今朝の『朝日新聞』さんの「天声人語」に、光太郎が登場しました。
先月2日、連翹忌当日の「天声人語」にも光太郎の名が出ました。2ヶ月連続で「天声人語」に光太郎が登場するのは初めてではないか、と思います。
しかし、今回は手放しで喜べない内容です。
福島・安達太良山のレポートに始まり、お約束で「あどけない話」が扱われています。
「近くの観光施設では子どもたちの姿が戻らないと嘆いていた。」とありますが、毎週月曜日に1ページ費やされる「伝える 東日本大震災」というページには、安達太良山の麓、岳温泉の若女将が紹介されています。
そして1面や社会面には、茨城県東海村の原子力研究施設での放射能漏れについての報道。これでいいのでしょうか、我が国は。
来月、約半年ぶりに二本松に行って参ります。復興の現状を見て参ります。
【今日は何の日・光太郎】 5月27日
昭和26年(1951)の今日、帝国劇場で舞踊家・藤間節子のリサイタルが開かれ、パンフレットに散文「山より」を寄せました。
藤間節子(のち黛節子)は戦時中から光太郎と交流があり、戦後、昭和24年(1949)と25年(1950)には「舞踊 智恵子抄」を発表、光太郎は昭和30(1955)年まで計6回、藤間の公演のパンフレットに散文を寄せています。