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井原市立田中美術館での「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」の開会式が行われ、そちらに出席、先ほど、帰って参りました。そちらのレポートは明日以降書きます。
 
開会式が終わり、展示を観て、コインロッカーから荷物を出し、携帯を見ると、花巻の高村記念会様から着信が入っていました。折り返し電話してみると、「不動湯温泉が全焼したのをご存じですか?」とのこと。
 
実は開会式の後で、参加されていた方の一人が「そういえばニュースで光太郎ゆかりの旅館で火事だったそうですよ」とおっしゃっていて、「まさか不動湯じゃないだろうな」と思っていました。他の旅館ならいい、というわけではありませんが……。
 

旅館火災、2人不明 高村光太郎夫妻も宿泊の老舗 福島

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 29日午後9時半ごろ、福島市土湯温泉町大笹の老舗旅館「不動湯温泉」で火災があり、旅館がほぼ全焼した。市消防本部によると、宿泊客や旅館の従業員ら計9人のうち7人の無事が確認されたが、男性客と旅館関係者の女性で、いずれも50代の2人の行方が分からなくなっているという。
 旅館のホームページによると1917(大正6)年創業で、宿泊者名簿には療養のため訪れたとみられる詩人の高村光太郎、智恵子夫妻の名前も残る。大正時代に建築されたという旧館も焼失したという。
 土湯温泉街から山道を約4キロ入った、秘湯として知られる一軒宿。
(『朝日新聞』)
 
 その後、NHK福島放送局さんからも携帯に電話が入り、不動湯温泉と光太郎智恵子について質問されましたのでお答えしましたが、できればこのような報道に対してではなければ……との思いでした。
 
 結局、夕方の続報では、従業員とみられる方、一人の死亡が確認されたとのこと。謹んでご冥福をお祈りいたします。 

福島「不動湯温泉」火災で1遺体が見つかる

 29日午後9時30分ごろ、福島市土湯温泉町、不動湯温泉「白雲荘」=阿部久雄社長(80)=から出火、温泉旅館の木造2階、地下1階建て本館と棟続きの旧館約667平方メートル、隣接する木造平屋の物置約33平方メートルを全焼した。市消防本部によると、出火当時、旅館には宿泊客、従業員合わせて9人がいたが、焼け跡から1人の遺体が見つかった。所在が分からない従業員の50代女性とみられる。8人は逃げて無事だった。
 その後の調べで、阿部社長がけがを負っていたことが分かった。
(『福島民友新聞』)
 
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(『テレビ朝日』)
 
【今日は何の日・光太郎】 8月30日008

昭和40年(1965)の今日、社会思想社から現代教養文庫の一冊として『紙絵と詩 智恵子抄』が刊行されました。
 
不動湯を訪れた直後に回った裏磐梯での作、「山麓の二人」も含みます。

最近、新刊書店で「現代教養文庫」を見かけないな、と思って調べてみましたところ、平成14年(2002)に同社は事業停止だそうでした。なかなか硬派の出版社が生き残れない時代なのですね……。

9/1追記 不動湯温泉全焼のため、当該番組は内容差し替えとなりました。
 
つい先日、昭和8年(1933)に光太郎・智恵子が立ち寄った福島の不動湯温泉をこのブログで紹介しましたが、タイムリーなことにテレビで放映されます  

湯のまち放浪記「福島県~天空の秘湯をめぐる 土湯温泉、ぬる湯温泉、高湯温泉」

BS-TBS 2013年9月3日(火)  22時00分~22時54分
 
番組内容
今宵の放浪は、福島県土湯温泉、ぬる湯温泉、高湯温泉。高村光太郎と智恵子が立ち寄ったという秘湯や、ビックリするくらいぬるい「ぬる湯温泉」に宿泊したりと、智恵子の云う「ほんとうの空」のもと、ゆったりと温泉を楽しみます。

出演者 温泉バガボンド 清水国明 湯のまちパートナー 矢野直美

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今も残る光太郎智恵子の泊まった部屋、光太郎直筆の宿帳などが映るといいのですが……。ぜひご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎】 8月28日

大正4年(1915)の今日、光雲が農商務省より第三回図案及応用作品展覧会審査委員を嘱託されました。

【今日は何の日・光太郎】 8月24日

昭和8年(1933)の今日、智恵子とともに、東北・北関東の温泉巡りの旅に出ました。
 
同じ年の昨日、入籍を果たした光太郎と智恵子。進行する智恵子の統合失調症を恢復させようと、智恵子の故郷、安達(現・二本松市)にある長沼家菩提寺満福寺に墓参、その後、川上温泉、青根温泉、土湯温泉不動湯、塩原温泉などを巡り歩きました。また、その途中に通った裏磐梯での体験を元に作ったのが、「わたしもうぢき駄目になる」のリフレインで有名な詩、「山麓の二人」です。
 
結局、翌月に東京に帰った時には、智恵子の症状はさらに進行していました。
 
さて、その福島土湯温泉からタイムリーなニュースです。 

歴史ある秘湯楽しんで 土湯温泉でモニターツアー

福島民報 8月23日(金)9時50分配信
 
 福島県の土湯温泉観光まちづくり協議会は東日本大震災からの復興事業の一環として「土湯秘湯と大正の宿ロマンモニターツアー」を9月から11月までの週末を中心に実施する。
 日帰りと1泊2日の2コースを用意。大正6年創業の老舗旅館・不動湯温泉で温泉を楽しみ、高村光太郎、智恵子夫妻も宿泊したという長い歴史を誇る同旅館や土湯温泉についての話を聞く。さらに、ガイド付きで土湯温泉の源泉を訪れ、噴気や、バイナリー発電計画地を見学する。

 料金は日帰りコースが大人2000円(最低催行人員5人)、1泊2日コースが大人1万1000円(同1人)。申し込みは開催日の10日前まで。問い合わせは同協議会 電話024(595)2217へ。
 
 
不動湯さんは、土湯温泉の中心街から山深く入っていった所にある一件宿です。まさに「秘湯」の名にふさわしい場所です。
 
光太郎智恵子が訪れた当時の部屋が残り、さらに光太郎が書いた宿帳も奇跡的に保存されています。

追記・平成25年(2013)8月の火災で、建物、宿帳とも焼失しました。その後、焼け残った露天風呂を使って日帰り温泉施設としてリニューアルオープンしました。
 
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温泉大好きの皆さん、いかがでしょうか?

テレビ放映情報です。 

きらり!えん旅~日野美歌 福島・二本松市

NHKBSプレミアム 2013年8月22日(木)  19時30分~20時00分

歌手・日野美歌さんが福島県二本松市を訪れ、リンゴ農家が震災後初めて取り組んだリンゴ酒、44回目のロードレース大会、仮設工房で復活した隣町浪江町の焼物を楽しんだ。

番組内容
歌手・日野美歌さんが福島県二本松市を訪れた。震災後ほとんど売れずに廃棄していたリンゴを生かせないかと農家が挑戦した発泡リンゴ酒を味わう。7月7日、44回目のロードレース大会が開かれた。地元の果物などが並ぶ給水所が参加者に人気。隣町浪江町からの避難者たちが仮設の工房で復活させた大堀相馬焼を楽しむ。旅の最後に日野美歌さんはコンサートを開き、被災者を思い自ら作詞した「桜空」などを心を込めて熱唱した。

出演 日野美歌
語り 冨永みーな


この番組は震災の復興支援のため、東北を中心に被災地からいろいろと情報が発信されています。昨年は同じ二本松を由紀さおりさんが訪れ、智恵子生家の裏山にある光太郎詩碑の丘でロケが行われ、地元の「智恵子のまち夢くらぶ」の熊谷氏がご出演されました。
 
今回は智恵子がらみのネタがあるかどうかわかりませんが、番組の最後で流れる日野さんのコンサートで流れる「桜空」。「歌凛」のペンネームで日野さん自身が作詞された曲です。動画サイトで聴いてみましたが、「さよなら告げず 空の彼方あなたは帰らない」など、ぐっとくる歌詞のてんこ盛りです。福島で「空」といえば智恵子の愛した「ほんとの空」。そのあたりで智恵子がらみの話になることを期待します。
 
ちなみに「きらりえん旅!」、9月5日のオンエアは、八神純子さんで女川です。
 
もう一点、今日8月20日オンエアのテレビ東京系、「開運!なんでも鑑定団」。新聞の番組欄はこうなっていました。
 
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同番組の公式サイトで予告動画を見ると、詳しくは出ませんでしたが、どうやら光雲、またはの弟子の誰かの作品が出るようです。
 
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【今日は何の日・光太郎】 8月20日

昭和16年(1941)の今日、龍星閣から詩集『智恵子抄』が刊行されました。
 
その後、現代までに様々な版が出版されましたが、オリジナルの『智恵子抄』が出たのが72年前の今日です。 
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8月10日、女川光太郎祭の翌日。北川太一先生の教え子の皆さんである北斗会の方々がチャーターされたマイクロバスに便乗して帰って参りました。
 
北斗会の方々は、北川先生のご講演があるということもありますし、多くの方が女川光太郎の会の中心だった故・貝(佐々木)廣さんと面識がおありで、そのため昨年・今年と多数女川光太郎祭にいらしていただいています。
 
バスに乗せていただく代わりに、帰りに二本松に寄り、いろいろとご案内しました。智恵子の生家、智恵子記念館、「樹下の二人」詩碑、大山忠作美術館など。
 
智恵子生家・記念館に着いて、地元で智恵子顕彰活動をなさっている「智恵子のまち夢くらぶ」の熊谷健一さんの携帯に電話、すると熊谷さん、お仕事の合間に来て下さり、展示の詳しいご説明等なさってくださいました。1013
 
その中で、当方も初めて知ったのですが、智恵子の肖像写真として最も有名な右のショットについて、興味深いお話を伺いました。
 
ちなみにこの写真の初出は明治45年(1912)6月5日の『読売新聞』。「新しい女(一七)長沼智恵子」という記事に使われました。その後、同じ年10月の雑誌『新婦人』に口絵として大きく載りました(当方、こちらは持っています)。この時智恵子、数え27歳、前年暮れに光太郎と出会っています。
 
今まで、この写真がどこで撮影されたかなど、まったく考えたこともありませんでしたが、熊谷氏曰く、バックの障子や柱、壁の感じから、どうやら生家の縁側で撮られたものと考えられる、とのこと。実際にその場所でこのアングルから見ると、たしかにそのように見えました。
 
となると、他にも長沼一家が写った写真は複数あり、それらを含めて、地元の写真技師が撮影したということなので、原板的なものがどこかに残っていないかなどと思いました。情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらご一報いただけると幸いです。
 
さて、智恵子生家のすぐ近くに戸田屋さんという商店があります。食料品から日用雑貨、土産物まで売っているお店です。今回同行された文治堂書店の勝畑耕一氏が気づいたのですが、その店内に、女川光太郎の会の故・貝(佐々木)廣氏の筆跡が残っていました。

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智恵子を顕彰する集いとし000て毎年10月に行われている「レモン忌」の第一回が平成6年に行われた(この年は10月ではなく9月)際の寄せ書きで、戸田屋さん店内の壁、高いところに貼ってありました。
 
当方、戸田屋さんは何度も訪れていますが、全く気づいていませんでした。
 
その上、戸田屋さんのおかみさんが貝さんのことをよく覚えていらっしゃり、我々一行が女川からの帰りであると知って、驚いていました。
 
人と人とのつながり、というのは本当に不思議なものです。
 
【今日は何の日・光太郎】 8月14日

明治42年(1909)の今日、徴兵検査を受けました。結果は「咀嚼に耐えず」との理由で不合格でした。
 
軍医総監だった森鷗外が裏で手を回してくれたらしい、とのことです。
 

昨日、福島から帰ってきたら届いていました。  

にほんごであそぼ 元気コンサート in 福島

昨年12月28日、福島県文化センターで開催された「にほんごであそぼ 元気コンサート in 福島」の模様で、今年1月6日にテレビ放映されたもののDVD化です。
 
【収録内容】000
●オープニング
 ♪小さき者へ
 ♪ええじゃないか日本
●オペレッタ「セロ弾きのゴーシュ」
●みんなでじゅげむ
●にほんご名文組曲
 ♪こころよ
 ♪すずめのこ
 ♪雲
 ♪やせがえる
 ♪でんでらりゅうば
 ♪なせばなる
 ♪私と小鳥と鈴と
 ♪道程
●みんなでうたう四季の歌
 ♪朧月夜
 ♪茶摘み
 ♪旅愁
 ♪冬景色
●もちづくし
 侭田亀治郎「糯尽」より
 狂言「業平餅」より
 井上ひさし「薮原検校」より
●元気でいこう! ごもじもじ
●エンディング
 ♪小さき者へ
 ♪さよなら

【出演】
コニちゃん、野村萬斎、神田山陽、おおたか静流、うなりやベベン、子どもたち、ほか

【ゲスト】
坂本龍一、藤原道山、福島大学附属小学校合唱部のみなさん

【演奏】
松田拓之、大宮臨太?、坂口弦太郎、山内俊輔(以上、NHK交響楽団より)、高橋希(ピアノ)

【特典映像】
振り付けのラッキィ池田によるコンサート前説 + 坂本龍一の事前レコーディング風景
 
先週土曜のブログでご紹介した坂本龍一さん作曲の「道程」も収められています。
 
それ以外にも、冒頭部分ではおそらく二本松の智恵子の杜公園展望台から撮った映像と、安達太良山の麓で撮った映像に乗せ、光太郎の「あどけない話」の一節が紹介される他、「特典映像」では坂本龍一さんによるピアノ/キーボード伴奏の収録風景も。ここでは「道程」が中心に扱われており、伴奏だけ聴いていると、3拍子の曲ながら、ジャズナンバーのようです。
 
やはり子供向け、と侮るなかれですね。
 
【今日は何の日・光太郎】 7月23日

昭和4年(1929)の今日、朝日新聞社において開催されたミスコンテスト「現代女性美」審査会に審査員として参加しました。
 
これは『アサヒグラフ』誌上の企画でした。この時代、ミスコンテストといいながら写真審査のみ。下の画像が選考風景ですが、光太郎、真剣に写真に見入っています。
 
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審査終了後の座談会の模様がこの年8月7日発行の『アサヒグラフ』に載っており、「光太郎遺珠」⑤に収めてあります。8名の「女性美代表」のうち3名の写真も出ていますが、画像が粗くてよくわかりません。
 
ただ、その一人が、のち歌人として名が知られる斎藤史(ふみ)。右はその後しばらくたってからの写真ですが、確かに美人ですね。
 
ちなみに日本初のミスコンは明治41年(1908)。なんと、この時の審査員には光雲も名を連ねています。
 
この時の賞品はダイヤモンドの指輪だったそうです。一等賞は九州出身の末弘ヒロ子。お姉さんのお孫さんはジャズピアニストの山下洋輔さんです。
 
義兄が勝手に応募したとのことで、今でもよく聞く話ですね。しかし、ヒロ子嬢、これがもとで通っていた学習院女学部を退学させられます。そういう時代だったのですね。

昨日、朝一番で花巻に向かい、継続中だった調査を完了させ、大沢温泉さんに一泊、今朝、福島に向かいました。福島市公会堂で開催の、「宇宙飛行士山崎直子氏講演会 ~将来への夢と希望の実現に向けて~」のためです。
 
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000昨日のブログにも書きましたが、山崎さんがかつて光太郎の詩「道程」に支えられたという縁で、「道程」など光太郎の詩に曲を付けて歌われているシャンソン歌手(なぜか今日は『シンガーソングライター』と紹介されていました)のモンデンモモさんがオープニングセレモニーにご出演。共にオリジナル曲の「道程」と「花見山」を歌われました。
 
「花見山」は福島市にある公園の名前です。当方、実際に行ったことはありませんが旅番組で取り上げられているのを見たことがあります。約5ヘクタールの小高い山に、桜をはじめ様々な花が植えられていて、福島を代表する花の名所だそうです。驚くのは、そこが個人の土地であり、所有者の方が善意で一般に無料開放なさっているということ。すばらしいことですね。
 
で、モモさん、その花見山を訪れての感動を曲にしたというわけです。
 
その後、山崎さんのご講演。スクリーンに宇宙での貴重な画像を映しつつお話をなさり、非常にわかりやすい内容でした。地元の小中学生が学校単位で多数聴きに来ていたので、その子供たちにもわかりやすいように、というご配慮が随所に感じられました。おかげで理数系オンチの当方も興味深く聴くことが出来ました。
 
光太郎のお話も出ました。中学2,3年生の時の担任の先生が「道程」を黒板に書いて、熱く語られたこと。その時はあまり心に響くものはなかったそうですが、後に実際に宇宙に行かれるまでの苦しい訓練の時期(実に10年以上)などに、この詩が支えになったことなど。
 
山崎さん以外にも、この詩に多かれ少なかれ影響を受けたという人は多いのではないでしょうか。およそ100年前(正確には99年前。したがって来年は「道程」100周年です)に書かれた詩が、今も多くの人を支えているということに、あらためて光太郎のすごさを感じます。
 
終了後、緞帳をおろしたステージでの記念撮影。中央が山崎さん。後列にはモモさんとピアノの砂原さんもいらっしゃいます。

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その後、山崎さんと、連翹忌のことなどお話しさせていただきました。お渡しした名刺にこのブログのURLも書いてありますので、ご覧いただけるのではないかと期待しております。
 
ところで、今日は福島ではいろいろな動きがありました。やけに警察車両が目立つな、と思っていたら、天皇皇后両陛下が来県、飯舘村の居住制限区域を視察なさって、今夜は飯坂温泉に泊まられるそうです。それからいわき市ではプロ野球のオールスターゲーム第3戦が開催されています。
 
東北は、まだまだ復興途上です。ぜひこの夏休みには足を運んでいただき、復興支援をお願いしたいと思います。
 
【今日は何の日・光太郎】 7月22日

昭和27年(1952)の今日、山形・米沢に建てられた詩人・森英介の墓標の文字を揮毫しました。
 
森英介(大6=1917~昭26=1951)は米沢出身の詩人。生前に(正確にはぎりぎり間に合わずなくなりましたが)刊行された唯一の詩集『火の聖女』には、光太郎が序文を寄せています。この詩集は活字工として働いていた森が自ら紙型を組み、印刷まで完了しましたが、その刊行を見ることなく、森はその直後に胃穿孔で急逝してしまいました。
 
翌年に建てられることになった墓標の文字を依頼された光太郎は、哀惜の意を込めて正面に刻まれた「森英介之墓」、向かって左側面の「智応院正行日重居士」(戒名)を揮毫しました。
 
当方、10年ほど前に開通間もない山形新幹線に乗ってこの墓標を見に行きました。市内相生町の善立寺というお寺にひっそりと佇んでいました。今もそのまま残っているのではないかと思います。おそらく地元の方もほとんど光太郎の文字がここにあるというのはご存じないのではないでしょうか。

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昨日までのブログで福島・川内村天山祭りについて書きましたが、川内村に行く前に、同じ福島の小野町にある「丘灯至夫(としお)記念館」さんに行きました。
 
川内村と同じく、磐越自動車道の小野ICで下り(川内村は、本来、常磐自動車道の常磐富岡ICで下りるのが早いのですが、原発事故のため常磐自動車道は事故から2年以上たった今も広野IC~常磐富岡IC間が通行止めです)、車で5分ほどの場所です。
 
「記念館」という名称ですが、正確には「小野町ふるさと文化の館」の一角で、町立図書館さんの二階です。
 
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故・丘灯至夫氏は小野町出身の作詞家。代表作は舟木一夫さんの歌う「高校三年生」。「あーかーいーゆうーひがー校舎をそーめーてー」です。メロディーがぱっと浮かぶ人はある程度の年齢でしょうね。ちなみにこの曲のリリースの時点では当方は生まれていません。したがって、当方としては同じ丘氏の作品でも、「ハクション大魔王」や「昆虫物語 みなしごハッチ」のテーマソングの方が身近に感じられます。これらも十分古いのですが(笑)。
 
さて、それ以外の丘氏の代表作に、二代目コロムビア・ローズさんが歌った「智恵子抄」があります。昭和39年(1964)のリリースで、ローズさんはこの年の「紅白歌合戦」にこの曲で出場しています。そのあたりは昨年、このブログに書きましたのでご参照下さい。


 
で、作詞の丘氏の記念館が出身地の小野町にできたわけです。落成は平成5年(1993)。丘氏はまだご存命でした。その後、小野町名誉町民となられたのが同13年(2001)、亡くなったのは同21年(2009)。そして翌年に展示スペースを増設して、記念館がリニューアルされました。
 
展示パネル類。やはりご当地ソングということで、「智恵子抄」が大きく扱われています。
 
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二本松出身の日本画家・大山忠作氏の描かれた安達太良山の絵との合作です。ちなみに大山氏も「智恵子抄」がらみの絵をたくさん描いていて、二本松駅前にはそれらを展示する大山忠作美術館ができています。
 
館内には丘氏の代表作がBGMとして流れていましたが、「智恵子抄」もしっかり流れていました。「東京の空 灰色の空 ほんとの空が見たいという……」。丘氏も、大山氏も既に空の上に行ってしまいました。昨日までこのブログで扱っていた草野心平も。そして、もちろん智恵子も。みなさん、空の上から福島を見守って下さっていることでしょう。しかし、その空が原発事故のために「ほんとの空」ではなくなってしまいました……。
 
話は飛びますが、もうすぐ参議院議員選挙。憲法改正やらTPPやらが取りざたされていますが、被災地復興が今ひとつ選挙の争点になっていないような気がします。かたや未だに福島第一原発では汚染水の処理がうまくいかない現状。福島の空の上から、丘氏や智恵子たちは、どんな思いでそれを見ているのでしょうか……。
 
【今日は何の日・光太郎】 7月17日

昭和23年(1948)の今日、高知県香我美町(現・香南市)岸本で、光太郎が揮毫した岡本弥太詩碑「白牡丹図」が除幕されました。
 
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上記画像、20年近く前に高知まで行って撮ってきました。

そろそろ次のネタに行こうかと思っていましたが、ニュース検索を見ていたところ、先日の川内村天山祭りについて報道がありましたのでご紹介します。  

帰還2年目「天山祭り」 川内で開催、喜びかみしめ

 川内村名誉村民で「カエルの詩人」として知られる草野心平を顕彰する村恒例行事第48回「天山祭り」は13日、同村で開かれ、参加者が心平をしのぶとともに、原発事故前と同様に村で行事を行えることへの喜びをかみしめた。
 原発事故後、実行委主催の同祭り開催は昨年に続き2回目。同祭りは心平の蔵書が収蔵される「天山文庫」での開催が恒例だが、今回は雨天のため、いわなの郷体験交流館で開かれた。
 村民をはじめ、県内外から集まった心平ファンら約200人が来場。「高田島神楽舞」が村の伝統芸能の神楽舞、村婦人会が川内甚句などを披露した。
 心平自身による詩の朗読が収録されたCDも流され、参加者はあらためて心平の詩の魅力に触れた。
(2013年7月14日 福島民友ニュース)
 
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草野心平の業績 川内で学びたい●ひ孫のスペイン人来訪

 川内村で13日、詩人の草野心平(1903~88年)をしのぶ「天山祭り」が開かれ、心平のひ孫のスペイン人女性(31)が初めて出席した。会場に飾られた心平の写真に「おじいちゃんそっくりな顔」と語った。
 スペイン南部のセビリアに住むマリアデルカルメンさん。今年5月に来日した。祖母にあたる、心平の長男の妻が東京・神楽坂で開いているバーを「メリー草野」の名前で手伝っている。フラメンコダンサーだった、心平の長男の娘がスペイン人男性と結婚して生まれたのがメリーさんだ。
 来日は5回目だが、福島で原発事故が起き、「日本にいる親類たちが大丈夫なのか、ものすごい不安だった」という。心平の出身地であるいわき市と、心平ゆかりの川内村を間近で見て「不安は減ったが、まだ状況を理解できない」と話す。
 心平は、川内村の寺の住職の招きでモリアオガエルの平伏(へ・ぶす)沼を訪れたのがきっかけで、1年のうち数カ月を川内で過ごしていた。天山祭りは村民やファンとの交流行事として始まり、心平の死後も続き、今年で48回目。集まった約200人にメリーさんは紹介された。
 祭りでは心平の詩が朗読された。メリーさんは「母親から昔、『草野心平』について名前を聞かされたが、どんな人物かまでは知らなかった。これだけの人たちが今も集まるのに驚いた。心平の業績をこれから学んでいきたい」と語った。   (岡本進)
 
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メリーさん、この後、村内の小松屋旅館さんで開かれた懇親会にもご参加下さいました。どさくさに紛れて千葉市美術館の「彫刻家 高村光太郎展」のチラシを差し上げてきました。
 
記事の中で「おじいちゃん」とあるのは心平の長男・故草野雷(らい)氏。「長男の妻」とあるのは、草野智恵子さん。奇しくも「智恵子」さんです。智恵子さんもメリーさんともども今回川内にいらっしゃいました。
 
心平や、ついでに(笑)光太郎が国境を越えて世界の人々にもっと知られる橋渡しになっていただければと思います。
 
【今日は何の日・光太郎】 7月16日

昭和23年(1948)の今日、岩手花巻で「花巻賢治子供の会」を主宰、賢治の童話劇を上演していた照井登久子が作成した光太郎点字詩集の表紙を揮毫しました。

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一昨日、福島県川内村の草野心平を偲ぶイベント「天山祭り」に行って参りました。今日も川内村ネタで行きます。
 
もともと草野心平と川内村の縁は、蛙。蛙をモチーフにした詩をたくさん書いた心平が、樹上に産卵するというモリアオガエルに興味を持ち、その生息地である川内村を訪れたことに始まります。
 
先日の天山祭りでは、心平の肉声の録音による詩の朗読が流されました。宮沢賢治の「永訣の朝」「雨ニモマケズ」、光太郎の「鉄を愛す」「樹下の二人」、そして心平自身の詩「ごびらっふの独白」。「蛙語」で書かれています。
 
  ごびらっふの独白 001

 

るてえる びる もれとりり がいく。

ぐう であとびん むはありんく るてえる。

けえる さみんだ げらげれんで。

くろおむ てやあら ろん るるむ かみ う りりうむ。

なみかんた りんり。

なみかんたい りんり もろうふ ける げんげ しらすてえる。

けるぱ うりりる うりりる びる るてえる。

きり ろうふ ぷりりん びる けんせりあ。

じゅろうで いろあ ぼらあむ でる あんぶりりよ。 002

ぷう せりを てる。

ぼろびいろ てる。

ぐう しありる う ぐらびら とれも でる ぐりせりあ ろとうる

ける ありたぶりあ。

ぷう かんせりて る りりかんだ う きんきたんげ。

ぐうら しありるだ けんた るてえる とれかんだ。

いい げるせいた。

でるけ ぷりむ かににん りんり。

おりぢぐらん う ぐうて たんたけえる。

びる さりを とうかんてりを。

いい びりやん げるせえた。

ばらあら ばらあ。
 
この詩は昭和23年(1948)に刊行された心平の詩集『定本蛙』に収められていますが、その扉は光太郎の揮毫です。
 
まず光太郎には書けない詩ですね。光太郎は自分にはない心平のこの種の才能を高く評価していました。
 
この詩には「日本語訳」もついています。003
 
幸福といふものはたわいなくつていいものだ。
おれはいま土のなかの靄のやうな幸福につつまれてゐる。
地上の夏の大歓喜の。
夜ひる眠らない馬力のはてに暗闇のなかの世界がくる。
みんな孤独で。
みんなの孤独が通じあふたしかな存在をほのぼの意識し。 
うつらうつらの日をすごすことは幸福である。
この設計は神に通ずるわれわれの。
侏羅紀の先祖がやつてくれた。
考へることをしないこと。
率直なこと。
夢をみること。
地上の動物の中でもつとも永い歴史をわれわれがもつてゐるといふことは 平凡であるが偉大である。
とおれは思ふ。
悲劇とか痛憤とかそんな道程のことではない。
われわれはただたわいない幸福をこそうれしいとする。
ああ虹が。
おれの孤独に虹がみえる。
おれの単簡な脳の組織は。
言わば即ち天である。
美しい虹だ。
ばらあら ばらあ。

他にも「誕生祭」という詩では「ぎゃわろっぎゃわろっぎゃわろろろろりっ」、「春のうた」では「ケルルン クック」(笑)。
 
さて、一昨日。天山祭りとその後の懇親会の間が一時間以上空いていましたので、村有数のモリアオガエル繁殖地である平伏沼(へぶすぬま)に行ってみました。
 
蕭々と降る雨の中、村の中心部から7~8㎞はあったでしょうか、延々と続く山道を「ほんとにこの道でいいのかな」と思いつつ運転しました。これ以上車で行けない、というところに駐車し、熊でも出そうな森の中をさらに200㍍ほど歩きました。
 
やがて眼前に沼が。意外だったのは、沼といいつつ水が無いことです。
 
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木の下に発泡スチロールの容器が100個ほども置いてあるでしょうか。中を見ると……。
 
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これがモリアオガエルのオタマジャクシなんですね。心平の魂を受け継ぎ(笑)、元気に育ってほしいものです。
 
親ガエルは盛んに鳴いていましたが、その姿は見えませんでした。また、特徴的な樹上の卵胞も、それらしきものは見えましたが、よくわかりませんでした。雨も降っていましたし、もう日暮れが近づいていましたので。
 
モリアオガエルの繁殖地として国の天然記念物に指定されているのは、ここと、岩手県にもう一カ所だけだそうです。原発事故に右往左往する我々人間を見て、蛙たちは、そしてあの世の心平や光太郎は、どう思っているのでしょうか……。
 
【今日は何の日・光太郎】 7月15日

昭和7年(1932)の今日、智恵子が大量の睡眠薬を服用しての自殺未遂がありました。
 

昨日は、第48回天山祭りにお招きいた002だき、福島川内村に行って参りました。川内には昨秋の心平忌日「かえる忌」でお邪魔しましたが、天山祭りへの参加は今回が初めてでした。
 
原発事故による全村避難は昨年解除され、帰村宣言が出されましたが、まだ帰れない村民の皆さんも多く、また、村へ向かう道路もまだ復旧工事中の箇所もありました。ただ、復興への歩みはゆっくりながらも進んでいるようです。
 
天山祭りとは、川内村名誉村民にして、隣接するいわき市出身の詩人・草野心平の遺徳を偲ぶ集いです。元々は心平が蔵書3,000冊を寄贈して出来た「天山文庫」、その落成記念に始まったもののようですが、生前の心平自身がこの祭りに参加、お酒やイワナ、山菜などに舌鼓を打ったとのこと。
 
心平没後はその遺徳を偲ぶ集いとなりましたが、堅苦しいものではなく、心平自身が参加していた当時と同じように、郷土芸能などの披露が続けられています。
 
昨日は福島浜通りは終日雨のため、本来の会場である天山文庫前でなく、少し離れた「いわなの郷体験交流館」という施設で行われました。参加者100名以上だったと思います。
 
話は変わりますが、光太郎は稀代の雨男。生前から何かあるときは必ず雨(冬場は雪)でした。亡くなった4月2日も、4月にも関わらず季節外れの大雪を降らせました。今もその神通力は健在。4月2日の連翹忌は雨が多いことで有名です(もちろん今年も)。
 
というわけで、昨日は当方が光太郎を連れて行ってしまったための雨かな、などと思っております。すみませんでした(笑)。
 
さて、昨日の式次第は以下の通りでした。
 
開祭の言葉(川内村教育長 秋本正氏)003
実行委員長挨拶(石井芳信氏)
村長挨拶(遠藤雄幸氏)
かわうち草野心平記念館館長挨拶(晒名昇氏)
来賓紹介
郷土芸能披露(高田島神楽舞)
献花
草野心平肉声CDによる朗読
詩の朗読(いわき市立草野心平記念文学館長 粟津則雄氏/『歴程』同人 松尾真由美氏)
鏡開き・献杯
懇親会
アトラクション
おひらき
 
その後、村内の小松屋旅館様で懇親会。心平のご遺族を含む30名ほどが集まり、それぞれに心平への思いなどを語りました。当方、生前の光太郎がお世話になった御礼等申し述べました。
 
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川内村では天山祭り以外にも、秋には心平の忌日の集いとして「かえる忌」が行われています。今年は10/26(土)の開催だそうです(当方、講演を依頼されました)。
 
【今日は何の日・光太郎】 7月14日

昭和29年(1954)の今日、中野のアトリエに電気冷蔵庫が届きました。
 
これも心平の配慮です。心平が筑摩書房にかけあって、未払いの印税をもぎとって来て(笑)購入しました。以下、心平著『わが光太郎』より。
 
話のついでに牛乳がかわりやすくて弱るということを言われたので、冷蔵庫を買われるんですね、とすすめると、毎日アトリエのなかに氷を入れにはいられるのはたまらない、とのことなので、
「じゃ電気冷蔵庫ですね。」
「電気の方はたかいだろうな。」
「筑摩の印税、あれを前借りすればいいじゃないですか。」
「前借はぼくはきらいだ。」
「前借っていったって、もう本(注・『現代日本文学全集第二十四巻 高村光太郎・萩原朔太郎・宮沢賢治集』)は出たんでしょう。」
「出るには出たけど。」
「とも角ぼくにまかして下さい。」
「そうねエ。」
 その「そうねエ。」は一オクターヴ低く、不満げな不承不承の返事だった。
 翌る日私はイギリス製のアストラルを品定めして筑摩のオヤジ(注・古田晁)にあいにいった。オヤジはすぐ出してくれた。
 
白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が「三種の神器」といわれるようになるのはもう少し後の話です。

各地からいろいろご案内やら図書のご寄贈やらが続いております。ありがたいことです。順次ご紹介していきます。

まずは、福島・川内村からのご案内。高村光太郎と親交のあつかった詩人、草野心平を偲ぶイベント「天山祭り」です。 

天山祭り2013

川内村には、過去から現在まで、さまざまな催しがおこなわれています。2011年3月の原発事故以来、催しの開催には困難が多くはございますが、川内村を愛していただいてる皆さん、村のみんなとともに、再び楽しい時間を持てるよう、今後も適時、イベント開催をしていく予定です。ご期待ください。 

今年も、天山祭りの日取りが近づいてきました。草野心平先生を偲ぶ川内村ならではのお祭りです。
48回目の、天山祭りとなります。
 
 時 : 平成25年7月13日(土) 
      午後2時開祭(終了時間午後4時30分)
 所 : 天山文庫前庭(雨天の場合はいわなの郷「体験交流館」)
 催 : 天山祭り実行委員会000
 催 : 川内村観光協会
 援 : 福島民報社・福島民友新聞社
 賛 : 行政区長会・婦人会
参加費 : 一人 500円
 
祭り次第(案)
(1)開祭の言葉
(2)実行委員長挨拶
(3)村長挨拶
(4)かわうち草野心平記念館館長挨拶
(5)献花
(6)詩の朗読・心平さんCDによる朗読
(7)鏡開き・献杯
(8)懇親会
(9)アトラクション
   子どもじゃんがら念仏踊り
    (いわき市小川町)
(10)おひらき
 
 
昨年のポスターです。          
 
会場の天山文庫は、以下のようなところです。川内村HPより引用させていただきます。
 
人間の誇り得る所産「天山文庫」
「蛙の詩」で知られる詩人・故草野心平氏「モリアオガエルの生息地があれば教えて欲しい」と、ある新聞に投書したのが、昭和25年のこと。それに応えて、長福寺の先代住職、故矢内俊晃和尚が早速招聘の手紙を送りました。
そして昭和28年8月、先生は川内村を初めて訪れました。以来、先生と村民との親交は深まり、先生の蔵書3000冊を村に寄贈されたのを機に文庫建設の話がもちあがりました。
そして村民一木一草を持ち寄り村あげての労働奉仕によって建てられたのが、今の天山文庫です。
天山文庫の名は中央アジアを越えて、東洋と西洋を結ぶ「シルクロード」にそびえる天山山脈になぞらえ、みちのくと中央の交流、人と人との出会いを大切にしたいという熱意を込めて、先生が命名したものです。
昭和35年、川内村名誉村民に推載された心平先生。85年という生涯を全うした今、そしてこれからも、先生の遺業は村民の心から消えることなく、語り継がれていくことでしょう。
昭和41年7月16日の文庫落成を記念して、毎年行われる天山祭り。この日は、村内はもとより、県内外から心平先生を偲んで多くの人々が集まってきます。
心平先生の写真を囲みながら青竹を二つに割った器に、色とりどりの山菜料理、今朝つりあげたばかりのいわなの焼魚を肴に盃を傾けます。
村の伝統芸能である獅子舞、浦安の舞、神楽舞が披露され、笛や太鼓で川内甚句も飛び出します。
 
足を運ぶのも復興支援。当方も行って参ります。みなさんもぜひお越し下さい。
 
ぜひお越し下さい、といえば今日から千葉市美術館において「彫刻家高村光太郎展」です。こちらもぜひお越しください。
 
【今日は何の日・光太郎】 6月29日

昭和32年(1957)の今日、東宝映画『智恵子抄』が封切られました。熊谷久虎監督、主演は原節子さん、故・山村聰さんでした。

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一昨日から昨日にかけ、京都に行って参りました。無題1
 
目的は京都国立近代美術館さんで開催中の企画展「芝川照吉コレクション展~青木繁・岸田劉生らを支えたコレクター」の拝観でしたが、少しだけ観光もしてきました。
 
当方の乗った夜行バス、京都着は午前6時過ぎ。この時間ではさすがに美術館は開いていませんので、館の空く9時半までの時間をつぶさなければなりません。
 
さて、光太郎といえば智恵子。智恵子といえば福島。福島といえば今年は「八重の桜」。というわけで(強引ですが)、それ関係の場所を巡りました。
 
まず、現在「八重の桜」で展開中の戊辰戦争が終わり、明治になってから八重が暮らした新島邸
 
京都御所の裏にたたずんでいます。
 
こちらも内部の拝観には時間が早かったので、門の外から見ただけでしたが、趣のある建物でした。
 
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鴨川べりに出て、コンビニでパンとコーヒーを買って朝食。その後、まだ時間が早いので下鴨神社さんまで足を伸ばしました。ここは福島や光太郎との縁はないとは思うのですが、一度行ってみたかったので。
 
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さらに、京都国立近代美術館さんに近い金戒光明寺さんに行きました。ここは以前にも行ったことがあるのですが、幕末に京都守護職・会津藩本陣が置かれたところです。

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以前のブログにも書きましたが、「八重の桜」での金戒光明寺でのシーン(外観)は、当方の暮らす千葉県香取市にある観福寺さんというところで撮影されました。さすがに本家(笑)の方が立派です。
 
本堂に上がると、参拝者が自由に書くノー000トが。見ると、その前の日の日付で「福島から来ました。最後まで諦めなかった会津様を見習い、諦めずにがんばろうと思います」という書き込み。日本全体では被災の記憶が薄れつつあるようで、閣僚のトンデモ発言なども飛び出していますが、まだまだ被災地での被災は続いています。ほんとうにがんばってほしいものです。
 
金戒光明寺さんでは、以前に行ったときには足を踏み入れなかった会津藩士の墓所にも行きました。本堂でもここでも、手を合わせつつ心の中で「福島の復興を見守っていてください」とお願いして参りました。
 
ちょうど9時半くらいになったので、京都国立近代美術館さんに行き、「芝川照吉コレクション展~青木繁・岸田劉生らを支えたコレクター」を観ました。
 
昨日書き忘れましたが、光太郎以外にも岸田劉生、清宮彬、バーナード・リーチ、石井柏亭・鶴三兄弟、硲伊之助、柳敬助、高村豊周など、光太郎の周辺にいた人物の作品も多く、興味深く拝見しました。
 
長谷川昇という画家の作品も一点。こちらは東京美術学校で彫刻科を卒業したあと西洋画科に再入学した光太郎の、西洋画科での同級生で、会津出身です。
 
というわけで、今回の京都行は、京都にいながら福島を偲ぶ旅でもありました。また近いうちに福島にも行って参ります。
 
【今日は何の日・光太郎】 6月24日

昭和14年(1939)の今日、銀座三昧堂ギャラリーで開催されていた、南洋パラオで暮らしていた異端の彫刻家・杉浦佐助の個展が閉幕しました。

光太郎は図録に推薦文を書いています。

一昨日、「智恵子講座’13」のため福島・二本松に行きました。はるばる大阪から高村光太郎研究会所属の西浦基氏もおいでくださいました。
 
午前中でそちらが終わり、午後、西浦氏が二本松は初めてだというので、当方の車にて二本松の光太郎・智恵子ゆかりの地をざっとご案内しました。
 
これから二本松方面に光太郎・智恵子探訪に行かれる方、参考になさってください。
 
まずは「智恵子講座」会場の二本松市交流センターに近い二本松駅前からスタートしました。
 
平成21年に建てられた銅像「ほんとの空」。智恵子がイメージされています。すぐ近くには、昭和51年に作られた「あどけない話」の一節「阿多多羅山の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ」を刻んだ詩碑。
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その後、車で北上、二本松城址へ。ここには昭和35年に建立された詩碑があります。
 
もともとあった「牛石」という大きな石にブロンズのパネルがはめ込んであり、1枚は「あれが阿多多羅山 あのひかるのが阿武隈川」、もう1枚に駅前の詩碑と同じ「あどけない話」のワンフレーズ。さらに草野心平の筆になる碑陰記もついています。
 
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その近くには、蓮の花が咲く池があり、ほとりには立派な藤棚があります(もう藤は散ってしまっていますが)。説明版によれば、この藤は智恵子の生家の庭にあったものを移植したとのこと。
 
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ちなみに、この日のNHK大河ドラマ「八重の桜」。帰ってから録画で見ましたが、サブタイトルが「二本松少年隊の悲劇」。史実かどうかわかりませんが、綾瀬はるかの八重がかつて射撃を教えた二本松藩士の子供たちによる二本松少年隊が薩長軍に撃破されるというストーリーでした。
 
そうした戊辰の頃にも思いをはせながら、二本松城址を後にし、旧安達町エリアへ。
 
こちらでは智恵子の生家、智恵子記念館、裏手にある智恵子の筆跡を刻んだ「熊野大神」碑、さらに裏手にある「樹下の二人」碑、そして長沼家菩提寺の満福寺にある長沼家の墓所などを廻りました。

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この辺りの画像は、以前に訪れたときのものです。
 
そして西浦氏が宿を取られた安達太良山中腹の岳温泉へ。当方も日帰り入浴させていただき、帰途につきました。
 
二本松、何度行ってもいい場所です。是非、足をお運びください。
 
【今日は何の日・光太郎】 6月18日

明治34年(1901)の今日、智恵子の妹・セツが誕生しました。
 
昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が身を寄せたのが、九十九里に住んでいたセツのもとでした。

昨日は福島県二本松市、二本松市民交流センターにおいて行われた「智恵子講座’13」の第3回で、講師を務めて参りました。
 
今年度は年間テーマが「高村光太郎に影響を与えた人達」ということで、昨日の第3回で、当方が与えられたテーマが「岡倉天心と東京美術学校」でした。質疑応答を含め、2時間ほどしゃべって参りました。
 
岡倉天心は東京美術学校校長として、一介の町の仏師であった光雲を教員として取り立てたり、横山大観ら後進を育てたり、その運営に大きく貢献した人物です。
 
天心以外にも、光太郎在学前後の東京美術学校は多士済々。教員や学生で、名をなした人々がたくさんいます。アーネスト・フェロノサ、橋本雅邦、菱田春草、後藤貞行、石川光明、板谷波山、本山白雲、長沼守敬、黒田清輝、藤島武二、藤田嗣治、岡本一平……。もちろん、光雲、光太郎親子。美術家以外でも、森鷗外も専任外教員として教壇に立っていました。
 
昨日はノートパソコンとプロジェクタを持ち込み、それらの人々の作品などを紹介し、併せて美術学校在学中の光太郎についての概略を説明いたしました。はからずも、明治中期から末期の日本美術界の概要、という感じになりました。ただ、少し前にそういう発表はすまい、などと書いておきながら、スクリーンに映した画像頼みの内容になってしまったいたのではないかな、と反省しきりです。

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聴きに来てくださった方は、約30名。ありがたいことです。
 
「智恵子講座’13」は、以下の通り今年度、あと4回の開講です。1回ごとの申し込みも出来るそうですので、よろしくお願いいたします。連絡先は二本松市油井八軒町の熊谷さん 0243-23-6743です。
 
10/14 (月・祝)10:00~ 「ロダンと荻原碌山」 久慈伸一氏(福島県立美術館学芸員)
11/17(日) 10:00~ 「与謝野鉄幹と水野葉舟」 澤正宏氏(福島大名誉教授)
12/15(日) 10:00~ 「草野心平と宮沢賢治」 小野浩氏(いわき市くらしの伝承郷館長)
  〃     13:00~ 「高村光太郎を語るつどい」 閉講式 文集配布
 
【今日は何の日・光太郎】 6月17日

昭和62年(1987)の今日、光太郎に私淑した彫刻家・高田博厚が歿しました。

『朝日新聞』さん。昨日の「天声人語」で安達太良山と「あどけない話」を取り上げてくださいましたが、今日はそれを受けて投書欄に以下の投稿が。
 
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山開きが19日の日曜だったのですね。当方、中腹のスキー場には行ったことがありますが、山頂まで登ったことはまだありません。標高約1,700㍍。一度登ってみようかと思いました。
 
それにしても、「少し楽しめそう」という題名。「少し」という副詞が無くなる日が早く来てほしいものです。
 
ついでに、光太郎・智恵子には関わらないかもしれませんが、来週のテレビ放映で二本松が取り上げられますので一応ご紹介します。 

にほん風景遺産「会津・二本松 二つの城物語」

BS朝日1 2013年6月4日(火)  21時00分~21時54分 
 
大河ドラマの舞台として注目される福島県会津地方。戊辰戦争で落城した二本松城跡や、鶴ヶ城とその城下町を風景案内人 加藤千洋さんが歩き、歴史と人々の暮らしに触れる。

番組内容
大河ドラマ「八重の桜」人気でにぎわう会津若松。まず加藤さんは新島八重生誕の碑に足を運ぶ。七日町通りでは、会津漆器の店や郷土料理の店を訪ね、大正浪漫あふれるレトロな町並みを散策。桜満開の鶴ヶ城では、戊辰戦争時にこの城が置かれたいきさつや、会津藩の歴史をたどる。天守閣からは眼下に広がる会津若松市内の景色を楽しみ、白虎隊ゆかりの地・飯盛山も訪れた。さらに、かつて丹羽氏の居城だった二本松城(霞ヶ城)。戊辰戦争で命を落とした隊士たちをしのぶ「二本松少年隊像」や箕輪門など、城内各所を巡る。激動の歴史と伝統工芸が息づく会津若松、二本松の物語をたどる。

出演者 風景案内人 加藤千洋(同志社大学大学院教授)
ナレーション  下平さやか(テレビ朝日アナウンサー)


【今日は何の日・光太郎】 5月28日

大正9年(1920)の今日、光太郎編訳『続ロダンの言葉』が叢文閣から刊行されました。
 
同5年(1916)に005行された正編と合わせ、美術を学ぶ学生にとってはバイブルに等しいものとして受け入れられたそうです。
 
ところで、画像は表紙です。金の箔押しで題字と花のイラストが描かれています。
 
「彫刻家・高村光太郎展」にからんで、千葉市美術館の学芸員さんから質問されたのですが、この装丁が誰の手によるものかわかりません。
 
原書にはクレジットが入っていませんし、光太郎に関する基本的な文献にも記述がありません。
 
千葉市美術館の学芸員さん曰く「岸田劉生風の絵」。確かにそうです。
 
手がかりは花の茎の左に描かれたサイン? のようなもの。情報をお持ちの方はご教示いただければ幸いです。
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変にスペースが余ってしまったのでもう一言。
 
今夜、居住地域から夜行バスに乗り、明朝、京都に着きます。京都は嵯峨の大覚寺さんで新たに見つかった光雲作の木彫三点を観てきます。
 
その後、大阪・堺に移動、与謝野晶子の忌日・白桜忌に参加してきます。
 
帰ったらレポートします。

今朝の『朝日新聞』さんの「天声人語」に、光太郎が登場しました。
 
先月2日、連翹忌当日の「天声人語」にも光太郎の名が出ました。2ヶ月連続で「天声人語」に光太郎が登場するのは初めてではないか、と思います。
 
しかし、今回は手放しで喜べない内容です。
 
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福島・安達太良山のレポートに始まり、お約束で「あどけない話」が扱われています。
 
「近くの観光施設では子どもたちの姿が戻らないと嘆いていた。」とありますが、毎週月曜日に1ページ費やされる「伝える 東日本大震災」というページには、安達太良山の麓、岳温泉の若女将が紹介されています。
 
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そして1面や社会面には、茨城県東海村の原子力研究施設での放射能漏れについての報道。これでいいのでしょうか、我が国は。
 
来月、約半年ぶりに二本松に行って参ります。復興の現状を見て参ります。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月27日

昭和26年(1951)の今日、帝国劇場で舞踊家・藤間節子のリサイタルが開かれ、パンフレットに散文「山より」を寄せました。
 
藤間節子(のち黛節子)は戦時中から光太郎と交流があり、戦後、昭和24年(1949)と25年(1950)には「舞踊 智恵子抄」を発表、光太郎は昭和30(1955)年まで計6回、藤間の公演のパンフレットに散文を寄せています。

隣町・成田の家電量販店でプロジェクタとノートパソコンを買ってきました。
 
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プロジェクタはパソコンの画面やDVDの映像などをスクリーンに映写する機械です。企業などではいわゆる「プレゼン」でよく使われますね。
 
光太郎智恵子について、人前で話す機会が多く、今まではせいぜい紙に印刷したレジュメを用意する程度でしたが、やはりこういうものを活用することで発表のクオリティーが上げられると考え、思い切って買ってしまいました。連翹忌などでも活用できるかな、とも思っています。
 
発表する側でなく、聴く方の側もよく体験していますが、やはり画像等が大写しになっていると、理解の助けになります。レジュメの小さい、しかもモノクロの画像で説明されてもわかりにくい、ということが多々あります。或る意味「百聞は一見にしかず」ですね。
 
手始めに来月16日(日)、二本松で行われる智恵子講座。「光太郎に影響を与えた人々」という連続講座の2回目で、岡倉天心と東京美術学校について話してくれとのことですので、早速、パワーポイントを使って資料を作ってみます。
 
しかし、これから先、以下の点に注意しようと思っています。
 
必要もないのに使わないこと
プロジェクタなどを使うと、それを使うことに満足してしまい、それを使う必要があったの? という発表にあたることがあります。しゃべる内容をただ文字にして大写しにしているだけ、または逆にアニメーションとかを駆使し、いろいろな動きがあるけれど、だから? のような。そういう使い方はしないよう心がけたいと思います。
 
画像などに頼らないこと
画像などを大写しにすれば、確かに理解の手助けにはなりますが、そこに頼ってしまう内容の薄い発表では仕方がありません。そうならないよう注意したいものです。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月24日

昭和25年(1950)の今日、花巻郊外太田村の山口小学校で、PTA主催の講演会を行いました。
 
その中に、こんな一節があります。
 
ありったけの力で最善を尽くせばいいのです。自分を捨ててかかればいいのです。僕はお金も名誉も望みません。世の中の役に立てばいいのです。一日一日、緩みのない生活でありたいのです。何がほんとうであるか、わかるようにと努めることです。あしたのことを考えても、そのとおりにはならないので、その日、そのときに最善を尽くすことだと思います。
 
いいですね。

新潟から入ったイベント情報です。

シーズン&アート第29章 「高村光太郎-安達太良山と智恵子」

 季節にあった文学の朗読・解説と、音楽の生演奏をお楽しみいただく「シーズン&アート」。
 今回の文学は、彫刻家であり偉大な詩人でもあった高村光太郎が、妻・智恵子への想いを綴った愛の詩集《智恵子抄》です。
『智恵子抄』は、高村光太郎の智恵子への深い愛情が、美しい東北の風景や千葉の九十九里浜の砂山の情景と重なり、絵的な美しさを感じさせる作品です。
今回は、高村光太郎の詩集『道程』、『智恵子抄』を、元NHKアナウンサーの高山憲治さんが朗読し、文芸評論家の若月忠信さんが解説します。
 二期会会員のソプラノ歌手・吉田友子さんが、朗読にあわせて歌曲『智恵子抄』より「あどけない話」や「レモン哀歌」などを歌います。
鈴木賢太さんのピアノ演奏でお楽しみいただきます。
 死後も光太郎の心に生き続けた智恵子の姿。詩からあふれる二人の愛の美しさを感じてください。
 
開催概要
日時  平成25年6月1日(土曜) 午後1時から午後3時(開場:午後0時30分)
会場  新潟市江南区文化会館 音楽演劇ホール 新潟市江南区茅野山3丁目1-14 
定員  120名 (先着順) 

文学  高村光太郎 『智恵子抄』、『道程』 
出演者 朗読     高山 憲治 (元NHKアナウンサー)
 解説 
  若月 忠信(文芸評論家)
    歌        吉田 友子(ソプラノ、二期会会員)
    ピアノ   鈴木 賢太(新潟大学教育学部音楽科准教授)
料金  一般1,000円
お申込み方法  新津美術館あてに電話、FAX、メールいずれかで「代表者の住所、氏名、電話番
号、参加人数」をお伝えのうえ、お申込みください。(先着申込順、4月26日より受付開始)
 電話:0250-25-1300 FAX:0250-25-1303
 メール:museum.ni@city.niigata.lg.jp 

公演プログラム
朗読 高村光太郎 『智恵子抄』 より
    樹下の二人 、あなたはだんだんきれいになる
    あどけない話 (智恵子抄「あどけない話」 (清水脩作曲)の演奏とともに )
    千鳥と遊ぶ智恵子
    山麓の二人
    レモン哀歌 (智恵子抄「レモン哀歌」 (清水脩作曲)の演奏とともに)
    案内 ほか
    高村光太郎 『道程』 より 道程
演奏 歌 吉田友子(ソプラノ) ピアノ 鈴木賢太
朗読にあわせて
 あどけない話 (清水脩作曲 「智恵子抄」より)
 レモン哀歌 (清水脩作曲 「智恵子抄」より)
歌 砂山 
  九十九里浜
  浜千鳥 (鹿嶋鳴秋作詞、弘田龍太郎作曲 童謡)
  オペラ 「トスカ」より 歌に生き、恋に生き 
ピアノ  ドビュッシー 「月の光」 
     テクラ・バダジェフスカ 「乙女の祈り」 ほか
注) プログラムは変更になる場合があります。
 


早速、当方、申し込みました。
 
【今日は何の日・光太郎】5月8日
昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村の山口小学校で、運動会を見物しました。
 
光太郎、なんと、前の年の運動会(残念ながら詳細な日付が不明)では、「老人の部」の「瓶つり競走」に参加しています。

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旧山口小学校(現在は取り壊されてしまって見ることができません)

昨日に引き続き、福島二本松周辺での各種イベント等の報道です。

夫や家族の生涯解説 二本松で「智恵子講座」開講

 詩集「智恵子抄」で知られる高村智恵子の出身地・福島県二本松市で顕彰活動を行っている智恵子のまち夢くらぶの「智恵子講座2013」は20日、同市の市民交流センターで開講した。 
 智恵子の夫・高村光太郎に影響を与えた人をテーマに12月まで7回の講座を開く。県北地方を中心に郡山、白河、田村、南相馬各市から30人が受講している。 
 初回は夢くらぶの本多長幹事があいさつした後、熊谷健一代表が「父高村光雲と家族」について講話した。光太郎の「私は何をおいても彫刻家である。彫刻は私の血の中にある」との言葉から、彫刻の大家だった光雲の生涯、親子の葛藤などを説明した。 
 次回は5月19日で「第九回智恵子生誕祭~好きです智恵子青空ウォーク」として他の参加者も募り、智恵子の生家やゆかりの地を巡る。 
 問い合わせは熊谷代表 電話0243(23)6743へ。 
福島民報社
 
昨年からこのブログでも何度かご紹介していますが、二本松で地道に続いている講座です。6月には当方も講師を務めます。

常設作品展示替え 大山忠作美術館

 福島県二本松市の大山忠作美術館は常設展の展示替えをした。故郷への思いを込めた大作や初公開作品など36点を11日から9月29日まで公開する。
 同美術館は所蔵作品を半年に1度入れ替えている。第8期の今回は、安達太良山とススキを背景にした「智恵子に扮(ふん)する有馬稲子像」など、初期から晩年までの作品を並べた。初展示の書「花」や小品の「桜」など、展示期間の季節に合わせた作品もある。
 入館料は一般400円、高校生以下200円。時間は午前9時半から午後5時(入館は午後4時半)まで。問い合わせは同美術館 電話0243(24)1217へ。
福島民報社
 
JR二本松駅前にある、日本画家・大山忠作の美術館です。こちらには智恵子をモチーフとした絵画が何点かあります。 

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こちらは以前同館で入手したクリアフォルダとポストカードです。
 
いつもいつもオチの一言はこれですが、「ぜひ足をお運びください」。
 
【今日は何の日・光太郎】4月26日

昭和33年(1958)の今日、花巻郊外高村光太郎山荘敷地内に立つ光太郎詩碑「雪白く積めり」の銅板プレート(高村豊周・西大由制作)が完成、花巻に届けられました。

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しばらくニュース検索の結果をご紹介しないでいたら、溜まってしまいました。特に福島二本松周辺での各種イベント等の報道が多くあり、まとめてご紹介します。

道の駅「安達」下り線オープン 地場産品の直売人気

 二本松市米沢の国道4号下り線沿いに5日オープンした「道の駅『安達』智恵子の里下り線」は、初日から大勢の利用客でにぎわい、地場産品の農産物直売場や土産物売り場などが活気であふれた。
 オープンに先立ち行われた完成式では、三保恵一市長らと先着500人の利用者も加わった大テープカットが行われ、関係者らが新たな観光拠点の誕生を祝った。同市のトランペット奏者でNoby(ノビー)の愛称で知られる長屋伸浩さんの演奏も披露された。
 施設内には、にほんまつ未来創造ネットワーク(安斎文彦会長)による「合戦場のしだれ桜」など市内の桜の名所写真19点と桜マップが展示され、利用者へ春の観光情報を発信していた。
 また、風船で犬などに模したバルーンアートプレゼントや、奥の松酒造(同市)の甘酒試飲なども家族連れに好評を博した。
(2013年4月6日 福島民友トピックス)
 
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「万燈桜」ライトアップ 道の駅「安達」智恵子の里下り線

 二本松市米沢の道の駅「安達」智恵子の里下り線の入り口にあり、桜の名所となっている「万燈桜(まんとうさくら)」のライトアップは25日まで行われる。同下り線オープン記念の一環で、期間中は「万燈桜まつり」も開催される。
 同所で11日に点灯式が行われ、三保恵一市長があいさつした後、スイッチを押して点灯。高さ約15メートルで樹齢約270年の高く伸びた枝ぶりが美しい1本桜が、幻想的に映し出された。ライトアップの時間は午後6時30分から同11時まで。
(2013年4月13日 福島民友ニュース)
 

あぶくま抄(4月16日)

 二本松市米沢の4号国道沿いに「万燈[まんとう]桜[ざくら]」がある。福島市との境に近い。推定樹齢270年のエドヒガンの一本桜は今が花盛り。5日にオープンした道の駅「安達」智恵子の里下り線のシンボルだ。
 昔、この地に住む旭長者が無病息災を願い、一万の塚を築き、灯明をともした伝説に由来する。残雪の安達太良山を背景に咲く姿は、多くの人に愛されてきた。国土交通省と二本松市は道の駅整備に際して、万燈桜の保護と景観に配慮した。駐車場の面積を予定よりも狭くし、桜の周囲を芝生広場にした。
 道の駅「安達」は東北地方で初、4号国道でも唯一、上下線両方にある。既設の上り線に次ぐ下り線の完成は当初の計画から2年遅れた。着工目前に大震災があった。直後は、浜通りからの避難者が上り線にあふれた。災害時の一時避難や情報発信の役割が一層高まった。下り線の駅は、停電の際に補う太陽光発電設備を備える。
 休憩だけでなく、特産品の買い物や周辺の観光、歴史・文化に触れようという人々でにぎわう。いざというときは、避難所としての機能を発揮する。地域を災害から守ろうと祈った旭長者の思いを継ぐように、万燈桜が見守る。

「春らんまん号」出発 二本松の桜の名所など巡回

 二本松市内の桜の名所などを巡回する臨時バス「春らんまん号」は6日、運行をスタートした。28日までの土、日曜日の計8日間、1日8本のバスを運行し、春の観光シーズンを迎えた同市内を巡る。
 コースはJR二本松駅前を出発点に本町から亀谷坂(坂の駅露伴亭)、智恵子の生家を経て、霞ケ城公園や大隣寺を巡って駅前に戻る。料金は大人(中学生以上)が170~520円、子どもは90~260円。1日フリー乗車券は大人(同)500円、子ども250円(乳幼児無料)。1日フリー乗車券の提示で、同市の大山忠作美術館と智恵子記念館の入館料が割り引きされる。
 問い合わせは福島交通二本松営業所(電話0243・23・0123)か二本松観光協会(電話0243・55・5095)へ。JR二本松駅前の発車時刻次の通り。
 午前=10時10分、11時、11時40分▽午後=0時30分、1時15分、2時10分、2時50分、3時35分
(2013年4月7日 福島民友ニュース)
 
他にも二本松周辺の報道がありますので、明日ご紹介します。
 
【今日は何の日・光太郎】4月25日

明治44年(1911)の今日、築地精養軒で行われた親友で画家の柳敬助、橋本八重の結婚式に出席しました。

柳夫妻はこの年、光太郎と智恵子の出会いのきっかけを作りました。

本日もいただきもののご紹介です。
 
福島二本松の現代詩研究会様より雑誌『現代詩研究』第70号。
 
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「編集後記」で光太郎について触れられています。
 
続いて花巻の財団法人高村記念会様より「高村記念会山口支部報」。
 
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4月2日の連翹忌当日、花巻の太田地区にある高村山荘周辺で行われた詩碑前祭のレポートです。こうした地域に根ざした活動には本当に頭が下がります。
 
それから、きたる5月15日(水)の高村祭の案内も掲載されています。開始は午前10時。講演の講師は女優の渡辺えりさんとのこと。
 
送っていただいた皆さん、ありがとうございました。
 
【今日は何の日・光太郎】4月15日

明治43年(1910)の今日、神田淡路町に日本初の画廊、琅玕洞(ろうかんどう)を開店しました。
 
光太郎と交友のあった新進の画家の作品を並べたりした、時代の先端を突き抜けたこの試みは世間には受け入れられず、ちょうど1年後の明治44年(1911)の今日、琅玕洞は閉店しています(後に知り合いに譲渡、コンセプトを変更して再オープンされました)。
 
名目上の店主は光太郎の次弟、道利でした。ちなみに今日、4月15日はその道利(と双子の妹・しづ)の誕生日でもあります。

当方刊行の『光太郎資料』や連翹忌関連の資料(当日配布したものの残部)などをあちこちに発送しました。
 
だからというわけでもないのかも知れませんが、逆にあちこちからいろいろな資料が届きます。ありがたいことです。
 
先日、雑誌『歴程』№583が届きました。この中に執筆されている伊武トーマ氏から戴きました。
 
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「十一月十七日、かえる忌、雨……」という題のエッセイで、昨秋の草野心平忌日・かえる忌の模様のレポートです。
 
こちらには当方も参加させていただきまして、文中には当方の名も。その際に当方が持参した光太郎揮毫の「雨ニモマケズ」碑拓本にからめ、次のように書かれています。
 
……道程の詩人の「僕の前に道はない。僕の後に道は出来る。」、目の当たりにしている賢治の「雨ニモマケズ風ニモマケズ」、まだ耳に残っている心平さんの「どこまでつづくまっ暗な。電燈ひとつついてやしない底なしの。くらあい道を歩いてゆく。」…。《光太郎・賢治・心平》この三巨星の有名なフレーズが一つの空間となり詩的宇宙の扉が開かれ、胸の奥底から熱いものが迸った。
 
『歴程』は昭和11年(1936)、草野心平が創刊した雑誌ですが、光太郎とも因縁浅からぬものがあり、その創刊号をはじめ、戦後の復刊を含め、光太郎の文筆作品がたくさん載りました。
 
時を超え、その同じ『歴程』誌上にこうして賢治も含め、ゆかりの深い詩人達の名が連なるのは感慨深いものがあります。
 
【今日は何の日・光太郎】4月12日

昭和31年(1956)の今日、『東京新聞』夕刊に光太郎追悼記事「高村光太郎の生き方-伊藤、今泉氏に質問したいこと」が掲載されました。

「伊藤」は詩人の伊藤信吉、「今泉」は美術史家の今泉篤男。ともに光太郎に私淑していた人々です。

昨日は福島二本松の安達文化ホールで、多摩童謡友の会合唱団・多摩ファミリーシンガーズさんによる「東日本大震災復興支援コンサート ほほえみをあなたに」が開催されました。指揮者の高山佳子様からのメールでは盛会だったとのことで、良かったと思います。
 
ネットで報道されていないかな、と思い調べてみましたが、残念ながら現時点では見つかりませんでした。
 
しかし、別件で以下のニュースを見つけました。福島の地方紙・福島民報さんの報道です。

「二本松市民の歌」できた 声高らか披露式 郷土愛、心のよりどころ

 二本松市は23日、「二本松市民の歌」を制定し、同市コンサートホールで披露式を行った。平成17年12月に一市三町の合併により誕生した新・二本松市の歌として初めて作られた。
 市民の郷土愛を育み、一丸となって東日本大震災の発生前より素晴らしいまちを築くため、心のよりどころにするのが目的。
 歌詞は公募し、寄せられた70点の中から朝倉修さん(札幌市)の詩が採用され、郡山市出身の作曲家湯浅譲二さんが補作して曲をつけた。三保恵一市長は「幅広い世代に愛されるような明るい曲になった」と紹介した。湯浅さんは「寿泉堂病院長だった父は『二本松少年隊』の歌を作詞した。父とともに見た安達太良の峰や阿武隈の清流は、幼いころの原風景として残っている」と作曲した思いを語った。
 披露式では、同市出身のテノール歌手樋口達哉さんが独唱、二本松一中合唱部が二部合唱、あだたら混声合唱協会が混声四部合唱でそれぞれ歌い上げた。
 「二本松市民の歌」はCDに収め、近く市内の学校や公民館、各種団体などに配布するほか、市住民センターを通して個人にも貸し出す。


■二本松市民の歌    作詞 朝倉修   補作詞 湯浅譲二   作曲 湯浅譲二

一、安達太良の峰 陽に映えて  阿武隈の水 清らかに
  四季も華やぐ このまちに  希望奏でる 朝がある
  ああ 光あふれる 二本松  ほんとの空が ここにある
二、青空に舞う 花ふぶき  やさしく歌う うぐいすよ
  生命輝く このまちに  幸せ運ぶ 風がある
  ああ 理想あふれる 二本松  ほんとの空が ここにある
三、霞が城の しろあとに  揺れる提灯 囃子の音
  文化煌めく このまちに  明るい笑顔 夢がある
  ああ 浪漫あふれる 二本松  ほんとの空が ここにある  
( 2013/03/24 11:55 )
 


リフレインの「ほんとの空が ここにある」。いいフレーズですね。
 
二本松のみならず、福島、いや、東北、そして日本全体が胸を張ってそういえるようであってほしいと思います。

さて、話は変わりますが、明日は光太郎の命日。東京日比谷松本楼様では第57回連翹忌を開催いたします。
 

遠くは岩手や四国などから、ご参加申し込みくださった方は約70名。お気をつけてお越しください。

【今日は何の日・光太郎】4月1日

明治28年(1895)の今日、数え13歳の光太郎が、第四回内国勧業博覧会の審査員だった光雲に連れられて京都に行きました。

3/28のブログで御紹介しました合唱002曲「ほんとの空」。
 
今日、二本松の安達文化ホールで、この「ほんとの空」をはじめとする合唱による「東日本大震災復興支援コンサート ほほえみをあなたに」が開催されます。
 
3/28のブログにも書きましたとおり、CDと楽譜が日本童謡協会様から発行されていると知り、連絡を取ったのですが、既に完売。そこでダメもとで演奏してらっしゃる合唱団の多摩ファミリーシンガーズ様に問い合わせたところ、作曲者の髙山佳子(たま・みゆき)様ご本人と連絡が取れ、コピーですがCDと楽譜を速達で送ってくださいました。ありがたいことです。
 
早速聴いてみました。原発事故という重いモチーフでありながら、モール(短調)ではなくAドゥア(イ長調)の明るい響きです。児童合唱ということで、平易なメロディーながら、中間部でDドゥア(ニ長調)に転調、最後に元に戻ったり、ソリ(少人数のパート)やソロのオブリガートが入ったり、基本は二部ですが部分的に三部になったりと、非常に工夫されています。
 
明後日は光太郎の命日・連翹忌です。日比谷松本楼様で連翹忌の集いを開催いたしますが、ご許可がありましたのでその席上にて参会の皆様にも聴いていただきます。
 
以下、昨年の3.11に寄せて書かれた作曲者の髙山佳子(たま・みゆき)様の言葉です。

『ほんとの空』 ~3月11日に寄せて~ 

 今、日本人が心の底から怒ってる事。思ってもいなかった核の恐怖におびやかされたこの数ヶ月。福島の詩人後藤基宗子さんから『空を切る』という詩が送られてきました。
 福島にある、高村光太郎の「智恵子抄」で智恵子が「ほんとの空」と云った安達太良山、その美しい空が、忌まわしい放射能汚染におびやかされ、心の安まる日がないという。そこで『ほんとの空』というタイトルで福島の人々の思いを合唱曲にしました。
 今年の3月11日、震災から一年目の日、府中の森劇場で、社団法人日本童謡協会の『子どものコーラス展』で児童合唱団多摩ファミリーシンガーズで初演されました。この曲は、ぜひ福島の、特に児童合唱団に歌ってほしいものです。
 冬の磐梯山では長年スキーを楽しみ、猪苗代湖で白鳥と戯れ、秋は紅葉の五色沼、会津鶴が城、沼尻スキー場、など心を癒してくれる私にとって第二の故郷、福島に何か出来るならと、心をこめてこの曲を作りました。詩人の叫びを音にして皆様に届けたいと思っております。よろしくお願い致します。楽譜をおいりようの方はご連絡下さい。  2012.春
 
復興支援ソングというと、NHKさんの肝いりで出来た「花は咲く」が有名で、当方の所属する合唱団も持ち歌にしていますが、この「ほんとの空」も広まって欲しいものです。
 
【今日は何の日・光太郎】3月31日

大正15年(1926)の今日、光雲が長年勤めた東京美術学校を退職しました。

本日のテレビ放映情報です

八重の桜ツアー「ただいま、東北」 ▽早春編

2013年3月29日(金) 22時55分~23時19分  再放送 2013/04/01(月)10:05~10:30  
NHK総合1・東京
 
大河ドラマ「八重の桜」の出演者たちが、旬の東北を旅する情報バラエティ。今回は、黒木メイサと白羽ゆりが会津と二本松を訪ね、未知のグルメや史跡に福島の魅力を見出す。

番組内容

大河ドラマ「八重の桜」の出演者が、旬の東北を旅する情報バラエティー。今回は、黒木メイサ(中野竹子役)と白羽ゆり(山川登勢役)が、福島県会津若松市と二本松市へ。旅は、同県の観光大使を務める白羽が、“福島初心者”の黒木を案内する形で進行。会津では名物の珍しいまんじゅうや天ぷら、山国ならではのクルミを使った絶品料理の数々に舌鼓を打つ。二本松では、戊辰戦争で壮絶な最期を遂げた少年隊士たちの足跡をたどる。
 
智恵子の故郷、二本松からのレポートもあります。「八重の桜」がらみなので戊辰戦争での二本松少年隊を大きく扱うようで、智恵子の名が出るかどうか微妙です。ただ、光太郎の詩碑や智恵子の生家にあったという藤棚が移植されている二本松霞ヶ城は取り上げられるでしょう。
 
今、かの地の桜はどんな感じなのでしょうね。
 
さて、過日、名古屋に行った際、高速バスと新幹線の連絡時間の関係で、八重洲にある福島県のアンテナショップ「福島県八重洲観光交流館」に寄りました。福島まで行かなくても、ここで買い物をすれば福島の復興に少しでも役に立ちますし、愚妻が福島名産の「ゆべし」を好きなので、購入しました。
 
その際、情報コーナーで下記のパンフレットを戴いて帰りました。
 
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二本松市内の桜の名所が30カ所以上紹介されています。智恵子がらみの場所もたくさん載っています。
 
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万福寺さん無題2長沼家の菩提寺、油井小学校さんは智恵子の母校です。智恵子生家の裏山一帯は「智恵子の杜公園」、もちろん霞ヶ城にも桜がたくさん。ライトアップもされるそうです。
 
さらに生家にほど近い安達ヶ原公園(鬼女伝説で有名な黒塚などもあります)、少し離れていますが安達太良山の山麓に位置する岳温泉などにも桜が。
 
やはり復興支援には実際に訪れることが大切です。ぜひ足をお運び下さい! 
 
 
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【今日は何の日・光太郎】3月29日

明治42年(1909)の今日、欧米留学を締めくくるためのイタリア旅行で、ヴェニスに到着しました。

昨日、京都の大覚寺で光雲作の木彫3点の発見を報じたニュースを御紹介しましたが、やはり昨日、ニュース検索でもう1件ヒットしました。

東日本大震災:福島の空うたった詩 多摩で作曲、感動呼ぶ 2合唱団、二本松で31日に支援コンサート

毎日新聞 3月27日(水)11時9分配信
 
 多摩地域で活動する合唱グループ「多摩童謡友の会」と児童合唱団「多摩ファミリーシンガーズ」が合同で31日、福島県二本松市で東日本大震災復興支援のコンサートを開く。同市の仮設住宅や借り上げ住宅には約50キロ離れた同県浪江町から避難してきた約2500人が暮らしている。団員らは「避難して来ている人たちや二本松市民が歌で心を癒やして元気になってくれたら」と期待する。
 
 きっかけは東京電力福島第1原発事故の翌月のことだった。テレビ番組で「歌のお姉さん」を務めたことがあり、両合唱団を主宰する高山佳子さん=多摩市在住=の元に、詩人の後藤基宗子(きそこ)さん=福島県郡山市在住=から一編の詩が送られてきた。作曲の依頼だった。
 
 <空をよごしたのは誰 誰 誰>
 <阿多々羅山(あだたらやま)の向こうに磐梯山が見える街>
 <ほんとの空だけ君に残したい>
 事故後の心の移ろいが表れた詩に胸を打たれ、「ほんとの空」という合唱曲が出来上がった。高山さんは「阿多々羅山(安達太良山)のふもとの二本松市は(詩人の)高村光太郎の妻智恵子さんの古里。智恵子抄に出てくる『東京に空がない。阿多多羅山の上の青い空がほんとの空』という一節に思いを重ねた」と振り返る。

 昨年10月。多摩ファミリーシンガーズが多摩市の音楽会で披露したこの歌に、聴きに来ていた二本松市出身で東京多摩ロータリークラブの高野隆夫さん(72)が感動。「仮設に住むお年寄りに聞いてもらいたい」と高野さんが現地の「二本松あだたらロータリークラブ」に連絡をとり、両クラブ主催のコンサート開催が決まった。
 高山さんは2月末には童謡友の会の主婦らと二本松市を訪ね「ふるさとは心の中に」という歌も作った。「古里に帰ることができない浪江町の人たちに、心の中の古里をよりどころに明日に向かって歩いてほしいとの気持ちを込めた」という。

 31日は二つの合唱団の10~90代のメンバーら54人が両曲を合唱するほか、童謡25曲を歌う。入場無料。問い合わせは二本松あだたらロータリークラブ事務局(0243・23・3211)。
〔都内版〕3月27日朝刊
 

東日本大震災復興支援コンサート

ほほえみをあなたに 童謡は心のふるさと

 心いやすなつかしく温かい歌で ともに歌い ともにほほえむ
さぁ~あつまろう! 元気がでるよ!!
公演案内より
     震災の復興支援として、福島で行われるコンサートに出演します。
 
     プログラム
     故郷 我は海の子 早春賦 月の沙漠 虹の彼方に 荒城の月 波浮の港 
     トルコマーチ コキリコのうた ほんとの空 ほか
 
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気付いたのが昨日で、予定が合わず行けません。残念です。お近くの方はぜひ足をお運び下さい。
 
また、「ほんとの空」を収録した楽譜とCDも販売されていたのですが、発行元の日本童謡協会様に問い合わせましたところ、すでに品切れとのこと。これも残念です。
 
【今日は何の日・光太郎】3月28日

昭和31年(1956)の今日、雑誌『新潮』に連載の随筆「アトリエにて」の最後の一枚を書きました。リアルタイムで発表されたものとしては絶筆となりました。

たびたびこのブログでご紹介している映画「希望の国」。

 
主演の夏八木勲さんが、この映画によって文化庁の芸術選奨文部科学大臣賞に輝きました。素晴らしい!
 
「反原発」の映画ですので、ある意味問題作。それが芸術選奨文部科学大臣賞というのは意外と言えば意外ですが、文化庁も懐の深さを見せたのでしょうか。賞の性質上、エンターテインメント性の強いものには与えられないと思いますが。
 
一昨日の朝日新聞の記事です。
 
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「智恵子」役の大谷直子さんにも賞をあげたいな、と思っていましたら、ちゃんと他の賞が出ていました。
 
まず「第67回日本放送映画藝術大賞」の優秀助演女優賞。惜しくも最優秀ではありませんでしたが、これも素晴らしい!
 
それから映画「希望の国」のオフィシャルサイトによれば「東京新聞映画賞特別賞」ということだそうですが、こちらは東京新聞さんのサイトを見ても記載がありません。どうなっているのでしょうか?
 
いずれにせよ、こうした受賞を通してもっともっとこの映画が話題になってほしいものです。
 
ところでやはり一昨日の朝日新聞、一面に載った写真です。
 
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これもある意味、ものすごい写真ですね……。
 
【今日は何の日・光太郎】3月15日

明治36年(1903)の今日、智恵子が福島高等女学校を卒業しました。卒業式では卒業生総代として答辞を読みました。
 
同校では、例年、卒業生総代として答辞を読むのは「声のいい生徒」とする習慣だったそうですが、この年に限り、智恵子の成績があまりにも群を抜いていたので、声の善し悪しうんぬんではなく、智恵子にやらせるしかない、ということになったそうです。

「あの日」から2年経ちました。言わずと知れた東日本大震災です。
 
宮城では、光太郎顕彰活動に関わっていた方が津波に呑まれ、亡くなりました。そのお仲間で、ご家族を亡くされた方もいらっしゃいます。
 
福島では、原発事故の影響で、今も不自由な毎日を過ごされている方々がいらっしゃいます。
 
さて、おそらくこの時期に合わせたのでしょう。以前にこのブログで御紹介した映画「希望の国」(園 子温監督)のDVDとブルーレイが発売されました。 
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大谷直子さん演じる主人公の妻「智恵子」には高村智恵子のイメージが投影されています。
 
その大谷さんや、主人公役の夏八木勲さん、その息子役の村上淳さん(NHK大河ドラマ「八重の桜」の土方歳三役)ら、キャストの方々、さらに園監督はじめスタッフの皆さんの本音が収まったメイキングのディスクも付いています。
 
本編ももちろん、このメイキングのディスクがすごい内容でした。福島の原発周辺、宮城の石巻や気仙沼など、ロケ地となった場所の映像、そしてそこに暮らす人々の肉声……。
 
特に、被災地に行かれたことのない方にはぜひご覧いただきたい内容です。
 
今年の連翹忌でも、被災地の方々からの参加申し込みが届いております(当方の生活圏も一応被災地ですが)。復興の現状、復興されていない現状など、語っていただきたいと思っています。
 
【今日は何の日・光太郎】3月11日

大正2年(1913)の今日、読売新聞社で第2回フユウザン会展が開かれ、光太郎は塑像「男の首」を出品しました。
 
このフユウザン会展は、公設の展覧会に反旗を翻す新進作家達のアンデパンダンとして注目されました。第1回展はその前年秋。しかし、同人間の価値観の違いから、2回で終焉となりました。

いろいろなところから、いろいろな案内、刊行物等届いております。順次御紹介します。

二本松市 智恵子のまち夢くらぶ主催 智恵子講座 '13

智恵子の故郷、福島・二本松で地道に活動を続けられている智恵子のまち夢くらぶさん主催の講座です。
 
この講座も長く続いています。今年は光太郎とその周辺人物をテーマに行うとのことです。
 
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当方にも講師の依頼があり、お受けすることにしました。
 
申し込み等の詳細は、上の画像をご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】3月5日

昭和41年(1966)の今日、中央公論美術出版から、光太郎の太田村時代の素描集『山のスケッチ』が刊行されました。

一昨日、新春恒例の「歌会始の儀」が皇居・宮殿「松の間」で開かれました。今年のお題は「立」。天皇、皇后両陛下や皇族方に加え、国内外から寄せられた1万8399首から選ばれた入選者10人、選者らの歌が披露されました。
 
入選者の中で、福島県郡山市の郵便事業社員・金沢憲仁さんの作品は、光太郎の『智恵子抄』に関係するものでした。
 
 安達太良の馬の背に立ちはつ秋の空の青さをふかく吸ひ込む
 
金沢さんのコメントです。
 
「(高村光太郎の)『智恵子抄』にうたわれたように、安達太良山の上には福島の本当の空がある。津波の影響や原発の問題がある中、福島のよさを知ってもらおうと歌を作りました」。
 
両陛下からは「ご苦労が多かったですね」とねぎらわれたそうです。
 
こういうところでも光太郎作品のオマージュがなされるのは嬉しいことですが、原発事故による「ほんとの空」の消失が題材であるわけで、手放しでは喜べません。複雑な気持です。
 
歌会始といえば、昭和39年(1964)、光太郎の実弟、豊周が「召人」として参加しています。「召人」は広く各分野で活躍し貢献している人々から選ばれ、今年は歌人の岡野弘彦氏でした。豊周は鋳金の分野で人間国宝でしたが、『露光集』(昭35=1960)、『歌ぶくろ』(同41=1966)、『おきなぐさ』(同44=1969)、『清虚集』(同48=1973)の四冊の歌集を上梓するなど、短歌の分野でも大きな足跡を残しています。血は争えませんね。
 
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 『露光集』 扉(左)      口絵(右)
 
 
短歌といえば、光太郎も明治末の『明星』時代から、晩年まで断続的に多くの短歌を作りました。いずれ、光太郎と短歌に関しても折を見てこのブログで書こうと思っています。
 
【今日は何の日・光太郎】1月18日

明治44年(1911)の今日、上野精養軒で開かれた雑誌『スバル』と『白樺』の関係者会合に出席しています。

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