下松市、光市をエリアに発行されている日刊紙『日刊新周南』さんに連載されている、周南文化協会会長・西﨑博史氏のエッセイ。8月18日(木)掲載分で光太郎智恵子に触れて下さいました。

季節の中で 葉月(二)

 ふるさとでお盆を迎えた人も多いでしょう。コロナ禍で遠出を自粛していた人たちは行動制限がない中で、3年ぶりに帰省して家族との再会を楽しみました。
 中島みゆきは自ら作詞、作曲した『帰省』でこんな言葉を綴っています。「束の間 人を信じたら もう半年がんばれる」。ふるさとの自然に育まれ、人は成長します。進学や就職、結婚でふるさとを離れて新たな生活を始め、社会の厳しさも知ります。
 年に二回、8月と1月。疲れた心身を癒してくれるのがふるさとの温かさです。家族や旧友との語らいが何とも心地好いです。前置きは要りません。同窓会もそうです。学生時代は話したこともない同級生ともすぐ打ち解けます。時の経つのを忘れて話に花が咲きます。同じ時間を共有したからでしょう。同級生っていいなと思えます。
 「夏が過ぎ 風あざみ」で始まる井上陽水の『少年時代』は、新聞社の読者ランキング、陽水の聴きたい曲で断トツ1位。「八月は夢花火 私の心は夏模様」で結ばれます。子どもの頃の日々が走馬灯のように思い出されます。陽水は1948年8月生まれ。まさに団塊の世代。福岡の炭鉱町で育ち、父と同じ歯科医を目指して失敗、シンガーソングライターとして大成しました。
 私は1950年8月生まれ。8月生まれの人には親近感を覚えます。馬が合うというのでしょうか。価値観を同じくして共感できる仲間が多いです。「人」という文字は支えられた形でできています。「人間」は人の間と書きます。人と交わることで学んで磨かれていきます。ネット社会で情報は一挙に増えましたが、人間がもたらす情報ほど豊かなものはありません。言葉を交わすことで相手の興味も、関心も分かります。表情一つで心の動きが読み取れます。それらの情報を基に心地好い会話を楽しみます。この齢になると、何が欲しい、どこに行きたい、ではなく、気の置けない友との語らいが何よりのご馳走です。
 詩人も望郷の詩を詠みます。「ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しくうたふもの」「ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ」。金沢で寂しい少年時代を過ごした室生犀星の『小景異情』の一節。彼も故郷を懐かしみます。東京で暮らした高村光太郎の妻、智恵子にとっての「ほんとの空」は「阿多多羅山の山の上に出てゐる青い空」。福島の二本松で育った智恵子の心の風景です。
 故郷の自然と人に力を得て、また半年がんばれます。

光太郎智恵子ファンの皆様には言わずもがなでしょうが、智恵子没後の昭和15年(1940)に書かれ、それを読んだ龍星閣主・澤田伊四郎が『智恵子抄』出版を思い立つ契機となった、光太郎の随筆「智恵子の半生」から。

私と同棲してからも一年に三四箇月は郷里の家に帰つてゐた。田舎の空気を吸つて来なければ身体が保たないのであつた。彼女はよく東京には空が無いといつて歎いた。

この後で、詩「あどけない話」(昭和3年=1928)が引用され、さらにこう続きます。

私自身は東京に生れて東京に育つてゐるため彼女の痛切な訴を身を以て感ずる事が出来ず、彼女もいつかは此の都会の自然に馴染む事だらうと思つてゐたが、彼女の斯かる新鮮な透明な自然への要求は遂に身を終るまで変らなかつた。
000
盆暮れと年に二回、数日間ずつの一般的な帰省でなく、智恵子の場合は「一年に三四箇月」。まぁ、それだけ「新鮮な透明な自然への要求」が強かったということでしょう。そして昭和4年(1929)、二本松にあった実家の造り酒屋が破産し、一家が離散、帰るべき家と「ほんとの空」を喪った智恵子が心を病んでしまったのは、ある意味、当然の帰結かも知れません。

二本松といえば、昨日ご紹介した、智恵子顕彰をなさっていた故・渡辺秀雄氏。氏の胸の中にも、安達太良山の上の青い空が、常に広がっていたのではないでしょうか……。

【折々のことば・光太郎】

夕刊新聞に芸術院会員決定といふ事出てゐる、第二部文学部、甚だ迷惑を感ず、

昭和28年(1953)11月14日の日記より 光太郎71歳

文学部門での日本芸術院会員への推薦、光太郎は歯牙にも掛けず辞退します。しかし芸術院では辞退という事態を想定していなかったため、この後、一悶着、二悶着となっていきます。

000福島県二本松市で、智恵子顕彰団体「智恵子の里レモン会」会長を務められていた、渡辺秀雄氏が亡くなりました。昨日、ご葬儀(家族葬)だったそうです。

レモン会さんでは、10月5日の智恵子忌日「レモンの日」に合わせ、それと最も近い日曜日という期日設定で、智恵子を偲ぶ「レモン忌」の集いを主催なさっています。ただ、一昨年、昨年と、コロナ禍のため中止となり、最後に開催されたのは令和元年(2019)でした。したがって、当方、最後にお会いしたのもその時。コロナ禍となって以後、最後にお会いしたのがコロナ禍前、という方の訃報がこのところ相次いでおり、一層胸を痛めております。

その際の画像。会の冒頭近く、主催者挨拶をされる渡辺氏。
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その前年。
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智恵子の里レモン会さんは、昭和63年(1988)、晩年の光太郎と交流のあった故・伊藤昭氏が立ち上げられ、一度消滅したものの、平成17年(2005)に渡辺会長の下で復活。以来、先述の通り、智恵子を偲ぶ「レモン忌」の運営を続けて来られました。

渡辺氏個人は、レモン会さんの活動以外に、同じ二本松でやはり智恵子顕彰をされている「智恵子のまち夢くらぶ」さんにも協力を惜しまず、同会主催の「智恵子講座」の講師「高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会」審査員、「智恵子抄」出版80周年記念文集へのご寄稿などもなさいました。

また、当会主催の連翹忌にもたびたびご出席下さいましたし、平成27年(2015)に光太郎第二の故郷・岩手花巻郊外旧太田村の高村山荘前で行われた「第58回高村祭」では、当方が講演を仰せつかると、福島から駆けつけて下さいました。翌朝、宿で見たローカルニュースに「福島から訪れた人」という肩書きで氏のインタビューが流れ、笑えたのが今となってはいい思い出ですし、様々な機会での氏の魅力溢れるお人柄に触れたことを思い起こすと、滂沱禁じ得ません……。
002
謹んでご冥福をお祈り申し上げます

【折々のことば・光太郎】006

十和田の像は冬中雪囲ひの由、


昭和28年(1953)11月11日の日記より 光太郎71歳


十和田の像」は、前月に除幕された生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。設置当初の数年間は、豪雪による被害が恐ろしいということで、冬期間、右のような状態にしていたそうです。

その後、ここまでやらなくても大丈夫ということがわかり、雪囲いはやめました。

サイクルスポーツ愛好家の方々向けのキャンペーンです。

ツール・ド × Volcano to Seaふくしま

火山から太平洋へ 山、里、海がつなぐ絶景ルート
 福島市・二本松市・伊達市・相馬市エリアで3ヶ月限定でお届けします! 絶景と歴史が織り成すコースを走れる、このエリア。ルートには吾妻山・安達太良山の紅葉、伊達氏の歴史、朝日が綺麗な松川浦など、各市の魅力を詰め込んでいます。さらに、エリア内には飯坂・土湯・高湯・岳の4つの温泉地や豊富な果物・海産物など疲れを癒す要素もたくさん!100kmを超える2コースの走破を目指し、福島市・二本松市・伊達市・相馬市を満喫してください。

キャンペーン期間:2022年 7月30日(土)~10月31日(月)

サイクリング専用アプリツール・ドを使って走る!
 このキャンペーンに欠かせないのが、サイクリング専用アプリツール・ド! コースMAPで進行方向を確認できたり、途中の「ご当地スポット」にチェックインできたり、オリジナルフォトフレームが付いた記念写真を撮れたり、ゴール後に完走特典をGETするための完走証明をしたり。 このアプリを使えば、サイクリングの楽しさが広がること間違いなし。

0041コースを完走すればVolcano to Seaふくしまfinisherに認定!
 コースのいずれかを完走した方は、Volcano to Seaふくしまfinisherの証オリジナル手ぬぐいをプレゼントします。お帰りの際はゲットした手ぬぐいを持って、温泉へお立ち寄りください。
 ※各コース、先着200名様ずつとなります。
 ※なくなり次第、終了となりますので予めご了承ください。
 ※完走したコースそれぞれで手ぬぐいをお渡しします。

2コースを完走すればVolcano to Seaふくしまマイスターに認定!005
 キャンペーン期間中に「Volcanoコースいずれか1コース」と「Seaコースいずれか1コース」の合計2コースを完走した方をVolcano to Seaふくしまマイスターと認定します。Volcano to Seaふくしまマイスターの名に相応しく、オリジナル猪革キーホルダーと認定証を進呈します。
 ※先着100名様となります。
 ※なくなり次第、終了となりますので予めご了承ください。
 ※認定証は全員に発行します。

Volcano to Seaふくしまを走って記念を残そう!
 Volcano to Seaふくしまfinisherボードにチェキを貼ってSIGN ON!!

豪華賞品が当たるフォトコンテストを開催!
 「ふくしま」をテーマにした思い出の写真を大募集。#ボルふくをつけてSNS(twitter/instagram)に投稿するだけで、地元のお土産をGETできるかも!?

コース
 安達太良山を一望できるスカイピアあだたらからスタート。クライマックスは磐梯吾妻スカイラインのヒルクライムです。コース近辺には岳温泉、高湯温泉、土湯温泉など県内自慢の温泉地もぜひお楽しみください。スポットや拠点などで福島の新鮮なフルーツをはじめとした農産物などもお土産にいかがでしょうか。
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コースストーリー
1 スカイピアあだたら 眺望の温泉保養館008
 安達太良山を間近に『本当の空』を眺めながら日帰り温泉を楽しめます。同じ敷地内にスケートボード、スラックライン、ボルダリングが楽しめる『スカイピアあだたらアクティブパーク』があります。汗を流した後にゆっくりと日帰り温泉は如何でしょうか。
2 道の駅安達
 「智恵子抄」でおなじみの安達太良山を一望できる「北と南の玄関口」
007 ドライバーの快適な休憩施設や、道路利用者と地域との情報発信や地域連携の機能が満載されています。地元の朝採り野菜や1,000年の伝統を今に伝え手漉き創作和紙が体験して楽しめる「二本松市和紙伝承館」などがあります。平成25年にオープンした下り線の道の駅には、焼き立てのパンがいつでも楽しめる「二本松ベーカリー」、ゆったりした時間と空間が楽しめる「カフェ」や広い芝生の休憩スペースもあります。
3 アンナガーデン 福島の街を一望する丘の上に、ヨーロッパの雰囲気漂う街並みが広がる
 吾妻連峰の山麓に位置する個性豊かでこだわりの逸品を扱う店舗が並び、美酒・美食・ショッピングなどを楽しめます。
4 道の駅ふくしま ふくしまの魅力が凝縮
 2022年4月27日にオープンしたふくしまの新しい道の駅です。ここでは、農作物を代表とする特産物の購入はもちろん、それらを利用したレストランも並んでいます。サイクリングの休憩地点としてもよし、福島周辺の観光情報も詰まっているためその前後の観光拠点としてもおすすめです。
5 高湯温泉観光協会 白濁の湯で癒す温泉地
 東北初の「源泉かけ流し宣言」をした高湯温泉の情報発信拠点。併設の「共同浴場あったか湯」では露天風呂で日帰り入浴が楽しめる。
6 浄土平ビジターセンター 雄大な自然の玄関口
 浄土平周辺の自然を模型やパネル写真等を通して紹介する施設。自然観察会やトレッキングなどの行事も随時行っている。
7 スカイピアあだたら
009
Volcanoコース 120km(道の駅ふくしま発着)
1 道の駅ふくしま 2 高湯温泉観光協会 3 浄土平ビジターセンター 4 スカイピアあだたら
5 道の駅安達 6 アンナガーデン 7 道の駅ふくしま


Seaコース110km(相馬市千客万来館発着)
1 相馬市千客万来館 2 浜の駅松川浦 3 不動尊公園 4 まちの駅やながわ
5 道の駅伊達の郷りょうぜん 6 まきばのジャージー 7 相馬市千客万来館

Seaコース110km(まちの駅やながわ発着)
1 まちの駅やながわ 2 道の駅伊達の郷りょうぜん 3 まきばのジャージー
4 相馬市千客万来館 5 浜の駅松川浦 6 不動尊公園 7 まちの駅やながわ

専用アプリを使って、福島県内4つのコースを自転車で走り抜けよう、ということですね。ただ、4コースではありますが、「Volcano(火山)コース~福島・二本松~」、「Sea(海)コース~相馬・伊達~」、ともに2箇所ずつ「拠点」が設けられ、どちらの拠点からスタートしてもOK、スタートと同じ拠点へゴールするというルールで、実質2コースです。

このうち「Volcano(火山)コース~福島・二本松~」は、安達太良山、道の駅「安達」智恵子の里などが含まれています。

それにしても、火山あり、海ありと、改めて福島県の魅力が感じられますね。自転車愛好家の皆様、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

小笠原耕三は耕一の誤とわかり、メダルの内山さんに速達ハガキを出し、三を一に直してもらふやうたのむ、


昭和28年(1953)9月29日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の完成作となった小品「大町桂月メダル」。翌月行われた「十和田湖畔の裸婦群像(乙女の像)」除幕式に際し、関係者に記念品として配付されたものです。

桂月の肖像と、桂月以下、「十和田の三恩人」の名が刻まれましたが、このうち道路整備等に腐心した元法奥沢村長・小笠原耕一の名が、誤って「耕三」と光太郎に伝えられ、その通り陽刻してしまいました。正しくは「耕一」だとわかり、すでに鋳造師の元に送られていた粘土原型を、慌てて直してもらったとのこと。

なぜか誤りの「耕三」バージョンが世に出ています。試鋳されたものが出回ってしまったのでしょうか。

昨日の新聞二紙から。

まず、「土用丑の日」だったということで、『朝日新聞』さんの土曜版から、鰻の蒲焼きについての記事。かなり長いので全文は引用しませんで、後半のみを。前半では、土用丑の日に夏ばてを防ぐため、栄養価の高いうなぎを食べる慣習について、平賀源内がうなぎ屋のために考案し、広まったという『定説』について。「裏付けとなる文献が、今のところ見つかっていない」ということで、肯定する根拠も、さりとて否定する根拠もないそうです。さらに、隅田川下流域の「江戸前うなぎ」がブランド化していった歴史、調理方法の変遷など。

そして、後半。「江戸前うなぎ」の名店の一つで、光太郎も通った「駒形前川」さんに取材。こちらは令和元年(2019)の『週刊ポスト』さんでも、光太郎にからめて紹介されていました。光太郎の父・光雲が生まれた嘉永5年(1852)に出た「江戸前大蒲焼」番付にも載った店です。また、光雲といえば、光雲の談話筆記『光雲懐古談』(昭和4年=1929)に、前川さんが登場します。

(はじまりを歩く)江戸前うなぎ 東京都 白米とみりん、客層を広げる

 昼下がりの「駒形前川」。7代目主人の大橋一仁さん(43)が、かっぽう着姿で取材に応じてくれた。もとは川魚問屋だったが、220年ほど前、初代がうなぎ料理を始めた。「目の前が大川だから、前川。浅草へ遊びに行く人が舟で乗り付け、腹ごしらえする店だったみたいです」
 しょうゆとみりんを煮詰めた「生(き)だれ」。生だれをつぎ足し、つぼに入っているのが「母(ぼ)だれ」。これが代々続く秘伝のタレだ。「生だれと母だれ、なめると味が全く違う。母だれには、積み重なってきたうなぎのうまみがつまっている」という。
 うなぎをつぼにつけるのは、さばいて、串をうち、素焼きにして、蒸しに入れ、余分な脂を落とした後の工程だ。うなぎの身が、新しい良質な脂とうまみをつぼに落とし、同時に、母だれの熟成したうまみをたっぷり吸い込んで、再び焼かれる。
 老舗の蒲焼きが、甘くないのに、うまい理由は、ここにあった。

010
 先代たちの歴史は「選択」の連続だった。関東大震災、東京大空襲では、つぼを大八車に載せて逃げた。店が焼失しても、ゼロから再出発した。2011年3月、東日本大震災の大きな揺れが店を襲ったその時も、一仁さんの父で6代目の一馬さんは、客や従業員の安否を確かめながら、つぼのことを鬼気迫る表情で案じていた。一馬さんは病気で他界し、7代目となった一仁さんが、長引くコロナ禍と向き合ってきた。
 店の伝統を裏付けるような資料を残す余裕は、先代たちになかったようだ。だからこそ、番付「江戸前大蒲焼」の存在は「色んな人にうちを知ってもらえて、ありがたい」。
 江戸前うなぎに「蒸す」という調理工程が加わった背景には、江戸時代後期のコレラの流行がある、と一仁さんは考えている。「より衛生的で安全な提供方法を考えた結果、先人は蒸すことを選択した。天然か、養殖かも、選択の一つ。守るべきこと。変えるべきこと。いつの時代も、両方を考えないといけない」
 江戸時代に花開いたうなぎ文化もいま、岐路に立たされている。稚魚や親ウナギの保全、人工孵化(ふか)や完全養殖。絶滅危惧種となってしまったニホンウナギと共存するための、新たな選択肢が模索されている。
 かつては筒を沈めるだけで、ウナギがとれたという隅田川。今でも釣りスポットとして人気だが、ネット上で「隅田川の魚は食べても美味だ」と薦める人は見かけない。
 目の前の水辺にいたヘンな魚を、焼いて食べたら、うまかった。しょうゆ、山椒、みりん、ご飯をつけたらもっとうまかった。そんなシンプルな話だったのだ。ある時までは。

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「駒形前川」は、池波正太郎、高村光太郎、山田耕筰といった文化人がひいきにしていた。現在は千葉県銚子市の問屋から天然に近い環境で育てた養殖うなぎ「板東太郎」などを仕入れている。雷門通りにある「やっこ」も、ジョン万次郎や勝海舟が訪れた名店だ。
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当方自宅兼事務所のある千葉県香取市。利根川の水運の要所として、江戸時代から続く古い街並みも残る観光地です。やはり利根川の関係で鰻も昔からの名物で、旧市街には江戸時代創業のうなぎ屋さんが数店。さらに住宅街である自宅兼事務所近くにはその支店も。

以前は、遠隔地の友人、仕事の打ち合わせに訪れた方などが訪ねてきた際には、そうした店にご案内することも少なくなかったのですが、最近はとんと足が遠のいています。とにかく美味ではありますが、やはり価格の問題がありまして……。以前は二千円ほどで食べられましたが、最近は四千円台と記憶しております。記事にもあった資源としての減少の問題が大きいのでしょう。

ちなみに今年の土用丑の日は、2回。昨日と、8月4日(木)も該当します。光太郎父子に愛された「駒形前川」さん、ぜひ足をお運び下さい。

もう1件、やはり昨日の『福島民報』さん。「福島県 今日は何の日」という連載です。

「福島県 今日は何の日」 1990(平成2)年7月23日 国体スローガン 友よ、ほんとうの空にとべ!

 1995年に開催した第50回国民体育大会のテーマ(愛称)が「ふくしま国体」、スローガン(合言葉)が「友よ ほんとうの空に とべ!」に決定した。
 テーマは美しい自然など本県の持つ特性を県名に込め、平仮名で柔らかく表現した。スローガンの「ほんとうの空」は「智恵子抄」などによって県内外に知られており、本県の全体的な印象として定着していると判断した。
 4月中旬からスローガンとテーマを公募し、テーマに1万7664点、スローガンに1万4250点が寄せられた。
009
平成7年(1995)の「ふくしま国体」。このテーマに「ほんとうの空」の語が使われたことで、以後、福島の形容詞として、「智恵子抄」由来の「ほんとの空」、その変形種「ほんとうの空」の語が広く使われるようになっていきました。ただ、平成23年(2011)の東日本大震災による福島第一原子力発電所のメルトダウン以後、また違った意味が付加されるようになってしまったのは残念ですが……。

ちなみに「ふくしま国体」のテーマソング、佐藤信氏作詞、林光氏作曲の「ほんとうの空へ」は、現在でも時折コンサート等で演奏されています。
「林光ソングをうたい継ぐ(5)~ほんとうの空へ(1990年代)」。
合唱団じゃがいも第48回定期演奏会 林光さん没後10年を偲んで。
こちらも末永く愛されて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

山口小学校長浅沼氏今朝来訪の由、又午后くるとの事、 午后東方亭主人くる、トマトをもらふ、 山口小学校長くる、自園の桃をもらふ、


昭和28年(1953)8月24日の日記より 光太郎71歳

山口小学校」は、かつて光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くにあった小学校。そこの先生方や子供たちとは深い交流がありました。校長・浅沼政規は光太郎に関する貴重な回想を数多く残しました。子息の浅沼隆氏は、現在も光太郎の語り部として花巻で活動されています。

東方亭」は、戦前からの光太郎行きつけのトンカツ屋。荒川区の三河島に店がありました。

昨日に引き続き、智恵子の故郷・福島からのイベント情報です。

プレスリリースから。

60万球が光り輝く福島の夏の風物詩「あだたらイルミネーション」7/31(土)開幕! カラフルなインスタ映えメニューも多数登場!

 富士急安達太良観光株式会社が展開する「あだたら高原リゾート」(福島県二本松市)では、2022年7月30日(土)~9月19日(月祝)の期間、「あだたらイルミネーション」を開催いたします。

 今年で11年目を迎える本イベントは、光の天の川を中心に花や動物などをモチーフにしたイルミネーションで輝くあだたら高原リゾートの夏の風物詩です。今年の見どころは、ゲレンデに広がる光の天の川に、わし座・こと座・はくちょう座で構成される「夏の大三角形」や「北斗七星」、「カシオペア座」といった夏の星座をイルミネーションで楽しめるほか、ここでしか見ることができない光り輝く二本松のマスコットキャラクター「菊松くん」のフォトスポットや昨年から黄色の輝きがさらにパワーアップした「光のひまわり回廊」など、夜の安達太良山を美しく彩ります。また、暗闇に光るかき氷や光るドリンクなど、イルミネーションを鑑賞しながら楽しめるひんやりメニューも登場いたします。
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 さらに、期間中の特定日には、安達太良山の夜空に願いを込めてたくさんのスカイランタンを浮かべる参加型イベント「LEDスカイランタンフェスティバル」も開催。イルミネーションの輝きと相まって、世界でここだけの幻想的な光景が広がります。

 夜だけではなく昼から来ても楽しめるあだたら高原リゾートでは、岳温泉名物の温泉たまご「とろんたま」がトッピングされた「とろんたま入り台湾風まぜそば」や、かき氷のようでかき氷ではない、アイスクリームともまた違う、雪のようなふわふわ食感の冷たいスイーツ「あだたらスノーアイス」など、夏にぴったりのメニューが新登場。ぜひ、ご賞味ください。

 あだたら高原リゾートでは、ご来場いただく全てのお客様に安心してお楽しみいただけるよう、新型コロナウイルス感染症対策を徹底しております。この夏は、阿武隈の山々を見渡す絶景の大パノラマと幻想的なイルミネーションの世界を楽しみに、「あだたら高原リゾート」へぜひお越しください。

【「あだたらイルミネーション」概要】
・開催期間  2022年7月30日(土)~9月19日(月祝)
 ※8月29日以降は、金・土・日・祝日のみの営業
・営業時間  19:00~21:00
 ※ロープウェイの上り最終20:30、下り最終20:50
・料金
  入場料:中学生以上600円、小学生以下400円
  入場料とロープウェイ乗車料のセット:中学生以上1,400円、小学生以下900円
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LEDスカイランタン【ほんとの空に願いをこめて】

 今年で3年目を迎える「LEDスカイランタンフェスティバル」がこの夏も皆様の期待にお応えし開催いたします。オレンジ、ピンク、グリーン、ブルー、レッドの5色のランタンが夜空に浮かび、ここでしか見られない幻想的で美しい光景が広がります。
・開催日 8月6日(土)、13日(土)、20日(土)、27日(土)、
     9月3日(土)、10日(土)、17日(土)、18日(日)
・時間  18:00受付開始、20:00ランタンリリース予定
・料金  3,500円(ランタン1基、イルミネーション入場料1名分含む)
・参加方法  各開催日前日までの予約申込み ※各日先着80名様限定​
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■インスタ映え間違いなしの光るメニューが登場!    
 「富士急レストハウス」では、イルミネーション期間中限定で、「光るかき氷」と「光るドリンク」を販売いたします。「光るドリンク」には安達太良山の夜空に輝く星座をイメージした「スターライト(バラフライピーシロップ入)」が新登場!キラキラと光り輝く様子はイルミネーションをさらに華やかに彩ること間違いなしです。
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■インスタグラム写真投稿キャンペーン開催!
 公式インスタグラム(@ adatara_illumination)をフォローの上、指定ハッシュタグ「#あだたらイルミ2022の思い出」をつけ、場内で撮影したイルミネーションの写真を投稿していただいた方の中から抽選で、地元特産品をセットにした賞品やリフト券&温泉入浴券セットをプレゼントいたします。この機会に、ぜひご参加ください。
【A賞】岳温泉十二支めぐり&温泉の素3種(5名様)
【B賞】桃の恵みジュース&温泉の素3種&あだたら山ピンバッチ(5名様)
【C賞】スキーリフト券&奥岳の湯入浴券セット(5組10名様)
◎賞品概要
「岳温泉十二支めぐり」は、岳温泉観光協会が企画・作成したもので、温泉街にある十二支の石柱をめぐり、ポストカードに版画を写して温泉街を巡ることができます。温泉の素は、岳温泉街にある佐藤物産館オリジナルの入浴剤で、「岳の湯」をはじめ「大玉の湯」など福島県内の温泉が再現されています。JAふくしま未来の「桃の恵み」は、桃の旨味をそのまま閉じ込めた果汁100%ジュースで、桃の名産地福島だからできた商品です。あだたら山ピンバッチは、あだたら高原リゾートオリジナル商品で、ロープウェイ山麓駅のレストハウス(売店)、「あだたら山奥岳の湯(売店)」のみでしか購入できない限定品になります。
 
■夏の爽やかメニュー多数登場!
 「富士急レストハウス」では、7月16日(土)より暑い夏にぴったりのメニューを多数販売いたします。辛いものがお好きな方に向けて、岳温泉名物の温泉たまご「とろんたま」が辛い麺と絡み合う「とろんたま入り台湾風まぜそば」や麻婆豆腐がたっぷりのった「麻婆そば」、かき氷のようでかき氷ではない、かといってアイスクリームとも違うまるで雪のようなふわふわ食感の冷たいスイーツ「あだたらスノーアイス」が新登場。お好みのソース(ストロベリー、ピーチ、チョコ)をかけて、お召し上がりください。
 さらに、昨年の夏に販売しご好評をいただいた、梅の酸味が食欲をそそる「梅とチキンのさっぱり冷やしうどん」や見た目も鮮やかでボリューム満点の「具だくさんの冷やし鶏塩ラーメン」もご賞味いただけるほか、「あだたらかき氷ソフト」と「あだたらソーダ」に今夏桃フレーバーが仲間入り。青空や緑の木々をバックに撮影すれば、インスタ映えすること間違いなしです!ぜひ、この機会にご賞味ください。
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【昼から来ても楽しめる魅力がいっぱい!】
■ロープウェイからの絶景、薬師岳パノラマパークからの雄大な景色を一望
 「日本百名山」の一つに数えられる安達太良山は、標高1,700mで夏でも涼しい環境で大自然を満喫できます。あだたら山ロープウェイに乗って約10分の空中散歩を楽しんだ後、山頂駅からは阿武隈山系や福島市街地を一望。さらに、散策道を10分程歩いたところにある「薬師岳パノラマパーク」では、高村光太郎が『智恵子抄』の中で「ほんとの空」と謳ったことで知られる、青く澄みきった空と絶景の大パノラマが楽しめるほか、山肌にはハートの形を発見することができ、見どころいっぱいです。
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■絶景露天風呂「あだたら山奥岳の湯」でリフレッシュ!
 標高約950mに位置する「あだたら山奥岳の湯」は、遮るもののない眺望が自慢の露天風呂で、高村光太郎が『智恵子抄』の中で「ほんとの空」と謳ったことで知られる「ほんとの空」を全身で楽しんでいただくことができます。また、内湯は「源泉かけ流し」で、泉質は全国的にも珍しいph2.5の酸性泉で、筋肉痛や神経痛、疲労回復、また皮膚病への効能や美肌効果もあると言われております。
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ここまで「ほんとの空」の語を連発されては、紹介しないわけにはいきません(笑)。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

群像の人くる、迎の車で西銀座「出井」といふ料亭で、金子光晴、三好豊一郎氏と三人詩の座談会、

昭和28年(1953)8月13日の日記より 光太郎71歳

「出井」はつい先頃まで健在だった割烹料亭です。この日の座談会の模様は、この年11月の雑誌『群像』に「現代詩について」の題で掲載されました。

7月16日(土)付『福島民報』さんから。

【写真展138億光年宇宙の旅】③人類宇宙探査の集大成

004 福島市のとうほう・みんなの文化センター(県文化センター)で十六日開幕する写真展「138億光年 宇宙の旅」は、高精細の天体写真で星空の美しさを伝える。監修する国立天文台上席教授渡部潤一さん(会津若松市出身)が見どころを寄稿した。

「ほんとの空がある」
 高村光太郎の妻・智恵子が、住んでいた東京にはなくて、故郷の二本松市だけに「ほんとの空」があると語った言葉から生まれた、『あどけない話』という詩である。福島にはまだ「ほんとの空」が残されている。それは夜の方がわかるかもしれない。東京では星座も結べないほど星が見えないが、福島では市街地を離れれば、まだまだ満天の星が見られるからだ。
 そんな「ほんとの空」のある福島には星を見に来る人も多いが、この夏は拍車がかかるかもしれない。最新の宇宙の写真展が福島市で開催されるからだ。展示されるのは、本紙のみんぽうジュニア新聞などでもしばしば紹介してきた驚くべき宇宙画像の数々。それらは現代の最新の観測装置群、例えばNASA(National Aeronautics and Space Administration、アメリカ航空宇宙局)のハッブル宇宙望遠鏡や数々の惑星探査機、日本の国立天文台がハワイに設置しているすばる望遠鏡や、欧米と共にチリに建設したアルマ望遠鏡など、世界中の最新鋭の望遠鏡群が撮影した画像だ。
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 百三十八億光年かなたの、宇宙の果てのかすかな銀河から、太陽系の惑星までさまざまな時間・空間スケールの異なる天体が並ぶ。美しさと鑑賞性を重視し、選び抜かれた画像群だ。宇宙から見た地球や立体的なオーロラなどの自然現象、人類の存在を示す夜景や人工建設物の造形、探査機が明らかにした驚くべき惑星の素顔の数々、そして何よりも芸術のような深宇宙の天体群の数々。可視光だけでなく、目に見えないエックス線から紫外線、赤外線までカバーして作られた疑似カラー合成画像は、美しさだけでなく、人類の宇宙探査の集大成でもある。
 これら深宇宙の天体の数々をたどり、百三十八億年の宇宙の歴史を感じていただくとともに、宇宙の中の地球という惑星に生きていることの奇跡を実感してもらえれば幸いである。

 わたなべ・じゅんいち 1960(昭和35)年、会津若松市生まれ。会津高、東京大理学部天文学科卒。東京大の大学院、東京天文台を経て、国立天文台上席教授を務めている。専門は太陽系小天体(すい星、小惑星、流星など)の観測的研究。国際天文学連合の惑星定義委員として準惑星のカテゴリーをつくり、冥王星をその座に据えた。2018(平成30)年から国際天文学連合副会長を務めている。61歳。

写真展「138億光年 宇宙の旅」についても、同紙から。

論説 【宇宙の旅写真展】地球いとおしむ機会に

 百億光年以上も離れた星々に間近に接し、想像力は果てなく広がる。きょう十六日から八月二十一日まで福島市のとうほう・みんなの文化センター(県文化センター)で開かれる写真展「138億光年 宇宙の旅」は、人類の英知を集めた最新画像で見る人を無限の時空へいざなう。地球や自らの存在を考える貴重な機会になる。
 写真展は、日本を代表する天文学者で国立天文台上席教授の渡部潤一さん(会津若松市出身)が監修した。米国航空宇宙局(NASA)をはじめ、世界の宇宙望遠鏡、惑星探査機などが捉えた写真百二十五点を大型の高品位銀塩プリントで紹介する。激しく噴き上がる太陽のプロミネンス(紅炎)、わし星雲の「創造の柱」と呼ばれる神秘的な領域など、多様な天体の姿が見られる。百三十億光年以上の距離にある銀河の写真も公開される。
 地球を捉えた写真の数々にも注目したい。月の地平線から浮かび上がる「地球の出」は、水と生命を湛[たた]える麗しさに息をのむ。地球は今、気候変動による環境破壊が進む。感染症や戦火にも脅かされている。持続可能な存在にするための国際目標(SDGs)がうたわれている。写真を通して県民が自分事と捉え、SDGsへの意識を日常の行動につなげるきっかけになればと願う。
 渡部さんは十五日付本紙への寄稿で、「福島にはまだ『ほんとの空』が残されている。それは夜の方がわかるかもしれない」と思いを伝えている。美しい満天の星空を末永く守るためにも、一人一人の心がけは欠かせない。
 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機はやぶさ2が小惑星りゅうぐうから持ち帰った砂などの試料に、「生命の源」ともいわれるアミノ酸が含まれていると分かり、世界を驚かせた。会津大や複数の県内企業がはやぶさ2のプロジェクトに深く関わっている。会場では、はやぶさ2の二分の一模型や、県内企業が手がけた人工クレーターをつくる衝突装置なども紹介される。未知の領域に挑む県人の潜在力も感じてほしい。
 渡部さんは「深宇宙の天体の数々をたどり、百三十八億年の宇宙の歴史を感じていただくとともに、宇宙の中の地球という惑星に生きていることの奇跡を実感してもらえれば」とも期待した。人種や国籍を問わず、誰もが同じ奇跡の上にあると知れば、互いを慈しむ心は深まる。未知なる宇宙の深淵[しんえん]に触れ、現在と、これからの地球を見渡す視界も広げたい。

同展詳細はこちら。

写真展 138億光年宇宙の旅-驚異の美しさで迫る宇宙観測のフロンティア-

期 日 : 2022年7月16日(土)~8月21日(日)
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 7/25(月)・8/8(月)
料 金 : 一般 1,200円 中高生 900円 小学生 600円

関連行事<講演会>
 講師 渡部潤一(国立天文台 上席教授)
 日時 7/23(土)13:30~15:00
 場所 2階会議室
 定員 200名(先着順)※定員になり次第締め切り
 申込 メールにて jigyo@fukushima-minpo.co.jp
    ※郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号を明記のうえお申込みください。
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コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

ひる頃平凡社の美術全集よりくる、エジプト彫刻のグラビヤ解説4枚20日〆切、

昭和28年(1953)8月7日の日記より 光太郎71歳

この年9月5日発行の『世界美術全集 第4巻 古代エジプト』のための原稿です。

光太郎はプリミティブなエジプト彫刻の美を愛しました。欧米留学中の明治40年(1907)から翌年にかけ、ロンドン滞在中に大英博物館でエジプト彫刻をよく観ていたそうです。

それにしても、突然、書け、といわれても書けてしまうあたり、舌を巻かされます(笑)。
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当会の祖・草野心平が愛した祭です。

第57回天山祭り

期 日 : 2022年7月9日(土)
会 場 : 天山文庫 福島県双葉郡川内村大字上川内字早渡513
         雨天時は村民体育センター 川内村大字上川内字小山平15
時 間 : 午前10時~12時
料 金 : 500円

 「天山祭り」について、今年度57回目の天山祭りを開催する運びとなりました。これもひとえに皆様方の御指導、御支援によるものと深く感謝申し上げます。
 今年度は、感染対策を徹底しつつ、村内外の方を招き、草野心平先生を偲ぶ祭りといたしますので、万障繰り合わせのうえ、御参加いただきますようご案内申し上げます。

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当方、4回ほど参加させていただきました。

蛙を愛した心平と、モリアオガエル繁殖地である川内村さんがマッチングし、村では心平を名誉村民に認定して下さり、さらに村に別荘まで建てて下さいました。それが会場となっている天山文庫。心平は厖大な蔵書をこちらに寄贈しました。こちらの建設委員には、光太郎実弟にして鋳金の人間国宝だった髙村豊周も名を連ねました。

コロナ禍以前は、心平詩の朗読、郷土芸能の披露などが行われ、名物のイワナなどが饗されていました。また、東日本大震災後は、震災からの復興を確認するという意味合いも含まれるようになっています。

しかし、コロナ禍。一昨年は中止となり、昨年は福島県内にのみ参加者を募って、こぢんまりと開催。
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昨年の写真です。左は親しくさせていただいている遠藤雄幸村長。

そして今年は、ほぼ旧に復するようです。ただ、やはり感染対策の一環として、食事の提供はありません。

当方、最後に行ったのが令和元年(2019)でして、久々にお伺いしたかったのですが、先約(「癒しの響き 鐘シンフォニーへの誘い CD発売記念コンサート in矢来能楽堂」)があり、残念です。まぁ、来年以降も続くと思いますので、次の機会を、と思っております。

天山文庫、そして川内村自体、実にいいところです。ご興味のある方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

一時頃NHKより熊谷さん、摩尼さん、写真班、録音技師等レコーダー持つてくる、九分づつ三回分録音、十三、十四、十五日朝六時40分より、


昭和28年(1953)4月11日の日記より 光太郎71歳

光太郎がかつて翻訳した「ロダンの言葉」についてのラジオ放送に関わります。内容等詳細が不明なのですが、光太郎が「ロダンの言葉」について語ったのか、もしかすると光太郎自身が朗読したのか、そんなところと思われます。残念ながらNHKさんに音源が残っていないようです。

地方紙『福島民友』さん、一昨日の一面コラム。

編集日記 梅雨入り

神戸市の文化ホールは、花瓶に生けた青いアジサイを描いた壁画がシンボルになっている。市民の文化力を創造、発信する拠点の象徴として、市民の花にちなんで選ばれた▼原画となったのは、神戸市から遠い二本松市出身の洋画家高村智恵子が制作した紙絵「アジサイと花瓶」。智恵子は心の病を患い、静養先の病床で紙絵を毎日のように作った。花や野菜など、目に触れたものを何でも題材にし、はさみで色紙を切り、作品に仕上げた▼きっかけは、夫の光太郎が贈った千代紙だった。折り鶴から始まり、次第に色紙を用いて紙細工や切り抜き絵を作った。千数百枚に及んだ紙絵を、光太郎は「智恵子の詩であり、抒情であり、機智であり、生活記録であり、この世への愛の表明」と表した(「智恵子紙絵」ちくま文庫)▼智恵子の古里でアジサイの開花の便りが届くようになった。「あじさい寺」として市民らに親しまれている高林寺でも咲き始めた。今月下旬にも30種、約5千株が見頃を迎えるという▼県内がきのう梅雨入りした。しばらくはうっとうしい空模様が続きそうだ。智恵子らも目にとめた色鮮やかなアジサイに心を癒やされ、少しでも明るい気持ちで過ごせるならいい。

神戸文化ホールさん、コラムにあるとおり、智恵子紙絵を原画とした巨大なモザイクタイルで彩られています。当方、二十数年前、これを見るために神戸に行って参りました。
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洋画家の故・田中岑(たかし)氏の手になるものです。

智恵子の原画紙絵がこちら。
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「なぜ紫陽花?」と思っていましたが、紫陽花は「神戸市民の花」という位置づけだったのですね。

文化ホールさん、昭和48年(1973)開館ということで、老朽化による移転計画が持ち上がっていましたが、ここにきてコロナ禍による財源不足で計画の見直しがなされているとのこと。どうなりますことやら、注意していたいと思います。

当方自宅兼事務所にも、紫陽花が四株、妍を競っています。もっとも、「世界に一つだけの花」ではありませんが、花々には「競う」という感覚はないのでしょうが(笑)。
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もう1件、同じ『福島民友』さんの一面コラム、6月14日(火)の掲載分をご紹介します。生前の光太郎を撮影され、今月初めに亡くなった写真家・田沼武能氏について触れられていました。

編集日記 田沼武能さん

坂本龍馬や徳川慶喜など、写真の黎明(れいめい)期に撮られたポートレートは一様にしかめ面をしている。昔のカメラはフィルムに十分な光を当てるのに時間がかかって、顔の表情が動くときれいに撮影できなかった▼近年の研究では、笑顔に似た表情をつくることで、脳内の快感物質が活性化され、楽しい気持ちが生み出されることが分かってきている。カメラマンから「笑って」と言われた時には、笑う理由がなくても、素直に口角を上げたほうがいい▼世界100カ国以上を訪れ、子どもたちの表情を撮り続けた写真家、田沼武能さんが亡くなった。こだわったのが笑顔。戦争や飢餓そのものではなく、そこで懸命に生きる子どもたちの表情にカメラを向け続けた▼震災の後に本県を訪れた際も被災地ではなく、仮設住宅の被災者を撮った。家と共にアルバムなども流されてしまった人たちに記念写真を持ってもらうため。2人きりでの写真は結婚式以来56年ぶりという老夫婦は身を寄せ合って、ぎこちないながらも笑顔を見せた▼笑顔は自分ばかりではなく、それを見た人の気持ちにも影響することも分かっている。田沼さんがあの日撮った作品は、きっと今も誰かを明るい気持ちにしている。

田沼氏と福島、こういうつながりがあったというのは存じませんでした。改めましてご冥福をお祈り申し上げます。

【折々のことば・光太郎】009

小坂さんくる、七尺像の骨組にとりかかる、ひる小坂さんと近所でソバ、


昭和28年(1953)3月5日の日記より
 光太郎71歳

七尺像」は生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の本体です。これまで小型試作、手の試作、中型試作と作り続けてきましたが、いよいよ本体の制作にかかりました。

小坂さん」は助手を務めた彫刻家・小坂圭二。「骨組」とともに撮影された写真が現存しています。通常の胸像程度の大きさでしたら、あるいは光太郎が健康不安を抱えていなかったら、光太郎一人でも何とかなったでしょうが、七尺ともなると、小坂の助けなくしては無理だったでしょう。

6月13日(月)に初回放映のあった番組の再放送があります。

再 徳永ゆうきの一期一会はなうた旅 #12

BSJapanext 2022年6月20日(月) 02:30~04:30/12:30~14:30

実力派演歌歌手の徳永ゆうきが北海道・東北地方の7道県をおさんぽ! その土地にゆかりのある方と一緒に北国の絶景やグルメ・工芸品等を巡ります。旅先を訪れる際にはその場所にまつわる”はなうた”を歌いながら、別れ際にはお世話になった方々へ歌をお届けします♪ みるだけでなく、聞いても楽しい旅番組です!

今回は二本松市を徳永ゆうきがを旅します。絶景!二本松城から眺める安達太良山。名菓「玉羊羹」の製造工程を見学。世界が認める日本酒に大興奮!

出演者 徳永ゆうき 箭内夢菜

初回放映を拝見いたしました。
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まずは二本松城(霞ヶ城)址。光太郎の父・光雲の孫弟子にあたる故・橋本堅太郎氏作の二本松少年隊像前から始まりました。
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ご出演は、まず番組の冠になっている演歌歌手・徳永ゆうきさん。
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ゲストにして案内役は、郡山ご出身の女優・箭内夢菜さん。
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天守台へと上って行かれました。
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ただ、この日は曇天だったようで、安達太良山は見えず。そこで資料映像的な。
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続いてお二人が向かったのは、城址からほど近い市街地の玉嶋屋さん。羊羹の老舗です。
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羊羹作りの工程をご覧になったり、名物の玉羊羹を賞味されたり。
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最近はハート型の玉羊羹も販売されているそうで、これは存じませんでした。
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そして、智恵子生家/智恵子記念館に近い、道の駅「安達」智恵子の里
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最初は「道の駅安達」としか紹介されず、「おいおい、「智恵子の里」はどうした?」と思っていたら、演出的に引っ張っていたのでした。
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施設内に入ってから、「智恵子の里」と、明かされました。

そして、レモン。
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レモン系の商品等、いろいろ紹介されました。
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それ以外に、郷土料理「ざくざく」系も。下記は「ざくざくカレー」。
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この番組、タイトルに「はなうた旅」とあるとおり、徳永さんが行った先々で歌をご披露。ご自分の歌だったり、他の方の曲のカバーだったり。道の駅では、「もしかすると二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」か?」と思ったところ……。
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「れもんコロッケ」を召し上がりつつ、まさかの米津玄師さん「Lemon」、演歌風(笑)。

この後は、同じ道の駅「安達」智恵子の里の和紙伝承館さんで、紙漉き体験。
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残念ながら、智恵子の生家/智恵子記念館には立ち寄られませんでしたが、さらに二本松市内のおすすめスポットへ。

岳温泉さん。
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奥の松酒造さん。
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尺が2時間の番組ですので、各所、詳しく紹介されていました。

次回放映は盛岡編だそうですが、今後また、光太郎智恵子がらみの場所等、レポートしていただきたいものです。

もう1件、初回放映がもう今夜なのですが、昨日になってネットに情報が出たもので……。

アプリで生判定!地域創生プレゼンバトル #10

BSJapanext 2022年6月17日(金) 19:00~20:00 
再放送 6月24日(金) 02:30~03:30/12:30~13:30


絶景、グルメ、伝統工芸など、日本全国、地域の魅力を東西に分かれて熱烈プレゼン! MCを関根勤と小堺一機が交代で担当。魅力たっぷりの映像と、熱のこもったプレゼンで、これまで知らなかった地域の魅力をトコトンお伝えします。プレゼンの勝敗を決めるのは、アプリを使った視聴者投票!家族みんなで奮ってご参加ください!!

今回の対決は…
▼絶景対決
 二本松城(福島)VS日御碕灯台(島根)
▼工芸品対決
 上川崎和紙(福島)VS薩摩切子(鹿児島)▼極上グルメ対決
 温泉ワインうなぎ(山梨)VS薩摩牛・極(鹿児島)

出演者 判定人:関根勤 プレゼンター西日本:みかん 東日本:たきうえ(流れ星☆)
進行:山中秀樹
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「徳永ゆうきの……」と同じ、BSJapanextさん(今春開局・全番組無料放映)の番組です。

併せてご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

迎により車で一時頃中山太陽堂の講堂行、満員、井上女史ゐる、談話を2時間はかり、

昭和28年(1953)2月28日の日記より 光太郎71歳

はかり」は「ばかり」。光太郎、時々濁点の省略が見られます。

中山太陽堂」は、現・クラブコスメチックス。老舗の化粧品メーカーです。「井上女史」は、智恵子の母校・本女子大学校の第四代校長を務めた井上秀。この日は井上も一枚からんでいた「中山文化研究所婦人文化講座」の一環として、井上が旧知の光太郎の講演をお膳立てしました。前年までの花巻郊外旧太田村での山小屋生活、制作中の生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」などについて語られています。

講演の筆録は、「美と真実の生活」の題で、この年発行の雑誌『婦人公論』第37巻第6号に載り、さらに古谷綱武編『暮しの美しさ』(講談社 昭和29年=1954)に再録されました。それをテキストに『高村光太郎全集』第10巻に収められています。

ところが、そちらは講演全体の7割程度の部分のみの筆録でした。全文は雑誌『女性教養』第173号(昭和28年=1953 6月)に「炉辺雑感」の題で収録されています。どうも何かしらの「大人の事情」があったようで、『婦人公論』等では、井上の名が出て来る部分がスパッとカットされています。当方編集の「光太郎遺珠⑧」(『髙村光太郎研究』第34号 平成25年=2013 髙村光太郎研究会)に全文を載せました。国会図書館さん、日本近代文学館さん等に所蔵されています。

また、『婦人公論』所収の際に生じた誤植が、そのまま『高村光太郎全集』に踏襲されてしまいました。農作物の種蒔きに関しての部分で、『婦人公論』では「今日は都合が悪いから明日まこうでは、決していい物をつくることができない。そんなずれは許されない。」となっていますが、本来は「今日は都合が悪いから明日まこうでは、決していゝ物をつくることが出来ない。そんなズルは許されない。」となっていました。「ずれ」と「ズル」では、かなりニュアンスが異なりますね。

こういうこともあるので、この世界、なかなか大変です。

また、やはり『婦人公論』でカットされている部分に、実に興味深い一節がありました。

 昔は詩の月評というのがあつて、僕の創つた詩なんか、そこで毎月といつていゝ程必ずやつつけられたものだ。こんなのは詩じやない、てんで詩になつていないといわれる。あんまりいわれるので、俺のはそんなに詩になつていないのかなあとふさぎ込んでしまう。考えてみる。と、やつぱり詩になつている。また書く。またやられる。書いてはやられ、やられては書く。こつちはそれよりほかどうしようもない、絶体絶命なんだから、そして人間はとにかく生きてゆく権利があるのだから、俺は俺のことをやるしかない。俺の道を行くしかないというんで、二年程続けていたら、向こうでも根負けしたのか、馬鹿は相手に出来ないとでも思つたのか、パツタリやめてしまつた。

詩の月評」というのがどういうものなのか、よくわからないのですが、「句会」や「歌会」のような催しだったのでしょうか、それとも投稿雑誌等に詩を投稿していたということなのでしょうか。いずれにしてもきちんと詩人としてデビューする前の話と思われます。後者であれば、「二年程」の間、知られざる光太郎詩がなにがしかの雑誌に載ったということになりますが、そうした作品群の存在が確認出来ていません。情報をお持ちの方、コメント欄等から御教示いただければ幸いです。

地方紙『福島民友』さんと、ローカルラジオ局・ふくしまFMさんの番組「福島をあなたと知りたい3時間・福空間~フクスペース~」(金曜午後1時~)とのコラボ企画で、「これって福島だけ?」の投稿募集が行われました。

「福島に住んで当たり前のように思っていたけれど、もしかしてこれは福島だけのこと?と思うことはありませんか? 食べ物、風習、自然、言葉などジャンルは問いません。ずっと県内在住の方も、引っ越してきた方も、あなたの「福島で見つけたもの」「福島ならでは」を教えてください。」だそうで。

その報告的な記事。先月末の掲載でした。

【これって県内だけ?】行事や風景、魅力再確認

 県内では当然だと思っていた、あんなことやこんなこと、実は当たり前じゃなかった!? そんな「もしかして、これって福島だけ?」と思ったことを、読者やラジオ番組のリスナーに聞いた。
 まず、多く寄せられたのが食べ物に関するものだ。正月には欠かせない「いかにんじん」や、会津若松市では給食に出るほどポピュラーな「まんじゅうの天ぷら」、郷土料理の「ひきないり」「みそかんぷら」など、慣れ親しんだあの料理が、ここだけのものだったなんて、という驚きの声が続々と届いた。
 また、最近では県外でも知名度を上げている郡山市の「クリームボックス」や「酪王カフェオレ」などの"ニューフェース"も、県内だけのものとは思わなかったという回答が寄せられた。

児童の鼓笛行進
 同じテーマでメッセージを募集したラジオ番組で盛り上がりを見せたのが、小学校の鼓笛パレードの話題だ。
 鼓笛パレードとは、児童が楽器を演奏しながら市街地などを行進する華やかなイベントだ。福島市では新型コロナウイルス感染拡大を受け中止していたが、今年5月、3年ぶりに開催し、市内の小学校から約3000人の児童が参加した。例年は市街地をパレードしていたが、今年は感染防止のため、同市のとうほう・みんなのスタジアムで行われた。
 福島市以外にも県内各地で同様のパレードが行われており、交通安全啓発運動の一環として開催されることも多い。音楽活動に強い本県ならではの行事といえそうだ。
 同じく学校ネタでは、「福島県の小学校の出席番号は生年月日順」という回答が複数あった。調査を進めると、中学校以降は五十音順のところが多いが、小学校は生年月日順だったという人が多いようだ。本県独自のルールなのだろうか? 県教育委員会に問い合わせると、出席番号順について県では特に規定していないという。順番は学校単位で決めているようだ。また、過去には生年月日に加えて男女別だったという学校も少なくないようだ。
 そして、福島ならではといえば、外せないのが豊かな自然と美しい風景だろう。
 「安達太良山に『ほんとの空』がある」(南相馬市、ばぬらさん)をはじめ、「城や城跡が多い」(匿名希望)、「山に囲まれていると安心感を覚えます。都会だとビルだらけでとても不安になります」(福島市、フィヨンカさん)などの意見が集まった。
 記者の経験だが、東京の友人が福島に遊びに来た時「どの方向を見ても、突き当たりには山がある!」と感激していたことを思い出した。盆地に住んでいると当たり前の風景だが、遠くを見渡しても山がない都会の景色に不安を覚える気持ちはよく分かる。
 そして、最後にこんな意見も。
 「田舎だけど新聞社が2社あること。メディアが多いことで情報量が増え、1社独占ではなくけん制し合って良い情報が入ってくる」(ゆうすけさん)
 たくさんの情報をお届けできるよう、頑張ります!
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光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」を挙げて下さって、ありがとうございます。これからも福島を象徴する代名詞の一つとして、末永く使われてほしい言葉です。

それにしても前半の「福島あるある」的な部分、笑わせていただきました。

いかにんじん」は何となく存じていましたが、「「ひきないり」「みそかんぷら」など、慣れ親しんだあの料理」。はっきり言って「何じゃ、そりゃ?」です(笑)。「まんじゅうの天ぷら」は、当方父方のルーツである信州でも、精進料理的に饗される一品ですが、「会津若松市では給食に出るほどポピュラー」というのには驚きました。

酪王カフェオレ」は、高速道路のサービスエリアなどでも販売されていて存じていましたが、「クリームボックス」は「?」でした。調べてみると「郡山市民のソウルフード」だそうで。今度、探してみます。

鼓笛パレード」。そういえば智恵子の母校・二本松の油井小学校さんでも「智恵子記念マーチングパレード」を行っていました。これは健在なのでしょうか? 逆に、福島県内各地で広く行われ、ラジオ番組が盛り上がるほどのネタだったというのは意外でした。

小学校の出席番号は生年月日順」。これは当方自宅兼事務所のある千葉県であるあるネタとしてよく使われますが、福島もそうだったのですね(笑)。

残すべき地方文化は残し、それを誇りとして発信できるようであれば、どんどん広めていっていただきたいものです。「小学校の出席番号は生年月日順」はどうでもいいような気がしますが(笑)。

【折々のことば・光太郎】

午后上野アンデパンダン見学、館内で梅原龍三郎氏にあふ、久闊、


昭和28年(1953)2月19日の日記より 光太郎71歳

遠く明治42年(1909)、3年半におよぶ海外留学を切り上げて帰国の途に就く際、最後に滞在したパリ・モンパルナスのカンパーニュ・プルミエール通り17番地のアトリエを、光太郎から受け継いだのが梅原でした。

地方公共団体の広報誌から2件。

まずは智恵子の故郷・福島県二本松市の『広報にほんまつ』今月号。表紙で先月15日に行われた安達太良山の山開きを大きく取り上げています。
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光太郎詩「あどけない話」由来の「ほんとの空」の語もちゃんと。

他のページでもう1箇所、「ほんとの空」の語が使われていました。
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平成27年(2015)に作られた「ほんとの空体操」について、ちらっと言及されています。

「ほんとの空体操」については、以下をご参照下さい。
 『広報にほんまつ』平成27年10月号。
 『佐賀新聞』「有明抄」/『福島民友』「朝礼で「ほんとの空体操」。
 『広報にほんまつ』No.123 平成28年2月号「ほんとの空体操で元気に」。
 二本松市「ほんとの空体操」。


続いて、栃木県那須町の『広報那須』、先月号です。同町出身で、光太郎や宮沢賢治と深い交流のあった佐藤隆房が取り上げられています。

那須の歴史 再発見 ! 那須町と近現代の人々vol.05 佐藤隆房 (1890 -1981)

 5月号は湯本出身の医者、佐藤隆房(たかふさ)について紹介します。
 佐藤隆房は、明治23年、那須村湯本の佐藤房之助の長男として誕生しました。父の房之助は寄居出身で、芦野・湯本・馬頭・親園の小学校で教壇に立ち、退職後は湯本で常盤屋を経営するなど、那須地区の教育、那須温泉の発展に貢献した人物です。
 隆房は、湯本尋常小学校、芦野尋常高等小学校、大田原中学校(後に川越中学校に編入)、千葉医科専門学校(現・千葉大学医学部)を卒業すると、大正6年、現在の岩手県花巻市に「佐藤外科医院」を開業します。より大きな病院の必要性を地元政財界の要人に働きかけると、同12年「花巻共立病院」を創設し、院長に就任。同14年には「花巻産婆看護学校」を創設し、5地域医療の近代化に貢献しました。
 また、隆房は宮沢賢治や高村光太郎との交流が知られています。隆房は宮沢賢治最後の主治医であり、賢治の詩「S博士に」に登場するなど、賢治の作品に多数登場します。また、アジア太平洋戦争中には、高村光太郎を自宅の居室に疎開させ、親交を持ちました。戦後、隆房は自ら佐藤郷志館(現・桜地人館)を開館し、賢治や光太郎らの資料や作品を展示するなど彼らの功績を現在まで伝えています。
 隆房は故郷への社会貢献も行っています。昭和10年、喰初寺再興の発起人となり、寺の再興を果たすと、昭和40年には、那須小学校創立90周年式典において、卒業生として記念講演を行い、多額の寄付をしたと伝えられています。
 故郷への思いを持ちつつ、宮沢賢治や高村光太郎を支えた佐藤隆房。残念ながら隆房を知る人は那須町民より花巻市民の方が多いでしょう。御用邸だけでなく、町民が隆房を入口として地域との交流を深め、文化や経済の振興を図ることを期待してやみません。
問合せ:那須歴史探訪館 【電話】0287-74-7007
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IMG_0004残念ながら隆房を知る人は那須町民より花巻市民の方が多いでしょう。」その通りですね。象徴的な出来事がありました。

昭和24年(1949)、隆房が故郷・那須町の、広報にも記述がある喰初寺に、父・房之助を顕彰するため、房之助作の短歌を刻んだ歌碑を建立しました。その揮毫を光太郎に依頼し、光太郎もそれに応じて筆を揮いました。光太郎本人の作ではありませんが、墓碑等を除き、光太郎の筆跡が刻まれた碑の中では最も古いものです。右画像は拓本です。

30年ほど前、この碑を見に現地に行ったのですが、ありませんでした。聞けば、新しく鐘楼を建立した際に「邪魔だから」撤去してしまったとのこと。唖然としました。

若くして那須を離れた隆房はともかく、父・房之助は広報にもあるとおり、「芦野・湯本・馬頭・親園の小学校で教壇に立ち、退職後は湯本で常盤屋を経営するなど、那須地区の教育、那須温泉の発展に貢献した人物」なのに、です。

幸い、光太郎の書いた書自体は花巻の佐藤家に軸装されて残っていますが……。

広報に載ったのを機に、那須でも隆房、そして光太郎の足跡(確認出来ている限り、大正9年=1920と昭和5年=1930の2回、訪れています)などを掘り起こして欲しいものですね。

【折々のことば・光太郎】103

午前モデル、三尺五寸のを始める、


昭和28年(1953)1月12日の日記より 光太郎71歳

三尺五寸の」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のための中型試作です。

完成像が七尺ということで、実物二分の一という想定で作られました。これより前に取り組んでいた小型試作は完成像と同じく2体作られましたが、中型試作及び完成像は1体のみでした。

この中型試作の顔が、智恵子の顔に最もよく似ていると言われています。

中型試作の完成は1ヶ月半後の2月27日。光太郎にしては異常に速いペースでした。やはり健康不安が背景にあったのでしょう。

5月15日(日)、過日ご紹介した、智恵子の故郷・福島二本松の安達太良山山開きが行われました。

地元紙『福島民友』さんから。

ほんとの空広がる頂 安達太良山で山開き

 日本百名山に数えられる安達太良山(1700メートル)の山開きは15日、行われた。3年ぶりに山頂での安全祈願祭も再開され、多くの登山客が残雪を踏みしめながら頂上を目指していた。
 新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止していた安全祈願祭は参列者を制限して開催。登山客が見守る中、関係者が登山の安全を祈った。ミズあだたらコンテストは中止となったが、登山口では記念ペナントの配布も行われた。
 安達太良連盟によると、15日の登山者は約3000人。山頂には青空が広がり、登山者が360度の大パノラマを眺めながら仲間と食事を共にするなど思い思いに過ごしていた。
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同じく『福島民報』さん。

安達太良山で山開き 福島県の日本百名山 3000人が山頂目指す

002 日本百名山の一つ、福島県の安達太良山(1700メートル)は15日、山開きした。県内外からシーズンを待ちわびた約3000人の登山者が訪れ、新緑を満喫しながら山頂を目指した。新型コロナウイスル感染拡大の影響で中止していた山頂行事の一部も3年ぶりに復活した。
 山頂で参列者を制限して安全祈願祭を執り行った。二本松市などでつくる安達太良連盟の会長を務める三保恵一市長ら関係者が登山者の安全やコロナ禍の収束を願った。
 各登山口で先着3000人に記念ペナントを配布したほか、山開きに参加した人から登山を楽しむ様子などを交流サイト(SNS)のインスタグラムに投稿してもらうキャンペーンも実施した。
 安全祈願祭後の恒例の風物詩となっていたミズあだたらコンテストはコロナ禍で3年連続の中止となった。

一昨年昨年と、コロナ禍のため大幅に規模を縮小して行われていた安達太良山の山開き。まだコロナ禍前の状況まで完全には戻っていませんが、3年ぶりに山頂での安全祈願祭が復活など、着実に前進しているようです。

元に戻る日がそう遠くないことを切に祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

午前モデル、 午后藤島氏、 便 彫刻3尺もの支度、


昭和27年(1952)12月8日の日記より 光太郎70歳

彫刻3尺もの」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の中型試作です。

日記に記述がありませんが小型試作(像高約57㌢・左下画像)が2日後に完成、中型試作(同112㌢・右下画像)は、手の原寸大試作を経て翌年1月12日から着手されました。
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午前モデル」「午后藤島氏」といった書き方は、来訪者の記録。それから、これまで触れてきませんでしたが、「便」。光太郎、必ずといっていいほど、便通の記録をつけています。腹がゆるくなっていた日には「下痢便」など、細かに。

福島県観光情報サイト「ふくしまの旅」さんから。

ほんとの空がここにある。 5/15「第68回安達太良山山開き」開催!

安達太良山は日本百名山に数えられる標高1700mの山で、南北9kmにわたって連なる安達太良連峰の主峰です。花の百名山としても知られ、4月から10月上旬まで高原の花が順次開化し、訪れる人の目を楽しませます。二本松市出身の画家・高村智恵子の夫である高村光太郎は『智恵子抄』に「智恵子は東京に空が無いといふ、(中略)阿多多羅(あだたら)山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ。」と記しました。

5月15日(日)の山開きでは、各登山口にて7時30分から先着で3,000枚ペナントを配布します。5月29日(日)までの期間は、土日限定で二本松駅前や岳温泉を通るシャトルバスが運行され、電車でお越しの方や、岳温泉に宿泊される方におすすめです。

また、山開きを主催する安達太良連盟は公式インスタグラムを開設しました。インスタグラムキャンペーンも実施予定です。ぜひフォローしておでかけください。

【日にち】2022年5月15日(日)
【時間】7:30~ 山開き記念ペナント配布
※無くなり次第、終了となります。
※安達太良山山頂で行われる安全祈願祭は関係者のみで行われます。一般の方は神事エリア内への入場はご遠慮ください。
【問い合わせ先】安達太良連盟事務局(二本松市観光課内)
TEL:0243-55-5122
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地元紙『福島民友』さん。

「安達太良山」5月15日に山開き 3年ぶり山頂で安全祈願祭へ インスタグラムに公式ページを開設 安達太良連盟

 日本百名山の一つ、安達太良山(1700メートル)は15日、第68回山開きを迎える。新型コロナウイルスの感染防止のため、ミズあだたらコンテストが中止されるものの、3年ぶりに山頂で安全祈願祭が行われる。午前11時から。
 恒例の記念ペナントは、3年連続で各登山口での配布となり、午前7時30分から先着3000人に配られる。
 安全祈願祭は、新型コロナの拡大を受けて過去2年、二本松市の奥岳登山口で参列者を来賓らに制限して行われていた。参列者の制限は、今年も継続される。
 15日の安達太良山山開きを控え、関係市町村などでつくる安達太良連盟は6日、写真共有アプリ「インスタグラム」に公式ページを開設した。山開き当日のイベント情報や、登山道整備などの準備状況を発信する。006
 今年初めて、山開きに参加した人から登山を楽しむ様子などをインスタグラムに投稿してもらい、優秀作品を審査して賞品を贈るキャンペーンを行うことなどを踏まえて設けた。
 アカウント名は「adatarayama_yamabiraki」。初日は同連盟事務局がある二本松市役所から望む安達太良山や、山開きまでのカウントダウンをする職員らの写真が投稿された。問い合わせは同市観光課(電話0243・55・5122)へ。

一昨年昨年と、コロナ禍のため大幅に規模を縮小して行われていた安達太良山の山開き、今年は3年ぶりに山頂での安全祈願祭が復活するそうです。ただし関係者のみで、一般の登山客は神事エリアへの立ち入りは遠慮してもらうということで、まだ完全にコロナ禍前に復するわけではなさそうです。かつて行われていた「ミズあだたら」コンテストも無しだそうで。まぁ、それでも一歩前進ですね。

それから、細かい話ですが、一昨年(左下)、昨年(右下)はポスターから「ほんとの空」の語が消えていたのですが、今年はそれも3年ぶりに復活しました。
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さらに来年以降は完全に旧に復してほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

午后三時頃木村修吉郎氏くる、一緒に車、佐藤春夫氏宅によりて氏と同乗銀座ハゲ天、武者小路、辰野隆、豊島与志雄氏等と座談会、後豊島佐藤氏と火の車によりてかへる、

昭和27年(1952)11月25日の日記より 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため帰京してからまだ1ヶ月余りでしたが、すでに4回目の座談会です(これ以外に講演も2回)。今回のものは「湖畔の彫像」と題し、翌年、武者小路実篤主宰の雑誌『心』に掲載されました。劇作家の木村修吉郎、仏文学者の辰野隆、それぞれ『心』の編集等に関係していました。

会場の「銀座ハゲ天」は現在も健在の天ぷら屋、「火の車」は当会の祖・草野心平が経営していた居酒屋です。

智恵子の故郷・福島二本松の智恵子生家/智恵子記念館で、先月末から開催されている「高村智恵子生誕祭」についての報道等です。

まず『福島民友』さん。

29日まで高村智恵子生誕祭 生家の居室を特別公開 福島県二本松市の記念館

 高村智恵子生誕祭は29日まで福島県二本松市油井の智恵子の生家・智恵子記念館で開かれている。生家2階の「智恵子の居室」を特別公開し、繊細な美しさの紙絵の実物を展示している。
 20日の智恵子の誕生日に合わせた事業。居室は智恵子が光太郎と結婚後に帰郷したときも過ごしたとされ、当時の状態で保存されている。大型連休の8日までと、14、15、20、21、22、28、29の各日に公開する。
 智恵子が闘病中に制作した「青い魚と花」などの紙絵10点をも公開している。紙絵をモチーフにしたしおり作りも実施する。
 入館料は高校生以上410円、小中学生210円。
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続いて、『福島民報』さん。

高村智恵子作の紙絵...実物展示 二本松の生家・記念館で生誕祭

002 二本松市出身の洋画家高村智恵子が誕生した5月20日にちなみ、同市の智恵子の生家・智恵子記念館で4月28日、生誕祭が始まった。智恵子が制作した紙絵の実物展示や居室の特別公開など、多彩なイベントを繰り広げている。今月29日まで。
 同記念館は、智恵子がゼームズ坂病院で入院中に制作した千数百点の紙絵のうち24点を収蔵。通常は作品の劣化を防ぐために複製を展示する。実物は生誕祭などの年2回に限り公開する。今回は代表作の「青い魚と花」をはじめ「紋様」「果物」など10点を展示した。
 非公開の智恵子の居室の特別公開は8日までの大型連休中の毎日と、14日以降の週末など。14日からは土、日曜日に同市の伝統工芸品「上川崎和紙」で紙絵の制作が体験できる。また開館30周年を記念し、メッセージカードに智恵子への思いなどを記入してもらうと、缶バッジを進呈する企画も展開している。
 開館時間は午前9時~午後4時30分(最終入館は同4時)。水曜日休館。入館料は高校生以上410円、小・中学生210円。問い合わせは同館(電話0243・22・6151)へ。

最後に『広報にほんまつ』さんの今月号。
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上記の通り、5月29日(日)までの期間中、さまざまなイベント等が企画されています。コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后宮崎稔氏くる、てんらん会にいつてきた由、


昭和27年(1952)11月17日の日記より 光太郎70歳

宮崎稔」は、智恵子の最期を看取った姪の春子と結婚した詩人。「てんらん会」は、この日開幕した「高村光太郎小品展」と推測されます。

会場は東京駅丸の内口前の丸ビル2階、中央公論社画廊。そちらの柿(こけら)落としを兼ねたものでした。この頃、同社で当会の祖・草野心平編集による『高村光太郎選集』の刊行が進んでおり、その関係もありました。

確認できている限り、光太郎生前唯一の彫刻個展でしたが、当の本人はあまり興味がなかったようで、日記には見に行った記述がありません。記述がないだけで行ったのかもしれませんが……。
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5月20日の智恵子の誕生日に合わせてのイベントです。

高村智恵子生誕祭 智恵子への想い メッセージに託しませんか

 高村智恵子の生誕祭が4月28日~5月29日、二本松市油井にある智恵子の生家と智恵子記念館で開かれます。
 智恵子は明治19年(1886年)5月20日、「花霞」の造り酒屋に生まれ、激動の時代に光太郎と純愛をはぐくみました。生家ではふだん公開していない2階「智恵子の居室」を週末・祝日を中心に特別公開するほか、通常立ち入ることができない1階のお座敷も開放されます。また、智恵子への想い、イラストなどのメッセージを募り、記入者に記念の缶バッジをプレゼント。5月14日からは上川崎和紙を使い、智恵子の紙絵をモチーフにしたしおりづくり体験も予定しています。
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・奇跡といわれる「紙絵」の実物展示
 2022年4月28日(木)~5月29日(日) 二本松市智恵子記念館
 開館30周年を迎える智恵子記念館では、奇跡といわれる紙絵の実物を展示します。
 開館時間は午前9時~午後4時30分。入場料は高校生以上410円、小中学生210円。
 問い合わせは同記念館(電話0243-22-6151)へ。

・智恵子の想いをメッセージカードに記してみよう
 2022年4月28日(木)~5月29日(日) 智恵子の生家
 智恵子に対する想いや生家を見学した感想、イラストなど
 メッセージカードに自由にご記入下さい。
 記入者全員に記念の缶バッヂを贈呈します(無くなり次第終了となります)。


・智恵子の生家2階特別公開
 2022年4月29日(金)・4月30日(土)・5月4日(水)~5月8日(日)・5月14日(土)・
 5月15日(日)・5月20日(金)~5月22日(日)・5月28日(土)・5月29日(日)
 通常公開していない「智恵子の居室」を特別に公開します。

・上川崎和紙で作る「智恵子の紙絵」体験
 2022年5月14日(土)・5月15日(日)・5月21日(土)・5月22日(日)・5月28日(土)・5月29日(日)

ほぼ例年通りの企画ですが、メッセージカード→缶バッヂというのが新しい試みです。コロナ感染にはお気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

午前帝国銀行、通帳、30萬円現金 往復タキシ、一時頃かへる、


昭和27年(1952)10月29日の日記より 光太郎70歳

帝国銀行」というと、当方は「帝銀事件」を想起します。光太郎が花巻郊外旧太田村の山小屋で蟄居生活を送っていた昭和23年(1948)、同行の椎名町支店に現れた厚生省技官を名乗る男が、近くで赤痢の集団感染が出た、予防薬を飲むべしと言って、行員らに毒薬を飲ませて殺害、現金や小切手を奪ったというものです。画家の平沢貞通が「犯人」として逮捕されましたが、未だに謎の多い事件です。

昨日は福島県三春町に行っておりました。光太郎智恵子ゆかりの地ではないのですが、この地に咲く「三春滝桜」が満開とのことで、妻が見たいと云っていたものですから……。

一昨日、このブログで智恵子の故郷・二本松の桜の名所についてご紹介しました。三春町は郡山の東隣で、二本松ともそう遠くないのですが、他の雑事もあり時間的に余裕が無く、二本松へは行きませんでした。いずれ二本松の桜の名所も廻りたいと思っております。

こいつは自宅兼事務所でお留守番(笑)。
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ひる頃、現地に到着しました。平日、さらに昨日は小雨模様でしたが、それなりに多くの方々が観桜に訪れていました。これが週末とかで天気も良ければ、芋の子を洗うような状態だったかもしれません。
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青空がバックだと、なお映えたのでしょうが……。それでも推定樹齢1,000年超という生命力の凄さ、この木を守り続ける地元の皆さんのご努力などなど、感じ入りました。

それから、この木だけがずどんとあるのではなく、周辺一帯にもたくさんの桜。その中でひときわの巨木が滝桜、というわけです。
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当方の大好きな古民家も多く、いい感じでした。
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さらに云うなら、常磐自動車道で関東平野が尽きて山間部に入る茨城県の日立市あたりから、いわきジャンクションを経ての磐越道と、沿線はほぼ山桜が咲き続けている状態でした。

助手席の妻が撮った画像。
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山全体が若葉の新緑と桜のピンクによって、パッチワークのように(陳腐な常套句ですみません(笑))なっている箇所もありました。このルートはしょっちゅう通っていたのですが、4月のこの時期に走ったのは、もしかすると初めてだったようです。これまで、この沿線にこんなに桜の木が生えていたとは気づいていませんでした。

さて、桜と云えば、光太郎にずばり「さくら」という詩があります。

   さくら
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 吉野の山の山ざくら
 山いちめんにらんまんと
 呼吸(いき)するやうに咲きにほふ
 この気高さよ 尊さよ

 春の日あびて山ざくら
 ただ一心に 一斉に
 堂堂と咲く 咲いて散る
 このいさぎよさ きれいさよ

 顕花部被子類双子葉門
 離弁花区薔薇科桜属
 世界にまたとない種属
 日本の国花 山ざくら

 ぼくらの胸に花と咲く
 大和心のはげしさを
 姿にみせる山ざくら
 この凛凜しさよ 親しさよ


初出は昭和16年(1941)4月の雑誌『家の光』。「こども」欄に掲載されました。その際の題名は「ぼくらの花、桜」でしたが、昭和18年(1943)、詩集『をぢさんの詩』に収められた際、「さくら」と解題され、詩句も一部、変更されました。ちなみに「顕花部被子類双子葉門/離弁花区薔薇科桜属」には「けんくわぶひしるゐさうしえふもん/りべんくわくいばらくわさくらぞく」とルビが振られています。旧仮名遣いでは却ってわかりにくいところですが……。

昭和16年4月といえば、太平洋戦争はまだ始まっていませんが、昭和12年(1937)からの日中戦争は既に泥沼化していた時期です。その時代背景がぷんぷん臭いますね。「大和心のはげしさ」は云うまでもなく、「世界にまたとない」とか「日本の国花」とか……。そして「堂堂と咲く 咲いて散る/このいさぎよさ きれいさよ」。

昭和16年4月では、まだ特攻作戦は始まっていませんが、有名な軍歌「同期の桜」の元となった、西条八十の詩「二輪の桜」はすでに世に出ており、「花と散る」的な発想はもう一般的だったのかもしれません。

こういう詩こそ光太郎詩の真髄だ、大和魂の顕現だ、皇国臣民の鑑だと、涙を流して有り難がるアナクロニストが現代にも少なからず居て閉口しています。

一昨日オンエアされたNHK青森さんのローカル番組「あっぷるワイド」(18:10~19:00)の中で、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の成り立ち等を取り上げて下さいましたが、光太郎の戦争責任についても言及されました。ウクライナ危機にもからめ、「戦争」、「平和」といったキーワードから、像に込めた光太郎の思いなどを掘りさげるというコンセプトだったため、ビデオ出演した当方も、需めに応じてその当たりを詳しく語らせていただきました。すると早速、幼稚なネトウヨが「けしからん」とSNS上で噛みついてきましたが(笑)。

そんなこんなで、桜と戦争的な連想が浮かんだわけです。桜には何の罪もありませんが……。

さて、昨日の帰途、サービスエリアでなみえ焼きそばを購入。当方も妻も好物です。
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少し前にはコロナ禍で工場がストップしていて入荷されていませんでした。少しでも復興支援になればと存じます。

こんなものも買ってしまいました。金属のプレートのついたストラップ。「ペア」と書いてあり、どういうことかと思ったら、刳り抜いた方と刳り抜かれた方と、雌型と雄型の関係ですね。本来、自分の名前の一字とかを購入するものなのでしょうが、光太郎の「光」の字のものを買いました。光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋の別棟の便所「月光殿」に彫られた「光」一字を彷彿とさせられまして(笑)。
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無題
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まだ間引き運転ですが、東北新幹線も全線復旧。東北方面、コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后二時半藤島氏来り、共に中野の中西氏宅に車、津島知事アトリエに来る、映画やラジオの人来り、草野君他皆と一緒に撮影、又座談、

昭和27年(1952)10月13日の日記より 光太郎70歳

「乙女の像」制作のため7年半ぶりに帰京、千駄木の実家に泊まって、朝には空襲で焼け落ちた自分のアトリエがあった場所を見ましたが、午後には像の制作のために借りた貸しアトリエに入りました。ここで起居することにし、結局はここが光太郎終焉の地となりました。

千葉の自宅兼事務所周辺では、桜はもう終わってしまっていますが、東北では今が盛り、あるいはこれからのようですね。

智恵子の故郷・福島二本松。このところ「桜の街」としてもPRに力を入れており、令和元年(2019)には「2019全国さくらシンポジウム」の会場となり、その際のテーマ「ほんとの空にさくら舞う」を、その後も使い続けています。

今月の『広報にほんまつ』。
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実際、桜の名所や名木が多く、それらの紹介。

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智恵子生家/智恵子記念館を含む智恵子の杜公園もピックアップされています。
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さらに、桜がらみのイベント案内等。
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智恵子生家/智恵子記念館も廻る市内循環臨時バス「春さがし号」についても。乗降自由のフリーパスがワンコインだそうで、お得ですね。
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月末には、恒例となっている、智恵子生家の、通常非公開の2階部分(智恵子居室を含みます)特別公開も始まりますが、そちらはまた後ほど詳しくご紹介します。

福島には桜の名所が他にも多く、二本松とそう遠くない三春の滝桜を妻が見たいというので、明日、行って参ります。ただ、二本松まで足を伸ばす時間的余裕がありませんが……。

【折々のことば・光太郎】

朝九時四十五分上野着、 新聞社のフラッシ、佐藤春夫草野心平他関係者一同出迎、 地下にて生ビール、天神下すし榮にてすし、155番地にゆく、 夜すき焼にて夕食、 155番地2階にてねる、


昭和27年(1952)10月12日の日記より 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、7年半ぶりに帰京しました。「天神下すし榮」は「上野鮨 榮」さん。そのうち行ってみようと思います。「155番地」は、千駄木の光太郎実家。昭和20年(1945)の空襲被害を免れました。指呼の距離にあった光太郎アトリエ兼住居(25番地)は全焼しましたが。

光太郎実弟にして「155番地」を受け継いだ、鋳金分野人間国宝の豊周の回想から。

008 どんな恰好で帰ってくるかな、と思いながら、僕達は常磐線のホームに出迎えに行った。ことによると三等で帰って来はしないかと想像していたのだが、いざ着いてみると、悠々と、いばって二等車に腰掛けている。服装は例の山の服で、山小屋で使っていた汚い長靴をはいている。この頃は東京ではもう身なりも整っていた頃だから、これはやはり目に立った。山にいるとうまく調和しているのに、常磐線からホームに降り立った兄は、東京の空気となじまない、いかにも不諧調な感じで、おかしかった。
 出迎えの人も沢山いて、いきなりビールを飲みに行こう、などという話になってしまったので、僕達は一足先に家に帰ることにした。
「じゃあ、あとで待っているから、一通り済んだら、車で帰って来て下さい。」
と頼んで置いて別れて来たが、駅の地下道なんかから始めて、方々を飲み廻って来たらしい。兄はいい機嫌で帰って来た。この頃はもう健康をそこねていた筈だが、気の張りもあってか、いかにも健康そうに見えた。
 家に落着いた兄とどんな話をしたか、いまは、はっきり憶えていないが、恐らくとりとめもないことだったろう。家に戦前から働いていた婆やがその時まだ居て、
「先生、お帰りなさいまし。」
と挨拶すると、兄は、
「あんた、ずっといてくれたか。そうか、よく居てくれたな。おばさんがいるとは思わなかった。じゃあ、おばさんにお小遣をやろう。」
と実に喜んで、お小遣を五千円出した。この婆やは二十年も家にいて、すこしも東京風になじまず、純朴な女で、心から兄のことを心配していたから、涙をぽろぽろこぼしていた。
「先生無事でよかった。山の中の奥の奥の方にいるなんて、いつもみんなから聞いて、心配してたんですよ。」
そんな老人の話を、
「そうかい、そうかい。」
と言って聞いていた。
 兄の山からのみやげ物は、干からびて真黒になった木の子とちぢくれた山菜とだった。


ちなみに「乙女の像」といえば、今日、NHK青森さんのローカル番組「あっぷるワイド」(18:10~19:00)の中で、「乙女の像」が詳しく取り上げられます。十和田で像の文化的価値等を伝えで下さっているボランティアガイドさん、花巻郊外旧太田村の光太郎が暮らした山小屋等が取り上げられます。当方もビデオ出演。先月末にわざわざ八戸支局さんから千葉の自宅兼事務所まで、ディレクター氏、カメラさん、音声さんがお三方で取材にいらっしゃいました。

ウクライナ危機にもからめ、「戦争」、「平和」といったキーワードから、像に込めた光太郎の思いなどを掘りさげるそうです。視聴可能な地域にお住まいの方、ぜひご覧下さい。
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福島出身の日本画家・齋正機氏。地元紙『福島民報』さんに、平成30年(2018)から「福島鉄道物語」というエッセイを連載されています。昨年12月までの37回分が一冊にまとめられ、出版されました。

福島鉄道物語

2022年4月1日 齋正機 福島民報社 税込定価1,800円

福島民報の連載企画「福島鉄道物語」は2018(平成30)年11月にスタート。本書には2021(令和3)年12月掲載の第37回までを収録しています。  福島市出身の日本画家・齋正機さんが古里ふくしまを中心に美しい風景と人々の生活に溶け込んだ鉄道を柔らかなタッチの日本画と心温まるエッセーで語り掛けます。作品には東北線、奥羽線、只見線、常磐線、東北新幹線、福島交通飯坂線、阿武隈急行など福島県民に密着した路線と車両が登場します。
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令和2年(2020)9月20日掲載分が「ほんとの空」。智恵子に触れられています。東京出身の亡友と、「ほんとの空」はどこにある、と、お互いに譲らなかったという思い出が語られています。

版元の『福島民報』さん記事。

日本画家斎正機さんの随筆集「福島鉄道物語」4月1日発売 民報社から書籍化

 福島市出身の日本画家斎正機さんによる随筆集「福島鉄道物語」が福島民報社から書籍化され、4月1日に発売される。福島民報に掲載している同名の連載をまとめた。古里を走る鉄道の車両と雄大な風景を描写した日本画、優しく語り掛けるようなエッセーを収めている。
 2018(平成30)年11月の連載初回「夕日の飯坂線」から昨年12月の第37回「縁側天国」までを収録した。花モモが満開の中を走る阿武隈急行、雪景色に映えるJR只見線など、福島県民の暮らしに密着した風景を描いた日本画に、昭和の記憶を見つめた懐かしさを感じさせる文章が添えてある。随所に斎さんのスケッチが描かれている。
 A5判、208ページ。税込み1800円。福島県内の各書店、福島民報社本社・郡山本社・各支社支局、福島民報販売店などで扱う。4月2日に福島市のとうほう・みんなの文化センター(県文化センター)で開幕する「斎正機展2022『福島今昔物語』」会場でも販売する。
 問い合わせは福島民報社出版部へ。
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記事にあるとおり、文章だけでなく、氏の描かれた絵がふんだんに盛り込まれ、それぞれ非常に温かみのある絵で、心が洗われる感じです。

また、エッセイも秀逸。氏は東京藝術大学さんに入学する際、何と4浪もなさった苦労人で、しかしそのご苦労もユーモアたっぷりに、それでいて哀感もしっかり描かれ、読んでいて応援したくなりましたし、4浪の末とうとう合格、という部分では嬉しくなりました(笑)。

氏のお父さまは旧国鉄の機関士をなさっていたそうで、「正機」の「機」は「機関車」の「機」とのこと。そこで、幼い頃からの(氏は昭和41年=1966生まれ)、お父さまや鉄道にまつわるエピソードが多いのですが、それも「キハ何型がどうこう」といった鉄オタ的な文脈ではなく、あくまでほのぼとした回想が中心です。

Amazonさん等でも取り扱いがあります。ぜひお買い求めを。

この出版とコラボし、氏の個展が福島市で開催されています。このブログで取り上げるべき事項が溜まっており、一気にご紹介します。

絵と映像とエッセイで綴る 齋正機展2022 『福島今昔物語』

期 日 : 2022年4月2日(土)~5月8日(日)
会 場 : とうほう・みんなの文化センター  福島県福島市春日町5-54
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 4月11日(月)、25日(月)
料 金 : 一般 1,200円 中高生 600円 小学生以下無料

福島市出身の日本画家・齋正機の作品展。郷土「ふくしま」への想いあふれる珠玉の作品およそ90点に加え、特別映像の上映など様々な角度から齋さんの魅力に迫ります。
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主催の『福島民報』さん記事。

斎正機さんの作品展 2日に開幕 会場準備整う 福島県文化センター

 福島県福島市出身の日本画家斎正機さんの作品展「斎正機展2022『福島今昔物語』―絵と映像とエッセイで綴(つづ)る―」は2日、市内のとうほう・みんなの文化センター(県文化センター)で開幕する。1日は会場の準備が整った。
 福島民報社、福島テレビ、ラジオ福島の主催。福島民報創刊130周年記念事業。県文化振興財団の共催。東邦銀行、福島交通、斎正機後援会、斎さんの母校・福島東高の同窓会の特別協力。
 富岡町の桜を描いた最新作や、福島民報で連載している「福島鉄道物語」の掲載原画など絵画約90点を展示する。花モモが咲き誇る桃源郷のような世界や夕焼けの中を走る鉄道を描いた作品、子を思う親の愛情がにじむ一作など、郷土への愛着にあふれた絵画が並ぶ。
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作品イメージした庭が登場 福島市で開催中の斎正機作品展の会場

 福島市のとうほう・みんなの文化センター(県文化センター)で開かれている福島市出身の日本画家斎正機さんの作品展「斎正機展2022『福島今昔物語』―絵と映像とエッセイで綴(つづ)る―」の会場に、斎さんの作品をイメージした庭が展示され、来場者の目を引いている。
 県造園建設業協会が企画した。斎さんの作品「穏ヤカナ午後ノ鶴ヶ城」に描かれている会津若松市の鶴ケ城から着想を得て、同協会の青年部が施工した。
 石や砂利、人工芝の他、シャクナゲ、アセビ、サツキといった植物を配置し、温かな雰囲気を表現している。
 10日午前11時からと午後2時から、会場で斎さんによるギャラリートークを催す。午前、午後ともトーク後に斎さんのサイン会を開く。書籍「福島鉄道物語」(福島民報社刊)の購入者を対象にする。
 物販コーナーでは8日まで、斎さんがサインを直筆した書籍「福島鉄道物語」を1日20冊限定で販売する。
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同じく主催に名を連ねるFTV福島テレビさん。

【展覧会】福島市出身の日本画家・齋正機さんの作品展示

福島市出身の日本画家、齋正機さんの展覧会がきょう(4月2日)から福島市で始まった。とうほう・みんなの文化センターで始まった「福島今昔物語」。
福島の花や田園風景、雪景色といった四季折々の景色や、電車から見える風景など約90点の作品が展示されている。
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報告:松山理穂「額縁いっぱいに夜の森の満開の桜が咲き誇っています。ここにいるだけでお花見気分を味わえます」
こちらは富岡町のサクラの名所・夜の森。
齋さんが実際に現地を訪れ、町の人がサクラを愛でる様子を見て制作した。
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訪れた人「懐かしい風景が繊細なタッチで描かれているので、心がほっこりする」
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齋正機さん「気持ちが緩やかになる、そういう風景を福島は持っている。福島の風景の魅力っていうのを再確認していただければ画家冥利に尽きます」
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この展覧会は来月8日まで。
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ちなみに最後の画像に映っている作品は「ふくしま物語~桃源郷59の願い~」と題されたものです(縦1.8メートル、横6メートル)。「59」は、現在の福島県の市町村の数。下部に配された桜一つ一つの形が、59の市町村の形になっているそうで。

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当方、ほぼ1年前、箱根の成川美術館さんで開催された氏の個展拝見して参りました。日本画でありながら、パステル画のような温かみのある画風で、福テレさんのニュースにあるように、やはり「心がほっこり」いたしました。

コロナ感染にはお気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

盛岡より菊池暁輝氏等6人はかり来訪、肉、芋の子など持参してコンロにて煮て草上にて会食、夕方にいたる、

昭和27年(1952)10月5日の日記より 光太郎70歳

菊池暁輝氏」は宮沢賢治の顕彰を行っていた人物です。

東北各地で江戸時代から行われていたという「芋煮会」ですね。コロナ禍前には、テレビなどでもアウトドアブームに乗ってよく紹介されていました。

ただ、この日は智恵子忌日。光太郎としては、前日に賢治実弟の清六から贈られた香でも焚いて、静かに智恵子を偲んで過ごしたかったのではなかったのかと思われます。訪れた面々は智恵子忌日と云うことを知ってか知らずか……。

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